2020/01/26

潰しは利かない

  実は今回、他の記事を用意してあったんですが、1月18日の朝に、大学センター試験のニュースをやっているのを見て、気が変わり、一文を書いたので、そちらを先に出します。 大した内容ではないです。


  今年、受験の人は、対象ではないので、読まないでください。 悪い影響があると、私には責任持てませんから。 今年、高3になるという人は、まだ、間に合うか。 それ以下に該当する年齢の人達に、大学に進学する事を決める前に、ちと、自分自身の能力を観察してみては? という話です。


  まずその、今現在、読書の習慣がないという人達、つまり、本を読まない人達ですが、大学なんて、やめた方がいいです。 読書習慣がない大学生は、いまや、5割を超えているそうで、「それなら、私だって、大学に行ってもいいじゃないか」と思うかも知れませんが、やはり、やめておいた方がいいです。

  大学の事を、「親の目から解放されて、遊ぶ所」、「いい会社に就職する為に、学歴を得る所」と考えている人も多いと思います。 両者合わせると、9割くらいになるのでは? しかし、大学が、基本的に、「科学を発展させる為に、研究する所」、「学生は、勉強ではなく、学問をする所」である事に変わりはなく、学問に興味がない者には、本来、縁のない場所です。

  どんな学問であっても、本を読まずに、関わる事はできません。 講義を聞いているだけでは、なんぼも頭に入らないでしょう。 ちなみに、教科書や参考書は、本の内に入りません。 雑誌も同様。 さすがに、漫画を本の内に入れている大学生はいないか。 別に、電子書籍でも構いませんが、本と同じボリュームの文章を、量的・質的に読みこなす能力がないのでは、学問の最低ステージにも上がれないと思います。

  すでに、高校生になっているという年齢の人達は、今から、読書習慣を身に着けるのは、大変、難しいです。 遅くても、中学生の内には始めなければ、身に着かないのではないでしょうか。 それ以上の歳になってから、本と取り組んでも、苦痛になるだけです。 苦痛以前に、眠くなってしまって、とても、長時間、読んでいられないでしょう。 一冊読むのに、1ヵ月以上かかるというペースだと、初めの方の内容を忘れて、何の本だったのかも把握できずに終わります。

  それでも、一冊読みきれれば、それが、読書習慣を始めるきっかけになるかも知れませんが、ほとんどの非読書家は、最初の一冊を読み終えられません。 本を買う事があっても、栞を挟んで、中途放棄したものが、数えるほど溜まるだけで、それ以上は、無駄な出費と判断して、買わなくなります。

  一方、読書習慣がついている人は、読書が楽しみになっています。 興味津津で、もしくは、ワクワク・ドキドキして、ページが進むのが、楽しくて仕方がない。 そういう人達と、本を開くや、1分で寝落ちしてしまう人との差は、絶望的に大きいです。 同じ年齢で、同じ制服を着て、同じように、中学や高校に通っていても、頭の中身は、全く違います。 読書家は、学問の下地が出来ているのに対し、非読者家は、その準備が出来ていません。

  誤解のないように断っておきますと、人間の総合的知能は、ごく特殊な例を除いて、誰でも、大差がないです。 学問が駄目な人でも、趣味は凄い人が、たくさん、います。 スポーツ界の情報や、芸能情報では、生き字引レベルに達する人もいます。 それぞれ、得意な方面に能力を使っているわけですな。 こういう事は、成績で序列をつけてしまう学校では分かり難いですが、実社会に出ると、よく分かります。

  学問の下地が出来ていない人達が、大学に進もうとするのは、能力を使う方向性を間違えているのであって、そんな事に、4年も費やすのは、時間の大無駄です。 ただ、最低限の単位だけとって卒業し、「○○大卒」の学歴を得る為だけに、4年も? 他人事ながら、馬鹿馬鹿しい。 若い頃の4年は、千金に値すると思いますが、それを、ドブに捨てているわけだ。

  商才がある人が、大学在学中に立ち上げた会社が急成長してしまい、学校に通っている暇がなくなって、中退して、経営業に専念するというパターンが、割と良くありますが、あれは、方向性を間違えかけて、慌てて、本道に戻った例でしょう。 もちろん、学歴だけ取って、他人がやっている会社に就職し、使用人として生きるより、自分で会社を立ち上げる方が、社会の評価は、断然、高いです。 前者は、どれほどの大企業で、どんなに出世して、社長になろうが、会長になろうが、どれほどの高給取りになろうが、畢竟、サラリーマンに過ぎません。 創業社長の足下にも及びますまい。

  大学の厄介なところは、本来が、学問をする所なので、仕事に直接役に立つ知識を教える事が少ない点です。 そういう所でも、学者・研究者を目指している学生は、何の問題もなし。 そうでなくても、身に着けた学問を、仕事で活かそうと考えている学生なら、大学で学ぶ目的意識がはっきりしているので、これまた、問題ありません。 一方、ただ、学歴を得る為だけに大学へ行った学生は、卒業しただけでは、職業人として、全く無能で、赤ん坊も同然。 就職した後で、一から仕事を覚えなければなりません。

  その点、専門学校の方が、遥かに、無駄がありませんな。 卒業生は、ほぼ、即戦力です。 私は、今の大学生に関しては、その実力や人格を、大いに疑問視していますが、専門学校生には、敬意を抱いています。 目的意識がしっかりしていて、自分の人生について、真面目に考えていると思うからです。 本心から、「若いのに、大した人達だ」と思ってます。

  ただし、専門学校と言っても、語学系を除きます。 あれは、駄目だわ。 たとえ、その外国語ができるようになったとしても、それだけで勤まる仕事などあるわけがなく、結局、具体的な仕事は、一から覚える事になります。 いや、それ以前に、読む・書く・話す・聞くの内、読むのができるようになるくらいが関の山でしょう。 その程度で、仕事なんか、できるわけがない。


  おっと、大脱線してますな。 読書習慣の話でした。 読書習慣があるかどうかは、大学へ行く適性判断の指標として、最も分かり易いものです。 簡単に、自分で判断できるのだから、これ以上、はっきりするものはありません。 読書習慣がなくても、大学へ行く事はできますが、いい結果にならないと思います。

  まず、在学中に、学問適性のある学生に対して、劣等意識を抱き続けなければなりません。 劣等感の裏返しで、「あいつは、遊び方を知らない」などと扱き下ろしても、そもそも、大学は、遊ぶ所ではないのだから、戯言としか思ってもらえません。 自分の方が、馬鹿にされていると言うのよ。

  教授や講師など、教える側から見ても、学問適性がない学生は、すぐに分かります。 教授の態度を見ていれば、自分と、適性がある学生とでは、扱いが違う事に、すぐ気づくはず。 そういう学生が入って来たら、テキトーにあしらって、さっさと追っ払いたいのです。 学問の邪魔だから。

  就職してからも、受難は終わりません。 「ああ、こいつ、大学で遊んでいただけだな」と、一瞬で見抜かれます。 専門知識が必要になる仕事だと、たちまち、馬脚を表わして、以後、無能扱いです。 昔と違って、今の大学では、一般教養を教えなくなっているので、教養レベルが、高卒と変わらず、話をしても、遊びの経験ばかり、熱く語る始末。 「なんで、こんな使えないアホウを、高い給与で雇ったんだ?」と、上司が首を傾げるのも、無理はない。

  企業も企業で、今の大卒が、昔の大卒に比べて、知識・教養が桁違いに少ない事には、気づいているはず。 試しに、哲学者や、科学者、芸術家など、歴史的著名人の名前を言わせてみれば宜しい。 ソクラテスと、アリストテレスの区別がつかないとか、ダンテと、ゲーテを混同しているとか、そもそも、世界の著名人なんて、一人も知らないとか、そんなのばっかりだから。 そして、ヘラヘラ笑って、事情通目線で言い返してくるわけだ。 「ふふふ、何言ってんですか? 今時、大学で、そんな事、教えてませんよ」と・・・。 じゃあ、一体、何を習ってきたんだよ?

  なぜ、高い給料払ってまで、大卒を採ろうとするのか、つもりが分からん。 知識・教養がない大卒では、高卒と何の変わりもないではないですか。 遊び癖がついているだけ、タチが悪いです。 「接待には、そういう奴の方が役に立つ」などと言ってる人が、すでに、腐っているのであって、ゆくゆく、横領罪を犯すのは、そういう連中です。 せっせと、仲間を増やして、会社を食い潰そうとしているわけだ。

  在学中、バイトに明け暮れていたという人間が、また、悲惨。 下手に仕事ズレしていて、先輩や上司が仕事を教えてくれているのに、「ああ、それは知ってます。 バイトでやった事がありますから」などと、ニタニタ笑って、まともに教わろうとせず、仕事自体もテキトーにやっつけて、楽して、社内を泳ぎ回ろうとする奴。 そんなの、どこの会社でも、要らんわ。

  そうそう、そういえば。 とにかく、大卒の肩書きだけ欲しくて、無名大学に、推薦入学で入る人が、結構いるわけですが、マジで、やめた方がいいです。 無名大学を卒業しても、有名企業は採用してくれませんし、無名企業は、そもそも、大卒を、そんなに必要としていませんから、人手不足の御時世なのに、どの会社にも入れないという、笑えない事態に陥りかねません。

  「大卒だけど、給与が高くならないように、高卒待遇でいいです」などと、妥協案を提示しても、「いや、それなら、高卒を採用しますよ」と言う会社の方が多いはず。 歳が行っているほど、ヒネているわけで、そんなのを雇うより、高卒の方が、柔軟性が残っていて、会社のカラーに染め易いという判断ですな。

  「大学さえ出ておけば、潰しが利く」というのは、スポーツ選手の場合でして、一般人には当て嵌まりません。 まして、無名大学では、尚の事。 推薦入学で、ホイホイ、大卒になれるのなら、誰も苦労して、受験なんかしませんて。 世の中、そんなに甘くないです。 無名大学を卒業したとして、あなた、その校名を人前で、堂々と言えますか? 高卒に、校名を訊いて来る人はあまりいないけれど、大卒に校名を尋ねる人は、普通に多いですよ。


  おっと、また、脱線していますな。 読書習慣の話でした。 もし、大学まで行くと決めているのなら、早い内に、読書習慣を身に着けた方がいいです。 これは、本人よりも、親の役割でしょうか。 幼児の内から、絵本を読ませて、スムースに活字本に移行させ、図書館に通う習慣をつけさせたり、本を買う専用のお金を、毎月、一定額与えたりといった配慮が必要。 また、親自身が、読書をする姿を見せる事も重要です。 子供は、親を見て育ちますから。

  ちなみに、子供というのは、読書する習慣が身に着けば、自分で、どんどん本を読んで、知識を増やし、成績も上がります。 塾なんか行かせるよりも、図書館の利用方法を教える方が、遥かに効率的、且つ、経済的です。 私は、小中学校では、なぜか、優等生とばかり交友していましたが、その中で、読書習慣がないという者は、一人もいなかったです。 私自身、彼らの影響を受けて、読書家になったわけですが、スタートが遅かったので、優等生にはなれませんでした。 やはり、小学校低学年くらいから、活字本に慣れないと、遅いんですな。

  自分が高卒で、子供は大卒にしたいと思う親は多いですが、手本を見せられないのに、子供に過度の期待をかけるのは、卑怯です。 自分が、「本なんて、手に取るのも、嫌だ」という親は、子供を大学へ行かせようなどと、望まない方がいいでしょう。 無理に行かせても、子供が苦労するだけでなく、高卒の親を小馬鹿にするようになるのが、オチです。

  これは、大変、よくある例でして、親が、せっせと働いて、学費を稼いでやっているのに、子供は、大学生になった途端、親を見下し始め、意見の相違があると、「これだから、高卒とは話ができないよなー」などとほざくのを、あなた、許せますか? その後も、その態度は、変わりませんよ。 あなたが死ぬまで、子供から、軽蔑され続けるわけだ。 相手の為に、努力・尽力した結果、その相手から軽蔑されるというのは、理不尽も、そこに極まる感あり。



  大学で学問をしようとする人の適性を測る指標が、もう一つ、あります。 読書習慣と違い、割と近年になって、必要になって来たものですが、パソコンのキー・ボードを打つ能力です。 「そんなの、今時の学生なら、誰でもできるだろう」と思ったら、大間違いで、キー・ボードが打てない大学生は、何割という数でいると思います。 おそらく、読書習慣がない学生の数と、重なっているのではないでしょうか。 それなら、5割以上ですな。

  今時、学問をやるのに、パソコンが使えないというのは、致命的問題でして、特に、入力ができないのでは、お話にならぬ。 コピペで、論文が書けるか。 いや、書く人もいるかもしれませんが、それでは、容易に、盗用に走ってしまいそうですな。 実際、そういう学生は、大変多いようですが。

  簡単な試験をやってみればいいのです。 学生を、パソコンを並べた一室に集めて、A4くらいの紙に、びっしり印刷された文章を渡し 、「この文章を、キー・ボードで入力して、終わった順に退出して下さい」と指示するのです。 早い人は、10分くらいで席を立つと思いますが、キー・ボードが打てない人は、一時間経っても、5行も行かないはず。

  中には、「ネットに繋いでもいいですか?」と言って来る学生がいると思いますが、コピペする気に決まっているので、もちろん、却下。 「スマホで打ち込んでもいいですか?」という学生もいるかもしれませんが、それも、「キー・ボードの試験です」と言って、却下すべし。 一時間以上は、やる必要がないでしょう。 で、キー・ボードを打てない学生が残るわけですが、たぶん、全体の半分以上だと思いますよ。

  そういう人には、「一ヵ月後に、同じ試験をやりますから、練習しておいて下さい」と言っておいて、一ヵ月後の試験でも、一時間以上かかるようなら、大学はやめてもらった方がいいのでは? チャンスを与えたわけだから、もう、いいでしょう。 きょうび、パソコンに入力できない奴に、学問ができるわけがないです。 よしんば、大学時代を、コピペとスマホ入力で乗り切ったとしても、卒業後、就職してからは、もっと困ります。 理系・文系、どんな職場でも、パソコンが打てない大卒なんて、要りません。

  すでに書かれている文章を写すのなら、練習次第で、できるようになりますが、自分の頭で考えながら、文章を書くとなると、文章慣れが必要になり、読書習慣がないと、どうにもならないところがあります。 だから、キー・ボードを打てない人間と、読書習慣がない人間の割合は、重なると思うわけです。 結局、読書習慣が基礎になるわけだ。

  ちなみに、読書習慣がない人が、どういう文を書くかは、アマゾンや楽天などの、商品レビューを読めば、知る事ができます。 普段、文なんて書かないけれど、ハズレ商品に当たった時は、激怒して、文句を書かずにはいられないというわけだ。 ところが、文章慣れしていないから、誤字・誤変換が目白押し・・・。

  慣用句の用法違いなんかは、まだマシな方で、ひらがなの並べ方も分からない有様。 とにかく、漢字が多けりゃいいと思って、カナ漢字変換に頼りまくり、「有る」だの、「兎に角」だの、「殆ど」だのは、勘弁してくれ。 お前は、明治生まれか?  あまりの低レベルに、熱が出て来ます。 日本語の文章文化は、もうおしまいだな。 まーた、文章が書けない奴が、意見だけは、経験者ぶって、一人前に言おうとするから、滑稽至極。 まず、まともな文章が書けるようになってから、偉そうな意見を述べよ。 そんな日は、永久に来ないかも知れんがのう・・・。

2020/01/19

旧母自パンク輪廻

  前回に引き続き、今回も、自転車ブログ用に書いたものです。 アップは、こちらの方が早くなってしまいましたけど。





  旧母自の後輪が、昨年の暮れに2回、元旦に1回、合計3回もパンクしました。 参ったなあ。

  まず、12月26日、街の方の銀行へ行こうと、旧母自で出たら、後輪タイヤの空気がどんどん減り、家から、3キロくらいの所で、それ以上、乗っていられない状態になりました。 やむなく、下りて押して、引き揚げました。 3キロは、遠いな。

  家に着いたら、雨が降り始め、そもそも、出かけるような天気ではなかったのだと、結果オーライな気分になりましたが、パンクは直さなければなりません。 カー・ポートの下で作業し、1時間くらいかけて、直しました。 チューブを出し、バケツの水に浸けたら、穴が開いていましたよ。 それでいて、タイヤの方は、何が刺さっているわけでもないのだから、奇妙です。

  まあ、穴が見つかれば、原因がはっきりしたわけだから、修理作業自体は、大した事ではないですけど。 原因不明の、ゆっくり空気抜けに比べれば、「これで直ったぞ感」が充足し、清々します。

  翌朝、チェーン・ケースのメンテナンス・カバーを開けて、スプレー・グリスを吹きました。 ケース付きの自転車の場合、固形化してしまうグリスよりも、エンジン・オイルの方が、もちが良いのかも知れませんが、オイル注しにオイルを移すのが面倒臭かったので、やりませんでした。

  その後、試し乗りで、近所の銀行へ行きましたが、パンクしていた前日とは、後輪のしっかり感が、まるで違います。 少しずつ抜けているのと、全く抜けていないのとで、こんなに感じが違うものかと、驚きました。 前日は、少しずつ抜けているといっても、3キロはもつ程度の抜け方で、出かける前に、空気を満杯にしてあったにも拘らず、走り出した時点で、すでに、不安というか、何だか、ペダルが重い感じがしていたのです。 そんな、微妙な違いが分かる、自分の感覚が信じられぬ。 何かの錯覚なのでは?


  と、↑ここまでは、幸せだったんですわ。 愚かしい事に。 ところが、この後、12月29日に、「いや~、直った直った。 んじゃま、ちょっくら、遠くまで出かけてみべえか」などと、調子に乗って、沼津市の大平地区まで出かけていったら、なんと、まーた、パンクしました。 こんなにポンポン、パンクが続くなんて、ありえねーっす! 勘弁して欲しいっす!

  というか、これって、超常現象なんじゃないの? 外出、2回に1回のペースで、パンクなんて、常識では、考えられんではないですか! バルブ原因の、ゆっくり空気抜けならば、まだ分からんでもないですが、急激に減ってしまうのだから、明らかにパンクなのです。 チューブに、穴が開いているのです。 どうやれば、そんな頻度で、金属片を拾えるのじゃ?

  で、大平から、徳倉に出る切り通しの所から、家まで、30分以上かけて、押して帰りましたよ。 パンク慣れしたせいか、もう、乗り心地の変化だけで、まずいと察知できるようになり、すぐに下りて、少しでも空気の減りを遅くするようにしました。 チューブの中に、空気がある程度残っていれば、割とスムースに押して帰れるのですが、ペッタンコになり、リムがゴムを押し潰しているような状態になってしまうと、それから下りても、手遅れで、押して帰る途中で、タイヤやチューブを損傷する恐れがあります。

  翌30日は、雨だったので、修理は見送り、31日の午後から、取りかかりました。 大晦日にやるような事ではないと、思うにゃ思いましたけど・・・。


≪写真1≫
  自転車の修理作業は、普段、車置き場の前の方でやるんですが、つい先日やったばかりで、外から見える所では恥ずかしいので、庭の中ほどで、やりました。 何歳になっても、恥ずかしい場面というのは、なくならないものですな。

  以前、紹介したように、踏み台を重ねて、自転車の後ろを載せ、高くしてあります。 この方が、断然、作業がし易いです。 パンク修理の場合、後輪を外す必要はなくて、付けたまま、タイヤの片側のビードを外し、チューブだけ取り出して、直します。 左右どちら側から出しても直せますが、左側は、ブレーキ・ユニットがある分、タイヤとフレームの間にゆとりがあるので、右から出すよりも、チューブを動かし易いです。

  パンクそのものは、先日のとは違う所に、新しい穴が開いていて、普通に修理しました。 相変わらず、ゴム糊ではなく、靴底修理ボンドを使っています。 ちゃんと、塞がります。 先日直した所も、漏れはありませんでした。

≪写真2≫
  今回、立て続けに、パンクしたので、タイヤに金属片が刺さったままになっているのではないかと思い、パンクした箇所を見失わないように、予め、タイヤに黄色いテープを貼って、バルブの位置をバミっておきました。 しかし、これ、後になって、全く無意味だった事が分かります。 

≪写真3左≫
  タイヤの内側に、金属片は刺さっていませんでした。 その代わり、外側を見て行ったら、裂け目があるのを発見しました。 この写真では分かりませんが、一部、パックリ開いてしまっています。 つまり、走行中、チューブが地面に直に接触していたわけで、擦り切れて、パンクしていたのではないかと思われます。

  この裂け目、いつ出来たのか分かりませんが、パンクが頻発するようになったのは、去年の6月頃からなので、その前に、何か、裂けてしまうような衝撃がかかったのでしょう。 パンク修理のたびに、タイヤの中ばかり調べていて、外を良く観察していなかったのが、悔やまれます。

≪写真3右≫
  で、廃チューブを切って、当てゴムを作り、靴底修理ボンドで、内側から貼って、裂け目を塞ぎました。 これで、しばらくもてば、良し。 駄目なようなら、タイヤを交換するしかありませんな。


  ところで、黄色いテープで、バルブの位置をバミっておいた件ですが、そこを基準に、チューブのパンク箇所と、タイヤの裂け目の位置を見てみたら、全く違った場所でした。 どういう事なのか分からずに、呆然・・・。 しばらく考えて、ようやく出た結論が、「タイヤとホイールは、走行中に、ズレる」という事でした。 特に、ブレーキをかけた時に、ホイールは止まろうとするのに、タイヤは地面との摩擦で回り続けようとするので、ズレるのでは?

  ちなみに、チューブとホイールは、バルブの位置が決まっているので、ズレようがありません。 つまり、チューブとタイヤも、ズレているわけだ。 そんな事は、考えた事もなかった。 自分で出した結論が、信じられぬ。 もし、本当にそうなら、今回、タイヤの内側に貼った当てゴムと、チューブに貼ったパッチは、いずれ、衝突する事になり、どちらかが、剥がれてしまうかもしれませんな。 やはり、タイヤを買い直す事になるのか・・・。

  しかし、この結論は、どうにも、受け入れかねるところがありますな。 摩擦力MAXのゴムで出来ているタイヤが、ホイールとズレるなんて事が、ありますかね? 確かに、ズレてはいたわけですが、もしかしたら、走行中ではなく、結構な距離を押して帰って来た、その間にズレたのかも知れません。 空気がパンパンなら、タイヤは、強い力で、ホイールに押し付けられているから、ズレるような事はないけれど、空気が減って来て、押し付ける力が弱まると、ズレてしまうという事なのでは?

  それならば、当てゴムとパッチが衝突する事はないわけで、当てゴムが擦り切れきらない内は、もつ事になります。 そちらである事を願います。


  と、↑ここまでは、「失敗はしたが、一つ、利口になったな」くらいに、前向きに考えていたんですわ。 とーころが・・・。

  元旦、外掃除の後、前日パンクを直したばかりの後輪に、ちょっと触れてみたら、なんと、またまた、空気が抜けていました。 げんなりだ。 原因は、すぐに、見当がつきましたけど。 前日の修理で、タイヤのビードを入れる時に、金属製のタイヤ・レバーを使ったので、押し潰されて、切れたに違いありません。 やはり、タイヤを入れる時には、手だけでやらなければ、駄目か。

  午後、またまた、パンク修理。 チューブを出したら、同じ所に、並んで、2ヵ所、穴が開いていました。 その部分を、タイヤ・レバーで挟んでしまったわけですな。 実に分かり易い。

  で、今度は、穴を塞いだ後、手だけで、タイヤを入れました。 きついようでも、チューブの空気を抜いて、あちこち、抓んだり押したりしていると、スポッと入って行くものですな。

  一週間に3回も、パンク修理をしたのは、初めてです。 その内の一回は、私の初歩的ミスで、それが一番、残念。 もう、二度と、タイヤを入れる時に、レバーは使わない事にします。

2020/01/12

母自の錆隠し

  去年は、新年二回目から、≪引退生活≫シリーズを書き下ろし、結構な回数を続けられたので、今年も何か書き下ろそうかと思っていたのですが、いざ、新年になっても、その気力が湧いて来ません。 どうも、高飛車な目線で、他人にああだこうだと、説教をくれるのが、気が引けてねえ。 私自身、人に尊敬されるような人生を送っているわけでもないし。

  で、軽~く、日常的な事で、お茶を濁そうと思います。 自転車ブログ用に書いたものから、転載。




  昨年の暮れの事ですが、年内に予定していた最後の作業が、母自(電動アシスト車)の錆隠しで、12月25日に、やりました。 その前日までは、網戸の張り替えとか、ベランダの掃除とか、障子の張り替えとか、数年に一度しかやらない事をやっていたのですが、24日までに何とか終わり、オマケ的気分で、母自の錆隠しに取りかかりました。

  自転車一台丸々全部ではなく、前輪のスポークと、前籠ステーをシルバーに。 あと、馬蹄錠とシート・ポスト・アジャスターを、カラー錆グレーに塗りました。 アフター写真だけですが、出します。


≪写真上≫
  前輪スポークは、元は、亜鉛メッキだったのが、9年半、経過して、錆が目立つようになり、いよいよ、塗り時と判断したもの。 なぜか、後輪スポークは、色がくすんでいるだけで、錆びていません。 これは、置き方の問題で、旧母自は、玄関ポーチに置くようになってから、前側を、雨が吹っかける方へ向けており、前輪の方が、ハード・コンディション下にあるからなのかも知れません。

  ちなみに、母が使っていた頃も、私が受け継いでからも、母自に、雨の日に乗るような事はないです。 そもそも、通勤・通学用ではなく、買い物や通院用なので、雨の日に自転車で出かける事自体がありません。

  で、旧母自のスポークを塗った時に、全く錆を落とさずにやって、ボコボコになってしまった反省に立ち、今回は、金属鑢で、浮き上がった錆を落とし、更に、紙鑢をかけ、乾いた布で拭いた後、うすめ液で脱脂し、それから、トタン・シルバーを筆で手塗りしました。 元が、亜鉛メッキだった部品は、シルバーで塗ってしまっても、ほとんど、分かりません。 塗った本人が知っているだけ。

  ニップルは錆びていなかったので、ニップルだけ、マスキングしても良かったのですが、面倒なので、端折りました。 多少、ニップルに塗料がかかってしまっても、同系統の金属色だから、ほとんど、目立ちません。 これまた、塗った本人が知っているだけ。 人間というのは、そんなにしげしげ、他人の自転車の細部を観察したりしないものです。

  前籠ステーは、2016年のレストアの時に、一度、トタン・シルバーで塗ってあったのが、4年近く経って、ポツポツと錆が出て来たので、紙鑢で、落とせるだけ落としてから、脱脂し、同じ色を塗り重ねる形で、塗り直しました。 元々は、クローム・メッキだったので、シルバーで塗ると、かなり、違和感がありますが、前籠ステーで、最も目立つはずの水平部分は、前籠の下に隠れてしまっており、垂直部分だけなら、そんなに、興味津々で見るやつもいなかろうと、期待しているわけです。

  しかし、さすがに、荷台は、クローム・メッキから、シルバーに塗り替えたら、目立つでしょうねえ。 荷台に関しては、母自も、旧母自も、かなり、錆びて来ているんですが、補修のしようがありません。


≪写真下≫
  馬蹄錠と、シート・ポスト・アジャスターは、レストアの時に、カラー錆グレーで塗ったのが、ポツポツ、錆びて来ていました。 軽症だったので、錆は落とさず、脱脂だけして、上から、同じ色を塗りました。 カラー錆どめなのに、なぜ、錆びる? いや、錆どめの力には限界があるという事は、承知していますから、あまり、高望みはしませんけど。

  ところで、この、グレーの塗料ですけど、私は、たまたま、旧母自のレストアの時に、フレームとフォークを塗り替える為に、カラー錆グレーを買って、それが残っていたから、使ったわけですが、そうでないのなら、100円ショップの塗料でも、充分だと思います。 水性でも油性でも、とにかく、元の色に近ければ、何でもいいんですわ。 錆どめ成分が入っていなくても、塗料で覆ってしまうだけでも、防錆効果がありますから。

  黒でも、グレーでも、とにかく、錆が目立って来たら、塗ってしまった方が、清々します。 部品を自転車本体から外すのでなければ、時間も、そんなにかかるわけではないし。 外した方が、綺麗に塗れるとは思いますけど、そんなに綺麗に仕上げなくても、馬蹄錠やシート・ポスト・アジャスターを、しげしげ観察する他人などいませんから。 錆の色が見えなくなれば、それで、いいのです。

2020/01/05

バイク関連品

  新年早々ですが、これと言って、いい事もなく、これと言って、不満もない日々を送っているせいか、別に書く事がありません。 で、バイク関連の品で、新たに購入した物を紹介します。 といっても、全て、昨年中に買ったものです。




【ダイソー 黒帽子】

  10月21日に、柿田川のダイソーに行った時に、エポキシ・パテと一緒に買って来た、帽子。 110円。 バイク用にします。   バイク用の帽子というのは、出かけた先で、ヘルメットを脱いで行動する間に被る帽子です。 セローの時に買った物があるんですが、そちらは今、外掃除&自転車用にしているので、別に必要になった次第。

  頭囲が、58センチで、私の頭には小さいのですが、マジック・テープのアジャスターを緩めれば、何とか入ります。 値段的に、何となく安っぽいのは、致し方ないところ。 どうせ、旅の恥は掻き捨てなので、出先で被る帽子なんて、安物で充分です。



【ダイソー ネック・ウォーマー】

  10月27日、旧母自で出て、市街地で写真を撮ってから、駅北まで行き、青山ダイソーで、ネック・ウォマーを買って来ました。 110円。 バイク用にします。 通勤していた頃に、一つもっていたのですが、セローを処分した後、捨ててしまっていたのです。

  アクリル100パーセント。 手洗い指定。 洗濯機で洗っても大丈夫だと思いますが、ネットに入れた方がいいと思います。 陰干し指定。 アイロン不可。 そもそも、アイロンをかけるようなものではないですが。

  ネック・ウォマーをするとしないとでは、大違い。 寒さというのは、耐えられれば、問題なしというわけではなく、首が冷えると、喉から出血する事があります。 唾や痰に血が混じっているのを見たら、肺や気管支の病気を疑う前に、ネック・ウォーマーを試す事をお薦めします。



【とらや 暖ったかソックス】

  11月13日に、「とらや」で、防寒ハイソックスを買って来ました。 2足組で、税込み、399円。 裏起毛パイル、とあります。 バイクで出かける時に、足首が寒いので。 これでも寒ければ、中に、ラップを巻こうかと思っています。

  3年前まで、ブーツを持っていたのですが、セローを処分した後、もう要らないと思って、ハード・オフで売ってしまったのです。 14000円もするから、買い直す気はないです。 アンクル・ウォーマーという、足首から、脛までを覆う防寒具がありますが、それも、2500円くらいします。 ハイソックスとラップで代用できるなら、遥かに安いというもの。

  通勤時代と違って、早朝や深夜には乗らないから、何とか、乗り切れると思っています。



【セリア 薄茶色帽子】

  バイクで出かけた先で、ヘルメットを脱いでから被る帽子ですが、先にダイソーで買った黒いのが、サイズが小さくて、無理やり被っている感じが強かったので、12月6日に、セリアで、買い直しました。

≪写真上≫
  黒がなくて、薄茶色にしました。 110円。 値段は、3分の1以下ですが、普段、徒歩や自転車で出かける時に被っている、ワークマンの灰色の帽子(399円)と、作りは、そんなに変わりません。 通気口もあるし。

≪写真下≫
  タグの裏側。 「ベースボールキャップ」とあります。 実際に野球に使うわけではなく、そういうタイプの帽子という意味なのでしょう。 ダイソーのは、頭位サイズが、「~58センチ」でしたが、セリアのこれは、「58~60センチ」で、無理なく被れます。 植木手入れ用に、同じタイプの深緑色のを持っていますが、松脂が着いているので、出かける時には、被れません。

  手洗い指定ですが、ネットに入れれば、洗濯機でも洗えます。




  補足しますと、ダイソーの黒帽子は、ほんの僅かですが、私の頭には小さくて、被るたびに、違和感がありました。 頭の大きさは人によって違うので、ピッタリ合う人も、当然いると思います。 構造的には、野球帽に似ていますが、野球帽を構成する、6枚の三角形に近い布の内、前側の2枚が、一体化していて、上の方を立体に縫い詰めてあるという、変わった形式です。

  一方、セリアの薄茶色帽子は、野球帽そのもの。 大きさにも、ゆとりがあるので、楽に被れます。 バイク帽子にするには、もったいないような気がしているのが、正直なところ。 100円ショップの帽子は、全色買っても、大した金額にはならないから、服の色に合わせて、被り分ける事もできるのですが、帽子をいくつも持っていると、置き場所を確保するのが厄介ですな。


  ネック・ウォーマーですが、冬に入っても、12月中は、一度も使いませんでした。 セローで通勤していた頃は、朝晩、必需品でしたが、EN125-2Aは、プチ・ツーリングか、街乗りでしか使わないので、乗る時間帯が、正午から、午後3時くらいまでに限られており、しかも、雨天は乗らず、曇りの日も極力乗らず、晴れた日を選んで乗っている有様なので、ネック・ウォーマーが必要なほど、寒くないのです。

  しかし、1・2月は、また一段と寒くなりますから、まだ、これから、出番が来るかも知れません。 ネック・ウォーマーは、首に直に着けるように、上着の襟部分の内側に入れるわけですが、到着した先で、そのまま着けているか、いちいち外すかが、ちと悩むところですな。 着けたままでいる場合、店に入る時など、「出先の恥は掻き捨て」的な覚悟が要ります。

  ちなみに、バイクでも、スクーターでも、自転車でも、首が寒いからといって、マフラー(衣類)を巻くのは、厳禁です。 たなびいた端が、後輪に絡まり、首を絞められて、死にます。 別に大袈裟な物言いではなく、実例が、かなりあるはず。 割と最近ですが、カート・マシンで、そうなった例がありましたな。 マフラーの両端を服の中に押し込んであったのに、風圧で出てしまったらしいです。 気の毒に。 気を付けている人でさえ、そうなるのに、況や、気をつけていない人においてをや。

  漫画家やイラストレーターの皆さんに言いたいのですが、マフラーを巻いて、二輪車に乗っている人物の絵を、描かないで下さいな。 絵の説得力というのは、大変、大きいので、その絵を見た人が、「これは、普通の事」と思い込んでしまうのは、無理もないです。 そして、一度、そう思い込んでしまった人の考え方を変えさせるのは、大変、難しいです。 「マフラーを巻いて、二輪」は、ちっとも、普通の事じゃないです。 死にます。


  防寒ハイソックスは、重宝しています。 普通の靴下とでは、大違い。 ネック・ウォーマーと同じ理由で、まだ、ラップを巻くほど、寒くはなっていません。 冬でも、昼下がりの時間帯で、日が照っていれば、むしろ、暑さを感じるくらいでして。

  ただ、出先で、バイクを下りてから、歩く距離が長いと、ズレ落ちて来て、そのまま、バイクに乗って走り始めると、足の露出部分が多くなって、寒く感じます。 乗る前に、引き上げるようにすればいいわけですが、なかなか、習慣になってくれません。 信号待ちで停車中に引き上げる場合、右側はいいとして、左側は、クラッチ・レバーを離さなければならず、ギアをニュートラルに入れるのが面倒です。

  そういえば、信号停車中に、必ず、ニュートラルに入れて、クラッチ・レバーを離す人と、私のように、クラッチ・レバーを握ったまま、ローで待っている人と、二派に分れるようです。 大きいバイクほど、前者が多いのは、クラッチ・レバーが重いからだという話を聞いた事がありますが、そんなもんなんですかね? 私も、大型二輪の教習を受けた時に、750ccに乗っていましたが、クラッチ・レバーを重いとは感じませんでした。 握りっぱで、ローで待ってましたよ。 単なる、試さず嫌いなのでは?

  私が、握りっぱで、ローを好むのには、他に理由がありまして、信号待ちの間に、精神の緊張が緩みきってしまうのを、恐れているのです。 ボケーッとしていて、後ろの車にクラクションを鳴らされるのが、嫌。 握りっぱの、ローなら、気持ちにテンションがかかっていて、常に信号を見ていますから、ボケーッそのものが起こりません。 動作的にも、無駄がないですし。

  また、ニュートラルにしている時に、その気もないのに、足が、シフト・ペダルに当たって、ローに入ってしまう事があります。 ブレーキがかかっていれば、エンストするだけですが、そういう場面で、ドキッとしたり、焦ったりするのが嫌というのも、理由の一つです。

  話を、防寒ハイソックスに戻しますが、ズレそのものが起こらないように、何とか工夫できないか、検討中。 また、夏用に、薄手のハイソックスがないかと探しているのですが、矛盾する要求であるせいか、見つかりません。 女物ならありますが、サイズ的に、踵の位置がズレてしまうでしょう。

  なんで、夏も、ハイソックスが欲しいのかと言うと、ズボンの裾が上がって、脛やふくらはぎが見えるのが、嫌だからです。 少し長めのズボンを穿いて、下りた時には、裾を捲るという手も考えましたが、何だか、面倒臭そうですな。 一方、薄手のハイソックスなら、下りた時には、普通の靴下と見え方が変わりませんから、何もしなくて済みます。 暑いですが、我慢できないほどではないでしょう。

  足の肌が見えるのが嫌で、夏でも、ブーツを穿いているライダーが、結構いるわけですが、まあ、乗っている間はともかく、下りて歩く場面では、ブーツなんて、とてもとても・・・。 あんなの、歩く為の靴じゃありませんぜ。 ほんの数百メートル歩いただけで、マメが出来てしまいます。


  あと、写真はありませんが、グローブは、11月頃から、1993年に買った革製のを使っています。 通勤時代は、夏用で寒くなったら、すぐに、冬用のスキー・グローブにしていましたが、今は、暖かい時間帯にしか乗らないせいか、革製グローブでも、寒さを感じません。 とりあえず、我慢できなくなるまで、これで行こうと思っています。