2022/03/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (30)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、30回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年2月分。





【長泉町上長窪・山神社】

  2022年2月3日、バイクで、駿東郡長泉町、上長窪(かみながくぼ)にある、「山神社」に行って来ました。 昨年の4月26日に行こうとして、見つけられなかった所。 今回は、じっくり調べて行ったので、難なく、到着しました。

≪写真1≫
  道路の脇から、急な石段で、境内に上がります。 鳥居は、新しいもの。 石段で上がる神社は、大抵、下の方に、鳥居があります。 神社の存在を知らせる為でしょうな。 

≪写真2≫
  石段。 些か、荒れていて、石が斜めになっています。 山でも、地盤沈下が起こるんですな。 石の下の土が、雨で流れてしまうのでしょう。 手すりがあるのは、親切ですが、手すりがあっても、高齢者では、上がる気にならないかも知れません。

≪写真3≫
  社殿。 本体は、小さな木製で、コンクリート・ブロックを積んだ、覆いの中に置かれています。 この種の覆いは、仏物だと、「鞘堂(さやどう)」と言いますが、神物だと、何というのか、不詳。

  境内は狭くて、この写真に写っているのが、全体の半分くらいです。 これでも、元が斜面だったのを、平らに削り出すのに、大変な労力が要ったはず。 昔の人は、マメですな。

≪写真4左≫
  分かり難い写真で申し訳ない。 木漏れ日の中で撮ると、こうなってしまうのです。 左側は、境内別社。 石の祠です。 右側は、石燈籠の残骸のようです。

≪写真4右≫
  道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車が来たらまずいと思い、下りて押して、山側ギリギリに寄せて、停めました。 出る時には、このままでは、跨がれないので、また、押して、山側から離して、乗りました。

  ちなみに、私は、バイクに乗り下りする時には、必ず、サイド・スタンドを立てた状態で行ないます。 たった、それだけの事で、立ちゴケを避けられるのなら、容易い事。 面倒臭さから、僅かな手順を端折ったばかりに、バイクを倒してしまった時のショックは、並大抵ではないです。

  「そんな事は、考えた事もない」という人の方が多いかもしれませんが、二輪車というのは、走っている時が、最も倒れ難く、停まっている時が、最も倒れ易いです。 車輪のジャイロ効果が働くか働かないかの違い。 停まっている時の方が、コケる危険性は高いわけで、侮れません。

  特に、自分が立っているのと反対側に倒れ始めると、止めようがないので、手を放すしかありません。 いつまでも、放さないでいると、バイクが倒れるのを阻止できない上に、腰をやってしまうので、要注意。




【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡①】

  2月8日に、バイクで、沼津市内、東沢田にある、「馬頭観音」と、「緬羊牧場跡」に行って来ました。 どちらも、住宅地図に、石像、石碑の記号だけ、出ていたもの。

≪写真1≫
  石像記号の所へ行ってみたら、こうなっていました。 石段が造られ、屋根まで、あります。

≪写真2≫
  左は、浮き彫りの石仏。 中央の石碑には、「馬頭観世音菩薩」と彫ってあります。 右の二つは、読んで来ませんでした。 写真を拡大しても、読めません。

≪写真3左≫
  前の道路から、北側を見た景色。 愛鷹山へ登って行きます。 ここも、愛鷹山の裾野にあたります。

≪写真3右≫
  前の道路から、南側を見た景色。 少し下ると、根方街道に出ます。 この周辺は、起伏が激しいですが、開墾され、農地になっています。

≪写真4≫
  道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 右側から撮った写真ばかり多いので、なぜかと思ったら、出先で停める時には、サイド・スタンドを使うから、バイクが左に傾いており、左側からだと撮影し難いんですな。




【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡②】

≪写真1≫
  馬頭観音から、ほんのちょっと、南に行った所で、西の方に、石碑があるのを見つけました。 おおっ、地図の通りだ。

≪写真2左≫
  入口の標柱。 「緬羊牧場跡碑入口」。 「緬羊」は、「綿羊」の事でしょう。 明治初頭にあった牧場だから、まだ、使う漢字が定まっいてなかったんでしょうな。

≪写真2右≫
  「緬羊牧場跡」の石碑と、解説板。 両者の位置が、近いですな。 たぶん、敷地の関係で、こうなってしまったのでしょう。

  解説文の内容は、大政奉還後、江戸から沼津へ移って来た旧幕臣の武士達が、明治6年に、ここで牧羊を始めたが、疫病で羊が全滅し、明治10年頃には、やめてしまった、といった事。 沼津に、そんな歴史があったんですねえ。

≪写真3≫
  石碑の前から、南西方向を見た景色。 起伏が激しくて、広々という感じではないです。 羊を飼うには、問題ないと思いますが。

≪写真4≫
  道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクは、どこに停めても、邪魔にならない点、便利でいいです。 車だと、停める場所がある事を確認してからでないと、出かけられません。

  しかし、バイクで、神社や石碑を巡っている人間は、間違いなく、少数派でしょうから、この便利さに気づかないバイク乗りも多い事でしょう。 我ながら、地味なものに興味がある性格で幸いだった。




【小屋敷・神明社①】

  2022年2月15日、沼津市の、根方街道沿いにある、小屋敷地区の、「神明社」に行って来ました。

≪写真1≫
  住宅地の中にありました。 先に、神社があって、その後、周囲を、住宅に囲まれてしまったのだと思います。 地形は、愛鷹山の裾で、緩いで、傾斜地になっています。

  鳥居は、石製。 名額に、「神明社」とあります。

≪写真2左≫
  鳥居に向かって右側に立っていた注意看板。 こちらでは、「神明宮」になっています。 呼び方が幾つもあるのは、地元では、よくある事。 犬を入れてはいけないんですな。 こういう規則は、他の神社では見た事がありません。 糞害が問題になった事があるのかも知れませんな。

≪写真2右≫
  鳥居の向かって左側に、スロープがありました。 駐車場のようで、車で入れるのかと思いきや、スロープの上端に、丸太が横たわっており、乗り越えられない事はないですが、知らずに上がっていくと、あっと驚く目に遭いそうです。 バイクでは、とても無理だと思い、ここには入りませんでした。

  カーブ・ミラーの支柱が面白いです。 車に突っ込んでこられるのが、よほど怖いのか、へっぴり腰ですな。

≪写真3≫
  拝殿。 ですが、ここで拝むわけではないようです。 鉄筋コンクリート・瓦葺き。

  正面壁の、向かって右上に、時計が掛けてあります。 おそらく、境内で遊ぶ子供に、帰りの時刻を知らせる為の物。 内浦長浜の、「白髪神社」でも見た事があります。 壁掛け時計ですが、防水機構など、屋内用とは、物が違うんでしょうな。

≪写真4≫
  拝殿の横手から、本殿を見た様子。 拝殿と本殿が、完全に分離しています。 根古屋の、「浅間神社」でも、同じような形式を見ました。 拝殿の方が簡素で、拝殿の役をしていない点が、そっくり。




【小屋敷・神明社②】

≪写真1左≫
  本殿の側面。 鉄筋コンクリート・瓦葺きですが、あちこち、造形が凝っていて、質感が高いです。 定礎に、昭和47年とありました。 1972年ですな。 まだ、ディスカバー・ジャパン・ブームの前で、「鉄筋コンクリートの方が、丈夫で良い」という考え方が主流だった頃でしょうか。 この建物を見ると、その判断が間違っていたとは思えません。 普段、人が住む建物ではないから、木造だと、ボロボロになってしまいますからのう。

≪写真1右≫
  本殿の正面扉。 賽銭投入口があります。 つまり、ここで拝むわけだ。 やはり、拝殿は、拝殿の役をしていません

≪写真2左≫
  境内別社。 この建物も、鉄筋コンクリート・瓦葺き。 ガッチリしてます。

≪写真2右≫
  「小屋敷清掃器具倉庫」。 これは、既製品の物置ですな。 わざわざ、「倉庫」と書いてあるのは、管理者の折り目正しい性格を表しています。

≪写真3左≫
  手水場。 漱盤は、コンクリート製。 型枠を組んで、流し込んで作ったようです。 印象はコチコチ。 蛇口あり、ハンドルあり。

≪写真3右≫
  漱盤の反対側。 しっかり、排水設備が整っています。 神社らしさには欠けますが、機能的には、満点です。

≪写真4左≫
  境内、西側の空間。 ベンチが置いてあります。 祭りの時に、人が集まるんでしょうな。 大変、綺麗になっています。

≪写真4右≫
  境内の東側。 こちらは、鎮守の森。 下草が一切見られず、少し、綺麗過ぎる感じもします。 管理者の性格が顕われている観あり。

≪写真5≫
  西側に回りこみ、北側から境内に入って、本殿の東に停めた、EN125-2A・鋭爽。 地面が柔らかく、サイド・スタンドがめりこんでしまうので、小石を置いて、その上に、スタンドを立てました。 スタンドの底面より、ほんの僅かに大きい程度の石でも、充分、役をします。 もちろん、もっと大きい石の方が安心ですが、バイクを支えたまま、手が届く範囲に、そうそう都合よく、大きい石はないですし、スタンドの下に入らないような厚さの石でも困るので。

  出る時には、跨って、エンジンをかけてから、バイクの力で、転回しました。 地面が柔らかい所で、人力で押して転回するのは、無理があります。 125ccでも、そうですが、それより重いバイクでは、尚の事。




【宮本・愛鷹シックスハンドレッドクラブ】

  2022年2月23日、バイクで、沼津市の西方、愛鷹山麓の宮本地区にある、「愛鷹シックスハンドレッドクラブ」へ行って来ました。 といっても、私は、ゴルフ場には用がなくて、ゴルフ場の西辺を通っている道を、どこまで登れるか、見に行っただけですが。

≪写真1左≫
  かなりの急坂を、ほとんど、2速で登って行ったら、北のドン詰まりは、こんな場所でした。 「仮置き場」と書いた、立て看板あり。 ゴミでも置くんでしょうか。 この時には、なかったです。 道幅が狭いので、大型のダンプは入らないと思います。

≪写真1右≫
  ドン詰まりから、東の方へ道が伸びていました。 この道を進むと、以前行った、「休場遺跡」に出るものと思われます。 冬枯れの林が美しい。

≪写真2≫
  ドン詰まりの少し手前で、南の方を見下ろした景色。 茶畑が美しい。 ゴルフ場の外周路として作られたのか、この茶畑に来る為の道が先にあったのか、不明。 針葉樹の森は、人工林のようです。

≪写真3≫
  ドン詰まりを僅かに東へ行ったところに、何かの施設の基礎跡のような、コンクリートが打たれた場所があり、そこに、バイクを停めました。

  EN125-2A・鋭爽は、ロー・ギヤードなので、登りでは、頼りになります。 ここに至る坂が、どの程度の傾斜かというと、下りは、エンジンをかけなくても、楽に下りられるくらいです。

≪写真4≫
  元来た道を、下って、行きには素通りしたゴルフ場の建物を、少し下から撮影しました。 坂が急過ぎて、道端にバイクを停めるにも、一苦労しました。

≪写真5左≫
  ゴルフ場のコース。 客が、結構いました。 邪魔をしては悪いので、さっさと退散。

≪写真5右≫
  だいぶ、下の方ですが、ゴルフ場と道路の境に、貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の木が、何十本も植えられていました。 7・8メートルには育っており、幹の捩れ具合が、逞しくて、壮観。




  今回は、ここまで。

  2月は、7日から、母が再不調化し、2週間、寝たきりになってしまって、その介護に追われました。 去年の秋のように、「新たに処方された薬が合わなかった」といった、明確な原因がなく、ただ、「胸が痛い」と言って、動けなくなってしまったもの。 てっきり、このまま、お迎えが来るかと覚悟しながら、食事を作って、母の部屋に運んでいたのですが、奇跡的に回復し、今では、割と普通に暮らしています。

  もしかしたら、新型肺炎に罹っていたのかも知れません。 症状は、標準的なものと、掛け離れていたのですが、他に原因が考えられないので。 当然、介護していた私にもうつったと考えられますが、私は、何も悪くならなかったところを見ると、無症状だったという事になります。 しかし、それらは全て、推測に過ぎず、本当に罹っていたかどうかは、抗体検査をしてみなければ分かりません。

  で、介護で時間をとられていたわけですが、バイクでの、プチ・ツーリングは、週に一度、きっちり、出かけていました。 介護ばかりしていたのでは、精神的に窒息してしまうからです。 母が、痛い痛いと言いながらも、トイレだけは、自力で行けたので、2時間くらい留守にしても、問題なかったのも、幸いでした。

2022/03/20

実話風小説② 【借りる男】

  「実話風小説」の二作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 このシリーズ、月に一回と決めているわけではないので、突如、終わる事も考えられます。

  今回の話は、1月27日に書いたもの。 例によって、大変短く、すぐに終わりますから、安心して、読んで下さい。




【借りる男】

  青年A。 職場の先輩たちが、一週間後に、オートバイでツーリングに行くというので、自分も連れて行ってもらう事にした。 Aが、その事を、高校時代からの友人Bに話したところ、Bも行きたいと言い出した。 Bが、もう一年以上前に、バイクを手放した事を知っていたAが、バイクがあるのか訊いたところ、「近所の人から、借りて行く」という答えだった。 Bに、何につけ、他人から物を借りる癖がある事を知っていたAは、「またか」と思ったが、それ以上、深くは考えなかった。

  ツーリングの当日、Aが、Bの家に行くと、もう、集合時間が近いというのに、まだ、起きたばかりで、着替えもしていなかった。 「バイクはどうした?」と訊くと、「そこを奥に入った所の家だから、借りて来てくれ」と言われた。 Aが、その家に行くと、確かに、バイクがあったが、カバーがかかっている。

  呼び鈴を押すと、まず、妻らしい女性が出てきた。 「バイクを、お借りしに来ました」と言うと、奥に入って行って、今度は、夫らしい中年男性が出てきた。 眉間に皺を寄せて、「一体、何の事ですか?」と言うので、Aは、動揺した。 当然、Bとの間で、話がついているものと思っていたからだ。

  で、自分が、Bの友人である事を告げ、「バイクを借りる件について、話を聞いてませんか?」と訊くと、「全く聞いていません」と答えたばかりか、「Bさんて、誰ですか?」と、ますます、不信感を募らせた表情。 「ご近所の、そこの家に住んでいる者です」と、フル・ネームを伝えると、「いやあ、つきあいがないから、分かりません」との答え。

  とりあえず、Bの家に戻り、朝飯を食べているBに、その事を告げると、小馬鹿にしたような顔で、「いーから、借りて来りゃいいんだよ。 お前も、使えねーな。 ガキじゃあるまいし・・・」などと言うので、腹が立ち、「何を言ってるんだ! 知らない人から、借りられるわけがないだろう! ふざけるな! お前が行って来い!」と、怒鳴りつけた。 Bの家族が出て来て、事情を聞き、「あの家とは、別につきあいはないから、そんな事は頼めっこない」と言う。

  そこへ、Aの職場の先輩の一人が、Aに電話で呼ばれて、様子を見に来た。 事情を聞き、「そんな、知り合いでもない人から、バイクを借りるのを当てにしていたのか?」と、呆れ返った。 Aに向かって、「もう、時間がないけど、どうする? お前だけ来るか。 それとも、残るか」と訊くので、「行きます」と答えると、Bは怒り出し、「ちょっと待ってろ! 今、借りて来るから!」と、自分で、バイクのある家に出向いて行った。

  最初から喧嘩腰で、「なんで、貸さなんいだ、このドケチが!」と食ってかかる有様。 更に、エスカレートして、「そんな態度を取って、俺んちの近所で、無事に暮らして行けると思うなよ!」などと、脅迫を始めた。 ついて行ったAと、Aの職場の先輩が、止めに入ったが、興奮が収まらず、暴れようとするので、結局、警察を呼ばれてしまった。

  職場の先輩は、仲間の所へ戻って、30分遅れで、ツーリングに出かけて行ったが、Aは、警察に事情を説明する為に、残らざるを得なかった。 Bは、警官に対して、「頼んでいるのに、バイクを貸さない方が悪い」と主張していたが、それが通らないと分かると、警官に対しても、「使えない!」やら、「頭が悪い!」やらと罵り始め、結局、警察署へ連行される事になった。

  Bについて、パトカーで警察署へ向かっていた時、Aが思い出していたのは、高校3年の秋、二人で、普通免許を取る為に、教習所へ通っていた時の出来事だった。 ある日、教習を受けている途中で、雨が降り出した。 歩きで来ていた二人は、傘がなかったが、Bは、教習所の傘立てから、他人の傘を平然と抜いて、差して帰った。 途中で雨がやむと、これまた、赤の他人の家の門扉に傘を引っ掛けて、そのまま、行ってしまった。 Aは、一度家に帰ったが、さすがに、まずいと思い、後で、その傘を取りに行き、教習所の傘立てに、こっそり返して来た。

  Bは、自分の物と、他人の物の区別が曖昧で、「誰の物であろうが、そこにある物は、使っていい」という考え方、更に拡大して、「物とは、使いたい人が使うのが、一番良い」という、手前勝手な信念をもっていた。 窃盗の正当化であって、開き直り型犯罪者の思考様式である。 Aが、それを分かっていながら、Bとつきあい続けていたのは、A自身が、まだ、社会人としての意識が固まっていない年齢で、「犯罪をバレないようにやるのが、カッコいい大人」という、多分に、Bの影響を受けた、間違ったイメージに、半ば囚われていたからだった。

  Bは、警察署で取り調べを受けたものの、バイクの家の者が、Bの家族に頼まれて、被害の訴えを取り下げたので、一晩留置されただけで、釈放された。

  バイクの家の者は、訴えを取り下げるに際し、Bの家族に向かって、「二度と、うちに近づけないように」という条件を出していたが、安心できないと思い、急遽、防犯カメラを設置しておいたところ、数日後に、バイクのカバーに火が点けられそうになるボヤ騒ぎが起こった。 カバーは不燃材で燃えなかったが、焚きつけにしたダンボールが燃えたのである。 カメラの映像から、Bが犯人と分かり、今度は、本格的に逮捕された。 もちろん、起訴され、有罪判決を受けて、服役となった。

  Aは、職場の先輩から、「友人を選べよ。 あんなんじゃ、出て来ても、また何かやるぞ」と言われ、結局、Bとは、縁を切る事にした。 先輩の言う通り、Bは、その後、刑務所を出たり入ったりの人生になった。 Bの家族も、Bが近所に放火したとあっては、同じ家に住んでいられず、よそへ引っ越して行った。 禍中の福を見て取るに、Aにとっては、悪い友人と離れる、いいきっかけになったわけだ。

  ちなみに、Bは、二輪免許は、中型しかもっておらず、借りようとしていた、600ccのバイクには、乗る資格がなかった。 カバーがかかった状態しか見た事がなかったのだろう。 いい加減な人間とは、とことん、いい加減なものである。

2022/03/13

ウクライナ情勢

  ウクライナ情勢について、もちろん、ニュースは見ているのですが、2月に入ってから、母が2週間ほど、寝たきりになってしまい、その介護で忙しかったので、無視していました。 3月5日になって、少し、ゆとりが出たので、日記ブログの方に書いたのが、以下の文章。 その後、状況が進展して、少し加筆してありますが、基本的な部分は、ほとんど変わっていません。 平叙文で書いてあるのは、マキャベリ的なドライさを演出するのが狙い。


  侵略戦争であれ、防衛戦争であれ、当事者でない者が、どちらかを応援するのは、戦争への加担であり、平和主義とは言わない。 平和主義とは、非暴力・無抵抗に代表される考え方で、戦争への加担とは次元が異なる、実行の難しさがある。 大抵の人には、平和主義を実践するほどの、信念も根性もない。

  国連を、「世界政府」と勘違いしている人が、相変わらず多い。 加盟各国による、紛争調停機関に過ぎないので、国連で、どんなに大差で、ロシア非難が決まっても、戦争を停める力にはならない。 ちなみに、過去に、国連が停める事に成功した戦争は、ほとんどなく、安保理常任理事国が始めた戦争に限って言えば、一つもない。


  プーチン氏を、「狂った」と見るのは、むしろ、安直に流れた分析であり、狂っていないから、怖いのである。 ただし、怖いのは、プーチン氏本人ではなく、プーチン氏が、「戦争上等」と判断した、世界情勢の流れの方である。 中国史に当て嵌めると、いよいよ、春秋時代が終わり、戦国時代の乱世に突入するのだとしたら、新型肺炎が収まったとしても、未来は暗い。

  プーチン氏を口汚く罵っている者達が、一人の例外もなく、プーチン氏より遥かに知能が低いというのは、戦争を停止させる上では、絶望的だ。 自分より知能が高い者が、何を考えているのかは分からない。 その逆は、可。 全て、読まれているとみるべきだ。

  「プーチン氏の誤算」という言葉が使われているが、今回のロシア軍の作戦は、何年もかけて練られたものと思われ、ウクライナ側の対応も、諸外国の反応も、全て、計算に入っているとみた方がよい。 もちろん、事態の推移に合わせて、幅を持たせ、「こうなったら、こう対処する」といった、いくつもの対策を考えてあるはず。 「誤算」が入り込む余地などないと見るべきだ。 怖いのは、プーチン氏が、「どんなに、国際的非難を受けようが、経済制裁を課されようが、この戦争は戦い抜く意味がある」という見通しを持っているように見受けられる事である。 知能が低い者には見えない未来が、プーチン氏には見えている可能性がある。


  双方の戦力差から考えて、このままでは、ロシアの勝利は動かない。 国外からの、兵器・物資・資金の支援程度では、ウクライナに勝ち目はない。 軍事的に有力な外国が、直接参戦すれば、勝てないまでも、膠着状態に持ち込めるかもしれない。 しかし、ロシアに対抗できるほどの国というと、米、中、印くらいである。 英、仏、独くらいの国では、連合しなければ、力が足りない。 参戦すれば、当然、それらの国に、ロシアから弾道ミサイルで直接攻撃が行なわれると思われ、「それほどまでにして、ウクライナの為に戦うべきか・・・」と、大いに自問する事になるであろう。

  そういえば、外国からの義勇兵が、2万人も集まったらしいが・・・。 義勇兵に、「己れの命の危険を顧みず、自由と平和を守る、勇敢な正義の戦士」といったイメージを抱いている人には、夢を壊して、お気の毒だが、義勇兵とは、そういう種類の人間ではない。 公然と許された環境で、人殺しをしたいだけの、好戦的な社会的病疾者なのである。

  自分の国で、普通に暮らしている時でも、人を殺したくて殺したくて、いても立ってもいられない。 この攻撃衝動を、どうしてくれよう。 というわけで、どこかで戦争をやっていると聞けば、すっ飛んで行くのである。 もちろん、人を殺す為であって、その国を助けるなんぞ、二の次三の次である。


  最も早く、戦争を終わらせるには、ゼレンスキー政権が国外亡命してしまえば、とりあえず、終わる。 ロシアが敵視しているのは、ウクライナの反ロ派であって、ウクライナ国民全員ではないからだ。 むしろ、親ロ派のウクライナ人に関しては、助けたいと、本心から思っているはずである。 味方を殺しても、損にこそなれ、得になりようがないではないか。

  ゼレンスキー氏は、亡命するか、戦って殺されるか、降伏するかの三択という事になるが、今のところ、亡命する気はないようだ。 降伏した場合、軍事裁判で、悪くて死刑、良くて無期懲役ではないだろうか。 ゼレンスキー氏は、宣伝戦で、諸外国の同情を集めるのに成功しており、知能の高い人物である事が分かるが、プーチン氏ほど、手駒を持っていないのは、痛いところだ。 この二人、全然違う世界で出会えば、互いに優れたところを認め合って、良い友人になれたと思われる。

  アホぶりが際立つのは、民主国家のトップ達で、ギャーギャー騒いでいるだけで、驚くほど、無能である。 アメリカは奇妙な国で、自分の国が、ついこないだまで、イラクやアフガニスタンで、堂々とやっていたのと同じ行為を、他の国がやると、怒る。 ガキ大将心理、丸出しである。 ゼレンスキー氏が気の毒なのは、こんな連中を頼りにして、自分と同じくらい知能が高く、自分より遥かに大きな軍事力を使えるプーチン氏と戦わなければならない事だ。


  「ロシア側が、偽情報を流している」といった批判は、的外れも甚だしい。 戦争をやっているのだから、偽情報を使うのは、当たり前だ。 偽情報は、ウクライナ側も流していると思うが、それも、当然。 偽情報を流すくらいで、有利になるのなら、いくらでも流す。 命のやりとりをしているのだから、生き残る為には、何でもやる。 どちらの言う事も、どちらか一方の応援をしている外野の言う事も、一つも信用できぬ。 仮に、真実が含まれていたとしても、それを見分けるのは、不可能だ。

  「停戦交渉中なのに、ロシア軍の攻撃が続いている」という批判も的外れ。 何を、寝ぼけた事を言っているのか! 停戦していない状態だから、停戦交渉をしているのではないか。 言葉の意味も分からないのか? 「停戦交渉中は、攻撃をやめる」という事前合意でもなければ、停戦交渉中、戦争が続いているのは、当たり前だ。

  その停戦交渉だが、ロシアが、反ロのゼレンスキー政権を存続させる事は考えられないので、見せかけだけ、交渉しているように装っているものと思われる。 ウクライナ側も、それは承知しているが、「交渉しない」と言ってしまうと、自分達が和平を拒んでいるような印象を、外部に与えてしまうから、一応、出て来ているのだと思う。 どちらも、ポーズでやっているだけだから、外野は、停戦交渉に大きな期待をかけない方が良い。


  ロシア非難をしたいばかりに、ウクライナを応援している者が、あまりにも多い。 そういう人達に訊きたいが、ウクライナについて、何を知っているというのか? 映画、≪ひまわり≫を口にする人が圧倒的多数だと思うが、知識として希薄すぎて、話にならぬ。 あの映画、ウクライナに行くには行くが、ウクライナ社会や、ウクライナ人を描いた映画ではない。 もう、ウクライナについて、≪ひまわり≫を出して来た時点で、その人のウクライナ知識が、ゼロに近いという証明である。 まして、≪ひまわり≫すら見ていない人間が、≪ひまわり≫を持ち出すに至っては、失笑不可避。


  スポーツ界が、政治に振り回されているのは、滑稽至極である。 常日頃、「スポーツに、政治を持ち込ませない」と言っていながら、自分達で、その原則を曲げている。 いかにも、体育会系的な、論理性の弱さである。 ロシア選手を出場禁止にしても、戦争が終わる事はない。 そんな事で、ロシアが、この大作戦をやめると、本気で思っているなら、そちらの方が、「狂って」いる。


  戦争は、この上ないような大ごとだが、新型肺炎で、600万人近くが死んでいる事を思うと、どうも、人の死に鈍感になっているようで、ピンと来ないところもある。 黒澤明監督の映画、≪生きものの記録≫の主人公とは違う意見だが、戦争で殺されるのも、病気で死ぬのも、死が最大の恐怖である事に変わりはない。




  以上です。 書いてから、日数が経っているから、些か、現状からズレてしまっていますが、また、数日経てば、そんな事も気にならなくなるでしょう。 進行中の戦争について書く時には、すぐに情報の鮮度が落ちてしまうのが、難点ですな。

  ロシア軍によるキエフの包囲が進んだ時点で、この後文を書いているわけですが、3月12日、土曜日の夜(日本時間)9時頃までに、ゼレンスキー政権が崩壊するような事がなければ、日曜の朝に、そのまま、公開します。 なぜ、日本時間の夜9時かというと、それを過ぎると、私が眠ってしまうからです。 


  ゼレンスキー氏は、依然として、「徹底抗戦」、「降伏はしない」、「最後まで戦う」と言っていますが、もし、抵抗を長引かせたいのなら、外国へ亡命しないまでも、国内の別の地域へ移った方がいいと思います。 ロシア側からすると、ゼレンスキー政権が、各地を転々としながら、あくまで、ウクライナの正統政府として、抵抗運動の指揮を取り続けるのが、一番、嫌なシナリオだと思うので。

  「最後まで戦う」は、死を覚悟しているなら、英雄的な華々しい最期という事になりますが、ゼレンスキー氏に死なれると、今まで、彼を信じてついて来た人達は、困ってしまうわけで、「死ぬつもりなら、もっと早く、亡命するなり、ロシアの要求を飲むなりしていれば、こんなに被害が出なくて済んだものを」と、恨みに思う人も出て来るでしょう。

  もっとも、そうなったとしても、ゼレンスキー氏を英雄視する評価は変わらないと思います。 早く手を挙げてしまった元首と、死ぬまで戦った元首では、歴史的な評価は、後者の方が、断然、高くなります。 救った命は、前者の方が、桁違いに多かったとしてもです。 歴史のように、少し時間が経ってから、振り返って眺めるものの場合、命よりも、名誉の方が価値があると感じる人が多いわけだ。

  たとえば、映画にもなった太平洋戦争の「硫黄島の戦い」。 5日で落ちると見られていたところを、日本軍の守備隊が奮戦して、35日間、もたせたわけですが、硫黄島の戦略的な重要度から考えると、そのせいで、30日間、戦争終結が遅れたとも言えます。 という事は、7月17日から、8月15日までの間に死んだ人間は、硫黄島の守備隊が奮戦したせいで、死んだという事になります。

  では、その事で、硫黄島守備隊や、その指揮官が、歴史的に批判されているかというと、そんな事は全然ないのであって、「よくぞ、日本人の意地を見せてくれた」と、賞賛する声の方が、圧倒的に多い。 命より、名誉の方が大事だと感じている人間が多いわけだ。 ただし、それは、自分の命が懸かっていない場合であって、「今、殺されそうだ」という状況に置かれれば、命を優先する人が多いと思います。 名誉では、生き残れませんから。

  ロシア側にしてみると、ゼレンスキー氏が、キエフに留まっていてくれるのは、大変、都合がいい。 この上は、是が非でも、討ちもらさない事が、肝要。 ゼレンスキー氏が死んでしまえば、ウクライナ軍に与える精神的な打撃は、この上なく大きなものになります。 中枢を失ってしまったら、すぐに、代わりが務まる人を立てない限り、総崩れになってしまう可能性が高いです。

  ゼレンスキー氏は、どうしても、キエフから退去したくないというのなら、生きている間に、後継者を指名して、西部の都市に、政府機能を移しておいた方がいいと思います。 ヒトラーは、逃げ回るのを嫌って、ベルリンで死んだわけですが、逃げるのが、必ずしも、恥というわけではなく、たとえば、宋は、金に攻められて、皇帝を略取されますが、政府ごと南に逃げて、新たな皇帝を立て、国の南半分を版図にした南宋が、150年も続きます。

  豊臣秀吉の朝鮮侵略の時は、もっと、極端な例がありました。 朝鮮王は、僅かの手勢に守られて、陸路を北上、命からがら、明に逃げ込みますが、王一人が生きていたおかげで、明の援軍を引き出す事に成功し、最終的には、日本軍を撃退して、国を取り戻します。 逃げた事で、国を救ったわけです。 「自国だけでは、勝てない」という判断が正しかったわけだ。

  話をウクライナに戻しますが、戦争は、早く終わって欲しいと思うものの、その為には、ゼレンスキー氏に、外国へ亡命してもらうか、戦死してもらうか、降伏してもらうしかなく、本人が望んでいない事を、外野が押し付けるのは、あまりにも節操がない。 かといって、ウクライナ側を応援すると、「もっと、戦え」になってしまい、戦争は長引き、死傷者や壊されるものが増えてしまいます。 ジレンマですな。

「ロシアが、引けばいい」

  そんな事は分かっていますが、現実問題として、引かないでしょう。 ここで、引くくらいなら、最初から、戦争を始めないと思います。 プーチン氏が、罵られて、考えを変えるような、意志薄弱な性格なら、いくらでも罵りますが、その対極にいる人物なのだから、罵っても、逆効果にしかなりません。

「罵るのではなく、説得したら、どうか?」

  駄目駄目! 知能の高い人間は、自分より知能が低い人間の説得なんて、聞きません。 民主国家のトップどもが、何を言ったって、脳味噌の出来を見透かされているのだから、何の説得力もありますまい。 「戦争などやめた方が、ロシアの為になる」なんて、お為ごかしをかました日には、鼻で笑われるのがオチです。 「おまえが、ロシアの何を知っているのだ? 何の興味もないくせに」、と。

2022/03/06

新型肺炎あれこれ ⑯

  新型肺炎について、日記ブログに書いた文章を、移植したシリーズ。 前回は、去年(2021年)の9月12日ですから、だいぶ、開きました。 記録のつもりなので、現在の感染状況関係なく、前回の続きから、始めます。 「何を頓珍漢な事を言っている?」と思ったら、日付を確認してください。 例によって、日記ブログには、他の事も書いていますが、移植に当って、新型肺炎関係の文章だけを取り出しています。




【2021/09/17 金】
  午後1時頃、呼び鈴が鳴りました。 町内会の組長さんで、私の母に、敬老の日のお祝いを持って来たとの事。 マスクをしてから、一階に下り、玄関を開けると、向こうもマスク。 無言で、祝儀と菓子を渡されました。 感染防御が分かっているのなら、ありがたい事ですが、できれば、こんな物を配りに、訪問する事自体をやめてほしいです。

  うちは特別な方で、おそらく、無マスクで出て来て、ベラベラ喋りまくる家の方が、圧倒的多数でしょう。 ゾーーーッとする。 マスクをする方が失礼だと思っているのだから、もはや、狂気の世界で、救いようがない。

  菓子は、箱の表面を浄化した上で、電子レンジに数秒入れて、殺ウィルス。 お金は、祝儀袋から出して、千円札を浄化。 母に見せた上で、袋は捨てました。

  新型肺炎が流行してから、町内会の行事は、ほとんど、中止になっていますが、こうなって、改めて感じるのは、町内会なんぞ、なくても、一向に構わないという事です。 別に、検査やワクチン接種を、町内会単位でやるというわけでもないようだし、肝心なところでは、まるで、役に立たないのですから。

  憲法の「信教の自由」に、確実に違反している、神社の祭りや、各組長の家族しか出なくなっている、運動会など、この個人主義の時代に、やる事なす事、ピントがズレているにも程がある。 誰が、そんな事に、時間を使いたいと思うのか。 そんなに、やりたいなら、有志だけでやればいいのです。



【2021/09/18 土】
  午前9時頃、雨がやんでいる時を狙って、車で、寺へ、彼岸料を置きに行きました。 何か、取り込み中のようで、玄関を開けたら、住職が通りかかり、その場で、彼岸料が入った封筒と、線香の小箱をやりとりしました。 住職は、無マスク。 しかも、何か喋っていました。 全く、感染防御が分かっとらんな。

  しかし、マスクの事を指摘すれば、もっと、感染リスクが高くなるので、何も言わず、大急ぎで帰りました。 坊さんも、何もせずに、お金だけ貰うのだから、せめて、感染防御くらいしてもらいたいものです。 ・・・、とは思うものの、言っても、分からんのだろうな、きっと。

  帰って、シャワーを浴び、体を洗いました。 マスクをしていない人間に対面し、相手が喋ったケースは、1年半ぶりくらいではないかと思います。



【2021/09/19 日】
  12時15分、一番、人が少ないと思われる時間を狙って、お墓の掃除に行き、花と香花を供えて来ました。 幸い、誰とも、接近しませんでした。 昼時にしたのが、図に当たったか。

  遅い時間に行くと、うちのお墓の前まで、親戚の人が掃除を済ませていてくれるので、助かります。 しかし、タダより高い物はない。 あまり、それが続くと、借りが膨らんで行くようで、怖いですな。

  お彼岸は、明日からです。 車で買い出しに行った後、線香を上げに行く予定。

  ちなみに、線香を上げにいくのは、私だけで、母は行きません。 以前から、お墓の掃除はしても、線香は上げない人でしたが、掃除を私が引き継いでから、ますます、行かなくなりました。 母から見ると、自分の先祖の墓ではないから、別に問題なし。 実家の方のお墓にも、滅多に行きませんが、それは、遠いから、致し方なし。

  新型肺炎流行後は、私が頼んで、母には行かないようにしてもらっています。 墓地で父方の親戚に出くわして、会話になると、まずいからです。 うちの母に、マスクをしてもらう事はできますが、親戚が無マスクで来るのは、避けようがありません。

  どいつもこいつも、墓参りとなると、まーず、マスクをして来ません。 なぜなのか、気が知れん。 だーから、屋外でも、うつるんだって。 バーベキューでは、何十件もクラスターが出ているし、問題の野外フェスでも、うつりまくったでしょう? なーぜか、自分達だけは、大丈夫だと信じ込んでいるんだわ。



【2021/09/20 月】
  朝一、一人で車で、イオン系スーパーへ、買い出し。

  今日から、彼岸です。 帰って、すぐに、お墓へ線香を上げに行きました。 誰とも接近せず。

  買ってきた物を、全て、浄化。 冷凍食品は、水がつくので、拭いているハンド・タオルが濡れてしまいます。 水洗いできるものは、中性洗剤で洗ってしまいますが、そうでないものは、一番後回しにせざるを得ません。 それで、ますます、水が出るわけですが。 まったく、こんな生活からは、早く抜け出したいものです。



【2021/09/22 水】
  昨夜の、BS-TBSの報道番組、≪報道1930≫で、児玉先生が出て来て、「ウィルスの自壊」について、説明していました。 これが、凄い話で、他の報道番組やワイド・ショーでは、それを見て、「ウィルスの自壊」の事を知ったコメンテーターも多かった様子。

  「ウィルスは、変異が大きいと、コピー・ミスが多くなり、自身の生存に関わる遺伝情報まで伝えられなくなって、自壊してしまう」という説が、1970年代に発表されていたらしいです。

  なぜ、このタイミングで、この説が紹介されたかというと、インドや日本に於けるデルタ株感染者の増減が、あまりに急激だったので、行動変容だけでは、説明が利かず、それを補足する説として、「ウィルスの自壊が起こったのではないか」と考えたようなのです。

  大変に、知的好奇心を掻き立てられる内容で、時折、司会の松原さんが、「難しくなり過ぎました」と言って、児玉先生の説明を遮るのが、鬱陶しいくらいでした。 そのまま、喋って貰えばいいものを。 まあ、司会進行上、やむを得ない面もあるのでしょう。 おそらく、松原さん本人も、司会でなければ、全ての説明を、おとなしく、拝聴したかったのではないかと思います。

  確かに、この説を出せば、感染者数の急激な増減を、説明できます。 70年代から知られていたのに、今まで、誰も紹介しようとしなかったのが、不思議なくらいです。 しかし、逆に言うと、急激な増減を説明できるというだけで、対策としては、むしろ、逆効果になる恐れがあります。

  去年の暮れ頃まで、「ファクターX説」というのが、特に日本で、大手を振って罷り通り、「ファクターXがあるから、日本は大丈夫」という言い方で、対策の邪魔をする人間が、そこそこの割合で存在していました。 その連中、その後も、「対策なんか、取る必要はない」という考え方を改めたわけではなく、感染者が増えて、「ファクターX説」と、辻褄が合わなくなったから、大きな口を叩かなくなっただけ。

  そういう連中が、「ウィルス自壊説」を耳にしたら、飛びつかないわけはないです。 「自壊するんだから、対策なんて、とらなくていい」。 いかにも、言いそうだな。 それを防止する為か、「急激に増減するのは、二階建ての、二階部分だけで、一階の、『幹部分』は変わらないから、ゼロにはならない」という説明がされてましたが、そういう細部の注意点は、大雑把な頭の持ち主達にかかれば、容易に無視されてしまうものです。 大いに、心配な事ですな。


  随分前にも書きましたが、感染力が猛烈に強くて、毒性が非常に弱い変異株を、遺伝子組み換え技術で、人工的に作れないものですかね? マスクも利かないほど、うつりやすいから、瞬く間に、世界中に広まるけれど、毒性が弱くて、何の症状も出ないし、後遺症も起こらないというのが。 それでいて、COVID-19のウィルスである点は変わらないから、それ以外の変異株を圧倒してしまえるわけだ。

  もし、できるのなら、ワクチンなんて、およそ、当てにならないものを打つより、遥かに、有効性は高いです。 なんといっても、勝手に広まってくれて、接種も服用も、全く不要、一円もかからない点が、大変、ありがたい。


  そういや、「ワクチン・パスポート」が、検討されているようですが、何を言っているのか、理解不能です。 「ワクチンを打っても、感染する」という事が分かっているのに、ワクチンを打っているという証明だけで、感染対策になるわけがないじゃありませんか? なんで、そんな単純な理屈が分からないのか、不思議不思議。 バイデン並みの、「簡単な」頭だな。

  そういう事をやるのなら、必要なのは、「抗体価証明」です。 感染しないだけの抗体価を持っているかどうかを検査し、合格した人に発行するわけです。 ワクチンを打っても、抗体価が低い人は、何割という数で存在し、抗体が出来ない人も、数パーセントの割合で存在するのですから、ワクチンを打っただけでは、感染を引き起こさない保証にはなりません。

  とまあ、そんな事は、理屈が分かって、常識的に新型肺炎関連の知識を得られる人間なら、誰でも分かりそうなものですが、なぜか、なぜなのか、「ワクチン・パスポート」で良いと思う人が、大変な数、存在するのです。 しかも、それが、日本だけでなく、世界中でなのだから、人類の知性の限界に、絶望を感じずにいられません。

  まあ、論より証拠が好きならば、「ワクチン・パスポート」で、やってみれば宜しい。 何の役にも立たず、感染者が、素通りになるから。 もう、いくらでも、うつりまくるでしょう。



【2021/09/28 火】
  うーむ、緊急事態宣言、いよいよ、解除か。 しかし、認定感染者数が急減しているのなら、もう、半月くらい延長して、このまま、ゼロになるかどうか、試してみればいいのに。 いや、そうならない事は、理屈上、分かっていますが、万が一という事もありますから。 一方、ここで、宣言を解除してしまえば、当然、また、増え始めるでしょう。

  「自然に、ゼロになる」というのは、今でこそ、起こりえない事が、全世界的に実証されていますが、流行当初は、主に、民主国家の感染症学者が、真面目に、それを主張していました。 スウェーデンや、ごく初期のイギリスがやっていた、「何の対策もしない」方針は、明らかに、それに従ったものでした。 日本でも、「クラスター対策」というのが、半年くらい主流でしたが、あれは、「クラスターだけ追跡していれば、個人感染は自然に収まるから、いずれ、ゼロになる」という、完璧に誤った認識から出たものでした。

  「実行再生産数が、1を切れば、減って行く」という、摩訶不思議な表現は、未だに幅を利かせています。 1を切らせる方法が分かっているのなら、この言い回しは有効ですが、どうやればいいか、分かっていないのだから、話になりません。 実際には、順序が逆でして、「感染者数が減っているから、実行再生産数は、1を切っている」という使い方をすべきなのです。 つまり、結果を表現しているに過ぎず、まるっきり、意味がない数字なんですな。



【2021/09/30 木】
  朝一、一人で車で、近所のスーパーへ買い出し。 レジ袋二つ分買って来ました。

  帰って、全て、浄化。 地味に厄介なのが、牛乳パックでして、漂白剤溶液を湿したハンド・タオルで、表面を拭いただけでは、開ける部分の奥まった所までは、浄化できません。 そこが、一番、怖いというのに。

「そーんな所、そもそも、ウィルスが着かないだろう!」

  いやいやいや、そんな事はないのです。 朝、売り場へ行って、牛乳パックを補充している店員を、観察してみれば宜しい。 ちょうど、その部分に、親指と人指し指を入れて、持っているから。 上の平らになった部分を摘むより、落下の危険が少ないんでしょうな。  で、買った客は、店員が、ちょうど、指を突っ込んだ部分を開けて、中身を出しているわけだ。

  対策としては、中性洗剤で、洗ってしまうしかないです。 幸い、牛乳パックは、内からだけでなく、外からも防水性があるので、水を使った洗浄に耐えられます。 手早くやるに越した事はありませんが。

  しかし、こんな事、全く考えずに、暮らしている人も多いのだろうな。 それが原因で、感染している人もいるのでしょうが、まさか、牛乳パックから、ウィルスを貰ったとは思わないから、感染経路不明になるわけだ。




  今回は、ここまで。

  去年の9月の記事だけで、こんなにあったんですな。 つまり、その頃はまだ、第5波の終わりで、書く事があったわけだ。 感染が、ある程度、収まってしまうと、全く触れなくなります。