読書感想文・蔵出し (124)

≪南紀 潮岬殺人事件≫
NON NOVEL
祥伝社 2001年6月10日 初版第一刷発行
梓林太郎 著
沼津図書館にあった、新書サイズのソフト・カバー本です。 長編1作を収録。 二段組みで、232ページ。 副題に、「長編本格推理 旅行作家・茶屋次郎の事件簿」とあります。 橋爪功さん・主演の2時間サスペンスでお馴染みの、≪旅行作家・茶屋次郎シリーズ≫の原作の一つ。
友人が、茶屋の所へ、ホームレスの露店で見つけたという、美しい女性を描いた肖像を持ち込み、「この女性を、父親が持っていた写真で見た事がある。 父親との関係を探って欲しい」と依頼する。 「岬シリーズ」の取材を兼ねて、絵が描かれたと思われる、南紀・潮岬付近へ赴いた茶屋は、その女性が、数年前に殺されたと知り、原因を調べ始めたが・・・、という話。
この原作を元にして、2サスでは、2004年に、第4話、≪熊野川殺人事件≫が作られたらしいのですが、話は、大幅に手を加えられており、原形を留めないと言ってもいいです。 梓さん、ドラマを見て、ガッカリしたかも知れませんが、ドラマだけ見れば、充分に面白かったです。 むしろ、原作の方に、些か、問題が・・・。
どうも、茶屋先生の年齢設定は、原作の方が若いようで、ドラマの橋爪さんほど、程良く枯れていません。 あの枯れ味がいいんですけどねえ。 一番、違和感が大きいのは、被害者の妹を訪ねて、何度も会う内に、懇ろになり、あろう事か、性交渉をする仲に発展してしまう事ですな。 これは、2サスでは、やれないでしょう。 必ず、ベッド・シーンを入れていた、80年代前半の、2サスであっても、主役にはやらせませんわなあ。
次に、文章の書き方が、妙に、平板である事。 梓さんは、山岳小説の、道原伝吉シリーズでは、クロフツ流のコツコツ地道な捜査を描きますが、警官だから、それでいいのであって、素人探偵が、同じような捜査をするとなると、「こんなに、相手が喋ってくれるかね?」と思わずにはいられません。 まして、茶屋先生は、一般人ですらなく、週刊誌連載を持つ、作家なのであって、週刊誌に書かれてしまうと思えば、どんな人でも、ますます、喋らないでしょう。
また、茶屋先生が、なぜ、こんなに一生懸命、捜査をするのかも、不思議。 取材を兼ねているわけですが、ドラマ同様、先生本人は、旅行記を書くつもりで旅をしているのであって、推理小説や、犯罪ドキュメンタリーが書きたいわけではありません。 では、なぜ、こんなに、捜査に熱心なのか? 捜査に入れ込む、動機が不自然なのです。
とはいえ、新書サイズの推理小説を読む読者というのは、独特の嗜好をもっていて、こういう、淡々とストーリーが進んでいく話が、三度の飯より好きなのかも知れません。 通勤電車の中で読む分には、あまり、血湧き肉踊ったり、始終、ゾクゾクしっ放しというのは、向かないので、この種の作品の方が、都合が良いのでしょう。
それにしても、ドラマに比べて、ファースが少ない。 茶屋先生の秘書である二人の女性が、その担当という事になりますが、笑わせるキャラとしては、弱いです。 ちなみに、ドラマでは、春川真紀(ハルマキ)と、江原小夜子は、同じ回には出て来ませんが、原作では、二人同時に雇われた事になっています。 山倉副編は、この作品には、出て来ません。 雑誌の名前も違うし、そもそも、ドラマの方では、「日本名川紀行」ですが、この作品では、「岬シリーズ」を書いている事になっています。
≪倉敷 高梁川の殺意≫
NON NOVEL
祥伝社 2018年11月20日 初版第一刷発行
梓林太郎 著
沼津図書館にあった、新書サイズのソフト・カバー本です。 長編1作を収録。 二段組みで、200ページ。 副題に、「長編旅情推理 旅行作家・茶屋次郎の事件簿」とあります。 橋爪功さん・主演の2時間サスペンスでお馴染みの、≪旅行作家・茶屋次郎シリーズ≫の原作の一つ。
知人女性から、千葉の犬吠埼で行方不明になった弟の行方を捜してくれと頼まれた茶屋次郎だったが、調査中に、倉敷で警察に保護されたという報せが入る。 その青年は、見知らぬ男に車に乗せられ、陸路、連れて行かれたと言い、男の似顔絵を描いて見せた。 その後、中年女性が、同じように連れ去られ、やはり、倉敷で解放された。 青年の事件に先立って、女の子が連れ去られ、倉敷で遺体となって発見された事件があり、中年男性が、車で故意に轢き殺される事件もあった。 4件に共通するのは、被害者が同じ住宅地に住んでいて、大人3人は、通学路の見守り活動をしていた事だった。
梗概が長くなりましたが、これらはまだ、序章でして、後ろに行くに従って、想像もしていなかった方向へ、事件が発展して行きます。 序章だけなら、大いに謎めいていて、ゾクゾク感を覚える点、推理小説の導入部としては、相当、優れていると言えます。 問題は、その発展の仕方ですな。
後半になってから、初めて登場する人物が、多過ぎです。 これは、アンフェアというより、構成の練りが不十分なまま、書き始めて、途中から、人物を増やし、彼らに纏わるエピソードを追加したと見るべきでしょう。 そういう作り方がされる小説もありますが、その場合、追加した部分の伏線を、前の方に、後から入れておくのが普通。 ところが、この作品では、それが行なわれていないので、後半で唐突に、初登場の人物が、続々と現れた印象が強くなってしまっているのです。
複雑な背景を用意すれば、奥行きのある話になるのは、事実ですが、何も、こんなに入り組ませなくても、いいと思うんですがね。 とにかく、伏線が張ってないのが、残念。 茶屋先生も、あちこちの地方に行かせ過ぎです。 これでは、土地土地の風物を描き込むゆとりが失われてしまいます。
ちなみに、【南紀 潮岬殺人事件】では、景勝地の写真が、何枚も入っていて、観光小説の線も狙われていましたが、この本では、巻頭の地図だけで、写真は一枚もありません。 挿絵すらないから、徹底している。 これは、作者の意向というより、編集者が、印刷コストが高くなる事を嫌ったのかも知れませんな。 2サスのお陰で、主人公、茶屋次郎の名前も売れているから、もう、そのシリーズだというだけで、売れるだろうと。
二人の秘書、ハルマキと、小夜子は、相変わらず、出て来ても出て来なくても、違いがないような、薄い存在感です。 ファース担当の用を、ほとんど、為してません。 ファースに関しては、ドラマの方が、圧倒的に優れていますな。 編集者の牧村氏も、飲んだくれていてるだけで、笑えません。 こんな編集者なら、要らないのでは?
ラストで、導入部の、連れ去り事件の謎が解き明かされますが、この動機は、分かるような分からないような。 こういう動機で犯罪に走る人間も、実際にいると思いますから、必ずしも、リアリティーを欠くとは言えませんが、推理小説の犯人の動機としては、弱いような気がします。 これが、OKなら、動機は、何でもアリになってしまうのではないでしょうか。
とはいえ、量産された作品の一つですから、あまり、ツッコミばかり入れるのも、作者に冷た過ぎるかも知れません。 量産しても、尚、この水準を保っている点は、評価に値すると思います。 数時間、茶屋先生と一緒に、あちこち、旅行した気分になれるのだから、それだけでも、この本を読む意味はあります。
≪冷戦史 上・下≫
中公文庫 2781・2782
中央公論社 2023年12月25日 発行
青野利彦 著
沼津図書館にあった、中公新書です。 ページ数は、上巻257ページ、下巻222ページで、計479ページ。 巻末に、写真出典一覧や、関連年表が付いています。 この種の硬い本を借りたのは、久しぶり。 ちなみに、私は、現役で働いていた頃は、小説よりも、教養系の新書本の方を、多く読んでいました。
米ソ間の冷戦の経緯を、ソ連成立前の国際情勢から、90年代初頭のソ連崩壊までの期間、世界全体の国際関係の推移を交えながら、詳細に紹介したもの。
詳細と言っても、「世界史の教科書などと比ベれば、遥かに詳細」という程度の意味です。 ソ連成立以降から見ても、69年間もあるので、これだけのページ数があっても、そんなに細かくは書けますまい。 まして、アメリカとソ連の関係だけでなく、関係して来る国の事まで、書く範囲を広げていますから、尚の事。
書き方は、至って、客観的で、米ソどちらか、もしくは、それ以外の国に偏った見方は、されていません。 その点、ちょっと、徹底し過ぎていて、読者の中には、一般的に言われている見方と違うので、怒りを感じてしまう人もいるかも知れませんが、歴史の書き方とは、本来、こういうものなのでしょう。 冷戦期が、早くも、歴史になりつつあるという事なのかも知れません。 もう、30年ですものねえ。
偏らないとなれば、当然ですが、一方を悪、もう一方を善、という見方も、一切、排除されています。 どちらも、所詮、個人、もしくは、個人の集まりに過ぎないのであって、誰もが、理想、欲望、恐怖心、猜疑心をもっており、そのぶつかり合いで、対立や融和が生まれて来たんですな。 核兵器が絡むほど、規模が大きいだけで、本質的には、猿山の猿の、ボスの座を巡る勢力争いと、何ら違いはありません。
私は、冷戦の経緯の大体の流れを知っていたので、この本を、読み易いと思いましたが、世界の近現代史に興味がないとか、基本的な知識が頭に入っていない若い世代は、全く逆の感想を抱くかも知れません。 小学生では、話にならず、中学生でも、10ページも進まないで、放り出すでしょう。 高校生以上で、興味がある者なら、何とか、食いついて行けるでしょうか。
≪日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民≫
株式会社みすず書房 2020年7月17日 第1刷発行
富田武 著
沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 1段組みで、329ページ。 統計表、写真、参考文献など、資料が多いです。
第二次世界大戦の末期、戦後の国際的立場を計算して、駆け込みで対日参戦したソ連と、南方に戦力を取られて、兵員数も装備も、スカスカの状態になっていた関東軍の、一方的な戦いを、戦闘開始前から説き起こし、経過を追った内容。 対象は、主に、満州国(現・中国東北部)と、朝鮮半島北半分で、サハリン(樺太)南半分については、オマケ程度。 クリル諸島/千島列島に関しては、ほとんど、記述がありません。
研究の論考でして、戦史物という体裁ではないです。 読み物としては、引き込まれるようなところは、全くありません。 資料が羅列されている部分も多く、同じ対象を調べている研究者でもなければ、価値を感じない内容と言っても、大きく外れていないでしょう。 そもそも、そういう本なのであって、「面白くない」と文句を言うのは、お門違いというもの。
日本側を、関東軍と書きましたが、主だった将校は、家族を連れ、物資を掻き集めて、逃走しており、戦ったのは、ごく一部です。 甚大な被害を出したのは、俄かに根こそぎ動員された一般人の移民と、その家族でして、死傷者 数知れず。 生きて、帰国できた人達がいたのが、不思議なくらいです。
南方戦線に引き抜かれて、スカスカになっていた関東軍ですが、たとえ、元のままの戦力があったとしても、ソ連軍の装備や兵力に太刀打ちできたとは、到底、思えません。 対戦車兵器もなく、緒戦から、「爆薬を抱えて、敵戦車の下へ飛び込め」という指示を出しているのだから、絶望的ですな。 そんな命令、突っぱねて、「お前が最初にやれ」と言ってやればいいのに。 銃殺されても、どうせ、死ぬのなら、同じではありませんか。
そもそも、日本人居留地が、あの広大な満州の各地に散らばっていたのでは、兵器や弾薬の補給も侭ならないのは、想像するだけで分かる事。 備蓄分を使い尽くしたら、そこで、アウトです。 攻められた時に、守り通せるような場所ではなかったんですな。 兵站の重要性を考えていないのは、日本軍全体に共通する特徴のようです。
ソ連軍が攻めて来たと分かった時点で、降伏するしか、生き残る道はなかったのですが、「満州に骨を埋めるつもりで来たのだから・・・」といった、手前味噌な理由で、残った者もいたというのだから、戦争の恐ろしさが分かっていない。 明治維新から、それまで、対外戦争では勝ち戦が多かったから、負けたら、どうなるかが、分かっていなかったのでしょう。 「自分達がやったのと同じ事を、やり返されるのでは?」という想像すらできず、現実に経験するまで、分かっていなかった様子。
捕虜になったり、性的暴行を受けるのを、恥と考えて、自殺してしまう者も、膨大な数、いたようですが、そういう考え方を教え込んでいたのが、当時の日本社会の文化だったというのが、大変、情けない。 で、恥を避けて、自殺して、名誉になったかというと、とんでもない。 彼ら一人一人の名前すら、記録に残っていないのです。 そんな人達がいた事すら、誰も知らないのです。 死んで、花実が咲くものかね。
この本では、日本側と、ソ連側、双方の資料が研究されていますが、戦争の統計資料なんて、国に限らず、まるで、信用できません。 勝った側と、負けた側では、記録の残し方が変わります。 勝った側は、加害を多く言い、被害を少ない言いますし、負けた側は、加害を少なく言い、被害を多く言います。 正確な数字を知る事は、現在の戦争ですら、不可能なのです。
この犠牲者達に、一言、言えるとしたら、「軍事力で手に入れた海外領土への集団移民なんぞ、ろくな結果にならないから、もし、生まれ変わる事があったら、絶対に避けるように」という事でしょうか。 誰か、先導する者がいて、「家族が行くから、自分も・・・」という形で、渋々行った人達も多かったと思いますが、もしも、あの世で会えるのなら、先導した奴を、決して、赦さないでしょう。 無責任にも程があると言うのよ。
ソ連軍兵士の蛮行についても、詳しく書かれていますが、日本人も、外国人に同じ事をやって来たのであって、目糞鼻糞でしかありません。 即ち、人間なんてものは、こういう、しょーもない存在なんですな。 所詮、食い物を取り合って、仲間同士で殺し合いを演ずる動物と同じなのです。 文明も、文化も、何のブレーキにも、なりはしません。 それを思うと、げんなりして来ます。
この本に書かれている事が、大昔の事ではなく、当時、子供だった人で、まだ生きている人がいる程度の、歴史的に見れば、割と近い過去の出来事だという点が、また、恐ろしいではありませんか。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、
≪南紀 潮岬殺人事件≫が、1月19日から、21日。
≪倉敷 高梁川の殺意≫が、1月24・25日。
≪冷戦史 上・下≫が、2月2日から、9日。
≪日ソ戦争 1945年8月≫が、2月16から、20日。
戦争関連の二冊は、硬い内容でした。 図書館で借りる時には、大して気にもせず、家に帰って読み始めてから、「やめときゃ良かった」と、後悔しました。 私の年齢や、引退者という立場が、もう、この種の本を、必要としていないのかも知れません。