2025/09/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (72)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、72回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年8月分。





【伊豆の国市大仁・大仁橋と水晶山】

  2025年8月5日。 伊豆の国市・大仁にある、「大仁橋」と「水晶山」へ行って来ました。 だいぶ前に、折自でも、行った事があります。 先々週に行った、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の、すぐ近くです。

≪写真1左≫
  狩野川左岸(西側)から見た、大仁橋。 道路橋としては、割と珍しい、鉄骨トラス構造。 しかも、幅が広いです。 安定感は、抜群ですな。 2007年12月の完成。 橋としては、まだ、新品の内です。

≪写真1右≫
  大仁橋の右岸上流側にある、水晶山。 標高60メートルで、かつて、水晶が採れたので、この名前のようです。

≪写真2≫
  振り向くと、温泉施設、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」が見えます。 この3枚、写っている道路は、国道136号線。

≪写真3≫
  右岸に渡り、北側から、水晶山を見ました。 舗装されたスロープがあり、いかにも、登り易そう。 5分で登頂できるようですが、結構、車や人が通る場所でして、僅かな時間でも、バイクから離れるのが怖くて、登りませんでした。

≪写真4≫
  大仁橋の右岸上流側、隣に残されている、先代の大仁橋の一部。 1915年から、2008年まで、架かっていたそうです。 これが、4代目。 今の橋は、5代目。




【伊豆の国市・宗光寺横穴群】

  2025年8月14日。 伊豆の国市・宗光寺にある、「宗光寺横穴群」へ行って来ました。 「そうこうじ・おうけつぐん」と読みます。 ネット地図で見つけた所。 伊豆半島の内陸北部には、函南や江間など、横穴式の古墳が点在しています。 ここも、その一つのようです。

≪写真1≫
  道路に沿った山の斜面にあります。 路肩に、伊豆の国市教育委員会による解説板が立っています。 文章が長いので、書き写しませんが、誰が、いつ、調査したか、何が出土したか、といった事が書いてあります。

≪写真2左≫
  横穴は、全部で、19基あるとの事ですが、私が見たのは、4基だけでした。 岩を削ってある様子。

≪写真2右≫
  もう一つ。 この二つは、通路からすぐの所にあります。

≪写真3左上≫
  ≪写真1≫の右端に、トラクターが収まっている車庫が写っていますが、その上にも、横穴が見えます。

≪写真3左下≫
  車庫の中を覗くと、横穴の下半分が見えました。 横穴が墓だと思うと、この車庫の建て方は、ちと怖いですが、大昔のものだから、気にしていないんでしょうな。

≪写真3右≫
  斜面に咲いていた、百合。 今が盛り、という感じの、勢いのいい花でした。

≪写真4≫
  道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 端に寄せ過ぎて、下り乗りが、怖かったです。 田んぼでは、稲が元気に育っていました。 「日照りに、不作なし」という言葉がありますが、猛暑続きでも、水さえあれば、良く育つわけだ。




【伊豆の国市宗光寺・宗光寺コミュニティ広場】

  2025年8月18日。 伊豆の国市・宗光寺にある、「宗光寺コミュニティ広場」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 前の週に行った、「宗光寺横穴群」とは、ごく近いです。

≪写真1≫
  ほぼ、全景。 運動場ですな。 長方形で、たぶん、田畑を潰して造ったのだと思います。 入口の板は、文字が消えていました。 その上に立っているのは、野外時計なのですが、汚れがひどくて、よほど近づかないと、針が見えません。

≪写真2左≫
  見難い写真で、申しわけない。 北西の隅に、滑り台と、ジャングル・ジムがありました。 児童公園を兼ねているわけだ。

≪写真2右≫
  照明設備がありました。 この他にも、何本か。 スポーツのナイト・ゲームをするとは思えませんが、何かの行事で、夜に使う事があるのかも知れません。 

≪写真3左≫
  テーブルとベンチ。 手作りですな。 ワイルドだ。

≪写真3右≫
  タイル張りの流しと、ホース・リール。 広いので、ホースで水撒きは、大変でしょうな。

≪写真4≫
  隣にある、「宗光寺公民館」。 大きい建物です。 人口が、かなり、あるんでしょう。

  向かって、左側の建物は、「伊豆の国市 消防団 第十二分団 器具庫」。

≪写真5≫
  広場と公民館の間の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バッテリー端子の結束バンドを、強く締め付けて以降、問題なく走っています。 うちから、宗光寺までだと、往復、30キロくらい。




【伊豆の国市宗光寺・宗光寺橋】

  2025年8月25日。 伊豆の国市・宗光寺地区にある、「宗光寺橋」へ行って来ました。 その前週と、前々週に、宗光寺地区に来ていて、そのたびに、国道136号線で、この橋を渡っていたのです。

  ところで、宗光寺と言っても、当地に、その名のお寺があるわけではありません。 昔はあったのかも知れませんが、不詳。 名前だけ、地区名として残っているようです。

≪写真1≫
  分かり難い写真で恐縮ですが、短い橋の場合、上に大きな構造物がないので、印象が捉え難いのです。 右の方に、ガード・レールが見えますが、その部分が橋です。 歩道を真っ直ぐ行くと、「宗光寺橋側道橋」を渡ります。 車道は古いですが、側道橋は、2005年3月竣功で、ごく新しいです。

≪写真2≫
  道路標識の名板。 塗装にヒビが入っていますが、板は木製ではなく、金属製です。 塗料の劣化なのでしょう。 宗光寺川というのは、下を流れている川です。

≪写真3左≫
  下流側を見ました。 植物に覆われて、どこがどこやら分かりませんが、すぐ先で、狩野川に合流します。

≪写真3右≫
  上流側を見ました。 宗光寺地区を流れて来て、ここに至ります。 すぐ上流に写っている橋は、伊豆箱根鉄道のもの。

≪写真4≫
  左岸袂の歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この歩道、長い距離を、車道と仕切られていて、ずっと南にある切れ目から入って、ここまで来ました。 本来は、歩道を走るのは、違反ですな。 走っているところを、パト・カーや白バイに見られたら、アウト。 しかし、停車してある状態を見られても、「下りて押して来た」と言えば、お咎めなしで済むかも知れません。 証拠がないと、取り締まれませんから。




  今回は、ここまで。 旧大仁町も、だいぶ、遠いので、なるべく近い、北の端を選びました。 宗光寺地区に集中したのは、そのせいです。 通る道が、ほぼ同じになるので、二回目以降は、緊張感が減り、気楽に出かけられるのが、目的地集中の利点と言えます。

2025/09/21

時代を語る車達 ⑮

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 随分前にも断った事ですが、このシリーズ、私の勝手な感想なので、乗っている車、乗っていた車、欲しいと思っている車、好きな車など、自分と関わりのある車を貶されても、一切 気にするには及びません。 他人の無責任な戯言だと思って、無視して下さい。





【日産・NV200バネット】

  2009年から、現行。 私は、この車のデザインを、良いとは思っていないのですが、ライバルである、トヨタ・4代目タウンエースは、もっと良くないので、比較すると、こちらの方が良いという事になるのです。 感覚的には、「マシ」程度の違いですが。

  それにしても、ワン・ボックス・カーのデザインは、80年代から、随分と後退したものだと、隔世の感を禁じ得ません。 進歩どころか、退歩しているのだから、奇妙な現象もあったものです。 衝突対策など、機能上の要求に変化があって、こういうデザインにせざるを得なかったのかも知れませんが、それにしても、もっと、やりようがあったと思うのですが・・・。

  このNV200バネットにせよ、タウンエースにせよ、現行のデザインを見て、カッコいいと感じる人は、まず、いないでしょう。 80年代は、違っていたんですよ。 セダンやハッチ・バックに乗っている人達が、嫉妬するくらい、ワン・ボックス・カーは、カッコ良かったのです。

  ちなみに、車の形を、バランスだけで評価する場合、地上に立って、車と同じ高さで見るのではなく、二階の窓から見下ろすと、良し悪しが、はっきり分かります。 ツー・ボックス、つまり、ハッチ・バック車や、ファースト・バック車ですが、それが一番、バランスが悪くて、後ろにふんぞり返っているように見えます。

  次が、セダンやハード・トップなど、ノッチ・バック車で、居室を挟んで、エンジン・ルームと、トランク・ルームで、前後が下がっているので、幾分、バランスがいいです。 しかし、エンジン・ルームよりも、トランク・ルームの方が短いから、その点は、割り引いて、評価する事になります。

  で、一番、前後のバランスがいいのが、ワン・ボックス車なのです。 一つの塊なのだから、バランスが良くなるのは、当然の事。 嘘だと思ったら、二階から見下ろしてみなさいって。 カッコいいと感じるのは、ワン・ボックス車ばかりだから。  ツー・ボックス車に乗っている人達は、自分の車が、いかに、後ろへふんぞり返っているかを目の当たりにして、愛車精神が、いたく傷つくと思いますが、「知らなければ、幸せだったのに! どうしてくれる!」などと詰め寄られても、私は関知しません。

  話を、写真の、NV200バネットに戻しますが、商用車だから、バンパーが、ウレタン素地になるのは、仕方ないとして、ボディーとの接合部の切り方が、斜めになっているのが、どうにも、戴けません。 カラード・パンパーにすれば、同色にできるわけですが、ただ、目立たなくなるというだけで、斜めである事に変わりはない。 どうして、斜めに切るのか、その理由が分からない。 機能上の事情で、衝突時に、その方がいいんでしょうか? バンパーに押されて、フェンダーまで潰れて、修理代が高くなるだけのような気がしますが。

  この写真だけでは分かりませんが、前半分の、強い存在感に比べて、後半分が、虚弱に見えるのも、残念なところです。 リヤコンも、小さ過ぎるのでは? もっとも、それらの問題点を抱えながらも、トヨタ・4代目タウンエースよりは、「マシ」なのですが。 向こうは、前も後ろも、虚弱に見えますからのう。 ああ、80年代が懐かしい事よ。




【スズキ・7代目アルト】

  スズキ・アルトの、7代目です。 2009年から、2014年まで、生産・販売されていた車型。 記憶に残っている事というと、ダイハツ・初代ミラ・イース(2011年から、2017年まで)と、低燃費競争を繰り広げていて、新しいテレビCMが出るたびに、より低くなった燃費数値を誇って、売りにしていた事でしょうか。 香里奈さんが、イメージ・キャラクターをしていたのを覚えています。

  以前、3代目アルトラパン(2015年6月から、現行)を取り上げた時に、「猿のイメージなのに、名前が、兎のままなのは、勿体ない」といった事を書きましたが、兎のイメージに近いのは、この、7代目アルトではないでしょうか。 兎が、耳を後ろに倒して、伏せている姿に見えます。

  アルトは、現行規格になった5代目が、優れたデザインで、「軽の標準」と言ってもいいような出来の良さでしたが、その次の6代目で、大ポカをやり、車というより、レトロ・フューチャーの家具を連想させるような、しょーもないデザインになってしまいました。 見るに耐えんと顔を顰めていた後、この7代目が出て来たので、「まあ、先代よりは、ずっと、いいか」と思ったものですが、今から見ると、この頃、すでに、ふくらませ路線に走っていたんですな。 兎に似ていると思えば、可愛らしさは感じますが、乗り物らしい精悍さや、道具としての機能性は感じられません。

  以下、一般論。

  低燃費化の為に、この頃から採用されるようになった、アイドリング・ストップですが、特段、優れた技術だとは思えません。 「燃費が良くなる程度は僅かであるのに対し、バッテリーに負荷かがかかり、交換頻度が高くなるので、燃費で稼いだ金額を、バッテリーの購入費用で失ってしまう」という説は、私自身が経験したわけではないから、鵜呑みにしないとしても、実際、燃費への貢献は、知れていると思います。

  発車のたびに、セルが回って、エンジンがかかるのは、うるさいと思うのですよ。 信号待ちだけでなく、危険回避の為に急ブレーキを踏んだ時にも、エンジンが止まりますが、それは、運転者が想定していない事なので、「ドキッ!」としてしまうのは避けられますまい。 転ばぬ先の杖で、石橋を叩いて渡るタイプの私としては、そういう時の、「ドキッ!」が、嫌でねえ。 自分が運転していなくても、近くで、エンジン・ストップした車を見るだけで、「ドキッ!」とします。

  アイドリング・ストップって、設定の仕方で、作動しないようにできるんですかね? もし、可能で、私が、そういう車に乗るとしたら、絶対、使わないようにします。 年中、ドキドキしていたのでは、鬱陶しくて仕方ないですから。




【スズキ・5代目アルト】

  アルトの、5代目です。 1998年から、2004年まで、生産・販売された車型。 2018年4月8日にも、同型のアルトの写真を出しています。 以下、その時に書いた解説文。

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   この型から後は、現行規格です。 この型のアルトは、随分前から、デザインが好きで、一昨年、車購入シミュレーションをした時に、候補に入れていたくらいです。 後輪側のフェンダーに、ブリスターを使っているところが、何ともいえぬ。 アルトは、この後の、6代目から、奇妙なデザインになってしまいます。

  この車は、5ドアで、5ナンバーなので、乗用。 ホイール・カバーは、オリジナルのままだと思います。 塗装の劣化は、ほとんど、感じられません。 マット・ガードのデザインが、妙にシンプルで、車本体の凝ったデザインと合わないような感じがします。 本体とは、別の人がデザインしたのかも。

  この型、まだまだ、いくらでも、見る事ができますが、やはり、少しずつ減っているのでしょうなあ。 この型のデザインが優れている事に気づいているのは、少数派だと思うので、特別に珍重される事もなく、姿を消して行くものと思われます。
――――――――――――――


  以上。 その車は、5ドアの乗用でした。 こちらは、3ドアの4ナンバーで、ボン・バンです。 乗用に比べて、維持費が安いから、生き残っている可能性が高い。 私は、3ドアに対する評価が辛い人間ですが、セカンド・カーとして、通勤や、個人事業者が仕事に使うのなら、選ぶ意味はあると思います。 実用オンリーならば、維持費が安いのに超した事はない。

  2017年頃には、まだ、多く見かけましたが、さすがに、8年も経つと、減りますなあ。 もう、滅多に見ません。 小泉今日子さんが、テレビCMをやっていたのですが、私ですら、カタログに写真が出ていたから、知っているだけで、CMそのものは、覚えていません。 20世紀は、遠くなりにけり。

  アルトは、初代が、角ばっていて、特に女性向けではなかったのに、値段の安さで売れました。 2代目は、小手先で女性受けを狙ったしょーもないデザインでしたが、名前だけで、そこそこ売れました。 しかし、ミラの方が、デザインが遥かに優れている事は、スズキでも分かっていたようで、3代目・4代目は、ミラを参考にしたデザインになりました。

  そして、5代目がこれですが、ミラ・デザインから、完全に脱却して、何にも似ていない、オリジナリティー溢れる、美しいデザインになりました。 私の個人的趣味では、歴代アルトで、この型が、一番、好きです。 素晴らしい。 しかし・・・、デザインの良さに気づかずに、アルトという名前だけに引かれて、買って乗っていた人も多かったのだろうなあ。 いや、それでもいいのです。 醜い車が大量に出回るのよりは、遥かにありがたい。




【ダイハツ・3代目ブーン(トヨタ・3代目パッソ)】

  生産は、ダイハツ。 ダイハツでは、ブーンという名前で、トヨタからは、パッソという名前で販売されていました。 3代目は、2016年から、2023年までで、4代目は、ありませんでした。 この写真の車は、パッソだと思って撮って来たのですが、帰ってから、写真をよく見たら、ダイハツのマークが付いていて、ブーンだと分かった次第。 初代と2代目は、1リットルと1.3リットルがありましたが、3代目は、1リットルだけ。

  大雑把な話ですが、軽自動車メーカーが作ったリッター・カーは、普通車メーカーが作ったリッター・カーより、造りがいいです。 軽より上位の車種として作るから、高級感を出そうとするんですな。 一方、普通車メーカーにとって、リッター・カーは、最小車種になるので、上位車種と差別化する為に、わざと安っぽい造りにします。 その点、この、ブーン/パッソは、ダイハツが作ったものだから、出来がいいだろうと思われます。

  女性向けを意識していた2代目に比べると、性別を問わない印象になっていますが、女性向けは女性向けで、デザインを変えたグレードがあったようです。 女性ユーザーを当て込んでいる車種では、最初から、そうした方がいいかも知れませんな。 もっとも、私は、そもそも、女性向けのデザインというのを、あまり高く評価していないのですが。 本当に優れたデザインは、乗り手の性別を選ばないものです。

  この車の色では分かり難いですが、明るい色の車なら、特徴的に目に付く点として、Cピラーに、黒いプラスチック部分があります。 おそらく、フィアット・2代目3代目パンダを真似たのでしょう。  昨今、こうなっている小型車が、妙に多いな。 わざわざ、真似るほど、いいデザインだと思えませんが。 小型車のデザインに興味がなく、どんなデザインにすればいいのか分からないから、とりあえず、有名どころを真似るのだとしか思えません。

  根本的な話ですが、日本で、リッター・カーというと、どうしても、軽と天秤にかけてしまい、「軽でもいいのでは?」、もしくは、「軽の方がいいのでは?」と思ってしまいますなあ。 維持費が、だいぶ違うからです。 「車は、まず第一に、移動や運搬の道具」と割り切っている人は、迷わず、軽を選ぶでしょう。 「扱いが楽だから、小さい車の方がいいけれど、軽は、せせこましいから、嫌」という人もいると思いますが、つまらない虚栄心としか思えず、そういう人間そのものが、つまらなく見えます。

  ただし、「軽は、せせこましいイメージがあるけれど、トール・ワゴンやハイト・ワゴンなら、室内が広いから、軽でもいい」という考えの人よりは、リッター・カーを選ぶ人の方が、好ましいです。 ノーマル車高なら、乗車姿勢が適切で、運転の楽しさが味わえるからです。 トールやハイトは、乗り物と言うより、「動く部屋」に過ぎないと言うのよ。




  今回は、以上、4台まで。

  写真の在庫がなくなったので、出かける時には、なるべく カメラを持って行き、意識して、一言 物申したい車を探すようになりました。 つくづく、私が興味を抱くようなデザインの車は、減ったと思います。 「旧車ブーム」などと言われている割には、街なかで、古い車を見かける事は、ほとんど ありません。 もはや、90年代の車すら、滅多に見なくなりました。 残念至極。

2025/09/14

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑨

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の1月13日まででした。 今回は、その続き。 世に糖尿病患者は多いですが、この記録は、私個人にしか当て嵌まらない事の方が多いので、頭に入れる必要はありません。 テキトーに読み飛ばしてもらって、ご自分に都合のいい箇所だけ、「こういう考え方もあるか」程度に、とってもらえば、それで、充分です。




【2025/01/14 火】
  座敷を歩いて、歩数を稼いでいるわけですが、ここ数日は、午前中に、5千、昼過ぎに、5千、夕食後に、2千というところでしょうか。 合計1万2千歩で、目標の1万歩を超えてしまっていますが、そのくらいの方が、食べるものに余裕が出て良いのです。

  「間食と甘い物を絶って以来、三度の食事が、おいしく感じられる」というのは、前に書きましたが、ますます、その傾向が強くなっている感あり。 しかし、食べる事だけが楽しみになってしまうと、どうしても、一回一回の食事の量が増えてしまいます。 で、その分、歩行でカロリーを消費しなければならないわけですな。

  引退後、運動量が少なかったから、糖尿病になったと言っても、外れてはいますまい。 人間、自然状態では、常に、木の実や獣など、食べる物を求めて、動き回っていたのであって、動いている方が、正常なんですな。 家事と昼寝で、一日を終えてしまうような生活が間違っていたのでしょう。



【2025/01/15 水】
  バイクでプチ・ツーに行った上に、家で、14000歩も歩いたのだから、もう、動き詰めです。 血糖値が、107と、夕食前にしては珍しく、正常値に入ったのも、むべなるかな。



【2025/01/17 金】
  毎度毎度、ブログで報告するような事でもありませんが、今日、便が出ました。 ありがたや、ありがたや。 しかし、まだ、少ないです。 やはり、作られる便の量自体が、少ないのだと思います。

  私自身、高校の頃から、仕事をやめるまでの数十年間に、分厚い経験がありますが、便秘というのは、よほど長引いても、死ぬような事はなく、いつかは出るものなんですな。 肛門の手前まで来ているのに、硬くなって出ない場合、糞詰まりで、痛かったり、苦しかったりしますが、それでも、いつかは、出ます。 出なかったら、死んでいるものねえ。

  それが分かっていれば、「出ない出ない」と、心配して、気分を暗くするのは、百害あって一利ない態度という事になります。 まして、糞詰まりではなく、便意そのものが感じられない場合、肛門の手前まで来ていないのだから、どんなに頑張ってイキんでも、出るはずがありません。 それこそ、鼠蹊ヘルニアになるだけでしょう。



【2025/01/20 月】
  まず、座敷を歩いて、5千歩を超えさせておき、それから、旧母自で、病院へ。

  採血、採尿、心電図、胸部レントゲン、内科検診、眼科検査・検診。 朝9時15分から、午後1時15分まで、ぎっちり、かかりました。

  糖尿病の方は、血糖値も、ヘモグロビンA1Cも、次第に下がっており、経過が良いとの事。 手術も大丈夫だろうと言われました。 しかし、それは、外科の医師に訊かなければ、決定ではありません。 内科の次の診察は、3月です。   眼科の方は、例の、瞳孔を開く目薬を3回され、目の奥を撮影。 問題ないとの事。 眼科の次の診察は、5月。 糖尿病患者は、眼科の受診も、セットになるようです。 そういえば、うちの母も、心臓病病院、糖尿病医院の他に、眼科医院にも通っています。

  外科の検査もしたので、一日に、3科にかかったせいで、料金が、15800円。 13000円しか持ち合わせがなく、内金に全額入れて、領収書をもらいました。 足りない分は、次に行った時に払います。 次は、外科で、今月末。

  そうそう、採尿の時に、トイレに入ったら、便が出ました。 柔らかいですが、長さがあり、そこそこの量でした。 良かった良かった。

  瞳孔が開いているので、帰りは、おっかなびっくり帰って来ました。 眼鏡をかけているのに、かけていないような見え方でした。

  帰って、風呂。 血糖値計測。 午後2時過ぎに、昼食。 やれやれ、忙しい一日だった。



【2025/01/21 火】
  午前10時前に、母を車で、眼科医院へ送りました。 家に戻り、11時半頃、電話が鳴って、迎えに行きました。

  母ですが、「目に糖尿の影響が出ている」と言われたらしいです。 今までに、そんな事は言われた事がなかったとも。 私が余り物を食べなくなった分、母が食べる量が増えているのだから、当然ですな。 食いきれないほど、食材を買って来て、どかどかと料理を作るからです。

  「罰が当たって、様あいい」と言えば いいのですが、母に失明されると、困るのは私なので、他人事と笑ってはいられません。 しかし、母は、失明・落命の危険があると言われても、食べ続けそうだな。 もう、人の言う事なんぞ、聞かないのです。



【2025/01/24 金】
  外掃除。 水やり。 部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。

  これだけ動いても、2500歩しか行きません。 座敷を歩いて、昼下がりだけで、1万にし、夕食後、更に、3千歩 足しました。 一生、これが続くと思うと、長生きしたい欲望が失せますな。



【2025/01/25 土】
  一日一回、タイミングをズラして測っている、血糖値。 空腹時の正常値上限は、110なのですが、それを、なかなか、割れなくなりました。 まずいな・・・。 ちなみに、空腹時というのは、その前の食事を食べ始めてから、3時間以上 経ってからの時間です。 食べ終わってからではなく、食べ始めてから。 なぜかというと、血糖値は、食べ始めると、すぐに上がり始めるからです。

  私の場合、食前インスリンを注射しているので、食後血糖値、つまり、食べ始めてから、3時間以内の方は、正常値上限の180を下回っているのですが、食前インスリン注射の効果がなくなる、空腹時が、駄目なのです。 120台が多い。 私の膵臓から分泌される、自然インスリンの量が少ないんですな。

  なぜ、割れないのか、理由は分かっています。 食事を食べ過ぎているのです。 その点に関しては、自覚があります。 ほぼ毎回、満腹するまで食べているのですから、糖尿病患者とは思えない量、いや、健康な人であっても、こんなには食べないだろうと思われる量を腹に入れているのです。 分かっていながら、食欲に突き動かされて、やめられません。 強迫神経症的に、病的だ。

「間食と甘い物を絶ったのだから、三度の食事だけは、満腹するまで食べたい」

  という気持ちは、自分でも分かるのですが、超過した血糖値が、その理屈が通らない事を教えてくれています。 「三度の食事だけは」の、「だけ」にも、限度というものがあるのでしょう。 明らかに、私の食べる量は、食事制限をしている者として、間違っているのです。 多過ぎるのです。

  そもそも、10年半前に引退して以降、糖尿病と指摘される前までの生活を振り返ると、私は、食欲らしい食欲を感じた事が、ほとんど、ありませんでした。 大きな理由は、運動量が少ない生活だったせいだと思います。 常に、栄養が過多状態で、物を食べても、おいしいと感じられなかったのです。

  おいしいと思っていたのは、食事なら、カレー・ライス、スパゲティー、ハンバーグ、餃子くらい。 菓子なら、ピーナッツ・チョコレートと、甘い系のポテト・チップスくらいのものでしょうか。 それらも、どうしても、食べたいと思っていたわけではなく、食事の時刻が来たから、食べる。 菓子類は、居間で、母とテレビを見ながら、口寂しいとか、間が持たないから、食べるという風でした。 だから、血糖値が上がる物は食べていたけれど、量は、それほどでもなかったのです。

  それが、糖尿病対策で食事制限を始めてから、間食と甘い物を絶ったせいで、普通の食事が、異様においしく感じられるようになりました。 キャベツや牛乳が、甘く感じられるなどとは、かつて、想像した事もありませんでした。 味覚とは、こんなにも変わるものなのか。 で、「三度の食事だけは・・・」を、口実にして、毎回、満腹するまで、食べるようになってしまったのです。

  当然、血糖値には表れて来るわけですが、「食べた分、運動すれば、カロリーを消費できるはず」と考えて、歩数がだんだん、増えて来ました。 本来、目標は、一日10000歩だったのが、今は、少なくても、13000歩。 多い日には、15000歩も、歩いています。 だけど、運動量を増やして、食事量とのバランスを取るのは、時間的にも、体力的にも、限度があります。 まあ、一日、15000歩、歩いてみて下さい。 誰でも、「とても、毎日は続かない」と思うから。

  やはり、私は、間違っているのです。 ここは、断腸の思いで、馬謖を斬り、食事を減らさなければなりません。 そもそも、「満腹感」というのが曲者なのであって、所詮、その時その時の、「感じ」に過ぎません。 体に必要な食事量を、100と仮定して、100食べれば、常に満腹するかというと、そうではなく、120でも、150でも、入ってしまうから、満腹感は、食事量と、精確に、一致、もしくは、比例するわけではないのです。

  「腹八分目に、医者要らず」と言うように、人間、必ずしも、食事のたびに、満腹しなければならないわけではなく、八分目でも、死なないのはもちろん、特に不具合が出るわけでもなく、むしろ、少し足りないくらいの方が、体調に良いとも言えます。 食事制限以降、満腹感に拘り過ぎた、私がおかしかったのです。

  糖尿病の食事制限メニューは、食べる順番に、「野菜」、「おかず」、「ご飯・麺類」の三点に分けて考えるのですが、今後は、「野菜」はともかく、「おかず」と、「ご飯・麺類」は、予め、厳密に量を決めて、食べ過ぎないようにします。 どうしても、満腹感が欲しい時には、葉物野菜を増やす事にします。 真面目に取り組まなければ、また、外科から、鼠蹊ヘルニアの手術を拒まれてしまうよ。



【2025/01/27 月】
  血糖値。 今日の計測タイミングは、昼食前で、102。 空腹時の正常値上限、110以内に収まりました。 米・麺の量を減らした成果が、出たのかも知れません。 炭水化物の摂取量は、血糖値に、覿面に出易いようです。

  ここ数日、朝食と夕食は、お歳暮でもらった、乾麺蕎麦を片付けているのですが、小さい茶碗に一杯分だと、二口くらいで、ペロリですな。 まったく、食べ甲斐がない。 でも、このくらいで、ちょうど良いのです。 代わりに、葉物野菜に、塩茹でのもやしを追加して、満腹感に近づけています。



【2025/01/31 金】
  旧母自で、病院へ。 今日は、外科の診察です。 手術にゴー・サインが出るかどうかが告知される日。

  なんと、駄目でした。 血糖値はいいけれど、肝機能の数値が、糖尿病の治療開始以降、鰻登りに上がっているので、もう一度、内科へ行って、これで大丈夫かどうか、訊いて来るように言われました。 またかよ。 何かしら、粗を探して、手術を先延ばしにされているような気がしないでもなし。 そんなに、鼠蹊ヘルニアの手術をしたくないのかねえ?

  通い始めてから、血液検査は、4回もやっているから、上がっているのなら、とっくに言ってくれればいいのに。 もっとも、血糖値と違って、原因が分からないと、下げ方が分からないですが。 で、来週の月曜日に、また来て、内科の糖尿病専門医に訊く事になりました。

  それと、並行して、内科で問題ないと言われた時に備えて、鼠蹊ヘルニア手術の説明も受けました。 それは、丁寧なものでした。 手術する気がないのかあるのか、ますます、分からない。 22歳の時に受けた、胆嚢摘出手術では、医師が説明に来ず、助手につく看護師から簡単な説明をされたのですが、その時とは、大違いです。

  手術の時に、自転車で来ていいか訊いたら、「そんな事を言う患者は、初めて見た」という反応でした。 退院後、押して帰るのなら、医学的には、問題ないとの事。 入院中、駐輪所に置いておいてもいいかが問題ですが、看護師さんが病院の事務方に訊いてくれたところ、別に禁止ではないようで、「盗まれても、自己責任」という事のようでした。 ボロボロの旧母自を盗む奴もいなかろうて。 セカンド&サード・ロックもかけておけば、尚の事。

  部屋は大部屋。 着替えは、自分で持って来るのを選びました。 ほんの数日だから、安い方が良かろうと思って。

  全身麻酔なので、歯の検査が必要との事。 院内の歯科に、来週月曜、3日に予約が入れられました。 内科に訊きに来る日です。 内科の返答次第では、歯科の予約はキャンセルという事になります。

  どうも、あれこれ、警戒し過ぎだな、この病院は。 急患で担ぎ込まれて、緊急手術が必要という場合には、どうしているのだろう? 高齢になれば、全身健康なんて人は、いなくなるのに、そんなに細かい条件を課していたのでは、手術なんて、できなくなってしまうではありませんか。

  帰って、4時半くらい。 母相手に、愚痴を零しまくりました。 愚痴を聞いてくれる家族がいるだけ、マシか。 一人暮らしでは、こういう時、精神的に参ってしまうと思います。 病気を苦にして、自殺する人の気持ちが良く分かる。

  肝機能の数値ですが、糖尿病の治療を始める前までは、正常値だったらしいので、何か、治療開始後に始めた事が原因という事になります。 インスリン注射は、まず、関係なし。 薬ではないからです。 運動療法で、健康に害が出るとは思えません。 となると、食事制限の内容という事になります。 食べる順序を変えましたが、それは、問題にならないでしょう。

  米・麺類を減らし、その分、キャベツを食べるようになったわけですが、キャベツそのものが悪いとは思えません。 となると、毎食、キャベツにかけていた、マヨネーズでしょうか。 調べたところ、マヨネーズそのものは、特に健康に悪いわけではないようですが、添加物次第では、悪さをする場合もあるとの事。 ただし、肝臓に関係するかどうかは、不明。

  冬場、汁物があると、リッチな気分になれるので、朝食の手作り味噌汁以外に、昼食・夕食にも、即席味噌汁や、お吸い物を飲んでいたのですが、それも、治療前には飲んでいなかったわけだから、容疑がかかります。 とりあえず、マヨネーズと即席系の汁物は、やめる事にします。

  健康上の新たな問題点を指摘されると、げんなりしてしまいますが、あまり、気にし過ぎると、生きる気力まで失ってしまうから、要注意ですな。 心気症と戦って来た私としては、「病は気から」は、核心を突いた真理としか思えません。



【2025/02/03 月】
  9時から、旧母自で出て、病院へ。 寒い。 北の方に最強寒波が来ているだけの事はあり、寒波に覆われていない地域でも、寒いです。

  予定になかった、採血・採尿。 どうも、内科で入れた模様。

  10時半頃に、内科。 糖尿病専門の先生は、肝機能数値の上昇には気づいていなかったらしく、申しわけなさそうにしょげて、さながら、敗軍の将の趣きでした。 どうも、この人は、楽観的過ぎる嫌いがあるようです。 今までに、何回、「手術はできます」と言われた事か。 ことごとく、外科で突っぱねられてしまいましたが・・・。

  私が、マヨネーズの摂り過ぎではないかと言うと、そういう可能性もありうるという程度の返事。 先週の金曜日に、肝機能数値の事を指摘されてから、マヨネーズを絶ち、今日で三日目ですが、これまで、検査のたびに上昇して来た数値が、今日の検査では、僅かながら、下がっており、やはり、マヨネーズが原因である可能性は高いと思います。 毎日、朝昼晩三食、キャベツやブロッコリに、マヨネーズをかけて来たのですから、どれだけ、体に入れたか分かりません。

  とりあえず、来週の月曜にも、内科にかかる事になりました。 血液検査をする為です。 今の時点では、手術の日程は、取り消されていません。 どうなるか、分からないだけ。

  その後、院内にある歯科口腔外科で、手術前の検診。 よくある、歯の検診と、歯茎の検診、歯間ブラシで掃除、歯の表面の研磨などを受けました。 手術をする上での、歯の問題はないとの事。

  最後に、肝臓エコー。 これは、今日、内科でやるように決まったもの。 まあ、エコーは、みな、同じようなものです。 部位が異なるだけで。 10月からこっち、ほとんど、人間ドック並みに、あちこち、検査されてしまったなあ。

  帰って、12時45分くらい。 風呂。 血糖値計測。 食前インスリン注射。 ようやく、昼食。 魂が戻って来た感じです。

  母に、手術入院直前の検査の日まで、脂っこい料理を作ってくれるなと、頼んでおきました。 「難しいねえ」という返事でした。 母は、揚げ物が得意なのです。 次が、炒め物。 脂ばかりだな。




  今回は、ここまで。

  ようやく、2025年の、1月分が終わりました。 病院通いは、まだまだ、続きますが、行く間隔が広くなっているせいか、日記に、病気関係の記述がない日が増えて来ました。

  肝機能がおかしくなった事について、私の個人的な、原因の推測が書かれていますが、今から振り返ると、全く見当外れなので、真に受けないで下さい。 今現在の見解としては、何か特定の食べ物が原因ではなく、急激に糖分の摂取量を落としたせいで、内臓のバランスが崩れたのだと思われます。

2025/09/07

読書感想文・蔵出し (128)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品。 借りる方は、アンソロジー収録の短編を除くと、≪我らが少女A≫だけ、まだ読んでいません。 沼津図書館にある事はあるのですが、予約が立て込んで、なかなか、回って来ないのです。 





≪墳墓記≫

株式会社 新潮社
2025年3月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 長編1作を収録。 一段組みで、約176ページ。 元は、「新潮」の、2021年4月号から、2024年7月号まで、飛び飛びに掲載されたもの。 単行本化に当たり、加筆修正が施されたとの事。


  祖父と父が能楽師だったが、父への反発から、それを継がずに、裁判所の速記官になった男が、外傷性ショックで、瀕死の状態となり、救急車で病院へ運ばれる。 生と死の境を彷徨いながら、藤原定家を中心に、飛鳥、奈良、平安、鎌倉の時代を生きた、皇族、公家、武士らの、考え方、感じ方に、思いを馳せる話。

  何が原因で、そうなったのかは、よく分かりませんが、とにかく、死にかけた状態である事だけは分かります。 娘が、「自由落下を求めて」、飛び降り自殺したらしいので、もしかしたら、主人公も、それに倣ったのかも。 主人公の祖父も自殺しており、狂気の遺伝子を受け継いでいると、父親も言っているように、堅実、且つ、地味に暮らす事ができない血統である事は、暗示されています。

  覚醒していない脳で、こんなに膨大な知識を記憶野から引き出すのは、到底、不可能だと思いますが、もしかしたら、高村さんクラスの頭脳になると、そういう事ができるのかも知れません。 毎朝、寝覚めの夢の中で、小難しい学術的問題を、脳が勝手に演算しているとか。 高村さんの知能は、私より、数倍、いや、数十倍、上を行くと思われ、下からでは、上の頭の構造を窺い知る事ができないのです。

  古典からの引用や、擬古文が、これでもかというくらい出て来るので、推理小説方面から、高村さんの作品を手に取り始めた読者は、十人中九人が、何ページも進まない内に、音を上げると思います。 無理無理! 読めるものかね! 目が文字にくっついて行ってくれませんわな。 もしかしたら、高村さんは、未だに自分の事を推理作家と見做している読者に、うんざりしていて、わざと、こういう作品を書いて、そういう輩に引導を渡そうと目論んだのでは? もっとも、このレベルになると、よほどの古典好きは別として、一般小説や純文学の読者でも、ついて行けないような気がしますが・・・。

  筒井さんの、【聖痕】に、擬古文が使われていましたが、あれは、実験的に、異化効果を狙ったもの。 一方、この作品では、古典引用や擬古文が、あまりにも多過ぎて、異化効果を通り越してしまっています。 もはや、小説というより、古典を対象にした、論考と言うべき。 こーれなあ、新人が書いて、新人賞に応募したり、編集部に持ち込んだりしたら、凄い顔されるでしょうねえ。 野次馬心理的には、編集者の引き攣った表情を見てみたいもの。 十二分に名前が売れている、高村さんだから、雑誌掲載も、単行本化も、可能だったわけで。

  古典引用や擬古文を、飛ばし読みしようとすると、何が言いたいのか、さっぱり分からなくなってしまうので、辛くても、全ての文字を読むしかありません。 セルフ拷問になると思いますが、この本を買っちゃった、もしくは、借りちゃった、己が運命を呪うしかありませんな。 【源氏物語】を、部分的にでも、原文で読んだ経験がある人なら、割とスイスイ、進むと思いますが、上にも書いたように、小説というよりは、論考なので、話の展開に、ワクワクするような事はないです。




≪晴子情歌 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2002年5月30日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約718ページ。 1997年末から、2002年春までの間に執筆されたもの。


  青森県の名士の家系に生まれた青年は、大学卒業後、遠洋漁船に乗り組む道を選ぶ。 寄港先に届く、母の長い手紙を何通も読んで、祖父母の人生、母の人生、母の弟・妹達の人生、名目上の父の人生、実の父の人生、父の一族の人生などを詳しく知り、それらを通して、母がどんな人間だったのかを知る話。

  主人公は、青年なのか、母なのか、判別し難いところ。 母の手紙(旧仮名遣ひ)の部分は、一人称で、完全に、母が視点人物です。 現在進行の地の部分は、三人称で、青年が視点人物。 現在、といっても、「ロッキード事件」が、日本を揺るがしていた、1970年代ですけど。 両部分の配分は、文章量は、地の方が多いですが、内容的には、半々くらい。

  高村さんと言ったら、犯罪を題材にした作品が多いですが、これは、完全に、純文学でして、推理小説方面から入って来た読者は、全く歯が立たない、と言うか、読むだけは読めても、面白さを感じられるのは、ほんの僅かの人に限られると思います。 5パーセント以下である事は、確実。 そもそも、この作品を読んで、純文の醍醐味が分かるようなら、先に推理小説に嵌まる事はないと言うのよ。

  母の手紙の、旧仮名遣ひだけでも、読む気が失せてしまうのではないでしょうか。 目が文字について行きますまい。 いや、分かるぞ、その気持ち。 私も、新仮名しか教わらなかった世代ですから、旧仮名を読むのは、きついです。 ただ、私の母が学生時代に買った文庫本に、旧仮名のものがあり、それを何冊か読んだ経験があったから、何とか読めるというだけで。

  恐らく、高村さんも親の世代の蔵書を読んでいて、旧仮名を読み書きできるようになったのではないでしょうか。 もっとも、私と高村さんとでは、読書量が、二桁くらい違っていると思いますが。 もちろん、高村さんの方が、遥かに、上です。 背中が全く見えないくらい、離れています。

  純文の中でも、大河小説と呼ばれる部類です。 トルストイ作、【戦争と平和】が典型ですが、複数の中心的人物と、その周辺の人々の生き様を書き込んで行って、一つの時代、もしくは、時代の変化を描き出すというもの。 必ずしも、作品の長さは関係なくて、同じ高村作品で、同じくらいの長さでも、今までに読んだものの中には、大河を感じさせるものはありませんでした。

  ちなみに、私は先に、【太陽を曳く馬】の方を読んでしまいましたが、そちらに出て来る、変わり者の僧侶の若い頃が、この作品の、青年に当たります。 この作品では、仏教との関わりには、深入りしておらず、伏線が張られている程度。 とはいえ、この作品にしてからが、「オウム真理教事件」の後に書かれたものですから、【太陽を曳く馬】まで繋がって行く構想は、当初からあったんでしょうなあ。

  同じ大河小説でも、日本が舞台で、戦前の描写が多いと、こうも暗い話になるものか。 戦前・戦中の日本文学がもつ、暗さ、重さが、全開になっています。 結核が出て来ないのが、せめてもの救い。 これで、結核患者が出て来たら、私は途中で放り出していたでしょう。 あれは、いかんわ。 悲劇のモチーフとして、あまりにも安直に使われ過ぎています。 高村さんも、そう思って、敢えて、避けたのかも知れません。

  私が過去に読んだ小説の中で、この作品に近いというと、北杜夫さんの、【楡家の人々】ですかね。 同じ、北さんの作品に、【遥かな国遠い国】というのがありますが、遠洋漁船の件りは、それに似ています。 あくまで、雰囲気が、というレベルで、こちらの方が、遥かに精緻ですけど。 労働運動も、モチーフとして出て来ますが、小林多喜二作、【蟹工船】ほど、大型漁船上の仕事を、厳しく描いてはいません。 もっとも、現役時代、肉体労働者だった私でも、こういう仕事は、とても務まりませんが。

  この作品で、一番 記憶に残るのは、「母」の結婚相手が決まる場面です。 その前に知り合った青年がいて、住む場所は離れても、手紙のやり取りを続けているのですが、突然、別の人物から結婚を決められ、驚いた事に、「母」が、それを拒もうとしないのです。 どうも、手紙のやり取りをしていた青年とは、特に結婚を意識していたわけではない様子。 しかし、その事について、「母」の心理描写がなされていないので、読者側は、「なぜ、拒まない? あっちの青年は、どうするのだ?」と、思ってしまうわけです。

  ただ、ディケンズ作、【荒涼館】で、主人公エスタの結婚相手が明らかになった場面ほど、大きな違和感を覚えないのは、この作品の「母」が、現代日本人から見て、外国人であるエスタよりも、ずっと遠い存在だからでしょうか。 同じ日本でも、戦前・戦中と、戦後では、社会が様変わりして、価値観がまるで違っているので、戦前の日本文学全般が分かり難いように、この作品に出て来る、「母」も、戦後生まれの私の目には、理解の限度を超える存在に映るのでしょう。 最初から、理解できない事が分かっているから、違和感も半分くらいなわけだ。

  理解できないところを、無理やり、理解しようと試みるに、この時代の女性は、独立して働く職場がなくて、どこかしらの家族に属していなければ、生きて行けなかったから、その家で、自分より上の立場にいる者が決めた事には、逆らうという選択肢がなかったのも知れませんな。 結婚も、「親決め婚」が普通の時代ですから、戦後のそれほど、相手に拘らなかったのかも知れません。 「見合い婚」すら廃れて、「恋愛婚」もしくは、「紹介婚」だけになっている、現代の感覚では、やはり、理解できませんけど。




≪新リア王 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2005年10月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約857ページ。 たぶん、書き下ろしだと思います。


  青森県の名士、福澤家に生まれ、国会議員を何期も続けて、「王国」を築いて来た、福澤榮が、70代半ばにして、公の場から姿を消し、青森県の、みすぼらしい草庵を訪ねる。 そこには、戦時中、榮が、出征した弟の妻に産ませ、長じて出家した息子、彰之が住んでいて、榮が知らなかった孫、秋道もいる事も知る。 それまで、話をした事がなかった彰之を相手に、政治の事、原発誘致関連の事、福澤一族の事、一年前に自殺した秘書の事、仏教の事、彰之の妻子の事などを語り合う話。

  【晴子情歌】の続編ですが、この作品は、大河小説ではありません。 むしろ、この作品の続編に当たる、【太陽を曳く馬】に近くて、小説の形を借りた、論考と言うべき。 対象になっているのは、政治が大半で、仏教が少々、残りは、彰之親子の家族史。 政治と宗教に興味がなければ、この本を読む意味は、ほとんど、ありません。

  とりわけ、政治関係の部分は、興味がない者にとっては、ただの文字の羅列に過ぎず、全く頭に入って来ないか、入った端から出て行くかのどちらか。 様々な、「仕組み」に興味がある、高村さんの事だから、複雑怪奇な政界の仕組みに惹かれても、不思議はないとは思うものの、正直、民主政治の腐臭全開という感じで、とても、真剣に読めたものではありません。 脳味噌が腐る心地ぞする。 何でも、詳しく調べて、細々と書けばいいというわけでもないようです。

  小説の形式を借りていると書きましたが、小説の形式と言うより、物語の形式と言うべきか。 一番近いのが、【千一夜物語】で、榮と彰之が、語りまくるわけですか、長さ的にも、内容的にも、語り過ぎでしょう。 特に、何年も前に起こった事を、何ページ分にも渡って、語り続けるというのは、記憶力・表現力の限界を超えますし、聞かされる方も、忍耐の限界を超えてしまいます。 それこそ、「その話、今じゃなきゃ、駄目?」というセリフが出てしまうのでは。

  現実には、こんな会話は、ありえないのであって、それは、作者も承知しているはず。 しかし、この膨大なボリュームの内容を、自然体の小説作法で書こうとしたら、長さが10倍くらいになってしまうから、リアリティーを犠牲にしても、物語の形式を選んだのだと思います。

  「リア王」は、シェークスピア作の悲劇ですが、日本で最も知られている翻案作品というと、黒澤明監督の、≪乱≫でしょうか。 ああいうストーリーです。 榮には、彰之の他に、本妻との間に出来た息子が二人いて、政治的に、彼らの裏切りに遭う点、リア王に近いのですが、彰之も、父親の味方・理解者とは、到底言えない点、リア王より、更に救いがない。

  しかし、だから、榮が気の毒とは、全く思いません。 だって、政治家なんだものね。 同情に値するような職種ではありますまい。 権力を握る為に、他の全てを犠牲にしてもいいという考え方なのだから、こういう末路になっても、致し方ないではありませんか。 それが嫌なら、最初から、政治家にならなければ良かったのです。

  実在の政党名や、実在した政治家の名前が、ごろごろ出て来ますが、福澤榮と、その一族、青森県知事などは、架空のものです。 どこまでが現実で、どこからが虚構なのか、政治に興味がない者には、境目が判別できません。 特に、若い読者は、虚構の部分を、知識として、頭に入れないように、気をつける必要があります。 青森県民相手に、「福澤家は、凄いよね」などと言った日には、恥を掻くだけ。




≪四人組がいた。≫

株式会社 文藝春秋
2014年8月10日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、約273ページ。 「オール読物」に、2008年2月から、2014年1月まで、不定期に掲載されたもの。


  市町村合併で名前がなくなった山奥の村。 毎日、郵便局に集まるのは、元村長、元助役、現役郵便局長の三人のジジイと、野菜売りのおばさんの、四人組。 いずれ劣らぬ、可愛気の微塵もないすれっからしで、金儲けの話にだけは、敏感に食指が動く。 村に起こる、様々な超常現象的事件に、興味本意と、悪乗りで対処して行く話。

  超常現象と言っても、SFではなく、御伽噺に近いです。 「大人の童話」と言ったら、形容矛盾ですが、そんな感じ。 一応、12話に分かれていて、短編集という形になっていますが、12章という取り方をして、全体で一つの作品と見た方が、適切かも。 宇宙人や、化け狸、野菜のお化け、雪男、背後霊、閻魔大王など、漫画・アニメの超常現象もので、よく取り上げられる題材を扱っており、その点、既視感が強いです。

  高村さんが作者ですから、現代社会の習俗も多く取り入れていて、御伽噺と混ぜ込んでいます。 つくづく、高村さんは、その方面の感性が優れている。 だけど、あと、30年経ったら、この作品に出て来る習俗は、ほとんど、分からなくなるでしょうなあ。 逆に考えると、分からなくなってしまうからこそ、詳細に書き留める事に意義があるとも言えます。

  と、ここまでは、高村さんに敬意を表した、抑えた感想。 ここからは、辛くなりますが、正直言って、声を出して笑うところまで行きません。 せいぜい、ニヤける程度。 作者の知性が高過ぎて、馬鹿になりきれないと言うか、品性があり過ぎて、下品になりきれないと言うか、笑いのツボを外してしまっているのです。

  帯の宣伝文句には、「ブラック・ユーモア」という言葉がありますが、ブラックを羅列し過ぎたせいで、一つ一つのギャグが、月並みな印象になってしまっている観が否めません。 ストーリー性が低いのは、高村さんの長編にも共通しますが、長編なら、どんな構成にしても、「こういう語り方なのだ」で、済ませられるのに対し、短編の場合、特に、御伽噺的な短編の場合、起承転結をはっきりさせないと、何が言いたいのか分かり難くなってしまいます。

  とはいえ、こういう、「気のおけない仲間と、ワイワイやる雰囲気が好き」という読者も、少なからず いるでしょうねえ。 話の内容なんて、大した意味はない。 その点、ライト・ノベルのファンは、入り易く、受け入れ易く、嵌まり易いんじゃないでしょうか。 高村作品ですが、これに限っては、難しい事は書かれていないので、頭が痛くなって、途中で放り出す事もないでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪墳墓記≫が、5月30日から、6月1日。
≪晴子情歌 上・下≫が、6月5日から、10日。
≪新リア王 上・下≫が、6月13日から、19日。
≪四人組がいた。≫が、6月21から、6月23日。

  高村さんは、犯罪を題材にした作品が多いですが、≪晴子情歌≫は、純文学です。 しかし、もし、高村さんが、純文学でデビューしようとしたら、どうだったかと考えると、まるっきり、注目を浴びなかった可能性が高いですねえ。 こういう暗い話を、80年代以降の編集者が、好んだとは思えませんから。 犯罪小説・推理小説の世界からデビューして、名声を確立したからこそ、純文学作品も出せるようになったわけだ。