2019/06/30

セルボ・モード補修 (23)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 冬の間は、やる気にならない車弄りですが、この前の冬は、ちょこちょこと、ささやかな事をやりました。 もっとも、パーツ・カタログの購入なんて、車弄りの内に入れられるかどうか、怪しいですけど。




【ヤフネコで、パーツ・カタログ】

  ヤフオクに、スタート価格200円で出ていたのを、1月9日に、競らずに落札し、11日に届いた、「セルボ・モード(5型)のパーツカタログ 1997年1月版」です。 送料が、657円もかかり、合計、857円でした。

≪写真上≫
  配送方法は、ヤマト運輸の、「ヤフネコ」で、手渡しされました。 以前、「ネコポス」というのを経験した事がありますが、それとは違うようです。 出品者は、大阪府の人。 紙袋の中に、ビニール袋。 その中に、本体が入っていました。 サイズ的には、クリックポスト(185円)でも送れたと思うのですが、落札者側から、配送方法を指定すると、揉める事があるようなので、そういう事はしませんでした。

≪写真下≫
  これが、パーツ・カタログ。 パーツ・リストとも言います。 車の部品の名前と、品番が書かれたもの。 同じ車種でも、型によって、版が違い、更に、発行年月によっても、中身が変わります。 これは、私の車の、ほぼ、ドンピシャ版。 もし、特別仕様車だった場合、別版も必要になります。 本来、整備工場で使うもので、一般ユーザーで、わざわざ買う人は、ごく少数派です。

  この写真では分かりませんが、結構、大きなもので、A5くらいを想定していたのに、実際には、B5でした。 厚さは、本体が、2センチ2ミリくらい。 折り曲げ防止用のダンボール板を添えてありました。



【パーツ・カタログのカバー】

≪写真上≫
  1月11日に届いた、セルボ・モードの、パーツ・カタログですが、中のページは、こんな感じになっています。 イラストがあり、各部品に番号がふられ、番号から、部品名と品番が調べられるというもの。 それを元に、部品を注文するわけですな。

  ページ数が書いてないので、何ページあるか分かりませんが、厚さが、2センチ2ミリもあるから、かなりのページ数だと思います。

≪写真中≫
  整備工場で使われていたものですから、本棚に置くのに、油がついていると、まずいと思い、カバーをかける事にしました。 文庫本のカバーと同じかけ方ですが、物が大きいので、A4のコピー用紙3枚を、糊で貼り合わせました。

≪写真下≫
  かけた様子。 まあまあか。 糊で貼ると、どうしても、紙が引き攣りますな。 水張りをしてから貼れば、防げるかもしれませんが、そこまで、凝る気になれません。 1月16日に、作りました。



【車の時計を電波置き時計に交換】

  自室の話ですが、ベッドの頭板の上に載せていたLED電波置き時計が、夜中に見づらいので、1月25日に、テレビ台の棚の上に移したところ、押し出される形で、テレビ台の最上段に置いてあった、液晶電波置き時計が不要になりました。

  ちなみに、このカシオの電波置き時計は、父が存命だった頃に、父の部屋に置いてあったもの。 元は、私が、積立預金のポインで貰ったもので、3個、同じ品を貰い、1個は自室、1個は父の部屋、もう1個は、玄関に置いていました。 父の死後、父の部屋にあったものを、私の部屋のテレビ台の上に移してあったのです。

≪写真上≫
  で、前々から、車の時計を、電波時計にしたいと思っていたので、車に載せる事にしました。 1月26日の事。 これで、3ヵ月に1回、時刻を合わせなくて済む事になりました。 ネット上で、車載用の電波時計というのも売っていますが、大抵、ボタン電池式です。 乾電池を使う部屋用の置き時計の方が、もちはいいはず。 単三乾電池、2本使用。

  もっとも、車内に、ちょうどいい置き場所があればの話ですが。 セルボ・モードには、コンソール・ボックスの前端に、それがあるのです。 時計の底には、角度がちょうど良くなるように、スポンジの脚を貼り付け、後ろ側は、両面テープで、コンソール・ボックスに貼ってあります。 走行中にカタカタするような事はありませんし、少し力を入れて引っ張れば、簡単に取れます。

  手前の蓋は、カップ・ホルダーのものですが、全開にしても、時計には当たりません。 いや、私は、カップ・ホルダーを使わないから、この蓋を開ける事はないわけで、当たっても問題ないんですけど。

≪写真下≫
  今まで、車に付けていた、ダイソーのデジタル時計は、プレハブ離屋に移しました。 天井ではなく、天袋の下に、厚紙で台を作って、貼り付けました。 奥側の壁に見えている、古い時計が、よく狂うので、その修正用にするつもり。 ダイソーのデジタル時計の方は、月に1分遅れるだけで、安定しています。



【天井のシミ抜き】

  2016年7月に、中古車ディーラーで、1997年式のセルボ・モードを買って来たわけですが、その時から、助手席の天井に、薄茶色のシミがついていました。 恐らく、前の持ち主の時に、助手席に乗った人間が缶コーラを開けて、その飛沫が飛んだのではないかと思われます。 つくづく、無神経な奴を、車に乗せてやったりするものではありません。

  普段、運転していて、目に付くようなところではないから、2年半、そのままにしてあったのですが、2月12日に、ふいに、その気になり、シミ抜きしてみました。 やり方は、昨年、放送されたドラマ、≪家政夫のミタゾノ 第2シリーズ≫で覚えたもの。

  台所用の漂白剤を、5倍くらいに薄めて、綿棒に浸し、天井のシミに塗りました。 ドラマでは、すぐに、拭き取っていたのですが、私は、その意味が分かっておらず、最初は、布巾・雑巾の浸けおき洗いのようなつもりで、塗った後、一晩おきました。 しかし、それをやると、溶け出した汚れの色素が、溶液が乾くと、また、繊維にくっついてしまう事が分かりました。

  で、翌13日には、塗って、すぐに、濡れタオルを押し当てる、という作業を繰り返しました。 濡れタオルの、シミに当てる場所は、少しずつズラして行き、汚れが再付着しないように気をつけました。

≪写真上≫
  これは、助手席サン・バイザーのすぐ上です。 左が、ビフォー。 右が、アフター。 嘘のように、綺麗になっています。 こんなに劇的な効果があるのなら、とっくに試せばよかった。

≪写真下≫
  これは、サン・バイザーから、40センチくらい、後ろの方に付いた、最大のシミ。 大きさは、長辺で、2センチくらいあります。 大きいだけに、付着したコーラの量も多かったようで、アフター写真でも、色素が、完全には取りきれていません。 しかし、ここまで薄くなれば、目を近づけて、しげしげ観察しなければ、汚れがついている事が分かりません。 これで、充分でしょう。


  劇的効果に味を占めたのと、作った溶液が余っていたので、後席座面や、運転席ドア・アーム・レストの、汗ジミによる変色にも、やってみたところ、これまた、綺麗になりました。 運転席ドア・アーム・レストは、変色がひどかったのですが、何回か繰り返したら、かなり、良くなりました。 そちらは、ビフォー写真を撮り忘れたので、出しませんけど。

  とにかく、植物系や動物系が原因のシミには、全て、効果があるようです。 ちなみに、漂白剤の臭いは、乾いてしまうと、全く、しなくなります。




  今回は、ここまで。

  パーツ・カタログは、買ってはみたものの、全く使っていません。 これが役に立つとしたら、新品なり中古なり、何かしら部品を買う場合ですが、今現在、これといって、壊れたところもないので、出番がないのです。

  電波時計は、狂わないから、ほったらかしです。 基本的に、買い物か、病院の送迎にしか、車を使わないので、時計は、そんなに重要ではないです。 なくても問題ないくらいですが、まあ、あればあった方がいいか、という程度の存在でしょうか。

  天井のシミ抜きは、清々しましたねえ。 ≪家政婦のミタゾノ≫には、感謝しなければなりません。

2019/06/23

時代を語る車達 ⑩

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 あっという間に、在庫写真がなくなったので、今回でおしまい。 次は、いつになるか、分かりません。




  河川敷に停まっていたものを、橋の上から撮影したので、こんな角度になっています。 ホンダの、3代目ライフ。 1998年から、2003年まで生産・販売されていた、世紀を跨いだ型。 軽が現行規格になって、最初のライフになります。

  これの前の、2代目ライフは、1997年4月から、1998年10月までの、1年半しか作られず、規格変更で、この3代目に変わりました。 2代目は、大変、良いデザインだったのですが、それに比べると、3代目は、だいぶ、落ちます。 2代目を、そのまま膨らませるわけにもいかなかったのか、あちこち、デザインし直したのが、全て、裏目に出たという感じ。 特に、リヤコンは中途半端極まりないです。

  だけど、この車、今でも、結構、目にしますから、相当な数が売れたのだと思います。 2代目に比べれば落ちるというだけで、絶対的にデザインのレベルが低いわけではないですし、そもそも、言うまでもなく、デザインばかりが、車の価値基準ではありませんから。

  この車は、エアロ・パーツを付けていますな。 そういえば、この頃のホンダ車は、エアロ・パーツを標準装備している車が多かったような記憶があります。



  7代目カローラ・ツーリング・ワゴン。 1991年から、2002年まで、生産・販売されていました。 この車は、リヤコンの形から、1997年3月以前の、前期型だと思われます。

  7代目は、セダンも、よく纏まっていましたが、ツーリング・ワゴンやバンは、一段と良く出来たデザインで、最初に見た時には、「はあ~っ!」と、感服しまくりました。 リヤコンがシンプルな前期型の方が、後期型より優れています。

  私が、これまでに作られた日本車の中で、デザインのランキングをするとしたら、この車は、ベスト5に入ります。 セダンの方は、ベスト10内クラスでしょうか。

  バック・ドアのガラス部分に傾斜があり、荷室容積が減るので、バンとしては、問題ありですが、ワゴンとしてなら、デザインを優先させても、構わないと思います。

  今現在、これを所有している方々は、石に齧りついても、長く乗っていただきたいものです。 この素晴らしいデザインが見られなくなってしまうのは、残念至極ではありませんか。



   遠くから撮ったので、ボケてしまいました。 日産の、4代目サニーです。 1977年から、1981年まで、生産・販売されていた車。 私が、車に興味を持ち始めた、中高生の頃に、たくさん走っていた車です。 デビュー時は、丸2灯だったのが、79年のマイナー・チェンジで、角2灯になりますが、ボディー・デザインは、アメリカン・フォルムを若干残した、旧時代の物でした。

  おそらく、部品取りに保存されているのでしょう。 雨曝しの無残な姿ですが、ドンガラが残っているだけでも、大変、貴重です。



  日産の、3代目キューブ。  2008年11月から、現行。 かれこれ、10年も作っているわけだ。 ちなみに、初代は、1998年から、2002年まで。 2代目は、2002年から、2008年まで。 だんだん、モデル寿命が延びている。

  キューブの初代は、コンセプトにしか魅力がなくて、デザインは、やっつけ仕事みたいな、チープなものでしたが、2代目で、ぐっと質感が上がりました。 3代目は、更に質感が高くなったものの、ちと、行き過ぎてしまった感がなきにしもあらず。 特に重量感が・・・。

  代を経るごとに、デザインの重量感が上がっていますが、実際の重量も上がっている模様。 初代と比べると、200キロ近く増えていて、常に、大人3・4人を余分に乗せて走っている計算になります。 まあ、初代と比べなければ、気にもならないわけですが。 デザインそのものは、大変、優れていて、一家を成していると思います。



  ダイハツの、7代目ミラ。 2006年から、2018年まで、足掛け13年間も生産販売されていた車。 ミラ単独名としては、最後のモデルです。 かつては、看板商品、トール・ワゴンの時代になってからも、ビッグ・ネームだったミラを、なくしてしまうとは、何とも寂しい。 いっそ、ミラ・イースを、ミラに改名してしまえばいいのに。

  7代目は、6代目を、少し膨らませたデザインで、シャープさが失われた反面、ほんわか柔らかい雰囲気になりました。 しかし、中途半端といえば、中途半端でして、この車を見かけても、いいと思った事がありません。 カッコいいとも、可愛いとも言えないから、やはり、中途半端なのでしょう。 

  車高は、1540ミリもあるそうで、セルボ・モードより、140ミリも高いです。 おいおい・・・、そんなに高くする必要があるのかい? 流行のトール・ワゴンに、少しでも近づけようとしていたのだと思うのですが、ムーヴがあるのだから、ミラまで背高にする理由がありますまい。 ノーマル車高の車には、それなりの使い勝手の良さがあるのに。 存在意義を、自ら否定した結果、滅亡してしまった、という事でしょうか。




  今回は、以上、5台まで。

  このシリーズの、車の感想ですが、あくまで、私の主観で書いているので、自分の好きな車を貶されていても、怒るには及びません。 美しいか、可愛いか、カッコいいか、それぞれの否定か、そういった事は、人によって、まるっきり、感じ方が違うものでして、全く同じセンスの人間を探すなど、ほぼ、不可能です。

2019/06/16

時代を語る車達 ⑨

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 前回やったのは、去年の8月でした。 随分と久しぶりですなあ。 こういうシリーズがあった事自体、忘れかけていました。




  スズキの、ハスラー。 2013年から、現行で生産販売されている車。 数年の間を置いて登場した、Kei(1998-2009年)の後継車だそうですが、私の目には、似ても似つかない別物に見えます。 前にも書きましたが、Keiは、年齢性別関係なく、万遍ない購買層が買っていたのに対し、ハスラーのユーザーは、40歳以下の男性が、ほとんどなんじゃないでしょうか。 高齢者マークをつけたKeiは、いくらでも見ますが、ハスラーに、高齢者マークは、まるで、似合いません。

  この車で印象に残っている場面というと、2014年の8月、退職後に行った北海道旅行で、礼文島を貸切タクシーで回っていた時、なだらかな山の叢の中の道を、ハスラーが数台、互いを撮影しながら走っていて、タクシーの運転手さんと二人で、「あれは、何をやっているんだろう?」、「CMの撮影にしては、機材が素人っぽい」、「一般人が、勝手にCMを作って、ネットに公開するのが流行っているらしいから、それかもしれない」という会話をした事を覚えています。

  ≪Dr.スランプ≫のテレビCMが受けたから売れたというわけではないと思いますが、近年珍しい、ヒット車になったのは、否定のしようがない事実です。 この車の最大の功績は、「誰もが車に飽きてしまった、こんな時代でも、イメージの作り方次第では、ヒット車を出せる」という事を、実証した事でしょうか。 だけど、私は、イメージで売る戦略というのは、高く評価する気がないです。

  オンロードも、オフロードも走れる、クロス・オーバー・カーというコンセプトですが、言うまでもなく、オフロード車に乗っているからといって、実際にオフロードを走る人は稀です。 ハスラーの場合、デザインのオシャレ度を見ても分かるように、本格的なオフロード車というわけではないので、ロード・オンリーで使う方が、無難だと思います。 小石を撥ね上げて、キズだらけにするのは、あまりに、忍びない。

  この車、発売当初、バカ売れしたのですが、今は、だいぶ、人気が下がっていると思います。 「何となく、面白そう」で買ったはいいが、シートの座面が高くて、乗り降りし難かったり、同じく、車高が高いという理由で、普通の買い物の荷物が積み難かったり、タイヤを交換しようとして、大径タイヤの値段が高い事に驚いたりと、買う前には想定していなかった問題点が出て来て、満足度が下がったユーザーが多いのでは?

  それらは、ハスラーだけではなく、オフロード車全てに共通する問題でして、オフに行く気もないのに、「何となく、活動的で、カッコいいイメージがある」程度の認識で手を出したユーザー側に責任があります。 90年代に起こった、オフロード車ブームの時にも、小山のようにバカでかい車を買ってしまい、使ってみて、後悔するユーザーが続出したわけですが、その頃から、何も進歩していないわけだ。

  「よーし! そんな事を言うなら、オフに行ってやろうじゃないか! 本来の性能を引き出してやろうじゃないか!」などとは、くれぐれも、くれぐれも、思わないように。 一回走っただけで、ロッカー下や、ドアの下半分が、キズだらけになります。 ハスラーのデザインが素晴らしいとは言いませんが、キズだらけが似合うような無骨なデザインではないので。


  後ろに写っているのは、ダイハツの、ムーヴ・ラテです。 2004年から、2009年まで生産・販売されていた車。 すでに、生産終了から、9年経っていますが、まだまだ、普通に見る事ができます。 ムーヴをベースにした、トール・ワゴンですな。

  このデザインが、変わっていてねえ。 目にするたびに、じーっと見入ってしまうのですが、車というより、何か、不思議な生き物のように見えます。 イモムシのような、もさい感じもするのですが、「もさくて、何が悪い」と言われているような、強烈な主張が感じられます。



  日産の、初代モコです。 スズキの、初代MRワゴンの相手先ブランド供給車。 2002年から、2006年まで、生産・販売されていた車。 ワン・ボックス・フォルムは、理屈で考えれば、美しいはずなのですが、現物を見ると、あまり面白くないという、妙なジレンマがありますなあ。

  グリル周辺だけ、日産独自のグラフィックに変えられていて、初代MRワゴンより、むしろ、特徴的になっています。



  マツダの、フレア・クロスオーバー。 スズキ・ハスラーの相手先ブランド供給車で、2013年から現行。 車そのものについては、先立って書いた、ハスラーと同じです。

  問題は、名前ですな。 「フレア」というのは、ワゴンRのOEM車。 「フレア・ワゴン」が、パレット/スペーシアのOEM車。 そして、「フレア・クロスオーバー」は、ハスラーのOEM車。 フレアという名前が、3車種に使われていて、大変、紛らわしいです。 マツダの方で命名しているのだと思いますが、どうも、OEM車の名前を軽く考えているように思えてなりません。

  OEM方針そのものを批判するつもりはないですが、多くの車種を扱いたいのなら、名前くらい、一つ一つ、考えればいいのに。 マツダの販売店にとっては、ただ、右から仕入れて、左へ売るだけの車でしょうけど、お客にとっては、マツダのオリジナル車と何ら変わる事がない、何年も大事に使う、高い買い物なのですから。



  ダイハツの、キャスト。 2015年から、現行の車。

  デザイン的には、明らかに、2代目ミラ・ジーノの後継車として開発されたものだと思います。 トール・ワゴンが人気だから、「レトロ車+トール・ワゴン」というコンセプトで、こういう形にしたんでしょう。 2代目ミラ・ジーノ以上に、BMW・ミニから、多くのデザイン要素を戴いている模様。

  ところが、その開発中に、スズキのハスラーが、馬鹿売れしたものだから、さあ、大変。 対抗馬を立てなくてはならないけれど、一から作っていたのでは、何年も遅れてしまう。 そこで、本来、3代目ミラ・ジーノになるはずだった、この車に、急遽、SUV的なパーツをくっつけて、クロス・オーバー車風に仕立てて、発売したのだと思います。

  車をデザインで見ている人は、みな、ビックリしたでしょうねえ。 私も、ビックリしました。 レトロと、クロス・オーバーじゃ、イメージが、両極端、文科系と体育会系くらいの違いがありますから。 今にして思えば、大急ぎで、対抗馬を立てなければならないほど、ハスラーが、長期間、人気を維持したわけではないのですがねえ。

  SUVパーツを付けない、純然たるレトロ版も用意されているらしく、それを買った人は、正解だったわけですな。 うちの近所にも、初代ミラ・ジーノから、キャストのレトロ版に買い換えた家があります。 ただし、車高が高過ぎたり、フェンダーのプレス・ラインがモダン過ぎたりと、レトロ車としては、中途半端なところもあります。

  向こうに見えているのは、ミラ・ココア(2009年~2018年)。 ルノー4のパクリである事は、ひとまず措くとして、こうして並べて見ると、キャストに、圧勝してしまいますな。 販売時期が重なっていたわけですが、もし、私だったら、検討の余地もなく、微塵の迷いもなく、ミラ・ココアを買います。




  今回は、以上、5台(6台)まで。

  このシリーズ、香貫山のゴルフ練習場に来る車を撮ったものが多かったんですが、去年の春に、そこが、営業をやめた後、パタッと、来る車がなくなって、萎んでしまいました。 なかなか、他人の車を撮影するのは、難しいものです。 防犯カメラが増えた上に、車にも、駐車中にも作動するドライブ・レコーダーが登場し、何かあった時に、「ただ、写真を撮っていただけです」では、言いわけにならなくなってしまったからです。




  オマケとして、私の車の写真も出しておきます。 去年の7月18日に、伊豆の国市・長岡にある老舗温泉饅頭店、「黒柳」の駐車場で撮ったもの。 ここの駐車場、広いので、つい、車を撮影したくなります。

≪写真上≫
  日が当たっていると、塗装の劣化が見えなくなって、綺麗に写りますな。 この写真だけ見ると、21年も経っているとは思えない。 この後、ダッシュ・ボードに木目部品を入れるので、内装は変わりますが、外観は、今でも、この状態です。

  向こうにあるのは、トヨタのアクアですが、20年ほどで、車の形が、いかに変わったかが分かります。 私は、セルボ・モードの方が、車らしく見えますけど。

≪写真下≫
  この角度が、一番、セルボ・モードらしさが感じられます。 バック・ドアに、横に折れ線が入って見えますが、これは、写真に撮った時だけ、そう見えるもので、肉眼だと、はっきりした線は見えません。 肉眼より、写真の方が、コントラストが強くて、中間色が飛んでしまうからなんでしょう。

2019/06/09

ひきこもり③

  川崎で起きた、児童襲撃事件の犯人が、「ひきこもり」だったらしいという事から、ひきこもり問題が、注目されています。 この犯人の場合、一度、社会に出た形跡がある上、本人には、自覚がなかったようで、ひきこもりの典型的なタイプからは、だいぶ、外れているような気がするのですが、それはさておき、ひきこもりが、世間の注目を浴びてしまった結果に変わりはありません。




  で、ひきこもりについて、何か書こうと思ったのですが、昔、書いた文章があったのを思い出したので、まず、それを出します。 2本ありますが、どちらも、ホーム・ページ「換水録」のコラムだった頃の、「心中宵更新」に出したもので、このブログでは、初出です。



【2002年10月23日付】

☆ ひきこもり① ☆


  もう、二三週間前になりますが、テレビのある番組で、「ひきこもり」をひきずり出す企画をやってました。 専門家が立ち会って、親が子供に引導を渡し、更生施設に入れるという内容でした。

  ひきこもり少年の籠っていた部屋が映ったんですが、新聞、雑誌、ビデオテープなどが散乱堆積し、「いかにもそれらしい・・・」という感じでした。 独身男性の部屋はみんな似たようなものだろうと思われるかもしれませんが、新聞が持ち込まれている所に、ひきこもりの特徴がよく表れています。 彼らに共通するのは、知性への憧れで、重要な情報源である新聞とは切っても切れない関係にあります。

  ひきこもりは十人十色で、一人を立ち直らせた方法が、他の者にも通用するわけではないとはよく言われますが、立ち直らせる方法はさておき、共通する特徴は見出す事が出来ます。

・ 他人を怖がっている。
・ 自分を他人よりレベルの高い人間だと思っている。  

  怖がると言っても、対人恐怖症とは違います。 街を歩いたり、見知らぬ人に道を教えたりする事は何でもありません。 彼らが恐れているのは、他人と密接に付き合い、その上で自分の事が高く評価されない事です。

  仕事に就く気にならないのは、能力的にできないからではありません。 彼らのほとんどは、一度も仕事をした経験がないので、勤まるか勤まらないかなど分かりはしません。 彼らが恐れているのは、もし勤まらなかった場合、他人の前で大恥を掻いてしまうのではないかという事です。 何せ、自分は他人より優れていると信じているので、他人に恥を掻かされるなど、我慢できないのです。


  「随分と断定的に分析するじゃないか」と思われるかもしれませんが、実は私、元ひきこもりなのです。 だから、彼らの心理はかなりよく読めます。 随分昔の事で、まだ「ひきこもり」という言葉がありませんでしたが・・・。

  では、一先輩として、彼らの境遇に同情するかというと、それは全くできません。 彼らの置かれている状況は間違っているとしか言いようがないからです。

  とはいえ、親や外部の人間が無理矢理立ち直らせようとしても、まず無駄です。 反発されるだけでしょう。 当人がその気にならなければ、一歩も先に進みません。 

  ひきこもっていながら、ネットをやっている人達は結構いるようなので、もしかしたら、これを読んでいる人の中にも該当者がいるかもしれません。 そこで、一言・・・・


  はっきり言って、今のままでは、あなたの人生はなかったも同然です。 悪くなる事はあっても、よくなる事はありません。 歳をとればとるほど、居場所はなくなっていきます。 本当にただのクズになってしまいます。 親や親戚は、全然当てになりませんよ。 頼りになるのは自分だけです。

  どうせお先真っ暗なら、もう自分は死んだものだと思って、一か八か社会に出ましょう。 新聞の折り込み求人広告を集め、興味がある所に電話して見てください。 絶対断られると思ってかければ怖いものはありません。

  繰り返します。 いつか親がどうにかしてくれるなんて思ってたら駄目ですよ。 あなたの親は、あなたに飯を食わせる以外、能力がないのです。 頼りになるのは自分だけなんですよ。



【2004年3月18日付】

☆ ひきこもり② ☆


  何でも、今、NHKが「ひきこもり特集」をやっているみたいで、ちょくちょく、それらしい番組を目にします。 ひきこもりについては、前にも一度書いたんですが、こういう番組を見ると、また書きたくなってしまうんですな。

  NHKが何を考えているのか、今一つ分からないんですが、スタジオにひきこもりを何十人も集めて意見を聞くというあれは、どんなもんなんでしょ?

  ひきこもりには、各々個別の事情があるので、みんながみんなそうだとは言い切れませんが、長く家に篭っていた人間が、反動として望むのは、やはり「他人から注目されたい」という事ではないかと思います。 ひきこもりは、気位が人一倍高いので、本来「自分は注目されて当然」という意識があります。 その意識が何年も抑圧されているわけですから、一触即発、いつ爆発してもおかしくないような状態になっています。 そんな連中をテレビに出してやり、アップで撮って、意見まで聞いてやるのですから、ひきこもり達にとってみれば、待ちに待った晴れ舞台。 無上の喜びを感じるに違いありません。

  しかし、当然の事ながら、収録が終われば、彼らはただのひきこもりに戻ります。 親兄弟からお荷物扱いされ、近所から気味悪がられる半端人間に戻ってしまうのです。 この落差はあまりにも大きく、あまりにも残酷です。 テレビに出て、それをきっかけにひきこもりから脱出できるのなら有意義な事ですが、彼らが陥っている穴はそんなに浅い物ではないと思います。 大部分の者は、ひきこもりに戻るでしょう。 そして、「次の出番はいつだろうか?」 「今度テレビに出たら、何を喋ろうか?」などという妄想に耽りながら、また何年も篭り続けるのです。


  ひきこもりから立ち直った人に話を聞くというような企画もありましたが、一般の職場に勤めた人ならともかく、ひきこもり相談所に雇ってもらった元ひきこもりなんて、どんなに偉そうな事言ったって、全然当てになりませんぜ。 つまり、そいつら、一般の仕事に就くのが怖くて、相談所に逃げ込んで、そのまま職員になってしまったわけで、一般社会から逃げている事に変わりはないんですから。

  ひきこもりは、やはり男性が多いと思うんですが、誰か他人に相談するという時に、若い女性は避けた方がいいです。 恐らく、期待しているものと得られるものが全然違う事に気付いて、より深く傷付く事になると思うからです。

  私は男だから、女性の気持ちが完全に分かるというわけではないんですが、一般的に言って、女性というのは、男性より、現実的な考え方をします。 ぶっちゃけて言ってしまうと、収入がなくて、家に篭っている男に恋愛感情を抱くなんて事は、ほぼ100%あり得ません。

  どんなに頻繁にメールをやりとりしていても、どんなに優しく励ましてくれても、それは恋愛とは全く違う動機、即ち、同情や仕事への使命感から発せられたものです。 その辺の所は、くどいほど自分に言い聞かせておいた方がいいです。 自分の方から訪ねて行くなんて、絶対駄目です。 相手が引いている限界線を越えたら、ストーカー扱いで警察に通報されるのがオチですぜ。


  個人に密着して取材した番組もありました。 30歳くらいの男性でした。 ひきこもり特有のごっちゃごちゃの部屋の中には、いかにも今風のひきこもりらしく、パソコンがありました。 もちろん、ネットに繋がっていて、ひきこもり同士でメールをやりとりし励ましあっているとの事でした。

  でもねえ・・・・「相手もひきこもりだから、気持ちがよく分かる」って言われれば、確かにその通りですけど、気持ちが分かってもらえたって、ひきこもりの解決には何の役にも立ちませんぜ。 励ましあっているというより、同類相憐れむで、慰め合ってるんですな。 「自分だけがおかしいんじゃない。 俺には仲間がいる」・・・・・いっかんなあ。 ひきこもりの仲間なんて、いたって、百害あって一利なしだと思いますよ。 一生ひきこもっていたいというなら、また話は別ですが。

  できれば、ネットもやめた方がいいんですよねえ。 特に、ホーム・ページなんて持ってしまうと、そこでは一人前の人間のように振舞えるので、これまた錯覚に陥りやすいんですな。 大体、通信費は誰が払ってるのよ? 親に頼るのは食費だけにしといた方がいいよ。 だけど、ネットは、やめろと言われてもやめられないでしょうなあ。 最初から手を出さなければ一番よかったんですが、もう手遅れですな。

  その番組に出ていた男性、最後には一大決心をして、親に向かって「一緒に暮らしていると、どうしても頼ってしまうから、家を出て一人暮らしをしたい。 でも、すぐには無理だから、とりあえず、アルバイトでもして、お金をためて・・・・」というような事を言うんですが・・・・・。

  あのなあ、アルバイトができるなら、ひきこもりとは言わないんだ。 そういう人は「フリーター」というんだ。 フリーターは、少ないけれど、ちゃんと収入がある。 やりくりすれば、一人で生きていく事もできる。 不安定ではあるけれど、人様から後ろ指さされるような暮らしではないんだ。 親に寄生している自分と一緒にしたらいかんぜ。 

  一般社会人とひきこもりの違いは何かというと、一にも二にも、収入があるかないか、それに尽きます。 親と一緒に住んでいたって、収入があれば、何の問題もありません。 もし、アルバイトならできるというなら、すればいいではないですか。 一人暮らしなんて、発想の飛躍もいい所で、いきなりそんな事ができるなら、そもそも、ひきこもりなんて、やってないでしょうに。 その非現実的な妄想こそが、ひきこもりのひきこもりたる所以なんですが。

  何だか、今回は、前回に比べて、血も涙もない内容になってしまいました。 いやねえ・・・・NHKのひきこもり番組見ていたら、何だか、励ましたって、アドバイスしたって、とても追い付かないような気がしてきたんですよね。 さすがに、10年以上、こもっているなんて人の場合、もう駄目でしょう。 学生時代からずっとこもって、30歳過ぎてしまったなんて人を雇う所はないですぜ。

  もし、「このままじゃ、駄目なんだ」という気持ちが少しでもあるなら、明日からでも、バイトの口を探しに出た方がいいです。 皿洗いくらいなら、よほど労働適性がない人でもできます。 最大の敵は歳をとってしまうことです。 脱出は早ければ早いほどいいです。



  昔書いた文章は、以上です。 結構、辛いですな。 だけど、この頃は、ひきこもりについて、考えるだけの興味があったのですから、まだマシだったわけで、その後、まるっきり、興味がなくなって、どうでもよくなってしまいました。 マザー・テレサ風に言うと、最悪になったわけだ。


  今回の、児童襲撃事件が起こった時、「これは、模倣犯が出るかも知れんな」と思ったのですが、今のところ、それは出ていないようです。 その代わり、ひきこもりが家にいる家族が、「うちのも、こんな事件を起こすのではないか」と警戒して、本人に、きつく当たり、そのせいで、息子殺しや、家族刺傷、本人自殺といった事件が起こりました。 インパクトが、そっちへ行ってしまったか。

  事件の直後、ネット・ニュースで、「『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」、「こういった発言を公の場でする事で、犯罪者予備軍の感情を刺激する可能性があるので」という意見が出していました。 だけど、「死ぬなら、一人で死ね」は、ごくごく、常識的な反応だと思いますよ。 働いている人間はもちろんの事、おそらく、ひきこもりの99.99パーセントくらいの人達も、この犯人に対して、「死ぬなら、一人で死ね」と感じたと思います。

  この意見を出した人、別に、「ひきこもりは、全員、追い詰められた犯罪者予備軍だ」と見做しているわけではないと思いますが、今回の事件で、犯人がひきこもりだったと報道されている手前、誤解を招くので、「ひきこもり」と、「追い詰められた犯罪者予備軍」を、きちんと区別した方がいいと思います。 ちなみに、今回の犯人と近い境遇にあったと思われる、大阪池田小事件の犯人も、秋葉原通り魔事件の犯人も、いわゆる、ひきこもりではありませんでした。 「ひきこもりが、重大犯罪をやらかす」という結び付け方は、全くの的外れです。

  ひきこもりは、むしろ、犯罪からは遠い人達です。 他人が怖いんだから、極力、接触を避けたがるのですよ。 また、もし、自暴自棄になって、死ぬのなら、世間の皆様が望んでらっしゃる通り、一人で死にます。 だけど、そもそも、死ぬ気がないから、何年も、ひきこもっているのであって、自ら死ぬひきこもりは、稀です。 家族が追い詰めて、激怒させ、殺し合いの喧嘩にでもなれば、別ですけど。

  そこでまた、今回の児童襲撃事件の犯人に戻るわけですが、この人、ひきこもりの枠で捉えるべき人なんですかね? 単なる、一時的な無職なのでは? 叔父・叔母の家を、一度、出ていたという事は、働いて、自活していた期間があるわけでしょう? ひきこもりにも、働いた経験がある人がいますが、その場合、実家に住み続けているのが普通です。 一度、出て、戻った人は、ひきこもりの枠に入れるとしても、かなり、特殊な例になるんじゃないでしょうか。

  当人は、ひきこもり扱いされて、怒って、否定していたそうですが、普通、ひきこもりは、自分がひきこもりである事を、否定したりしません。 むしろ、自分が置かれている状況を、簡潔に言い表せる言葉として、重宝していると思います。 その点でも、今回の犯人が、ひきこもりに該当していたかどうか、大いに疑問です。 ひきこもりでない人間が起こした事件であれば、ひきこもり対策を施しても、今後、同様の事件を抑止する為の役には立ちません。


  とはいえ、何かしら、社会的な対策を取ってくれると言うのなら、ひきこもりの面々には、損な話ではないですわな。 中には、「余計なお世話だ!」と、身震いして、嫌がる人もいると思いますが、働かず嫌いで、働いた事がない人の場合、ちょっとした支援が、「天から降りてきた蜘蛛の糸」になる場合があるかも知れません。

  たとえば、ひきこもりの扱い方に熟知した人が誘いに来て、工場や事務所などに連れて行き、「一日に、2・3時間、これこれこういう作業をすれば、報酬を払います」と言えば、割と簡単に、ひきこもりから抜けられる人が、かなりの割合、いると思うのですよ。 誘う側は、雑な性格の人は駄目で、腫れ物に触るような繊細な対応が求められますが、丁寧にお膳立てをしてやれば、働く事自体を嫌がる事はないと思います。

  人間不信に陥っている人も多かろうと思いますが、とことん、面倒を見る覚悟で、「渡る世間に鬼はなし」を信じられように計らえば、次第に、心が開けて来るのでは? もっとも、実際には、ブラック企業や、ブラック上司に代表されるように、「渡る世間に鬼はいる」のであって、そういうのに当たって、すぐに、ひきこもりに戻ってしまうかもしれませんけど。


  ひきこもりの数は、増加傾向にあると思われ、数的には、もはや、「ごく一部の人」ではなくなり、ひきこもりが政党を作ったら、堂々、国会に20議席くらい送り出せるほどの割合になっていると思います。 どこかの自治体が、就労年齢なのに、就労していない人の割合を調べたら、全体の1割くらいが該当して、おったまげたという話を聞いた事がありますが、日本全体で見ても、そんな割合なんじゃないでしょうか。

  その自治体とは、別の所だと思いますが、役所で、就労支援をやったら、何十人かいたひきこもりを、ほぼ全員、就労させられたとの事。 「えっ! ほぼ、全員?」と、驚いたのは、私です。 6・7割が就労したというのなら、「凄い成果だな」と、感服したところですが、ほぼ全員となると、「相当には、荒っぽい事をやったのではなかろうか」と疑ってしまうわけです。 そうでないとしても、恐らく、また、仕事をやめて、ひきこもりに戻る人は出て来るでしょう。

  ここで、私が、何か書いて、それを読んだ人が、ひきこもりから脱せられるというのなら、いくらでも書きますが、実際には、そんな事はないと思うのですよ。 長い間、社会と隔絶した状況にいるわけで、赤の他人から、アドバイスされたくらいでは、とてもとても、働きに出るなんて、大きな決心はできません。

  役所に、相談窓口があれば、電話相談あたりから始めて、最終的に、就労に繋げるレールが敷けるかもしれませんねえ。 しかし、ひきこもりの当人は、自分から、相談しようとしないでしょうなあ。 かといって、親が勝手に相談すると、怒ると思います。 本人が、他人の中に出て行く気がないのに、それを無理やり引き出そうとしたら、それは、暴行や拷問と変わりないです。

  役所で窓口を設ける場合、そこの職員は、地元出身者でない事が望ましいです。 地元に住んでいる大抵の人間は、役所に、何人か、同級生や同窓生が勤めているものですが、そういう、かつて、対等の関係だった知りあいに、就労の相談など、できるものではありません。 これは、少子化対策に、地方の自治体がやった、「官製お見合い」が、応募者が集まらずに、ことごとく失敗したのと、同じ理由です。 自分から、恥を曝しに来る奴なんかいません。

  ハロー・ワークなら、すでに、どこにでもあるわけですが、親が、勝手に、ハロー・ワークに行って、仕事を探して来て、子供に向かって、「明日から、行け」などといっても、全く、解決になりません。 行くわけがない。 笑ってしまうくらい、確実に、行きません。 他人が怖いんだから、行けるわけがないじゃありませんか。

  だから、ひきこもり専用の相談窓口や、専用の仕事が必要になるわけです。 ブラック上司がのさばっているような職場は、問題外。 時間的には、一日フル就業も、厳しい。 本人が、「もっと、働きたい」と言い出すまでは、せいぜい、半日くらいにして、家にいられる時間を長く取ってやる気遣いが必要です。 だけど、全国的に、それをやるのは、難しいでしょうなあ。

2019/06/02

ヤフオクで横溝作品を買う

  読書感想文は、まだ、ストックがあるのですが、先に公開している日記ブログの方に追いついてしまい、写真の加工をしていないので、とりあえず、休止します。 で、今回は、普通の文章ですが、やはり、横溝正史さんの本の話になります。 実は、読書感想文・蔵出しの、ある回の後文として書いたものだったのを、長くなり過ぎたので、外して、独立記事にした次第。 




  横溝作品の本についてですが、もし、今現在、一冊も持っていなくて、これから、買い揃えたいと思っているのなら、すぐには買わずに、図書館で借りて読んでからにした方がいいです。 一つの図書館に、全作品が置いてある事は、稀だと思うので、相互貸借で取り寄せてもらう事になり、恐らく、一通り読むだけで、1年以上かかるでしょう。

  ヤフオクで検索すると、角川文庫の旧版、90冊が纏めて出て来る事がありますが、値段がいくらであるにせよ、そういうセットは、「買い」ではないです。 なぜなら、全体の半分くらいを、戦前作品や、少年向けが、占めており、そういうのは、一度読んだら、二度は読まない可能性が、甚だ高いからです。 二度と読まないものを、自室の本棚に並べて置いても、馬鹿馬鹿しいでしょ。

  厳密に言うと、戦前作品にも読む価値かあるものがあります。 ≪恐ろしき四月馬鹿≫、≪山名耕作の不思議な生活≫など、ごく初期の短編集と、耽美主義作品を集めた、≪鬼火(蔵の中)≫。 長編では、≪呪いの塔≫、≪真珠郎≫。 一方、由利先生と、三津木俊助が出てくる、活劇調の話は、一度読んだら、二度は読まない口です。

  少年向けは、私が今までに読んだ中では、≪迷宮の扉≫だけが、何とか、大人の鑑賞に耐えますが、他は、軒並み、しょーもない感じです。 事によったら、他にも、読めるのがあるかもしれませんが、横溝さんが、少年向けは、ほぼ、型に嵌まった製法で、やっつけていたようなので、あまり期待ができません。 とにかく、図書館の本で、確認してから買っても、遅くはありますまい。

  一方、戦後作品で、大人向けのものは、確実に、何度も読み返しますから、送料込み一冊500円くらい使っても、損にはなりません。 前にも書いたように、新装版にある作品なら、新刊で買っても良いと思います。 文字が大きくて、読み易いから。 新刊だと、大体、一冊、700円前後。 杉本一文さんのカバー絵が付いている物なら、尚良いです。


  ヤフオクでの出品物の話ですが、相場的に、角川旧版・全冊セットなら、2万円台くらい。 スタートが、5000円以下でも、最終的には、2万円くらいになってしまうという事です。 スタート価格が、1万円を超えていると、なかなか、入札がありませんが、誰かが入札すると、決まって、応札者が現れて、やはり、2万円くらいになってしまいます。

  確かに、角川旧版は、貴重ですが、あまり、貴重がりすぎるのも、どうかと思います。 なぜなら、ヤフオクでの出品数が、まだまだ、ピークに至っていないからです。 1970年代後半の、横溝正史大ブームの時に、すでに、大人買いができる年齢になっていた世代、つまり、現在、概ね、65歳以上の人達ですが、彼らが、新しい本が出る度に買い足して、90冊揃えたセットを、大事に所有しているのは、まず疑いないところ。

  そうでなければ、5500万部などという、空前絶後の売れ方をした本の山が、どこへ行ってしまったか、説明がつかないからです。 角川春樹さんは、読み捨て文化を日本社会に導入するつもりで、横溝大ブームを仕掛けたとの事ですが、当時、実際に買っていた人達が、読み捨てにしていたとは、到底、思えません。 秘蔵のお宝にしているとしか考えられないではありませんか。

  今後、その世代の人達が、終活で、自ら本を処分したり、亡くなって、遺族が処分したりする事が予想され、少しずつ、中古市場に出てくるはず。 古本屋は、ごそっと持ち込まれるのを嫌って、買い叩こうとするから、ヤフオクに流れて来ると思うのです。 数が出てくれば、値段も下がるのが道理。 全冊セットが欲しいなら、そういう状況になってから、状態がいいのを安く買った方が、お得でしょう。

  横溝作品の角川旧版は、カバーの劣化が進んでいる事で有名ですが、人手を渡っている内に、スレたり、角折れしたりしてしまうのであって、ワン・オーナーの品なら、驚くほど、綺麗な本が存在するはず。 今後が楽しみですな。 今現在、全冊セットが、ヤフオクに出て来たからといって、慌てて飛びつくのは、禁物。 状態が良いものが出るのを、待つべきでしょう。 その間、図書館で借りて、どんな作品があるのか、コツコツ読み進めていれば、ちょうどいい。 


  なぜ、同じ角川文庫でも、横溝作品だけ、カバー劣化が目立つのかというと、色が大きく関係していると思います。 黒だと、紙の地の色である、白とは、正反対ですから、破れたり、スレたりすると、白い部分が露出して、目に飛び込んでくるというわけだ。

  その頃の角川文庫は、大量生産していたせいか、本体とカバーの高さが合っていないものが、結構ありました。 甚だしいと、2ミリくらい違っている事もあり、カバーが短ければ、本体の上端が、ありありと見えてしまいます。 製本所に勤めていた叔父さんが、うちに来た時、話をしていましたが、高さが違う事で、カバーを作っている会社と悶着が起こった事があったらしいです。

  カバーの方が、本体より長い場合、パッと見は、問題ないように見えますが、本棚から出す時に、カバーだけ引っ張って、上端が破れてしまいます。 で、それまた、黒と白の対照で、破れ目が大いに目立つというわけだ。 しょーがないねえ。 カバーの高さは、本体より大きくても、小さくても、駄目なのです。

  これは、横溝作品に限りませんが、本を大切に扱おうとするあまり、本屋でかけてくれる、紙のカバーをしたまま、本棚に並べている人もいて、それが、また、元カバーの上端を破り易くしてしまいます。 本屋でかけてくれる紙カバーは、大抵、高さを大きめに折って、用意してあります。 出版社によって、文庫の高さが異なるので、高い方に合わせて、大に小を兼ねさせているわけだ。

  その結果、角川文庫のように、高さが低い文庫では、紙カバーの上が余る事になります。 読んでいる時に、元カバーが上にズレる事があっても、紙カバーが覆ってしまっているから、気づかない。 その状態のまま、本棚に入れ、次に出す時に、紙カバーの上を引っ張ると、元カバーの上端も引っ張られて、ビリっと破れるわけですな。

  紙カバーを付けたままで、大事に保存したいという気持ちは、尊いとは思いますが、その場合、紙カバーの高さを、本の高さに合わせて、折り直し、上下ピッタリのサイズにしておいた方が良いと思います。 大切にしようと思って、破損していたのでは、本末転倒ですから。

  ちなみに、元カバーが破れてしまった場合、欠損がないなら、裏から、コピー用紙の切れ端を糊で貼れば、それ以上の損傷は避けられますし、うまく貼れば、パッと見では、破れた事に気づかないくらいまで、復元できます。 たとえ、白い部分が見えていても、マジックや、サインペンなどで、色を塗ったりしない方が、無難。 最初から白い部分を出さないように貼るのが、肝要ですな。

  欠損がある場合、新聞の広告チラシなどの黒く刷られた艶紙を、裏から貼れば、一応の補修ができます。 しかし、そんな事に気を使うくらいなら、少々、値段が高くても、欠損がない品を探した方がいいかも知れません。 自分で補修したものには、それなりの愛着が湧くものですけど、何と言っても、趣味の品ですから、貧乏臭いのが我慢できない人には、薦められません。


  本を大切に扱いたい場合、読む時には、元カバーを外し、本屋の紙カバーか、自分で作った紙カバーをかけて読み、読み終わったら、元カバーを付け直して、本棚に戻すのがいいと思います。 元カバーのままで読むと、手の脂や汗で、ヨレが出てしまいますから。 カバーをカバーとして使わないのは、本末転倒のようですが、元カバーに、損傷を避けたいと思う程の価値があるのは否定できないところなので、致し方なし。

  ちなみに、文庫本なら、A4コピー用紙で、紙カバーを作る事ができます。 まず、上下を、本の高さに合わせて折ります。 次に、裏表紙側を適当な所で折ってから、袖に入れます。 続いて、カバーを本に巻くようにしてかけて、表紙側を折り、袖に入れれば、完成。 A4以上の大きさがあれば、広告チラシでも作れますが、色が移る恐れがあるから、あまり、お薦めしません。


  話を戻しますが、ヤフオクで、横溝作品を買う場合、一冊ずつ買うか、セットで纏め買いするかが、判断の大きな分かれ目になります。 一冊ずつでも、全部で90冊なので、一冊平均、500円として、45000円の予算を取っておけば、揃えられる事になります。 「そんなに高くつくのなら、90冊セットを2万円前後で買った方がいいではないか」と考えるのが合理的ですが、それはあくまで、今現在、一冊ももっていない人の場合です。

  4・5冊もっているという程度なら、ダブりが出ても大目に見れると思いますが、10冊以上ある場合、確実に、抵抗感が出て来ます。 勿体ないではないかと・・・。 自分も出品をしている人の場合、ダブりが出ても、状態の悪い方を出品して売るという手が使えますが、落札オンリーの場合、同じ本が溜まるのは、大変、困る。 古本屋に持って行く? うーん・・・、買い叩かれそうですなあ。

  30冊セット、40冊セット、50冊セットなど、中途半端な数で出品されたものを、複数セット買ったりすると、ダブりまくって、もう、ぐちゃぐちゃになります。 中身も同じ、カバーも同じ本ばかり、3冊も並んだ日には、自分が何をやっているのか分からなくなり、「もしや、狂ったのでは・・・?」と、背筋が寒くなること請け合い。

  一冊ずつ、安く手に入れられるなら、欲しい物だけ集められるから、それが一番望ましいんですが、一冊で安いのを探すと、大抵、状態が悪いのです。 状態の良いセットに含まれている本の方が、確実に、状態が良い。 だからといって、ダブりを避けなければなりませんから、セットを、ポンポン買うわけには行かないんですわ。


  こういう事を書いていると、キリがないので、この辺にしておきます。