2011/11/27

自転車の本

実は、先週の日曜に、折り畳み自転車で出掛けたら、一山越した所で、後輪がパンクしまして・・・。 見ると、ただのパンクではなく、タイヤが磨り減って、繊維が見えている状態。 こんなになるまで気付かないとは、何たる不覚! 当然、ポタリングは中止となり、下りて、押して、ひいこら言いつつ、一山越えて帰って来たわけですが、まあ、それはもう、先週の事だから、どうでも宜しい。

  問題は、今週です。 土曜日、つまり、昨日ですが、自転車の後輪を外し、ホイールからタイヤを外し、それから、新しいタイヤとパンク修理セットを買いに行き、チューブのパンクを直し、新しいタイヤをホイールにつけ、後輪を車体に戻し・・・・、といった事をやっていたら、一日潰れてしまいました。 疲れた疲れた。

  で、何が言いたいのかというと、土曜をまるまる、自転車修理に取られた結果、ここの記事を書く時間が全く無くなってしまったわけです。 というわけで、こういう時の頼みの綱、読書感想文を載せて、お茶を濁そうと思います。




≪自転車入門≫
  紛らわしい書名でして、自転車は自転車でも、この著者が薦めているのは、スポーツ・バイクと呼ばれる種類、更に限定すれば、ロード・バイクの事です。 ≪ツール・ド・フランス≫のような公道での自転車レースで使う、前傾姿勢の強い、あの自転車ですな。 著者は、スポーツ・バイクを始めて3年、ロード・バイクに至っては、2年しか乗っていない人で、「初心者の体験記」という趣旨で、この本を書く事になったのだそうです。 本来なら、≪スポーツ自転車入門≫とすべきですな。

  スポーツ・バイクには、舗装路を走る≪ロード・バイク≫、オフロードを走る≪マウンテン・バイク(MTB)≫、その二つの特長を合体させた≪クロス・バイク≫、折畳み自転車のような≪小径車≫などがあり、著者は、まず、クロス・バイクから始め、より本格的なロード性能を求めて、ロード・バイクに進みます。 勢いで、小径車も買ったようですが、そちらに関する話はほとんど出て来ません。

  「どんな経緯でスポーツ・バイクの世界に興味を持ったか」、「どうやって車種を選び、買い揃えて行ったか」、「普段、どんな所を走っているか」、などは詳しく書いてありますが、それ以外は、他の人の著作や、メーカーのカタログなどから引用した文が多く、あまりオリジナリティーの高い本とは言えません。 ≪自転車と健康≫の章では、医学データが多く出て来ますが、これも他の本で調べたものでしょう。 車種名、メーカー名、ブランド名、部品名などが、ごっちゃに出て来て、門外漢には、意味を読み取るのが難しいような部分もあります。

  ちなみに、著者の本業は金融関係で、過去に年金をテーマにした新書を何冊か出した縁で、この本を書く事になったのだとか。 つまり、自転車に関しては、始めたばかりの普通の人なのです。 できれば、新書の著者は専門家にして貰いたいのですがねえ。 ≪自転車入門≫という書名は、「これから入門する人向け」という意味だけでなく、「自分自身が入門した」という意味でもあるのでしょう。 二重に紛らわしい。 更に修正して、≪スポーツ自転車入門記≫とするのが妥当でしょうか。

  スポーツ・バイクに傾倒するあまり、≪軽快車≫、もしくは、≪ママチャリ≫と呼ばれる一般の自転車を小馬鹿にしている点が気になります。 「ロード・バイクで歩道を走っていたら、軽快車にぶつけられた」などと書いてありますが、ロード・バイクのように低速安定性が悪い代物で、歩道に入って来る方が間違っているのであって、軽快車の方がびっくりしたでしょう。

  私の経験では、歩道を走っているロード・バイクというのは、見た事がありません。 あれは本来、車道を走る物なのではありますまいか。 車道を走っていれば走っていたで、車から見ると、非常に邪魔で、危険なのですが。 日本では、自転車専用道路が、ごく一部にしか無いので、交通量が多い平地の車道を、ロード・バイクで走るのは、無理があるんですな。 山の中なら、車と事故を起こす危険性は低くなりますが、漕ぐのが大変でしょう。

  でねー、この本、書物としては、全く感心しないんですが、ロード・バイクに興味を抱かせるという点では、充分に成功しています。 読んでいると、無性に、「自分も乗ってみたい」という気になって来るのです。 ハードなスポーツである割には始める年齢を選ばないし、一人でも楽しめるという点も魅力です。




≪こぐこぐ自転車≫
  代表作は知らないけれど、名前だけは知っている、伊藤整さんの次男に、伊藤礼さんという、翻訳家・随筆家がいるのですが、その方が、定年間際に嵌った自転車道楽について書いたエッセイ集。 翻訳家・随筆家という肩書きよりも、いまや、自転車生活啓蒙家としての方が有名な人です。

  随分前に、この人が新聞に寄稿した文を読んだのですが、それが、「最近、自転車で勤務先に通うようになった」 という内容で、「昔に比べると、道が格段に良くなり、自転車が使い易くなった」 とか、「満員電車で通勤する時間と負担を考えれば、自転車の方が遥かに快適だ」 といった意見が書かれていて、「ふーん、そういうものか」 と思った記憶があります。

  なんで、「ふーん」 程度の感想しか出なかったかというと、私は通勤こそしないものの、自転車には日常的に乗り続けており、数十年ぶりに再開したような人に教えられる事は無いと感じたからです。 いわゆる、≪老いらく趣味≫であって、老いらく趣味に取り付かれた人は、必ずと言っていいほど、他人にもその趣味を薦めようとしますが、その内、自分の方が飽きてしまって、およそ格好がつかない結末になります。 この方も、そうならなければいいのですが。

  さて、この本ですが、自転車に関する部分はそこそこ面白いのですが、半分以上は旅行記が占めており、そちらが月並みで、読む気力を失わせます。 全て文章で埋められていますが、今時の紀行文は、写真が無いと、興味を維持するのが厳しいです。 北海道へツーリングに行く話が二回出て来ますが、地名も地形もピンと来ないので、なかなか話に入って行けません。

  面白かったのは、どこぞのビジネス・ホテルで、駐車場に自転車を停めて食事に出かけていたら、後からやって来た高級車を入れるために、自転車を草原に放り投げられていて、ホテル側に猛然と抗議したという件り。 しっかし、そのホテルも、自分の所の駐車場に停めてある自転車が、客のものだと気づかなかったんですかね。 アホちゃうか?

  他に、新しい自転車を買おうと思い、車種を決めて店に行ったのに、店員と話をする内に、全く違う車種を薦められて、結局そちらを買ってしまったという話も興味深いです。 このパターン、カメラ屋、釣具屋、ゴルフ・ショップなどで、非常によく発生していますが、自転車屋も例外ではない様子。 その後の店との付き合いを考慮して、「この場は、向こうの薦めに従っておこう」と判断するんでしょうが、店の側は、売りたいものを売りつけるのであって、客の事なんか親身に考えているはずがありません。 欲しい物が決まっているのなら、最初にズバッと言ってしまって、向こうの薦めは聞かないようにすべきでしょう。

  「東京近郊で自転車を楽しむ場合、川に沿って走れば、車が通らない快適な道を探す事ができる」 という指摘は参考になりました。 基本的に、どの街でも、川沿いには自転車で走るのに都合が良い道路があると思うので、積極的に探してみれば、穴場が見つかるかもしれません。




≪自転車三昧≫
  ≪ダーティー・ペア≫や、≪クラッシャー・ジョウ≫で有名なSF作家、高千穂遥さんの自転車体験記。 50歳になってからスポーツ自転車に目覚め、そのおかげで健康になったという、割とよくあるパターンの本です。

  この種の本は大変多いのですが、内容も互いに似通っていて、何冊も読んでいると、どのエピソードが、誰の本だったか、分からなくなるほどです。 自転車にまつわる体験というのは、結局みんな同じになってしまうのでしょうなあ。 それにしても、自転車の本を書く人というのは、なぜみんな、判で押したように、歳を取ってから自転車を始め、だんだんスポーツ性の強いタイプに乗り換えていくというパターンをなぞるんでしょう? 不思議です。

  また、初心者と言っても過言ではない時期に、本を書いてしまうのも、老いらく自転車派に共通した特徴ですな。 この著者も、始めて5年目で、この本を書いたようですが、若い頃から乗り続けている専門家に比べると、道に聴いて途に説いている印象が拭えません。 5年間で、様々なタイプの自転車を乗り継いで、最後には、ピスト・バイクを買って、競輪のバンクまで走ったそうですが、楽しんでいるというより、すぐに飽きてしまって、次から次へと新しい物に手を出しているだけのように思えます。

  「スーパーで売っているような数千円の自転車は、危険だから買ってはいけない」という事も書いていますが、なぜそう思うかというと、雑誌でそういう自転車を分解している記事を読んだからだそうです。 だけどねえ、そういう事は、自分で体験した上で言うべきだと思いますよ。 ちなみに、うちには、母が7800円で買った自転車がありますが、何の問題も無く10年以上経過しています。 安くても、穏やかに使えば、いくらでも長持ちしますし、高くても、荒っぽく使えば、すぐ壊れます。 値段の問題ではないでしょう。

  やたらと日本製品を誉めていますが、自転車業界では、日本の完成車メーカーは、ほとんど世界シェアを持っていないので、何を根拠に誉めているのか分かりません。 単なる身贔屓でしょうか。 自分の国のメーカーを誉めても、別に何の得があるとも思えませんが。 ちなみに、日本の会社で気を吐いているのは、変速機やブレーキを作っている、シマノだけです。

  繰り言が多く、どうにも年寄り臭い本なので、かつて、著者の小説のファンだったという人達は、読まない方がいいかもしれません。 「そうだそうだ、おっしゃる通り!」 と、全面的に賛同できるのなら構いませんが、「何だか、勝手な事ばかり書いてるな」 と感じてしまうと、幻滅してしまいますから。 私も、読まなければ良かったと思っています。




≪大人のための自転車入門≫
  ここのところ、自転車関係の本を読み倒していますが、これは、その中で、最も堅いと思われる本。 大人がスポーツ自転車に乗る目的を、健康増進のためと捉えて、まず、自転車と健康の関係を医学面から解説し、スポーツ自転車の種類や選択方法に関する説明を挟んだ後、20キロ、50キロ、100キロと、移動距離別に、必要な知識・情報を紹介していきます。

  写真は、白黒のものが適宜挿入されていますが、ほとんどは文章。 個人的なツーリング体験記の類を入れずに、200ページあまりを埋めているのは、資料性が高い証拠と言えるでしょう。 これからスポーツ自転車を始める人は、この本に目を通しておいて、損は無いと思います。

  有酸素運動を保つためには、一定の回転数でクランクを回し続ける事が大切で、最大30段にもなるギアが用意されているのは、そのためなのだそうです。 ギアの選び方を解説してある本に出会ったのは、これが初めて。 重くなったギアで、力任せに漕ぐよりも、軽いギアを選んで、くるくる回した方が良いのだとか。

  この本、見た目は地味なんですが、内容は濃いので、自分で買って、後々まで参考にしても良いと思います。 「何の為に自転車に乗るか」という精神面の目標をはっきり決めて、そこから説き起こしている点に好感が持てます。 至って穏当で、決して極論に走らない執筆者達の姿勢も、内容の信頼性を増すのに寄与しています。


  以上、四冊まで。 実は、これらの本は、昨年の夏に読んだものです。 感想文も、その頃に書いてあったもの。 ですから、感想の内容に出て来る、私の自転車に対する考え方は、一年以上前のものでして、「今なら、こうは書かないだろう」というものも含まれています。

2011/11/20

馬鹿は死ななきゃ…

  ここのところ、急激に、自転車に対する世間の風当たりが厳しくなって来ました。 きっかけになったのは、ピスト・バイクの流行です。 ピスト・バイクというのは、競輪などのトラック競技に使う、固定ギア一枚、ブレーキ無しの自転車の事ですが、そのピストで、ブレーキを付けずに街なかを暴走し、歩行者や他の自転車に激突する事故が頻発したため、≪自転車=凶器≫という認識が、一気に高まってしまったのです。

  ピストに限らず、自転車ブームの到来で、ロード・バイクやクロス・バイクなど、高速を出せる自転車が増えた結果、レースの練習を一般公道でやらかす考え無しな連中が出て来て、そいつらが平気で信号無視などするものだから、これが世間の批判を受けないわけが無く、自転車全体が、白い目で見られる羽目になってしまったんですな。

  以前から、高校生が通学時に自転車で起こす事故は多くあり、問題にはなっていたのですが、対応は各地の警察署に任されていました。 ところが、今回は違います。 警察庁本体が、法規を変えて、走行場所を制限したり、取り締まりを強化するなど、積極的に自転車使用の規制に乗り出して来たのです。

  これは、大変、由々しき事態です。 自転車のいいところは、車やバイクと違って、道であれば、どこを走っても、警察の取り締まりを受けずに済む点にあったのですが、その自由が奪われてしまうわけです。 買い物や通勤で、自転車を生活の足して使っている人達にとっては、とんだとばっちりというものでしょう。

  今までは、≪自転車通行可≫の標識があれば、歩道を走っても問題なかったわけですが、これからは、「自転車は、原則、車道を走らせる」方針に切り替えるのだそうです。 しっかし、車道の路側帯に、自転車が走る余地がほとんど無い現状を考えると、相当無茶な話ではありますまいか? 大方、歩行者と自転車の事故が減る代わりに、車と自転車の事故が増えて、また、見直しになるんじゃないでしょうかねえ。

  「左側通行の徹底」も、かなり、痛いです。 自転車が左側通行だというのは、今までもそうだったわけですが、右側を走っていても、それで、警察の取り締まりを受けるという事はありませんでした。 一般人も、「自転車は、どこを走ってもよい」と思っている人が圧倒的に多いので、右側通行している自転車がいても、その風景に違和感を覚えないのが普通でした。

  ちなみに、この≪左側通行≫というのは、車道を走る場合でして、歩道を走る場合は、その歩道が、車道に対して、右側であっても左側であっても、≪車道寄り≫を走れば、問題ありません。 しかし、今後、自転車が歩道から締め出されるとなると、まず、車道の左側へ渡ってから、走り始めねばならず、手間が大幅に増える事になります。

  たとえば、車道の右側にある店に入りたいといった場合、今までは、最初から右側を走って行けば良かったわけですが、これからは、左側を走って、横断歩道のある場所まで行き、そこで道を渡って、引き返して入らなければならなくなります。 どうしても、右側を進みたい場合は、下りて押すしか無いわけだ。 

  まったく、面倒な事になったものです。 ただ、断っておきますが、別に警察が悪いわけではありません。 知っての通り、警察自身も、自転車は使っているのであって、法規を厳しくすれば、自分達も不利益を被るわけですから、本来なら、そんな事はしたくないのです。 自転車を取り締まって、彼らに得があるのなら、もう、半世紀も前からやっていてるでしょう。

  こんな事態を招いてしまったのは、ひとえに、スポーツ自転車を暴走させた、大馬鹿者どもに責任があります。 なんで、そんなに馬鹿なのだ? みんながみんな、右も左も分からないガキではなく、車やバイクの免許を持っていて、交通法規を習っている大人も多いというのに、「自転車なら、どこをどんなに暴走しても構わない」などと、どうして思ったのか、その理由を聞きたいです。 馬鹿過ぎて、そんな事、考えた事も無いか・・・。

  こういう連中は、自転車の楽しみ方に対する概念が、そもそも間違っています。 「ひたすら、速く走ればいい」などというのは、興奮した動物の衝動と変わらないのであって、人間の目指す事ではありません。 自転車の利点は、「徒歩に比べて、移動のエネルギー効率が良い」というところにあるのであって、「スピードを出さなければ、自転車を楽しめない」などという事は、金輪際ありません。

  実際問題、スポ自に乗っている人なら、高速で走行していて、危険な思いをした経験が、少なからずあると思いますが、「こんな事をしていたら、死んでしまうかもしれない・・・」と、一度でも恐怖を感じた事があるのなら、早々に方針転換し、楽しみ方をポタリングに切り変えるべきでしょう。

  自転車に乗る事だけを目的にするから、いけないのです。 ゆとりある計画を立てて、景勝地に向かうなり、景色を見ながら、散策するなり、目的を別のところにおいて、自転車は移動の手段に留めれば、しゃにむにペダルを漕ぎ捲るような、馬鹿な真似はしなくなるはずです。

  「健康の為に、自転車を・・・」という発想が、また良くない。 「健康のため」を、もっと具体的に言うと、「痩せるため」なわけでして、自転車を漕ぐ事で、カロリーを消費させようというのですが、そういう目的を持って自転車に乗っていると、「今日は何キロ走った」とか、「どこそこの坂を、何分何秒で登りきった」とか、そんな事ばかり頭に充満して、周囲の事など、眼中に入らなくなってしまいます。

  そういう人達は、家の中で、サイクル・マシンを漕げばいいのであって、外に出て来るべきではないと思います。 自分が公道上にいるという事に対し、あまりにも、自覚が薄い。 そういう目的で自転車に乗るのなら、せめて、自転車専用道か、堤防道路に限ったらどうでしょうか。 その方が、自分にとっても、他人にとっても、有益無害でしょう。


  ちょっと、脱線しますが、自転車ブームを陰で後押ししたアイテムに、≪サイクル・メーター≫という製品があります。 前輪スポークと、フォークにセンサーを取り付け、車輪のサイズを入力すると、速度と走行距離が、デジタル表示される機器です。 出始めの頃は、1万円くらいして、ホイホイ買える物では無かったようですが、今では、千円くらいのものもあり、子供の小遣いでも手に入る値段になっています。

  電子機器としては、万歩計と大差無い単純な機構ですから、最初、一万円も取っていたというのが、ぼったくりだったと思うのですが、まあ、それはどうでも宜しい。 問題は、この、サイクル・メーターを取り付けたばかりに、最高速度の追求や、走行距離を延ばす事に取り憑かれてしまい、病的に自転車にばかり乗っている人間が激増した事です。

  「ロード・バイクなら、一日、200キロくらい走るのは、当たり前。 クロス・バイクでも、100キロは行けるでしょう」などと、本に書いてあるのを読んで、「そうか、そのくらい走らなければ、スポ自を買った甲斐が無いわけだな」と、すっかり真に受けて、雨が降ろうが槍が降ろうが、休みのたびに、日も出ぬ内から家で出て、走るわ走るわ。 距離を稼ぐために、幹線道路を選び、車に追い立てられながら、必死に、躍起に、釈迦力にペダルを漕いでいる、その醜く歪んだ顔を見ると、思わず知らず、涙を誘い、「誰かー、精神科へ連れてってやってー」と、叫びたくなります。

  馬鹿だねー。 「楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、分からない」とは、自分の趣味を自嘲して言う時に、よく使う表現ですが、この場合には当て嵌まりません。 傍目に見ても、当人の疲労度から見ても、確実に、「苦しんでいる」だけだからです。 サイクル・メーターに踊らされている事に気付いていないんですな。 自分で買って来たチンケな装備に、いいように振り回されてるんですよ。 そんな物つけていなければ、自分のペースで、自転車を楽しめるものを・・・。


  「レースに出る」というのも、猫も杓子も目指すような目標ではないと思うんですよ。 「優勝する気など毛頭無いが、自分に目標を課すために、定期的に参加している」などと言われると、一聞、分別ある大人の態度のように感じられますが、その実、出るからには少しでもいい成績を残そうと、日頃練習に余念が無く、歩行者や他の自転車を、どけどけ顔で蹴散らして、暴走ぶっこいているのであって、どこが大人だ、ガキより悪いのであって、これまた、道を踏み外しているとしか思えないのです。

  スポ自を買うところまでは、問題無いと思うのですが、「レースに出なければいけない」と、思い込んでしまうのがいけない。 スポ自を買った店で、常連客に誘われた? 断りなさいよ。 あなた、大人でしょう? 誘われたら、何でもやるんかい? テロでも、銀行強盗でも、誘われたら、やるんかい?

  それでなくても、スポ自専門店の常連などというのは、自転車を漕ぐ以外に能が無い、パッパラパーの若造とか、定年退職後、自転車に乗る以外、暇が潰せない濡れ落ち葉とか、そんな連中ばかりなのですから、そんなやつらの揶揄半分の口車に乗っていて、何とする。


  公道で、赤の他人相手に、「抜いた、抜かれた」などと、ブログに書いて悦に入っている連中は枚挙に暇がありませんが、そんなのは、幼稚園児がオモチャを取り合う争いと、何の違いもありません。 頭の中が、園児レベルだから、そんな事にしか、満足を感じられないのでしょう。

  どうしても、そういう性癖が抜けないという輩には、いっそ、早く事故って死んでもらいたいものです。 いなくなれば、他の自転車乗りが迷惑を被る事も無くなりますから。 その際は、くれぐれも、自爆でお願いします。 もう、おまえらにゃ、うんざりだよ。

2011/11/13

恐慌の足音

  いやあ、ヨーロッパの経済危機で、綱渡り状態が続いていますなあ。 ソ連が崩壊して、社会主義陣営が総崩れになった頃には、まさか、勝ったはずの資本主義がこんなに脆いとは、思いもしませんでした。 憶えているぞ、忘れてないぞ、確か、勝ち誇ってたよねえ。 あまりにも勝ち誇り過ぎて、旧社会主義諸国を、憐れみの目で見下していたくらいに。

  たぶん、「社会主義か、資本主義か」という二項対立で、経済のパターンを捉えていた考え方自体が間違いだったのであって、「社会主義も資本主義も、唯一の正解にはなり得ない」というのが、当たりだったのでしょう。 そして、真の正解が何なのか?、いや、それ以前に、真の正解など本当にあるのか?、と、それすらも分からないのが現状なわけだ。 何とも、情けない事よ。 経済学者よ、この情況を何と見る? おまいらのやっている学問は、子供の戯れ事か?

  日本人の中には、「ヨーロッパの話だから」と、対岸の火事のように思っている、呑気な輩も多いようですが、とんでもない思い違いなのであって、対岸の火事どころか、他山の石とのんびり構えてさえいられないのであって、ヨーロッパ経済が破綻しようものなら、日本経済にも、ほとんど直撃に近い影響が出ます。 空中分解、もしくは、轟沈とでも言うべきか。 あんたら、みんな、失業するでよ、破産するでよ。

  資本主義世界、つまり、現在の地球上の国々のほとんどが組み込まれている世界という事になりますが、その資本主義世界では、ここ10年ほどの間にグローバル化が著しく進み、相互の関連が強まって、もはや、「地域経済圏」など想定するのが無意味なほどになってしまっています。

  ヨーロッパ経済がコケれば、古くから密接なつながりがあるアメリカ経済もコケ、ヨーロッパとアメリカに製品を輸出している中国もコケます。 アメリカと中国がコケれば、両国の市場に深く依存している日本経済がコケるのは、火を見るよりも明らか。 自分の所だけ助かると思ったら、大間違いです。

  毎日のように、テレビや新聞で、ヨーロッパ経済危機の解説が繰り返されているので、ここでまたおさらいをするつもりはありませんが、大掴みに言うと、

「資本主義体制を取っている民主主義国は、必ずと言っていいほど、収入よりも支出の方が多いため、国債を発行して金を借りているが、その額が増え過ぎたせいで、返済不能に陥り、経済破綻する可能性がある国が出て来た。 破綻されてしまうと、借りている方だけでなく、貸している方も、大損害を被るので、破綻を食い止めるために、資金援助をしようとしているが、ユーロ圏は寄り合い所帯であるため、方針を円滑に決められず、それが金融市場に信用不安を齎して、ますます、危機を深刻化させている」

  といったところでしょうか。

  大騒ぎになったのはギリシャからで、国の経済が破綻しそうなのに、国民は、「ユーロ圏他国の支援策は条件が厳しいから、受け入れると、暮らしが更に苦しくなる」といって、デモやストばかり繰り返しているため、「観光以外に産業が無いくせに、ユーロ導入で国債を発行し易くなったのをいい事に、借金を膨れ上がらせたのは、自分達ではないか」と呆れられ、優等生ドイツなどからは、呆れを通り越して、軽蔑や憎悪さえ抱かれているという有様。

  しかし、この問題は、ギリシャに限った事ではなく、資本主義体制の民主主義国家なら、どこでも起こりうる事で、実際に、ほとんどの国が借金体質になっています。 特に、日本は、最悪の例になっており、借金の金額は、対GDP比で、断トツ世界一でして、ギリシャどころの話ではありません。 「ギリシャの経済規模など、たかが知れているのに、ユーロ圏が事態を収拾できないのには、驚かざるを得ない」などと、利いた風な事を言っている日本人がいますが、大方、自分の国の借金額を知らん、能天気おじさんなのでしょう。

  単に、資本主義というだけでは、そうはならないと思うのですが、そこに、民主主義が重なると、借金体質になってしまいます。 なぜというに、民主主義に於いては、政治家は、まず選挙に勝たなければならず、選挙に勝つためには、経済運営が常にうまく行っていなければなりません。 つまり、常に景気が良く、常に成長し続けていなければならないのです。 少なくとも、有権者の目に、そう映るように、装わなければなりません。 

  しかし、そもそも、こういう前提に無理があります。 成長するとは、経済規模が拡大し続ける事を意味しているのですが、すでに先進国化した国では、人口増加が止まるのが普通ですから、衣食住プラス、車も家電も足りている状態で、人口が増えないとしたら、経済の拡大など、望む方が無体というものです。 むしろ、縮小するのが自然というもの。 ところが、縮小しているなどと発表すれば、選挙で負けてしまいますから、≪嘘≫でも≪無理やり≫でも、成長率をプラスにしようとします。

  ≪嘘≫に関しては、日本は常習犯ですな。 今年なんか、大震災で、2万人以上死んだ上に、膨大な数の建物やインフラが壊滅して、経済が縮小しているのは間違いないというのに、そんな状態でも、「成長率が鈍化した」程度で、まだ、「成長している」と言い続けています。 どういう手品を使えば、そんな数字が出て来るのか、首を傾げすぎて、ムチウチになりそうです。

  ≪無理やり≫の方は、無駄な公共事業が、それにあたります。 民間の経済が奮わないものだから、経済規模を縮小させまいと、道路だの橋だの空港だの、得体の知れない特殊法人だの、バンバン作って、お金を世の中に回そうというんですな。 これも、見ての通り、日本は凄まじいです。 「金があるから、やる」というなら、問題はありませんが、「金は無いけど、借金して、やる」というから、ぞーーーーっとします。

  個人に譬えれば、借金で首が回らないオヤジが、「家を建て替える」だの、「居酒屋を始める」だの、「ベンツを買う」だの、「子供を大学院まで行かせる」だのと言い出すようなものですが、そんな奴を見つけたら、搦め手から説得するより、正門から精神病院に担ぎ込んだ方がいいでしょう。 「困った人ねえ・・・」じゃ済みませんぜ、奥さん。 お宅のご主人、お気が触れあそばされているのですよ。

  それと同じ事を、国家レベルで長年続けてきた結果、日本などは、借金1000兆円の金字塔を打ち立ててしまったわけですが、どうやって返すのよ、こんな天文学的な金額。 一人当たりで割ると、800万円くらいらしいですが、これは子供も老人も全て含めた場合の話で、家族四人なら、3200万円になります。 そんなに払えますか? そもそも、資産が1000万円以上ある世帯にしてからが、珍しいというのに。

  「日本の国債は、国内の金融機関が持っているから、大丈夫」などという、わけの分からない事を言って、安心感に浸ろうとしている人達がいますが、なんで、国内の金融機関が持っていれば大丈夫なのか、その理由が分かりません。 国債を踏み倒す気なのかもしれませんが、そんな事をしたら、国内の金融機関は全滅しますから、結局、国の経済は破綻しますぜ。

  むしろ、国内の金融機関が持っているから、より危ないんじゃないすか? ユーロ圏のギリシャ支援策では、債務の50%減額が盛り込まれましたが、あれは、ギリシャ国債を持っているのが外国の金融機関で、外国政府が減額で被った損害を補填できるから、そういう支援策を打ち出せるのです。 翻って、日本ですが、国債を持っている国内の金融機関に、借り手である日本政府が、「50%減額せよ」と、命じるわけですか? で、消えた50%は、誰が補填してくれるの?

  日本は、どこかの通貨圏に加盟しているわけではないですから、外国は助けてくれませんよ。 アメリカ? 馬鹿も休み休み言いなさい! アメリカだって、財政事情は、日本と似たり寄ったりです。 リビア侵略の際、巡航ミサイル160億円分撃って、「金が無いから、これ以上続けられん」と言って、手を引いてしまったほど、お金に困っているのです。 160億円で音を上げている状態なのに、どうして、日本という外国のために、1000兆円出すんじゃい? そもそも、どこに、そんな金がある!

  ちなみに、国内の金融機関は、国債を買うお金をどこから手に入れているかというと、預金者の預金からです。 100%でも50パーセントでも踏み倒された場合、銀行も潰れますが、最終的にお金を失うのは、預金者です。 「預金保険機構で、1000万円まで補償されるはず」? わははは! 冗談じゃないですよ。 日本の金融機関が全部コケしてしまうというのに、預金保険機構ごときの微々たる準備金で、全て穴埋めできるわけがないでしょう。

  踏み倒し以外の手としては、大増税が考えられますが、これは、やらない、いや、やれないと思います。 なぜなら、上述した通り、民主主義体制下では、有権者の不評を買うような政策は取れませんから、増税など、以ての外なわけです。 いやはや、困ったねえ。 ジレンマだねえ。

  感覚的・心情的に、受け入れ難いかもしれませんが、日本政府は、預金者の預金をすでに、使ってしまっているんですな。 この世に無いんですよ、あなた方のお金は、もう。 みんな、道路とか橋とか、役人の給料とかに化けてしまっているわけです。 で、道路や橋や、得体の知れぬ特殊法人が、将来的に利益を生み出すのかと言うと、そんな事は全く期待できません。 有料道路は、料金を徴収できるわけですが、人口が今後減る事を考えると、道路の利用者も減るわけで、償還までに何百年掛かるか、分かったもんじゃありません。

  そういや、地方空港は、もっとひどいですな。 開業の年から赤字なんだから、話にならねえ。 需要予測を出した連中に、赤字額を全て贖わせるべきではありますまいか。 当然、責任があるでしょう。 搭乗率補償で、県が航空会社に損失を補填しているなどと聞くと、納税者として、地団駄踏まずにゃいられません。 「誰が、そんなもの作れと頼んだ!」 まったく、馬鹿馬っ鹿りでよー。 地方空港じゃなくて、痴呆空港なんじゃないか?


  話を戻しますが、日本経済は、一旦、躓いたら、ヨーロッパどころでない、大ゴケをします。 日本企業の国際競争力が急激に低下しているのも、不気味極まりない不安要因です。 大震災だけでも、フラフラなのに、タイの洪水で、スリップ・ダウン。 この上、ヨーロッパ経済危機が波及したら、ノック・アウトですな。

  ちょっと脱線しますが、また、どうして、タイにばかり集中して、進出したものかねえ。 タイの投資環境が良いとは、とても思えせんが。 国内政治は、体制派と反体制派の衝突やら、軍事クーデターやら、しょっちゅうだし、隣国と国境紛争も抱えています。 そういう事は、テレビ・ニュースを見ているだけでも分かる事ですが、バラエティー番組で、気楽に行ける国のイメージばかり刷り込まれているものだから、判断を誤ったのでしょう。

  政情不安で、天災付きなんて、リスクの塊やんけ。 「百年に一度の洪水」と言ってますが、次に起こるのが、100年後とは限りませんぜ。 温暖化の影響だとしたら、今後は、10年に一度になるかも知れません。 5年に一度になるかも知れぬ。 どうすんのよ。 その度に、高価な設備を水浸しにするの?


  話を戻します。 国の経済がコケるのは、避けられないとしても、個人の資産をどうにか守れないものかとは、誰もが考えるところ。 踏み倒されない内に、国内金融機関に預けている預金を引き出してしまえばいいわけですが、引き出しても、預け替える所がありません。 外貨にするにしても、ユーロは、もちろん駄目。 ドルも危ない。 人民元は、制度上、まだ買えぬ。 スイス・フランの人気が急上昇しているそうですが、スイス自体に大きな経済力があるわけではないので、金融バブルの可能性が高く、弾けた時が怖いです。

  「不動産でも買っておくか」と考える人は多そうですが、不動産価格は下落しており、使わない土地でも、所有しているだけで税金を取られる事を考えると、気軽に購入するわけには行きません。 大体、人口が減っているのに、不動産が値上がりするわけがないんですよ。 自明の理。 アパート経営? 冗談じゃない。 あんな面倒臭い事。 今時、入居者は、ろくでなしか、死に損ないばっかりですぜ。

  結局、純金にしておくのが、最も無難という事になりますが、純金も、結構値段の変動があって、今が最高値という見方もでき、そうなると、今後は下がるしかないわけで、やはり、損をする事になります。 「下がっても、ゼロにはならない」? いや、まあ、そりゃ、そうすけどね。

  でも、10年くらい前は、1グラム、1500円くらいだったのが、今は、4500円です。 3倍になっているわけで、3倍になるという事は、それだけ変動幅があるという事ですから、今後、3分の1になる事も、可能性としてはありえます。 例えば、今、3000万円分、純金を買ったとして、それが、1000万円になってしまったら、「ゼロにはならない」という言葉など、慰めにもならんでしょう。


  うぬぬぬぬ、畢竟、資産を確実に守る手立ては存在しないのか。 恐るべし、資本主義経済。 死ぬまで、ホームレス化を覚悟して暮らさなければならないのは、つらいっすねー。

2011/11/06

ガンダム話④

  ≪ガンダム・ユニコーン≫ですが、10月29日に、アニマックスで、ようやく、第2・3話を見る事ができました。 スカパーの16日間無料キャンペーンを利用して見る計画を、半月遅れで達成した事になります。 若い頃なら、半月も待つなんて、イライラしてしまって、とても耐えられなかったと思いますが、今は気が長くなったのか、さして待ち遠しいとも思わずに、過ぎてしまいました。 歳を取ると、いい事も少しはあるんですな。

  ちなみに、スカパーですが、無料体験期間の14日目くらいになったら、電話が掛かって来ました。 やたら、声のでかい男で、「そろそろ、無料期間が終了しますが、どんなチャンネルをご覧になっていますか?」ですと。 余計なお世話だ。 「それは、個人情報だと思いますが、答えなければいけませんか?」と、むっつり訊き返すと、それ以上、強くは追求して来ずに、「本契約の申し込みは、電話でもできます。 今なら、3000円、割引になります」ですと。 いやいやいや、最初から、契約する気は無いですけん。 ユニコーンが見れれば、それでいいんですよ、私は。

  どうも、相手の話し方から察するに、電話で契約を纏めれば、そやつの成績にカウントされるような雰囲気。 つまり、押し売り電話なわけだ。 最初に電話を取ったのは、私ではなく、母だったので、スカパー本体の社員なのか、関連会社の人間なのか、分からないのですが、いずれにせよ、こういう電話は、不愉快極まりないです。 何だか、監視されているような気分。 自分がやられたら、どう思うか、考えないんですかね?

  大体、たとえ、契約するとしても、ネットで申し込みます。 お金が関わる契約を、電話なんかで済ませられません。 契約となれば、クレジット・カードにせよ、預金口座にせよ、極めて、デリケートな情報を伝える事になりますが、そんな重大な事を、いきなり電話を掛けて来た、どこの馬の骨とも分からない輩に、教えられるものですか。 馬鹿も、休み休みおっしゃい。

  うちには、まだ、16日間無料キャンペーンを使っていない、テレビや、レコーダー、チューナーが、4台あって、今後、何か、どうしても見たい番組がある時に、小出しに使おうと思っておったのですが、こんな胡散臭い電話が掛かってくるようでは、その計画は、没にせざるを得ません。 まったく、タダより高いものは無い・・・。


  スカパーはさておき、本題の、ユニコーンの話に移りましょうか。 今のところ、全6話になる予定だそうで、私が見たのは、1~3話なので、まだ半分ですが、残りを見られるのは、相当、先の話になりそうなので、印象が新鮮な内に、感想を書いてしまいましょう。

  念の為、書いておきますと、≪ガンダム・ユニコーン≫というのは、オリジナル・ビデオ・アニメで、テレビ・シリーズではありません。 劇場公開もしているようですが、一話50分しかないので、映画として見るには、明らかに短すぎるような気がします。 どういう形で放映しているんでしょう?

  いわゆる、≪ガンダム正史≫の一部として作られており、≪シャアの逆襲≫の数年後、≪F91≫よりは随分前という時代設定らしいですが、メカのデザインだけが、妙に新しいのが、違和感あります。 ユニコーン・ガンダムにしろ、ネオ・ジオンのモビルスーツ群にしろ、ゴテゴテが好きですなあ、サンライズは。 しかし、≪シード≫、≪デステ二ー≫の物よりは、ずっとマシ。 ガンダムが、千手観音でなくなっただけでも、合掌してありがたがるべきか。

  小説の原作が元だそうですが、富野さんが書いたわけではないとの事。 しかし、世界設定が、オリジナルのガンダム・シリーズと同じだというだけで、≪シード≫や、≪00≫よりは、作品世界に入って行き易いです。 もっとも、オリジナルに近いだけあって、オリジナルの欠点である、妙に時代がかったセリフや、「姫様・・・」といった、鼻を摘みたくなるような設定も受け継いでいるのですが。

  ちなみに、この「姫様」とは、ドズル・ザビの娘で、≪オリジナル≫では、赤ん坊姿で、≪Z≫と≪ZZ≫では、7歳くらいの子供姿で(贋者が)登場した、あのミネバ・ザビなのですが、16・7歳くらいになっているものの、髪型が特徴的なため、一目で、それと分かります。 「あれ? これは、ドズルの娘ではないか!」と気づいた時には、ちょっとした感動を覚えましたが、名前を思い出せない歯痒さも、同時に味わいました。

  しかし、今更、蒸し返すのもなんですが、あのドズルの遺伝子で、こういう顔立ちの娘が生まれるものかね? 母親は、不倫をしておったのではないか? 本当の父親は誰だろう? ザビ家内部で探すとしたら、顔的には、ガルマくらいしか該当しませんな。 いずれにせよ、ザビ家の血筋である事に変わりはないから、ストーリーの展開に支障を来たす事はありませんが。

  1話では、このミネバが、ネオ・ジオンの偽装貨物船に潜入して、主人公のいるコロニーへ密航してくるのですが、主人公の少年の素性が、終わり頃まで隠されているので、どちらが、主役なのかはっきりせず、話の重心点が掴み難いです。 主人公の父親が、やたらベラベラと長広舌をふるうのも、話の展開を重たくしています。 その場にいる者全てが常識として知っている事を、改めて一から喋るのは、ボケが来ている証拠ではありますまいか。

  戦闘場面は、ネオ・ジオンの強化人間用モビル・スーツが、ロンド・ベルの汎用モビルスーツを壊しまくるのが、痛快。 前々から思っていたんですが、ガンダム・シリーズの戦闘場面は、敵役が強い時が、一番面白いですな。 ユニコーン・ガンダムは、中盤ちょこっと姿を見せた後、ラストになって、本格的に登場して来ますが、暴れ始める前に、1話は終ってしまいます。

  で、今回見た、2・3話ですが、何だか、主人公達が、連邦とネオ・ジオンの間を行ったり来たりし過ぎで、落ち着きません。 展開の目まぐるしさが、面白さに繋がっていないのは、問題だと思います。 主人公が、何のために戦っているのかが、はっきりしておらず、居心地の悪い雰囲気を視聴者に分け与えてしまっています。

  富野さんが作る話だと、「やむにやまれぬ事情で、戦う羽目になってしまった」という設定が、必ず盛り込まれているのですが、≪ユニコーン≫では、その詰めが甘く、「なにも、この主人公は、連邦とネオ・ジオンの、どちらかに与さなければいけないわけではないのだから、ユニコーンにミネバを乗せて、どこか、戦闘が行なわれていない所へ、逃げてしまった方がいいのではないか?」と、思わせるのです。

  主人公が戦っている動機は、ほぼ、100%、ミネバへの執着にあり、それ以外の事は、どうでもよさそうに見えるから、何だか、白けてしまうのです。 ミネバが、世界の平和のために、命がけで行動しているのに対し、女の事しか頭に無い主人公のスケールの小ささには、呆れざるを得ません。 顔は、いいんですがねえ。

  フル・フロンタルという名の、シャアらしき人物も出て来ます。 ネオ・ジオンが、≪逆襲のシャア≫の時と同じ組織ならば、別に名前を変えなくてもよさそうなものなので、もしかしたら、組織として、断絶があるのかもしれませんな。 当人は、シャアである事を、否定も肯定もしていないから、ますます、はっきりしません。

  つまらない事ですが、シャアが、フル・フロンタルだとすると、≪逆襲のシャア≫で、一度、短髪にしたのを、30歳過ぎてから、また伸ばし、若い頃以上の長髪にした事になり、何だか、非常に悪趣味な感じがします。 誰じゃ、このキャラデをやったのは。


  戦闘場面は激しいですが、同じモビルスーツ、同じパイロットでも、ストーリー展開に合わせて、強さ弱さが変わるなど、御都合主義が多く見られる点は、昨今の他のロボット物アニメと変わりません。 ユニコーン・ガンダムが、断トツに強過ぎるのは、大いに白けるところ。 主人公は、ユニコーンに乗りさえすれば、容易に無敵になってしまい、窮地に陥る事がありません。 それでは、ドラマにならんでしょう。

  そういえば、ロンド・ベル側の戦艦は、≪ZZ≫の後半で出て来た、ネール・アーガマです。 懐かしいといえば懐かしいですが、時間的に間に挟まっているはずの、≪逆襲のシャア≫に出て来た、ラ・カイラム級が、どうなってしまったのか、首を傾げてしまいます。 ≪F91≫だと、ラ・カイラム級と共通デザインの船が出て来るんですがね。

  そもそも、ネール・アーガマは、エウーゴが造った船であって、なんでまた、ロンド・ベルの所属になったのか、よく分かりません。 エウーゴは、反ティターンズ組織で、連邦軍内の反乱部隊のような位置づけだったのに対し、ロンド・ベルは、単なる独立部隊に過ぎず、全く性格が違います。 その辺のところが、どうなっているのか、ブライト・ノアにインタビューしてみたいものですな。


  ところで、この作品のテーマですが、今までのところ、よく分かりません。 これといって、決めておらず、単にモビルスーツ戦の描写をやりたいだけ、という見方もできないではなし。 いや、ガンダム・シリーズでは、そういうのが、多いのですよ。 そもそも、≪オリジナル≫ですら、主人公の成長という、ベタな側面を除けば、テーマがはっきりしてませんでしたから。

  「ニュータイプ」がテーマ? いやいやいや、あれは、テーマには、なり得ません。 だって、架空の設定でしょう? 実際に、現代の人類の中に、ニュータイプの萌芽のような変化が見られるというのなら、テーマたりえますが、まるっきり架空では、その事について、真剣に議論したり、研究したりするのは、ナンセンスな事です。 そんなのは、テーマになりませんぜ。 ファンタジー作品に出て来る、「魔力」と、変わらないじゃありませんか。

  ちなみに、≪シード≫に於ける、遺伝子操作で作られた新人類の事ならば、充分にテーマになります。 面白いですな。 評価が高い≪オリジナル≫よりも、≪シード≫の方が、SFとしては、純度が高いのです。 ≪オリジナル≫は、ニュータイプの要素を除くと、ほんとに、戦争物の面白さしか残らないところがあります。

  以上、バラバラですが、とりあえず、1~3話までの感想です。 話全体は、最後まで見てみないと、評価が下せません。 いつになるやら、見当もつきませんけど。


  そうそう、シャアの登場場面を集めて、ナレーションと音楽をつけた、≪赤の肖像≫という番組も一緒に見ました。 でも、長いばかりで、そんなに面白くはなかったです。 シャアのファンは多いですが、作中では、あくまで、敵役か、脇役なので、そーんなに、露出は多くないんですな。