2009/01/25

遠い演説

  1月9日火曜日の深夜、遅番の仕事から帰宅したら、たまたまテレビで、アメリカ大統領就任式の中継をやっていました。 今まで、こういうのを見た事が無かったんですが、オバマ氏が何を言うのか、ちょっと興味が湧いて、就任演説を聞いてみました。

  内容以前に、同時通訳と、字幕の翻訳があまりにも違うのにびっくり! 字幕の方は事前に手に入れた原稿を流しているものと思われますから、同時通訳の方が、ズレているのでしょう。 オバマ氏が原稿をそのまま読んでいるのではなく、その場の感覚で表現を変えているのかとも思いましたが、その後知った新聞の情報によると、この演説原稿は、何ヶ月もかけて、字句や表現を入念に選んで構成されたもので、その場の都合で変えられるようなものではなかったようです。 すると、やはり、同時通訳がテケトーだったんでしょう。 同時通訳という技能、普段、全面的に信用して聞いていますが、実際には、どんなごまかしをやられているか分かったもんじゃなかったわけですな。 怖い怖い。

  それはさておき、演説の内容です。 実を言うと、結構長い話だったので、最初聞いた時には、あまり頭に入りませんでした。 印象としては、「アメリカの自慢話ばっかりだなあ……」と、それだけ記憶しています。 その後、新聞に全文が掲載されたので、今それを読みながら、これを書いているわけですが………、うーん、やっぱり、自慢話が八割ですな。 今までのアメリカ歴代大統領の就任演説を聞いた事が無いので、比較が出来ないんですが、「チェインジ」を期待されて登場したオバマ氏でさえ、こんなに自慢ばかりしているという事は、今まではもっと自慢が多かったのかもしれませんな。

  ちょっと脱線しますと、オバマ氏のキャッチ・フレーズの一つ、「Change」ですが、日本人がこれをカタカナ語化する時、「チェインジ」と、「イ」を入れているのは、興味深い現象です。 習慣に従えば、野球用語などに使われている、「チェンジ」と同じになりそうなものですが、なぜか、猫も杓子も「チェインジ」と発音しています。 もちろん、原音は「チェインジ」の方が近いです。 とうとう日本人も原音主義に目覚めたか!? いやいや、一方で、もう一つのキャッチ・フレーズ、「Yes We can !」の方は、「イェス、ウィ、ケン!」にならず、相変わらず、「イエス、ウイ、キャン!」と言っているところを見ると、「チェインジ」は、単なる気紛れと流行の結果なんでしょう。 原音主義は、まだまだ眠り続けるわけだ。

  話を元に戻します。 演説の内容ですよ。 この演説の目的は、アメリカ国民をおだてて、いい気分にさせ、これから行なう政策に進んで協力するように呼びかけているものと見ました。 「アメリカは素晴らしい国で、素晴らしい先祖を持つ、素晴らしい国民がいる。 そんなに素晴らしいんだから、現在置かれている苦難も乗り越えられるはずだ。 みんな頑張ろう!」という論理展開ですな。 その、≪おだて≫の部分が、異様に長いので、「自慢ばっかり」に聞こえたわけです。

  いかに世界中の注目を集めていようと、アメリカ大統領は、アメリカ一国の大統領なのだから、就任演説でアメリカの自慢をベラベラ喋っていけないという法はありませんが、私個人の感想としては、21世紀のこの時点で、現状世界最大の国力を持っている国の大統領が、自分の国の事しか視野に入れていないというのは、些かならず、残念です。 アメリカは今が絶頂期で、今後は二流国に転落して行くという予測の証明のように見えてしまうのです。 私自身はアメリカ国民ではないですし、今後もアメリカ国民になる予定が無いので、どうでもいいって言えばいいんですが、なんだか、世界の統一は遠い気がして、明るい気分になれません。 やっぱり、アメリカでは駄目か………。

  テレビや新聞の解説を見聞きしていると、今回の演説を誉めている意見が多いようなので、私は貶してみようと思います。 別に、天邪鬼を気取ろうというわけではなく、聞き捨てならない部分を指摘しておきたいのです。 いや、結構ありますよ。


≪我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある≫
  その言葉は、そのままそっくりアメリカに返します。 現在、世界中で、最も大規模な暴力と憎悪のネットワークを形作っているのは、アメリカです。 暴力は、アメリカ軍事力そのものですし、憎悪は、9.11後、ブッシュ政権の報復政策を全面的に支持したアメリカの民意のほとんど全てを埋めていました。 暴力・憎悪と戦争するなら、まず、自国内のそれと戦うべきでしょう。


≪聖書の言葉を借りれば……≫
  就任式の宣誓の時にも聖書が使われましたが、それは、オバマ氏がキリスト教徒だからで、その点は、一応問題ないです。 信じていないものに対して誓っても、それは誓いになりませんから。 もしイスラム教徒の大統領が就任する時には、当然コーランが用いられるわけで、政教分離の原則には抵触していません。 しかし、演説の中で、聖書の言葉を持ち出す事には、問題があります。 アメリカ国民の中には、聖書とは全く関係ない宗教の信者もいるからです。 どうも、「子供じみたことはやめる時が来た」という一句を引用したいが為だけに、「聖書の言葉を借りれば」と前置きしたようですが、こんな普通の物言いをする為に、わざわざ、政教分離の原則を揺るがしてまで、特定宗教の経典を引用する必要はありますまい。

  余談ですが、神も仏も、どんな物も信じていない場合、宣誓は成り立ちません。 高校野球の≪選手宣誓≫など、笑止千万。 おまいら一体、何に対して誓っとるんじゃい? 現代日本人に於いては、≪誓う≫という言葉の意味すら分かっていない者が圧倒的多数です。 信じていればこそ、裏切る事が出来ないから、それに対して誓う事が出来るわけです。 何も信じていなければ、裏切る事に抵抗など微塵も感じないのですから、いくらでも嘘が言えます。 日本の裁判所では、「良心に誓って」と言わせますが、良心なんぞ薬にしたくも持ち合わせていない輩には、お笑い種でしかありませんな。


≪アメリカの偉大さを再確認する上で……≫
  いや、それほど、偉大ではありませんよ。 トップと言っても、経済規模で言えば、EUや中国と、ほとんど変わりませんし、人口はずっと少ないし、人類史に対する貢献も、特別大きいわけではありません。 エジソン氏やフォード氏を個別に偉大と言う事は出来ても、それが即、アメリカが偉大だという事にはなりますまい。 そもそも、百歩譲って、アメリカ程度でも偉大な国だと仮定するとしても、自分の口から自分の事を、「偉大」って言いますかね? 「大日本帝国」だの、「大英帝国」だのという誇大妄想狂的呼称と、どこが違うのよ。


≪私達の為に、彼らは僅かな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた≫
  この部分は、ヨーロッパ人がアメリカに渡って来た時の事を指しています。 完璧な思い違いですな。 子孫の為に移民したのではなく、自分の為に移民したに決まっているではありませんか。 「子孫の為にもなった」という程度の意味なら、そんなのは、人間の営みすべてについて言える事であって、移民という行為ばかりを取り立て誉めそやす事ではないでしょう。 そもそも、「移民」といえば、ニュートラルな表現ですが、ヨーロッパからアメリカへの移民は、≪侵略≫なのであって、自慢するような事ではありません。


≪私達の為に、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。 鞭打ちに耐え、硬い土を耕した≫
  これも、西部開発が偉業のように言われていますが、やはり、先住民の生活を破壊し、土地という財産を奪った蛮行以外の何ものでもありません。 ついでに、今風の価値観を重ねれば、≪開拓≫とは、≪環境破壊≫そのものです。 それを今この時に、自慢する神経が分かりません。


≪私達の為に、彼らはコンコードやゲティズバーグ、ノルマンディーやケサンで戦い、命を落とした≫
  前の三箇所はともかくとして、ケサンは、ベトナムの地名ですが、これはまずいでしょう。 ベトナム戦争は、アメリカが南ベトナム政府を操って行なった侵略戦争であって、ベトナムにとっては大災厄、アメリカにとっては、しなくてもよかった戦争です。 別に米軍がケサンで戦ったから、今のアメリカがあるというわけではありません。 まるで、ベトナム戦争が、アメリカの為になったかのように聞こえますが、するとつまり、アメリカはベトナム戦争に対して、何の反省もしていないという事なんでしょうか? そう取られても仕方がないような表現です。 実際、平気でイラク戦争を起こしたところを見ると、何の反省もしていないのかもしれませんが。


≪今回の経済危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になる恐れがある事を、私達に思い起こさせた≫
  分かってないようですけど、資本主義国では、たとえ注意深く見ていたとしても、市場が制御不能になることがあります。 バブルというのは、そういう性質を持っているんですよ。 たとえ誰かが、「これはバブルだぞ! 気をつけろ!」と叫んでも、バブルで大儲けしている連中は、そんな声に耳を貸しません。 資本主義国では、政府も、市場の中の一部として機能しているので、市場を外から監督する事が出来ません。 つまり、一定のサイクルで、バブル崩壊が襲ってくるのは避けられないのです。 ちなみに、現在、資本主義を取り入れている国で、政府が市場の外にいて、監督が出来る余地を残しているのは中国だけです。 ただし、その余地もどんどん狭まりつつあります。


≪アメリカは、将来の平和と尊厳を求める、全ての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意がある≫
  そんな役割は、果たしてくれなくてもいいです。 現在世界で起きている大規模な紛争の半分以上は、アメリカが関わっている事が原因になっています。 アメリカが政治的・軍事的干渉をやめれば、雲散霧消する国際問題がうじゃうじゃあるのです。 本気で、平和と尊厳を求めるのなら、自分の国の中でだけ、好きな事をやっていて下さい。 あなた方さえ来なければ、平穏な暮らしが出来る人間が、何十億といる事を、一生の内に一度くらい想像してみる事ですな。


≪先人達が、ファシズムと、共産主義を屈服させたのは……≫
  ファシズムはともかく、共産主義は、別にアメリカやその同盟国に屈服したわけではありません。 ソ連を崩壊させたのは、ソ連国民です。 ソ連国民が自ら未来を選んだというだけの話であって、アメリカとは関係ありません。 現に、ソ連より遥かに規模が小さい、朝鮮やキューバには、さんざん嫌がらせを浴びせているにも拘らず、何の影響力も及ぼせないではありませんか。 自分の力に自惚れるのも大概にすべきでしょう。


≪私達は、責任ある形で、イラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める≫
  まず、イラク国民に謝罪しなさい。 膨大な数のイラク人を殺しておいて、何が責任ある形だね? まだ、カッコがつけられると思っているのかね? アメリカは、イラクに対して責任を負う資格すらありません。 ただの侵略者です。 まったく自覚していない所が末恐ろしい。 アフガニスタンに至っては、平和構築などと、よくもまあ言えたものです。 タリバン政権で、何とか治まっていたのを滅茶苦茶にしてしまったのは誰やねん? タリバン政権を非人道的と言うなら、アメリカやヨーロッパの占領軍は非人道的ではないのかね? 言葉も通じない外国の軍隊が、武装して遊弋している方が、よっぽど恐ろしいです。


≪私達の生き方を曲げる事は無く、それを守る事に迷いもしない≫
  一体、あなたは、どういうつもりで、「Change」という言葉を使っていたのかな? 言っている事が、矛盾しているではありませんか。 間違っていたと思うなら、生き方を曲げてくださいよ。 それを守る事に、一瞬でもいいから迷って下さいよ。


≪自分達の目的を進める為に、テロを引き起こし、罪の無い人々を虐殺しようとする者に対し、私達は言おう。 今、私達の精神は一層強固であり、くじける事は無い。 先に倒れるのは君達だ 私達は君達を打ち負かす≫
  この前半の一文ですが、「テロ」という言葉を「侵略戦争」に置き換えれば、アメリカの事を指しているとしか思えませんな。 よく、こういう言葉を使えるなあ。 自分の国が何をやっているのか、世界からどういう目で見られているのか、全然知らないのかも知れませんなあ。 つくづく恐ろしい事だて……。


≪世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私達だ≫
  嘘、というのが不適当なら、事実誤認です。 言語は基本的に、英語しか通じないじゃありませんか。 カリフォルニアがスペイン語化しつつあるだけで、眉を顰めているくせに、理想的な多言語社会のように言いふらすのはやめるべきでしょう。 文化もしかり。 アメリカ映画で、神話・伝説物というと、ほとんどイギリスのそればかりではありませんか。 ≪西遊記≫すら知らないくせに、多文化社会が聞いて呆れます。


≪南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強くより結束した形で抜け出した。 それがゆえに、我々は信じる。 古い憎悪はいつか過ぎ去る事を。 種族的な境界は間もなく消え去る事を≫
  まだ抜け出してません。 まるで、逆上がりが出来ないくせに、「もうすぐ出来そうだから」という楽観的見通しを元に、「出来るよ」と言ってしまう子供のようです。 言葉を弄ばず、きちんと抜け出してから、こういう事は言いましょうね。 人種差別問題について、アメリカ社会が絶望的に見えるのは、すぐ近くに、ブラジルという全く正反対の例が実在するからです。 アメリカでは二百年以上かかっても消せない人種差別が、ブラジルでは最初から無かったのですから。 どちらが、未来の人類社会像として相応しいかと聞かれたら、ブラジルと答えざるを得ますまい。


≪イスラム世界に対して、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。 紛争の種を蒔き、自分の社会の責任を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなた達を判断するという事を知るべきだと言いたい≫
  後半の一文、「西洋」を「イスラム社会」に入れ替えれば、そっくり、アメリカに対して言える事でしょう。 よく、こういう言葉が使えるねえ。 呆れ果てます。 本当に自分の国が外で何をやっているか、自覚してないんでしょうか?


≪腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者達は、歴史の誤まった側にいる事に気付くべきだ≫
  そういう見方に、最大の問題点があります。 常に、自分の国は正しい側だと思い込んでいる事が、アメリカの対外方針から、客観的な分析力・判断力を奪っているのです。 そもそもあなたにしてからが、謀略の限りを尽くして、大統領になったのではないのかな?


≪握り締めたその拳を開くなら、私達が手を差し伸べる事を知るべきだ≫
  どういう性格から、こういう高飛車な態度が出てくるのかねえ? 最初から、上から目線なのです。 自分がそう言われたら、はいはいと素直に受け入れますかね? どんな国でも、国際社会では、対等が原則です。 あなたの国に、「手を差し伸べて欲しい」などと思っているのは、腰巾着の同盟国だけですよ。 いいから、来ないでくれ。 あなたの国さえ、ちょっかい出して来なければ、みんな幸せなんです。 大体、自分が原因で敵を作り、その敵が憎いからと言って、握り締めた拳を開けずに、プルプル震えているのは、あなたの国でしょうが。


≪私達はもはや、国外の苦難に無関心でいる事は許されないし……≫
  無関心でいて下さい! あなたの国が関わって来ると、苦難でない事まで、苦難になってしまうのです!


≪また、影響を考えずに、世界の資源を消費する事も許されない≫
  ほんとにそう思ってますか? この呼びかけは、≪アメリカ同様に、比較的豊かな国々≫に向かって発せられたものですが、はっきり言わせて貰って、その条件に該当する国々の中で、最も資源を浪費しているのは、お宅のアメリカであって、「まず、己を正せ」と言いたいです。 もっとも、一方で、≪景気の回復≫を唱え、一方で、≪環境保護≫を訴えるのは、明らかに矛盾した態度ですが。

  オバマ氏と言えば、≪グリーン・ニューディール政策≫ですが、いくら、環境に良い物を作る事で人々に職を与えても、その職で稼いだ人達が、今まで通りの大量消費を続ければ、焼け石に水です。 これは、資本主義システムが環境問題とぶつかった時に起こる、根本的な矛盾と言えます。 どちらかを捨てるか、どっちつかずのまま、ごまかして進むかの、三つしか選べる道がありません。


≪アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄達の……(中略)……私達が彼らに敬意を表するのは、彼らが私達の自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり、自分自身より大切なものに意味を見出そうとしているからだ≫
  戦死者を一緒くたにしていますが、外国から仕掛けられた戦争への反撃の際に戦死した者と、自国が仕掛けた戦争で戦死した者では、その死の意味が、まるで違います。 仕掛けられた戦争で戦死した者なら、このような敬意を払われる資格がありますが、自国が仕掛けた戦争で戦死した者の場合、彼らは国家の手先になって外国へ攻めて行った侵略者であり、地球上の誰からも、またたとえ、小指の爪の先ほどであっても、敬意と名のつく感情など抱かれる資格がありません。

  侵略戦争に兵士を送り出したのは、アメリカ政府の責任ですが、アメリカは民主主義国家であり、政府を選んだのは国民です。 自分の息子が戦死したという報告を受ける瞬間まで、侵略戦争大賛成で、胸に湧くのは、息子を戦場へ送り出した事への誇りだけ、という母親がたくさんいるそうですが、その現実が、平和主義からあまりにも遠く隔たっているので、頭がクラクラして来ます。 日本の靖国問題も全く同じテーマですが、たとえ自分の国の兵士であっても、自ら起こした侵略戦争の戦死者に敬意を払っている間は、決して平和主義には近づけないでしょう。 それは、どんなに遠回しな言い方をして、ごまかそうとしても、結局の所、自ら起こす侵略戦争そのものを是認する事になるからです。


≪今、私達に求められているのは、新たな責任の時代だ。 それは一人一人のアメリカ人が、私達自身や、我が国、世界に対する責務があると認識する事だ≫
  重大な事を混同しています。 アメリカ人が、アメリカ人自身や、アメリカという国に責務を持つのは当然ですが、外国に対しては、責務などありません。 むしろ、「何かをしてやろう」などと思い立たれては、困るのです。 はっきり言って、迷惑なのです。 もし、アメリカに、外国に対する責務があるとするなら、今まで、余計な手出しをしてグチャグチャにしてしまった外国に対して、謝罪、賠償、旧状回復をする事でしょうが、実際問題として考えると、それですらも、更に余計な手出しの上塗りになる可能性が極めて高く、最も良い道としては、何もしないで放っておいてくれるのが一番良いのです。 もういい! 責任など無い! だから、国の外にはちょっかいを出さないでくれ! 威張りたければ、腰巾着の同盟国だけを相手にしていなさい。


≪これが、不確かな行き先をはっきりさせる事を神が私達に求めているという、私達の自信の源でもある≫
  おやおや、終わりの方へ来て、とうとう、≪神≫という言葉が、剥き出しで出て来てしまいました。 続けて、「アメリカには、あらゆる種類の信仰がある」という事も言っていますが、ここにも矛盾があります。 一体、その、≪神≫とは、どの宗教の、どの神の事なのか? 仏教には、神が存在しない事を承知の上で、神の概念を使っているのか? もしかしたら、キリスト教以外の宗教について、基礎知識を持ち合わせていないのではないのか? 疑念は尽きません。


≪60年足らず前だったら、地元のレストランで食事をさせて貰えなかったかも知れない父を持つ男が、神聖な宣誓の為に、あなた達の前に立つ事が……≫
  別に大した事ではありますまい。 アメリカ大統領という職業をありがたがり過ぎています。 それは、父親を引き合いに出すより、前任の大統領と比べてみれば、すぐに分かる事です。 ただの戦争キチガイ老人ですら、なれるのが、アメリカ大統領なのです。 そういえば、演説の冒頭部で、簡単ながら、その前任者の業績を讃え、謝辞まで述べていましたが、社交辞令といえども、相手によりけりでしょう。 前任者がグジャグジャにしてしまったから、あなたが登板する事になったわけで、グジャグジャにした張本人に感謝していてどうする?


≪自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう≫
  ソ連が崩壊してからこっち、≪自由≫という言葉の価値は、最安値まで暴落したまま、今日に至っています。 こんな黴臭い価値観で動く者など、アメリカ国内ですら、一人もいますまい。 大体、あなたがこれからやろうとしている政策は、社会主義的な色合いの強い物で、自由を束縛する方向に進むのは明らかではありませんか。 株や不動産取引で儲けて、何十年も享楽の限りを尽くして来た民衆が、たとえ、失業して素寒貧になったとしても、道路工事に引っ張り出されて、自由を感じるとは到底思えません。


  以上、難癖、おしまい。

  それにしても不可思議なのは、これだけ突っ込みどころ満載な演説を、誉める者が多いという事実です。 この文章を考えた人間は、世界の歴史に対しても、世界の現状に対しても、客観的視点を全く欠いています。 自分の国の位置づけすら出来ておらず、自国中心主義から脱却するには程遠い所にいます。

  オバマ氏と、専属の若いスピーチ・ライターが共同で作文したらしいですが、若いと言っても、まさか中学生ではありますまい。 なに、27歳? うーん………、27歳で、こんなに考えが浅いかねえ? これでは、今後一生かかっても、コスモポリタニズムの端緒にすら辿り着かないでしょうなあ。 気の毒ですが……。 言葉を飾る事を作文だと思い違いしているのか、これでは、主肝心な、≪知の世界≫への鍵を捨てているも同然です。

  また、この文章を誉めている連中も、アメリカの立場にどっぷり偏っているか、ブームに流されて、オバマ氏に対し軽薄に心酔しているかのどちらかで、カチンと引っ掛かる所が一箇所も無いんでしょうなあ。 前任者の政策に対する批判が、数える程度含まれている点を挙げて、それを、「Change」だと指摘している人もいますが、前任者の失策は、その程度の批判で済まされるような事ではないと思いませんかね? 私は、この演説文を読んでも、「Change」の気配など、全く感じません。 あんた方、一体、世界にどうなって欲しいのよ? この演説の世界観で、ほんとにいいのかい? 何も変わらんよ。

2009/01/18

モクスパ

  昨今、あまりにも不況の存在が大き過ぎて、他の話題について書く事が、まるっきり時宜を得ていないような気がしてしようがないのですが、どうせ、ただのブログだし、その辺の兼ね合いは敢えて無視する事にして、まるっきり関係ない事を書きましょう。


「タバコを吸う者がみんな馬鹿とは限らないが、馬鹿はみんなタバコを吸っている」

  とまあ、これは私の言葉です。 実際の観察から紡ぎ出した箴言のつもりです。 本心を申さば、「一人残らず馬鹿!」と決め付けてやりたい所ですが、私の勤め先では、タバコを吸っている者があまりにも多いので、その中に有能な人物が含まれている現実を否定する事が出来ず、こういった表現にならざるを得ないんですな。 ちなみに、私は非喫煙者で、嫌煙者で、憎煙者で、蔑煙者です。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎く、今や線香の煙を見ても水をぶっ掛けたくなる境地に達しています。

  正直な感想、喫煙人口が多い職場にいると、非喫煙者は、本当に困るんですわ。 休憩所がイコール喫煙所になってしまうので、タバコの煙を避けようとすると、休憩所に近づく事が出来ません。 若い頃は、「付き合いも大事だから・・・」と思って、無理して同じ場所にいましたが、歳を取るにつれて、こちらもふてぶてしくなり、「なんで、こっちばっか一方的に、嫌な思いをさせられなけりゃならんのよ?」と、抵抗精神に火が点き、休み時間になっても休憩所には行かず、自分の仕事場で読書して過ごすようになりました。

  「喫煙所で吸っている」だの、「携帯灰皿を持っている」だのと、自分がマナーを遵守している事をアピールする喫煙者が多いですが、休憩所を占領して喫煙所にしてしまったくせに、マナーもルールもないもんです。 携帯灰皿の所持に至っては、そんな事は当然以前の問題で、自慢するような事ではありますまい。 とにかく、吸っているだけで非喫煙者に迷惑を掛けているのだから、歩み寄りの余地など全くありません。 

  会社も会社で、「喫煙者を減らす為」とか何とか言って、休憩所の固定灰皿を禁止しておきながら、「携帯灰皿ならOK」って、そりゃ、おかしいだろ? その程度の障碍なら、吸う奴ぁ吸うに決まってんじゃん。 また、「トイレは喫煙禁止」と貼り紙をしてあるのに、トイレの横には、タバコの自動販売機が、でんと据えられているのです。 一体、禁止したいのか、推奨したいのかどっちなんじゃい?

  そもそも、国がはっきりした態度を示さないのがよくないです。 「健康に悪い」と思っているなら、販売禁止にするのが当然でしょう。 ≪食の安全≫には、強迫神経症患者よりも神経質なくせに、タバコはなんでOKやねん? よく、不良を気取っている芸能人や芸術家が、覚醒剤や麻薬を合法的にやれない腹癒せに、「どうして、タバコはOKなのに、薬物はダメなのか?」などとほざいていますが、この不埒者めが! 考え方があべこべじゃい! 「どうして、薬物はダメなのに、タバコはOKなのか?」が正しいです。 タバコは、有害薬物であるという点で、覚醒剤や麻薬と、何の違いもありません。 そんな物が合法になっている方がおかしい!

  「一箱、千円にしろ」とかいう案もあるようですが、税収目的が半分だから、ピントがズレています。 政府が有害薬物で儲けていてどうする? だから、禁止してしまえっていうのよ。 当然、喫煙者による猛烈な反発が予想されますが、一切耳を貸さずに強行してしまえば、半年くらいで、嘘のように静かになると思います。 なぜって? その間にタバコ習慣が抜けてしまうからです。 そりゃ、習慣病患者が禁止に反対するのは当たり前ですよ。 だけど、相手は病人ですから。 まともに取り合う方がおかしいでしょう。 患者の言いなりになって、有害薬物を禁止しないとなれば、保険行政などあって無きが如しです。

  タバコ習慣の原因というと、ニコチン中毒の事だと思うでしょうが、ニコチン中毒自体は割と抜け易く、ニコチン・パッチを貼って一ヶ月くらい我慢していれば、あっさり消えてしまいます。 アルコール中毒に比べると、遥かに軽いですな。 そんなに簡単に治るのに、タバコをやめる人は、決して多くありません。 なぜか? それは、ニコチン中毒がタバコ習慣病の本体ではなく、別の所に、もっと深い根が張っているからです。 ほぼ間違いないと思いますが、タバコをやめられない原因は精神面の障害にあると思います。 むしろ、≪タバコ依存症≫と言った方がいいでしょう。

  なぜ、タバコをやめられないのか? それは、喫煙者がタバコを吸い始めた動機に関わっています。 彼らがタバコを吸い始めた時期は、大概、十代後半だと思いますが、その年頃は、精神的に子供から大人に脱皮しなければならない時期に重なっています。 これが良くない。 早く大人になろうと焦燥感に駆られていると、「大人のやる事を真似れば、大人になれるはずだ」、もしくは、「大人になるという事は、大人の習慣を身につける事だ」という、間違った判断を下してしまうのです。 そこで、飛びつくのが、酒とタバコという、いかにも大人ならではのアイテムというわけです。

  タバコを吸い始める事によって、「大人になった」と自分を納得させた人間は、タバコをやめる事が出来なくなります。 なぜなら、彼らにとって、タバコは、自分が大人である事の象徴であり、証明であり、それをやめる事は、大人である事をやめる事になってしまうからです。 「禁煙なんかしたら、子供に戻ってしまうのではないだろうか・・・」 それが怖いのです。

  しかし、この心理反応は、明らかに、根本的な思い違いによって引き起こされています。 馬鹿抜かせっつーのよ、タバコをやめたからって、子供に戻れるわけがないでしょうが。 そうです。 一旦大人になった人間は、ボケでもしない限り、決して子供に逆戻りなど出来ないのです。 タバコなんぞに、何の魔力があるものかね! むしろ、逆でしょう。 タバコをやめれば、周囲の非喫煙者は、確実にあなたの事を尊敬します。 信望を得る事で、より大人になる事はあっても、その逆はありえません。 最初から吸わなかった者より、中毒と依存症に打ち勝って吸わなくなった者の方が、試練を乗り越えた分だけ、「偉いなあ」と感心されるのです。

  特に、家族の中で自分一人だけが喫煙者だという人の場合、禁煙に成功すれば、やんやの喝采を浴びる事は請け合いです。 自分を見る家族の顔が、禁煙前とはまるで違って、この上なく明るく朗らかに見えるでしょう。 長い夜の闇が去って、ようやくその家庭に光が差し込んだかのように・・・。 たまに、「タバコはお父さんの匂いだ」などと、父親の喫煙を後援するような馬鹿な子供がいますが、そんな子供は、物置に押し込めて、桜のチップで燻しておしまいなさい。 とんでもねえ、ガキだ! 中毒と依存症を唆していてどうする!


  とまあ、こんな事をいくら書いても、やめられない者は、やめられないでしょうなあ。 依存症は、精神疾患の中では、割と治り易い病気ですが、自分一人で治療するのは難しいですし、さりとて、禁煙の為に精神科の門を敲ける人もごく僅かでしょう。 アルコール中毒の方では、昨今は、精神科で治して貰うパターンが増えているようです。 内科に何年通っても治らなかったアル中野郎が、精神科を紹介されたら、瞬く間に治ったという例がうじゃうじゃあるらしいです。 中毒には、精神面からの影響が大きいという証左でしょうな。 禁煙も、精神科の専門になれば、成功率がどーんと上がるかもしれません。

  でねー、すでに吸っている人は、手遅れって事で放って置くとして、まだ吸っていない人達、つまり、君らだな、高校生諸君よ。 いや、高校生でこのブログを読んでいるようじゃ、相当ヒネてると思いますが、それはさておき・・・、君らねえ、「タバコ、吸おうかな、どうしようかな」と迷っているようなら、絶対にやめておきなさい。 一本吸ったらおしまいなんだから。 「ちょっとだけ吸ってみて、中毒にならない内にやめればいいや」なんて考え方は、大甘ですぜ。 タバコ習慣の本体は依存症なんだから、「おお、俺は今タバコを吸っている。 大人だ大人だ、これが大人の世界の香りなんだ」なんて陶酔したが最後、もうアウト! すっかり絡め取られて、JTのエサです。

  タバコが大人の象徴だという見方は、30年くらい前までの価値観でして、今時そんな目で見てくれるのは、同じ喫煙者か、いいも悪いも判断がつかない、馬鹿なガキだけです。 非喫煙者は、喫煙者を軽蔑こそすれ、タバコを吸っている事で尊敬する事など、金輪際ありえません。 私自身、「ああ、この人は、タバコさえ吸わなければ、いい人なんだがなあ・・・」と、そんな人間を何十人見て来た事か。 人物評価をする上で、タバコは、完全なマイナス要因であって、決してプラス要因にはならないのです。

  タバコは、お金の問題も馬鹿になりません。 何せ、中毒&依存症ですから、一回吸い始めれば、小遣いが乏しいからといって、一時休止という都合のいい方法は取れません。 一日一箱として、一年で、365箱×タバコ代がきっちり出て行きます。 一生分となれば、一千万円くらい消えるんじゃないでしょうか。 最初の一本を吸うか吸わないかで、それが決まってしまうのです。 人生の重大な分かれ目だな、こりゃ。 よくよく考えなきゃいかんで。

  暗示に左右され易い人もいると思うので、この際はっきり言っておきますが、タバコなんか吸わなくたって、大人にはなれます。 むしろ、「タバコは吸わない」と決断した時、君らは、現にタバコを吸っている大人よりも、ずっと大人になっていると言っていいでしょう。 タバコとは、子供である事をごまかす為の隠れ蓑に過ぎず、実体が大人になっているかどうかは、その種の外見的ポーズとは全然関係の無い所にあるのです。


  以下、オマケ。

・ 昔、同僚に、一度禁煙に成功して、その後また吸い始めた男がいました。 「俺はいつでもやめられるから・・・」と言いながら吸っていましたが、これは笑止でしょう。 やめられないから吸っているんだよ。 試験前の一夜漬け勉強じゃあるまいし、期間限定でやめられても、そんなのは、やめられるとは言いません。

・ ≪歩きタバコ≫をしている奴を観察していると、指に挟んでいるだけで、ほとんど口に持っていかない事に気付きます。 最初に火を点ける時と、あとせいぜい二三回しか吸わずに、燃え尽きさせてしまいます。 あれは、タバコに火を点けるという、癖になった習慣を実行したいだけで、タバコを吸いたいわけじゃないんでしょうな。 ものの見事に、依存症だねえ。 そんな下らない事の為に、子供の目を焼き潰したりしているのだから、始末に終えません。

・ 政府がタバコを禁止しない理由として、「タバコ農家の保護」が必ず挙げられますが、ありゃ、理屈がおかしいでしょう。 転作指導すればいいだけの話ではありませんか。 コメ農家に減反は指導できて、タバコ農家に転作を指導できないという法はありますまい。

・ 「タバコを吸わない奴は、落ち着きが無い。 話をしていてもすぐに席を立とうとする」 あのねえ、あんたがタバコを吸っているから、その煙を吸わされるのが嫌で、すぐに席を立つんだよ。 原因を作っているのが自分である事に、なぜ気付かない? 信じられん鈍さだな、まったく!

・ 「市川崑監督は、片時もタバコを口から放さないようなヘビー・スモーカーだったが、大変長生きをした。 タバコが体に悪いというのは嘘だ」 いや、そういう人もいるというだけの話です。 体質的に、タバコをいくら吸っても、健康を害しない人がいるのです。 しかし、かなり稀なケースです。 大概は、肺胞という肺胞を真っ黒に潰して、酸素ボンベに齧り付きながら、醜くのた打ち回って死んで行きます。 いや、非喫煙者としては、別に喫煙者がどんな死に方をしようが、興味ないんですよ。 ただ、受動喫煙で、巻き添えを喰わされちゃたまらないと思っているだけで。

・ 受動喫煙で死亡した場合、原因を作った喫煙者を処罰できないのは、法の不備ですな。 ≪喫煙致死罪≫を設けて、ビシバシ取り締まるべきでしょう。 ≪喫煙刑務所≫にぶちこまれれば、禁煙にも容易に成功するだろうて。 しかし、法律以前に、てめえの女房を燻し殺しておいて、何の良心の呵責も感じないという、その神経が分かりませんな。 おまえが殺したんだよ。 他の誰でもない、おまえが!

・ また、相手が喫煙者と承知の上で、結婚する女が、うじゃうじゃいるんだよね。 自分は吸わないんだから、タバコの煙が好きなはずがないんですが、いざ、交際だの結婚だのとなると、そんな事どうでもよくなってしまうらしいです。 全く、性欲というのは恐ろしいものじゃて。 結果、てめえの亭主に燻され、それを忠実に真似た、てめえの息子にも燻され、肺癌でおっちんで行くんですな。 哀れというより、アホだね。  もっとも、「相手を探す時に、タバコを吸わない男を選んだ」という話を、ネット上で数回聞いた事があります。 聡明な人は、ちゃんとそういう判断をしているようですな。

・ よく、会社や工場で火事があると、タコ足配線とか、ストーブとか、ガス・コンロとか、いろいろな原因が発表されます。 しかし、必ずと言っていいほど、≪タバコの火の不始末≫は、その中に入っていません。 喫煙者がたくさんいて、原因として最も疑わしいのに、なぜか? それはね、タバコが原因という事になると、以後その社内で、タバコを禁止しなければならなくなるからです。 喫煙者がたくさんいるのに、禁止になったら困るでしょう。 だから、タコ足配線に罪をなすりつけてしまうのです。

・ バイクで、車の後ろについて走っていると、喫煙ドライバーのほとんどが、運転席の窓を開けて、煙を逃がしているのを見ます。 同乗者の迷惑になるからというわけではなく、一人しか乗っていなくても、そうしています。 おいおい、煙が吸いたいんじゃないのかい? なぜ、貴重な煙を捨ててしまうのだね? 灰も、窓ガラスの縁で叩いて、外に落としていますが、何の為に車に灰皿が付いているのか分かりませんな。

  ちなみに、一時期、車の灰皿はオプション扱いになっていたのですが、最近はまた標準装備に戻ってしまいました。 シガー・ライターも。 それでいて、オートマ車のシフト・レバーをパーキング位置にすると、灰皿を開けられなくなったり、開いてもレバーが邪魔で非常に使い難かったりする車が多いのは、なんだか珍妙です。 あんな構造にするから、灰を外に捨てるんですよ。 いや、それより何より、国がタバコを禁止してくれれば、万事何もかも解決するんですが。

2009/01/11

夜更け前

  私の勤め先ですが、世間様の流れに従い、着々と人員削減が進んでいます。 派遣社員は11月末までにほとんどいなくなり、期間工も期間終了で延長しない事になり、三月末までには姿を消す予定だそうです。 テレビ・ニュースでは、寮から追い出された失業者が公園に集まったり、激怒指数が高まった一部の連中が経団連の会合に押しかけたりと、派手な事をしていますが、現場で見ていると、失職に抗議して騒ぐような人は一人もいません。 解雇が決まってしまった以上、文句を言うだけ時間の無駄、エネルギーの浪費であって、さっさと次の仕事を探さなければ生きて行けなくなる事を、承知しているからでしょう。

  非常に興味深いのは、解雇されて行く派遣社員や期間工を間近に見ていながら、正社員達が、「明日は我が身」と感じていない点です。 完全に他人事だと思っていて、去って行く者に向かって、「しっかりやれよ」だの、「次は正社員で就職しろよ」などと、お気楽な言葉をかけています。 だけどねえ、正社員なら安泰なんて事は、ありえないですぜ。 業績が悪化すれば、派遣社員→期間工→正社員と削減対象が移って行くのは、自然な流れでしょう。

  生産量が減り続ければ、社内で仕事が無くなる人間はどんどん増えるわけで、会社にしてみれば、正社員だからといって残す理由はありません。 いれば、それだけで給料を払わなければならないのですから、クビにするのが理の当然というものでしょう。 もう、いられるだけでも困るのです。 会社に一円の利益も齎さず、休憩所でタバコ吸ってるだけの奴に、どうして給料払わねばならんのよ?

  正社員というのは、≪正≫の一文字が付いているだけで、特権を与えられているかのように思い込んでいて、単に解雇されないと信じ込んでいるばかりでなく、「残業が無いと、給料が足りないんだよな」などと、不満まで漏らしています。 私も同じ正社員ながら、こういう事を平気で言っている奴らが恐ろしくて仕方ありません。 この御時世に、仕事があるだけでもありがたいというのに、金が足らんだと? 考え方が逆でしょうが。 収入が少ないなら、生活の方を切り詰めなさいな。 酒・煙草はやめない、ゴルフもやめない、ギャンブルもやめない、子供は予定通り大学へやる。 この大不況に、そんな生活が続けられるわけがないでしょうに。

  自分を取り巻く社会の状況、引いては世界の潮流が読めない為に、自分の生活は揺るぎない地盤の上に立脚していて、どんな事があっても、自分の方から生き方を変更する必要など無いと思っておるのでしょう。 こういう正社員達が、リストラや倒産で、わらわら世の中に溢れ出した日には、派遣社員や期間工とは比較にならないくらい世間知らずですから、一気にホームレスまで転落していくと思います。 しかも、正社員の多くは家族持ちと来たもんだ。 一家路頭に迷い、夫婦別居、親子離別、目を背けたくなるような惨状が現出するのではありますまいか。 


  とまあ、私の勤め先の話はこれくらいにして、ここからは、巷の雇用情勢について、思いついた事を書こうと思います。

  失業して住む所もなくなった人達を、一部の企業や自治体が救済するというニュースが多いですが、もし、人気取りのパフォーマンスでないとするなら、一体いつまで続けられると思っているんですかねえ。 分かってないようだから、念を押しますが、この不況は、そう簡単には回復しませんぜ。 国内市場だけの冷え込みで、輸出は生きていた、日本のバブル崩壊でさえ、10年も不況が続いたんですよ。 今回は、国内も輸出も死んでいるのです。 これから更に悪くなる見通しはあっても、良くなる兆しなど全くありません。 現在地は不況の入口で、本番はこれからだと考えるべきでしょう。

  「三月末日まで、臨時職員として採用する」という自治体の責任者に聞きたいのですが、四月からは、どうするんですか? 放り出せば、今度はあなた方が、≪社会の敵≫にされますよ。 さりとて、必要もない人員を雇い続けていれば、自治体の財政はことごとく破綻していくでしょう。 公営住宅の空きだって、無限にあるわけではありません。 無料の場合、家賃を払っている他の住民が黙っていませんし、無料でない場合、家賃を払えない住人を大量に抱え込む事になります。 追い出せば、即あなた方が、「血も涙もない人非人」呼ばわれされますよ。

  本当に失業者が溢れ出すのは、むしろ、四月以降でしょう。 三月から四月にかけて、事態が好転する要素など、何もありません。 日本という国全体が、輸出産業で暮らして来たのですから、輸出がコケれば、国民の暮らしそのものがコケるのは当然の成り行きです。 こういう事態は戦後初であって、正に未曾有の危機です。 誰も、どうすれば良いのか知りません。 前述の、呑気で自己中心的な正社員達のように、自分の住んでいる社会に何が起こっているのかすら分からない人達も多いです。 失業者を臨時雇いしたり、公営住宅に一時収容するなどの対策は、典型的な対処療法であって、事態の根本解決からは遠く離れています。 そして、根本的な解決方法など、誰も知らないのです。

  失業者を臨時雇いする自治体が、やらせたがっている仕事というのが、また問題です。 ゴミの収集、公園の清掃、トイレ掃除、森林の伐採などですが、いずれも、きついか、汚いか、危険か、その全てかであって、恩着せがましく世話してもらっても、喜べるような仕事ではありません。 大体、3K仕事ならば、わざわざ役所に斡旋してもらわなくても、ハロー・ワークに行けば、必ず余っているでしょう。 公園の清掃なんて、一見楽そうに思えるでしょうが、仕事となれば、一定時間内は掃除をし続けなければならないのであって、この寒空に一日8時間も屋外にいるなど、拷問と大差がありません。

  「食えないよりはいいだろう」というスタンスで、こういう仕事をやらせようと思いつくのでしょうが、続けられないほどきつい仕事を紹介されても、却って困惑するばかりでしょう。 現在発生している失業者の大半は、元工場勤務者だったわけで、冬は最低限、暖房のある場所で働いていたわけです。 屋外仕事に耐えられる人は、全体の一割もいないんじゃないでしょうか。 それほどきついです。 ちなみに、私は若い頃に植木屋の見習いをしていたので、これは実体験で言っています。 トイレ掃除もねえ・・・、あれは、見ているだけでも嫌なものですよ。 看護士と同じで、「大変な仕事をしているなあ」と感謝しこそすれ、自分でやりたいとは思いません。 森林の伐採に至っては、実際問題として、危険でしょう。 素人が踏み込めるような職場ではないです。

  「食えないよりはいいだろう」という割り切りには、自動的に、職業選択の自由を奪ってしまう怖さがあります。 「そんな贅沢行っている場合か!」 なるほど、その通り。 そんな贅沢を言っている場合ではないです。 しかし、出来ない仕事を無理にやっていれば、覿面に体を壊します。 心を病みます。 先に待っているのは、やはり≪死≫です。 なんでも、やらせればいいというものではないんですよ。

  この不況に、失業者を積極的に求人しようという企業もありますが、殊勝な方針というよりは、渡りに舟の人員補充と見るべきでしょう。 仕事がきつい為に、雇っても雇っても、次々に辞めて行って、慢性的に人手不足という会社は、よくあるのです。 「住み込みOKです」って? まあ、すぐに想像がつくのは、タコ部屋ですな。 職場に仮眠室が設けてあって、そこで寝泊りしつつ、延々と働かされるんじゃないでしょうか? それほどひどくないかもしれませんが、常識的に考えて、今のご時世で、人を欲しがっている企業といったら、そんな所くらいのものだと思いますよ。

  確かに、こういう情勢の時に、「うちは人を雇います」と手を挙げれば、世の中の注目を集めるのには大変良い手です。 失業者を助けようというのだから、世間の受けも良い。 だけどねえ、きつい職場で、雇われた人達がバタバタ辞めてしまったら、とんだ逆効果になりますぜ。 注目が集まっている分、悪い評判も一気に広まります。 雇われる方にも言っておきたいのですが、飲食業チェーンの場合、正社員の募集は、どんなに不況になっても、恒常的に続けているのが普通です。 別にありがたがるような職場ではありませんから、ご注意あれ。 ちなみに、私は若い頃、ファミレスでも働いていたので、これも実体験として言っています。 飲食業は、やるなら、バイトに限ります。


  テレビや新聞など、マスコミでああだこうだ騒いでいる人達にも言いたいのですが、安直に、≪弱者の味方≫を気取って、社会の混乱に拍車をかけるような真似は慎むべきでしょう。 人員削減している企業を、≪社会の敵≫扱いして吊るし上げていますが、今まで、その企業のおかげで豊かな生活をさせてもらって来たんでしょうが。 輸出産業が外貨を稼いで来たから、あなた方は人類平均以上の生活をして来られたんですよ。 あなた方の仕事では、逆立ちしたって、一円の外貨も稼げますまい。 他人の稼ぎにぶらさがって生きて来たくせに、よくも輸出産業を口汚く罵れたものです。

「クビを切るな」
  だって、クビを切らなきゃ、企業の方が潰れるんですよ。 別に、気紛れや我侭で切っているわけではありません。 生まれる前から資本主義社会に住んでいるんだから、そんな事分かってるでしょうに。

「社内プール金があるだろう」
  仕事が無い従業員に給料を払う為に、社内プール金を使ってしまったら、それが底をついた次の日には、不渡りを出す事になるじゃないですか。 何の為にプールしてあると思ってるのよ?

「株主に配当金を払っているではないか」
  利益が出ていた時の分を払っているだけでしょうが。 利益が出なくなれば、払おうにも払えません。

「株主と従業員の、どっちが大事だ」
  株主は企業の持ち主です。 一方、従業員は雇用契約を結んでいるだけで、企業の主体ではありません。 会社が労働力を購入する契約ですから、言わば、取引先と同じような関係です。 「親と知人の、どっちが大事だ」と訊いているようなものですが、まあ普通は、「親」と答える人が多いと思いますよ。

「役員にボーナスを支払っている」
  これも、タイム・ラグに過ぎません。 利益が出なくなれば、ボーナスは当然無くなります。 企業は、今現在、金がないから人員削減するのではなく、これから金が無くなるのが分かるから、それを防ぐ為に人員削減するのです。 金が無くなった状態を、≪倒産≫と言います。 そうなってからでは、遅いのです。

「企業経営にも倫理が必要だ」
  戯言ですな。 資本主義社会にあるのは、企業活動を制約する法律だけであって、倫理など出る幕はありません。 そんなあやふやな物に縛られて、自由競争が出来るかってんだ。

  以上のような事は、資本主義社会に生きている者なら、アホでも分かる理屈です。 アホでも分かる! もう一度言いましょうか。 ア・ホ・で・も・分・か・る!

  んじゃ、いっそ、あなた方に経営を一任しましょうか? やってもらおうじゃないですか。 大口叩くからには、一人の解雇者も出さず、これから何年続くか分からない大不況を乗り切れるんでしょうな。 露店商売の経験すら無いくせに、何十万人も食わせている企業経営者を批判するなど、分を弁えぬにも程があります。 自分を何様だと思っているのかな?

  ただ、その場その場で立場を変えて、≪善意の人≫ぶっているだけでしょう。 今後、人件費負担に耐え切れず、倒産する企業が続々と出てきたら、今度は企業側の味方について、労働組合の吊るし上げでもするんじゃないでしょうか。 もしかすると、何かな? 失業者の怒りを煽って、暴動でも起こさせたいのかな? 確かに、暴動になれば、大事件だ。 報道番組の視聴率は上がるし、新聞・雑誌も大いに売れます。 コメンテーターも引っ張り凧の大繁盛だ。 けどねえ、本気でそんな事狙っているようなら、もう、人間やめた方がいいで。 もはや、ゲスどころの話じゃないすよ。 それこそ、人非人ですわ。

  現在の不況自体が未曾有の大事件なわけですから、マスコミにはマスコミで、担うべき役割があるはずなんですが、企業や政治家を批判するばかりで、前向きな事を何もしようとしないのは、実に不思議です。 企業経営者はもちろんですが、政治家でさえ、マスコミ関係者よりは桁違いに重い危機感を抱いていると思いますよ。 選挙がかかってるからね。 その点、マスコミは気楽だわ。 誰が失業しようが、どの会社が潰れようが、自分達は安泰なわけだから。 奥田さんじゃないけれど、本当に勝手な事ばかり言っているマスコミからは、広告引き上げた方がいいかもしれませんな。 敵に資金援助してやるのも馬鹿な話ではありませんか。


  オマケ。 今回の雇用危機を、「人災だ」などと言って、政治のせいにしている人がいますが、何をわけの分からん事を! 全く関係ないです。 原因は100%アメリカの金融危機であって、派遣法なんて、金輪際、無関係です。 製造業派遣がなければ、日本の製造業はとうの昔に国内の工場を引き払っていたはずで、雇用危機はもっと前に起こっていたに違いありません。 製造業派遣のおかげで、一度逃げ出したメーカーが、戻って来ていたくらいです。 政策は雇用危機の原因ではありませんから、政策を変更しても、それで危機が解消するという事はありません。 製造業派遣を続けようが、禁止しようが、不況は続きますし、不況が続く限り、雇用情勢が好転する事はありえないのです。

2009/01/04

ガザ

  イスラエルのガザに対する攻撃が始まった時、「なんだってまた、こんな年末年始のおめでたい時期に戦争なんて・・・」と思った人も多かろうと思います。 しかし、それは極めて日本人的な発想でして、ユダヤ教でも、イスラム教でも、年末年始は単なる西暦年の切り替わりに過ぎず、宗教的・習俗的な意味は全くないです。 実は、世界中で、西暦の一月始めを正月として祝うのは、日本だけだという話もあります。 日本を除く東アジアでは正月は旧暦ですし、イスラム圏は独自の暦法を使っているから、一年の計り方からして違いますし、キリスト教圏では、祝うのはクリスマスであって、一月一日には、商業的な≪カウント・ダウン・パーティー≫くらいしかやりません。

  そんな話はどうでもいいとして、ガザ情勢ですな。 イスラエルの攻撃によって、日々続々と死者が増えており、アメリカ政府以外の外国からは、「即時停戦!」の呼びかけが引きも切りません。 「とにかく、イスラエルに攻撃をやめさせよう。 話はそれからだ」という、他人同士の喧嘩に出くわした通行人が示すような反応を見せています。

  しかし・・・、パレスチナ情勢に関する限り、「話はそれからだ」というのはまるで見当外れの発想です。 なぜというに、話し合いは、もう何十年もの間、散々行なわれて来たからです。 イスラエルにしてみれば、「話は終わった。 後は実行あるのみだ」と決断して攻撃を始めたに相違なく、外国に意見されてホイホイやめるような浅い覚悟ではありますまい。 アメリカ政府がイスラエル側についている関係で、またぞろ、フランス大統領が仲裁にしゃしゃり出て、どうにかして目立とうとしていますが、スケベ根性は大概にして、家で寝てろよ、猿誇示よ。 おまえのような部外者に何が出来るというのだね? 侵略国家の成れの果ての分際で、国際社会の御意見番を気取ろうなど、ぬけぬけ図々しいにも程がある。

  アメリカ政府は、「まず、ハマスがイスラエルに対するロケット弾攻撃をやめるべし」と言っています。 ああ、ハマスというのは、もとは団体の名前でしたが、今は実質的なガザ地区の政府を指します。 パレスチナ自治区は、2007年以降、急進派ハマスが支配するガザと、穏健派ファタハが支配するヨルダン川西岸の二つに分裂してしまい、互いに独立した政府を持つようになりました。 イスラエルが敵と見做しているのはハマスの方で、ファタハとは、まだ話し合いのパイプが保たれています。

  アメリカの言い分は、一見イスラエル寄りの偏った意見のように聞こえますが、今回の紛争の直接原因は、ハマスのロケット弾攻撃にあるので、冷静に考えれば、別に無茶な事を言っているわけではありません。 少なくとも、「とりあえずやめさせよう。 話はそれからだ」などという、全然事情が分かっていない通行人どもよりは、事の経緯に通じていると言うべきでしょう。

  ハマスが、なぜイスラエルに対してロケット弾攻撃を続けて来たのかというと、ハマスという組織が、イスラエルの生存権を認めていないからに外なりません。 「生存権を認めていない」という遠まわしな言い方だとピンと来ないかも知れませんが、つまり、最終目標をイスラエル殲滅に置いているという事です。 イスラエルという国が、パレスチナから消滅するまで軍事的な攻撃を続けるという事です。 ハマスは、パレスチナ人の間で民主的に選ばれた政権ですが、イスラエル殲滅をマニフェストに掲げて選挙に勝ったようなものなので、攻撃を続ける事が、パレスチナ民衆から与えられた使命なわけです。 イスラエルにしてみても、自分の国を滅ぼそうとしている組織が相手なのですから、話し合いの余地など全く無いわけです。

  一方、ヨルダン川西岸を治めているファタハは、「イスラエルと住み分けて、領土が半分でも、独立国家を持てればよい」という辺りに目標を置いています。 だから、イスラエルは、「ファタハとなら、話が出来る」と考えているわけですな。 ただし、ファタハは、2006年のパレスチナ立法評議会選挙で、ハマスに負けており、ヨルダン川西岸地区に限ったとしても、民主的に選ばれた政権とは言えません。 もし、今、ヨルダン川西岸だけで選挙をやっても、ファタハが勝てるどうか怪しいくらいです。

  ハマスのロケット弾攻撃に対して、イスラエルの反撃が段違いに激しいので、外から見ると、イスラエルがいじめているようにしか見えませんが、理由もなくいじめているのではないという事は頭に入れておかなければなりません。 ハマスは、国際社会に同情を求め、イスラエルを批難するように仕向けようとしていますが、それも対イスラエル戦の策略の一つであって、「私達は平和な暮らしを望んでいるのに、凶暴なイスラエルが攻めて来るのです」というわけでは全然ないので、よーく念頭に刻んでおくべきです。

  その辺の事情が分かっていれば、イスラエル大使館の前に集まって、「即時てーせーん!」なんてシュプレヒコールなんか上げる気になれないと思うんですが、ありゃ一体、どういう人達なんですかねえ。 「一般民衆に被害者を出すなーっ!」 はあ、そうですか。 でもねえ、ハマスを選んだのは、パレスチナの一般民衆だよ。 一般民衆が、「イスラエル滅ぼすべし!」と願っているんだから、戦闘が続くのは致し方ないでしょう。 現にハマス側も、ロケット弾攻撃をやめるつもりは一切無いようで、「何を差し置いても平和を望んでいる」というわけではないです。

  「子供達に罪は無ーい!」 ほほう、なるほど。 それはそうですが、子供はいつまでも子供じゃないですよ。 今回のイスラエルの攻撃で死亡した子供達が、もし生きていて大人になったとしても、やはり、ハマスを選ぶとは思いませんか。 そういう仮想の話はしないとしても、イスラエルが反撃して来るのが分かりきっているのに、ハマスを選んだ親達の責任はどうなるのか、シュプレヒコール隊に、そこの所を聞いてみたいものです。


  と、ここまでは、最近二三年の推移だけを分析した見方。 ここからは、ぐーっと遠い過去まで振り返って見た時の話になります。

  大義名分を遡って考えれば、イスラエルが現在の土地に建国したのは、間違いだったとしか言いようがありません。 元はといえば、同地域を植民地にしていたイギリスが、第一次大戦中、ユダヤ人からの資金支援を見返りに、ユダヤ人の中のシオニストと呼ばれる団体に対して、パレスチナでのユダヤ人国家建設を許したのが始まりです。 それ以前には、パレスチナにはユダヤ人が8万人くらいしかいなかったのですが、イスラエル建国後、欧米を中心に世界中から続々と集まって来て、数度の戦争を経て領土を拡大し、先住のパレスチナ人を駆逐、もしくは支配して、今に至ります。

  イスラエルの建国は、パレスチナ人の許可を得たわけではなく、パレスチナ人側からすれば、侵略以外の何ものでもありません。 原因を作ったイギリスも、よくもまあ、こんな勝手な事に見て見ぬふりが出来たものです。 侵略なのですから、自動的にパレスチナ側には、反撃してイスラエルを滅ぼす権利が生じます。 名分上は、パレスチナ側が土地の正当な持ち主なのですから。

  イスラエル側にも言い分はあり、「この土地はもともとは、ユダヤ人の王国だったのであって、イスラム教徒の方が後から入って来たのだ。 正当な持ち主はユダヤ人だ」と説きます。 しかし、古代国家まで遡るのなら、ユダヤ人王国が出来る前にも、他の民族が同地に住んでいたのであり、なぜユダヤ人だけが正当な持ち主なのか、筋が通りません。 ちなみに、古代にユダヤ人がこの地にやってきた時には、先住民を殺し捲り、ほとんどの民族を一人も残さず絶滅させています。 旧約聖書にうんざりするほどしつこく書いてあるので、ユダヤ人はみなそれを知っているはずですが、罪の意識は全く抱いていないようで、むしろ民族の栄光の一部と見做しているようです。

  そもそも、古代ユダヤ人国家を滅ぼしたのはイスラム教徒ではないのですから、パレスチナ人にしてみれば、ユダヤ人に圧迫される謂れなど全く無いのであって、イスラエルの建国は天から降ってきた災厄としか言いようがないのです。 ハマスがイスラエル殲滅を目標にしているのは、その点、正当な考え方だといえます。 イスラエル側が、それを納得して受け入れるわけはないですが。


  た・だ・ね・え・・・、物事には、方法や手順というものがありまして、ハマスが無計画、且つ準備不足のまま、イスラエルと戦っているのは否定できません。 イスラエル軍と比較した時、笑ってしまうような微々たる戦力しか持っていないのです。 武器らしい武器は、自動小銃、機関銃、迫撃砲、手榴弾までがせいぜいのところで、野砲や戦車などの重火器は皆無。 飛行機や艦船は拝むべくもありません。 以前一度、大量の爆薬を仕掛けて、イスラエルのメルカバ戦車を吹っ飛ばした事がありますが、そんな素人っぽい戦法を取っている所を見ると、対戦車ロケットすら、ほとんど持っていないと思われます。 イスラエルへ撃ち込んでいる長距離ロケット弾は、誘導ができるわけではないので、軍隊を相手にした時、戦力としてはゼロに近いです。

  この点、同じ急進派でも、レバノンのヒズボラとは天地の差があります。 金回りが違うんですな。 ヒズボラはシーア派である関係上、イランから資金援助を受けていて、イラン製の武器も持っています。 2006年にイスラエルが越境攻撃して来た時には、対戦車ミサイルをドカドカ撃って、戦車や戦闘兵車を何十両も破壊し、実質的に撃退してしまいました。 前にも書きましたが、現在の地上戦では、戦車を始めとする車両型兵器は、対戦車ミサイルや対戦車ロケットの、いい標的にされてしまうのです。 そういえば、ヒズボラは対艦ミサイルまで持っていて、イスラエルの駆逐艦に一発命中させて、引き上げざるを得なくさせたという実績もあります。

  ハマスも、イスラエルと戦う気なら、最低限、対戦車ミサイル/ロケットはふんだんに使えるくらい揃えておかなければ話になりますまい。 同じ歩兵兵器でも、自動小銃や手榴弾では戦車に全く敵いませんが、対戦車ミサイル/ロケットがあれば、戦車部隊を相手に互角以上の戦いが出来るのです。 いかに強力なイスラエル軍でも、戦車部隊を潰されてしまえば、後は歩兵しかいないわけで、歩兵同士ならどちらも同じ能力です。 一見些細な事のようですが、武器の種類は、戦争の形勢を確実に左右します。 ハマスのやり方を見ていると、どうも精神主義で勝とうとしているようですが、いかんなあ、もう百年以上前から、精神主義で勝てる戦争なんてないですぜ。

  とりあえず、ここは一旦、ロケット弾攻撃を中止して、イスラエル側から反撃の大義名分を奪うべきでしょう。 その後はどうするかとうと、イスラエル殲滅を目標に掲げている限り、見通しがあまりにもシビアなので、アドバイスのしようがないのですが、強いて言うなら、イスラエルとの軍事衝突を避けつつ、軍資金を溜めるしかないですな。 雌伏してイスラエル殲滅の機会を覗っているだけなら、イスラエルは攻撃してこないでしょう。 とにかく、金が無ければ何も出来ません。

  その上で、時間を味方につけるのが望ましいです。 本気でイスラエルを滅ぼすつもりなら、ハマスだけでは到底不可能で、アラブ諸国の力を結集しなければなりません。 第四次中東戦争以降、アラブ諸国が対イスラエル戦をやめてしまった最大の理由は、イスラエルが危機に陥るとアメリカが駆け付けるという構図がはっきりしてしまったからです。 「アラブ諸国全体で戦えば、イスラエルを滅ぼす事は可能だ。 だが、アメリカがイスラエルの支援に出て来るのでは、何回戦っても勝てない」と諦めてしまったのです。

  しかし、アメリカの軍事力はいつまでも世界一ではありません。 アメリカより強い国が一国でも出てくれば、アメリカが国外で軍事行動を起こす自由は著しく制限されます。 臥薪嘗胆して、その時を待てば、ハマスと、ハマスを支持するパレスチナ民衆の望みが叶う事も夢ではありません。 現状で戦っても、潰されるだけであって、民族の命をドブに捨てるようなものです。 そんな事は、誰も望んではいますまい。

  だけどねえ、こういう長期的な計画というのは、優れた指導者がいないと、なかなか民衆に浸透しないんですよねえ。 カリスマ性があって、民衆の絶大な支持を集めている人が、「今は戦う時ではない。 社会を安定させて力を貯えよう」と説けば、みんなついて来ます。 しかし、それほどの影響力を持ち合わせていない指導者だと、民衆の支持を失わないようにする為には、民衆の望む事を、そのまま実行するしかないのです。 たとえ、それが無謀であろうが、自殺行為であろうが……。 民主主義とは残酷なものですな。


  一方、イスラエル側へのアドバイスですが、ガザ地区の統治に未練が無いなら、エジプトと話し合って、エジプトとガザ地区の国境線を全面開放してしまうのが良いと思います。 つまり、実質的に、ガザ地区を、エジプトの一部にしてしまうのです。 国境が開いていれば、ガザの一般民衆は、徐々にエジプト社会に溶け込んで行って、イスラエル殲滅への意欲は減退していくものと思われます。

  エジプト人も、パレスチナ人も、同じアラブ民族なのですから、「生まれ育った土地でアラブ人として堂々と暮らせるなら、帰属する国がどこでも文句はない」という人も少なくないと思うのです。 本当なら、≪パレスチナのガザ地区≫であるのが望ましいけれど、それが駄目なら、≪イスラエルのガザ地区≫であるよりは、≪エジプトのガザ地区≫である方が、ずっとマシなのではありますまいか。

  イスラエルは、「国境を開くと、エジプト経由でガザに軍事物資が運び込まれ、ハマスを強化してしまうかもしれない」と警戒しているんでしょうが、たとえ、ハマスは折れなくても、民衆を生活に満足させてしまえば、急進派への支持は確実に減ります。 北風より太陽ですよ。


  もっとも、この種の他人の目線で見た解決策は、当事者からすると、「問題外」と片付けられてしまいがちなんですよねえ。 当事者には、そんな簡単に考え方を切り替えられない、深刻な事情があるのものです。 遠い国に住んでいる者が思いを致せるのは、このくらいが限度ですな。