2021/11/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (26)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、26回目です。 その月の最終週に、前月に行った所を出しています。 今回は、2021年10月分。





【長泉・猿山橋】

  2021年9月27日に、バイクで行こうとして、辿り着かなかった、「長泉・猿山橋」ですが、地図で調べ直し、10月5日に出直して、今度は、到着しました。

≪写真1左≫
  これは、長窪の幹線道を、御長屋の方まで、少し行き過ぎた所で撮った、ススキです。 まだ、穂が若くて、ススキらしい偏りが出ていません。

≪写真1右≫
  同じく、御長屋の畑で見つけた、獣避けの、虎風船。 新潟の方にあるというのを聞いていましたが、静岡にもあったんですな。 農業用品店で売っているのか、それとも、通販か。 虎を見た事がない獣が、虎を恐れるかどうかは、不明。

≪写真2≫
  御長屋集会所の少し手前の交差点を、西に曲がって、少し走ると、「猿山橋」に着きました。 前回来た時にも、御長屋集会所の前は通っているから、近くまでは来ていたんですな。

  橋の向こうに停めたバイクと比較してもらえば分かると思いますが、小さな橋です。 架かっている川は、桃澤川。

≪写真3左上≫
  名板。 苔生して、読み難いですが、「猿山橋」に、間違いありません。

≪写真3左下≫
  「昭和63年3月完成」。 昭和63年は、1988年です。 私は、東京の専門学校に通う傍ら、沼津インターのファミレスで、バイトをしていました。 そんな頃か。 その前から、何らかの橋はあったと思いますが。

≪写真3右≫
  橋の横。 金属のパイプが通っています。 材質から見て、液体ではなく、気体を通しているのでは? もしくは、カバーか。

  そのパイプの上を獣が通らないように、扇形のガードが付けられています。 橋の名前の通り、猿が出るんですかね? 「猿山橋」という名前だけ見ると、橋の上に猿が群がって、山のように盛り上がっている光景を想像してしまいますが、もちろん、そうではなく、この辺の地名が、「猿山」なんでしょう。 もしくは、近くに、「猿山」と呼ばれる山があるとか。

≪写真4≫
  橋の上から、桃澤川の上流側を見た景色。 森の中に家があります。 いい所に住んでいますねえ。 こういう家で生まれた子供は、遊び場に不自由しなくて、幸せだ。 大人になると、大雨が降るたびに、川の増水が心配とかで、そうそう、いい事ばかりではないと思いますけど。




【沢田橋 / 山神社①】

  2021年10月11日に、バイクを出し、愛鷹山麓の、東名高速道路上に架かる、「沢田橋」と、その少し南にある、「山神社」へ行って来ました。

≪写真1≫
  これが、「沢田橋」。 名前がついているのが、却って、違和感を覚えるくらい、何の変哲もない、跨道橋です。 まあ、プチ・ツーリングの目的地なんて、何だっていいのです。

≪写真2≫
  橋の上から、東名高速道路を撮影。 こちらは、東京側。 交通量、少ないですな。 高速道路だと、こんなものでしょうか。

≪写真3≫
  同じく。 こちらは、名古屋側。 ここから、西へ少し行った所に、「愛鷹パーキング・エリア」があります。

≪写真4左≫
  バイクを停めた場所の近くで咲いていた、セイタカアワダチソウ。 綺麗な黄色です。 この付近には、たくさん、ありました。

≪写真4右≫
  橋の袂に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この角度だと、妙に軽薄な印象を受けますな。 実際、小排気量ですけど。




【沢田橋 / 山神社②】

≪写真1≫
  沢田橋から、少し南に下った所に、「山神社」があります。 路肩に停めたバイクの上に、白い鳥居が、森の木に隠れているのが、分かるでしょうか。 右手の明るい方から、参道を登って行くようになっています。

≪写真2左≫
  参道には、杉・檜の並木。 その途中に、コンクリート製の鳥居。 たぶん、鉄筋が入っているんでしょうな。

≪写真2右≫
  鳥居の名板。 ここに直接、文字を書かれると、何となく、怖い感じが漂います。

≪写真3左≫
  社殿。 たぶん、鉄筋コンクリート。 骨格は、木造である可能性もありますが、木造骨格に、コンクリートの壁を合わせるのは、結構、大変だと思います。 屋根は、切り妻の瓦葺き。

≪写真3右≫
  側面。 拝殿・本殿一体式、もしくは、拝殿のみで、本殿は、山そのものという、二通りが考えられます。

≪写真4左≫
  漱盤。 給水設備はなくて、飾りのようなものです。 欠けた部分を、セメントで直してあるのは、まめまめしい。 

≪写真4右≫
  参道から、社殿前に上がる、石段。 自然石を使ってあるのは、珍しいです。 この神社、個人で祀っているのか、公けで祀っているのか、微妙ですな。 公けだったら、切石で石段を作るのでは?

≪写真5左上≫
  社殿の背後にあった、境内別社。 神名、不明。 中は、石造りの祠で、それを覆うように、金属製の、壁と屋根が設けられています。 さりげなく、凝っている。 前面の金網は、獣避けでしょうか。

≪写真5左下≫
  近くにあった、堰堤。 大きなもので、もはや、ダムと言った方が適切かも知れません。 この谷には、西川という川が流れていますが、水を溜めてはいない模様。

≪写真5右≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バッテリー交換と、灯火類の交換・補修の後は、快調に走っています。 そろそろ、オイル交換してから、一年が経ちますが、エンジン音に、渋りは感じられないので、「律儀に、一年ごとに交換しなくてもいいかなあ」などと、考えています。




【沼津図書館 / 黄瀬川大橋 / 三島図書館】

  2021年10月20日、バイクで、沼津図書館と、三島図書館へ行きました。 本は、沼津では返し、三島では借りました。 この週は、プチ・ツーリングには行かず、この図書館巡りで、代わりにしました。

≪写真1≫
  沼津図書館の、駐輪場と、建物北側の壁。 壁は、工事中でした。 たぶん、塗り替えでしょう。

  まず、沼津図書館で、借りていた本を返してから、旧国一で、三島図書館へ向かいました。 ちなみに、返したのは、≪黒死館殺人事件≫と、≪ドグラ・マグラ≫。

≪写真2≫
  黄瀬川橋から見た、修理中の黄瀬川大橋。 黄瀬川大橋は、7月の豪雨で、橋脚が一ヵ所、流されてしまいました。 その後、仮設橋を架けて、通行が再開されたのですが、バイクは通行禁止だそうで、やむなく、一本下流の、黄瀬川橋に回った次第。

  横から見ると、橋脚が一本、なくなっているのが、よく分かります。 完全復旧には、4・5年かかるとの事。

≪写真3左≫
  三島図書館。 北側から見た様子。 奥の大きな建物、「三島市民生涯学習センター」の中に入っています。 手前右側は、立体駐車場。

≪写真3右≫
  建物東側の、駐輪場に停めました。 この時は、すいていましたが、ここの駐輪場は、満杯の時もあります。 西側の駐輪場の方が、収容台数が多いです。 ヘルメットは、バイクにつけ、帽子に被り直して、中に入りました。 借りたのは、≪虚無への供物≫と、≪匣の中の失楽≫。

≪写真4≫
  建物の東側全景。 大き過ぎて、収まりきれません。

  沼津市民なのに、なぜ、三島図書館を利用できるのかというと、近隣自治体で、そういう協定があるからです。 三島には、沼津にない本が、大変、多いです。 開架は、沼津より少ないですが、書庫が充実している模様。




【青野・浅間神社①】

  2021年10月26日、バイクで、沼津市の西の方、愛鷹山麓の、青野という地区にある、「浅間神社」に行って来ました。 根方街道からだと、北へ曲がる交差点が分かり難いので、東名の北側の道に出て、西へ向かいました。

≪写真1≫
  これは、「沼津600クラブ」というゴルフ場の南縁から、南々東方向を見下ろした景色。 手前は、茶畑。 沼津市街地、沼津アルプス、伊豆半島北西部の山並み、駿河湾が見えています。

≪写真2≫
  新東名の高架道路を見上げました。 大き過ぎて、不気味。 造る時にはいいけれど、いずれ、維持・補修が大変になるでしょうな。 そん頃にゃ、私ゃ、死んでるから、いいけど。 

  この辺りも、南側の眺望は良いです。 バイクだから、路肩に停めて、写真撮影が可能ですが、車では、ちと、危ないです。 交通量は少ないですが、アップ・ダウンの激しいワインディング・ロードなので、飛ばして来る車もあるのです。 

≪写真3≫
  北側から下って行って、迷わずに、青野の浅間神社に着きました。 分かり易い道を選んで来て、正解でした。 この神社は、集落の北東隅に位置しています。

  なんと、ほぼ同じ大きさの、石の鳥居が、四基も並んでいました。 奥から古い順に、大正から、平成まで。 鳥居の名額にも、標柱にも、「浅間神社」とあるだけで、「青野~」とは、付いていません。

≪写真4左≫
  鳥居から、そこそこの距離を歩いて、社殿に至りました。 境内は広いですが、村社クラスだと思います。 社殿は、鉄筋コンクリート、瓦葺き。

≪写真4右≫
  社殿の側面。 奥は、本殿です。 随分としっかりした造りで、この写真だけ見ると、神社というより、城のように見えます。




【青野・浅間神社②】

≪写真1左≫
  拝殿の扉。 格子のガラスが、二枚外されていて、中の賽銭箱にお金を入れるようになっています。 どこも、賽銭泥棒には悩まされているようですな。

≪写真1右≫
  境内にある、「薬師堂」。 当然、薬師如来を祀っているんでしょう。 神仏習合の名残。

≪写真2左≫
  この建物は、何なんでしょう? 注連縄はあるものの、シャッターを見ると、別社ではなさそうです。 お神輿などを納めた、倉庫なのかもしれません。

≪写真2右≫
  手水場。 漱盤は、オーソドックスなもの。 前面の文字は、右から「奉納」。 蛇口がありますが、面白い事に、漱盤の中に落ちる位置には付いていません。 ノズルを斜めにして、勢いよく出せば、何とか、入るかな? 緑色のホースが付けられていますが、ホースを使った作業のし易さを優先したのかも知れません。

  左の方に、手水鉢があります。 水が溜まっていますが、ホースで入れたのか、雨水なのか。 いずれにせよ、溜まり水では、手を洗う気にもなりませんな。

≪写真3左≫
  洞(うろ)のある、神木。 大きな木でした。 他にも、巨木が多くありました。

≪写真3右≫
  隣接する、上下二段になった広場の、境の傾斜部にあった、滑り台。 神社の境内を、児童公園にするのは、駿東地区では、よくある事です。 もう、だいぶ、使われていないように見えます。 遊ぶ子供がいなくなってしまったのでしょうか。

≪写真4≫
  上段の広場。 写っていませんが、ベンチや椅子が置いてあって、ゲート・ボール場として使われていたような形跡があります。 今は、使っていない模様。 高齢者はいると思いますが、新型肺炎の影響で、集まるのを避けているのかも。 もしそうなら、大変、賢明な判断ですな。 ゲート・ボールをやりたいばかりに、感染して死んだら、大変、馬鹿馬鹿しい。

  白い円筒形の建物は、「青野配水池」。 古い集落でも、遠くから、上水を引く場合、高地では、こういう施設が必要になるわけだ。

≪写真5左≫
  東の方に見えた、「東電 愛鷹線 №47」。 普通、高圧電線の鉄塔は、灰色ですが、これは、紅白に塗られています。 なぜでしょう? 理由が分からない。

≪写真5右≫
  鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、大回りをしたせいで、市内であったにも拘らず、往復29キロくらい、走りました。 ガソリンが、どんどん減る。 高いので、週一回、30キロ近く走ると、とても、2ヵ月は、もちません。




  今回は、ここまで。

  10月から、三島図書館へ通い始めます。 自転車でも行けるんですが、遠いので、腿が痛くなってしまいますし、体力を消耗した状態で、人が多い屋内に入ると、免疫力が下がっていて、感染し易くなるのも怖い。 そこで、バイクを使い、プチ・ツーの代わりにして、一石二鳥を狙った次第。

  しかし、結局、遠い事に変わりはないですし、三島まで行かずに済めば、それに越した事はないです。 そもそも、沼津の図書館に、本がない事に問題がある。 「四大奇書」と呼ばれている作品なのに、≪匣の中の失楽≫が置いてないというのは、どういう事か。

2021/11/21

読書感想文・蔵出し (80)

  読書感想文です。 今回は、松本清張全集の短編集だけです。 前回も書いたように、作品数が多いのに応じて、感想の数も多くなるので、大変、大変、長いです。 感想だけ読んでも意味がないと考えている方々は、絶対に読まないで下さい。 作品名を検索して来た人向けです。





≪松本清張全集 38 皿倉学説 短編4≫

松本清張全集 38
文藝春秋 1974年5月20日/初版 2008年9月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編17作と、「年譜」、「著書目録」を収録。 作品数が少ないという事は、一作あたりのページ数が多いという事ですな。 【種族同盟】と、【証言の森】は、以前、文庫で読んで、感想を出していますが、同じ物を出しておきます。


【厭戦】 約12ページ
  1961年(昭和36年)7月に、「別冊日本文学」に掲載されたもの。

  秀吉の朝鮮侵略の際、敵の捕虜になり、脱走したが、自軍に戻らず、海を渡って、九州の故郷へ逃げ帰った男がいた。 作者自身が、朝鮮半島で兵役に服した経験から、その男の、故郷や家族への思いを、想像した話。

  戦国時代の男の件は、ほんのお話程度で、松本さん本人の経験談の方が、重みがあります。 いつ帰れるか、そもそも、帰れるかどうかも分からない状態で、外国に身を置いていると、故郷や家族への思いは、大変、切ないものになって行くわけですな。 私も、仕事の都合で、望まないのに、よその土地に暮らさなければならなかった事が、何回かあったので、よく分かります。


【小さな旅館】 約20ページ
  1961年(昭和36年)9月に、「週刊朝日別冊・涼風特別号」に掲載されたもの。

  婿を選び損ねて、とんだ放蕩者を家に入れてしまった舅が、水商売の女だけでは飽き足らず、素人女と不倫を働いている婿を、場末の待合宿を使って、殺してしまおうと目論む話。

  犯罪が出て来ますが、推理物というわけではないです。 強いて、近い作品を挙げるなら、ポーの、【黒猫】ですかね。 この作品では、猫ではなく、土が物を言うわけですが。 犯罪者の一人称ですが、三人称で書けば、推理物になったかもしれませんな。 松本さんは、必ずしも、自分の事を、推理作家とは思っていなかったようで、是が非でも、推理物に仕立てようという意識が薄かったのではないでしょうか。

  ちなみに、加害者と被害者の関係は、舅と放蕩婿でなくても、成り立つ話です。 というか、そうでない方が、自然で良いのでは?と思わせます。


【老春】 約24ページ
  1961年(昭和36年)11月に、「新潮」に掲載されたもの。

  雑貨屋の夫婦が、認知機能が低下した父親の世話をさせる為に、つきそい家政婦を雇ったが、老人が偏屈であるせいで、みんな、長く続かなかった。 その内、老人の性向が変わり、長続きする者が出て来たが、どうやら、老人が、それらの女達に、恋をしているらしいと分かり、老人が引き起こす騒動に、息子夫婦が振り回される話。

  老人にも、恋する心や、性欲があるという事を言いたいわけですが、私に言わせると、それは当然の事なので、改めて、小説の題材にするような事なのかと、首を捻ってしまいます。 ただ、老人の性欲について、「とっくに涸れている」と思っている人達なら、この話に、意外性を感じるかもしれません。 とはいえ、いずれの見方にせよ、醜い事に変わりはないです。 やはり、恋愛や、性交渉には、適齢期というものがあるんですな。


【鴉】 約22ページ
  1962年(昭和37年)1月7日号の、「週刊読売」に掲載されたもの。

  道路建設の土地買収で、梃子でも売らないという地主がいた。 彼は、ある会社で、万年平社員だったが、たまたま、成り行きで、労組の委員になるや、会社への復讐心から、賃上げストを強行に主張した。 ところが、労組のトップに裏切られて、左遷されてしまい・・・、という話。

  なぜ、土地を売らないのかというと、人手に渡って、掘り返されたら困るものが、埋めてあるから。 【数の風景】(1986年)にも、同じような謎が使われています。 松本さんは、よくよく、この謎が好きだった模様。

  この主人公ですが、自分を評価しない会社を恨んで、労組闘争で仇を討とうという発想が、不純ですな。 こういう人は、実際にいると思いますが、復讐なんかするより、私生活に軸足を置いて、趣味の世界を楽しめばいいのに。 エネルギーを使う方向を間違えているわけで、勿体ない話です。


【皿倉学説】 約42ページ
  1962年(昭和37年)12月に、「別冊文藝春秋82号」に掲載されたもの。

  大脳生理学の分野で確固たる地位を築いたものの、女性関係で失敗して退官し、拾ってもらった私学でくすぶっている老学者が、九州の皿倉という内科医が発表した学説に興味を抱く。 猿50匹で実験したという点が、学界で物笑いの種になっていたが、着想の良さが図抜けていて、只者とは思えなかった。 もしや、50匹の猿というのは、体重が60キロくらいあるのではないかと、疑念を抱き・・・、という話。

  ネタバレになってしまいますが、つまり、猿ではなく、人間で実験したのではないかという疑念ですな。 皿倉医師が、何らかの方法で、戦前・戦中に行なわれた、人体実験の記録を手に入れて、発表したのではないかと。

  そのモチーフだけを書いた作品で、 ストーリーというほどのストーリーになっていません。 うまく、纏められなかったんでしょうな。 森村誠一さんの【悪魔の飽食】が話題になったのは、80年代初頭ですが、その20年近く前から、こういう話は、あったわけだ。


【相模国愛甲郡中津村】 約24ページ
  1963年(昭和38年)1月に、「婦人公論増刊」に掲載されたもの。

  明治11年に起こった、「藤田組贋札事件」の真相について、作者が、古書店で出会った老人から、資料を見せてやると誘われ、神奈川県中部の山の中まで訪ねて行く。 明治初期の藩閥闘争が背後にあると説明され、その証拠の手紙を見せられて、是非にと、高い値段で買い取るが、実は・・・、という話。

  書きたかったのは、贋札事件の真相に対する作者の推理ですが、さすがに、それだけでは、小説にならないと思ったのか、オチをつけてあります。 このオチ、単純ながら、面白いのですが、実話が元と、間に受けない方がいいと思います。 世間の暗部に詳しい、海千山千の松本さんが、こういう手に引っ掛かるとは、到底、思えませんから。

  それにしても、この、コチコチに硬い本体部分を持つ作品を、婦人公論が載せたというのが、ちと、不思議ですな。 雑誌を間違えて、書いてしまったのでは? もっとも、性別問わず、この硬さでは、敬遠されると思いますけど。


【影】 約30ページ
  1963年(昭和38年)1月に、「文芸朝日」に掲載されたもの。

  純文学志望の青年作家が、食うに困って、人気時代小説作家のゴースト・ライターを引き受けた。 アイデアが枯渇していた本人が書いたものよりも好評だったが、ある時、時代考証で致命的ミスをやらかしてしまい・・・、という話。

  四半世紀も経ってから、昔の事を振り返るという、入れ子式の話ですが、入れ子部分はなくてもいいようなもので、もしかしたら、枚数が足りなくて、後から、足したのかもしれません。

  こういう話は、2時間サスペンスなどでは、よくあるので、新鮮味はないです。 もっとも、この作品では、それに絡んで、殺人が起こるような事はないです。 代作をしていた側が、他人の文体ばかり真似ている内に、自分が本当に書きたいものを見失ってしまったといのは、いかにも、ありそうな事で、頷かされます。


【たづたづし】 約26ページ
  1963年(昭和38年)5月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  平安時代の貴族のように、愛人の住む家に通っていた男。 その愛人に、凶暴な夫がいて、刑務所から帰ってくると聞き、不倫関係が露見するのが怖くなって、愛人を殺してしまう。 ところが、殺したはずの女が、記憶喪失になって、生きていると知り・・・、という話。

  これだけでは、話の半分ですが、これ以上書くと、ネタバレになってしまうので、書きません。 面白いというか、奇妙な話で、なぜ、愛人を殺そうとするのか、その発想がよく分かりません。 凶暴な夫が帰ってくるのなら、とりあえず、別の住居を用意して、女を逃がすべきなのでは? 殺してしまったら、ますます、露見が怖くなるではありませんか。 殺すくらいなら、別れなさいよ。

  というか、この話、女の家へ通う男の心理を描くのが、第一目的のようなので、こういうツッコミを入れるのは、無粋かも知れませんな。 松本作品は、学術的か、俗っぽいかのどちらかですが、私も、長い事、読み続けている内に、すっかり、俗っぽくなってしまったのです。


【晩景】 約30ページ
  1964年(昭和39年)9月に、「別冊文藝春秋89号」に掲載されたもの。

  牛乳瓶の飲み口を覆うビニールを発案した人物が、特許料を払おうとしない飲料メーカーを相手に、延々と、裁判を続ける話。

  実話が元だそうです。 読んでいても、ムカムカするばかりで、ちっとも面白くありません。 これで、メーカー側が最終的に折れて、原告側が勝ったというのなら、物語になりますが、そこまで行かないのだから、文字通り、話にならぬ。 読者の気分を悪くさせる為に書いたという事になりますが、それは、露悪趣味なのでは。

  それにしても、松本さんは、細かい事まで、よく調べますねえ。 裁判の様子が描かれるという事は、法律知識や、裁判の習慣も知っていなければならないわけですが、この長さの短編の為に、それをやるというのが、実に、松本さんらしい。

  ちなみに、牛乳瓶の飲み口を覆うビニールですが、今現在、40歳以下の世代だと、現物を見た事がないかも知れませんな。 長い目で見ると、ほんの、20年か30年くらい、使われただけのものだと思います。 牛乳瓶自体が見かけなくなってしまったものね。


【ベイルート情報】 約42ページ
  1965年(昭和40年)6月に、「別冊文藝春秋92号」に掲載されたもの。

  ヨーロッパで会議に参加した後、中東に寄った日本人が、虫歯に苦しめられ、現地で治療を受けながら、カイロからダマスカスへ向かった。 カイロから同行した商社マンが、行方不明になり、その後、逮捕された事が分かる。 自分まで逮捕されるのではと、慌てて、帰国しようとするが・・・、という話。

  松本作品ではよくある、旅行の記録を元に、小説に仕立てたもの。 イスラエルのスパイが、シリアで逮捕されるという事件が起こりますが、視点人物は、間接的に関わっただけなので、他人事という感じが強くて、どうにも、緊迫感が伝わりません。 エジプトで頼まれた手紙を、シリアで投函する前に、何か不穏な事が起これば、ゾクゾク感が発生したと思うのですが。

  少々、ネタバレになりますが・・・、現地で、歯医者にかかったというのが、話の味付けになっているのですが、わざと、メインの謎から外してあって、不発で終わります。 クリスティー作品のパクリになってしまうから、そうしたのでしょう。 その事は、あとがきに書かれています。


【統監】 約38ページ
  1966年(昭和41年)3月に、「別冊文藝春秋95号」に掲載されたもの。

  伊藤博文が、統監として、朝鮮に出張っていた時の様子を、同行した愛人の視点から語った話。

  歴史資料そのもの、という内容では、読者がついて来れないと思って、芸者に語らせる事にしたのでしょうが、若過ぎるせいか、知性が感じられず、逆に、読み難くなっています。 彼女の語りとは別に、(註)で説明される歴史経緯の部分ですが、漢字カタカナ混じり分である事もあり、硬くて、とても、読めたもんじゃありません。

  で、伊藤博文ですが、こんな風に、外国に対して、脅迫みたいな事をやっていれば、暗殺されるのも、不思議はないという感じはしますねえ。 もっとも、この作品では、暗殺されるところまで、書かれていませんけど。 伊藤に限りませんが、明治の元勲などと呼ばれる面々は、およそ、尊敬に値する者がいません。 人格的には、ゴロツキに近いです。

  伊藤の女癖の悪さが、異常なレベルだったというのは、この作品内でも描かれています。 「英雄、色を好む」と言いますが、伊藤が英雄とは、とても、思えません。 私の世代だと、千円札の肖像が、伊藤博文だった時代を覚えているのですが、こういう人物を、国を挙げて、偉人扱いしていたのは、奇々怪々ですな。 まあ、それを言い出せば、一万円札の福澤なども、大差ないですけど。


【月光】 約30ページ
  1966年(昭和41年)6月に、「別冊文藝春秋96号」に掲載されたもの。

  九州の俳句雑誌に関わっていた、大変な美女であった女性俳人と、彼女に言い寄っていた、女癖の悪い男性俳人について、その半生を書いたもの。

  梗概になっていないのは、単なる伝記であって、一定の筋を持つ物語ではないからです。 私は、常日頃、俳人を、著名人の内に入れておらず、興味もないので、こういう作品も、退屈なだけです。 俳人が、どんなに美女だろうが、どんなに才能があろうが、知る人ぞ知る世界の、狭~い井戸の中の話でして、外部の人間には、全く関係ありません。

  登場人物の名前は変えてあるから、純粋な伝記ではないわけですが、伝記を元にして、創作を加えた場合、一体、それは、伝記なのか、小説なのか、分からなくなってしまいますな。 あとがきにも、例が出ていますが、その人物の名誉を損なうような事が書いてあった場合、作者が創作と言い張っても、遺族が文句を言ってきたら、悶着は避けられないと思います。


【粗い網版】 約30ページ
  1966年(昭和41年)12月に、「別冊文藝春秋98号」に掲載されたもの。

  戦前、軍内部にまで信者がいる、有力な宗教団体を検挙する為に、特高警察の担当者が、宗教団体が発行している文書を調べて、治安維持法違反に当たる文言を捜しだす話。

  実話が元だそうです。 最初に検挙ありきで、こじつけでもいいから、違法に仕立てられる文言を捜し、それでも足りなければ、スパイを送り込んで、捏造させるというのだから、警察がやろうと思えば、何でもできるという、実例ですな。

  しかし、物語としては、体をなしていないレベルでして、これを面白いと感じるのは、よほど、戦前史に興味がある人だけでしょう。 松本さんは、歴史を調べていて、個人の趣味的に、ちょっと面白いと感じると、それを短編にしてしまったようですが、いくら何でも、ストーリーになっていないのは、如何なものか。


【種族同盟】 約34ページ
  1967年(昭和42年)3月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  旅行客の女を、暴行殺害した容疑で、旅館の番頭兼雑用係をしている男が逮捕される。 その国選弁護を引き受けた弁護士が、過去にイギリスで起こった判例を参考に、男の無実を主張して、裁判に勝ち、その後、男を自分の事務所に雑用係として雇ってやるが、男の態度が、だんだん図々しくなって来て・・・、という話。

  ネタバレさせてしまいますと、被告が真犯人なのに、たまたま、そっくりな事件の判例があったせいで、それに倣って、無罪にしてしまい、後で真相が分かって、とんでもない事になるという流れです。 皮肉な結末は、松本清張作品の特長ですな。 面白いのですが、その後どうなったのかを書いていないのが、少し物足りないです。


【月】 約20ページ
  1967年(昭和42年)6月に、「別冊文藝春秋100号」に掲載されたもの。

  戦前、有能な女子学生を助手にして、歴史地理学の研究をしていた学者。 助手との年齢差は、40歳も離れていたが、妻の嫉妬が激しくなって、助手は、故郷の九州に帰る事になる。 戦中に、妻が死に、空襲で資料を焼かれるのを恐れた学者は、助手の誘いで、彼女の家に疎開し、そこで、戦後まで、仕事を続けていた。 かつて、研究の出版を申し出ていた出版社から、再び、その話が来て、若い男の編集者が訪ねて来るようになるが・・・、という話。

  「世界中で、この人だけは、自分を理解してくれている」と思っていた人が、いなくなってしまって、絶望するというのは、大変、よく分かります。 そりゃあ、無理もないですよ。 40歳も年齢差があるんじゃねえ。 若い男が現れたら、そっちに靡いてしまいますって。 この学者も、疎開する際に、元の家を処分したりせずに、戻る場所を残しておけば、まだ、先があったろうにねえ。


【証言の森】 約34ページ
  1967年(昭和42年)8月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  昭和10年代後半、妻殺しの容疑で逮捕された男が、容疑を否認したり、認めたり、何度も証言を修正した挙句、結局、起訴されて、有罪判決を受け、刑務所送りになる。 その後で、自分が真犯人だと出頭してきた男がいたが、警察に取り合ってもらえないまま・・・、という話。

  これは、面白い。 全体の9割くらいは、冤罪物の趣きで、夫の境遇に同情し、警察や司法関係者のいい加減さに、義憤を感じているのですが、終わりの1割で、作者の意図が分かると、一転、冤罪だろうが、そうでなかろうが、全くどうでもよくなってしまいます。 これは、鮮やかだわ。 価値観が、180度引っ繰り返るのだから、こんな小説は、なかなか、ありません。


【虚線の下絵】 約32ページ
  1968年(昭和43年)6月に、「別冊文藝春秋100号」に掲載されたもの。

  芸術画家としては認められず、金持ちの肖像画を描いて、生活を成り立たせていた男。 注文取りを担当している妻が、画商よりも腕がいい事や、芸術画家として売れている友人夫妻の態度から、妻が、体を使って、客に取り入っているのではないかと疑念を抱く話。

  面白くない、というよりは、不愉快な感じがする話。 書きようによっては、純文学になりそうなテーマですが、尾鰭が多過ぎるせいで、そう取ってもらえないのではないかと思います。 別に、松本さんは、純とか、一般とか、区別していなかったようなので、それが、瑕というわけではありませんが。

  友人が、芸術画家として認められているとか、主人公の妻が二人目とか、栓抜きを使わずに、ビール瓶の栓を抜いて、怪我をしたとか、ストーリーに関係ない設定や肉付けが多くて、単に、枚数を合わせる為に、水増ししただけなのではないかと、疑ってしまいます。 松本さんほどの知識や経験があれば、この種の水増しは、お手の物だと思いますが、短編でそれをやると、読者に見抜かれ易いです。


  「年譜」、「著書目録」を見ると、私がまだ読んでいない作品が、うじゃうじゃあって、驚かされます。 しかも、この巻が発行された、1974年までの記録なのですから、松本さんが全生涯に書いた作品は、もっと多いわけですな。 この全集は、すでに、8割くらい読んでいるので、つまり、収録されていない作品が、たくさん、あるという事なのでしょう。 なんだか、がっかりしてしまうなあ。




≪松本清張全集 56 東経139度線 短編5≫

松本清張全集 56
文藝春秋 1984年1月25日/初版 2003年5月20日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編18作と、「年譜」、「著書目録」、「翻訳出版目録」を収録。 【山】は、以前、文庫で読んで、感想を出していますが、同じ物を、出しておきます。


【山】 約36ページ
  1968年(昭和43年)7月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  温泉宿に逗留していた元新聞記者の男が、近くの山奥で、女の死体を発見し、その関係者と思われる人物を目撃する。 その後、旅館の仲居と連れ立って東京に出た男が、たまたま、山の中で見た死体の関係者の正体を知り、恐喝して出資させた金で、雑誌を立ち上げ、その編集長に納まる。 さらに金を引き出すつもりで、雑誌の表紙に、その山の絵を出したところ、死体の女の姉が、たまたま、その絵を目にして・・・、という話。

  松本清張さんの短編で、最も有名な作品に、【顔】(1956年8月発表)というのがありますが、思いもしないところから、過去の犯罪が露見するというアイデアは、ほぼ、同じです。 アレンジすれば、同じアイデアで、いくらでも、同種の短編を作れると思いますが、松本清張さん以外の人間がそれをやると、「これは、【顔】のアイデア盗用だね」の一言で、片付けられてしまうでしょう。

  この作品について言うなら、アレンジの設定が複雑過ぎて、逆に、不自然になっているところが目立ちます。 綻びの発端は、意外であればあるほど効果的とはいえ、その為だけに出した登場人物が三人(雑誌の記事の執筆者/若い編集者/画家)もいて、キャラの中途半端な描き込みが、鬱陶しく感じられます。


【新開地の事件】 約34ページ
  1969年(昭和44年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  東京郊外の新開地に、地方から出て来て、洋菓子店に弟子入りした青年を下宿させた農家があった。 青年の実直さが気に入って、娘の婿にし、店を持たせて、独立させてやった。 その後、農家の父親が死に、娘夫婦は家と田畑を処分して、そのお金で、店を大きくしようと考えるが、母親が頑強に反対し、次第に、姑と婿の仲が険悪になって行く話。

  推理物ですが、推理しながら読むのは、かなり難しいです。 ただし、松本作品を多く読んでいて、その上、勘のいい人なら、事件の背景を見抜けるかもしれません。 私は、分かりませんでした。 解明されてから、「なるほど、そっち系の話だったのか」と、納得した次第。

  舞台がどういう土地柄で、どういうタイプの人達が住んでいて、更に、主な登場人物が、どういう事情で家族になったか、細かい設定の説明に、半分くらい取られています。 これは、ちょっと、というか、かなり、アンバランス。 注文の枚数に合わせて、書き足したんですかねえ。 土地柄まで、細かい設定をしなくても、充分に小説として成り立つと思います。


【指】 約22ページ
  1969年(昭和44年)2月に、「小説現代」に掲載されたもの。

  水商売でお金を貯め、いずれ、洋裁店を開きたいと思っている若い女。 同業のママと知り合いになり、彼女のマンションに同棲して、同性愛関係になったが、その後、円満に別れた。 ママには男のパトロンがいたが、二人とも、相次いで死んでしまった。 若い女は、ある男と結婚する事になったが、その男の父親が、ママのパトロンであった上に、男が、同じマンションに住みたいと言い出す。 そこには、若い女とママの過去を知る管理人が、まだ住んでいた・・・、という話。

  ネタバレさせてしまいますと、そういう事情で、管理人を殺してしまえという展開になるのですが、管理人だけでなく、管理人がママから譲られた、チワワも殺してしまいます。 更に、なりゆきで、そのチワワの子供まで、殺します。 裁縫用のメジャーで、絞め殺すのだから、読んでいるだけで、ゾーーッとします。

  いやあ、松本さんも、やはり、戦前に育った人ですねえ。 「犬は、家畜」という意識が抜けないんですな。 戦後育ちの作家だと、そもそも、犬を殺す話は書きません。 また、戦後育ちの作家志望者が、犬を殺す話を書いて、編集部に持ち込んでも、即、没になるでしょう。 現代的センスがないという理由で。

  犬の件を別にしても、たまたま出会った男の父親が、ママのパトロンだったというのは、偶然が過ぎます。 それについて、作中に、作者による言い訳が書いてありますが、やはり、おかしいと思います。 ちょっと工夫すれば、自然な流れにできたと思うのですがね。


【証明】 約24ページ
  1969年(昭和44年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  脱サラして、小説家になろうとしているが、なかなか、プロになれない夫を、別ジャンルの雑誌で編集者をしている妻が支えていた。 次第に、夫の精神状態が不安定になり、妻が外でどんな行動をしているかを探り始め・・・、という話。

  しょーもない夫ですな。 まず、小説家として食べて行ける目星がついてから、会社をやめれば良かったのに。 同人誌作家としては、ハイ・レベルだけど、商業誌には相手にされないという中途半端な実力の人達は、さまざまな芸術分野で、掃いて捨てるほど、いると思いますが、収入を得る道を断ってしまったのでは、生きて行けますまい。 別に、文芸雑誌は、意欲を買って、お金を出してくれるわけではないのですから。

  作品としては、アンバランスです。 前半の、夫の苦労の方に、枚数を割き過ぎていて、「なかなか認められない作家志望者」論とでも言うべき、趣きになっています。 ラスト間際で、犯罪が出て来ますが、不倫していた妻の、相手の男に対する嫉妬が動機でして、木に竹という感じ。 松本さんのように、一旦、名前が売れてしまえば、こういう、小説として欠陥のある作品でも、一流誌に掲載してもらえるという意味で、大変な皮肉になっています。


【火神被殺】 約42ページ
  1970年(昭和45年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  医大で教師をしている人物が、元警察官の甥から、奇妙な話を聞く。 出雲の旅館に泊まった二人連れが、宿帳に書いた名前を、しばらくしてから、書き直しに来たという。 偽名を本名に直したのではと思われたが、最初の名前も、書き直した名前も、実在する人物のものだった。 盗癖があるせいで、刑務所と外を出入りしているが、古代史について、独特の史眼をもっている男の謎を巡り、教師と甥が、調査を進める話。

  こんな梗概では、何も伝わりませんな。 短編とは思えない複雑さです。 記紀神話と、ヒッタイト神話、コーランなどに、共通点があるという古代史関係の記述と、失踪・殺人事件の推理の、両輪で話が進みます。 古代史に興味がある人も、推理ファンも、どちらも楽しめる、内容の濃さです。 ただし、古代史の方は、悪ければ、創作、良くても、自説レベルの話なので、無批判に真に受けない方がいいです。

  教師の知り合いが、たまたま、犯行に関わっていた点は、いささか、偶然が過ぎますが、面白い部分の方が勝っているので、あまり、気になりません。 ケチをつけるより、楽しんだ方が、有益な作品。


【奇妙な被告】 約28ページ
  1970年(昭和45年)10月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  金貸しの老人を殺した罪で逮捕された男。 警察で自白の強要を受けたといって、裁判では、無実を主張していた。 国選弁護についた弁護士が、警察捜査の杜撰な点を突いて、無罪を勝ち取るが、実は・・・、という話。

  ネタバレになってしまいますが、アイデアとしては、【種族同盟】(1967年)と同じで、弁護士のお陰で無罪にしてもらうわけですが、実は、巧妙に、弁護士や判事を騙していたというもの。 ただ、こちらの方が、裁判が終わった後、縁が切れてしまう分、すっきりしています。 【種族同盟】を読んでいなければ、もっと、面白いと思ったかも知れません。


【巨人の磯】 約28ページ
  1970年(昭和45年)10月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  大洗海岸に流れ着いた遺体は、長期間、水の中にあったせいで、肥大化していた。 指紋から、身元が割れ、台湾・沖縄旅行に行っていた土建会社の社長と分かる。 警察で、遺体の漂流経路の推定や、関係者の捜査を進めるが、死亡推定日時が、なかなか、噛み合わない。 最初に遺体を発見した高名な法医学者に助言を求める話。

  常陸の国風土記に出てくる、巨人の話を絡めて、少し、文化の香りをつけていますが、メインは、推理物です。 これは、長編にもできるアイデアだと思うのですが、なぜ、こんなに短い作品に使ってしまったのか、不思議。 どの推理作家でも書きそうな普通の長編になってしまうのを嫌ったんでしょうか。

  なかなか、怖いトリックが使われます。 エアコンで、死亡推定時刻をずらすというのは、よくありますが、こういうのは、初めて読みました。 今の風呂だと、お湯を入れるだけだから、無理ですが、昔の風呂は、追い炊きができたんですな。 いや、これ以上書きませんがね。


【水の肌】 約20ページ
  1971年(昭和46年)1月に、「小説現代」に掲載されたもの。

  大学院を出て、光学機器メーカーに勤めた男。 コンピューターに詳しく、優れていたが、他者を見下す癖があった。 その後、自動車メーカーに転職して、結婚したが、程なく、そこもやめてしまい、アメリカに留学する。 最先端のコンピューター技術に接して、自分がもう時代遅れだと悟り、金持ちの女と同棲して、時代遅れの知識でも、やっていける仕事にありつくが・・・、という話。

  一応、終盤だけが推理物になっていますが、そこは、木に竹でして、この作品の眼目は、時代の最先端にいたつもりの人物が、時代に追い越されて、転落して行く様を描く事です。 プライドが高いので、人の下につく事ができず、先の見込みが悪くなると、すぐに転職してしまうのです。 そういう人、実際にいますねえ。 同期に抜かれただけで、腹を立てて、退職したけれど、歳を取ってから、有利な転職など、できるはずがなく、どんどん、惨めな境遇に落ちて行く人とか。

  英語が得意で、「アメリカでは・・・」が口癖だったのに、いざ、現地に行ったら、自分の英語が、ほとんど通じなかった、というのも、実際に、うじゃうじゃと例がありそうですな。 日本国内で、専ら目学問で習った英語なんて、通じるもんですか。

  言葉ができないせいで、留学の試験にすら通らず、格好がつかなくなって、留学資金を出してくれた最初の妻と離婚するというのは、気持ちが分からないでもないですが、愚かですなあ。 そこで、自分の間違いに気づいて、心を入れ替えれば、まだ、立ち直れたのに。 でも、それまでの自分の人格を変えなければならないとなると、やはり、無理かな。


【二冊の同じ本】 約24ページ
  1971年(昭和46年)1月に、「小説朝日カラー別冊」に掲載されたもの。

  故人から貰った、書き込みのある本。 同じ本が、古書店の競売に出たのを手に入れたところ、そちらにも、同一人物のものと思われる書き込みがあった。 二冊の書き込み場所は、互い違いになっており、別々の場所で過ごしている時に、それぞれの本に書き入れられたようである。 競売に出た本の出所を探ったところ、ある殺人事件に行き当たり、服役した犯人と、本の持ち主の関係が、明らかになる話。

  本の内容についても書かれていますが、ごく僅かで、「ちょっと文化の香り」程度に収まっています。 書き込み場所の違いから、自宅とは別の場所で、ある程度、長い時間を過ごす生活をしていたのではないかと推測するところが、ゾクゾクします。 よく、こういうのを思いつきますねえ。 この着想の面白さは、ホームズ物に出て来てもおかしくない、気の利きようです。

  殺人事件の方は、松本さんの作品では、よくあるタイプのもの。 かなり、捻ってありますが、偶然に頼ってはいないし、不自然さを感じるようなところはないです。 最後に、もう一捻りしてあって、そこまで来ると、「捻り過ぎでは?」と、思いますが、松本さんは、捻る事ができると思うと、捻らずにはいられない性質だったんでしょうねえ。


【葡萄唐草模様の刺繍】 約28ページ
  1971年(昭和46年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。 原題は、【葡萄草模様の刺繍】。

  夫婦旅行で寄った、ベルギーのブリュッセルで、唐草模様のテーブル・クロスが気に入って、妻が、自宅用と妹夫婦用に二枚を買った。 一度、ホテルに戻った後、夫一人が、また店に行き、愛人用に、同じ物を、もう一枚買った。 帰国後、愛人に贈って、喜ばれたが、 間もなく、その愛人が殺されてしまい、その直前に、愛用していたテーブル・クロスがなくなっていた事が分かる。 夫婦のもとに、捜査の手が伸びて、冷や汗を掻く話。

  面白いです。 何が面白いといって、この視点人物の男が、別に、犯罪に関わっているわけではない事が、早い段階で、読者に知らされているのが面白い。 妻が怪しいのですが、これまた、視点人物は、「妻は、夫の愛人を殺すほど、激し易い性格ではない」と断言していて、やはり、犯人ではないと読者は知らされます。 つまり、この夫婦は、どちらも、殺人事件には関わっていないんですな。 それでも、ちゃんと、推理小説になっているのだから、そこが、面白いです。

  だけど、夫婦で外国旅行に行って、妻に隠れて、愛人への土産をせっせと買っている男なんて、惨めですなあ。 夫婦関係の構築に、完璧に失敗したんですなあ。 こういう男は、離婚して、愛人と結婚しても、すぐにまた、不倫に走って、一生、同居人には恵まれないでしょう。 浮気が男の甲斐性だと思っているのだから、救いようがない。


【留守宅の事件】 約30ページ
  1971年(昭和46年)5月に、「小説現代」に掲載されたもの。

  東京に住む、自動車販売業の男。 東北に出張して帰ってくると、妻がおらず、しばらく経ってから、物置で死体を発見する。 東北に住む、男の友人が、留守宅に来ていた事が分かり、彼に嫌疑がかかるが・・・、という話。

  この梗概だけでは、半分です。 鉄道と車を使ったアリバイ・トリック物でして、後半は、それに費やされます。 このトリックは、2時間サスペンスや、刑事物ドラマで使い古されているので、謎が解けると、がっかりする人が多いと思います。 単に、アリバイ作りの為の死体移動というのなら、横溝さんの戦後間もない頃の短編でも出て来ます。 おそらく、欧米では、もっと古い例もあるはず。


【神の里事件】 約30ページ
  1971年(昭和46年)8月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  神道系の新興宗教の本拠地がある村で、宝物の銅鏡を見たいと押しかけて来た記者と、その教団の幹部が殺される。 記者の知人が訪ねて来て、路線バスの車掌と、巫女を兼務している教祖の姪と接したり、宝物殿を見たりして、謎を解く話。

  「路線バスの車掌」というのは、今では分からなくなっていると思いますが、運転手のワンマン運行になるまでは、専ら女性の車掌が同乗していて、車内を歩き、客に切符を売っていたのです。 私が子供の頃ですから、ほぼ、半世紀前の事。 この作品でも、すでに、ワンマン・バスが登場しています。 路線バスの車掌は、観光バスのガイドとは、全く違いますが、この作品に出てくる車掌は、ガイドもします。  

  神話など、神道系の知識に興味がある人なら、面白いかも知れません。 あくまで、小説なので、鵜呑みは進めませんが。 事件の方は、読者が推理を利かせられるような種類のものではないです。 視点人物が、地道に捜査を進める様子が描かれるわけでもなく、名探偵的に、インスピレーションで、謎を解いてしまいます。 松本作品では珍しい探偵役。


【内なる線形】 約40ページ
  1971年(昭和46年)9月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  初老の画家と、若い後妻の夫婦が、玄界灘に臨む別荘地で静養していた。 ノイローゼ気味だった夫が、行方不明になり、夫婦の所に出入りしていたヒッピーの若い画家が、奇妙な姿勢をして殺される。 後妻の容疑が濃くなるが、どうやって殺したかが、謎となる話。

  松本作品には珍しい、ハウ・ダニットの本格トリックものです。 惜しむらく、科学的な方向に傾き過ぎて、全然、面白くありません。 松本さんは、科学や技術となると、不得手だったんですなあ。 理解力はあるが、それを、読者に伝えて、面白いと感じさせる力がなかったのでしょう。

  面白い作品ではないので、ネタバレを気にせず書きますと、特殊なガスを作るまではいいとして、それを吸わせるとなると、ガスを作る以上に難しいんじゃないですかね。 浮き輪に入れて? 冗談でしょう。 どんどん、リアリティーが損なわれて行く。


【冷遇の資格】 約28ページ
  1972年(昭和47年)2月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  地味な妻に先立たれた後、すぐに、若くて派手な後妻をもらった初老の男。 勤め先の肩書きを失ってから、妻の態度が変わり、金目当ての結婚だった事がはっきりする。 更に、男がいて、密会場所を確保しているらしい事が分かり・・・、という話。

  その後、ある人物が殺され、死体をどう始末するか、という展開になるわけですが、そちらは、別の話のように、雰囲気が変わります。 前半だけ読むと、「若くて派手な後妻なんか、もらうものではない」という教訓話のよう。 後半は、本格トリックの推理物になるのですが、妻を陥れる事ばかり考えていて、犯罪の隠蔽の方に、配慮が足らず、「こりゃ、そりゃ、バレるだろうよ」と思ってしまいます。

  こういう犯罪者もいる、と言ってしまえば、それまでですが、推理小説の視点人物としては、いかがなものかと思います。 前半だけなら、同じ事をしようとしている高齢男性が読めば、為になると思います。 歳の離れた後妻なんて、駄目だって。 強欲な女に身代潰されるくらいなら、家政婦でも雇った方が、遥かに有意義です。 愛が欲しいなら、犬でも飼った方が、遥かに有意義です。


【恩誼の紐】 約20ページ
  1972年(昭和47年)3月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  子供の頃、ある犯罪をやってしまった男。 父母が先に他界し、最後の家族になった祖母から、いまわの際に、「あの世から見守っているから、悪い事はするな」と言い遺され、祖母が男の犯罪に気づいていた事を知る。 しかし、その後、結婚した女と別れたくなり、祖母の戒めを破ってしまう話。

  前半は、純文学。 それを、後半で、犯罪物にした事で、ぶち壊しています。 作品の完成度を下げているのは、男が妻と縁を切ろうとする、動機が弱い事ですな。 ろくでなしだった父に、懸命に尽くしていた母と同じ健気さを、妻に感じていたというのですが、別に、不平を言うような問題点ではありますまい。


【理外の理】 約14ページ
  1972年(昭和47年)9月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  販売部数の低迷で、誌面の刷新を図る事になった雑誌。 新編集長の方針で、執筆者を総入れ替えする事に決まる。 切られた作家の一人が、最後の作品として持って来た、江戸説話の翻案に、首縊りを要求する鬼の話があり、編集部で話題になる。 現実に、そんな事が起こるのか、試してみる事になるが・・・という話。

  首縊りを要求する鬼というのは、そいつに言われると、誰でも首を縊らなければならなくなるという、一種の妖怪ですな。 ただし、説話の翻案として出て来るだけで、オカルトでは、全くないです。 強いて分類すれば、犯罪が出てくる一般小説。

  試しに出かけて行くのが、作家をクビにした新編集長となれば、もう、その先の展開は決まっています。 読者が想像した通りに進むので、すっきり、腑に落ちますが、捻りがないから、松本さんらしくないとも言えます。 私は、こういう素直な話は、好きなんですがね。


【駆ける男】 約32ページ
  1973年(昭和48年)1月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  瀬戸内の、あるホテルに投宿した、初老の夫と、若い後妻。 夫が、昔の女と出くわした直後、料亭から、ホテルまでの坂道を全力で駆け上がり、心臓発作を起こす。 夫妻が部屋を留守にしている間に、盗みに入った男が逮捕されるが、その時拾ったという球根が特殊なもので・・・、という話。

  「いい歳をした人物が、突然、走り出す」という現象を核にして、肉付けして行った話。 泥棒の方から、話が始まりますが、これは、一種の入れ子式ストーリーですな。 泥棒は、中心人物ではないので、夫妻の方に話が移ったら、頭から追い払ってしまった方がいいです。 凝った形式の短編は、読者を混乱させる事もあります。

  こういう球根があるという知識を得られるのが、この作品の、最大の得点でしょうか。 もっとも、さっさと忘れてしまった方が、犯罪をする気ならずに済みますから、無難ですけど。 


【東経139度線】 約35ページ
  1973年(昭和48年)2月に、「小説新潮」に掲載されたもの。 原題は、【東経一三九度線】。

  北陸から、関東にかけて、東経139度線の近くに、鹿卜をする神社が並んでいる事に気づいたある官僚が、元宮家の人物をそれらの神社に案内する計画を、大学時代の友人で、政治家になっている男に話す。 自分の政治活動に得になると判断した政治家は、大学時代の恩師や、同期の学者達と共に、下見に赴くが、夜中に車で出かけて、交通事故に遭い・・・、という話。

  鹿卜というのは、鹿の骨を焼いて、割れ方で占うという、アレです。 東経139度線云々と、下見先で起こる事件は、直接的な関係がないだけでなく、間接的にも、関係がないです。 まず、東経139度線の方を思いつき、推理小説にする為に、事件を考えて、くっつけたわけですな。 水と油というほどではないですが、木に竹である事は確かです。

  松本さんのストーリー作りに、幾つかパターンがある中で、この作品は、安直な面が出てしまった典型ですな。 東経139度線の着眼は面白いですが、単なる、事件のお膳立てに使ってしまったのでは、勿体ない。 このネタで、SF作家が、歴史こじつけの話を書けば、ずっと、面白くなったと思います。




≪松本清張全集 66 老公 短編6≫

松本清張全集 66
文藝春秋 1996年3月30日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編20作と、「年譜」、「著書目録」、「翻訳出版目録」を収録。 【老公】から、【夜が怕い】までの、7作は、短編集、≪草の径≫に収められていたもの。


【老公】 約38ページ
  1990年(平成2年)12月、1991年1月に、「文藝春秋」に分載されたもの。

  興津にあった西園寺公望の別荘で、運転手を勤めていた人物が、クビになった。 運転手の息子から、その話を聞いた人物が、西園寺公望関係の資料を渉猟して、クビになった一件の背景を探る話。

  実話かどうか、不明。 ほとんど、資料の引き写しで、これが短編小説とは、とても、思えません。 一応、クビ事件の背景は、明らかになりますが、「だから、どうした?」という感じ。 資料の硬い文面を、苦労して読みこなしてまで、知りたいと思うような事ではないです。

  松本さんが、この事件に興味があったのは、間違いないですが、読者で、こういう、歴史の断片的な出来事に興味を持つ人は、問題にならないほど、少ないと思います。 1990年では、尚の事。 西園寺公望の名前を聞いた事がある人すら、5パーセントを割っていたのではないでしょうか。 そんな人物の、運転手がクビになった事に、どうすれば、興味をもてると言うのでしょう?


【モーツァルトの伯楽】 約37ページ
  1990年(平成2年)7月、8月に、「文藝春秋」に分載されたもの。

  著述業の日本人男性が、ウィーンへ赴き、現地で頼んだ、日本人女性通訳を連れて、モーツァルトと、≪魔笛≫の興行師、シカネーダーゆかりの地を訪ね、取材する話。

  恐らく、1984年のアメリカ映画、≪アマデウス≫を見て、詳しく調べたんじゃないでしょうか。 ただし、この作品の内容は、映画とは、焦点が違っていて、大雑把に言うと、映画よりも、広く浅いです。 さしもの大ヒット作、≪アマデウス≫も、37年も経ってしまうと、現在、50歳以下の人達は、見た事がない人の方が、多数派でしょうな。

  ≪アマデウス≫を見ている人なら、この作品を、興味をもって読めると思います。 ストーリーは、ないも同然。 取材と書きましたが、著述業の男が、すでに知っている事を、ベラベラと喋りながら、録音して回るだけで、ラストに出てくる、通訳の反撃を除けば、小説らしい雰囲気は、全くありません。


【死者の網膜犯人像】 約13ページ
  1990年(平成2年)5月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 原題は、【死者の眼の犯人像】

  殺人事件の被害者の網膜から、最後に見た映像が再現できるようになる。 高齢の夫が首を絞められて殺され、若い後妻が通報したところ、駆けつけた警察が、網膜の固定処理をする為に、眼球に注射をした。 なぜ、そんな事をするのかと質問した妻に、説明したら・・・、という話。

  あとがきがなく、解説にも触れられていないので、分からないのですが、こういう技術は、あるにしても、使われてはいないと思います。 もしかすると、完全に、松本さんの創作なのかも知れません。 晩年の松本さんは、【赤い氷河期】で、架空の未来を小説の舞台にしたように、悪く言えば、節度が緩んだ、良く言えば、自由な発想で、作品を構想していたようです。

  事件自体は、高齢夫と、若い後妻の夫婦では、小説でも、現実でも、割と良く聞く話。 だーから、鰥夫になっても、後妻など、もらうなというのに。 家事が苦手なら、家政婦を頼んだ方が、遥かに安いです。 家政婦を、後妻代わりにしていたのでは、結果は、同じですけど。


【ネッカー川の影】 約27ページ
  1990年(平成2年)4月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  西ドイツを旅行で訪ね、数日滞在した女性。 現地へ留学し、数年に渡って、原人の研究をしている日本人男性と知り合いになる。 その研究者には、京都に妻がいて、研究者の両親と暮らしているという話だったが、女性が帰国して一年ほどした頃、写真で見た研究者の妻が、身重の体で、東京に住んでいるのを見かける話。

  どうも、松本さんが良く書く、旅行記流用小説っほいですな。 その旅行先に興味がないと、ちっとも面白くありません。 だーから、旅行記を小説に仕立てるのは、無理があるんですよ。 むしろ、純然たる旅行記として出版した方が、ファンにとっても良かったのでは?

  原人の説明は、どこまで、科学的な裏づけがあるのか、不明。 松本さんは、様々な分野に興味を持っていた人ですが、こと、科学に関しては、得意ではなかったようなので、松本作品に出てきた科学知識・情報は、裏をとってから、頭に入れた方がいいと思います。 もし、松本さんが科学も得意だったら、必ず、SF作品を残していたと思います。

  ドイツの詩人、ヘルダーリン(1770~1843年)に関する部分は、面白いです。 おそらく、これが、この作品の根幹部分で、原人骨の発掘は、単なる肉付けなのでしょう。

  ラストの展開は、オマケのようなもの。 「研究者である夫が、外国にいる間に、妻が、他の男と浮気して、妊娠し、嫁ぎ先の家を出てしまった」といった背景が想像されますが、確かめようもありません。 ヘルダーリンのエピソードに擬えるには、ちと、状況が違い過ぎるのでは?


【「隠り人」日記抄】 約27ページ
  1990年(平成2年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。  「隠り人」の読み方は、「こもりびと」。

  戦前、ある政党に潜入して、手入れを手引きした警察官が、任務終了後、纏まった金を受け取って、消えた。 戦後、北海道のある町で、棟割長屋に住んでいたが、裏切り者として、政党から追われるのを警戒し、戸籍を隠して、変名で通していた為に、働く事もできない。 先妻の娘や、20歳も若い後妻のヒモとして暮らしていたが、次第に、ジリ貧になっていく話。

  このモチーフは、【点】(1958年)と、同じ物です。 同じモチーフを、視点人物を本人に変え、場所を北海道に変えて、書き直したわけだ。  香港映画、≪インファナル・アフェア≫も、同様のモチーフを使っていますが、そちらと違い、この作品は、絶望的なだけで、名作には、ほど遠いです。

  こういう任務を引き受ける場合、あとあと、追われる身になるのは、避けられない事のようです。 警察でも、こういう、汚い仕事をさせた人物を、任務が終わったからといって、普通の勤務に戻すわけには行かない模様。 貰った報酬など、とっくになくなってしまったのに、勤めると、バレるから、働けないというのは、あまりにも、しょーもない。

  晩年の松本さんが、我が身に迫る死の影に怯えていたのではないかと見る事もできます。 あれだけ、成功した人でも、やはり、衰えて行く過程では、不安になったのでしょうか。 もっとも、文章は、しっかりしていて、衰えは、まるで感じませんが。


【呪術の渦巻文様】 約21ページ
  1990年(平成2年)10月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 原題は、【無限の渦巻文様】。

  サンフランシスコ、アイルランドと、銀行の海外支店を渡り歩き、最後には、スイスの証券会社に勤めた男。 爬虫類の鱗を題材にした細密画を描く妹がいたが、画家として評価される前に、精神に異常を来たし、彼女を入院させてくれる精神病院の近くに、兄が勤めていた事が分かる、という話。

  一応、謎がありますが、推理物というには、あまりにも、ささやか。 ストーリーというほどのストーリーにはなっていないものの、最後まで読むと、純文学的な味わいがないでもないです。 憐れな。 しかし、この兄妹は、まずい結婚をした人達に比べれば、遥かに幸福な人生を送ったんでしょうなあ。


【夜が怕い】 約17ページ
  1991年(平成3年)2月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 「怕い」の読み方は、「こわい」。

  胃癌で入院している人物。 退院が近いが、次に入院した時には、もう助からないのを覚悟している。 他の病室で人が死んで行く気配を感じながら、自分の祖母や父親が辿った人生を思い返す話。

  タイトルから、気の利いたストーリーを期待していると、肩透かしを食らいます。 本体部分は、祖母や父親の思い出話で、入院している本人が、何か、怖い体験をするわけではないからです。

  この、祖母と父親の思い出部分は、松本さん自身の先祖の事を書いているんじゃないですかね。 わざわざ、調べる気になりませんが。 なぜ、そう思うのかというと、創作設定にしては、異様に細かいですし、あまり、面白くないからです。 実話ならば、面白くなくても、不思議ではありません。 そうであってもなくても、小説として評価する作品ではないと思います。


【河西電気出張所】 約14ページ
  1974年(昭和49年)1月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  溺愛されたせいで、心身ともに虚弱に育ってしまった少年。 半ば、なりゆきで、電気会社の出張所に、給士(雑用係)として勤めるが、なかなか、給料が上がらず、社員に昇格もさせてもらえない。 それどころか、上司が入れ代わり、人員整理で、クビになる恐れさえ出て来て・・・、という話。

  何が言いたいのか、よく分からない話です。 犯罪が行なわれますし、人も死にますが、いずれも、メインのストーリーとは、関係して来ません。 純文学雑誌に掲載される、あまり有名でない作家の短編には、こういう、どこを読ませようとしているのかよく分からない作品がありますが、それに近いですな。


【山峡の湯村】 約52ページ
  1975年(昭和50年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  山間の温泉郷に休養に来た学校教師が、別の宿に、かつて時代小説の人気作家だった老人が、タダで長逗留している事を知る。 その作家を連れて来た宿の息子は、2年前に行方不明になっており、その婚約者が、作家の世話をしていた。 宿の女将は、主人の後妻で、何かと、噂があり・・・、という話。

  作家とはいうものの、正確には、元作家で、この宿に逗留を始めてからは、雑文すら書いていません。 松本さんが、この作品で書きたかったのは、そういう、過去には売れていたけれど、時代の変化について行けずに、仕事を干されてしまった、「作家の残骸」の存在なのではありますまいか。 【理外の理】(1972年)でも、同じようなモチーフが使われています。

  ちなみに、横溝正史さんも、1970年頃には、そんな、「作家の残骸」の一人と見做されていたわけですが、71年に、角川文庫で、リバイバルしてから、じわじわ売れ始め、76年には、映画、≪犬神家の一族≫が、メガ・ヒットして、空前絶後の横溝大ブームとなり、松本さんが旗手だった社会派推理小説を、散々に蹴散らしてしまいます。 しかし、この作品が発表された時点では、まだ、そんな未来が待っているとは、誰も知らなったわけだ。

  余談はさておき、この作品、まずまず、面白いです。 本格推理の要素が入っていて、推理小説の短編・中編として、バランスが良く、ゾクゾク感もあります。 探偵役が素人なので、地道な捜査ではなく、インスピレーションによる推理になりますが、読者にも充分に、情報が示されるので、無理が感じられません。

  この作品、1992年に、古谷一行さんの主演で、2時間サスペンスになっており、私は、先に、そちらで見ました。 おそらく、古谷一行さん主演の松本作品原作ドラマの中では、最も出来が良いと思います。 とりわけ、ヒロインを演じた姿晴香さんが、大変、魅力的でねえ。 惜しむらく、松本さんは、放送直前に亡くなってしまうのですが、その前に、見ていたかどうか。 もし、見ていたら、満足したと思いますねえ。


【夏島】 約16ページ
  1975年(昭和50年)6月に、「別冊文藝春秋132号」に掲載されたもの。

  伊藤博文が別荘を建て、憲法草案を練った場所、神奈川県横須賀市の夏島を訪ねる話。

  話と書きましたが、小説的なストーリーはないです。 歴史の記述と、それに関する、一つの推測を書いてあるだけ。


【式場の微笑】 約16ページ
  1975年(昭和50年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  結婚式に参列した、着付けの先生。 ある中年男性から、微笑みかけられるが、誰だか思い出せない。 新婦に挨拶に行ったら、えらい驚いた表情で見られてしまう。 しばらくする内、中年男性と新婦を、人には言えない、ある場所で見た事を思い出し・・・、という話。 

  大人向けの、ショートショート。 洒落ていると言えば言えますが、爛れているとも言えます。 松本さんは、とことん、若い女性に夢とか、明るい未来とかを感じなかった人なんですなあ。 私も、この歳になると、その見方に賛同せざるを得ません。 だけど、人によりけりでして、中には、若い頃から、人格的に優れた人達もいます。 押し並べて、男よりは、マシなのでは?


【骨壺の風景】 約26ページ
  1980年(昭和55年)2月に、「新潮」に掲載されたもの。

  父親の甲斐性がない事から、極貧に喘いでいた幼い頃、祖母が他界する。 遥かな歳月を経てから、祖母の骨壺を預けっ放しにしていた寺を探し出し、訪ねて行くと、祖母を火葬にした時の記憶が蘇って来る話。

  松本さんの祖母の思い出を綴ったもの。 たぶん、全部、実話だと思います。 ギリギリ、最低レベルの生活ですが、戦前は、そういう生活をしていた家族は、少数派というわけではなかったと思います。 この父親も、元から怠け者だったわけではなく、職に就けないから、商売を始めるしかなく、商売に向かないから、すぐに左前になってしまうという、負の渦巻きに呑まれていたんでしょう。 父親が、ろくでなしだったから、余計に、母親や祖母の思い出が輝くんですな。

  祖父母と一緒に暮らした人達なら、特別な思い出は、一人一人に必ずあると思います。 内孫と外孫では、祖父母の印象が、全く違うのは、当然の事。 そういう思い出は、汚されると大変なので、一般人の場合、あまり、他人に語らない方がいいのですが、松本さんは、超有名人だから、それが許されるわけです。 一般人が、ブログなどで、そういう事を書くと、内孫経験がない連中に、無体にからかわれる恐れがあります。 貴重な思い出を、一度、汚されると、消せませんから、注意が必要です。


【不運な名前】 約64ページ
  1981年(昭和56年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  明治11年に起こった、「藤田組贋札事件」の犯人とされた、熊坂長庵が収監されていた、北海道の樺戸集治監跡地を訪ねた、三人の人物が、熊坂長庵は冤罪だったという点で意見が合致し、事件の真相について、語り合う話。

  一応、「語り合う話」で、小説の体裁になっていますが、この三人は、松本さんの分身に過ぎず、松本さんが、この事件について、どう考えているかを披瀝する為に、この作品が書かれたのは明らかです。 松本作品には、そういうタイプのものが、少なくないです。 歴史論文なのであって、小説としては、評価できません。

   同じ事件をモチーフにした作品に、【相模国愛甲郡中津村】(1963年)がありますが、18年も考え続けて来ただけに、こちらの方が、ずっと、詳しい内容になっています。 とはいえ、結局、真相は、遥か昔の藪の中でして、「そういう考え方もある」という程度の受け取り方しかできません。 


【疑惑】 約56ページ
  1982年(昭和57年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。 原題は、【昇る足音】。

  新潟の資産家が、東京で知り合ったバーの女を後妻に迎えるが、すぐに3億円の保険をかけられたかと思うと、二人で乗った車が、埠頭から海へ飛び込み、夫の方が死んでしまった。 新聞記者による偏った攻撃で、世論が盛り上がり、後妻が犯人と見做され、逮捕される。 裁判の途中で、弁護士が国選に変わり、「これで、無罪はありえない」と、記者は喜んだが・・・、という話。

  こんな梗概を書くまでもなく、【疑惑】を、映画かドラマで見た事がない人は、日本国内に、いないと思います。 映像化された松本作品の中では、【砂の器】と双璧をなすほど、知名度が高いです。 法廷物で、映像化に、あまりお金がかからないので、特にドラマに限れば、作品数が多い分、こちらの方が、知っている人は多いでしょう。

  二段組みで、56ページというと、文庫なら、100ページを超えると思いますが、所詮、その程度の長さでして、原作が、長編でなかったとは、ついぞ、知りませんでした。 球磨子について書かれた部分が最も多いですが、次が新聞記者でして、視点人物は、明らかに、新聞記者です。 映像作品で視点人物になる弁護士は、客観視されるに過ぎません。

  驚いたのは、ラストでして、どの映像作品とも、全く異なります。 「えっ! こういう話だったの?」と、アハ体験を起こすほど、意外。 映像作品を一つも見ていなければ、別段、意外とは感じないと思いますが、何せ、ほとんどの人が見ているだろうから、ほとんどの人が、意外さを感じるでしょう。

  それはさておき、靴とスパナの謎は、原作は勿論、どの映像作品でも取り入れられていますが、現実には、危うい感じがしますねえ。 靴を横にしたのでは、不安定ですから、ズレてしまうでしょう。 松本さんは、科学技術方面に弱いところがあって、特に、車に関しては、現実的でない謎やトリックが、よく出て来ます。 これだけ有名な作品の、中心的な謎が、おぞいというのも、意外です。


【断崖】 約11ページ
  1982年(昭和57年)5月に、「新潮45+」に掲載されたもの。

  自殺者が多い、北海道の海岸。 見回り担当の初老の男が、ある晩、死に切れなくて、戸を叩いて来た女を助ける。 女は、熱を出して寝込んでしまい、その様子に、劣情を刺激された男は、夜中に忍んで行って・・・、という話。

  松本作品に、「大人の話」というイメージをもっている人達は、性描写も多いと思っているかも知れませんが、実は、それほどでもありません。 淫靡な雰囲気は好むけれど、官能表現は、肌に合わなかったんじゃない過渡思います。 小松左京さんは、SFを一般小説誌に載せるに当って、編集者から、「エロを入れろ」と、しょっちゅう、催促されていたらしいですが、松本さんには、そういう圧力がなかった様子。

  初老の男のやった行為に、女が気づいていないらしいという点が、話の肝でして、「気づかれていないのなら、こういう結末になるのは、おかしいのではないか?」と思う読者もいると思いますが、自分で自分のやった事を許せない人というのもいるわけだ。


【思託と元開】 約28ページ
  1983年(昭和58年)9月、10月に、「文藝春秋」に分載されたもの。

  日本に渡ろうとして、5回失敗し、6回目で成功した事で有名な、鑑真和上。 ところが、鑑真が、当時の唐で、別段、高名な僧侶ではなかった事や、5回失敗したという話が、眉唾物である事など、鑑真の伝記に疑義を挟んだ、論文。

  ここまで来ると、もはや、小説とは言えません。 入れ子式に、著者の中国旅行の話で挟んで、辛うじて、小説っぽくしようとしていますが、これを小説と取る読者は、いますまい。 これは、歴史学の論文です。

  鑑真の伝記は、思託という、たった一人の人物が書いたものが元になっていて、他の資料で裏が取れないので、記述を鵜呑みにするのは、危険だとの事。 「5回難破したのは、作り話」というのは、そういう事もあるか、と思いますが、「そもそも、鑑真は、唐の一地方に限り有名だったに過ぎず、全国規模では、二流三流の僧だった」というのは、ショッキングですな。 しかし、反論するにも、材料がありません。

  おそらく、松本さんが書いている事が正しいんでしょうけど・・・、何だか、白けてしまったなあ。 こんな事は、知らないまま、「鑑真和上は、立派な人」と信じて、人生を終えた方が、幸せだったような気がします。


【信号】 約34ページ
  1984年(昭和59年)2・4・6月に、「文藝春秋」に隔月連載されたもの。

  有名な文学賞を獲って、瀬戸内の地元では、純文学の同人誌を主催している人気作家。 親分肌で、同人の面倒見が良かった。 同じ文学賞を獲った、もう一人は作家は、その後が続かずに、仕事が減って、食うにも困っていたのを、人気作家が、一つの家に同居する事で、助けていた。 同人の中には、その不人気作家を痛烈に批判する者がいて・・・、という話。

  とりとめがないですな。 ストーリーらしきものは、ありません。 小説というより、同人の世界を観察した記録というべきか。 それにしては、小説っぽいですが、それは、客観的な視点人物を置いている効果に過ぎず、やはり、小説という感じは薄いです。

  こういうシチュエーションは、同人雑誌の世界ではよくある事だと思います。 同人作家としては、実力があるのに、出版社の雑誌には相手にされないという、自称・作家は、掃いて捨てるほどいるわけですな。 いや、今はもう、出版社の雑誌に書いている作家でさえ、有名人とは言えませんが、それはさておき、ネット時代以前までは、こんな状況が続いていたんでしょう。

  ラストで、不人気作家や同人の面子が、無残な死に方をして行きますが、淡々とした記述で、そこが面白いというわけではないです。 むしろ、人気作家が、どんな死に方をしたのか、そちらの方が、気になります。 同じくらい、惨めだったと思うのですが。


【老十九年の推歩】 約34ページ
  1984年(昭和59年)10月、11月、1985年1月に、「文藝春秋」に断続的に連載されたもの。

  最初の実測日本地図を作った、伊能忠敬、および、その弟子筋に当たる間宮林蔵について、考証した内容。

  これは、小説とは言えません。 歴史学の論文と見るには、主観が強過ぎるので、歴史関係の随筆と言えば、一番、近いでしょうか。 地図を作ろうと発起する前の、伊能忠敬の半生について、深く掘り下げています。 単なる、造り酒屋の主人だったのに、よく、これだけ、資料が残っているものだと、そちらの方に、驚きます。

  間宮林蔵について、中途半端な触れ方をしているのは、伊能忠敬と関係した部分だけ書いているから。 間宮の部分は、なくてもいいと思いますが、枚数の指定があって、入れたのかもしれません。

  特に興味がある人を除き、じっくり読んでも、読んだ端から、抜けて行ってしまうと思うので、飛ばし読みをお薦めします。 歴史考証は、松本さんの趣味に過ぎないので、律儀につきあう必要はないと思います。


【泥炭地】 約18ページ
  1989年(平成元年)3月に、「文學界」に掲載されたもの。

  溺愛されたせいで、心身ともに虚弱に育ってしまった少年。 半ば、なりゆきで、電気会社の出張所に、給士(雑用係)として勤めるが、なかなか、給料が上がらず、社員に昇格もさせてもらえない。 それどころか、上司が入れ代わり、人員整理で、クビになる恐れさえ出て来て・・・、という話。

  この梗概、【河西電気出張所】(1974年)と、全く同じものですが、実際、作品の内容も、ほぼ、同じです。 どうやら、松本さんの実体験を元にして書いた、私小説である様子。 道理で、何を伝えたいのか、よく分からなかったわけだ。 実話なら実話でいいんですが、この二作、内容に異動が見られ、もしかしたら、創作が含まれているかも知れず、油断なりませんな。 この二作を読んでも、松本さんの自伝的小説とは決めつけない方がいいと思います。


【削除の復元】 約32ページ
  1990年(平成2年)1月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  ある小説家が以前書いた、森鴎外に関する作品について、読者から質問の手紙が届く。 鴎外の【小倉日記】に、紙で覆った削除部分があり、その記述から、家政婦が鴎外に嘘をついていた事が分かる。 小説家自身も現地に赴くが、目的を達せず、後輩に頼んで、引き続き、調査を進めてもらったところ、鴎外とその家政婦の関係が、思わぬものだった事が分かり・・・、という話。

  小説家は、架空の人物になっていますが、松本さん本人がモデルでしょう。 ちなみに、【或る「小倉日記」伝】(1952年)は、松本さんが、芥川賞を獲った作品。 まだ、読んでいないのですが、名前だけは知っています。 【鴎外の婢】(1969年)でも、【小倉日記】を元にしたモチーフが使われています。 よほど、【小倉日記】に惚れ込んでいたんでしょうね。

  しかし、読者も、作者と同じとは限りません。 森鴎外にも、【小倉日記】にも、興味がない者には、なんで、こんなに拘るのか、その執着の源泉が分かりません。 しかも、直接の対象は、森鴎外本人ではなく、その家政婦なのです。 家政婦だからといって、作家や軍医より価値が落ちるとは思いませんが、そういう市井の人達の人生を掘り下げるというのなら、その対称は、無限に広まってしまうのではないでしょうか。




≪松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝 短編1≫

松本清張全集 35
文藝春秋 1972年7月20日/初版 2008年8月25日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編28作を収録。 多いな。 読む前から、頭が、クラクラします。 読むのは、いいんですよ。 感想を書くのが、大変なのです。


【西郷札】 約30ページ
  1951年(昭和26年)3月に、「週刊朝日春季増刊号」に掲載されたもの。

  西南戦争の末期に、薩軍が発行した紙幣、西郷札の製作に関わった、旧薩摩藩士。 辛くも生き残って、郷里に帰ったが、家は焼け、家族は行方が知れなくなっていた。 身一つで東京へ出て、車引きで食べていたところ、大蔵省の官僚に嫁いだ、腹違いの妹と再会する。 ある商人から、西郷札の政府買い上げについて、義妹の夫の大蔵官僚に進言してくれと頼まれ、話が進むが・・・、という話。

  松本さんの処女作。 新聞者の地方支局に勤めながら、こういう作品を書いていたとの事。 意外なくらい、容易く、雑誌社の目にとまり、ポンポンとプロの小説家になって行くのですが、処女作からして、この内容の濃さであれば、むべなるかな、という感じですな。 面白いというより、「この人の書いたものを、もっと読みたい」という気持ちにさせるのです。

  小説としては、そんな面白いものではありません。 西郷札のモチーフと、人情物、というか、お涙頂戴の読ませどころが、一致しておらず、合わせ技で一本という趣きなのです。 松本さんの作品は、情報量が多さで、圧倒されてしまうのですが、ストーリー・テラーとしては、今一つ、極意を会得しきれていないのでは、と思わせるところがあります。 処女作も、その例に漏れず。


【くるま宿】 約14ページ
  1951年(昭和26年)12月に、「富士」に掲載されたもの。

  明治初頭。 病気の娘を抱え、40歳過ぎて、車引き屋に、弟子入りした男。 仲間から、「おじさん」と、からかい半分、労わり半分の扱いを受けていたが、ある時、隣の家に士族が数人、強盗が入ったのを、瞬く間に倒してしまう。 その後、車引き同士の喧嘩を収める為に出向いていった官僚の屋敷で、彼の顔を見て、驚く者がいて・・・、という話。

  時代劇映画ですな。 【無法松の一生】と似た匂いがします。 つまり、任侠を見せて、読者を感動させたいわけですが、どうも、松本さんらしくないですねえ。 こういうのは、時代小説作家に任せておく方が、いいと思います。


【或る「小倉日記」伝】 約26ページ
  1952年(昭和27年)9月に、「三田文学」に掲載されたもの。

  生まれつき、半身が不自由だったが、学校の成績は、抜群に良かった青年。 外見と、言語不明瞭のせいで、就職はできず、母親と二人で、母方の先祖が遺した家作で暮らしていた。 ある時、所在が知れなくなっていた、森鴎外の【小倉日記】の内容を復元する事を思い立ち、調査を始める。 困難を乗り越え、資料を集めて行くが、やがて、戦局が悪化し、彼の健康状態も悪化して・・・、という話。

  タイトルだけ見て、森鴎外の話かと思っていたのですが、全然、違いました。 鴎外と【小倉日記】は、モチーフに使われているだけです。 芥川賞受賞作ですが、当時の芥川賞は、今より遥かに地味な賞だったそうで、この作品も、決して、傑作、快作と褒め称えるような内容ではないです。

  不憫な親子ですが、息子側からしてみれば、最後まで、母親が面倒を見てくれたのは、幸福だったでしょう。 その意味では、この母親は、母親としての責務を、完璧に果たしたといえます。 傍から見ると、息子とは、少し距離を置いて、再婚した方が良かったような気もしますが。

  一番、記憶に残るのは、息子に優しくしてくれた若い女性に、母親が、嫁に来てくれないか打診したところ、あっさり断られ、あまつさえ、「そんな気でいたのか」と、馬鹿にされたという件り。 その部分だけ、純文学。 これは、痛いですな。 息子は勿論、母親も、読者も、心が痛い。 それなら、最初から、優しくなどしなければ良いものを。 八方美人の罪なところです。 誰にでも優しくして、自分のイメージを良くしようというのは、明らかに、考えが足りません。


【梟示抄】 約20ページ
  1953年(昭和28年)2月に、「別冊文藝春秋32号」に掲載されたもの。

  佐賀の乱で敗れて逃走した江藤新平らが、薩摩で、西郷隆盛に拒まれて、土佐に渡るが、そこでも、官憲に追われ・・・、という話。

  小説というより、歴史そのもの。 歴史を題材にした小説は、どこが歴史の定説で、どこが作者の自説で、どこがフィクションなのか、判別がつかないところが、困ります。 この作品に書かれている事が、全て、歴史の定説と仮定した場合、佐賀の乱以降の、江藤新平の事を大雑把に知りたいのなら、適当な作品なのでは。


【啾々吟】 約24ページ
  1953年(昭和28年)3月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  佐賀藩で、藩主の子と同じ日に生まれた、家老の子と、軽輩藩士の子。 二人とも、若君の学友として育つが、軽輩の子が、他を圧倒して、学問に優れていた。 ところが、身分が低いせいで、出世がおぼつかず、恋にも破れ、幕末の動乱期に、藩から姿を消してしまう。 明治になり、家老の子と、軽輩の子が、ひょんな事から出会い・・・、という話。

  これは、フィクションでしょう。 若君と生まれた日が同じというのは、あまり深い意味はないです。 割と普通の時代小説。 特に、ある娘を、友の許婚者と知らずに、その友に、仲立ちを頼んでしまい、国もとを留守にしている間に、友と娘が結婚してしまう件りは、よくあるパターン。 普通だったら、そういう雲行きになった時点で、「いやいや、あれは、俺の許婚者なのだ」と言えば済む事で、かなり、不自然です。

  結末は呆気ないもので、何が言いたいのか、良く分からない話になっています。 強いて読み取るなら、優れていても、人気がない人間は、暗い人生にならざるを得ないという事でしょうか。 しかし、教訓を汲むにしては、話の出来が良くありません。


【戦国権謀】 約20ページ
  1953年(昭和28年)4月に、「別冊文藝春秋33号」に掲載されたもの。

  一度は、家康の元から離れながら、諸国を放浪した後、本能寺の変を機会に帰参し、以後、家康の最も信頼する家臣となった、本多正信。 武功がないにも拘らず、武功でのしあがった重臣たちを次々と失脚させて、実権を握っていく。 子の正純も、父の実権を受け継いだが、父と違い、欲があったせいで・・・、という話。

  ほぼ、歴史そのままだと思います。 そのままでも、小説になると踏んだ場合は、そうしたわけですな。 歴史に興味がある人なら、十二分に面白いと感じると思います。 人間性も描き込まれていて、読み応え、あり。 後ろの方で、「宇都宮城 吊り天井」の話の元になった事件が出て来ます。


【菊枕】 約17ページ
  1953年(昭和28年)8月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  中学校の美術教師と結婚し、その後、俳句を始めた女。 俳人として名が通るようになり、一流人士とつきあうようになるに連れ、社会的身分の低い夫が疎ましくてならなくなる。 全国的に高名な俳句の師匠に傾倒して、追いかけ回していたが、その度が過ぎて・・・、という話。

  実在の人物をモデルに、名前を変えて、小説にしたもの。 この主人公は、後に書かれる、【月光】(1966年)にも、ちょっと出て来ます。  【月光】の方は、小説というより、伝記でしたが、こちらは、より、小説らしい作品になっています。 主人公が、大変、変わった人物なので、もそれだけで、興味を引くというわけ。

  精神異常ではないが、明らかに、性格異常ですな。 それも、最初から。 自分自身が才能の持ち主なのに、より高名な人物に寄生する事に幸福を見出すという、大きな矛盾を抱えています。 この人にとって、自分の俳句の才能は、師匠に近づく為の道具に過ぎないのです。 師匠にくっついていないと、いても立ってもいられないのは、依存症の一種なんですかねえ。


【火の記憶】 約14ページ
  1953年(昭和28年)10月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  ある女性の結婚相手の男には、身よりがなかった。 母親とは死別したが、父親は、それよりずっと前に、行方不明になっていた。 父の事は全く覚えていなかったが、子供の頃の遠い記憶として、母が、父とは別の男に会いに行っていた様子を覚えていて、母が父を裏切って、浮気をしていたに違いないと思い込んでいたが、実は・・・、という話。

  【家紋】(1967年)に、一部、似ています。 こちらを元にして、後に、【家紋】が書かれたのだと思います。 しかし、幾分、推理もの仕立てになっていて、作品の雰囲気は、だいぶ、違います。 少し、設定が煩雑過ぎる難点あり。 話に奥行きを持たせようと、捻っている内に、捻り過ぎてしまったのでは?


【贋札つくり】 約16ページ
  1953年(昭和28年)12月に、「別冊文藝春秋37号」に掲載されたもの。

  明治初頭、廃藩置県の前。 財政が窮迫した福岡藩で、一部の家臣だけが謀議して、贋札つくりを始める。 計画に無理があり、小さな綻びから、露顕して行く話。

  実話らしいです。 贋札つくりは、当時、他の藩でもやっていて、たまたま、福岡藩はバレてしまったから、歴史に残ったとの事。

  違法と知りつつ手を染めた家臣たちは、藩の為になると思って、処罰を覚悟していたものの、いざ、露顕してみると、藩内からも、散々な批判を受け、残された家族の面倒を見てもらう当ても外れたとの事。 「違法行為でも、忠義の為なら許される」という発想は、赤穂浪士の討ち入り事件に通じるものがあります。 実際には、許されないわけですが。 法治主義と、封建思想のぶつかり合いですな。


【湖畔の人】 約14ページ
  1954年(昭和29年)2月に、「別冊文藝春秋38号」に掲載されたもの。

  父・徳川家康に疎まれて、各地を転々とした後、諏訪湖畔で死んだ、松平忠輝。 ある新聞記者が、様々な職場を転々とした後、諏訪支局に配属になるが、忠輝と自分の境遇が似ている事に気づき、感慨を覚える話。

  一般小説と、歴史小説が混ざり合っている、変わった作品。 新聞記者の方は、よくある話ですが、忠輝の人生の方は、歴史に興味がある読者には、面白いと思います。 どちらの人生も、些か、寂し過ぎるのが、難点でしょうか。 松本さんの作品は、初期の頃の方が、うら寂しい、枯れた雰囲気が強いですな。 後期に向かうに従い、欲の皮が突っ張った、煮ても焼いても食えないような、ふてぶてしい人物ばかり出て来るようになります。


【転変】 約18ページ
  1954年(昭和29年)5月に、「小説公園」に掲載されたもの。

 元は、秀吉の家臣だった福島正則が、石田三成が憎いばかりに、関が原で家康側につき、大功を挙げて、50万石の大大名となる。 ところが、石田三成が嫌いだっただけで、豊臣家には恩顧を感じていたので、大阪の陣では、家康に警戒されて、江戸に留め置かれる。 豊臣家の滅亡を指を咥えて見ていた自分が情けなく、酒に溺れては、家臣をいたぶっていたのが、幕府の耳に入り・・・、という話。

  なるほど、福島正則というのは、後半生、こういう人だったわけだ。 歴史上の人物の伝記として分かり易い上に、小説としてもね面白いです。 ただ、講談調とは違いますが、文章が、名調子過ぎて、「もしや、作者の創作が、少なからず入っているのでは?」と疑いたくなるのも事実。 そういう事は、作家を問わず、歴史小説全てに言える事ではありますが。


【情死傍観】 約12ページ
  1954年(昭和29年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  阿蘇山の火口近くで、自殺志願者に声をかけて、何百人も助けて来た老人。 ある時、以前、心中するところを助けてやった、女の方が、他の男と阿蘇観光に来ているのを見て、呆れてしまう。 その直後、心中しかけている、別の若い二人連れを見かけるが、助けようという気になれず・・・、という話。

  深読みをしない人なら、面白いと思うと思います。 変則的な入れ子式になっていて、作者(松本さんではなく、一人称で書いている、この作品の作者)が、阿蘇の救助小屋の老人から聞いた話を元に、かつて書いた小説があり、それを読んだ女性が、「小説の中に出てくる女は、私だ」という手紙を送って来るという趣向で、大変、入り組んでいます。

  深読みをすると、気になるところがあります。 手紙をよこした女性はいいとして、老人の方は、その時の気持ちの問題で、若い二人連れを助けなかった事が、この小説によって、世間に知られたら、まずいんじゃないですかね。 「助けなかった部分は、創作だ」と、作中の作者は断っていますが、老人は、作中で実在するわけだから、創作であっても、不名誉な扱いには、問題が起こるはずです。 阿蘇で、救助活動をしていいる老人は、数が限られているわけだから、すぐに、誰の事だか分かってしまうではありませんか。

  つまり、作中の世界で、この小説は、老人から来るであろう苦情なしには、成り立たないのです。 話もややこしいが、問題点もややこしいですな。


【断碑】 約28ページ
  1954年(昭和29年)12月に、「別冊文藝春秋43号」に掲載されたもの。 原題は、【風雷断碑】。

  昭和初期に名が知られていた考古学者の半生記。 学歴が低く、奈良県の代用教員から始め、知人学者の伝で、東京に出、斬新な研究で、考古学界に新風を巻き込むが、周囲に敬意を払わない性格から、敵ばかり作り、居場所を失って、惨めな末路を辿る話。

  名前は変えてありますが、モデルがいた、実話。 性格に問題があって、学問の方で失敗するのは、自業自得だから、まあ、いいとして、結核を家に持ち込み、妻にうつして、先に死なせてしまうのは、腹が立ちます。 つまり、この男、社会人としても、家庭人としても、出来損ないなのです。 こういう人間は、どんなに、いい仕事をしようが、認めない方がいいです。 人を人とも思っていないのだから、どれだけ、周囲に害毒を撒き散らすか分からない。

  とはいえ、モデルがいるというのは、ちと、引っ掛かるところで、読者に、主人公に対して、憎悪しか感じさせないような書き方をしていますが、子孫や、弟子の方々は、これを読んで、怒らないものですかね? あとがきによると、多くの関係者に取材したとありますが 、その結果が、この作品で、問題にならなかったという事は、本当に、こういう人だったんですかね? 「学者は、皆、変人だ」とはいうものの、度を越していると思うのですが。


【恋情】 約26ページ
  1955年(昭和30年)1月に、「小説公園」に掲載されたもの。 原題は、【孤情】。

  支藩の藩主の息子、本藩の藩主の娘と、いいなずけのような関係にあったが、明治になってから、伯爵になった本藩の藩主の勧めで、イギリスへ留学する事になる。 ところが、留守の間に、本藩藩主の娘が、さる宮家に嫁いでしまう。 男爵だった父親が死に、帰国して、爵位を受け継ぐが、結婚する気もなく、鬱々として暮らす。 宮家を亡き者にする計画も思いついたが、機会がなく・・・、という話。

  何だか、貴族や重臣の子の間で、よくある悲恋物のような趣きですが、ラストは、恋愛哲学的な纏め方になっており、ただの恋愛物とは、一線を画します。 相手の女の方の心理が、全く書かれておらず、主人公が想像するだけなのですが、些か、主人公に都合が良過ぎる解釈で、「本当に、相手は、そう思っているのかなあ?」と疑いたくなります。


【特技】 約12ページ
  1955年(昭和30年)5月に、「新潮」に掲載されたもの。

  細川忠興の家中に、鉄砲の名手で、各地の大名から請われて、その家臣たちに、射撃技術を伝えていた男がいた。 細川忠興からは、ガラシャ夫人の最期を守るよう言われていたのを、敵方にいた弟子から説得されて、逃亡した事で、恨まれてしまう。 晩年の家康に招かれて、射撃の師となるが、家康が、自分を見る目に、場合によって、二つの色がある事に気づき・・・、という話。

  特殊な技術をもった者が、その技術に対しては、敬意を払われるが、人間性の評価に関しては、全く別だと言いたい話。 確かに、その通りですな。 現代社会でも、そういう二面性を以て評価される人達は、多いと思います。 歴史小説で、こういうテーマを掲げるのは、松本さんならではです。


【面貌】 約16ページ
  1955年(昭和30年)5月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  【湖畔の人】に出てきた、松平忠輝の一生を書いたもの。

  神君家康公の実子なのに、細かく書いても、16ページとは、短いですが、そのくらいの資料しか残っていないのでしょう。 創作エピソードで膨らませていないようなので、ほぼ、資料のままと思っていいのでは。 歴史小説は、創作が入っていると、鵜呑みにできなくて、却って困るので、このくらいの方が、ありがたいです。

  タイトルは、忠輝の顔が、憎らしいものだった事から来ていますが、特に、その点だけ、多く取り上げているという事はありません。 家康に疎まれたのは史実ですが、その理由が、顔のせいだけだったのかは、疑問が残るところです。 晩年は、地方で幽閉ですが、別に殺されたわけではないので、大藩の大名などしているより、むしろ、気楽で良かったかも知れませんな。


【赤いくじ】 約22ページ
  1955年(昭和30年)6月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  戦争末期、朝鮮南部のある町に駐屯していた日本軍部隊の中で、軍医と大佐が、一人の日本人夫人に、接近しようと競っていた。 女性は、美しいだけでなく、高い教養があり、無理やり関係を迫るという考えは、どちらの男も浮かばなかった。 ところが、敗戦。 進駐して来る米軍から、戦犯扱いされないように、慰安婦を差し出そうという相談になり、人選の為に、一定条件を満たす日本人女性達に、くじを引かせたところ、例の夫人が当ってしまい・・・、という話。

  この梗概だけだと、別の展開を予想する人が多いと思いますが、この作品には、心理学的なテーマがあり、おそらく、誰も予想できないような展開になります。 それまで、その人物に対して抱いていたイメージが、ある事をきっかけに、雲散霧消してしまい、堪えていた欲望が噴出するわけです。 ありふれた予想を許さない点で、面白い作品だと思います。


【笛壺】 約16ページ
  1955年(昭和30年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  かつて、「延喜式」について、評価の高い研究をした歴史学者が、妻子があったにも拘らず、20歳も若い女に引っ掛かって、身を持ち崩した、そのきっかけを回想する話。

  前に、他の作品で読んだようなモチーフが使われていますが、発表年は、こちらの方が早いから、それらの作品の、元になったのが、これだったんでしょうな。 面白さを感じるような作品でないです。 タイトルは、ある形式の土器の事ですが、とってつけたようなモチーフで、メインのストーリーと、ほとんど、関係がありません。


【山師】 約18ページ
  1955年(昭和30年)6月に、「別冊文藝春秋46号」に掲載されたもの。 原題は、【家康と山師】。

  徳川家康に仕え、佐渡や、石見、伊豆などの、金銀山を開発した、大久保長安の伝記。

  あとがきにも書かれていますが、【特技】と同じ趣向です。 幕府の財政の基礎を作るという大功を上げ、自分より偉い者が、家康だけになった結果、精神的な圧迫が強くなり、倹約好きの家康に逆らって、奢侈に走った、というのですが、【特技】と比べると、複雑過ぎて、分かり難いですな。

  鉱山開発技術について、普通の人間では知らないような事が書いてあるので、興味がある向きには、面白いのでは? 甲府の技術が一番進んでいて、佐渡は、旧領主の上杉氏が原始的な掘り方をしていたのを、家康の直轄地になってから、長安が最新技術を入れ、再開発したのだとか。 鉱脈がある場所が分かっているのですから、効率的なやり方ですな。


【腹中の敵】 約16ページ
  1955年(昭和30年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  織田信長の重臣、丹羽長秀。 遥か後輩の秀吉から慕われていた頃の気分の良さが忘れられず、信長の死後、秀吉の肩をもち、結果的に、秀吉が天下人になるのを助けてしまう。 大いに悔いるが、もはや、何もできず、健康を害して行く話。

  丹羽長秀という名前は知っていましたが、こういう人だったんですねえ。 大河ドラマなんて、何本見ても、ちっとも、勉強にならんのう。 あとがきにも書いてありますが、現代でも、こういう人はいると思います。 本音と建前が違うのに、つまらない理由で、建前を優先している内に、自分の足場すら失ってしまうタイプが。 


【尊厳】 約12ページ
  1955年(昭和30年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  地方の街に、皇族が来る事になり、サイド・カーを運転して、車列の先導をするように命じられた警官。 緊張のし過ぎで、道順を間違えてしまい、警察署長に続いて、自殺する事になる。 戦後になって、その皇族が、何の特権もない一般人になってしまうと、警官の息子は、そんな人間の為に父親が命を絶った事に納得が行かず・・・、という話。 

  これは、元になった実話がありますが、相当、変えてあります。 実話の方では、皇族ではなく、天皇そのもの。 確か、警官の自殺は、未遂で終わったのでは? それでは、小説にできないので、皇族にしたわけですが、いろいろと、工夫は施されているものの、このラストは、ちょっと、復讐になっていないような気もしますねえ。


【父系の指】 約26ページ
  1955年(昭和30年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。

  幼い頃に、養子に出されてから、不運が続き、生活能力に欠け、まともな職が長続きしない人間になってしまった父親。 そんな父親から、故郷の事を聞かされていた息子が、大人になってから、父親の故郷を訪ねたり、東京で成功した、父親の弟の家を訪ねたりする話。

  松本さんの父親と、松本さん本人の伝記。 しかし、あとがきによると、事実をそのまま小説にするのを嫌い、かなり変えてあるようです。 あまりにも、駄目な父親なので、松本さんのような息子が生まれ育ったのが、不思議な気がしますが、学歴はなかったものの、新聞を熟読していたお陰で、政治知識はあったとの事。 また、人が良かったというのも、救いですな。

  父親の弟の邸宅を訪ねて行く件りは、おそらく、創作だと思われます。 なぜかというと、あまりにも、小説的だから。 もし、この件りが、実話だとすると、後年、松本さんが、日本中に知らない者がいない大作家になってから、この叔父さんの一族は、驚いたでしょうねえ。 親戚を自慢に思うよりも、むしろ、先祖の財産で暮らしている自分達の生活を恥じたんじゃないでしょうか。


【石の骨】 約22ページ
  1955年(昭和30年)10月に、「別冊文藝春秋48号」に掲載されたもの。

  ある考古学者が、嵐で崩れた崖から、旧石器時代の人骨を発見するが、専門外だったせいで、学会からは、まともに相手にされない。 更に、空襲で家を焼かれ、大切な人骨を失ってしまう。 だいぶ歳月が経ってから、高名な学者に人骨の価値が認められ、学名が付くが、それには、裏があり・・・、という話。

  明石原人の骨を発見した学者の伝記を元にした作品。 名前は変えられています。 学者の世界の、欲望剥き出しの醜い争いが描かれていますが、こんな連中を尊敬するのは、無意味としか言いようがありませんな。 主人公にしてからが、人骨の発掘に夢中になるあまり、家族を犠牲にした点は、実話ならば、呆れた話。 こんな人間に、家庭を持つ資格はないです。


【柳生一族】 約16ページ
  1955年(昭和30年)10月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  徳川将軍家・剣術指南となった柳生家の、戦国末から、江戸初期までの、主だった人物に纏わるエピソードを辿ったもの。

  主だった人物というのは、有名な柳生十兵衛、その父、祖父の、三人です。 年代順に、出て来ます。 他に、関係者のエピソードも挟まります。 みんな、物語風に、脚色されているように感じられますが、松本さんが色をつけたわけではなく、元の話が、そんななのでしょう。 柳生の剣術が、元から最強だったわけではなく、その師匠がいたというのが、面白いです。 十兵衛の最期が、いかがわしい病気で、早死にだったとうのが、意外。


【廃物】 約12ページ
  1955年(昭和30年)10月に、「文藝」に掲載されたもの。 原題は、【三河物語】。

  「最後の三河武士」と言われた大久保彦左衛門。 その臨終の床に集まった面々が、彦左衛門の頑固で意固地な性格を表すエピソードを語り合うが、それを夢うつつに聞いている彦左衛門は、自分が、太平の世になって、全く時代遅れの厄介者になってしまっていた事を嘆く話。

  見舞い客は、彦左衛門が、意固地な「三河武士」である事を、褒めていたわけですが、当の本人は、「三河武士」なんぞ、何の価値もなくなっている事を、とうに悟っており、大いに白けているという格好です。 「狡兎死して、走狗烹らる」というわけですな。 彦左衛門は、煮られはしなかったわけですが、禄高が、たったの二千石だったそうで、それは、確かに、冷遇だわ。


【青のある断層】 約22ページ
  1955年(昭和30年)11月に、「オール讀物」に掲載されたもの。

  画商の指導で、人気は出たが、ピークを過ぎて、思うように作品が描けなくなっていた画家がいた。 ある時、その画商の所に、若い素人画家が絵を持ち込む。 技巧的には、全く駄目だったが、エスプリを感じさせるものがあり、画商は、その絵を買い取った。 十数枚、買ってもらってから、若い画家は、おかしいと思い始め、他の画商に持ち込むと、相手にもされず・・・、という話。 

  贋作物の、変化球タイプ。 モチーフではなく、アイデアでもなく、エスプリだけ戴くという、高度なパクリですな。 画商は、若い画家にお金を払っているわけで、不正行為をしているわけではないです。 若い画家が、先生について、技巧を学んだ途端に、エスプリが消えてしまい、画商からお払い箱にされるというのが、皮肉。 努力が裏目に出たわけだ。 


【奉公人組】 約12ページ
  1955年(昭和30年)12月に、「別冊文藝春秋49号」に掲載されたもの。

  江戸初期。 太平の世になってから、武家の奉公人になった者は、主従の紐帯が弱く、奉公人側の忠義など望むべくもないのは当然の事、主の方も、奉公人を大事にしようとは思わず、些細な事で、手討ちにする事も多かった。 多くの家に仕え、修羅場を潜って来た男が、奉公人同士の組合を作って、主の好き勝手な仕置きに対抗しようとする話。

  まさに、組合なんですが、労働組合のような、ストや団体交渉といった戦術があるわけでもなく、奉公人の誰かが殺されたら、組合に所属している、他の家の奉公人が、その仇を討つという、かなり、野蛮なもの。 当然、無事では済まず、仇を討った者も殺されるわけで、とても、効果がある対策とは思えません。

  そうは言っても、江戸時代に、こういう事をやっていた人間が実在したというのは、驚きですな。 ラストの拷問場面は、読むに耐えません。 そこも、実話なら、致し方ありませんが。


【張込み】 約16ページ
  1955年(昭和30年)12月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  二人組の強盗殺人犯の内、一人が逃走した。 一人の刑事が、九州のある町まで行き、かつて、犯人が交際してた女性が住む家の近くに泊まり、張り込みを始める。 女は、20歳も年上の男と結婚し、継子3人の世話をしながら、笑顔の一つも出ない生活をしていた。 やがて、女が、いつもとは、ほんの少し違う服装で出かけて行くのを見て、刑事は・・・、という話。

  松本さんが、推理小説に向かう、きっかけになった作品との事。 しかし、推理の要素は、希薄で、犯罪を扱った、純文学、もしくは、一般小説というべきもの。 推理小説的というなら、【火の記憶】(1953年)の方が、それらしいです。

  強盗殺人犯と知りながら、昔の男の呼び出しに、いそいそと応じる、この女性の気持ちが、よく伝わって来ます。 昔の男を愛していたから、というより、後妻の生活に息が詰まり、非日常に食み出したくて、仕方なかったんでしょうな。

  何度も、映像化されているようですが、1時間ならともかく、2時間近い作品にするとなると、この原作では、明らかに、短過ぎです。 よほど、膨らませてあるのでしょうが、こういう、一点、急所を狙って、スパッと切るような味わいの小説は、膨らませて、尾鰭を付けると、台なしになってしまう事が多く、見てみたいような、見てみたくないような、微妙な気分ですな。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪松本清張全集 38 皿倉学説 短編4≫が、5月17日から、23日。
≪松本清張全集 56 東経139度線 短編5≫が、5月27日から、6月5日まで。
≪松本清張全集 66 老公 短編6≫が、6月9日から、19日まで。
≪松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝 短編1≫が、6月21日から、30日まで。

   これは、長い。 今回は、マジで長かった。 短編集、恐るべし。 よくぞ、これだけ、感想文を書いたものです。 自分を誉めてあげたい。 ちなみに、読む方は、むしろ、楽しいです。  私の場合、借りて来たものだから、そうは行きませんが、短編は、割と容易に内容を忘れるので、買ったものなら、何度でも読み返して楽しめます。 その点、読み返すとなったら、時間と覚悟が必要になる長編とは、比較になりません。

2021/11/14

読書感想文・蔵出し (79)

  読書感想文です。 今回からは、松本清張全集の短編集が入って来るので、作品数が多いのに応じて、感想の数も多くなり、大変、長いです。 洒落にならない長さです。 元の本を読んでいない方々は、とても、興味が続かないと思うので、無理に読まないで下さい。 まあ、作品名を検索して来た人向け、という事になりますな。





≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫

松本清張全集 63
文藝春秋 1995年12月20日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編2作を収録。


【詩城の旅びと】 約228ページ
  1988年(昭和63年)1月から、1989年10月まで、「ウィークス」に連載されたもの。

  新聞社主催のテレビ番組として、南仏の名勝を舞台にした国際駅伝大会の企画が、ある一般女性から持ち込まれる。 企画が本決まりになり、現地視察や、関係者への根回しが始まるが、その過程で、かつて、日本の洋画壇で起こった、アイデア盗用事件が炙り出され、企画を持ち込んだ女性の真の狙いが明らかになって行く話。

  小説としての体裁を、一応は備えていますが、ベースになっているのは、松本さん自身の旅行記録で、冗漫な風景・情景描写が、うんとこら、盛り込まれています。 どうも、松本さんは、旅行に行くと、その記録を元に、小説を物にしてやろうという欲求が抑えられないタイプだったようですな。 そもそも、旅に出たら必ず、詳細な記録を取らずにはいられない性格だったんでしょう。

  風景・情景描写が多過ぎて、ストーリーの方は、あまり、前面に出て来ません。 人一人の人生が変わってしまうほど、重大な事件が起きていたのに、この、「どうでもよさ」は、どうした事か。 だから、旅行記録を元に、小説を書くのは、禁じ手だというのよ。 松本さんほどの大家になれば、旅行記として出版しても、金を出す読者は多かったろうと思いますが、それ以上に、小説のネタにしたい欲求が強かったんでしょうなあ。 ネタにならんというのに。

  ストーリーの方に使われている、世界のスポーツ界の習わしなどは、毎回、オリンピック前に、よく取り沙汰される事なので、既読感が強いです。 絵の贋作問題に至っては、松本さんの過去の作品の焼き直しでして、既読感どころではなく、モチーフの使い回し。 しかし、その点を、瑕と見るつもりはないです。 旅行記録を元にしている点の方が、遥かに、大きな欠点です。

  以下、ネタバレ、あり。

  ラストは、松本作品には珍しく、アクション物になります。 ここの倫理観が、少しおかしくて、なぜか、何の罪も犯していない人間が、犠牲になります。 道義的な罪を犯している奴らが、無傷というのは、釈然としません。 伯爵に、二連散弾銃で、ズドンズドンと、撃たしてやりゃあいいじゃん。 過去は勿論、今現在も、他者を騙して暮らしている連中など、不様に殺されたって、読者としては、何の痛痒も感じません。


【赤い氷河期】 約265ページ
  1988年(昭和63年)1月7日号から、1989年3月9日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。 原題は、【赤い氷河 -ゴモラに死を】。

  エイズが世界中に蔓延している、2005年、ドイツの湖で、製薬会社に勤める男の首なし死体が発見される。 それをきっかけに、スイスにある医療関係の国際機関に属する日本人医師が、「アイデア販売業者」を名乗る、奇妙な日本人男性と知り合いになる。 彼は、ドイツの山奥に、ヨーロッパの王侯貴族が、エイズから逃れて暮らしている場所があると考え、そこを探しに行くが、奇禍に遭い・・・、という話。

  これだけでは、話の半分しか、表していませんが、これ以上書くと、だらだらになってしまうので、やめておきます。 つまりその、梗概が書き難い、取りとめのないストーリーなのです。 【詩城の旅びと】と、この作品は、同時期に書かれたものですが、過去の作品の改稿でない作品としては、最後の長編に当たるようです。 晩年の作とは思えないほど、エネルギッシュで、ギラギラしていますが、纏まりの悪さは、隠しようがない観あり。

  SFとは、かなり、趣きが違うものの、架空の未来を舞台にしている作品というのは、松本作品では、大変珍しいと思います。 というか、私が読んだ限りでは、これが初めてです。 どうしてまた、晩年に、こういう作品を書く気になったのか、不思議な事ですなあ。 エイズが大流行して、人口が激減している世界を描いていますが、もちろん、創作設定であって、実際に、そんな事が起きたわけではないです。

  しかし、パンデミックに翻弄されている様子は、新型コロナ・ウィルスが蔓延している今現在の世界の様子に、多くがダブります。 「そういえば、エイズも、騒ぎが激しかった頃には、凄じいばかりに恐れられていたな」と、思い出されます。 別に、懐かしいとは思いませんが。

  この作品内では、インフルエンザと、エイズのハイブリッド・ウィルスが登場し、感染し易くなっているなど、ちらほらと、新型コロナ・ウィルスの流行を予見していたかのような描写があり、ドキッとさせられます。 しかし、松本さんに、先を読む能力があったというには、ちと、関連が遠過ぎますかねえ。

  コロナ禍の最中であれば、尚の事、読んでみる価値はあると思いますが、これを読んだからと言って、パンデミック収束のヒントが得られるわけではないので、そちらを期待しないように。




≪松本清張全集 36 地方紙を買う女 短編2≫

松本清張全集 36
文藝春秋 1973年2月20日/初版 2008年8月25日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編27作を収録。 タイトルの「短編2」というのは、全集の中の、短編集の2番目という意味。 なぜ、「短編1」から読まないのかというと、他の人が借りていて、なかったからです。


【秀頼走路】 約14ページ
  1956年(昭和31年)1月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  大阪夏の陣に、しぶしぶ参陣していた若い武士が、たまたま出会った女から、豊臣家の紋が入った秀頼の品を奪い取り、秀頼になりすまして、各地で、タダ飯、タダ酒、タダ宿を得つつ、薩摩まで落ち延びて行く話。

  歴史文献に、実際に、そういう人物が出てくるのだそうで、それを、小説仕立てで書いた作品。 それだけの内容でして、別に、何のオチがついているわけでもないです。


【明治金沢事件】 約14ページ
  1956年(昭和31年)1月に、「サンデー毎日新春読物小説号」に掲載されたもの。 原題は、【明治忠臣蔵譚】。

  廃藩置県の直前の金沢藩に於いて、藩政改革で、西洋化に尽力していた家老が殺される。 実行犯は切腹させられたが、共同謀議に加わった数名は、死罪を免れた。 憤りが治まらない、元家老の遺臣達が、≪忠臣蔵≫を範にとって、仇討ちを目論む話。

  これも、実話のようですが、「そんな事件があったのか・・・」とは、誰もが思うところでして、つまり、全く、後世に伝わっていないわけですな。 主君の仇討ちというよりも、再就職できない恨みが、主な動機になっていて、気持ちは分かりますが、たとえ、本懐を遂げたとしても、結局は、刑罰を受ける事になるわけで、そんな事より、時代の流れを見て、食っていける職に就く事にエネルギーを注いだ方が、自分や家族の為になったと思います。

  仇を討った方も古臭いが、討たれた方も、家老の西洋化政策が気に食わなくて殺したというのですから、そちらの方がもっと、考えが古臭いです。 藩がなくなってしまったのでは、何の為に、家老を殺したのか分からない。 あんなに急激に、武家社会が崩壊して行くとは、想像もできなかったんでしょうなあ。


【喪失】 約14ページ
  1956年(昭和31年)3月に、「新潮」に掲載されたもの。

  妻子ある男と不倫関係になっている若い未亡人。 その男には、愛人を養える程の収入はなく、彼女も働いていたが、失業してしまう。 相互銀行に仮採用の集金人として勤め始めるが、契約勧誘のノルマが厳しくて、いつ解雇されてもおかしくなかったところを、初老の男性行員に助けてもらって、何とか、正規採用になった。 男性行員の目当ては、彼女の体で、愛人の男との間で、難しい舵取りを迫られる話。

  サラリーマン小説のモチーフを、松本さんの作風で書いたという体の作品。 出てくる人物が、ステレオ・タイプなので、大体、どんな話か、すぐに分かります。 殺人で終わりにしても、格好がつくような話ですが、そこまでは行きません。 ちなみに、主人公が喪失するのは、「生活」です。


【調略】 約12ページ
  1956年(昭和31年)4月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  戦国時代の武将、毛利元就が、調略(計略)を使って、敵大名の家中を仲間割れさせ、滅ぼして行く様子を、簡潔に描いた話。

  1997年に、大河ドラマ、≪毛利元就≫で見た、そのまんまの内容を、エピソードの一部だけ取り上げて、書いたものです。 ちなみに、ドラマの原作は、永井路子さんでした。 別の人が書いても、同じような話になるという事は、実際に、調略ばかり、使っていたんでしょう。

  毛利元就が、頭がいい事は認めますが、日本では、頭の良さは、あまり評価されないようで、戦国武将のランキングでは、上の方に上がってきません。 調略を使う事が、卑怯と取られてしまうからでしょうか。 「命懸けの戦に、卑怯も糞もあるか」という、元就の言葉が聞こえて来そうですが。


【箱根心中】 約12ページ
  1956年(昭和31年)5月に、「婦人朝日」に掲載されたもの。

  互いに、配偶者とうまく行っていない、従兄と従妹が、気分転換に、箱根へ日帰りで遊びに行ったが、乗ったタクシーが、交通事故に遭って、従兄の方が入院する事になり、その日の内に帰れなくなってしまう。 誤解されるのは疑いなく、悲愴な気分になって、箱根にずるずると、留まり続ける事になる話。

  そこまで書いてありませんが、タイトルの通り、心中になりそうな雰囲気で、終わります。 時代が変わっているせいか、現代の感覚では、「なんで、この程度の事で、心中せねばならんの?」と、首を傾げざるを得ません。 誤解されるなんて、勘繰りをせず、帰った方がいいと思いますがねえ。 仲がいい従兄妹同士なんだから、日帰りで箱根に行って、何の後ろめたいところがあるのよ?

  そもそも、事故にあったのだから、普通に、それぞれの配偶者や、実家に連絡すればいいんじゃないでしょうか。 みんな、心配して、すっ飛んで来ますよ。 浮気しようとしていたなんて、誰が思うものですか。


【ひとりの武将】 約30ページ
  1956年(昭和31年)6月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  同じ、織田信長の配下で、前田利家をライバル視していた、佐々成政の、出世と凋落の経緯を描いた話。

  ほぼ、一生の伝記でして、細かく書けば、長編になりそうな内容ですが、30ページですから、利家と、手柄を争ったエピソードだけ、ピック・アップして、簡潔に纏められています。 佐々成政について、おおまかな事を知りたいという向きには、ちょうど手ごろな長さの作品ですな。

  利家と、甲乙つけ難い実力があったのに、なぜ、滅びてしまったかというと、秀吉との関係に違いがあり、利家が、秀吉の知己で、その為人をよく知っていたのに対し、成政は、秀吉の事を、成り上がり者として、軽侮していたせいで、秀吉の天下が来ても、受け入れられなかったというのが、興味深いです。 先入観というのは、致命的な失敗に繋がるわけですな。

  家康を頼る為に、越中から駿河まで、北アルプスを越えて、会いに行く場面がありますが、登山に興味がある人は、そこだけ読んでも、面白いと思います。


【増上寺刃傷】 約12ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  江戸時代、将軍家綱の葬儀で、それぞれ、名代と奉行を命じられた家臣が、葬儀進行上、不手際を起こしす。 名代の方の性格が悪かったせいで、奉行の恨みを買い、刃傷沙汰に発展する話。

  ≪忠臣蔵≫の類似事件ですな。 たぶん、実話なのでは。 名代の男が、上の者には反抗し、下の者には、苛めて楽しむという、ろくでもない性格で、これでは、殺されても仕方がないと、納得してしまいます。 止めようとした者達も、裁きを下した者も、こういう輩が殺された事自体には、清々したんじゃないでしょうか。 性格が悪い人間は、どんな組織でも、家庭でも、百害あって一利ないです。


【背広服の戦死者】 約12ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「文學界」に掲載されたもの。

  会社で、同僚や上司、先輩達の、生き方の失敗例を目の当たりにするに連れ、将来への希望を失っていき、やけになって、道を踏み外した男が、自殺を決意する話。

  出世コースから外れた会社員が、定年や、自己都合で退職した後、第二の人生に失敗して、落ちぶれて行く様を、よくある例を列挙して、書き連ねてあります。 成功したのは、社内高利貸しを営んで、定年後まで、社に出入りしている老人だけ、というのは、些か、観察が暗過ぎますかねえ。

  しかしと、こういう例を全く知らずに、「何とかなるさ」と、能天気に構えて、ホイホイ、勢いで、勤めを辞めてしまうタイプの人もいるので、参考にはなると思います。 何か、特別な才覚があるのならともかく、普通の人は、自分から退職して、いい事なんぞ、何もありますまい。


【疑惑】 約22ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「サンデー毎日臨時増刊」に掲載されたもの。

  江戸時代、幕臣の家へ婿入りした男がいた。 妻と舅が、以前から知っている男が、その妻と死別してから、やたらと、舅の元に遊びに来るようになる。 妻とその男の不義を疑った夫は、家の様子が気になって、大事な職務を抜け出すが、その間に、担当していた大奥で火災が起こり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。 

  嫉妬心から、死罪間違いなしの、重大なミスをしでかしてしまい、このまま死ぬよりは、不義の妻と、その相手を討ち取ってやろうという話。 無理もない事でして、主人公に、大いに同情します。 婿を蔑ろにして、他の男を贔屓にする舅が悪いですが、他の男をダシにして、夫の嫉妬心を掻き立てようとする、妻も悪い。

  こんな事をすれば、誤解を招くのが当たり前です。 実際に、不義があったか否かに関係なく、殺されて当然ですな。 後になって、誤解だと、いくら言っても、信用してもらえるはずがないです。 父娘揃って、人の心が分からない、大馬鹿者だったんでしょう。 自分の馬鹿が原因で殺されるのは、自業自得の極だな。


【五十四万石の嘘】 約12ページ
  1956年(昭和31年)8月に、「講談倶楽部」に掲載されたもの。

  加藤清正亡き後、息子が後を継ぎ、孫が江戸に住まわされていた。 孫が、退屈の挙句、臆病者の小姓を驚かして楽しむようになるが、小姓の方が、だんだん慣れて来て、驚かなくなる。 そこで、「幕府に対して、謀反を起こす気だ」と、大嘘をつくが、それが、外に漏れて・・・、という話。

  加藤清正の家が、江戸時代初期に、改易になってしまったのは事実ですが、孫の嘘が元だったというのは、たぶん、創作でしょう。 アホらし過ぎて、本当にこんな事があったとしても、歴史に残すとは思えないので。 「人間、閑を持て余すと、ろくな事をせずに、身を滅ぼす」という、教訓を読み取るべきか。


【顔】 約30ページ
  1956年(昭和31年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  交際していた女を殺した、舞台俳優の男。 最後に女と一緒にいる時に、偶然出会った女の知り合いが、自分の顔を覚えているはずだと思い、びくびくしながら暮らしていた。 ある時、映画出演の話が来て、全国的に顔を曝すと、目撃者にバレるかも知れぬと案じて、相手の男を、偽手紙で呼び出し、様子を見ようとするが・・・、という話。

  松本作品の短編では、最も有名な話。 ドラマ化もされていて、そちらで見ている人も多いと思います。 ショートショートの作法で書かれていて、意外な結末が、大変、良く利いています。 文句なしの、傑作ですな。 この原稿を貰いに行った編集者は、読んで、びっくりしたでしょうねえ。 図らずも、途轍もないお宝をいただいてしまったと。

  私事ですが、この作品、中学生の時に、友人に薦められて、読んだ事があります。 懐かしい。 その友人は、星新一さんの本を教えてくれた人で、こういう話なら、私が面白がるだろうと思ったんでしょう。 「はーっ!」と驚くほど、面白かったですが、残念な事に、そこから、松本作品に入って行く事はありませんでした。 文体が、難しいと感じたからだと思います。


【途上】 約14ページ
  1956年(昭和31年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  肺結核を患っている若い男。 もう、どこで死んでもいいと、捨て鉢な気分になっていたが、血を吐いて倒れ、病院に担ぎ込まれた後、養老院のような所に送られて、そこで、老人達や、病人達を観察している内に・・・、という話。

  人が一人、死にますが、犯罪絡みというわけではありません。 他に、これといった事件は起こらず、ただ、人物観察が並べられているだけ。 ストーリーというほどのストーリーはないです。 一般小説としても、ちょっと、物足りないです。


【九十九里浜】 約14ページ
  1956年(昭和31年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。

  大人になってから、亡父の愛人が生んだ腹違いの姉がいる事を知らされた男。 更に、歳月が経って、その姉の夫という人物から、手紙が届き、「九十九里浜で旅館をしているから、良かったら、お姉さんに会いに来てくれ」と言って来た。 で、行ってみたが・・・、という話。

  うーむ。 梗概に書いたところまでは、面白そうなんですが、その後が、全く発展しません。 ただ、姉弟共に、初めて顔を合わせた感動がなくて、気まずい思いをしたというだけの話。 アイデアが膨らまなかったんですかね? 姉が、父の正妻に恨みを抱いていて、腹違いの弟に復讐するつもりで、おびき寄せたとか、巧妙な詐欺に引っ掛かったとか、そういう展開が想像されますが、そういう趣きの話では、全然ないです。 純文学作品の出来損ないみたいな感じ。


【いびき】 約26ページ
  1956年(昭和31年)10月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代。 鼾がひどい渡世人が、人を殺して、お縄になった。 以前、受牢経験のある者から、「牢は、寿司詰めだから、鼾がうるさい奴は、殺されてしまう」と聞いていたので、震え上がり、ひと月足らずの牢生活を、何とか、眠らないようにして乗り切る。 島に流されてからは、せいせいと鼾を掻いて眠れるようになって、女房まで貰い、大いに流人生活を満喫していたが、ある時・・・、という話。

  周囲に迷惑をかける人間は、法の保護も、家族・知友の助けもない所では、いとも簡単に殺されてしまうんですな。 全く、世の中は甘くない。 ちなみに、私は、入院していた時に、同室の高齢者どもが、鼾を掻きまくり、一度目覚めてしまうと、朝まで、眠りたくても眠れないという経験をした事があります。 まあ、昼間眠っても、問題ない所だったから、さほど、激怒したわけではないです。 江戸時代の牢屋は、懲役があるわけではないから、昼間、眠れるような気がしますが、そもそもが寿司詰めでは、そうそう勝手に横になる事はできなかったんでしょう。

  前々から、島流しは、罰にならんような気がしていたのですが、この主人公は、正に、そういうタイプだったわけですな。 働くのが嫌いでないのなら、そもそも、渡世人になんか、ならなければ良かったのに。 この話が終わった後、どうなったのかが気になりますが、たぶん、死罪でしょうねえ。 気の毒に。

  悪の道というのは、入る時には簡単だけど、出る時には、難しいというより、不可能に近いんですわ。 一度、刑務所に入った人間が、その後、何度も、出たり入ったりを繰り返すのは、本人が犯罪以外に生きる術がないというのと、仲間が抜けさせないというのと、二通り、原因があります。 この作品では、後者の方。 傍から見ていると、全く、腹立たしいです。


【声】 約40ページ
  1956年(昭和31年)10月、11月に、「小説公園」に分載されたもの。

  新聞社で電話交換士をしている女性が、間違えて、強盗殺人が行なわれている最中の家に電話をかけて、犯人の一人と話をしてしまう。 それは、報道されたが、犯人は捕まらなかった。 数年後、夫が再就職した会社の同僚が、家に遊びに来るようになるが、たまたま、電話で聞いたその声が、以前聞いた、強盗殺人犯の声と同じと気づき・・・、という話。

  この梗概は、第一部の内容です。 第二部では、警察視点による、クロフツ的殺人事件の捜査になりますが、一部の登場人物が共通しているだけで、第一部とは、全く別の話になります。 一つの話としての纏まりに著しく欠けており、大いに抵抗があります。 敢えて、変わった形式を取ったというよりも、第一部のままでは、話を発展させられなくなり、別方向に切り替えたのではないかと思います。

  第一部に限って言えば、【顔】では、「顔」だったのが、この作品では、「声」が、犯人を特定するモチーフになっていて、普段の様子では気づかなかったのが、ある条件下でのみ、記憶が呼び覚まされて、犯人と分かる、というパターンは同じです。 そのパターンを読み取る事に成功した作家志望者が、「筆跡」とか、「絵のタッチ」とか、モチーフだけ入れ換えて、作品を書き、新人賞に応募したのが、「これは、清張のパクリだ」と、片っ端から落とされたんじゃないかと想像すると、面白いです。 


【共犯者】 約18ページ
  1956年(昭和31年)11月18日号の、「週刊読売」に掲載されたもの。

  かつて、二人で、強盗を働き、金を山分けした男達。 一人は、その金を元手に、事業に成功したが、その内、もう一人がどうしているかが気になり始めた。 人を雇って、調べさせたところ、もう一人も、同じように事業を始めていたが、定期的な報告が続く内に、だんだん、没落して行き、しかも、居住地が、だんだん、自分の住んでいる街に近づいてくる。 これは、恐喝しに来るに違いないと判断し、思いきった解決法に出るが・・・、という話。

  この話、賀来千賀子さん、とよた真帆さん出演のドラマで見た事があります。 登場人物の性別を始め、いろいろと変えてありましたけど。 原作は、犯罪をモチーフにした、滑稽話といったところ。 ドラマのような、感動話ではないです。 纏まりが良くて、松本さんらしい、ドライな短編ですな。


【武将不信】 約14ページ
  1956年(昭和31年)12月に、「キング」に掲載されたもの。

  出羽山形の戦国大名、最上義光は、徳川家康を高く買い、馬を送ったり、次男を人質として差し出したり、様々な方法で、近しい関係を保っていた。 家康が天下人になり、先見の明があったと喜んだのも束の間、家康から、長男を廃嫡して、次男に家を継がせろという圧力がかかり、苦渋の決断で、言う通りにしたが・・・、という話。

  史実を、そのまま書いている観あり。 歴史に興味がある人なら、面白さを感じると思いますが、わざわざ、小説で読まなくてもいいような気もしますねえ。 歴史小説は、創作部分が入るので、書いてあるままを頭に入れていいものか、悩ましいところがあるのです。 小説の方が、面白く読めるというのは、認めるに吝かではありませんが。


【陰謀将軍】 約18ページ
  1956年(昭和31年)12月に、「別冊文藝春秋55号」に掲載されたもの。

  織田信長の後援で、室町幕府最後の将軍となった足利義昭が、信長と不和になって以後、あちこちの戦国大名に手紙を送って、信長と対立させ、勢力を押さえ込もうと目論む話。

  これは、大河ドラマで、よく出て来る歴史場面でして、経緯を知っている人も多かろうと思います。 足利義昭は、個性が強い人なので、その伝記は、誰が書いても、同じような内容になるようです。


【佐渡流人行】 約30ページ
  1957年(昭和32年)1月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代。 結婚前の妻に言い交わした相手がいたと知り、怒った夫が、その相手の男を罠にかけて、牢に入れたり、自分の赴任地となった佐渡金山に送って、死ぬほどきつい労役をやらせたりしていた。 ところが、ある時、とんでもない思い違いをしていた事を知り・・・、という話。

  自分が役人として、佐渡金山に行く事になったので、ついでに、恨みのある男も佐渡金山に送らせるというのが、些か不自然です。 妻と関係があったのが気に入らないなら、妻は佐渡に連れて行くのだから、相手の男は、江戸に残した方が、安心できると思うのですがね。

  しかし、オチが利いていて、一般小説として、よく出来ていると思います。 その後、相手の男はどうなったのか、それだけが、気になります。


【賞】 約12ページ
  1957年(昭和32年)1月に、「新潮」に掲載されたもの。

  自分の姪が結婚する事になったが、相手の男は、父親とは暮らしていないという。 その父親の名前を聞くと、若い頃に、学士院賞を受けた事がある、歴史学者だった。 その父親に会いたくなり、地方に行っているというのを追いかけて行くと、各地の学校で、詐欺紛いの押しかけ講演をして、口を糊しているらしいと分かる話。

  学者として、才能に発展性がないのに、分不相応な賞を貰ったばかりに、一生を棒に振ってしまった男の悲哀を描いた、純文学作品です。 こういう人は、実際に、いくらもいるんでしょうねえ。 「誉めて、伸ばす」という教育方法がありますが、伸び代がない人物を、誉め過ぎると、却って、駄目にしてしまうわけですな。 


【地方紙を買う女】 約24ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  東京在住の女が、連載小説が読みたいからという理由で、甲府の地方新聞を購読契約した。 ところが、小説が佳境に入ったところで、つまらなくなったからと言って、購読を打ち切ってきた。 奇妙に思った小説家が、その女の購読開始から、打ち切った日までの、紙面を調べ、犯罪が絡んでいる事をつきとめる話。

  面白いです。 タイトルを聞いた事があるという事は、たぶん、ドラマ化されているのでしょう。 2時間ドラマにするには、相当、水増ししなければならないと思いますが。 ちなみに、ドラマがあったとしても、私は、見ていません。 見ていたら、こういう話を、忘れるわけがありませんから。

  興信所まで使うほど、読者の反応に敏感な小説家が、実際にいるのかと考えると、ちと、リアリティーに欠けるような気もします。 小説家本人ではなく、担当記者が、疑念を抱き、自分で調べた事にすれば、もっと、自然になったんじゃないでしょうか。 こんなところで、松本さんに駄目出しをしても、栓ないですが。


【鬼畜】 約28ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「別冊文藝春秋57号」に掲載されたもの。

  印刷所を経営している男。 妻に隠れて、愛人を作り、8年の間に、子供を三人も産ませていた。 印刷所が駄目になって、金がなくなると、愛人は、子供達を男に押し付けて、姿をくらましてしまった。 困った男が、妻に尻を押される格好で、子供を始末し始める話。

  映画やドラマになっているから、話を知っている人が多いんじゃないでしょうか。 短編が、原作だったんですなあ。 しかし、この話、あまりにも外道過ぎて、小説でも、映像作品でも、面白いとは、とても感じられません。 一種の、露悪趣味なのでは? 読者や、観客、視聴者が、眉を顰めるのを想像して、楽しんでいるわけだ。

  長男が、最後まで、父親の名前を言わないのですが、殺されかけたのに、まだ、父親を庇っているのか、深く恨んで、父親と認めないという事なのか、いろいろな解釈が利きます。 その部分だけ、純文学になっています。

  この話の、その後が気になるところですが、長男は、妹と会う事ができるんですかね? 兄と妹の仲については、描き込みがないので、想像するしかないのですが、父親とはもう、一緒に暮らす事はできないので、兄妹二人しか、この世に家族がいないわけで、是非、助け合いながら、生きて行って欲しいものです。

  そういや、この父親、別に、殺人は犯していないんですな。 次男を殺したのは、妻の方ですから。 すると、殺人未遂だから、懲役を喰らったとしても、知れていますな。 鬼畜のくせに。


【一年半待て】 約18ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「別冊週刊朝日」に掲載されたもの。

  夫が失業し、妻が保険の外交員をやって、家計を支えていた。 夫は酒に溺れ、外に女まで作り、妻が稼いできた金を、湯水のように使ってしまう。 たまりかねた妻が、夫を殺してしまうが、世間の同情が集まり、執行猶予が付く結果となった。 やがて、妻の支援をしていた文化人の元に、ある人物が訪ねて来て・・・、という話。

  これも、タイトルを聞いた事があるから、ドラマ化されているんでしょう。 見た事はありませんが。 短編なので、気づかない向きもいると思いますが、推理小説としては、アンフェア物になります。 三人称ではあるものの、本体部分は、明らかに、妻の立場で語られており、情報が偏っているので、読者は事件の真相に気づきようがありません。

  愛人と結婚する為に、夫を始末する策略を巡らしたわけですが、殺人なんかやるくらいなら、男と逃げちゃった方が、良かったんじゃないですかね? ちなみに、善悪バランスは、最終的には、とられます。


【甲府在番】 約26ページ
  1957年(昭和32年)5月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代、甲府勤番だった兄が行方不明になり、死んだと見做されて、家と御役目を継いだ弟。 甲府に赴任すると、兄が遺した謎の言葉を手掛かりに、下部温泉付近に、金鉱脈を探しに行くが・・・、という話。

  実話かどうか知りませんが、ネタ元になった書物があると、作中に書いてあります。 梗概だけ読むと、宝探しの冒険物のようですが、松本さんが、そういう作品を書くわけがなく、もっと硬くて、陰気な話です。 ゾクゾクする部分もないではないですが、長さを見ても分かるように、すぐに終わってしまいます。


【捜査圏外の条件】 約18ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「別冊文藝春秋59号」に掲載されたもの。

  不倫旅行の挙句、妹を見殺しにされてしまった男が、見殺しにした自分の同僚を恨み、復讐計画を立てる。 勤めを変え、遠くに移り住んで、敵との関係が分からなくなるように、7年も待った。 いよいよ、復讐を実行したが・・・、という話。

  7年もかけた割には、杜撰極まりない計画で、殺人を実行する直前まで、大勢の他人の前に顔を曝していたのでは、疑われるのは、当然です。 これなら、夜道で襲って、車に載せ、山の中に運んで、埋めてしまう方が、どれだけ、発覚の危険が低いか分かりません。 流行歌が、キーになっていますが、あまり、利いていません。

  この話、古谷一行さん主演の、火曜サスペンスで見ているのですが、そちらも、あまり、印象が強くありません。 面白いと思わなかったんでしょう。 その時期のエンディングだった、竹内まりやさんの、≪シングル・アゲイン≫の方が、記憶に残っています。


【カルネアデスの舟板】 約32ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「文學界」に掲載されたもの。

  戦前・戦中、軍部に阿っていた歴史学者が、戦後、学界を追放されていたが、弟子に当たる若い学者の計らいで、追放が解けて、学界に復帰してくる。 唯物史観の全盛時代が過ぎて、学界の流れが変わると、若い学者も再転向を余儀なくされるが、先に、それをやろうとしている師匠の存在が邪魔になり・・・、という話。

  「カルネアデスの舟板」というのは、「自分の命がかかっている場合は、他者の命を犠牲にするのも、やむなし」という考え方ですが、推理小説や犯罪小説では、そういう設定は、よくある事でして、わざわざ、この言葉をタイトルに掲げるほど、この作品が、哲学的な内容を含んでいるわけではありません。 肩透かしですな。

  ネタバレになりますが、「カルネアデスの舟板」の例に則ったのか、この作品で、善悪バランスは取られません。 ただし、主人公の計算違いがあるので、罪には問われます。


【白い闇】 約31ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  仕事の商取引で、北海道へ出かけた夫が、帰って来なくなった。 懇意にしている夫の従弟に相談したら、青森に、夫の愛人がいる事が分かったが、そこへ訪ねて行っても、夫はいなかった。 その内、その愛人まで、死んでしまう。 やがて、愛人の兄という人物が会いに来て、妻に、ある計画を持ちかける話。

  なんとなく、キメラっぽい話ですが、書かれた年代を考えると、むしろ、こちらの方が先で、この作品のパーツを元に、後に書かれた作品があり、私が先に、そちらを読んでいるから、そう感じるのでしょう。

  以下、ネタバレあり。 

  この夫の従弟というのが、何を望んでいるのか、よく分からない。 従兄の妻に岡惚れしていたというだけでは、動機が弱いのでは? 他に女がいるのに、わざわざ、従兄の妻を手に入れる為に、従兄を殺すとは思えませんが。 その辺を、よく練らないまま、書いてしまったのではないでしょうか。




≪松本清張全集 37 装飾評伝 短編3≫

松本清張全集 37
文藝春秋 1973年7月20日/初版 2008年9月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編25作を収録。 前にも書きましたが、各作品のページ数は、目次に出ている数から計算したものなので、実際には、それより、短いです。 おおまかな目安だと思って下さい。


【発作】 約14ページ
  1957年(昭和32年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。

  妻が病気で死にかけているにも拘らず、世話は義姉に任せっ放しで、仕送りも僅かしかせずに、会社から前借りしたり、高利貸しから借りた金を、愛人やギャンブルに投じている男。 愛人に他に男がいるのではないかと疑念を抱いてから、いらつくようになるが、ある時、電車の中で、奇妙な眠り方をしている人物を見ていたら・・・、という話。

  純文学短編の失敗作という感じ。 これ以上ないくらい、俗っぽい人物を主人公にしていながら、カミュの【異邦人】のようなラストをくっつけていて、木に竹感が全開です。 俗っぽい設定には、俗っぽい結末が欲しいですなあ。


【怖妻の棺】 約18ページ
  1957年(昭和32年)10月に、「週刊朝日別冊」に掲載されたもの。

  江戸時代。 ある男の友人が、その愛人の家で死ぬ。 性格がきつい友人の妻に、その経緯を報告に行った男が、何とか、友人の妻を説得して、遺体を引き取らせる話をつけた。 ところが、愛人の家に戻ったら、友人が息を吹き返していて・・・、という話。

  あとがきによると、「O・ヘンリイのような短編の味を狙った」との事。 確かに、そんな感じですが、松本さんらしくない感じもします。 設定の方が面白くて、結末は、割とよくあるタイプでして、オチの意外性は、あまり感じられません。


【支払い過ぎた縁談】 約12ページ
  1957年(昭和32年)12月2日号の、「週刊新潮」に掲載されたもの。

  地方の素封家に、少し嫁き遅れた娘がいた。 ある時、学者だという青年が、その家に伝わる古文書を見に訪ねて来て、娘と顔を合わせ、その後、娘さんを欲しいと申し込んで来た。 話が進みそうになったが、その内、もっと外見がよく、いかにも裕福そうな、別の青年が現れる。 娘本人も親も、そっちの方が良くなって、学者青年とは、破談にしようという流れになるが・・・、という話。

  ネタバレを気にする必要もなく、読んでいる内に、詐欺に引っ掛かっている事が分かります。 結末が分かってしまうせいか、オチが利きません。 でも、徹頭徹尾、ドライである点は、松本さんらしいです。


【乱気】 約16ページ
  1957年(昭和32年)12月に、「別冊文藝春秋61号」に掲載されたもの。

  徳川綱吉と柳沢吉保に目をかけられた男。 綱吉の死後も、何とか地位を保っていたが、綱吉の時代に冷遇されていたライバルが、自分に敵意を抱いていると思い込む。 饗応役で合役になった際、互いに相談すべき立場なのに、男の方が避けて回っていたが、最終日に、限界を超えてしまい・・・、という話。

  忠臣蔵的な話。 元は、歴史上の実話だそうです。 松本さんは、こういう話を知ると、作品にせずにはいられなかったようですな。 また、よくも、同じような例が、たくさんあったものです。 武士の世界は、常に刃物を持ち歩いているだけに、他人との敵対関係が高じると、刃傷沙汰に発展し易かったんでしょうな。 もっとも、この話の主人公は、勝手に敵対していると思い込んでいただけで、相手側は、とんだ、とばっちりだったのですが。


【雀一羽】 約16ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  生類憐みの令の時世。 将来を嘱望されていたのに、召し使っている者が、雀を殺した事で、柳沢吉保に睨まれて、お役御免になってしまった男。 15年後、綱吉が死に、吉保が失脚して、役職に復帰できるかと期待したが、なかなか、話が来ない。 待ちあぐねている内、精神に異常を来たし・・・、という話。

  これは、実話ではなく、創作だそうです。 生類憐みの令のせいで、失脚した件りと、役目に復職できないまま、おかしくなって行く件りに、因果関係が薄くて、話が二つに分かれてしまっています。 松本さんの作品には、たまに、こういうのがあります。 歴史を無視して、吉保を殺しに行かせるわけにも行かなかったんでしょうな。


【二階】 約20ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「婦人朝日」に掲載されたもの。

  家がいいと言って、無理に退院して来た長患いの夫の為に、専属看護師を雇った妻。 夫と看護師の仲に疑いを抱くようになるが、あまりにも急な事なので、信じられずにいた。 ある時、決定的な場面を目撃し、看護師に暇を出したが、その直後・・・、という話。

  本体部分は一般小説ですが、結末だけ、純文学になっています。 女性向け雑誌の読者を考慮して、女性心理を意識し過ぎた結果、不自然になってしまった感あり。 「こういう人もいる」と言ってしまえば、それまでですが、普通、女性というのは、こんな事はしないと思います。 考え方が、男性より、現実的ですから。


【点】 約22ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「中央公論」に掲載されたもの。

  ある作家の元に、元警察官の作家志望者が、自分の幼い娘を使いにして、作品のアイデアを送ってくる。 ある政党に潜入捜査をした後、警察から追い出された事に恨みを抱いていて、内情を暴露しようという内容で、作品になるようなものではなかったが、いくばくかのお金を娘に持たせて返した。 その後、ついでの時に、その人物の家を訪ねたが、やはり、お金を恵んでやる事になる話。

  実話が元だそうですが、話というほどの話になっていません。 なんで、この作家が、元警官にお金を恵んでやらなければならないのか、どうにも、納得できません。 憐れだから? そんな理由で、赤の他人に金をやっていたら、キリがありませんな。

  あとがきによると、この作品を発表した後、モデルになった本人が、松本さんを訪ねて来て、悶着があったそうですが、そちらの方が、話が面白いです。


【拐帯行】 約18ページ
  1958年(昭和33年)2月に、「日本」に掲載されたもの。

  人生に絶望して、勤め先の金を持ち逃げし、同じように、お先真っ暗な気分になっている交際相手の女と、九州へ自殺覚悟の逃避行に出た男。 旅先で、落ち着いた雰囲気の夫婦者に出会い、話も交わす内に、考え方が変わり、罪を償って、一からやり直そうという気になる話。

  皮肉なオチがついていますが、松本作品を多く読んでいる人は、落ち着いた夫婦者が出て来た時点で、その結末に気づくと思います。。 この作品、なぜか、あとがきに、言及がありません。 書き忘れたのか、書く事がなかったのか・・・。


【ある小官僚の抹殺】 約26ページ
  1958年(昭和33年)2月に、「別冊文藝春秋62号」に掲載されたもの。

  「砂糖疑獄」で、事件のキー・マンである官僚が、長い出張の帰りに、熱海の旅館で、首吊り自殺をした。 死に方に不自然なところがあり、その背景を、松本さんが推測する話。

  前半は、疑獄事件の内容を、そのまま書いたもの。 後半は、松本さんの推理だけで終わっており、創作作品としては、欠格です。 この事件からモチーフを取ったと思われる作品に、【濁った陽】(1960年)や、【中央流沙】(1965年)があります。 詰め腹自殺に、よほど、義憤を感じていたんでしょうな。

  確かに、命と引き換えにできる利益なんて、あるとは思えず、自殺を強要するのも、それを受け入れるのも、理不尽極まりないと思います。 未だに、官僚の世界では、そういう事が行われているようですが、何かが、おかしいんでしょうな。


【黒地の絵】 約34ページ
  1958年(昭和33年)3・4月に、「新潮」に分載されたもの。

  朝鮮戦争最中の福岡。 祭りの太鼓の音に誘われて、米軍基地から、数百人のアフリカ系米兵が、武装したまま、外へ繰り出し、民家へ押し入って、酒を要求したり、女を暴行したり、好き放題をやった。 それが原因で、妻と離婚した男が、数年後、前線から送り返されてくる米兵の死体を処理する仕事に就いて、刺青を手掛かりに、ある人物を捜していた、という話。

  実話が元だそうです。 基地から外に出たのは、なぜか、アフリカ系だけで、ヨーロッパ系はいなかったのだとか。 祭りの太鼓に誘われたと書いてありますが、何か、基地内で、人種の違いに関係するような事件があったんじゃないですかね。 当時、外聞を憚って、被害届けが出ず、米軍の捜査もいい加減で、真相は藪の中ですが。

  それにしても、死体に復讐しても、虚しい感じがしますねえ。 それをし遂げなければ、そこから先の人生を切り開けなかったんでしょうか。


【氷雨】 約14ページ
  1958年(昭和33年)4月に、「小説公園増刊」に掲載されたもの。

  料亭に勤める女。 自分目当てに来ていた男が、自分より若い女中に気を引かれ始めたのを見て、別に、好きな男でもなかったのに、嫉妬と焦りを感じる話。

  話というほどの話ではないです。 女性心理の機微を描こうとしたものの、結果的に、面白くならなかった、という感じ。 松本さんは、人間全般の観察は鋭いですが、女性だけが対象になると、少し、焦点がボケる傾向があります。 それでも、大きく外さないのは、「普通の知能を持った人間に、心が純粋な者などいない」という、基本線を譲らなかったからでしょう。


【額と歯】 約28ページ
  1958年(昭和33年)5月14日の、「週刊朝日奉仕版」に掲載されたもの。

  戦前に起こった、バラバラ死体事件の経緯を、警察や、新聞記者の視点で追ったもの。 街なかで、男の死体の一部が発見されるが、その中に、顔が損傷していない頭部があり、富士額と、八重歯が特徴だった。 こういうケースでは、動機は怨恨という事が多いので、被害者の身元さえ分れば、その関係者が犯人がいると思われ、すぐにでも解決するかに思われたが、なかなか、身元が分からず・・・、という話。

  捜査本部が解散するまでは、単に、捜査の推移を追っているだけで、退屈なのですが、その後、水上警察所属の一警察官が、被害者の顔を、たまたま思い出したところで、ターンして、新聞記者に視点が移ると、特ダネ取りの緊迫した展開になり、俄然、面白くなります。

  松本さんは、アクション場面など、まず書かない人ですが、この後半の展開は、アクション場面より、遥かに血湧き肉踊るものがあります。 ただ、作品のバランスという面から見ると、前半と後半で、話の趣きが全く違ってしまっていて、纏まりは悪いです。 後半は、バラバラ事件の話というより、新聞記者の武勇伝ですから。


【日光中宮祠事件】 約32ページ
  1958年(昭和33年)4月に、「別冊週刊朝日」に掲載されたもの。

  戦後間もない頃、日光の旅館で起きた火災で、一家全員が死亡した。 地元警察署は、旅館主人による無理心中と決めてしまったが、親類の僧侶は、それを頑くなに否定し、再捜査を求めていた。 10年後、別件で逮捕された凶悪犯が、日光の事件についても自供するが、その内容に不自然さを感じた刑事が、再捜査を始め、少ない手がかりから、犯人に繋がる糸を手繰り寄せて行く話。

  実話。 面白いですが、警察捜査の実際を、そのまま、なぞっているだけに、同じ人物の所へ、何度も足を運んだり、都県境を跨いで、あっちへ行ったりこっちへ行ったりで、物語としては、まどろっこしいです。 事件記録が、そのままでは、推理小説には勿論、犯罪小説にもならないという実例ですな。 逆に、こういう内容の方が、リアリティーが感じられて、読み応えがあると思う読者もいると思います。


【真贋の森】 約48ページ
  1958(昭和33年)6月に、「別冊文藝春秋62号」に掲載されたもの。

  在野の美術評論家が、かつて、自分を公的な世界から締め出した、今は亡き大御所学者に復讐しようと思い立つ。 贋作画家を養成して、浦上玉堂の贋作を描かせて、世に出し、大御所学者の弟子に当たる美術評論の重鎮達に真作と判定させてから、引っ繰り返してやろうと目論むが・・・、という話。

  長編、【雑草群落】(1965年)の元になったと思われる作品。 といっても、登場人物は、全く違っています。 モチーフなど、話の骨格が同じというだけ。 短編というより、中編ですが、それにしても、大変な力作で、美術評論関係の知識・情報がみっちり詰まっており、ずっしり重い読み応えがあります。

  それでいて、コチコチに硬い感じがしないのは、松本作品には珍しい一人称で、「俺」が、身を持ち崩しかけた人間特有のヤケなノリで立てた計画について語っているからでしょう。 物語としてではなく、作品として、読む価値が高いと思います。


【装飾評伝】 約18ページ
  1958年(昭和33年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  ある天才的な洋画家について書こうと調べていた人物が、参考資料として、天才画家の友人の画家が書いた評伝を読む。 二人とも、すでに他界しており、もっと詳しく知る為に、友人画家の娘に話を聞きに行くが、「何も知らない」と、にべもなく追い返される。 二人の生前を知る人物に聞きに行き、友人画家の娘にあった事を告げると、「似ているだろう」と、意味深な表情で言われて、ハッとする話。

  天才を友人にもってしまったばかりに、自分の才能の限界を感じ、自滅して行った男の話と言ってもいいかもしれません。 もっとも、天才の方も、ある事情で、精神的に追い詰められて、友人より遥かに早く、死んでしまうのですが。

  しかし、この作品も、【真贋の森】と同じで、物語よりも、盛り込まれている、美術評論や、画家評論の方に重きがあり、あまり、小説らしさは感じられません。 こういう、美術をモチーフにして書かれた小説を読んでいると、「絵は、やはり、絵を直接見た方がいいなあ」と思いますねえ。 文章で説明されても、隔靴掻痒としか言いようがありません。


【巻頭句の女】 約18ページ
  1958年(昭和33年)7月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  俳句の同人雑誌で、巻頭句に選ばれた事がある女性会員が、突然、句を送って来なくなった。 彼女が入所していた療養施設へ訊きに行くと、結婚して、退所したという。 更に、後を追うと、結婚した後、胃癌で他界したとの事。 その経緯の不自然さに疑念を抱いた同人雑誌の選者達が、素人捜査を進めたところ・・・、という話。

  【不法建築】(1967年)と、似た趣向の話。 死ぬ人間が、俳句の関係者であるかどうかは、ストーリーの骨格に関係がないです。 要は、誰か、本当に殺したい相手に、すり変えられる人間がいればいいわけだ。 更に、話の枠だけを取り出してみると、「犯罪を隠す為にやった別の事が、不自然だったせいで、露顕してしまう」という、【赤毛連盟】タイプの話なわけだ。


【紙の牙】 約30ページ
  1958年(昭和33年)10月に、「日本」に掲載されたもの。

  愛人といるところを、市政新聞の記者に見られてしまった市の職員が、恐喝され始め、愛人を維持しているせいで、それでなくても苦しい懐事情が、更に悪化して、追い詰められて行く話。

  梗概に書いただけの、シンプルな話です。 恐喝している方が悪いのは当たり前ですが、恐喝されている主人公も、そもそも、不倫なんかしなければ、こんな馬鹿な結末にはならなかったものを。 下らない事で、人生を棒に振ったものです。 主人公に同情できないせいか、面白さを、ほとんど、感じません。


【剥製】 約16ページ
  1959年(昭和34年)1月に、「中央公論文芸特集号」に掲載されたもの。

  囀りを真似て、野鳥を集める名人のところへ、取材に行った記者。 鳥が集まらずに、名人が枝に置いた鳥の剥製を撮影して帰る羽目になる。 その後、別の雑誌に移り、ある小説家の所へ原稿を取りに行ったところ、かつて、評論家として名を知られた人物と顔を合わせる。 小説家から、その人物に仕事をやってもらえないかと頼まれて、とりあえず、短いものを頼んでみたが・・・、という話。

  時代の変化についていけなかった評論家が、改めて、駄目を出される話。 鳥の鳴き真似名人は、話の枕に過ぎません。 分かり難い比喩になっていて、作品全体で言わんとしている事が、ピンと来ません。

  それにしても、原稿料は払うけれど、掲載はしないというのは、却って、残酷ですな。 単に、憐れみから、金を恵んでやっただけという事になってしまいますが、評論家先生は、プライドを傷つけられて、猛然と苦情を言ってくるんじゃないでしょうか。


【危険な斜面】 約36ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  ある企業の会長が囲っているのが、かつて、自分が交際していた女だと知った、その企業の社員が、女の助けを借りて、部長に出世する。 ところが、女が妊娠した事で、駆け落ちを求められ、男は、とりあえず、女を失踪させる。 一方、その女が交際していた、もう一人の若い男が、女の行方を捜し始める話。

  前半が、経緯編。 後半が、捜査編。 ただし、捜査するのは、素人。 細かく書けば、長編になる骨格です。 今までに、8回もドラマ化されているらしいですが、読んだ人は、みんな、「短編にしておくのは、惜しい」と思うんでしょうねえ。 特に、脚本家の面々は、膨らませるのに腕を振えると、舌舐めずりするんじゃないでしょうか。

  私は、8回の内のどれかを見ているはずなんですが、配役がピンと来ず、思い出せません。 年代的に、一番それらしいのは、1982年版ですが、断定できんなあ。 女が、「紫色が好き」と言うところしか覚えていないのだから、無理もないか。

  小説自体は、前半と後半で、趣きが違い過ぎて、そんなに面白いわけではないです。 捜査するのが、素人ではなく、刑事だったら、もっと、面白くなったと思うのですが、犯人を追い詰める手段が、刑事では、絶対にやれないものでして、素人にせざるを得ないわけですな。 惜しい。


【願望】 約10ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「別冊週刊朝日時代小説傑作特集」に掲載されたもの。

  ひとつは、叩き上げの戦国大名が、親代わりに大事にしている姉に、もっと満足して貰おうと思って、若い家臣に按摩を習わせて、姉につけたところ、精気を吸い取られて、すっかり衰えてしまう話。 もう一つは、慶長年間、楽阿弥という物乞いが、長年かかって貯めた金を、パーッと使って、人を雇い、愛宕詣でに繰り出す話。

  昔の説話集から取って、小説に仕立てたものですが、内容的には、説話そのもので、物語とは思えても、小説という感じは、あまりしません。 二つの話の共通点は、「願望」なのですが、いささか、強引な並べ方という気がせんでもなし。

  二つ目の話は、横溝正史さんの戦前の短編で、【山名耕作の不思議な生活】、【角男】など、同じアイデアの作品をいくつか読みました。 19世紀の西洋の短編を探せば、もっと出て来そうです。 慶長年間(1596-1615年)ですから、こちらの方が古いですが、たぶん、それ以前にも、同じアイデアで書かれた物語があるはず。


【空白の意匠】 約34ページ
  1959年(昭和34年)4・5月に、「新潮」に分載されたもの。

  ある地方新聞で、上得意である薬品会社の広告の上に、その会社の薬害を報じる記事を出してしまった。 しかも、それは誤報だった。 広告部門の責任者が、激怒している広告代理店や、薬品会社に謝りに行くが、相手にしてもらえない。 広告代理店の責任者をもてなして、何とか、赦して貰おうとするが・・・、という話。

  松本さんらしい題材ですな。 社会派ですが、知る人ぞ知る世界で、一般読者には馴染みがないです。 こういう力関係の世界もあるんでしょうが、ビジネスの話ですから、特に理不尽という感じはしません。 そりゃあ、大金を払って、広告を出してやっている側が、こういう真似をされたら、怒るでしょうよ。

  ラストが良くなくて、非常に不愉快な後味が残る話です。 この問題は、明らかに、編集部の責任者が引き起こしたのであって、責任を取らせるべきは、その男なのに、広告部の責任者が詰め腹を切らされるとは、理不尽極まりない。 つまり、広告部の責任者には、代えがいるが、編集部のそれには、いないから、という事でしょうか。 そんな、情けない新聞社なら、畳んでしまった方が、いっそ、サバサバするんじゃないでしょうか。


【上申書】 約20ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  昭和10年代後半、妻殺しの容疑で逮捕された男が、容疑を否認したり、認めたり、何度も証言を修正した挙句、結局、起訴されて、一審では無罪判決を受けたが、控訴されて、二審では有罪判決を受けた。 その後、最高裁の判事に向けて、自ら上申書を書く話。

  後に書かれる、【証言の森】(1967年)と同じ事件を扱ったものですが、こちらは、元になった事件の経緯を追っただけのもので、創作的捻りは盛り込まれていません。 証言が二転三転する点、事件そのものが興味深いものですが、先に、【証言の森】の方を読んでいると、新鮮味がないせいか、面白さを感じません。 先にこちらを読んだら、【証言の森】をどう感じるのだろう?


【部分】 約10ページ
  1960年(昭和35年)7月に、「小説中央公論」に掲載されたもの。

  女の顔が気に入って、結婚を決めた男。 その女の母親に会ったら、娘と良く似ていたが、娘の顔の特徴が、変な方向にズレたような顔で、嫌悪感を抱く。 当初は、夫婦二人で住んでいたから良かったのだが、やがて、事情があって、義母が同居する事になる。 嫌いな顔の義母と顔を突き合わせている内に、妻の顔まで嫌いになりそうなり、精神的に追い詰められて、ある時・・・、という話。

  これは、着眼も面白いし、ストーリーも、面白いです。 ちょっと、毛色が違いますが、実に鮮やかな、「意外な結末」が付いているので、ショートショートのコンテストに送ったら、審査員が、ギョッとするんじゃないでしょうか。 ただし、あまりにもつまらない理由で人が殺されるので、後味は悪いです。

  確かに、どんな美女でも、イケメンでも、顔のパーツだけ取り出して、見たら、グロテスクですな。 私なんか、鼻が高い女性を見ると、怖くて、仕方ありません。


【駅路】 約16ページ
  1960年(昭和35年)8月7日号の、「サンデー毎日」に掲載されたもの。

  定年後、再雇用の話を断って引退した男が、失踪する。 警察が調べると、男の過去の旅行先から、広島に住んでいる女と、男が住んでいた場所との中間地点で落ち合っていた可能性が出てくる。 更に、両者の連絡には、別の人間が介在していた事が分かり・・・、という話。

  あとがきによると、この作品、推理物として読ませようというのではなく、長年、会社と妻子に縛られていた男が、別の人生に逃げ出そうとする願望を描くのが目的だったようです。 しかし、クロフツ的捜査が展開されるので、普通に、推理物として読んでも、面白いです。 とりわけ、松本作品をあまり読んでいない読者なら、ゾクゾク感で、興奮すら覚えるのでは?


【誤差】 約19ページ
  1960年(昭和35年)10月に、「サンデー毎日特別号」に掲載されたもの。

  ある温泉旅館に、先に女が入り、数日してから、相手の男がやってきた。 やがて、男は、不審ないいわけをして、出て行ったきり戻らず、部屋には、女の死体が残されていた。 死亡推定時刻が、二人の医師で食い違い、より権威のある病院長の方の見解で、捜査が進められたが、その内、容疑者の男が、予想外の行動を引き起こしてしまい・・・、という話。

  死亡推定時刻の誤差の部分だけ、実在の監察医の経験が元らしいですが、ストーリーは、創作されたもの。 医者によって、死亡推定時刻を、早めにする人と、遅めにする人がいるというのが、アイデアの芯ですが、肉付けされた他の部分もよく出来ていて、普通に、推理物として、面白いです。




≪雪割草≫

戎光出版株式会社祥 2018年3月20日/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館にあった単行本。 こういう本がある事は、前々から知っていたのですが、内容が一般小説だというので、借りる気になりませんでした。 それが、ごく最近、角川文庫から、文庫版が出たと知り、そちらを買うか買わぬか決める前に、中身を読んでみようと思って、借りて来た次第。

  二段組みで、長編一作と、編者、山口直孝さんによる解題、作者の次女に当たる、野本瑠美さんの寄稿文が収録されています。


【雪割草】 約404ページ
  1941年(昭和16年)6月12日から、12月29日まで、「新潟毎日新聞」と「新潟日々新聞」に、リレーする形で連載されたもの。 なぜ、リレーされたかというと、途中で、「新潟毎日新聞」が、「新潟新聞」と合併して、「新潟日々新聞」になったから。


  信州諏訪に住む父娘。 娘の結婚直前に、父親が実父でない事を理由に婚約破棄される。 そのショックで、養父が死んでしまうが、今はの際に、実父を知っている人物を訪ねるように言われ、娘一人で東京へ出て来る。 早々に、金を持ち逃げされたり、車にはねられたりと、散々な目に遭うが、なりゆき上、身をおく事になった画家の家で、弟子の青年に求婚され・・・、という話。

  この梗概は一部で、この後、この3倍くらい、話が続きます。 NHKの朝ドラとか、少し年配の人なら、かつて、盛んに作られていた昼メロとか、今の人なら、韓ドラのドロドロ系の、少しマイルドなタイプとかを思い浮かべていただければ、ほぼ、その類型です。 ただし、ドラマに比べると、描かれている期間が短くて、ボリュームは少ないです。

  横溝さんが書いた、唯一の一般小説ですが、何の問題もなく、普通に、普通の小説として、読めます。 横溝さんが、大変、器用な人で、一度も書いた経験がなくても、大体、どんなものかが分かっていれば、新聞小説を専業で書いている作家達に引けをとらない作品を、書けたんでしょうな。

  ただし、横溝さん本人は、こういう小説が書きたかったわけでは全然なく、探偵小説や、捕物帳が検閲を通らなくなってしまったから、家族を養う為に、やむを得ず、仕事を請けたのであって、創造性を発揮する余地はなく、単に、器用さを活かしただけの作品になっています。

  一人で生きて行く意欲満々の女性が主人公。 ところが、この人、なかなか、働きません。 有能さは垣間見せるものの、就職の約束をしたところへは、まずは、交通事故に遭って、次には、結婚してしまって、二度もすっぽかし、働く機会がなかなか、訪れないのです。 事故は仕方がないけれど、求婚されて、二つ返事でOKし、結婚しちゃったのは、ちょっと、というか、相当、軽薄ですねえ。

  その亭主になった男というのが、求婚の直前まで、主人公が身を寄せていた画家の家の娘と、縁談らしきものが持ち上がっていたというのだから、正に、後足で砂をかけるような真似をしたわけで、これでは、画家の奥様から、じろりと睨まれても、致し方ありますまい。  しかも、そのタイミングが、画家の息子が登山で遭難して、一家がてんやわんやの最中だったなると、もはや、主人公も相手の男も、人非人と言っても過言ではない。

  また、亭主になった男というのが・・・。 画家が最も目をかけていた弟子であったにも拘らず、結婚後、生活能力が全然ない事を露呈するのです。 駄目人間にも程がある。 稼げなくて、犯罪に走り、拘置所まで行きます。 主人公にすれば、眼鏡違いも甚だしい。 男を見る目がなさ過ぎる。 自分の就職をすっぽかして、専業主婦になるというのなら、せめて、亭主が食い扶持を稼げるかどうかくらい、確かめてからにせえよ。

  こんな細かい事を、グデグデ指摘しても、詮ないから、この辺でやめておきます。

  戦時下に発表されていた作品なので、当然、時局に迎合した、戦時下シフトの内容になっています。 しかし、その度合いは、心配するほど、強くありません。 ただし、強くはないけれど、何度も出て来ます。 「戦時下だから、こういう考え方をしなければならない」といった風に。 また、登場人物が満州へ行く設定も多いです。

  大筋としては、大団円に終わるのですが、満州へ行った人々が、その後どうなったかは、想像に難くないのであって、後の時代から見ると、大団円ではないわけですな。 そこまで、戦時中の横溝さんには、責任はないわけですが。


  この作品、2006年に、草稿の一部だけ、遺品の中から見つかって、2010年から、それを手掛かりに、戦時中の地方新聞を捜したら、ほぼ、全回が発見されたという、発掘作品です。 長編ですから、横溝さん本人が、この作品の存在を忘れていたとは思えないのですが、横溝大ブームの時に、角川文庫旧版に入れられなかったのは、たぶん、戦時下シフト作品を、後世に残したくなかったからだと思います。

  もしかしたら、角川文庫旧版の編纂に関わった、中島河太郎さんも、この作品の事を知っていたんじゃないでしょうか。 「戦時下シフト作品だけは入れないように」という了解が、横溝さんとの間に出来ていたので、外したのでは? これは、私の個人的勘繰りですけど。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫が、4月16日から、21日。
≪松本清張全集 36 地方紙を買う女 短編2≫が、4月23日から、5月2日まで。
≪松本清張全集 37 装飾評伝 短編3≫が、5月7日から、12日まで。
≪雪割草≫が、5月15日から、16日まで。

  ほら、言ったことじゃない。 短編集の感想は、長かったでしょう。 あれだけ、口を酸っぱくして、読むなと言っておいたのに。 松本清張全集ですが、短編集6冊以外にも、全集収録前からの短編集が含まれている巻があり、複雑です。

  この全集、作者の存命中から、発刊が始まり、新たな作品が溜まると、全集に組み入れて行ったようですな。 ≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫は、その最終巻だったわけだ。 【赤い氷河期】は、かなり毛色の違う作品で、「なんで、最後の長編が、未来物なのかなあ?」と、首を傾げてしまいます。 最後に、もう一作、長編推理小説を書いてくれていたら・・・、と思うところですが、もう、その頃には、推理物は書き尽くしたと思っていたのかも知れません。

  ≪雪割草≫ですが、先に、図書館の本で読んだ結果、新刊の文庫を買うのは、やめにしました。 推理物でもないし、戦時シフト作品では、手元に置いても、読み返す事がないと思ったからです。 値段が、1280円もするという事もありますが、たとえ、古本で安くなっても、やはり、買わないと思います。

2021/11/07

読書感想文・蔵出し (78)

  読書感想文です。 今月は、他に出したい記事もないので、感想文で押し捲ろうと思います。 例によって、最終週だけ、プチ・ツーリングの記事になります。





≪松本清張全集 60 聖獣配列≫

松本清張全集 60
文藝春秋 1995年9月30日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作を収録。


【聖獣配列】 約469ページ
  1983年(昭和58年)9月1日号から、1985年9月19日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。


  来日したアメリカ大統領から、昔馴染みのよしみで、お呼びがかかり、迎賓館に連れ込まれた女が、大統領と、日本の首相が、早朝に秘密会談をしている様子を写真に撮った。 その写真をネタに、大統領を脅して、大金を手に入れるが、やがて、秘密会談に関わった通訳や、随員らが、次々と命を落とし始める。 女は、脅し取った金をスイスの銀行に預けていたが・・・、という話。

  近いといえば、スパイ小説でしょうか。 しかし、主人公は、別に、諜報員ではなく、単に、大胆で頭が切れる、水商売の女に過ぎません。 アメリカ大統領を脅して、金を巻き上げようというのですから、大胆にも程があろうというもの。 要求額の桁を一つ下げて、つましく暮らせば、一生、安泰だったと思いますが、そもそも、そういう堅実な発想ができる人間ではないわけだ。

  水商売の女で頭が切れるといえば、【黒革の手帖】の主人公が思い浮かびますが、こちらは、国際政治が舞台ですから、スケールが違います。 あまりにも、大風呂敷過ぎて、現実感を損なっているのが、欠点といえば、欠点。 大体、迎賓館に女を連れ込んで、性交渉に励む米大統領なんて、想像もできません。 そんな事で、夜までハッスルしていたら、昼間の公務に支障を来す事は、避けられますまい。

  スイス銀行のシステムが、細々と説明されていますが、これは、松本さんが、個人的に興味があって調べた事を、半ば強引に、物語に織り込んだんでしょうなあ。 主人公の立場になってみれば、手にした大金をどうするかは、確かに、大問題ですが、銀行に預けたりするより、土地など、後で潰しが利く高価なものを買ってしまった方が、ずっと、安全だと思います。

  狡猾で強欲な主人公の性格に、好感がもてず、そんな人間の先行きがどうなろうが、興味が湧かないせいか、ノリが悪く、決して、面白い小説とは言えません。 スパイ小説が、日本では、一ジャンルとして、地歩を築いていないのも、印象を悪くしている原因かも知れません。

  この作品、「ロッキード事件」をモデルにしているようですが、確かに、それらしい部分は出て来るものの、主要なストーリーが、「金目当ての恐喝事件」に矮小化されているので、この作品を読んで、ロッキード事件について知ろうと思うのは、無理な相談です。




≪坂口安吾全集11≫

坂口安吾全集11
筑摩書房 1990年7月31日/初版
坂口安吾 著

  沼津市立図書館にあった本。 横溝正史さんの角川文庫旧版、≪八つ墓村≫を読んだ時に、解説に、【不連続殺人事件】の事が書いてあったので、どんな作品かと思って、この本を借りて来た次第。


【不連続殺人事件】 約272ページ
  1947年(昭和22年)8月から、1948年8月まで、「日本小説」に、断続的に連載されたもの。

  小説家や画家など、文化人十数人が、地方の金持ちの屋敷に招待される。 初日の夜から、招待された人間が、一人、二人と、殺されて行く。 連続殺人としては、殺される人間に共通点がなく、犯人の動機が分からない。 招待客の中に含まれていた、素人探偵の、通称、巨瀬(こせ)博士が、謎を解き、犯人を指名する話。

  畑違いの作家が、推理小説を書くと、特殊性を主張する為に、必ず、推理小説らしくない要素を入れますが、この作品も典型例です。 いきなり始まるのが、登場人物の説明で、人数が多い上に、一人一人について、延々と説明が続くので、もう、その時点で、読むのが嫌になります。 しかし、そこを飛ばす人はいても、読むのをやめてしまう人はいないでしょう。 ちなみに、飛ばしてしまっても、ストーリーは、分かります。

  登場人物が多過ぎる上に、天才と紙一重の芸術家ばかり、顔を揃えているので、無頼の雰囲気が強過ぎて、なかなか、馴染めません。 会話の内容の、柄が悪過ぎる。 文化人的に、凝った形容ばかり並べるのも、大変、読み難い。 推理小説に、言葉遊びなんぞ、不要です。 そういう点で特徴を出そうとしているのが、作者が門外漢である証拠です。

  屋敷に集まって、殺人が始まると、推理小説らしくなり、読み易くなります。 大勢の人間が、大きな屋敷に、何日も逗留して、次々と殺人が・・・、という設定自体、あまりにも、本格トリック物推理小説的過ぎて、古さを感ぜずにはいられませんが、事は考えようで、だからこそ、本格トリック物の醍醐味を、存分に味わえるという見方もできます。

  以下、ネタバレ、あり。

  殺人が幾つも起こるので、トリックも幾つか使われるのですが、メインはというと、元夫婦の大喧嘩の場面で使われるものでしょうねえ。 これは、独創的で、大変、面白いです。 唐突に、大喧嘩の場面が始まるので、違和感が強いのですが、その違和感こそが、トリックの存在を示していたんですな。

  この作品、雑誌発表時に、犯人当て・謎解きの懸賞がつけられたのですが、相当には複雑な話なのに、全て当てた人がいたらしく、ちょっと、信じられない感じもします。 「当てられるように、書いた」と、作者は書いていますが、一方で、当てられない事を期待して、懸賞をつけたわけで、何だか、矛盾していますな。

  冒頭の、登場人物の説明が、もっと、自然ならば、ずっと、印象が良い作品になったと思います。 作者の頭が論理的なのは認めますが、面白いかどうかというと、私は、さほど、面白くなかったです。 なんだか、他人がゲームをやっているのを、傍から見ているような感じで、ゾクゾク感が全くないのですよ。 探偵役の描写が、全く足りず、ラストの謎解きだけやるというのも、取って付けたようです。


【復員殺人事件】 約268ページ
  1949年(昭和24年)8月から、1950年3月まで、「座談」に、5回に渡って連載された後、雑誌の廃刊により、中絶。 作者の没後、江戸川乱歩氏によって、【樹のごときもの歩く】と改題された上で、高木彬光氏によって、後半部が書かれ、「宝石」誌上で、前半が、1957年8月から、11月まで、後半が、12月から、1958年3月まで連載された後、4月に、解決編が発表されたもの。

  小田原の屋敷に住む一家。 戦時中に、長男とその息子が轢死する事件が起こったが、未解決のままになっていた。 戦後になって、次男が復員して来るが、傷痍が甚だしく、目は潰れ、口はきけず、片腕片脚を失っていた。 彼は、出征前に、長男親子を殺した犯人を知っていると漏らしていたが、それを聞きだす前に殺されてしまい、更に、屋敷に住む人々の死が続く。 朝鮮から戻った下男らが入信している宗教や、次男が残した言葉、「樹のごときもの」の謎などが絡み合い、小田原暑の捜査関係者はもとより、探偵・巨勢博士までが、翻弄される話。

  「復員した男が、肉体の一部を損なっていて、本人かどうか分からない」というアイデアは、横溝作品、【犬神家の一族】と同じですが、そちらは、1950年1月から、1951年5月まで雑誌連載されたものですから、こちらの方が早いです。 しかし、同じように、復員者の肉体の損傷が鍵となっている横溝作品、【車井戸はなぜ軋る】は、1949年1月の発表で、この作品より、早いです。 江戸川作品、【芋虫】(1929年)も、同類と考えられますし、おそらく、この種のアイデア自体、もっと古いのがあると思います。

  うーむ・・・、何というべきか。 前半は、大変、ゾクゾクします。 語り方が、【不連続殺人事件】より、推理小説の定石に近いのが、大きな理由です。 中絶したまま、坂口さんが他界してしまったので、ゾクゾクしたままで、終わってしまったのは、大変、残念です。 後半は、別人が書いたものですが、「樹のごときもの」の謎を、うまく処理してある以外は、やっつけ仕事の印象を拭えません。

  何が悪いといって、犯人が死んだ後に、探偵役が、謎解きをするだけ、という形式が、つまらない。 小説というより、推理小説のアイデアだけ、読まされているような感じです。 高木彬光さんは、所詮、頼まれ仕事だから、他人が考えた話の後半を補うなんて厄介な作業に、気が進むはずなく、こんな結果になってしまったのでしょう。


【投手殺人事件】 約56ページ
  1950年(昭和25年)4月、「講談倶楽部」に、懸賞小説として、掲載。 同年7月に、当選者と、解決編が発表されたもの。 「投手」には、「ピッチャー」のルビあり。

  既婚の映画女優と恋に落ちたプロ野球の投手が、夫が要求して来た手切れ金300万円を用意する為に、他球団への移籍を望んでいた。 女優が在籍している映画会社が持つ球団のスカウト・マンが、会社と交渉して、300万円を出させるが、移籍契約が終わった直後、投手が殺害されてしまい・・・、という話。

  犯人当て懸賞小説も、この長さだと、当てた人が、結構、多かったのではないでしょうか。 殺害現場の見取り図が出ていますが、密室トリックではなく、アリバイ・トリックの方でして、見取り図は、目晦ましだと思います。

  球界スカウトの実態を描くのに、冒頭から、3分の1くらい、費やしていて、バランスが悪いです。 球団名や、登場人物の名前を、煙草の銘柄をもじったもので統一していますが、これは、洒落になっているのか、ただ、鬱陶しいだけなのかは、読む人によって、感じ方が異なるところ。

  尾行場面に、ゾクゾク感がないわけではないですが、とにかく、バランスが悪いので、ストーリー全体は、誉めようがありません。 視点人物がおらず、登場人物の誰にも共感できないのも、読者の立場としては、読み難いです。


【屋根裏の犯人】 約14ページ
  1953年(昭和28年)1月、「キング」に、「西鶴名作選」として、掲載されたもの。

  江戸時代。 ある商家の診察代の代わりに、大晦日に、風呂に招かれた医者が、その家のご隠居が、金を盗まれたと嘆いているのを、テキトーに慰めていたところ、ネズミが犯人だったと分かるが、ご隠居は納得しない。 やむなく、ネズミ使いを呼んで来て、ネズミが物を運べる事を実演してみせる話。

  梗概で、全部書いてしまいましたが、話というほどの話ではないです。 もちろん、ネタバレしたから、どうという話でもなし。 「西鶴名作選」というのは、井原西鶴の作品に似せた話を、現代の作家に書かせる企画だったようです。 


【南京虫殺人事件】 約24ページ
  1953年(昭和28年)1月、「キング」に掲載されたもの。

  ベテラン警官が、不穏な会話をしていた家に踏み込むが、何でもないと追い返されてしまう。 疑念を抱いて、同じく警察官である娘と二人で捜査している内に、その家の女主が殺され、逃げた男二人が、ある屋敷に逃げ込んだ後、姿を消してしまう。 それが、「南京虫」と呼ばれる、小型時計の密売事件に繋がって行く話。

  どうも、面白くありませんな。 推理小説というほど、推理要素が強くないのです。 かといって、一般小説としては、核になる物語要素がないし、人間ドラマとしても、安っぽい。 視点人物は、警官か、その娘なのですが、人格を描き込むほど、ページ数に余裕がないのです。


【選挙殺人事件】 約26ページ
  1953年(昭和28年)6月、「小説新潮」に掲載されたもの。

  零細木工所の社長が、突然、選挙に出馬したのを、奇妙に思った新聞記者が、裏を探ろうとして調査を始めるが、なかなか、社長の真意が掴めない。 知り合いの私立探偵、巨勢博士に相談したところ、記者が取材して来た内容を聞いただけで、真相を言い当ててしまう話。

  【不連続】と【復員】に出てきた巨勢博士が、顔を出すのが、この作品の最大の魅力で、それ以外の部分は、読む価値が、あまり、ありません。 推理小説というより、犯罪小説で、しかも、犯人の心理を描くのが眼目。 このページ数ですから、本格トリックの推理物にはなりようがないです。

  それにしても、巨勢博士という人物、細部のキャラクターが設定されていないせいか、探偵役としては、二流の感を否めません。 ただ、謎解きするだけのマシーンという印象です。


【山の神殺人事件】 約20ページ
  1953年(昭和28年)8月、「講談倶楽部」に掲載されたもの。

  苦労して家産を増やし、公安委員にまでなった農家の親父が、先妻の息子の放蕩に手を焼き、たまたま、息子が新興宗教の呪い師に関わったのを幸いと、呪い師を唆して、息子を殺してしまおうとする話。

  推理小説ではなく、犯罪小説。 なんだか、話の纏まりが悪いです。 親父、息子、呪い師の三人だけなら、いいんですが、息子が入れ上げている、カツギ屋の女が絡むから、話が無駄に複雑になってしまっています。 更に、刑事達も出て来るのですが、このページ数で、こんなに多くの登場人物を動かすのは、無理があります。


【正午の殺人】 約26ページ
  1953年(昭和28年)8月、「小説新潮」に掲載されたもの。

  高齢の人気小説家が、自宅でシャワーを浴びた後、拳銃で頭を撃ち抜いた姿で発見される。 自殺としては、不自然な状況。 当時、邸内にいたり、出入りしていた、愛人1、書生1、編集者2、計4名の証言から、美人編集者の容疑が濃厚とされたが、実は、トリックがあり ・・・、という話。

  機械的トリックです。 発表当時なら、まだ有効だったと思いますが、今となっては、という感じのもの。 しかし、全体のバランスが良くて、印象の良い作品だと思います。 愛人のキャラ設定など、このページ数で、よくぞ、描き込んだものと、感嘆します。

  巨勢博士が出て来て、この作品でも、現場には行かず、他人が調べた資料から、犯人を言い当ててしまいます。 探偵が主役ではないから、素っ気ない感じがしますが、出ないよりは、出て来た方が、ホッとするのは、私が推理小説のパターンに囚われているからでしょうか。


【影のない犯人】 約20ページ
  1953年(昭和28年)9月、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  温泉町に、広大な敷地の別荘を持つ前山家。 その敷地を借りて、各々、生業を営んでいる、医師、剣術家、木彫・南画家の三人が、前山家の当主が病に伏したと知って、当主亡き後、別荘を温泉病院に造り替え、あわよくば、美しい未亡人までたらしこもうと計画していたところ、それがバレてしまう。 やがて、当主が、自然死か毒殺か判然としないまま亡くなり・・・、という話。

  推理小説ではなく、犯罪小説というのも、外れ。 人が一人死ぬだけの、一般小説ですな。 実際、自然死なのか、毒殺なのかは、ボカしてありますし、犯人も分からずじまいです。 そういう事を書いても、ネタバレにならないほど、話として、纏まっていません。 何が言いたいのか、良く分からない。

  20ページしかないのに、キャラが立った登場人物を三人も出したのでは、彼らがどんな人間か紹介するだけで、紙数が尽きてしまい、ストーリーを語る余裕などなくなってしまいます。 三人の会話で話を進めたいばかりに、三人出したとしか思えない。 坂口さんは、会話を多用するのが好きだった模様。


【心霊殺人事件】 約42ページ
  1954年(昭和29年)10月、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  かつての名奇術師で、今は、熱海の旅館の主人に納まっている、伊勢崎九太夫の元へ、二人の女が訪ねて来る。 高利貸しの父親が、奈良から高名な心霊術師をよんで、「ビルマで、現地の女と結婚し、孫を残した」と夢に出てきた長男の降霊をしてもらう事になったが、インチキ臭いので、見破ってくれとの依頼を受ける。 降霊会の前夜に行われた、心霊実験会の最中、父親が何者かに殺されてしまい・・・、という話。

  心霊術というのが、奇術のトリックを使った、完全なインチキである事を前提にして、話が作られています。 オカルトの要素は全くなくて、推理小説のモチーフとして、奇術としての心霊術を使っているだけ。

  面白いです。 探偵役が元奇術師というのが、面白いし、場所が熱海というのも、面白い。 そして、ストーリーのバランスがよく、心霊実験会という場が、インチキと分かっていても尚、ゾクゾク感を盛り上げてくれます。 金だけが命で、心霊なんぞ、まるで信じておらず、子供の事なんか、厄介ものとしか思っていなかった父親が、なぜ、大枚はたいて、心霊術師をよび、降霊会を催そうとしたか、その謎がメインの殺人事件を誘引するという仕掛けも、大変、よく出来ています。


【能面の秘密】 約32ページ
  1955年(昭和30年)2月、「小説新潮」に掲載されたもの。

  熱海の旅館で起こった火災で、客の一人が焼死した。 過失か自殺と思われていたが、ある新聞記者の記事で、他殺の疑いが濃厚になる。 目が見えないマッサージ師の女の証言が鍵になっていたが、相談を受けた伊勢崎九太夫が、この証言の弱点を見抜き、事件を解決する話。

  面白いです。 トリックは、推理小説では、割とありふれたものですが、ストーリーのバランスがいいので、高い完成度を感じられるのです。 やはり、バランスは大事ですな。 謎の言葉、「ラウオームオー」は、種明かしをされないと、全く、分かりませんけど、さほど、大きな問題ではないです。

  熱海の旅館の旦那で、元奇術師の、伊勢崎九太夫シリーズですが、恐らく、巨勢博士シリーズより、面白いと思います。 元奇術師というところが、素人探偵として、頼もしく感じられるのです。 単なる小説家志望崩れで、得体が知れない巨勢博士とは、大違いですな。 作者の他界により、二作で終わってしまったのは、残念です。

  坂口さんの推理小説は、短編でも、犯人の動機をしっかり考えてあって、しかも、最初の犯行の動機が、その後の事件の展開に、常に密接に絡んでくる特徴があるように感じます。




≪松本清張全集 61 霧の会議≫

松本清張全集 61
文藝春秋 1995年10月30日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作、取材旅行日記1作を収録。 一緒に借りた、≪坂口安吾全集11≫が、800ページもあったせいで、押してしまい、返却期限まで、3日しかなくなって、この本は、かなり、飛ばし読みしました。 その上での感想ですから、その程度のものだと承知の上で読んで下さい。


【霧の会議】 約565ページ
  1984年(昭和58年)9月11日から、1986年9月20日まで、「読売新聞夕刊」に連載されたもの。

  フリーメーソンの流派で、P2と呼ばれるマフィアの一員だったイタリアの銀行頭取が、逃亡先のロンドンで橋の上から首を吊った死体で発見される。 警察は、自殺と見ていたが、不倫旅行中の日本人二人が、霧の中で死体が吊るされる現場を目撃していた。 マフィアからの殺害予告を受け、二人は、ヨーロッパ大陸へ逃げるが・・・、という話。

  銀行頭取が首吊り死体で発見された事件は、1982年の実話が元になっているようです。 大枠のストーリーは、スパイ物の作法で書かれた逃避行物ですが、この二人が不倫関係、しかも、ダブル不倫でして、どうにも、主人公として、パッとしません。 一般小説では、やたらと、不倫関係が出る傾向がありますが、根本的に、生き方を勘違いしているんじゃないでしょうかね? そんなに、配偶者以外と恋愛したいのなら、まず、離婚すればいいのでは?

  冒頭からしばらくは、ローマ駐在の日本人新聞記者が、ロンドンへ逃げた銀行頭取の後を追い、イタリアの刑事二人と共に、張り込みをしたり、ロンドン見物をしたりするので、てっきり、その人が主人公なのかと思いますが、そうではなく、不自然な唐突さで、不倫の二人に引き継がれます。 三人称で、松本作品ですから、視点人物が一定しないのは、承知していたものの、やはり、唐突な感は否めません。

  殺人が行なわれるわけですから、犯罪は出て来ますが、推理物ではなく、ゾクゾク感は、全くありません。 スパイ物的な雰囲気はあるものの、そもそも、不倫の二人は、一般人でして、スパイのように、危険は承知の上というわけではないのですから、読者としては、不安な感じがするだけで、ドキドキは勿論、ハラハラすらしません。 「どうして、外国まで行って、マフィア絡みの犯罪に巻き込まれるような、軽薄行動を取るかな?」と、呆れてしまうのです。 主人公に共感できないのだから、面白くなるわけがない。

  描きたかったのは、ヨーロッパの金融システムだそうですが、そういう事に興味がある読者が、どれだけ、いたもんですかねえ。 一般的な日本人としては、フリーメーソンも、マフィアも、むしろ、あまり関わりたくない、特に、詳しくなりたいと思わない、そういう対象なのではないでしょうか。 2年間も連載した新聞も、ご苦労様な事で、「作・松本清張」という名前だけで、押していたんでしょう。

  時間がなかった事もあり、旅行記としか思えない部分は、ほとんど、飛ばし読みしました。 個人的に、ヨーロッパ旅行に行きたいという欲求が全くないので、興味が湧かないのです。 興味がある人でも、80年代初頭と比べると、今のヨーロッパに、多くの魅力を感じられなくなっていると思います。


【フリーメーソンP2マフィア迷走記 -ヨーロッパ取材日記-】 約33ページ
  1984年(昭和59年)9月に、「別冊文藝春秋169号」に掲載されたもの。

  1984年5月28日から、6月18日まで、【霧の会議】の取材の為に、ヨーロッパ数ヵ国を旅行した際の、日記。 松本清張さんの事なら、何でも知っておきたいという、熱烈なファンか、もしくは、【霧の会議】に書かれているような内容に、特に興味がある人以外には、読んでも、あまり、益のない内容です。




≪松本清張全集 62 数の風景・黒い空≫

松本清張全集 62
文藝春秋 1995年11月30日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編2作を収録。


【数の風景】 約236ページ
  1986年(昭和61年)3月7日号から、1987年3月27日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  東京で事業に失敗して、島根県の温泉地に逃げて来ていた男が、地質調査技師、及び、計算狂の女と同宿する。 たまたま、地元のある人物の弱味を握った事をきっかけに、高圧電線下の土地を買って、電力会社をゆする計画を思い立ち、かつての部下のアドバイスを受ける事で、成功したかに見えたが・・・、という話。

  【告訴せず】(1973年)に、似た雰囲気。 軸になっているのは、主人公のかつての部下が教えてくれた、電力会社をゆする方法で、その実行過程だけ、妙に面白いです。 この面白さは、詐欺師を主人公にした話に通じるもので、善良な市民としては、面白がっていいような事ではないのですが、それが分かっていても、尚、面白さを感じてしまいます。

  それ以外は、まあ、松本作品では、よく見られるようなモチーフを並べてあるだけ。 「計算狂の女」は、終わりの方で、存在意義が出て来ますが、色恋沙汰とは無関係なので、とってつけたようなキャラと感じないでもなし。 地質調査技師は、至って、堅気の人物で、主人公が犯罪者紛いの人物なので、「あまり、関わり合いにならなければいいのにな」と、心配してしまいます。

  以下、ネタバレ、あり。

  主人公は、殺されてしまうのですが、その時点で、恐喝罪を犯した、完全な犯罪者なので、別に、気の毒とは感じません。 殺されて当然とも思いませんが。 かつての部下の忠告を聞かなかったバチが当ったんですな。 事務所に雇われていた、電話番の女子社員は、失業してしまったわけで、そちらの方が気の毒です。


【黒い空】 約176ページ
  1987年(昭和62年)8月7日から、1988年3月25日まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  あるグループ企業が、八王子に作った結婚式場。 開業数年を経た頃から、残飯を目当てに、カラスの大群が集まり始める。 グループ会長である女性。 その入り婿ので、式場の社長である夫。 式場の経理担当の女性社員。 式場と契約している神主。 彼らの間で起こる殺人事件の解決に、カラスの習性が関わって来る話。

  松本さんの作品も、80年代後半となると、描かれる情景や社会の雰囲気が、ぐっと新しくなって来ますなあ。 私自身、80年代後半に、社会人になった世代なので、肌で、それを感じる事ができます。 結婚式を、式場で挙げるのが、当たり前になったのは、80年代からだったんでしょう。 70年代までは、まだまだ、どちらかの家で行うケースも多かったわけだ。

  冒頭に、小田原北条氏と、山之内・扇谷上杉氏が戦った、「川越夜戦」の説明が出て来まして、これが、後々、殺人事件に絡んで来るのですが、「400年受け継がれた先祖の恨みが動機」などと言われると、松本作品としては、変り種と言わざるを得ません。 歴史こじつけとしか言いようがないです。

  おそらく、松本さんが、川越夜戦について、興味を持ち、詳しく調べた事があって、そのエネルギーを無駄にしない為に、強引に、ストーリーに組み込んで、作品にしてしまったのでしょう。 殺人事件部分と、歴史伝承の部分が、水と油で、くっきり・はっきり、マーブル模様が出来ている観あり。

  とはいえ、箸にも棒にもかからないというわけでもなくて、書き方がバラバラなので、読む方もバラバラに、部分だけ見れば、そこそこ、面白いです。 郷土史に異様に詳しい農家が出て来ますが、松本さん自身が、モデルなんじゃないでしょうか。 とりわけ、冒頭部の、カルチャー・スクールの講師に、質問する体裁で、持論をふっかけ、やり込めてしまう場面など、そういう事を自身でやってみたかったのでは?




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪松本清張全集 60 聖獣配列≫が、3月14日から、22日。
≪坂口安吾全集11≫が、3月26日から、4月5日まで。
≪松本清張全集 61 霧の会議≫が、4月6日から、7日まで。
≪松本清張全集 62 数の風景・黒い空≫が、4月9日から、14日まで。

  松本清張全集が三冊で、まーた、地味な写真が増えてしまいました。 全集の表紙なんて、写真で見せる必要は全くないんですが、一応、形式を揃える為に、出しています。 馬鹿馬鹿しいといえば、馬鹿馬鹿しい。

  ちなみに、今現在、松本清張全集は、読み終わっています。 1年以上かかったわけで、私も、よく、読んだもの。 というか、他に、読みたいものがなかったんですな。 松本さんの作品に対する総括は、全集の最後の一冊の感想を出す時に、後文で書こうかと思っています。

  ≪坂口安吾全集11≫は、坂口安吾さんの作品から、推理小説だけを集めたもので、何とか、一冊に収める為に、文庫で、800ページなどという、非常識に分厚い本になっており、読み終えるのに、苦労しました。 中身が、そこそこ面白かったから、全部読めたものの、そうでなかったら、【不連続殺人事件】だけにして、あとは、放り出したと思います。

  文庫本は特にそうですが、あまり厚くしてしまうと、接着部分に無理な負荷がかかって、ページが外れてしまう事があります。 せいぜい、400ページくらいが限界なんじゃないでしょうか。 なぜ、2冊に別けぬ?