2017/07/30

読書感想文・蔵出し (24)

  今回からしばらく、読書感想文です。 最近の私の読書動向ですが、相変わらず、図書館には行っておらず、家にある母の蔵書を読み続けています。 文庫の推理小説ばかり。 読むのはいいんですが、感想文を書くのが、面倒でねえ。 だけど、すぐに書いておかないと、一ヵ月もすれば、綺麗さっぱり忘れてしまいますから、致し方ありません。




≪犯罪精神医学入門≫

中公新書 1796
中央公論社 2005年
福島章 著

  図書館で借りてきた本。 実際に起こった、大量殺人事件の犯人を題材にして、精神鑑定について再検証を加えたもの。

大阪教育大学付属池田小学校事件
テキサス大学時計塔大量殺人事件
連続射殺魔事件
池袋通り魔事件
全日空機ハイジャック事件
連続幼女誘拐殺人事件

  などが取り上げられていますが、池田小学校の犯人、Tについて、最も詳しく、分析しています。 最初、センセーショナルな書き方がされているので、著者は、ジャーナリストかと思ったのですが、プロフィールを見たら、れっきとした精神医学者で、犯罪者の心理を専門に研究している人だとの事。

   面白いといえば、相当には、面白いです。 特に、犯罪の実録になっている部分は、あまりに粗野な犯人の行動に、顔を顰めながらも、引き込まれる感じで、どんどん、ページが先へ進んでしまいます。 大量殺人犯は、計画は立てても、知能的な隠蔽工作とは無縁で、推理小説の犯人とは、まるで重ならないのですが、この引き込まれる感じは、良く出来たミステリーの雰囲気とよく似ています。

  犯罪者の精神鑑定が、鑑定する医師によって食い違いが多いという事は、この本でも触れられています。 日本の裁判では、大量殺人犯の精神鑑定で、医師達の意見が分かれた場合、「責任能力あり」という診断を出した方の鑑定結果が採用される事が多いのだとか。 責任能力があれば、死刑を言い渡せるからです。

  この本の著者は、それを、問題だと指摘しているのですが、もし、裁判官達が、逆の判断ばかりしたら、それも、問題でしょうなあ。 大量殺人犯が、みんな、死刑を免れてしまうわけですから。 本当に問題なのは、医師達の間で、意見が分かれるという事そのものの方でして、それはつまり、精神鑑定や、その基盤になっている精神医学が、不完全だという事の証明なのではないでしょうか?

  地震予知や、噴火予知は、未だに、科学的な予知方法が確立されていない、似非科学の領域に留まっていますが、精神医学にも、それと似たところが、大いにあると思います。 片や、責任能力あり、片や責任能力なしで、真っ向から意見が対立するようでは、同じ学問を修めているとは、到底、言えますまい。 少なくとも、人の命がかかっている裁判で、証拠にできるような、確度の高い診断とは考えられません。 あり・なし、どちらもです。

  この著者は、重大殺人を犯す人間の脳には、生理学的な障碍があると考えているようです。 それはそうなのかも知れませんが、そういう論法を取ると、「重大殺人犯は、みな、精神病であって、責任能力はない」という事になってしまい、それでは、殺し得になってしまわないでしょうかね? 大量に殺せば殺すほど、「責任能力なし」の診断を受け易くなるわけだ。

  これらの大量殺人犯達が、最も大きな事件を起こす前に、小さな事件をいくつも起こしていて、精神科にかかった経歴があるという事実にも、首を傾げてしまいます。 診断していたにも拘らず、精神科医達が、その人物の危険性を、全く見抜けなかったという事になるからです。 結果がどうなっても、責任を問われない身分というのは、お気楽でいいですねえ。 津波の高さを、2・3メートルと予報して、実際に来た10メートル超の大津波で、大量の死者を出したのに、過失致死にも問われない、気象庁の役人みたいではないですか。

  その言い訳のように、「一人の患者でも、症状は、時間の経過によって、変化するのだ」と書いていますが、それならば、尚の事、裁判に精神鑑定を持ち込むのは、無意味ではないでしょうか? 「犯行時は、精神異常だったが、今は治った」と言えば、みな、減刑された上に、釈放後、閉鎖病棟に収監される事もなく、大手を振って、世間を歩けるわけだ。 そして、またやる。 今度は、もっと、凄い事をやるかも知れぬ。 だけど、鑑定した精神科医は、やはり、責任を負う事はないと・・・。 随分と、虫がいい話ではないですか。



≪事故と心理≫

中公新書 1859
中央公論社 2006年
吉田信彌 著

  図書館で借りてきた本。 交通事故が、なぜ起こるかを、心理学方面から分析したもの。 著者は、東北大学の教授で、専攻は、交通心理学。 

  最初の章に、実際に起こった事故の例が挙げられていて、それに関して、重箱の隅を突くような細かい分析を加えています。 ここまで、心の中を読まれてしまうと、事例になった実在の人物は、いい気はしないでしょうなあ。 この本が世間に出回っている間、自分が起こした事故の事が、無関係な他人にまで、知れ渡ってしまう事もありますし。

  最初の章で、週刊誌の記事的な、センセーショナルな雰囲気だったのが、第2章になると、エラー(間違い)の心理学的研究の歴史を、フロイトから説き起こし、急に、学問的になります。 落差が大きいので、そこで脱落する読者が多いらしく、私が借りた本では、第2章から先に、ページをめくった痕が、全くついていませんでした。 痕が復活するのは、最終章です。 つまり、小難しいところを飛ばして、結論だけ読もうという読者が多かったのでしょう。

  だけど、この本に、結論と言うほどの結論はありません。 この本を読んで分かるのは、精神分析学が、事故の分析には、まるで役に立たない事や、統計データから結果を読み取るのが、大変、難しいという事、心理テストにまやかしが多い事など、学問の限界を思い知らされる事ばかり。 科学への信頼が深まるどころか、その逆の印象が強いです。

  「リスク補償説」や「リスク・ホメオスタシス説」は、面白いと思いましたが、それらも、単純には成立しないと解説されており、白ける事、甚だしいものがあります。 あれも駄目、これも駄目、「交通事故を防ぐ、有効な方策は、安全に対する知見を増やして行く以外にない」と言うわけですが、漠然とし過ぎていて、一般人には、理解し難いです。 もっと、具体的な対策を教えてほしいのですがねえ。

  新書本は、入門書だから、素人でも分かるように書いてもらわないと、ついていけません。 読み物として、つまらないのです。 はっきりした結果が出せない分野では、学者として真面目であればあるほど、「これは、こうだ」という断定が難しくなるのは分かりますが、断定まで行かなくても、「これは、こうだと思う」くらいの確かさを示してもらわないと、読む方の興味が萎えてしまうのです。



≪ネガティブ・マインド≫

中公新書 2019
中央公論社 2009年
坂本真士 著

  うつという感情を発生させる心の働き(認知)を、「ネガティブ・マインド」と名付け、それに関して、様々な実験や考察を施した内容。 著者は、社会心理学博士。

   一応、全ページ、目を通したんですが、どうも、私の興味と重ならないところが多く、あまり、頭に入って来ませんでした。 新書では、よくある事で、気にしない事にします。 「ああっ、こんなんじゃ、本を読んだなんて、言えない。 私は、駄目な人間なんだ」とか思っていると、鬱病になってしまいますから。 それこそ、この本で指摘されているように。

  漠然とした印象しか残っていないのですが、同じような事を、何度も何度も、繰り返し説明されたような読後感です。 「自己注目」とか、「内在他者」とか、「自己確証」とか、「事故発生的態度変容」とか、用語がいろいろ出て来て、それらを軸に解説がなされるので、同じ内容が繰り返されているわけではないと思うのですが、なぜか、リピート感覚が拭えないのです。 いくつも出て来る、心理テストや、図表が似通っていて、変化を感じないからでしょうか。

  この本のいいところは、鬱病にならないための、予防方法を示している事です。 具体的なアドバイスがあるので、鬱病になりかけている自覚がある人には、実際的に役に立つと思います。 「気晴らし」や、「運動」がいいそうで、それは、私の実体験からも、頷ける対策です。 精神分析や心理学の本では、理論だけ並べて、実践の方になると、「実際の治療は、患者のケースにより、複雑になるので」とか言って、大雑把な事しか書いていないものが多いので、こういう本は、貴重なのでは?

  所々に、コラムが挟まれているのですが、その中に、≪巨人の星≫の、星飛雄馬の自己注目意識を分析したものがあり、それは、大変、面白かったです。 私は、原作漫画を読んでおらず、テレビ・アニメを、ボーっと見ていただけだったので、そんなに深い話だったとは、知りませんでした。



≪自我崩壊 【心を病む 不条理を生きる】≫

こころライブラリー
講談社 2007年
岩波明 著

  著者は、精神科医。 学者・研究者ではなく、実際に治療に当たっている医師のようで、そのせいか、患者の実例が多く挙げられ、内容も詳しいです。 私が、ここ最近読んだ、同類カテゴリーの本の中では、最も読み易かったです。 何と言っても、ありがたいのは、精神医学理論を、ダラダラ書き連ねた部分がない事ですな。

  取り上げられている症状は、「統合失調症」、「パニック障害」、「自閉症」、「トラウマ」、「境界性人格障害」、「多重人格」、「強迫神経症」、「ヒステリー」、「覚醒剤精神病」、「うつ病」などなど。

  実例は、患者を仮名にしてあるものの、ほんとに、実例らしいので、生々しく、こんなにも、生きる事に苦しんでいる人達がいると思うと、気分が重く、暗くなります。 完治したように思われる人は、ごく僅かで、それ以外は、「治療を続けているが、なかなか、安定しない」とか、「何ヵ月後に、再発して、再入院した」とか、「リストカットを繰り返している」とか、げんなりするような結果ばかり。

  やはり、すっかり、正常と言える状態まで治る例は、多くなさそうです。 もちろん、軽度の内に来院した人は、治り易いわけですが、そもそも、症状が軽い内は、本人も周囲も、進んで、精神科に行こうとは思わないから、手遅れになる割合が多いのでしょう。 さりとて、「境界例」の患者のように、治す手立てがなく、医師を振り回すだけなので、精神科から毛嫌いされている症状もあるらしく、早く行けばいいというものでもないようです。 精神科の領域というのは、厄介な世界ですなあ。

  トラウマに関する記述には、蒙を啓かれるところがあります。 一時期の日本社会で、何でもかんでも、トラウマを原因にしてしまう風潮があったという指摘には、大いに頷けます。 つまりその、問題の原因として罪をなすりつけるのに、トラウマという概念は、大変、便利だったわけですな。 著者によると、子供の頃のトラウマが、歳月を経て、大人になってから、精神疾患を引き起こす事はありえず、精神疾患には、別の原因があるのだそうです。

  文学作品からの引用が多く含まれているのですが、「覚醒剤精神病」の章で、フィリップ・K・ディックさんの、≪スキャナー・ダークリー≫が出て来たのは、面白かったです。 私が、2013-14年の北海道応援の時に、苫小牧図書館で借りて、読んだ本。 書いた本人が、覚醒剤中毒の後遺症と戦っていたせいで、ストーリー的には、グジャグジャでしたが、こういうところで、引用されて、少しは世の役に立っていたわけだ。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2017年の

≪犯罪精神医学入門≫が、3月中旬。
≪事故と心理≫が、3月中旬。
≪ネガティブ・マインド≫が、3月下旬。
≪自我崩壊≫が、4月上旬。

  このカテゴリーの本が、もう少し、続きます。 これまでの人生で、精神医学関係の本に取り組んだ事が、何回かあるのですが、多くても、10冊くらい読むと、興味が離れます。 もともと、こういう世界が好きなわけじゃないんですわ、たぶん。

  だけど、この種の本を読んできたお陰か、狂人と、そうでない人間の区別は、割と容易につくようになりました。 「そんなの、誰でも分かるだろう」と思うかもしれませんが、そうでもないんですよ。 職場で、ある人物の事を、私だけが狂人だと思っていて、他の人達は、まともな人間として対応しているというケースが、稀にですが、ありました。

  一番分かり易いタイプは、被害妄想がある事で、他人からの攻撃に備えて、ナイフや、銃身を切り詰めた猟銃といった武器を持っていたりするわけですが、隠すのではなく、むしろ、見せたがるのが、特徴。 直接、口には出しませんが、「俺は、こういうものを持っているんだぞ。 だから、俺を攻撃すると、ひどい目に遭うぞ」と匂わせて、他人を威嚇しているわけです。

  「馬鹿」の一言で片付けられないのが、狂人の怖いところでして、とばっちりを食いたくなかったら、距離を置くしかありません。 ゆめゆめ、「俺は、まともな人間だから、俺とつきあっていれば、あいつも、その内、まともになるだろう」などと思わない事です。 狂人は、相手に合わせないので、まともな人間の影響は受けませんが、その逆はアリでして、まともな人間は、相手が狂人であっても、合わせようとしますから、まともな人間の方に、狂気がうつって行きます。

「最初は、変な奴だと思っていたけど、話してみたら、面白い奴だった」

  そういうケースは、割と多くの人が経験していると思いますが、その現象を客観的に分析すると、最初は、相手の事を、異常な人間として警戒していたのに、話す内に、自分の方が、相手の考え方に合わせるようになり、言わば、狂気に慣れる格好で、いつの間にか、会話に違和感を覚えなくなってしまったのでしょう。 自分の方が、狂人に引っ張られている事に、気づいていないんですわ。

  私が見た実例では、あるグループに、一人の狂人が異動して来たところ、次第に、その影響が、メンバーに広がって、グループ全体が、非常識な行動を取るようになりました。 他のグループから、「あいつら、最近、ちょっと、おかしい」という見方をされるようになったのです。 ところが、その後、その狂人が、また別の職場に異動して行ったら、もともと、狂人でなかった他のメンバーは、まともな人達に戻って行きました。 狂人の影響というのは、そういうものなのです。

  私が、実際に見た狂人は、自分が心の病であるという自覚がなく、精神科の治療も受けておらず、普通の人間として、一般社会で暮らしている人達でした。 自覚があって、治療を受けている患者でも、重大事件を起こすケースは多いようですから、未発覚の狂人が、特段、恐ろしいというわけではないですけど、狂人を狂人として扱わずに、「ちょっと変わっているだけ」くらいの認識でいると、思わぬところで、ぞっとするような被害を受ける恐れがあるのも、否定のしようがない事実だと思います。

2017/07/23

犯人は他にいた!!


【「私は無実」と叫び続けたペダル 2年9ヵ月に及ぶ濡れ衣の果てに・・・】 



(七月盆のお寺にて)

  めっきり乗らなくなっている折自、「レイチェル OF-20R」ですが、月に一度、乗って出ると、右のペダルの辺りから、「カッチン、カッチン」という音と共に、軽いショックが感じられます。 クランクが一回転するたびに、鳴る。 その症状が出たのは、ペダルを交換してからですから、2014年10月以来で、2年と9ヵ月間ずっと、という事になります。 「随分、長い事、放っておいたもんだな」と呆れるでしょうが、まあ、つまり、それだけ、折自に乗る機会が少なかったという事なのです。

  ペダル交換直後から、鳴り始めたので、ペダルの取り付け部分に問題があるのだと思い込んでいたのですが、よくよく考えてみると、ペダルなんて、ねじ込んであるだけですから、鳴るような部分がないのではないかと・・・。 クランクが一周回転するごとに鳴るという事は、「緩む/締まる」を繰り返している事になりますが、ペダルのネジというのは、漕いでいる内に、どんどん締まるように出来ているのであって、そんなに簡単に緩むというのは、考え難いです。

  となると、異音の発生源として考えられるのは、ボトム・ブラケット以外にない事になってしまいます。 先日・・・、正確に言うと、7月16日ですが、七月盆の最終日に、母方のお墓に折自で行って、相変わらず、ペダルが「カッチン、カッチン」言うので、困った事だと思っておったのですが、その帰り道、ふと、「もしや、ペダルではなくて、ボトム・ブラケットのベアリンクが欠けているか、リテーナーが破損しているのではないか?」と、思いつきました。

  翌17日に、本格的に直そうと決心し、まずは、ペダルのネジの締まり具合を見たみたのですが、しっかり締まっていて、スパナで緩めようとしても、簡単には緩みません。 こんな状態で、異音なんか、出るわけがない。 内心、ペダルが原因なら、ボトム・ブラケットを弄らないで済むから、その方が好都合だと思っていたのですが、そちらの当ては外れました。

  で、気が進まないながらも、ボトム・ブラケットをバラしにかかったのですが、手こずるだろうという予想に反して、割とスイスイ、作業が進みました。 2013年2月に、初めて分解し、左側のベアリング球を換えたのですが、その時に、工具も揃えていましたし、やり方も覚えていたからでしょうか。 二度目は、明らかに、難易度が低くなっている感じ。 一度もやらない内は、とても、素人には無理な作業に思えたものですがねえ。

  最初に、ボトム・ブラケットを分解した時の記事は、このブログにアップしてあるので、手順を繰り返し書く事はしません。 詳しい事を知りたい方は、検索すれば、写真・イラスト入りで、丁寧に解説してくれている個人サイトがありますから、そちらを参照して下さい。 クランク抜きのような、ちょっと変わった工具が必要ですが、素人でも、できない事はないです。 現に、私もやりましたし。


  で、ボトム・ブラケットをバラし、中を見たところ、リテーナーは原形を留めていたんですが、ベアリング球9個の内、2個の表面が、剥離していました。 皮一枚という程度の剥離ですが、たったこれだけの事で、あんなに、「カッチン、カッチン」引っ掛かるんですなあ。 恐ろしい事だて。


  もっと、恐ろしいのは、2014年10月に、ペダルを新品に交換してから、つい先日まで、2年9ヵ月間も、ずーーーっと、「ペダルが悪い」と思い込んでいた、私の意識の方です。 一度、原因を決め付けてしまうと、他の可能性を考えようとしなくなるんですなあ。 ボトム・ブラケットに思い至れば、とっくに直せたのに。

  2013年に、リテーナーを取り去ってあった、左側の球は、無事でした。 「リテーナーが悪さをする」というのは、どうやら、本当のようです。 で、今回は、右側も、リテーナーをやめる事にし、球の剥離したのを、2個捨てて、2013年に自転車店で買った球の残りから、4個出して、まともなのを、11個揃えました。 リテーナーがある場合は、9個ですが、リテーナーを取ってしまうと、隙間が空くので、2個足さなければならないのです。

  ところで、ベアリング球ですが。 2013年に、自転車店で買った時には、シマノの18個入りのが、210円でした。 ところが、今回、ネットで調べてみたら、同じ品に、千円などという値段がついていて、ビックリ! 知らない人は、そのまま買ってしまうと思うのですが、とりあえず、最寄の自転車店を回って、いくらするか、訊いてみた方がいいと思います。 いくら何でも、千円はねーだろー。

  ちなみに、ベアリング球には、各種サイズがありまして、測ってから買う事になります。 たとえば、私の折自の場合、1/4インチ、つまり、6.35ミリなのですが、「どうせ、数を調整するから、6ミリのでもいいだろう」というわけにはいきません。 ベアリング球を挟む、ワンと、シャフト側のRが、6.35ミリ用になっているからです。


  リテーナーをやめるのはいいとして、ベアリング球だけだと、組み立てる時に、ワンに直接、球を並べなければなりません。 その際に必要なのが、粘度の高いグリスです。 2013年の時には、クレのグリース・メイトしかなかったのですが、ワンを取り付けようと垂直にしたら、グリスが軟らか過ぎて、球を保持できずに、落ちてしまいました。 やむなく、ラップで包んで、冷凍庫で凍らせ、融けない内に、大急ぎで取り付けるという、不器用な方法をとりました。

  今回は、時間はたっぷりあったので、作業を途中でやめ、近くのホーム・センターに、グリスを買いに行きました。


  AZ社の、「シャーシ・グリス DS770 400g」。 168円で、一番安いタイプです。 この、蛇腹に入ったグリス、安いのはいいんですが、外側まで、ベトベトしていて、気持ちが悪い商品。 なるべく、べとつきが少ないのを選ぼうとしたんですが、結局、どれも同じようなものでした。 といって、別に、中身が漏れているわけでもない様子。 もし、グリスが漏れているのなら、それらしいニオイがするはずです。 何か、わざと塗ってあるんですかね? 何の為に? 分かりません。

  買って帰って、写真を撮った後、早速、使ってみると、これは、さすがに、粘度が高かった。 植木用のピン・セットで球を抓み、グリスをべとっとつけて、ワンに並べていきましたが、垂直にしても、微動だにしませんでした。 右側のワンは、本体に付けたままだったので、自転車を横倒しにして、球を並べましたけど。


  で、組み立て直して、試し乗り。 すると、嘘のように、音がしなくなりました。 2年9ヵ月間も、勘違いしたまま、「ペダルでは、仕方ない」と思って、「カッチン、カッチン」を我慢してきたのです。 馬鹿じゃなかろうか? これが、ボトム・ブラケットの分解経験がない人間だったら、原因不明で諦めるというのも、アリですが、私には、経験があったわけで、尚の事、愚か度が高い。


  まあ、直ったから、いいとしますか。 終り良ければ、全て良し。


  そうそう。 グリスに触れたせいで、手にニオイがついてしまい、二日間も、とれませんでした。 ビニール手袋をして、作業した方が、良かったかも。 だけど、夏場、ビニール手袋は、きつそうですなあ。 汗が、手袋の中にたまって、手を上に上げると、ジョロジョロ、流れて出て来そうです。

2017/07/16

捨てた本 ④

  捨てた本のラスト。 今回のは、カラー・ボックスや、箪笥の引き出しに入れてあった本です。  






≪車・ペット関連≫

【間違いだらけのクルマ選び】
  自動車評論家、故徳大寺有恒さんの、ベスト・セラー本、「間違いだらけのクルマ選び」です。 1983年、84年、85年、86年、一年飛んで、88年の5冊がありました。 値段は、以下の通り。

83年  980円 
84年 1000円
85年 1000円
86年 1100円
88年 1100円

  83年版を、たまたま、本屋で見つけて買って来て、面白かったので、毎年買うようになりました。 ちなみに、このシリーズの場合、発行されるのは、その年になる少し前でして、83年版なら、82年の年末には、もう、本屋に並んでいました。 87年版を買わなかったのは、86年に、植木屋見習いに就職したものの、仕事がきつくて、心のゆとりがなかったからだと思います。 ちなみに、86年の秋には、自分で車を買っています。

  88年版も買う予定がなかったのですが、ちょうど、発行された頃に、胆石の手術をする事になり、入院前の検査が一日がかりになるというので、待ち時間に読もうと思って買って来たのです。

  それ以降は、新版が出ても、興味のある車のページだけ、立ち読みして、済ませていました。 89年に自動車工場に勤めて以降は、車に対する興味がなくなり、立ち読みすら、しなくなって行きます。 発行が、半年に一回に変わった事も、読まなくなった理由の一つ。

  徳大寺さんの文章は、そんなにうまいわけではないのですが、車に対する視点に特徴があって、人気を獲得したんですな。 しかし、偏りもあり、徳大寺さんが、最も興味があったのは、中型以上のセダンで、次が、スポーツ・カー。 それ以外のカテゴリーは、実際に買う人の気持ちになりきれていないようなところもありました。 特に、軽自動車は、十把一絡げの扱いでした。

  若い頃から、車好きで、このシリーズを始め、昔のクルマ雑誌などを、大量に保存している人も多いと思いますが、自分が昔乗っていた車が出ていて、読み返すと懐かしいといったものでない限り、元気な内に、何かしらの方法で、処分しておいた方がいいと思います。 自分が死ねば、結局、みんな、捨てられてしまいますし、大量にあると、片付ける人に、嫌がられますから。

【ハムスターの気持ちが100%わかる本】
【ハムスターの医・食・住】
【ハムスターのお医者さん】
  2002年から、2006年まで、2匹のジャンガリアン・ハムスターを飼っていました。 名前は、「金太」と「銅丸」で、リレーする格好で、それぞれ、約2年ずつ、生きました。

  金太を飼い始めた頃に、古本屋で、5・6冊のハムスター本を買い集めたのですが、数年前に、この三冊以外を、ブックオフに売ってしまいました。 残っていたこれらも、もう読む事はないと思い、捨てる事にしました。

  ハムスターは、ペットとしては、最も飼い易いですが、寿命が短いのが難点です。 金太と銅丸には、心から感謝すると同時に、申し訳ない事をしたと、今も思っています。

【標準原色図鑑全集8 植物】
  植木屋の見習いを始めた、1986年に、勉強用に買って来た図鑑。 だけど、ほとんど、役に立ちませんでした。 庭木だけ載っているわけではないし、図鑑なので、手入れの仕方などは、書いてないからです。

【新しい犬のしつけ方】
  柴犬のシュンを飼い始めた、1999年に買ったもの。 犬の育て方の本は、書き手によって、内容がバラバラで、定説がない事で有名ですが、この本も例外ではなく、参考になった事が、ほとんど、なかったと思います。

【金魚 飼い方・育て方】
  1996年に、職場の先輩に影響されて、金魚を飼い始めたのですが、その時に買って来た本。 カラー写真で、品種が多く載っていて、綺麗な本でした。 しかし、こういうのは、一通り読んでしまうと、二度は読まないものですな。 金魚を買う事も、もう、ないでしょう。



≪言語関連・その他≫

【ドイツ語文法】
  左上の白っぽいものですが、これは、ネット上に公開されていた、ドイツ語文法のサイトをプリントし、自分で、冊子にしたもの。 作ったのは、2006年頃だと思います。 作ったはいいけれど、読んだのは、最初の一ヵ月くらいでした。 ドイツ語の文法は、ややこし過ぎて、嫌になってしまったのです。

【すぐに役立つ広東語会話】
  買ったのは、1988年頃。 カセット・テープ2巻とセットになっていました。 この本だけだと、1200円。 カセットの方は、たぶん、2015年秋の大整理の時に、先に捨てたと思います。 そちらは、いくらだったか、不明。

  広東語を、本気で習おうというつもりはなくて、大体どんなものか知りたかったという程度の動機でした。 当時は、香港から、映画がたくさん来ていて、今とは比較にならないくらい、広東語は、身近に感じられる外国語でした。

【基礎ビルマ語】
  ビルマ文字のデザインが気に入って、どんな言語か知りたくなり、買った本。 時期は、1986年から、88年までの間です。 3000円。 高いな。 ちょっと興味が湧いた程度の動機で買う値段じゃないですな。 ビルマ語は、中国・チベット語族で、単音節言語ですが、文字は、インド系を元にしています。

【一般言語学要理】
  アンドレ・マルチネという、フランスの言語学者の本。 岩波書店の学術単行本ですな。 買ったのがいつだった、正確には覚えていませんが、1988年1月に、胆石の手術をした時に、病院で読んでいたから、その頃には、すでに、持っていた事になります。 お世辞にも面白い本ではなく、その後、読み返す事もないまま、内容は完全に忘れてしまいました。 2400円。 高いですが、岩波だから、そんなものでしょう。

【入門 言語学】
  90年代後半か、事によったら、2000年以降に、古本屋で買った本。 すでに、言語学への興味は失せていたのですが、安かったから、つい、買ってしまったのです。 結局、読まずに終わりました。

【ソシュール 一般言語学講義】
  言語学の世界では、最も有名な書物。 買ったのは、1988年か、89年です。 東京駅の八重洲口にある、「八重洲ブックセンター」という書店で買いました。 長い事、この本を、1万円したと思っていたのですが、今回見直してみたら、5千円でした。 半額で良かった。

  言語学のバイブル的な扱いをされていますが、その実、大変、難解な内容で、普通の読書人の読解力では、全く刃が立ちません。 意味が取れないところが多過ぎて、4分の1も行かない内に、やめてしまいました。 恐らく、翻訳者も、「分からないところを、分からないように訳した」んじゃないかと思います。

【漢語発展史略】
【語病分析】
【歇後語新論】
【中日同形詞浅説】
【語源文字理論新探】
  東京の専門学校へ通っていた、1988年4月から、1989年2月までの間に、中国語の本を売っている書店で、合計20冊くらいの本を買いました。 一冊、200円とか、300円とか、そのくらいで、安かったです。

   この5冊は、言語学関係。 一通り読みました。 意外なようですが、原書というのは、専門書の方が、読み易いのです。 特に、日本人が中国語を読む場合は、覿面。 用語から、大体の見当がつくからです。

【抓住一個春天】
  これは、台湾の、呉念真という作者の短編小説集を、中国で発行したもの。 面白い話が多かったので、ほとんど全作、読んだと思います。

【新加坡、馬来西亜華文小説選】
  シンガポール・マレーシアの、中国語で書かれた短編小説を選び、中国で発行された本。 「同じ中国語で書かれた小説でも、これほど、分かり難いものがあるとは・・・」と、驚かされた本。 一作たりとも、最後まで読めませんでした。

【家庭医学大全科】
  分厚くて、10センチくらいあります。 随分前から、自室の押入れに入れてあって、てっきり、母が買った物を引き取ったのだと思い込んでいたのですが、奥付を見たら、私が最も長く勤めた会社の名前が入っており、会社の支給品だった事が分かりました。 1991年発行。 一回、何かを調べた記憶がありますが、そっきりです。 私の場合、病気や怪我をしたら、直接、病院に行ってしまうので、こういう本は、あまり、役に立たないんですな。

【埋もれた古代都市 アンデスの黄金郷】
  「NHK文化シリーズ 歴史と文明 第2巻」とあります。 発行は、1978年。 私が買ったのは、もっと後で、79年か、80年頃だと思います。 中身は、専門学者の対話形式だったような記憶があります。 恐らく、NHKの番組で放送した内容を、文章に起こしたものだったのでしょう。

  普通、インカや、マヤ・アステカなどに嵌まるのは、中学生くらいですが、私は、高校生になってから嵌まり、とにかく、それ関係のものが読みたくて、小遣いはたいて、買って来たんですな。 1300円。 その後、興味がなくなり、ずっと開かないまま、死蔵。 買わなくても良かった本の一つ。


  これら、全部、捨てたわけですが、少しは、ためらいがありました。 たけど、とっておくほどではないのです。 見れば、買った頃の事が思い出されて、懐かしいのですが、特段、良い思い出があるというわけではないから、読み返す気には、さらさらならず、それなら、表紙の写真だけでもいいと判断した次第。




  これで、おしまい。 捨ててもいい本は、まだ、かなりあるんですが、押入れの奥の方に入っていて、おいそれとは出せないので、今回は、見送りました。 どうせ、死後、他人に見られて恥ずかしい本ではないから、急いで捨てなくても、問題なし。


  余談ながら、ここ最近の私は、性懲りもなく、車(セルボ・モード)の修理を続けています。 エア・フィルターは、ようやく届いて、無事に交換完了。 エアコン・ベルト交換の時に、ボルトを折ってしまったバンパー下のベロの部分を、ドリルで穴を開け直して、修理。 今は、運転席ドア・キー・ホールの蓋が閉まらなくなっていたのを、修理中です。 あと、修理ではありませんが、数日前には、ワックスをかけました。 年に一度しか、かけませんけど。

  とりあえず、今年の修理は、こんなもんすかね。 いずれ、写真つきで、紹介する事にします。 車関係の記事も、ボチボチと溜まって来ると、こういう一般ブログではなく、「みんカラ」でも始めたくなるものですが、私は別に、車大好き人間というわけではないので、厄介事が増えるだけに決まっており、やめておいた方が無難でしょうなあ。

2017/07/09

捨てた本 ③

  捨てた本の三回目。 今回のも、文庫と新書は、自室押入れに、ダンボール箱に入れて、しまってあったもの。 やはり、30年から40年は経っています。 単行本は、カラー・ボックスに入れてあったものですが、そちらも、小松左京関連を除き、10年以上は経ています。 つくづく思うに、本というのは、買うよりも、借りるべきものですな。 時間が経てば、みーんな、ゴミになってしまう。






≪SF系≫

  SFというと、私は、御三家の文庫を、ほぼ、揃えているわけですが、それらは、死ぬまで保存するつもりなので、それ以外の物が処分の対象になります。

【豊田有恒作品】
  私が中高生だった、1980年前後、SF御三家と言えば、星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんでしたが、それに次ぐ、四番手というと、豊田有恒さんが、人気がありました。 で、「自殺コンサルタント」、「両面宿儺」、「西遊記プラスα」、「本邦泰西ヌード縁起」の四冊を買ったわけです。 だけど、豊田さんの作風には、癖がありまして、結局、好きになれずに終わりました。

【機動戦士ガンダム】
  テレビ・アニメの監督、富野喜幸さんが書き下ろした、ノベライズ本。 話の中身は、テレビ・アニメとは、相当、違います。 看過を許さぬほど、異なります。 発行は、1980年前後だと思います。 第一巻だけ、表紙イラストが、安彦良和さんの絵で、それに惹かれて買ったようなもの。 ⅡとⅢは、とりあえず、全巻揃えておこうと思って、しぶしぶ買いました。 

  富野喜幸さんは、アニメ監督の才能は、もちろんあるわけですが、小説家としては、ちょっとなーという人でして、お世辞にも、面白い作品ではありませんでした。 何とも、気だるい文体で、まるで、わざと、つまらなくしているような書き方。 ワクワクするようなところが全くない点が、アニメとは、正反対。 期待して買って、ガッカリした人も多かった事でしょう。

【ダーティペアの大冒険】
  高校生の頃、つまり、1980年代初頭に買ったものです。 その後、アニメにもなりました。 シリーズ物だったと思いますが、私は、一冊で、もう充分という感じでした。 私が、スペース・オペラを、読まずに済んだのは、この本のお陰です。 一冊で、懲りた次第。

  小説でも漫画でも、作者が男で、女を主人公にした活劇を作ろうとすると、必ず、主人公の性格が、男になってしまいます。 外見だけ、美女で、中身が男なのです。 この作品も、典型的に、そのパターンに嵌まっています。  

【宇宙戦艦ヤマト】
  アニメが有名ですが、元は、この一冊から始まったもの。 豊田有恒さんが原案で、石津嵐さんが書いています。  戦艦大和が再生されるという、日本的に後ろ向きな点を除き、至って真っ当な、長編SFです。

  私が中学生の頃、つまり、1970年代後半に買った本で、ヤマトが人気があった間は、この原作を読んでいるというのは、ちょっとした自慢でした。 今ではもう、アニメも過去の遺物となり、原作小説に至っては、思い出す人もいないでしょう。 「宇宙戦艦ヤマト」は、すっかり、どうでもいい情報になったんですな。

【宇宙海賊船シャーク】【宇宙潜航艇ゼロ】
  石津嵐さんの作品。 【宇宙戦艦ヤマト】と同じ頃に買いました。 どちらも、宇宙戦記物で、それほど、面白くはなかったです。 どうにも、二流っぽい。 そういや、90年代に出てくる、仮想戦記物の萌芽は、この辺にあったのかも知れませんなあ。

【家畜人ヤプー】
  沼正三さんが書いた、「奇書」です。 どのくらい、「奇」なのかは、読んでみないと分からないのですが、読まない方がいいような気もします。 これを読むと、何か、人として、大事な物を失ってしまうような気がするからです。

  多くの著名人が、この小説を誉めているのですが、常識を揺さぶられ、心を抉られるような思いをしたのを、感動したと勘違いしたのではないかと思います。 何かを、「得た」のではなく、「失った」のだという事に、気づかなかったんでしょう。 この本は、読まずにスルーした方が、心豊かな人生を送れると思います。



≪地図・新書≫

  20代前半、新書をたくさん、買いました。 学術書ですが、一般人向けの入門書として書かれているので、興味がある分野であれば、小説よりも、むしろ、読み易かったのです。 その後、新書の世界は変質してしまい、どこの誰だか分からないような執筆者が、センセーショナルなタイトルで、世間の注目を集めようとするだけの場になってしまいました。 1995年以前の、知性・教養が尊ばれ、科学者が信用できた時代が懐かしいです。

【エアリアマップ 長崎市】
  高校の修学旅行で長崎に行った時、グループのスケジュール係を任されてしまい、自腹で買った地図。 その時だけ、役に立ちました。 千円くらいだったと思います。 1980年の発行。

【帝国書院ワールドマップ 中国】
  80年代前半に買ったもの。 地名を覚えるのが目的だったと思います。 インターネット時代では、もはや、不要です。

【中国語インターネット用語集】
  これを買ったのは、インター・ネットを始めた頃(2001年前後)だと思うのですが、中国語に於けるネット用語成立の、過渡期に出された本でして、今では、使われていない単語が多いです。 

【中国語会話練習帳】【広東語会話練習帳】
  専門学校に通っていた頃に買ったものだと思います。 どちらも、参考程度に目を通しただけでした。

【日中アヘン戦争】
  これも、専門学校時代に買いました。 面白かった記憶がありますが、ほとんど、忘れてしまいました。

【地球環境報告】
  勤め始めて以降に、古本屋で買ったものではないかと思います。 一時期、こういう事に、興味があったんですな。

【中国改革最前線】
  記憶がない。 80年代後半以降の本であるのは確か。 その時点での、最新の中国情報として、書かれていたわけですが、こういう本は、時間が経ってしまうと、意味がなくなってしまいます。

【経済学とは何だろうか】
  こんなの、読んだっけ? 経済学とは何か? それは、定説が存在しない、学者によって、言う事がまちまちの学問の事では?

【転換期の中国】
  これも、【中国改革最前線】と同じ。

【沙漠を緑に】
  沙漠で、潅水技術を使って、野菜を育てた人が書いたもの。 畑は作れても、森林は作れない事を知りました。

【文化大革命と現代中国】
  文革関係の本は、読んでいると、げんなりしてくるところがあります。 大まかな事は、頭に入りましたけど。

【宦官】
  古代中国で、生殖能力を自ら捨てた後宮付きの官吏の事について書かれた本。 口絵の、宦官の写真が衝撃的で、その写真を見るのが嫌なばかりに、二度と開きませんでした。

【満州事変】
  これも、大体の経過を頭に入れるのには役立ちました。 げんなり本の一類。 軍人が、政治家より力を持ってしまうと、制御不能になるという、見本のような出来事。

【「南進」の系譜】
  これは、ベスト・セラーになった本ではなかったかな? 大日本帝国が、東南アジアへ触手を伸ばしていった原因について、研究したもの。 やはり、げんなり本ですなあ。

【シンガポールの奇跡】
  シンガポールが発展した経過を書いたもの。

【南京事件】
  これは、かなり重度の、げんなり本。 犠牲者の人数の問題ではなく、相手を、同じ人間だと思っていない人間が、どういう事をやるかという、見本として読むと良いと思います。 もっとも、この作者、その後、考え方が変わってしまったようですが。

【タイ】
  現代タイ社会の変化について書かれた本。 バラエティー番組の影響で、日本人には、割と身近な国ですが、変化が明確に見えないのが、タイの特徴でして、不断に発展が続いているにも拘らず、いつまで経っても、先進国と言われないのが不思議。

【アジア系アメリカ人】
  タイトル通りの内容です。 90年代に入ってから、古本屋で買ったもの。 興味が湧かなくて、途中で放り出し、10年以上経ってから、また手にとって、一応、最後まで読んだものの、今現在、中身を全然、覚えていません。

【愛について】
  哲学の本ですが、著者の個性が強過ぎて、私には、理解できませんでした。 これも、古本屋で買ったものだと思います。

【速読術でみるみる学力が上がった】
  一時期、速読術が話題になり、その時に、買ったのだと思います。 80年代でしょうねえ、たぶん。 速読の方法や、体験談などが書かれていたと思いますが、私は、全然、駄目でした。

  速読術を否定する気はありませんが、それを身に着けたという人で、有名になった例を聞いた事がないです。 思うに、短時間に大量に本を読める事と、そこから得た知識・情報を有効に使う事とは、直結していないんでしょうな。 算盤や暗算ができる人が、できない人に比べて、必ずしも、有利な人生を送らないのと同じで。

【飛行機はなぜ飛ぶか】
  いつ買ったのか、覚えていません。 流体力学は、魅力がありますが、何冊も本を読むほど、奥が深いわけではないです。

【世界の軽飛行機】
  中学の頃に買った本。 それから、40年経ちますが、結局、日本に於いて、軽飛行機は、実用品にはなっていませんなあ。



≪単行本≫

  単行本は、滅多に買わないので、数が少ないです。

【水滸伝 集英社世界文学全集5】
  これは、勤め始めて以降に、古本屋で買ったもの。 文学全集の単本というのは、値段がつかないものらしく、100円でした。 水滸伝には、いろんな版があるのですが、これは、短い方で、一冊で、完結です。 買ってから、ずっと、放っておいたのを、割と近年になって読みました。 私は、武侠物には興味がなくて、もう、読み返す事もなかろうと思い、捨てました。

【中国劇画 紅楼夢 第一巻 中公愛蔵版】
  中国近世以前の長編小説の傑作、「紅楼夢」の、劇画版。 劇画と言っても、漫画ではなく、物語の各場面を描いた絵に、説明をつけたもの。 複数の画家が描いていて、うまい人は、めちゃめちゃ、うまいです。

  1993年11月の発行。 全二巻の内、第一巻だけです。 たまたま、本屋の店頭で見つけて買ったのですが、そんなに面白いものではなくて、第二巻は買いませんでした。 小説の方は、岩波文庫の翻訳版と、中国で出版された原書をもっていて、そちらは、とりあえず、保存する事に決めています。

【ソフィーの世界】
  いつ頃でしたかねえ。 ベスト・セラーというほどではないけれど、そこそこ、話題になった本です。 「ソフィーの選択」というアメリカ映画とは、全く関係なくて、ヨーロッパ哲学の歴史を、ファンタジー小説風に紹介した本。

  そもそも、古本屋で買ったものですが、数年経ってから、別の古本屋へ持って行ったら、買取拒否されてしまい、持って帰ってきたものの、もう、読むとは思えず、結局、捨てる事になりました。

【活職の時代】
  2015年の1月、小松左京さんの文庫を買い揃えていた、末期の頃ですが、ネット古書店で、安く出ていたので、単行本も買いました。 ところが、届いてみると、この本、小松さんは単なる監修者でして、冒頭に、数ページの一文を書いているだけで、本体部分は、別の人達が書いたものでした。 保存するほどの価値がなく、邪魔なだけなので、捨てる事にしました。

【鼎談 人類は滅びるか】
  こちらも、手に入れた経緯は、同じ。 今西錦司・川喜多二郎・小松左京のお三方による鼎談を纏めたもの。 生物学的な視点からの、文明論だったと思いますが、あまり、面白いものではありませんでした。 こういうのは、80年代頃に、さんざん読んだような気がします。 【活職の時代】よりは、中身がありますが、やはり、読み返す事はないだろうと思い、処分。




  今回は、ここまで。 


  余談ながら、ここ最近の私は、暑くて、まいっています。 まだ、7月で、しかも、梅雨の最中だというのに、猛暑続き。 居間に行けば、母がエアコンをかけていますが、一日中、座椅子に座って、テレビを見ているわけにも行きません。

  運動登山は、珍しく、春から続いていて、だいぶ、ウエストが締まりました。 やはり、暑い時の運動は、汗の出方が違いますな。 このままで行けば、若い頃に買った礼服が、また着れるようになるのも、夢ではない。 いや、その前に、また寒い季節になって、リバウンドしてしまうかな?

2017/07/02

捨てた本 ②

  捨てた本の二回目。 これらは、自室押入れに、ダンボール箱に入れて、しまってあったもの。 死蔵も死蔵、読み返す事がないまま、30年から40年は経っているはず。






≪北杜夫作品≫
  私の読書体験の初期の頃に、初めて、同じ作家の本を纏めて読んだのが、北杜夫さんの本でした。 もっとも、友人が嵌まっていたので、それを真似しただけで、私が自発的に、ファンになったわけではないのですが。

  とはいえ、初期の読書体験は、やはり、影響が大きいもので、私の文章や、ものの考え方に、下等ながらも、常に、ユーモアらしきものが含まれているのは、北杜夫さんの作風が響いているのだと思います。 そのせいで、真面目な文章を書けなくなってしまったという見方もありますが・・・。

【夜と霧の隅で】
【どくどるマンボウ航海記】
【どくどるマンボウ昆虫記】
【船乗りクプクプの冒険】
【楡家の人々 上下】
【遥かな国 遠い国】
【高みの見物】
【南太平洋ひるね旅】
【星のない街路】
【奇病連盟】
【あくびノオト】
【天井裏の子供達】
【マンボウおもちゃ箱】
【月と10セント】
【黄色い船】
【マンボウ周遊券】
【狐狸庵VSマンボウ】
【どくどるマンボウ青春記】
【どくどるマンボウ途中下車】
【どくどるマンボウ小事典】
【人間とマンボウ】

  結構、買ってますな。 大して、小遣い、貰っていなかったのに。 ほとんどは、1970年代半ば、小学生の頃に買ったものだと思いますが、【マンボウ周遊券】だけは、1983年の版で、これは、もしかしたら、後々、古本屋で買ったのかも知れません。

  北杜夫さんの作品には、純文学小説、ユーモア小説、随筆と、三種あります。 その内、世間で最も歓迎されたのが、随筆の、「マンボウ・シリーズ」です。 確かに、面白い。 今でも、「面白かった」と、はっきり言えます。 だけど、いかんせん、昔の作品でして、今から読み返すと、過去の渦潮に呑み込まれてしまいそうなのが怖くて、開かずに捨てました。

  北杜夫さんの随筆は、北杜夫さんの人生について書いてあるのであって、私は、私の人生を生きねばなりません。 残りが、何年もない可能性があるとなれば、昔読んだ本を読み返すゆとりはないのです。



≪遠藤周作作品≫
  私が小学校高学年くらいの頃、ユーモア小説のジャンルで、北杜夫さんと、人気を二分していたのが、遠藤周作さんでした。 

【大変だァ】
【おバカさん】
【狐型狸型】

  三冊、買ったわけですが、どうも、波長が合わなくて、その頃、他の友人から、星新一さんの作品を紹介されて、そちらへ小遣いを回すようになったので、遠藤作品とは、それっきりでした。 三冊とも、私個人の好みを度外視すれば、面白い作品だったと思います。  


≪アルセーヌ・ルパン≫
  モーリス・ルブランさんの、ルパン・シリーズですな。

【813】
【続813】
【ルパン対ホームズ】
【バーネット探偵社】
【カリオストロ伯爵夫人】

  買ったのは、【ルパン対ホームズ】だけ、中学の頃で、他は、大人になって働き始めてからです。 【813】と【続813】は、三島の古本屋で、二冊セットで買ったような記憶がありますが、どこの古本屋だったのか、覚えていません。

  新潮文庫のルパン・シリーズが、ホームズ物ほど、ファンが多くないのは、作品そのものがつまらないというより、堀口大學氏の翻訳のまずさが祟っていまして、ストーリーの理解に苦しむほど、分かり難い文章でした。 訳者本人も、分かって訳していたのかどうか、大いに疑わしいです。

  【カリオストロ伯爵夫人】だけは、創元推理文庫で、訳者が異なるお陰で、面白かったです。 ちなみに、≪ルパン三世≫の劇場版アニメ、≪カリオストロの城≫とは、全く関係ありません。


≪紅楼夢 7・8・10巻≫
  紅楼夢は、清代末期の長編小説。 岩波文庫で、全12冊なのですが、ダブっているものが三冊あったので、捨てました。 なぜ、ダブっているかというと、人にやろうと思って買ったから。 ところが、買いに行くのを、母に頼んだら、第1巻がなかったそうで、7、8、10巻だけ買って来たのです。

  7、8、10だけやるのも、変な話なので、結局、やらずじまいでした。 誰にやろうと思っていたのかを、忘れているところが、我ながら、凄い。 それが、一番大事な事のような気がするのですが、よっぽど、忘れたい相手だったんでしょうかねえ。 それすら、覚えていません。



≪その他の文庫本≫

【公式・定理ズバリ暗記】
  中学の時に買ったもの。 因数分解とか、連立方程式が載っています。

【年代ズバリ暗記法】
  同上。 「いいくに作ろう、鎌倉幕府」の類が載った本。

【水辺の鳥・野山の鳥】
  小学生の頃、別に、野鳥に興味がなかったのに、なぜか、買った本。

【日本の切手I】
  同上。 切手を少し集めていたんですが、真似事で終わりました。 小遣いが、月600円なのに、切手蒐集なんて、できるわけがないのですよ。

【役に立つ性格学】
  これは、高校時代くらいでしょうか。 読み返してみたんですが、あまりにも、つまらないので、捨てる方へ入れました。

【反日本語論】
  大人になってから買った本。 つまらないの一語に尽きる。 これ以降、評論家の書いた本を読まなくなりました。

【世界史こぼれ話①②③】
  高校一年の時に買った本。 覚えている項目もありますが、そんなに面白い本ではなかったです。

【合気道】
  高校三年の時に買いました。 本を読んでも、護身術は、身に付きません。 覚えているのは、「刃物を持った相手を取り押さえる場合、相手に怪我をさせないで行なうのは、難しい」という言葉だけです。

【遊びの数学】
  買った時期も、内容も、全く覚えていません。 私は、「数学は、苦手だ」と、この歳になったら、はっきり言えます。

【幻想の技術超大国ニッポン】
  ひきこもり時代(1983~85年)に買ったもの。 これは、面白かったです。 これから、バブルへ向かう時代の雰囲気に、水を注すような内容でしたが、そこが、辛口で、面白かったのです。 だけど、さすがにもう、時代が変わってしまってしまいました。

【なんとなく、クリスタル】
  ひきこもり時代に買ったもの。 この作品自体は、傑作とまでは言いませんが、時代をよく映していました。 映画にもなりましたが、そちらは、イマイチ。 小説の方が、面白いです。

【ブンとフン】
  これは、中学くらいですかねえ。 井上ひさしさんの、子供でも読めるユーモア小説。 だけど、タイトルからイメージされるほどは、面白くなかったです。

【ただの歌詞じゃねぇか こんなもん】
  ひきこもり時代に買った、桑田佳祐さんの曲の歌詞集。 もはや、私には、不要。

【愛が好きです】
  ひきこもり時代に買った、中島みゆきさんの曲の歌詞集。 もはや、私には、不要。

【楊貴妃伝】
  高校の時に買った、井上靖さんの歴史小説。 井上靖さんの歴史小説は、はっきり言って、つまらないです。 史実に縛られ過ぎているのかも知れません。 想像で膨らませて、史実を曲げてしまうより、いいのかどうかは、難しいところ。  

【ねこに未来はない】
  中学の頃、何となく、タイトルが気に入って、値段も安かったので、衝動買いした本。 私小説みたいな話でした。 面白いというわけではなかったですが、話は、今でも、大体、覚えています。




  今回は、ここまで。 


  余談ながら、ここ最近の私は、車(セルボ・モード)のエア・フィルターを、ネット・ショップに注文したものの、なかなか発送されないのを、呑気に待ちながら、過ごしています。 読書は、母の蔵書の、西村京太郎作品を読み終わり、同じく、母の蔵書の、山村美紗作品を、今、読んでいます。