読書感想文・蔵出し (118)
読書感想文です。 これを纏めているのは、10月の中旬ですが、一年以上、苦しめられて来た、鼠蹊ヘルニアで、いよいよ、病院へ行き、検査をしている最中です。 週に一回しか行かないので、暇はあって、本は、2週間に2冊のペースで借りて来て、読み続けています。
≪犬物語≫
柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン
株式会社スイッチ・パブリッシング 2017年10月28日 第1刷発行
ジャック・ロンドン 著
柴田元幸 訳
沼津図書館にあった、単行本です。 短編4作、中編1作を収録。 ジャック・ロンドンさんは、1876年生まれ、1916年没の、アメリカの作家。 【白い牙】の作者。
【ブラウン・ウルフ】 約28ページ
カリフォルニアに住む夫婦が、犬が放浪しているのを見つけ、何度も逃げられたものの、そのつど、連れ戻して、やっと飼いならした。 狼に似ているが、毛が茶色なので、犬の血が入っているのは、間違いない。 ある時、北の地からやって来た男が、自分の犬であると言い出し、雪国の厳しい生活に戻るか、南国でぬくぬく暮らすか、犬に決めさせる話。
物語のセオリーとしては、厳しくても、自分が生きるべき場所で生きる事を選ぶ事になる、というのが、定石ですが、それまでの経緯を知っている読者としては、夫婦の元に残って欲しいという期待もあり、ギリギリまで、どちらに転ぶか、ハラハラさせてくれます。 普通に、よく出来た短編。
【バタール】 約26ページ
フランス人の男に使われている、凶暴な犬。 仔犬の頃から、飼い主と敵対関係にあり、互角に戦える年齢になるや、勝負を挑むが、しとめられなかった。 やがて、飼い主が、殺人の濡れ衣を着せられて、縛り首寸前の状態になる。 真犯人を捕まえる為に、人々がいなくなった隙に、犬が・・・、という話。
ここまで憎み合う、人と犬というのも、珍しい。 犬を、橇を引く役畜として使っていると、所詮、「生きた、道具」に過ぎないから、こういう考え方になる人もいるんですかねえ。 読者としては、人と犬の戦いだと、どうしても、犬側の味方をしてしまいますな。
【あのスポット】 約18ページ
片腹に、水玉模様がある事から、スポットと名付けられた犬。 値段が高かったのに、全然、働かない。 それでいて、他の犬の上に君臨していて、憎たらしい。 何度も売り飛ばしたのだが、しばらくすると、戻って来てしまう。 友人関係にある二人の男が飼い主だったが、一人が、スポットにうんざりして逃げ出すと、もう一人が・・・、という話。
これは、落とし話の一種でしょうか。 笑うほど、面白くはないですけど。 スポットが戻って来るのは、飼い主に懐いているからではなく、元の群に戻ろうとしているのでしょう。 自分がリーダーである群に。 売り飛ばそうなとと思わず、放っておけばいいと思いますがね。
【野性の呼び声】 約128ページ
南国の裕福な家から盗まれた、セントバーナードとシェパードのハーフ犬。 アラスカへ連れて行かれ、橇犬として扱き使われる内に、逞しくなる。 持ち主が何度も変わり、愚かな飼い主に殺されかけた挙句、心底 可愛がってくれる男の元に辿り着く。 しかし、その男と共に分け入って行った未開の地で、狼の誘いを受けて、野生が目覚め・・・、という話。
後年に書かれる、【白い牙】と、ほぼ、同じ構成。 こちらの方が短いですが、内容的には、同じくらいの読み応えがあります。 【白い牙】では、闘犬にされるので、戦う場面が多いですが、こちらは、橇犬として、虐待に近い過重労働をさせられる場面が多いです。 犬を飼った経験がある読者の場合、気分がいいものではありませんが、同じ犬でも、ペットと役畜の違いとは、こういうものなんでしょう。
作者は、実際に、アラスカで暮らしていた時期があるとの事。 現実を見て、そのまま書いたものと思われ、その厳しさに、戦慄せざるを得ません。 生きるというのは、こういう事なんですな。 アラスカで生きるだけの知恵を持っていない、3人組が出て来て、それなりの報いを受けるのですが、犬まで道連れにされてしまうのは、あまりにも、理不尽。 しかし、現実とは、そういうものなんでしょう。
野生に戻る結末に拘り過ぎて、主人公犬の心理に、統一性を欠く嫌いがなきにしもあらず。 しかし、人間も含めた動物が、生きる意味を考えさせられる点で、【白い牙】同様、読んでおいた方がいい作品だと思います。
【火を熾す[1902年版]】 約13ページ
零下60度の環境で、うっかり、足を水に浸けてしまった男。 暖め、乾かす為に、マッチを擦って、火を熾そうとするが、手袋を外した手は、たちまち凍りついて、動かなくなってしまい・・・、という話。
この作品だけ、犬が出て来ません。 13ページの掌編とは思えないほど、緊迫感があります。 ≪八甲田山≫に近いものあり。 これは、怖いわ。 タイトルに、[1902年版]とあるのは、加筆して、犬を登場させた、[1908年版]があるからだそうです。
≪偶然世界≫
ハヤカワ文庫 SF 241
早川書房 1977年5月31日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 270ページ。 コピー・ライトは、1955年。 フィリップ・K・ディックさんの「K」ですが、解説によると、「ケンドレッド」だそうです。 ミドル・ネームという習慣そのものが、よく分かりませんが・・・。
23世紀初頭。 機械システムによって、権力者が選ばれる社会。 比較的長く務めた人物が外され、新しい人物が権力者になった。 権力者には、常に刺客が放たれ、それを阻止し続けなければならないルール。 権力者側は、テレパス集団による防衛機構をもっていたが、それを突破する為に、前任者が、アンドロイドを刺客に仕立て上げ・・・、という話。
面白いです。 ただし、活劇としては、です。 ある科学技術トリックで、テレパス集団を翻弄し、権力者に迫る刺客の戦いは、息もつかせぬ展開で、全体の5分の4くらいは、一気にページが進みます。 途中で読むのをやめるのが、困難なくらい。 しかし、活劇的展開は、戦記物やスパイ小説などで、読みどころとされるもので、SFそのものの要素ではありません。
原題は、【SOLAR LOTTERY】で、直訳すると、【太陽の宝くじ】ですが、内容と、ほとんど、関係がなくて、まずいタイトルです。 最初に付けられた邦題は、【太陽クイズ】ですが、権力者の称号が、「クイズマスター」と言うものの、クイズは、ほとんど関係がなく、これまた、まずいタイトル。 改題された邦題が、この、【偶然世界】ですが、「偶然」が、テーマというわけではなく、モチーフとしても、軽く数回触れられる程度で、作品の内容を表しているとは、到底 言えません。
なぜ、ピッタリ来るタイトルがつけられないのかと言うと、SF作品としての、一貫したテーマをもっていないからです。 活劇場面を中心に、「テレパス」、「リモコン・アンドロイド」などの、SF小道具を寄せ集めて、色を着けただけなのです。 これだけ、読み手を、グイグイと引き込むのに、テーマがないというのは、ある意味、興味深い。
テーマ的には、バラバラなわけですが、その最たるものが、権力者と刺客の戦いと同時進行する、太陽系の第10番惑星へ向かう宇宙貨物船の旅でして、「何か、終わりの方で、関係してくるのかな」と思いきや、とんだ、肩透かしを食らいます。 もしかしたら、文字数の指定など、出版社側から課された制約があり、長くする為に、無理やり入れたのではないでしょうか。
刺客のアンドロイドが、それ自体、人間サイズの宇宙船で、宇宙貨物船を太陽系外縁部まで、追いかけて行って・・・、などという、展開は、噴飯もの。 ディックさんが、50年代当時の、テキトーな宇宙知識で書いていたのは、疑いありません。 宇宙貨物船の方ですら、外縁部に到達するのが、早過ぎるのでは? それでいて、何か特殊な高速推進装置が積まれているという説明もないのです。
≪火星のタイム・スリップ≫
ハヤカワ・SF・シリーズ 3129
早川書房 1966年11月30日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 なに、1966年の本? 58年前ですな。 私が2歳の時に発行されたのか。 よくそんなに長く、もちますねえ。 長編、1作を収録。 二段組みで、267ページ。 コピー・ライトは、1964年。 60年代ともなると、アメリカのSF作家の、有名どころの存在は、日本でも知れ渡っていて、本国で新作が出るのを待ち構えていて、翻訳・出版していたんでしょうな。
火星への植民が、ようやく、軌道に乗りつつある頃。 地元有力者の男が、精神分裂病の少年と特殊な方法で意思疎通する事によって、未来を知ろうと試みる。 不毛の荒野と見做されている土地で、国連による大規模な住宅地開発が行なわれる事が分かったが、僅かの差で、他の者によって、先に土地を登記されてしまっていた。 有力者は、少年と火星先住民の力を借りて、過去に戻り、自分が先に登記しようとするのだが・・・、という話。
有力者の他に、機械修理技師の男が出て来て、どちらかというと、そちらの方が、主人公扱いされているのですが、ストーリーは、有力者を軸に展開するので、ちと、ややこしいです。 技師の方は、若い頃に、精神分裂病を経験していて、自分の病気がぶり返してしまうのではないかと恐れています。
精神分裂病、今で言う、統合失調症ですが、それが、中心テーマになっている事は、確か。 「精神分裂病の患者は、時間の感覚が、常人と違っていて、ゆっくりと動く時間の中で生きている」という学説が、当時あったようで、そこから膨らませて、「彼らは、タイム・スリップができるのでは?」というアイデアに発展させたわけですが、明らかに、考えが飛躍し過ぎていて、真面目に取る人はいないでしょう。 SFは、そもそも、科学技術をベースにした作り話だから、別に問題ないわけですが。
問題は、ディックさんに、どこまで、精神分裂病の知識があったかでして、この作品に出て来る患者を見ていると、どうも、統合失調症患者のイメージと重なりません。 ディックさん自身が、自分は精神分裂病なのではないかと恐れていて、自分の症状を書いたのかも知れませんが、これは、別の病気なのでは? どちらかと言うと、少年や技師より、有力者の方が、手に負えない精神病患者に近い印象があります。
精神分裂病をテーマにしているのに、その病気に対する知識が曖昧で、しかも、SF設定を重ねているから、どうにも、与太話のニオイが立ち込めてしまいます。 なまじ、細かい心理まで、みっちり書き込んであって、読み応えがあるだけに、この胡散臭さは、致命的。 ディックさんの精神が壊れて行く過程の、端緒が顕われている感がなきしもあらず。
有力者のキャラですが、こういう人は、創業社長や、政治家に、いくらでも、いそうですな。 自分が思いついた事は、とことん実行しなければ気がすまない。 他人の事を、自分の道具だと思っている。 自分に損害を及ぼす者は、叩き潰していいと思っている。 法律なんか、知った事か。 俺が法律だ。 いるいる。 支配欲、権勢欲で、頭も心も満杯になってしまって、他人の立場になって考える事など、金輪際、できない相談なわけだ。
ところで、この作品、一応、火星が舞台ですが、別に、地球上でも成り立ちます。 火星に対する知識が乏しい時代というのは、しようがないもので、先住民がいて、運河を造った事になっているし、環境の描写は、地球上の砂漠・土漠のそれそのもので、妙に、暑さを感じる。 火星は、もっと、気温が低いと思うのですがね。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫
ハヤカワ文庫 SF 807
早川書房 1989年2月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
友枝康子 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 355ページ。 コピー・ライトは、1974年。 うっ・・・、だいぶ、新しいな。 という事は、ディックさんが薬中になった晩年に近いわけで、嫌な予感がしないでもなし。 その予感は、ある程度、あたりました。
歌手で、人気番組の司会もしている42歳の男、女絡みの傷害事件に遭い、何とか一命は取り止めたものの、目覚めたら、安ホテルの一室で、高額紙幣の札束以外、身分証明書の類いを一切、失っていた。 仕事仲間や交際相手に電話をかけても、誰も、彼の名前を知らず、彼の存在が消えた世界になっている。 身分証明ができなければ、強制収容所へ送られてしまう社会で、さあ、どうすればいい? という話。
SF設定としては、時代が1980年代で、書かれた当時からすると、近未来という事になります。 アメリカが、警察による監視社会になっているという背景。 あと、架空の薬物が出て来ます。 他に、移動手段が、飛行艇や、ヘリコプターといった、自家用航空機になっています。 それだけ。 それらを除くと、SFではなくなります。 まあ、そういうSFは、珍しくありませんけど。
解説によると、自伝的小説だとの事で、そちらの方が、内容を説明するのに、適切です。 作者が、薬中の面々との交際が始まり、作者自身も薬中になって行った頃に書かれたものでして、いかにも、薬中だなあと思わせる登場人物が、次々に出て来ます。 作者にとっては、大切な仲間だったのでしょうが、読者には、そんな異常な事につきあう義理はないです。
主人公が、女性と話をする場面が多くて、会話で紙数を稼いでいるのは、明らか。 これは、作者が、実際に薬中女性と話をした経験から、内容を少し変えて、盛り込んだのではないでしょうか。 ダラダラと長いばかりで、何が言いたいのか、よく分からない会話は、読んでいて、苛々しますが、そもそも、薬中患者の戯言が元なのだから、無理もない。
なぜ、一人の男の存在が消えた世界になってしまったかについては、架空の薬物が原因でして、一応、後ろの方で、説明があります。 しかし、全く、納得できません。 主人公ではない、ある人物が、その薬を服用したわけですが、それが、どうして、他人の世界を変えてしまうのか、理解できないのです。 三人称でして、作者が、ある人物の視点を通して語ったというのなら、無理やり、こじつけられない事はないですが、無理やりにも程があり、これが、推理小説なら、アンフェアと罵られる事、不可避。
【スキャナー・ダークリー】が、1977年なので、こちらは、3年前に出たわけですが、3年後には、もっと、ひどくなります。 【スキャナー・ダークリー】に比べれば、こちらの方が、遥かに、マシ。 一応、小説として、読めるからです。 SFとしては、問題外。 傑作などでは、ゆめゆめ、決して、金輪際、ないので、勘違いしないように。
薬物に依存して書いた小説を、「神がかり的」などと言って、絶賛する人がいますが、話にならぬ。 自分が薬物に頼りたいから、その口実にしているだけなんでしょう。 薬中患者には、読むに値する小説なんか書けないんだという事を、ディックさんが、一番よく、証明してくれていると思います。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪犬物語≫が、7月22日。
≪偶然世界≫が、8月4日。
≪火星のタイム・スリップ≫が、8月5日から、7日。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫が、8月18・19日。
動物ものが、1冊、ディック作品が、3冊。 一日で読んでしまったのが、二冊ありますし、他の二冊も、短い日数で、読み終えていますな。 しかし、私の場合、家事だの、買い出しだの、ツーリングだの、ポタリングだの、他の事をやりながら暮らしているので、一日に取れる読書時間は、一定しておらず、早く読み終えたからといって、その本が面白かったというわけではありません。
≪犬物語≫
柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン
株式会社スイッチ・パブリッシング 2017年10月28日 第1刷発行
ジャック・ロンドン 著
柴田元幸 訳
沼津図書館にあった、単行本です。 短編4作、中編1作を収録。 ジャック・ロンドンさんは、1876年生まれ、1916年没の、アメリカの作家。 【白い牙】の作者。
【ブラウン・ウルフ】 約28ページ
カリフォルニアに住む夫婦が、犬が放浪しているのを見つけ、何度も逃げられたものの、そのつど、連れ戻して、やっと飼いならした。 狼に似ているが、毛が茶色なので、犬の血が入っているのは、間違いない。 ある時、北の地からやって来た男が、自分の犬であると言い出し、雪国の厳しい生活に戻るか、南国でぬくぬく暮らすか、犬に決めさせる話。
物語のセオリーとしては、厳しくても、自分が生きるべき場所で生きる事を選ぶ事になる、というのが、定石ですが、それまでの経緯を知っている読者としては、夫婦の元に残って欲しいという期待もあり、ギリギリまで、どちらに転ぶか、ハラハラさせてくれます。 普通に、よく出来た短編。
【バタール】 約26ページ
フランス人の男に使われている、凶暴な犬。 仔犬の頃から、飼い主と敵対関係にあり、互角に戦える年齢になるや、勝負を挑むが、しとめられなかった。 やがて、飼い主が、殺人の濡れ衣を着せられて、縛り首寸前の状態になる。 真犯人を捕まえる為に、人々がいなくなった隙に、犬が・・・、という話。
ここまで憎み合う、人と犬というのも、珍しい。 犬を、橇を引く役畜として使っていると、所詮、「生きた、道具」に過ぎないから、こういう考え方になる人もいるんですかねえ。 読者としては、人と犬の戦いだと、どうしても、犬側の味方をしてしまいますな。
【あのスポット】 約18ページ
片腹に、水玉模様がある事から、スポットと名付けられた犬。 値段が高かったのに、全然、働かない。 それでいて、他の犬の上に君臨していて、憎たらしい。 何度も売り飛ばしたのだが、しばらくすると、戻って来てしまう。 友人関係にある二人の男が飼い主だったが、一人が、スポットにうんざりして逃げ出すと、もう一人が・・・、という話。
これは、落とし話の一種でしょうか。 笑うほど、面白くはないですけど。 スポットが戻って来るのは、飼い主に懐いているからではなく、元の群に戻ろうとしているのでしょう。 自分がリーダーである群に。 売り飛ばそうなとと思わず、放っておけばいいと思いますがね。
【野性の呼び声】 約128ページ
南国の裕福な家から盗まれた、セントバーナードとシェパードのハーフ犬。 アラスカへ連れて行かれ、橇犬として扱き使われる内に、逞しくなる。 持ち主が何度も変わり、愚かな飼い主に殺されかけた挙句、心底 可愛がってくれる男の元に辿り着く。 しかし、その男と共に分け入って行った未開の地で、狼の誘いを受けて、野生が目覚め・・・、という話。
後年に書かれる、【白い牙】と、ほぼ、同じ構成。 こちらの方が短いですが、内容的には、同じくらいの読み応えがあります。 【白い牙】では、闘犬にされるので、戦う場面が多いですが、こちらは、橇犬として、虐待に近い過重労働をさせられる場面が多いです。 犬を飼った経験がある読者の場合、気分がいいものではありませんが、同じ犬でも、ペットと役畜の違いとは、こういうものなんでしょう。
作者は、実際に、アラスカで暮らしていた時期があるとの事。 現実を見て、そのまま書いたものと思われ、その厳しさに、戦慄せざるを得ません。 生きるというのは、こういう事なんですな。 アラスカで生きるだけの知恵を持っていない、3人組が出て来て、それなりの報いを受けるのですが、犬まで道連れにされてしまうのは、あまりにも、理不尽。 しかし、現実とは、そういうものなんでしょう。
野生に戻る結末に拘り過ぎて、主人公犬の心理に、統一性を欠く嫌いがなきにしもあらず。 しかし、人間も含めた動物が、生きる意味を考えさせられる点で、【白い牙】同様、読んでおいた方がいい作品だと思います。
【火を熾す[1902年版]】 約13ページ
零下60度の環境で、うっかり、足を水に浸けてしまった男。 暖め、乾かす為に、マッチを擦って、火を熾そうとするが、手袋を外した手は、たちまち凍りついて、動かなくなってしまい・・・、という話。
この作品だけ、犬が出て来ません。 13ページの掌編とは思えないほど、緊迫感があります。 ≪八甲田山≫に近いものあり。 これは、怖いわ。 タイトルに、[1902年版]とあるのは、加筆して、犬を登場させた、[1908年版]があるからだそうです。
≪偶然世界≫
ハヤカワ文庫 SF 241
早川書房 1977年5月31日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 270ページ。 コピー・ライトは、1955年。 フィリップ・K・ディックさんの「K」ですが、解説によると、「ケンドレッド」だそうです。 ミドル・ネームという習慣そのものが、よく分かりませんが・・・。
23世紀初頭。 機械システムによって、権力者が選ばれる社会。 比較的長く務めた人物が外され、新しい人物が権力者になった。 権力者には、常に刺客が放たれ、それを阻止し続けなければならないルール。 権力者側は、テレパス集団による防衛機構をもっていたが、それを突破する為に、前任者が、アンドロイドを刺客に仕立て上げ・・・、という話。
面白いです。 ただし、活劇としては、です。 ある科学技術トリックで、テレパス集団を翻弄し、権力者に迫る刺客の戦いは、息もつかせぬ展開で、全体の5分の4くらいは、一気にページが進みます。 途中で読むのをやめるのが、困難なくらい。 しかし、活劇的展開は、戦記物やスパイ小説などで、読みどころとされるもので、SFそのものの要素ではありません。
原題は、【SOLAR LOTTERY】で、直訳すると、【太陽の宝くじ】ですが、内容と、ほとんど、関係がなくて、まずいタイトルです。 最初に付けられた邦題は、【太陽クイズ】ですが、権力者の称号が、「クイズマスター」と言うものの、クイズは、ほとんど関係がなく、これまた、まずいタイトル。 改題された邦題が、この、【偶然世界】ですが、「偶然」が、テーマというわけではなく、モチーフとしても、軽く数回触れられる程度で、作品の内容を表しているとは、到底 言えません。
なぜ、ピッタリ来るタイトルがつけられないのかと言うと、SF作品としての、一貫したテーマをもっていないからです。 活劇場面を中心に、「テレパス」、「リモコン・アンドロイド」などの、SF小道具を寄せ集めて、色を着けただけなのです。 これだけ、読み手を、グイグイと引き込むのに、テーマがないというのは、ある意味、興味深い。
テーマ的には、バラバラなわけですが、その最たるものが、権力者と刺客の戦いと同時進行する、太陽系の第10番惑星へ向かう宇宙貨物船の旅でして、「何か、終わりの方で、関係してくるのかな」と思いきや、とんだ、肩透かしを食らいます。 もしかしたら、文字数の指定など、出版社側から課された制約があり、長くする為に、無理やり入れたのではないでしょうか。
刺客のアンドロイドが、それ自体、人間サイズの宇宙船で、宇宙貨物船を太陽系外縁部まで、追いかけて行って・・・、などという、展開は、噴飯もの。 ディックさんが、50年代当時の、テキトーな宇宙知識で書いていたのは、疑いありません。 宇宙貨物船の方ですら、外縁部に到達するのが、早過ぎるのでは? それでいて、何か特殊な高速推進装置が積まれているという説明もないのです。
≪火星のタイム・スリップ≫
ハヤカワ・SF・シリーズ 3129
早川書房 1966年11月30日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 なに、1966年の本? 58年前ですな。 私が2歳の時に発行されたのか。 よくそんなに長く、もちますねえ。 長編、1作を収録。 二段組みで、267ページ。 コピー・ライトは、1964年。 60年代ともなると、アメリカのSF作家の、有名どころの存在は、日本でも知れ渡っていて、本国で新作が出るのを待ち構えていて、翻訳・出版していたんでしょうな。
火星への植民が、ようやく、軌道に乗りつつある頃。 地元有力者の男が、精神分裂病の少年と特殊な方法で意思疎通する事によって、未来を知ろうと試みる。 不毛の荒野と見做されている土地で、国連による大規模な住宅地開発が行なわれる事が分かったが、僅かの差で、他の者によって、先に土地を登記されてしまっていた。 有力者は、少年と火星先住民の力を借りて、過去に戻り、自分が先に登記しようとするのだが・・・、という話。
有力者の他に、機械修理技師の男が出て来て、どちらかというと、そちらの方が、主人公扱いされているのですが、ストーリーは、有力者を軸に展開するので、ちと、ややこしいです。 技師の方は、若い頃に、精神分裂病を経験していて、自分の病気がぶり返してしまうのではないかと恐れています。
精神分裂病、今で言う、統合失調症ですが、それが、中心テーマになっている事は、確か。 「精神分裂病の患者は、時間の感覚が、常人と違っていて、ゆっくりと動く時間の中で生きている」という学説が、当時あったようで、そこから膨らませて、「彼らは、タイム・スリップができるのでは?」というアイデアに発展させたわけですが、明らかに、考えが飛躍し過ぎていて、真面目に取る人はいないでしょう。 SFは、そもそも、科学技術をベースにした作り話だから、別に問題ないわけですが。
問題は、ディックさんに、どこまで、精神分裂病の知識があったかでして、この作品に出て来る患者を見ていると、どうも、統合失調症患者のイメージと重なりません。 ディックさん自身が、自分は精神分裂病なのではないかと恐れていて、自分の症状を書いたのかも知れませんが、これは、別の病気なのでは? どちらかと言うと、少年や技師より、有力者の方が、手に負えない精神病患者に近い印象があります。
精神分裂病をテーマにしているのに、その病気に対する知識が曖昧で、しかも、SF設定を重ねているから、どうにも、与太話のニオイが立ち込めてしまいます。 なまじ、細かい心理まで、みっちり書き込んであって、読み応えがあるだけに、この胡散臭さは、致命的。 ディックさんの精神が壊れて行く過程の、端緒が顕われている感がなきしもあらず。
有力者のキャラですが、こういう人は、創業社長や、政治家に、いくらでも、いそうですな。 自分が思いついた事は、とことん実行しなければ気がすまない。 他人の事を、自分の道具だと思っている。 自分に損害を及ぼす者は、叩き潰していいと思っている。 法律なんか、知った事か。 俺が法律だ。 いるいる。 支配欲、権勢欲で、頭も心も満杯になってしまって、他人の立場になって考える事など、金輪際、できない相談なわけだ。
ところで、この作品、一応、火星が舞台ですが、別に、地球上でも成り立ちます。 火星に対する知識が乏しい時代というのは、しようがないもので、先住民がいて、運河を造った事になっているし、環境の描写は、地球上の砂漠・土漠のそれそのもので、妙に、暑さを感じる。 火星は、もっと、気温が低いと思うのですがね。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫
ハヤカワ文庫 SF 807
早川書房 1989年2月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
友枝康子 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 355ページ。 コピー・ライトは、1974年。 うっ・・・、だいぶ、新しいな。 という事は、ディックさんが薬中になった晩年に近いわけで、嫌な予感がしないでもなし。 その予感は、ある程度、あたりました。
歌手で、人気番組の司会もしている42歳の男、女絡みの傷害事件に遭い、何とか一命は取り止めたものの、目覚めたら、安ホテルの一室で、高額紙幣の札束以外、身分証明書の類いを一切、失っていた。 仕事仲間や交際相手に電話をかけても、誰も、彼の名前を知らず、彼の存在が消えた世界になっている。 身分証明ができなければ、強制収容所へ送られてしまう社会で、さあ、どうすればいい? という話。
SF設定としては、時代が1980年代で、書かれた当時からすると、近未来という事になります。 アメリカが、警察による監視社会になっているという背景。 あと、架空の薬物が出て来ます。 他に、移動手段が、飛行艇や、ヘリコプターといった、自家用航空機になっています。 それだけ。 それらを除くと、SFではなくなります。 まあ、そういうSFは、珍しくありませんけど。
解説によると、自伝的小説だとの事で、そちらの方が、内容を説明するのに、適切です。 作者が、薬中の面々との交際が始まり、作者自身も薬中になって行った頃に書かれたものでして、いかにも、薬中だなあと思わせる登場人物が、次々に出て来ます。 作者にとっては、大切な仲間だったのでしょうが、読者には、そんな異常な事につきあう義理はないです。
主人公が、女性と話をする場面が多くて、会話で紙数を稼いでいるのは、明らか。 これは、作者が、実際に薬中女性と話をした経験から、内容を少し変えて、盛り込んだのではないでしょうか。 ダラダラと長いばかりで、何が言いたいのか、よく分からない会話は、読んでいて、苛々しますが、そもそも、薬中患者の戯言が元なのだから、無理もない。
なぜ、一人の男の存在が消えた世界になってしまったかについては、架空の薬物が原因でして、一応、後ろの方で、説明があります。 しかし、全く、納得できません。 主人公ではない、ある人物が、その薬を服用したわけですが、それが、どうして、他人の世界を変えてしまうのか、理解できないのです。 三人称でして、作者が、ある人物の視点を通して語ったというのなら、無理やり、こじつけられない事はないですが、無理やりにも程があり、これが、推理小説なら、アンフェアと罵られる事、不可避。
【スキャナー・ダークリー】が、1977年なので、こちらは、3年前に出たわけですが、3年後には、もっと、ひどくなります。 【スキャナー・ダークリー】に比べれば、こちらの方が、遥かに、マシ。 一応、小説として、読めるからです。 SFとしては、問題外。 傑作などでは、ゆめゆめ、決して、金輪際、ないので、勘違いしないように。
薬物に依存して書いた小説を、「神がかり的」などと言って、絶賛する人がいますが、話にならぬ。 自分が薬物に頼りたいから、その口実にしているだけなんでしょう。 薬中患者には、読むに値する小説なんか書けないんだという事を、ディックさんが、一番よく、証明してくれていると思います。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪犬物語≫が、7月22日。
≪偶然世界≫が、8月4日。
≪火星のタイム・スリップ≫が、8月5日から、7日。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫が、8月18・19日。
動物ものが、1冊、ディック作品が、3冊。 一日で読んでしまったのが、二冊ありますし、他の二冊も、短い日数で、読み終えていますな。 しかし、私の場合、家事だの、買い出しだの、ツーリングだの、ポタリングだの、他の事をやりながら暮らしているので、一日に取れる読書時間は、一定しておらず、早く読み終えたからといって、その本が面白かったというわけではありません。