2012/12/30

心気症

  ≪一病息災理論≫というのがあります。 人間の体は、完全に健康な状態というのは、ほとんど無く、常に必ず、どこかに悪い所がある。 逆に考えれば、一ヵ所、悪い所をキープしていれば、他の病気に罹らなくて済む。 というもの。

  科学的根拠は無いのですが、この理論を聞くと、「それはある!」と共感してくれる人が多いのではないかと思います。 ほんっとに、「完全に健康」という時期は無いのですよ。 どこかしら、おかしい。

  頭痛がしたり、吐き気がしたり、胃が締め付けられたり、腰や膝が痛かったり、口内炎がリレー式に出来たり、怪我がいつまでも治らなかったり、皮膚に変な出来物が出来たり・・・、何かしら、病気・怪我が付き纏うのです。

  本当の病気なら、病院へ行けば、大抵は治るのですが、体が勝手に、病気の症状だけを作り出している場合、通院しているのに、いつまでたっても、症状が改善しなかったり、他の病院へ追っ払われてしまったりと、厄介な事になって行きます。

  そういう症状の事を、≪心気症≫と言いますが、この名称は、的を射ていないところがあります。 「心」と「気」が並ぶと、当人が自分の意思で病気を作り出しているようなイメージがありますが、それでは、まるで、仮病のようではありませんか。 違うんですよ、仮病じゃないんですよ。 症状は、本当にあるのです。 当人は、マジ、困っているのです。 仮病だったら、どれだけ、気が楽か・・・。

  当人の意思と関係なく、体が勝手に病気・怪我の症状を作り出してしまうから、困るのです。 それも、本当の病気・怪我をしていない時に、出て来る傾向が強い。 どうやら、当人の意思に関係なく、体が独自に、一病息災理論を実践しているような気配があります。 「常に、どこか、悪くさせといてやれ」という感じで・・・。


  私の場合、心気症に最初に見舞われたのは、高校生の時でした。 その年代には、よくあると思いますが、足の付け根の内側に、皮膚の爛れのようなものが出来たのです。 あれにゃあ、参りましたね。 真っ先に疑ったのは、インキンですが、近所の泌尿器科の医院で調べてもらったら、違うとの事。 ほっとはしましたが、それで治るわけではありませんでした。

  その時の診断は、「陰嚢湿疹」でしたが、別に、陰嚢の方は、何ともなっていなかったので、「ちょっと、違うんじゃないの?」と思いつつも、貰った薬を塗っていました。 だけど、結局、薬では治らず、あれこれ考えた末、通学に使っていた自転車のスポーツ・サドルが股に当たっているのではないかと思い当たり、サドルをミニ・サイクルの物に換えたら、あっという間に治りました。

  こう書くと、「サドルのせいだったんだろう」と思うでしょうが、今にして思うと、違うんですよ。 通学時間なんて、行き帰り合わせても、日当たり一時間にもならないのであって、その程度の乗車で、皮膚の爛れなんて出るはずがないのです。 それでなくても、私は、釈迦力になって漕ぐ方ではなかったのですから。 あれは、心気症だったに違いありません。

  その頃、クラスの中に、自分が性病になった事を自慢して回る、糞馬鹿な不良がおり、私を含めて、真面目な生徒は、「なんで、こんな奴らが、学校に来ているんだ?」と震え上がっていましたが、そいつらと接触して、性病をうつされるのではないかと恐れるあまり、そんな症状が出たのではないかと思います。 それにしても、ひでー学校だったなあ。


  次に襲われたのが、水虫症状です。 これは、家の中に元凶がいました。 母が調理師をやっていたのですが、長靴を履きっ放しの仕事なので、水虫になり、一時期、通院して、薬を塗っていたのです。 これも、恐ろしかったねえ。 なにせ、家の中で、風呂場のマットや、トイレのスリッパなどを共用しているのですから、うつる可能性、極めて濃厚。

  実際には、母は、症状が出て、すぐに病院に行き、処方薬を使って、半年くらいで治してしまったので、うつる事はなかったのですが、心気症に、そんな理屈は通用しません。 感染を恐れるあまり、靴下を履きっぱなしで夏冬過ごしていましたが、そんな事をしていれば、逆に、衛生上宜しくないのであって、もろに水虫の症状が出ました。

  それがきっかけで、感染症全般に対する恐怖心が増幅して、病的潔癖症になり、そのせいで、他人との接触を極度に恐れるようになって、高校卒業後、三年間もひきこもりなってしまうのですが、それはまた、別の話。

  水虫の市販薬を、何年かつけていましたが、ちっとも良くならなかったのが、ある時、「薬を塗っているのに、全く症状が変わらないのはおかしいではないか。 もしや、これは、気のせいなのでは?」と思い始め、薬をやめ、靴下も履かないようにして、ケセラセラで暮らしていたら、あっさり、治ってしまいました。 ものの見事に、心気症だったんですねえ。


  その後、働き始めてからすぐに、ギックリ腰をやり、10年くらいは、腰を気遣って暮らしていたのですが、その間は、皮膚疾患は、全く出ませんでした。 一病息災理論に則り、一つしかない席を、腰痛が占めていたので、心気症が入り込む余地が無かったのでしょう。

  ところが、仕事がだんだん、楽なものに変わって来ると、また、水虫症状が出て来ます。 腰痛をうまくコントロールできるようになったので、一病席が空きやがったんですな。 10年のブランクは大きく、「気のせいだ」と信じる事ができずに、それから、7・8年もの間、市販の水虫薬、≪ブテナロック≫を塗り続ける事になります。 しかし、心気症ですから、治るわけがありません。

  で、とうとう、腹を括り、皮膚科に行ってみる事にしました。 皮膚科医院という場所自体が、感染源のような感じがして、それまでは近づかなかったのですが、背に腹は代えられません。 行ってみると、スリッパは無く、靴のまま診察室に入れて、思っていたよりも、ずっと衛生的な所でした。

  患部の皮膚片を採って、顕微鏡で見た先生が、「こりゃ、水虫じゃないな」と言った時には、ぱっと目の前が明るくなりました。 続いて、「とりあえず、湿疹の薬を出しますから、様子を見てください」と言われました。 むむ、また、湿疹か。

  で、出された軟膏を塗り始めると、7・8年も私を苦しめていた傷口が、一日で塞がり、二日後には、健康な皮膚と見分けがつかなくなってしまったから、たまげるじゃありませんか。 信じられませんよ、あーた。 何年間も真っ赤に開いていた傷口が、消えてなくなってしまったんですよ。

  「湿疹だったんだから、湿疹の薬が効くのは当たり前だろう」と思いますか? いやいやいや、そもそも、腰痛に苦しんでいた時には、湿疹なんて全く出なかったのに、腰痛が治った途端、突然、湿疹になるはずがありません。 効いたのは、薬ではなく、「水虫ではない」という、先生の言葉だったのです。 心気症、恐るべし。 たかが気のせいで、あんなにはっきりした傷口が出来てしまうんですねえ。

  一週間後、再び医院へ行き、先生に見せると、「ほほう、極端だねえ」と、楽しそうに笑っていました。 「でも、また、出来るかも知れないよ」と、意味深に付け加えたのは、心気症だと見破ったからではないかと思います。


  それ以来、四年くらい、皮膚疾患とは無縁の生活をしていたんですが、このほど、まーた、変なのが出て来ました。 しかも、今までで、最も厄介な場所、陰嚢にです。 先週の土曜の夜、なんだか、ピリピリ痛くなったので、最初は、「毛が引っかかったかな」くらいに思っていたんですが、一晩寝ても治りません。 で、鏡で見てみると、表面に擦り傷のような傷口が出来ています。

  これにゃあ、びっくりだね。 どーして、こんな所に傷口が出来るのよ? ぶつけたら、ピリピリどころか、その時点で、悶絶しているでしょうに。 尖った所に擦ったような記憶も無し。 というか、傷がつくほど、擦れたら、その時点で、飛び上がってるでしょうに。

  で、土日は、ピリピリくらいで済んだのですが、月曜になり、仕事が始まったら、激痛に苦しめられる事になりました。 その一週間前から仕事の内容が変わって、踏み段を昇降する作業が増えたのですが、その昇る時に、陰嚢が、トランクスの股の縫い合わせ部分に擦れるのです。 恐らく、傷が出来た原因も、これに違いありません。

  一日に、250回くらい、傷口を布で擦られるわけで、治るどころか、悪くなる一方。 何とか、三日間ごまかして、年末年始の連休に持ち込みましたが、来年からも、仕事内容は変わりませんから、また痛い思いをするのは必定。 休みの内に、どうにかせにゃなりません。

  最初は、擦過傷だと思っていたので、≪キシロ≫という殺菌軟膏を塗っていたのですが、悪くもならない代わりに、よくもなりませんでした。 そのキシロは、もう10年近く前に買った物だったので、使用期限が切れているせいかと思い、今度は、≪オロナイン≫を買って来ました。 176円。 安いな。

  オロナインなら、名が通った薬だから、悪い事にはならないだろうと思ったのですが、これも、駄目でした。 むしろ、ヒリヒリして、悪くなってしまったような感さえあります。 で、注意書きを読んだら、「湿疹には、使用しないで下さい」とあります。 なに、湿疹?

  その時まで、全く考えていなかったのですが、もしかしたら、擦り傷ではなく、過去、何度も私を苦しめて来た、あの湿疹なのではありますまいか? 正確に言うと、心気症から来る湿疹症状です。

  擦り傷だとすると、奇妙な点もあるのです。 私は、今年の1月から3月までの三ヶ月間も、同じように、踏み段を昇降する仕事をしていたのですが、その時は、そんな傷はできませんでした。 三ヶ月やっても出来なかった傷が、たった一週間で出来るというのは、不自然この上無い。

  一方、心気症から来る湿疹なら、原因なんて関係ありませんから、充分にありえる事です。 そこで、以前、皮膚科で貰って、足指の傷口を二日で治した、あの湿疹軟膏をつけてみようと思ったのですが、その≪アンテベート≫という薬は、医療機関でしか処方してもらえない薬で、≪劇≫という文字まで入っており、陰嚢に使っていいものかどうか、ためらわれました。

  調べてみると、湿疹の薬には、ステロイド系と非ステロイド系など、強弱の違いがあり、「陰嚢は皮膚が薄くて、薬を吸収し過ぎるので、副作用を避けるために、ステロイド系は使わない方が良い」などと、怖い事が書いてあります。 ≪劇≫を使わんで良かった。

  そこで、なるべく肌に優しいタイプの湿疹軟膏を買って来て、使ってみたところ、これまた、一日で、傷口が塞がり始めました。 あらあら、やっぱり、湿疹だったんですねえ。 これが本当の、「陰嚢湿疹」なんでしょうかねえ。 部位だけは、合っている。

  もしかしたら、かつて、足指に出来ていた傷口も、市販の湿疹薬で、治ったのかもしれませんな。 足指に傷口が出来た時、殺菌軟膏と水虫薬は塗っていましたが、市販の湿疹薬は試した事がありませんでしたから。

  市販の湿疹薬というのは、普通、「かゆみ・かぶれ・虫さされ」などが、効能書きの前の方に並ぶので、湿疹の薬という印象が薄い上、痒みを止めるための成分のせいで、ヒリヒリするイメージがあるので、「敏感な患部に塗るなど、とんでもない」という感じがするのです。 しかし、効くものは、やはり、効くわけですな。


  治る目処がついたのは嬉しいのですが、もう、湿疹にはうんざりという感じです。 しかも、心気症の湿疹には。 いいえ、心気症に決まっています。 他に考えられんのです。 原因は、定かには分かりませんが、今現在、他に悪い所は無いので、一病息災理論に則って、発病した可能性が高いです。

  心気症の旦那よー。 もーえーがな。 勘弁してくんなまし。 あんたにゃ、30年も苦しめられてきたけれど、それで、私の人生が良くなったという事はないじゃありませんか。 あんたも私の一部なんでしょう。 なんで、自分自身を苦しめるような真似を、わざとするんですか? いいじゃないですか、健康な時は、健康に暮らさせてくれれば。 もういい歳ですから、羽目を外したりしませんよ。

2012/12/23

映画批評⑤

  今週から仕事内容が変わり、ライン・タクトが落ちたので、残業になるかと思いきや、相変わらず、定時30分前には終わってしまい、毎日、定時で帰って来る生活が続いています。 どうやら、年内いっぱい、そのパターンのままの様子。

  で、相変わらず、映画ばかり見ており、感想だけが、うず高く積もって行きます。 もはや、とても、このブログで紹介しきれる数ではなくなっていて、そろそろ、やめようかと思う反面、せっかく書いたのに、勿体無いという気持ちもあり、検討の末、一回分の数を増やして、出す事にしました。 長過ぎて、途中で読み飽きたら、それっきりにして下さい。


≪キングダム・オブ・ヘブン≫ 2005年 アメリカ
  リドリー・スコット監督の、歴史劇。 十字軍によって作られたエルサレム王国が、百年後、サラディン率いるサラセン軍の攻勢によって、崩壊の危機を迎える中、最後の抵抗を試み、平和的解決への道を開いた、鍛冶屋出身の騎士の話。

  大作と言えば、言えない事はないですが、大作らしいのは、戦闘場面の規模と迫力だけで、ストーリーの方は、簡潔にして、淡白です。 人間ドラマは、あって無いようなもの。 リドリー・スコット監督の作品に、人間ドラマを求める方が無理か。

  戦闘場面は、とにかく、凄まじいです。 特に、クライマックスの攻城戦は、前代未聞のスペクタクル。 しかも、リアル。 この辺りは、2001年の同監督作品、≪ブラック・ホーク・ダウン≫の描写を更に発展させ、規模を30倍くらいにしたと言えば、大体、感じが伝わるでしょうか。 この攻城戦場面だけ見ると、≪レッド・クリフ≫の戦闘場面が、遊んでいるだけのように見えます。

  ストーリーが、もうちょっと、内容があるものになっていれば、傑作になったと思うんですがねえ。 そもそも、貴族の種とはいえ、鍛冶屋しか経験が無い男が、こんなに強いわけがないですし、故郷を出奔した理由も、取って付けたような、いい加減なもの。 エルサレム王から領地を貰ったり、王女に惚れられたり、王亡き後に、指揮官に抜擢されたり、話がうますぎて、およそ、リアリティーに欠けます。

  主人公が指揮するエルサルム軍が、強すぎるのも不自然です。 こんなに強いなら、敵を蹴散らしてしまえばいいわけで、なにも、和平交渉に持ち込む必要はありますまい。 主人公が、闘争心剥き出しで、さんざんイスラム教徒を殺しておきながら、平和主義を標榜しているというのも、矛盾していて、何だか、馬鹿馬鹿しいです。

  差別表現は、注意深く避けているようですが、所詮、キリスト教徒側の視点で見た歴史であって、イスラム教徒が見れば、「こんなのは、おかしい」と感じるような点が、いくらも出て来ると思います。


≪ザ・インターネット2≫ 2006年 アメリカ
  ≪ザ・インターネット≫は、サンドラ・ブロックさん主演の1995年の映画でしたが、この≪2≫は、映画ではなく、オリジナル・ビデオとして作られた作品らしいです。 主演女優の、ニッキー・デローチさんも、主にテレビの方で活動している様子。 しかし、知らずに見れば、誰でも、映画だと思う出来です。

  イスタンブールの企業に雇われたコンピューター技師のアメリカ人女性が、何者かの罠に嵌まって、犯罪に利用された挙句、自分の身元を証明する手段を全て失い、別の人間に仕立て上げられてしまうものの、専門知識を使って、反撃を試みる話。

  主人公の性格が、険々しているためか、好感が持てず、理不尽な目に遭っても、同情心が湧き起こって来ません。 トルコの警察に向かって、「私はアメリカ人よ!」と怒鳴る辺り、「アメリカ人なら、外国にいても、権利を保障されるのが当然」と言わんばかりで、むしろ、嫌悪感すら覚えます。

  原題も、≪THE NET 2.0≫ですが、インターネットとは、ほとんど関係が無く、単に、コンピューターが関係するという程度の設定です。 見せ場は、むしろ、主人公がイスタンブールの街を逃げ回る、体を張ったアクション。 この撮影は、相当厳しかったでしょう。

  ストーリーは、結構、凝っているのですが、その舞台が、イスタンブールでなければならない理由が無いので、その点、不自然さは否めません。 ただ、ふんだんに出て来るイスタンブールの街並みの美しさは出色で、ここをロケ地に選んだ理由は、何となく分かるような気がします。 必然性を無視してまで、優先するような事ではないと思いますが・・・。


≪パンドラの匣≫ 2009年 日本
  太宰治の小説の映画化。 1945年から46年にかけて、人里離れた結核療養所を舞台に、入院患者達と、看護婦達の、恋のさやあてを描いた話。 いかにも、太宰作品といった感じで、べたべたの甘々。 ただし、他の太宰作品のように、過剰に自虐的・悲観的なところは無いので、割と見易い方だと思います。

  ストーリーは、一応、存在し、美しい婦長が、新たに赴任して来て、それまでの人間関係に、ちょっとした波風が立つというもの。 しかし、別に、婦長がヒロインというわけではなく、もう一人の若い看護婦の方が出番は多いです。 主人公の青年を中心に、その周辺の人物の動きを、漠然と描いているという感じ。

  面白いか、面白くないかと問われれば、はっきり言って、面白くない映画なのですが、敗戦直後の、誰もが心を虚ろにしていた時代に、健康を回復するという、小さな希望が存在した場所の、独特な雰囲気に浸る分には、出来は上々です。 明るさと暗さの中間を、僅かに蛇行しながら進む感じが、他の映画では味わえないところ。


  映画ではなく、原作段階の問題ですが、入院患者と、看護婦の恋愛が、こんなに頻繁に起こるというのは、不自然な感じがします。 私も、若い頃に、入院経験がありますが、そこでは、看護婦は、入院患者の事を、人間ではなく、魚市場のマグロのように扱っていました。 恋愛なんて、発生する余地、微塵も無し。 むしろ、患者から、そういう意識を持たれる事を、警戒しているような雰囲気に満ち満ちていました。


≪ペイル・ライダー≫ 1985年 アメリカ
  クリント・イーストウッドさん、監督・主演の西部劇。 金鉱の町を牛耳るボス一味から、立ち退きを迫られている村へ、凄腕の牧師がやって来て、貧しい砂金獲り一家を助けてやる話。

  なんつーかそのー、これは、≪シェーン≫のリメイクですな。 そうは言われてないようだけれど。 世話になった家族のために、ならず者の一味を殲滅しに行くところとか、その家の子供に慕われて、最後に大声で呼びかけられるところとか、全体の構成も、細部も、非常に良く似ています。 子供の性別は、男から女に変更されていますが。

  滞在中、牧師の服を着ているので、村人から「牧師さん」と呼ばれるのですが、ストーリー上、牧師でなければならない理由は、ほとんど無く、なんで、牧師にしたのか、首を傾げてしまいます。 「棺桶の中に機関銃」といった、マスロニ・ウエスタン風の意外性を狙ったんでしょうか?

  何と言っても、名作≪シェーン≫をなぞっているわけですから、ストーリーは面白いです。 ただ、≪シェーン≫では農民だった一家が、こちらでは、砂金獲りになっているので、軽薄さが否めず、ひどい目に遭っても、あまり気の毒な感じがしないのは、マイナス点ですな。

  面白かったのは、40歳はとうに越えていると思われる主人公が、15歳の娘に、愛の告白をされる場面。 母親の方なら、まだ分かるのですが・・・。 とはいえ、昔ならば、そのくらいの歳の差夫婦は、いたかもしれませんなあ。


≪パピヨン≫ 1973年 フランス
  スティーブ・マックイーンさん主演、ダスティン・ホフマンさんが助演。 二人ともアメリカの俳優ですから、フランス映画といっても、言語は英語です。 無実の罪で、流刑処分になった男が、フランス領ギアナにある刑務所から、仲間達と脱獄しようとする話。

  映画史に残る名作ですが、私は今まで、見る機会がありませんでした。 昔、たまたま見たのが、ギロチン処刑の場面で、「なんだ、こんな残酷な映画なら、見たくない」と思って、それ以来、避けていたのです。 随分、古い映画のようなイメージがありましたが、73年なら、私はとっくに生まれているわけで、そんなに古くはないですねえ。

  出て来る車の形を見ると、第一次大戦と第二次大戦の間くらいではないかと思いますが、そんな時代に、自由の国フランスが、こんな恐ろしい刑務所を運営していたとは、驚き呆れる話。 これでは、佐渡金山と変わりません。 服役させる為ではなく、殺す為に送り込んでいるんですな。

  凄まじいのは、主人公が入れられる独房の場面で、そこに、最初に二年間入れられた時、仲間を庇ったばかりに、食事を半分に減らされてしまうのですが、ゴキブリを喰って生き残る様子には、鬼気迫るものがあります。 いやあ、私は、喰えませんなあ、いくら飢えても。 それとも、飢えれば、喰う気になるもんなんですかねえ。

  ≪大脱走≫のような綿密な計画性は無く、多分に、行き当たりばったり的なノリで、脱獄が実行されます。 この話の元になっている実話では、八回脱獄したそうですが、この映画では、二回だけです。 よく、この映画の感想で、「何度失敗しても、脱獄を繰り返す主人公の執念に感じ入った」などと書いてあるのを目にしますが、たった二回では、「何度でも」という表現はおかしいでしょう。

  大作ですし、名作だとも思いますが、主人公が、なぜ、脱獄に拘るのか、そこの説明が足りないような気がします。 模範囚に徹して、刑期満了を待った方が、早く出られたと思うのですがね。 無実の罪だから、服役する言われはないというプライドが、そうさせたんでしょうか。


≪フローズン・リバー≫ 2008年 アメリカ
  ギャンブル狂の夫に金を持ち逃げされ、二人の子供と共に残された女が、注文してあった新しい家の代金を手に入れるために、先住民の女がやっていた、密入国者を運ぶ仕事の片棒を担ぐ話。

  モホーク人の居住地が、カナダとアメリカに跨っている事を利用して、車のトランクに密入国者を隠し、冬場、凍結した川を渡るというやり方でして、最初は、主人公も、見ているこちらも、「ほう。 おいしい仕事じゃないか」と思うのですが、所詮は犯罪ですから、いい結果にはなりようがありません。

  最初は、互いに銃を向け合うような険悪な雰囲気だったのが、次第に、相手の境遇を理解しあうようになり、最終的には、捕まった時に、どちらが犠牲になるかという話になって行きます。 一種の人情劇でして、アメリカ映画では、割と珍しいテーマです。

  主人公の家族は、食費はギリギリ、レンタル・テレビも取り上げられそうになるという、崖っぷちの生活。 しかし、その原因は、主人公が、新しい家を手に入れる夢を諦められない事にあり、欲の結果なので、同情する気になりません。

  ラストも、「甘過ぎるのではないか?」という感じ。 普通、このパターンで逮捕されたら、お金も没収されると思いますが、どうなってんでしょ? 人情話を成立させる為に、リアリティーを無視したのだとしたら、日本のお涙頂戴映画と、選ぶところがありますまい。


≪栄光のル・マン≫ 1971年 アメリカ
  スティーブ・マックイーンさん主演のレース物。 高校生の頃に見たのですが、ほとんど忘れていました。 ル・マン24時間耐久レースに、ポルシェ・チームのドライバーとして参戦したアメリカ人レーサーの話。

  ほぼ、全編、ある年のル・マン・レースの描写で埋まっています。 人間ドラマは、ほとんど無し。 主人公は、ル・マンの前に、他のレースで事故に遭っていて、その時、死んだレーサーの妻というのが出て来ますが、事故はどちらが原因だったというわけではないようで、主人公に恨みを抱いている様子はなく、関係は、実に淡白です。 というか、「この女、一体何しに、レース場に来てるの?」と思うほど、浮いた存在。

  レース場面は、≪グラン・プリ≫よりは、迫力が無いですが、映画全体の時間が短いので、間延びは起こしていません。 事故の場面だけは、そこそこの迫力。 クライマックスのデッド・ヒートは、緊迫感がぐっと盛り上がりますが、リアルに徹して、映画ならではの劇的の展開を避けているために、些か、フラストレーションが溜まるラストになっています。

  セリフを極力減らし、物語性も犠牲にして、ル・マンの臨場感を伝える事に最大の力点を置いており、普通の映画とは、だいぶ、雰囲気が違います。 私は、あまり、ピンと来ないのですが、レースが好きな人は、こういうのがたまらんですかねえ?


≪沈黙の鎮魂歌≫ 2009年 アメリカ・カナダ
  スティーブン・セガールさん、制作総指揮・主演。 初期の沈黙シリーズを何本か見た後、この人が作る映画を見ないようになっていたのですが、これは、制作年が新しいので、少しは変わったかと、見てみました。

  元ロシア・マフィアだった作家が、娘の結婚式に出るために、古巣の町へ戻ったところ、元妻が殺され、娘が重傷を負わされてしまい、娘の婚約者と共に、その父親であるロシア・マフィアのボスに復讐する話。

  全然、変わってませんでした。 やたら暴力的で、残忍なところなど、昔のまんまでした。 この映画の場合、国家的陰謀の類は絡まず、ヤクザ同士の殺し合いなので、尚更、残忍さが際立っています。 変わった点を探せば、セガールさんの腹が出て、軽快な動きが見られなくなったところくらいでしょうか。

  これだけ殺しまくったら、相手がマフィアだろうが、街のクズどもだろうが、ただの大量殺人鬼であって、もはや、ヒーロー扱いは望めますまい。 警察が止めようとしないのが、また、呆れた御都合主義。 いいのか、これで・・・。 映倫は、猥褻表現なんかより、こういう倫理上、問題がある作品を取り締まった方が良いのでは?

  はっきり言って、セガールさんの名前だけで売っている感じで、中身は二流映画になってしまっているのですが、こういう暴力物が好きな固定ファンがいて、そこそこ興行収入が得られるために、この種の作品を作り続けざるを得なくなっているのかもしれませんな。


≪ライフ・オン・ザ・ロングボード≫ 2005年 日本
  珍しく、大杉漣さんが、主演。 定年を迎えた男が、先立った妻との思い出を懐かしむ内、若い頃、サーフィンをやりかけて、すぐにやめてしまった事を思い出し、その時買ったロングボードを実家の納戸から発掘して、種子島に移住し、サーファーになる話。

  「いい歳したオッサンが、若者のスポーツであるサーフィンを始める」という落差を狙っているわけですが、逆に言えば、他に売りが無く、この内容で、映画の尺を埋めるのは、かなり、困難。 足りない分を、主人公の娘が就活に苦労するエピソードで水増ししているのですが、そのせいで、誰が中心人物なのか、はっきりしなくなってしまっています。

  大杉さんは、この映画のために、サーフィンを実際に習ったらしいですが、やはり、年齢的に厳しかったのか、波に乗れる場面は、信じられないほど少ないです。 もう二三カットは、欲しいでしょう。 最終的に、主人公が、サーファーになったと言うのならば。

  主人公を、善人にし過ぎてしまっていて、ストーリーが甘くなっています。 「病的な仕事人間で、家族を省みず、妻を死なせてしまって、娘達からは父親失格の烙印を押されていた男が、定年を迎えて、失意のどん底に落ち込み、唯一残った妻との思い出から、サーフィンを始め、それに取り付かれていく」という話にすれば、もっと落差が際立って、ずっと劇的になったのですがねえ。

  実際には、主人公は、良識的で、礼儀正しい、とてもいい人でして、家族との関係も、うまく行っていた方。 病気の妻には優しく接していましたし、娘が自立したがっているのが不自然なくらい、いい父親でもあるのです。 たぶん、制作者達が、この主人公を、悪い人にしたくなかったんでしょうなあ。 で、良い要素を積み足して行く内に、どんどん甘くなってしまったわけだ。

  ただ、この甘さは、必ずしも悪くは働いておらず、悪人が出て来ない事で、映画が全体的に良心的になり、爽やかな雰囲気を醸し出す事に成功しています。 怪我の功名という奴でしょうか。 ちょこちょこと、ギャグが盛り込まれていて、笑える場面が多いのも、宜しいと思います。


≪ノッティングヒルの恋人≫ 1999年 アメリカ
  ヒュー・グラントさん、ジュリア・ロバーツさん主演の恋愛物。 ロンドン郊外の町、ノッティングヒルで、流行らない本屋を経営している男が、たまたま出逢った世界的に有名なアメリカ人女優と、互いに惹かれあうものの、立場が違いすぎて、紆余曲折する話。

  ほぼ、≪ローマの休日≫の、リメイク。 いや、翻案というべきか。 少なくとも、下敷きにしているのは明らかです。 男の職業は本屋ですが、記者に化ける場面があり、クライマックスも記者会見で、≪ローマの休日≫と同じ。 いわゆる、オマージュ作品なんでしょうな。

  ジュリア・ロバーツさんを、好きかどうかで、この映画のイメージは、だいぶ、変わると思います。 私としては、この人は、恋愛物より、もっと硬いテーマの映画の方が似合うと思うのですがね。 誰が見ても異論の無い美形と言うわけではない事もありますが、それより何より、こういう役では、せっかくの演技力が勿体無い。

  その点を除けば、非常によく出来たコミカル・ロマンスで、制作者のセンスの良さが窺える、気持ちのいい映画だと思います。 イギリスが舞台ですが、アメリカ映画なので、暗い感じが全く無いのも、ギャグのキレを良くするのに寄与していると思います。


≪この愛のために撃て≫ 2010年 フランス
  85分の中編映画なのですが、これが、思わぬ拾い物。 面白いのです。 リュック・ベッソン作品以外で、こんなに面白い現代フランス映画があるとは、意想外でした。

  病院に担ぎ込まれた殺し屋を助けた事から、身重の妻を略取された看護士見習いの男が、恐ろしく厄介な組織を敵に回して、殺し屋と共に逃げ回りつつ、妻の奪回を試みる話。

  ノン・ストップ・アクションで、とにかく、息つく暇がありません。 車を使わず、生身の足と公共交通機関だけで動き回るのですが、その結果、体当たりのアクションになっていて、独特の迫力を生んでいます。

  殺し屋の人相が異様に悪いのですが、この男が、実は、主人公の敵ではなく、むしろ、味方として行動する点に、落差があって面白い。 その上、「え゛え゛っ?」と思うような連中が、敵方の組織になるため、そちらの落差も凄い。 途中、主人公に同調して、絶望的な気分になりますが、そのまま、理不尽な展開へ放り出されるような事はないので、ご安心を。


≪カイジ2 人生奪回ゲーム≫ 2011年 日本
  うーむ・・・・、≪カイジ 人生逆転ゲーム≫の方は、あまりの馬鹿馬鹿しさに、早送りしたのですが、こちらも、15分くらいで我慢ができなくなり、早送りしてしまったので、感想が書けません。

  なぜ、見るに耐えないか? それは、話が、まるっきり、漫画だからです。 漫画なら許される設定でも、実写で映画化したら、リアリティーが損なわれ過ぎて、カッコがつかない話というのはあるのであって、この作品は、その典型。 スカとすら言えない。 映画として認められないレベルです。


≪ノーバディーズ・フール≫ 1994年 アメリカ
  ポール・ニューマンさん主演。 晩年の出演作の一つ。 雪深い田舎町で、建設作業員をしている男が、失業した息子を助手に雇ってやったり、孫を相手に、「おじいちゃん」を演じてみたり、勤め先の会社の経営者と家庭用除雪機を取り合ったり、下宿先の大家の老女を助けたりと、ごく日常的な交流をする様子を描いた話。

  田舎町の狭いコミュニティーで起こる出来事ばかりなので、非常におとなしい話になっています。 映画としては、まずまず、よく纏まっていると思うのですが、あまりにも地味過ぎて、ポール・ニューマンさんの都会的なイメージには合いません。 そもそも、建設作業者って感じじゃないですよねえ。

  映画ではなく、テレビ・ドラマだったら、秀作になったと思われます。 あまり静か過ぎる話というのは、映画に向かないんですな。 会社の社長役で、ブルース・ウィリスさんが出ていますが、さして重要な人物ではなく、別に誰でもいいような役です。


≪青春☆金属バット≫ 2006年 日本
  なんだ、これは~? 制作者は、全員、精神異常者か? なんで、映倫は、こういうのを上映禁止にしないんでしょう? これも、漫画が原作ですが、漫画ですら、こんな話は許されますまい。 リアリティーの有無ではなく、倫理上、重大な問題があります。

  元高校球児で、素振りの練習だけを生き甲斐にして、コンビニのバイトで喰っている青年が、アル中女を助けた事から、金が必要になり、傷害や強盗など、犯罪の世界に落ちて行く話。 主人公が、金属バットで人を殴る場面が頻繁に出て来ますが、残忍な事をしているくせに、残忍な人格という設定にされていない点は、違和感MAXです。

  陰惨な犯罪物なら、それはそれで構わないのですが、この映画の場合、青春物のような軽いノリで作られているため、まるで、犯罪者の方が正しいかような、危険な錯覚を誘うのです。 特に中高生には、明らかに毒になる内容で、「これも、一つの青春の形」などと受け入れられた日には、真面目に生きている人間は、たまったものではありません。 

  主人公も、アル中女も、主人公の元チーム・メイトの堕落警官も、狂人でなければ、人間のクズとしか思えない連中で、とても、映画の中心人物になりうるようなキャラではありません。 特に、アル中女はひどくて、美人だろうが、巨乳だろうが、常識のかけらも無いキチガイでは話になりますまい。 坂井真紀さんも、よく、こんな役を受けたなあ。 

  ラストが、また、異常なんですわ。 元エースの堕落警官が、主人公に、「俺の球が打てたら、見逃してやる」と言って、勝負をするのですが、主人公が犯した罪は、そんな事でチャラにできるような軽いものではありません。 どーして、こんなラストで、纏められると思ったのか、その感覚を疑います。 滅茶苦茶だわ。

  善悪バランスを考えれば、罪を犯した主人公達には、それに見合うだけの報い、つまり、罰が与えられなければならないのですが、そこが、そっくり抜け落ちています。 批評意識無しで見た時、この映画から得られる印象は、「思い切って、犯罪者になったおかげで、彼女が出来た」というものになりますが、それでいいんですか? 犯罪者になる事を、見る者に勧めているんですか?

  こういう荒みきった生活をしている人間は、確かに存在しますが、それを、生き方として認めてしまったら、世も末でしょう。 一体、誰に共感して欲しくて、こんな映画を作ったのよ? それとも、制作者達自身が、こういう生活をしているんですか?


≪博士の愛した数式≫ 2005年 日本
  封切り時、盛んにCMを流していたので、名前は誰でも知っているはず。 交通事故の後遺症で、80分間で記憶がリセットされてしまう数学者と、彼の世話をする事になった家政婦と、その息子の、交流を描いた話。

  非常に地味な映画。 監督が、≪雨あがる≫の人なので、尚更、地味。 この監督、作中で何か事件が起きても、何も起こっていないように感じさせる、天賦の才能があるのではありますまいか。 明らかに、マイナス能力ですが・・・。 美しい自然を背景に、朗らかな登場人物を揃えれば、それなりに良心的な映画になる事は事実ですが、それだけではねえ・・・。

  まず、博士が、人間的魅力に欠けます。 作品の中で、精神的に成長が見られない登場人物は、脇役と決まってますが、80分で記憶がリセットされてしまうのでは、成長のしようがないわけで、中心的人物にはなりえません。 さりとて、変人でもなく、大きな問題も起こさない。 一言で言うと、つまらない人なのですよ。

  次に、実質的な主人公である家政婦が、妙に不自然なキャラ。 十年のキャリアがある割には、挙動が初々し過ぎるのです。 長年、同じ仕事をして来た人間というのは、感動する心など、とうの昔に摩滅していて、何があっても動じないような、ふてぶてしい態度になるものです。 身の周りに、いくらでも、そういう例が見られると思うのですがね。

  年柄年中、ニコニコ笑っているのも、度が過ぎていて、なにやら、気持ちが悪い。 独り言も激しいようですが、一度、病院に行った方がいいですぜ。 監督の演出なのだと思いますが、「素直で、明るい性格」というのを、恐ろしく浅く考えているのでないでしょうか。 笑っていさえすれば、明るいというわけじゃないんですよ。

  息子もよくない。 子供の頃は問題無いですが、数学の教師になった大人の方が、まずいです。 最初の授業で、自分の子供の頃の思い出を、一時間も語る教師がいますかね? ナルシシストも甚だしい。 いやらしいではありませんか。 聞き終わった生徒に、「ありがとうございます」などと言わせるセンスも、気持ちが悪い。 言うか、そんな事!

  「いい話を作ろう」という気ばかりで、実力が伴わないので、こういう腑抜けたような作品が出来てしまうのでしょう。 こういう映画を、「感動ストーリー」などといって、名作扱いする批評家も批評家です。 本当に面白いと思った? 私は、途中で二回も眠ってしまったんですがねえ。



  以上、今回は、15本。 ≪カイジ2 人生奪回ゲーム≫は、感想になっていませんが、一応、数の内に入れておきました。 批評する価値すらない映画というのは、あるものなんですな。 漫画を原作にしている映画は、日本に限らず、アメリカでも作られているのですが、映画として見るに耐えるものになるかどうか、よくよく、吟味すべきだと思います。

2012/12/16

座礁船の行く末

  マヤ暦の終わりが近づいていますが、私としては、むしろ、この世が終わってくれれば、清々すると思っているくらいなので、恐れようなどという気は、毛頭更々金輪際ありません。 人類という、憎たらしい程にしぶとい生物種が、そう簡単に、終わるわけがないんですよ。

  まったく、予言だの、占いだの、そんな下らない事を気にしている奴らの気が知れん。 「神はいるか?」は、哲学の対象になりますが、「予言は当たるか?」は、宗教家の詐欺手口に過ぎず、「占いは当たるか?」に至っては、占い師に施しをしてやるか否かという、地獄の番外地レベルの低さまで、問題の次元が落ちてしまいます。

  人間、15年も生きれば、この世の仕組みが、大体頭に入りそうなものですが、とっくに中学なんぞ卒業しているくせに、無知蒙昧な輩の、嫌になるほど多い事よ。 そんなに馬鹿じゃ、人間に生まれたありがたみがないだろう。 オルドバイ渓谷へ行って、裸一貫やり直した方が、いいんじゃないのけ?


  時事ネタは、年月が経ってから読み返すと、全然面白くないので、あまり書きたくないんですが、今回は、衆院選挙があるから、しょーがないですな。 どうしてまた、こんなに年の瀬が押し詰まってから、選挙をするかね? せっかく、年末年始の連休が近づいて、開放感が盛り上がりつつあると言うのに、しょーもない新政権が生まれたりしたら、休みの間中、気分が悪いじゃありませんか。 迷惑、千万!

  Nさんも、「近い内、近い内」と言いながら、図々しく先送りして、任期いっぱい、やりゃあ良かったじゃん。 どうせ、政治家の口約束なんて、破られるためにあるんだから。 有権者には、平気で嘘をつくくせに、政治家同士だと、義理堅いんですねえ。 だけどよー、政権を失ったら、元総理も元閣僚も、ただの味噌っ滓ですぜ。 約束なんて律儀に守ったって、何のお得があるもんでもありますまい。


  選挙前の世論調査で、「自公圧勝」と出てしまった時点で、もう、頭がズキズキ痛いですな。 民主に入れたくないという気持ちはよく分かります。 この3年間、どの内閣も、しょーもない、ていたらくで、「素人集団」と蔑まれても仕方がないような政権運営をしてきたんですから。 国の舵取りをして来たと言うより、座礁している船の船底に、せっせと穴を開けて来たような感じ。

  だけどねえ、だからって、自公政権に戻したって、良くはなりませんよ。 座礁させたのは、そもそも、自公政権なんですから。 3年前までの事を、ちょっと思い出してみないさいな。 総理が一年毎に変わり、二進も三進も行かなくなって、結局、放り出したんですよ。 あの頃と比べて、自公の政治家の、考え方が変わったとか、人が入れ替わったとか、具体的な立ち直りを示す変化が見られますか?

  そーれどころの話じゃない。 一度、自分から辞めた人が、総裁に再選されて、政権奪還して、総理に返り咲こうっていうんですぜ。 そんな例は、前代未聞ではないですか? 日本の政治の数少ない長所の一つに、「一度、総理を経験した人は、再度、総理を目指す事はなく、一人の人間が長期間、権力を恣にする事がない」というのがあったんですが、今将に、悪い前例が作られようとしているんですな。 その点に限るならば、歴史的な選挙になると言えます。

  だけどねー、Aさん。 神経性で、内臓に来る病気をなめてたら、いけませんぜ。 今はまだ、追う立場で、気楽だからいいけど、総理になったら、膨大な量の難題が、一気に肩にのしかかってきて、Aさんの場合、それが全て、胃に響いて来ます。 胃壁に穴が開いてからじゃ、遅いですぜ。 腹膜炎は怖いよー。 処置が遅れれば、次に目覚めた時には、あの世ですからね。 胃に爆弾を抱えているような体で、よくまた出ようと思いますねえ。 こうなったらもう、政権担当中、牛乳パックが手放せませんな。 

  体の事はさておくとしても、政権奪回して、何をしたいのか、それが分かりません。 経済面で、札を大量に刷って、強制インフレを起こし、デフレから脱却するとか言ってますが、いやいやいや、インフレはインフレで、まずいでしょう。 国の経済運営は、そんな単純な話じゃありませんよ。

  インフレになると、メーカー系の企業は、製品を高く売れるので助かりますが、その反面、預金などの額面が変わらない資産の価値が減ってしまうので、そういった資産が多い高所得者ほど、損をする事になります。 いいんですかね? 自民党の支持者は、保守系で、資産家とか、企業経営者とか、高所得者が多いわけですが、インフレで大損したら、全員、敵に回ってしまいますぜ。

  インフレで助かる一般人は、ローンなど、多額の借金を抱えている人達で、額面は変わらないのに、お金の価値が下がるため、借金を返し易くなります。 借金ばかりで、預金が無く、日銭で喰いつないでいるような人達は、インフレなんぞ、ちっとも怖くない。 「フレフレ、インフレ!」ってなもんです。 だけど、そういう人達は、むしろ、自民党とは縁の無い層なのではありますまいか?

  非常に重大な問題だと思うのですが、自民党内で、Aさんの方針について、真剣な異論が噴出していないのが、実に不思議。 まさか、経済が分かる人が、一人もいなくなってしまったわけでもありますまい。 支持基盤を敵に回したら、政党は終りでしょうに。 かつての社会党のように、みるみる縮んで、10年もしない内に、ミニ政党に落ちぶれてしまう恐れすら、無きにしもあらず。


  外交は、たぶん、今と同じで、新政権になっても、悪い状態が続くでしょう。 前のA政権の時にも、外交上の成果なんて、何も無かったものね。 その代わり、極端に悪い事もありませんでしたが。 Aさんに限らず、おしなべて、二世議員で、外交が分かる人なんて、まーあ、見た事が無いです。 興味が無いんでしょうな、外国に。 もう、それに尽きます。 何かを期待するだけ、無駄。

  防衛の方は、今より更に、キナ臭くなると思いますが、アメリカとの宗属関係が続く限り、極端な事態には至らないでしょう。 アメリカは、日本を保護していると同時に、抑え込んでもいるわけで、周辺諸国の軍事力の増強が続いても、日米間のこの力関係は、しばらく変わらないと思います。

  しかし、なんですな。 ここまで、国内政治の混迷がひどくなると、「いっそ、名目上も、アメリカの属国になってしまった方が、サバサバするのでは?」と、思わずにはいられませんな。 少なくとも、あまりにも馬鹿な政治家を見て、げんなりしないで済む。 いや、アメリカの政治家も、五十歩百歩か・・・。 まあ、日本がそう望んでも、アメリカの方が断ると思いますけど。


  何だか、自公が勝つ事を前提として、書いて来てしまいましたが、他の政党は、どうでしょう。

  Hさんには、がっかりしました。 繰り返しますが、 がっかりしました。 もう一度、言いますが、本当に、がっかりしました。 大阪府知事だった頃には、日本で唯一、頼りになりそうな政治家として、光輝いていたのに、大阪市長になると言い出した辺りから、何だか、乱調を来たし始め、≪維新の会≫を立ち上げた段階で、もう、ついて行きようがないと、見限らざるを得なくなりました。

  脱原発を、簡単にトーン・ダウンしたのにも呆れましたし、某前都知事との合流に至っては、自ら進んで良識ある支持層を遠ざけてしまったも同然で、もはや、何を考えているのか、何をしたいのか、そもそも、何かしら決まった意見を持っているのか、それすらも分からなくなってしまいました。

  「維新」だの、「船中八策」だの、古臭い言葉を使い始めたのが、そもそものケチのつき始め。 誰か、コピー・ライターに頼んで、もっと新しいイメージの言葉を探してもらえば良かったのに。 「維新」という言葉は、表している意味とは裏腹に、今の日本語の中で、最も古臭い言葉なのではありますまいか。 「明治維新」にしてからが、「新政」と言う以前に、まず、「復古」だったのですから、元のイメージからして古臭いわけで、救いようがありません。


  駆け込みで結党した、未来の党ですが、あまりにも駆け込みの度が過ぎて、支持していーもんだかどーだか、悩むところです。 Oさんの一派が加わっているのが、また、この党への信頼感を微妙に損なっていますな。 Oさん一派が信頼できないと言うわけではなく、寄り合い所帯の野合的な性格が、なんとなく、危なっかしく感じられるのです。

  「卒原発」が旗印なわけですが、Oさんは、本心のところ、原発をどう思っているんですかね? 積極的に反対しているような感じがしないのですが。 保守系政治家の常として、「地域振興になるなら、どんな事業でも持って来い」というのが、基本的なスタンスなんじゃないでしょうか。

  某前名古屋市長まで名を連ねていますが、この人は、完全にお邪魔虫なのでは? Oさん一派は、選挙の時は、強い味方になりそうですが、某前名古屋市長は、全国スケールでは、何者なのか、あまり知られておらず、私も、「南京大虐殺について暴言を吐いて、問題になった人」くらいしか、知識がありません。

  「卒原発」は支持したいが、党の面子が、こういう人達だと、一票入れていいものか、心配になってしまうんですな。 貴重な一票を、正体不明な党に入れて、後悔はしたくないし。 もっとも、未来の党は、善戦しても、ミニ政党に留まると思うので、過度の心配は不要だという気もしますが。


  それにしても、政治不信が、これだけ高まっているにも拘らず、「自公圧勝」といった世論調査の結果が出て来るのは、奇妙な話ですなあ。 自公に入れようとしている人達は、本当に、良くなると思ってるんでしょうか? そこが、解せない。

  「公共事業の復活で、景気回復」? 馬鹿も休み休み言いなさい。 そんな事したって、国の借金が増えるだけで、景気回復なんて、するもんですか。 土木事業で、金が世の中に回ったのは、もう、大昔の話です。

  だからさー、自分の目で、最寄の工事現場を見に行ってみなさいよ。 昔は、工事現場では、単純作業をする土方の人達が、たくさん働いていたんですよ。 アルバイトも、いくらでも雇っていた。 きついけど、体力さえあれば誰にでもできて、お金になる、いい仕事だったんです。 そういう人達に、下りて行った国のお金が、回りまわって、世の中全体が潤っていたわけです。

  ところが、今の工事現場を見なさい。 スコップや鶴嘴を持った土方なんていやしません。 いるのは、重機を操作するオペレーターだけです。 つまり、どういう事かというと、昔と今では、土木事業に従事している人間の数が、まるで違っているのです。 国のお金は、土建会社に入るだけで、世の中には回りません。

  大体、回る回らんと言う以前に、今、公共事業に使っているお金は、みんな、借金ですからね。 国債発行で賄っているんですよ。 個人の家で例えれば、使っていてるお金は多いけれど、そのお金の出元は、稼いだわけでも儲けたわけでもない、借りたお金なのです。 そういう家は、いくら、金使いが派手でも、金持ちとは言わないでしょ? 単に破綻寸前なだけです。 お先、真っ暗。

  こんな事は、ここ数年、毎日のように、新聞やテレビ・ニュースで指摘されているんですが、まーだ、「公共事業で、景気回復を」なんて言う奴が、五万といるのですから、馬鹿につける薬はありません。 そんなお金は、無いんだってーのよ。 どーして、分からぬ?


「今回の選挙は、日本の未来を決める、重大な節目になるから、よく考えて、投票しましょう」

  あ、その前提は、嘘です。 民主主義制度そのものを否定する政党が、政権を取りそうなら別ですが、幸い、そういう状況は無いわけで、それならば、この選挙の結果、変な方向へ向かっても、次の選挙で、また、修正する事はできます。 修正可能な事だけが、民主主義の取り柄と言ってもいいくらいですから。

  マスコミ関係者や、自称・識者の連中というのは、なんで、選挙のたびに、こういう、脅しみたいな物言いをするのかねえ? つまり、自分の支持している政党を勝たせたくて、他の政党に入れようとしている有権者に向かって、

「その政党でいいのか? お前の一票で、日本の未来が決まるんだから、よくよく考えろよ。 本当に、そこでいいのか?」

  と、実質的な脅迫をしているわけだ。 全く、しょーもない・・・。 民主主義なんだから、どの政党に入れようが、個人の勝手じゃい! なんで、そんな基本中の基本的な事が、理解できとらんのだ?


「政治なんて、誰にやらせたって、同じ」

  悲しいかな、それは当たっています。 日本社会が、座礁した船である事に変わりはなく、船に乗っている人間には、船を救う方法が無いのです。 船内で、何をどう足掻こうが、船を待っている運命は、破滅だけなのです。 そして、船の図体が大き過ぎる為に、外部から船を助けられるものも、存在しません。


「投票日の朝になっても、誰に入れたらいいか決められない」

  今回の選挙に関しては、この反応を示している人が、最も、良識を持っていると言えるでしょう。 こういう情勢であるにも拘らず、スパスパ決められる人がいたら、そりゃ、馬鹿か、危険人物かの、どちらかだと思います。

  それでも、選挙に行くべきか? 選挙権は、その名の通り、権利であって、義務ではないので、嫌なら行使しなくてもいいわけですが、まあ、自分で決めるしかないですねえ。 支持候補無しの場合、白票で入れれば、不支持票としてカウントして、何かしら、政権の権力に制約を与えられるという仕組みが、もしあれば、私なんか、毎回、白票で入れるんですがね。

2012/12/09

映画批評④

  なんだか、映画批評のブログになってしまった観がありますが、映画ばかり見ていると、他の事に興味が向かず、書くものも映画の感想ばかりになってしまうのは、致し方ないところ。 別に、手抜きしてるわけじゃないんですよ。 キーを叩くのがうんざりするほど、感想を書いているんですから。

  見る本数の方が多いため、一回に10本分だと、いつまでたっても、紹介しきれません。 で、今回から、15本分にしようかと思ったんですが、一本当りの感想が、徐々に長くなる傾向があり、15本では、途中で読み飽きられてしまう危険性が高いので、やはり、10本にしておきました。

  くれぐれも断っておきますが、私の映画評は、かなり辛いので、気に入っている映画を貶されたくない方は、ご遠慮下さい。


≪ゴースト・ライト≫ 2006年 ドイツ・イギリス
  うーむ、これは、よく出来たホラーですわ。 軽薄な作品名だったので、期待していなかったんですが、思わぬ拾い物となりました。 原題は、≪ハーフ・ライト≫だそうで、なるほど、それなら、趣きがある。 誰だ、こんな邦題をつけたのは。

  自分の不注意から幼い息子を死なせてしまった後、落ち着いた場所で執筆に専念しようと、海辺の一軒家を借りた女性小説家が、沖の小島に住む燈台守と慰めあうようになるものの、村人から、その燈台守はとうに死んでいると聞かされ、自分の正気を疑い始める話。

  心霊物として見れば、そう見えるし、心霊場面は登場人物達の後ろめたさが見せた幻覚で、実は、現実的な犯罪物と見る事も可能なように、話が巧く組み立てられています。 心霊物特有の嘘臭さを回避できるので、この種の作品は、怖さとリアルさの二兎を獲られるケースが多いです。

  話の出来もさる事ながら、ロケ地になっている、イギリスの海辺の景色が素晴らしいです。 岩場に草だけが生えた荒涼とした陸に、常に寒風が吹きつけ、白波が砕けているような荒れた海なのですが、撮りようによっては、こんなに美しく見えるんですねえ。

  無理に難を挙げるなら、≪ゴースト・ニューヨークの幻≫のデミ・ムーアさんが主人公なのですが、すっかり、おばさんになってしまっていて、他の女優さんでも変わらない程度の存在感しかありません。


≪三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船≫ 2011年 仏・米・英・独
  ≪バイオ・ハザード≫の監督が作ったというので、嫌~な予感がしていたのですが、その予感は外れました。 まずまず、良い出来ではありますまいか。 原作の前半を脚色した内容ですが、ストーリーが大きく逸脱する事はなく、≪三銃士≫のファンが文句を言わない程度に収まっています。

  銃士隊に入るために、ガスコーニュからパリに出て来たダルタニアンが、三銃士と出会い、王と王妃のために、国政を壟断するリシュリュー枢機卿の陰謀を打ち砕かんと、女スパイ・ミレディーによって、イギリスに持ち去られた、王妃の首飾りを取り戻そうとする話。 ・・・といったところですが、結構ややこしいので、原作を読んでいない方には説明し難いです。

  衣裳が凝り過ぎている事と、飛行船が出て来る点を除けば、時代考証も、そんなには、おかしくありません。 室内装飾などを大胆に創作しているため、実際の近世フランスより、明るくて華やかな雰囲気になっているのですが、見る側が創作だと承知していれば、問題無いと思います。

  ミレディーを、ミラ・ジョボビッチさんがやっている他は、知っている俳優さんは見当たりません。 でも、ダルタニアンは美青年ですし、コンスタンスも、美少女とは言えませんが、そこそこ理知的な顔で、まあ、こんなもんなんじゃないでしょうか。 三銃士の面々は、外見は、原作のイメージ通りですが、ストーリー展開が駆け足なために、一人一人の個性を描ききれていないのは、ちょっと、残念なところ。


≪十七人の忍者≫ 1963年 日本
  里見浩太郎さん主演の時代劇。 忍者なんですが、デンデロデンの忍術物ではなく、間者としての忍者の仕事を描いたもので、大人向けです。 二代将軍・秀忠の死に乗じて、次期将軍の座を狙う、徳川忠長一派が集めた謀反の連判状を、幕府が送り込んだ伊賀忍者17人が、駿府城から盗み出そうとする話。

  冒頭から、決死の緊迫感が漲っていて、「こりゃあ、恐らく、全滅だな」と思っていたら、ほぼ、そんな結果になりました。 敵役の根来忍者が、恐るべき実力者で、たった一人で、伊賀忍者達を、ほぼ皆殺しにしてしまうのですが、いっそ、そちらを主役にして描けば、もっと面白くなったのではないかと思います。 確実に、主役より、キャラが立っている。

  相手は、駿府城と駿河藩兵全員なので、実際には、17人でも全然足りないのですが、映画の登場人物としては、ちと多過ぎ。 ただの囮になるために、いとも簡単に殺されて行きますが、もう少し有効な命の捨て方があるのではないかと思ってしまいます。

  この映画は、東映作品ですが、63年というと、東宝では、≪用心棒≫や、≪椿三十郎≫が作られていた頃ですな。 この映画も、モノクロです。 黒澤明作品と比較すると、見劣りするのは否めませんが、単独で評価するなら、充分に見応えがある映画だと思います。


≪ココニイルコト≫ 2001年 日本
  真中瞳さん主演の、人生物。 一応、堺雅人さんが、相手役で出て来ますが、恋愛が発生するわけではないので、人生物としか分類できません。 東京の広告代理店で、上司と不倫して、大阪支社へ左遷されたコピー・ライターの女性が、そこで出会った、前向き志向の男性営業社員に勇気付けられ、立ち直っていく話。

  問題は、真中瞳さんですな。 名前は聞いた事があるけれど、顔が思い浮かばず、映画を見て、「ああ、この人か」と思ったものの、依然として、何者なのかよく分からんという厄介さ。 別に、演技は下手ではなく、至って自然体ですが、もともと役者ではないせいか、表情の変化に乏しいのは、残念なところ。

  ストーリーは落ち着いた展開で、各場面の描写も丁寧と、作り自体には、好感が持てます。 ただ、難病物まで絡めたのは、ちと欲張り過ぎの嫌いがあります。 男性営業社員を病気にしなくても、別に良かったんじゃないでしょうか。

  主人公が、コピー・ライターなどという鼻持ちならない職業で、しかも上司と不倫して、正妻に追っ払われたという、しょーもない女なので、男性営業社員の難病が出て来てしまうと、前者が悪、後者が善に振れ過ぎて、バランスが崩れてしまうのです。 なんで、善人の男が不幸な目に遭うのと引き換えに、つまらん女が立ち直るのかと・・・。

  バランスが崩れたままで終わるので、後に、もやもや感が残ります。 男性営業社員が元気になり、「きっと、この後、恋愛に発展していくんだろうなあ」と希望を持たせて終われば、いい映画になったと思うんですがね。


≪E.T. 20周年アニバーサリー特別版≫ 1982・2002年 アメリカ
  私は、1982年の≪E.T.≫を見なかった珍しい男なのですが、その後のテレビ放送も、ことごとく見逃し続け、30年後の今日になって、ようやく、どんな映画か知る事になりました。 これは、2002年に作られた、リマスター版ですが、未公開場面を足して、5分長くなっただけなので、ほぼ、オリジナルと同じでしょう。

  今更、あらすじを書くのもおこがましいですが・・・、地球に植物の調査に来て、一人だけ取り残された宇宙人と、彼を匿った少年、及び、その兄妹達が、拙いコミュニケーションを交わしながら、信頼と友情を育み、宇宙人が故郷に帰れるよう、協力する話。

  知的生命体の宇宙人と言っても、片言の英語を覚えるところまでしか交流しないので、犬や猫を拾って来た子供の話と、基本的には大差ありません。 動物ものと異なるのは、宇宙人が、超能力を使える点でして、彼の力で自転車が空を飛ぶ場面は、あまりにも痛快で、思わず、胸が熱くなって来ます。 世界的な大ヒットは、この場面だけで稼いだと言っても過言ではないでしょう。

  非常に分かり易い、シンプルなストーリーなのですが、こういう作品ほど、大当たりするのです。 頭を使うような映画は、評論家や映画ファンには好まれても、一般客には受けないんですな。

  今の感覚だと、宇宙人の造形は、ちゃちく見えます。 歩き方も、オモチャみたいな感じ。 当時はまだ、CGが黎明期だったので、SFX技術では、こんなでも、最高レベルのものを使っていたんでしょう。 こういう所を批判するのは、酷か・・・。

  妹役の幼い女の子が、可愛らしい顔をしていますが、なんと、後の、ドリュー・バリモアさんだとの事。 というか、当時から、ドリュー・バリモアという名前で出ていました。 たまげたな。 元子役だったとは、知りませんでした。


≪カナディアン・エクスプレス≫ 1990年 アメリカ
  ジーン・ハックマンさん主演のアクション物。 この頃、すでに、結構な年齢なのですが、かなり激しいアクションをこなしています。 遠景では、スタントを使っているにしても、顔が見える場面もたくさんあるので、撮影は相当厳しかったんじゃないでしょうか。 役者は大変だわ。

  ロスの判事補が、マフィアの殺人事件を目撃した女性を、証人として法廷に立たせる為に、カナダのバンクーバーへ向かう列車の中で、マフィアの殺し屋達と死闘を繰り広げる話。 たぶん、緊迫感を盛り上げる為に、閉鎖空間を作りたかったのでしょうが、なぜ、カナダなのか、なぜ、列車なのか、すんなり納得できないので、ちと、無理矢理な感じも漂っています。

  とにかく、列車が狭い。 もそっと、通路が広い列車を探せなかったもんでしょうか。 この狭い列車の中で、三人の人間が、一人の人間を捜して、何時間も見つからないわけがないと思うのですが、いかがなものか。

  アクションそのものは、体当りという感じで、そこそこ迫力がありますが、その点で名作になり得るようなレベルの映画ではないです。 主人公の判事補が、頼りになるのかならないのか、はっきりしないのも、マイナス。 力が強いか、頭が切れるか、どちらか一方は備えてもらわないと、安心してみていられません。


≪捜索者≫ 1956年 アメリカ
  ジョン・フォード監督作品。 ジョン・ウェインさん主演。 この映画は、子供の頃に、≪○○洋画劇場≫で見た事があります。 「たぶん、それだろう」と思って、録画してみましたが、やはり、そうでした。 昔見た時には、面白かったんですが、今見ると、どうも・・・。

  コマンチ人の襲撃で、弟夫婦を殺され、姪を攫われた男が、義理の甥と共に、何年もかけて、姪の行方を追う話。 姪をようやく捜し当てたら、すっかり、コマンチの人間になってしまっていたのですが、それを見て、主人公の態度が急変し、助けに来たくせに、逆に、殺そうとするところが怖いです。

  この主人公、コマンチ人に対して、深い恨みがあるようなのですが、その因縁については、全く説明されていません。 見る側が想像で補うしかないわけですが、どんな解釈をするにしても、差別の臭いは消しきれないでしょう。

  コマンチ側が、白人を襲う理由についても、若干触れられているものの、ほんの申し訳程度で、全体の98%くらいは、白人善玉、コマンチ悪玉を基本設定にして構想されたエピソードで埋まっています。 56年といえば、戦後11年も経った頃ですが、まだ、こんな差別意識が罷り通っていたとは、驚くやら、呆れるやら・・・。

  商取引で、毛布と間違えて、コマンチ人の女性を妻として買ってしまう件りは、ジョークのノリで笑い飛ばしていますが、この女性が、その後辿った運命を見ると、全く笑えません。 この脚本を書いた人は、人の人生を、何だと思っているんでしょう? 攫われた姪などよりも、このコマンチ女性の方が、千倍気の毒です。

  話は全く感心しませんが、テキサスの雄大な自然を、カラーで撮影している映像は、息を呑むような美しさです。 特に、真っ青な空を背景に、巨大な岩山の前を、小さな人間達が歩く様子は、神話の一場面を見ているかのように、圧倒的な迫力があります。


≪リオ・グランデの砦≫ 1950年 アメリカ
  ジョン・フォード監督作品。 ジョン・ウェインさん主演。 メキシコ国境近くの砦に駐屯し、アパッチ人と攻防を続けている騎兵隊隊長の元に、入隊した息子と、それを連れ戻そうとする妻がやって来たり、アパッチ人に連れ去られた白人の子供達を取り戻したりする話。

  ≪捜索者≫同様、差別意識満載の映画なので、気を入れて見る気にならず、テケトーな梗概になってしまいましたが、隊長の身内の話と、子供達を取り戻す話は、一応関連していて、一つの物語として纏まっています。 ただし、全体的にエピソード間の結合が緩く、物語の出来は、お世辞にもよくありません。

  アパッチ人との戦いは、エピソードの一種に過ぎず、この映画で監督が描きたかったのは、騎兵隊の砦における、兵士達の生活の様子であるように見受けられます。 訓練とか、喧嘩とか、合唱とか、洗濯とか、そんなもの、エトセトラ。 当然の事ながら、騎兵隊に興味が無ければ、全っ然、面白くありません。

  特に指摘させてもらえば、隊長の奥さんの役は、必要無いと思うんですよ、ストーリー上ね。 隊長の息子を、危険だからと言って連れ戻しに来たら、隊内での、隊長の立場が無くなってしまうでしょうに。 ただ単に、映画会社から、「客ウケのために、ヒロインを一人出せ」と要求されて、それに従って、脚本に奥さん役を追加したという感じ。

  戦いの場面は、そこそこ迫力があるものの、騎兵隊の撃つ弾ばかり当たり、アパッチ人の弾は当たらないのには、やはり、白けずにはいられません。 たまに、騎兵隊の方が死ぬと、なぜか、刺さっているのは、矢か槍・・・。 アパッチ人側も銃を撃っているのに、そんなのおかしいでしょうに。 野蛮な未開人のイメージを植えつけたくて仕方がないようです。

  白黒なので、映像も、パッとしません。 ストーリーが面白くなく、テーマは分散し、映像も美しくないのでは、誉める所がありません。


≪ショコラ≫ 2000年 アメリカ
  60年代頃のフランスの田舎の村で、他所から来てチョコレート店を始めた子連れ女性が、厳格なクリスチャンである村長の伯爵と対立しながら、村人と心を通わせて行く話。 有名どころでは、ジョニー・デップさんが出ていますが、ほんのちょい役でして、主人公も、伯爵も、主だった役柄は、知らない俳優さん達で占められています。

  主人公の作るチョコレートには、マヤの秘法を受け継いだ、人の心を魅了する不思議な力があり、その点を取り上げて、ファンタジーに分類している映画評がありますが、それは、冒頭の掴みで騙された勘違いです。 チョコの力は、枝葉末節の設定に過ぎず、この話は、チョコが不思議であろうがなかろうが、成立します。

  テーマは、「考え方を変えれば、人生をもっと良くできる」といった事でしょうか。 夫の暴力で精神を病んでいた女性や、祖母との関係がこじれていた母子、宗教的因習にとらわれていた伯爵、そして、主人公自身も、考え方を変える事で、いい結果を得ます。 よく考えてある話ですな。

  ただ、映画として面白いかと言うと、話はまた違って来るわけでして、冒頭部のチョコの魔力の部分が過ぎると、中弛みを起こします。 主人公は、普通の、おせっかい焼きのおばさんになってしまい、エピソードも、ありふれた物が並んで、先を見たいと思う意欲が薄れて来ます。

  中盤は、むしろ、敵役の伯爵の方が目立つ存在になります。 暴力亭主を再教育する件りで、伯爵の好感度が一気に上がるのは、面白いところ。 この伯爵、悪人のようでいて、実はそうでないという設定が、大変、巧み。 よく練られたキャラ設定ですなあ。

  残念なのは、フランスの話なのに、言葉が英語だと言うこと。 出て来るフランス語は、「ボン・ジュール、マドモアゼル」だけ。 アメリカ映画なので、フランス語で撮れとは言いませんが、なぜ、英語圏の国を舞台にしなかったのか、そこが解せません。 別に、どこの国でも、問題無い話だと思いますが。


≪セカンド・バージン≫ 2011年 日本
  つまらない物を見てしまった・・・。 これでも映画のつもりですか? NHKのドラマを、映画化したもの。 NHKの映画は、≪サラリーマンNEO≫だけではなかったんですねえ。 まあ、それはどうでも宜しい。

  出版社で働く中年キャリア・ウーマンが、妻との生活に行き詰っていた17歳年下の男と関係を持つものの、その後、別れ、五年後にマレーシアで偶然再開した直後、男がマフィアに襲撃されて重態になってしまい、献身的に看病しながら、過去を思い出す話。

  何だか、分かり難い話ですが、それもそのはずで、テレビ・シリーズの終わりの方だけを切り出し、そこに至った経緯を、回想場面で挟み込む形式を取っているので、本来、中心だった部分と、結末部分のウエイトが逆転してしまっているのです。 映画化に当たって、ストーリー展開を、相当悩んで、弄り回したのだと思いますが、ものの見事に失敗したというところ。

  男の方は、最初から最後まで、ほとんど寝たきりですが、それはまだいいのです。 一番、割を喰った役は、男の妻で、出番がざっくり削られているせいで、夫の浮気相手を罵りに来た惨めな女にしか見えません。 また、これが、深田恭子さんなんだわ。 似合わねーのよ、こういう、暗い役が。

  映画がどうこうという以前に、テレビ・シリーズの時点で、この主人公の役に、鈴木京香さんを持って来るというのは、センスが変なんじゃないですかね? 鈴木さんは、清純で真面目なイメージが強いので、およそ、不倫とは結びつきません。 まして、年下の男となど、話にならぬ。 もっと、相応しい役があると思うのですが・・・。

  中国マフィアを悪役にしたり、マレーシアの病院にいるのに、「シンガポールの病院に運ぶ」などというセリフを主人公に言わせたり、外国に対して、随分と失礼な見方をしているのも、気にかかるところ。 映画としてのレベルが低い為に、そういう無神経な作りが、尚更、癇に障ります。

2012/12/02

映画批評③

  毎日、定時帰りで、仕事が閑なのは、大変宜しい。 家にいる時間が長くなって、映画三昧で暮らせるのも、これまた宜しい。 問題は、映画を見たら、感想を書かなければならない事で、これが、思いの外、面倒くさい。

  ものすごく面白い映画なら、感激して、感想を書かずにはいられないし、ものすごく腹が立つ映画なら、激怒して、感想を書きたくなるものですが、そのどちらでもないとか、単純につまらないとかいう場合、テンションが落ちきって、パソコンを起動する気力も出ません。

  ところが、感想を書かずに、それっきりにしてしまうと、その映画の内容を、半年もしない内に、綺麗さっぱり忘れてしまうのです。 歳を取るに連れ、脳のHDD残量が減った為か、忘れても生命に別状のない情報は、記憶に残さないプログラムに改変されてしまったのかもしれませんなあ。

  で、感想を書いておけば忘れないかと言うと、そういうわけでもなく、その映画を見た事自体を忘れてしまって、日記を検索して、過去に書いた感想を発見し、「こんなの、書いたっけか?」と、こめかみに冷や汗が浮く事もしばしば。 うーむ、歳は取りたくないものじゃて。 もっとも、映画そのものを見直せば、「ああ、これは、前に見たな」というのは分かりますけど。

  というわけで、今回も、映画批評。 毎回くどいようですが、辛口なので、気に入っている映画を貶されたくない方は、ご遠慮下さい。


≪勝利への脱出≫ 1980年 アメリカ
  マイケル・ケインさん、シルベスター・スタローンさん出演の、戦時収容所脱走・サッカー物。 変なカテゴリーですが、恐らく、このカテゴリーの作品は、これ一本ではありますまいか。 ≪大脱走≫を下敷きにしつつ、スポーツ物の要素を加味したという形。

  第二次世界大戦中、ドイツの収容所で、捕虜のサッカー・チームを作っていた元イングランド代表選手が、ドイツ代表チームと、国際試合をする事になってしまい、連合国の捕虜の中から有名選手を集めて、最強チームを作り、パリの競技場で試合に臨む傍ら、レジスタンスの助けを借りて、集団脱走を試みる話。 

  かなり複雑な話である上に、見せ場に、サッカーの試合を据えているので、テーマの分散は避けられません。 見せたいのが、試合なのか、脱走なのか、心理劇なのか、はっきりしないのです。 欲張り過ぎに、いい結果はないか。

  スタローンさんは、中心的人物ではありますが、主役ではないので、注意。 いわゆる、スタローン色の映画ではないです。 本物のサッカー選手のペレさんが出演していて、そこそこ重要な役をやっています。

  元ドイツ代表選手のドイツ軍士官が、スポーツマン・シップに溢れていて、相手チームの好プレーに思わず拍手してしまう場面は、妙に感動します。


≪ダイヤモンド・イン・パラダイス≫ 2004年 アメリカ
  ピアース・ブロスナンさん主演の、泥棒もの。 最後の大仕事を終え、婚約者とカリブ海の島へ移住した泥棒が、島に寄港した豪華客船に展示されている大粒のダイヤを巡って、追って来たFBI捜査官と、敵同士とも友人とも思える、奇妙な駆け引きを繰り広げる話。

  はっきり言って、三流映画です。 前にも見たような気がするのですが、ほぼ完全に忘れていました。 レベルが低くて、記憶に残らなかったようです。 ≪ホット・ロック≫のような、出し抜き話をやりたかったのではないかと思うのですが、ストーリーの展開が、無理無理な感じ。

  婚約者役をやっている女優さんが、シルベスター・スタローンさんと、石田あゆみさんを足して二で割ったような顔をしていて、どうにも、ヒロインに見えません。 というか、女に見えんという見解もあり。 脚本が悪い上に、ヒロイン選びに失敗すると、主演が誰でも、もう、救いようがありません。


≪ロック・ユー≫ 2001年 アメリカ
  中世ヨーロッパで、馬上槍の試合中に死んでしまった主人に成りすまして試合に出場し、優勝した従者が、その後、貴族の名を騙って、試合に出続け、運命を変える事に挑戦する話。

  物語の設定は面白いんですが、試合、恋愛、親子愛と、テーマを欲張っている割に、エピソードが少ないため、ストーリーが平板で、30分もしない内に、飽きて来ます。 特に、中盤の軸になる恋愛の駆け引きは、熱が出るほど月並みで、退屈なだけ。

  途中、本物の英国王子が、身分を隠して試合に出場していた事が分かった時点で、その後の成り行きが大体、想像できてしまうのですが、どーも、ストーリー展開が、教科書的過ぎるような気がします。

  馬上槍の試合だけにテーマを絞って、スポーツ物の要素を加え、平民の元従者三人が、貴族の強豪どもを薙ぎ倒す、痛快コメディーにすれば、ずっと、面白くなったのに。

  原題は、≪ある騎士の物語≫。 ≪ロック・ユー≫というのは、冒頭部で使われている曲、クイーンの≪ウィ・ウィル・ロック・ユー≫から取ったと思われる邦題ですが、それだけ聞いても、どんな映画なのか、さっぱり分かりません。 まったく、邦題というのは・・・。 余計な事しないで、原題を直訳すればいいのに。


≪ナイト&デイ≫ 2010年 アメリカ
  トム・クルーズ、キャメロン・ディアス、ダブル主演の、スパイ・アクション。 帰省する飛行機の中で、スパイ同士の戦いに巻き込まれた女性が、エネルギー革命を引き起こす大発明と、その発明者を守っているという男に、世界中を引き回される話。

  いわゆる、ノン・ストップ・アクション映画なのですが、「ノン・ストップ・アクション映画を作りたい」という気持ちだけが前面に出てしまっていて、ストーリーの背景設定がついて来れていない観があります。 なぜ、ヒロインが、巻き込まれ続けなければならないのか、その理由に説得力がありません。

  見せ場はアクションなのに、コメディー色をつけようとしている点にも問題があります。 コメディーを入れると、緊迫感が殺がれてしまうのですよ。 では、コメディーとして見たらどうか? というと、こんなにバタバタ、人が殺されるコメディーはあり得ません。 合計で、百人くらい死んでいるのでは?

  ちなみに、キャメロン・ディアスさんは、コミカルな場面だけ、活き活きとしています。 元々、ロマ・コメの女優さんだからでしょう。 年齢的に、この種の役は、もう無理があると思いますが。


≪マシニスト≫ 2004年 スペイン・アメリカ
  クリスチャン・ベイルさん主演の、サイコ・スリラー。 クリスチャン・ベイルさんは、役作りのために、どえらい減量をしたそうで、ほとんど、骨と皮だけで登場します。 一年間眠れず、激痩せした工員が、幻覚や妄想に襲われて、追い詰められて行く話。

  サイコ・スリラーは、大抵、こんな感じで、最初は、主人公と同調して、周囲がおかしいと思いながら見ているのですが、ある時を境に、おかしいのは主人公の方である事に気づかされ、後は、なぜ、主人公がおかしくなったかが説明されて終わります。

  見ている間は緊張感があるのに、見終わると印象が何も残らない、というのも、サイコ・スリラーの特徴。 謎解きを、あまり完全にやってしまうと、不思議な感覚が残らないんですな。 結局、精神異常者は、物語の主人公たりえないという事でしょうか。

  舞台はアメリカで、かなり日差しが強い地方だと思うのですが、フィルターで減光しているので、何だか、ヨーロッパ北部で撮ったような雰囲気になっています。 暗い光が欲しいなら、イギリスあたりで撮れば良かったのに。 フィルターを使って、作り物っぽい映像にするよりは、ずっといいと思うのですが。


≪サラリーマンNEO 劇場版(笑)≫ 2011年 日本
  NHKのコント番組、≪サラリーマンNEO≫の劇場版。 NHKの番組が映画化されたのは、これが初めてじゃないんですか? 他にもあり? テレビの方は、コントのオムニバス形式ですが、この映画は、ストーリーがある、ドラマ仕立てです。

  シェア5位のビール会社が、新開発の商品で、業界トップに挑む事になり、社員達が悪戦苦闘する話。 主演は、小池徹平さん。 助演が、生瀬さん。 他に、テレビの方のレギュラー陣。 セクスィー部長の沢村一樹さんも出てますが、あまり、いい役回りではないです。

  映画というより、ドラマのような雰囲気ですが、丁寧に作ってあるので、印象は悪くありません。 ギャグの配分が良く、最初から最後まで、間延びなしに、楽しく見る事ができます。


≪バグダッド・カフェ≫ 1987年 西ドイツ
  ラスベガス近くの砂漠の中にポツンとある、GS・モーテル付きの喫茶店に、旅行中、夫と別れたドイツ人女性が住み着いた事から、女主人の癇癪が原因でギスギスしていた店の雰囲気が一変する話。

  新しい人間が加わった事で、悪かった環境が劇的に改善されるというパターンの話は、さほど、珍しくありません。 ≪落差≫を利用した典型パターンですな。 この映画の場合、ドイツ人女性が、掃除好きで、赤ん坊好きで、女主人の息子が弾くピアノに理解があり、遊び好きの若い娘とも仲良くなれるというキャラ設定で、些か、用意された状況に嵌り過ぎの嫌いが無きにしも非ず。

  その上、最終的に店を大繁盛させた切り札が、市販の手品セットで覚えた手品だったというのは、何だか、木に竹を接いだような唐突感があります。 その程度の事で、昼間っから、店が満員になったりしないって。

  映像は、色の使い方が変わっていて、個性的といえば個性的ですが、不自然で気持ちが悪いというのが、一般的な感想ではありますまいか。 黒澤明監督の、≪どですかでん≫は、初のカラー作品という事で、色に拘り過ぎたため、やはり、気持ちの悪い映像になっていましたが、この映画の色使いにも、同じような未消化の稚拙さが感じられます。


≪ザ・インタープリター≫ 2005年 アメリカ
  ニコール・キッドマンさん主演の、政治サスペンス。 国連で通訳を勤める女性が、アフリカのある国の大統領を暗殺する密談を聞いた事で、シークレット・サービスが、大統領一行及び、彼女の警護に当たるものの、彼女がその国の出身で、大統領を恨む過去を隠していたために、担当捜査官に疑念を抱かれる話。

  うーむ、こんなに暗鬱なアメリカ映画も珍しい。 猟奇作品でも何でもないのですが、とにかく、見ていて、気が滅入ります。 女優を主人公にして、政治絡みの話を作ると、アクションよりも、心理劇を主体にせざるを得ないので、こんな風になってしまうのかもしれません。

  テーマは、「恨みを克服できるか」という点にあり、これは、かなり、しっかり描き込まれています。 架空の国の架空の習慣だと思いますが、「恨みがある相手を川に流して、助ける気になるかならないか、試す」という話は、人生訓として、示唆に富んでいます。

  アフリカの国なのに、そこの出身の主人公が白人女性というのも、ありえない事ではないとは言え、やはり、違和感を覚えます。 アメリカ映画界には、アフリカ系の綺麗な女優さんがいくらもいるのに、なんで、そちらを使わなかったのか、首を傾げてしまいます。

  担当捜査官を演じているのは、ショーン・ペンさんですが、この役が、また暗い。 主人公を疑ってばかりで、第一印象、極悪です。 ラストで、ようやく、主人公と打ち解けますが、「今、僕達は、同じ岸に立っている」と言っても、二人の間には、埋められない距離があり、その先、恋愛に発展のしようがない事が分かるので、あまり、いい後味は残しません。


≪カムイ外伝≫ 2009年 日本
  崔洋一監督作品。 主演は、松山ケンイチさん。 抜け忍となり、追っ手に命を狙われ続けるカムイが、ある漁師と関わった事で、離れ小島の漁村に住み着くが、その漁師の女房も抜け忍だったため、常に追っ手の影が付き纏い、平穏と不安が交錯する日々を送る話。

  見せ場は、忍者同士のアクションですが、昔の忍者物のような、忍術合戦ではなく、スピードとパワーの斬り合いが中心です。 正直のところ、こういう残虐な場面は、もう、うんざりという感じでして、見ている間中、不安感と不快感が消えませんでした。

  時代劇が衰退した理由の一つに、現代の日本人が、斬ったり刺したり殺したりという、残虐な物語に、魅力よりも、嫌悪感を覚えるようになってしまった、という面があるのかもしれませんなあ。 言うまでもなく、実際の江戸時代には、こんなに殺人事件ばかりあったわけではないです。 殺人事件と言うより、大量虐殺だね。

  伊賀の追っ手達が、カムイによって、バタバタと返り討ちにあって行きますが、こんなに死んでしまったのでは、人材の供給が追いつかないはずで、本業の方に支障を来たすのは、火を見るよりも明らか。 抜け忍狩りに現つを抜かすより、もっと、現実的な事業運営を目指した方がいいと思いますよ、お頭。

  映像には、CGを大量に使っていますが、所詮、日本のCG技術なので、やはり、スカです。 特に、海のシーンは、目を背けたくなるひどさ。 色も明る過ぎるし、波も静か過ぎ。 湖だって、もっと、波がありますぜ。 これ、アメリカのCG技術者が見たら、失笑するでしょうねえ。 これで、OKを出してしまう、監督も監督。

  脚本に、宮藤官九郎さんが名を連ねていますが、コメディーではないので、それらしい特徴は、全く見受けられません。


≪ザ・ロック≫ 1996年 アメリカ
  前に断片だけ見ていたのですが、今度は、最初から見てみました。 アルカトラズ刑務所跡に、観光客を人質に取って立て籠もり、毒ガスを搭載したミサイルでサンフランシスコを狙う元軍人一味に対し、かってアルカトラズから脱獄した事がある、元イギリス諜報部員を案内役にして、FBIが、特殊部隊を送り込む話。

  あらすじを読んだだけでも、かなり無茶苦茶な設定である事が分かると思います。 まあ、立て籠もりに対して、特殊部隊を送り込むところまではいいとして、何で、案内役が、元イギリス諜報部員でなければならないのか、それが分かりません。 単に、ショーン・コネリーさんを出したくて、≪007≫に引っ掛けたとしか思えないのですが、だとしたら、あまりにも軽薄な思い付きです。

  潜入早々、いきなり、特殊部隊の戦闘員が全滅してしまうのも、大変な御都合主義。 単に、主人公と案内役の二人だけを生き残らせるために、他を始末したのだとしか思えません。 特殊部隊の指揮官が、「部下に武器を捨てろとは言えない!」と絶叫しますが、なんで、言えないのか、さっぱり分かりません。 圧倒的に不利な状況なら、部下の命を預かる責任者として、降伏を選択するのは、別におかしくもなんともないのですが。

  無茶苦茶といえば、潜入前に、逃亡した案内役を追って、カー・チェイスをする場面がありますが、主人公が、通りかかったフェラーリを、FBIの権限で借りて使い、結局壊してしまうのも、なんで、フェラーリでなければならないのか、さっぱり分かりません。 単に、監督が、高いスポーツカーを出したかっただけなのではありますまいか。

  で、監督は誰かと言うと、嫌な予感が的中して、あのマイケル・ベイなんですな。 道理で、発想が子供っぽいわけだ。 この監督、どの作品を見ても、まるっきり感心しません。 作る映画、作る映画、駄作だらけだと思うのですが、なんで、一線で起用され続けているのか、さっぱり分かりません。


  以上、今回は、10本まで。 相変わらず、日に二本のペースで見ているので、週に一回、10本ずつの紹介では、いつまでたっても、感想が終わらないのですが、まあ、私の事ですから、映画三昧生活にも、その内、飽きるでしょう。