2019/02/24

引退生活⑦ 【暇潰し「テレビ」】

  引退生活の心得の、7回目です。 そろそろ、終わりにしたいと思っています。 書き下ろしは、随分長い事、やっていなかったので、もう、書けなくなったかと思っていたのですが、やれば、やれるという事が分かったから、また、しばらく、やらない事にしようと思っています。




  「人間の、やる事」の、3分類。

1. やらなければいけない事。
2. やりたい事。
3. やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事。

  今回は、最後の一つ、「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」について書きます。


  「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」などと書くと、最低にどうでもいい事のように聞こえると思いますが、どうしてどうして、なんのなんの、引退生活に於いては、この「暇潰し」というのが、大変、重要になって来ます。 最も重要と言ってもいいくらいに、重要。

  老後資金の蓄えがある、引退優等生的な方々ほど、「やらなければいけない事」が少なく、「やりたい事」は節制するので、勢い、「暇潰し」しかやる事がなくなる傾向があります。 で、暇潰しの仕方を工夫しないと、やはり、見る見る、廃人化して行くのです。 濡れ落ち葉になり、配偶者にへばりついているなんて、まだいい方で、何もする気がなく、ただ、ボーッとしているだけ。 それを、廃人と言わずして、何と言おう。 もちろん、認知機能も急激に低下して、すぐに、要介護になります。

  暇潰しの方法を一つ一つ、見て行きましょう。


【テレビ】
  引退後の暇潰しといったら、これに頼っている人が、最も多いと思います。 あまりにも、普通に利用されているので、空気のような存在になり、暇潰しの内にさえ入れていない人も多かろうと思います。 朝から夜まで、ずっと、テレビ。 そして、その、ほとんどの時間を眠っていると・・・。 いや、それは、うちの母の事ですが。

  テレビは、暇潰しには、大変有効な利器なわけですが、見過ぎるのは、どうかと思います。 テレビを、長時間、見続ける行為自体が、廃人的だからです。 そうそう面白い番組ばかりあるわけではないですから、ボーッと画面を見ているだけになりがちで、それでは、廃人と変わらないではないかというわけです。

  一日に、3・4時間くらいが、ちょうどいいんじゃないでしょうか。 それを超えている人の場合、考え方を換えて、他の暇潰しを捜す努力をした方がいいと思います。 同じ、居間に座って過ごすのであっても、パズルをやるとか、本や雑誌を読むとか、暇潰しのバラエティーを広げた方が、脳の刺激になって良いでしょう。


  逆に、テレビを全く見ないという人もいると思いますが、それはそれで、問題。 趣味に没頭したり、遊びに出かけたりするのに夢中で、テレビも新聞も、ネットもやらず、社会全体の情報から隔絶していると、他人との会話に支障を来すような、重度の世間知らずになってしまいます。

  現役であっても、50代以上の人で、感覚が若い頃のまま、停止している人というのは、珍しくありません。 たとえば、世界情勢の話題になると、まだ、冷戦が続いているようなつもりでいるとか。 80年代で頭が停まっていて、未だに、日本の家電メーカーが、世界を牽引していると思っているとか・・・。 いや~、いるいる! ネット通販のレビューを書いている連中なんて、そんな奴ばっかりだ。

  引退者になると、ますます、それがひどくなるわけだ。 状況というのは、時々刻々、変化して行くのだという事が理解できず、自分が、それを最初に頭に入れた時の状況が、永遠に続いていると思い込んでいるんですな。 とっくの昔に時代遅れになった知識をひけらかしている老人を見ると、絶望的に憐れになって来ます。


  とはいえ、それも、程度の問題でして、自分の人生とは、全然、関係がないニュースに、激怒したり、感激したりしているのも、どうかと思いますねえ。 国際情勢なんて、引退者には、限りなく、関係が薄いです。 どこで、何人、死人が出ようが、あなたと、何の関係があるというのよ? 怒ってばかりいると、性格が、どんどん、悪くなりますよ。

  また、同国人の、スポーツ選手や、芸術家、芸能人、学者、技術者などが、何か、大きな功績を上げたからといって、まるで、自分の事のように大喜びするのは、大変、大変、おこがましいです。 功績を上げたのは、その本人であって、あなたではありません。 あなたは、何もしていません。 ふふふ、何もできないじゃないですか。 くれぐれも、人の褌で相撲を取らないように。 恥ずかしい。


  テレビ番組の選択は、個人の好き好きなので、私が、どうこう言う事ではないです。 それを承知で書くわけですが、歳をとると、見れなくなる番組というのは、確実にありますねえ。 若者が中心的登場人物のドラマは、典型例。 その中でも、学生の話なんかは、典型中の典型で、全く、見るに耐えません。 幸い、学園物のドラマが、ほとんど存在しないから、都合が良いのですが。

  では、年配の俳優ばかり出るドラマなら、見たくなるのかというと、それもまた、駄目でして、脚本・演出などのスタッフが、若ければ、高齢者の考え方が分からないから、ろくなドラマにならず、逆に、スタッフまで年寄りだと、やたら、人情物の話ばかりになったり、お涙頂戴になったりで、やはり、ろくなドラマになりません。、

  そういえば、新作2時間サスペンスの放送枠が、全ての局から消えるそうですな。 無理もないか。 主役級の俳優さん達が、歳を取り過ぎて、明らかに、おかしな世界になってしまっていますからねえ。 70歳を過ぎた人が、定年前の刑事を演じているシリーズは数知れませんし、演じている俳優さん達が、二人とも還暦近いのに、まだ、婚約者同士というシリーズもあります。 これから、結婚するんですか? ありえねーと思いますが。

  原作になっている推理小説の時代設定が、古くなり過ぎたシリーズもあります。 戦時中の事件が元で、その復讐が、今現在行われているなんて話は、とっくの昔から、もう、無理でしょうに。 若くても、80代の人達が、復讐ですって? 馬鹿馬鹿しい。 ボケたって、そんな事はしませんよ。 比較的、主人公が若い、浅見光彦シリーズに、そういう古い設定の話が多いのは、痛いですなあ。

  松本清張作品は、割と、時代を換え易いですが、「銀座のバー」は、古いで。 あれは、もう、とっくから、あかんで。 今でも、銀座のバーは存在すると思いますが、そういう問題ではないです。 今の現役世代が、出入りするような所ではなくなっているというのです。 1980年代頃ですら、「銀座のバー」は、すでに、古かったと思います。

  2時間サスペンスは、過去の作品の再放送が、BSで、いくらでも見られるから、新作に拘らなくても、見足りなく感じる事はないと思います。 70年代後半から、すでに、スタートしていたわけですから、その頃の作品も放送してくれれば、見るんですがねえ。 なぜか、90年代後半以降のばかり、多いです。 時代劇の一時間物は、70年代の作品でも、放送しているくせに。

  あと、韓ドラですが、嵌まると、どんどん、見る本数が増えて、週に、20作くらい、起きている間は、一日中見ているという生活になります。 新作ドラマとしては、日本の一時間物より、明らかに、レベルが高いので、見始めると止まらなくなってしまうんですな。 日本のドラマで、対抗できるのは、懐かしさで、評価点が加算される、2時間サスペンスの再放送だけ。 

  面白いのだから、見なければ損なのですが、見過ぎると、病的な生活になってしまいますから、ブレーキをかけるべきです。 とりわけ面白そうな作品だけ、一日、2本くらいにしておけば、いいんじゃないでしょうか。 なーに、再放送も多いから、長い期間でみれば、大抵の作品は、見る事ができるはずです。


  バラエティー番組ですが、見れる間は、見ていた方がいいと思います。 その内、感覚がズレて来て、見れなくなってしまいます。 常に、若い人向けに作っているカテゴリーだから、それは、致し方ない事です。 私が最後まで見ていたのは、「イッテQ」ですが、引退してから、間もなく、見れなくなってしまいました。 自分の生活と、番組の中で出演者がやっている事の差が大きくなり過ぎて、見るに耐えなくなったのだと思います。 他のバラエティー番組は、尚の事。


  他に、意外に見れなくなるのが、教養番組でして、引退したら、「これ以上、何かを習っても、意味がない」と思えて来て、急速に、興味が衰えました。 「ぶらぶら美術・博物館」や、「地球ドラマチック」、「放送大学」など、全く見なくなってしまいました。 「ブラタモリ」は、まだ見ています。

  私とは逆に、現役時代を俗物として過ごした人達は、引退後、時間のゆとりが出来て、知識・教養に興味が湧いて来るというケースもあるかも知れませんな。 結構な事だと思いますが、俄か知識を、他人にひけらかしたりしないように。 自慢なんかしなくても、知らなかった事を知る事だけで、充分に面白いはずです。


  あと、旅番組は、貴重です。 お金の関係で、自分で旅に出る事ができない場合、テレビを見ているだけで、日本全国、世界のあちこち、名所旧跡・景勝地を見られるのですから、これほど、ありがたい事はない。 もっとも、日本国内に限っては、2年間くらい、いろんな旅番組を見ていると、どこもかしこも、全て、見尽くしてしまいますけど。

  旅番組は、BSの方が盛んですが、最近、地デジ局が真似し始めて、些か、問題が起こりつつます。 「俳優や二流タレントでも、うけるのだから、第一線の芸人を旅人にすれば、もっと、面白くなるだろう」と、単純に考えているらしいのですが、第一線の芸人というのは、普段、ほとんど、芸能人同士でしか話をしていないので、一般人への接し方が分かっていません。 地元の人に、ツッコミを入れたり、からかったりしているのを見ると、ゾーッとします。

  いつか、相手を怒らせて、喧嘩になり、問題が起こるんじゃないでしょうか。 地方の一般人も、芸能人の旅人が礼儀正しければ、ニコニコ笑って、普通の旅行者よりも余計に歓迎してくれますけど、揚げ足を取ったり、からかって来たりする奴に、いつまでも、笑顔でつきあってはくれないでしょう。 なんで、赤の他人に、からかわれなければならんのよ?




  暇潰しの項目は、まだあるのですが、長くなったので、次回に回します。 書いている本人、つまり、私ですが、その意思に反して、このシリーズ、なかなか、終わりませんなあ。

2019/02/17

引退生活⑥ 【やりたい事 「投資・起業」】

  引退生活の心得の、6回目です。 えっ! 6回目? このシリーズ、こんなに長引くとは思っていませんでした。 せいぜい、3回くらいを予定していたのですが・・・。 ちなみに、このシリーズは、心更宵更新用の、書下ろしです。 近頃には、珍しく。




  今回は、「やりたい事」の後編です。


【投資】
  これは、「やりたい事」ではなく、「やらなければならない事」に入れている人もいるかもしれません。 引退後、年金受給開始までの間、預金が足りないので、増やそうというわけだ。 しかし、たかだか、5年程度の運用期間で、生活費を補えるほど、増やせる投資など、この世に存在しません。 話になりません。 世間知らずにも程がある。 そういう人達が、いとも容易に、投資詐欺に引っ掛かるのです。

  そういうタイプの人達は、現役で働いている間、資産形成など、まるで、興味がなくて、給料もボーナスも、貰った分だけ、右から左へ使ってしまっていたのが、退職金を貰って、急に金持ちになったような気分になり、定期預金にしておけばよいものを、「もっと、増やそう」などと、欲を掻いて、「うまい話」を持ちかける投資詐欺に引っ掛かり、まるまる、スッてしまうのです。

  投資詐欺が発覚して、ニュースになり、被害者が、「私の退職金をどうしてくれる!」と、涙ながらに訴えている様子を見て、「気の毒だなあ・・・」と、心から同情する人も多かろうと思いますが、あんなのは、引っ掛かる方にも、重大な問題があります。 もちろん、悪いのは、騙す方ですが、騙される方も、知識・情報がなさ過ぎというものでしょう。 若い頃から、資産形成に真剣に取り組み、知識・情報を備えていれば、投資詐欺などという、バレバレに怪しい儲け話に引っ掛かるような事はないと思います。

  そもそも、本業が投資関係ではない会社が、投資を持ちかけてきたら、まず、疑わねばなりますまい。 金融に詳しい社員がいるわけでもないのに、誰が投資案件など、扱えるというのでしょう? そんなのは、ちょっと考えてみれば分かる事で、常識レベルと言ってもいいです。 騙される方にも、常識がないから、ホイホイ、乗っかってしまうんですな。

  では、「詐欺ではない、まともな投資なら良いのか?」というと、そんな事もないです。 だからー、リスクなしで、5年ばっかで、纏まったお金が手に入るような投資は、この世に存在しませんよと言うのよ。 株式や、投資信託などは、市況の局面によっては、そのくらいの利益が出る場合もありますが、私だったら、絶対に手を出しません。 元本保証がない投資は、ギャンブルと、全く変わりがないからです。 どんなに名前が通った会社がやっていようが、全て、アウトです。

  そもそも、株式市場の類いは、その道のプロでなければ、儲けを出せないのであって、「引退後、何冊か、株の本を読みました」程度の人達が、プロに太刀打ちできるわけがないです。 買うだけは買えても、売り時が分かりますまい。 私も分かりません。 株価が上がっている時には、「もっと上がるから、売るのは先にしよう」と思い、下がり始めたら、「また、上がるかもしれないから、売るのは先にしよう」と思う。 市況が正反対なのに、判断は、どっちも同じ。 そんな人間が、どうやって、儲けを出すのよ?

  バブルの時に大損した、膨大な数の人々のお金は、どこへ行ったのか? 消えてなくなったわけではないです。 市場に詳しく、売り時を知っている、その道のプロ達の懐に収まったのです。 基本原理は、宝くじや、競馬・競輪と同じで、大勢の人間から集まったお金が、一部の人間の手に落ちる仕組みなんですな。

  ギャンブルと違うのは、投入額の桁でして、数百万単位で投資する人が多いですから、スる時の被害も大きい。 株を発行している会社が倒産しなければ、いずれ、立ち直って、また、株に価値が出てくるケースもありますが、普通、暴落すると、持ち続けている勇気がなくて、売ってしまい、ただ、大損するだけで終わります。

  現役時代に預金がなくて、退職金を、投資でスッてしまった場合、年金受給までの生活費がなくなってしまいますから、また、働く以外に、生きる道はありません。 役所に泣きついたって、そんな理由で破産した人に、生活保護なんか、出してくれませんよ。 それでなくても、役所だって、お金が足りないんだから。 「働けるのなら、働いて下さい」と、追い返されるのがオチです。

  老後資金として、預金をしていなかった人達は、とにかく、虎の子の退職金を一気に失わないように気をつけなければなりません。 前回も書きましたが、贅沢旅行なんて、以ての外の言語道断です。 「少ないから、増やそう」というのも、上に書いたような理由で、厳禁。 残金を細かく計算して、一年に使える金額、一ヵ月に使える金額、一日に使える金額、一食に使える金額まで弾き出し、頭に入れておいて、爪に灯を点すようにして暮らすしかありません。

  一方、現役時代から、しっかり貯めていた方々は、私に言われるまでもなく、お金との付き合い方は、心得ていると思います。 老後を楽しめるのは、そういう人達だけですな。 「一ヵ月先の食費も確保できない」なんて人達は、楽しむどころか、不安しかありますまい。 人生は長いのに、「どうにかなるさ」と、ナメてかかっていたのだから、自業自得だと思います。 人生は、一日の例外もなく、お金を頼りに暮らしているのに、そのお金がなくて、どうにかなるわけがないです。



【起業】
  これは、所得が発生するわけで、その点、働き続けるのと変わらないのですが、当人達は、「引退後の、第二の人生」と考えていて、現役時代の仕事とは、別物と見做しているようなので、「やりたい事」の中に入れておきます。

  だけど、これも、【投資】と同じくらい、危険なんだわ。 退職金を注ぎ込んで、店を始める人が、大変、多いわけですが、見るも無残に失敗し、無一文どころか、借金を抱え込んで、老後が真っ暗闇になってしまう人が、後を断ちません。 どうしてまた、現役時代に全く経験していなかったような商売に、引退後、手を出して、成功すると思うのかねえ? その、根拠のない自信は、どこから、来るんですか?

  引退後、手を出し易い業種を、一つ一つ、見て行きましょう。

≪居酒屋≫
  たぶん、自分が、現役時代に、あちこちの居酒屋に入り浸る生活をしていて、主人と懇ろになって、友達のように話をしている内に、「酒は仕入れるだけだし、料理を20種類くらい作れるようになれば、こんなのは、俺でもできるだろう」と思ってしまうんでしょうなあ。 そんなに甘いものですかね? ただ、飲む場所を提供するだけで、儲けが出るほど、お客が来てくれますかね?

  料理に自信があるというのならまだしも、全くやった事がなくて、「料理は、女房にやらせて・・・」なんて考えているようでは、「んじゃ、あんたは、何をやるのよ? お客と一緒に飲むつもりなのかい?」と、ツッコミを入れられても仕方ありますまい。 たとえ、料理ができたとしても 60歳過ぎた老人がやっている店に、お客が、進んでやって来ますかね? 頭は、禿か白髪。 皺だらけで、あちこちシミが出ているような、小汚え爺さんの顔を見に来たがる客が、そんなにたくさん、いると?

  親戚や、元同僚が来てくれるのは、最初の内だけで、一ヵ月もすれば、閑古鳥が住み着くと思います。


≪蕎麦屋≫
  蕎麦を食べるのが好きで、蕎麦打ち体験をした事がある人が、手を出し易いです。 居酒屋よりは、まだ、お客が来ると思いますが、立地が悪いと、儲けが出るほど、お客を確保できない危険性があります。 蕎麦屋を始めたがっている人は、蕎麦打ち体験をした事がある人の、かなりの割合に上ると思われ、ライバルが多いわけだから、良さそうな物件は、すでに押さえられてしまっているのでは?

  街なかなら安心というわけでもなくて、駅の近くで、昼時や夕方に、人の流れが必ずある所ならともかく、そうでない場合、駐車場が何台分も確保できないので、お客が来たくても来れません。 駅の近くの物件なんて、退職金程度では、とてもとても・・・。 立地だけでやって行けるような、いい場所は、蕎麦屋だけでなく、飲食店全てが取り合っていますから、とても、手に入らないでしょう。

  郊外なら、駐車場の確保は容易ですが、その代わり、味がしっかりしていないと、わざわざ、車を運転してまで、来てくれません。 蕎麦好きが寄って来るほどの味を出せるかどうかが鍵で、素人離れした実力が必要になります。 そこまで、極められる人が、そうそう、いるとも思えませんが。


≪ゴルフ・ショップ / 釣具店≫
  これらは、割合、成功例が多い様子。 だけど、趣味の延長というだけでは、ちと厳しいでしょう。 現役時代に、小売業や、営業などをやっていて、商取引や、接客に慣れた人でないと、お客を掴むのは難しいでしょうねえ。 もちろん、敬語も使えず、いきなり、タメ口、初めての客を、「あんた」呼ばわりするなど、客を人とも思わないような性格の持ち主ができる仕事ではないです。

  また、チェーン店が、ライバルになるので、そういう店では売っていない、特殊な品を扱うようにしないと、わざわざ来てくれるお客が出て来ないと思います。 立地も重要で、同業の店がすぐ近くにあるような所で開いても、先は見えています。


≪ペンション≫
  出た。 ≪人生の楽園≫だ。 あの番組、かなり長い事やっているので、ペンションを始めて、成功するケースが多いのでしょう。 だけど、どんなもんですかね? 一応、成功はしたけれど、同時に、後悔もしているという人が多いのでは? なぜかというと、宿泊業というのが、大変、きつい仕事だからです。

  「一晩、部屋を貸すだけで、ン万円も貰えるのだから、おいしいではないか」と思うでしょうが、お客が泊まったら、そのまま、次の客を入れるというわけには行きません。 掃除はもちろん、布団カバー・シーツ類を交換するのは、毎回ですし、布団も、年中、干していなければなりません。 風呂の掃除も大変だ。 大浴場はもちろん、各部屋に風呂があれば、そちらも、掃除しなければなりません。  トイレ掃除に至っては、想像するだけで、飯がまずくなる。

  そういう仕事がある以上、老夫婦二人では、限界があります。 で、「一晩、○組限定」という事になるのですが、せいぜい、5組、いや、3組くらいで、もう、アップアップではないでしょうか? もし、私だったら、1組でも嫌です。 なんで、引退後まで、他人が寝起きした、不衛生な布団の始末なんてしなきゃならないの? 冗談じゃない。

  60歳から始めたとして、そんなきつい仕事を、何歳までやるつもりなんですかね? ペンションをやるほどの開業資金となると、退職金だけでは足りず、借金している可能性も高いですが、その借金を返せなくて、ペンションをやめたくてもやめられず、80歳になんなんとしているのに、まだ、他人が寝た布団の始末に汲々としているのだったら、それは、あまりにも、過酷、且つ、惨めな老後なのでは?




  まあ、こんなところでしょうか。 「やりたい事」全般に言える事ですが、お金を失う危険性がある事は、趣味でも、投資でも、起業でも、とことん、避けておいた方がいいと思います。 「悠々自適」などという言葉は、資産家と呼ばれるような、よほど、お金にゆとりがある人にしか当て嵌まりません。 勤め人だった人が、実現できる生き方ではないです。

  「第二の人生」という言葉も、落とし穴そのもの。 人生に前向きなようで、聞こえはいいですが、その実、最も、それをしてはいけない経済的に不安定な時期に、破綻の恐れ満々の、危険極まりない冒険をしているのであって、とても、勧められたものではないです。 その人が破産してしまった後で、助けてやる事もできないではないですか。

  そもそも、「悠々自適」に生きられる、ゆとりある人達は、決して、ペンションなんぞ、始めないと思います。 充分なお金があるのに、なんで、他人の汚した風呂やトイレの清掃を、毎日しなければならんの? 馬鹿馬鹿しい。 デッキ・ブラシで、ゴシゴシ、風呂の掃除中に、脳溢血で倒れて、帰らぬ人となったなんて、「一体、どんな最期だよ?」と思いますねえ。

2019/02/10

引退生活⑤ 【やりたい事 「趣味」】 

  引退生活の心得の、5回目です。 どうも、こういう内容の文章を書いていると、先輩風を吹かせ、上から目線で、「指導してやる」という態度になりがちですが、もちろん、私は、これを読んでいる方々が、どういう人生経験を積んでいるかなど感知していないので、戯言だと思っていただいて結構です。 「えっらそーに!」と感じても、本気で怒って、その日一日、ムカムカして暮らしたりする事がないようにして下さい。

  ついでなので、言わせてもらいますと、ネット上に出ている文章は、みんな、その程度の意識で読んだ方がよさそうですな。 「ウィキペディアによると・・・」が典型例ですが、その情報・知識が、正しいかどうか、誰も保証してくれますまい。 後々、修正するゆとりを持って、参考程度に頭に入れておくのが、ちょうど良いと思います。




  言い訳の前置きも終わったので、本文に取りかかりましょう。 前回、「人間の、やる事」に、3分類あると書きました。

1. やらなければいけない事。
2. やりたい事。
3. やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事。

  今回は、「やりたい事」について書きます。


  私に言われるまでもなく、引退後、具体的に、「やりたい事」がある人は、定年でさっさとやめて、そちらを始めるでしょう。 ところが、「やりたい事」が全くないとか、あったけれど、ちょっとやってみたら、想像していたほど、満足感が得られなかったという人が、働き続けたり、再び働き始めたりするわけだ。 何度も書いているように、それでは、そもそも、引退生活が始まりません。

  どうしても、やりたい事を思いつかない場合、仕方がない。 引退生活は諦めて、働き続けるしかありませんな。 それこそ、足腰立たなくなるまで。 前回も書いた通り、「やらなければならない事」は、1年もしない内に、片付いてしまいますから、やりたい事がない人は、何もする事がなくなってしまいます。 小人ならずとも、閑居すれば、不善を為す。 それなら、働き続けた方が、まだ、害が少ないというもの。

  だけど、「引退後、やりたい事が何もない人生って、どうよ?」って、感じもしますねえ。 とことん、私生活を疎かにして来たんでしょうなあ。 自分の意思で、積極的に、疎かにして来たというより、勤め先で、同僚達と、ワイワイ・ガヤガヤやるのが楽しくて、家での生活なんて、ただの休憩に過ぎないと思っていたら、そうなってしまったんじゃないでしょうか。

  しかし、60歳過ぎてから、働き続けても、もう、仲良くやれる同僚なんて、見つからないと思いますよ。 自分より遥かに若い連中に、顎で扱き使われて、嫌な思いばかりすると思います。 40代後半ですら、年寄り扱いなのに、60過ぎ? そんなポンコツに、一体、どんな仕事があるというのよ? そういう、非常に弱い立場で働き続けるのが、楽しいとは、とても、思えませんがねえ。


  さて、引退後にやりたい事を、分類しますと、


【趣味】
  こりゃ、もう、王道ですな。 対象は、人それぞれなので、細かく書きません。 「さあ、思う存分、趣味を楽しむぞ!」と、張り切る前に、まずは、金勘定ですな。 趣味は、大抵、お金がかかります。 働いている間なら、月に1万円くらいつぎ込んでも、「精神衛生面の必要経費」として、認可できたと思いますが、引退して、無所得になると、同じようには行きません。

  預金額と、年金受給開始後にもらえる年金の予想金額を足して、残りの人生の予想年数で割れば、一年間にいくら使えるか、計算できますが、病気・怪我・災害など、予定外の出費もあるから、預金の方は、なるべく、使わないでおきたいもの。 年金受給開始後も、その中から、一定金額を、預金に回せるくらいの生活が望ましいです。

  となると、趣味に回せる金額は、非常に、しょぼいものになる人が多いと思います。 月に、2・3千円がいいところではないでしょうか。 そういう金額で楽しめる趣味があればいいですが、なかなかねえ。 パチンコ、競馬、競輪など、ギャンブル系は、全滅でしょう。 酒も、外に飲みに行くとしたら、月に一度で、終わってしまいます。 煙草は、一ヵ月分、とても、もたないでしょうなあ。 酒や煙草は、趣味と言うより、病気ですが・・・。

  スポーツが趣味なら、健康上も良いですが、ジムに通ったり、クラブに所属したりするとなると、やはり、引退後の趣味としては、お金がかかり過ぎます。 クラブは、特に、まずい。 人付き合いが、最も、お金がかかるからです。 趣味の会であっても、入会して、しばらく経てば、必ず、「月に一回くらいは、みんなで、旅行に行こう」と言い出す輩が現れ、毎月、旅費、ン万円が消し飛びます。

  近くに手頃な山があれば、運動登山は、良い趣味ですが、手頃な山に限って必ず存在する、「山の会」には、近づかない方がいいです。 絶対に、「みんなで、旅行に行こう」が出て来ます。 「百名山踏破」にも、要注意。 登山を趣味にした場合、大変、嵌まり易い落とし穴でして、百名山は、日本全国に散らばっていますから、登山はタダでも、麓まで行くのに旅費がかかって、結局、旅行が趣味というのと、変わりがなくなってしまいます。

  そうそう、旅行と言えば、引退後すぐに、「自分に、ご褒美」とか、「支えてくれた妻に、感謝の意を込めて」とか、失笑物の理由をつけて、海外旅行に出かけて行く人が後を断ちませんが、蒙昧愚挙としか言いようがありません。 「ヨーロッパ一周旅行」だの、「世界一周クルージング」だの、昔の貴族みたいな事をやっていますが、そんな金があったら、引退後の為に、なぜ、取っておかないのか、ほとほと、気が知れぬ。

  よっぽど、預金にゆとりがあるならともかく、そういう馬鹿な事をやる人に限って、蓄えなんかほとんどなくて、お金を貯めた事がないもんだから、お金の価値が分かっていない。 退職金が入って、俄かに金持ちになったような錯覚を起こし、ドカーンと使ってしまうんですな。 馬鹿だねえ。 大旅行の後、すぐに、寿命が尽きるとでも思ってるのかねえ。 まだ、何十年も生きなければならないのに。


  趣味の話に戻しますが、文芸方面、たとえば、「俳句の会」というのが、あちこちにあり、誘われて入る人も多いと思います。 しかし、決して、楽しい事ばかりではないです。 大抵、そういう会には、何かで賞を獲った事がある、「ヌシ」がいて、会を支配しています。 俳句なら、そのヌシの好みに合った句でないと、評価されません。 そういう所に入ってしまってから、逆らっても無駄で、ヌシと方向性が合わなければ、結局、不愉快な悶着の末、退会する事になります。

  絵画や写真なんかも、そうですねえ。 もう、「○○の会」は、みんな、駄目だなあ。 引退後の趣味まで、赤の他人に、ああだこうだ批評されながら、やる気になれますかね? 馬鹿馬鹿しい。 自分の人生が、もう残り少ないと言うのに、どこの馬の骨とも分からない、ジジイ・ババアのご機嫌なんか、とっていられるもんですか。

  音楽も、まずい。 とりわけ、「六十の手習い」で、ピアノを習いに通い、音楽教室主催の発表会で、たどたどしく一曲弾いて、御満悦。 ニコニコ笑って、「今後は、一年に一曲、レパートリーを増やして行くつもりです」なんてーのが、最悪だ。 何やってんのよ。 笑い者になっているのが、分からんのけ? 楽器の演奏なんて、子供の頃からやっている人間に、敵うわけがないじゃないですか。 気の毒なのは、そんな心得違い者を指導しなければならない、先生ですな。

  音楽教室に注ぎ込むお金が、いくらになるやら。 家でも練習するとなれば、防音室を作るなどと言い出し、また、大出費。 防音室を作らなければ、近所迷惑で、苦情が殺到するのは避けられず、家族から、「頼むから、やめてくれ」と懇願される事になります。 どうしても、弾きたきゃ、電子ピアノにヘッド・ホンで、我慢しな。 発表会に出ようなんて、大それた事は考えず、ネットで公開するくらいにしておきなさいよ。 ああ、そうそう、動画で出す場合は、映像は、静止画にしてね。 重くなるから。


  コレクション系の趣味は、投入金額を守れるのなら、悪くないですが、「大人買い」や、「ヤフオクで、昔手に入らなかった物を・・・」といったところが、落とし穴。 「大人買い」は、働いている人達に当て嵌まる言葉で、引退者は、大人は大人でも、除外されると考えた方がいいと思います。 だって、使えるお金に制限がある事は、子供と変わりませんから。

  「ヤフオクで、昔手に入らなかった物を・・・」は、私自身、古い車のカタログで、やらかしているので、大きな事が言えないのですが、そこを敢えて言いますと、やはり、使い過ぎに気をつけた方がいいです。 オークションの場合、タイミングが重要で、「その時を逃したら、次はいつ出て来るか分からない」という事情があるから、制限を守れない時があり、それが、破綻に繋がり易いですな。

  生きている間、無限に買い続けるのではなく、「ここまで集めたら、やめる」という、ゴールを決めておかないと、気が付いたら、食費を削って、買い続けていたなんて事になりかねないです。 引退後は、つきあいが減るので、人恋しくなる事がありますが、ヤフオクの相手と仲良くしても、取引は、すぐに終わってしまいますから、意味がありません。 くれぐれも、錯覚しないように。

  コレクション系の趣味で、お金以外の問題というと、置き場所ですかね。 自分の部屋に収まる範囲で揃えるべきで、家族との共用空間にまで食み出すと、大変、嫌がられます。 家族とはいえ、他者の権利を侵害しているのですから、なあなあで、ごまかせる事ではありません。 言われる前に気づいた方がいいです。

  もう一つ。 コレクションには、年齢的な限界もあります。 集め続ければ、どんどん増えて行くわけですが、引退後ですから、いずれ、「終活」に入るのであって、そうなれば、せっかく集めた物も、処分して行かなければなりません。 自分が死ぬまでとっておいて、「死後は、売っていい」などと言い残されても、趣味が違う遺族には、一つ一つの価値も、売り方も分からず、頭痛の種になってしまいます。

  時折、ヤフオクに、趣味の品が、ごそっと出て来て、「父の遺品なのですが、よく分からないので、分かる方だけ、入札してください」といった説明が付いている事があります。 一生懸命、勉強し、大枚はたいて、買い揃えた品でも、遺族にとっては、ゴミより厄介な、お荷物に過ぎないんですな。

  出品するだけでも、一つ一つ、写真を撮って、タイトルや説明文を書かなければなりませんし、落札されたら、梱包して発送しなければなりません。 そんなのが、100も、200もあった日には、片付くまでに、一年以上かかってしまいます。 子供の人生の貴重な時間を、死んだ親の趣味が食い潰しているのは、あまりにも、理不尽だ。 


  日曜大工も、趣味でやるなら、迷惑です。 それについては、前回書いたから、繰り返しません。 もーう、本人が死んだら、作ったものは、ほとんどが、解体決定です。 私の父が、日曜大工で作ったもので、死後も残っているのは、濡れ縁とか、車置き場の仕切り格子とか、回覧板入れとか、バリバリの実用品だけですな。 趣味で作ったものも、かなりありましたが、使いようがないので、解体して、捨てざるを得ませんでした。

  私も、岩手異動の時に、一生懸命作ったものを、入院中に、寮の部屋に入った掃除係によって、無残に壊された事がありますが、知恵を絞って作っても、便利だと思っているのは、本人だけで、他人にとっては、ただのガラクタなんだわ。 虚しい事よ。




  【趣味】の他にも、「やりたい事」を書くつもりでいたんですが、長くなってしまったので、今回は。ここまでにします。

2019/02/03

引退生活④ 【やらなければいけない事を作る】

  引退生活の心得、4回目です。 私は、母親と二人暮らしなので、引退生活者で割合が多い、夫婦二人暮らしとは、ちと事情が違っており、あまり、大きな経験者口を叩く資格はないのですが、なるべく一般的な、誰にでも当て嵌まりそうな事だけ書くようにします。




  人間たる者、乳幼児時代は別として、学生時代、現役時代、引退時代を問わず、やる事に、三つの種類があります。

1. やらなければいけない事。
2. やりたい事。
3. やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事。

  この内、今回は、「やらなければいけない事」について書きます。


  勤め人が勤めをやめた場合、引退後、いろいろと手続きがあり、最初の確定申告が済む辺りまでは、緊張した日々が続きます。 学校卒業後、ずっと、勤め人だったという人は、確定申告なんかやった事がないから、どうしていいか分からず、押入れに籠って、がたがた震えながら、その日を待つ気分になると思いますが、なーに、そんなに心配する事はありません。

  とにかく、関係書類を持って、会場に行きさえすれば、向こうの係員が、大抵の事はやってくれます。 何回も経験していても、毎年、係員と長々話さないと分からないという人も多いですし。 くれぐれも、面倒臭いからといって、無視しないように。 脱税で、罰金を取られてしまいますよ。 家族に、「代わりにやってくれ」というのも、駄目。 その人だって、自分の申告で、手一杯なんだから。

  健康保険も厄介ですなあ。 いつ、会社の健康保険から離脱して、国民健康保険に切り替えるか、そこが、考えどころです。 私の場合、会社の健康保険組合から、「退職後、任意継続で、2年間は入っていられます」と言われて、安心しきって、余裕ぶっこきまくっていたのですが、最初に巡って来た年度末に、ふと思いついて、計算してみたら、そのタイミングで、国民健康保険に切り替えないと、大損する事が判明して、ビックリ!

  会社の健康保険の保険料は、在籍していた頃の所得を元に計算されるので、無所得になったら、その年度末で、国民健康保険に切り替えた方が、圧倒的に安くなるのです。 切り替えが、間に合って、応じ合わせ。 そのままにしておいたら、15万円も損する所でした。 引退後の15万円は、デカい。 マジ、中古車が買える金額でんがな。

  そうそう、国民健康保険に変わった後、自分が世帯主なら問題ないですが、世帯員になっている場合、世帯主の所得に応じて、軽減率が異なり、保険料が変わって来るので、思い切って、世帯分離してしまった方がいいです。 そのせいで、家族の住民票を取りに行く時に、委任状が必要になるなど、不便も発生しますが、健康保険料で、毎年、数万円も損するのに比べたら、ささやかな問題です。

  世帯主の所得が多い場合、無所得世帯員の保険料は、軽減なしで、6万円くらい。 世帯分離して、自分が世帯主になると、2万円以下になります。 引退後の4万円は、デカい。 いや、4万円くらいで買える物を、ちょっと、思いつきませんけど・・・。 現役の頃には、30万円以上払っていたわけで、引退後の健康保険料が、ここまで安くなるのは、驚きです。

  ちなみに、無所得なら、市県民税は、退職後、2年目からゼロになります。 通知すら来ません。 その代わり、無所得である事を証明する為に、年初に、「市県民税申告書」というのを、市役所に提出する事になります。 一回、自分から行けば、次の年からは、郵送されてきますが、これは、自治体によって、異なるかもしれません。 役所のホーム・ページを見れば、詳しく出ていると思います。

  税務署の方ですが、退職後、一回、確定申告すれば、次の年からは、無所得ですから、もう、縁がなくなります。 ただし、年金を受給し始めると、また、確定申告が必要になるので、どんな風にやるか、記録をとっておくといいと思います。 記憶は当てになりませんから。

  厚生年金から、国民年金への切り替えも必要で、それは、退職後すぐに、市役所で行ないます。 年金事務所には、行かなかったと思うなあ。 記憶は当てにならないから、記録を調べてみましたが、そちらにも、書いてありませんでした。 もう、退職後、3年半も経つから、こんな記事が書けるほど、細かい事を覚えていませんわ。 このくらいにしておきましょうか。

  まあ、退職後、会社から、ドカッと書類を渡されますし、分からない事があれば、各役所に問い合わせれば、教えてくれるから、そんなに心配する必要はないと思いますけど。 くれぐれも、しなければならない手続きを、無視しないように。 面倒な事になるだけでなく、損をすると思います。


  おっと、今回は、こういう事を書きたかったわけではないのですよ。 前置きが長くなってしまいました。

  で、そういった、退職後の手続きが、一通り終わると、「やらなければならない事」が、急になくなって、狭い所から、突然、ただっ広い所へ放り出されたような、うつろな気分になります。 精神的緊張が、一気に弛んで、ぼーっと呆けてしまうんですな。 これが、怖い。 そこから、何もする気がなくなって、廃人同然になってしまう人が、少なくないのです。

  定年で引退した場合、年齢は、60歳ですから、身体的には、まだまだ長生きできるのに、精神の方が、先に老け込んで、生きる意味を見失ってしまいます。 自分が何の為に生きているのか、分からなくなる。 働いている頃には、そんな事、考えもしなかったのに、閑になると、「生きる意味」が必要になって来るのです。

  生き続ける為に、自分を納得させられる理由を見つけなければならないのですが、そう簡単には見つかりません。 せいぜい、「すぐには、死にたくないから」くらいしか思いつかないのですが、その程度の動機では、積極的に生きて行こうという前向きな意思には繋がって行かないものです。

  実際問題、引退して、無所得になり、預金を取り崩して生きているだけの人間なんて、他人から見れば、いてもいなくても同じような存在です。 そして、基本的に、自分に利益を齎さない他人というのは、いない方が、害がない。 つまり、自分自身には、積極的に生きる理由がなく、周囲からは、早く死んでくれた方がありがたいと思われているという、大変、暮らし心地の悪い状況に追い込まれるわけです。


  それを避ける為に、嘱託や、パート、バイトでもいいから、働き続けようとする人もいるわけですが、それでは、そもそも、引退生活が始まりません。 定年後、働き続けたとしても、いつか、やめなければならない時が来るわけで、問題を先延ばししているだけという見方もできます。

  「やらなければならない事」が、全くなくなってしまうから、問題が発生するのであって、なければ、作ればいいのです。 もし、配偶者が、先に、家だけで暮らす生活に入っている場合、家事を担当していると思いますが、それを分けてもらえば、宜しい。 料理は、技術が要りますが、食器洗い、掃除、洗濯などは、誰でもできますから、やり方を聞けば、すぐにでも始められます。

  その際、なるべく、前任者と同じやり方をする事が肝要です。 手抜きをすると、前任者がやり直す事になり、喧嘩の元になります。 逆に、前任者のやり方より、著しく丁寧にやると、嫌味と取られて、これまた、喧嘩になります。 前任者の面目を潰すような事は、厳禁です。 「家族だから」、「夫婦だから」という甘えが通用しないのは、ここでも同じ。

  かつて、嫁・姑の不仲の原因として、最大の猛威を振るったのが、「前任者のやり方を無視する」事です。 嫁が、姑から、「今日からは、あんたが、台所を管理して」と言われたので、鍋や皿の置き場所を、自分に使い易いように入れ替えたら、姑の逆鱗に触れ、次の日には、全て、元の配置に戻されていた、といった嫁側の恨み話が、うじゃらうじゃらとあります。 「任せると言われたから、変えたのに、話が違うじゃないか」と言うわけですな。

  しかし、それは、嫁が、姑の意向を勘違いして、「台所の支配権を譲り受けた」と思い込んだのが間違いでして、そんな、既得権益を自分から譲るような甘い話は、世間にもなければ、家の中にだってありません。 姑は、支配権を譲り渡した覚えなど微塵もなく、ただ、自分の配下として、嫁に末端作業を任せただけだったんですな。

  ちなみに、嫁・姑の諍いの原因は、双方の性格の違いや、相性の問題ではなく、ほとんどが、支配権の取り合いにあります。 同居していないと、喧嘩が起こらないのは、支配対象が重なっていないからです。 そう考えれば、「別の家に住んでいる時には、仲が良かったのに、同居し始めた途端に、敵同士になってしまった」というのも、簡単に説明できます。 入り婿と、舅の仲が、さほど悪くないのは、そもそも、どちらも、家の中を、一ヵ所たりとも、支配していないからでしょう。


  話を戻しましょう。 前任者のやり方を無視すると、そういう不愉快な結果を招きます。 「こっちのやり方の方が、断然いい」なんて主張しても、駄目です。 家事に於いて、自分の方が後輩である事を弁えないと、いつまでも、先輩に認めてもらえず、年中、駄目出しを喰らい続けたり、最悪、「任せられない」と言われて、仕事を取り上げられてしまいます。 ふふふ、惨めな事よ・・・。

  衛生面での意識が、家族内でも人によって異なるケースがあります。 うちでは、父が元気な頃、昼食後の食器洗いを担当していたのですが、ある時、台布巾で食器を拭いているのを目撃して、仰天した事があります。 「布巾」と「台布巾」の区別がついていなかったんですな。 慌てて、指摘して、それ以降、布巾で拭くようになりましたが、私が気づくまで、何年間、台布巾で拭いた食器で、物を食べさせられていたか分からず、思い出すだけで、気持ちが悪くなります。

  もっと、ひどいケースでは、「台布巾」と「床用雑巾」の区別がつかない人もいると思いますが、想像するのも、恐ろしい。 前任者から指摘されて、すぐに改めるのなら良いですが、中には、間違いを認めるのが嫌で、頑なに、自分のやり方を続ける人もいると思います。 もし、私の父が、そんなだったら、母と私によって、食器洗いの仕事は、取り上げられていたと思います。


  二人とも、引退者の場合、家事をうまく分け合う必要があります。 体力と時間が、あり余っているからといって、何でもかんでもやってしまうと、相手側の仕事がなくなって、それまた、まずい事になります。 「楽隠居」などという考え方は、自分に当て嵌まらなければ、配偶者にも当て嵌まらないのであって、楽をさせてやれば、幸福になるというわけではありません。

  うちの近所の話ですが、引退した旦那が、「今まで、家の事は、妻に押しつけて来たから、引退後は、何でも、私がやるようにしました」と言っていたのですが、まあ、なんという事でしょう! 家事を全部取り上げられた奥さんは、見る見る、認知機能が衰えて、要介護状態になってしまったとの事。 ものには、限度があり、何事も、ほどほどが良いという、典型例ですな。


  家事を分担するのは良いのですが、家事の先輩がやっていなかった事を、自分が始めてしまうのは、またまた、悶着の元です。

  たとえば、ゴミ焼き。 今まで、全て、自治体の回収に出していたゴミを、閑に飽かせて、細かく分別し、燃やせる物は、家の庭で燃やそうとするわけだ。 こらこら、馬鹿な事をするでない! 今時、庭でゴミを燃やすなんて、条例違反だわ。 自分が子供の頃、やらされていたもんだから、今でもやっていいと思っているんだわ。 働いている間、何十年も、家の事なんて、興味すら持たなかったから、世の中の変化が分からないんだわ。 情けない奴め。

  それと、日曜大工。 家の修繕なら、業者に頼まないで済むから、経済的で良い事なのですが、そうではなく、新規に何かを作り始めると、もう、いけません。 必要だから作るのではなく、暇潰しに作るのだから、ガラクタが増える一方です。 年中、ホーム・センターに通って、一生に一度使うかどうか分からない特殊な工具を買い揃えようとするのも、家計に響く。 全く、閑人につける薬はない。

  以前、配偶者をなくした独居老人をテーマにしたドキュメンタリー番組で、男性高齢者の家を訪ねる場面を見たのですが、その人、日曜大工が趣味だそうで、自分で開発した発明品で、家の中が埋まっていました。 便利器具や、運動器具が多くて、実演もしていましたが、「ああ・・・、この人、まずいところへ、嵌まり込んだんだなあ」と、憐れ、涙を誘いました。 もう、そんな物を作る以外に、やる事がなくなっちゃったんでしょう。 当人にとっては、アイデアと技術の結晶なのでしょうが、他人から見ると、ガラクタでしかありません。

  ゴミ焼きは、「やってはいけない事」、修繕以外の日曜大工は、「やらない方がいい事」でして、いずれも、「やらなければいけない事」ではありません。 家事の先輩がやっていなかった事は、大抵、「やってはいけない事」か、「やらない方がいい事」です。 先輩が、意味もなく、やっていなかったわけではないのです。 とにかく、何か思いついたとしても、始める前に、家事の先輩に相談してみたら? まあ、ほとんど、「やめときなさい」と、却下されるでしょうけど。


  家の中で、「やらなければいけない事」が見つからないと、外で探そうとして、町内会に首を突っ込んで、新しい行事を提案したりする輩もいますが、とーんでもない! だからー、今は、個人主義の時代だと言っているではないですか! 誰も、他人の指図で何かさせられたいなんて、思ってないんですよ。

  「途絶えていた祭りを、復活させた」なんて、話を聞くと、ぞーーーっとします。 満足しているのは、思いついた奴だけ。 しかも、信心があって、祭りが復活した事に満足しているのではなく、自分の思いつきが通って、他人を思うように動かせた、その事で、優越感が充足し、御満悦になったわけだ。 これほど、傍迷惑な事が、この世にあろうか?

  祭りなんて、一度復活したら、最低でも、5年、長ければ、10年くらいは続けなければなりません。 もーおーう、面倒臭い! 勤め人には、貴重な休みなのに、どこの馬の骨とも分からない、閑なジジイの思いつきで、どうして、潰されなればならんのか! そんなに、やりたきゃ、自分だけでやれよ。

  で、復活させた祭りが、ずっと続くのかと言うと、そうではないんだわ。 言い出しっぺが、死ぬまでが目安。 たぶん、その迷惑ジジイが死んだら、次の年から、また、パタッと途絶えるでしょう。 もともと、続けられない理由があったから途絶えたのに、個人の思いつきで、強引に復活させて、末永く続くというものではないです。


  冠婚葬祭も、「やらなければいけない事」です。 閑な月日が続いた後、親戚に葬式や法事があると、久しぶりに会った人達と会話が弾み、気分が高揚して、次の葬式・法事を楽しみにするようになります。 不謹慎極まりないですが、引退するような年齢になると、結婚式に呼ばれるような事はなくなり、冠婚葬祭というと、葬式・法事ばかりになるから、その点は、致し方ない。

  で、おとなしく待っていて、よばれたら、神妙に参列するのならいいのですが、久々の賑やかな場で、張り切ってしまって、よその家の葬式・法事を仕切ろうとする奴がいるから、怖い。 ああだこうだと指図して、葬儀屋と議論まで始めるから、開いた口が塞がらない。 一体、何しに来てるんだ、このジジイは? いや、ババアである場合もあります。 しかし、押し並べて、ジジイの方が、タチが悪いです。 

  うちの親戚で、葬式は、家族葬でやって、一周忌、三回忌の法事だけ、親戚をよんだ家があったのですが、一周忌の席で、故人の弟に当たる人が、「なんで、葬式によばなかった!」と怒る一幕があったとの事。 引退して、閑でしょうがないから、冠婚葬祭に呼ばれるのを、心待ちにしていたのでしょう。 それにしても、法事の席で、遺族を叱るというのだから、悼みに来たんだか、痛めつけに来たんだか、分かりゃしない。




  前置きのせいで、長くなってしまいましたが、こんなところでしょうか。 「やらなければならない事」は、引退直後は多いけれど、それが過ぎると、急になくなってしまうから、自分で工夫して、作った方がいい。 ただし、やりすぎてはいけない。 という話でした。