2020/06/28

バイク関連品 ②

  冬の間に使っていた、バイク関連品について、紹介していなかった物を出します。 新たに買った物と、昔から持っていた物が、混じっています。 なに、大した内容ではないです。 タイトルが、②になっているのは、「バイク関連品」という記事が、過去にあるからです。




【夏用ハイソックス】

  バイクで、夏場に穿く為に、1月15日に、アマゾンで、スポーツ・ソックスを注文しました。 送料込み、160円という、ムチャクチャな安さ。

≪写真上≫
  25日に、到着。 中国発送の品の場合、2週間かかるのが普通ですが、今回は、10日目に届きました。

≪写真下左≫
  中身。 普通に、店頭に吊るすタイプのパッケージです。

≪写真下右≫
  とらやで買った、冬用の裏起毛ハイソックスと並べてみました。 サッカーなどに使うスポーツ・ソックスなので、ふくらはぎの上まで上がるように、より長いです。 これなら、靴下止めがなくても、落ちて来ないかも知れません。

  薄いので、実際のスポーツに使うと、破れが早い可能性あり。 しかし、私は、週に一度のペースで、バイク・ツーリングにしか使わないから、そういう心配は無用でしょう。 夏用だから、薄い方が、都合がいいです。



【靴下止め】

  バイク・ツーリングの時に穿く、ハイソックスがズレ落ちて来ないように、靴下止めを買いました。 アマゾンで、1月12日に、注文。 466円のところ、アマゾン・ポイント21Pを使って、445円で買いました。

≪写真上左≫
  1月29日に到着。 中国発送の品の場合、2週間かかるのが普通ですが、今回は、17日目に届きました。 日用雑貨で有名な、義烏の製品。

≪写真上右≫
  中身。 プラ・ファスナー付きの袋に入っていましたが、パウチはしてありませんでした。 使い始めてから、いちいち、この袋に戻すのも面倒なので、袋は捨ててしまいました。

≪写真下≫
  靴下止めとは、こういうものです。 本体は、ゴム紐のしっかりしたもの。 長さ調節ができますが、私の場合、そのままで、ちょうど良かったです。 合成皮革のパーツで、クリップが吊られています。 このクリップは、ズボン吊りなどで、お馴染みですな。 両端に付いている金具を引っ掛ける事で、ふくらはぎの上に装着します。

≪写真下右下隅≫
  見苦しいので、小さい画像にしましたが、装着した様子です。 ズボンを穿く前に着けてもいいのですが、私は、ズボンの裾をまくって、着けています。

  届いた翌日に、早速、着けて、ツーリングに出ましたが、大変、調子が宜しいです。 乗っている時はもちろん、下りて、歩き回っても、ハイソックスがズレ落ちる事が、全くありません。 とっくに買っておけば良かった。



【バイク用 ナップ・ザック / カメラマン・ベスト】

  バイク用品です。 洗濯したタイミングで、撮影しておきました。

≪写真上≫
  デニム地で作られた、ナップ・ザック。 これは、古いぞ。 バイクの免許を取った、1993年の秋に、最初の装備として買ったもの。 ロゴに、「MADE IN U.S.A.」とありますが、タグを見ると、本当に、アメリカ製です。

  少し小さめで、通勤に使うには、不適当だったので、ずっと、箪笥にしまってあったのですが、プチ・ツーリングなら、大した物は入れないから、これで充分と思い、引っ張り出して、使ってます。

≪写真下≫
  この冬、耐えられないほど寒くなってから、やはり、引っ張り出して、中に着ていた、カメラマン・ベスト。 元は、母の物で、15年くらい前に、貰い受けました。

  カメラマン・ベストなので、ポケットが多いです。 背中にも、大きな薄っぺらい物を入れられます。 しかし、ツーリングでは、ポケットは使いませんでした。 襟がなく、裾が短いから、上着から食み出ないのが、好都合でした。




  以上です。 以下、補足。

  「夏用ハイソックス」は、緊急事態宣言解除後の、5月20日から、使っています。 薄いので、破いてしまわないように、慎重に、穿いたり、脱いだりしています。 破れるとしたら、たぶん、靴に隠れてしまう下の方だと思われ、当て布で繕って使い続けようと思っています。 週に一回しか出番がないから、一足あれば、充分です。

  とらやで買った、冬用の裏起毛ハイソックスよりも、5・6センチ長いお陰で、ふくらはぎの上まで、ゴム部分が上がり、ズレ落ちる事がありません。 最初の一回は、靴下止めを併用したのですが、二回目からは、ハイソックスだけで、出ています。 締め付ける圧迫感があるものの、気になるほどではないです。


  「靴下止め」は、「ソックス・ガーター」とも言います。 正確には、「靴下留め」と書くべきですが、商品名が、「止め」になっているので、そちらに従った次第。 簡単な構造なので、自作もできると思いますが、材料費を、445円以内に収めるのは、厳しいところ。 それなら、既製品の方が良かろうと判断した次第。

  しかし、今考えてみると、どうせ、長ズボンを穿くのだから、ハイソックスの上の方なんて、見えなくなってしまうわけで、ゴム紐を組み合わせて縫いつけ、ふくらはぎの上で締まるようにすれば、それでも良かったかなと思っている次第。 それなら、100円もかかりません。 そもそも、最初から、もっと長いハイソックスを買えば、こういう物は必要なかったわけだ。 まあ、そんなに高い物ではないから、いいですけど。


  「カメラマン・ベスト」は、しまってしまいましたが、「ナップ・ザック」は、冬以外も使っています。 新型肺炎対応のまずさや、人種差別問題の影響で、それでなくても色褪せていた、アメリカ合衆国のイメージが、地を這う程に落ちてしまい、今や、「MADE IN U.S.A.」のロゴは、抵抗を感じるようになってしまったのですが、わざわざ買い直すのも馬鹿馬鹿しいので、そのまま使っています。

  セローの頃は、アディダスのマークが入った、黒いナップ・ザックを、ずっと使っていたのですが、マークは薄くなるわ、肩紐は黒だったのが、赤くなるわで、劣化著しく、使う気になれません。 といって、長い間、世話になったから、捨てもしませんけど。

2020/06/21

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑧

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 8回目です。 今回で、緊急事態宣言前までの分は終わります。 プチ・ツーの記事が少ないので、バイクを眠らせた記事も添えておきます。




【バイクで拓南神社①】

  4月10日に、バイクを出し、沼津市の、東名インター・チェンジの少し北側にある、拓南神社へ行って来ました。

≪写真1左≫
  インターから北側へ延びる道を進み、新東名と交差して、更に少し行くと、左側に案内標識があります。 その道を入って行くと、短い住宅街を抜けて、杉・檜林を下る坂道になります。

≪写真1右≫
  杉・檜に、俳句の短冊が縛りつけてあります。 神社を管理している人が、俳句の会に入っているのでしょうか。

≪写真2≫
  下りきる手前に、神社がありました。 名前からして、古くからの神社ではあるまいと思っていたのですが、解説板を読んだら、案の定、戦時中、この辺りに、東南アジア侵攻に備えて、人材を育成する訓練所があり、そのOBが、戦後、付近に住み着いて、かつての仲間の霊を鎮める為に造った神社との事。 神ではなく、人を祀ってあるわけだ。 神道というのは、元々は、死者の鎮魂から始まったのかも知れませんな。

  私は、昔は、この手の戦争絡みの施設は、大嫌いで、怖気を振るっていたのですが、今は、自分自身、人生が残り少なくなったせいか、何とも思わなくなりました。 別に、好きになったわけではないですけど。

≪写真3左≫
  訓練所があった頃の、訓練生と近所の住人との逸話を書いたもの。 微笑ましいと言えば、微笑ましいのですが、若い男ばかり集めた施設があると、近所の人達は、怖かっただろうなあ、とも思います。

≪写真3右≫
  手水舎。 大きな石鉢が使われていました。 窪みは、彫ったものだと思います。

≪写真4左≫
  参道の石段。 ごく新しいもの。 そんなに、長くありません。 狛犬(獅子)の奉納年は、平成3年(1991年)とありました。

≪写真4右≫
  社殿。 これも、新しいです。 神社自体が造られたのは、1974年だそうですが、もっと新しく見えます。 サイズ的には、祠でして、人が中には入れるような建物ではないです。

≪写真5≫
  神社の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この角度だと、ちと、もさいですな。 オフロード車に比べると、オンロード車は、やはり、ボテッとした印象になりますねえ。



【バイクで拓南神社②】

≪写真1左≫
  不思議な形の椅子。 生き物のようです。 境内には、なぜか、椅子がたくさんありました。 行事で、人が集まるのかも知れません。 しかし、元訓練生だけが集まっているのだとしたら、もう相当、人数が減っている事でしょう。 元からあった神社ではないから、手入れをする人がいなくなったら、荒廃して行くのかも知れません。

≪写真1右≫
  去年の夏、バイク吟味をしていた頃の事。 「バイクを買ったら、観光地や、美術館、博物館などへ乗り付けて、バイクをさりげなく停めておき、興味がある奴等に見せつけてやろう」と目論んでいたものですが、いざ、手に入れてみると、行くのは、人がいない所ばかりになりました。 悪戯されないから、その方が安心ですけど。

≪写真2≫
  神社から、徒歩で、少し下ると、自然公園に出ました。 「もみじ平」というそうです。 公園と言うより、広場程度の大きさですが、大変、気持ちがいい所でした。

≪写真3左≫
  妙に急な角度の堰堤。 地図を見ると、この上に、「愛鷹運動公園」があるようなのですが、確かめてきませんでした。 もみじ平から、上がれるようになっているかどうかも、不明。

≪写真3右上≫
  タンポポ。 いくつも咲いていました。 最も形がいいのを撮影。

≪写真3右下≫
  これは、花韮(ハナニラ)。 群生する性質があります。 特に、山の中でなくても、あちこちで見られます。 ユリ科。

≪写真4≫
  新緑の楓。 楓は、紅葉も、新緑も、美しいですな。


  この後、元来た道で帰りました。 通勤時代に通っていた道なので、懐かしかったです。 車時代、バイク時代を合わせると、22年も通っていたわけで、思い出すと、泣けて来ます。 好きでもない仕事を、よく頑張ったな、そんなに長く・・・。 誰も誉めてくれないから、自分で自分を誉めるしかありません。



【バイクで弘法大師堂①】

  4月16日、バイクで、愛鷹山の裾野にある、「弘法大師堂」に行って来ました。 地図によると、「八畳石公園」と、「赤野観音堂」の中間地点にある様子。

≪写真1≫
  途中、沼津市立図書館に寄り、ブック・ポストに、≪松本清張全集 3 ゼロの焦点・Dの複合≫を返しました。 緊急事態宣言が静岡県に発令される前から、臨時休館中。 5月6日まで。

≪写真2≫
  図書館の駐輪場。 左は、私のバイクですが、右は、たぶん、図書館職員のバイクだと思います。 いつも、停めてあるので。 ホンダの「CBR250R(MC41型)」(2011-2017年)。 見ただけで分かるわけではなく、車種名が書いてあったので、テキトーに覚えておいて、帰ってから、ネットで確認した次第。

  カウル付きである事を別にしても、リヤ・フェンダーが跳ね上がった、今風のデザインです。 125と250では、排気量に、2倍の差がありますが、車体サイズは、ほとんど変わりません。 しかし、人が乗った様子を傍から見ると、やはり、125は、小さく感じられると思います。

≪写真3≫
  ここが、「弘法大師堂」。 「八畳石公園」の寸前から分岐した、急勾配の隘路を登って、エンジンを唸らせながら、どうにかこうにか、着きました。 道は、一応、舗装されていますが、車だとかなり厳しい幅員です。 

≪写真4左≫
  これが、お堂。 弘法大師の石像が収まっています。 コンクリート製なのは、もちがいいからでしょう。 人里離れた山の中なので、木造で壊れたら、なかなか、直しに来れません。 元は、別の場所にあったのを、東名高速道路の建設に伴い、ここへ移転したと書いてありました。 昭和41年(1966年)というと、半世紀以上、前になりますな。

≪写真4右≫
  隣接している、祠。 「琴ノ平神社」という名前だそうです。 祠でも、神社は神社。 鳥居は、コンクリート製のがありました。

≪写真5左≫
  祠の方の鳥居脇にあった、椅子と机。 コンクリートと石で出来ています。 一貫して、朽ち果てない材料だけで作ったわけだ。 森が鬱蒼とし過ぎていて、ここに座って、飲み食いするという気分にはなりませんが。

≪写真5右≫
  お堂の前に、バイクを停められる平地がなくて、50メートルくらい、上へ行って、路肩に停めました。 誰も来ないから、悪戯される心配はありません。



【バイクで弘法大師堂②】

≪写真1≫
  「赤野観音堂」まで登りました。 ここには、今年の1月にも来ています。

  門前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 何度も書くようですが、このバイク、荷台が付いている方が、外した場合よりも、圧倒的にシャープな印象に見えます。 もはや、ドレス・アップ用アクセサリーと言っても良い。 何でも、外せばいいってもんじゃないんだわ。

  ネットで見ると、トランクを付ける人も多いのですが、この荷台を隠してしまうのは、惜しいなあ。

≪写真2≫
  赤野観音堂の門前から見下ろした、南側の景色。 愛鷹山の裾野には、茶畑がたくさん、あります。 遠くに見えるのは、伊豆半島北西部の山並み。 左の方のボコボコッとしたのは、沼津アルプス。 駿河湾の海面も、少しだけ、見えています。

≪写真3≫
  茶畑の隅で咲いていた、平戸躑躅。 うちにもありますが、どこで見ても、大きくて、華やかで、気持ちがいい花です。

≪写真4左≫
  赤野観音堂から、少し上へ上った所に、私有地らしき森があり、そこに鳥居がありました。 という事は、奥に神社があるわけだ。

≪写真4右≫
  森に入って行ったら、こんな祠がありました。 基礎もしっかり打ってあって、個人で建てたにしては、立派な祠です。 名前が確認できなかったのが、残念。 燈篭、狛犬、手水舎など、他の設備はなかったです。


  この後、西へ向かい、地図で調べた神社二つを探したんですが、見つかりませんでした。 新東名が出来る前の地図なので、どうも、別の場所を探していたような気がします。 緊急事態宣言が解除されたら、また、行ってみようと思っています。



【バイクを眠らせる①】

≪写真1左≫
  新型肺炎の緊急事態宣言が、静岡県にも出たので、週一のペースで続けていたプチ・ツーリングは、打ち切りにし、4月19日に、バイクを眠らせました。

  本当なら、燃料タンク内が錆びないように、満タンにすべきなのですが、何かと面倒なので、それは、端折りました。

≪写真1右≫
  まず、燃料コックを閉めます。 燃料タンクから、キャブレーターに向かう途中にあります。 ここを遮断しておいて、エンジンをかけ、2分間くらい、アイドリングしたら、エンジンが止まりました。 キャブレーター内を空にするのは、中に溜まったガソリンが固着するのを防ぐ為です。

≪写真2左≫
  シートを外します。 EN125-2A・鋭爽は、ヘルメット・ホルダーのキー・シリンダーを、逆方向に回すだけで、簡単に、シートを外せます。 外したシートを置く時には、表皮を傷つける物がない場所を選びます。 地面や、コンクリート面に置くなど、以ての外。 立てかけるのも、倒れる恐れがあるので、危険。

≪写真2右≫
  右側のサイド・カバーを外します。 爪一ヵ所、ボス2ヵ所で留まっているだけ。 ボスを抜く時に、カバーを割ってしまう事があるので、カバーを引っ張るよりも、ボス穴の反対側から、棒のような物で押し出した方が、無難です。 ただ、そういう事ができない車種も多いです。 普通は、サイド・カバーを外さないと、シートを外せないので。

≪写真3≫
  右側のサイド・カバーを外すと、バッテリーが見えます。 まず、スパナで、端子を外します。 外す時には、「-→+」の順。 取り付けるときには、「+→-」の順になります。

≪写真4≫
  ゴム・バンドを外すと、バッテリーが外れます。 ゴム・バンドは、割と切れ易いので、慎重に扱います。 ただ、切れてしまっても、ゴム糊や、当てゴムなどで、直せない事はないと思います。



【バイクを眠らせる②】

≪写真1≫
  EN125-2A・鋭爽の標準バッテリーは、開放型ですが、このバイクは、前の持ち主が、密閉型(メンテナンス・フリー型)に交換してありました。 もちろん、メンテ・フリーの方が、もちがいいです。 「SUPER NATTO  SB7-A」ですが、アマゾンで調べたら、3850円(送料無料)でした。 結構な値段ですな。

≪写真2≫
  外したバッテリーは、濡れ雑巾で埃を拭き取り、ビニール袋に入れて、口を縛り、玄関の靴箱にしまいました。 室内の冷暗所なら、どこでもいいのですが、取り出し易い所がいいと思って。 死ぬなよ、バッテリー。

≪写真3≫
  サイド・カバーと、シートを戻しました。 これに、バイク・カバーをかけて、冬眠ならぬ、初夏眠に入らせました。 乗りませんが、錆びないように、定期的に、手入れはします。

≪写真4≫
  眠らせる作業とは関係ないのですが、後輪タイヤの山が減って来たので、撮影しました。 中央の溝は、もうそろそろ、消えそうですが、まだ、一年くらいは、走れるかも知れません。

  タイヤというのは、晴れた日、つまり、乾いた路面でだけ乗るのなら、ツルツルでも、滑る事はありません。 というか、ツルツルの方が、接地面が多くなるので、滑らなくなります。 それは、サーキット用のタイヤを見ても分かる事。 溝が必要になるのは、濡れた路面を走る場合ですな。

  私は、晴れた日にしか乗らないから、ツルツルでも、当面は、問題ないです。 注意すべきは、更に減って、繊維が出てしまったら、即、アウトだという事。 普通に、交差点で曲がるだけでも、滑って転倒します。 若い頃、スクーターで、やった経験あり。 ツルツルになったら、乗る度に目視して、繊維が出ていないか確認しようと思っています。

  ちなみに、このタイヤは、「ダンロップ ロード・マスター 90/90-18 M/G 51H チューブレス」で、アマゾンで買うと、7000円台です。 高いな! いずれ、交換するにしても、もっと安いタイヤにすると思います。




  今回は、ここまで。

  ちなみに、眠らせた記事はあるのですが、起こした記事はありません。 起こしたのは、5月20日でしたが、その時、写真を撮らなかったのです。 ただ、バッテリーを積み直して、燃料コックを捻っただけですから。 エンジンをかけたら、一ヵ月の眠りなどなかったかのように、一発始動しました。

  そういえば、2010年の岩手応援や、2013・14年の北海道応援の時、セロー225WEを3ヵ月くらい、眠らせましたが、その後も、何事もなかったかのように、一発始動しました。 メンテナンス・フリーのバッテリーなら、その程度の期間は、難なく乗り越えられるものと思われます。

2020/06/14

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑦

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 7回目です。 まだ、緊急事態宣言前までの分。 週に一度だと、出かけ過ぎなんですよ。 しかし、そのくらいの頻度でエンジンをかけていないと、バッテリーが死んでしまう恐れがあり、それ以上、間を開けられないのです。




【三島・夏梅木・八王子神社】

  3月21日、バイクを出し、三島市の、夏梅木(なつめぎ)という地区にある、「八王子神社」に行って来ました。 地図で見つけたというだけの理由。

≪写真1≫
  緩い登り坂の脇に、小さな丘があり、そこが神社になっていました。 地図は書かず、暗記して行ったのですが、幸運にも、迷わずに着きました。

≪写真2左≫
  石段は、かなりの段数があります。 途中にあった踊り場的な場所から、社殿を見上げた様子。 社殿そのものは、ごく普通の、村社規模の物でした。 なぜ、名前が、八王子なのかは、解説板がなかったので、不詳。

≪写真2右≫
  手水舎。 社殿がある敷地の、隅にありました。 狭いです。 社殿の裏手の方が、まだ広いです。 特別な物は何もないので、長居をする気にはなりませんが、小高いお陰で、森が鬱蒼としている割に、気持ちの良い風が通り、雰囲気のいい所です。

≪写真3左≫
  社殿の扉に貼ってあった注意書き。 盗難が多いから、ビデオ・カメラを設置したと書いてあります。 どうも、賽銭泥棒が、跳梁跋扈しているようですな。

≪写真3右≫
  踊り場的場所にあった、長いトタン屋根。 下には、梯子や角材が入っていました。 他の神社でも見かけた事がありますが、本来は、祭り用の長い竿を入れるものですな。

≪写真4左≫
  踊り場的な場所の隅から、下界を見下ろした景色。 遠くの住宅地は、夏梅木の分譲地ではないかと思います。 向山古墳にも、近い所です。

≪写真4右≫
  踊り場的な場所から、石段を見下ろした景色。 神社で、最も、異世界気分を感じるのは、この俯瞰ですな。 ここの石段は、それ自体、そんなに古い物ではないですが、手摺は、更に新しく、追加された物だと思います。

≪写真5≫
  石段の前には、バイクを置く場所がなったので、道路を少し東へ行った所の、歩道が引っ込んだ所に停めました。 ヘルメットもバイクに残して行きましたが、悪戯されるほど、長くいませんでした。  この後、谷田を通って、国一に合流し、家に帰りました。



【三島・大場・赤玉神社①】

  3月25日に、バイクを出し、三島市の大場(だいば)にある、「赤玉神社」へ行って来ました。 新型肺炎の影響で、もはや、人がいそうな所など行く気にならないので、郊外、もしくは、山の中の神社ばかり行っています。 ここも、地図で見つけた所。

≪写真1≫
  赤玉の集落から、丘へ登っていくと、神社に着きました。 村社規模で、無人。 一番近い住宅からも、100メートルは離れています。 清々する。

≪写真2左≫
  社殿の前に建っている、神社名の石碑。 「赤玉」というのは、地名で、ポートワインとは、関係ない模様。 解説板はなく、神社の由来は分かりませんでした。

≪写真2右≫
  狛犬、というより、獅子ですな。 阿形の方。 奉納年が記してありませんでしたが、様式から見て、かなり、新しい物だと思います。

≪写真3左≫
  社殿の裏手にあった自然石。 「山神社」と刻んであります。 石だけでも、神社なんですねえ。

≪写真3右≫
  境内の隅にあった、「水道記念碑」。 裏側まで見なかったので、由来不明。 石碑があると、とりあえず、撮影してしまうのですが、由来に関しては、どうしても知りたいとまでは、思わないです。 日本語で記してあったとしても、石に刻まれた小さい文字を読むのは、きついので、懲りてしまっているのです。

≪写真4≫
  山神社の石の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 出かけるたびに、いろんな角度で撮影しているのですが、この角度も、まずまずですな。

  このバイク、荷台が標準装備で付いているのですが、中には、「荷台なんか、ダサい」と、頭から決め付けて、外してしまう人もいます。 ボルト・オンだから、簡単に外せるのです。 しかし、私の感覚では、荷台があった方が、シャープなイメージになって、良いと思います。 外した状態の写真を見ると、何だか、寸詰まりというか、キレがないというか、却って、野暮ったくなってしまうのです。



【三島・大場・赤玉神社②】

≪写真1左≫
  赤玉神社の社殿を、裏から見たところ。 拝殿と本殿が一体で、拝殿の背面に突出した部分が、本殿になっている様式。 屋根は、瓦葺きで、神社としては、珍しいです。 屋根の組み方が、大変、凝っています。 城郭のようで、美しい。

≪写真1右≫
  近くで咲いていた、白詰草。 クローバーとも言います。 幕末以降に齎された外来植物ですが、完璧なまでに、帰化している風情。

≪写真2≫
  神社の裏手は、まだ、山の上に上がりますが、ほんのちょっと高くなるだけです。 新緑が萌えて、大変、美しい。

≪写真3≫
  バイクを神社に置き、徒歩で、山の奥へ入って行ったら、孟宗の竹林になりました。 日本昔話っぽい。 しばらく歩いても、簡単には、どこへも出そうになかったので、引き返しました。

≪写真4≫
  神社に戻り、境内の裏手から、下界を見下ろしてみました。 大場は、三島市の南の端に位置しており、遠くに見える山の向こうは、もう、函南町です。 この神社は、開放的で、気分がいい所でした。



【三島・幸原・耳石神社①】

  4月2日に、バイクを出し、三島市の幸原にある、「耳石神社」へ行って来ました。

≪写真1≫
  思っていたより、街なかで、ちと、期待とは違っていましたが、いろいろな物がある神社でした。 先客に、幼児を連れた母親がいたのですが、私が来たら、間もなく、帰って行きました。 貸し切り状態になったものの、街なかの事とて、誰が来るか分からず、フルフェイスのヘルメットを被ったまま、境内に入りました。

≪写真2左≫
  手水舎。 龍の口から、水が出るようですが、この時は、出ていませんでした。

≪写真2右≫
  これは、何でしょう? 拝殿にしては、横手にあるのは、理屈に合わないですし。 もしかしたら、舞台なのかも。

≪写真3左≫
  本殿。 拝殿も兼ねているのかも知れません。 社殿の大きさは、村社規模。 境内の広さに比べると、小さめです。

≪写真3右≫
  耳石。 三島七石の一つ。 耳の形をしているそうですが、私には、そんな風に見えませんでした。 耳の病がある人は、この石に祈り、全快したら、耳の形をした石を奉納するのだそうです。

≪写真4左≫
  これが、奉納された石。 近づいて見てみましたが、耳っぽい形の石は、僅かでした。

≪写真4右≫
  境内にある、「スダジイ」。 「イタジイ」とも言うそうです。 推定樹齢、350年。 ほんの少し、葉があります。 もう、そろそろ、お迎えが来そうな感じ。



【三島・幸原・耳石神社②】

≪写真1左≫
  耳石神社の裏の方にあった、「水神」の石碑。

≪写真1右≫
  土俵もありました。 大きさから見て、子供相撲のもの。

≪写真2≫
  帰りに、沼津市衛生プラントの前に寄りました。 桜並木が、ほぼ、満開。

≪写真3≫
  衛生プラントの駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この角度で見ると、荷台が、全体のフォルムを、シャープに見せるのに寄与している事が分かると思います。 この荷台を外してしまうと、もさっとした形になってしまうのです。

≪写真4≫
  外原公園の桜。 ここも、満開。 今年の花見は、これだけでした。




  今回は、ここまで。

  ところで、「プチ・ツーリング」で検索すると、複数人で出かけるものや、昼食を含む長時間に渡るものまで、引っ掛かって来ますが、それでは、もう、ただの「ツーリング」なのであって、「プチ」を付けるのは、おかしいです。

  つまり、そういう人達は、「ツーリング」とは、何泊何日もかけるような大掛かりなものを指し、日帰り以下は、「プチ」だろうと見做しているのだと思いますが、バイクや自転車の世界では、「遠くへ行くほど、偉い」という錯覚に陥っている者が多く、恥ずかしくなるほど幼稚な自慢意識から、「この程度では、プチだ」と言っている恐れがあるので、要注意です。

  まあ、「乗り物・命」で生きている人に、知的なのは、滅多にいないですなあ。 せいぜい、機械に興味がある人くらいのもの。 まだ、20歳前後の諸兄に老婆心の忠告ですが、あんまり、乗り物にばかり入れ込んで、他の物事に対する興味を育てずにいると、ほんと、「乗り物に乗るしか能がない人」になってしまうので、御用心あれ。

  「この人みたいに生きたい」と憧れを抱いている先輩が、その実、「乗り物に乗るしか能がない人」である危険性は、大変、高いです。 一生、錯覚し続けているのなら、却って、幸せですが、自分の社会経験が蓄積され、人間を見る目が肥えて来ると、尊敬していた先輩が、突如として、駄目人間に見えて来る日が来ます。 その時の、精神的ショックは大きいぞ。 なにせ、自分の人生も、半分、その駄目人間に預けて来てしまっているのだから。 今更、どうやって、取り戻せるのか? いいや、取り戻せるわけがない。

2020/06/07

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑥

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 6回目です。 緊急事態宣言発令中を除き、週に一回のペースで出かけていたので、結構、数が多い。 宣言前の分でさえ、なかなか、出し終わりません。 あと、2回は続く予定です。




【西浦河内・禅長寺の頼政堂】

  2月27日に、バイクで、沼津市・西浦の、河内(こうち)という所へ行って来ました。 伊豆半島北西部の、ちょっと、山に入った所です。 地図を見ていたら、「頼政堂・菖蒲塚」という文字が目に入ったので、ネットで、下調べをしてから、出かけました。

≪写真1≫
  河内の集落より、更に、山へ向かった所にある、「禅長寺」。 山門はないようです。 道路に面した入口部分は、凄い傾斜。 境内 は、平らですが、お世辞にも広いとは言えません。 右の方に行くと、住職一家の居住空間に入ってしまうので、要注意。

≪写真2≫
  これが、「頼政堂」。 頼政というのは、源頼政で、保元・平治の乱に関わった、平安時代末期の武将。 このお堂は、頼政の子孫と名乗っていた、江戸時代の大名、高崎藩主・松平輝貞が、1698年に建てた物。 古さも古いし、珍しい建築様式だそうで、沼津市の指定有形文化財になっています。

  そもそも、なんで、ここに、頼政堂があるかというと、頼政の側室だった菖蒲御前(あやめごぜん)が、伊豆長岡の出身で、頼政亡き後、故郷に近い、この寺に籠って暮らしたから、という関係らしいです。

≪写真3≫
  扉は閉まっていましたが、格子の隙間から、中の写真を撮る事ができました。 中央に、「木造阿弥陀如来立像」。 左右に、頼政と、菖蒲御前の木造があります。 少し、怖いです。

≪写真4左≫
  頼政堂の手前にある、六地蔵。 赤い頭巾が、フォトジェニックですな。 欠けた部分が見当たらないという事は、そんなに古いものではないのでしょう。

≪写真4右≫
  本堂の裏手。 本堂は、頼政堂の、向かって、左手にあります。 この壁の色は、土壁なんですかね? いい色だと思います。



【西浦河内・禅長寺の菖蒲塚】

≪写真1左≫
  これが、「菖蒲塚」。 境内ではなく、墓地の方にあります。 道路沿いにあるので、車で上がって行っても、ここに出ます。 「塚」と言うからには、墓だと思うのですが、そうと決まっているわけでもない様子。

≪写真1右≫
  道路を挟んで、菖蒲塚の向かい側にある、「史跡 頼政公 菖蒲の前 墓所」。 「墓所」と言うからには、こちらが、墓なんでしょうか。 菖蒲御前は、ここで死んだと思われるから、まあ、いいとして、源頼政は、宇治の平等院で死んでおり、ここに墓所というのは、たとえ、伝承レベルでも、考えられない話です。 

≪写真2≫
  「頼政公 菖蒲の前 墓所」から、海方向を見下ろした景色。 一見、山ばかりのようですが、中央にある黒っぽい山は、淡島でして、海面も少し写っています。 このお寺の墓地は、斜面に広がっていて、異世界気分がある所です。

≪写真3≫
  寺の入り口の、急斜面に停めた、EN125-2A・鋭爽。 えらく、力強い印象ですが、写真が、そんな風に撮れただけで、現物を生で見ると、こんなに迫力はないです。

≪写真4≫
  禅長寺を後にし、元来た道を帰れば良かったものを、欲を出して、山の方へ入って行ったものだから、困った事になりました。 10年以上前に見に来た事がある、「河内の大杉」を仮目的地にしていたのですが、完全に道を忘れており、辿り着けませんでした。

  前日の雨が乾ききらず、杉の葉が溜まった道が濡れて、グチャグチャ。 ハネが上がって、よーく、バイクの下側を汚してしまいました。 山の中腹の林道を、延々と走った挙句、ずっと西の、古宇に出ました。

  この写真は、その、中腹の林道を走っている途中で、バイクを停めて、撮影したもの。 木の間から、駿河湾が見えます。 最も、眺望が良い所でも、この程度でして、林道という奴が、観光用でない事を、如実に表しています。

  その後、海岸線を走って帰って来ましたが、やはり、オン・ロード・バイクだけあって、平地のワインディング・ロードは、気分がいいです。 時速50キロ程度でも、充分、楽しい。 こういう感覚は、オフ・ロード・バイクでは、味わいませんでしたねえ。



【愛鷹山・元野牧再挑戦①】

  2月7日に行って、解説板を見つけられなかった、愛鷹山麓にある、「元野牧」ですが、3月5日に、また、バイクで行ってみました。 今度こそ、解説板を見つける意気込みで。

≪写真上≫
  ここが、入口。 富士通の敷地の北側、新東名の跨道橋を渡り、側道を東向きに下りて行くと、ここに辿り着きます。 前回は、ここにバイクを停めて、杉・檜林の奥へ、20メートルくらい入った所で諦め、引き返しました。

≪写真中≫
  EN125-2A・鋭爽。 今回は、林の奥まで分け入るつもりでいたので、バイクを離れる時間が長くなると思われ、入口ではなく、少し奥に入れて、停めました。 背景の明るくなっている所に見える柵の向こうは、新東名です。 新東名側からだと、林の中は暗くて、全く見えないと思います。

≪写真下≫
  林の中は、こんな感じ。 全く手入れされていない模様で、長年の間に落ちた、杉・檜の枝葉が堆積して、辛うじて、道が分かる程度になっています。 解説板は、どこにあるのか、さっぱり分かりません。 奥まで行けば見つかるだろうと思っていたのは、甘かったようです。



【愛鷹山・元野牧再挑戦②】

≪写真1≫
  鬱蒼とした杉・檜林に分け入っていくと、開けた所がありました。 しかし、ここにも、解説板が見当たりません。 ここはここで、草藪に覆われて、道が分からなくなっていました。 この奥は、また、杉・檜林になり、行き止まりになりました。 結局、解説板は見つけられませんでした。

≪写真2≫
  一旦、バイクの所まで戻り、西側にある、もう一本の道に入ってみました。 そちらの方が、むしろ、歩き易かったです。

  最初に行った道とは、低い尾根で仕切られていますが、自然に出来た地形にしては、尾根が低すぎるので、もしかしたら、馬牧場で何らかの機能を果たしていた、人工的な土塁なのかもしれません。

  やはり、解説板はなし。 行き止まりから、上に上がれそうだったので、這い上がってみました。

≪写真3≫
  這い上がったら、茶畑でした。 爽快だ。 しかし、ここには、どう見ても、解説板はなさそうです。

≪写真4≫
  諦めて、バイクに戻りました。 もしかしたら、落ちた杉・檜の枝で、解説板が倒れて、覆い隠されてしまったのかも知れません。



【伊豆長岡・駒形古墳①】

  3月13日に、バイクを出し、伊豆の国市・長岡に行って来ました。 小坂という地区の、「駒形古墳」が目的地だったのですが・・・。

≪写真1≫
  小坂地区に入ってから、道に迷ってしまい、とにかく、上へ上へと登って行ったら、ここに出ました。 額に、「薬師堂」とあります。 地図には、載っていませんでした。 まあ、着いてしまったから、一応、撮影したもの。

≪写真2左≫
  薬師堂下の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 また、急坂を登らせてしまった。 ロー・ギヤード車だから、登りは得意ですが、やはり、平地の方が負担が少ないに決まっています。

≪写真2右≫
  薬師堂の先にも、道が続いていて、「かつらぎ山 ハイキングコース」の案内標識が立っていました。 葛城山には、2013年に、大仁の城山経由で登った事があります。 その時は、発端丈山まで行って、小坂地区の南の方に下りました。 たぶん、この道は、その時と同じ道に、合流するのだと思います。 葛城山の上には、公園があり、一番楽な方法だと、長岡市街地から、ロープ・ウェイで登れます。

≪写真3≫
  幹線道路の近くまで引き返したら、そこに案内標識があり、駒形古墳に辿り着く事ができました。 丘の上の方にあります。 道幅が狭くて、バイクならともかく、車では、かなり厳しい所です。

≪写真4≫
  石段で、古墳の上に上がったら、こんな風になっていました。 小さな祠の向こうに、名前を彫った石碑。 古墳の上に、神社を作ってしまうケースは多いですが、本来は、個人の墓ですから、どうかという感じもします。



【伊豆長岡・駒形古墳②】

≪写真1≫
  伊豆の国市・教育委員会による、駒形古墳の解説板。 前方後円墳であるが、後円部だけ残っていて、前方部は、削られていると書いてあります。

≪写真2左≫
  削られた前方部の跡は、ゲート・ボール場になっていますが、ここも、草が生えて、使われなくなってから、だいぶ、経っているように見受けられます。 高齢者まで含めて、人口が減っているのでしょう。

≪写真2右≫
  道は、先に続いていて、この先には、傾斜地に造られた、古い住宅地になっていました。 右にある、歪んだ筒のようなものは、プラスチックの漬物樽のようなものの、成れの果て。 この崖の上には、畑があります。

≪写真3≫
  幹線道路に戻り、海側に当たる、西の方の分岐へ進んで行ったら、「伊豆の国市 長岡体育館」に出ました。 長岡には、何度も来ていますが、こんな所があったとは、全く知らなかった。 もちろん、用はないので、入りませんでした。

≪写真4≫
  長岡の市街地で見つけた、「諏訪の松」。 いろいろと書いてありますが、物語的な伝承はない模様。 枯れてしまい、二代目を植えたとありますが、松らしき木は、見当たりませんでした。 よほど、小さいのか、また枯れてしまったのか・・・。




  今回は、ここまで。

  つくづく思うに、去年、バイク生活を復活させたのは、成功でした。 いや、判断の結果、成功したというより、私が、無意識に、バイクで出かけられる生活を欲していたんですな。 緊急事態宣言の発令中、バイクを使えずにいたので、解禁された後は、尚の事、そう感じます。 バイクで出かける事で、何とか、気晴らしができている感あり。

  引退者というのは、社会的に後ろ向きな生活態度に陥りがちで、バイクを買うなどという、繁雑極まりない計画は、今考えると、ぞっとするような厄介事です。 それを、果敢に実行した去年の私は、何かの衝動に突き動かされていたわけですが、よっぽど、バイクで出かけたかったんでしょうなあ。