2025/01/19

実話風小説 (36) 【横並び】

  「実話風小説」の36作目です。 11月の中旬に書いたもの。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、二重苦状態にあり、正直言って、小説どころではありません。 だいぶ、創作意欲が減退していますが、ごく短いものを、何とか、書きました。




【横並び】

  男A(55歳)のところに、高校時代の友人、男Bから、電話がかかって来た。 クラス会などには出ていなかったので、同じ市内に住んでいるBと話すのも、10年ぶりくらいである。

「ああ、A? 俺、B」

「おお。 久しぶりだな。 元気でやってる?」

「うん。 変わらない。 そっちは?」

「うーん・・・、ポンと訊かれて、ポンと応えるような事じゃないけど・・・、2年前に離婚したよ。 女房が、子供と一緒に、出て行っちゃった」

「そうか。 そりゃ、大変だったな」

  Bの反応は、冷めていた。 昨今、熟年離婚は、珍しくないからだろう。 大袈裟に驚かれなかったのは、Aにとっては、気が楽だった。 Bの用件は、もっと深刻なものなのかも知れないと思った。


「今日は、何?」

「うん。 Cの事は、覚えてる?」

「C? C・・・、C・・・、高校時代で、Cというと、何人かいたからなあ」

「一時期、学校から、スポーツ公園まで、自転車で一緒に行ってた奴がいたろ?」

  AとBは、同じ陸上部だったので、確かに、そういう事があった。 しかし、陸上部に、Cという苗字の者がいたような記憶がない。

「陸上部?」

「違う。 サッカー部だったかな?」

「ああ。 スポーツ公園に行く時だけ、一緒に行ってたという事か」

「思い出したか? Cの事」

「いいや。 分からない」

「自転車で走っていて、向こうから来た爺さんにぶつかった奴だよ」

「・・・・、! ! ああ、あいつか!」

  思い出した。 思い出した。 そんな事があった。

  5人で、自転車に乗り、住宅地の生活道路を走っていたのだが、前からも後ろからも、車が来ないので、いつしか、横並びになり、横一列で走っていた。 ごく自然にそうなった。 Aは、一番、右側。 Bは、その隣。 そして、Cは、一番左側だった。 なぜ、それを覚えているかというと、向こうから、角を曲がって現れた高齢男性が、道路の右端、つまり、こちらから見ると、左端を歩いて来たからだ。

  歳の頃、70代くらい。 もう、40年近く前の事だから、70代と言っても、今のそれより、ずっと老けていた。 右手に持った傘をついていた。 一歩一歩、音を立てていたから、杖代わりにしていたのだろう。 少し、足を引きずっていたような記憶もあるが、定かではない。

  自転車5台が、横並びで走っているのだから、道路の幅、いっぱいである。 このまま行けば、高齢男性にぶつかってしまう。 Aは、てっきり、左端を走っているCが、後ろに下がって、高齢男性を避けるものだと思っていた。 後で聞いたところ、Bも、他の者も、そう思っていたらしい。 ところが、Cは、そうしなかった。 横並びのまま、進んだ。

  高齢男性は、立ち止まったが、突っ込んで来る自転車の横列を見て、体が竦んでしまったのか、身動き取れない状態でいる。 もっとも、横は、住宅のブロック塀で、逃げる所もなかったのだが。

  Cは、寸前になって、ハンドルを切り、高齢男性を僅かに避けようとしたが、間に合わず、ハンドルの左端で、高齢男性の腕を突き飛ばした。 高齢男性は、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて、ブロック塀に倒れかかりながら、尻餅をついた。 Cも、自転車ごと倒れて、道路上に投げ出された。

「あぁ~あぁ~!」

  C以外の者は、すぐに停まり、高齢男性と、Cを見下ろした。 一人が自転車を下りて、高齢男性を助け起こそうとしたが、どこか痛めたようで、立ち上がれなかった。 近所の人が数人、それぞれの家から出て来た。 高齢男性を知っている人達だ。

「まあ! ○○さん、大丈夫?」

  と言ったと思うが、その名前を、Aは、覚えていない。

「どうしたの? 何が起こったの?」

  その時には、もう、高校生全員が、自転車を下りていた。 Bが代表して答えたのだが、どう説明していいか分からず、しどろもどろだったような気がする。

「自転車で、向こうから、走って来たんですけど・・・、横並びだったもんで・・・、左端を走っていた奴が、お爺さんにぶつかっちゃって・・・」

「なんで、避けないの?」

  そうだ。 なんで、Cは避けなかったのか。 Aは、見当がついていた。 後で聞いたところでは、Bも、同じ事を考えていたらしい。 Cは、他の4人と、対抗していたのだ。 そもそも、横並びになったのも、自分だけ後ろを走る事に、負けたような気がして、耐えられなかったからだろう。 自分は、他の4人と、対等なのだ。 シジイなんて、知った事か。 ここで、後ろに下がったら、負けを認めた事になってしまう。 他の奴が右へ寄れば、俺も寄るが、俺一人だけ後ろに下がるなんて事はできない。

  下らない理由である。 言い訳にもならない。 しかし、それが真実なのだ。 Cは、何を優先するべきか、判断ができなかったのだ。 仲間への対抗意識を貫徹する事が、最も重要だと思っていたのだ。

  高齢男性は、顔を苦痛に歪めていた。 これも後で聞いた事だが、ブロック塀にぶつかった時に、肩を脱臼していたらしい。 救急車が呼ばれた。

「そんな大袈裟な。 誰かの車で、病院に連れて行けばいいんじゃないですか?」

  Cが、そう言ったら、近所の人から、ピシャリとやっつけられた。

「こんなに痛がってるのに、そんな悠長な事、してられるもんですか。 普通の車で行ったら、待合室で順番待ちしなきゃならないんだよ。 あんた、ぶつかった本人でしょ? よく、そんな、無責任な事が言えるね」

  他の人が、Cや、他の4人に向かって言った。

「君は当然だが、みんな、まだ、ここにいてよ。 今、警察を呼んだから」

  警察と訊いて、5人とも震え上がった。 もはや、高校生の意見が通る雰囲気ではない。 黙っているしかなかった。

  救急車とパトカーが、前後して到着。 高齢男性は、救急車で運ばれ、高校生5人は、自転車を近くの家に預けて、交通課のパトカーで、警察署へ連れて行かれた。 交通課と少年課の担当者から、事情聴取を受けた。 一応、事故の扱いになったが、保護者が呼ばれ、厳重注意となった。

  後日、高齢男性の治療代と示談金を、5人の親が、分担して払った。 高齢男性が退院した後、5人と、その親で、謝りに行く話も出たが、高齢男性の方が、家に押しかけられると困ると言って来て、それは沙汰止みになった。


  Aとしては、その一件は、それだけの記憶である。 すっかり、忘れていた。 電話して来たBに、訊き返した。

「で、そのCが、どうしたの?」

「死んだって」

「ああ、そう」

  あまり、感慨はない。 名前はもちろん、顔も、よく覚えていないのだ。 Bは、続けた。

「俺が、それを知ったのは、つい昨日の事で、たまたま出会った高校時代の知り合いから聞いたんだが、Cが死んだのが、20代の半ばくらいの事だったらしいんだよ」

「ずいぶん、早死にだったんだな。 病気か?」

「同僚に刺し殺されたんだって」

「ええっ! そりゃ・・・、また、どうして?」

「同じ職場にいた、同期入社の一人が、昇進して、Cの上司になったらしいんだ。 それが気に入らなくて、毎日、喧嘩を吹っかけていたらしいんだが、口だけじゃなくて、手まで出したんで、相手が怒っちゃって、給湯室にあった果物ナイフで、ブスリと・・・」

「凄絶だな・・・」

「刺した方は、殺人罪で、服役。 もちろん、会社も解雇されたらしいが、そっちが気の毒だ。 同期同士で、上司と部下になるなんて、別に、珍しい事でもないのに」

「・・・・・」

「・・・・・」

  しばし、沈黙。 やがて、Aが、しみじみと言った。

「Cの奴、あの、仲間への対抗意識が治らなかったらしいな」

「病的な対抗意識だったんだな」

「病的だよ」

「そういう話だ。 昨日、それを知って、何だか、誰かに話さないと、気が落ち着かなくてな。 で、お前に電話したってわけだ」

「ああ。 お前の気持ちは、分かるよ。 ショッキングな話だからな」

  電話は、終わった。


  Aは思った。 自分もBも、この歳まで生きて来られたのは、Cほどの異常さがなかったからなんだろう。 異常と言っても、仲間への対抗意識という点で、自分やBと、Cの間に、極端に大きな差があったとは思えない。 自転車で横並びで走っていた時、もし、自分が一番左側にいて、高齢男性とぶつかる位置だったら、自分も、後ろに下がれたかどうか、微妙なところなのだ。

  しかし、問題はその後だ。 あの衝突事件の後、自分やBは、仲間への対抗意識は、程々にしておかないと、人生にプラスにならないと知った。 しかし、Cは、そういう教訓を得なかったようだ。 ほんの僅かの差でも、自分やBと、Cの間には、境界があった。 Cの対抗意識は、社会人として許される範囲を超えていたのだろう。 その結果が、生死を分けてしまったのだ。

  意外と、そんな理由で、早死にしている者が多いのかも知れない。 55歳までの人生を振り返って思うのは、世の中は、結構、厳しいという事である。 能力が足りないとか、性格が悪いとか、考え方かおかしいとか、そういう人間は、いつのまにか、周囲から姿を消してしまう。 河岸を変えて、生きているのかも知れないが、死んでしまっている例の方が、多いのではなかろうか。

2025/01/12

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ①

  今回から、月の第二週は、闘病記になります。 健康な方は、全く興味がないと思いますが、他に書く事もないので、御容赦あれ。 例によって、日記ブログからの移植が主になります。




  鼠蹊ヘルニアとは、下腹と脚の境目で、腸が筋肉から食み出して来る病気です。 腸そのものが出て来るわけではありませんが、ゴルフ・ボール半球くらいの大きさに、下腹部が膨らむのです。 押すと引っ込みます。 また、体を横にしていると、引っ込んでいます。 即ち、寝たきりの人は、鼠蹊ヘルニアになっても、別段、支障はないわけだ。

  そもそも、鼠蹊ヘルニアが始まったのは、2023年の6月16日からなのですが、ほぼ同時に、新型肺炎の後遺症と思われる、右腿の痛みも始まり、私自身、何がどうなっているか分からない時期が続いたので、日記の記述も、分かり難くなっています。 腿の痛みは、その内、収まって、鼠蹊ヘルニアだけが残ったわけですが、23年から24年にかけての冬の間は、あまり、気にしませんでした。

  気になり始めたのは、2024年の夏になった頃で、それまで、出ている時もあれば、引っ込んでいる時もあったのが、立っている時には、常に出ているようになりました。 これはもう、気のせいなどと言っていられないと思い、病院に行く事を決意しました。 で、新型肺炎の感染者数か減る、秋を待った次第。 そこら辺りから、日記を紹介します。



【2024/08/05 月】
  昨年の6月16日から発症した、推定・鼠蹊(そけい)ヘルニアですが、ここ一ヵ月くらい、下腹の右下端に、ゴルフ・ボールくらいの半球形に、ボコッと膨らんだ状態が、見た目で分かるようになりました。

  これはもはや、心気症のレベルではないので、病院へ行って、手術する事を決意しました。 今は、新型肺炎が第11波の最中ですから、すぐにすぐには行けませんが、例年、10月頃になると、感染者数が減って来るので、そうなったら、行く所存。

  10年以上前に、兄が同じ病気をやっていて、兄の場合、悪化させて、救急車で病院に担ぎ込まれたのですが、そこまで ひどかったという事は、腸が出たまま戻らなくなる、「嵌頓(かんとん)」まで行っていたのかも知れません。 兄がやっていたから、私も、この病気の存在を知っていたのですが、知らなかったら、何が起こったのかと、プチ・パニックを起こしていたでしょうな。

  私の場合、最初の食み出し感があってから、すでに、1年2ヵ月近く経っているわけですが、疼きのような痛みが続き、立っている時や座っている時に、ゴルフ・ボールが出る以外は、極端な症状はないです。 おそらく、10月くらいまでは、このままなんじゃないでしょうか。 ちなみに、横になっている時には、重力で腸が引っ張られて、膨らみは、出ません。

「だったら、横になっている間に、治らないものか」

  と、思うでしょう? 私もそう思いましたが、いろいろ、調べたところ、治らないらしいんですよ。 病気ではなく、怪我でもなく、体の構造上の問題なので、自然治癒力が働かないらしいんですな。 手術以外、治療方法がないらしいです。 難易度が高い手術ではないが、専門医の手で、慎重にやらないと、再発する事もあるとか。 ちなみに、兄は、最初に担ぎ込まれた病院に、専門医がおらず、そうでない医師が手術した結果、再発。 さらに、再発。 合計、3回手術したそうです。 まあ、今は、普通に暮らしているようですが。

  兄弟で罹ったから、遺伝かな?とも思ったのですが、父は、なっておらず、母方の方も、該当者はいないとの事。 よく分かりませんな。 「鼠蹊ヘルニア」と言われると、知らない人が多いですが、「脱腸」なら、聞いた事があるのでは? 名前の滑稽さだけ知れ渡って、どういう病気なのか知らないのでは、意味がありませんが。 手術例は、盲腸よりも多い、割とありふれた病気らしいです。


【2024/08/11 日】
  鼠蹊ヘルニアですが、近隣で扱っている病院を調べたら、大きな総合病院だけでした。 今日日、総合病院にかかるには、かかりつけ医の紹介状が要るとの事。 小さい医院の経営を助ける為に、そういう制度になっているらしいです。 で、近場の医院を探したのですが、外科が異様に少ない。 痔の治療をやっている所だけです。 

  2012年に、疣痔を切ってもらった医院が候補に上がりましたが、当時の日記を読んだら、術後、大腸カメラを勧められて、やっており、今回も、行けば、勧められそうです。 そんな面倒臭い事には、関わっていられません。

  2016年に、父が階段から落ちて、頭を怪我した事があったのですが、その時に行った外科医院が、近所にあります。 そちらに行くしかないか。 未だに、スリッパ式なので、気が進まないんですが、マイ・スリッパで、対処する事にします。 いずれにせよ、9月の後半になってからですが。


【注】
  結局、かかりつけ医の紹介状は諦めて、総合病院へ、直接、行く事に決めました。


【2024/10/02 水】
  明日、鼠蹊ヘルニアで、総合病院へ行く予定なので、ネットでダウン・ロードした受診申込書に、先に書き込んでおきました。 外来受付が、7時半からで、診察は、9時からとの事。 朝食を食べたら、すぐに出かけなければなりません。 診察だけだから、正午前に戻れると思いますが。

  正直なところ、鼠蹊ヘルニアよりも、病院内で、新型肺炎をうつされる方が、心配です。 なるべく、外で待とうと思っていますが、そう、うまく行くかどうか。


【2024/10/03 木】
  30分、早く起きて、朝食・その他を済ませ、7時に家を出て、旧母自で、総合病院へ。 鼠蹊ヘルニアをいよいよ、何とかする為です。

  7時半から、外来の受付ですが、すでに、20人くらい待っていました。 番号札を取るのに気づくのが遅れて、22番。 しかし、それは、あまり関係がなくて、初診の場合、カルテを作るから、ひと通り、待っている人がいなくなってから、処置されました。

  外科の受付は、8時半からで、問診表を書いて、提出。 初診の人は、予約の人の合間に呼ぶと言われました。 9時から、診察開始で、待合室で、ずっと待っていましたが、なんと、呼ばれたのが、11時半でした。 予め、合間に呼ぶと言われていなかったら、耐えられなかったでしょう。

  診察時間は、10分以下。 症状を話したら、家族構成を訊かれました。 触診は、医師が薄いビニール手袋をして、行ないました。 「鼠蹊ヘルニアは、よくある病気だから、見ただけでも分かるけれど、一応、触ってみました」という感じ。 ちなみに、診察中、「鼠蹊ヘルニア」という言葉は一回も使われませんでした。

  すぐに、手術の話にはならず、まず、検査。 今日は、レントゲン、血液採取、呼吸力検査、心電図。 10日に、CTを撮ると言われて、帰って来ました。 9千円。 出費は、まだまだ、序の口です。 私は、心臓に不整脈があるので、もしかしたら、手術できないと言われるかも知れません。 その場合は、ずっと、この病気と付き合い続けるしかないです。 最初に症状が出てから、もう、1年以上経ち、だいぶ、慣れて来たので、それならそれでも、いいんですが。

  家に帰って、12時40分くらい。 天気がもってくれて、助かりました。 外掃除。 水やり。


  いよいよ、病院へ行ったわけですが、こうなったらもう、俎板の上の鯉です。 向こうの指示通りにするしかありません。 こういう厄介な病気をやると、「大金をかけてまで、治すよう価値が、自分にあるんだろうか」と、しみじみ、思ってしまいますな。 待合室に出入りする他の患者を見ると、圧倒的に高齢者が多くて、昔だったら、とっくにあの世に行っている歳だろうに、「やっぱり、みんな、生きられる限りは、生きたいんだなあ」と、つくづく、思わされます。

  医学や医療制度がなかったら、みんな、とっくに死んでいるのです。 動物の一種類としては、そちらの方が自然なのは、議論するまでもない事。 私なんか、23歳の時に、胆石をやっていて、医学がなければ、その時に死んでいたのです。 私の人生は、3分の2、医学のお陰で与えられた、オマケなんですな。 そう思うと、尚更、自分の命の価値が、少なく感じられて来るのです。


【2024/10/08 火】
  次第に、気温が下がって来て、血行不良による、手先足先の動きの鈍さが気になり始めました。 運動散歩に行きたいところですが、鼠蹊ヘルニアの飛び出しが気になって、運動そのものが怖くなっています。 手術前に、悪くするのも、馬鹿馬鹿しいし。

  これは、病院にかかる前にも考えていた事なのですが、たとえ、手術で、鼠蹊ヘルニアが治ったとしても、私が、完全な健康体になるわけではなく、歳を取るに連れて、どんどん悪い所が増えて行くのは、避けられないんですな。


【2024/10/10 木】
  午後から病院で、CT検査があるので、昼食は軽めにせよとの指示に従い、食パンを、1切れだけ食べました。

  2時45分から、母自で、病院へ。 今日は、検査だけです。

  心臓エコー。 他の部位のエコーと同じようなものですが、時間が、5分くらいかかりました。 技師は、私の背後にいたので、何をやっているのか、分かりませんでした。

  CT。 鼠蹊ヘルニアが出た状態で撮るので、うつ伏せです。 腹の上の方と、腿の下に、硬い枕のような物を入れ、鼠蹊部を浮かせました。 地味に、辛い姿勢。 まず、そのままで撮って、次に、右手の甲に注射針を刺し、生理食塩水と、造影剤を注入。 「熱くなりますよ」と言われ、確かに、腹の方が熱くなったような気がしました。

  これで、終わり。 10560円。 高いな。 料金を高くする為に、やらなくてもいい検査をしているような気もしますが、手術してもらえないと、困るから、そんな事は、口が裂けても言いません。 また、検査の結果、手術不可と言われても、文句を言うつもりはないです。 検査自体は、無駄にはならないと思うので。

  特に、気持ちが悪くなるような事もなく、自転車を漕いで、帰って来ました。 次は、一週間後の、17日です。 検査の結果を聞くという予定。




  今回は、ここまで。 ここまでは、順調だったのですが、この次の受診から、変調します。 思えば、この頃までの私は、幸福ではないものの、能天気でした。

2025/01/05

読書感想文・蔵出し (120)

  読書感想文です。 闘病中なので、読書は、辛くなる一方です。 一時、休止にしようかとも思ったのですが、読書をやめると、このブログの更新ネタがなくなってしまうのが、痛い。 そもそも、幾つものブログを維持しようと思うからいけないのであって、更新間隔が開いていて、閲覧者が少ないブログは、閉めてしまえばいいのですが、なかなか、踏ん切りがつきません。





≪死の迷路≫

ハヤカワ文庫 SF 2070
早川書房 2016年5月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 「著者まえがき」が、2ページ。 本文、291ページ。 コピー・ライトは、1970年。 


  ほとんど、バラバラに、とある惑星に送り込まれた、14人。 全員が集まったところで、任務が指示される予定だったが、その指令が途中で切れてしまう。 全員、片道の燃料しか積めない乗り物で来ていたので、帰る事もできない。 何をすればいいのか分からないまま、一人一人、死んだり、殺されたりする者が出て来て・・・、という話。

  14人は多いですが、主な人物は、その半分くらいなので、【シミュラクラ】ほど、混乱しません。 特段、注意せず、普通に読んで行っても、どの名前が誰の事か、見失う事はありません。 最初に出て来た人物が、割と早めにいなくなってしまうのは、意外。 何か、作者の方で、構成上の手違いがあったのかも知れません。 70年代のディックさんは、ヤク中に足を突っ込んでいるから、そういうところは、疑ってかからねば。 「著者まえがき」にも、LSD体験の事が、さらっと出て来ます。 剣呑、剣呑・・・。

  未知の惑星で、探検に出かける場面が出て来ますが、レムさんの、【エデン】と比べると、スカスカに薄っぺらで、作者が、ほとんど、想像力を働かせてない事が分かります。 この作品のテーマは、異文明との接触などという大仰なものではないから、致し方ないか。 それにしても、これだけ、チープな異世界探検も珍しい。 だけど、つまらないわけではなく、チープななりに、面白く読めます。

  後半に入ると、航空機による、空中戦があり、なかなか、手に汗握らせてくれます。 ディックさんは、こういう活劇描写が、実に巧い。 映画化される作品が多いのは、映画人が、こういった活劇部分に惹かれるからだと思います。 どんな絵を撮るかしか考えていない映画人に、SFのテーマなんぞ、分かるものですか。

  神学や宗教が出て来ますが、テーマというよりは、モチーフのレベルです。 全く無視してしまっても、ストーリーは楽しめます。 むしろ、積極的に、無視した方が、いいかもしれません。 興味がなければ、鬱陶しいだけですから。 創作された、架空の宗教なのですが、キリスト教世界の作家は、どうしても、キリスト教の影響から逃れられないと見えます。 「著者まえがき」によると、【易経】からも戴いたらしいですが、易経は、宗教とは、直接 関係ありませんな。

  オチがあり、全体の10分の1くらいが、種明かしに当てられています。 更に、その中に、オチがあり、ちょっと、不思議な気分にさせられて、話が終わります。 推理小説で、ドンデン返しを何度もやられると、白けるものですが、この作品の場合、程良い姿勢制御で、着地に成功しています。

  そうそう、「目次」がありますが、内容とズレまくっていて、これは、ジョークでしょう。

  そうそう、「訳者あとがき」が、妙に長いです。 こんなに語ってくれなくてもいいというのよ。 この訳者、変わった人ですなあ。 本文の訳も、大変、砕けていて、元の英文を、どう捉えれば、こういう日本文になるのか、なんとも、不思議。 別人の訳で読んだら、全く印象が違って来るのかも知れません。




≪シン・レッド・ライン 上・下≫

角川文庫 10951・10952
角川書店
上巻 1999年2月25日 初版 1999年10月10日 4版
下巻 1999年2月25日 初版
ジェイムズ・ジョーンズ 著
鈴木主税 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 上巻が、375ページ。 下巻が、347ページ。 合計、722ページ。 コピー・ライトは、1972年になっていますが、作品が発表されたのは、1962年。 この文庫は、1998年に映画化された時に、日本公開に先立って、出版されたもの。


  太平洋戦争で激戦地になった、ガダルカナル島へ送り込まれた、C中隊の、戦闘や後方生活を描いた群像劇。 期間は、上陸直前から、ガダルカナル島での日本軍掃討任務が終了し、別の島に移動になる直前まで。

  ノーマン・メイラー作、【裸者と死者】を読んだ後、「そういえば、似たような話を、映画で見たな」と思い、その原作である、この本を借りて来ました。 「シン・レッド・ライン」とは、「細く赤い線」という意味で、アメリカ中西部の古い諺、「正気と狂気の間には、一本の細く赤い腺があるだけだ」からとったもの。 この諺が、英語のものなのか、先住民のものなのかは、分かりません。

  作者のジョーンズさんは、実際に、ガダルカナル島で、戦闘に参加した経験があるそうですが、この小説は、戦記ではなく、架空の地形の、架空の戦闘に変えられています。 これは、実際に戦死した人達に配慮したのでしょう。 つまり、【裸者と死者】同様、戦争小説としか言えないわけです。

  【裸者と死者】は、1948年発表ですから、こちらの方が、だいぶ、後に書かれています。 ジョーンズさんが、【裸者と死者】を読んでから、これを書いたのは、まず間違いないところで、物語の大枠から、細部に至るまで、多大な影響が見られます。 おそらく、「自分には、メイラー氏より濃厚な戦場体験があるのだから、超えるものが書けるはず」と考えたんでしょう。

  戦闘場面を描いた部分は、【裸者と死者】より遥かに多く、アメリカ兵の死者・負傷者も、二桁違いに多いです。 戦争小説としては、こちらの方が普通の配分で、【裸者と死者】が少な過ぎるのです。 戦闘場面が少ないと、それを期待して戦争小説を手にした読者が、飽きてしまいますから。 この配分の違いが、【裸者と死者】を純文学に近づけ、この作品を、戦争小説に近づけています。

  とはいうものの、登場人物、個々の心理描写も、ふんだんに盛り込まれていて、ちと、くどいくらい。 一人一人の心理を事細かに掘り下げているという点、「神視点三人称」の極限。 こんな細かい事まで、生存者に直接 取材したって、聞き取りできないだろうと思わせ、その点、逆に、リアリティーを損なっています。 所詮、作者の想像に頼っているわけだ。

  日本軍の描写は、【裸者と死者】同様、完全に、虫ケラ扱い。 しかも、出て来る死者の数が、二桁、いや、三桁多いので、もう、戦争というより、害虫駆除の様相を呈しています。 しかし、大袈裟に書いているわけではなく、実際に、こんな感じだったのでしょう。 アメリカ側は、日本軍同様、基本的に捕虜はとらない方針で、降伏した日本兵を、怒りと戦場ハイに任せて、容赦なく殺してしまいます。 これは、虫ケラ以下の扱いだな。

  激しい戦闘をしながらも、昇進する事に命をかけている兵士が何人も出て来て、人間の欲望というのが、どういうものなのか、まざまざと、見せつけてくれます。 日本軍は、虫ケラ以下なので、問題外。 彼らにとって、本当の敵とは、上官や、自分の出世のライバルになる同輩達なんですな。 非常に醜いのですが、彼らの方が、人間の本質をよく見せているとも言えます。

  後方での生活も、細かく描かれていますが、そちらは、別に、面白いわけではないです。 特に、現代から見ると、個々の一般的なアメリカ人に、人間的魅力を感じるような事はありません。 文化的な背景を感じさせないからでしょうか。 集団を評価する上で、その集団が作り出す文化が与える影響には、大きなものがあるんですな。

  さて、1998年の映画ですが、私は、テレビ放送された時に、見ているんですが、ほんの一部しか、覚えていません。 子供達が、水場に飛び込んで泳いでいる場面。 日本軍の野戦病院に、アメリカ軍がなだれ込んでくる場面。 あと、装備のいい日本軍が現れて、アメリカ兵の主人公を、「おまえが、俺の兄弟を殺したんだな」と詰問する場面。

  原作からは、大幅に話が変えられていて、テーマもモチーフも、原形を留めないくらい。 原作のままなのは、主な登場人物の名前だけです。 作者は、1977年に他界していますが、もし、生きてあの映画を見ていたら、自分の書いた作品と、あまりにも違うので、怒ったのではないでしょうか。

  映画では、日本兵も、一応、人間として扱われていますが、それは、日本でも公開されると分かっていたから、監督や映画会社が、配慮したのでしょう。 ちなみに、アメリカ映画は、日本での配給収入が、そこそこ多いので、日本の観客に阿った配役が、時折り、行われます。




≪いたずらの問題≫

ハヤカワ文庫 SF 2195
早川書房 2018年8月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 315ページ。 コピー・ライトは、1956年。 ディックさんの長編としては、第3作目だそうです。 この時期なら、安心して読めます。


  2100年代の地球は、歴史的な偉人、スレイター大佐が考案した、道徳制度で統治された監視社会になっていた。 公共放送の下請けで、CMや番組を企画している会社の社長が、スレイター大佐の像に、いたずらを仕掛けたが、その記憶がない。 バレたら、どうなる事かとビクビクしつつ、精神科医に相談したりしていたが、そこへ、公共放送の局長にならないかと声がかかって、ますます、ビクビクする事になり・・・、という話。

  変なタイトルですが、内容を直接、表しています。 大方、ディックさん本人が、誰か偉人の像を見て、「こうしてやれば、面白いだろう」と、想像を逞しくした事があるのでしょう。 ただし、像にいたずらした記憶が、主人公にない事について、説明が弱く、ちょっと、モヤモヤした感じが残ります。 いたずらは、やはり、積極的な意志でやるものだと思うので。

  監視社会なので、主人公がどうなるか、ハラハラしますが、うまい具合に、緩~く、吊るし上げや、罰を回避して行きます。 この点、オーウェル作、【1984】などより、ずっと、娯楽性が高いです。 明るいとまでは言いませんが、少なくとも、いい意味で、軽い雰囲気があるのです。 もっとも、【1984】が暗過ぎるのであって、読者の気分を悪くさせる為に書いた小説と、比較するのも、意味がないですけど。

  で、結局は、追い詰められますが、転んでもタダでは起きずに、残された時間をフル活用して、今度は、積極的な意志で計画した、反撃に出ます。 この辺りは、ノリノリでして、読んでいて、わくわくします。 ディックさんは、こういう展開が、実に巧いですなあ。 クライマックスでは、カー・チェイスまで入っていて、サービス満点。

  それにしても、こんなセコセコした地球に暮らすより、他恒星の惑星で、ゆったりのんびり生きた方が、ずっと幸せな人生になるような気がしますねえ。 主人公、なんで、戻って来ちゃったかなあ。 精神科医の妹と暮らすのが嫌なら、妻を呼び寄せれば良かっただけなのでは?




≪マルタの鷹≫

世界ロマン文庫
株式会社 筑摩書房
1970年7月10日 初版・第1刷発行
1978年2月20日 新装版・第1刷発行
ダシール・ハメット 著
鳴海四郎 訳

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーの本です。 「世界ロマン文庫」とありますが、文庫サイズではなく、新書本よりも大きいです。 長編、1作を収録。 二段組みで、240ページ。 作品の発表は、1930年。 タイトルは、知らない人がいないと思いますが、それは、映画の方で知れ渡ったからです。 筒井さんの、≪漂流≫で、紹介されていたもの。


  サンフランシスコに事務所を構える私立探偵、サム・スペード。 彼のもとに、失踪した妹を捜して欲しいと、女の依頼者が訪ねて来る。 早速、妹と関係している男のもとへ、サムの相棒が張り込みに出かけて行くが、翌朝には、相棒の射殺死体が発見される。 女の妹の話は、でたらめで、マルタ騎士団がスペイン国王へ贈ろうとして、途中で行方不明になった、計り知れない価値を持つ鷹の置物を取り合う争いに、サムが巻き込まれて行く話。

  映画版は、1941年作で、ジョン・ヒューストンさんが、監督・脚本。 主演は、ハンフリー・ボガートさん。 私は、一度見ているんですが、探偵事務所を始め、室内の場面ばかり多くて、セリフがやたらと多く、面白いという印象はありませんでした。 ただ、この映画が、その後、数十年に渡り、推理小説の映像化で、手本になったという事は、知っています。

  それまでにも、推理小説の映画化はあったんですが、面白いものが出来ず、ハード・ボイルドの特徴を前面に出したら、初めてウケたんですな。 というわけで、戦後、小説の発表直後に映画化された、横溝さんの本格トリック物でも、片岡千恵蔵さんの金田一耕助が、スーツ姿で登場するのは、映画、≪マルタの鷹≫の影響です。 当時の映画人が、「探偵と言ったら、スーツ姿」と、決め込んでしまったわけだ。

  ちなみに、本格トリック推理物の映像化で、最初に成功するのは、1974年のイギリス映画、≪オリエント急行殺人事件≫。 それを見て、角川春樹さん・市川崑さんらが、横溝正史、5部作(1976-1979年)を、原作に忠実な金田一像で作るという流れです。 ≪オリエント急行殺人事件≫までは、本格トリック推理物を、どうやったら、面白く映像化できるかが、分かっていなかったわけだ。

  話を、元に戻します。

  この小説ですが、確かに、クリスティー、カー、クイーン諸氏の、本格トリック推理小説とは、全く異質です。 どちらかというと、スパイ物に近い。 ただ、登場人物が、スパイではなく、探偵、悪党、警察官に代わっているだけ。 謎はありますが、トリックはなし。 一つの街の、数ヵ所の建物の部屋を、行ったり来たりしながら、会話中心で、話が進みます。

  謎の中心にある、「マルタの鷹」ですが、その来歴は、数百年の昔に遡り、その説明の部分だけ、他とは、異質な内容になっています。 要は、大変高価なお宝なら、何でもいいのであって、特に、マルタ騎士団の財宝である必要はないです。 なぜ、そんなに高価なのかというと、宝石がちりばめられているからだそうですが、埋め込んであるんですかね? 飛び出しているのだとしたら、上から塗料で塗っても、突起で宝石が分かってしまいそうですが。

  都会、孤独、女、酒、煙草、暴力・・・、サム・スペードは、いかにも、ハード・ボイルドの権化という感じ。 探偵として、こういうキャラが出て来た時には、さぞや、読者に衝撃を与えただろうとは思いますが、私の世代だと、物心ついた頃から、ハード・ボイルド探偵は、テレビで、見飽きるほど見て来たので、これといって、新鮮さはないです。

  ハメットさんは、実際に、探偵事務所で働いた経験があるらしいです。 レイモンド・チャンドラーさんは、本格トリック推理小説を、「非現実的な、機械的な、作り話」と批判し、ハメット作品を、「事実に基礎をおいて、現実的な世界を描いている」と、激賞したとの事。 確かに、本格トリック物には、子供騙しのトリックを使ったものもありますが、では、ハード・ボイルドが、現実的かというと、これはこれで、嘘っぽい。

  1930年頃の、アメリカの大都市というのが、実際に、こういうものだったのかも知れませんが、こんな世界では、命が幾つあっても足りません。 頭が切れるとか、腕っ節が強いとか、肝が据わっているとか、喧嘩慣れしているとか、そんな問題ではなく、誰でも、拳銃を持っている社会では、至近距離で、パンと一発 撃たれたら、それで、おしまいではありませんか。 鍛え上げられた体を持つ大男が、5歳の子供に殺される可能性もある。 そんな社会は、異常としか思えません。 どこが、リアルなのか?

  少なくとも、私と同じ世代か、それより若い世代なら、この作品を読んで、面白いと感じる事はないはず。 主人公の性格が、今の日本人の感覚では、理解し難いので、共感する事ができず、ゾクゾクしたり、ハラハラしたりする事もありません。 これは、ハード・ボイルドに限らず、探偵シリーズでは、みな同じですが、探偵本人が死ぬ事は、あったとしても、シリーズ通して、一回だけなので、他の作品では、窮地に陥っても、「どうせ、大した事にはならないだろう」と分かってしまうのです。

  逆に、こういうハード・ボイルド探偵の、生活・人生に憧れているという人は、この作品はもとより、他のハード・ボイルド作品も、読まない方がいいです。 映画・ドラマも、駄目。 影響されて、真似しようとすると、人生が台なしになりかねません。 高倉健さんのヤクザ映画に心酔して、現実世界で喧嘩を吹っかけ、殺されたり、殺して刑務所に行った者達のように・・・。 こんな危なっかしい事とは、一生 無縁でも、充分に、人生は成り立ちます。 むしろ、こういう事を積極的に避けるのが、大過なく生きる秘訣というものでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪死の迷路≫が、9月22日・23日。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫が、9月24日から、27日。
≪いたずらの問題≫が、10月7日。
≪マルタの鷹≫が、10月8日。

  ≪シン・レッド・ライン≫は、上下巻二冊だから、日数がかかっていますが、他の三冊は、一日か二日で読み終えており、読むのが速い方ではない私としては、随分と忙しなく、ページをめくっていた模様。 これも、読書に時間と手間を割くのが辛いので、さっさと終わらせてしまおうという意識が表れているのだと思います。

2024/12/29

私の2024年

  例年、その年最後の更新で、一年を振り返る記事。 毎回書いていますが、全て、私個人の身の周りで起こった事に限定し、世間で起きた事は、極力、書きません。




  例年通り、個人年表から、何が起こったかを振り返ります。

≪2024(R6)60歳≫
  バCワイヤー交換。 冷蔵庫大換。 歯科。 眼鏡鱗とり。 母スリッパ。母スリッパ。 セルジオ修理。 車AC漏れ修理剤。 車検。 台所吊り棚。 布ベルト改。 乾電池文鎮。 マウス・パッド黒換。 鼠蹊ヘルニア。 糖尿病。 インスリン。 歩数計・体重計・血圧計。 整備済み品・船井レコーダー。

  これだけだと、私にしか意味が分からないので、個別に説明します。 正確な日付を書いても、不要な情報になってしまうから、大雑把に、やっつけます。 お金が絡む場合は、金額も省略。


【バCワイヤー交換】
  新年早々、プチ・ツーリングに出かけたら、家から、さほど遠くない所で、バイクのクラッチ・ワイヤーが切れてしまい、押して帰って来ました。 アマゾンに注文し、自力で交換しました。 その後は、普通に使えています。


【冷蔵庫大換】
  台所にある、大きい方の冷蔵庫が壊れて、冷蔵室が冷えなくなってしまいました。 ほほ同じドア配置、ほぼ同じサイズの製品があったので、家電量販店のネット通販に注文し、届けてもらいました。 玄関から、台所までは、私が運びました。 床にキズを付けてしまい、後で、ニスを注して補修しました。


【歯科】
  奥歯の冠が取れてしまいました。 これは、放っておけないので、新型肺炎流行以降、行っていなかった歯医者に、5年ぶりに行きました。 ついでに、一部欠けていた歯も治してもらい、二回で終わりました。


【眼鏡鱗とり】
  普段使っている、ガラス・レンズの眼鏡。 新型肺炎対策で、外出から帰って来るたびに、漂白剤溶液をスプレーしていたら、いつしか、こびりついて、鱗になってしまいました。 洗剤では取れず、数日間、漂白剤の原液に浸けて、鱗を溶かしました。 綺麗にはなりましたが、コーティングもとれてしまったようで、反射が強くなりました。 まあ、仕方ないか。

  その眼鏡は、今、外出専用にしています。 外出用と家用を分けた事で、帰って来るたびに、浄化する必要がなくなりました。


【母スリッパ】
  新型肺炎の流行以降、ずっと買い換えていなかった母のスリッパが、さすがに、ボロボロになって来たので、私が、最寄のホーム・センターへ行って、二足、買って来ました。 お金は、もちろん、母が出しました。 人のスリッパとはいえ、新しくなって、清々した。


【セルジオ修理】
  数年前に、枠の付け根が折れてしまった眼鏡があったのですが、その名前が、「セルジオ・タッチーニ」なのです。 作った当時、最も薄いレンズを頼み、約5万円と高かったので、死蔵しているのも勿体ないと思い、購入した、「メガネ・スーパー」へ持って行って、直してもらいました。 6千円くらいかかりましたが、割と綺麗に直りました。 今、それは、家用にしています。


【車AC漏れ修理剤】 【車検】
  7月。 私の車、セルボ・モードの車検前に、エアコンの漏れ修理剤と、ガスを追加充填しました。 数日間は、もちました。 車検は、その日の内に、終わったという連絡があり、翌日に取りに行ったのですが、時折り、雨が降る天気で、エアコンが使えなければ、蒸し暑くて困ったと思うので、入れた甲斐はありました。

  ガスは安いですが、漏れ修理剤は、4千円もします。 さすがに、今年を最後にして、来年以降は、ガスの追加だけにしようと思っています。

  車検費用は、6万5千円。 最も高かった時と、最も安かった時の中間くらい。 今回も、排気ガスの数値が駄目で、だいぶ、苦労したとの事。 申し訳ない。 こんなに古い車を、車検に通してくれる、中古車ディーラーの店長さんには、感謝しています。


【台所吊り棚】
  台所に、生ゴミを入れる使用済みビニールを載せておく、台を吊ったのです。 そうめんの箱を利用し、針金で吊っただけの安普請ですが、載せる物が軽いので、落ちるような事はありません。 今でも、ちゃんと、使えています。

  使用済みビニールというのは、スーパーで、バラ売りの野菜を入れたりするビニールです。 雨の朝に、新聞が入れられているビニールも使えます。 生ゴミは、うちでは、大半を、庭で、腐葉土に戻しているのですが、全く出ないわけでもないのです。 それは、ビニールに入れ、新聞紙で包み、燃やすゴミに出しています。


【布ベルト改】
  100円ショップ売っている、GIベルトの事。 夏場、胸に掻いた汗が、腹に流れ落ちて、ズボンの上の方まで、濡れてしまうのですが、ベルトのバックルも濡れて、汗の塩分で、錆が出てしまいます。 そこで、金具は全て外し、マジック・テープを縫い付けて、貼り合わせるように改造しました。 もう冬ですが、洗濯もできて、使い易いので、ずっと、それを使っています。


【乾電池文鎮】
  夏場、自室の窓を開けておくと、風で、紙類が舞ってしまう事があり、前々から、文鎮が欲しいと思っていました。 台所のガス・レンジで使っていた、単一電池二つを交換したので、使用済みの電池に、厚紙を切った転がり留めを接着して、文鎮に仕立てました。 そこそこ重さがあり、所期の目的を果してくれています。


【マウス・パッド黒換】
  自室の机で、メイン・パソコン用に使っていたマウス・パッドが、10年以上経って、ボロボロになってしまいました。 パソコンの付属品だったのですが、ほぼ同じパソコンを、2台買ったから、パッドも2枚あり、未使用の方に、交換しました。 古い方は、埋め立てゴミへ。 ご苦労だった。


【鼠蹊ヘルニア】 【糖尿病】 【インスリン】
  2023年の6月から悩まされて来た鼠蹊ヘルニアを、いよいよ、治療しようと、総合病院へ行ったのですが、血液検査をしたら、重度の糖尿病と分かり、手術はできないと言われました。 まず、血糖値を下げる事になり、家で、インスリン注射をする身になりました。 最初は、一日一本。 その後、食前に打つタイプが増えて、合計4本。 非常に、きつい。

  この闘病については、いずれ、独立した記事で書きます。 病気が治ればの話ですが。


【歩数計・体重計・血圧計】
  糖尿病治療の自己管理ノートに、歩数、体重、血圧を書き込む項目があったので、最寄のドラッグ・ストアで、歩数計と体重計を、アマゾンで、血圧計を買いました。

  歩数は、一日一万歩が目標。 私が買った歩数計は、三次元センサー式なので、ズボンのポケットに入れておくだけで、測れます。 千円くらい。

  体重計は、アナログ式のもの。 千円くらい。

  血圧計は、手首式で、2700円くらい。 測るたびに、数値が違うので、一番少ない数値を書き込んでいます。


【整備済み品・船井レコーダー】
  2年前から、寒くなると、エラー・コードが出て、使えなくなってしまう、自室のレコーダー。 そのつど、リセットして、騙し騙し使って来たのですが、この冬に入ったら、いよいよ、壊れて、表示部に何も出なくなってしまいました。 リセット・ボタンも、電源プラグの抜き差しも、全く効果なし。

  買い換える覚悟は、とっくから出来ていたのですが、目星をつけていた船井の製品が、会社が倒産して、新品が手に入らなくなってしまいました。 アマゾンの指定業者が、「整備済み品」という中古品を出品していたので、それを買いました。 3万円弱。 1テラ、2チューナーだから、スペック的には、安いと言えます。

  本体も、リモコンも綺麗で、機能的にも、ちゃんと使える品でしたが、取説が付いていません。 やむなく、オンライン取説をダウンロードしました。  滅多に読む事はありませんが。




  以上です。

  今年の最大の事件は、何と言っても、【糖尿病】です。 これには、参った。 コテンパンにやられました。 身から出た錆だから、致し方ありませんが。

  食事制限で、間食禁止、甘い物禁止。 ご飯は、麦ご飯で、茶碗半分まで。 主食は、キャベツかレタスと、食生活を劇的に変えなければなりませんでした。

  運動は、毎日一万歩。 散歩なら、2時間くらいかかります。 天気がよくないと、座敷を歩き回って、1万歩にするのですが、それも、大変です。

  そして、とにかく、面倒な、インスリン注射と、血糖値計測。 地獄のようです。

  それでも、何とか、治療しなければならないと思っているのは、失明の恐れがあると言われたからです。 落命は、ポックリ行くなら、むしろ、歓迎するところですが、生きながらにして、失明は、大変、困ります。 母の介助どころか、私が介助してもらわなければならなくなってしまうではありませんか。 それだけは避けたいという一心で、頑張っている次第。

2024/12/22

EN125-2Aでプチ・ツーリング (63)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、63回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年11月分。





【裾野市水窪・道祖神】

  2024年11月5日。 裾野市・水窪にある、「道祖神」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 旧246号線沿いの交差点の一角にあります。

≪写真1≫
  全景。 白い看板に、「長教寺 入口」とありますが、それは、ここではなく、もっと奥に入った所にあります。

≪写真2≫
  左端が、道祖神。 右の三体は、地蔵ですな。 花立て、線香入れ、ペット・ボトルのお茶と、どうも、仏物の方が、扱いがいいようです。 ネット地図上の名称は、「道祖神」なのですが。

≪写真3左≫
  道祖神のアップ。 道祖神と言ったら、普通、浮き彫りですが、ここのは、石像ですな。 顔は、地蔵と大差ないように見えます。

≪写真3右≫
  道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪地区は、裾野市の南端ですが、それでも、かなり走らないと、着きません。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、体に不安があるので、あまり、遠くに行きたくないんですがねえ。 バイクの方は、調子がいいです。

≪写真4≫
  旧246号線。 現在の名称は、「県道394号線」ですが、そう言っても、まず、通じません。 県道の番号なんて、知っている人の方が珍しいですから。 現在の246号線は、旧246バイパスで、もっと西を通っています。 こちらの旧246も、交通量は多いです。 私が通勤していた頃は、この道は使いませんでした。 信号が多くて、進みが悪いからです。




【裾野市水窪・水窪公民館】

  2024年11月12日。 裾野市・水窪の、「水窪公民館」へ行って来ました。 「みずくぼ」と読みます。 公民館に用があるのではなく、どういう所なのか、見に行っただけです。 観光地や景勝地ではないけれど、一応、公共施設だから、写真を撮っても、問題ないでしょう。

≪写真1≫
  黄瀬川の近く、住宅地の中にありました。 周囲は、普通の住宅です。 まあ、公民館だから、そういう場所にあっても、不思議はないです。 郊外のような場所があれば、そこに造ると思いますが。

≪写真2≫
  出入り口の前に、空間が取ってあります。 こういう部分があると、雨の日に、屋外作業する時など、便利です。

≪写真3≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪は、裾野市の南の端に位置しています。 うちから、ここまでで、往復20キロくらい。 通勤していた時には、裾野市の北の端までで、往復40キロ近くでしたから、裾野市が、南北に長い事が分かります。

≪写真4≫
  公民館の近くの家で、道路向きに咲いていた花。 花といい、葉っぱといい、どう見ても、菊ですが、品種名までは分かりません。



【裾野市水窪・愛鷹橋左岸の石碑】

  2024年11月17日。 裾野市・水窪の愛鷹橋左岸付近にある、二つの石碑を見に行って来ました。 前回、水窪公民館に来た時に、気づいたもの。

≪写真1≫
  光の加減で、暗い写真になってしまいました。 申し訳ない。 正面の石碑は、「渡邊孫三郎翁彰徳碑」。 地元の政治家のようです。 左側に経っている石碑は、その建設者の名前を彫ったもの。

≪写真2≫
  すぐ背後に、黄瀬川が見えます。

≪写真3≫
  近くの路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪公民館のすぐ近くなので、二週連続、ほぼ同じ場所に、同じ道を通って、やって来た事になります。 鼠蹊ヘルニアと、糖尿病を患っているので、冒険を避けたい気持ちが、目的地の選定に表れていますな。

≪写真4左≫
  すぐ近くにある、愛鷹橋。 黄瀬川に架かっています。

≪写真4右≫
  橋の左岸袂に建つ、石碑。 「愛鷹橋復興記念碑」。 復興という事は、その前に、流されてしまったんでしょうか。 「昭和○年四月」とあるのですが、○の字が読めません。 時の建設大臣が書いたもののようですが、読めないような字は、達筆とは言わんというのよ。




【裾野市水窪・山神社】

  2024年11月27日。 裾野市・水窪、黄瀬川に架かる愛鷹橋の、左岸袂にある、「山神社」へ行って来ました。 前々回、水窪公民館に来た時に、見つけた所。

≪写真1≫
  橋を渡る道より、一段低くなった、川沿いの道があり、そこに入り口があります。 しかし、向かって右上にある生活道路からも、下りて来る事ができます。

≪写真2左≫
  鳥居の名額。 「山神社」。 こうやって、名前を書いていただけると、他所から来た者にとっては、大変、ありがたい。 鳥居は、木製。 名額も、木の板で、素朴な造りです。

≪写真2右≫
  石組みで、階段が造ってありました。 これは、器用、且つ、風流だ。 さりげなく、高度な技術が使われています。 造園業者が関わったものと見ました。

≪写真3左≫
  社殿。 木製、銅板葺き。 これは、覆いで、中に、小さい木製の本殿が入っていました。

≪写真3右≫
  石燈籠。 小さなもの。 明らかに、バランスがおかしいですが、何か、部品が失われているか、もしくは、積み方が間違っているのかも。 笠と受け鉢が、逆とか。

≪写真4≫
  黄瀬川。 ちょっとした段差で、滝のようになって、水が渦巻いています。 川底は、富士山から流れて来た溶岩です。





  今回は、ここまで。

  裾野市は遠いので、南の端ばかり行っています。 今回は、全て、水窪地区。 体が治ったら、もう少し、遠くまで行ってもいいんですが、鼠蹊ヘルニアはともかく、糖尿病の治療は、下手をすれば、一生、下手をしなくても、長引きそうなので、思った通りには、行かないかも知れません。

2024/12/15

実話風小説 (35) 【恋深き女】

  「実話風小説」の35作目です。 10月の中頃に書いたもの。 鼠蹊ヘルニアで、総合病院にかかり始めたけれど、まだ、検査をしている段階で、重度の糖尿病だとは知らない頃ですな。 後生がいい。




【恋深き女】

  女Aは、歌手であるが、知る人ぞ知る程度の知名度である。 もっとも、今の歌手・グループは、ほとんどが、そんなものだが。 ただし、クラブ歌手とは違い、芸能事務所に所属し、ちょこちょこと、バラエティー番組に出る事もある。 その点、有名人と見るべきであろう。

  最初は、30人もいる女性アイドル・グループの一人として、デビューした。 顔が、特にいいわけではなかったので、目立たなかった。 ただ、今時のアイドル志望にしては珍しく、歌がうまかった。 デビュー前、最初に、プロ作曲家のレッスンを受けた時に、5人一絡げの扱いだったにも拘らず、すぐに、「君、ちょっと、一人で歌ってみて」と言われ、一人で歌ったら、あまりにも、うまいので、先生だけでなく、他の4人も、あんぐり口を開けて、聞き惚れてしまった。

  30人全員のレッスンが終わった後、先生が、マネージャーに言った。

「Aって子は、うまいねえ。 驚いたよ。 今でも、あれだけ歌える子がいるんだなあ」

「そうですか。 あの子を、センターで行こうと思ってるんですよ」

  ところが、これが、勘違い。 同じ苗字の子が、3人いて、マネージャーが指していたのは、その中で、最も顔がいい子の事だったのだ。 作曲家は、レッスン生たちが胸に着けていた、名札の苗字しか記憶していなかった。

「昔だったら、ソロで、充分行けたんだが」

「80年代ですか?」

「いや、もっと前だ。 アイドル時代より前」

「そこまで遡ると、私にはもう、分かりません」

「君らの世代で分かる例というと、そうだなあ。 岩崎宏美とか、石川さゆりとか・・・」

「え? そんなに、うまいんですか?」

  マネージャーは、意外に思った。 30人の中で、顔が良い者だけ、7・8人連れて、カラオケに行った事があるが、センターを予定している子が、そんなにうまいとは思わなかったのだ。 下手でもないが、普通であった。

「デビュー前から、こんな事言っちゃ、失礼だが、もし、このグループがコケて、解散という事になったら、A君だけでも、どこか、有望そうなバンドに、ボーカルとして紹介したら、どうだろう。 埋もれさせるのは、惜しいよ」

  その先生の言う通りになった。 そのグループは、デビュー直後、テレビの歌番組に、3度出た程度で、その後、人気が盛り上がる事はなかった。 1年もしない内に、もう、解散の話が出た。 結局、1年3ヵ月で、解散。 しかし、その間に、女Aの歌のうまさに気づく者が、何人かいた。

  ステージでは、後ろの方で踊っているだけで、歌っているのかいないのか、分からないような存在だったが、仕事の関係者から誘われて、他のメンバー数人と共にカラオケに行くと、女Aのうまさを知っているメンバーが、「Aちゃん、○○、歌ってえ!」とリクエストする。 で、歌い始めると、それまで酔っ払って騒いでいた面子が、鎮まり返って、謹聴してしまうのだ。 全員、口あんぐり。 何か、薬物でも注射されたかのように、魂を奪い取られ、聞き惚れてしまう。

  グループの解散が決まった時、女Aを欲しがるバンドが、片手の指ほど、打診して来たが、マネージャーは、まだ、勘違いしていて、センターだった子を、顔合わせに連れて行き、「この人じゃありません」と、丁寧に断られたりしていた。 このマネージャーが、歌がうまいのが、女Aの事であると知ったのは、解散した後で、女Aは、他の大半のメンバーと同じく、事務所を辞め、実家に帰っていた。

  すでに、一般人になっていたので、女Aの才能を欲しがるバンドの所属事務所は、家に直接、訪ねて行って、スカウトした。 ところが、幾つかの事務所が、ほぼ同時に声をかけた事もあり、女Aは、困ってしまった。 実は、1年3ヵ月の芸能界生活で、その爛れぶりを目の当たりにし、うんざりしていたのだ。 至って、普通の家庭に育った女Aは、生き馬の目を抜くような世界に、嫌悪感を抱いていた。 歌って踊って、ファンと握手していれば、楽しいだろうと思っていた、デビュー前の気持ちには、もう戻れなかった。

  バンドのボーカルというのも、気が進まない。 大抵、他のメンバーは、男ばかりで、ボーカルだけ、女という組み合わせになる。 そういう集団では、紅一点などと言えば、華やかそうだが、その実、必ず、性関係になる男が出て来て、その男のオマケみたいな人生になってしまう。 何だか、非常に狭い世界に閉じ込められてしまうようで、想像するだけで、気が滅入った。 苦肉の回答として、

「事務所にも、バンドにも、所属しないで、コンサートやライブの時だけなら、ボーカルをお手伝いできますが・・・」

  最初は、どこの事務所も渋ったが、その内、承諾するところが出て来て、小規模なライブをやってみると、大変な好評。 ロック・バンドだったが、女Aは、音楽センスが図抜けて優れていたので、難なく要領を掴み、気持ちよく歌って、聴衆を魅了した。 そのバンドのファンが、「あのボーカルは、誰だ?」と騒ぎ出し、解散したグループ・アイドルに所属していたと聞いて、驚いた。

  助っ人ボーカルとして、重宝されるようになり、仕事が増えるに連れ、マネージメントが、自分一人では、こなしきれなくなり、以前いた事務所に、再度 所属して、マネージャーを付けてもらう事になった。 グループの頃とは違う、若い人である。 女Aの方から希望して、女性にしてもらった。 極力、芸能界の爛れに近づきたくなかったのだ。


  女Aも、20代半ばになり、そろそろ、結婚したいと思うようになった。 この点、普通の感覚なのである。 歌がうまい以外は、至って、常識的な人物なのだ。 女Aの歌唱力は、持って生まれた才能から出たもので、努力は、そこそこにしかしていないから、「一生を、歌に捧げる」などという、大袈裟な考えは、持ちようがなかったのだ。 一応、歌手をやっているけれど、ちやほやされるような人気ではないし、20代半ばで結婚して、子供も、二人くらい欲しいと思っていた。

  その為には、結婚する相手を探さなければならないが、芸能人や、業界関係者は、避けようと思っていた。 うまく行かない例を、いくらでも見ていたからだ。 どうせ、結婚するなら、一生、添い遂げたいと思っていた。 別に、古風というわけではなく、いつの時代でも、これから結婚する人は、そう思っているものである。

  たまに、仕事先で、芸能活動を続けている元グループのメンバーに会うと、必ず訊かれた。

「Aちゃん。 Zさん、誰か、分かった?」

  女Aは、首を横に振った。 「Zさん」というのは、グループ・アイドル時代からの、ファンの一人である。 しかし、コンサートなどで会った事はない。 少なくとも、誰が、Zさんなのかは、女Aは、分かっていない。 女A本人ですら知らないのだから、周囲の者は、誰も知らない。

  グループの頃、メンバー個人個人に、ブログが作られて、近況報告などをアップしていた。 センター始め、顔のいい方から、10人くらいは、ファンから、多くのコメントがつけられていた。 その他のブログは、ほぼ、開店休業状態。 誰も、コメントを書いて来ないので、本人はうっちゃらかしで、マネージャーが、グループ共通の通知を書き込む程度だった。

  ところが、女Aのブログだけ、毎回、コメントを書いて来る人がいたのだ。 それが、Zさんである。 元記事の長さに関係なく、コメントは、いつも、5行くらい。 書いてある内容から考えて、男であり、女Aよりも、5歳くらい、年上のようだ。 グループや、女Aの事について、妙に細かい事まで知っているので、最初の内は、気味が悪いと思っていたが、月並みな励ましの言葉だけでなく、知識・情報が豊富で、話題の広がりが自由自在といった態、文章が非常に面白い事に気づいた。 女Aが、歌がうまい事も知っていた。 どうも、どこかで、実際に歌っている声を聴いた事があるらしい。

  他のメンバーも読んでいて、やはり、最初は、「キモい」とか言っていたが、その内、羨ましがられるようになった。 「あたしも、Zさん、欲しいなあ」と、女Aのブログにコメントを書き込んで、略奪を計ろうとする者もいたが、Zさんの、女A推しは、不変不動だった。

  やがて、女Aも、コメント欄で、Zさんにレスを書くようになった。 事務所からは、ファンのストーカー化を恐れて、個別レスは禁止されていたのだが、グループ時代の女Aは、事務所内では、味噌っカス扱いだったので、事務所の人間は、誰も、ブログをチェックしておらず、読んでいるメンバーも、黙っていてくれた。 レスの内容が、格式ばった硬いもので、恋愛を匂わせる雰囲気に欠けていたから、問題にならなかったのである。

「結婚するなら、Zさんがいいかなあ」

  そんな事を考えたのが、何回か、十何回か、何十回か。 女Aは、Zさんの顔も知らないのだが、そんな事は問題ではなく、平和で温かい家庭が築けそうな相手を理想としていたのだ。 そうなると、自分の事を、よく分かってくれている人がいいではないか。 その内、グループが解散になり、メンバーの中で、廃業する者のブログは閉鎖された。 女Aも、生活がバタバタして、しばらくは、Zさんの事を忘れていた。


  さて、助っ人ボーカルとして、再デビューした女Aだが、年齢的に、真剣に結婚相手を探そうと考え始めた。 そのせいで、仕事を辞める事になっても、仕方がない。 自分が稼いで、ヒモのような男を養うという考えはなかった。 とにかく、生活能力がある男と結婚し、夫の理解があれば、仕事を続ける。 子供が出来て、続けられないようなら、やめるか、一時休止する。 そういう方針を固めていた。

  ふと、Zさんの事を思い出した。 以前のブログが閉鎖されてから、2年近く経っていた。 Zさんの事だから、女Aの情報は、集め続けているとは思ったが、ブログがないのだから、連絡のしようもないのだろう。 あ、もしかしたら・・。 今でも、郵便によるファン・レターを書いて来る人はいる。 アイドルの場合、人気があればあるほど、事務所で処分してしまうが・・・。

  「もしかしたら、保存してあるのでは?」と思って、今のマネージャーを通して、以前のマネージャーに訊いてもらったところ、「それらしい人から、ハガキが来ていたが、Aが事務所から外れていた頃には、全部、捨てていた。 その内、来なくなった」との返事。 残念。 しかし、こういう業界なのだから、前のマネージャーを恨んでも仕方ない。

  事務所に頼んで、ブログを再開してもらったところ、助っ人ボーカルになってからのファンが、毎日、何十人となくコメントを寄せて来た。 それはそれで、嬉しかったが、Zさんらしき、コメントはなかった。 半年以上経って、ようやく、Zさんが書き込んで来た。 ハンドルも変わらず、5行の長さも変わらない。 懐かしくて、涙が出て来た。

  しかし、以前と違って、今は、コメントを打って来る人の数が多い。 Zさんだけに、レスを書くわけには行かなかった。 マネージャーに頼んで、Zさんの素性を調べてもらったが、ブログの運営会社に問い合わせたら、「個人情報ですから」と、ピシャリ 撥ねつけられたとの事。 無理もない。 女A程度の知名度では、こっそり教えてくれるという事もない。

  「興信所を使ったら?」と、事務所のスタッフが言ってくれたが、そこまではしたくなかった。 とりあえず、Zさんが、コメントを寄せてくれるようになっただけでも、満足しなければ。 こちらが、おかしな事をして、Zさんの方で、警戒して、書き込んで来なくなったら、元も子もない。


  女Aは、知名度が少しずつ上がり、収入も増えた。 こうなると、寄って来る男がいる。 元アイドルだから、一般平均よりは、顔もいい方だし、年頃で、性的魅力も出て来た。 女Aは、芸能人や、芸能関係者は、慎重に避けていたが、ある時、「この人だ!」と思う人物が現れた。 何が、「この人」なのかというと、「この人が、Zさんだ!」と思う男が、現れたのだ。

  グループにいた時、二番目にコンサートをしたスタジアムで、支配人をしている男だった。 たまたま、助っ人ボーカルを始めてから、同じスタジアムで歌う事があって、その時、少し話をしたのだが、女Aの事を、よく知っていた。 「アイドル時代から、Aさんのファンなんですよ」と言った。 これは、業界では、社交辞令のような言葉だが、女Aは、グループ時代の自分だけのファンと言ったら、Zさんしか知らず、「もしかしたら、Zさん?」と思ったら、もう、Zさんとしか、思えなくなってしまった。

  相手の男に確認したわけではない。 「違う」と言われるのが、怖かったのだ。 Zさんだと、思いたかった。 相手の男は、名刺をくれたので、半月くらい経ってから、女Aの方から、メールを打ち、食事を一緒にした。 やはり、確認できなかったが、話をする内に、Zさんだと、決めてしまった。 アイドル時代のブログ・コメントの内容を知っていたからだ。 涙が出て来るのを、辛うじて堪えた。 その男は、もう、40代で、バツイチだったが、そんな事は、どうでも良かった。 この人こそ、私の運命の人なのだ。

  三ヵ月も交際しない内に、婚約し、半年もしない内に、結婚式を挙げた。 その間、ブログは、休んでいた。 現物のZさんと、毎日、顔を合わせ、仲睦まじく話をしているのだから、ブログなんて、必要ない。 「しばらく、お休みします」で、放っておいた。 マネジャーが、活動の告知だけ、アップしていて、「コメントが来てますよ」と、女Aに報告していたが、読む気にならなかった。

  結婚して、二ヵ月もしない内に、喧嘩が始まった。 夫が、女Aの預金を勝手に下ろして、高級車を買ったのがきっかけ。 夫の服装や持ち物も、結婚前とは様変わりして、ブランド物や金製品で固められていた。 女Aが抱いていた、Zさんの堅実なイメージとは、正反対である。

「お金の自由が利くようになって、人が変わってしまったのかな?」

  真顔で抗議したが、夫は、ニヤニヤ笑っているだけだった。 預金は、瞬く間に底をつき、あまつさえ、借金までしている事が分かった。

「どうしたら、そんなに変われるの? 私が知ってるZさんは、そんな人じゃない!」

「Zさん? 誰だよ、それ」

  女A、ギョッとした。 聞いてはならない言葉を、聞いてしまった。 だが、それ以上、喋れなかった。 確認するのが怖かったのだ。 ハッと思いついて、パソコンに走り、ほったらかしにしてあった、自分のブログを開いた。 マネージャーによる告知記事が続いている。 コメントを見る。 Zさんのハンドルと、5行の記事が、すぐに見つかった。 ほとんどの告知記事に、5行のコメントがついていた。 日付が古いところを見る。 そこだけ、1行だった。

「御結婚、おめでとうございます。 どうぞ、お幸せに」

  女A、顔色、真っ青になった。 体中の体温が、斑になり、血が渦巻き、逆巻いた。 気持ちの悪い汗が、そこら中から噴き出して来る。 もう、怖いの何のと言っていられない。 夫の腕を引っ張って、パソコンの前まで連れて来ると、きつい口調で、問い質した。

「これは、あんたが書いたんじゃないの?!」

「あぁあ! Zさんて、こいつの事か。 思い出した。 お前がアイドル時代に、ブログにコメントを書き込んでたストーカーだろ? 俺も、読んでたんだよ。 なんだ、お前。 俺を、こいつだと思ってたのか? そんなわけねーだろ。 こんな素人と一緒にすんな」

  自分は業界人のつもりなのだ。 スタジアムの支配人も、業界人と言って言えない事はないか。 それは、どうでもいいとして、女Aは、すんでで卒倒するほど、激しい衝撃を受けた。 Zさんだと思い込んで、ろくでなしのクズと結婚してしまったのだ。 使い込まれたお金も然る事ながら、性的に穢された事が、痛かった。 私は、汚れてしまった。 こんな男に・・・、こんな男に・・・。


  その日の内に、実家に帰った。 夫とは、一度も会わずに、離婚した。 弁護士が行き来し、話を纏めた。 慰謝料というより、手切れ金だが、親から借りて、300万円、渡した。 それでも、ろくでなしのクズと結婚し続けているより、マシだと思えた。


  仕事は、続けた。 意気消沈して、歌に精彩がなくなっていたのも束の間、ブログで、Zさんのコメントを読む内に、励まされ、微笑まされ、嬉しくなり、すぐに立ち直る事ができた。 Zさんへの思いが、より強く募り、恋の歌を歌わせると、神がかり的な魅力を醸し出した。 助っ人コンサートで、女Aが歌うバラードに、ロック・バンドのファン達が、手拍子も忘れ、シーンと静まり返って、聞き惚れてしまったというから、凄い。 商業音楽界では、女Aの評価は、もうとっくに済んでいたが、また注目され、著名な批評家から、再評価されるくらい、レベルが上がった。


  コンサートとは別に、ファン・ミーティングが開かれると、Zさんが来ていないか、鵜の目鷹の目になってしまう。 顔を知らないのだから、見ても仕方がないのだが、探さずにはいられないのだ。 握手会では、それらしい年配の男性ファンの顔を、しげしげ、見つめてしまう。 惚れられていると勘違いして、「二人きりで会いませんか」と手紙を手渡して来る男もいた。 いそいそと出かけようとして、マネージャーに止められた。

「Zさんて、性格的に、そういう事をしないんじゃないですか?」

  ハッと、我に返る。 その通りなのだ。 たとえ、コンサートや、ファン・ミーティングに来ていたとしても、積極的にデートに誘って来るような、欲望剥き出しのタイプではないのだ。 この世で、Zさんの事を、一番理解しているのは自分だと思っていたのに、マネージャーに指摘されて、その事に気づくとは、何たる不覚!


  「女Aは、Zというファンに、片思いしているらしい」という噂は、業界内に、静かに広がって行った。 最初の夫が作った借金を返し、親から借りた離婚の手切れ金も返し、女Aの資産が、また、数千万円台に盛り返して来た頃合を見計らって、近づいて来る男がいた。 他の芸能事務所の、社長の息子という人物。 この男は、Zさんの事をよく、研究していた。 アイドル時代の女Aのブログを、たまたま、読んでいて、昔の事も頭に入っていた。 うまく、Zさんに成り済まして、女Aを信用させた。

  女Aは、ブログで、Zさんのコメントを読み続けていたが、男は口がうまくて、Zさんのコメント内容を巧みに利用し、まるで、自分が書いているかのように装った。 その上で、「もう、僕達に、ブログは要らないだろう」と言って、ブログを閉鎖させてしまった。

  婚約、結婚。 たちまち始まる、夫の浪費。 今度は、凄い。 高級車3台、スーパー・カー1台。 20人乗れるクルーザーまで買った。 毎晩、夫の友人・知人を集めたパーティーが繰り広げられ、女Aは、眠る事もできない。 マネージャーが言った。

「何だか、Zさんらしくないですね」

「うん・・・」

  試しに、マネジャーに頼み、夫に内緒で、ブログを再開してもらった。 一ヵ月くらいしてから、Zさんのコメントがあった。

「御再婚、おめでとうごさいます。 お幸せに、お過ごしですか?」

  女Aは、仕事の出先で、スマホの画面を見ながら、声を上げて泣いた。 まんまと、騙されたのだ。 離婚。 手切れ金、今度は、10万円。 二番目の夫から、500万円 要求されたのを、「結婚詐欺だから、訴えてやれ」と言う人がいて、弁護士が告訴を仄めかし、10万円に値切ったのだった。


  このシリーズを読んで来た人なら、この後の成り行きも、大体、想像がつくと思うが、女Aは、似たようなパターンで、あと、三回、騙された。 巧妙な事に、「僕は、Zさんじゃないけれど、Zさん以上に、君を大事に思っている」と言いながら、時折り、Zさんである事を匂わせる、という凝った手を使う男もいた。

  グループ・アイドルの時、センターだった女が、まだ、タレントとしてやっていたが、暴言を吐いて、吊るし上げられ、もう、引退するしかないところまで追い込まれた。 女Aが、助っ人ボーカルで評価されている事が気に食わず、自分の情夫を、Zさんに仕立てて近づけ、結婚寸前まで持ち込んだが、この計略は、事務所のスタッフから情報が漏れて、ギリギリで阻止された。

  ただ、週刊誌にスッパ抜かれて、元センターは、完全に、業界から追放。 女Aは、「男を取っ換え引っ換え」だの、「お盛ん、元アイドル」だの、さんざん、批難される羽目に。 実際に、4回も結婚・離婚を繰り返しているのだから、反論のしようがなかった。 テレビのトーク番組でも、「Aさんは、『恋多き女』として有名でいらっしゃいますが・・・」などと言われ、否定しても、白々しいので、「はい。 お恥ずかしい限りです・・・」と、認めていたが、本当は、Zさん一筋の、一途な人なのである。


  女Aは、30代半ばを過ぎ、もう、結婚したいという気持ちは、薄くなっていた。 相変わらず、ブログには、Zさんのコメントがつき、それを読むのが、一番の楽しみである。 最近、興信所を使って、Zさんが誰なのかを知る事ができた。 両親と実家に住む、普通の会社員だった。 女Aが歌うコンサートには、必ず来てくれているらしい。 ちなみに、まだ、独身。

  しかし、女Aの方から、会いに行く気はない。 理由は、いろいろ、ある。 Zさんとの、ブログ上での関係を壊したくない。 相手が、ごく普通の生活をしている一般人だと分かると、逆に、自分の方が引け目を感じる。 4回も離婚歴があるのでは、相手の両親が、いい顔をしないだろう。 などなど。 女心は、複雑なのである。

2024/12/08

EN125-2A補修 ⑰

  プチ・ツーリングに愛用しているバイク、EN125-2A・鋭爽の補修の記録です。 定期的な整備も含みます。 125ccで、車検もないので、バイクが壊れなければ、補修記事の書きようもありません。 何度も切れた、ギア・インジケーター・ランプ「1」は、麦球に換えてから、切れずにいます。 暗いので、見難いですが、点いている事か分かれば、充分。





【タイヤ空気圧】

  2024年5月12日。 車の手入れをし、タイヤ空気圧を見たついでに、バイクの方も、見ておきました。

≪写真上≫
  車もバイクも、同じ米式バルブなので、同じ道具が使えます。 ゲージで測ったら、規定値より、僅かに減っていました。 空気入れで、追加。

  乗る前に、タイヤを手指で押して、硬ければ、走れないほど減ってはいません。 ゲージを使う計測は、半年に一度で、充分です。 

≪写真下≫
  普通、オートバイのタイヤ空気圧規定値は、チェーン・カバーに、デカールが貼ってあるのですが、私のバイクは、前の持ち主が、デカールを剥がしていて、分かりませんでした。 取説を入手して、規定値を調べ、書類入れの厚紙にラベルを貼って、そこに書き記してあります。 前輪、1.75(kgf/cm2)、後輪、2.0。 前後で異なるのは、後輪の方に、大きな加重がかかるからです。




【猛暑期用ヘルメット顎紐金具の錆取り・塗装】

  6月末、猛暑期用ヘルメットを、元箱から出したら、顎紐の金具に錆が出ていました。 顎には触れませんが、かぶる時に、手で握るので、錆は困ります。 7月初めにかけて、錆を落とし、塗装して、使えるようにしました。

≪写真上≫
  2019年末に買い、2020年の初夏から使い始めた、「ネオ・ライダース MA03」。 アマゾンで、4200円でした。 廉価品なので、金具が錆びる材質であっても、文句は言えません。

  バイクは黒ですが、猛暑期用メットは、シルバー。 黒っぽいヘルメットでは、暑さで、頭がポーッとしてしまうからです。

≪写真中左≫
  金具を、サンポールに浸けて、錆をとっています。 メッキが残っている部分まで溶かす必要はないので、時々、出して、様子を見ます。

≪写真中右≫
  錆をとった後、塗った、「カラーサビ鉄用・黒」。 自転車のレストアの時に買ったもの。 下に写っている赤いのは、水彩用の絵筆です。 塗料を塗る時の筆は、何でもいいのです。

≪写真下≫
  塗装が乾いたので、顎紐に取り付けました。 金具は、3ヵ所。 赤いキャッチの所の金具は、外せなかったので、付けたまま、半分ずつ、回して塗りました。 キャッチに入る金具は、入る部分だけ、メッキのままにしてあります。 塗っても、どうせ、剥がれてしまうので。




【自賠責証・ステッカー更新 / 錆塗装】

  バイク、「EN125-2A・鋭爽」を中古で買ってから、5年が経ちました。 自賠責保険が、期限を迎え、セブン・イレブンから更新案内ハガキが来たので、9月5日に、新たに、5年分、入って来ました。 ハガキを持って行くと、手続きが簡単なのです。 今回は、13310円(2662円/年)。 前回は、16990円(3398円/年)でしたから、随分、安く済みました。

  9月23日。 プチ・ツーに出かける前に、書類を入れ換え、ステッカーを貼り直しました。

≪写真1≫
  車載書類。

  左上は、セブン・イレブンでくれた、保管用ビニール袋。

  右上は、「標識交付証明書」で、これは、車だと、車検証に相当します。 自治体の役所で、バイクを登録すると、もらえます。 車載義務あり。 盗まれる事を用心して、積まない人もいると思いますが、事故を起こした時に、義務違反がバレると、より、厄介になりますから、結局は、積んでおいた方がいいという結論になります。

  下は、「自動車損害賠償保険証明書」。 「この証明書は、ビニール袋に入れて、保管・携行してください」と書いてあるので、やはり、車載義務があるのでしょう。 EN125-2Aは、書類を入れる場所があります。 セローの時には、なかったので、バッテリーのバンドに挟んでいました。

≪写真2≫
  数字を消してあるので、ちと、違和感がありますが、ナンバー・プレートです。 左上の、ステッカーだけ、見て下さい。 これまでの、5年間は、この緑色のものでした。 令和6年の9月までという意味。

≪写真3≫
  新しいステッカー。 令和11年の9月まで。 今回は、色が赤なので、ナンバー・プレートのピンク色と、多少、馴染みがいいです。

≪写真4左≫
  プチ・ツーから帰った時、錆が出ているのを見つけ、すぐに、塗装しました。

  これは、エンジン前のフレームについている、ケーブルの引っ掛けフックです。 錆取りはせずに、上から、水性艶消し黒を筆で塗りました。

≪写真4右≫
  塗装後。 まあ、こんなもんでしょう。 錆が見えなくなればいいのです。 塗料で覆うだけで、酸素が遮断され、それ以上、錆が進むのを抑える効果があります。

≪写真5左≫
  これも、エンジンの前側、ホーンの中心です。 前にも、この中心部分だけが錆びましたが、どうも、錆に弱い材質のようです。

≪写真5右≫
  ここは、ダイソー・スプレーのシルバーで、塗りました。 まあ、こんなものでしょう。

  ちなみに、私は、車でも、バイクでも、ホーンを使う事は、まず、ないです。 ホーン区間なんて、行きませんし。 平地で使うと、揉め事の元。 危ないと思ったら、ホーンで相手に注意するより、自分から避けてしまった方が、無難です。




【タイヤ空気追加】

  2024年11月9日。 車の定期手入れをしたついでに、バイクのタイヤも、空気圧を見て、足しました。 バイクを前に出さないと、後輪をやれないので、些か、手間がかかります。

  規定は、前輪、1.75(kgf/cm2)、後輪、2.0ですが、どちらも、1.5を割っていました。 車より、バイクの方が、減りが大きいです。 バルブが、もう、経年劣化しているのかも知れません。




  以上です。

  バイクそのものは、快調に動いており、今回の記事の中で、一番大きかった出来事は、自賠責保険の更新という事になります。 更新と言っても、任意保険のように、同じ契約を継続するのではなく、一から入り直す事になります。 ただ、セブン・イレブンから届いたハガキを持って行けば、その手続きが簡単になるという話。

  次の更新は、私が、65歳の時で、そろそろ、バイクという歳でもないので、その時に、やめるかも知れません。 もし、健康で、体力にゆとりがあれば・・・、いや、70歳までは、乗らないか、さすがに。