2011/12/25

トイレの一夜

  12月23日・・・・。 忘れもしない、去年の12月23日は、一生の記憶に残る日になりました。 応援先の岩手から帰ってきた日なんですが、交通費をケチって、新幹線分出ていた帰宅旅費を、半額で抑えようと、普通列車で帰ろうとしたのが、間違いの始まり始まり・・・。

  12月23日で岩手での仕事が終わる事が分かったのは、2週間くらい前です。 私の直は、23日は前直だったので、仕事が終わるのは、午後4時5分。 寮には、仕事が済んだ後も、数日間いられるのですが、一刻も早く帰りたいと思っていた私は、「その日の内に、電車に乗ってしまい、行ける所まで行って、終電になったら、その駅の待合室で夜明かしし、翌朝、始発に乗って先に進む」という、些か無理のある計画を立てました。

  新幹線だと、18000円くらい掛かるのですが、普通列車なら、9000円で済む事が分かると、ケチな私の事ですから、後者を選ばずにいられません。 ちなみに、所要時間は、新幹線なら4時間、普通列車は、12時間くらいです。 しかし、9000円も浮くのなら、時間が3倍掛かるくらい、物の数ではありません。 吝嗇道とは、そういうものです。

  図書館で地図を借りて来て、停車駅を書き出したり、時刻表が置いてある駅で関係ページを写真に撮って来たりして、乗り継ぎ計画を練りました。 乗り換え駅は、一関、仙台、福島、郡山、白河、黒磯、宇都宮、上野、東京、熱海の予定。 決心が鈍らないように、前の週の日曜に、沼津までの通しの切符を買ってしまいました。 長距離切符なので、途中下車が可能です。

  最終日は、仕事が終わるなり、岩手在住の先輩に、車で最寄りの駅まで送ってもらいました。 持つべきものは、良い先輩ですな。 5時半頃の電車で出発。 3ヶ月住んだ土地を後にする事に、これといった感慨は無し。 それほど、きつい応援だったという事です。

  出発した時、すでに暗くなりかけていたので、窓の外は、すぐに真っ暗になり、景色は全然見れませんでした。 時間帯的にも、通勤客用の編成になっていて、向かい合わせシートだったので、外を見れるような環境ではなかったのです。 一関、仙台、福島、郡山・・・と、下調べした通り、順調に乗り換えて行ったんですが、その日の終着駅となる白河駅で、大番狂わせが待っていました。

  電車から下り、始発を待つために、ホームの待合室へ向かおうと思ったら、電車の中にいる車掌に呼び止められ、「この駅は、夜間は閉鎖しますから、いられませんよ」と言われました。 癌の宣告並みのショック! 最も重大な所で予定が狂い、顔面蒼白です。 「じゃあ、どうすればいいんですか!」と、縋るように訊くと、「駅前にビジネス・ホテルがあるから、そこに行くか、さもなきゃ、コンビニで粘るしかないですね」と、他人事のような答えが返って来ました。 まあ、事実、他人事なんですが。

  冗談じゃないですよ。 そもそも、交通費を節約するために、普通列車にしたのに、ホテルなんかに泊まったら、浮いた分のお金が消し飛んでしまうじゃありませんか。 コンビニで粘るぅ? 馬鹿こくでねえよ。 その時点で、深夜0時、始発は、朝の5時ですぜ。 5時間も粘ってたら、警察を呼ばれてしまいますがな。 かくして、車掌のアドバイスは、両方とも、瞬殺で、没!

  いや、没はいいんですが、朝5時までは、どこかにいなければならないわけで、第三の道を、否が応でも、王が嫌でも、見つけ出さなければなりません。 12時半頃までは、駅の改札を出た所にあったベンチに座っていたんですが、そこへも駅員がやって来て、「もう、閉めますから、出て貰えますか」と、冷たく告げに来ました。 ベンチに座りながら、「荷物だけでも、コイン・ロッカーに入れておこうか・・」などと迷っていたんですが、そんな事を実行する暇も無く、追い立てられるように、屋外へ出されてしまいました。

  外は、12月下旬の東北の事とて、震えも停まるような、厳寒です。 雪こそ降っていませんでしたが、雨がポツポツ降っており、、大きな荷物二つの内、一つは紙袋でしたから、濡れて把手が取れてしまわないかと、ヒヤヒヤです。 とりあえず、コンビニに身を寄せようと思っても、白河駅前はかなりの広さで、視界の中に、コンビニらしき灯りは見当たりません。 もう、絶望の縁ですな。 朝まで4時間半、どうやれば過ごせるのか、神がいるなら、膝詰めで訊いてみたい心境。

  駅の前にぼっ立っていても、何も解決しないので、とりあえず、移動しようと思って、向かって右側に歩き出したら、駅の横に、公衆トイレがある事に気付きました。 その、更に向こうには、交番があります。 駅前交番だから、24時間営業だと思いますが、交番に行ったら、「ホテルへ行け」と言われるに決まっています。 お金が無いわけではないので、「朝までいさせてくれ」とも言えません。 下手をしたら、会社に連絡されてしまう恐れもあります。 家に電話されるのは別に構いませんが、会社に知れると非常にまずい事になるのは、勤め人なら誰でも分かってくれるでしょう。

  で、単純な消去法で、とりあえず、公衆トイレに入る事にしました。 結構大きなトイレです。 駅が閉まっても、やっているという事は、駅の附属トイレではなく、市営か公営なのでしょう。 個室に入り、鍵をかけ、幸いにも上面面積が広かったタンクの上に、荷物を置きました。 しかし、落ち着くには、程遠い有様です。 寒いし、狭いし、そこそこ臭いし、こんな所に、4時間半もいると思うと、頭がくらくらして来ます。

  でも、そこを出たところで、他に行く当てはありません。 「もう、腰を据えて、ここで、朝を待つしかないのだ!」と悟るまで、10分くらい掛かりましたかねえ。 いやあ、惨めの極みですなあ。 若い頃ならいざ知らず、この歳になって、こんな目に遭うとは、想像もしませんでした。 逆に考えると、この期に及んでも、まだ、ホテルに泊まろうとせず、トイレに籠城する方を選んだ私は、気だけは若いという事でしょうか。 大人になりきれていないだけ、という見方も出来ますが。

  寒い、狭い、臭いの三点セットの他に、問題がもう一つありました。 そのトイレ、照明が、人感センサー付きでして、天井に着けられたセンサーが、人間の動きを感知して、自動的に灯りをオンにするのです。 これは、密かに籠城している者にとっては、甚だ迷惑な機構です。 上述した通り、トイレの近くには、交番があるのでありまして、トイレには窓がありますから、トイレの灯りがつくと、交番から視認されてしまう危険性が、極めて高い。 夜通し、点いたり消えたりしていたのでは、不審を感じた警官が、踏み込んで来ないとも限りません。

  冗談じゃないですよ。 そんな事になったら、絶対、会社に連絡されてしまいます。

「もしもし、こちら、福島県警の白河駅前交番ですが、お宅の社員だという男が、駅前のトイレに籠っているのを発見しまして。 何でも、交通費を節約したくて、新幹線を鈍行に変えて、終列車でこちらまで来たはいいが、当てにしていた駅の待合室から締め出されて、トイレで夜明かししようとしていたようなんですよ。 笑っちゃうじゃありませんか。 こんな馬鹿がいるんですねえ。 わはははは!」

  最悪だ! それは、何より一等、最悪だ! 想像するだに、身震いがする! 何が何でも、蟹が噛んでも、それだけは、避けなければ!

  で、人感センサーが反応しないように、じっと身を固くしているんですが、何せ、寒いので、足踏みくらいしていないと、凍傷になってしまいます。 ところが、どんなに小刻みに足踏みしても、センサーが目敏く見つけて、パッと灯りを点けてしまうのです。 あの時ほど、ハイテクを呪った事はありませんな。 うーむ、惨めさが盛り上がる。 これは、神の与え給うた試練なのか? 試練なら、試練らしく、もそっと、絵になるものにしていただきたい。 トイレで人感センサーと戦う姿なんて、人様にゃ見せられないね。

  いい加減、疲れてきた頃、荷物の中に傘が入っている事に気付きました。 で、それを開いて、個室の仕切りの壁の上に引っ掛けてみました。 すると、どうでしょう、人感センサーが反応しなくなったじゃありませんか。 「やった! センサーに勝った!」 今にして思うと、サイテーの勝利だと思いますが、その時は、そんな事でも、泣くほど嬉しかったのです。 これで、遠慮なく、足踏みができるというもの。 もっとも、動けるのは傘の下だけなので、狭い個室が、ますます狭くなってしまったわけですけど。

  これで、照明の問題は解決しましたが、警官に踏み込まれる危険性が、ゼロになったわけではありません。 誰か、トイレに入って来た利用者が、個室の上に傘が掛かっている事に不審を感じ、交番に通報しないとも限らないからです。 人が入ってこない事を、一心に祈りました。

  最初の内は、「とても、とーても、こんな事は続けられない」と思っていましたが、1時間過ぎると、「2時間くらいなら、いられるかもしれない」と思うようになり、2時間過ぎると、「もしかしたら、3時間くらい粘れるかもしれない」と、少しずつ、希望の光が大きくなっていきました。 トイレで、希望の光が輝いても、あまり神々しくはありませんが、惨めな情況であればこそ、希望がありがたく感じられるのも、また事実。

  途中、持っていたバター・ロールを食べたり、会社で貰ったリポビタンDを飲んだりしました。 なに、そんな寒い所で、リポDなんか飲んだら、小便が近くなって困るだろうって? いや、その点は大丈夫です。 だって、トイレの中ですから、いつでも、したい放題です。 むしろ、小便をしている時は、本来の利用方法を取っているわけで、警官に踏み込まれても、堂々と言い訳できると思って、ホッとしていました。

  寒い、狭い、臭いの三拍子揃った環境で、4時間半ですよ。 個室からは、一度も外へ出ませんでした。 下手に出て、他の人間と顔を合わせてしまったら、格好だけでも、一旦はトイレから出て行かなければならなくなりますから、それを恐れたのです。 音だけで、外の様子を窺っていたわけですが、私が籠っていた間に、トイレに入って来たのは、3人で、全て、小の方でした。 誰も個室の方へ来なかったのは、運が良かったとしかいいようがありません。

  その公衆トイレの個室は、ドアが閉まった状態が平常態だったので、中に人がいるかどうかは、ドアを押してみないと分からないのです。 もし、押されていたら、傘にも気付かれていたでしょう。 実に運が良かった。 もっとも、言うまでもなく、こんな惨めな情況に陥ったこと自体は、最悪に不運だったのですが。

  4時間半、何を考えていたのというと、世界の国名を思い出していました。 若い頃に、世界地図を見ながら、丸暗記したのですが、今でも、95パーセントくらいは覚えていて、約200カ国ありますから、一巡するだけでも、かなりの時間が潰せるのです。 世界の首都名もやりました。 そちらは、70パーくらいしか覚えていなかったのですが、記憶の糸を手繰るだけで、結構気が紛れるものですな。

  で、とうとう4時50分になりました。 もう、出てもいいでしょう。 個室を出られた時の、私の晴れ晴れとした気分が、想像できますか? 刑務所から出た人の気持ちが分かるような気がしましたよ。 生きているというのは、素晴らしい!

  外は、まだ、真っ暗です。 雨は私がトイレにいる間中、降ったりやんだりしていましたが、外に出た時には、上がっていました。 駅に行くと、もう入り口が開いています。 改札には誰もいませんでしたが、始発の時間が迫っていたので、そのまま通りました。 ホームに出ると、前夜、私を待合室から追い立てた車掌がいて、始発電車を待っていました。 「こいつ、どこに泊まりやがったんだ?」という顔をしていましたよ。 ふふふ、まさか、4時間半も、トイレで過ごしたとは、お釈迦様でも気がつくまい。

  間も無く、黒磯行きの始発電車が入って来ました。 中に入ると、暖房が効いて、ホカホカと暖かいこと、暖かいこと! 「ああっ、生き返った~・・・」と思いました。 「これで、沼津に帰れる・・・・」と、感動しました。 生きていて、良かったです。 人生は素晴らしい。


  あれから、もう一年経つんですねえ。 こうして思い出していると、昨日の事のように、感じられるのですが・・・。

2011/12/18

アリエッティー鑑賞

  ≪借りぐらしのアリエッティ≫をテレビ放送で見ました。 知らない人でも知っている、スタジオ・ジブリの、あまり注目されなかった、2010年の劇場用アニメ。 原作は、イギリスの児童文学だそうですが、それ以上の情報は不要と思えるほど、ありふれた話です。 小人ものという点で、≪スプーンおばさん≫や、≪ニルスのふしぎな旅≫と、ほぼ同類ですが、それらほど面白くはなく、≪冒険コロボックル≫ほどの、オリジナリティーも感じられません。

  原作を読んでいないし、読む予定も無いので、このアニメだけで判断するしかありませんが、あまりにも起伏が少なくて、物語の部類に入れるのもためらわれるような単調さでした。 映画館に行った人や、DVDを買った人は、「しまった~・・・、この程度なら、テレビ放送を待てばよかった~・・・」と、噛んだ臍が、くちゃくちゃになってしまった事でしょう。

  古い洋風の家の床下に住み着いている小人の一家が、病気療養のために移り住んできた人間の少年に見つかってしまい、掟に従って、他の家へ引っ越して行く話。 まったく、それだけの話でして、小人の母親が人間に捉まる場面もあるものの、クライマックスと呼ぶには、あまりにも地味で、どうにも盛り上がりようがありません。 よほど小さな子供なら、わくわくドキドキするかもしれませんが、小学生以上になれば、十人中十人が面白さを感じないでしょう。

  庭の草木の描写が大変細かく、そこだけは、見ていて気持ちがいいです。 ただ、完全に英国式庭園で、建物も洋風なので、「そこに拘るのなら、何も敢えて日本に舞台を移さなくても、原作そのまま、イギリスの話にしてしまえばよかったのでは?」と、率直な疑問を抱かぬでもなし。 というか、人間の名前、車のナンバー、手紙の文字、それと、最後に出て来る薬缶の舟くらいしか、日本的な物は出て来ないです。

  家の中の、床下や壁の裏といった、小人が移動に使う場所も、非常に細かく描き込まれていますが、それはそれで、「こんな大工事が、小人の力でできるのかね?」と、首を傾げてしまいます。 足場にしている釘とか、どうやって打ったんでしょう? 人間に見つからないように、こっそり暮らしているというのに、釘をガンガン打てますかね?

  小人の家が煉瓦で出来ているのも、奇怪です。 人間用の煉瓦ですから、長辺が小人の背丈よりも大きいわけですが、そんな巨大な物を、どうやって動かしたんでしょう? 何かしら道具を使ったとしても、イースター島のモアイ像にしたって、何百人と集まらなきゃ、動かせなかったんですぜ。

  アリエッティーが、髪を纏めるのに使う、洗濯バサミがありますが、「かわいい」と感じる以前に、「重いだろう!」と思ってしまいます。 まあ、実際に試してみようじゃありませんか。 ダンボールでいいから、同じ比率の大きさの物を作り、髪に着けてみなさいな。 「アガッ!」てな感じで、頭が後に折れてしまうから。

  スピラーという、狩人らしい小人が出て来るのですが、彼が、同じ小人でありながら、主人公達の家族とは、全く違う文化を持っているらしいのは、興味深いです。 どうやら、弓矢で昆虫を狩って、食料にしている様子。 マントを翼にして、ムササビのように飛ぶのは、いくら体重が軽くても、無理だとは思いますけど。 ちなみに、このスピラーのキャラは、≪未来少年コナン≫のジムシーをなぞっているようで、懐かしかったです。 もっと、セリフがあれば、よかったんですがね。

  そういえば、猫が出て来ますが、こちらは、≪となりのトトロ≫の、猫バスをなぞっている模様。 猫バスは、バス・サイズの猫だったわけですが、こちらは、猫は猫サイズのまま、主人公の方が小さくなっており、比率的には、同じになります。 ただ、観客が、こういう、なぞり場面を、必ず楽しんでくれるとは限らず、「同じ事務所の作品なのに、オマージュなんか、いやらしい」と感じる向きもある事でしょう。

  ジブリのアニメにしては、動きがよくないのは、残念なところ。 小人が、人間の部屋の大きな家具の中を、鉤をつけたロープや粘着テープなどを使って、上り下りするわけですが、「リアルな動きに拘る」という狙いは分かるものの、見る側からすると、なんとも、もさもさした感じがするのです。 早送りしても、まだ遅いくらい。 この感覚は、≪2001年宇宙の旅≫で、無重力を表現している場面を見る時のイライラ感に似ています。 「わかった、わかった。 小人の移動が大変な事は、もうわかったから、話を先に進めてよ」と、切に願うわけです。

  この作品、宮崎駿さんは、企画と脚本だけで、監督は別の人ですが、監督によって、動きへの拘りは、こうまで変わるんですね。 ジブリ作品なら、みな同じ、というわけではないのです。 宮崎さんが後進に伝えるベきなのは、絵のタッチや原作の選び方などではなく、動きへの拘りに尽きると思うのですが、いかがでしょうか? 「アニメは、動きが命」という信条を貫いて来たからこそ、得られた名声だったと思うのですが。

  貶してばかりなのも無責任なので、どうすれば良くなったかを考えてみますか。 やはり、最大の欠点は、物語の単調さなので、原作選定の段階から改めた方が良かったと思います。 小人の話は、世界中にうじゃまんとあるのですから、原作など探さず、オリジナルでやっても、何の問題もありますまい。 そうすれば、好きなだけ、派手な事件を盛り込めますからのう。

  話のテーマを、人間との関わり合いにせず、小人同士の話にして、人間は背景の一部にしてしまった方が、対立の構図がはっきりして、キレがよくなったかもしれません。 たとえば、主人公達が暮らしている家に、引越し中の別の小人家族がやって来て、しばらく居候する事になり、家の勝手が分からないために、人間に見つかって、危機に陥るになるとか。 その方が、自然でしょう。 アリエッティーは、その家で生まれ育って、14年も経つのですから、いくら、≪借り≫が初めての経験だったとはいえ、あっさり人間に見つかってしまうというのは、おかしな話ではありませんか。


  声の出演の配役は、ジブリ作品にしては、まともな方です。 プロの声優を使わず、俳優を連れて来るのは、相変わらずの悪癖であるものの、登場人物に際立ったキャラが存在しないために、不慣れな声の演技でも、そりなりに雰囲気に馴染んで、あまり違和感を覚えません。 ただし、もちろん、誉めるほどでもなし。


  いやいや、こんなに長々と感想を書くような、厚み・深みのある話ではないのです。 貶し所満載だった、≪崖の上のポニョ≫とは違う意味で、しょーもない作品ですな。 「駄作ではないが、紛れもない凡作」、といったところでしょうか。 こういう作品をフォローする時に、「BGV(バック・グラウンド・ビデオ)にすれば、いい雰囲気になる」といった表現がありますが、正に、そんな感じの作品です。 気合を入れてみるようなストーリーではないのです。


  そうそう、忘れるところでしたが、これも書いておきましょう。 題名では、≪アリエッティ≫となっていますが、実際の発音は、「アリエッティー」です。 だからさー、何度も何度も口が酸っぱくなるほど言うようだけれども、小さい「ィ」を語尾に使う時には、長音と単音の区別をしてくださいよ。 「アイデンティティー」を「アイデンティティ」と言うか? 「ティ」と「ティー」は、違うんだよ。 どうしても、≪アリエッティ≫と書きたいのなら、作中でも、「アリエッティ」と言わせればいいでしょうが。 それはそれで、カッコよく聞こえるんだから。

2011/12/11

自転車、後輪タイヤ交換

11月20日の事です。 日曜日の午後の習慣で、折り畳み自転車に乗り、ポタリング、兼、路上観察、兼、写真撮影に出掛けました。 前の晩に、ひと月ほど前からベルトのバックルが壊れていた腕時計を修理し、ありあわせの部品で、復活させる事に成功したので、それを腕に着けて、意気揚々と漕ぎ出したものです。

  そろそろ、北から渡って来ているはずのカモの群を目当てに、三島市にある≪中之郷温水池≫を目指していたのですが、狩野川を渡るために橋に上がる階段に差し掛かった時、後輪から、「プシューッ!」と、勢いよく空気が抜ける音が聞こえました。 パンクです。 ≪レイチェル OF-20R≫で、パンクしたのは、前後輪ともに、これが初めて。

  見てみると、タイヤそのものが擦り切れて、繊維が出ています。 これでは、ちょっとした金属片を踏んでも、容易にパンクしてしまうでしょう。 もうかなり前から、こんな状態だったと思われ、今まで、パンクしないで走っていたのが、不思議なくらいです。 その日も、出掛ける前に空気を入れたのに、全然気付かなかったのですから、我ながら注意力の散漫ぶりに呆れます。


  やむなく、下りて、押して、歩いて帰りました。 家から、20分くらい走った所でしたが、押して帰ると、40分くらい掛かります。 前にも、出先でパンクした事がありますが、こういう時には、最寄りの自転車屋を探したりせず、しおしお押して帰るに限ります。 パンク修理だけでも、1000円以上取られるので、自分でやれる事なら、自分でやった方が、断然、得。 それより何より、私は外出の際、お金を持って行かないので、元より、自転車屋に頼む事はできません。

  もう随分前の事ですが、家族共用だった軽快車でパンクした時、家に電話して、父に車で迎えに来て貰った事があります。 その時は、かなり遠かったので、「押して帰ると、タイヤがボロボロになってしまうのではなかろうか」と、それを恐れたのです。 しかし、迎えに来てもらったはいいものの、何分、普通の軽快車なので、大き過ぎて、そのままでは、後部座席に入らず、車の車載工具で前輪を外したりして、えらい大ごとになってしまいました。 ちなみに、その後の経験でわかった事ですが、人間が乗りさえしなければ、パンクしたタイヤのまま、どんなに長距離を押しても、タイヤやチューブが傷む事は無いようです。

  何とか家に着きましたが、ただのパンクではなく、タイヤも交換しなければなりませんから、おいそれとは、手が出せません。 スポーツ自転車の場合、クイック・リリース機構で、割と簡単に車輪を外す事ができますが、≪レイチェル OF-20R≫は、一般自転車と同じ構造なので、車輪の取り外しは、段違いに厄介になります。 強敵は、チェーンとブレーキ。 変速ギアでないのが、せめてもの慰めですか。


  まず、ネットで、後輪の外し方を調べました。 こういう時、ネットの情報は、実に有益ですな。 殊勝な人がいて、写真入りで、懇切丁寧に解説し、細部のコツまで教えてくれるから、大変ありがたい。 掲示板があれば、お礼の一つも書き込みたいところですが、昨今の個人サイトで、掲示板を残している所は、まずありません。 残念。 メール? いや、それほどの事ではありますまい。

  で、後輪の外し方ですが、予想していた通り、結構面倒臭そうです。 とりあえず、20×1.75のタイヤと、15ミリのレンチ、パンク修理セットの三つが要ります。 15ミリのレンチというのは、自転車の車軸を留めているナットを外すのに使うのですが、特殊な径で、普通のメガネレンチ・セットでは、まず入っていません。

  この時点で、すでに、午後3時を回っていて、その日の内に修理するのは、とても無理と思われたので、患部の写真だけ撮り、折自は一旦、置き場所にしまいました。 空気が抜けている分、右へ傾いてしまうので、物置から板を探して来て、パンクしたタイヤの下に敷きます。 最初、ハーフ厚の煉瓦を敷いたのですが、高くなり過ぎて、左に傾き、倒れそうになったので、厚さ1センチくらいの板に替えたもの。

  近所のホームセンターへ。 タイヤはありましたが、「子供車用」と書いてあります。 サイズは同じなので、折自にも使えると思いますが、はっきり、「子供車用」と謳われてしまうと、何となく、不安になって来ます。 しかも、価格が、1480円! 「安くはないな」を通り越して、「高いんじゃないの?」と感じる値段です。 修理パッチは、バラ売りのが、一枚50円。 工具コーナーへ行くと、15ミリのレンチは、1450円もしました。 ざけんなよ。 五年に一度も使わないのに、そんなに高い物が買えるか!

  次に、100円ショップへ。 100円ショップでも、店によっては、レンチ類を細かく取り揃えている所があるのですが、近所の店には、一本もありませんでした。 まあ、そうそう売れる物ではないから、よほど大きな店でないと、置いてないんでしょうねえ。 自転車コーナーに修理キットがありましたが、金属製のタイヤ・レバーまで入っているタイプで、その分、パッチの枚数が少なかったので、パスしました。 タイヤ・レバーは、父が持っているので、それを借りればいいからです。

  ここで、この日は時間切れ。 手ぶらで家に帰りました。 平日には、何もできませんから、部品・工具の購入も、修理もお預けのまま、一週間、待たなければなりません。 その間に、ネットで、修理方法の予習を繰り返しておこうと思っていたのですが、いざ、仕事が始まると、帰ってから頭を使わなければならないのが負担に感じられて、結局、週末まで、予習はしませんでした。 

  頭は使いませんでしたが、ネット通販でタイヤが手に入らないかは、調べてみました。 Amazonに、2本で1600円、各チューブ付きという商品があり、「これは、お得ではないか!」と、興奮して、買い物カゴに入れたものの、手続きを進める内に、マーケット・プレイス商品で、支払方法に代引きを選べない事が分かり、泣く泣く断念しました。 ちなみに、私は、クレジット・カードは持っていませんし、先払いになる銀行振り込みは、ピーマンより嫌いです。

  タイヤは、週末を待って、ホームセンターで入手する事に決定。 とりあえず、目ぼしい店を回ってみて、他に無いようなら、1480円のを買うしかありません。 自転車専門店では、たぶん、もっと高いでしょう。 そういう事も、平日の会社帰りに、店を回って調べればよかったんですが、面倒臭いので、やりませんでした。 とにかく、平日は、仕事以外の事はしたくないのです。 気が重くなるから。


  さて、11月26日の土曜日です。 この一日で、全て片付けるつもり。 しかし、分解してみなければ分からない事もあるので、計画はもちろん、大まかな予定も立てずに、テキトー&行き当たりばったりで、作業を始めました。

  折自を出して来て、作業場になるカー・ポートの下へ。 まず、地面にダンボールを敷きます。 修理用スタンドが無いので、車体を引っ繰り返して、後輪を浮かせます。 引っ繰り返した時、ハンドルとサドルで、車体を支える事になるので、ハンドルの上に着いているベルが邪魔になります。 そこで、ベルの取り付け基部のネジを緩め、ベル本体を裏側に回しました。

  引っ繰り返したら、まず、後輪のブレーキ・ワイヤーの出代の長さを測り、チェーン引きのボルトは出代の山の数を数えておきます。 これは、修理サイトに、「元に戻す時に、調整しなくて済むように、測っておくべし」と書いてあったから、その通りにしたのですが、私の折自の場合、チェーンも弛んでいて、調整しなければならなかったので、測った意味がありませんでした。 まあ、こういったところは、いい加減にやっても、後でどうにかなりますよ。

  次に、車軸のナットを外します。 例の15ミリのレンチですが、父が以前、軽快車の後輪タイヤを交換したのを覚えていたので、「その時、車軸のナットを、どうやって外した?」と訊いたら、「ボックス・レンチがある」と言うじゃありませんか。 なんだ、うちにあったのか。 それなら、買わないでおいて、応じ合わせ。 で、物置を探したら、そのボックス・レンチが出て来たのですが、真っ赤に錆びており、デザインもごつくて、どう見ても、昭和40年以降に作られたとは思えないような時代物でした。 いや、問題なく、使えましたけど。

  車軸ナットを左右とも取ってしまうと、荷台と泥除けのアームが外せるので、邪魔にならない位置まで、荷台と泥除けのアームをズラします。 スタンドは、取り外します。 次に、ブレーキ・ワイヤーを外し、チェーン引きを外します。 あとは、チェーンをギアから外せば、後輪がブレーキごと外れます。 


  タイヤ・レバーを父から借りて、ホイールからタイヤを外します。 バルブのナットを外して、チューブも取り外します。 ここらで昼になりました。 ちなみに、昼飯は、惣菜トンカツ弁当。

  15年ほど前、原付のオフロード・バイクに乗っていた時の事ですが、路肩を走るせいで、年中パンクに見舞われ、パンク修理ばかりしていました。 その時に買った修理用具が無いか、押入れを探したところ、10枚くらい、修理パッチが出て来ました。 こんなに、どこで買ったのやら・・・。 パッチはそれでよかったんですが、ゴム糊の方がスカスカに気化していて、一滴も残っていませんでした。 これでは、作業不能です。 やむなく、ここで、買い物に出掛ける事にしました。

  車で出発。 近所のホームセンターで、ゴム糊を見ましたが、一本248円もしたので、パス。 以前、タイヤを500円で売っていた、遠くの100円ショップへ。 しかし、タイヤは、もうやめてしまったのか、一本も置いてありませんでした。 糊は二本入りのがありましたが、そんなにあっても使い切れません。 そこで、パッチと虫ゴムが入った、セットの方にしました。 内容は、パッチ4枚、ゴム糊1本、布鑢1切れ、虫ゴム2本。


  更に足を延ばし、近所のとは違う系列のホームセンターに行ったら、なんと、980円で、タイヤが置いてありました。 遠くまで来た甲斐があったというもの。 ホクホク顔で、買って帰りました。 それにしても、ほとんど同じタイヤなのに、1.5倍も値段に差があるのは、どういう事情なんでしょう。 一方がボッタくりなのか、はたまた、もう一方がダンピングなのか。


  帰って、早速、チューブを修理。 穴が開いた部分の一帯に布鑢をかけ、ゴム糊を塗り、5分待って、パッチを貼り、金槌で叩きます。 新しいタイヤをホイールに片側だけはめ込み、チューブを入れてから、タイヤのもう片側をホイールに押し込んでいきます。 この辺りは、手だけでできます。 最後の20センチくらいになったら、タイヤ・レバーを使って、押し込みます。

  おおまかに空気を入れ、タイヤを車体にセット。 順番を思い出しながら、外した部品を組み付けて行きます。 忘れた時のために、バラす前に写真も撮ってありましたが、それを見るまでも無く、何とか、元の形に戻りました。 ブレーキ・ワイヤーの調整は、かなり適当にやっつけました。 まあ、後輪のブレーキは、そんなに役割が重くないから、そんなでも大丈夫でしょう。 手こずったのは、後輪の取り付け角度です。 車体と真っ直ぐにしなければならないのですが、私の折自は、チェーン引きが片側にしかついていないので、微調整が難しく、何度かやり直しました。

  さて、ここまでは、良し。 ところが、自転車の上下を戻して、空気を入れようとしたら、入って行きません。 空気入れのピストンが、押し戻されて、浮き上がって来ます。 青くなりますねえ、こういう時は。 見ると、虫ゴムが、もうボロボロになっていました。 今まで辛うじて持ちこたえていたのが、バルブを外したり戻したりしている内に、限界点を超えた模様。 パンク修理セットに、オマケで入っていた虫ゴムが、早速役に立ちました。 交換して、セットし直すと、今度は、空気が入って行きます。 満タンにして、近所を試し乗り。 直進性は良好です。

  改めて、出来栄え確認をしてみると、バルブのすぐ下の所で、タイヤのビード部分が膨らんでいます。 どうやら、チューブを噛んでいる様子。 空気を抜いて、何度かやり直しても、うまく入りません。 原因不明。 近所の迷惑もあるので、そうそう何度も、空気入れのシュコシュコ言う音を響かせるわけにも行きません。 疲れた事もあって、その日はここまでにして、片付けました。

  夜、タイヤのパンク修理のサイトを読んだら、バルブ付近のチューブ噛み込みは、空気を抜いた状態で、バルブを指で押し込めば直るとの事。 なるほど、その手があったか。 何でも一応、ネットで調べてみるものですな。 それにつけても、この種のサイトは、つくづく、ありがたい。


  翌11月27日の日曜日、朝一番で、タイヤの空気を抜き、バルブを押し込んでみたら、ズボッという感じで、タイヤの中にチューブが入りました。 これで、タイヤのビードが出る事はなくなったのですが、全周を確認してみると、入り具合にムラがあります。 しかし、バルブ付近以外の部分は直しようが無いし、前輪の方にもムラは見られるので、それで良しとしました。

  取り付けてから気付いたんですが、元々ついていたタイヤと、新しいタイヤの、トレッド・パターンが同じでした。 下の写真、左側は、5年目にして、まだ山が残っている、前輪のタイヤ。 右側は、新しく買って来た後輪のタイヤです。 調べてみたら、シンコー株式会社のSR133という製品でした。 前後を見比べる事などありませんが、まあ、違うよりは、同じ方が気分がいいですな。 いやあ、遠くまで行って、本当によかったです。



  タイヤ交換作業の感想ですが、「調べてからやれば、誰でもできないことはない。 でも、時間は掛かるし、力もそこそこ要るし、調整も必要で、かなり面倒臭い」といったところでしょうか。 自転車屋に頼めば、楽で、しかも安心なわけですが、安くても、3000円くらい取られるそうで、損なのか得なのか、微妙なところ。 もし、家人に経験者がいて、適宜アドバイスが貰え、工具も揃っているというのなら、自分のスキルを上げるために、挑戦してみるのも、一興だと思います。

2011/12/04

自転車の本②

先週は、折り畳み自転車の後輪タイヤ交換で、土曜が潰れてしまったのですが、今週は今週で、「日曜に祖母の法事がある」などと、母が一週間前になって言い出したもので、日曜にやるはずだった事を、土曜に前倒しせざるを得なくなり、結局、時間の余裕がなくなってしまいました。 というわけで、また、自転車本の感想です。 これらは、岩手から帰って来て以降に読んだものなので、今年に入ってから書いた感想文になります。




≪ロードバイクの科学≫
  沼津に戻ってから、図書館で最初に借りて来た本。 正確に言うと、雑誌分類で、ムック本というカテゴリーの出版物ですが、内容は、情報よりも知識が勝っているので、普通の本と考えていいと思います。

  スポーツ自転車乗りが書く本というと、入門書、紀行文、趣味的随筆といった類がほとんどで、あまり知的なものが無いんですが、これは例外。 著者は、自動車メーカーに勤める技術者で、本職でも科学技術にどっぷり浸っているため、大変、レベルが高いです。 ただし、技術者の書く文章には、難解、というか、表現が足りないという欠点があり、その点は、この本も例外ではありません。

  空気抵抗に関して、最も詳しく、素人はもちろん、ロードバイクに乗っている人でさえ知らないような事実が書かれています。 「ドロップ・ハンドルは、下ハンの平らな部分を持っても、上のブラケット部を持った時と空気抵抗に大差が無く、下ハンを持つなら、肘を曲げて前の部分を持たなければならないが、その姿勢では、体の負担が大きいので、10分くらいしか持続しない」といった記述には、驚く人も多い事でしょう。 一番空気抵抗が少ないのは、ドロップ・ハンドルではなく、ブルホーン・ハンドルに、エアロ・バーをつけた、タイム・トライアル用のハンドルなのだそうです。

  他に、レースの時の体力エネルギーの使い方についても、細かに触れられています。 前半で飛ばしすぎると、細胞が蓄えているエネルギーを使い尽くしてしまって、腕も上がらなくなるのだとか。 対処法は、何かを食べる事しかないのだそうです。 「腹が減ったくらい、我慢すればいいだけの事」と思っていた私には、意外な驚きでした。




≪自転車ぎこぎこ≫
  ≪こぐこぐ自転車≫の著者、伊藤礼さんの、自転車随筆、第二弾。 似たような書名ですが、だいぶ、苦労して捻り出した感がありますな。 ヒット作の次ですから、二匹目の泥鰌を逃がすまいと、編集者ともども、頭を悩ませた事でしょう。

  内容は、前作よりも、紀行文の比重が増えています。 自転車本体や、関連製品の購入に纏わる文章もあるにはありますが、前作と同じエピソードを書き直したものが多く、あまり新鮮味はありません。

  そんな中で、「自転車に乗っている時、何を考えているか」を分析した文章は、なかなか面白いです。 何も考えていないようで、実はいろいろ考えているわけですが、やはり、運転に関する事であって、全く関係ない事を考える余裕は無いようですな。 私もそうです。 というか、他の事を考えている時には、注意散漫になり、大抵、何かにぶつかりそうになって、ヒヤッとする結果になります。

  相変わらず、新しい自転車を買い続けている様子。 しかも、15万円だの、35万円だのという、高価な超軽量折り畳み自転車を買っており、≪こぐこぐ自転車≫の印税で、相当潤ったのだろうなあ、と勘ぐらせてくれます。

  折り畳み自転車を電車に積んで遠出する、≪輪行≫の紀行文は、自転車ブログなどで見られる物より、ずっとレベルが高く、さすが、プロの文章家の筆だと思わせます。 ただ、楽しいばかりではなく、結構苦しい思いや、嫌な思いをしているようで、全面的に羨ましいという感じはしません。 駅や休憩場所に忘れ物をするエピソードが何度も出て来ますが、そんなに忘れ物をするものですかねえ。 荷物が多すぎるんじゃないでしょうか。




≪快感自転車塾≫
  「速くはなくともカッコよく・・・」と副題にあるのですが、これがちょっと、曲者でして・・・。

  書き手が結構な高齢者である点は、≪こぐこぐ自転車≫の伊藤礼さんと同じなんですが、こちらは随筆ではなく、一種の指導書です。 そして、誰にでも通用する客観的な指導内容ではなく、著者の主観が全開になった、言わば、個人の趣味を基準にした、≪主張≫なのです。 読み始めるとすぐに、それに気付いて、「なんだ、この本は?」と、思わず本を閉じて、表紙を見返してしまいます。

  完全に主観なので、「カッコよく」の内容も、著者がそう感じる基準に従っており、おそらく、ほとんどの人が、同意も共感もできないでしょう。 著者が自転車に乗っている写真が何枚か出て来ますが、その姿を見て、「ほう、カッコいいじゃないか」と思う読者が、1%もいると思えません。 著者一人が、自己満足に浸っているだけなんですな。

  たとえば、スタンドの事を、「重くなるし、カッコ悪い」と言って、「悪魔の装備」などと扱き下ろしていますが、その一方で、バック・ミラーを、「安全のための必需品」と持ち上げており、カッコいいとカッコ悪いの境界線がどこにあるのか分かりません。

  出版社も、こういう、個人の意見を本にするなら、せめて、有名人にして貰いたいです。 それなら、多少、自分の趣味を押し付けるような書き方がされていても、個性として許容できるのですがねえ。




≪YS-11、走る!≫
  ≪YS-11≫というのは、戦後日本で作った唯一の旅客機の名前ですが、この本の≪YS-11≫とは、折り畳み自転車の名前です。 なぜ同じ名前なのかというと、著者が最初に勤めた会社が、飛行機の≪YS-11≫を作っていた会社だから。 就職して2年で潰れてしまい、その後トヨタ自動車に再就職して、技術開発を担当してきたのですが、早期定年して、自転車の開発会社を立ち上げた時、第一号の折り畳み自転車に、記念に≪YS-11≫という名前をつけたという経緯です。

  この折り畳み自転車の≪YS-11≫なんですが、三角フレームのチューブ二箇所で折り畳む方式で、タイヤ径は14インチ、重さが7.3キロ(無段タイプ)というもの。 軽さが最大の売りですが、14インチなので、びっくりするほど軽いというわけではありません。 値段が9万円というのも、一般人が自転車に対して払おうという気になる上限を遥かに超えていると思います。

  この種の高級な折自を欲しがる人は、趣味のためなら、お金を惜しまないタイプが多いとはいうものの、軽さを売りにしている折自は、外国メーカーに有名どころが揃っており、金回りがいい人は、そちらへ行ってしまうような気がします。 ちなみに、この会社の名前は、≪バイク技術研究所≫といい、ネット上に、販売サイトがあります。

  本としては、たった一人でやっている会社の運営の様子や、台湾メーカーとの付き合いの話、著者の生い立ちなど、内容がバラエティーの富んでおり、読み物としても、なかなか面白いです。 ただ、一人称で書かれているために、著者本人が書いたような文章になっていますが、実際には、【構成・文】を担当した人が別にいるようで、その辺がちょっと奇妙。 たぶん、話を聞いたり、資料を見せてもらって、それを元に別の人が文章に纏めた、という意味なのでしょう。

  「≪YS-11≫という名称を勝手に使っていいのだろうか?」とは、誰もが思う疑問ですが、なんと、この名称、著者が申請するまで、商標登録されていなかったらしいのです。 あまりに有名すぎて、誰も使おうと思わなかったんでしょうねえ。


  以上、四冊。 岩手にいる間、「帰ったら、スポ自を買おう」と、半ば、それを支えに生きていたので、帰ってからも、図書館にある自転車本を読み継ぎました。 自転車の乗り方について書かれたハウツー本は多いのに対し、随筆の類は非常に少なく、読み物としては、喰い足りない感のあるジャンルですな。

  そういう意味で、文科系文系人間を対象に、ダイレクトに自転車の魅力を伝えた、伊藤礼さんの、≪こぐこぐ自転車≫は、革命的な影響を与えたと言えるでしょう。 プロの自転車選手や業界関係者が、どんなに気張ってもできない宣伝を、たった一冊の本で成し遂げてしまったわけですから。 執筆者にも依るものの、文系でない人が書いた文章というのは、どうしても、興趣に欠けるのです。