2024/03/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング (54)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、54回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年2月分。





【沼津市大平・消防団第30分団 / 沼津南消防署大平出張所】

  2024年2月7日。 折自でのポタリングから帰った後、強行軍になるとは思ったものの、諸般の予定の関係で、バイクを出し、沼津市・大平にある、「消防団・第30分団」と、「沼津南消防署・大平出張所」へ行って来ました。 うちからは、ごく近いです。

≪写真1≫
  第30分団の建物。 今風の、立方体建築です。 外階段あり。 火の見櫓の上には、半鐘と、スピーカーがあります。 大平には、もう一つ、第29分団がありますが、そちらは、田んぼの中。 一方、こちらは、かつて、商店があった、大平の中心地にあります。

≪写真2≫
  シャッター絵。 タッチから見て、中学生くらいの絵が元でしょうか。 この絵には、随分前から、見覚えがあります。 数年前に、折自で、大平・石仏巡りをやった時に、何度も、前を通ったからでしょう。

≪写真3左≫
  反対側の側面。 こちらは、窓が多いです。

≪写真3右≫
  建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 写真を撮っていたら、分団員らしき人物が、軽トラでやって来て、ジロジロ 見られてしまいました。 分団巡りをしている人は、少なくないので、特に、言い分けなどはしませんでしたが。

≪写真4≫
  これは、幅の広い通りに面している、沼津南消防署・大平出張所です。 シャッターが開いて、消防車が見えています。 プロの消防署で、常時、消防士が詰めているんですな。 分団とは、似て非なる組織。




【沼津市高島町・消防団第1分団】

  2024年2月11日。 沼津市・高島町にある、「消防団・第1分団」へ行って来ました。 かつて、イトーヨーカドー/石橋プラザがあった場所の、すぐ、南側。

≪写真1≫
  立方体の、今風分団建物。 市街地だから、当然か。 西側の側面は、窓が多いです。 手前に立っている、緑色の支柱に関しては、次の写真で。

≪写真2左≫
  この支柱は、旗竿のようですな。 スピーカーのようなものはないです。

≪写真2右≫
  斜め裏側から。 外階段あり。 プロパン・ガスのボンベあり。 中で、煮炊きするのか、暖房用かは、不明。

≪写真3≫
  シャッター絵。 幼児の絵が、元のようです。 大きな動物は、魚の胴体に、龍の頭が付いています。 幼児とは思えぬ想像力。 もしかしたら、絵本でも、参考にしたんでしょうか。 前にも書きましたが、幼児が直接、シャッターに絵を描いたわけではないです。 写したか、プリント転写でしょう。

≪写真4≫
  道路を挟んで向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 背後に、思いっきり、「駐車禁止 緊急車両入口」の注意書きがありますが、まあ、短時間なら、誰も何も言わないだろうという事で。 車ではなく、二輪だし。




【沼津市錦町・消防団第2分団】

  第1分団を見た後、西へ向かい、突き当たった幟道(のぼりみち)を南下。 幟道ガードを潜り、錦町にある、「消防・第2分団」へ。 ここも、市街地ですが、高島町に比べると、人が少ないです。

≪写真1≫
  立方体、今風の分団建物。 北側に、窓が多いです。 外階段は、なし。 街なかですが、建物前の空間を広く取ってあります。 向かって、左側に、シャッター付きの物置あり。 シャッターにしてあるという事は、幅の広い物が入っているわけだ。

≪写真2≫
  シャッター絵。 「作製 静岡県立沼津西高等学校 美術部」とあります。 なるほど、高校生ともなると、こういう絵になるわけだ。 葛飾北斎の、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をもじったもの。 洒落ています。

≪写真3左上≫
  火の見櫓があり、その下の方にあった、注意書き。 改めて、気づきましたが、「火の用心」は、赤文字で書くと、決まっているんですな。

≪写真3左下≫
  火の見櫓の上の方。 幟旗を上げる為の設備がありますが、階段が付いていて、人が登る事もできるようになっています。

≪写真3右≫
  敷地内に停めた、EN125-2A・鋭爽。 消防分団の敷地内は、必ずしも、駐車禁止と決まっているわけではなく、黄色ペンキの地面標示で仕切っている所と、何も描いていない所と、いろいろ、あります。 ここは、何もありませんでした。 前の道路に、駐停車禁止の標示があったかな?




【沼津市御幸町・消防団第3分団】

  2024年2月18日。 沼津市・御幸町にある、「消防団・第3分団」へ行って来ました。 自転車で、図書館へ行く時に、しょっちゅう、前を通っている所で、本来、バイクで来るような距離ではないのですが、消防分団に関しては、プチ・ツー・シリーズで通しているので、近場でも、そうした次第。

≪写真1≫
  第3分団は、「沼津市民文化センター」の裏手にあります。 立方体で、今風の分団建物。 外階段、あり。 建物前に、空間がありますが、鎖を張ってあって、入れませんでした。 

≪写真2左≫
  正面南側から。 南側に、窓が多いです。

≪写真2右≫
  裏の北西側から。 こちらは、窓が少ないですな。

≪写真3≫
  シャッター絵。 一見、小学校高学年くらいのタッチですが、ちょっと、構成が巧過ぎるところもあり、小学生風タッチを得意としている、大人が描いたのかも知れません。

≪写真4≫
  横断幕。 いや、横断板。 「第3分団 関係者以外 駐車禁止」。 わざわざ、横断板にしてまで、書いてあるのは、珍しい。 もっとも、鎖が張ってあるから、そもそも、敷地内に入れませんが。

≪写真5左≫
  分団の北側に、用水サイズの川が流れていて、その北側で咲いていた、片食み(カタバミ)。 綺麗な、レモン色です。

≪写真5右≫
  道路の端に停めた、EN125-2A・鋭爽。 もう、随分前ですが、キー・ホール周辺のキズを消してから、その付近に関しては、不満ない状態で、乗っています。 ギア・インジケーターは、「1」だけ、麦球で、赤色なのですが、まあ、点いている事が分かれば充分なので、気にしていません。




【沼津市藤井原・消防団第4分団】

  2024年2月18日。 沼津市・御幸町にある、「消防団・第3分団」へ行った後、藤井原にある、「消防団・第4分団」へ向かいました。 こちらは、もっと、私の家から近いです。 歩いても来れる距離。

≪写真1≫
  南側から。 普通の分団より、かなり、大きな建物。 「下香貫自治会館」という表札もかかっており、他の施設も入っている模様。

≪写真2左≫
  正面から。 北側は、隣の住宅が迫っています。

≪写真2中≫
  建物の前の支柱に掲げられていた、提灯風の看板。 「警戒中 第四分団」と書いてあります。 おそらく、夜には、灯りが入るのでしょう。 赤提灯と間違えて、酔っ払いが寄って来なければいいのですが。

≪写真2右≫
  火の見櫓。 電柱3本を組み合わせた、ゴツい構造物。 梯子があり、登れるようになっています。

≪写真3≫
  シャッター絵。 これも、小学校高学年くらいのタッチですが、遠近法は、しっかりしていて、どうも、大人が描いたような感じです。 ちょっとしたところが、巧過ぎる。

≪写真4左≫
  掲示板。 左は、2023年秋の火災予防運動のもの。 右は、消防のポスターに良く見られる、色が褪せた、若い女性のもの。

≪写真4中≫
  分団の裏手に、ひっそり建っていた、石碑。 「揚水機完成 協同蓄積 記念碑」。 裏を見て来なかったので、詳細は不明。

≪写真4右≫
  道路端の、溝蓋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 こういう場所に停める時は、サイド・スタンドが、穴の上に来ないように注意します。 まあ、そんな事は、当然なので、誰でも分かる事ですが。 それより・・・、

  キーを抜く場合、キーが穴に落ちないように、細心の注意を払います。 落としちゃったら、もう、アウトですわ。 この種のコンクリートの溝蓋は、重いですから、とても、素手で持ち上げられません。 懐中電灯と針金を持って来て、穴から見える所に落ちていれば、何とか、引っ張り上げられるかも。 見えない場合は、親戚・友人・知人などに、工事関係業者がいたら、相談してみては? 大ごとですな。




【沼津市我入道東町・消防団第5分団】

  2014年2月24日。 沼津市・我入道・東町にある、「消防団・第5分団」へ行って来ました。 うちから近くて、本来なら、自転車で来る距離ですが、分団巡りのシリーズを統一する為に、バイクで来た次第。 「我入道」は、「がにゅうどう」と読みます。 日蓮上人が、「我、入道す」と言った場所だから。

≪写真1≫
  住宅地の一角にあります。 土曜だったので、あちこちに人がいて、ヒヤヒヤしました。 今風の、立方体、分団建物。 外階段があります。 右手前、敷地の一角に、祠あり。

≪写真2≫
  シャッター絵。 我入道は、漁村なので、魚がモチーフ。 魚の絵は、写実性とデザイン化が、程よく融合していて、巧いです。 「shota+5分団」のサイン、あり。

≪写真3左≫
  斜め後ろから。 こちらの側面は、西側ですが、窓が多いです。 

≪写真3右≫
  道路を挟んで、向かいにある、「沼津市我入道コミュニティ防災センター / 我入道連合自治会館」。 連合ですから、町内会より、一段上の組織のものだと思います。 大きな建物です。

≪写真4≫
  分団建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 家から近過ぎて、バイクで来るのは、申しわけないような距離。 で、この後、もう一つ、回る事になります。




【沼津市西間門・消防団第6分団】

  2014年2月24日。 我入道・東町の、「消防団・第5分団」に行った後、港大橋を渡り、千本松原沿いに西へ向かい、西間門の、「消防団・第6分団」まで、足を延ばしました。 それでも、まだ、近場ですが。

≪写真1≫
  千本街道との合流点にあります。 以前、偶然、見かけて、場所は分かっていました。 立方体の、今風、分団建物。 外階段なしで、極めてシンプル。 こちら側の側面は、東側ですが、窓が少ないです。

≪写真2≫
  シャッター絵。 子供が描いた絵が元でしょうか。 海から草花が生えているのは、よく分かりませんが、簡潔な中にも、華やかさがあり、悪い絵ではありません。

≪写真3左≫
  斜め後ろから。 こちらの側面は西側で、窓が多いです。

≪写真3右≫
  物置代わりと思われる、コンテナ。 「X」は、どういう意味でしょう? 昔、そういう、宇宙人ものの。SFドラマがありましたが。

≪写真4左≫
  火の見櫓。 登れるようになっています。 一番上に、テレビ・アンテナが付いています。 分団建物内に、テレビがあるかどうか、今まで考えた事がありませんでしたが、あっても、不思議はないですな。 災害時の情報収集の為に。

≪写真4右≫
  分団建物の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 後ろに見えているのは、沼津港から、千本松原沿いに、西へ向かっている道で、ここで、千本街道に合流しています。





  今回は、ここまで。

  出かけた数、4回。 組み写真の数、7枚。 1月分が、西浦で、遠出ばかりだったのに対し、2月分は、近場ばかりですが、一遍に、二ヵ所行っているのは、近過ぎて、走行距離が短くなり過ぎるのを、避ける為でした。 で、結局、組み写真の数が多くなったというわけ。 消防分団巡りも、3月中には、終わる予定。

2024/03/24

実話風小説 (26) 【日記】

  「実話風小説」の26作目です。 1月下旬後半に書いたもの。 毎月、月末が近づくと、気分が重くなります。 つまり、私は、小説を書く事を、楽しんでいないんですな。 美術や音楽など、芸術全般に言える事ですが、年柄年中、産みの苦しみ、四苦八苦して、作品を捻り出しているなんてーのは、その分野に向いているとは言えません。 まず、なによりも、芸術活動をしている時が、楽しいと感じられなくては・・・。




【日記】

  中学生のA君は、転校生だった。 なぜ、「A氏」や「男A」と書かないかというと、大人になってからのA君は、登場しないからだ。 その中学にいたのは、2年生の4月初めから、10月末までの7ヵ月間だけ。 11月から、父親の仕事の関係で、また、転校して行った。 以降、消息が知れない。 だから、彼は、関係者の間で、ずっと、「A君」のままなのだ。

  A君は、大人しい性格で、自分から喋る事は、あまりなかった。 どうせ、短期間しかいないから、友達を作ろうという気にならないのだろう。 これは、A君だけでなく、転校を繰り返している子供全般に見られる傾向なのかも知れない。 目立つ事をすると、元からいた子供達の人間関係に影響を与えて、恨みを買う恐れがある。 それを警戒しているのだ。 極力、おとなしくして、存在感を消している方が、無難なのである。

  友達というわけではなかったが、A君の家を訪ねた者がいた。 A君が所属した部活、「文芸部」の部員5名である。 文芸部と言っても、主な活動は、図書室での、読書。 読み終わると、感想文を書く。 その程度である。 部員数は、A君を入れて、6人だった。 スポーツに力を入れている学校で、文科系は、あまり人気がなかった。

  10月初めに、文化祭があり、図書室を展示室にして、活動内容の発表をする事になっていた。 その準備作業をする為に、土日に、部員の家に集まる事になり、4軒目に、A君の家に、番が回って来たのだ。 訪ねて来た5人の内訳は、3年生が女子二人、2年生が男子一人、1年生が男女二人。

  A君の父親の会社が借り上げている、一戸建ての社宅で、二階建てだったが、使っている部屋は、一階の3部屋だけで、家具が少なかった。 引っ越しが多いから、家財を少なくしていたのだろう。 その家具も、組み立て家具ばかり。 しかし、組み立て家具の中では、高級な部類を選んであり、趣味の良さが感じられた。

  A君の部屋に通された部員達の目を引いたのは、組み立て家具の本棚に、二段を占めて陳列された、フィギュア・コレクションだった。 ざっと見て、100体くらい。 以前、フィギュアのメーカーがある地方都市に住んでいた事があり、安く手に入ったので、揃えたのだという。 アニメのキャラクターが多くて、中学生の目を引きつけるには、余りある魅力があった。

  フィギュアの段の下に、大学ノートが、数十冊並んでいるのに気づいたのは、同じ、2年生の男子、B君だった。

「このノートは、何?」

  A君は、さらっと答えた。

「それは、日記」
「へえ。 いつ頃から、書いてるの?」
「小学5年の時から」

  訪ねて来た一同、ビックリした。

「ええっ! たった3年で、こんなに書いたの!?」

  全員、文芸趣味なので、日記は書いていたが、一日に数行程度が普通で、大学ノートに換算すると、一年に、1・2冊程度だ。 3年分でも、10冊も行かない。 ところが、A君の日記は、少なく見ても、30冊はあるのだ。

「ちょっと。 ちょっとだけ、開いてみてもいい? 読まないから」
「いいよ」

  B君が、一冊抜いて、開いてみた。 几帳面な文字で、ビッシリ書き込まれている。 一日分で、2ページから、3ページくらい。 部員達は、感嘆の声を上げた。

「凄いな、これは」
「A君、作家になれるんじゃないの?」

  A君は、照れ臭そうな顔を見せたのも一瞬、すぐに、いつもの穏やかな無表情に戻った。 そこへ、A君の父親が、お盆に、飲み物と、菓子を載せて、持って来た。 痩せ型で、中背。 眼鏡を掛けていて、知的な感じのする人物だった。

「どうぞ。 召し上がって下さい」
「ありがとうございまーす!」

  父親は、A君に言った。

「この部屋じゃ狭いだろう。 何か作業をするなら、二階を使ってもいいぞ」
「うん。 分かった」

  出された物を飲み食いした後、一同、二階に移動した。 作業をする為の、テーブルが二つ、父親の手で、運び上げられていた。 これらも、組み立て家具で、丈夫だが、軽い素材で出来ていた。 二階の空き部屋には、エアコンがあり、父親は、部屋を冷やしておいてくれた。 部員達は、本心から、こう言った。

「いい、お父さんだね」
「・・・、うん」

  A君の表情は、沈んでいた。 父親について、あまり話したくないようだった。


  週明けの月曜日。 文芸部の部員で、同学年のB君は、A君とは、別のクラスだった。 同級の友人に、A君の家へ行った事を、何の気なしに喋ったところ、近くにいた、他の同級生達が聞きつけて、口を挟んで来た。

「Aって、あの、転校生の、暗い奴?」
「いや、別に、暗くはないよ。 おとなしいだけで」
「そおかあ? ほとんど、喋らないらしいじゃないか」
「文芸部では、普通に、喋るよ」
「文芸部って、あの、女が不細工なのばっかりの?」
「そういう事、言うなよ」
「ひゃはははは!!」

  このやりとりを聞けば分かると思うが、B君以外は、文化とは無縁の、クソガキばかりなのである。 大抵、体育会系のクラブを隠れ蓑にしているが、物事の捉え方・考え方は、不良と大差ない。 みんな、同じ制服を着ているから、外見的に見分けられないというだけで、もう、中学生くらいで、どういう人間になって行くかは、はっきり、分かれているものなのだ。

  A君の家の話になり、B君は、個人情報の漏洩になってしまいかねないのを警戒しつつも、A君が変な人間ではない、むしろ、敬意を払うべき人間である事を、クソガキどもに訴えようと思って、おおまかな事を語った。 組み立て家具の話とか、フィギュアの話とか、日記の話も・・・。

  B君が、後々、悔やみ続けるのは、その時、日記の事まで、喋ってしまった事である。 一日に、大学ノート、2・3ページも日記を書けるA君を、誰でも凄いと思うだろうと思って、言い添えたのだが、文化と無縁のクソガキどもには、そんな感覚は、薬にしたくも、持ち合わせがなかったのだ。


  その翌日、A君は、B君のクラスの男子生徒、CとDに、廊下で、突然、話しかけられた。

「Aだろ」
「ああ。 誰?」
「Z組の、Cと、Dってんだけど」
「ああ。 何?」
「フィギュアのコレクション、してるんだって?」
「ああ」
「俺ら、興味あるんだけど、見せてくんないかな」
「コレクションて言っても、R社のしか、もってないけど」
「それそれ。 R社のコレクションが見たいんだよ」

  Cは、ガサツな印象が強く、Dは、Cの腰巾着のよう、いずれも、フィギュアに興味があるような感じはしなかった。 しかし、ここが、転校を繰り返している子供の弱点で、同級生が、自分の趣味に興味があると思うと、拒めないのである。 どんなに大人びた子供でも、寂しさを紛らわせてくれるものには、縋ろうとしてしまうのだ。

  その場で話が決まり、その日の放課後に、A君は、CとDを、家に連れて行った。 A君のフィギュア・コレクションは、誰が見ても、見入ってしまうようなレベルだったので、CとDの反応も、不自然ではなかった。 フィギュアを陳列してある本棚には、ガラス戸が入っていた。 案の定、Cが、「触ってもいい?」と訊いて来たが、A君は、「壊れ易いから」と言って、断った。 Cも食い下がったりはしなかった。 A君の家を訪ねて来たのには、別の目的があったからである。

  A君の日記は、すぐに見つけられた。 別に、隠してあるわけではないからだ。 A君が、飲み物を用意しに、台所へ立った隙を突いて、Cは、真ん中あたりのノートを引き出し、ページを開けた。 Dが、持って来たデジカメで、見開き2ページを、1枚で撮影する。 ページをめくり、撮影して次へ、また、次へ。 見張りをしていたCが、A君が戻って来た事を知らせ、一旦、終了。 大急ぎで、ノートを棚に戻した。 

  二人は、相変わらず、フィギュアを見ていた。 飲み物を勧められると、遠慮なしに、飲んだ。 Cは、ほとんど、喋らず、専ら、アニメの知識がある、Dが、フィギュアの元になったアニメについて話をした。 A君も見ていた作品があり、Dとの間で、話が盛りあがる場面があった。 A君は、話に入って来ないCを気にして、

「見ていたアニメはないの?」

  と訊いたが、Cは首を横に振っただけだった。 Dが、代わりに答えた。

「Cは、小学校の頃から、野球部だったから、テレビを見る暇がなかったんだ」

  Dとの間で、アニメの話は盛り上がったが、そこから、フィギュアの話に発展するという事はなかった。 ちなみに、同じ作品が元になっていても、アニメ・ファンと、フィギュア・ファンは、別物である。 A君は、「この二人は、別に、フィギュア・ファンというわけではなさそうだ」と思ったが、何も言わなかった。

  その後、Cが庭を見せて欲しいと言いだし、A君が案内に立った。 中学生に、庭が分かるわけがないのだが、A君の父親が、プランターで草花を育てており、「ふーん」と言いながら、見て回る口実にはなったのだ。 もちろん、その間に、Dは、日記の続きを、撮影していた。 二人が戻って来るまでに、撮影できたのは、先のと合わせて、20ページ分だった。


  文化祭は、恙なく済んだ。 そして、10月末、A君は、また、転校して行った。 最後の登校日の前日に、文芸部の部員を家に呼び、一人に一体ずつ、フィギュアを選ばせて、それをくれた。 女子達は、感極まって、涙を浮かべていた。 みんな、読書家なので、小説の一場面を体験しているかのように感じていた。 

  最後の登校日、A君は、Z組を訪ねて、Dに声をかけた。 Dは、罰が悪そうな顔をした。

「なに?」
「俺、今日で終わりで、転校するから、これをやるよ」

  それは、A君の家を訪ねた時に、Dが語っていたアニメに出て来る、ロボットのフィギュアだった。 Dは、一瞬、目を輝かせたが、たちまち、狼狽して、激しく首を横に振った。 

「そんなの、もらえない!」
「だって、これのアニメ、好きなんだろ?」
「だけど、だけど、そんな貴重な物、もらえない!」
「そんなに高かったわけじゃないんだよ。 好きな人がもっていた方が、フィギュアも喜ぶし」
「そう? それなら・・・」

  Dは、手を震わせながら、フィギュアを受け取った。 傍から見ると、その表情は、複雑にくるくると変化していた。 何に葛藤しているのだろう?


  A君が、転校してから、二日後、Cが、20枚のコピー用紙に印刷した、A君の日記を、学校に持って来た。 クラスの中で、仲がいい連中を呼び集め、顔を寄せ合って、読み始めた。 B君がいたら、止めただろうが、あいにく、その日は、風邪を引いて、休んでいた。 この閲覧会に加わったのは、Cを含めて、4人である。 なんだか知らないが、秘密めいた文章を読む、野次馬根性を抑えられなかった連中である。 Dは、入っていなかった。

  最初、ニヤニヤしながら、読んでいた面々だが、次第に、笑いが消えて行った。 日記の内容が、深刻だったからだ。 日記の日付は、2年前の冬。 転勤ばかりの生活に嫌気がさしていたA君の母親が、街でばったり、昔の彼氏に出会い、何回か会った後、不倫関係になった事。 父親にバレて、罵り合いの喧嘩が繰り返された事。 母親が出て行ってしまった事。 そういった事が、間接的にだが、切々と書き記してあった。 A君の苦しい胸の内の吐露を交えながら・・・。

  読んでいた4人の内、一人だけ、読書習慣があった、Eが、途中で、声を上げた。

「駄目だ、駄目だ! こんなもの、他人が読むもんじゃない! お前ら、これを、どこから、持って来たんだ!?」
「お前らって、Cが持って来たんだよ」
「こりゃ、誰の日記だ!?」 

  Cが、不貞腐れたように答えた。

「Y組にいた、Aって奴のだよ。 大丈夫だ。 もう、転校しちまったんだから」
「お前、ここへ持って来る前に、これを一度、読んでるんだろ? 他人に読ませるようなもんじゃないって、判断できなかったのか?」
「偉そうな事、言うな! 何様だ!」
「お前こそ、何様だ! 他人の日記を読むなんて、まともな人間のやる事か!!」

  EとCを残して、他の者は、散ってしまった。 そこへ、次の授業の、古文の教師がやって来た。

「何を揉めてるんだ?」

  Eが、事情を話した。 古文の教師は、Cから、20枚のコピー用紙を取り上げた。 ざっと、2・3枚に目を通してから、閉じた。

「これは、C君の日記じゃないんだね」

  Cは、不敵に笑いながら、言った。

「俺は、そんなに、暗くないですよ」

  どうやって、手に入れたのか訊かれて、Cは、やった通りの事を、正直に話した。 さほど、悪い事をしたとは思っていないようだ。 撮影係を担当したDは、ずっと、下を向いていた。 Cの口から自分の名前が出ると、ビクリと震えたが、顔を上げなかった。 古文の教師は、それ以上、騒がず、「これは、預かっておくから」と言って、日記を取り上げ、授業を始めた。


  この問題は、職員会議に付せられた。 教師なので、全員、日記はつけている。 話を聞いて、ゾーーーッとした。 日記を盗み撮りされて、学校で晒し物にされたのでは、たまったものではない。 校長も、震え上がった。

「その、Cって子は、普段から、素行に問題があるの?」

  野球部の顧問をしている体育教師が、答えた。

「一学期の半ば頃まで、野球部で、レギュラーだった生徒です。 5月に転校して来た他の生徒に、うまいのがいて、Cは、ショートのポジションをとられてしまったんです。 守備も打撃も、実力差が大きかったから、致し方なかったんですが・・・。 で、Cに、ライトに入るか訊いてみたんですが、小学校の頃から、内野手で、プライドがあるから、ライトなんて、恥曝しだと言って、野球部をやめてしまったんです」

  教師達は、頷いた。

「それで、転校生を目の敵にするようになったのかな」
「それにしても、A君は、災難だな。 野球部とは、何の関係もないのに」

  校長が言った。

「野球部での事情は事情として、これは、A君の保護者に、報告した方がいいね。 読んだだけの3人は、担任の先生から、内容を口外しないように、言っておいて下さい。 C君とD君には、私が直接、話をします」

  A君の父親は、海外に転勤していた。 もちろん、A君も同行していた。 国際電話をかけ、事情を話したところ、その返答は、

・ 承知したので、日記の写しは、シュレッダーにかけるなり、焼却するなり、学校で責任を持って、処分して欲しい。 元の写真データが残っているなら、それも、消去して欲しい。
・ 盗み撮りした二人には、相応の教育的処置を与えてくれれば、それで良い。
・ 息子は、C君はともかく、D君については、友達に近い印象を持っているようだから、傷つけないように、この件は、伝えないでおく。

  というものだった。 この返答は、校長の口から、文面通り、CとDに伝えられた。 Dは、真っ青になっていた。 Cは、相変わらず、不貞腐れたような顔だ。 口答えこそしないが、素直に非を認める気など、更々、ないらしい。

「はい、分かりました。 もう、しません。 これでいいすか?」

  校長は、それ以上、言わなかった。 腹の内では、Cの事を半ば見放していた。 こんな子供は、何人も見て来た。 ちょっとしたきっかけで、世を拗ねて、道をどんどん、踏み外して行ってしまう。 かといって、Cを救う為に、野球部に復帰させて、ショートのポジションを与えてやるのは、教育の本道ではあるまい。 Cが立ち直れるかどうかは、C自身にかかっているのだ。

  小学生の頃から、スポーツ一本で押して来た生徒には、「スポーツさえやっていれば、評価される」という錯覚がある。 そして、一本しかない道は、一度、踏み外すと、もう戻れないのである。 文科系の校長は、改めて、体育会系部活の功罪について、考えさせられた。 様々な事に興味を持っていれば、人生の可能性が、ずっと広がるのに・・・。


  校長が、他に打ち込める事を見つけてやろうと、あれこれ、骨を折ったにも拘らず、Cは立ち直れなかった。 高校受験にすら失敗し、不良化してしまった。 お定まりのパターンで、家から金を持ち出し、遊興施設で使いまくった。 18歳で、チンピラの子分になり、19歳の時、相手もあろうに、暴力団員に喧嘩を吹っかけて、逆に刺されて、死んでしまった。

  成人式で、その話を聞いた、Bや、Eは、眉を顰めながら、「あんな奴じゃ、そんな死に方も、仕方がない」と、秘かに語り合った。 他人の日記を盗み撮りして来て、公の場で読むなど、常識がある者には考えられない所業である。 Cに対する、軽蔑のメーターは、針をマックスまで振り切ったまま、少しも戻っていなかった。


  Dは、日記の一件以降、Cとは、縁を切っていた。 Cに唆されて、軽いノリで撮影役を引き受けたものの、転校直前のA君からフィギュアを贈られて、大いに反省し、写真データを、Cに渡すのを渋った。 喧嘩になって、Cに何発か殴られ、根性なしの事とて、データを渡してしまった。 そういう経緯があったから、日記の閲覧会には、加わっていなかったのだ。

  一件以降、腰巾着的なポジションを避けるようになり、次第に、自立意識が芽生え、大人になる頃には、自信がついて来た。 何事にも、積極的に取り組むようになり、勤め先では、昇進。 恋愛し、結婚し、子供もできた。 ローンで、家も買った。 一見、順調な人生のように思えた。 しかし、A君への罪の意識は、Dの心の片隅に、ずっと居座り続けていた。

  36歳の時、勤め先で、リストラに遭い、解雇こそ免れたものの、平社員に降格されてしまった。 うつ症状が出て、次第に悪化し、自宅療養する事、2ヵ月。 ある日、小6と小4の息子が、喧嘩を始めた。 兄が、弟の日記を読んで、からかったというのだ。 弟は、泣きながら、怒っていた。 Dは、上の子を叱った。

「馬鹿っ! 人の日記を読む奴があるか! そんなのは、人間のクズがやる事だ!」

  その三日後、Dは、首を括って、自殺した。 自分の言葉に、トドメを刺されたのである。

  A君からもらったロボットのフィギュアは、プレミアがついて、50万円近い価格になっていた。 稼ぎ手を失ったDの家族が食い繋ぐのに、少しだけ、役に立った。

2024/03/17

パソコン・ネット関連機器 ⑤

  日記ブログの方に書いた記事。 私的な、パソコン・ネット関連機器の変遷史です。 今回も、一台分だけ。 日記からの移植なので、日付が付いている次第。




【2023/10/26 木】
  歴代パソコンの、三台目です。 今日も、昨日と同じくらいの長さです。 使った期間は長いのですが、あまり、記録が残っていなかったので。 パソコンも、三台目ともなると、パソコンそのものへの興味は減退し、単なる、インター・ネット・マシンという認識になってしまったんですな。

  2002年12月末に、父の部屋に、一番目のパソコン、「プレサリオ3200 3TO330」を移し、私は、新しいパソコンを買いました。 「イイヤマ KDV933RW」という機種。 イイヤマは、モニター・メーカーなのですが、パソコンも売っていたのです。 もしかしたら、外国メーカーの、OEM製品だったのかも知れません。 15インチ・CRTモニターとの抱き合わせ商品で、沼津のコジマで、59800円でした。 店員に、「CRTモニターは、要らないんですが・・・」と言ったら、「セットですから、置いて行かれても、困ります」と言われてしまいました。

  スリム・タワー型。 OSは、「Windows XP」。 CPUは、993MHz。 メモリーが、128MB。 HDDが、40GB。 CD-ROM・CD-R/RW・ドライブが付いていました。 この頃から、フロッピー・ドライブは、付かなくなります。 起動ディスクは、出来合いのCD-ROMが、付属していました。

  買い換えた理由は、父に、一番目のパソコンを譲るというのが一つ。 もう一つは、一番目のパソコンのOSが、「Windows Me」で、使える漢字が少なく、2002年の秋頃から作っていた、「日→中 漢字読み替え表」の為に、「Windows XP」のパソコンが欲しかったからです。 OSが、「XP」なら、パソコンは、何でも良かったのです。

  このパソコンのお陰で、「日→中 漢字読み替え表」は、無事に完成しましたが、ホーム・ページ≪換水録≫を閉じた、2014年3月に、ネット上から消滅しました。 元データは取ってありますが、ホーム・ページ契約をしていないので、もはや、出しようがないです。 このパソコンは、2002年末から、五台目のパソコンを買う、2012年3月まで、9年と3ヵ月間、単なる、インター・ネット・マシンとして、しっかり、働いてくれました。

  ビデオ・メモリーが、8MBしかなくて、動画を再生しようとすると、ブツブツと、停まりまくりましたが、私に、動画を見る習慣が出来なかったので、さしたる支障はありませんでした。 「XP」では、機能ページのデザインを選択できたので、今使っている、「Windows 7」と、使い勝手に、大きな差は感じませんでした。

  五台目のパソコンは、必要だから買ったわけではなく、会社の福利ポイントが余ってしまい、2012年の3月までに使わないと失効するというので、半額補助で、パソコンを買ったのです。 せっかく、新しいのを買ったのだから、そちらに移行し、この三台目は、しまっておこうと思ったのですが、データの以降を済ませたら、その直後に、三台目が壊れてしまいました。 電源を入れても、全く反応しません。 自分の務めが終わるのを待っていたかのようです。 機械なのに、泣かせてくれます。

  この三台目も、「PCデポ」の、パソコン買い取りサービスで、引き取ってもらいました。 抱き合わせで買った、CRTモニターは、一度も使う事がなく、押入れにしまったままでしたが、「PCデポ」で訊いたら、「パソコンと一緒なら引き取る」と言うので、引き取ってもらいました。 しかし、それが、二台目を持って行った時だったか、三台目の時だったか、覚えていません。



≪写真1左≫
  この写真は、ネット上に出ていた画像を、デジカメで撮影したものではないかと思います。 こういうセットだったのです。 色は、パソコン本体が、シルバー。 他は、白でした。

≪写真1右≫
  買って来た直後。 父の部屋用に買った、グリーンハウスのモニターと、仮接続し、データの移行中。 データ移行は、CD-Rでは、うまく行かず、LANハブを使って、パソコンからパソコンへ、直接、送りました。 外付HDDがあれば、簡単なんですが、この頃は、まだ、もっていなかったのです。

≪写真2左≫
  グリーンハウスのモニターに、初めて表示された、「XP」の標準背景、「草原」。 これが映った時には、少なからず、感動しました。

≪写真2右≫
  抱き合わせ販売の、CRTモニター。 ダンボール箱には、イイヤマの名前が入っていますが、確か、サムスン製だったと思います。 よく覚えていません。 開梱しないまま、押入れの奥に入れておきました。

≪写真3左≫
  折り畳み机の奥に設置した様子。 モニターの後ろに、スッポリ隠れるので、パソコンがシルバーで、他の機器が白でも、問題ありませんでした。 電源ボタンに手が届けばいいのです。 これでも、CDドライブのトレイは、出せました。

≪写真3右≫
  取説。 この写真だけは、2015年10月に撮ったもの。 取説だけ、保存してあったのです。 今でも、どこかに、取ってあるかも知れません。

≪写真4左≫
  このパソコンでも、メモリーの増設をしました。 買って間もない頃だったと思います。 箱が二種類ありますが、どちらかが、一台目に使ったもので、どちらかが、三台目に使ったもの。 どちらも、256MBです。

≪写真4右≫
  腹を開けた様子。 よく、こんな事、やったなあ。 ちなみに、私には、パソコンの知識は、ハードもソフトも、ほぼ、皆無です。

2024/03/10

EN125-2A補修 ⑯

  プチ・ツーリングに愛用しているバイク、EN125-2A・鋭爽の補修の記録です。 定期的な整備も含みますが、今回は、クラッチ・ワイヤーの交換が、メイン。 





【ヘッドライトをハロゲンへ】

  2023年9月26日。 沼津市・東原の、「消防団第27分団 / 愛鷹地区センター」に行った帰り、バイクのヘッド・ライトの、LED球が切れてしまいました。 家から出かける時に、スイッチに誤って触れて、ハイ・ビームで走っていたからではないかと思います。

≪写真上≫
  LED球が切れた、ヘッド・ライト。 日が当っているだけで、点いていません。

≪写真中左≫
  切れた、LED球。 2022年の夏に、アマゾンで買った、460円くらいのもの。 一年ちょっと、もちました。 「切れるのが、早過ぎる!」と怒るほどの値段ではありませんな。

≪写真中右≫
  2021年に、アマゾンで、3個セットを買った、ハロゲン球、「H4 12V 35/35W」。 1個、300円くらいでした。 1年間使って、LED球に交換し、しまってあったもの。 26日、プチ・ツーから帰った直後に、LED球から、こちらへ交換しました。 暗いですが、もちはいいと思います。

≪写真下≫
  ハロゲン球に戻した、ヘッド・ライト。 点いていません。 点いていない状態だと、ハロゲン球の方が、黄色っぽい色がないので、すっきりした印象になります。


  LED球を買い直すのが、面倒臭いので、しばらくは、ハロゲン球で行こうと思っています。 どうせ、昼間しか乗らないから、暗いのは、問題なし。 傍から見た時に、無灯火と思われなければ、それで、充分です。 問題は、バッテリーがもつかどうかですが、目立って衰えてきたら、また、対策を考えます。




【タイヤ空気圧 / オイル交換】

  2023年11月12日に、バイクのタイヤの、空気圧を見ました。 19日には、オイル交換をしました。

≪写真1左≫
  これは、後輪のバルブ。 車のバルブとは、少し形状が異なりますが、米式バルブである点に変わりはありません。 前輪1.75kg/cm2。 後輪、2.0kg/cm2。 どちらも、だいぶ、減っていたので、自転車用空気入れで、足しました。

≪写真1右≫
  最近、うちの敷地内に入り込み、バイクのカバーの後ろ側をめくった奴がいて、どうやら、排気量を確認した様子。 125㏄と分かれば、もう来ないとは思いますが、用心して、ロックを増やした次第。 これは、1995年頃に買ったスネーク・ロックです。 鞄に入るような大きさのワイヤー・カッターでは切れないので、少しは、防犯効果があると思います。

  それにしても、めくったカバーを、そのままにしておくという神経が分からない。 元に戻しておけば、見た事がバレないのに、なぜ、そうしないのか? 訪問詐欺師は、門扉を開けて入って来ても、出て行く時には、門扉を閉めて行かないものですが、犯罪者気質がある人間には、そういう傾向があるのかも知れません。

≪写真2≫
  左は、去年買った、「カストロール  Go! 4T 10W-30 1L 」。 773円。

  右は、今年買った、「カストロール Activ ESSENTIAL 4T 10W-30 1L」。 1091円。

  たぶん、同じ品。 名前が変わっただけのようです。 値段は、かなり、高くなっています。 それでも、また買ったのは、カストロールを一年使って、エンジンや、ミッションの調子が良かったからです。

≪写真3左≫
  バイクのオイル交換は、簡単です。 まず、エンジンをかけて、1分間、暖めます。 次に、エンジンの右側にある、フィラー・キャップを外します。 写真の上の方に見えているのが、それ。 手指では回らないので、ウエスをかけ、プライヤーで挟んで回します。

≪写真3右≫
  エンジンの下に、バットを置き、ドレン・ボルトを緩めて、廃油を抜きます。 最後の一滴まで待たなくても、「ポタッ、ポタッ」程度の間隔になれば、OK。 ドレン・ワッシャーを交換した上で、ドレン・ボルトを締めます。

≪写真4≫
  手前左が、ドレン・ボルト。 手前中央が、使用済みのドレン・ワッシャー。 手前右が、使用前のドレン・ワッシャー。 アルミ製です。 車(セルボ・モード)と共用で、30枚入りを買って、一回ごとに換えています。 潰れる事で、隙間をなくす方式なので、再使用は、問題あり。

  奥側の眼鏡レンチは、19-21ですが、21の方を使いました。 大きい。 このレンチは、元は、「ヤマハ・セロー225W」の、後輪車軸ナットを回す為に、1994年頃に買ったもの。 まさか、EN125-2Aのドレン・ボルトを回す事になるとは、思いませんでした。

≪写真5左≫
  エンジン右側の、下の方にある、オイル・レベル窓。 これは、空状態です。 オイルの量が直接見えるので、上限と下限の間まで入れます。 フィラー・キャップを仮閉めし、エンジンを、30秒くらいかけて、10分おきます。 窓を見て、上限と下限の間に収まっていれば、OK。 フィラー・キャップを本締めして、終り。 フィラー・キャップは、締める時には、プライヤーを使わず、手指で締めます。

≪写真5右≫
  バットに入れた廃油ですが、次の日に、車のオイル交換をするので、車置き場の隅に、置いておきました。 上から、新聞紙をかけ、庭敷き用の緑パネルで押さえておきました。




【ケーブル・カバー・左右レバー塗装 / グローブ穴塞ぐ】

  2024年1月5日。 バイクの錆びている部分や、塗装が剥げている部分を塗装しました。 並行して、冬用グローブの穴も塞ぎました。

≪写真1左≫
  ピントが合わなくて、ボケていますが、御容赦。 ハンドルの、右レバー・ユニットから、下に出ているチューブを、金属のカバーが覆っているのですが、そこが、錆びているのを発見しました。 元は、カーキ色ですが、作るのが面倒なので、黒で代用。 まず、カラーサビ止めを塗り、乾いてから、水性艶消し黒を塗りました。

≪写真1右≫
  こちらは、左レバー・ユニットから出ているチューブのカバー。 ますます、ピンボケで、申し訳ない。 右側と同じ処理。 錆を落としたわけではないのですが、塗料で覆ってしまえば、それ以上、錆が広がらないので、これで、充分です。

≪写真2左≫
  前ブレーキ・レバー。 中古で買った時に、すでに、黒が剥がれて、下のアルミ地が露出していたのを、水性艶消し黒で塗ったのですが、それが、また、剥がれてしまったので、塗り直しました。 今度は、紙鑢をかけてから、塗ったから、すこしは、もちがいいはず。

≪写真2右≫
  クラッチ・レバー。 こちらも、前ブレーキ・レバーと、同じく、紙鑢をかけてから、塗り直しました。 レバーの開きが少ないように見えると思いますが、実は、この写真を撮った時、クラッチ・ワイヤーが切れていたのです。

≪写真3左≫
  冬用グローブの右手。 親指の甲に、穴が開いてしまいました。 腹なら分かりますが、なぜ、甲に? とにかく、これ以上、広がらないようにしなければなりません。 この写真は、裏返した様子です。

≪写真3右≫
  切り出した、合成皮革。 これは、裏側です。 革と貼り合わせる時には、裏側に接着剤を塗ります。 大きさは、最も長いところが、13ミリ。

≪写真4左≫
  Gクリヤーで、接着しました。

≪写真4右≫
  一日、乾かしてから、戻しました。 ほとんど、分かりません。

≪写真5≫
  このグローブは、中型二輪免許をとった、1993年頃に、近所のホーム・センターで、買った物。 今では、もう、売っていません。 少し小さいんですが、着けてしまえば、圧迫されるほどではないです。 捨てずに残してあったから、新しいのを買うまでもないと思って、2019年のバイク生活復活計画以降、使っている次第。

  これから、冬用グローブを買うというのであれば、スキー用の、千円台のものが、お勧め。 インナーとアウターに分かれていない、安い品で、充分です。 別れていると、逆に、着脱が面倒になります。 毎日の通勤に使っても、3年くらいは、もつと思います。




【クラッチ・ワイヤー交換】

  2024年1月8日。 バイクで、プチ・ツーリングに出かけて、家から、1キロちょっと走った所で、クラッチが戻らなくなりました。 ワイヤーが切れたのです。 バイク生活30年以上にして、初めての事で、大いに、うろたえました。

  ワイヤーが切れても、バイクをエンジンで動かす方法があるらしいのですが、詳しく知らないので、大事を取って、押して帰って来ました。 距離が近く、登り坂もなかったのは、不幸中の幸いです。

  以下、交換方法を、ざっくり、説明しますが、私自身、やり方を知っていて、やったわけではないので、正しい方法というわけではありません。 ただ単に、私は、こうやったというだけの内容です。 これからやるという人は、もっと詳しい、サイトやブログ、動画などを参照して下さい。

≪写真1左≫
  8日の内に、ワイヤーの長さを、大雑把に測ったり、それなりに調べてから、アマゾンで、社外品を注文。 二日後、10日の午後は、届きました。

≪写真1右≫
  ラベル。 社外品のつもりで買ったんですが、これを見る限りでは、大長江集団の純正品のようです。 「クラッチ・ワイヤー」は、中国語で、「離合鋼索」。 13元。 日本円で、260円くらいですかね。 この品は、1680円でしたが、随分、高く売ってますな。 輸送費を考えると、ボッタクリというわけでもないんでしょうか。

≪写真2≫
  レバー側の、ワイヤー端を外した様子。 ワイヤー被覆上のゴム・カバーをずらし、プラスチックのカバーを、抜き取り、切れ目の入った金色のギザギザ・ナット2個の、切れ目を前側に持って来て、ワイヤーを引き出せば、ワイヤー端の太鼓が抜けて来ます。 この部分、全て、指先だけでできる作業です。

  ワイヤーが、無残に切れています。 一本ずつ切れるので、レバーの引き具合が、次第に緩くなって来るわけだ。 それに気づく事ができれば、操作不能になる前に、交換できるのですがねえ。

  この写真に写っている、レバー根元の、切れ目が入った金色のギザギザ・ナットですが、径が小さい方を回して、位置を動かす事で、ワイヤーの張り具合を調整できるようです。 小さい方を、大きい方に近づけると、緩くなり、遠ざけると、硬くなります。

≪写真3左≫
  エンジンを左側から見ています。 エンジンから飛び出している、ギザギサ・ボルトに、アームが挿されていて、ボルトで留められているので、ボルトを外し、ギザギサ・ボルトから、アームを抜くのですが、その前に、手前側に、止まる所まで、アームを引っ張って、テープで、位置を、バミっておきます。 アームを取り付ける時に、目印にする為です。

  アームの先についている、穴開きリベットの割りピンを抜き、ワイヤーを、古いのから新しいのに交換して、穴開きリベットを通し、割りピンを戻します。

  割りピンをなくしたとか、折れてしまった場合、針金でも、当座の代用が利きます。 要は、穴開きリベットが、抜けなければいいだけの事ですから。 割りピンは、純正品を取り寄せなくても、大きなホーム・センターに行けば、様々なサイズが置いてあると思います。

≪写真3右≫
  エンジンを、右側から見ました。 古いワイヤーを外すには、この写真の、右・手前に見える、長い中空ボルトを、エンジンと一体になっているスタッド・ナットから、抜かなければなりません。 これは、スパナや、指先で、地味に回して行くしか、方法がないです。 新しいのを付ける時には、逆に回して、締めて行くわけですが、これまた、地味で、根気がいる作業になります。 低い椅子を持って来て、腰を下ろして やった方がいいかも知れません。

  長い中空ボルトには、ナットが付いていて、その間隔を変える事で、ワイヤーの長さを変え、張り具合を調整できるらしいのですが、私は、やり方が分からなくて、古い方の間隔を測り、それと同じにしておきました。 ナットを、エンジン側のスタッド・ナットに締め込むと、固定ができます。

≪写真4左≫
  新しいワイヤーは、エンジン側から、先に固定します。 アームを、バミり線に合わせて挿し込み、ボルトで固定します。 この写真は、その後、ワイヤーのレバー側も取り付けた後に撮ったもの。 レバー側に引っ張られるので、アームの位置が、バミり線より、向こうに回っています。

≪写真4右≫
  どうも、新旧ワイヤーの長さが違っていたようで、エンジンに接触する部分が変わってしまいました。 手前に黒い線痕がついているのが、古いワイヤーのもの。 少々、変わっても、別に、問題はなさそうですけど。

  説明が前後しますが、ワイヤーが、どこを通っているかは、古いのを外す前に、写真に撮って、記録しておく必要があります。 間違った所を通すと、クラッチ操作に支障を来す恐れがあるからです。 記録写真は、多い程 いいです。

  ワイヤーを金具で押さえてある所があり、金具を締め付けている+ボルトが、狭過ぎて回せず、困り果てました。 ふと思いついて、ワイヤーを、レバー側から先に抜いて来て、金具の下に引き抜いたら、抜けました。 やれやれ、タンクを外すなんて、大ごとにならなくて、助かった。 ちなみに、レバー側についている、三角錐形のゴム・カバーは、簡単に抜いたり、着けたりする事ができます。

≪写真5≫
  交換後の、レバー側。 先に、エンジン側を決めてから、レバー側の太鼓を入れます。 少々、入れ難いですが、何とか、入りました。 レバー側は、取り外しも、組み付けも、手指だけで、できます。 大きな、マイナス・ネジが見えますが、それは、関係ないので、触れないように。

  プラスチック・カバーを戻す前に、太鼓から、ワイヤーの見える範囲に、シリコン・スプレーを吹いておきました。 ワイヤーが切れる原因は、金属線の曲がり戻しによる変形と、金属線同士の摺動摩擦だと思いますが、変形の方は、避けられないとして、摺動摩擦は、給脂していれば、少しは違うはず。 本来、グリスを使うところですが、ベタベタになりそうなので、シリコン・スプレーにしておきました。 


  二日後の、12日に、試し乗りを兼ねて、出かけたのですが、クラッチ操作は、正常にできました。 レバーの感覚で、クラッチが繋がる位置が、少し遠くなってしまいましたが、新しい内は、そんなものなのかも知れません。

  張り具合を、調整できるようになっているのですが、張り具合と、クラッチの離合位置に関係があるのかどうか、それすら分からず、「とりあえず、使えればいいか」と、諦めている次第。

  切れた当座は、輸入車種の事とて、交換部品が手に入るかどうかも分からず、最悪、廃車も覚悟していたくらいですから、交換できて、使える事が分かっただけでも、ありがたいと思わなければ。

  ちなみに、私は、こういう作業は、一応 やりますが、別に、好きではないです。 ずっと、どこも、壊れずに使い続けられるのなら、そちらの方が、どれだけ いいか知れません。




【タンク錆の塗装】

  2024年2月7日。 沼津市・大平の「消防団・第30分団」へ行った時、タンクの左側下の方に、錆が出ているのを見つけました。 帰って、早速、補修しました。

≪写真上左≫
  分かり難いと思いますが、タンクと、サイド・カバーと、シートが交わる付近です。 錆びています。

≪写真上右≫
  濡れ雑巾で拭き、ペイントうすめ液で脱脂し、カラー錆の黒を、筆で塗りました。 錆取りはしていませんが、塗料で覆ってしまうだけでも、錆を広げない効果はあります。

≪写真中≫
  タンクの後ろの方、普段、シートで隠れている部分にも、錆が出ている部分があったので、そこにも、同じ処置を施しました。 アフター写真だから、どこを塗ったか、分からないと思いますが。

≪写真下≫
  作業中、シートは、カバーの上に置いておきました。 直かに、コンクリート面に置いたりすると、いとも容易に、合成皮革が切れてしまいます。

  中古で買ってから、もう、4年以上経つので、あちこち、錆が出ても、おかしくはないです。 見つけ次第、マメに直していく所存。




  以上です。

  クラッチが戻らなくなった時には、マジで、血の気が引きました。 クラッチ式バイクは、1993年に、DT50から始めて、セロー225W、225WEと、3台乗って、EN125-2Aで、4台目ですが、30年と半年にして、ワイヤーが切れたのは、初めての事でした。 これが、焦らずにいられようか。 アマゾンで、交換部品が手に入って、本当に助かりました。

  そんなに、しょっちゅう、切れるようなものではないから、私の年齢から考えて、たぶん、これが、最初で最後の交換になるでしょう。 作業も、何の知識もなかった割には、簡単にできて、幸いでした。

2024/03/03

読書感想文・蔵出し (113)

  読書感想文です。 今回も、2冊です。 次の月から、≪濫読筒井作品シリーズ≫になるので、冊数が増える予定。





≪ガニメデの少年≫

ハヤカワ文庫
早川書房 1987年8月15日 発行
R・A・ハインライン 著
矢野徹 訳

  沼津図書館にあった、文庫です。 長編1作を収録。 コピー・ライトは、1950年になっています。 300ページ。 これも、薄さで、選んで来ました。 植木手入れやら、お歳暮の受け取りやら、何かと忙しい時期なので、読書に割いている時間がないのです。


  テラ・フォーミングされた、木星の第三衛星、ガニメデへ、父親と、その後妻と、連れ子の少女と一緒に植民した少年。 宇宙旅行を経て、到着。 想像していたよりも、過酷、且つ、劣悪な環境で、土地を開墾し、農場を作っていく様子を描いた話。

  アメリカの開拓移民の苦労話を、そのまま、別天体に移し変えたもの。 【月は無慈悲な夜の女王】が、アメリカ独立戦争を、月に置き換えたのと、同じパターンです。 こちらの方が、書かれたのが早いですが。

  移民というのは、みんな、そういうものらしいですが、事前に聞いていたうまい話と、実際に行ってから見る現地の様子には、天地ほども、違いがあるようですな。 テラ・フォーミングしているとはいえ、つい、数十年前まで、溶岩と氷しかなかったような天体で、農業をやるというのですから、どれだけ、大雑把な設定かと思いきや、さすが、SF作家の考えた話だけあって、科学的な説明は、ちゃんと、用意されています。

  実際には、とても、そんなにうまくは行かないと思いますし、そもそも、農業をやる為に、他の天体を、莫大なお金をかけて、テラ・フォーミングするというのがナンセンス。 その上、そもそも、たかが、自然発生型生物に過ぎない人間を、人口が増えたからというだけの理由で、他天体に移民させるというのが、もっと、ナンセンス。 下らん。 数だけ増やしても、何の意味もない。

  宇宙移民物は、ガンダムも、マクロスも、みんな同じですが、地球の人口が、無際限に増え続けるという事を前提にしています。 しかし、今現在の状況を見れば分かるように、ピークを超えたら、減り始めるのですから、宇宙移民の前提そのものが、成り立ちません。 とはいえ、1950年では、そこまで、先が読めなくても、無理もないか。

  少年の一人称で語られるので、ジュブナイルか?と思ったのですが、それにしては、内容のレベルが高いです。 科学技術の解説も、高校生以上向けです。 今の若者では、大学生でも、理解できないところがあるかも。 大人が読んでも、特段、子供っぽいところはありません。 だから、ジュブナイル扱いになっていないんでしょう。

  天体整列が原因で、動力源をやられ、ガニメデ全球が、急激に低温化して、植民地全体が、存続の危機に陥る件りは、圧巻。 こういう悲惨な場面は、よほど、歴史を読み込んでいないと、書けません。 ハインラインさんは、さぞや、歴史が好きだったんでしょうな。 科学技術にも興味がある、文系なんでしょう。

  危機の後、話のカラーが変わります。 探検物になり、異星人の遺物まで出て来て、開拓物から、逸脱します。 これは、ない方が、良かったのでは? 明らかに、テーマが変わってしまっているのです。 危機を、更に大きくさせて、結局、全面撤退に追い込まれ、しかも、帰還途中に事故が起こり、地球に辿り着いたのが、ほんの数人、といった終わり方にすれば、面白かったのに。 開拓を、神聖な行為と思っているアメリカ人の作家では、そういうラストは、問題外かな?




≪1984≫

角川文庫
株式会社KADOKAWA 2021年3月25日 初版 2022年9月5日 12版
ジョージ・オーウェル 著
田内志文 訳

  沼津図書館にあった、文庫です。 長編1作を収録。 コピー・ライトは、1949年になっています。 475ページ。 作中言語の解説、【ニュースピークの諸原理】を抜いた、小説部分の正味は、454ページ。 以下、ネタバレ、あり。


  世界は、オセアニア、ユーラシア、イースタシアの三国に分割され、戦争と同盟を繰り返していた。 オセアニアに属するロンドンに住み、役所に勤めて、歴史の改竄作業を担当していた男が、徹底した監視社会に疑念を感じ、反政府地下組織に入ろうとするが、信じ切っていた人物が、実は監視機構の上級幹部で、捕えられ、拷問され、洗脳されてしまう話。

  梗概で、ネタバレさせてしまいましたが、読んでみて、ストーリー展開を楽しむような作品ではないと分かったから、敢えて、そうしました。 この小説の言わんとするところは、この梗概に尽きます。 ページ数は多いですが、それ以上の何も書いてないといっても、宜しい。

  未来世界が舞台なので、一応、SF小説という事になっているようですが、SF小説の読者なら、この作品が、SFでない事は、感覚的に分かるはず。 SFらしい、ゾクゾク感が、微塵も感じられないからです。 全く違う内容ですが、【家畜人ヤプー】を読んで、「これは、SFなのか?」と首を傾げた人は、【1984】を読んでも、同じ事を感じるのでは? SFの設定を借りた、風刺小説と見るべきでしょう。 どちらであろうが、作品の評価に影響しませんが。

  全編に渡って、既視感を覚えてしまうのは、この作品をベースにして、全体主義批判を展開する論者が、無数にいて、どこかで、似たようなものを、いくつも読んだり、見たり、聞いたりしているからでしょう。 すでに、書かれてから、74年も経っており、影響の広がりは、想像に余りあります。

  私の感想を一口で言えば、「気分が悪くなる小説」です。 作者自身が、読者を悪い気分にさせて、全体主義を、嫌悪、憎悪するように誘導しているから、そうなるのは、当たり前。 逆手に取って言えば、小説表現を使って、読者を洗脳しているといってもいいです。 若い頃に、読んでしまった人は、一人残らず、骨の髄まで、この小説の影響を受けたと思いますが、私としては、分別が完全につくまで、読まなくて良かったと、ホッとしている次第。

  それにしても、緻密に描き込んだ拷問場面を、どんな読者が、喜んで、読むんですかね? 露悪趣味としか、思えませんが。 ちなみに、この種の拷問は、特に、全体主義社会でなくても、どこでも、やっています。 グアンタナモとか、日本の入管とか、例を挙げれば、切りがない。 最終的に、死ぬまで続けるのですから、程度の差すら、ありません。 人間社会というのは、そういうものなんだわ。

  こういう目に遭わない為には、反政府活動などに関わらないのが、一番。 大多数の人は、そうやって生きているのであって、別に、反政府活動をしないからと言って、全体主義に屈した事にはなりません。 その辺りを勘違いして、政治から距離を置いている者を、腰抜け・腑抜け扱いしている輩は多そうですが、そんな事言ってるから、拷問されるような窮地に追い込まれてしまうんだわ。

  ところで、ロンドンが、オセアニアに含まれているのは、真っ先に、不可解さを感じるところですが、これは、1949年時点での、イギリスの植民地と、南北アメリカ大陸、オーストラリアなどを合わせたのが、オセアニアとされているからです。 世界認識が、植民地独立前で停まっていた人物が書いた話である事が、窺われる一面です。 多くの批評家が指摘しているように、未来を予見している部分もあるのですが、あまり、ベタ誉めすると、買い被りになってしまうので、要注意。

  この小説、21世紀に入ってから、また、読む人間が増えたそうですが、この作品に影響されて、ネット上で、黴臭い論陣を張っているようでは、AIの時代を、迎えられんでしょうなあ。 作者に、「人間なんか、何の価値もなくなる時代が、すぐそこまで、迫ってますよ」と教えてやったら、草葉の陰で、どう思うでしょう?

  巻末に付いている、作中言語の解説、【ニュースピークの諸原理】ですが、言語学的には、寝言に近いので、わざわざ、読む必要はないです。 時間の無駄。




  以上、2冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪ガニメデの少年≫が、11月24日から、25日。
≪1984≫が、12月7日から、9日。

  推理小説に満腹した後、少し、SFに回帰したのですが、読書意欲が減退してしまい、今回紹介した2冊で、一旦、打ち切った次第。 どうも、読みたいシャンルが、見つかりません。 別に、≪1984≫が、不愉快な作品だったから、読書意欲が減退したわけではなく、順序的に逆です。