2017/03/26

遺物との戦い ③

   このシリーズ、薄汚い写真ばかりで、画像を加工している時点で、嫌になってしまいました。 一応、記録写真を撮っているから、撮った順に、出している次第。 自分でもあまり見たくない写真を、人様に見せるのは、どんなものかと思わないでもないですが、父親の遺品の片付けは、一生に一度しかしないし、無限に続くわけでもないので、我慢して、つきあって下さい。

  前回同様、父の遺品以外の物も混ざっています。 父の部屋や、プレハブ離屋、物置など、父が管轄していた場所から出てきた物が、全て含まれているので。 いちいち、分けて、撮影していられないのです。




≪犬のトイレ・ゴルフ用品・瓦飾りなど≫

≪写真上≫
  これは、父の物ではなく、シュンと兄の物。 水色と白のプラスチック容器は、1999年、シュンが子犬の時に、トイレにしていたものです。 中に敷く、ペット・シートも残っていました。 右に写っている白い柵は、同じくシュンが子犬の時に、居間の窓際に置いて、ペット・サークルにしていたもの。 この二つは、とっくに捨てたと思っていたんですが、父が、自室の天袋にとってあったのです。 今度こそ、捨てました。

  奥側に見えるゴルフ・バッグと、右のスキー板は、兄の物。 若い頃は、流行っているものなら、何にでも手を出す人間だったので、こういう物が残っているわけです。 ラグビー・ボールが写っていますが、これは、本物ではなく、天井から吊るプラスチックの飾り物です。 みんな、捨てました。 兄自身が、これらを所有していた事を、もはや、覚えていないと思います。

≪写真下≫
  奥のゴルフ・クラブは、上の写真のバッグから出して束ねたもの。 捨てました。 最悪の場合、後で、兄が文句を言って来るかもしれませんが、受け付ける気はありません。 兄が家を出る時、「置いて行く物は、全部捨ててよい」と言っていたと、父から聞いているので、私はそれに従ったまで。

  手前の、肩叩き、布団叩き、孫の手、その他、よく分からない棒などは、父の遺品です。 使って使えない事はありませんが、こういう、衛生関連の物は、やはり、使い難い。 結局、全部捨てました。

  右上に、灰色の瓦のような物が写っています。 焼き物なのですが、瓦に似せた飾りでして、鼠が浮き彫りになっています。 誰か、父の友人・知人の家で、子か孫が生まれて、その記念に貰った物らしいのですが、赤ん坊の名前が書いてあるものの、苗字がなくて、どこの家のものか分かりません。

  不燃の飾り物として、埋め立てゴミで捨てましたが、材質的には、瓦でして、本来なら、回収対象外です。 持って行ってくれて良かった。 どういうつもりで、こんな処分し難いものを、誕生祝に配ったのか、気が知れません。 迷惑千万です。 そんなに配りたかったら、消耗品を配りなさいよ。 洗剤とか、箱ティッシュとか。 いくら名前が入っていても構わないから。

  逆に、簡単に捨てられないように、瓦にしたんでしょうが、他人の子供の誕生祝を、なんで、うちの父が、半永久的に保存しなければならないのか、そもそも、そこが分からない。 そんな無体な義理はありますまい。



≪父の水筒≫

  父が最後まで使っていた水筒。 タイガーの、「SAHARA」ですな。 0.8リットル型です。 父が自分で買ったのか、引き出物や香典返しのカタログで貰ったのか、不詳。 買えば、結構、高いんじゃないでしょうか?

  別に、登山やハイキングに行っていたわけではなく、自室のテレビ台の横に置いて、水差し代わりに使っていたのです。 毎朝、二階の流しで、水を汲むのが日課になっていました。 父の死後、洗って、同じ場所に置いてあったのですが、百箇日が過ぎてから、捨てました。 私は、ペット・ボトル派で、こういう重い物は使わないからです。



≪父の双眼鏡・兄の玩具≫

≪写真上左≫
  父の双眼鏡。 私が小学生くらい、1970年代前半頃に買ったものではないかと思います。 その頃の双眼鏡というのは、こういう形をしているものと決まっていました。 壊れるようなものではないので、今でも、問題なく使えると思いますが、今、これを外へ持って出たら、重い、大きい、だけでなく、不必要に目立ってしまうでしょう。 やむなく、捨てました。

≪写真上右≫
  「ベースボールマシン」と書いてあります。 父の部屋の天袋から出てきましたが、間違いなく、兄が置いて行った物です。 野球盤ではなく、ピンボールみたいな玩具。 私は、これで遊んだ記憶が全くないので、兄が自分で買ったのでしょう。 このまま、埋め立てゴミに出しました。

≪写真中≫
  「ビッグ・レーシング」。 コースを組み立て、電動のミニカーを走らせる、レース・ゲーム。 これは、私も、遊んだ覚えがあります。 だけど、うちの親が買ってくれたのか、玩具店をやっていた叔父さんから貰ったのか、覚えていません。 面白いのですが、二人いないと遊べないのが、問題点。 ほぼ全ての部品を、埋め立てゴミに出しました。

≪写真下≫
  エキスパンダー。 これも、兄の物ですが、たぶん、親に買ってもらったものでしょう。 私は、子供の頃に、見た事があるような、ないような・・・。 資源ゴミの金属類に出しました。



≪父のスーツ・ネクタイ・眼鏡≫

≪写真上≫
  父の服。 スーツ系は、20着くらいあったでしょうか。 虫が食ったり、シミが出たり、さんざんな有様で、全部 資源ゴミに捨てました。

≪写真中≫
  父のネクタイ。 ここに写っているのは、全体の3分の1くらい。 押入れに、自分でネクタイ掛けを作って、ごっそり掛けてありました。 服に比べると、状態は悪くありませんでしたが、結局、全部、燃やすゴミに捨てました。 私は、全く、しないからです。

≪写真下≫
  父の眼鏡。 ここに映っている他に、プレハブにも、2・3本ありました。 父は、近視だった事がなく、50歳を過ぎて、老眼になってから、眼鏡をかけ始めたのですが、それにしては、数が多いです。 分解し、レンズは、埋め立てゴミに。 フレームは、資源ゴミに出しました。

  他に物がないのならともかく、眼鏡は、半分、衛生用品でして、形見にするようなものではないです。 プラスチックは腐って来ますし、金属は錆びて来ますから、保存に向かないのです。



≪父の椅子≫

  父が使っていた椅子です。 4脚分。 父が買った椅子は、全て、設計の仕事用の、オフィス・チェアです。 私は買った事がないので、いくらくらいだったのか、どこで買ったのかなど、まるで分かりません。

≪写真上左≫
  これは、最後にプレハブにあった椅子。 座った時に、踵を載せられるように、ベニヤ板を椅子の脚の上に嵌め込んであります。 これが、恐らく、最後から2番目に買った椅子だと思います。

≪写真上右≫
  これは、父の部屋に置かれていたもの。 元は兄用の勉強机がそのまま残っていて、その机とセットになった箱型の椅子が他にあるのですが、それには背凭れがないので、父が、プレハブの仕事場で最後に使っていたこの椅子を、自室へ移したんでしょうな。 仕事をやめた後は、プレハブで過ごす時間がなくなって、一番いい椅子を、そこに置いておく必要がなくなったわけです。

≪写真中≫
  更に、古い椅子、2脚。 これは、背凭れを外してしまい、盆栽の手入れ用にしていました。 クッションまで外してある方に盆栽を載せ、クッションがある方に、父が座って、作業していたのです。 普段は、物置に積み上げてありました。

≪写真下≫
  クッションと板を外して、金属だけにした様子。 他の部分は、木の板、スポンジ、布、合成皮革、針金などで、出来ていました。 怪我をしないように解体するのが大変でねえ。 これを、資源ゴミに出し終わった時には、ホッとしました。



≪父の帽子・台・トロ舟・たも網≫

≪写真上左≫
  父の帽子。 全部で、7・8個はあったのですが、どれも状態が悪く、その上、サイズが小さくて、私の頭には入りませんでした。 これは、最も状態がいいもので、最後に残して、しばらく自室に置いてあったんですが、結局、小さくて被れない事に変わりはなく、やむなく、捨てました。 父の思い出にするにも、布製品は、保存が厄介なんですわ。

≪写真上右≫
  「はじめての Windows98」。 買って来たのは、私です。 2002年の5月に、居間に、両親用のパソコン・セットを買った後、そのパソコンのOSが、「98SE」だったので、両親が自分達で使い方を調べられるように、これを買って来たのです。 1000円でした。 ちなみに、買ったのは、沼津学園通りの吉野家という書店でしたが、今はもう、その店はありません。 GEOになってます。

  その後、同じ年の暮れに、父の部屋に、私が使っていた、「Windows Me」のパソコンを譲ったのですが、Meも、98SEも、大差ないだろうと思って、父に、この本を渡したのです。 それ以来、ずっと、父の部屋にあったというわけ。 でも、たぶん、父は、ほとんど、読んでいなかったと思います。

≪写真中≫
  プレハブに入っていた、台、三基。 真ん中のは、電動丸鋸用の台なのですが、左右の二つは、用途が分かりません。 機械設計の仕事で使っていたのかも知れません。 今となっては、まったくのガラクタなので、バラして、捨てました。 電動丸鋸本体は、残してありますが、もはや、専用台を使って、ジャンジャン切るほど、大掛かりな日曜大工など、私がするはずがないからです。

≪写真下左≫
  セメントを練る、トロ舟。 古いやつで、ブリキ製です。 これは、物置の横に屋外放置してありました。 錆びて、穴が開いています。 トロ舟は、プラスチック製のが、もう一つありますし、そもそも、もはや、我が家で、セメントを練るような事はないので、これは完全に不要と判断し、資源ゴミ・金属類に捨てました。

≪写真下右≫
  何を撮ったのか、分かり難いと思いますが、捨てたのは、池で使っていた、たも網です。 錦鯉を飼っていたので、このくらいの大きさのが必要だったのです。 最後に使ったのは、2015年の7月に、最後の金魚が死んで、私が、その遺骸を掬い上げた時でした。 以降、物置にしまってありましたが、もう、使わないので、捨てました。



≪父の座椅子・解体工具≫

≪写真上左≫
  父が、自分の部屋で愛用していた、ソファ風座椅子。 重いです。 私は、これを持ち上げるたびに、腰痛が出るのを覚悟していました。 これを、毎朝、箪笥の上から、ベッドの上に運び、寝る前には、また元に戻していたのですから、父の腰は丈夫だったわけですな。

≪写真上右≫
  金属の骨だけにした様子。 他の部分は、合成皮革、硬めのスポンジ、プラスチック、ダンボールなどでした。 鋏とプライヤーで、解体したのですが、怪我をしないように、ヒヤヒヤでした。 頼むから、物を買う時には、解体しなくても捨てられるものにしてくれ。

≪写真下≫
  これはもう、父の部屋が、だいぶ片付いて来た頃の写真です。 いろんな物を解体するのに使ったのは、父の部屋にあった、工具類でした。 で、最後の大物が、このベッドでして、本来、ベッドは、自治体のゴミ回収の対象外なのですが、木製だったのをいい事に、バラバラにして、ただの廃材として出したら、すんなり、持って行ってくれました。 良かったよ~。 ホッとしたよ~。

  畳のように見える部分は、畳ではなく、発泡スチロールの板と、紙の集成材の板を縫い合わせ、その上に畳表を張ったものでした。 解体して、分別し、捨てました。 ちなみに、本物の畳は、回収してくれないのですが、細かく切って、少しずつ新聞紙に包み、燃やすゴミに出せば、持って行ってくれると思います。




  あー、もー、うんざりだ。 というわけで、今回も、この辺で、勘弁してください。 

2017/03/19

遺物との戦い ②

  去年(2016年)の11月から、父の遺品の片付けを始め、「父の部屋」、「その押入れ」、「押入れの奥の納戸」、「父が仕事場にしていたプレハブ離屋」、「物置」と、ひーこら言いながら片付けて、今は、父関係の物は、ほとんど、処分が終わっています。 11月20日にアップした、≪遺物との戦い≫という記事では、日記から移植した文章だけで、片付けのきつさを伝えたのですが、今は、写真も揃っているので、それを解説する形で、紹介します。

  父の遺品だけでなく、母の物や私の物も混じると思いますが、とにかく、この期間に、捨てた物は、全部、出します。 いかに、大変だったかを、アピールする為に。




≪ファン・ヒーターとストーブ≫

  父の部屋の納戸から引っ張り出した、石油ファン・ヒーターと、石油ストーブです。 右端のダンボール箱は、石油ストーブの元箱。

  ファン・ヒーターは、1994年のダイニチ工業製。 ストーブは、1996年のコロナ製。 奇妙な事に、ファン・ヒーターを買った後に、ストーブを買ったんですな。 しかし、ファン・ヒーターの方が、後々まで使っていました。 父の最後の冬は、エアコンの暖房で過ごしたので、2015年の春までは、ファン・ヒーターを使っていたわけだ。

  終わりの方の数年は、不完全燃焼しているとしか思えない、猛烈な臭さを発していました。 父の部屋のドアが開いていると、二階の廊下まで、そのにおいで一杯になり、「よく、密閉した部屋の中で、生きていられるな」と思ったものです。

  去年の4月に、ステレオを出す為に、納戸に入った時、ファン・ヒーターも捨てようと思ったら、なんと、灯油が残っていて、ビックリ。 他に移す所がないので、その時は、諦めました。

  8月に父が死んで、いよいよ、ファン・ヒーターを処分しなければならなくなり、10月に見てみたら、灯油が空になっていて、これまた、ビックリ。 納戸の奥で、自然に揮発するとは思えないので、4月から8月の間に父が抜いたのだと思いますが、自分が歩くのも侭ならない健康状態で、どうやって抜いたのか、見当もつきません。

  これらは、資源ゴミの、金属扱いで、持って行ってくれます。 危険物なので、無事に処分できて、ホッとしました。



≪父の知恵蔵≫

  父が、自分で購入していた、「朝日現代用語 知恵蔵」。 「現代用語の基礎知識」の類似品で、朝日新聞社が出版していたもの。 1992年、1998年、2000年、2002年、2006年の5冊が出て来ました。 父は、そんなに知識欲旺盛な人ではなく、一般教養と言えるようなものも持っていなかったので、知恵蔵がこんなに出て来たのは、些か、意外でした。

  中の記事から写したと思われる、ノートの書き込みも残っていて、気になった事は、調べていたようです。 ただし、それを家族に話すような事はありませんでした。

  最後の2006年版は、机の本棚に並べてありましたが、2006年から、他界した、2016年まで、残りの10年は、もう、新刊を買う気にならなかったわけですな。 父は、2003年頃に、仕事をやめ、引退しているのですが、以降、世の中に対する興味が衰えたのでしょう。 私も引退してから、急速にそうなったので、それは、よく分かります。

  去年の4月に、ステレオを出す為に、納戸に潜った時、中にあった知恵蔵の旧版をどうするか訊いたら、「とっておく」という返事でした。 とっておいても、もう読むような事はないと思ったんですが、本人の希望なので、従いました。 何を大事にしているかは、人それぞれですな。 さすがに、死後もとっておくわけにはいかないので、処分しました。 資源ゴミの紙類です。 



≪パナソニック・21型アナログ衛星ブラウン管テレビ TH-21FB2≫

  父の液晶テレビを、居間で使う事になり、玉突き式に押し出されて、旧居間に置いてあったテレビを、処分する事になりました。 これは、パナソニックの、21型テレビです。 元は母が買って、母の部屋に置かれていたもの。 「99製 7-12月期」のシールが貼られています。

  母の部屋で使われたのは、14年間。 2013年6月に、母の部屋のテレビを液晶に換え、このテレビは、旧居間に移して、3年ちょっと、そこにありました。 地デジ・BSチューナーと接続してありましたが、 父が、夏場、昼寝する時に見るだけでした。 最後に点けられたのは、今年の6月末に、父が最初の入院から退院して来て、とりあえず、旧居間に横になる事になった時でした。

  モニターとしてなら、問題なく映るのですが、もはや、誰も見ないので、処分が妥当。 リサイクル料金、3000円ちょいを払い、リサイクル・センターへ持って行きました。

  下の写真は、リモコンです。 変色もしていますが、それ以前の問題として、古いデザインですなあ。 99年頃って、こんなだったっけか? いや、テレビ本体のデザインは、普通ですから、このリモコンだけ、特別、古臭いのでしょう。



≪三菱電機 29型ブラウン管テレビ 29T-D105≫

  居間から旧居間へ引越しさせた、我が家で最後のブラウン管テレビです。 三菱の29型。 2006年8月3日に、ノジマで、購入。 これの前にも、三菱のテレビを使っていたのですが、そちらが映らなくなってしまい、似たようなのを買い直したのです。 地アナ・チューナー・オンリーで、地デジ化以降は、HDDレコーダーに繋いで、モニターとして使って来ました。

  外寸は、21型と大差ないのですが、ブラウン管が大きいだけあって、遥かに重く、一人では運べませんでした。 これも、もう、見ないので、リサイクル・センターへ運ばなければなりませんが、車に積むのも、えらい苦労しそうです。



≪シャープ アクオス 32型液晶テレビ LC-32SC1≫

≪写真上≫
  父の遺品、シャープの32型液晶テレビ、アクオスです。 2011年2月6日に、購入。 父の車で、父と一緒に、ノジマに行き、5万6千円で買って、車に積んで帰って来ました。 あまり、映りがよくなかったのですが、その前年に買った、父のHDDレコーダーもシャープ製だったので、相性を考えて、これにしたのです。

  一昨年の秋頃から、父が、「夜中にテレビが点く」と訴えて、私が、さんざん振り回されたのが、このテレビです。 実際には、父が認知不全になって、テレビを点けたまま眠ってしまっている事に気づかなかっただけで、テレビの方は、何の故障もしていなかったのですが。

  おやすみタイマーを夜8時に設定してから、そういった訴えはなくなりましたが、父は最後の最期まで、自分がテレビを点けたまま眠っていた事を認めようとしませんでした。

≪写真下≫
  居間へ引っ越した後の様子。 さすが液晶だけあって、この大きさでも、私一人で、ひょいと持ち上げて、二階から下ろせました。 父の部屋で見ていた時には、映りが悪かったのに、居間に移したら、割と綺麗に見えるようになりました。 居間は、日の光が画面に当たらないからでしょうか。 ブラウン管に比べて、番組表の文字が読み易くなったのも、大きな恩恵でした。

  テレビ台は、ブラウン管テレビ用のもの。 だけど、どうせ、レコーダーを収納するのに、奥行きが必要だから、最新のテレビ台も、大きさは、大差ないんじゃないでしょうか。 ちなみに、父のレコーダーは、行き場を失って、今は、父の部屋の押入れにしまってあります。 居間のレコーダーが壊れたら、使うつもり。



≪父のラジカセとラジオ≫

  父の部屋や、父が仕事場にしていたプレハブ離屋から出て来た、ラジカセ2台と、ラジオ1台。 父は、仕事中や、盆栽の手入れ中、ラジオを聴く習慣がありました。 ラジオで知った知識・情報を、よく家族に話していました。

  カセットの方は、ほとんど使っていなかったと思います。 もしかしたら、ステレオ・ラジカセは、元は兄の物だったかもしれませんが、よく覚えていません。

  もう使わない、というより、埃だらけで、腐っている状態だったので、迷わず、捨てる事にしました。 ちなみに、ブランド、型番、メーカー名を、左の大きい方から順番に書きますと、以下のようになります。

ナショナル RS-4100 松下電器産業株式会社
サンヨー MR-G308 三洋電機株式会社
ナショナル パナソニック RF-577 松下電器産業株式会社



≪机周りの小物≫

  11月に入ってから、本格的に、父の遺品の片付けに取りかかりました。 これが、参った参った・・・。 人の物を片付けるのが、どれだけ、きついか、思い知りました。 また、父が、特別、物を捨てられない人だったんですわ。 しかも、人生のほとんどを、同じ家で暮らして来たから、累積が半端ではなかったのです。 12月末の今現在も進行中ですが、まだまだ、落ち着く所が見えません。

≪写真上≫
  まずは、父の部屋から。 これらは、机の上や、引き出しから出て来たもの。 電卓は、機械設計の仕事で使っていたので、全て関数電卓です。 プレハブにあった分も合わせると、本体が3台、取説は、8台分くらいあったのでは? 本体は、使える状態のが、一台もありませんでした。 晩年の父には、電卓で計算するようなものがなかったのです。

  電気髭剃り機は、何台かあって、中には、買って間もない物もあったのですが、私も、予備がいくつもあるので、もう使う事はないと判断し、父の物は、全て捨てました。

  アウトドア用の腕時計は、2001年の春に、私があげたものですが、同じ時に手に入れた私の物は、まだ動いているのに、父の物は、かなり前に停まってしまったようでした。 電池を換えれば動きますが、同じ物を二つも要りません。 捨てました。

≪写真中≫
  こちらに写っている二つの腕時計は、父が買ったもので、一つは、電波時計でした。 しかし、とっくに電池が切れたらしく、停まっていました。 しているところを見た記憶がないから、よそ行きにしていたのかも知れません。 父の腕時計は、最期にしていたものと、その先代のを、形見にする事にして、保存してあります。 父は、風呂に入る時以外は、腕時計を常にしている人でした。

  未使用の歯ブラシが、何本も出て来ました。 買い置きしておいて、どこにしまったか忘れ、また、買って来てしまうというパターンを繰り返していたのだと思います。 未使用ですが、こういう衛生関係の品は、何となく、使い難いので、やはり、捨てました。

  野茂投手のうちわは、入手した年代が覗われますな。 もう一つは、沼津夏祭りのうちわで、もっと古そうです。 ベッドの頭板や壁に、うちわ入れをつけて、そこに挿していました。

  大田胃散の缶は、二つ出て来て、釘とかネジとか、小さな金属を入れて、捨てるのに使いました。

≪写真下≫
  上にある四角いのは、寿司屋で貰った、湯のみの空き箱。 それをペン立て代わりにしていました。 ペンは、ボール・ペンや、シャープ・ペン、サイン・ペンなど。 使っていたのは、2・3本だと思います。 同窓会の記念品なんかが多かったです。 こういうのは、父だけでなく、誰の遺品でも、同じようなものが出てくるでしょうなあ。



≪衣類・その他≫

≪写真上≫
  ここに写っているのは、父の部屋の押入れの奥の納戸にあった、衣装ケースから出した、薄い毛布や衣類ですな。 納戸に入っていた物は、兄の物の方が多いです。 どうせ、兄本人も、何があったかなど覚えているわけがないので、全部捨てました。

  父は、鞄類をたくさん持っていて、全部で、10個くらいありました。 それでいて、晩年に使っていたのは、ひどくヒビ割れた、革の鞄ばかりでしたけど。 使える物もありましたが、私が、鞄をほとんど使わないタイプなので、出番はないと思い、みんな、捨てました。

≪写真中≫
  この衣類箪笥の中身は、父が普段着ていた服や、パジャマ、下着などが入っていて、それらは、燃やすゴミに出せたので、もう、10月の内から、どんどん処分し始めて、この時には、上の小引き出しの一つを除き、空になっていました。

  箪笥の上に載っているのが、ソファ風座椅子。 大変、重いのですが、父は毎朝、これを、ベッドの上に運んで、昼間、テレビを見、寝る前に、また、箪笥の上に戻すという作業を繰り返していました。 これも、後に解体して捨てました。

  大型懐中電灯は、私の部屋に持って来て、緊急用にしてあります。 私が、父の部屋から回収して使っているのは、この懐中電灯と、LED目覚まし時計だけです。

  テレビ台ですが、この時点で、すでに、テレビは、居間に移してありますな。 HDDレコーダーは、まだ入っていますが、この後、取り出して、新聞紙で包み、父の部屋の押入れに入れました。 テレビ台は、解体して、埋め立てごみへ。 この種のテレビ台は、頑丈なように見えて、元々、組み立て式なので、割と簡単に壊せます。


≪写真下≫
  押入れの左上段には、父の普段着がかけてありました。 ぎっしり。 この写真の時には、私が着れそうなシャツを取った後なので、少しすいています。 私が着れない物は、みんな捨てました。 ネクタイも、30本くらいありましたが、私が、全くしない人間なので、やはり、全て捨てました。

  衣類は、個人のイメージと最も近しいものですが、虫がついたり、シミが出来たり、カビたりするので、形見には不向きです。 長期間、とっておけないのです。 それを着ている、故人の写真の方が、価値があります。




  あー、もー、うんざりだ。 というわけで、今回はこの辺で、勘弁してください。 

2017/03/12

老後の備えに早過ぎはない

  年中、言い訳ばかりしていますが、このブログも、もう書きたい事なんて、ないんですよねー。 理由としては、やはり、人生の最終ステージに入ったのが大きいですなあ。 引退前と引退後では、同じ人間のような気がしません。 ちなみに、子供の頃の自分と、今の自分も、同じ人間のような気がしないのですが、それはまた、別の問題。

  引退前は、職場ストレスに、常に曝されていて、決して楽な日々ではなかったけれど、それでも、僅かながらでも、未来への希望がありました。 私の場合、定年まで勤めず、途中で退職しましたから、尚の事、僅かな希望がある内に、スパッと切り落とすように、引退生活に入ってしまったわけで、希望が消えるのが急激だったのです。

「引退したら、今まで、時間がなくてやれなかった趣味に取り組んで、悠々自適の生活を・・・」

  あー、そんなの、無理無理。 だーからねー、引退したら、収入がなくなるわけだから、お金を、ホイホイ、気軽に使えなくなるんですよ。 貯蓄で、年金が出るまで食い繋がなければならないとなれば、検討するまでもなく、生活費が最優先です。 趣味に浪費なんて、とんでもない心得違いだわ。 読書習慣がない人は、お金がかからない趣味と言ったら、テレビか、散歩か、そんなものしかないでしょうなあ。

  老後資金を貯めてあるどころか、定年後まで、家のローンが残るような人は、引退なんて、できませんよ。 なーにを、寝惚けた事を言ってるだーか! あなたの借金を、他の誰かが、代わりに払ってくれるわけないでしょうに。 でもねー、そういう人って、思いの外、たくさんいるんですよ。 人生全体の金勘定をした事が、一度もないんでしょうなあ。

  私が勤めていた頃にも、先輩に、そういう人がいて、私が、「定年後は、ローンをどうやって返すんですか?」って訊いたら、「うーん・・・、それはねー・・・」と、しばらく考えてから、「・・・、一生働くしかないねえ」と、笑ってましたが、なになになに、笑い事じゃないでしょうに! マジで、死ぬまで働かなければなりませんぜ。 60歳過ぎて、楽な仕事なんて、ないよ。

  工事現場で、交通整理をしている老人を見たら、それが自分の未来の姿だと思うべきでしょう。 いやいやいや、交通整理でも、雇って貰えるのなら、まだ、いい方でして、その内、食い詰め老人が、どかどか増えて来たら、仕事の取り合いになって、働きたくても働けなくなるのは、容易に想像できる事です。 どうして、ローンを組む前に、そういう事を考えないのかなあ? 自分で方向性を決められる人生なのに、自分で自分を、生き地獄に追いやってるんだわ。

  まあ、そういう人達に比べれば、希望がなくても、働かずに暮らしている私は、まだ、マシなのかもしれませんな。 幸福の実感はありませんけど・・・。 「人は、パンのみにて生きるにあらず」、食えていれば、幸福というわけでもないようです。 だけど、食えないのは、明らかに不幸だわ。


  老後資金というのは、どの程度貯めておけばいいのか、見当もつかないという人がいると思うので、老婆心ながら書いておきましょう。 大体、一人、一年、100万円かかると思っていれば良いです。 夫婦なら、200万円。 それが、最少限必要な金額ですな。 その金額に、収入がなくなってから、年金が貰えるようになるまでの年数をかければ、老後に必要な資金の、総額が出ます。

  年金制度は、将来、破綻する危険性が高く、減額が予想されるので、貯蓄の方は、ゆとりがあればあるほど、良いです。 「わははは! その計算式の時点で、全然 足りないわ」と、笑ってしまう方もいるでしょうが、何度も言うように、自分の老後の生活がかかっているわけですから、笑い事ではないです。 生活保護? それも当てにしない方がいいと思いますよ。 対象者が増えれば、やはり、じわじわと、減額せざるを得ないでしょう。

  まだ、20代30代の人で、今現在の一年間の貯蓄額に、定年までの年数をかけて、計算してみて、とても、足りそうにないと思ったら、すぐに、お金の使い方を改めて、低消費人生に切り替えたほうが良いです。 計算の際、将来の出世による収入の増加は、当てにしないように。 そんなの、こちらの都合に合わせて、出世させてくれるかどうか、分からないじゃないですか。 なに? 他人を蹴落としてでも、出世する? あー、それは、お金の問題以前に、人生の道そのものを踏み外す事になるでしょう。

  結婚や子育てを考えている人達は、予測不能な出費が想定され、計算ができないので、とにかく、貯められるだけ貯めておくしかないのですが、困った事に、ケチな人間は、結婚相手を見つけられないという厳然たる事実がありまして、ジレンマになっています。 自分の人生の安泰を第一に考えるなら、結婚しない方が、確実に、お金に関する悩みは減らせますが、推奨はしません。 相手がいるなら、結婚した方がいいでしょう。

  交際している相手が、金遣いが荒い場合、それは、結婚しない方がいいですわ。 「結婚したら、真っ当な人間になり、無駄遣いしなくなるに違いない」なんて、夢みたいな成り行きは、期待しないのが賢明。 「夫婦で協力して、より良い人生を築いて行こう」といった考え方は、金遣いが荒い人間には、全く通用しますまい。 鼻で笑われてしまいますよ。

  私が指摘するまでもなく、今の若い世代には、最初から、生涯独身を覚悟している人が多いようですが、そういう人達は、少なくとも、お金で困る事はないと思います。 配偶者を得るというのは、ほんと、良し悪しなんだわ。 悪い方へ転ぶと、貯金なんぞ、全部、使い尽くされた上に、莫大な借金まで背負わされてしまいます。 とてもじゃないが、恋だの愛だの性欲だので、相殺できる損害ではありません。 最初から、骨までしゃぶるつもりで、結婚してんだよねー。 おっそろしい人間も、いたもんだわ。


  もう、40歳過ぎて、人生を折り返してしまっている人達には、有効なアドバイスのしようがないですが、とりあえず、車の買い換えなど、出費が嵩むものは諦めて、少しでも、お金を残す方向にシフトしておくのを、お薦めします。 100万円あれば、一人なら、一年間 生きていられる事を考えると、車の買い換えを諦めるのが、いかに価値のある選択かが分かろうというもの。

  老後資金が足りないと分かっているのに、家の購入なんて、とんでもない! 結局、払いきれずに、家は取り上げられるわ、ローンだけ残るわで、生き地獄になってしまいます。 マジで、誰も、代わりに払っちゃくれんよ。 分かっとんのかいな、その深刻さが? 自分で地獄を招き寄せて、なんとする?

  老後資金が足りないからといって、間違っても、株や債券など、相場商品で増やそうなどと考えてはいけません。 投信? いやいや、相場の要素が関わっているものは、元本保証がないわけですから、みんな同じです。 あのですねえ、相場商品いうのは、一年365日、起きている間は、ずっと、パソコンに向かって、値動きに目を光らせているような人達だけが、得をするようなシステムなんですよ。 素人は、その人達に、お金を貢いでやる為に、出資しているようなもんなんです。

  資産運営の基本中の基本である、貯金すらできないあなた方に、相場商品が扱えるわけがないじゃないですか。 自転車に乗れない人が、オートバイ・レースに出場するようなものです。 馬鹿馬鹿しい。 話にもならんわ。

  もちろん、ギャンブルで増やすなんて、大馬鹿な事は、考えないように。 ギャンブルで金持ちになった例なんて、聞いた事がない。 大当てした後、やめられればいいんですが、ギャンブラー心理的に、そんな理性的な判断はできないので、また、やって、必ず、すってしまいます。 そういうシステムなんですよ。 だから、事業として、運営側に利益が出るんですわ。

  宝くじ? あれも、あまり、推奨しませんなあ。 私だったら、宝くじに投入するお金があれば、迷わず、預金に回します。 定期的に買い続けて、小額だけ当たっている人と比べた時、一切買わない者の方が、残るお金が少なくなるとは、到底思えないからです。 考え方の方向性の問題でして、「宝くじで、一発」という考え方をする人は、他のギャンブルほど大損をしないというだけで、やはり、貯蓄には向かないんですな。



  私が、なんで、こんな事を繰り返し書くかというと、お金の価値や扱い方を知らない人間が、あまりにも多いので、貧すりゃ貪すで、今後、泥棒、強盗、引ったくり、置き引きなど、犯罪が増える事が予想され、私一人だけ助かればいいというわけにはいかないからです。 詐欺師が増えているのは、自分で自分の人生に必要なお金を稼げない人が増えている証拠ですな。

  そういや、相変わらず、詐欺師を主人公にしたドラマを作っているようですが、いい加減に、よせと言うのよ。 ああいうドラマを、一番、興味津々で見ているのは、オレオレ詐欺や、振り込め詐欺に関わっている連中でして、「やっぱり、詐欺師は、カッコいい商売なんだ」と、世間からお墨付きを貰ったつもりで、意欲万倍、せっせと仕事に励むんですわ。 とんでもないわ! 犯罪を推奨してしまっているのが、分からんのかね?

2017/03/05

カー連読 ⑬

  いよいよ、今回で、ジョン・ディクスン・カー、別名、カーター・ディクスンの本の感想は、最終回です。 歴史ミステリーや、コナン・ドイルの伝記など、カーの著作で読んでいないものは、まだあるのですが、それらは、推理小説ではないので、時間を割いて読むほど、興味が湧きません。 いつか、読むかもしれませんが、今回は、やめておきます。

  歴史ミステリーの第一作、≪エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件≫は、二回借りて来て、二回とも、冒頭部分から先に進めずに、匙を投げて、返してしまいました。 ま、つっまらん、つまらん! イギリス王室史に、特別な興味がないと、とても読めない内容でした。 コナン・ドイルの伝記も、沼津の図書館にあるのですが、借りる気になりません。 ドイルの経歴を、大体、知ってしまっているからでしょうねえ。




≪バトラー弁護に立つ≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1957年初版 1986年3版
ジョン・ディクスン・カー 著
橋本福夫 訳

  相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 これが、私が読んだ、カーの長編推理小説の、最後の一冊になります。 歴史ミステリーの方には、まだ読んでいない作品が残っているのですが、そちらは、大体、中身が想像できるせいか、そんなに読みたいとは思いません。 わざわざ、相互貸借で取り寄せてもらう手間を図書館にかけるのも悪いので、読まない事にします。

  発表は、1956年。 日本での初版が、翌年ですから、カーの新作を待ち構えていて、翻訳・出版したんでしょうなあ。 題名に出て来る、「バトラー」というのは人の名前で、1949年に発表されたフェル博士シリーズの≪疑惑の影≫で中心人物となった、腕利き弁護士の事です。 彼が出るわけだから、フェル博士シリーズの世界を使っているわけですが、フェル博士は、名前が出てくるだけで、登場はしません。

  この作品では、バトラーが、探偵役を務め、中心人物は、ヒュー・プランティスという青年です。 その青年の職業も弁護士。 それにしても、カー作品には、弁護士が良く出てきますなあ。 それでいて、法廷物は、二つくらいしかないんですがね。 ちなみに、この作品は、法廷物ではなくて、法廷場面は、一回も出て来ません。


  法律事務所を訪ねて来たペルシャ人の奇術師が、青年弁護士がちょっと部屋を空けた隙に、ナイフで刺し殺されてしまう。 容疑が自分にかかる恐れありと見た青年は、腕利きの弁護士パトリック・バトラーを訪ねて、事情を打ち明ける。 青年とバトラーが、互いの交際相手や、死んだ奇術師の妻を巻き込みながら、ロンドンの街の中を警察から逃れつつ、密室殺人の謎を解き、犯人をつきとめて行く話。

  一応、推理物の骨格で書かれていますが、期待して読むと、まったくの肩透かしでして、ガッカリします。 密室トリックは、最も単純のもので、いまや、2時間サスペンスや、刑事物ドラマの一回分でも使われないような、ひどいもの。 カーも、この頃になると、完全に、アイデアが、涸れてしまっていたようです。

  街なかを舞台にした、冒険ものと考えた方が、まだ、落ち着いて読めるでしょうか。 そういうのも、カーは、よく書きますが、なんだか、昔のコメディー映画の、BGMばかりうるさくて、全然面白くない、逃走・追跡場面でも見せられているようで、文字を目で追う事に、時間の無駄を感じてしまいます。 で、この作品にも、劇場が出て来るんだわ。 もういいよ、劇場は。 一般読者には、非常に馴染みが薄い場所なのだという事が、分かっていないのでは?

  まだ、ある。 一番、紙数を割いているのは、恋愛場面でして、相も変らぬ、リアリティー過剰で、ムカつく女どもが、本筋と何の関係もない事を、べらべらべらべら喋りまくります。 また、そんな女を愛しているという、男が許せぬ。 一生、こんな連中の無駄話を聞いて暮らして、堪えられるとでも言うのかい?

  これねえ、間違いないと思うんですが、カーという人は、推理物の結構を一応思いついたけれど、ストーリーに肉付けするモチーフを思いつかない時には、恋愛物の要素でごまかして、紙数を水増ししていたのだと思うのですよ。 そうとでも考えないと、このバランスの悪さを説明できません。

  恋愛小説には、恋愛小説の作法というものがあり、現実よりも、男女の欠点をぼかして書くのが普通です。 恋愛対象として、少し理想的な人物を出しておき、読者に憧れを抱かせるわけですな。 もし、リアルに人格を描き込む場合には、別れとか、身の破滅とか、そういう末路にして、悲劇の形をとります。

  ところが、カーは、リアルに描きこんだ上で、ハッピー・エンドにしてしまうから、「こんな、しょーもない相手と、うまくいくわけがないではないか!」と、読んでいる側は、腹を立ててしまうのです。 お伽話じゃあるまいし、「それから二人は、ずっと幸せに暮らしました」では、現代小説とは言えますまい。

  というわけで、わざわざ、取り寄せてまで、読む本ではありませんでした。 沼津と浜松の図書館の担当の方々には、申し訳ない事をしてしまいました。 まあ、面白いか、しょーもないかは、読まないと分からないので、致し方ないのですが・・・。

  ところで、カーの、反共志向ですが、この作品では、ほんのちょっと、軌道修正した形跡が見られます。 バトラーの口を借りて、「自分の考え方とは正反対だが、あなたはあなたで、理想主義者なのだ」といったような事を言わせているのです。 これねえ、作品の発表年を見ると分かるんですが、1956年でしょう? アメリカで、マッカーシー批判が出てくるのが、54年でして、それまで、ずっと続いてきた、反共・反リベラルの流れが、とりあえず、止まるのです。 逆流まではしませんけど。

  カーは、労働党政権になった戦後のイギリスから逃げ出すのですが、アメリカに戻ったら、反共の嵐が吹き荒れていたので、喜んで尻馬に乗り、≪赤い鎧戸のかげで≫を書いたわけです。 それが、54年以降、風向きが変わったのを感じ取って、この作品で、少し、ハンドルを戻しておいたのではないかと思うのです。 もはや、手遅れだったとは思いますが・・・。 つくづく思うに、芸術家は、作品で評価されたいなら、政治的な意思表示は控えた方がいいです。



≪殺意の海辺≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1986年発行
ジョン・ディクスン・カー他 著
宇野利泰 訳

  浜松市立図書館から、相互貸借で取り寄せてもらった本。「閉架」のシールあり。 30年以上経っているのに、状態は良くて、あまり、読まれた形跡がありません。 連作なので、図書館での分類記号は、カーの作品としてではなく、タイトルの頭文字の、「サ」になっています。

  長めの短編、もしくは、中編というべき長さの小説が、二作収められていて、表題作の方の、冒頭部分を、カーが担当しています。 もう一作の【弔花はご辞退】の方は、ドロシー・L・セイヤーズという人が、冒頭部分を書いています。 前者は、6人、後者は5人の連作。 名前を列挙してもいいんですが、日本では、ほとんど知られていない人ばかりで、書いても意味がないと思うので、割愛。

  発表は、いずれも、1950年代だったそうですが、雑誌に掲載されただけで、本になったのは、1984年だとの事。 発掘されたわけですな。 カーや、セイヤーズという、名前が知れた作家が加わった連作なら、そのファンが買うだろうという目論見だったのだと思います。 こうやって、日本で訳本が出ているところを見ると、まんまと図に当たったと言えるかもしれませんが、カーも、セイヤーズも、日本では、知る人ぞ知るという感じですから、この文庫は、そんなにゃ、売れなかったでしょうねえ。


【殺意の海辺】
  冒険小説のネタを探しに、海辺の保養地にやって来た推理作家が、ボートに乗って水路を巡る見世物小屋の入口で、身の危険を感じているという謎の女から一緒に中に入ってくれるように頼まれ、その通りにするが、中で頭を殴られて気を失っている内に、女はいなくなってしまい、彼女の行方を追って、奔走する事になる話。

  冒頭で、カーが、「冒険小説のネタを探している」などと書いたものだから、続く作家達が、冒険小説風にせざるを得なくなったのでしょう。 密室とも、不可能犯罪とも、まるで無縁の、カーらしさが全く感じられない話になっています。 アクションというほどの、アクション場面もなく、一体、どこを面白がって欲しいのか、皆目 分かりません。 つまり、連作の失敗作なんでしょうな。

  ボートに乗って、水路を巡る見世物小屋というのは、カーの他の作品にも出て来たのですが、メインのストーリーと関係ない場面だったせいか、どの作品だったか、忘れてしまいました。 そちらでは、特殊な見世物小屋という舞台を、トリックか謎と絡めてあったような気がするのですが・・・、ああ、駄目駄目! やっぱり、よく覚えていません。


【弔花はご辞退】
  夫と死に別れた後、娘夫婦からの同居の提案を断って、料理人兼家政婦として、地方の屋敷に住み込んだ女性が、主人の妻が毒殺される事件に巻き込まれ、素人探偵として、主人の血縁者や、使用人など、屋敷に住む人々を観察し、事件の真相を探って行く話。

  自分で書いておいて、なんですが、この梗概では、ちょっと、良く書き過ぎていますかね。 そんなに面白くはないです。 素人探偵は素人探偵ですが、モチベーションが低くて、是が非でも事件を解決してやろうなどとは考えておらず、関わっている内に、自然に解決してしまったという感じです。

  巻末解説にも書いてあるように、こちらの方が、【殺意の海辺】よりは、物語としての纏まりが良いのですが、あくまで、比較すればの話でして、単独で誉めるほどの出来ではありません。 推理小説なのに、トリックが皆無で、自然発生した謎だけでは、読者の興味を引くのに、力不足でしょう。

  女性作家ばかりなので、徹底的に、女の目線で、使用人達の世界を描写している点は、面白いです。 女と男とでは、いかに、考え方が違うかが、よーく分かります。 「使用人だが、家族として扱ってもらいたい」といった考え方も、現代日本では、あまり馴染みがないからか、妙に新鮮に感じられます。


  連作という企画ですが、推理小説のように、プロットが重大な要素となる分野では、無理があると思いますねえ。 冒頭部分を書く人が、全体のプロットを決めてしまうわけには行きませんから、トリックや謎を盛り込みにくくなるのです。 人数を二人に絞って、前半で提示された謎を、後半で、別の作家が解くという形なら、行けるかも知れません。 「この小説は、書き出しは面白いけど、後半の展開が悪いなあ。 私だったら、もっと、面白い結末をつけられるのに」なんて思った事がある作家は、いくらでも、いるでしょうから。



≪エレヴェーター殺人事件≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1997年3版
ジョン・ロード/カーター・ディクスン 共著
中桐雅夫 訳

  相互貸借で、静岡市立図書館から取り寄せられた本。 97年にしては、よく読まれた形跡あり。 90年代の終わりに近づいても、58年と同じ版の本を出していたのだから、早川書房というのは、つくづく、変わっています。 せめて、拗音や促音を小さい文字に直そうという気にならなかったんですかねえ。

  発表は、1939年。 ジョン・ロードという人は、イギリスでは有名な作家だったようですが、日本では、数える程度の作品しか訳されていないようです。 知名度からすれば、カーの方が、遥かに上。 だけど、ロードの方が、作家として先輩だったから、名前の並びが、先になっているのだと思います。

  元の英題は、「Drop to His Death」で、これは分かり易い。 米題は、「Fatal Descent」で、「致命的な降下」。 こちらの方が、ミステリーの題名っぽいか。 日本語の題は、洒落っ気のかけらもないですが、話の内容を直接的に表しています。 わざわざ、「ヴェ」にしてあるのは、58年という、時代を表していますなあ。 今では、逆に、古臭く、滑稽に見えてしまいますが。


  ある出版社のビルにある、社長専用エレベーターの降下中に、一人で乗っていた社長が、射殺される事件が起こる。 天窓が割れていたが、エレベーターの上に人影かがなかった事は、目撃者が証言しており、不可能犯罪と思われる。 たまたま、その目撃者の一人だった、警察医と、彼の友人である警部が、共に捜査に当たり、それぞれの流儀で、推理を逞しくして、トリック、犯人、殺害の動機を解明して行く話。

  共作というのが、どういう役割分担をしたのか分からないのですが、たぶん、一人がアイデアを出し、もう一人が、執筆したんじゃないでしょうか。 連作方式で書いたと考えるには、纏まりが良すぎます。 不可能犯罪という点に関しては、カーっぽい話ですな。 カーの単独の作品に比べると、語り口が少し違うような気がせんでもなし。 バラバラ感が少なく、話の纏まりがいいのです。

  トリックは、純粋に機械的なもので、「まー、そういう事もできるかねー」と思う程度のもの。 弾丸のトリックに関しては、同じアイデアを、何かの、本で読んだか、ドラマで見たかしているのですが、覚えていません。 カーの作品だったかなあ。 推理小説では、割と良く使われるトリックなのかも。

  女性登場人物が、妙にムカつく点は、カーっぽいですな。 だけど、彼女らは、重要な役割を果たす事はありません。 ほとんどが、実質的中心人物である警察医と、警部のやりとりで、埋められています。 二人とも、名探偵ではなく、二人で相補って、解決に辿り着くというパターン。 共作らしいといえば、らしい探偵役ですが、どちらにも、探偵としての特徴的な才能がないから、「続編に期待」という流れにはならなかったでしょうねえ。

  傑作、などと呼べるものではないですが、推理小説としては、まずまず、普通に読めます。 楽しいと感じるところまで、もう一歩というレベル。 カー単独作品と比較すると、中の上くらいでしょうか。 ただ、エレベーターの構造が、今と違っていまして、今のエレベーターでは、トリックが成立しません。 昔は、扉が、金属のアコーディオン格子になっていたから、箱の上に誰もいないのを、外から目撃できたんですな。 私の年齢でも、そういうエレベーターを見た事はありません。



≪シャーロック・ホームズの功績≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1989年14版
アドリアン・コナン・ドイル/ジョン・ディクスン・カー 共著
大久保康雄 訳

  相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 初版は、これまでに読んだ、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックスのカー作品と、ほぼ同じですが、89年までに、14版まで行っているのは、ダントツに多いですな。 さすが、「シャーロック・ホームズ」の名前をタイトルに入れているだけの事はある。

  そして、この本、修理の跡がはっきりあるにも拘らず、紙が何ページも取れてしまうという、ひどい状態でした。 相互貸借本は、沼津市立図書館の蔵書より、デリケートに扱わなければならないので、慎重にページをめくっていたのですが、最初から剥がれているのでは、如何ともし難し。 もちろん、余計な素人修理などせずに、そのまま、返却しました。

  発表は、雑誌掲載で、1952・53・54年。 単行本になったのは、54年。 本家のシャーロック・ホームズ・シリーズを、新潮文庫で揃えた人なら、最終巻の「叡智」の解説に、≪シャーロック・ホームズの手柄≫という仮題で、この本が紹介されていたのを、記憶の片隅に留めているかも知れません。

  私も、中学生の時に、その解説を読んで、何とか、この本が読めないものかと思ったものですが、どこの本屋にも見当たらないし、当時は、本を取り寄せるといった知恵がなくて、読めずじまいでした。 図書館で頼めば、どこかから取り寄せてもらえた知れませんが、その頃には、図書館に行く習慣がなかったので、思いつきもしませんでした。

  パスティーシュ作品に関しては、かなり前に、≪シャーロック・ホームズの大冒険≫を読んで、感想をテキトーに書いたと思うのですが、やはり、パスティーシュはパスティーシュでして、この短編集も、オリジナルの、ホームズ物には、遠く及びません。 しかし、≪大冒険≫に比べると、まだ、オリジナルに近い感じがします。

【七つの時計の事件】
【金時計の事件】
【蝋人形賭博師の事件】
【ハイゲイトの奇蹟事件】
【色の浅黒い男爵の事件】
【密閉された部屋の事件】

  以上が、カーと、アドリアン・コナン・ドイルの合作。 以下が、アドリアン単独の作品。

【ファウルクス・ラス館の事件】
【アバス・ルビーの事件】
【黒衣の天使の事件】
【二人の女性の事件】
【デプトフォードの恐怖の事件】
【赤い寡婦の事件】

  前半の6作は、【蝋人形賭博師の事件】を筆頭に、いかにも、カーらしいアイデアの作が並んでいます。 しかし、1950年代というと、もう、カーは、推理物を書き飽きていた頃で、トリックも謎も、全く大した事はありません。 「パスティーシュだから、こんなものでもいいだろう」という侮りが感じられます。 その上、ホームズ・オリジナル物の特徴である、劇的な解決場面も見られないとなると、「似せ物」にしても、出来が悪いと言わざるを得ますまい。

  後半の6作は、雰囲気的には、前半よりも、遥かに、オリジナルに近いです。 アドリアンが、アーサー・コナン・ドイルの実子だからというわけではなく、この人は、文筆家ではあったけれど、推理作家ではなかったので、自分の好みや、推理小説の定石には囚われずに、父親の作品を研究して、その作風に近づけようと努力したからではないかと思います。

  もっとも、トリックや謎がイマイチである点は、カーとの合作作品と変わりません。 トリックのアイデアには、早々と詰まってしまったようで、【デプトフォードの恐怖の事件】は、【まだらの紐】の焼き直し。 【赤い寡婦の事件】は、【ノーウッドの建築士】の焼き直しになっています。

  最終話の【赤い寡婦の事件】の末尾に、老境のワトソンが、ホームズと一緒に暮らしている様子が描かれていて、その部分だけ、大変、良いです。 その余韻を楽しむ為だけでも、この本を探して読む価値があるくらいです。




  以上、4冊です。 2017年1月半ばから、2月上旬にかけて読んだ本。 連作や共作になって来ると、カーらしい部分と、まるで違う部分が、はっきり分かって、その点は、面白かったです。 推理小説としての出来の方は、みな、今一つでしたけど。


  これで、カー作品を一通り読み終わったわけで、総括すべきなんでしょうが、今までにも、それらしい事を、ちょこちょこ書いて来たと思うので、やめておきます。 推理作家の作品なんて、ドイルは別格として、アガサ・クリスティーですら、有名な作品しか読んでないのに、どうしてまた、カーを読破しようと思ったのか、自分でも良く分かりません。 傑作揃いというのなら、分かりますが、そうでもないから、不思議。

  大胆に推測すると、カーの作品には、何となく、読者が作者を見下せるようなところがあって、それが、安心感を与えるのではないかと思います。 読者には、自分が思いもつかないような、傑作推理小説を読んで見たいと思う反面、作者に、まんまと、してやられるのを嫌う心理もあり、カーのように、傾向が読める作家なら、その心配が少ないからではないかと・・・。 穿ち過ぎでしょうか。

  最後に、私的な、ベスト5を挙げると、

1 ≪ユダの窓≫
2 ≪皇帝のかぎ煙草入れ≫
3 ≪火刑法廷≫
4 ≪貴婦人として死す≫
5 ≪青銅ランプの呪≫

  といったところですが、こんなのは、全作読破した人なら、大抵、重なるでしょう。 人によって、≪三つの棺≫が、どれかと入れ替わる程度で。 他は、そうですねえ。 しょーもないスカというのが、2・3ありますが、それ以外のほとんどは、どんぐりの背比べという出来で、雰囲気を楽しむだけなら、どれも、そこそこ楽しめます。 だからこそ、私が、全作読破できたわけですが。