2022/04/24

EN125-2Aでプチ・ツーリング (31)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、31回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年3月分。





【平沼二神社①】

  2022年3月3日、バイクで、沼津市の西の方、平沼地区にある、二つの神社へ行って来ました。 目的地は、当初、一つでしたが、すぐ近くに、もう一つあるのを、住宅地図で見て知っていたので、結局、二ヵ所を見て来た次第。 場所は、浮島小・中学校の西辺の道を北へ向かい、新幹線の跨線橋を渡って、すぐに西へ曲がった所です。

≪写真1≫
  こちらが、本来の目的地、「山神社」です。 平沼地区には、もっと北の方に、もう一つ、山神社があり、そちらは、以前、行った事があります。

  で、こちらの山神社ですが、畑の隅にあり、いかにも、個人祭祀の雰囲気が濃厚。 ブロック塀で囲ってある点や、貝塚伊吹を、左右対称に植えてある点なども、個人祭祀っぽいです。 一人の人間が考えたのでなければ、こうは纏まりません。

  鳥居の名額には、はっきり、「山神社」と書いてあります。

≪写真2≫
  社殿。 というか、この建物は、覆いでして、中に、石の祠が、三つ並んでいます。 最初から企図して、こういう祀り方をする事はないと思うので、畑のあちこちに分散していた石祠を集め、ここに纏めて、祀ったんじゃないでしょうか。

  覆いは、細工が難しいコンクリート製にしては、良く出来ていると思います。 注連縄は、長い牛蒡注連。

≪写真3左≫
  境内に置かれた、石。 変わった形をしています。 おそらく、奇石として、取り入れたのでしょう。 明らかに、庭のつもりで、境内をデザインしています。

≪写真3右≫
  社殿の左右に、かなり大きな蘇鉄が植えられていました。 貝塚伊吹も、蘇鉄も、左右対称に植えるというのが、個人のセンスを感じさせます。

≪写真4≫
  この山神社、東海道新幹線の、すぐ、北側にあります。 数分に一回、「ゴーーーッ!」と通るので、待ち構えて、撮影しました。 今の車両ですな。




【平沼二神社②】

≪写真1≫
  山神社から、新幹線に沿って、西へ向かい、最初の交差点で、北側を見ると、倉庫のようなものがありました。 よく見ると、その南側に、鳥居が立っているじゃありませんか。 これは、倉庫ではなく、神社の拝殿だったのです。 地図には、「大六天」とあります。

  近づいて見ても、鉄の扉が閉まっていて、やはり、単独では、倉庫にしか見えませんでした。

≪写真2左≫
  これが、倉庫の裏手、北側にあった、本殿です。 前に賽銭箱が置かれている点を見ても、実際に拝む場所は、こちらです。 拝殿が、拝殿の役をしていない形式は、他でも幾つか、見た事があります。

≪写真2右≫
  境内別社。 石の祠で、たぶん、よそから移されて来たもの。

≪写真3左≫
  拝殿の南側に立っていた、石の建造物。 何なんでしょう?

≪写真3右≫
  裏側。 もしかしたら、旗竿を立てる、土台なのかもしれません。 これ自体が、奉納品。 

≪写真4≫
  山神社に戻って来ました。 前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 去年、バッテリーを交換し、灯火類を補修して以降、問題なく走っています。 遠い目的地が続いているせいか、燃料の消費が早いです。 今、ガソリン代が高いから、あまり入れたくないんですが、入れなきゃ走らないから、致し方なし。




【西浦立保・神明神社①】

  2022年3月11日に、バイクで、西浦立保にある、「神明神社」へ行って来ました。 西浦は、基本的に、集落ごとに、神社と寺があります。 ほとんど、漁村ですが、山の斜面を利用した、蜜柑栽培も盛んです。

≪写真1≫
  住宅に挟まれて、山裾にへばりつくような格好で、神社が造られていました。 石垣は、土留め。 ブロック塀は、境内から人が落下するのを防ぐのが、造った理由でしょう。

≪写真2≫
  正面。 鳥居は、コンクリート製です。 風情はないけど、もちはよさそうです。 時代がついているから、廃墟遺物的迫力を感じさせます。 境内は、三段になっています。

≪写真3左≫
  石燈籠。 左は、四角断面型。 右は、丸・八角断面型。

≪写真3右≫
  四角断面型の方の石燈籠ですが、文化四年のものでした。 1807年。 江戸後期ですな。 もちがいい。

≪写真4左≫
  これは、境内にあった石碑というか、標柱。 かなり古そうですが、何と書いてあるのか、読めませんでした。

≪写真4右≫
  手水場と、獅子型狛犬。 手水場は、石造りで、蛇口あり、ハンドルあり。 狛犬は、獅子型という事は、そんなに古い物ではなさそうですが、石の風化具合はかなり進んでいて、やはり、廃墟遺物的迫力があります。




【西浦立保・神明神社②】

≪写真1左≫
  拝殿。 境内の第二段にあり、石段で上がります。 開放されていて、中に入れるようになっています。

≪写真1右≫
  拝殿の裏手。 急な石段あり。 拝殿の背面と、石段が近過ぎて、一段目に足を載せるのに苦労しました。 これは、「拝殿背面の扉が開いている時以外、登るな」という事でしょうか。 石段も急過ぎ。 手すりがあって、応じ合わせ。 というか、この傾斜では、手すりを付けたくなりますわなあ。

≪写真2左≫
  崖の上にある本殿。 立派な建物ですが、周囲に空間がなくて、この角度からしか撮れませんでした。 崖を削って造った土地だから、狭いのは、致し方ないか。

≪写真2右≫
  本殿の背面。 すぐに、崖です。 逆に考えると、よくぞ、この急峻な崖に、これだけの平らな土地を切り開いたもの。 信心の為せる業でしょうか。

≪写真3左≫
  拝殿の隣にあった、境内別社。 赤い屋根は、覆いで、中に、木製の祠が置いてあります。 オレンジ色と青色の、鯉形の花立て、あり。 太鼓が吊ってあるのは、割と珍しいです。

≪写真3右≫
  これも、拝殿と同じ段にあった、境内別社。 石の祠。 他から移して来たものかも知れません。 お墓に立てるのと同じ、花立て、あり。

≪写真4≫
  神社の北側にあった、児童公園。 ブランコ、鉄棒、滑り台、雲梯と、実用的遊具が揃っています。

≪写真5≫
  児童公園の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 つくづく、このバイク、荷台がカッコいいな。

  西浦と言っても広うござんすが、立保は真ん中辺りで、うちからだと、かなり遠いです。 ガソリンの減りが速い。

  海岸沿いの道は、ワインディング・ロードで、走る分には楽しいのですが、海風を受けるから、メッキ部分が錆びないように、戻ってから、油の浸みたウエスで拭いてやらなければならないのが、ちと、面倒です。




【内浦三津・氣多神社①】

  2022年3月15日、バイクで、内浦三津にある、「氣多神社」へ行って来ました。 「きた・じんじゃ」と読むようです。 幹線道路から、一本奥に入った通りでしたが、迷わずに到着しました。

≪写真1≫
  正面。 住宅地の中、山の傾斜が、少し始まった所にあります。 石垣、石欄干。 鳥居も石。

≪写真2左≫
  道路沿いに、こんな標識が立っていました。 「発端丈山ハイキングコース 三津中央登り口」。 この神社の裏手から、発端丈山(ほったんじょうさん)に登れるようです。 私は、何度か登った事がありますが、他から登りました。 最初に登る前に、ネットで調べていて、「神社から登れる」とあるのを読んだのですが、この神社の事だったんですな。 ちなみに、標高は、410メートルですが、結構、ハードな山です。

≪写真2右≫
  「氣多神社ゆらい」。 元は、立派なものだったのでしょうが、だいぶ、錆が出ています。 西暦859年の鎮座。 奈良時代ですな。 祭神、「意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)」。 読めんなあ。 明治になってから、宛がわれた祭神ではなく、創建以来のようですな。

≪写真3左≫
  もろ逆光、ほとんど分からなくて、恐縮ですが、社標です。 「氣多神社」とあります。 犬養毅の書から彫ったものだそうです。 大正9年に建立。

≪写真3右≫
  石燈籠。 反対側に、対になったものも、並んでいました。 古そうですが、寄進された年まで見て来ませんでした。 間に、獅子型の狛犬が挟まっています。 獅子型ですが、戦前の造りですな。

≪写真4≫
  拝殿。 立派なもの。 屋根は、銅板葺き。 この壁の蔀は、開閉できるんじゃないでしょうか。

≪写真5左≫
  拝殿正面。 名額あり。 鈴は、普通サイズ。 太鼓が吊ってあります。

≪写真5右≫
  社殿を側面から。 拝殿と本殿が、短い廊下で繋がれている形式。 建物の造りが、これでもかというくらい、凝っています。 これは、普通の村社クラスでは、真似ができませんな。




【内浦三津・氣多神社②】

≪写真1左≫
  手水舎。 小屋がけは、屋根の銅板葺きも、傾斜した柱も、文句なしの堂々たる造り。 石製の漱盤には、正面に、菊花紋が浮き彫りになっています。 惜しむらく、漱盤には蓋がされて、縄で縛られ、水回りは機能していません。 これでは、飾りですな。

≪写真1右≫
  境内別社。 八坂神社。 祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)。 板塀、瓦葺き。 戦前か、戦後間もない頃の建物だと思います。

≪写真2左≫
  「神輿殿」。 おみこしが入っているんでしょうな。 切石を積んだ壁に、瓦葺きの屋根。 綺麗なので、そんなに古いものではなさそう。 戦後の建築かもしれません。 それか、近年に直したか。

≪写真2右≫
  この複雑な形をした、白壁の建物は、「沼津市老人クラブ 三津福寿会 憩の家」。 屋根の重なり具合に、趣きがあります。

≪写真3左≫
  拝殿の濡れ縁にあった、「土足厳禁」の注意書き。 日本語の他に、英語、中国語、韓国朝鮮語で書かれています。

≪写真3右≫
  境内の外ですが、車を2・3台停められる場所があり、そこに、忠魂碑がありました。 解説板があり、「平和への道標」と題されていますが、本来は、戦死者を顕彰する為のものです。 矛盾を感ぜざるを得ませんが、人間社会というのは、そういう矛盾したものなんでしょう。

  この大きさから見て、だいぶ、戦死者を出した模様。 石碑を建ててもらっても、死んだ人は帰って来ませんなあ。 もっと、生きたかったろうに。

≪写真4≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 境内全部見て回っても、バイクが見えなくなるは、ほんの僅かの時間だと思い、ハンドル・ロックはかけませんでした。 キーは抜きましたけど。 バイクの写真を撮る時には、ハンドルを真っ直ぐにしておいた方が、断然、カッコ良く写ります。

  私の家からだと、三津くらいなら、大した距離ではありません。 この日の走行距離は、往復で、26キロでした。

≪写真5≫
  帰りに、淡島の近くで撮影した景色。 淡島は、おにぎりみたいな形ですが、海に隠れている部分は、深く落ちているようです。 青森県の、浅虫温泉にも、同じような形の島がありますな。

  快晴で、富士山が、綺麗に見えています。 空に浮かんでいる、黒い点は、鳥影。




【伊豆の国市長瀬・稲荷社】

  2022年3月24日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある神社を目指したんですが、戸沢に入る道を見つけられず、三津へ抜ける幹線道路沿いにある、長瀬の「稲荷社」を撮影して帰って来ました。

≪写真1≫
  ロストして、細い道を、行き止まりに近い所まで進んで、撮った写真。 菜の花が、押し寄せる波のようです。

≪写真2≫
  やむなく、幹線道路沿いにある、「稲荷社」を撮影。 この辺りは、長瀬です。 個人祭祀のようですが、それにしては、大きい社殿です。 木造、前庇だけ、瓦葺き。 本体の屋根は、たぶん、トタン・ブリキ。 割と新しい彫りと見られる、狛狐あり。

  写真の右の方に、このお宅で飼っている、柴犬と猫が写っています。 バイクの私に、どう対処していいか分からないようで、この後、立ち上がって、そわそわと、うろたえていました。 騒がして、済まなかった。

≪写真3≫
  あまりにも写真が少ないので、帰りに、大平の「諏訪神社」で、寒緋桜を撮影しました。 道路の反対側から撮ったから、画像が粗いです。

≪写真4≫
  バイクを入れた写真が一枚もないので、帰ってから撮った、メーターの写真を入れておきます。 燃料計は、キーを切ると、戻ってしまいます。 トリップ・メーターは使っていません。 オド・メーターは、29830キロで、中古で買った時が、26294キロでしたから、これまでに、3536キロ走った事になります。 2年半、毎週、乗っているのに、その程度。 プチ・ツーリングが、いかに、経済的な趣味であるかが分かると思います。




【伊豆の国市戸沢・劔刀神社】

  2022年3月30日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある、「劔刀神社」へ行って来ました。 「劔刀」の二文字で、「たち」と読みます。 前週の、24日に行こうとして、辿り着かなかった所。 地図を調べ直して、再挑戦し、今度は着きました。

≪写真1≫
  谷間の集落。 東側の山裾に造られています。 この写真では、分かり難いですが、石の鳥居があり、「慶應二」とありました。 1866年。 異様に、もちがいい。

  道路にバイクを停める所がなくて、スロープの参道途中に、かなり、曲芸的に停めました。 前輪だけ地面に下ろして、水平を保ってあります。 帰りは、跨って、ブレーキをかけながらバックし、道路に下りました。 サイド・スタンドを外し忘れて、あとで、道路にすって、ガリガリやってしまったのは、私です。

≪写真2左≫
  社標。 「延喜式内 劔刀神社」。 延喜式内だからといって、必ず、広大な境内があるわけではなく、村社クラスの規模の所も多いです。

≪写真2右≫
  伊豆の国市・教育委員会による、「伊豆の国市 指定史跡」の解説板。 なぜ、ここに延喜式内神社があるかというと、この付近で、良質の粘土が採れ、製瓦業が盛んな土地柄だったのと、三津方面に抜ける街道に沿っていたから、というのが主な理由だそうです。

≪写真3左≫
  社殿。 本殿・拝殿一体式。 鉄筋コンクリート、瓦葺き。 昭和50年の造営。 1975年ですな。 延喜式内で、鉄コンは、どうかと思いますが、70年代半ば頃なら、アリだったと思います。

≪写真3右≫
  社殿の扉。 鉄製。 賽銭投入口が設けられていますが、これは、割と近年に作られたのでは? かつては、賽銭箱が外に置かれていたのだろうと思います。

  注連縄に下げてある、幣(しで)ですが、ビニールに入っていました。 濡れると、すぐに落ちてしまうからでしょうな。

≪写真4左≫
  社殿正面についていた、電灯。 うーむ、時代を映していますねえ。 70年代中頃までは、こういう電灯が多かったんですよ。 50年近く経っているわけですが、よくぞ、割れもせず、残ったものです。

≪写真4中≫
  狛犬。 これは、古そうだ。 戦前は、確実。 江戸時代でも、おかしくありません。 

≪写真4右≫
  手水場。 水道設備なし。 古そうな形式ですねえ。 神物というより、仏物っぽい。 昔は、祭祀や正月など、行事がある時だけ、水を運んで、入れていたのかも知れませんな。 

≪写真5左≫
  境内には、石で作った物が、幾つも置いてありました。 左端の物体は、初見。 何なんでしょう? やはり、神物というより、仏物っぽい。 他に、石燈籠が何組もありました。

≪写真5右≫
  境内から見た、戸沢公民館の桜。 満開。

≪写真6≫
  境内から見渡した、戸沢地区。 いい雰囲気だなあ。 こういう所で生まれ育ったら、他へ移り住んでも、この風景を絶対忘れないでしょうね。

  山深いように見えますが、そうでもなくて、伊豆長岡の街まで、自転車でも買い物に行けるくらいの距離ですから、暮らしの便はいいと思います。




  今回は、ここまで。

  組み写真8枚は、多いな。 アップが大変だ。 出かけた回数にしても、一ヵ月に、5回も行っており、3月は、週が多かった事が分かります。 私が、たくさん出かけたいと思っているわけではなく、週に一回と決めているから、週が多いと、自動的に、出かける回数も多くなるという次第。

  たくさん出かけたいと思っているわけではないですが、週に一度、バイクで出かける日が近づくと、何となく、ワクワクします。 という事は、私が、プチ・ツー趣味を楽しんでいるという証拠ですな。 もっとも、ワクワクすると同時に、何となく、面倒くさいとも感じているのですが、この相反する感情は、バイク乗りなら、誰でも経験があるんじゃないでしょうか。

2022/04/17

実話風小説③ 【誤解】

  「実話風小説」の三作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 早くも在庫がなくなったので、今後一ヵ月以内に、第四作を思いつかなかった場合、来月は、なしです。




【誤解】

  移動販売車で、山間部へ、食品や雑貨を売って回る商売をして、資本を貯めた男。 結婚を機に、小さな町に、食品雑貨店を開いた。 5年ほどで、更に資本を貯めて、隣接する敷地を買い、そこそこの大きさのスーパーに建て直した。

  店員も、常時、5人くらい雇うようになり、人手に、ゆとりが出来たので、以前やっていた、山間部への移動販売を、再開する事にした。 店員の中で、最も若かった男Aを、その担当にした。 車は、以前使っていた軽トラックを、そのまま使い、売りに行く先の集落に印をつけた地図を渡して、後は、Aに任せた。 移動販売車を出すのは、週に2回である。

  店長がやっていた頃には、朝出かけて、午後2時くらいには、回り終えて、戻って来ていた。 ところが、Aは、同じ時刻に出かけても、帰って来るのは、暗くなってからだった。 店長は、「そんなに時間がかかるわけがない。 もっと、工夫しろ」と叱咤した。

  Aは、2回目には、ほんの僅か、早く戻った。 やはり、店長から、「遅い。 他にも仕事があるのに、店が終わってから戻られても、困る」と、叱られた。 店長と、その妻は、陰で話した。 「あいつは、寄り道をしてるな」、「昼寝してるのかもね」、「真面目な奴だと思っていたんだが、とんだ眼鏡違いだった」などと、想像を逞しくした。

  3回目。 Aは、午後4時頃、戻って来た。 店長は、「まだ、遅い」といったが、もう、仕方がないと諦めていて、強くは言わなかった。

  4回目。 Aは、午後3時頃に戻って来た。 店長は、何も言わなかった。 かかる時間が、許容範囲に入って来た事もあるが、すっかり、Aに愛想を尽かしてしまい、何を言っても無駄だと決めてしまったのである。 それ以降、Aは、移動販売に、10回、出た。 戻る時間は、午後3時より早くなる事はなかった。 そして、11回目は、なかった。 Aが、店をやめてしまったからだ。

  その直接的な原因は、Aの結婚話だった。 Aと交際していた女性の親が、興信所に、Aの信用調査を頼んだ。 そこの所員が、Aの雇い主である店長に、Aの為人を訊ねに来たのだが、それに対して、店長が、「Aには、週に二回、移動販売をやらせているんだが、寄り道してサボっているらしくて、帰りが遅い。 まあ、そういう奴ですよ」と、不満をぶちまけたのである。

  Aの結婚話は、俄かに滞った。 女性を介して、なぜ、駄目なのか、女性の両親に訊いてみたところ、店長が興信所員に言った言葉が、原因だと分かり、怒ったAが、店をやめると言い出したのである。 店長の方も、すっかり、Aを不真面目な奴だと見做していたので、「ああ、やめろ、やめろ。 清々する」と言って、止めなかった。


  Aを、やめさせたものの、移動販売をやめる気がなかった店長は、すぐには、後釜が見つからないので、当面、自分で回る事にした。 ところが、数年ぶりに、山間部へ出かけて行った店長は、夜中になって帰って来た。 昔通っていた道が、いつのまにか、崖崩れで、閉鎖になり、遠回りを余儀なくされたからだった。

  店長は、「Aの奴、それなら、そうと言えばいいのに」などと、妻に向かって、毒づいていたが、道が通れなくなっている事を報告しなかったのは、Aの落ち度ではない。 なぜなら、渡した地図には、集落の位置に印がつけられていただけで、ルートは指定していなかったからだ。 Aは、店長が昔、どの道を通っていたかは知らなかったのである。

  しかし、そうなると、不思議なのは、Aが、3回目には、午後4時に戻り、4回目以降は、午後3時には、戻って来ていた事である。 一体、どうやっていたのか?

  店長は、「Aの奴、どうせ、回る村を端折っていたんだろう」と決め付け、次に移動販売に出た時に、各所で、それとなく、Aの事を訊いて回った。 ところが、返って来た答えは、予想と全く違うものだった。 「ああ、オートバイのお兄さんね」と言うのである。 車が通れる道は閉鎖されていたが、オートバイなら、何とか通れる細道があったので、予め、御用聞きをして回り、次に来る時には、オートバイに積めるだけの商品を積んで、各家に届けて回っていたと言うのだ。

  「オートバイの荷台の横にも、大きな荷台が吊り下がっていて、凄かったよ」という話も聞いた。 店に、オートバイはないから、自分のを改造したのだろう。 「家まで来てくれるから、楽だったけど、やっぱり、車で来てもらった方が、その場で選べるから、いいよね」という人もあったが、車で回っていたのでは、どう足掻いても、明るい内に戻れない。

  Aは、不真面目どころか、店長よりも、遥かに、真面目な人間だったのだ。 明るい内に戻れるよう、大変な努力と工夫をしていたのである。

  店長は、真っ青になった。 Aの事を、「サボり癖がある」と、一体、どれだけの人間に、悪口叩きまくったか、自分でも覚えていないほどだ。 店長は、帰り道を運転しながら、「Aに謝ろう」、「Aの悪口を聞かせた相手にも、間違いだったと、訂正して回ろう」と思っていた。 しかし、店に戻ると、更に、まずい事になっていた。

  店長の妻が、出かけた先で、たまたま、Aに出会い、嫌味を言ったというのだ。 「あんたがやめたから、店長は、自分で回ってるんだよ」と責めたところ、Aは、「へえ。 それで、午後2時に戻って来ますか?」と言うので、「雇ってやってたのに、その言い草はなんだ! どうせ、あんたは、回る村を端折ってたんだろう! いい加減な事をすれば、すぐに分かるんだよ!」と、どやしてやったというのだ。

  それを聞いた店長は、ますます、真っ青になった。 店長の話を聞いた妻も、真っ青になった。 店長の、Aに謝りに行く気持ちは、すっかり失せてしまった。 罪深すぎて、Aの顔を見るのが怖くなったのである。 妻の方は、その後、Aを見かけた時に、笑顔でごまかしながら、テキトーに謝ったが、Aは、「もういいから、今後、俺に声をかけないでください」と、不快そうに言って、去ってしまった。


  幸いにも、Aの結婚話は、A自身の努力で、相手の両親の誤解が解け、破談は避けられた。 別の就職先も見つかり、元々が、温厚で真面目な人物なので、職場での評価も高く、すぐに、周囲から頼りにされる存在になった。

  一方、店長のスーパーはというと、それから間もなく、時間がかかり過ぎて、採算が取れないという理由で、山間部への移動販売をやめたのだが、「あの、オートバイのお兄さんでいいから、また来てもらえませんか」という要望が何件もあったのを無視したせいで、逆に、Aがやめた理由が近隣に広まり、店の評判が悪化して、左前になってしまった。 しかし、潰れたわけではなく、その後、10年以上、細々ながら、存続した。

2022/04/10

新型肺炎あれこれ ⑱

  新型肺炎について、日記ブログに書いた文章を、移植したシリーズの18回目。 記録のつもりなので、現在の感染状況関係なく、前回の続きから、始めます。 「何を頓珍漢な事を言っている?」と思ったら、日付を確認してください。 例によって、日記ブログには、他の事も書いていますが、移植に当って、新型肺炎関係の文章だけを取り出しています。




【2021/11/09 火】
  入国制限を緩和するとの事ですが、せっかく、国内が減ってきたのに、まだ、感染が拡大している海外から、人を入り易くするとは、気が知れません。

  そんな単純な理屈が分からないほど、アホばかりとも思えないので、この発想は、「喉もと過ぎれば、熱さ忘るる」という奴でしょうか。 8月の惨状を、もう忘れるとは、健忘症にも程がある。 自宅療養中に憤死した人達の事を、覚えていないと言うのでしょうか。

  ファクターX説を、未だに信奉していて、日本は大丈夫だと思っている? そりゃ、金輪際、当てにならんと思いますぜ。 デルタ株が自壊したとしても、他の変異株が入ってくれば、理の当然、また、広まるでしょうに。

「いつまでも、入国制限をかけていたのでは、世界のウイズ・コロナの流れに置いて行かれる」

  置いて行かれた方が、いいと思います。 大歓迎だ。 間違った事をやっている愚かな国々の真似をする事はありません。 丼勘定の対策の結果、死んで行く人達に、何て詫びるのよ?

  去年の秋に、Go to推進派の役人が、「感染拡大を恐れていたら、経済が死んでしまう。 こんな事でビビッていて、どうする」と、勇ましい事を言って、Go toを決行したわけですが、結果は、惨憺たるもの。 死んだ人達は、草場の陰で、その役人を呪っている事でしょう。 もっとも、危険性を自力で判断できず、感染防御をせずに、旅行や買い物に繰り出していた人達の場合、役人のせいばかりにもできませんが。

  そういうのは、勇気などでは全くなく、判断力が弱くて、決断力だけ強い、「無理が通れば、道理引っ込む」タイプの発想です。 人間相手ならともかく、ウィルスには、そんなハッタリ、利かないわけですが。


  それにしても、ほとんどの人間が、これだけ、緩みきって、油断しきっている時に、新たな変化株が広まりだしたら、凄い事になるでしょうねえ。 もちろん、そうならなければ、その方が、ずっと良いのですが。 とりあえず、私の運転免許更新が終わるまで、感染拡大のスタートを遅らせてもらえないものか。 警察署内で写真撮影をする時には、マスクを外さざるを得ないので、その時に、感染するのが心配なのです。



【2021/11/15 月】
  自室の布団を干しました。 以前は、2週間に一度、日曜日にやっていたのですが、ここのところ、月曜にやる事が多いです。 日曜は、隣の賃貸マンションの駐車場に出入りする人間が多く、こちらが風下になるので、ウィルスが布団をつく危険性が高まるからです。 実際には、5メートル離れれば、ほとんど、拡散してしまうから、考え過ぎなんですが。


  引退者の生活というのは、平穏且つ安楽に暮らそうと思うと、やる事がない方が、気楽でいいです。 しかし、全くやる事がないと、その日一日生きる為の、張り合いが出ません。 ちょっとだけ、やる事があれば、それが一番なのですが、あまり、簡単な事だと、やはり、張り合いがありません。 難しいところですな。

  何かが壊れて、それを修理しなければならない場合、やる事ができるわけですが、ちっとも、楽しくありません。 壊れなければ、その方がずっといいからです。 家電の買い換えなどもそうで、今までなかった家電を新しく買うのと、壊れたから買い換えるのとでは、気分が正反対です。 やりたくないのに、やらなければならない事があるというのは、精神衛生に宜しくありませんな。

  今、私が、一番やりたくないのは、郵便・宅配物の受け取りでして、もちろん、感染リスクがあるのが理由です。 玄関にマスクを用意し、持ち構えていなければなりません。 自分が通販で買った物なら、追跡できるからいいのですが、母に届く物は、いつ来るが分からないのから、ほんとに困る。 届きそうな日が近づくと、出かける事もできません。

  どうしても出かけなければならない時には、母に、「マスクをして、応対するように」と言い置いて行きますが、何せ、母は、非潔癖でして、危機感がまるで足りませんから、昼寝しているところを、インターホンの呼び鈴で起きて、慌てていれば、マスクなしで出て行くのは、まず、確実なところ。 母が感染すれば、私にもうつるのも、確実なところ。 大変、悩ましい。

  こういう事は、やる事ではあっても、ただ、嫌なだけで、生きる張り合いになんかなりません。



【2021/11/26 金】
  午後1時から、旧母自で、警察署へ。 運転免許の更新をして来ました。 5年前に作った眼鏡と、よく晴れた明るい日を選んだおかげで、視力検査は、楽勝で合格しました。 写真撮影は、ごく短時間で終了。 その後、30分のビデオ講習。 エンドレスで流れていて、自分で、見始めた所まで見て、おしまい。 無事、ゴールド免許を更新できました。

  いや、無事だったかどうかは、まだ、分かりませんな。 署内にいる間に、新型肺炎に感染したかどうかが分かるのは、数日後です。 しかし、県内の認定感染者数が、0近くまで減っている時期ですから、感染する可能性は、限りなく低いです。 もし、感染して、「免許更新の時にうつされた」と主張しても、相手にしてもらえないでしょう。

  次は、5年後なので、さすがに、新型肺炎も収まっているのでは? そうならなかった場合、5年後まで、私が生きているような気がしないので、結局、今回が最後になるかも知れません。



【2021/12/19 日】
  午後2時頃から、資源ゴミを出しに、紙類を、屋根のある集積所まで、母自で、2往復。 ビン・缶・ペットボトルを、露天だけど、近い集積所へ、徒歩で、1往復。 2ヵ月分なので、紙類の方は、新聞4束の運搬に、どうしても、2回かかるのです。 それでも、以前は、全て徒歩だったから、自転車を使うようになっただけでも、楽になっているわけですが。

  人多し。 その半分は、無マスク。 マスクをしている者も、無マスクの者と平気で会話をしており、見るからに、ゾーッとする。 何にも分かっちゃいないのさ。 マスクをしている者に当て付けているのか、わざと咳をする馬鹿もいる始末。 話にならぬ。 こんな連中に感染防御なんて、できるわけがないです。

  ワイド・ショーや報道番組のコメンテーターに言わせると、「日本では、みんな、マスクをしている」との事ですが、一体、日本のどこの話なのか? 東京だけなのではないか?

  無マスクで出かけてくる連中は、認定感染者数が、ゼロに近いので、感染の危険性も、ゼロに近いと思っているのかも知れませんが、感染の再拡大が始まってから、認定感染者数が増え始めるまで、2週間のズレがある事を考えると、感染防御を怠っていい期間を、自分で勝手に決めるのは、あまりにも、無謀です。



【2021/12/28 火】
  お寺へ、付け届けを置きに行きました。 電動アシスト車でも、長距離は、きつい。 腿が痛くなってしまいました。 出て来た住職は、相変わらず、無マスク。 困った人だ。 もっとも、向こうは自宅だから、訪問側の分際で、強いて、マスクをしろとも言えませんが。




  今回は、ここまで。

  去年の11月・12月の二ヵ月間で、たった、これだけ。 流行が収まっていた頃だから、書きたい事が少なかったんですな。

  この期間で、新型肺炎関連の一番大きな出来事というと、何と言っても、運転免許の更新でした。 不特定多数が出入りする、感染の危険が極めて高い場所に、1時間近くいなければならないわけで、一年以上前から、戦々兢々としていましたが、幸運としか言いようがない事に、流行開始以後、最も、感染が下火になっていた時期にあたり、割と気楽に、警察署へ出向く事ができました。

  視力検査が、あっさり通ったのも、嬉しかったです。 前回は、早く済ませてしまおうと、曇りの日の午前中に出かけて行って、全然、見えず、その日の内に、眼鏡を作り直す羽目になりましたが、今回は、晴天の日の昼過ぎを選んだのが、大正解でした。 検査をするのは屋内ですが、自宅から警察署まで行く道中で、どれだけ、太陽光が目に入ったかで、視力が大きく変わってくるんですな。

  前回の失敗に懲りて、この5年間、毎日、目の体操をしていたのも、視力の低下を防ぐのに役だったのかも。 地道な苦労が報われて、大変、気分が良かったです。 未だに、思い出すと、気分が良くなるから、よっぽど、嬉しかったのでしょう。

  写真撮影の時に、マスクを外す必要があるのは覚悟していましたが、視力検査の時にも、外すように言われて、虚を突かれました。 全員ではなく、眼鏡を掛けている者だけ。 理由は、マスクで眼鏡が曇るからだそうです。 前の人がやってから、間がないので、少し怖かったですが、幸い、うつされるような事はありませんでした。 感染者、ほぼ、ゼロの頃だったから、うつりようがなかったわけですな。

2022/04/03

新型肺炎あれこれ ⑰

  新型肺炎について、日記ブログに書いた文章を、移植したシリーズ。 記録のつもりなので、現在の感染状況関係なく、前回の続きから、始めます。 「何を頓珍漢な事を言っている?」と思ったら、日付を確認してください。 例によって、日記ブログには、他の事も書いていますが、移植に当って、新型肺炎関係の文章だけを取り出しています。




【2021/10/03 日】
  認定感染者数が、だいぶ、減りました。 これは、予測ではなく、期待に過ぎませんが、何とか、このまま、終わってくれないものか・・・。

  この減り方の原因が、「ウィルスの自壊」だとして、蔓延したデルタ株が、それ以上の自己複製ができなくなって、今が正に、消えて行く過程にあるのだとしたら、このまま、終息する可能性がないではないです。 デルタ株が蔓延する過程で、他の変異株を圧倒し、一掃してしまったのだとすれば、他の変異株による、再蔓延も起こらない事になります。

  ああ、しかし、この期待の、なんと、根拠の薄弱なことよ。 今のところ、支持者が少ない「ウィルス自壊説」と、御都合主義の「デルタ株完勝説」を組み合わせて、辛うじて成立する、ヘロヘロの予測に過ぎません。 

  本来、新型肺炎の流行動向について、辛い予測をしがちな私が、こんな期待に縋る気になったのは、デルタ株の後、他の変異株が日本国内で広まっていない期間が、だいぶ続いているからです。 「もしや、このまま、終わってくれるのでは?」と思ったとしても、無理もない事。 いい加減、感染防御には、うんざり・げんなりしており、マジな話、そろそろ、終わって欲しいのです。 人間不信がマックスの状態が続くと、生きる希望が失われてしまうではありませんか。

  だけど、緊急事態宣言が解除されてしまったから、もし、「ウィルス自壊説」よりも、「行動変容説」が正しいのだとしたら、2週間後には、また、認定感染者数が、増加に転じるはず。 戦々兢々で、推移を見守るしかありません。



【2021/10/12 火】
  着々と、月の半ばが近づいています。 それ即ち、緊急事態宣言が解除されてから、2週間が経つ事になるわけで、認定感染者数が、減少から増加に転じる可能性が、極めて高い。 もし、反転せずに、このまま、減り続けたら、それで、終息になる可能性が出て来ますが、甘過ぎる期待でしょうか。

  あくまで、日本国内限定の話ですが、デルタ株が自壊してしまったとするなら、次の変異株が増え始まらない限り、一旦は、終息する事になります。 甘いかなあ。 日本の水際検疫は、依然として、笊なので、常に新しい株が持ち込まれていると思われ、次の変異株が広まらない可能性は、非常に低いです。

  もっと、曲芸的な理屈で、再拡大しない理由を捏ね上げる事は容易ですが、それでは、去年の夏頃、怪しい医学者達が主張していた、珍説群と変わりがなくなってしまいますから、やめておきます。

  まあ、首を洗って、月半ばを待つしかありませんな。 もちろん、終息するしないに関係なく、私は、感染防御を続けます。 たとえ、奇跡的に、新型肺炎が終息したとしても、外出時に、マスクを外す気はないです。 新型肺炎を生き延びて、インフルエンザで死んだら、アホですから。

  それにしても、この急激な減少で、「もう、終わった」と見て、無マスクで出歩いている人間は多そうだな。 この冬は、2年分のインフルエンザで、相当、死ぬんじゃないでしょうか。



【2021/10/16 土】
  いよいよ、月の半ばを越えましたが、まだ、認定感染者数が、増加に転じた様子はありません。 ただし、下げ止まりの観はあります。 やはり、自然にゼロにはならないのか・・・。

  それにしても、これから、増加に転じて、第6波が来るとして、それは、一体、何株なのよ? デルタ株は、予想外の急減を見るに、自壊したとしか考えようがないのですが、次は、何株なのか? 一度、負けた株は、もう再増加できないようにも見受けられますが、デルタ株に勝てる変異株は、すでに、登場しているのかどうか。

  一方、もし、デルタ株を最後に、終息すると言うのなら、インドと日本だけというのは、奇妙な話で、他の国・地域でも、同じ傾向が見られるはず。 新型肺炎については、未だに、分からない事ばかりですな。



【2021/10/22 金】
  とうとう、静岡県の認定感染者数が、ゼロに。 実際数が、認定数の50倍いると考えても、ゼロに50かけても、ゼロなので、これはもう、感染の危険は、ほぼ、なくなったと見るべきでしょう。 理由は、「ウィルスの自壊」以外、説明がつきません。 「行動変容」が理由なら、とっくの昔に収束しているはずだからです。

  で、ゼロになったわけですが、これで終わるとは、全く思っていません。 次の変異株が入り込んでくるのは、避けようがないので、また増えるのは、確実、くらいにとっておくべきでしょう。 こういう時、勇み足で、感染防御を解いて、感染し、命を落とすのは、あまりにも、馬鹿馬鹿しい。 マスクを外すのは、全世界で完全に終息してから、半年後、一年後でも、遅くはないです。



【2021/10/30 土】
  認定感染者数の再拡大が見られず、すっかり、終わったような雰囲気になっていますな。 私のように疑り深い人間でさえ、緊張が緩んでいるくらいですから、非潔癖や、ズボラの面々が、緩まないわけがない。 さぞや、我が世の春を謳歌しておる事でしょう。

  このまま、本当に終わってくれればいいのですが、何と言っても、急減した理由が、「ウィルス自壊説」以外に考えられず、それは、科学的な証明ができなくて、仮説に過ぎません。 つまり、確実な理由となると、何も分からないわけです。 行動変容が理由でない事だけは、確か。 そんな簡単な事なら、これまでに、こんなにたくさんの感染者や死者は出ません。

  「日本人が、頑張ったからだ」とか、「やはり、ファクターXは存在する」などと、非科学的な事を言う者も出て来ますが、何の根拠もない、単なる意見ですから、頭に入れない方がいいです。 そういう意見が正しいのなら、去年の春に終わっているはず。 今回、急減した本当の理由は、誰も分からない。 これからも、解明できない可能性が高いです。

  という事は、ウィルスの振る舞い次第で、また、拡大する恐れはあるわけだ。 そうなった時、今のように、感染防御意識が緩み切っていると、とんでもない被害を出すのではないかと、それが怖いです。 終わったと思って、マスクを外したり、人混みに入って行ったり、旅行に行ったりと、流行前の生活に戻していた人達が、一気に、感染する恐れがあります。

  しかし、今の時点で、「気を引き締めろ!」と掛け声をかけても、聞く人は、ほとんど、いないでしょうなあ。 これは、もはや、賭け事ですが、再拡大しない方に、賭けるしかありますまい。 もちろん、賭け事は、負ける時もあります。

  私個人的には、どう転んでもいいように、感染防御を続けます。 前にも書きましたが、こういう、気が緩んだ時に、感染して死ぬのが、最も馬鹿っぽい。 愚か過ぎて、弔辞も読んでもらえやしない。 



【2021/10/31 日】
  衆院選挙の日でしたが、母ともども、投票には、行きませんでした。 主な理由は、感染防御の為。 なんで、インターネット投票を導入しないのか、不思議でならぬ。 マスコミも、「期日前投票所が増えて、以前より投票し易くなりましたね」などと言っていましたが、何を時代遅れな事を言っているのか。 頭が、1995年以前で止まっている。 投票なんて、ネットでできて、当たり前ではないのかね?

  投票に行かなかった理由は、他にもあります。 今、国政に期待する事というと、新型肺炎対策以外にありませんが、どの政党が勝とうが、対策に違いが出るとは思えないからです。 で、投票所での密を避ける方を優先した次第。

  政党に関係なく、日本の政治家は、保守派ばかりでして、新たな感染症に対応する能力など、元からないのです。 保守派というのは、

「今日は、昨日と同じ。 明日は、今日と同じ」

  という考え方が染み付いた人達でして、今までに経験した事がない新事態には、全く対応できません。 保守派と対になるのは、進歩派ですが、そんな政治家、どの政党を見ても、一人もおらんでしょうが。

  立憲民主や、国民民主は、建前上は、リベラル(進歩自由主義)政党ですが、一人一人の政治家は、やはり、保守派だと思います。 社会主義系統の政党は、そもそも、進歩派とは、直接、関係がありません。 「社会を、不断に、どんどん進歩させて行こう」というのが、進歩派でして、「理想的と考える、特定の状態に持って行けば、あとは、その状態を維持するだけ」というのは、進歩派ではありません。

  興味深い事に、日本に限らず、民主主義でやっている国・地域は、それが何十年も続くと、政治家に、進歩派が一人もいなくなり、政党に関係なく、保守派ばかりになってしまう傾向が見られます。 アメリカ民主党なんて、本来は、進歩派の牙城だったのですが、いつのまにか、すっかり、保守化してしまいました。

  それは、バイデン政権の新型肺炎政策が迷走している事を見れば、一目瞭然。 「今日は、昨日と同じ。 明日は、今日と同じ」と思っているから、昨日と違う今日が来ると、どうしていいか分からずに、右往左往してしまうんだわ。 もちろん、今日と違う明日に対して、備える事もできません。 バイデン政権の政策を見ると、これといった方針が定まっていないように感じられますが、実際、自分達が置かれている状況が把握できず、何をどうしていいか、分からなくなってしまっているのでしょう。

  そんな有様でも、アメリカ民主党は、まだ、マシな方で、アメリカ共和党に至っては、選挙に勝つ為に、トランプ人気に縋るだけの集団に成り下がり、元々、進歩派でないのは当然の事ながら、今や、保守派とすら言えぬ、奇妙奇天烈な政党になってしまいました。

  保守派ばかりになってしまって、新たな事態に対処できない、というのが、民主主義国家・地域が嵌まりこんだ、最悪の状況なんですな。 新型肺炎対策に限って言うなら、対処できているのは、中国、台湾、ニュージーランドだけで、ベトナムが、何とか、感染抑制組に復帰できるかどうか、舵取り中というところ。 それ以外の国は、話になりません。 インドや日本など、自然に減ったなどというのは、感染が制御下にないわけですから、政府の対策で減らしたとは言えません。

  イギリス? アホ臭い。 あの国は、悪い方の手本だわ。 社会実験が聞いて呆れる。 人の命を実験台にして、人権無視だとは思わないのかね? シンガポールは、ゼロ・コロナだったのを、わざわざ、ウィズ・コロナに切り替えて、感染者・死者数を増やしてしまったわけですが、イギリスという悪い手本に倣った結果としか言いようがありません。 失敗している国に合わせて、方針を変えて、その結果、死んだ人に、一体、どう詫びるのよ?

  イスラエルも、成功しているとは言えませんなあ。 いろんな事を、先行して試して、データを出してくれるのは、ありがたいのですが、あれだけの実力がありながら、一斉検査をやって、ゼロ状態にしようとしないのは、奇々怪々。 それは、韓国も同じで、それだけの検査能力がありながら、一斉をやらないから、いつまでたっても、感染者がゼロにならないのです。

  ちなみに、今現在、韓国より、日本の方が、日当たりの認定感染者数が少ないですが、検査能力や追跡能力は、韓国の方が遥かに勝っている事を考えると、そんな事はありえないのであって、単に、日本では、認定感染者数と、実際の感染者数に、大きな開きがあるというだけの事でしょう。 韓国でも、市中感染が続いているという事は、開きがあるわけですが、日本のそれより、ずっと、小さいと思います。

  進歩派の話に戻しますが、

  面白い事に、中国と台湾は、自分の社会を進めて行く方向を、しっかり見定めているという点で、世界中で最もよく似ています。 進歩派の政治家が、主流を占めているんでしょうな。 まあ、どちらも、中国文明の継承者だから、似ていても、不思議はありませんが。 ニュージーランドも、そのようですが、あまり、情報が入ってこないので、詳しく分かりません。

  歴史を振り返ってみると、日本では、進歩派の政治家というのが、驚くほど、少なかった。 近代以降で、はっきり、そうだと言いきれるのは、石橋湛山さんだけなのでは? 一人かよ! そーりゃ、未来へ進まないわなあ。 では、どうやって、社会を変えて来たかというと、手本になる外国を真似して来たのです。 ずーーっと、真似で押し通してきたから、自分で考えて、進歩させるという考え方そのものが根付かなかったわけだ。

  だから、同じ東アジアの国・地域なのに、中国、台湾、韓国が、真似ではなく、自力で考えて、社会を進歩させているのを見ると、不思議で仕方がないわけだ。 別に、日本人が特別、進歩的発想が苦手というわけではないと思うのですが、言い出す人間がいても、変化を嫌う周囲が、黙らせてしまうでしょう。 そういう社会風習が染み付いているんですわ。




  今回は、ここまで。

  去年の10月の記事だけになりました。 この頃は、新型肺炎について、さほど、書いていなかったと思っていたんですが、探したら、こんなにありました。

  最後のは、特に、新型肺炎の話というわけではありませんが、一応、中身で触れているので、入れておきました。 本来なら、加筆して、≪進歩派≫といったタイトルをつけ、独立した記事にすべきなんですが、その加筆が面倒臭いので・・・。