2011/01/30

自転車欲しい病の行方

  岩手に行く前に懸案になっていた、スポーツ自転車購入計画ですが、向こうにいる間は、当然の事ながら、自転車を買える境遇ではないので、停止していました。 先輩から借りた折りたたみ自転車を使っていた一ヶ月間は、もちろん、自転車を買う必要などありませんでしたし、返した後の二ヶ月間も、自転車の事は、あまり念頭に浮かびませんでした。 寒すぎて、歩きですら苦痛を感じるほどだったので、「自転車なんか、とんでもない!」 と思っておったのです。

  「もしかしたら、家に帰ったら、ぶり返すかもしれないな」 とは思っていたんですが、本当にぶり返しました。 いやあ、もう、この一ヶ月というもの、自転車の事で頭が一杯で、他の事は何も考えられないという、ひでえ有様。 病気だね、完全に。

  一ヶ月も悩んでいるわけですから、紆余曲折も限りを尽くしているわけで、ここで細々書くわけには行きませんが、現在の情況だけ、軽く報告します。


≪ドロップハンドルのロードバイクは諦めた≫
  最初の頃は、本気でこれを買うつもりで、候補を見繕っていたのですが、すったもんだの検討の挙句、断念しました。 決め手になったのは、自転車そのものの問題ではなく、乗る際の服装です。 ロードバイクの場合、あの派手なヘルメットを被り、体にぴったりした専用のウエアを着なければならないのですが、私の感覚が、そのスタイルを許さなかったのです。 いい年こいて、あんな格好ができるかよ。

  「別に、法律で規制されているわけじゃないんだから、普段着で乗ってもいいんじゃない?」 と思うでしょう? 私も、そう思っていた時期があります。 だけど、ロードバイクの本来の特性を考えると、普段着で乗るというのは、目的と矛盾しているのですよ。 車重を軽くしてあるのも、前傾姿勢がきつくなるようにしてあるのも、全ては、少しでも速く走るためでして、自転車の最大の敵である空気抵抗を減らすためには、体にぴったりしたウエアを着なければ意味が無くなってしまうんですな。

  ヘルメットの方は、必ずしも空気抵抗を減らすのに寄与しているとは言えませんが、ウエアを着たら、メットも被るのが普通でしょう。 メットだけ被って、服は普段着という人はいますが、その逆は見ません。 ちなみに、スポーツ自転車の世界では、業界挙げて、ヘルメット装着を強要する傾向が見られますが、法律上は、子供以外、装着義務は無いです。 自分が被っているからといって、他人にも被れと命じるのは、個々人の自由を保障した憲法違反になりますから、ご注意を。


≪折りたたみ自転車の改造は諦めた≫
  かなり前に書いたように、私は、折りたたみ自転車を所有しているのですが、この折自、シート・ポストが短すぎて、サドル・ポジションが出せません。 以前は、何とも思っていなかったのですが、サドル・ポジションを出して漕ぐ快感を知ってしまった今では、とても乗れるものではなくなってしまいました。 ポストを長いものに換えればいいわけですが、400ミリくらいのが必要になるので、ホームセンターでは手に入りません。 自転車店で注文すれば、スポーツ自転車用のがあるにはあるらしいのですが、2000円以上する様子。

  それだけなら、まだいいのですが、ペダルが折りたたみ式の片面タイプでして、漕いでいる途中で勝手に折り畳まれてしまったり、裏面が上になると、引っ繰り返さなければ足を乗せられなかったりで、大変不便なのです。 グイグイ漕ごうと思ったら、ペダルも交換しなければなりません。 これが、一番安いものでも、600円くらい。

  それだけでも、まだ大した出費とは言えませんが、よく見ると、クランクも160ミリしかありません。 ちなみに、普通の軽快車についているのは、165ミリ。 スポーツ自転車では、170ミリのもあります。 クランクというのは、そうそう換える人がいないのか、ネット通販でも売ってないと来たもんだ。 こりゃもう、どうしょもないですな。

  とどめが、ギアが無段だという事です。 平地で普通に漕ぐと軽過ぎる程度のものがついています。 これを多段に換える事を検討しましたが、後輪の軸の幅が狭いため、不可能と判明。 「そんなもん、無理やり広げれば入る」 という意見もありますが、溶接部分がミシッと行ってしまったら路上分解しかねないので、やめておいた方が無難と見ました。 更に、多段ギアの値段が高い。 というか、かなり特殊な需要なので、普通に売っているものではないらしいのです。 外装6段は、全く手に入れる方法が無く、内装7段だと、8000円くらいするとか。 それプラス、シフターも必要なわけで、軽く一万円を超えてしまいます。 冗談じゃないですよ。 送料込み一万円で買った自転車に、それ以上の改造費なんてかけられるもんですか。


≪クロスバイクは、高い割に、重い≫
  ロードでなければ、クロスにするしかないわけですが、このクロスバイクというのが、実に中途半端でして、極端な性格の私には、「ぬるい」 と思えてなりません。 値段は4万円以上するのに、車重は12キロくらいあって、軽さにお金を払う感覚があるスポーツ自転車としては、その存在に矛盾を感じるのです。 私の場合、置き場所の問題もあり、高い物は盗難の恐れがあるので屋外に置けず、重い物は階段を運び上げられないので自室に置けません。 クロスでは、どっちにも転べないわけですな。 という事で、パス。


≪シティー・サイクルの方が、スポーツ自転車よりカッコよく見える≫
  シティー・サイクルというのは、男子高校生が乗っている、荷台が無い軽快車の事です。 フレームの前後を結ぶパイプが直線で、ほぼ平行に二本並んでいるのを、スタッガード型と言いますが、あれですな。 べたべたの一般車なんですが、カッコいいんですわ、あれが。 ドロップ・ハンドルのロードよりも遥かに美しく、実用性が高いという点で、クロスよりも価値が高いように感じられます。

  値段も、27インチ・外装6段で、一万円台前半と、大変お手頃。 シート・ポストを300ミリの物に換えれば、サドルポジションも出せます。 ハンドルを目一杯落としても、前傾度は知れていますが、市街地用なので、それほどの前傾は必要ないでしょう。 というか、前傾していない方が、楽です。 首が回しやすいので、安全性も高くなります。

  前籠があるので、買い物に使えるのは、大変ありがたいです。 チェーン・ケースがついてますから、右足のズボンの裾をバンドで留める必要も無いですし、ロックが標準装備なので、ワイヤー・ロックを持ち歩く煩わしさもありません。 なにより、いいのは、値段が安いので、屋外に置いておいても、盗まれる心配がほとんど無いという事でしょう。 これは、心強い。

  シティー・サイクルの問題点は、その重さです。 18キロくらいあるので、下手すれば、ロードの倍。 便利な装備をつけると、否が応でも重くなってしまううわけですな。 重いと、平地では加減速が悪くなりますが、一度速度が乗ってしまえば、むしろ速度維持が楽になります。 一方、上り坂では、重力が大きくなるため、明らかにきつくなります。 よく、丘の上にある学校へ、立ち漕ぎで、えっちらおっちら上って行く高校生を見かけますが、見るからに辛そうで、同情に耐えません。 ロードなら、ずっと楽に上がれるのにねえ。

  シティー・サイクルというのは、その名の通り、平地の市街地で使うのに適した特性を持っているわけですな。 タイヤが太いので、歩道も平気で走れます。 ロードでは、乗り心地が硬すぎて、車道しか走れず、市街地では危なくて仕方ありません。 クロスは、歩道もOKですが、前籠やロックなどの装備が無いので、買い物に使うのは不便です。

  シティー・サイクルの装備で、私が必要としていないのは、泥除けとライトです。 休日にしか乗らないので、雨が降っていたら、当然 出掛けないわけで、泥除けはいりません。 夜は乗らないので、ライトも不要。 泥除けとライトを取ってしまえば、2キロ以上軽くなります。 実際、そういう事をやっている人も見かけますが、わたし的には、ちょっと気が進みません。 高校生なら許されても、大人がやるとみっともない事というのは厳に存在するのであって、自転車の改造も、その内に入ると思うからです。 買ったままの状態で乗るのが、一番カッコいいと思うのですよ。 「私は、自転車になんか、全然拘っていませんよ」 という風を装うのがいいのです。 本当は骨までしゃぶる勢いで、拘っているのですが。


≪せっかく、スポーツ自転車を始めるというのに、シティーでいいのか?≫
  これだよ。 シティーに決めかけると、この根源的問いかけが出て来てしまうのです。 「シティーにするなら、別に父の軽快車でも代用が利くのではないか」 と思ってしまうのですよ。 つまり、新しく買う必要などないというわけだ。 父の自転車は、内装3段ですが、市街地で走る分には、さほど不便を感じません。 ただ、乗るたびに、私のポジションまでサドルを上げなければならないのが、少し面倒なだけです。 たったそれだけの利点のために、わざわざ、自転車を一台、新調しますかね?


≪ブルホーン・バー・ロード≫
  隣町のホームセンターに、ブルホーン・バー・ロードが三万円で売っています。 すでに生産中止になっている車種で、売れ残りなんですが、これがなかなかカッコいい。 ドロップ・ハンドルでない上に、色もダークグレーで、派手さが全く無いため、普段着で乗ってもおかしくありません。 クロスバイク感覚で乗れるわけですな。 なにより、値段の安さが魅力。 ロードの性能を保ちつつ、普段着で乗れて、更にクロスバイクより安いのですから、こんなにお買い得な品もありますまい。 しかし、基本的にロードなので、市街地で使い難いのは、火を見るよりも明らか。 どーしたもんかねー。


  つまりそのー、私が自転車をどんな風に使いたいか、主肝腎なその点が、定まっていないんですよ。 遠出や登坂がしたいなら、ロードがいいですが、そんな使い方は、すぐに飽きるような気もします。 いや、私の根気のない性格から考えて、必ず飽きるでしょう。 家から出発する点は、毎回 変わらないわけですから、行き先も大概 同じ所に決まってくるわけで、同じ事を繰り返していて、飽きないわけがないのです。

「買ったからには、意地でも続けるぞ!」

  駄目駄目、信用できるか、そんな空証文。 そもそも、「意地でも」 という考え方が、すでに間違えています。 趣味とは、楽しむためにやるものであって、歯を喰い縛って続けるものではないからです。 今までの経験で、それは、身に染みて分かっています。


  シティーは、わざわざ買う意味が無く、ロードは、すぐに飽きるのが目に見えている。 となると、買う物がなくなってしまいます。 つまり、理詰めで考えていくと、私は、新しい自転車を必要としていないという結論に至ってしまうんですな。 でも、欲しいんですよ。 やれやれ、どうしたもんですかねえ。

2011/01/09

岩手応援

  どうにかこうにか、生きて帰って来ました。 当初、半年の予定でしたが、三ヶ月で終わりになり、心から喜んでいます。

  12月23日(木)に、岩手での仕事が終わり、その後すぐに電車に乗って、翌24日(金)の昼頃に、沼津に帰り着きました。 片付けに手間取った上、28日(火)には、元の職場の方へ出勤しなければならなかったので、ネットは後回しに…。 個人サイトの方は、昨年中に更新を再開したんですが、こちらの記事は、書くのが面倒で、年明けまでうっちゃらかしとなりました。

  というわけで、流れ上、岩手での生活について、書く事にしましょう。 三ヶ月なんて、地元にいれば、記憶に残らないくらい瞬く間に過ぎ去る期間ですが、よその土地で暮らしていると、なんと長い事か。 悪条件も重なり、筆舌に尽くしがたい、辛く苦しい秋となりました。 悪条件とは、


≪そもそも、行きたくて行ったわけではない≫
  これは大きいです。 意に沿わぬ事をやらされていると思うと、やる気が出ません。


≪すでに人生を折り返している年齢では、未知の物に対する好奇心が湧かない≫
  認めたくはないのですが、確かに私は歳を取った。 15年前の愛知応援の時には、「住めば都」 的なノリがあって、観光地めぐりに精を出しましたが、今回は、一度もそれを感じず、どこへ出掛けても、「ただ、予定をこなしているだけ」という感じの鬱屈した気分がついて回りました。


≪仕事の内容が過重で、休み時間も働き続けなければならない職場だった≫
  配属先の仕事がきついか楽かは、応援に於ける最も重要な問題なのですが、最悪の目が出てしまいました。 基本作業だけでもギリギリなのに、内職仕事まで押し付けられて、休み時間を潰さざるを得ませんでした。 地獄…。


≪上司が恐怖で部下を支配するタイプで、衝突しないよう、神経を使わされた≫
  一言で言うと、「使えない野郎」 だったのです。 私より一回りも年下でしたが、早くも管理職病に感染して、「職制の仕事は部下を使う事であって、自分が働く事ではない」 という、思い違いも甚だしい低劣な信条にとりつかれており、自分ができもしない仕事を人にやらせて平気でいる、恥知らずな男でした。 しかも、ニコチン中毒で、休み時間になると喫煙所に走って行って、プルプル震えながら一服し、仕事中、ニコチンが切れてくると、禁断症状丸出しになり、些細な事で怒鳴りだすという、もはや精神異常者。 こんな奴を、よく管理職にしていると、驚くくらいです。


≪同行した応援者の中に、たかりタイプの男がいて、距離を置くのに苦労した≫
  私より少し若い男なんですが、仕事ができずに、あちこちの職場を転々としている奴で、他人に対する依存心が強く、年上でも年下でも構わず、近づいて行って、甘えようとします。 私の場合、以前、短期間、そいつと同じ職場にいた事があるのですが、職場が変わった後、しばらく経ってから偶然会った時に、「タバコを買いたいから、250円貸してくれないか」 と言われました。 ほとんど話をした事がない間柄であるのもさる事ながら、すでに滅多に顔を合わせない状態になっており、「こいつ、金を借りて、一体いつ返すつもりなんだろう?」 と不審に思って、やんわりと断りましたが、それ以来、要注意人物として、警戒していました。

  今回、応援の説明会に行った時に、そいつがいて、「うわ、こいつも一緒かよ…」 と、大いにたじろぎました。 応援先では、自分一人生きるのも大変なのに、他人にたかられたのでは、たまったものではありません。 案の定、そいつ、顔見知りを見つけては近づきまくっていましたが、警戒していたのは私だけではなかったようで、しまいには、総スカンを喰っていました。 人並みより愚かなのに、他人を利用できると思っているのだから、馬鹿につける薬はありません。


≪一人暮らしで食事が貧弱になり、空腹に苦しめられて、げっそり痩せた≫
  今回の応援では、結構、食事の量に気をつけていたんですが、高い肉類を避けたためか、どんどん痩せて、ベルトの穴が、二つも縮まりました。 ケチの独り暮らしは、つくづく危険ですな。


≪最初の寮の部屋が、エレベーター無しの五階で、上り下りに苦労した≫
  三ヶ月の内、最初の三週間だけ、別の会社から借り受けた寮に入っていたんですが、そこが、五階建てなのにエレベーターが無いという、脳足りんというか、サド趣味というか、「冗談じゃねーよ」 な建物だったのです。 しかも、運悪く、私が割り振られた部屋が、五階と来たもんだ。 更に、ポットと電子レンジが一階にしか無くて、カップ・ラーメンに湯を入れるのにも、スーパーの弁当を温めるのにも、わざわざ一階まで往復しなければなりませんでした。


≪最初の寮の共同浴場が、不衛生で利用しづらかった≫
  別に、見た目が汚いというわけではないんですが、80人近い入居者の共同なので、もう、どんな病気を持った奴が入りに来るか、分かったもんじゃありません。  今では、銭湯に通っている人間など、ほとんどいないのですから、共同浴場なんて生理的に無理ですって。 ちなみに、やたらと温泉に行きたがる奴ほど、湯治が必要な病気を持っているので、要注意です。 幸い、シャワー室がついていたので、そちらばかり使っていましたが、それでさえ、浴場よりはマシという比較の問題なのであって、他人が使ったシャワー室に入るのには、毎回思い切りが必要でした。


≪足が無くて、遠出ができなかった≫
  岩手県だけでなく、寒い地方はみんな同じだと思いますが、車が無いと、どこへも行けないように、街が作られているんですな。 逆に言うと、車が無かった頃は、人口が少なく、人の移動範囲も非常に限られていたんでしょう。 車が普及し始めてから、歩きでは行けないような所にも家が建ち始めたのだと思います。

  最初の週末は、歩いて観光地へ行っていましたが、歩き過ぎで、すぐにマメが出来てしまいました。 骨や筋肉も、腰から下が、ガタガタ。 一番近いスーパーへ買い物に行くのも、往復で30分掛かる有様で、仕事と同じくらい疲れました。


≪帰りに荷物になるので、食品以外の物を自由に買う事ができなかった≫
  これも、結構 重大事でして、何かと足りない物が多くて、不便な生活を強いられているのに、近くに店があって、買うお金があっても、買えないんですよ。 帰りに捨てていかなければならないから。 新品でも躊躇無く捨てられる人はいいんですが、ケチな性分の私は、それができません。 結局、不便な事は、最後まで不便なまま、我慢するしかありませんでした。 人間、飯さえ喰ってりゃ死にはしないわけですが、死ななければ、それで充分というわけでもないんですな。


≪後半、想定を超えるほど寒くなって、休日に出歩けなくなった≫
  さーむい、寒い! 行く前から、「岩手は寒いぞ~」 と聞かされてはいたんですが、本当に寒かった。 特に、11月の後半からは、散歩に出ても、一時間くらいで耐えられなくなり、目的地を断念して、元来た道を帰るしか無いという思いを、土日ごとに繰り返していました。 12月の後半は、片道30分の所にある図書館しか行かなくなり、雨が降ったりした日には、近くのスーパーへ往復するだけで、風邪の症状が出る甚だしさ。 道理で、地元の人が外を歩いていないわけだよ。

  そういや、歩く人がほとんどいないのと関係があると思うんですが、歩道が片側にしかついていないのには面喰いました。 かなり幅が広い幹線道路でも、右か左、どちらかにしか歩道が無く、しかも、途中でブツリと切れています。 「えっ! どこを歩けばいいの?」と思って、きょろきょろすると、反対側に歩道が移っているのです。 街灯が極端に少なく、夜、真っ暗になってしまうのも、歩いて出かける人がいないからなんでしょう。


  他にも、細かい事はうじゃうじゃありますが、あまり細々書くのも鬱陶しいので、この辺にしておきます。 とにかく、いい思い出になるような三ヶ月でなかった事だけは確か。 ≪強制移住≫とか、≪強制労働≫とか、そんな言葉で表現すれば、雰囲気が伝わると思います。

  一方、不幸中の幸い的な事としては、


≪以前、同じ職場にいた先輩がいて、折り畳み自転車を貸してくれた≫
  この先輩と隣の職場になったのが、唯一の救いでした。 休日に歩いて観光地めぐりをしていると言うと、「折り畳み自転車が余っているから、貸してやるよ」 と、涙が出るくらいありがたい事を言ってくれたのです。 私は、岩手に行く直前の趣味が自転車に乗る事でしたから、向こうについても、乗りたくて乗りたくて仕方がありません。 近くのホームセンターで新品を見ると、無段の軽快車が8000円くらい。 しかし、帰りに処分に困るので、買うわけには行きません。 リサイクル店を探し回りましたが、店があっても、自転車を扱ってなかったり、店先に自転車が並んでいても、営業していなかったりで、手に入れる事ができません。

  そこへ、「貸してやるよ」 という言葉。 いやあ、天使の囁きかと思いましたね。 で、その日の帰りに、早速、先輩の車に同乗して、先輩の家へ折自を借り受けに行きました。 折り畳みとはいえ、20インチで、グリップ・シフトの6段変速、リア・サス付きという優れもの。 平地の最適ギアが、5速だったので、6速にすれば、学生がちんたら乗っているシティー・サイクルを抜けるくらいの性能がありました。

  もっとも、いい事ばかりではなく、人から借りた物なので、扱いには神経を使いました。 盗まれないように、カバーとチェーン・ロックは、借りて来たその日に買いました。 何年も乗らずにしまいこまれていたため、異音やガタつきも多く、機械油、グリスなどを買って、整備しなければなりませんでした。 一度、駐輪所に置いていた時に、雨と風で倒れてしまい、塗装が剥げたディレイラー・ガードを塗りなおすために、ラッカー・スプレーまで買いました。

  11月初旬には、自転車で走れないくらい寒くなって、返してしまったので、正味一ヶ月くらいしか使えませんでしたが、それでも、大いに重宝しました。 持つべきものは、いい先輩ですな。


≪北上市と金ヶ崎町の観光地をほとんど回る事ができた≫
  行く前は、観光はせずに、時間が過ぎるのを、ひたすら耐え忍ぼうと思っていたんですが、行ってみると、出かける以外に休日の過ごし方が無く、あちこち行き捲りました。 大抵の街では、観光マップのようなものが出回っているので、それを入手して、出ている観光地・史跡を片っ端から見て回って行くのです。

  最初の三週間 住んでいた北上市は、史跡が多い所で、休日に行く所が無いという事は無かったです。 二週目からは、自転車が手に入ったため、活動範囲がどーんと広がりました。 山の上のダムまで見に行ったから、我ながら、よく漕いだものだと思います。 印象に残っている所というと、≪みちのく民俗村≫、≪樺山遺跡≫、≪ゆだダム≫、≪鬼の館≫など。

  10月の終わりから12月の終わりまで、二ヶ月間住んでいたのは金ヶ崎町ですが、こちらは、見所がぐっと少なくなりました。 小さいながらも城下町だった所なので、城跡と≪侍屋敷群≫がありましたけど。 そうそう、自転車がある内に、隣の奥州市にある、≪えさし藤原の郷≫へ行って来ました。 大河ドラマ、≪炎立つ≫の時に作られた恒久セットで、それ以降の大河ドラマでも、撮影地として、よく使われている所でした。


≪百円ショップで土鍋を手に入れ、米を炊いて食べられるようになった≫
  最初の寮では、スーパーの弁当とカップ・ラーメンばかりだったんですが、二番目の寮には、電気ヒーターと流しがついていたので、自炊ができました。 腹いっぱい飯が食いたくて、米を5キロ袋で買って来て、100円ショップのアルミ鍋で、お粥を煮ていましたが、その内、普通の御飯が食べたくなり、図書館で、米の炊き方を調べてきました。 炊く場合、蓋は必須との事。 アルミ鍋には蓋が無かったので、たまたま100円ショップで売っていた、一人用の土鍋を買って来て、本の指示通りにやってみたら、あら、嬉しい、炊けたじゃありませんか。 いやあ、あの時は感動しました。 それ以降、毎日炊いてましたねえ。 結局、痩せるのは、止められなかったけれど。


≪三ヶ月の間、一度も帰ってこなかったので、帰宅旅費が丸々浮いた≫
  帰宅旅費というのは、帰っても帰らなくても、一ヶ月あたり新幹線一往復分出るので、帰らなければ、全て自分の懐に入るのです。 これで、10万円以上浮きました。 ちなみに、最後に帰って来る時には、帰任旅費が新幹線で片道分出ますが、それも、私は在来線で帰って来たので、半額で済みました。 時間はかかりましたが。


≪二番目の寮はユニット・バスで、気楽に風呂に入れるようになった≫
  やっぱ、風呂は一人で入るのが一番ですわ。 清潔に保てるし、いつでも入られるし、他人の目を気にしなくていいし、混み合うのを恐れて、急いで着替える必要もないし。 トイレは、ペーパーを自分で買わなければならず、あと4分の1ロールあれば充分なのに、最少でも4ロールのセットしか売っていなくて、困りましたけど。 結局、足りない分は、会社やスーパーのトイレから、ガラガラっと数十巻き貰って来て、間に合わせました。 だって、買ってしまったら、余った分を、捨てられんでしょう。


  とまあ、こんなところですか。 三ヶ月は、短いようで長い。 ノートに日記をつけていましたが、毎日、起こった事を細大漏らさず書き込んでいたので、三冊になってしまいました。 とても、写しきれないので、電子データにするつもりはありませんし、ここで紹介する事も無いと思います。

  三ヶ月の応援生活を総括すると、「少し生ぬるい地獄」 というところでしょうか。 どんな事でも経験にはなりますが、岩手での生活そのものは、確かにそう言えるものの、仕事の方がきつ過ぎたので、総合すれば、いい経験とは言えない三ヶ月でした。 行かなくて済んだのなら、行きたくなかったです。