2023/04/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング (43)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、43回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2023年3月分。





【三島市谷田・遺伝研裏手】

  2023年3月6日に、バイクで、三島市・谷田にある、「国立遺伝学研究所」の裏手へ行って来ました。 目的地は、近くの神社だったんですが、鎮守の森は見つけたものの、参道の入り口が分からず、断念して、こちらへ寄った次第。 遺伝研は、桜の名所でして、いろんな種類の桜が植えられているから、もう、咲いている木もあるだろうと、当りをつけて、行ってみたのです。

≪写真1≫
  裏手の、北側から、遺伝研を見た様子。 逆光で、何も分かりませんな。

≪写真2左≫
  裏手の柵に架けられていた、看板。 国立なんですなあ。 開放日に、一度入った事がありますが、人が多過ぎて、何の研究をしているのか、分からないまま、出て来ました。

≪写真2右≫
  花が咲いている桜があったんですが、どうも、光の具合が悪くて、花らしい写真が撮れませんでした。

≪写真3左≫
  道路を挟んだ反対側の畑で咲いていた、菜の花。 桜と、ほぼ同時期に見られますが、ソメイヨシノ系よりも、早くから咲くようです。

≪写真3右≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 1月に、ギア・インジケーター「1」の、LED球を交換してからは、問題なく、走っています。 そろそろ、暖かくなって来て、冬装備の服装を、一枚ずつ、減らし始めました。

≪写真4≫
  咲いている桜。 逆光というわけでもないのに、なぜ、こんな写真になってしまうのか? つまり、光が当たっていないんでしょうな。 太陽が、雲に隠れていても、充分に明るいので、曇っている感じがなかっただけなのです。




【三島市竹倉・馬頭観音】

  2023年3月15日、バイクで、三島市・竹倉にある、「馬頭観音」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 谷田の幹線道路から、北へ入って行きます。

≪写真1左≫
  東海道本線のガード。 「東海道本線 函南・三島間 第1竹倉暗きょ」と、ありました。

≪写真1右≫
  新幹線のガード。 「竹倉Bb 一〇八K 〇六一M」と、ありました。 新幹線のガードは、名前の付け方が違うようです。

≪写真2≫
  新幹線のガードを潜ると、右にぐるっと回って、こんな場所に出ます。 適度に空間が開けて、気持ちがいい場所ですな。

≪写真3≫
  その反対側を見ると、そこに、「馬頭観音」と彫った石碑がありました。 馬頭観音の石像を想像していたので、意表を突かれましたが、まあ、こういうのも、ありか。 もしかしたら、かつて、馬頭観音像があったけれど、壊れてしまったので、再建しようと、見積もってもらったら、値段が張る。 石碑なら、安いというので、それに落ち着いたのかも。 あくまで、勘繰りに過ぎませんが。

≪写真4左≫
  石碑の下に、コンクリートの階段があるのですが、一段ずつ、バラバラなので、足を載せると、グラつきます。 怪我をするのも怖いが、壊して、弁償などという事態になるのは、もっと怖い。

≪写真4右≫
  山奥へ向かう、道の脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 舗装道路が続いていて、まだ、先へ行けるのですが、すでに、目的地に到達しているので、ここで、引き返しました。

  私は、一般平均よりも、好奇心が強い方ですが、それを解放して、行ける所へ行きまくってしまうと、時間的にも、燃料消費的にも、野放図になってしまうので、控えている次第。




【三島市谷田・谷田堡址】

  2023年3月20日、バイクで、三島市・谷田の、「谷田堡址」へ行って来ました。 ネット地図には、「谷田城址」とありましたが、現地の標柱には、「谷田堡址」と、彫ってありました。 「やた・とりで・あと」と読むのでしょうか。

≪写真1≫
  三島警察署から、真東に、少し入った所。 ちょっと、起伏がある住宅地の、十字路の一角に、標柱が立っています。 城址らしきものは、何も残っていません。

≪写真2左≫
  標柱。 「史蹟 谷田堡址」と彫られてます。

≪写真2右≫
  解説板の立札。 見事に、消えています。 ネットで、文字が残っていた頃の解説文を読んだところ、かつては、独立丘を中心に、城の遺構が残っていたが、近年の宅地開発で、丘ごと無くなってしまったとの事。 勿体ない。 史跡として整備すれば、観光客が来たのに。

≪写真3≫
  十字路から、西を見た景色。 これには、写っていませんが、少し左側に、三島警察署があります。 箱根に登る、国道一号の信号交差点は、少し右へ行った所にあります。

≪写真3≫
  帰りに、ちょっと寄り道をして、ガード下を潜った時に、停車して、メーターの灯火を撮影しました。 ヘッド・ライトは、常時点けているから、メーターの灯火も、点いているんですが、太陽の下では、全く、分かりません。

  灯火が点いているメーターの写真を見ると、妙にカッコ良く見えますが、それは、光のマジックでして、どんなバイクでも、大差ありません。 中古バイクを買う時には、このカッコ良さに騙されないように、注意が必要。




【三島市川原ヶ谷・腹帯地蔵】

  2023年3月28日、バイクで、三島市・川原ヶ谷にある、「腹帯地蔵」へ行って来ました。 ネット地図には、「はらまき地蔵」とありましたが、現地で見たら、「腹帯地蔵」。 現地が正しいのでしょう。

≪写真1≫
  三島大社の鳥居前。 桜が満開で、露店が並び、人でごった返していました。 信号待ちの間に撮ったもの。

≪写真2≫
  ここが、腹帯地蔵のある場所。 瀧川神社の近くです。 地図で見たら、広い道路と細い道が並行していたのですが、どうしてかと思ったら、細い道は、歩行者用の急坂になっていたんですな。 速度標識の辺りに、腹帯地蔵があります。 バイクは、広い道路の路肩に停めました。

≪写真3左≫
  腹帯地蔵と、屋根。 コンパクトに纏まっています。 屋根は、銅板葺きの、しっかりしたもの。

≪写真3右≫
  腹帯でぐるぐるに巻かれた、地蔵。 「安産祈願の地蔵さん」らしいです。 私は、お門違いもいいところですな。 結構、大きな酒瓶が供えてあります。 注連縄にシデが下がっています。 神仏習合しておるな。

≪写真4左≫
  隣にあった、石塔。 「馬頭観世音」と彫ってあります。 馬頭観音は、石像になっていないものが多いですな。

≪写真4右≫
  解説板。 由来は、よく分からないと、大変、正直に書いてあります。 知っている人がいたら、連絡をくれとも書いてあります。 妙に、好感度が高い解説板ですな。 下には、「瀧川神社 周辺の言い伝えマップ」。 こちらも、分からない事が多い模様。

≪写真5左≫
  帰りに、ちょっと下った所で、咲いていた桜を撮影。

≪写真5右≫
  これは、家の近くまで戻って来て、外原公園で撮った桜です。 例年、4月にならなければ、満開にならない所なんですが、今年は、一週間くらい、早かったです。




  今回は、ここまで。

  おお、今回は、とうとう、組み写真が、4枚まで減りました。 これは、記録だな。 神社を外しているから、一回の撮影枚数が少なくて済んでいるのです。 石碑とか、石像とか、路傍にある物を見に行くのが、写真を少なくするコツだとは分かりましたが、そういうのは、地図で見つけるのが大変でして、なかなか、思うように行きません。 この3月は、運が良かったのです。

2023/04/23

実話風小説 ⑮ 【Bちゃん流】

  「実話風小説」の15作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。





【Bちゃん流】

  A鉄工所は、小規模企業である。 従業員数は、15人。 増減があっても、13人から、17人までの間に抑えられていた。 15年前までは、特殊な製品を作る事で知られていたが、その後、経営方針が変わり、普通の鉄工工場になった。

  経営者のA氏は、親から事業を受け継いだ。 いずれは、一人息子に継がせるつもりでいたのだが、その息子が、高校の時に、グレてしまった。 暴走族に加わり、さんざん、悪事を働いた挙句、別のグループとの喧嘩で重傷を負い、手術、入院したものの、半月後に死亡した。

  A氏が変わったのは、それからで、積極的に、青少年の更生に関わるようになった。 少年刑務所帰りや、元不良少年ばかり、雇うようになったのだ。 元からいた従業員達は、最初の内は、悪い事ではないと思っていたが、更生組の人数が、5人を超えると、不平を訴え始め、一人また一人と辞めて行って、とうとう、ゼロになった。 A氏は、空いた穴を、更生青年だけで埋めて行った。

  以来、15年間、そういう体制でやっている。 一年間に、5人程度の入れ替わりがあるが、それらがみな、続かない者というわけではなく、技能が向上して、A社長の勧めで、もっと、レベルが高い仕事をしている別の鉄工所へ移る者も含まれていた。 A氏としては、自分の工場を、更生青年達が立ち直る為の足がかりにしたかったのである。

  そういう、商売を度外視した目的を掲げていると、得てして、経営が苦しくなるものである。 A鉄工所は、常に、若干の赤字で、A氏が親から相続した、別の土地の借地収入で、穴埋めしながら、会社を維持している有様だった。 ただし、従業員達は、そんな事情については、詳しく知らない。 自分達が、一生懸命働いて、会社を立ち行かせているのだと思っていた。

  仕事を回してもらっている、V社という元請会社があるのだが、仕事が少ない時には、そちらの工場へ、応援を出す事が、常態化していた。 元請会社も、鉄工所だったが、従業員数は、100人もいて、郊外に、大きな工場を構えていた。 A鉄工所に雇われた、更生青年達は、3年経つと、応援に出された。 期間は、短くて、3ヵ月、長くて、1年である。


  応援に出る事が決まると、近所にある居酒屋で、壮行会が開かれるのが決まりだった。 全員が参加するわけではなく、大体半数の、7・8人くらい。 その中には、必ず、Bが含まれていた。 Bは、A鉄工所では、社長を除く、最年長者で、すでに、勤続15年を数えていた。 A氏が更生青年を雇い始めてから入社し、今や、元不良ではない、かつての従業員達から仕事を教わった、唯一の人間である。 後輩達からは、親しみを込めて、「Bちゃん」と呼ばれていた。

  壮行会と言っても、式次第があるわけではなく、単なる飲み会である。 変わっている点は、一時間くらい経つと、応援に出る者の隣に、Bちゃんが座り、「応援の心得」を伝授する事だった。 酔っ払いの繰り言で、いろんな事を、何度も口にするが、主な趣旨は、「下請けからの応援だからって、ナメられるなよ」の一言に尽きた。

「最初が肝心だからな。 敬語なんて、絶対、使うなよ。 俺も経験があるが、こっちが敬語を使うと、格下だと思って、ナメてかかってくる奴がいるからな。 まったく、ろくでもねえ。 向こうが、お前の名前を、さん付けで呼ぶのはいいが、お前が向こうを呼ぶ時には、『あんた』で充分だ。 そういうところに気をつけていれば、ナメられない」

  Bちゃんは、更に言う。

「仕事は、最初は、教わるしかないけど、『教えてください』なんて態度を取ってると、ナメられるからな。 『教わってやる』ってつもりで、向こうの教え方にケチをつけてやるくらいが、ちょうどいい。 分からない時には、『何言ってんのか、分かんねえ』って、はっきり言え。 『あんたは、分かってて、説明してんのか?』って訊き返してやると、効果的だ」

  Bちゃんの、応援の心得は、仕事関係に留まらない。

「休み時間には、昔やってた、ワルの自慢話で押し捲れ。 どうせ、V社のやつら、普通に、高卒で入社した連中ばかりだから、ワルの武勇伝を聞けば、お前が怖くなって、ナメて来なくなる。 少年刑務所の思い出話も効くな。 あの、つまらねえ連中、震え上がるぞ。 わははは!」

「女遊びの自慢も効く。 ナンパなんて、日常茶飯事で、3ヵ月に一度は、女をとっかえてるって言ってやれ。 真面目な奴らばかりだから、羨ましくて、お前に、一目も二目も置くようになる」

「世間話とか、テレビ番組の話とか、プロ野球の話とか、趣味の話とか、そういう普通の話題は、なるべく避けろ。 ヤワなところを見せると、そこから、付け入って来るからな」

「車は、改造してあるのか? なに、してない? 家から近いから、自転車で通う? 馬鹿か、お前! そんな事したら、ナメられるに決まってんじゃねえか! 俺のダチの車を借りてやるから、応援の間、それで通え。 族車で乗り付ければ、それだけで、あいつらを圧倒できるんだよ」

  その時、応援に出るのは、Cという青年だった。 A社に入社してから、3年を過ぎたばかりで、22歳である。 Bちゃんに、親身に、心得を説かれて、感激した。 頼りになる、いい先輩を持ったと思った。 何か言われるたびに、「はい! はい!」と、気合いを入れて答えた。 さながら、暴走族の総長と、たまたま、声をかけられた下っ端の会話のようだ。

「今言った事を頭に入れておけば、充分だ。 最初が肝心だからな。 よし、頑張って、行って来い!」
「はいっ!」


  壮行会は、2時間ちょっとで、お開きになった。 C青年が、店を出ると、2年先輩の、D氏が、さりげなく近づいて、声をかけて来た。

「おい、C。 ちょっと、俺の部屋へ、つきあえよ。 もうちょっと、飲もうぜ」

  小さな声で言ったのは、どうも、他の者に聞かれたくないからのようだ。

「あー、いいけど・・・」

  相手は、2年先輩だが、さん付けする以外は、タメ口である。 A社内では、社長を除き、みんな、タメ口なのだ。 Bちゃんが、そう決めているのである。

「どこ行くの? Dさんのアパート、過ぎちゃったよ」
「昔、うちの会社で働いていた人の家だ」 
「なんで、そんなとこ・・・」
「いいから、ついて来い。 お前の為だから」

  D氏は、C青年を、とある平屋の一戸建てに連れて行った。 呼び鈴を押すと、インター・ホンに、中年女性の声が出た。 D氏が、「Dですが、Eさん、いらっしゃいますか?」と言うと、しばらくして、50歳くらいの男性、E氏が玄関を開け、客間に通された。
  
「若いのを連れて来たという事は、応援だな」
「はい。 また、お願いします」

 D氏は、C青年に、E氏を紹介した。

「Eさんは、俺達の、ずーっと先輩だ。 うちの会社で、最初に雇われた元ワルで、後々、社長が、更生事業を始めた時に、モデルになった人だ。 Bちゃんとも、3年くらい、一緒に働いてた。 その後、他の会社に移ったんだ」

  E氏が、C青年の方を向いた。

「Bちゃんに、『応援の心得』を教えてもらったかい?」
「はい。 ものすごく、勉強になりました」
「どんな事を言ってた?」

  C青年は、Bちゃんから聞かされたばかりの心得を、思い出し思い出し、順不同で、語って行った。 E氏は、妻が持って来たお茶に口をつけてから、やれやれ、という顔で、C青年を見た。

「君とは初対面だから、これは、あくまで、参考にする程度のつもりで聞いて欲しいんだが・・・」
「何ですか?」
「Bから聞いた事は、一つも実行しない方がいい」
「ええっ? 何言ってんすか?」
「無視しろとは言わないが、頭に入れるだけにして、実行しない方がいい」
「だって、それじゃあ、V社の連中に、ナメられちゃうじゃん!」
「逆だ。 Bの言う通りにやったら、君が、有害人物と見做されて、まともに扱ってもらえなくなるんだ」
「だって、Bちゃんは、一番、先輩で、応援にも何度も行ってて・・・」
「Bは、勤続年数は長いが、応援に行ったのは、一回だけだ。 それも、V社じゃなくて、W社という、A社と同じくらいの小さい鉄工場だった。 Bが使ってた機械と、同じ機械があったんで、そこに行ったんだ。 ところが、刑務所から出て来た人間だけ雇っている会社で、煮ても焼いても食えない猛者どもに囲まれて、Bは、だいぶ、痛い目に遭ったらしい。 それ以来、応援を極度に嫌って、他の会社にも行かなくなったんだ。 気の毒といえば、気の毒だが、そういう特殊な経験しかない人間の言う事を、真に受けられないだろう」
「そんな・・・、でも、でも・・・」

  C青年は、混乱していた。 ついさっきまで、この世で一番頼りになるのは、Bちゃんだと思っていたのに、急転直下、正反対の評価を押し付けられたのだ。 しかも、初対面の相手から。 何か、言い返そうと思ったが、言葉が出て来ない。

「言い返して来ないという事は、君自身、Bの言う事に、疑問を感じていたんだろう? よく考えてみると、常識外れの、変な事ばっかりだ。 Bは、世間を知らないんだよ。 高校中退して、暴走族、少年刑務所、その後、すぐに、A社だ。 他の世界なんて、全く知らない。 Bだけが悪いわけじゃなくて、運も悪かった。 13年くらい前だが、元からいた従業員が、ごそっと辞めちゃって、社長が、Bの事を頼りにしていた時期があったんだ。 利益が出るのは、Bが使っていた機械だけで、Bがいないと、どうにもならなかった。 ところが、そのせいで、Bが、天狗になっちまったんだ。 会社を背負って立ってるのは、自分だって思い込んでな。 A社内だけなら、それでも通ったが、応援で外に出るとなると、話は別だ。 Bの流儀が通用するところなんて、ほとんど、ないだろう」
「・・・・・」
「Bと話をしていると、なんだか、ワル時代の自分が、それほど悪くなかったような気がして来るだろう。 ああいう生き方でも良かったんだ、許されるんだって、そんな気が。 だけど、それは、錯覚だ。 社会に出て、ワルが、そのまま通るわけがないんだ。 ワル時代の自分が間違っていた事を、自分で認めて、自分で否定して、やり直すしかないんだ。 Bは、その努力を怠った。 過去の自分を否定する苦しさから逃げた。 その結果、ああなっちまったんだ」
「・・・・・」

  E氏の言う事には、いくつも、腑に落ちるところがあった。 C青年も、少年刑務所を出た時には、「もう、ワルはやめよう」と思っていたのが、A社に迎えられて、Bちゃんの話を聞くようになったら、自分には、後ろ暗い過去などないような気がして来た。 自分のような人生は、普通の内なんだと思えて来た。 しかし、こうして、改めて指摘されてみると、確かに、そんな事はありえない。 少年刑務所帰りが、普通とは、とても言えないではないか。 Bちゃんの言葉は、何から何まで、ワルの発想そのものだ。 あの人は、工場で一番の先輩で、一番の年長者だが、頭の中が、全く大人になっていないのかも知れない。

  険しい顔で考え込んでいるC青年に、E氏の方から、質問をした。

「君は、A社の前に、どこかで、働いた事はあるの?」
「・・・・、ないです」
「そうか。 俺もそうだったけど、元ワルには、そういうのが多いな。 ツッパってるワルが、バイトなんて、似合わないもんな。 社会経験が少ないと、常識が身につかないのは、どうにも仕方がない。 君が、Bの話に疑念を抱いたのは、君が不良になる前に、一般学生として暮らしていた頃、常識として吸収していたものが、頭に残っていたからだろう。 その常識は、Bの心得なんかより、生きて行く上で、ずっと重要なものだ。 Bの言うように、相手から、ナメられないようにって事は、逆に言うと、相手をナメるって事だろ。 そんな、ナメるかナメられるかなんて、大人の世界の話じゃない。 赤の他人とでも、礼儀を介して、うまくやっていくのが、大人ってもんだ。 Bの流儀で、押し通せると思う方がおかしい」
「・・・・・」

  C青年が黙っていると、その反応に、E氏は、むしろ、喜んだ。

「言い返して来ないな。 君は、見どころがあるぞ。 これまでに、Dが連れて来たのは、7・8人だが、中には、俺の言う事に、怒っちまって、怒鳴りつけて、出て行った者が、二人いた。 その二人、どうなった?」

  E氏が、D氏に訊くと、D氏は、ドライに答えた。

「V社で、向こうの従業員と喧嘩して、怪我をさせて、傷害罪で、刑務所へ行きました」

  C青年は、目を見開いて、D氏を見た。

「ほんとに?」
「うん。 一人は、まだ、刑務所にいる。 もう一人は、出所して、社長が迎えに行ったけど、会社に戻らなかった。 Bちゃんと同じ職場で働きたくないって、言ったらしい」
「なんで?」
「Bちゃん流が、外の世界で通用しない事が、身に浸みて分かったからだろ。 会社に戻れば、否が応でも、また、Bちゃん流で生きなきゃならないからな」
「・・・・・」

  C青年は、暗く沈んで、考え込んでしまった。 E氏は、言った。

「とにかく、V社に応援に行ったら、できる限り、礼儀正しく振舞う事だ。 仕事をさせてもらいに行っているんだから、こっちが、立場上、下になるのは、仕方がない。 下手に出ると、嵩にかかって来る奴もいるにはいるが、そんなのは、向こうが大人になっていないんだから、そう思って、適当にあしらっておけばいい。 V社は、人間関系の雰囲気がいい方で、ちゃんと、対等に扱ってくれる人の方が、多数派だから、心配しなくていい。 一方、B流儀でやると、まともな人達を敵に回してしまうぞ」
「分かりました」
「ワルの自慢話なんか、絶対しちゃ駄目だ。 V社の社員は、A社からの応援者が、元ワルだって事を、みんな、知ってる。 そういう話をすれば、やっぱり、こういう奴かって思われて、相手にしてもらえなくなる。 どうしても、話題に入って行けない時には、黙っていればいいんだ」
「はい」

  E氏の話は終わり、C青年は、D氏と共に、E家を辞した。

「もしかしたら、Dさん、初めて、応援に行く人間を、みんな、Eさんの家に連れてってるんですか?」
「ここ2年ほどはな。 俺の前には、他の人が連れてってた」
「その人は、どうしたんですか?」
「社長の紹介で、他の会社に移ったよ。 実は、俺も、あと半年くらいで、他へ移るんだ」
「何か、うちの会社に不満があるんですか?」
「そうじゃないけど、A社は、定員があるからな。 人数を減らさないと、次の少年刑務所帰りを迎えられないだろ」
「えっ! じゃ、俺も出なきゃなんないんですか?」
「いずれな。 その時が来たら、社長から、話があるよ」
「でも、Bちゃんは・・・」
「Bちゃんは、特別なんだよ。 それに、あの人は、他へ行っても、うまくやれないだろ」
「・・・・・」
「俺は、お前に関しては、あまり、心配してないんだよ。 割と、常識がある方だからな。 念の為、Eさんに、会わせたんだ。 もう、効果が出てる。 俺に、タメ口を利かなくなったろう。 親しくなれば、タメ口でもいいけど、Bちゃん流だと、初対面の一言目から、タメ口だからな。 そりゃあ、確かに、大人のやる事じゃないよな」

  ちょっと間があって、E青年が、思い切ったように、こう言った。

「世の中って、ワルのままだと、生きて行けないんですかね」
「そういうのも、いるけどな。 ヤクザとか」
「Dさん、ヤクザになろうと思った事、ある?」
「ああ、あるよ。 不良は、みんな、一度は思うだろ。 ヤケクソでな」
「それも、人生とは言えないですかね?」
「言えない事はないが・・・。 でもな、長く続けられるようなもんじゃないぜ。 組長や、幹部はともかく、下っ端のヤクザで、年寄りなんて、見た事ないだろ」
「そう言われてみると、そうですね。 どうしちゃったんでしょう?」
「死んだか、やめたかだろう。 今時の暴力団は、意外と合理的な組織で、入団志望者を、誰でも彼でも受け入れてるわけじゃないらしい。 金を稼いで、組を潤せる奴か、鉄砲玉みたいに、捨て駒にできる奴か、どっちかしか、入れてないんじゃないか? ただのワルの年寄りなんて、お荷物にしかならないから、放り出されちゃうんだろう」
「ワルで、年寄りで、どこにも属してないとなると、生きて行くのが、厳しそうですね」
「ヤクザじゃ、まともな結婚もできないしな」
「できないんですか? だって、ドラマなんかで、家族をもってるヤクザが、よく出てくるじゃないですか」
「ただ結婚するだけなら、できるさ。 まともな結婚は無理だ。 女の方の親が、物凄く嫌がる。 強引に結婚したら、その女が、親から、縁を切られるのがオチだ。 そうしないと、女の兄弟や親戚にまで、迷惑がかかるからな。 それに、子供が出来たら、どうするんだ? パパの仕事は、ヤクザだって言うのか? パパの後を継いで、立派なヤクザになれって教えるのか?」
「なんだか、お先真っ暗な気分になって来ますね」


  C青年は、V社に応援に行った。 Bちゃんの心得は無視して、E氏の言う通りに、礼儀正しくしていたら、思いの外、よくしてもらえた。 仕事は、丁寧に教えてもらえたし、休憩時間にも、話の輪に入れてもらえた。 話題は専ら、世間話、テレビ番組の話、プロ・スポーツの話、趣味の話。 ワルの自慢話など、もちろん、しない。 女の話もしない。 不良だった過去などなかったかのように振舞い、それで、通った。 V社の社員は、C青年が、普通の話題に入って来れる分には、対等に会話を交わしてくれた。 従業員数が多いだけに、常識がある社風だったのだ。

  ちなみに、Bちゃんが、友人から借りてやると言った「族車」は、押し付けられずに済んだ。 Bちゃんの友人だから、すでに、30代半ばなのであって、現役の暴走族ではない。 思い出に保存してあった一台だったのだ。 Bちゃんが、「後輩に、通勤に使わせる」と言ったら、「大事にしてる車なのに、そんな長期間、貸せない」と、断られてしまった。 それを伝えに来たBちゃんは、バツが悪そうな顔をしていたが、C青年にとっては、勿怪の幸いであった。 

  一ヵ月経った時、A社の同僚達から誘いがあり、居酒屋で落ち合って、飲み会をやった。 面子は全員、応援経験者で、Bちゃんは、含まれていない。 前回、応援に出た先輩が、C青年に、小声で訊いた。

「Bちゃんの心得、通用したか?」
「しない!しない! 最初から、Eさん流でやりましたよ。 A社とは、全然、世界が違うじゃないですか」
「だろ?」
「だけど、戻ったら、また、Bちゃん流でやった方がいいんですよね」
「そうさ。 そうしなきゃ、まずいよ。 Bちゃんに、どうだったか訊かれたら、嘘にならない程度に、テキトーに言っとけ。 お陰で、ナメられないで済んだって」
「分かりました」


  C青年の応援が、予定期間の3ヵ月が近づいた時、A氏から電話があり、もう3ヵ月、延長できないか、訊いて来た。 C青年に否やはなく、あっさり、3ヵ月延長が決まった。 一緒に働いている、V社の面々が喜んでくれたのが、意外で、嬉しかった。 自分が、ワル仲間からではなく、普通の人達から、仲間として受け入れられたのだと思って、感動を覚えた。 ちなみに、このC青年は、その後、V社の正社員になるのだが、それは、先の話。


  その間に、A社では、大きな問題が起こっていた。 C青年に電話をした数日後、A氏が、脳卒中で倒れてしまったのだ。 倒れた時、近くに人がいて、救急搬送が早かったので、一命は取り止めたものの、そのまま、入院する事になった。 医師からは、いずれ、退院できると言われたが、半身に麻痺が残るから、リハビリに通う必要があるとも言われた。

  常日頃から、赤字経営だったA社は、俄かに、窮地に陥った。 A氏は、病院から、電話で指示を出していたが、そもそも、あちこち駆けずり回っても、取って来れる仕事が足りなくて、赤字続きだったのだから、電話だけで、どうにかなるものではない。 経理を見ている事務社員がいたものの、営業は、A氏が全て担当していたので、代わりをする能力はなかった。

  A氏の妻は、ほぼ、専業主婦で、会社とは、没交渉。 経営能力など、全くなかった。 かつては、頻繁に、工場に顔を出し、社員達と話をしていたのだが、グレた息子が喧嘩で死に、A氏が、更生青年ばかり雇うようになると、工場に寄りつかなくなった。 元ワルどもが、嫌いだったのだ。 話をするどころか、見るのも嫌。 息子を殺したのと同類の輩だと思うと、ぞっとする。 その件については、A氏と何度も口論をしていたが、A氏が折れる事はなく、妻の方が会社に近づかない事で、小康状態を保っていた。

  A氏が倒れたのは、もちろん、不幸だったが、A氏の妻としては、これで、あの鉄工場を畳めると思って、ほくそ笑んでいる一面もあった。 鉄工場の赤字の穴埋めに回さないで済むのなら、借地収入だけでも、充分、暮らして行けるからである。 その方が、どれだけ、気楽な事か。


  A氏が入院して、一週間後、Bちゃんが、A氏の自宅にやって来て、A氏の妻に、「奥さんが、社長の代理をするか、他の社長代理を指名して下さい」と言った。 A氏の妻は、嫌悪感を隠そうともしなかった。 35歳を過ぎても、まだ、不良を引きずっているようなBちゃんの事が、虫唾が走るほど、嫌いだったのだ。

「私は、経営なんて、全くできないから、無理だけど、他の社長代理って、誰の事?」
「それは、社長に決めてもらう事になるけど・・・」

  そう言いながら、Bちゃん、些か、照れ臭そうな素振りである。 A氏の妻は、Bちゃんの腹の底を見透かしたように、言った。

「B君が、やりたいの?」
「いやあ、社長がやれって言うのなら・・・」

  Bちゃんとしては、柄にもなく、控え目に提案した方だった。 社内で、社長の次に偉いのは、自分なのだから、ナンバー2が、次期社長になるのは、当然だと思っていたようだ。 そんな、Bちゃんの様子を、A氏の妻は、胡散臭そうに眺めながら、言った。

「うちの人がやっても、毎月、赤字なのに、B君には何か、うまく経営する当てがあるわけ?」
「社長は、いい人だけど、いい人過ぎて、取引先に対して、押しが弱いんじゃないすかねえ。 物事には、勢いってもんがあるから、押す時には、押さないと」
「ああ、そう。 分かった。 明日、うちの人に伝えておくから」
「よーしくおねあいしあーっす」

  Bちゃんは、肩を揺すりながら、足取りも軽く、帰って行った。 A氏の妻は、翌日を待たずに、すぐに、病院へ出向き、A氏に、この事を伝えた。

「Bの奴、そんな事を言ってたのか・・・」

  それでなくても、病み衰えているA氏は、幾分、呂律が回らない喋り方で、そう言った。

「いっその事、任せちゃったら、どう? 本人がやりたがってるんだから、いいじゃない」
「あいつに、会社経営なんて、無理だ」

  A氏は、はっきりした口調で、断言した。 妻に言って、前々から、従業員の扱いに関して、相談に乗ってもらっていた人物を、病室へよばせた。 E氏である。 E氏は、Bちゃんの件を聞いて、驚いた。

「あいつ、そんな大それた事を? 工場で機械を操作する以外、何もやった事ないのに、どこから、そんな自信が出て来るんですかね?」
「自分の流儀で、取引先を脅すつもりなんだろう。 後輩に向かって、『一回、殴り合いの喧嘩をすれば、どんな奴とでも、仲良くなれる』なんて、話しているのを聞いた事がある」
「やりそうですね。 目に浮かぶようだ。 族時代から、全然、進歩してないんだな」
「苦しかった時に、あいつを頼りにしちまった俺にも責任はある。 反面教師としては、役に立ってくれたんだが、あいつ本人の事は、手のつけようがなかったんだ。 自分がこの世で一番偉いと思い込んでしまったら、周囲が何を言っても聞かないだろう」
「じゃあ、Bが社長代理という線は、なしですね」
「当然だ。 当たり前だ! 言うまでもない!! 話にならん!!! 取引先にまで、迷惑をかけちまう」
「で、会社は、どうするんです?」
「俺が、こんな様じゃ、廃業するしかないな。 今いる従業員は、他の会社に引き取ってもらえるよう、あちこちに、声をかけるつもりだ」
「3年以上経っている者は、応援で外の世界を知っているから、よそでもやっていけると思いますけど、それ以外は、何人いますか?」
「6人だ。 で、Eに頼みたいんだが、その6人に、Bの流儀が、外では通じない事を、教えてやってくれ」
「一人ずつの方がいいですね。 Dに、一人ずつ、連れて来させて下さい」
「分かった。 今夜からでも、頼むよ」
「でも、Bに心酔している奴だと、俺が言っても、聞かないかも知れませんよ」
「その場合は・・・、仕方ない。 できる限りの事はしたと思って諦めて、俺が恨まれる事を覚悟するよ」

  A氏は、話し疲れて、言葉を切った。 しかし、E氏には、まだ、話し合っておかなければならない事があった。

「で、Bは、どうしますか? あいつ本人が、一番、よそでは通用しないわけですが」
「そうだな・・・。 それでも、よそへ行ってもらうしかない。 あいつには、厳しい事になるが、仕方ない。 その事は、Eに頼んだんじゃ、申し訳ないから、俺から、あいつに話すよ」


  Bちゃん本人は、そんな密談が交わされているとは、つゆ知らない。 工場では、社長が最後に取って来た仕事を続けていたが、Bちゃんは、あれこれと、しなくてもいいような指図をしながら、すっかり、社長代理気取りでいた。 3年以上経つ、応援経験者達は、そんなBちゃんを、白けた目で見ていた。 Bちゃんが、社長代理になるなど、ありえないと思っていたからだ。

  3年以下の者達は、Bちゃんの事を、ふざけて、「B社長」と呼んだりして、調子を合わせていたが、密談があった日から、一晩に一人ずつ、E宅へ連れて行かれて、E氏とD氏から、事情を聞かされると、次の日から、Bちゃんへの接し方が変わって行った。 残り仕事については、Bちゃんの指図に従っていたものの、仕事以外は、ほぼ、無視。 Bちゃんがいない所で、二人、三人と集まって、今後の身の振り方について語り合う光景が、多く見られるようになった。

  A氏が退院し、自宅に移った。 まだ、床上げはできないが、自宅療養でいいという許可が出たのだ。 A氏は、自宅での生活が落ち着くと、早速、従業員達を一人一人、枕元によんで、会社の廃業について、自分の口で伝えた。 「君達を更生させるつもりで、何とかやって来たが、こんな事になって、申し訳ない」と、謝った上で、探しておいた再就職先を伝えた。 「行った先では、必ずしも、青少年の更生事業をやっているわけではないから、厳しくなるかも知れないが、頑張ってくれ」と、手を握って、激励した。 誰も、文句を言う者はいなかった。 Bちゃんを除いて・・・。

  Bちゃんは、最後によばれた。

「何言ってんすか! まだまだ、A鉄工所は、イケますよ! 俺に任せて下さい! 絶対、立ち直らせて見せますから!」

  こういう人を説得するのは、大変、難しい。 というか、不可能に近い。 A氏は、お金の問題だけに集中して、Bちゃんを攻略する事にした。

「会社経営は、そんな簡単なもんじゃない。 ちょっと、まずい方へ行けば、瞬く間に、借金達磨になっちまうんだ。 そうなっても、うちじゃ、助けられないぞ」
「やってみなくちゃ、分からないじゃないすか!」
「やってみて、駄目だった時には、もう遅いんだ。 何千万って借金抱えたら、お前、どうやって、返すんだ? 何百万でも、返せないだろうが」
「返しますよ! 銀行強盗でも、何でもやって!」
「冗談でも、そういう事を言うな! それ以前に、そういう考え方をするな! 昔から何度も言ってるだろう! 何が目的にせよ、犯罪を手段に選ぶ事はできないんだ! お前は、堅気なんだぞ!」

  更生青年だったBちゃんに、これは効いた。 そもそも、Bちゃん、会社経営にやる気満々だったわけではない。 社長室にあった経営学の本を勝手に持って来て、読もうとしたが、読書なんぞ、小学生の頃以来した事がなく、最初の2行で、やめてしまった。 E氏が言った通り、機械の操作以外、会社でできる事など、何もなかったのである。 Bちゃんは、ただ、「社長」という肩書きが欲しかったのだ。 元不良で、元暴走族で、少年刑務所帰りの自分が、社長と呼ばれる身分に出世する、そういう夢を見ていただけだったのだ。 
  

  A鉄工所は、廃業。 A氏は、落胆すると同時に、長年の肩の荷が下りて、ホッとしてもいた。 A氏の妻は、清々していた。 従業員達は、全員、別々の会社に再就職した。 同じ会社に複数人を送らなかったのは、受け入れる側の都合もあったが、A氏の意向が強かった。 更生青年だけで、固まってしまうと、一般の従業員との間に壁が出来て、いつまで経っても馴染めないからと、配慮したのだ。 Bちゃんの悪影響に苦しめられた経験から得た教訓だった。

  行った先で、馴染んだ者もいれば、短期間で辞めてしまった者もいた。 そういう者達は、もう、A氏の所には、顔を出さなかった。 みんな、A社で、3年以下しか働いていなかった者ばかりである。 Bちゃん流を押し通して、喧嘩になり、辞めてしまった者が一人いたが、幸い、警察沙汰にはならなかった。 リハビリして、何とか、杖をついて歩けるところまで回復していたA氏が、その会社に出向いて、そこの社長と、喧嘩相手に、平謝りに謝ったからだ。


  さて、当のBちゃんだが、再就職先は、昔、応援に行かされた事がある、W社だった。 悪い記憶しかないのだから、そこだけは避けたかったはずだが、ここは嫌だ、あそこも嫌だと、不平ばかり言っている内に、他に行ける所がなくなってしまったのだ。 ところが、十数年ぶりに、W社に行ってみると、社長が代替わりしていて、方針が変わり、ムショ帰りの従業員は、一人しか残っていなかった。 他はみな、20代・30代の、高卒採用者になっていた。

  Bちゃん、「これは、居心地が良さそうだ!」と、大喜びしたのも束の間、すぐに、他の社員と、険悪な仲になってしまった。 本人であるだけに、Bちゃん流全開で押し捲り、周囲の顰蹙を買ってしまったのである。 W社の社長に苦情が行き、Bちゃんが呼び出されて、注意を受けたが、社長相手なのに、敬語も使わない。 Bちゃんが、曲がりなりにも、敬語を使うのは、この世で、A氏と、その妻だけなのだ。

  仕事ができないのも、Bちゃんの立場を悪くした。 Bちゃんが、A社で使っていた機械は、すでに時代遅れで、W社では撤去されていた。 新しい機械の操作法を教えられても、Bちゃんは、「何言ってんのか、分からねえ」を連発し、「あんたは、分かってて、説明してんのか?」と、ガンをつけて来る始末。 教えている方が、うんざりしてしまった。

  休み時間になれば、Bちゃんの口から出るのは、ワル時代の自慢話や、女遊びの武勇伝ばかり。 他の社員が、普通の話題で盛り上がっていると、Bちゃんがやって来て、しばらく、黙って聞いていたかと思うと、

「そんなガキみたいな話して、面白い?」

  などと、小馬鹿にするので、休憩所から、他の社員が、逃げて行くようになった。

「ここの連中は、話ができる奴が、一人もいねえ」

  正確に言えば、Bちゃんと話ができる者が、一人もいないのである。

  そういう態度なのだから、当然の事だが、堪忍袋の緒が切れた面々と、喧嘩が起こるようになった。 毎日、怒鳴り合いである。 W社の社長から、A氏に話が行き、A氏が、E氏と二人で訪ねて来て、Bちゃんを説得したが、Bちゃんは、流儀を変える気はないと言い切った。

「そんな事したら、いいように、ナメられちまうからよー」

  同席していた、W社の社長が、さすがに、怒った。

「何なんだ、お前は! 誰が、お前をナメるんだ! 何が流儀だ! 人間関係を、滅茶苦茶にしてるだけじゃないか! もういいから、辞めろ! お前のせいで、社内がギスギスだ! 今すぐ、帰れ! 二度と来るな!」
「おー、帰るよ! 辞めるよ! お前みたいな奴の下で、働けるか!」

  後先考えず、売り言葉に、買い言葉である。 A氏とE氏が宥めたが、W社の社長の怒りは解けなかった。 まあ、常識的に考えて、当然か。 弱ってしまったA氏が、Bちゃんに言った。

「お前、そんな態度じゃ、他の会社でも、全然、続かないぞ。 紹介できないじゃないか」
「いいですよ! 紹介してくれなくても! 自分で会社やりますから! そのくらいの貯金はあるんだ!」

  これまた、売り言葉に、買い言葉だったが、A氏とE氏は、その言葉を聞いて、心に、ポッと明かりが点いた心地がした。 「これで、Bと、縁が切れる」と、期待したのだ。 Bちゃんは、一人で帰ってしまった。 A氏とE氏は、W社の社長に、何度も頭を下げてから、W社を後にした。


  その後のBちゃんだが、会社は作らなかった。 大口叩いたほど、貯えがなかった事もあるが、そもそも、起業するような知識がなかったのだ。 A社の社長の座を狙っていたのは、A氏を始め、周囲の人達が、助けてくれると期待していたからだ。 A氏らと完全に縁が切れてしまった身となっては、起業なんて、とてもとても・・・。

  ハロー・ワークの常連となり、5年間に、30ヵ所に応募したが、25ヵ所は落とされ、5ヵ所は、一応、雇ってもらえたものの、その内、4ヵ所は、Bちゃん流を発揮した事で、瞬く間に、辞めざるを得なくなった。

  一番長く続いたのは、バイク便の仕事だった。 同僚と顔を合わせる事がなく、他人と接する機会が、比較的、少なかったからだろう。 族時代に取った二輪免許を活かした仕事だったので、過去を否定できないBちゃんとしては、心情的に受け入れやすい職種と言えた。

  しかし、40歳になった年に、車のドライバーと、あおった、あおらないで、喧嘩になり、さんざん、毒づいてから、「ナメてんなよ!」と、捨て台詞を残して、去ろうとしたところ、怒った相手の大型クロカン車に跳ね飛ばされて、帰らぬ人となった。 Bちゃん流は、死ななければ、治らなかったのである。

2023/04/16

読書感想文・蔵出し (99)

  読書感想文です。 今月、3回目。 だいぶ、進んだような気がしていたのですが、数えてみたら、現時点で、まだ、15作分も在庫がある事が分かりました。 げんなりします。





≪チムニーズ館の秘密≫

クリスティー文庫 73
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【チムニーズ館の秘密】は、コピー・ライトが、1925年になっています。 約456ページ。 ノン・シリーズ。 「チムニーズ館」の読みは、「チムニーズ・かん」です。


  ある青年が、アフリカ南部で知人に出会い、彼の代わりに、東欧の小国、ヘルツォスロヴァキアの元首相が書いた回顧録を、イギリスの出版社に届ける役割を引き受けた。 ついでに頼まれた、ある女性の手になる手紙の束を本人に返す為に、イギリス外交の舞台、チムニーズ館に向かうが、そこへ潜入した時、たまたま、滞在中のヘルツォスロヴァキア王子が殺されてしまう。 疑われる前に、警視に自分の素性を明かした青年だったが、事件への好奇心から、自ら、捜査に首を突っ込んで行く話。

  非常に、入り組んだ話でして、こんな大雑把な梗概には、あまり、意味がありません。 大体の設定を、頭に入れるだけでも、骨が折れます。 しかも、冒険物だと最初から分かってしまっているから、その骨折りが、無駄なように思えて、ますます、頭に入って来ません。 設定の理解は流れに任せて、だらだらと無気力に読んで行くのが、最善でしょうか。 最終的には、どんな話か分かります。 こういう作品を読む時のコツは、考え過ぎない事ですかねえ。

  【茶色の服の男】と違うのは、主人公の性別で、こちらは、活力漲る青年なので、安心感はあります。 しかも、ドライな感じがする三人称。 ラノベ的な軟弱さは、全く感じられず、完全な冒険物という趣きです。 ただし、冒険の舞台は、専ら、チムニーズ館でして、初期の推理物的な趣きもあります。 抜け穴の探検など、横溝正史さんが、戦前から戦後まで、繰り返し書いていますが、その原形の一つが、この作品の中にも見られます。

  ある国の王子の殺害が、中心的な事件になるから、国際スパイ物の要素も入っているのですが、どうも、こう、いろいろと欲張ると、ジャンル不明の小説になってしまって、白けるところがありますねえ。 国際スパイ物趣味は、後々まで、クリスティー作品の癌細胞として、生き残って行きます。 幸い、転移はせず、徐々に治っていくわけですが。

  推理物の謎として、暗号解読が使われていて、「数字と方向が何の事なのか、いくつも解読のしようがある」というのが出て来ますが、作者側としては、そんなのは、どうにでも操作できるのですから、読者は、最初から、推理の蚊帳の外で、楽しみようがないです。 推理物初期のモチーフを使い過ぎなのでは? 

  この作品の肝は、「なりすまし」でして、誰が誰になりましているかが、重要な鍵を握ります。 ただし、クリスティー作品を読みつけていないと、謎解きをされるまで、その事に気づかないと思います。 クリスティーさんは、なりすまし物が好きで、晩年の作品は、ほとんどに、なりすましが使われていました。 こんな初期の頃から、すでに、好きだったわけだ。

  総合的に見て、【茶色の服の男】よりは、読み応えがあります。 しかし、わざわざ、時間を割いてまで読んでおいた方がいい、という作品では、全然、ないです。 全然。




≪七つの時計≫

クリスティー文庫 74
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【七つの時計】は、コピー・ライトが、1929年になっています。 約476ページ。 ノン・シリーズ。


  人に貸されているチムニーズ館。 滞在者の中の一人の青年が、寝起きが悪いので、目覚まし時計を8個仕掛けて、盛大に起こそうという悪戯計画が立てられる。 目覚ましが鳴ったにも拘らず、青年は起きて来ず、後で見に行ったら、死んでいた。 更に、館の所有者の娘が、車でひきかけた男も、誰かに銃で撃たれていて、結局死ぬが、最後に、「セブン・ダイヤルズ」という言葉を遺した。 娘と外交官ら、数人の若者が、セブン・ダイヤルズの謎に臨む話。

  チムニーズ館は、4年前の作品、【チムニーズ館の秘密】に出て来たのと同じ屋敷で、館の所有者の娘、バンドルは、前作でも、少し顔を出しています。 今回は、中心人物になり、探偵役の一翼を担います。 潜入したり、隠れたり、探偵っぽい事をしますが、冒険物なので、聞き取りのような、地味な事はしません。

  娘の父親、ケイタラム卿も出て来ますし、友人のビルや、バトル警視も出て来ます。 これだけ、前作の設定を利用していながら、話の趣きは、だいぶ違っていて、なんでもかんでも、ぶち込むというのではなく、相当には、シンプルな話になっています。 要するに、「セブン・ダイヤルズ」という、秘密組織があり、その正体を暴くのが、話の目的になっているのです。

  【七つの時計】というタイトルは、かなり、苦しい日本語訳で、原題は、「THE SEVEN DIALS MYSTERY」。 「ダイヤルズ」というのは、時計の文字盤の事で、つまり、「七つの文字盤」だから、「七つの時計」と訳したのだと思いますが、実際に、「セブン・ダイヤルズ」という名で呼ばれているのは、秘密組織の事でして、時計は、ほとんど関係ありません。 時計絡みの謎が出て来る推理物だと思っていると、肩透かしを喰らいます。

  セブン・ダイヤルズが、どんな組織なのか、それがメインの謎ですが、その点に関しては、大成功を収めています。 これは、正体を知って、驚かない読者は、いないでしょう。 「あっ!」という言葉が、思わず口をついて出る事、請け合います。 単に、驚かされるという点では、クリスティー作品の中で、随一なのではありますまいか。 これだけ誉めて、ハードルを高くしても、大丈夫。 初めて読んだ人なら、必ず、驚きます。

  問題は、驚くには驚くけれど、若い女性が中心人物であるせいか、どうも、深刻さに欠けるところがあり、人が二人も死んでいるのに、なんだか、子供が探偵ごっこをして遊んでいるような雰囲気が拭えない事です。 「セブン・ダイヤルズの正体は、あっと驚くものだったけれど、だから、どうなんだ?」と、思ってしまうわけですな。

  ちゃんと、犯人が逮捕されて、殺人事件は解決するのに、読後に、もやもや感が残るのは、セブン・ダイヤルズが、大風呂敷過ぎて、起こる犯罪とバランスが取れないからかもしれません。




≪愛の旋律≫

クリスティー文庫 75
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【愛の旋律】は、コピー・ライトが、1986年になっていますが、それは、アガサ・クリスティー名義の事で、メアリ・ウェストマコット名義では、1930年の発表。 約636ページ。 推理小説ではなく、一般文学です。 推理作家とは別名義で、発表していたとの事。


  500年続く貴族の屋敷で生まれ育った少年。 子供の頃は、音楽を嫌っていたのが、あるコンサートを聴きに行って、天啓を受け、オペラ作りに目覚める。 一方で、幼馴染みの女性と、久しぶりに逢って、美しくなっていた彼女に熱を上げるが、親の反対や、仕事の問題など、様々な障碍に妨げられる。 やがて、オペラの一作目を上演するところまで漕ぎつけるが、その後、第一次世界大戦が勃発し・・・、という話。

  仏文、独文、露文など、一通り、世界文学の著名作品を読んでいる方は、大きな期待をしてはいけません。 こういう真っ当な文学作品に於いては、イギリスのそれが、傍流に過ぎない事を、再認識するだけです。 それを承知の上で読むのなら、かなり、面白いです。 ページ数を見ても分かるように、大作ですし。

  テーマが、音楽と、恋愛の二兎を追っていて、諺通り、一兎をも得ていません。 クリスティーさんは、若い頃に、声楽をやっていたらしいですが、音楽について、専門に長編小説を書くほど、詳しくはなかったんでしょう。 恋愛の方は、専門知識は不要なので、まずまず、普通以上の描き方です。 人間の本質を見抜いていた人なので、恋愛についても、心理の掘り下げは深いです。

  実は、一番、精緻な描写になっているのは、テーマ外の、主人公の妻、ネルが、主人公の出征中、看護師として働きに行く件りです。 クリスティーさん自身が、そういう仕事をした経験があるらしく、リアルもリアル。 その現場が、目の前に浮かんで来るくらい、真に迫っています。 ただ、そこだけ、水に油が浮いているような感じも、するににはしますが。

  以下、ネタバレ、含む。

  この主人公、ヴァーノンですが、アスペルガー症候群なのでは? 自分の事ばかり考えていて、その結果、他人がどんな迷惑を被ろうか、知った事ではないというのは、完全に、発達障碍でしょう。 ある一定の時期、記憶を失って、お抱え運転手の仕事をするのですが、その間だけは、至って、まともになります。 アスペルガー症候群なら、記憶を失っても、性格が直るわけではないから、そういう良い変化は、起こらないと思うんですがね。

  かつての友人達が、記憶を呼び起こさせて、元のヴァーノンに戻してしまうのですが、人間的には、運転手をしていた頃の方が、遥かに、優れており、当人も幸せだったと思います。 馬鹿な手助けをしたもの。 幸福な日々に比べたら、芸術なんぞ、糞くらえ、という感じがしますねえ。

  作中に、ドストエフスキーの名前が出て来ますが、やはり、クリスティーさんも、世界文学の流れに影響されずにはいられなかったんでしょうなあ。 で、こういうものを書いたわけだ。 露文の著名作品には及びませんが、平均点くらいは、獲ったのでは? これでも、私としては、結構、誉めている方です。




≪シタフォードの秘密≫

クリスティー文庫 76
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【シタフォードの秘密】は、コピー・ライトが、1931年になっています。 約417ページ。 


  雪に閉じ込められてしまったような日。 ある大佐が所有し、人に貸している屋敷に集まった近所の人々が、ゲームのようなつもりで、降霊会をやったところ、家主の大佐が殺されるというお告げがあった。 大佐の友人の少佐が、不安に駆られ、雪の中を歩いて、大佐が住む家へ行くと、お告げの通り、彼は殺されていた。 大佐の甥が、容疑者として逮捕されてしまい、彼の無実を信じる婚約者と、腕利きの新聞記者が、コンビを組み、真犯人の捜査に乗り出す話。

  降霊会というのは、コックリさんの事です。 メンバーで囲んでいるテーブルが鳴る事で、お告げになるという、仕組み。 オカルトではなく、純然たる推理小説なので、もちろん、科学的解釈が用意されています。 つまりその、降霊会の参加者の中に、犯人か、犯行が行なわれる事を知っている者がいて、お告げを偽造していたわけですな。 この程度なら、ネタバレにならんでしょう。

  以下、ネタバレ、あり。

  殺害は、降霊会でお告げが出た時刻に行なわれており、どうやって、やったかが、謎になりますが、それは、降霊会の参加者が、犯人であると分かった後の話でして、それ以前の段階では、降霊会には加わっていなかった、大佐の甥が容疑者という事になっているので、犯行は、問題なく可能でして、不思議な事は何もありません。

  ハウ・ダニットと思わせつつ、フー・ダニット物として話が進められるのが、この作品の特徴。 容疑者の数は多くて、フー・ダニットとしての条件は揃っています。 ところが、彼らへの聞き取りは、ほとんど、意味がありません。 真犯人が明らかになると、「なんだ、その手の話か!」と、肩透かしを喰らうこと、請け合い。

  これねえ。 例の、「フェア・アンフェア論争」の対象になりかねない話なんですよ。 ギリギリ、フェアと言えなくもないですが、【アクロイド殺し】ほどではないにせよ、ディクスン・カー作、【皇帝のかぎ煙草入れ】程度の騙しを、読者に仕掛けています。 ただし、【皇帝のかぎ煙草入れ】は、1942年発表なので、そちらの影響を受けたわけではないです。

  【アクロイド殺し】と比較すると、あっと驚くような事はなく、むしろ、話が纏まっていないような印象を受けます。 フー・ダニット部分と、ハウ・ダニット部分が、分離しているとでも言いましょうか。 真犯人の動機が、あまりにも、浅い。 さんざん、フー・ダニット部分で、濃厚な動機を持った人達を描いておきながら、真犯人の動機が、これではねえ・・・。 目晦ましのやり過ぎで、アン・バランスになっているのです。

  実質的な主人公が、容疑者の婚約者で、これが、若くて美しく、頭も良いという女性なのですが、こういうタイプの素人探偵は、推理小説のコアなファンからは、敬遠されます。 話が軽くなってしまうからです。 探偵役として、「ベルギー人の小男」や、「僻村の老譲」に、遠く及びません。 クリスティーさん自身、まだ、その事が分かっていなかった時期なのでしょう。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪チムニーズ館の秘密≫が、12月3日から、5日。
≪七つの時計≫が、12月7日から、10日。
≪愛の旋律≫が、12月11日から、15日まで。
≪シタフォードの秘密≫が、12月22日から、12月24日まで。


  クリスティーさんの作品は、内容が濃く、人物の描き込みが深い割に、難解なところが全くないので、ページをめくる手が、どうしても、早くなります。 極端な事を言えば、飛ばし読みをしても、ストーリーの理解に、大して困難を感じないのです。 しかし、飛ばし読みしてしまうには、惜しい内容ですなあ。 ストーリーや、トリック・謎だけ知っても、あまり、意味はありません。 感想を書くだけなら、それだけでも、書けますが。

2023/04/09

読書感想文・蔵出し (98)

  読書感想文です。 今月は、3回出すので、12冊分、捌けるわけだ。 何とか、現在に追いつきたいもの。 もっとも、感想文の在庫がなくなっても、他に何か、書きたい事があるわけではありませんが・・・。 





≪カリブ海の秘密≫

クリスティー文庫 43
早川書房 2003年12月15日/初版 2013年12月15日/6刷
アガサ・クリスティー 著
永井淳 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【カリブ海の秘密】は、コピー・ライトが、1964年になっています。 約340ページ。


  甥のプレゼントで、カリブ海の島に保養に来たマープル。 同宿の少佐から、経験談の一部として、殺人者を知っていると告げられるが、その男の写真を見せようとした寸前に、少佐は、ある人物を目にして、写真を引っ込めてしまった。 ところが、その少佐が殺されてしまい、「もしや、写真の男が」と疑念を抱いたマープルが、医師を利用したり、同宿の人々に、それとなく聞き取りをしたりして、捜査を進める話。

  タイトルを見ただけで、「なんだ、旅先の話か・・・」と、ガッカリしてしまいますが、その落胆は、最後まで続きます。 殺人者の写真を見せられそうになる、という導入部が、少し謎めいていますが、ゾクゾクしかけるのは、そこまで。 後は、マープルによる聞き取りと、他の登場人物達による会話が、退屈に続きます。 謎解きでは、少し面白くなりますが、このメインの謎は、障碍者差別には当らなくても、ちと、しょぼ過ぎるのでは? クリスティー作品としては、ですが。

  フー・ダニット物ですが、目晦ましの為に、複数のカップルの恋愛関係を複雑に入り乱れさせており、ややこし過ぎて、読んでいて、頭に入って来ない難があります。 フー・ダニットだから、仕方ないと言ってしまえば、それまでですが、無駄な読書をしている感を強くしないわけには行きませんなあ。 会話が多いのだから、読み易いはずですが、読み易さより、徒労感を覚えてしまうのです

  一応、カリブ海という事になっていますが、話の内容と、場所には、これといった関係はなくて、どこでも、成立します。 それなら、別に、カリブ海でなくても良かったのでは? 南の島というのは、イギリス推理小説の印象から、大変、遠い感じがしますねえ。 これなら、中東物の方が、まだ、舞台として相応しい。 

  マープルが、ある富豪の老男性と知り合いになり、彼が雇っているマッサージ師を自由に動かす権利を、一時的に譲り受ける場面が面白いです。 マッサージ師は、理由を説明される事もなく、見知らぬ老婦人の命令を聞かねばならなくなりますが、報酬に釣られて、期待通りの仕事をしてのけます。 なんで、こういうところに、面白さを感じるのかは、私自身、分かりません。




≪復讐の女神≫

クリスティー文庫 45
早川書房 2004年1月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
乾信一郎 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【復讐の女神】は、コピー・ライトが、1971年になっています。 約450ページ。 マープル物の長編、全12作の内、11作目。 最後に発表された、【スリーピング・マーダー】は、1940年代に書かれたものなので、この、【復讐の女神】が、書かれた順序としては、最終作になります。 クリスティーさんとしては、これを、マープル物の最終作にするつもりではなく、もう一作考えていたようですが、そちらが書かれる前に、亡くなってしまいます。


  【カリブ海の秘密】で、事件解決に協力してくれた、富豪ラフィール氏の訃報を新聞で読んだマープル。 間もなく、氏の弁護士から連絡があり、遺言により、高額の報酬と引き換えに、ある事件について捜査をして欲しいという依頼がある。 ところが、事件の具体的な内容については、何も知らされなかった。 間もなく、旅行会社から連絡があり、地方の古い館と庭を巡るバス・ツアーに申し込みされている事を知らされる。 ツアー先で、同じくラフィール氏から依頼を受けたという、三人姉妹の館に逗留する事になるが、その土地で、事件の事を知っているツアー客の一人が、不慮の死を遂げ・・・、という話。

  ラフィール氏の依頼の仕方が変わっていて、最初、事件の内容については、一切情報を与えず、「とにかく、引き受けるか、引き受けないか」を、マープルに決めさせてから、順次、情報を小出しに与えるという方式。 しかも、本当に肝心な部分は、マープルが自力で調べ出すしかないのだから、依頼者は、本当に解決して欲しいのか、そうでないのか、はっきり分かりません。

  とはいえ、この、持って回った出だしのお陰で、謎めいた雰囲気は、大いに盛り上がります。 【パディントン発4時50分】には、遠く及びませんが、この導入部も、考えに考えて、練りに練った結果、出来上がったものなのでしょう。 いざ、事件の内容が分かってから、振り返ってみると、ラフィール氏が、こんな大細工を施す程、変わった事件ではないので、些か、龍頭蛇尾の印象を受けないでもないですが・・・。

  バス・ツアーで事件が起こるというのは、2サスの、≪早乙女千春の添乗員報告書≫や、≪湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿≫ を思わせます。 死人が出ているのに、ツアーが続行されるという、極めて現実味を欠く展開まで、そっくり。 もちろん、こちらの方が、圧倒的に早い発表なので、この作品をヒントにして、2サスの方が作られたのでしょう。

  バス・ツアーは、被害者が出る点で、新たな事件として、ストーリーに関わって来ますが、途中で、旧領主邸の方に、舞台が移ってしまうので、中途半端なモチーフで終わっています。 旅先で起こる出来事だから、トラベル・ミステリーと言えないでもないですが、全て、ラフィール氏によってお膳立てされた事であるせいか、旅情は、ほとんど感じませんねえ。

  三人称ですが、非常に細かく、マープルの心理を描き込んでおり、これは、他のマープルものとは、次元が違う書き方です。 はっきり言って、推理小説としては、無駄。 蛇足的な細かさでして、刈り込めば、半分くらいのページ数でも、書けるはず。 大袈裟な言い方ではなく、本来のボリュームは、その程度でしょう。 段階的に出て来る、推理・謎解き場面では、すでに、読者が知っている事の繰り返しも多いので、それらも、ざっくり切ってしまえば、ほんとに、半分くらいになるはず。

  旧領主邸の三姉妹の雰囲気について、「ロシア文学を思い起こさせる」という記述がありますが、この作品自体が、ロシア文学的な趣きがあります。 ロシア文学は、この頃もまだ、最先端と見做されており、イギリスの推理作家でも、影響を受けずにはいられなかったのかも知れません。

  ディクスン・カーさんは、ロシア文学に敵意を剥き出しにして、登場人物の口を借りて、直接、扱き下ろしていましたが、クリスティーさんは、自作に、ロシア文学的な心理描写を組み込む事で、同列に並ぼうとしたわけだ。 そんな事をしても、推理小説の枠から逃れられるわけがないのであって、無駄な模索に終わったわけですが。 大体、読者の層が、全然違うではないですか。 推理小説の読者で、ロシア文学も読むという人は、1割もいないのでは?




≪スリーピング・マーダー≫

クリスティー文庫 46
早川書房 2004年11月30日/初版
アガサ・クリスティー 著
綾川梓 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【スリーピング・マーダー】は、コピー・ライトが、1976年になっています。 約372ページ。 マープル物の長編、全12作の、最終作。 といっても、発表されたのが、最後という意味でして、書かれたのは、1940年代との事。 ストックしてあった作品を、作者の死後に発表したものである点、ポワロ物の、【カーテン】と同じですが、【カーテン】が、ポワロの最後の仕事として書かれているのに対し、【スリーピング・マーダー】は、マープルの最後の仕事というわけではありません。


  幼い頃に、母親を亡くし、父親からも離されて、ニュージーランドで育てられた女性が、結婚して、イギリスに戻って来る。 知らない町で、気に入った家を買ったが、どうも、その家のそこかしこに見覚えがある。 やがて、自分が幼い頃に住んでいた家である事が分かったが、同時に、その家で、継母が殺された記憶まで、思い出してしまった。 相談したマープルからは、「何も調べない方がいい」と言われたが、そうも行かず、過去の事を調べて行く内に・・・、という話。

  この導入部も、素晴らしい。 マープル物は、導入部が優れているものが、多いですな。 「庭の、この場所に、階段があって然るべきだ」と思って、庭師に頼んだら、埋められていた階段が出て来た、とか、「家の中の、この場所に、ドアがあって然るべきだ」と思って、大工に頼んだら、元々、ドアがあったのを、壁にしてあった、とか、もう、読んでいると、ゾクゾクして、たまりません。 オカルトや、超能力ではないんですよ。 前に住んでいた家である事を、完全に忘れていただけなのです。

  「すっかり忘れていた事を、あるきっかけで思い出す」というのは、有名な【顔】など、松本清張さんの作品で、よく使われた手法ですが、元を辿れば、クリスティー作品から、いただいたのかも知れませんな。 やはり、クリスティーさんは、偉大だわ。

  「スリーピング・マーダー」というのは、「眠りながらする殺人」ではなく、「眠っていた殺人事件」の事で、ヒロインの継母は、18年前に行方不明になっており、ヒロインの父親を捨てて、男と失踪したと思われていたのが、ヒロインが、継母の死体を見た記憶を思い出した事で、眠っていた殺人事件が、目覚めてしまったわけですな。

  以下、ネタバレ、あり。

  継母の兄の証言で、彼女の男癖が悪かったという事が分かり、関係があった男三人が、容疑者になります。 三人もいれば、本来、複雑になるはずですが、いずれの男も、少し似通ったところがあり、読者としては、イメージの混同を起こさずにはいられません。 「これは、作者の罠なのでは?」と、いぶかしんでいると、案の定、罠でした。

  もし、罠がない場合を考えてみると、この犯人は、「この人しか、いないだろう」と思われるほど、犯人らしい人物です。 まあ、フー・ダニットだから、容疑者が多いのは当然で、問題はないんですが、容疑者三人を似たような印象にしてしまった事で、三人とも、犯人らしくなくなって、フー・ダニットが不発に終わってしまった感がなきにしもあらず。

  どうも、導入部が素晴らしいと、話の本体が、お留守になる傾向があるようです。 だけど、決して、平均を割るような出来ではないです。 もし、新人が、こういう作品を、出版社に持ち込んだら、「天才、現る!」と騒がれる様子が目に見えるレベル、と言ったら、誉め過ぎか。

  マープルは、初期長編にお決まりのパターンで、自分の力で捜査する事には控え目で、あちこち出かけて、捜査に当たるのは、専ら、ヒロインと、その夫です。 しかし、クライマックスでは、マープルが、活劇的に活躍します。 普段よく使っている道具を武器にして。 活劇場面は、あまり、マープルらしくない感じがしないでもないですが。




≪茶色の服の男≫

クリスティー文庫 72
早川書房 2011年5月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【茶色の服の男】は、コピー・ライトが、1924年になっています。 約502ページ。 クリスティー文庫ですが、トミーとタペンス・シリーズは端折り、短編集は後回しにし、ノン・シリーズに入りました。 この作品は、クリスティーさんの、ごく初期の長編で、若い女性が主人公。


  人類学者だった父が急死し、一人になってしまった娘。 冒険心に満ち溢れていて、たまたま出くわした事件の謎を追って、南アフリカ行きの船に乗る。 船中で、政界の有力者や、南米の鉱山でダイヤモンドを発見したばかりに、不遇な人生を送っていた青年と知り合い、数々の危難を乗り越えて行く話。

  この梗概で分かると思いますが、推理物ではないです。 この作品が書かれた時、すでに、クリスティーさんは、【スタイルズ荘の怪事件】と、【ゴルフ場殺人事件】を発表していて、ポワロも登場させていたわけですが、それら本格推理物とは別に、冒険物も手がけようとしていたわけですな。 諜報機関の人間も出て来るので、スパイ物の趣きもあります。

  冒険物やスパイ物と、推理物を混同していたわけではなく、明らかに、別物として、二兎を追っていた観あり。 ディクスン・カー氏同様、子供の頃には、大デュマの作品に心酔していた時期があったんじゃないでしょうか。 「自分でも、そんな、ドキドキ・ワクワクのめくるめく物語を書いてみよう」という気持ちは分からんでもないですが、推理物のつもりで、本を借りて来た読者としては、大いにいただけません。 こういうのが読みたいわけじゃないんだわ。

  502ページですから、大作ですが、中身は、ないも同然です。 若い女性が主人公なので、ラノベっぽい軽さがあるものの、ラノベっぽいといったら、ラノベに失礼。 冒険物は、子供が読むジャンルでして、大人で、これに、ドキドキ・ワクワクしているようでは、人間的に成長していないと謗られても仕方がありますまい。

  「冒険物が好きな人には、面白い」という誉め方すら、ためらわれるのは、どうにもこうにも、ストーリー展開に、軽さが感じられるからです。 主人公は、何度か、身の危険にさらされますが、話の軽いノリのせいで、読者の方は、「どうせ、助かるのだろう」と思ってしまうから、ドキドキもハラハラもしようがないのです。

  クライマックスは、化かし合いになります。 「罠に嵌まったと見せかけて、実は、承知の上の行為で、逆に、相手を罠に嵌めた」というパターンです。 これは、推理物における、ドンデン返しの連用と同じで、著しく、リアリティーを損ないます。 500ページもある作品にしては、あらゆる部分が、軽い。

  この主人公、冒険心に満ち溢れている設定ですが、後ろの方に行くと、恋した男の言うがままになってしまい、どんどん、つまらないキャラになって行きます。 クリスティーさんは、この作品を書いた時に、34歳で、そろそろ、若い頃の気持ちを忘れる年齢。 若い娘を主人公にするのは、これで、懲りてしまったのでは?

  以下、ネタバレ、あり。

  解説に出て来る、「ある作品と、同じアイデア」というのは、【アクロイド殺し】の事だと思われます。 そう言われれば、そうですな。 解説を読まなければ、気づきませんでした。 といっても、ほとんどは、主人公の一人称なので、【アクロイド殺し】と同アイデアを使っている、それ以外の部分は、ほんの一部ですけど。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪カリブ海の秘密≫が、11月2日から、4日。
≪復讐の女神≫が、11月10日から、13日。
≪スリーピング・マーダー≫が、11月15日から、17日まで。
≪茶色の服の男≫が、11月23日から、12月2日まで。


   今回紹介分の三冊で、マープル物は終わり、ノン・シリーズの長編に入りました。 ≪茶色の服の男≫に、日数がかかっているのは、途中、植木手入れをしていたからです。 その期間中は、本なんて、読む時間がありませんから。 

  マープル物の総括をすべきなんでしょうが、そんな気にならないのは、シリーズの統一性が、今一つだからでしょうか。 前にも書きましたが、マープル物は、ポワロ物の、補完として書かれていたもので、もし、マープル物だけしか書いていなかったら、クリスティーさんは、こんなに有名になれなかったでしょう。

  補完にしては、レベルが高く、部分的ではあるが、傑作と言っていいものもある、という点で、クリスティーさんの偉大さを、改めて感じるわけですが。

2023/04/02

読書感想文・蔵出し (97)

  読書感想文です。 在庫を減らす為に、今月は三回、読書感想文を出します。 それでも、いつ、終わるか分からないほど、溜まってしまいました。





≪ポケットにライ麦を≫

クリスティー文庫 40
早川書房 2003年11月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
宇野利泰 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ポケットにライ麦を】は、コピー・ライトが、1953年になっています。 約379ページ。


  投資信託会社の社長が、会社で毒殺されるが、そのポケットには、ライ麦が一つかみ入っていた。 続いて、社長の屋敷で、小間使いが絞殺されるが、その鼻は洗濯挟みで抓まれていた。 ほぼ、時を同じくして、社長の若い後妻が、毒殺される。 かつて、その小間使いに仕事を教えた立場のマープルが、社長の屋敷に乗り込み、担当の警部に向かって、「くろつぐみの童謡」の見立て殺人だと告げる。 社長は、昔、アフリカにある「くろつぐみ鉱山」を巡って、人を騙した経歴がある事が分かり・・・、という話。

  これだけでは、全然、分かりませんな。 社長には、二人の息子がいて、長男が、会社の仕事をし、次男は、外国を放浪しているという設定。 ごく最近、次男が社長に呼び戻されて、会社の仕事を手伝うように誘われていたというのですが、その前に、社長が死んでしまうわけです。 長男にも次男にも、妻がおり、社長の屋敷には、前妻の姉も同居していて、フー・ダニットを成立させる頭数は、充分、揃っています。

  マープルは、普段、友人・知人から頼まれたり、成り行き上、巻き込まれたりして、事件に関わるのですが、この作品では珍しく、自発的に事件に首を突っ込んできます。 小間使いの敵をとるのが、その目的。 こういう、熱い面もあるわけだ。 しかし、今までの作品で見せていたのと、明らかに異なる性向なので、ちょっと、不似合いな感じがしないでもなし。 

  自分から関わって来ただけあって、積極的に聞き取りをしますが、その場面は、あまり描かれません。 専ら、捜査の様子が追われるのは、警部の方です。 時折り、二人で情報交換をしますが、警部の読みは、的外れで、マープルに、謎解きと犯人指名をされて、仰天する有様は、読者からすると、小気味良いです。 この警部、決して、無能ではなく、むしろ、切れ者なのですが、その上を行くのが、田舎暮らしのおばあさんなのだから、尚の事、痛快。

  私だけの感想かもしれませんが、この作品は、これまでに読んだマープル物の中では、最も、読み応えがありました。 もちろん、面白かったです。 犯人は、意外な人物なのに、説明されると、スッと腑に落ちるのも、してやられた感、あり。 クリスティー作品の上物を読んだ時にだけ感じる、不思議な気持ちに酔わされるのです。

  マープルは、警部相手に、謎解きと犯人指名をした後、犯人が逮捕される前に、屋敷を去ってしまうのですが、それも、カッコいいですねえ。 これから、大変な目に遭う人達を、済まし顔で置いて行くところが、実に、ドライ。 ラストは、ウェットになりますが、おそらく、マープルは、殺された小間使いを、可愛がっていたんでしょうねえ。 出来の悪い子ほど、可愛いと言いますから。




≪鏡は横にひび割れて≫

クリスティー文庫 42
早川書房 2004年7月15日/初版 2018年3月25日/8刷
アガサ・クリスティー 著
橋本福夫 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【鏡は横にひび割れて】は、コピー・ライトが、1962年になっています。 約438ページ。


  【書斎の死体】の舞台になった屋敷を買った有名な映画女優。 屋敷で開かれたパーティーの席で、招待された女性が、毒殺される。 女優が手にしていたグラスを貰い受けて飲んだ事から、狙われたのは、女優の方ではないかと考えられた。 女性は、死ぬ直前、過去に女優と会った時の話をしていて、それを聞いていた女優の表情がおかしかったという証言があり・・・、という話。

  この話、1980年のイギリス映画、≪クリスタル殺人事件≫で、先に見ていて、犯人も覚えていたので、正直、小説の方は、楽しめませんでした。 犯人が分かっていると、こんなにもつまらないものか。 フー・ダニットの体裁を取っているから、大勢、怪しい人物が出て来るわけですが、犯人が誰が分かっていると、それ以外の人物への聞き取りや、間違った推理を読むのが、面倒に感じられて、つい、飛ばし読みになってしまうのです。

  とはいえ、それは、私が、犯人を知っていたからであって、小説から先に読む人達にとっては、たぶん、相当には面白い作品だと思います。 動機が、要でして、この動機に気づく人は、まず、いますまい。 マープルに指摘されて、「あっ!」と驚くのは、請け合い。 マープル物で、映画化されたというと、≪クリスタル殺人事件≫だけなのではないかと思うのですが、12作ある長編の内、この作品が選ばれたのは、理由がある事で、やはり、一番、面白いと思われたんでしょうねえ。

  以下、ネタバレ、あり。 なるべく、分かり難く書きますが、勘の鋭い人で、これから、この小説を読もうという人は、以下を読まないで下さい。 勝手に感づいて、小説を読む時に、白けてしまっても、責任持ちません。

  とにかく、動機が意表を突くのですが、それは別として、作者が書きたかったのは、ある性格だと思います。 被害者側の性格に問題があり、それが元になって、十年以上経ってから、殺害されるわけです。 「自分の事しか頭にない。 自分がやりたい事をやり、それが、他人にどういう迷惑を及ぼすか、全く考えていない」というのですが、確かに、そういう人は、存在しますな。 おそらく、クリスティーさんの周囲にも、そういう性格の人間がいて、嫌な思いをさせられたのでしょう。

  で、そういう性格の人間がしでかすであろう、最も迷惑な事を想像し、こういう設定を組み立てて行ったのではないでしょうか。 迷惑どころでは済まない事で、確かに、これは、殺されても仕方がないなと思わせます。 人生が変わってしまったわけですから。 今、新型肺炎禍で、感染が身近な恐怖になっているので、この大迷惑は、想像し易いと思います。 「悪気はなかった」など、言いわけになりません。

  もう一人、困った性格の人間が出て来ます。 マープルの付き添い人の、ミス・ナイト。 家政婦や小間使いとは別ですが、具体的に、どんな仕事をしているのかは、分かり難いです。 とにかく、マープルの家にいて、あれやこれやと、指図をするのです。 自分の判断が一番正しいと思っていて、雇い主のマープルにさえ、それを押し付けようとするのだから、癇に障るなという方が、無理難題。

  この性格は、強烈な支配欲から来るものでしょう。 そういう人は、多数派と言っていいくらい、大勢いますが、自分の生活だけ構っていれば、別に問題ありません。 ところが、他人と関わると、害毒を垂れ流します。 ましてや、他人の世話をするなど、言語道断。 なんで、こんな奴の指図を聞かなきゃならんのか。 このタイプも、クリスティーさんの周囲に実在して、うんざりさせられた経験があるんじゃないでしょうか。

  本来、問題がある性格を描くのが、作者の執筆動機だったのだと思いますが、たまたま、推理小説の枠に、うまく嵌ったので、推理小説として書いたのでしょう。 ちなみに、映画の方は、被害者の性格について、それほど深く、描き込んではいなかったと思います。 おそらく、この作品を原作に選んだ映画製作関係者の面々も、この作品の面白さの源が、異常性格の描写にあるとは気づいていなかったのではないでしょうか。




≪バートラム・ホテルにて≫

クリスティー文庫 44
早川書房 2004年7月15日/初版 2019年5月15日/7刷
アガサ・クリスティー 著
乾信一郎 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【バートラム・ホテルにて】は、コピー・ライトが、1965年になっています。 約403ページ。


  戦争を境に、様変わりしてしまったロンドンで、戦前からの雰囲気を残していると見做されている、バートラム・ホテル。 甥の計らいで、二週間、滞在する事になったマープルは、戦前の様子と比べて、似てはいるが、何か違うものを感じていた。 ある日、物忘れの激しい牧師が行方不明になり、ホテルの前で、発砲による殺人事件が起こる。 地道な捜査を続ける担当警部に、マープルが助言を与え、ホテルの謎を解き明かす話。

  変わっています。 フー・ダニット物ではないです。 推理小説ではあるけれど、らしくないというか、スパイ物に近いところもあります。 とにかく、他のマープル物にはないタイプの話。 マープルその人も、活躍するとは言えません。 別に、マープルでなくても務まるような役でして、元々、ノン・シリーズとして書いていたのを、何かの事情で、マープル物に直したのではないかと、勘繰りたくなります。

  トリックあり、謎あり。 トリックは、なりすまし物で、それが解けるところだけ、ちょっと、面白いですが、ストーリー上は、あまり大きな意味を持っていません。 謎は、専ら、物忘れのひどい牧師に関わる事ですが、この牧師のキャラは、面白いです。 こんな人でも、何かの仕事が務まるんですな。 こうと、忘れまくられては、周囲は迷惑でしょうけど。

  細かい部分には、面白いところもありますが、マープルが、探偵役として不完全燃焼しているところが、残念ですし、ラストで判明する、ホテルの謎が、大き過ぎて、嘘臭いところが、大いに戴けません。 相手の組織が大きくなればなるほど、個人探偵や、少人数の警察官では、勢力が、アン・バランスになってしまうからです。 推理小説の悪役に、暴力団が出て来ないのは、そういう理由。




≪パディントン発4時50分≫

クリスティー文庫 41
早川書房 2003年10月15日/初版 2006年4月30日/3刷
アガサ・クリスティー 著
松下祥子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【パディントン発4時50分】は、コピー・ライトが、1957年になっています。 約410ページ。


  列車に乗っていた老婦人が、ほんの僅かな時間、隣の線路を並走し、抜き去って行った別の列車の中で、女が男に絞め殺されている様子を目撃する。 すぐに、鉄道関係者や警察に報告したが、死体は見つからず、それ以上の捜査は行われなかった。 老婦人が、友人のマープルに話したところ、彼女は、その話を信じて、推理を働かせ、死体があると思われる屋敷に、自分が雇ったスーパー家政婦を派遣する。 その一家には、遺産を巡って緊張関係にある、吝嗇な主と、3人の息子、1人の娘がおり、納屋に置かれている石棺の中には・・・、という話。

  まー、とにかく、この導入部は、素晴らしい。 100点満点で、1億点を進呈したいくらい、天晴れな出来です。 今までに読んだ推理小説の中で、これだけ、ゾクゾクさせる導入部を持った作品は、一つもありませんでした。 導入部だけの勝負なら、≪そして誰もいなくなった≫や、≪アクロイド殺し≫と比較しても、圧勝ですな。

  抜き去って行く列車の中で行なわれている殺人を、リアル・タイムで目撃するという場面が、もう、たまりませんが、それに続く、スーパー家政婦の派遣が、また、面白い。 マープルは、歳を取り過ぎた上に、病み上がりで、精力的に動けないので、過去に雇って、有能さを知っている女性に声をかけ、今度は、家事ではなく、探偵助手をさせようという寸法。 マープルの推理通り、屋敷内で死体が発見されるまでは、ゾクゾクのし通しです。 これを、導入部の傑作と言わずして、何と言おうか。 いいや、何とも言いようがあろうはずがない。

  しかし、警察の捜査が始まった後は、割と普通の、フー・ダニット物になります。 つまらなくはないけれど、ノリが悪くなるのは、否定のしようがありません。 語り始めが、面白過ぎたんですな。 しかし、フー・ダニット物の出来としては、上の中くらいで、平均よりは、ずっと上です。

  列車内で殺された女の事件が解決しないまま、一家の者が、バタバタと毒殺されて行くのですが、3分の2くらいまで読んだところで、「犯人は、この人では?」と思わせる人物が浮上してきます。 遺産相続で得をするわけではないので、「一見、容疑圏外にいると思わせて、実は、性格上の欠陥から、殺害の動機が発生していたのでは?」と、読者は思うのですが、最後まで読むと、違うんですな、これが。 わははは! まーた、だまされてしまいましたよ。 クリスティーさんは、読者に目晦ましを食らわすのが、実に巧い。 名人芸です。

  読者が、犯人を推理するのは、大変、難しいです。 謎解きを読むと、「このくらい容疑が薄い人が犯人なら、他の人でも、犯人にできるのでは?」とも思いますが、フー・ダニット物とは、本質的に、そういうものなのでしょう。

  とはいえ、この作品、導入部だけでも、読む価値は、充分にあります。 なぜ、こんなにゾクゾクするのか、それを究明するのも面白いと思います。 推理作家を目指している人は、是非、研究していただきたいもの。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪ポケットにライ麦を≫が、10月5日から、9日。
≪鏡は横にひび割れて≫が、10月13日から、16日。
≪バートラム・ホテルにて≫が、10月17日から、19日まで。
≪パディントン発4時50分≫が、10月28日から、10月31日まで。


   今回紹介分も、全て、マープル物です。 この記事を纏めている時、ちょうど、BS11で、2000年代前半に作られた、マープル物のドラマ・シリーズを放送していて、見ているんですが、悪くはないものの、デビッド・スーシェさんのポワロ物に比べると、些か、スマートさに欠ける感があります。 しかし、ドラマ製作者が悪いのではなく、原作にしてからが、品質に、バラつきが大きいのです。 やはり、マープル物は、サブ・シリーズなんですなあ。