2012/03/25

ガキの皮算用

  わはは! わははは! うわはは・・・、ゴホッ、ゴホッ!

  笑っちゃうじゃありませんか。 奨学金を返せない人間が増えているそうですぜ。 奨学金制度を利用して、大学を出たのに、期待していたような勤め先に就職できず、バイトやら、派遣社員やらで、何とか喰い繋いでいるものの、奨学金の返済まで金が回らず、滞納する者が、うじゃうじゃ出ているのだとか。

  馬鹿でねえの? この世の中で、一番怖いのが、≪生きていくためのお金が無くなる事≫で、それを更に通り越した先にあるのが、≪借金≫なのだという事が、まるっきり、分かっていないと見える。 これは、「若気の至り」で無視できるような事ではなく、お小遣いを貰い始めた時から、子供でも知っていなければならない、最低レベルの処世訓ですぜ。

  高校3年にもなって、返せるか返せないか分からない借金を、数百万も背負い込む事が、どんな未来を意味するか、想像できないという事もあるまいて。 世間知らずにも程があろうというもの。 もしかしたら、奨学金が借金だという事を認識できていないんじゃないの? まあ、「ローンは、借金ではない」と信じ込んでいて、収入不相応な車や家を買う大人も大勢いるから、そういう天下御免の勘違い学生がいても、不思議ではないですが。

  ≪奨学金≫という呼び方が良くないのかな? ≪奨学金≫という名前は、給付型のみに限定して、貸与型の方は、≪学生債≫とか、ズバリ、≪進学借金≫とか、名前を変更した方が、愚かな高校生どもには、親切かもしれません。 ≪奨学金≫という言葉に、漠然としたイメージしか持っておらず、なにやら、この世のどこかに、≪あしながおじさん≫的な組織が存在していて、自分の事を陰で助けてくれると期待している恐れさえありますが、もしそうだとしたら、バケツ一杯、水をぶっ掛けて、蒙を啓いてやるべきです。

「いいか! 奨学金いうのは、借金なんだよ! 借りたら、返さなきゃならないんだ! 何度言ったら分かるんだ! 馬鹿っ! 馬鹿っ! この馬鹿がっ!」

  貸与型奨学金にも、親の年収などの条件さえ満たせば利用できる、有利子型と、一定レベル以上の学力を求められる、無利子型があるそうです。 家が豊かでなく、その上、さほど成績も良くない事を自覚している有利子型利用者よりも、むしろ、無利子型利用者の方が、勘違いをしている危険性が高そうですな。

「俺は、頭がいいから、奨学金が無利子だ。 ふふふ、ざまあ見ろ、有利子型の馬鹿どもめ」

  馬鹿は、お前だ。 ≪無利子≫と、≪返済不要≫を、間違えとりゃせんか?

「いいか! 無利子でも、元金は返すんだよ! お金は、借りたら、返さなきゃならないんだ! 何度言ったら分かるんだ! 馬鹿っ! 馬鹿っ! この馬鹿がっ!」

  ほんと、借金取りに胸倉掴まれて、往復ビンタでも喰らわんと、分からんのとちゃうか?

  親も親で、子供が、「奨学金で、大学へ行く」と言い出したら、最初は搦め手から、次は膝詰め談判で、最後は羽交い絞めで、とにかく、止めたらどうですかね? もう、親の収入で大学まで行かせられないと分かったら、その時点で、その子供の最終学歴は、高校までなのです。 しょうがないんです。 それが、世の中の仕組みなんです。 金も無いのに、「せめて、大学くらいは出させてあげたい」なんて事を望む方が間違っています。

  子供が一人で、その一人すら、大学に行かせられないのであれば、自分の甲斐性の無さを呪えばいいし、子供が二人いて、内、一人しか大学行かせられないのであれば、もう一人に土下座して謝ればいいし、子供が二人いるせいで、二人とも大学に行かせられないのであれば、金も無いくせに、子供を二人も作った自分達の無計画ぶりを嘆けばよいではありませんか。


  とにかく、まだ、社会に出る前から、数百万の借金は、最悪ですぜ。 もし、期待していた通りの職業に就く事ができたとして、最初の一年で、手取り、いくら貰えると思っているのかなあ? 更に、その年収の中から、生活費を除いた額がどのくらい残るか、計算してるんですかねえ? 況や、バイトや派遣社員で喰い繋いでいる者どもに於いてをや。

  「社会人なんだから」と、独り暮らしは譲れず、学生時代からの友人がいて、異性の交際相手がいて、同僚とも付き合って、家電も揃えたいし、携帯やインターネットは必需品だし、車も欲しいし、服も買わなくちゃ・・・、なんて言ってたら、なんぼも残りませんぜ。 まして、クレジット・カードなんか手に入れた日には、奨学金の返済とは別に、新たな借金を、賽の河原に累々積み上げる事になりかねません。 いやあ、いそうだな、そういう、地獄行きの亡者どもが、うようよと。


「こんな、就職難の時代になるなんて、想像もしていなかった」

  なんて、言い訳は聞かないよ。 いい加減な事を口にして、ごまかそうとしてはいけない。 今、大学を出た年齢なら、当然の事ながら、小学生以降は、バブル崩壊後の時代を生きて来ているはずです。 就職戦線が恒常的な買い手市場になってから、20年近く経過しているのに、今更、就職難を、奨学金滞納の理由にするのは、馬鹿の上塗りをするだけでしょう。 あんたらが、「奨学金で、大学に行こうかな」と、最初に思いついた時、すでに世の中は、どっぷり、スカスカの就職難になっていたんだよ。

  返せなくなるかもしれない借金を背負い込んでしまった時点で、もう、人生の負け組に入ったようなものです。 実際問題、奨学金が返せなくなって、頭を抱えている人達は、「奨学金で、大学に行こうかな」と思いついた時の、お気楽な自分を、心底、呪い倒しているはずです。 タイム・マシンがあったなら、すっ飛んでいって、風呂桶一杯の残り湯をぶっかけてやりたい。

「いいか! 奨学金いうのは、借金なんだよ! 借りたら、返さなきゃならないんだ! お前の、その安直な思い付きのせいで、俺がどんなに苦労してると思ってるんだ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬河馬っ! この河馬がっ!」


  だーからよー、親に金が無いのなら、大学なんて、行かんでもえーっちゅーのよ。 目下、業績急下降中の家電メーカーを見ても分かるように、今後、日本の大企業は、バタバタ潰れて行き、やがて、中小企業や自営業ばかりが犇く社会になって行くものと思われます。 そういう職場で必要とされるのは、高学歴ではなく、実力です。 高卒だろうが、中卒だろうが、関係ありません。 能力がある者だけが、生き残って行くのです。

  戦後間もない頃と似たような情況になって行くわけですな。 戦後の混乱期に会社を作って、世界的な大企業に発展させた創業社長達の伝記を読んでみなさいな。 「どこそこの大学を出ていたから、成功した」なんて、絶対に書いてないから。 そんなに、甘くないのよ、世の中は。 学校で勉強だけできた人間なんか、ただのクズですぜ。 むしろ、そんな奴いない方が、世のためになるくらい。

  高学歴だけが自慢で生きている人間というのが、稀に見受けられますが、勢いがいいのは、大企業の中にいる時だけ。 一旦、リストラを喰らうと、なまじ高学歴なばかりに、賃金が高くつくせいで、雇ってくれる所が無い。 当人のプライドも無駄に高いものだから、「こんな所じゃ、私の真価を発揮できない」なんて、高慢に構えていている間に、見る見る、蓄えが底を突き、一家離散、住む所も失い、あっさり、ホームレスに成り下がります。

  逆に言えば、勤め先が潰れさえしなければ、高学歴は、それなりに、処世の武器になると言えるわけですが、さーあ、これからの時代は、どうですかねえ。 潰れない会社というのは、恐らく、無いと思いますよ。 当人のやる気次第で、潰れないというと、農業や漁業など、第一次産業ですが、それはそれで、大学なんぞ行くよりも、一年でも早く、親に弟子入りした方が、益が多いと思います。


  あれ? 何の話だったかな? おお、そうだ、奨学金の話だった!

  結論としては、「返せないかもしれない借金は、最初からするな」という事です。 今、現在、奨学金を返済できずに困っている人は、もう、ただただ、困るしかないです。 唯一、ポジティブに捉えられる要素があるとすれば、遅きに失したとはいえ、20代で、借金の怖さを知る事ができたという点ですかねえ。 これに懲りれば、完済した後、もう、借金に手を出す事はしなくなるでしょう

  もし、親に貯金があるようなら、甘えが利く年齢の内に、肩代わりしてもらう事ですな。 親には一生頭が上がらなくなりますが、借金取りに追いかけられるよりは、マシ。 もちろん、親が相手であっても、借りた金は、返すのが当然です。 無利子で、返済期限が無いだけでも、ありがたがらねばなりません。

「今時、大学まで行かせるのは、親としての責任だろ!」

  そういう高飛車なセリフは、行く前なら有効ですが、卒業後、奨学金返済を肩代わりして貰おうという時には、絶対に口にしてはいけません。 いとも容易に、親子の信用関係を壊してしまいます。 お金絡みの恨みつらみは、怖いで~。

  親にお金が無いからといって、親戚に泣きつくのは、絶対に勧められません。 子供の頃に可愛がってくれた、おじさん・おばさんでも、社会人になると、急速に距離が開いて行きます。 数年もすれば、滅多に顔を合わさない、他人同然の相手になるのであって、借金が原因で、訴訟沙汰になる事もあります。

  ちなみに、親子であっても、歳を取ってから、お金の問題を持ち込むと、信用関係が壊れてしまう事があります。 つまりその、お金というのは、生きるための、基本中の基本なんですよ。 その基本部分を脅かされれば、たとえ相手が我が子であっても、「仕方が無い」で言いなりになるわけにはいかんのです。 いい歳した子供の借金を返すために、餓死した親の話なんて、聞かないでしょう? そういう、ヤクザな子供とは、縁を切って、おしまいなのです。


  そういや、まだ在学中で、返済見込みの無い奨学金が増える一方なのに、「大学院へ行って、研究を続けたい」だの、「海外留学したい」だのと、寝言を口にしている学生がいるそうですが、そういう輩は、もう、駄目人間コースを爆走しているわけですから、誰かが言って、やめさせるべきでしょう。

  「誰かって、誰?」って? うーむ・・・、そういう、自分の置かれている情況が分からない奴に限って、親の言う事なんぞ聞きそうにないし、大学側は儲けをフイにするような事はしないだろうし、やはり、奨学金を出している団体ですかねえ。 奨学金を貸与する時点で、「大学院進学や海外留学はしない」という念書を取っておいたら、どうですかね?

2012/03/18

いきなり、手術

  もう、15年以上前ですが、風邪を引いて、近所の医院へ行きました。 今じゃ、風邪を引いても、医者には行きませんが、その頃は、風邪のメカニズムが分かっていなかったので、とりあえず、行っていたのです。 いや、私の風邪は、どうでも宜しい。

  で、待合室で順番を待っていたのですが、だんだん進んで、座り換える椅子が診察室に近づき、次が私の番という所まで来た時の事です。 私の前に診察室に入ったのは、40歳くらいの女性でしたが、医師と話を始めたかと思うと、急に嗚咽が聞こえて来ました。 聞き耳を立てるまでもなく、自然に聞こえて来た言葉が、

「・・・痔みたいなんです・・・」

  続いて、医師の慰める言葉。 しかし、何と言って慰めていたかは、忘れてしまいました。

  何が言いたいかというと、この女性にとって、痔を告白するというのは、泣くほど恥ずかしい事だったわけですな。 私も、漠然と、≪痔 = 恥ずかしい病気≫というイメージは持っていましたが、泣くほどとは思っていなかったので、少なからず、衝撃を受けた次第。

  一方、同じ頃、会社にいた同僚の一人が、疣痔になりました。 こちらは、仕事に差し支えるので、上司や同僚にあっさり告白し、工程から離れて、軽作業をやっていましたが、人に知られても、別に、恥ずかしさは感じていない様子でした。 年齢は、23歳くらいの男でしたが、性別が違うと、こうも違うものかと、感服した次第です。

  このように、何となく、恥ずかしいイメージがある疣痔ですが、正式名称は、≪痔核≫というそうで、成人の3人に1人は罹っているそうですから、かなり、ポピュラーな病気と言えないでもなし。 性病などと違って、当人の過ちが原因で罹るわけではありませんから、そんなに恥ずかしがるのもおかしな感じがしますが、なぜ、恥ずかしいのかと考えてみるに、やはり、肛門という、≪恥部≫に出来る病気だからでしょうか。

  「いぼじ」という音の響きが、また、よくありませんなあ。 実際に、疣状の膨らみが出来るわけですから、簡潔に態を表した、分かり易い名前なのですが、疣そのものに悪いイメージがあるために、≪疣 + 肛門≫で、恥ずかしいイメージが増幅してしまうのでしょう。 困ったもんだ。


  で、前置きが長くなりましたが、何を隠そう、この私も、疣痔になりました。 そんな前の話じゃありません。 つい、一週間前の月曜日に、突然、青天の霹靂的に、なったのです。

  もともと、便秘体質なので、排便は数日置きなのですが、ここのところ、腹の具合が思わしくなく、月曜の夜に、かなりの量が纏めて出て来ました。 その時、肛門の辺りに、何か引っ掛かっているような違和感を覚えたのですが、「まあ、出る物が出たんだから、よかろう」と思って、そのまま寝てしまいました。

  ところが、寝ている間も、肛門部の異物感が消えません。 朝になると、何だか、痛みさえ感じるようになっていました。 しかし、この時点では、まだ、便の方の問題だと思っていたので、痔だとは考えもせず、そのまま、仕事へ出かけました。

  私が今やっている仕事には、踏み段の昇降作業が含まれていて、普通の階段より少し高さがある段を、二段、下がっては上がるという動作を、一日に300回くらい、繰り返します。 で、火曜の朝から、これを始めると、肛門付近が、痛い痛い! こんな事は、初めてです。 明らかに、異常状態ですが、まだ、便の問題だと思っており、自分が、「恥ずかしい疣痔野郎」になっているとは、思いもしていません。

  「もしや、痔では?」と、初めて気付いたのが、水曜の夜です。 しかし、なにせ、今まで、痔になった事がなかったので、確信がもてるはずもなく、また、心情的にも、自分が、「汚らしい疣痔野郎」になった事を、簡単に認める気になりませんでした。 

  木曜日の夜、下利便になり、腹の中が空っぽになると、肛門部の痛みも、一時、和らぎました。 それで、「なんだ、やっぱり、便の問題だったんだ。 痔だなんて、おどかしやがって。 これで、一晩眠れば、すっかり、元の体調に戻るに違いない」と、思って、気分も軽く、床に就きました。

  ところがぎっちょん、戻らなかったんですな。 ピリピリピリピリ、赤切れが切れるような痛みが取れないのです。 仕事をしていれば、踏み段を下りるたびに、ビリっと来ますし、普通にしていても、疼くような痛みが続いています。 歩いている時は、むしろ楽で、座るとズシンと来ます。 バイクのシートに跨っても、尻の間に何かが挟まっているような、気持ち悪~い感触が・・・。

  金曜に、会社から帰って来てから、≪ボラギノール≫だの、≪プリザA≫だのといった薬の名前が、脳裏をチラチラ掠めるようになりました。 いずれも、テレビCMで知っていた名前ですが、まさか、自分が購入を検討する事になろうとは、思ってもいませんでした。 ネットで調べてみると、軟膏タイプが、千円前後で売っているようです。 その程度の値段なら、駄目元で、一度塗ってみてもいいでしょう。

  しかし、土曜の朝になって、軟膏計画は、没になりました。 鏡を使って患部を見てみたところ、「あらま!」と思わず叫んでしまうほど、大きな疣が膨らんでいる事が分かり、「とてもじゃないが、軟膏ごときで、勝てる相手ではないわ・・・」と、悟ってしまったのです。 「鶏を割くに、牛刀を以てす」の逆で、「牛を割くに、果物ナイフを以てす」という奴ですな。 割けるか、んなもん。

 「月曜から土曜まで、5日も経っているのに、その間一度も、患部の様子を確かめなかったのか?」と訝る向きもあるでしょうが、いや、そんなもんですよ。 場所が場所だけに、普段、滅多に見ませんからのう。 というか、自分の肛門の様子を、定期的に確認している人って、いるんでしょうか? 健康診断の申告書でも、そういう項目は見た事がありません。

  まして、痛みが続いていて、出血さえ疑われる情況に於いては、いくら、自分の体とはいえ、そんな所、ホイホイ見る気にならんでしょう。 想定外に気持ちの悪い物を見てしまった日には、飯がまずくなるくらいでは済まず、気分が鬱屈して、一気に世を儚んでしまう恐れさえあります。 肛門の痛みくらいで、いちいち、死んでられるか。

  でもねえ、疣が膨らんでいる以外は、別段、汚い光景ではなかったですよ。 疣自体も、色は、普通の肌色で、そこだけ、クローズ・アップして見たら、綺麗なものでした。 トイレでウォシュレットを使っているお蔭もありますかねえ。 紙しか無かった頃は、疣痔になったら、大変だったでしょうなあ。

  こうなった以上、市販薬を買って来て、自分で密かに治すなど、無茶無謀もいいところ。 こういう時のために、医者というプロがスタンバってるわけですから、利用しない手はありません。 ネットで、患者の体験談を読むと、「長年、市販薬に10万円以上注ぎ込んで、一向に治らなかったのが、病院に行って手術したら、あっさり治った」などとあり、水虫同様、市販薬がアテにならない病種のようです。 かくあらば、行かずばなるまい、病院へ!

  早速、ネットで、近所の肛門科を調べたところ、すぐに、良さそうな所が見つかりました。 「切らずに、注射で治します」と書いてあったので、他の病院を調べずに、決めてしまいました。 私は、どちらかというと、病院での切った貼ったには慣れている方ですが、それでもやはり、切らずに済めば、それに越した事はないですから。

  その時点で、午前11時10分。 診療時間を見ると、「土曜は、12時まで」と書いてあるので、急いで支度し、父の車を借りて、土砂降りの中を出掛けました。 初めて行く所なので、入る道が分からず、一度通り過ぎてしまい、7/11の駐車場で転回して、戻って来ました。

  医院の駐車場は25台分。 八割方埋まっていましたが、中に入ると、待ち客は5組くらいしかいませんでした。 新しい建物で、待合室は広かったです。 受付で保険証を出し、健康状態や症状を書き込む用紙の該当する項目に○をつけて、提出しました。

  待っている間、待合室や外の風景を観察していました。 壁に、医師の認定証や受講証などが、額装して、十枚くらい掛けてあります。 中に、≪剣道四段≫というのがありました。 どうやら、体育会系らしいです。 ものの10分程で呼ばれました。 待合室の奥に廊下があり、診察室は、その一番手前でした。 医師は、40代くらいの男性。 女性の看護士が助手。 ここから先、アップ・テンポで、事態が進行します。 会話部分は、アップ・テンポで読んで下さい。

「いつから?」
「痛くなったのは、月曜からです」
「飛び出してる?」
「はい」
「血は出てる?」
「出てません」
「じゃ、ちょっと見せて」

  尻だけ出して、診察台に横になります。 急に壁が下がり出したので、ぎょっとしましたが、考えてみると、壁が下がっているのではなく、診察台が持ち上がっているのでした。 壁には、モニターが付いています。 医師は、ぱっと見て、すぐにどんな症状か、分かったらしいです。 カメラを肛門に押し込んで、

「ここが痛んでる、ここが」

 と、モニターで血が溜まっている所を見せてくれたのですが、こちらは痛くて、観察どころではありません。

「今から切っちゃうから」

  と言います。 びっくりしましたが、こちらは俎板の上の鯉ですから、反対などできるわけがありません。

「麻酔掛けて、なるべく痛くないようにやるから」

  との事。 瞬く間に、注射で局所麻酔。 ほんの30秒ほど、チク、チクっとする内に、

「はい、終わった。 ちょっと見て、これが今出した血栓」

  と言って、ガーゼの上の血の塊を見せてくれました。 うにゅうにゅしていますが、量的には、弁当に入っている醤油の袋の中身くらいでしょうか。

「内視鏡はやった事がある? 胃カメラとか」
「胃カメラはあります」
「大腸カメラは?」
「いいえ、ありません」
「やっておいた方がいい。 40過ぎると、大腸癌とか、ポリープとかある場合があるから」
「分かりました。 お願いします」

  患部にはガーゼが当てられましたが、排便の時は、取ってしまっていいとの事。 その後、診察台から下り、椅子に戻ると、痔の種類を紹介したパンフを開いて、痔核のイラストに字を書き込みながら、

「あなたの病気は、血栓性外痔核。 2、3ミリ切って、中の血栓を出したの」

  と、説明してくれました。 インフォームド・コンセントなわけですが、そういうのは、切る前にやって欲しかったです。 そもそも、注射で治すと言うから、ここを選んだと言うのに・・・。

「月曜に、もう一度、見せて。 その時、内視鏡の事も決めよう」
「はい、ありがとうございました」

  これで、診察は終わり。 いや、診察ではなく、手術だったわけですが。 それにしても、いきなり、手術するかね、普通? さすが、体育会系の人は、決断力が勝っている。 いや、別に、誉めているわけではありませんが。

  受付で、5860円払い、診察カードと処方箋を貰いました。 近くに、薬局があると言ので、傘を差し、歩いて、薬局へ。 ここでも、用紙に、健康状態や症状を書かされました。 書き終えて渡した直後に呼ばれ、痛み止め、化膿止め、胃薬を貰いました。 一つは、一日一錠(朝食後)、残りの二つは毎食後一錠。 代金は、660円。 処方箋薬局は、薬の効能や服用法を、実に丁寧に説明してくれるのですが、ちと、丁寧すぎる気がせんでもなし。

  帰って、12時20分。 たった一時間で、「恥ずかしい疣痔野郎」から、「さほど恥ずかしくない、元疣痔野郎」に出世した事になります。 あの痛みから解放されたのですから、6千円ちょいくらいは、安いものです。 いやあ、痔の治療は、病院に直行するに限りますな。

  午後、風呂に入ってから、患部を鏡で見てみたら、疣は完全に無くなったわけではなく、真ん中が凹んで、コーヒー豆のような形になっていいました。 切っただけだから、仕方ないですか。 それとも、また再発し、治療に来るように、完全には治さないつもりなんでしょうか。 端から疑るのは、よくないですけど。

  とまあ、以上が、一週間に亘った、疣痔闘病記でした。 これで、本当に治ればいいんですがね。

2012/03/11

震災一年

  東日本大震災から、今日で一年ですか。 今年は日曜日ですが、去年の3月11日は、金曜日でした。 なぜ覚えているかというと、勤めが週の最終日だったからです。

  その週は遅番だったので、出勤途中の交差点で、地震の波に襲われました。 静岡県東部は、それほどの揺れではなく、信号待ちで停まっていたら、風景が揺れ始めたので、「座っているのに、目眩がしているぞ。 睡眠時間が足りなかったか? それとも、脳の疾患で、お迎えが来たか?」などと思っただけだったのですが、会社に着いたら、「地震が凄かったよなあ」と、人々が話しているので、「ああ、地震だったのか」と、初めて知った次第。

  出勤したものの、ラインが動かず、遅番の全員が屋外の避難場所に集められました。 3月の事とて、かなり寒かったですが、吹きっ曝しの中で、延々と待機させられました。 上の連中もどうしていいか分からぬ様子で、何の指示があるわけでもなく、30分くらいしたら、ダラダラと解散。 職場に戻り、更に、1時間半待った後、何事も無かったように、ラインが稼動しました。

  シュールでしょう? 地震・津波・火災で、バタバタ人が死んでいる時に、工場を動かしてたんですぜ。 その日は、生産数が3分の2くらいに減り、定時で終わりましたが、上の連中が事態の深刻さを把握していたら、昼までで、打ち切るべきだったと思います。 工場内は、テレビが無いので、マス・メディア経路の情報が入って来ないという事もあるのですが、一方で、私の勤め先は、岩手に工場を持っており、電話でもメールでも、生情報が手に入ったはずで、総合的に考えると、あまりにも、お粗末な対応だったと言わざるを得ません。

  地震発生直後は、誰も彼も、携帯で家族と連絡を取ろうとしていましたが、みんな、2時間くらいは不通のようでした。 先輩の一人が、「こういう時のために、携帯を持ったのに、通じないんじゃ、しょうがないな」と言っていましたが、なるほど、それはその通りです。 私は、元から持っていないので、痛くも痒くもありませんでしたが。

  夜中の0時50分頃、帰宅。 家は、全く無事でした。 テレビを見て、被害の大きさを知り、愕然としました。 この映像は・・・、地獄の光景とは、こういうものか・・・。  子供の頃、≪ウルトラマン≫で、ガス・タンクが爆発する様子など、何度も見ていましたが、あれは作り物。 しかし、今テレビに映っているのは、現実に起こっているのです。 「ガス・タンクって、本当に爆発するんだなあ・・・」と、初認識させられたものです。

  翌日からは、会社は休みになり、ゴールデン・ウイーク明けまで、約1ヶ月半の震災休業に突入しました。 それを思うにつけ、震災当日に工場を動かしていた、上の連中の情勢判断能力の低さには、呆れざるを得ません。 大方、「もし、大した災害じゃなかったら、工場を停めた事で、責任を取らされるかもしれない」と、そんな事を恐れていたのでしょう。 「日本の製造業は、馬鹿が動かしている」というのは、あまり知られていませんが、紛れもない事実です。


  震災当日の記憶というと、そんなところですかね。 その後の事は、すでに、過去の文章で書いているので、繰り返しません。 計画停電の無計画ぶりとか、今でも、思い出すと腹が立ちますが、とりあえず、過ぎた事なので、蒸し返さない事にします。 もっとも、東電は、あれで良かったと思っているようなので、次に同じ情況に陥った時も、また、無計画に停電させられるのかと思うと、気分が暗くなりますが・・・。


  話変わって、先週の日曜、つまり、今年、2012年の3月4日ですが、夜9時からの≪NHKスペシャル≫で、【映像記録 3.11 あの日を忘れない】という番組が放送されました。 東日本大震災の時に、カメラを手にしていた人達が撮った、地震と津波の映像を集めたもの。 未見の映像がほとんどで、あまりの凄まじさに、絶句しました。 なぜ、今になるまで、公開されなかったのか、そちらの方が不思議。 

  再現映像ではなく、実際に、リアルタイム、且つ、現場で撮られたものですから、迫真どころの話ではなく、正真正銘、本物モノホンなのであって、ぞーっと背筋が凍るものがありました。 生々しい映像は、見る者に恐怖や精神的ショックも与えますが、情報量も絶大なのであって、その説得力は、写真や文章の比ではありません。 これを見た人と見なかった人とでは、今後、地震・津波が来た時に、取る対応が、まるで違って来るでしょう。

  我が家では、見たのは私だけで、父は、映画≪トランスポーター3≫を見、母は、テレビ東京のドラマ、≪河北新報の一番長い日≫を見ていたとの事。 ちっ! まったく、しょうがねーな。 年寄りこそ、ああいう映像を見ておかなければいけないのに。 ≪河北・・・≫も震災関連ですが、手書きの新聞を貼り出した、例の一件が題材でしょう? そんなドラマ、一般人には、何の参考にもなりませんぜ。

  それはさておき、NHKスペシャルですが、津波が見える所まで近づいているのに、おっとり構えて、逃げない人がいるのは、非常に不思議です。 恐らく、現実感が希薄で、「我が身に危険が迫っている」と判断するスイッチが入らないんでしょうなあ。 大荷物を背負っていて、走れない人もいましたが、ああいう様子を見ると、非常持ち出し袋というのも、良し悪しだと思えて来ます。

  崩れたブロック塀の破片が散乱し、道が塞がれて、車が通れないとか、液状化で泥が噴き出し、車が動けなくなるなど、避難の問題点が続出。 自転車で逃げようとした人が、津波に先回りされる様子も映っていましたが、「じゃ、どうすりゃいいのよ?」と、見ている方が途方に暮れてしまいます。

  地域にもよりますが、住宅地から、すぐに避難できる場所にある高台というのは、そんなに大勢を収容できるスペースは無いのが普通で、車で逃げると、他人の迷惑になってしまう恐れがあります。 自転車でも然り。 さりとて、徒歩で短時間に移動できる距離など知れており、その間に津波にやられてしまっては、他人への配慮が仇になってしまいます。

  こういう事は、避難訓練をしておけばどうにかなるというものではなく、ケース・バイ・ケースで対応するしかないんでしょうなあ。 たとえ、車で逃げて、他人を犠牲にして助かった人がいたとしても、これ以上無いくらいの非常時ですから、その行為を批難される事は無いでしょう。

  市役所職員が、避難場所になっていた向いの建物に移動した直後、建物ごと津波に呑まれて、命を落とした一方で、少し遅れて市役所を出た人が、津波の大きさを見て引き返し、市役所の建物の方が高かったために、辛うじて助かったという例も、後に遺した教訓には、非常に大きいものがあります。 避難場所や避難経路というものは、平常状態の時に、平常感覚の人が決めたものであって、非常時には、役に立たないばかりか、却って危険な場合もあるのです。

  私の勤め先でも、地震の後は、一旦、避難場所に集まるように決められていますが、「設備が倒壊して、下敷きになっている同僚が悲鳴を上げていたら、それを放ってでも、避難場所へ向かうのか?」という疑問には、誰も答えてくれません。 平常感覚と非常感覚の間には、埋めようがないほど大きな溝が横たわっているのです。

  地震の後、散らかった家の中を片付けている間に、津波に呑まれた老夫婦がいて、その最後の姿をカメラで撮影した息子さんは、先に逃げて助かったというのですが、年寄り二人と一緒に暮らしている私としては、他人事とは思えませんでした。 子供が、「早く逃げないと!」と、何度言っても、言う事を聞かないんですよ、年寄りというのは。 まったく、ほんとに!

  大震災の数日後、富士宮で地震が起こり、私の家も激しく揺れたのですが、その時、私の両親が取った行動は、年寄りの典型パターンの両極を具現していました。 父は、自室に籠って出て来ず、私が、閉じ込められないようにと思って、ドアを開けると、「開けるな。 家が潰れ易くなるじゃないか」と言うのです。 そこまで、配慮しているなら、外へ逃げろよ。

  母は、もっと凄い。 地震直後から、箪笥を開け、押入れに潜り、貴重品や保存食料、懐中電灯、ホッカイロなどを掻き集め、リュックに荷造りを始めたのです。 「一階は危険だから、二階へ行こう」と言っても、全く聞きません。 あれもこれもと詰め込んで、パンパンのリュックが二つ出来上がるまでに、笑っちゃうじゃありませんか、30分以上かけていました。 家が倒壊するような地震が来ていたら、確実に死んでいましたな。

  とにかく、人の言う事を聞かない。 「命を守るのが最優先」という事が認識できていない。 自分の判断が一番正しいと信じ込んでいる。 特に、子供の言う事を聞こうとしません。 「自分の方が長く生きてきて、経験値が高いのだから、若い奴の言う事など、テキトーに聞き流しておけばいい」と思ってやがるに違いありません。 もー、どーしょーもない! それで死ぬんだよ。


  ≪津波てんでんこ≫という言葉があり、この一年、メディアで、何度も取り上げられましたが、この言葉、至ってドライに、真理を突いていると思います。 あまりにもドライなために、あれこれ尾鰭を付加して、人情的解釈を施そうとしている人もいますが、余計な事ですな。 この言葉は、ドライだからこそ、意味の深さが生きて来るのです。

  自分は逃げたいが、家族に逃げたがらない者がいた場合、または、別の場所にいる家族が心配だが、そこが津波に襲われる危険性が高く、行けば、自分も死にかねない場合、≪津波てんでんこ≫を実行しようとすると、究極の選択とも言うべき、ドライな判断を迫られるわけです。 これねえ、今回の震災でも、実際に、何百人何千人もの人が、その岐路に立たされたのではないかと思うのですよ。 その判断の結果、助かる命を落とした人も、何割かはいると思うのです。 

  ≪津波てんでんこ≫を実行して、家族を失ったものの、自分は助かったという人を責めるのは、以ての外の大間違いですが、一方、≪津波てんでんこ≫を無視して、家族の元に駆けつけ、家族全員死んでしまった、もしくは、家族はすでに避難していて、駆けつけた人だけが死んでしまったというケースでも、その人の判断を批判する事は、誰にもできないと思うのです。

  そりゃ、家族の元に駆けつけたくなりますよ。 心配だもの。 私だって、会社にいる時に地震があって、住んでいる所に津波の恐れがあると知ったら、家に近づくために、全力を尽くします。 さすがに、津波が迫っているのに、そこへ突っ込んで行くような真似はしませんが、家族の安否を確認できるように、ギリギリの所までは、接近を試みます。

  「自分一人でも、生き残る方が大事」と考えるのも正しいし、「家族がいないのなら、自分だけ生き残っても仕方ない」と思う気持ちも正しい。 どちらを選ぶかは、その人次第だと思います。 サンデル教授に訊くまでもなく、答えは、自分の心の中にあります。


  よく分からないのは、震災後、「家族の絆が欲しい」とかいう理由で、結婚願望を持つ人が増えたという話。 面白いですねえ。 その人達にとっては、家族というのは、親じゃなくて、まだいない、配偶者や子供なんですねえ。 とことん、≪独立志向≫に洗脳されておるな。

  何が奇妙かというと、「家族の絆が欲しい」と思ったきっかけが、震災なんでしょう? 震災の時に、家族がいたら、却って、負担じゃないですか。 すでに家族がいる状態であればこそ、必死で心配しますが、現況、一人で生きているのなら、家族なんていないままの方が、震災対応能力は高いですぜ。 自分の命だけ心配していればいいんだから、気軽に逃げられるじゃありませんか。

  家族の絆というのは、家族が構成された後に出来上がってくるものであって、絆を目的に家族を作るというのは、本末転倒でしょう。 恐らく、そんなつもりで結婚した人は、すぐに離婚する羽目になると思います。 絆の材料にされる配偶者は、いい面の皮ですぜ。 馬鹿馬鹿しい。

2012/03/04

パソコン買い替え計画中

  さて、まだ、決まらない、会社の福利ポイント12万円の使い道です。 現状としては、旅行は、ほぼ完全に、候補から外れました。 パソコンは、未だに、七転八倒、検討中。

  考えれば考えるほど、要らないような気がして、踏ん切りがつきません。 今のパソコンが、動画を見る事以外は、何の問題もない上、たとえ半額であっても、要らないもののために自腹を切るのは、どうしても、無駄遣いに思えてしまいます。 ポイントを無駄にしないためには、心を鬼にして、要らない物でも買わざるを得ないのか・・・。


  もし、買う場合、店で買うか、ネットで買うかが、一つの問題になります。 ネットのメーカー直販だと、カスタマイズが可能ですが、欲しい機能をどんどん追加していくと、あれよあれよという間に、えらい高額に・・・。 で、店へ行くと、「これで、充分なのでは?」と思える機種が、半額くらいで売ってるんですな。 カスタマイズというのは、果たして、得なのか、損なのか。

  どうも、カスタマイズ画面で選択していると、必要無い機能まで、どんどん積み上げてしまう傾向があります。 CPUは、選べる限りの最高性能、メモリーやHDDは最大限界。 SSDがあれば、何の略かも分からんくせに、反射的に選択。 Officeなんて使わないくせに、「もしかしたら、仕事でパソコンをやらされる事があるかも」というだけの薄~い見込みで、プレインストール。 そんな事してたら、そりゃあ、天井知らずに値が上がりますわなあ。

  当座、必要なのは、動画再生性能だけなのですから、居間のパソコンと同じ機種で充分。 それなら、今は、3万円以下で買えます。 しかし、それでは、ポイントが15000円分しか消化できません。 もうちょい、高くならんものか。 ・・・・うっ! なんだか、本末転倒の巨木に、せっせと攀じ登っているような気がせんでもないでもなし・・・。


  カスタマイズではなく、出来合いの製品で、店にある機種が、そのまま、ネットでも売っていますが、比較すると、ネットの方が、断然安いのは、どういう手品でしょう? 全く同じ品なのに、5000円近く、差があったりします。 一番凄かったのは、同じ系列の店で、同じ品が、店舗とネットで、一万円の差があったケース。

  送料や代引き手数料が加算されると、同じ値段になるのかと思いきや、そんな事は全然なく、「ネットで御注文した商品を、店舗でも受け取れます」などと書いてあり、ますます、首を傾げてしまいます。 店の従業員は、奇妙だと思わないんですかね? 店に置いてあるのと同じ商品をネットで買った人が、一万円も安い代金しか払わずに済む事に。 うーむ、流通機構は、謎に満ちておるわ。


  今回、パソコンの機種を吟味していて、引っ掛かった点の最大の物は、OSの64ビット版の事です。 私の場合、ウインドウズ・パソコンしか眼中にないので、OSは、当然、≪ウインドウズ7≫になりますが、同じ≪7≫でも、32ビット版と64ビット版の二種があるというのです。 実は、≪XP≫の頃から、この二種はあったらしいのですが、当時は、64ビット版を選ぶ理由が少なく、あまり普及しなかった様子。 その次の、≪ビスタ≫でも、同様。

  64ビット版は、32ビット版に比べ、CPUの性能を充分に引き出せるため、CG製作など、画像処理を使用目的とする場合、作業速度が速くなるのだそうです。 ただ、良い事ばかりではなく、32ビット版用のソフトや周辺機器が使えなくなるケースがあるのだとか。 土素人の私としては、「数字は大きい方がいい」と、どうしても考えてしまうのですが、そんな単純なものではない様子。

  ところが、64ビット版登場後、三代目になる≪7≫ともなると、情況が変わって来ます。 ソフトは、OS内の互換機能により、32ビット版であっても、大方の物は動くようになったとの事。 周辺機器も、メーカーが、64ビット版対応のドライバーを用意したり、ユーザー・サイドの買い替えが進んだりして、障碍が減ってきたと言うのです。

  店で、従業員を捉まえて、自宅にある古いプリンターに、64ビット版搭載のパソコンを繋げるか、訊いてみたところ、その場でネット検索して、随分と丁寧に調べてくれました。 「プリンター・メーカーのサイトを見ると、≪ビスタ≫までは、64ビット版に対応しているので、たぶん、≪7≫の64ビット版でも、動くと思います」との話。 「それは、動かない可能性もあるという事ですか?」と訊くと、「そうですが、動く可能性の方が高い、という事です」と言われました。

  我が家には、3台、パソコンがありますが、プリンターは、居間と父の部屋にあり、私の自室にはありません。 私の自室で何かを印刷する時には、居間のプリンターを、自室に運んで、刷っています。 滅多にやらないので、それで充分なんですな。 そのプリンターは、もう10年も前の製品なのですが、2年前に買った居間のパソコンでは、問題なく作動します。 ただし、居間のパソコンは、≪7≫の32ビット版。 64ビット版が動くかどうかは、神のみぞ知ります。

  今でも、32ビット版搭載のパソコンは売っているので、そちらを選んでしまえば、何の心配も要らないのですが、そこが、土素人の浅はかさ、欲深さで、「せっかく買い換えるのだから、長く使える物の方がいいだろう。 今後、64ビット版が主流になるのなら、ここで、乗り換えてしまった方が、先々、得になるのではないだろうか?」と、憶測半分の算盤を弾いてしまうわけです。


  モニターを一緒に買い換えるかどうかも、悩みの種。 今使っているモニターは、11年目にして、機能上、何の問題も出ていませんが、スクエア画面なので、開くサイトによっては、右端が切れてしまいます。 いや、画面解像度を、1024×768にすれば、そういう事は無いのですが、私は、目の負担を減らすために、800×600の画面にしているので、横幅が入りきらずに、切れてしまうんですな。

  ああ、ちょっと、脱線しますが、もし、「パソコンを始めてから、目が痛くて仕方ない」とか、「目蓋が切れるようになった」といった症状が出ている方は、たぶん、画面解像度が1024×768になっていると思うので、800×600に変更すると、かなり楽になります。 デスクトップ画面から、右クリックして、「プロパティ」→「設定」と開いて行けば、「画面解像度」の変更画面が出ますから、一度お試しあれ。 画像や文字の輪郭は粗くなるものの、目への負担は確実に減ります。

  この変更ができる事を知らない人は、存外多くて、「パソコンを始めたけれど、目がくちゃくちゃして、とても長時間見てられないから、やめてしまった」などと、自嘲気味に告白する人がいますが、何とも、勿体無い話です。 「パソコン教室まで通ったけど、そんな事は教えてくれなかったぞ」などとも言われた事がありますが、たぶん、目が元気な若い先生で、知らなかったのでしょう。 自分に用が無い機能は、使いませんから、そもそも、調べようともしないのは、無理からぬ事。

  話を戻します。 モニターの現在の主流は、ワイド画面になっていまして、つまり、液晶テレビと同じ、縦横比ですな。 私のモニターは、スクエアの14インチですが、ワイドだと、横に広いので、同じくらいの高さでも、ずっとインチ数が大きい物が選べます。 測ってみたところ、20インチでも、机の枠に収まりそう。 その大きさなら、1024×768画面で見ても、目への負担は増えないので、右端が切れる事が無くなるのではないでしょうか? いや、実際には、やってみなければ分かりませんが、そういう期待が出て来たという事です。

  でねー、今、モニターが、頭に馬鹿が付く程、安いのですよ。 私が11年前に買った14インチは、6万円もしました。 10年前、居間用に買った17インチは、7万円。 9年前、父の部屋用に買った15インチは、32800円で、「安くなったなあ!」と驚いたものですが、今はあーた、それどこじゃない。 笑っちゃうじゃありませんか、20インチや21.5インチが、1万円前後で売っています。 思うに、液晶テレビの需要が落ちて、液晶パネルがダブつき、パソコン用モニターまで、価格崩壊を起こしているんですな。

  パソコン本体だけだと、43000円の物が、20インチ・モニターとセットだと、46000円で売っていたりします。 モニター分は、たったの3000円と来たもんだ。 このセットを買い、「モニターは他に持っているので、売りに出します」と言って開いたオークションの最終落札価格が9800円だった、という例を見ましたが、落とした奴は、アホとちゃいますか? 3000円の価値の物を、9800円で買っとって、どないすんねん! だから、おのれは、商売っちゅーもんが、全然分かっとらんのや!

  もっとも、落とした当人は、「やったぜ、得した!」と、ホクホクしてるんでしょうなあ。 知らぬが仏の典型例。 今じゃ、モニター単品であっても、9800円あれば、新品が買えますぜ。 つくづく、オークションを覗く前には、新品の相場を調べた方がいいです。 ホーム・センターを覗く前に、100円ショップを調べておいた方がいいのと、同じ事。 得したつもりで、損をしているケースが、うじゃうじゃありそうですな。

  人の事はさておき、ほとんど、オマケで付いて来るようなものなのですから、モニター・セットを選ばぬ手は無いでしょう。 補助の対象になるのは、「パソコン本体だけ」で、「周辺機器は対象外」なのですが、モニターは必需品であって、プリンターや外付けHDDのような、純然たる周辺機器とは、ちと毛色が違います。 しかも、この場合、パソコンとセットなのですから、別に問題は無いでしょう。 そもそも、領収書に、「パソコン代として-」と書いてもらえば、会社には、バレようがないし。

  モニターに、スピーカーが内臓されているのも、ちょっとした魅力。 私の場合、普段はスピーカーを切っていて、音楽を聴く時や、動画を見る時だけ、スイッチを入れるのですが、その程度の使用頻度だと、独立したスピーカーを、机の上においているのは、スペースの無駄でしかないと、前々から感じていたのです。 モニター内臓のスピーカーは、左右それぞれ、1ワットしか出力が無いのですが、なにせ、滅多に使いませんから、そのくらいでも充分でしょう。

  ちなみに、セットを買う時、注意した方がいいのは、スピーカーが着いている位置です。 独立スピーカーでない場合、モニターか、パソコン本体のどこかに着いているわけですが、パソコン本体にあると、その置き位置によっては、ステレオ効果が出なかったり、そもそも、最初から、モノラルだったりします。 ほとんど使わなければ、モノラルでも充分、という割り切り方も、できないではないですけど。


  という経過で、あれこれ吟味する内、一応、候補の機種は決まったのですが、モニター・セットでも、46500円くらいで、その半額だから、23250円しかポイントは消化できず、12万円分には、程遠いです。 それでも、少しでも使うべきなのか、いっそ、スッパリ、捨ててしまうべきなのか。 何とも、悩ましい。

  欲しくもないパソコンに振り回されてるのが、腹立たしいです。 よくよく考えてみると、必要な物を買うのに、会社から補助金が出るなら、それは得ですが、不要な物を買うのに、半額自腹を払うのは、やはり、損なのではありますまいか?

  でねー、「よし、もう、諦めた!」と決心して、締め切りの3月末日を過ぎた途端に、今のパソコンが壊れたりするんですよ。 で、「買っときゃ、よかったな~・・・」と、後悔しまくるわけです。 そーゆーもんなんです、世の中ってやつは。