2018/05/27

ワイヤー・ロック 後編

   前回の続き。 三度目の正直。 今回こそは、脱線せずに、済まそうと思っています。 思っているだけですが・・・。





  で、今回のワイヤー・ロックは、3番目に買った物と、4番目に買った物です。 どちらも、仕事の応援先で、私生活の足として、自転車を使う事になり、やむなく、買ったもの。 もし、ずっと、自宅で生活していれば、これらのワイヤー・ロックを買う事はなかったでしょう。


  まずは、3番目のワイヤー・ロックです。 2010年の10月から年末まで、岩手県・金ヶ崎町にある工場に、応援に行っていたのですが、バイクを持って行かなかったので、日常の移動に困っていたら、数年前に、そちらに移り住んでいた先輩が、「使ってない折り畳み自転車があるから、貸してやる」と言って、↓この折自を貸してくれました。


  「 OFFROAD COLLECTION 」というロゴが入った自転車で、レボ・シフト6段。 後輪は、サスペンション付きという結構な優れ物。 確か、その1・2年前に、高校生の息子さんが、携帯電話の契約をした際、当てただか、貰っただかした物と言っていました。 10月12日の仕事帰りに、先輩の車で、先輩の家まで行き、折自を積んで、私が住んでいる寮まで運んで貰いました。 何から何まで、世話になって、今でも感謝しています。

  寮があったのは、金ヶ崎町の北隣の、北上市で、「東芝・第2上野寮」という所でした。 その地区の名前が、「上野」だったのでしょう。 東芝と言っても、会社が寮を借りていただけで、私が働いていたのは、自動車の組立工場ですけど。 ちなみに、先輩の家は、工場と上野寮の中間に位置していました。

  寮には、駐輪場があったので、そこに置く事にしました。 折自には、先輩の息子さんが買ったと思われる、ダイヤル式のワイヤー・ロックがついていたものの、それだけでは不安なので、その日の内に、寮の近くにある、100円ショップのセリアまで行って、↓この青いワイヤー・ロックを買い、セカンド・ロックにしました。


  借りた折自に関して書き始めると、かなりの文章量になってしまうので、割愛。 話を、ワイヤー・ロックの事だけに絞ります。 ワイヤー・ロックとしては、少し小さめのサイズで、車輪だけにかけるタイプ。 2枚の鍵は、金属部分だけで、プラスチックの持ち手は付いていません。 ビニール袋のパッケージに入っていましたが、その袋は、すぐに捨ててしまいました。

  値段は、当時、消費税5%で、105円でした。 一緒に、自転車カバーと、それを留める大きな洗濯バサミも買いました。 駐輪場が屋根だけの吹き曝しだったので、借りた自転車を濡らすわけには行かなかったのです。 カバーは、応援から帰って来る時に捨ててしまいました。 大きな洗濯バサミは、持ち帰って、今は、母の部屋にあります。

  で、先輩の折自で出かける時に、ダイヤル式のと、この青いのと、二つのワイヤー・ロックを、ナップ・ザックに入れて持って行き、停める時には、二つかけていたわけです。 もっとも、自転車から離れる時間が短い時には、面倒だから、青いの一つだけ、かけていました。 ダイヤル式と、キー式では、キー式の方が、使い易いので。


  応援から帰って来る時には、まず、先輩に、折自と、ダイヤル式ワイヤー・ロックを返しました。 返す時には、自転車に乗って、先輩の家まで行き、お礼に、地元銘菓「かもめのたまご」を渡して、そこから、寮までは、歩いて帰りました。 寮といっても、北上の第2上野寮ではなく、期間途中で引っ越した、金ヶ崎の独身寮の方ですけど。 徒歩だと、1時間以上かかったと思いますが、まあ、大した事ではないです。

  青い方のワイヤー・ロックは、ダンボール箱に入れて、家に送りました。 行く時には、自分の手荷物二つだけで行ったのに、帰りには、向こうで買った物が増えて、入りきらなくなってしまったんですな。 荷物の送料が、会社から補助されると聞いて、それなら、送らなきゃ損だと思って、送ったのです。

  そういや、最終日に、駅まで行く足がなくて、その先輩に、「送ってくれませんか」と頼んだら、難なくOKしてくれて、会社から、寮経由で、東北本線・六原駅まで、送ってもらいました。 寮に寄ったのは、荷物を取る為です。 自転車カバーは、最後まで、寮の部屋にあって、引き払う時に、荷物と一緒に持ち出して、カバーだけ、ゴミ捨て場に捨ててから、先輩の車に乗ったのでした。 妙な事が、記憶に残っているものですな。

  先輩の車は、トヨタ・VOXYでした。 荷物を出した後、スライド・ドアを閉めようとしたら、異様に重い・・・。 先輩に、「それは、オートなんだよ」と言われて、初めて、スライド・ドアに、オート・クローザーが普及している事を知った次第。 ちょっと引っ張れば、あとは、自動で閉まるんですな。

  繰り返しますが、とにかく、その先輩には、お世話になりました。 元々は、沼津の人で、子供の頃には、私が住んでいる町内の、隣の町内にいたとの事。 大人になって、結婚してから、岩手へ越して、向こうで家を買い、向こうで子育てしたので、沼津に戻る気はないという話でした。 翌年の、東日本大震災の直後、電話したんですが、内陸の方なので、被害は少なかったようでした。 その先輩とは、それっきりです。 もう、会う事はないでしょうなあ。


  そういえば、私は、その時、六原駅から、沼津駅まで、普通列車で帰って来ました。 新幹線を使えば、5・6時間ですが、料金が2倍になるので、半額で、時間がかかる方を選んだのです。 夕方に、六原駅を出て、夜11時過ぎに、福島県の南端にある、白河駅で、終電終着になりました。 待合室で朝を待とうと思ったら、「夜は駅を閉める」と言われて、12時には、追い出されてしまいました。 外は雨で、季節は、12月下旬です。 顔色真っ青・・・。

  始発は、5時20分。 たかが、5時間ちょっとの為に、ビジネス・ホテルに泊まったのでは、せっかく、安い普通列車にした意味がないので、駅の横のトイレに入り、個室に籠って、朝を待ちました。 凍えないように、足踏みしながら。 私も、吝嗇が動機で、いろいろと、みっともないと言うか、こっ恥ずかしいと言うか、穴があったら入りたいと言うか、そういった事をしましたが、最後にやったのが、そのトイレで夜明かしですな。 46歳になる直前の事でした。


  うーん・・・、またまた、脱線しまくっておるなあ。 こんなに長引いてしまったのでは、4番目のワイヤー・ロックの話を、この後に繰り広げるのは、書き手側としても、読み手側としても、大変、好ましくないと思うので、ここは一つ、苦渋の決断で、4番目の話は、次回にしましょう。 

  となると、困ってしまうのが、今回のタイトルでして、≪ワイヤー・ロック 後編≫になる予定だったのですが、もう一回続くとなると、それではおかしくなってしまいます。 しかし、いい呼び方を思いつかないので、とりあえず、今回は、≪ワイヤー・ロック 後編≫にしておいて、次回のタイトルを、工夫する事にします。


  で、その、岩手県北上市のセリアで買った、青いワイヤー・ロックですが、家に送ったまでは良かったんですが、その後、ワイヤー・ロックの出番はなく、ずっと、押入れにしまいっ放しでした。 忘れていたわけではなくて、ある事は分かっていたんですが、使う用がなかったんですな。

  再登板させたのは、引退後しばらく経ってからで、2017年の春です。 旧母自で、清水町の本城山へ、運動登山に行ったのですが、麓の駐車場に自転車を置いて登るので、用心の為に、セカンド・ロックをかける事にし、この青いワイヤー・ロックを持って行ったのです。 以来、玄関の靴箱に入れておいて、旧母自で、運動登山に出かける時には、持って行く事にしています。

  小さめなので、車輪だけにしかかけられませんが、車輪を外すほど大掛かりな泥棒なら、その前に、ワイヤー・カッターで、ワイヤー・ロックを切るはずで、フレームと車輪にかける大きめタイプと比べて、防犯性能は大差ないでしょう。 小さいから、小物用バックにも入ります。 私は、旧母自の前籠に入れて行くだけだから、そういう事はしませんけど。

  鍵ですが、プラスチックの持ち手がついていないせいで、錆が出てくると、ちと、嫌な感じがします。 もっとも、「自転車の鍵が錆びていたから、病気になった」という話は聞いた事がないから、気にしなければいいだけの事ですが。

2018/05/20

ワイヤー・ロック 中編

   前回の続き。 今回は、脱線せずに、簡潔に要点だけ書いて、済まそうと思っています。




  で、前回、1988年に初めて買ったワイヤー・ロックの思い出について書いたわけですが、次にワイヤー・ロックを買ったのは、どーんと歳月が飛んで、2007年1月20日になります。 えっ! そんなに、あとだったっけ? 自分で調べて、驚いている次第。 19年も経っていたんですなあ。 光陰矢の如し。

  なぜ、買ったのかというと、同じ日に、ネットで買った折自、「レイチェル OF-20R」が届いて、自転車本体にはロックか付いていないから、ワイヤー・ロックが必要だと思って、買って来たわけです。 店は、沼津市の八間道路(国道414号線)沿い、第三小学校の前にあった、「オレンジ」という名の100円ショップでした。 同じ日に、自転車カバーも買っています。 当時は、税込みで、105円でした。

  ちなみに、うちの近所では、そこが、一番最初に出来た100円ショップで、ちょこちょこと、いろいろな物を買いました。 私の出納ノートで見ると、2001年10月に登場し、2007年1月が最後になっています。 奇しくも、ワイヤー・ロックと自転車カバーを買ったのが、最後だったわけです。 その店、すぐに、なくなってしまったような記憶があったんですが、それでも、6年間はあったんですなあ。 記憶というのは、曖昧なものじゃて。 オレンジだった店舗は、その後、不動産屋が入っています。

  更にちなみに、そのオレンジが閉店した後、何年か経ってから、同じ名前の店が、他の場所にいくつかあるのを発見しました。 八間道路の、キミサワ→ヤベ電器→業務スーパーの跡地にも出来て、そこにも、ちょこちょこ行きましたが、ダイソー系列だったようで、去年、ダイソーに変わってしまいました。 思いっきり、ローカル情報だのう。 しかも、昔話だし。


  で、ワイヤー・ロックの話に戻りますが、色は黒で、鍵を挿す方式。 大きいサイズでした。 折自用に買ったにも拘らず、折自で出かける時には、ほとんど、使った記憶がありません。 大き過ぎたんでしょうな。 その年の4月には、長首の南京錠を買って、折自のロックは、そちらに換えてしまうので、3ヵ月で用なしにしてしまったわけです。

  ワイヤー・ロックは、出先で使おうとすると、どこへ入れて持って行くかが大きな問題になるものでして、ワイヤー・ロックを入れる為だけに、ナップ・ザックを使うのは、大変、面倒。 さりとて、自転車に着けて行くとなると、いい場所がありません。 下手な所に吊っておくと、ブラブラ揺れて、フレームにこすれて、大事な自転車に、キズをつけてしまったりします。 痛恨だな。

  また、キーを挿しっ放しにして、吊り下げておいて、ふと気づいたら、キーがなくなっていたというのも、顔色真っ青な話。 どこかで、落ちてしまったんでしょうなあ。 落とした物のサイズや、移動した距離にもよりますが、路上で落とした物は、後で捜しに行っても、まーず、見つかりませんな。 私個人的には、見つかった経験がないです。


  また、話を戻します。 そのワイヤー・ロック、使わなくなって、お蔵入りにして、たぶん、自室の押入れに突っ込んでおいたのだと思いますが、具体的に、どの辺りにしまってあったかは、さっぱり覚えていません。 しかし、捨てる原因になった事件は、劇的だったので、はっきり覚えています。

  2011年12月4日、祖母の33回忌の時、家族全員で寺に行く前に、庭の潜り戸に、ワイヤー・ロックをかけて行きました。 ところが、帰って来て、開けようと思ったら、錠が壊れていて、開きません。 ガチャガチャやっていたら、ロック内の金属部分がバラバラに崩壊してしまいました。 あっかーん!(開かないだけに・・・)。 しかも、それでも、外れねーと来たもんだ。

  やむなく、ワイヤー・カッターで、ワイヤーを切断しました。 おっと、「ワイヤー・カッター」と言うと、マッチョな電動工具を連想する人もいるかと思いますが、そういう物ではなく、ペンチの親分みたいな道具です。 そんなに高価なわけではないので、一家に一丁あると便利ですが、くれぐれも、自転車泥棒に使わないように。

  そういうわけで、二番目に買ったワイヤー・ロックは、壊れて、捨ててしまったんですよ。 ほとんど、使っていなかったにも拘らず・・・。 「100円ショップの品だから」? 関係ないんじゃないですか? たまたま、ハズレだったんでしょう。 ちなみに、未だに勘違いしている人がいるようですが、100円ショップというのは、100円以下で仕入れられる品を売っているのであって、別に、安物を売っているわけではありません。 ましてや、「専ら、不良品を売っている」などという事は、金輪際ないので、注意するように。

  いや、いるんですよ、ほんとに、100円ショップを、根本部分で勘違いしている人が。 大抵、自分は、100円ショップに行った事がなくて、「100円ショップに行くのは、貧乏人だ」と、店も客も見下しているという、しょーもない輩です。 全く同じ品を、ホーム・センターで、5倍の値段で買って、「ホーム・センターの方が、物がいいに決まっている」と信じ込んでいる、憐れな人達。 物を見る目がないというのは、とことん、損ですなあ。

  そういえば、今でも、「100円ショップで、店員に、個々の商品の値段を訊いている、馬鹿な客」という冗談を口にする人がいると思いますが、それが通用したのは、ダイソーが、100円以外の商品も置くようになる前の事です。 今は、全く通じないばかりか、ダイソーに行った事がない事を自白してしまう事になるので、やめた方がいいです。 そういうのも、100円ショップを誤解している人間の一類型ですなあ。 行きもしない、すなわち、知りもしないのに、貶そうとするから、墓穴を掘るのですよ。


  んーーー・・・・、脱線しないと言っておきながら、脱線しまくって、随分、長くなってしまったので、今回は、ここまでにします。 本来、今回の文章のタイトルは、≪ワイヤー・ロック 後編≫になる予定だったのですが、そういうわけで、≪中編≫に変更しました。 「中編」というのは、「中くらいの長さの小説」を指すのが普通なので、何か違和感がありますが、「前編・中編・後編」という言い方がないでもないですな。

  そうそう、二番目に買ったワイヤー・ロックの写真ですが、買った直後の写真が見つからず、アップを諦めていたら、なんと、捨てる直前に撮った写真を発見しました。 ↓これがそうです。 撮影データの年月日・時刻は、2011年12月4日、12時10分となっています。


  撮影時間と、日記の記述を突き合わせて考えると、すでに、ワイヤー・カッターで切断した後なのですが、「うまく並べて、まだ切れていないような姿にして、撮ったのかなあ?」と思ったのも束の間。 よく見ると、錠部分の方に、金属突起がついているじゃありませんか。 こんなのは、ありえません。 つまり、突起が抜けないので、突起側の被覆をずらして、ワイヤーの根元で切ったんですな。

  鍵の方ですが、持ち手がプラスチックで覆われたタイプだったんですねえ。 完全に忘れていました。 ほとんど使わずに、3ヵ月でお役御免にして、以後、4年8ヵ月間、押入れに突っ込んだまま、見もしなかったのだから、無理もないですけど。

  む? 今、何気なく、「錠部分」とか、「鍵の方」とか書きましたが、念の為に書いておきますと、私は、「錠(じょう)/ロック」と「鍵(かぎ)/キー」は、言葉上、使い分けています。 中には、一緒くたにして、「かぎ」と言っている人もいると思いますが、別の物を指しているので、そのつもりで読んで下さい。

  会話上、「鍵が壊れた」という言い方は、普通に通じるので、それはそれで、目くじら立てるような事ではありませんが、正確に言えば、鍵は、「折れる」とか、「捻じ切れる」ものでして、「壊れる」のは、錠の方です。 ただし、車のキーレス・エントリーのキーは、別。

2018/05/13

ワイヤー・ロック 前編

   今回は、自転車ブログの方に書いた記事からの移植です。  自転車ブログの方には、新たな記事を書くのに、こちらには書かないのは、こちらの専用記事を書いても、他へ使い回す事ができないから、という、いやらしい事情があります。





   香貫山の登り口の一つで、路肩にとめてあった自転車です。 毎日、登山する人が、麓まで自転車で来て、ここにとめて、山だけ登るんですな。 路肩ですから、違法駐輪ですが、多い時でも、5台くらいで、大した迷惑でないからか、取り締まられる事もなく、長らく、この状態が続いています。

  いや、別に、違法駐輪を吊るし上げようというわけではありません。 私の家から遠い所ですし、余計な事を言う気はないです。 警察に取り締まりを依頼するにしても、それは、この近所の人達がすべき事ですな。 法律というのは、緩ければ緩いほど、暮らし易いもので、誰も文句がないのなら、このままでもいいんじゃないでしょうか。

  では、何が言いたいのかというと、前籠に、ワイヤー・ロックが通されている点に、注目したのです。 前輪ではなく、前籠の格子にかけられています。 まったく、ロックの意味なし。 ただし、馬蹄錠はかけられているので、この自転車の持ち主に、防犯意識がまるでないという事はありません。 ワイヤー・ロックは、セカンド・ロックとして、一応、買ったけど、使ってないだけなわけだ。

  恐らく、最初の内は使っていたんでしょうが、面倒臭くなって、やめてしまったんでしょうな。 更に、細を穿って推測するなら、出先ではかけても、家ではかけないという人で、ワイヤー・ロックそのものを盗まれてしまわないように、前籠にかけて、キーだけ抜いて、家の中に置いておくようにしていたのが、出かける時に、キーを忘れる事が多くあり、出先で、かけたくても、キーがないから、かけられない。 そんな事が続く内に、ワイヤー・ロックなんか、どうでも良くなってしまったのではないかと・・・。 ありそうな事です。


     で、ここからが、本題ですが、人様の自転車の事なんか、どーでも宜しい。 ただ、このワイヤー・ロックを見て、私が過去に買ったワイヤー・ロックの事に思いを馳せたというのが、今回の話題です。


  構造の単純さから考えて、ワイヤー・ロックという製品そのものは、私が子供の頃、つまり、40年以上前からあったと思うのですが、買う事はなかったです。 自転車には、標準装備で、前輪フォーク左側に、ストレート・タイプのシリンダー錠がついていましたから、それで充分だったんですな。 実際、自転車を盗まれたという経験はありません。

  私が、初めて、ワイヤー・ロックを買ったのは、1988年でして、自転車にかけるためではなく、スクーターの為に買いました。 当時、東京の専門学校に通っていたのですが、自宅から沼津駅まで、スクーターで行って、駅近くの駐輪場にとめて、そこから、電車で東京まで行っていました。 普通列車で、片道、3時間かけて。

  「えっ! そんな生活できるの?」と思った方もいるでしょうが、「できるか、できないか」という設問になら、「できます」というのが、回答になります。 だって、私、やってましたから。 進学で、都会の学校に通う事になった人で、ろくに考えもせずに、実家を離れて、独居を選ぶ人は多いですが、まず、実家から通えないかどうか検討してみるべきですな。 独居なんて、金はかかるわ、侘しいわ、物騒だわで、ろくなもんじゃありません。

  「独居じゃないと、友達が出来ない」? いやー、関係ないんじゃないですか。 そもそも、学生時代の友人を、ありがたがりすぎるのは、問題でして、卒業してしまえば、結局、違う仕事に就く事になるから、交友関係は、一から作り直す事になります。 休日の数は限られているのに、昔の友人とまで付き合いを続けていたら、体が幾つあっても足りないでしょうが。

  片道3時間は極端なケースですが、2時間以内なら、もう絶対に、通った方が得です。 特に、独居費用を稼ぐ為に、バイトに時間を奪われて、肝心の学業が疎かになってしまっているような人は、すぐにでも、考え直した方がいいです。 実家から通っていれば、親との間に、心の溝が出来る事もありません。 もっとも、後々、老後の面倒を見させられる事を恐れて、一刻も早く、一キロでも遠く、親元から逃げ出したいと目論んでいる人には、こんなアドバイスは、何の意味もありませんが。


  おっと、脱線、脱線。 話を戻します。 で、初めて買った、ワイヤー・ロックですが、スクーターの為と言っても、別に、スクーターの車輪にかけていたわけではありません。 雨の降る日は、合羽を着るわけですが、駐輪場で合羽を脱いだ後、合羽を盗まれないように、袖と片脚に通して、前籠にロックして行ったのです。

  「人が脱いだ合羽なんて、盗む奴、いるのかあ?」と、へらへら締まりなく笑っている、そこのあなた。 世間に対する認識が間違っています。 どんな物でも、盗む奴は、盗みます。 合羽の場合、欲しいから盗むという奴は少ないでしょうが、その場限り、雨がしのげればいいという理由で盗むような輩なら、駅近くの駐輪場辺りには、いくらでもやって来ます。

  「あー、雨がひどくなっちゃったなー。 あっ、ここに合羽があるじゃん。 これ着てこー」という軽いノリで、他人の物を盗んで行くのだから、恐ろしい。 そして、雨がやめば、そこら辺に脱ぎ捨てて行くわけだ。 何とも、調子がいい奴で、ある意味、世渡り上手と言えるかも知れませんが、同時に、人間のクズ呼ばわりされても、文句が言えないでしょうな。

  「盗まれる方が悪い」とか、「人を見たら、泥棒と思え」とか、そういう物言いを、真理だとは思いたくないところですが、実際の世の中を生きていると、確かにその通りだと思い知らされる場面はあります。 「渡る世間に鬼はなし」とは、また別の次元で、人の物を盗む人間というのは、確実に存在するのです。

  私が最初に物を盗まれたのは、小学校低学年の頃です。 学校行事の雪遊び体験で、スキー場に連れて行かれたのですが、座敷式の大きな食堂があって、まだ新品の長靴を脱いで上がり、昼食を食べた後、自分の長靴を捜したら、なくなっていました。 教師に言ったのですが、見つからず、誰のか分からない、小汚い長靴を代わりに履いて帰りました。

  その教師も、いい加減な奴で、私が長靴に付いたワン・ポイントのマークを覚えていると言ったのですから、学年全員を調べれば、そのマークが付いた新品の長靴を履いている奴を見つけられたはずですが、面倒だから、やらなかったんですな。 または、泥棒を捕まえてしまって、大ごとになるより、目の前のガキ一人に涙を飲ませた方が、簡単に済むと考えたのかもしれません。

  その教師に、「誰かが、間違えて、履いて行ったんだろう」と言われて、私も、子供だったから、そうかと思ってしまったのですが、その後、世間を知るにつれて、「何が、間違いなものか。 絶対に、他人の物と承知の上で、盗んだに違いない」と確信するようになりました。 いくら、子供でも、文字を習うような年齢になっているのに、ボロと新品の区別がつかぬわけはない。

  小学校低学年ですら、そういう人間はいるのです。 況や、大人に於いてをや。 自分の子供に向かって、「大勢で、靴を脱ぐ機会があったら、自分のボロ靴を、他人の新品の靴に取り替えてしまえ」と教えている親すら、存在しかねないです。 まぎれもなく、窃盗罪なのですが、「違法行為でも、バレないようにやれば、問題ない」と思っていて、それを世渡り術だと誤解しているんですな。  もちろん、自分でも実行していて、「うまく行けば、ラッキー。 バレたら、返せばいい」くらいに、軽~く考えているのです。

  もっとも、そういう奴は、一生涯、常に危険を冒しているわけですから、いつか必ず、痛い目に遭うと思いますけど。 逮捕されて、懲役を喰らっても、まだ、「これが、世渡り術だ」と言うかね? 中には、自分より怖い奴の物を盗んでしまい、激怒した相手に調べ出されて、殺されるケースもあると思いますが、海に沈められようが、山に埋められようが、全く、同情に値しません。 惜しむらく、そういう人間は、生まれて来る前に死んで欲しかった。


  おやおや、また、脱線だ。 元に戻します。 で、その、1988年に買ったワイヤー・ロックですが、何月何日だったかは、記録がないので、分かりません。 当時は、まだ、100円ショップがなくて、ホーム・センターの自転車コーナーで買った品だと思います。 値段は、1000円くらい、したんじゃないでしょうか。 スクーターで使っていたのは、半年くらいで、翌1989年の3月には、専門学校を中退し、就職します。 会社には車で通う事になり、ワイヤー・ロックには出番がなくなって、押入れにしまい込んで、幾星霜。 恐らく、1998年の秋にやった大整理で、捨てたものと思われます。


  ↑これは、2016年12月の小整理の時に、箱椅子の中から出て来た、タグです。 最初に買ったワイヤー・ロックの本体は、写真一枚撮らなかったのですが、たまたま、タグだけ残っていて、捨てる前に、写真を撮っておきました。 普通のキー式ではなく、テン・キー式だったんですな。 順序はなくて、決められた幾つかのボタンを押せば、開錠する仕組みです。 「GORIN」というロゴがありますが、会社名か、ブランド名かは、不詳。 今でも、存在するのか、調べる気にもなりません。

  そんなワイヤー・ロックを使っていたという事さえ、このタグが出て来るまで、完膚なきまでに忘れていました。 これを見て、初めて、「ああ、合羽を盗まれないように、こんなのを使っていたんだなあ」と、記憶が蘇って来たという次第です。 きっかけがあれば、完全に忘れていたような事でも、思い出すものなんですねえ。

  ちなみに、スクーターは、母が所有していた、初代タクトでした。 色は赤で、セル付き。 その時、私は車を所有していたんですが、駅の近くに月極駐車場を借りて、車でそこまで行っていた期間が、2・3ヵ月あったでしょうか。 その内、駐車場代が勿体なくなり、解約して、車はやめ、使われていなかった、母のスクーターを借りる事にしたのです。 駐輪場は、市営で、無料でした。




  長くなってしまったので、続きは、次回に回します。 ・・・、長くなったって、半分以上、脱線話でしたがのう。 困ったものじゃのう。

2018/05/06

読書感想文・蔵出し (38)

   読書感想文です。 それはそれとして、私の現況ですが、5月は、やらなければならない事が多くて、気が重いです。 まず、庭の松の緑摘み。 これは、ぎっちり、二日間かかります。 次に、車のオイル交換と、オイル・フィルターの交換。 オイル交換は、経験済みですが、フィルター交換は初めてで、うまく行くかどうか、大変、不安です。 引退生活になっても、気が重い事は、何かしら、あるものなんですな。




≪ローマ帽子の謎≫

創元推理文庫
東京創元社 1960年12月初版 1988年2月55版
エラリー・クイーン 著
井上勇 訳

  沼津市立図書館にあった本。 これも、きったない本だのう。 水没痕こそないものの、汚れ、折れ、皺と、コンディションの三悪が揃っています。 有名どころの作品なのだから、新しい版に買い換えればいいのに。 こんなものを貸し出しているのは、図書館の恥と言っても良いのでは?

  発表は、1929年。 エラリー・クイーンという作家は、アメリカ人の二人組で、ヴァン・ダインが、アメリカで推理小説を復興させたのを見て、自分達も書こうという気になり、最初に発表したのが、この作品です。 「国名シリーズ」と呼ばれている、初期の作品群の第一作。 昔の文庫本の文字サイズで、430ページもある、かなりの長編です。 読むのに、8日間もかかりました。 長いからというより、興が乗らないから。


  活劇が大当たりしている、ニューヨークの≪ローマ劇場≫で、上演中に、弁護士が毒殺される事件が起こり、早速、部下の一団を連れて現場に乗り込んだクイーン警視と、その息子の推理作家、エラリーが、被害者のシルク・ハットがなくなっていた事を、最大の手掛かりとして、背景にある恐喝事件を探り出し、殺人犯を特定して行く話。

  ややこしいですが、クイーン警視のフル・ネームは、「リチャード・クイーン」、息子の方は、「エラリー・クイーン」で、作中では、「クイーン」と言ったら父親の方、「エラリー」と言ったら、息子の方と、書き分けています。 作者の名前も、エラリー・クイーンなので、一人称かというと、そうではなく、三人称で、全然、違う人物が、小説体に記録したという設定になっています。 「ややこしいにも、限度がある!」と、机を叩きたくなるところですが、まあ、落ち着いてください。 実際に読んでみれば、混乱するほどではないです。

  で、記念すべき第一作なんですが、どうにもこうにも、誉めようがありません。 推理小説としての、謎のアイデアは良いと思いますが、書き方に問題があり、ダラダラと、異様に長ったらしく、小説としては、明らかに失敗しています。 ヴァン・ダイン作品を踏み台にして、それ以上を狙った形跡がアリアリと見受けられるのですが、ただ、描写を細かくしただけでは、それ以上にはなり得ますまい。

  それに、細かい描写をしても、アメリカが舞台だと、イギリスのような、濃密な感じが出ないのには、哀しいものがありますなあ。 冒頭から出て来る警官たちが、妙に粗暴に感じられるのは、いかにもアメリカンな印象です。 これだもの、アメリカのミステリー界が、ハード・ボイルドに流れて行ってしまうわけだ。

  探偵役を、クイーン警視とエラリーの、二人にしてしまったのが、また、いけない。 一つの作品に、二人の探偵役を出すと、どうしても、どちらかが鋭くて、どちらかが鈍くになってしまうのですが、この作品では、クイーン警視の方が鈍くされており、それでいて、実質的な主人公が、クイーン警視なものだから、収まりが悪いというか、バランスが悪いというか、すっきりしない配役になっているのです。

  更に、ヴァン・ダイン作品の真似方に事欠いて、ファイロ・ヴァンスの嫌味ったらしい性格を、エラリーに移植しているのが、顰蹙もの。 よりによって、どうして、最も評判の悪い要素を真似たのか、意図が分かりません。 古典知識のひけらかしなんて、気障なだけで、聞かされる方は、不愉快千万。 何の魅力にもならないと思うんですがねえ。

  「ローマ帽子」という名前の帽子があるわけではなく、ローマ劇場で、シルク・ハットが消えたから、ただそれだけの関連で、こういうタイトルになっています。 国名シリーズとは言いながら、その国と必ず関係があるわけではないわけだ。 劇の内容も、ローマとは、何の関係もないです。

  帽子がいくつも発見されるクライマックスには、多少、ゾクゾク感があますが、よく考えてみると、「警察で、家中隈なく捜した割には、そんな場所に気づかないのは、迂闊過ぎるんじゃないの?」と思わないでもないです。 クライマックスと、逮捕場面、謎解き場面がズレていて、逮捕場面は、ただの活劇、謎解き場面は、クイーン警視が喋るだけで、ちっとも面白くないです。

  謎と、推理、捜査過程は、とことん、理詰めで、そういうのが好きな人なら、評価が高くなると思います。 アイデアに対して、ストーリーの語り方が、追い付いていない感じ。 ちなみに、理詰めが苦手な人でも、割と早い段階で、犯人の見当はつきます。 私は、犯人の最初の言動で、「ああ、こいつだろう」と思ったのですが、それが当たりでした。 そういうところを気取らせてしまうようでは、いい推理小説とは言えません。

  トドメに、量的には、ほんのちょっとですが、肝腎要の、犯人の素性について語っている部分に、人種差別が出て来ます。 動機の根幹に関わるような事で、さらっと読み流せないところです。 ヴァン・ダインだけでなく、エラリー・クイーンも、結局、こういう作家なのか・・・。 



≪雲なす証言≫

創元推理文庫
東京創元社 1994年4月初版
ドロシイ・L・セイヤーズ 著
浅羽莢子 訳

  沼津市立図書館にあった本。 汚い上に、ボロボロ。 その上、水没痕あり。 いいとこなし。 あまりにも、状態が悪いので、除菌だけでは追いつかず、コピー用紙でカバーを作り、それをかけて、読みました。 ところで、どーでもいー豆知識ですが、文庫本や新書本の場合、A4の紙でカバーが作れます。

  発表は、1926年。 セイヤーズの長編推理小説の第二作。 探偵役は、ピーター・ウィムジイ卿。 第一作から、第二作まで、三年も開いているんですねえ。 370ページくらいあり、結構な厚さです。 つまらない作品ではないのに、読み終えるのに、5日間もかかってしまいました。 その前に読んでいた、≪ローマ帽子の謎≫にもてこずったので、返却日ギリギリになってしまいましたよ。


  ピーター卿の兄、デンヴァー公爵が、妹の婚約者を射殺した容疑で逮捕されてしまう。 ピーター卿が、パーカー警部と共に、捜査に乗り出すが、事件関係者が、ことごとく、何かを隠して、嘘の証言をしており、それらの裏事情を、一つ一つ解き明かして、事件の真相に迫って行く話。

  面白いです。 というか、読み応えがあります。 いや、やはり、面白いと、素直に認めてしまうべきか。 推理小説の命、ゾクゾク感は、ほとんど覚えないのですが、ピーター卿が、捜査で精力的に動き回る様子が、冒険小説的な、ワクワク感を醸し出しているのです。 とりわけ、霧の中で、底なし沼に嵌まる場面は、ベタと言えばベタで、助かるに決まっていると分かっていながら、手に汗握らせます。

  トリックと言えるような、トリックはありません。 謎は、大変、凝っていますが、偶然が過ぎるせいで、不自然な事件になっています。 こんな事は、確率的に、まず起こりえません。 という事は、つまり、読者側が、推理しながら読む事はできないという事ですが、それが瑕になってはいません。 いっそ、推理小説と思わずに、普通の小説だと思って読めば、サービスたっぷりで、完成度が高い作品と言えると思います。

  強いて、難点を挙げるなら、ラスト近くの、弁護士による最終弁論は、長過ぎでしょうか。 事件の経緯を、一から解説し直すのですが、読者側からすると、すでに分かっている事が多いので、読むのが億劫になります。

  うーむ、感想が、この程度しか出ないのは、どういうわけだろう? 面白いけれど、絶賛するほどではない作品の場合、貶すにも、誉めるにも、材料が少ないから、簡素な感想になってしまうのかもしれません。



≪フランス白粉の謎≫

創元推理文庫
東京創元社 1961年3月初版 1987年6月52版
エラリー・クイーン 著
井上勇 訳

  沼津市立図書館にあった本。 きったない本ですなあ。 もし、古本屋に持ち込んだら、「こんなものに値段がつくと思うか!」 と、怒られてしまうくらいに、ひどい。 どうも、沼津図書館にあるエラリー・クイーンの文庫本は、ほとんどが、こんな状態のようなのですが、買い換えてくださいよ、いい加減。

  発表は、1930年。 「国名シリーズ」の、第2作です。 ≪ローマ帽子の謎≫と同じく、タイトルの国名と、話の中身は、ほとんど関係ありません。 そもそも、口紅は出て来ますが、白粉は出て来ません。 原題は、≪The French Powder Mystery≫で、単に、「フランスの粉」。 もし、英語の隠語で、麻薬の事を、「French Powder」と呼ぶのなら、麻薬は出て来ます。 あくまで、「もし」で、推測に過ぎませんが。


  サイラス・フレンチ氏が経営する、フレンチ百貨店の室内装飾展示室で、フレンチ氏の後妻の死体が発見される。 早速、ニューヨーク市警を引き連れて乗り込んだクイーン警視と、その息子エラリーが捜査を進める内に、殺害現場が、デパートの最上階にある、フレンチ氏の私室で、そこから、死体が階下に運ばれた事が分かる。 殺人事件と前後して行方不明になっている、後妻の連れ子が、麻薬中毒だった事や、デパートの書籍部門が、麻薬取引に関わっていた事が分かって、容疑者が絞り込まれて行く話。

  借りて来たのは、この一冊だけで、2週間用意して読んだのですが、なかなか、興が乗らず、手こずりました。 ≪ローマ帽子の謎≫でも同じでしたが、ニューヨーク市警の面々が、嫌悪感を覚えるくらいに横柄で、人を人とも思わぬ態度で現場を仕切るせいで、ムカムカするばかりで、ページが先に進みません。

  また、ヴァン・ダインの影響が、もろに出ていて、やたらと、関係者からの聞き取り場面が長いのも、うんざりさせられます。 エラリーが、経営者の私室を調べに行くと、急に動きが出て、小説っぽくなります。 その後、また、聞き取りに戻ってしまうのですが・・・。 この作品を書いていた時点では、まだ、作者が、自分のスタイルを確立していなかったのだと思います。

  以下、ネタバレ含みます。 経営者の机の上に並んでいた、カテゴリーがバラバラの本から、デパートの書籍部門が、麻薬取引の連絡場所に使われていた事が判明する件りになると、俄然、面白くなり、ゾクゾク感が盛り上がってきます。 一定の暗号的法則で選ばれた本に、取引場所が書き込まれているというものなのですが、児戯に等しいと言えば言えるものの、それが面白いのだから、仕方がありません。 ポーの≪黄金虫≫から始まったものと思いますが、こういうパズル的な要素は、やはり、推理小説には必要だと思わされますねえ。

  作者お得意の、理詰めに走って、不自然になっているところもあります。 ウィーヴァー秘書が、書籍部責任者の奇妙な行動に気づいて、同じ本を収集したのは良いとして、なぜ、それを、経営者の机の上に並べなければいけないのかが、分かりません。 普通、自分のロッカーとか、自宅とか、他人に知られない所に置くんじゃないですかね? 単に、「偶然、犯人の目に触れた」という流れにしたいが為に、御都合主義で、そんな所に並べさせたとしか思えません。

  犯人の絞り込みですが、指紋検査の粉を使ったと分かった時点で、容疑者は、二人になってしまい、その内の一人は、最初に出て来た後、全く、出番がありませんから、残りは一人になって、もう、そいつ以外あり得ない事が、分かってしまいます。 「そう思わせておいて、別に犯人がいる」という誤誘導かと思いながら、読み進んだのですが、結局、そいつが犯人で、何の捻りもありませんでした。 1930年では、長編推理小説は、まだまだ、草創期の内ですから、完成度が高くないのも致し方ないのか・・・。

  あと、この作品には、人種差別表現が出て来ます。 原作の問題なのか、翻訳の問題なのかは、不明。 同じ創元推理文庫で、訳者が、ヴァン・ダイン作品と同じ人ですから、出て来ても、不思議はないです。 ヴァン・ダイン作品の感想でも書きましたが、1961年の発行なら、この種の表現があっても、目くじら立てる人は、少なかったでしょう。 だけど、同じ版を、1987年まで刷っていたとなると、無神経と言わざるを得ません。



≪不自然な死≫

創元推理文庫
東京創元社 1994年11月初版
ドロシイ・L・セイヤーズ 著
浅羽莢子 訳

  沼津市立図書館にあった本。 今までに読んだ、セイヤーズの他の本に比べれば、綺麗で、助かりました。 同じ時期に出版され、購入されているのに、なぜ、この本だけ、綺麗なのか、理由が分かりません。 二冊読んで、飽きてしまい、三冊目を読まない人が多いんでしょうか?

  発表は、1927年。 セイヤーズの長編推理小説の第三作。 探偵役は、ピーター・ウィムジイ卿。 第一作から、第二作までは、三年も開いていたのに、この第三作は、第二作の翌年に出ています。 恐らく、作者が、長編推理小説の作り方・書き方について、何か、コツを掴んだのでしょう。


  医者の予想よりも、遥かに早く死んでしまった癌患者の話を聞いて、不自然さを感じたピーター卿が、調査員のクリンプスン嬢を送り込んで、捜査を進めたところ、遺産相続人である若い女が、相続法の改定前に、被相続人を殺害した疑いが強まり、パーカー警部や地元警察も動き出すものの、予想以上に犯人が凶悪で、連続殺人を止められない話。

  ネタバレのような梗概ですが、なに、大丈夫です。 犯人が誰かは、早い段階で、読者に分かってしまうので、バラしても、小説の面白さを損なう事はありません。 つまり、フー・ダニットというよりは、ハウ・ダニットなのですが、本当に面白いのは、外堀を埋めるように、容疑が固まっていく過程でして、どうやって殺したかも、さほど、重要ではないです。

  話の作り方が巧みになっていて、第一作とは、雲泥の差。 第二作と比べても、かなり上です。 小説家の技量面の成長が、これだけ、はっきり出ているケースも珍しい。 漫画家なら、急に絵がうまくなっていく時期というのは、ありますけど。 第二作では、とってつけたような、コミカル場面がありましたが、この作品では、語る事が多いせいか、笑いを取ろうとしている部分は、ほとんど、ありません。

  ピーター卿は、一応、探偵役ですが、あまり、活躍はしません。 話の方が、探偵の存在に頼らなくても、どんどん進むので、適当な役回りを当てられなかったのだと思います。 もともと、そんなに好感度の高い探偵役ではないから、活躍しなくても、ちっとも気になりません。

  三人殺されるのですが、殺害方法の方は、三件とも、トリックというほどのトリックではなく、本格派としての資格は欠いています。 しかし、これだけ、面白ければ、本格に拘る方が愚かというものでしょう。 当然、作者は、それを承知で話を作っているわけで、そういう点も、第一作とは、天地の違いを感じるのです。

  物語の面白さの本質を見抜き、小説に具現化させたといったら、ちょっと、誉め過ぎでしょうか。 とにかく、読んで、損はない作品です。 読み始めれば、すぐに引きこまれて、ページが勝手に進むと思います。 

  面白いだけに、こういう事は書きたくないのですが・・・、有色人種に対する差別表現が出て来ます。 原作レベルなのか、翻訳レベルなのかは、分かりません。 1994年の訳で、こういうのが入っているのは、違和感が強いですなあ。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪ローマ帽子の謎≫が、3月10日から、17日にかけて。
≪雲なす証言≫が、3月18日から、22日。
≪フランス白粉の謎≫が、3月23日から、4月3日。
≪不自然な死≫が、4月5日から、11日にかけて。

  前回の最後に紹介した、≪誰の死体?≫以降、セイヤーズは、ピーター卿シリーズの最初から、クイーンは、国名シリーズの最初から、順に読んで行ったのですが、今回出した分で、早くも、行き詰まりました。 沼津の図書館に、続きの本がないのです。 クイーンは、後期作品なら、そこそこの数があるのですが、やはり、発表順に読んだ方がいいと思いまして。

  三島図書館に行けば、もっと、数が揃っているのですが、遠いので、行きたくありません。 別に急ぐわけでもないですから、クイーンとセイヤーズは、一時休止して、今は、コリン・デクスターを読んでいます。