2021/05/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑳

>  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、20回目です。 すでに、在庫放出は終わったので、今回からは、その月の最終週に、前月に行った所を出すようにします。 なに、何を言っているのか、よく分からない? それは、無理もない。 勝手に決めた私一人が分かっているわけですな。 具体的に説明しますと、つまり、今回は、5月の最終週でしょう? だから、前月、つまり、4月に行った所の分を出す、という意味です。





【三島徳倉・八乙女神社①】

  2021年4月6日に、三島市徳倉にある、「八乙女神社」に行って来ました。 箱根の麓ですが、国一よりは、ずっと北側です。

≪写真1≫
  思いっきり、傾斜地にあります。 この一帯は、古い集落で、この神社が、その中心だったようです。 なぜ、そう思うのかというと、近所に、他の神社がないから。 バイクを停める場所がなくて、向かって右側の坂道の路肩に停めました。

≪写真2左≫
  石段の踊り場にある、鳥居。 コンクリート製。 名額もなく、シンプルなもの。

≪写真2右≫
  鳥居の近くにあった、石燈籠。 丸っこいですな。 石燈籠の世界にも、ポップ・デザインがあると見えます。 面白い。

≪写真3左≫
  手水舎。 屋根は、銅板葺き。 漱盤は、前面にヒビが入っていて、すのこで蓋をしてありました。 水が漏れてしまうのかも知れません。 水を溜めるのが目的ではないから、漏れても、別段、問題はないと思いますが。 蛇口は、パイプだけ、突き出していました。 ハンドルは、下の方にあるのかも。

≪写真3右≫
  境内別社。 二つありました。 手前のは、別社にしては、大きなものでした。 主な社殿が、これよりも小さい神社は、いくらでもあると思います。

  解説板によると、境内別社は、全部で九つあるらしいです。 建物を共有しているのか、私が、他のを見つけられなかっただけなのか。 元は、徳倉地区の、あちこちに散在していたのを、大正時代の初めに、ここに集めたとの事。

≪写真4左≫
  狛犬は、オーソドックスな、戦後・唐獅子型。

  奥に写っている石燈籠は、断面が六角形のタイプ。 神社の場合、断面が、四角形タイプ、六角形タイプ、円形タイプなど、何でもアリですが、お寺の場合、四角形タイプは、見た事がありません。

  右端に写っているのは、ブランコです。 静岡県の駿東部では、境内を児童公園にしている神社が、ちょこちょこと、見られます。 そういう事は、土地によって違いがあり、「事実上、子供の遊び場になっているが、遊具は置かない」という所もあれば、信心が深甚で、「子供が遊ぶのも、不可」という所もあると思います。

≪写真4右≫
  レイアウトの都合上、ここに持って来ましたが、一番上の写真の、石段の脇で咲いていた、躑躅です。 品種名は、不詳。

≪写真5≫
  社殿を正面から。 鉄筋コンクリート製ですが、堂々たる建物です。 屋根は、銅板葺き。 この距離で、障碍物なしに撮影できる事からも分かるように、手前に、かなり広い空間があります。 山裾とは思えないほど、境内が広いのです。

  社殿の手前、左右にある、大きな石燈籠を、覚えておいてください。 次回に、大きい写真を出しますから。




【三島徳倉・八乙女神社②】

≪写真1≫
  八乙女神社の、社殿手前に鎮座する、大石燈籠。 高さは、ゆうに、3メートル以上あると思います。 この、凝った彫刻に注目。 竿に龍が絡みつき、火袋に獅子が吼え、宝珠の上で鷹が羽ばたいています。 これは、大作にして、力作だわ。 値段も高かったでしょうねえ。

  こういうのを見て、「やり過ぎ」とか、「下品」とか思う人もいるかと思いますが、そんな事はないです。 あちこちの神社を、三十社くらい見て回れば、自然と分かって来る事ですが、基本的に、神社アイテムは、何でもアリでして、こういう豪勢な石燈籠を奉納できるという事は、それだけ、氏子に、資金力やエネルギーがあるという事なのです。

≪写真2左≫
  社殿の側面。 左右に、翼が出ています。 伊豆長岡の日枝神社でも、同じような様式を見ました。 この翼ですが、たぶん、神社建築用語で、名前がついていると思います。 ネットで調べるのは、わけない事ですが、用語を知ってしまうと、用語ばかり使うようになって、分かり難い文章になってしまうので、敢えて、調べません。

≪写真2右≫
  翼の後ろに、本殿がありました。 拝殿と正殿が、短い廊下で繋がっているタイプ。 翼には、本殿を隠す役割があるのかもしれません。 伊豆長岡の日枝神社では、翼の後ろを確かめて来なかったのですが、同じようになっていた可能性あり。 しかし、それを確かめる為だけに、もう一度行く気にはなりませんなあ。 今後、近くに行ったついでの時に、見てみる事にします。

≪写真3左≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、氏子一同によって立てられた、解説板です。 正面の石段登り口の横にあります。 祭神、天鈿女命(あのうずめのみこと)。 あの、天岩戸を開く為に、踊った人です。 人ではなく、神ですが。

  珍しい。 しかし、記紀神話の神が祭神になっている場合、明治になって、宛がわれたケースが多いので、元は、全然違う神を祀っていた可能性もあります。

≪写真3右≫
  バイクを停めた道路脇で咲いていた、タンポポ。 こんな日陰でも、健気に咲くのだな。

≪写真4≫
  境内の横を通る坂道。 バイクを停められる場所が、ここしかありませんでした。 境内の横から、車を入れられるようになっているのですが、そこは、塞がれていました。 もちろん、車も停められません。 つまり、他所者には、なるべく、来て欲しくないわけだ。 神社を管理している氏子側としては、当然の事でして、別に、その点に不平を言うつもりはないです。

  他所者としては、常に、「見せていただく」という姿勢を忘れないように心がけています。 神に対して、というより、氏子の人達に対して。 私は、どの神社に行っても、お参りはしないので、神には、無縁。 氏子の人達が、その神社を、どう思っていて、どう扱っているか、そちらに興味があります。




【裾野麦塚・見目神社①】

  4月15日、バイクで、裾野市麦塚にある、「見目神社」へ行って来ました。 「見目」は、「みるめ」と読むらしいです。

≪写真1≫
  裾野市の南の端、三菱アルミの工場の東側にあります。 附近まで行けば、大きな鎮守の森で、場所が分かります。 鳥居も、標柱も、割と新しい物。

≪写真2左≫
  入り口が、橋状になっています。 下に、結界の川があるという見立て。 実際には、川はありません。 手前にある石は、以前の鳥居の礎石だと思います。

≪写真2右≫
  境内は、大きく分けて、二段になっています。 下の段は、広いです。 おそらく、昔は、下の段も、森になっていたのでは?

≪写真3左≫
  下の段にある、流し。 これは、手水場ではないです。 あまりにも、実用的過ぎる。

≪写真3右≫
  下の段の一隅に、遊具あり。 滑り台と、鉄棒。 境内を、児童公園にするのは、駿東地区では、珍しくないです。 といって、そんなに多くもないですが。

≪写真4左≫
  下の段にあった、椅子。 たぶん、石製。 痔になるから、石の椅子には、長時間、直接、座らない方がいいと言いますな。 体温を奪われないように、何か敷けばいいわけですけど。 

≪写真4右≫
  下の段から、上の段に上がる石段があり、その踊り場に、まだ新しい石燈籠が立っていました。 寺社共通の、断面・六角形タイプ。

≪写真5左≫
  本殿。 木造・瓦葺き。 昭和の戦前・戦中くらいですかね。 「疫病終息祈願」の、幟旗あり。

≪写真5右≫
  狛犬。 獅子タイプ。 昭和60年とあります。 つまり、1985年。  「カワイイ系」というか、「ファニー系」が入っていますな。




【裾野麦塚・見目神社②】

≪写真1≫
  鎮守の森の空。 半分、山です。 杉・檜の高木あり。

≪写真2≫
  石段の上から、下の段を見下ろした景色。 下の段の広さが、良く分かると思います。 ゆうに、運動会ができる広さ。

≪写真3左≫
  拝殿・本殿の側面。 複雑な形状の建物です。 本殿の屋根が、一般住宅風の切り妻になっているのが、興味深い。 

≪写真3右≫
  境内別社。 たくさん、ありました。 独立した建物が、神武社、神明社、祇園社、北野社、吉田神社。 三社ずつ纏められていたのが、耳石社、風社、姥社と、八幡社、愛宕社、今川社。 もしかしたら、見落として来ただけで、もっと、あったのかも。

≪写真4左≫
  上の段の、流し。 しかし、こちらは、手水場として、設置されているようです。 それが証拠に、「手水の作法」という絵入り解説板があります。

≪写真4右≫
  解説板、「手水の作法」。 以前、他の神社で、「手水のつかいかた」という、赤地に白の水玉ワンピースを着た女の子の、絵入り解説板を見た事がありますが、そちらは、絵が3枚で、ずっと、簡単なものでした。 こちらでは、絵の枚数が、2倍に増えており、良く言えば、より丁寧に、悪く言えば、より口うるさくなっています。

  ちなみに、私は、見学はしても、参拝はしない人間なので、手水を使った事はないです。 柄杓なんて、問題外で、あんなのは、病気をうつす為に置いてあるようなもの。 温泉の脱衣所マットと、感染推進アイテムの双璧を成していると思っています。

≪写真5左≫
  境内で咲いていた花。 タンポポそっくりですが、名前は、野芥子(ノゲシ)です。 背が高くなるのと、葉っぱが、茎を巻くようにして出るのが、特徴。 うちの庭にも、あります。

≪写真5右≫
  境内の隣にある、公会堂のような所の敷地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 後輪タイヤを写しました。 乾いた路面でしか乗らないので、まだまだ、もちそうです。

  このタイヤは、デフォルトではなく、前の持ち主が換えた、「ダンロップ TT100GP 90/90-18」です。 7500円くらいします。 もっと安いタイヤだと、4000円台からありますが、前後で、別のタイヤになってしまうと、何となく気分が悪いので、もし換えるとしたら、7500円、払う事になると思います。 高いですが、私の使用頻度から考えて、タイヤ交換をするとしても、後輪を、あと一回だけで、最後になると思うので、3000円程度の価格差は、受け入れられます。




【長泉町名米里・八幡神社】

  2021年4月20日に、バイクで、長泉町の名米里(なめり)に行って来ました。 「神社が、2ヵ所か、3ヵ所あるはず」という大雑把な下調べで、出かけました。

≪写真1≫
  最初に見つけた、「八幡神社」。 住宅地の細い道路に面しています。 ここに神社がある事を調べた上で来ないと、まず、見つけられません。 境内は、お世辞にも広くはないです。 鎮守の森の木は、よく手入れされています。 バイクを置く場所がないので、道路脇に停めました。 車で来ても、道路以外に、停める場所はないです。

≪写真2左≫
  鳥居の名板。 神社によっては、名板を額に入れてある鳥居もあるわけですが、本来、鳥居のこの部分は、名前を入れる為の部品なのかもしれませんな。 

≪写真2右≫
  社殿。 変わっています。 拝殿が小さいというより、前方に飛び出している幅の狭い部分は、エントランスなのではないでしょうか。 階段も、垂直面が抜けた、神社らしくないものです。 強いて、似た雰囲気の建物を探すと、ロッジや、コテージでしょうか。 大変、面白い。 この写真では、分かりませんが、扉に、賽銭投入口らしき穴が開いています。

≪写真3左≫
  社殿を、側面から見ました。 建物の後ろにも、飛び出した部分がありますが、この中が、本殿になっているのではないかと思います。 という事は、建物本体が拝殿で、やはり、前方の突出部分は、エントランスという事になりますな。 うーむ、面白い。

≪写真3右≫
  手水場。 自然石を穿った、漱盤。 写真では、木と一体になっているように見えますが、他の角度からみると、ちゃんと分かれています。 蛇口はありますが、ハンドルは外されています。

≪写真4左≫
  境内に、水準点がありました。 水準点マニアは、こういうのを見逃さないんでしょうね。

≪写真4右≫
  少し北に行った所にある、高架道路。 伊豆縦貫道のもので、まだ、新しいです。 こういう風景は、なんというか、そのう、人の心を押し潰すような圧迫感がありますねえ。




【長泉町名米里・山神社】

≪写真1≫
  伊豆縦貫道から、少し南に戻ると、黄瀬川沿いに、「山神社」がありました。 社殿は、木造、トタン葺き。 かつて、大きな神木があったようですが、切り株だけになっていました。

  ここも、境内が狭くて、バイクは、道路に停めました。 車では、来ない方が無難。 神社の向かいは、個人のお宅でして、道路を塞いでしまうと、まずい事になると思います。

≪写真2左≫
  鳥居の名板。 「山神」とだけあります。 これだけだと、「山神社(やまじんじゃ)」なのか、「山神神社(やまがみ・じんじゃ)」なのか、紛らわしいですが、「山神社」が正しいようです。 この板、鉄製ですかね? 少し、怖いです。

≪写真2右≫
  社殿の扉のガラスに開けられた、賽銭投入口。 ガラスを切るのは難しくて、余計な部分まで、割れてしまっています。 プロのガラス屋さんの仕事ではないようです。

≪写真3左≫
  これこれ。 境内の隅にあった、この建物。 大きさ的には、物置くらいですが、なんと、↓

≪写真3右≫
  「上組山神社 寶物殿」と、あります。 神主が住んでいない神社で、宝物殿があるのを見たのは、ここが初めてです。 大変、興味深い。 中を拝見したいところですが、時節柄、人様を煩わせるのは、以ての外なので、諦めました。

≪写真4左≫
  境内に置いてあった、ベンチ。 高級品ですな。 この神社は、意想外な物が多いです。

≪写真4右≫
  境内に咲いていた花。 花だけ見ると、潮菊や磯菊に似ていますが、葉は、多肉食物のような感じで、まるで違っています。

≪写真5≫
  境内の、すぐ横が、黄瀬川です。 ダイナミックな景観ですな。




【長泉町名米里・日吉神社】

  2社、見たので、帰りかけたのですが、すぐ近くで、もう1社見つけてしまい、そこにも寄りました。

≪写真1≫
  「日吉神社」です。 この日に寄った中では、最大。 といっても、村社クラスですけど。

≪写真2左≫
  社殿。 木造、銅板葺き。

≪写真2右≫
  手水場。 左に、自然石の漱盤がありますが、これは、引退している模様。 中央の流しが、現役のようですが、蛇口のハンドルは外されています。 流しの右側の台は、何なんでしょう? 物を置く場所でしょうか? もしや、井戸水で、この下に、汲み上げポンプのモーターが入っているとか?

≪写真3左≫
  境内別社。 詳しく見ては来ませんでした。 「疫病終息祈願」の幟旗があります。

≪写真3右≫
  社殿の側面。 拝殿と本殿が、別建物で、短い廊下で連結されている様式。 拝殿の横の窓には、シャッターが付いています。

≪写真4左≫
  神社の裏手は、児童公園になっています。 たぶん、昔は、鎮守の森だったんでしょうな。 神域を子供の遊び場に変えてしまうのは、駿東地区では、よくある事です。

≪写真4右≫
  神社の南側にあった、この建物。 公会堂のような趣きですが、地図には、名前が載っておらず、よく分かりません。

≪写真5左≫
  児童公園で咲いていた、タンポポ。 野芥子と比べると、タンポポの花は、やはり、大きいです。

≪写真5右≫
  同じく、白詰草。 この花は、大抵、一部が欠けていますな。 赤詰草は、完全な形が多いですが。

≪写真6左≫
  神社の西側にある、長泉町指定有形文化財、「仏名碑」。 「観音弥勒」、「文殊普賢」といった文字が彫ってあります。

≪写真6右≫
  神社の鳥居前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 参道らしき細い道を走って、ここまで来ました。 バイクだから、できる事。 車で来る場合、幹線道路の、県道87号線(旧246号線)側から入る道を探した方がいいと思います。




【長泉町下長窪・植木畑の祠】

  2021年4月26日に、バイクで、出かけました。 長泉町・上長窪の「山神社」を目指したのですが、着きませんでした。 その代わり、下長窪の、とある植木畑の奥で、祠を発見し、その写真を撮って来ました。 そこを、山神社かと思っていたのですが、家に戻ってから調べたら、全く違っていたという、前にもやらかしたパターンです。

≪写真1≫
  「山岸」の交差点から、坂道を登った、すぐの所です。 道路にバイクを停め、中に入ってみました。 この時点ですでに、「神社」ではないなと思ってはいたのですが、祠くらいはあってもおかしくない雰囲気でした。

≪写真2≫
  何に使っている土地なのか、よく分かりませんでした。 平戸躑躅が多く植えられていて、花が咲いていました。 植木畑なんですかね?

≪写真3≫
  こちら側には、一段高くなった所があります。 祠のニオイがしますねえ。 祠を置きたくなる地形とでも言いましょうか。

≪写真4≫
  一番高い所まで行ったら、果たして、祠がありました。 私の嗅覚も満更ではありませんな。 しかし、これは、神社として、地図に載る規模ではないでしょう。 個人で祀った祠に違いありません。 結果的に、不法侵入になってしまって、申し訳ありません。




  今回は、ここまで。

  長泉町の名米里では、一遍に、3ヵ所の神社を回ってしまいましたが、プチ・ツーリングの作法上、こういうのは、大変、良くありません。 3ヵ所あったら、3回に分けて行くべきだったのです。 こんなにバタバタと、多くの所を見てしまったのでは、すぐに、目的地が払底してしまいます。 家から、2時間程度で往復できるくらいの近場なのだから、尚の事、何度かに分けて行くべきだったのです。

  第一目的地が、規模の小さい神社だと、ついつい、「もう一ヵ所、見ておこうかな」などと、不埒な考えを起こしがちですが、いけませんなあ。 目的地を回り尽くしてしまったら、その時が、プチ・ツーリング趣味の終焉だというのに・・・。

  たっくさん、いるでしょう? 「バイクには乗りたいけど、出かける先がなくなっちゃって・・・」という人が。 私も、引退後2年間は、そうでしたから、気持ちは良く分かります。 出かける先を確保するのが、バイクを趣味として続ける上で、最も重要な事だと思います。

2021/05/23

EN125-2A補修 ⑨

  EN125-2Aの補修の記録です。 今回も、バイクそのものの補修ではないです。 どんどん、離れて行くような不安感を覚えないでもないですが、とりあえず、バイク関連という事で、何でも出します。





【センター・スタンド下敷き】

  2月24日、バイクのセンター・スタンドの下に敷く、ダンボールの板を作りました。 それまでは、ダンボール箱を潰して、二つに折ったものを敷いていたのですが、大き過ぎて、扱いが面倒なので、ジャスト・サイズのが欲しかったのです。

  ダンボール板は一枚でもいいんですが、穴が開いてしまうと、すぐに、作り直さなければならないので、用心して、二枚重ねにする事にし、木工用ボンドで貼り付けた次第。 「センター・スタンドを楽にかける為の板」が嵌まるように、一部分だけ、ダンボールが一枚になっています。

  なぜ、こんな下敷きが必要かというと、センター・スタンドの底の部分に、キズをつけたくないからです。 キズがつくと、塗料が剥がれて、錆びてくるわけで、その錆色が見えるのが嫌なのです。

  スタンドに穿かせる、靴下式も考えましたが、作るのに手間がかかる割に、脱着の際にはバイクの左右に回らなければならないなど、扱いが面倒そうなので、断念しました。




【メット内マスク】

  3月30日の、「三島塚原新田・山神社」を最後に、この冬のプチ・ツーリングが終わったので、フルフェイス・ヘルメット、「アライ・アストロe」をしまいました。 内装は外さないまま、中側に、除菌アルコールを吹き、干してから、元箱に収めました。 通勤していた頃に比べると、使用時間が短いので、毎年、律儀に、内装を外して洗う必要もないと思って。

  この写真は、除菌する前に撮ったもの。 白い物は、不織布マスクです。 紐を切って、内装に挟み込んであります。 これがないと、鼻が見えてしまい、新型肺炎流行の時節柄、こちらを見る人に不快感を与えてしまうと思って、冬の途中から始めたもの。

  内側は、唇に当たるので、帰って来るたびに、除菌アルコールを吹いています。 外して、漂白剤溶液に浸け、干してから、ティッシュに挟んで、メットと一緒に、元箱に、しまいました。 確信を持って言えますが、日本では、次のシーズンになっても、新型肺炎の流行は、終わっていないと思います。 また、これを着ける事になるでしょう。




【冬ブルゾン裾ゴム交換】

  冬場、バイクで出かける時に着ている黒ブルゾンですが、裾のゴムが伸びきって、ビロビロになってしまいました。 真冬は、着膨れているから、分かりゃしないのですが、春先になって、だんだん薄着になってくると、やはり、緩いのが気になります。 で、ゴムを交換する事にしました。

≪写真1左≫
  ビフォー写真。 何となく、裾が広いのが、分かるでしょうか。 もう、完全に伸びきっているのです。

≪写真1右≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、4月22日に、ダイソーで買って来た、「ライクラ 織りゴム」です。 「ライクラ」とは、伸縮繊維の名前。 幅3センチ。 色は、白と黒があったのですが、ブルゾンが黒だから、黒にしておきました。 110円。

≪写真2≫
  これも、ビフォー写真。 パッと見では、まだ、ゴムが利いているように見えないでもないですが、それは錯覚でして、完全に伸びています。

≪写真3≫
  4月19日に、両端の縫い目を切って、ゴムを出しました。 ゴムの幅は、3.3センチでしたが、そういう半端な数字のゴムは、値段が高くなります。 3センチでも、問題ないと判断しました。

≪写真4左≫
  4月23日に、交換作業をしました。 新旧のゴムの端を縫い合わせ、古い方を引っ張って、新しい方を中に通す作戦でしたが、途中で糸が切れてしまい、結局、ゴム通しで、通しました。 その後、両端を、元通りに、縫い直しました。

≪写真4右≫
  アフター写真。 裾が締まって、だいぶ、ブルゾンらしさが回復しました。

≪写真5≫
  裾部分のアップ。 元は、ゴムの上を、横に二本、縫ってあったのですが、ゴムを伸ばした状態で縫わなければならず、難易度が高いので、それは、諦めました。 代わりに、縦に3箇所、縫って、ゴムがズレないように、留めました。 長年の使用で、元の生地に、皺が付いており、横に縫っていなくても、縫ってあるように見えます。


  このブルゾン、1988年の1月に、胆石の手術で、半月間、入院したのですが、その間に、「退院の時に、家まで着て帰る上着が要るだろう」と、母が買って来てくれたものです。 韓国製。 結構、高かったんじゃないでしょうか。

  その後、専門学校時代から、通勤時代を通して、着ていました。 表地の裏に、不織布が貼ってあり、防風性能があるので、バイク通勤するようになってからも、愛用していました。 引退後、バイクをやめていた3年間だけ、着ていなかったのですが、2019年から、復活させて、今に至ります。

  近くで見ると、ボロが目立ちますが、バイクに乗っている時には、他人から、しげしげ見られる事はないから、これで充分です。 今回の修繕で、バイクをやめるまで、着られるようになったと思います。




  今回は、ここまで。

  ブルゾンの裾ゴム交換は、自分でできると思っていなかったから、やってみて、小さな感動がありました。 横方向を縫わない、フェイク修理ですが、どうせ、傍目には見分けがつかないから、問題なし。 とにかく、裾の弾力が復活したのは、ありがたい。 ビロビロだと、ブルゾンを着ている、実感が薄くてねえ。

  そういや、「ブルゾン」は、とうの昔に、死語ですな。 しかし、これを買った1988年頃は、ジャンパーの事を、ブルゾンというのが普通でした。 ちなみに、今では、ジャンパーも死語で、「ジャケット」で、全部、済ませているようですが、細分化ではなく、大雑把な方向へ流れたわけですな。

  同じような例に、「スパゲティー」の事を、「パスタ」と呼ぶようになったのがあります。 本来は、マカロニも、ラザニアも、小麦粉で作った食材の総称が、パスタなのですが、今、スパゲティーの事を、パスタと呼んでいる人達に、それを説明しても、時間の無駄です。 知能が低くて、理解できないか、理解できても、スパゲティーをパスタと呼ぶのが、カッコいいと思っていて、無視するかのどちらかでしょう。

  自分が無知なのに、知っている人間に向かって、スパゲティーを指して、「これは、パ・ス・タ! 分かる?」などと教えている、大馬鹿者も多いのだろうなあ。 想像するだに、赤面してしまう。 知っている側が、説明してやっても、「それでも、今は、これを、パスタって言うの!」などと、決して、譲らないわけだ。 いるよなあ、そういう奴。

  言葉は変わって行くのが常ですが、このパスタ現象は、日本語の中でだけ起こっている事で、本場イタリアでも、他の国でも、スパゲティーをパスタと呼んで、通じる所がないのだから、井の中の蛙的で、救われません。 今後、誰か、イタリア人で、日本国内で大変に有名になる人が出て来て、その人が、「日本で、スパゲティーの事を、パスタと言っているのは、おかしい」と指摘したら、そこで、正常に戻る可能性は高いです。

  もう、30年も前ですが、夜間試合を指す、「ナイター」という言葉が、誰かが、「英語に、そんな単語はない」と指摘した途端、「ナイト・ゲーム」に言い換えられてしまったのを記憶している人も多いと思います。 言葉の重みなどは、その程度で、ころころと変わって行くものなのです。

2021/05/16

EN125-2A補修 ⑧

  EN125-2Aの補修の記録です。 今回は、バイクそのものの補修ではないのですが、そういうのは、このシリーズでは、前例があるので、気にしないでください。 まあ、大雑把に、バイク関係で、何かやった事を紹介するシリーズと思っていただければ良いです。





【ダイソー布ベルト】

  2021年1月8日に、最寄のダイソーで、布ベルトを買って来ました。 110円。 バイクで出かける時にしている合皮ベルトが、ブツブツに切れてしまっているので、その更新用です。

≪写真左≫
  父の部屋に吊るして、自然浄化させているところ。 ダイソーのベルトには、80センチと、110センチがありますが、これは、後者。 80センチでは、私の場合、届きません。

≪写真中≫
  「GI BELT」とあります。 元は、アメリカ軍で採用されたんでしょうかね。 そういえば、カーキ色が多いですな。

≪写真右上≫
  初めて着けた時の様子。 普段使いにしている布ベルトより、若干長いような気がしますが、2センチくらいなので、別段、気になりません。 どうせ、冬も夏も、上に着る服に隠れてしまいますし。

≪写真右下≫
  外す時に気づいたんですが、通す側の金具が、シュモクザメ風に、左右に張り出していて、ズボンのベルト通しに引っ掛かって、スーッと一気に抜く事ができません。 どうして、こんな風にしているのか、不明。 バックルの重さで、自然に抜け落ちてしまうのを防ぐ為か、それとも、製造側の都合で、より幅が広いベルト用の金具が余ってしまったので、幅の狭いベルトに使ってしまったのか。 まあ、週に一度しか使わないから、多少、使い難くても、さして支障はないですけど。




【バイク・カバーのロープ】

≪写真左≫
  バイクのカバー。 買ってから、1年半くらい経ちました。 だいぶ、くたびれて来ましたが、まだ、破れなどはないです。

≪写真右≫
  風が強い時に、カバーが、まくれ上がってしまうので、ロープで、前側だけ、縛るようにしました。 このロープは、車のタイヤ組み換えの時に使った、手製ビード・ブレーカーの一部です。 長さ的には、蝶結びで、ピッタリでした。

  ワイヤー・ロックでもいいのですが、硬い部分があると、風の吹きようでは、どこに当ってキズがつくか分かりません。 その点、ロープなら、心配が要りません。 ロープの端は、ほつれて来ないように、テープで巻いてあります。 ナイロン製なら、焼き潰すという手もありますが、テープの方が、もちがいいようです。

  そもそも、このロープは、2008年8月に、犬のリードにする為に買って来たものの残りです。 9ミリ×20メートルで、1080円でした。 ロープは、高い物ではないから、一束買っておくと、何かと使い道があります。 ただし、首吊りにも使えるので、自殺願望がある人や、鬱病気味の人は、細い物にしておく事をお勧めします。 ちょうど良い太さのが手元にあると、つい、ふらふらと、吊ってしまうかもしれませんから。 冗談ではなく、大真面目な話。




【バイクのセンター・スタンドを楽にかける方法】

  ステム・ベアリングへの負荷を減らす為に、バイクを家に置いている間の停め方を、サイド・スタンド立てから、センター・スタンド立てに変更したのですが、バイクを所有した事がある人なら、ご存知のように、センター・スタンドというのは、かけるのに、大変、力が要り、腰を痛める危険性が高いです。 私は、ギックリ腰経験者で、腰痛と共存している人間なので、尚の事。 何とかしなければなりません。

≪写真1≫
  で、いろいろと考えた末に、2月22日に、こういう物を作りました。 幅9センチ、厚さ1.8センチの、1×4(ワン・バイ・フォー)の板を、長さ20センチに切り、新聞紙で包んだもの。 なぜ、新聞紙で包むのかというと、タイヤと接触するので、板に汚れがつかないようにする為です。 汚れてもいいというのなら、別に、剥き出しでも、問題ありません。

≪写真2≫
  後輪の前、または、後ろに置きます。

≪写真3≫
  バイクを押して、後輪を板の上に載せます。

≪写真4≫
  その状態で、センター・スタンドをかけると、楽にかかります。

  説明しますと、バイクのセンター・スタンドをかける時には、右手で、バイクの左リヤ・フェンダーの下の辺りを持って、斜め後ろ上方へ、持ち上げてやる必要があります。 その時、大変、重いのは、垂直方向に上げる必要があるからですが、実際に上がる距離は、3センチ程度です。 それなら、後輪下に、予め、板を挟んで、2センチくらい上げておいてやれば、自分で持ち上げる距離は、1センチで済むではないかという理屈。

  ちなみに、後ろへ下げる、水平方向の力は、垂直に上げる力に比べれば、計算に入れなくてもいいくらい、僅かなものです。

  スタンド下のダンボールは、スタンドの底にキズをつけたくないから敷いてあります。 気にしないのなら、要りません。

≪写真5≫
  実際にやってみて分かったのは、板の厚さは、もっと厚くてもいいという事。 3センチの厚さでも、問題ないと思います。 センター・スタンドをかけると、バイクは、後ろに下がるので、板は、後輪より前に来て、タイヤの下に挟まってしまう事がないのです。 挟まった状態では、センター・スタンドが、しっかり着地していない事になり、まずいのですが。

  それなら、もっと高くして、厚さ4センチくらいにすれば、もっと楽になると思うかも知れませんが、そんなに高くては、センター・スタンドが着地しません。 何の抵抗もなく、カチャンとかかるけれど、着地しないのでは、スタンドの用を為しません。

  また、板が厚くなればなるほど、板の上に、後輪を載せるのが、難しくなります。 やはり、3センチくらいが限界ではないでしょうか。 私は、写真のように、1.8センチの板に、4ミリの板を重ねて、下の方の板を長くして、段を作り、後輪を載せ易くしました。 これで、センター・スタンドがけで腰を痛める恐怖から解放されました。


  ステム・ベアリングですが、センター・スタンドで立てるようにしてから、しばらくしたら、不安定なハンドリングが、直ってしまいました。 不思議な事です。 「どのケースでも直る」とは思えないので、よそ様に、「試してみる価値がある」とまでは言いませんが。

  もし、「ステム・ベアリングが、ヘタり易い」と言われている車種で、普段、サイド・スタンドで停めているのなら、一度、ステム・ベアリングを交換した後から、センター・スタンド立てに変えてみる価値はあると思います。

  私の場合ですが、週に一度、2時間しか乗らないので、乗っている時間より、停めている時間の方が、84倍も多く、サイド・スタンド立てでは、ずっと、ステム・ベアリングに負荷が、かかりっ放しだったのです。 センター・スタンド立てにすれば、負荷が、84分の1になるわけで、それが、ステム・ベアリングの寿命に影響しないわけがありません。

  バイクを通勤に使っている人は、自宅だけでなく、小さめの板を作って持ち歩けば、勤め先の駐輪場でも、センター・スタンドがけができます。 長時間、バイクを停める時には、センター・スタンド立てにするに越した事はないです。 ただし、地面が、コンクリートや、アスファルトで、平らになっている場合に限りますが。




  今回は、ここまで。

  他はともかく、【バイクのセンター・スタンドを楽にかける方法】は、実践的に、役に立つ情報なのでは? この方法を考える前に、ネットで検索してみましたが、裏技のようなものは、一つも引っ掛かりませんでした。 かけ方の基本的な動作が書いてあるだけで、結局、力任せで持ち上げる事に変わりはなく、そんなものでは、「楽にかける方法」とは言えません。

  「コツが分かれば、楽にかけられるようになる」と、利いた風な説明をしているところもありましたが、私に言わせれば、そんな事は、金輪際、ないです。 「コツ」ならば、言葉で説明できるはず。 この人達が言っているのは、言葉では説明できない、「カン」ですらなく、単なる、「慣れ」だと思いますが、こと、バイクのセンター・スタンドかけに関しては、何千回、何万回、やっても、慣れる事はないです。 そのつど、持ち上げるのに必要なだけの力を使う事になります。

  板を用意してしまう方が、ずっと、話が早い。 私のような腰痛もちが、「遥かに楽になる」と言っているのだから、確実です。

2021/05/09

EN125-2A補修 ⑦

  EN125-2Aの補修の記録です。 このシリーズ、前回が、2020年の11月初めでしたから、半年ぶりになります。 例によって、日記ブログからの移植になるので、記述内容にダブりがあり、くどさを感じる向きもあろうかと思いますが、いちいち書き直していると、大変な手間になってしまうので、このままで、御容赦あれ。





【オイル交換】

  2019年9月に、中古で買ったバイク、EN125-2A・鋭爽ですが、いよいよ、エンジンの音が渋くなって来たので、2020年12月に、オイル交換をする事にしました。

  取説によると、交換頻度は、「初回が500キロ、二回目が1000キロ、それ以降は、3000キロごと」となっていて、前の持ち主が、その通りに交換していたと仮定すると、次は、28500キロという事になります。 今現在は、28000キロを少し過ぎたところで、まだ早いのですが、この渋り方では、放っておくわけにも行きません。 前の持ち主が、規定通りに交換していなかった可能性もありますから。

≪写真1≫
  まず、オイルと、フィルターをアマゾンに注文しました。 12月6日に注文し、8日に届きました。 左の箱が、オイル。 右の厚紙封筒が、フィルター。 どちらも、アマゾン発送ですが、発地が違うので、別々に届きました。

≪写真2≫
  中身。 オイルは、ホンダのG1で、最も良く使われている、バイク用4サイクル・エンジン・オイルです。 1リットル缶。 一本888円でした。 取説によると、一回に使うオイルは、オイル交換だけの場合、1100cc。 フィルターを交換する場合、1150ccとあるので、2本買っておきました。

  フィルターは、車外品ですが、EN125-2Aのエンジンは、もう、40年近く作られ続けており、出回っている車外品も多く、全く不安はないです。 こちらは、一つだけ買って、391円。 合計で、2167円にして、2000円以上、送料無料にしました。

≪写真3左≫
  まず、エンジンを1分間くらいかけて、オイルを温めます。 少し走って来れるのなら、その方が温まり易いですが、あまり熱くしてしまうと、作業中に、エンジンに触れて、火傷をする危険があります。

  オイル注入口のキャップを外します。 閉める時には、手で締めますが、外す時には、ウエスを挟んだ上で、プライヤーで回します。

≪写真3右≫
  次に、エンジン下のドレン・ボルトを外して、古いオイルを抜きます。 なんと、このボルト、二面幅21ミリのものでした。 ちょっと、大き過ぎるような気がします。 デフォルト部品ではないのかも知れません。

  ドレン・ボルトが付いている部品自体が、小さなボルト3本で取りつけられているのが分かりますが、これは、ドレン・ボルトのネジをナメてしまった時に、総取り換えできるようになっているらしいです。 よく考えられている。 セローでは、こういう、メンテナンスに配慮した設計はありませんでした。 逆に言うと、ドレン・ボルトをナメてしまう人が、いかに多いかという事ですな。

≪写真4≫
  ドレン・ボルトを外す前に、まず、古いオイルを受けるバットを置かねばなりませんな。 バットだけでは不安なので、ビニールと新聞紙を敷いてあります。 コンクリート面に、オイルが零れると、後が面倒なのです。 オイル交換作業そのものは、セローの時と全く同じで、何十回も経験しているので、簡単でした。

  オイルの量は、1リットルで、ちょうど良かったです。 規定値より少なくて済んだのは、エンジン内に、古いオイルが残っているから。 古いオイルを全て出すのは、エンジンを分解しない限り、不可能です。 1割弱くらい、古いオイルが残っていても、大した問題にはなりません。

≪写真5左≫
  左側の銅製のが、ドレン・ボルトについていた、ドレン・ワッシャー(ドレン・パッキン)。 右は、セルボ・モード用に、纏め買いした、アルミ製のドレン・ワッシャーです。 厚さと外径が異なりますが、内径が同じなので、流用できます。 これが、押し潰される事で、オイル漏れを防ぎます。

  ドレン・ボルトは、大きなトルクで、ぎゅうとこら締めるのは駄目で、レンチを短めに持って、「キュッ!」と一瞬引っ張るような感じで締めるのがコツ。 軽めに締めて、漏れるようなら、後で増し締めするくらいのつもりでやるのが、ちょうど良いです。

≪写真5右≫
  オイル・フィルターの交換や、エア・フィルターの洗浄もするつもりだったので、取説を読んで、手順を書き出しておきました。 日本語の取説が存在しないので、英語版の、必要なところだけ、訳しました。

  右の二枚は、取説の該当ページをコピーしたもの。 写真や図説を見る為です。




【オイル・フィルター交換 / エア・フィルター洗浄】

≪写真1左≫
  古いオイルを抜いた後、オイル・フィルターの交換を行ないました。 オイル・フィルター・カバーを外します。 袋ナット3個で留められています。 メガネ・レンチやコンビ・レンチでは入らないので、ボックスとラチェットを使いました。 10ミリ。 3ヵ所緩めると、オイルが流れ出して来ました。 予め、車体を左側に傾けておけば、出て来ないと思いますが、古いオイルを捨ててしまうのであれば、流れても、気にする事はないです。

≪写真1右≫
  古いオイル・フィルター。 色は汚れていますが、ゴミは目立ちません。 フィルターは、そんなに頻繁に換える必要はないのかもしれませんな。 新品は、明るいオレンジ色をしています。

≪写真2左≫
  フィルターが入る穴。 3本飛び出しているのは、袋ナットを締めるボルトです。 なぜ、ボルトではなく、ナットで留めてあるのかというと、たぶん、エンジンを分解すれば、このボルトを交換できるようになっているのではないかと思います。 締め過ぎて、ナメてしまっても、ボルトを交換すれば、元の状態に戻せるわけだ。 よく考えられている。 ここも、ナメてしまう人が多いんでしょう。 しかし、エンジンを分解するのは、結構な大工事になると思います。

≪写真2右≫
  外した、オイル・フィルター・カバーの裏側。 ゴムのOリングが溝に入っていて、それで、オイル漏れを防いでいます。 本来、Oリングの断面は、円形ですが、へたって、楕円形になっていいました。 嫌な予感はしたものの、交換部品を用意してなかったので、そのまま、戻しました。 案の定、後で、オイル漏れが起こりました。

  手順的には、フィルターを換えて、カバーを閉じてから、ドレン・ボルトを締め直し、新しいオイルを入れます。 オイル注入口のキャップを閉じて、エンジンを、20秒くらいかけます。 10分くらい待ち、エンジン横の窓から、オイル量を確認して、規定内なら、それでOK。

  取説には、「オイル交換のたびに、フィルターも交換せよ」とありますが、それほど、律儀でなくても・・・。 オイル交換2回ごとに、フィルター交換1回くらいでいいんじゃないでしょうか。 こまめにやりたい人に、やるなとは言いませんが、くれぐれも、フィルター・カバーのボルト・ナットをナメないように。

≪写真3左≫
  エア・フィルターの洗浄も行ないました。 車体の左側にあります。 シートを外し、サイド・カバーを取り去ると、こんな風になっています。 外側のボルト、3本を外します。 内側の3本は、外しても意味がないです。

≪写真3右≫
  エア・フィルターを外すと、ただの穴です。

≪写真4左≫
  これは、エア・フィルターのホルダーです。 洗浄するのは、これではなく、これに被さっている、スポンジの袋です。

≪写真4右≫
  これが、エア・フィルターのスポンジ袋です。 中性洗剤で洗ってから、干しているところ。 前の持ち主が、交換したのか、まだ、新しいように見えました。 乾いたら、エンジン・オイルに浸し、軽く搾って、ホルダーに付け、車体に戻します。

  取説には、「不燃性の溶剤で洗え」とありましたが、そんな物はもっていません。 要は、汚れたオイルを落とせればいいのであって、中性洗剤で充分だと思います。 スポンジですから、水を切ってから干せば、すぐに乾きます。

  浸み込ませるエンジン・オイルは、車用のを使いました。 直径15センチくらいの植木鉢の受け皿に、深さ2ミリくらい入れて、スポンジを押し付けるように全周に浸み込ませてから、両掌で挟むように、搾りました。 両手で捩るように絞ると、スポンジが裂けてしまいます。

  エア・フィルターは、そんなに年中、洗浄しなくてもいいと思います。 こまめにやりたい人に、やるなとは言いませんが、くれぐれも、捩って、壊してしまわないように。




【オイル・フィルター・カバー・Oリング交換】

  オイル・フィルターを交換した後、その蓋から、オイル漏れが起こりました。 ゴムのOリングがヘタっていた事から、新しい品を、アマゾンで買い、それが届いた翌日の、2020年12月18日に、交換しました。

≪写真1左≫
  プチプチ・ビニールの封筒に入って、郵便受けに届きました。 防水と緩衝、どちらへも対応しているわけだ。 日本にも、こういう封筒があるのなら、もっと普及させて貰いたいです。 ちなみに、取り寄せ商品だったようで、注文してから、届くまで、5日間かかりました。

≪写真1右≫
  中身。 デイトナの「フィルター・カバー・パッキン カワサキ・スズキ純正 52.6×2.4」とあります。 本体150円。 送料350円。 合計500円。 高いですが、アマゾンで、単品で買う場合、送料込みだと、この品が一番安かったのです。 買い合わせ対象商品なら、もっと安いのもありました。

  実店舗のバイク用品店で売っていそうなパッケージですな。 そういう店が近くにあれば、150円+税で、買えるわけだ。

≪写真2左≫
  フィルターの蓋を外すと、こんな感じ。 ヘタって、扁平に潰れたOリングが、へばりついています。

≪写真2右≫
  蓋側の溝に、新しいOリングをはめ込みました。 バイクが、サイド・スタンド立てで、左側に傾いていると、蓋をする時に、ゴムが落ちてしまいます。 Oリングに、オイルを少し塗って、粘着させておくと、多少は、もってくれます。

≪写真3≫
  蓋をしました。 ナットを締めて、接合部に隙間が出来なければ、Oリングが、正しく装着されている証拠です。 ゴムを噛み込んでいたのでは、どんなにきつく締めても、隙間がなくなる事はないですから。

≪写真4≫
  蓋を開けた時に、オイルが流れ出して来ないように、作業前に、バイクを左に傾けて、更に、厚さ3センチのプラスチック・パネルの上に、前後輪を載せて、傾斜が強くなるようにしました。 しかし、最初に、充分、傾けておけば、ここまでやる必要はなさそうです。 傾斜がきつくなると、バイクが倒れ易くなるので、人様には勧められません。


  その後ですが、オイル漏れは、起こらなくなりました。 オイル・フィルター・カバーからのオイル漏れは、どんなバイクでも起こると思いますが、Oリングを交換すれば、直るんですな。 バイク歴27年にして、初めて分かりました。 ボルトやナットの締め付けが足りないのではなく、Oリングのヘタりが問題だったわけだ。

  それなら、以前乗っていた、セロー225Wも、Oリングが駄目になっていたのかもしれません。 ボルトを締め過ぎて、オイル漏れが止まらなくなり、廃車にしてしまいましたけど。 今更、分かっても、後悔先に立たず。




  今回は、ここまで。

  オイル交換ですが、取説では、走行距離数ごとの規定しかありません。 しかし、一年間に乗る距離が、規定に達しない場合、年に一回のペースで、交換しておいた方がいいかも知れません。 私は、今後、そうする事にします。

  オイル交換を自分でできるようになると、ディーラーに頼むより遥かに安く上がる事に味を占め、「頻繁に換えれば換えるほど、バイクに良いだろう」と考えて、「1000キロごとに、換えている」などという人が出て来ます。 その気持ちは分かるのですが、くれぐれも、ボルト・ナット類のネジ山をナメないように。 頻繁に交換していると、やってしまうんですわ、どうしても。

  特に、ドレン・ボルトは、エンジンの底にあるので、ネジ山をナメて、しっかり締まらなくなると、オイルの漏れを止められなくなります。 走行中にも垂れますし、バイクを停めておくと、エンジン下にオイル溜まりが出来ます。 そんな状態になったら、乗っていられないので、結局、廃車という事になります。 バイクに良かれと思ってやって、逆に、バイクを壊してしまう典型例。 大変、勿体ないです。

2021/05/02

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑲

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、19回目です。 現在に追いついてしまったので、とりあえず、今回で、このシリーズは、終わりです。 次回からは、一ヵ月に一回のペースで、前月に行った所を紹介するパターンに切り替えようと思ってます。 他のシリーズとの関係で、実際にどうなるか、まだ決まっていませんが。





【函南畑毛・谷戸山運動場】

  2021年3月9日に、バイクで、函南町の畑毛地区へ行って来ました。 第一目標は、「谷戸山運動場」。 地図で名前を見つけた所。 「谷戸山」は、たぶん、「たにとやま」と読むのだと思いますが、自信はありません。

  前回行った、白山神社から、更に東の、山の方へ上がって行った所にあります。 分かり難そうな感じだったので、ネットから、地図を印刷して行きました。 持って行って、応じ合わせ。 工事で通れない道があり、地図がなかったら、辿り付けませんでした。

≪写真1左≫
  これは、運動場前の道。 山の中なので、そこそこの傾斜があります。 並木は、たぶん、桜。 花見スポットになっているに違いありません。 しかし、私が行った時には、もちろん、一輪も咲いていませんでした。

≪写真1右≫
  入口にあった、名標。 自然石に、板状の切り石を埋め込んだタイプ。 函南町長の名前で建てられているという事は、つまり、町営という事なんでしょうか。 函南町のホーム・ページには、施設として載っていないのですが。 ちなみに、函南町には、別に、もっと大きなスポーツ公園があります。

≪写真2≫
  入口から、西側を見た様子。 名前の通り、運動場です。 特定の競技に対応した設備はないようです。 夜間用の照明もなし。 あったら大変で、山の中とはいえ、近くに人家もあるから、夜中に運動場を使われたのでは、たまりません。

≪写真3左≫
  山側。 物置、多し。 競技に使う設備が入っているんでしょうか。 藤棚らしきものがあります。 こんな写真しか撮れなかったのは、運動場の入口を塞いであって、中に入れなかったからです。

≪写真3右≫
  道路を挟んで、向かい側の木立の中に立っていた、注意書き。 「捨てネコ禁止」。 いかにも、猫を捨てに来たくなりそうな雰囲気の所ですが、捨てられた猫は大変で、人が少ないから、エサをくれる人も、ほとんどおらず、この近辺では、生きて行けないでしょう。 短期間で、山猫化して、野鼠でも獲れるようになれば、別ですが。

≪写真4≫
  道路を挟んで、向かい側の木立の中に、休憩所の廃墟がありました。 ピクニック客や、花見客の為に、設置したのだと思いますが、苔むしていて、とても、弁当を広げられそうにありません。 施設を造る人達は、どんな使い方をしてもらおうかと、いろいろ、工夫を凝らすわけですが、努力の甲斐なく、無視されてしまう場合もあるわけだ。

≪写真5左≫
  運動場入口の、道路を挟んで、向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 山の中だと、傾斜地ばかりで、バイクを停める場所を探すのに、苦労する事があります。 サイド・スタンドをかけた時に、なんだか、バイクがズルッと行くような感じがしたら、そこは、やめた方がいいです。 「離れて、戻って来たら、倒れていた」なんて、顔色真っ青になってしまいますから。 出先だと、傾斜を相殺する、いい方法がないので、面倒なようでも、平らな場所を探して停めた方が、解決が早いです。

≪写真5右≫
  家での停め方を、センター・スタンド立てに変更してからも、下に、ダンボールを敷いているお陰で、センター・スタンドの底が錆びる事がありません。 この状態を維持したいから、ダンボールを敷いている次第。 どんなに高価なバイクでも、直に、コンクリート面やアスファルト面にセンター・スタンドを立てていたら、底にキズがつき、錆びて来て、真っ赤になってしまいます。

  本音としては、サイド・スタンドの底も、錆なしで維持したいところですが、出先では、ダンボールを敷くわけには行きませんし、家でも、車との入れ替えなどで、ちょこまか動かす時に、いちいち、ダンボールを敷き直していられないから、とりあえず、諦めています。




【函南畑毛・三寶大荒神 / 磨崖仏】

  谷戸山運動場から、南東の方に回り込んで行ったら、「三寶大荒神」という神社に着きました。 もちろん、行き当たりばったりで見つけたわけではなく、地図に、「磨崖仏」と載っていたのを見て、ここを探したのです。

≪写真1≫
  道路は、傾斜がきつく、バイクは停められません。 やむなく、私道のようでしたが、神社の入口への取り付け道路に停めました。 こういう時には、大急ぎで、戻って来る必要があります。 わざわざ、道路の持ち主の家を訪ねて、許可を得たりするより、さっさと見て、さっさと引き揚げる方が、迷惑になる度合いが低いと思います。

≪写真2≫
  木製の鳥居。 右側の解説板は、「磨崖仏」のもの。 「函南町指定・有形文化財」で、1382年、南北朝時代に彫られたとあります。

≪写真3≫
  これが、磨崖仏が彫られた、大岩。 写真では分かり難いですが、二つに割れています。 いつ割れたのかは不明ですが、磨崖仏が彫られた後である事は確か。 割れた右側部分の下の方に、梵字が彫られています。 近くで見ると、くっきりとしていて、機械で彫ったかと見紛うばかりの、精確な仕事でした。

≪写真4左≫
  これは、割れた左側部分に彫られた、地蔵菩薩の姿。 写真では、薄くて分かり難いですが、肉眼で間近に見た時には、大変、繊細な印象でした。

≪写真4右≫
  三寶大荒神の社殿。 人間が入れるサイズです。 三寶大荒神と磨崖仏が同居しているのは、神仏習合時代の名残りでしょう。 磨崖仏の岩にも、注連縄が張ってあったし。

≪写真5左≫
  バイクを停めた所で咲いていた、椿。 赤。

≪写真5右≫
  同じく、紅白。 一本の木に、二種類の花が咲いているように見えましたが、二株なのかもしれません。 根元を確かめて来ませんでした。




【函南・畑の祠】

  2021年3月15日に、バイクで、函南へ行って来ました。 第一目標、「熊野神社」、第二目標、「函南神社」だったのですが、どちらも、見つけられず、第三目標、「天地神社」を目指したところ、熱函道路沿いの畑の脇に祠があるのを見つけました。

≪写真1≫
  ここが、熱函道路からの曲がり口。 コンクリート・ブロック垣の傾斜に沿って、階段がつけられていますが、幅の狭い道路で、しかも、交差点の直近なので、ここには、バイクも車も停められません。

≪写真2≫
  で、畑に上がる道から入って、鎮守の森のすぐ外側に停めたのですが、もろに、畑の脇でして、たぶん、ここは、私有地だと思います。 申し訳ない。

≪写真3≫
  石の祠と、石燈篭2基があります。 神社の形式は、何でもアリとはいえ・・・、これは、地図に名前が載るような神社ではないですなあ。 左側は、すぐに、熱函道路。 交通量は多いです。

≪写真4≫
  畑の一部が花壇になっていました。 水仙やヒヤシンスが咲いていました。 さすが、農家は、植物を扱い慣れているだけあって、園芸も巧みです。 うちの水仙は、なぜ、咲かないかなあ。


  帰りは、来た道を通り、反対側から観察したら、函南神社の場所は分かりました。 寄るのは、次の機会にする事にし、素通りして来ました。

  祠には、何も書いてなかったので、天地神社なのか不明なまま、写真だけ撮って来たのですが 家で地図を見たら、天地神社は、全然、違う所で、この日、私が行ったのは、個人の畑に祀られた祠だった事が分かりました。 地図にも載っていません。 うーむ、最近、こういう事が多いのう。




【三島谷田・台崎山神社】

  2021年3月23日に、バイクで、三島市谷田にある、「台崎山神社」へ行って来ました。 地図で見つけた所で、箱根山麓です。 森の中か、畑の中か、どちらかだと想像していたのですが、畑の中でした。

≪写真1≫
  正面側から。 畑の中ですが、参道をとってあります。 並木は、桜ですが、まだ、1分咲きくらいでした。

≪写真2左≫
  漱盤。 真新しいです。 バケツやホースがあると、漱盤というより、流しっぽい印象が強まりますなあ。 蛇口あり、ハンドルあり。 山の中で、人が滅多に来ないから、水を勝手に使われてしまう心配がないのでしょう。

≪写真2右≫
  獅子タイプの狛犬。 「平成三年」とあります。 1991年ですな。 造形に、「カワイイ」の要素が入っています。 2014年8月に行った、北海道・函館の湯倉(ゆのくら)神社でも、カワイイ系の狛犬を見た事があります。

≪写真3左≫
  名額には、右から左へ、「台崎山神社」とあります。 鈴は、中くらいの大きさ。 鈴がない神社も多いので、中くらいでも、あるだけ、ハナと言うべきか。 

≪写真3右≫
  境内にある、石碑群。 ほとんどが、新しい物です。

  かつて、ここにあったらしい、「庚申の松」を供養する内容のものが多いです。 「二代目 庚申松」の切り株もありました。 もしかしたら、三代目を植えてあったのかも知れませんが、注意して探さなかったので、気づきませんでした。

  「山中城出丸 岱崎城跡」 という石碑がありました。 山中城は、国道一号線沿いにありますが、そこから、近いといえば、近いです。 城跡と言い、神社と言い、名のある松と言い、こんな山の中に、ポツンと離れているのは、おかしいので、もしかすると、ここは、旧東海道沿いだったのかも知れません。

  秀吉が攻めて来た時は、ここでも、激戦が繰り広げられたんでしょうか。 山中城は、見るからに、難攻不落の趣きがありますが、そこですら、半日で落とされているので、先に敵を迎え撃った岱崎城では、もっと、熾烈な戦いになったと思います。 掘れば、北条方の白骨が、ごろごろ出て来るかも知れません。

≪写真4≫
  西の方角を見下ろした景色。 色の濃い山並みは、沼津アルプス。 右から、香貫山、横山、徳倉山(象山)、一番高いのが、鷲頭山、更に、大平山、大嵐山、茶臼山と続きます。 この写真では分かり難いですが、少しだけ、駿河湾も見えています。

  大変、気持ちが良く、いつまでもいたいような所でしたが、畑のそこここに、作業している人達がいたので、フルフェイスのヘルメットを被ったまま長居しては、怪しまれると思い、早々に引き揚げました。

≪写真5左≫
  社殿の背後から。 拝殿、本殿、一体の建物です。 木造、白壁、銅版葺き。

  最初に入った道が、後ろ側、つまり、東からだったので、ここにバイクを停めました。 西の正面側に回れば、車でも停められますが、ここまでの道幅が狭くて、車で来るのは、ためらわれるところ。 もしかしたら、西側から直接来る、広い道があるのかもしれません。 ここが、旧東海道沿いなら、それらしき道があっても、不思議ではないです。

≪写真5右≫
  帰り道、妙法華寺よりも西に下った所で、住宅裏の山の中に咲いていた桜。 この辺は、満開でした。 妙法華寺の前でも、桜を撮ったのですが、日が陰っていて、パッとしない写真になってしまったので、出しません。




【三島塚原新田・山神社①】

  2021年3月30日に、バイクで、三島市、塚原新田の、「山神社」へ行って来ました。 国道一号線沿いにあります。 西から行くと、箱根の裾野の、並木道を抜けて、一里塚を過ぎ、もうちょっと、登った辺りの左側、つまり、北側に、小山があり、その上に、神社があります。 国一から直接入る道は分からず、旧東海道の方から回り込みました。

≪写真1≫
  境内の横手から、入りました。 ここに至る道は細くて、バイクだから、登って来られましたが、車では無理です。 境内は、二段になっていて、写真でも分かるように、小山の上とは思えないくらい、広いです。 恐らく、人間の手で、平らにしたのでしょう。

  こういう小山は、理由なく出来たわけではなく、たぶん、箱根山が活発に噴火していた頃の、側火山の火口だったんじゃないでしょうか。 小山が出来る程度の噴出物を出して、閉じてしまったわけだ。

≪写真2左≫
  参道側の入り口。 こちらは、徒歩専用です。 参道の両脇は、一般住宅で、道のゆとりは全くないですから、車は、やめた方が無難。 バイクでも、10分以上、停めておくのは、まずいと思います。

≪写真2右≫
  石段の途中にある、鳥居。 石か、コンクリート製。 額には、「山神社」と、あります。

≪写真3≫
  社殿。 村社としては、大きい方。 「疫病終息祈願」の幟旗あり。 山の神に拝んでも、管轄違いかも知れませんが、藁にも縋りたい気持ちは、よく分かります。

≪写真4左≫
  正面の破風に、彩色彫刻がありました。 鳥のようですが、種類までは分かりません。

≪写真4右≫
  側面から見た社殿。 左側が正面、右側が奥です。 拝殿と正殿が一体で、正殿の屋根が、後ろへ流れるように傾斜しています。 珍しい。

≪写真5左≫
  境内の下の段にあった、ベンチ。 こういうキットがあるのか、何を流用した手製なのか、不明。 座面は、プラスチックですが、中に何かしら、硬い物が入っているのだと思います。 ぷらすちっくだけで、この長さでは、折れてしまいますから。

≪写真5右≫
  ちょっと分かり難いですが、境内の下の段の中ほどに、円が作られていました。 たぶん、子供相撲の土俵です。 土を盛らないのは、普段は、邪魔になるからでしょう。




【三島塚原新田・山神社②】

≪写真1左≫
  手水舎なし。 漱盤なし。 しかし、こういう水道の蛇口が、2ヵ所ありました。 流しはないので、ここで、手を洗うと、水が飛び散って、始末の悪い事になります。 水道を引いてあるのに、漱盤を置かないのは、不思議です。 そういえば、狛犬もありませんでした。 石燈籠は、何組かありました。

≪写真1右≫
  境内の下の段に停めた、EN125-2A・鋭爽。 何を写したのかというと、後席のステップです。 折り畳み式。 私は、一人でしか乗らないので、買う前には、外してしまおうと思っていたのですが、現物を見たら、後席ステップのブラケットが、運転者の靴の踵を当てる板になっており、外せませんでした。

  タンデムは、前後共に、数回、経験した事がありますが、見た目ほど、気分がいいものではありません。 特に、排気量が小さいバイクに二人乗ると、ガクンと動力性能が落ちるので、ライディングの楽しみなど、なくなってしまいます。 重さが増えると、スピードが出なくなるのは、誰でも分かる事ですが、感覚的に分かり難いのは、慣性の法則で、ブレーキも利き難くなるという事です。

  「走り屋が、ふだん一人で走りに来る山道へ、友達や彼女を後ろに乗せてやって来た。 ところが、下り坂で、いつもの調子でブレーキングしたら、思うように利かず、コース・アウトして、連れ諸共、崖下へ落ちて行った」というのは、地味に、よくある話。 だからよー、重くなると、加速がし難くなると同時に、減速もし難くなるんだわ。 まあ、死んでから、こんな説明しても、詮ない事じゃがのう。

≪写真2≫
  境内の下の段から、来た方向を見た景色。 この方角だけ、眺望が開けていました。 この辺りは、まだ、旧東海道沿いに、住宅地がありますが、道から離れると、もう、山の中です。 ただし、畑は、所々にあります。

  この後、ほぼ、元来た道で帰りました。

≪写真3左≫
  旧東海道、塚原新田付近の、桜並木。 満開。

≪写真3右≫
  これは、沼津市外原にある、衛生プラント向かい側の桜並木です。 満開。

≪写真4≫
  外原公園の桜。 満開。 今年の花見は、プチ・ツーリングの行き帰りに見た、この程度で、終わりました。




  今回は、ここまで。

  ロストする場合に共通しているのは、事前に、地図をよく調べていないという事です。 大雑把な地図を見て、大体の道順が分ると、「何とか、なりそうだ」と安心してしまって、出かけるのですが、そういう時に、ロストする確率が高くなります。 幹線道路から、細い道路へ曲がる地点では、ネットで見られる詳細な地図で、曲がる交差点の角に、何という建物があるか、そこまで調べておいた方が無難。

  紙の地図は、古いものだと、道路が変わっていたり、建物が変わっていたりして、当てになりません。 大体の目的地を決めるだけなら、紙の方が、見るのに気楽でいいんですが、目的地が決まったら、必ず、ネットの地図で、要所要所を確認しておいた方が、良さそうです。 ほんのちょっとの手間を惜しんで、目的地に着かなかったとなると、出かけたエネルギーがもったいないですから。

  いや、まあ、これは、私自身に向かって、書いているわけですが。

  目的地が、神社である事が多いですが、私は別に、神社ファンとか、社殿マニアとか、鳥居フリークとか、狛犬フェチとか、石燈籠フーリガンとか、そういうタイプではありません。 あちこちに満遍なく散在していて、目的地として都合がいいから、神社が多くなっているだけです。 寺でもいいんですが、寺は、人が住んでいるから、勝手に入り込むのに、些か、抵抗感があります。 その点、神社は、95パーセントくらい、無人なので、気楽なのです。