2025/12/21

時代を語る車達 ⑱

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 このブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新をやめる予定なので、このシリーズも、今回が最後です。 ブログ≪換水録≫の方では、今後も続けるつもりですが、出先で積極的に車の写真を撮って来る事は、なくなるかも知れません。





【スバル・6代目サンバー・バン】

  図書館の駐車場に停まっていた、スバルの、6代目サンバー・バン。 図書館の車で、沼津市の名前が入っています。 6代目は、1999年から、2012年まで、生産・販売されていました。 スバルで開発していたのは、この6代目までで、7代目以降は、ダイハツからの相手先ブランド供給になります。

  サンバーで、私が車に興味を持ち始めた頃に走っていたというと、3代目(1973年~1982年)と、4代目(1982年~1990年)でしょうか。 3代目には、当時のスバル車独特の醜さがありましたが、4代目では、スッキリしたデザインになり、逆に、目立たなくなりました。 4代目をベースに作られた、リッター・カー、ドミンゴは、人気車になったので、良く覚えています。

  5代目(1990年~1999年)は、更にスッキリして、気品さえ感じさせるデザインになりました。 その頃、スバル車のデザイン・レベルが、全体的に向上していたから、軽ワンボックスにも、それが波及して来たんでしょう。

  で、この6代目ですが、5代目よりも、むしろ、後退した感があります。 どうも、ワンボックス車は、フロントに段をつけると、虚弱に見えてしまう傾向がありますな。 衝突安全を考慮しているんでしょうが、物体の形としては、美しさを損なってしまっています。

  軽のワンボックス・トラックは、マツダがやめ、スバルがやめ、スズキ、ダイハツ、三菱だけになってしまいました。 ホンダは、N-VANがありますが、あれは、ハイト・ワゴンから来たもの。 トヨタや日産が、OEM供給で系列軽メーカーの車を売るのは、別に構いませんが、かつて、独自の軽ワンボックス・トラックを造っていたメーカーが、OEM供給車に切り替えると、寂しい感じがしますねえ。 日本の自動車業界全体が、斜陽産業だから、致し方ない事ですが。

  それを考えると、この6代目サンバーも、虚弱だ何だ、などという事を別にして、スバル製最後の車型として、価値があるように感じられます。




【スズキ・マイティボーイ】

  スズキの、マイティボーイ。 ただし、実際の発音は、「マイティー・ボーイ」です。 「マイティボーイ」なんて発音は、逆に難しいですわな。

  1983年から1988年まで、生産・販売されていた車種。 一代限りで終わりました。 2代目セルボをベースに、ピック・アップ・トラックに仕立てたもの。 45万円という、最安の車として売られていました。 荷台はあるけれど、実用車ではなく、洒落9割の遊び車です。 80年代という、車文化が豊かな時代だったからこそ、出て来たもの。

  今では、珍品として、現行の頃よりも高い値段がついているようですが、この車は当時、人気車種などでは、全く、ありませんでした。 「金はないけど、目立ちたい」というテレビCMを、今でも覚えていますが、そのセリフ自体が、貧乏臭く感じられ、実際にお金にゆとりがない若者からも、敬遠されていたのです。 確かに目立つ。 しかし、それは、みっともないという方向の目立ち方だったのです。

  ベースになった、2代目セルボは、女性向けの軽サルーンで、初代セルボが、スポーティーなイメージだったから、当時、まだ若くて、血の気が多かった私は、2代目のお上品で、やわな印象に、がっかりしたものです。 しかし、今では、軽サルーンのコンセプトは、優れていたと思っています。

  マイティボーイは、軽サルーンを元にして、トラックに仕立てたのですから、車の性格が正反対でして、無茶とまでは言いませんが、思い切った事をしたもの。 デザインそのものは悪くなかったものの、安くする為に、前期型では、2代目セルボの規格角2灯を、規格丸2灯に変えていて、ボディーと合っておらず、そこが残念でした。 評判が悪かったからか、後期型では、2代目セルボと同じ、規格角2灯になります。

  この写真の車は、前期型か後期型か、分かりません。 後輪を始め、いろいろと外されていますが、パッと見、ひどく錆びている所もないようなので、欲しがる人もいるのでは。 ちなみに、撮影したのは、沼津市の大平地区です。 この場所には、他にも、旧車が何台か集められていました。 レストアするつもりで買い集めはしたが、なかなか手を着けられないでいる、という感じ。




【スズキ・Kei】

  スズキの、Keiです。 1998年から、2009年まで生産・販売されていた車型。 一代限りで終わりましたが、11年も現行だったのは、当時としては、かなり長い方です。 この写真の車は、グリル内に、Sマークがあるから、後期型。 生産中止から、16年ですから、まだ、見かけても、おかしくはありません。

  1998年からという事は、現行規格のサイズです。 スズキの軽スペシャルティー・カーとしては、セルボ・モードの後継車という事になりますが、車の性格は全く違っていて、Keiは、今風に言えば、SUVですな。 普通車とSUVの中間という意味で、「クロスオーバー SUV」と呼ばれていたらしいですが、普通車とSUVのデザインは、だんだん近づいて来たので、もはや、「クロスオーバー」は、不要でしょう。

  Keiの後継車は、ハスラーですが、これまた、車の性格が違っていて、ハスラーが明確に若者向けであるのに対し、Keiは、もっと幅広い年齢層に買われていました。 その点は、セルボ・モードに近いです。 「最安クラスのアルトでは、嫌だ」という人達が、「軽だけど、上級車種なんだぞ」とアピールしたくて、この車を選んでいたわけだ。 人生とは、何歳になっても、虚栄心から逃れられないものである事よ。

  この写真の車にも、高齢者マークが貼ってありますが、Keiのデザインは、決して、年寄り臭いものではなかったにも拘らず、高齢者にも、抵抗なく受け入れられていたんですな。 勝手な想像ですが、定年退職して、「もう、遠出なんかしないから、車は、軽で充分」と判断し、買い換えたものを、16年以上経った今でも、乗り続けているんじゃないでしょうか。 もし、そうだったら、現在、70代後半という事になりますが、年齢的に、もう車を買い換える気がなくて、古くなったけど、大事に乗っているのかも知れません。




【ホンダ・2代目トゥデイ】

  ホンダ・2代目トゥデイです。 1993年から、1998年まで生産販売されていましたが、1996年のマイナー・チェンジで、独立トランク・リッド式から、ハッチ・バックに変更されていて、この写真の車は、後期型のようです。 3ドア。 遠くて、ナンバーが見えませんが、乗用。 トゥデイは、2代目になってからも、商用ボン・バンは、初代を、「トゥデイ・ハミング」として売っていたので、2代目の商用はないわけだ。

  初代から、2代目に変わった時には、誉める人がいなかった記憶があります。 私の母が、初代初期型の丸灯のに乗っていたのですが、2代目の登場直後、ガソリン・スタンドに行ったら、バイトの青年から、「新しいのより、こっちの方が、ずっと、いいですよね」と言われたそうです。 別に、顔見知りでも何でもなかったらしいのですが、その青年、誰かに言わなければ、気が済まなかったのでしょう。

  2代目の前期型は、リア・エンドが特異過ぎて、今見ても、いいとは思えません。 特に、2ドアは、見るに耐えぬ。 乗用車専用である事を主張する為に、独立トランク・リッドにしたようですが、セダンのトランクを意識していたのは疑いないところで、軽自動車のサイズで、トランク・ルーム的なものを付けるのは、明らかに無理があります。 「軽で、セダンを」という発想が、そもそも、子供っぽいです。 ダイハツの、2代目オプティは、もろ、それですが、「滑稽・陳腐」としか表現のしようがありません。

  2代目トゥデイですが、ハッチ・バックになった後期型は、割と常識的な後ろ姿になりました。 個性に欠けると言えば、その通りですが、悪い個性なんぞ、ない方がマシなのであって、こちらの方が、断然、いいと思います。 トヨタ・初代ヴィッツが、1999年に登場し、一躍、人気車種になるのですが、まず間違いなく、この、2代目トゥデイ後期型を、手本にしていると思います。 ネットで検索して、見比べてみて下さい。

  この写真の車、エンジン・フードが艶消し黒で塗られていたり、車内に、ロール・バーを入れてあったりして、ラリー仕様にしている模様。 軽のサイズで、ラリーは怖いと思うのですが、怖い方が好きな人なのかも知れませんな。 そういう特殊な用途でなければ、1998年に型落ちした車が、現代まで使い続けられる事はないのでしょう。 もっとも、私のセルボ・モードは、1997年製で、現役なのですが。




【脱落ホイール・カバー】

  街なかか、郊外かを問わず、よく見かける、脱落したホイール・カバー。 私が子供の頃には、鉄製で、裏側がジグザクにプレス成型されたごついものでしたが、いつの間にか、プラスチックに金属バネの輪が入っただけの、シンプルなものに代わりました。

  この写真のものは、トヨタのマークが入っていますが、どの年代の、どの車種のものかは、分かりません。 わざわざ調べるほど、深い興味はないです。 手前にあるのは、部品の残骸のようなので、ここで、事故があったのかも知れませんな。 片付けていないという事は、自損事故で、そのまま、走り去ってしまったのでしょう。 もちろん、警察に連絡もしていないと。

  私の経験から言うと、ホイール・カバーに限らず、車やバイクから脱落したものを、後で探しに行って、見つかった例しがありません。 それには、理由が考えられて、直前に走った所しか探せないので、実際に脱落した時と、脱落している事に気づいた時の間に、時間的隔たりがあると、落ちている場所を特定できないからだと思います。 大きな音でもすれば別ですが、大抵は、落ちた事に気づかないものです。

  ホイール・カバーが脱落する原因は、大きく分けて、二つ考えられます。 一つは、縁石などに、ホイール・カバーが直接ぶつかった場合。 もう一つは、一旦 外して、付け直した時に、爪が完全に嵌まっていない事に気づかなかった場合。

  前者では、衝撃がありますが、パニクってしまい、その場を離れる事に夢中で、ホイール・カバーが外れた事まで気が回らないのではないかと思います。 場所が分かっているのだから、後で気づいて探しに行けば、見つかる可能性はありますが、キズが大きくて、もう使い物にならないでしょう。

  後者では、普通に走っている時でも、振動で一つずつ爪が外れて行って、いつの間にか落ちているので、落とした場所が、全く分からなくなります。 ケースとしては、こちらの方が、多いのでは? 落ちているホイール・カバーの状態を見て、目立ったキズがないようなら、走行中の脱落でしょう。 対策としては、定期的に、ホイール・カバーの縁を押してみて、ちゃんと嵌まっているかどうか、確認するしかありません。 乗る度にしなくても、一ヵ月に一度でも、半年に一度でも、一年に一度でも、やらないよりは、いいと思います。

  ホイール・カバーが、なくなってしまった場合、割と新しい車なら、ディーラーに注文すれば、買えますが、一枚、5千円以上するのでは? プラスチック製なのに、異様に高いです。 ネット・オークションなら、送料込みでも、2千円くらいで買えるかもしれません。 ただし、写真では、キズが分からない場合もあります。 さすがに、割れは分かりますが、出品する方も、割れてたら、割れていると書くか、そもそも出品しないでしょう。

  逆に考えると、脱落したホイール・カバーを路肩で拾った場合、程度が良ければ、ネット・オークションで捌けるわけですが、法的には、拾得物横領罪に該当するので、それで、小遣い稼ぎしようなどと目論むのは、考えものですな。 一般論ですが、恒常的に違法行為をやっていると、いつか、手が後ろに回り、臍を咬む事になります。

  拾得物として、警察に届けてしまえば、持ち主が現れる可能性は、ほぼ、ゼロですから、いずれは、自分のものになります。 しかし、千円というのは、そんな手間をかけてまで手に入れるほどの金額ではありませんなあ。 結局、脱落ホイール・カバーを見つけても、無視して、放っておくのが、一番か。


  あと、さして、拘りもない、どーでもいー見解ですが、「自分の車に着けられるホイール・カバーを、何種類か買って、時々、着け換えて、変化を楽しもう」といった事は、やらない方がいいです。 やりたい気持ちはよく分かる。 アルミ・ホイールに劣等意識を抱いている人は、「ホイール・カバーの方が、いろんなのを着けられるから、楽しいよ」などと言って、負け惜しみを言いたくなるものです。 私自身、そういう考えを持った事があります。

  だけど、なぜ、私がやらなかったかというと、ホイール・カバーを頻繁に着け換えていると、爪折れや、円盤部の割れといった、笑えない問題を誘発してしかねないと悟ったからなのです。 「車検や点検の時だけ、やむなく、外すもの」くらいに思っていた方がいいです。 古い車の場合、ディーラーに任せず、自分の手で慎重に脱着しないと、ただ外すだけ、ただ着けるだけで、壊れる恐れすらあります。

  着け換えを楽しまなくても、ホイール・カバーの方が、アルミ・ホイールより、優れている点はあります。 それは、ブレーキ・パッドの滓で、茶色に汚れる事がない点です。 また、ディスクが錆びていても、見えませんから、「どうにかしなきゃなあ…」などと、悩まなくて済みます。 こういう事は意外と重要でして、車に乗る度に気分が落ち込んでいたのでは、精神衛生上、大変 宜しくないです。

2025/12/14

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑫

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の4月3日まででした。 今回は、その続きですが、このシリーズは、これで終わりになります。 このブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新をやめる事にしたので、闘病記が最後まで行ったのは、偶然とはいえ、幸いでした。 他のシリーズは、いつ終わっても、問題ない性質のものですし。




【2025/04/09 水】
  外掃除の後、盆栽棚下の、第4落ち葉溜めに入れてあった土を掻き出しました。 5月になったら、松の手入れをするので、その前に、切った枝葉を入れる所を空けておかなければならないのです。 土は、先に、朝顔用のプランター9基に入れ、余った分は、庭のあちこちの、低くなっていた所に撒きました。

  野菜屑を入れていた第2落ち葉溜めが、ほぼ満杯になっていたので、第3の中身を掻き出し、まだ土になっていない枝葉を第2に押し込み、その前に、土を盛り上げました。 今度は、第3が、野菜屑入れ場になります。

  大変、疲れました。 始める前から、頭がクラクラ。 インスリン注射を打っていないのに、低血糖はありえないので、このクラクラの原因が分かりません。 陽気が暖か過ぎたのかも知れません。



【2025/04/18 金】
  血糖値計測の前の食事では、炭水化物を食べないようにしたいと思い、その代わり、満腹感を得る為に、「しらたき・麺つゆ煮込み」を作って、食べてみたのですが、あまりのまずさに、げんなりしてしまいました。 しらたきは、すき焼きのように、濃い口の醤油で、長時間、ぐつぐつ煮込むから、味がしみるのであって、めんつゆで温める程度では、駄目なんですな。 ゴムを食べているような感じ。

  これなら、蒟蒻を刺身状に切って煮込み、味噌やケチャップをつけて食べた方が、うまいかも知れません。 ちなみに、しらたきも、蒟蒻も、カロリーは、ほとんど、ありません。 満腹感を得るには持って来いなのですが、気分が悪くなるほど まずいのでは、食べない方が、マシです。



【2025/04/21 月】
  午前9時から、母自で、病院へ。 採血と採尿だけで、診察はなし。 1500円。 10時半には、家に戻って来ました。

  来週の月曜に診察を受けに行きますが、その時に聞ける今日の検査の結果次第では、病院通いを終わりにしようと思っています。 手術をしてくれない病院に、いつまでも、つきあっていられませんから。



【2025/04/23 水】
  体が、妙に、だるいです。 睡眠不足か、はたまた、何かもっと、重大な健康障碍か。 もう、健康の問題は、間に合っているんですがねえ。



【2025/04/28 月】
  9時に家を出て、母自で、病院へ。 9時半に受付。

  すぐに内科に行きましたが、さんざん待つ事になり、診察されたのは、11時でした。 交代した、新任の糖尿病専門医は、若い男性でした。 30歳前後でしょうか。

  先週の血液検査の結果は、×。 肝臓の数値は、また、悪くなっていました。 インスリン注射が原因と思われていたのですが、そうではないのか、それだけではないのか、原因不明だとの事。

  肝臓専門の医師が、もっと大きな病院への紹介状を書いてくれたとの事で、どうするか訊かれましたが、断りました。 家から遠過ぎるからです。 そもそも、その大きな病院へ行けるのなら、最初から、そちらを選んでいます。 検査や治療に何回通う事になるかも分からないのに、一回で丸一日かかるような病院へは行けません。

  図らずも、今の病院では、この肝臓数値の異常原因をつきとめられない、つまり、治療できない事がはっきり分かりました。 肝臓数値が改善しない限り、鼠蹊ヘルニアの手術ができない事は、すでに分かっていたので、通院は、今日で終わりにしてもらいました。 糖尿病の治療について何も言われなかったのは、私の血糖値が下がっていて、インスリン注射も薬も必要ない状態になっていたからでしょう。 5月に入っていた、眼科の予約もキャンセル。 

  半年も通っているのに、鼠蹊ヘルニアの方は、全く治療を受けておらず、内科でも、複数の医師を盥回しにされ、うんざりしていたので、もう行かなくて済む事になって、清々しました。 少しでも、いい方へ向かっていれば、耐えもしますが、全く進まないとなると、半年は通い過ぎというものでしょう。

  肝臓数値の悪化ですが、特に何が原因というわけではなく、食事制限と運動療法で、生活習慣が大きく変わったせいで、体のバランスが狂っているのかも知れませんねえ。 肝臓専門の医師も、それらしい事を口にしていましたし。 そんなに微妙なバランスでは、調整のしようがありません。 とりわけ、食事が絡んで来るとなると、どの食べ物がどう影響しているのか、つきとめるのは、至難の業です。 入院して、検査を受けても、何ヵ月もかかってしまうでしょう。

  今の病院に通い始めてから、肝臓数値の悪化が始まったわけだから、通う前の生活に戻せば、治ると思うのですが、それをやると、今度は、血糖値が上がって、糖尿病が悪くなってしまいます。 やれやれ。 困った事になったものだて。

  とりあえず、しばらく、病院にはかからず、様子を見る事にします。



【2025/04/29 火】
  午後、血糖値計測してから、布団を取り込みました。 通院は終わりましたが、血糖値計測器の試験紙が、まだ、2ヵ月半分 残っているので、使い切るまでは、計測を続けます。



【2025/05/02 金】
  炭水化物を減らす為に、代わりに食べ始めた、しらたきですが、少しでも美味く感じられる食べ方を、少しずつ開発しています。 一回に食べる量は、半分です。 袋から、笊にあけて、水洗いし、水を切ってから、器に移します。

  めんつゆは、よほど濃くしないと、しらたきの臭みが消えないので、没。

  袋ラーメンのスープに入れて、少し煮るのは、OK。 ダイエット食に、「しらたき・ラーメン」を薦めている人が多いのも、頷けます。 ただし、スープを単独で買ったのでは、高くついてしまうので、あくまで、袋ラーメンのスープを流用するのが、条件になります。

  スープをしらたきに使ってしまったら、袋ラーメンの麺はどうするのか? やきそばにすれば、スープなしで食べられます。 焼くのは、手間がかかり過ぎるので、駄目。 ウースター・ソースをかけ、電子レンジでチンして、ふりかけをかけて食べると、ほぼ、カップ・やきそばの味になります。

  しらたきに話を戻しますが、麻婆豆腐に絡めて食べるのは、OK。 茄子のそぼろ餡かけに絡めるのも、OK。 しらたきに、ウースター・ソースをかけ、電子レンジでチンして、ふりかけをかけるのも試してみましたが、めんつゆよりはいいものの、美味というレベルには届きませんでした。

  ちなみに、炭水化物をしらたきで代用すると、血糖値は、覿面に落ちます。 だって、糖質を摂っていないんだものね。 計測対策のインチキ? そんな事はないです。 一日一食でも、炭水化物を外せば、長期的に見れば、ヘモグロビンA1Cが下がるのであって、やらないより、ずっと、マシです。 ただし、仕事でも遊びでも、その食事の後、体力を使う事が分かっている場合は、炭水化物を摂っておいた方がいいと思います。



【2025/05/10 土】
  ここのところ、どうも、疲れ易い。 体重は変わらないし、血糖値も低くなり過ぎてはいないのですが、明らかに、全身の肉が落ちています。 もしかしたら、屋内歩行で運動をし過ぎて、筋肉内の糖分を使い切ってしまっているのかも知れません。 肝臓の数値が悪化したのも、それが原因だったのでは? 少し、炭水化物の量を増やして、様子を見てみます。



【2025/05/22 木】
  どうも、体に力が入らないので、三食中一食を、しらたきにするのは、明日から中止し、歩行数も、1万から、8千に減らして、血糖値がどうなるか、様子を見てみようと思います。



【2025/06/03 火】
  三食中一食 食べていた、しらたきをやめ、麦飯や麺など、炭水化物に戻したところ、頭がクラクラしたり、異様な脱力を感じたりする症状は出なくなりました。 やはり、筋肉中の糖分が減り過ぎていたのでしょう。 この症状は、血糖値とは、直接的な関係はないようで、低血糖とは違うのです。 測ると、100以上、あるのです。 70以下が、低血糖ですから、だいぶ、開きがあります。

  血液中の糖分が減ったのを、筋肉から補っているのだと思いますが、糖尿病を宣告され、早く血糖値を下げようと、一気に、甘い物や、炭水化物を摂らなくなった人は、こういう症状が出てしまう可能性が高いと思います。 ただただ、糖分を絶てばいいというわけでもないわけだ。 難しい。

  私が病院から買った血糖値測定器は、試験紙が、あと1ヵ月半くらいで尽きます。 同じ製品は、市販されていないようなので、それ以降は、測れなくなります。 それまでに、正常な血糖値を維持できる、食事量と運動量を確立しなければならないのですが、この脱力症状は、一つの指標になるかも知れません。 脱力症状が出たら、炭水化物を増やせばいいわけだ。 症状が消えたら、また、しらたきにしてもいいと。



【2025/06/18 水】
  昨日、昼食後に測った血糖値が、196を出してしまい、顔色が青くなりました。 どうも、昼食後は、高くなる傾向があります。

  昼食での炭水化物が多過ぎると判断し、昨日まで、袋ラーメンを一杯食べていたのを、今日から、半分に減らしました。 ちなみに、他に、葉物野菜と、常備菜なども食べているから、ラーメンが半分になっても、満腹できないわけではありません。

  炭水化物を減らすと、筋肉から血液に、糖分をとられてしまい、力が入らなくなりますが、私の午後の日課は、昼寝と読書がメインなので、多少、へろへろ気味でも、たぶん、大丈夫でしょう。

  で、今日は、夕食前の計測でしたが、109でした。 これなら、空腹時の正常値内で、問題なし。 やはり、昼食のラーメンが多過ぎたのか。 計測器の試験紙は、あと、25日分くらいしか残っていませんが、使いきる前に、血糖値を安定させねばなりません。



【2025/06/20 金】
  今日、久しぶりに、食パンを買って来ました。 イオンのベスト・プライス商品に、5枚切りで、税込み、150円台のがあったので、昼食の袋ラーメン・半分を、食パン1枚に置き換えれば、ほぼ、カロリーが同じで、用意する手間は、遥かに楽になると思って。 確かに、楽でした。 血糖値を見ながら、しばらく、このパターンで行ってみようと思います。



【2025/06/24 火】
  3月中旬から、足が浮腫むようになり、特に、右足は、ひどかったのですが、延々と続いていたのが、ここ数日、漸く、治る兆しが見え始めました。

  今までの経過を書きますと、起きている間は、立っていても、座っていても、足の甲から、踵、脹脛にかけて、膨れ上がります。 横になっていると、多少、細くなりますが、完全に戻るわけではありません。 右足は、ずっと。 左足は、一時期、右足に近い状態になった事もありますが、期間は短かったです。 浮腫むようになった原因は、未だ、不明です。

  それが、この一週間くらい、浮腫みが収まって来たわけですが、その理由も分かりません。 暖かくなったからかも知れませんが、ただ単に暖かい日なら、それまでにもあったのであって、そうとも決められません。

  10日くらい前から、手指足指の運動を再開したのですが、それが効いたのかも知れません。 冬の間は、もちろん、やっていました。 冬が終わってから、やらなくなっていたのですが、「むしろ、暖かい季節にこそ、指の運動をすれば、毛細血管が通り易くなるのでは?」と思い、駄目元で、始めてみたのです。

  とにかく、浮腫みが治って来たのは、ありがたい。 靴を履く時にも、肉を押し込まなくて、済みます。 このまま、毛細血管の通りも良くなって、寒がりも治ってくれれば、先々の冬が凌ぎ易くなるのですがねえ。



【2025/07/10 木】
  血糖値計測ですが、試験紙と針が、残り、一週間分くらい。 今のところ、一週間平均、130以下で、安定しています。 空腹時、110以下は、ほとんど ないですが、食後でも、130前後という事が多いので、平均を取ると、低くなるのです。



【2025/07/11 金】
  尾籠な話で、恐縮ですが・・・。

  去年の暮れから、今年の正月にかけて、ひどい便秘になり、半月間も出なかった時期があったのですが、その後は、便秘体質そのものが治ってしまい、ほぼ毎日、出るようになりました。 出ない日があっても、二日は続きません。

  高校生くらいの頃から、働いている間を通して、ずっと、便秘体質で、一週間か、十日くらい出ずに、出始めると、硬い便から、水便まで、どさっと出るというパターンを繰り返して来ました。 引退後は、他人ストレスが減ったせいか、間隔が短くなり、三日か、せいぜい、五日に一回は出るように変わって、10年。 それが、今年の1月以降は、ほぼ、毎日出るようになったわけです。 糖尿病治療の食事制限で、食物繊維が豊富なものばかり食べるようになったので、そのせいでしょう。

  人生のほとんどを、便秘体質で過ごして来たので、便秘でない正常な便通というのが、どういうものなのか、分からなくなっていたのですが、今現在の感覚で言うと、常に、大腸内で、肛門近くまで、便が来ているという感じです。 便意は弱いのですが、トイレに座って、少しイキむと、スタンバイしていた便が、割と容易に出て来ます。

  以前は、出先で便意を催すと、急転直下という感じで、顔色真っ青で、店や施設のトイレに駆け込んだものですが、今は、便意自体が弱いので、尿と同じように、我慢が利きます。 家に戻ってから出しても、ゆうゆう、間に合うようになりました。 こういうのが、正常な便意なのかも知れません。



【2025/07/21 月】
  昨年10月から、毎日続けていた、血糖値計測ですが、今日の分で、試験紙を使い終わり、終了しました。 先に、針の方を使い切ってしまい、残り二回は、余っていたインスリン注射用の針を使いました。 ちゃんと、血が出ましたよ。

  最後の計測は、昼食後で、167でした。 食後としては、正常値内ですが、一週間平均で、135を目的にしていたので、ちと、高いです。 もはや、測りようがありませんが。

  市販の計測器セットが、売っている事は売っていますが、保険が利かないので、高いです。 それに、使った針を処分する方法がないので、買う気はないです。 今日まで使っていた針は、いずれ、通っていた総合病院へ行って、医療廃棄物入れに出して来る予定。



【2025/07/23 水】
  血糖値計測で使った針と、インスリン注射の針で、未使用のものを、医療廃棄物用の厚手ビニール袋に入れ、病院へ出しに行く準備を整えました。 明日、持って行きます。

  計測器本体と、穿孔器は、計測器の元箱に入れて、とりあえず、保存。 もう、使う事はないと思うので、いずれ、捨てる事になりますが。



【2025/07/24 木】
  総合病院へ。 何食わぬ顔で、自転車置き場に停め、何食わぬ顔で、中に入り、何食わぬ顔で、医療廃棄物入れがある部屋へ行き、針を捨てて来ました。 もちろん、何も言われませんでした。 そもそも、この病院で買ったものだから、捨てる権利はあります。 出して、清々しました。 これでもう、この病院に来る事は、二度とありません。




  闘病記は、これで、終わりです。 正確に言えば、闘病は、私が死ぬまで続くわけですが、とりあえず、病院に関連する記事が尽きたところまでにします。

  その後、検査をしていないから、血糖値や、肝臓の数値がどうなっているのか分かりませんが、自覚症状的には、まあ何とか、安定しているという感じ。 体重や、血圧は、変わりません。

  今にして振り返ると、肝臓の数値が悪化したのは、血糖値を下げる為に、糖分を控え過ぎて、エネルギーが足りなくなっていたからなのでしょう。 疲れ易い、体に力が入らない、という症状は、とっくからなくなっているから、今、病院へ行けば、肝臓の数値が正常に戻っている可能性は高いですが、病院通いには、ほとほと懲りてしまったので、行く気はないです。

  正直、今後、倒れたり、意識を失ったりしない限り、どんな病院へも、行く気は全くありません。 医療機関というものが、根本的に、信用できなくなったのです。 日本の医療は、構造に問題があり、制度的にも、現場的にも、崩壊しつつあるそうですが、自分の経験で、それを目の当たりにしてしまった感あり。

2025/12/07

読書感想文・蔵出し (131)

  読書感想文です。 今回 出す分で、高村薫さんの作品は、おしまい。 まだ、短編で読んでいないものがありますが、アンソロジー収録だと、他の作家の作品も読まなければならないので、気が進まず、借りていません。 短編集は、感想を書くのが大変なんだわ。 特に好きでない作家の作品を読むのも、苦痛ですし。





≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫

筒井康隆コレクション
株式会社 出版芸術社
2015年10月30日 第1刷発行
筒井康隆 著  日下三蔵 編

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーのシリーズ本の一冊。 基本、二段組み、一部、一段組みで、約593ページ。 分厚いです。 <欠陥大百科>全部と、<発作的作品群>の一部を収録。 <欠陥大百科>は、1970年5月刊行で、ショートショート、論考型エッセイを、百科辞典形式で編んだもの。 <発作的作品群>は、1971年7月刊行で、ショートショート、短編、講談、戯曲、座談会などを、集めたもの。

  どちらも、二段組み、300ページ近くもあるのに、<欠陥大百科>は、二日間で、<発作的作品群>に至っては、一日で読んでしまったわけですが、私の読書ペースは、そんなに速くないので、飛ばし読みした部分があるわけです。 特に、<発作的作品群>は、飛ばした飛ばした。

  <欠陥大百科>と同じように、寄せ集め作品集なのですが、<発作的作品群>の方が、当時、押し寄せる注文を捌く為か、テケトーに、もしくは、ヤケクソで、もしくは、投げ遣りに、もしくは、やっつけで書いたと思われるものが多くて、そういう作品は、読もうとしても、目がついて行かなかった次第。 筒井さんには、申しわけないですが・・・。

  <欠陥大百科>は、読むのは楽しかったものの、感想には困った。 収録作品が多過ぎて、一作ずつ書いていたのでは、一週間くらいかかってしまいます。 <発作的作品群>を読んで、ますます、困った。 ショートショートは、高いレベルなのですが、解題を読んだら、私がもっている文庫にも収録されている作品が多い事が分かり、ビックリ! 読んだのが大昔だから、忘れていただけだったんですな。

  【駝鳥】は、絵本になったのが、図書館にあると知り、探したけれど見つけられず、悔しい思いをしたのが、一年半くらい前の事。 ところが、原作が、新潮文庫の、≪笑うな≫に入っていたんですな。 私の部屋にあったではないか! これだけの傑作を忘れてしまう、私の記憶力って、どんだけ、いい加減なのよ?

  筒井作品でも、古いものの感想は書いていないので、≪筒井康隆コレクションⅢ≫に入っている作品の感想を書いてしまうと、他のものも書かなければならないような強迫観念に苛まれて、大ごとになってしまいます。 それは、怖い。 主だったものだけでも、一体、何百作あるのだろう? 感想を書いている途中で、私の寿命が尽きるのは、疑いなし。

  ここは一つ、個別作品の感想は避けて、全体の印象だけにしておきましょうか。 もちろん、今回は例外で、新作掌編小説の作品集が出たら、一作ずつ、感想を書きますけど。

  <欠陥大百科>も、<発作的作品群>も、筒井さんが売れっ子になった頃の刊行です。 出版社としては、本が出したくて仕方がない。 しかし、作品が足りない。 筒井さんが書いたものなら、小説でなくても、何でも売れると見た編集者が、雑誌に掲載された作品をジャンル構わず掻き集めた結果、この二冊が世に出たという流れ。 百科辞典の体裁をとっていたり、「発作的作品」という名前を付けたりしているのは、纏まりがないものを括る為の、苦肉のアイデアなんですな。

  ショートショートは、押し並べて、レベルが高いです。 しかし、その為に、この本を買う/借りるのだとしたら、迂遠な話で、文庫に入っているのを読んだ方が、手軽です。 筒井さんほどの作家ですから、出版社が、面白い作品を、文庫に入れていないはずがないのであって、大抵、どれかに収録されています。

  論考は、エッセイを長くしたようなもの。 ≪狂気の沙汰も金次第≫の各回に似た雰囲気がありますが、こちらは、長短まちまちなので、その点、些か、読み難いです。 ただし、中身は、分かり易いです。 学術的なものも多いですが、筒井さんは、自分が理解していない事は書かないので、衒学で素人を煙に巻こうとする傾向がある、学者・専門家が書いたものより、ずっと、分かり易くなるのだと思います。 取り上げられている題材が、1970年頃のもので、現代から見ると、応用が利かないくらい大きなズレが生じてしまっているのは、致し方ないところ。

  <発作的作品群>の中に、「発作的戯曲」として、【荒唐無稽文化財奇ッ怪陋劣ドタバタ劇 ―― 冠婚葬祭葬儀編】というのがありますが、これだけは、分からん。 題名の通り、ゴッチャゴチャの、グッジャグジャ。 一つの話になっていないと思うのですが、奇ッ怪な事に、これを本気で上演する予定だったというから、驚きます。 結局、ポシャッたらしいですが、無理もない。




≪我らが少女A≫

毎日新聞出版
2019年7月30日 発行
高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 なかなか戻らないので、予約を入れ、1ヵ月以上待って、ようやく借りる事ができました。 一段組みで、約527ページ。 毎日新聞で、2017年8月1日から、2018年7月31日まで、連載されたもの。


  女優志望だったが叶わず、風俗で働いている27歳の女が、同棲していた男に、つまらない諍いで殺される。 逮捕された男の証言から、女が高校生だった頃、元美術教師の高齢女性が殺された事件の現場にいた可能性が出て来て、12年間止まっていた捜査が再び動き出す。 かつて、彼女と関わった者達が、埋もれた記憶を掘り起こそうとするが、新しい事実は、なかなか出て来ない。 そこへ、当時、ストーカー紛いの事をしていた少年が死蔵していたケータイから、600枚の写真が出て来て・・・、という話。

  現在 起こった事件の方は、犯人がはっきりしていて、すでに逮捕されているので、何の謎もありません。 この小説で描かれるのは、昔 起こった事件の方です。 実際に、こういう再捜査が行なわれる事があるのかどうか知りませんが、12年も経っていると、関係者の記憶が、大幅に変容している危険性があり、不確かな捜査にならざるを得ないでしょうな。

  昔の事件では、捜査指揮者、現在は、警察大学の講師という設定で、合田雄一郎が出て来ますが、群像劇の一キャラに過ぎず、彼が何か重要な役回りを演じるというわけではないです。 つくづく、この人物、推理・犯罪小説の主人公としては、異色。 名探偵的な特徴は、ほとんど、見当たりません。 さりとて、フレンチ警部的な、地道な捜査が得意というわけでもないのだから、何しに出て来ているのか分からない。 もっとも、嫌な感じもしませんが。

  この作品の前の合田物というと、≪太陽を曳く馬≫ですが、そちらに比べると、ぐんと、推理小説度が高いです。 ≪マークスの山≫や、≪照柿≫が、犯罪小説だったのと比べても、この作品は、推理小説度が、ずっと高い。 合田物では、初めて、推理小説に近づいたにも拘らず、合田は、探偵役をしません。 何だか、捻くれた感じですが、高村さんらしい捻くり方と言えないでもなし。

  三人称の群像劇で、合田も含めて、6人くらいが、視点人物になり、彼らの見たもの、考えた事が、順不同で並べられるという体裁。 ブツ切りなのは、新聞小説として、一回分の進行で、読者の興味を引っ張る手法として考えたものだと思います。 ところが、これが、一冊の本になり、連続して読むと、面白い効果を出すんですわ。 いつまでも読んでいたいという、「点滴的陶酔感」に浸らせてくれるのです。 うーむ、高村さんのこの文体は、マジックだな。

  高村作品独特の、詳細な知識は、ゲームとSNSに関するもの。 ゲームはさておき、SNSの方は、ストーリー進行に果たす役割が大きいので、完全に溶け込んでいます。 他の高村作品のように、詳細知識の部分が、度が過ぎて、浮いてしまうような事はありません。 高村さん本人が、これほど、SNSを使っているとは思えないのですが、よくぞ、これだけ、調べたものです。 20歳前後の作家が書いているのかと錯覚を起こすくらい。 どっぷり浸かっている世代に取材するとしても、高齢になると、頭がついて行かないと思うのですが、高村さんは、それができるようなのです。

  推理小説度が高い証拠として、終盤、600枚の写真が見れる状態になると、強烈なゾクゾク感を覚えます。 12年間、死蔵されていたケータイに保存されていた写真、という設定が、こたえられませんな。 考古学の発掘から、歴史の真相が判明するのに似た興奮を感じるのです。 ただし、高村作品ですから、犯人が指名され、謎が解かれ、因縁話が語られ・・・、という終わり方にはなりません。 犯人は分かりますが、はっきり書いてあるわけでもないです。

  その点、明快な結末を望む推理小説ファンには、残念な事ですが、そもそも、推理小説の骨法を利用しているだけで、高村さんが描きたいのは、人間心理、人間模様なのだから、文句を言っても詮ない事です。 とはいえ、この作品に限れば、純文学ファンよりも、推理小説ファンの方が、馴染み易いとは言えるでしょうねえ。

  ラストで、視点人物の内、二人が死にます。 子世代が一人と、親世代が一人。 子世代の一人は、実質的な主人公と言ってもいいほど出番が多いので、「せっかく、人生がいい方向に進み始めたのに、可哀想に・・・」と思います。 親世代の一人も、気の毒な事では負けておらず、結局、血筋が絶えてしまったわけだ。 どちらも、別に、犯人というわけではないのだから、死なさなくても良かったような気もしますが、敢えて、そうしたところに、作者の人間社会に対する、覚めた目線、乾いた感覚が覗えます。

  そうそう、昔の事件の被害者については、小指の爪の先ほども、気の毒だとは感じません。 殺されるのに相応しいような人格だからでしょうか。 そんな事を言い出せば、該当する人物は、世に溢れているわけですが・・・。 元教師では無理もないかも知れませんが、60代後半で、まだ、他人に説教をくれている人間なんて、社会的に有害なだけです。




≪半眼訥訥≫

株式会社 文藝春秋
2000年1月30日 第1刷
高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 主に、1990年代後半に、新聞や雑誌に掲載されたエッセイ、70作と、講演記録、1作を収録。 一段組みで、全体のページ数は、約270ページですが、余白が多いページもあり、正味の文章量は、200ページくらいだと思います。 読書習慣がある人で、閑なら、一日で読めます。

  題材として取り上げている対象は、文化、社会、小説、音楽、介護、宗教、犯罪と、多岐に渡ります。 「多岐に渡る」というと、カッコいいですが、別の言い方をすると、バラバラ。 数年間に跨って、間歇的に掲載されたエッセイ群ですから、統一性がないのは、無理もない事です。 作者が誰であるかに関わらず、エッセイ集では、よくある事。

  テーマを絞って連載されたと思われる、第5章、「家のつぶやき」、26作は、一番、読み応えがあります。 高村さん独特の観察眼が、充分に活かされていて、大変、面白いです。 第7章の、音楽がテーマの3作も、纏まっていますが、残念な事に、私の方に造詣が足りなさ過ぎて、目がついて行きませんでした。 興味がある向きには、面白いと思います。

  それ以外の作品ですが、全体の印象としては、「かたい」ですかねえ。 文体も硬いし、考え方も堅い。 小説の方の印象から、風変わりな考え方をする人かと思っていたんですが、外れました。 特に、犯罪に関しては、大外れしまして、小説から想像していた、犯罪者への興味は、さほど強いものではない様子。

  社会問題は取り上げても、それに関わる政治の話題は避けているように思えますが、これは、たぶん、知能が高い作家に見られる、用心でしょう。 特に強い興味がないのに、余計な事を書いて、お上に睨まれるリスクを避けようと図っているのでは? 下司の勘繰りかも知れませんが。

  小説家としての高村さんは、特異な人物だと思うのですが、その印象は、このエッセイ集を読んだ後でも、変わっていません。 ただ、小説の方からイメージされるような突飛な考え方はしない、至って、堅実な人格の持ち主のようですな。 こういう人物が、ああいう小説を書くというのは、意外ですが、何か、私には窺い知れない、脳のメカニズムが働くのかも知れません。

  「知能の高い人は、戦略的に嘘をつくので、小説の方が本物で、エッセイは、堅実な人格を装う為の嘘なのではないか?」とも疑えますが、そこまで穿つと、本当に、下司の勘繰りになってしまうので、やめておきます。




≪刺青殺人事件 新装版≫

光文社文庫
株式会社 光文社
2013年10月20日 初版1刷発行
2018年 8月10日   2刷発行
高木彬光 著

  沼津市立図書館にあった、文庫本。 401ページ。 1947年に書かれたものの、新人の長編は、紙不足の時節柄、出版社から敬遠されたのが、江戸川乱歩の目にとまって、翌48年に刊行。 1953年に、改稿されて、2倍の長さになり、今に至るとの事。


  名人彫師の父親によって、見事な大蛇の刺青を入れた女が、自宅の浴室で、首と手足だけの死体となって発見される。 胴体はなかったが、その浴室は、密室となっていた。 数名の容疑者が浮かぶが、完璧なアリバイがあったり、性格的に知能犯たり得なかったりと、絞り込む事ができない。 警察の捜査が行き詰る中、死体の発見者となった青年の大学の知人に、復員して来たばかりの名探偵がいて、彼に事件の情報を与えるや、たちまち・・・、という話。

  高木彬光さんの処女作にして、神津恭介が初登場する作品。 2サスの、≪探偵・神津恭介の殺人推理≫シリーズの、第1話も、この話でしたが、力が入った作りだったので、見た事がある人なら、覚えているのでは? とりわけ、人間の体から剥がした刺青の皮が出て来た場面は、鮮明に記憶に焼きついている事でしょう。

  本格トリック物。 浴室の密室トリックは、機械的なものですが、それが見せ場ではなく、密室物の発想を逆転したトリックが用意されています。 当時は、新規軸だったと思いますが、その後、このパターンは、様々な作家が、様々な作品でなぞったので、2サスを見ている人ほど、「ああ、この手か…」と、既視感を覚えると思います。

  冒頭の、刺青文化に対する薀蓄は、硬いですが、ストーリーが語られ始めると、発話だけで進行する部分が多くなり、俄然、読み易くなります。 ラノベ級と言っても、あまり、外れていないでしょう。 400ページもあるのに、私が、二日で読んでしまったのも、その読み易さゆえです。 クライマックスからラストまで、犯人指名と謎解きに入ると、また、硬くなりますが、そこに至る前に、読者に対して、事件のあらましの説明が済んでしまっているので、頭を使わなくても、理解できます。

  アイデアは良いと思いますが、ゾクゾク感は、あまり、強くありません。 何だか、理屈で押し切られて、煙に巻かれてしまったような読後感。 頭では理解できるのですが、面白いとは思わないのです。 探偵の神津恭介が、スマート過ぎるからでしょうか。 明智小五郎は、変格物の探偵だから、別扱いにするとして、同じ本格物の探偵、金田一耕助と比べると、欠点がなさ過ぎて、逆に、古さを感じてしまいます。

  探偵を、天才的に頭が良い人物に設定する事は、割と容易でして、警察を愚かで無能な集団にしてしまえば、相対的に、探偵の賢くて有能なイメージが際立ち、推理小説として、格好がつくようになります。 しかし、この手は、推理小説を読み込んでいる読者には、すぐにバレてしまうので、アイデアが優れていないと、作品の評価は高くなりません。

  神津恭介という人物、「名探偵は、スマートでなければいけない」と思っている向きには、こたえられない魅力があると思うのですが、「欠点もあって、初めて、人間的魅力が出る」と考えている向きには、気障というか、非人間的というか、リアリティーを欠くキャラに見えるんじゃないでしょうか。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫が、9月7日から、9日。
≪我らが少女A≫が、9月12日から、15日。
≪半眼訥訥≫が、9月17日から、19日。
≪刺青殺人事件 新装版≫が、9月20から、21日。

  読書感想文のシリーズで、こういう告知をするのも、不適当なのですが、この、ブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新を終了するつもりでいます。 感想文シリーズは、月に一回だから、今回が最後という事になります。 131回も続いたとは、改めて、驚きました。 大抵、4冊ずつだから、500冊以上、読んで来た事になりますな。 それにしては、知識浅薄なままですが。

  ≪心中宵更新≫の、新規更新終了の理由は、「実話風小説シリーズ」を打ち切って以降、独自の書き下ろし記事がなくなり、ブログ≪換水録≫からの再編集移植ばかりになったので、独立したブログを維持している意味がなくなってしまったからです。

  そもそもの原因は、私の健康状態が思わしくなくて、様々な事に取り組む意欲が減退した事にあるのですが、それは、現状では、解決できない事なので、致し方なし。 私も、もう還暦を過ぎた事ですし、つまらない欲を掻かずに、最低高度で、落ちない程度に、飛行を続けようと思うのです。

  ブログ≪心中宵更新≫の新規更新終了に関しては、年末に、また、改めて、告知します。 ちなみに、私が本拠にして、毎日更新している、ブログ≪換水録≫のURLは、「https://kansuiroku.seesaa.net/」です。