2025/07/06

読書感想文・蔵出し (126)

  読書感想文です。 これから、しばらく、高村薫作品が続きます。 読む方も、この記事を纏めた時点では、まだ、高村作品を読み続けています。 例によって、沼津図書館にはないが、三島図書館にはある、という作品が幾つかあり、三島まで行くか、相互貸借で取り寄せてもらうか、悩むところ。





≪照柿 一・二・三・四≫

大活字本シリーズ
社会福祉法人 埼玉福祉会
2010年5月20日 発行(限定部数 各巻500部)
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ソフトカバーの大活字本です。 四冊で、長編、1作を収録。 合計、1320ページですが、大活字本なので、普通の単行本や文庫本なら、もっと少なくなるはず。 別に、大活字本で読みたかったわけではなく、沼津図書館の本館には、≪照柿≫が、大活字本でしか置いてなかったのです。 

  「照柿」は、「てりがき」と読み、臙脂色に近い色の名前です。 柿の話ではない事は、読み始めれば、すぐに分かります。 1994年の発表。 2006年に、講談社文庫。 発表時と、文庫化された時とでは、大幅に改稿されているとの事。 高村さんは、そういう手直しを、よくやるのだそうです。 1995年に、NHKでドラマ化されているようですが、私は見ていません。


  羽村市にある機械部品の加工工場で、焼入れ部門の管理職をしている野田達夫は、反目していた父の訃報を受けとったが、葬儀に参列する為に、鉄道で大阪へ向かおうとした駅で、18年来会っていなかった幼馴染みの合田雄一郎に、ばったり出くわす。 合田は、警視庁の刑事で、ホステス殺しの容疑者を取り調べる為に、大阪へ向かうところだった。 野田は、次々と問題が起こる仕事や、家庭不和に疲れ果て、合田は、捜査の為に、暴力団に近づき過ぎて、賭博に手を出してしまい、各々、未来が閉ざされた思いをしていた。 そこへ、野田のかつての恋人、佐野美保子が関わって来て、三人の運命が、脱線に向けて、軋み音を立て始める話。

  殺人事件が、2件起こりますが、最初の事件は、合田を登場させる為の前座に過ぎず、メインは、2件目の方です。ところが、その2件目が、計画性も動機もない、衝動殺人でして、トリックも謎も、介在する余地なし。 半分を超えてから始まる、倒叙物とでも言いましょうか。 推理小説というより、犯罪小説。 いやいや、この文章の濃密な描写は、純文学のそれでしょう。

  2件目の事件の動機があまりにも薄弱なので、推理小説、もしくは、犯罪小説のつもりで読んでいた読者は、大いに戸惑うと思います。 私も、狼狽しました。 これは、大欠陥なのではないかと・・・。 しかし、そもそも、高村さんの作品は、推理小説ではないのであって、トリックは出て来ませんし、謎は出て来ますが、それ自体が読ませどころではないです。 犯罪をモチーフにはしているけれど、犯罪が描きたいのではなく、人間を描くのに、犯罪に関わらせるのが、一番 人間らしい醜さの本質が出ると考えているからでしょう。

  純文学のつもりで読めば、「不条理」というテーマで、2件目の事件を、すんなり受け入れる事ができます。 カフカ作、【変身】とか、カミュ作、【異邦人】とか、あの系統。 それらに比べれば、動機の説明が薄弱などという事は、全く感じないのであって、むしろ、逆。 犯人が、どういう経緯で、罪を犯す心境に追い込まれていったかは、これでもかと、くどいくらい、細かく描き込まれています。 それを読者に印象付ける為に、この小説が書かれたとまで言っても、過言ではない。

  高村作品独特の、詳細を極める専門知識ですが、この作品では、「工場の焼入れ工程」、「ヤクザの賭場」、「美術界」の三点が、盛り込まれています。 はっきり言って、くどい。 この本を手に取る、99.9999パーセントの読者にとって、いずれも、知らなくてもいい事ばかり。 多くの人が、自分が仕事にしている分野では、こういう専門知識を持っているわけですが、普通、外部の人には、話しません。 全く通じないし、そもそも、興味すらもってもらえないからです。

  高村さんが、この種の専門知識を、リアリティーを出す目的で、作品に盛り込んでいるのは、まず間違いないところ。 非常に高度ではあるが、所詮、ハッタリの類いなので、あまり高く評価し過ぎるのも、どうかと思います。 舌を巻くにしても、「こんなに詳しい事を、一体、どんな取材をしたら、調べられるのだろう?」程度で収めておいた方が無難です。 そもそも、門外漢には、高村さんの書く専門知識が、正しいのか間違っているのかの判定すら、できないのですから。




≪地を這う虫≫

株式会社 文藝春秋 1993年12月1日 第1刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの大活字本です。 短編、5作を収録。 全体のページ数は、約301ページ。 


【愁訴の花】 約64ページ 1992年12月

  警察を辞め、警備会社に再就職していた元刑事のもとに、かつての上司で、警視になったばかりの人物が、肝臓を悪くして瀕死の床にあるという報せと、かつての後輩で、妻殺しで服役していた男が、刑務所から出たという報せが届く。 後輩の事件には、殺された妻の、為人や素行、金回り、交友関係に不審な点が多かった。 後輩が出所した事で、停まっていた過去の事件が、再び動き出す話。

  視点人物が、警察を辞めているのは、警察上層部の不正が絡んでいるから、内部にいる者では、解決が難しくなるからでしょう。 このページ数では、勿体ないくらい、凝ったストーリー展開になっています。 細部を書き込めば、長編にできるボリュームがあるので、ドラマにすれば、脚本家は、簡単に、2時間物に仕上げられるでしょう。 調べてみたら、案の上、1999年に、NHK・BSで、1時間半のドラマになっていました。 民放なら、CM入れて、2サス枠で放送という事になりますな。

  逆に考えると、このページ数では、内容を欲張り過ぎているとも言えます。 読み応えはありますが、短編独特の小気味良い切れ味はありません。 といって、そういうものの欠如は、貶すほどの事でもないです。


【地を這う虫】 約56ページ 1993年3月

  姻戚から被った家庭の事情で退職した元刑事の男。 経済的理由で別居する事になった妻子に仕送りする為に、倉庫管理の仕事と、別の会社の警備員の仕事を掛け持ちしていたが、唯一の楽しみは、二つの職場と住居の間を移動する時に、住宅地を歩き回り、仔細に観察して、気が付いた事を書き留める事だった。 ある時、その住宅地で、空き巣事件が連続したが、どの家でも、何も盗まれたものはなかった。 元刑事の血が騒いだ男は、空き巣が入った家の共通点を調べ始めるが・・・、という話。

  非常に、大変、ハッとするくらい、面白いです。 ベースにしているのは、ホームズ物の【空き家の冒険】だと思いますが、こちらの方が、千倍、優れています。 これは、短編推理小説として、傑作にして、名作なのでは? 古今東西 見渡しても、こんなにゾクゾクする短編は、そう幾つもありますまい。

  主人公の極端な性癖が、話の肝なのですが、こういう細かい性格の人間て、実際に いますよねえ。 もしかしたら、高村さん自身も、そういうところがあるのかも知れません。 でなければ、そもそも、こんなキャラクターを思いつかないし、小説の中に描き込む事もできないでしょう。

  この作品が、この短編集の表題作になっているのも、むべなるかな。 とにかく、読むべし。 絶対に、損はしません。 ただし、同じような性格だであったとしても、この主人公の趣味を真似ないように。 元刑事だから、何とかなったのであって、一般人がやったら、どんな事になるか分かりません。


【巡り逢う人びと】 約60ページ 1993年7月

  警察組織に嫌気がさして辞職し、サラ金会社に再就職して、取り立て担当になった元刑事。 その会社では、最後の取り立て要員として、暴力団の組員を使っていたが、元刑事が厳しく言い聞かせてあったにも拘らず、債務者側の従業員への傷害容疑で、引っ張られる者が出てしまう。 元刑事は、取り立ての責任者として、失職する恐れが出て来るが、意外な人物が債務者であった事が分かり・・・、という話。

  「借りた金を返すのは、当然の事だから」と、借金の取り立てを仕事にした事に、負い目を感じていなかった主人公が、自分の古い友人が事件に関わっていたと知って、豹変し、立場も忘れて、友人を救おうとするのですが、ちょっと、極端とは思うものの、まあ、人間というのは、こういうものなのかも知れませんな。

  小説として、面白い、楽しい、という感じはしません。 主人公を、世間体のよくない職業に就かせていると、本人に矜持があろうがなかろうが、読者がついて来ないものです。 読書習慣がある人間の大半は、法律的にも、道義的にも、善良な人達ですから。


【父が来た道】 約62ページ 1993年11月

  大物政治家の後援者をやっていて、選挙不正の責任を負わされ、有罪判決を受けて、服役中の父親をもつ、元刑事の男。 父親の事件の関係で、警察を辞めた後、その政治家に誘われて、お抱え運転手になったが、裏で、警察に依頼されて、政治家の動向を探るスパイも務めていた。 政治家が体調を崩して入院した直後、病室に呼ばれた男は、政治家から、お前がスパイである事は承知していたと聞かされ・・・、という話。

  政治の世界が、いかに汚らしいかを描くのがテーマ。 これが、民主主義社会の現実かと思うと、げんなりして来ます。 当然、裏で、金や利権が動いており、だからこそ、警察・検察に目をつけられているわけですが、この話では、必ずしも、そういう状況を批難しておらず、淡々と、現実を描写しています。

  極めつけはラストで、普通、善悪バランスを取って、不正をしている者には、何らかの罰が下されるものですが、そうはなりません。 大物政治家は、高齢ですから、時折り入院するのは、普通の事であって、罰とは言えませんからのう。 そればかりか、主人公も、勤めを続けるようで、些か、呆れてしまいます。 しかし、「これこそが、今の政治のリアル」と言えば、確かに、その通りでして、主人公一人を、不正を許さない人物にしたとしても、いっとき、僅かに溜飲が下がるだけで、全体の構造は、何も変わらないんですな。

  この話、2005年に、阿部寛さん主演で、ドラマ化されています。 私も見ているんですが、冒頭部分以外、ほとんど、覚えていません。 ネット情報で知ったドラマのあらすじと比べると、原作小説の方は、ずっと地味で、大きな事件は起きません。 逆に言うと、だからこそ、より、リアルなわけですが。


【去りゆく日に】 約59ページ 1993年秋

  翌日に定年退職を控え、刑事として最後の一日を迎えた男。 一ヵ月前に起こった殺人事件で、川の土手の階段から落ちた被害者の、衣服が整えられていた点に違和感を覚え、犯人か、その共犯に、細やかな配慮が習慣になっている女がいるのではないかと調べを進めていたのだが、最終日の夜になって、被害者の後妻が怪しい行動に出て・・・、という話。

  公務員だからでしょうが、誕生月ではなく、年度末に、一斉退職するんですな。 同じ年生まれが、一遍に抜けると、職場が困ると思いますが、まあ、そんな事まで、私が心配してやる必要はないか。 それにしても、刑事というのは、足が命の職業だと思いますが、退職寸前まで、現役で務まるものなんですかねえ。 歩くのはともかく、走るのは、無理が利かないでしょう。 20代の犯人が逃げ出したら、59歳の足では、絶対、追いつけないと思います。

  不粋なツッコミはそのくらいにしておいて・・・、話自体は面白いです。 退職前日で、上司からも部下からも、「もう、いないも同然」の扱いを受けている人物が、捜査本部が誤認逮捕をやらかしている間に、真犯人に近づいて行くのですから、それを読んでいる読者が、小気味良さを感じないわけがない。 巧い語り口ですなあ。

  この作品も、映像化されていて、2009年に、小林稔侍さん主演で、2サス枠のドラマになっています。 私も見ていて、印象深く記憶に焼き付いています。 原作の通りだと、短か過ぎて、1時間で終ってしまうので、主人公の妻が、詐欺に引っ掛かりそうになるエピソードを足しています。 1.5倍くらいに水増しされていたわけですが、取り立てて不自然さを感じなかったのは、脚本家にも実力があったんでしょう。 殺人事件の方に限って見れば、原作に忠実に映像化されています。




≪レディ・ジョーカー 上・下≫

毎日新聞社
上巻 1997年12月5日 第1刷 1997年12月20日 第3刷
下巻 1997年12月5日 第1刷 1998年12月24日 第8刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 全編のページ数は、約855ページ。 冒頭部のみ、一段組。 それ以外は、二段組。 1995年6月から、1997年10月まで、「サンデー毎日」に連載された作品を、単行本化に当たって、大幅に改稿したもの。


      ビール業界最大手のメーカーに勤める重役の一人が、娘が結婚したがっていた相手に対して、差別意識から承諾を与えなかった事が発端になり、相手の青年は交通事故死し、数年後、その父親が自殺する。 姻戚の老人が、孫の仇をとろうと、競馬仲間に声をかけて、企業を恐喝しようと企てる。 仲間には、現職の刑事も含まれていて、警察の捜査方法を知り尽くした周到な計画が立てられるが・・・、という話。

  基本的な筋は、そうなんですが、尾鰭がついて、膨れ上がっています。 尾鰭の方が、ボリュームが多くて、本筋は、いつのまにか、脇に追いやられてしまいます。 それにしても、こんなに筆力がある人物が、この世に存在するというのは、心底、驚きです。 一般読者は言うに及ばず、プロ作家の面々でも、「こんな大作は、とても書けない」と、舌を巻くんじゃないでしょうか。 ただ長いだけというのではなく、密度が違うのです。

  「レディ・ジョーカー」というのは、犯行グループの名前。 メンバーの一人に、障碍を持つ子供がいて、「レディ」と呼ばれているのですが、障碍がある故に、父親が、「自分の人生のジョーカーだ」と言っていたのが、理由。 実際の発音は、「レディー・ジョーカー」なんでしょうが、様々な「仕組み」に興味津々で造詣深い高村さんでも、「レディー」より、「レディ」を選んでしまうのか、はたまた、編集者の意向か。 言語学を学んだ者としては、致し方ないと言う気はないです。 「レディ」なんて言葉は、日本語にはありません。 誰でも、必ず、「レディー」と伸ばしているはず。 でなければ、通じますまい。

  それはさておき、群像劇でして、「犯行グループ」、「ビール会社の経営者達」、「警察の捜査関係者」、「新聞記者達」、といった面々が、それぞれ、視点人物となって、入り乱れます。 「総会屋」と、「政治家」も出て来ますが、そちらは、視点人物になる事はありません。 【マークスの山】や、【照柿】にも出て来た合田警部補が、所轄署の捜査員になっていて、一番、露出が多いですが、主人公と言うには、ちと、弱いか。 そのくらい、群像劇度が高いのです。 とりわけ、ビール会社の社長は、合田と同じくらい、重要な登場人物として描かれています。

  50歳以上の人なら、1984・85年に起こった、「グリコ・森永事件」を記憶していると思いますが、この作品の内容は、明らかに、それをなぞっています。 菓子会社を、ビール会社に入れ換えたわけだ。 ただし、グリコ・森永事件そのものが、未解決なまま、この作品が発表された時期を迎えており、この作品が、同事件の真相を明かしているわけではないです。 高村さんが、頭の中で創り出した、「一つの可能性」、という程度の事でしょう。

  本筋の事件は、途中から重要度が下がってしまうので、敢えて、ネタバレさせてしまいますと、犯行グループの特定は、警察組織としては達成されません。 もちろん、逮捕もなし。 真相に辿り着く者はいますが、物証がなくて、警察組織を動かせずに終わります。 その辺りは、推理小説、もしくは、犯罪小説として読んでいる読者としては、モヤモヤ感が残るところ。 しかし、作者としては、人間を描くのが目的なのだから、事件が解決するかどうかには、大きな意味がないと考えているのでしょう。

  それにしても、「新聞記者達」の視点は、読むのがきつい。 これは、作者のせいと言うより、私個人が、マスコミ関係者に対して、好ましい印象がなく、彼らが重要視している対象はもちろん、彼らの存在そのものにも、興味が薄いからだと思います。 新聞業界の、「仕組み」にも、非常に細かい描写が為されていますが、そんなに丁寧に取り上げてやるほど、価値がある世界とは思えませんな。 もっとも、この作品の発表当時は、インター・ネットの普及前だから、情報源としての新聞の価値は、今よりは、ずっと高かったわけですが。

  それにしても、合田警部補は、一作ごとに、心身ともに、ボロボロになって行きますねえ。 とても、30代とは思えない。 定年間近としか感じられない、くたびれようではありませんか。 一応、複数作品の中心的人物なのに、この扱いのひどさは、どういう趣向なんでしょう? コナン・ドイルさんが、ホームズを滝に落として葬った心理と、通じるものがあるんでしょうか。




≪太陽を曳く馬 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2009年7月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組で、全編のページ数は、約776ページ。 2006年10月から、2008年10月まで、「新潮」に連載された作品を、単行本化に当たって、加筆修正したもの。


  「サンガ」という組織を作り、修行僧達を従業員として雇用している伝統仏教の寺院。 癲癇の持病を持つ青年が、施錠されていたはずの門から出て、交通事故に遭い、死亡する。 遺族から、寺の管理責任を問う訴訟が起こされ、警察が捜査を指示される。 担当になった、合田雄一郎が、サンガを作った人物や、寺の管理者達、修行僧達に聞き取りをして、事故、もしくは、事件が、なぜ起こったかを追究して行く話。

  大筋は、そんなところですが、この梗概からイメージされる内容とは、途轍もなく懸け離れています。 この作品、犯罪小説の枠を借りているだけで、その実、事故、もしくは、事件なんか、どうでもいいのであって、その正体は、伝統仏教や、オウム真理教、現代美術などについて分析を加えた論考なのです。

  ですから、ストーリー展開を楽しむ読み方は、全くできません。 その点、面白くも何ともないのです。 合田雄一郎は、関係者の話を聞いて回る、単なる繋ぎ役に過ぎず、≪マークスの山≫や、≪レディ・ジョーカー≫でのそれに比べると、ほとんど、存在感がありません。 というか、この作品に、合田を出す必要はなかったのでは? 宗教について、妙に食いつきが良く、教義の理解も深い所まで達するのですが、前2作の合田とは、別人のように感じられます。

  合田が、この役に似合わないというに留まらず、毎日、教義の勉強をしている宗教関係者相手に、対等に語り合う事ができる、こういう刑事がいるような気がしません。 それは、作者も承知しているようで、結末近くで、検事の口を借りて、合田を刑事らしくないと言わせていますが、本当に、その通りだと思います。 そういう方面に興味を抱く人間は、そもそも、刑事という職業を選ばないでしょう。

  高村作品らしく、モチーフの分析は、途方もなく詳細です。 しかし、詳し過ぎて、普通の読書人では、到底、読み通せないでしょう。 私も、音を上げて、詳しく書かれた部分は、ほとんど、飛ばしました。 実は、飛ばし過ぎて、感想を書く資格もないのですが、そうなってしまうのは、私だけではなく、99.99パーセントの読者が、飛ばしていると思います。

  仏教の教義が、最も深く、長く、細かく、取り上げられていますが、一文字も余さずに目を通し、内容を理解しても、人生に、害になる事こそあれ、益になる事は微塵もないと、断言できます。 こんな事は、知らない方が、ずっと、幸福に、快適に生きられます。 その点については、絶対の自信あり。 特定宗教の教義について、何も知らなくても、人生の価値が減ずる事は、金輪際ありません。 知らない方がいい事というのは、実際にあるんですな。

  ≪黄金を抱いて翔べ≫や、≪照柿≫などでは、リアリティーを醸し出すのに絶大な効果を発揮した詳細な専門知識が、この作品では、真逆に働いて、詳細であればあるほど、胡散臭く、宗教の教義を、価値がないと思わせる方向に、読者を引っ張ってしまっています。 どうも、高村さん自身、それは分かっているような気配もあります。

  それなら、最初から書かなければ良さそうな気もしますが、高村さんとしては、日本中を震撼させた、オウム真理教の一連の事件について、何か、書いておかなければと思っていたんでしょうねえ。 30年も経過した今から振り返ると、もはや、何の意味もなくなってしまった感がなきにしもあらず。 この作品を書く為に投じられた膨大なエネルギーが、惜しいと思ってしまいますねえ。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪照柿 一・二・三・四≫が、4月6日から、12日。
≪地を這う虫≫が、4月14日から、16日。
≪レディ・ジョーカー 上・下≫が、4月19日から、25日。
≪太陽を曳く馬 上・下≫が、4月26から、5月6日。

  上下巻の二冊だと、やはり、日数がかかります。 もっとも、≪太陽を曳く馬≫は、植木手入れの二日間を挟んでいるので、昼間は、1ページも読めないわけで、他とは少々、条件が異なりますが。

  高村さんの本には、短編集が少なくて、作品があるのが分かっているのに、読めないものがあるのは、残念なところ。 掲載された雑誌を見つけられれば、読めるわけですが、図書館の雑誌って、30年以上、保存されているものなんですかね?

2025/06/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (69)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、69回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年5月分。





【沼津市西浦江梨・江梨中川河口】

  2025年5月5日。 沼津市・西浦江梨の、「江梨中川の河口」へ行って来ました。 「えなし」と読みます。 西浦は、伊豆半島の北西部にあり、江梨は、大瀬崎の手前にある集落です。 久しぶりの遠出になりました。

≪写真1≫
  海岸線を通る、崖の上の道路から、江梨集落を見下ろしました。 木が邪魔で、見えませんが、ここに写っている分よりは、ずっと多い、家があります。

≪写真2≫
  江梨中川の河口。 コンクリートで固められているのは、今時、どこも同じか。

≪写真3≫
  消防分団詰所の隣の敷地に停めた、EN125-2A・鋭爽の、ハンドル周り。 バイク雑誌に載っていそうなアングルですな。

  江梨の港は、釣り場として有名のようで、突堤の上に、釣り人の姿が見られました。

≪写真4≫
  江梨中川の河口から、上流を見ました。 河口に一番近い橋は、「江梨橋」で、海岸線の幹線道路が通っています。

≪写真5≫
  帰りに、路傍で見つけた、花。 木ではなく、草だと思うのですが、背丈に凸凹があるのが、不思議。 もしかしたら、松葉菊? 自信なし。




【沼津市西浦久料・久料川河口】

  2025年5月13日。 沼津市・西浦・久料にある、「久料川の河口」を見て来ました。 久料は、江梨より、一つ東側の集落。 一度、通り過ぎてしまい、前週に行った江梨の手前まで行ってから、引き返してきました。 「久料」は、「くりょう」と読みます。

≪写真1≫
  河口の真上を、幹線道路の県道17号線が通っており、こういう写真しか撮れませんでした。

≪写真2≫
  河口に架かる橋は、「久料橋」。 バイクを停めるところがなくて、やむなく、歩道に停車しました。

≪写真3≫
  久料橋の上から、上流側を見ました。 水は少なくて、渇水期のようです。

≪写真4≫
  バイク越しに、海。 海の向こうに見える山は、愛鷹山です。 その上に、富士山が見えるはずなのですが、この日は、雲に隠れていて、駄目でした。




【沼津市西浦足保・足保川河口】

  2025年5月20日。 沼津市・西浦・足保の、「足保川の河口」へ行って来ました。 「あしぼ」と読みます。 一週ごとに、近い集落になっていますが、まだまだ、遠いです。 そもそも、西浦自体が、うちから遠いのですが、足保は、西浦の中間地点より、向こうですから。

≪写真1≫
  足保川に架かる、河口から一本目の橋、「清水橋」の上から、河口を見ました。 河口らしい形状の河口です。 遠くに見える突堤で、人工的に、内湾を造ってあります。

≪写真2≫
  清水橋。 下流側だけに、歩道が設けられています。 上流側の欄干は、古いコンクリート製のものなので、下流側の鉄製のは、後で付け直したのかも知れません。 通っているのは、海岸線の幹線道路、県道17号線。

≪写真3≫
  少し上流に、小山があり、急で長い階段が見えます。 ネット地図で見ると、「天神社」があるのですが、この階段では、高齢者は、登れますまい。 信心があれば、登れるかな? 余所者の分際で、こんな心配は、余計なお世話ですが。

≪写真4左≫
  河口近くに置いてあった、ブイ。 私の背丈くらいあります。 以前は、海に浮かべられていたのでしょう。 こういう物体が、沖合いで、何年も浮いているというのは、夜や嵐を想像すると、何とも、恐ろしいです。

≪写真4右≫
  清水橋の、左岸下流に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクでも、車でも、海や湖など、大量の水がある場所に近づく時には、十二分に気をつけた方がいいです。 落ちる危険性が、常にありますから。 家人が港に釣りに行ったのだが、帰って来ない。 警察に届けて、捜してもらったら、車ごと海に落ちていた、というのは、割と良く聞く話。



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【沼津市西浦古宇・古宇川河口】

  2025年5月28日。 沼津市・西浦・古宇の、「古宇川の河口」へ行って来ました。 古宇は、西浦の西から4番目の集落で、「こう」と読みます。 古い宇宙? 新しい宇宙に対して? 物理学的だな。 当て字だと思いますが、どういう経緯で、この字が選ばれたのか、幾分、興味が湧くところです。

≪写真1≫
  古宇川は、そこそこ幅が広い割に、水が少なくて、河口は、干潟みたいな様子になっていました。 古宇湾には、ヨットが多く停泊していました。 遠くに見える山並みは、沼津アルプス。 一番高いのが、鷲頭山(わしずさん)です。

≪写真2≫
  河口から一番目の橋、「古宇橋」。 通っているのは、県道17号線です。 昭和28年(1953年)3月竣功ですが、欄干は、新しく付け替えられているようです。

≪写真3≫
  古宇橋の上から、上流を見ました。 二番目の橋までが遠いですな。 という事は、この集落が、結構、広い事を表しているとも言えます。

≪写真4≫
  橋の西側の袂、路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この写真では分かりませんが、ここだけ、少し広くなっていたので、停めた次第。 バイク一台くらいなら、どこかしら、停める場所を見つけるのは、難しくありません。 交通量も多くはありませんし。

  ちなみに、伊豆半島に観光で行く車は、大抵、三島から修善寺へ入り、そこから、南の下田方面へ向かったり、西海岸に出たりします。 西浦の海岸線の道は、遠回りになるせいか、あまり、選ばれません。 西浦自体が目的で来るのは、釣り客くらいのもの。




  今回は、ここまで。 西浦方面に行ったのは、約一年ぶり。 海岸線のワインディング・ロードを走るので、ツーリング自体が、楽しかったです。 やっぱり、オンロード・バイクはいいなあ。 カーブを曲がって行く時の気持ち良さが、排気量の大小と無関係なところが、面白いです。

  ところで、「バイクは好きなんだけど、カーブが怖くて・・・」という人もいるかと思いますが、原因は、二つ考えられます。

  一つは、 ステム・ベアリングがイカれている事。 これは、バイク店で直してもらうしかないです。

  もう一つは、カーブに入ってから、速度が高過ぎると感じ、後輪にブレーキをかけてしまっている事。 ロックしてしまうので、タイヤが滑るような感じがします。 それは、怖いでしょうよ。 「ブレーキなんて、かけていない」と言う人も、速度を落とす為に、アクセルを戻す事はしているはず。 アクセルを戻せば、エンジン・ブレーキがかかってしまうので、やはり、後輪がロックします。

  対策としては、カーブに入る前に、速度を落としておき、カーブに入ったら、少しでもいいから、常に、アクセルを開き気味にして、曲がって行くように気をつける事ですかね。 慣れれば、体が勝手に、それをやってくれるようになります。

2025/06/22

実話風小説 終了の言いわけ

  月に一作のペースで書き、アップして来た、実話風小説ですが、前回で、40作まで行ったので、終わりにしようと思います。 「切りのいいところで、50作まで」とは、漠然と考えていましたが、あと10作も書くと思うと、頭がクラクラする思いがして、断念した次第。




  ネタ切れを起こすような話ではないけれど、ネタがあるのと、実際に小説に書くのとでは、次元が違っていて、健康問題で四苦八苦している今の私としては、これ以上、このシリーズに、手間と時間を割く気になれないのです。 つくづく、創作というのは、精神的な強迫が甚だしい。 若い頃、「何かしらの文筆業に就きたい」などと夢想していたのが、元恐ろしいです。 胃に何百個、穴が開いたか、分かったもんじゃない。

  今まで読んで来て下さった方々なら、分かってもらえると思いますが、どうも、このシリーズは、書いていても、読んでいても、気が滅入らずにはいられません。 人間の愚かしいところ、醜いところだけを取り上げているのですから、うんざりしてしまっても、不思議はないです。 「人間には、どうこう言っても、素晴らしい美点がある」と思うからこそ、前向きに生きて行けるのであって、どいつもこいつも、不良品ばかりだったら、世の中は、お先真っ暗。 生きる意欲を失ってしまいます。

  自分の問題点は、自分では分からないものですが、他人の欠点は、ありあり分かりますから、私が主人公に据えるような人物が、身近にいたら、誰でも、怖気をふるい、そんな人間に関わってしまった不運を、嘆き呪う事でしょう。 これが、気が滅入らずにいられようか。 いいや、いられるわけがない。

  問題がある主人公に、開き直らせて、ピカレスク、つまり、悪漢小説にしてしまえば、痛快な話にする事もできないではありませんが、それは、私の倫理観が許しません。 このシリーズを読み返せば、どれも、救いようがない話ではあるけれど、善悪バランスは取れている事が分かると思います。 ろくでなしや、道を踏み外した者には、相応の罰が下されて然るべきだと、私が強く思っている、いや、願っているからです。


  で、今後、このブログの、第3週(更新日の日曜が 5回ある月には、第4週)を、どうするかですが、車・バイクの補修記事や、「時代を語る車達」の在庫があれば、それらを出すとして、もし、何もなかった場合、更新しない週にしようと思っています。 私が歳をとり、健康も害して、ブログ運営力が衰えているのだから、致し方ない。

  このブログ「心中宵更新」も、始めてから、20年が経ちました。 その更に前は、ホーム・ページ「換水録」の一コンテンツで、時事ネタを短く書いていたコーナーを、2005年に、ブログとして、独立させたのでした。 当初は、当時、プロバイダーにしていた、DION/auの、「ラブログ」で始めたのが、ブログ・サービスが終了になってしまい、推奨に従って、「シーサー・ブログ」へ移行し、今に至ります。

  時事ネタは、その内、途切れてしまって、換水録の方から、再編集して移植した記事が大半を占めるようになってからでも、もう久しいです。 閲覧者も、ラブログの頃は、日当たり、100人を超える事がありましたが、シーサーになってからは、数人程度。 週に一回の更新だから、そんなものでしょう。 コメント受け付けしていないのに、数人であっても、見に来てくれる人達がいるのは、ありがたい事です。 お礼を申し上げます。

2025/06/15

時代を語る車達 ⑫

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 私は若い頃から、車と言ったら、デザインにしか興味がなかったので、走りがどうの、装備がどうのといった事は、全く分かりません。 高級車やスポーツ・カーが、ほとんど出て来ないのは、それまた、そういう車に興味がないからです。





≪日産・NV350キャラバン (5代目・キャラバン)≫

  「キャラバン」という名前の車種は、昔からありましたが、2012年6月のフル・モデル・チェンジで、5代目になった時に、日産の他の商用車種との、シリーズ名の共通化から、「NV350キャラバン」に改名されていたのが、2021年10月のマイナー・チェンジで、ガソリン車が、「キャラバン」に戻り、2022年2月には、ディーゼル車も戻って、「NV350キャラバン」という名前は消滅したという、大変、ややこしい経緯があります。 写真の車は、「NV350キャラバン」時代のもの。

  他のメーカーにも見られる傾向ですが、特に日産は、「車の名前を変えれば、売れ行きが良くなる」と、途轍もない思い違いをしている様子が濃厚に覗えます。 90年代まで使っていた車種名で、今 残っているのは、「スカイライン」と、「フェアレディZ」だけになってしまいましたが、名前を変えて売れ行きが伸びたかどうか、現在の日産の有様を見れば、明々白々。 「キャラバン」と言われれば、誰でも、どんな車か分かりますが、「NV350」なんて言われても、商用車だろうという事しか分かりません。

  で、車そのものですが、私は、運転した事がなく、乗せてもらった事もなく、デザインしか分からないのですが、悪くはないですな。 日産の、より小さい商用車、「NV200バネット」や、「AD」に比べると、遥かに常識的なデザインで、好感がもてます。 しかし、ライバルの、トヨタ・ハイエースに比べると、話は変わって来て、ハイエースに、似過ぎています。 「サイズ一杯だから、全体のフォルムが似てしまうのは、やむをえない」という考え方もあるでしょうが、窓の切り方や、ライト類のデザインなどで、もう少し、独自性を出して欲しかったものです。 もっとも、ADのような非常識な個性なら、要りませんけど。

  デザインから離れますが、こういう、仕事に使う車を買い、フルに活用している様子を見ると、いかにも、「働く自動車」という感じで、車にも、人にも、カッコ良さを感じますねえ。 遊びでスポーツ・カーに乗っている人間が馬鹿に見えてしまうのとは、対照的です。 畢竟、車は道具なのであって、使ってナンボのものなんですな。 「NV350キャラバン」時代の、「こっちは、プロ仕様」というテレビCMのコピーを覚えていますが、なかなか巧みに、顧客の心理を突いていたと思います。




≪トヨタ・プロボックス / トヨタ・5代目ハイエース≫

  手前の黒い車は、トヨタの商用バン、「プロボックス」。 前期型は、2002年7月に登場し、2014年8月に、マイナー・チェンジして、このフロント・デザインになりました。 「プロボックス」と書きましたが、名前を確認して来ませんでした。 「サクシード」の可能性もあります。 マイナー・チェンジ後は、両車種の違いが、ほとんど、なくなったからです。

  色が黒ですが、マイナー・チェンジ後の型には、乗用ワゴンの設定がないらしいので、商用バンなのでしょう。 ホイールが、シルバー塗装の鉄製なのも、それで頷けます。 履かせられるアルミ・ホイールは、いくらでもあると思いますが、この車は、鉄ホイールの方が、カッコよく見えます。

  絶賛に値する、素晴らしいデザインだと思うのですが、どうして、この車を使って、タクシーをやらんかなあ。 わざわざ、セダン・ボディーを作る必要はないのであって、このまま、タクシー仕様に改造してしまえばいいのです。 大は小を兼ねるように、バンはセダンを兼ねられます。 ちなみに、かつて、トヨタで作っていた、タクシー専用セダンの、「コンフォート」と、車幅は同じです。 元が商用車だから、維持費も安いと思うのですがね。

  とにかく、ジャパンタクシーは、勘弁してくれ。 見るに耐えん。 どうして、日本で、ロンドン・タクシーのパクリやねん? 憧れて真似るような、カッコいいもんかいな? ダサダサとしかとしか思えませんが。 ロンドン・タクシーをカッコいいと思う人が多ければ、とっくから、世界中で導入してますって。 運転手さんも、切り替えの時は、抵抗感が大きいだろうなあ。 仕事で乗る車だから、仕方ないと割り切るしかないのか・・・。


  奥のハイエースは、2004年から売られている、5代目・現行車型。 21年間も作っているんですな。 もう、このサイズのワン・ボックス・カーとしては、独擅場でして、モデル・チェンジする必要がないのでしょう。 今後、変えたとしても、変わり映えがしないか、悪くなるだけなのでは?

  全く古さを感じさせませんが、そもそも、ワン・ボックス・カーは、形に、時代の変化が出難くて、古くならないのです。 その上に、この型は、完成度が高いデザインだと思います。

  モータリゼーション初期の、「国民車構想」ではありませんが、この手の車は、一サイズにつき、一車種あれば、充分な感じがしますねえ。 もはや、ハイエースがいいの、キャラバンがいいのと、拘る人もいないでしょう。 車に対する見方は、確実に変わりました。 本来、道具として作られた機械を、社会的身分を表そうとしたり、個性を表現したりする為に車種を選んでいたのが、間違っていたのです。 社会全体で起こしていた、錯覚だったのです。 畢竟、道具なんですよ、車というものの本質は。




≪ダイハツ・2代目ミライース≫

  2017年5月から、現行で売っている車。 割と珍しいですが、白いのもあるんですな。 今、売られている軽自動車で、私が唯一、評価している車。 角ばった車は、過去にもありましたが、多面体デザインという点で、この車の独自性は、強烈です。 軽に限らず、今の日本車の中で、最も優れていると言ってもいいでしょう。

  ライバルは、スズキの、「アルト」という事になりますが、巷で見かける数が段違いでして、こちらの方が、圧勝しています。 アルトと比べると、背を高くしたり、室内容積を大きく取ったりという考え方を、最初から捨てている点が、優れています。 スズキは、勘違いをしていると思うのですが、みんながみんな、室内が広い車を求めているわけじゃないんだわ。

  天井が高くても、広い感じがするだけで、天井まで荷物を積む利用者は、ほとんど、いますまい。 背が高くなると、シートの座面も高くなるので、高齢者は、乗り下りがし難くなります。 低い方が、お尻を載せてから、足を入れるという乗り方ができるから、逆に好都合なのです。

  ワン・ボックスは言うに及ばず、ハイト・ワゴンでも、トール・ワゴンでも、背が高過ぎ。 あんな、バーのスツールみたいなシートに座って、運転の楽しさなんて、感じられるものですか。 買う方も買う方で、車を、部屋だと思っているから、広い方がいいなどと考えるのです。 車は、乗り物だというのよ。

  おっと、イースの批評から離れてしまいましたな。 このデザインには、もう一つ、優れた点があります。 それは、性別を選ばない事です。 男性が乗っていても、ちっとも、おかしくありません。 もちろん、女性にも似合います。 この車を選んでいる事で、運転者を、知性的に見せてくれます。




≪マツダ・4代目デミオ(MAZDA 2)≫

  2014年9月から、現行車。 2019年7月から、日本国内での名前を、「MAZDA 2」に変更。 海外では、それ以前から、「MAZDA 2」で売られていました。 私としては、「デミオ」の方がいいと思うんですが。 どうこう言っても、記号の名前というのは、覚え難いものです。

  この写真の車が、「デミオ」なのか、「MAZDA 2」なのかは、後ろを見なかったので、エンブレムを確かめて来ませんでした。 私は、デザインしか見ないので、どっちでも、同じですから。 ちなみに、この車は前期型で、今は、後期型に、マイナー・チェンジされています。 10年以上作っていても、古くなったと感じられないのは、元から、デザインが古風だからでしょう。

  いいデザインだと思うのですが、新しい感じは、全くしません。 むしろ、レトロを感じます。 50年くらい前の、イギリス人が好みそうなデザインですな。 車のデザインというのは、モデル・チェンジを重ねて行く関係上、何かしら、新時代を感じさせるものが求められるのですが、それを、真っ向から否定しているのは、興味深い。 マツダ単独の戦略に過ぎないのか、はたまた、時代が変わって、車に新しさが求められなくなったから、こういう考え方が出て来たのか。

  スズキから供給されている軽自動車を除けば、マツダの最小車種ですが、サイズも、排気量も、とっくから、リッター・カーのカテゴリーから食み出していて、かつての、「ファミリア」と変わらなくなっています。 一般的な家族で使うには、この車で充分。 誰でも、そう思うからか、この上の車種、「MAZDA 3」は、滅多に目にしません。




  今回は、以上、5台まで。

  いずれも、今年になってから、撮影したもの。 現行車の割合が多いのは、型落ちの車を見かける事が少なくなったからです。 どこでも、かしこでも、新しい車ばっかり。 どうしてそう、ポンポンと買い換えるかな? 私のセルボ・モードなんて、27年目ですが、まだ充分 走りますよ。 そこまで粘らないとしても、15年くらいは、無理なく乗れると思うのですがねえ。

2025/06/08

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑥

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の11月20日まででした。 今回は、その続き。 依然、先は長い。




【2024/11/27 水】
  鼠蹊ヘルニアですが、植木手入れで無理をしたせいか、食み出す部分が大きくなってしまいました。 自分でも、気味が悪い有様。 早急に手術してもらわなければならないのですが、血糖値は、むしろ上がっており、こちらの予定通りに事が進むか、怪しくなって来ました。

  運動量は変わらないから、食事の量が多いんでしょうな。 炭水化物さえ少なくすれば、野菜はいくら食べてもいいと思っていたのですが、考えてみれば、野菜にもカロリーはあるのであって、量には限度があるのは、当然の事。 野菜で満腹感を得ようというのは、間違いだったか。



【2024/11/28 木】
  血糖値計測ですが、今頃になって、数値を低く出すコツが分かって来ました。 計測前の食事を少なめにし、計測前30分以内に、水を飲めるだけ飲み、座敷を千歩くらい歩いてから測れば、低くなるのです。

  7回の計測タイミングの内、

・ 「朝食前」に測る日は、自然に下がっているから、普通に食べて良し。
・ 「朝食後」に測る日と、「昼食前」に測る日は、朝食を少なめにします。
・ 「昼食後」に測る日と、「夕食前」に測る日は、昼食を少なめにします。
・ 「夕食後」に測る日と、「眠る前」に測る日は、夕食を少なめにします。
・ 各日、それ以外のタイミングでは、普通に食べて良し。
・ 病院で血液検査がある日には、出かける前の食事を少なめにします。 午前の検査なら、朝食を。 午後の検査なら、昼食を。
・ 普通に食べて良いといっても、もちろん、健康な人より、少ないです。 特に、炭水化物は、普通でも、茶碗半分ですな。 少なめとなると、茶碗3分の1くらいでしょうか。 大きめのスプーン、山盛り一杯くらいでも良し。

  「食事の量を少なくする」、「水を飲む」、「運動する」の三要素が鍵でして、全部やっておけば、血糖値が低くならないわけがない。 なぜ、もっと早く、この手に気づかなかったのか。 食前インスリンを打ち始めて、血糖値全体が下がった事で、すっかり安心し、油断していたのです。



【2024/11/29 金】
  午後、旧母自を押して、八重坂峠を越え、清水町のワークマンまで行きました。 植木手入れ用のビニール手袋と、カック・シューズを買いました。 帰りは、自転車に乗り、香貫山の西側麓を通って、帰って来ました。

  歩数計。 日当たり、1万歩が目標ですが、今日は、1万3千も行ってしまいました。 ワークマンまでの距離を、見誤っていたのが原因だと思います。 こんなに歩かなくてもいいんですが。 翌日に繰り越せないのが、残念なところ。



【2024/12/04 水】
  夜6時頃、血糖値計測。 91。 空腹時ですが、インスリンを打つ直前としては、いい数値です。 約一週間、正常値内に収まっているので、次の内科診察で、インスリン注射が終わりになる希望が見えて来ました。

  明日、病院に行きますが、採血・採尿検査と、外科の診察だけです。 外科の方は、鼠蹊ヘルニアの手術日が決まるかどうかが、気になるところ。 何とか、今年中に、手術してもらえないものか・・・。



【2024/12/05 木】
  午前中に、母自で、病院。 採血、採尿。 外科の診察。 予約してあったのですが、結局、1時間、待ちました。

  で、その挙句に言われたのが、「血液検査の結果、ヘモグロビンA1c(エー・ワン・シー)の数値が高過ぎるので、とても、手術できない。 内科で治療してから、また来るように」との事。 なんだ、そりゃ? 先月、内科で聞いた話と、あまりにも違います。 糖尿病専門医は、「12月半ばには、手術できる」と言っていたので、今日は、外科で、手術の日が決まるとばかり思っていたのに。

  話が違い過ぎるので、糖尿病専門医から聞いていた手術予定の話をしたり、「鼠蹊ヘルニアが飛び出したままでは、糖尿病治療の運動も、怖くてできない」と訴えたりしたのですが、それが外科医師の癇に障ったらしく、「だったら、他の病院を探したら?」と言い出しました。 他の病院を紹介すると言うのではなく、「この数値で、手術してくれるところがあるなら、自分で探してみろ」と言いたい口ぶりです。

  この時点で、私の中で、この外科医の信用は、ゼロになりました。 それが、総合病院勤務の外来医師が言う事か。 全く、責任感などないのだな。 医者が患者に向かって、切れていて、どうするのだ? 外科医というのは、人間を物体としてか見ていないのだと言ってしまえば、それまでですが。

  一応、分かりましたといって、診察室を出て来ましたが、看護師が追いかけて来て、待合室で、医師のフォローをする形で、追加の説明を始めました。 しかし、結局、手術ができない理由を、丁寧に説明し直しただけで、私にとっては、何の役にも立ちません。 とはいえ、この看護師は、患者に対する常識的な配慮は持ち合わせているようでした。

  その後、会計して、帰って来ました。 それにしても、こんなのは、診察ではないな。 ただ、「数値が下がってから、出直して来い」というだけの通達なら、診察室で医師から言われなくても、事務員が伝えても済む事で、1時間も待たされたのでは、全く割に合いません。 私が食い下がったから、5分くらいかかりましたが、そうでなかったら、あの医師、30秒で追い返すつもりでいたのです。

  家に帰ってから、ネットで調べました。 私は、血糖値を下げる事ばかり、気にしていたのですが、ヘモグロビンA1cというのは、過去2ヵ月の血糖値の平均値が出るもので、ごまかしが利かないらしいです。 私がせっせとやっていた、血糖値計測前に、運動したり、水を飲んだりする対策は、その時点での血糖値を下げる効果はあっても、長期間の平均値が下がっていないと、ヘモグロビンA1cの数値で分かってしまうらしいのです。

  ヘモグロビンA1cは、血液検査でしか分からないとの事。 それじゃあ、自分でやる血糖値計測なんて、ほとんど、意味がありません。 確か、糖尿病だと分かって、内科に回された直後に、ヘモグロビンA1cの数値について、説明された記憶がありますが、2ヵ月の平均値が出る云々は、知りませんでした。 分かってみれば、血糖値より、そちらの方が、重要ではありませんか。

  何だか、やる気をなくしてしまったなあ。 この2ヵ月、随分と努力して来たつもりなのですが、ヘモグロビンA1cは、12.4だったのが、9.5になっただけで、手術が可能な、5以下まで、遥かに遠いです。 あと、何ヵ月かかる事か。 外科の看護師の説明では、半年どころか、もっとかかる事もあるとの事。 その間、鼠蹊ヘルニアは、そのままなわけで、半年以上 耐えられるなら、いっそ、手術なんか諦めて、死ぬまで、鼠蹊ヘルニアとつきあった方が、いいのかも知れません。 老い先、そんなに長いような気がしないし。

  外科医師の話しぶりを聞いていると、どうも、鼠蹊ヘルニアを大した病気だとは思っていない様子。 早く治療してやろうという気が、微塵も感じられない。 「ヘモグロビンA1cの数値が高いと、手術後に、傷口の塞がりが悪い」と言うのですが、つまり、鼠蹊ヘルニアは、腹腔鏡手術による、小さな傷口の塞がり方よりも、重要度が低い病気というわけだ。

  それなら、放っておくか。 こんな外科医に手術してもらう気には、到底、なれない事だし。 医者への信用というのは、一度崩れると、覆水盆に返らないものなんですな。 一つ信用できなくなると、他の言動、態度、全てが、胡散臭く思えて来ます。

  では、他の病院へ行くかというと、そんな気もないです。 ヘモグロビンA1cが高い事に変わりはないのだから、他の病院でも、やはり、駄目でしょう。 鼠蹊ヘルニアの手術は、諦めるしかないです。

  糖尿病の治療はどうするべきか。 失明は困るので、食事制限や、運動は続けますが、鼠蹊ヘルニアの手術をする予定がないのなら、急いで、血糖値を下げる必要はないわけで、インスリン注射は、もう、不要でしょう。 結局、食前インスリンも、ヘモグロビンA1cを下げるのには、あまり役に立たなかったわけだ。 24時間インスリンも合わせて、一日、4回も打っていたのにね。 血糖値計測も合わせると、えらい手間だったなあ。

  もう、病院にかかるのは、やめてしまい、自力で、血糖値をコントロールした方がいいかも知れません。 糖尿病は、生活習慣病の代表格でして、生活習慣を変える事の方が、どんな薬より効果があると言いますから。 食事時間も元に戻し、夕飯は、3時半に、母と一緒に食べようかと思います。 その代わり、昼食を抜けば、一日平均の血糖値は下がると踏んでいます。 今までにも、昼食は、どうしても食べたいから食べていたというより、習慣的に、時刻が来たから、食べていただけなので。 食べる量や順番は、制限に従います。 間食や甘い物も復活させません。



【2024/12/06 金】
  病院ですが、来週の月曜日に、内科の方の予約が入っているので、そこまでは、インスリン注射を続ける事にしました。 前回の診察で、糖尿病専門医は、「12月半ばには、鼠蹊ヘルニアの手術ができるだろう」と言ったのに、なぜ、昨日の外科診察では、「とても、できない」になってしまったのか、その理由を訊いて来る所存。

  もしかしたら、私が、約2週間前から、食前インスリン注射をしていて、血糖値が、ほぼ常に、正常値内に入っている事が、外科に伝わっていなかった可能性があります。 どちらも、曜日限定の医師なので、顔を合わせる事がなく、情報の伝達がうまく行っていないのでは?

  もう一つ考えられるのは、外科には外科の基準があり、直近の血糖値を参考にせず、過去2ヵ月の平均値が出る、ヘモグロビンA1cの数値だけ見ているというもの。 それなら、文句の言いようがないのですが、私の場合、過去2ヵ月となると、糖尿病である事を告げられる前の、高血糖だった期間が、11日間も入ってしまうから、平均値が高くなるのは、致し方ない事。 その後の治療の成果を無視するというのも、奇妙と言えば奇妙です。

  理屈から言えば、たとえ、インスリン注射の効果だとしても、現在の血糖値が正常値内に入っていれば、術後に、傷が塞がり難くなるという事はないはずです。 どうも、外科の基準というのが、理解し難い。 手術を受ける患者には、高齢で糖尿病の人も多いはずだから、外科医に、糖尿病の知識がないとは思えないのですが。



【2024/12/07 土】
  闘病の経過はどうあれ、一つ、確実なのは、私が歳を取り、私の時間が、もう終わりに近づいているという事ですな。 これは、認識せざるを得ません。 今年の夏頃には、「ここで、乾坤一滴、勝負に出て、鼠蹊ヘルニアを治す事ができれば、人並みに、80歳くらいまで、生きられるかもしれない」と考えていたのですが、糖尿病である事が判明し、見通しが、一気に暗くなってしまいました。

  鼠蹊ヘルニアは、必ずしも、私のせいとは言えませんが、糖尿病は、確実に、これまでの不摂生が祟ったのであって、誰のせいにもできません。 引退からこっち、運動らしい運動もせず、野放図に食べたい物を食べて来た、バチが当たったのです。 運動登山をしていた頃は、そこそこ、体力は使っていたのですが、続けなければ、それまでですな。

  かくなる上は、「あと、20年は生きられる」などという幻想は捨て、「もはや、いつ死んでもおかしくない」と覚悟する必要があります。 幸い、私の場合、定年より、10年早く引退したから、もう、やりたい事はやり尽くしており、趣味や生き甲斐の方では、思い残す事はありません。 あとは、一日一日を、大切に生きなければ。 食事を食べる、一口一口に、幸せを噛み締めなければ。 夕食後に飲む、コーヒー入りホット牛乳に、無上の悦楽を感じ取れるようにしなければ。

  私は、結婚できなかったし、子供もいないわけですが、それでも、そこそこ、幸福な人生を送ったと思います。 ほぼ一生、生まれ育った家で暮らす事ができたし、車も乗った、バイクも乗った、長距離ツーリングにも行った。 旅客機による移動も含めると、一応、全ての都道府県を巡りました。 下戸ですが、現役の頃までは、好きな炭酸飲料を、しょっちゅう飲んでいましたし、チョコレートも、たくさん食べた。 なんと、幸せな人生だった事か。

  結婚しなかったお陰で、人生最悪の嫌な記憶になってしまう離婚もしないで済んだし、子供がいなかったお陰で、子供の分まで責任を背負い込まなくて済んだ。 重荷が嫌いな私としては、大変、好都合な生き方でした。 いやあ、幸せだったなあ。 そこそこどころか、素晴らしい人生だったと思います。 この境地にまで、辿り着けた、自分を誉めてやりたい。 私は、よく生きました。



【2024/12/08 日】
  ここのところ、家の中で、1万歩 歩いています。 寒くて、運動散歩に出る気にならないのです。 座敷を歩くだけでも、何とか、達成できると分かったので、軟弱な方向に流れた次第。 でもまあ、とにかく、1万歩 行けばいいのです。

  床の間六畳・旧居間八畳の続きの間を、8の字に歩くのですが、1周、22歩、10周で、220歩、40周で、約千歩ですから、400周すれば、1万歩になります。 実際には、座敷を歩くのは、8千歩くらいで、残りは、家事や庭掃除で、賄っています。

  この1万歩は、体が動く限り、一生続けるしかありません。 結構きついですが、体力がついて、疲れ難くなったという、いい面もあります。

  午後3時半に戻した、夕食時間ですが、母と一緒に食べるようになって、覿面に、会話が増えました。 やはり、同じ時に、同じ物を食べるのと、時間をずらして、別個に食べるのとでは、家族の一体感が違うのです。 母の認知機能低下を防ぐ為に、極力 会話をしたいと思っているので、戻して、正解でした。

  その代わり、私の昼食は抜きですが、そちらも、何とかなりそうです。 昼食を食べない分、朝と夕に、少し多めに食べるので、満腹感もあり、体重も減っていません。 体重が減って来るようでは、食べる量が少な過ぎるのです。



【2024/12/09 月】
  病院へ。 今日は、内科で、糖尿病専門医の診察です。 先日の、外科との衝突で、どうなる事かと思いましたが、こちらの先生は、「現在の血糖値で、手術はできます」と、明言してくれました。 過去2ヵ月の血糖値の平均が出る、ヘモグロビンA1cの値が高いのは、糖尿病対策を始める前の期間が入っているのだから、当たり前だとの事。 やはり、そうなんですな。 2ヵ月前の手術について検証しているわけではなく、これから行なわれる手術の話をしているのだから、重要なのは、現在の血糖値なのです。

  やはり、外科の反応の方が、おかしかったんだわ。 なんで、ヘモグロビンA1cの数値を理由に、手術できないと言ったのか、合理的な解釈ができません。 私が、外科医との悶着の様子について、掻い摘んで話すと、看護師の面々が、色めき立っていました。 糖尿病専門医の先生が謝っていましたが、もちろん、こちらの先生には、何の落ち度もないです。

  邪推を逞しくすれば、あの外科医に、何か、手術を先延ばしにしたい腹があり、ヘモグロビンA1cの数値が高いのを、その口実にしたのではないでしょうか。 たとえば、期間が開けば、CTやレントゲンの検査を、もう一度、やり直させられるから、病院が儲かるとか。 うーむ、ちょっと、動機が、しょぼ過ぎるか。 所詮、邪推だから、これ以上、深く勘繰っても、詮ない事ですな。

  もう一度、外科に申し送りをしてもらう事になりましたが、担当の外科医を他の人に変えられると聞き、是非、そうしていただきたいと、頼みました。 あの、「他の病院を探せ」と言った外科医に、命を預ける気にはなりません。

  で、明日、また行って、別の外科医の診察を受ける事になったのですが、初めて会う医師ですから、確実に、すぐに手術をしてもらえるかどうかは、分かりません。 期待は、程々にしておこうと思います。

  帰って、着ていた服を洗濯したのですが、迂闊にも、歩数計をズボンのポケットに入れたままでした。 慌てて、洗濯機から出してみると、歩数計機能は、まだ生きていたものの、液晶が全点灯に近い状態になってしましました。 角度によって、正しい数字が見える事があります。 うーむ、好事魔多しとは、この事だな。 何とか、復帰して欲しいものですが、最悪、買い換える事になるかも知れません。



【2024/12/10 火】
  朝一、母自で、病院へ。 外科で、新しい医師に会いました。 今度は、至って、まともそうな人物でした。 言葉が明快で、患者への配慮も見られました。 この医師も、手術を急ぐ必要はないという意見のようでしたが、私が、前の担当外科医と衝突するほど、早い手術を望んでいる事を聞いているようで、手術室の予約を入れてくれました。 年内は塞がっていて、全く駄目。 来年1月も、駄目。 2月になるとの事。

  そんなに遅くなるのなら、前の担当の言う通りにしても良かったのでは? と思うかもしれませんが、そんな事はないのであって、ヘモグロビンA1cの値が下がりきるまでに、2ヵ月はかかりますから、2月に手術室の予約を入れたら、手術ができるのは、4月になってしまいます。 そんなに長く、鼠蹊ヘルニアとつきあいたくはありません。 医師を代えてもらって、正解でした。

  ただし、この手術には、条件があります。 それまで、私の血糖値が、安定して下がっている事。 1月20日の検査で、異常が見られない事、の二点。 血糖値の方は、食前インスリンを打ち続けるわけですから、低く抑えるのは、難しくありませんが、もしかしたら、最後の検査で、駄目を食らう可能性もあります。 前の担当との衝突から、どうしても、疑心暗鬼になってしまいますな。

  診察の後、待合室に、今後の予定の説明に来た看護師が、付け足すように、こう言いました。

「内科で、手術ができると言ったのは、間違いではないが、外科の先生は、その後を心配している。 手術後、30日間くらい、血糖値が上がると、傷口が塞がらないから」

  どうも、外科では、インスリン注射で、血糖値を下げられるという考え方が、浸透していないように感じられます。 少しずつしか下がらないのは、インスリン注射をしていない場合の話なのでは?

  おそらく、私と、前の担当との衝突を念頭に置き、外科の立場で、言いわけをしたのでしょう。 言わなくていいような事を、わざわざ、言ってくれる。 それが、手術を先延ばしにする理由になるものですか。 そんな事は、手術の前後に、患者に、血糖値対策を怠らないように、厳重注意を与えれば、済む事です。 誰だって、そう注意されれば、必死で、気をつけますよ。

  まあ、その件に関しては、もう、いいです。 私の目的は、手術をしてもらう事であって、口論に勝つ事ではないからです。 誰が、安くもないお金を払って、喧嘩したいなんて望むものですか。




  今回は、ここまで。 

  血糖値を下げようと、必死の努力をしているのに、最初の外科医師の、けんもほろろな態度には、心底、がっかりさせられました。 読み返すだに、腹が立つ。 二人目の外科医師が、手術予定日を決めてくれたのは、地獄に仏の光明でした。 もっとも、今から振り返ると、全て、無意味だったわけですが・・・。

2025/06/01

読書感想文・蔵出し (125)

  読書感想文です。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で通っていた病院ですが、半年経っても、鼠蹊ヘルニアの手術の目処が立たないので、行くのをやめてしまいました。 よって、身体的には、悪いままですが、精神的には、ゆとりが出来て、読書意欲が、幾分 復活しつつあります。





≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫

徳間文庫
株式会社 徳間書店 2009年9月15日 初刷
山村美紗 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 中編、3作を収録。 全体のページ数は、252ページ。 元は、1990年に、新潮社から刊行された本。 巻末に、2009年9月現在の、「山村美紗 著作リスト」が付いています。


【赤い霊柩車】 約84ページ

  著名な大学教授の妻が、自宅でなくなった。 医師により、病死として死亡診断書が書かれたが、親から会社を継いで、葬儀屋の社長となった石原明子が、遺体の首に、いつの間にか、絞殺痕が浮き出ているのを見つけ、警察に知らせた事で、他殺と判明する。 明子と、その婚約者である医師、黒沢秋彦が、密室殺人の謎を解いて行く話。

  言わずと知れた、2サスの名作シリーズの原作。 ドラマの方は、39作もありますが、原作は、ずっと少ないようです。 表題作は、ドラマ版でも、第1話として取り上げられています。 黒沢春彦は、原作では、秋彦です。 明子と、秋彦で、「あき」が重なるのを、ドラマの方では、避けたんでしょうか。 ちなみに、原作の黒沢先生は、まだ、インターン医である様子。

  石原葬儀社の秋山さんは、30代の設定で、ドラマ版より、遥かに若いです。 山村紅葉さんが演じている、良恵も、良子という名前で、出て来ます。 秋山さんと、掛け合い漫才はやりませんが。

  電気製品や、生活用品を使ったトリックが使われています。 ドラマ版でも、同じものを使っていました。 原作は中編ですが、割と忠実に、2時間の映像作品に仕立てていたんですな。 電気製品で、アリバイを作ったり、死亡推定時刻をズラすのは、山村作品では、よく出て来るトリックです。 ちなみに、明子は、専ら捜査担当で、謎を解くのは、黒沢先生の方です。

  コンビニやキオスクの文庫コーナーに並ぶような、軽~いノリの小説でして、通勤電車で暇潰しに読むのに最適な読み易さが、狙われています。 セリフが多く、地の文章は、ストーリーを進行させるのに、最低限必要な描写に留められているのです。 設定が、葬儀社なので、京都の葬儀習慣についての説明は、割と詳細なのが、この作品の特徴でしょうか。


【燃える棺】 約84ページ

  放火殺人事件の犠牲者である、妙齢女性の葬儀を引き受ける事になった石原葬儀社。 火葬された遺骨の中から、ダイヤモンドが出て来たが、故人のものではない。 故人の財産を狙っていた甥夫婦と、土地を狙っていた不動産業者、故人の愛人らが、容疑者として浮かぶ。 彼らのアリバイ崩しと、ダイヤの謎に、明子と黒沢の二人が挑む話。

  この話は、2サスでは、第8話です。 後回しにされたのか、そもそも、この小説が、このシリーズの2番目に書かれたわけではなく、たまたま、本にした時に、こうなってしまったのか、不詳。 もし、後回しにされたのなら、理由は、おかしな部分があるからでしょうか。

  おかしいと思うのは、火葬された遺体から、ダイヤが出て来たという点。 ダイヤは、炭素の塊ですから、火葬したら、真っ先に燃えてしまうでしょう。 ドラマ版では、どういう風に処理していたのか、忘れてしまいました。 推理作家の科学技術知識の限界ですかね。 山村さんが女性だから、特に、そちら方面に疎いというわけではなく、車の免許を持っていないのに、車を使ったトリックを用いて、稚拙な間違いをやらかし、馬脚を表わしてしまった男性の推理作家もいます。 大変、有名な人。

  ダイヤの問題は、スルーする事にして、それ以外の部分ですが、読み易いものの、そんなに面白いというわけでもありませんねえ。 アリバイ崩しの方は、しっかり考えられていて、決して、やっつけ作品ではないです。 中途段階での、間違った推理の展開も、すぐに訂正されるから、混乱するような事もありません。 まずまず、平均な出来なんじゃないでしょうか。


【黒衣の結婚式】 約84ページ

  本業より、ダイエット研究家として名が売れ始めた女優が、毒殺された。 容疑者は、婚約者の男、その男の元交際相手だった女、 女優の元交際相手の二人の男優、そして、女優の家政婦。 全員にアリバイがあったが、明子と黒沢先生が、被害者が発見された家の、エアコンの状態から、死亡推定時刻がズラされた可能性に気づき、アリバイを崩して行く話。

  この話は、2サスでは、第2話です。 原作の、「黒衣の結婚式」というのは、参列者の礼服の色を指しているだけですが、ドラマでは、黒いウェディング・ドレスを着た明子が登場したのが、記憶に焼きついています。 ドラマでは、黒沢先生が容疑者の一人になり、取調室で絞られますが、原作の方では、そういう事はないです。

  トリック・謎の類いは、原作に従った模様。 主に、アリバイ崩しで、その一番の要が、エアコンを使った、死亡推定時刻の操作です。 これは、その後のドラマ版で、現場にあった花粉の種類と並んで、繰り返し繰り返し、使われるネタです。 おそらく、原作が書かれた頃には、まだ目新しくて、アイデアが陳腐化していなかったのでしょう。

  ドラマの方を何度も見ているので、原作を読んでも、新鮮さは感じません。 まして、この作品の場合、犯人が誰かも、ドラマの記憶が、ぎんがり残っていたので、尚更です。 片平なぎささんの、黒いウェディング・ドレス姿が、印象深過ぎたか・・・。




≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫

株式会社 出版芸術社 1999年7月20日 第1刷
鮎川哲也 著

  沼津図書館にあった、全集の一冊です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、解説などを除いて、264ページ。 太地康雄さん主演の火曜サスペンスで人気だった、≪鬼貫警部シリーズ≫の原作です。


【五つの時計】 約25ページ
 「宝石」1957年8月

  他人を犯人に仕立てておき、自分は、妻を始め、複数の証人を用意して、完璧なアリバイを作っていた男。 鬼貫警部が、五つの時計を巧妙に操ったトリックを見破り、冤罪を防ぐ話。

  それぞれ、別の人間が管理している、五つの時計を細工して、アリバイを作ってあるのだから、大抵の刑事なら、いとも容易に騙されてしまうでしょう。 ただ単に、針をズラすという単純な話ではなく、心理的なトリックも用いていて、「はーっ!」と感服させられます。 この秀逸なアイデアを、短編に奢っているところが、また凄い。


【早春に死す】 約24ページ
 「宝石」1958年2月

  一人の女性を好きになった、二人の男。 その内の一人が殺される。 もう一人の男に容疑がかかるが、行方不明になっていたのを見つけて、署に連行して来たものの、完璧なアリバイがあって、どうにもならない。 殺された男が女性に書いた手紙の、筆跡の一部が乱れていた点から、きっかけを得て、鬼貫警部が、アリバイを崩して行く話。

  鉄道もの。 2サスの鬼貫シリーズでも、鉄道トリックが、チラッと出て来ましたが、原作でも使われていたんですな。 普通のレールより長くて、繋ぎ目の、「ガタン!」という振動の数が少ない、「長尺レール」というのが出て来て、それが、列車内で書いた手紙の筆跡に関係して来るというアイデア。 私も、若い頃、列車内で文字を書いた事がありますが、本当に、乱れまくります。 作者も、そういう経験があったのでしょう。

  二人の男で一人の女性を取り合っているわけではなく、二人とも、最初から、女性に相手にされていないという設定に、哀しいものがありますな。 殺人をするほど、意味のある恋愛活動ではなかったわけだ。 ちなみに、タイトルの、「早春に死す」は、話の内容と、ほとんど、関係がないです。


【愛に朽ちなん】 約24ページ
 「宝石」1958年3月

  運送会社から持ち逃げされた、高級家具が入った木箱。 トラックによる追跡戦の結果、取り返されたが、中を開けたら、女の死体が入っていた。 箱を発送した家具工房の話を訊くと、同じ時に、大小二つの木箱を発送したのが、なぜか、箱の行き先が入れ替わっていたと分かり、ますます、混迷する話。

  冒頭の追跡戦は、横溝正史さんの戦前物に出て来そうな、アクション・サービスで、鮎川作品らしくないです。 トリックは出来たが、ストーリーに嵌め込むのに手こずって、活劇で、ページ数を稼いだ観あり。 鬼貫警部が、若手刑事につきあって、買い物に入ったデパ地下で、謎解きのヒントを得るというのも、本格トリック物らしくありません。

  箱の大小が問題でして、運送会社の者にしてみると、箱の大きさを測ったわけではないから、大きい方の箱であっても、より大きな箱と比べれば、小さく感じられてしまうという錯覚を利用したトリック。 この着想は、面白い。 どうやって、より大きな箱を作らせたかというと、それは、単位の問題でして、作品が書かれた、1958年当時はともかく、今では、使えません。 


【見えない機関車】 約23ページ
 「宝石」1958年10月

  ある小説家が殺され、容疑者が逮捕された。 昔馴染みの商売女から、その男にアリバイがある事を知らされた記者が、自力で、真犯人にを捜そうと、調査を始める。 警察では、一旦、滞っていた捜査が、鬼貫警部が助っ人に付いた事で進展し、記者より先に、犯人に辿り着き、逮捕に至る話。

  この作品も、ストーリーとトリックの、こなれが悪いです。 はっきり言って、記者は出さなくてもいいと思うのですがねえ。 雑誌掲載作品ですから、おそらく、指定の枚数があって、それに合わせる為に、エピソードを水増ししたり、登場人物を増やして、書き方を複雑にしたりしていたのでしょう。

  トリックは、鉄道もの。 鬼貫シリーズ、鉄道ものが、意外と多いな。 本格トリックが得意な推理作家は、鉄道関係の事物に興味を抱くタイプが多いのかも知れません。 容疑者のアリバイを崩すには、容疑者が実行した偽装心中が、どこで行われたかが重要な鍵になるのですが、鉄道施設の特殊な場所で、心中相手の女の記憶を、錯覚させるというもの。 どえらりゃあ、回りくどい設定ですな。


【不完全犯罪】 約29ページ
 「宝石」1960年4月

  出版社を共同経営する社長に、使い込みがバレて、返済の期日を切られてしまったが、到底 返せそうにない男。 社長を殺害する事に決め、完全犯罪を計画する。 列車に乗った社長が、暴漢に襲われて殺され、走る列車から突き落とされた事にし、実際には、男の家で殺して、家の周辺でアリバイを作っておき、車で沿線の山中に運んで捨てるというもの。 計画そのものは、割とうまく行ったが、男が極度の吝嗇家だったせいで・・・、という話。

  死体を車で運んで、発見場所と殺害場所を変え、犯人のアリバイを成立させるというのは、今では、ありふれた手法ですが、もしかしたら、発表当時は、まだ、珍しかったのかも。 もちろん、前例はあったと思いますが。 犯人の男が吝嗇家である事が、繰り返し繰り返し強調されるので、「そのせいで、バレるのだな」と予想していたら、当たりました。

  警部が出て来ますが、鬼貫とは書いてありませんし、その警部が謎を解くわけでもないです。 鉄道会社の社員が、解きます。 もろに、鉄道ものなわけですな。 専門知識が必要なので、一般の読者では、推理しながら読むという事はできません。 時代も関係しており、鉄道ファンでも、若い世代では、分からないと思います。


【急行出雲】 約31ページ
 「宝石」1960年8月

  大阪で起きた殺人事件の容疑者として逮捕された男が、急行出雲の11号車両に乗ったというアリバイを主張したが、同じ席に乗っていた他の客は、その男を知らないという。 鬼貫警部は、男の義弟で、列車の切符を用意してやったという、旅行代理店を経営する人物を怪しいと見て、11号車の謎に挑む話。

  短編にしては、設定が複雑。 真犯人が、容疑者の無実を訴えていながら、実は、最初から陥れるつもりで、わざと疑いが向くように図ったというもの。 ちょっと、設定段階で、捻り過ぎか。 短編は、もっと、単純な設定でいいと思うのですが。

  11号車に乗っていた他の客が、別人ばかりだった謎は、謎解きをされると、面白いと感じます。 しかし、これも、時代性があり、今では、鉄道会社は、そういう業務を、やっていないでしょうな。 バス会社に頼む事になると思います。


【下り"はつかり"】 約17ページ
 「小説中央公論」 1962年1月

  殺人の容疑者が、アリバイの証拠として出して来た、鉄橋と列車を背景にした写真。 その列車が、その鉄橋を渡る時刻には、容疑者は絶対に、殺害現場にはいられないのだった。 「写真は、友人に、焼きつけてもらった」、「ネガは、火の粉が飛んで、焼けてしまった」、「写真の中で着ているセーターは、友人の細君に編んでもらったばかりのものだから、撮影日が、殺人の行なわれた日である事は間違いない」といった証言から、鬼貫警部が、アリバイに疑念を抱き、崩して行く話。

  なぜ、「下り」なのかが、味噌。 「上り」だったら、時刻が違うわけだ。 裏返すものが、二点 出て来るアイデアは、大変 面白いですが、現代では、成り立ち難いです。 「なんで、わざわざ、フィルム写真を?」と、逆に、疑いを濃くされてしまいます。 モノクロ写真は、趣味レベルで、個人でも、現像・プリントができるので、昔は、自分でやっている人が多かったんですな。 今では、フィルムそのものが、ほぼ、消えてしまいました。


【古銭】 約17ページ
 「エロティック・ミステリー」 1962年6月

  殺人事件で持ち去られた、大変 珍しいエラー古銭を、骨董品店に持ち込んだ男が逮捕され、誰から買ったのかを白状した。 ところが、殺人事件の容疑者には、犯行時刻、別の町に住む友人を自宅によんで、一緒に飲んでいたというアリバイがあった。 すでに、犯行から、月日が経っており、友人の記憶は曖昧になって、何日だったかは、容疑者が住む町の、商店街の定休日だった事しか覚えていなかった。 鬼貫警部が、ある事を思い出し、証人の記憶が捜査されている事に気づいて・・・、という話。

  定休日でない商店街を、定休日に見せかける方法は、面白い。 言われなければ、そんな簡単な手があるとは、気づきません。 そこまでは、いいんですが、それだけでは、憶測に過ぎず、証拠にならない。 で、追加されたのが、最後に出て来る、犯行当日の天気の件なんですが、安直過ぎて、感心しません。 そういう事は、警察の捜査では、真っ先に調べるのでは?

  ちなみに、この話。 盗まれたのが、古銭でなくても、成り立ちます。 小さいから、盗み易いと思って、古銭にしたんでしょうな。


【わるい風】 約10ページ
 「オール読物」 1964年5月

  ある歯科医院へ、歯科医の女優志望だった娘を、自殺に追い込んだ脚本家が、そういう関係があるとは知らぬまま、患者としてやって来た。 歯科医は、秘かに手に入れていた拳銃を、脚本家の口に突っ込み、娘の仇をとったが、死体を公園のベンチに捨てたせいで、警察から、容疑者にされてしまい・・・、という話。

  その歯科医院に、仇の男が、たまたま やって来る点は、偶然が過ぎますし、拳銃を用意している点は、リアリティーを欠きますが、このページ数ですから、あまり突つくのも、野暮というもの。

  ベンチに、一連の数字が悪戯書きされていて、死体がその上にあったから、何日の何時以降に、そこに置かれたかが判明した、というアイデア。 その数字が何なのかは、読んでのお楽しみ。 「なるほど!」と思わされます。 鮎川さんというのは、年中、こういった事を考えていたんでしょうな。 このアイデア、変形させた上で、2サスの第1話で、使われています。


【暗い穽】 約22ページ
 「オール読物」 1964年2月

  信用金庫の支店長をしているが、入り婿で立場が弱い男。 息抜きに浮気をしていたが、妻が依頼した興信所の探偵に知られて、妻に報告しない代わりにと、探偵から恐喝を請ける身になった。 探偵を殺す事に決め、自分のアリバイを用意して、いざ、決行となったが、思わぬところで、計画が狂い・・・、という話。

  中華料理店に誘って、シューマイ料理を食べさせておき、自分のアリバイを作った後で、今度は、シューマイ弁当を食べさせてから殺す。 解剖されても、胃の内容物は同じシューマイだから、犯行時刻をごまかせるという作戦。 なるほど、よく考えられている。 このトリックは、最後まで、解けません。

  鬼貫警部は前面に出て来ずに、部下の丹那刑事が解決しますが、シューマイのトリックではなく、別の点から解けます。 季節柄、犯行場所に暖房器具がないのは不自然だと思い、電気ストーブをかけておこうとしたが、火事になったら、せっかくのシューマイ・トリックが無駄になってしまう。 そこで、プラグが抜けたように偽装して、電気ストーブを消しておいたが、実は、その時刻に・・・、いや、これ以上は、ネタバレになってしまうので、書きません。

  解説によると、この作品の発表後、「謎解きのヒントを得る方法が、偶然に頼り過ぎている」という指摘を受けたそうですが、私も、そう思いました。 たまたま、犯行現場の近くに住んでいる同僚の刑事が、穴に落っこちたというのは、あまりにも、安直なのでは?


【死のある風景】 約42ページ
 「オール読物」 1961年11月

  個人で通信社をやっている記者の遺体が発見される。 記者は、豊胸手術の失敗で、胸を傷だらけにされてしまった若い女性が自殺した一件を調べていた。 女性の恋人だった青年と、記者から恐喝を受けていたと思われる美容整形医が容疑者となるが、警察からは、青年の方が、ホンボシと見られていた。 青年は、女性の妹と、独自の捜査を始め、美容整形医のアリバイを崩そうとする話。

  鉄道もの、且つ、なりすましもの。 クリスティー作品的と言うより、2サスでよく使われると言った方が、伝わり易いでしょうか。 そのくらい、多くの作家によって、繰り返し繰り返し使われているアイデアです。 なりすまし物を読み慣れている読者なら、特に反応しないでしょう。 「ああ、このパターンね」と思うだけ。

  2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫に、同じ副題をもった回がありますが、そちらは、この短編を改稿した、同名の長編が原作のようです。 ドラマはドラマで、大幅に翻案されているので、重なるところが、ほとんど、ありません。


【偽りの墳墓】 約31ページ
 「オール読物」 1962年8月

  保険金殺人の疑いがある男を訪ねに、浜松へ来ていた保険会社の女性調査員が、瓦焼きの窯で、下着姿の遺体となって発見される。 推定犯行時刻の後、被害者が着ていた、インクのシミがついた服が、質屋に持ち込まれていた。 病気で別居していた被害者の夫は、嫌疑の外。 保険金殺人の調査対象の男と、夫と共に身元確認にやって来た保険会社の同僚の男に容疑がかかるが・・・、という話。

  長さの割に、結構には、複雑な話で、梗概がうまく書けません。 この短編は、その後、長編に書き改められているそうです。 2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫では、第14作で、「表と裏」というタイトルになってます。 シリーズ中でも、三指とまでは言いませんが、五指に入る、印象的な話でした。 短編小説と、2時間のドラマでは、描き込まれているボリュームに、だいぶ、差がありますが、謎やトリックは、ほぼ、同じ物が使われていて、翻案度は低いです。



  この本の総括ですが、少なからぬ作品で、鬼貫警部本人ではなく、その部下が、捜査に当たります。 作者は、天才的探偵ではない、普通の刑事達を描きたかったようで、誰が捜査を担当するかは、別段、問題ではなかったのでしょう。 さりとて、クロフツ作のフレンチ警部ものほど、地道な捜査というわけではなく、2サスでよく使われる、「わざとらしいヒント」が元で、解決の糸口を掴む事も多いのですが。

  鮎川さんは、トリックのアイデアを思いつく点では、天与の才があったと思いますが、それを、ストーリーに嵌め込む技量は、さほどでもなかったようですな。 そもそも、ストーリーには、あまり、興味がなかったのかも知れません。 作品全体の雰囲気や、細部の描写も、やっつけ仕事を感じさせる点が多いです。 それでも、作家として名を残せるところが、推理小説界の特殊なところですが。




≪黄金を抱いて翔べ≫

新潮文庫 た-53-1
株式会社 新潮社 1994年1月25日 発行 2016年9月20日 39刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 346ページ。 1990年の発表。 同年の日本推理サスペンス大賞受賞作。 2012年に、映画にもなったとの事。


  大阪のビルに入っている銀行の金庫から、金の延べ板を盗み出す計画を立てた二人の男。 爆発物や、エレベーター、ビルへの出入り業者など、専門知識や特殊な立場にある者達を仲間に引き込み、総勢6人で、下調べや準備を進めていたが、いずれも、ワケアリ過ぎる面子であったせいで、次々に障碍が発生する話。

  トリックの類は、なし。 謎は出て来ますが、推理小説ではないです。 強いて分類するなら、犯罪小説か、冒険小説ですが、視点人物を始め、中心的な登場人物が、全員 犯罪者なので、冒険小説的というのは、遠いかも。 さりとて、ピカレスクというほど、開き直っているわけではなく、バタバタと人が死んで行きます。 こういう人生を送っている人間達には、こういう死に方が似合っていると、作者も思っているのでしょう。

  窃盗計画の話ですから、今なら、2001年のアメリカ映画、≪オーシャンズ11≫と、そのシリーズを、類似物語として思い浮かべる人が多いと思います。 こちらの方が、発表が早いですが、この作品が、オーシャンズ・シリーズのヒントになったわけではなく、アメリカ映画では、昔から、窃盗計画や強奪計画の話はあり、一ジャンルになっている模様。

  大抵の窃盗計画物語は、小気味良いコメディーになっていて、犯罪の後ろめたさを相殺し、バランスを取っているものですが、この作品には、小気味良いところなど、微塵も感じられません。 その点では、犯罪小説そのものでして、それが、特徴といえば、特徴。 この雰囲気こそが、この作品の独自性なのかもしれません。

  計画が、ド派手で、電話を遮断する為に、あちこち爆破し、金庫自体も、爆薬で開けます。 こういう発想は、泥棒というより、テロリストのそれですな。 こういう発想そのものが、怖いです。 そして、通信システム、爆薬、エレベーターなどの技術的な解説が、異様なほどに、詳細。 恐らく、大抵の読者は、その点に圧倒され、舌を巻き、作者の知識量や情報収集能力に、脱帽せざるを得なくなると思います。

  私も、その一人で、こういう作者の作品は、細かい所にケチをつけたりするより、手放しで絶賛してしまった方が、ずっと利口だと思います。 読んだ人なら、全員、一人の例外もなく分かると思いますが、こんなに技術に詳しい小説、他に読んだ事がないでしょう? とても、書けないでしょう? なに? 自分は技術系だから、書ける? よしておきなさい。 テロリストだと思われて、公安の監視リストに載せられてしまいますよ。

  ネタバレを避ける為に、結末は暈しますが、まあ、思っていた通りの終わり方になりました。 「黄金を抱いて翔べ」というタイトルから、大体の情景を想像していましたが、ほぼ、その通りでした。 だけど、そんな事と、この小説の価値とは、関係ないのですよ。 ラストが、もっと悲惨なものであったとしても、この作品の価値が減じる事はありません。 どんな結末にしても、この作品の独自性は、揺るがないのです。

  それにしても、こういう作品こそを、「ハード・ボイルド」と言うべきなのではなかろうか? キザな探偵なんか出て来ませんし、恋愛も男色が少し出る程度ですが、ハード・ボイルドとしか言いようがない雰囲気が、全編に漲っています。 真の意味で、文句なしの傑作ですな。 こんな下らない感想なんか読んでいる暇があったら、作品そのものを読むべし。




≪マークスの山 上・下≫

新潮文庫 上・た-53-9 下・た-53-10
株式会社 新潮社
上・2011年8月1日 発行 2022年7月30日 3刷
下・2011年8月1日 発行 2023年4月30日 3刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 合計、788ページ。 1993年の発表で、直木賞受賞作。 1995年に、映画化。 私は、映画を先に見ていますが、テレビ放送した時なので、もう、20年以上経っていると思われ、断片的な場面しか、覚えていません。 渋いけれど、よく分からない話だったような・・・。


  両親の車内無理心中で、自身もガスを吸った水沢少年は、その後遺症で、精神に障碍が残った。 同じ頃、南アルプスで起こった殺人らしき事件について、成長してから、犯人の目星がついた水沢は、一億円を恐喝しようと目論むが、計画は容易には進まず、精神障碍の故か、いたずらに、死人ばかり増やしてしまう。 事件の経過を、捜査に当たる合田警部補を中心に描いた話。

  三人称で、時折り、水沢青年の頭の中が紹介されますが、全体の99%は、合田(ごうだ)警部補の視点で話が進みます。 事件そのものより、捜査員達の手柄争いの確執の方に、力点が置かれています。 じっくり読めば、その点こそが面白いと思うのですが、私のように、浅薄な気質の読者だと、どうしても、事件の経過を知りたくなって、どんどん先へ進んでしまうので、 この小説の醍醐味を味わいきれないところがあります。

  事件そのものは、2サスによくあるストーリーで、新味は感じません。 2サスによくあるどころか、コナン・ドイル作、シャーロック・ホームズ・シリーズの長編4作の内、【バスカビル家の犬】を除く3作に使われているパターンでして、古典も古典。 いやいや、もっと遡れば、実質的に、推理小説に於ける世界初の長編作品、エミール・ガボリオ作、【ルコック探偵】に、すでに使われており、古典の始祖と言ってもいいほど、基本的なパターンなのです。

  即ち、「かなり昔(当時の関係者が、まだ生きていなければならないので、せいぜい数十年前ですが)、ある事件が発生する。 その事件が遠因になって、現在時点で、新しい事件が起こる。 探偵役は、昔の事件を調べる事によって、現在の事件の謎を解いて行く」というもの。 そう聞くと、2サスに親しんでいる人なら、「多いな、そういうの」と思うでしょう? この【マークスの山】も、もろに、それなのです。

  で、事件だけでは、新味が出ないので、捜査陣の確執の方に拘って、じっくり、ねっとり、細々と書き込んでいったら、大変、読み応えがある小説に仕上がった、というわけですな。 はっきり言ってしまっていいと思いますが、伊達に、推理小説で直木賞を獲ったわけではないのであって、この作品は、面白いのです。 それは、間違いない。 この面白さを認められないなら、いっそ、読書習慣なんぞ捨ててしまった方がいいです。

  それにしても、警察組織よ。 こんな内輪の争いに血道をあげていたのでは、捜査がなかなか進展しないでしょうなあ。 手柄なんて立てたって、試験に受からなければ、昇進できないし、そもそも、キャリアでなければ、昇進の限界があるのですから、意味ないと思いますがねえ。 捜査員として有能な人物であればあるほど、虚しさを感じて、仕事に対する意欲が萎えてしまうのでは?


  小説を読み終わっても、映画のストーリーを、よく思い出せません。 相当な割合を、翻案してあったように思えます。 つくづく思うに、小説が面白かったら、下手に手を加えず、そのまんま映像化した方が、絶対に結果が良くなります。 これは、映画勃興期から、多くの人に言われて来た事です。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫が、3月4・5日。
≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫が、3月7日から、13日。
≪黄金を抱いて翔べ≫が、3月23日から、26日。
≪マークスの山 上・下≫が、3月28から、4月2日。

  何がきっかけで、高村薫さんの本を読んでみようと思ったのか、忘れてしまいました。 だいぶ前に見た、【マークスの山】の映画版を覚えていて、その雰囲気を面白いと感じていたのが、意識の底にあり、それが、読書意欲の復活で刺激されて、原作者が誰か調べたら、高村薫さんだった、というところでしょうか。

  今後しばらく、高村作品の感想が続く予定なので、先に断ってしまいますが、私には、高村さんの作品を正当に評価できるほどの、読書力がありません。 批評能力が、質的にも量的にも、全く足りていないのです。 それを承知の上で、無理に感想をでっち上げているのだと思っていて下さい。

2025/05/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (68)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、68回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年4月分。





【沼津市西沢田・三叉路の馬頭観音群】

  2025年4月8日。 沼津市・西沢田の、「三叉路の馬頭観音群」へ行って来ました。 住宅地図に、神物・仏物記号で載っていた所。 行ってみて、馬頭観音だと分かった次第。 根方街道から少し北へ上がった、三叉路の三角地にあります。

≪写真1≫
  西側から見た全景。 三角地ですが、家一軒建てるには、狭すぎる敷地面積です。 石像と石碑が、全部で、13基ありました。 いずれも、馬頭観音のようです。 集められたというより、この地域に、馬頭観音信仰があって、寄進し合ったんじゃないでしょうか。

≪写真2≫
  中央にある、石製の覆いに入った、浮き彫りの石像と石碑。 屋根まで石製で、いかにも重そうですが、自重で崩れさえしなければ、もちはいいと思います。 

≪写真3左≫
  向かって左側、つまり、北側の列。 全て、石塔。

≪写真3右≫
  向かって右側、つまり、南側の列。 浮き彫りの石像が一つ、混じっています。

  馬頭観音には、像が彫られているものと、単に石塔に、「馬頭観音」と、漢字が彫られているだけのものがあるようです。

≪写真4左≫
  南側の列の裏側、つまり、東を向いていた石塔。 漢字が彫られているだけのもの。 文字が、はっきりしていて、読み易いのは、昭和50年と、時代が浅いから。 昭和50年は、1975年です。

≪写真4右≫
  敷地内に咲いていた、長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)の花。 小さなものを、マクロで大きく撮りました。




【清水町的場・的場集会所公園】

  2025年4月14日。 清水町・的場にある、「的場集会所公園」へ行って来ました。 給油のついでに、スタンドの近場にある目的地を探したら、都市地図に、神社が出ていたので、そこを目指したのですが、一応 見つかったものの、想像していたより、大きな神社だったので、写真を撮るのが億劫に感じられ、たまたま近くにあった、公園に、目的地を変更した次第。

≪写真1≫
  狩野川の近くにあります。 結構 広いので、全体を収める事ができません。 奥に見える建物が、「的場集会所」ではないかと思います。

≪写真2≫
  別角度。 遊具の類いはないので、児童公園ではないです。 四阿や、ベンチがある、芝生広場という感じ。 3台くらい停められる駐車場がありますが、雨上がりで、水溜りが出来てしまっていますな。 施工に問題があるのか、そもそも、こういうものなのか。

≪写真3≫
  四阿の中。 妙に、椅子やベンチが多い。 しかも、バラエティーに富んでいます。

≪写真4左≫
  桜が、まだ、咲いていました。 葉桜ですが。

≪写真4右≫
  道路を挟んで、向かい広い敷地で、大型のクレーン車が、プレハブ建物を吊って、組み立てていました。 運転席を見ると、このクレーンの大きさが分かると思います。 よく、倒れないものです。 こういう光景を見ると、重機マニアの気持ちが、少し分かる気がしますなあ。




【沼津市東椎路・行き止まり竹林近くの茶畑】

  2025年4月24日。 沼津市・東椎路で、愛鷹山の裾野を登って行き、行き止まりの竹林近くにある、茶畑を撮影して帰って来ました。 当初、住宅地図で見つけた、住宅地の神物・仏物記号を見に行こうと思っていたのですが、事情があって、出先でエンジンを切るのを避けなければならなくなってしまったので、うるさくても苦情が来ない、田園地帯まで行った次第。

≪写真1≫
  茶畑。 愛鷹山の裾野では、よく見かける風景です。 元は、明治期に、沼津に移り住んだ、徳川家家臣団と、その家族が、食べて行く為に、製茶業を始めたもの。

≪写真2≫
  分かり難いですが、茶畑の手前に、草が並び、紫色の小さな花が咲いています。 これは、松葉海蘭(マツバウンラン)という植物です。

≪写真3≫
  松葉海蘭の下の斜面に繁茂していた草。 黄色い花が咲いています。

≪写真4≫
  目的地を変更した理由は、バイクの不調です。 出かける前に、エンジンをかけようとしたら、かかりません。 バッテリーを見たら、マイナス端子に、腐蝕で発生した泡のような物が盛り上がっていました。 泡を掻き落とし、チャージャーを使ったら、エンジンはかかりました。 しかし、異常は異常。 エンジンを一度切ったら、もう、かからないような気がして、大事を取り、出先でも、エンジンをかけっ放しにしていたのです。

  帰りに、エンジンの回転数が下がり始め、燃料計の針が、下がって来ました。 電気がないのです。 バッテリーが、もう、死んでいたのでしょう。 家まで、3キロくらいの所で、息も絶え絶えの状態に陥ったので、やむなく、エンジンを切ったところ、もう、かかりませんでした。 後は、押して帰りました。 やれやれ。 それでも、3キロ程度で良かったです。




【沼津市東椎路・不動尊】

  2025年4月29日。 沼津市東椎路にある、「不動尊」へ行って来ました。 住宅地図で見つけた所。 根方街道の少し北にあります。 バッテリーを交換してから、初めての、ツーリングになりました。

≪写真1≫
  全景。 何を撮ったのか分かり難い写真ですが、建物が木に隠れてしまって、これ以外に、アングルを取れなかったのです。

≪写真2左≫
  「不動尊」というから、仏物だと思っていたのですが、鳥居がありますねえ。 色から見て、かなり古いものなのでは?

≪写真2右≫
  漱ぎ盤。 これは、神社でも、寺でも、あります。 給水は、蛇口がありますが、排水は、ただ、流れ落ちるだけのようです。

≪写真3≫
  社殿、もしくは、お堂。 とはいえ、建物の造りと言い、石の欄干と言い、神社っぽいですねえ。 なんで、「不動尊」なのだろう?

≪写真4左端≫
  境内にあった、「戦災記念碑」。 こういう物で、これだけ新しいのは、珍しい。

≪写真4左中≫
  石燈籠。 断面が、六角形のタイプ。 これも、神社、お寺、どちらでも、見られます。

≪写真4右中≫
  拝殿の鈴。 下に注連縄。 これはもう、神社としか思えませんな。 上の筒状の物は、何なのか分かりません。

≪写真4右端≫
  交差点の角の、斜めに切り取られた場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクだからこそ、こういう場所にも停められるのであって、車では、こうは行きません。

≪写真5左≫
  建物を側面から見ました。 寄棟造りですが、普通、正面に来る側が、側面になっているんですな。

≪写真5右≫
  窓の下に、屋外用の流し。 掃除用具、プロパン・ガスのボンベなどが、整理整頓されており、管理者個人の強い意志を匂わせています。

  ちなみに、私が立っている背後には、墓地がありました。 やはり、仏物なのかな? 神仏習合というのは、信者が何を信じているのかを考えると、実に不思議です。




  今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニアの手術の目処が一向に立たないので、こちらで見切りをつけ、病院通いを やめてしまいました。 どんな病気でも、医療機関にかかりさえすれば治る、というわけでもないんですな。 私も、もう若いわけではないので、いつ お迎えが来ても、うろたえないように、覚悟して生きる事にします。 バイクによる、プチ・ツーリングは、今後も続ける予定です。