2011/06/26

万城目学作品②

二回目にして、もうおしまい。 刊行されている本が少ないから、致し方ないです。 今回は、後ろ二冊がエッセイ集なのですが、かなり辛い感想を書いてあります。 万城目さんの盲目的ファンの方は、読まない方が良いかもしれません。




≪プリンセス・トヨトミ≫
  万城目学さんの長編小説第三作。 ≪鹿男あをによし≫でも驚いていたのですが、この作品では、更に作風が進化し、思わず、「うーむ・・・」 と唸らされる完成度の高さを見せています。 人間とは、ほんの数年の間に、こんなに成長するものなのでしょうか。 ≪京都→奈良→大阪≫と進む、近畿大都市シリーズの関連性が無かったら、別人が書いたのではないかと思うほど、それぞれ作風が異なっています。

  ≪プリンセス・トヨトミ≫という書名ですが、内容を直截的に表すのであれば、≪大阪国≫という名前にした方が的確です。 まさに、大阪国について書かれた小説なのですから。 豊臣家が滅亡した後、その子孫を隠密裏に守って来た大阪の町人達の組織が、明治維新後は、大阪府の成人男子200万人全員が参加する、≪大阪国≫となり、日本国と重なる形で暗然と存在しているというのが基本設定。 現在でも、豊臣家の直系子孫を密かに守り続けていて、それが女子中学生であるため、≪プリンセス・トヨトミ≫というわけ。

  この設定を読んだだけでも、この物語が、壮大な空想力の産物である事が分かりますが、ストーリーの展開も実に壮大でして、大阪国の危機に際して、200万人の内、120万人が大阪城に集合するという、とてつもない情景の場面がクライマックスになっています。 もちろん、現実にはありえない事なのですが、話の紡ぎ方が緻密且つ巧妙なために、本当にそんな事が起きているような気にさせられるのです。

  群像劇なので、主人公はいません。 主要登場人物は、三群に分かれています。
  一つは、日本国の会計検査院の役人。 大阪国は暗黙の合意により日本国からその存在を認められているのですが、毎年5億円の予算を取っているために、会計検査院が調査に入るのです。
  一つは、豊臣家の末裔である女子中学生と、その幼馴染である性同一性障害の少年。 および、彼らと悶着を起こす同じ学校の生徒達。
  一つは、総理大臣を始めとする、大阪国の指導部の面々。

  この三者が入り組んで、≪会計検査院×大阪国≫という対立軸を構成し、非常に分かり易く、話が進んで行きます。 これだけ荒唐無稽な設定であるにも拘らず、実に自然にストーリーが流れていくのは、正に神業的技量。 繰り返しますが、≪鴨ホル≫と同じ人が書いたとは、とても思えません。

  ≪鴨ホル≫と≪鹿男≫は、全編標準語でしたが、この作品では、セリフの部分が大阪方言になっています。 それが、大変カッコいい。 万城目学さんは大阪の出身なので、本物の大阪方言を自在に使いこなせるわけです。 これが、「大阪出身者でなければ、決して、こういう作品は書けなかっただろう」 と思わせる要素の一つになっています。

  あまり誉めすぎるのも癪なので、強いて難を言うならば、「豊臣家というのは、子孫を大切に守ってやるほど、大阪にとって価値がある家系だったのかなあ・・・?」 という気がせんでもなし。  しかし、「豊臣家の子孫を守る」 というのは、大阪国のシンボル的な存在理由に過ぎず、大阪国を維持する真の意義は、「父から息子に伝えられる、≪信用≫の継承なのだ」 と説かれるに至って、「ははあ・・・、深い所まで、よく練ってあるのう」 と、感服します。

  大阪府の人も、それ以外の地域の人も、一読の価値あり。 長いですが、どこを切っても面白いので、途中で飽きるような事は、まずないと思います。




≪ザ・万歩計≫
  万城目学さんの、初エッセイ集。 小説の方を読み終えたので、ついでに図書館にあったエッセイ集の方も借りてみたんですが・・・・、うーん、まあ、こんなものかなあ・・・、という感じでして、評価以前に、感想が湧いて来ません。

  現代に於けるエッセイは、作家に関係なく、みんな同じ問題を抱えていると思うのですが、一冊の本にして出版するほどの価値が無いのではないかと思うのです。 昔は、著名作家のエッセイ集といったら、作品の一部として公認されていたのですが、ネットでブログが登場してからこっち、エッセイは一般人でも書ける最底辺の文学ジャンルになり、価値がガクンと落ちてしまいました。 実際、この本に載っているエッセイを読んでも、ブログ作者達が書く記事と、根本的な違いが感じ取れません。

  プロの作家だからといって、年柄年中・四六時中、変わった体験ばかりしているわけではないので、結局は、身近な出来事とか、思い出話とか、旅行記とか、そんな所に落ち着いてしまいます。 そういう内容ならば、一般人でも書けるというのですよ。

  もちろん、プロ作家ですから、文章は一般人より巧いですが、それも良し悪しでして、エッセイにはそもそも、≪巧さ≫よりも、≪率直さ≫の方が強く求められる傾向があり、その点、この本のエッセイは、出来過ぎてしまっている感が無きにしもあらず。

  全部で31編ありますが、その中で良い物を挙げますと、≪夜明け前≫、≪白い花≫、≪大阪弁について私が知っている二、三の事柄≫、≪技術の時間≫、≪藪の中≫、≪ねねの話≫、≪っち≫、≪Fantastic Factory Ⅱ≫、といったところ。

  ≪白い花≫と、≪ねねの話≫は、身内の死を扱ったものですが、感情を抑えて淡々と語っていくところは、やはりプロならではと思わせます。 ≪藪の中≫は、作者の子供の頃に見た不思議な鳥の話ですが、鳥そのものよりも、一緒に見たはずの家族の記憶にズレがあるいう点が興味深いです。

  ≪っち≫は、作者が以前勤めていた会社の話。 静岡県の工場に赴任するのですが、方言を知らずに、言葉の意味を取り違えていたという内容。 確かに、静岡では、「○○達」の事を、「○○っち」と言います。 でも、関東の方でも、「俺っち」とか言いますぜ。 ちなみに、万城目さんは、大阪の人です。

  ≪大阪弁について私が知っている二、三の事柄≫も言語関係で、標準語のつもりで書いたのに、編集者に修正され、初めて大阪弁だったと気づいた言葉がいくつかあるという話。 たとえば、「声を震わして」は大阪弁で、標準語では、「声を震わせて」になるのだとか・・・・。 え゛っ? 私は静岡県東部の人間ですが、初耳です。 少なくとも私は、両方とも使います。 国語辞典で、「震わす」と、「震わせる」を引くと、活用形が違うだけで、どちらも同じ意味で載っており、方言という説明はありません。

  更に、「合わして」と「合わせて」も同じ関係だと書いてありますが、そちらも初耳。 いやいやいや、両方使いますって。 おかしいのは、わざわざ修正を求めた編集者の方でしょう。 自分が今までの人生で、「合わせて」という言い方しかして来なかったものだから、「合わして」を、万城目さんの出身地である大阪の方言と決めつけてしまったんじゃないでしょうか。 いるんだわ、そういう自己中心的な輩が。 特に、東京周辺に夥しく。

  言語には、≪幅≫というものが必ずあり、個人により、家族により、町内により、地域により、少しずつ使う言葉が異なります。 方言の違いは、正に、その幅のズレが大きくなって生まれるものです。 そして、標準語は、方言の最小公倍数的に成立するので、一つの方言よりも、語彙を多く含みます。 「合わす」と「合わせる」は、釣りが来るくらい充分に標準語に含まれていると思いますぜ。 大体、聞いたり読んだりした時、意味が通じれば、それはもう、方言とは言えません。

  「すごく面白い」を「すごい面白い」と言うのは、確かに大阪弁の出だと思いますが、これも全国区で通用しますから、もはや方言とは言えないでしょう。 意味を取り違える奴がいますかね? 私も、普通に使ってますよ。 お、いかん、言語関係の話だったので、ちょっとムキになってしまいました。 失敬失敬。

  ≪Fantastic Factory Ⅱ≫は、これも静岡の工場にいた頃の話ですが、変わった癖のある先輩のエピソードで、何とも言えず、可笑しいです。 このエッセイ集の中では、最も記憶に残りそうな一編。 




≪ザ・万遊記≫
  これも、万城目学さんのエッセイ集なんですが・・・・・、いやはや、ちいっと、参ったな。 一言で言うと、「こてこて」でして、大阪市民ならでは、ついていけない感があります。

  ≪ザ・万歩計≫の感想で、「いまや、エッセイは、ブログ記事と大差ない」 と書きましたが、この≪ザ・万遊記≫は、≪ザ・万歩計≫より、尚その傾向が強く感じられます。 このレベルの内容なら、特段 文章が巧くない人のブログでも、普通に見る事ができると思います。

  特に悪いのが、スポーツ観戦記でして、思わず目が据わるほど、全っ然、面白くありません。 スポーツの試合というのは、自分がそれを見ていなければ、どんなに言葉で解説されても、なかなか興味を抱く所まで行かないものです。 スポーツ専門の雑誌に載せるだけならともかく、エッセイ集に入れるのは無理があるでしょう。 スポーツ観戦記で唯一読み応えがあるのは、フットサルの試合で著者がアキレス腱を切ってしまう一編だけ。

  温泉地へ行って、温泉に入る傍ら、その近場でスポーツ観戦するという、奇妙な企画があるのですが、これがまた、非常につまらない。 こんなお寒い企画、誰が考えたんでしょう。 著者は、それを真面目に実行するわけですが、温泉の体験記なら、テレビの旅番組の方が、映像がつく分、遥かに情報量が多いのであって、エッセイでは、相手になりません。

  北京五輪は、現地に行き、日本代表が出る7つの試合を見た感想が書かれていますが、5泊6日もかけて、たったそれだけしか見ないというのは、あまりにもしょぼい。 家にいながらテレビで見れば、優にその3倍は見れたでしょう。 北京ついでに長城を見に行って、雷雨に見舞われ、ずぶ濡れになった件りなど、読んでいて、寒くて仕方ありません。

  次にまずいのが、≪渡辺篤史の建もの探訪≫に関するシリーズです。 いくら細かく書いても、所詮、テレビ番組の感想に過ぎないわけで、こういうのは、エッセイとは言わないでしょう。 このシリーズ、とある雑誌に、一年間連載されたものだそうですが、その雑誌も雑誌で、一体何を考えて、依頼したのやら。 こういう物を読んで喜ぶのは、番組のスタッフだけだと思います。

  至って真面目な提言ですが、万城目さん、エッセイの仕事は暫く断り、小説執筆に専念した方が、先々、良かろうと思います。 あとがきで、著者自身も、「書き散らした」 と表現していますが、正にその通りでして、≪雑文≫としかいいようがないレベルです。 まだ、長編3作しか世に出していない段階で、雑文にかまけていたのでは、作家としての名声を確立する前に、読者によーく軽んじられてしまいます。 せっかくの才能を、こんな事に浪費したのでは、あまりにも勿体無い。

  僅かに面白いのは、≪小公女≫のアニメ版への恨みの一編と、井上靖の小説を一気読みした感想を述べた一編。 さすが、構成の腕に覚えがあるだけあって、文学論の鋭さは大したものです。 この本を読んで分かったんですが、万城目さんは、元々、歴史小説家志望だったようで、≪鴨ホル≫的作品の方が、特殊なケースだった模様。 短期間で成長したのではなく、二作目、三作目と、少しずつ、自分の得意な領域に戻して行ったわけですな。

  もう一つ、万城目さんが大学卒業後、数年間勤めていたのは、どうやら、長泉町の東レだったようです。 社名は書いてありませんが、静岡県東部で、沼津に近い繊維会社というと、東レくらいですから。 冬でも蚊が生きていて、驚いたそうです。 確かに、私の家の辺りでも、かなり寒くなるまで、蚊は飛んでいます。 ただ、秋冬の蚊は、刺さないので、あまり気にしてはいませんが。


  以上、三冊で、とりあえず、万城目学作品の感想は終わり。 最新単行本の、≪偉大なる、しゅららぼん≫は、すでに図書館に入っているのですが、予約がいっぱいで、当面、読めそうにありません。 最初に見た時、8人待ちだったのが、2、3日したら、16人になっていて、思わず、眉間に皺が寄りました。 今さっき調べてみたら、18人。 ううむ、さすが万城目作品と感服すべきか、はたまた、「三冊くらい、購入しろよ」と、図書館に言うべきか。

  「人数がいつまで経っても減らないのなら、お前も予約しておけばいいだろう」と思うでしょうが、私の場合、人様を待たせてまで、早く読みたいとは思わないのです。 まあ、一年もすれば、予約数も減るでしょう。

2011/06/19

万城目学作品①

森見登美彦さんの本を一通り読み終えた後、ごく僅かな関連で、万城目学(まきめ・まなぶ)さんの本へ、読み移りました。 で、岩手へ行く直前まで、万城目さんの本を読んでいて、読み終わる毎に感想も書いていたのですが、それを、二回に分けて、出します。

  関連というのは、森見さんのエッセイの中に、万城目さんの名前が出て来て、ちょっと調べてみたら、数年前にテレビ・ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の作者である事が分かったからです。 同じ頃、映画化された、≪鴨川ホルモー≫の方も、名前は聞いていましたが、そちらは未見。 今、≪プリンセス・トヨトミ≫が映画化されて、劇場公開中ですが、それも見に行く予定はありません。 いや、単に私が、映画館に行かないドケチだからで、中身がどうこうという話ではありませんが。

  ちなみに、森見さんと万城目さんは、ともに、京都大学の卒業生という共通点があります。 同年ではなく、森見さんの方が、何歳か若い様子。 森見さんは奈良出身ですが、万城目さんは大阪で、気質も作風も、全く違います。 どちらも、京大生を主人公にした小説で世に出て来たので、一時期、同じカテゴリーに括られてしまったようですが、とんだ勘違いというもの。




≪鴨川ホルモー≫
  万城目学さんのデビュー作。 ≪ボイルドエッグス新人賞≫の受賞作との事ですが、この賞自体が初耳で、詳しい事は分かりません。 万城目さんの作品というと、数年前、テレビで連続ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の方が有名でしょうか。 この≪鴨川ホルモー≫も、映画化されているのですが、映画だとどうしても、知名度に限界があります。

  京都にある四つの大学に、小さな鬼を戦わせる≪ホルモー≫と呼ばれるサークルがあり、京大のそれにスカウトされてしまった一回生達が、二年の間に、世にも奇怪な体験をする話。 オニ達は、普通の人間には見えず、オニ語を覚えて、儀式を済ませた者に対してのみ、姿を顕わにします。 学生達は、十人で一チーム、一人当たり百匹のオニを使い、他の大学とオニ同士を戦わせます。 「ホルモー」というのは、手持ちのオニを全滅させられてしまった時に、使い手の口から発せられる叫び声の事ですが、この言葉の役割が、ラストで大きな意味を持つように仕掛けられています。

  と、こんな風に書いて来ると、アニメっぽい異界物のようですが、実際には、ベタベタの恋愛青春小説でして、ホルモーは薬味みたいなものです。 しかも、文体が、ライト・ノベルズ風でして、時折出て来る知性的な形容句がなければ、「読むのをやめようか…」 と悩んでしまうほど、軽いです。 この作品は、読書界でかなり話題になったらしいのですが、だとすると、今の読書界のレベルは、私が思っていた以上に、軽い方向へ流れているようですな。

  人間がオニを操って戦わせるというアイデアは、≪ポケモン≫の亜流でして、さしてオリジナリティーはありません。 そして、そこを除外してしまうと、本当にただの恋愛青春小説なのです。 誰と誰がつきあってるとか、誰が誰に片思いとか、いい歳こいた大人である私としては、赤面せずには読み進められないような内容。 だけど、10代20代の読者で、頭の中が異性の事で埋まっているような年頃なら、充分楽しいと思います。

  主人公の青年の一人称で書かれているのですが、この青年がパッとしないキャラでして、その考え方や行動様式に、なかなか共感する事ができません。 道化というのも誉めすぎで、これでは、単なるアホでしょう。 終盤、サークルの内紛で、恋敵と対決する事になるのですが、善玉であるはずの主人公が中途半端なので、悪玉の方も中途半端で、対立の構図が成り立ちません。 もしかしたら、続編を書くつもりで、キャラの特徴を際立たせるのをためらったのかもしれませんな。 実際、≪ホルモー六景≫というスピン・オフ的な短編集があるのです。

  ただ、万城目さんは、その後、このデビュー作からは想像できないほど、作風が変化して行ってしまいます。 もし今から、この小説の本格的な続編を書くように求められたら、きっと、大変困ると思います。




≪ホルモー六景≫
  万城目学さんの短編集。 書名の通り、≪鴨川ホルモー≫に関連する物語が、六編収められてます。 いずれも、続編ではなく、時間的に、≪鴨ホル≫と同時期のエピソードが多いです。 ≪鴨ホル≫では書ききれなかったサブ・ストーリーを、肉付けして、独立させたとでも言いましょうか。 スピン・オフと言ってもいいのですが、≪鴨ホル≫の脇役を主役に据えているわけではなく、≪鴨ホル≫の登場人物が出て来るにしても、やはり脇役です。 主役は、全く別の人。

【鴨川(小)ホルモー】
  京産大学ホルモーの紅二点、互いに男運の無い二人の女子学生の、友情と裏切りの経緯を描いた話。 コメディーとして読むなら、「そこまでやるか・・・」 という感じで、楽しいです。

【ローマ風の休日】
  ≪鴨ホル≫の実質ヒロイン、楠木ふみの、バイト先でのエピソードを取り上げた話。 バイト仲間の高校生に頼まれて、数学の問題を解いてやる件りなど、いかにも青春小説という感じがします。 図入りで解説するほどの問題ではないような気もしますが。 割と、さらっとした雰囲気の話です。

【もっちゃん】
  これは秀逸。 ショートショート的な切れ味で、読者を鮮やかに騙してくれます。 ネタバレすると台無しになるので、ここでは多くを語りません。 一読の価値あり。

【同志社大学黄竜陣】
  この作品が、最もボリュームがあります。 ≪鴨ホル≫で、ホルモーに参加する大学は四つで、同志社は含まれていないのですが、実は、伝統が断絶していただけで、本来は参加資格があり、ある女子学生が、それと知らずに封印を解いてしまうという話。 ≪鴨ホル≫で敵役になった芦屋が絡んでおり、その点、あまり爽やかな雰囲気とはいえませんが、「そうか、この後は、五校の対決になるのか」 と、その期待だけで、ワクワクさせてくれます。

【丸の内サミット】
  京都の別々の大学を出て、東京で就職したホルモー学生二人が、たまたま合コンで出会って驚き、東京でもオニが見えてしまって、ますます驚く話。 これも、ネタバレ注意なので、詳しく書けませんが、ま、そんなに意外な展開ではありません。 

【長持ちの恋】
  ≪鴨ホル≫に於ける、好感度ナンバー1キャラ、高村君が出て来ます。 脇役というか、ちょい役ですけど。 主人公は、高村君とは別の大学の女子学生。 バイト先の料理屋で、蔵の長持ちの中に、不思議な板を見つけ、織田信長の家来と、時間を超えた文通をする話。 ≪イルマーレ≫や、≪リメンバー・ミー≫と同じアイデアですな。 クライマックスの盛り上げ方も、ほぼ同じ。


  余談ですが、万城目さんの単行本では、表紙絵やイラストを、石居麻耶さんという画家が一手に描いています。 この方、本業の絵の方は個性的で良いと思うんですが、イラストになると、いかにも漫画然としてしまい、はっきり言って、下手。 とても玄人の仕事とは思えず、私はまた、万城目さん自身が、別名で描いているのかと思いました。 構図が・・・、いや、デッサンが・・・、いや、遠近感が・・・、とにかく、何か変な絵なのです。




≪鹿男あをによし≫
  これは、数年前、テレビの連続ドラマになった作品。 私も毎週楽しみに見ていて、今でもはっきり覚えています。 話が複雑なので、ドラマを見ていない場合、どういう物語かを説明するのは、かなり難しいですな。 現代縁起物ファンタジーとでも分類しましょうか。

  関東の大学で研究に行き詰った20代後半の青年が、奈良の私立女子高に期間限定の教師として赴任するのですが、奈良公園で喋る鹿に取り付かれてしまい、鹿の姿に変えられた自分の頭を元に戻すために、「目」と呼ばれる、大地震を鎮める道具を追い求める話。 実際は、もっと複雑で、とても短文では書ききれません。

  ≪鴨ホル≫と明らかに異なる点は、この作品が、行き当たりばったりではなく、構成を事前に計算して作られている事です。  おそらく、ストーリーの進行表のような物を作って、綿密に伏線を張りつつ、細部を肉付けするという手法を取ったのでしょう。 全く、よく出来ています。 こういうアイデアを思いつくのも大したものですが、それを辻褄が合うように配慮しつつ、読み応えのある物語に組み上げる技量には、感嘆せざるを得ません。

  ストーリーは、ドラマとほとんど同じです。 セリフも、原作の物をそのまま採用したものが多かったようですな。 原作が、よく出来すぎているために、脚本家も弄りようがなかったのでしょう。 際立った違いというと、主人公の同僚教師になる藤原先生が、原作では妻子持ちの男なのに、ドラマでは、独身の女になっていた点でしょうか。 原作では、主人公本人は恋愛に無縁なので、ドラマでは、色を付けるために、藤原先生を女に変えたものと思われます。 好人物なせいか、男でも女でも違和感を覚えないのは不思議なところ。

  ドラマでもそうでしたが、原作でも、圧巻になっているのは、≪大和杯≫争奪戦の剣道部の試合場面です。 かなりのページ数を割いてあるのですが、思わず本に目が近づくほどに面白いので、長さを全く感じさせません。 少年漫画のアクション物で使われる技法をうまく取り込んでいるんですな。 原作を読んでから、ドラマを思い返すと、「見事に映像化したものだなあ」 と、つくづく感服します。

  剣道部の試合場面があまりにも盛り上がるために、本当のクライマックスが些か霞んでしまうのが、欠点といえば欠点でしょうか。 原作では、藤原先生との色恋沙汰が無い上に、マドンナ長岡先生に憧れるという図式も無く、ヒロインは、謎の生徒、堀田イト、オンリーになっています。 ラストは、ドラマにもあった、駅のホームでの別れのシーンですが、堀田がヒロインであればこそ、あの場面が生きてくるわけですな。 納得しました。

  万城目さん、この作品辺りから、長編小説の書き方を自家薬籠中の物としたように見受けられます。 この作品なら、大人の読書家の鑑賞に充分に耐えられます。 釣りが大量に来るくらい。 逆に、≪鴨ホル≫を読んで、万城目さんの事をライトノベルズ作家と見做していた低レベルの読者達は、あまり面白さを感じなかったんじゃないでしょうか。 何と言っても、恋愛がテーマではないし、20代前後のピチピチした若い男も出て来ないからです。

  先々の事を考えれば、作者が歳を取るにつれて、青春物は書けなくなるわけですから、そんな物ばかり期待している連中に媚を売り続けるのは自殺行為というもの。 多少ファンの数が減ったとしても、こちらの方向性で、絶対正しいと思います。


  今回は、以上、三冊まで。 森見さんに比べて、万城目さんの本は数が少ないので、三冊ずつでも、来週で終わってしまいます。 例によって、図書館で借りて読んだわけですが、書架にあるのを見つけて借りたのは、≪ホルモー六景≫一冊だけで、他は全て、予約を入れて順番待ちをしなければ、手に入りませんでした。 この引っ張り凧ぶりは、森見さんの本の比ではありません。

  なんで、こんなに人気があるのかと言えば、恐らく、ライト・ノベルズと一般読書人の両方に読者を持っているからだと思います。 読書人の世界は、典型的なピラミッド構造ですから、数を売ろうと思ったら、「軽いものしか読まない」という階層を取り込むのが一番。 もっとも、万城目さんは、もう、ライトを書けなくなっていると思うので、今後、そちらの読者は減って行くと思うのですが。

2011/06/12

読破・森見登美彦作品③

森見登美彦作品の感想の続き。 今回で、とりあえず、最後になります。




≪夜は短し歩けよ乙女≫
  森見登美彦さんが、≪山本周五郎賞≫を受賞した作品。 題名だけ見ると、青春小説のイメージしか湧かないので、山本周五郎とどうしても結びつかなかったんですが、いざ読んでみたら、やはり、青春小説でした。 なんで、この作品が山本周五郎賞なのか、皆目解せないわけですが、文学賞と作風の関係なんて、そんな緩いものなのかもしれません。

  たとえば、直木賞あたり、名前こそ超有名ですが、直木三十五がどんな小説を書いていたか知っている人は、甚だ稀でしょう。 誰も知らないという事は、つまり、読み継がれて来た作品が一つもないスカ作家である証明なのですが、なぜか、文学賞だけは残っています。

  おっと、いきなり脱線しましたな。 で、この作品ですが、短編を四部合わせて、一作品としたもので、登場人物と世界設定は共有していますが、それぞれ別の作品として読んでも、さほど問題が起きない独立性を持っています。 基本的に、全ての話が、≪彼女≫と≪先輩≫の一人称を交互に並べる形で進行します
。 つまり、主人公は二人いるわけですな。

  彼女は、大学の一回生。 先輩というのは、同じクラブにいる二回生で、彼女に片思いしているものの、なかなか近づけず、「外堀を埋める」と言いつつ、情報収集に尾行、意図的な≪偶然の出会い≫ばかりを繰り返している、情け無い青年です。 もちろん、舞台は京都。 こう書いて来ると、≪太陽の塔≫や、≪四畳半神話大系≫の世界を組み直している事が分かると思いますが、森見さんは、この頃、倦まず弛まず、そういう組み直しに精を出していたんですな。

  第一部は、夜の盛り場で、彼女が酒豪ぶりを発揮する話。 第二部は、下鴨神社の古本市で、彼女が子供の頃に読んでいた絵本を探す話。 第三部は、大学の学園祭で、演劇部のゲリラ上演のヒロインにされてしまう話。 第四部は、京都中に蔓延する風邪の流行を、唯一風邪を引いていない彼女が止める話。 ≪夜は短し・・・≫という題名は、本来、第一部につけられたものであり、後の三部は、夜とは関係ありません。 いずれも凝りに凝った書き込みで、大変面白いですが、第三部で盛り上がり過ぎるせいか、第四部の風邪の話では、ちょっとうら寂しい雰囲気になります。

  森見さんには、妹さんがいるらしいのですが、身内というのは女性観察の参考にはならないらしく、この作品に出て来る≪彼女≫は、およそ現実の女性像からは掛け離れています。 18・19歳の女性が、こんなにピュアでは、とても生きていられますまい。 腐女子になら存在するかも知れませんが、腐女子は、こんなに積極的に他者と関わったりしないでしょう。 思うに、≪彼女≫の精神年齢は、5歳くらいじゃないでしょうか。

  ただ、現代ファンタジーとして見るなら、そういう点はあまり厳しく取らなくても良いと思います。 彼女の現実離れしたピュアさが、この作品に高い品性を与えているのも事実です。 あまり現実的にすると、昨今の女性は正直ですから、吐き気を催すほど、下劣な話になってしまいます。 朝から晩まで、男の事しか考えていない≪乙女≫なんて、ありえないですからねえ。

  見事! と思うのは、学園祭を歩く時の彼女のスタイルでして、模擬店の射的で当てた大きな緋鯉のぬいぐるみを背負っている姿というのは、想像するだに愉快です。 よく、こういうイメージを思いつくものですなあ。




≪宵山万華鏡≫
  森見登美彦さんは、出版した作品を自分の子供と考えていて、性別まで別けているのですが、≪夜は短し歩けよ乙女≫が長女、この≪宵山万華鏡≫が次女で、他はみんな男だそうです。 ≪夜は短し…≫は、主人公が女性なので、すんなり納得できます。 一方、≪宵山…≫は、六つの章から成る内、三人称が三章、男の一人称が二章、女の一人称が一章で、特段、女性っぽい特徴はありませんが、最初と最後の章で、幼い姉妹が主人公になるので、その関係で、次女なのかもしれません。

  章と書きましたが、それぞれ、≪宵山姉妹≫、≪宵山金魚≫などと、作品名を持っており、独立した短編のような体裁になっています。 ただし、各編、人称や主人公こそ違うものの、内容は密接に関連しており、やはり、一つの作品の章と考えるべきでしょう。

  ある年の京都、祇園祭宵山の一夜に平行して起こった幾つかの出来事が描かれます。 ≪宵山姉妹≫、≪宵山回廊≫、≪宵山迷宮≫、≪宵山万華鏡≫の四章は、≪きつねのはなし≫と同類の怪奇譚。 ≪宵山金魚≫と、≪宵山劇場≫の二章は、森見さん十八番の、腐れ大学生物です。 両者、全く異質でありながら、配合が巧みなので、怪談風の暗い雰囲気になるのをうまく防止しています。 ただ、これが、計算なのか、行き当たりばったりに書き足した結果なのかは、見分けかねます。

  私個人として、一番面白かったのは、やはり、腐れ大学生がおよそ意義のない事に情熱を注ぐ、≪宵山金魚≫と≪宵山劇場≫の二章ですな。 先に結果を見せておいて、後で種明かしをする倒立手法の効果で、面白さがぐんと引き立っています。 森見さんは、物語を構成する上で、大技はあまり使わないけれど、小技をたくさん盛り込む傾向があり、ここでは、その小技が非常によく利いているのです。

  怪奇譚として秀逸なのは、最初の≪宵山姉妹≫です。 幼い姉妹の妹の方が、宵山の人混みの中で姉とはぐれ、赤い浴衣を着た幼女達に異界に連れ去られそうになる話ですが、妹の不安な心理が実にきめ細かく書き込まれていて、読んでいるこちらにまで、心細さが伝染してきます。 迷子になった経験がある人なら、胸のざわめき無くして読み進める事はできないでしょう。 この一章は、単独で、一級の純文学作品たりえます。

  最終章は、幼い姉妹の姉の方の話になりますが、彼女が迷い込む異界の案内役として、大坊主と舞妓が出て来ます。 面白い事に、腐れ大学生達がでっち上げた≪宵山劇場≫にも、大坊主と舞妓が出て来るのですが、そちらは偽者、こちらは本物で、読者は両者のイメージがダブって、「これは、本当の話なのか、それとも、大学生のドッキリ劇の続きなのか・・・」 と錯覚せずにはいられません。 うーむ、小技が利いてますなあ。 他の章にも、イメージのダブりを利用している所がいくつかあり、読者は常に、現実と幻想の合間を行ったり来たりさせられます。

  大学生のドッキリ劇は、≪夜は短し…≫の第三部と繋がっていて、そちらで演劇部の美術係を務めたという男女二人が、こちらでは、物語の中心人物になります。 森見さんの作品世界は、大脳のニューロンみたいに、妙な所で繋がり合っていて、壮大なネットワークを構成しているわけですな。 もっとも、外見が壮大だからといって、構想まで壮大とは限らず、行き当たりばったりで、使えそうなリンクを使っているだけなのかもしれませんが。




≪ペンギン・ハイウェイ≫
  森見登美彦さんの最新長編小説。 ですが、実際に書かれたのは、すでに数年前です。 森見さんの作品は、書き下ろしよりも、雑誌連載の方が多くて、複数の作品を平行して執筆している模様。 舞台が京都ではなく、不特定の郊外の町になるなど、この作品が、他の作品と著しく毛色が異なるため、「こっちの方向へ進んでいるのか」 と早合点してしまう読者もいるかもしれませんが、そんな事は無いと思います。 恐らく、「ちょっと、変わった趣向にチャレンジしてみた」という程度の事ではないでしょうか。

  小学四年生の、研究好きな少年が主人公。 彼の住む町に、たくさんのペンギン達が現われたのを皮切りに、異様な生物の出現、≪海≫と名付けられた正体不明の球体の膨張など、異世界からの干渉が徐々に強まっていく話。 オカルトよりは、SFに近いですが、科学的な裏付けがあるアイデアではなく、≪SF風≫とでもいうべきカテゴリーの作品です。 スタニスワフ・レムの、≪ソラリス≫を読みながら書いたそうですが、≪海≫の特徴などに、そんな雰囲気が感じられます。

  森見さんは、京大で農学をやっていた人で、一応、理系なんですが、理系らしいのは頭の良さだけで、気質的にはどっぷり文系であり、SFがどういう物なのか、どうすればSFの条件を満たせるのか、今一つ掴みきれていないように見受けられます。 SFファンに読ませれば、十人中十人が、「これはSFではありません」 と言うでしょう。

  もし、SFにするのならば、途中で日常と特異を逆転させ、少年の住んでいる世界の方を異世界にしてしまえば、面白くなったと思います。 少年の目線で、ごく日常的な生活風景を描写させておいて、実は、そんな世界は外部ではとっくに滅んでいて、ペンギン達や歯医者のお姉さんは、エアポケットのように残った少年の住む町を調査に来ていたのだ、という事にすれば、ぐんとSFらしくになると思います。

  では、純文学として読めばどうか、というと、そちらもちょっと・・・、という感じ。 せっかく、少年を出しているのに、成長物語になっていないところは惜しいですな。 主人公は、父親から科学的思考方法を伝授された大変聡明な少年なのですが、最初から聡明なので、もはや成長の余地がありません。 性格的にも落ち着きすぎていて、終わりの方で、それまで大切に思っていたものを失うにも拘らず、ほとんど動じません。 これでは、落差が生まれず、物語は面白くなりえません。

  かなり長い小説で、中だるみが見られるのも気になるところです。 なかなか話が進まず、同じような書き出しの段落が何度も出て来て、些か辟易します。 小学生が書いているという設定なので、森見さん独特の凝りに凝った形容も出番が無く、変化に欠けるのは痛いです。

  小学生が主人公と知って、「イジメ場面が出て来るのではないか」 と、嫌な予感がしていたんですが、案の定、ドカドカ出て来て、げんなりしてしまいました。 ≪小学生=イジメ≫は、あまりにも月並み。 この主人公はイジメに負けていませんが、現実には、こんなにうまい具合に、イジメは収まりますまい。

  正直に言わせて貰えば、大人が読んで面白い作品とは思えません。 「で、結局、歯医者のお姉さんやペンギン達は何だったの?」 と、素朴な疑問が最後まで残り、もやもやした気分で本を閉じる事になります。 しかし、そこは、石橋を叩いて壊す森見さんの事とて、何か、深謀遠慮があるのかもしれません。 たとえば、出版社に対して、「児童文学も書けますよ」 という布石を打ったとか。 科学的研究方法を紹介している点、児童文学としては、特別な価値がある作品なのです。

  「いつまでも、京都と腐れ大学生の話だけでは、先細ってしまう」 という不安も大きいと思われるので、いろんな作風を試してみるのは、悪い事ではないと思います。 新たな境地への探索という意味でなら、この作品には、大きな意義があると思います。





≪四畳半王国見聞録≫
  森見登美彦さんの、最新単行本。 例によって、図書館で借りたものですが、新し過ぎて、ずっと貸し出し中だったので、予約を入れて順番を待ちました。 私の前に3人も予約が入っていたにも拘らず、割と早く回って来ましたが、本を読んでみて納得。 そんなに、ボリュームのある内容ではありませんでした。

  短編集というには、各話の相関が強く、さりとて、一つの話を章分けした物とは到底言えないほど、独立性が強い作品を、7話収録してあります。 単行本としての印象は、×。 なまじ、相関など気にせず、バラバラの話を並べて、純粋な短編集にした方が、すっきり受け入れられたと思います。


【四畳半王国建国史】
  シュレジンガー方程式に負けて講義から逃げ、サークルで人間関係に負けて大学から逃げた男が、四畳半の下宿に閉じこもり、内的世界を開拓していく話。 というと、壮大なスケールの叙事詩のように聞こえますが、20ページ足らずの枚数で、そんなに壮大な話が書けるわけもなく、≪方丈記≫に於ける、方丈の庵の説明程度で終わってしまいます。 初出は、短編として、雑誌に掲載されたようですが、読んだ人は、何が何やら、途方に暮れた事でしょう。

【蝸牛の角】
  これは、以前、≪短編ベストコレクション 現代の小説2008≫という文庫本に収録されていた短編と同じ作品名ですが、大幅に加筆されており、全く別の話になってしまった観があります。 旧作では、入れ子式構造を読ませ所にした纏まりのいい話だったのが、こちらでは、他の6話との関連性を強めるために、エピソードを大量に追加しており、入れ子式構造が読み取り難くなってしまっています。 何とも、勿体無い事をしたものです。

【真夏のブリーフ】
  連鎖構造とでも言うべき形式。 女子大学生が、水玉模様のブリーフ一丁で空き地に立っている男を目撃した話から始まり、奇人揃いの知人達の、異常な生態が順に語られる話。 主人公は決まっておらず、緩く関連した登場人物達が、パートパートで中心になります。 分かったフリをせずに、正直に言わせて貰えば、何が言いたいのか、さっぱり分からないです。 

【大日本凡人會】
  この作品は、白眉。 といっても、他のレベルが低いので、相対的な白眉ですが。 ささやかな幸せを掴むために凡人になりたがっている4人の非凡な青年が、ある女性との奇妙な戦いをきっかけに、自分達の非凡な才能をプラス方向に使う事を受け入れていく話。 短編の王道とも言える、あっと驚く仕掛けが施してあって、本当に、あっと驚きます。

【四畳半統括委員会】
  四畳半統括委員会という、正体がはっきりしないが故に闇雲に畏れられている組織に関する情報を、断片的に並べたもの。 この作品が、一番纏まりが無く、「よく、こんなんで、原稿を受け取ってもらえたなあ」と、編集部の度量の大きさに感心したくなります。 読者は、一人も感心しなかったと思いますが。

【グッド・バイ】
  ≪恋文の技術≫の番外編みたいなスタイルの作品。 大学を辞めて、京都を離れる事を、友人・知人達に告げて回る青年が、誰からも気に留めてもらえず、次第に自分の人間的魅力に対する自信を失っていく話。 面白いというほどではありませんが、作者の意図がはっきり分かるので、読んでいて安心感があります。

【四畳半王国開国史】
  最初に出た【建国史】と対になっています。 四畳半内世界に閉じこもっていた青年が、似たような境遇の青年と出会ったり、阿呆神に跡目を継がされそうになったりして、開国を決意する話。 これも、初出は、雑誌掲載らしいですが、【建国史】とは、別の雑誌だったらしく、いきなり読まされた読者は、さぞや、混乱した事でしょう。


  森見登美彦さんは、慢性的に締め切りに追われているらしく、短編に全力を注ぎ込む余裕が無いのだろうという事は推測に難くないのですが、それはそれとして、こういう完成度が低い単行本は、出さない方がよいのではないかと思うのです。 森見作品を最初に読んだ本がこれだったら、たぶん、二冊目は買わんでしょう。 中身の小説よりも、表紙イラストの方に価値を感じるようでは、文字通り、話になりません。

  単行本にする時に、加筆・修正する習慣もいかがなものか。 作品が書かれた時の鮮度を、わざわざ殺しているように見えないでもなし。 単行本内の整合性などより、初出の時の文章が永久に読めなくなる方が、ずっと重大な問題だと思うのですがねえ。



  今回で、森見作品感想文シリーズは、ひとまず、おしまい。 今のところ、刊行されている単行本は、全部読んでいます。 という事は、沼津の市立図書館が、全部購入しているという事ですな。 もし、自分で買うとしたら、単行本は金額的に問題外で、文庫のみとなりますが、≪四畳半神話体系≫、≪夜は短し歩けよ乙女≫、≪有頂天家族≫、≪宵山万華鏡≫、といった辺りになりますか。

  やはり、腐れ大学生ものが、断トツに面白いのであって、他は駄目、とは言いませんが、腐れ大学生ものと同レベルの魅力を作り込むのは、難しいでしょう。 森見さんは、作家以外に、定職にもついていて、二足の草鞋を履いているわけですが、宮仕えの制約で、その定職の方のネタを書くわけには行かないのが厳しいところ。 また、学生と社会人では、得られる経験のボリュームが、質・量ともに違いますから、腐れ大学生ものに匹敵する分野を、これから開拓するのは、至難の業だと思います。

  そういえば、≪ペンギン・ハイウェイ≫ですが、私が上の感想を書いた後で、≪日本SF大賞≫と、≪本屋さん大賞 3位≫に選ばれて、いささかならず、仰天しました。 まあ、≪本屋さん大賞 3位≫の方は、森見さんの人気を考えれば、納得できない事もないですが、≪日本SF大賞≫の方は、私でなくても、意外に感じた人が多かったと思います。

  逆に考えると、森見さんのネーム・バリューを頼まなければ、人気の沈降を留められないほど、日本のSFが衰えているという証明でしょうか。 「では、昨年の受賞者は?」と訊かれて、答えられる人間は、まずいないわけで、森見さんの作品が選ばれたから、「ああ、そんな賞があったのか」と、思い出した、もしくは、初めて知った人も多いはず。 SF業界は、人気作家が欲しくて、仕方ないんでしょう。

  だけど、森見さんに、「今後は、SFも書いて下さい」と望むのは、酷ですぜ。 SF風のファンタジーなら、いけると思いますけど。 大体、レムを読むなら、≪エデン≫や、≪無敵(砂漠の惑星)≫の方が、遥かに面白いのですが、そこを、≪ソラリス≫なのが、森見さんの趣味をよく表しています。

2011/06/05

読破・森見登美彦作品②

森見登美彦作品の感想の続き。




≪有頂天家族≫
  京都に棲息する狸一族の興亡を描いた、妙にリアルなファンタジーです。 大体どんな世界設定かというと、≪平成狸合戦ぽんぽこ≫に近く、「参考にしていない」と言ったら、確実に嘘になると思われますが、ストーリーは全く違うので、盗作・盗用の疑いとは無縁です。 ≪ぽんぽこ≫ほど悲愴なラストではないので、もしアニメ化したら、たぶん、こちらの方が面白くなるんじゃないかと思います。

  偉大な父の特質を分割して受け継いだ四兄弟の狸が、自分達と母を陥れようとする叔父一家と対立する話。 天狗の先生や、天狗の力を持つ冷酷な人間の女、毎年年末に狸鍋をつつくのを恒例とする金曜倶楽部の面々などが絡んで、かなり入り組んだ話になっています。 読み始め、「なんだ、狸が化ける話か・・・」と、子供向け作品をイメージさせますが、そんな事は全然無く、学生でも大人でも、手練れの読書人でも、読み応えは十二分にあります。

  クライマックスへ向けて、話が纏まっていく流れは、心地良いほどに鮮やか。 ストーリー構成のお手本のような、見事な展開を堪能する事ができます。 さすが、伊達に膨大な量の本を読んでいない作者だけあって、このくらいの作劇は、お手の物なのかもしれません。 もし映像化するなら、このストーリーの明快さは、やはり、アニメ向けですな。 実写で出来れば、それも面白いとは思うものの、日本のCG技術では、狸も、空飛ぶ偽叡電も、見るに耐えないものとなるでしょう。

  テーマは、家族愛、兄弟愛でしょうか。 雷が嫌いな母の為に、雷が鳴り始めると、兄弟達が母の元へ集合する設定が、何とも言えません。 ふだんは、人間的な醜悪さを垂れ流している狸達なんですが、こういう所に動物的な純粋さが垣間見えて、思わず知らず、心が温まります。

  主人公の三男は、少々ひねすぎていて、好感度は高くありませんが、怠惰のあまり井戸の底の蛙になってしまった次男や、怒ると虎に化ける長男、携帯電話の充電だけ得意な四男は、それぞれ愛すべきキャラです。 ドジな敵役の、金閣、銀閣も面白い。 一方、堕天狗の赤玉先生は、あまりにも駄目駄目過ぎて、呆れてしまいます。 天狗の力を持つ女、弁天は、怖過ぎ。 金曜倶楽部の面々は、人間が下らな過ぎて、感心しません。

  とにかく、読んでいて、大変楽しい話です。 読み終わるのが、勿体無いくらいに。 お薦め。




≪恋文の技術≫
  別に恋文の書き方を書いたハウツー本ではなく、書簡体の小説です。 京都大学で、就職活動が億劫なばかりに大学院に進んだ青年が、教授の命令で、能登半島の無人駅そばの臨界実験所に飛ばされてしまい、京都にいる友人・知人・妹等と文通を交わして、寂しさを紛らわすと同時に、今は就職して大阪へ行ってしまった片思いの女性に出す恋文の技術を修行する話。

  書簡体などと聞くと、「読み難いのではないか?」と、少し引いてしまいますが、読んでみると、杞憂である事がすぐに分かります。 とにかく、一通一通の手紙の文面が、大変面白い。 あまりにも腹蔵が無い内容なので、「こういう手紙を書いても、壊れない信頼関係があるというのは、羨ましいものだ」と、感動すら覚えます。

  ちなみに、出て来るのは、主人公が書いた手紙だけで、相手側の返事は、主人公の書く手紙の内容から推測されるだけです。 これは、全編を通じて一貫した原則のようで、終わりの方に、主人公以外が差出人になっている手紙が何通か出て来ますが、実は、それも例外ではない様子。 ちょっと分かり難いので、スルーしてしまう読者もいると思いますが、主人公は、数ヶ月に渡る文通修行の結果、他人に成りすまして手紙を書くほどの実力を身につけたという事になりますな。

  最終的に、片思いの女性への手紙は書かれるのですが、それは恋文にはならず、物語のはっきりした結末も描かれずに終わります。 この点、少々すっきりしませんが、全体のストーリーよりも、部分の凝り方を楽しむべき作品と思えば、欠点にはなっていません。

  それにしても、こういう文通というのは、今でも行なわれているんですかねえ? ネット上でなら、掲示板やブログ・コメントで他人との意見交換ができますが、それは、手紙の体裁より、文章による会話に近いですから、こんなに多くの内容を盛り込めるものではありません。 また、完全な他人とでは、腹を割った会話も難しいです。 現実世界での友人・知人とならば、それも可能ですが、普通は、携帯メールなどで、もっと短い文章をやりとりするんじゃないでしょうか。

  もう一つ気になったのは、この主人公が、国立大学の学生でありながら、研究にはほとんど興味が無く、色事ばかりで頭の中が埋まっているらしい事です。 国立ですから、研究費や能登での生活費は、国民の税金から出ていると思うのですが、納税者としては、笑って済ませられない話です。 もっとも、この小説では、主人公の駄目人間ぶりが最大の魅力なので、そんな事に腹を立てるのは、筋違いなのですが。

  更に一つ加えますと、この主人公、片思いの女性の事を、運命の人のように見做しているようですが、そんな事は全然無いのであって、単に、同じ研究室に同じ時期に在籍したというだけの話だと思います。 小さな集団の中で男女が入り混じっていると、自然に、「誰か好きにならなければならない」というような雰囲気になるのですよ。 彼女と顔を合わせなくなってから、最初の手紙を書くまでに、半年くらい経ってしまっていますが、大阪で就職した彼女は、とっくに新しい人間関係の中に組み込まれている事でしょう。 その期に及んで、大学時代の同輩と改めて付き合い始めるなど、考えられませんな。




≪太陽の塔≫
  森見登美彦さんのデビュー作。 ≪第15回 日本ファンタジー・ノベル大賞≫の大賞受賞作。 ・・・なんですが、どうして、これがファンタジーなのか、首を傾げずにはいられない内容です。 裏街から彼女の夢の世界へ入っていく場面など、ファンタジーっぽい所もあるにはありますが、どうも、≪ファンタジー・ノベル大賞≫に応募するために、その部分だけ加筆したように見えぬでもなし。

  別れた、というか、逃げられた彼女を、「研究」と称してストーキングする京都大学の5回生が、互いに女性に縁が無い友人達と、誇り高くも惨めな日々を送る話。 恋愛物ではなく、強いて分類するなら、青春物という事になりますが、明るさや爽やかさとは対極を目指しているようで、ある意味、この上無いくらい、現実の男子大学生の姿をよく写しているような気がします。

  ≪太陽の塔≫という題名は、あの大阪・万博公園の太陽の塔の事ですが、彼女が夢中になっている対象として登場します。 しかし、小説全体を象徴しているとはとても言えず、なんで、この題名になったのか解せません。 この小説自体が、一つの物語としての纏まりに欠けているので、題名のつけようが無かったのかもしれません。

  面白い事は面白いのですが、それはあくまで、部分の話。 ストーリーが、あまりにも行き当たりばったりな展開なので、「よく、この作品に賞を出したな」と、意外に感じてしまうのですが、その後の森見さんの活躍ぶりを見ると、結果オーライの大正解だったわけで、この混沌とした作品から、「ん! この男、売れるぞ!」と見抜いた審査員や編集者は、大変な慧眼だったんでしょうなあ。





≪短編ベストコレクション 現代の小説2008≫
  2008年に小説雑誌に発表された、21人の作家の短編小説を集めたアンソロジーです。 571ページもある、異様に厚い文庫本。 中に、森身登美彦さんの短編、≪蝸牛の角≫が含まれていたので、借りてきました。

  ≪蝸牛の角≫は、やはり、現代の京都の大学生の話でして、入れ子式の箱を一つ一つ開いて行って、開き終わったら、今度はまた一つ一つ閉じて行って終わる、という構成。 よく出来た昔話のような雰囲気がある、纏まりのいい小説です。

  せっかく借りたので、他の作品も読んでみました。 他の作家は、石田衣良、宮部みゆき、諸田玲子、泡坂妻夫、中場利一、山田詠美、蓮見圭一、唯川恵、桐生典子、藤田宜永、関口尚、大沢在昌、恩田陸、桜庭一樹、柴田哲孝、新津きよみ、堀晃、飯野文彦、小路幸也、高橋勝彦(敬称略)の各氏。

  一通り全部読んだ結果、現代の日本の小説に、絶望を感じてしまいました。 こんなんで、読者からお金を取っているとは、恐るべき畏れ多さ。 面白いとか何とかいう以前に、短編小説としての体を成していません。 テーマがはっきりしなかったり、短編なのに構成が滅茶苦茶だったり、物語と無関係な余談にページを割いたりと、呆れ果てる低レベル。

  どうにか、小説らしくなっている物というと、≪笑わないロボット(中場利一)≫、≪図書館のにおい(関口尚)≫、≪初鰹(柴田哲孝)≫、≪唇に愛を(小路幸也)≫くらいのものでしょうか。 しかし、この四編ですら、その作家のファンでなければ、お金を出して読みたいとは思わないでしょう。

  そもそも、宮部みゆきさんを除けば、私が名前を知っていた作家は一人もいませんでした。 どこかで聞いた事があるような名前が、辛うじて、二人くらい。 他の作家と比べてみれば、どうして、森見登美彦さんが人気作家になっているのかが、よく分かります。 鍵は、「現代の人間を、独自の視点で描けるか」ですな。

  たとえば、≪黒豆(諸田玲子)≫ですが、 2008年に、1980年代を舞台にした小説など発表して、現代的テーマを読み取れという方が無理でしょう。 誰がそんな中途半端に古い話に興味を持つのよ? 夫婦の危機物というのが何篇かありますが、どの時代でも通用するというより、どの時代に於いてもつまらんテーマという気がします。 浮気だ、不妊だ、なんて、他人が読んで、面白がるような事ですかね?

  また、現代的テーマを扱っていても、誰が書いたか分からないような文体というのも、著しく魅力を欠きます。 特に短編では、ストーリーの骨組み優先で、肉付けが弱くなるので、独自の文体を持っていないと、個性の出しようがないでしょう。



  今回は、以上、四冊まで。 ≪短編ベストコレクション 現代の小説2008≫については、他の作家の作品の感想の方が長くなってしまいましたが、これは致し方ないですな。 つくづく思うに、この種のアンソロジーや小説雑誌を買う人間の気が知れません。 好きな作家の作品を一つ読むために、他の作家のスカ小説も、抱き合わせで買うなど、金をドブに捨てるようなもの。 出費は大した事ではないとしても、雑誌が溜まり出したら、置き場所に困るでしょうに。 誰が買ってるんですかねえ?