2010/02/28

子供社長

  ト○タの社長、アメリカ議会の公聴会の後、支援者の会合で泣いてましたが・・・、子供店長ならぬ、子供社長かと思いましたぜ。 この切迫した状況で、泣くかね? 泣かんでしょう。 宜しくない。 実にまずい。 涙を流す事で、≪誠意≫を示せたと考えているのだとしたら、途轍もない思い違いをしている事になります。 今回の一件は、人の生死が関っている上に、事がグローバル化しており、そんな腹芸に効果を期待できるような次元の問題ではありません。

  支援者の会合の様子も、アメリカのマスコミは報道したと思われるので、結果的に、アメリカ社会全体に対する泣き落とし戦術のようになってしまいましたが、そんなベタな手法は、今日日、日本ですら通用しません。 まして、「大人の男は、人前で涙など見せないもの」という考え方をする英米文化圏では、呆れられる事はあっても、同情など微塵もしてもらえないでしょう。 大体、同情して貰った所で、欠陥車が消えて無くなるわけではありません。

  わざと泣いて見せたわけではなく、感極まって泣いてしまったのだとしても、それはそれで別の問題が発生します。 公聴会で3時間も責め立てられて、どん底まで意気消沈していた人が、支援者が集まっている場所へ来た途端、安心して涙が出てしまった。 こりゃもう、子供そのものの反応ではありませんか。 もし、欠陥車をディーラーに持ち込んだお客に対し、店長が泣き始めたら、どう思いますかね? 誠意があると思いますかね? 冗談じゃないですよ。 泣きたいのは欠陥車を掴まされたお客の方ですぜ。 責任を取らなきゃならない方が泣いていたら、一体誰が車を直すんじゃい! ≪泣く≫なんて対応は、大人の社会には無いんですよ。 アメリカでも、日本でもね。

  アメリカ議会やト○タ車のユーザーが求めているのは、社長の涙でも、言葉を飾ったスピーチでもなく、欠陥の原因を究明し、技術的な解決策を提示して、責任持って車を直してくれる、メーカーの姿勢でしょうに。 本当に誠意があるのなら、欠陥について、現在分かっている事と分かっていない事をはっきり公表し、対策が取れる物は直し、取れない物は、ユーザーに当面の間車に乗らないように頼むしかありますまい。 当然の事ながら、安全性が疑わしい車を新規に売るなど、言語道断です。 ますます、危険な車が増えるではありませんか。 ナイチンゲール戦闘部隊かいな(註1)。

  今の社長は、リーマン・ショックで大損こいた後に担ぎ上げられた、創業家一族の人ですが、会社が大赤字を垂れ流し、派遣社員や期間工をざくざくクビにしている時に、個人の趣味でカー・レースに出て、それが会社のイメージ・アップに繋がると思い込んでいたという能天気な性格。 たぶん、記者会見に出ても、技術的な事も、経営上の事も、うまく答えられないんじゃないかと思っていたんですが、予想通りで、「私は技術の事は分からない」を連発したらしいです。

  技術上の問題が最大の焦点になっているのに、「技術は分からん」とは、呆れた言い草ですな。アメリカ議会の方も、「やっぱり、呼ぶ相手を間違えたかな」と、心の隅で思った事でしょう。 でもねえ、社長というのは企業の最高責任者であって、その企業が売った製品について最終責任を負うのは当然の事なので、呼び出し自体は間違っていないのです。 社長なのに、自社製品の品質について、観念的な事しか答えられない方がおかしい。


  この社長、今回の問題で、表舞台に姿を見せ始めてから、聞き捨てならないようなセリフをいくつか口にしています。

「ト○タが全能だとは思っていない」
  て事は、つまり、「ト○タは全能だと思われている」と思っていたという事ですな。 驚くべき驕慢。 確かに、ト○タの経営を手放しで誉めそやすエコノミストはたくさんいましたが、ト○タ自身もそう思っていたとしたら、それは、大変いやらしいです。 全能どころか、ブレーキやアクセルに欠陥がある車を作っている自動車会社なんて、無能より尚悪いでしょう。 車の基本中の基本機能じゃないのさ。

「社長然としていられないので、出て来た」
  なんじゃ、そりゃ? ≪社長然≫て、具体的に、どういう態度よ? 専用車で社長出勤して来て、社長室の椅子に座って、日がな一日ゆったりのんびり過ごす事かね? 冗談じゃないよ。 どこの社長も、みんなそんな閑人だと思ったら大間違いだで。 「会社の中で一番忙しいのが社長」、「会社の危機には、土下座でも靴舐めでもするのが社長」、そのくらいでなけりゃ、活気ある企業とは言えませんぜ。

「ユーザーの皆さんに、ト○タ車は安全ですと申し上げたい」
  何を言っているんですか。 安全じゃないから、こんな大騒ぎになっているんでしょう? そういう物言いが、ごまかしだと言うんですよ。 どの客もこの客も、みんなト○タ車から逃げ出してしまったら会社が潰れてしまうから、安心させるためにそう言っているんでしょうが、本気で安心させたかったら、原因を探って、車を直すしかないんですよ。 なぜ、言葉でごまかそうとするかな? 言葉なんかいくら並べたって、急加速し始めた車は止められないでしょうが。

「ト○タの車には、すべて私の名前が入っている」
  これが一番呆れました。 あなたの名前じゃなくて、創業家の苗字がベースに使われているだけですよ。 あなた、「とよだ」さんでしょう? 社名は、「とよた」。 違うじゃん。 そういう細かい事は言わないにしても、まるで、企業を私物扱いしているように聞こえますぜ。 一体、何様じゃ?

「ト○タ車の安全を一番願っているのは、私」
  当たり前の事を、大仰に言うのはよしましょう。 社長なんだから当然です。 ちなみに言わせて貰えば、ト○タ車のユーザーや、ト○タ車の前後左右を走っている他社の車のユーザーも、あなたに負けず劣らず、ト○タ車の安全を願っています。 命が懸かってますからね。

  社長だけでなく、重役も、奇妙な事を言っています。

「リコールはしたが、法律上の安全基準は満たしている」
  これは、プ○ウスのブレーキが利かなくなる件でリコールした時に、副社長の一人が吐いたセリフ。 でもよー、ブレーキが1秒利かなくなる車が安全基準を満たしているとしたら、そんな安全基準にゃ何の価値もないで。

「アメリカで、(法律上)やってはいけないような事は、何もしていない」
  いやいやいや、アメリカの法律に関しては、あなた方より、アメリカ議会の方が、桁違いに詳しいと思いますよ。 なにせ、アメリカの法律を作っているのは、他ならぬアメリカ議会ですからね。 より詳しい方が、より詳しくない方を追求しているんだから、大きな事は言わない方がいいんじゃないの?


  アメリカ人が最も疑念を持っているのは、欠陥の根本原因を突き止めていないのに、直し易い所のみリコールして、この窮地だけを乗り切ろうとしているように見えるト○タの態度だと思います。 企業絡みの訴訟が日常茶飯事のアメリカでは、「企業は嘘をつくもの」という見方が定着しており、その嘘のつき方のパターンも知れ渡っています。 日本人が相手ならごまかせるような事でも、百戦錬磨のアメリカ人にはすぐ見透かされてしまいます。 「なめとんのか?」と思われているのは疑いないところでしょう。

  急発進・急加速の問題について、「電子制御に問題は無い」と言い切ってしまっているのは、非常によくありません。 「問題があるか無いか、分からない」というのが正解でしょう。 自動車メーカーは機械屋であって、電子装備は専門外ですから、そんなにはっきり断言などできるはずが無いのです。 おそらく、「電子制御に問題がある」と認めてしまうと、アメリカだけでなく、全世界で売った車全てがリコール対象になってしまうので、それを恐れているのだと思いますが、欠陥は欠陥なのであって、メーカー側の都合で随意に瞞着できるものではありますまい。

  アクセルが戻り難くなる欠陥で、「アメリカの部品メーカーが設計したアクセルに問題があった」と、まるで、アメリカ側のミスのように言ったのも、アメリカ人を怒らせたと思います。 言うまでもなく、製品の品質の最終責任は、販売ブランドを持っているメーカーに帰するのであって、設計したのがどの国の下請けだろうが、ト○タの責任は一厘たりとも減じはしません。 ト○タは、アメリカの部品メーカーが作ったアクセルのみの問題である事を強調し、別部品を使っている日本や他国に飛び火するのを避けたかったのかもしれませんが、その為に犠牲にされるには、アメリカ世論の怒りは大き過ぎたわけです。 無思慮ゆえに、対策が完全に裏目に出た格好。


  日本の世論では、「これは、アメリカ議会による吊るし上げであり、ト○タはスケープ・ゴートにされたに過ぎない」と見る向きもあるようですが、ちゃんちゃらおかしいです。 鋭く裏を見抜いているような口を利いて、その実、問題の本質が全然分かっていないのは、滑稽としか言いようがありません。 アメリカ議会の公聴会というのは、GMだろうが、フォードだろうが、問題を解決するためには、どこの誰でも呼び出して訊問するのであって、日本メーカーだからといって、差別するような事は無いです。 そもそも、呼び出している議員達も、自身や家族の中に、ト○タ車を使っている者がいるのであって、吊るし上げなどしたら、自分で自分の首を絞めてしまうではありませんか。

  下司の勘繰りに血道を上げている日本人に是非薦めたいのですが、科学的・技術的根拠も無しに、自国メーカーの肩を持つより、自分が乗っている車が大丈夫かどうか、まずそちらを心配した方がいいと思います。 ちなみに、日本では、車の欠陥が原因で事故が起きても、ほぼ100%が、運転者の操作ミスにされます。 車を対象にした事故調査委員会が存在しないため、警察レベルでは、メーカーの責任を追求する所まで事を大きくできないからです。

  日本の政府閣僚が、この問題について、対岸の火事みたいな感想を述べているのは、滑稽を通り越して、驚嘆に値します。 自分の国のメーカーが欠陥車を売ったというのに、危機意識ゼロ。 「公聴会に社長自らが出向けば、納得してもらえるだろう」などと、まるで、ト○タの関係者みたいな事を言っていますが、完全に立場を履き違えています。 政府の役割は企業を監督する事であって、肩入れする事ではありますまい。 むしろ、アメリカ議会と同様に、ト○タの社長を国会に呼び出し、独自に喚問しなければならないのです。 日本の道路には、アメリカ以上に、大量のト○タ車が走っているのですから。 何を寝惚けているのやら。


  つい二年ほど前まで、ト○タは、≪失敗しない会社≫と言われて、その経営手法を神業と看做すような風潮がありましたが、よくもまあ、これだけ、急転直下に信用が失墜したものです。 これでは、タイヤ・ハブの欠陥やリコール隠しで糾弾された時の三◇の醜態と選ぶ所がありません。 企業のイメージというのは、思った以上に、薄い氷の上に乗っているものなんですなあ。

  エコノミストや自動車関係のジャーナリストの中には、「この問題を乗り越えた後、ト○タはどのように再生すべきか」など論じている者が多いですが、気が早いにも程があります。 乗り越えられるかどうかすら、まだ分かっていないではありませんか。 確たる根拠も無いのに、未来当てごっこに興じるなっつーのよ。

  前例として参考になるのは三◇ですが、確かに現在、三◇に対する批判の声はすっかり静まっていますが、では、三◇が立ち直ったのかというと、そんな事はないのであって、パジェロやら、FTOやら、ランエボやら、GDIエンジンやら、最も勢いが盛んだった頃に比べれば、火が消えたように人気が落ち込んでいます。 三◇グループ以外の一般顧客の信頼を、未だに取り戻せていないのです。 ト○タがそうならない保証はどこにもありません。 車を買う客は、危険な車を最も敬遠するのであって、そのブランドが三◇であるか、ト○タであるかに、大した違いは無いと思います。

  「これを契機に、ト○タは、社内の気風を改め、顧客第一主義に立ち戻るべきだ」とかなんとか、これは、外部の批評家だけでなく、ト○タの経営陣の口からも出ている意見ですが、事はそんな、すっきり単純な話ではありません。 ≪顧客第一主義≫は、ト○タが一貫して実践して来た方針で、事業規模が急拡大した間中も、一時として途切れた事は無いです。 それは、ト○タ・グループの内部にいる人間なら、派遣社員ですら知っています。

  「顧客第一主義を蔑ろにしたから、欠陥車が出た」のではなく、「顧客第一主義を実践して来たにも拘らず、欠陥車が出た」のです。 だからこそ、問題が深刻なのです。 「社内の気風を変えろ」などと簡単に言いますが、今までにも全力でやって来たのに、どこをどう変えろというのか、逆に訊いてみたいです。

  そういえば、日本のマスコミも、今回は、ト○タをボロクソに叩いてますが、リーマン・ショックの直前までは、「世界に誇るカンバン方式」だの、「無駄を徹底的に省くト○タ生産方式」だの、「社員の創意工夫を最大限に生かすQC・提案制度」だの、「ついにGMを抜いて、世界最大の自動車メーカーに躍り出た」だのと、御用マスコミもビックリの持ち上げぶりだったのを、すっかり忘れてしまったようですな。 変節というか、宗旨変えといか、それだけ露骨に態度を豹変させて、よく恥ずかしくないよねえ。

  ト○タが調子が良かった頃には、自分自身はト○タと何の関係も無いにも拘らず、ただ自国メーカーであるというだけの理由で、自分が世界一になったかのように自慢高慢し、大口叩いていた奴らが、ト○タがコケた瞬間、まるで親の仇である事に気づいたかの如く、口を極めて扱き下ろす側に回ったのです。 卑怯千万! 先祖の顔が見てみたい。 ≪太平記≫の武士かよ。 少しは恥を知りな。


(註1)
【ナイチンゲール戦闘部隊】
  敵兵を、撃っては治し撃っては治し、攻撃と治療を繰り返す、従軍看護婦で組織された戦闘部隊の事。 殺したいのか治したいのか目的不明だが、結果的に死傷者が増える事だけは確か。 転じて、目的が相反する行為を同時に行なう事で、損害をどんどん増やしてしまう愚行を指す。

2010/02/21

井川ダム

前回に引き続き、≪紀行≫を書こうと思います。 といっても、何せ数年分も溜まっているので、今回紹介するのも、まだ三年前の話です。 ≪伊豆アンディランド≫の次というと、2007年の6月2日土曜日に行った、井川ダムになります。

  これはゴールデン・ウイークでも何でもない普通の土曜日だったのですが、その前日の金曜日が有休消化で休みになり、個人的に金土日と三連休になったので、「暇だから、バイクでどこか行くか」と思い立ち、「どうせ出掛けるなら、中日になる土曜日が良かろう」と思って、土曜に出掛けた次第。

  「よく、三年も前の事を覚えているな」と思うでしょうが、そんなこと覚えているわきゃないのであって、日記を調べて、思い出して書いているわけです。 やはり、日記は、どんなつまらん事でも、書いておくものですな。 どんな内容か、そのまま引用しますと・・・、


≪≪≪≪≪
  午前6時35分に出発。 7時35分に富士で休憩。 静岡駅前で曲がる交差点を間違え、通り過ぎてから曲がった為に、安倍川街道に入るのに手間取った。 8時35分に安倍川沿いの牛妻という所の神社で休憩。 油島から井川方面に曲がり、山中を走る。 9時35分に、井川ダムの手前8キロくらいの所で休憩。 峠の茶屋の残骸あり。

  10時10頃、井川ダムに到着。 巨大巨大。 ツーリングライダーが、三人ばかりいた。 井川展示館を見る。 井川本村のスタンドで給油。 店員の一人は指に刺青をしたおじさん。 もう一人の若い人が、ご丁寧に奥大井の観光マップをくれた。

  更に上流の畑薙ダムに向かう。 11時30分頃、畑薙第一ダムに到着。 広々。 井川ダムよりも大きく見える。 私のほかには車で来たおじさんが一人いるだけだった。

  そこから引き返して、12時半頃、井川に戻る。 途中、看板につられて、≪井川大仏≫を見に寄る。 井川本村にはコンビニが見あたらず、飲まず食わずで更に引き返す。

  午後1時ちょい前頃、安倍川沿いの≪サークルK≫でパン(116円)を一個買い、近くのスタンドの脇でキリンレモンの蓋付き缶を買って、そこで食べる。 目安にしていた1時15分前には牛妻まで戻れた。 帰りは標識に従い、静岡市街に入る前に静清バイパスに乗った。 もうバイパス高架の端の方だった。 安倍川街道自体が静岡市の西外れにあるから、考えてみればこれは不思議でも何でもない。

  その後、富士の道の駅で休み、後はノンストップで沼津に帰って来た。 予定通り、4時15分には家に着いた。 走行距離は250キロくらいか。 最近では相当走った方だ。 とにかく疲れた。 腰も痛い。 山道を走るのは技術的にも年齢的にも、もう無理かもしれない。
≫≫≫≫≫


  というような事が書いてあります。 いやあ、パソコンで日記をつけていると、こういう時に、コピー貼り付けで、そっくり持って来れて、非常に便利ですな。 手書きだったら、これだけ打ち込むのは一苦労ですわ。 ありがたやありがたや。

  補足しますと、私は静岡県東部の沼津市に住んでおり、井川ダムは静岡県中部に位置する静岡市の山中にあるので、まず静岡市の市街地まで行って、そこから安倍川沿いに北上し、途中で西に曲がって、山道を延々と走り、井川ダムへ向かうわけです。

  山に入ってからは、ほぼ一本道だったので迷う事は無かったのですが、その前に、静岡市街地で、曲がる交差点を間違え、安倍川沿いの道に出るのに時間を食ってしまいました。 大型二輪の免許を取った時、安倍川の河川敷にある試験場まで何度も来ていたのに情けない。 でもまあ、最終的には到着したから、いいんですがね。

  以下、いつものように、写真でご案内。 往路でも何枚か写真を撮ったんですが、休憩した場所とか、変な看板とか、どーでもいーよーな物ばかりなので、端折ります。 というわけで、いきなりダムの写真から。



  ≪井川ダム≫です。 越すに越されぬ大井川の上流にあり、南アルプスの山の中に突如として出現します。 中空重力式という変わった構造のダムで、堤の中が空洞になっているらしいです。 何となく、マチュピチュの遺跡っぽいですな。



  井川ダムの正式名称は、≪井川五郎ダム≫です。 建設した主任技師の名前だそうで、この土地が元々、井川という地名だったわけではないようです。 どうでもいいけど、この名板、≪井川五郎ダムー≫になってますな。 失われたムー大陸の方言でしょうか? そんな事はないか。



  井川ダムによってできた井川湖。 広いです。 関西方面からツーリングに来ていた二人連れが、「琵琶湖より広いなあ」などと話してましたが、嘘うそ嘘うそ! そんなに広いわきゃありまへんがな。 ダム湖は岸辺の角度が急で、緑が削り取られた部分が見えるので、すぐに自然湖と見分けられます。


  井川ダムのすぐ隣に、中部電力の電力資料館があります。 ダムの構造、電力会社の宣伝、井川周辺の自然などの解説が、パネル・模型・ビデオなどで展示されています。 入場無料。 私一人の貸切状態でしたが、独占しても虚しいだけの薄い内容でした。 山の急斜面にかぶせるように建てられているので、建物の構造だけは妙に複雑でした。



  井川ダムの構造模型。 こんな具合に、堤体の中が空洞になっているんですな。 総重量が軽いと何だか不安ですが、今まで崩れもせずにもっているという事は、一応計算が合っているんでしょう。 あくまで、今の所ですが。



  井川から少し上流へ遡った所に架かっている吊り橋。 大きく見えますが、幅は3メートルくらいしかなく、桁は木の板を並べたもの。 自動車用ではなく、人や自転車、せいぜい原付くらいまでが対象のようです。 高所恐怖症でなくても、この長さはちょっと怖いですな。



  井川ダムから川沿いの道を遡ること約一時間。 畑薙第一ダムに到着しました。 このダムは、中空重力式としては、日本最大だそうです。 水の色がセメント工場の排水のようで、現実離れしていました。



  ダムが全部そうだというわけではないと思いますが、井川ダムも、この畑薙ダムも、堤体の上が道路になっています。 たぶん、県道。 ダムは中部電力の物なので私有地ですが、ここを通らないと上流に進めないので、県道にせざるを得ないのでしょう。



  こりゃ何だ? と思うでしょうが、畑薙ダムの滞留物なんですな。 どうやら、上流で伐採された杉の皮のようです。 桧皮葺に使えると思うと宝の山に見えますが、拾いに行くのは命懸けになります。



  これまた一見しただけでは何だか分かりませんが、それがあーた、展望台なんですな。 この上に登ると、ダムの全景がよく見えるというわけ。 場所が広いから出来る事で、下界では見られない、なかなか洒落たデザインです。 



  中部電力のマスコットのようですな。 私は良く知りませんが。 同じ静岡県でも、沼津市は東京電力の支配下にあるので、中部電力の事情には、とんと疎いのです。 中部電力のサイトを見ても載っていない所を見ると、既に廃止になったキャラなのかもしれません。 秘境でのみ生き残ったか。



  これは畑薙第一ダムの近くにあった謎の建造物。 たぶん、ダムを建設する為の補助施設の跡ではないかと思います。 たとえば、これを土台にしてワイヤーを張り、資材を運んだとか。 写真だと分かりにくいですが、ぎっとするほど巨大な物です。



  超巨大ベルギー・ワッフル。 おそらく、土砂土砂っと崩れてしまったんでしょうな。 この赤石山脈近辺は、山肌が急峻な割に脆く、大規模な土砂崩れを起こす事で有名です。 名所になっている所もあります。 ちなみに、その後、県内ニュースで知ったところでは、この付近で、私が行った二年くらい後に大規模な崖崩れがあり、道が通行不能に陥ったらしいです。 もしかしたら、ズバリ、ここだったのかもしれません。



  井川ダムの近くまで戻って来ました。 ≪井川大仏≫の看板が目に入り、ちょっと寄り道してみたんですが、それほど大きな物ではなく、肩透かしを食いました。 台座を入れても8メートルくらい。 しかも、コンクリート製で、ありがたみが今一。 周囲に寺も無く、土産物屋も無く、いるのは私一人きり。 寂しい所でした。



  ここは、井川ダムから安倍川沿いへ戻る途中の道です。 山道は神経を使うので、疲れて疲れて・・・・。 30分に一度は休憩しないともちません。 こういう時は、撮る対象が無いので、とりあえず、バイクを撮っておきます。 こういう時でもないと、バイクの撮影なんかしませんから、後々結構、記念になるものです。


  以上、三年前の、≪井川ダム≫紀行でした。

2010/02/14

伊豆アンディランド

ふと・・・、「そういえば、随分長い事、≪紀行≫を書いていないなあ」と思いまして、調べてみたら、最後に書いたのが、2007年5月3日に行って、6月10日付でアップした、≪熱川バナナワニ園≫の記事でした。 それ以降も、ちょこちょこ、あちこち行っているんですが、写真をアップするのが面倒なばかりに、ブログ記事にするのを敬遠してきたのです。 ちなみに、私はブログ・サービスの画像アップ機能は、容量限度の関係で使っておらず、画像専門の無料サーバーを利用しているのですが、そのアップ方法が、結構面倒くさいのですよ。 しかし、今回、他にネタも無いので、面倒くささに耐えて、≪紀行≫をやってみましょう。

  古い方から片付ける事にして、≪熱川バナナワニ園≫の次となると、同じ日に、≪熱川バナナワニ園≫の後に寄った、≪伊豆アンディランド≫の話という事になります。 そうそう、今頃思い出しましたが、2007年6月10日に、≪熱川バナナワニ園≫の記事をアップした時、次の週に、≪伊豆アンディランド≫の記事を書くつもりでいたのが、いざ翌週になったら、他に書きたい事が出来てしまい、後回しにしている内に、忘れてしまったのですよ。 うーむ、我ながら、なんたるいい加減さ。 しかも、それを三年も経ってから突然、続きを書こうというのだから、ほとほと呆れた話。 親の顔が見てみたい。

  三年前というと、随分と昔の話ですが、そもそもブログの紀行文などというものは、いつ行ったかが問題なのではなく、作者が何を見、どう感じたかが重要な事なので、構わず書く事にします。 自動的に、行った時から現在までの間に、現地の状態が変わっている部分もあると思われますが、その点はご容赦あれ。 ≪伊豆アンディランド≫には、それ以前にも何度か行っているので、正面入り口とか、駐車場全景といった、いつ行っても大して変化が無い部分は写真を撮っていません。

  基本的な情報を書いておきますと、≪伊豆アンディランド≫というのは、静岡県伊豆半島は東南部の河津町にある、カメとスッポンを展示しているテーマ施設です。 陸亀もいるので、水族館というのも変ですし、さりとて動物園でもないし、テーマ・パークというにも規模が小さいし、≪テーマ施設≫としか表現できない観光地なんですな。 亀好きの間では聖地になっていますが、観光コースに入っている為、亀に全く興味の無い客もうじゃうじゃ来ます。

  更に付け加えますと、別にどーでもいー事ですが、≪アンディランド≫とは書くものの、実際の発音は、「アンディーランド」です。 この名称の由来は、開園した頃、アンディーという名のガラパゴス・ゾウガメがいたからなのだそうです。

  以下、写真でご案内。 ただし、一枚目は、途中で寄り道した、≪河津バガテル公園≫の写真ですけど。



  熱川バナナワニ園の後、昼食を食べるつもりで、≪河津バガテル公園≫に寄ってみたのですが、入場料1000円も取る割には、ただのバラ園で、しかも順路に日除けもないようだったので、入るのをやめました。 この炎天下に、日向で飯は食えませんや。 ちなみに、門前にあった≪入園上の注意≫によると、ここはカメラの三脚は使用禁止だそうです。 バラの根元に穴が開いてしまうからか、他のお客さんの迷惑になるからか、詳しい理由は不明。



  亀の写真は数十枚撮ってきたんですが、亀ばかり連続するのもなんなので、数枚に留めようと思います。
  これは、インドシナ・オオスッポン。 甲長、50センチくらい。 これでも相当な大物ですが、私が最初に来た11年前には、更に一回り大きい個体がいました。 たぶん他界して、今は二代目か三代目なのでしょう。



  これは、≪パンダ亀≫という通称がついていた亀です。 何かのアルビノ、若しくは部分的な色素欠落ではないかと思うのですが、正式な種名を読んでくるのを忘れました。 いずれにせよ、パンダにゃ見えませんな。



  こちらは、私が2009年の2月まで飼っていた葉菜と同じハナガメです。 葉菜が小さかった頃は、「アンディー・ランドのハナガメは大きいなあ」と思っておったのですが、今ではそれほど大きいと思わなくなりました。 ただ甲羅の高さは、こちらの方がありそうです。



  キバラガメのシンクロ。 北米原産のミシシッピー・アカミミガメ(ミドリガメの正式名)や、その近縁種のキバラガメは、何もしなくても水面近くに浮く事が出来ます。 手足の水掻きも大きくて、魚顔負けのスピードで泳ぎます。 現地の河川では、ワニの追撃を振り切るというから、大変な運動能力です。



  中庭にある、≪リクガメ・タッチ・コーナー≫。 ケヅメリクガメに、エサをやったり、触ったり出来るという場所なんですが、実はあまり感心しません。 亀は犬猫と違って、触られても喜ばず、却って嫌がるからです。 エサをやるのもまずいです。 亀は目の前にあるものはエサも指も区別しませんから、噛まれる危険性があります。 この写真くらいのケヅメだと、指を噛まれたら出血は免れないでしょう。



  中庭の隅にいたタンチョウヅル。 つがいで飼われているんですが、ケージが狭過ぎて、ちょっと飛び上がる事もままなりません。 単に、縁起物の≪鶴亀≫という関わりだけで、ここに閉じ込められているのは、相当気の毒です。



  アンディーランド名物、≪かめレース≫の様子です。 中庭に卓球台を四面並べたくらいのコースがあり、10匹のクサガメが障害物競走で順位を競います。 観客は勝ちそうな亀に賭け、勝つと景品がもらえます。 私は最初に来た時に一回勝って、キーホルダーを貰いました。 マイクを持っている人は、実況係の人。 名調子でレースを盛り上げます。



  ≪かめレース≫、出走後、一分くらい経過した所。 速い亀は結構速いです。 一応障害物競走なので、溝が掘ってありますが、物ともせずに超えて行きます。



  アンディーランドの中庭の隅から海岸へ下りていく事が出来ます。 岬に挟まれた幅100メートルほどの場所ですが、砂浜は無く、遠浅の岩場になっています。 干潮時には岩が露出し、磯遊びが出来るようです。



  干潮の岩場の足元。 沼津にも海はありますが、遠浅の岩場というのは無いので、私は磯遊びというのをした事がありません。 砂地での潮干狩りとは違い、岩場には岩場独特の生物がいるようです。



  中庭に戻って来ました。 これは、アカミミガメと錦鯉を放し飼いにしてある池。 屋内の水槽より、甲羅干しが出来るこちらの方が、亀は快適そうです。
  最初に来た時には、錦鯉がたくさんいたんですが、亀と共生は難しいのか、今は数匹になってしまいました。



  亀がいる建物とは別棟になるんですが、≪三界の美術館≫という施設が付属してます。 あの丹波哲郎さんが監修したという、霊界の仕組みを解説した十数枚の絵画を見る事が出来ます。 料金100円。 今回、閑だったので覗いて見たんですが、正直な感想、10円でも高いと思いました。 美術品としては、閻魔様の像の方が圧倒的によく出来ていると思います。



  以前、レストランがあった場所に、映画≪小さな勇者たち≫で使われた子ガメラが展示してありました。 確かにこれを保存するとしたら、アンディー・ランドは最も相応しい場所といえます。 それはさておき、このデカブツをどうやってここに入れたのか、それを考えると夜も眠れません。



  このアンディーランドにもバイク置き場が無くて、駐車場の隅の適当に空いている場所に停めました。 アンディー・ランドの場合、バナナワニ園ほどお客が多くないので、駐車場にはゆとりがあり、係員もいません。

  以上、三年前の、≪伊豆アンディランド≫紀行でした。

2010/02/07

ポニョ鑑賞

  今回は、珍しく、映画評を。 というか、≪崖の上のポニョ≫をテレビで見た後、個人サイトの日記で映画評を書いていたら、思った以上に長くなってしまったので、勿体無くなって、こちら用に移植したという次第です。


  社会現象的に騒がれた作品の批評は気が重いっすねー。 そこを敢えて言わせて貰えば、成功作か失敗作かという以前に、「話ができていない」と言わざるを得ません。 この作品を「面白い!」と感じる人は、≪部分≫を見ているのであって、映像作品でも小説でも漫画でも、物語の基本展開というものを知っている人なら、「なんか変じゃない?」と違和感を覚えるはずです。

  アンデルセンの≪人魚姫≫が元になっている事は、すぐに分かりますが、≪人魚姫≫が片思いの悲劇として構成されているのに対し、こちらでは、相思相愛のハッピーエンドにしようとした為に、後半がどうしてもおかしくなり、物語展開のセオリーを見失ってしまったものと推測されます。

  普通なら、宗介達が住んでいるリアルな世界に、ポニョという異世界の要素が入って来た事で引き起こされる、カルチャー・ギャップ的エピソードをテーマにすべきところなんですが、後半の纏め方に悩み過ぎたあまり、リアルな世界を壊して、舞台全体を異世界の方の色に塗り替えてしまいました。 これでは、ギャップが出ないので、前半部のリアル世界の描写が水の泡になってしまいます。

  この後半が苦肉の策で継ぎ足されたのは明白で、おそらく監督もスタッフも、何となくすっきりしないまま、締め切りに追われてゴーサインを出してしまったんじゃないかと思います。 こういう、お茶を濁すような纏め方は、創作活動をしているとよくある事ですが、注目度が高い作品だけに、お粗末さが際立ってしまいました。

  残念なのは、監督が、「大人は批判するかもしれないけど、子供は物語構成なんて分からないから、これでも行けるだろう」と判断したと見られる点です。 おそらく、100%子供向けとして作っているつもりだったんでしょう。 しかし、随分昔から言われているように、「大人が見ても面白い話でなければ、良い子供向け作品とは言えない」のでして、まして、老若男女、日本全国が注目しているとなれば尚更で、「これはないだろう・・・」と落胆しないわけにはいきません。

  では、どうすればよくなったか? とにかく、リアル世界を壊すのは以ての外です。 最後までリアル世界を主な舞台にしなければなりません。 嵐の海から突然現れた女の子がポニョである事に、宗介がすぐに気づいてしまうからいけないのであって、最後の最後まで気づかなくすればいいのです。 つまり、「あ! 君は、ポニョだったのか!」と驚き、二人で大喜びする場面をラストに持って来て、その間を、細々した、カルチャー・ギャップ的エピソードで埋めて行けばいいのです。

  ポニョの父や母はいらないのであって、原作通り、魔法使いだけ用意すればOK。 妹達は面白いので残して、ポニョがポニョである事を宗介に気づかせる応援をさせればよいでしょう。 ポニョは、原作通り、手足を貰う代わりに声を奪われる事にし、そのせいで自分が誰なのか伝える事が出来ず四苦八苦するけれど、宗介がポニョである事に気づけば、声が戻るという設定にしておけば、よりハッピーエンド度が高まります。 こういうストーリーにすると、話がかなり小粒になりますが、一般常識的に考えれば、まあ100倍は面白くなると思います。

  だけどねえ、今私が書いたようなストーリー展開は、物語を考えた事がある人なら、誰でも思いつくと思うんですよ。 なぜ、宮崎監督が、そちらを選ばなかったのかが解せません。 月並み、もしくは、安直だと思ったんでしょうか? ≪ハウルの動く城≫が、「分かり難い」と不評だったので、その反省に立って、分かり易い話として≪崖の上のポニョ≫を作ったと聞きましたが、どうして、より分かり易いストーリー展開を嫌ったのかが理解できないのです。


  ここまで貶しておいて、更に重箱の隅を突付くのは酷だと思うのですが、細部にも、黙って見過ごせないほど気になった事がいくつかあります。

  まず、宗介が、母親のリサを名前で呼び捨てにしている点。 まだ喋り始めの頃なら、父親が母親を呼ぶのを真似して、そうする事がありますが、幼稚園程度の年齢では、普通ありえません。 敬語を使わない言語圏であっても、父母を名前で呼び捨てするのは、相当稀だと思います。 「そういう教育方針の家庭なのだ」と言われてしまえば、納得せざるを得ませんが、そうなると、かなりいい加減な子育てをしている夫婦という事になり、物語の中心家庭として相応しくないでしょう。

  次に、嵐の場面で、リサが、船の引き上げ場を、無理やり突破する点。 すでに波が道路を洗っている状態で、「危険だから」と言って、係員が止めているのに、結局、突っ切って行きます。 子供を乗せているというのに、こんな無茶な事をやるのは、明らかに母親失格でしょう。 車が水にどれだけ弱いか分かっていない、科学技術の常識に欠けた愚か者とも取れます。

  そうそう、ちなみに、車が完全防水だと思っている女性は、実際に、結構いるようです。 「1万円程度の腕時計でさえ防水が当たり前なのだから、100万円以上する車なら、完全防水に決まっている」と勝手に思い込んでいるのだとか。 馬鹿か? 車は3000万円しても、日常生活防水じゃい。 大雨で冠水したガードに突っ込んで行って、身動き取れなくなる車がよくありますが、そういう運転手が車の防水性能をどう認識していたか、アンケートを取ってみると面白いでしょう。

  話を戻しますが、この場面、監督としては、リサの思い切りの良い性格を表現したかったのだと思います。 しかし、私が連想したのは、数年前、川の中州でキャンプをしていて、増水で流されて死者を出したグループの事件でした。 役所の人間が、「避難してください」と言いに来たのに、「子供がいるから、夜中に移動するのは却って危険だ」と、一聞もっともらしい理屈を並べて追い返してしまいました。 ところが、明るくなる頃には、岸に戻れなくなるほど増水してしまい、結局、何人も流されるという悲惨な結果を招きました。 大人は自業自得としても、子供は、大人の判断ミスの犠牲になったわけです。 さて、リサの取った行動は感心するようなものでしょうか。 私は、ただの軽率な人物としか思いませんでしたが。

  三つ目、リサが、宗介とポニョを家に残して、老人ホームへ様子を見に行く点。 これは不自然でしょう。 自分の家が確実に安全と分かっているならともかく、この時点でリサは、起こっている現象の原因について何も知らないのであって、家が水没する可能性もあったわけです。 そんな状況で、子供を放って、職場へ向かう母親がいるとは、とてもとても、到底到底、思えません。 行ったところで、何が出来るとも思えませんし、どうしても行くなら、宗介とポニョも連れて行けばいいのです。 なぜ、置いて行く必要があるのか、説明がつきません。 家が灯台代わりになっているから、明かりを点けておかなければならないと言っていますが、それは、子供が残っていなければいけない理由にはなりますまい。

  四つ目、ポニョの性格。 主人公というより、ヒロイン扱いですが、それにしても、キャラクターの描き込みが希薄だと思います。 宗介とハムと赤ん坊が好きという以外に、何も考えていないようで、3歳くらいなら、そんなものかと思いますが、5歳ともなれば、思いついた事をベラベラ喋って、周囲の大人を辟易させるくらいが普通ですから、ポニョの人格の極端な単純さには、違和感を覚えざるを得ません。 ヒロインとしての愛すべきキャラを感じないのです。

  五つ目、題名ですが、≪ポニョ≫は分かるとしても、なんで、≪崖の上≫なのか、今一つ分かりません。 確かに、崖の上の家に行きますが、一晩泊まっただけで、あとは別の場所で話が進むわけで、崖の上と深い関係があるとは思えないのです。 他にしっくり来る修飾語が思いつかなかったのなら、単に、≪ポニョ≫だけで良かったんじゃないでしょうか?

  六つ目、ストーリーではなく、アニメーションとしての出来ですが、ジブリ作品にしては、絵が雑な感じがしました。 いや、絵ではなく、色彩が雑なんでしょうか。 一つの画面で、それぞれの色が、バラバラになっていて、統一感に欠けているのです。 手描きで、結構お金をかけているのに、この絵柄の安っぽさはどうした事でしょう。 どうも、この作品は、粗ばかり目立ちますなあ。


  欠点が多過ぎて、今更バランスの取りようがありませんが、最後に良い点を上げますと、嵐の場面で、巨大な魚が波になってドシドシ押し寄せて来る所は、素晴らしかったです。 アニメでなければ出来ぬ、ど迫力映像ですな。 よく、ああいうイメージを思いつくものです。

  ベスト・キャラは、ストーリーから切り離して単独で見れば、ポニョの父のフジモトが面白かったです。 明らかに、中途半端な設定で、出来かけ半生でテーブルに供された料理みたいなキャラですが、そこが珍しくて、面白かったという意味。 全く同じ理由で、半魚人ポニョのキャラも珍しいっつやー珍しいですな。 ストーリー上は、なんで、半魚人段階が必要なのか、さっぱり分かりませんが・・・。 しかし、三本指というのは、半魚人というより、半鳥人っぽいですな。

  あと、良かった点と言うと、主題歌ですか。 これは、文句なしに、2008年の日本の歌を代表する曲になりました。 この曲だけなら、100点です。