2006/01/29

濫読筒井作品 ④

  仕事に復帰してから、腕を休ませるために睡眠時間を確保せねばならず、読書が進みませんでしたが、一週間かかって、ようやく最大の作品を読み終わりました。

『虚航船団』 84年
  この長編は、筒井さんが6年もかけて書き下ろしたという純文学作品です。 恐らく、ご本人の位置づけでは、代表作という事になっていると思います。 この作品の前に『虚人たち』という純文学長編があり、私は若い頃にそちらを読んでいたのですが、面白いか否かは別として、とにかく読み難い作品で、辟易した記憶があったので、『虚航船団』はもっと読み難かろうと勝手に思い込み、今まで手を出さないで来たのです。 しかし、実際に読んでみて、食わず嫌いをやらかしていた事が分かりました。 『虚航船団』は、『虚人たち』より遥かに読み易い作品でした。

  三章に分かれていて、第一章は擬人化された文房具が乗り込んでいる大型宇宙船の話です。 コンパスや分度器など、文房具たちの異常な精神状態が克明に描かれています。 一見、文房具の擬人化など奇抜すぎると思うでしょうが、慣れてしまえばおかしさなど感じなくなります。 また、文章の勢いも第一章が最もノリがよく、退屈さを全く感じさせません。

  第二章は、第一章とは打って変わって、クォール星という惑星の歴史が記されます。 どうやら、地球から流刑になったらしい、イタチ族の住む星で、クズリやオコジョ、テン、スカンクなどがそれぞれ民族を構成していて、紀元後の人類史によく似た歴史を約2倍のスピードでなぞっていきます。 第一章が面白いので、第二章に入ると全く毛色が変わってしまった内容に少し戸惑いますが、読み進んで行くうちに、やはり面白くなり、話に引き込まれて、現代に近づくに連れどんどん読むスピードが早くなっていきます。 中国史でもローマ史でも、一度歴史に嵌まった人なら誰でも、こういう模倣史を書いてみたくなった事はあると思うのですが、実際に八百年分の歴史を書くのは大変な事で、なかなか書き通せるものではありません。 恐らく筒井さんが最も多く時間を割いたのは、この第二章だと思われます。 この章はこの章で、繰り返して読みたくなるくらい面白いです。

  さて、ちと問題があるのは第三章です。 船団の命令により侵略者となった文房具達と、クォール星24億のイタチ族との戦いが描かれます。 この取り組みの設定自体が面白いので、戦いの展開もつまらないはずがなく、実際面白いのですが、変わった書き方をしている為に、些か興が殺がれている面があります。 特に、作者の現実生活の描写が唐突且つ頻繁に挟まれるのには参りました。 筒井さんにしてみれば、新しい文学表現を開拓している真っ最中なので、何を書いてもOKだと判断したのだと思いますが、何せ、ストーリーの進行と全く関係がない事柄なので、早く戦いの行方が知りたいこちらとしては、邪魔で仕方ないのです。 これが唯一の難点ですかねえ。

  総体的に見ると、この作品は非常に面白いです。 書けと言われても、他の作家には書けないでしょう。 第一章を読み終えた段階では、文房具たちがその後どうなるのか心配しているのに、第二章を読み終えた時点では、完全にイタチ側の味方になっていて、第三章に入ると、「文房具どもなんぞ、一体残らず惨殺してしまえ!」と歯軋りしているから面白い。 最終的にイタチの星は甚大な被害を受けるわけですが、「あーあー、せっかく築き上げた文明なのにもったいねえなあ・・・」と慨嘆せずにはいられません。 そのくらい作品世界にどっぷり浸ってしまうんですな。 いやあ、こんなに面白いなら、もっと早く読んでおけばよかったです。

2006/01/22

濫読筒井作品 ③

  とうとう終わりに近づいた筒井作品の感想。

『串刺し教授』 79~84年
  短編集。 これは微妙な時期の作品群ですな。 筒井さんが長編虚構純文学に傾倒していた頃に平行して書かれていた短編なので、みな虚構純文学の匂いがプンプンします。 実験小説も多く、SFや一般小説で筒井さんのファンになった読者には、馴染めない世界なのではないかと思います。 『きつねのお浜』、『追い討ちされた日』、『妻四態』などは私好みですが、素直に「素晴らしい!」と感じるような分かり易い物は一つもありません。

『原始人』 85~87年
  これも短編集。 まだ虚構純文学に浸かってますが、『虚構船団』を書き終えた後の作品群なので、『串刺し教授』のそれと比べると、ずっと読み易くなっています。 奇妙な事に、これより後の短編集『家族場面』よりも起承転結がはっきりしていて、物語らしくなっている作品が多いです。 『家具』と『屋根』以外は全部私好み。 ああ、こういう短編集は珠玉ですな。 『抑止力としての十二使徒』なんか、SF作家でなければ絶対に書けない作品で、痛快無比です。

『愛のひだりがわ』 02年
  面白い! これは素晴らしい!  長編の少年少女向け小説です。 12歳の少女が主人公で、一人称で書かれています。 漢字を抑えてあり、小学校高学年生くらいから読めるようになっていますが、話の内容はむしろ大人向けです。 20年後くらいの社会が荒廃した日本が舞台。 犬と話が出来る少女が、母親の死後、父を探して東海道を西から東へ旅をします。 道連れは幼馴染の犬や偶然知り合ったご隠居。 様々な事件が起こり、少女は成長して行きます。 『前半、箱から出して床に広げたオモチャを、後半、再び箱に収めて行き、綺麗にしまって、蓋をして終わり』といった構成の話で、読後実にスッキリした気分になります。 筒井さんくらいになると、こういう話を手もなく作り上げる事が出来るのでしょう。 随所に余裕が感じられます。
  それにしても、ここに描かれている荒廃した日本の未来は、本当にやって来そうで、ちと怖いです。 


  さて、来週から仕事に復帰するので、筒井作品濫読週間は幕を引きつつあります。 最後に残った『虚構船団』を日曜の午後から読み始めましたが、思っていたより読み易いので、事によったら一週間以内に読み終えられるかもしれません。

2006/01/20

濫読筒井作品 ②

  引き続き、筒井作品の感想。

『玄笑地帯』 85年
  これはかなり古いですな。 小説ではなく、随筆です。 読んでいないと思って借りてきたんですが、目を通してみたら読んだ覚えがありました。 はっきり言ってしまうと、筒井さんの随筆は、小説ほどは面白くないです。 事実は小説より何とやらといいますが、筒井さんの小説は明らかに現実に起こる事件より面白いので、現実の枠から出られない随筆は、どうしても負けてしまうんですな。
  話の中に当時の第一線作家達の名前が出てくるのですが、これが、今やほとんど忘れられた人達ばかりで、懐かしいやら古臭いやら、隔世の感があります。 特にSF作家の面々は、みなさんどこへ行ってしまったのかと、呆然とするばかり。 いやはや、20年前は大昔だわ。

『家族場面』 91~94年
  短編集です。 『虚構船団』などの純文学長編期を抜け、断筆宣言に至るまでの中間期に書かれたもののようですが、どれもそれほど良い出来ではありません。 物語世界の設定は非常に面白いですが、本来なら中篇になるようなアイデアを短編に使ってしまっていて、勿体ない事この上無し。 『大官公庁時代』と『十二市場オデッセイ』は、倍くらいの長さにすれば、傑作になった事間違いなしだと思いますが、残念至極。 『九月の渇き』や『妻の惑星』は程良いバランスで宜しいですな。

『天狗の落し文』 91~01年
  一編数行の散文を集めたもの。 随筆や創作のアイデア・ノートをそのまま出版したような感じで、作品という体裁ではないです。 ファン・クラブに入るくらいの読者なら喜ぶと思いますが、「筒井作品も好き」という程度の読者には、ちと読み切るのが辛いです。 一遍に読もうとするからいけないんですかね? 枕頭の書にしておいて、毎晩眠る前に一二編読むようにすれば、味わい深いかもしれません。

『最後の伝令』  90~92年
  上の『家族場面』とほぼ同時期の短編集。 しかし、こちらの方が粒揃いです。 特に良いのが、『九死虫』、『最後の伝令』、『二度死んだ少年の記録』、『瀕死の舞台』の四編。 他に泣けてくるのが、『北極王』、『禽獣』の二編。 たった一冊の短編集に、これだけ心に響く物が詰まっていると、「ああ、やっぱ、この人ぁ天才だわ」と思わずにはいられません。 『二度死んだ・・・』の中に、飛び降り自殺をしたらどういう体になるかが記されていますが、あれにはびっくりしました。 いやあ、洒落にならないですわ。 金輪際、飛び降り自殺だけはしない事にします。 『禽獣』は、小動物好きの人にお薦めです。 些か切ない話ですが。

『魚籃観音記』 98~01年
  断筆解除後の短編集です。 『魚籃観音記』は『西遊記』のエロ・パロディーで、かなり面白いです。 懐かしい登場人物の名前が続々出て来て、いとをかし。 『ジャズ犬』は野良犬・野良猫達が主人公の切ない話。 以上二編は面白いんですが、それ以外は、かなり落ちます。 テレビのバラエティー番組の用語で『企画のアイデア倒れ』というのがありますが、まさにそんな感じの中途半端な作品が並んでいます。 アイデアは面白いんですが、話の展開に興が乗らないのです。 ストーリーが完結しておらず、途中で終わってしまったような気持ちの悪さがあります。 『馬』などは、もっと長くして、それなりの説明を付けるべきでしょう。 落語の下げみたいな簡単なオチで終わらせるのは惜しいです。

『残像に口紅を』 88~89年
  今回借りて来た中では、これだけが長編。 使える音節の数が、章を追うごとに減っていって、最後は『ん』だけで終わるという実験小説。 発表後いろいろと批判されたようですが、これではボロクソに言われるのも無理はない。 筒井作品の場合、『下らない』という感想は問題にならないとして、『つまらない』とわれてしまったら、もう完敗なのですが、この作品は本当につまらないのです。 使える音節がだんだん減っていくという設定は決めたが、肝腎の話の内容を決めずにスタートしたのが命取り。 途中で書く事がなくなってしまって、ストーリーの進行と関係なく、自叙伝が始まったのにはたまげました。
  さすがに作者当人も読者に呆れられる事を恐れたのか、本の半分から後ろが袋綴じになっていて、『ここまでで読む気をなくした人は、出版社へ持参すれば代金を返します』という告知を入れていますが、本当に返金してもらった人は正解でした。 最後まで読んでも、「こりゃ、二度と読まないだろう」と思うようなつまらない終わり方をします。
  この後、筒井さんの文学実験は下火になるのですが、この作品があまりにもつまらなかったために、自分で呆れてしまったのではないでしょうか? 面白いストーリーと面白い実験を組み合わせれば、面白い実験小説が出来ると思うんですが、もうその気はないかな?


  まだ数冊あるようなので、引き続き読みます。 実は『虚構船団』がまだ残っていて、日曜までに読み終えられるか難しい所。 しかし、この機会を逃したら、また読書意欲を失ってしまうので、鋭意努力します。

2006/01/17

濫読筒井作品 ①

  リハビリしつつ、読書に没頭する毎日。 図書館に再び行き、筒井作品を五冊借りてきて、二日で読みました。 以下、読んだ順の感想。

『邪眼鳥』 97年
  断筆後復活第一作の中篇。 複数の登場人物が、自分の意思とは関係なく過去と現在を行き来し、互いの人生に関わりあうという話。 時間SFの様式で書かれていますが、狙いは純文学でしょう。 雰囲気は良いですが、はっきりした筋立てというものはないので、文字通り雲を掴むような感じがする話です。 筒井さんの名前と筒井さんの文章だから許されるのであって、もし同じアイデアで無名の新人がこれを書いたとしたら、没間違いなしという気がします。 長い散文詩のような感じ。

『RPG試案 夫婦遍歴』 97年
  雲を掴むというより、わけの分からない話。 失業中のコンピューター・プログラマーとその妻が、再就職先を求めて京都へ行くが、朝飯を食いに山の中へ入ったところ、異世界に踏み込んでしまう・・・・といえば、何となくストーリーがありそうですが、その後がぐじゃぐじゃで、全然話になっていません。 『RPG試案』とあるように、この話、セガに持ち込んだらしいのですが、「純文学はゲームにならない」といって断られたとか。 いやいや、『純文学が』ではなく、この小説がわけがわからんのです。
  97年というと、まだゲームに影響力があった頃ですが、どんどん減る読者に焦った小説家達は、何とか時代の流れに食いついていこうともがいていたんですな。 稼ぎ捲っていた筒井さんにしてこの様ですから、他の作家は生きた心地がしなかったでしょう。 2000年以降、ゲームは急激に衰退し、今や時代を動かす力などありませんが、まさかこんなに早く下火になるとは、思いもよらなかったのでしょう。 もっとも、ゲームが衰えたからといって小説の人気が盛り返したわけではありませんが。

『驚愕の荒野』 87年
  SFファンタジーですが、やはり狙いは純文学です。 いかにも『実験小説』という感じがする構成ですが、意図もよく分かるし、読んでいて面白く、完成度は高いです。 舞台が、最初ファンタジックな異世界のように見せて、実は地獄なんですが、地獄観としては、割合平凡なタイプです。 しかし、その分分かり易く、安心して作品世界に浸る事が出来ます。 値段が780円になっていますが、87年頃は、ハードカバーの本がこんなに安く買えたんですねえ。

『恐怖』 00年
  ある地方都市の文化人が一人ずつ殺されていくという話。  ホラーみたいな題名ですが、どちらかというとコメディーです。 中篇と長編の中間くらいの長さですが、しっかりした話になっており、雲を掴むような所はありません。 心理学知識を使った一般小説で、筒井作品の中では最も面白いジャンルなので、読んでいて楽しかったです。

『敵』 97年
  引退した大学教授の一人暮らしの様子を細かくつづった話。 題名は内容と余り関係ないです。 終わりの方は現実と空想がごちゃ混ぜになり、またまた雲を掴まされる事になります。 これも実験小説なのかもしれませんが、単に、構想を固めないまま書き始めて、話として纏められなくなってしまったために、お得意の虚構化でお茶を濁して逃げただけのようにも見え、作者の意図が判然としません。 ただ、主人公の細々した日常の描写が異様に面白いため、それを読むだけでもこの本を手に取る価値はあります。
  わびしい一人暮らしなのに、月に20万円も使っているのには呆れます。 私だったら、5万でもつりが来ますが。 唯一の生計である講演の最低料金が20万というのも高すぎる。 拘束時間から考えても、3万くらいがいいところでしょう。 いや、それでも高い。 そもそも講演なんぞで知識を得ようというのが心得違いなのであって、ほんの数十分喋るだけで万を超える料金が発生するなどというシステムがおかしいのです。

『パプリカ』 91~92年
 精神医学を題材にした本格SF長編。 これは読み応えがありました。 アイデアそのものは、小松左京さんの『ゴルディアスの結び目』に近いですが、あちらが患者の内面意識そのものに外部から潜入していくのに対し、『パプリカ』は患者の夢に潜入していくという点で、話の展開がだいぶ変わってきます。 例によって、現実と夢がごっちゃになる形でクライマックスが構成されていますが、不明瞭ながらも一応現実世界での結末がつけられているので、読後、放り出されたような不安感はありません。
  筒井作品で若い女性が主人公というと『七瀬シリーズ』を思い出しますが、それに似た雰囲気もあります。 何となく、虚無的、閉塞的で、暗いのです。 ただ、話の陰鬱さは七瀬シリーズほどひどくないので、読後感はずっと良いです。 これは、SF好きにはこたえられない作品ですな。

  筒井さんの小説は、高校の頃から読んでいたのですが、断筆宣言の少し前頃から離れていたので、まるまる十年分くらい読んでいない本がたまっていて、今回は大いに助かりました。 干天の慈雨とはこの事ですな。 まだ十冊くらいあるようなので、引き続き耽溺する事にします。

2006/01/12

失敗者の経験談

  父に車で送ってもらって、脱臼の診断書を会社に届けてきました。 その時の、新任組長の反応が凄い。

「固定に三週間もかかるというのは長すぎる。 病院が悪いんだろう。 他へ行ってみろ」

  私が治療を受けたのは、沼津市で最も信頼性が高い整形外科なんですが、その事を伝えると、返事がまた呆れる。

「腕が良すぎて、慎重すぎるんだろう。 他へ行ってみろ」

  するとなにか? わざわざ腕の悪い病院へ行き直せというのか? 自分の体だったら、そうするか?

  実はこの組長、以前から私にいい印象を持っておらず、イジメるつもり満々なのです。 それが分かっていたので、たぶん、しょーもないケチをつけてくるだろうと予想していたんですが、その通りの反応でした。 もし私が、その指示に従って、肩関節を駄目にしてしまった場合、責任は自分にかかってくる事になるのですが、そこまで先を考える事が出来ないのです。
  ただ、こういう血の巡りの悪い輩は、社内に珍しくないため、慣れっこになってしまって、さほど腹が立ちません。 いわゆる、『馬鹿の壁』という奴ですな。 ほとんどが、知力より体力、理屈より気合、で生き延びてきた手合いなので、理解能力に限界があるのは致し方ありません。 むしろ、哀れむべきなのです。 諸葛孔明も言っているように、相手の知力に応じて対処せねばなりません。
  ちなみに、『プロジェクトX』などを見ると、日本の生産現場には知的かつ合理的思考の持ち主が犇いているかのように描かれていますが、実態はこんなものです。 日本の経済は馬鹿が動かしています。 いや、ほんと。

  その場は生返事をして帰ってきました。 まだ治療が始まったばかりなのに、他の病院へ行くなんて、聞いた事がありません。 医学百科事典を読んでも、ネットで調べても、『肩関節脱臼後の固定は、最小限三週間』となっているので、整形外科の常識なんでしょう。 それ以下の期間で良いと言う医師がいたら、そちらを信用できないと考えるべきです。 つまり、聞きに行くだけ無駄。

  と、そんな事を考えつつ、ネットで肩関節脱臼経験者のサイトを読んでいたのですが、読み進むうち、ある事に気付き、考え方が変わってきました。

  どのサイトでも、体験談の中に必ず書いてあるのが、「最初に脱臼した時に、整形外科医の指示に従い、しっかり固定期間を守っていれば、脱臼を何度も繰り返す肩にならなくて済んだのに・・・」という後悔の言です。 「二度目をやると、骨が外れる軌道のようなものが出来てしまって、その後簡単に脱臼するようになる。 ひどいケースでは、一日に二回外れたり、寝ている間に寝返りを打っただけで外れるようになる」 そんな事例ばかり読んでいると、ぞーっとして、自分も固定期間は絶対に守らなければ・・・と思えて来ます。

  しかし、この種の体験談を書いている人達には、私と決定的に違う点がありました。 みんな、ハードなスポーツをやっているのです。 柔道、レスリング、ラグビー、水泳、テニス、サーフィン、ボディー・ビルなど、肩を激しく使うものばかり。 あるスポーツをやっていて脱臼したのなら、そのスポーツをやめるのが先決のような気がしますが、彼らにとってそんな選択肢は問題外らしく、むしろ、そのスポーツを続ける為に、脱臼癖を治そうとしているのです。 つまり、逆に考えると、肩を激しく使うスポーツをしていなければ、脱臼が再発する危険性は著しく減るのではないでしょうか?

  ネット上に見られる、病気経験者による医学知識には、ある傾向があります。 現在その病気で苦しんでいる人はサイトを作りたがるが、治った人は作ろうとしないという事です。 治ってしまうと、ゲストとして書き込む事はおろか、サイトを見に行く事すらしません。 私は若い頃に胆石をやってますが、治ってから相当経過しているので、ネット上で胆石を調べた事は一度もありません。 喉もと過ぎれば熱さ忘るるといいますが、病気に対する興味などそんなものです。

  当然、これは脱臼にも当てはまります。 脱臼サイトに書き込む人達は、現在も再発し続けている人たちであって、一回だけやって治ってしまった人は、やって来ないのです。 初回治療の失敗者だけが体験を語っていると言っていいです。 これでは、判断材料として偏りがあるのは否めません。 「固定期間を守らなかったから、再発した」というのは、初回治療失敗者の推測に過ぎず、定則とはいえません。 「固定期間を守らなかったけど、再発しなかった」人がどれだけいるか分からないからです。

  また、初回治療失敗者の中には、「固定期間を守ったけれど再発した」という人が若干おり、「たぶん、固定の仕方が悪かったからだ」と自己分析していますが、それが原因なのかどうか本当の所は分かりません。 「固定だけでは、再発は防止できない」という学説もあるらしく、そうなってくると、固定期間を律儀に守る事にどれだけの意味があるのか、怪しくなってきます。

  固定を三週間していると、筋肉が衰え、それを元に戻すだけで何週間もリハビリしなければならないのですが、固定そのものに治療効果がないとしたら、わざわざ筋肉を衰えさせるためにやっているようなもので、大変馬鹿馬鹿しい努力をしている事になります。

  さあ、困ったぞ。 これはどうしたものか。 馬鹿組長に意趣返しするのなら、診断書通りに、きっちり一ヶ月休んでやるのが一番ですが、実際に迷惑を掛ける相手はリーダーや指導員など、私の代わりに工程に入る人達なので、この際、馬鹿の相手などしてられません。 復帰は早ければ早いほど良いのです。 しかし、早すぎて、早々に脱臼再発をやらかすのも怖いです。 ここは一つ、中を取って、二週間だけ休んで体を自己調整する事にしましょうか。 筋肉の衰えを防ぐ為にも、そうした方がいいような気がしてきました。

2006/01/08

脱臼の顛末

  一月六日の夜勤が仕事始めでした。 それまで雪が降っていなかった静岡県東部でも、四日頃から雪雲が現われ、御殿場方面ではかなりの降雪になりました。 それでも、六日の夜の段階では、道路に雪は無く、凍ってもいなかったのです。 車で行く事も考えましたが、チェーンもスタッドレスタイヤも持っていないので、いずれにせよ雪には勝てないと判断して、バイクで出勤しました。 

  行きは問題なく到着しましたが、帰りはそうは行きませんでした。 夜勤を終えて、駐輪場まで行ってみると、バイクは雪に埋ってました。 道路も雪に覆われ、その上ツルツルに凍結しています。 試しにバイクに乗って走り出してみると、十メートルも行かないうちに、転倒しました。 こりゃいかんと思って、道路が凍っていないところまで押して行く事にしました。 大通りヘの最短コースはアップダウンがあったので、とてもバイクを押して上がれないと思い、距離は長くなりますが、下り坂だけの裏道を通って南下する事にしました。 

  普段通っていた道なので、すぐ着くと思っていたんですが、バイクに乗って通るのと、バイクを押して通るのでは大違いだという事を痛感しました。 遠い遠い! しかも、転倒した時に、バイクのクラッチ・レバーがおかしくなってしまい、クラッチが完全に離れきりません。 思い切り握っていないと、クラッチが繋がってしまって、後輪がロックし、横滑りを始めます。 右に滑れば倒れてしまいますし、左に滑ると、私の足にぶつかって来ます。 ステップが右足の臑に当って擦り剥けてくるのが分かりました。 ニュートラルにしようと何度か試みたんですが、クラッチが切れないためか、ギアが動かないのです。

  20分近く押して、大通りとの合流地点に到着しましたが、今度はエンジンがかかりません。 ライトが暗くなっているところを見ると、バッテリーが弱っていてるようです。 半クラッチで押し続けてきたことが影響したんでしょうか。 ほとほと困り果てた私は、取り敢えず、すぐそばにあったコンビニの駐車場にバイクを入れる事にしました。 まだ夜が明けきらない時刻だったので、明るい所でバイクを調べようとしたのです。

  コンビニへ入れるために、道路を渡ろうとした時、最悪の悲劇が起こりました。 道路の中央部は脇より高くなっていますが、その高さを乗り越えるために力を入れたら、右腕に激痛が走ったのです。 肩が内側に曲がったようになって、力が入りません。 道路の真ん中にバイクをとめておくことは出来ないので、何とか押してコンビニ駐車場まで入りましたが、腕の異常は治りません。 何かが外れたという事は分かったので、バイクのハンドルを掴んで、体をのけぞらせ、腕を引っ張ってみましたが、ただただ痛さが増すばかりです。 その場でうずくまる事約5分。 こういう時こそ落ち着かなければならないと思うのですが、痛さで頭が回りません。

  どう考えても、待っていれば治るという感じがしなかったので、とりあえず、テレカを取り出して、家に電話をかけました。 左手しか使えないので、そんな作業にも大いに手間取りました。 電話には母が出ました。 こちらの状況を説明して、迎えに来てくれるように頼んだんですが、返事は 「迎えに行くにしても、時間がかかるので、その間に寒さで凍えてしまう。 それよりも救急車を呼べ」 との事。 いちいち尤もな言い分ですが、私としては、それほどの大事ではないと思っていたので、とにかく迎えに来てくれるように言って、電話を切りました。

  場所が説明しにくいところで、「246を北上していった所にあるローソンの前」 としか伝えられなかったので、道路脇で待っていなければなりません。 これが、地獄の上塗りになりました。 雪が積もった歩道の上で、40分間、痛い腕を吊り下げて待つ事になってしまったのです。 足の指が動かなくなり、「このままでは、凍傷になる」 と恐れ戦きました。 ふと見ると、ちょっと離れた所にマンホールがあり、その上だけは雪が融けています。 早速その上に移動し、ひたすら待ちました。 立ってみたり、しゃがんでみたり、痛さを寒さで紛らわし、寒さを痛さで紛らわせるという、正に修羅の道・・・・。

  車が来た時は、地獄に仏でしたね。 コンビニの人に頼んで、バイクを駐車場の片隅に置かせてもらい、車の後部座席に倒れこんで、一旦家へ。 ああ、倒れこんだといっても、すぐに起きました。 横になると腕が痛くて、飛び上がってしまうのです。 重力に横から引っ張られるのに耐えられないようなのです。 父の運転は歳相応に荒っぽく、車の振動が腕に響いて、またまた地獄。 暖かくなったのだけが、せめてもの救いでした。

  家に帰っても、横になるわけにいかないので、ちっとも楽になりません。 膝立ちの姿勢で、耐えるのみ。 9時を待ち、整形外科に行きましたが、救急扱いではないので、一時間近く待たされました。 いやあ、ここまで来るともはや、悪魔に弄ばれているとしか思えません。 しかし、最大の恐怖が訪れたのは、その後でした。

  ようやく順番が回ってきて、先生に診てもらうと、「肩を脱臼しているようだ」 との事。 レントゲンを撮ると、確かに見事に外れています。 先生の予告、「これを元に戻すには、物理的に入れるしかないが、かなり入りにくい」 つまり、痛いと言っているのです。 「注射を打って入れ易くするが、それでも入らない時は、点滴で一時的な麻酔をかけ、その間にいれる」 つまり、物凄く痛いのです。 でも、ほうっておいても痛いので、是非もありません。

  尻に注射を打たれて、効くまで10分待ち、いよいよその時が来ました。 いやはや、思い出すも恐ろしいひと時でした。 先生が痛い腕を抱え込み、強引に関節に押し込んで来るのです。 絶叫ですよ、もう。 歯医者どころじゃありやせん。 私の体が逃げるので、看護婦さんが二人がかりで押さえ込みます。 拷問シーンか? 中々入らないのを見た看護婦さんが、「筋肉に力が入っているから、入らないんだよね」 と呟いたのを聞き、『なんだ、そうなのか』 と思って腕の力を抜いたら、急に楽になりました。 関節が元に戻ったのです。 早く言ってくれればよかったのに! いやいや、文句は言いますまい。 腕の痛みが嘘のように消えて、九死に一生を得た思いだったのです。

  これで、とりあえず人心地がつきましたが、先生が言うには、三週間は腕を吊っていないと、ズタズタに切れた靭帯が復元しないとの事。 それをやらないと、関節が簡単に外れるようになってしまうというのです。 これには困りました。 会社に言い訳が立ちません。 それでなくても、正社員は賃金が高いので厄介者扱いされているというのに、これでは、クビになりかねません。

  腕を吊られた以外は、塗り薬も湿布も無し。 家に戻ってから、バイク屋に行き、バイクを持って来てもらうよう頼みました。 ここまで惨めな有様になると、もう人様にすがる以外ありません。 夕方に会社に連絡しましたが、案の定、ネチネチいたぶられました。 まあ、仕方ありませんが・・・。

  というわけで、現在、右手を吊って生活しています。 右肩の痛みはありませんが、バイクで転倒した時に打った左肩や右足の腿が痛いです。  もう、新年からろくな事はありませんな。 今年の凶事をすべて前倒ししたのであれば良いのですが。