2017/12/31

私の2017年

  約一年前、「私の2016年」という文章を書きましたが、それは、諸般の事情で、年が明けてから、アップしました。 今回は、常識的に、年内に出そうと思います。 ちなみに、これを書いているのは、12月27日です。 同じ年の暮れでも、去年と今年で、決定的に違うのは、忙しさですかねえ。 去年は、父の遺品の整理が中途で、キリキリしていましたが、今年は、引退者らしく、暇な日々を送っています。




  さて、2017年に起こった事を書くわけですが、面倒なので、個人年表の方から移植しますと、

「2017(H29)53歳 八畳石。遺品片付け。最後B管TV処分。漫画/本処分。守山西公園・明治資料館。沼川・興国寺城址。プレハブ軒下直す。車ドア窓直す。千貫樋。母の蔵書。車ACベルト/Aフィルター。CATVブースター。父の一周忌。世帯分離。車カタログ。郵銀カ。車額。歯科。村の駅。V.D。」

  こんな感じになります。 一年分だけ取り出すと、「なんじゃ、こりゃ?」と思われるかもしれませんが、年表ですから、元のテキストでは、こういった記述が、年齢の分だけ並んでいるわけです。 私の場合、個人年表は、10年くらい前からつけ始めました。 それ以降の年に関しては、割と詳しい事が書いてあり、それ以前の年は、後から、日記や出納ノートなどを調べて書き入れたものなので、割と簡単。 ひきこもり時代以前は、日記がないので、スカスカです。

  年齢も出てしまっていますが、もう、歳を隠す歳でもないので、そのままにしておきます。 ああ、私も、そういう歳になったのだなあ。 インター・ネットを始めた2001年には、まだ、30代後半で、ネット交流の際、年齢を書く事はしませんでしたが、今になってみると、なぜ、隠していたのかが、よく分かりません。 話をしていた相手も、そんなに若い人達ばかりではなかったと思うのですが。 そもそも、自分より若い人間と話しても、あまり、得るものが多くありませんわな。 まあ、そんな事は、どうでもいいか、今更。

  話を、2017年の事に戻して、以下、個別に、触れて行きます。 そうそう、年表の方が、ほとんど、単語の羅列になっている上に、間隔も空けていないのは、一覧性を損なわないように、一年分の行数を抑えているからです。


【八畳石】
  1月に、沼津市の愛鷹山麓にある、「八畳石公園」へ行きました。 前年の12月に、折り畳み自転車で行こうとして、道に迷って行けず、年が明けてから、再挑戦して、到着。 大きな岩があるのですが、公園とは名ばかりで、ただの山の中、沢の畔でした。

  その後、今度は、母を車に乗せて、見せに行き、ついでに、新東名のサービス・エリア、「ネオパーサ駿河湾沼津」にも寄って来ました。 そちらは、2014年の10月に、バイクで行った事があり、私は二度目でした。


【遺品片付け】
  前年の11月から始めた、父の遺品の片付けが、今年になっても続き、2月くらいまでは、終わらなかったと思います。 二日に一度、半日かけるというペースで、4ヵ月くらい、かかったでしょうか。 まあ、あの作業には、参りました。 疲れるわ、危険だわ、埃だ、黴だ、錆だ、なんでもアリだわ。 なんで、私が、あんな目に・・・。 また、母が、全く手伝わないのにも、呆れました。

  私の父の場合、人生のほとんどを、同じ家で暮らしたから、特別、持ち物が多かったという事情もありますが、たとえ、少ない人の場合でも、1・2ヵ月はかかるんじゃないでしょうか。 実家から離れて暮らしている子が、親の死後、遺品の片付けに、休みの日だけ出かけて行って・・・、なんてペースでは、ゆうに、1年以上かかるでしょう。 だから、遺品整理業が成り立つんだわ。

  父の遺品は、9割以上、捨てて、残りの1割の内、液晶テレビなど、使える物だけ残し、あとは、リサイクル店に売りました。 一番高かったのが、ブルーレイ・レコーダーで、6000円くらい。 次が、冷風扇で、1000円。 電動工具の、ブロワー、トリマー、ジグソーは、三点で500円にしかなりませんでした。 そのお金は、母が受け取らないので、車のガソリン代に回りました。


【最後B管TV処分】
  我が家で最後の一台になった、ブラウン管テレビを、リサイクル・センターへ運び、処分しました。 29型なので、一人では持ち上げられず、母と二人で、車に積み、母も乗せて、センターへ行き、二人で下ろしました。 本当なら、5メートルくらい運ばなければならないところを、80歳の母が片棒担いでいるのを見た係の人が、不憫に思ったのか、2メートルくらいの所で、「そこでいい」と言ってくれたので、勿怪の幸い、すぐさま、そこで下ろして、引き揚げて来ました。

  ところで、ブラウン管テレビや、壊れた洗濯機、冷蔵庫、エアコンが家にある人は、車を持っているなら、自分で、リサイクル・センターに運んでしまった方が、業者に頼むより、ずっと、安く上がります。 ネットで調べれば、詳しく出ていますが、それが面倒なら、とりあえず、捨てる家電のメーカー名と、テレビなら、インチ数を控えて、最寄の郵便局へ行き、「リサイクル券を下さい」といえば、説明してくれます。 センターの場所も教えてくれると思います。 お金を郵便局で支払えば、あとは、書類と捨てる物を車に積み、リサイクル・センターに行って、引き渡すだけです。


【漫画/本処分】
  これに関しては、このブログに、記事を書いてあります。 子供の頃から、20代にかけて買った、漫画の単行本と、普通の本を、ごっそり、捨てました。 売りに行くと、買取拒否されそうな、古い本ばかりだったので、嫌な思いをするのを避けようと、街角のリサイクル・ボックスに入れて来ました。


【守山西公園・明治資料館】
  4月に、母と車で、伊豆の国市・長岡の狩野川沿いにある、「守山西公園」という、桜の名所へ行きました。 ちょうど、満開で、人出も多かったです。 その帰りに、大回りして、沼津市街地の北の方にある、「明治資料館」にも行きましたが、以前、私が一人で見に来た時よりも、展示が縮小されていて、寂しい気分で帰って来ました。


【沼川・興国寺城址】
  これも、4月に、沼津市の国道1号線沿いにある、沼川の桜並木を見に行ったもの。 もう、散り始めでしたが、桜吹雪が舞って、凄い景色になっていました。 車を停める所がないので、走りながら見たのですが、それでも、10分くらい、楽しむ事ができました。

  西へ行ったついでに、「興国寺城址」にも寄りました。 私は、バイク・ツーリングの帰りなどに、何度も来ていますが、母は初めてだというので。 花見をしている一団がいて、アコーディオンの演奏をしていましたっけ。


【プレハブ軒下直す】
  父が、かつて、機械設計の仕事場にしていた、6畳のプレハブ離屋が、庭にあるのですが、その軒下のベニヤ板が腐って、ベロンチョ状態になっていたのを、全部切り落とし、屋根と外壁の間に出来た隙間を、新しく買ってきたベニヤ板を短冊状に切って、釘で打ちつけ、塞ぎました。 外壁のベニヤも一部腐っていて、そこも、物置にあったベニヤ板で塞ぎました。

  物置は、別にあるので、このプレハブは、もう、なくてもいいんですが、解体するとなると、とても、私の手には負えません。 しかし、解体業者に頼んだら、何十万かかるか分からないので、そのままにしてある次第。 固定資産税もかかっているはずですが、おそらく、そちらを30年払い続けるよりも、解体費用の方が高くつくと思います。

  潰す気がないのなら、延命した方が得だという判断で、修理したわけです。 ちなみに、プレハブは、軽いので、基礎さえ、しっかりしていれば、よほど、古くなっても、地震で倒壊する恐れは、非常に低いです。


【車ドア窓直す】
  この件も、このブログの記事で、詳しく書いています。 私の車、セルボ・モードの、運転席ドアのパワー・ウインドウが、下ろすには下ろせても、上げる時に、途中で止まって、ガッタンガッタン言っていたのを、直したという話。 去年の7月、車を買った時から壊れていて、上の方を3センチくらい開け閉めする以外に、使えませんでした。

  去年の夏は、エアコンでしのぎ、秋冬は、窓を開けなかったので、気にならなかったのが、今年の春になったら、「エアコンを使うほどではないが、暑い」と感じるようになって、いよいよ、修理しようと決心したわけです。 当初、組み部品をヤフオクで買って、交換するしかないと思っていたのですが、中を見てみたら、何とか直せそうだったので、やってみたら、出来たという次第。 正常に動いた時は、嬉しかったなあ。 詳しくは、その記事で。


【千貫樋】
  「月に一度は、折り畳み自転車を使う」という方針を成就すべく、4月末に、出かけて行ったのが、「千貫樋(せんがんどい)」という、三島市と清水町の境にある、用水史跡でした。 史跡と言っても、現役で水が流れています。 元は、戦国時代に造られたらしいですが、今残っているのは、近代になって造り変えられた、コンクリート製の樋です。 樋と言っても、幅が2メートルくらいあります。

  観光地らしい整備はしておらず、住宅街の中にあります。 折自で行って正解で、車を停める所があるにはありますが、辿り着くまでが厄介で、道を知らない場合、車では、諦めてしまいたくなるような所でした。


【母の蔵書】
  ディクスン・カーの本を、ほぼ、読破した後、しばらく、精神医学の本を読んでいたのですが、その後、図書館に通う気がなくなってしまい、5月くらいから、母の蔵書の推理小説を読み始めました。 ほとんどが、日本の作家のもの。 西村京太郎さんのが、一番、面白かったです。 他に、山村美紗さん、和久峻三さん、内田康夫さんなど。


【車ACベルト/Aフィルター】
  車ですが、5月にオイル交換。 その後、エアコンをかけるようになったら、エンジンから、キュルキュル音がし始め、ネットで調べたら、ベルトの緩みだとの事。 見てみたら、緩い上に、アジャスターがいっぱいまで引かれていて、張り直しようがないので、ベルトの新品を買い、交換しました。 この件も、このブログの記事で、詳しく書いてあります。

  ジェネレーター・ベルトの方は、緩んでいただけだったので、張り具合を調整しました。 どちらも、ボルトが回らなくて、えらい、苦労しました。

  その後、看過できないくらい汚れていた、エア・フィルターも、ネットで新品を買って、交換。 今年最大のイベントは、これら、車の修理になりますかねえ。


【CATVブースター】
  うちは、ケーブル・テレビで、地デジを見ているのですが、居間のテレビで、何局か、まともに映らなくなってしまい、前年に、ケーブル会社が点検に来た時、「ブースターが、もうすぐ、寿命」と言われていたので、それが原因だろうと思って、ネットで買い、交換しました。 全く同じのはなくて、後継機種を買いました。

  交換自体は、簡単で、素人でもできます。 電源だけ切っておけば、危険もありません。 交換した当初は、全局、映ったのですが、その後、NHK総合だけ、また、映らなくなってしまい、現在に至ります。 うちでは、地デジは、ほとんど見ないので、母は、NHK総合が、再び映らなくなっている事に、まだ気づいていません。


【父の一周忌】
  これは、私が何かをしたわけではなく、参加しただけです。 法事というのは、実に馬鹿馬鹿しい習慣である事を、再認識しました。 こんな事をやれと、あのゴータマ・ブッダが、言うわけないじゃありませんか。


【世帯分離】
  私は引退者で、無所得なので、市・県民税はかからないのですが、国民年金と国民健康保険は、納めなければなりません。 年金の方は、人に関わらず金額が決まっているのに対し、健康保険の方は、その人の所得によって違い、更に、世帯主の収入によって、軽減率が変わります。 父が世帯主だった時は、半額になって、3万円くらいでした。 それが、父の死後、母が世帯主になったら、母の方が年金が多い関係で、私は軽減対象から外れ、6万円近く払う事になってしまいました。

  調べたら、母の世帯員ではなく、自分で世帯主になれば、軽減率が最高になるとの事。 で、世帯分離の手続きをして、母とは、別世帯になりました。 同じ家に住んでいても、別世帯というのは、アリなわけですな。 これで、来年からは、健康保険料が、2万円くらいになるはず。 もっと早く知っていれば、何万円か得をしたはずですが、地団駄踏んでも、後悔先に立ちません。

  ところで、払い過ぎの還付金があったのですが、その通知が、旧世帯主宛に送られてくるものだから、母が自分の還付金だと思って、自分の口座に振り込まれるように、手続きしてしまい、後になって、それが分かって、44000円くらい、返してもらいました。 無視できるような金額ではありませんから。


【車カタログ】
  父の一周忌が終わったあと、これといって、やる事がなくなり、「セルボ・モードが売っていた頃の、カタログでも買おうか」と思ったら、ヤフオクの認証制限が突破できずに、買う事ができません。 いろいろ調べたら、出品者の中に、ネット・ショップを持っているカタログ業者がいて、そちらでも買えるというので、飛びつきました。

  ところが、カタログ業者だけあって、品揃えが豊富で、他の車のカタログを見ている内に、かつて、我が家にあった車のカタログも欲しくなり、纏めて、9冊も買ってしまいました。 その後、ヤフオクの方で、認証制限をかけていない出品者から、2冊買って、今年買ったカタログは、11冊に。 それでも、まだ、コンプリート出来ず、来年まで、ズレ込みそうです。

  買ったカタログは、一遍に見てしまうと、すぐ、お蔵入りにしかねないので、一ヵ月に一冊ずつ、見ています。 父の部屋の衣類箪笥の上に、広げて。 引退後の優雅な趣味なのか、ただ、後ろ向きなノスタルジーに浸っているだけなのか、分かりませんけど。


【郵銀カ】
  これは、カタログを、業者から買う際に、ゆうちょ銀行の相手側の口座に代金を振り込んだのですが、それには、キャッシュ・カードが必要だというので、作ったもの。 それまでは、普通預金口座はあったものの、使っていませんでした。 カードがあれば、月に3件まで、無料で振り込みができるのだそうです。


【車額】
  こんな熟語はないのであって、これは、自室の壁に掛けてあった、カレンダーや、ジグソー・パズルの額を、二階トイレや階段の額と入れ替え、自室の壁には、車の写真をプリントして、飾ろうと思い立ったところから始まります。 カレンダーを入れていた木製額の透明板が黄ばんでいて、写真を入れると、セピア色になってしまうので、漂白しようとしたのですが、敢えなく、失敗。 透明板だけ買おうとしても、高くて、買えません。

  やむなく、ビニール・クロスを買って来て、代用したものの、ビニールが、半分、余ってしまい、今度は、それをどうするかで悩んだ挙句、もう一つ、額の枠を作る事にしました。 お金を使わないように、厚紙とダンボールが材料。 構造については、随分、頭を使いましたが、やれば何とか出来るものなんですなあ。

  入れた写真は、木製枠の方が、「初代ファミリア800」、厚紙枠の方が、「2代目ファミリア1000」です。 ネットでダウンロードした写真ですが、額が大きいので、A4コピー用紙に、約4分の1ずつプリントしたものを、4枚接ぎ合わせて、1枚にしました。 どちらの車も、父が昔乗っていたもの。 実は、2代目ファミリアは、1200に乗っていたのですが、1200の写真が手に入らなかったので、1000で代わりにしました。


【歯科】
  2013年の12月頃、北海道応援に行っている間に、奥歯の詰め物が取れて、応援が終わって帰って来た2014年1月の後半から、歯科に通い始め、結構、時間がかかったものの、冬の間に治してもらいました。 それ以来、ずっと、歯科には行っていなかったのですが、今年の10月に、同じ所の詰め物が取れてしまい、実に、3年半ぶりに、歯科へ行きました。

  働いていた頃は、年に一度は、行っていたのですから、引退が、私の歯に良い影響を及ぼしたのは、疑いありません。 肉体労働でしたから、意識しなくても、歯を食い縛って、働いていたんでしょうねえ。

  何回か通うのを覚悟していたのですが、ありがたい事に、取れたものを接着し直して、一回で終わりました。 2870円、とられましたけど、歯が治るのなら、その程度のお金は、どうという事はありません。


【村の駅】
  10月末の事。 三島市の国道136号線沿いに、「伊豆・村の駅」という、道の駅の親戚みたいな施設があるのですが、まず、折自で下見に行き、道順を頭に入れた上で、日を改め、母を乗せて、車で出かけました。 詳しい事は、このブログに記事があるので、そちらを見てください。

  夏の間、母と車で出かけた所は、スーパーと病院だけだったのですが、秋になって、ようやく、一ヵ所、ドライブに行ったというわけです。 ドライブへ行きたくても、近場は行き尽くしており、適当な目的地がないのです。 母の、外出意欲も萎む一方ですし・・・。 母は、まだ、自力で動いていて、たまには、自転車に乗って、買い物にも行きますが、その頻度は、一年前と比べると、がくんと減っており、衰えが進んでいるのは、明白です。


【V.D。】
  1920年代に活躍した、アメリカの推理小説家、S.S.ヴァン・ダインの事。 12月に入ってから、沼津の図書館で、本を借りて来て、≪僧正殺人事件≫と、≪グリーン家殺人事件≫を読み、面白いとは思わなかったものの、暇潰しにはなりそうなので、他の作品も読もうかと 思っているところです。 ところが、沼津の図書館には、他の作品がなくて、三島へ行かねばならんのです。 この寒いのに。 いや、まあ、行きますけどね。




  以上、2017年の出来事でした。 書いている内に、長くなってしまいました。 私以外の人間には、ちっとも興味が湧かない内容だったと思いますが、そういうブログだから、御容赦あれ。 それにしても、53年か・・・、よく、この歳まで、生きたと思いますわ。

2017/12/24

時代を語る車達 ②

  前回の続きです。 このシリーズ、元は、日記ブログの方に出した写真と解説文を、移植しているのですが、組写真になっている物を分離したり、文章の手直しをしたりと、結構、手間がかかります。 時に、自分のやっている事が、全く無意味で、単なる時間の無駄なのではないかと思えて来ます。 いっそ、ブログなんか、やめてしまうかと思う事もありますが、そしたらそしたで、やる事がなくなって、生きる気力が失われてしまいそうなので、深く考えないようにして、続けている次第。




  9月3日に、折自で出かけ、これといった目的地もなく、東へ向かい、沼津市・大平で、狩野川左岸の土手に上がり、函南町・日守へ向かう途中、セルボ・モードを見つけました。

  前期型で、3ドア、色は紺。 12インチ用のホイール・カバーを付けていて、リヤ・ワイパーがないという事は、割と安いタイプです。 後期型で言えば、下から2番目の、Cタイプに相当するグレードだと思いますが、前期型のグレードが同じだったのかどうかは、不詳です。

  遠くから撮っているので、細部までは分かりませんが、外観の程度は良さそうです。 惜しむらく、置かれていた場所が、整備工場の敷地の片隅だった上に、車内は、半ば物置化しており、もはや、現役ではないように見えました。



  同じく、9月3日、日守大橋を渡ったのですが、橋の上から、河川敷を見下ろしたら、畑の中の道に、トヨタの初代プレミオ(2001-2007年)が停まっていました。

  私は、この型のアリオン・プレミオが好きでねえ。 日本で作られたセダンの中では、最も完成度が高いデザインだと思います。 細かく言えば、後姿は、トランクにもランプがあるプレミオが良く、前側は、アリオンの方が、締りがあって良いです。 この型に比べると、現行の2代目アリオン・プレミオは、かなり劣り、残念過ぎて、目を背けたくなります。

  トヨタも、どうせ、もう、セダンなんて、ろくに売れないのですから、この型のアリオン・プレミオを復活させて、小改良だけしながら、細々と売り続ければいいのに。 これ以上のセダン・デザインは、今後とも、出て来ないでしょう。 セダンに乗りたい人は、昨今の、グラフィックばかり凝ったトヨタ・デザインなんて、全然、いいと思っていないんですわ。 いいと思っていないばかりか、「恥ずかしくて、乗れたもんじゃない」と思っているのです。



  9月5日、香貫山に登り、沼津斎場の裏に下りた時、斎場の入り口横に停まっていた、三菱ミニカの7代目(1993-98年)です。 後ろに、「グッピー」というロゴが入っていますが、グレードだったのか、特別仕様車だったのかは、不詳。 3ドアですが、5ナンバーなので、乗用です。 ホイールは、黒塗りの鉄製で、元は、ホイール・カバーが付いていたのでしょう。

  バンパーに、多少、塗装の剥がれがあるものの、目立つような凹みはないようです。 しかし、塗装の艶が失われている上に、水垢の線が入っていたりすると、どうにもこうにも、古ぼけて見えます。 大金をかけなくても、丁寧にコンパウンドをかけ、塗装を補修すれば、ぐっと良い見てくれになるんですがねえ。

  ネットで調べるまで、いつ頃売られていたのか、すっかり忘れていましたが、旧規格の軽だったんですな。 今の若い人には、区別がつかないと思うので書いておきますと、丸っこいスタイルですが、これ自体が、レトロ車ではなく、レトロ仕様は、また別にあります。 このデザインは、当時、最先端として出て来たもの。 その点は、セルボ・モードのデザインと変わりません。

  このデザイン、丸系統では、一つの完成形と言えるもので、日本車に限定するとしても、スバル360(1958-70年)に匹敵する価値があると思うのですが、なぜか、世間的には、そういう目で評価されてはいないようです。 しかし、砲弾型スタイルの車ばかりになってしまった今、この車に乗っていれば、人目を引くのは、間違いないわけでして、今後も、実際の注目度は高まる一方でしょう。 所有している人は、大事にして欲しいものです。



  10月7日に、御用邸裏まで、歩いて行った帰りに、ショッピング・センターの駐車場で撮った、スズキの、Keiの写真。 1998年から、2009年まで、足掛け12年間も作られていた車種です。 まだ、生産中止から、10年も経っていないわけで、今でも、いくらでも走っていますが、気づかないだけで、少しずつ数が減っているんでしょうなあ。

  大雑把に言うと、1998年の軽規格変更で、セルボ・モードが生産中止になった後、「ワゴンRほど大きくない、スズキの軽が欲しいが、アルトでは、ちょっと、ありふれてるかな」と思った人達が買ったのが、Keiでして、そういう意味では、セルボ・モードの後継車種と言えないでもないです。 コンセプト的には、セルボ・モードは乗用車、KeiはSUVと、だいぶ、掛け離れていますけど。

  登場した時には、「個性的なデザインだな」と評価していた記憶があります。 Keiが生産終了してから、5年後に登場した、ハスラー(2014-)は、SUVを通り越して、クロカンに近くなってしまいました。 Keiと、ハスラーでは、客層が、ほとんど重ならないと思うので、後継車種と見るのは、無理があります。 Keiは、中高年でも乗っている人が多いですが、ハスラーは、40歳過ぎている年齢層は、まず買わないでしょう。



  同じく、10月7日に、御用邸に行った帰りに撮った写真。 4代目ミラ(1994-1998年)の、「モデルノ」というタイプです。

  詳しい事は分からないのですが、4代目の後期型は、こういう後ろ姿になったらしいです。 前期型では、バンパーに付いていたナンバー・プレートが、リヤ・ハッチに移っています。 前期型の後ろ姿が、セルボ・モードに似過ぎていたので、後期型で、デザインを変更した・・・、というわけではないと思います。 当時、似たような後ろ姿の車は、他にもありましたから。

  これはこれで、いいデザインだと思います。 この車は、3ドアですが、5ナンバーなので、乗用です。 ホイール・カバーが付いていないところを見ると、割と安いグレードなのでしょう。 最も新しい年式だとしても、19年も経っているのに、綺麗に乗っていますなあ。

2017/12/17

時代を語る車達 ①

  タイトルから想像されるほど、御大層な内容ではないのですが、この半年くらい、カメラを持って出かけた先で、目についた古い車を撮影するようになり、それを紹介しようというシリーズです。 古ければ、何でも撮るというわけではなく、多分に私の主観で、被写体を選んでいます。




  7月3日に、折自で、愛鷹山麓にある、「蓮興寺」というお寺へ行った帰り、根方街道の沿道で、放置された車を何台か見ました。

  セルボ・モードの、SRシリーズ。 サイド・モールに、「TWINCAM 16 TURBO」の文字あるから、4気筒なわけで、「SR FOUR」ですな。 3ドアで、ルーフ・スポイラーが付き、エンジン・フードには、ターボ用のエア・インテークがあります。 同じセルボ・モードでも、私の、Mセレクションとは、ほとんど、別物という感じです。

  リヤ・コンビネーション・ランプは後期型ですが、インパネは前期型。 こういう組み合わせはなかったと思うので、たぶん、リヤ・コンだけ、後期型のものに付け替えたのだと思います。 インパネを付け替えるのは、大ごとですけんのう。 ホイールは、社外品のアルミ。

  どこかへ突っ込んだらしく、前が、ひしゃげています。 直さなかったところを見ると、エンジンや、シャーシーまで、潰れてしまっているのかも知れません。 ナンバーが付いたままというのは、どういう扱いになっているんでしょう? 

  奥にあるのは、スズキ・3代目アルト(1988-1994年)の、ワークスですな。 販売していた時期は、セルボ・モードと重なっていますが、半世代前のタイプです。 いずれも、よほど、お金をかけない限り、二度と走れないと思われるものの、部品が欲しい人は、宝の山に見えるでしょうねえ。



  同じく、蓮興寺の帰りに、別の空き地で見た、「ルノー 4(カトル)」。 1961から、1992年まで生産されていた、ロング・セラー車です。 もはや、放置車というより、廃車という趣きですが、やはり、部品が欲しい人は欲しいでしょうなあ。 日本では、さほど、知名度が高くないですが、いわゆる、名車でして、熱心なファンは、いると思います。

  ところで、ダイハツに、「ミラ・ココア」という車種がありますが、あのデザインは、このルノー4から、イメージを戴いたのではないかと、私個人的に、疑っています。 同じダイハツで、「初代ミラ・ジーノ」は、「英ミニ」、「エッセ」は、「ルノー5(サンク)」、「初代コペン」は、「ポルシェ356」と、どうも、手本が分かり易過ぎる気がしますが、そんな事に微塵も気がつかないまま、買った人も多い事でしょう。


  ルノー4と同じ所にあった、マツダの、オート三輪。 調べてみたんですが、たぶん、「T1500」という車種ではないかと思います。 1962年から、70年代初頭まで作られていたとの事。 ちなみに私は、子供の頃、オート三輪を見た事はあると思いますが、はっきりした記憶がなく、乗せてもらった事は、一度もありません。

  これは、もはや、ファンが欲しがるというより、博物館が見に来るような代物ですな。 一体、何十年、ここに、停まっているんだか・・・。



  7月22日に、象山(徳倉山)の、香貫台登り口の近くで見つけた、4代目ダイハツ・ミラ(1994-1998年)。 3ドアですが、5ナンバーなので、乗用タイプです。 アルミ・ホイールを履いています。 塗装にくたびれ感があるものの、大きな凹みや傷はないようで、大事に乗られている事が窺えます。

  この車、後ろ姿が、セルボ・モードに似ていて、見間違え易いのですが、セルボ・モードと同じくらい、この型のミラも、見なくなりました。 最終年の車でも、今年でもう、19年ですからねえ。



  9月1日に、我入道海岸まで、歩いて行った時、道すがら撮った写真。 ダイハツ・ミラの4代目(1994-1998年)です。 7月に、象山の麓で見つけたのとは、違う車両で、向こうは、乗用タイプでしたが、こちらは、4ナンバーなので、ボン・バンです。 ホイールは、シルバー塗装の鉄製。

  ちなみに、今は、極端に減ってしまい、ボンバン(軽貨物)を知らない人もいると思われるので、少し説明しておきます。 貨物車ですから、荷室を広く取る為に、後席シートが、乗用よりも、ずっと前方に設置されていまして、前席を、限界まで前に出さないと、後席に大人が乗る事ができません。 大人でも、女性だけなら、前後のスペースを案配して、何とか、四人乗れるか、といったところ。

  ただ、足元が狭い後席でも、小学生くらいまでの子供なら、さほど、無理なく乗れるので、80年代に、アルトやミラが登場した時には、子育て中の女性に受け入れられて、馬鹿売れしたのです。 登場した当初は、50万円前後と、安かったですし。


  写真の車に話を戻します。 経年で、塗装が艶を失い、のっぺりしてしまっていますが、キズや凹みは、見える側に関しては、ないようです。 これも、大事に乗っているんでしょうねえ。

  98年以前の軽ですから、旧規格で、車幅が狭いです。 私のセルボ・モードと同じ。 何の気なしに、ぶらぶら歩いていて、旧規格の軽を見られるのは、今くらいが限界で、あと、5年経てば、苦労して捜さない限り、見つからなくなると思います。

  セルボ・モードに似ているから、というのを別にしても、この型のミラは、いいデザインだと思います。 この後の5代目になると、妙にレトロっぽくなって、不格好になってしまうんですわ。 ミラ・ジーノのベースにする為だったのではないかと思っているのですが、本当の所は分かりません。 5代目に関しては、ミラを買うより、ミラ・ジーノを買った方が、満足度が高かったのでは? もはや、それすらも、昔話ですけど。

2017/12/10

伊豆・村の駅

  前回、日記ブログから移植した紀行文でお茶を濁したのですが、似たような紀行文が、もう一つ、あるので、それも出してしまいます。 ちなみに、12月に入ってからの私は、これといって、やらなければならない事はなく、時間をドブに捨てるような過ごし方をしているのですが、その暇を使って、ブログの記事を書きましょうという気には、なかなか、ならないんですな、これが。




  10月30日に、折自で、三島市の、国道136号線沿いにある、「伊豆・村の駅」というところへ行って来ました。 もう何ヵ月か前になりますが、テレビの旅番組で紹介された所。 「道の駅」というわけでもないようなのですが、まあ、似たようなものでしょう。


≪写真1≫
  行く途中、清水町から、三島市に入って、間もない所。 刈り取る寸前の稲。 背景に、富士山が見えます。 富士山は、沼津より、三島の方が、よく見えます。

≪写真2左≫
  136号線を南下して行くと、右側、つまり、西側に、「伊豆・村の駅」があります。 こういう看板が立っていますが、はっきり言って、分かり易いとは言い難いです。 カー・ナビがある人は、それに頼った方が、無難。

≪写真2右≫
  入るとすぐに、駐車場で、その奥に、建物があります。 駐車場は、他にもあって、満車になるような事はないと思います。

≪写真3≫
  中心的な建物。 伊豆半島の産物が売られています。 直売の農産物、多し。 この建物の続きで、左側には、魚介類の売り場もあります。

≪写真4≫
  中心的な建物の、南側に設けられた、駐輪場。 お世辞にも、広いとは言えませんが、車客の方が多いので、二輪置き場は、このくらいで間に合っているのだと思います。



≪写真上≫
  伊豆・村の駅の中にある、「花子の生活」という名の、園芸品店。 草冠だけ色が違うので、「化子の生活」に見えます。

≪写真中≫
  これが、伊豆・村の駅、最大の売り、「たまご専門店 TAMAGOYA」です。 卵と、卵を使った菓子などを扱っています。

≪写真下≫
  翌日10月31日に、車で母と行った時に、「TAMAGOYA」で買って来た、「たまごたっぷりん」という、贅沢なプリン。 器は実際の卵サイズですが、値段は、250円もします。 私は要らないと言ったのですが、母が、1個だけ買うのが恥ずかしくて、2個買ってしまいました。

  帰って来て、昼食後に食べましたが、確かにうまかったものの、量が少な過ぎて、食べた気がしませんでした。 器の値段が、100円くらい、してるんじゃないですかね? 白いですが、材質は、素焼きの焼き物のような感じ。 保存してありますが、一輪挿しにするには、ちと、小さ過ぎですな。




  記事は以上です。 あまりにも短いので、少し加筆しておきますと、母を車に乗せて、スーパーと病院以外の場所に行ったのは、久しぶりでした。 母は、この夏の間に、めっきり出不精になり、どこかへ出かけたいと、自分から、言わなくなってしまったのです。

  糖尿病の薬のせいで、トイレが近くなり、遠出を敬遠していたのは、夏以前も同じだったのですが、今は、それだけでなく、出かけたいという意欲そのものが失せてしまったように見えます。

  若い頃は、旅行が趣味で、機会があれば、逃さず出かけて、日本全国を飛びまわっていたのに、そんな人が、ここまで衰えるとは、想像もできませんでした。

2017/12/03

伊豆ゲートウェイ函南

  今週は、植木の手入れで忙殺されていたので、このブログの記事をどうするか、考えていませんでした。 これを書いているのは、12月1日、金曜日ですが、今から、記事を書くのも面倒なので、日記ブログの方から、移植します。 ・・・、わざわざ、こんな言い訳をするまでもなく、昨今のここの記事は、ほとんど、他のブログからの移植なんですけど・・・。





  9月3日に、折自で、日守大橋を渡り、右岸の土手沿いに、下流へ向けて走っていたら、新しい施設が出来ているのを見つけました。 そこが目的地ではなかったので、寄らなかったのですが、家に帰ってから調べたら、「伊豆ゲートウェイ函南」という、道の駅だとの事。 で、9月8日に、今度は、旧母自で出直し、見て来ました。

≪写真1≫
  メインの建物の、一番高い部分。 すぐそばから撮って、この大きさですから、看板が小さ過ぎです。 伊豆中央道沿いにあるのですが、道路からでは、目に入って来ないと思います。 しかし、他に、案内標識がいくつもあるので、ここに道の駅がある事が分かっている人なら、辿り着く事はできます。

≪写真2≫
  メインの駐車場。 道の駅ですから、当然ですが、収容台数は多いです。 とはいえ、広大という程でもありません。 店舗施設の規模から考えると、適度な大きさなのかも。

≪写真3≫
  建物は、□形に、配置されていて、中庭があります。 伊豆の特産品を置いている土産物店や、飲食店がありました。 土産物店は、床面積が小さく、品数も、お世辞にも多いとは言えなくて、他人事ながら、心配になってしまうくらいでした。 高速道路のサービス・エリアとは違うわけですが、昨今は、巨大な道の駅が、あちこちに出来ているので、そういう所と比較されると、厳しいでしょう。

≪写真4≫
  建物の一角に、セブン・イレブンも入っていました。 こちらの方が、利用者は多いかも知れません。



≪写真1左≫
  この道の駅、自転車で立ち寄る客を意識して、設備を整えたのだそうで、随分と立派な駐輪所がありました。 本来の対象は、ロード・レーサーなどの、ツーリング客なのでしょうが、旧母自も、れっきとした自転車ですから、堂々と利用させて貰いました。 といっても、前輪を入れるだけですけど。

≪写真1右≫
  前輪を入れる器具ですが、自転車のピクトグラムが、打ち抜いてありました。 中の方が落ちてしまわないように、頭を使って、デザインしたんでしょうな。

≪写真2左≫
  伊豆中央道の上を跨いで、狩野川の土手道からも入って来れるようになっています。 その跨道橋に上がる為に、建物に造り付けられた、階段とスロープ。 階段は、普通の傾斜ですが、スロープの方は、明らかに、急過ぎです。 スポ自なら、軽いですから、何とかなりますが、軽快車や、電動アシスト車では、危険な角度ですな。 もちろん、乗ったままの昇降など、とても、できません。

≪写真2右≫
  バイク置き場のピクトグラム。 なるほど、これは、バイクに見える。 ちと、バイクの形が古めかしいですが、誰が見ても、バイクに見えるとなると、こういうオーソドックスな形を選ばざるを得ないのでしょう。 自転車のピクトは、多く見ますが、バイクのピクトは、割と珍しいです。

≪写真3≫
  建物の屋上から見た、サブ駐車場。 メインと同じくらいの台数が入るんじゃないでしょうか。 しかし、あそこから歩いて来るのは、ちと、かったるそうですねえ。 たぶん、従業員の車は、サブにとめるように、決められているのだとは思いますが。

≪写真4左≫
  土手道に渡る、跨道橋。 「ふじみはし」という名前がついていました。 富士が見えるんでしょうなあ。 私が行った日には、見えませんでしたけど。

≪写真4右≫
  建物の屋上に設えられた、ベンチ。 下に、石が詰められています。 理由は不明。 屋上で、石? うーむ、分かりません。