2016/11/27

車を置く為に

  そういや、父の死に伴う様々な事に取り紛れて、車を買った時の経緯を書いていませんでした。 私の生活の上で、結構には、大きな事件だったので、忘れない内に、記しておきます。




  最初の入院からの退院後、父が自転車に乗れなくなってしまったのですが、母まで、新しい病院へ通院する事になり、いよいよ、車を買わざるを得なくなりました。 それを決定したのは、2016年7月5日の事でした。 父に、二度確認し、母にも了解を取って、いよいよ、確定となったわけです。

  しかし、私自身が、車を欲しいわけではないので、まったく、完璧に、徹底的に、完膚なきまでに、水も漏らさぬくらい、蟻一匹這い出る隙間がないくらい、モチベーションが上がりませんでした。 ・・・だいぶ、用法が間違っている形容が並びましたが、まあ、そんな事は、どうでも良いです。

  ちなみに、去年の9月頃、≪車購入シミュレーション≫という記事を書いていて、その時に調べた事が、かなり参考になりました。 以下、その時の記事の内容と重複する部分もあり、中には、矛盾する記述もあるかも知れませんが、一年近く経てば、考え方が変わる事もあるわけで、大目に見てください。


  で、買う車ですが、お金を出すのが惜しいので、勿の論、中古の軽自動車以外、眼中にありません。 うちの場合、駐車場の幅にゆとりがなく、現行規格の軽を入れたら、横を通れなくなってしまうという制約があります。 旧規格の軽なら、8センチ、幅が狭いから、幾分マシだろうと思ったら、規格変更があったのが、1998年10月1日だそうで、一番年式が新しい旧規格車でも、すでに、18年も経っているという、熱が出る有様。

  でも、ありがたい事に、古い分、値段も下がりきっていて、総込み、険取りでも、20万円以下に収まるとの事。 ちなみに、それ以上、古くなると、プレミアがつき、逆に値段が上がり始めて、50万円を超えるものも出て来ます。 できれば、フェンダー・ミラー車がいいんですが、そこまで遡ると、80年代半ばの車になってしまいまして、完全に、プレミア車の世界です。

  ここは一つ、値段が下がりきっている年式帯の、90年代前半から、98年9月までの車を選ぶべきでしょう。 ちなみに、該当するのは、アルトやミラなら、4代目まで。 トゥデイは、2代目とハミングまで。 トール・ワゴンでは、ワゴンR初代、ムーヴ初代、ライフ2代目まで。 他に、セルボ・モード、オプティ初代、ヴィヴィオ・ビストロなども入ります。 ミラ・ジーノは、初代がすでに、新規格。

  軽自動車に詳しい人なら、ここまで読んで、「ミゼットⅡカーゴを、忘れてないかい?」と、ニヤついている事でしょう。 もちろん、忘れてません。 というか、真っ先に検討したのです。 ミゼットⅡカーゴは、車幅が、1335ミリしかなく、旧規格軽より、更に、6センチも小さいのです。 しかも、2001年まで作られていたので、数年新しいと来たもんだ。

  ところが、駄目なんですよ。 近所のディーラー系中古車センターに、一台あったので、見に行ったのですが、助手席が狭すぎるのです。 私が車を使う目的は、専ら、両親を送り迎えする事にあるのですが、あんな狭い所に、親を押し込んで走るわけには行きません。 ありゃあ、体の無理が利く若い人を対象にして作った車なんですな。 ちなみに、カーゴは、二人乗れるからだと思いますが、ノーマル型より、中古価格が高いです。 予算的にも、私が買える車ではありませんでした。

  軽自動車に中途半端に詳しい人なら、ここまで読んで、「スズキのツインにすればいいのに」などと思っているかもしれませんが、駄ー目だって、あれは。 一見、小さく見えますが、長さが短いだけで、幅は、新規格と同じなのですよ。 どうして、幅も狭くしてくれんかなあ。 いや、それ以前に、ツインは、デザインがやり過ぎで、見ているだけでも、恥ずかしいです。 あの車、どんな人に乗ってもらいたくて作ったのか、企画者のつもりが分かりません。 


  とっくに生産が終わった車の批評はさておき、現実問題に戻りましょう。 ライフの2代目のデザインが、現行で売っていた当時、気に入っていたので、ネットで調べて、沼津市内の中古車店にあるのをつきとめ、見に行きました。 バイクで、30分もかかる、遠い所でした。 店に着いてみると、目当ての車が、入口にデンと置いてあって、どうやら、納車準備をしているような雰囲気です。 心中密かに眉根を寄せていたら、案の定、「もう、売れた」との事。 げげげ! なんて、運が悪いんだ!

  しかし、「同じ型なら、探せば、すぐに見つかる」というので、探してくれるように頼んで来ました。 待つ事、10日間。 音沙汰ないので、こちらから電話したら、「見つかった」との事。 だったら、電話して下さいよ。 入荷日と言われた日は、最初に頼んでから、半月後に当たります。 半月が、「すぐ」なのかどうか、かなり、微妙。 私は、結構、痺れを切らしていたのですが、中古車業界では、目当ての車を探すのに、そのくらいかかるのは、普通なのかもしれません。

  ところが、入荷日と言われていた日の翌日、8時開店だと言うので、朝一で行ってみたら、「まだ入っていない。 朝、電話したんだが、通じなかった」と言います。 そういや、私が出かける直前に、とる前に切れてしまった電話がありましたっけ。 うちは、電話のそばにいるのが、母でして、大抵、座椅子に寝そべって、テレビを見ているせいで、電話が鳴ってから、起き上がって、出るまでに、時間がかかります。 10回くらい呼び出し音が鳴らないと、出られないのです。

  現物がないのでは、是非もない。 「午後までには、入る」というので、出直して来る事にしました。 とんだ、無駄足です。 家に帰って、寛いでいたら、11時頃、店から電話があり、なんと、「入荷したにはしたが、エンジンが駄目で、売り物にならない」と言います。 呪われているのか、私は・・・。 もしかしたら、車というのは、当人に、「どうしても、欲しい!」という拳を握り締めるほどの強い熱意がないと、買ってはいけない物なのかもしれません。

  「良かったら、また、別のを探す」と言われましたが、すでに、半月も待っており、次が見つかったとしても、それが、まともに走る車かどうか、保証はありません。 で、その店に、セルボ・モードがあったのを思い出し、それを見に行く事にしました。 年寄りが乗り降りする事を考えると、トール・ワゴンの方がいいのですが、そうも言ってられません。 とにかく、幅が狭い旧規格車で、ドアが4枚あれば、用は足りるのです。


  午後1時頃、再度、出発。 凄まじい炎天! 暑くて、頭がボーっとして来ます。 一日に二回も、バイクで出る陽気ではなかったです。 約束していた、1時半頃には到着。 バイクを入口近くに置き、車置き場の中に入って行ったら、店の人が、セルボ・モードのエンジンを、スターターでかけていました。 試乗させる気はないようで、前後は、他の車で挟まれており、すぐに出せる状態ではありませんでした。

  エンジン音は、フードを開けてあるものの、まあまあ、普通程度。 どうせ、エンジンなんて見ても、程度が分かりません。 走行距離は10万キロで、タイミング・ベルトは交換済みだとの事。

  外装の程度は、まずまずですが、凹みがないというだけで、キズや、塗装の劣化は、かなりありました。 ネット上で、写真で見るのと、生で見るのとでは、だいぶ違いますな。 だけど、1997年製で、もう19年も経っているわけですから、無理もありません。 一方、内装は、驚くほど綺麗でした。 運転席の布トリムが一部剥がれていましたが、その程度は、ボンドで直せるでしょう。 どうせ、運転席は、私しか乗らないから、そのままでもよいです。

  店の人に、どんな乗り方をするのか訊かれたので、スーパーに買い物とか、病院へ送り迎えとかで、ドライブには使わないと言ったら、その話はそれまでになりました。 「古い車だから、遠乗りや、峠越えなどすると、壊れるかも知れない」と言いたかったのではないかと思います。

  ドアが変形して開かない中古車が稀にあるらしいので、さりげなく、全てのドアを開けてみましたが、問題なく、開きました。 左前輪のホイール・カバーだけなくて、その事について訊いてみたら、「もちろんある。 付けて渡す」との事。 たぶん、盗難対策に、わざと外してあるのでしょう。

  そこで、「じゃ、これを下さい」と言う事になりました。 車検つきで、16万円。 自賠責も含むとの事。 書類は住民票だけでよくて、軽の場合、認印すら要らないと言われました。 住民票は、「半月前、最初に、ここに来た日に、ライフを買うつもりでいたから、その時、市役所で貰って来たのがあるが、期限に問題ないか」と訊いたら、3ヵ月以内だから、問題ないとの事。

  ここで、意外にも、話がバイクの事になり、「あのバイクは、どうするつりなのか」と訊いて来たので、「9月に任意保険が切れたら、処分するつもりだ」と言ったら、なんと、「下取りにとっても良い」との事。 凄い話になって来た。 なんでも、バイク買い取り専門店などでは、買い叩かれてしまうらしいです。

  バイクを見たいというので、見せて、距離計が一周回って、11万2千キロである事や、あちこち、壊れているところがあるのを、自白しておきました。 16万円でも充分安いから、下取り金額には、別に拘りません。 後で、返せと言って来たら、返せばよいだろうと考えていました。 それより、私のバイクが、まだ乗ってくれる人の所へ渡る事の方が、ありがたいです。

  車の話に戻りますが、納車は無料だとの事なので、頼んでおきました。 そうしないと、私が、電車と徒歩で、店まで取りに来なければならないからです。 「一週間以内には渡せると思う。 納車前に電話する」という事で、商談は終わり、引き揚げました。 店には、30分もいませんでした。 渡して来たのは、住民票だけで、支払いは、納車の時で良いとの事。

  どうも、この店の人は、お金を儲けようという気持ちより、リーズナブルな価格で、物をやり取りする事に、喜びを見出しているように見えます。 そういう商人もいるんですかね? もしそうなら、尊敬に値するポリシーですけど。

  とりあえず、車が決まり、一週間以内には、うちに来る事になりました。


  そちらはそちらでいいとして、車を置く所が、その時現在、自転車置場にしているスペースしかないのが、大問題。 自転車置場の前に、車を置くと、自転車が出せなくなってしまいますから、車を奥に入れ、自転車を、その前に置いて、車を出す時にだけ、自転車を、玄関ポーチに避けるというつもりでいました。

  だけど、玄関ポーチには、私のバイクが置いてありまして、一時的に自転車を避難させるにしても、せいぜい、一台しか置けません。 母の母自と、私の旧母自の二台は、常に使える状態にしておきたいのですが、車を出す時に、一台、逃がし場所がなくなってしまいます。 一旦、自転車を道路に出し、車も道路に出してから、自転車を敷地内に戻すのでは、車を出す時にも、戻って来て入れる時にも、大変な手間になってしまいます。

  この問題、延々と、悩みましたよ。 悩み過ぎて、頭の中に、地下鉄が走りそうになりました。 ・・・お、地下鉄のギャグは、今の50歳以下の世代では、全く通じないかな。 いやいや、そういう漫才が、昔あったのですよ。 それはどうでもいいとして・・・。 いつかは、車を買わなければならないと思っていたので、もう、ずっと前から、自転車との兼ね合いをどうするか、頭を悩まして来たのです。

  入院前、父が自転車を使っていた頃は、すぐに出せる状態にしておかなければならない自転車が、三台もあったので、全然お話にならなかったのですが、二台となれば、どうにかなるのではと思ったのが、そもそも、車購入計画がスタートしたきっかけだったのです。 何とかなりそうなんだけど、なかなか、解決策が見つからない、このじれったさ。 ポアンカレ予想か。 それほどでもないか。 いや、ポアンカレ予想は、もう解かれたな。 んなこたどーでもいーか。 どうでもいい事が多過ぎるな。

  で、ほんの二三日前に、天啓のごとく、突然、思いついたのが、バイクを、車の後ろに置くというレイアウトです。 バイクは、どうせ、任意保険が切れる、今年の9月までしか乗りませんし、乗るにしても、二週間に一度くらいですから、出し入れに手間がかかっても、問題ないのです。 バイクが玄関ポーチからなくなれば、自転車二台、楽勝で置けるではないですか。 置きっ放しにしてもいいくらいです。

  うーむ、世紀の難問と思われていたレイアウト問題が、車購入計画を本格化した途端に解けるとは思わなかった。 やはり、本気になって考えないと、いい知恵というのは、出て来ないんですね。 「行動こそが、思想である」というのは、強ち、屁理屈とばかりも言えないのか・・・。




  で、↑ここが、その、駐車場予定地です。 この時点では、まだ、自転車置場になっています。 正面に見える仕切り格子を、一番奥まで下げてしまい、その前にバイクを置き、その更に前に、車を置こうという算段。 自転車のレストア後、自転車置場に雨風がかからないように、カー・ポートの横や後ろに、いろんな工夫をしたのですが、それらは、そのまま活かし、今度は、車を守らせようと考えました。




≪写真上≫
  少しでも、広くする為に、窓の外についている防犯格子を、窓側に近づける事にしました。 ビフォー写真を撮り忘れたので、これは、すでに、引っ込めた後の状態です。

≪写真下左≫
  腕木金具を無理やり曲げて、角度を変え、3センチくらい、窓に近づけました。 網戸を外すには、充分な隙間を残してありますが、この窓、中は床の間でして、開ける事は、全くと言っていいほど、ありません。 網戸も、格好だけ付いているようなものです。

≪写真下右≫
  これは、格子の下端に巻いた、ビニール・テープのクッションです。 ドアが当たる側の角には、ビニール・テープを折り畳んで挟んであります。 特別な物を買ってこなくても、キズ防止はできるという事ですな。 実は、これを巻いたのは、以前、ここに車を置いていた、31年前の事。 ほとんどが、無傷で残っていました。 今回、巻き直したのは、2本だけ。

  たった3センチでも、見た目の感じは、だいぶ、広くなりました。 幅が狭い所では、ほんの数センチの差でも、馬鹿にならないのです。 軽自動車の、旧規格と現行規格の幅の差、8センチが、いかに大きい数値かが分かると思います。

2016/11/20

遺物との戦い

  母の狭心症の手術が終わった後、これといって、やる事がなくなり、自然に、父の部屋の片付けに気が向くようになりました。 四十九日はとっくに過ぎていて、もう、遺物を処分しても、問題ないと判断した次第。 だけど、これが大変でねえ・・・。 かれこれ、 半月も、それに取り組んでいるのですが、終わりは、まるで見えません。

  以下、日記から、関係のある部分だけ抜き出して、移植します。 私の捨て物の記事も混じっています。 同じような作業なので、並行して進めており、それが、ますます、作業を厄介なものにしています。 そういう意味で、無関係ではないので、そちらも、削除せずに、出します。




≪2016/10/31 月≫
  運動の為に、山に登り、帰って来てから、服が汚れているついでに、父の部屋の捨て物片付け。 とにかく、押入れの奥の納戸に入っている、下着類や衣類を、全て捨ててしまおうと考え、納戸に潜って、ごっそり引っ張り出しました。 なんで、こんなに残してあるのか? 4分の1くらいは、父の部屋の元の住人である兄の物でしたが、尚の事、古いのであって、父が、何も捨てられない人であった事が、よーく分かりました。



≪2016/11/02 水≫
  居間の、29型ブラウン管テレビを、父が使っていた、32型液晶テレビに換える話が、だいぶ前から出ていたのですが、母の手術も終わった事だし、そろそろ、実行する事にしました。 その為には、まず、旧居間にある、21型ブラウン管テレビを廃棄し、29型ブラウン管を旧居間に移さなければなりません。

  21型と言っても、ブラウン管だと、巨大な物体でして、まず、一人で持ち上げられる事を確認しました。 家で車に積む時には、母に手伝ってもらえますが、家電リサイクル・センターに行ったら、私一人で下ろさなければならないからです。 確認した上で、旧母自で近くの郵便局に行き、家電リサイクル券を買って来ました。 パナソニックで、16型以上のテレビは、2916円。 振り込み手数料が、130円で、計3046円です。

  家に戻って、家電リサイクル・センターに電話したら、本日営業中で、車で入れるとの事。 今年の4月に、白黒テレビを自転車に積んで、処分しに行ったので、それは分かってたんですが、もちろん、「はい、知ってます」などと生意気、且つ、余計な事は言わず、「そうですか、分かりました」と、気持ちの良い返事をしておきました。

  車のリヤ・ハッチを開け、後席背凭れを倒して、荷室を広げます。 車を傷めないように、新聞紙を分厚く敷き、テレビを積みました。 家の中は、母に片側持ってもらい、玄関から車までは、私一人で運びましたが、21型ブラウン管の重さは、一人で運べる限界だと感じました。 ハッチを閉め易いように、画面を下にして置きます。 電源コードは、鋏で切りました。 それは、家で捨てられるからです。

  隣の自治体にある、家電リサイクル・センターまで、15分くらい。 もちろん、安全運転に徹します。 駐車場にとめ、テレビを、うんとこしょと持ち上げて、20歩くらい歩き、所定の場所に持って行きました。 担当者が不在のようで、しばらく待ちましたが、その内、人が来て、手続きはすぐに終わりました。

  その、パナソニック・21型ブラウン管テレビは、元々は、母が買ったもので、アナログBSチューナーが内蔵されていたもの。 1999年のシールが貼ってありました。 なんと、私の車よりも新しかったんですな。 2013年6月に、母の部屋に液晶テレビを買ってから、旧居間に移され、父が夏場、昼寝する時にだけ見るテレビになっていたのですが、その役目も、去年の8月には終了し、最後に使ったのは、今年の6月末に、父が、最初の入院から退院してきた日に、とりあえず、旧居間に布団を敷いて寝て、少し見た、その時でした。

  何の問題もなく、今でも見れるのですが、もはや、置く部屋がなく、見る人もいません。 ご苦労だった。 リモコンのデザインには、時代を感じます。 それは、撮影して、埋め立てゴミへ。 もちろん、テレビ本体の遺影も撮ってありますが、私が使っていたテレビではないので、見直す事があるかどうか・・・。


  昼間は、母が居間のテレビにへばりついていて、入れ替え作業ができません。 昼一で、香貫山へ登山。 腹を凹ませる為です。 ドス曇りで、富士は見えず、その代わり、愛鷹山の稜線が、よく見えました。


  3時半を待ち、母と二人で、29型ブラウン管テレビを、居間から、旧居間へ移しました。 さすがに、ガラスの量が多いだけあって、二人で運んでも、重かったです。 いずれ、これも、家電リサイクル・センターへ運ばなければなりませんが、母と二人で行かなければならないかも知れません。 「いずれ」などと、悠長な事を言っていないで、母が元気な内に処分してしまうべきなのか。

  次に、父の部屋から、32型液晶テレビを、居間へ運びました。 これは、私一人で持ち上げました。 液晶だと、32型でも、21型のブラウン管より軽いです。 父の液晶テレビは、2010年製で、まだかなり厚みがある方なので、今の製品なら、もっと軽い事でしょう。 居間のテレビ台は、そのまま使います。

  設置して、配線。 ブラウン管テレビの時は、デジタル対応していませんでしたから、地デジ化以降、レコーダーのモニターとしてだけ使っていたわけですが、父の液晶テレビは、デジタル・チューナーがついているので、テレビ側でもテレビが見れます。 その為に、アンテナ・ケーブルを、CATVとBSの2本、追加しました。 それは、父の部屋で使っていた物を、持って来ました。 父の部屋には、レコーダーだけが残っています。

  画面サイズが違っていたり、レコーダーのリモコンで、テレビの音声を変えられなかったり、ありがちな問題が起こったものの、一つ一つ、克服し、何とか、夕飯までには、普通に見れるように調整しました。 29型から、32型と、数値的には大差ない変化ですけど、画面比率が、「4:3」から、「16:9」になったせいか、見た目には、相当、大きくなった感じがします。 画面が大きくなり過ぎて、些か、目が疲れますが、これは、その内、慣れるでしょう。

  いやはや、今日は、随分、働きました。 オマケに、登山までしたのだから、動き過ぎたかも知れません。



≪2016/11/03 木≫
  今週末が、埋め立てゴミの日なので、父の部屋や、プレハブ離屋の物を少しずつでも捨てようと、埋め立てゴミに該当する物を探したら、ラジカセやラジオが、3台出て来ました。 入れたままの乾電池が、液漏れして、腐食している有様。 ラジオは、他にもあって、この3台をとっておいても、使いっこないので、捨てる事にしました。

  父の部屋のテレビ台の奥から出て来た、ビデオ・テープも、鋏でテープを切って、指定袋へ。 ビデオ・デッキはとっくになくなっているのに、テープだけ、捨てずに残してあったんですな。 たぶん、中身は、時代劇だと思います。



≪2016/11/04 金≫
  埋め立てゴミの日に間に合わせる為に、父の部屋の片付け。 今日は、机の中に入っている物を引っ張り出しました。 もーう、いちいち書くのも嫌になるくらい、ごちゃごちゃと、いろんな物が入っていました。 父にとっては、愛用の品でも、私にとっては、ただのゴミでして、げんなりしてしまいました。

  特に、始末が悪いのが、液物や軟膏・クリーム類でして、そのまま捨てられないので、中身を出すわけですが、ヘア・トニックとか、どーしろってゆーのよ、この、刺激臭のする物質を。 いや、指定袋に布を詰め、それに染み込ませましたがね。 もう、忍耐の限界に挑戦する作業ですな。

  父の部屋に関しては、半年もすれば、何とか、空っぽにできそうですが、まだ、プレハブ離屋と物置があり、普通のゴミには捨てられない、設計の仕事道具などがあるので、そちらの事を考えると、頭がズキズキ痛いです。 「使えそうな物は、残す」などと、些細な事に拘らずに、「基本的に、全て捨てる」つもりで取り組まないと、気力が持たないかもしれません。 これは、戦いですな。

  つくづく思うのですが、死の準備をしないまま死ぬと、後片付けをさせられる人間に、恨まれるだけです。 なんで、自分の物でもないのに、時間と体力を費やして、対処しなくちゃならんのよ? こっちだって、残り時間が少ないというのに。 業者に頼む人の気持ちが良くわかるわ。 たとえ、親であっても、人のゴミの始末なんて、報酬でも貰わなければ、やる気になりません。 一体、どういうつもりだったのかねえ、私の父は?



≪2016/11/06 日≫
  明日は埋め立てゴミの回収日なので、昼一から、集積所へお百度を踏みました。 いや、100は大袈裟ですが、15往復はしたと思います。 登山より、ハードな運動でした。 ほとんど、父の物と、兄の物。 父の布団類を全部捨てたので、えらいボリュームがありました。 敷き布団やマットレスは、重くて、一度に一回しか運べないから、往復回数が増えたんですな。

  兄が残していった、スキー板と、ゴルフ・バッグも捨てました。 自分で処分して行けよ。 えらそうに、「捨てていい」じゃないんだよ。 その捨てるのが大変なんだよ。 ゴルフなんて、ほとんどやらなかったくせに、わざわざ、クラブ・セットを買ったのかね? もう、バッグの表面が劣化して、べとべとしてましたけど。

  引っ張り出したり、縛ったり、行ったり、来たり、正味、2時間くらい働いたでしょうか。 一度に、あまりたくさん出すと迷惑なので、今日のところは、その辺でやめておきました。 しかし、まだまだ、捨てなければならないものが、ごそっとあります。



≪2016/11/11 金≫
  父の遺した物を捨てていると、自分が押入れにしまいこんでいる物も、とっておくだけ無駄なような気がして来ます。 子供の頃に読んだ本など、もう、読まないと思うのですよ。 思い出にするだけなら、写真を撮っておけば、充分です。 そうなると、まだまだ、かなりの量を捨てられます。

  アニメのビデオなども、もう、見ないなあ。 アニメそのものを見限ってしまったものねえ。 なんというか、50歳くらいを境にして、趣味が変わってしまったんですわ。 キャラも、ストーリーも、テーマも、アニメの全てに、興味を感じなくなってしまったんですなあ。 新作はもちろん、昔録画したものも、一緒くたに、見るに耐えなくなってしまったのです。 ≪ガンダムZ≫とか、≪ZZ≫とか、とってありますけど、ま、絶対、見返す事はないと思います。

  黒澤明作品を、全体の3分の2くらい、レンタル・ビデオをダビングして、とってありますが、それも、見返さないと思うんですよ。 名作は、改めて見るまでもなく、記憶に焼き付いていますし、そうでない作品は、そもそも、わざわざ見返す気になりません。 そういや、デジタル放送になってからこっち、黒澤明作品をテレビで放送しませんな。

  漫画のコミックスも、いよいよ、捨てるときが来たか・・・。 アニメと同じで、やはり、今となっては、読めんのですよ。 とってはあるけど、もう、20年以上、1回も開いていない物が、大半です。 去年だか、≪ど根性ガエル≫のドラマがあり、その少し前に、とってあるのを、読んでみようとしたんですが、読めませんでした。 子供の頃とは、完全に、感性が変ってしまったんでしょうなあ。

  ≪ドラえもん≫は、全体の95パーセントくらいはあるのですが、これも、読みませんなあ。 アニメの方が、今でも放送しているせいか、懐かしさすら感じません。 名作である事には、異論がありませんが、老年に足を踏み入れた人間が、読むものではないと思うのです。

  ≪うる星やつら≫は、全巻、≪めぞん一刻≫は、8割くらいあるのですが、これも、読みませんわ。 本当に、30年以上、開いていません。 つまり、この30年間、私の生活に必要ないと判断されていたわけで、それは、今後も変らないと思うのです。

  大人になってから買ったというと、≪ああっ女神さまっ≫や、≪逮捕しちゃうぞ≫などがあります。 読んでいない点は同じですが、これらは、まだ、歳月が浅いせいか、ちと、捨てるのが惜しいです。 だけど、結局は、学生時代以前に買ったものと同じように、どんどん遠い存在になって行くのでしょう。

  20歳前後の頃に読んでいた新書本も、50冊くらいはあると思いますが、もう、30年、読んでいません。 「引退して、暇が出来たら、読み返す事もあるだろう」と思って、とってあったのですが、いざ、引退してみると、すでに、過去の遺物でして、まるで、興味が湧きません。 当時の新書本は、大抵、学問の入門書なのですが、私の歳で、今更、何に入門するでもありますまい。 これから、世の中に出て行く年齢の者が、読むものだったわけだ。

  こういう過去のものを、見返す時間があったら、読んでいない本を読んだ方が、有意義なような気がするのです。 



≪2016/11/12 土≫
  午後は、3時過ぎから、起き出して、自室の天袋から、電気ストーブを出しました。 ついでに、バイク・ツーリング用の大型リュックも下ろしました。 もはや、バイク本体がないので、これも、不用にして不要。 中に入っている、野宿グッズと共に、捨てる事にします。 

  続いて、父の部屋の天袋に入っていた物を、全て下ろしました。 天袋に関しては、父の物はなくて、兄の物や、私と兄が子供の頃に使っていた物がほとんどでした。 釣竿とか、顕微鏡とか、野球ゲームとか、ギターとか。 ギター? これは、40年くらい前に、母が勤め先で買わされたものですが、こんなの、どこへ捨てればいいのよ?

  来週末が、資源ゴミの日なので、それまでに、金属と紙類、プラスチックを仕分けしておかなければなりません。



≪2016/11/15 火≫
  予報に反して、なかなか雨がやまず、図書館行きは中止しました。 今日は、父の部屋の片付けに使う事に決定。 その前に、自分が昔使っていた眼鏡三本を解体し、捨てる準備をしました。 父の物だけ捨てるのが後ろめたいから、自分の物も捨てて、罪悪感を和らげようという魂胆です。


  午前10時頃から、父の部屋に入り、今まで、気が進まなくて、後回しにしていた、薬品・軟膏類の使い残りを、ビンから出す作業をしました。 使い捨てのビニール手袋をして、ティッシュで掻き出すのですが、こんなに気持ちの悪い作業が、他にあろうか。 しかも、父親とはいえ、自分以外の人間が使いかけた物なのです。 一体、何の因果で、こんな後始末をさせられなければならんのか。 母も兄も、こういう、心から嫌な事は、何もしないのだから、気楽なものです。

  資源ゴミ、埋め立てゴミ、燃やすゴミを分別しつつ、天袋から出した物を、処理していきます。 最後に、押入れの横幅一杯に、ハンガーで掛けられていた、シャツや背広、礼服の類を、外して、畳んで、束にしました。 これは、凄い作業だった。 父は、背広・礼服を若い頃の分から、全部取ってあったようで、虫に食われて穴が開いている物や、裏地がシミだらけになっている物もありました。

  故人の形見に、服を取っておくという人もあろうかと思いますが、やめた方がいいです。 嵩張る割に、手入れが大変で、結局、どんどん傷んでしまうからです。 形見は、腕時計のような、自分でも使える小物が一番です。 服は、写真に撮っておけば、充分だと思います。 それすらも、たぶん、そうそう、見返す事はないと思いますけど。

  今日、処理したものというと、他に、レース・ゲーム、野球ゲーム、エキスパンダー、顕微鏡、釣竿とリール、電気髭剃り、英語教材のレコード、書籍類、鏡類、といったところ。 結局、髭剃りや、櫛、ブラシなど、衛生関係のものは、全て捨てる事にしました。 親子とはいえ、そういうものは、受け継げませんわ。

  夕方までかかりましたが、それでも、まだ、全部は終わりません。 とてもとても・・・。 しかし、衣類の束だけでも、8個くらい出来たので、今週末の資源ゴミの日は、そのくらいで良しとしておいた方がいいかも知れません。 あまり、たくさん出すと、当番の人達が大変だから。

  今日は、立ち続けで、疲れました。 それにしても、遺品整理業者にはなれんなあ。 お金を貰っても、他人の使いかけた軟膏なんて、掻き出すのは、御免です。 実際には、そんな事まではやらずに、中身が残っていても、構わずに、どんどん分別しているんでしょうなあ。 でなきゃ、何日かかるか分かりませんわ。



≪2016/11/16 水≫
  午後4時頃から、父の部屋に入り、父が使っていた眼鏡、7本を解体しました。 父は、近眼歴がなくて、眼鏡をかけ始めたのは、老眼になった、50代以降です。 30年程度で、7本は、多い方だと思います。 レンズは、全部ガラスだったので、埋め立てゴミへ。 フレームは、金属で、資源ゴミ。 鼻パッドは、衛生上の理由で、燃やすゴミへ。

  「眼鏡の一本くらい、形見に残しておけば?」と思う方もいるでしょうが、駄目なんですよ。 こういう物でも、侮れないのであって、年中、手入れしていないと、金属は腐蝕するし、プラスチックはベトベトして来るし、一言で言うと、腐って来ます。 母も私も、決して、先が長い人間ではないのであって、無限に保存し続ける事はできないのです。


  父の遺物を片付けていると、「一人の人間が、こんなにも多くの物を買うものなのか」と、改めて驚かされます。 父は、自分から、家族に話しかけるタイプではなかったので、私が、存在を知らなかった物も、無数にあります。 何か、目新しい道具を買った時には、人に話してみたくなるものだと思うのですが、なんで、私に言わなかったんですかねえ。 自慢話でも、失敗談でも、話してくれれば、ちゃんと聞いたんですが。



≪2016/11/17 木≫
  今週末の、資源ゴミの日に向けて、父の遺物の片づけを進めているわけですが、よく考えてみると、そんなに大急ぎでやらなければならない事ではないのであって、ボチボチ進めてもいいのです。 父の部屋も、プレハブ離屋も、誰も使っていませんから、父の物が残っていても、これといって、問題はないからです。

  それなのに、なぜ、こんなに急いでいるのか、自分の肚が分からない。 「さっさと片付ければ、自分の時間が取れるから」という理由が有力ですが、それも怪しいのであって、開き直ってしまえば、何も片付けずに、私が死んでも、後は、兄や兄嫁がやるのであって、私の知った事じゃありません。 特に、兄には、こういう、ただただ面倒で、どうにも不衛生な作業を、是非とも押し付けてやりたい。

  うちの父の場合、86年の人生の内、ほとんどを、同じ場所に住んでいた上に、物を捨て(られ)ない性格だったせいで、その蓄積たるや、膨大なものがあり、おそらく、業者に任せて、複数人で取り組んでも、一週間はかかるのでは? それを私一人でやり、ボチボチ進めていたのでは、一年以上かかってもおかしくないです。

  つくづく思うのは、もう、人生の最終ステージに上がったと思ったら、自分で、自分の物を減らしておく事ですな。 「思い出の品だから」なんて、言ってられない。 それは、最終ステージに於いては、禁句と言ってもいい。 後片付けをさせられる人間から、骨の髄まで恨まれてしまいます。 いくら親とはいえ、自分以外の人間の不始末(文字通りの意味での不始末)の尻拭いに、一年も費やすなど、人生の無駄遣いも甚だしいではありませんか。

  ・・・というような意識があって、大急ぎでやろうとしているんじゃないかと思うのです。 だけど、どんなに頑張っても、埋め立てゴミ・資源ゴミの日は、それぞれ、月に一回しかないわけでして、それが、一回や二回で終わる量ではないのです。 果てしない戦いですわ。 ≪ネバー・エンディング・ストーリーのテーマ≫のサビ部分が、高らかに鳴り響いてしまうのですわ。

  また、父が、日曜大工が好きでして、いろんな物を改造してあるから、困るんですわ。 しかも、木とブリキを釘付けしてある物が多くて、分離しなければ捨てられません。 捨てる時の事を、一切考えずに作ったのは、明々白々。 当人は、工夫して、うまく作ったつもりだったわけですが、それを捨てさせられる方は、大迷惑です。

  「人のふり見て、我がふり直せ」でして、この事は、肝に銘じておかなければなりませんな。 どーんなに工夫して、便利な物を作っても、それは、自己満足の域から、一歩も出ないというのよ。 自分以外の人間から見ると、便利な道具どころか、ゴミなんだわ。 しかも、捨てるのに手間がかかる、迷惑なゴミなんだわ。




  とりあえず、今回は、ここまで。 なぜ、日曜更新の記事なのに、日記が木曜日までで終わっているのかというと、この記事を纏めているのが、木曜だからです。 では、金土は、何をするのかといえば、それは、言わずと知れた事で、捨てる物を片付けるのに、忙殺されるわけです。 さんざん、作業をした後では、ブログの記事なんて、書く気力が残っていませんから。

2016/11/13

カー連読⑨

  今回も、カー作品の感想です。 これが、10年くらい前だったら、アメリカ大統領選の話など、犬のように喰いついて、これでもかというくらい、ああだこうだ書き倒したんでしょうが、今じゃ、そんな事、別の宇宙の話題ですわ。 自分が、いつ死ぬか分からない身なのに、国際関係の行く末なんか気にしてられません。


  ・・・それにつけても、まさか、番狂わせで、T氏が当選するとは・・・。 一番、意外だと思っているのは、当の本人なのでは? 選挙戦自体は、その方が、面白かったわけですが、笑っていられるのは、ここまでで、ここから先は、千尋の谷の綱渡りのようになるのではないでしょうか。

  一方、C氏は、開票前までは、てっきり勝ったと思っていたわけで、この結果には、ショックで物も言えないでしょうなあ。 半日で、30年くらい、老け込んでしまったのでは? 年齢的に見て、4年後に出るかどうか・・・。 T氏が、大統領として、大失敗でもすれば、C氏にも、まだ、芽はありますけど。

  負けた理由ですが、終わってからなら何とでも言えるという事を百も承知で、敢えて言うなら、つまり、C氏を選んでも、今までと同じ日々が続くだけだからでしょう。 それがいいと思っている人より、「良くなるにせよ、悪くなるにせよ、何かしら変わった方がいい」と思っている人が多かったわけですな。 競馬に譬えるなら、確実な本命よりも、一か八か大穴を狙いたいというのが、今のアメリカ社会の雰囲気だったわけだ。

  C氏が最も輝いていたのは、大統領夫人だった頃で、自ら、政治家になってからは、なんだか、演技をしているように見えました。 国務長官だった時には、国務長官を演じているように見え、大統領候補だった時には、大統領候補を演じているように見えたのです。 たぶん、大統領になっても、大統領を卒なく演じたと思いますが、アメリカの有権者は、そういう演技者を求めていたわけではないんだわ。 たとえ、問題人物でもいいから、自分の頭で考えて動く、本物が欲しかったんだわ。

  メール問題が、決定的な躓きになったとは思えません。 T氏の方は、もっと強烈な批難を受けていたわけですから。 選挙戦の後半、下司同士の罵りあいのようになったのは、C氏が、T氏の土俵に引き込まれてしまったわけで、イメージを自分から悪化させてしまいました。 下司度で戦うなら、C氏は、T氏に、とても敵わないでしょう。

  C氏の印象を一言で言うと、「つまらない」のですよ。 M党の中には、「S氏にしておけば良かった」と、臍を噛んだ人も多かったでしょうねえ。 S氏なら、T氏に負けないくらい、個性的な人物ですし、人格的は、T氏を圧倒できますから、たぶん、勝てたと思います。 つまらんと思われている候補では、そりゃ、勝てませんわなあ。

  ・・・と、そういう事に、あまり興味がなくなったわけです。 カーと、全然、関係なくて、申し訳ない。




≪火よ燃えろ!≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1980年発行 1993年2刷
ジョン・ディクスン・カー 著
大社淑子 訳

  発表は、1956年。 歴史ミステリーに分類されていて、探偵役は、この作品独自の主人公である警視が務めています。 別に、太っているわけではなく、活劇の主人公に相応しいような、活動的な人物です。 カー作品の探偵役は、H.Mは特別として、誰でも務まる程度の個性しか与えられていません。 探偵小説ではなく、推理小説と呼ぶべきなんでしょう。


  自動車のタクシー乗って、ロンドン警視庁に向かっていた警視が、下りてみたら、乗って来たのは馬車になっており、1829年のロンドン警視庁についてしまう。 近代的な警察機構の草創期に、現代的な捜査知識を利用して、盗難事件を解決しようと出向いた屋敷で、目の前で若い女が射殺され、そちらも解決しなければならなくなる一方、下らん男と敵対して、決闘を繰り返さなければならなくなる話。

  趣向としては、前年発表の歴史ミステリー、≪恐怖は同じ≫と、ほぼ同じです。 現代に生きていた人物が、過去に遡って、当時生きていた人物に重なるという、タイム・スリップ物のアイデアが使われている点も、同じ。 科学的説明が一切ないので、SFというわけではない点も同じ。

  ≪恐怖は同じ≫と違うのは、この作品では、現代の事件が存在せず、過去の事件からヒントを得て、現代の事件を解決するという関係になっていない点です。 つまりその、別に、タイム・スリップ物にしなくても、ただの歴史ミステリーとして、成り立つという事でして、なんで、この形式に拘ったのかが解せません。 作者自身が、この時代に行きたいと強く願っていて、主人公と自分を重ねている事は、よく分かるのですが。

  決闘の相手になる人物が用意されていて、その場面が見せ場になっている点も、≪恐怖は同じ≫と同様です。 徹底的に、卑怯者で、ろくでなしで、大して強くもないくせに、プライドだけは世界一高いという、しょーもないキャラになっており、主人公に、一方的にボコボコにされても、気の毒とも思いません。 こんな男が近衛軍で大尉をやっているというのは、悲劇ですな。

  不可能犯罪が出て来て、そちらの出来は、≪恐怖は同じ≫よりも、レベルが高いです。 ただし、どの時代に、どんな武器が存在したかについて、知識がないと、犯人を予測する事はできません。 その点、推理物としては、破格になってしまっています。 その言い訳のような、作者自身による時代背景の解説が、巻末に付いていますが、作者自身も、ちょっとズルいと思ったんでしょうなあ。

  恋愛物の要素も盛り込んでいますが、ヒロインが、カー作品特有の、賢しらぶった鼻持ちならん女でして、重要な話が進んでいる時に限って顔を出し、邪魔だったらありゃしない。 カーの女性観は、覚め過ぎていて、正確な観察だとは思うものの、恋愛物としては、ちっとも、面白くありません。 実際問題として、こんな風に、相手をやり込める事しか頭にない女と暮らしたら、まともに、会話もできますまい。

  ≪恐怖は同じ≫を、先に読んでいなければ、充分に楽しめると思いますが、こちらが後になった場合、二番煎じを感じるのは、致し方ないところです。



≪深夜の密使≫

創元推理文庫
東京創元社 1988年初版
ディクスン・カー 著
吉田誠一 訳

  原題は、≪Most Secret≫で、直訳なら、≪最高機密≫です。 発表は、1964年。 しかし、この作品には、元になった≪Devil Kinsmere≫という作品があり、そちらは、1933年に、「ロジャー・フェアベーン」という名義で、発表されています。 「Kinsmere」は、「キンズミア」という、主人公の苗字です。 デビューして間もない頃に発表した作品を、晩年になってから、題名を換え、改訂して、発表したもの。 だけど、両者の間に、どの程度の異同があるのかは、分かりません。 ≪Devil Kinsmere≫は、日本で唯一、翻訳されていない、カー作品だそうです。

  ほぼ、純然たる歴史物でして、推理物との融合は、試みられていません。 別の名義を用意している点から見ても、作者は、1933年の時点では、推理物は推理物、歴史物は歴史物として、書き分けるつもりでいたのではないかと思います。 カーの歴史物は、時代物と呼んだ方が適当な作品が多いのですが、これも、その典型です。


  地方からロンドンに出て来た青年が、思いがけない成り行きで、イギリス王と、王制に反対する一派の争いに巻き込まれ、王側の密使として、フランス王の元へ向かう事になるが、敵に妨害され、ドーバー海峡を渡る船上で、身に着けた密書を奪われそうになる話。

  随分と簡単なあらすじですが、これ以上、書く事がありません。 密室トリックも、不可能犯罪も、なし。 冒険活劇なんですな。 一番近いのは、デュマの≪三銃士≫でして、主人公、ロデリック・キンズミアのキャラは、ダルタニヤンをそっくり写しています。 しかし、これをデュマが読んだら、熱心なファンが書いた、バッタもんとしか思わなかったでしょうねえ。

  カーの、ヨーロッパ近世趣味には、驚くほど、偏執狂的なものがあり、「好きで好きで、たまらない。 その時代に生きたかった」と、心から願っていた事が、この作品を読むと、ヒシヒシと伝わって来ます。 どっぷり浸かりこんで、自分の夢に酔ってしまっておるのですが、そういう作品は、大抵、駄作になります。

  時代を描き込むのに、えらい枚数をかけていますが、そういう部分は、ヨーロッパ近世に興味がない読者にとって、拷問以外のなにものでもないです。 つまらん、つまらん、いや、つまらないで済むレベルではなく、そんな、ストーリーと無関係なところまで、いちいち読んでいられません。 時間の無駄、人生の無駄でんがな。

  カーの作品には、よくあるのですが、セリフだけ読んでも、話が分かってしまうという点でも、この作品は、典型的。 ストーリー進行に、地の文を、ほとんど使っていなくて、戯曲のように、セリフで話を進めているのです。 地の文は、ほとんどが、時代を描き込むのに費やされていて、もし、セリフ部分だけ抜き出したら、長さが半分以下になってしまうと思います。 長編にするには、ストーリーのボリュームが、全然、足りないんですわ。

  まーた、話もつまらないんだわ。 デュマの活劇の雰囲気を真似ようとしているんですが、物語が単純だから、全然、面白くないのよ。 戦いの場面が、少し、興味を引かれる程度。 それも、不完全燃焼で終わります。 よく、漫画家志望の少年少女が、好きな漫画家のタッチを、そっくり真似てしまって、オリジナルの作風を確立できない事がありますが、それと同じような、稚拙さが感じられます。

  もし、カーが、推理小説家として名が知れた後でなかったら、全く、評価されなかったでしょう。 実際、≪Devil Kinsmere≫の方は、黙殺されたそうですし。



≪パリから来た紳士≫

創元推理文庫
東京創元社 1974年初版 1996年18版
ディクスン・カー 著
宇野利泰 訳

  この本は、三島図書館で借りて来た、最後の三冊の内の、最後に読んだものです。 三島図書館では、合計33冊のカーの本を借りました。 市民でもないのに、こんなに借りてしまってよいものか・・・。 もっとも、私は、無収入・無所得なので、住んでいる沼津市にすら、住民税を納めていないのですがね。 いや、しょーがないんですよ。 そういう決まりになっているんだから。

  三島図書館には、最後の返却も含めて、12回、足を運んだ事になります。 全て、バイクで往復したのですが、ツーリングに行かない代わりに、三島図書館に通っていたような形になりました。 両親を病院へ送迎する関係で、車を買い、バイクは、三島図書館への通いが終わった、一ヵ月後には、売ってしまったので、バイクの最後の思い出が、図書館通いになりました。

  ≪パリから来た紳士≫は、日本で再編された短編集の第三弾です。 英米本国では、4冊出ているそうですが、その内容に重複があるから、日本で整理しなおしたのだそうです。 9作品を収録。 例によって、短編集の感想は、一作ずつ、丁寧に書くと、えらく長くなってしまうので、ざっと、書く事にします。 作品名の後にあるのは、発表年。


【パリから来た紳士】 1950年
  ニューヨークで、瀕死の老夫人が書き換えたばかりの遺言書が、一晩の内に消えてしまう事件が起こり、パリに住む老夫人の娘の窮地を救う為に、大西洋を渡って来た弁護士が、酒場で出会った謎の男の援けを得て、遺言書を見つける話。

  ≪妖魔の森の家≫と並んで、カーの短編の傑作と言われているそうですが、私が読んだ限りでは、そんな感じは全然・・・。 話の肝は、紛失した遺言書がどこにあるかという点だけなのに、設定が凝り過ぎていて、無駄に複雑化してしまっています。 パリから来た弁護士は、単なる語り手に過ぎないので、タイトルは、「酒場の男」とでもした方が、内容に合っています。

  この作品を絶賛する人は、単に、ポーのファンだというだけの事なんじゃないでしょうか。 私には、取って付けたような、つまらん小細工にしか思えないんですが。


【見えぬ手の殺人】 1958年
  女が海辺で首を絞めて殺されるが、アリバイのない容疑者がおらず、不可能殺人と思われた事件を、フェル博士が解決する話。 カー作品には、よくある事ですが、特殊な凶器が使われていまして、こういうのを、読者が推理するのは、無理ですな。 アリバイの方も、特殊な凶器が出す音を、大抵の読者は知りませんから、謎解きされても、「へー」とも、「ほー」とも思いません。

  たぶん、フーダニット的な色をつける為だと思いますが、登場人物を多くしてあります。 しかし、短編では、人物相関の説明がややこしくなるだけで、感心しません。 枚数を水増しする為に、人間を増やしたのではないかと疑いたくなります。


【ことわざ殺人事件】 1943年
  スパイとして警察の監視を受けていたドイ人教授が射殺され、弾丸の旋条痕から、銃の持ち主が疑われるが、実は、弾丸にトリックがあって・・・、という話。 フェル博士が探偵役。 弾丸のトリックは、専門知識がないと、推理不能。 しかし、もう一つ、意外な人物が犯人、という読ませ所があって、そちらの方は、面白いです。

  内容が充実している割には、このタイトルは、良くないですなあ。 確かに、ことわざは出て来ますが、ことわざに関係した謎ではないので、十人中十人の読者が、羊頭狗肉を感じると思います。


【とりちがえた問題】 1945年
  地方の湖を訪ねたフェル博士が、そこで30年前に起きた、二つの殺人事件について、たまたま出会った人物の話を聞いただけで、犯人とトリックを言い当てるが、実は、その人物は・・・、という話。

  登場人物によって語られる作中話というのは、あまり面白くないと相場が決まっており、なかなか、頭に入って来ません。 まして、30年も前の事件となると、「どーでもいーわ、んな事」と感じてしまうのは、みな同じなのではないでしょうか。 あまり、有効な形式とは言えませんな。 最終的に、フェル博士が、恥を掻いたような格好になるのは、妙に小気味良いですけど。


【外交官的な、あまりにも外交官的な】 1946年
  ロンドンの弁護士が、休養に行ったフランスの保養地で、出会った女性を好きになるが、彼女が一時的に姿を消す事件が起こる。 彼女を最後に見た、彼と、他の目撃者との証言が相反した事から、警察や判事が関わって大ごとになるが、実は彼女の正体は・・、という話。

  不可能犯罪と、スパイ物を組み合わせています。 トリックの方は、どこかで読んだような感じがして、新鮮さはありません。 スパイ物の方は、動機に関わって来るのですが、スパイは一般人ではないから、一般読者には、ピン来ませんな。 推理小説にスパイ物を絡めてしまうと、リアリティーが損なわれてしまうと思うのですが、本格派の頭目扱いされているカーなのに、そういう作品は、なぜか多いです。


【ウィリアム・ウィルソンの職業】 1944年
  夫の浮気を調べていて、奇妙な体験をした女性が、ロンドン警視庁のマーチ大佐を訪ねて来て、謎解きを依頼する話。 「ウィリアム・ウィルソン」というのは、ポーの同名小説の主人公の名前で、そちらは、自分そっくりの人間に人生を邪魔される話なのですが、この作品は、更に、ホームズ物の、【唇のねじれた男】と【赤毛組合】を足して、三で割ったような話になっています。

  アイデアは面白いですけど、語り方が不適切なせいで、小説としての完成度は低いです。 軽いノリの話なので、マーチ大佐を探偵役にしたのでしょうが、仮にも、公職にある人物が、最終的に、こういう処置をするのは、どうかと思います。 さりとて、フェル博士を出すほどの話でもなし・・・、と言ったところ。


【空部屋】 1945年
  共同住宅で、どこからか、大音量のラジオの音が響いてきて、その源が、空き部屋である事が分かるが、その中に、ショック死した男の遺体があり・・・、という話。 これも、マーチ大佐物。 ≪連続殺人事件≫と同じアイデアの導入部と、本体部分に、関連が薄過ぎて、やはり、完成度は低いです。 それに、この死因は、どーしょもないねえ・・・。


【黒いキャビネット】 不明
  これは、ナポレオン三世時代の歴史物。 皇帝を暗殺しようとする母子の話。 主人公達は、架空の人物なので、時代小説ですな。 全く、大した事はないです。 最後に、実在した人物が出て来ますが、アメリカ以外では、名を知られていないので、まるっきり、ピンと来ません。


【奇蹟を解く男】 1956年
  パリで育ったイギリス人女性が、結婚前に、ロンドン見物にやって来るが、夜中にガスで殺されそうになったり、セント・ポール寺院で、奇妙な声が聞こえたりして、身の危険を感じていたのを、たまたま出会った新聞記者の男に、H.Mを紹介され、謎の解決を依頼する話。 この作品だけ、90ページくらいあり、短編としては、長いです。

  後期のH.M物なので、笑えるところも盛り込まれていて、面白いです。 ただし、トリックの方は、大した物ではありません。 特に、奇妙な声の方は、子供騙しに近いですな。 恋愛物を絡めてある点は、ちと、鬱陶しいのですが、カーは、よくよく、こういうのが好きだったんですなあ。



≪震えない男≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1959年初版 1998年3版
ジョン・ディクスン・カー 著
村崎敏郎 訳

  父の再入院の前、8月4日に、沼津図書館で、相互貸借を申請しておいたのが、父の他界、葬儀を経て、その後の諸手続きが終わった、8月19日になって、ようやく、沼津図書館に届き、翌20日に借りる事ができた本。 浜松三ケ日図書館の蔵書で、一度、静岡県立図書館に送られてから再発送する制度のせいで、こんなに時間がかかったようです。 たぶん、県立図書館の蔵書なら、もっと早く届くはず。

  発表は、1940年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、12作目。 ≪テニスコートの殺人≫と、≪連続殺人事件≫の間に入りますが、例によって、発表年と、内容には、相関関係が薄いです。 作中で事件が起こるは、1937年の設定で、「もうすぐ、戦争が始まるから、○○を買い溜めしている」といった表現が出て来ますが、時代背景を感じさせるのは、それくらいです。


  幽霊屋敷の噂がある古い家を買った男が、それぞれ、性格類型が異なる友人・知人を招いて、幽霊に対して、どんな反応をするか観察する、「幽霊パーティー」を開こうとするが、客の一人が、掛けてあった壁から、誰も触れないのに浮き上がって、発射されたピストルの弾で撃ち殺されてしまい、エリオット警部とフェル博士が呼ばれて、幽霊屋敷の正体を暴く事になる話。

  1940年というと、カーが、最も快調に、高いレベルの作品を書き続けていた頃ですが、この作品は、あまり、内容が濃いとは言えません。 会話の場面が大変多いので、ページはどんどん進みますが、登場人物達の動きが少ないせいで、物語世界に引き込まれる感覚を味わえないのです。 フェル博士のキャラが薄いのも、マイナス要因でして、H.Mのシリーズなら、もっと、作者の興が乗ったのではないかと思われます。

  トリックは、機械的なもので、全く、評価するに値しません。 そういう知識が、一般に思われているよりも、遥かに昔から知られていたという事を勉強できますが、読者は、そんな事は求めていないと思うのですよ。 作者から、ズルでない言い訳を聞かされているようで、鮮やかさなど、微塵も感じられません。

  トリックには、元から重点が置かれておらず、フーダニット的な面白さを狙っているようなのですが、登場人物が少な過ぎて、フーダニットになっていません。 真犯人と思われていた人間が、そうでないのなら、もう、他には、この人しかいない、というくらい、ギリギリの頭数で進めているのだから、そうなって、当然です。

  一番、感心しないのは、ラスト近くで、ドンデン返しを行っている事。 この人だと思わせておいて、実は、こういう事情があって、こっちが真犯人、というのは、アンフェア以上のズルでして、そんなやり方が許されるのなら、どんな作品にも、ドンデン返しの結末を付けられる事になってしまいます。

  そんなの、読者が推理できっこないから、推理小説ではなく、探偵の活躍が中心ではないから、探偵小説でもなく、犯罪小説と言うには、ちゃちなトリックが前面に出過ぎ、と、およそ、いいところがありません。




  今回は、以上、4冊までです。 7月下旬から、8月下旬にかけて読んだ本。 今回も、短編集が含まれているので、冊数を減らしました。 ≪パリから来た紳士≫と、≪震えない男≫の間に、父の死と葬儀、各種手続きの期間が挟まっています。 面倒な種類を書いたり、馬鹿な兄の悪態を聞かされたり、今となっては、思い出すのも嫌な期間。

  相互貸借の本が取り寄せられるまでの間に、他の本を借りて読んでいれば良かったのですが、葬儀その他でゴタゴタして、図書館に行く気になれなかったのです。 寝つきが悪い時、何か本を読みたくて、家にあった、割と最近の日本の推理小説を読んだりしましたが、あまりにも軽くて、わざわざ内容を頭に入れるのがアホ臭くなってしまうレベルでした。 ちなみに、それは、2時間サスペンスの原作者として、かなり有名な人の作品でした。 粗製乱造で、書き飛ばしたんでしょうなあ。

2016/11/06

ラスト・ツーリング 四尾連湖

  セルボ・モードを買った中古車店との取引で、9月に入ったら、バイクを下取りしてもらう事になっており、バイク生活に終止符を打つ記念に、8月25日(木)に、最後のバイク・ツーリング先となる、山梨県・市川三郷市の、四尾連湖(しびれこ)に行って来ました。

  最後のツーリングの前に、最後のオイル交換をしましたが、今更、オイル交換の説明もおこがましいので、そちらは割愛し、ツーリングの紀行文だけ紹介します。 以下、例によって、写真と解説で、進行します。 



【富士市から朝霧高原】
  洗濯物干しや、雨戸開け、外回りの掃除など、家の事をこなした後、8時40分に出発。

≪写真1≫
  走り出してから、距離計を撮影していなかった事に気づき、道路脇に停めて、慌てて撮った写真がこれ。 オド・メーターは、「122186 km」です。 トリップの方は、燃料計代わりにしていて、「276 km」。 満タンで、330キロくらい走りますが、残り、54キロ分では、とても足りないので、この後、近所のスタンドで給油して行きました。

≪写真2≫
  富士市のどこか。 休憩したわけではなく、信号停止の時に撮ったもの。 午前9時半頃です。

≪写真3≫   富士宮市のどこか。 「富士宮警察署まで、500メートル」の場所のようです。 これまた、信号停止で撮った写真。 10時頃。

≪写真4≫
  これは、休憩して、撮影しました。 場所は、朝霧高原です。 パラグライダーの体験施設より、ちょっと北へ行った所。 この辺、山に迫力があります。 道路脇に、停車できるところがなくて、休み難いのが、玉に瑕。 時間は、10時半頃です。

  富士市から、朝霧高原までは、西富士道路を通ったのですが、一般道のくせに、高速道路並みに、車のスピードが速いので、トロトロ走る私としては、あまり、好きな道ではありません。 だけど、もう、バイクで西富士道路を通る事はないわけで、これが最後と思って、頑張って走りました。



【本栖湖】
  10時50分頃、本栖湖に到着しました。 思い起こせば、2010年、甲府の遊亀公園動物園に向かう途中、ここまで来て休憩し、湖の写真を撮ろうと思ったら、カメラのバッテリーを入れ忘れて来た事に気づき、愕然とした時の事を、今でも鮮明に覚えています。 今回は、大丈夫。

≪写真上≫
  湖畔の駐車場です。 無料。 売店がありますが、ここが目的地ではないので、何も買う気がなく、近くまで行きませんでした。

≪写真中≫
  本栖湖の北岸方向の景色。 湖としては、中くらいの大きさです。 富士五湖の一つで、たぶん、溶岩で堰き止められて出来た水溜まりだと思います。 夏休み中とはいえ、平日だったせいか、人は疎らでした。

≪写真下≫
  遊覧船「もぐらん号」。 潜水艦のような外見だけど、潜らないから、「もぐらん」なのでしょう。 乗船券売り場が見えましたが、何と言っても、ここが目的地ではないので、最初から乗る気がなく、近くまで行きませんでした。



【下部付近】
  11時頃、本栖湖を後にし、湖の北岸に沿って進む、国道300号線、「本栖みち」を西へ向かいました。 来る前に調べた地図では分からなかったんですが、ずっと下り坂でして、富士市から、本栖湖まで、えっちらおっちら登って来た高さを、一気に取り崩したような、勿体な~い気分を味わいました。

≪写真1≫
  北へ曲がって、山梨県道9号線に入らなければならないのですが、なかなか、交差点に着かないので、不安にかられ、たまたま案内標識で見つけた、「道の駅しもべ」に寄って、地図を確認しました。 ロストしたわけではなく、目当ての交差点は、まだ先でした。 地図を見に寄っただけなので、道の駅の建物には、入りませんでした。

≪写真2≫
  左の写真は、その、県道9号に曲がる、交差点です。 直進が、「国道52号/下部温泉郷」。 右折が、「甲府/市川三郷町」。 まだ、「四尾連湖」の文字は見られません。

  県道9号を進むと、「車田」という地区に出ました。 右の写真は、「車田橋」という橋。 山の中なのに、ちょこちょこと、集落があります。 どんな仕事をして暮らしているのか、とても不思議。 まさか、全員、林業というわけでもないでしょうから、ここから、他の町へ通勤しているのかもしれません。

≪写真3≫
  県道414号に入ると、「四尾連湖」という手書きの看板があり、「よし、間違えてないぞ」と気を強くしました。 これは、熊沢地区近辺で撮った写真ですが、帰って来た後で調べた地名なので、自信はありません。 なんとなく、夢に出て来そうな景色です。

≪写真4≫
  山の中の交差点。 写真左は、手前左折が「旧六郷」、つきあたり左折が、「旧市川大門」、つきあたり右折が、「四尾連湖」。 案内標識に、はっきりと、「四尾連湖」の名前が出て来ました。 もう、ロストのしようがありません。 到着する事は確実です。

  写真右は、県道414号の終点で、県道409号にぶつかる交差点です。 左折が、「市川三郷市街」、右折が、「四尾連湖」とあります。 ここから、四尾連湖に至る間にも、集落がありました。 つくづく思うに、なーにをやって暮らしているのだろう?



【四尾連湖に到着】
  12時頃、目的地の、四尾連湖に到着しました。 念の為、繰り返しておきますと、「しびれこ」と読みます。 漢字は、当て字のようで、他の書き方もあるらしいです。 

  県道のどん詰まりは、車両が入れないように塞いであって、その先は、「蛾ヶ岳(ひるがたけ)」へ向かう登山道になっていました。 「精進湖に至る」と書いてあって、えらい遠いと思うのですが、書いてあるからには、至るんでしょうねえ。

≪写真1≫
  これは、県道のどん詰まりの、すぐ横にあった看板群。 四尾連湖の解説もあったような気がしますが、どうせ、ネットで調べても同じだろうと思って、個別には撮影して来ませんでした。

≪写真2≫
  湖畔へ下りて行く道。 左手は林、右手には、長屋式のバンガローが、幾棟かあります。 四尾連湖には、中学3年の時に、父と母と私の三人で来ているはずなのですが、全くと言っていいほど、記憶が残っていません。 現地に行けば思い出すかと思ったら、やはり、駄目。 辛うじて、この坂とバンガローの辺りが、記憶の端におぼろげに引っかかっているような気がしたのですが、気のせいレベルに限りなく近い、あやふやなものでした。

≪写真3≫
  最初、県道のどん詰まりに、バイクを停めたのですが、ここまで歩いて下りて来たら、駐輪場を発見。 ラスト・ツーリングだというのに、違法駐車で罰金を取られてもつまらないと思い、引き返して、バイクを移動させました。 駐輪場が有料か無料か書いてなくて、この後、ヒヤヒヤし続ける事になります。

≪写真4≫
  湖畔の駐車場。 ここも、覚えているような、いないような・・・。 坂とバンガロー以上にあやふや。 なぜというに、湖の畔には、どこでも、大抵、こんな駐車場があるものでして、他と混同している可能性が大変高いからです。 ちなみに、駐車場は、県道沿いにも広いのがありました。

  駐車場は、確実に有料で、400円。 他に、釣りをする場合も、「環境協力券」が必要で、そちらも、400円。



【四尾連湖畔】

≪写真1≫
  湖畔に下りる前に、振り返ってみたら、山荘が見えました。 宿泊の他に、飲食店もやっていて、結構、賑わっていました。 名前が二つあったので、二軒あるのだと思います。 その二軒で、湖の周辺を管轄している感じ。 観光地化すると、こうなりがちですが、知らずにやって来た者としては、何だか、他人の土地に入り込んだようで、気が重いです。

≪写真2≫
  ボート乗り場。 有料なのか、無料なのか、山荘を利用した人だけ使えるのか、詳しい事は分かりません。 宿泊客らしい家族連れが、カヌーのような舟で、湖上に出ていて、山荘の方から、昼食だと言って、呼び戻されていました。 湖の大きさは、対岸にいても、大声なら届くくらいの規模です。

≪写真3≫
  四尾連湖は、南北から押し潰したような楕円形をしています。 湖畔からでは、全体を写真一枚に納めるのは無理です。 波打ち際ギリギリに、湖畔を一周できる散策路があり、私は、それを時計回りに歩きました。 着いた時には、曇りでしたが、次第に晴れ間が見えて来ました。

≪写真4≫
  左側は、陸に上げられた、白鳥ボート。 水漏れでも起こしたんでしょうか。 上げられてから、だいぶ経つようで、土で汚れていました。 なんとなく、無残。

  右側は、弁当。 家から持って来た、梅干入りおにぎり3個と、水です。 ほぼ、ボート乗り場の対岸に当たる所で、丸太階段に座り、昼食にしました。 12時17分。

  実は、この時、県道の方の駐車場で係員をしていた人物2名が、ボート乗り場まで下りて来て、私の方を見ており、駐輪料金を徴収する為に待っているのではないかと思えて、落ち着いて、物を食べるどころではありませんでした。 その後、待ちくたびれたのか、自分達も昼飯を食べに行ったのか分かりませんが、私が弁当を食べ終わる頃には、いなくなりました。



【四尾連湖の光と影】

≪写真1≫
  対岸から見た、山荘の辺り。 雲と晴れ間の加減で、明暗、斑に入り乱れ、幻想的な光景になっていました。 これが、この日のベスト・ショットですな。

≪写真2≫
  左側は、山荘の対岸付近で、私が昼飯を食べた所です。 右側は、暗過ぎですが、湖畔の道。 この辺りは、浜辺がなくて、ちょっと立ち上がった、崖のようになっています。 釣り人が、一人いました。

≪写真3≫
  湖面に映った空。 ほとんど、波がないので、綺麗に映っていました。

  昼食まで食べたので、ゆっくりしていたかと思いきや、撮影データの時刻を見たら、12時35分には、もう、出発していました。 正味、30分しか滞在していなかった事になります。 駐輪料金が気になって、浮き足立っていた事もありますが、たとえ、その事がなくても、ボートにも乗らず、釣りもせず、ただ、周囲を歩くだけでは、そんなに長時間、粘れるような所ではなかったんですな。

  中学生の時に来ているのに、記憶が全く残ってなかったのも、そういう所だったからだと思います。 これから、四尾連湖に行くという方々は、思い出に残したかったら、最低限、ボートには乗った方がいいのでは。



【市川大門】
  四尾連湖を後にして、県道409号を、北へ下り、市川大門駅付近へ向かいました。 「いちかわだいもん」と読みます。 昔、来た時には、確か、「市川大門町」だったと思うのですが、自信がありません。 現在の自治体名は、「市川三郷町」になっているようです。 読みは、「いちかわみさと」。 駅の方は、昔と同じ名前です。

  昔の記憶で、市川大門駅付近の、踏切の景色を覚えていて、それを確かめたいが為に、ここへ寄りました。 昔来た時には、「先に、市川大門に行って、そこから、四尾連湖へ登ったと思う」という母の証言があるのですが、私は、全く覚えていません。

≪写真1≫
  これが、市川大門駅。 寺院建築風の屋根が載っていますが、建物はガッチリしていて、木造という感じではなかったです。 この駅の記憶は、全くなし。 昔は、車で来たから、駅に用はなかったわけで、そもそも、ここへ来なかったのでしょう。

≪写真2≫
  駅の、東側の踏切。 違うなあ。 ここではないなあ。 記憶の中の踏切は、坂になっていたんですがねえ。

≪写真3≫
  駅の、西側の踏切。 こっちも違うなあ。 坂じゃないじゃないですか。 というか、付近に傾斜地が見当たりません。 これは、つまり、私の頭が、他の場所の踏切と、ごっちゃにしてしまっていたのでしょう。 「市川大門=踏切の景色」として、覚えていたのですが、肝心の踏切の景色が、差し変わっていたんですな。 何とも、えーから加減な記憶じゃて。

≪写真4≫
  踏切の探索は諦めて、駅の近くの自動販売機コーナーで、一服しました。 午後1時5分くらい。 左側の写真は、自販機で買った、ダイドーのミスティオです。 今でも、夏場、120円で売っているので、ツーリング先で飲むといったら、こればかり。 バイク・ツーリングは、これで最後ですが、今後も、徒歩や自転車で出かけた時には、やはり、ミスティオを飲む事になるでしょう。

  この後、元来た山道を戻る気力がなくなって、富士川沿いに南下しました。 「とにかく、南へ行けば、駿河湾にぶつかるだろう」くらいの軽い気持ちで走っていたので、案の定、ロストしましたが、何とか、知っている道に復帰して、「道の駅 富士川楽座」まで、辿り着きました。 右側は、その時の写真。 もう、3時を過ぎていました。 ここでは、トイレを使っただけでした。



【帰還】

≪写真上≫
  家に着いたのは、4時15分でした。 山梨は、やはり、遠かった。 昔行った時の記憶は、ほとんど、甦りませんでしたが、今回の記憶は、死ぬまで、はっきり残ると思います。 なにせ、ラスト・ツーリングでしたから。 これでもう、このバイク、セロー225WEでツーリングに行く事はないです。 また、恐らく、私がバイクでツーリングに行く事も、もうないと思います。

  バイクは、行った先でも小回りが利いて、遠出するには、大変適した乗り物だと思いますが、それ以前の問題として、私に、遠くへ行ってみたいという欲求が、湧かなくなってしまったのです。 その上、反射神経は衰える一方、注意力は落ちる一方ですから、事故や違反も怖いです。 何も起きらない内に、やめるのが、無難だと思うのです。 歳には勝てませんわ。

≪写真下≫
  下の小さいのがトリップ・メーターです。 「219.8キロ」。 四尾連湖までは、約100キロでしたが、帰りは、富士川沿いに下ったので、大回りになり、120キロ近く走りました。 一日に、220キロも走れば、ラスト・ツーリングとしては、充分な距離でしょう。

  上のオド・メーターは、「12439.5キロ」。 実際には、一巡しているので、+10万キロで、「112439.5キロ」です。 2002年から、2014年まで、12年間、毎日、40キロくらい、通勤に使っていましたから、そのくらいの数値になるのは、無理からぬ事。 よく走ったと思います。 房総半島に一泊ツーリングにも行ったし、岩手異動の時にも、行き帰り、バイクでしたし。