2021/01/31

古い車のカタログ蒐集計画 ⑬

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 えー加減、続き過ぎだとは思いますが、次回までで終わるので、お付き合いください。 かつて、初代ミラや、初代タクトに乗っていた人は、手元に何の記録も残っていなければ、興味を引くかも知れませんが、該当するのが、ほとんど、女性だった事を考えると、ネットで調べてまで、知りたいとは思わないでしょうなあ。





【初代ミラ・2代目クオーレのアク・カタ / 販促マニュアル】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の2冊。

≪写真1左≫
  初代ミラ&2代目クオーレのアクセサリー・カタログです。 1983年10月発行。 アク・カタとしては、後期型の物。 前期型と中期型では、縦長三つ折れの小さいリーフレットでしたが、後期型では、全8ページの冊子になりました。 これは、表紙。 ターボや、4駆のカタログに出ていたモデル二人が、こちらにも出ていますが、表紙だけの登場です。

≪写真1右≫
  裏表紙。 オーディオは、ラジオだけ、ダッシュ・ボード内で、カセットは、オプションのコンソール・ボックスを付けて、その中に収容するようになっていたようです。 エアコンも、オプションであった様子。 私の車には、ヒーターしかありませんでした。

≪写真2左≫
  イメージ写真のページ。 ターボ、4駆、クオーレ、ミラと、代表的なタイプが出ています。

≪写真2右≫
  外装アクセサリーのページ。 ページ数は増えたけれど、アクセサリーそのものは、ターボ・4駆用が少し加わっただけで、種類は大差ないです。 外装では、キャリアとか、ドア・バイザー、内装では、シート・カバーとか、基本的なものが多いです。

≪写真3・4≫
  初代ミラ・Turboと、4WDの、販促マニュアルです。 一枚紙の二つ折り。 発行年が書いてありません。 ターボと4駆の登場は、1983年10月だから、その前には、ディーラーに配布されていたと思われます。 ターボと4駆は、ミラだけで、クオーレには、ありませんでした。

  販売統計や分析、ターボ・4駆の、機構の説明が、びっしり書いてあります。 前にも書きましたが、初代ミラの場合、4駆はともかく、ターボの方は、セールス・ポイントをぎっしり頭に入れていても、なかなか、売り込むのが難しかったと思いますねえ。 ハイ・パワーを感じさせるデザインではなかったからです。




【初代ミラ後期型の最終カタログ / アク・カタ】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の2冊。

≪写真1左≫
  初代ミラ後期型の最終カタログです。 1985年3月発行。 同年8月には、生産・販売が終了して、2代目に代わるので、発行時期的にも、最終に近いものだと思います。 初代ミラのカタログは、ターボ・4駆を別にしても、前期型(本1・簡易1)、中期型(本1・簡易2)、後期型の他に、この後期型・最終が別にあるせいで、大変、ややこしくなっています。 更に、2代目クオーレのカタログもあるから、とても、記憶しきれません。

≪写真1右≫
  グレードのページ。 基本タイプは、「A(2シーター)、A、B、C、S」で、変化なし。 このカタログには、4駆も載っているので、「4駆A、4駆F」が増えています。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 車が写っていません。 さすがに、まずいと思ったのか、続く、見開き2ページでは、車がちょこっと写っています。 恐らく、カタログ・クリエイターというのがいて、好き勝手やりたくて仕方なかったのだと思います。

≪写真3≫
  スポーツ・バージョン、Sタイプのイメージ写真のページ。 「走り、かっこいい。」と書いてあります。 しかし、何度も言いますが、初代ミラは、可愛い、もしくは、美しくはありましたが、カッコいいという言葉で言い表すようなデザインではありませんでした。 それは、Sタイプでも、同じ事です。

≪写真4≫
  4駆のイメージ写真のページ。 このカタログ、ターボは載っていません。 「どうせ、売れないから、これ以上、宣伝費をかける必要なし」と判断されたのかも知れません。

≪写真5≫
  これは、初代ミラ&2代目クオーレ後期型・最終のアクセサリー・カタログです。 1984年10月発行。 恐らく、上の最終・本カタログにも、同じ日付で発行されたものがあるはず。 出ているモデルが、同じ人達ですから、同じ時に作られたのでしょう。

  アクセサリーの中身は、ほぼ、同じ。 アルミ・ホイールの種類が、増えています。




【2代目ミラ・Turbo TRのカタログ / 5door FBのカタログ】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊ですが、その中に、2代目ミラのものが含まれていました。

≪写真1左≫
  「ミラ TURBO TR」のカタログ。 1985年8月発行。 2代目ミラのデビューの時のものですな。 ただし、「TR XX」ではないです。

≪写真1右≫
  機能説明のページ。 エンジンの最高出力、52馬力。 デカ・・・。 まだ、550㏄の時代です。 軽に、こんなエンジンを積んで、怖さを感じなかったら、その人は、すぐに事故死するでしょう。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 キャッチ・コピーは、「流星ターボ。」 知らんなあ。 テレビCMをやっていたんでしょうか? やっていれば、耳にした記憶があるはずなんですが。

  バンパーは、素地。 ミラは、2代目から、ウレタン・バンパーに切り替わるのですが、手本にしていたヨーロッパ車で、「ウレタン・バンパーは、素地が基本」という流れが出来ていたので、ボディーと同色に塗装しなかったのだと思います。

  イラストが、ど下手。 下手を通り越して、もはや、汚い。 この絵を見て、車を買いたくなる人がいますかね?

≪写真3≫
  内装・その他、オプションのページ。 オプションに、エアロ・パーツがあって、カラード・バンパーにもできたようです。 おそらく、先に、この「TR」を買ってしまった人が、「TR XX」の登場後に、エアロ・パーツだけ後付けして、外見を似せたというケースがあったと思われます。

≪写真4≫
  「2代目ミラ・5door FB」のリーフレット。 なぜか、同じ物が、3枚入っていました。 裏表を並べて、撮影しました。 1986年1月発行。

  本来、ミラは、ボン・バンなので、3ドアしかないのですが、「5ドアも出しましたよ」という内容。 ボン・バンなので、後席が前に寄っている点は、3ドアと変わりありません。 クオーレの5ドアの車体に、ミラのシート配置を施したわけです。

  今でこそ、ボン・バンで、5ドアは普通ですが、この頃から、もう、あったんですね。 後席に人が乗る場合、3ドアより、乗り込み難いと思いますが、後席を荷物専用にするのなら、3ドアよりも、使い勝手が良いと思います。 チャイルド・プルーフも付いているとの事。


  セットで買ったから、この2冊のカタログが手に入ったわけですが、2代目ミラは、私が所有していたわけではないので、これといって、思い入れはありません。

  デザイン的には、内外装共に、初代より後退していて、特に評価するようなところはなし。 まだ、ウレタン・バンパーのデザインに慣れていなくて、どういう形にしていいか、分かっていなかったような感じも受けます。

  2代目で、印象に残っているのは、何と言っても、「TR XX」でして、エアロ・パーツとステッカーを付けて、未来的なデザインとなり、それまであった、ダイハツの野暮ったい企業イメージを一新してしまいました。 ただし、ハイ・パワー過ぎて、車としては、畸形的だったのも否定のできないところです。 どれだけ、血を吸った事か・・・。




【初代タクトのカタログ 1980年10月版】

  かつて、うちにあって、兄、母、私と、三人が乗り継いだ、ホンダ・初代タクト。 ピーター・フォンダさんがイメージ・キャラクターを務めた、「1981年4月版」のカタログを先に買って、それがドンピシャ版だと思っていたのですが、その後、うちにあったタクトが、もっと前に買われていた事が分かり、デビュー時のカタログである、「1980年10月版」を買い直しました。

  ヤフオクに、送料込み500円で出ていたのを、2018年の12月18日に、競らずに落札し、ネコポスで、翌19日には、届けられました。 速い。

≪写真上≫
  表紙。 アメフト・チームがイメ・キャラですが、有名人は含まれておらず、面子はみな、日本人のようです。

  「VIVA! スクーター・ピープル。」が、キャッチ・コピー。 デビュー時から、「スクーター」という言葉を使ったのが、タクトが、パッソルを圧倒した、大きな理由でした。 「脚を揃えて乗れる」というコンセプトは、パッソルの方が早かったんですが、「スクーター」という古い言葉を嫌ったせいで、一言で言い表せる言葉がなくて、製品イメージを確立できずにいる内に、ホンダにしてやられてしまったのです。

≪写真中左≫
  三つ折れの1枚物リーフレットです。 イメージ写真のページ。 上ページの白いタクトは、当時、珍しかったと思います。 街で見かけるのは、ほとんど、赤だったような記憶があります。

  下ページ。 ハング・グライダーで遊んでいる一団は、たぶん、表紙のアメフト・チームと同じ面子です。 犬も同じだし。

  他の写真2枚は、ヨーロッパ系モデルが起用されています。 車は、2代目シビック(1979-1983年)が写っています。 初代シビック(1972-1979年)に比べると、特徴がなくて、ほとんど、印象に残っていません。

≪写真中右≫
  機能説明のページ。 「ピーター・フォンダ 1981年4月版」と、ほとんど同じですが、良く見ると、写真やレイアウトが、微妙に違っています。 80年10月から、81年4月までの間に、小改良があったのかどうかは、不詳。

  デビュー版では、無名モデルしか使っていなかったのに、なぜ、次の版で、ピーター・フォンダさんが起用されたのか。 それは、たぶん、タクトが、予想以上に売れて、広告費が潤沢になったからだと思います。

≪写真下≫
  裏表紙。 カラー・バリエーションは、「ピーター・フォンダ 1981年4月版」と同じ。 パル・スクールの方も、同じです。




【ゆうパケットで、初代ファミリア800のカタログ】

  ヤフオクに、スタート100円で出たのを、2019年7月20日、競った末に、1600円で落札し、送料210円を足して、合計1810円で手に入れた、「初代ファミリア800 4ドア」のカタログ。 24日に届きました。

≪写真上≫
  ゆうパケット(おてがる版)。 普通の茶封筒で、ラベルが、ゆうパケットになっています。 この大きさで、210円は、安い方だと思います。 いつもの事ながら、「折り曲げ厳禁」の指示は、大変、ありがたいです。

≪写真下≫
  中身。 左の、黄色っぽいクリアファイルに挟んであっただけで、防水処置はなしでした。 何もないよりは、幾分マシですが、郵便受けに入れられる方式なので、雨に降られたら、やばかったですな。

  カタログの中身に関しては、また、いずれ、紹介します。




  今回は、ここまで。 あと一回で、終わります。 それ以降、カタログを買っていないから、確実。

  こういうカタログは、ヤフオクで検索したページを、「お気に入り」に入れておいて、一日一回、新しいのが出ていないか確認していれば、その内、自分が欲しいのが出て来ます。 お金を惜しまないというのなら、即座に手に入る場合もあります。

  実際に買った場合、大きな封筒で届けられるので、郵便受けも大きいのを用意しておく必要があります。 用意しておかないと、配達員によって、折られてしまう危険性があります。 手渡しされる事が分かっている配送方法なら、安心ですが、当然の事ながら、送料が高くなります。

  家にあった車というのは、自分や家族の歴史を、部分的に受け持っているので、カタログがあれば、過去を思い出すよすがになります。 もっとも、自分の家で撮った写真には、遠く及びませんが。 割と、車の写真を撮っている家族って、少ないんですよね。 フィルム写真の頃は、尚の事。 うちもそうで、人物がメインなので、車は、ごく一部が、端の方に写り込んでいるだけ、というのが多いです。

  つくづく思うのは、写真というのは、人でなくても、何でも撮っておけ、という事ですな。

2021/01/24

古い車のカタログ蒐集計画 ⑫

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 前文に書く事がないので、近況を書きますと、 これを纏めている、1月18日時点で、静岡県は、まだ、緊急事態宣言が出ておらず、割と、普通の生活をしています。

  数日前から、口の中に腫れ物が出来て、時節柄、病院にかかれないので、自力で治すしかなく、痛い痛いで、死ぬ思いをしましたが、何とか、膿が出て、窮地を脱しました。 いやあ、命拾いした気分です。 それにしても、腫れ物で死を覚悟しなければならないというのは、厄介な世の中になったものですな。





【初代ミラ中期型の本カタログ 1983年3月版 / アク・カタ 1982年5月版】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の2冊。 

≪写真1≫
  左側の黄色いのが、「初代ミラ中期型の本カタログ 1983年3月版」。 これが欲しいばかりに、十数冊セットを買った次第。 状態が良いのが、なかなか出て来ずに、一年半くらい待ちました。

  中期型の登場は、1982年5月なので、これは、少し後の版ですが、中期型の本カタログは、この一種類しかないから、中身は同じでしょう。 ちなみに、私が、1986年に、4年落ちの中古車を買ったのが、初代ミラ中期型でした。 前期型とは、グリルの穴の形が違います。

  右側のピンク色のは、アクセサリー・カタログ。 こちらは、中期型の登場の時に発行されたもの。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 この壁、ミラのカタログ写真を撮影する為に、何回、塗りなおされた事やら。 車の後ろ姿が写っていますが、初代ミラのデザイン上の最大の魅力は、この後ろ姿にありました。 バック・ドアや、リヤ・コンのデザインだけなら、2代目・3代目より、優れていたと思います。

  イメージ・キャラは、前期型では、岡田奈々さんが起用されていましたが、中期型からは、ヨーロッパ系モデルになります。 ミラのイメ・キャラは、その後、かなり長い事、その路線で行ったようです。 もっと、身近な感じがする方が、良かったと思うんですがね。 それ以前の問題として、この頃、女性の免許取得者が急増し、軽のボン・バンは馬鹿売れしていたので、イメ・キャラに関係なく、車は売れたと思います。

≪写真3≫
  内装のイメージ写真のページ。 ダッシュ・ボードのデザインは、明らかに、女性向けを意識したものでした。 初代アルトが、必ずしも、女性向けデザインでなかったのに比べ、2年、登場が遅れたミラでは、ボン・バンを買っているのが、どういう人達かを、よーく、分析していたわけだ。

  ボン・バンの荷室は、広大です。 広過ぎて、買い物袋を置くと、走っている間に、動いてしまうという問題点がありました。 クッションなどを置いて、仕切ればいいわけですけど。 私は、1991年に、引越しをしているのですが、この車で、何回か往復し、組み立て式ベッドや、箪笥、洗濯機などを運びました。

≪写真4≫
  グレード・ページ。 安い順に、

Aタイプ 2シーター
Aタイプ
Bタイプ
Cタイプ

  私が買ったのは、Aタイプに、オプションで、ラジオを付けたものでした。 納車前に、ディーラーの薦めで、リヤ熱線デフォッガーを付けて貰ったのですが、ガラスを交換したせいか、雨が降るたびに、ガラスのゴムから黒い線が垂れて、年中、水垢取りと、ワックスをかけていなければなりませんでした。 色が白だったのも、まずかったか。

  エアコンは、オプション。 パワー・ウインドウや、パワ・ステは、なし。 シート・ベルトも、巻き込み式ではありませんでした。 初代ミラは、この中期型までが、フェンダー・ミラーで、後期型から、ドア・ミラーに変わります。 もちろん、エア・バッグや、ABSは、なし。

  他に、今の車と違う点というと、運転席からの、バック・ドア・オープナーも、フューエル・リッド・オープナーもありませんでした。 ガソリン・スタンドに入ったら、キーを係員に渡して、開けてもらっていました。

≪写真5≫
  アクセサリー・カタログは、前期型のものと、大差ありません。 まだ、アクセサリーの時代ではなかったのです。




【2代目クオーレ中期型の本カタログ 1982年9月版】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の1冊。 これは、ミラの乗用車版、クオーレの、中期型、本カタログです。 「クオーレ」という名称は、これ以前に、「マックス・クオーレ」という車型の、サブ・ネームで使われていて、2代目という事になります。 初代ミラが、2代目クオーレと同じ車型なわけで、ややこしいです。

  中期型の登場は、1982年5月なので、このカタログは、少し後のものですが、中身は、登場時のものと同じ。

≪写真1≫
  表紙と裏表紙。 壁の前で、ヨーロッパ系モデルと撮影している点は、ミラ中期型のカタログと同じ。 たぶん、同じ人が企画したんでしょう。 全16ページと、本カタログとしては、ページ数が少ないせいか、諸元表は、裏表紙に押し出されています。 それは、ミラの中期型カタログも、同じ。 ちなみに、簡易カタログは、ミラと共通の、二つ折りリーフレットが、別に存在します。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 4ドアの後ろ姿が写っています。 以前、簡易カタログを紹介した時にも書きましたが、この型の4ドアは、バック・ドアではなく、ガラスだけが開く方式で、デザイン上も、機能上も、最悪でした。

  ガラスしか開かないと、物を積むのに、胸の位置まで持ち上げなければならず、不便極まりないです。 なんで、3ドアと同じ、バック・ドアを付けなかったのか、不思議でなりません。 わざわざ、余計な開発費をかけて、カッコ悪く、使い難くする理由が分からない。

≪写真3≫
  室内のイメージ写真のページ。 乗用だけあって、後席の足下が広いですな。 しかし、こういう写真は、前席を、目いっぱい、前に出して撮影するものなので、その点を割り引いて考える必要があります。

  3ドアには、運転席バック・ドア・オープナーがないのに、4ドアには、ガラス・ハッチ・オープナーが付いていたようです。 なんで、3ドアに付けないのか、理由が分かりません。

  4ドアは、チャイルド・セーフティーが付いていたようです。 私が知らなかっただけで、後席ドアがある車には、昔から付いていた装備なのかも知れませんな。

≪写真4≫
  グレードのページ。

【3ドア】
MO
MG
MGX

【4ドア】
MG
MGE
MGL

  ミラに比べると、グレード名が凝ってますな。 スポーツ・バージョンもあったようですが、そちら方面に興味がないので、詳しく調べる気になりません。




【初代ミラ後期型の本カタログ 1984年7月版】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の1冊。 これは、初代ミラ後期型の本カタログです。 このカタログは、1984年7月の発行ですが、後期型が出たのが、何年何月なのかは、はっきりしません。 私が所有していたのは中期型なので、後期型には、あまり興味が湧かず、とことん調べようという気にならないのです。 販売終了は、1985年8月です。

≪写真1左≫
  表紙。 ムチャクチャに明るいイメージですな。 後期型の外見的特徴は、何と言っても、フェンダー・ミラーだったのが、ドア・ミラーに変わった事。 ただし、ドア・ミラーのデザインに慣れていないせいか、かなり、ゴツいです。 他に、グリルの格子のパターンが変わりました。

≪写真1右≫
  裏表紙。 乗用車タイプの、クオーレが載っています。

≪写真2≫
  イメージ写真のページが、見開きで、3枚分もあります。 とことん、イメージで押そうという戦略。 ライバルの、スズキ・アルトと比べて、機能・性能では、トントン。 デザインでは、圧勝。 しかし、当時は、メーカーの知名度で負けていました。

≪写真3≫
  スポーツ仕様、「Sタイプ」のイメージ写真ページ。 スポーツ仕様と言っても、ラジアル・タイヤ、ディスク・ブレーキ、タコ・メーター、ショルダー・フリー・シートといった、言わば、外堀的部品を充実させたもの。 エンジンは、同じです。

≪写真4≫
  グレードのページ。 中期型と比べて、「Sタイプ」が追加されただけのようです。 各タイプの装備に、異同があるかもしれませんが、そこまで調べる気になりません。

  価格表がホチキス留めされていました。 一番安い、2シーターが、49万8000円。 一番高い、ターボでも、75万3000円。 そういう時代だったんですなあ。




【2代目クオーレ後期型の本カタログ 1984年5月版】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の1冊。 これは、2代目クオーレ後期型の本カタログです。 このカタログの発行は、1984年5月ですが、後期型が出たのは、何年何月なのかは、はっきりしません。 販売終了は、1985年8月です。

≪写真1左≫
  表紙。 明らかに、ミラのカタログと同じ場所で、恐らく、同じ時に撮影されたもの。

≪写真1右≫
  動力性能説明のページ。 「4サイクル、550cc、OHC、31馬力」。 550ccの頃の、ノン・ターボ車は、どのメーカーのも、30馬力前後でした。 サイズが小さく、電子装備が少ない分、車重は、550kg前後と軽かったのですが、それでも、パワー・ウェイト・レシオは、今の660ccの軽より、かなり低かったです。 しかし、軽のノン・ターボ車は、昔も今も、上り坂では、アクセル、ベタ踏みになってしまうという事に変わりはないです。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 4ドアは、どうにも、誉めようがないデザイン。 おそらく、ダイハツ社内でも、「3ドアと同じバック・ドアをつけて、5ドアを作りましょう」という声があったと思うのですがねえ。 惜しい事です。

≪写真3≫
  室内装備のページですが、上半分は、トランス・ミッションの説明になっています。 ユーザーは、圧倒的に女性が多かったですから、オートマチックは、必須機能と言ってもよく、年が後に行けば行くほど、オートマチックの割合が増えたと思います。

≪写真4≫
  グレードのページ。

【3ドア】
MO
MGF
MGX

【4ドア】
MG
MGE
MGL

  中期型との違いは、3ドアの、「MG」が、「MGF」に変わった事だけ。 クオーレのグレード名は、3ドアと4ドアで、法則性があるわけではなく、覚え難いです。 価格表が付いていて、一番安いのが、63万3000円。 一番高いのが、87万1000円。 そういう時代だったわけだ。




【初代ミラ・Turbo・4WDのカタログ】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊の内の2冊。

≪写真1左≫
  初代ミラ・Turboのカタログ。 1984年3月版。 表紙・裏表紙含めて、8ページ。

≪写真1右≫
  室内装備のページ。 ショルダー・フリー・シート、ドア・ミラー、ハロゲン・ヘッド・ライトなど。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 「ペパーミント・ターボ」が、キャッチ・コピーだったようです。 たぶん、テレビCMもやっていたと思うのですが、私は、覚えていません。

  軽で、最初にターボを搭載したのは、三菱のミニカで、役所の許可が下りたというので、他のメーカーも、大慌てで、ターボ車を出します。 ダイハツが、二番手だったと思います。 しかし、ミラは、デザインの良さで、女性向けに売っていた車なので、ターボを付けたからと言って、大歓迎とはなりませんでした。 ミラのターボ車が、爆発的に売れるのは、2代目で、TR-XXが出てからです。

≪写真3左≫
  初代ミラ4WDのカタログ。 1984年2月版。 表紙・裏表紙含めて、8ページ。 ヨーロッパ系モデル2人は、Turboのカタログと同じ人達です。

≪写真3右≫
  室内装備のページ。 傾斜計、アンダー・ガード、4駆用のホイールなど。 

≪写真4≫
  イメージ写真のページ。 「ワイルドシック4WD」が、キャッチ・コピー。 4駆の方は、私は、テレビCMを覚えています。 雪の中を、走っている映像でした。

  車の写真を見るに、シャーシーはノーマルのまま、長いサスで車体を持ち上げて、後輪へ向かうドライブ・シャフトを下に通したのだと思われます。 不恰好ですが、実用面を考えると、この方が、使い勝手が良かったかもしれません。 車体の底が低いままでは、雪が積もった所など、すってしまいますから。


  初代ミラの場合、たぶん、ターボよりも、4駆の方が、売れたのでは? ターボを欲しがるのは、専ら、若い男性ですが、初代ミラは、女性的なデザインで、どんなに弄っても、若い男性に買いたいとは思わせられなかったと思います。 一方、4駆は、雪国で、実用的に使えるので、デザインに関係なく、売れたと思うからです。




  今回は、ここまで。 初代ミラと、2代目クオーレ尽くしになってしまいましたが、恐ろしい事に、まだ、全部ではありません。

  初代ミラ、今見ても、いいデザインだと思いますが、さすがに、80年代前半の車は、もう、走っていないでしょうねえ。 私自身、6年間、所有して、乗っていたわけですが、「この車は、年月が経てば、名・旧車扱いになる」と思っていたものの、車そのものを、やめる事にしたので、手放してしまいました。

  実際には、この世代の車で、後に、名・旧車になったものは、ほとんど、ないのですが、それは、日本で、旧車愛好文化が根付かなかった事の方が、大きな原因だと思います。 一人で、好きな車に乗り続けようとしても、よほどの人気車でない限り、部品が手に入らなくなって来るので、いつかは手放さなければならなくなるんですな。

  この世代のミラは、街乗り専用程度の性能しか与えられておらず、高速道路の走行は勿論、長距離ドライブにも、適していませんでした。 比較的、背が高いので、重心が高くなり、山道のカーブでは、倒れるのではないかとヒヤヒヤし通しでした。 最高速度の方も、時速90キロくらいになると、ガタガタと、恐怖を感じるほどの振動が始まったのを覚えていますが、そもそも、そういう使い方を想定して設計された車ではなかったんですな。

  同じ時期に、うちには、母が新車で買った、初代トゥデイ前期型(1985年登場)があったのですが、排気量こそ同じだったものの、乗り比べると、明らかに、レベルが違う性能でした。 同じ山道をトゥデイで走ると、全然、怖くないのだから、その差は、歴然。 初代トゥデイに比べると、初代ミラは、屋根がついたゴーカートのようなものでした。 たった一世代の違いで、飛躍的に、車としての性能が上がったわけだ。

2021/01/17

古い車のカタログ蒐集計画 ⑪

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 まだ、続きます。 今回を除いて、あと、3回分くらいあります。 こうして見返してみると、随分、お金を使いました。





【定形外郵便で初代トゥデイのカタログ&アクセサリー・カタログ】

  ヤフオクで、スタート価格1000円で出ていたのを、2019年1月28日に、競った末、1600円で落札し、送料が、500円で、計2100円払って、2月1日に届いた、「ホンダ・初代トゥデイ前期型のカタログ&アクセサリー・カタログ」です。

≪写真上≫
  定形外郵便を選択したら、送料が500円と言われて、高いと思ったものの、揉めるのが嫌なので、そのまま、支払いました。 で、届いたのが、30×38センチもある、厚紙封筒。 大型郵便受けセットを設置しておいたにも拘らず、それにも入らなくて、手渡しされました。

  なるほど、これなら、500円するわけだ。 出品者は、東京の人。 つまり、この人は、せっかく、お宝を譲るのに、配送中に破損するのが、許せないタイプなんでしょうな。 その気持ちは分かります。 500円は、払う側としては、結構、痛いですが。

  「折り曲げ厳禁」の表示は、ありがたい。 しかし、この厚紙ぶりでは、折り曲げようという気にもならないんじゃないでしょうか。 これを強引に折り曲げる郵便配達員がいたら、精神科の受診が必要でしょう。

≪写真下≫
  中身。 右が、本カタログ。 左が、アクセサリー・カタログです。 どちらも、1985年9月の、デビュー時のもの。 程度は、かなり、良いです。

  ヤフオクには、2・3ヵ月に一回くらいの割合で出て来るものの、極端に高いか、安いと入札者が殺到するかで、大変、落札し難い品で、私は、これを手に入れるまでに、1年半、かかりました。 セットなら、1600円でも、安い方だと思います。 詳しい内容は、改めて、紹介します。




【セルボ・モード前期型の簡易カタログ 1992年6月版】

  2018年の11月初めに、ヤフオクに、スタート価格540円で出品されていたのを、競った末、658円で落札した三冊セットの中の一冊。 送料は込みでした。 セルボ・モードの簡易カタログです。 発行年月が古い順に出します。

≪写真1左≫
  1992年6月版です。 表紙。 織田裕二さんは、セルボ・モードがデビューした、1990年から、イメージ・キャラを務めていたようです。 このカタログは、織田さんが出ているカタログとしては、3代目なのではないかと思います。 このシャツを、覚えて置いてください。

≪写真1右≫
  室内装備のページ。 後期型とは、かなり、異同があります。 ダッシュボードは、エアコン操作盤のデザインが、全く違います。 シート生地や、ドア・トリムも、大違い。 前期型の方が、先進的なイメージあり。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 織田さん、微妙な表情をしていますな。 カッコつけてるんだか、冗談でも言われて、笑っているんだか・・・。 人物に比べて、車の写真が小さいです。

≪写真3≫
  一般タイプの、グレードのページ。 後期型とは、だいぶ、異なっています。

【S】 3ドアのみ。 2駆・4駆。
【L】 5ドアのみ。 2駆のみ。
【M】 3ドア・5ドア。 2駆・4駆。
【MC】 3ドアのみ。 2駆のみ。

  ややこしいですが、ドアの枚数と、2駆/4駆で分かれているところを見ると、装備のグレード構成は、シンプルだったようです。

≪写真4≫
  スポーツ・タイプの、SRシリーズのページ。 デビュー時には、SRシリーズの専用カタログがあったようですが、この頃には、もう、なくなっていて、メインのカタログに統合されていたようです。

  SRシリーズは、同じセルボ・モードとはいえ、一般タイプとは、まるで別の車で、私は興味がありません。 軽自動車の場合、野越え山越え、遠出するには、ターボがあった方が力強いですが、私はもう、車で遠くに行こうという気がないのです。




【セルボ・モード前期型の簡易カタログ 1993年2月版】

  2018年の11月初めに、ヤフオクで落札した三冊セットの中の一冊。 セルボ・モードの簡易カタログです。 発行年月が古い順に出しています。

≪写真1左≫
  1993年2月版です。 織田裕二さんが出るカタログとしては、たぶん、4代目。 表紙ですが、3代目のカタログと、同じ時に撮影したものらしく、シャツは同じで、上着を着ただけです。

≪写真1右≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、SRシリーズのグレード・ページです。 4気筒16バルブ・ターボの「SR FOUR」と、3気筒12バルブ・ターボの「SR TURBO」があります。 どちらも、3ドアのみ。 スポーツ・ユースではなく、野越え山越え用に、ターボ付きが欲しいと思っても、5ドアがないのでは、買えませんなあ。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 3代目のカタログで、人物が大き過ぎるのを、まずいと思ったのか、4代目では、車だけになっています。

  この写真を見ると、セルボ・モードという車種が、本来、3ドア車として、デザインされたものである事が、よく分かります。 グリルやバンパーのデザインも、全体フォルムに合っていて、そつがありません。

  前期型初期の、13インチ用ホイール・カバーを付けていますな。 今でも、ヤフオクに出てきますが、大抵は、ボロボロです。

≪写真3≫
  一般タイプの、グレードのページ。 3代目のカタログと、一部、変わっています。

【S】 3ドアのみ。 2駆・4駆。
【L】 5ドアのみ。 2駆のみ。
【M selection】 3ドアのみ。 2駆・4駆。
【M】 5ドアのみ。 2駆・4駆。
【MC】 3ドアのみ。 2駆のみ。

  追加された「Mセレクション」は、私の車と同じグレード名ですが、後期型とは、だいぶ、中身が違っているようです。 3ドアだけだし。

≪写真4≫
  SRシリーズのページ。 使われている写真が、3代目のカタログと、微妙に違っています。 右ページの機能・性能の方は、同じ。




【セルボ・モード後期型(5型)の簡易カタログ 1995年10月版】

  2018年の11月初めに、ヤフオクで落札した三冊セットの中の一冊。 セルボ・モードの簡易カタログです。 発行年月が古い順に出しましたが、本来、欲しかったのは、この後期型(5型)のものでした。 前期型2冊は、セットだったから、やむなく、一緒に買ったもの。

≪写真1左≫
  表紙は、2017年8月に買った、1995年10月版の本カタログと、全く同じです。 表紙だけ見ると、区別がつかないので、ヤフオクで、間違えて、本カタログのつもりで、簡易カタログを買ってしまった人もいるのでは? そんなに多くはないと思いますけど。

  セルボ・モードの場合、前期型・後期型に関係なく、本カタログと簡易カタログの表紙は、どの版も同じ写真のようです。 裏表紙が、諸元表になっていたら、それは、簡易カタログです。

≪写真1右≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、3ドア車の、グレード・ページです。 当然の事ですが、本カタログと、同じです。 「LoFt」というのは、特別仕様車で、3ドアのみ。 前期型では、専用カタログがあったのですが、後期型では、メインのカタログに、纏められた様子。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 この写真は、本カタログでも使われていて、左上に文章が入っているのが、簡易カタログの方です。 本カタログでは、この文章は、他のページに入っています。

≪写真3≫
  内装のイメージ写真と、機能・性能説明のページ。 機能・性能説明は、本カタログでは、5ページくらいあるのを、2ページに要約してあります。

≪写真4≫
  左側は、5ドアのグレード・ページ。 Mセレクション・5ドアの写真は、シルバーで、私の車と全く同じ物が載っています。 5ドアでは、Xが最高グレードで、キー・レスが標準装備。 オプションで、エア・バッグもあったようです。 

  ちなみに、最終の6型になると、Xがなくなり、Mセレクションが、最高グレードになったらしいです。 たぶん、5型と6型では、同じMセレクションでも、装備内容が異なるはず。 ヤフオクには、6型のカタログも出て来ますが、ドンピシャ版ではないので、買う予定なし。

  右側は、SRシリーズのページ。 SRシリーズは、後期型の5型までは、前期型と、大きく変わっていません。 グリルや、バンパーも、そのまま。 リヤコンと、エアコン操作盤、ドア・トリムなどは、後期型の一般タイプと同じ物に変わったようですけど。

  ちなみに、最終の6型になると、SRは、ノン・ターボ車になり、カッコ優先のスポーツ・タイプになったらしいです。


  これで、セルボ・モードのドンピシャ版は、本カタログと簡易カタログが揃いました。 もう一つ、ドンピシャ版で、アクセサリー・カタログがあるのですが、なかなか、出て来ません。




【初代ミラ&2代目クオーレ前期型の販促マニュアル / アク・カタ 1980年6月版】

  2018年の11月に、ヤフオクで買った、初代ミラと、2代目クオーレのカタログ、十数冊。 少しずつ、紹介します。

≪写真1≫
  左側は、販売促進マニュアル。 本来は、ダイハツ販売店の社内用ですが、すでに過去のものでして、今現在は、社外秘資料というわけではないと思います。 1980年6月は、初代ミラ(当時の名前は、ミラ・クオーレ)&2代目クオーレのデビュー年月と同じ。

  右側の細いのは、前期型のアクセサリー・カタログです。 クオーレとミラの共用。 こちらも、車のデビュー時のものです。

  イメージ・キャラは、岡田奈々さんで、この頃、21歳くらい。 岡田奈々さんが出ているのは、前期型だけで、中期型以降は、ヨーロッパ系モデルになります。

≪写真2左≫
  販売促進マニュアルの中ページ。 軽ボン・バン市場の分析が、数ページ続きます。 スズキ・アルトの対抗馬として、ミラが開発された事が、よく伝わって来る内容。

≪写真2右≫
  後ろの方は、セールス・ポイントの説明。 こういうのを頭に入れて、売り込んでいたわけですが、もう、80年代頃には、車は、セールスして売る時代ではなく、お客の方から、ディーラーにやってくる時代になっていたので、こういう冊子が、どれだけ役に立ったかは、疑問です。 特に、ミラを買いに来る人は、デザイン優先だったに決まっており、アルトや、レックスと迷う事など、まず、なかったでしょう。

  「1.5 BOX」のフォルムが、売りで、「世界のタウンミニも、1.5 BOXスタイルを追うことになる」として、「ルノー・R3」、「BL・ニュー・ミニ」、「フィアット・パンダ」の3車種が引き合いに出されています。 みな、世界的に有名な車種でして、ダイハツが、意外と広い視野で、車を開発していた事が分かります。

≪写真3・4≫
 アクセサリー・カタログは、リーフレットの3つ折り。 この頃には、まだ、アクセサリーの種類が、多くなかったわけだ。 シート・カバーや、フロア・マットなど、常識的なものが多いです。 ルーフ・キャリアは、スキー・キャリアなど、実用的なもので、レトロ風デザインではありません。


  セットで買った関係で、前期型の、販売促進マニュアルと、アクセサリー・カタログが手に入ったわけですが、前期型の、本カタログと、簡易カタログは、含まれていませんでした。 アクセサリー・カタログは、ミラとクオーレで共通ですが、本カタログ・簡易カタログは、ミラとクオーレが、それぞれ別にあります。 つまり、4冊欠けているわけです。

  4冊とも、ヤフオクで買えない事はないのですが、2000円以上かかりそうなので、もっと安いのが出て来ない限り、買う気はありません。




  今回は、ここまで。

  セルボ・モードの前期型に関しては、他にも、10種類以上、存在すると思いますが、ドンピシャ版ではないので、わざわざ、買い揃えるつもりはなく、その後、全く増えていません。 セルボ・モードは、前期・後期合わせて、9年も作られていたので、カタログも多いのです。

  グレードの種類や名前は、前期と後期で、まるっきり異なっていて、どれが、いつ、どう変わったか、頭に入っている人は、全国でも、指折って数えるほどしかいないのでは? もはや、生産中止から、23年も経ち、そういう知識に、何の価値もなくなってしまった事ですし。

  2代目クオーレ/初代ミラ・クオーレのカタログは、纏め買いしたので、ドンピシャ版以外のものが、たくさん、あります。 欠けている前期型の、本カタ・簡易カタ、計4冊は、安いのが出たら買おうかと思っていたのですが、今に至るも、一冊500円以下というのが出て来ず、買えないままでいます。

2021/01/10

古い車のカタログ蒐集計画 ⑩

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 まだ、続きます。 新年になったのだから、書下ろしの記事を書いた方がいいのは分かっていますが、どうも、新型肺炎の流行状況が悪くなる一方で、未来・将来への希望が失せてしまい、新しい物を書こうという気になれません。 私は、自分で、結構、面の皮が厚いと思っていたのですが、存外、精神的に脆いのかも知れませんな。





【ヤマハ セロー225WEのカタログ 2002年3月版】

  このカタログは、買ったものではなく、バイクを買った時に、ディーラーから貰ってきたものです。 バイクを買ったのは、2002年の5月だから、カタログ発行の直後に近いですな。 三つ折れの、一枚物。 全6ページです。

≪写真上≫
  表紙。 一応、自然の中で撮影していますが、森の奥ではないようで、225Wのカタログと比べると、安く上げた観が濃厚です。

≪写真中左≫
  イメージ写真のページ。 左は、森ですが、右はスタジオ撮影。 オフロード車である事より、メカの美しさを強調しているようです。

≪写真中右≫
  機能・性能説明のページ。 全て、もはや、意味のない情報で、読む気になれません。

≪写真下≫
  裏表紙。 諸元は、225Wと、大差ありません。 グレードは、1種類。 カラーは、2種類。 私が乗っていたのは、黒い方です。 225Wと比べると、タンクがスリムになっていて、腿で挟むと、ぴたっと来る感じがありました。


  225Wでもそうでしたが、ブレーキ・カバーや、ヘッド・ライト・ガード、エンジン・アンダー・ガードは、買ってすぐに外してしまい、完全に、オンロード・バイクとして乗っていました。 途中からは、タイヤも、オンロード用に換えていました。 そちらの方が、遥かに、もちが良かったです。

  他に、シート表皮を張り替えたり、前ブレーキのディスクを交換したり、バッテリーを交換したり、メーター・ケーブルを交換したり、自力で、いろいろと整備したバイクでした。 225Wの時に買ったリア・キャリア(荷台)ですが、野宿ツーリングをやめてから、ずっと、押入れにしまってあったのを、2011年の9月頃、引っ張り出して、色を黒に塗り、取り付けました。 それは、最後まで、付けていました。


  話が前後しますが、そもそもは、2002年5月に、オイル漏れで乗れなくなった225Wの代わりとして、40万円台半ばくらいの値段で買いました。 ほぼ、通勤オンリー。 連休の時だけ、日帰りの近場ツーリングに使いました。 例外は、2004年に、浜名湖花博へ行ったのと、2012年に、久々の野宿ツーリングで、房総半島と鹿島灘を回って来た事。 2013年には、文庫本蒐集計画で、静岡県中部や、神奈川県のブックオフを巡りました。

  2014年の岩手異動では、岩手まで往復して、それが、このバイクで行った最も遠い場所になりました。 向こうで退職した数日後、観光で行った前沢の、「牛の博物館」で、立ちゴケして、クラッチ・レバーを曲げてしまい、アマゾンで社外品を買って、交換してから帰って来ました。 何もかも懐かしい。

  退職後は、通勤の用がなくなり、夏場だけ、月に一回、日帰りツーリングに使っていたものの、出かける先を捜すのに苦労するようになり、そこへ、父の病院通いで、車を買わざるを得なくなったので、バイクの方は、2016年9月に、下取りの形で、中古車ディーラーに引き取って貰いました。 5万円でした。 所有していた期間は、14年4ヵ月で、225Wに比べると、かなり、長かったです。

  もう、手放してから、2年半くらい経っていますが、セローには、225Wと、225WE、合計で、22年間も乗っていたわけで、体が覚えているから、今でも、バイクさえあれば、すぐに、ポンと乗って、走り出せると思います。 だけど、もう、そんな事はないでしょうねえ。 バイクがあった日々は、遥かに遠くなりました。




【クリックポストでリーザのカタログ】

  ヤフオクに、スタート価格100円で出ていたのを、2019年1月12日に、競らずに落札し、14日に届いた、「ダイハツ・リーザのカタログとアクセサリー・カタログ」です。 送料が、185円、合計、285円でした。 

≪写真上≫
  配送方法は、郵便局の、「クリックポスト」で、郵便受けに入れられるタイプ。 出品者は、千葉県の人。 カタログ2冊を、ビニール袋に入れて、それを灰色の大きな紙で包み、ビニール・テープで留めてありました。 そういう、やり方もあるんですなあ。 「二ツ折厳禁」の注意書きは、大変、ありがたいです。

≪写真下≫
  これが、中身。 リーザのデビュー版カタログと、アクセサリー・カタログですが、アクセサリーの方は、薄い物で、サイズも少し小さくなっており、たぶん、ディーラーで配布していた時には、カタログの中に挟んで渡していたのではないかと思います。 ヤフオクで見ると、この2点は、セットで出て来る事が多いですし。

  リーザは、最初、550ccで出て、その後、660ccに変わります。 このカタログは、550ccの方。 なぜ、所有した事も、乗せて貰った事もない、リーザのカタログを買ったかは、いずれ、内容紹介の時に書きます。




【5代目カリーナ前期型・マイロード・スーパーロードのカタログ 1989年5月版】

  2018年12月にヤフオクで手に入れた、「トヨタ・5代目カリーナ前期型・マイロード・スーパーロードのカタログ 1989年5月版」。 特別仕様車のカタログなので、薄いです。 表紙と裏表紙を入れても、12ページ。

  5代目カリーナのデビューは、1988年5月なので、1年後のものです。 マイロード・スーパーロードが、最初からあったのか、途中から出たのか、詳細は分かりません。

  車が見たいのではなく、イメージ・キャラの写真が目当てで買いました。 松本孝美さんと、瀬川博さんのお二人ですが、マイロード・スーパーロードのカタログにしか使われていない写真があるのです。

≪写真1左≫
  表紙。 瀬川博さんが、松本孝美さんを抱え上げた写真。 幸せそうで、いいですなあ。 しかし、たぶん、撮影の時には、台を使っていたと思います。 こういう事をやると、腰を痛める恐れがあるので、お薦めしません。

≪写真1右≫
  裏表紙。 簡易カタログや、特別仕様車のカタログは、裏表紙が、諸元表や装備表に当てられるのが普通です。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 松本孝美さんは、買い物帰り。 瀬川博さんは、屋外で、くつろいでいるような格好。 一見、ツー・ショットに見えますが、光の加減を見ると、合成である事が分かります。 紙袋には、英文が印刷してあります。

≪写真3≫
  室内装備のページ。 バック・ミラーに写った格好で、松本孝美さんが、瀬川博さんに負ぶさっています。 幸せそうで、いいですが、腰を痛めるから、こういう事はしない方がいいです。

≪写真4≫
  スーパーロードのページ。 最初、スーパーロードというのは、4駆の事かと思ったんですが、2駆もあり、そういう分類ではない模様。 マイロードよりも、更に、お得な装備がついているという事でしょうか?

  イメージ・キャラの二人は、緩めに抱き合っていますが、どういう状況を切り取ったのか、よく分かりません。 とにかく、幸福を、全身動作で表現している観あり。

  この後のページは、機能・性能説明と、グレード一覧で、イメージ・キャラが出て来ないので、割愛します。




【5代目カリーナ前期型・マイロード・スーパーロードのカタログ 1989年10月版】

  2018年12月にヤフオクで手に入れた、「トヨタ・5代目カリーナ前期型・マイロード・スーパーロードのカタログ 1989年10月版」。 表紙と裏表紙を入れても、12ページ。

  これも、発行年月に関する詳細は不明です。 イメージ・キャラは、松本孝美さんと、瀬川博さんのお二人。

≪写真1左≫
  表紙。 車だけです。 つまらん。 しかし、何も写っていないよりは、いいのかも。

≪写真1右≫
  裏表紙。 細かく見たわけではありませんが、5月版ではオプションだったのが、標準装備になっているところがあります。 しかし、車の値段そのものが違っているかもしれないので、お得かどうかまで、分かりません。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 松本孝美さんの髪が、短めになっています。

≪写真3≫
  室内装備のページ。  5月版と比べると、二人の絡みが少ないです。 付き合い初めてから、時間が経って、少し熱が冷めた事を表現しているのだとしたら、大変、リアルですな。

  この後に、スーパーロードのページがありますが、写真は、5月版と同じなので、割愛。

≪写真4≫
  機能・性能説明のページ。 5月版のも、全く同じです。 例によって、すでに、意味がない情報でして、読む気になれません。

  この後の、グレード一覧のページは、割愛。 特別仕様車の中に、更に、グレードの別があるというのが、非常に分かり難い。 もっとも、それは、カタログのせいではないですけど。




【5代目カリーナ後期型・マイロードのカタログ 1990年12月版】

  2018年10・11月にヤフオクで手に入れた、「トヨタ・5代目カリーナ後期型・マイロードのカタログ 1990年12月版」。 後期型には、スーパーロードがなかった模様。 マイロードとスーパーロードのどこが違うのか、依然として、よく分かっていませんが・・・。 表紙と裏表紙を入れても、12ページ。

  マイナー・チェンジして、後期型になったのは、1990年5月なので、その、7ヵ月後のカタログです。 マイロードに空白期間があったとは思えませんから、マイナー・チェンジの時に、同じ内容のカタログが出ていたものと思われます。 バブル時代の事とて、足りなくなって、重版したのでしょう。

  イメージ・キャラは、山口智子さんと、冨家規政さんのお二人。 山口智子さんは、大ブレークしていた頃だと思います。 30年近く経った今も、外見的に、あまり、変わりませんけど。

≪写真1左≫
  表紙。 車と、イメージ・キャラのお二人が、別撮りになっています。 恐らく、イメージ・キャラの方は、テレビCMと同じで、サンフランシスコで撮ったものではないかと思います。

≪写真1右≫
  裏表紙は、諸元表と、装備表。 スーパーロードがなくなり、マイロードだけになったから、比較するのが面倒で、前期型のと比べませんでした。 90年12月では、まだまだ、バブル最盛期ですから、イケイケで、豪華装備が奢られていたものと思われます。

≪写真2≫
  この前に、見開きで、イメージ写真のページがありますが、車だけなので、割愛。 このページも、左半分、イメージ写真で、ナンバーから見て、日本国内で撮影されたものと思われます。 右ページ上は、マイロードの特別装備。 その下の、イメージ・キャラの写真は、たぶん、サンフランシスコでないかと。

≪写真3≫
  室内のイメージ写真。 右下で、冨家規政さんが読んでいるのは、英字新聞です。 やはり、サンフランシスコだな。

≪写真4≫
  機能・性能説明のページ。 中央に、イメージ・キャラの写真。 山口智子さんが持っているのは、英字新聞。 もう、絶対、サンフランシスコでしょう。 間違いない。

  この後に、グレード一覧のページがありますが、割愛。 グレードは、前期型よりも、少なくなっています。 エア・バッグや、ABS、後席3点シート・ベルトなど、安全装備の説明もあり、この頃に登場した装備である事が分かります。


  これで、5代目カリーナのカタログは、本カタログ2冊、簡易カタログ1冊、マイロード・スーパーロード3冊の、計6冊になりました。 もう一冊、後期型の、「THE CARINA IN SANFRANCISCO」という名前のカタログがあり、それは、ヤフオクに出たら買おうかと思っていますが、いつになるか分かりません。

  実は、他にも、ちょこちょこと、あるらしいのですが、イメージ・キャラが写っていないものは、買っても仕方がないので、コンプリートする気はないです。 歴代カリーナを振り返ったカタログというのもあって、それには、5代目カリーナの、イメージ・キャラが載っているものの、よほど安く出ない限り、買う気がありません。




  今回は、ここまで。

  前回の後文でも書きましたが、バイクのカタログの記事の中に、「もう、バイクに乗る事はない」といった事が書いてあるのはが、これらの記事が、バイク生活を再開する前に書かれたものだからです。

  5代目カリーナのカタログですが、車そのものを持っていたわけではないので、ドンピシャ版が存在せず、出ている物を、ほぼ全部買う羽目に陥りました。 でも、今現在、後悔はしていません。 合計しても、大した金額ではなかったですし。

  バブル最盛期のカタログは、お金がかかっているだけでなく、内容に夢や希望が溢れていて、所有しているだけで、豊かな気分になれます。 それだけ、今の私が、夢や希望を失った事を証明しているわけですけど。 50代半ば過ぎて、生涯独身で、夢や希望に溢れていたら、そちらの方が、ちと異常で、傍から見たら、「いつまで、ギラギラしているんだ、このオヤジは?」と、顰蹙を買いそうだから、これでいいとは思っているんですが、過去を懐かしがるしか、楽しみがないというのも、それはそれで、問題ですなあ。

2021/01/03

古い車のカタログ蒐集計画 ⑨

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 新年早々、シリーズ物も、そぐわないと思うのですが、これといって、書く事がないので、致し方ないところ。 毎回書いておきますが、このシリーズ、ヤフオクで購入した経緯と、買ったカタログの紹介がゴッチャになっているので、ご注意あれ。 そうそう、タイトルは、「古い車のカタログ~」ですが、バイクのカタログも含みます。 前回からですけど。





【ジョグのカタログ 1983年4月版】

  ヤフオクに、同じ物、5冊セットが、スタート価格100円で出ていたのを、2018年5月16日に、競らずに落札し、定形外郵便の送料250円、合計350円払って、19日に届いた、「ヤマハ・初代ジョグのカタログ 1983年4月版」です。 これは、デビュー版。 初代ジョグのデビューは、83年3月らしいですが、なぜか、カタログは、1ヵ月遅れた発行年月になっています。

  5冊も要らないのですが、100円では、「1冊だけ、20円で譲ってください」などと言えないので、5冊のまま、落札した次第。 A2サイズの一枚紙で、縦に折り、横に折り、畳んだ状態が、A4サイズ。 ページ数にすると、8ページで、バイクのカタログとしては、多い方ですが、全ページ、見せます。

≪写真1≫
  表紙。 「新発売」の文字がありますが、それだけでは、デビュー版の証拠としては弱いですな。 マイナー・チェンジのカタログでも、「新発売」や、「誕生」を使う事はありますから。 でも、これは、確実に、デビュー版です。

≪写真2≫
  横に開くと、見開きで、このページ。 起用されているのは、ヨーロッパ系外国人モデルで、たぶん、全員、無名の人。 それでも、人間が全く写っていないカタログよりは、ずっと、印象が好ましいです。

  「ピーターパン気分」というのが、キャッチ・コピーだったようです。 ピーターパンの話を良く知らないと、ピンと来ませんが、つまり、空中を自由に飛びまわるような気分という事なのでしょう。 もっとも、50cc原付は、かなり、制約の多い乗り物だと思いますが。

≪写真3≫
  縦に開くと、見開きで、大きなジョグの写真。 さすがに、A2サイズは、迫力がある。 機能・性能・その他特徴の説明が書いてありますが、とっくの昔に、意味がなくなった情報なので、全部は読む気になれません。

  初代ジョグは、軽量な割に、エンジンに力があり、走行性能が高くて、評価された車種です。 私も乗っていたのですが、確かに、初代タクトよりは、元気が良かったです。 もっとも、50ccなので、知れてますけど。 2サイクルで、ガソリン以外に、オイルの補給が必要でした。 もう、83年ですから、もちろん、セル付き。

  前輪の泥除けが独立しておらず、先端が尖ったフェンダーで代用しているところや、後輪のサイド・フェンダー下端を後ろ斜め上へ直線で持ち上げたライン、シートの後ろから、テール・ランプまで、急角度に切り落とされた形など、その後、登場するスクーターの雛形になったデザインと言えます。 ただし、この頃は、まだ、メット・インではありません。

≪写真4≫
  裏表紙。 左上に、「ヤマハ原付免許教室」の案内。 ホンダ同様、ヤマハも、乗り方を教えるところから、取り組んでいたわけですな。 その下に、「ヤマハらくらくクレジット」の案内。 お金がない人には、分割払いも可能ですよと。 その下には、「安全運転のポイント」を簡略に注意してあります。 至れり尽くせり。

  中央上が、カラー・バリエーション。 うちにあったのは、青でした。 黒がないのは、この頃のスクーターの特徴でしょうか。 黒ばかりになるのは、90年代に入ってからです。 中央下が、オプション。 うちにあったジョグには、フロント・バスケットが付いていました。 なに、千円? 安いですな。 自転車の前籠並みだ。

  右は、諸元表。 エンジン出力は、4.5馬力です。 その下に、値段があり、99000円。 性能を考えると、お得な価格だと思います。  右下隅に記号が入っていて、「8304-30D3A-011046」とあり、「8304」が、1983年4月を表しています。


  うちにあったジョグについては、いずれまた、詳しく書きます。 カラーや、ステッカーのデザインから考えて、デビューしてから、最初の変更が行なわれるまでの間に買ったものと思われます。 記録が少な過ぎて、購入時期を、まるで特定できないので、カタログは、デビュー版のみにして、他の版は買わないつもりです。 今思えば、タクトの方も、そうしておけば良かったんですが、後の祀り。




【定形外郵便でカリーナ・マイロードのカタログ】

  ヤフオクで、2018年12月5日に落札し、12月10日に届いた、「5代目カリーナ前期型・マイロードのカタログ 2冊」です。 それぞれ、220円で、別々に出品されていたものを、一方は、競らずに、220円のままで、もう一方は競って、250円で落札しました。 まとめ取引扱いになり、同梱発送してもらいました。 送料が、定形外規格外郵便で、340円。 合計、810円。

≪写真上左≫
  新品の茶封筒。 茶封筒の中に、直接、カタログが入っていて、防水処置を全くしてなかったのですが、こういう例は、以前にもありました。 雨が降らない間に運ばれたのは、幸運でした。 「折り曲げ禁止」のシールは、ありがたい。 ダンボールの台紙を入れてもらえれば、折り曲げ対策は、より完全になりますが、その分、重くなって、送料が上がる恐れがあり、良し悪しです。

≪写真上右≫
  出品者は、札幌の人で、厚別郵便局の料金シールあり。 以前、別の出品者から、定形外郵便を受け取った時には、切手が貼ってありましたが、こういう、料金シールでも送れるわけですな。

≪写真下≫
  左側のクリーム色のが、1989年5月版。 右側の水色のは、1989年10月版。 5代目カリーナのデビューは、1988年5月ですが、最初のマイロードのカタログが、何年何月に出たかは、不詳。 内容については、いずれまた、紹介します。

  5代目カリーナに関しては、車の情報が欲しいのではなく、イメージ・キャラクターの写真が欲しくて買っています。 残りは、後期型のサンフランシスコ版だけになりましたが、数が出回っていないのか、なかなか、出品されません。




【ネコポスで初代タクト・デビュー版のカタログ】

  すでに所有していた、初代タクトのカタログが、ドンピシャ版ではなかった事が分かり、デビュー版を買い直す事にしました。 ヤフオクを調べたら、いいのが出ていたので、2018年12月18日に、スタート価格のまま、送料無料の500円で落札し、翌19日には、早くも届きました。

≪写真上≫
  配送方法は、ヤマト運輸の、「ネコポス」で、郵便物ではありませんが、 郵便受けに投函されます。 大型郵便受けセットを出しておいたら、その中に入れて行ってくれました。

  新品の茶封筒の中に、ダンボールの台紙と、ビニールで防水したカタログが入っていました。 「折らない 曲げない」シールは、ありがたい。 ただ、大きさ的に、郵便受けに入れられない場合、持って帰ってしまうらしいです。 その場合、どうやって受け取るのかは、不明。 こちらから、取りに行くんでしょうか?

≪写真下≫
  これが、初代タクトのデビュー版カタログ。 1980年10月の発行です。 タクトそのもののデビューは、1ヵ月早い、9月ですけど。 カタログの内容に関しては、いずれ、改めて、紹介します。




【ヤマハ DT50のカタログ 1992年6月版】

  このカタログは、買ったものではなく、バイクを買った時に、ディーラーから貰ってきたものです。

  1993年の夏に、中型自動二輪免許を取る為に、教習所に通い始めたのですが、クラッチ操作が、全然できず、何時間乗らされるか分からない窮地に陥りました。 で、クラッチの練習の為だけに、原付バイクを買ったのが、この、ヤマハ、DT50です。 新車で、21万円くらいしました。 それが、1993年9月上旬の事。

  このカタログが発行されたのは、1年3ヵ月も前です。 その後、1993年7月にも、何か変更があったらしいのですが、私の買ったバイクと、このカタログは一致しているので、もしかしたら、私が買ったバイク自体が、型落ちだったのかも知れません。 もっとも、DT50は、1982年のデビューから、1997年の生産終了まで、大掛かりなモデル・チェンジがなかったらしいですから、型落ちと言っても、大差なかったと思いますけど。

≪写真上≫
  一枚物で、表と裏の、2面しかありません。 スクーターのカタログよりも、簡素ですな。 表は、イメージ写真ですが、全て、スタジオ撮影で、とことん、お金をかける気がなかった事が窺えます。

≪写真下≫
  裏は、機能説明、カラー、諸元表など。 カラーは、2種類。 グレードは、1種類しかありません。 私が乗っていたのは、紫色の方でした。 買って、乗って帰ったら、母が、「まあ! 派手だねえ・・・」と言ったのを覚えています。

  2ストローク・エンジンなので、ガソリン以外にオイルの補給が必要なのですが、エンジンで燃焼し切れなかったオイルが、走行中、排気管から飛び散って、ナンバーが、オイル塗れになるという、しょーもない問題点がありました。 アルミ缶を切って丸めた延長パイプを着けていましたが、完全にオイルの付着を防ぐ事はできませんでした。

  次の問題点は、サイズが、フル・サイズより、一回り小さいので、乗ると、重心が後輪にかかり、後輪ばかり、何回もパンクしました。 タイヤの減りも、後輪の方が著しかったです。 前後輪共に、チューブ式で、自転車のパンクと同じような修理ができましたが、当然の事ながら、自転車よりも、かなり、ごつくて、きつい作業でした。

  奇妙な事に、50ccなのに、水冷で、ラジエーターが付いていました。 7.2馬力あったものの、非力は隠せず、ガンガン走った記憶は、全くないです。 どうせ、50ccだから、時速30キロ以上出したら、捕まってしまいますし。 ギアは、6段。 始動は、キック式。 しかし、普通に押して歩きながら、キーを回すと、自然にエンジンがかかるという、始動の軽さでした。


  そもそも、バイクに乗り始めた理由は、電車・バス通勤だった時に、「1995年から、連続2直という勤務時間体系に変わる」という予告があり、深夜・早朝に通勤しなければならなくなるとの事。 車通勤に戻るのが嫌で、バイク通勤する事に決め、中免を取りに行ったという経緯でした。 このバイクが家にあった頃の通勤は、まだ、電車・バスでして、バイクは、休日に乗るだけでした。 そのつど、バッテリー液を補充していたような記憶があります。

  練習用だったわけですが、せっかく買ったのだから、ツーリングに行こうと思い、職場の先輩にコツを教わって、あちこち、出かけました。 日帰りだと、伊豆半島。 富士山の麓一周。 渥美半島。 知多半島の手前まで。 長野県の佐久付近まで。 野宿ツーリングでは、三重県の熊野。 山陽山陰の海岸線。 東北の海岸線。 よくもまあ、50ccで、あんなに遠い所まで、行ったものです。 私は、30歳になる年でしたが、まだまだ、若かったんですなあ。

  一年間、手元にあったのに、一枚の写真も撮らなかったのは、大失敗でした。 このカタログがあるから、充分と思っていたのですが、やはり、自分が乗っていた、そのバイクの写真がないとねえ。 後悔先に立ちません。

  1994年の9月に、セロー225Wに買い換えたのですが、DT50の下取り価格は、5万円でした。 たった一年で、そんなに安くなるものかね? ぼったくりも甚だしいと思いますが、そのディーラー、翌年には、支店を引き上げてしまいました。 店の評判が悪かったのかも知れませんな。




【ヤマハ セロー225Wのカタログ 1993年5月版】

  このカタログは、買ったものではなく、バイクを買った時に、ディーラーから貰ってきたものです。 バイクのカタログには珍しく、冊子になっています。

≪写真上≫
  表紙。 森の中の撮影で、オフロード・バイクである事を、強調しています。

≪写真中≫
  イメージ写真のページ。 左ページは、森の中というより、崖の上ですが、さすがに、こんな所まで行く人は、稀だと思います。

≪写真下左上≫
  まだ、イメージ写真のページが続きます。 セローは、ヤマハの定番商品で、どういうバイクかは知れ渡っていたので、広告宣伝は、説明よりも、イメージを優先していたのかも知れません。

≪写真下左下≫
  やっと、機能・性能の説明ページ。 しかし、私がバイクに乗る事は、もはやないと思われ、こういう技術的説明には興味が湧きません。

≪写真下右≫
  裏表紙。 カラーが、3種類。 グレードは、1種類ですが、下の段に、併売していた旧モデルの、「セロー225」が載っています。 旧モデルは、リヤ・ブレーキがドラム式で、2万円安いです。 私が乗っていたのは、225Wの、白地に紫のカラーでした。 この白地の部分が、汚れが目立ってねえ。 しょっちゅう、マジックリンで洗っていましたっけ。

  223ccで、20馬力。 ギアは、6段で、セル付き。 オフロード車にしてはシートが低めで、乗り易いのが売りのバイクでしたが、実際、乗り易かったです。 デザインが、割と地味で、オンロード・バイクと並べると、埋没してしまうくらいなのも、歳が行ってから、バイクに乗り始めた私としては、ありがたかったです。

  オプション部品として、リア・キャリアが、6800円で載っていますが、私は、それを、後で買い、野宿ツーリングの時だけ、取り付けていました。 7500円くらい、払ったような記憶があるのですが、値上がりしたんですかね? それとも、私の記憶違いでしょうか?


  DT50を一年間乗り、1994年の9月に、このセロー225Wに乗り換えました。 40万円台半ばくらいの価格だったと思います。 とにかく、時速30キロの制限から解放されたのは、ありがたかった。 このバイクに換えてから、スピード違反で捕まる事がなくなりました。 比較する事で、50ccの原付が、いかに、捕まり易い乗り物であるかが分かりました。

  1995年の5月頃から、通勤に使い始め、片道約20キロ、年間1万キロくらいのペースで、乗っていました。 その年の11月と12月に、愛知県の田原にある工場へ、社外応援に出されたのですが、その時にも、このバイクを持って行って、休日に、渥美半島や、豊橋、豊川などを回りました。 寮での食事は、カップ麺とパンで、バイクで街なかのスーパーまで行き、リュックに満載して帰って来たのを覚えています。 そんな事が、妙に懐かしい。

  他に、このバイクで行った所というと、日帰りだと、小田原、甲府、静岡市、伊豆半島、etc。 野宿ツーリングだと、紀伊半島、九州、能登半島、四国。 DT50では行けなかった、九州に行けたのは、思い出深いです。 1995年の夏の事でした。 その後、野宿ツーリングに飽きてしまい、数年あけて、1999年に、四国に行きますが、強行軍スケジュールのせいで、腰を痛め、それっきりになります。

  オイル交換や、ブレーキ・パッドの交換など、簡単な整備は自分でやっていました。 故障というような故障はなかったですねえ。 だんだん、ガタガタにはなって行きましたけど。 2002年5月に、オイル・フィルター・カバーのボルトから、オイル漏れするようになり、修理不能と言われて、やむなく、バイクを買い換える事になりました。 乗っていたのは、8年弱でした。

  初めて買った、中型バイクだったから、思い出は多いです。 バイクそのものよりも、ツーリングの思い出ですな。 今、この年になって振り返ると、バイクに乗っていた期間は、私の人生で大きな場所を占めていると言えますねえ。 もう、乗る事はないと思うと、妙に、寂しいです。




  今回は、ここまで。

  バイクのカタログの記事の中に、「もう、バイクに乗る事はない」と繰り返し書かれていますが、それは、これらの記事が、バイク生活を再開する前に書かれたものだからです。 オフロード車ばかり買っていたのは、排気量の割には、車重が軽くて、腰痛持ちにも扱いが楽だったのが、主な理由です。

  これらのカタログは、バイクを買う手続きをした後で、「これ、貰ってもいいですか」と言って、貰って来たものです。 私は、車やバイクに関しては、カタログを集めて、検討してから、車種を決めたという経験がないです。 新車であっても、雑誌のカタログで検討して、店に行く時には、もう、何を買うかが決まっていました。