2014/02/16

移行か、終了か

  ここと全く同じ名前で、ほとんど同じ内容のブログを、契約しているプロバイダーが運営している、≪LOVELOG≫というところでやっているんですが、そこのサービスが、今年、つまり、2014年の3月いっぱいで終了するという通知が来ました。 プロバイダー系のブログで、しかも、電話会社系のプロバイダーなんですが、そんなのありすか?

  でも、まあ、やめるって言うんだから、しょーがないですな。 で、引継ぎ先が、≪Seesaaブログ≫なのだそうです。 知らんなあ。 初めて聞きました。 シーサーって、あの沖縄のシーサーですかね? 違うか。

  いやあ、どうしたもんですかね。 他のサービスへ移行して、続けるべきか、それとも、これを機会に、打ち切ってしまうべきか。 ラブログは、規模的にちょうど良くて、毎日、100人くらいの閲覧者がいて、記事を書くモチベーションを保つには、好都合だったんですが、他のサービスだと、どうなる事やら・・・。

  この≪Blogger≫の方は、日当たり閲覧者は、10人を超える事がありません。 アメリカの会社で、世界展開しているから、日本語のブログを読む人が少ないのは当然ですが、それにしても、たった10人が相手では、ここだけの為に、時間を割いて記事を書く気にはなれませんわなあ。 もし、≪LOVELOG≫の方をやめるというなら、こちらも、やめる事になります。

  実は、全然内容が異なるブログを、≪FC2≫でやっているんですが、そこも、大して閲覧者が来ません。 たぶん、規模が大き過ぎて、一つ一つのブログが目立たないからでしょう。 ブログの客には、ブログ・サービスのポータル画面で、更新案内を見て、覗きに来る人が、少なからずいるのですが、大所帯のサービスでは、そんな案内、一瞬で消えてしまうので、そちら方向からの客が、まるで来ないのです。

  逆に小さいところだと、そもそも、メンバーが少ないので、これまた、ポータル方面の客は来ませんし、検索エンジンでも、後回しにされてしまいます。 それでなくても、ブログの記事は、情報価値や信用性が低くて、無視される傾向が強いというのに、検索結果の10ページ目以降に引っ掛かっているブログ記事なんか、誰が見るもんですかね。 

  小さ過ぎても、大き過ぎても、駄目。 ≪Seesaaブログ≫は、どのくらいの規模なんですかね? 分からんなあ。 とりあえず、移行だけしておいて、打ち切るかどうかは、また後で決めるという手もありますが、ちょうど折り悪く、時期が、岩手異動が重なってくるので、あれこれ悩まなければならないのですよ。

  私が岩手に行ったら、今住んでいる家には、インターネットを使う人間がいなくなってしまうので、フレッツ光の契約を解消して行かなければなりません。 自動的に、プロバイダーであるauとの契約も解消するので、どうせ、ラブログは使えなくなるわけで、その点は、ちょうど良かったのですが、行った先の岩手でも、≪心中宵更新≫を書き続けるかどうかが、悩みどころなのです。

  前々から書いている事ですが、私も歳を取りまして、もう、どうしても、世間に物申したい事というのが無くなっているんですな。 個人的な事なら、いくらでも書けますが、このブログを熱心に読みに来る人というのは、私がどこへ旅行へいったとか、どんな古本を買い集めたとか、そういう事を知りたいわけじゃないでしょう? そういう記事は、繋ぎであって、私が世の中をどう見ているかを知りたいわけだと思うのですよ。

  だけど、私自身が、もう、かなり前から、「世の中をより良い方向へ変えよう」という考え方から、「なるようにしかならぬ」という考え方へ変わってしまっていて、こういう場で、他人様に自分の意見を押し付けるのが、億劫になって来ているのです。 「確実に、人生を折り返した」と思ってから、5年以上経ち、もはや、気分は終盤戦です。 これからの時代を生きて行く人達に、ああだこうだと意見をするには、資格が失効しかけていると思うのですよ。

  ・・・などと書くと、随分控え目、相当謙虚に聞こえるでしょうが、別に、世界観そのものが変化したわけではないのであって、本音を書きますと、「こっちはもう、死ぬだけだ。 後はどうなろうが知った事か。 分かっている人は、わざわざ言わなくても分かっているし、馬鹿やキチガイにいくら意見しても、直るわけがない。 亡国でも、人類滅亡でも、好きにしな」という気分でいるわけです。 まあ、死んでしまえば、小石と変わらんわけですから、小石が心配しなければいけない事など、全宇宙に何も無いわけですな。 うーむ、私もいよいよ、悟りの境地に至ったか。 最近、どうも、ゴータマ・シッダールタに親しみを感じると思っていたら、自ら仏になりかけておったのだなあ。 むべなるかな。

  そういう気分ですから、他のサービスに移行してまで、このブログを残そうという意欲が湧いて来ないのです。


  とっこっろっがっねー・・・。 人間の気分というのは、環境によって変わる。 岩手に行って、独り暮らしになったら、精神的に惨めさのどん底へ落ちる事が、容易に想像され、「憂さ晴らしに、ブログでも書くか」という気になる可能性が、かなり高いのです。 いい加減だよね、人の心というのは。

  いやいや、でもね、独り暮らしというのは、そういうものなんですよ。 これから、都会の大学へ行って、独り暮らしを始めようなんて目論んでいる、世間知らずの愚かな高校生諸君よ。 「アパートに、彼氏彼女や友達がひっきりなしに訪ねて来て、わいわいがやがや、楽しい毎日・・・」なーんて空想を逞しくしているなら、すぐに、最寄りの滝へ行って、褌一張、3時間くらい打たれて来た方がいいぞ。 だーれも、来ねーって、おめーの部屋なんか。 来るのは、新聞の勧誘と、NHKの集金人だけよ。

「独り暮らしは寂しいっていうけど、僕ぁ、寂しさは感じませんね」

  それが、惨めだって言うのよ。 「寂しい」なんて言葉じゃ言い表せないほどの、「惨めさ」に溢れているのよ。 道ですれ違ったホームレスのおっさんと、思わず世間話を始めてしまいたくなるほど人恋しくなるといったら、惨めさの程度が分かるでしょうか。 アパートで独り暮らししている人達なんて、みんな、そんなもんよ。 それを知っていれば、独り暮らしに憧れるなんて、狂気の沙汰だね。 人生のほとんどの期間を、独り暮らしで過ごした人というのもいると思いますが、娑婆にいるより、刑務所に入っていた方が、千倍楽しかったでしょうなあ。


  おっと、脱線しましたな。 で、このブログの始末ですが、どうしたものかと・・・。 とりあえず、≪LOVELOG≫の方を、≪Seesaaブログ≫に移行だけさせておいて、後は、岩手に行ってから考える事にしますか。 消すのは、いつでもできるから・・・。 今のところ、そんな事しか思いつきません。

  今、私は、岩手異動に備えて、やんなきゃいけない事が山ほどあって、ブログの更新どころではないのですよ。 今度は、応援ではなく、移住なので、持って行く物の多さが違います。 応援の場合、寝具、テレビ、冷蔵庫などは、向こうで用意してくれるのですが、恒常的に住む場合は、自分で持ち込まなければなりません。 といって、独身寮の部屋には広さに限界がありますから、引越し会社を頼むほど、荷物を多くするわけにはいきません。

  そこが、悩みどころ。 引越し費用は、会社もちとはいうものの、もし、新しい仕事に耐えられなくて、退職して帰って来るような事になった場合、その時の引越し費用は、自腹ですから、あまり、荷物を多くするのもどうかと、頭を痛めているわけです。 あああ、途轍もなく俗っぽい些事で、なんで、こんなに悩まなければならないのか・・・、悟りの境地が聞いて呆れるわ。


  というわけで、これから、しばらく、日曜に定期更新というパターンが取れなくなるかもしれません。 ここの記事を書くとなると、2時間や3時間、すぐに費やしてしまうので、他の事ができなくなってしまうんですな。 もし、≪Seesaaブログ≫へ移行したら、その時は、また、告知します。 移行せずに、終了する事に決めた場合も、その時に報せます。 という事で、悪しからず。

2014/02/09

岩手ふたたび

  北海道から戻って早々に、こんな話もなんですが、今度は、5月から、岩手に行く事になりました。 しかも、応援ではなく、異動です。 つまり、移籍であり、会社を辞めない限り、定年まで、戻って来れない事になります。 詳しい事は、企業内情報になってしまうので、書けないのですが、私以外にも、かなりの人数が、移動対象になっており、断りたくても、断れない雰囲気があります。

  会社としては、「各事業所の将来の生産力配分を見通した経営戦略の一環としての施策」なわけですが、入社以来、一貫して、私生活に軸足を置いて生きて来た私にしてみれば、そんな事は知った事ではなく、瑞々しいほど純粋に、迷惑千万。 しかし、「出てけ。 岩手工場しか働く所は無いぞ」と言われてしまったら、もう、どーしょもないですな。 会社を辞めるか、岩手に行くか、それが問題だ。

  私の場合、独身親元住まいだった強みで、そこそこの蓄えがあるので、会社を辞めても、当座、生活には困りません。 そこで、両親に、「会社を辞めれば、家にいられるが、どうするか」と訊いたところ、何よりも世間体を気にする年寄りの事とて、「家で、ぷらぷら遊んでいられては困る」という、予想していた通りの返事が返って来ました。 よく言うわ、自分らだって、もう10年もぷらぷら遊んで暮らしているくせに。 「会社を辞めて、こっちで、再就職しろ」などと気楽に言いますが、私の歳で、求人などあるわけがなく、今更、アルバイトでチマチマ働くのも嫌だし、まるで、気乗りがしません。

  その上、あろう事か、母親が、「おまえは、どっちにしろ、最終的には、この家からは出なければならない」などと、とんでもない事を言い出しました。 つまり、兄夫婦に家を継がせるつもりでいたわけですな。 なんたる、愚かさ! 結婚して家を出た長男が、いつか実家に戻って来ると、本気で信じているのです。 そんな話、もう20年も実例を聞いた事がありません。 どこの家でも、結婚すれば、家を出るのが当たり前。 そして、両親が生きていれば当然の事、片方死んでも、両方死んでも、決して、実家には戻らないものです。 なーんでか? 実家を継いだが最後、親の介護や、迷惑なだけで糞の役にも立たない親戚づきあい、目障りで耳障りな近所づきあい、墓の管理、先祖の法事など、諸々の厄介事を、一切合財、背負い込まなければならないからです。 誰が、わざわざ、そんな恐ろしい所に、戻ってくるもんですか。

  「子供は、財産が欲しいから、必ず、実家を継ぎたがるもの」と思い込んでいる、その考え方が、絶望的に古臭い! 「もはや、人生の価値は、金じゃないんだよ! 実家を取り合っていたのは、30年も昔の風習だ。 今は、実家を押し付けあう時代なんだよ! よく見ろ。 親戚でも近所でも、結婚して家を出た子供が、戻って来た例が、一件でもあるか?」と、指を突きつけて言ってやったのですが、まるで、聞く耳持ちません。 およそ、年寄りというのは、世情に曚いだけでなく、頑迷固陋で、子供の言う事など、頭から信用していないものです。 これだもん、オレオレ詐欺に騙される馬鹿な年寄りが、後を断たないわけだわ。 納得、納得。

  ・・・納得している場合ではない。 でねー、言ってやったんですよ、「兄貴が、ほんとに帰って来る気があるか、ちゃんと、確認してみな」って。 そしたら、「訊いてみる」と答えましたが、それから、もう、2週間、その話題に触れようとしないところを見ると、まだ訊いていないんでしょう。 馬鹿だね。 「帰る気はない」って言われるのが怖くて、訊けないんだよ。 ほんと、馬鹿だ。 こんな馬鹿な人間の面倒を見るつもりで、実家に残っていた自分が情けない。 信じられますか? 自分を追い出す気でいた人間に、孝行してやろうと思ってたんですよ。

  信頼関係というのは、壊れる時には、一瞬ですな。 本音が一言、ポロリと漏れただけで、もう、永久に信用できない人間になってしまいます。 家族の絆もへったくれもあったもんじゃない。 自分を追い出すつもりでいた人間が、どうなろうが、知ったこっちゃないですよ。 お望み通り、出て行ってやるから、後は、好きにしな。 たぶん、兄貴は帰って来なくて、父が死んだ後、一人ぼっちになった母が、私に、「戻ってきな」などと、泣きついて来るでしょうが、何度も言っている通り、今は、一度家を出た子供は、決して、戻る事は無いのであって、私もその例外にはならないでしょう。 頼れない人間を頼り、頼れる人間を追い出した報いを、甘んじて受けるこってすな。

  いや、こうなってしまった以上、親なんかどうでもよい。 自分の身の振り方を考えなければ。

  自分で安い家を買うなり、アパートを借りるなりすれば、こちらにいられますが、その場合、結局、実家を出て独り暮らしをする事になるわけで、「そーれじゃ、岩手で、独身寮で暮らしたって、同じやないか!」という事になってしまいます。 いや、その場合、働かなくてもいいわけですから、岩手で奴隷のように扱き使われるよりは、ずっと気楽なわけですが、どうもねー・・・、気乗りがしないのですよ。

  これが、若い頃なら、「働かないで暮らせるのなら、それ以上、幸せな事は無い」と思ったでしょうが、今の私は、人間の生活というものが、そんな単純なものでない事を知っています。 毎日、ぷらぷらしているというのは、辛いものですよ。 趣味なんて、すぐに飽きますし、家事を毎日こまめにやっても、時間はたっぷり余ります。 結局、世に溢れる年寄り達と同じように、テレビ漬けの毎日になってしまうのです。 そして、テレビ番組は、全然面白くないと来たもんだ。

  読書に、ポタリング? あー、それらも、すぐに行き詰りそうですなあ。 そもそも、読書というのは、これから、社会に打って出るつもりでいる人間が、知識・教養を身につける為に励むものであって、引退した中年男が暇潰しにするものではありません。 ポタリングは、健康には良さそうですが、出発ポイントが決まっていると、毎日、同じ道を通る事になり、うんざりして来ます。 車に自転車を積んで・・・、いやいや、それは駄目だ。 引退生活に入ったら、経済的に、車なんか維持できません。 今でさえ、お金が惜しくて、持ってないのに。

  そう考えて来ると、「バイトでいいから、一日、3・4時間でも働いていれば、生活に張りが出るだろう」と思うわけですが、週休二日で、一日、3・4時間のバイトだと、収入は、10万円行きません。 そう思うと、今の正社員の給料を捨てるのが、勿体無いと思えてしまうんですわ。 バイトは、インカム・パフォーマンスが悪過ぎる。 それに、私ができるバイトと言うと、飲食業くらいのものですが、ああいう所は、若者が中心の職場なので、中年には居心地が悪いのですよ。 「あのオッサン、なんで、こんな所で働いてんの?」という陰口が、今から聞こえて来るようだ。

  うーむ、堂々巡りしとるのう。 考えられる選択肢を整理すると、

1 岩手へ行って、働く。
2 実家で、働かずに暮らす。
3 こちらで独居し、働かずに暮らす。
4 こちらで独居し、バイトして暮らす。

  私としては、2が一番気楽ですが、親が許さないから、没。 3と4は、まず、会社を辞めるという、思い切った決断が必要になり、あと、2ヶ月で、それを決めるのは、かなり厳しいです。 辞めるのはいつでもできますが、一度辞めたら、もう、元には戻れませんからねえ。 岩手へ行ってみて、仕事の具合を見て、どうにかやって行けるようなら、続ける事にし、「とてもじゃないが、10年も我慢できない」と思ったら、辞めて帰って来て、3か4の路線へ切り替える事にしますか。

  というわけで、とりあえず、どう転んでもいいように、岩手へ行く準備を進める事にします。 やれやれ、この歳になって、こんな目に遭うとは、思いもしなかった・・・。

2014/02/02

北海道から戻った男

  ・・・・・・・・・・・・・・・。

  何とか、帰って来ました。 実は、帰って来たのは、1月18日でして、もう、だいぶ経っているんですが、片づけやら、こちらの仕事への復帰やらで、ゆとりが無かったので、更新が遅れた次第です。 更に、実を言えば、年末年始にも帰って来て、12月27日から1月4日までの九日間は、家で過ごしていたのですが、その時も、何となく、その気にならず、ネットの更新は、一切しませんでした。 どうも、応援に行って、ネットから離れていると、そういう気分に支配されてしまう傾向があります。



  で、北海道の苫小牧市にある、グループ企業の工場に、応援に行っていたわけですが、感想を一口に言いますと、街も職場も、どえりゃあ、いい所でした。 三年前の岩手応援とは、大違い。 仕事が、さほどきつくなかった事が、最も大きな要因だと思いますが、他にも、工場は綺麗だし、職場の管理システムは良く出来ているし、食べ物は安くてうまいし、寮は住み心地がいいし、何より、苫小牧の街が、「2・30年、未来に来てしまったのではなかろうか?」と思うほど、整備が行き届いていて、仰天するやら、呆気に取られるやら・・・。

  ほぼ純粋な計画都市で、大きな港があるんですが、人工的に掘ったと言うから、たまげるじゃありませんか。 道路も、ほぼ、東西・南北に直行しているし、歩道は、たっぷり広いし、自転車走行路も、きっちり取ってあります。 それが、市街地だけでなく、郊外の方まで整備してあるんですぜ。 どんだけ、お金をかけているのか。 北海道中の製造業が集中しているような自治体なので、財政が潤っているんでしょうなあ。

  個人の住宅も、古い建物が見当たらないんですよ。 昭和を感じさせる物件が、存在しない。 いきなり、平成から街を作ったんじゃないかと思うくらいです。 日本の街というより、カナダの街みたいでした。 いや、カナダに行った事は無いですが、イメージ的に、そんな感じ。

  また、火山灰地で、作物が育たないとの事で、田畑が、一枚もありません。 ちなみに、郊外のすぐ外は、原生林で覆われています。 で、農地、ゼロ。 これも、不思議な光景でしたねえ。 更に、神社、寺、墓地が、非常に少ないのも、本州の町と違う点ですな。

  職場でも、街なかでも、そうだったんですが、地元の人達の人柄が温厚で、礼儀正しいのにも、びっくりしました。 私も、結構、礼儀正しい方ですが、何だか、自分の礼儀正しさが、上っ面のメッキに過ぎないのではと、恥ずかしくなって来るほど、向こうの人達の方が堂に入ってました。

  寒さは、私に限って言えば、全く、大した事はなかったです。 こちらでの冬場のバイク通勤に比べれば、ただ、気温が低いだけくらい、どうという事はありません。 服も靴も、特別なものは何も要りませんでした。 普通の帽子だと、耳が寒いので、ニット帽で、耳を隠していましたが、こちらと違っていたのは、それだけですな。 念の為に、長靴も持って行ったんですが、一回しか出番が無く、邪魔なので、年末に履いて帰って来てしまいました。

  苫小牧は、北海道の中でも、特別に雪が少ない所で、向こうにいた間、5回くらいは降ったと思いますが、積もっても、2センチくらいでした。 気温が低いので、なかなか融けず、路面が凍結して、滑り易くなるのには、ちと参りましたが。 ちなみに、一度だけ、転倒して、尻餅をつきましたが、それは、皮肉な事に、一回だけ長靴を履いて出た時でした。

  苫小牧は、大変、よく出来た街なのですが、広いために、歩きでは、どこへも行けません。 「慣れない雪道で、事故を起こされては困る」という心配から、北海道応援者は、車の持ち込みを禁止されていたので、みんな、休日の移動方法に困ってしまいました。 私は、もともと、車を持っていませんが、バイクは、車以上に持ち込み禁止なので、足が無い事に変わりは無し。

  通勤は、通勤バスがあり、寮の食堂で朝晩食べている人は、全く出かけなくても、生活できたのですが、私の場合、自炊だったので、否が応でも買い物に行かねばなりません。 ところが、一番近いスーパーでも、歩いて、30分もかかると来たもんだ。 あれには、参りましたね。 11月は、一回しか雪が降らず、歩きにくいという事はありませんでしたが、距離があり過ぎ、時間がかかり過ぎで、平日なんか、とてもじゃないが、仕事から帰って来て、買い物に行く気になりません。 食料品が空っけつになってから、土曜に行くわけですが、一週間分買うので、荷物が重くなって、腰は痛くなるわ、レジ袋は指に喰い込むわ、ナップ・ザックの紐は切れるわ・・・。

  で、3週間経った時、「こんな事はやってられん!」と、決心して、リサイクル店で、中古自転車を買いました。 5000円。 シティー・サイクルで、前籠オンリー、荷台無し。 新品同様でしたが、ちょっと乗ると、ハンドルの付け根のネジが緩む事が分かり、締め付け用に、六角レンチを常に持ち歩かなければなりませんでした。 道理で、新品同様で、リサイクル店に売られたわけだ。

  問題点はあったものの、この自転車のおかげで、行動半径は格段に広がり、買い物のみならず、苫小牧市内の観光地を、全て見て回る事ができました。 帰って来る前に、同じ店で、1000円で売って来ましたが、差し引き4000円の価値は充分にあったと思います。 もし、私が自転車で行った所に、電車・バスで行ったら、とても、4000円では済まなかったでしょう。

  自転車で行った観光地というと、≪錦大沼公園≫、≪樽前ガロー≫、≪ウトナイ湖≫、≪勇払開拓史跡公園≫、≪ノーザン・ホース・パーク≫、≪北大研究林≫、≪イコロの森≫。 他に、市街地では、≪中央図書館≫、≪美術・博物館≫、≪科学センター≫、≪緑ヶ丘公園≫の展望台と≪金太郎沼≫など。 あと、西隣の白老町ですが、≪ポロトコタン≫というアイヌ文化資料村にも行きました。 もっとも、そこは、入場料が思っていたより高かったので、門前で引き返してきたのですが・・・。

  北海道の場合、歴史遺構というと、明治以降のものに限られてしまう上、石碑だの、墓石だのといった、地味なもので、しかも、数えるほどしか残っていません。 アイヌ文化関係は、≪美術・博物館≫に集中して収められているものの、街なかでは、地名を除き、痕跡すら見られませんでした。 なんとも、無残・・・。 苫小牧に限って言えば、アイヌ的でも、日本的でもなく、グローバル文化しか見当たらない感じでした。

  一方、電車・バスで行ったのは、北隣の千歳市にある≪支笏湖≫と、西の登別市にある水族館の、≪登別マリンパークニクス≫だけ。 どちらも、交通費やら、入園料やらで、えらい、金がかかりました。 どうも、公共交通機関や、民営の観光地というのは、私のようなケチな人間には、肌に合いません。

  一緒に行った人達の中には、函館から旭山動物園、宗谷岬に襟裳岬、納沙布岬と、北海道中、回り倒していた人もいましたが、交通費だけで、出張費をほとんど、使い切ってしまったのではありますまいか。 北海道は滅多に行けない所だから、そういう事をしたがる気持ちも分からんではないですが、一時期に見て回るには、広すぎるっちゅーのよ。 立場を逆にしてみれば分かる事。 北海道から静岡に出張で来た人が、「せっかく、中部地方に来たのだから、能登半島も見たい」と言っているようなもので、そう聞いたら、頓珍漢な地理感覚だと思うでしょうに。

  一方、週末のたびに、札幌のススキノへ繰り出していた人達もいましたが、そういうのも、しょーもないっすねー。 月曜の朝に、買った女の身の上話や失敗談を聞かされるのは、一種の拷問ですな。 当人は、自慢話のつもりで喋るんですが、私から見ると、それは、恥を曝している以外の何ものでもないと思うんですがねえ。 みんな、いい年した、おっさん連中ですぜ。


  仕事に関しては、企業内情報が絡むので、あまり詳しい事は書けません。 おおまかに言うと、今まで、組み立ての仕事をしていたのが、行った先では、検査の仕事だったので、慣れるまで、かなり混乱しました。 組み立ては、どんどん作って、どんどん流すのが仕事、一方、検査は、悪い所を見つけて、止めるのが仕事ですから、方向性が正反対なのです。

  しかし、ほとんど、一歩も動かずにできる仕事だったので、体力的には楽で、普通、応援に行くと痩せるのに、逆に太ってしまいました。 しかも、終わる一ヶ月も前から、後釜が来たせいで、ますます、楽に・・・。 ちと、来るのが早過ぎですがね。 一人でやる場所に、二人いたのでは、精神的に宜しくありません。

  職場の雰囲気は至って宜しかったです。 正社員の平均年齢は、30代で、私よりずっと若かったですが、無礼な人間は一人もおらず、よくしてもらいました。 驚いたのは、期間工でして、人の入れ代わりが激しく、私がいた2ヵ月半の間に、5・6人、新しい人が来ました。 そちらも、人柄は宜しいのですが、軒並み、50代で、最初の挨拶で、「製造業は、初めてです」と言う人ばかり。 どういう人生を歩んで来たんでしょうねえ。


  寮は、風呂・トイレ・洗面所、洗濯室が共同で、各部屋には、水周りが引いてありません。 その点、岩手の寮より不便だったのですが、一室の床面積が9畳と広く、室内は綺麗で、住み心地は悪くありませんでした。 フローリングで、ベッドと、机・椅子があり、家電は、2ドア冷蔵庫と、地デジ・BSが映る22型の液晶テレビがありました。 これは、独身寮の設備としては、上の中クラスです。

  備え付けのヒーターがありましたが、5階だったので、下の階から熱が上がって来て、それだけで暖かく、ヒーターのスイッチは、一度も入れませんでした。 むしろ、年末年始に、自宅に帰って来た時の方が、寒かったくらい。 ただ、窓を開けていると、ほんの3センチくらいの隙間であっても、ぐんぐん室温が下がって行きました。 やはり、高緯度帯だのう。

  食事は、昼は会社の食堂で食べ、朝晩は、自炊。 当初持って行く気がなかったIHクッキングヒーターですが、荷物を送る寸前になって、ステンレス鍋が100円ショップで見つかったので、急遽持って行く事になり、これが、大活躍しました。 まあ、ほとんど、レトルト食品で、時々、おでんとか、生ラーメンとか、生うどんとか、麺類が挟まるだけの、貧弱な献立でしたが、痩せなかったのだから、栄養は足りていたのでしょう。


  当初、年末年始も、向こうで越すつもりでいたのですが、向こうへ行ったら、会社の福利厚生ポイントで、飛行機と新幹線の切符が手に入る事がわかり、それなら、ポイントが余っているのに、使わないのは損だと思って、帰って来ました。 今まで一度も乗った事が無かった飛行機に、四回も乗る事になったのは、いい経験になりました。

  最初は、引率されて行ったので、何が何だかわからないまま、向こうに着いてしまいましたが、12月26日の帰省の時は、一人で乗る事になり、かなり緊張しました。 しかしまあ、とにかく、手荷物預かり所の行列の辺りに行って、係員が通りかかったら、掴まえて、どうすればいいか訊けば、どうにかなるものですな。

  荷物の中に、刃物やスプレー、正体不明の液体などが無ければ、預けずに、機内に持ち込んでしまった方が、着陸後、空港から出るのが早いという事を学んだので、3回目と4回目は、スイスイ事を運べました。 チェックイン・マシンなど、恐るるに足りません。 あんなものは、プリクラより簡単です。

  これで、国内線に限れば、無敵になりましたが、惜しむらく、たぶん、もう一生、飛行機に乗る機会は無いんじゃないかという気が、濃厚にします。 仕事で行って、専ら、会社の金で切符が手に入ったからこそ、乗ったのであって、やはり、自腹ではねえ・・・。 



  応援は、行き先がどこであっても、嫌なものですが、終わりが近付いてきた時、「もう少しいてもいいかな」とか、「また、来たいな」と思ったら、成功。 「もう、二度と来たくない」と思ったら、失敗です。 その点、今回は、明らかに、成功と言えるでしょう。 得した、得した。