2020/03/29

新型肺炎あれこれ ②

  新型肺炎について、日記ブログの方からの移植。 書いた時から、すでに、かなり時間が経っているので、全て、旧聞になってしまいましたが、先々、振り返った時に、記録になると思い、纏めて、掲載しておきます。 「こんな頃もあったなあ」と、笑って読み返せればいいのですが、私自身が死ぬ危険性もあります。




【2020/03/04 水】
  香貫山へ行ったのですが、登り始めて間もなく、ポツポツと雨が降り出したので、引き返しました。

  帰りに、平地で、ジョギングをしている若い女性が、後ろから抜いていきました。 無マスク。 呼気を吸わされてはたまらないと思い、その人が行った道とは、別の道をとったのですが、角まで行ったら、ぐるっと回ってきた、その人に、鉢合わせしてしまいました。 うーむ、策士策に溺れてしまったか。

  どうして、この時節柄、ジョギングするのかね? 運動したいなら、普通に歩けばいいのに。 マスクしてさ。 いくら、狭い道でないとはいえ、無マスクで、思い切り、「はあはあ!」やられたのでは、眉を顰めずにはいられません。 ニュース、見てないのかね?


  アメリカの大統領選のニュース。 別に誰が大統領候補になろうが、外国の事だから構わないんですが、あの党員集会は、大丈夫なんですかね? コロナ的に。 誰も、マスクをしていないのに、あんな大人数が、一堂に集まってしまって。 典型的な、クラスター感染の温床ではありませんか。

  日本の厚労省に比べて、アメリカの疾病対策センター(CDC)が、いかに優れているかを強調する意見が、日本の識者の中に多く見られましたが、いざ、感染拡大してきたら、ほんとに、そんなにうまく、機能するんですかね? どこの国だろうが、人間が作っている組織が、手放しで絶賛するほど優れているとは思えませんが。

  そもそも、水際で止められると思っている、つまり、アメリカ国内で感染拡大すると思っていない大統領が、素直に、CDCの意見を聞くとは思えません。 CDCが、どんなに優れた指示を出しても、政府が動かないのでは、対策になりますまい。


【2020/03/06 金】
  6の付く日。 母と車で、イオン系スーパーへ買い出し。 今後、外出規制がかかるようだと、こういう買い出しにも、支障が出てくるんでしょうな。 一応、覚悟しておかなければ。

  トイレット・ペーパー置き場が、二箇所あるんですが、大きい方の一箇所は、パレットだけ置かれていて、スッカラカン。 しかし、もう一箇所の小さい方に、まだ、幾つか残ってました。 ラッキーッ! ティッシュは、高そうな箱入りだけ、かなり残っていました。

  「紙類は、一家族、2個まで」とあったので、トレペを優先し、ティッシュは買いませんでした。 最悪、トレペは、ティッシュの代用になるけれど、その逆は、無理なので。 買えて良かった。 買い溜め傾向が収まるまでに、まだ、しばらくかかると思うので、それまで、何とか、繋がなければなりません。

  マスクをしていない客が、むしろ、増えているような気がしますが、たぶん、使い捨てマスクの備蓄がなくなったんでしょうな。 マスクをしていなくても、咳・くしゃみをせず、発話もしないのなら、さほど、怖くはないです。 怖いのは、無マスクで、ベラベラ喋っている連中。 頼むから、ニュースだけでも見てくれ。 できれば、ワイド・ショーの方が良い。 一回でも、ワイド・ショーを見れば、マスクなしで出歩くなど、できなくなるはずですから。

  マスクがないなら、手作りしなさいよ。 ガーゼはなくても、ハンカチは持っているでしょうに。 適当に畳んで、ゴムを通せば、いとも容易に出来上がります。 ゴムは、輪ゴムでも、幾つか繋げば、用は足ります。 どんなに、ボッコなマスクでも、しないよりは、一億倍、いいです。

  メーカーは、増産する増産すると言っていますが、使い捨てである限り、いくら作っても、無駄です。 医療関係者ではない、一般人であっても、仕事中に使うという人達は、一日に、最低、一枚は必要なのであって、日本全国なら、一億枚あっても、2日くらいしか、もたない計算になります。

  増産するなら、一般向けに、洗って再利用できるマスクを増産すべきでしょう。 感染対策の規制で、本業が滞り、潰れそうな会社は、布を仕入れて、社員に手作りマスクを作らせ、ネット通販で売ればいいではないですか。 転売ではないのだから、何の問題もない。 普通に儲けが出る価格設定にしても、飛ぶように売れるに決まっています。

  ホテル・旅館の経営が行き詰っているようですが、遊んでいる従業員がいて、使わないシーツがいくらもあるのに、なんで、マスクを作らせないんでしょう? 販路なんてなくたって、駅前で、駅弁風に、籠に入れて売っても、ドンドン売れるに違いないのに。 こんなボロい商売はないと思います。


【2020/03/08 日】
  夜半から、雨。 風はなく、一日中、静かに降っていました。


  雨戸を閉め、自室で、パソコン作業。 あとは、読書と昼寝で過ごしました。


  新型肺炎の話。

  三日くらい前に、南京でドキュメンタリー製作会社を経営している日本人の報告動画が、ワイド・ショーや報道番組で流されました。 南京では、半月以上、新たな感染者が出ておらず、どういう対策を取っているから、抑え込めているのかを紹介したもの。

  それを見て、おっと思ったのは、ルート感染者を容易に調べられるように、市民一人一人の行動履歴をとっているという事で、「市中感染段階を超えた場合でも、感染者が減ってくれば、ルート感染の調査は必要になるんだな」と、再認識しました。 おそらく、南京など、ピークでも感染者が蔓延するほどではなかった都市では、最初からずっと、ルート感染の調査は続けていたのだと思います。

  一人一人の行動履歴が分かっていれば、新たな感染者が出た時に、その人に接触した人が分かるから、その人達を検査して行けば、それ以上の広がりを抑えられるというわけだ。

  新たな感染者を見つける為に、職場や、施設・建物の出入り口など、様々な場所で、不接触式体温計で検温しているそうですが、そちらも、なるほどと思いました。 体温だけでは、感染の証拠になりませんが、「感染の疑い」の証拠にはなります。 高熱がある人を、ウィルス検査していけば、感染者を見つける早道になるわけだ。 検温は、日本では、空港など、ごく一部でしか行なわれていないと思われ、彼我の対策のレベル差を考えると、何だか、絶望的な気分になって来ます。

  当初の報道では、武漢の蔓延状況ばかり伝えられていたので、感染者が少ない地域で、どういう対策を取っているか、分からなかったのですが、ようやく、知る事ができました。 武漢のように蔓延してしまった場合、ルート感染の調査は無意味になり、そんな事をやる人員や資金があったら、治療に回した方がいいわけですが、感染者が減って来たら、それをゼロにする為には、結局、また、ルート感染調査をする事になるわけですな。

  韓国で、日本とは桁違いの規模で、ウィルス検査を進めているのが、日本の報道番組で話題になっていますが、中国でも、ルート感染の調査をしているという事は、当然、ウィルス検査も、どんどん、やっているんでしょう。 検査しなければ、感染者を特定できませんから。


  日本で、ウィルス検査が、いつまでたっても、量をこなせないのは、保険適用に変わる前までは、保健所が篩い分けをしていて、一般の医師から依頼があっても、門前払いを食らわせて、検査させなかったからですが、保険適用後も、保健所が、帰国者・接触者外来に変わるだけで、やはり、門前払いが続くのではないかと思います。

  なぜ、検査をさせないのかと考えると、最も根本にある理由は、新型肺炎を治療できる医療機関の収容能力が限られているので、そこのパンクを避ける為に、無際限に患者を受け入れたくないからでしょう。 「検査を、どんどんすると、陽性者が出た場合、受け入れざるを得ず、パンクしてしまう。 ならば、検査をさせなければ、感染者が特定されないのだから、受け入れなくて済むではないか」という考え方ですな。

  一見、合理的な判断のようですが、それは、医療機関のパンクを避ける事を、第一目的にしている場合の話です。 患者を治療して、感染を終息させる事を第一目的とすれば、そもそも、感染者を積極的に見つけようとしない方針は、真逆の事をやっているわけで、大問題です。 「出ている可能性が高い感染者を、無視する」のと、「どんどん検査をして、感染者を見つけ、どんどん治療する」のと、どちらが医療方針として正しいかは、理屈を並べなくても、感覚的に理解できると思います。

  つまり、この「検査をしない理由」は、屁理屈なのですが、屁理屈を、国レベルで実行してしまうのだから、ある意味、凄い。 どうも、昨今の政治家や役人は、何か問題が起こると、屁理屈で言い抜けようとする傾向がありますが、人の命がかかっている問題では、屁理屈は弄ばない方が良いです。 屁理屈である限り、すぐバレますから、結局、言わなかった場合以上の恨みを買ってしまいます。

  あるワイド・ショーを見ていたら、韓国で、どんどん検査をして、どんどん感染者を見つけた結果、医療機関がパンクし始めている点を指摘して、日本のやり方の方が正しいと言っている専門家がいましたが、馬鹿も休み休み言うべきです。 医療機関がパンクして、自宅療養を余儀なくされても、感染が分かっているのと分かっていないのでは、分かっている方が、いいに決まっています。 本人が感染している事が分からなければ、平気で、あちこち歩き回るのであって、ウィルスを撒き散らしてしまうではありませんか。

  韓国では、医療機関が一時的にパンクしても、軽症者を病院以外の場所に移して、ベッドを空け、重傷者を入院させるといった対策を取る事ができますが、日本では、ウィルス検査が進まず、感染者が特定できないのですから、野放し状態が続き、どんどん感染者が増える事になります。 「やっている事が、周回遅れ」どころではなく、逆走しているのです。

  騒ぎが始まった頃に、日本の専門家が、「医療機関がパンクしたら、武漢のようになってしまう」と、強く指摘したのが、言葉が効き過ぎて、パンクを避ける事を第一目的にしてしまったのが、まずかった。 「どんどん検査をして、感染者を見つけ、どんどん治療する」方針に切り替えないと、指定病院の1800床弱を埋めきる事がないまま、市中に隠れ感染者ばかり増えて行く事になると思います。


  ワイド・ショーに出て来る面々の中には、合理的思考ができる人もいますが、その人達がいくら言っても、合理的思考ができない人間を説得するのは、不可能です。 そういう人間は、自分に都合がいい解釈に飛びつくのであって、痛みや損失を伴う対策には、乗って来ません。 たとえば、マスクを鬱陶しいと思っている人は、「マスクには、効果がない」という説を聞くと、すぐに採用し、鬼の首でも獲ったかのように、自分がマスクをしない理由として、周囲に吹聴し捲ります。

  日本は、論理が尊重されない社会で、合理的思考ができない人が多いです。 諺を見ても、論理を軽視する、「論より証拠」や、「無理が通れば、道理引っ込む」は、良く使われますが、理の当然を表わす、「犬が西向きゃ、尾は東」は、滅多に使われません。 意味を知らない人の方が多数派でしょう。 理詰めで物を考えられないので、未経験の事態が発生した時には、どうすればいいのか、判断できないのです。

  これが、自分の住んでいる社会・国の限界だと思うと、何とも、情けないですが、一朝一夕に改善が期待できる事ではないので、諦めるしかありません。 国や自治体には頼らず、自力で、感染対策を取るしかないですな。


【2020/03/09 月】
  午後、香貫山へ。 手作りマスクを着用。 平地では着けて、登りに入ったら、外しました。 マスクは、耳ゴムの部分を手に持って、前方に注意しながら歩き、向こうから人が来たら、なるべく、相手に見られない内に、マスクを着けるというパターンを取りました。

  マスクをして登っている人もいれば、していない人もいて、半々くらい。 子供連れもいましたが、大人はともかく、子供は一人も、マスクを着けていませんでした。 子供からうつされるケースは、ほとんど、ないらしいと聞いたので、あまり、心配はしていませんが、やはり、無マスクで、ベラベラ喋っている様子を見ると、怖いですな。

  無マスクの高齢男性で、すれ違う時に、わざと咳をする者あり。 高齢なのに、体力を必要とする登山に来ているわけで、感染者である可能性は低いですが、やはり、気分のいいものではありません。 マスクをしている者に対する嫌がらせか、はたまた、支配欲の表出で、他者が近づくと、わざと咳をする輩の類いか。

  こんなリスクを冒してまで、運動登山をする必要があるのかどうか、悩んでしまいますな。 何とか、感染の危険を感じないで、運動する方法はないものか・・・。


  またまた、ワイド・ショーを見ていて思った事ですが、どうも、実際に診療をしている医師の中に、「日本の対策は、医療崩壊を避けるという点で、現状、うまく行っている」と言う人が、ちらほら、いるようです。 この人達にとっては、感染者や死者が増える事よりも、医療機関がパニックに陥らない事の方が、重要な様子。

  なぜ、そういう見解が出て来るのか考えてみたんですが、たぶん、この人達は、命を懸けてまで、医療に献身しようとは思っていないのだと思います。 考えてみれば、それは、ごく自然な事で、全く以て、無理もない。 とっくの昔から、個人主義の時代ですから、「他人を助けて、自分が死んでしまって、そんな人生に何の意味があるのか?」という考え方は、すんなりと、腑に落ちます。

  中国では、専ら、武漢や湖北省で、決死の覚悟で治療に当たっていた医療関係者らが、自分達も感染して、命を落として行ったわけですが、それは、結果的にそうなったに過ぎず、別に、死にたかったわけではありません。 医療関係者だって、死ぬのが嫌な事に変わりはないです。 それと同様の献身を、日本の医療関係者にも期待しろというのは、「死ぬのを覚悟して、やれ」と言っているようなもので、強要罪・脅迫罪に当たるのではないかと・・・。

  そこのところを考えると、あまり強く、医療関係者を責めるのも、酷な感じがしますねえ。 医師も、看護師も、その他の医療スタッフも、自分が死ぬ危険性があるのを承知して、その職業に就いたわけではないのですから。 その点、警察官や消防士、自衛官などと、同じ扱いはできません。

  それが分かっても、尚、ウィルス検査の数を抑えて、認定感染者を増やさない方針は、間違った道だと思いますけど。 イタリアでは、大掛かりな地域封鎖に乗り出しましたが、諸外国が、中国方式で、感染拡大の封じ込めに成功して行ったら、日本だけ、いつまで経っても、隠れ感染者だらけという、世界医学史の失敗例に残ってしまうような、最悪の事態になり兼ねません。


【2020/03/10 火】
  朝は、曇り。 雨が降らない内にと思い、8時頃、車を出して、一人で、近所のスーパーへ、食料品の買い出し。 レジ袋2つ分、買って来ました。 朝だから、すいていました。 トイレット・ペーパーは、あり。 ティッシュは、箱入りのだけ。 マスクは、もちろん、なし。


【2020/03/11 水】
  自転車で、香貫山の西麓にある斎場へ。 斎場の上に自転車を停め、丸太階段の道で、山頂まで登り、同じ道を下りて来ました。 無マスクで。 このコースで、他の人に出会った事が、過去に一度もない事を思い出したのです。 今日も、誰もいませんでした。 昨日の雨で、道が一部、川状態になっていて、靴を汚してしまいましたが、普段なら、大丈夫でしょう。

  斎場のボイラーは、稼動していましたが、私は、そういう事は気にしない人間です。 高温で焼いてしまえば、不浄なものなど、全て消滅してしまうからです。 むしろ、喪服を着てやって来ている、生きた人間の方が恐ろしい。



  新型肺炎ですが、中国で、主席が、武漢を訪問したとの事。 つまり、発生地の武漢でも、感染の心配が、ほとんど、なくなったという事ですな。 おそらく、武漢でも、ルート感染の調査が、かなり前から、復活していると思われ、あとは、一人一人潰していけば、新規感染者をゼロにできるという段階まで行ったのでしょう。

  最初から、感染者が出ていない国を除き、恐らく、今現在、世界中で、最も感染のリスクが低い国は、中国だと思います。 石に齧り付いても命が惜しいという人は、中国に避難するのが確実だと思いますが、残念ながら、観光目的の日本人では、入れてくれないでしょう。 一ヵ月前には、こういう状態になるとは、想像もしていなかった。

  WHOのトップが、「史上初の、コントロールできるパンデミックになる」と言ったのは、中国の対策を見ていて、「これと同じ事をやれば、押さえ込める」と思ったのだと思います。 成功例が出て来れば、押さえ込みが可能である事は証明されたわけで、それを真似ればいいのだから、迷子になった洞窟で、外の光が見えたようなもの。 とはいえ、さて、他の国で真似ができるのかどうか・・・。

  真似ができる国は、確実に押さえ込んで行くと思いますが、能力的、経済的、技術的に真似られない国もありますし、中国に対して、偏見を持っているような国は、意地でもやろうとしないでしょう。 たとえば、日本では、よっぽど蔓延して、「もはや、打つ手なし」にならない限り、素直に真似るという話が出てこないのでは?

  アメリカが、予想通り、大混乱に陥りそうな雲行きですが、世界的に評価が高いCDCが、どんな仕事をするのか、大変、興味深いです。 「中国のような極端な対策は取らず、もっと、スマートに終息させて見せる」なんて言っている国は、いつまでもダラダラと、新規感染者を出し続けていると、国内のみならず、世界中から、「いい加減にしろ! お前の国で押さえ込めなければ、いつまで経っても、世界が正常な状態に戻らないじゃないか!」と批難を受け始めると思います。

  それらの国にとって、一縷の望みは、季節要因で、暖かくなったら、感染拡大にブレーキがかかる事です。 私も、それには、大きな期待をかけています。 政治家や役人、学者より、暑い夏の方が、遥かに頼りになりそうです。


【2020/03/12 木】
  午後、昨日と同じように、斎場まで旧母自で行き、そこから登り始めたのですが、しばらく行ったら、前に人がいるのを発見し、いつまでも、距離を取りながら、後ろを歩くのも、不快なので、舗装路と交差する所で、舗装路の方へ避けて、新桜台の端から、少し展望の開けた所まで出て、そこで引き返してきました。 斎場コースも、無人とはいかないか。

  やはり、登山は、しばらく、やめた方がいいかな。 毎日、こんなにヒヤヒヤしていたのでは、逆に、健康に悪い


【2020/03/13 金】
  午後、バイクを出し、伊豆長岡へ。 地図で見つけた、「駒形古墳」を見に行きました。

  それにしても、新型肺炎の流行中だというのに、プチ・ツーリングなんかしていて、いいのだろうか? 外出規制がかかったら、もちろん、出ませんが、なかなか、そこまで行かないですなあ。 正直な意見を言わせて貰えば、中国並みの厳しい規制をやってもらって、一ヵ月半くらい、不便を我慢して、感染者をゼロにしてもらった方が、ありがたいです。

  そういえば、中国で作られた映像で、感染終息をアピールする為に、旅客機のキャビン・アテンダントらしい女性達が、手前から奥へ、ずらりと並んで、一人一人、マスクを外して、にっこり笑うというのを見ましたが、演出の賜物だと分かっていても、あれは、羨ましい。 私も早く、マスクなしで、外出したいです。

  韓国では、ザクザクと、ウィルス検査をやったお陰で、新規感染者が、どんどん減っているとの事。 やはり、積極的に見つけて行った方が、押さえ込みが早いんですな。 もう見つからなくなるまで、見つけてしまえば、あとは、治療するだけですから、資金的にも、負担が軽いと思います。 なにより、世間に隠れ感染者が増え続けているという不安を感じなくなるというのは、大きい。

  イタリアは、まだ、苦難が続きそうですが、治療経験豊富な中国医師団の派遣を受け入れるなど、中国と関係が良いので、中国方式の対策を毛嫌いする必要がなく、いずれ、ピークを越えて、新規感染者を減らして行けると思います。 思い切った対策を重ねていけば、確実に、感染拡大は収まって行きますから。

  イタリア以外の欧米諸国の映像を見ると、驚くくらい、マスクをしていない人が多いですな。 駆け込みで、アメリカに行こうとする人達が、ほとんど、無マスク。 よっぽど、したくないんでしょう。 それが、命の綱なのに。 中国の対策では、外出者は、全員マスク必着で、していない人間が、リンチを受ける映像が流されたにも拘らず、よその国の面白動画だと思って、ゲラゲラ笑って見ていただけで、何の参考にもしていなかったわけだ。

  もっとも、欧米ばかりを責められないのであって、日本でも、家に備蓄してあったマスクが底をついたのか、元から、する気がないのか、無マスクの人間は、相変わらず、多いです。 頼むから、マスクしてくれよ。 手作りのでもいいから。 「自分は感染していない。 他人に感染もさせない」という自信は、どこから来るのよ? 単なる無知? この新型肺炎は、症状が出なくても、感染している事がある、感染させる事もあるって、ちゃんと、知っていますか?

  日本ですが、WHOの幹部が指摘したという、「一部の人間にしか検査をしていない国では、対策が進まないだろう」というのは、間違いなく、日本の事を言っているのでしょう。 つまり、検査を門前払いする事で、実際の感染者数を低く出しているという方針が、バレているわけだ。 そういや、入国規制をかけた時に、韓国の高官が、「日本は、感染者数を隠しているのだろう」と指摘していましたが、当たらずといえども遠からず。 隠しているのではなく、数が増えないように、検査していないんですが、考えようでは、隠しているより、もっと悪い。

  とにかく、外部から見ると、日本が取っている、「医療崩壊回避、最優先方針」は、すでに、バレバレにバレているわけですな。 医療崩壊させない為に、医療放棄していて、どうする? 医師が、新型肺炎の感染を恐れて、インフルエンザの検査もしなくなったというから、新型肺炎とセットで、医療放棄も広まりつつあるのか。

  今は、WHOも、諸外国も、自分の事で手一杯で、この程度の指摘ですが、根絶する国が増えて来たら、隠れ感染者を野放しにしている日本の立場は、大変、悪くなります。 オリンピックぅ? この状態で、予定通りやれると思っている人の気が知れない。 ブラック・ジョークか。 選手村が、クルーズ船化するでよ。 IOCや、日本国や、東京都がやると言っても、肝心の外国選手が来ないでしょう。

  アメリカが、どうなるのかは、マジで、興味深い。 日本と違って、合理主義者が、相当程度いる社会なので、事態が悪化して行けば、ある時点で、方針が切り替わって、思い切った対策を取り始める可能性はあります。 第二次世界大戦で見せた、鬼のような合理主義で。 だけど、その指揮を、トランプ大統領が取れるような気がしないなあ。 CDCは、大統領に命令するほどの権限を与えられているんですかね?

  トランプ大統領の、何が嫌だと言って、いい加減な事を口にする癖が、一番、癇に触ります。 最近は、「○○は、いい仕事をしている」というセリフが、よく出ますが、何か根拠があって評しているのではなく、単なる個人的希望を口にしているだけのようで、真面目に聞く価値がない。 今後、死者が驚くほど増えるようなら、弾劾決議で辞めてもらって、CDCの言う事を聞く人物に、暫定大統領になってもらうというのも、手ですな。 共和党でも、民主党でも、誰でもいいわ。

  経済ですが、アメリカが、キリキリ舞いし始めたら、日本も甚大な損害を出すのは、必至。 しかし、一方で、感染が終息した中国では、これから急激に、経済が立ち直って来ると思われるので、「世界の工場」が復旧すれば、少なくとも、「物」に関しては、日本との貿易も、回復して来ると思います。 人の往来は、日本が感染終息するまで、駄目ですが、物の心配は、それほどしなくても良いのではないでしょうか。

  こういう心配も、季節要因で終息してくれれば、何もかも、うまく片付くんですがねえ。


【2020/03/14 土】
  朝は曇り。 8時くらいから、雨になり、夜まで降っていました。


  昼間は、ほとんど、眠っていました。 雨の日だからと言って、読書が進むというわけではないです。


  彼岸に、兄夫婦が来るとの事。 この新型肺炎が流行っている時に、たかが、彼岸ごときで、なぜ、わざわざ、リスクを冒すのか、気が知れません。 母には、一応、「よせばいいのに」と言っておきましたが、絶対に、よさないでしょう。

  母は、ふだん、ニュースを見ながら、新型肺炎について、私と同じような事を言っていますが、それは、私に調子を合わせているだけで、本心から、危機意識を高めているわけではありません。 母にとっては、兄夫婦からの感染リスクや、兄夫婦への感染リスクなどよりも、彼岸に兄夫婦がやってくるという「イベント」の方が、ずっと重要なのです。

  私は、もちろん、そんなリスクを冒したいとは思っていませんが、母を止めるのは、まず、不可能ですし、兄がまた、ニュースなんか、ほとんど見ない人間で、しかも、衛生感覚はズボラと来ているから、危機意識があるとは思えません。 説得して、聞くような相手ではないから、結局、止めようがないです。

  仕方がない。 覚悟を決めるしかないですな。 もし、母がうつされたら、一緒に暮らしている私にも、いずれ、うつるでしょう。 もはや、兄夫婦が感染していない事を、祈るのみ。

  ところで・・・、私が、兄夫婦の来訪を、大喧嘩してでも、止めようとしないのには、もう一つ、あまり大きな声では言えない理由があります。 それは、兄夫婦が来なかったとしても、母も私も、外出はするので、いずれ、感染する恐れがある。 その結果、母が亡くなった場合、兄が私を、「お前が、うつしたんだろう」と責める恐れがある。 というか、確実に、それを言うと思います。 祖母や父が亡くなった時にも、私が近くにいたので、私のせいにしたくらいですから。 私の兄というのは、そういう性格なのです。

  そういう恐れがある以上、兄には、予め、母に接触して貰っておいた方が、都合がいい。 もし、母が感染して、兄が私を責めた場合、「いや、お前が来る前までは、健康だった」と、言い返す事ができるからです。 私も、そんな下司な事は言いたくないですが、兄の性格が性格なので、下司には、下司で対抗せざるを得ないのです。

  恐ろしい理由ですが、母が私の言う事を聞く気がないのですから、母自身の感染リスク、死亡リスクが高くなるのも、致し方ない。 私だけ、危機意識を持っていても、母も含めて、あらゆる事に対策を講ずるのには、限度があります。 危機意識に温度差がある母の面倒まで、見切れません。

  私自身に関しては、感染防御を諦めているわけではないですが、もう、引退して、5年半過ぎましたし、今後、これといって、やりたい事もないので、感染して死んでも、悔いがないように、覚悟しておこうと思っている、今日この頃です。




  今回は、ここまでにします。 まだ、今現在まで、追いつきません。 

2020/03/22

新型肺炎あれこれ ①

  新型肺炎について、前回、書いた時から、かなり、状況が進みました。 前回の内容を読み返すと、「チャーター機」なんて言葉が出てくるから、遥かな大昔という感じがしますなあ。 ちなみに、それは、2月3日の記事なので、まだ、一ヵ月半しか経っていません。 その後、日記ブログの方には、ちょこちょこと、関連した事を書いていたので、そちらから移植します。 




【2020/02/06 木】
  6の付く日で、母と、車で、イオン系スーパーへ買い出し。

  これだけ、大騒ぎになっているにも拘らず、マスクをしている人は、半分くらいしかいませんでした。 高齢者特売日だから、ほとんど、高齢者ですが、マスクをしていない人は、ニュースも新聞も見ていないのかも知れません。 こりゃあ、感染が広まったら、大変な事になりそうです。 ちなみに、マスクは、品切れで、棚には一つもありませんでした。


【2020/02/14 金】
  午後、香貫山へ。

  香陵台から下りて行く途中、後ろから車が来たので、道の脇に避けたら、窓を開けた運転手から、「ありがとうございます」と言われました。 普段なら、「いえいえ、どういたしまして」と思うところですが、時節柄、「わざわざ、言葉を発してくれなくてもいいのだが・・・」と思ってしまいますな。


【2020/02/15 土】
  午後、徒歩で出て、霊山寺の墓地へ。 植田内膳の墓を見つけました。 その後、香貫大橋の袂まで行って、内膳堀の取水口跡に建てられた、記念碑を撮影。 その後、山が下を通り、八重坂峠を越えて、帰りました。

  道中、道端に捨てられた使い捨てマスクを、4枚、見ました。 時節柄ですな。 マスクをする人間が増えれば、感染の危険は下がりますが、感染者がマスクを捨てると、上がるわけで、兆候の良し悪しが判断できません。


【2020/02/16 日】
  6の付く日なので、母と車で、イオン系スーパーへ。 雨だから、すいているかと期待していたら、そうでもありませんでした。 日曜だから、子供連れも来ていて、鬱陶しいったらない。 なんで、子供というのは、出先で騒ぎ捲るんでしょうねえ。 こういう時節だというのに。

  マスクの着用率は、6割くらい。 ワイド・ショーなんて、全然見ないという人が多いんでしょうねえ。 小学生以下に限定すると、マスクをしている者は、ゼロでしたが、そういう家族連れは、親もしていません。 若年層は、感染しても、重症化しないから、家族揃って、危機意識が低いのでしょう。 しかし、他者にうつす力はあるわけで、高齢者は、警戒した方がいいと思います。 何の悪気もなしに、うつすから、怖い。

  せめて、店員さんだけでも、全員、マスクをしてもらえないものか。 レジの青年が、マスクなしで、一点一点、商品名を口にしながら、バー・コードを通していましたが、頼むから、口を閉じて、やってくれないものか。 「ありがとうございます」も、何回も言わなくていいです。 ワイド・ショー、見てないんだろうなあ。 今、世間で何が起きているのかも知らないのでは?


【2020/02/18 火】
  朝一、母が、イオン系スーパーの建物に入っている美容院まで、車で送れと言うので、仰天しました。 もし、美容師が感染していたら、1時間近く、体が接触するほど近い場所にいて、同じ空気を吸うのですから、うつらないわけがないです。 髪なんて、暖かくなってから切ればいいではありませんか。

  毎日、テレビで、新型肺炎のニュースを見ているのに、何の危機意識もないのには、驚くほかありません。 非潔癖の人間というのは、こういうものなのでしょう。 目に見えないものを恐れる感覚が、欠如しているのです。 もちろん、送迎は、断りました。 自分から進んで、感染しに行く事はないです。

  うちの母は、別に、ズボラというわけではなく、潔癖症ではないというだけで、普通の衛生感覚の人です。 掃除をよくする人で、近所で、綺麗好きと言われていましたが、視力が落ちてからは、家の中に、小さい埃が目立つようになりました。 つまり、目に見えないものは、汚れの内に入れていないわけだ。

  そういうタイプ人は、全体の5割以上いると思われます。 呼吸系感染症がどういうものなのか、根本の部分から理解できておらず、平気で、人の中へ出て行きます。 潔癖症の人間が止めても、真面目に聞こうとしないのだから、文字通り、話になりません。 そう思うと、これからの感染拡大が、いかに恐ろしいか、思いやられます。


【2020/02/20 木】
  一人で、車で、イオン系スーパーへ。 レジ袋、2つ分、食品を買いました。 マスクをしていない人の割合、減りません。 母が行くのを延期した美容院ですが、中を見てみたら、美容師は全員、無マスクでした。 ぞっとする。 もし、マスクをするのが、客に失礼だと思っているのだとしたら、とんだ了見違いです。 「感染を広げる方が、マシ」とでも言うのでしょうか?

  午後、昼寝してから、香貫山へ。 他の登山客を避けて通ったので、あちこち、遠回りしてしましました。 厄介だ。 ちなみに、運動登山の時には、私も、マスクをしていません。 もう少し、事態が切迫してきたら、しようと思っています。 願わくば、事態が切迫しないまま、終息して欲しいものです。


【2020/02/21 金】
  新型肺炎。 毎日、ワイド・ショーを見ていますが、「市中感染の段階に入った」と言いながら、スタジオの面々は、誰も、マスクをしていませんな。 司会と、コメンテーターや専門家は対面しており、かなり近づく事もあるんですが、自分達が感染している可能性があるとは、疑わないんでしょうか。


【2020/02/22 土】
  近くのショッピング・センターで、駅弁フェア。 母のリクエストで、峠の釜飯を買いに、母自で出かけたのですが、すでにありませんでした。 やむなく、第二候補だった、ますのすしを買いました。

  客は、高齢者が多かったですが、マスクをしていない人は、依然、3分の1くらい、見られました。 もしかしたら、しないのではなく、手に入らなくて、したくてもできないのかも知れません。 騒ぎが大きくなって、すぐに、マスクが店頭から消えてしまったので、買えなかったのでは? それでなくても、買い物弱者が多い御時世ですから。

  事態は、今後、更に悪化すると思われるので、どうしても手に入らないなら、布で、手製マスクを作るという手もあります。 薄い布でも、三枚くらい重ねれば、飛沫を抑える事はできると思います。 やらないよりは、ずっと、いいです。 布製なら、洗濯もできるし。


【2020/02/25 火】
  つい、一昨日まで、今日は、三嶋大社の大陶器市に行く予定を組んでいたのですが、昨日になって、中止しました。 母が、湯呑みを買いに行きたいと言っていたのを、諦めて貰った次第。 時節柄、湯呑みのせいで、死にたくはなかろうと、説得して。

  母が、普通の衛生感覚の持ち主である事は、すでに書きましたが、その上、高齢者であり、糖尿病も、心臓病もあるという、大変、危ない条件の持ち主。 であるにも拘らず、ワイド・ショーや報道番組など、全く見ようとしないのだから、奇妙です。 高齢者独特の心理として、「もう、世間はうんざりだ。 嫌な事は、見たくない、聞きたくない」という気持ちがあり、新型肺炎の情報などは、その典型になっているのではないかと思います。


  ここから先は一般論ですが、「ここ、1・2週間が、瀬戸際」と言っていますが、そんな事はないのであって、暑くなって自然終息するまでは、ずっと瀬戸際だと思っておいた方がいいと思います。 まるで、2週間経ったら、消えて行くかのような言い方ですが、そんな事は、全然期待できません。 何を根拠に言っているのか?

  1・2週間、規制を厳しくして、拡大を抑えられても、一時的にブレーキがかかるだけで、その後、規制を緩めたら、またすぐに、拡大基調に戻ります。 「感染のピークを均す」というのも、理解できない。 季節要因で終息するまで、ずっと規制を続けるのなら、分かりますが、2週間だけ規制をやって、その後、解除するのであれば、高いピークが、そのまま、2週間後にズレるだけで、結局、医療機関がパンクする事に変わりはないです。

  規制をしている状態で、ピークを越えても意味がない。 規制をやめれば、また、ピークが来ます。 ピークを均せると思っている人達は、患者の数が、累積して行くのだという事を忘れているんじゃないでしょうか。 新型肺炎と診断されて、入院できたとしても、特効薬はないわけですから、すぐにポンと治るわけではないです。 しばらく、入院が続くわけで、その間にも、新しい患者が増えて、どんどん、足されて行くわけですな。 これで、パンクしないわけがない。

  「軽症者は、自宅療養」というのが、また、怖い。 他の病気用で流用できる薬は、軽症の間しか効果がないものが多いようですが、軽症者は、そういった薬を投与してもらえない事になります。 自宅療養で治る人もいるでしょうが、治らずに、重症化する人もいるはず。 重症化してから、病院に担ぎ込まれても、もはや、流用薬は効きません。 酸素吸入器や、人工呼吸器を繋いだからと言って、必ず治るわけではないです。

  私は、医学知識があるわけではなく、ここに書いた事は、論理に過ぎませんが、論理で考えても、今行なわれている規制程度では、高いピークを避けられるとは思えません。 集会禁止、外出禁止、都市封鎖といった対策を取って行けば、話は別ですが、おそらく、武漢並みの惨状にならない限り、実行されないでしょう。


  午後、母自で、街の方の銀行へ。 屋外だと、マスクしていない人は、半数くらい。 手に入らないのか、しないのか。


【2020/02/26 水】
  6の付く日なので、車を出し、母と、イオン系スーパーへ買い出し。 時節柄、行きたくないのですが、食料品は買わなければならないから、致し方ありません。 米10キロを含み、荷室と後席満杯に買って来ました。

  マスクをしていない人の割合が減らない、最も大きな原因は、やはり、買えないからでしょう。 騒ぎが大きくなってから、マスクの必要性に気づいた人達が、慢性品切れで、買えないまま、無マスク外出を続けているものと思われます。 もちろん、中には、最初から、マスクなどする気がない、ズボラな人達もいるとは思いますが、こんなに多いはずはない。

  マスクが手に入らない場合、布があれば、手製のマスクでも、しないよりは、ずっといいです。 そんなに凝った構造でなくてもいいから、15×10センチくらいの布を、二枚重ねて、端を縫い、ゴム紐をつければ、飛沫感染対策には、充分なります。 それよりなにより、マスクをしていれば、周囲の人が安心します。 そちらの方が、効果が大きい。

  店員に、無マスクが多いのは、ほんと、勘弁して欲しいです。 無マスクで、マスクをしている客に面と向かって大声で、「いらっしゃいませーっ! ありがとうございますーっ!」などと言っている奴がいましたが、もはや、感染させる気としか思えません。 そういう風に思われている事に気づいていないのだとしたら、あまりにも世情に疎すぎるというもの。 ワイド・シューどころか、ニュースなど、一切見ない人間なのかも。


【2020/02/28 金】
  午後、香貫山へ。 今日から、マスクをして行ったのですが、登りに差し掛かったら、呼吸が厳しくなり、外してしまいました。 テレビ・ニュースで、マスクをしてマラソンをしている映像を見ましたが、あんなの、無理でしょう?

  なるべく、他の登山者を避けて歩いたのですが、こんな日に限って、すれ違いそうな人間の数が多い。 道の分岐点で、立ち話をしている人達には、打つ手なし。 よく、この時節柄に、べらべら、他人と喋る気になるなあ。 ニュースを見ていないのか? しかも、健康法について自説を開陳しているのだから、呆れる。 そういう人達が、いなくなるのを待ったり、引き返して、他の道を通ったりして、何とか、下りて来ました。 時間が、かかりました。

  山道は、狭過ぎて、避ける幅がないんですわ。 少し広い所で、こちらが先に避けていると、相手側から、「すいません」と声をかけられてしまうので、逆に、感染の危険性が高くなる有様。 こりゃあ、新型肺炎騒ぎが収まるまで、運動登山は、やめた方がいいかもしれません。 他の運動に切り替える事にします。


【2020/02/29 土】
  車で、一人で、食料品の買い出し。 いつも行く、イオン系スーパーではなく、近所のスーパーへ行きました。 無マスクで大声で挨拶してくる店員を避ける為です。 食品を、レジ袋、二つ分、買って来ました。

  マスクは勿論、品切れが続いていますが、ティッシュや、トイレット・ペーパーも、綺麗さっぱり、なくなっていました。 転売目的の極悪人が、そんなにたくさんいるとは思えず、たぶん、自分用・家族用に、普段より多く買い込んでいる人が多いのだと思います。

  製紙業界は、「国内で原料を調達できる品だから、生産能力は充分にある」などと言っていますが、実際に品切れなのだから、買えないわけで、慰めにもなりません。 生産量が一定なら、早い者勝ちで、普段の2倍買う人がいれば、残りの、人口の半数には、行き渡らない計算になります。 これも、ただの論理ですが、そんな事が分からないというのだから、困ったもんだ。

  今日行ったスーパーでは、店員のマスク装着率が高かったですが、まだ、全員ではないです。 業務命令で、させよと言うのに。 働いている人間は、ワイド・ショーを見ておらず、せいぜい、ニュース番組だけだから、危機感が盛り上がらないのでしょう。 こんなんで、感染防止なんて、とてもとても・・・。

  たとえ、外出禁止になっても、食べ物は必要なわけだから、スーパーには、数日に一度は行かなければならず、そこでうつされていたのでは、意味がないです。 政府や役所に言われる前に、自分達で気づかないもんですかねえ? 無マスク・大声で、「いらっしゃいませーっ!」なんて奴は、言語道断でして、もっと事態が切迫してから振り返れば、そんな事をやっていた本人が、ゾーッと震え上がる事でしょう。 うつす気なのか、マジで?


  礼装品を入れてある袋から、白いハンカチを発掘。 シミがついていたので、漂白しました。 結構、白くなりました。 洗濯して、乾かしてから、マスクに改造する予定。 どんなものになるか、まだ作ってみないと分かりません。 屋外のみの外出時に使うつもりでいます。


【2020/03/01 日】
  昨日、漂白した白いハンカチですが、洗濯して、乾いたので、マスクを作りました。 大体の大きさに折って、鼻に当たる部分に、針金テープを入れ、開かないように縫って、細いゴム紐を縫いつけただけ。 一応、マスクの形になりましたが、頬の部分に隙間が出来てしまいます。 どうせ、空気感染やエアロゾル感染は防げないと分かっているものの、もう少し、どうにかならないものかと思うところ。

  おそらく、キッチン・ペーパーを使った方が、使い捨てマスクに近い物を作れると思います。 しかし、それだと、洗えないのが、難。 キッチン・ペーパーのマスクを使い捨てにしていたら、今度は、キッチン・ペーパーが底をついてしまいます。


【2020/03/02 月】
  昨日作ったマスクの紐を直し、頬の隙間が出来難いようにしました。 結局、ガーゼ・マスクに近い形になりました。


  新型肺炎ですが、ワイド・ショーを見ていて、「まずいなー」と思うのは、専門家の中に、

「このウィルスは、インフルエンザの少し強い奴に過ぎない。 インフルエンザで、国内年間1万人死んでいても、騒ぐ者はいない。 だから、このウィルスでも、大騒ぎする必要はない」

  という理屈を言う人がいて、それに同調する司会者やコメンテーターもいるという事です。 この人達の言い分を容れるとすると、つまり、「特別な対策は、何もしなくてもいい」という事になるわけですが、これは、とんでもない詭弁であって、全く、聞くに値しない主張です。

  この人達の意見は、インフルエンザの死者と同数程度の死者が出る事を、予め織り込んでいるわけですが、もし、同数として、1万人の死者が出るとしたら、インフルエンザと新型肺炎で、合計2万人になるわけで、新型肺炎がインフルエンザに入れ代わって、1万人で済むわけではありません。

  その、プラスされる1万人に、自分や家族が入りたくないから、大騒ぎで、対策をしているのです。 詭弁を弄している人達も、他人事ではないのであって、他人に騒ぐなと言う前に、自分達が少しは騒ぐべきでしょう。 この人達に、対策の邪魔をして、何の利益があるとも思えませんから、どうやら、その単純な理屈が分かっていないらしい。

  自分や家族が、その、「大した割合ではない、1万人」に入ってしまったら、それでも、同じ事を言いますかね? 言えるわけがない。 家族の葬式を出してから、自分が何の対策もしなかった事を、後悔しませんかね? しないわけがない。 お話になりません。


  WHOが、「マスクは、咳・くしゃみが出ていない人は不要」などと言い出しましたが、これも、全くの間違いでして、症状のある人間だけ、マスクをするという事になれば、マスクをしている人間が病原体扱いされて、石を投げられる事になるのは、火を見るよりも明らかです。 そんな当然の事が想像できないというのが、呆れる。

  ただ単に、マスクの供給不足を心配して言ったのだとしたら、考え足らずもいいところです。 混乱を助長しているだけで、本末転倒も甚だしい。 そんな事より、手作りマスクの推奨でもせよと言うのよ。 WHOって、もしかしたら、とんだ無能組織なんじゃないの? 世界中で、最も後手後手なのは、日本の厚労省か、WHOのどちらかではないかと思います。 とりあえず、自分達が、会見で、マスクをせよ。


  マスクや、トレペ、ティッシュの買い溜めが止まりませんが、そんなの、理の当然。 止まるわけがないです。 「必要な分だけ買ってください」などと呼びかけても、無駄無駄。 全く効果がない。 売り場を別にした上で、身分証を提示させ、「一人、一週間に、何個」といった、販売制限をかけるしかないです。 「在庫はありますから、落ち着いてください」なんて言っても、買い溜めしようとする人間は、聞く耳持ちません。 普段の2倍どころか、家の中に置き場所がなくなるまで、買い続けます。

  「日本人は、礼儀正しいから、お願いすれば、分かってくれるはず」などという幻想は、即刻、捨てた方がいいです。 命がかかっている事態に於いては、礼儀もへったくれもありゃしません。 それと同類で、日本人や、日本社会の特性を持ち出して、「日本では、大丈夫」といった物言いをしている人達は、もう、公の場に出て来ない方がいいでしょう。 もはや、そんな、理想的イメージだけで、根拠薄弱な意見が通る段階ではないです。


  医療崩壊を心配して、「軽症者は、自宅療養」と、しつこく言っている人達にも困ったもの。 軽症だった人が、一晩眠ったら、高熱が出て、息がゼイゼイ、目覚めた時には、重症になっていたという例は、うようよあると思われ、独り暮らしの高齢者なんて、そのまま死んでしまいます。 まさか、高齢者の数が減るのを期待しているわけではありますまい。

  たとえ、家族がいても、素人ですから、手当てなんぞしようがないのであって、救急車を呼ぶしかありません。 自宅療養で重症化した患者が、救急搬送で、ドカドカ運び込まれれば、結局、医療機関は、パンクしてしまいます。 医療崩壊を、先に延ばしているだけではないですか。

  医者が、患者を診ないというのなら、医療放棄であって、全国的にそれが行なわれたら、それはそれで、医療崩壊です。 政治家や役人の中には、家で死んだ人間を、新型肺炎の死者としてカウントしない事で、得をする人達がいるのかも知れませんが、そんな連中に媚を売るより、医者として、できる事をやった方がいいと思いますよ。 このままでは、医者の信用がゼロになってしまいます。

  病院でなくてもいいから、場所を用意して、軽症者を入れ、治療を始めれば、重症化しない内に治る可能性は、極めて高いです。 社宅など、使っていない集合住宅がいくらもあるから、そこを借り上げて、使えばいいと思うのですが、そもそもそれ以前に、ウィルス検査すら、満足にできないのだから、無理な相談かなあ。




  今回は、ここまでにします。 ちょっと、前回から、間が開きすぎたせいで、日記ブログの方の、今現在まで、追いつきません。 だんだん、一日分の文章量が多くなっていくので、一回では、長くなり過ぎて、出し切れないのです。

2020/03/15

読書感想文・蔵出し (58)

  読書感想文です。 今回で、横溝正史作品は、ほぼ、終了。 しかし、手持ちの本で、ヤフオクで買い集めた角川文庫・旧版の内、まだ読んでいないものがあり、それは、少しずつ、読んでいます。 図書館で借りてくる本は、その後、江戸川乱歩作品に移りました。




≪真珠郎≫

角川文庫
角川書店 1974年10月20日/初版 1978年7月30日/17版
横溝正史 著

  2019年5月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、18冊セットで買った内の一冊。 そのセットを買った第一の理由は、≪蝶々殺人事件≫が含まれていたからですが、第二の理由は、この≪真珠郎≫が入っていたからです。 ≪真珠郎≫も、単品だと、安いのが、なかなか出て来ないのです。 

  私、このカバー絵の文庫を、1995年9月頃に、今はなき、三島の古本屋で見ているんですが、背表紙が、黒ではなく、白だったばかりに、買わなかったのです。 最近になって分かったのは、角川文庫の横溝作品は、最初の頃、背表紙が白だったようで、その本は、たぶん、ごく初期の発行だったのでしょう。

  とはいうものの、【真珠郎】は、割と最近、全集の方で読んで、感想も書いているので、割愛します。 もう一作収録されている短編の方だけ、感想を書きます。


【孔雀屏風】 約41ページ
  1940年(昭和15年)2月に、「新青年」に掲載されたもの。

  江戸時代に描かれ、二つに分割されて、遠く離れた二つの家で、別々に保存されていた屏風。 一方には、美しい娘と白い孔雀が、もう一方には、美しい青年が描かれていた。 一方の家の息子が、戦地から送ってきた手紙をきっかけに、互いに、屏風の片割れの所在が分かり、その後、屏風に隠された宝の在り処の手がかりを巡り、殺人事件まで起こるが、実は・・・という話。

  時局に合わせたような部分もあり、時局が気に入らなくて、江戸時代を発端にして、当局の目を晦ましたようなところもあります。 短い割に、あれもこれもと凝り過ぎていて、纏まりは良くありません。 アイデアは面白いのですが、先祖の因縁が子孫に表れたという話となると、これは、もはや、推理小説ではなく、伝奇ですな。

  ただ、読んでいる間は、ゾクゾクして、楽しいです。 時局の制約がなければ、もっと、のびのびした話になって、気楽にストーリーを満喫できたと思うのですがね。



≪髑髏検校≫

角川文庫
角川書店 1975年6月10日/初版 1976年3月10日/4版
横溝正史 著

  2019年5月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、18冊セットで買った内の一冊。 角川文庫の横溝作品に、「髑髏検校」というタイトルの本が存在するのは、1995年頃から知っていたのですが、時代小説のようだったので、読む気になりませんでした。 漠然と、江戸時代の役人が探偵役を務める、推理小説だと思っていたのですが、読んでみたら、完全な勘違いでした。


【神変稲妻車】 約262ページ
  1938年(昭和13年)に、一年間、「譚海」に連載されたもの。

  田沼山城守が、信州高遠の新宮家に、家宝の名笛を譲るように強いた事から、互いに共鳴する三本の笛と、隠された財宝を巡って、新宮家の家臣と、かつて新宮家に滅ぼされた大和家の老姫一派が、相争う話。

  テキトーな梗概ですが、この程度で充分な内容です。 この作品自体が、テキトーに書き飛ばしたもので、まともな評論の対象とするようなものではないのです。 まず、主人公がはっきりしない。 話があっちに行ったり、こっちに飛んだり、およそ、落ち着きというものがありません。

  次に、ワン・パターン。 その時の中心人物が、危機に陥り、何とか乗り越え、の繰り返しばかりです。 最終的には、善玉が勝つというだけで、それまでは、悪玉がやりたい放題。 ムカムカするばかりで、面白さを感じません。 とどめが、妖術でして、妖術を出したら、何でもアリになってしまいます。

  「譚海」という雑誌は、元々は、少年向けだったようで、そのカテゴリーで書いたというのなら、なるほど、こうもなるかと頷けます。 そういえば、【神変竜巻組】も、少年向けでした。 テンポだけは、調子よく、中身が空っぽという点も、同類です。


【髑髏検校】 約147ページ
  1939年(昭和14年)1・2月に、「奇譚」に分載されたもの。 「どくろけんぎょう」と読みます。

  獲れた鯨の腹の中から、書付が出て来て、「不知火検校」と名乗る怪人物が、将軍家の姫を狙って、江戸へ向かった事が伝わる。 襲われて、血を吸われた人物が、また別の者を襲う連鎖が始まったのを、学者・鳥居蘭渓と、その一門が、ニンニクを武器に、必死に食い止めようとする話。

  ほぼ、「ドラキュラ」と同じアイデア。 翻案なんでしょう。 だけど、軽い場面転換ばかりがポンポンと進み、細部を描き込んでいないので、読み応えは、全然ありません。 推理小説的な部分は、皆無です。 草双紙的な要素を盛り込み過ぎて、吸血鬼のモチーフを活かしきれない感あり。

  とはいえ、「譚海」の後を継いだ「奇譚」という雑誌は、大人向けだったそうで、確かに、【神変稲妻車】に比べると、こちらの方が、まだ、読めるように思えます。 横溝さんは、とことん、少年向けと、大人向けを、書き分けていたようですな。



≪憑かれた女≫

角川文庫
角川書店 1977年6月10日/初版 1977年8月30日/3版
横溝正史 著

  2019年7月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、10冊セットで買った内の一冊。 ≪憑かれた女≫は、角川文庫・旧版の発行順では、51番に当たり、この本から、本格的に、金田一物以外の中・短編の収録が始まります。


【憑かれた女】 約126ページ
  1933年(昭和8年)10月から12月まで、「大衆倶楽部」に連載されたもの。 角川文庫・新版、≪喘ぎ泣く死美人≫の中に、原型になった同題の作品が収録されていて、そちらの発表年月も、同じになっていますが、どちらが間違えているのか、分かりません。

  酒の飲み過ぎで、幻覚を見るようになった女が、顔を隠した外国人に、目隠しされて連れ込まれた屋敷で、他の女の死体を見せられた後、解放される。 僅かな手がかりを頼りに、その屋敷を捜す内、更に殺人事件が続き・・・、という話。

  海水浴場の場面から始まるからだと思いますが、大変、新しい感じがします。 とても、昭和8年とは思えない。 昭和30年代に書かれたと言われても、さほど、違和感がありません。 その事は、原形作品を読んだ時の感想でも書きましたけど。

  冒頭から、4分の3くらいは、原型作品と、ほとんど同じで、謎解きと犯人指名の部分だけ、由利・三津木コンビが登場する形に、書き改めたもの。 まさに、取って付けたような改変です。 恐らく、この頃、主だった作品を、由利・三津木コンビ物で統一したいと思っていたんでしょうな。 戦後、ノン・シリーズを、金田一物に書き改めて行ったように。

  原型の方の細部を忘れてしまったのですが、謎と犯人は、変えてあるような感じがします。 こちらでは、犯人がその人物である事が、ちと不自然な感じがするので。 ≪喘ぎ泣く死美人≫は、三島図書館の書庫にある本で読んだので、わざわざ、それを確認する為だけに、もう一度、借りに行く気になれません。


【首吊り船】 約78ページ
  1936年(昭和11年)、「富士」の、10月増刊号から11月号まで、連載されたもの。

  三津木俊助が、ある夫人から依頼を受け、満州で行方不明になった男の消息を探ろうとした矢先、二人組に略取・監禁されてしまう。 ところが、その二人組が、殺人事件に巻き込まれ、進退窮して、俊助に助けを求め、由利先生まで引っ張りだされて、夫人の所に送られて来た左腕の骨や、髑髏のような顔をした男、首吊り死体がぶら下がった船の謎などを解き明かして行く話。

  三津木俊助が、いとも容易くさらわれてしまい、さらった相手に頼まれて、事件捜査に乗り出すというところが、少し変わっていますが、それ以外は、典型的な、由利・三津木コンビ物の、草双紙趣味活劇です。 で、お約束的に、川の上での、モーター・ボートと汽船の追撃戦が出て来ます。 逃げられそうになった時に、水上警察が現れて、捕縛に成功するのですが、このパターン、どれだけの作品で読んだ事か。

  トリックや謎も、ない事はないのですが、それらが軸になっているのではなく、全て、小道具の一部に過ぎません。 由利・三津木コンビ物に於いては、同じようなモチーフ、同じようなストーリーを組み合わせ直して、何十作も、同じような作品を量産していたわけですが、そんなでも罷り通ってしまったというのが、戦前の日本のミステリー界のレベルの低さを物語っていると思います。


【幽霊騎手】 約119ページ
  1933年(昭和8年)6月から8月まで、「講談雑誌」に連載されたもの。

  幽霊騎手と呼ばれる、一種の義賊が巷で持て囃されている最中、その幽霊騎手を題材にした芝居がかけられる。 その日の舞台が終わった直後、主演俳優が、贔屓にされている夫人から、舞台衣装のままで、すぐに来てくれるように呼び出される。 屋敷では、夫人の夫が、殺されており、俳優の咄嗟の機転で、幽霊騎手が犯人のように工作するが、実は、その事件の背後には、その夫と仲間が満州から持ち帰った金塊の争奪戦が絡んでいて・・・、という話。

  主人公は、俳優で、その友人達を、アシスタントに配しています。 ノン・シリーズですが、たぶん、シリーズ化を狙っていたと思われるような、細かい役割分担の設定がなされています。 この作品の後、横溝さんは喀血して、療養生活に入ってしまうので、続かなかった模様。

  話の中身は、怪盗ルパンのパクリをベースに、草双紙趣味的な活劇に仕立てたもの。 一応、トリックはありますが、人間がすり変わっているという種類のものです。 本当の幽霊騎手が誰なのか、作者自身が、途中まで、方針を決め兼ねていたのではないかと思われるフシが見られ、その点で、辻褄が合わないところもあります。

  この作品にも、川の上での追撃戦が出て来ます。 もう、焼き直しの焼き直しもいいところ。 焼き直し以前に、川の上の追撃戦は、シャーロック・ホームズの【四つの署名】のパクリでして、パクったものを、何度も何度も焼き直し、それで通ってしまっていたわけですから、戦前日本のミステリー界のレベルが、ほとほと、思いやられようというもの。


  この本に収録されている三作の中では、【憑かれた女】が、ダントツに優れていて、本格トリック作品なので、もし、戦後に、金田一物に書き直されたとしても、普通に楽しめたと思います。 ただ、解説によると、これにも、元になった外国作家の作品があるとの事。 戦前の日本のミステリーは、オリジナルを尊ぶというレベルにすらなかったわけだ。



≪一寸法師≫

創作探偵小説集第七巻
春陽堂 1927年3月20日/初版
春陽堂書店 1993年11月30日/復刻初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊で、復刻版である事を記した奥付が、1枚追加されている外は、昭和2年発行の本と、全く同じという、完璧に近い復刻版です。 文章は、旧仮名遣いで、活字もルビも、昔のまま。 しかし、慣れれば、さほど抵抗なく読めます。


【パノラマ島奇談】 約150ページ
  1926年(大正15年)10月から、途中休載を含み、1927年(昭和2年)4月まで、「新青年」に連載されたもの。 本に解説が付いていないので、以上、ネット情報。

  売れない小説家が、自分そっくりの資産家が死亡したのを利用して、土葬の墓から生き返ったという設定で、その人物に成りすまし、資産を売り払って、離れ小島に、かねてから夢想していた、理想郷を建設する。 しかし、資産家の妻だけは、騙しきれず・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。 しかし、ネタバレしても、問題ないような内容です。

  「パノラマ」というのは、昔、見世物小屋にあった、景色がいろいろに変わる仕掛けの事らしいですが、仕組みは大体分かるものの、規模など、実際の雰囲気は、どんなものだったのか、想像するしかありません。 それを、離れ小島に、本物の景色として作ったという話。 錯覚を利用して、小さな島を広大な土地に見せかけているという説明が、くどいくらい、繰り返されています。

  成りすましそのものも、犯罪ですが、正体がバレないように、妻を殺してしまおうというのが、メインの事件。 しかし、この作品の読ませ所は、事件ではなく、島に作られた理想郷の細かな描写です。 理想郷と言っても、社会丸ごとのユートピアではなく、個人の妄想で捏ね上げた、見せかけだけのファンタジックな世界なんですが、よくも、想像だけで、ここまで考えたものと、感服するほど、緻密です。

  しかし、パノラマ島の描写が細かければ細かいほど、事件の方が、薄っぺらに感じられて、物語全体のバランスが悪くなります。 たとえば、純然たるファンタジー作品に、妻殺しの事件が出て来たら、なんか、そこだけ、妙にリアルで、変でしょ? 


【一寸法師】 約196ページ
  1926年(大正15年)12月8日から、途中休載を含み、1927年(昭和2年)2月20日まで、「東京朝日新聞」に連載されたもの。 「大阪朝日新聞」でも、当初、同時連載されていたけれど、その後、ズレて行ったらしいです。 以上、ネット情報。

  一寸法師と呼ばれる、顔と胴は大人なのに、手足が短い男が、実業家の娘の死体をバラバラにし、腕をデパートのマネキンに差し込んだり、実業家宅に送りつけて来たりと、奇怪な犯行を繰り返す。 実業家の後妻に岡惚れしている青年が、友人の明智小五郎に捜査を依頼し、明智の手腕で、一寸法師を追い詰めるが、実は犯人は・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  私は、中学時代に、この作品のあらすじを、友人から聞いたと思っていたのですが、それは、短編、【芋虫】の間違いでした。 こちらは、トリックや謎、活劇場面を含む、草双紙的な作品でした。 トリックはあるにはありますが、ささやかなもので、本格物とは、とても言えません。

  横溝作品、【蝶々殺人事件】のメイキング譚で、「ピアノの中に死体を隠すなんて、無理」という音楽関係者のコメントが出て来ますが、たぶん、この作品を念頭に置いて言ったのだと思います。 つまり、江戸川さんは、ピアノの構造を、よく知らなかったわけだ。 まあ、私も知りませんけど。

  文章のタッチが秀逸で、恐らく、発表当時は、翻訳文体と言われたと思いますが、醒めた三人称で、淡々と語られ、そのせいか、ただ読んでいるだけで、ゾクゾクします。 しかし、一寸法師の特徴と、事件の中身に、必然的な関連が薄く、バラバラ感が強くて、お世辞にも、纏まりのいい話とは言えません。

  また、終わり方が、生ぬるくて、一寸法師を除き、「みんな、根はいい人」にしてしまったのは、最悪。 せっかく、ドライに語り進めてきたのに、最後で、これはないでしょう。 江戸川さん本人は、この作品に、大いに不満があったらしいですが、そりゃそうだろうと頷けます。 どうも、江戸川作品は、魅力的な部分と、しょーもない部分が、同居している感がありますな。

  言うまでもなく、障碍者を差別している作品なので、「昔だから、許された」という事を、前提にして読む作品です。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2019年の、

≪真珠郎≫の【孔雀屏風】が、8月9日。
≪髑髏検校≫が、8月10日から、18日まで。
≪憑かれた女≫が、8月19日から、25日。
≪一寸法師≫が、9月3日から、13日にかけて。

  新型肺炎の影響ですが、今回、紹介する本は、だいぶ前に借りたものだから、関係なし。 2020年3月上旬の現状ですが、まだ、外出規制はかかっていないので、図書館には通っています。 外出規制がかかっても、数日に一度は出かけられると思うので、図書館が閉鎖にならない限り、何とか通い続けられると思います。

  沼津の図書館は、1階と2階が書籍で、1階は、雑誌、新聞、実用書、現役作家の小説などがあり、結構、人が多いのですが、全集など、私が読むような本は、ほとんど、2階にあり、1階と同じ床面積のフロアに、10人以上いたのを見た事がないくらい、人が少ないです。 ここで感染する心配は、まず、ないでしょう。

  ちなみに、私は、借りて来た本も、買った本も関係なく、必ず、アルコール除菌してから、読み始めます。 新型肺炎対策というわけではなく、アルコール除菌液を買うようになった、2013年頃から、ずっと、そうしています。

2020/03/08

読書感想文・蔵出し (57)

  プチ・ツーリングの紹介も、3回続けたら、飽きて来ました。 で、今回は、読書感想文です。 久しぶりですな。 前回、出したのは、去年の10月6日でしたから、5ヵ月も開いてしまいました。 その間も、読書は続けていたので、だいぶ、ストックがあります。 




≪迷路荘の怪人≫

横溝正史探偵小説コレクション④
出版芸術社 2012年5月25日/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館で借りて来た本。 この、「横溝正史探偵小説コレクション」シリーズですが、2004年に、①②③が続けて発刊された後、一旦、終わっていたのを、2012年になって、作者の生誕110周年を期に、増刊する事になったとの事。 中編2作と、その2作について作者が書いた付記を、幾つか収録。 中編と言っても、2段組みなので、文庫すれば、100ページを超えます。 表題作の方は、この本でも、100ページを超えていますけど。


【旋風劇場】 約94ページ
  原型になった【仮面劇場】が、1938年(昭和13年)から、1942年にかけて、「サンデー毎日」に、断続的に掲載。 それを、1943年(昭和17年)7月に、【旋風劇場】として、刊行したもの。 題名の変更は、当局から、「仮面」はやめろといわれて、出版社が変えたのだそうです。 戦後、長編化されて、【暗闇劇場】となり、更に、改題されて、最初の【仮面劇場】に戻り、角川文庫旧版の、≪仮面劇場≫に表題作として収録されているのが、それ。

  鳴門の渦に飲み込まれようとしていた小舟から助け出された、盲聾唖の美少年を、近くにいた観光船に乗っていた未亡人が引き取る事になったが、やがて、彼女の交際している男が寄宿している一家で人が死に始め、当初から事件に関っていた由利先生と、引っ張り込まれた三津木俊助が、美少年の正体を明らかにする話。

  【仮面劇場】の方と、続けて読み比べたわけではないので、比較が難しいのですが、そんなに大幅に変わっているわけではないようです。 毒をどうやって扱っていたか、その点が異なるだけ。 いずれにせよ、いかにも、由利・三津木コンビ物らしい、草双紙趣味の活劇でして、戦後の推理ファンを満足させるような内容ではないです。

  もし、由利・三津木コンビ物の代表作を一つ選べと言われたら、この作品になるかもしれません。 【蝶々殺人事件】は、由利・三津木コンビ物としては、異色ですから。 そんな事しか、感想が出ませんなあ。 私は、こういう作品を読んでいると、馬鹿馬鹿しくなってしまうのです。 戦前と戦後で、横溝さんほど、作風が変わった作家も珍しいのでは?


【迷路荘の怪人】 約124ページ
  原型になった短編が、1956年(昭和31年)8月、「オール読物」に掲載され、その後、3倍の長さに加筆されて、1959年に、全集に収録されたのが、この作品。 更にその後、1975年5月に、加筆して長編にされたのが、角川文庫の≪迷路荘の惨劇≫という事になります。

  富士の裾野にある、元華族の別邸が、戦後、新興事業家の手に渡ったが、華族の妻まで、実質的に金で買われる形で、事業家の妻になった。 その屋敷では、十数年前に、華族の当主夫婦が殺され、犯人と思われる男も片腕を切り落とされて、行方不明になるという事件が起こっていた。 屋敷をホテルに改装する前に、事業家が、屋敷に縁のある人達を招く事になったが、そこで、新たな殺人事件が起こる話。

  【迷路荘の惨劇】の方は、手持ちの本にあって、今までに、2回、読んでいます。 舞台になっている場所が、富士市で、私の住んでいる所から近い事もあって、好きな作品です。 で、この作品は、長編化される前の、中途型中編なので、短いのですが、面白さという点では、長編の方に負けていません。 むしろ、追加されたエピソードがない分、纏まりがいいように感じられます。

  トリックより、謎より、舞台設定が、ゾクゾクするのです。 ちらちらと存在を匂わせる片腕の男や、仕込み杖、地下道、みかん倉庫の滑車など、細かい道具立ても、いいですなあ。 長編では、地下道が、自然の洞窟と繋がっていて、そちらの冒険が見せ場になっていますが、こちらでは、地下道だけ。 それでも、充分、見せ場になっています。

  こういう作品を読んでいると、妙に、心豊かな気分になります。 この感覚は、どう分析すればいいんでしょうねえ。 芸術の力とでも、考えるべきなんでしょうか。



≪消すな蝋燭≫

横溝正史探偵小説コレクション⑤
出版芸術社 2012年7月25日/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館で借りて来た本。 「横溝正史探偵小説コレクション」シリーズの、2012年になって、作者の生誕110周年を期に増刊された、2冊の内の1冊。 長編1と、短編7、計8作を収録。 2段組みです。 疎開先の岡山で、戦後、執筆再開した時の短編の他、いずれも、岡山が舞台になっている作品を集めたもの。

  内、【消すな蝋燭】、【泣虫小僧】は、≪ペルシャ猫を抱く女≫の時に、【鴉】は、≪幽霊座≫の時に、すでに感想を書いているので、そちらを、参照の事。 ちなみに、【神楽太夫】、【靨】、【蝋の首】は、角川文庫旧版では、≪刺青された男≫に収録されています。 以下、ネタバレ、あり。


【神楽太夫】 約15ページ
  1946年(昭和21年)2月、「週刊河北」に掲載されたもの。 発表順で言えば、戦後第一作に当たる作品。 角川文庫旧版では、≪刺青された男≫に収録。

  村々の祭りを巡回する神楽太夫一行の内、恋敵の関係にあった若い二人が行方不明になり、一人の遺体が、顔が分からない状態で発見される。 当初、服装から、どちらなのかが判断されていたのを、若い警部補が疑念を抱き、関係していた女を呼んで確認させたところ、もう一人の方だった事が分かるが・・・、という話。

  いわゆる、「顔のない死体物」ですが、最後に、もう一回、転回があり、そこが、読ませ所になっています。 事件の真相の方は、推理の余地なく、犯人の自白を伝える形で語られます。 推理物でなければ、ショートショートでも通りそうな、気が利いた話です。


【靨】 約29ページ
  1946年(昭和21年)、「新青年」の、3月4月合併号に掲載されたもの。 「靨」は、「えくぼ」と読みます。

  戦後復員して来た男が、かつて逗留した事がある湯治場を訪ねて来て、10年前に起こった、その宿の婿養子の殺人事件について話を聞き、自らも、語る話。

  一人称の書き手が、実は犯人という、いわゆる、アンフェア物ですが、短いので、騙された感は、ほとんどなく、気にするほどの事ではないです。 また、殺人事件の犯人と言っても、半分、事故ですし。 「靨」というタイトルの意味は、最後で分かりますが、美しいアイデアですな。

  この作品は、金田一物に書き直されていないようですが、金田一を入れてしまうと、一人称の書き手への感情移入が阻害されて、味わいを損なってしまうからでしょう。 その代わり、ノン・シリーズでは、短編集に収録され難くなってしまうわけですが。


【蝋の首】 約13ページ
  1946年(昭和21年)8月、「VAN」に掲載されたもの。

  火災現場から発見された2体の焼死体。 ある学者が、ほぼ白骨化した頭部に肉付けし、複顔を施したところ、一人は、その家に住んでいた妻と確認されたが、もう一人の男は、夫ではなかった。 死体がすり替えられた事が分かり、逃亡していた夫は逮捕されるが、身代わりにした白骨死体の身元が、彼ら夫婦に関係のある人物だった事が分かる話。

  短い割には、よく出来たストーリーで、推理物でなければ、ショートショートで通る話です。 因果の偶然が過ぎるような気がしないでもないですが、短編なればこそ、むしろ、面白さを感じます。


【空蝉処女】 約17ページ
  1946年(昭和21年)に、「群青」向けに書かれたが、掲載されず、作者の没後に発見され、1983年(昭和58年)8月、「月刊カドカワ」に掲載されたもの。 角川文庫旧版にも、同タイトルの本に収録されています。 タイトルの読み方は、「うつせみおとめ」。

  空襲で怪我をして、記憶を失った若く美しい女性を、岡山の山村の、ある家で預かっていた。 歌を歌う以外に、赤ん坊をあやすような仕草をするので、既婚者だったのかと疑われていたが、実は・・・、という話。

  推理物ではなく、一般小説と純文学の中間みたいな話。 記憶を失い、抜け殻のようになった女性が、山村の人気のない場所で、「山のあなた」を歌っているという、その情景を描きたいばかりに書いたんじゃないでしょうか。 女性の正体が分かると、ちと、興醒めしますが、悪い結末ではないです。 タイトルの字に、「乙女」ではなく、「処女」を使っているところが、ちょっとしたヒント。


【首・改定増補版】 約103ページ
  作者の没後に見つかった作品。 角川文庫・旧版、≪花園の悪魔≫に収録されている【首】に、細部の描写を足したもの。

  話の内容は、【首】と同じです。 描写が細かいので、「いかにも、岡山物」という味わいは深くなっています。 都会人の横溝さんにとって、疎開先で見た岡山の山中の印象には、特別なものがあったんでしょうねえ。 【首】、【鴉】、【人面瘡】の3作は、いずれも、岡山の山合いの湯治場が舞台になっていて、雰囲気はそっくりです。 話の中身は、まるで違いますけど。



≪横溝正史探偵小説選 Ⅴ≫

論創ミステリ叢書100
論創社 2016年7月/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館の書庫にあった本。 「論創ミステリ叢書」の、「横溝正史探偵小説選 」は、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと、続き番で出た後、かなり時間を置いて、Ⅳ、Ⅴが出ました。いずれも、単行本や文庫本に収録されいなかった作品を、落ち穂拾いしたもの。 Ⅳは、時代小説だけのようなので、パス。 Ⅴを借りて来ました。


【探偵小僧】 約217ページ
  1952年(昭和27年)2月から、翌年4月まで、「読売新聞」と「同夕刊」に跨って連載されたもの。 

  新日報社の探偵小僧、御子柴進と、敏腕記者、三津木俊助が、宝石を狙う白蝋仮面を相手に、騙し騙され、活劇を演じる話。

  横溝さんの少年向け作品のパターンに則った話。 挿絵入りのせいで、長くなっています。 白蝋仮面ですが、この話では、怪盗らしい、キレを見せています。 しかし、大人が喜ぶような作品ではないです。 これが、新聞に連載されたというのは、かなり、意外。


【仮面の怪賊】 約12ページ
  1931年(昭和6年)6月、「少年倶楽部」に掲載されたもの。 

  宝石を狙う、道化仮面を、保科探偵とその助手、そして、警視庁の篠崎警部が捕えようとする話。

  少年向けですが、スマートに纏まっていて、大人が読んでも、さほど、違和感を覚えないと思います。


【王冠のゆくえ】 約9ページ
  1955年(昭和30年)1月、「幼年クラブ増刊号」に掲載されたもの。 

  病気の母親をもつ女の子と、その友達の男の子二人が、賞金を病院代に当てる為に、宝石店から盗まれた王冠を捜す話。

  雪達磨が鍵になる、割とよくある謎ですが、幼年向けなので、それで、充分。 ハッピー・エンドだから、大人が読んでも、読後感はいいです。


【十二時前後】 約4ページ
  1955年(昭和30年)10月と、12月、「中学生の友」に、問題編・解答に分けて、掲載されたもの。 

  校長室から、試験用紙が盗まれ、寄宿舎の生徒が疑われる。 目撃者が見た時計の針の位置で、アリバイが崩される話。

  これも、横溝作品では、よくある謎。 横溝さんは、子供が相手の作品だと、幼年向けでも、中学生向けでも、同レベルの謎を使うんですな。 中学生向けとしては、かなり、読者をナメていると思います。


【博愛の天使 ナイチンゲール】 約14ページ
  1928年(昭和3年)4月、「少年少女譚海 譚海別冊読本」に掲載されたもの。

  ナイチンゲールと、その幼馴染が、クリミア戦争の戦場で出会う話。

  探偵小説ではないです。 ただの、偉人物語。 横溝作品にしては、あまりにも、捻りがない。 編集者から、「こういうのを書いてください」と、かなり、内容を限定された注文を受けたのではないかと思います。


【不死蝶 雑誌連載版】 約65ページ
  1953年(昭和28年)6月から11月にかけて、「平凡」に連載されたもの。

  内容は、【不死蝶】と同じです。 その原型に当たります。 こちらの方が、話が単純になっている分、無駄がなく、完成度は高いです。 ロミオとジュリエット型のカップルが、何組も出てくるような事もありません。 書き直した方がよくなるわけではないという典型例。


【女怪】 約63ページ
  1927年(昭和2年)11月から、翌年にかけて、「探偵趣味」に連載されたもの。

  複数の男が、ある謎の女の素性を調べる話。

  未完作品でして、途中で終わってしまいます。 文体は、探偵小説というより、大衆小説のそれで、やたら、描写が細かくて、辟易します。 金田一物の、【女怪】とは、全く別物で、重なる所は、一ヵ所もないです。


【猫目石の秘密】 約7ページ
  1927年(昭和2年)7月、「少女世界」に掲載されたもの。

  少女が持っている猫目石を、不審な男が狙う話。

  未完作品。 ページ数を見ても分かる通り、始まったと思ったら、終わってしまいます。


【神の矢】 約35ページ
  1949年(昭和24年)1月から数回、「ロック」に掲載されたもの。 

  復員してきた三津木俊助が、友人に信州のある村へ招かれる。 その村で起こっている、脅迫事件に関って行く話。

  おそらく、完成していれば、由利・三津木コンビ物の、最終作品になったと思われるもので、戦前作品とは比較にならないくらい、細かい設定が施されており、それだけで、ゾクゾクするものがあるのですが、惜しむらく、御神体の矢が盗まれるところで、終わってしまいます。

  もはや叶わぬ望みですが、「この続きが読めたらなあ」と、歯噛みせずにはいられません。 もっとも、たぶん、この作品用に考えていた展開を、【毒の矢】、【黒い翼】、【白と黒】など、脅迫・密告がモチーフの作品に流用して行ったのだと思うので、大体、想像がつかないではないですが。


【失はれた影】 約39ページ
  1950年(昭和25年)1月から数回、「ホープ」に掲載されたもの。

  整形手術で顔を変えた男が、名前も新しくして、何かをしようとする話。

  これ以下は考えられないほど、テキトーな梗概ですが、実は、冒頭しか読んでいません。 主人公が、ゴロツキが集まるようなところへ行ってから、そこの描写が、ダラダラと続き、読むに耐えなくなったのです。 いずれにせよ、未完なので、最後まで読んでも、意味はないです。


  【女怪】から、【失はれた影】までの4作は、未完なのですが、理由は、途中で、雑誌が潰れてしまうとか、横溝さんの健康状態が悪化して、続けられなかったとか、そういう事だったらしいです。



≪蝶々殺人事件≫

角川文庫
角川書店 1973年8月10日/初版 1976年8月10日/11版
横溝正史 著

  2019年5月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、18冊セットで買った内の一冊。 その頃、ヤフオクでは、この≪蝶々殺人事件≫が、単品では、安く出品されていなくて、この本欲しさに、セットを買ったようなところもありました。 その後、安い単品が出て来て、別に、この本の価値が高騰しているわけではなかった事が分かりました。


【蝶々殺人事件】 約272ページ
  1946年(昭和21年)5月から、翌年4月まで、「ロック」に連載されたもの。 この作品は、3年前に、一度、読んでいるので、梗概は、そちらから、移植します。

  新聞記者、三津木俊助は、戦後、ある出版社から、探偵小説を書くように求められ、戦時中に疎開したまま、国立に住んでいる由利麟太郎を訪ねる。 戦前、由利が解決した事件を小説にする許可を得て、三津木が選んだのが、オペラ歌手・原さくらが、「蝶々夫人」の公演の為に、自らが率いる歌劇団ごと乗り込んだはずの大阪で、コントラバス・ケースに詰め込まれた死体となって発見された事件だった。 由利を中心に、警察の捜査陣、新聞記者らが協力し、殺害現場を晦ますトリックや、原さくらと劇団関係者の因縁を明らかにして行く話。

  前回読んだ時の感想が、このブログの過去記事(2016年5月11日)にあるので、細かい事は端折ります。 ≪本陣殺人事件≫と並行して書かれた、横溝さんの戦後第2作で、由利・三津木コンビ物としては、評価が高いのですが、≪本陣≫の方との兼ね合いで、金田一を使えなかったから、戦前の探偵キャラに再登板してもらったというだけの事で、本格物ですから、金田一で書いた方が、しっくり来るような内容です。

  三津木俊介は、本来、アクション担当なのですが、この作品では、今更ながらに、ワトソン役を振られて、物語の記録者という形になっています。 「新聞記者だから、小説くらい書けるだろう」という、かなりの無茶振り。 戦前作品の三津木を知っていれば、彼が小説を書くなど、想像もつきますまい。

  一種のアンフェア物で、「こういう事をするくらいだから、この人間が犯人であるはずがない」と、読者に思わせておいて、実は、そやつが犯人というパターン。 横溝さんは、≪夜歩く≫でも、アンフェア物を書いていますが、こちらでは、もっと捻って、アンフェアと指摘されるのを回避しようと、ひと工夫、施してあります。

  そのせいで、複雑な話になっています。 それでなくても、殺人事件が三つも起きて、それぞれに、トリックや謎があるという複雑さなのに、これ以上、捻る必要があったのかどうか、首を傾げてしまいます。 評価が高いというのは、理解できる一方、面白いかと問われると、どんなものかと思ってしまうのです。


【蜘蛛と百合】 約52ページ
  1933年(昭和8年)7・8月に、「モダン日本」に掲載されたもの。

  三津木俊介の友人と、友人の愛人が、謎めいた未亡人風の女に関わった事で殺されてしまう。 女には、蜘蛛のような奇怪な男と婚約していた過去があった。 三津木俊介は、由利先生の忠告も聞かずに、その女に近づくが、彼も魔性の魅力の虜になってしまう、という話。

  草双紙趣味ですが、活劇ではなく、サイコ・サスペンス風の話です。 硬派の三津木俊助が、手もなく籠絡されてしまうところが面白いですが、それ以外に見るべきところはないです。 最初に殺される二人の描き込みが、殺されキャラにしては、細か過ぎ。 特に、友人の愛人になる女性は、喋り方が、妙に今風で、昭和8年に書かれた作品とは思えないくらい。 でも、すぐに、消えてしまうのです。 何だか、勿体ないキャラですな。

  無理やり、蜘蛛に絡めようとしているのですが、成功していません。 懐中電灯のレンズの中に蜘蛛を入れても、蜘蛛の影を映し出せないと思うのですがねえ。 もっとも、実験してまで確かめようという気になりませんけど。 「蜘蛛みたいな男」に至っては、どういう人なのか、想像力が追いつきません。


【薔薇と鬱金香】 約60ページ
  1933年(昭和8年)8月、「週刊朝日」に掲載されたもの。 

  5年前、愛人に夫を殺された夫人が、再婚した。 新しい夫と、芝居を見に出かけた劇場で、火事が起こり、助けてくれた人物が、かつての愛人、つまり、前夫を殺して、刑務所で死亡したはずの男に良く似ていた。 男の家に招かれた夫妻は、夫人の前夫を殺したのが誰かを告げられて・・・、という話。

  短いのに、いろいろと盛り込んであって、梗概では、内容をうまく伝えられません。 この上、更に、由利・三津木コンビまで出てくるといったら、どれだけ、ややこしいか、分かっていただけるでしょうか。 二回読んで、初めて、話が理解できた次第。 漫然と読んでいると、メイン・ストーリーを見失ってしまいます。

  謎がありますが、一つは、死んだはずの男が、なぜ生きていたのかというもので、答えは、仮死状態になる薬を飲んだというもの。 具体的に、何という薬物なのかまでは触れておらず、いかにも、戦前作品的な、御都合主義です。 もう一つは、歌時計(オルゴール)が途中で止まった理由で、これは、【蝋美人】と同じアイデアです。 こちらの方が、ずっと早いですけど。

  全体的に、草双紙趣味。 最後の章だけ、耽美主義。 一応、謎も入っているから、推理小説の要素も備えているわけで、短い割には、豪勢です。 だけど、面白いかと言われると、全てが、中途半端な感じがしますねえ。 発表当時の読者は、そうは感じなかったかもしれませんが。


  角川文庫旧版で、初めて、由利・三津木コンビ物が登場したのが、この本なので、表題作の【蝶々殺人事件】以外も、由利・三津木コンビ物から選ぼうという事になったのだと思いますが、この2作を選んだのは、まずまず、妥当な線といったところ。 活劇場面が少なく、割と、真面目に読めるからです。 他のなんてもう・・・、いや、今までにも、いくらも感想を書いて来たので、繰り返しませんが・・・。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2019年の、

≪迷路荘の怪人≫が、6月17日から、6月18日にかけて。
≪消すな蝋燭≫が、6月19日から、23日まで。
≪横溝正史探偵小説選 Ⅴ≫が、6月24日から、6月30日。
≪蝶々殺人事件≫が、7月19日から、8月6日にかけて。

  ≪横溝正史探偵小説選 Ⅴ≫から、≪蝶々殺人事件≫まで、半月以上、間が開いているのは、図書館にある横溝作品を読み尽くしてしまったのと、バイク吟味に明け暮れ始めて、しばらく、本を読まなかったからです。 バイク吟味は、その後、8月を挟んで、9月初めまで続くのですから、その没頭ぶりが、つくづく思い返されます。

  ≪蝶々殺人事件≫から、何冊か、手もちの横溝作品を読み、その後、図書館の江戸川乱歩全集に取り掛かりますが、それは、まだ、先の話。

2020/03/01

EN125-2Aでプチ・ツーリング ③

  いささか古い話で、何ですが、一昨年(2018年)の、4・5月頃に流されていた、三菱UFJ銀行のテレビCMが気に入っていました。 とっくに放送は終わっていますが、ネット上では、まだ見る事ができます。 「カード・ローン バンクイック パッキング篇」です。

  これから、出張に出かける予定の阿部寛さんが、レトロ趣味に設えられた部屋の中で、「事前の準備と無理のない計画が大事。 余裕を持つくらいがちょうどいい」と言いながら、トランクに荷作りをし、最後は、家の外に出て、車に荷物を運び込むという流れ。

  この車が、旧車でして、一部分しか映らないので、車種をつきとめようと、調べた調べた。 で、ようやく分かったら、トヨタの3代目コロナでした。 1964年から、1970年まで、生産販売されていた型。 私が子供の頃に、近所の家にあったので、前から見た形なら、よく覚えています。 CMに出て来るのは、赤い色で、グレードは、たぶん、デラックス。 ちなみに、60年代頃は、グレードと言ったら、スタンダードとデラックスの、二種類しかないのが普通でした。

  出張ですが、旅である事に変わりはない。 旧車で、旅に出るという、その設定が、何とも言えません。 洒落てるなあ。 洒落過ぎておるなあ。 もっとも、実際には、旧車で遠出するなんて事は、怖くてできないのですが。 旧車オーナーは、普段、決まった整備工場にメンテを頼んでいるに違いなく、出先で故障したら、大変な事になってしまいます。

  それは分かっていても、尚、旧車で旅行の設定は、捨て難い魅力がある。 本当に、そういう事をやっている人がいたら、否が応でも、王が嫌でも、羨望の眼差しで見てしまいますねえ。 私の車、セルボ・モード後期型も、もう、23年経っており、だいぶ、古いですが、まだ、旧車と呼ぶには新し過ぎる。 故障が怖いから、旅行に使えない点は、旧車と同じですけど。 

  というわけで、バイクによるプチ・ツーリング紀行の、第三回目です。 バイクを買ったお陰で、プチ・ツーリングができるようになっただけでも、ありがたい。




【休場遺跡】

≪写真上≫
  12月27日に、ネット地図の俄か調べで、愛鷹山の裾野に、「休場遺跡(やすみば・いせき)」という所があるのを知り、バイクで行って来ました。 二度、道を間違えたものの、ゴルフ場と杉・檜林と、別荘地しかないような一帯なので、戻って、別の道を試して行ったら、どうにか、辿り着きました。

≪写真中≫
  解説板。 写真サイズが小さいですが、何とか、読めるでしょうか。 1964年(昭和39年)に、1万4千年前の炉の跡が発見され、旧石器時代の遺跡としては、全国で初めて、国指定史跡になったとの事。

≪写真下≫
  今は埋め戻されて、盛土された平地になっているだけ。 車を停められる駐車場もなくて、家族連れのピクニックには、不適。 レジャー・シートを広げて、弁当を食べる事はできますが、何もないんじゃなあ。 炉のレプリカでも、作っておけばいいのに。



【八畳石 / 赤野観音】

  1月4日に、バイクを出し、愛鷹山の裾野へ行って来ました。 目的地は、「赤野観音堂」ですが、寄り道もしました。

≪写真1左≫
  「八畳石公園」、2年くらい前に、折自と車で来ています。 別に変化なし。

≪写真1右≫
  八畳石公園から、少し登ったところ。 高架道路は、新東名です。 この辺は、茶畑が多いです。

≪写真2≫
  「赤野観音堂(あけの・かんのんどう)」。 八畳石まで来れば、その付近に、赤野観音堂の案内標識が、幾つも立っています。 かなり昔に、車かバイクで来ています。 茅葺の観音堂があるのですが、ほとんど、記憶から消えていました。 茅の葺き替えを予定しているそうで、寄付を募っていました。

≪写真3≫
  観音堂の北側にある、観音石像の列。 20くらいあるんじゃないでしょうか。 これは、おぼろげに覚えていました。

≪写真4左≫
  大きな榧(カヤ)の木があります。 沼津市指定天念記念物。 推定樹齢600年。

≪写真4右≫
  榧の葉っぱ。 イチイ科だそうで、なるほど、似ています。 おみくじが結んでありますが、私が行った時には、おみくじなど売っている様子はありませんでした。 三箇日だけ、売ったのかも知れません。

≪写真5≫
  お堂の裏手、北側の高い所に停めた、EN125-2A。 ここにしか、駐車場所がありません。 大昔、母の車、初代トゥデイで来た時にも、ここへ停めたような記憶があります。

  柔らかい地面に停める時には、スタンドが沈み込まないか、よくよく確認する事が必要。 戻って来たら、バイクが倒れていたなんて事になりかねません。 どうしても、沈むようなら、平たい小石を探して、スタンドの下に入れると、沈み難くなります。



【ネオパーサ駿河湾沼津下り側】

  赤野観音堂を後にして、近くにある、「ネオパーサ駿河湾沼津」の下り側へ行ってみました。 上り側には、3年くらい前に、バイクと車で、2回来ていますが、下り側は、初めてです。

≪写真1≫
  建物は、ほぼ平屋で、人だらけのようだったので、中には入りませんでした。 上に飛び出した部分に上がれるのかどうかは、確認して来ませんでした。

  大きなドッグ・ランがあり、そこも、人と犬で一杯。 どうやら。ドッグ・ランが目当てで来ている人達もいる模様。

≪写真2左≫
  北西に、上り側の建物が見えます。 上り側の方が、ずっと大きいです。

≪写真2右≫
  飲料の自販機。 「JOCオリンピック支援自販機」だそうで、飾り付けが施されていました。 ちなみに、私は、乗り物に関係なく、出先で、飲み物を買う事は、まず、ありません。 現役の頃には、ちょこちょこと買っていましたが、昨今は、値段が高くなってしまってねえ・・・。

≪写真3≫
  建物の南側。 こちら側にも、子供が遊べるような空間があります。 斜面ですが。

≪写真4≫
  南側の眺め。 名前の通り、駿河湾が見えますが、ちと遠過ぎて、感動するほどではないです。 中央の凸凹している山並みは、沼津アルプスで、その手前の白っぽい所は、沼津市街地です。

≪写真5左≫
  建物の南側から、東の方角を見た景色。 少し上り坂になっていて、空が多く見える景色は、何となく、気分が明るくなります。

  このサービス・エリアに、一般道から入る場合、南東側からになります。 スマートICもあるようですが、私には縁がないので、確かめて来ませんでした。

≪写真5右≫
  入口に、誘導員がいて、バイクは、奥の方に停めるように言われました。 で、奥の方へ行ったら、ここへ。 バイク置き場というわけではないのですが、他にも、ここに停めている人がいたので、私もそれに倣いました。

  帰りは、行きとは違う道で帰りました。 愛鷹山の裾野へ来て、同じ道で帰れた例しがありません。 山の上だと、交差点に目印がないから、曲がる所を間違えてしまうのです。




  今回は、ここまで。

  今回、全て、沼津市内でして、あまりにも近いのですが、まあ、近くても、初めて行く所なら、新鮮で、面白いものです。 気分をリフレッシュするには、充分。 セローに乗っていた頃は、「もはや、近場は、行き尽した」と思っていたのですが、「どんなにささやかな物しかなくても、初めて行く所なら、OK」という風に条件を緩めれば、結構、目的地が見つかるものですな。

  遺跡・史跡の類いは、自治体のホーム・ページを見れば、出ています。 「観光」ではなく、「文化」のカテゴリーで探すと、ページが見つかると思います。 隣接自治体のホーム・ページも、要チェック。 昼食を食べた後、出かけて、夕食までに帰って来る、往復3時間くらいの範囲に入る所なら、行かない手はありません。

  一回半日だから、続くのであって、これが、弁当持って、一日走るとなると、体はきついわ、ガソリン代は嵩むわで、だんだん、出かけなくなると思うのですよ。 有料道路なんて、問題外ですな。 そもそも、125ccは、大抵の有料道路に入れないから、余計な心配ですが。