2025/10/05

読書感想文・蔵出し (129)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品ですが、図書館に単独の本がなくなってしまい、アンソロジーに入っている短編を読んだり、他の図書館から取り寄せてもらったりしていました。





≪推理作家になりたくて マイベストミステリー第三巻 迷≫

株式会社 文藝春秋
2003年10月30日 発行
日本推理作家協会 編

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーのシリーズ・アンソロジーです。 短編小説、14作、書き下ろしエッセイ、もしくは、インタビュー、7作を収録。 全体のページ数は、約319ページ。 小説は、二段組み。 エッセイ・インタビューは、一段組み。

  当世推理作家の短編の次に、彼らが推理作家になりたいと思っていた頃に影響を受けた、先人の短編を並べ、更に、それに関する、書き下ろしエッセイ、もしくは、特別インタビューを添えたもの。 感想は、短編のものだけ、書きます。 数が多いので、ざっと。


≪岩井志麻子≫
【魔羅節】 2001年 約13ページ

  明治時代、渇水に苦しむ山村で、藁にも縋る態の、奇怪な雨乞い儀式が行なわれ、ハイになった村の男達から、一人の少年が、性的な嬲り者にされる。 妹と共に、大きな都市に逃げて来たが、花街で男色を売る以外に、生きる術がなく・・・、という話。

  これは、ひどい。 小説として、ひどいのではなく、話の中身が、ひどいです。 こんな事が許されていいものか。 許されないほどひどい事だと思うから、モチーフにしたんでしょうけど・・・。 善悪バランスなど、全く頓着しておらず、とにかく、救いがない。 こういう小説を、分かったフリや、通好みのフリをして、評価しない方がいいと思います。


≪葉山嘉樹≫
【セメント樽の中の手紙】 1926年 約5ページ

  セメント袋の中から出て来た箱の中には、手紙が入っていた。 セメント工場で働いていた彼氏が、機械に巻き込まれて、チリヂリの粉々、セメントの中に混ぜ込まれてしまったのだが、そのセメントが何に使われたか知りたいから、連絡してくれとの事。 しかし、読んだ人物は、何の興味もないようで・・・、という話。

  小林多喜二作、【蟹工船】と同類の、プロリタリア文学らしいのですが、この彼氏の場合、使用者に搾取されていたのではなく、事故に遭ったのであって、だいぶん、事情が違うのでは? 労災の補償がなかったという事でしょうか。

  屁理屈を承知で言いますと、普通、人間が機械に巻き込まれたら、まず間違いなく、機械は止まってしまいます。 そのまま、セメントに混ざって、出荷される事はないと思いますがねえ。 プロレタリア文学であればこそ、リアリティーの欠如は、大きな欠陥になるのでは?


≪恩田陸≫
【オデュッセイア】 2001年 約9ページ

  大きな城のような街が、自らの意思と力で、陸となく、海となく、地球上を放浪している。 長い歳月の間に、戦争や疫病で、住人は入れ替わって行き、やがて、核戦争が起こって、地球には、人間も動物もいなくなってしまう。 ある時、宇宙へ出た人類の子孫が訪ねて来て・・・、という話。

  SFというよりは、ファンタジー。 私ゃもう、歳が歳ですけん、ファンタジーは、えーがな。 こういう小説は、まだ将来に希望がある、15歳以下の人達が読むべき。 というわけで、感想ではなく、印象を書きますと、宮崎駿さんのアニメを、部分的に切り取って、肉付けし直したような世界観です。


≪島田荘司≫
【糸ノコとジクザグ Jigsaw & ZigZag】 1985年 約33ページ

  今は昔。 あるラジオ番組で、視聴者サービスとして、3分間のメッセージを募集したところ、意味不明の文章を伝えて来た者がいた。 「これは、全体が判じ物で、自殺の予告ではないか」と判断され、自殺を阻止すべく、DJ始め、番組関係者や、他の視聴者達が、謎解きに挑む話。

  一種の暗号物で、いかにも、本格トリック作家の好みそうな話。 私も好きな方なので、ゾクゾクしながら、読みました。 判じ物で出来た文章は、結構 長いものでして、短編に、これだけの内容を盛り込むのは、アイデアの大盤振る舞いと言えます。 もっとも、判じ物と言っても、全てが洒落たものというわけではないので、作者の頭の中で、好きなように組み立てられる点、読者が感じるほど、難しくなかったのかも知れませんが。

  話が、入れ子式になっていますが、その点は、効果の程が、はっきりしません。 なぜ、入れ子式にしたのか、首を傾げてしまうくらい。


≪篠田節子≫
【青らむ空のうつろのなかに】 1997年 約33ページ

  実の母親から虐待を受けていた少年が、地方の農村にある、施設に預けられる。 豚の飼育をさせる事で、少年達に社会性を教える方針の施設だったが、その少年は、いつまでたっても、心を閉ざしたまま、ひたすら、豚だけに愛情を注いでいた。 やがて、豚が出荷される日が迫り・・・、という話。

  こういう施設、本当にありそうだな。 話も、実話として、ありそうですが、結末は、救いのない形で終わっていて、本当にこうなったら、ワイド・ショーのネタにされてしまいそうです。 こういう施設そのものが、子供を立ち直らせる力などないのであって、絶望的な気分で読み終わる事になります。

  動物ものと捉える事もできますが、豚はダシに過ぎず、作者が発したかったのは、「社会性の欠けた人間には、生きる場所などないのだ」というメッセージなのでは? と言ったら、穿ち過ぎですか。


≪西村寿行≫
【痩牛鬼】 1979年 約40ページ

  肉牛を育てている大規模な牛舎から、600万円もする出荷前の高級和牛が一頭いなくなり、同時に姿が見えなくなった従業員の青年が連れて逃げたと思われた。 青年は、その牛に対して、子供の頃の経験から来る特別な思い入れがあり、屠殺されるのを避けようとしたのだった。 山の中の廃村に隠れて、牛には、草を食べさせていたが、配合飼料を食べられなくなった牛は、どんどん痩せて行き、青年も食料が尽きて・・・、という話。

  肉牛の飼育について、細かく取材した跡が伺えます。 豚と牛の違いがあるものの、【青らむ空のうつろのなかに】と、よく似た話。 書かれたのは、こちらの方が、ずっと早いのですが、この作品に影響を受けて、【青らむ空のうつろのなかに】を書いたわけではないとの事。 つまり、こういう話を思いつく人は、多いというわけなんでしょう。

  最終的に殺す事になる動物は、可愛がり過ぎてはいけないんですな。 助けようと思うと、結局、こういう事になってしまうのです。 人間にできる事には限界があり、犯罪や、社会性を無視した行為は、動機が貴くても、実行は困難なわけだ。


≪高村薫≫
【みかん】 1996年 約6ページ

  60歳を過ぎて、息子夫婦と同居している男。 ある日、家にあったみかんを食べようとしたが、小さい上に、色が黄色で、男の食べたいみかんとは、違っていた。 外出して、果物屋を巡るが、目当てのみかんは見つからない。 ふと、自分が求めていたみかんが、どういうものなのか気づくが、それは、店では手に入らないものだった。 という話。

  短いので、梗概を書こうとすると、ストーリー全部を書いてしまいますな。 老年期に入った主人公が見つけようとしているのは、若さそのもののようですが、はっきり、そう書いてあるわけではありません。 推理小説でも、犯罪小説でもなくて、戦前の作家が書いた、何が言いたいのか良く分からない、私小説に似た雰囲気があります。

  この短さで、この分かり難さは、勘弁して欲しいところ。 短いのをいい事に、4回 読み返しましたが、やはり、はっきりとは、分かりませんでした。 そもそも、この本を借りて来たのは、高村作品を読むのが目的だったのに、肝腎のそれが分からんのでは、意味がない。 高村さんレベルの、知能・知識・教養がある人には分かるのに、自分には分からないというのは、大変、歯痒いです。


≪武田泰淳≫
【ひかりごけ】 1954年 約41ページ

  戦時中に、知床半島で起こった、「人肉食事件」。 冬に、船が難破して、辛うじて、陸に逃れたものの、その土地から出られなくなってしまった乗組員4名が、餓死した順に食われて行き、最後に残った船長だけが生還したが、やがて、どうやって生き延びたかが露見して、裁判にかけられたというもの。 その話を、土地の者から聞いた人物が、分からない部分を想像で補い、戯曲に仕立てる、という内容。

  こういう、ギョッとする話を推挙するところは、いかにも、高村薫さんらしい。 血も凍るのは、この作品を読んでいる内に、「こういう場合、人肉食も、やむを得ないのではないか」と思っている自分を発見した時です。 作者の言いたい事は、大変、よく分かる。 しかし、分かり過ぎてしまうと、実際に、同じような状況に置かれた時に、やってしまうかも知れず、それが、怖いのです。

  「『人間の尊厳』などというものは、観念的な倫理観に過ぎず、生き残る事を最優先するのなら、やれる事は何でもやるべきだ」、というのは、AIが、人類の比較対象として認識されつつある現在を生きる者には、受け入れ易い考えだとは思いますが、さすがに、「人食い」となると、実際に、極限状態に追い込まれない限り、自分事として、真剣に考える気になれませんなあ。


≪馳星周≫
【古惑仔 チンピラ】 1997年 約14ページ

  香港に来た日本のヤクザの親分の娘を、観光案内する事になった、地元のチンピラ。 娘をホテルに送り届け、その日の務めは済ませたが、アニキの車を借りていたせいで、アニキの命を狙う連中に、間違って狙われ・・・、という話。

  梗概で、全部、書いてしまいました。 ストーリーというほどのストーリー性は、備わっていません。 チンピラらしい結末ですが、そんな生活をしていたのでは、いつ、こういう事になっても、致し方ないですな。

  映画の世界で、香港ノワールが流行っていた頃に書かれたものなんでしょうか。 一作家が、外国のヤクザ業界の事情を、どれだけ調べられるかは、大いに疑問でして、「江戸時代以前の日本を描いた、アメリカ映画」に似た、胡散臭さが隠せません。


≪大藪春彦≫
【雨の路地で】 1959年 約24ページ

  学生時代は、演劇に関わっていたが、結婚生活に無理があって、そこから、道を踏み外して行った男。 数年後には、ヤクザの幹部になったものの、仲間内の賭博で借金を抱え込み、昔の友人を頼る。 しかし、堅気の友人から、金を奪うに忍びず、雨の中を、また出て行って、タクシーに乗り・・・、という話。

  大藪さんの話ですから、タクシーに乗った後、どういう展開になるかは、想像がつくと思います。 きっかけはどうあれ、一旦、ヤクザになってしまった者には、結局、こういう末路しか待ってないんですな。 恙なく生きて、天寿を全うできるような世界ではありません。 新聞記事やニュースにならないだけで、どれだけのヤクザ・チンピラ・半グレの面々が、闇から闇へ、秘かに死んで行っている事か。

  大藪さんの作品にありがちですが、小説の構成としては、滅茶苦茶で、こういう設定の主人公に起こりうる、月並みなエピソードを寄せ集め、順不同で書き並べた観あり。 バランスは、非常に悪いです。 もっとも、大藪ファンは、そんなところは、読んでいないのであって、それが瑕になるわけでもないのですが。


≪山田風太郎≫
【まぼろしの恋妻】 1958年 約20ページ

  あるアパートの一室に、7年前 勤めていた官庁から金を持ち逃げして、逮捕され、服役を終えた男が住んでいた。 少々、頭がおかしくなってしまっていて、事件以来、行方が分からなくなった妻と娘を捜していた。 同じアパートに住む、若い女性二人が、男の頭にショックを与えたら、正気に戻るのではないかと、男の妻子と似たような年格好の母娘を仕立てて、試してみたところ・・・、という話。

  戦後間もない頃の、探偵小説っぽい雰囲気。 話の根幹部分は、ありふれているけれど、ベタに面白いです。 問題は、余計な設定でして、一人称の語り手の人物設定を、こんなに細かく決める必要はないです。 連作の一つで、他の作品と、登場人物を共有しているから、こうなったんでしょうか? そういう場合、章の一つに過ぎないのですから、切り取って、独立した短編として紹介するのは、無茶というものでしょう。


≪夢野久作≫
【瓶詰の地獄】 1928年 約10ページ

  船が難破して、無人島に漂着した、兄と妹。 裸でも暮らせる気候で、食料も、いつでも、労せずして手に入るという、生きて行くには、何の支障もない環境だった。 ところが、妹が成長するに従い、性的な魅力が顕著になり、それが、兄を苦しめ、楽園が地獄に変わる話。

  戦前の発表でして、兄妹が、一線を超える事はありません。 しかし、そうであればこそ、地獄のように苦しいわけです。 一線を超えなくても、超えたくて超えたくて、居ても立ってもいられないというだけで、倫理的に、アウトのような気がしますが、よく、発表できましたねえ。


≪山田正紀≫
【雪の中の二人】 1979年 約24ページ

  営業から社史編纂室に左遷された男。 雪の夜に、酒場の前で会った浮浪者に、酒を奢ってやるが、もっと欲しいという要望は、高飛車な態度で断った。 店を出て、浮浪者の後をついて行くと、立体駐車場に着き、蜜柑箱に跨って、雪に覆われたスロープを滑り降りるゲームを挑まれる。 意地になって応じたが、初めての事とて、勝てるわけがない。 二人の仲は、更に険悪になり・・・、という話。

  文章は、会話が多くて、大変、読み易いです。 逆に言うと、書き方が、軽過ぎる感じがします。 「自由に生きるとは、どういう事か」をテーマに、人間ドラマを描いているわけですが、この二人は、生き方が根本的に異なるのですから、価値観も違うのであって、諍いになれば、それぞれ、自分勝手な理屈をぶつけあう事になるのは、当然の事。 こういう争いは、犬も食いません。 星新一さんが絶賛したそうですが、どういうところを気に入ったのかが、測りかねます。


≪日影丈吉≫
【かむなぎうた】 1949年 約21ページ

  都会から、地方の山村に転校した少年。 同じクラスにいた、逞しい少年、源四郎と交際するようになるが、それは、友情とは異質の、張り合いのようなものだった。 ある時、イタコの老婆が、川で水死体となって発見される。 源四郎が、老婆に金をせびる様子を見ていた少年は、風邪で、ぼんやりした頭の中で、源四郎がどうやって老婆を殺し、金を奪ったかを推測するが・・・、という話。

  あまり目にしない漢字熟語の訓当てが多くて、些か読み難いですが、旧仮名ではないし、本物の古文に比べたら、物の数ではないです。 話の方は、「推理して、一応の結論に至ったけれど、実は全然 違っていた」とうもの。 推理小説のパロディーとも取れます。 ストーリーよりも、雰囲気を楽しむ作品でして、変格ミステリーの類いです。



  この本の総括ですが、「推理作家になりたくて」というタイトルにしては、推理小説が少ないのは、羊頭狗肉というもの。 推理小説で、短編となると、本格は、型に嵌まってしまうから、避けたがり、変格風の作品で勝負しようとして、推理小説から離れてしまうのではないかと思います。

  アンソロジーというのは、どうも、私の肌に合いません。 一作ごとに、文体や作風が変わるので、そのつど、頭を切り替えて行くのが、億劫なのです。 やはり、気に入った作家の作品を、続けて読む方が、安心できます。




≪わが手に拳銃を≫

株式会社 講談社
1992年3月28日 第 1刷発行
2002年3月29日 第21刷発行
高村薫 著

  沼津市立図書館に相互貸借を頼んで、金谷町中央公民館図書室から取り寄せてもらった、ハード・カバーの単行本です。 長編、1作を収録。 本文は、二段組み。 プロローグとエピローグは、一段組み。 約344ページ。 先に読んだ、【李歐】(1999年)の、原形になった作品ですが、こちらも、長編です。 短編を長編に書き直すというのは、良く聞きますが、長編を長編に書き直すというのは、珍しい。


  検察官をしている父の仕事の都合で、母と三人で、大坂へ移り住んだ男の子。 母に連れられて通っていた教会の隣にある町工場に遊びに行っている内に、金属加工に深い興味を持つようになる。 その工場には、韓国朝鮮語や、中国語を話す工員や居候がおり、社長は、拳銃の密造にも手を出そうとしていた。 社長の襲撃事件に巻き込まれて、母が殺されてしまい、男の子は母方の祖父母に引き取られる。 成長し、大阪の大学に通うようになった青年は、母が殺された事件の真相を探っていたが、バイト先のナイト・クラブで起こった、ヤクザの暗殺事件をきっかけに、殺し屋の中国人美青年と懇意になり、犯罪の世界に片足を入れをながら生きて行く身になる話。

  登場人物や、基本的なストーリーは、【李歐】と、ほぼ、同じ。 予想していた通り、タイトルが、拳銃絡みである分、拳銃に関する詳細知識は、こちらの方が、ずっと多いです。 この作品から、拳銃関係の文章を減らしたのが、【李歐】という事になりますが、減らした分を他の部分の描写に回したというわけでもなく、同じストーリーを、場面ごとに、少しずつ視点を変えて、書き直したといった体裁です。

  アクション場面は、こちらの方が、躍動感があって、面白いです。 些か、映像作品的な軽薄さも感じられるので、もしかしたら、そういうところに不満があって、書き直したのかも。 全体の構成も、こちらの方が、バランスがいいです。 普通の作家だったら、この作品に書き直す必要を感じる事はないでしょう。 うーむ、知能の高い人の考えている事は、分からない。

  特に、ラストですが、【黄金を抱いて翔べ】に近い雰囲気もあります。 ただ、【黄金…】が、一犯罪計画を対象にした、比較的短い期間の話なのに対し、こちらは、一人の人間の半生を追った話なので、どうしても、密度の低さが出てしまいます。 また、主人公が、確固たる意志があって、こういう人生を選んでいるのではなく、行き当たりばったりというほどではないものの、半分くらい、成り行き任せで生きているところがあり、それがますます、話を緩くしています。

  この作品と、【李歐】の、どちらか一作だけ読むと言うのなら、こちら。 しかし、高村さんの作品は、数が知れているので、手に入るなら、両方 読むのもいいんじゃないでしょうか。 「なぜ、わざわざ、書き直されたのか?」について、研究するのも、面白いかも知れません。

  それにしても、この作品でも、【李歐】でも、最も魅力を感じるキャラが、笹倉という名前の、オッサン、もしくは、ジーサンなのは、興味深い。 主人公や李歐より、一世代以上 歳をとっている、海千山千の商人なのですが、この人が出て来ると、利益最優先で、仲間でも平気で裏切る考え方が独特で、喋る言葉を一文字も余さずに読まなければ、損するような気にさせられます。




≪女性作家シリーズ 20 干刈あがた/高樹のぶ子/林真理子/高村薫≫

女性作家シリーズ 20
株式会社 角川書店
1997年10月27日 初版発行
干刈あがた/高樹のぶ子/林真理子/高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーのアンソロジー。 4人の作家の、短編10作と、長編の抄録1作を収録。 全体のページ数は、435ページ。


≪干刈あがた≫

【プラネタリウム】 1983年 約27ページ

  不倫している夫とは、ほぼ別居状態で、まだ小中学生の息子二人を育てている母親が、息子達の成長の様子を観察したもの。

  確認したわけではありませんが、元は、実話のような感じですな。 80年代っぽい、軽妙な文体で書かれていますが、内容は、私小説のそれに近いです。 「プラネタリウム」というのは、長男が、穴を無数に開けたティッシュの箱と、懐中電灯で作ったもの。


【ウホッホ探検隊】 1983年 約61ページ

  とうとう、夫と離婚した母親が、ますます、息子二人を愛しむものの、長男には、幾分 反抗期の兆しが見られ、両親の離婚が、彼らの心に悪影響を及ぼさないように、涙ぐましい努力で、息子達と心を通わせようとする話。

  随分前に、映画版を見ていますが、原作は、ずっと、シンプルで、短いものでした。 逆に言うと、映画版は、よくぞあれだけ、膨らませたもの。 映画では、誰が主人公かはっきりしませんでしたが、原作では、母親の視点で話が進みます。 その点、やはり、私小説的。

  離婚するほど、溝が深いのに、別に喧嘩しているわけではないというのが、不思議。 夫に別の女が出来た時点で、もう、諦めてしまっているんでしょうか。 夫は、どうか分かりませんが、妻の側だけでも、これだけ物分かりが良ければ、別居にも離婚にもならないような気もしますが、そう思うのは、私の経験が欠けているのであって、人により、夫婦により、様々なパターンがあるんでしょう。 結婚には失敗したけれど、できる限り、前向きに対処しているところが、好ましいです。


【女の印鑑】 19??年 約12ページ

  離婚する為に、旧姓の実印を注文しに行った女性。 印鑑の本体に、女物と男物で、太さの違いがある事に、カチンと来て、男物で作ってくれるように頼みながら、離婚に至った経緯を思い返す話。

  干刈あがたさんのは、三作とも、離婚ネタですが、この作品には、子供が出て来ません。 とばっちりの被害者がいないせいか、サバサバした感じがします。 夫の母親の反応は、頭に来ます。 こういう事は、身内だけで愚痴っていればいいのであって、息子の離婚相手に言う事ではありませんな。 他人に戻った相手を怒らせる事が、怖くないんですかね?



≪高樹のぶ子≫

【光抱く友よ】 1984年 約68ページ

  高校の女だけのクラス。 家庭の事情で、学校に出て来ない事が多い生徒と、たまたま、親しくなった主人公が、彼女の家を訪ねて行くと、部屋の壁に、宇宙の写真が、たくさん貼り付けてあり・・・、という話。

  周囲から不良と思われていて、実際、それに近い生き方をしているのですが、人格の一部に、純粋で高尚な部分があるという人物は、割と多くいそうですな。 本人は、その部分を大事にしている事で、自尊心を担保しているのでしょう。 しかし、アル中の母親と離れられないというのは、厳しい。 典型的な親ガチャの一例でしょうか。


【水脈(抄)】 1995年

  元の作品、【水脈】は、水に関わる話を集めた、短編集のようです。 その中から、以下の三作を選んだわけですが、登場人物も、ストーリーも、互いに関係していません。

[裏側] 約18ページ
  子供の頃に、姉妹で近所の洞穴に潜った時、滝の裏側に出た記憶がある姉。 大人になってから、妹に訊くと、全く記憶にないという。 遥か昔、祖母が家に招いた絵師に描かせたという絵の中に、滝があり、その中に入って行くと、若い頃の祖母と、絵師が密会していて・・・、という話。

  途中から、ファンタジーが入ります。 純文学とファンタジーは、異質なようですが、短編の場合、割と重なるところもあり、特に、違和感を覚える事もなく、受け入れる事ができます。 別に、絵の中の滝から戻った時に、ズブ濡れになっているのは、主人公が夢を見ていたわけではないと示す為かも知れません。


[月夜] 約14ページ
  この作品は、更に、三つのエピソードに分かれていますが、一人称の主人公は、共通。 一つ目は、夫と二人で、中米のユカタン半島へ行った主人公が、水に中って、トイレにお百度を踏む話。 二つ目は、20年前に、トイレで流産した時の話。 三つめは、祖父が子供の頃、池で溺れて、三日月に掴まって助かったという話。

  「水」だけでなく、「月」も絡めてあるわけですな。 三つ目のエピソードには、ファンタジーで締めてありますが、これまた、違和感がないです。 高樹のぶ子さんは、こういう作風なんでしょうねえ。 ストーリーとしては、特に面白いところはありません。 バラバラ過ぎ。


[水卵] 約22ページ
  故郷に墓参りに行った女性。 よその家の墓に立てられた卒塔婆を見て、子供の頃、一緒に遊んだ友達が亡くなっていた事を知る。 友達の家を訪ねると、母親と娘がいて、娘の話では、友達は、毎夜、池に遊びに行って、肺に水が溜まって死んだとの事。 その遊びというのが、池から、オルガンを引き上げて弾く事で・・・、という話。

  これも、結末が、ファンタジー。 しかし、SFに分類するには、純文学に近過ぎ。 [月夜]と違って、話に一体感があるせいか、面白いと感じます。 雰囲気レベルの事ではありますが。


≪林真理子≫

【星影のステラ】 1985年 約63ページ

  地方から東京に出て来て、一応、広告関係の会社で、一応、デザイナーの仕事をしているが、周囲から、野暮ったいと思われている、20歳の女。 ある時、憧れている、センスのいい都会的な女性に出会い、目下 失業中という事情に付け込んで、自分の部屋に居候させる事に成功する。 しかし、その居候は、一円も稼がず、それでいて、養っている事を感謝してくれるわけでもなく、次第に憤懣が募って行って・・・、という話。

  実際に、ありそうな関係ですな。 特に、女同士の場合。 主人公は、収入にゆとりがあるわけではなく、二人分の食い扶持だけで、カツカツ。 こんな生活は長続きするはずがないのですが、それでも、センスのいい人間と繋がっていたいという欲望を捨てきれないわけだ。 バブル期へ向かう、80年代の東京ですから、こういう人は、いくらでもいたと思います。 今でも、いるかな。

  「頼る相手は、私でなくても、誰でも良かったのでは?」という疑問は、最初から承知しているのかと思いましたが、そうではなかったようで、後ろの方で気づきます。 そもそも、居候の方は、「頼っている」という気持ちすらなかったでしょう。 自分の才能や魅力を最大限に活用し、都会で、他人をうまく利用しながら、スイスイと泳ぐように生きて行く人間て、いるんですよ。 巧い生き方というより、他者との信頼関係を構築できない点で、寂しい生き方ですが。


【最終便に間に合えば】 1985年 約49ページ

  30代前半で、造花のアーティストとして有名になった女。 仕事で札幌に行く事になり、きまぐれ半分で、札幌に住む、かつて交際していた男を呼び出して、夕食を共にする。 翌日の仕事の為に、最終便の飛行機で東京に帰りたいのに、男の方は呑気に構えていて、空港へ向かうタクシーの中でも、泊まって行くように執拗に迫って来て・・・、という話。

  うーむ、この俗っぽい設定が堪えられませんな。 80年代は、こういう感じだったんですよ。 交際していた頃の回想部分を読むと、「なんとまあ、ろくでもない男に捉っていたもんだ」と思いますが、そのろくでもなさを見抜けない女も女でして、割れ鍋に綴じ蓋であった事が分かります。

  この夜だって、もし、時間にゆとりがあったり、翌日に東京で仕事がなかったりしたら、誘いを断ろうとはしなかったと思われますが、男が、すでに妻子持ちである事を承知の上で、そうなのですから、呆れます。 そもそも、有名になった自分を見せつけて、昔 自分を蔑ろにした男を、見下してやりたいという、その発想が、下司っぽい。

  だけどねえ。 そういう時代だったんですよ。 当時を知る世代にとっては、リアルな話なのです。


≪高村薫≫

  【地を這う虫】と、【みかん】は、すでに、別の本で読んでいるので、感想は、そちらのものを移植します。


【地を這う虫】 1993年 約51ページ

  姻戚から被った家庭の事情で退職した元刑事の男。 経済的理由で別居する事になった妻子に仕送りする為に、倉庫管理の仕事と、別の会社の警備員の仕事を掛け持ちしていたが、唯一の楽しみは、二つの職場と住居の間を移動する時に、住宅地を歩き回り、仔細に観察して、気が付いた事を書き留める事だった。 ある時、その住宅地で、空き巣事件が連続したが、どの家でも、何も盗まれたものはなかった。 元刑事の血が騒いだ男は、空き巣が入った家の共通点を調べ始めるが・・・、という話。

  非常に、大変、ハッとするくらい、面白いです。 ベースにしているのは、ホームズ物の【空き家の冒険】だと思いますが、こちらの方が、千倍、優れています。 これは、短編推理小説として、傑作にして、名作なのでは? 古今東西 見渡しても、こんなにゾクゾクする短編は、そう幾つもありますまい。

  主人公の極端な性癖が、話の肝なのですが、こういう細かい性格の人間て、実際に いますよねえ。 もしかしたら、高村さん自身も、そういうところがあるのかも知れません。 でなければ、そもそも、こんなキャラクターを思いつかないし、小説の中に描き込む事もできないでしょう。

  とにかく、読むべし。 絶対に、損はしません。 ただし、同じような性格であったとしても、この主人公の趣味を真似ないように。 元刑事だから、何とかなったのであって、一般人がやったら、どんな事になるか分かりません。


【犬の話】 1993年 約39ページ

  犬の一人称小説を書こうとしている作家が飼っている犬が、夢想して、飼い主の小説の中に入り込み、野犬狩りにあったり、超自然的な力を持つ別の犬によって、施設から脱出する力を与えられたり、冒険を繰り広げる話。

  一読、科学的説明を欠いたSFのようですが、さにあらず、純文学の一類でしょう。 「人間を描く」のと同じスタンスで、「犬を描く」事に挑んだわけだ。 幻想的ですが、ファンタジーと言うには、残酷な場面が、尖り過ぎています。 ドライに生命を観察している点は、ジャック・ロンドン作、【野性の呼び声】、【白い牙】に近いものがあります。 擬人化していない、犬の一人称というのは、かなり、珍しいのでは?


【棕櫚とトカゲ】 19??年 約6ページ

  仕事で南の国にある営業所へ転勤している、日本人ビジネスマン。 上司と後輩の三人で、車で移動中、反政府ゲリラに襲われ、手榴弾で吹っ飛ばされる。 死ぬ前に、時間が巻き戻った感覚を味わう話。

  このタイトルは、特に深い意味はなく、その土地で、棕櫚とトカゲが普通に見られるというだけの事。 「死ぬ前に」ではなく、もう死んでいるのかも知れませんが、そう断られてはいません。 ずっと後年に書かれる、【墳墓記】は、この作品がベースになっているんじゃないでしょうか。 ストーリーという体裁ではなく、イメージのスライド・ショーのようなものなので、面白いも何もありません。 このページ数では、致し方ないか。


【みかん】 1996年 約5ページ

  60歳を過ぎて、息子夫婦と同居している男。 ある日、家にあったみかんを食べようとしたが、小さい上に、色が黄色で、男の食べたいみかんとは、違っていた。 外出して、果物屋を巡るが、目当てのみかんは見つからない。 ふと、自分が求めていたみかんが、どういうものなのか気づくが、それは、店では手に入らないものだった。 という話。

  短いので、梗概を書こうとすると、ストーリー全部を書いてしまいますな。 老年期に入った主人公が見つけようとしているのは、若さそのもののようですが、はっきり、そう書いてあるわけではありません。 推理小説でも、犯罪小説でもなくて、戦前の作家が書いた、何が言いたいのか良く分からない、私小説に似た雰囲気があります。

  この短さで、この分かり難さは、勘弁して欲しいところ。 短いのをいい事に、4回 読み返しましたが、やはり、はっきりとは、分かりませんでした。 そもそも、この本を借りて来たのは、高村作品を読むのが目的だったのに、肝腎のそれが分からんのでは、意味がない。 高村さんレベルの、知能・知識・教養がある人には分かるのに、自分には分からないというのは、大変、歯痒いです。




≪神の火 (1991年)≫

新潮ミステリー倶楽部特別書き下ろし
株式会社 新潮社
1991年8月25日 発行
高村薫 著

  沼津市立図書館に相互貸借を頼んで、大井川図書館から取り寄せてもらった、ハード・カバーの単行本です。 長編、1作を収録。 本文は、二段組み。 プロローグとエピローグは、一段組み。 約384ページ。 書き下ろし。 ネット情報では、後に、同じタイトルのまま、改稿されて、こちらは、絶版になったとの事。


  日本人の母が、ロシア人の男と通じて産んだ、緑色の目をした子供は、長じて、原子力発電の技術者となる一方で、日本人である義父の知人の手によって、ソ連のスパイとしての教育を受けていた。 原発の仕事を辞めて、大阪の専門書輸入会社に勤めている時、自分の息子ではないかと思われる青年に会い、その青年を助ける為に、再び危ない橋を渡る事になるが・・・、という話。

  スパイ物。 ですが、【リヴィエラを撃て】よりは、ずっと、リアリティーがあります。 舞台が日本、特に、大阪でして、作者が大阪出身なので、土地勘が有り余っており、イギリスが舞台の、【リヴィエラを撃て】とは比較にならないくらい、風景描写に分厚さが感じられるのです。 その辺りの文章には、点滴的な陶酔感すら覚えます。

  その点、1990年の、【黄金を抱いて翔べ】に近いですが、そちらと比べると、こちらの方が、落ちます。 【黄金…】が、犯罪物で、主人公達の目的は、金と、誰にでも分かり易いのに対し、こちらの目的は、最終的に、原発の破壊でして、一般読者には、ピンと来ないものだからだと思います。 破壊と言っても、別に、放射性物質をバラ撒こうというわけではなく、原発を使えなくすればいいのですが、やはり、一般読者としては、分かり難い目的ですな。

  しかも、その目的が、主人公の頭の中で固まるのは、中盤以降でして、前半は、特に何がしたいというわけでもなく、ダラダラと話が進みます。 酒浸りになる件りもありますが、一体、この主人公に何をさせたいのが、作者のつもりが分からず、強か読書意欲を殺がれました。 その後、大阪から福井へ舞台が移ると、持ち直して、洋上での身柄引き渡しの件りでは、手に汗握る緊張感を覚えるほどになります。

  で、その後のクライマックスが、高浜原発襲撃の準備と実行となるのですが、どうやって取材したのか想像もつかない、原発についての詳細な描写が繰り広げられるものの、ストーリー展開としては、また、低調になります。 つまりその、一般読者は、原発の構造には、興味がないんですな。 「安全、安全と言うが、軍事的な攻撃には、全く無防備」というのは分かりますが、そもそも、原発とはそういうものだと、大抵の人が思っているから、やはり、ピンと来ません。

  世に起こった大きな事件・事故から、題材を取る事が多い高村さんですが、この作品の場合、「チェルノブイリ原発事故」が、それに当たるんでしょうなあ。 1986年の事でして、まだ、5年しか経っていなかったから、生々しかったんでしょう。 ただし、チェルノブイリについての、詳細な描写は入っていません。 主人公の息子が事故直後の対応に関わっていたという、間接的な関連だけ。

  詳細な描写と言えば、パソコンについても、みっちり書き込まれていますが、知識が、1991年当時のものなので、今から見ると、古さは隠せません。 91年では、まだ、インター・ネットすらなかったのだから、それは致し方ない。 ポケベルをトリックに使った推理小説が、あっという間に陳腐化してしまったのを覚えている方もいるでしょうが、最先端のものほど、変化が激しくて、もちが悪いんですな。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪推理作家になりたくて 第三巻≫が、6月24日から、27日。
≪わが手に拳銃を≫が、7月5日から、8日。
≪女性作家シリーズ 20≫が、7月9日から、11日。
≪神の火 (1991年)≫が、7月19から、7月22日。

  アンソロジーが2冊も入っていると、感想も長くなりますな。 この記事を纏めている時には、もう、感想を書いてから、だいぶ経っているから、涼しい顔でいますが、これから書くとなったら、気が重くて、鬱病になりそうです。

  プロ作家の作品の中から、プロの選者が選んでいるのだから、一作一作のレベルは高いのですが、それが却って禍いでして、なまじ、レベルが高いから、他は無視して、目当ての作家の作品だけ読んで済ます、という事ができないんですな。 で、全部 読むと、感想が大変になってしまうのです。

2025/09/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (72)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、72回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年8月分。





【伊豆の国市大仁・大仁橋と水晶山】

  2025年8月5日。 伊豆の国市・大仁にある、「大仁橋」と「水晶山」へ行って来ました。 だいぶ前に、折自でも、行った事があります。 先々週に行った、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の、すぐ近くです。

≪写真1左≫
  狩野川左岸(西側)から見た、大仁橋。 道路橋としては、割と珍しい、鉄骨トラス構造。 しかも、幅が広いです。 安定感は、抜群ですな。 2007年12月の完成。 橋としては、まだ、新品の内です。

≪写真1右≫
  大仁橋の右岸上流側にある、水晶山。 標高60メートルで、かつて、水晶が採れたので、この名前のようです。

≪写真2≫
  振り向くと、温泉施設、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」が見えます。 この3枚、写っている道路は、国道136号線。

≪写真3≫
  右岸に渡り、北側から、水晶山を見ました。 舗装されたスロープがあり、いかにも、登り易そう。 5分で登頂できるようですが、結構、車や人が通る場所でして、僅かな時間でも、バイクから離れるのが怖くて、登りませんでした。

≪写真4≫
  大仁橋の右岸上流側、隣に残されている、先代の大仁橋の一部。 1915年から、2008年まで、架かっていたそうです。 これが、4代目。 今の橋は、5代目。




【伊豆の国市・宗光寺横穴群】

  2025年8月14日。 伊豆の国市・宗光寺にある、「宗光寺横穴群」へ行って来ました。 「そうこうじ・おうけつぐん」と読みます。 ネット地図で見つけた所。 伊豆半島の内陸北部には、函南や江間など、横穴式の古墳が点在しています。 ここも、その一つのようです。

≪写真1≫
  道路に沿った山の斜面にあります。 路肩に、伊豆の国市教育委員会による解説板が立っています。 文章が長いので、書き写しませんが、誰が、いつ、調査したか、何が出土したか、といった事が書いてあります。

≪写真2左≫
  横穴は、全部で、19基あるとの事ですが、私が見たのは、4基だけでした。 岩を削ってある様子。

≪写真2右≫
  もう一つ。 この二つは、通路からすぐの所にあります。

≪写真3左上≫
  ≪写真1≫の右端に、トラクターが収まっている車庫が写っていますが、その上にも、横穴が見えます。

≪写真3左下≫
  車庫の中を覗くと、横穴の下半分が見えました。 横穴が墓だと思うと、この車庫の建て方は、ちと怖いですが、大昔のものだから、気にしていないんでしょうな。

≪写真3右≫
  斜面に咲いていた、百合。 今が盛り、という感じの、勢いのいい花でした。

≪写真4≫
  道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 端に寄せ過ぎて、下り乗りが、怖かったです。 田んぼでは、稲が元気に育っていました。 「日照りに、不作なし」という言葉がありますが、猛暑続きでも、水さえあれば、良く育つわけだ。




【伊豆の国市宗光寺・宗光寺コミュニティ広場】

  2025年8月18日。 伊豆の国市・宗光寺にある、「宗光寺コミュニティ広場」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 前の週に行った、「宗光寺横穴群」とは、ごく近いです。

≪写真1≫
  ほぼ、全景。 運動場ですな。 長方形で、たぶん、田畑を潰して造ったのだと思います。 入口の板は、文字が消えていました。 その上に立っているのは、野外時計なのですが、汚れがひどくて、よほど近づかないと、針が見えません。

≪写真2左≫
  見難い写真で、申しわけない。 北西の隅に、滑り台と、ジャングル・ジムがありました。 児童公園を兼ねているわけだ。

≪写真2右≫
  照明設備がありました。 この他にも、何本か。 スポーツのナイト・ゲームをするとは思えませんが、何かの行事で、夜に使う事があるのかも知れません。 

≪写真3左≫
  テーブルとベンチ。 手作りですな。 ワイルドだ。

≪写真3右≫
  タイル張りの流しと、ホース・リール。 広いので、ホースで水撒きは、大変でしょうな。

≪写真4≫
  隣にある、「宗光寺公民館」。 大きい建物です。 人口が、かなり、あるんでしょう。

  向かって、左側の建物は、「伊豆の国市 消防団 第十二分団 器具庫」。

≪写真5≫
  広場と公民館の間の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バッテリー端子の結束バンドを、強く締め付けて以降、問題なく走っています。 うちから、宗光寺までだと、往復、30キロくらい。




【伊豆の国市宗光寺・宗光寺橋】

  2025年8月25日。 伊豆の国市・宗光寺地区にある、「宗光寺橋」へ行って来ました。 その前週と、前々週に、宗光寺地区に来ていて、そのたびに、国道136号線で、この橋を渡っていたのです。

  ところで、宗光寺と言っても、当地に、その名のお寺があるわけではありません。 昔はあったのかも知れませんが、不詳。 名前だけ、地区名として残っているようです。

≪写真1≫
  分かり難い写真で恐縮ですが、短い橋の場合、上に大きな構造物がないので、印象が捉え難いのです。 右の方に、ガード・レールが見えますが、その部分が橋です。 歩道を真っ直ぐ行くと、「宗光寺橋側道橋」を渡ります。 車道は古いですが、側道橋は、2005年3月竣功で、ごく新しいです。

≪写真2≫
  道路標識の名板。 塗装にヒビが入っていますが、板は木製ではなく、金属製です。 塗料の劣化なのでしょう。 宗光寺川というのは、下を流れている川です。

≪写真3左≫
  下流側を見ました。 植物に覆われて、どこがどこやら分かりませんが、すぐ先で、狩野川に合流します。

≪写真3右≫
  上流側を見ました。 宗光寺地区を流れて来て、ここに至ります。 すぐ上流に写っている橋は、伊豆箱根鉄道のもの。

≪写真4≫
  左岸袂の歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この歩道、長い距離を、車道と仕切られていて、ずっと南にある切れ目から入って、ここまで来ました。 本来は、歩道を走るのは、違反ですな。 走っているところを、パト・カーや白バイに見られたら、アウト。 しかし、停車してある状態を見られても、「下りて押して来た」と言えば、お咎めなしで済むかも知れません。 証拠がないと、取り締まれませんから。




  今回は、ここまで。 旧大仁町も、だいぶ、遠いので、なるべく近い、北の端を選びました。 宗光寺地区に集中したのは、そのせいです。 通る道が、ほぼ同じになるので、二回目以降は、緊張感が減り、気楽に出かけられるのが、目的地集中の利点と言えます。

2025/09/21

時代を語る車達 ⑮

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 随分前にも断った事ですが、このシリーズ、私の勝手な感想なので、乗っている車、乗っていた車、欲しいと思っている車、好きな車など、自分と関わりのある車を貶されても、一切 気にするには及びません。 他人の無責任な戯言だと思って、無視して下さい。





【日産・NV200バネット】

  2009年から、現行。 私は、この車のデザインを、良いとは思っていないのですが、ライバルである、トヨタ・4代目タウンエースは、もっと良くないので、比較すると、こちらの方が良いという事になるのです。 感覚的には、「マシ」程度の違いですが。

  それにしても、ワン・ボックス・カーのデザインは、80年代から、随分と後退したものだと、隔世の感を禁じ得ません。 進歩どころか、退歩しているのだから、奇妙な現象もあったものです。 衝突対策など、機能上の要求に変化があって、こういうデザインにせざるを得なかったのかも知れませんが、それにしても、もっと、やりようがあったと思うのですが・・・。

  このNV200バネットにせよ、タウンエースにせよ、現行のデザインを見て、カッコいいと感じる人は、まず、いないでしょう。 80年代は、違っていたんですよ。 セダンやハッチ・バックに乗っている人達が、嫉妬するくらい、ワン・ボックス・カーは、カッコ良かったのです。

  ちなみに、車の形を、バランスだけで評価する場合、地上に立って、車と同じ高さで見るのではなく、二階の窓から見下ろすと、良し悪しが、はっきり分かります。 ツー・ボックス、つまり、ハッチ・バック車や、ファースト・バック車ですが、それが一番、バランスが悪くて、後ろにふんぞり返っているように見えます。

  次が、セダンやハード・トップなど、ノッチ・バック車で、居室を挟んで、エンジン・ルームと、トランク・ルームで、前後が下がっているので、幾分、バランスがいいです。 しかし、エンジン・ルームよりも、トランク・ルームの方が短いから、その点は、割り引いて、評価する事になります。

  で、一番、前後のバランスがいいのが、ワン・ボックス車なのです。 一つの塊なのだから、バランスが良くなるのは、当然の事。 嘘だと思ったら、二階から見下ろしてみなさいって。 カッコいいと感じるのは、ワン・ボックス車ばかりだから。  ツー・ボックス車に乗っている人達は、自分の車が、いかに、後ろへふんぞり返っているかを目の当たりにして、愛車精神が、いたく傷つくと思いますが、「知らなければ、幸せだったのに! どうしてくれる!」などと詰め寄られても、私は関知しません。

  話を、写真の、NV200バネットに戻しますが、商用車だから、バンパーが、ウレタン素地になるのは、仕方ないとして、ボディーとの接合部の切り方が、斜めになっているのが、どうにも、戴けません。 カラード・パンパーにすれば、同色にできるわけですが、ただ、目立たなくなるというだけで、斜めである事に変わりはない。 どうして、斜めに切るのか、その理由が分からない。 機能上の事情で、衝突時に、その方がいいんでしょうか? バンパーに押されて、フェンダーまで潰れて、修理代が高くなるだけのような気がしますが。

  この写真だけでは分かりませんが、前半分の、強い存在感に比べて、後半分が、虚弱に見えるのも、残念なところです。 リヤコンも、小さ過ぎるのでは? もっとも、それらの問題点を抱えながらも、トヨタ・4代目タウンエースよりは、「マシ」なのですが。 向こうは、前も後ろも、虚弱に見えますからのう。 ああ、80年代が懐かしい事よ。




【スズキ・7代目アルト】

  スズキ・アルトの、7代目です。 2009年から、2014年まで、生産・販売されていた車型。 記憶に残っている事というと、ダイハツ・初代ミラ・イース(2011年から、2017年まで)と、低燃費競争を繰り広げていて、新しいテレビCMが出るたびに、より低くなった燃費数値を誇って、売りにしていた事でしょうか。 香里奈さんが、イメージ・キャラクターをしていたのを覚えています。

  以前、3代目アルトラパン(2015年6月から、現行)を取り上げた時に、「猿のイメージなのに、名前が、兎のままなのは、勿体ない」といった事を書きましたが、兎のイメージに近いのは、この、7代目アルトではないでしょうか。 兎が、耳を後ろに倒して、伏せている姿に見えます。

  アルトは、現行規格になった5代目が、優れたデザインで、「軽の標準」と言ってもいいような出来の良さでしたが、その次の6代目で、大ポカをやり、車というより、レトロ・フューチャーの家具を連想させるような、しょーもないデザインになってしまいました。 見るに耐えんと顔を顰めていた後、この7代目が出て来たので、「まあ、先代よりは、ずっと、いいか」と思ったものですが、今から見ると、この頃、すでに、ふくらませ路線に走っていたんですな。 兎に似ていると思えば、可愛らしさは感じますが、乗り物らしい精悍さや、道具としての機能性は感じられません。

  以下、一般論。

  低燃費化の為に、この頃から採用されるようになった、アイドリング・ストップですが、特段、優れた技術だとは思えません。 「燃費が良くなる程度は僅かであるのに対し、バッテリーに負荷かがかかり、交換頻度が高くなるので、燃費で稼いだ金額を、バッテリーの購入費用で失ってしまう」という説は、私自身が経験したわけではないから、鵜呑みにしないとしても、実際、燃費への貢献は、知れていると思います。

  発車のたびに、セルが回って、エンジンがかかるのは、うるさいと思うのですよ。 信号待ちだけでなく、危険回避の為に急ブレーキを踏んだ時にも、エンジンが止まりますが、それは、運転者が想定していない事なので、「ドキッ!」としてしまうのは避けられますまい。 転ばぬ先の杖で、石橋を叩いて渡るタイプの私としては、そういう時の、「ドキッ!」が、嫌でねえ。 自分が運転していなくても、近くで、エンジン・ストップした車を見るだけで、「ドキッ!」とします。

  アイドリング・ストップって、設定の仕方で、作動しないようにできるんですかね? もし、可能で、私が、そういう車に乗るとしたら、絶対、使わないようにします。 年中、ドキドキしていたのでは、鬱陶しくて仕方ないですから。




【スズキ・5代目アルト】

  アルトの、5代目です。 1998年から、2004年まで、生産・販売された車型。 2018年4月8日にも、同型のアルトの写真を出しています。 以下、その時に書いた解説文。

――――――――――――――
   この型から後は、現行規格です。 この型のアルトは、随分前から、デザインが好きで、一昨年、車購入シミュレーションをした時に、候補に入れていたくらいです。 後輪側のフェンダーに、ブリスターを使っているところが、何ともいえぬ。 アルトは、この後の、6代目から、奇妙なデザインになってしまいます。

  この車は、5ドアで、5ナンバーなので、乗用。 ホイール・カバーは、オリジナルのままだと思います。 塗装の劣化は、ほとんど、感じられません。 マット・ガードのデザインが、妙にシンプルで、車本体の凝ったデザインと合わないような感じがします。 本体とは、別の人がデザインしたのかも。

  この型、まだまだ、いくらでも、見る事ができますが、やはり、少しずつ減っているのでしょうなあ。 この型のデザインが優れている事に気づいているのは、少数派だと思うので、特別に珍重される事もなく、姿を消して行くものと思われます。
――――――――――――――


  以上。 その車は、5ドアの乗用でした。 こちらは、3ドアの4ナンバーで、ボン・バンです。 乗用に比べて、維持費が安いから、生き残っている可能性が高い。 私は、3ドアに対する評価が辛い人間ですが、セカンド・カーとして、通勤や、個人事業者が仕事に使うのなら、選ぶ意味はあると思います。 実用オンリーならば、維持費が安いのに超した事はない。

  2017年頃には、まだ、多く見かけましたが、さすがに、8年も経つと、減りますなあ。 もう、滅多に見ません。 小泉今日子さんが、テレビCMをやっていたのですが、私ですら、カタログに写真が出ていたから、知っているだけで、CMそのものは、覚えていません。 20世紀は、遠くなりにけり。

  アルトは、初代が、角ばっていて、特に女性向けではなかったのに、値段の安さで売れました。 2代目は、小手先で女性受けを狙ったしょーもないデザインでしたが、名前だけで、そこそこ売れました。 しかし、ミラの方が、デザインが遥かに優れている事は、スズキでも分かっていたようで、3代目・4代目は、ミラを参考にしたデザインになりました。

  そして、5代目がこれですが、ミラ・デザインから、完全に脱却して、何にも似ていない、オリジナリティー溢れる、美しいデザインになりました。 私の個人的趣味では、歴代アルトで、この型が、一番、好きです。 素晴らしい。 しかし・・・、デザインの良さに気づかずに、アルトという名前だけに引かれて、買って乗っていた人も多かったのだろうなあ。 いや、それでもいいのです。 醜い車が大量に出回るのよりは、遥かにありがたい。




【ダイハツ・3代目ブーン(トヨタ・3代目パッソ)】

  生産は、ダイハツ。 ダイハツでは、ブーンという名前で、トヨタからは、パッソという名前で販売されていました。 3代目は、2016年から、2023年までで、4代目は、ありませんでした。 この写真の車は、パッソだと思って撮って来たのですが、帰ってから、写真をよく見たら、ダイハツのマークが付いていて、ブーンだと分かった次第。 初代と2代目は、1リットルと1.3リットルがありましたが、3代目は、1リットルだけ。

  大雑把な話ですが、軽自動車メーカーが作ったリッター・カーは、普通車メーカーが作ったリッター・カーより、造りがいいです。 軽より上位の車種として作るから、高級感を出そうとするんですな。 一方、普通車メーカーにとって、リッター・カーは、最小車種になるので、上位車種と差別化する為に、わざと安っぽい造りにします。 その点、この、ブーン/パッソは、ダイハツが作ったものだから、出来がいいだろうと思われます。

  女性向けを意識していた2代目に比べると、性別を問わない印象になっていますが、女性向けは女性向けで、デザインを変えたグレードがあったようです。 女性ユーザーを当て込んでいる車種では、最初から、そうした方がいいかも知れませんな。 もっとも、私は、そもそも、女性向けのデザインというのを、あまり高く評価していないのですが。 本当に優れたデザインは、乗り手の性別を選ばないものです。

  この車の色では分かり難いですが、明るい色の車なら、特徴的に目に付く点として、Cピラーに、黒いプラスチック部分があります。 おそらく、フィアット・2代目3代目パンダを真似たのでしょう。  昨今、こうなっている小型車が、妙に多いな。 わざわざ、真似るほど、いいデザインだと思えませんが。 小型車のデザインに興味がなく、どんなデザインにすればいいのか分からないから、とりあえず、有名どころを真似るのだとしか思えません。

  根本的な話ですが、日本で、リッター・カーというと、どうしても、軽と天秤にかけてしまい、「軽でもいいのでは?」、もしくは、「軽の方がいいのでは?」と思ってしまいますなあ。 維持費が、だいぶ違うからです。 「車は、まず第一に、移動や運搬の道具」と割り切っている人は、迷わず、軽を選ぶでしょう。 「扱いが楽だから、小さい車の方がいいけれど、軽は、せせこましいから、嫌」という人もいると思いますが、つまらない虚栄心としか思えず、そういう人間そのものが、つまらなく見えます。

  ただし、「軽は、せせこましいイメージがあるけれど、トール・ワゴンやハイト・ワゴンなら、室内が広いから、軽でもいい」という考えの人よりは、リッター・カーを選ぶ人の方が、好ましいです。 ノーマル車高なら、乗車姿勢が適切で、運転の楽しさが味わえるからです。 トールやハイトは、乗り物と言うより、「動く部屋」に過ぎないと言うのよ。




  今回は、以上、4台まで。

  写真の在庫がなくなったので、出かける時には、なるべく カメラを持って行き、意識して、一言 物申したい車を探すようになりました。 つくづく、私が興味を抱くようなデザインの車は、減ったと思います。 「旧車ブーム」などと言われている割には、街なかで、古い車を見かける事は、ほとんど ありません。 もはや、90年代の車すら、滅多に見なくなりました。 残念至極。

2025/09/14

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑨

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の1月13日まででした。 今回は、その続き。 世に糖尿病患者は多いですが、この記録は、私個人にしか当て嵌まらない事の方が多いので、頭に入れる必要はありません。 テキトーに読み飛ばしてもらって、ご自分に都合のいい箇所だけ、「こういう考え方もあるか」程度に、とってもらえば、それで、充分です。




【2025/01/14 火】
  座敷を歩いて、歩数を稼いでいるわけですが、ここ数日は、午前中に、5千、昼過ぎに、5千、夕食後に、2千というところでしょうか。 合計1万2千歩で、目標の1万歩を超えてしまっていますが、そのくらいの方が、食べるものに余裕が出て良いのです。

  「間食と甘い物を絶って以来、三度の食事が、おいしく感じられる」というのは、前に書きましたが、ますます、その傾向が強くなっている感あり。 しかし、食べる事だけが楽しみになってしまうと、どうしても、一回一回の食事の量が増えてしまいます。 で、その分、歩行でカロリーを消費しなければならないわけですな。

  引退後、運動量が少なかったから、糖尿病になったと言っても、外れてはいますまい。 人間、自然状態では、常に、木の実や獣など、食べる物を求めて、動き回っていたのであって、動いている方が、正常なんですな。 家事と昼寝で、一日を終えてしまうような生活が間違っていたのでしょう。



【2025/01/15 水】
  バイクでプチ・ツーに行った上に、家で、14000歩も歩いたのだから、もう、動き詰めです。 血糖値が、107と、夕食前にしては珍しく、正常値に入ったのも、むべなるかな。



【2025/01/17 金】
  毎度毎度、ブログで報告するような事でもありませんが、今日、便が出ました。 ありがたや、ありがたや。 しかし、まだ、少ないです。 やはり、作られる便の量自体が、少ないのだと思います。

  私自身、高校の頃から、仕事をやめるまでの数十年間に、分厚い経験がありますが、便秘というのは、よほど長引いても、死ぬような事はなく、いつかは出るものなんですな。 肛門の手前まで来ているのに、硬くなって出ない場合、糞詰まりで、痛かったり、苦しかったりしますが、それでも、いつかは、出ます。 出なかったら、死んでいるものねえ。

  それが分かっていれば、「出ない出ない」と、心配して、気分を暗くするのは、百害あって一利ない態度という事になります。 まして、糞詰まりではなく、便意そのものが感じられない場合、肛門の手前まで来ていないのだから、どんなに頑張ってイキんでも、出るはずがありません。 それこそ、鼠蹊ヘルニアになるだけでしょう。



【2025/01/20 月】
  まず、座敷を歩いて、5千歩を超えさせておき、それから、旧母自で、病院へ。

  採血、採尿、心電図、胸部レントゲン、内科検診、眼科検査・検診。 朝9時15分から、午後1時15分まで、ぎっちり、かかりました。

  糖尿病の方は、血糖値も、ヘモグロビンA1Cも、次第に下がっており、経過が良いとの事。 手術も大丈夫だろうと言われました。 しかし、それは、外科の医師に訊かなければ、決定ではありません。 内科の次の診察は、3月です。   眼科の方は、例の、瞳孔を開く目薬を3回され、目の奥を撮影。 問題ないとの事。 眼科の次の診察は、5月。 糖尿病患者は、眼科の受診も、セットになるようです。 そういえば、うちの母も、心臓病病院、糖尿病医院の他に、眼科医院にも通っています。

  外科の検査もしたので、一日に、3科にかかったせいで、料金が、15800円。 13000円しか持ち合わせがなく、内金に全額入れて、領収書をもらいました。 足りない分は、次に行った時に払います。 次は、外科で、今月末。

  そうそう、採尿の時に、トイレに入ったら、便が出ました。 柔らかいですが、長さがあり、そこそこの量でした。 良かった良かった。

  瞳孔が開いているので、帰りは、おっかなびっくり帰って来ました。 眼鏡をかけているのに、かけていないような見え方でした。

  帰って、風呂。 血糖値計測。 午後2時過ぎに、昼食。 やれやれ、忙しい一日だった。



【2025/01/21 火】
  午前10時前に、母を車で、眼科医院へ送りました。 家に戻り、11時半頃、電話が鳴って、迎えに行きました。

  母ですが、「目に糖尿の影響が出ている」と言われたらしいです。 今までに、そんな事は言われた事がなかったとも。 私が余り物を食べなくなった分、母が食べる量が増えているのだから、当然ですな。 食いきれないほど、食材を買って来て、どかどかと料理を作るからです。

  「罰が当たって、様あいい」と言えば いいのですが、母に失明されると、困るのは私なので、他人事と笑ってはいられません。 しかし、母は、失明・落命の危険があると言われても、食べ続けそうだな。 もう、人の言う事なんぞ、聞かないのです。



【2025/01/24 金】
  外掃除。 水やり。 部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。

  これだけ動いても、2500歩しか行きません。 座敷を歩いて、昼下がりだけで、1万にし、夕食後、更に、3千歩 足しました。 一生、これが続くと思うと、長生きしたい欲望が失せますな。



【2025/01/25 土】
  一日一回、タイミングをズラして測っている、血糖値。 空腹時の正常値上限は、110なのですが、それを、なかなか、割れなくなりました。 まずいな・・・。 ちなみに、空腹時というのは、その前の食事を食べ始めてから、3時間以上 経ってからの時間です。 食べ終わってからではなく、食べ始めてから。 なぜかというと、血糖値は、食べ始めると、すぐに上がり始めるからです。

  私の場合、食前インスリンを注射しているので、食後血糖値、つまり、食べ始めてから、3時間以内の方は、正常値上限の180を下回っているのですが、食前インスリン注射の効果がなくなる、空腹時が、駄目なのです。 120台が多い。 私の膵臓から分泌される、自然インスリンの量が少ないんですな。

  なぜ、割れないのか、理由は分かっています。 食事を食べ過ぎているのです。 その点に関しては、自覚があります。 ほぼ毎回、満腹するまで食べているのですから、糖尿病患者とは思えない量、いや、健康な人であっても、こんなには食べないだろうと思われる量を腹に入れているのです。 分かっていながら、食欲に突き動かされて、やめられません。 強迫神経症的に、病的だ。

「間食と甘い物を絶ったのだから、三度の食事だけは、満腹するまで食べたい」

  という気持ちは、自分でも分かるのですが、超過した血糖値が、その理屈が通らない事を教えてくれています。 「三度の食事だけは」の、「だけ」にも、限度というものがあるのでしょう。 明らかに、私の食べる量は、食事制限をしている者として、間違っているのです。 多過ぎるのです。

  そもそも、10年半前に引退して以降、糖尿病と指摘される前までの生活を振り返ると、私は、食欲らしい食欲を感じた事が、ほとんど、ありませんでした。 大きな理由は、運動量が少ない生活だったせいだと思います。 常に、栄養が過多状態で、物を食べても、おいしいと感じられなかったのです。

  おいしいと思っていたのは、食事なら、カレー・ライス、スパゲティー、ハンバーグ、餃子くらい。 菓子なら、ピーナッツ・チョコレートと、甘い系のポテト・チップスくらいのものでしょうか。 それらも、どうしても、食べたいと思っていたわけではなく、食事の時刻が来たから、食べる。 菓子類は、居間で、母とテレビを見ながら、口寂しいとか、間が持たないから、食べるという風でした。 だから、血糖値が上がる物は食べていたけれど、量は、それほどでもなかったのです。

  それが、糖尿病対策で食事制限を始めてから、間食と甘い物を絶ったせいで、普通の食事が、異様においしく感じられるようになりました。 キャベツや牛乳が、甘く感じられるなどとは、かつて、想像した事もありませんでした。 味覚とは、こんなにも変わるものなのか。 で、「三度の食事だけは・・・」を、口実にして、毎回、満腹するまで、食べるようになってしまったのです。

  当然、血糖値には表れて来るわけですが、「食べた分、運動すれば、カロリーを消費できるはず」と考えて、歩数がだんだん、増えて来ました。 本来、目標は、一日10000歩だったのが、今は、少なくても、13000歩。 多い日には、15000歩も、歩いています。 だけど、運動量を増やして、食事量とのバランスを取るのは、時間的にも、体力的にも、限度があります。 まあ、一日、15000歩、歩いてみて下さい。 誰でも、「とても、毎日は続かない」と思うから。

  やはり、私は、間違っているのです。 ここは、断腸の思いで、馬謖を斬り、食事を減らさなければなりません。 そもそも、「満腹感」というのが曲者なのであって、所詮、その時その時の、「感じ」に過ぎません。 体に必要な食事量を、100と仮定して、100食べれば、常に満腹するかというと、そうではなく、120でも、150でも、入ってしまうから、満腹感は、食事量と、精確に、一致、もしくは、比例するわけではないのです。

  「腹八分目に、医者要らず」と言うように、人間、必ずしも、食事のたびに、満腹しなければならないわけではなく、八分目でも、死なないのはもちろん、特に不具合が出るわけでもなく、むしろ、少し足りないくらいの方が、体調に良いとも言えます。 食事制限以降、満腹感に拘り過ぎた、私がおかしかったのです。

  糖尿病の食事制限メニューは、食べる順番に、「野菜」、「おかず」、「ご飯・麺類」の三点に分けて考えるのですが、今後は、「野菜」はともかく、「おかず」と、「ご飯・麺類」は、予め、厳密に量を決めて、食べ過ぎないようにします。 どうしても、満腹感が欲しい時には、葉物野菜を増やす事にします。 真面目に取り組まなければ、また、外科から、鼠蹊ヘルニアの手術を拒まれてしまうよ。



【2025/01/27 月】
  血糖値。 今日の計測タイミングは、昼食前で、102。 空腹時の正常値上限、110以内に収まりました。 米・麺の量を減らした成果が、出たのかも知れません。 炭水化物の摂取量は、血糖値に、覿面に出易いようです。

  ここ数日、朝食と夕食は、お歳暮でもらった、乾麺蕎麦を片付けているのですが、小さい茶碗に一杯分だと、二口くらいで、ペロリですな。 まったく、食べ甲斐がない。 でも、このくらいで、ちょうど良いのです。 代わりに、葉物野菜に、塩茹でのもやしを追加して、満腹感に近づけています。



【2025/01/31 金】
  旧母自で、病院へ。 今日は、外科の診察です。 手術にゴー・サインが出るかどうかが告知される日。

  なんと、駄目でした。 血糖値はいいけれど、肝機能の数値が、糖尿病の治療開始以降、鰻登りに上がっているので、もう一度、内科へ行って、これで大丈夫かどうか、訊いて来るように言われました。 またかよ。 何かしら、粗を探して、手術を先延ばしにされているような気がしないでもなし。 そんなに、鼠蹊ヘルニアの手術をしたくないのかねえ?

  通い始めてから、血液検査は、4回もやっているから、上がっているのなら、とっくに言ってくれればいいのに。 もっとも、血糖値と違って、原因が分からないと、下げ方が分からないですが。 で、来週の月曜日に、また来て、内科の糖尿病専門医に訊く事になりました。

  それと、並行して、内科で問題ないと言われた時に備えて、鼠蹊ヘルニア手術の説明も受けました。 それは、丁寧なものでした。 手術する気がないのかあるのか、ますます、分からない。 22歳の時に受けた、胆嚢摘出手術では、医師が説明に来ず、助手につく看護師から簡単な説明をされたのですが、その時とは、大違いです。

  手術の時に、自転車で来ていいか訊いたら、「そんな事を言う患者は、初めて見た」という反応でした。 退院後、押して帰るのなら、医学的には、問題ないとの事。 入院中、駐輪所に置いておいてもいいかが問題ですが、看護師さんが病院の事務方に訊いてくれたところ、別に禁止ではないようで、「盗まれても、自己責任」という事のようでした。 ボロボロの旧母自を盗む奴もいなかろうて。 セカンド&サード・ロックもかけておけば、尚の事。

  部屋は大部屋。 着替えは、自分で持って来るのを選びました。 ほんの数日だから、安い方が良かろうと思って。

  全身麻酔なので、歯の検査が必要との事。 院内の歯科に、来週月曜、3日に予約が入れられました。 内科に訊きに来る日です。 内科の返答次第では、歯科の予約はキャンセルという事になります。

  どうも、あれこれ、警戒し過ぎだな、この病院は。 急患で担ぎ込まれて、緊急手術が必要という場合には、どうしているのだろう? 高齢になれば、全身健康なんて人は、いなくなるのに、そんなに細かい条件を課していたのでは、手術なんて、できなくなってしまうではありませんか。

  帰って、4時半くらい。 母相手に、愚痴を零しまくりました。 愚痴を聞いてくれる家族がいるだけ、マシか。 一人暮らしでは、こういう時、精神的に参ってしまうと思います。 病気を苦にして、自殺する人の気持ちが良く分かる。

  肝機能の数値ですが、糖尿病の治療を始める前までは、正常値だったらしいので、何か、治療開始後に始めた事が原因という事になります。 インスリン注射は、まず、関係なし。 薬ではないからです。 運動療法で、健康に害が出るとは思えません。 となると、食事制限の内容という事になります。 食べる順序を変えましたが、それは、問題にならないでしょう。

  米・麺類を減らし、その分、キャベツを食べるようになったわけですが、キャベツそのものが悪いとは思えません。 となると、毎食、キャベツにかけていた、マヨネーズでしょうか。 調べたところ、マヨネーズそのものは、特に健康に悪いわけではないようですが、添加物次第では、悪さをする場合もあるとの事。 ただし、肝臓に関係するかどうかは、不明。

  冬場、汁物があると、リッチな気分になれるので、朝食の手作り味噌汁以外に、昼食・夕食にも、即席味噌汁や、お吸い物を飲んでいたのですが、それも、治療前には飲んでいなかったわけだから、容疑がかかります。 とりあえず、マヨネーズと即席系の汁物は、やめる事にします。

  健康上の新たな問題点を指摘されると、げんなりしてしまいますが、あまり、気にし過ぎると、生きる気力まで失ってしまうから、要注意ですな。 心気症と戦って来た私としては、「病は気から」は、核心を突いた真理としか思えません。



【2025/02/03 月】
  9時から、旧母自で出て、病院へ。 寒い。 北の方に最強寒波が来ているだけの事はあり、寒波に覆われていない地域でも、寒いです。

  予定になかった、採血・採尿。 どうも、内科で入れた模様。

  10時半頃に、内科。 糖尿病専門の先生は、肝機能数値の上昇には気づいていなかったらしく、申しわけなさそうにしょげて、さながら、敗軍の将の趣きでした。 どうも、この人は、楽観的過ぎる嫌いがあるようです。 今までに、何回、「手術はできます」と言われた事か。 ことごとく、外科で突っぱねられてしまいましたが・・・。

  私が、マヨネーズの摂り過ぎではないかと言うと、そういう可能性もありうるという程度の返事。 先週の金曜日に、肝機能数値の事を指摘されてから、マヨネーズを絶ち、今日で三日目ですが、これまで、検査のたびに上昇して来た数値が、今日の検査では、僅かながら、下がっており、やはり、マヨネーズが原因である可能性は高いと思います。 毎日、朝昼晩三食、キャベツやブロッコリに、マヨネーズをかけて来たのですから、どれだけ、体に入れたか分かりません。

  とりあえず、来週の月曜にも、内科にかかる事になりました。 血液検査をする為です。 今の時点では、手術の日程は、取り消されていません。 どうなるか、分からないだけ。

  その後、院内にある歯科口腔外科で、手術前の検診。 よくある、歯の検診と、歯茎の検診、歯間ブラシで掃除、歯の表面の研磨などを受けました。 手術をする上での、歯の問題はないとの事。

  最後に、肝臓エコー。 これは、今日、内科でやるように決まったもの。 まあ、エコーは、みな、同じようなものです。 部位が異なるだけで。 10月からこっち、ほとんど、人間ドック並みに、あちこち、検査されてしまったなあ。

  帰って、12時45分くらい。 風呂。 血糖値計測。 食前インスリン注射。 ようやく、昼食。 魂が戻って来た感じです。

  母に、手術入院直前の検査の日まで、脂っこい料理を作ってくれるなと、頼んでおきました。 「難しいねえ」という返事でした。 母は、揚げ物が得意なのです。 次が、炒め物。 脂ばかりだな。




  今回は、ここまで。

  ようやく、2025年の、1月分が終わりました。 病院通いは、まだまだ、続きますが、行く間隔が広くなっているせいか、日記に、病気関係の記述がない日が増えて来ました。

  肝機能がおかしくなった事について、私の個人的な、原因の推測が書かれていますが、今から振り返ると、全く見当外れなので、真に受けないで下さい。 今現在の見解としては、何か特定の食べ物が原因ではなく、急激に糖分の摂取量を落としたせいで、内臓のバランスが崩れたのだと思われます。

2025/09/07

読書感想文・蔵出し (128)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品。 借りる方は、アンソロジー収録の短編を除くと、≪我らが少女A≫だけ、まだ読んでいません。 沼津図書館にある事はあるのですが、予約が立て込んで、なかなか、回って来ないのです。 





≪墳墓記≫

株式会社 新潮社
2025年3月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 長編1作を収録。 一段組みで、約176ページ。 元は、「新潮」の、2021年4月号から、2024年7月号まで、飛び飛びに掲載されたもの。 単行本化に当たり、加筆修正が施されたとの事。


  祖父と父が能楽師だったが、父への反発から、それを継がずに、裁判所の速記官になった男が、外傷性ショックで、瀕死の状態となり、救急車で病院へ運ばれる。 生と死の境を彷徨いながら、藤原定家を中心に、飛鳥、奈良、平安、鎌倉の時代を生きた、皇族、公家、武士らの、考え方、感じ方に、思いを馳せる話。

  何が原因で、そうなったのかは、よく分かりませんが、とにかく、死にかけた状態である事だけは分かります。 娘が、「自由落下を求めて」、飛び降り自殺したらしいので、もしかしたら、主人公も、それに倣ったのかも。 主人公の祖父も自殺しており、狂気の遺伝子を受け継いでいると、父親も言っているように、堅実、且つ、地味に暮らす事ができない血統である事は、暗示されています。

  覚醒していない脳で、こんなに膨大な知識を記憶野から引き出すのは、到底、不可能だと思いますが、もしかしたら、高村さんクラスの頭脳になると、そういう事ができるのかも知れません。 毎朝、寝覚めの夢の中で、小難しい学術的問題を、脳が勝手に演算しているとか。 高村さんの知能は、私より、数倍、いや、数十倍、上を行くと思われ、下からでは、上の頭の構造を窺い知る事ができないのです。

  古典からの引用や、擬古文が、これでもかというくらい出て来るので、推理小説方面から、高村さんの作品を手に取り始めた読者は、十人中九人が、何ページも進まない内に、音を上げると思います。 無理無理! 読めるものかね! 目が文字にくっついて行ってくれませんわな。 もしかしたら、高村さんは、未だに自分の事を推理作家と見做している読者に、うんざりしていて、わざと、こういう作品を書いて、そういう輩に引導を渡そうと目論んだのでは? もっとも、このレベルになると、よほどの古典好きは別として、一般小説や純文学の読者でも、ついて行けないような気がしますが・・・。

  筒井さんの、【聖痕】に、擬古文が使われていましたが、あれは、実験的に、異化効果を狙ったもの。 一方、この作品では、古典引用や擬古文が、あまりにも多過ぎて、異化効果を通り越してしまっています。 もはや、小説というより、古典を対象にした、論考と言うべき。 こーれなあ、新人が書いて、新人賞に応募したり、編集部に持ち込んだりしたら、凄い顔されるでしょうねえ。 野次馬心理的には、編集者の引き攣った表情を見てみたいもの。 十二分に名前が売れている、高村さんだから、雑誌掲載も、単行本化も、可能だったわけで。

  古典引用や擬古文を、飛ばし読みしようとすると、何が言いたいのか、さっぱり分からなくなってしまうので、辛くても、全ての文字を読むしかありません。 セルフ拷問になると思いますが、この本を買っちゃった、もしくは、借りちゃった、己が運命を呪うしかありませんな。 【源氏物語】を、部分的にでも、原文で読んだ経験がある人なら、割とスイスイ、進むと思いますが、上にも書いたように、小説というよりは、論考なので、話の展開に、ワクワクするような事はないです。




≪晴子情歌 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2002年5月30日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約718ページ。 1997年末から、2002年春までの間に執筆されたもの。


  青森県の名士の家系に生まれた青年は、大学卒業後、遠洋漁船に乗り組む道を選ぶ。 寄港先に届く、母の長い手紙を何通も読んで、祖父母の人生、母の人生、母の弟・妹達の人生、名目上の父の人生、実の父の人生、父の一族の人生などを詳しく知り、それらを通して、母がどんな人間だったのかを知る話。

  主人公は、青年なのか、母なのか、判別し難いところ。 母の手紙(旧仮名遣ひ)の部分は、一人称で、完全に、母が視点人物です。 現在進行の地の部分は、三人称で、青年が視点人物。 現在、といっても、「ロッキード事件」が、日本を揺るがしていた、1970年代ですけど。 両部分の配分は、文章量は、地の方が多いですが、内容的には、半々くらい。

  高村さんと言ったら、犯罪を題材にした作品が多いですが、これは、完全に、純文学でして、推理小説方面から入って来た読者は、全く歯が立たない、と言うか、読むだけは読めても、面白さを感じられるのは、ほんの僅かの人に限られると思います。 5パーセント以下である事は、確実。 そもそも、この作品を読んで、純文の醍醐味が分かるようなら、先に推理小説に嵌まる事はないと言うのよ。

  母の手紙の、旧仮名遣ひだけでも、読む気が失せてしまうのではないでしょうか。 目が文字について行きますまい。 いや、分かるぞ、その気持ち。 私も、新仮名しか教わらなかった世代ですから、旧仮名を読むのは、きついです。 ただ、私の母が学生時代に買った文庫本に、旧仮名のものがあり、それを何冊か読んだ経験があったから、何とか読めるというだけで。

  恐らく、高村さんも親の世代の蔵書を読んでいて、旧仮名を読み書きできるようになったのではないでしょうか。 もっとも、私と高村さんとでは、読書量が、二桁くらい違っていると思いますが。 もちろん、高村さんの方が、遥かに、上です。 背中が全く見えないくらい、離れています。

  純文の中でも、大河小説と呼ばれる部類です。 トルストイ作、【戦争と平和】が典型ですが、複数の中心的人物と、その周辺の人々の生き様を書き込んで行って、一つの時代、もしくは、時代の変化を描き出すというもの。 必ずしも、作品の長さは関係なくて、同じ高村作品で、同じくらいの長さでも、今までに読んだものの中には、大河を感じさせるものはありませんでした。

  ちなみに、私は先に、【太陽を曳く馬】の方を読んでしまいましたが、そちらに出て来る、変わり者の僧侶の若い頃が、この作品の、青年に当たります。 この作品では、仏教との関わりには、深入りしておらず、伏線が張られている程度。 とはいえ、この作品にしてからが、「オウム真理教事件」の後に書かれたものですから、【太陽を曳く馬】まで繋がって行く構想は、当初からあったんでしょうなあ。

  同じ大河小説でも、日本が舞台で、戦前の描写が多いと、こうも暗い話になるものか。 戦前・戦中の日本文学がもつ、暗さ、重さが、全開になっています。 結核が出て来ないのが、せめてもの救い。 これで、結核患者が出て来たら、私は途中で放り出していたでしょう。 あれは、いかんわ。 悲劇のモチーフとして、あまりにも安直に使われ過ぎています。 高村さんも、そう思って、敢えて、避けたのかも知れません。

  私が過去に読んだ小説の中で、この作品に近いというと、北杜夫さんの、【楡家の人々】ですかね。 同じ、北さんの作品に、【遥かな国遠い国】というのがありますが、遠洋漁船の件りは、それに似ています。 あくまで、雰囲気が、というレベルで、こちらの方が、遥かに精緻ですけど。 労働運動も、モチーフとして出て来ますが、小林多喜二作、【蟹工船】ほど、大型漁船上の仕事を、厳しく描いてはいません。 もっとも、現役時代、肉体労働者だった私でも、こういう仕事は、とても務まりませんが。

  この作品で、一番 記憶に残るのは、「母」の結婚相手が決まる場面です。 その前に知り合った青年がいて、住む場所は離れても、手紙のやり取りを続けているのですが、突然、別の人物から結婚を決められ、驚いた事に、「母」が、それを拒もうとしないのです。 どうも、手紙のやり取りをしていた青年とは、特に結婚を意識していたわけではない様子。 しかし、その事について、「母」の心理描写がなされていないので、読者側は、「なぜ、拒まない? あっちの青年は、どうするのだ?」と、思ってしまうわけです。

  ただ、ディケンズ作、【荒涼館】で、主人公エスタの結婚相手が明らかになった場面ほど、大きな違和感を覚えないのは、この作品の「母」が、現代日本人から見て、外国人であるエスタよりも、ずっと遠い存在だからでしょうか。 同じ日本でも、戦前・戦中と、戦後では、社会が様変わりして、価値観がまるで違っているので、戦前の日本文学全般が分かり難いように、この作品に出て来る、「母」も、戦後生まれの私の目には、理解の限度を超える存在に映るのでしょう。 最初から、理解できない事が分かっているから、違和感も半分くらいなわけだ。

  理解できないところを、無理やり、理解しようと試みるに、この時代の女性は、独立して働く職場がなくて、どこかしらの家族に属していなければ、生きて行けなかったから、その家で、自分より上の立場にいる者が決めた事には、逆らうという選択肢がなかったのも知れませんな。 結婚も、「親決め婚」が普通の時代ですから、戦後のそれほど、相手に拘らなかったのかも知れません。 「見合い婚」すら廃れて、「恋愛婚」もしくは、「紹介婚」だけになっている、現代の感覚では、やはり、理解できませんけど。




≪新リア王 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2005年10月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約857ページ。 たぶん、書き下ろしだと思います。


  青森県の名士、福澤家に生まれ、国会議員を何期も続けて、「王国」を築いて来た、福澤榮が、70代半ばにして、公の場から姿を消し、青森県の、みすぼらしい草庵を訪ねる。 そこには、戦時中、榮が、出征した弟の妻に産ませ、長じて出家した息子、彰之が住んでいて、榮が知らなかった孫、秋道もいる事も知る。 それまで、話をした事がなかった彰之を相手に、政治の事、原発誘致関連の事、福澤一族の事、一年前に自殺した秘書の事、仏教の事、彰之の妻子の事などを語り合う話。

  【晴子情歌】の続編ですが、この作品は、大河小説ではありません。 むしろ、この作品の続編に当たる、【太陽を曳く馬】に近くて、小説の形を借りた、論考と言うべき。 対象になっているのは、政治が大半で、仏教が少々、残りは、彰之親子の家族史。 政治と宗教に興味がなければ、この本を読む意味は、ほとんど、ありません。

  とりわけ、政治関係の部分は、興味がない者にとっては、ただの文字の羅列に過ぎず、全く頭に入って来ないか、入った端から出て行くかのどちらか。 様々な、「仕組み」に興味がある、高村さんの事だから、複雑怪奇な政界の仕組みに惹かれても、不思議はないとは思うものの、正直、民主政治の腐臭全開という感じで、とても、真剣に読めたものではありません。 脳味噌が腐る心地ぞする。 何でも、詳しく調べて、細々と書けばいいというわけでもないようです。

  小説の形式を借りていると書きましたが、小説の形式と言うより、物語の形式と言うべきか。 一番近いのが、【千一夜物語】で、榮と彰之が、語りまくるわけですか、長さ的にも、内容的にも、語り過ぎでしょう。 特に、何年も前に起こった事を、何ページ分にも渡って、語り続けるというのは、記憶力・表現力の限界を超えますし、聞かされる方も、忍耐の限界を超えてしまいます。 それこそ、「その話、今じゃなきゃ、駄目?」というセリフが出てしまうのでは。

  現実には、こんな会話は、ありえないのであって、それは、作者も承知しているはず。 しかし、この膨大なボリュームの内容を、自然体の小説作法で書こうとしたら、長さが10倍くらいになってしまうから、リアリティーを犠牲にしても、物語の形式を選んだのだと思います。

  「リア王」は、シェークスピア作の悲劇ですが、日本で最も知られている翻案作品というと、黒澤明監督の、≪乱≫でしょうか。 ああいうストーリーです。 榮には、彰之の他に、本妻との間に出来た息子が二人いて、政治的に、彼らの裏切りに遭う点、リア王に近いのですが、彰之も、父親の味方・理解者とは、到底言えない点、リア王より、更に救いがない。

  しかし、だから、榮が気の毒とは、全く思いません。 だって、政治家なんだものね。 同情に値するような職種ではありますまい。 権力を握る為に、他の全てを犠牲にしてもいいという考え方なのだから、こういう末路になっても、致し方ないではありませんか。 それが嫌なら、最初から、政治家にならなければ良かったのです。

  実在の政党名や、実在した政治家の名前が、ごろごろ出て来ますが、福澤榮と、その一族、青森県知事などは、架空のものです。 どこまでが現実で、どこからが虚構なのか、政治に興味がない者には、境目が判別できません。 特に、若い読者は、虚構の部分を、知識として、頭に入れないように、気をつける必要があります。 青森県民相手に、「福澤家は、凄いよね」などと言った日には、恥を掻くだけ。




≪四人組がいた。≫

株式会社 文藝春秋
2014年8月10日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、約273ページ。 「オール読物」に、2008年2月から、2014年1月まで、不定期に掲載されたもの。


  市町村合併で名前がなくなった山奥の村。 毎日、郵便局に集まるのは、元村長、元助役、現役郵便局長の三人のジジイと、野菜売りのおばさんの、四人組。 いずれ劣らぬ、可愛気の微塵もないすれっからしで、金儲けの話にだけは、敏感に食指が動く。 村に起こる、様々な超常現象的事件に、興味本意と、悪乗りで対処して行く話。

  超常現象と言っても、SFではなく、御伽噺に近いです。 「大人の童話」と言ったら、形容矛盾ですが、そんな感じ。 一応、12話に分かれていて、短編集という形になっていますが、12章という取り方をして、全体で一つの作品と見た方が、適切かも。 宇宙人や、化け狸、野菜のお化け、雪男、背後霊、閻魔大王など、漫画・アニメの超常現象もので、よく取り上げられる題材を扱っており、その点、既視感が強いです。

  高村さんが作者ですから、現代社会の習俗も多く取り入れていて、御伽噺と混ぜ込んでいます。 つくづく、高村さんは、その方面の感性が優れている。 だけど、あと、30年経ったら、この作品に出て来る習俗は、ほとんど、分からなくなるでしょうなあ。 逆に考えると、分からなくなってしまうからこそ、詳細に書き留める事に意義があるとも言えます。

  と、ここまでは、高村さんに敬意を表した、抑えた感想。 ここからは、辛くなりますが、正直言って、声を出して笑うところまで行きません。 せいぜい、ニヤける程度。 作者の知性が高過ぎて、馬鹿になりきれないと言うか、品性があり過ぎて、下品になりきれないと言うか、笑いのツボを外してしまっているのです。

  帯の宣伝文句には、「ブラック・ユーモア」という言葉がありますが、ブラックを羅列し過ぎたせいで、一つ一つのギャグが、月並みな印象になってしまっている観が否めません。 ストーリー性が低いのは、高村さんの長編にも共通しますが、長編なら、どんな構成にしても、「こういう語り方なのだ」で、済ませられるのに対し、短編の場合、特に、御伽噺的な短編の場合、起承転結をはっきりさせないと、何が言いたいのか分かり難くなってしまいます。

  とはいえ、こういう、「気のおけない仲間と、ワイワイやる雰囲気が好き」という読者も、少なからず いるでしょうねえ。 話の内容なんて、大した意味はない。 その点、ライト・ノベルのファンは、入り易く、受け入れ易く、嵌まり易いんじゃないでしょうか。 高村作品ですが、これに限っては、難しい事は書かれていないので、頭が痛くなって、途中で放り出す事もないでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪墳墓記≫が、5月30日から、6月1日。
≪晴子情歌 上・下≫が、6月5日から、10日。
≪新リア王 上・下≫が、6月13日から、19日。
≪四人組がいた。≫が、6月21から、6月23日。

  高村さんは、犯罪を題材にした作品が多いですが、≪晴子情歌≫は、純文学です。 しかし、もし、高村さんが、純文学でデビューしようとしたら、どうだったかと考えると、まるっきり、注目を浴びなかった可能性が高いですねえ。 こういう暗い話を、80年代以降の編集者が、好んだとは思えませんから。 犯罪小説・推理小説の世界からデビューして、名声を確立したからこそ、純文学作品も出せるようになったわけだ。 

2025/08/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング (71)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、71回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年7月分。





【伊豆市熊坂・熊野神社】

  2025年7月7日。 伊豆市・熊坂にある、「熊野神社」へ行ってきました。 熊坂地区は、旧修善寺町の、北の端にあります。 遠いので、修善寺の中心部の方には、なかなか、行けません。

  当初の目的地は、熊坂地区の、「薬王寺」だったのですが、着くには着いたものの、何かの工事をしているようで、境内に人がおり、入るのは元より、撮影だけでも気が引けてしまいました。 で、急遽、すぐ裏手にある、熊野神社に変更した次第。

≪写真1≫
  山に上がって行く道の途中にあります。 そこそこに古そうな、石の鳥居。 右の建物は、物置というより、倉庫。 神輿か山車でも、入っているんでしょうか。

≪写真2左≫
  右手前の石の祠は、境内別社ですが、よそから移して来た可能性が高いです。 最初から、この大きさのものを、この位置に置かないでしょう。

  左奥は、石燈篭。 固太りという感じの、ずんぐりした形です。 プロレスラーの体形を想起させますな。

≪写真2右≫
  トイレ。 トイレがあるという事は、氏子の多い、大きな神社の証明のようなもの。 祭りなど、行事を大掛かりにやるから、トイレが必要になるのだと思います。

≪写真3左≫
  境内の二段目にあった、集会所のような建物。 元は、舞台だったんじゃないでしょうか。

  右手前の石燈籠は、普通の形です。

≪写真3右≫
  漱ぎ盤。 森に食われていますな。 使用されていないのは、間違いなし。

≪写真4≫
  境内の二段目から、三段目に上がる石段。 長い! 高い! 怖い! 手すりを付けたくなる気持ちも分ります。

  石段の下に、石燈籠があります。 写真には写っていませんが、階段の上にもありました。 四箇所とも、一対 揃っていました。 こういうものは、氏子から寄進されるものですが、財力がある家が多いんでしょうな。

≪写真5左≫
  境内の三段目は、社殿で一杯で、正面からでは撮影できなかったので、横から見ました。 屋根は、トタン葺きですが、大変、凝った造形です。

≪写真5右≫
  拝殿の彫刻。 唐獅子ですな。 左右で、阿・吽になっていました。 これは、向かって左側の、吽形の方。

≪写真6左≫
  拝殿前を横から。 太鼓が吊ってあります。 賽銭箱は、堂々とした大きなもの。 外にあるという事は、賽銭泥棒の被害に遭っていないのでしょう。

≪写真6右≫
  境内別社の、「龍爪神社」の拝殿跡。 石碑の解説によると、2004年に、台風で大破し、翌年に解体したらしいです。 上の段に上がる石段があるのですが、石垣の途中から上にあって、下の段からは上がれません。 上の段には、白い石の祠があり、それが、本殿のようです。




【裾野市深良・裾野市福祉保険会館付近】

  2025年7月13日。 裾野市・深良の、「裾野市福祉保険会館」の辺りまで行きました。 車に乗れなくなった兄を、兄の住居からうちまで、送迎する事になるかも知れない事態が発生し、場所が分からないのでは、時間を無駄にしてしまうので、小回りが利くバイクで、下見に行ったのです。

≪写真1≫
  旧・国道246号線、現・県道394号線。 私は、最も長く勤めた会社が、裾野市の北の外れにあり、電車・バス通勤だった3年間を除いて、車とバイクだけでも、20年以上 通っていたのですが、国道246号線バイパスを利用していて、旧246は、ほとんど、通った事がありませんでした。 信号交差点が多いので、時間がかかってしまうのを嫌ったのです。

≪写真2≫
  歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクなら、どこにでも停められますから、下見には持って来いです。

  246バイパスで、近くまで来て、そこから、旧246へ入ったのですが、北へ南へ、行ったり来たりしても見つけられず、もう一度、北へ行ったら、ようやく分かりました。 どんな建物か知らないというのは、困ったもので、認識できていないから、前を通っていても、気づかないんですな。

≪写真3≫
  「裾野市福祉保険会館」。 どういう施設なのかは、知りません。 裾野市民ではないから、知っても意味がないです。 この付近で、目印になる建物、というだけの話。

≪写真4≫
  バイパスに戻って、帰りました。 ここは、「御宿平山」という交差点で、左に曲がれば、バイパスに入れます。 来る時にも、ここで曲がれば、分かり易かったんですな。 もっと、南で曲がってしまったせいで、下調べして来た事が無駄になってしまったのです。


  行きは、ロストしたので、1時間かかりましたが、帰りは、40分でした。 すり抜けはしなかったから、車より速いという事はないのですが、迎えに来る当日の朝は、平日の渋滞時間帯だから、やはり、1時間以上かかるでしょう。


  追記。 兄送迎計画ですが、前日になって、わざわざ、兄に来てもらわなくても、私で代役が務まる事がはっきり分かり、とりやめになりました。 まあ、毎週、どこかしら、プチ・ツーには行くのだから、この裾野行きが、無駄になったというわけではないです。




【伊豆市瓜生野・修善寺 時の栖 万福 百笑の湯】

  2025年7月22日。 伊豆市・瓜生野にある、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 温泉施設ですが、中に入って、湯に浸かって来たわけではなく、ツーリングの目的地として、前まで行っただけです。

≪写真1≫
  狩野川左岸の、県道129号線を遡って、熊坂に入り、そのまま東へ向かって行ったら、南側にありました。 思っていたよりも、大きな建物でした。 だいぶ、歳月を経ている感じ。

≪写真2左≫
  看板。 「修善寺 時の栖 お風呂とサウナと ホテルとお食事 あります!」。 「時の栖」は、「ときのすみか」と読みます。 「修善寺」が上に付いているのは、他の場所にもあるからで、「御殿場 時の栖」というのも、よく聞きます。 行った事はありませんが。

  母の話では、この施設、最初は、「帝産閣」と言っていたのが、「帝産ヘルスセンター」になり、その頃、一度、行った事があるとの事。

≪写真2右≫
  看板。 「万福 百笑の湯 修善寺 時の栖」。 「百笑」は、「ひゃくわらい」と読むようです。 「百笑い」と、「い」を送った方が、読み易いと思いますが、利用客でもないくせに、余計なお世話か。

≪写真3≫
  道路を挟んで、狩野川側に並んでいる、個室の宿泊施設。 ネットで調べたところ、「ホテル オリーブの木」というそうです。 この丸屋根の並びは、狩野川左岸沿いを通っている、国道136号線からも見えます。 昔から、「あの丸屋根は、何だろう?」と思ってはいたのですが、そうか、ここの施設だったのか。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、36キロ。 結構、遠くまで来ています。 修善寺や大仁を目的地にしている月は、ガソリンが、すぐになくなってしまうなあ。 バッテリーの端子は、問題ないようで、エンジンが息をつくような事はありませんでした。




【伊豆市瓜生野・大仁金山跡】

  2025年7月28日。 伊豆市・瓜生野にある、「大仁金山跡」へ行って来ました。 前の週に行った、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の裏山にあります。 最初に行った時に、ついでに見てくれば良かったのですが、その時には、そういうものがあると、知らなかったのです。 「大仁金山」と言いますが、少なくとも、現在の地名は、伊豆市・瓜生野です。

≪写真1≫
  金山と言っても、山が見れるだけ。 観光地として整備されていないので、解説板一枚立っておらず、坑口がどこなのかも分かりませんでした。

≪写真2≫
  反対方向を見ると、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の駐車場と、建物が見えます。 駐車場は、広大。 平日なのに、そこそこ、車が停まっていました。 建物の、左側後ろの山は、大仁のランド・マーク、「城山」。

≪写真3≫
  山の麓に、墓石が並んでいました。 金山で亡くなった方達でしょうか。 ちなみに、ここの温泉施設は、元々、金山労働者の慰労の為に作られたようです。

≪写真4≫
  駐車場に、車一台分を占めて、ヌケヌケと停めた、EN125-2A・鋭爽。 空いていたから、停めさせてもらいましたが、考えてみれば、客でもないのに、申しわけない。




  今回は、ここまで。 目的地は、現伊豆市の内、旧修善寺町の、なるべく北の方を選びました。 裾野市が一回挟まっているのは、やむを得ない事情によるもの。 別に、決められた義務を履行しているわけではなく、私自身が決めている目的地ですから、どうにでもなります。 今後、北上して行くので、いずれ、裾野市にも行くわけですが、その月には、一回だけ、伊豆市・旧修善寺を挟んでみようかと思っています。

2025/08/24

時代を語る車達 ⑭

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 今年の春に、徒歩や自転車で出かけるたびに、ちょこちょこと、撮影していたのですが、そろそろ、払底して来ました。 また、撮りに行かなければならないか。





【スズキ・9代目アルト】

  2021年から、現行車種。 私は、初代を知っている世代ですが、もう、9代も経ていたんですなあ。 全代、形は思い出せますが、どれが何代目かは、写真付きの一覧表でも作らないと、分かりません。

  色が白で、3台並んでいるところを見ると、どこかの会社の、営業車なのでしょう。 アルトは、8代目からこっち、個人でもっている人は少なくて、社有車の方を、多く目にします。 そもそも、新聞に、スズキの折り込み広告が入って来ても、アルトが載っていないのだから、販売店が、個人客に売る気があるのかどうかも怪しい。 「売れないから、宣伝してもしょうがない」→「宣伝しないから、売れない」の、悪循環に陥っていると見ました。

  「中車高の軽だから、売れない」というわけではないのは、ダイハツ・2代目ミライースが、大変良く見かける車になっている事で、証明されています。 アルトに、個人客に欲しいと思わせる、魅力が欠けているとしか言えません。 膨らませて、車内容積を大きくしさえすれば、使い勝手が良くなるというわけではないのですよ。 広さを求めている人は、ワゴンRや、スペーシアを選べばいいのです。 なぜ、アルトまで、膨らませるのか、金輪際、理解に苦しむ。

  8代目は、それでもまだ、個性がありましたが、9代目のデザインは、どんな形にしたかったのかも、測り兼ねるところがあります。 まさかとは思いますが、あの、車の形とすら思えなかった、2代目アルトをオマージュしたんじゃないでしょうね。 もっとも、2代目に比べたら、遥かに、まともな形だとは思いますけど。

  アルトは、低価格で大ヒットした初代の後、女性の運転免許取得が流行していた事から、女性向けに、可愛いさを狙った2代目が登場するのですが、全体の形を考えず、小手先でごまかしたようなデザインで、一目見るなり、顔が引き攣るのを抑えられませんでした。 初代ミラより、レベルが落ちていた、2代目ミラにも、遠く及ばなかったのですが、当時の女性が、車のデザインについて、何の見識もなかった事で救われ、名前だけで売れて、そこそこのヒットとなったという、複雑怪奇な歴史があります。 買う方が、カッコいいも、醜いも、分からなかったんですな。

  トール・ワゴンやハイト・ワゴンが売れているところを見ると、今の女性のデザイン感覚も、さほど進歩したわけではなさそうですが、それでも、8代目や、9代目のアルトが、自分達のイメージと掛け離れている事は、分かるようです。 特に、9代目は、明らかに、女性向けのデザインなのに、肝心の女性にそっぽを向かれているのですから、男性には尚更で、仕事で使う営業車でもなければ、乗ろうとはしないでしょう。

  うーむ・・・、やはり、現行車を批判するのは、販売妨害になってしまうなあ。 セルボ・モードに乗っている私ですから、決して、スズキに対して悪意があるわけではないのですが・・・。 なんで、アルトが売れずに、ミライースが売れているのか、そこを考えてもらいたいのです。 次の10代目も、膨らませ路線で考えているのなら、いっその事、もう、アルトはやめにした方が、いいのでは? 折り込み広告に載せないほど、売れないのなら、モデル・チェンジにかける費用がもったいないではありませんか。




【スズキ・ツイン】

  2003年1月から、2005年12月まで、3年間、生産・販売されていた車種。 ダイハツ・ミゼットⅡ(1996年から、2001年まで)の対抗馬として作られたのだと思いますが、どちらも、一代限りで終わりました。 なぜ、2代目が作られなかったかというと、期待していたほど、売れなかったからでしょう。 こういう、主流から外れた車型、実験的な車型、遊び感覚で企画された車型というのは、社内に必ず、頑強な反対者がいるものでして、売れないと、「それ見た事か!」と批判され、モデル・チェンジの費用が認められないわけだ。

  「ツイン」というカタカナ名ですが、元は、英語の、「twin」ですから、「トゥイン」と呼んでいた人も多いのでは。 販売店の人は、どちらを使っていいか、悩んだと思います。 特に、若い世代は、「トゥイン」と、苦もなく発音できるのに、「ツイン」と言うのには、抵抗感があったはず。 ルノー・トゥインゴを、「ツインゴ」と発音する人は、いませんし。 ホテル業界で、シングル・ベッド2台の部屋を、「ツイン」と言うから、そちらに従ったのだろうか?

  ちなみに、意味は、「双子」で、英語では、普通、複数形になります。 双子の内の一人を指す場合は、「a twin」。 そういえば、シュワルツネッガーさん主演の映画では、邦題が、「ツインズ」になっていましたな。 この車では、二人乗りだから、そういう名前になったようですが、英語母語話者が聞くと、本来、別の意味がある言葉ですから、違和感を覚えるかも知れません。

  現行の軽規格一杯のサイズより、全長は短いのですが、全幅は同じです。 私が、2016年、父の通院に対処する為に、中古車を買わなければならなくなった時、ミゼットⅡは、候補に入れたのに対し、ツインは、最初から念頭に置きませんでした。 うちの車置き場の幅が狭くて、現行規格の軽では、ドアを開けるのが、厳しいと思われたからです。 狭い隙間から、這い入ったり、這い出たりするのは、毎回となると、結構な負担。

  世の中、いろんな家があり、いろんな形・大きさの車置き場があるので、中には、全長が短い車が欲しいという人もいるでしょうが、このツインを選んだ人は、そういう実用的な事情ではなく、遊び感覚が、主な理由だったんじゃないかと思います。 見るなり、「これは、面白い!」と、惚れ込んでしまい、実用性の欠点など、頭からふっとんでしまったのでしょう。

  後席がないわけですから、当然、二人までしか乗れませんし、荷物置き場も、ラゲッジ・ルームしかないわけで、買い出しに使うにも、一週間分、ドカッと買うというわけには行きません。 常に、一人で買い出しに行くなら、助手席も使えますが、助手席に荷物を置いた場合、ちょっと急なブレーキを踏むと、荷物が床に落ちてしまうなど、使い難さもあります。 二人で行った時の方が、買い物が多いのに、それを載せる場所が足りないというのは、ジレンマとしか言いようがありません。

  実用性の低さに目を瞑ってまで、この車を選ぶ理由があるかというと、些か、疑問。 その点は、二人乗りタイプですら、窮屈だった、ミゼットⅡも、似たようなもので、あちらは、荷台があったものの、露天ですから、更に、不便さがあったはず。 よほど好きな人でなければ、長く維持しようという気になれなかったのも、頷けます。 どちらも、モデル・チェンジするほど売れなくて、当然だったんですな。

  ところで、この写真の車のツートン色ですが、変わっています。 新車の時に、こういうのが選べたのか、後で塗り直したのか、不明。 当時のカタログを調べるほど、興味が湧きません。 実用性で選ぶ車なら、派手過ぎですが、遊び感覚で乗る車なら、充分、アリでして、むしろ、この形に、よく似合っていると思います。

  この車が企画されたのは、日本の自動車産業が、最後の輝きを放った時期でして、自動車文化が豊かだったからこそ、ミゼットⅡや、ツインが生まれて来る、ゆとりがあったんでしょうな。 実用性が足りないのを承知の上で、買ってくれる人がいたわけだ。 遊び感覚がなくなった時に、その業界の文化性は、死滅するわけですが、今の日本の自動車産業を見ると、確かに、その通りになっていると思います。 もっとも、遊び感覚だけというのも問題で、実用性がなければ、そもそも、自動車産業は成り立たないのですが。




【ダイハツ・6代目ミラ】

  2002年から、2006年まで、生産販売されていた車型。  ボンバンは、2007年まで。 セルフマチックは、2009年まで。

  前に、この車について解説文を書いた記憶がおぼろげに残っていて、調べたら、 2017年12月6日更新の、「6756 ≪茶虎猫 / 6代目ミラ≫」 2018年4月8日更新の、≪時代を語る車達 ③≫ で、シルバーのボンバンを、後ろから撮った写真を出していました。 閑な人は、過去ログを辿ってみてください。 大した事は書いてありませんが。

  ミラは、1・2・3代目までが、ミラ・デザイン。 4代目が、セルボ・モード似になり、5代目は、2代目マーチ似になり、6代目で、この形になりました。 何を真似たというわけでもない様子。 シャープというか、スマートというか、いいデザインだと思います。 もし、私が、この車の現行当時、バイク通勤していなかったら、買ったかも知れません。 もちろん、中古ですが。

  少し前に、「フォルクスワーゲン・up!」を取り上げた時、「この形が、日本の軽自動車に出て来なかったのは、不思議」と書きましたが、前半分に限れば、この6代目ミラが、近いですかね。 後ろ半分は、似ても似つきませんが。 「up!」の登場は、2011年なので、こちらの方が、遥かに早いですが、参考にされたかどうかは、不明。 小さい車を作ろうというのだから、日本の軽自動車も、一通り 見たかも知れませんな。

  インター・ネット時代になってから、デザイン業界は、パクリが日常茶飯事化しましたから、怒るような事ではありません。 その結果、みーんな、似たようなデザインになってしまったのは、残念至極。 特に、SUVはひどい有様で、個別車種は言うに及ばず、どの会社の車なのかすら、近づいて、マークを見なければ、判別できません。 「車のデザインは、終わった」と言ってもいいでしょう。 あんな没個性な代物を、高い金出して、喜んで買っている面々の気が、ほとほと、知れぬ。

  閑話休題。 話を、写真の車に戻します。

  1997年式のセルボ・モードに乗っている私が言うのも変ですが、最も新しくても、2007年の車を、今でも乗っているというのは、もちがいいですな。 18年間ですか。 結構結構。 そのくらいは、充分、乗れます。 たぶん、気に入っているのでしょうが、その気持ちも分かります。 今の、2代目ミライースもいいと思いますが、アイドリング・ストップがない分、この頃の車の方が、扱い易いでしょう。




【日産・4代目AD】

≪写真上≫
  日産のバン、4代目ADです。 2006年から現行。 ADというと、初代は、バン・ワゴン・デザインの歴史に残る名作。 2代目、3代目は、特に印象がなく、4代目が、これ。 現行車ですから、本来、批判は控えるべきですが、基本的に、商用車なので、個人で買う人は、稀。 会社で買うのなら、デザインは、選定の理由になりませんから、まあ、いいでしょう。

  これを初めて見た時には、こめかみに脂汗が流れました。 欧米車の下手なパクリが幅を利かせていた、80年代末までなら、いざ知らず、日本車がヨーロッパ車に追いついた90年代を経て、2千ゼロ年代に入っても、まだ、こんな醜いデザインが出て来るのかと・・・。 顎が外れなかったのが、不思議なくらい。

  はっきり言って、私の感覚では、このデザインを、全く理解できません。 80年代末までの日本車のように、デザインについて、センスが欠けていたり、造形技術が足りなかったりする事から来る、稚拙さゆえの醜さではなく、全然 次元の違う観点から、自動車デザインの何たるかを捉えている人が、既存のデザインを否定する目的で、わざと作ったとしか思えない。 

  ヘッド・ライトの形と言い、前バンパーと車体の接合部の角度と言い、機能的な合理性を、全く無視しているのは、とても、実用車であるバンのデザインとは思えません。 デザイナーの頭の中がどうなっているのかを見てみたいです。 いやいや、脳味噌を見たいわけじゃありませんよ。 どういう脈絡で、こういうデザインを思いついたのか、その過程を知りたいのです。 と、言いつつ、本人から説明されても、たぶん、理解できないと思いますが。

≪写真下≫
  斜め後ろから。 リヤ・コンも、本来、真後ろから見られるものである事を考えると、側面に回りこんでいる部分の方が面積が多いのは、理屈上の違和感を覚えるところ。 リヤコンから続く格好で、バック・ドアにプレス・ラインが入っていますが、それに、何の意味があるのかも、分かりません。

  最も奇妙なのが、ドア・サッシュの上の線が、荷室部分の窓の上の線と、なだらかに繋がっていない点です。 後ろドアが終わった所で、ガクンと角度がついています。 セダン・タイプがあるのなら、分かるのですが、そういうものは、存在していない模様。 では、このガクンは、一体、何の為につけたんでしょう? 分からぬ。 解せぬ。


  もしかしたら、初代ADや、プロボックス/サクシードのような、バン・ワゴンの完成形に対する、アンチテーゼなんでしょうか? わざと、奇怪な形を狙ったというのなら、大成功しています。 カッコの良し悪しとか、美醜といった基準で測らず、独自性、個性という観点だけで評価するなら、100点満点でして、世界中 見渡しても、これ以上 独自性に溢れ、個性的なデザインの車はないと思います。 私は、乗りたいと思いませんけど。




  今回は、以上、4台まで。 前月に予告した通り、これからは、一回、4台までに減らします。

  出かけた時には、極力、古い車を探そうとしているのですが、まーあ、減りましたねえ。 昨今、巷に溢れている車と言ったら、軽のハイト・ワゴンと、SUVばかり。 どうしてまた、猫も杓子も、そういう車ばかり、乗りたがるかな? 車高が高い車なんて、肝腎の運転が全然面白くないのですが、それに気づかぬか? そんなに高い視点が欲しいなら、トラックかバスに乗りなさいよ。 どちらの業界も、運転手不足で困っているから、大歓迎される事でしょう。