2020/12/27

私の2020年

  恒例なので、今年最後の更新で、一年を振り返ろうと思います。 去年も書きましたが、全て、私個人の身の周りで起こった事に限定し、世間で起きた事は、極力、書きません。




  例年通り、個人年表から、何が起こったかを振り返ります。

[2020(R2)56歳] 赤野観音。大男山。妙法華寺。火雷。新型肺炎。下水宅内工事。車検。車タイヤ交換。車Aガス追加。足と腕の痛み。バO/F交換。


  これだけだと、私にしか意味が分からないので、ざっと、説明します。


【赤野観音】 【妙法華寺】 【火雷】
  今年、バイクのプチ・ツーリングで、行った所。 「EN125-2Aでプチ・ツーリング」シリーズで、詳しく触れているので、そちらを参照の事。 プチ・ツーでは、他の所にも出かけていますが、あまりにも多過ぎるので、三ヵ所だけ、年表に書いたところで、やめました。


【大男山】
  母自で行った、伊豆の国市・江間にある、山。 麓の墓地に、自転車を置き、そこから、登りました。 香貫山を除けば、最後の登山になりました。 新型肺炎騒ぎが始まってからは、山は感染の危険性が高い場所になってしまったので。


【新型肺炎】
  これは、詳しく書くまでもなく、現在進行中ですな。 「新型肺炎あれこれ」シリーズで、さんざん書きました。 ちなみに、今は、全国民検査以外、確実な解決方法がないと思っています。 ワクチンで、安全・有効なのが出てくれば、また、話は変わりますが。


【下水宅内工事】
  5月に行なわれた、下水道の宅内部分の配管工事です。 家族以外の人と関わった件としては、今年最大のイベントでした。 5月11から、15日にかけて、工事が行なわれ、中日の13日から、下水化しました。 20日に、打ち直したコンクリート面の紐と木枠が外されました。 21日に、市役所の検査がありました。


【車検】
  セルボ・モードの車検。 7月6日から、8日までかかりました。 詳しくは、「セルボ・モード補修(27)」と、「セルボ・モード補修(28)」を参照の事。


【車タイヤ交換】
  7月末から、8月初めにかけて行なった、セルボ・モードのタイヤ交換の事。 これは、「セルボ・モード補修 (29)」と、「セルボ・モード補修 (30)」に詳しく出ています。 今から振り返ると、新型肺炎を除き、私個人的に、今年最大のイベントになりました。 ディーラー任せの車検よりも、遥かに、印象が強いです。


【車Aガス追加】
  8月25日に行なった、セルボ・モードのエアコン・ガス、追加充填の事です。 これは、2年ちょっと前にもやっています。 詳しくは、「セルボ・モード補修 (30)」に書いてあります。


【足と腕の痛み】
  タイヤ交換で、ビードを落とすのに、手製ビード・ブレーカーだけでは、なかなか外れず、タイヤの上に乗って、足の踵で、ガンガン踏みつけたのですが、そのせいで、作業が終わってから、右足の踝の辺りが、痛くなりました。 平地なら何とか歩けるものの、階段は、一段ずつでしか、上り下りできませんでした。 何とか、普通の状態に戻るまで、20日くらいかかりました。

  ところが、それを引き継いだかのように、今度は、右腕が痛み始めました。 こちらは、足よりも、性質が悪く、8月23日頃から、痛み始め、11月の中頃まで続きました。 腱鞘炎のような痛み方で、重い物が持てないのです。 マグカップに、飲み物が入っていると、もう、上がらないのだから、不便この下ない。

  原因を考えるに、盆栽棚の下に押し込んであった腐葉土を掻き出すのに、古い鍬を使ったのですが、それが重過ぎて、片手で使えるようなものではないのを無理に使ったので、よーく痛めてしまったのではないかと。 しかし、その後、つらつらと思うに、それ以前に行なったタイヤ交換の時、タイヤ・レバーを使うのに、力を入れ過ぎたのが原因ではないかと思えて来ました。

  先に、足に来て、それが治った途端に、腕が痛み始めたわけですが、健康状態にも、「重ねたカード理論」は、応用できるので、足が痛い間は、腕の痛みが隠されていたのでしょう。 もし、タイヤ・レバーで痛めたのなら、タイヤ交換を人に薦めるのは、考えものですな。 健康ダメージが、こんなに長引くのなら、全く割に合いません。

  12月初めに予定していた庭木の手入れが、できるかどうか心配していたのですが、それまでには、かなり、無理が利くようになり、実際やってみたら、何とかなりました。 これで、来年の5月まで、体力を使う作業はないので、それまでには、完治すると思います。

  それにしても、痛みが続き、毎日、これといって、良くなった感じがしなかった時は、「もう、一生、このままなのか」と、暗い気分になりましたねえ。 足にせよ、腕にせよ、よくぞ治ってくれたと、つくづく感無量です。


【バO/F交換】
  これは、まだ、記事にしていませんが、12月に入ってから、バイクのエンジン音が渋くなったのに気づき、予定を早めて、オイル交換に踏み切ったもの。 アマゾンで、オイルとフィルターを買い、12月9日に、交換しました。 エンジンの調子は、確実に良くなり、シフトの方も軽くなりました。 バイクのエンジン・オイルは、ミッション・オイルも兼ねているからです。

  ところが、オイル・フィルター・カバーの、Oリングがへたっていて、オイル漏れが起こったので、また、アマゾンで、Oリングを買い、18日に交換しました。 これらの件は、いずれ、「EN125-2A補修」シリーズで、詳しく書きます。




  以上。 今年を、一言で言い表すなら、「新型肺炎の年」ですな。 二言なら、それに、「車のタイヤ交換をやった年」が加わります。 三言なら、「足と腕の痛み」が入るでしょうか。 この内、「新型肺炎の年」は、来年まで続きそうですな。 事によったら、再来年も・・・、見通しは暗いです。

  私の場合、元が潔癖症だったので、衛生意識的には、それほどの変化はなかったのですが、外出時や来客時に、必ず、マスクを装着するとか、買ってきた物を全て塩素浄化するとか、運動登山ができなくなってしまったとか、実際の生活には、大きな変化があり、やはり、損害は大きいです。

  あまり、負担が大きくなると、何だか、そんなに苦労して生きているのが、面倒臭くなってしまいますなあ。 すでに、50代後半で、この先これといって、ワクワクするような事が起こらないのが分かってしまっているのも、生きる気力を大いに殺いでくれます。 といって、積極的に死にたいとも思わないのですが。 生存欲求的には、中途半端な状態で、新型肺炎対策の負担だけ増えたのが、どうにも、理不尽感を強めてしまうところです。

2020/12/20

古い車のカタログ蒐集計画 ⑧

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 こんなのもやっていましたな。 前回の⑦が、2018年11月4日でしたから、2年以上、開いてしまいました。 すっかり忘れていたのですが、まだ続きがあるので、ぼちぼち出して行きます。

  このシリーズ、ヤフオクで購入した経緯と、買ったカタログの紹介がゴッチャになっているので、ご注意あれ。 当然の事ですが、まず、そのカタログの購入経緯の記事が出て、その後、しばらく経ってから、内容紹介の記事が出て来ます。 勢い、記述内容の重複がありますが、修正が面倒なので、そのまま出します。





【トヨペット・初代クラウン1900 RS30型 スタンダードのカタログ 1961年4月版】

  我が家で最初の、「うちの車」になった、「トヨペット・初代クラウン1900 RS30型 スタンダード」のカタログです。 カタログ本体には、発行年月の記載がなくて、「1961年4月版」というのは、ネット情報に従ったもの。 我が家で最初の車は、私の父ではなく、当時、まだ同居していた、父の末弟の叔父が買いました。

  買った経緯について、詳しい事は不明ですが、売った時には、エピソードがあり、叔父の車なのに、父が新しい車を買うのに、叔父に断りもなく、下取りに出してしまい、揉めたらしいです。 そりゃ、揉めるわな。 しかし、これは、母から聞いた話なので、当事者に聞けば、また、違う話になるのかも知れません。

  このカタログですが、ヤフオクで、スタート価格2000円だったのを、2018年の5月7日に競って、3200円で落札し、5月12日に届きました。 送料が、ゆうメールで、180円かかり、合計3380円。 一冊のカタログとしては、私個人的に、過去最高値ですが、それでも、初代クラウンのカタログとしては、相場より安い方です。

  このカタログ、本カタログなのですが、ページ数が少ないので、裏表紙以外、全ページの写真を出します。

≪写真1≫
  表紙。 シルエットは、しばらく、目を凝らして見ないと、何の形なのか分かりません。 「トヨペット」というのは、今でも、販売店の系列名として残っていますが、もともとは、トヨタのブランド名でした。

  裏表紙は、同じ地の色で、「トヨタ自動車工業株式会社 トヨタ自動車販売株式会社」と記してあるだけです。 確か、80年代頃まで、トヨタでは、車を作る会社と、売る会社が、別会社でした。 合併した時に、ニュースになったのを覚えていますから。

≪写真2≫
  イメージ・イラストのページ。 印刷技術、或いは、コストの関係だと思いますが、50年代のカタログは、イラストが主流でした。 このカタログは、60年代に入ってからの物なので、写真の方が多くなります。 本音は、全部写真にしたいのだけれど、イラストレーターの仕事を取り上げるのが忍びなくて、イメージ・ページだけ、描いてもらったのではないでしょうか。

≪写真3≫
  機能説明のページ。 この車、ドアが観音開きで、後ろドアは、前側が開きます。 しかし、60年代ともなると、もはや、観音開きを売りにする時代ではなくなっており、観音開きを見せている写真は、1枚もありません。 むしろ、隠したいくらいだったのでは?

  前席が、ベンチ・シートなのは、前にも3人乗れて、乗車定員が6人だからです。 この頃は、まだ、大家族が多くて、定員は、多いほど良かったのです。 大人6人乗った上に、子供を膝の上に乗せたり、足元に押し込んだりして、定員以上を運ぶ事も珍しくありませんでした。

  荷室の蓋が、バンパーのすぐ上から開くのは、便利そうです。 むしろ、これより後の時代の車になると、蓋は、天面しか開かなくなり、大きな荷物や重い荷物を積むのに、苦労する事になります。 独立シャーシと、モノコックの違いが関係しているのかも知れません。

≪写真4≫
  上半分は、イメージ写真。 夫婦と、幼い子供二人で、旅行に出かけるようです。 幸せを絵に描いたような場面。 ファミリー・カーである事を前面に押し出していますな。 何とも、大きな家だこと。 当時の車は、うちでも、叔父さんが買えたくらいですから、途轍もなく高い物というわけではなかったと思うのですが、イメージ的には、まだまだ、金持ちの専有物と思われていたんでしょうね。

  下半分は、ダッシュ・ボードの説明で、半透明のパラフィン紙を重ねる事で、「オプションの、ラジオと時計が付くと、こんな感じになります」というのを表しています。 凝った作りですな。 この頃は、オプションの事を、「オプショナル」と言っていたようです。 ちなみに、うちにあった車には、ラジオは付いていましたが、時計は、あったかどうか分かりません。

≪写真5≫
  エンジンやシャーシの説明ページ。 1900ccで、80馬力というのは、控え目ですが、当時のエンジンとしては、大きな数値だったと思います。 1955年に登場した初代クラウンは、アメリカに輸出もしていたのですが、1500ccだと、非力過ぎて、高架道路のランプを登れないとか、出足が遅くて、本線に合流できないといった問題点が指摘され、1960年には、1900ccにアップされたとの事。

  シャーシは、独立型です。 この上にボディーを載せるわけですが、重くなるので、この後、急速に、モノコックに切り変わって行きます。 ブレーキは、前後共、ドラム式。

≪写真6≫
  外板色と、諸元表のページ。 色は、これ以外に、7色、オプションがあると書いてあります。 うちにあった車は、写真でみると、黒なのですが、白黒写真なので、もしかしたら、暗めの他の色だったのかも知れません。


  初代クラウンは、側面に、飾りのラインが入っているのですが、その形の違いで、どの型か、見分けがつきます。 同じ、後期型の1900でも、スタンダードの他に、デラックスがあり、それは、飾りラインの形が違うのです。

  黒澤明監督の1963年の映画、≪天国と地獄≫で、中盤に、刑事2人が乗り回すのが、この1900スタンダードでして、数分間に渡り、たっぷり、写っています。 ちなみに、犯人が使った車も、初代クラウンで、1959年型スタンダード(1500cc)。 当時、映画に出せるような車で、選べる国産車が、いかに少なかったかという事ですな。


  うちにあった車ですが、赤ん坊の私が、運転席に座って、ハンドルを握っている写真が残っているものの、記憶は全くありません。 その後の、初代ファミリアの記憶さえないのですから、無理もないです。 何か怪我をして、病院へ連れて行かれた時に、黒っぽい車に乗ったような記憶があるにはありますが、それが、この車だったのか、タクシーだったのか、記憶がおぼろ過ぎて、自信のかけらもありません。




【ゆうパケットで5代目カリーナ後期型マイロードのカタログ】

  ヤフオクに、スタート価格300円で出たのを、2018年10月30日に、競らずに落札し、11月3日に、届いた、「5代目カリーナ後期型マイロード」のカタログ。 送料は、ゆうパケット(おてがる版)で、210円。 合計510円でした。

≪写真左≫
  ゆうパケット(おてがる版)というのは、初めて受け取りました。 ヤフオクなど用に作られたサービスのようです。 追跡可能で、日曜祝日でも配達されるというもの。 これが届いた時、たまたま、外にいたので、手渡しで受け取りましたが、本来なら、郵便受けに入れて行かれるもの。

  宛名シールの裏に、袋になった透明ビニールが貼ってあり、その中に、薄緑色の紙が入っていました。 その紙を上にして撮影したのですが、元の画像で確認しても、伏字ばかりで、利用者側に参考になる情報はありません。

  新品の茶封筒。 カタログをビニールに入れて、クラフト・テープで端を折り貼りして、更に、ダンボールの台紙に貼ってありました。 完全防水ではないですが、かなり、厳重です。 「折曲厳禁」の注意書きは、ありがたい。 郵便配達員によっては、強引に曲げて、郵便受けに押し込んでいく人もいますから。

≪写真右≫
  5代目カリーナ後期型マイロードのカタログ。 マイロードは、カリーナの特別仕様車で、本カタログとは別に、専用のカタログがあります。 表紙・裏表紙込みで、12ページ。 1990年12月版です。 後期型が出たのは、1990年5月なので、7ヵ月経ってから出た版という事になりますが、中身は、変わっていないと思います。

  イメージ・キャラクターは、山口智子さんと、冨家規政さんで、本カタログとは違う写真が使われています。 カタログの中身については、いずれまた、紹介します。




【ゆうメールでセルボ・モードの簡易カタログ3冊】

  ヤフオクに、スタート価格540円で出ていたのを、2018年11月1日に、相手一人と競って、658円で落札し、5日に届いた、「セルボ・モードの簡易カタログ3冊セット」です。 送料は、出品者もち。 ゆうメールで届きました。

  この時のオークションは、スタートから落札まで、たった、118円上がっただけですが、どちらも、最低入札価格の10円ずつ上げて行ったので、双方で、12回も応札する、気の長い競り合いになりました。 私の方が、より閑人だったから、勝てた次第。

≪写真上≫
  ゆうメールは、郵便受けに入れて行くサービスで、追跡が利かず、日曜祝日には配達されません。 発送元は、新潟県で、本来なら、もっと早く着くはずなのですが、祝日と日曜が挟まっていたせいで、だいぶ、遅れました。

  カタログをビニール袋に入れて密封し、ダンボール2枚で挟んで、周囲をガム・テープで貼った荷姿。 実は、この出品者、去年(2017年)の8月末に、カタログを纏めて買った相手の、カタログ販売業者の人でして、梱包も慣れきっていて、全く無駄がありません。

≪写真下≫
  3冊とも、簡易カタログで、みな、10ページ前後。 内訳は、前期型1992年6月版。 前期型1993年2月版。 後期型1995年10月版です。 欲しかったのは、右端の、後期型だけなのですが、セットで出品されたので、ついでに買ってしまったというわけ。 前期型も、参考にはなります。

  後期型のカタログは、A4サイズですが、前期型の方は、高さは同じで、幅だけ広く、B4の幅でした。 バブル時代が終わって、縮小したんでしょうな。 カタログの中身については、いずれまた、紹介します。




【クリックポストで初代・2代目ミラのカタログ13冊】

  ヤフオクで、スタート価格1500円で出ていたのを、2018年11月9日に、3700円で落札し、11月14日に届いた、「初代・2代目ミラのカタログ13冊」。 送料は、クリックポストで、185円。 合計3885円でした。 冊数が多いので、一冊あたりにすると、そんなに高いわけではないです。

  11月は、すでに、ヤフオクで2件も買っていて、それ以上買う気はなかったのですが、一年以上、網を張っていた、「初代ミラ中期型の本カタログ」が含まれていたので、やむなく、入札したもの。

≪写真上≫
  クリックポストというのは、初めて、受け取りました。 定形外郵便、ゆうメール、ゆうパケット、レターパックと、郵便局は、一体、何種類、こういうサービスをやっているんでしょう? 出品者は、福岡県の人でした。

≪写真下≫
  これが、中身。 凄い数! 本カタログ、簡易カタログ、アクセサリー・カタログが、13冊。 他に、販促マニュアルが2冊、含まれています。 この中で、私が欲しかったのは、下の列の、黄色い表紙の一冊だけだったのですが、まあ、他のも、見れば面白いだろうから、奇貨居く事にします。 全て、1980年代前半のもの。

  出品者は、同じようなセットを、他にも出品していて、恐らく、当時、ダイハツのディーラーに勤めていた人か、その家族ではないかと思います。

  カタログの内容については、いずれ、紹介しますが、冊数が多いので、いつになるか分かりません。




【初代タクトのカタログ 1981年4月版】

  10円スタートでヤフオクに出ていたのを、2018年2月21日、競った末に、260円で落札し、送料が180円、計440円払って、27日に届いた、「初代タクトのカタログ 1981年4月版」です。 中身が、A4サイズだと、ゆうメールの最小サイズに収まるんですな。 ちなみに、バイクのカタログは、A4サイズが多いです。 このカタログは、A4である上に、三つ折り、6ページの1枚紙です。

  発行年は、たぶん、1981年4月。 はっきり書いてないのですが、裏表紙の右下隅に、「GA7-KA2-104N」という記号があり、恐らく、最後の数字「104」が、「1981年4月」を表しているものと思うのです。 デビュー版の方は、「GA7-KA-010N」になっていて、「010」が、「80年10月」だと考えれば、法則が合います。 ただ、実際のデビューは、80年の9月ですけど。

≪写真上≫
  恐らく、ピーター・フォンダさんが、タクトのイメージ・キャラクターに起用された、最初の版です。 ちなみに、デビュー版のカタログでは、アメリカン・フット・ボール・チーム(日本人)や、無名のヨーロッパ系モデルが使われています。 

≪写真中左≫
  イメージ写真のページ。 「僕はホンダのキーを2つもつ」というセリフが書いてあります。 つまり、ホンダ製の、車とスクーターを持っているという意味ですが、車の方は、初代プレリュード(1978-1982年)が写っています。 懐かしい。 私は、高校時代、初代プレリュードが好きでねえ。 まだ、バブルへの上昇期が来る前です。

  初代タクトは、80年代前半に起こった、スクーター・ブームの嚆矢になった車種です。 それ以前に、ヤマハが、「パッソル」という、足を揃えて乗れる50cc原付を出していましたが、「スクーター」という古い言葉を避けていたせいで、堂々とスクーターを名乗ったタクトに、パイオニア・イメージを持って行かれてしまったんですな。

  ただ、タクトのデザイン・イメージは、ホンダのオリジナルではなくて、「ベスパ」から、大枠を拝借して、細部を時代に合わせて洗練したというものでした。 ホンダのオリジナルと言えるのは、82年登場の、「リード」辺りからでは? 初代タクトのデザインは、その後、主流になる事はなく、90年代以降のスクーターに繋がるデザインの流れを作ったのは、83年に登場する、ヤマハの「ジョグ」だと思います。

≪写真中右≫
  機能・性能説明のページ。 タクトが登場する前の、ホンダの50cc原付というと、「ロードパル」でしたが、それには、セル・スターターが付いておらず、ゼンマイを自動巻きにして、ボタン始動するという機構が使われていたそうです。 タクトでは、標準タイプに、セル・スターターが付いていました。 キック・ペダルも付いていますが、左側でして、バッテリーが上がってしまった時の、緊急用という位置付けだったと思います。

  スピード・メーターは、80キロまで、目盛りがあります。 距離計と、燃料計付き。 ミラーは、セル付きでは、左右にあり、キック・オンリー車は、右側のみ。 もちろん、メット・インではありません。 ヘルメット・ホルダーはありました。

≪写真下≫
  裏表紙。 まず、下段の販売店スタンプから。 「磐田市国府台 サイクルショップ かばや」。 磐田市は、静岡県西部にあります。 このカタログの出品者は、奈良県の人だったのですが、どういう経緯で、最初、磐田市の二輪店にあったカタログが、その人の手に渡ったんでしょうねえ。 確かめようがないだけに、ロマンを感じます。

  他を見ますと、上段には、ボディー・カラーのバリエーションと、簡単な諸元表。 色は、青がなかったんですね。 値段は、

タクトDX〈キック式〉 108000円
タクトDX セル付 118000円
タクトDX セル付(フロントバスケット、水平キャリア装備車) 120000円

  となっています。 80年頃で、10万円というのは、結構な値段です。 うちにあったのは、12万円のですな。 エンジン出力は、3.2馬力。 2サイクルなので、ガソリンの他に、オイルの補給が必要でした。

  中段には、「パルスクール」という、ホンダの50cc原付教室の宣伝が載っています。 名前から考えて、70年代半ば、「ロードパル」という機種を売っていた時に始めた教室だと思いますが、この頃も続いていたわけだ。 対象購買層は、運転免許に全く縁がなかった女性達でして、「50ccの原付免許なら、筆記試験だけで取れますよ。 乗り方は、教えますよ」と、まず、顧客の意識改革から取り組んでいたわけです。

  ちなみに、スクーター・ブームによって、「運転免許は、自分でも取れる」という事が分かった女性達が、「それなら、普通免許も取れるはず」と、考えを進めるのに、何年もかかりませんでした。 80年代半ばになると、大人の女性が教習所に通って、普通免許を取り始め、卒業前の高校生は、性別に関係なく、普通免許を取るのが当たり前になって行きます。

  今現在、祖父母が、60歳以上になっているという人で、祖母が運転免許を持っていない事に、不自然さを感じた人は多くいると思いますが、スクーター・ブーム以前には、女性の運転免許所持者は、ごくごく稀だったんですな。 スクーター・ブームに乗らなかった人が、車に乗る気にもならず、生涯、運転免許不所持者になって行ったわけです。


  ところで、このカタログ、ドンピシャ版のつもりで買ったのですが、この解説を書いている時に、違っていた事が分かり、12月になってから、本当のドンピシャ版である、デビュー版を買い直しました。 そちらの紹介は、かなり先の事になると思います。




  今回は、ここまで。

  まだ、かなりの数があります。 数えて行ったら、楽に、10件以上ありそうだったので、それ以上、数えるのをやめました。 ちなみに、今現在、古い車のカタログは、買っていません。 欲しいと思っているものはあるのですが、なかなか、出て来ないのです。

2020/12/13

読書感想文・蔵出し (71)

  読書感想文です。 これを纏めているのは、12月6日です。 植木手入れは、無事に終わりました。 腰痛は出ず、大きな怪我もありませんでした。 良かった良かった。 擦過傷や、マメが潰れるなど、小さな怪我はありましたが、オロナインと絆創膏で、鋭意、治療中です。 この記事が公開される頃には、治っているでしょう。





≪松本清張全集 9 黒の様式≫

松本清張全集 9
文藝春秋 1971年12月20日/初版 2008年5月30日/9版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6、短編1の、計7作を収録。

  【歯止め】から、【内海の輪】までは、≪霧笛の街≫というタイトルで、1967年(昭和42年)1月6日号から、1968年10月25日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。 【歯止め】、【犯罪広告】、【微笑の様式】の3作は、以前、文庫本で読んで感想を書いていますが、もう、何年か経っているので、同じ物を出しておきます。


【歯止め】 約48ページ

  遊んでばかりで、大学受験が心配な息子を抱えた母親が、20年前に自殺した姉の元夫に、偶然出会う。 たまたま、息子の担任が、その元義兄の学生時代の事を人伝に知っていて、その話から、姉の死の原因に疑惑を抱く事になり、夫とともに、推測を逞しくして行く話。

  推理小説ですが、かなり、変わっています。 破格、もしくは、異色と見るべきなのか、完成度が低いと見るべきなのか、評価に迷うところ。 推理の内容は、読者に伝わりますが、犯人を問い詰めるわけでもなければ、逮捕されるわけでもなく、ただ、推理をして終わりなのです。

  メイン・テーマは、エディプス・コンプレックスでして、それだけでも、抵抗がありますが、モチーフに自慰行為を盛り込んでいるところが、また、問題。 自慰行為を、頭が悪くなる原因と決めて書いているのは、古い知識ですなあ。 それはまあ、耽り過ぎれば、時間をとられて、成績は落ちるでしょうけど。 1967年頃は、まだ、そういう考え方を残している人が多かったという事なんですかねえ。

  ところが、この作品、船越英一郎さんが、その息子役で、ドラマ化されているのです。 日テレ系の火曜サスペンス劇場で、1983年4月5日放送だったとの事。 私は、再放送で見ているのですが、なんと、大きな川の河川敷のような所で、息子が自慰行為をするという、あっと驚く場面がありました。 原作にない場面なんですが、それでなくても問題がある原作を、もっと問題があるドラマにしようとしたんですかねえ。 気が知れません。


【犯罪広告】 約50ページ

  失踪したと言われていた母親が、実は再婚相手の男に殺されたに違いないと気づいた青年が、すでに殺人の時効が過ぎていた事から、元義父が住む村に戻り、その罪状を細かく書いた犯罪広告を、村中に配布する。 母親の遺体は、元義父の家の床下に埋められていると主張し、警察や村人立会いの下に、床下を掘るが、死体は出て来ない。 ところが、その夜から、青年の姿が見えなくなり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  これも、変わっていますが、犯罪広告から始まる出だしだけで、その後は、割と普通の展開になります。 「○○を、どこに隠したか」というタイプの謎。 この作品の場合は、死体です。 青年の推理が、2回も間違えるのですが、そこが面白いとも言えるし、そこが白けるとも言えます。 さすがに、2回間違えると、信用できなくなりますから。 3回目で当てるのですが、もう手遅れ。

  犯人が誰かは、最初から明々白々で、それが最終的に逮捕されるのは、まあ良いとして、主人公が途中で殺されてしまうので、読後感が、非常に悪いです。 善悪バランスがとれていないわけだ。 わざと、バランスを崩したのだと思いますが、そういう面で、破格をやられても、面白いとは感じません。

  この作品は、1979年1月20日、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、ドラマ化されています。 初放送の時に見ましたが、私はまだ、中2でした。 「ウミホタルだーっ! ウミホタルが出たぞーっ!」と人々が叫ぶ、冒頭の宣伝専用場面を覚えています。


【微笑の様式】 約63ページ

  ある法医学者が、奈良の古刹で出会い、一緒に仏像の微笑について論じた彫刻家が、その後、展覧会に、女の顔の像を出品して、話題になった。 会場に来ていた保険会社の男から、その像にそっくりな顔をした女が最近殺されたと聞いて、法医学者が事件について調べて行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  「笑っているような死に顔」が、謎でして、それは、あるガスを吸った効果によって、そうなるのですが、まず、そこから発想して、前の方へ肉付けして行って、作り上げた話だと思います。 それが分かってしまうと、ちと、白けます。 冒頭の、奈良の古刹の場面が、推理小説らしくない、美学的な雰囲気で、趣きがあるだけに、ラストが、単純な謎で終わっていると、物足りなさを感じるのです。

  感心しないのは、水増しが見られること。 法医学者は、顔馴染みの刑事を始め、複数の人物から、捜査報告を聞くのですが、同じ事項に関する報告を、別の人物から、もう一度聞く事があり、普通は、「内容は同じであった」で済ませるところを、わざわざ、全部繰り返していて、それだけで、1.3倍くらい長くなっています。

  こういうのは、アリなんですかね? 編集者は、OKしたわけですが、もし、デビュー間もない新人が、こういう書き方をしたとしたら、問答無用で、没でしょう。 「おいおい、なめとんのか?」と言われてしまいそうです。 作者が、実績十分の売れっ子だから、許されたわけですな。

  この作品も、ドラマで見た記憶があり、内藤剛志さんが彫刻家役をやったのがそうではないかと思っていたのですが、調べたら、やっぱり、それでした。 法医学者役は、役所広司さんだったらしいですが、忘れていました。 初放送は、1995年3月7日で、日テレ系の火サス。 これは、初放送の時にも見たし、再放送でも見ています。


【二つの声】 約109ページ

  東京在住の俳句仲間4人で、野鳥の鳴き声を録音しに、軽井沢へ泊まりがけで出かける。 ところが、野外に設置したパラボラ集音機が、男女二人の会話を拾ってしまう。 東京へ戻り、知人の専門家に頼んで、音響処理してもらったところ、会話の内容は、別れ話だった。 更に、女の方が、俳句仲間の内、3人と関係があった、ホステスではないかと疑いが出て・・・、という話。

  長野県警に調べてもらったら、本当に、そのホステスの死体が発見され、そこから、推理小説になります。 それ以前の部分で、かなりの長さ、野鳥の声をリアル・タイムで聴く場面が続きますが、はっきり言って、退屈です。 こういうマイナーな趣味から、推理小説の設定アイデアを思いつく、その発想力は凄いと思うのですが、マイナー過ぎて、一般の興味を引くのは、難しいんじゃないでしょうか。

  後半が、また、問題でして、ホステスと関係がなかった一人が、関係があった内の一人と、素人推理を逞しくする形で、話が進むのですが、理屈っぽい推理ばかり語られて、場面転換が貧弱なので、飽きてくるのです。 犯人と思われる人物に、直接、ぶつかってみるといった場面が挟まれば、だいぶ、違うと思うのですが。


【弱気の虫】 約93ページ

  中央官庁に勤める男。 同僚との賭け麻雀で負けてばかりいて、小馬鹿にされるのが嫌になり、知人が自宅で始めた、もぐりの雀荘に河岸を移して、そこの常連達と打ち始める。 最初は買っていたが、次第に負けが込み、借金が膨らんでいく。 どうにも首が回らなくなった時に、その雀荘で、殺人事件が起きて、ある人物を目撃してしまい・・・、という話。

  賭け麻雀で借金を背負い込み、他への借金で、借金を返すところまで追い込まれて行く様子は、ギャンブル依存症の典型例で、ドストエフスキー作【賭博者】と、同じような趣きです。 麻雀の場合、ルーレットなどと違って、腕の違いが結果に出ますから、他の面子と比べて、自分が弱いと分かった時点で、やめればいいんですが、なにせ、依存症ですから、とまらなくなってしまうんですな。

  殺人事件発生から後も、推理物にはならず、借金を帳消しにするのと引き換えに、嘘の証言を頑なに守り続ける主人公の、崖っぷちぶりが描かれます。 つまり、この作品は、推理小説ではなく、一般小説のカテゴリーで読むべきものなんですな。 ギャンブルをやらない人には、教訓になると思います。 やる人は、読んでも、馬耳東風でしょう。

  主人公はさておき、警察がなぜ、被害者の最も近しい人物を疑わないのか、そちらが不思議。 主人公が庇っている男より、その人物の方が、常識的に考えて、ずっと容疑が濃いと思うのですが。 まあ、そこは、ストーリー上の御都合主義なのかもしれません。


【内海の輪】 約97ページ

  若い頃、兄嫁だった女と、40歳近くになって再会し、愛人関係になった大学教授。 四国に家がある女と尾道で落ち合い、数日を過ごすが、別れを惜しんで、ダラダラと日を延ばす内に、飛行機で帰らなければ、次の予定に間に合わなくなる。 ところが、大坂の空港で、双方の知人に会ってしまい・・・、という話。

  前半は、不倫の恋愛物。 双方、40代なだけに、爽やかさは全くなくて、暗く、後ろめたい雰囲気ばかり漂います。 どうして、こんな馬鹿な事をするかね? どちらも、家庭があり、ダブル不倫でして、読者としては、どちらにも、好感が持てません。 女の方は、歳の離れた夫と関係が冷え切っていて、若い男を求めたという流れですが、それなら、最初から、金持ちなど狙わず、同世代の男と再婚すれば良かったのに。 主人公の方に至っては、アドバイスもありません。 人生を真面目に考えていないのかね?

  以下、ネタバレ、あり。

  後半、「ちょっと、学問の香り」が入りますが、途中から出されると、馴染みませんな。 前半が、不倫物として濃厚すぎるせいで、後半と、水と油になっています。 主人公は、考古学者で、殺害現場の近くで自分が発見した物に、学問的価値があるのを、大っぴらにできずにいたのが、我慢の限界を超えて、友人の学者に見せてしまった所から、犯罪が露顕して行きます。

  一番、面白いのは、空港で、双方の知人に見られた後、主人公の方は、大学時代の友人だったので、「人に言ったりしないだろう」と軽く考えていたのに対し、女の方は、最近のその人物を知っていて、「詮索好き、噂好きだから、必ず、人に言う」と断言します。 その人物の職業が、新聞記者なので、なるほど、職業柄、性格が変わる事もあるのだろうなと、納得させられます。


【死んだ馬】 約37ページ
  1969年(昭和44年)3月、「小説宝石」に掲載されたもの。

  水商売に見切りをつけて、安楽に暮らそうと、有名な建築家の妻になった女。 ところが、夫が高齢なせいで、先々の生活が不安にな。 建築事務所の中で最も才能がある青年を籠絡した上で、夫を亡き者にし、寄生対象の乗り換えを謀る話。

  【強き蟻】(1970年)と同じようなキャラの主人公です。 こちらの方が発表が早いから、この作品を土台にして、【強き蟻】に発展させたんでしょうな。 松本作品で、女が主人公というのは、ほんの僅かです。 大抵、悪人。 もしかしたら、この作品の評判が良くて 、同趣向の長編を書いてくれるように、頼まれたんじゃないでしょうか。

  しかし、この作品自体は、あまり、出来がいいとは言えません。 松本作品は、三人称で書かれるのが普通ですが、三人称というのは、視点人物がズレ易い欠点があり、この作品でも、後ろの方で、主人公から、青年建築家へ、更に、ラストでは、取って付けたように、警察関係者へと、視点人物が変わってしまいます。 主人公が、急に、後景に立ち退いてしまうので、読者は、大切な物を取り上げられてしまったような、虚しい気持ちになります。 もしかしたら、技法として、こういう書き方をしたのかもしれませんが、成功しているとは、とても言えません。




≪松本清張全集 10 黒の図説≫

松本清張全集 10
文藝春秋 1973年5月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6作を収録。 ≪黒の図説≫の通しタイトルで、1969年(昭和44年)3月21日号から、1970年12月11日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。


【速力の告発】 約52ページ

  交通事故で妻子を失った男が、加害者の運転手が、自分以上に悲惨な生活に落ち込んだのを見て、本当の加害者は、高速度ばかり競っている、自動車メーカーではないかと考え、社会問題として、世論を喚起しようと、あれこれ、策を巡らす話。

  相当な破格で、前半は、小説というより、論説です。 後半へ行くと、すこし、動きが出て来て、小説っぽくなりますが、推理小説という趣きではありません。 ラストで、取って付けたように、犯罪の露見がありますが、蛇足としか思えないほど、馴染みません。 一言でいうと、バラバラ感が強いという事でしょうか。

  「交通事故の責任の一半は、自動車メーカーにもある」というのは、私もそう思いますが、松本清張さんは、人一倍強烈に、そう思っていたようですな。 主人公に、スピード・リミッターを付けろとか、車の総台数規制をかけろといった提案をさせていますが、松本さん本人の考えを代弁させていたのではないかと思います。


【分離の時間】 約97ページ

  タクシー運転手から聞いた話を元に、殺害された政治家が、男色家だったのではないかと見当をつけた男が、友人の週刊誌記者と共に、調査を始める。 政治家と、その支援者の企業社長、洋品店の社長、三人のいずれかの間に男色関係があったと見て、調べを進めるが、なかなか、ピタリと合う線が見つからず・・・、という話。

  冒頭、タクシーの問題行動が並べられ、もしや、タクシー業界を題材にした、社会派なのでは? と思わされますが、次第に離れて行って、そうではない事が分かります。 次に、男色を題材にした社会派なのでは? と思わされますが、そもそも、男色は、社会問題と言うには、個人的過ぎますし、ストーリーも、そちらの方へ、あまり深くは入って行きません。 まあ、本体部分は、純粋な推理小説ですな。

  ただし、相当には、理屈っぽい話で、間違った推理も展開されるせいで、流れが悪く、同じ所をぐるぐる回っている感じで、面白くはないです。 三人称ですが、視点人物は、素人なので、突っ込んだ調査が出来ず、もう一人の週刊誌記者が、最終的に謎を解きます。 犯人を罠にかけるクライマックスだけは、僅かながら、活劇的雰囲気で、ゾクゾクさせます。 雰囲気だけで、実際には、活劇にはなりませんけど。


【鴎外の婢】 約85ページ

  原題の「鴎」は、旧字。 「婢」は、「はしため」と読み、文語ですが、差別語なので、そもそも、こんな字句は使わない方がいいです。

  歴史関連の文章を書いている作家が、森鴎外の【小倉日記】に出て来る、住み込み家政婦が、頻繁に交替している事に着目し、その内の一人が、その後、どういう人生を歩んだか、子孫はどうなったかを調査しに、小倉へ趣く話。

  これも、松本さん独特の話で、【陸行水行】に、よく似ています。 鴎外の【小倉日記】は、1899年から、1902年まで書かれたもので、この作品が書かれた時まで、約70年経っています。 70年くらいなら、鴎外の家にいた住み込み家政婦の、娘か孫なら、まだ生きているのではないかと期待して、小倉へ乗り込んでいくわけです。

  ところが、【陸行水行】と同様に、歴史に詳しいと見られて、郷土史家に捉まり、地元の古代史について、薀蓄を聞かされるというパターン。 終わりの方で、急転直下、犯罪の疑いが浮上して、取って付けたように、推理小説になるところも、よく似ています。 これも、新人が書いたら、ゴミ箱直行か、「推理作家じゃなくて、歴史雑誌のライターになったら?」と、真顔で勧められるのではないかと思います。

  それにしても、この話。 鴎外の日記に出てきた実在の人物のその後を書いているわけで、どこまで、創作なのか、紛らわしいですな。 時々引用される、鴎外の日記の部分は、本物だと思うのですが、さて、どの辺から、創作に変わるのか? もし、その住み込み家政婦に、本当の子孫がいて、犯罪とは何の関係もなく暮らしていたら、とんだ迷惑でしょうねえ。


【書道教授】 約118ページ

  金ばかり毟ろうとする愛人と、そろそろ別れようと思っている銀行員の男。 呉服屋が、主人の死去で店を畳んだ後、能書家だった未亡人が、他の家で、書道教授の看板を出しているのを見つけ、新弟子は取らないと言うのを、無理に頼んで、弟子にしてもらう。 ある時、古本屋の若妻が、若い男と、書道教授の家に入って行くのを見て、もしや、潜りの連れ込み宿をやっているのではと推測する。 その後、古本屋の若妻の死体が、遠くの湖畔で発見された事で、自分の愛人も同じように、死体を始末してもらえないものかと考え・・・、という話。

  何回か、テレビ・ドラマ化されていて、私は、1982年のを見ています。 近藤正臣さんが、主人公。 風吹ジュンさんが、愛人。 加藤治子さんが、書道教授。 池波志乃さんが、古本屋の若妻でした。 大変、面白いと思った記憶があります。

  面白いと思ったから、そのドラマの内容を、かなり覚えているのですが、それに比べると、この原作は、相当、入り組んでいます。 この頃の松本さんは、理屈っぽさが、マックスになっていたようで、とにかく、細々と、推理を書き並べていて、大変、読み進め難い。 話が面白いだけに、こういう難渋な書き方をしているのは、惜しいです。 

  逆に言えば、読み難いけれど、それを差し引いても余るほど、話は面白いです。 よく、こういう魅力的な話を思いつくものです。 一体、どういうきっかけから、発想するんでしょうねえ。 松本さんの特殊な才能と言ってしまえば、それまでですが、もしかしたら、何か関数的な、ストーリー発想方法があったのかも知れません。

  ところで、この話。 終わりの方で、皮肉な方向へ展開します。 妻との生活を安定させる為に、愛人を始末したのに、その妻の、着物に対する執着のせいで、主人公の犯罪が露顕して行くのです。 その辺り、ちょっと、偶然が過ぎるのですが、それをおかしいと感じさせないくらい、話が面白いです。


【六畳の生涯】 約90ページ

  医師を引退後、同じく医師である息子の家に引き取られた老人が、もう80歳近い年齢なのに、世話に通っている30代の家政婦を好きになってしまい、その夫が遊び人だと知って、自分が現役復帰し、家政婦と再婚しようとまで考えるが・・・、という話。

  全体の8割が、「女中手籠め型」私小説のパロディーで、残りの2割で、推理小説になります。 終わりだけ、取って付けたように、推理小説になるパターンは、松本作品には多いですねえ。 前8割が、私小説のパロディーだと気づかない人も多いと思いますが、そういう読者は、「変わった話だなあ。 これでも、推理小説になるんだなあ」と、頻りに首を傾げた事でしょう。

  老いらくの恋が、いかに醜いかを描くのが、テーマになっているようで、確かに醜い。 自分が年老いた事を、受け入れられないんですな。 80歳で、30代の女と夫婦になれると思っているのだから、もはや、狂気。 いや、狂っているのなら、まだ大目に見られますが、一時の気の迷いでそうなっているから、醜いとしか言いようがないのです。


【梅雨と西洋風呂】 約128ページ

  ある地方都市に、造り酒屋の主人で、市政新聞を発行し、市議会議員にもなった男がいた。 次期市長の擁立問題で、政敵と争っている最中に、愛人問題で、身内に裏切られて、手痛い目に遭い、恨みを募らせる話。

  これも、終わりの方で、取って付けたように、推理小説になります。 本格トリックが使われているのですが、何せ、推理小説部分が、取って付けなので、この作品全体を、本格トリック物とは言えません。 タイトルは、そのトリックに関係したものです。 トリックだけを見ると、大変、発想が面白いです。 大きな西洋風呂があればこそ、成り立つ方法。

  推理小説部分を取り除くと、それまで、順調に人生計画を実現して来た男が、ちょっとした出来心で愛人を作った事で、立ち直れないほどの大失敗をやらかしてしまうという、一般小説的な話。 こういうのも、松本作品には多いです。 無理やり、推理小説にしてあるのは、松本さんの名前で、それを期待している読者に配慮しているからでしょう。 一般小説的な部分は、一般小説として読んだ方が、自然です。

  それにしても、異性で失敗する者の、世の中に多い事よ。 「浮気は男の甲斐性」だの、「恋多き女」だの、利いた風な事を、実際にやってもいい事だと勘違いして、ホイホイ手を出すから、破滅してしまうんですな。 この主人公も、一度の浮気で、妻からの信用を完全に失ってしまうのですが、経緯を考えると、同情に値せず、愚かとしか言いようがありません。

  どうして、親子ほど歳が離れた若い女が、老境にさしかかった男に惚れると思うのか、まず、そこから、間違えています。 そりゃあ、歳が離れていても、性行為はできますし、大金をくれてやれば、首っ丈のフリをしてくれる若い異性はいるでしょうが、それを本気と思い込んでしまうところが、底なしに浅はかというもの。 金を払っているのだという事を忘れてしまうんでしょうか。

  ところで、推理小説部分で殺されるのは、若い異性ではありません。 恩を仇で返した中年男です。 こんな奴は、殺されても、当然で、犯人が捕まらない方が清々するような事件なのですが、残念ながら、そうはなりません。




≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫

松本清張全集 11
文藝春秋 1972年6月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。


【歪んだ複写】 約232ページ
  1959年(昭和34年)6月から、1960年12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。

  税務署の不正事件の責任を押し付けられて、職を追われた男が、元上司達の行動を調べている途中で殺された。 たまたま、情報を耳にした新聞記者が、同僚と共に、事件の捜査を進めると、税務署の爛れた実態が明らかになる一方、殺しが殺しを呼び、連続殺人事件に発展していく話。

  税務署の習慣化した不正を暴いている点で、社会派ですが、それは、枕のようなもので、話の中心は、本格トリック物の推理小説です。 捜査するのは、刑事ではなく、新聞記者ですが、クロフツ的なこつこつ手法を取る点は同じで、普通に面白いです。 上司の許可を得ているとはいえ、すぐに記事にできるわけでもないのに、タクシーや、会社の車など、使いまくっていて、捜査費用はちゃんと経費で落ちるのだろうかと、心配になってしまいます。

  それにしても、60年も前の話とはいえ、税務署というのは、こんなに面の皮が厚い不正を、本当にやってたんですかね? こういう作品が書かれて、普通に出版されているという事は、やはり、真実に近かったんでしょうなあ。 今でも、税金の徴収システムは変わっていないわけですが、まだ、行われているんでしょうか。


【不安な演奏】 約250ページ
  1961年(昭和36年)3月13日号から、12月25日号まで、「週刊文春」に連載されたもの。

  連れ込み宿に録音装置を仕掛けて作った、卑猥な音声のソノシートを集めている雑誌記者がいた。 ある時、特別に録音してもらったものに、殺人後の死体の始末について相談している声が入っていて、その中に出てきた新潟の海岸で、その後、死体が発見される。 雑誌記者と、映画監督、謎めいた青年の三人が、独自に捜査を進めると、政治家の選挙不正事件が絡んでいて・・・、という話。

  出だしのアイデアは、【二つの声】(1968年)と同じで、別の目的で録音装置を仕掛けたら、犯罪に関する声が入っていたというもの。 しかし、それは、話の枕に過ぎず、その後は、クロフツ的なコツコツ捜査になって行きます。 本体部分は、【眼の壁】(1957年)に、よく似ています。 どちらも、警察ではなく、素人が捜査をする話なので、似て来るのかも知れません。

  少し変わっているのは、主人公の雑誌記者と、映画監督から捜査を引き継いだ青年が、途中から、別行動する事でして、青年がどんどん先に進んでしまって、主人公は、青年が調べたところを、後から追いかけて行くという形になります。 作者の断り書きがあり、主人公の事を、「無能」と言っていますが、ひどい扱いですなあ。 主人公なのに。 読者の視線で見ると、主人公は、無能どころか、大変、頭が良く回る人物だと思いますが。

  青年がおかしいのですよ。 なぜ、こんな人物を出したのか、意図が分かりません。 キャラが気に食わない上に、ラストで、恐喝までしており、好感度は最低です。 そもそも、最初に出てきた映画監督が、本業が忙しくなって、すぐに、捜査から離れてしまうのですが、そういう流れにした意図も分かりません。 連載小説だから、途中で、考えが変わったんでしょうか。

  読後感は、さして良くないのですが、読んでいる間は、麻薬的な面白さがあり、物語世界に没頭できます。 まあ、平均以上の松本作品では、みな、そうなのですが。 繰り返しますが、青年だけ、気に食わないなあ。 捜査に深入りし過ぎて、殺されてしまう事にすれば、バランスが取れたのに。




≪大迷宮≫

角川文庫
角川書店 1979年6月20日/初版 1983年1月30日/8版
横溝正史 著

  2020年8月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、365円で買ったもの。 状態は、まあまあ、普通。 37年も経っている事を考えると、かなり、綺麗。  横溝作品の角川文庫・旧版の中では、88番目です。 1951年から1年間、「少年クラブ」に連載された、少年向け長編作品で、文庫本サイズ、少年向けの漢字頻度で、約224ページ。


  【怪獣男爵】で活躍した少年、立花茂が、軽井沢に滞在中、年上の従兄、謙三と共に自転車で遠乗りに出かけた帰り、夕立ちに追われて、ある屋敷に逃げ込む。 同年代の少年、剣太郎と、その世話をしている者達に歓待されたが、夜半に奇怪な事が起こり、翌朝になると、屋敷の中が、家具まで、空っぽになっていた。 金田一と共に、もう一度、屋敷へ行って調べると、地下通路があり、同じ造りの屋敷が三軒ある事が分かる。 サーカス王が、ある島に隠した大金塊を巡り、三つ子の少年の体に隠された鍵を手に入れようと、髑髏の顔をした男の一味と、怪獣男爵の一味、そして、滋や金田一たちが、争奪戦を繰り広げる話。

  うーむ、【怪獣男爵】同様、梗概がうまく纏められませんな。 まあ、とにかく、盛りだくさんです。 同じ造りの屋敷、サーカス、地下通路、博覧会場、軽気球で逃走、誘拐に次ぐ誘拐、船の中に監禁、ヘリコプターで逃走、孤島の大迷路などなど、少年向け作品のモチーフが、これでもかというくらい大盤振る舞いされています。

  少年向けモチーフと言っても、戦前には、大人向けで通用していたのであって、江戸川さんの作品ではお馴染みのものばかり。 横溝さんも、由利・三津木物の活劇では、これらのモチーフを使って、大人向けを書いていました。 戦後になったら、本格トリック物が主流になり、戦前の怪奇小説・探偵小説のモチーフが、陳腐化してしまったので、今度は、少年向けに使い始めたというわけだ。

  使い古されたモチーフばかりですが、この作品が、つまらないというわけではないです。 調子よく、ポンポンと話が展開するので、どんどんページが進みますし、それでいて、中身が薄いわけでもなくて、少年向けとしては、結構、読み応えがあります。 それには、本来、大人向け作品のキャラである、金田一や、等々力警部が顔を出している事が、関係していると思います。

  ちなみに、等々力警部が出ているお陰で、金田一は、自分で銃を撃たないで済んでいます。 およそ、金田一ほど、銃撃戦に似合わない探偵も珍しい。 一方的に撃たれるだけなら、ありえますが。 この作品も活劇ですが、金田一のアクションは、ほとんどなくて、頭脳担当に徹しているのは、読者としては、安心できるところ。

  怪獣男爵は、【怪獣男爵】と、この【大迷宮】に登場しますが、私が読んだ限りでは、他の作品には出て来ません。 横溝さんの腹としては、怪人二十面相と同じような、悪玉の通しキャラにしようと思っていたのかもしれませんが、外見がゴリラ風で、脳移植を受けているという設定が突飛過ぎて、使い勝手が悪かったのかもしれません。 中心人物である立花滋は、【金色の魔術師】で、再登場します。 




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 9 黒の様式≫が、9月27日から、30日。
≪松本清張全集 10 黒の図説≫が、10月6日から、11日まで。
≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫が、10月12日から、17日まで。
≪大迷宮≫が、10月18日から、19日まで。


  植木手入れが終わって、これでもう、今年は、大きな作業はないと思っていたのですが、バイクのエンジン・オイルが、どうやら、もう、換え時のようです。 去年の9月に、うちに来てから、一回も換えていませんから、無理もないか。 前の持ち主が、手放す前に、交換したとも思えないし。 説明書を読むと、フィルターも一緒に換えろとあり、かなりの出費になりそうです。 こんな事は、読書感想文とは、何の関係もありませんが。

2020/12/06

読書感想文・蔵出し (70)

  読書感想文です。 これを纏めているのは、11月28日ですが、植木手入れが迫っていて、やる前から、腰が痛くなっている始末。 心気症にも程がある。 それとは関係ありませんが、普段、四冊分、出すところを、今回は、三冊にします。 最初の一冊の感想が、異様に長くなってしまったので。





≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫

松本清張全集 7
文藝春秋 1972年8月20日/初版 2008年5月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編3、短編3、実録3の、計9作を収録。


【別冊黒い画集】 約324ページ
  「週刊文春」に連載されたもの。

「事故」 約93ページ
  1963年(昭和38年)1月7日号から、4月15日号まで。

  運送会社のトラックが、コースを外れた所で、住宅の玄関に突っ込む事故を起こしたが、妙に理解のある相手で、賠償金は安く上がった。 ところが、間もなく、その運転手が、仕事中に、山梨県で殺され、ほぼ、時を同じくして、同じ山梨県で、興信所の女性社員が殺される。 事件はどちらも、迷宮入りしたが、その裏には、秘密があり・・・、という話。

  冒頭から出て来る、運送会社の事故担当社員が主人公かと思いきや、すぐに、引っ込んでしまい、その後も、視点人物が、ころころ変わります。 三人称で書かれた群像劇と見るべきか。 大まかに三つに分かれていて、まず、トラックの突入事故と、殺人二件の捜査の様子が語られます。 次に、時間が巻き戻されて、犯人側の視点で、犯行の経緯が語られます。 最後に、「思わぬところから、露顕する」で、締め括られています。

  大変、変わった構成ですな。 すでに、名声が確立していた、松本清張大先生だから、こういうのが通ったのであって、もし、新人が、こんなのを書いた日には、編集者から、丸めた原稿で、頭をポンポン叩かれて、「な・ん・だ?こ・れ・は? プロットの基本も知らんのか? ナメとんのか、雄鶏ゃ!」という扱いを受けるでしょう。

  とはいえ、話は面白いです。 変わった構成が、邪魔をしているという事もありません。 時間が巻き戻るところが、少し混乱しますが、死んだ人間が、まだ生きているので、巻き戻った以外に考えようがないわけで、読んでいれば、自然に分かります。 興信所の社員が調べていた相手が、大変、非常に、途轍もなく、甚だしく、意外な人物で、アイデアの切れの良さに、ハッとさせられます。

  最初の突入事故が、なぜ、コースから外れた場所で起きたのかは、誰でも気になりますが、やはり、伏線でして、後で回収されます。 賠償金について、相場の10分の1でいいという奇妙な態度も、これまた、伏線。 露顕するパートで、回収されます。


「熱い空気」 約74ページ
  1963年(昭和38年)4月23日号から、7月8日号まで。

  離婚後、一人で食べて行く為に、 派出家政婦になった女が、新しく住み込んだ大学教授の家で、その家族の問題点を探し、突つき回して、不幸の穴に突き落とそうとする話。

  知らない人がいないテレビ・ドラマ、≪家政婦は見た≫の、原作。 正確に言うと、2時間ドラマ版の、第一作の原作で、シリーズ化された第二作以降とは、直接の関係はありません。 第一作と、第二作以降とでは、主人公の名前や、家政婦紹介所の名前も異なっています。 一番違うのは、主人公の性格でして、第一作、つまり、原作の主人公には、正義感や義憤など、全くなくて、「自分が不幸だから、他人はもっと不幸になればいい」という、後ろ向きの考え方しかありません。

  テレビ・シリーズ同様、殺人事件は一つも起こらないのですが、傷害事件や、痴情事件は起こります。 傷害事件は、かなり、変わったもので、孫が祖母の鼓膜を焼いてしまったというのですから、相当には、ひどい話。 痴情事件の方は、松本作品では良く出てくる、不倫や、不倫旅行で、そちらは、ありふれています。

  チフスが小道具に使われるところは、凄い。 森村誠一さんの長編で、チフス菌をわざと拡散させる場面が出て来ましたが、こちらは、故意ではなく、自然感染で、あるホテルにいた事がバレるという使われ方なので、より、ゾクゾクします。

  テレビ・シリーズが大ヒットしたのに比較して、この原作が、あまり話題にならなかったのは、主人公の性根が腐っているせいで、ピカレスク(悪漢小説)にしては、痛快さに欠け、読者が共感を覚えてくれないからでしょう。 作者も、そう思ったのか、ラストを、因果応報で纏めていますが、そのせいで、ますます、中途半端になってしまいました。


「形」 約29ページ
  1963年(昭和38年)10月21日号から、11月18日号まで。

  山の中に高速道路が造られる事になり、用地買収が進められたが、一軒、頑強に売るのを拒む家が出て来る。 買取値を上げても、ああだこうだと理由をつけて拒み続けるので、「死体でも埋めてあるのだろう」という指摘が出て、警察が買収予定用地を掘り返すが・・・、という話。

  割と、ありふれた問題ではあるものの、これも、一応、社会派作品と考えるべきか。 犯罪あり、謎ありですが、読みながら推理できるようなストーリーではないです。 「拒んだ挙句、周囲の村人や警察を利用して、うまい事、利益をせしめる」という、痛快な話になれば、面白いのですが、残念ながら、肩透かしみたいな終わり方になります。

  「わざと、周囲から怪しまれる為に、殺人犯のように見せかけて、実は、一人も殺していない」という設定を貫いた方が、断然、気の利いた話になったと思うのですがね。


「陸行水行」 約37ページ
  1963年(昭和38年)11月25日号から、1964年1月6日号まで。

  大分県の宇佐神社に調査に行った学者が、たまたま出会った郷土史家から、「邪馬台国論争」についての、独特の学説を聞かされる。 その後、その郷土史家が、学者が渡した名刺を使って、西日本一帯で、詐欺を働いているという報告が幾つも入り・・・、という話。

  このタイトル、松本作品として、よく耳にするから、有名な話なんでしょう。 前半は、「ちょっと、文化の香り」を通り越して、邪馬台国論争そのまんま、もろ出し、作者自身が意見を言いたいが為に、短編小説の形を借りて、自説を開陳したという感じさえします。 しかし、この前半こそが、この作品の肝でして、前半だけでも、充分に面白いです。

  邪馬台国論争が、非常に危うい土台の上に立っている事が、全くの門外漢でも、すんなり、理解できます。 日本中の古代史家が、寄ってたかって、随分とまあ、不毛な論争をやっていたわけですな。 邪馬台国論争について、簡単に知りたいなら、専門に書かれた物より、この作品を読んだ方が、分かり易いと思います。 首を突っ込まない方がいいような気もしますが。 

  後半、犯罪絡みになり、最終的に死人も出ますが、別に、殺人事件ではないです。 大変、風変わりな詐欺だから、風変わりな最期を遂げても、致し方ないか。 それにしても、凄絶・壮絶だ。


「寝敷き」 約23ページ
  1964年(昭和39年)3月30日号から、4月20日号まで。

  仕事柄、高い所から、周囲をよく見ているペンキ職人が、覗きの経験を積む内に、猥談が得意になり、出入り先の夫人を籠絡するのが楽しみになる。 ある時、ちょっとした手違いで、若い女に捉まってしまうが、親の勧める堅い縁談が進行しており、何とか、若い女と手を切ろうとする話。

  猥談が得意になったというのは、話の枕に過ぎず、主人公の職業は、何であっても、成立します。 タイトルは、若い女が、スカートを、寝押ししていた事から、男の犯行が露顕しそうになるという意味。 ところがねえ。 変わったラストになるんですよ。 こんなのアリかって、思いますねえ。 逆に言うと、このドライさがあるから、松本作品は面白いわけですが。


「断線」 約66ページ
  1964年(昭和39年)1月13日号から、3月23日号まで。

  金にはセコいが、性格がチャランポランな男。 なりゆきで、小さな薬局の娘と結婚し、姓が変わるのも気にせずに、婿入りするが、妻が妊娠すると、さりげなく蒸発し、水商売の女の所へ行ってしまう。 その女と強制死別した後、別の女に誘われて、大阪へ行き、女の口利きで、製薬会社の広報部門に入社する。 ところが、この女とも、強制死別しなければならなくなり、死体をどこに埋めるか、悩んだ挙句・・・という話。

  だいぶ、なりゆき任せで、ストーリーを展開させていますな。 妻の実家が薬局で、男の就職先が製薬会社、というところだけ、伏線が張られていますが、他はもう、テキトーに繋げて行っただけという感じです。 いや、決して、つまらない話ではなく、引き込まれますし、読み応えもありますけど。

  死体を埋める場所に困って、社長の趣味の俳句に目をつけるというのは、凄い飛躍力の着想だと思いますが、そこから先は、もはや、犯罪物というより、コメディーです。 実際には、笑いはしませんが、他の感情が出て来ません。


【ミステリーの系譜】 約135ページ
  「週刊読売」に連載されたもの。 この3作は、小説ではなく、実録。

「闇に駆ける猟銃」 約61ページ
  1967年(昭和42年)8月11日号から、10月13日号まで。 原題は、「闇に駆く猟銃」。

  1938年(昭和13年)に、岡山県の山村で、22歳の男が、猟銃や日本刀で、村人30人を殺した、津山事件の経過を述べ、分析を加えたもの。

  横溝正史さんの、≪八つ墓村≫の中に、32人殺しの事件が出て来ますが、そのモデルになったのが、津山事件。 32人殺しは、≪八つ墓村≫のモチーフの一部に過ぎず、津山事件を小説にしたのが、≪八つ墓村≫というわけではないです。 しかし、≪八つ墓村≫が繰り返し、映像化されていなければ、津山事件が、今に伝わる事もなく、研究者だけが知る事件になっていた事でしょう。

  松本清張さん以外にも、この事件を実録として書いている人はいるようですが、事件そのものが、あまりにも凄絶なので、恐らく、誰が評論しても、事件の内容を超えるほどのインパクトは与えられないでしょう。 こんな事件があったという事実が恐ろしい。

  ≪八つ墓村≫の田治見要蔵は、囲い物にしていた女が、別の男の赤ん坊を生んだ上に、逃げてしまった事に激昂し、八つ当たりで村人を殺したのですが、津山事件の方は、特定の人物達に対する、深い恨みがあり、犠牲者が増えたのは、村内で血縁者が多いせいで、恨みの対象が広がったのと、計画遂行の邪魔になる者も片っ端から殺して行ったので、30人にもなったようです

  綿密な計画を立てて、武器を揃え、タイミングを見計らい、決行に及んだとの事。 一度、警察に目をつけられ、武器を没収されたにも拘らず、また買い揃え、弾丸を自作して、100発も用意していたというから、驚きます。 学校時代の成績は、トップ・クラスで、級長を務めるのが、恒例になっていたとの事。 それが、結核を患ってから、将来の展望を見失い、村人、特に、性関係にあった女達から、敬遠されるようになり、それが、動機になったのだそうです。

  結核に罹っていた事や、開放的な村の性風俗、犯人を毛嫌いしていた女達の存在など、一般常識では量れない要素があるせいで、極悪人扱いをためらう書き方がなされていますが、いやいやいやいや、それは違うでしょう。 たとえ、どんなに情状を汲む余地があっても、30人殺したら、極悪人ですよ。 30人どころか、3人以上殺したら、もう、情状なんて言っている場合ではないです。

  精神異常者であったという点も、奥歯に物の挟まったような書き方をしているのですが、それも、違う。 「精神異常者だから、こんな犯行をやらかした」と考えようとするから、「あれ? ちょっと違うかな?」と、首を捻ってしまうのであって、「こんな犯行をやらかしたのでは、精神異常者としか言いようがない」と考えれば、すんなり、腑に落ちる。 こういう事をやらかした人物の為に、精神異常という概念が存在するのです。 30人殺した人間を、精神異常者と言えないのでは、もはや、精神医学は不要です。

  一度目の武器没収の後、駐在所の巡査が、本人の所へ通って、「馬鹿な事を考えるな」と、諄々と説諭したそうですが、全く、無駄に終わります。 馬耳東風は当然なのであって、狂人が、周囲の人間の言う事なんか、聞くわけがありません。 周囲に合わせようとする能力が失われたからこそ、狂人なのですから。 逆に、まともな人間の方が、狂人の異常な考えに感化されてしまいます。 危険極まりない。

  村の女達への恨みが動機であるにも拘らず、自分が最も好いていた女には、予め、犯行を報せて、家族と京都へ逃げるの阻もうとしなかったというから、ふざけた話です。 その女も、犯人を、公然と嫌っていたんですがね。 他にも、襲撃を受ける前に、何らかの情報を得ていて、親戚の家に逃げ込み、そこの家族が殺されているのに、自分は助かったという女がいるそうですが、後々、親戚から恨まれたでしょうねえ。 それなら、よその土地へ逃げた者の方が、まだ、罪が軽いです。

  犯人の唯一の同居者で、犯人を子供の頃から、猫可愛がりしていた祖母が、最初に、斧で首を飛ばされるのですが、よく、そんな恐ろしい事ができたもの。 「一人で残すのは不憫」だから殺したらしいですが、不憫だと思うなら、犯行計画そのものをやらなければいいのです。 考えの順序が間違っている。 やはり、狂っているとしか言いようがありません。

  犯行後に、自殺するつもりでいたのは確実で、もしかしたら、無理心中を図る人間にありがちな、あの世を信じているタイプだったのかも知れません。 「残したら、不憫」という、よく使われるセリフも、同じだし。 実際には、死ななければならないのは、自分一人だけなのに、あの世があると思っていると、一人で行くのは怖いから、家族や、親友など、身近な人間を道連れにするのです。

  松本清張さんには、天邪鬼なところがあり、世間から、当然の如く、非難を浴びている者を、別の見方から検証して、「一方的に攻撃されるばかりでは、気の毒だ」と主張したがっているようなのですが、それは、違うでしょう。 犯人の動機を形成するのに、村の女達がかかわっていたのは事実ですが、女達は、別に、殺人を犯したわけではないです。 また、殺されて当然というほどの罪を犯したわけでもないです。 「女達は、殺されて当然」と思っていたのは、犯人だけで、その考え方の異常さが、動機を形成した最大の要因と見るべきでしょう。


「肉鍋を食う女」 約23ページ
  1967年(昭和42年)11月24日号から、12月15日号まで。

  1945年(昭和20年)に群馬県の山村で起こった、殺人・人肉食事件を中心に、他二件の人肉食事件にも触れた、実録。

  戦場では、飢餓の挙句に、死人の肉を食ったという記録があるらしいですが、この事件では、家の収入が少なくて、食べるものがなくなり、後妻が、継子の娘を殺して、料理し、家族には、山羊の肉だと言って食べさせたという点で、特殊だとの事。 夫も、後妻も、継子も、みな、痴呆だったそうで、それは、山村独特の、近親婚が遠因になっているとあります。

  仲介人の発想で、痴呆同士をくっつけて、夫婦にしてしまったというのが、呆れた話。 食糧事情が厳しい時に、痴呆同士で、生活が成り立つわけがないのであって、そんな余計な事をしなければ、こんな事件は起こらなかったものを。 仲介人というのは、誰でも彼でも、とにかく、結婚させさえすれば、自分の手柄になると思い込んでいるんでしょうな。

  殺した後妻も恐ろしいですが、夫が、自分の実の娘を後妻に殺されても、何とも感じていないようだったというのが、また、絶望的です。 痴呆だから、何が起こったかすら、分かっていなかったのでしょう。 もっとも、夫は、何か気取るところがあったのか、自分の娘を煮込んだ肉鍋には、手をつけなかったそうですけど。 それにしても、あまにも、救われないので、読んでいるこちらまで、暗鬱な気分になって来ます。 これでは、動物の方が、まだ、人間らしい。

  この事件、津山事件に比べると、単純な経緯なので、ボリュームが足りず、人肉食の他の例が、二件、オマケについています。 一つは、明治35年に、ハンセン病の特効薬として、人肉が効くという迷信を信じ、通りがかりの少年を殺して、尻の肉を切り取り、スープにして、妻と、その兄に飲ませたというもの。

  迷信も迷信、サンプルが一件しかない、とんだ迷信なのですが、治療法が分からなかった時代としては、藁にも縋る思いでやったんでしょう。 迷信ではあるものの、一応、治療の為だったわけだから、さほど、野蛮ではないです。 殺された少年やその遺族は、たまったものではありませんが。

  もう一件は、昭和10年頃の話で、まず、肉の行商をしていた妻が、村会議員の夫を殺し、その死体を処分する為に、解体して、牛肉に混ぜて売ってしまったという噂が立ったという事件。 ただし、これは、本人は食べていませんし、噂通り、お客が食べていたとしても、人肉だと知らなかったわけだから、更に、野蛮度が下がります。


「二人の真犯人」 約49ページ
  1967年(昭和42年)12月22日号から、1968年月2日16号まで。

  大正時代に起こった殺人で、自分が犯人だと自白する人間が二人現れ、それぞれ、起訴されて裁判が行なわれたという、奇妙な事件の実録と、その分析。

  この作品では、実録部分よりも、その分析が肝になっています。 大正時代の裁判記録が、よく残っているものだと思いますが、共犯でない犯人が二人自白して、二人とも起訴されたという、非常に特殊な例だからでしょう。 殺人事件そのものは、別段、特殊ではなく、通り魔に近い衝動的な動機で、殺害方法も絞殺した後、ナイフで傷をつけたという、ありふれたもの。

  小説ではないので、ネタバレを気にせずに書いてしまいますが、痴情の縺れが動機と見做されて最初に逮捕された男が、実は無実で、警察が、先入観で犯人と決め付け、留置所に間者を送り込んで、「拷問を逃れたかったら、とりあえず、自白してしまえ。 裁判になってから、覆せばいい」と入れ知恵した事から、自白したのだろうという分析がなされています。

  証拠になった腰巻も、その容疑者が行ってもいない所から出ており、警察による、辻褄合わせの捏造だったとしています。 大変、説得力があり、たぶん、その通りだったのだろうと思わせます。 もっとも、警察側がやったと思われる行為にも、証拠がないので、確実にそうだとは、未来永劫、言い切れないわけですが。

  真犯人は、強盗や殺人を何件も犯している凶悪犯で、どうせ、死刑は免れないから、無実の罪で裁判にかけられている者を助けてやろうと、自白したもの。 こちらの証言にも、他の人間の証言との喰い違いがあるのですが、まだ、無理が少ないです。 動機が、あまりにも軽いですが、前科がごろごろある凶悪犯なら、さほど、不思議でもありません。

  被害者の妹の証言に、最初に逮捕された男への憎悪・嫌悪から出た嘘が混じっていると分析しているのは、興味深い。 容疑者以外にも、嘘を言っている者がいると、事件の真相は、大変、分かり難くなります。 推理小説で、嘘を言う証言者が出て来ると、その小説そのものが成り立たなくなるほど、影響が大きいですが、それは、実際に起きた事件でも同じ事です。




≪怪盗X・Y・Z≫

角川文庫
角川書店 1984年5月25日/初版 1984年7月10日/2版
横溝正史 著

  2020年7月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、358円で買ったもの。 状態が非常に良くて、とても、36年も経っているようには思えない美本でした。 保存方法が良かった上に、ほとんど、読まれなかったんでしょう。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、93番目。 1960年(昭和35年)5月から、1961年2月まで、「中二コース」に掲載された、少年向け作品です。

  続き物の短編、3作を収録。 全て、新日報社に勤める高校生で、「探偵小僧」と呼ばれている、御子柴進(みこしばすすむ)が探偵役を務めます。 怪盗X・Y・Zは、犯人ではなく、立場を別にしながらも、進達を助ける役回りです。 三津木俊助も出て来ますが、ほとんど、役をしません。


【第1話 消えた怪盗】 約60ページ

  御子柴進が、ある画家のアトリエへ、原稿をもらいに行った。 不審な外国人とすれ違ったり、謎の女性を見たりしたあと、画家に会うが、原稿が遅いので、待ち切れなくなって、部屋に入って行くと、全然顔の違う人物が殺されていた。 進が会ったのは、巷を騒がす怪盗X・Y・Zと思われたが、姿を消していた。 進の推理から、アトリエの中に、秘密の抜け道が発見され・・・、という話。

  横溝作品の少年向けなので、似たようなモチーフを使い回しています。 もっとも、抜け穴は、大人向けの金田一物でも使われますけど。 車のトランクに忍び込んで、犯人を追跡するのは、かなり、無理があると思いますねえ。 外の様子を見る為に、少し隙間をつくっているわけですが、ガタガタ揺れて、とても、音を立てずに支えていられないでしょう。

  このシリーズは、中学生が対象読者なので、同じ少年向けでも、多少、レベルが高いです。 ルーベンスの絵まで出て来るのは、話を大きくし過ぎていて、どうかと思いますが。


【第2話 なぞの十円玉】 約79ページ

  プロ野球を見た帰り道で、御子柴進の後をつける男と女があり、どうやら、野球場でジュースを買った時にもらったお釣りの中に、縁にギザギザのない十円玉が混じっていたのを、取り返したいらしい。 謎の十円玉を巡って、殺人事件や誘拐事件が起こる話。

  この作品は、少年向けのお決まりモチーフだけでなく、野球場からの帰り道で襲われるという冒頭部のお陰で、かなり、変わった印象になっています。 ただし、たまたま、手に入ったコインに、実は、秘密が込められていて、という話は、江戸川乱歩さんの【二銭銅貨】など、先例があります。

  野球場でジュースを買って、お釣りがいくらとか、その帰り道の様子とか、描写が妙にリアルで、横溝さん本人の経験が元になっているのではないかと思うと、読んでいて、楽しくなって来ます。 やはり、少年向けにも、こういうリアルな描き込みは、必要ですな。

  今の十円玉には、ギザがありませんが、昔は、ギザがあったのです。 私が子供の頃には、混在していましたが、恐らく、1960年頃には、ギザがあるのが普通だったのでしょう。 この十円玉が、ある特殊な金庫の鍵になっているのですが、具体的な仕掛けについては、全く書かれていません。

  進の姉が、誘拐されるのは、ちょっと、月並みでしょうか。 横溝作品の少年向けでは、必ずと言っていいほど、若い女性が、誘拐、もしくは、略取されます。 まあ、必ず、無事に帰って来ますけど。


【第3話 大金塊】 約62ページ

  怪盗X・Y・Zを題材にした舞台劇が、大当たりをとっている時、X・Y・Z役の俳優が不審な行動を取り、その後、舞台指導をした夫人の家で、暖炉に頭を突っ込んだ男の死体が発見される。 X・Y・Zのサインが残されていた事から、彼に容疑かかかるが、彼は殺人はしないものと信じている御子柴進は、納得が行かない。 やがて、X・Y・Zから、呼び出しの電話があり・・・、という話。

  角川文庫・旧版、≪憑かれた女≫所収の、【幽霊騎手】(1933年)と、ほぼ同じ内容です。 戦前に書いた作品を、戦後になって、少年向けに書き直したのでしょう。 一応、トリックや謎はあるものの、使い古された物で、ゾクゾクするようなところはありません。

  それにしても、このラスト・・・。 X・Y・Z役の俳優は、三津木俊助の友人なのですが、もし、彼が本物のX・Y・Zだとすると、俊助の友人が、X・Y・Zという事になり、この場は何とかごまかしても、相手は新聞記者ですから、いずれは、バレるのではありますまいか。 まあ、そんなに目くじら立ててツッコむほど、レベルの高い作品ではないんですが。


  この本では、第3話で終わっていますが、2008年10月刊行の、≪論創ミステリ叢書36 横溝正史探偵小説選 Ⅱ≫の中に、【おりの中の男】という、怪盗X・Y・Zシリーズの第4話が収録されています。 なぜ、この本に収録しなかったのかは、不詳。 1984年の時点では、見つかっていなかったのかも知れません。




≪松本清張全集 8 草の陰刻≫

松本清張全集 8
文藝春秋 1972年5月20日/初版 2008年5月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【草の陰刻】 約432ページ
  1964年(昭和39年)5月16日から、1965年5月22日まで、「読売新聞朝刊」に連載されたもの。


  松山地検の支部で、夜、火災が起こり、過去の事件の書類が保管されていた倉庫を焼き、宿直の事務官一人が焼死する。 検事は、失火として処理したが、火災の直前に、宿直の二人が、支部を空にして、外に飲みに行くなど、不審な行動を取っていた事が引っ掛かり、半ば個人的に捜査を始める。 間もなく、前橋地検に異動になるが、そちらの地元の国会議員が、松山の放火事件の黒幕ではないかと当たりをつけるものの・・・、という話。

  長いなあ。 2段組みで、432ページもあったのでは、もう、大長編ですな。 だけど、会話も多いので、それほど、時間がかかるわけではないです。 新聞連載小説というのは、長丁場になると、読者が、細かい内容を忘れてしまうので、思い出させる為に、時折、それまでの要約が入れられます。 その部分は、繰り返しに過ぎないので、飛ばしても、ストーリーを見失うような事はありません。 まあ、全ての文字を読みたいのなら、読んでもいいわけですが。

  コツコツと、少しずつ真実を明らかにして行く、クロフツ的な捜査で、しかも、検事が主人公なので、検察と警察との対立関係から、警察の捜査力を借りる事ができず、ますます、進展が遅くなります。 しかし、それがつまらないという事はなくて、その少しずつ分かっていく過程が面白い点は、【砂の器】などと同じです。 そういえば、【砂の器】にある、たまたま目にした写真から、過去の知り合いを思い出すという展開は、この作品でも使われています。

  たまたま、異動になった先の土地が、黒幕の国会議員の地盤だったというのは、偶然が過ぎると思います。 地元だから、捜査はし易いですが、御都合主義としか言いようがありません。 また、移動した途端に、その黒幕が別件で告発されている事件の担当検事になるというのも、重ねて、御都合主義。 いいのか、こんなんで。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品が、今一つ物足りないのは、黒幕が最後まで捕まらない事が、大きな要因になっていると思います。 実行犯は捕まるけれど、命令した国会議員は、何の罰も受けないのです。 罰どころか、起訴もされず、別件で一度、事情聴取されただけという、読者としては、大変、胸糞悪い処置。 掲載している新聞社側から、「国会議員が、刑事罰を受けるのは、まずい」という、圧力でもかかったんでしょうか。

  黒幕が逮捕されない代わりに、大賀冴子という、故元検事の娘が、主人公と急接近するという恋愛物的な発展で、ラストを締め括っています。 しかし、この大賀冴子という女、父の罪を隠す為に、主人公に真実を告げるのをためらったという、しょーもない輩でして、正義感よりも、身内を庇う意識が勝っているわけですから、人格的に、主人公とつりあうとは、到底、思えません。

  そんなのは、ハッピー・エンドでも何でもない、ただの、ごまかしです。 そもそも、何も、国会議員を黒幕にする必要はないのであって、架空の民間企業の社長くらいにしておけば、圧力がかかるような事もなかったでしょうに。 クロフツ的捜査の部分が面白いだけに、大変、残念です。 国会議員が逮捕され罰を受ける、続編でもあれば、また、印象が違って来るんですがね。




  以上、三冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫が、9月14日から、20日。
≪怪盗X・Y・Z≫が、9月21日から、23日まで。
≪松本清張全集 8 草の陰刻≫が、9月23日から、26日まで。


  あと一回、感想文が続きます。 植木の手入れで、一週間くらい、他の事ができなくなるので、感想文を纏めて、アップするだけでも、結構、きついです。 うーむ、庭がない家に住んでいる人が羨ましい。 植木も、手入れをしないで済むのなら、潤いがあって、良いのですがねえ。