2013/04/28

バブルの逆襲

  ただ、金融緩和しているだけで、何か特別な理論に基づいた経済政策を実践しているわけではないのに、「~ミクス」などという、御大層な名称を付けられると、赤面してしまうのは、私だけか・・・。 そういや、「レーガノミクス」の時も、あの当人と、言葉の持つ知的イメージが合わずに、気持ちの悪い思いをしていた記憶があります。

  やっている事は、どう見ても、≪為替操作≫だと思うのですが、外国からの抗議が思ったより少ないのは、意外な気がします。 「円は、今まで、実力より高過ぎた」とか言ってますが、変動相場制なのですから、高いか安いか決めるのは市場であって、個人の見立てではありますまい。

  ジョージ・ソロス氏が、日銀の金融緩和について、円安が止まらなくなる可能性を指摘し、「日本が行なっている事は極めて危険だ。 大変驚く内容で、非常に大胆なものだ」と言い、「日本は緩やかに死に向かっていたが、今や目が覚めた」と付け加えたとか。 ズバリとは言ってませんが、「えらい事になるぜ」と思っているのでしょう。

  まあ、その辺が、事態を客観視している人達の本音の感想なんじゃないでしょうか。 「日本の金融緩和政策を、高く評価している」と、正反対の事を言っているのは、大抵、外国の政府関係者ですが、この人達は、日本経済がどうなろうが構わないと思っているか、むしろ、破綻してくれた方が、自国に利益があると考えているのかもしれません。

  インフレ目標を掲げているわけですが、2パーセントというのは、随分と控え目な数字で、たとえ実現しても、「誤差の内」のような気がせんでもなし。 とかく、経済関係の数字は、操作され易く、GDPや成長率なんて、統計の結果というより、政治家や官僚の都合で決められているのではないかと思えるくらいですから。

  いや、それ以前の問題として、果たして、本当に、インフレにできるのかどうか、それも怪しい。 インフレになる為には、お金の流通量が増える以外に、もう一つ、非常に重要な条件が必要です。 それは、市場に出回る商品の量が減る事。 この二つはセットになっていて、片方だけでは、インフレになりません。

  お金を増やす方は、日銀の胸三寸でできますが、商品を減らす方は、普通に考えたら、不可能です。 日本経済は、貿易で成立しているのですから、物の値段が上がっても、より安い商品が、外国から入って来れば、また値段が下がってしまいます。 すでに、日本製は高過ぎるので、対象外として、韓国製や台湾製が高くれば、中国製。 中国製が高くなれば、タイやインドネシア製。 それも高くなれば、インド製と、より安い製品は、後ろに列を成しています。

  「インフレ目標を達成するまで、金融緩和を続ける」つもりのようですが、もしやまさか、経済の作用範囲を、国内だけに限定して考えているのではありますまいね? 「≪消費税還元セール≫という言葉を使わないように」などという、戦時中みたいな話が出ていますが、言葉狩りは容易にできても、国の屋台骨に関わる自由貿易は止められますまい。

  預金で資産を持っている者にとっては、ハイパー・インフレになってしまう事が、一番迷惑なのですが、それは杞憂で、もしかしたら、いくら金融緩和されても、インフレには、ならないのかもしれませんな。 安い品物が、外国から輸入され続ける限り。


  それはともかく、今現在、円が安くなり、株価が上がったのは、確かに事実。 で、問われているのが、次の一言です。

「これは、バブルか?」

  わざわざ、答えるのも馬鹿馬鹿しいくらい、明々白々に、バブルですな。 単に貨幣の流通量を増やしただけで、実体経済が成長しているわけでもないのに、株価が上がり始めたら、それは単なる、投資家の期待の表出に過ぎない事は、よほどの経済音痴でも分かる事。

  円安の結果、輸出産業は、何もしなくても利益が増えて、青息吐息だった経営状態が、何とか一息つけるところまで好転したわけですが、そういう企業の株が買われて、株式市場全体の株価を押し上げているのでしょう。 しかし、それらは、「額面のマジック」の結果であって、実体経済の成長とは、全く関係ありません。


  以下、私家版定義。

≪バブル景気とは?≫
  金融商品、不動産、投機対象製品、特定の権利などに、本来の価値以上の値段がついてしまう現象が社会全体で起こる事。 価値の実体が存在せず、ただ人々の、「それを手にしていれば、必ず値上がりするはずだから、将来もっと大きな利益を得られるはずだ」という期待が増幅する事により、値段だけが上がって行く。


≪バブル崩壊とは?≫
  ところが、「もしかしたら、もう、これ以上、値上がりしないのではあるまいか?」という不安が一旦芽生え始めると、全員が早く売ろうとするので、上がっていた値段が一気に実体価値まで落ちてしまう。 その際、早く手放した者ほど得をし、遅くまで持っていた者ほど損をする。 社会全体の富の総量は変わらないのだが、得した者も損した者も、それ以上損をする事を恐れて、お金を使わなくなるので、社会全体の経済活動が不活発になる。


  何年か前に、自分で書いた文ですが、こうやって、読み返してみると、意外に分かり易いですな。 侮れんな、昔の私・・・。 と言う事はつまり、昔の私より、今の私の方が、思考力が弱っているという事か・・・、いや、歳を取ったのだから、別段、不思議はないのじゃがのう・・・。

  そんな事はどうでもいいとして・・・、大変面白いのは、現在起こっている経済の状況について、ごく一部を除き、ほとんどの識者が、「これは、バブルだ」という、正確な判断を下している事です。 うーむ、心強い。 日本の識者も、強ち、政府の宣伝マシーンばかりというわけではなかったのか。 というか、それらの識者は、ほぼ全員、40歳を超えていて、前回のバブル時代を経験しているため、バブルの空気感や、バブル崩壊の恐ろしさを、はっきり覚えており、警鐘を鳴らさないではいられないんでしょうな。

  ちなみに、「現状は、バブルではない」と言っている、ごく一部の人というのは、有り体に指摘すれば、日銀総裁一人だけです。 しかし、その総裁であっても、物の言い方自体が、バブルを良い事だとは思っていない証明でして、日銀総裁が、「バブルの何が悪い」と言い始めたら、もうおしまいですな。

  実際のところ、もし、今後、本格的に大きなバブルに膨らんでしまって、その崩壊によって、前回と同じくらいの甚大な被害を社会に及ぼしてしまったら、どう考えても、事態の元凶と見做さざるを得ないこの総裁が、どうやって責任を取るのか、大変興味深いです。 なまじ、名前が覚え易いだけに、SP無しでは、表を歩けなくなるのでは? その時には、当然、退任しているでしょうから、SPを用意してもらえるかどうか、疑わしいですが。

  バブル時代に、まだ大人になっていなかった年代の人達には、ピンと来ないかもしれませんが、「バブルに浮かれる」という現象は、それほどまでに、警戒を要する事なのです。 終末的なのです。 お先真っ暗なのです。 単に、タクシーに只で乗れる時代ではないのです。


  他に、あるエコノミストの言で、「バブルの初期と、好景気は、区別し難いものであり、景気がよくなったからと言って、すぐに、『バブル、バブル』と、警戒心を剥き出しにする必要は無い」という意見がありました。 こういう人は、洒落にならず、怖い・・・。 仮にも、経済の専門家なのですから、好景気になるには、経済成長が不可欠で、それが見当たらない現状は、単なる好景気ではありえず、バブル以外に考えられない、という事くらい、百も承知しているはず。

  にも拘らず、現状を歓迎するような事を言っているという事は、つまり、この人にとって、バブルは、危機ではなく、好機なのです。 バブル局面を利用して、一儲けも二儲けもできる自信があるのです。 いや、バブルの特徴は、一や二といった、小さな数字では言い表せませんな。 百儲けも千儲けも、夢ではないと思っているのです。

  バブルの特性として、大多数の者が大損する一方で、大儲けする人もいるわけでして、社会全体の富の総量は変わらないけれど、富の再分配が行われるという面があります。 問題は、富が、全体に平均化するのではなく、経済的才覚のある人間の元に、より多くの富が集中し、そうでない人間が素寒貧になる点が、困るのです。 しかも、その現象が、数年という短期間に、急激に、且つ、極端に起こるから、恐ろしい。

  実際、今、株式市場を沸かせているのは、この種の才覚がある人達だと思います。 一方、その様子を横目で見ていて、「じゃ、俺もやってみようかな・・・」などと、株と蕪の区別もつかんボンクラのくせに、猫にお招ばれした鼠のようにおどおどしながら、証券会社の門を叩きに来る連中は、バブルの崩壊局面で、逃げ出すのが遅れ、有り金そっくり持って行かれる口なのです。


  前のバブルで儲けた人間が、「そろそろ、ほとぼりが冷めたから、夢をもう一度」と企んでいる事は、充分に考えられる事です。 しかし、この人達は、ほんの一握りでしょう。 経済的才覚がある人間が、そんなに大勢いるわけはないですから。 問題は、「バブルで儲けた経験は無いけれど、自分にもできるはず」と思っている連中でして、この未熟者どもが、バブルを膨らませてしまう危険性が、極めて大きいです。 ギャンブルやネズミ講と同じでして、参加者が多いほど、バブルは大きくなります。

  はっきり言わせて貰いますと、「今までに、投資で、資産を10倍以上に増やした事がある」というレベルの人でもない限り、「バブルで儲けよう」などという、浅はかな考えは抱かないでいただきたい。 やめて下さい。 あなたには無理です。 あなたが今、思い描いているような、倍々ゲーム式のボロ儲け青写真は、あなたと同レベルの才覚しか持っていてない人達が、全員、思い描いているのであって、その程度の能力では、上位の人達を出し抜くなんて事は、金輪際できません。

  バブル・ゲームとは、プレーヤーの1パーセントが勝ち、99パーセントが負ける、大変シビアな世界なのです。 全体の富が100だとすれば、上位1パーセントの者が、100を取ってしまいます。 百人で一脚の椅子を奪い合うゲームだとしたら、そんな無謀なギャンブルに、自分の資産を投入したりしないでしょう? やめておきなさい、悪い事は言わないから。 1パーセントの者が、バブル再来を望んでも、99パーセントが、ゲームに参加しなければ、バブルが膨らまないので、悲劇も起こりません。


  とはいうものの、政府が音頭を取っている有様では、やはり、ある程度の膨張は避けられんかもしれませんなあ。 全く、愚かというか、奇妙というか、普通、バブルが発生したら、政府は、大きく膨らまない内に、それを潰さなければいけないのですが、日本では、「バブルでもいいから、景気が良くなって欲しい」と願う企業経営者が多いせいか、政治家にも、危機感が足りません。

  ちなみに、前回のバブルの時には、不動産価格が暴騰する≪地上げ≫が、あまりにもひどくなり、一般人が家を買う事ができなくなってしまったため、ようやく、政府が対策に乗り出しましたが、それまでは、「高天原以来の好景気!」などと言って、経済閣僚まで浮かれまくっていました。 ちなみに、今と同じ、自民党政権でした。 何だか、経済のケの字も分かってない人が、たくさん、いそうだなあ・・・。



  で、バブルで儲けようという考えは、是非、捨てて欲しいのですが、バブルの時にしか起こらない、別の現象もあり、人によっては、それで人生が好転するかもしれないので、少し、入れ知恵しておきます。

  それは、就職がし易くなる事です。 企業というのは、ちょっと景気が良くなると、利益を増やそうと思って、必ず、事業拡大に乗り出します。 経営者の方針に関係なく、これは、どの会社でも同じです。 営利団体というのは、そもそも、そういう生き物なんですな。 事業拡大するとなれば、社員の頭数が要るので、新卒採用を増やしたり、中途採用を募集したりします。 ここが狙い目。

  フリーターや、派遣社員、期間社員で喰い繋いでいる方々は、社会の潮目の変化を見極めて、ここを先途と、求人広告と向き合い、ハロー・ワークに日参しなければなりません。 前のバブルは、20年前でしたから、20年に一回しか巡って来ないわけで、年齢の事も考え合わせれば、一生に一度のチャンスだと思っても良いでしょう。

  景気が良くなると、仕事が増えるので、「フリーターでも、充分」とか、「派遣会社にも、義理があるから」などと、おっとり構えていると、一生に一度のチャンスを、見す見す逃す事になります。 だからよー、当面の仕事があるかないかが問題なんじゃないんだよ。 正社員になれるかどうかが、肝心なんですよ。 そして、その機会は、バブルの時にしか、やって来ないのよ。 残念ながら。

  かくいう私も、前のバブルの時に、どさくさに紛れて、中途採用で製造業の会社に潜り込む事に成功した、バブル社員です。 以来、20数年、会社に齧りついて、何とか暮らして来ました。 入社のきっかけなんて、どうでもいいんですよ。 同期がいなくたって、出世資格が無くたって、正社員でありさえすれば、給料やボーナスは貰えるんだから、勝ったも同然です。

  まあ、バブルのいいところって言ったら、それくらいですかねえ。 他に思いつきません。

2013/04/21

映画批評⑪

  ドストエフスキーの≪悪霊Ⅰ≫ですが、一週間経って、まだ、読み終わりません。 会話が多いので ≪罪と罰≫や≪カラマーゾフの兄弟≫に比べると、ずっと読み易いのですが、話の内容が、今のところ、田舎貴族のゴシップばかりで、興味が盛り上がらないせいか、なかなか、ページの捗が行かないのです。

  同じ、中央公論社の、≪新集 世界の文学≫ですが、ショーロホフの≪静かなドン≫が、一日、100ページも進んだのに、こちらは、40ページがやっととは、何たる不甲斐なさ。 翻訳が悪い? いや、そんな事は全く無いと思いますが・・・。 ドストエフスキーは、やはり、なめられんのか・・・。

  ちなみに、私は、速読法の類は、一切、身につけていません。 ただ、こつこつと、地味~に、一文字ずつ、不器用に読み進めるだけ。 いいんですよ、それで。 別に、何かの目的があって、読書しているわけではないのですから。 マイ・ペースが一番。 仕事でマイ・ペースなのは、傍迷惑ですが、読書は趣味だから、何の問題もありません。

  若い頃は、知識・教養を身につけるために、歯を喰い縛って読書しているようなところがありましたが、この歳になると、興味が湧いたものしか、読む気にならなくなりました。 言わば、動機が純粋化したわけで、ある意味、読書の本当の楽しみを知ったと言えるかも知れません。

  ついで論ですが、あの速読法という奴、一見、便利なようで、それほど、有用でもないような気がするので、よしんば、試してみて、物にできなかったとしても、あまり気落ちする事はないと思います。 ぶっちゃけ、速読法の会得者で、有名になるほど成功した人というのは、聞いた事が無いですけんのう。

  他にも、スーパー記憶術とか、左脳活用術とか、同類の脳力開発法が、いろいろと出回ってますが、ああいうのは、やめておいた方が、無難かもしれません。 脳の能力容量には限界があるので、不自然な方法で使い切ってしまうと、歳を取ってから、早くボケる危険性がなきにしもあらず。 若い頃、凄いおしゃべりで、ひっきりなしに喋り続けていた人が、判で押したように、早ボケするのも、脳を使い切ってしまったせいではないでしょうか。

  脱線の限りを尽くしていますが、何が言いたいかというと、やはり、読書に時間を取られて、記事が書けんという事なのです。 そこで、今回も、映画批評という事になります。 いや、今週は、何か書こうと思っていたんですよ。 そのために、土曜の夜9時以降を開けておいたんですが、なんと、地上波で、≪テルマエ・ロマエ≫をやるっつーじゃないですか。 そりゃ、見ないわけにいかんでしょう。 見逃したら遺憾でしょう。 で、結局、時間がなくなってしまったわけですな。



≪ねこタクシー≫ 2010年 日本
  カンニング竹山さん主演。 元は、テレビ・シリーズだったのを、劇場版として作り直したもの。 スタッフは、≪幼獣マメシバ≫や≪ネコナデ≫を作った人達。

  元教師のタクシー運転手が、接客が苦手で、さんざんな成績だったのが、猫好きの老婆に乗り逃げされた事がきっかけで、タクシーに猫を乗せて走るようになり、それがお客に受けて、成績が上がるものの、保健所の指導で禁止されてしまい、動物を業務で扱える免許を取って、やりなおそうとする話。

  動物物ではなく、人情物。 猫は、その小道具として出て来るだけです。 主人公は、駄目人間という事になっていますが、元教師で、妻と娘は美人で、結構いいマンションに住んでおり、客観的に見ると、どこが駄目なのか、よく分かりません。

  妻役の鶴田真由さんが、ちょっと出来過ぎていて、カンニング竹山さんを喰ってしまっているのが、イマイチですかねえ。 もっと、目立たない女優さんの方が、良かったのに。 室井茂さんが、老婆というのも、ドラマならともかく、映画では、洒落になるかならないか、微妙なところ。

  映像は、ドラマ・レベルで、パッとしませんが、話は、いい話だと思います。 ふざけた設定のようでいて、挫折した男の再チャレンジというテーマをしっかり定めてあり、過度にお涙頂戴にも走らず、卒のない出来になっています。


≪死刑台のエレベーター≫ 2010年 日本
  1957年のフランス映画のリメイク。 阿部寛さんらの、群像劇。 大企業の会長の妻に唆されて、会長を射殺した男が、逃げる途中、エレベーターに閉じ込められてしまうが、その間に、男の車が盗まれて、盗んだ奴らが、箱根で、会長の知人の暴力団組長を殺しており、翌朝エレベーターから出て来た時に、全く知らない容疑で逮捕される話。

  これも、推理物の要素が入っているので、これ以上は書けません。 結構複雑な話で、二つの殺人事件が連続して起こるのですが、互いに深くは絡んでおらず、ちと、偶然が過ぎるのではないかと思わぬでもなし。

  特に、車を盗む若い警官の行動が奇妙で、なりゆきで人を殺しており、狂人でなければ、ストーリーを成り立たせる為に、無理にこんな事をやらせているとしか思えません。 この辺りは、オリジナルを見て、どうなっているか、確認しなければなりませんな。 いつ見れるか分かりませんが。

  阿部さんを主役だと思って見ていると、どんどん出番が減って行くので、がっかりします。 あくまで、群像劇。 一番、出番が多いのは、会長の妻役の、吉瀬美智子さんですかね。 だけど、やはり、主役ではありません。 刑事役の柄本明さんが、いい味を出していますが、出番が少ないのが残念。


≪ザスーラ≫ 2005年 アメリカ
  CGを使ったファンタジーの傑作、≪ジュマンシ≫の原作者が書いた続編らしいですが、登場人物も話の内容も、前作とは全く重なりません。 ただ、双六ゲームの指示が、現実になってしまうという趣向は、全く同じ。

  喧嘩ばかりしている幼い兄弟が、地下室で見つけた双六ゲームを、父の留守中に始めたところ、家が土台ごと、宇宙空間を進む宇宙船になってしまい、流星群の衝突や、ロボットの暴走、人喰い宇宙人の侵入など、様々な危機が襲いかかって来る話。

  ファンタジーの形を借りていますが、テーマは兄弟の信頼回復です。 喧嘩三昧だったのが、共に危機を乗り越える事で、信頼し合う事の大切さを知り、仲良くなるというパターン。 しかし、兄弟喧嘩の本質的問題点を、身を以て知っている者の目から見ると、「どーせまた、喧嘩になるだろう」と思ってしまいます。

  ≪ジュマンシ≫に比べると、主人公達が子供で、しかも、舞台が宇宙空間なので、話は単純に、映像は単調になっており、見応えは、激減しています。 CGもあまり使われていないようですが、もしや、かなりの低予算で作られたのでは? 前作と違い、傑作には程遠いです。


≪人生万歳!≫ 2009年 アメリカ
  ウッディー・アレンさんの監督・脚本作。 この人の映画は独特で、自分の頭の中だけの世界を、見る者に強引に押し付けているようなところがあり、あまり好きではないんですが、この映画は、多少、客観的視点の方へ傾いており、マシな方。

  自称・天才物理学者の老人が、ニューヨークで一人暮らしをしている部屋へ、南部の敬虔なクリスチャンの家から逃げ出して来た娘が住み着き、歳の差夫婦が出来上がる一方、娘を探しにやって来た母親と父親が、老人の周囲の者達の影響を受け、それぞれ、それまでとは正反対の価値観を抱くに至る話。

  老人は、一応、主人公で、語りも務めていますが、実質的には群像劇です。 古い価値観を皮肉るのが目的のようで、老人も、娘も、娘の父母も、始めと終わりとでは、まるで考え方が変わってしまいます。

  老人は、ノーベル賞候補になった事もある、天才物理学者という事になっていますが、しゃべっている事は、人生論ばかりで、文系丸出し。 ウッディー・アレンさん、文系の知識しか無かったんでしょうなあ。 友人達と交わす会話は知性的ですが、一方的に自分の考え方を捲し立ててばかりいるのに、こんなに友人を維持しているというのは、不自然です。

  最終的な結論が、「人生は、何でもありだ」というのは、「そんなの、分かってるわ」という気がせんでも無し。 ウディ・アレンさん、歳を取って、同じ場所で足踏みを続けるような、思考の袋小路に嵌まっているんじゃないでしょうか。


≪自虐の詩≫ 2007年 日本
  中谷美紀さん主演、阿部寛さん助演の、コメディー・タッチの人情物。 悲惨な娘時代を経験した女が、幸せな人生を掴むために、大阪の裏街の食堂で働き、元ヤクザの亭主との生活を、必死で守ろうとする話。

  自虐の詩と言いますが、主人公に、自虐的なところは全く無く、相当には前向きな人です。 「幸せになりたい」と一心に願っているわけですが、別に借金取りに追われているわけでもなく、住む所はあるし、仕事はあるし、駄目亭主ではあるけれど、結婚はしているし、子供も出来るし、周囲の人達からも温かい目で見守られているし、これでは、現状で充分に幸せなんじゃないでしょうか。

  後ろ向きなのは、亭主の方ですな。 仕事もせずに、子分のチンピラを連れて、ギャンブルに明け暮れ、気に入らない事があると、すぐに食卓の卓袱台をひっくり返します。 もし、主人公に不幸なところがあるとしたら、この亭主に、自分の幸福感を分け与えてやれないところでしょう。

  食べ物が載った卓袱台を引っくり返す場面が何度も出てくると、勿体無くて、腹が立って来ます。 この場面で笑える人は、死んだら、餓鬼地獄へ一直線ですな。 制作者は、なんで、こんな場面を、面白いと思ったのかなあ?

  最終的に幸福になるために、まず、不幸でなければならない主人公が、実は不幸ではないという時点で、この物語の落差は成立しておらず、話として、失敗しています。 


≪まほろ駅前多田便利軒≫ 2011年 日本
  瑛太さん主演、松田龍平さん助演の人情物。 まほろ駅という東京郊外の駅の前で、便利屋を営む男の所に、中学時代の同級生が転がり込んできて、二人で、持ち込まれる依頼をこなしてく話。

  四つの依頼と、主人公、そして居候の身の上が、エピソードとして語られます。 犯罪が絡んだりして、若干、暴力的な描写もありますが、主人公達に、若くして人生の敗残者という風があるため、ギラギラした雰囲気がなく、淡々と話が進むところは、好感が持てます。

  瑛太さんが、「何じゃ、こりゃあ!」と叫んだのを、松田さんが、「誰それ? 全然似てない」と言ったり、鈴木杏さんが、「あんあん」言わされたり、しょーもない楽屋落ち的ギャグが出て来ますが、それを笑って許せる、軽いノリがあります。

  一つの話に纏めてありますが、独立した六つの話を、緩く絡めただけで、本来なら、テレビの連続ドラマでやるような作品。 実際、テレビでも、新作が放送されるようですが、もし、映画と同じレベルを保てるなら、見て、損は無いと思います。


≪麒麟の翼 劇場版・新参者≫ 2011年 日本
  テレビ・シリーズで映像化された、東野圭吾さん原作の犯罪捜査物の、新作・劇場版。 阿部寛さんが、人の嘘を見抜く刑事、加賀恭一郎役で、主演。

  日本橋の欄干のオブジェ、翼のある麒麟の下で、腹を刺されて息絶えた男と、男の鞄を持っていて、警官に追われて、トラックにはねられ、重態に陥った青年の関係を追う内、捜査が二転三転し、意外な真犯人の存在が浮かび上がる話。

  封切り前、新垣結衣さんが出演するのが話題になっていました。 容疑者の青年と同棲していた女の役なんですが、事件の核心とは何の関係も無い人物で、これでは、助演とすら言えず、ほんのちょい役です。

  実質的な助演は、被害者の息子役をやった、松坂桃李さんですな。 一番、露出が多いです。 この作品では、なりゆきで、事件の謎が解けて行くので、加賀の推理力はあまり活躍せず、群像劇っぽくなっています。

  テレビ・シリーズに出ていた、黒木メイサさんや、田中麗奈さんも出て来ますが、無理矢理出演させたような感じがせんでもなし。 特に、黒木さんは、本来、雑誌記者なのに、飲食店でバイトしている事になっており、無理矢理にも程があろうというもの。

  加賀のキャラが、常に緊迫感を伴うものなので、飽きるという事はありませんが、事件そのものは、中学生のいじめ事件や、工場の労災隠し事件などが重なっているせいで、複雑に見えるだけで、ほとんど、衝動殺人に近いような単純なものです。

  犯人が被害者を刺した理由は分かりますが、被害者が無理に麒麟の象の下まで歩いて行った理由は、理解し難いです。 被害者が死んでしまえば、家族は路頭に迷うわけで、息子にメッセージを伝えるよりも、とりあえず、自分が生き延びる事の方が大事だと思うんですがね。 その場を動かずに、救急車を呼べば、助かったわけですから。


≪ニューヨークの恋人≫ 2001年 アメリカ
  ヒュー・ジャックマンさんと、メグ・ライアンさんの、SF・恋愛物。 くどいようですが、ヒュー・ジャックマンさんというのは、≪X-MEN≫の、鉄の爪男をやった人です。

  1876年のニューヨークで、望まない結婚を強いられそうになっていた英国貴族が、現代から来た物理学者の後を追う内、時間の裂け目を通って、現代へ来てしまい、物理学者の元恋人と恋に落ちる話。

  タイム・スリップ物SFとして、≪バック・トゥー・ザ・フューチャー≫に次ぐくらい良く出来ているにも拘らず、恋愛物としても、大変ロマンチックな話になっており、ちょっとした傑作です。

  物盗りにバッグを取られたヒロインのために、観光馬車の馬を借りて、公園内で追撃をやる場面が、実に見事。 恋愛物で、こんなに胸がすく場面は、滅多にありますまい。 ヒロインをディナーに招く件りで、ビルの屋上に蝋燭を並べ、バイオリン弾きを雇って、19世紀風のもてなしをする場面も、実に素晴らしい。

  強いて難を上げれば、メグ・ライアンさんが、ちと歳を取ってしまっている点と、彼女が演じるヒロインが、主人公と比べた時に、人間的魅力に乏しく、「こんな現実的な女性が、主人公とうまくやっていけるのだろうか?」と疑問が残る点でしょうか。 しかし、そんな事が気にならないくらい、全体の雰囲気は宜しいです。


≪ダブルフェイス 秘めた女≫ 2009年 フランス
  ソフィー・マルソーさん、モニカ・ベルッチさんのダブル主演。 モニカ・ベルッチさんというのは、現代イタリアを代表する女優さんで、≪マレーナ≫の主演をした人。

  夫と二人の子供と暮らしている女性が、自分自身や家族が他人に見えたり、家や街の記憶が消えたりする症状に悩まされ、そのきっかけが、8歳より前の記憶が無い事にあると見て、母と自分と、見知らぬ女性が写っている昔の写真が撮影されたイタリアへ向かう話。

  ソフィー・マルソーさんの顔が、次第に変化していって、いつの間にか、モニカ・ベルッチさんに変わっているという、何だか、気持ちが悪い映像なのですが、その気持ちの悪さが、主人公の心理とシンクロしていて、見る者に不安感を共有させる事に成功しています。

  フランス映画なので、「テキトーなストーリー展開で放り出されるのでは・・・?」という不安に襲われましたが、一応、症状の原因は用意されていて、すっきりはしないものの、それなりに筋は通っています。 だけど、こういう原因にするより、ホラーにしてしまった方が、前半の不気味さが活きたのではないでしょうか。


≪ソラニン≫ 2010年 日本
  宮崎あおいさん主演の青春物。 宮崎さんが出る映画といえば、後味最悪の異色作ばかりで、もう、この人が出るというだけで、警戒線を張ってしまうのですが、この映画は例外の様子。

  お茶汲みOLの女が、アマチュア・ロック・バンドをやっているフリーターの男と同棲して、将来不安に怯えつつも、そこそこ幸せな生活をしていたのが、仕事上のトラブルで、会社を辞めてしまい、代わりに稼がなければならなくなった男のプロ・デビューに関するゴタゴタの後、男が交通事故に遭い、女が男の代わりにバンドのメンバーになる話。

  部分的にネタバレさせてしまいましたが、映画を見慣れている人なら、途中で先が読めるようなオーソドックスな展開なので、まあ、勘弁して下さい。 ストーリーよりも雰囲気を楽しむ映画なので、先が読めても、それが欠点にはなっていません。

  同棲自体が、70年代の風習なので、「今でも、こういう人達、いるのかなあ?」と、首を傾げたくなるのですが、中高校生なら、時代を問わず、こういう生活に憧れを感じるんじゃないかと思います。 だけど、実行はせん方がいいぞ。 夫婦の真似事なんぞ、すぐ飽きるし、金が無いのでは、結局、破綻するのだから。 惨めな挫折の、嫌な記憶が残るだけ。

  映画に話を戻しますが、あまりにも型に嵌まった青春物なので、見ていて赤面してしまうのは仕方ないところ。 しかし、セオリーに従って、きちんと作ってあるので、後味は悪くありません。 音楽物の要素を絡めてあるために、軽薄さを免れているのは、幸い。

  宮崎さんは、こういう毒の無いキャラをやると、却って深みが出ますなあ。 そう思うのは、先入観のせいか・・・。 桐谷健太さんが脇で出て来ますが、この二人で、演技を持たせているような感あり。


≪レスラー≫ 2008年 アメリカ
  ミッキー・ロークさん主演のスポーツ物。 一度、挫折した選手が、再チャレンジする方のパターン。 競技はプロレスなので、スポーツというより、ショーですが・・・。

  人気絶頂だった80年代から、家族を顧みずに、20年以上現役を続けて来たプロレスラーが、心臓発作を起こして引退する事になり、孤独に耐えられずに、馴染みのストリッパーを口説いたり、長く会っていない娘を訪ねたりするものの、結局うまく行かず、再びリングに上ろうとする話。

  一応、スポーツ物の構成で作られていますが、主人公が、プロレスで強くなるというわけではなく、単に、もう一度やるというだけの再チャレンジなので、厳密に言えば、スポーツ物とは言えないかもしれません。 話の展開は、≪どついたるねん≫に似たところがありますが、復活の為の辛い練習場面などは無くて、その分、「一か八か。 死んでも悔い無し」という悲壮感が、より濃厚です。

  ミッキー・ロークさんは、若い頃は、「都会的に洗練された野生」を感じさせる俳優だったと思うのですが、この映画では、まるで、別人。 本物のプロレスラーと変わらない体格で、しかも、体がボロボロなところまで再現しているのには、役作りへの凄まじい執念が感じられます。

  プロレスに人生を捧げて来た男が、引退後、自分が、外の世界では何の価値も無い人間である事に気づくという悲劇には、プロレスに何の興味も無い人間でも、憐れみを感じずにはいられません。 後味は悪いですが、制作の目的をよく全うしている佳品。


≪ダウン・バイ・ロー≫ 1986年 アメリカ・西ドイツ
  ≪ストレンジャー・ザン・パラダイス≫のジム・ジャームッシュ監督が、2年後に作った映画。 主演、ジョン・ルーリーさんも同じですが、この映画では、他の二人とトリプル主演になっています。

  罠に嵌められて、逮捕された男二人と、傷害致死で人を殺してしまった男一人が、刑務所の同じ部屋で仲間になり、脱獄して、沼地の森を彷徨う話。

  この監督の作品で、これだけストーリーがあると、それだけで、ありがたく感じられるから、不思議。 モノクロの映像美はそのまま保たれているので、進化しているというべきでしょうな。 単純なストーリーではありますが、そこそこ、まずまず面白いです。 後味も良し。


≪ソウル・キッチン≫ 2009年 ドイツ・フランス・イタリア
  ドイツの町で、レストランのオーナーをしている男が、妻が上海に出張してしまったり、ギックリ腰になったり、仮出所して来た兄を偽装雇用しなければならなくなったり、新しく雇ったシェフが味の分からない客を追い払ってしまったり、久しぶりに会った同級生に店を乗っ取られそうになったり、様々な災難に見舞われる話。

  コメディーだから、何でもありとは分かっているものの、あまりにも多くのエピソードを盛り込み過ぎているせいで、バタバタしており、最後まで落ち着きません。 主人公が、レストランの所有に拘る割には、女房を追って上海に行きたがるなど、何が優先的な望みなのかはっきりしないため、共感し難いのが、最大の難点。

  主人公が悩まされるギックリ腰も、私のような経験者から見ると、あまりにも痛々しく、素直に笑いのネタとして受け入れる事ができません。 ギックリ腰の人間が、大人の女性を担いで家に帰るなど、金輪際できる芸当じゃないんですが、制作者は、そういう事を知らないようですな。


≪ファンシー・ダンス≫ 1989年 日本
  周防正行さん監督、本木雅弘さん主演の、青春コメディー。 ≪シコふんじゃった≫よりも前に撮られた作品。 大学で仲間と遊びほうけていた寺の息子が、住職の免状を取るため、弟と共に修行寺に入門する事になるが、遊び人の性質が抜けず、悪さばかりする話。

  89年というと、バブル真っ盛りの頃ですが、この映画も、もろに時代の影響を受けて、今から見ると信じられないくらい、軽薄なノリで作られています。 特に、女性陣の服装が、見るに耐えぬ。 こんな格好で、よく表を歩いていたものです。

  僧侶の修行の様子を紹介するのが、この映画の本来の目的のようなのですが、青春物の部分があまりにもチャラいので、修行寺の生活の描写が、正確なのかどうか、信じるのをためらわせるところがあります。 結果的に、虻蜂取らずになってしまっているのは、残念なところ。

  明らかに、脚本が未熟で、セリフがゴテゴテ。 何やら、説明文を読み上げるのを聞かされているかのように、耳障りです。 セリフだけで笑わせようとするから、逆に笑えないのですよ。 シチュエーションが伴わなければ、コメディーなんて、とても無理ですな。


≪シシリアン≫ 1969年 フランス
  ジャン・ギャバンさん主演、アラン・ドロンさんも出ている、泥棒物。 ≪ホット・ロック≫や≪オーシャンズ11≫のような、頭を使う窃盗団の話。 ただし、それらの後続作と比べると、コミカルな味付けがされていないので、雰囲気はだいぶ違います。 半分、マフィア物という感じ。

  シシリア島出身のマフィア・ファミリーが、仕事で助け出した殺し屋が持ち込んだ、宝石展覧会の宝石を盗む計画を検討するものの、警備が厳重過ぎて実行できず、展覧会の移動でアメリカへ宝石を運ぶ旅客機を乗っ取ろうとする話。

  殺し屋を助ける方法や、旅客機に乗り込む手口、ピンチを切り抜ける機転など、アイデア満載で、その点は面白いのですが、話自体は尻すぼみで、もうちょっとマシな終わり方にできなかったものかと思います。

  一番変なのは、アラン・ドロンさんが演じる殺し屋が、旅客機の乗っ取り計画に、大した役割を果たしていない事です。 操縦席で銃を突きつけるだけなら、なにも殺し屋である必要はありますまい。 取って付けたような理由で殺されるのも、呆気なさ過ぎ。



  以上、15本まで。 まだ、1月7日の分までですなあ。 暮れと正月は、映画三昧だったからなあ。 ちなみに、≪テルマエ・ロマエ≫ですが、これを書いている時点で、すでに見終わっており、感想を書けない事はありませんが、書いたとしても、順番なので、ここで紹介するのは、たぶん、今年の夏の終り頃になるのではないかと・・・。

2013/04/14

映画批評⑩

  ≪ドクトル・ジバゴ≫は、何とか返却期限までに読み終えました。 いやあ、久しぶりに、手こずった小説だった。 今にして思えば、詩人の書いた長編小説というだけで、読む前に用心しなければいけなかったわけですが、そもそも、パステルナークが詩人だという事も知らなかったのですから、こりゃもう、仕方ありませんな。

  で・・・、そこで懲りて、読書からは暫く遠ざかっておけば良かったものを、≪ジバゴ≫を返しに行った時、つい、ふらふらと、世界文学全集の書架を見に行ったら、ドストエフスキーの≪悪霊Ⅰ≫が戻ってるじゃありませんか。 今まで、1ヵ月以上、不在で、てっきり、借りパクされたものと思っていたのに。

  「これは、今借りなければ、次は、いつ読めるか分からんぞ!」と、尻に火が点いた心境に陥り、ついつい、借りて来てしまいました。 今回は、二週間で読み終えられるように、≪Ⅰ≫だけに押さえておきました。 なーに、≪Ⅰ≫を借りてしまえば、≪Ⅱ≫から読み始める人は、皆無とは言えぬまでも、ほとんどおりますまい。

  で、ですねー。 引き続き、読書中心の生活に入ってしまったので、またまた、ここの記事が書くゆとりが無いのですよ。 というわけで、またもや、映画批評です。 これだけは、出しきれぬほど、ストックがあるので・・・。



≪ストレンジャー・ザン・パラダイス≫ 1984年 アメリカ・西ドイツ
  ≪パーマネント・バケーション≫と同じ監督の作品で、相変わらず、何が言いたいのか分からないものの、こちらの方がまだ、ストーリーらしいものがあります。

  ハンガリーからアメリカに来た従妹を、アパートに一週間泊めてやった男が、一年後、友人と二人で、クリーブランドの叔母の家まで、従妹に会いに行き、今度は三人で、フロリダへバカンスに向かう話。

  車で旅行する場面が多いですが、ロード・ムービーというわけではなく、恋愛が匂わされるけれど、恋愛物でもなく、青春物というには、あまりにも退廃的雰囲気に満ちており、なんとも、ジャンル分けのしようがない映画です。 こういうのを見ると、映画にとって、いかにストーリーが大切かを痛感します。

  もし、今後、見る機会があったとしても、わざわざ時間を割くような映画ではないのは、確か。 ただ、スカというわけではなく、独特の映像美が見られるのも、確か。


≪リオの嵐≫ 1965年 フランス
  ほぼ、フランス版の≪007≫。 ただし、主人公を演じているのはアメリカ人俳優で、役柄は、CIAの情報員。 それでいて、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが舞台なのに、全ての相手とフランス語で喋っているという、頭がキリキリして来るような複雑さ。

  成分を注射すると、他人を自由に操る事ができる麻薬の出元をつきとめるため、ブラジルに飛んだCIAの腕利き情報員が、リオの街で秘密組織の殺し屋の襲撃を撃退した後、麻薬栽培の本拠地を潰そうと、アマゾンへ向かう話。

  スパイ物は、大概、こんな感じですが、この映画は、≪007≫の完全なパクリです。 ≪ドクター・ノオ≫が62年、≪ロシアより愛をこめて≫が63年、≪ゴールドフィンガー≫が64年と、立て続けのヒットを横目に見て、類似作品を企画したのでしょう。

  パクリと分かっていても、リオの街での殺し屋達との戦いは、洒落ていて面白いです。 アマゾンの秘密基地に行くと、急に子供っぽくなり、日本の変身ヒーロー物のレベルに落ちてしまいます。


≪クラッシュ≫ 2004年 アメリカ
  人種差別をテーマにした群像劇。 主要登場人物は、10人くらい出て来ますが、誰が中心というわけではありません。 サンドラ・ブロックさんが出てますが、驚くほどのちょい役なので、要注意。 友情出演なんですかね?

  舞台はロサンゼルスで、人種差別が原因の犯罪や、犯罪寸前のいざこざが、何件か起こります。 全てが一つの話に纏まって行くわけではありませんが、最低でも他の一つの事件とは関連しています。 もっと、緊密に絡め合う事もできると思うのですが、恐らく、ストーリー展開で、あっと驚かせるような、軽いノリの話にしたくなかったのでしょう。

  テーマが重くて、しかも、ハッピーエンドばかりではないので、後味は悪いです。 最も印象に残るのは、ヨーロッパ系の警官が、セクハラまで加えて侮辱したアフリカ系女性を、後日、転倒した車の中から、命懸けで助け出す場面ですが、この警官を、どう評価すべきか、悩むところ。

  「侮辱はしても、死にそうになっているのを見れば、助ける」と取るか、「命は助けるが、普段は侮辱して構わないと思っている」と取るか・・・。 侮辱もせずに、命も助ければ、それが一番だと思いますが。


≪ヴィクトリア女王 世紀の愛≫ 2009年 イギリス・アメリカ
  大英帝国最盛期の女王、ビクトリアが、王位の筆頭継承者になってから、王位に着き、結婚して、最初の子供を産むまでを描いた映画。 原題の直訳は、≪若きビクトリア≫。 だから、それでいいってーのよ。

  先代の王に子が無くて、弟の娘であるビクトリアが、筆頭になるのですが、その母は、ドイツの公爵家の出で、王位に着いた後、結婚する相手も、同じ公爵家の男。 つまり、ビクトリアの子供は、ドイツ人の血が4分の3という事になりますな。 濃いなあ。

  歴史に興味がある人は、そこそこ楽しめると思いますが、映画としては、非常に平板なストーリーで、正直、退屈極まりないです。 王位に着くまでの間、ビクトリアは、母親の愛人の貴族と敵対しているのですが、互いに敵意むき出しで、一般家庭内のいがみ合いと、何の変わりもありません。 王家の話という感じがしないのですよ。

  宮殿の中の様子も出て来ますが、フランスやロシアの宮殿に比べると、かなり地味なので、あまり期待しない方がいいです。 庭は綺麗。 だけど、あれは、フランス式庭園なんじゃないですかね?


≪コーチ・カーター≫ 2005年 アメリカ
  サミュエル・L・ジャクソンさん主演のスポーツ物。 スポーツ物もスポーツ物、王道を行くような作品です。 駄目なチームが、ある事をきっかけに強くなるパターンの方ですが、これは、実話らしく、骨太な作りになっています。 同じ実話でも、≪おっぱいバレー≫とは、天地の差だね。

  大学進学率よりも、犯罪者になる率の方が高い高校で、男子バスケット部の新しいコーチに就任した元名選手が、部員達に、猛練習と、猛勉強と、礼儀正しい態度を課す契約書を書かせ、若さゆえに脱線を繰り返す部員達を巧みに導きながら、州大会にまで進み、同時に、真っ当な人生を歩んで行く為の逞しさを授ける話。

  部員の親や、高校バスケットのファン、地方のマスコミなどが、「バスケットさえ強ければ、他の事はどうでもいい」と見做しているのに対し、コーチは、「勉強ができなければ、大学に進めず、就職もできずに、犯罪者になってしまう」と、人生全体を考えているところが、好感が持てます。

  「今が人生で一番輝かしい時、という子もいるのに」と言う校長に対し、「そういう考え方が、おかしいんじゃないですか?」と問い返すところが、実に小気味良い。 確かに、その通りで、高校時代に燃え尽きてしまったら、その後の人生が、残り滓みたいになってしまいます。

  時間が長いせいで、後半、間延びが感じられますが、テーマがしっかりしているので、見終わった後には、清々しい印象だけが残ります。 それにしても、サミュエル・L・ジャクソンさんは、いい作品にばかり出ますねえ。 脚本を選ぶ眼力が優れているのでしょう。


≪オクテな僕のラブ・レッスン≫ 2012年 アメリカ
  これは、≪Dlife≫で見たんですが、テレビ・ムービーだとの事。 だけど、俳優が有名な人なら、充分に、劇場用として通用する内容です。 なんだか、勿体無いねえ。

  一度も女性にモテた事がない、真面目な会計士が、高校時代の女の同級生から、仕事として、デートの仕方のレッスンを受け、意中の女性と交際する事に成功するものの、やがて、師弟共に、自分にとって本当に大切なのは、誰なのかを知る話。

  ウィル・スミスさん主演の2005年の映画に、≪最後の恋のはじめ方≫というのがあり、恋愛の仕方を教えるというアイデアは全く同じで、明らかに参考にしていると思うのですが、こちらは、男が男にではなく、女が男に教えるという形になっており、教えている内に、男が洗練されて行き、隠れた魅力にも気付いて、次第に惹かれて行くという流れが自然で、見事に換骨奪胎しています。

  女の方が、高校時代は学校一の美女だったのに、社会人になってからはうまく行かず、姉の家に居候して、ウエイトレスのバイトで喰い繋いでいるという設定も、現実的で、宜しいです。 こういう、ちょっと惨めな状態からスタートさせれば、見る側は、「ああ、この人、成功して欲しいなあ」と、暖かい目で見てくれるのです。


≪ザ・ウォーカー≫ 2010年 アメリカ
  デンゼル・ワシントンさん主演のSF。 文明が崩壊し、人類が激減した未来で、アメリカ大陸を西へ向かって歩く男が、ある本を持っていた事から、その本を手に入れて、勢力を広げようとする街のボスと、戦う羽目になる話。

  世界設定としては、≪マッド・マックス2≫に近いです。 ただ、戦いは、素手、刀、自動小銃、手榴弾どまりで、それ以上、大掛かりにはなりません。 アクションも見せ場ですが、問題の本に纏わる謎というのが、話の肝でして・・・、いや、何の本かは、すぐに分かるのですが、ラストで、あっと驚くような仕掛けが施されていて、結構楽しめます。

  SFとしては、格好だけという感じ。 問題の本が、ある特定の人達にしか価値が無いものなので、感慨も今一つというところ。 映像は、モノクロに見えるほど、濃いフィルターをかけてあって、独特の美があります。


≪ミュージック・オブ・ハート≫ 1999年 アメリカ
  メリル・ストリーブさん主演。 亭主に逃げられて、息子二人を育てなければならなくなったバイオリン教師が、スラムの小学校で子供達にバイオリンを教えて、話題になり、10年後には、有名な大ホールで演奏会を開くようになる話。 実話のようですが、そういえば、似たような話を新聞記事で読んだような記憶があります。

  スポーツ物と似たパターンの、音楽物というジャンルがありますが、≪天使にラブソングを≫辺りと比べると、えらく、しょぼい作りで、この映画を見ていても、バイオリンの素晴らしさに感じ入るような事はありません。 かなり安直な発想で企画した映画なんじゃないでしょうか。

  主人公が、変な人で、亭主が浮気して逃げたのを非難しながら、自分はさっさと別の男を作っており、とても、よその子供に何かを教えられる資格がある人物とは思えません。 わざわざ、メリル・ストリーブさんを使うような役ではないと思うのですが、なんと、この映画で、アカデミー賞の主演女優賞を獲ったというから、笑ってしまいます。 アカデミー賞も、なかなか・・・。


≪フリーダム・ライターズ≫ 2007年 アメリカ
  これは、骨太だな。 複数の人種を一つの学校に集める教育プログラムにより、荒れ放題になってしまった高校へ赴任して来た新人女教師が、身銭を切って、生徒に読ませる本を買ったり、ホロコーストを題材にして、人種間対立の原因を悟らせたりと、独特な手法でクラスを纏めて行く話。

  人種間の対立が、子供の世界にまで浸透していて、高校生が銃を持ち歩いているばかりか、銃による襲撃が日常的に発生しており、正に戦争状態になっているのには驚かされます。 こんな状態で、よく生活してられますねえ。 といって、逃げ出したくても、みんな、そんなお金は無いんですが。

  この、地獄のような境遇から、生徒を救い出し、立ち直らせようというのですから、教師・生徒共に、どえらい努力が必要なわけですが、本当にやってのけた人達がいるんですねえ。 これも、実話だそうです。

  教師役は、≪ミリオンダラー・ベイビー≫の主人公をやった人。 しかし、この映画の主役は、生徒達というべきで、教師は仮の中心人物に過ぎません。 内容が充実している上に、後味も良いので、100点。


≪重力ピエロ≫ 2009年 日本
  暗くて、重い話ですな。 加瀬亮さんと岡田将生さんが、兄弟役で、ダブル主演。 連続放火事件と、グラフィック・アート風の落書きの場所が連動している事に気づいた兄弟が、遺伝子を表す犯人のメッセージに気付き、元強姦魔の男が、弟の実の父親であると知った兄が、男の殺害計画を進める話。

  こんな梗概では、わからんか・・・。 「連続放火は、どこへ行ってしまったのだ?」と思うでしょうが、いや、元々、連続放火事件は、話の枕に過ぎないので、どこかへ行ってしまってもいいんです。 この映画のテーマは、強姦魔の子供を堕胎せずに育てて生んだ両親と、当の子供、そして、その兄の心の葛藤を描く事にあります。

  随分と重苦しいテーマで、見ていて、気分が沈んで来ます。 どーして、こういう話を、映画にしようと思うのか、そこが解せぬ。 こんなの、すっきりした結論なんて出るはずがないんですよ。 原作者や、映画の制作者が、胸糞悪くなるのは勝手ですが、映画を見る方にまで、その気分を押し付けるのは、やめて欲しいです。

  普通の感覚なら、そういう事情で出来てしまった子供は、産まないでしょう。 一番、嫌な思いをさせられるのは、両親ではなく、当の子供なのであって、自分が存在する事を、自分で肯定できないというのは、正に、死ぬより苦しい責め苦だと思います。 しかも、死ぬまで終わりません。

  両親にしてみれば、命の大切さを優先したと言うでしょうが、人生が地獄の苦しみになってしまう子供の立場に立って決断を下したとは、到底思えません。 両親の、ただの自己満足ではありませんか。 で、子供が、「それでも産んでくれて、良かった」と感謝したかというと、そんな事は無いのであって、案の定、死ぬより苦しい目に遭って、犯罪に走ってしまいます。

  犯罪を見逃すような終わり方も、感心しません。 相手が人間のクズだからと言って、それを殺してしまったら、自分の罪が相手の罪を上回ってしまうではありませんか。 だからねー、映倫さんねー、こういう作品に、倫理上の問題点を指摘するのが、あなた方の仕事だとは思わんのかい?


≪めぐり逢えたら≫ 1993年 アメリカ
  トム・ハンクスさん、メグ・ライアンさんのダブル主演。 一応、恋愛物なんですが、めぐり逢うところまでしか行かないので、厳密に言えば、恋愛きっかけ物とでもした方が、適切です。

  妻に先立たれた悲しみを忘れる為に、幼い息子を連れて、シアトルに引っ越した男が、息子がラジオ番組に、父の再婚を願う相談電話をかけたために、全国から交際希望者が手紙を送りつけて来る厄介な事態になり、手っ取り早く、身近な知り合いと結婚してしまおうとするものの、息子は手紙をくれたニューヨークに住む女性が気に入っていて、何とか、父と引き合わせようと画策する話。

  父と息子の思惑の違いから発生する騒動が、話の中心軸になっていて、恋愛物というよりは、親子物と言った方が、イメージはよく伝わると思います。 話の雰囲気が一番近いのは、≪クレーマー・クレーマー≫ですな。

  ヒロインが、ラジオ番組を聴いただけで、相手の男に惹かれるというのが、かなり不自然な設定です。 しかも、このヒロイン、他の男と婚約したばかりで、親に紹介も済んでいるという状態でして、一体、どういうつもりなのか、首を傾げざるを得ません。

  結局、その婚約は解消するのですが、そのタイミングが、婚約者が母親の指輪のサイズを直して贈ってくれた直後なのですから、こんなふざけた女も、珍しい。 「私はあなたに相応しくない女よ」などと言っていますが、こんないい加減な女は、世界中のどんな男にも相応しくないと思います。

  男の方も男の方で、自分の方から声をかけて、デートして、いい雰囲気になっていた、インテリア・デザイナーの女性の方は、どうするつもりなんですかね? ついこないだまで、「死んだ妻以外の女性と暮らすなんて、考えられない」と言っていた男が、チャラいにも程があります。

  主人公達の人格設定に失敗している為、「運命の出逢い」というテーマが、陳腐にしか聞こえません。 トム・ハンクスさんやメグ・ライアンさんを連れてくれば、どんな性格でも許されると思っているようですが、もちろん、そんな事は無いのであって、これはスカですな。


≪パニック・イン・ロンドン 人類SOS!襲いかかる肉食植物≫ 2009年 イギリス・カナダ
  1962年の≪人類SOS!≫のリメイク。 ただし、劇場用ではなく、テレビ・ムービーだとの事。 186分もあるので、どーゆーこっちゃねん?と思っていたら、前後編に分かれていました。 たぶん、本国のテレビでは、二回に分けて放送したのでしょう。

  宇宙から降り注ぐ光で、人類のほとんどが視力を失う中、人喰い植物のトリフィドが、飼育場から逃げ出し、僅かに残った、目が見える者達が、支配権を得ようとする男と戦いつつ、トリフィドを根絶する方法を探る話。

  時間が長過ぎなのが致命的で、3時間以上、一つの話を続けて見させられたのでは、ダレるなという方が無理。 決して、手抜きはしていませんし、しょぼい映像も見られないのですが、残念ですな。 映画としては、≪人類SOS!≫の方が、ずっと、纏まりがいいです。


≪バグジー≫ 1991年 アメリカ
  ラスベガスを作った男の実話。 第二次大戦中、ニューヨークから、勢力拡大のために、カリフォルニアに乗り込んできた、ギャングの小ボスが、砂漠以外何も無いラスベガスに目をつけ、合法カジノ付きのホテルを建設しようとする話。

  こう書くと、事業家の話のように思えるかもしれませんが、主人公を始め、登場人物は、全てギャングで、完全なヤクザ映画です。 主人公一人だけでも、何人撃ち殺したか分かりませんが、こんな人間が罪に問われないというのですから、呆れた社会ですな。

  すぐに怒り出す、怒ると簡単に人を殺す、妻子持ちのくせに、家を離れた途端に浮気して、悪い女に引っ掛かる、「ホテルは、100万ドルで出来る」と大口叩いておきながら、400万ドルも使って、まだ足りないなど、どーにもこーにもいい加減な男で、主人公なのに、共感できる所が一ヶ所もありません。 「凶暴な狂人」と評するのが、最も妥当。

  そもそも、ラスベガスは、事業としては成功したかもしれませんが、破産者も無数に生んでいるのであって、人を迷わせ、世に害毒を垂れ流している悪の根城とも言えます。 そこを作った男を、プラス評価しろという方が無理ですな。


≪インクレディブル・ハルク≫ 2008年 アメリカ
  ≪ハルク≫の続編だそうですが、≪ハルク≫の方を見ていないので、比較はできません。 監督も主演も助演も変わっている様子。 この話、なんとなく、≪キングコング≫に似ていると感じたのは、私だけでしょうか・・・。

  軍の研究で、ガンマ線を浴び、心拍数が一定値を超えると、緑色の肌をした巨人に変身する体質になってしまった科学者が、元の体に戻るため、彼を捕獲しようとする軍と戦いながら、治療方法を知っている学者の所へ向かう話。

  ストーリーは、驚くほど単純で、とにかく、軍に捕まえられそうになった男が、怒ってハルクに変身し、軍を蹴散らすというパターンの繰り返しです。 怒らせなければ、変身しないのは分かっているのですから、居所を掴んだら、精神科医でも訪ねて行かせて、隙を見て麻酔弾で仕留めさせればよさそうなものですが、なぜか、武装兵士で襲いかかってばかりいます。 アホちゃうか?

  一方的に強すぎるというのは、面白くないのですが、ハルクは、機関銃どころか、対戦車ロケットすらものともしないのですから、全く勝負にならず、ただ化け物が暴れているだけの単調な戦闘場面になっています。


≪華麗なるアリバイ≫ 2007年 フランス
  アガサ・クリスティーの≪ホロー荘の殺人≫を、フランスで映像化したもの。 舞台はフランスに、登場人物はフランス人になり、出演者もフランスの俳優になっています。

  上院議員の邸宅に招かれた、親戚・友人・知人達が、痴情絡みの複雑な人物相関を見せる中、色男の医者がプールサイドで射殺され、傍らで銃を持っていた妻が逮捕されるが、遺体から摘出された弾丸が、妻の持っていた銃と合わず、釈放されて、嫌疑が他の者へ移っていく話。

  推理物なので、これ以上は書けません。 ポアロ物のドラマで、オリジナルを見ている人は、結構いるんじゃないでしょうか。 ただし、この映画では、ポワロに相当する探偵は出ておらず、事件は、なりゆきで解決されます。

  見れないほど、つまらないわけではありませんが、人に薦めるほど、面白いとも言えず、クリスティーの作品を、わざわざ、フランス版にする必要があるのかどうか、そこからして解せないところです。



  以上、15本まで。 最後のは、1月3日に書いた感想なので、ようやく、年を越した事になります。 まだまだ先は長い・・・。

2013/04/07

映画批評⑨

  ≪静かなドン≫は、無事に読み終えたのですが、そのせいで、図に乗ったのがまずかった。 ソ連時代のロシア文学をもっと読んでみようと、パステルナークの、≪ドクトル・ジバゴ≫に目をつけたものの、上下巻二冊を一遍に借りてしまったのが、命取りとなりました。

  文庫本で、一冊500ページだったので、「合計、1000ページくらいなら、日当たり、100ページ読めば、10日で読み終えて、二週間以内に余裕で返せるだろう」と弾いた算盤が、とんだ見込み違いでした。 家に持ち帰り、読み始めたら、妙にとっつき難い文章のです。 ≪静かなドン≫が読み易過ぎたのかもしれませんが、とても、同じようにはページを捲る指が進みません。

  一日、50ページがやっとという有様だったので、「これはいかん。 二週間では読み終わらんぞ」と青くなり、窮余の一策として、上巻を家で読むのと同時に、下巻を会社に持って行って、休み時間に読み始めました。 奇妙な読み方ですが、まあ、映画なら、第一作より、第二作を先に見てしまう事もよくあるわけで、さほどの混乱は起きませんでした。

  で、長々と書いて来ましたが、何が言いたいかと言うと、今現在、≪ドクトル・ジバゴ≫を読むのに忙殺されていて、このブログの記事が書けないという事なんですな。 例によって、例の如く・・・。 そこで、いつも通り、映画批評でお茶を濁そうというわけです。



≪弾丸を噛め≫ 1975年 アメリカ
  ジーン・ハックマンさんが主演、ジェームズ・コバーンさんが助演の西部劇。 1100キロを馬で走破するレースに参加した、男7人女1人の勝負の話。 この設定の発想は、かなり幼稚だと思うのですが、役者がいいためか、出来はそんなに悪くありません。

  ジーン・ハックマンさんが、まだ、善玉をやっていた頃の映画で、人にも動物にも優しい男を演じていますが、人はともかく、動物に優しいというのは、いかにも、70年代の西部劇という感じがします。 動物愛護の概念が、世間一般に受け入れられ始めたのは、この頃でしたから。

  人のレースというより、馬のレースなのですが、その馬達が、かなりの数、レース中に死にます。 砂漠で脱水症状を起こして倒れたり、荒地で脚を折ったり、銃で撃たれたり。 主人公自身が、「馬にとっては、こんなレースは、何の価値もない」と言いますが、確かにその通りでして、迷惑千万。 まったく、人間というのは、下らない事で、動物を犠牲にする。

  レース自体は全然面白くありませんが、終り近くに、寝耳に水的に、物騒な事件が起こり、話が急にざわざわします。 そこが、クライマックスと言えばクライマックスですが、何だか、その部分だけ毛色が違っていて、他と馴染んでいないような気がせんでもなし。


≪キッチン・ストーリー≫ 2003年 ノルウェー・スエーデン
  かなり、変わった設定の映画。 50年代のスエーデンとノルウェーで、台所に於ける独身男性の動線を調査する研究に参加した、調査員と被験者が、奇妙な同居を続ける内に、次第に意気投合して行く話。

  調査員と被験者は、会話をしてはいけない事になっているのですが、容易に予想されるように、それは守られません。 二人とも初老で、他に家族も無く、孤独な生活をしていた人達なので、一度話し始めれば、仲良くなるのは、自然の成り行き。

  コメディー仕立てですが、無理に笑わせようとはしていないので、吹き出してしまうような場面はありません。 地味な男の友情がテーマです。 雪に埋もれた村で話が進むので、見ていて、寒々しいのは、致し方ないところ。 そんなに面白いとは言えませんが、一応、ハッピー・エンドなので、嫌な気分になるような事もありません。


≪あなたが寝てる間に…≫ 1995年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演の恋愛物。 暴漢に襲われて線路に落ちた男を助けた女が、頭を打って意識が戻らない男につきそって病院に行ったところ、男の婚約者と間違えられてしまい、男の意識が戻らない間、その家族と、つきあう事になる話。

  これは、グッド。 なりゆきで嘘をついてしまい、本当の事を言い出せないまま、どんどん深みに嵌まってしまうという話は、割とよくあって、ハラハラし通しになるので、あまり好きではないんですが、この映画の場合、コメディーの要素を多く入れていて、見る者の不安が膨らみ過ぎないように、配慮されています。

  主人公は改札係ですし、相手役になる、意識が戻らない男の弟の方も、喪家の家具を売買する家業を手伝いながら、自分は家具職人を目指しているという、地に足の着いた働き方をしており、大企業のエリート社員などではないところが、好感が持てます。 恋愛物に、気取った職業は必要ないんですよ。

  サンドラ・ブロックさんが、まだ若々しいのが、涙が出るほど、ありがたい。 これなら、恋愛物のヒロインとして、おつりが来るくらい、魅力があります。 セリフが凝っていて、セリフだけで笑える所も多いです。 間違いなく、ロマンティック・コメディーの佳品。


≪素晴らしき哉、人生!≫ 1946年 アメリカ
  ジェームズ・スチュアートさん主演の人情物。 邦題が古臭いですが、日本公開は54年だったそうで、その頃の感覚では、致し方ないですか。 今なら、≪素晴らしい人生≫で充分。

  世界を舞台に活躍したいという夢を犠牲にして、田舎町に残り、父親が作った住宅貸付組合という会社を継いだ男が、貧しい人達に持ち家を買わせるため、身を粉にして働くものの、繰り返し災難に見舞われ、自殺を図ろうとしたところを、天使に救われて、もし自分がいなかったら、町ががどうなっていたかを見せられる話。

  天使が出てくるので、ファンタジーと思うかもしれませんが、その部分は、男の夢と考えても良いのであって、天使が出て来なくても、十分、成り立つ話です。 不運な男が、人々のために生きて来た事で、知らぬ間に人望を築き、窮地を脱する事ができるという、善因善果がテーマなんですな。

  主人公に、とことん運が無いのに、悲惨なイメージが感じられないのは、コメディー仕立てになっているため。 この映画を見ていると、日本の喜劇映画が、アメリカのコメディー映画から、非常に大きな影響を受けている事が分かります。 ほとんど、パクリだね。


≪プラクティカル・マジック≫ 1998年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演、ニコール・キッドマンさんが助演。 この顔合わせ自体に違和感がありますが、姉妹の役だというから、尚更、違和感が盛り上がります。 ニコール・キッドマンさんは、かなり濃いメイクをしていて、「この顔では、他の女優さんでも良かったのでは?」と思わされます。

  魔女の家系に生まれ、先祖の呪いによって、夫に早死にされた姉が、彼氏に暴力を振るわれている妹を助けに行って、その彼氏を殺してしまい、死体を庭に埋めるものの、捜査に来た刑事が、子供の頃から理想としていた男だったため、新たな恋に落ちる話。

  物語としては、スカ。 話にならんというほど、話になっていないわけではありませんが、魔法使い物の設定なのに、無理矢理、恋愛物にしており、それが、話の焦点を分散させてしまっています。 魔法は、ほとんど使われず、クライマックスで呪術儀式が行なわれるだけでは、せっかくの魔女の設定が台無しです。

  「魔女の一家で、女だけで、ワイワイ騒ぐ映画にすれば、楽しくなるだろう」という程度の発想で企画されており、話を面白くする技術に欠けているのです。 これでは、誰をキャスティングしようと、良い映画にはなりません。


≪幸せになるための27のドレス≫ 2008年 アメリカ
  恋愛物。 クリスマス・シーズンのせいか、テレビで放送する映画が、恋愛物ばかりになっているような気がします。 実は、どれもパターンが似通っていて、独自性に乏しいカテゴリーなので、あまり好きではないのですが・・・。

  結婚式の雰囲気が好きで、友人の花嫁介添え人を27回も務めた女性が、自分の恋は、上司に片思いどまりだったのが、たまたま訪ねて来た妹に、その上司を奪われてしまい、妹のために花嫁介添え人を務めるべきか、自分の思いを上司にぶつけるべきか悩んでいる内、自分の取材に来ていた新聞記者との距離が縮まっていく話。

  恋愛物にしては、複雑な人物相関になっています。 登場人物の心理を、丁寧に描いていて、まずまず上等な人間ドラマと言えると思います。 主人公の、妹に対する感情が、愛憎入り混じっているところが、話に奥行きを与えています。

  主人公自身の恋愛は、割と平凡な経過を辿ります。 この二人、本当に、いい夫婦になれるかというと、かなり怪しいのでは? たった一回、酒を飲んで意気投合したからといって、運命の人と決めるのは、早計も甚だしいと思うのですが。


≪悪名一番勝負≫ 1969年 日本
  勝新太郎さん主演の、≪悪名シリーズ≫の第15作だそうですが、このシリーズ自体を知らなかったので、私が見たのは、これ一本だけという事になります。 任侠物。 主人公は、ただ、博打好きで、喧嘩が強いだけで、ヤクザではないのですが、話の中身は、ほぼ、ヤクザ物です。

  主人公が住んでいる長屋が、鉄道施設の建設のために立ち退きを迫られる恐れが出てきて、長屋の仲間を守ろうと、それに絡む二つの組のシマ争いに、弱い方の組に肩入れする形で関わって行く話。

  実際は、もっと複雑で、登場人物も多く、群像劇のような趣きさえあります。 シリーズも数を重ねる内に、主人公のキャラを使い切ってしまい、他の登場人物に役割を振り分けなければ、話が作れなくなってしまったのかもしれませんな。

  最初の内は、あまりに古いヤクザの世界に、「やっつけで作った三流映画なのではないか?」という疑念が湧き、胡散臭そうに見ているのですが、話が進む内に、有名な俳優さんが何人も出ている事が分かり、決して、手を抜いた企画ではない事が分かって来ます。

  勝さんは、こういう役が、一番よく合っていると思われ、非常に自然体に見えます。 ヤクザの世界に、ヤクザより強いガキ大将が乗り込んで行ったような、痛快さが、見もの。 もっとも、私は、ヤクザ物自体が、好きではないので、評価には限界がありますが・・・。

  安田道子さんという女優さんが、妙に魅力があるのですが、この方、この作品も含めて、二本の映画にしか出演しておらず、ネット上では、他に情報も見つかりません。 どうしてしまったんでしょうねえ。


≪やさしい嘘と贈り物≫ 2008年 アメリカ
  スーパーに勤める孤独な老人が、クリスマスを前に、向いに越して来たという老女に食事に誘われ、同僚達のアドバイスを参考に、初デートを成功させ、交際を続けるものの、実は、相手の老女は、ある人物の妻で・・・、という話。

  クライマックスが、意外な展開になっていて、そこが最大の見せ場なのですが、前半を見ていると、何となく、そんな風になるんじゃないかな、と先が読めます。 それまで、一度も女性と交際した事がない老人が、いきなり、女性の方から言い寄られるなどという事は、ちょっと考え難くく、犯罪絡みでなければ、たぶん、何か事情があるのだろうと思われるからです。

  先が読めてしまう点もさる事ながら、老人が主人公なので、絵柄が汚いのが、どうにも、いただけません。 年寄りが、歯を磨いたり、顔を洗ったりしている様子なんて、あんまり、見たいもんじゃありませんから。

  ヒロインの老女役が、エレン・バースティンさんですが、この方、≪エクソシスト≫で母親役をやった人。 ≪アリスの恋≫の主人公も、この人だそうで、懐かしいです。 ・・・しかし・・・、うーむ、誰でも、歳は取るものですなあ。 綺麗な歳の取り方をしているとは思いますが。


≪幸せのポートレート≫ 2005年 アメリカ
  サラ・ジェシカ・パーカーさんや、ダイアン・キートンさんが出ている、家族物。 主要登場人物が、ざっと、12人くらいが出て来ます。 サラ・ジェシカ・パーカーさんが中心軸になりますが、主演と言うには、ちょっと、違う感じ。 やはり、群像劇と言うべきでしょうなあ。

  成長して家を出ている三男二女の子供達が、全員、実家に集まるクリスマスに、長男が恋人を連れて来るが、その恋人が、他の家族と反りがまるで合わず、衝突を繰り返しただけならまだしも、険悪な雰囲気を和らげる為に呼ばれた恋人の妹が、長男の心を捉えてしまい、ますます紛糾する話。

  こう書くと、コメディーのようですが、全然違いまして、笑うところなど一ヵ所もありません。 テーマは、強いて言えば、「価値観の異なる者同士の相互理解」ですが、理解が進むのは、偶然の結果でして、そこに至るまでの、いびりが凄まじい。 母親も次女も、長男の恋人に会う前から、姑・小姑と化していて、人を人とも思わぬ疎外ぶりを見せます。

  制作側の狙いとしては、「普通の感覚を持った家族に、変な女が加わろうとして、不様な醜態を曝す」という形にしたかったのでしょうが、私の目から見ると、初対面の相手をいびり倒す、この家族の方が、よっぽど異常です。 最もまともな性格設定になっている、ゲイの三男にしてからが、「結婚はよせ」と兄に進言する始末。 誰が誰と結婚しようが、親兄弟が口を出す事ではありますまいに。 本当に、アメリカでも、こんななんでしょうか。

  母親が、癌が再発していて、余命幾許も無いという設定なのですが、性格が悪いので、まったく、同情できません。 ところが、制作側は、この母親を、優しくて思いやりがある人物と設定しているため、この人の死を、作品の最大の感動要素だと見做しているようで、作り手と見手の認識のギャップは開くばかりです。

  最後は、ハッピーエンドで丸く収まるのですが、かなり曲芸的な収め方なので、不自然さが前面に出てしまって、素直な感動など、とてもとても・・・。 私的には、完全に、スカ。


≪メリーに首ったけ≫ 1998年 アメリカ
  これは、有名ですな。 見た事が無かった私でも、題名だけは知っていました。 キャメロン・ディアスさんがヒロインになる、恋愛物コメディー。 ロマンティック・コメディーというには、ちと、ギャグが過激すぎ。 ヒロインが主人公というわけではなく、中心になるのは、高校の時の彼氏です。

  高校のプロム・パーティーに一緒に行くはずだったのに、迎えに行った彼女の家で起きた恥ずかしい事故で、そのまま入院し、その後、彼女の家が引っ越して、それっきりになってしまった男が、13年経っても彼女を忘れられず、探偵に行方を捜してもらうが、その探偵が彼女に惚れてしまい、他にも、続々と彼女を狙う男が現れて、恋の大混戦になる話。

  下ネタが相当入っていて、子供を交えて家族で見るには、どうかという内容。 ただし、過度に下品にはならないので、大人同士なら、まだ親しい関係になっていない交際相手と見ても、ケタケタ楽しく笑える映画です。 たぶん、制作側も、その辺りの需要を狙って、企画したのではないでしょうか。

  一応、恋愛物ではありますが、物語の作りは、まぎれもなく、コメディーのそれで、しかも、爆笑を誘うシチュエーションが、盛りだくさん。 恋愛の方の展開と結末は、オマケみたいなものですな。 探偵が、ヒロインとその友達を騙す手口とか、ニセ建築家が演じる障碍者の真似とか、ほとんど、芸術の域に達したギャグが見られます。

  キャメロン・ディアスさんは、撮影時、25歳くらいですが、輝くばかりに美しいのは、大変宜しいです。 彼氏役のベン・スティラーさんは、恋愛物の主人公にするには、ちょっと、野暮った過ぎか。


≪お買いもの中毒な私!≫ 2009年 アメリカ
  買い物中毒で、ブランド品の服やバッグを見ると、買わずにいられず、カード・ローン地獄に嵌まっている女が、憧れのファッション誌の採用試験に落ちた代わりに、同じ出版社のビジネス誌に潜り込む事に成功し、門外漢の岡目八目で書いた記事で、業界の寵児にのしあがるものの、押しかけて来た借金取りのせいで、一気に転落し、買い物中毒を直そうと決意する話。

  一方で、ビジネス誌の編集長との恋愛が進行するのですが、恋愛物と、買い物中毒患者の観察の二兎を追っている割には、両者が巧みに組み合わされていて、ストーリーは、ちゃんと一本の線上に纏まっています。 脚本家の腕が良かったんでしょうなあ。

  恋愛物の部分は、それだけ取り出すと、割とよくある話。 面白いのは、買い物中毒の方で、部屋中、服だらけになるまで、買い捲る様子は、正に病気です。 もっとも、高い物に固執しているわけではなく、セール品を狙うタイプで、借金の額も、100万円以下。 その程度の金額で、人生がひっくり返るほど、大騒ぎになるというのも、奇妙な感じがしますが。

  主人公を演じているアイラ・フィッシャーさんは、美女というわけではないんですが、小柄で可愛らしいのが、魅力になっています。 ラストで、買い物中毒を克服した主人公に、ショー・ウインドウのマネキン達が拍手を送る場面は、ちょっとした感動を味わわせてくれます。


≪トナカイのブリザード≫ 2003年 アメリカ・カナダ
  サンタの国で生まれた雌トナカイのブリザードが、飛べる力、透明になる力、人間に共感する力の三つを会得し、家の事情や他の子の意地悪で困っているスケート好きの少女を助けてやる話。

  子供向けのファンタジーですな。 往年の名選手の目にとまり、スケートを教えてもらうところや、ライバルの子にスケート靴を壊されるところなど、スポーツ物の趣きもありますが、大枠は、クリスマス絡みの、「いい子には、ご褒美」的パターンの話で構成されています。

  題名からすると、主人公は、トナカイのブリザードという事になりますが、物語の目線は、少女側にあり、出番も少女の方が多いので、ちょっと、中心軸が定まらない恨みがあります。 でも、この種の話としては、まあまあ、よく出来ている方じゃないでしょうか。


≪真珠の耳飾りの少女≫ 2003年 イギリス・ルクセンブルク
  フェルメールの代表作になっている同名の絵画が、どのようにして完成したかを語る映画。 17世紀中頃のオランダ、デルフトの街が舞台。 家計を助ける為に、フェルメールの家へ奉公に上がった娘が、フェルメールの妻や義母、女中頭などに奴隷のように扱き使われた上に、フェルメールに絵の具の調合を任されたり、絵のモデルになったりする内に、彼との距離が縮まり、その妻の不興を買う話。

  奉公人の苦労はどこの国でも同じようで、前半は、見るのが嫌になるような場面が続きます。 フェルメール夫妻には、子供がうじゃうじゃいて、何か問題が起こるのではないかと思っていたら、案の定、主人公に意地悪をするガキが出て来て、また、うんざり。

  絵のモデルになったらなったで、嫌だというのに、ピアスの孔を開けさせられたり、パトロンの金持ちに関係を迫られたりで、ろくな事がありません。 総合的に言うと、見ていて、不愉快な映画なのです。

  こんな細かい資料が残っているとも思えないので、人間ドラマの部分は、ほとんど創作なのだと思いますが、どうせ、創作するなら、もそっと、ロマンチックな物語を考えられなかったもんですかね? 奉公人なんかにするから、暗~い話になってしまうのですよ。

  主人公を演じたスカーレット・ヨハンソンさんですが、撮影当時、18歳くらいでしょうか。 はっきり言って、若過ぎの幼過ぎ。 絵の少女も、色気は少ない方ですが、全く無いのでは、話になりません。 絵の少女が、開いたばかりの花なら、この女優さんは、蕾であって、近いようでも、本質的な差があります。


≪西の魔女が死んだ≫ 2008年 日本
  登校拒否になって、山の中に住む母方の祖母に預けられた中学生の娘が、祖母と暮らしながら、人間的に成長して行く話。 娘は子役、祖母はアメリカ人女優と、主な登場人物が二人とも、無名な人なので、異様なくらい、入って行き難い映画です。

  「魔女」というのは、羊頭狗肉でして、別に魔法が出てくるわけではなく、ただ、祖母の家系が魔女で、孫にもその血が流れていると言って、「魔女になりたかったら、規則正しい生活から修行を始めなければならない」と説く、躾のダシに使われているだけです。 ファンタジーでは、全然ないので、注意。

  ストーリー性は希薄で、ただ、祖母が孫に、山の生活を教えながら、一緒に暮らす様子が、よく言えば、淡々と、悪く言えば、だらだらと続いて行きます。 何も起こらないわけではありませんが、最大の事件が、鶏小屋が獣に襲われる事というのは、あまりにもささやか過ぎ。

  ストーリー映画とは、何かが起こり、その展開を見て楽しむものだとすれば、この映画は、ストーリー映画とは言えません。 日記を、無編集で、そのまま映像化したら、こんな風になるのではないでしょうか。

  話としては、全く面白くありませんが、自然にどっぷり浸かって暮らす、山の生活の雰囲気を楽しむ分には、何も起こらないだけに、うってつけです。 主人公の娘が、美少女ヅラでないのも、いいですな。


≪おっぱいバレー≫ 2008年 日本
  綾瀬はるかさん主演のスポーツ物。 駄目なチームが、ある事をきっかけに奮起して、強くなるというパターンの方。 バレーをやるのは男子生徒達で、綾瀬さんは、先生役です。

  ある中学に赴任早々、男子バレー部の顧問を任された若い女教師が、まるで、やる気のない部員達と、「大会で一勝したら、オッパイを見せる」という約束をしてしまい、まずいとは思ったものの、おっぱい見たさに見違えるように上達して行く部員達を見ていると、取り消しを言い出せず、そのまま大会まで行ってしまう話。

  どーにもこーにも、アホ臭い発想の話ですが、呆れた事に、実話が元だそうです。 これだから、教師なんぞ、敬意のかけらも払う価値が無いというもの。 「目標は何であれ、努力の喜びを知った事が素晴らしい」などと言わせていますが、ちゃんちゃらおかしい。 そんな事を言い出したら、犯罪でも戦争でも、何でもありになってしまいますよ。

  部員達が揃って、おっぱい見たさに魂も売るという態度を示しているのが、何とも、不自然。 まるで、六人が一つの脳みそで行動しているかのようですが、そんな事はありえんでしょうに。 この人物造形の雑さは、実話が元とも思えません。

  主人公の心理については、細やかに描きこまれていて、その点は宜しいのですが、主人公の教師としての成長と、部員達のスポーツマンとしての成長が、平行していて、交わる事が無いので、二兎を追っているような分散感が否めません。

  主人公のエピソードの方は、お涙頂戴まで入っていますが、コメディーならコメディーで、最後まで押し通せばいいのに、途中で、感動させようなどと余所見をするから、半端な出来になってしまうのです。

  70年代後半の時代設定は、原作がそうなっているからだと思われますが、話の内容とは無関係で、別に、現代でも、問題無いような気がします。 というか、話の発想自体にリアリティーが無いので、時代設定なんか、どう工夫しようが、それで映画の質が上がるとは思えないのです。 金をかけるだけ、無駄。

  私は、その時代を知っている世代ですが、車が、10年くらい古いのでは? シビックと、パブリカが、同時代に走っていたら、そりゃ、変ですよ。 ありえないとは言いませんけど。 一方で、商店街のアーケードは、10年くらい新し過ぎ。 だから、時代考証にボロを出してまで、70年代後半に拘る意味は無いと思うのですよ。

  随分、貶して来ましたが、細かいところを気にせず、フィーリングで見るのなら、そんなに悪い映画ではありません。 スポーツ物と、人間的成長物の両方を盛り込んであるので、見終わった後で、充足感に浸れる人も多かろうと思います。



  以上、15本まで。 まだ、去年の分が終わりませんな。 ようやく、年の瀬も押し詰まった辺りまでです。 現在は、読書の方に時間を割いているので、映画は、週に三本くらいしか見ておらず、その内、感想を全部、出しきれると思うのですが。