2013/03/31

文化の減少

  地デジが見るに耐えないひどさなので、自然と、BSの番組ばかり見る事になるのですが、BSはBSで、文句無しとは言えない限界が存在していて、気分が晴れる事がありません。


  BSで、やたらと多いのが、紀行番組です。 特に、夜7時から9時くらいは、集中しています。 他は、テレビ・ショッピングでなければ、地上波で作ったドラマの再放送ばかりなので、BSのオリジナルといったら、ほぼ全て、紀行番組と言ってもよいくらい。

  日本国内のものは、普通の旅番組と違いが見出せないので、最初からパス。 さして人気があるわけでもない俳優やタレントが、地方へ行って、地元の人達と触れ合ったりするわけですが、あまりにも地味なために、とても、つきあっていられません。 旅人自身が面白いと思っていないような事に、視聴者に興味を持てと言う方が無体。

  外国物の方が、まだ、見る価値がありますが、これらはどうやら、日本の局が作っているのではなく、外国で製作した番組を買って、放送しているだけの様子。 ただ、番組を選ぶのは、日本の局なので、日本人的感覚の篩がかかっているのも事実。

  対象になっている場所ですが、断トツに多いのは、ヨーロッパです。 とりわけ、イタリアが群を抜き、次がフランス、スイスといった所。 この並びには、日本人の嗜好が反映していますな。 文化層が厚いところへ集中してるわけだ。 イタリアが多いのは、ローマ帝国とルネサンスの杵柄でしょう。 するってーと、日本人は、現代文化の源は、南欧系だと思っているわけですかね?

  意外と少ないのは、イギリスやドイツで、経済では、ヨーロッパの中心なんですが、文化面は、あまり注目されていない模様。 イギリスは、思想や文学で、世界に大きな影響を与えていますが、そういったものは、ビジュアルで紹介し難いので、紀行番組が作れないのかもしれません。 ロンドンは現代的過ぎる一方、地方は田舎っぽ過ぎて、文化的情緒を感じないんですな。

  中東欧は、チョコのプラハだけ、よく出ます。 この街、ロンドン、パリ、ベルリンなどより、遥かにヨーロッパらしい趣きを保存しているというので、西欧からも観光客が押し寄せているところで、その影響が、日本のテレビにも及んでいる様子。

  ロシアは広大なだけに、無数の街があるのですが、ほとんど、取り上げられません。 世界最多の多民族国家で、週一で、各民族を紹介するだけでも、数年は続く大シリーズになり得ると思うのですが、なぜ、手をつけないのか、不思議なところ。 宝の山だと思うのですがね。

  中央アジアは、もっと注目度が低く、シルク・ロードがテーマにでもならない限り、まず出て来ません。 勿体無いなあ。 というか、中央アジア5カ国の地図が頭に入っている人が、どれだけいる事やら。 民族の十字路で、様々な民族が混交しているので、街を歩く人達の顔を映しているだけでも、面白いと思うんですがね。


  南西欧に続いて、よく出るのは、中国と東南アジア。 日本のテレビで、中国関連の情報というと、報道番組では、悪意に満ち満ちた糞味噌な内容が多く、とても見られたものではありませんが、紀行番組では、良識的なものがほとんどです。 ただ、中国情緒を追い求めるあまり、古いものばかり探すため、急速に発展中の経済方面から目を背ける傾向があり、社会の一面しか映していないような、アンバランス感が無いでもなし。

  東南アジアは、アンコール遺跡があるカンボジアを除くと、あまり面白くないのですが、これは、歴史について、見る方に詳しい知識が無いためでしょうか。 タイは、大変よく取材される国ですが、大雑把にでも、タイの歴史について知っている日本人は、少ないと思います。 私も、昔、東南アジア諸国の歴史を読んだはずなんですが、印象に残っているエピソードが、あまりありません。 単なる勉強不足か?


  次は、中南米の、先住民文化の遺跡。 インカやマヤは、やたらと多いです。 ただ、出る所が決まってしまっていて、インカなら、クスコの石垣とマチュピチュだけ。 マヤなら、チチェン・イッサばっかりという、重度のワン・パターンに陥っています。 暦のピラミッドの、蛇の影に至っては、毎週のように、何らかの番組で見せられているような気がします。 他にも、遺跡は、たくさん、あるんですがね。

  日本にとって、重要な国であるにも拘らず、紀行番組が滅多に取り上げないのが、アメリカです。 たまに出ても、全然面白くない。 アメリカ合衆国だけでなく、南北アメリカの現代都市は、一様につまらなくて、ただ人が住んでいるだけの場所という感じがします。 無味乾燥度計の針が、レッド・ゾーンを軽々超えて、振り切ってしまいますな。

  アメリカは、ヨーロッパ人による入植が始まってからでも、すでに、500年を経ているわけですが、なぜか、歴史の層の厚さを、まるで感じさせません。 古い建物があっても、それは、当時のヨーロッパの文化をそのまま移植しただけで、アメリカのオリジナリティーが見出せないので、コピー商品的な軽薄さが拭えないのです。 中南米の、カトリックの教会なども、全く同じ。 その国の文化ではなく、スペインやポルトガルの文化としか思えないんですな。

  イスラム圏は、アメリカよりは多いですが、これも、出る場所が決まっていて、カサブランカとか、イスタンブールとか、文化的情緒がある街に集中しています。 エジプトとメソポタミアの二つの古代文明を含んでいるのですから、他にも、取材できる街は、いくらでもあると思うのですが、なぜ行かぬ?


  アメリカ以上に無視されているのが、インド。 ここも、歴史や文化の層は分厚いのですが、なぜか、敬遠されています。 ある意味、日本人に最も理解しにくいのが、インド文化なのかもしれませんな。 仏教を媒介にして、インド文化を理解しようとするのは、現代では、ナンセンスとしか言えません。

  アメリカの街は、古い物が無いせいで、取材対象にならないわけですが、インドの場合、事情は正反対で、覗き込んだら、どんな凄い世界が出てくるか分からないため、怖くて入って行けないのかもしれません。 カースト制に比べたら、イスラム文化の方が、遥かに分かり易いです。 インドは、日本人にとって、≪残された最後の異文化≫になる可能性が大。


  アフリカのウエイトも、少ないですねえ。 あれだけ広大で、国の数も、民族の数も多いのですから、文化は多種多様なはずなのですが、なぜ、その辺に興味を持たないんでしょう? みんな同じに見える? そりゃ、興味が無ければ、そうでしょうよ。 アフリカから見れば、日本と韓国は言うに及ばず、日本とブータンですら、区別がつかないようにね。

  動物がテーマのドキュメンタリーだと、よく出ますが、野生動物ばかりに注目して、そこに住む人間の生活を無視するのは、偏見といわれても致し方ありますまい。 ボビー・オロゴンさんの実家一軒だけでも、あれだけ面白いんだから、他が面白くないわけがない。


  どの国も、みんな同じように見えるのが、南太平洋の国々。 ただ、これらの島々は、元々、同じ民族が、広まって行った地域なので、互いの文化が似ていても、不思議はありません。 紀行番組として面白くないのは、やむを得ないところ。

  そういえば、アメリカ国内でありながら、異様に取り上げられる頻度が高い場所に、ハワイがありました。 ハワイ専門の番組があるくらい。 毎日やっているから、一体、何をそんなにありがる事があるのか、首を傾げてしまいます。 日本人の海外旅行先でトップなので、興味がある人が多いんでしょうか。 私は、全然、面白くないのですが。


  こうして見てみると、人類文明というのは、本当に、有限なものなんですねえ。 文化のバリエーションが、有限というべきか。 大雑把に見ると、これだけしか無いのですよ。 細かく分けていけば、もっと数が増えますが、それは、≪秘密のケンミンSHOW≫的な分類趣味に過ぎず、世界の趨勢は、グローバル化なのですから、むしろ、数は減っている、そして、今後も、どんどん減って行くと見るべきでしょう。

  ≪多文化主義≫という考え方がありますが、今現在、凄まじい勢いで、地球上を多い尽くそうとしているグローバリズムに対抗できるかというと、大いに疑問です。 学者が語る、「多文化を保存する事の、人類規模の利点」よりも、「スマホが欲しい」といった、一人一人のベタな欲求の総合の方が、遥かに強いと思われるからです。

  果てしなく広い宇宙に、確認されている知的生命体は、今のところ、地球に住む人類だけ。 そして、人類の文化の種類は、急激に減少中。 この傾向が、このまま進行すれば、その内、自分が他者と、どう違うのかも分からなくなってしまうでしょう。 しかし、問題は、その事ではなく、果たして、自分と他者の違いが無くなっていく事が、悪い事なのか、良い事なのか、それすらも分からないという事です。

  もし、二人の人間が、全く同じ特性を持つのであれば、二人いる必要は無いのであって、一人で充分という事になります。 かつて、生まれた双子の一人を養子に出していたように・・・。 同様に、70億人が、全員、同じ特性を持つのであれば、70億人いる必要は無いのであって、一人で充分という事に・・・。

  価値観が一つになり、考え方も一つになれば、人類全体が未曾有の危機に襲われたような時に、変わった考え方が出来る人間がおらず、一つの対処法しか思いつかないために、全滅する可能性が高くなるわけですが、それも、自然の摂理と見るべきなのか。

  単一文化の弊害というのは、極端に言うと、こういう事なのですが、こんな事を言っても、結局、単一化の流れは止められないでしょうなあ。 「スマホが欲しい」を、「人類のために、我慢しろ」と言っても、説得力ゼロですけんのう。

2013/03/24

映画批評⑧

  昨年の10月から患っていた映画中毒ですが、ようやく、回復の兆しが見えて来ました。 背景にある最大の理由は、仕事の残業が増えて、映画を見る時間を捻り出せなくなった事ですが、直接的な原因になったのは、≪静かなドン≫という小説を読み始めた事です。

  これも、そもそもは、映画がきっかけでして、2月に、BSプレミアムで、≪チャイコフスキー≫と、≪カラマーゾフの兄弟≫というソ連映画が放送されたのですが、それを見て、俄かに、「ロシア文学は、ドストエフスキーの後、どうなって行ったのだろう?」と思うようになり、調べてみたら、ソ連時代になっても、系譜を受け継いでいた作家達がいたとの事。

  で、手始めに、作品名だけは以前に聞いた事があった、ショーロホフの≪静かなドン≫を図書館で借りて来ました。 ところが、これが、手強い本でして・・・。 中央公論の≪世界の文学 新集≫の中の31・32・33巻がそれなんですが、一冊当たり、600ページもあり、しかも二段組み。 計1800ページもあるので、一日100ページずつ読んでも、最短で、18日かかる計算。

  というわけで、3月の半ばからは、≪静かなドン≫で明け暮れるようになり、映画どころではなくなってしまったというわけです。 ≪静かなドン≫も、映画化されていて、そちらも、名作の殿堂入りしているようですが、映画なら、長くても、半日もあれば見終わるのに対し、本だと、18日もかかるというのは、何だか、不効率な気がせんでも無し。 まあ、読書には、映像作品とは違う、沈潜した楽しみがあるのも事実ですが・・・。

  長い前置きでしたが、つまり、何が言いたいかというと、読書で忙しいので、ここの記事を書いている暇が無いという事なのです。 そこで、溜まったままになっている、映画批評の続きを出して、お茶を濁そうという相談なわけですな。


≪デンジャラス・ビューティー2≫ 2005年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん、制作・主演。 ≪デンジャラス・ビューティー≫の続編ですが、今度は、ミスコンではなく、FBIの広報活動の顔として、再び、ビューティーになります。 前作からの共通の出演者は、カーク船長のウィリアム・シャトナーさんですが、今度も、誰でもいいような役。

  誘拐されたミス・アメリカの友人を救うため、ラスベガスに乗り込んだ主人公が、自分のボディー・ガードに付いた喧嘩っ早い女捜査官と共に、現地指揮官の命令を無視して、勝手な捜査を繰り広げる話。

  前作以上に、コメディーの度が増しており、これはもう、ドタバタ喜劇と言ってもいいです。 一応、女の友情がテーマですが、そちらの方は、オマケのようになってしまっています。 だけど、これは、純粋に笑うための映画として見るなら、完成度が極めて高いと言うべきですな。

  見ていない方は、機会があったら、見て損はないです。 とりわけ、オカマのステージ・ダンサーに扮装した主人公が、フリフリの頭飾りと尻尾をつけて、夜のラスベガスを疾走する場面は、抱腹絶倒を請合います。 あの、サンドラ・ブロックさんが、それをやっているというのが、凄い。


≪熱いトタン屋根の猫≫ 1958年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさん、ポール・ニューマンさんのダブル主演。 正確には、もう一人、父親役の人も、主演級の役回りを演じますが、名前が分かりません。

  南部で大農場を営む一家の当主が誕生日を迎え、長男の家族と次男夫婦が屋敷に戻って来るが、当主が不治の病に犯されている事が分かり、財産の取り合いや、親子関係・夫婦関係の葛藤など、様々な問題が、一気に噴き出す話。

  最もまともな人格の持ち主が、酒浸りの次男で、他は、欲の皮の突っ張った嘘つきばかりという、キャラ設定が凄まじいです。 このセリフの凝りよう、ほとんど、一軒の家の中だけで進む話など、舞台劇が元だろうと思ったら、案の定、原作は戯曲でした。

  出演者で最も印象に残るのは、長男の妻を演じている人で、「よく、女優になれたなあ!」と驚くような、きつーい顔をしています。 役も、目を背けたくなるような、きつーいものなので、これ以上無いくらい、役に嵌まっています。 エリザベス・テイラーさんは、恐らく、最も美しかった頃だと思いますが、顔が派手すぎて、ちょっと浮いてしまっている感じがします。

  主要登場人物の全てが、自分の好き勝手な事を主張しまくるので、見ていて、あまり、気分のいい映画ではありません。 終盤では、だんだん落ち着いて、話が纏まって来ますが、これだけ利己的な人達が、こう簡単に丸くなるというのは、不自然なのではありますまいか。


≪パーマネント・バケーション≫ 1980年 アメリカ
  とあるインディペンデント系の映画監督が、大学の卒業制作で作った作品だそうで、商業映画ではありません。 こんなの、金を取ったら、客が入りませんわ。 映画と言うより、ただのイメージ・ビデオですな。

  流浪癖のある青年が、街をうろついて、頭のイカれた連中と話をし、精神病院に入院中の母親を見舞い、車を盗んで旅費を作り、パリへ船出する話。 ストーリーは、あって無いようなものです。

  唯一、「ほー」と思ったのは、頭のイカれた連中の一人が語る、【ドップラー効果】という題のジョークで、その部分だけ、字幕を読む価値があります。 後は、早送りで見ても同じ。


≪四十七人の刺客≫ 1994年 日本
  高倉健さん主演。 ≪赤穂浪士の討ち入り事件≫の話ですが、かなり、脚色されており、定番の忠臣蔵でもなければ、史実に忠実に作ったわけでもなく、制作者の好みで脚色した、創作色の強い描き方がされています。 こういうのは、歴史劇とも、時代劇とも分類できず、ちと、困るんですがねえ。

  ストーリーは、ほぼ、定番と同じなので、梗概は、割愛。

  大石内蔵助を、目的の為なら卑怯な手でも敢えて使う策士に仕立てたり、吉良屋敷を防備厳重な砦のようにしたり、いろいろと目新しい要素を入れていますが、さして、効果は出ておらず、むしろ、不自然さや陳腐さばかりが感じられます。

  大石が、策士にしては、女にだらしがなかったり、自分で斬り合いをやりたがるなど、軽はずみな行動が目立ち、キャラ設定が一定していません。 京都の筆屋の娘に手をつけて、囲い者にするなど、死を覚悟した者のする事ですかね? 無責任にも、程がある。

  吉良屋敷の庭の迷路は、子供騙し丸出しで、思わず、噴き出してしまいました。 規模が小さ過ぎるのですよ。 背伸びしたら、塀の向こうが見えるような高さでは、遊園地の迷路のレベルにすら達しておらず、動物実験の迷路の次元ではありませんか。 赤穂浪士の知能指数テストかいな? 大道具の人も、自分で作ってて、笑ったでしょうねえ。

  屋敷内の仕掛けも、明らかにやりすぎ、こんなに堅固に作られたのでは、吉良方が負ける方が不思議と思ってしまいます。 吉良方の侍が、ぞろぞろ出て来ますが、たったの47人で、これだけの敵に勝てるとは、到底、思えません。 しかもアウェーで。

  筆屋の娘の役を宮沢りえさんがやっていて、まだ、十二分に魅力があった頃なので、大変、美しい映像になっています。 どうも、その場面ばかり、力が入っているように見受けられますが、この映画は、もしかしたら、本当に、宮沢りえさんを撮りたかっただけなんじゃないでしょうか。

  高倉健さんは、時代劇の経験があまりないせいか、どうにも、武士らしく見えません。 殺陣も、なんとなく、ヤクザっぽく見えてしまうんですな。 逆に言うと、時代劇俳優的な、型に嵌まった仕草や、独特の節回しの話し方をしない点、自然体であると言えないでもなし。


≪いそしぎ≫ 1965年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさん主演。 リチャード・バートンさんが相手役。 海辺の一軒家で、世間から隔絶して子供を育てていた、画家の母親が、息子を預けたキリスト教系学校の牧師と不倫の仲になり、牧師の人生を変えてしまうものの、自分自身も牧師から影響を受けて、人間への興味を取り戻して行く話。

  あまりにも簡単に、牧師が主人公と肉体関係を持ってしまうのは、かなり、違和感があります。 妻子のいる牧師に、未婚の母である主人公を紹介する判事も判事ですが、牧師は、聖職者なのですから、もう少し、誘惑と戦ってもらいたいものです。

  「好きになったら、余人の犠牲など、構っていられない」という、不倫に走る者特有の、手前勝手な倫理観が垣間見えて、あまり、感心できる話ではありません。 牧師は自業自得としても、牧師の奥さんは、気の毒この上無し。 何の悪事もしていないと言うのに。 結局、主人公が、悪女に見えてしまい、共感する気が失せるのです。 それでは、映画として、失敗でしょう。

  エリザベス・テイラーさんは、明らかに、美のピークを越えており、ただ濃いだけの顔に変化しつつあります。 ちょい役で、チャールズ・ブロンソンさんが出ています。


≪Tommy トミー≫ 1975年 イギリス
  珍しい、ロック系のミュージカル。 冒頭からラストまで、全編、ロックで歌い踊り継がれて行きます。 元は、ロック・オペラだったそうですが、これを舞台でやられたら、うるさくてしょーがないですなあ。 

  母が再婚した後、戦死したと思っていた父親が帰って来たのを、義父と母が殺してしまう光景を目撃して以来、目が見えず、耳が聞こえず、口も利けない三重苦に陥った少年が、青年になってから、ピンボール・ゲームの名手として、時代の寵児になり、治療によって、傷害も克服し、多くの若者に崇拝される教祖のようになっていく話。

  一言で言うと、気分がザラザラする映画で、コメディー仕立てなのに、まるで笑えません。 ロックのイメージにあわせて、映像を作ると、こんな荒涼とした視覚印象になってしまうんですかねえ。 ロックが持つ、「破壊」のメッセージ性が、映像表現の秩序も壊してしまうのです。 そういえば、≪ジーザス・クライスト・スーパースター≫も、ロック・ミュージカルでしたが、全く同じような印象を受けました。

  粗雑な印象とは裏腹に、ストーリーは、しっかりしていますし、映像も、大掛かりなセットを組み、細かいカットを繋ぎ合わせて、どえらい手間と金をかけて作られています。 しかし、その投資が、作品の質を高めているかと言うと、とてもとても・・・。

  俳優では、オリバー・リード、ジャック・ニコルソン、ロック歌手では、エルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ティナ・ターナーといった面々が出演しています。 プロ歌手のパフォーマンスが、パワフルである事は、正直に認めます。


≪ウォーター・ホース≫ 2007年 アメリカ
  ネス湖のネッシーをモチーフにした、ファンタジー風味のペット物。 第二次大戦中、ネス湖の畔で、大きな卵を拾った少年が、卵から孵った首長竜のような生物を、姉や使用人の男に協力してもらって育てるが、大きくなって、ネス湖に放したところ、ドイツ軍の潜水艦と思い込んだ軍隊が攻撃し始めたため、何とか海へ逃がそうとする話。

  ≪のび太の恐竜≫みたいな話ですが、こちらはSFではなく、首長竜の生き残りでもなくて、スコットランドの伝説の生き物、「ウォーター・ホース」という設定になっています。 ただ、急激に成長する以外は、超自然的能力を持っているわけではなく、映画は、あくまで、ペット物の枠の中で作られています。

  ウォーター・ホースは、完全にCGで、役者さん達は、動きを合わせるのに、さぞ苦労した事でしょう。 人間との絡みはいいんですが、湖を浮上して進む時の、波の立ち方が、ちょっと、不自然。 しかし、それでも、ここまで、CGで表現できるようになったのは、大した進歩だと思わされます。

  ペット物なので、一応、ハッピー・エンドが用意されていて、安心して見る事ができます。 軍の司令官である大尉が、嫌な男の設定で出てくるくせに、最後には、いい人になってしまうのは、ちと、甘過ぎでしょうか。 それ以外は、おかしなところはなく、平均点をクリアした出来だと思います。


≪トゥー・ウィークス・ノーティス≫ 2002年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演の恋愛物。 相手役は、≪ノッティングヒルの恋人≫のヒュー・グラントさん。 ここのところ、サンドラ・ブロックさんの映画が続いています。 別に、ファンでも何でもないんですが。

  歴史ある建物の保存運動をしていた弁護士が、敵対していた不動産会社の社長に腕を買われ、地元にある公民館を残す約束で、顧問弁護士として、その会社で働きだしたが、社長の思いつきで振り回されるのに耐えかねて、数ヶ月で辞める事にしたものの、その後任に若い美女が決まった事から、嫉妬心が芽生える話。

  こう書くと、複雑な話のように見えますが、出会いの設定が凝っているだけで、全体的には、ありふれた恋愛物です。 前半の、社長と主人公の、仕事上の関係は、非常に面白いんですが、後半、恋愛感情が入り始めると、急につまらなくなります。 つまり、恋愛物としては、失敗しているわけですな。

  恋愛物にしないで、企業物として、前半のパターンを最後まで続ければ、面白くなったのに。 2000年以降のサンドラ・ブロックさんは、恋愛に落ちる女の役は、無理ですって。 顔はいかついし、歩き方もバタバタで、性的魅力なんて、完全消失しています。 コメディーで、頭の切れる快活なおばさんの役をやれば、ぴったりなんですがねえ。


≪シザーハンズ≫ 1990年 アメリカ
  ジョニー・デップさん主演のファンタジー。 発明家に作られた人造人間で、手の指が全て鋏になっている青年が、ある家族に引き取られてから、庭木の剪定や散髪に、芸術的才能を発揮して、人気者になるものの、純心な性格を悪人に利用されて、次第に居場所を失って行く話。

  一種の、異界カルチャー・ショック物ですが、この話の場合、一緒に暮らす内に、互いの理解が進むのではなく、最初、大歓迎されたのが、だんだん、綻びが大きくなって、最後には、逃げ出さざるを得なくなるという、かなり、珍しいパターンです。 そのせいで、物寂しい終わり方になっているのですが、逆に、ハッピー・エンドにしなかった事で、見る者に深い印象を残す事に成功したとも言えます。

  ヒロインになる娘が、「馬鹿女」でして、つまるところ、この娘が、自分の、ろくでなしの彼氏を守るために、泥棒事件の真相を隠さなければ、主人公は、周囲から誤解される事はなかったのです。 こいつが悪いんですよ、こいつが。 馬鹿女をヒロインにするのは、避けた方が宜しいですな。 馬鹿女への愛を貫く為に、主人公がひどい目に遭わされるのは、あまりに切ない。

  ジョニー・デップさんは、メイクが濃くて、言われなければ、誰だか分かりません。 監督は、≪スリーピー・ホロウ≫でも、ジョニー・デップさんを起用した、ティム・バートンさん。 話に暗い陰があるのは、この監督のカラーなんでしょう、きっと。


≪ナイトメア・ビフォア・クリスマス≫ 1993年 アメリカ
  これも、監督は、ティム・バートンさん。 ディズニーの、人形アニメです。 制作年から見て、フルCGではなく、現物の人形を動かして作った映像だと思うのですが、それにしては、滑らかに動きます。 ただし、人形の造形はグロテスクで、いかにも、この監督の趣味という感じ。

  ハロウィンしか知らなかった、あの世のヒーローである骸骨男が、ある時、クリスマスの存在を知って、自分もやってみたくなり、サンタを略取監禁して、自分がサンタの代わりになるものの、価値観のズレから、悪趣味なプレゼントばかり配り、世間の怒りを買う話。

  主人公に、全く悪意が無く、子供が喜ぶと思って用意したプレゼントが、生首だったり、子供を襲うモンスターだったりするところに、この監督の人間観察の深さを感じます。 価値観が違うと、善意でやった事でも、良い結果に至らないんですな。 確かに、そういうもんですよ。

  ヒロインは、唯一、人間と同じ価値観を持っている、常識的なキャラなのですが、顔も手足も、継ぎ接ぎの縫い目だらけで、あまりにも気持ち悪く、どんなに努力して見ても、可愛らしいと思えません。 せめて、顔だけでも、縫い目をなくせなかったものか・・・。


≪恋愛適齢期≫ 2003年 アメリカ
  ジャック・ニコルソンさんと、ダイアン・キートンさんの恋愛物。 30歳以下の女性としか付き合わない主義の熟年男が、交際相手の別荘で倒れてしまい、なりゆきで、交際相手の母親と同居する事になって、次第に、熟年女性の魅力に目覚めて行く話。

  熟年といえば、聞こえはいいですが、もはや、老年ですな。 特に、ダイアン・キートンさんが、凄い老けよう。 ジャック・ニコルソンさんより、9歳も年下なのに、ものの見事に老婆化しています。 65歳で、こんなに老け込みますかね? で、その老婆が、裸を見せる上に、ベッド・シーンまでやるのですから、額に汗を浮かべずにいられません。 露悪趣味だね。

  物語の方は、単なる熟年の恋の話でして、テーマというほどのテーマはありません。 若くなくても、魅力ある女性はいるのだという事に、主人公が気づくのがテーマだとすると、あまりにも、薄っぺらなのでは?

  三角関係を構成する相手として、遥かに若い、キアヌ・リーブスさんが医師役で出て来ますが、二枚目なら誰でもいいような役で、ストーリーの肉付けに、ほとんど寄与していません。 なんで、こんな役を受けたんでしょうねえ。


≪サンタ・バディーズ 小さな5匹の大冒険≫ 2009年 アメリカ・カナダ
  ディズニー作品。 クリスマスのエネルギーが切れるという危機を救うために、5匹の子犬達が、サンタ・ドッグ・ジュニアに導かれて北極に行き、サンタの橇を引く手伝いをする話。

  犬物ですが、犬は犬でも、言葉をしゃべる、擬人化された犬です。 特殊な動きをするところには、CGも使っていますが、基本的には、本物の犬が演じているので、しゃべり方が、かなり不自然。 口はCGで動かせても、犬は視線が一定しないので、心ここにあらずといった態になってしまうんですな。 この種の趣向は、手間がかかる割には、出来がしょぼくなる憾みがあります。

  完全に幼児向けに作られた映画で、大人の鑑賞には堪えません。 子供向けの映画であっても、大人が見ても感動するようなクオリティーを盛り込めば、名作たりうるのですが、そういう高い所は、最初から目指していない模様。


≪クリスマスキューピッド≫ 2010年 アメリカ
  これは、劇場映画ではなく、テレビ・ムービーだとの事。 つまり、二時間ドラマなんですが、中身だけ見たのでは、劇場映画と区別が付きません。 BSの、≪DLife≫チャンネルで見たんですが、この局が流す映画には、こういう素性の分かり難いものが、かなり混じっています。

  仕事第一主義で、周囲の人間を出世の道具としか考えていない女が、急死してしまった女優の幽霊の仲介で、クリスマスまでの三夜に、三人の聖霊の訪問を受ける事になり、過去・現在・未来に於ける、己の醜い所業を見せられて、改心する話。

  「クリスマス改心物」というカテゴリーを立てたくなるほど、この種の話は多いです。 クリスマスが近づいた影響で、自分の生き方を見つめ直し、悪い行いを悔い改めるというパターン。 先日見た、≪ミスター・サンタを探して≫も、その口でした。

  ≪ミスター・サンタを探して≫の主人公は、元は優しかったという設定で、仕事に取り付かれて、一時的におかしくなってしまっていたのが、元に戻ったわけですが、この作品の主人公は、高校生の頃から、一度も優しかった事がなく、この程度の奇跡で、思いやりのある人間に生まれ変われるとは、到底思えません。

  というか、そもそも、こんな性格の女に、男がつくとは思えないのですがねえ。 本性が見えた途端、どんな男も、裸足で逃げ出すでしょうに。 主人公が好かん性格では、見る者の共感を得るのは難しいでしょうな。


≪妹の恋人≫ 1993年 アメリカ
  ジョニー・デップさんが出ていますが、主役ではありません。 主役ではないけれど、キャストの並び順では、一番上に名前が出て来るのが、不思議。 ≪シザーハンズ≫よりは後ですが、まだ、かなり若い頃の出演作。

  精神を病んでいる妹と二人暮らしで、妹の世話のために、恋も結婚もできないでいた自動車整備工が、ある時、友人から風変わりな青年を預かる事になり、その青年と妹の間に恋心が芽生えた事で、妹にも自分にも、新しい人生が開けて行く話。

  はっきり言って、いい映画です。 作り手の優しさが伝わって来るような、肌触りの良さが感じられます。 特に、主人公と、ウェイトレスをしている元女優が、家の裏手の川原で過ごすひと時の描写が、素晴らしいです。 ほんの数十秒の場面だと思うのですが、これから、恋が始まるのではないかと予感させる、その雰囲気が何とも言えません。

  ジョニー・デップさんが演じる、パントマイムが得意な青年も、好感が持てます。 欲が無い所もいいですし、一見、いい加減なようでいて、主人公の妹との結婚に備えて、レンタル屋でバイトを始めるなど、真面目に物事を考えているところは、見ていて、嬉しくなって来ます。

  細かい事を言えば、実際に精神を病んでいる人は、この程度の人間関係の変化で、劇的に良くなったりはしないと思うのですが、まあ、野暮な事は言わず、「こういうケースもあるのかもしれない」という事で、納得しておきましょう。


≪ジャイアンツ≫ 1956年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさんと、ロック・ハドソンの、ダブル主演。 テキサスの大牧場へ、東部から嫁いで来た妻と、テキサス人気質で、偏見や差別に関して、古い価値観をもった夫が、衝突しながらも、子供を育て、30年近い年月を過ごす話。

  西部劇としか思えない風景から始まり、最後には、1950年代の、旅客機が飛ぶ時代まで、3時間20分かけて、話が進みます。 言わば、大河映画なのですが、見ていて、長さに退屈するような事はありません。 さほど面白いわけではないのに、そう感じさせるのは、語り方がうまいからでしょうか。

  ≪風と共に去りぬ≫のような大作・名作を期待していると、ずっと、ぬるいので、肩透かしを喰らいます。 つまらなくはないが、決して、名作にはなりえない、といった映画ですな。 テーマは、偏見・差別の克服ですが、それと同時に、時代の変遷も描こうとしているため、二兎を追って、どちらも得られずに終わっている感あり。

  もし、偏見・差別の克服だけをテーマにするのなら、こんなに長くせずに、2時間以内で、充分に描ききれたはず。 途中で主人公が変わってしまうのも、大きなキズです。 最初は、妻の視点で見ているのに、いつのまにか、妻絡みのエピソードが消えて、クライマックス以降は、夫が中心人物になってしまいます。 こういう事をやられると、統一性が感じられず、テーマが、ぼやけてしまうのです。 

  ジェームス・ディーンさんが、憎まれ役で出ています。 いい役ではないんですが、この人がやると、主役を喰うほどの存在感を発揮してしまうから、ちと困りもの。 ちなみに、この映画の撮影が終わらない内に、交通事故で亡くなったとの事。



  以上、15作まで。 これらは、去年の12月の半ば頃に見ていた分ですな。  あの頃は、日当たり、2本か3本見ていたから、15本出しても、10日分も進みませんわ。

2013/03/17

地デジ、散々

  地デジ化以降、地デジの番組が、あまりにもつまらないので、ほとんど見なくなってしまいました。 あれだけ、鳴り物入り+物入りで切り替えさせたくせに、中身がこれでは、話になりません。 犯罪を構成しない詐欺だと言っても、過言ではない。 一体、あの騒ぎは何だったのか・・・。 責任を取ってもらわなければなりませんな。 どこ行った、地デジカ及び、その他の宣伝関係者。 

  そういや、昨今ちらほら、≪4Kテレビ≫という言葉を耳にしますが、4Kテレビを4K画質で見るには、4K放送が必要だそうで、またぞろ放送規格を変えようという話が持ち上がっている様子。 しかし・・・、さすがに、そこまでやったら、テレビ視聴をやめる人が続出するのではありますまいか。

  推し量るまでもなく、軒並み業績が傾いている日本の家電メーカーが、「地デジ化の儲けを、もう一度!」とばかりに、全国規模でのテレビ買い替え需要を狙っているものと思われるわけですが、地デジ化してから、まだ2年も経っていないのに、よく言えるな、そんな事。 そこまで人に迷惑をかけなければ、生き残れない会社なら、さっさと潰れておしまいなさい。


  真面目な話、テレビを見ない生活様式が、もっと一般化しても、いい頃合いではないでしょうか。 タバコを吸わない人や、ネットをやらない人と同じくらいの割合で、テレビを見ない人がいてもいいはず。 実質、今のテレビ番組の内容なら、一切見ない生活に切り替えても、損は無いでしょう。

  バラエティー番組は、ほぼ全滅と言っていいです。 私個人に限って言えば、もはや、必ず見るバラエティーは、ゼロになっており、それで、何か不都合が出ているかというと、そんな事は全然無いのであって、別に、何の不満も感じません。 つまり、元々、見なくてもいいようなものだったのでしょう。

  すでに見ていないので、批判する資格も失っているのを承知で書きますが・・・、とにかく、芸人を増やし過ぎたのが、最大の失敗だと思います。 彼らは確かに有能だ。 任せておけば、笑いを取って、視聴者を楽しませ、番組の好感度を上げてくれる。 最初は、ゲストだったのが、いつのまにか、司会側に回って、番組の中心になってしまったのも、かれらの能力の高さからすれば、別段、不思議ではありません。

  しかし、物には適正配分というものがあるのであって、ゲストが10人いれば、その内、芸人の枠は2人が限度でしょう。 それなのに、10人中5人が芸人とか、10人全員芸人といったケースも珍しくなくなり、その上、司会まで芸人となると、もはや、番組というより、芸人同士の私的な宴会を見せられているような雰囲気になってしまうのです。

  芸人が持ち芸を発揮する上で、最もやり難い環境は、同業者の前なのであって、周囲が全員、同業者になれば、芸なんぞ見せるのは、不粋以外の何ものでもなく、勢い、持ち芸を封じて、体験談にちょっと落ちをつけたような話ばかりするようになります。 昨今のバラエティーに出て来る話題といったら、もーう、そんなのばっかり!

  知らんわ! おまいらの私生活の出来事なんて! そんな事に、興味を持ってくれというのが、理不尽だろうか! 誰なんだよ、おまえ? 俺の何なんだ? おまえの私生活のエピソードと、俺の生活に何の関係がある? 「僕って、○○じゃないですかあ?」 知るか、そんな事! 誰に訊いとんのじゃ、雄鶏ゃ! これが、無人島だったら、即、崖から突き落とすぞ!

  これだけ、芸人が増えてしまうと、当然の事ながら、能力不足とか、先輩芸人がいると、何も喋れないとか、何しに来ているのか分からないとか、異様にツラが醜いとか、いろいろと問題がある人間も出て来るわけですが、あまりにも、需要が多いものだから、そんな味噌っ滓まで、いつまでも生き残っており、増えて溜まる一方で、一向に新陳代謝が進みません。

  今や、芸能界とは、芸人に仕事を与えたやるために存在していると言っても宜しい。 駄目な奴にも、席を用意してやって、失業しないように、みんなで庇い合っているんですな。 だけどよー、それでいいのかい、あんたら? もっと厳しい環境で、芸を磨いた方が、人生にプラスになると思うぜ。

  しかも、そういう芸人過剰番組が、一つや二つならまだしも、夜7時から9時まで、全ての局で、全ての曜日、埋め尽くされてしまっては、もはや、見る番組がありません。 クイズ番組の形式で始めても、結局は、芸人ばかりになってしまうのは、さながら、臓器が次々と癌細胞に侵食されて行く様子を見ているようです。


  地デジで、バラエティー以外の番組というと、ドラマという事になりますが、これがまた、つまらないんだわ。 日本のドラマの問題点については、今までにも何度か書いて来たので、繰り返しませんが、それ以降も、悪化の一途を辿っている感があります。

  何と言うかねえ、ドラマの登場人物達の行動に、興味が湧かないんですよ。 自分とは何の共通点もない、遙か遠い所にいる、取るに足らない存在に思えてしまうのです。 そんな人間が、幸せになろうが、苦しもうが、悩もうが、どーでもいーと思うなっつーほーが無理でしょう?

  なんだろねえ・・・、自分の人生も、他人の人生も、何もかも色褪せてしまった、この感じ・・・。 世の中全体に活気が無くなり、暗く感じられる、この陰気な感覚。 昼間でも、日の光が溢れていても、尚暗い・・・。 私の年齢のせいでしょうか? しかし、たとえ、若者を見ていても、彼らから明るいイメージを感じ取る事ができないのです。

  実際の世の中が、そんな火が消えたような状態だから、そんな社会を舞台にドラマを作っても、面白くなるわけがないです。 昔から、農村・漁村や工場を舞台にしたドラマというのは、ほとんど存在しなかったわけですが、それには理由があり、つまりその、雰囲気が明るくならないんですな。 創造性が無い場所と見做されていると、ドラマの舞台として取り上げ難いのです。

  それと同じ事が、今や、大都会や、大企業のオフィス、洒落た職業など、昔ならドラマの舞台の中心だった場所にまで蔓延し、片っ端から、火を消しまくっている感じ。 「クリエイティブな仕事」などと聞くと、「ぷっ!」と吹き出してしまうから、この変化は凄い。 今、そんな仕事、あるのか、本当に?

  全ての年齢層を通じて、尊敬に値する人々が見当たらなくなったのも、ドラマをつまらなくしている大きな原因ですな。 ちょっと前までなら、「青年実業家」とか、「IT起業家」とか、もっと前なら「仕事に脂が乗り切った年配」とか、「ロマンス・グレイ」とか、敬意を含んだ呼称があったものですが、今や、全て、死語。 ちなみに、「ちょいワルおやじ」は、誉め言葉ではありません。

  若い頃に有名になるほど稼いだやつらは、落ちぶれるか、刑務所行きかの、憐れな末路。 時代の波に乗った者ほど、潮目が変われば、溺れるのも早いです。 ゲーム・ソフトの開発会社なんて、うじゃうじゃあったけど、あの経営者達、今頃、どうしてるんでしょうねえ?

  年寄りは、ただのボケ老人で、円熟の味わいどころか、人並みの判断力もありゃしない。 頻尿の残尿で、てめえの小便も止められない有様では、尊敬など受けられるべくもありません。 引退でもしようものなら、もう、全宇宙に存在意義無し。 来る日も来る日も、やる事が全く無くて、散歩する植物人間と化す始末。

  「キャリア・ウーマン」なんて、笑う以外にありませんな。 ただの、「嫁かず後家」やがな。 会社でどんなに権勢を振るってたって、一歩外に出れば、醜いババァなのであって、道行く人達が目を背けて、遠回りしてすれ違って行くというから、惨めの限界を極めています。 ちなみに、「お一人様」は、誉め言葉ではありません。

  面白いドラマが成立するには、登場人物の役割分担がはっきりしていなければなりません。 つまり、キャラが立っていなければならないんですな。 ところが、実際の社会で、階層が崩れて、それぞれの役割がはっきりしなくなったものだから、人間関係も、「好きか、嫌いか」の二つの感情でしか構成されなくなり、面白みが消えてしまったのです。

  これはねえ。 韓ドラを見ていれば、日本の社会が失った要素が健在で、たくさん出て来るから、よく分かります。 そして、そういう要素があるからこそ、韓ドラは面白いのです。 そういや、日本のドラマ制作者が、「日本のドラマが海外に売れないのは、円高と、著作権の規制のせいだ」とか言ってましたが、いやいやいやいやいやいや、そんな問題じゃないと思いますよ。 つまらないんだよ。 他に、理由は無いです。

  韓ドラで驚くのは、時代劇・歴史劇のテーマの取り方の多様さです。 日本の時代劇が、ヒーローの滅多斬り一本になってしまい、日本の歴史劇が、戦国末と幕末の二本だけになって、完璧なまでにマンネリ化し、視聴者に見捨てられたのに対し、韓ドラの時代劇・歴史劇は、単に過去の時代を舞台として借りているだけで、一作一作に個別のテーマが設定され、まずテーマ有りきで制作されている点が、全く異なっています。

  そーりゃ、毎度毎度、おんなじ事ばっかりやってりゃ、よほど根気のある視聴者でも、飽きるよなあ。 日本人を無作為に何人か選んで来て、韓ドラの時代劇を10時間と、日本の時代劇を10時間見せた後、「あと、10時間、ドラマを見てもらうが、韓国のと日本のと、どちらがいいか?」と訊いたら、よほどの馬鹿か、拷問好きでなければ、韓ドラの方を選ぶでしょう。


  ところで、今年の大河ドラマの≪八重の桜≫、ありゃ、どーしたもんですかねー・・・。 私は、一応、初回から見ていたんですが、4回目で、いよいよ限界を感じ、5回目で、とうとうアホ臭くなって、見るのをやめてしまいました。

  去年の≪平清盛≫は、最低視聴率を更新するほど不評でしたが、企画は新鮮で良かったと思います。 出だしは、「映像が汚い」と言われましたが、それは、リアルさに拘ったわけで、別に批判されるような事ではありますまい。 ただ、韓ドラの時代劇・歴史劇を見慣れている私の母は、一際、「汚い」を連発していました。

  終わりの方は、「無理やり、話を引き延ばしている」と言われ、それは確かに、その通りでした。 歴史資料が少ないため、一年間埋めるには、エピソードが足りなかったんですな。 無理に一年に拘らず、半年で一本とか、二年に三本とか、放送計画に柔軟性を持たせてもいいと思うのですが。

  で、≪八重の桜≫ですが、こーりゃ、ひどいでー。 何せ、歴史上の人物と言っても、有名人でも何でもないので、資料の少なさは、平清盛どころの話ではありません。 だもんで、最初っから、エピソードを水増しして、引き延ばしているのです。 主人公の八重が全場面の半分も出て来ず、兄を媒体にして、京都の情勢ばかりやってますが、そりゃ、もはや、八重の話じゃないじゃありませんか。

  この異常さに誰も気づかないというのが、日本のドラマ界が患っている病気の重症度を如実に物語っています。 主人公そっちのけで、時代背景ばかり追っているドラマが、どこの世界にあるーっ! おかしいのが分からんのけーっ! ・・・本当に気付いていないの? 信じられんで、おい・・・。

  また、主人公の八重が、変な女なんだわ。 鉄砲撃ちたくって、しょうがないんですって。 そんな女性、いますかね? まあ、男なら、いると思いますが、女では、どう考えても、変人でしょう。 ≪うぽって!!≫という、しょーもないアニメがありましたが、そのしょーもない登場人物達と、同レベルですな。 大河ドラマの主人公にするような人物かいな?

  変人を主人公にして、人間ドラマを描けるかと言ったら、それは、無理ですよ。 変人には、まともな視聴者が、シンクロできないからです。 八重の気持ちが分かるのは、鉄砲撃ちたい女だけですが、そんなのは、この世に、ほとんどいません。 そんなんじゃ、ドラマにならんでしょう。 オタク・アニメが関の山でしょう。 分からんかなあ。 

  ≪八重の桜≫の中身は別にしても・・・、もー、幕末はえーっちゅーのよ。 よくもまあ、おんなじような話ばかり、もっくり返し引っくり返し作って、飽きませんねえ。 病気なんじゃないの? 出て来るのは、みーんな同じ顔ぶれ。 直弼も象山も海舟も松陰も龍馬も隆盛も小五郎も容保も新撰組も、いい加減にしてくれんか。 うんっざりだ。 名前を見ただけで、虫唾が走る。


  あー、疲れた。 地デジの番組を、細かく貶し始めたら、こんなもんじゃ済まないわけですが、さすがに、貶し疲れたので、この辺でやめておきます。 それにしても、どーにかならんかねー。 NHKの聴取料と、ケーブル・テレビの料金が勿体無いよ。

2013/03/10

尿管結石

  自転車のボトム・ブラケットを修理したのが、2月17日の日曜日。 月曜からは、遅番なので、午後から出勤で、昼まで寝ている予定だったのですが、朝の7時に、腹の痛みで起こされる事になりました。

  いつものように、便通が悪いのだろうと思っていたのですが、便意は一向に盛り上がらず、トイレに座っても、ほんの僅かしか出ません。 腹が痛くて、いきむのも辛い。 ベッドに戻って、絶対安静を決め込もうとしたものの、なぜか、左の背中まで痛くなり、寝てもいられない有様。

  9時前、急激な腹痛に襲われ、下剤代わりに飲んだアクエリアスを、全部吐いてしまいました。 腹が痛過ぎて、息ができない緊急事態に・・・。 事ここに至って、自力で治すのは不可能と判断。 生憎の雨の上、家には車が無くなっているので、母に頼んで、タクシーを呼んでもらい、病院へ行こうとしました。

  洗面しなければと思ったものの、腹が痛くて、髭をざっと剃るのが精一杯。 母が、「救急車の方がいいのでは?」と言うので、素直に従いました。 タクシーはすぐに来ましたが、理由を話して帰ってもらい、5分後に到着した救急車に、歩いて乗り込みました。

  消防隊員に症状を訊かれ、血圧や体温を計測し、病院に問い合わせてから、発進。 「近くの病院がいいですか」というので、「はい」と答えたら、本当に、すぐ近所にある、糖尿病専門の医院に運ばれました。 あまりに近いので、恥ずかしさを感じましたが、わざわざ、遠くにしてくれというのも、変な話。

  この医院、一応、内科もやっているのですが、いつも糖尿病患者でいっぱいで、えらい待たされるので、内科の治療目当てで、ここに来る人はあまりいません。 しかし、この時は、救急搬送だったので、すぐに処置室に入れてくれました。 いやあ、救急車にして良かった。

  まず、看護師さんに、続いて、先生に症状を話すと、「原因はよく分からないが、とりあえず、座薬と点滴をする」との事。 ついでに、尿検査と血液検査もしました。 座薬のせいか、点滴のせいか、単なる気分の問題か、処置室のベッドで横になっている間は、腹痛が和らいでいました。

  その後、エコーもやるというので、診察室の方へ。 検査の前に、先生から、「尿管結石かもしれない」と聞き、意表を突かれました。 痛いのは、腹も背中も、左側で、左側には小腸・大腸くらいしか臓器が無いと思っていたので、そう言われるまで、てっきり、便通の問題だと思い込んでいたのです。 しかし、よく考えてみれば、腎臓は左右にあるわけで、左側に結石したとすれば、背中の方が痛くなった事も、説明がつきます。

  エコーの結果、石らしい石は見つからなかったようなのですが、他に原因が考えられないと言うので、その線で治療する事になりました。 ところが、診察室の椅子に座って、そういう話を聞いている内に、また腹が痛くなり、慌てて処置室に戻って、点滴をもう一本、追加する事になりました。 その間に、母が薬局で処方薬を買って来て、病院を出たのが、昼の12時半頃。

  帰りはタクシーでした。 家までの距離は、1キロも無いんですが、雨がひどいので、致し方なし。 家に帰ると、すぐにまた腹が痛くなり、後は、寝ているだけ。 石が膀胱に落ちるまでは、痛みが続くとの事。 本来なら、石が落ちてしまうまで、病院で寝ているべきなんですが、なにせ、糖尿病外来専門の医院で、入院設備が無いので、追っ払われてしまったわけですな。


  午後4時頃、会社に電話して、休むと告げました。 今日は他にも休む者がいて、向こうは困るでしょうが、こちらも、生きるか死ぬかという瀬戸際ですから、仕事の事なんぞ、気にしてられません。

  処方薬は、石を溶かす薬と、痛み止めの座薬が出ました。 しかし、座薬の方は、ほとんど効果がありませんでした。 薬自体の効果がどうこうというより、肛門から、出て来てしまうのです。 まず、指で抓んで入れますわなあ。 すると、指が汚れるから、洗いに行きますわなあ。 それで、ベッドに戻って来て、寝ますわなあ。 その間に、20歩くらい歩くわけですが、歩くと、座薬が出て来てしまうのですよ。

  座薬を効果的に使うには、予め、体を横にした状態で入れて、そのままの姿勢を維持していなければいけないんですな。 手をラップか何かで包んで、座薬を入れ、ラップは、手の届くのと頃に置いたゴミ箱に捨てれば、いいかもしれません。

  石を溶かす薬は、食後に飲むという指定でしたが、とても、物が食べられない状態だったので、ただ、薬だけ飲みました。 「石を流すために、水分をたくさん取れ」と言われていましたが、そうそう飲めるものではありません。 しかも、胃に溜まるばかりで、そこから下へ下って行かない感じ。 尿も、少ししか出ません。

  横になっていても、ただ寝ているだけで、眠る事ができません。 痛みがひどくて、同じ姿勢を維持できないからです。 まーあ、「楽に死ねるなら、死んだ方がマシ」という痛さでしたね。 私は、若い頃に、胆石をやっていますが、痛みの強さは、胆石に及ばないものの、長く続く分、こちらの方が始末が悪いのではありますまいか。

  ちなみに、胆石の痛みというのは、≪病気・怪我の三大痛み≫の一つに数えられるそうですが、近い例で説明すると、マラソンなど長距離走をした時に、脇腹が痛くなった事があるでしょう? あの痛みが、ずっと続く感じです。 じっとしていても収まらず、何かしら、薬の力を借りないと、発作から脱する事ができません。 結石の痛みは、それよりは、幾分軽いのですが、平常心でいられないレベルである点は、同じです。

  医院の看護師さんから、「この病気は、泌尿器科の管轄だから、悪くなるようだったら、そちらへ行けば、超音波で石を破砕する機械がある」と聞いていたのですが、あまりにも、長く痛みが続くので、「これはもう、機械の力に縋るしかない!」というところまで追い詰められました。 朝まで痛みが続くようだったら、病院の開院と同時に押しかける事に決定。

  で、夜中の0時過ぎに、寝ているよりも、立っている方が楽なひと時が訪れたので、「今しか無い!」とばかりに、パソコンを起動して、市内の泌尿器科をチェックしました。 調べてみると、長音波の機械は、大病院にしか無いようでした。 個人の泌尿器科医院は、主に、人工透析をやっている様子。

  別に、大病院でもいいんですが、でかい所は、常連患者を大量に抱えているので、よっぽど早く行っても、すでに先客が列を成していて、待合室で、死ぬほど苦しい思いをさせられる恐れがあるのが、厄介。 こんなに痛い腹を抱えて、何時間も待ち続ける事ができるのか?

  パソコンを起動したついでに、人体解剖図で、腎臓と尿管、膀胱の位置関係を調べてみました。 私は、腎臓を、膀胱のすぐ上にあるものと思い込んでいたのですが、図で見ると、遥かに上の方にあり、長い尿管が、膀胱まで、ほぼ垂直に下りています。 尿管は、膀胱の左右に、真上から繋がっていて、正に、「落ちる」という感じ。

  イメージというのは、割と大事なもので、体の仕組みが理解できると、石がどの辺りまで進んでいるかが、分かるようになります。 「尿管が真上から膀胱に入っているなら、重力で石を落とせないものだろうか?」と思いつき、痛いのを堪えつつ、ぴょんぴょん跳ねてみましたが、自室は二階なので、夜中にドスドス床を揺らすのは、ちとまずい。

  そこで、ますます痛いのを堪えて、階下へ下り、台所の電気ストーブを点けて、その前で、飛び跳ねました。 しかし、痛みは引かず、10分ほどで諦めて、またまた痛みを堪えつつ、階段を上がって、自室へ。 そろそろ、立っている事に限界を感じ、またベッドに横になりました。 横になっても、痛みで、眠れやしないのですが・・・。


  ところが、いつの間にか眠っていたんですな。 夜中の2時頃、尿意で目が覚めると、痛みが引いている事に気づきました。 石が膀胱に落ちたのです。 やれやれ、助かった!  尿も、それまでとは比較にならぬくらい、たくさん出るようになりました。 考えてみれば、腎臓から来る尿管が、片方、石で詰まっていたんですから、尿が少ないのは当たり前だったのです。

  その後は、朝の7時まで、楽に眠る事ができました。 小便には、三回くらい起きましたが、なーに、そのくらい、石の痛みに比べたら、何の苦労でもありません。 ううむ、九死に一生を得た気分。 「ああ、生きているって、素晴らしい事なんだなあ・・・」と、心底、思いましたっけ。

  朝の7時から、翌日の午前2時まで、19時間の激闘でした。 病院に行く前よりも、帰って来た後の方が、ずっと長かったです。 その間、固形物は何も食べず、テレビも全く見ませんでした。 痛くて、そんな気分にならないのです。 結石、恐るべし・・・。


  火曜日は、普通に仕事に行きました。 石は膀胱に落ちただけなので、まだ、尿道に詰まる可能性があったのですが、看護師さんの話では、「膀胱で溶けてしまう場合もある」との事だったので、痛みも無いのに、休むのもどうかと思い、出勤する事にしたのです。

  会社に着くと、尿路結石の経験がある人が、三人も訪ねて来て、「痛かったでしょう! あれは、救急車、呼びますよねえ!」と、病気話で大盛り上がり。  同病相憐れむ。 というか、自分が経験した苦しさを、人に話したくて仕方ないんですな。 分かります、その気持ちは。


  その後、そろそろ、3週間になりますが、結局、石は、尿道には詰まりませんでした。 膀胱で溶けてしまったのでしょう。 やれやれ、あれ以上、痛い思いをしないで済んで、助かった。 尿道の方は、未経験ですが、尿管と違って、周りに肉が詰まっているので、もっと痛いんじゃないでしょうか。

  ちなみに、私が飲んでいた、石を溶かす薬は、≪ウロカルン≫という錠剤ですが、本来の役目は果たしてくれたものの、胃壁も荒らされてしまい、その後、一週間、胃の痛みに苦しむ事になりました。 しかし、胃炎の痛みなんぞ、結石の痛みに比べたら、ものの数ではありません。 だって、我慢しながら、仕事ができるくらいですから。 結石の痛みだったら、仕事なんて、とてもとても・・・。


  病気自体とは関係ありませんが、前日に、自転車のボトム・ブラケットを修理して、手にグリスの臭気が残っていたのには、ほとほと参りました。 痛みを堪えるために、顔に手を当てるたびに、グリス臭くて、気持ち悪いのなんのって・・・。 これからは、グリスを扱うときには、手袋をしようと、固く心に誓った私でした。

2013/03/03

ボトム・ブラケットの修理


  さて、前回の続きです。 折り畳み自転車のペダル・クランクの軸受け部分から、ゴリゴリという異音が出始め、たぶん、破損しているであろうと思われる、ベアリングの球を交換しようという、修理計画。

  何かを修理する時、材料は言うに及ばず、道具からして持っていないという場合、まず、直し方を調べ、次に、材料と道具の入手方法を調べ、実際に買いに行き、それから、取り掛からなければならないので、結構な、手間と時間がかかります。 

  今回は、≪クランク抜き≫という工具の入手が、最大のネックでした。 ただ単に、クランクの棒を外す為だけなのに、どうして、専用工具が要るのか、着手早々に腹が立つところですが、大方、素人が自力で直し難いようにして、自転車店の存在意義を確保しようという魂胆なのでしょう。

  ハウツー・サイトで紹介されていたのは、シマノの製品ですが、それだと、1500円で、ちと高い。 一方、≪サイクルベースあさひ≫の品は、980円です。 ケチな私としては、そちらを選びたいところですが、クランク抜きというのが、みんな同じサイズなのか、それすら知らないので、使えない物を買ってしまう危険を避けるために、まず、そこから確認しなければなりません。

  で、ノギスなんか無いので、定規で、折自のクランク棒の孔の径を測りました。 2センチちょい。 「ちょい? そんな測り方でいいのか?」 いや、いいとは言いませんが、「たぶん、自転車のクラング孔は、全部同じ径なのだろう」という見当がついていたので、この際、いい事にしました。

  その週は、早番の六日稼動で、土曜も出勤。 疲れるなあ・・・。 六日間働くのもさる事ながら、週末の休みが、日曜日一日だけになってしまうのが、体力的・精神的に厳しいです。 しかも、今回は、その貴重な休みに、自転車の修理までやらねばなりません。 しかし、さっさと済ませてしまわなければ、自転車を使えない週末が、どんどん増えるだけですから、もはや、是非を検討している場合ではない。

  幸い、定時で終わったので、帰りに、工具を買っていくゆとりがありました。 まずは、≪サイクルベースあさひ≫へ。 クランク抜きの所へ行って、外径を定規で測ってみると、2センチちょい。 よしよし、やはり、全車共通のようだな。 レジへ持って行きましたが、店員がおらず、傍らの修理コーナーで、持ち込まれた自転車の修理をしていた人がやって来ました。 で、汚れたままの手で、レジ打ち。 いや、まあ、いいんですがね。

  あさひのクランク抜きには、14ミリ・ボックスが付属していないので、その後、ダイソーに寄って、ボックス・セットを買いました。 14・15・17ミリの三種が入って、105円。 異様に安いな。 安いから、必ず、悪い品とは限りませんが、ボックスの場合、あまり大きな負荷をかけると、いかれてしまう事は、覚悟しておかなければなりません。

  その辺の理屈を勘違いしていて、安い品と承知の上で買ったくせに、大負荷をかけて、壊してしまうと、「やっぱり、安物は駄目だ」などと、ブログで、ボロクソに貶す輩がいますが、そんなのは、ただの馬鹿です。 そんなに安物が嫌なら、最初から、高い物を買えば良かろうて。 廉価品の使い方を知らないなら、手を出すなよ。

  話を戻しますが、この店で、ボックスは手に入ったものの、ボックスを取り付けるラチェット・レンチが品切れ。 やむなく、繁華街のショッピング・モール内にある、別のダイソーに行きましたが、そこは、工具コーナーが小さくて、最初から置いていない様子でした。 ダイソーは、あちこちにあって、便利なものの、店によって、品揃えの規模が違うのが、玉に瑕ですな。

  またまた、やむなく、街外れの、スーパーの中にあるダイソーへ行って、ようやく、発見しました。 ラチェット・レンチは、結構しっかりした工具なので、さすがに105円ではなく、315円。 それでも、ホーム・センターよりは、ずっと安いです。 よし、これで、折自の修理にかかれるぞ。 もっとも、この日に買った工具でできる作業は、クランクを外すところまでなのですが・・・。

  それにしても、ラチェット・レンチが、315円で売っているのに、遥かに単純で小さい、クランク抜きが、980円とは、どーゆーこっちゃねん。 ・・・とは思うものの、クランク抜きは、あまりにも、出番の少ない工具なので、100円ショップでは、今後も、絶対に取り扱い対象にならんでしょうなあ。


  さて、翌日の2月17日、日曜日です。 朝から起きて、朝食だけは食べたものの、寒さと疲れで、また寝てしまい、本格的に動き出したのは、10時半からでした。 布団干しや部屋掃除などを済ませ、折自に取りかかったのは、11時半頃。 遅過ぎだよ、おい。 間に合わなかったら、面倒な事になるのに・・・。

  まず、クランク孔のカバーを外します。 これは、プラスチックを嵌め込んであるだけなので、マイナス・ドライバーでこじれば、簡単に外れます。 次に、買って来たラチェット・レンチに、14ミリのボックスをセットして、クランク棒を締め付けているナットを外します。 ネットで体験談を読んだところでは、このナットがきつくて、苦労するケースが多いようなのですが、私の折自の場合、簡単に外れました。

  次は、いよいよ、クランク抜きの出番です。 まず、外側のナットを、クランク孔の内側に切ってあるねじ山に、手で締め込んで行きます。 クランク棒は、左右共に外さなければなりませんが、まずは、左から始めました。 ねじ山には、少ししか入りませんでしたが、何しろ、初めての経験なので、「こんなもんなのか・・・」と思って、そのまま、続ける事にしました。

  クランク抜きは、外側のナットをクランク棒に固定しておいて、内側のボルトを締め込む事で、ガッチリ喰い込んでいるクランク棒を、シャフトから引き離すという仕組みです。 内側ボルトを回す為には、六角レンチか、モンキー・レンチが要ります。 ところが、六角の方は、サイズが大き過ぎて、家には対応するレンチがありませんでした。 となると、モンキーを使うしかありません。

  で、物置からモンキー・レンチを持って来たのですが、威容に大きなものしかありませんでした。 もっと小さいのがあったはずなのですが、どこへ行ったのか・・・。 物置の工具は、父の物なので、常に同じ場所にあるとは限らないのです。 父に訊けばいいのですが、時間が押していたので、面倒になり、「大は小を兼ねる」で、やっつける事にしました。

  ところが、モンキーで挟んで回し始めたら、クランク抜きが、外側ナットごと、ポロリと外れてしまいました。 やり直しても同じ。 ねじ山を舐めたかと思って、右側のクランクで試しましたが、こちらも、同じように外れてしまいます。 かなり、真っ青・・・。 ベアリングの交換どころか、クランクさえ外せない段階で、作業中止か・・・。

  気を落ち着かせ、クランク抜きをよく見ると、中側ボルトが、外側ナットに入り過ぎていて、シャフトに当たっているせいで、外側ナットが、クランク孔の奥までに入って行かず、力をかけると、簡単に外れてしまうのだと分かりました。 この事は、ハウツー・サイトで注意されていたにも拘らず、物の見事に忘れていました。 ちゃんと、読まねばいかんのう。

  一旦、外側ナットから、中側ボルトを抜いて、外側ナットだけを、先にクランク孔にねじ込み、それから、中側ボルトを入れて、モンキーで締めて行ったら、あっさり、クランクが外れました。 やれやれ、ほっとした。

  右も同じように外します。 右側は、チェーンがかかっているドライブ・スプロケットや、チェーン・カバーの支持ステーが挟まっているので、クランクを外すのに、少し苦労しました。 その代わり、右側の分解は、ここまでで、ボトム・ブラケットの取り出しは、左側から行なうので、右側は、これ以上、手をつけずに済みます。


  ここで、昼飯。 母がスーパーで買って来た、惣菜寿司セット、750円。 高いな。 前に、「寿司にするくらいなら、ハンバーグ定食にしてくれ」と頼んでおいたのに、すっかり忘れていて、寿司を買って来やがるのです。 これだから、年寄りは困る。


  次は、≪左ワン≫という部品を固定している、≪ロック・リング≫を外さなければなりません。 それには、≪フック・レンチ≫という工具が必要ですが、これは買わなくても、バイクの車載工具に入っていて、それを使ったら、何とか外れました。

  左ワン自体は、モンキーで簡単に回りました。 左ワンは、外側のねじで、フレームにねじ込まれていますが、座金が無いので、摩擦する部分が無く、締め付けてあるわけではないのです。 その締め付け用にロック・リングがつけられているという仕組み。

  左ワンを取り外すと、中身が出て来ました。 ボトム・ブラケットを構成する部品の内訳は、シャフト、左右リテーナー、リテーナーに組み込まれたベアリング、それだけです。 ブラック・ボックスである割には、意外なほどに、単純な構成です。 足で踏み込まれて、大負荷に耐えなければならないのに、こんなんで、もつんですねえ。

  見ると、左側のリテーナーが変形してました。  ベアリングの球も、9個中7個が、表面が欠けたようになっていました。 まともなのは、2個だけ。 右側は、リテーナーは無事でしたが、球が2個、表面が破損していました。 好都合な事に、無事なリテーナーに、無事な球9個を入れれば、片側分は、引き続き使える事になります。 買わなければならないのは、もう片側分だけというわけだ。

  ハウツー・サイトの情報では、リテーナーと球がセットになった品や、球だけという品が存在するそうです。 通販でも買えるけれど、自転車店にも、置いてある所にはあるそうなので、とりあえず、近場で探してみる事にします。


  午後2時前に、買い物用にしている自転車に乗って、最寄りのホーム・センターへ。 しかし、ベアリングの球だけというのは置いてないと言われました。 続いて、近所の自転車店へ行きましたが、日曜だというのに、扉とカーテンが閉まっていました。 もう長い事、店の前を通っていませんでしたが、もしかしたら、潰れたのか?

  やむなく、市街地まで足を延ばし、最も近くて、その手の部品が置いてありそうな自転車店へ行きました。 この店は、ホーム・ページを持っていて、スポーツ自転車を物色していた頃に、よく見ていたのですが、実際に、店に入ったのは初めてでした。 街なかなので、ビルの一角の一階と二階を店舗にしています。

  一階は、思っていたより、ずっと狭い店でした。 50代くらいの御夫婦が店番。 日曜はお客が少ないのか、閑そうでした。 リテーナーは、他の部品とセットのものしかなかったのですが、球だけならあるというので、18個入りのを、210円で買って来ました。

  入っている袋のシールを見ると、シマノ製・・・。 うーむ、クランク抜きでは避けられたのに、ここで、シマノに捕まったか。 ものの本によると、シマノは、大変、厳しい社風で、だからこそ、業界トップの座を維持し続けているのだそうですが、私は個人的に、そういう雰囲気の会社が、好きではないのです。 もっとも、物はベアリングですから、実際に作っているのは、下請け業者だと思いますが。

  それにしても、ここで、見つかって良かった。 ≪サイクル・ベースあさひ≫まで行っていたら、30分も余計にかかるところでした。 ネット情報によると、リテーナーは、必ず無ければならない部品というわけではないとの事。 この点は、自転車店の人も、「リテーナーが悪さをする事がある」と言っていました。 リテーナーを使わない分、球の数を増やして、開いた隙間を埋めるのだそうです。


  家に帰って、2時40分。 干してあった布団を取り込みます。 買って来た球を撮影して、早速、取り付けにかかります。 日が長くなりつつあるとはいえ、ぐずぐずしていると、今日中に終わりません。 折自は、屋外に置いているので、部品がバラバラのまま、夜になってしまうと、大変、都合が悪い。

  右ワンの方に、古い球を嵌め込んだリテーナーを入れました。 シャフトを固定する為に、先に、右のクランクを付けてしまいます。 チェーンが外れ、かけ直すのに苦労しました。 うっかり素手で、チェーンに触ると、汚れたグリスで、手が真っ黒。 それを洗っている内に、時間のロスが溜まって行きます。

  左ワンの方は、リテーナー無しなので、ワンの中に、直截、買って来た球を並べます。 ところが、グリスが柔らかくて、ワンの真ん中の孔から、すぐに落ちてしまいます。 私が持っているのは、バイクのチェーン用のスプレー・グリスなのですが、ハウツー・サイトでは、もっと粘度が高いグリスを使っていました。 ちっき・・・、もう、買いに行っている時間など無いのに・・・。

  とりあえず、孔にウエスを通しておいて、その周囲に、球を11個並べました。 しかし、そのままでは、ウエスが邪魔で、シャフトに通せません。 とにかく、グリスを固めようと思い、ウエスの代わりに、紙を丸めて、芯にして、全体をラップで包み、冷凍庫へ。 「そんな手、ありか?」と思うでしょうが、他に固める方法を思いつかなかったんですよ。

  15分くらい待って、左ワンを冷凍庫から出すと、紙の芯を取り除き、恐る恐るシャフトに通して行って、何とか、フレームにねじ込む事に成功しました。 しかし、綱渡りは、まだまだ、続きます。 左ワンとロック・リングの締め具合が分からずに、立ち往生。 最もスムースに回る所で締めればいいらしいのですが、どこが一番スムースなのかが分からないから、困る。 最終的には、テキトーにやっつけました。 生姜姉ちゃん、いや、しょーがねーじゃん。

  最後に、左のクランクを取り付けて、何とか格好になりましたが、見ると、何だか、左のシャフトの出が大きいです。 リテーナーが無い分、左ワンが奥まで入ってしまったのかもしれません。 これでいいのか・・・? 頭の上に、?マークが飛び回ります。

  近所を一回り、試し乗り。 ゴリゴリ音はしなくなりましたが、クランクに、なんとなく、ブレがあります。 しかし、これ以上の事は、私の技能的にも、時間的にも、もうできません。 とりあえず、これで、完了という事にしましょう。 不具合が出たら出たで、また、その時、直すという事で・・・。


  片付けが終わったのは、午後4時半でした。 出来はともかく、何とか、一日で終わって、良かった。 今、こうやって、経過を書き出してみると、ほんとに、綱渡りしてますなあ。 こういう事は本来、連休など、もっと、ゆとりがある時に、やるべき事なのでしょう。


  この日の作業で、つくづく思ったが、私の折自はもう、新品同様とは言えないという事でした。 近くで見ると、どこもかしこも、キズだらけです。 この日は新たに、フック・レンチを引っ掛けて、フレームに、だいぶキズをつけてしまいました。 シルバーの塗料を買って来て、修正すべきか、はたまた、もう、これ以上、手をかけるのはやめるべきか・・・。



  ≪サイクル・ベースあさひ≫独自ブランドの、クランク抜き。 980円。



  100円ショップ・ダイソーの、ボックス・レンチ用、ボックス。 14・15・17ミリのセット。 ソケットと書いてありますが、ボックスと同じ意味です。



  同じく、ダイソーの、ラチェット・レンチ。 315円。 ラチェットというのは、左右どちらか、一方向に回す時にだけ固定され、逆方向にはフリーになる機構の事。 スイッチで、締め付け方向の切り替えができます。



  クランク抜きを、クランク棒の孔に挿したところ。 外側のナットをクランク孔にねじ込み、内側ボルトを、六角レンチか、モンキー・レンチで、締め込んでいくと、クランク棒が外れて来ます。



  外した、クランク棒。 ペダルは、外す必要が無かったので、そのまま着けてあります。 左側が、クランク孔を塞いであった、プラスチックのカバー。 右側が、クランクを締めてあったナット。



  左上は、左ワン。 左下は、ロック・リング。 右下は、ロックリングを外すための、フック・レンチ。 右上は、ロック・リングに被せてあった、プラスチック・カバーです。



  上の黒いのは、クランク・シャフト。 これは、無傷でした。 両側が、四角形の断面になるように加工されていて、左右のクランクを直線状に嵌め込めるようになっています。 このタイプのシャフトの事を、≪スクエア・テーパー≫と言うそうです。 左下は、無事だったリテーナーと、無事だったベアリングの球9個。 右下は、変形したリテーナーと、表面が欠けてしまった球9個。



  左ワンを外し、ボトム・ブラケットを取り除いた、フレーム部分。 フレームの筒の内側にねじが切ってあって、そこにワンが入るようになっています。 左右のワンで、ベアリングを介して、シャフトを挟み込む仕組み。 このタイプのボトム・ブラケットの事を、≪カップ・アンド・コーン≫と言うそうです。



  シマノ純正の、ベアリング球。 18個入り、210円。 サイズは、4分の1インチ、6.35ミリです。 自転車用でなくても、一般の工業用で、同じサイズの球があると思うのですが、どこで売っているのか、今のところ、突き止めていません。