2008/12/28

ちゅっちゅう

  もう今年も終わりですな。 一年という時間、終わってみれば短く感じられますが、これから始まると思うと、途方もなく長く思えるから不思議です。 で、来年は丑年だとか。 いや、「だとか」って言い方は無いか。 丑年に決まっていますな、失敬失敬。 それにしても、干支という奴、年末年始だけ話題になりますが、新年になって半月も過ぎると、綺麗サッパリ忘れられて、誰も気にしなくなるから非情なものです。 いや、「非情」って言い方は無いか。 動物にとっては人間の習慣なんてどうでもいい事だものねえ。

  というわけで、牛に因んだ話題を書こうかと思ったんですが、身近に牛がいるわけではなく、ちょっと縁が遠いので、まだ2008年中の事でもあるし、ネズミの方の話を書きましょう。 終わる寸前になって、ネズミに興味が湧く人もいないと思いますが、どうせ、牛だって、すぐ忘れられるんだから、まあ、いいでしょ。

  私にとって、ネズミというと、一番に思い起こすのが、ハムスターです。 2002年の6月から、2006年の3月まで、約四年間、二匹のジャンガリアン・ハムスターを飼っていました。 両方オスでした。 同時に飼っていたわけではなくて、最初の一匹は1年7ヶ月で死に、その後に飼った二匹目が約2年で死んだという流れです。 一匹目は、パール・ホワイトという種類で、名前は、≪金太≫。 二匹目はノーマルで、名前は、≪銅丸≫と言いました。

  この二匹の思い出について書くと、えらく長くなる上に、個人的な事なので、びしょびしょ叙情的になってしまい、人様に読んでいただく文章として、あまり宜しくありません。 そこで、ハムスターの飼い方について、簡単に書こうと思います。 なんで、簡単に書けるかというと、飼い方自体が簡単だからです。 「生き物を飼うのに、簡単という事はないだろう」と思われるかもしれませんが、犬や猫などと比較して見たら、ハムスターの飼育にかかる手間は、百分の一くらいしかありません。


  まず、入れ物ですが、幅30センチ、奥行き20センチ、高さ25センチくらいの、プラ・ケースがよいです。 ホームセンターに行けば、昆虫飼育用の物がどっさり売っています。 値段は千円くらい。 ハムスター用として、鳥籠の背を低くしたような金属格子の籠も売っていますが、あのタイプは、格子の間から床材が飛散するので、あまり勧められません。 プラ・ケースには蓋もついていますが、蓋は使いません。

  次に床材。 ホームセンターで、≪パイン・チップ≫という、松の幹や枝を細かいチップにした物が売られています。 かなり大きな袋でも500円くらい。 ギヂギチに固めた状態で詰まっていますから、少しずつもぎとって、プラ・ケースの中でほぐします。 底面全体に、厚さ2センチくらい敷き詰めます。 一袋買ってくれば、相当長持ちします。

  次、回し車。 ハムスターは、自然状態では、一晩に何十キロも走り回る習性があるので、回し車は必需品となります。 500円くらいからありますが、できれば少し奮発して、回転のスムースな物を買った方がいいです。 軸が磨り減ったりして回りが悪くなると、ハムスターが乗りたがらなくなってしまうのです。 走りたいのに走れないのは、実に気の毒。 回し車のスタンドは、プラ・ケースの底面に直接置きます。 その上から、パイン・チップをかけてしまうわけです。 回し車がガタガタ振動して、動いてしまう場合、スタンドの下に、スタンドの底面積より大きなダンボールを貼れば、動かなくなります。

  給水ボトルも必需品です。 鳥の水入れのようなものでも代用が利きますが、ハムスターの場合、水の中に落下して、バシャバシャにされる危険性があり、あまり勧められません。 給水ボトルはプラ・ケースの壁に、マジック・テープでとめるもので、下に飲み口がついていて、ハムスターが勝手に水を飲んでくれるという優れもの。 ジャンガリアンなら、小さい物で充分で、400円くらいで売ってます。

  も一つ、巣箱が要ります。 巣と言っても、寝床ですな。 プラスチック製の物が売っていますが、保温性が良くないので、ダンボールを工作して、自分で作った方がよいです。 一辺12センチくらいの直方体を作ります。 天井は蓋を被せるように作ります。 湯飲み茶碗が入っているダンボールの箱を連想していただければ話が早い。 そして、壁の一面の下の方に、ハムスターが出入りする穴を開けます。 丸くしなくても、正方形で充分。 なぜ、天井に蓋をつけるかというと、掃除する時に必要だからです。 できれば、ダンボールは二重にしておいた方が、防寒性能が上がります。 箱が出来たら、中に、ティッシュ・ペーパーを五・六枚入れて蓋をします。 後は、ハムスターが勝手にティッシュを細かくちぎって、巣を作りますから、任せておけば宜しい。

  エサですが、ペレット・タイプとミックス・タイプが売っています。 ペレットは合成飼料で、本来はそれだけで完全食品なのですが、同じエサばかりだと、ハムスターも飽きますから、週に二回くらい、ミックスをやります。 ミックスというのは、穀物の実を各種混ぜた物。 当然、ミックスの方を好んで食べますが、長生きさせる為には、ペレットを主にした方がいいらしいのです。

  プラ・ケースの置き場所は、人間が立った時に、横から見れるくらいの高い所がよいです。 小さい子供や犬が家の中にいる場合、引っ繰り返されたらまずいからです。 犬がハムスターをいじったら、殺す気がなくても力が強すぎて死んでしまいますから、要注意ですな。 子供も油断ならない。 特別残虐な性格でなくても、オモチャ扱いして、握りつぶすくらい平気でやりますから、ハムスターと二人きりにしない方が無難でしょう。 ちなみに、猫を飼っている家の場合、ハムスターは飼えませんから、念の為。 まあ、天敵だから、当然といえば当然ですが。


  とまあ、準備はこんな所ですかね。 巣箱以外のアイテムはすべて、ホームセンターで売っています。 ペット・ショップに行かなければ買えないという品は無いですから、お気楽ですな。 ここまで揃えたら、ペット・ショップへ、ご本尊のハムスターを買いに行きます。 ハムスターも、ホームセンターで売っている場合があります。 値段は店によって五倍くらいの開きがあり、びっくりさせられますが、みんな生まれて間もないですから、どこで買っても健康状態に大差はありません。 安いから早く死ぬという事はないですし、高いから長生きするという事もありません。

  買うのは、一匹にします。 同性が二匹いると、必ずケンカをするらしいです。 殺すところまでは行かないけれど、大怪我は避けられないそうです。 ジャンガリアン・ハムスターは、外見がとても愛らしくて、妖精のように見えますが、所詮は本能にのみ従って生きる動物なのであり、縄張りを守る習性を消せるわけはないんですな。

  一方、異性でペアにすると、ケンカはしませんが、すぐに子供だらけになり、世話がしきれなくなります。 ペットの世話は、お金で解決するものではなく、時間と手間を確実に取られますから、自分で自分の首を絞める結果になります。 ペット・サイトなど読むと、その種の世話地獄に堕ちてしまった人が無数に蠢いています。 とにかく、悪い事は言わないから、増やすのはやめておきなされ。 友達がたくさんいる人の場合、生まれた子供を里子に出してしまうという手がありますが、それとて、何度も繰り返せるわけではありません。


  普段の世話ですが、エサは一日一回、夕方頃にやります。 ハムスターは夜行性だから、起きだした頃に食事をするんですな。 朝やっても、寝てるっちゅーのよ。 前述したように、普段はペレットをやり、週に二回だけ、ミックスをやります。 ミックスの回数は、もっと少なくてもいいのですが、飼っている内に、ミックスを欲しがる様子がいじらしくなって、どうしても回数が増えます。 もう寿命が長くないという頃合になったら、ミックスの方を主にしてもいいと思います。 長生きさせるといっても、無限に生きるわけではないのですから。

  他に、ニンジン、レタス、キャベツなど、野菜の切れ端も喜んで食べます。 やってはいけないような野菜もありますが、それは失念してしまったので、飼育書で調べてみて下さい。 ヨーグルトは、狂ったように飛びつきます。 いずれにせよ、あまりたくさんやると良くないので、デザート程度と考えて、ほんのちょっとやるのが宜しいです。

  ペレットやミックスは、開け易い容器に入れておくとよいです。 私は、コーヒーのクリープのビンを使っていました。 細かい虫が湧くのを防止するため、菓子などに入っている、≪脱酸素剤≫の袋を、一つか二つ入れておきます。 エサを掬うには、洗剤に入っているプラスチック製の大きなスプーンが便利。 一回分は、あれに半分くらいでしょうか。 ペレットやミックスは、すぐに腐るものはないので、少々多めにやっても大丈夫です。 余った分は、ハムスターが自分で巣箱に運んで、保存してくれます。

  毎日やらなければならない世話は、エサやりだけです。 旅行などで出かける時には、多めにやっておけば、二三日ならハムスターが勝手にやりくりしてくれます。 実に頼もしい。 犬に爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい。 水は、給水ボトルを満タンにしておけば、一週間はもちます。

  掃除は、週に一度だけやります。 これが苦手という人が多い。 特に一度噛まれたという人が、掃除が怖くなって、ハムスターを捨ててしまうケースがよくあります。 そんなに恐れなくても、安全に行なう方法がありますから、まあ、お聞きなさい。

  まず、プラ・ケースを部屋の床に下ろし、横に新聞紙を敷きます。 巣箱と回し車を取り出して、新聞紙の隅に置きます。 ハムスター本人は、出さなくて宜しい。 ハムスターを手で追い払いつつ、パイン・チップを底面積の半分だけ取り出して、新聞紙に移します。 全部出してはいけません。 全部変えてしまうと、自分の匂いがなくなってしまって、ハムスターが泣くのです。 半分取り除いたら、残った半分を掻き寄せて、今取り除いて空になった方へ移動させます。 そして、新たに空になった部分に、新しいパイン・チップを補充します。 すなわち、週に一度、半分ずつ交換するわけです。

  掃除というと、パイン・チップを全部捨てて、プラ・ケースを水洗いする光景を連想する人が多いと思いますが、そんな事はせんで宜しい。 それをやろうとするから、ハムスターを外に出さなければならず、ガブリとやられるのです。 パイン・チップ自体に殺菌作用があるので、半分ずつ交換していれば、細菌が増えるような事はありません。 プラ・ケースの壁が汚れたら、ティッシュを水で塗らして、ざっと拭き取るだけで充分です。 私に言わせれば、なぜ、毎週洗剤で洗わなければならないのか、その科学的根拠を聞いてみたいです。 まして、掃除が怖くてハムスターを捨てるなど、本末転倒もいい所です。 何の為に掃除しているのか分らないではありませんか。

  新しいパイン・チップを補充する前に、回し車を戻します。 巣箱は天井蓋を開け、ハムスターが作ったティッシュの巣を捨ててしまいます。 ハムスター泣きますが、こればっかりは心を鬼にして捨てなければなりません。 ごっそり溜め込んであるミックスのエサも捨ててしまいます。 新しいティッシュを入れてやり、蓋を閉めて、プラケースに戻します。 最後に、給水ボトルの水を取り換えます。 これで完了。 ね、簡単でしょ。 古いチップは、新聞紙に包んで、燃えるゴミに出せばOK。 正味15分くらいです。

  毎日のエサやりは1分で終わりますし、週に一度の掃除も15分しかかかりません。 つまり、週に22分しか世話の時間を取られないわけで、他にこんな簡単に飼えるペットはいやしません。 犬に爪の垢でも・・・・おっと、それはもう書きましたな、失敬失敬。

  ただ、ちょっと面倒な季節もあります。 ジャンガリアンは北国出身なので、日本の夏の暑さに耐えられません。 エアコンなど使うと、とんでもない出費になってしまいますから、ペット・ボトル・クーラーを作ってやります。 500㏄の角型のペット・ボトルに水を入れ、冷凍庫で凍らせます。 それをタオルに包み、プラ・ケースの外に壁にくっつけて置いてやるのです。 ハムスターは、その壁の内側にへばりついて眠ります。 これは、朝晩交換します。 夜は一本で充分もちます。 昼はかなり暑い日でも、二本あれば、夕方まで逃げ切れると思います。

  冬の暖房は、特に必要ないです。 パイン・チップのように、燃えやすい物を使うので、電熱式の敷物やヒヨコ電球など、恐ろしくて使えません。 ハムスターは、そんなお金をかけて飼うペットではないのですよ。 寒そうだったら、巣箱のダンボールを三重にしてやるとか、そういうロー・プライスの工夫をしてやるのがよいでしょう。


  病気ですが、死期が近づくと、体のあちこちに腫瘍が出来る事が多いらしいです。 私が飼っていた銅丸もそうでした。 しかし、動物病院に連れて行くのはやめた方がいいです。 ハムスター、特に、ジャンガリアンのように小さいタイプのものは、診てくれる医師がいません。 そもそも獣医が学校で教わる治療対象は、犬猫が中心で、あとは牛・豚・鶏といった家畜が占めており、小動物はオマケ程度の扱いなのです。 ネズミに至っては、ペットというより、実験動物という感覚で見ています。 そういう所へハムスターを持ち込んでも、覿面に迷惑そうな顔をして門前払いするか、治療法なんて知らないけど料金を取れるから治療するふりをするか、どちらかが関の山です。

  ハムスター・サイトを見ていると、死んだ時の記録に、「具合が悪そうだったので、病院へ連れて行って、預かってもらう事にしました。 そしたら、その夜に息を引き取りました」という体験談が非常に多いです。 一見、飼い主の義務を果たしたかのように見えますが、これは全くの逆でして、病院へ連れて行ったから、死期が早まったのです。 人間でも分かる事ですが、もう立って歩く事も出来ないほど弱っている時に、無理やり移動させられたら、ますます弱るのは当然です。 その上、今まで暮らしてきた部屋とは全く違う場所で、全く違う臭いを嗅がされながら一晩おかれたら、死ぬなという方が無理でしょう。

  何か勘違いをしている人が多いようですが、動物病院と人間の病院は、看護体制に大きな違いがあります。 動物病院は、危篤になったからといって、集中治療室があるわけではないですし、預けたからといって、医師も夜は寝てしまうのですから、つききっきりで看護してくれるわけではありません。 もちろん、ナース・コールも無いです。 もう死に掛けているペットを、動物病院に預けるという事が、拷問以外の何ものでもない事に、小指の爪の先ほどでもいいから思いを致すべきでしょう。 何が、「飼い主の義務ですから」だよ。 てめえの世間体を気にしてるだけだ。 最期の夜くらい一緒にいて、安らかに息を引き取らせてやればいいじゃないか。


  ハムスターのペットとしての最大の欠点は、二年くらいしか生きられない事です。 死んだ時は、本当に嫌なものです。 ある日、巣箱から出てこなくなります。 二日くらい姿が見えなくて、「もしや」と思って巣箱の蓋を開けて見ると、ティッシュの巣の中で冷たくなっているのです。 もう、言葉も出ません。 そのショックたるや、家族が死んだ時と、ほとんど変わりがありません。

  綺麗にした巣箱に死骸を入れ直し、残ったミックスのエサを一杯詰めて、巣箱ごと埋葬してやるんですが、一ヶ月くらいは毎日手を合わせに行かずにはいられません。 増やせないから、致し方ないとはいえ、子供を作らせてやれなかったのは、心から気の毒だと思います。 ただ、私の心を和ませる為だけに生きて、死んでいったんですな。 二匹目が死んだ時、それ以上、ハムスターの死に立ち会うのが耐えきれなくなり、もう飼うのをやめました。 今でも、押入れの奥にプラ・ケースは残っているので、飼おうと思えば、半日で立ち上げられますが、まだまだ、その気になりません。

2008/12/21

車の売り方

  なぜ、突然、自動車が売れなくなったのか? 今年の前半には、「トヨタが販売台数でGMを抜いて世界一になる」などと言って騒いでいたのに、リーマン・ショックを境に、クビ切り、リストラ、工場閉鎖の地獄街道まっしぐら。 急転直下とは、こういう状況を指す為に作られた言葉だったんだなあと、つくづく感じ入る今日この頃。

  正確に言えば、日本市場では、とうの昔から自動車は売れなくなっていたのであって、今に始まった事ではありません。 いつからかというと、1990年代初頭の日本のバブル崩壊からこっちです。 トヨタの販売台数が増えていたというのは、ほとんどが輸出と海外生産分でした。 今回の経済危機では、それまで好調だった海外販売が大コケし、輸出・海外生産ともに大幅減少しただけでなく、もともと冷え切っていた国内販売も更に落ち込んで、自動車メーカーの経営を直撃し、大破させました。 人に譬えれば、今年前半まで、体力漲り気力溢れ、人生の素晴らしさを謳歌していた人物が、9月15日に車にはねられ、一気に重態に陥って、もはや気息奄々といったところでしょうか。 譬えが悪いか。


  車が売れなくなる理由はいくつか考えられます。

≪バブル崩壊による景気の悪化≫
  何と言ってもこれが一番大きいでしょう。 日本のバブル崩壊でも、今回のアメリカのバブル崩壊でも、打てば響くように販売不振が発生しました。 景気が悪くなって一番最初に買物リストから外されるのは、やはり値段が高いものなんですな。 「そうやって、みんなが物を買わなくなるから、ますます景気が悪くなるんだ。 世の中にお金を回す為には、消費を進めなければ駄目だ」なんて事を言う自称エコノミストもいますが、無責任な事を言ってんじゃないよ。 いつ職を失うか分からず、先行きどうなるか不安で一杯なのに、車なんか買えるものかね! いくらすると思ってんのさ?


≪もともと金が無い≫
  日本のバブル時代はねえ、貧乏人でも車を買っていたんですよ。 大抵の人間は職についていましたから、収入さえ安定していれば、ローンが組めます。 それで、食う物にも困るような素寒貧な若僧でも、車だけは持っていたのです。 ところが、バブル崩壊以降、正社員として職に就けない若者が急造し、それが十年以上続いた為に、≪失われた世代≫が出来てしまいました。 よく、「小泉政権のせいで、格差社会になってしまった」と言われますが、的外れな分析もいい所で、日本の首相には社会を変革させる影響力などありません。 格差社会になった原因は、バブル崩壊にあるのは明白です。 「日本はバブル崩壊を乗り越えた」などという言い草も笑止千万、この非正規社員の分厚い世代層がバブルの遺産でなかったら、一体何だというのだね?

  正社員である親の年収は一千万円近いのに、派遣社員やフリーターをやっている子供のそれは200万円以下で、しかも何歳になっても増える事がなく、差が縮まりません。 この世代間格差には、驚嘆すべきものがあります。 年収200万円以下では、支出は生活費を最優先せざるを得ませんし、いつ襲ってくるか分からない失業に備えて貯金もしておかなければなりませんから、車のローンなど以ての外という事になってしまいます。 買いたくても買えないわけですな。 車は、家電などと違って、買った後も、保険やら税金やら車検・点検やらで、毎年十万円以上飛んでいきますから、「中古ならいいかな・・・」という妥協さえ許されない性質があります。


≪車に飽きた≫
  これは、以前、≪車に飽きた人々≫という文章で詳しく書きました。 そう、車という道具が、飽きられてしまっているんですな。 これまた、家電と違って、新しい物に買い換えれば機能が増えているという物ではなく、使い方は全く同じなので、台所事情が苦しい時に何もわざわざ買い換える必要性を感じないのです。 性能に関しては、それなりの物を選べば、前の車より上がる場合もありますが、車は自分勝手に乗り回せるものではなく、交通の流れに合わせて使うものなので、その高い性能を引き出す機会がありません。 走り屋でもないくせに、カッコで選んでスポーツ・カーを買ってしまった人が、アクセルを思いっきり踏み込む事が一度も無いまま終わるケースは、珍しくないです。

  余談ですが、スポーツ・カーは値段が高い為に、「あらゆる点で普通の乗用車より良く出来ているはずだ」と信じ込んでいるオーナーが多いのですが、実際には、車室は狭い、乗り心地は硬い、視界は悪いと、使い勝手は軽のボンバンにも遠く及びません。 そういう人が、たまに他人の乗用車に乗せてもらって、あまりにも乗り心地がいい事にショックを受け、それまで宝物だった自分の車が、突如としてガラクタに見えてくるという体験をします。 車がオモチャではないという事を、ようやく知ったわけですな。

  私が若い頃と比較すると、車がステイタス・シンボルでなくなった事は、社会の大きな変化です。 以前は、「その車を所有している事によって、その人の社会的地位が分かる」という雰囲気だったので、みんな背伸びして、良い車を買おうと血道を上げていたのですが、バブル崩壊以降、その考え方は消滅してしまいました。 そもそも車以前に、社会的地位という概念が揺らいで、価値を失ってしまったのです。 ≪オヤジ狩り≫などという現象が始まったのもその頃から。 今では信じられませんが、バブル時代までは、中年・壮年の男性は、社会的に尊敬と憧憬を受ける存在でした。 ≪ロマンス・グレイ≫なんていう言葉もありましたねえ。 つくづく隔世の感あり。 ≪ちょい悪オヤジ≫などという、揶揄が混じった呼び方とは全く違ったものでした。

  今、二十代の人達は、クラウンに乗りたがる親の世代の感覚が全く理解できないと思いますが、あれは、社会の価値観の変化についていけず、未だに車が身分を表すと思い込んでいる世代の哀しい性なのです。 いまや、ベンツでさえ、ありがたがる者などほとんどいません。 ≪ベンツ=ヤクザの車≫というイメージすら無くなってしまったのは、凄まじい限り。


≪エコ・ブームの影響≫
  エコ・ブームは、既に民衆レベルでは萎んでしまいましたが、一時期、熱病のように騒がれただけに、大きな爪痕を残していきました。 「車の使用は、エコに反する」というイメージです。 いや、イメージだけではなく、実際にその通りなんですが、以前は何の意識もせずに使っていた車という道具の問題点が、エコ・ブームで炙り出されてしまった為、もはや、良心の呵責を感ぜずに使う事が出来なくなってしまったんですな。 「ちょっと、そこまで・・・」と乗っただけでも、「俺は楽をしたいが為に、地球を汚している」と自責してしまうようになったのです。

  仕事で使っているのなら割り切る事も出来ますが、大概の人は、買物だの観光だの、ただの気晴らしだの、私用としか言いようが無い目的で乗っているので、後ろめたさから逃れる事が出来ません。 実際の所、山奥に住んでいるのでもない限り、買い物は自転車で十分間に合いますし、観光はどうしてもしなければならないわけではありませんし、気晴らしドライブに至っては、今や社会に対する敵対行為と取られても致し方ない有様。 車で気晴らし? ふざけた事をお言いでないよ! 押入れの布団に頭でも突っ込んで、絶叫でもしとれ! 大体、事故が怖くないのかね? 気晴らしで運転してて人をはねたなんて、顔色真っ青、背筋に氷くらいじゃ済まんで。


≪交通法規が厳しくなった≫
  法律が厳しくなっただけでは、車の販売数が減る事は無いと思いますが、逮捕される人間が増えたのは確実で、免停やら取り消しやらを喰らうと、どうしても、車に対する思い入れが冷めます。 しょっちゅう酒を飲みに出掛ける人達などは、自分で運転するより、人に乗せてもらう方を選びがちになり、「自分の車なんて、いらないかな」と思い切ってしまうきっかけになります。

  高齢者に義務付けられた≪落ち葉マーク≫も少なからぬ影響があると思います。 彼らは、言わば、車をステイタス・シンボルと捉えていた中心世代ですから、「せっかく高い車を買っても、年寄りマークなんか貼ったのでは台無しだ」と落胆し、車格なんぞどうでもよくなってしまいます。 そういえば、最近は、軽に乗る老人が異様に増えました。 ついこないだまで存在した≪軽ブーム≫は、高齢者が担っていたのではありますまいか。


  とまあ、ざっと見て、こんな所でしょうか。 車の未来は暗いっすねー。 単に車の量が減るだけなら、社会的にはむしろ良い傾向と言えますが、自動車産業という日本経済の屋台骨が折れるのは、大いにまずいですな。 このまま行ったら、ほんとに江戸時代の経済水準までズルズル落ちて行きかねません。 「私は自動車関係の仕事じゃないから大丈夫」なんて安心していたら大間違い。 外国から日本に富を齎しているのは、自動車産業だけなんですから、それがコケたら、他の産業もみんなコケます。 遅いか早いかというだけの違い。

  それに、こうと失業者が増えてくると、世の中が不穏でいけません。 金がなくなって、今日の食い物も無いとなれば、人間どんな事でもやるようになります。 犯罪が増えるのは自然の成り行き。 おちおち往来も歩けなくなったのでは敵いません。 その内、市中に追い剥ぎが出没するようになり、銀行なんぞ行けなくなってしまいます。 箱根の雲助も復活か? 何とかして、この急激な変化のスピードを緩められないものでしょうか。


  で、私にしては珍しく、前向きな提案ですが、アメリカ市場は外国の事とて仕方ないから成り行きを見守るとして、国内市場だけでも、少し販売が持ち直すように工夫してみたらどうですかねえ。

  とりわけ、トヨタに言いたいのですが、エコ番組のスポンサーは、もうやめた方がいいでしょう。 ≪素敵な宇宙船地球号≫は典型です。 あの番組自体は、非常に良質な番組だと思いますが、これ以上、エコ意識を煽るのは、自動車の販売に悪影響しか及ぼしません。 トヨタとしては、「うちの会社は、車という反エコ商品を売っていますが、エコについて考えていないわけではないんですよ。 むしろ、積極的にエコ社会をサポートしようとしているんですよ」とアピールする為に、あの番組を立ち上げたわけですが、今や、そんなお為ごかしを真に受ける消費者などいやしません。

  「エコ替え」などというコピーのCMもやっていますが、あれも有害です。 消費者から見ると、「騙して、車を買わせようとしている」としか映りません。 新車に買い換えるとなれば、下取り分を引いても百万円以上飛んでいくわけで、燃費が少々良いくらいで元が取れるわけがない事は、よほど間抜けな消費者でも分かっています。 ≪すぐバレる嘘≫ほど、言う側のイメージを悪くするものも無いです。 「エコを推進すれば、低燃費車が売れるだろう」と算盤を弾いているのは見え見えですが、エコ意識が徹底した消費者は、「低燃費車に買い替えよう」と思う前に、「車に乗るのをやめよう」と思い切ってしまいます。

  そもそも、エコをダシにして、拡販しようという考え方が、倒錯しているのです。 もはや、≪車=反エコ≫のイメージはしっかり定着してしまい、エコを唱えれば唱えるほど、車離れが進むという流れになっています。 自分で自分の首を絞めているのです。 企業イメージが悪くなるので、エコを攻撃する必要はありませんが、自ら進めて、自滅する必要もありますまい。

  それと、これは、全自動車会社宛てですが、ドラマのスポンサーになる時は、テレビ局を通して、製作会社に註文をつけるべきでしょう。 何をって、「主人公達に、車を所有させ、移動は車でさせるように」と条件をつけるのです。 テレビ・ドラマが生活様式に与える影響には、実に大きな物があります。 服装でも持ち物でも、若者はみんなアホですから、世の中で流行っているものを真似るのが普通です。 ところが、今のドラマを見ていると、車を所有し、移動に使っている主人公は、皆無に近いです。 これじゃあ、誰も、車生活に憧れたりしないわなあ。

  ドラマの舞台が、ほとんど東京や横浜で、しかも都心部ばかり出るために、車の使いようが無いのが問題。 地方都市を舞台にしたドラマが出来ないわけはないのですが、ドラマの制作関係者が、ほぼ全員、地方を捨てて上京した経歴を持つ為に、地方を忌み嫌い、「地方の生活など、ドラマにするに値しない」と見做す傾向が強く、それが回りまわって、車の冷遇に繋がっていると思われます。 スポンサーの発言力は強いのですから、「地方を舞台にして、車を頻繁に使うのでなければ、お金は出しません」と言ってやればいいのです。 確実に勝てます。

  やっぱりねえ、物を売りたかったら、まずイメージをよくしなければダメですよ。 値段がリーズナブルとか、品質がいいとか、そういうのは、買う気にさせた後で効いて来る事であって、まず車に興味を持たせなければ、始まりますまい。 頭使わにゃいかんで。

2008/12/14

大失業時代

  どうも心配になるのですが、テレビや新聞などマスコミ関係者は、≪派遣社員≫と≪期間工≫の区別が、はっきり分かってるんでしょうねえ。 金融危機発生後、国内企業のクビ切りが始まった時、「○○社は、年末までに○百人の期間工を削減すると発表した」といった報道がありましたが、期間工を雇用している大概の企業は、派遣社員も使っているので、切られるとしたら、派遣社員が先になります。 いきなり期間工から削減するというのは、どう考えても不自然です。

  マスコミ関係者が、両者を混同している可能性は極めて高いです。 これを読んでいる人の中にも、よく分かっていない人がいると思うので、書いておきますが、≪派遣社員≫というのは、籍は派遣会社に所属し、別会社の工場などに派遣されてくる人材の事です。 一方、≪期間工≫というのは、工場を運営している会社が直接に雇った、≪臨時雇い≫の事で、籍は正社員同様、その会社に属します。 現場では、期間工の方が、派遣社員より格上になります。

  期間工は、会社に直接雇われているので、その会社の独身寮に入るケースが多いです。 一方、派遣社員は、アパートや賃貸マンションなど、派遣会社が用意する住居に住みます。 よって、「解雇とともに、社員寮から追い出される派遣社員が増えている」などという表現は、間違っているのです。 最初から入っていないのに、どうして追い出される事が出来るというのじゃね?


  マスコミ関係者というのは、とことん自分に都合がいいオツムを持っているようで、つい半年前まで、「温暖化対策を急がなければ、地球が破滅する!」などとアジり立てていた同じ口で、今度は、「企業は、安易な人員削減をするな!」とがなっているわけですが、言ってる事が矛盾してるぞ、おい。 温暖化対策で企業が経済活動を縮小すれば、結局、人員削減せざるを得なかったんだから、現在の状況は、あんたらが覚悟していた事ではないのかね? 企業が人員削減したら、世の中に失業者が溢れるのを承知の上で、温暖化対策を進めろと大合唱していたのではないのかね?

「このままでは、地球環境がもたないのは分かっているわけで、CO2排出に大きな責任がある企業には、その辺の所をもう一度考えていただきたいものです」

「このままでは年を越せないという切実な状況に追い込まれている人達が大勢いるわけで、企業にはその辺の所をもう一度考えていただきたいものです」

  一体、企業に人を減らせと言いたいのか、減らすなと言いたいのか、どっちなんだね? それとも、世の中全体の仕組みを見渡した定見など持ってなくて、ただ、その時のブームに乗っかって、「白にしろ!」「黒にしろ!」と叫んでいるだけなのか? おいおい、猿山の猿でも、もそっと節操があるぜ。

  節操が無いといえば、資本主義を掲げた政党が、平気で社会主義的政策を取ろうとしているのも、凄い光景です。 あんた方、社会主義、嫌いなんだろ? 虫唾が走るんだろ? なんで、そんな事に自分から手を染めるのよ? 今の今まで、「資本主義は最も優れた制度だ!」と信じて生きてきたんじゃないのかい? だからこそ、社会主義国をボロクソに貶してきたんじゃないのかい? なぜ、平気で資本主義を裏切れる?

  資本主義に則れば、経営が傾いた企業を国が救うなんて、以ての外です。 弱い所が自然に潰れるから、企業の新陳代謝が進むのであって、いちいち救っていたのでは、へろへろ企業ばかりになってしまうではありませんか。 ああ、失業者はうようよ出ますよ。 ホームレスもわんさか出る。 犯罪も増える。 社会秩序なんか崩壊だ。 だけどねえ、それが資本主義ではありませんか。 「資本主義には悪い点もあるが、良い点の方がずっと多い」、そう考えていたから、資本主義を信奉して来たんじゃないのかい? なぜ、信念を曲げるような事をする?


  信念を曲げると言えば、クビ切りが決まった途端、俄か労働組合員になって、ストやらデモやらぶちかましている連中も呆れたものです。 私も工場で働いていますから傾向は知っていますが、日本の工場労働者には、社会主義者などほとんどいません。 そもそも、企業内労組が大半ですから、会社に真っ向から逆らう組合など存在せず、活動も至ってお座なりです。 景気がいい時には、何も訴えなくても、会社がよくしてくれるので、労組なんぞ出る幕が無いんですな。 勢い、組合員も保守的志向の人間が多くなります。 左っ気は全くなく、中立も少ない、どちらかというと右っ気があるか、もしくは宗教臭いか、そんな人々で埋め尽くされています。

  無理も無いといえば無理も無い。 工場労働者は、ほとんど高卒で、一般教養レベルすら頭に入れていないのが普通です。 マルクス・アウレリウスとカール・マルクスの区別がつく人を見つけたら、目をまん丸に見開いて、繁々眺める価値があるほど珍しい。 社会主義も資本主義も全然分からず、「日本は資本主義国だから、資本主義を応援していればいいんだ」くらいの、しみじみお子様レベルの知識しか持ち合わせていないのが実情です。 期間工や派遣社員となれば、尚更その傾向が強いです。

  そんな連中が、失業の恐怖に曝された途端、一転して、社会主義者に変身するんですわ。 ついこないだまで、「社会主義なんて貧乏な国の制度だ」などと抜かして、へらへら笑って社会主義国を扱き下ろしていたその同じ口で、「安易な解雇は許せない!」なんて叫び始めるわけだ。 また、マスコミが、いかにも同情に耐えないという論調で、その様子を報道するわけだ。 おまえら、一体、何者なんだよ? 資本主義と社会主義、どっちを支持してるんだね? どっちでもいいのか? その時の都合でコロコロ変わるのか? あまりにも信念に欠けているとは思わないか?

  ワーキング・プアの青年層が、≪蟹工船≫を読んで盛り上がっているそうですが、それがブーム化している点が軽薄だよねえ。 教養の低い人間が、生まれて初めて文学らしい作品を読んで、興奮しているだけなんじゃないの? もっとも、≪蟹工船≫がそんなに面白いとは思えませんが……。 ≪蟹工船≫の場合、労働者は搾取されていたわけですが、今クビを切られている連中は、別に搾取されていたわけではなく、ちゃんと労働の代価は貰っていたのですから、境遇をダブらせるのには無理があるでしょう。

  大体、雇ってもらう前は、「どんなつらい思いでも我慢する。 たとえ、期間限定でも、当座働き口が見つかるなら、それで充分」と思っていたくせに、クビにされると激怒するっていうのは、人間としてどうなんですかねえ。 会社に対する見方が、解雇を境に、≪恩人≫から≪仇敵≫に転換するわけですが、そんな論理が罷り通るなら、恩人は永久に恩を与え続けなければ、感謝されない事になってしまいます。 たとえ一定期間でも雇ってくれた会社に向かって、「許せない!」なんて言葉をよく使えるものです。 先の事を考えても、そんな捻じ曲がった根性の人間を、これから雇いましょうなんて会社はありませんよ。 恨まれちゃたまらないものねえ。

  借金した奴が、貸し手に対して取る態度とそっくりだ。 借りる前は、「神様、仏様!」と手をすり合わせて拝むくせに、返す段になると、「人でなし!」と口を極めて罵る。 借りた時に感じていた恩義はどこに行ったのよ? 貧すりゃ貪すで、人間としての品性など消し飛んでしまうのかね? そういえば、苦しい時だけ医者に縋り付いて、病気が治らないと、「医療ミスだ!」と言って訴訟を起こす患者にも通じるものがあります。 社会的弱者を装って、実は性根が腐っているだけ。 いずれ劣らず、すこぶる醜い。 


  解雇されて寮を追い出され、住む場所が無くなった期間工に、国が住居を世話する案が出ているようですが、何だか変ですねえ。 そういう政策がアリなら、今までだって、ホームレスに住居を世話してやればよかったと思うんですがねえ。 いやしくも資本主義を標榜するなら、そんな政策はナシでしょう。 生活保護制度ですら、資本主義の原則から外れていると思いますが、今回失業した人間だけ助けるというのは、≪平等≫を謳った憲法に反しているんじゃないでしょうか。

  これが、災害で家を失ったのなら、いずれ復旧とともに支援は終わりますから、問題ないと思いますが、単に失業したというだけで国が支援していたのでは、いくら税金を集めても足りゃしませんよ。 なぜって、アメリカのバブル崩壊はまだ始まったばかりで、今後何年・十何年続くか分からず、その間ずっと、失業者を養ってやるわけにいかないからです。 一定期間を過ぎて、再就職できなかったら、結局、放り出すんですか? それでは、破滅が早いか遅いかというだけの違いではありませんか。

  大体、日本を代表するような大企業が、経営悪化に耐えくれなくて、どんどん人を切り捨てているというのに、切られた人達を、新たに雇う企業があるとは思えません。 「こんな時こそ、ビジネス・チャンス!」などと、お気楽な事を書いている新聞記事もありますが、だったら、おめーが起業してみろ! 不景気に会社を大きく出来る経営者など、ほとんどいやしません。 就職斡旋業者を装う詐欺師くらいのもんじゃないの?

  苦しい時には藁にも縋るわけで、国の支援策を大歓迎している人達もいるでしょうが、お金っていうのは、政府が決めれば何も無い所から生まれてくるという物ではないんですよ。 財源が無ければ何も出来ないわけで、結局は、国民が税金で払う事になるのです。 自分自身は職が安定していている人達が、神様目線で失業者に同情して、「政府はもっと、きめ細かい対策を取るべきですねえ」などと言っていますが、政府が失業対策に使う金は、自分が収めている税金から出るのだという仕組みが分かってるんですかね? 識者ぶって、当たり障りの無い意見をテケトーに言っているんでしょうが、「政府は失業者を救え!」と言うのと、「不景気に増税なんてけしからん!」と言うのは、矛盾しているから、よく考えるようにね。


  唯一、気の毒だと思うのは、新卒の内定取り消し者です。 企業側の都合で、一年間失ってしまったわけだ。 いや、出だしの躓きは後々まで響くので、最悪の場合、一生を失ってしまう事になるかもしれません。 景気のいい時でも、就職浪人すると、次の年にまともな会社に入れるケースは稀ですが、この不況では、就職そのものが出来なくなる恐れもあります。 まったく、不運としか言いようがありません。 この人達の場合、会社に対して激怒するのも無理は無いです。 「補償金なんていらないから、就職口をどうにかしてくれ!」と怒鳴りつけてやってもいいかもしれません。 でも、やはり、先の事を考えると、怒鳴ってる暇があったら、職を探す方が現実的だと思いますが。


  とにかくねえ、失業した状態で、政治活動なんてやるのは、まともな生き方ではないですよ。 政府を突き上げたって、無駄です。 衆愚民主主義システムですから、政府を突き上げれば、政府としては民衆の言う事を聞かざるを得ませんが、政府が企業に、「クビを切るな」と命じても、景気後退で収益をあげられない企業は、それに応じる事が出来ません。 応じれば、人件費負担で倒産してしまうからです。 そうなれば、ますます失業者が増え、働き口は減ります。

  一旦、政治活動を始めてしまうと、それ自体が人生目標になってしまって、どんどんエスカレートし、しまいには、「政府を倒せ!」なんて物騒な話になって来ます。 「どうせ、失業して喰っていけないんだ。 こうなりゃ世の中滅茶苦茶にして、どいつもこいつも道連れにしてやる」なんて考え始めたら、もう凶悪度に於いて連続殺人犯と変わりません。 むしろ、「他の失業者がデモにうつつを抜かしている時こそ、働き口の落穂拾いが有利になる」と考えて、地道な職探しに励むべきでしょう。

2008/12/07

ビッグ3

  アメリカの自動車ビッグ3が、糞味噌に叩かれているようです。 経営難で、年内にも倒産しかねない窮地に陥り、公的資金の援助を取り付けようと政府に泣き付いたものの、議会も国民も冷淡で、「いっそ、潰してしまえ」という声も大っぴらに出ているとか。

  ビッグ3の社長達が最初に議会に呼ばれた時に、三人ともそれぞれ社用ジェット機でワシントンに乗りつけた事が問題になり、「普通の旅客機で出来れば2万円で済むものを、200万円もかかる社用ジェットで来やがって、政府に金をくれとは、太え了見だ!」と、滅多苦多に批判されたそうです。 無理も無い……。 更に、「てめーら三人の中で、今すぐ社用ジェットを売り払って、帰りは旅客機で帰るって野郎は手を挙げやがれ」と訊かれて、三人ともムスーッと押し黙ってしまったとか。 そんなに、旅客機で帰るのが嫌かね?

  糅てて加えて、「今支援してくれないと、もっとひどい事になる。 この支援策が一番コストが安いはずだ」などと高飛車な言い方をしたものだから、聞いている方に怒るなというのが無理難題。 借金しに来た奴が、「俺に金を貸さないと、自殺するぜ。 それでもいいのかい?」と脅しているのと同じです。 アメリカ社会では、謙虚さは必ずしも美徳とは見做されませんが、ふんぞり返って無心するのは、さすが非常識というものでしょう。

  で、議会だけでなく、この公聴会の映像をテレビで見た国民までが、「こりゃ、莫大な借金を頼みに来た人間の取る態度じゃねーな」と呆れ果ててしまい、雲行き大いに怪しくなったと見たビッグ3社長連は、デトロイトに帰るや、すぐさま社用ジェットを処分し、二回目の公聴会には、それぞれ自社製の低燃費車を自分で運転してやって来たとか。 何時間もかけて……。 極端だな。 普通に旅客機で来ればいいじゃん。 世間と感覚がズレて来ると、やる事なす事みな極端に振れ始めるものですが、完全にそのパターンに嵌まっていますな。

  衰えたといっても、自動車生産は未だにアメリカの基幹産業で、大量の労働者を養っていますから、潰れたりしたら、国中たちまち失業者の海となり、一気呵成に大恐慌へ落ち込んでいく可能性があります。 アメリカ政府としては、否でも応でも、公的資金で支えざるを得ないでしょう。 しかし、不景気が続く限り、自動車の売れ行きが回復する事は考えにくいですから、支援したところで、結局倒産して、投入した資金がパーになってしまう恐れも充分にあります。 前門の虎・後門の狼、生き残れるかどうかは運任せという所でしょうか。

  ビッグ3の言い分としては、「金融危機を引き起こした張本人である金融業界には公的資金を投入して助けてやるのに、実業に励んできた自動車業界を助けられないという法はあるまい」と考えたわけです。 これは、理屈が通っています。 しかし、それを言い出せば、潰れかけている企業は、すべて公的資金の支援を受けられるという事になり、どんな放漫経営をしようが、潰れる企業は一社もなくなってしまいます。 規模が違うというだけであって、GMだって、場末の零細工場だって、一民間企業である点に変わりはありませんから。

  問題の核は、「公的資金を民間企業の救済に使う」という、そこにあるのです。 金融機関を税金で救おうなどと考えたのが間違いです。 本来、資本主義の原則に則れば、経営が行き詰った企業は潰れるのが当然であって、政府が助けるなどルール違反もいい所です。 それが金融機関であれ自動車会社であれ、また、先に大恐慌が待っていようがいまいが、です。 資本主義の総本山とも言うべきアメリカで、今そのルール違反を犯しているのだから、奇妙といえば奇妙な光景ではありませんか。 それは、≪ニュー・ディール政策≫同様、社会主義のルールでしょうに。 金融機関に例外を認めてしまったから、自動車業界が、「俺も俺も!」と縋りついて来たのであって、ここで自動車業界を支援してしまったら、他の業種もみんな公的資金を当てにして押しかけて来るのは目に見えています。 蜘蛛の糸に群がる地獄の亡者だね。

  ビッグ3が公聴会で訴えた事の中に、「省エネ・カー開発に力を注いで、会社を建て直す方針」というのがありましたが、なーにを、テケトーな事を言ってるだか! それこそ、獲らぬ狸の皮算用の王道ではありませんか! 省エネ・カーが、そうホイホイと出来るわけがありません。 今までだって、少なからぬ資金を投入して省エネ・カー開発を行なって来たのに、出来た車といえば、まやかしハイブリッド・カーと、へろへろ電気自動車だけ。 これからは潰れかけて綱渡り状態になるというのに、もっといい省エネ・カーを開発できると思う方が異常です。

  飲む・打つ・買うで身上潰した遊び人が、借金を頼みに来て、「返済はきちんとします。 これからは、心を入れ替えて、真っ当な職に就くつもりですから」と言っているようなもの。 あくまで、「つもり」なのであって、まだ就職などしていないにも拘らず、金を借して欲しい一心で、相手の耳に聞こえがいいセリフをポンポン吐くのです。 金に困った奴の言う事は、みんな同じだねえ。

  とにかく、ビッグ3にとって厳しいのは、車が売れないという現況ですな。 なぜ、売れなくなったのか? 金融危機だからか? いや、それだけではないでしょう。 必要な物だったら、金融危機だろうが大恐慌だろうが、買わないでは暮らせますまい。 車が、≪い・ら・な・い≫物だから、金融危機で真っ先に、購入中止リストのトップに書き込まれてしまったのです。 いや、≪いらない≫というと語弊がありますか。 正確に言えば、≪買わなくてもよい≫物なんですな。 少なくとも、今現在、車を持っていれば、わざわざこの時期に買い換える必要は無いというわけです。

  ビッグ3だけでなく、日本メーカーなどの外車も、アメリカ国内での販売が激減しているのを見ると、アメリカ人が車の購入そのものを、「無駄!」と考えるようになった様相が覗えます。 今までは、「生活必需品」、「無くてはならない足」と見做していたのが、180度とは言わないまでも、90度くらい方向転換したんですな。 アメリカは自動車とともに発展してきた社会ですが、T型フォードからこっち、嗜好が変わった事はあっても、車の購入を無駄だと考えた事は一度も無かったのですから、今回は画期的転換点と言えます。

  今まで、不景気になったり、ガソリン代が値上がりしたりすると、燃費の悪いアメリカ車から、燃費の良い小型外国車に乗り換える需要が発生し、外国メーカーにはむしろ追い風になったものですが、今回は、その乗り換えすら起きていない点も注目に値します。 アメリカ車の不人気が度を越した為に、中古車市場で値崩れが起き、売りたくても売れなくなってしまった様子。 大型車を処分できなければ、小型車を買う事も出来ないわけだ。 また、高騰していたガソリン価格が、世界経済の縮小で急落した為に、燃費が悪い車でも、使い続けるのに抵抗が無くなった点も大きいです。

  日本メーカーは、円高で輸出車が利益を出せなくなってしまった上に、乗り換え需要の当てが外れてしまい、ダブル・パンチを喰らっています。 私としては、今までも経営が思わしくなかったビッグ3の危機より、飛ぶ鳥落す勢いでGMを追い上げていたトヨタが呆気なく失速した事の方が驚きです。 まあ、確かに、レクサスのような車は、不景気に出番は無いですわなあ。 ウォン安の韓国車はそれほどでもないと思うんですが、日本国内で報道されないので、よく分かりません。 中国やインドのメーカーは、アメリカ市場に出るなら、日本メーカーがコケている今がチャンスだと思いますが、車は販売網を構築しなければ売りようがないので、実際には難しいかもしれませんな。


  ビッグ3の事を随分ボロクソに書いて来ましたが、じつは私、アメリカ車は、嫌いではありません。 80年代頃には、嫌いな時期もありましたが、90年代以降は、おしなべて敬意を抱いています。 どこが良いのかというと、デザインです。 80年代のアメリカ車は、ヨーロッパ車を真似たような車が多かったんですが、90年代以降、独自性を取り戻し、アメリカらしいデザインが次々に登場して来ました。 GMの≪セビル≫、≪CTS≫、≪ポンティアックG8≫、フォードの≪トーラス≫、≪フォーカス≫、クライスラーの≪300M≫、≪クロス・ファイア≫、≪PTクルーザー≫等々、アメリカ人の感性がそのま形になっている所が素晴らしい。 日本車がいつまでたっても、ヨーロッパ車のデザイン要素を継ぎ接ぎしたキメラである事を思うと、「これが、自分達のデザインだ」と言えるものを持っているアメリカ人は大変羨ましいです。

  そういえば、ビッグ3を貶すのに、「燃費が悪い大型車ばかり作って来た」という言葉を使う人が多いですが、アメリカ人が自省して言うのならともかく、外国人にはそんな事を言う資格が無いので、口を慎むべきでしょう。 まるで、ビッグ3が、自国市場の需要を根本的に読み違えたかのような言い草ですが、今回の経営難は、専ら金融危機の影響によるもので、アメリカ車も外車も一緒くたにコケているのですから、大型車か小型車かという二択の問題ではありません。

  ちなみに言えば、ビッグ3も、小型車はちゃんと作っています。 しかも、80年代からずっとです。 しかし、それらの小型車は、決して販売の主流にならないのです。 なぜなら、アメリカ人は、大型車が好きだからです。 そうなんですよ、大きい方が好きなんですよ。 何かを作ろうとした時、好きか嫌いかという問題は、売れるか売れないかよりも優先されます。 嫌いな物を作っても、どうせいい物は出来ませんから。

  アメリカの映画やドラマを見れば分かるように、使われる車両は、ほとんどアメリカ車です。 金持ちの象徴としてヨーロッパ車が使われる事もありますが、アメリカは道路の幅も建物の敷地もだだっ広い為に、ベンツやBMWでもチンケに見えます。 広い所にポツンを置かれると、フェラーリなど、ミニカーのように感じられるから不思議なもの。 日本車なんぞ問題外で、女・子供の乗る車として買われているというのが実情です。 実際問題、アメリカ人の平均身長を考えれば、大人の男性が日本車に乗り込むのは、相当無理があるのは、ちょっと想像してみただけでも分かる事。

  アメリカ人は、収入が多くて、ガソリン価格が低ければ、なるべく大型車に乗りたいのです。 大きくて不便な事など何もありません。 広い道路では、むしろ小さい車の方が、運転していて不安を感じます。 そもそも、アメリカン・ドリームの辿り着く先が、チンケな小型車であろうはずがありますまい。 だから、ビッグ3は、昔から大型車の開発に力を入れて来たのです。 もし、小型車が好きなら、そちらにエネルギーを投入するはずで、日本車が入り込む余地なんか無かったでしょう。


  今回の世界的な自動車販売数の減少で、つくづく思いましたが、やっぱり、車というのは、人間生活の必需品ではなかったんですな。 無ければ無いで、どうにかなるんですよ。 「楽をしたい」とか、「金持ちぶりたい」とか、そういった下らない理由で買われていたわけだ、今までは。 家電製品が飽和してしまい、規格の変更で無理やり買い替えさせる以外に、販売量を増やす方法が無くなってから久しいですが、とうとう自動車も、限界点を超えたわけだ。 自動車が富の象徴から失墜した後、社会の価値観がどちらへ向かっていくのか、興味深くはありますが、そんなゆとりもなく、失業して生活に困窮する人々が世界中に溢れそうで、些かならず恐ろしいものがあります。