2010/10/03

奥の寄り道

  先般より報告しているように、2010年10月3日から、半年間、岩手の工場へ応援に行くので、このブログは休止します。 応援というと分かり難いですが、普通の会社で言うと、長期出張という事になりますか。 今週は、もう記事を書いている余裕が無いので、日記の方から、ここへ至る二週間の軌跡を抜き出して、お茶を濁そうと思います。


≪9月16日 木≫
  会社で、岩手工場応援の話が、私に名指しで来ました。 なんと、10月から来年の4月まで、7ヶ月間も。 私はもう十年以上、他工場へ行っていないので、最有力候補にされてしまった模様。 一応断ったものの、他にいないとなれば行かざるを得ません。 やっべーっすねー。 しかし、嫌だ嫌だと思いつつ、心のどこかに、新しい環境に身を置いてみたい気もあるのです。

  以前と違って、もう、見たいテレビ番組も無いですし、熱中している趣味もありません。 大きな買い物どころではなくなるので、いい加減うんざりして来た自転車問題に決着がつけられるのも、勿怪の幸いというもの。 向こうは、すぐに雪の季節ですから、自転車が欲しいなどとは思わなくなるでしょう。

  パソコンが使えなくなるので、ネットはその間休むとして、一番厄介なのは、亀の世話をどうするかです。 連れて行くわけにはいかないですから、父に預けるしかありませんが、果たして冬を乗り切ってくれるかどうか。

  まあ、まだ決定したわけではありませんが、一応覚悟だけして、あれこれと対策を練っている次第。 だけどねー、精神衛生的には、むしろ、積極的に行った方がいいと思うんですよ。 あんまり長い事、同じパターンを繰り返す生活を続けていると、心が腐ってきますけん。


≪9月17日 金≫
  岩手応援、決定!

  いえ、決して、ゆめゆめ、喜んでなどいません。 しかし、まあ、しょうがないですな。 期間ですが、昨日の話より1ヶ月縮まり、10月4日から来年の3月31日までになりました。 10月3日が移動日なので、あと、二週間はこちらにいられます。 何だか、中途半端な気分で過ごす二週間になりそうです。


≪9月19日 日≫
  まだ二週間あるので、準備は来週以降とし、今日は普通に父自で出掛けて過ごしました。 三島の大社付近をうろちょろと。


≪9月23日 木≫
  岩手応援の説明書類が来ました。 私の行く寮は、北上市内にあるらしいです。 工場までバスで一時間もかかるのは馬鹿馬鹿しいですが、北上市は大きな街なので、休日の楽しみ方を考えるなら、そちらの方が都合が良いとの情報。 そんなものでしょうか。

  冬は猛烈に寒いらしいですが、年内は雪は降らないだろうとのこと。 つまり、三ヶ月は、自転車が使えるわけだ。 しかし、たった三ヶ月のために、向こうで自転車を買うのは、たとえ、特売7000円くらいの品であっても、勿体無いような気がします。


  応援が近づいているせいか、毎晩、変な夢を見ます。 一昨夜のは長編で、SMAPのメンバーとともに、遠くの街へ行かされ、たまたま発生した山火事を消すために、悪戦苦闘するという話でした。 最初は、休憩所のような所で世間話をしているのですが、ふと、窓の外を見ると、見渡す風景のあちこちに赤い物が見え、「おいおい、火事だ。 消しに行かなきゃ」 という事になるのです。

  山裾にある村の、家といい納屋といい、ありとあらゆる建物に飛び火していて、とても手に負えない有様。 農家の軒下に吊るしてある大きな消火器を引きずりおろすのですが、使い方が分からないので、叩いたり蹴ったり、不手際この下無し。 また、消火器が噴射しても、なかなか消えないんですわ。

  火事場に出動する前に、上司から連絡用に携帯電話を渡されます。 古い型なんですが、一応折り畳み式で、片手の掌にすっぽり包み込めるほどにコンパクト。 私は携帯を持った事が無いので、興味が湧いて、「充電はどうするのかな?」 と、あれこれ弄っていると、ボディーの一部がくるくるっと回って、中からコンセント用のプラグが出て来ました。 「うっそだ~」 いくら何でも、コンパクトに出来すぎ。 たぶん、電気髭剃りとごっちゃにしてるんでしょうな。

  最も奥まった所にある農家へ行くと、一見、無事なように見えるのですが、長屋門の郵便受けから炎が噴き出していて、中が火の海になっている事が分かります。 母屋の窓から中を覗き見ると、燃えてはいませんでしたが、何十年も使われていないような布団が、埃に塗れて灰色に変色しており、「もし、この布団で寝ろといわれたら、たまらんな~」 と思ったところで、目が覚めました。 一体、何を暗示しているのやら。


≪9月25日 土≫
  ぼちぼちと、岩手応援に行く準備を開始。 こうなる事を予期していたわけではなく、単なるズボラの結果ですが、15年前に田原に応援に行った時の荷物を、鞄ごと保存してあったために、割と円滑に準備が進行しています。

  兄の結婚式の時の引き出物が入っていた大きな紙袋があり、田原へ行った時にも、それに衣類を入れて行ったのですが、今回、ためしに、洗濯ハンガーを折り畳んで入れてみたところ、対角線をいっぱいに使えば、収まる事を発見。 よっしゃ、重大問題が一つ解決した! 何でも、やってみるものですな。 洗濯ハンガーが無いと、洗濯物が干せないのですが、持って行けずに、現地で買うと、現地で捨てて来る事になり、大変な無駄だったのです。

  鞄の中に、田原で書いていた日記ノートが入っていたんですが、たった二ヶ月しかいなかったのに、一冊びっしり文字で埋まっていて、びっくりしました。 こんなに書いた記憶は全くありません。 他にやる事が無かったんでしょうねえ。 今回は半年なので、一体どうなる事やら。 ああ、ミニ・ノート・パソコンでもあればなあ。 もっとも、書いた記憶が残っていないという事は、書く事が楽しかったわけではないという証拠でもあり、あまり、日記に入れ込むのも考えものかもしれません。 ノート・パソコンなんて高い物、買えるもんですか。 向こうで使うのはいいとしても、帰って来たら、使い道がありません。

  独身寮というのは、大抵、六畳の和室になっていて、テーブルも椅子も無いのが欠点。 朝晩の食事は部屋でするので、テーブルが無いと、非常に不便なのです。 誰でもそう感じるはずなのに、なんで、テーブルを備品にしてくれないのか、つくづく不思議です。 田原に行った時は、家に電話して、小型のテーブルと座椅子を宅配便で送って貰いましたが、今回は遠いので、それはやめようと思っています。 何とか、現地で、テーブルの代用品を手に入れられないものか、思案中。


  両親とともに、末期癌で入院中の叔父さんの所へ、見舞いに行きました。 偶然、東京在住の叔父さん叔母さん達も来ていて、想定外の大見舞い団となりましたが、四人部屋を個室として使っている部屋だったので、狭い感じは全くしませんでした。 入院した叔父さんは、モルヒネ浸けで、意識朦朧。 しばらく、うわ言のような意味が通じない言葉を発していましたが、やがて目をつぶり、口で息をするだけになりました。 後は、親戚とうちの両親で、四方山話。 みんな、病気で入退院を繰り返しているそうで、昔日の面影無し。 私の親の世代が、もう先が長くない事を思い知りました。 私も歳を取りましたけど。


  私が、応援の準備で忙しいというのに、今朝になって父が、「地デジ録画機を買って来い」 と無茶苦茶な事を言い出しました。 私が戻って来るのが、来年の4月なので、アナログ停波の7月まで間が無いと計算し、行く前に設置させようと、勝手に予定を組んだのでしょう。 仕方なく、大急ぎで広告チラシを調べて、シャープのブルーレイ・ダブル録画タイプを、54000円で買って来ました。 お金は、もちろん、父持ち。

  しかし、なんで、よりによって、今、そんな事を言うのか、どうにも釈然としません。 父は非常に温厚な性格で、そんな無茶な事を言う人ではなかったんですが、歳を取って、他者への配慮に気が回らなくなって来たのかもしれません。


≪9月26日 日≫
  朝から、父に買って来た、ブルーレイ録画機の設置作業。 なんで、応援直前だというのに、こんな面倒くさい事をせねばならんのか。 ケーブル・テレビなので、アンテナ接続は簡単でしたが、設定が厄介。 地デジで見られるのは、民放の地方4局とNHK2局だけで、他は、地アナでしか映らないのですが、一局ずつチャンネル設定していかなければならず、うんざりしました。

  なぜか、画質が肝腎の地デジの方で、画面比率がおかしくて、縦長になってしまいます。 設定を、あれこれ弄くっても駄目。 テレビがノーマル・サイズのブラウン管だからでしょうか。 ワイド・サイズの液晶に買い換えろという、メーカーの嫌がらせかもしれません。

  ただ見るだけでも悪戦苦闘ですから、番組表録画やダブル録画、リスト再生なんぞ、もうチンプンカンプンです。 説明書が厚過ぎるでなも。 こんな機械、全機能を使いこなせる人間がいるんでしょうか。 メーカーの社長を連れて来て、使ってみろと言ったら、絶対使えないでしょう。

  父は、「ビデオ・カセットの代わりに、ブルーレイ・ディスクを使う機械」 という事は分かっていたようですが、ハード・ディスク・ドライブに関しては、存在すら知らず、ブルーレイ・ディスクを入れなくても録画ができる事を理解させるのに、えらい苦労をしました。 その程度の認識で、応援前の私に、録画機を買いに行かせたのかと思うと、ますますムカムカして来ます。

  大体、ケーブル・テレビでは、来年7月以降もアナログ放送を続けるから、地デジ対応を急ぐ必要なんて無いんですよ。 その事も、今までに何度も説明しているんですが、人の話なんか聞いちゃあいないのです。 これだから、歳は取りたくない。

  私自身、説明書を見い見い、試しながら、父に使い方を教えているような有様で、不効率極まりないので、ごく基本的な事だけやって見せて、後は説明書を渡して、自分で読んで貰う事にしました。 そんな暇無いんですよ、私は。

  ところが、午前中、そちらに忙殺されたせいで、疲労困憊してしまい、午後は居間で眠りこけて、何もできませんでした。 どうしようもないねえ。


≪9月27日 月≫
  今回の応援ですが、二つの対処法があります。

・ この半年を人生の一部と考えて、積極的に観光などして、果実を得ようとする。
・ この半年を人生の例外と考えて、健康を維持する以外何もせずに、期間が過ぎるのを待つ。

  どちらを選ぶかによって、生活姿勢は大いに異なります。 15年前の田原応援では、どちらかというと、前者でしたが、確かに観光地巡りの記憶が残ったものの、そんなに楽しかったというわけではなく、積極的に動いても、成果は知れているという見方もできます。

  何かしなければならないという強迫観念に囚われてしまうと、精神衛生に良くありません。 ビデオ・デッキやミニ・ノート・パソコンにしても、無ければ無いで済むのですが、一度必要だと思い込んでしまうと、手に入れるために奔走する事になり、それが精神を圧迫する事になります。

  根本から考えてみれば、人間は、生物的には、≪食事≫と≪睡眠≫だけとっていれば死にませんし、それプラス、≪入浴≫と≪洗濯≫をやっていれば、社会的に問題が起こる事もありません。 他の事をやろうとするのは、単なる暇潰しでしょう。

  前者を選ぶと、そもそも満足など得られない環境なのに、強引に満足を得ようとして、果てしなく疲労していくだけのような気がします。 初めての応援ではないし、後者を選ぶのが賢明でしょうか。


≪9月28日 火≫
  応援の準備はしているのですが、不思議な事に、新しく買った物は、まだ一つもありません。 田原応援の時の荷物が、鞄ごと残っていたので、それを基本にして、日常使っている物を、追加しているだけだからです。

  洗剤、箱ティッシュ、傘、箒、塵取りなど、荷物になる物は向こうので買うので、こちらで買わなければならない物というと、トランクスが一枚だけという事になります。 なぜ、トランクスだけ、こちらなのかというと、100円ショップで買うので、向こうに行って、すぐに100円ショップが見つからないと、穿く物が無くなる恐れがあるからです。

  ちなみに、洗濯は週に二回を予定しています。 週一だと、下着類が7セット要る事になり、それだけで大荷物になってしまいます。 毎日洗濯するなら、2セットで済みますが、洗濯機は一回100円取られますし、時間もかかるので、そうも行きません。 で、按配のいいところで、週二という線に落ち着くわけです。 週二なら、4セットあれば、何とか回ります。

  実に下らない計算ですが、一人暮らし、しかも期間限定の仮暮らしをするとなると、こういうチマチマした計算をたくさんしないと、事が円滑に進まないのです。 仮暮らしのアリエッティーなのです。 何年も住むのなら、いろいろ買い溜めてもいいのですが、半年で終わってしまうのでは、最初から撤収する時の事を考えておかなければなりません。

  もう一つの難問は、食事ですな。 田原応援では、昼だけ食堂で定食、夜はカップうどん、朝はバター・ロールという構成でしたが、常に空腹感を覚え、体重はどんどん減りました。 二ヶ月で終わったから逃げ切れたようなものの、半年では、栄養失調で餓死する恐れあり。 今回は改良しなければなりますまいな。


≪9月30日 木≫
  いよいよ、こちらでの仕事が終了。 明日の金曜は、応援の準備という事で、有休を取りました。

  今日で最後という事で、同僚の面々から、思いの外、暖かい餞の言葉を貰いました。 普段、あまり人付き合いが良くない私なんですが、みなの犠牲になるような形で行くせいか、送り出す方に一抹の後ろめたさがある様子。

  ちなみに、私が去った後、こちらの工場では、生産が半分以下に減って、一直体制になります。 応援を出しても尚、人が余りに余り、一人当たり三日、無給休暇を取らせて、出費を削るのだとか。 三日分減るというと、3~4万円くらいでしょうか。 みんな、戦々兢々。 一方、お金なんぞ全然欲しくない私は、出張費で潤って、一月10万円くらい、給料が多くなります。 皮肉な話ですな。


≪10月1日 金≫
  遅番明けだったものの、朝9時に起きて、一日中動き回りました。 しかし、まだ、準備が終わりません。

  バイクは、半年間 寝かせるので、ガソリンを満タンにし、キャブレーターのガソリンを使いきり、バッテリーを外しました。 父に頼んで、一ヶ月前倒しで散髪。 トランクスを買い足し、亀用の乾燥小エビも買って来ました。 衣類は、ほぼ詰め終わり、後は、現在 着ている物を洗濯して、入れるだけ。

  明日は、亀の室内箱を庭のプレハブ内に設置し、亀を移し、ベランダの外箱を片付け、父に世話の仕方を伝授する事になります。 これが厄介。 亀の飼育はノウハウの塊なので、口や文章で説明して、伝わるかどうか。 何とか、冬を越してくれればいいんですが。


≪10月2日 土≫
  明日の朝には、もう出発するので、これが最後の更新になります。 行き先は、岩手県の北上市。 勤務先は、南隣の金ヶ崎町。 期間は、とりあえず、3ヶ月。 だけど、延長されて、半年になる可能性が高いです。 というか、半年になる事を前提に送り出されています。 ただ、円高が進むとか、応援先で作る車種の売れ行きが悪いとか、そういう状態になれば、3ヶ月で帰れる公算もあり。

  一人暮らしは、15年ぶり。 まずは、食事、入浴、洗濯のパターンを確立し、私生活を安定させる事が課題ですな。 特に、食事は難敵。 仕事内容はもっと難敵かもしれませんが、それは行ってみなければ分からないので、今から心配するのは無意味。

  母から、「連絡用に携帯電話を買って行け」 と言われましたが、プリペイドの一番安いものでも、6000円強するので、私としては乗り気でありません。 買えば、使い方を覚えなければならないわけですが、行く前日になって、説明書と格闘するのも御免被りたいです。

  ビデオ・デッキは諦めました。 向こうのテレビがどんなタイプか分からないので、持って行ってつかなかったでは、アホだからです。 それに、15年前と違って、連続で見たい番組がほとんど無いので、たぶん、必要無いでしょう。

  ミニ・ノート・パソコンは、そもそも持っていませんから、持って行くとしたら、買う事になるわけですが、期間が終われば用無しになってしまうのが分かりきっているので、やはり、没。 日記くらいなら、紙のノートで充分でしょう。

  カメラは、向こうでできる唯一の趣味になりそうなので、X70と、HDC-2を持っていく予定。 メモリーを使い切らぬように、なるべく小さなサイズで撮り、3ヶ月もたせるつもりでいます。


  さて、以前書いた、「この半年間を、人生の一部として楽しむか、人生の例外として耐えるか」 ですが、現在のところ、耐える方向で行こうと思っています。 「転んでもただでは起きない」 とか、「損して得取れ」 といった考え方は、魅力的ではあるものの、実行には多くのエネルギーが必要で、今の私の年齢では、かなり厳しいです。 「せっかく遠くへ来たのだから、観光しなければ」 という強迫観念に取り付かれると、休みが地獄になってしまう恐れあり。 今回は、移動できる足が無いので、尚更です。

  とりあえず、耐えて暮らし、もし、退屈で仕方ないという気分になったら、その時、また考える事にしましょう。 もっとも、方針変更したとしても、電車・バスを使ってまで、観光はしないと思いますが。


  心配なのは、残していく亀の事です。 何とか、生き延びてくれ。 バイクは、最悪でもバッテリーを交換すれば生き返るので、それほど心配しなくてもいいと思っています。 パソコンが壊れる可能性もあるのですが、そちらも、いざとなれば、買い替えればいいでしょう。 やはり、亀が一番の問題か。 出発してしまえば、私にはどうする事もできませんが。


≪10月3日 日≫
  では、行って来ます。 暮れには帰って来るので、その時には、更新する予定。 うーむ、今回の応援で一番の利益は、行っている間、このブログを書くのに時間と手間を取られないで済む、という事ですかねえ。