2023/01/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (40)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、40回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年12月分。






【伊豆の国市四日町・伊豆箱根鉄道・韮山駅】

  2022年12月7日、バイクで、伊豆の国市・四日町にある、伊豆箱根鉄道の、「韮山駅」へ行って来ました。 時代劇場には、何度か来た事があるのですが、駅が、すぐ隣にある事は知りませんでした。

≪写真1≫
  伊豆箱根鉄道は、三島から、修善寺まで、伊豆半島の頚椎辺りを、南北に通っています。 韮山駅は、線路の西側にありました。 木造モルタル塗りか、鉄筋コンクリートか分かりませんが、時代がありそうなデザインですな。 黄色い柱は、広告に使われているようです。

≪写真2≫
  駅舎の、道路を挟んで向かい側の商店。 風情がある。 昭和中期頃の雰囲気。 もっとも、昔は、こんなに、自販機はなかったですが。

≪写真3左≫
  線路の東側にも、出口がありましたが、「学生専用」と書いてあり、出入口は閉まっていました。

≪写真3右≫
  東側駅舎の、道路を挟んで向かい側の歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクは別に変わりませんが、この日から、ヘルメットは、フルフェイスの、「アライ アストロe」に。 グローブは、革製に。 服装も、冬装備に変えました。 急に寒くなった感あり。

≪写真4≫
  駅の隣にある、韮山時代劇場の、楼閣。 「塔」というほど高くないし、建物の一部だから、「楼閣」としか言いようがありませんな。 変わったデザインですなあ。 こういう建物には、子供心がくすぐられるような魅力がありますねえ。





【伊豆の国市南條・竈神社】

  2022年12月12日、バイクで、伊豆の国市・南條にある、「竈神社」に行って来ました。 「かまど・じんじゃ」と読みます。 

≪写真1≫
  この小山の上にあります。 標高、20メートルくらいですかね。 かなり、階段を登ります。

  バイクは、置く所がなくて、鳥居の横に停めました。 道路ではないので、交通の邪魔にはなりません。

  鳥居は、石製。 そこそこ、古そうでしたが、奉納年は書いてありませんでした。

  白い案内板は、「火の神様 荒神社祭典案内」で、祭りの日や、 祈祷の受付日時、種類などが書かれています。 「竈神社」も、「荒神社」も、ほぼ、おなじ意味を表わしています。 台所に祀る神様ですな。

≪写真2左≫
  階段の途中。 山側は、こんな感じの石垣で固められています。 丸石を石垣に使うのは、昭和に入ってからなのでは? セメントがないと、固められませんから。

≪写真2右≫
  石燈籠は、笠を除き、断面、丸型。 茶色い石が使われていて、風流な感じがします。 その奥の石燈籠は、たぶん、先代で、火袋が失われています。 反対側も、新旧あって、古い方は、火袋と受け台がありませんでした。

  漱盤も、新旧が並べられています。 大きい方は、前面に、右から、「奉納」。 給水・排水設備、共になし。 雨水が溜まっていました。

≪写真3左≫
  社殿。 鉄筋コンクリート。 昭和47年、つまり、1972年の建立。  茶色く塗られた金属製の賽銭箱は、外置きで、令和2年、つまり、2020年の奉納。 新しい。 

≪写真3右≫
  拝殿の背後に、薄い本殿が背負わされている形式。 この出っ張り部分の内部に、本殿の社が置かれているものと思われますが、中は、覗けませんでした。

≪写真4左≫
  この建物は、何でしょう? 寄り合い所でしょうか。 物置にしては、物の出し入れが、し難そうだし。 壁に、高札形の、掲示板が設けられています。 掲示物は、なし。 

≪写真4右≫
  反対側にあった建物も、用途不明。 物置にしては、前面に覆いがないのは、雨が吹き込むのを防げませんな。 裸電球が吊る下がっています。

≪写真5左≫
  社殿の名額。 右から、「竈神社」とあります。 その下にあるのは、電灯。 電球が使われています。

≪写真5右≫
  階段の上から、西を見た景色。 韮山は、今でも、田畑が多いです。 さすが、北条氏を生み出した、実り豊かな土地柄。 遠くの山は、守山、大男山、源氏山といった辺りでしょうか。 





【伊豆の国市南條・真如薬師堂】

  12月21日に、バイクで、伊豆の国市・南條にある、「真如薬師堂」へ行って来ました。 「真如」は、集落の名前です。 読み方は、たぶん、「しんじょ」。 前回行った、「竈神社」の近くで、迷わず、到着しました。

≪写真1≫
  住宅地の中にあります。 「堂」とはいうものの、普通の建物です。 バイクは、路肩に停めましたが、車では、置く所がありません。 道が細いので、路上に停めたら、すぐに、どけてくれと言われてしまいそうです。

≪写真2≫
  解説板。 これがあったから、この建物が、薬師堂だと分かった次第。 「薬師瑠璃光如来像」が本尊で、他にも像がある様子。 解説内容は、あちこち、移転したという事が書いてあります。 根気がある人は、この写真の大きさでも、何とか読めると思うので、読んでみて下さい。

≪写真3≫
  帰途に、写真が少な過ぎるのが気になって、バイクを停め、振り返って撮った写真。 真如集落の一部が見えています。 ほとんどの家は、山の後ろに隠れてしまっています。

≪写真4≫
  伊豆箱根鉄道の沿線まで戻って来ました。 ちょうど、電車が来たので、バイクと、富士山を入れて、撮影。 三島駅と、修善寺駅を結んでいます。 自慢になりませんが、私は、一度も乗った事がありません。





【伊豆の国市韮山金谷・御嶽神社①】

  12月26日に、バイクで、伊豆の国市・韮山金谷にある、「御嶽神社」へ行って来ました。 読みは、「みたけ・じんじゃ」。 実は、別の目的地を目指していたんですが、そちらは辿り着けず、この辺に神社があったのを地図で見て知っていたので、こちらに寄った次第。 前にも来た事があると思っていたんですが、行ってみたら、初めての所でした。

≪写真1≫
  鳥居と、標柱。 石製。 標柱は、昭和14年のもの。 1939年。

≪写真2左≫
  排水枡のようですが、井戸かも知れません。 神社や寺の井戸は、ちと、怖いですな。 

≪写真2中≫
  漱盤。 正面に、右から、「奉獻」。 「獻」の字は、よく、パソコンで出たな。

≪写真2右≫
  これは、何ですかね? プラスチックの筒で、下に蛇口が付いています。 ハンドルは、なし。 雨水を溜めて、それを、何かに使うんでしょうか?

≪写真3左≫
  境内にあった、建物。 内容物が透けて見えますが、物置ですな。

≪写真3右≫
  境内は、二段になっています、 上段に上がる、石段。 ステンレスらしい、手すりが付いています。

≪写真4≫
  社殿。 同じ韮山の、「八坂神社」と同形式の、壁のない拝殿でした。 珍しい。 木製の賽銭箱は、昭和57年に奉納されたもの。 1982年。 40年経っているわけですが、それにしては、状態が良いです。





【伊豆の国市韮山金谷・御嶽神社②】

≪写真1≫
  社殿を、斜め横から見ました。 「×」の筋交(すじかい)を、そのまま見せているのは、技術的に面白いです。 これを付けると、三角形が出来るので、強度が、ぐんと増すのです。 拝殿の屋根は、銅板葺き。

≪写真2左≫
  本殿。 拝殿とは、廊下で繋がっていますが、廊下には、壁があります。 本殿の屋根は、瓦葺き。 この写真では伝わり難いですが、貫禄がある建物です。

≪写真2右≫
  レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、鳥居の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 住宅地の中ですが、近くに人がいなかったので、ハンドル・ロックはかけず、キーだけ抜いて、見学して来ました。 見える距離にいれば、そんなに神経質になる必要はないです。 こういう昔ながらの集落では、他人のバイクに興味があるような世代は、少ないはずですし。

≪写真3左≫
  境内にあった祠。 別社というより、他から持って来られたんじゃないでしょうか。 木と祠の影が、不思議な味を出しています。 

≪写真3右≫
  石燈籠。 一対ありました。 「紀元貳千六百年」の献燈。 つまり、昭和16年。 1941年。 そういう時代だったわけだ。

≪写真4≫
  帰途に、松原橋から、富士見パークウェイに至る道まで来て、富士山を撮った写真。 雲がなければ、清々と良く見えるでしょう。 沼津市の大抵の場所より、この辺りの方が、富士山を見るには、適しています。 韮山が、歴史的大物を多く輩出したのは、この景色にも、関係があるのでは? 





  今回は、ここまで。

  12月は、全て、伊豆の国市の、旧韮山町を目的地にしました。 行き先を決めるのに、以前は、紙の地図を使っていましたが、そちらに載っているような所は行き尽くしてしまい、今は、ネット地図に頼っています。 居間で団欒している時に、母のスマホで、地図検索をかけて、目ぼしい所を探している次第。

  自室で、パソコンで調べれば、画面が大きい分、もっと見易いのですが、地図を動かしていると、ギガを早く消耗してしまうので、普通速度の時には、やる気になりません。 ギガを使い切って、速度が落ちてからが、地図検索に励む期間となります。 いくら、やっても、それ以上、速度が落ちる事はありませんから。

  いっそ、最初から、速度が遅い方が便利かも知れませんが、ダウン・ロードなど、速度が遅い時にやると、フリーズしてしまう場合があるので、やはり、普通速度期間は、ないと困るのです。

2023/01/22

実話風小説 ⑫ 【お節介な男】

  「実話風小説」の12作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。




【お節介な男】

  ○○集落の、A氏と言えば、近隣では、「お節介」と、「女好き」で、有名である。 この話が始まった時点で、54歳。 早く結婚したので、息子がすでに成人している。 息子の縁談があり、興信所の所員が集落へ調査に来たのだが、どの家で訊いても、息子については、「いい息子さん」、父親のA氏については、「お節介で、女好き」と聞かされた。 普通、そういう調査が来た時に、近所の人は、マイナス評価など口にしないものだが、事が縁談であればこそ、「言っておかなければ、まずい」と判断されたのだろう。



  A氏の、「お節介」の事例。

  燃やすゴミの回収日の朝、二つ隣の家の主婦Bさんが、ゴミの袋を、門の所へ出しておいた。 他の用事を済ませてから、集積所へ持って行くつもりだったのである。 ところが、出て来て見ると、ゴミ袋がなくなっている。 ちょうどそこへ、ゴミ集積所の方から戻って来たA氏が通りかかった。

「おお。 ゴミは出しといたよ」
「まあ。 そんな事してもらわなくてもいいのに」
「遠慮すんなよ。 どうせ、うちの分も出しに行くんだから、ついでだよ」

  その時は、それで済んだが、次の回収日になると、エスカレートした。 同じように、門の所へ、ゴミ袋を出したが、まだ、ゆとりがあり、口を縛らずに、置いておいた。 裏庭の掃除をして、塵取りに集めた落ち葉を入れようとしたら、ゴミ袋がなくなっている。 そこへ、A氏が通りかかった。

「おお。 ゴミは出しといたよ。 口くらい、縛っといてくれよ。 わははは!」
「まだ、入れようと思ってたから・・・」
「なにい? なんだよ、それならそうと言えよ。 取って来るわ」
「いいです、いいです!」
「いいや、取って来る。 俺の責任だからよー!」

  次の回収日には、ゴミ袋を門の所へ出さずに、玄関の中に置いておき、庭の掃除をしていた。 玄関の方で、引き戸を開ける音がしたので、急いで行ってみたら、A氏が、玄関を開けて、中に入っていた。 靴を脱いで、家に上がろうとしているので、慌てて、呼び止めた。

「Aさん! Aさん! 何ですか? 何か御用ですか?」
「おお。 ゴミを出して来てやろうと思ってよ。 家の中のゴミは、もう、集めたのか?」
「いいです! いいです! そんな事までしてもらわなくても!」
「遠慮すんなよ。 ご近所なんだからよ」

  そこへ、出勤前の夫が出て来た。 A氏が、ゴミ袋を持って行ってしまう件について、妻から話を聞かされていたので、すぐに、何が起こっているか、ピンと来た。
  
「やめて下さい! 人の家に入ってまで、する事じゃないでしょ!」
「親切でやってるんだよ」
「そんなのは、親切とは言いませんよ!」
「なんだよ。 ゴミを出してやってるのに、怒られる筋合いなんかないぜ」
「いいから、とにかく、出てってくれ! もう、うちのゴミ袋に関わらないでくれ!」

  ちなみに、この家の主婦Bさんは、ちょっと見た目がいい人物だった。 A氏としては、「頼りになる男」という印象を与えたかったのかも知れぬ。 割と簡単に退散したのは、夫が出て来て、そんな下心を見透かされるのを恐れたからではないだろうか。

  こういう話は、すぐに、近所に広まる。 大抵、尾鰭がつくものだが、A氏の場合、元が十二分に異常なので、尾鰭をつける余地がないほどだった。



  別の例。

  近所の家で、そこの若い主C氏が、植木手入れをしていた。 高い木に、大きな三脚を架け、一番上の頭の部分を刈り込んでいた。 そこへ、通りかかったA氏。 しばらく、腕を組んで、作業の様子を見ていたが、突然、大きな声で言った。

「右が長い!」
「ええ? 何ですか?」
「右の方が、飛び出してる!」
「ここですか?」

  C氏は、A氏が近所の人で、しかも、一回りくらい年長者なので、意見を聞いてやらないと、相手の立場を損なってしまうかと思って、一応、A氏の指示通りにしてやっただけだったのだが、それが、まずかった。 調子に乗ったA氏の、猛烈な仕切りが始まった。 右だ、左だ、下だと、切る所を指図した挙句、

「駄目だ、そんなんじゃ! ちょっと、下りろ。 俺がやってやるから!」

  と、上着を脱ぎ始めた。

「いいです! いいです! 私がやりますから」
「お前じゃできないから、俺がやってやろうって言ってるんじゃないか! 早く下りろ!」
「もう、帰ってください!」
「なんだ、その言い草は!」

  実は、このC氏、一時期、植木屋で修行をしていた事があり、植木の手入れがうまい事では、集落一と言われていた。 A氏の家にも、植木があり、A氏が手入れをしていたが、そちらは、我流以前の、低次元な腕前で、比較対象にすらされなかった。 おそらく、それが気に食わなくて、わざわざ、駄目出しをしに来たのだろう。

  C氏が、A氏を無視して、作業を続けていると、A氏が、庭に入って来て、庭石の上に置いてあった鋸を手に取った。

「この枝は、ない方がいいな」

  C氏は、ギョッとして、慌てて、脚立の上から下りて来た。 A氏が、下の方の大枝を切ろうとしているのを、羽交い絞めにして、止めた。

「あんた、ほんとに、警察を呼ぶぞ!」
「おお! 呼べるもんなら、呼んでみろ! 俺は、親切でやってやってるのに、それが一体、何の罪になるんだ!」

  すでに、大枝の根元には、鋸で切りかけた痕があり、「器物損壊罪」が成立するのは確実だが、そもそも、A氏には、法律知識などない。 議論するだけ、無駄である。

  揉み合っているところへ、その家の隣に住む、60歳くらいの男性が出て来た。 C氏と、A氏の会話が聞こえていて、事の経緯は承知しているようだ。 A氏に向かって、ぴしゃりと言った。

「おい! A! やめろ! 何をやってるんだ!」
「ああ、いや、その・・・」
「お前には、このうちの植木は、関係ないだろう! 余計な事をせずに、帰れ!」
「・・・・・」

  A氏は、聞こえないほどのボリュームで舌打ちをすると、上着を手に取って、帰って行った。 この60歳くらいの男性は、A氏より、3歳年上で、子供の頃から、A氏の事を知っている、「怖い兄ちゃん」だった。 三つ子の魂百まで。 どんなに面の皮が厚い人間でも、こういう相手には、逆らえないものである。



  また、別の例。

  A氏は、日曜日に車を出し、妻と二人で、近隣の町のスーパーへ買い出しに行くのが、習慣になっている。 買い物をするのは妻で、A氏は、籠も持たず、カートも押さず、ついて歩いているだけである。 用がないなら、車で待っていればいいのだが、なぜか、店の中までついてくる。 自分が欲しい物があると、持って来て、妻が押しているカートの籠に入れる。 やる事が、子供である。

  ある時、スーパーのレジに並ぼうとすると、その前に、近所に住んでいる高齢女性Dさんが、カート2台分の買い物をして、並んでいるのに気づいた。 A氏は、最初、驚いた顔をしたが、すぐに、ニカニカと、笑顔になった。

「バアちゃん、バアちゃん。 こんなに買えないだろ?」

  そして、レジの店員に向かって、

「こりゃ、間違いだから。 このバアさん、自転車にも乗れないから、せいぜい、レジ袋2つ分しか持てないんだわ」

  レジ係に向かって、内緒話をするように、掌を口の横に立てて、声を落として、言った。

「ちょっと、ボケちゃってんだよ。 もう、歳だからな」

  Dさんは、何か言おうとしたが、その前に、A氏が、カート1台を押して、売り場の方へ、戻って行ってしまった。

「これは、俺が、返して来てやるからよー」
「そうじゃなくて、あのねえ、Aさん・・・」

  行ってしまった。 A氏が、カートを空にして戻って来ると、Dさんの横に、自分と同年配の男が立っていた。 トイレに行っていて、つい今し方戻って来た、Dさんの息子である。 彼は、A氏がどんな人間か知っていた。 母親から事情を聞いて、A氏を睨みつけ、声を荒らげた。

「なにい? わざわざ、戻して来たあ? なんで、そんな、余計な事をするんだ!」
「だって、バアさん一人だと思ったからよー」
「一人で、カート2台分、買い集められるわけがないだろう! なんで、先に事情を訊かないんだ!」
「俺は、親切で・・・」
「何が、親切だ! 却って、迷惑じゃねえか! まーた、集めて来なきゃならねえ!」
「だけどよー。 おまえら、そんなに、たくさん買って、金払えんの?」
「余計なお世話だ! そんな事を、おまえに心配してもらわなくてもいい!」

  A氏が、妻の買い出しに付き合うのは、日曜だけだが、妻は、平日にもスーパーへ来ており、一度に、2・3日分の買い物しかしなかった。 A氏は、その量を、普通だと思っていたから、カート2台分も買うなんて、異常だと決め込んでしまったのである。 一方、Dさんは、週に一度、息子の車で買い出しに来るだけなので、一週間分の買い物をしていたのだ。 多くなるのは、当然である。

  再び買い集めに行こうとするDさんの息子に、A氏が、「俺も手伝うよ」と言ったが、「人の家の買い物なんか、おまえに分かるわけがないだろ! いいから、うちに関わるな! ろくな事をしやがらねえ!」と、怒鳴りつけられた。



  また、別の例。 この辺から、「迷惑」では済まないくらい、悪質になって来る。

  A氏の家の近所に、空き家があったのだが、そこを買った人がいて、都会から、50代の夫婦者が引っ越して来た。 夫のE氏は、体を悪くして、50歳で仕事をやめ、空気のいい所へ、転居して来たのだった。 妻は、近くの町へ、働きに出るようになったが、E氏の方は、家で、家事を少しやるのが、体力的な限界だった。

  ある時、E氏が働いていないと聞いた、A氏が訪ねて来た。 E氏は、初対面のA氏と、何を話していいか分からず、その集落の景色を誉めたり、どこにどんな店があるかを訊いたりしていたが、A氏は、ろくに返事もしなかった。 そんな事はどうでもよかったのである。 A氏は、目的があって来たのだ。

「まだ若いのに、仕事をしてないのは、まずいなあ」
「ああ、それは、体の方が・・・」
「よし、分かった。 俺が紹介してやるよ」
「いや、それは・・・」
「あんただけの問題じゃないんだよ。 遊んでる奴が近所にいたら、みんな、不安だろ」
「それは、そう思う方がいたら、申し訳ないですが・・・」
「いいから、任せとけよ」

  さっさと帰ってしまった。

  4日後、E氏の家へ、森林管理を請け負っている会社から電話があった。

「Eさんですか。 Aさんの話では、うちの会社で働きたいとの事で。 仕事が、枝打ちなんかもあって、かなり、きついんですが、体力の方は自信がありますか?」
「いやいやいや、そんな、とんでもない! それは、私が頼んだわけではないんですよ」

  E氏は、経緯を説明し、自分は働ける体ではないから、と言って、就職の話を断り、平謝りに謝った。 相手は、笑って言った。

「まただ」
「また?」
「Aさんの紹介は、そんなパターンが多いんですよ。 あの人、定年を過ぎていないのに、仕事をしていない人を見つけると、無理やり、仕事をさせようとするんですよ」
「ああ。 『遊んでる奴が近所にいたら、不安だ』って言ってましたね」
「『不安』って言いましたか? 人生は人それぞれだけから、余計なお世話だと思うんですがね。 それより、あの人、仕事を紹介してやれば、感謝されると思ってるんじゃないですかねえ」
「なるほど」

  確かに、A氏のお節介には、下心から発しているものが多いようだ。 何かをしてやる事で、相手に感謝してもらおうとしているのだ。 言い方を換えれば、「貸し」を作りたがっているのだろう。

  実は、それだけではない。 E氏は知らずじまいだったが、この紹介には裏事情があった。 その会社では、人手不足に悩まされており、働き手の紹介者に、謝礼を、3万円出していたのだ。 A氏の真の目的は、小遣い稼ぎだった。 

  翌日、また、A氏がやって来た。

「おい! あんた、どういうつもりだ! せっかく紹介してやったのに、俺の顔を潰しやがって!」

  E氏は、A氏の相手をする事に、大きな苦痛を感じ、何も言い返せなかった。

「とにかく、入社だけはしろよ。 一ヵ月くらいやってみて、駄目なようなら、やめればいいんだから。 それが、わざわざ紹介してやった俺に対する、礼儀ってもんだろう」

  本心は、3万円が欲しくて欲しくて、仕方がないのである。 幸い、その時には、E氏の妻も家にいた。 事情を聞いていたので、夫に代わって、健康状態が悪いから、働けないという事を説明した。

「それならそうと、先に言え!」
「言ったけど、お宅が、聞かなかったんでしょう!」
「ちっ! 生粋な女だ!」

  E夫妻は、近所に、A氏のような人間がいる事を恐れ、買ったばかりの家を売って、他へ引っ越す事を検討したが、その悶着の噂を聞いた近所の人が訪ねて来て、

「あんなの気にしちゃ駄目。 迷惑してるのは、みんな同じだから。 どうせ、何もできやしないから、怖がる必要はないですよ」

  と、引き止めたので、思い留まった。 実際、A氏は、一住人に過ぎず、近所で顔役というわけでもなかった。 本人が、「自分がいなければ、世の中が回らない」と思っていただけである。



  最後の例。

  F氏は、やはり、A氏の家の近所に家があった。 A氏とは、友達というほど親しくないが、幼い頃からの顔見知りである。 大学進学で、都会に行き、そちらで、就職、結婚した。 50歳を過ぎてから、要介護になった両親の面倒をみる為に、実家に戻って来た。 両親は、一年もしない内に、相次いで世を去ったが、F氏は、今更、都会に戻るのも億劫で、そのまま、実家に住む事にした。

  F氏は、若い頃に妻を病気で亡くし、子供もなく、独身生活が、20年くらい続いていた。 ある時、神社の行事で、A氏と一緒に働く事があり、A氏に訊かれるままに、妻と死に別れてから、20年になるという事を話した。 周囲で聞いていた者達は、「そんな事を、Aに話さなければいいのに」と思っていたが、口には出さなかった。

「よし、分かった。 俺が、後添いを紹介してやるよ」
「いやあ、いいよ。 一人の方が気楽だから」
「おまえだけの問題じゃないんだよ。 独り者が近所にいたら、みんな、不安だろ」

  どこかで聞いたような理屈である。 A氏は、こういう言い方を、殺し文句にしていたようだ。

  一週間もしない内に、A氏は、女性Gを、F氏に引き合わせた。 年齢は、40代半ば。 容姿は優れていたが、なんとなく、気が進まないような顔つきをしていた。 何回か、二人で会っても、その表情は、消えなかった。 女性Gの方が積極的になり、話が進み始めたのは、三ヵ月くらい経ってからだ。 A氏が、女性Gに言った、ある言葉がきっかけだったのだが、F氏は、それを知らなかった。

  婚約期間を経て、結婚したのが、引き合わされてから、半年後の事だった。 その頃には、F氏も、A氏の悪い噂を耳にしていたのだが、「その割には、俺には、いい事をしてくれたんだな」と、自分だけ得をしたような気分に浸っていた。 だが、A氏の本性を知る人達は、F氏の再婚話そのものを、良くは見ていなかった。

  なぜというに、A氏の、もう一つの悪癖、「女好き」が絡んでいたからだ。 A氏は、浮気を日常的にしていた。 「愛人」や、「二号」というより、「妾」のつもりで、妻以外の女と、つきあっていた。 もちろん、性交渉を含む。 しかし、A氏は、ただの勤め人であり、収入が特に多いわけではないから、経済的なゆとりが少なくて、「囲う」というところまでは行かなかった。 あくまで、A氏の意識として、「妾」だったのである。

  A氏の祖父が、そういう男で、そちらは、昔の事とて、堂々と、「妾」を囲っていた。 A氏は、子供の頃、祖父に可愛がられて、いつもそばにいたから、そういう祖父を見て、「妾」がいるのは、大人の男として、当たり前だと思うようになったのだ。 

  A氏は、飽きっぽい性格で、一人の女には、すぐに飽きた。 三回も性交渉すると、もう、飽きる。 しかし、その一方で、「自分は、面倒見がいい男だ」とも自認しており、交渉を持った女を、すぐに捨てるような事はしなかった。 その代わり、他の男を世話してやったのである。 適当な独身男を見つけると、そいつに、自分の元妾をくっつけて、厄介払いしていたのだ。

  F氏も、そのカモにされたというわけだ。 F氏の他にも、同じパターンで、元妾を押し付けられた男が、4・5人いるという噂だった。 A氏には、悪い事をしているという意識は、全くなかった。 「独身男は、女房が出来て、助かる。 女は、亭主が出来て、助かる。 自分も、次の女に乗り換えられるから、助かる。 三方一両得ではないか」と、自分の人捌きの巧みさに、酔っているくらいだった。
  

  F氏は、再婚して、一年後に死んだ。 まだ、60歳になっていなかった。 死因は、一見、心不全のようだったが、心臓関連の既往歴は全くなくて、不自然である。 かかりつけの医師が、近所の人の話から、F氏が再婚後間もなかったという事を知ると、警察に連絡した。 事件性が疑われ、司法解剖が行われた。 その結果、毒を盛られていた事が分かった。

  犯人は、後妻G以外に考えられない。 後妻Gは、最初は否定していたが、取り調べが進む内に、証言がしどろもどろになり、容疑が深まって、捜索令状が出された。 家から、隠してあった劇薬が発見されると、後妻Gは、一転、素直に罪を認めた。 そして・・・、

  そして、A氏が関わっていると、証言した。 F氏との結婚を、A氏から勧められた時、A氏が、「Fが死ねば、Fの財産は、全部、おまえのものになるんだから」と言われたと、言ったのだ。 これは、全くの事実であった。

  A氏が、任意同行をかけられた。 A氏は、最初、全てを否定していたが、刑事に食い下がられて、「Fが死ねば、財産云々」に関しては、口にした事を認めた。

「だけど、それは、殺せって言ったわけじゃないよ。 そんな事、この俺が、言うわけないじゃないか! 俺は、親切な男で通っているんだよ。 みんな、俺に感謝してるんだよ。 俺がどんな人間か、勤め先でも、近所でも、誰にでも訊いてくれよ!」

  殺人事件なので、捜査本部が立っており、捜査員たちは、ローラー戦術で聞き込みをするついでに、A氏の為人を尋ねて回った。 ところが、ろくな答えは、返って来なかった。 みんな、A氏を忌み嫌っていた。 「お節介も、度が過ぎると、罪になる」と言う人が多かった。 「明らかに、おかしいところがある。 精神病なんじゃないか?」と言う人もいた。 「精神病なら、無罪になるだろうから」などという配慮からではなく、口汚く罵るような言い方だった。

  その内、A氏に関して、他の疑いが浮かび上がった。 A氏が、元妾の一人を押し付けた男性Hが、2年前、同じように、再婚後間もなく、死んでいたのだ。 病死と判断され、3千万円の保険金が下りていた。 そして、H氏の未亡人は、その内、300万円を使って、A氏に、車をプレゼントしていた。 A氏は、その件で疑われている事を知ると、大慌てで、車を売却し、自分の金を足して、300万円、H氏の未亡人に返したが、そんな事をすれば、ますます、疑われるものである。

  H氏の場合、すでに、遺体が火葬されてしまっていて、死因の特定ができなかったので、未亡人が罪に問われる事はなかったが、近所で夫殺しの噂が立ち、住んでいられなくなって、他の土地へ引っ越して行った。 独り身だから、動きが軽い。 ただし、3000万円では、老後が安泰とは言い難い。 いずれまた、どこかで、他のカモを見つける事になるかも知れないが、次にやった時には、逮捕・処罰されるだろう。

  A氏だが、後妻業の斡旋は、否定のしようがないとして、彼女らがやった夫殺しには、関与していなかった可能性が高い。 「夫が死ねば、財産云々」という言葉は、恐らく、他の男と結婚させられる事に気が進まない妾達を口説き落とす為の、方便だったのだろう。 しかし、後妻に仕立てられた元妾5人の内、H氏の未亡人を除く4人が、「夫殺害を、暗に仄めかされた」と証言したので、裁判で確実に勝てると判断した検事により、「殺人教唆」で、起訴されてしまった。 それでも、「殺人の共犯」を避けられただけでも、運が良かったと見るべきか。 地裁では、有罪で、懲役8年。 高裁まで争ったが、今度は、懲役10年の判決が出てしまい、控訴を断念。 服役の身となった。

  A氏は、元妾達の心情を甘く見ていたのだ。 痴情というのは、右から左へ処理できる作業とは違う。 捨てられて、他の男を押し付けられたのだから、彼女らから恨まれて当然のところを、感謝されているはずだと思い込んでいたのだから、後生がいいにも程がある。 度が過ぎたお節介を受けた果てに、殺されてしまった男性達は、気の毒だが、A氏のような人間から距離をおかなかったのが、不用心だったのだ、という見方もできる。


  A氏が収監されてから、○○集落は、大変、平和になった。 A氏の妻も、以前は、近所の人と顔を合わせるのを避けていたが、A氏がいなくなってから、疫病神から解放されたような気分になり、普通に、井戸端会話を楽しむようになった。 人づきあいとは、こんなに楽しいものだったのかと、亭主がいなくなって、初めて知った次第。

  A氏が服役を終え、戻ってからが、また問題になるかと危ぶまれたが、そうはならなかった。 刑務所の中でも、お節介を発揮したA氏は、同房のヤクザを激怒させ、喧嘩が繰り返されて、最後には、人相が変わるほどの暴行を受けた。 それ以降、懲りてしまって、お節介をやめたのである。 ○○集落という小さな世界に生きていたA氏は、他人の怖さをよく知らなかった。 刑務所でようやく、それが分かったのだ。

  出所してからは、家に引きこもって暮らした。 ビクビクと、風の音にも戦き、被害妄想がひどくなって、晩年は、精神病院で終えたという。

2023/01/15

音声学講義 ②

  日記ブログの方に書いた、言語学の音声学に関する文章を転載します。 例によって、日記には、他の事も書いていますが、それらは除き、言語関係の部分だけを出します。




【2022/11/20 日】 「増上寺家の客間にて / ツデイ」

  さて、一昨日お教えした、真の「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」、真の「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の発音はできるようになったでしょうか? なに、48時間、不眠不休で練習しているのに、まだ、できない? どうしても、「ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ」、「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」になってしまう?

  うーむ、根っから、下品な口なんでしょうねえ。 なに? 顔は、イケメン、美女? そんなの関係ないですよ。 「品性下劣なヅァヅィヂュヂェヂョ野郎」が、イケメンだ、美女だなんて言ったって、ごまかせるもんですか。 どんなに美女のお嬢様だろうが、「ヂンヂャ」にお参りしている下司女なんて、相手にできませんな。

  突然ですが、語学口座に定番の寸劇を、一席。

「奥様。 お嬢様のご交際相手についての、調査結果のご報告に参りました」
「ご苦労様。 早速、聞かせていただきましょうか」
「出自、学歴、職場での評判、将来性、友人・ご近所の評判、過去の女性遍歴がない事、いずれも、申し分ありません。 当興信所といたしましても、こんなに良く出来た青年を調査したのは、初めてでございます」
「まあ、そんなに優れた方でしたの。 さすが、私の娘。 見る目があるとでも申しましょうか。 おほほほほ!」
「ただ・・・」
「ただ? ただ、なんですの?」
「いや、これは、大した問題ではないとも言えるのですが・・・」
「いいえ、どんな事でも、報せていただかなくては、困りますわ」
「実は・・・」
「・・・実は?」
「この青年は、『ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ』を、『ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ』と発音し、『ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ』を、『ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ』と発音します」
「ええっ! なんですってぇ!」
「たとえば、御依頼主様の苗字、『増上寺』を、『ゾウジョウジ』ではなく、『ヅォウヂョウヂ』と発音します」
「んっまっ! どーしましょ!」
「ご主人様のお名前は、『重蔵』様でしたね。 この青年は、ご主人様の事を、『ヅォウヂョウヂ・ヂュウヅォウ』とお呼びする事になるでしょう」
「んっまっ! んっまっ! きったな! そんな理不尽な事ってあるかしら!」
「奥様のお名前は、『朱里』様ですから・・・、」
「言わないでっ! 言ったら、私、舌を噛みます! というか、あなたの舌を切ります!」
「失礼いたしました」
「あの子ったら、よりによって、どうして、そんな下品な男と交際したのかしら!」
「お嬢様のお名前は、『安曇』様でしたね。 『アズミ』は、『アヅミ』とも書きますから、気になさらなかったのでしょう」
「とにかく、破談です! そんな、糞屑下司野郎に、でぇぢな娘をやれるかってんでぃ、すっとこどっこい! 破談破談!」


  まあ、気の毒に・・・。 この下なく、悪質な冗談は、このくらいにして。


  タ行音に、三種類の子音が雑居していている事については、多くの人が認識していると思います。

t 音 「タ・ティ・トゥ・テ・ト」
ch音 「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」
ts音 「ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ」

  t音の、「ティ」と「トゥ」は、今でも、高齢者で、発音し難いという人は多いです。 うちの母は、ホンダ・初代トゥデイに、18年間乗っていましたが、当時も、今でも、「ツデイ」と発音します。 私は、1986年当時、ホンダのディーラーで、陳列車に、デカデカと、「ツデイ」と書いた値札が貼ってあったのを目撃した事があります。 お客の年齢層に合わせたというより、店の人自身が、「トゥデイ」と発音できなかったのだと見ています。

  英語由来の外来語で、「ティ」、「トゥ」が、「チ」、「ツ」のままになっているものは、無数にあるのでは? 「チーム」や「ツール」などは、原音に近い「ティーム」や、「トゥール」にすると、却って、嫌味に聴こえるくらいで、もはや、直せないところまで来てしまっています。 年齢に関係なく、若い人でも、「ティーム」や、「トゥール」とは言いません。 いやらしいから。

  韓国朝鮮語には、ツァ行音がないのですが、たまたま、外来語の主な供給元である英語にも、ts音を使う単語が少ないので、不便はない様子。 「チーム」、「ツール」は、最初から、「ティーム」、「トゥール」を使っているので、日本語よりも、原音に近いです。

  日本語の「靴」の読み方、「クツ」は、上代に入って来た、朝鮮半島由来の外来語ですが、現代の韓国朝鮮語でも、「クトゥ」です。 逆に言うと、渡来人の昔から、日本語では、「トゥ」を「ツ」と言い換えて来たわけですな。 どんだけ、「トゥ」が苦手なのよ?

  ちなみに、「鞄」を「カバン」というのも、上代に入って来た朝鮮半島由来の外来語です。 日本語では、「バッグ」と、「カバン」が、種類によって、幾分混乱気味に使い分けられていますが、韓ドラでは、女物男物に関係なく、「カバン」しか耳にしません。

  韓国朝鮮語では、英語以外の外国語からの外来語で、元がツァ行音の場合、チャ行音で代用するようです。 チャ行音、つまり、ch音については、専用の文字があります。 「世宗大王は、なぜ、ツァ行音を表す文字も作らなかったのだろう?」と思う日本人も多いと思いますが、ほとんど使わないから、必要性を感じなかったんでしょうな。

  代用にするくらいだから、ツァ行音と、チャ行音は、近いのかというと、実際、近いです。 日本人には、全然、違う音に聴こえますが、それは、単語の弁別に使っている関係で、はっきり聴き分けられるように、耳の方が慣れているからです。

  チャ行音は、英語では、「ch」と書きますが、この字面は、便宜的なもので、正体は、二重子音、「t+sh」です。 ツァ行音が、二重子音、「t+s」ですから、t音の後ろに足す子音を、s音、つまり、サ行音から、sh音、つまり、シャ行音に変えれば、チャ行音になるわけです。 距離に譬えるなら、ツァ行音とチャ行音の近さは、サ行音とシャ行音の近さと、全く同じ距離という事になります。

  自分の口でできる、面白い実験があります。 舌を、t音の位置で、天井(口蓋)につけ、そこから、「サ」と言ってみると、その気がないのに、「ツァ」になってしまいます。 同じく、舌を、t音の位置で、天井につけ、そこから、「シャ」と言ってみると、否が応でも、「チャ」になってしまいます。

  またまた、自分の口の中に、今まで全く知らなかった秘密が隠されていた事を知って、気が動顛している諸兄諸姉よ。 そんな事、私の知った事ではありません。 今まで気づかなかった、あなたが悪い。

「なんで、俺を混乱させるんだ! そんな事、知らなければ、幸せだったのに!」

  こらこら、壁をドンドコ叩くのはよしなさい。 「ウオーッ!」と叫んで、夜の街を駆け抜けるのも、迷惑です。 そんなに騒ぐような事かいな。



【2022/11/21 月】 「ng / 鼻母音」

  えーと、次は、ナ行か。 鼻音ですな。 じゃあ、マ行も一緒にやりましょうか。 いっそ、鼻音全般の話にしましょうか。


  唇で出す、p音の位置に、m音があり、舌の前の方で出す、t音の位置に、n音があるのなら、舌の奥で出す、k音の位置にも、鼻音があるのでは? という疑問を抱いた事がある方は・・・、あまり、いそうにありませんな。

  まあ、先に言ってしまうと、ng音が、舌の奥で出す、k音の位置にある、鼻音なんですがね。 「ng」と、2文字で書いているのは、便宜的なもので、実際には、一つの子音です。 何かが合体したわけではありません。 英語には、一文字で表わす文字がないのですが、韓国朝鮮語には、あります。 「○」の上に、蔕がついたような文字。 ただし、この文字、母音の単独使用を表わすという、他の用途と兼ねているので、正体が見極め難いところがあります。

  舌を、kの位置で天井(口蓋)につけ、「ナ・ニ・ヌ・ネ・ノ」と発音してみれば、割と簡単に、「nga・ngi・ngu・nge・ngo」が出ます。 出ましたか? なんだか、口の中で、ナマズがのたくっているような、気持ちの悪い音でしょう? 慣れれば、もっと、綺麗に出せるようになります。

  「ng音」と書くと、英語っぽいですが、日本語でも、この子音があり、かつて、東京方言では、「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」と、「nga・ngi・ngu・nge・ngo」を使い分けていました。 今でも、高齢者の中には、使い分けてる人がいると思います。 そういう人達は、この区別ができない地方出身者を、軽蔑していたようです。 「nga」と言うところを、「ガ」と言うのを、「汚い」と感じるらしいのです。 いや、気にする必要はないです。 そういう人達は、もう、滅びて行くのみですから。

  東京方言では、ng音の事を、「鼻濁音」と呼んでいたようですが、言語音声学用語では、「軟口蓋鼻音」と言います。 「ガ」に似ているという認識から、「鼻濁音」と言っていたのでしょうが、清音・濁音とは、関係ありません。


  英語の現在分詞、「~ing」ですが、たとえば、「swimming」だと、日本人は、「スイミング」と、最後に、「グ」を発音してしまいますが、ng音の正体は、鼻音ですから、「スイミン」で止めるのが、正しいです。 その時、舌は、kの位置で止めます。 p、t、k、どの位置で、舌・唇を止めるかで、直前の母音の音色が変わり、m、n、ngのどれであるかが、判別されるわけですが、日本語母語話者の耳では、とても、無理ですな。 そんな区別をしないで、全部、「ン」で絡げてしまっているわけですから。

  子音で止まっているので、次に続く単語の語頭が、母音ならば、くっついて、ng音が発声されます。 たとえば、「swimming eyes(涙目)」なら、「スイミngaイズ」となります。 次に続く単語の語頭が、子音の場合、k音ならば、そのまま移行すれば良し。 「swimming club」は、「スイミンクラブ」になりますが、何だか、眠る為のクラブみたいですな。 眠りながら泳いでも、それは夢に過ぎませんが、くれぐれも、泳ぎながら眠らないように。

  次に続く単語の語頭が、他の位置の子音である場合、kの位置を離れて、tや、pの位置で、発音し直す事になりますが、日本語の「ン」では、先回りして、次の子音の位置の鼻音を持って来るのに対し、英語では、ngは、ngで止めて、他の子音を続けます。 日本語の、「ン」は、世界的に見ても、かなり、変わった役を受け持っている鼻音です。


  p、t、kの位置に、それぞれ、鼻音があるわけですが、実は、母音の位置でも、鼻音は出せます。 「恩愛(オンアイ)」は、「on・ai」ですが、くっついて、「オナイ」になってしまわない理由は、「ア」の直前の「ン」を、「ア」の位置で、鼻音にしているからです。 「ア」に限らず、 どの母音でも、「ン」は出せます。

  かつて、マツダのディーラー系列に、「アンフィニ」というのがありましたが、フランス語の単語で、「無限」という意味。 この、語頭の「アン」が、「ア」の位置で出す、「ン」なのです。 日本人にも発音できるんですが、誰も、やっていませんでしたな。 無理もないか。 フランス人自身が、フランス語に、「ン」から始まる単語があるとは思っていないんじゃないでしょうか。 そもそも、「ン」という概念がないし。

  こういう事を書くと、一般の日本人は、全くピンと来ないけれど、フランス語を習った事がある日本人は、「ギョッ!」とするかも知れませんねえ。 「そんな事、教えてもらわなかったぞ!」と。 だから、あなたは、鼻母音の発音ができなかったのですよ。 あなたの先生も、まさか、日本語で、鼻母音を、しょっちゅう使っているとは、思いもしなかったのでしょう。

「今更、そんな事知ったって、フランス語に賭けた俺の青春は、戻って来ないんだーっ! ウオーッ!」 シャンゼリゼ通りを、走り去る。 (BGM コーラス 「♪お~、シャンヅェリヅェ~・・・」)

  今回は、フランス語を習った事がある日本人だけ、動顛させてしまいましたな。 おーい、戻って来ーい!



【2022/11/22 火】 「二重母音」

  ヤ行音と、ワ行音は、二重母音です。 ただし、どちらも、歯抜け状態。 

ヤ行音 「ヤ・イ・ユ・イェ・ヨ」
ワ行音 「ワ・ウィ・ウ・ウェ・ウォ」

  この内、「イ」は、「yi」、「ウ」は、「wu」で、同じ母音が重なっているだけので、考えなくても良いです。 古くは、「ヱ」や、「ヰ」といったカナ文字もありましたが、今では、正確に読める人がいなくなり、混乱するだけなので、使いません。 「ヲ」は、平仮名の方で、「を」を格助詞に使うから、馴染みがあるだけで、実際の発音は、「オ」ですから、音声の上では、「オ」と区別する意味がないです。


  ヤ行音の、「ヤ・ユ・ヨ」は、完全な二重母音で、前に子音を連結させても、二重母音として、認識されます。 ただし、普段使わない組み合わせは、聞こえ難いです。 「テャ・テュ・テョ」とか、「スャ・スュ・スョ」とか。 私が住んでいる静岡県東部では、「うるさい」の事を、「うるすゃー」と言うので、「スャ・スュ・スョ」は、聴き分けられるのですが、よその土地の人は、何を発音しているのか、全く聴き取れないと思います。

  「イェ」は、駄目で、喋る方が発音できたとしても、聴いている方は、「エ」としか、聴き取れません。 この二重母音は、日本語にないんですよ。 「イェール大学」というのがありますが、日本人は、発音できず、代わりに、「イエール大学」と、母音の連用で発音しています。 聴く方も駄目で、正しく、「イェール大学」と言われた場合、「エール大学」と聴こえてしまいます。 そんな名前の大学も、ありそうですな。


  ワ行音は、「ワ」だけが、二重母音として使われていますが、不完全で、子音と連結すると、発音も、聴き分けもできなくなってしまいます。 「図書館」の「館」を、旧仮名使いで、「クヮン」と書きましたが、それは、文字面上の区別に過ぎず、実際には、遣隋使・遣唐使の大昔から、一般の日本人は、「クヮン」を発音できなかったと思います。

  留学生や、留学僧は、中国の現地に行っていますから、「カン」と「クヮン」を区別するのは、当然だったわけですが、日本国内に住んでいる日本人は、留学者から、いくら発音して聴かせられても、両者の違いを聴き分けられなかったと思います。 日本語の固有語では、「クヮン」は、ないのですから、無理もない。

  「ウィ・ウェ・ウォ」に至っては、単独でも、二重子音として、認識できません。 日本人が発音している、「ウィ・ウェ・ウォ」は、実際には、「ウイ・ウエ・ウオ」で、二重母音ではなく、母音の連用に過ぎないのです。

  たとえば、「ウィスキー」ですが、日本語での実際の発音は、「ウイスキー」です。 「ウィ」は出せませんし、聴き取れません。 「winwin」という言葉では、自分でも、「ウ・イン・ウ・イン」と、「ウ」と「イ」をしっかり分けて発音していると思います。 無理に、「ウィンウィン」にしようとすると、「イン・イン」と聴こえてしまうのを避けようとする心理が働いているからです。

  「スウェーデン」という国名を見て、「『ウ』が余分なのでは?」と感じた事がある人は、耳が確かです。 日本人が、実際に発音しているのは、「スエーデン」です。 「ウェ」という音は、出せないし、聴き分けられないのです。 そもそも、「スウェーデン」などという書き方が、混乱の元です。 最初から、「スエーデン」と書けばいいのに。 「w」は、「ス」の中に入っているのだから、わざわざ、「ウ」を入れる必要はないではありませんか。

  「ロープ・ウェイ」も、実際に発音しているのは、「ロープーエイ」ですな。 私が函館に旅行に行った時、函館山夜景ツアーのバス・ガイドさんは、「ローペイ」と言っていましたが、恐らく、「ウェ」に抵抗感があって、気持ちが悪いので、開き直って、ざっくり略してしまったのでしょう。 全て、「ウェ」の認識が、日本語母語話者にはできないのが、原因です。

  「ウォ」も駄目で、「ウォーム(暖かい)」と言う時に、「ウオーム」になってしまうのは、自分でも意識している人が多いと思います。 練習して、慣れれば、「ウォーム」と発音する事はできますが、聴いている方は、「オーム」にしか、聴こえません。 何とも、悔しい話ですなあ。 聴き分けられないから、発音もできないのです。 そういう音は、その言語の音韻セットから、排除されてしまうんですな。

  時計の「watch」ですが、日本人は、「ウォッチ」と書くものの、実際には、「ウオッチ」と発音しています。 船に興味がある人は、同じ「watch」で、「当直」の事を、「ワッチ」と言う船舶用語を聞いた事があると思いますが、長さ的には、「ワッチ」の方が、近いです。 どうしても、「オ」が挟まってしまう。 挟まないと、通じないと思えてしまうところが、日本人が、「ウォ」を二重母音として使えていない証拠です。

  試しに、「ウオッチ」の発音にかかる時間を短くして行って、「ワッチ」と同じ長さにしてみれば、いつのまにか、「オッチ」になってしまっている事に気づくでしょう。 情けないくらいに、「ウォ」が言えないんですよ。 特に音声学に興味がない人でも、自分が、「ウィ・ウェ・ウォ」を発音できない事は分かっていて、「イ・エ・オ」と間違えられないように、「ウイ・ウエ・ウオ」と、はっきり、母音連用で対処しているところが、涙ぐましいまでに、情けない。 

  そもそも、二重母音とは何なのかと言うと、単に母音が連なっているのではなく、一つの母音から、もう一つの母音へ変化する音の事です。 長さとは関係ないので、どんなに短くても、認識できるものは、認識できます。 「ヤ・ユ・ヨ」や、子音と組み合わせない、単独の「ワ」は、日本語でも認識できるから、どんなに短く言っても、「ヤ・ユ・ヨ」が、「ア・ウ・オ」に聴こえる事はないですし、「ワ」が、「ア」に聴こえる事もありません。

  もし、世界のどこかに、「ヤ・ユ・ヨ」や、「ワ」を認識できない言語があったとして、彼らが、「ヤ・ユ・ヨ」を、「イア・イウ・イオ」で代用し、「ワ」を、「ウア」で代用してるのを、日本人が見たら、「ぶきっちょな人達だなあ」と思うでしょうが、それと同じ理屈で、日本人も、「イェ」や、「ウィ・ウェ・ウォ」を二重母音として認識している言語の母語話者から見たら、「ぶきっちょな人達だなあ」と思われているのでしょう。


  音声学とは関係ないですが、「ワッチ」で思い出した事があります。 うちの母は、沼津市の獅子浜という漁村の生まれですが、自分の事を指す時に、「わたし」ではなく、「わっち」と言います。 ほんの、数キロしか離れていないのに、私が生まれ育った内陸部では、「わたし」であって、決して、「わっち」とは言いません。

  「わっち」は、遊女用語で、江戸で、花魁などが、「わちき」と言っていたのが、変化したもの。 ≪幕末太陽伝≫という映画で、川崎の遊女達が、「わっち」と言っていましたが、それが、漁師達の間で、村から村へ、海岸線に沿って伝わり、駿河湾の奥まで、到達したものではないかと思います。 出先で遊女と接した漁師達が、家に戻って、自分の女房にも、「わっち」と言わせたのが、子々孫々に伝わったんでしょう。



【2022/11/23 水】 「ラ行音・R音・L音」

  最後に、ラ行音が残ってしまったか。 ラ行音について書こうとすると、どうしても、R音、L音についても書かなければならないので、面倒なんですよ。 というわけで、簡単にやっつけます。

  ラ行音を、日本式のローマ字表記では、「R」で書きますが、それは、便宜的な流用でして、ラ行音は、R音とは、全く違います。 L音とも全く違います。 この時点で、すでに、大混乱している方もいると思いますが、本当に違うんだから、仕方がないです。

  ラ行音とR音については、昔から誤解が罷り通っていたのですが、パソコンのキー・ボードのローマ字打ちが主流になってから、ますます、誤解の度が深まり、もはや、修正不能の領域に達している観あり。

  昔の誤解度が、今ほどではなかったのは、「R音は、巻き舌音だ」という知識を聞いた事がある人が多くて、漠然とですが、「ラ行音とは違う」という認識があったからです。 ところが、今の若い人達は、恐らく、「巻き舌」という言葉自体を、聞いた事がないのではないかと思います。 もちろん、その概念も知らない。

  日本で、英語の音声に関する理解が最も高まったのは、アメリカに占領されていた戦後間もない頃ですが、そこをピークに、少しずつ、英語との距離が開き、理解が浅くなって来て、「Rは、巻き舌」なんていう知識も、ほとんど、消えてしまったんですな。

  日本の全歴史を通じて、最も英語の発音がうまかったのは、米兵相手に売春をしていた「パンパン」や、「オンリー」の人達ですが、彼女らの発音は、耳で覚えたものなので、本物に極めて近かった事が想像されます。 次が、スチュワーデス(CA)やパーサーの人達でしょうか。 同じ、旅客機乗務員でも、機長や副操縦士になると、客と接する機会がないせいで、とんでもなく、下手糞になります。

  音声学知識に留まらず、ここ20年ほどは、新たに入って来る英語系外来語も激減し、割と最近のものというと、「リスペクト」、「リベンジ」、「リテラシー」くらいしか思い浮かびません。 「英語系の外来語は、増える一方」と思っていた人達は、認識を改めた方がいいです。 むしろ、今や、減る一方です。

  1980年代には、日本の商業楽曲のサビ部分に、英語歌詞を入れるのが大流行しましたが、今から思い返すと、滑稽千万。 一外国語に過ぎない英語を、特別カッコいいと思っていたんでしょうねえ。 ちなみに、日本人の英語知識で作った歌詞ですから、文法的にも、発音的にも滅茶苦茶で、その頃の曲を聴くと、赤面せずにはいられません。 いくら用法が理解できないからって、「the」や「a」といった冠詞を、全部抜いてしまったら、そりゃもう、英語とは言えますまいに。

  話を戻しますが、「Rは、巻き舌」という知識が失われた結果、今の若い人達は、キー・ボードのローマ字打ちを、そのまま受け入れて、「ラ行音は、R」と思い込んでしまっているわけだ。 前代未聞、本邦初公開級の、途轍もない勘違いなのですが、なんといっても、日本では、バブル崩壊後、内向き志向が強くなり、「外国語なんて、興味ない」という人間が激増したので、今後とも、修正される望みは、ほとんど、ありません。


  能書きはこのくらいにして、実際の発音の説明に入りましょうか。 ラ行音は、説明しなくても、発音できるから、いいとして、

  まず、R音ですが、舌を、スプーン状にして作ります。 スプーン状にしただけでは、不安定なので、両横の部分を、天井につけます。 前側だけ、天井から離れた状態にして、「ラ」と言えば、それが、「ra」です。 同じ要領で、「ラ・リ・ル・レ・ロ」と言えば、「ra・ri・ru・re・ro」になります。

  自然に、舌の前端が、巻いたような感じになるので、「巻き舌音」と言いますが、実際には、巻くというほど、巻かないから、中国語での用語、「反り舌音」の方が、実態に近いと思います。 コツは、舌の両横を天井につける事でして、それをやらずに、舌の前端だけ反らせようとすると、口ばかり開いてしまって、だらしのない音になります。

  次に、L音ですが、R音とは逆に、舌の尖端だけ、天井につけます。 その状態で、「ラ・リ・ル・レ・ロ」と言えば、「la・li・lu・le・lo」になります。 最初のL音が出た後、舌が天井から離れます。 L音は、舌の左右を、空気が流れて出る音なので、「側面音」と言います。


「なんだよ! そんな簡単なことかよ! 大したこっちゃねーじゃん! えっらそうに、もったいぶりやがって!」

  まあ、そう言われてしまえば、その通りなんですがね。 その大した事じゃない事を、ほとんどの日本人が知らないんですよ。 学校の英語の授業で、習った記憶がある人はいないと思います。 だって、英語教師も知らないんだもの。 このブログの読者に、中高生はいないと思いますが、念の為に断っておきますと、ここで、R音・L音の出し方が分かったからといって、英語教師に向かって、得々と解説したりするなよ。 面子を潰されたってんで、思いっきり、睨まれるぞ。

  ラ行音と、決定的に違う点は、R音や、L音は、長く伸ばせるという事です。 ラ行音は、破裂音に近いので、子音が出るのは、最初の一瞬だけです。 「ルーーー」と、伸ばすと、最初の「ル」以降は、「ウーーー」という母音だけになってしまうでしょう?

  ところが、R音は、「ruーーー」と伸ばすと、ずーっと、「r」が出続けます。 L音の「luーーー」も、同様。 ちなみに、f・s・sh・hなどの摩擦音や、m・n・ngなどの鼻音も、長く伸ばせます。 p・t・kなど、破裂音は母音だけ残ってしまいます。 チャ行音、ツァ行音は、破裂音と摩擦音がくっついた破擦音なので、最初だけ、「チ」や「ツ」が出て、後は、摩擦音だけ残ります。 「ツ」で試すと分かり易いです。 「ツ」を残す感じで、「ツーーー」と伸ばすと、いつのまにか、空気が漏れるような、「スーーー」になっています。

  おっ! また、混乱しているな! 自分の口の中の事なのに、今の今まで気づかなかった事を指摘されて、猛烈な不安に襲われている貴姉貴兄よ。 今回は、ラ行音とR音、L音の話だから、「ツーーー」が、「スーーー」になってしまう件は、忘れて下さい。 そうそう、毎回、「ウオーーーッ!」と走り去られたんじゃ、講義が進まないよ。

  ラ行音も伸ばせないから、破裂音に近いという事になります。 英語でも、「water(水)」を「ワーラー」と発音するなど、ラ行音を使いますが、その場合、英語母語話者は、「ta」だと思って、無意識に、「ラ」と発音しているのであって、ラ行音を独立した子音として認識しているわけではありません。 英語では、t音が、場合によって、t音になったり、ラ行音になったりするのです。 英語母語話者が、日本語のラ行音を聴くと、「tっぽい音の訛り」と聴こえ、Rにも、Lにも聴こえないと思います。


  ラ行音と、R音、L音は、どうしても、説明が硬くなりますねえ。 こんな事を読んでも、この内向き日本の時代、今後の人生に活かせる人は、ほとんど、いないでしょう。 つまらん世の中になったものです。


  追記。 「巻き舌」というと、「巻き舌で喋る」のように、「ベラベラ捲し立てる喋り方」の意味もありますが、R音の方は、それとは、異なる意味なので、混同しないように。 もっとも、アメリカ英語では、母音のほとんどが、Rの影響を受けているような発音をするから、正に、「巻き舌で喋る」を実行しているかのように聴こえますな。

  アメリカ英語に比べると、イギリス英語は、遥かに聴き取り易いです。 昔のイギリス映画を見ていると、役者が喋っているセリフから、知っている単語を、いくらでも拾う事ができますが、これが、アメリカ映画だと、名前くらいしか分かりません。 英語が分からない以前の問題で、何と発音しているのかも聴き取れないのだから、絶望的。




  今回は、ここまで。 次は、来月になります。

  前回、一度、説明を諦めた、「ラ行音・R音・L音」を、今回、説明していますが、正直なところ、この説明で、R音・L音を理解できた人が、多いとは思っていません。 どんなに難しく説明しても、どんなに簡単に説明しても、分からない人には、分からないのです。 音声とは、本来、耳で覚えて、口で同じ音を、自然に複製するものであって、理屈で理解するものではないからでしょう。

「子供には、世界的に活躍できる、スケールの大きな人間になって欲しいから」

  などと言って、幼稚園児くらいから、英会話教室に通わせる親がいますが、音声に限って言うなら、その年齢では、すでに遅いです。 なぜなら、3歳までに、聴き分けられる音素が決まってしまうからです。

  そんなに、英語を仕込みたいなら、3歳まで、英語母語話者の家で生活させたら、どうですかね? 育ててもらうというのでは、引き受け手がなさそうだから、昼間だけでも預かってもらうとか。 3歳以下では、手がかかり過ぎて、やはり、引き受け手がないかな?

  まあ、そんな事まで、私が心配してやる事はないか。 もう、アメリカもイギリスも、文化発信力が衰えて、これからは、英語の時代でもなさそうだし。 英語の時代ではないと言うより、AIの発展で、もはや、人間の時代ではないと言うべきか。 もちろん、言語も、人間と共に、時代に置いて行かれる事になります。

2023/01/08

読書感想文・蔵出し (94)

  読書感想文です。 ちょっと、感想文が溜まっていますねえ。 借りて来るペースは、2週間で、2冊ですから、月に一度、4冊分ずつ、感想を出していれば、そんなに溜まるはずはないんですが・・・。





≪鳩のなかの猫≫

クリスティー文庫 28
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
橋本福夫 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【鳩のなかの猫】は、コピー・ライトが、1959年になっています。 約458ページ。


  民衆革命が起きた中東の国で、脱出直前の王から宝石を託されたイギリス人青年が、同国に滞在していた姉と姪を訪ね、留守の間に、姪の荷物の一つに、宝石を隠す。 やがて、姪は、イギリスに帰国し、高名な私立学校に入る。 その学校で、教師達が立て続けに殺され・・・、という話。

  前半は、国際スパイ物の趣き。 かなり、軽薄で、本格推理小説を期待していた読者は、肩すかしを食わされると思います。 理解し難い事に、こういうのが好きな読者もいるようで、クリスティーさんも、初期の頃には、この手の、リアリティーに欠けた作品を、結構、書いていたようです。 「ちょっと、気分転換に、昔書いていた、スイスイ筆が進む話を、もう一度」というノリでしょうか。 横溝正史さんが、本格に鞍替えしてからも、戦前の作に似たパターンの通俗物を書いていたのと、似ていますな。

  舞台になる学校は、女子校なんですが、被害者も犯人も、教師側であって、生徒の方は、ほとんど、関係して来ません。 実は、一人、生徒に化けて、潜り込んでいる大人の女がいるのですが、その人も、殺人の方には関係していません。 前にも書きましたが、クリスティーさんは、子供の登場人物を嫌うんですよ。 子供では役者不足と見ていたか、はたまた、何か考えがあって、子供を犯罪に関わらせる事を避けていたのかも知れませんな。

  途中までなら、スパイ活劇にも出来るような話なのですが、ポワロが出て来て、急ハンドルが切られ、推理物に変わって行きます。 ちょっと、不自然さを感じるほどの路線変更で、もしかしたら、編集者側から、途中で、「やはり、本格推理物にして下さい」という要望が出たのかも知れません。 ポワロの登場の仕方も軽薄で、なんと、女子生徒が事務所に飛び込んできて、助けを求められ、「窮鳥懐に入らば」で、出動するのです。 ≪ルパン三世≫か?

  本格推理物に切り替わるのが遅いので、ポワロの捜査は、充分とは言い難く、ほとんど、インスピレーションで、謎を解きます。 そちらは、結構、面白いですが、さすがのクリスティーさんも、この頃になると、アイデアの焼き直しが目立つようになります。 フー・ダニットの悪い方のパターンで、犯人が他の人間でも成り立つ話になっており、その点、ちと物足りないか。

  クライマックスだけ、活劇。 つまり、そこだけは、当初の予定通りの場面を嵌め込んだわけだ。 そのせいか、ポワロ物としては、派手になり過ぎています。 派手というより、やはり、軽薄という言葉が相応しいか。 ポワロほど、銃撃戦が似合わない探偵もいますまい。 いや、ミス・マープルは、もっと、似合いませんが。

  その後で、学校の再生について、ページが割かれていますが、これは、蛇足なのでは? そんなのは、読者にとって、どうでもいい事なのであって、ただ、ページ数を稼いでいるだけのように見えます。 どうも、あまり、出来が良くありませんな。




≪複数の時計≫

クリスティー文庫 29
早川書房 2003年11月15日/初版 2009年10月31日/3刷
アガサ・クリスティー 著
橋本福夫 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【複数の時計】は、コピー・ライトが、1963年になっています。 約487ページ。


  目が見えない高齢女性の家に呼ばれた、若い女のタイピストが、男の死体を発見する。 男は、きちんとした身なりをしていたが、身元が分からない。 事件の前後で、高齢女性の家には、主が知らない置き時計が、幾つか増えていた。 やがて、同じ事務所に勤める、別のタイピストが、近くの電話ボックスで殺される事件が起こる。 たまたま、別件の調査に来ていた情報機関の青年が、事件に関わるが、さっぱり謎が解けず、知人のポワロに相談を持ち込む話。

  【鳩のなかの猫】と同じく、国際スパイ物が絡んでいます。 この頃、東西冷戦が酣わで、小説の世界でも、国際スパイ物の需要が高まっていたと思われるのですが、昔取った杵柄で、そういうのを得意にしていたクリスティーさんが、本格トリックと、国際スパイ物の融合を試みようとしていたのではないかと思われます。

  ポワロは、報告を受けて推理するだけの、揺り椅子探偵に徹しています。 聞き取りすらしないから、ポワロの動きを追って、読者が推理するのは不可能。 それでいて、謎解きをするのは、ポワロですから、実地に聞き取をして回る、情報機関の青年や、警部は、何も分かっておらず、彼らの思考を追っても、推理はできません。

  原理的に言えば、聞き取り相手の言う事を、しっかり頭に入れて行けば、謎が解けるようになっているだとは思うのですが、そこまで、気合いを入れて読む気になれませんなあ。 探偵役のキャラというのは、大変、重要なものでして、読者は、一作だけに、ポッと出てきた俄か探偵の事など、信用しません。 情報機関の青年は、実質的な主役であるにも拘らず、殺人事件の捜査に経験がないだけでなく、色ボケまでしていて、探偵役が務まるキャラとは掛け離れています。

  これを書いても、ネタバレにはならないと思いますが、時計は、怪奇な雰囲気を出すのに使われているだけで、事件とは、ほとんど、関係ないです。 なぜ、「怪奇な雰囲気」などという、ディクスン・カー的な要素が取り入れられたかというと、ポワロの登場場面に、当時、イギリスで人気があった、推理作家の面々を批評する場面があり、その中に、カー氏の名前が出て来るからだと思います。

  たぶん、「カー氏の怪奇趣味は、単に、その雰囲気を利用しているだけで、本当の読ませどころは、密室主体の本格トリックである」という事を言いたかったんでしょうな。 他の作家の批評も出て来ますが、オリバー夫人のような架空人物や、実在していても、名前を変えてある人も混じっていて、参考になりません。 その筋に詳しい人には、興味深いのではないかと思います。




≪第三の女≫

クリスティー文庫 30
早川書房 2004年8月31日/初版
アガサ・クリスティー 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【第三の女】は、コピー・ライトが、1966年になっています。 約405ページ。


  「人を殺したかも知れない」と言って、ポアロを訪ねて来た若い女が、「こんな年寄りとは思わなかった」と言って、帰ってしまう。 ムッとしたポアロが、女の身元を探ると、彼女は、はるか昔に家を去り、最近、南米から戻った父親と、その後妻の二人と、うまく行っておらず、友人のアパートに転がり込んでいた。 ポワロは、まず、彼女が誰を殺したのか、そこから、捜査を始めたが、彼女の行方が分からなくなり・・・、という話。

  この話、ドラマ版の方では、オリバー夫人が、怪しい青年の尾行を試み、ポカンと殴られて、意識を失うところだけ、覚えています。 その場面は、原作にもあって、そこだけ、活劇調と言えなくもないですが、別に、面白いわけではないです。 ポワロ物には、計画殺人以外の暴力は、全く似合わないわけだ。

  オリバー夫人が単独で動く場面を除き、ポワロは、最初から最後まで、出ずっ張りです。 にも拘らず、スマートに捜査が進まないのは、ポワロ自身が、大いに悩むからです。 こういうパターンは、 素人探偵物なら、普通ですが、天才探偵物では、珍しいです。 ホームズにせよ、ポワロにせよ、天才は悩んだりしないのであって、本来なら、あってはならないパターンなのですが、たぶん、クリスティーさん、少し、趣向を変えてみたんでしょうな。

  ポワロが、なぜ、なかなか、真相に辿り着かないか、理由がありまして、集まった材料が多過ぎて、どれがどこに当て嵌まるのか、パズルの組み立てができないというもの。 しかし、それは、作者が用意した言い訳に過ぎず、読者側としては、「今までの事件でも、同じくらい、材料が多かったものは、いくらもあったのに、スマートに解いて来たではないか」というツッコミも可能です。

  それが証拠に、謎解きの段になると、既視感を非常に強く覚えるのです。 なりすまし物でして、どの作品と即答できないものの、以前に、他のクリスティー作品で、同じようなパターンを読んだ事があるような気がしてならぬ。 やはり、本格推理物は、アイデアが出尽くしているのであって、1966年では、焼き直しがあっても、無理はないか。 いかに、天才の誉れ高い、クリスティーさんであっても。

  夫婦で対になっているはずの肖像画の内、夫のものだけが、別の場所に移されている、というのは、独自性のあるアイデア。 また、若い女が、薬物の影響で、自分が何をしたのか自分で分からなくなってしまっている、というのも、この作品の独自アイデア。 他には、これといって、見るべきものがないですねえ。

  ドラマ・シリーズでは、後ろへ行けば行くほど、長編原作の話が増えて、ファースが後退し、シリアスになって行くのですが、終わりに近づくと、長編原作も、晩年の作品ばかりになり、内容的は、むしろ、衰えます。 致し方ない事とはいえ、寂しいものですな。




≪ハロウィーン・パーティ≫

クリスティー文庫 31
早川書房 2003年12月15日/初版 2017年8月15日/6刷
アガサ・クリスティー 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ハロウィーン・パーティ】は、コピー・ライトが、1969年になっています。 約417ページ。 「パーティ」となっていますが、「パーティー」と読ませたいのでしょう。 「クリスティー」は、「クリスティー」なのに、「パーティー」は、「パーティ」と書くのは、統一性がありませんな。


  富豪の屋敷に、十代の子供達を招いて開かれたハロウィーン・パーティーで、「過去に、人が殺されるのを見た事がある」と吹聴していた女の子が、リンゴと水が入ったバケツに顔を押し込まれて、殺される。 パーティーに参加していたオリバー夫人から依頼され、ポワロが出張るが、死んだ女の子は、話を大袈裟に語る事で有名で、周囲の誰も、「殺人を見た」という話を信用していなかった。 ポワロは、丹念に聞き取り調査を重ねて、富豪の遺産相続が絡んでいる事を突き止め・・・、という話。

  形式的には、フー・ダニットですが、話が複雑過ぎて、ピンと来ません。 女の子が殺された事件と、女の子が見たという、過去の殺人事件と、同時進行で調査して行くから、読んでいる方は、頭が混乱してしまうのです。 ちなみに、もう一件、続いて殺人が起こり、更にもう一件が企まれます。

  ピンと来ないのは、犠牲になるのが、専ら、子供でして、クリスティーさんが、子供に興味がない人である事が分かっているので、「死ぬのが子供じゃ、大した話じゃないんだろう」と、見透かせてしまうからです。 実際、命を狙われる子供達について、一人たりとも、気の毒な感じがしません。 私がそう思っているのではなく、クリスティーさんがそう思っているから、そうとしか読めないのです。

  水に関する、ささやかなトリックが使われますが、本格推理物にする為に、取って付けたような感じがしないでもなし。 犯人は、読者からみて、根拠なく最初に感じる、「こいつが怪しい」と思った人物が、その一人です。 犯人が分かると、「なんだ、やっぱり、この人だったのか」と、逆に、意外な感じがします。 こんなに素直なのは、クリスティー作品らしくないと・・・。

  ポワロが出ずっぱりなのは、そろそろ、最後の作品になると予期して、愛着が再湧したのかも知れません。 それにしても、これは、出番が多過ぎなのでは? ポワロ中心に話が進んでいるのに、なかなか、真相に辿りつかないのは、天才型探偵らしくありませんな。

  オリバー夫人は、いつもの突飛な発想が少なくて、些か、存在感が薄いです。 リンゴ好きだった夫人が、リンゴのバケツが殺人に使われたせいで、リンゴ嫌いになるのですが、もしかしたら、オリバー夫人を、クリスティーさん本人と見做した愛読者達が、リンゴばかり送って来るので、それをやめさせる為に、リンゴ嫌いに変えてしまったのかも知れません。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪鳩のなかの猫≫が、7月14日から、17日。
≪複数の時計≫が、7月19日から、23日。
≪第三の女≫が、7月28日から、30日まで。
≪ハロウィーン・パーティ≫が、8月1日から、4日まで。


   この記事が出る時には、もう、2023年になっているわけで、前年の夏に読んだ分の感想を出しているのだから、感想文が溜まりまくっている証拠ですな。 読んでも読んでも終わらないのが、クリスティー文庫なんでしょうか。

2023/01/01

私の2022年

  例年、その年最後の更新で、一年を振り返る記事を書いているのですが、去年の12月は、他の記事で埋まってしまったので、今回は、年明けに、やります。 毎回書いていますが、全て、私個人の身の周りで起こった事に限定し、世間で起きた事は、極力、書きません。




  例年通り、個人年表から、何が起こったかを振り返ります。

【2022(R4)58歳】
  母胸痛。 ガス点検。 シーサー換水録。 華為E5577で4G化。 電話子機バッテリー。 受話器。 トイレ・ブラシ。 スマホ計画。 車AC漏れ修理剤。 車検・爪剥がれ。 父七回忌。 電気ポット。 手首血圧計。 バイクコケ。 台所蛍光管換。 扇風機換。 折自前後タイヤ換。 インター・ホン子機バッテリー換。 ハンガー吊るし棒。 自レコーダー不調。 大冷蔵庫不調。 台所湯蛇口コマ換。 居間レコーダー改善。

  これだけだと、私にしか意味が分からないので、個別に説明します。


【母胸痛】
  2月に、母が、胸の痛みを訴え、寝たきりになりました。 約20日間、自室とトイレを往復する事しかできず、食事は、一日三度、私が作って、運び続けました。 詳しくは、2022年5月1日、「寝たきりの母 (前編)」、同8日、「寝たきりの母 (後編)」の記事を参照の事。


【ガス点検】
  3月末に、ガス器具の点検が来ました。 新型肺炎の流行が始まってから、うちに足を踏み入れたのは、ガス店の人だけで、この時が、2回目。 大変な苦労をして、台所のガス・コンロ周りから、旧居間へ、物を逃がし、窓は全開。 万全の態勢で、迎え入れました。 3分もかからずに終わりましたけど。 次は、4年後なので、もう、新型肺炎は終息しているでしょう。


【シーサー換水録】
  ビッグローブの、ウェブリブログでやっている、日記ブログ、≪換水録≫ですが、ウェブリブログが、2023年1月末で終了するというので、4月に、推奨移転先のシーサー・ブログに、≪シーサー換水録≫を作りました。 詳しくは、2022年6月5日、「ブログ≪換水録≫の移転」の記事を参照の事。

  以後、9ヵ月間、両方に、同じ記事をアップして来たのですが、もうすぐ、それも終わりです。 楽になる反面、片方、消えてしまうわけで、なんだか、寂しくなりますねえ。


【華為E5577で4G化】
  これも、ビッグローブですが、ブログとは関係なく、モバイルSIMのプロバイダーとしてのビッグローブの方です。 9月末までで、3G端末が使えなくなるというので、4月に、4G端末、「華為E5577」を中古で購入し、その時点で、4G通信に切り替えたもの。 詳しくは、2022年6月12日、「モバイル接続の4G化」の記事を参照の事。

  9月末に、3Gサービスは終了したわけですが、私は、とっくに切り替えていたので、何の変化もなく、かなり過ぎてから、終了した事に気づきました。 苦労した甲斐があったと思うべきか、はたまた、単に、電話会社の事情に振り回されただけと見るべきか。


【トイレ・ブラシ】
  なんで、こんな項目が入っているんだ? まあ、いいか。 5月に、一階トイレ用のトイレ・ブラシをセリアで買って来て、古いのと取り換えたのです。 トイレ・ブラシなんて、滅多に換えないから、一応、書いておこうと思ったんでしょう。 古いのは、新聞紙で巻き、燃やすゴミの袋に入れて、捨てました。 そういう決まりなのです。


【電話子機バッテリー】
  5月に、二階の廊下に置いている、固定電話子機のバッテリーが死んでしまい、互換品に買い換えたもの。 700円くらい。 


【受話器】
  同じく、5月。 居間に置いてある固定電話本体の受話器が、何年も前から使えなくなっていたのを、修理を試みたものの、敢えなく失敗し、意地になって、新品の受話器を購入したもの。 800円くらい。 といっても、うちでは、子機での通話に慣れてしまっており、本体の受話器は、まず使いません。 無駄な出費の典型ですな。


【スマホ計画】
  6月。 母に、スマホを買ってやろうという計画を実行しました。 これは、結構、苦労したな。 詳しくは、2022年8月7日、「母にスマホ計画 (前編)」 同14日、「母にスマホ計画 (後編)」の記事を参照の事。

  その後ですが、予想した通り、母は、病院から迎えを催促する連絡を入れて来る時以外、スマホを使っていません。 専ら私が、食後の団欒に、ニュースを見るのに使っています。 スマホに出て来るニュースは、ほとんど、ニュースとは言えないものばかりですな。 お笑い芸人が、何について何を言ったかなんて、どーでもいーというのよ。


【車AC漏れ修理剤】
  梅雨明けの6月末に、車に、エアコン漏れ修理剤と、ガスを追加充填しました。 修理剤の効果はなくて、8月が終わる頃には、ガスがまた、抜けてしまいました。 4000円もしたのに。 来年からは、その製品を使う気はないです。


【車検・爪剥がれ】
  7月初旬に、車検。 車をディーラーに置きに行った帰りに、徒歩で、12キロ歩いて戻ったら、両足の親指の爪が死んでしまいました。 剥がして、新しい爪が伸びるのを待っている途中ですが、半年経って、左は、9割くらい、右は、6割くらい。 それでも、治りつつあるのは、ありがたいです。 いずれ、元に戻ったら、さぞかし、感動するでしょうねえ。


【父七回忌】
  8月初旬に、お寺に頼んで、父の七回忌を、やってもらいました。 家族は参加せず、お寺の本堂で、御住職一人で、お経を上げて貰った次第。 新型肺炎禍の今は、どの家も、それが、普通のようです。 無理に、人を集めて、感染の坩堝を作ってしまっては、後々、責任が取れませんからのう。

  終わった後で、私が、お礼を届けに行ったのですが、双方マスクなので、そのくらいでは、感染の危険は低いです。


【電気ポット】
  8月初旬に、台所の電気ポットが壊れて、買い換えたもの。 三回連続で同じ品を買っています。 前々回と前回は、どちらも、6年で壊れました。 今使っているのが、何年もつかは、興味のあるところ。


【手首血圧計】
  9月初旬に、母が使っていた、血圧計が使えなくなりました。 穴が開いていて、腕を差し込んで計るタイプ。 壊れたのではなく、母が痩せたせいで、上腕の肉が弛み、正確に測定できなくなってしまったのです。

  同じ物を買い直しても、意味がないので、「手首式」というのを買って、母に渡しました。 自分で巻くタイプですが、上腕ではなく、手首なら、片手でも装着し易いのです。 その後、順調に使っている模様。


【バイクコケ】
  9月下旬に、バイクで、重寺の白山神社へ行った時、急坂の途中で停まってしまい、下りて、少しずつバックさせていたら、バイクの重さを支え切れずに、引っ繰り返ってしまいました。 これは、痛かった。 特に、腰が。 粘り過ぎずに、さっさとコケてしまった方が、腰の損傷は少なかったでしょう。 バイクも、壊れましたが、そちらは、私の腰ほどではなく、すぐに、補修できる程度でした。

  詳しくは、2022年10月30日、「EN125-2Aでプチ・ツーリング (37)」と、同11月13日、「EN125-2A補修 ⑭」の記事を参照の事。

  腰は、その後、一ヵ月近く、ギクシャクしていました。 今は、ほぼ治っていますが、完全に元通りというわけではありません。 体は消耗品なのだなと、つくづく、反省した次第。


【台所蛍光管換】
  9月末に、台所天井灯の、40ワット丸型蛍光管が切れてしまい、実店舗だと高いので、アマゾンで注文して、10月初めに交換しました。 前回の実績から推して、5年くらい、もつと思います。


【扇風機換】
  自室の壁掛け扇風機が、回りが悪くなり、軸にグリスをさしたり、分解して、グリス・ボックスをグリスで満たしたり、努力したもの、復帰させられませんでした。 10月末に、新しいのを買って、壊れた方は、11月に、埋め立てゴミに出しました。


【折自前後タイヤ換】
  月に一度のポタリングに使っている、折り畳み自転車、「レイチェル OF-20R」ですが、タイヤが、ツルツルになり、繊維が出始めたので、11月初めに、前後とも、交換しました。 タイヤは、アマゾンで買って、2本で、2280円。 だいぶ、もちそうなパターンなので、もしかしたら、折自のタイヤを交換するのは、これが最後になるかも知れません。


【インター・ホン子機バッテリー換】
  二階の廊下で使っている、インター・ホン子機のバッテリーが死んでしまいました。 よく、物が壊れる。 5月に買った、電話子機バッテリーと同じものだったので、同じ互換品を買い、交換しました。


【ハンガー吊るし棒】
  居間の縁側に、洗濯物の角ハンガーなどを吊るせるように、物干し竿を付けてあるのですが、その端の方に、母が上着を10着くらい、普通のハンガーに掛けて、吊るし並べてある部分があります。 ここ数年、母の背が縮んでしまい、背伸びして、やっとの事で、引っ掛けている様子を見て、転倒でもされたら、まずいと、前から思っていたのです。

  で、いよいよ、対策を取る気になり、12月9日に、物置から、水道の塩ビ・パイプの細いのを探して来て、S字フック2個で、物干し竿から吊るし、10センチほど低い位置に、長さ50センチほどの、ハンガーを掛けられる部分を作りました。 それ以降は、楽に掛けられるようになった次第。


【自レコーダー不調】
  12月10日に、自室で使っていた、ブルー・レイ・レコーダーが壊れました。 もう、嫌になります。 エラー・メッセージが出てしまい、操作不能。 電源プラグを抜き挿ししたり、リセット・ボタンを押したりしても、復帰しません。 まずい事に、BSアンテナの電源を、私のレコーダーから供給していたので、家中のテレビ、レコーダーで、BSが映らなくなりました。 なぜか、他の部屋の機械からだと、電源供給が利かないのです。

  やむなく、新しいのをアマゾンで注文したのですが、その後になって、駄目元で、リセット・ボタンを乱れ押ししていたら、まさかの復帰。 大慌てで、注文をキャンセルした次第。

  録画中の追いかけ再生で、早送りにすると、フリーズしてしまったり、電源が入っていない状態で、予約録画が始まると、エラー・メッセージが出て、操作を受け付けなくなったり、問題はありますが、それらをやらなければ、何とか使える模様。 そうそう、あれこれ、買い換えてばかりいられないので、完全に壊れるまで、騙し騙し使う所存です。


【大冷蔵庫不調】
  12月12日の、夕飯の最中。 台所に置いてある、大きい方の冷蔵庫(355リットル)が、突然、ゴトゴト言い始めました。 モーターが振動している模様。 食事中は、音が収まらず、食事が終わってしばらくしたら、静かになりました。 その後、不再現。 2002年に買ったものだから、そろそろ、寿命でしょう。

  一応、次の候補を、ネットで探しておきました。 今あるのは、サンヨー製ですが、AQUAに、ほぼ、同じ品がありました。  AQUAは、ハイアルが買い取った、旧三洋電機の白物家電部門なので、似たような品があっても、不思議はないです。 リサイクル費用も入れると、10万円くらい。 冷蔵庫というのは、200リットルを超えると、急に値段が高くなるようですな。


【台所湯蛇口コマ換】
  台所の蛇口の、お湯の方ですが、締まりが悪くなって、普通に締めると、漏れが止まらず、もう一回、強く締め込むと、ようやく、止まるという、不便な状態になっていました。 12月18日に、ホーム・センターで、純正品の水栓コマを、648円で買って来て、翌19日に、交換しました。

  交換自体は、前にもやった事があります。 止水栓の場所が分かれば、コマ交換くらいは、誰にでもできます。 工具も、千枚通し、プラス・ドライバー、モンキー・レンチくらいで、特別な物は要りません。 水道屋に頼むと、工賃だけで、数千円取られる事もあるようなので、ネットでやり方を調べて、自分でやった方が、得。


【居間レコーダー改善】
  居間のレコーダー。 専ら、使っているのは母なのですが、レコーダーのリモコンを、テレビに向けて操作し、「動かない」を連発します。 私が何度、「レコーダーのリモコンは、レコーダーに向けなければ、動かない」と説明しても、一向に理解しない様子。 昔は、こんなじゃなかったんですがねえ。

  というわけで、12月28日に、居間のテレビ台の中の配置を変更。 ケーブル・テレビのチューナーを下にし、レコーダーを上に上げました。 レコーダーの位置が、テレビに近づいたから、少しは、マシになるはず。 今までは、レコーダーの上に、チューナーを直か載せしていたのですが、新たに、レコーダーを載せる台を作りました。 材料は、お歳暮でもらった佃煮のビン4個と、そうめんの箱の蓋ですけど。

  ついでに、リモコンの、「テレビ/レコーダー・切り替えスイッチ」が、緩くなっていて、レコーダーを操作したいのに、しょっちゅう、テレビ側になってしまっていたのを、スイッチの隙間に、詰め物をして、レコーダー側から動かないようにしました。 こちらも、少しは、マシになるはず。




  以上。 今年を、一言で言い表すなら、「続・いろいろなものが壊れた年」ですな。 ちょうど、そういう更新時期に当たってしまったんでしょうねえ。 ちなみに、機械が、いつか壊れるのは、当たり前の事で、「運が悪い」とか、「神に見放された」とか、「誰かに呪われている」とか、「厄年だ」とか、「マーフィーがいる」とか、そういった事は、一切、関係ありません。 「誰かが、壊しに来ている」というところまで行くと、被害妄想の世界に、片足突っ込んでいるので、要注意。

  一番、参ったのは、【母胸痛】で、てっきり、母がもう、死んでしまうかと思いました。 次が、【バイクコケ】で、これは、私の腰が、なかなか治らず、「もしかしたら、車椅子生活や、寝たきり生活になるのでは?」と恐れましたが、何とか、回復しました。 次は、【車検・爪剥がれ】で、車検そのものは、割と順調に済んだものの、足の指の爪剥がれは、予想外で、馬鹿な事をしてしまいました。 半分だけでも、バスで戻って来れば、そんな事にはならなかったものを。

  年表に書き込んでいない事で、毎年、苦労しているものに、【植木手入れ】と、【お中元・お歳暮の受け取り】があります。 どちらも、年二回ですな。 植木手入れは、腰が痛いと、お手上げなのですが、何とか、冬の手入れまでに、治ってくれて助かりました。 もっとも、腰が痛くなくても、重労働である事に変わりはないですが。 亡夫も、困ったものを遺してくれたもの。

  【お中元・お歳暮の受け取り】は、宅配便は、インター・ホンで、「そこへ置いて行って下さい」と言えば、それで済むからいいのですが、郵便局のゆうパックが厄介で、未だに、対面で、ハンコか署名を求められます。 まったく、時代感覚がなっていない。 対面する事に、何の利点があるというのだ? 感染リスクを上げるだけではないか。

  お歳暮では、一計を案じ、玄関ポーチに外用の椅子を置いて、シャチハタのハンコと椅子の足を凧糸で繋ぎ、門扉を閉めておきました。 インター・ホンで、「そこのハンコを押して、置いて行って下さい」と言ったら、それで通りました。 三回やって、三回ともOKでした。 向こうが欲しいのは、ハンコであって、別に、対面したいわけじゃないんですな。

  この方法ですが、「留守の時の方が多い」とか、「門扉がない」とか、あるけど、「門の外から、ハンコが丸見え」とか、そういう家では使えません。 シャチハタのハンコを盗まれても、認印ですから、悪用のしようがありませんが、それでも、数百円はするわけで、結構、痛いと思います。