2015/04/26

新社会人

  毎年、この時期になると、新社会人達に向けて、「先輩からのアドバイス」といった趣きの、おこがましい記事が、新聞に出るようになります。 「五月病」という社会現象があり、仕事に就いてから、一ヵ月くらい経った頃が、最も脱落し易いので、それを防ごうというつもりなのでしょう。 そういう発想自体が、実に、おこがましい。 人の心配するよりも、自分が、リストラされないように気をつけるべきだと思います。 「用なし社員」になっているのは、あんた自身じゃないのかい?

  その点、私は、すでに引退しており、子供もなく、自分が死んでしまえば、後は、どんな世の中になろうが知った事ではない、お気楽この上ない身分なので、新社会人の面々にも、なんら利害関係がなく、お為ごかしではない、忌憚ない意見を申し述べる資格があろうというもの。 言い方を変えると、えーから加減な事を書き散らすつもりなので、話半分に読んで下さい。


  私の場合、中途採用だったので、五月病の経験はないのですが、新入社員を見ていて、そういう傾向があるのを見て取れたのは、確かです。 たとえ、一ヵ月もっても、二ヵ月はもたない。 いずれにせよ、早々と辞めてしまうのです。 原因は、仕事ができない場合と、人間関係がうまくいかない場合があります。



  仕事に関しては、新入社員は、みんな素人ですから、最初のスタート・ラインは同じなのですが、適性の違いで、すぐに差が出てしまう事があります。 文系出身者や体育会系出身者に、数字を扱わせたら、ミスだらけで使いものにならないと思いますし、人付き合いが苦手な性格の人間に、折衝系の仕事を宛がったら、瞬く間に、ノイローゼになります。

  そのくらいの事は、人事部門で、予め、適性別に振り分ければ良さそうなものですが、どんな会社でも、人事部門ほど、いい加減で、無能な部署はなく、人の適性を見分けるなどという、高度な能力は、望むも愚か。 名前と顔も一致しないのに、リストだけを見て、テキトーに割り振って、駄目だったら駄目で、「当人の問題」と、知らぬ顔を決め込むのが、お得意のパターンです。

  ちなみに、人事の能なし馬鹿どもが、でかい面を見せるのは、入社試験の面接の時だけです。 買い手市場の時に就活して、入社試験で、人事のキチガイどもに、下司サイテーな嫌味とか言われた経験がある人もいるでしょうが、全く気にする必要はないです。 この世で、最も駄目な会社員が、人事の連中だからです。 それが証拠に、人事のやつらがリストラされると、どこも雇ってくれません。 人事同士で、使えないのが分かっているから、雇わないんですな。 様ぁいい。

  全く向かない仕事を宛がわれてしまい、頭か体がおかしくなってしまうような、つらい日々が続いた場合、「続けるか、辞めるか」で、本気で悩むところまで追い詰められたら、もう、辞める事を決心した上で、一か八か、上司に、配置換えを申し出てみるのも、一つの手です。 仕事が変わると、苦もなく、こなせるようになるケースが、非常に多くあるからです。 それまで、死にそうな顔をしていた人間が、仕事が変わった途端に、ケタケタ笑って冗談を飛ばす、明るい人に変身した事例など、枚挙に暇なし。

  最初に宛がわれた仕事で潰れて、会社を辞めてしまった人には、ほんとに気の毒だと思いますが、実際に、そんな例は、いくらでもあるのですよ。 逆のケースもあり、最初に、楽な部署に配属されて、嬉々として働いていた人が、何かの都合で、他の部署に回されたところ、あまりの辛さに、たちまち、音を上げ、「これでは、追い出し部屋と同じだ!」と、上司に訴えたりします。 いやー、最初の所が、楽過ぎただけだと思うんですがね。 元の部署に戻してもらえれば、幸運。 駄目なら、辞めるしかないですな。

  これは、社会問題にもなっていますが、飲食店チェーン業界で、正社員として、店に配属されたら、潰れるまで、扱き使われると覚悟しておいた方がいいです。 私だったら、そういう業界には、最初から、近づきません。 辞める事を見越して、必要数よりも多くの新入社員を採用しているので、就活生にとっては、入り易い業界だと思うのですが、大量に採っているところは、大量に辞めさせているのであって、「自分だけは、耐えられる」とか、「すぐに、這い上がって、使う側になってやる」とか目論んでいても、例外になれる確率は、甚だ低いです。

  「10年我慢すれば、現場から離れられる」とか言われていても、その10年間で、体の方が壊れてしまうのですよ。 睡眠も満足に取れないような生活では、10年どころか、10日でもフラフラになってしまいます。 精神力に自信があって、「やって、やれない事はない」と信じており、「辞めて行くやつらは、ただの負け犬だ」と思っている者ほど、自分自身に対しても、同様のハードルを課してしまうので、危険な領域まで追い込まれ易いです。 バイク乗りの世界で、「うまい人ほど、事故り易い」と言われたり、川下りの舟が転覆した時、「泳げる人ほど、溺れ易い」と言われたりしますが、それに似ていますな。

  ちなみに、バイクの方は、うまい人ほど、マシンの限界性能を引き出そうとするので、カーブで倒し過ぎたり、スピードを出し過ぎたり、強引なすり抜けをしたりと、危険な走り方になり易いというわけ。 川下り舟の転覆の方は、泳げない人は、岩や舟につかまって、助けを待つのに対し、泳げる人は、自力で岸まで泳ごうとして、急流に呑まれてしまうという理由です。

  特定の会社が悪いというのではなく、飲食店チェーン業界全体が、人を使い潰す事によって、利益を得ているのですよ。 常識外れに安いメニューとか見たら、何かが、おかしいと思わなければいけません。 「一体、どこで、利益を出しているんだろう?」と考えれば、人を安く使って、人件費を抑えている以外に、答えがないじゃありませんか。 経済原則に照らば、容易に分かる事です。

  ブラック企業として、会社を訴えるという、最後の手段もありますが、そういう事をすると、必ず、会社の上層部から睨まれるので、その後の社員生活は、針の筵になります。 「いい会社になって欲しいからこそ、訴えた」なんてセリフは、経営者側から見ると、裏切り者の屁理屈にしか聞こえますまい。 思うような出世も、できないでしょうねえ。 どの会社にも、社員のブラック・リストが存在し、一度、それに名前が載ると、出世できません。 ヒラで通す気なら、却って、好都合なのですが、結婚や、子育てを人生計画に入れているのなら、生涯ヒラは、大きなマイナスになります。

  就活時の甘い考えで、つい、ブラック企業に入ってしまったという人に忠告ですが、「もう、限界だ・・・」が口癖になり、「自殺」の二文字が脳裏にちらつくようになったら、思い切って、辞めた方がいいです。 親や友人に相談してはいけません。 特に、親は駄目です。 必ず、「もう少し、頑張ってみたら」とか、「お前は、子供の頃から、堪え性がない」とか、事情も知らずに、手前勝手な事を言って、辞めさせまいと試みます。 それが、親の務めだと思っているから、始末が悪い。 本心は、親戚や友人知人に、自分の子供が会社を辞めたと知れるのが、恥ずかしいからだと思いますが。

  それで、息子や娘が自殺すると、会社を訴えるわけですが、ちゃんちゃらおかしい。 てめーらが、辞めさせないように追い詰めたんだろうが。 会社と親は、共同正犯だわ。 また、マスコミもマスコミで、判で押したように、親の味方について、企業を吊るし上げるのに躍起。 親が、自殺した本人に、どんなアドバイスをしていたか、まず、それを聞き出してから、味方をするべきでしょう。 「そんな会社、辞めちゃいな」なんて言っている親は、まーあ、いないと思いますぜ。

  友人も、相談相手としては、よくないです。 そういう相談を持ちかけられた友人が、一番困るのは、「お前の勤め先で、雇ってくれないかなあ」と言い出される事です。 溺れる者は藁にも縋るので、誰でも当てにするのですが、その友人だって、まだ若くて、社内での地位なんて、ないも同然なんですから、コネなんか、使えるわけがありません。 で、面倒な事にならないように、「もう少し、頑張ってみたら」とか、「どの仕事も、きついと思うぜ」とか、手前勝手な事を言って、辞めさせまいと試みるのです。

  私、経験がありますよ。 勤めた自動車業界の工場が、思っていた以上に、体がきつい仕事だったので、ファミレスでバイトしていた時の知り合いで、家電業界の工場に勤めていた人に電話をかけ、「そっちの会社で、募集してない?」と訊いたのです。 その時の、相手の反応が、今でも忘れられません。 「うーん・・・」と唸ってから、しばらく間を置いて、これ以下はないくらい、テンションの低い声で、「今は、どこでも、中途は取ってないと思うよ・・・」と、ぼそぼそっと言ったのです。 あれだけ、迷惑そうな答え方も、なかなか、例がない。

  笑ってしまう事に、それから、半年くらいしたら、その人から電話がかかって来て、「三交替勤務がきついから、辞めたいと思っている」と告白した後で、「そっちの会社で、募集してない?」と訊いて来ました。 さすがの私も、目が点ですな。 半年前に、私に向かって、自分が何と言ったか、打ち忘れておるのでしょう。 で、半年前に言われた事を、言い方を少しだけ和らげて、返してやりました。 別に、嫌味ではなく、私には、社内で使えるコネなどなかったから、事実を伝えるしかなかったのです。

  かくのごとく、本人が、会社でどんな仕事をさせられているか知らないやつらに相談しても、有効なアドバイスなど貰えるはずがないのは、道理中の道理。 辞める時に、頼りになるのは、自分の判断力だけです。 そんなに難しい判断ではありません。 ハムレットと同じ、「生きるべきか、死ぬべきか」だけを決めれば宜しい。 「生きるべき」という答えが出たら、再就職先など考えなくてもいいから、すぐに辞めてしまいなさい。 アルバイトで喰い繋いでも、自殺するよりは、明らかにマシではありませんか。 

  人件費を削って、利益を出している業界は、みんな同じでして、魔法のような経営アイデアなど、そうそうあるわけがなく、絞れるところから絞るのは、そういう会社では当然の事なのです。 使い潰すのを前提に、人を雇っているのですから、それに気づいたら、もはや、逃げるに如かず。 何をためらう事があろうか、いーや、あるはずかない。 できれば、就職する前に、気づきたいものですが、そういう会社に限って、商品が安くて、客の受けはいいから、客側の視点では、気づかないんでしょうな。



  五月病で辞めてしまう、もう一つの大きな理由は、職場の雰囲気に、その人の人格が合わない事ですな。 昼休みや休憩時間などに、新人が一言も喋らない状態が長く続いたら、十中八九、辞めてしまいます。 上司や先輩が話しかけても、すぐに会話が途切れてしまうという場合、元々、おとなしいとか、遠慮しているとかではなく、「いるだけで、辛い」と思っているのであって、当人は、静かな拷問を受け続けているのです。

  大人が集まっていると、話題が大体決まっており、ギャンブル、スポーツ、異性ネタで、9割は埋まります。 真面目な学生だった人にとって、突然、そういう、下司な世界に放り込まれてしまうのは、耐えられない事でしょう。 言っとくけど、テレビ番組の話なんて、できないですよ。 見ている番組が、人それぞれですから、話が合わないのですよ。 映画なんて、尚の事。

  困った事に、ギャンブル、スポーツ、異性ネタで大盛り上がりする人達というのは、そういう話題は、誰でも興味があると信じ込んでいて、黙っている新人に、無理やり、話を振って来たりします。 最初の一言が、「パチンコとか、行く?」だったりすると、「行きません」で、終わりですな。 「野球(サッカー)は、どこファン?」というのも同じ。 返事は、「あまり、興味がありません」で、おしまい。 ぐっと、一般化させて、「趣味は何?」という質問なら、まだ、配慮がある方ですが、正直に答えると、訊いて来た方が、そんな世界は全く知らずに、絶句してしまいます。

  異性ネタは、また、困るんだよな。 そういうのが好きな奴が一人いると、口を開けば、ナンパや風俗店での武勇伝、過去の異性遍歴といった事を、引っ切りなしに、喋りまくります。 それだけでも迷惑なのに、面倒見がいいところを見せようと、新人の肩を叩いて、「よし、今度、俺が、風俗に連れてってやる」などと、とんでもない事を言い出します。 冗談じゃねーよ! 会社のつきあいで、病気でも貰った日には、誰が責任とってくれるねん? ほっといてくれよ、この下司野郎が! 

  学者や技術者が集まるような職場でもない限り、知性的な会話というのは、ほとんど、交わされません。 一般的な職場では、読書階層なんて、存在しないと思った方が宜しい。 たとえ、いたとしても、読んでいる本は、人それぞれですから、話が合う人を見つけるのは、至難の業でしょう。 仕事についての話は、最初から、複雑極まりない仕事を与えられるような事はないですから、発展性が望めません。 何度も同じ質問など繰り返していたら、話のネタになるどころか、逆に怒られてしまいます。

  たまたま、趣味が同じ先輩がいて、その人とだけ意気投合するケースが、間々見られますが、それ以外の人と、全く喋れないのでは、やはり、困ります。 その趣味が特殊だったりすると、その先輩まで、周囲から孤立していて、他の人とのパイプ役を果たしてくれない事もあります。 オタク系が、その典型でして、どこの職場にも、一人二人はいるものの、決して、多数派ではないので、常に、孤立を強いられているわけですな。 

  その点、取り立てて、知性派ではない人間は、楽です。 先輩達との下司度が、ほぼ同じだと、一週間もしない内に、難なく溶け込んで、もう、何年も一緒に働いているような図々しさを見せる者もいます。 バイト歴が豊富で、様々な職場環境に慣れている人間に、そういうのが多い。 そういうタイプは、馴れ馴れしさが行き過ぎてしまって、先輩から嫌がられる事もありますが、まあ、自分から辞める事はないです。

  ただし、仕事ができない場合は、別です。 私は、在職中、新入社員はもちろんの事、派遣社員や期間工で、新しく入って来る人間を、嫌というほど目にしましたが、大きく分けて、仕事を覚える事を優先する人と、人間関係を優先する人の、二つのタイプがありました。 両者のバランスが取れていれば、ベストなのですが、そんな器用な人は、ほとんど、いません。 で、どちらか一方を優先しなければならないとなると、仕事を優先した人の方が、確実に、残る率が高かったです。

  「仕事ができなくても、上司や先輩と仲良くなってしまえば、庇ってもらえる」という、人脈優先主義の人達は、おそらく、過去に、集団で一つの仕事をやるような、割と楽なバイトを経験していて、そういう処世術を身に着けて来たのだと思いますが、文字通り、一人前の仕事をこなす事を要求される実社会では、通用しないです。 なまじ、お調子者で、人受けが良かった分、仕事ができないと、面目丸潰れで、この下なく惨めな立場に追い込まれ、逃げるように辞めて行く事になります。 全く、格好がつかない。

  極端な事を言えば、仕事さえできれば、同僚と一言もしゃべらなくても、文句を言われるような事はないんですよ。 「あまり、喋らない奴」くらいで済まされ、それなりの居場所を与えられます。 逆に、いくら、「いい奴」、「面白い奴」と言われても、仕事ができないのでは、同僚として認めてもらえません。 なぜなら、そいつができない分を、同僚がカバーしなければならなくなり、大迷惑を被るからです。 一人だけ、楽な仕事をやって、給料が同じだったら、それはそれで、腹立たしい話。

  あからさまに、口にこそ出しませんが、仕事ができない人間には、「早く辞めて欲しい」と、みんなが思っています。 好悪感情云々ではなく、迷惑なんですよ。 私自身、退職を決意した、最も大きな理由は、自分が、他の人間と同じだけの仕事に耐えられなくなった事を認識したからでした。 ゴネて、楽な仕事を探して貰えば、定年までいられたと思いますが、大きな会社では、そういう、往生際の悪い年寄りが、あまりにも多く、「ああなったら、おしまいだ」と、かねがね、思っていたので、自分がそうなるのを避けたという次第。

  とにかく、新しく職場に配属されたら、人脈を構築しようなどとは思わず、仕事を一日も早く、覚える事ですな。 一人前できるようになってしまえば、こっちのもので、後は、ゆとりが出て来たら、先輩達と、話すようにすればいいのです。 そうそう、同期とばかり喋るのは、あまり、よくないです。 立場が近いので、情報交換には有効ですが、休み時間のたびに、よその職場にいる同期の所へ喋りに行ってしまっていたのでは、同じ職場の人と、いつまで経っても、仲良くなれません。

  最初の一年くらいは、「自分の事を知って欲しい」という欲望は抑えて、先輩達の事を知るように努めた方がいいです。 自分の事は、訊かれた事にだけ答えているくらいが、ちょうどいい。 先輩というのは、出しゃばる新人を、一番嫌うからです。 出しゃばるよりは、「おとなしい奴」と思われていた方が、ずっとマシ。 中には、子分が出来たと勘違いして、高飛車な態度を取って来る先輩もいると思いますが、どうせ、こちらは、新人ですから、「はい、分かりました」を繰り返していれば、それで済んでしまいます。

  どんな職場でも、必ず、嫌な奴というのはいます。 だけど、新人の間は、喧嘩など最優先禁止事項ですし、陰口でさえも、聞き役に徹した方が無難。 先輩同士の喧嘩に巻き込まれる事もあるので、どちらとも、適度な距離を取っておく、用心深さが必要です。 この種の処世訓は、職場が異動になるたびに、初心に帰って、実行するようにした方がいいでしょう。 会社人生の中で、最終的に、勝利者になるのは、仕事ができるだけでなく、人間的にも尊敬される人物です。 そういう人は、新しい職場に移っても、決して、大きな態度など、取らないものです。

  最初から、キレっ放しで、年中、怒鳴っているとか、無茶苦茶な指示を出すとか、「大丈夫かよ、この人・・・」と、目を見張るような上司がいる場合がありますが、そういうのは、えーと・・・、大丈夫じゃないです。 つまりその、すでに、精神的に壊れてしまっているんですな。 一言で言うと、キチガイでして、そういう奴の部下になってしまったら、戦々兢々で毎日を過ごさなければなりません。 あまり、ひどい場合は、その上の上司に相談して、配置換えしてもらうのがいいかも知れません。 その場合でも、辞職する覚悟が必要ですが。

  これも、私自身の経験ですが、狂った上司というのは、結局、そいつが諸悪の根源なのであって、他の職場に逃げれば、居心地が、地獄から天国ほどに改善する事があります。 こっちのせいじゃなかったわけだ。 一度、頭がおかしくなってしまった人間というのは、治りませんから、近くに寄らない以外に、有効な対処方法がありません。 そういう奴に対しては、周囲の者全員が、「早く、自殺してくれんかなあ」とか、「とりあえず、辞めてくれるだけでもいいんだけどなあ」と、心から願っているのです。



  少し、切り口を変えますが、子供の頃から、いい小学校、いい中学、いい高校、いい大学と進み、一流企業に入社したという人達は、全く、気の毒な事ながら、結局、定年で会社を辞めるまで、他人と競争を続けなければならない運命にあります。 「上へ上へ」で、押し通して来た経歴上、会社に入ったら、出世を目指さざるを得なくなってしまうんですな。

  こんな事を書くと、「そんなの、当たり前じゃないか」と思う人も多いと思いますが、それこそが、親や世間から、刷り込みを受けている証拠。 他の価値観を否定するように仕向けられて、育ってしまったんですなあ。 気の毒に・・・。 百歩譲って、出世を目標にする事を認めるとしても、その仕方に、問題がある。 同じ出世でも、仕事の実力で上がるか、他人を蹴落として上がるかで、大きく、評価が変わって来ます。

  「仕事ができる」というのと、「他人を蹴落とす」というのは、全く異なる才能でして、どちらが早く出世するかというと、残念ながら、後者です。 「名馬は多いが、伯楽は少ない」のであって、仕事の実績を認めてくれる人が少ないので、実力で勝負している人間より、他人を蹴落とす工作に専念している人間の方が、確実に早く、上に行くのです。

  で、子供の頃から、人生の目標が、「一流企業での出世」になっていた人達が、入社後、より有利な手段として、他人を蹴落とす方向へ流れ易いのです。 当人達は、出世が会社員の本分だと信じているので、大変、始末が悪い。 実力のあるなしに関わらず、出世に拘らない人間を、「負け犬」などと、嘲笑うわけですが、その実、自分達が、他人を蹴落とす以外に能がない、「実力ゼロ社員」になっている事に気づいていません。

  単に、実力がないだけなら、馬鹿にされるだけで済みますが、他人という他人を、「ライバル」か、「ライバルを蹴落とす為に利用する手駒」だと思っているから、気がついた時には、周囲に味方が誰もいない状態になっています。 そういう人間、たくさん、見ましたよ。 出世欲満々で、早々と現場を離れて、「長」がつく身分になったものの、人望がない、というか、人望がマイナスなので、どこへ行っても、うまく人を使えず、行き場がなくなって、しまいには、一日ごとに、直上の上司の指示で、あっちへ手伝いに行ったり、こっちへ回されたり・・・。

  一度、そういう目で見られてしまうと、周囲は、決して、許してくれません。 下手に気を許すと、また、利用されてしまうかもしれないから、全力で警戒するのです。 私は、割合、過去の事を水に流してしまうタイプなのですが、世の中は、そうでない人の方が多いようです。 問題の人物がいる時には、和気藹々とやっていても、いなくなった途端に、悪口の嵐になります。 一度、ひどい目に遭わされると、恨みを忘れない人が、こんなにも多いものかと、驚いてしまいますな。

  子供の頃から、ずっと、それを人生目標にして、育って来たわけですから、「出世を目指すな」とは言いませんが、他人の蹴落としは、厳に避けた方がいいです。 そんな技術を、いくら磨いても、決して、自分の利益になりません。 人生トータルで見れば、確実にマイナスですし、会社員生活だけで勘定しても、やはり、マイナスです。 上に上がるなら、仕事の実力で、上がって下さい。 実力がある人なら、恨まれるどころか、逆に、皆から頼りにされます。

  会社は、あくまで、営利組織であって、遊びでやっているわけではないので、実力がない蹴落とし組の人間が、重要な部署についたりすると、すぐに経営に支障が出ます。 大企業でも、時折、「何段飛び」のように、下の序列の者が、社長に抜擢されたりしますが、そういう事が行なわれる会社というのは、重役クラスが、蹴落とし組ばかりになってしまって、経営が傾き始め、倒産しては一大事と、大慌てで、実力がある人間を、上に持ち上げたんですな。

  これは、会社組織に入ってみれば、すぐに見えて来る事ですが、実のところ、「人の上に立つ人物」というのは、人格的に、決まっています。 年上・年下に関係なく、「その人の指示なら、素直に聞ける」という人は、いるのです。 新入社員でも、「あ、こいつは、いずれ、上に行くな」というのが、分かります。 人格が、もろに出る能力なんですな。 上に立つ事に向かない人は、どんなに努力しても、せいぜい、ヒラより一段上くらいまでしか行けませんし、無理に上がろうとすると、蹴落とし組になってしまい、人生そのものを過ります。

  そもそも、「いい小学校、いい中学、いい高校、いい大学、一流企業で出世」というコースを、至上のものと思い込んでしまっているのが、宜しくない。 それが、人生の成功の証しだと思っているなら、とんだ勘違いです。 結婚とか、子育てとか、私生活上の事を除いて、仕事だけに限定して考えても、「一流企業で出世」は、別に、最上の成功とは言えません。 所詮、人に雇われている、サラリーマンではありませんか。 出世を極め、社長になったとしても、サラリーマンである事に変わりはないのです。

  自分で会社を興した、創業社長から見れば、サラリーマン社長など、同列に語るに値しない、ただの「使用人フゼイ」です。 独立する能力も度胸もない、情けない奴として、小馬鹿にされているのですよ。 世は格差が広がっていると言われていますが、サラリーマン社長が、富豪になったなんて話も聞きません。 いくら、収入が多くても、所詮、給料やボーナスですから、資産額など、知れているわけです。 あなた方が、必死で目指している、成功とは、その程度のものなのです。

  ところで、蹴落とし組をやっていると、裏工作の為に、金を結構使うので、高給を貰っていても、出て行く分も多くて、「会社に、リストラが入って、放り出されたら、無一文だった」なんて事も多いです。 ちなみに、リストラには、社内型と社外型の、二種類がありますが、経営危機が深刻で、社外のリストラ請負会社が指揮した場合、一番先に切られるのは、蹴落とし組です。 社内政治力が通用しないので、逃れられないんですな。 社外の人間から見ると、誰が必要な社員で、誰が不要かは、一目瞭然に分かります。 蹴落とし組の中間管理職なんて、全員切ってしまっても、会社の仕事に、何の支障も出ませんから、そこから手を着けるのは、当然の事。

  かくのごとく、蹴落とし組に過ぎないのに、「俺は、同期の出世頭だ」などと、独りで悦に入っているのは、愚の骨頂です。 他人を蹴落として這い上がった崖の上で、ゲラゲラ笑っているものの、足元の地面に、ビキビキと地割れが走っているのに気づいていないだけ。 お前なんぞ、会社に要らんと言うのよ。 いや、どの会社へ行っても、同じ事をやるのなら、世の中に要らんと言うのよ。 他人から利益を吸いだすだけで、何も返さない奴など、社会に不要です。  



  だいぶ、焦点の定まらない話になってしまいましたが、長くなったから、このくらいにしておきましょうか。 とにかく、自分の能力でできる事だけを引き受けていれば、大きな失敗は避けられると思います。 背伸びは、良くないです。 全く気が進まない仕事を、やり続けるのも、非常に、よくない。 無理を続けると、結局、自分だけでなく、他人にも、迷惑をかけてしまいます。

  もし、学生時代の友人や、同期入社の連中に対して、恥を掻くのが嫌で、辞職をためらっている自分を発見したら、根本から、考えを変えた方がいいです。 自分の人生を成り立たせるのが、真の目標なのですから、恥なんぞ、掻き捨ててしまえば、宜しい。 そいつらの手前、面子を保っても、そいつらが助けてくれるわけじゃないですから。 どんな所で、どんな仕事をしていようと、生きる為に、真面目に働いていれば、それを馬鹿にできる人間など、この世にいないと思います。

  そういや、同期のライバル意識も、有害ですなあ。 出世競争で、同期に抜かれただけで、腹を立てて、辞めてしまった人を、何人か見ましたが、「そんな下らない事で、失業なんて、信じられん・・・」と、心底、驚きました。 私は中途採用で、同期がいなかったから、そういう意識に煩わされずに済んで、幸せだったんですなあ。 人間とは、なんと、下らない動物である事よ。

2015/04/19

腰がグキッとね

  4月6日、月曜日の事ですが、腰を痛めました。 夕食後、自室で、ベッドに横になって、D-lifeの≪フィニアスとファーブ≫を見ていたのですが、終わった後、少し、うとうとして、7時頃に目覚め、起き上がったら、背中の右後ろの方が、やけに痛い。 しばらくは、気のせいかと思っていたのですが、机に向かい、椅子に座って、パソコン作業をする内に、だんだん、ひどくなり、次に立ち上がった時には、体を曲げられなくなってしまいました。 こうなると、もう、否定のしようもなく、完全に腰痛です。

  重い物を持ったわけではなく、自分の体を起こしただけで、腰痛になったというのが、すぐには信じられず、「腹筋を鍛えるのを怠っていたせいか」、「季節の変わり目のせいか」、「一度暖かくなったのに、雨で気温が下がったから、そのせいか」などと、いろいろと、原因を考えたのですが、腰痛というのは、別に、原因が分ったからと言って、すぐに治るというわけではないので、詮ない詮索は、やめる事にしました。

  私は、植木屋の見習いをしていた21歳か、22歳の時に、まだ、根が繋がっている木を、無理に引っこ抜こうとして、ギックリ腰をやり、以来、腰痛持ちになってしまいました。 腰痛持ちになった事がない人は、分からないと思いますが、他の病気と違い、治療で完治するというものではなく、一度、腰痛持ちになったら、一生、それと付き合わなければなりません。 いつも痛いというわけではありませんが、数年に一度くらい、「グキッ」と来て、短い時でも一週間、長いと一ヵ月以上、痛みが続く事があります。 症状は、人によって、バラバラ。

  痛くない時でも、常に、重い物を持たないように気をつけて暮らさなければならず、油断が許されません。 私は、勤めている間、ずっと、肉体労働をしていましたから、体が資本でして、どれだけ、神経を使った事か。 時折、腰痛に理解のない上司の下につく事があり、そういう時に、「グキッ」と来ると、最悪です。 「このまま働いていると、二三日で、動けなくなってしまうから、明日一日だけ、休ませてください」と言っても、信用しねーのよ。 自分がやった事がないもんだから、腰痛の基礎知識が頭に入っていなくて、「スポーツ選手は、手術して治してるよな」などと、頓珍漢な事を言います。

  だからよー、腰痛というのは、人によって違うんだよ。 体を休めれば、治る事が分かっているのに、手術しに行く馬鹿がいるか? ・・・いや、そういえば、一人、そういう人がいましたよ。 グループ企業への応援先で、腰痛になって、潰れてしまい、「面目が立たないから」と言って、手術を受けたものの、結局、駄目で、帰って来たという人が。 馬鹿だねー。 手術で治る症状と、治らない症状があるのに、なんでも、切りゃいいってもんじゃないでしょうに。 結局、その人、体が治らず、現場から離れて、警備係に異動になってしまいましたが。

  そうそう、腰痛じゃないですけど、病気絡みで、変な事を言う上司がいましたよ。 風邪を引いて、熱が出たので、休ませてくれと電話したら、向こうで、怒ってんのよ。 言う事が凄い。 「なんで、風邪を引くんだ!?」 どうやら、自分が風邪を引かない体質らしく、他の人間も、みんなそうだと思っているらしいのです。 こっちは、目を白黒させてしまいましたが、言い争う気力もなかったので、「はあ。 仕事の後、汗を掻いたのを、そのままにしておいて、体が冷えたのが原因だと思います」と答えたら、筋が通った答えだと思ったのか、「そうか」で、終わりになりました。 こういう相手に、「ウイルス性の風邪は、うつれば、誰でも引く」などと言っても、通用しません。 自分が引かない事を説明できないからです。

  もっと滑稽なケースもありました。 私が風邪を引いて、一日休んだ後、まだ、治るには程遠いものの、仕事はできるだろうと思って出勤したら、その頃、新しい人に変わったばかりの、二段上の上司が、「休む時には、電話を入れろ」と、文句を言って来ました。 私は、休む前日に、一段上の上司に、「明日、休ませて欲しい」と言ってあったんですが、それが、上に伝わっていなかった模様。

  で、その件で、二段上の上司が、私の所へ、話をしに来たのですが、こちらは、まだ、風邪を引いているので、うつしてはまずいと思って、早く話を切り上げようとしていたら、その上司が言うには、「いやあ、大丈夫だ。 俺は、風邪引かないから」と、胸を張っていました。 ところが、翌日から、その人、鼻水ビービーになってしまったという次第。 当たり前だよ。 風邪っ引きと、面と向かって、何分も喋ってたんだから、うつらないわけがないだろうが。 「馬鹿は風邪を引かない」というのは、嘘か本当か分かりませんが、少なくとも、「風邪を引かない奴は、馬鹿な事を言う」というのは、真実のようです。

  かくのごとく、その病気になった事がない人間が、上司になると、この手の悶着が必ず起こります。 自分が経験がないもんだから、他人の苦しみが分からないのよ。 他人が訴える病状を全く信じておらず、腹の底で、「どうせ、怠けたいだけだろう」と思っているのは、まず疑いないところ。 実際には、怠けたいのは、早く出世して、肉体労働の現場から離れたいと思っている、そいつらなんですがね。


  それはさておき、腰痛に話を戻しますと、勤めている間にも、軽重合わせて、10回くらいは、「グキッ」と来たと思うのですが、腰痛だけで、何日も休んだというのは、一回だけで、残りは、休んでも、せいぜい一日くらいでした。 勤めていた期間の後半は、腰に負担がかかりにくい仕事をしていたから、大きな、「グキッ」は、なかったんですな。

  ところがだ。 今回の腰痛は、それらに比べると、重傷だったのです。 痛くなってから、三日間くらいは、まともに歩けなかったくらいですから。 一週間経っても、まだ、痛い。 もし、仕事をしている頃だったら、ゆうに診断書提出クラスの症状ですな。 ただ、起き上がっただけで、こんな大きなダメージを受けてしまうって、どうなってんのよ、私の体は? 毎日、ぐだらぐだらと、遊んでばかりいるから、筋肉が衰えきっているんでしょうか? 体操や、自転車での運動を続けていたんですがねえ・・・。


  別に、何の仕事をしているわけでもないので、治るまで、寝ていればいいのですが、困ったのは、着替えです。 上半身は、問題ないですが、下半身が困る。 腰が曲げられないので、ズボン、パンツ、靴下が、穿けないのです。 まだ春先である上に、雨続きで、気温が低い事もあり、汗を掻かないから、風呂は三日間入らず、着の身着のままで寝ていたんですが、さすがに、四日目には、耐えられなくなりました。 だけど、シャワーだけ浴びるにしても、下半身の衣類を、一度脱いでしまったら、もう穿けません。 さあ、どうする?

  入院経験がありますから、すぐに思いついたのは、前合わせの入院服です。 ネットで手に入るとは思ったものの、取り寄せている時間がない。 そこで、母に、浴衣があるか訊いたら、あるとの事。 客用の浴衣で、我が家には、もう、20年近く、泊り客が来ていませんから、ずっと、衣装ケースの奥で眠っていた物でした。 服はそれでいいとして、下着が問題。 トランクスは、とても穿けません。

  で、思いついて、褌を作る事にしました。 材料はタオルと、手芸用の平らな紐です。 タオルの片方の端を、2センチくらい折り返して縫い、そこへ、紐を通します。 紐の長さは、ウエスト+蝶々結びができる程度のゆとりを見ておきます。 タオルを後ろに回し、前で紐を結んで、タオルを後ろから前へ、股を通して持ち上げ、腹の所の紐に潜らせて、前に垂らします。 越中褌と同じ方式ですな。 

  風呂場でシャワーを浴びた後、着けてみたところ、長さが少し足りない様子。 紐を通す為に、片側を折り返したので、その分、短くなってしまったんですな。 で、着替え用の、もう一本の方は、タオルの端に、紐を直接縫いつける事にしました。 いや、私は、最初から、そうしたかったんですよ。 だけど、縫うのが億劫で、母に頼んだら、私の説明が通じずに、折り返してしまったんですな。 確かに、折り返して紐を通すようにしてあれば、洗濯の時に、紐だけ外せるから、干す分には、体裁がいいんですが、そのせいで、実用性を損なってしまうのは、問題でしょう。

  なるほど、越中褌というのは、理由もなく、ああいう形をしているわけではなかったわけだ。 本体に、ある程度、長さが必要なのは、前に垂らす部分が短過ぎると、中へ引っ張られて、外れてしまうからでしょう。 だけど、それは、激しい動きをする場合の話であって、寝ていたり、家の中を歩いている程度なら、前垂れ部分が短くても、外れない事が、後に分かりました。

  これで、下着の問題は、解決しましたが、浴衣は、失敗でした。 浴衣で寝た事がある人なら、分かると思いますが、布団の中に入ると、脚の方が、くしゃくしゃになってしまって、体に着いていてくれません。 夏なら、その方が、涼しくていいのですが、春先・雨続きの低気温では、寒くて寒くて、とても耐えられません。 特に、ふくらはぎが、氷でも当てられたように冷たい。 靴下を穿かなかったのも失敗で、全く体温が維持できない始末。

  やむを得ず、無理やり、パジャマのズボンを穿きました。 これが大変だった。 両手でズボンを持って、足を入れるだけなんですが、腰の曲げが浅いと、手は下がらない、足は上がらないで、ズボンの中に入らないんですな。 不様、極まりない。 やむなく、片手で持って、テキトーに足を突っ込むのですが、反対側に入ってしまったり、途中で引っかかって、倒れそうになったり、七転八倒の悪戦苦闘。 ただ、ズボンを穿くためだけに、こんなに苦労したのは、初めてです。 それでも、何とか、穿けてよかった。

  靴下は、どうにもならないので、母に頼んで、穿かせてもらいました。 この歳になって、母親に靴下を穿かせてもらう事になるとは、情けない限りです。 でも、家族がいて、良かった。 独り暮らしだったら、どうなっていた事か。 歳の順に死んで行くとすれば、いずれ、私は独り暮らしになるわけですが、そうなる前に、いろいろと対策を考えておいた方が良さそうです。

  手で持つからいけないのであって、ズボンや靴下の口を開いた状態で固定する器具を作ればいいのかも知れません。 たとえば、四本足の椅子を引っ繰り返したような形で、椅子の足の尖端部分に、トランクスやズボンの口を折り返して引っかけ、自分の足を突っ込んでから、持ち上げれば、楽に穿けそうではありませんか。 割と簡単に作れそうな気もしますが、今の健康状態では、とても、無理。 とにかく、今回の腰痛が治るのを待ちます。


  腰本体の治療ですが、今までの経験から、湿布のような物は、気休めに過ぎないと思っていたので、使い捨てカイロを、専用ベルトに入れ、それを腰に巻いていました。 温めると、血行がよくなるのは確かなようで、それのおかげで、だいぶ良くなったのですが、完治には程遠い。 寝たり起きたりの日々が続きます。 寝過ぎていると、筋肉が衰えて、腰痛がひどくなるというケースもあり、時折、空いている部屋の中を歩き回るのですが、歩き過ぎると、また痛めるから、両者の按配が難しいです。

  ちなみに、腰痛に一番悪いのは、座る姿勢でして、これは、すぐに限界が来ます。 今回の私の場合、食事は、椅子に座って食べていましたが、毎回、10分くらいで、ギブ・アップしました。 身近で、腰痛患者が出ると、「とにかく、座って休んでいて」などと、椅子を勧める人がいますが、それは、「もっと、苦しめ」と言っているのと同じなので、ご注意あれ。 


  その後、微々たる進展ではあるものの、少しずつ回復し、腰を痛めてから、8日後、4月14日、火曜日になって、ようやく、自力で靴下を穿けるようになりました。 口の所だけ、両手で開いて、足を入れ、あとは、片手で引っ張り上げるという、不様な方式ですけど。 トランクスは、まだ無理で、相変わらず、タオル褌ですが、靴下さえ穿ければ、自分一人で着替えができるわけで、家族に迷惑をかけずに済みます。 やれやれ、ようやく、回復の目途が立ったか。 翌日の15日、水曜には、自転車に乗れるまでになり、まだ、痛みは残っているものの、ほぼ、普通の生活に戻りました。

  一番ひどかった頃には、寝返りも打てない有様だったので、自転車に再び乗れるようになろうとは、まるで思えませんでした。 体が動かせないと、気分が落ち込むもので、「もし、回復しなかったら、えらい事だ・・・。 親の面倒を見るどころか、こっちが要介護になってしまう。 いっそ、紐を使って、自分で首を絞めて、死んだ方がいいかもしれない」などという事まで考えました。 鬱病の入口的な発想ですな。 昔は、腰痛が長引いても、そんな気にはならなかったから、私の心が、弱くなったんでしょうねえ。 歳は取りたくないものです。

  今までの経験を振り返ると、私の場合、腰痛にはピークがあり、痛い状態が、延々と続くという事はなかったです。 痛くならないように、庇って暮らしていれば、次第に回復して行くものなんですな。 ただ、人によっては、骨に神経が触っていたりして、ずっと痛みが続く人もいるとの事。 腰痛と一口に言っても、骨、軟骨、神経、筋肉と、いろんな部位のいろんな部品が絡んで来るので、人によって、原因は、バラバラなのです。

  「腰痛体操」というのがあり、病院で、それを教わって来た人が、他の人に、勧めたりしていますが、あれも良し悪しでして、普通、痛い最中に、体操などしたら、もっと痛くなってしまいます。 個々人の症状の違いには、常に留意しなければなりません。 もし、それが飲み薬だったら、自分の薬を、人に勧めたりしないでしょう? 腰痛体操も、同じ事です。



  この二週間というもの、ほとんど、雨で、たまに、ちらほらと晴れるだけ。 今にして思うと、やはり、今回の腰痛の最も大きな原因は、急激な気温の低下だという気がします。 3月の半ば頃に、「すっかり、春の陽気になった」と思って、掛け布団を一枚にしてしまっていたので、寒さのぶり返しに、対応できなかったのです。 働いていた頃は、早朝出勤があった関係で、4月の終わりくらいまで、冬のようなつもりで暮らしていたのに、今年は、一ヵ月以上早く、防寒態勢を解除してしまったわけですから、無茶といえば、無茶な事をしたものです。

2015/04/12

去り行く自転車ブーム

  どうも、世の中を観察すると、長きに及んだ、「自転車ブーム」は、去りつつあるように見えます。 自転車を取り上げるテレビ番組が減った事が、一番の証拠です。 盛りの頃は、特に自転車番組を探さなくても、ガチャ見しているだけで、引っかかったものですが、今では、NHKのBSに、ちらほら残るだけになってしまいました。


  「自転車ブーム」と言っても、厳密に言うと、「スポーツ自転車ブーム」だったんですな。 小径車と折り畳み自転車は含みません。 量的に言うと、中心になったのは、クロスバイクで、その一部が、ロードまで手を出したわけですが、ロード乗りの実数は、ロード乗り達が思っているほど、多くはないと思います。 ブームの前に比べると、何倍かに増えたのは確実ですが、元が少ないので、何倍かしても、知れているという計算です。 というわけで、以下、主に、ロードを対象にして、書きます。

  何と言っても、ブームの影響で乗り始めた人が多いので、ブームが去ると、乗り続けるのは厳しいです。 クロスなら、普段着で乗れるから、まだ、さりげなく、乗り続ける事ができますが、ロードは、なーまら、きついっしょ。 生来、真面目な性格であるが故に、「極力、正統派で行こう」と志して、ヘルメットから、ウエア、シューズ、グローブと、一通り揃え、とても、一般人とは思えない、超ど派手な出で立ちで、ロードに乗っていた人達が、ブームが去った今、姿見に我が身を写して、「この格好を、如何にせん?」と、日々煩悶しているのは、容易に想像できるところです。

  中高年よりも、むしろ、若い人間の方が、世の中の変化に敏感なだけに、自分が陥ってしまった、「ズレ」に耐えられないのではありますまいか? 歳を取ると、その点、面の皮が厚くなって、ブームに関係なく、「一度始めたからには、我が道を行く」で、押し通してしまう傾向が強くなります。 そして、そういうのを若者の目から見ると、頗る、みっともないんだわ。 目を背けたくなるんだわ。

「いやいや、そんな事はない! むしろ、ロードは、これから、着実に、増えて行くんだよ!」

  そう思いたい気持ちはわかります。 大枚注ぎ込んでしまった人なら、尚の事、自分が、ブームに振り回された事を認めたくないでしょう。 だけど、それは、心理学で言うところの、「認知的不協和」への反応に過ぎません。 「自分は流行の最先端にいて、世間の注目を浴びているはずだ」という願望と、「ブームは、すでに終わりつつある」という認識の間にあるギャップを、脳が埋めようとして、無意識に、「ブームは、まだ続いている」という、虚偽の認識を作り上げてしまっているのです。

  私の経験から言わせて貰いますと、実用性がない物が、一時期に、爆発的に売れると、それは、必ず、ブームなのであって、実用性がないが故に、流用が利かず、ブームが去った途端に、潮が引くように消えて行きます。

  オートバイの世界で、1980年代に、「レーサー・レプリカ・ブーム」というのがありました。 サーキットで、レースに使うバイクを、公道仕様にして、そのまま売り出したような、フル・カウル、ど派手カラーリングのバイクです。 当時は、まあ、猫も杓子も、そんなのに乗ってましたよ。 もちろん、乗り手の大半は、レースなんかしやしません。 せいぜい、峠を攻める程度なので、完全にオーバー・スペックなのですが、当人は、「カッコをつけたい」という意識だけではなく、「どうせ乗るなら、最高性能の物を」というつもりで、買っていたわけです。 なんだか、そっくりでしょう、ロードに乗り始める人の心理に。

  で、その後、レーサー・レプリカがどうなったかと言いますと、バブルが弾けた辺りから、スポーツ・バイク自体が売れなくなりまして、レーサー・レプリカなんて、前傾姿勢がきつ過ぎて乗り難いわ、荷台が付けられなくて実用性は全くないわ、ど派手で恥ずかしいわで、よーく嫌われてしまい、いの一番に、姿を消して行きました。 一部のメーカーは、律儀に、モデルを残していたんですが、買う人がいないんじゃ、話になりませんわな。

  ちなみに、最近、フル・カウルのスポーツ・バイクが人気になっていますが、あれは、レーサー・レプリカではなくて、ツアラーと呼ばれるカテゴリーのバイクを、フル・カウル化したもので、ハンドルが高く、ずっと乗り易いです。 だけど、フル・カウルは、空力のメリットより、整備性が悪いデメリットの方が勝ってしまっているので、結局、ブームに過ぎず、やはり、その内、萎むと思います。


  かくのごとく、ブームになる物の特徴は、実用性がないところなのですが、逆に考えれば、実用性とは全く違った特徴が評価されるから、ブームが起こるのだとも言えます。 昨今、スポ自以上に、急激に普及したというと、電動アシスト自転車がありますが、それに関しては、どんなに売れても、ブームとは言いませんでした。 なぜかと問えば、答えは簡単、電動アシスト自転車は、もろ、ど真ん中直球の、「実用品」だからです。

  「ロードが、本当に好き」という人達は、ブームに関係なく、以前から乗っていたし、ブームが去った後も乗り続けるわけですが、それは、ごくごく少数派です。 そういう人達は、むしろ、ブームが去れば、清々すると思います。 かつて、ロードに乗っていたのは、プロや、大学の自転車部員のような、ごく一部の人達で、車道を車に伍して走っている姿を見ると、「いやあ、この人、凄いなあ」と、敬意を抱いたものです。 こちらが、車やバイクを運転している時には、ロードの人に恐怖感を与えないように、気遣ったものでした。 たまーにしか見ないから、そういう、ゆとりある対応ができたんですな。

  ところが、スポ自ブームで、一般人のロード乗りが、どっと増えた結果、そんな気遣いは、消し飛んでしまいました。 数が増えただけで、こんな変わるものか。 正直に言わせて貰うと、ただただ、邪魔。 特に、何台か連なって走られると、片側一車線の道路では、抜くに抜けず、迷惑千万。 「頼むから、分散して走ってくれ」と、泣きたい気分になります。

  一番、頭に来るのは、苦労して、ようやく抜いた後、信号で停まると、また、ロードの一団が、前に行くのです。 車が延々と渋滞している時なら、いざ知らず、せいぜい、5・6台しかいないのに、どうして、わざわざ、前に出るのかね? まーた、怖い思いをして、抜き直さなければならんではないですか。 いや、法定速度で、巡航してくれるのなら、前を走っていても、文句は言いませんがね。

  車だけでなく、スポ自以外の自転車からも、疎ましいと思われています。 土手道や、防波堤の上で、ロードが近づいてくると、ぞーっとします。 自転車専用道でも、事情は同じでしょう。 スピードが違うのだから、同じ場所を走っていたら、危険なのは当たり前。 「憎まれている」と言っても、さほど、大袈裟な表現にはなりますまい。

  「自転車ブームで、ロードは、市民権を得た」と思っている人もいるでしょうが、それは、完全な錯覚です。 むしろ逆に、数が増えたせいで、好感度が下がったのです。 ロード乗りで、それ以外の自転車に対して、単純に、優越感だけを抱いている人は、注意した方がいいと思います。 相手の表情を、よく観察すれば、羨ましがっている顔と、迷惑がっている顔の区別は容易につくはず。 正直なところ、怖いから、近づいて欲しくないのですよ。


  ブームに乗って、ロードを買ったけれど、すっかり飽きてしまって、遠出なんぞ、全くしなくなったものの、他に足がないので、とりあえずの対策として、普段着・ノーヘルで、日常の足に使っている人もいると思いますが、似合わないですから、早急にやめた方がいいです。 そういうのは、ロード乗りから見ても、一般人から見ても、中途半端に見えるのですよ。 大体、足に使うったって、荷台もスタンドもないんじゃ、困るでしょうに。 駐輪場に横に置かれたりすると、ありゃ、また、迷惑なんだわ。

  後付けで、荷台を付けて、実用性を付加するという手もありますが、それも、あんまり、見栄えがいいもんじゃないですねえ。 何と言っても、元々、そういう目的で作られた自転車じゃないですから。 車で譬えると、ポルシェに冷蔵庫を積んで走っているような、惨めさがあるのです。 「買い物の時だけ、荷台を着ける」なんて企んでも、無理無理。 その内、外すのが面倒臭くなって、着けっ放しになるのが、オチです。 そして、ある時、「これは、ものすごく、カッコ悪い事をやっているぞ」と、気づいてしまうわけだ。 結局、フェラーリに、洗濯機なのよ。


  もし、ネット・オークションで処分するなら、ブームの残照がある内に売った方がいいです。 それでなくても、型落ちなのに、ブームが完全に去ってしまったら、買い手がつかなくなりますから。 バブル崩壊の株価暴落過程と同じでして、早く決断して、早く売った者だけが、得をするわけですな。 ちなみに、「思い出の品」として残すには、自転車は、明らかに大き過ぎます。

  「ロードを売った後、足がない」という方ですが、クロスに乗り換えれば、ぐっと使い易くなると思いますが、行動半径は、ロードよりも狭くなるわけで、同じ方向性で、新たな楽しみは見出せないでしょう。 また、実用性がないという点では、クロスだって、ロードに、一歩も譲りません。 スポ自そのものに飽きたのなら、いっそ、シティー・サイクルや小径車にして、実用重視にシフトした方が、利口ですな。


  思い起こせば、私も、ブームに振り回されて、ロードか、ロードに近いクロスを買おうと、何ヵ月も悩んだ経歴を持つわけですが、置き場所を確保できずに、断念した事が、今となっては、幸運だったとしか言いようがありません。 私が、折自のシート・ポストを長くするのに使ったお金は、パイプとジョイントで、計500円程度ですが、たった、それだけの出費で、自転車ブームの荒波を乗り切れたのですから。

2015/04/05

読書感想文・蔵出し⑪

  北海道応援の期間中に読んだ本の、感想の続きです。 今回、出す本は、全て、苫小牧図書館で借りたもの。 ただし、最後の、≪スキャナー・ダークリー≫だけは、本館ではなく、「住吉コミュニティー・センター」で借りました。 苫小牧の図書館は、本館以外に、各地区のコミュニティー・センター内に、分館があって、私が住んでいた会社の寮に、一番近いのが、そこだったのです。

  元々、複数の自治体だったのが、合併して、それぞれの自治体が持っていた図書館が、そのまま残った場合、統合されたデータ・ベース上で、蔵書がダブる事がありますが、苫小牧の場合は、そうではなく、元が一ヵ所だった図書館から、蔵書を分散させたようで、本館にはないけれど、分館にはあるという場合があり、予め調べて行ったのに、本館になくて、借りられない本というのがありました。

  ディケンズを読もうと思って、応援に行く前に、≪二都物語≫を調べたところ、データ・ベース上にはあったのですが、実際に図書館に行くと、見当たらないのです。 図書館の端末で、データを検索し直したら、「他館で貸出できます」という表示。 どこの分館なのか、わざわざ、調べてもらうのも面倒だったので、そこで諦めてしまいました。

  こんな話を前文で書くのは、場違いかな? とにかく、始めます。 読んだのは、一年以上前ですが、感想は、今書いているわけで、先週と今週は、結構、負担が大きい日々になりました。 こんな事なら、時事ニュースのネタでも書いた方が、楽だったかも知れない。



≪ボヴァリー夫人≫

フローベール全集 1
筑摩書房 1965年
ギュスターヴ・フローベール 著
伊吹武彦 訳

  だから、「ヴ」を使うなというのに! 書籍情報だから、そのまま書かねば意味がないのですが、まるで、私が、「ヴ」の表記を認めたように見えてしまい、くどいと承知していながら、こんなツッコミを、そのつど、繰り返さなければならないではありませんか。 「ボバリー」で、充分です。 大体、「Bovary」なんて、日本語人に発音できるのは、「bo」だけでんがな。 「bovary」・・・、「bo」の次に、「va」? なんて、発音し難いんだ。 唇が、もつれてしまいますがな。

  「いつか、フランス語を習う人が、綴りを覚えやすいように・・・」、そんな心配までしてくれなくても、宜しい。 どうせ、耳や口で区別できない綴りなんて、覚えられやしませんよ。 フランス語を習う時には、結局、単語を一つ一つ、覚え直す事になるのですから、同じ事です。 フランス語を、読み書き聞き話しするのに、単語の綴りを、いちいち、カタカナから変換しているようじゃ、話になりませんぜ。

  そもそも、なぜ、「V」にばかり拘るのか、それが分からん。 そんなにカタカナで書き分けがしたいというなら、「R」と、「L」だって、書き分けるべきでしょうが。 「R」を「ル゛」と書き、「L」を「ル゜」と書いたら如何か? 馬鹿臭い! 「V」を「ヴ」と書いて、悦に入っている人というのは、そういう低次元な事をやっているのです。 他にも、いくらでもあるぞ。 「TH」は、「ス゜」とでも、書くんかい? ハ行音の内、「フ」と「ホ」の実際の発音は、「F」に近い音ですが、「ハ・ヒ・フ・へ・フォ」に変えるんかい?

  子音だけではない。 原音の区別をするというのなら、母音だって、書き分けなければなりませんが、日本語は母音が少ない上に、ひらがな・カタカナともに、子音と母音が、規則性なしにくっついた音節文字だから、母音を増やそうとすれば、文字を新造するしかないです。 50音が、100音に、いや、そこまでやるなら、子音文字も新造した方がいいですから、200音くらいになるんじゃないでしょうか。 ひらがなとカタカナで、400文字。 冗談じゃない、とても、覚えられませんよ。


  それはさておき、≪ボヴァリー夫人≫は、フローベールの、実質的処女作です。 長編ですが、二段組みで、307ページだから、そんなに長いわけではありません。 遅読の人でも、一週間くらい見ておけば、読み終えられると思います。 雑誌に発表されたのは、1856年で、バルザックの≪従姉ベット≫の10年後。 ちなみに、バルザックは、1850年には、他界しています。 つまり、フローベールは、バルザックとは、活躍時期が重なっていないわけだ

  地味な性格の医者のところへ、後妻に入った若い女が、社交界の華やかさを垣間見た事から、平凡な日常に耐えられなくなり、言い寄って来た男達と、密かに浮気に走る一方、高価な品を買い入れる事に熱中して、とても返せないほどの借金を背負い込み、追い詰められて行く話。

  フローベールは、この作品以前にも、小説を書いていたのですが、友人に読んで聞かせたら、ロマン主義的な叙情性を酷評されてしまい、その友人のアドバイスに従って、現実に起こった事件を題材にして、徹底した写実主義で、この≪ボヴァリー夫人≫を書いたところ、それが、後の世に残る作品になったのだそうです。 なるほど、人の忠告は、素直に聞いておくものですな。

  もっとも、この友人、この作品が掲載された雑誌の経営者だったのですが、作品の内容が、あまりにも、宗教的倫理観から逸脱したものだったせいで、当局に目をつけられる事に恐れをなし、ヤバそうな場面の削除を要求して、作者と険悪な関係になってしまったのだとか。 なるほど、人に忠告する時には、その結果に対する責任が降りかかって来る事もあるんですな。

  この小説は、面白いです。 「近代小説」と一口に纏めてしまっていますが、実際には、結構、古い殻を引きずっている作品が多い中で、この作品は、「物語」から、完全に脱皮して、「小説」への変態を終えています。 もちろん、ストーリーはあるわけですが、ストーリー展開の妙や、超人・変人キャラの魅力で読ませようなどという気は、全くなくて、主人公の心理を追う事で、人間性を描き出そうとしている点が、新しい。

  同じ、心理小説でも、≪赤と黒≫と違うのは、主人公に華がない事ですが、それが、欠点ではなく、華がない普通の人間を取り上げているが故に、話が、より、リアルになっているのです。 それまでの小説では、主人公と言えば、特別、優れているか、特別、劣っているか、特別、善人か、特別、悪人か、そういう、極端さが必要だったわけですが、この小説の主人公は、どこにでもいそうな、普通の女性なのです。

  この作品が、問題作として、強烈な批判を浴びたのは、倫理観云々より、「普通の人間でも、主人公になりうる。 それどころか、普通の人間の方が、特別な人間よりも、人間性を浮き彫りにするのに、適している」と証明してしまったせいで、旧来の人物造形に従っていた他の作家達に、拒絶反応を起こされたのではないかと思います。

  単に、浮気するだけだったら、こんなに新しい感じがしなかったと思うのですが、この主人公、それだけでなく、今風に言うところの、「買い物依存症」に罹っており、それがまた、現代、現実に、いくらでも見られる例なものだから、ますます、リアルに感じられて、いとをかし。 こういう人、いますよ、うじゃうじゃと。 ブランド品やら、家電やら、使う使わないに関係なく、常に、何か買い続けていなければ、生き甲斐を感じられない人。 物を買えば、幸福に近づけると思っているんですな。

  傍から見ると、普通の人なのに、本人は、自分の存在を、特別なものだと考えていて、上流社会と縁がない夫には、軽蔑しか抱いていない。 平凡な生活から自分を救い出してくれる、裕福な美男の登場を待ち焦がれるだけでは飽き足らず、金の力で、夢の生活に近づこうと、夫の収入以上の浪費を続けて、借金だらけになり、自分ばかりか、家族まで破滅させてしまう妻。 どう考えても、今、そこら中で起こっている話でしょう?

  陰鬱な破局へ向かう話ですから、読んでいて、楽しいという事はないんですが、「楽しい」と、「面白い」は、また、別物でして、時代を超越したテーマ、モチーフ、キャラ造形が味わえる所が、実に面白いのです。 ほんとに、150年も前の小説かいな? これ、登場人物の名前や、地名を変え、風俗習慣を現代日本のそれに置き換えた上で、≪ボヴァリー夫人≫を読んだ事がない人に、読ませてみたら、面白いと思いますよ。 まーず、古典だとは気づきますまい。 「普遍小説」とでも、言うべきか。

  逆に言うと、夢をぶち壊している話でして、女性読者は、「これでは、身も蓋もない・・・」と、嫌悪感を覚えるかも知れません。 主人公と同じような事をしている人なら、尚の事。 男性は、なるべく若い内、できれば、結婚する前に、読んでおいた方がいいと思います。 結婚相手が、主人公と同類である可能性は、かなり高いので、女性がどんな生活を求めているか、参考にする為です。 参考にした途端に、結婚する気がなくなるかもしれませんけど。



≪シャベール大佐≫

河出文庫
河出書房新社 1995年
オノレ・ド・バルザック 著
大矢 タカヤス 訳

  表題は、【シャベール大佐】ですが、もう一編、【アデュー】も、収録されています。 どちらも、短めの中編。 「長めの短編」とは、ちょっと言えない長さです。 1994年に、フランスで、≪シャベール大佐の帰還≫という映画が作られ、日本では、翌年、公開されているので、たぶん、この本は、その時に、メディア・ミックス企画で出版されたのではないかと思います。 【シャベール大佐】だけでは、薄っぺらいから、【アデュー】を付けたのでしょう。

【シャベール大佐】
  最初の版は、1832年に雑誌に発表との事。 ≪従姉ベット≫に比べると、20年以上前ですな。 バルザック、33歳の時の作品。 ただし、その後、何度か加筆され、題名も、変わっているそうです。 【シャベール大佐】というのは、小説群、≪人間喜劇≫の中に収録された時の、最終的な題名。

  孤児として育ち、長じて、ナポレオン軍の大佐にまでなった後、プロイセンとの戦いで戦死したと思われていた男が、ナポレオンの失脚後、まるで別人の外見になってパリへ戻って来るが、男の遺産を相続し、すでに他の貴族と再婚して、子供まで設けていた妻が、男を、かつての夫だと認めようとしなかったため、代訴人に頼んで、本人証明の手続きと示談交渉を進めてもらうものの、その過程で、妻の本心を知って、自分がすでに、人生の主役でなくなった事を悟る話。

  面白いです。 大佐の外見が変わっただけでなく、世の中も変わってしまい、昔の知り合いがいなくて、自分が何者なのかを証明するのに、大変な苦労をするという設定が、現代にも通じる普遍性を持っています。 親の事情で、戸籍がなくて、困っている人とか、今でもいますよねえ。 財産の権利が絡んでいて、元妻としては、たとえ、本当の夫であったとしても、帰って来て欲しくないわけで、そこのところが、また、面白い。 バルザックという人は、こういう、いかにも、物語的な話を作るのが、巧かったんですな。

  妻と話し、一度は分かり合えて、うまく纏まりそうになった後、偶然、妻の本心を知って、全て、ご破算になってしまうのですが、その場面が、クライマックスになっています。 純文学的と言えば言えますが、ちょっと、ありきたりでしょうか。 三文芝居風とも、言えば言えて、微妙なところです。

  常に、主人公の幸福を望む読者としては、財産だけでも取り返して欲しいと願いながら読み進めるのですが、彼は、いかにも、叩き上げの軍人らしく、金よりも、元妻の愛の方を重視しており、それは、元妻の立場としては、応じられないので、ハッピー・エンドには、なりようがありません。 ラストでは、かなりの年月が飛んで、主人公の老後の姿が描かれますが、そこまで行くと、「あとは死ぬだけだから、財産なんか、あっても意味ないか・・・」と、主人公ともども、そういう末路に納得してしまいます。


【アデュー】
  1830年に、雑誌発表。 バルザック、31歳の時の作品。 【シャベール大佐】より、更に前ですな。 この作品も、最初は、違う題名だったのが、最終的に、【アデュー】が、決定名になった経緯がある模様。 バルザック自身が、小説群構想に振り回されているから、分類の都合で、題名も、ころころ変わるわけだ。 今で言うと、複数のブログを運営していた人が、ある時、統合を思い立ち、記事タイトルや、文体の統一に乗り出したものの、あまりの大仕事に、キリキリ舞いしてしまうのに、似ています。 そんなの、ほっといて、新しい記事を書いた方が、時間を有効に使えるのに。

  かつて、ナポレオン軍で参謀をしていた男が、フランスの田舎で猟をしていた時、ロシア遠征からの敗走中に起こった、「ベレジナの戦い」で、生き別れになった女性を見つけるが、彼女は、逃げて来る間に受けた辛苦で、心を病み、誰が誰かも分からず、言葉も、「アデュー(さようなら)」以外、喋れなくなっており、何とか治してやらなければと思った男が、別れた時と、そっくり同じ状況を作って、正気と記憶を取り戻させようとする話。

  「ベレジナの戦い」というのは、ロシア遠征の後半で起こった、激戦、というか、一方的な攻撃です。 逃げるナポレオン軍が、現ベラルーシを流れる、ベレジナ川に仮設橋を架けて、渡ろうとするのですが、河岸を埋め尽くした人や馬を、一本の橋では渡しきれずにいる内に、ロシア軍が総攻撃をかけて来て、膨大な数の死者を出したという戦い。 河岸は、地獄絵図と化したようです。

  で、この小説ですが、一番の読ませ所は、「ベレジナの戦い」の場面であるものの、なにせ、バルザックには、戦場経験がなく、となれば、眉に唾をつけて読まなければなりません。 何かで読んだか、誰かに聞いた知識を元に、想像を膨らませて書いたわけですな。 だけど、そこは、やはり、バルザックでして、読んでいる方にも戦場経験がない場合、まず、見抜けないと思います。 私も分かりません。 もし、これが長編で、戦場場面が幾つも並ぶのなら、月並みな展開や描写が出て来たかもしれませんが、この作品の場合、一箇所だけなので、目立たないのでしょう。

  女性が、唯一喋る言葉、「アデュー」は、ベレジナでの別れ時に、彼女が口にしたものなのですが、ショック療法の為に、その時と同じ状況を作るというアイデアは、1830年にすでに、存在していたんですね。 1976年のイギリス映画、≪怪盗軍団≫に、同じアイデアが使われています。 【アデュー】を参考にしたんでしょうか。

  この小説も、ハッピー・エンドではないです。 そのお陰で、悲劇の余韻が残ります。 話の流れが、起伏いっぱいで、物語っぽい割には、ラストで虚しい気持ちになるのは、独特の取り合わせですな。 もしや、バルザックは、ハッピー・エンドの話を書いていないんですかね? 三作品しか読んでいないのでは、サンプルが少な過ぎますけど。

  私の場合、先に、トルストイの、≪戦争と平和≫を読んでいるので、フランス側から見た、ロシア遠征の話には、抵抗感を覚えました。 悲劇として書いてあれば、尚の事。 悲劇の種を作るのが嫌なら、攻めて行かなければ良かったんですな。 至極、簡単な道理です。 たぶん、ロシア人が、これを読んだら、「なーにを、勝手な話を作ってやがる」と、呆れる事でしょう。



≪三銃士 下巻≫

角川文庫
角川書店 1962年(初版発行)
アレクサンドル・デュマ 著
竹村猛 訳

  もう、20年近く前に、古本屋で、≪上巻≫を見つけて、確か、90円で買って帰り、しばらく放置した後、読んだのですが、面白いとは思ったものの、「同じ角川文庫で、同じカバーの下巻は、見つける事ができないだろう」という理由で、そのままになっていたのを、苫小牧図書館の、文庫コーナーで、たまたま、見つけて、借りてきたもの。

  ≪三銃士≫に関しては、映画やら、アニメやら、人形劇やらで、お馴染なので、あらすじを書く必要はありますまい。 ところがだ。 それ以前の問題として、私は、この本のあらすじを書けないのです。 なぜなら、実に不思議な事に、大変、奇妙な事に、この本の内容を、全く覚えていないからです。 話としては、映像作品で見ているから、知っているんですが、小説の方の場面を、一つも思い出せないのです。 こんな事って、あるんですねえ。 確かに、読んだはずなんですがねえ。

  なまじ、ストーリーを知ってしまっていたから、脳が、「改めて、記憶する必要なし」と判断して、受け付けなかったんでしょうか。 それにしては、これより、何年も前に読んだ、≪上巻≫の方は、いくつもの場面が記憶に残っているのですよ。 どうなっとんのじゃ、これは? 狐に抓まれたような気分です。



≪仮面の男≫

竹書房文庫
竹書房 1998年
アレクサンドル・デュマ 著
鈴木敏弘 訳

  ≪三銃士 下巻≫と、同じ時に借りた本。 なぜか、大デュマの作品が読みたくなったのですが、長編はきついと思って、文庫本ばかり探していたら、≪三銃士 下巻≫の近くに、これがあったから、ついでに借りたという程度の動機でした。 ≪三銃士≫と同じく、いわゆる、≪ダルタニヤン物語≫の後ろの方の作品で、これ単独でも、何度か、映画化されています。

  ところが、読み始めて、すぐに、強烈な違和感に襲われました。 所々で、あまりにも、話が飛び過ぎるのです。 大デュマが、こんな書き方をするはずかないので、読むのを中止し、全体を見渡してみたら、どうやら、全訳ではなく、抄訳らしいと分かりました。 それならそうと、先に書いておいてくれれば、良かったんですがねえ。

  表紙が写真になっているのですが、レオナルド・ディカプリオさんが写っているところを見ると、1998年の映画に合わせて、メディア・ミックス企画で出版された本らしいと推測されました。 で、大体のストーリーが分かる程度に、掻い摘んで訳されているのです。 こういうのは、読まない方が無難。 後で、全訳を読む時に、先入観が邪魔になるからです。 というわけで、50ページくらいで、やめてしまいました。



≪スキャナー・ダークリー≫

ハヤカワ文庫 SF
ハヤカワ書房 2005年
フィリップ・K・ディック 著
朝倉久志 訳

  フィリップ・K・ディックというのは、アメリカのSF作家で、映画、≪ブレード・ランナー≫、≪トータル・リコール≫などの、原作を書いた人です。 映画化された作品が最も多いSF作家ですが、アメリカSF界の代表と言うには、ちと、異色過ぎ。 さりとて、異色作家というには、ちと、正統派的実力があり過ぎる人。 1928年生まれで、1982年に他界しています。 ≪スキャナー・ダークリー≫は、1977年の発表なので、もう、晩年ですな。 享年、54歳と早世ですが、その死因は、この作品と、大きな関係があります。

  様々な種類の麻薬や覚醒剤が氾濫している近未来のアメリカで、警察の麻薬取締官が、囮捜査の為に、自ら、薬浸けになりながら、密売人や中毒患者と交際して暮らしていたが、ある事情で、自分の家に、監視装置を設置して、自分自身を監視しなければならなくなり、麻薬で頭がイカれてしまっている事もあって、自分が何者なのか、分からなくなって行く話。

  ・・・と、一応、梗概を書きましたが、ストーリーなんて、あってないようなものです。 麻薬中毒患者の生態を、ただ、ダラダラと書き連ねてあるだけ。 近未来という設定になっており、監視装置、「スキャナー」や、捜査官が着る、「スクランブル・スーツ」といった、道具も出て来ますが、それだけでは、SFとは、とても言えません。 そもそも、ただのドラッグ中毒の話を、無理やり、SFに仕立てる為に、そんな小細工を施してあるだけなのですから。

  なんで、こんな奇妙な作品が書かれたかというと、作者自身が、一時期、重度の覚醒剤中毒に罹って、死にかけた事もあったくらいで、その時のドラッグ仲間が、半分は死に、半分は不治の精神病や臓器障害を起こしたそうなのですが、彼らの追悼の為に、彼らの生き様を記録しておきたかったというのが、理由だそうです。 だけど、それならそれで、無理にSFにする必要はなかったんじゃないかと思います。 見たまま、感じたままを、体験記として書いてやれば、その方が追悼に相応しかったんじゃないでしょうか。

  また、SFファン達が、この作品を、「後期の傑作のひとつ」と見做しているらしいのですが、マジかよ、常識を疑います。 作者自身が、執筆の動機を、はっきり書いているのに、まだ、これを、SFと取ろうとする、その神経が分からん。 彼らファンにとって、作者は神様、作品は神の言葉なのであって、「神が、SF仕立てにしたのだから、これは、SF以外の何ものでもない」とでも考えているのでしょう。 だけどねえ、それはそれで、別の病気ですぜ。

  作者が、まだ、まともだった頃に書かれた、≪ユービック≫と、ちょっと、イメージが重なる部分もあるのですが、SFとしての完成度となると、≪ユービック≫が100としたら、≪スキャナー・ダークリー≫は、オオマケして、3くらいで、比較になりません。 話になりません。 そもそも、作品自体が、話になっていない。 「いや、上っ面のストーリーを読んだだけでは分からない、もっと深い真意があるのだ」と、思いたい気持ちは分りますが、薬中患者の実力を過大評価するのは、それはそれで、別の病気ですぜ。


  別に、体験記だろうが、似非SFだろうが、面白ければ、文句はないんですが、何せ、作者自身の頭が、一度イカれた後の、回復途上にあったらしく、長編のストーリーを組む程の緊張に耐えられなかったのでしょう。 何が言いたいのか、話の結構がズタボロでして、しかも、治る見込みのない薬中患者ばかり出て来るものだから、読んでいて、気分が暗くならない方が不思議。 どーにもこーにも、いいところを見つけられません。 「よく、こんなの、最後まで読んだなあ」と、自分を誉めてあげたいくらいです。



  以上、5冊、6作品です。 と言っても、≪三銃士 下巻≫と、≪仮面の男≫は、感想になっていませんけど。 後半、文庫本が増えたのは、会社に持って行っていたからです。 通勤バスの、帰りの便数が少なくて、仕事が終わった後、1時間くらい待つ日が、ザラだったんですが、時間が勿体ないので、バス停の近くにあった、無人の社員食堂に入りこんで、本を読んでいたのです。 懐かしいような・・・、思い出すと、寒くなって来るような・・・。

  なにせ、12月・1月の北海道ですから、外は、氷点下15℃とか、20℃とか、そんな気温。 日陰の所なんて、降った雪が、一冬中融けないんですよ。 それでも、他の街に比べたら、遥かに雪が少なかったんですけど。 歩くのが怖くてねえ。 特に、ブラック・アイス・バーンは、要注意。 徒歩よりも、車に乗っている方が滑らないという、奇妙な逆転現象も経験しました。 ホーム・センターで、靴に着ける、スパイク付きの滑り止めが売っていましたが、千円くらいしたので、買いませんでした。

  最後に、苫小牧図書館の本館に行ったのが、12月21日(土)で、そこで、≪三銃士 下巻≫と、≪仮面の男≫を返し、翌、22日(日)に、「住吉コミュニティー・センター」で、≪スキャナー・ダークリー≫を借りました。 「住吉」にあった文庫本は、小さな棚一つ分くらいの数でしたが、その中に、ハインラインの、≪夏への扉≫も含まれていました。 その本は、ずっと後になって、退職した後に、沼津の図書館で借りて読む事になります。

  ≪スキャナー・ダークリー≫の返却期限は、翌年の1月11日で、年を跨ぐのを承知で借りました。 途中まで読んで、12月26日に、帰省し、年末年始を家で過ごしてから、1月5日に、再び、苫小牧に向かい、寮に入ると、出て行った時と、部屋の様子が全く変わっておらず、≪スキャナー・ダークリー≫も、そのまま置いてあって、シュールな気分を味わったというのは、前に、≪荷造りの年≫という記事で書きましたな。

  読み終わったのが、返却期限ギリギリの、1月11日(土)の朝で、当時の日記には、

「これの、どこが傑作なのか、分からない。 後期の傑作という事は、他の後期作品は、これより尚、ひどいという事なのか?」

  と、書いてあります。 当時の方が、感想が、より辛辣ですな。 で、その日の内に、「住吉コミュニティー・センター」へ、返しに行きました。 それで、北海道応援での読書作戦は、全て終了したわけです。 ≪スキャナー・ダークリー≫は、寮の部屋で年越しさせただけに、表紙の絵が、印象に残っています。 実は今、沼津の図書館で借りて来た本が、手元にあるのですが、この同じ表紙絵を、北海道でも見ていたんですなあ。 感無量。

  そういえば、北海道応援での、本の表紙絵というと、「BOOK・NET・ONE 苫小牧泉町」という店で買った、ケイブンシャ文庫の、≪さよならジュピター 上巻≫が、記憶に残っています。 この表紙絵が、いいんですよ。 「木星」、「宇宙服のヘルメット部分」、「人工衛星」、「女性の目から額」が、コラージュしてあるんですが、写真を使ったと思われる、女性の目が、実に良い。 ≪さよならジュピター≫は、ケイブンシャ文庫の他に、徳間文庫、ハルキ文庫でも出ていて、それぞれ、上下巻、全部で6冊ありますが、この絵が、ダントツです。 作者は、谷口茂さん。

  言葉で言っても伝わらないから、写真を出しましょうか。 別に、内容を貶しているわけではないから、著作権で文句を言われる事もないでしょう。

  ほら、いいでしょう? ≪さよならジュピター≫だけでなく、小松左京さんの全文庫本の中でも、表紙絵として、一番、優れていると思います。 私は、この本を、寮の部屋にあった机の引き出しに入れておいて、時折、開けては、うっとり眺めて暮らしていました。 冬の北海道で、宇宙のロマンに、どっぷり浸っていたわけですな。 懐かしい記憶です。 どんどん、時間が経ってしまうなあ。