2021/03/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑭

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、14回目です。 今回は、組み写真が、8枚もあって、マックスです。 2020年の10月に出かけた所、全てです。





【富士見パークウェイ①】

  2020年10月6日に、バイクで、伊豆の国市・韮山の山の中を通る、「富士見パークウェイ」という道路を走ってきました。 1966年から、2004年まで、有料道路だったところ。 それ以降は、無料。 かつて、山奥に、「伊豆・富士見ランド」という遊園地があり、そこへ行く為に造られた道だとの事。 遊園地は、1966年から、1999年まで、営業していたようですが、私は、つい数日前まで、名前も知りませんでした。

  私が車の免許を取ったのは、1986年だから、99年の閉園までには、充分、行くゆとりがあったわけですが、そもそも、存在を知らないのでは、行きようがありませんな。 遊園地というのは、一人で行く所ではないから、進んで探しもしなかったわけです。

≪写真1≫
  伊豆の国市・江間から、松原橋を渡って、真っ直ぐ東へ向かうと、山に差しかかった所から、富士見パークウェイに入ります。 この写真の交差点より、もう一つ向こうの交差点を、通称、「富士見パークウェイ入口交差点」と言うようです。

≪写真2≫
  富士見パークウェイは、こんな感じの、片側一車線の道路です。 昔は、料金所があったわけですが、今は撤去されていて、どこにあったのか、分かりませんでした。

≪写真3左≫
  伊豆半島の背骨を越して、もう、熱海に近い位置に、「伊豆・富士見ランド」の跡地がありました。 遊園地を造り、運営していた運送会社の研修所になっていました。 ここは、西門の近くで、メインの建物が見えます。

≪写真3右≫
  正門の方から覗き込んでみました。 メインの建物は、工事中でした。 解体するのか、改修するのかは、不詳。 たぶん、元は、遊園地内のホテルだったのでしょう。 いやあ、やっている間に、一度でも来ていたら、懐かしく感じられたでしょうねえ。

  名前は、どちらも、「富士見」が付いていますが、パークウェイからは、富士山が見える場所は、ほとんどありませんでした。 たぶん、ランドの中からは、よく見えるはず。 この写真には、遠くに、駿河湾や、伊豆半島北西部の山並みも写っています。

≪写真4≫
  正門に入る、立体交差。 おそらく、営業中は、華やかな看板などで、飾られていたものと思われます。 この辺にも 入園を待つ車が、列を成していたんじゃないでしょうか。 ガード・レールの錆が、歳月の経過を無情に表しています。 兵どもが夢の跡。

  ランドが開業した1966年は、マイ・カー時代幕開けの頃で、道路さえあれば、山奥でも、お客を呼べると計画したんでしょうな。 子供の頃に遊びに来た事がある人は、ここに立っただけで、泣いてしまうのではないでしょうか。




【富士見パークウェイ②】

≪写真1≫
  伊豆・富士見ランド西門の辺りで、北側を見たら、こんな建物がありました。 山の中に、ヌッと現れると、マヤのピラミッド的な迫力があります。 帰ってから調べたら、「南箱根グランビュー」というマンションでした。 マンションだけがあるわけではなく、この一帯は、別荘地になっています。

≪写真2左≫
  ランドの正門前立体交差の下で咲いていた、タンポポ。 他にも、何十と咲いていました。

≪写真2右≫
  これは、富士見パークウェイの途中で見つけた、ススキ。 まだ、穂が若くて、ツヤツヤしています。

≪写真3≫
  富士見パークウェイは、伊豆スカイラインの料金所で終わりになっています。 125ccは、自動車専用道に入れませんが、それ以前に、有料道路に入る気はありません。 ここで、引き返しました。

  帰ってから、夕飯の時に、母に、伊豆・富士見ランドの事を知っているかと訊いたら、意外にも、行った事があるという返事。 兄が小学6年生の時に、町内会の子供会の係が回ってきて、子供達を遠足に連れて行く先の下見に、父と母で行ったとの事。 全然知らなかったなあ。 下見だから、子供を連れて行かなかったのは当然ですが、写真も撮らなかったそうで、中の様子も、全然覚えていないとの事。 残念至極。

≪写真4左≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 同じワインディング・ロードでも、海岸沿いの平地道路と比べて、山道は、曲がる楽しさが、だいぶ、損なわれます。 登りは、バイクが苦しいし、下りは、スピードが出すぎて、怖いのです。

≪写真4右≫
  マフラー。 買った直後、シルバーの塗料で錆隠しをしてから、一年以上経ちましたが、依然、ピカピカです。 やはり、雨の日に乗らないというのが、一番、効いていると思います。

  風変わりな形のマフラー・カバーですが、気に食わなくて、外してしまう人がいる模様。 私は、むしろ、独特で良いと思います。 欧米メーカーや、それを真似ている日本メーカーでは、こういうデザインは、思いつきもしないのでは? 古代中国の青銅器文様を彷彿とさせるものがあり、大変、面白いです。

  惜しむらく、後継機種の、EN125-2Fや、3Fでは、何の変哲もないデザインに変えられてしまいました。 比べて見ると分かりますが、2F、3Fのマフラー・カバーは、普通過ぎて、面白くも何ともないです。 あんなのは、素人でも・・・、いやいや、小学生高学年くらいでも、デザインできます。




【田代メルヘンの里 / 月光天文台】

  2020年10月13日に、バイクで、函南町の山の中にある、田代地区へ行って来ました。 火雷神社がある、今年の1月にも行った所です。

≪写真1≫
  「メルヘンの里」という田んぼを潰した所で、コスモスが咲いているというので、行ったもの。 確かに咲いていましたが、誰もいないせいか、妙に、うら寂しい。 人がいない方が、感染防御上は安心できますが、全くいないのもねえ・・・。

≪写真2左≫
  これは、火雷神社の近くの野原で咲いていたコスモスです。 こちらの方が、盛んでした。

≪写真2右≫
  アップ。 やはり、コスモスは、ピンク色の花が、一番、それらしい。

≪写真3左≫
  田代から、山の中の道を通り、「月光天文台」へ。 案内看板がたくさんあって、迷わずに済みました。 天文台と言っても、観光施設です。 駐車場があるんですが、道路を挟んだ向かい側に空き地があり、停め易そうだったので、そちらへ置きました。 すぐに立ち去るつもりだったので。

≪写真3右≫
  バイクを置いた所から、南側を見たら、遠くに、前回行った、「伊豆・富士見ランド」跡地のメインの建物と、「南箱根グランビュー」マンションが見えました。 やはり、遺跡のような趣きだな。

≪写真4≫
  月光天文台の敷地内を、駐車場も入れて、全景。 2010年5月にも寄っているんですが、その時より、建物が増えたような気がします。 前に来た時には、一番奥に見える、白い建物しかなかったような・・・。 前回も今回も、中には入らず。 それほど、興味がないです。 有料なのか無料なのかも知りません。




【桑原・山神社】

  月光天文台から、道なりに下っていったら、函南駅の少し上の、桑原という地区で、山神社を発見しました。 目的地ではありませんでしたが、寄り易そうだったので、バイクを道路脇に停めて、見学しました。

≪写真1≫
  道路から見た、全景。 境内は、お世辞にも広いとは言えません。 ここで、お祭りは難しいと思うのですが、やっているんでしょうなあ、どこかで。 神社そのものは、大変よく、手入れされている模様。 社殿の屋根は、瓦葺きですが、2009年に建てられたようです。 鳥居、手水舎、石燈篭はありますが、狛犬がありません。

≪写真2左≫
  社殿の前が、階段の代わりに、欄干付きの橋になっています。 こういうのは、初見。 狭い空間を、うまく利用しているわけだ。

≪写真2右上≫
  桑原区史跡保存委員会による、解説板。 祭神と、縁起、祭礼について書かれています。 神社の解説板としては、分かり易い方。 ちなみに、解説板は、寺の方が、物語性があって、より読み応えがあります。 

≪写真2右下≫
  社殿の道路側に、水槽型の池がありました。 川から引かれているようで、綺麗な水が流れていました。 魚等の姿は見えず。

≪写真3左≫
  手水舎。 瓦葺きの屋根と言い、自然石の漱盤と言い、異様に立派。 石工だけでは、こういうのは手に余ると思われ、植木屋が絡んでいる可能性があります。

≪写真3右≫
  漱盤の横に設置されていた、石の亀。 甲羅のパターンは正確ですが、他は、テキトーです。 頭なんか、蛙が入っていますねえ。

≪写真4≫
  道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 おお、この角度は、カッコ良く見えますなあ。 これが、125ccの原付とは、お釈迦様でも気がつくまい。

  バイクをカッコ良く撮影するコツは、「ヘルメットをつけない事」、「ハンドル・ロックをかけず、ハンドルは真っ直ぐにしておく事」ですかね。




【三島・澤地工業団地】

  2020年10月21日に、バイクで、三島へ行って来ました。 駅北、箱根山麓住宅街の麓にある、八幡神社を目指したのですが、見つけるには見つけたものの、階段でしか上がれない小山の上にあり、バイクを停める場所がなくて、境内に上がるのはあきらめました。 そのまま、澤地の方へ上がって行ったら、工業団地に入りました。

≪写真1≫
  道なりに、北から西の方へ回ったら、ここへ出ました 澤地工業団地の、西の外れです。 工業団地がもろに見える所では、写真を撮るどころか、停車も怪しまれそうだったので、端っこまで来てしまった次第。

≪写真2≫
  工業団地内の地図。 事業者名が、30社、出ていますが、私が名前を知っているのは、5社くらいです。

≪写真3≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ピンク・ナンバーにも、すっかり慣れてしまい、何とも思わなくなりました。 ちなみに、白ナンバーの250㏄クラスよりも、こちらの方が、注目度が高いです。 セローに乗っている頃には、見られている意識がなかったのに、EN125-2Aでは、妙に他人の視線を感じるのです。 125ccで、こういう正統派スタイルのバイクが存在する事を知らない人が多いから、ジロジロ見たがるのでしょう。

≪写真4≫
  北の道へ向かい、山の中を少し走って、西に出たら、こんな景色が広がっていました。 三島の箱根西麓は、畑が多く、野菜の生産で有名です。 遠くに見える山並みは、沼津アルプス。 箱根なので、高圧電線の鉄塔も多いです。




【三島・箱根山麓】

≪写真1≫
  北北西の方角を見た景色。 手前は、畑。 遠くの山は、愛鷹山。 ここからだと、富士山は見えないようです。

≪写真2≫
  路傍に繁茂していた植物。 苔にしては、日向的存在感が強いです。 葉が立体的で、多肉植物っぽいですが、一つ一つの株は、ごく小さなものです。

≪写真3≫
  手前の黄色いのは、セイタカアワダチソウ。 遠くに見える白いのは、パンパスグラス。 どちらも、外来種なのに、セイタカアワダチソウより、パンパスグラスの方が、好ましいイメージがあるのは、自然に増えていかないからでしょうか。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 キャスト・ホイールは、スポークと違って、錆びない点が優れています。 セローの頃は、スポークの錆を見るたびに、556で拭いていましたが、完全には止められませんでした。 それに比べると、ほとんど、ノー・メンテで済むのですから、どれだけ、楽な事か。




【長泉町下長久保・一柳直末公首塚 / 鎧ヶ淵大橋 / 尾尻公園】

  2020年10月28日に、バイクで、長泉町の下長久保へ行って来ました。 下長久保と言っても、広いのですが、荻素橋の付近です。

≪写真1左≫
  「一柳直末(ひとつやなぎ・なおすえ)公首塚」。 幹線道路から、少し離れているので、ここに、こんな史跡がある事を知らない人は多いと思います。 私は、何年か前に、折自で、ここまで来た事がありますが、すっかり忘れていました。 折自では、登りがきつくて、ここまでで、引き返したのでした。 いつの事だったかなあ。

≪写真1右≫
  一柳直末という人は、豊臣秀吉に仕えた武将で、箱根の山中城攻めの時に討ち死にし、従僕が、首だけを、ここまで運び、葬ったとの事。 本当に、首が埋まっているんですかねえ。 もうちょっと、生き延びれば、天下人の家臣として、いい思いができたでしょうに。

≪写真2左≫
  分かり難い写真ですが、橋です。 地図に載っていないので、割と最近、出来たもの。 ここが、荻素橋かと思ったんですが、近づいて、名前を見てみたら、「鎧ヶ淵大橋」とありました。 「よろいがふち」と読むのでしょうか。

≪写真2右≫
  鎧ヶ淵大橋の反対側は、道路工事中でした。 どこへ繋がるのか、不詳。 地図で見ると、国道246号の、陣場交差点へ接続して、新東名に繋がるようです。 この付近、結構、住宅が多いのですが、よくこれだけ、土地が余っていたものです。 立ち退きなんかもあったんでしょうか。

≪写真3左≫
  歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 歩道と言っても、道路工事中の仮歩道でして、歩行者・自転車の姿はなし。 この辺り一帯は、緩い傾斜地ですが、バイクなら、全く、どうという事はありません。 自転車では、もう、来たくないなあ。

≪写真3右≫
  一柳直末公首塚よりも、南側だと思いますが、「尾尻公園」という児童公園で撮った写真。 オブジェ。 アメリカのアニメのキャラクターでしょうかね。 遊具ではないですが、子供の椅子にはなると思います。

≪写真4≫
  ずっと、北の方、下長久保交差点の北東の一角に並んでいた、石像群。 こういう石像は、本来、別々の場所に、一つ一つ置かれるものでして、こうやって集められているという事は、何かしら、道路や土地の整理があって、元の場所に置けなくなったけれど、壊したり、捨てたりするわけにも行かないので、当たり障りのない場所に集めたのだと思います。




【長泉町下長久保・荻素橋 / 稲荷神社 / 山神社】

≪写真1≫
  下長久保交差点から、東へ行くと、ここに、荻素橋がありました。 この橋は、うちにある古い地図にも載っているのです。 橋の先は、旧246号の、南納米里交差点に至ります。 橋の袂の柱の上に、西洋風の銅像が載っています。

≪写真2左≫
  この日の目的地だった二つの神社が、なかなか見つからず、住宅街をうろうろしましたが、たまたま、案内地図を見つけ、何とか、辿り着きました。 入り組んだ所にあって、案内地図を見なければ、着かなかったと思います。

  これは、稲荷神社。 人間が入れる大きさなので、これは、社ですな。 ただし、容積は、かなり、狭そうです。

≪写真2右≫
  なんと、赤い鳥居が、軒を支えています。 こういう様式は、初めて見ました。 神社建築は、似ているようで、その実、その土地の都合で、何でもアリなのではないかと思う事があります。

≪写真3左≫
  稲荷神社から、すぐそこにある、山神社。 バイクを停める場所がなくて、罰当たりにも、鳥居に半分、乗り入れました。 大きな木があり、境内を覆っていました。

≪写真3右≫
  山神社の、石の祠。 なぜか、石組み、あり。 これは、これで、趣きがあります。 稲荷神社もそうですが、この規模でも、祭礼をしているんですかねえ。 何かしら、やっているんでしょうねえ。

≪写真4≫
  山神社の境内から、東の方を見下ろした景色。 黄瀬川に向かって、傾斜しています。 山神社は、河岸段丘の上にあるのかも知れませんな。




  今回は、ここまで。

  雨の日は出かけないので、除外するとして、やはり、曇りよりも、晴れている方が、気分がいいです。 行った先の記憶も、全く、印象が違います。 富士見パークウェイは、輝いていましたねえ。 別に、観光地や景勝地に行くわけではなく、誰かと会うわけでもないのですが、一人で出かけて、地味な目的地に着いて、帰って来るだけでも、普通に、思い出になって行くものなんですな。

2021/03/21

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑬

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 今回は、13回目です。 また、組み写真が、7枚になってしまいました。 一回に出かけた先で、組み写真1枚に収まるように、写真を撮ってくればいいのですが、せっかく来たのだから、なるべく多く撮っておこうという欲が抑えられないのです。 写真をたくさん撮ってきても、使わなければいいのですから、減らそうと思えば、思いのままに減らせるわけですが、それでは、写真に解説を付ける形式の紀行になりません。





【門池 / 天王宮】

  2020年9月11日に、バイクで、門池の近くにある、「天王宮」という神社に行って来ました。

≪写真1≫
  門池の横を通ったので、バイクを停めて、撮影。 久しぶりに来たのですが、駐車場の方は、車も人も多く、とても、寄る気になれませんでした。 門池(かどいけ)は、沼津市内で、最も大きな池沼湖。 桜の名所にもなっています。

≪写真2左≫
  天王宮の参道側入り口。 南の方にあります。 住宅に挟まれた参道には、独特の趣きがあります。

≪写真2右≫
  バイクは、西側の入口から入れました。 車でも停められる空間があります。 問題は、境内が幹線道路に面していないので、どこから入ればいいのか、ぐるっと一周回らないと、分からない事ですな。

  5分以上いるような場所でもなさそうなので、ヘルメットは被ったまま、見学しました。

≪写真3≫
  拝殿と本殿。 村社クラスとしては、立派なものです。 拝殿の前にある赤い物は、消火器ケースです。

≪写真4左≫
  手水舎はなし。 漱盤もなし。 これは、ただの流しでしょう。 ハンドルが外してあるので、ここで、手や口を洗うのは、不可能です。

≪写真4≫
  境内の大型プランターで咲いていた、マリー・ゴールド。 もちろん、栽培されているもの。 つまり、手入れをしている人がいるわけですな。




【沼津西友 / マックスバリュ沼津南店】

  天王宮の帰り、母に頼まれた手帳日記を買う為に、セリアが入っている店、2軒に寄りました。

≪写真1≫
  ここは、沼津の西友。 屋上駐車場です。 広いです。 満杯になる事は、まず、ないと思います。 雲が凄い。 東の方角を見ており、雲の下の山は、南箱根です。

≪写真2≫
  同じく、西友の屋上駐車場から、北を見た景色。 山は、愛鷹山です。 雲がなければ、その上に、富士山が見えると思います。

≪写真3≫
  西友のセリアには、探していた品がなくて、マックスバリュ沼津南店まで来ました。 ここは、立体駐車場の屋上。 後ろの山は、香貫山です。

  この立体駐車場は、最初に、ここに郊外型大型店が造られた、ヤオハンの時代からあります。 店本体は、その後、セイフーになり、ダイエーになり、更に、建て替えられて、マックスバリュに代わりました。 経営会社は、セイフーとダイエーは同じですが、他は、全部、別。

≪写真4≫
  北側を見た景色。 愛鷹山の上の富士山は、雲に隠れて、やはり、見えません。 二輪車置き場は、たっぷりありますが、時間にゆとりがある時なら、立体駐車場の方を選びます。 イタズラされる危険がありませんから。

≪写真5≫
  東南側の景色。 山は、象山(徳倉山)と、鷲頭山。 やはり、雲が凄い。


  母に頼まれた手帳日記ですが、ここに入っているセリアで見つけられました。 同じセリアでも、店によって、品揃えが違うんですな。




【清水柳北1号墳】

  2020年9月18日に、バイクで、東名沼津インターの北の方にある、「清水柳北1号墳」へ行って来ました。 迷わずに到着。

≪写真1≫
  駐車場、なし。 歩道を走って、古墳の隣の草原に乗り入れ、バイクを停めました。 歩道の縁石に切れ目がなくて、ここへ車で入るのは、無理があります。 その点、バイクは、やはり、融通が利きます。

≪写真2≫
  清水柳北1号墳。 上円下方墳という、変わった形のもの。 元は、他の場所にあったのを、工業団地の造成に伴い、調査後に、ここへ石を移し、復元したとの事。 4基まであったようですが、移設復元されたのは、これだけです。 この辺り、旧石器時代から、古墳時代にかけての遺跡だというから、随分、長い事、人が住んでいたんですな。

≪写真3左≫
  正面から。 階段がついていて、上へ登れます。 こういう古墳は多いですが、元々の形としては、上に登れるようにはなっていなかったでしょう。 何せ、お墓ですから。

≪写真3右≫
  頂上部に置いてある、石。 周辺部の溝の中から、火葬骨を収める石櫃が出たらしいのですが、これは、復元というより、大体の形だけ、似せたものだと思います。 本物は、どこかに保存してあるんじゃないでしょうか。

≪写真4≫
  古墳の上から、東の方を見た景色。 新東名が見えます。 周囲は、工業団地ですが、山の中なので、どの工場も、ゆったり敷地を取っており、ゴミゴミした雰囲気はないです。

≪写真4左下≫
  古墳の階段で咲いていた、タンポポ。 組み写真に、少し、色が欲しくて、撮ったんですが、ブレボケしてまいました。 小さくすれば、ボケが目立たないから、この程度の大きさで添えておきます。




【門池・八幡神社】

  2020年9月22日に、バイクで、門池の少し東にある、「八幡神社」へ行って来ました。 住所としては、大岡になるのかも知れません。 でも、大岡は広いので、門池の近くと言った方が、分かり易いです。

≪写真1左≫
  正面。 参道らしきものはなく、道路から、いきなり、石段です。

≪写真1右≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、社殿を斜め後ろから見た様子。 本殿と拝殿が別の建物で、短い廊下で繋がっている形式。

≪写真2≫
  拝殿の正面。 境内が、妙に広いです。 これは、もしかしたら、鎮守の森を切ってしまって、広場を作ったのかも知れませんな。 祭りなど、行事の都合で。

≪写真3左≫
  漱盤。 「奉納」と彫ってあります。 蛇口が付いていますが、ハンドルが外されていて、使えません。 おそらく、祭りや初詣の時だけ、つけられるのでしょう。

≪写真3右≫
  社殿の隣にあった、併社。 「八幡天満宮」という標札がかかっていました。 八幡様と、天満宮が一緒になるケースもあるんですなあ。

≪写真4左上≫
  瓦屋根という事は、昭和初期頃の建築なんでしょうか。 古い神社や、戦後の神社では、瓦屋根というのは、ほとんど、見られませんから。 花や、魚を象った瓦が載っています。 凝っている。

≪写真4左下≫
  社殿の横に、石碑が集められていました。 こういうのは、元々、境内にあったわけではなく、町辻にあったものを、区画整理などで移動せざるを得なくなり、移し場所がなくて、神社に持って来たという経緯が多いのだと思います。 なぜか、石燈篭もあります。

≪写真4右≫
  境内に停めた、EN125-2A・鋭爽。 石段は登れませんが、横手から入れたので、ここまで乗り入れました。 本来なら、「下乗」の領域でしょうな。 誰もいなかったから、問題になりませんでしたが。

  ここに来る前に、図書館に寄ったので、荷台に、本を入れたバッグを括り付けてあります。 やはり、荷台は役に立つ。 重い本の場合、ナップ・ザックに入れて背負っていると、腰が痛くなってしまいますから。

  滞在時間、5分くらいだったので、ヘルメットは脱がずに、写真だけ撮って、引き揚げました。

  ちなみに、後ろの車は、ルノーの2代目トゥインゴ(2007年-2014年)の前期型。 調べたところ、「ルノー・スポール・ゴルディーニ」という、スポーツ・バージョンのようですが、詳しい事は分かりません。 フランスの小型車は、日本車とデザインに大差がないので、気をつけて見ないと、外国車である事が分かりませんな。 パッと見は、トヨタ・パッソか、マツダ・初代アクセラかと思いました。




【門池・牧堰】

  八幡神社の後、北の方にある、池田明神というところへ行ったのですが、バイクを停める場所がなくて、遠くから、赤い鳥居だけ見て、良しとしました。 そこには、以前、折自で来た事がありました。 その時に撮った写真があるのですが、あまり、いい写真ではないので、出しません。

≪写真1≫
  黄瀬川に向かい、「牧堰(まきせき)」を再訪しました。 ここにも、以前、折自で来た事があるのです。 この堰堤の所で、取水して、田畑に水を引いているわけです。 昔は、水争いが多かったと、沼津市のホーム・ページに載っていますが、この場所には、歴史を説明した解説板はないです。

≪写真2左≫
  解説板がないにも拘らず、駐車場があります。 単なる空き地なのかも知れませんが。 3台くらいは、楽に停められます。

≪写真2右≫
  近くで咲いていた、黄花コスモス。 道端に、群生していました。 虫がとまっていますが、この写真のサイズでは分かり難いですな。

≪写真3左≫
  潅木状態に育って、道路に枝を垂らしていた、百日紅(サルスベリ)の花。 9月下旬は、まだ、夏か。

≪写真3右≫
  穂が出揃った、ススキか、荻。 放射状に生えているし、河が近いから、荻なのかもしれません。

≪写真4≫
  土手から見た、牧堰橋。 黄瀬川の向こうは、長泉町で、近くに、車検場があります。 「鮎壺の滝」も、すぐ近くです。




【西浦木負・鮑玉白珠比咩命神社】

  2020年9月30日、バイクで、西浦の木負地区に行って来ました。 「木負」は、「きしょう」と読みます。

≪写真1左≫
  三津(みと)から見た、淡島。 水族館やリゾート・ホテルがあります。 行くには、船で渡ります。

≪写真1右≫
  三津の交差点。 この写真では分かりませんが、車が停まっている所に、信号交差点があるのです。 直進すると、西浦へ。 左折すると、山を越えて、伊豆長岡へ至ります。 私は、直進します。

≪写真2左≫
  第一目的地の「鮑玉白珠比咩命神社」。 木負地区にある半島の、先の方、少し坂を登った所にあります。 「あわびたま・しらたま・ひめみこと・じんじゃ」と読むようです。 そういう名前の神様がいるという事ですな。

≪写真2右≫
  漱盤。 なぜか、二つ並んでいます。 どちらも、蛇口付きで、ハンドル付き。 実は、この向かい側に、もう一つあったのですが、それには、蛇口がありませんでした。 どうしてまた、漱盤ばかり、たくさん、寄進されたものだか。

≪写真3左≫
  石段。 手すりは、ステンレス製。 手すりを後付けしてある神社は多いです。 高齢者でも安心して上れるようにという配慮なのでしょうが、手すりがなければ上れないような健康状態の人は、そもそも、神社に来ようと思わないと思います。

  それはそれとして、こうやって、中央に付ければ、転倒した時に、下まで一気に落ちずに、途中で止まり易くなるかも知れませんな。

≪写真3右≫
  拝殿。 立派なもの。 瓦屋根という事は、昭和初期頃の建物でしょうか。

≪写真4左≫
  燈篭も、立派。 脚が付いていて、しかも、台座の上に載っています。

≪写真4右≫
  左の写真の、狛犬のアップ。 昭和19年4月に奉納された物。 もろ、戦時中ですな。 幾分、戦後の主流になる、唐獅子タイプに近づいている観あり。

≪写真5左≫
  こちらは、たぶん、先代の狛犬。 非常に単純な造形で、石彫の技術が、素朴なレベルで留まっていた事が分かります。 明治か、江戸か・・・。 その頃でも、垂れ耳の犬がいたわけですな。

≪写真5右≫
  拝殿に下がっていた、鈴。 かなりの大きさで、大変、立派。 こういうのも、安くはないでしょうに、漁師町というのは、お金があったようですな。

  私は、神社見学はしても、お参りはしない主義なので、もちろん、鈴を鳴らす事はありません。 そもそも、村社の鈴というのは、氏子の人達が使うもので、よそ者が鳴らす為に吊ってあるわけではないです。 それに、こういうのは、いい音をさせようと、調子に乗ってガラガラやっていると、落っこちて来る事もあり、そうなりゃ、弁償ですから、大ごとになってしまいます。 触らぬ鈴に払いなし。

≪写真6左≫
  境内別社。 二つありました。 個別に何の神様かまでは、見て来ませんでした。 

≪写真6右≫
  境内の隅で咲いていた、彼岸花。 彼岸が過ぎたからと言って、咲かなくなるわけではないわけだ。

≪写真7左≫
  ブロック塀の外に停めた、EN125-2A・鋭爽。 道路なのですが、ここだけ、少し広くなっていたので、停めました。 ヘルメットは脱ぎませんでした。 車も、停められない事はないですが、長時間は、まずいでしょうねえ。 境内には、車・バイクは、全くは入れません。 そもそも、よそ者が来るような神社ではないのです。

≪写真7右≫
  バイクを停めた場所から、北側を見た景色。 駿河湾の向こうに、夏の黒富士が見えます。 この辺の人は、いい所に住んでいますねえ。 手前の木は、西浦の名産である、蜜柑です。




【西浦木負・消波堤・本因坊丈和出生の地】

≪写真1≫
  鮑玉白珠比咩命神社がある半島の、突端から突き出している、「西浦木負消波堤」。 ここが、第二目的地ですが、すぐ近くでした。 地図で見た時には、「随分と長い突堤だな」と思っていたのですが、現物は、驚くほどの長さではなかったです。 釣り人がいるという事は、立ち入り可能なわけですが、バイクを離れるのが不安なのと、他人に近づいて、感染のリスクを高める事もないと思い、行きませんでした。

≪写真2左≫
  駿河湾と、夏の黒富士。 冬に、雪を被っても、いい景色になるでしょうねえ。 富士山は、南から見ると、左右対称度が高いのですが、手前に、愛鷹山があって、下半分を隠してしまっているのが、玉に瑕。 しかし、ここまで離れると、愛鷹山が、だいぶ、目立たなくなります。

≪写真2右≫
  海。 綺麗だ。 近くに、大きな川がないから、ゴミが流れてこないのでしょう。 沼津の海で泳ぎたかったら、この辺りまで来ないと、駄目ですな。

≪写真3左≫
  消波堤の付け根に、小山あり。 岩かも知れません。 名前があるのでしょうが、地図には載っていません。 登れるような感じでしたが、縄で登り口を塞いであったので、行きませんでした。

≪写真3右≫
  道路を挟んで、向かい側に、石碑あり。 囲碁の本因坊戦で有名な、「十二世本因坊・丈和」という人が、この辺りの出身だとの事。 ごく最近作った石碑のようで、鏡のようにピカピカに輝いていました。 光り過ぎて、読み難いくらいに。

≪写真4≫
  湾岸の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 125ccなので、山へ行くと、登りが非力ですが、海岸のワインディング・ロードを走る分には、充分な性能です。 軽いから、ヒラリヒラリと曲がります。

  バイク歴27年目にして、オン・ロード・バイクの楽しさを知って、驚いた次第。 ただ単に、Rに沿って曲がるだけで、こんなに楽しいものだとは、乗った人でなければ、分かりますまい。




  今回は、ここまで。   近況ですが、別に、特筆するような事はありません。 バイクでのプチ・ツーリングは、週一回。 車での買い出しは、十日に二回。 折自でのポタリングは、月一回。 旧母自(軽快車)や、母自(電動アシスト車)では、二週間に一度、図書館へ行く外、近場の買い物などにも、出かけています。

  徒歩での外出は、全くしなくなっています。 自分一人ならともかく、ほとんど、外出しない母と同居している以上、私だけ感染リスクが高まる行動を取れないからです。

  不思議な事に、運動登山をやめて、散歩すらせずに、かれこれ一年近く経ちますが、太っていません。 腹の出具合を見ると、むしろ、痩せているくらい。 別に、食事制限はしていないのですが、太らないという事は、つまり、食べた以上に出ているんでしょうな。

2021/03/14

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑫

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 今回は、12回目です。 今回は、組み写真が、5枚と、少ないです。 行った先で撮った写真が、少なかったわけですな。





【伊豆長岡・長瀬ダム】

  2020年8月13日に、バイクで出かけ、伊豆長岡の、長瀬という地区の、山の中にあるダム湖へ行って来ました。

≪写真1≫
  伊豆長岡から、三津に抜ける道の途中から、長瀬地区に入って行き、長瀬川を辿るようにして、15分くらい走ったら、着きました。 地図には名前が書いてなくて、この近くまで来て、案内標識に、「長瀬ダム」とあるのを見て、ダムだと知った次第。

  写真の右側に、堤体があるのですが、何か、作業をやっていて、そちらへ行く事はできませんでした。 そもそも、立入禁止のようです。

≪写真2左≫
  ダム湖の中央に浮いている設備。 何の設備なのかは、不詳。 この二枚の写真でも分かる通り、ささやかなダムです。 しかし、砂防堰堤などよりは、ずっと大きいです。

≪写真2右≫
  ダム湖の道路脇にあった、小さな建物。 見事な三角屋根です。 何の為の建物なのかは、不詳。

≪写真3≫
  ダムを過ぎて、更に、山の上へ進みました。 5分くらい走ると、傾斜がきつくなり、ローでしか上がれなくなってしまったので、その辺で、やめておきました。 道は、もっと上まで続いていますが、4駆の軽トラくらいしか上がっていけないのでは? この山の尾根を超えると、その向こうに、益山寺があるようですが、車・バイクでは行けないと思います。

≪写真4左≫
  少し戻って、平らな所にバイクを停め、歩いてみました。 急峻な渓谷。 杉・檜の人工林を手入れする為の、地図に載っていない林道が、かなり、あるようです。

≪写真4右≫
  一服中の、「EN125-2A・鋭爽」と、ミラーに掛けた、猛暑期用ヘルメット、「ネオ・ライダースMA03」。 このメットを被って行ったのは、ここが最初です。 シルバーのヘルメットは、日射し対策として、所期の効果をあげ、全くと言っていいほど、熱さを感じませんでした。 やはり、色は大事だな。




【愛鷹明神中宮】

  2020年8月19日に、バイクで出かけ、愛鷹山の裾野にある、「愛鷹明神中宮」へ行って来ました。 以前来た三神社より、更に北側にあります。

≪写真1≫
  地図を見て、曲がる所を頭に入れて行ったんですが、ロストして、遥か上の方まで登ってしまいました。 2014年の秋に、セロー225WEで、新東名のサービス・エリア、「ネオパーサ駿河湾沼津」に行こうとして、やはり、ロストして、この場所に来た事があります。 茶畑の中を登る道が、一旦終わっている所。 まだ、細い道があるけれど、これ以上、上に行っても仕方がないと思える所。 二回とも、間違えて来たので、別に、懐かしくはないです。

  写真は、そこから、見下ろした下界方向です。 遥か彼方に見えるのは、沼津市街地、駿河湾、伊豆の北西部の山並み。

  茶畑の道路沿いに、石を組んで、枯山水が作ってありました。 燈篭が載っていたので、ただの石置き場ではなく、庭である事が分かった次第。

≪写真2≫
  道を引き返し、地図で見つけた位置と思しき付近を走りながら、目視で探したら、参道らしき桜並木を発見。 大回りして近づいて行ったら、目的地の、「愛鷹明神中宮」でした。 駐車場があり、3・4台は停められそうでした。

  この桜並木、咲いている頃に来れば、壮観でしょうな。 周囲が茶畑だから、よく映えると思います。

≪写真3≫
  名前は、由緒正しそうなんですが、社殿は、石製の祠でした。 燈篭が、立派過ぎ。

≪写真4≫
  祠から見下ろした景色。 神様も眺めが良さそうだ。 しかし、神というのは、別に、神社に住んでいるわけではないんですよ。

≪写真5左≫
  参道脇に、漱盤、あり。 しかし、蛇口が見当たりません。 雨水頼りでしょうか。 それでは、漱いだ感じがしませんが。

≪写真5右≫
  EN125-2A・鋭爽のエンジン。 基本的には、1982年に発売された、GN125Eや、GS125E(小刀)に載っていたエンジンと同じ物だと思います。 外見に、若干の違いがあるところを見ると、その後、改良を受けたのでしょう。 設計が、38年前というと古そうですが、レシプロ・エンジンというのは、20世紀中頃には、技術的に完成していたそうで、改良の余地は僅かしかないので、新設計する意味が薄い。 だから、そのくらい経っていても、特に古いという事はないです。 長く使われているという事は、それだけ、実績がある証明です。

  そろそろ、うちに来てから、1年が経ちますが、ピカピカです。 セローのエンジンは、油染みがついて、茶色くなっていましたが、同じ空冷でも、こうも違うものか。 セローのエンジンよりも、こちらのエンジンの方が、オイルが滲み出す隙間が少ないのか、はたまた、通勤に使っていたセローと比べて、距離を乗らないから、汚れがつかないだけなのか。 いずれにせよ、エンジンは、綺麗な方が、気持ちがいいものですな。




【伊豆長岡・白石の石棺】

  2020年8月29日に、バイクで、伊豆・長岡へ行って来ました。

≪写真1≫
  第一目的地は、かつての、「伊豆・洋らんパーク」。 長岡から、狩野川の土手伝いに、大仁に向かって行くと、左手にあります。 高架道路が出来ていて、前回来た時とは、一帯の景色が、様変わりしていました。

  だいぶ前に、洋らんパークはやめてしまったのですが、今でも、飲食施設があります。 立ち寄る気はなかったので、道路から、写真だけ撮りました。 「伊豆・村の駅」という看板が見えます。 建物は、洋らんパークの頃と同じなのかもしれません。

  洋らんパークには、1988年か、89年頃に、母の車、初代トゥデイで、母と二人で来た事があります。 私が、24・5歳の頃。 洋蘭は、全く覚えていないのですが、パイナップルが地面から生えて、実がなっているのを、ここで、初めて見たのが、記憶に残っているのです。 当時、私は、ファミ・レスで、コックのバイトをしており、パイナップルも切っていました。 その関係で、1988年か89年だろうという、推測が成り立つ次第。

  しかし、記憶は当てにならないので、もしかしたら、ズレがあるかも知れません。 30年も前の事だものなあ。 その頃はまだ、日記を付けていなかったから、確認のしようがないです。

≪写真2≫
  同じ場所から見た、大仁のランド・マーク、「城山(じょうやま)」。 この角度では見えませんが、もう少し南から見ると、大きな岩山である事がわかります。 ロック・クライミングの聖地の一つ。 私は、2013年の春に、普通の登山道で、登った事があります。 いい眺めでした。

≪写真3≫
  長岡市街に戻り、「長岡リハビリテーション病院」の近くにある、第二目的地、「白石の石棺」へ。 山へ、ほんの少し上がった所に、古墳時代の石棺が置いてあります。 元は、別の場所にあったのを、ホテルを造る時に、ここへ移したとの事。 屋根付き。 蓋が一部欠けていて、中身は空っぽです。

  こういう棺を見ると、いつも思うのですが、中身の骨は、どこへ行ってしまったんでしょうねえ。 暴かれて、他の場所へ埋め直されるくらいなら、最初から、こんな立派な棺なんて、造らなければ良かったと思ったでしょうねえ。 髑髏に心があるのなら。

≪写真4≫
  石棺の前から見た、長岡の温泉街。 左手の山は、長岡市街を、「古奈温泉」と、「長岡温泉」に分けている、源氏山です。 ここは、長岡温泉側です。 古奈(こな)の方が、古くからあり、長岡は、近代に開けた温泉場。 ちなみに、石棺があるのは、大男山から張り出した尾根の山麓で、源氏山とは、別です。

≪写真5≫
  主の帰りを待つ、EN125-2A・鋭爽。 駐車場がなくて、やむなく、山へ上がる途中の道に置きました。 写真で分かるように、車では、とても無理です。 バイクでも、方向転換ができないので、跨って、ブレーキをかけながら、足でバックし、道路に下ろしました。 ちなみに、横に見える、自転車小屋がある場所は、個人のお宅です。

  道路を挟んだ反対側に、長岡リハビリテーション病院の駐車場があるのですが、ナンバーを打ってあり、来客用ではなく、職員用である様子。 後で、注意されたり、罰金を取られたりするのも嫌なので、そちらには停めませんでした。

  山へ上がるといっても、ここから石棺まで、高さにして、5メートルくらい、距離にして、30メートルくらいですかね。 写真を撮るだけなら、5分で戻って来れます。




【三島・澤地・駒形神社】

  2020年9月4日に、バイクで、三島の澤地地区に行って来ました。

≪写真1≫
  第一目的地の、「駒形神社」。 参道、石段、鳥居、社殿のラインを正面から見た景色。 社殿の屋根辺りに露出が合っているせいで、手前は、飛んでいます。

  澤地地区は、かつて、小田原藩領だったそうで、箱根神社に、年貢米を収めていたので、関所も、手形なしで通れたらしいです。

≪写真2左≫
  神社前の家で、塀から咲き零れていた、凌霄花(ノウゼンカヅラ)の花。 洋風な花ですが、これが、愛染葛(アイゼンカヅラ)で有名な、ノウゼンカヅラだったんですな。 花の少ない夏の時期に、よく目につきます。

  分かり難いですが、家の入り口の方に、猫がいて、私が撮影している間中、変な声を出して、こちらを威嚇していました。 猫も、家の番をするらしい。

≪写真2右≫
  神社に戻って。 鳥居の手前横に、池があり、金網で覆われていました。 中の植物を守る為だと思います。 植物は、葉っぱしかありませんでしたが、恐らく、河骨(コウホネ)。

≪写真3左≫
  参道を横切るように、溝があり、その上に、石橋が架かっていました。 俗界と神域の境ですな。 この石橋を架ける為に、わざわざ、溝を造ったのかも知れません。 神社によっては、溝も川もなしで、石橋だけ置いてあるところもあります。

≪写真3右≫
  拝殿横の、流し。 これは、さすがに、漱盤とは言えませんな。 完全に、作業用の流しと蛇口でしょう。

≪写真4左≫
  境内が狭くて、拝殿と本殿を一枚で収められませんでした。 これは、拝殿の横壁と、本殿です。 村社クラスとしては、立派。

≪写真4右≫
  こちらは、拝殿の正面。 横に長く、間口が広い建物です。 雰囲気的に、神事だけでなく、人寄せにも使われていたような造りです。

≪写真5≫
  境内から、一段低い所の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車も停められない事はないですが、わざわざ、車で出かけて行くほど、特別な見ものがある神社ではないです。

  ヘルメットは、猛暑期用のシルバーです。 バイクを離れる時間が、5分以上になると判断した時には、メットはバイクに残し、帽子を被って歩きます。 もちろん、マスクはしています。 私がいる間、他に誰も来ませんでしたけど。




【三島・澤地・龍澤寺】

  駒形神社から、山裾の道を、西の方へ走って行ったら、第二目的地の、「龍澤寺」に着きました。 迷いようがない道でした。

≪写真1左≫
  入口から、本堂がある境内を望んだ景色。 大きな寺でした。

≪写真1右≫
  西へ向かう道がありました。 この道は、歩行者・自転車用のようです。 車は、東の方から、入れます。

≪写真2≫
  寺が大きい割には、墓地が少なくて、一番多かったのが、ここですが、そんなに歴史があるように見えません。 ここの墓石は、球形のものばかりで、この場所全体が、デザインされているように見受けられました。 高い所にある仏像の下には、「合同船」と彫ってあります。 意味、不詳。

≪写真3左≫
  墓地から、山の中へ上がっていく道があったので、そちらへ。 暗い森の中に、納骨堂風の建物がありました。 人が入れる大きさです。 なんだか、江戸川乱歩さんの作品に出て来そうですな。 墓地が怖くて、お寺には近づかないという人もいますが、私は、平気な方です。 死んだ人は、生きている人間に比べたら、ちっとも怖くありません。

≪写真3中≫
  建物の近くにあった、石碑。 「化雷塔」、もしくは、「北雷塔」とあります。 どちらにしろ、意味、不詳。

≪写真3右≫
  山の中を、東へ向かう道。 人が滅多に来ないようで、道の上に、苔が生えていて、踏まれた形跡がありません。 そのまま進むと、本堂の下に出ました。

≪写真4左≫
  本堂の入り口とは、別の場所にある、石段の入り口。 表札に、「龍澤寺専門道場」とありました。 修行僧がいる寺なのかも知れません。  

≪写真4右≫
  駐車場と思われる場所に置いた、EN125-2A・鋭爽。 神社仏閣巡りには、スポーツ・バイクや、スポーツ・カーが、良く似合います。 イメージに落差があるからでしょうな。

≪写真5≫
  ここが、龍澤寺の最大の見所。 高い石垣の上に、瓦屋根を載せた白壁。 城かと思いました。 隣の自治体なのに、こんな寺があったとは、ついぞ、知りませんでした。 世界は、狭いようで、広い。




  今回は、ここまで。

  去年(2020年)の年末頃から、バイクのハンドリングが不安定になり始めました。 交差点のような、小さなRで曲がる時に、ふらつくのです。 ステム・ベアリングが疑わしいと思われたのですが、前回交換してから、1年ちょっとしか経っておらず、ヘタるのが早過ぎる。

  で、駄目元で、それまで、サイド・スタンド立てにしていたのを、センター・スタンド立てに変えて、ステム・ベアリングへの負担を減らしたら、なんと、直りました。 こんな事もあるんですねえ。 今は、また、問題なく、乗っています。 この件については、いずれ、≪EN125-2A補修≫シリーズで、書きます。

2021/03/07

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑪

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 今回は、11回目です。 近況を書きますと、これといって、事もなし。 感染防御にキリキリ舞いしながらも、辛うじて、生きています。 プチ・ツーリングは、続けています。 バイクの調子は、イマイチですが、それについては、いずれ、記事を出します。





【図書館 / 母方の寺 / 江間①】

  2020年7月16日、バイクを出し、沼津市立図書館、母方の寺と回り、江間を通って帰りました。

≪写真1≫
  図書館正面の上の方。 本を開いて伏せた形をイメージしたという建物。 4階建てで、1・2階が書籍です。 3階は、オーディオ・ビジュアル資料。 4階は、ギャラリー。 

≪写真2≫
  北側にある駐輪場。 100台くらいは停められると思います。 平日だと、ガラガラ。 図書館建物の北側を東の端まで行くと、地下駐車場の出入り口があります。 30分間、無料。

≪写真3≫
  414号線を南下していき、7月盆の最中の、母方の寺へ。 本堂。 鉄筋コンクリートで、中は、ベンチ式。 母の話では、戦後間もない頃に建てられたとの事ですが、先見の明があったんですな、 今は、畳み敷きに、座布団・正座などと聞いたら、葬式・法事の参列者が来なくなってしまいますから。

≪写真4左≫
  駐車場の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、プチ・ツーリングではなく、単なる街乗りです。 梅雨時は、どうせ、山の方には行く気にならないから、エンジンをかける為だけに、出かけてきたようなものです。

≪写真4右≫
  本堂の裏手にある、墓地。 人が少ないと、時間が止まったような、厳かさがあります。




【図書館 / 母方の寺 / 江間②】

≪写真1≫
  墓地から、山側を見上げた景色。 傾斜地というか、山裾に、住宅が結構あります。 上の山は、鷲頭山(わしずさん)です。 標高392メートル。 母の話では、昔は、この辺りからも、登山道があったらしいですが、今は、廃止されている模様。

≪写真2≫
  更に南下し、口野から内陸に入って、伊豆の国市・江間(えま)を通りました。 長塚バス停の横にある、巨石。 この写真は、縦方向から見ていますが、横から見ると、もっと大きいです。

≪写真3≫
  巨石の由来を書いた、石碑。 安山岩だそうです。 元から、ここにあったのではなく、この付近で、良質の安山岩が採れた事を記念して、置いたのだとか。

≪写真4≫
  江間の中央付近から、北側を見た景色。 高い山は、鷲頭山だと思います。 稲が、健康的に育っています。

  1986年か、87年に、植木屋の見習いをしていて、江間の北側山裾にある家へ、何日か通ったのですが、どの家だったか、すっかり忘れてしまいました。 農家だったので、終わって引き上げる時に、野菜を貰ったような記憶がありますが、何の野菜だったのかは、覚えていません。 植木屋見習い時代の記憶そのものが、つらく、厳しく、暗いものなので、思い出さないように、ブロックがかかっているのかもしれません。




【エスポット沼津 / もみじ平への道】

  2020年7月22日に、バイクで、出かけました。

≪写真1≫
  ここは、沼津市街地の北の方にある、ホーム・センター兼スーパー、「エスポット沼津店」の屋上です。 赤白の塔は、NTT西日本のもの。

  なぜ、ここに寄ったかというと、車のタイヤを新しくしたいと思っていて、この店に入っているカー・ピット・サービスで、交換や、廃タイヤの引取をしてくれるらしいと、ネットで知ったので、下見に来たのです。 結局、ここには頼まず、自分で交換し、廃タイヤは、他の店で処分したのですが・・・。

≪写真2≫
  エスポット沼津店の屋上駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 セローの頃からそうですが、この店にバイクで来ると、必ず、屋上に停めます。 駐輪場もありますが、狭いので、バイクなんか置いたら、自転車の人達に睨まれてしまいます。

  屋上駐車場は広くて、満杯になるような事は、まず、ありません。 車用のスペースに、バイクを停めると、妙に、贅沢な気分になります。

≪写真3≫
  その後、愛鷹山の中腹まで登り、愛鷹広域公園の横から、拓南方面に向かい、昼尚暗い山の中を抜けて行ったら、ここへ着きました。 向かって左の方に、下へ下りて行く山道があります。 たぶん、拓南神社下の自然公園、「もみじ平」に繋がっているのだと思います。

≪写真4≫
  こういう感じで、道があるのは分かるのですが、草が多い夏に入って行くのは、勇気が要ります。 それに、バイクを道路脇に停めて、長時間、離れるのも、心配だったので、下りて行きませんでした。 次は、寒くなってから、もみじ平の方から、登ってみようと思います。




【新・江原公園】

  帰りに、愛鷹広域公園から南に下る道の途中にある、「新・江原公園」に寄りました。 江原公園は、かつて、国道一号バイパス沿いにあったのが、道路工事の関係で、ここへ移転したもの。 私は、ここにあるとは知らなかったのですが、前回、愛鷹広域公園に来た時に、偶然見つけ、その内、寄ろうと思っていたのです。

≪写真1≫
  大きさ的には、児童公園クラス。 銅像、石碑、あずまや以外、何もないと思っていれば、ちょうどいいです。

≪写真2左≫
  「江原素六翁」の銅像。 この銅像は、かつて、旧・江原公園に立っていて、国道一号バイパスからも、見えました。 台座ごと、移したようで、裏側に、「昭和十年十一月中浣 愛鷹山組合建之」とあります。 見た目よりも、古いですな。 「中浣」というのは、「中旬」の事らしいです。

≪写真2右上≫
  駐車場にいた、猫。 ここを根城にしていると見た。 近づいても逃げません。 綺麗な毛並みでした。

≪写真2右下≫
  石碑、「心浄」。 何が言いたいのか、大体分かるだけ、石碑としては、親切な方です。

≪写真3≫
  「江原素六先生年譜」。 江原素六(えばら そろく)さんは、1842年、江戸生まれの幕臣で、大政奉還後、徳川本家の一部が、沼津に移るのですが、その時、「沼津兵学校」を設立した人。 教育家、政治家として、明治・大正を生きて、1922年に、没。 沼津の出身者ではなかったんですな。 道理で、細かい逸話を聞いた事がなかったわけだ。

≪写真4≫
  銅像の下から、下界を見下ろした景色。 前にも書きましたが、愛鷹山は、裾野の傾斜が緩いので、眺めは今一つです。 左手前の緑色の所は、茶畑です。




【浮島ひまわりらんど / 狩野川西部浄化センター】

  2020年年の7月は、梅雨が長引いて、雨ばかりでした。 で、プチ・ツーリングも侭ならず、平日から押し出されて、8月に入ってから、2日の日曜日に、出かけざるを得なくなりました。 行った先は、沼津市の西の方、「浮島ひまわりらんど」という所。

≪写真1左≫
  少し、場所を勘違いしていたのですが、さほど迷わずに、辿り着きました。 この看板があるからには、間違いなし。 割と広い駐車場あり。 しかし、今から行っても、もう、咲いていないでしょう。 無料。

≪写真1右≫
  確かに、向日葵が咲いています。 思っていたより、小規模で、畑一枚、潰したという程度の広さ。 一方、訪問者は多くて、感染防止上、とても、畑の中まで入って行けず、この距離で写真を撮って、すぐに、引き揚げました。

≪写真2≫
  駐車場が車で一杯だったので、道路脇に、バイクを停めました。 この辺り、ほとんど、田んぼです。 元が沼地なので、地盤が柔らかく、家が建てられないのです。 建てると、傾きます。

≪写真3≫
  「浮島ひまわりらんど」のちょっと南に、「静岡県狩野川西部浄化センター」があり、そこに寄りました。 以前に、折自で来た事があります。 この建物の周囲が、ビオ・トープになっています。 無料。

≪写真4≫
  これが、ビオ・トープの一部。 結構、広いです。 親水公園ではないので、水際には近づけません。 そもそもが、浄化センターですから、レジャー・シートに弁当広げるような場所ではないですが、犬の散歩に来るには、いい所です。




【三島市・加茂川神社】

  2020年8月7日に、バイクで、三島へ行って来ました。 第一目標は、駅の東側で、東海道本線と東海道新幹線に挟まれた場所にある、「加茂川神社」。 三嶋大社の北辺の道を東へ向かい、道なりに走ると、東海道線のガードがあり、そこを潜ると、すぐに着きました。

≪写真1≫
  神社は、小さな丘の上にあります。 麓に広場があり、駐車場所には、困りません。

≪写真2左≫
  神社から、道路を挟んで向かい側に、スーパーがありました。 「キミサワ」というのは、薬局から発展した、地元のスーパー・チェーン。 いろいろと提携して、そのままの名前が残っている店舗は珍しいです。 入った事もないのに、懐かしい。

≪写真2右≫
  階段を登って、神社に向かいます。 踊り場に、鳥居と、社標があります。

≪写真3≫
  社殿。 鉄筋コンクリート製。 拝殿と本殿は別ですが、建物としては、繋がっています。

≪写真4左≫
  漱盤。 「奉献」と刻んであります。

≪写真4右≫
  境内は、丘の上の神社にしては、広い方ですが、ほとんど、森になっています。 すぐ北側が、新幹線で、金網フェンスと、防音壁で、塞がれています。


  この加茂川神社、なんだか、見覚えがあり、もしかしたら、折自で来た事があるのではないかと思いましたが、過去の日記には書いてありません。 写真から調べたら、2007年の7月に行ったようです。 13年も前か。 なぜ、日記に書いてないのだろう?




【三島市・清掃センター】

  第二目標は、「三島市・清掃センター」。 加茂川神社前の道を山へ向かえば、着くはず。

≪写真1左≫
  箱根の裾野に造られた、三島の新興住宅地を上がって行きます。 新興といっても、もう、だいぶ、歴史があります。

≪写真1右≫
  住宅地を過ぎると、こんな交差点に出ます。 標識には、「↑沢地工業団地」、「↑三島聖苑」、「→三島市清掃センター」、「←三島駅」と書いてあります。 三島聖苑というのは、帰ってからで調べたら、火葬場のようです。 霊園ならともかく、火葬場では、行っても仕方ないか。 どちらにしろ、この日は、目的地ではなかったので、行きませんでした。

≪写真2≫
  交差点の先には、トンネルがあります。 短いもの。

≪写真3≫
  交差点の歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ちょっと離れて見ると、本体7万円で買った中古とは思えませんな。 エンジンの調子が、素晴らしくいいとは言いませんが、プチ・ツーリングには、充分な状態です。

≪写真4≫
  ちょっと、分かり難い写真ですが、白い塔のようなものが、清掃センターの煙突で、その左側の白い建物が、清掃センターです。 粗大ゴミなどは、個人でも持ち込めると思いますが、私は、見に来ただけなので、ここまでで、引き揚げました。 バイクで、ゴミを持ち込む者もいなかろうと思いますし。

  この、撮影している場所は、下り専用道路で、もう一本、向かって左側に、上り専用道路があります。

≪写真5≫
  上りと、下りの道路に挟まれた場所に、妙にメカニカルな施設がありました。 なんじゃ、ここは? 想像もつきません。   この後、元来た道で、帰りました。




  今回は、ここまで。 数えてみたら、あと、8回くらい、続けないと、現在に追いつけない事が分かりました。 気が遠くなるな。 こんな事なら、こまめに出して来れば良かった。 こんな事をやっている内に、読書感想文の方が、溜まってしまうなあ。