2024/11/17

実話風小説 (34) 【八方美人とお歳暮】

  「実話風小説」の34作目です。 9月の中頃に書いたもの。 割と短くできました。 もっと、短くしてもいい。




【八方美人とお歳暮】

  女Aは、その年、21歳で、まだ、若かった。 都会の大学に通っていたが、八方美人な性格が禍いして、交際し始めたばかりの男に、特殊詐欺グループに引きこまれてしまい、入って、たった一週間後に、仲間数人と共に逮捕された。 ちなみに、交際していた男は逃亡し、まだ捕まっていない。

  警察で取り調べを受けたが、加わって一週間では、何も分かりはしない。 仲間の証言から、かけ子を数回やっただけという事が分かり、送検されたものの、不起訴になった。 法律上の処分は、それでおしまいだが、大学は、何もなかった事にはしてくれなかった。 親を交えた話し合いの末、自主退学という事になり、地元に戻った。 親からは、大変、大変、非常に、非常に、残念な顔をされた。

「誰からも好かれたいというのは、悪い事じゃないけど、誰にでも、ホイホイ、ついて行ってどうする? 犯罪のニオイがするのに、気づかなかったのかねえ・・・」

  4ヵ月、何もせずに、家に引き籠っていたが、親戚の伝で、高齢者施設に、雑用係として雇ってもらう事になった。 紹介してくれた叔父さんは、真剣な顔で言った。

「大学をやめた理由は、言ってないから。 とにかく、真面目にやってくれ。 何か問題が起きたら、俺の信用もなくなっちゃうから」

  介護関係の資格など、何も持っていないから、掃除や、洗濯、布団干し、介護の手伝いなど、正に、雑用係である。 結構、きつい仕事で、しばらくは、体が慣れずに、ヒーヒー言っていた。 家に帰ると、母親相手に、

「なんで、大学生だった私が、あんな仕事を・・・」

  と、ブツブツ零していた。 職場では、おくびにも出さなかったのは、女Aが、八方美人で、他人の目に、自分がどう映るかを、常に気にしていたからである。 「文句一つ言わず、一生懸命働く、優しくて、可愛い子」を演じていたのだ。 こういう女性は、珍しくない、というか、結構、多い。 開き直って、サボってばかりいる女より、一見、ずっと好ましく見えるが、演技は、所詮、演技である。


  働き始めて、2ヵ月くらいすると、だいぶ、要領が分かって来た。 体も慣れて来て、ひどく疲れる事がなくなった。 元々、知能が低いわけではないから、仕事の手順の組み立てはできるのだ。 8割方、肉体労働という職種では、慣れてしまえば、こっちのもの、という面もある。

  何分、八方美人なので、他人が見ている所では、始終、ニコニコしており、入所している高齢者達の受けは良かった。 「Aちゃん」と呼ばれて、何かと、頼りにされるようになった。 八方美人心をくすぐる状況に漕ぎ着けたわけだ。

  その年の11月半ば頃、Bさんという高齢女性が、女Aに声をかけて、自分の部屋に連れて行った。 ちなみに、この施設では、入所者は全員、個室である。 4畳半もない部屋だが、一応の、プライバシーは保たれている。 女Aは、特殊詐欺の時の苦い経験があるので、少し警戒して、訊いた。

「他の人に聞かれたら、困る事ですか?」

「そういうわけじゃないんだけど・・・」

「何なんですか?」

「Aちゃん。 お歳暮を発送した事はある?」

「やった事ないです。 家では、母がやってると思います」

「そんなに難しい事じゃないのよ。 スーパーか、デパートに行けば、店員さんが、説明してくれるから、その通りにすればいいの。 どうしても、贈りたい人がいるんだけど、私は、とても、外出できないから、Aちゃん、良かったら、手続きしてくれないかな」

  女A、すぐに思い出した事があった。 勤め始めて、すぐの頃、仕事を教えてくれた先輩が、「ここじゃ、お中元・お歳暮は、やってないから」と、言っていたような気が・・・。 その頃は、お中元・お歳暮の時期ではなかったから、すぐに忘れてしまったのだが・・・。

「ここは、お中元・お歳暮は、やってないって・・・」

「それは、分かってるの。 だから、職員さんには、内緒でね」

  Bさんは、女Aに向かって、両手を合わせた。 女A、「私も、一応、職員なんだけど・・・」と思ったが、そこは、八方美人。 Bさんに嫌われたくはない。

「分かりました。 デパートは遠いから、無理だけど、スーパーでいいなら、行ってみます」

「うんうん、スーパーでも大丈夫。 ありがとうね。 恩に着るから。 これが、リスト。 持って行ってね」

  と言って、Bさんは、メモ用紙を手渡して来た。 6人の名前と住所が手書きしてあった。 贈る品は、全員同じ。 「ハムなど肉製品で、3000円前後のもの」と書いてあった。 お金は、2万円、預かった。


  女Aは、休みの日の前日に、帰り道、近所のスーパーに寄り、お歳暮発送の手続きをした。 サービス・カウンターが混んでいて、長いこと待った上に、メモの名前と住所を、専用の用紙に書き写さなければならず、1時間以上かかった。 休み明けに、Bさんの部屋に行き、メモを返し、お釣りを渡した。 Bさんは、喜んでいた。

「ありがとう。 助かったわ。 施設は、こういう事を、やってくれる所が少なくてねえ」

  Bさんは、高齢者施設を、何軒も渡り歩いており、他と比較して、言っているのだった。 喜んでもらえたので、女Aも、気分がいい。 八方美人冥利に尽きる。 女Aは、ウキウキした気分で、半日過ごした。


  Cさんという女性入所者がいた。 普段から、不平が多く、職員の間では、警戒されている人物である。 女Aが、部屋の掃除に入ると、ベランダへ出て、終わるのを待っている間、ブツブツ、独り言を言っていた。

「まったく、お歳暮一つ、出せやしない・・・」

  それを聞いた女Aは、つい、返事をしてしまった。

「お歳暮、出したい方がいるんですか?」

「そりゃ、いるよ。 施設に入ってる年寄りだからって、つきあいはあるんだからね。 家で暮らしてた頃には、15軒分も出してたんだよ」

「そんなには、無理だけど、5軒くらいなら・・・」

「えっ! Aちゃん、出してくれるの?」

「他の人には、内緒ですよ」

「分かった分かった! 内緒内緒! ちょっと、待って、えーと、名前と住所を書くからね。 ああ、いいや。 すぐには、書けないから、明日までに書いとくよ。 明日、また来て」

「はい」

  「他の人には、内緒」と、自分で言った女Aだったが、なんで、内緒なのかは、分かっていなかった。 最初に、Bさんが、やってはいけない事を頼んでいるような感じで切り出したので、何となく、後ろめたい事のように思えていただけだったのだ。


  翌日、Cさんの部屋に行くと、他に、二人、女性入所者が来ていた。

「ごめんね、Aちゃん。 内緒にしとく約束だったんだけど、この二人とは、親友だから、私だけってわけにはいかなくて・・・」

「はあ・・・・」

  三人から、メモを渡された。 Cさんは、5軒。 他の二人は、10軒ずつ。 女Aは、スーパーで用紙に書き写す手間を考えて、震え上がった。

「こんなには、無理です。 一人、5軒にして下さい」

  ところが、二人は、猛然と言い返してきた。 「これでも、頑張って、少なくしたのよ!」

「家にいた時は、親戚やら、主人の勤め先の上司やら、取引先の人に、30軒も出してたんだから! Aちゃんは若いから、分からないかもしれないけど、つきあいっていうのは、そういうものなの!」

  押し切られてしまった。 八方美人なので、相手に強く出られると、断れないのだ。 女Aが、受け入れたのを見て、Cさんが、追加の5軒分が書かれたメモを出して来た。

「私だけ少ない理由もないでしょ」

「・・・・・」

  女Aは、こんな厄介事は、早く片付けてしまおうと思って、その日の帰りに、スーパーに寄り、30軒分の発送手続きを済ませた。 3時間以上、かかった。 


  もう、想像がつくと思うが、女Aの災難は、これでは終わらなかった。 11月の内に、お歳暮発送を頼まれたのが、入所者の半数を超える、16人。 ちなみに、全員、女性。 送り先の数にして、130軒を超えた。 毎日のように、スーパーに寄り、2・3時間かけて、手続きをする羽目になった。 だが、女Aは、自分が始めた事が、どういう結果を招くか、まだ、分かっていなかった。


     12月に入り、5日を過ぎると、ポツポツと、施設宛に、お歳暮が届くようになった。 女Aが手続きして送った相手からの、お返しなのである。 5日の午前中に、2個来たと思ったら、午後は、バタバタと6個も来た。 事務長が、顔色真っ青になり、所長に報告すると、所長も真っ青になった。 女Aを除く、他の職員も、噂を聞いて、真っ青に。

  夕方、事務室に、職員全員が集められた。 事務長が、殺気立って、詰問した。

「誰か、お歳暮発送を引き受けましたね!」

  女A以外は、顔を見合わせている。 その様子を見渡していた事務長が、女Aを標的に定めた。

「Aさん。 君がやったんですか?」

「はあ・・・、はい。 すいません」

「何軒に送ったの?」

「えーと・・・、そのう・・・、最初のBさんが、6軒で・・・」

「全部で、何軒ですか?」

「全部で・・・、・・・132軒です」

  職員全員から、どよめきが上がった。

「おおおうっ!!」

  あまりの数の多さに、笑ってしまう者もいたが、笑い事ではない事は分かっていて、すぐに、真顔に戻った。 所長が、女Aの教育係だった、先輩のDさんに訊く。

「Dさん、お中元・お歳暮の代理発送は、引き受けちゃ駄目だって、教えなかったんですか?」

「教えました。 Aちゃん、聞いてるよね?」

  Dさんに睨みつけられて、女Aは、竦み上がった。

「聞きました。 でも、どうしてもって、頼まれちゃって。 私が頑張れば、入所者の皆さんに、喜んでもらえるかなあって、思ったんです」

  事務長の怒りが、爆発した。

「君が頑張ったのは、発送手続きでしょう! お中元・お歳暮には、お返しが来るって、考えなかったんですか!? 130軒も送ったら、おそらく、100軒以上が、お返しを送ってよこすでしょう。 誰が、受け取りをするんですか!?」

「・・・、私がやります」

「これから、数日間、受け取りの嵐ですよ。 あなたが、それをやっている間、あなたの仕事は、誰がやるんですか?」

「・・・・・」

  女Aは、ようやく、事の重大さが分かって来た。 こういう事態を避ける為の、「お中元・お歳暮は、やってない」という説明だったのである。 それを言われた時、「なんで、駄目なんですか?」と訊き返しておけば、Dさんが、理由を答えてくれたのだろうが、何せ、女Aは、八方美人で、誰からも気に入られたいと思っていたせいで、「飲み込みが早い、使える後輩」を演じる為に、敢えて、質問をしなかったのだ。


  女Aは、特殊詐欺で逮捕された時以上に、打ちのめされた。 詐欺の時には、「自分も、騙された側」といういいわけを、少なくとも、自分に対してだけはできたが、今度は、100%、自分の考えが足りなかったのが原因で、引き起こした問題だったからだ。 世間知が足りず、お中元・お歳暮には、お返しが付き物という常識が欠けていたせいで、こんな大失態を演じてしまったのだ。

  お返しのお歳暮は、合計、120軒分に及んだ。 女Aは、その受け取りを、一人で、全部こなしたが、次々と届けられる荷物の中には、認め印が必要なものもあり、受け取った手荷物は、各部屋に運ばなければならず、想像を絶する手間となった。 他の仕事など、するゆとりは全くなかった。

  女Aは、年末を待たずに、退職願いを出した。 事務長は、事務的に、退職書類を出して、書き方の説明をした。 この事務長は、社会経験が豊かな人で、女Aが、八方美人タイプである事を、すぐに見抜き、最初から信用していなかったので、やめてくれるというなら、文句はなかった。 一応、所長が引き留めたものの、女Aの決心は変わらなかった。 決定的となったのは、Bさんの部屋に、お歳暮のお返しを持って行った時に、こう言われた事である。

「Aちゃん。 良かったら、年賀状の宛名を書いて欲しいんだけど」

「もう、勘弁して下さい」


  施設に入っているからといって、高齢者は、人づきあいを諦めたわけではない。 いつまでも、現役時代と変わらないと思っている人の方が多いのだ。 お中元・お歳暮・年賀状は、彼らが、生きている事を、かつて交流していた人達に伝える為の、最も有効な手段である。 見栄を張りたい欲望に、現役も引退者もない。 問題は、自分では、能力的にできなくなっている事を、若い者を利用して、実現しようとする、その図々しさにある。

「施設の職員に頼むのではなく、家族に頼んで、発送してもらい、家で、お返しを受け取って、施設に持って来てもらえばいいのに」

  と思うかもしれないが、お返しには、調理しなければ使えない食材なども多くあり、自炊型でない施設の場合、調理場に持ち込まれたりすると、逆に迷惑になってしまう。 箱のダンボールや厚紙も、ゴミを増やす事になる。 結局、施設側としては、一切禁止にしてしまった方がいいのだ。

  また、家族の方も、親のつきあいを引き継ぐ気はない。 親と子供は、別の人間なのだ。 親の中には、「自分と、友人・知人のつきあいは、自分の子供と、友人・知人の子供に引き継がれて行くはずだ」などと思っている者もいるが、途轍もない勘違いである。 いとことすら、大人になれば、音信不通。 兄弟姉妹ですら、滅多に顔を合わせない。 況や、他人に於いてをや。 子供には、子供のつきあいがあるのだ。


  八方美人も、相手を見て、やった方がいい。 高齢者に好かれてもなあ。 遺産をもらえるかも? そんな例は、ほとんど、ない。 遺言状に名前を書いてもらっても、大抵は、本人の死後、近親者が現れて、訴訟を起こしてでも、他人の手に遺産が渡るのを、阻止してしまう。 自分が相続人になっていない事に腹を立て、「他人に渡すくらいなら、国に没収してもらう方がマシ」という考え方になるようだ。


  女Aは、その後、家に引き籠って暮らしていたが、23歳の時、珍しく、買い物に出た先で、高校時代の同級生と再会して、交際を始め、結婚に至って、以降、割と普通に暮らしている。 八方美人は、意識的に、やめた。 人生の得にならないと、悟ったからである。 お中元・お歳暮・年賀状のやり取りは、一切やっていない。

2024/11/10

セルボ・モード補修 (38)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回の記事3件で、とりあえず、このシリーズは、終了。 次は、来年の秋になると思います。 一年くらい経たないと、記事が溜まらないので。





【ウォッシャー液・クーラント液の補充】

  2024年7月14日。 車の液物を補充しました。

≪写真上左≫
  カーマで買って来た、Dcmブランドの、ウォッシャー液、2リットル。 217円。 気温が、-6℃までなら、そのまま。 -2℃までなら、水で、2倍に希釈するとの事。

≪写真上右≫
  車のエンジン・フードを開け、ウォッシャー液の注入口に、ヨーグルトの台紙で作った漏斗を挿し、塗装面にかからないように、タオルで養生してから、注ぎました。 入れ過ぎて、溢れてしまい、慌てて、タオルとティッシュで拭き取りました。

≪写真下左≫
  Dcmブランドの、クーラント液(緑)。 2リットル。 822円。 車が古いから、「スーパー・クーラント」ではない、ただの、「クーラント」です。 -40℃まで凍らないとの事。 希釈不要の、ストレート・タイプ。

≪写真下右≫
  入れ方は、ウォッシャー液と同じですが、こちらは、リザーバー・タンクに、上限線があるので、そこまで入れました。 交換ではなく、補充だけの場合、タンクに足すだけで、他の作業は要りません。


  私の場合、通勤ではないので、ウォッシャーは、全く使いません。 出かける前に、ガラスを拭くから、必要ないのです。 全く減っていないのかも知れませんが、タンクが直接見えないから、とりあえず、足しておいた次第。

  クーラント液は、ラジエーターの冷却液ですが、そんな物がある事を、すっかり忘れていて、これまで、リザーバー・タンクの様子を見た事がありませんでした。 車検前に、下限線スレスレになっているのに気づいて、青くなった次第。 ディーラーには伝えておいたのですが、車検は、そのままで通りました。




【ジェネレーター・ベルトの張り調整】

  2024年7月24日。 車のジェネレーター・ベルトの張り調整をしました。 エアコンをかけると、キュルキュル音がするようになってしまったので、やむなく。 前回やったのは、2017年の7月だから、3年ぶりです。

≪写真1≫
  庭用の緑色パネル12枚と、コンクリート・ブロック4個、ハーフ4個で作った、カー・ステップ。 この上に、前輪を上げて、エンジン下に潜れるようにします。 ジャッキは、勧めません。 結構、力を入れる作業をするので、外れた時が、怖いからです。

  内側に置いている、ハーフ・ブロック2個は、車を上げた後に取り出して、後輪の後ろに置き、輪止めにします。 ダンボールを敷いてから、下に潜ります。 

≪写真2≫
  作業の邪魔になるので、エア・クリーナーと、バキューム・ホースを外しました。 このくらいの分解なら、誰でもできますが、慣れるまでは、ビフォー写真を撮っておいた方がいいです。

≪写真3左≫
  中央に、白っぽく見えるのが、ジェネレーター。 つまり、発電機です。 この車の場合、オルタネーター。 その上の黒っぽい部品が、ベルト・アジャスター。 ベルトも見えています。

  アジャスターのボルトを緩め、ジェネレーターを押しながら、締め直せば、ベルトがピンと張るわけです。

≪写真3右≫
  エンジンの下から撮っているので、ひどい写りなのは、御容赦あれ。 白っぽいのが、ジェネレーター。 中央が、下側ボルトで、14ミリ・レンチで回します。 下側ボルトは、アジャスターの軸になります。

  まず、下側ボルトを緩めてから、上側ボルトを緩め、ジェネレーターを押して、上側ボルトを締め直し、最後に、下側ボルトを締め直します。 理屈上は、単純な作業ですが、エンジン・ルーム内が狭いので、レンチを動かせるゆとりが、ほんの少ししかなく、四苦八苦する事になりました。

≪写真4≫
  使った工具。 左から、

・ スパナを叩いて回すのに使った、金槌。
・ ジェネレーターを押すのに使った、タイヤ・レバー。
・ 上側ボルトを回すのに使った、12-10ミリのメガネ・レンチ、2本。
・ 上側ボルトを回すのに使った、12ミリのコンビネーション・レンチ。
・ エア・クリーナーを外すのに使った、差し替えドライバー。
・ 下側ボルトを回すのに使った、14ミリのコンビネーション・レンチ。

  上側ボルトは、12-10ミリのメガネ・レンチ、2本を交互に使って、少しずつ回しました。 全く同じ物ではなく、噛む所が、微妙に、ズレているので、そういう使い方ができるのです。 ちなみに、父の遺品。 理由もなしに、2本あったわけではないわけだ。


  キュルキュル音は、ベルトの張りを強くすれば、大抵、収まります。 そのまま乗っている人も多いと思いますが、ディーラーに言えば、日帰りで、直してくれると思います。 自分でやる場合、ネット情報などで、同じ車種を、よくよく調べてからの方がいいです。

  ベルトが伸びきっている場合は、交換する事になりますが、それも、さほど、難易度が高い作業ではないです。 張り調整ができるのなら、交換もできるはず。 ベルトは、アマゾンなどで、売っています。 車の年式から適合部品を調べるには、モノタロウで、検索ができます。




【前ワイパー・アーム塗装】

  車の、前側ワイパー・アームに、錆が出ているのを発見し、9月8日に、塗装しました。 ビフォー写真を撮ったのですが、黒地に錆色では、大変、見分けづらくて、見せても分かりそうにないので、出しません。

≪写真1≫
  ワイパーを上げて、新聞紙を敷き、四隅をマスキング・テープで留めました。

≪写真2≫
  ブレードを外しました。 ブレードは、工具なしでも、ツマミを押しながら、アームの根元側にズラせば、外せます。 今の車は、どうなっているか知りませんが。 ちなみに、もっと昔の車では、ボルト2本で締めていました。

≪写真3左≫
  「アサヒペン 水性スーパーコート ツヤ消し黒」。 2016年8月に、アマゾンで、500円くらいで買った塗料。 最初に、ワイパー・アームを塗ったのも、これでした。 水性なので、水で薄められる上に、筆も水で洗えて、使い易いです。

  筆は、水性画用の絵筆。 100円ショップで、太さの違う数本がセットになったものを買っておけば、たぶん、一生分、もちます。

≪写真3右≫
  アームを、下げた状態で乾かします。 新聞紙を折り畳んで、ガラスに傷がつかないようにしています。 上げた状態で乾かすと、風や鳥などが原因で、パン!と倒れて、ガラスを割ってしまう恐れがなきにしもあらず。

≪写真4≫
  約、一日半、乾かして、翌9日の夕方、ブレードを付けて、完成。 ビフォーもアフターも、色が黒では、写真に撮っても、分かりませんな。 とにかく、錆は見えなくなりました。




  今回は、ここまで。

  車検がある年は、その前の確認で、あちこち、不具合を発見するせいで、やる事が多くなります。 クーラント液なんて、自動車工場に勤めていた時、同じ班内に、入れている工程があって、存在は知り過ぎるほど知っていたんですが、すっかり忘れていて、今回、初めて、見てみた次第。

  1997年製で、今年で、27年目。 私の所に来てからも、8年経っており、長もちさせている車ですが、やはり、少しずつ、あちこち、壊れて行くんですなあ。 機械というのは、そういうものなのでしょう。

2024/11/03

読書感想文・蔵出し (118)

  読書感想文です。 これを纏めているのは、10月の中旬ですが、一年以上、苦しめられて来た、鼠蹊ヘルニアで、いよいよ、病院へ行き、検査をしている最中です。 週に一回しか行かないので、暇はあって、本は、2週間に2冊のペースで借りて来て、読み続けています。





≪犬物語≫

柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン
株式会社スイッチ・パブリッシング 2017年10月28日 第1刷発行
ジャック・ロンドン 著
柴田元幸 訳

  沼津図書館にあった、単行本です。 短編4作、中編1作を収録。 ジャック・ロンドンさんは、1876年生まれ、1916年没の、アメリカの作家。 【白い牙】の作者。


【ブラウン・ウルフ】 約28ページ

  カリフォルニアに住む夫婦が、犬が放浪しているのを見つけ、何度も逃げられたものの、そのつど、連れ戻して、やっと飼いならした。 狼に似ているが、毛が茶色なので、犬の血が入っているのは、間違いない。 ある時、北の地からやって来た男が、自分の犬であると言い出し、雪国の厳しい生活に戻るか、南国でぬくぬく暮らすか、犬に決めさせる話。

  物語のセオリーとしては、厳しくても、自分が生きるべき場所で生きる事を選ぶ事になる、というのが、定石ですが、それまでの経緯を知っている読者としては、夫婦の元に残って欲しいという期待もあり、ギリギリまで、どちらに転ぶか、ハラハラさせてくれます。 普通に、よく出来た短編。


【バタール】 約26ページ

  フランス人の男に使われている、凶暴な犬。 仔犬の頃から、飼い主と敵対関係にあり、互角に戦える年齢になるや、勝負を挑むが、しとめられなかった。 やがて、飼い主が、殺人の濡れ衣を着せられて、縛り首寸前の状態になる。 真犯人を捕まえる為に、人々がいなくなった隙に、犬が・・・、という話。

  ここまで憎み合う、人と犬というのも、珍しい。 犬を、橇を引く役畜として使っていると、所詮、「生きた、道具」に過ぎないから、こういう考え方になる人もいるんですかねえ。 読者としては、人と犬の戦いだと、どうしても、犬側の味方をしてしまいますな。


【あのスポット】 約18ページ

  片腹に、水玉模様がある事から、スポットと名付けられた犬。 値段が高かったのに、全然、働かない。 それでいて、他の犬の上に君臨していて、憎たらしい。 何度も売り飛ばしたのだが、しばらくすると、戻って来てしまう。 友人関係にある二人の男が飼い主だったが、一人が、スポットにうんざりして逃げ出すと、もう一人が・・・、という話。

  これは、落とし話の一種でしょうか。 笑うほど、面白くはないですけど。 スポットが戻って来るのは、飼い主に懐いているからではなく、元の群に戻ろうとしているのでしょう。 自分がリーダーである群に。 売り飛ばそうなとと思わず、放っておけばいいと思いますがね。


【野性の呼び声】 約128ページ

  南国の裕福な家から盗まれた、セントバーナードとシェパードのハーフ犬。 アラスカへ連れて行かれ、橇犬として扱き使われる内に、逞しくなる。 持ち主が何度も変わり、愚かな飼い主に殺されかけた挙句、心底 可愛がってくれる男の元に辿り着く。 しかし、その男と共に分け入って行った未開の地で、狼の誘いを受けて、野生が目覚め・・・、という話。

  後年に書かれる、【白い牙】と、ほぼ、同じ構成。 こちらの方が短いですが、内容的には、同じくらいの読み応えがあります。 【白い牙】では、闘犬にされるので、戦う場面が多いですが、こちらは、橇犬として、虐待に近い過重労働をさせられる場面が多いです。 犬を飼った経験がある読者の場合、気分がいいものではありませんが、同じ犬でも、ペットと役畜の違いとは、こういうものなんでしょう。

  作者は、実際に、アラスカで暮らしていた時期があるとの事。 現実を見て、そのまま書いたものと思われ、その厳しさに、戦慄せざるを得ません。 生きるというのは、こういう事なんですな。 アラスカで生きるだけの知恵を持っていない、3人組が出て来て、それなりの報いを受けるのですが、犬まで道連れにされてしまうのは、あまりにも、理不尽。 しかし、現実とは、そういうものなんでしょう。

  野生に戻る結末に拘り過ぎて、主人公犬の心理に、統一性を欠く嫌いがなきにしもあらず。 しかし、人間も含めた動物が、生きる意味を考えさせられる点で、【白い牙】同様、読んでおいた方がいい作品だと思います。


【火を熾す[1902年版]】 約13ページ

  零下60度の環境で、うっかり、足を水に浸けてしまった男。 暖め、乾かす為に、マッチを擦って、火を熾そうとするが、手袋を外した手は、たちまち凍りついて、動かなくなってしまい・・・、という話。

  この作品だけ、犬が出て来ません。 13ページの掌編とは思えないほど、緊迫感があります。 ≪八甲田山≫に近いものあり。 これは、怖いわ。 タイトルに、[1902年版]とあるのは、加筆して、犬を登場させた、[1908年版]があるからだそうです。




≪偶然世界≫

ハヤカワ文庫 SF 241
早川書房 1977年5月31日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 270ページ。 コピー・ライトは、1955年。 フィリップ・K・ディックさんの「K」ですが、解説によると、「ケンドレッド」だそうです。 ミドル・ネームという習慣そのものが、よく分かりませんが・・・。


  23世紀初頭。 機械システムによって、権力者が選ばれる社会。 比較的長く務めた人物が外され、新しい人物が権力者になった。 権力者には、常に刺客が放たれ、それを阻止し続けなければならないルール。 権力者側は、テレパス集団による防衛機構をもっていたが、それを突破する為に、前任者が、アンドロイドを刺客に仕立て上げ・・・、という話。

  面白いです。 ただし、活劇としては、です。 ある科学技術トリックで、テレパス集団を翻弄し、権力者に迫る刺客の戦いは、息もつかせぬ展開で、全体の5分の4くらいは、一気にページが進みます。 途中で読むのをやめるのが、困難なくらい。 しかし、活劇的展開は、戦記物やスパイ小説などで、読みどころとされるもので、SFそのものの要素ではありません。


     原題は、【SOLAR LOTTERY】で、直訳すると、【太陽の宝くじ】ですが、内容と、ほとんど、関係がなくて、まずいタイトルです。 最初に付けられた邦題は、【太陽クイズ】ですが、権力者の称号が、「クイズマスター」と言うものの、クイズは、ほとんど関係がなく、これまた、まずいタイトル。 改題された邦題が、この、【偶然世界】ですが、「偶然」が、テーマというわけではなく、モチーフとしても、軽く数回触れられる程度で、作品の内容を表しているとは、到底 言えません。

  なぜ、ピッタリ来るタイトルがつけられないのかと言うと、SF作品としての、一貫したテーマをもっていないからです。 活劇場面を中心に、「テレパス」、「リモコン・アンドロイド」などの、SF小道具を寄せ集めて、色を着けただけなのです。 これだけ、読み手を、グイグイと引き込むのに、テーマがないというのは、ある意味、興味深い。

  テーマ的には、バラバラなわけですが、その最たるものが、権力者と刺客の戦いと同時進行する、太陽系の第10番惑星へ向かう宇宙貨物船の旅でして、「何か、終わりの方で、関係してくるのかな」と思いきや、とんだ、肩透かしを食らいます。 もしかしたら、文字数の指定など、出版社側から課された制約があり、長くする為に、無理やり入れたのではないでしょうか。

  刺客のアンドロイドが、それ自体、人間サイズの宇宙船で、宇宙貨物船を太陽系外縁部まで、追いかけて行って・・・、などという、展開は、噴飯もの。 ディックさんが、50年代当時の、テキトーな宇宙知識で書いていたのは、疑いありません。 宇宙貨物船の方ですら、外縁部に到達するのが、早過ぎるのでは? それでいて、何か特殊な高速推進装置が積まれているという説明もないのです。




≪火星のタイム・スリップ≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3129
早川書房 1966年11月30日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 なに、1966年の本? 58年前ですな。 私が2歳の時に発行されたのか。 よくそんなに長く、もちますねえ。 長編、1作を収録。 二段組みで、267ページ。 コピー・ライトは、1964年。 60年代ともなると、アメリカのSF作家の、有名どころの存在は、日本でも知れ渡っていて、本国で新作が出るのを待ち構えていて、翻訳・出版していたんでしょうな。


  火星への植民が、ようやく、軌道に乗りつつある頃。 地元有力者の男が、精神分裂病の少年と特殊な方法で意思疎通する事によって、未来を知ろうと試みる。 不毛の荒野と見做されている土地で、国連による大規模な住宅地開発が行なわれる事が分かったが、僅かの差で、他の者によって、先に土地を登記されてしまっていた。 有力者は、少年と火星先住民の力を借りて、過去に戻り、自分が先に登記しようとするのだが・・・、という話。

  有力者の他に、機械修理技師の男が出て来て、どちらかというと、そちらの方が、主人公扱いされているのですが、ストーリーは、有力者を軸に展開するので、ちと、ややこしいです。 技師の方は、若い頃に、精神分裂病を経験していて、自分の病気がぶり返してしまうのではないかと恐れています。

  精神分裂病、今で言う、統合失調症ですが、それが、中心テーマになっている事は、確か。 「精神分裂病の患者は、時間の感覚が、常人と違っていて、ゆっくりと動く時間の中で生きている」という学説が、当時あったようで、そこから膨らませて、「彼らは、タイム・スリップができるのでは?」というアイデアに発展させたわけですが、明らかに、考えが飛躍し過ぎていて、真面目に取る人はいないでしょう。 SFは、そもそも、科学技術をベースにした作り話だから、別に問題ないわけですが。

  問題は、ディックさんに、どこまで、精神分裂病の知識があったかでして、この作品に出て来る患者を見ていると、どうも、統合失調症患者のイメージと重なりません。 ディックさん自身が、自分は精神分裂病なのではないかと恐れていて、自分の症状を書いたのかも知れませんが、これは、別の病気なのでは?  どちらかと言うと、少年や技師より、有力者の方が、手に負えない精神病患者に近い印象があります。

  精神分裂病をテーマにしているのに、その病気に対する知識が曖昧で、しかも、SF設定を重ねているから、どうにも、与太話のニオイが立ち込めてしまいます。 なまじ、細かい心理まで、みっちり書き込んであって、読み応えがあるだけに、この胡散臭さは、致命的。 ディックさんの精神が壊れて行く過程の、端緒が顕われている感がなきしもあらず。

  有力者のキャラですが、こういう人は、創業社長や、政治家に、いくらでも、いそうですな。 自分が思いついた事は、とことん実行しなければ気がすまない。 他人の事を、自分の道具だと思っている。 自分に損害を及ぼす者は、叩き潰していいと思っている。 法律なんか、知った事か。 俺が法律だ。 いるいる。 支配欲、権勢欲で、頭も心も満杯になってしまって、他人の立場になって考える事など、金輪際、できない相談なわけだ。

  ところで、この作品、一応、火星が舞台ですが、別に、地球上でも成り立ちます。 火星に対する知識が乏しい時代というのは、しようがないもので、先住民がいて、運河を造った事になっているし、環境の描写は、地球上の砂漠・土漠のそれそのもので、妙に、暑さを感じる。 火星は、もっと、気温が低いと思うのですがね。




≪流れよわが涙、と警官は言った≫

ハヤカワ文庫 SF 807
早川書房 1989年2月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
友枝康子 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 355ページ。 コピー・ライトは、1974年。 うっ・・・、だいぶ、新しいな。 という事は、ディックさんが薬中になった晩年に近いわけで、嫌な予感がしないでもなし。 その予感は、ある程度、あたりました。


  歌手で、人気番組の司会もしている42歳の男、女絡みの傷害事件に遭い、何とか一命は取り止めたものの、目覚めたら、安ホテルの一室で、高額紙幣の札束以外、身分証明書の類いを一切、失っていた。 仕事仲間や交際相手に電話をかけても、誰も、彼の名前を知らず、彼の存在が消えた世界になっている。 身分証明ができなければ、強制収容所へ送られてしまう社会で、さあ、どうすればいい? という話。

  SF設定としては、時代が1980年代で、書かれた当時からすると、近未来という事になります。 アメリカが、警察による監視社会になっているという背景。 あと、架空の薬物が出て来ます。 他に、移動手段が、飛行艇や、ヘリコプターといった、自家用航空機になっています。 それだけ。 それらを除くと、SFではなくなります。 まあ、そういうSFは、珍しくありませんけど。

  解説によると、自伝的小説だとの事で、そちらの方が、内容を説明するのに、適切です。 作者が、薬中の面々との交際が始まり、作者自身も薬中になって行った頃に書かれたものでして、いかにも、薬中だなあと思わせる登場人物が、次々に出て来ます。 作者にとっては、大切な仲間だったのでしょうが、読者には、そんな異常な事につきあう義理はないです。

  主人公が、女性と話をする場面が多くて、会話で紙数を稼いでいるのは、明らか。 これは、作者が、実際に薬中女性と話をした経験から、内容を少し変えて、盛り込んだのではないでしょうか。 ダラダラと長いばかりで、何が言いたいのか、よく分からない会話は、読んでいて、苛々しますが、そもそも、薬中患者の戯言が元なのだから、無理もない。

  なぜ、一人の男の存在が消えた世界になってしまったかについては、架空の薬物が原因でして、一応、後ろの方で、説明があります。 しかし、全く、納得できません。 主人公ではない、ある人物が、その薬を服用したわけですが、それが、どうして、他人の世界を変えてしまうのか、理解できないのです。 三人称でして、作者が、ある人物の視点を通して語ったというのなら、無理やり、こじつけられない事はないですが、無理やりにも程があり、これが、推理小説なら、アンフェアと罵られる事、不可避。

  【スキャナー・ダークリー】が、1977年なので、こちらは、3年前に出たわけですが、3年後には、もっと、ひどくなります。 【スキャナー・ダークリー】に比べれば、こちらの方が、遥かに、マシ。 一応、小説として、読めるからです。 SFとしては、問題外。 傑作などでは、ゆめゆめ、決して、金輪際、ないので、勘違いしないように。

  薬物に依存して書いた小説を、「神がかり的」などと言って、絶賛する人がいますが、話にならぬ。 自分が薬物に頼りたいから、その口実にしているだけなんでしょう。 薬中患者には、読むに値する小説なんか書けないんだという事を、ディックさんが、一番よく、証明してくれていると思います。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪犬物語≫が、7月22日。
≪偶然世界≫が、8月4日。
≪火星のタイム・スリップ≫が、8月5日から、7日。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫が、8月18・19日。

  動物ものが、1冊、ディック作品が、3冊。 一日で読んでしまったのが、二冊ありますし、他の二冊も、短い日数で、読み終えていますな。 しかし、私の場合、家事だの、買い出しだの、ツーリングだの、ポタリングだの、他の事をやりながら暮らしているので、一日に取れる読書時間は、一定しておらず、早く読み終えたからといって、その本が面白かったというわけではありません。

2024/10/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (61)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、61回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年9月分。





【三島市川原ヶ谷・秋葉神社】

  2024年9月6日。 三島市・川原ヶ谷にある、「秋葉神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前、行った、「茶臼山展望台」から、少し、山の上へ向かい、分岐を右、つまり、南側へ行くと、すぐの所にあります。

≪写真1≫
  昼尚暗い森の中を走って行きます。 分岐の辺りがぬかるんでいて、タイヤと靴を汚してしまいました。 バイクを停めてある、ちょうど、向かい側に、神社に入る道があります。

≪写真2≫
  奥に見える、秋葉神社。 森の中なので、妙に、神秘的。 鳥居は、なし。

≪写真3左≫
  社、というか、祠。 木製で瓦葺き。 人間が入れるサイズではないです。 個人で祀っているのかも知れません。

≪写真3右≫
  背面。 シンプルだ。 この社は、覆いではなく、これ自体が、拝殿にして、本殿です。 狛犬、石燈籠、漱盤などは、なし。

≪写真4左≫
  中に、賽銭箱がありました。 文字は、右から、「銭賽」。 ちょっと、奥にあって、入れ難いですな。 扉は、最初から開いていました。 毎日、開け閉めしてるんでしょうかね? 大変だな。

≪写真4右≫
  石で出来た、覆い。 たぶん、中に、木製の小さな社を入れる為のものでしょう。 中は空でした。 もしかしたら、これが、最初の社で、建て直して、今の社になったのかも知れません。

≪写真5≫
  道を、少し行くと、展望が開けました。 やっぱり、写真は、こうでなくては。 泥道に戻る気にならず、このまま、先に進んだら、小沢集落に出ました。 そこから、沢地に出て、帰りました。

  バイクのタイヤと、靴に着いた泥は、帰ってから、濡れ雑巾で、拭いておきました。 その程度で済んで、良かった。




【三島市川原ヶ谷・小沢公民館】

  2024年9月10日。 三島市・川原ヶ谷にある、「小沢公民館」へ行って来ました。 中に入ったわけではなく、どんな所か、見に行っただけ。 小沢地区は、箱根の山懐で、三島市と言っても、かなりの距離があります。

  小沢地区に入ったものの、最初、入口を見つけられずに、通り過ぎてしまい、引き返して来て、高い所から見下ろしたら、児童公園の滑り台が見えたので、当たりをつけて、そちらへ向かいました。 入り口には、ちゃんと、案内書きがありました。 行きには、見過ごしただけたったんですな。

≪写真1≫
  小沢地区は、それ自体、斜面にあるのですが、公民館には、大きな敷地をとってありました。 駐車場が、妙に広い。 建物は、ゆったりした平屋。

≪写真2≫
  一角にあった、児童公園。 滑り台と、動物の乗り物があります。 跨り物と呼ぶべきか。 パンダと、熊。 こういうものを喜ぶ、小さな子が、もういないのか、草ボウボウですな。

≪写真3左≫
  垣根の中に建っていた、石碑。

「農村基盤総合整備事業  完工碑  平成七年五月吉日」

  平成七年は、1995年。 29年経っているわけですが、石碑としては、まだ、作ったばかりという年齢。

≪写真3右≫
  防災倉庫。 汎用の物置ですな。

≪写真4≫
  空と雲。 9月に入っていたけれど、思いっきり、夏ですなあ。 暑かったです。




【三島市御園・墓石神社】

  2024年9月17日。 三島市・御園にある、「神社」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、名前が分かりません。 現地でも、分かりませんでした。 御園地区は、三島の南の端です。

≪写真1≫
  細長い境内の奥にあります。 向かって、右側を流れているのは、用水。 用水の更に右に、道路があり、最初、そこへ曲がってしまったのですが、奥からは入れないと分かり、幹線道路へ引き返して、正面から、入り直しました。

≪写真2≫
  右にあるのが、神社。 左の石塔は、「文禄四年」の文字があり、何かの石碑かと思ったんですが、さにあらず、他の文字を読むと、複数人の戒名が彫ってあり、墓石と判明しました。

≪写真3≫
  神社の前面。 これは、覆いで、中に、木製の祠が入っているタイプです。 屋根は、銅版葺き。 壁は、コンクリート・ブロック積みで、塗装されています。 前面は、格子扉。 この大きさにしては、相当、凝った造りです。

≪写真4左≫
  石燈籠。 シンプルなタイプ。

≪写真4右≫
  境内の途中まで乗り入れた、EN125-2A・鋭爽。 入口近くで停めても良かったんですが、どうも、真ん中あたりの方が、転回し易そうだったので、ここまで入ってしまいました。 狭い草地での転回は、バイクに跨り、エンジンをかけて、じわじわと前後させながら、少しずつ、向きを変えます。 地面が舗装されていないと、下りて押すのは、無理があります。

  三島の御園は、大平から、新城橋を渡ると、すぐでして、以前なら、折自で来ていた所です。 往復で、30分くらいで、家に戻れました。




【三島市松本・山神社】

  2024年9月23日。 三島市・松本にある、「山神社」に行って来ました。 当初の目的地は、御園の、「稲荷神社」だったのですが、予め、ストリート・ビューを見て来たにも拘らず、いくら探しても見つかりせん。 どうやら、撤去された模様。 他に移転したのかも知れませんが、調べようがないので、諦めて、場所を知っていた、山神社の方へ向かった次第。

≪写真1≫
  幹線道路ではないですが、割と広い道路に面しています。 木製の鳥居、あり。 後ろの建物は、倉庫です。

  バイクは、停める所がなかったので、側溝の溝蓋の上に停めました。 こういう所では、キーを溝蓋の隙間に落とさないか心配ですが、この時は、キーを抜きませんでした。 ちなみに、私は、目的地に着いても、ヘルメットも脱ぎません。 写真を数枚撮る程度なら、5分くらいですから、脱いだり、被り直したりする手間が、無駄だと思いまして。

≪写真2≫
  社殿。 拝殿と本殿を兼ねたもの。 瓦葺き。 という事は、昭和に入ってから、建てられたのでしょう。 賽銭箱、なし。

≪写真3左≫
  社殿の背面。 一部が飛び出していますが、この中に、御神体か、本殿の社が安置されているのです。

≪写真3右上≫
  鳥居の名額。 これは、金属製のようです。 「山神社」。 山神社は、山の中でなくても、普通に、分布しています。

≪写真3右下≫
  社殿の扉にかけられた、南京錠。 留めている輪が、変わっています。 この程度の錠を壊すのは、簡単ですが、そこはそれ、神の御威光で、罰当たりな所業を防いでいるわけですな。 そもそも、賽銭箱がないのなら、社殿の中に、金目のものなど、ありませんし。 

≪写真4左≫
  石燈籠の、部品欠け。 火袋と受け台がありません。

≪写真4右≫
  これは、日本庭園用の石燈籠ですな。 完品ですが、火袋が少しズれていました。 植え込みの中に埋もれているから、よく見なければ、気づきませんが。





【三島市長伏・路傍神社】

  2024年9月30日。 三島市・長伏にある、神社へ行って来ました。 名前が分からないので、「路傍神社」と、しておきます。 ネット地図にも載っておらず、たまたま、ストリート・ビューで、見つけたもの。

  徳倉橋から、的場を通り、梅名へ向かう道で、私は、ここを、何百回も通っていますが、神社がある事には、全く気づきませんでした。

≪写真1≫
  住宅と住宅の間に、半分埋まるような格好で、存在しています。 公の神社というよりは、個人で祀っている佇まいです。 木造、漆喰壁。 屋根は、銅板葺き。

  バイクは、停める所がなくて、歩道に停めました。 すぐに乗れる範囲にいたから、停車という事で。

≪写真2左≫
  石段。 白い切石を、綺麗に積んであります。 明らかに、デザインを意識した造形です。

≪写真2右≫
  境内に敷かれた、玉石。 石のサイズが大きく、美しいです。 明らかに、デザインを意識した選択。

≪写真3左≫
  石燈籠。 火袋が破損していて、火を入れる所がありません。 「文政五年」とあります。 江戸時代のものにしては、綺麗な状態です。

  後ろに立てかけてある石の板には、「大正十五年参月建設 中郷村 消防組 第七部」とあります。 消防団の建物があったんでしょうか。 この神社のものではないようです。

≪写真3中≫
  社殿の扉に、切り欠きがあり、中に賽銭箱が見えました。 神社の名前が分からないかと、この穴を下から覗き上げてみたんですが、文字らしいものは、見えませんでした。 中に、木製の社がありました。

≪写真3右≫
  旗竿。 こういう物があるという事は、個人祭祀ではなく、公の神社なんでしょうか。

≪写真4≫
  屋根の細工。 凝っている。 宮大工の手によるものだと思います。





  今回は、ここまで。

  9月は、三島市でしたが、最初、市域北東の、箱根山麓の方へ行っていたのが、ガソリンの残りが乏しくなって来まして、近場の、南部へ切り替えた次第。 南部なら、沼津市・大平や清水町を経由して行けば、すぐそこなのです。 近いから、往復、30分もかからずに帰って来ました。

  ちなみに、このプチ・ツー・シリーズで、駿東郡・清水町が目的地になっていないのは、あまりにも近過ぎて、わさわざ、バイクで行くような所ではないからです。

2024/10/20

実話風小説 (33) 【口癖】

  「実話風小説」の33作目です。 8月の中頃に書いたもの。 一旦 書き始めれば、興が乗って、一気に書いてしまうのですが、なかなか、エンジンがかからないのです。 やはり、長過ぎる事に問題があるのかも知れません。 今回のは、短い方ですが、それでも、まだ長い。




【口癖】

    男Aの口癖は、「馬鹿」と、「小学生でも分かる」である。 こういう男、多そうだな。 男Aの場合、「馬鹿」は、小学生の頃から、「小学生でも分かる」は、中学生の頃から言い出したらしい。 小学生の頃から、「小学生でも分かる」と言っていたら、面白いが、これは、そういう笑い話ではない。

  男性の場合、中学生以下の年齢では、そういう口癖があっても、あまり、問題にならない。 高校生くらいになると、友人など、仲間内以外の人間に対して使ったら、問題になる。 男Aの場合、仲間内としか話をしなかったから、悶着に発展する事がなかったのだ。 後から思えば、喧嘩の一つも経験して、他人に向かって、そういう言葉を使うものではないと、悟っていれば、良かったのに・・・。

  二流の私立大学を出て、就職。 経理部門に配属された。 若い頃は、そこそこ、やる気のある社員で、一番早く昇進するだろうと思われていた。 結婚も早くした。 入社3年目である。 当時は、まだ、見合い制度が活きていて、親戚の紹介で見合いした看護師、当時は、看護婦だったが、2歳年下の女性と結婚した。

  妻は、すぐに、男Aの口癖に気づいた。 新婚旅行から、「馬鹿だなあ」とか、「小学生でも分かる事じゃないか」を、連発していたからだ。 妻は、看護学校出なので、男Aは、自分の方が、学歴が上で、当然、頭が良く、夫婦としての生き方を指導する立場にあると、決め込んでいた。 そして、妻が、内向的性格だった事もあり、それは、実行された。

  子供は、結婚3年目に、娘が一人 出来た。 男Aの人生が、順風満帆だったのは、その辺りまでだった。 30歳になっても、男Aは、まだ、平社員だった。 それには、理由がある。 経理部内で、会計ソフトの更新があったのだが、男Aは、前のソフトに慣れていたせいで、更新に頑強に反対した。 前のソフトなら、経理部内で、最も精通していたのである。

  だが、時代の流れに、一人で抵抗しても、無駄である。 更新は、実施され、男Aは、新しいソフトに、いつまで経っても、慣れる事ができなかった。 なまじ、前のソフトに慣れていただけに、頭が切り替えられなかったのだ。 不満が溜まり、同僚や、後輩に向かって、愚痴を叩きまくった。

「馬鹿! 効率性なら、前のソフトの方が、ずっと速いんだ! そんな事は、小学生でも分かる!」

  前のソフトでは、他人の、1.1倍の速度で仕事をこなしていた男Aは、新しいソフトでは、他人の、0.7倍くらいの仕事しかできなかった。 自分は経理のエースだから、その自分が文句を言っていれば、その内、古いソフトに戻してもらえるだろうと思っていたようだが、常識的に考えれば、会社が、そんな事をしてくれるわけがないのだ。 それなりの設備投資をして、最新のソフトを導入したのに、一人の平社員が反対しているから、古いのに戻す? 馬鹿馬鹿しい。 そんなの、ありえんわ。

  文句ばかり言う上に、仕事が遅いので、係長は、課長と相談して、男Aを、他の部署に回す事にした。 男Aに、その話を持ちかけると、「係長にしてくれるなら、どこへでも行きます」という答えだったが、他の部署の仕事をした経験がないのに、管理職になんかできるわけがない。 男Aは、企業のシステムというものを、よく理解できていないのだ。 それ以前に、世間知らずだったのだが、それが露呈されるのは、もっと後の話。

  異動を拒絶して、経理に居座り続ける事、5年。 また、ソフトの更新が行なわれた。 男Aは、全く覚える気がなく、仕事を取り上げられてしまった。 毎日、何もする事がないのに、職場に行き、形ばかりのデスクで、インター・ネットを見て、時間を潰すようになった。 時々、他の部署で、その日限りの欠員が出来ると、誰でもできるような仕事を任されたが、やはり、文句ばかり言っていた。 一日の予定だったのに、仕事がうまくできない事に臍を曲げ、半日で戻って来てしまう事もあった。

「馬鹿! あんな単純な仕事、やってられるか! 小学生にでもやらせりゃいいんだ!」

  すでに、35歳。 同期は、みんな、昇進してしまい、ヒラは男Aだけである。 しかし、男Aは、同情してやるような人物ではない。 そもそも、入社してから数年が、調子が良過ぎたのだ。 本来は、無能な部類なのに、最初に扱った会計ソフトと、たまたま相性が良かったせいで、実力以上に、自信を持ち過ぎた。 自分を有能だと思い込んでしまった。 ソフトの更新という避けられない変化の波に乗る事ができなかった。 それが、こういう結果を招いたのだ。

  勤め先で鬱積した怒りの捌け口は、家庭で、妻や娘に向けられて、口癖の連発となった。 口を開けば、あらゆる言葉が、「馬鹿!」から始まり、「小学生でも分かる!」で終わる。 帰省すれば、自分の親や兄にも、「馬鹿!」。 さすがに、妻の両親に対しては言わなかったが、そもそも、妻の実家には、滅多に行かなかった。 「馬鹿」を言えないから、行かなかったのである。 ちなみに、妻の父親は医師で、母親は看護師、夫婦で、小さな診療所をやっている。

  妻は、夫の暴言に慣れる事はなかったが、言い返すと、十倍になって返って来るので、何も言わなくなった。 娘の方が、中学生になると、父親の口癖に、カチンと来る事が多くなったが、やはり、言い返すと、十倍になって返って来るので、父親と話をする事自体をやめてしまった。 父親がいないところでは、母親に向かって、訴えた。

「絶対、おかしいよ。 友達に訊いたけど、よそのお父さんは、あんな事、言わないって言ってたよ」

  ところが、母親は、なんと、夫を庇った。

「仕事の方で苦労してるから、ああいう言い方になっちゃうんでしょうよ。 家族なんだから、分かってやって」

  妻は、娘が生まれてから、高校生になるまでは、仕事をしていなかったので、男Aの収入だけに、家族の生計がかかっており、男Aを怒らせる事を恐れていたのだ。 もし、男Aが、会社を辞めると言い出すと、男Aの性格や、適応力の低さから考えて、再就職は、まず無理と思われ、家族は、路頭に迷う事になる。 娘が成人し、働き始めるまでは、是非とも、その事態は避けたかった。

  妻が、男Aを庇う様子は、娘以外の人間が関わる場面でも見られた。 訪ねて来た妻の弟が、夕食の席で、男Aの言葉に、カッと来て、睨みつけた時があったが、妻は、慌てて立ち上がり、弟の腕を引っ張って、廊下へ連れ出した。

「後生だから、怒らないで!」

「なんで、俺があいつに、馬鹿にされなきゃならないんだ!」

  妻の弟は、医師で、この時は、総合病院の勤務医をしていた。 男Aから、出身大学を訊かれて、私立の大学名を答えたところ、「医学部って、私立もあるの? なんだ、それじゃあ、金さえ出せば、馬鹿でも入れるんだな」と言われたのである。 自分が、私立の医学部がある事も知らないような世間知らずの馬鹿である事を棚に上げて、相手を馬鹿にするのだから、呆れた話だが、そういう男なのである。 姉は、脂汗を浮かべながら、弟を宥めた。

「あの人が言う『馬鹿』は、口癖だから、相手が誰でも、ポロッと出ちゃうの。 深く考えないで」

「深いも浅いも、『馬鹿』の意味なんて、一つしかないだろ! そんな言葉を、口癖にしている方がおかしいんだ!」

「とにかく、喧嘩されると、困るのは、私なんだから・・・」

  だが、後から考えると、妻のこの、「自分が耐えさえすれば・・・」、「自分がフォローしさえすれば・・・」という考え方が、ますます、男Aを増長させ、「馬鹿!」、「小学生でも分かる!」を、連呼させる事になったのかも知れない。 せめて、看護師の仕事を再開してからは、夫を頼らない方向に、舵を切り変えた方が良かったのではなかろうか。



  歳月は流れる。 男Aが、58歳、妻が、56歳の時に、その事件は起こった。 すでに、就職して、別の地方都市で一人暮らしをしている娘が、母親の誕生日に、旅行をプレゼントしてくれた。 実は、母親だけに贈りたかったのだが、それをやると、父親が怒って、母親を口汚く罵ると分かっていたので、夫婦二人分にしたのである。

  三泊四日の三日目に、トロッコ列車に乗る行程があった。 旅行会社による、団体ツアー旅行で、箱一つを貸切にしていたが、席順は決まっていなかった。 A夫婦は、妻がトイレに行っている間に、駅前の土産物店に冷やかしに行った男Aが、なかなか戻って来なかったせいで、列車に乗り込むのが、最後になってしまった。

  一列4席。 崖側・山側、各2席ずつで、中央が通路。 峡谷を走る列車で、崖側の方が眺めがいいので、そちらの席は、ほとんど埋まっており、山側は、いくつか、空きがあった。 崖側の席に、一人で座っている、50代の男性がいた。 B氏と呼ぶ。 男Aは、妻を残して、B氏の所へ行くと、席を譲ってくれと、交渉を始めた。 B氏は、怪訝そうな顔を隠さなかった。

「嫌ですよ。 景色を見る為に、わざわざ、来てるのに」

「それは、あんた個人の都合でしょ。 私達は、夫婦二人連れだから、隣り合って座りたいんですよ」

「だったら、山側の席で空いている所に座ればいいでしょう」

「分からん人だな。 山側じゃ、景色よく見えないじゃないか」

「なんで、私が譲らなきゃならないんですか? あなたに、優先権なんて、ないでしょうが」

「旅先じゃ、人数が多い方が、優先なんだ!」

「そんなルール、聞いた事もない!」

「もう、いいわ! 馬鹿っ!」

  と、ここまでは、男Aが普段、家庭や職場で、普通に交わしているような、やりとりだった。 普段と違うのは、相手が、家族や同僚といった、顔見知りではなかった事である。 普段なら、男Aの、「馬鹿っ!」で終わるのが、この時は、終わらなかった。 B氏が、言い返して来たのだ。

「馬鹿は、お前だっ!」

「?!」

  一旦、B氏に背中を向けていた男Aは、学生の頃、友人に言われて以来、聞いた事がなかった反撃のセリフに驚き、振り返ったが、返す言葉が、喉の奥で止まってしまった。 B氏の表情が、鬼面のように真っ赤になり、激怒していたからである。 男A、途轍もない恐怖に襲われた。 殴り合いの喧嘩になるのではないかと思って、一気に血の気が引いた。 周囲にいた他の客は、男Aの顔が、B氏のそれとは逆に、真っ青になって行くのを、間近で見る事になった。

  男Aから、3メートルくらい離れた所に立っていた妻は、B氏が言った、「馬鹿は、お前だっ!」という言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けていた。 正に、その通りなのだ。 夫こそ、馬鹿なのだ。 馬鹿に馬鹿と言われながら、30年以上、生きて来たが、なぜ、今まで、その言葉を言い返してやらなかったのか、自分が不思議でならなかった。

  B氏は、更に、男Aを怒鳴りつけた。

「お前は、一体、どういう人間なんだっ! 理不尽で、図々しい要求をした挙句、初対面の赤の他人を、馬鹿呼ばわりかっ! それが、大人のする事かっ! 小学校低学年のまんま、歳だけ食ったのかっ!!」

  B氏の剣幕に、男A、全く、言い返せない。 こんな恐怖は、それまでの人生で、味わった事がなかった。 赤の他人を怒らせるという事が、どういう事か、初体験したわけだが、そもそも、反省なんかできる人間ではない。 ただただ、怖いだけ。 両脚の膝と踝が、ガクガク震えて、近くの座席の背凭れに手を着こうとしたが、そこに座っている人の頭に触れてしまい、乱暴に払い除けられた。 腰が抜けて、通路に尻餅をついた。

  そこへ、ツアーの添乗員が駆けつけて来た。 男Aや、B氏にではなく、他の客に話を訊く。 その人は、B氏の肩をもつ証言をした。

「後から来た、この人が、そっちの人に、席を替われって、無理強いしたんですよ。 夫婦二人だから、優先権があるって言って。 で、そっちの人が断ったら、『もう、いいわ! 馬鹿っ!』って罵ったんです。 それで、そっちの人が怒ったんですよ。 当然だと思いますけどね」

  他の客も言う。

「赤の他人から、馬鹿呼ばわりは、されたくないなあ」

  別の客、二人の会話。

「普通、赤の他人に、馬鹿なんて、言わないよねえ。 相手がどんな人か、全然知らないんだもの。 喧嘩になっちゃうよねえ」

「そうだね。 社会の仕組みが分かる歳になったら、他人を警戒するから、言葉にも気をつけるようになるね。 その人、どういう人なの? 結構な年配のようだけど」

  男Aだけでなく、妻にも、視線が集まった。 男Aは、いつものように、妻が庇ってくれるものだと思っていたが、妻は、何も言えなかった。 周囲は他人ばかりなのに、こんな馬鹿な夫を、どう庇えと言うのだ。 B氏が言った言葉が、胸に突き刺さっていた。 正に、その通り。 夫こそ、「小学校低学年のまんま」なのだ。 なにが、「小学生でも分かる」だ。 そんなセリフを30年以上言われ続けて来た自分が、情けなくてならなかった。

  弟が、医師になって父の診療所を継ぐ事が決まっていたので、やむなく、看護学校へ行ったが、実は、妻の方が、弟より、学校の成績は良かったのだ。 そんな自分なのに、こんな、小学校低学年レベルの、馬鹿丸出しな男に罵られながら、30年以上も耐えてしまったのだ。 何たる、不覚! 一度しかない人生を、半分 ドブに捨てたも同然!!

「下ります。 私は、下ります。 ごめんなさい。 私のツアーは、ここまでにして下さい」

  妻は、添乗員の横をすり抜けて、トロッコ列車から、下りてしまった。 男Aは、通路に尻餅をついたまま、取り残されたが、周囲の客から白い目で見下ろされ、添乗員から、

「あなたは、どうします?」

  と訊かれて、何も言わずに、体を裏返して、四つん這いで少し進むと、何とか立ち上がり、トロッコ列車から、下りて行った。 何人かの客が、B氏の所へ行って、励ましの言葉をかけた。

「よく言ってくれました。 あなたは、全面的に正しいです。 もし、あの馬鹿が、名誉毀損で訴えるとか言い出したら、先に侮辱したのは、あっちだって、私が証言します」

「私も!」

「私も!」

  B氏は、怒りが収まって、顔色も元に戻っていた。 少し照れ臭そうに言った。

「私も、あんまり、怒りっぽい方じゃないんですがね。 つい、カッと来てしまいました。 お恥ずかしい」

「いいんですよ。 ああいうのは、怒鳴りつけてやらなきゃ、分からないんだから」


  男Aは、転げるような足取りで、駅舎の外に出たが、妻を乗せたタクシーが、目の前を走り去って行くのを見て、慌てて、腕を振り回した。

「おいっ! 俺も乗せてけっ! おーいっ! 止まれーっ! 馬鹿ーっ! 別々に乗ったら、タクシー代がもったいないだろうがーっ! そんな事、小学生でも・・・」

  つくづく、馬鹿だな。 つける薬がない。 大方、高い所が好きで、風邪も引かないのだろう。 そして、死ななければ、治らないのだ。


  翌日、男Aが家に戻ると、妻は不在で、後から帰って来た。 娘と、自分の弟を連れて来ている。 男Aは、渋い顔で、妻に言った。

「お前が逃げ出した事は、理解できる。 あんな頭のおかしい馬鹿野郎に遭遇したんだから、混乱するのは無理もない。 その点は、許す・・・」

  妻と娘、妻の弟が、顔を見合わせ、薄ら笑いを浮かべた。 男Aが続けようとするのを、妻が遮った。

「待った、待った。 許してもらわなくてもいい」

  そして、バッグから取り出した離婚届の用紙を広げると、書き込むように、三人で、男Aに詰め寄った。 男Aは、怒り立った。

「馬鹿っ! どうして、ここで、離婚だっ! そんな暇、あるかっ! 今から、俺に恥を掻かせた、あの馬鹿野郎を、訴えてやるんだ! お前は、警察へ行って、訴え方を訊いて来い!」

  妻が、絶対零度クラスの、冷ややかな声で言った。

「恥ずかしい人間なんだから、恥を掻くのは、仕方ないだろ。 訴えるぅ? 先に、『馬鹿』って言ったのは、あんたじゃないか。 向こうは、言い返しただけなのに、何の罪になるんだ?」

  夫に対する喋り方が、事件以前とは、全く変わっている。 それはつまり、男Aを完全に見限ったという証拠なのだ。

  娘が、目を丸くして、しみじみ言った。

「ほんとに、馬鹿なんだねえ。 常識もないんだねえ」

  妻の弟が言った。

「もう、あんたにゃ、うんざりだよ。 あんたみたいな馬鹿と、姻戚だと思うだけで、ゾッとするほど、おぞましい。 さっさと、縁を切ってくれ」

  妻が言う。

「こっちも、いろいろ、話し合ったんだけど、あんた、あと2年で定年だろ? 家で遊んで暮らすつもりらしいけど、そうなれば、特に趣味もないし、私にくっついて、濡れ落ち葉になるに決まってる。 冗談じゃないよ。 出かけるたびに、他人を馬鹿呼ばわりされたんじゃ、こっちの身がもたないわ。 知り合いと他人の区別もつかないんじゃ、社会で生きて行く資格もないと思うけどねえ」

「馬鹿っ! 馬鹿っ! お前ら、全然、分かってないっ!」 妻と娘を交互に指さして、「俺に感謝の気持ちがないのか? 俺が働いたから、お前ら二人が、暮らしてこれたんだぞっ!」

「別に、私が働いたって良かったんだよ。 看護師は、引く手数多だから、万年ヒラのあんたよりは、トータルの収入も多かっただろう」

「そんなの、結果論だ!」

  妻の弟、

「へえ。 馬鹿の癖に、そんな言葉は知ってるんだ」

  妻、

「馬鹿の癖に・・・」

  娘、

「馬鹿の癖に・・・」

  男A、

「馬鹿は、お前らだっ!」

  妻、

「この中で、馬鹿は、あんただけだって事は、小学生でも分かるよ」

  三人で、ゲラゲラ笑った。 男Aは、包囲攻撃に耐え兼ねて、泣き出した。

「くそっ! くそっ! 離婚してやる! こっちから、縁を切ってやる! 後で、吠え面掻くなよ! 何があっても助けてやらないからな」

  妻、

「あんたみたいな、世間知らずで、人を人とも思っていない、性根の腐れきった馬鹿が、他の人間を助けられるわけがないだろう。 身の程を知れ。 自分一人、生きて行く事もできないわ」


  妻の言葉は、たちまち、現実になった。 元妻が、アパートから出て行ってしまうと、家事能力ゼロだった男Aの生活水準は、地を這うほどに落ちた。 料理が全然駄目で、コンビニ弁当ばかり。 カップ麺は、湯の沸かし方が分からなくて、買い置きがあったのに食べられなかった。 原始人か?

  洗濯機の使い方も分からない。 一応、回すところまではできたが、洗剤は、水と同じように、洗濯機から、自動的に出て来ると思っていたのだから、呆れる。 メーカーのサービス・センターに電話して、「汚れが落ちないぞ!」と怒鳴りつけたが、すったもんだのやりとりの挙句、「洗剤を入れてください」と言われてしまったのである。 苛烈なまでの馬鹿ぶりを発揮しておるな。

  布団は、定期的に干すものだという事を知らず、黴が湧き、茸まで生えて来た。 風呂も、湯の溜め方が分からず、シャワーだけ。 シャワー口が詰まって、口が外れてしまったが、直し方が分からず、それ以降は、行水するだけになった。 性格的に、掃除もできないので、埃がうず高く積み上がり、ゴミの出し方を知らないから、どんどん溜まって、ゴミ部屋へまっしぐら。 まあ、馬鹿で、世間知も小学校低学年レベルだから、そんなものだな。


  追い討ちをかけるように、会社をクビになった。 有休をとった後輩の代わりで、使えもしないソフトをテキトーに弄っている内に、重要なデータを消してしまい、社長室に呼び出されるほどの大叱責を受けた。 折り悪く、リストラ計画がスタートしており、自己都合退職か、損失を自腹で埋めるか、どちらかを選べと言われて、3千万円を超える損失を埋められるわけもなく、退職した。 退職金は、大ミスのせいで、大幅に減額された。

  職場は、疫病神が去ったと言って、大喜び! 居酒屋で開かれた祝賀パーティーには、会費5千円と、安くはなかったにも拘らず、男Aに馬鹿にされた不愉快な経験がある社員達が、こぞって参加した。 30人以上いたというから、経理部以外でも、馬鹿馬鹿 言いまくっていたのだろう。 宴会の席は、男Aの悪口で、爆発的に盛り上がった。

「他人を、馬鹿馬鹿 言っていた本人が、一番 馬鹿だ!」

「しかも、無能で、仕事なんて、何やらしても、文句ばっかで、まともにできやしない!」

「あいつが、給料相当の仕事をしていたのは、入社後5・6年で、あとの30年間は、給料泥棒と呼ぶ以外になかったな」

「ありゃあ、自分が無能な事を隠そうとして、他人を馬鹿にしてたんだよ。 『馬鹿にされる前に、馬鹿にしろ』って発想だな。 そのせいで、これほど、憎まれる結果になったわけだが・・・」

「無能でも、おとなしくしてりゃあ、まだ、可愛気があるのに、開き直って、他人を馬鹿呼ばわりだ。 自分から、周りを敵に回してやがった。 馬鹿過ぎて、自分が馬鹿だと思われている事が分からなかったんだろう」

「あの人を見てると、『誰にでも、生きる権利がある』なんて言葉が、納得できなくなりますよね」

「そうそう! あんな馬鹿、とっとと死ねばいいんだ!」

  そこまで不穏な言葉が出ても、みんな、ゲラゲラ笑っているのだから、男Aが、どれだけ迷惑を垂れ流していたかが分かろうと言うもの。


  さて、その後の男Aだが、貯金を取り崩しながら、始終ビクビクして、暮らしていたらしい。 外に出て来るのは、弁当・飲み物の買い出しだけで、後は、アパートの部屋に籠っていた。 隣室の住人の話では、毎日、昼となく夜となく、壁越しに、怒声が聞こえて来たという。 「馬鹿っ!」、「小学生っ!」と言って、その後が、力なく途切れる。 寝言なのかも知れないが、病的な感じがする。

  隣室の住人は、気味が悪くなり、大家に相談に言った。 大家は、知り合いの民生委員に相談。 民生委員の紹介で、大家に付き添われて、精神科に受診したところ、うつ病と診断された。 男Aは、反省などするタイプではないが、赤の他人を怒らせる事の恐ろしさは、身に浸みて分かったのであろう。 一人暮らしになった事で、恐怖の対象が広がり、他人全てが怖くなったものと思われる。 すっかり、痩せ衰えて、そのまま暮らしていれば、3ヵ月もたなかったかも知れない。

  こんな男だから、それならそれで良かったのだが、たまたま、かかった精神科医が腕利きで、的確な投薬治療を施した結果、1ヵ月もしない内に、回復してしまった。 薬が効く体質だったのかも知れない。 不安を、一切、感じなくなった。 腐れ切った性格まで、完全復活。 まったく、治療は医者の仕事とはいえ、余計な事をしてくれる。

  病気も治った事だし、この勢いで、元妻と復縁しようと、退院したその脚で、元妻と娘が住んでいる街まで、電車で行った。 駅前のタクシー乗り場に行列が出来ていたので、少し離れた所にある、タクシー営業所の乗り場へ向かった。 ちょうど、そこへ、隣を歩いている人物がいた。 たぶん、同じタクシーに乗ろうとしているのだと思い、男Aが早足になると、隣の男も早足になった。 ほとんど、同時に、タクシーの所に着いた。

  男Aが、持ち前の、無能なくせに、自信に満ち溢れ、押しだけは強い、図々しい性格で、相手を押し退けて、タクシーに乗り込もうとした。

「どけよっ! 次の車に乗ればいいだろう! 俺は、退院して来たばかりだから、優先なんだ! 馬鹿っ!」

  男Aは、タクシーの後部座席に腰を下ろしたが、まだ、クッションの揺れが収まらない内に、二の腕を掴まれ、凄い力で、引きずり出された。

「わあっ! 何すんだ! 放せっ! 馬鹿馬鹿馬鹿っ!」

  相手の男は、無言のまま、男Aを引っ張って、狭い路地に消えた。

  二人とも、なかなか戻って来ないので、タクシーの運転手が、車を下りて、路地に入ってみたところ、仰向けに転がっている男Aの死体を発見した。 刃物で、心臓をひと突きされていた。 これなら、うつ病のまま、アパートで独居死していた方が、良かったか。 凶器は持ち去られており、犯人が誰か、手がかりが全くなかった。 手馴れた刺し方から、ヤクザ者ではないかと思われたが、周囲に防犯カメラがなく、タクシーのドライブ・レコーダーにも、右手の手首しか写っていなくて、人物の特定ができなかった。

  タクシーの運転手は、刑事に、こう言っている。

「あの人も、『助けてくれ!』とか言えば、すぐに後を追いかけたんだけどね。 『馬鹿馬鹿』言ってるだけだったから、なんだか、子供の喧嘩みたいで、真剣に取る気にならなかったんだよね」

  突発的な殺人である事は明白だったが、警察では、念の為、怨恨も視野に入れて、被害者周辺の捜査もした。 元妻と娘、親戚などには、アリバイがあった。 以前の勤め先を訪ねた刑事は、被害者の評判が、あまりにも悪いので、ゾッとする思いをした。 例の、祝賀パーティーの話も出たが、「死ねばいい」という言葉を口にした社員は、笑いながら、こう答えた。

「殺すんなら、馬鹿呼ばわれされた、その時に、やってますよ。 世の中に、あの手の馬鹿は、あいつ一人じゃないし、とりあえず、目に入る範囲から、いなくなってくれれば、それで、充分。 わざわざ、殺しに行くほどじゃないですよ」

  元妻と娘は、遺体の身元確認の為に、警察に呼ばれたが、「もう、離婚していて、葬儀を出す義理はないから」と、遺体の引き取りは、拒否した。 男Aの実家の兄も呼ばれたが、やはり、拒否。 さんざん、馬鹿馬鹿 罵られて来た恨みを忘れていなかったのだ。 男Aの遺体は、自治体によって火葬され、公営の霊園に合葬された。 享年、60歳。 一般的に言うと、死ぬには早い歳だが、男Aには当て嵌まらない。 むしろ、遅過ぎたのである。


  元妻は、今でも、名も知らぬB氏に深く感謝している。 あのトロッコ列車での一件がなかったら、自分は未だに、男Aに馬鹿呼ばわりされながら、男Aの世話をして、暮らしていただろう。 それを思うと、何年経っても、ゾーッと、鳥肌が立つのだった。

2024/10/13

セルボ・モード補修 (37)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回、記事5件出して、終わりにする予定だったのですが、その後、もう1件、追加されたので、6件になりました。 そこで、今月3件、来月3件に分ける事にします。





【5月の手入れ】

  2024年5月12日。 車の手入れをしました。

≪写真上≫
  正面から見た様子。 手入れの内訳は、

・ ワックスがけ。
・ ヘッド・ライトにコンパウンド。
・ タイヤ空気圧の確認と追加。
・ 排気口の清掃

  塗装の劣化は、じわじわ進んでおり、少しでも遅らせようと、年に2回、ワックスをかけています。 昨今、車にワックスをかけている人を、あまり見かけませんが、新車でも旧車でも、ただのボロでも、かけないよりは、かけた方が、マシです。 ただ、露天で置いてある場合、しょっちゅう、かけていなければならないので、手間が大変。

  ヘッド・ライトのコンパウンドがけも、半年に一度ですが、この写真程度になるなら、まずまずでしょうか。 黄色くなったヘッド・ライトほど、車を情けなく見せる要素はないです。

≪写真中≫
  左から、割と最近、アマゾンで買った、ホルツのコンパウンド。 ボディーの筋が付いた部分にかけてみましたが、効果ありませんでした。 コンパウンドのせいではなく、筋を消すほど、深く削れなかったのでしょう。

  中央は、父が、トヨタのディーラーからもらった、半ネリ・ワックス。 ボディー全体にかけています。

  右は、2016年に、車を中古で買った直後、ホーム・センター買った、ソフト99のコンパウンド。 もう、残り僅かです。 ヘッド・ライト磨きに使いました。

≪写真下左≫
  タイヤの空気圧を、ゲージで測ったところ、軒並み、1.7(kgf/cm2)くらいでした。 規定値は、1.8なので、空気入れで足しておきました。 何度も書いている事ですが、自転車用の空気入れでも、口金さえ、米式に対応していれば、車のタイヤに空気を入れられます。 ガソリン・スタンドのエア・コンプレッサーでなければ入れられない、などという事はありません。

≪写真下右≫
  排気口の汚れは、ティッシュで、簡単に拭きとれます。 これは、アフター写真。 半年に一回やっていますが、一ヵ月に一回くらいやった方が、綺麗な状態を保てるかも。




【車検前準備】

  7月7日から、10日にかけて、車検前の準備を行ないました。

≪写真1左≫
  まず最初にやったのが、後席の足元を埋めていた、ダンボール・セットを外す事でした。 冷暖房が効き易いように、前席背凭れの後ろに空気のダムを作ってあったのです。 外したダンボールは、プレハブ離屋へ運びました。

≪写真1右≫
  普段は、期限切れの発炎筒を積んでいるのですが、車検の時に、整備工場で、新しい物に交換されてしまう恐れがあるので、乾電池式の、非常信号灯に換えます。 2018年の、最初の車検の時に買ったもの。 乾電池は、元から付いていたものですが、まだ、使えます。 使わない間、中から出して、ティッシュかラップに包んで、しまっておくと、放電し難いです。

≪写真2左≫
  10日に、半日かけて、最終準備をしました。 ホイール・カバーは、車検に必要ない、というか、邪魔なので、外します。 プレハブ離屋に保管。

  穴が開いているタイプの場合、丈夫な紐を針金に結び、ホイール・カバーの、上の方の穴に通して、引っ張ると、割と簡単に外れます。 「マイナス・ドライバーか、タイヤ・レンチの平たくなった部分を、ホイール・カバーの端に突っ込む」という方法は、勧めません。 どんなに慎重にやっても、ホイール・カバーに傷がつきますし、弱くなっていると、割れてしまうからです。

≪写真2右≫
  ホイール・カバーを外した、鉄ホイール。 昨今、黒っぽいアルミ・ホイールが増えたので、黒の鉄ホイールで乗っていても、違和感を覚えなくなりました。 車検の時には、毎回、ホイール・カバーを外して行くから、中古車ディーラーの人は、私が普段から、この状態で乗っているものだと思っているかもしれません。

≪写真3左≫
  タイヤの空気圧を、エア・ゲージで見たところ、右後輪だけ、180 kPaを割っていたので、空気入れで、足しました。 他の3輪は、185くらいで、適正。 5月にもやったから、そんなものでしょう。

  一番下のは、トルク・レンチ。 ハブ・ナットにかけます。 締め付けトルクは、80 N.m。 この工具の出番は、2年に一回、車検の前だけで、しまってある時には、張りを緩めてあります。

≪写真3右≫
  必要書類。

・ 自動車検査証(車検証)
・ 自賠責保険証明書
・ 軽自動車税納税証明書

  自賠責保険証明書と、納税証明書は、車検が終われば、戻されます。 車検証は、新しい物に換えられてしまうので、コピーを取るか、写真を撮るかしておかないと、二度と見られなくなります。

≪写真4左≫
  エアコンの、漏れ修理剤と、ガスを追加しました。 すぐに抜けてしまう恐れが濃厚ですが、車検の間だけでも、効いてくれれば、中古車ディーラーの人に、暑い思いをさせないで済むだろう、という配慮から入れました。 梅雨時の雨天に、窓も開けられずに、車を運転するのは、不快の極みですからのう。 配慮はいいけれど、お金がかかるのが、玉に瑕。

≪写真4右≫
  ガス注入中の写真。 何度やっても、不安な作業です。 順序的には、先に、漏れ修理剤、その後、ガスになります。 冷たさを感じなくなるまで、缶を振るのですが、「漏れ修理剤は、下向きにして振り、ガスは、上向きにして振る」と、ネット情報で読んだので、その通りにしています。

  古い車だから、素人でも、追加作業が許されているのですが、新しい車だと、ガスが異なるので、駄目かも知れません。 もっとも、新しい車は、エアコンが効かなくなる事はないですから、こんな作業そのものが、不要ですけど。


  10日の内に、灯火類の確認を忘れ、引き渡し当日の、11日の朝に、母に見てもらって、リヤ・コンを確認。 前側は、自分で確認しました。




【車検 2024年7月】

  2024年7月11日。 車を車検に持って行きました。 2016年に買ったから、8年経った事になります。 車検に持って行くのは、2018、2020、2022に続き、これで、4回目。 6月下旬に、中古車ディーラーに電話して、引き渡し日が、7月8日に決まったんですが、その後、向こうから電話があり、11日に変更になったもの。

  当日は、朝食後すぐ、7時半に家を出たのですが、雨は降っていなかったにも拘らず、思いの外、道路が混んでいて、8時半の約束に、5分くらい遅れました。 平謝りです。

≪写真1左≫
  行ってみると、かつて、コンテナの店舗があり、前回は、屋根付の車置き場になっていた所が、更地に戻されて、草が生い茂っていました。 店長さんの話によると、大水が出た時に、2メートルも水没する恐れがあると指摘され、借りていた土地を返してしまったのだそうです。

  店舗は、近くに引っ越したというので、店長の車に先導されて、そちらへ向かいました。 車で、1分もかからない場所でした。

≪写真1右≫
  車を引き渡し、私は、徒歩で、バス停がある幹線道路へ向かいました。 ここで、20分、待ちました。 近くに神社があっので、そこを見たりして、時間を潰しました。 バスは、数分、遅れて到着。 乗客は、私以外に、5・6人いました。

  乗ったはいいけれど、機械が壊れていたようで、整理券が出ません。 途中の停留所で、運転手さんに、「○○から乗ったんですが、いくらになりますか?」と訊くと、機械の故障で仕方ないから、最低料金の、180円でいいと言われました。 否やはないので、仰せに従い、600円くらいするところを、180円で下りました。 得をしたわけですが、何だか、申しわけないですな。

  沼津市街地の南の方のバス停で下りて、永代橋を渡りました。 そこから、また、バスに乗るつもりでいたのですが、橋を渡ってしまうと、家まで歩ける距離なので、結局、歩いて帰って来てしまいました。 バス停から、30分くらいで、到着。

≪写真2≫
  車がない状態の、車置き場。 車で出かけている時には、この状態になっているわけですが、その場合、私は車に乗っているわけだから、見た事がありません。 車検の時だけ、この状態を見れます。 ついでなので、隅々まで、掃除。

  車を持っていた日の夜に、車検が終わったという電話がありました。 早い。 通常、3・4日、かかるのですがねえ。 引き取り日時は、翌日の朝9時に決まりました。

≪写真3左≫
  翌12日は、朝から、雨。 7時半に、傘をさして、徒歩で出かけました。 途中、便意。 よくあるパターンです。 コンビニでトイレを借り、事なきを得ました。

  この写真は、沼津市街地の南にある、バス停です。 ここで、30分以上待ちました。 雨天の市街地なので、道が混んで、バスが遅れに遅れたのです。 乗った時点で、時刻表より、20分も遅れていました。

≪写真3右≫
  バスの車内。 3分の1くらい行った所で、私以外の乗客は、みんな、下りてしまいました。 駅からの通勤客だったのかも知れません。 私だけ、西の方へ。 料金は、670円でした。 つまり、11日の帰りは、490円、得をした事になります。 ほんとに、申しわけない。

≪写真4左≫
  店長さんが、バス停のすぐ前まで、車を持って来ていてくれていました。 二日連続で遅れてしまったので、平謝りです。 車検代金と、手土産の箱菓子を渡し、領収書を受け取りました。 店長さんを、助手席に乗せて、店舗まで送りました。

  この写真は、帰る途中で撮った車内。 車検に出す前日に、漏れ修理剤とガスを入れたエアコンは、まだ、効いていました。 雨で、窓を開けられないから、エアコンが効かなければ、地獄だったでしょう。

≪写真4右≫
  翌13日に撮った写真。 前ガラスの、車検ステッカー。 前回までは、上端の中央に貼られていましたが、今回は、右端に変わっていました。 別に、視界上の問題はなし。 数字は、車検の期限が、令和8年の7月まで、という意味です。

≪写真5≫
  13日に、書類入れ、取説、時計など、下ろしてあった物を戻し、ホイール・カバーも着け直しました。


  これで、あと、2年は乗れる事になります。 今回の費用は、6万5千円でした。 車検費用は、母もちです。 私は、それ以外の、任意保険代、税金、ガソリン代を受け持っていて、ほぼ、折半になっている次第。 年間維持費は、6万円から、7万円の間です。


  追記ですが、エアコンのガスは、その後、20日くらいで抜けてしまいました。 予想していた事とはいえ、結構な金額を費やしたにしては、抜けるのが早過ぎ。 特に、4000円もする漏れ修理剤は、もう、使わない事にします。




  今回は、ここまで。

  今回の車検は、大過なく、乗り越えられました。 前回、2022年の時には、引き渡しに行った帰りに、徒歩で家まで歩いて、両足の親指の爪を剥がしてしまい、生えかわるまで、10ヵ月もかかりました。

  車に載せられる、軽くて小さい折自があれば、それが一番いいんですが、どんなに安くても、1万円以下という事はなく、それなら、バス代を払った方が、遥かに安く上がるのです。 私の運転寿命の残りから考えて、車検は、あと、せいぜい、5回くらい。 折自に1万円も使ってしまったら、とても、元が取れません。

  20インチの折自なら、もっているんですが、あれでは、重くてねえ。 単に重いだけでなく、折りたたんだ状態の形が複雑で、車に載せると、内装にキズを付けてしまいます。 車載に特化した折自が、なぜ作られないのか、不思議でなりません。 もっとも、存在したとしても、高いのでは、買えませんが。

2024/10/06

読書感想文・蔵出し (117)

  読書感想文です。 今回も、4冊です。 「蔵出し」と言いながら、読んで感想を書き終わった端から出している、ここ最近。 何だか、追い立てられているようだ。 10月は、鼠蹊ヘルニアの手術を受ける予定なのですが、もし、それが、無事に終わったら、少し、生活を改め、人生を立て直そうかと、つらつら、思っている次第。





≪白いきば≫

世界文学の玉手箱 21
河出書房新社 1995年3月20日 初版発行
ロンドン 著
阿部知二 訳

  沼津図書館にあった、文庫サイズのハード・カバー本です。 長編、1作を収録。 297ページ。 1906年の出版。 作者のフル・ネームは、「ジャック・ロンドン」で、アメリカの小説家。 筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていた作品。 この本は、子供向けに訳されたもので、漢字を抑えてあります。 しかし、中身は、大人向けでして、子供に読ませるには、刺激が強すぎると思います。 喧嘩で、相手の喉に噛みつく子が出て来るのでは?


  狼の血を4分の3受け継いだ、狼犬。 野生で生まれ、同腹の中で、一頭だけ生き残る。 母親がかつて飼われていた、アメリカ先住民の元に、母子で戻り、人間と暮らし始めるが、母はよそへやられ、自分も、ヨーロッパ系の男に売られて、闘犬に使われるようになる。 持ち前の戦闘能力で、無敵を誇ったが、勝手の違うブルドッグに負けそうになったところへ・・・、という話。

  「白い牙」というのは、主人公の狼犬の名前。 原文では、「WHITE FANG(ホワイト・ファング)」ですが、この名前は、アメリカ先住民の飼い主が付けたものなので、そもそもは、英語ではないはず。 その後も、書き手が、「ホワイト・ファング」と呼んでいるだけで、登場人物達からは、この名で呼ばれていません。 飼い主達が、名前を付けないのは、おかしいと思いますが、読者の混乱を避ける為に、わざと、そうしたのかも知れません。

  そんなに長い話ではありませんが、読後感は、大長編を読み終わったのに似ています。 面白いといえば、大変、面白い。 冒頭、母親が率いていた狼の群に、犬橇が襲われるところから話が始まるので、しばらくは、どういう話なのか分かりませんし、先住民に飼われている期間は、あまり、話に進展がなく、少々、ダレますが、ヨーロッパ系の闘犬元締めに買われる件りになると、急に話の動きが速くなり、最後まで、一気に読ませます。

  狼犬が主人公ですが、擬人化はされておらず、心理描写はされるものの、狼犬の心理を人間が想像して書いています。 一種の、「神視点三人称」でして、「こんなの、ありえない」と言う人もいるかと思いますが、気にしなければ、ごく自然に物語世界に入って行って、ごく自然に受け入れる事ができます。 ちなみに、擬人化されていないので、狼犬や、その他の動物が、言葉を喋る事ないです。

  動物もので、心配になるのは、残虐な目に遭わされないか、という事ですな。 小説に動物を出すと、ひどい目に遭わせるのが、作法だと思っている、情感酷薄な作家も多いので、そういう作品は避けたいもの。 で、この作品ですが、主人公の狼犬に関しては、心配しなくてもいいです。 問題は、主人公にやられる方でして、犬や狼だけでも、相当な数が殺されており、この主人公に、どこまで、同調していいか、考えてしまいます。

  野生で生まれ、先住民家族、ヨーロッパ系の闘犬元締めと渡り、最終的に、心優しいヨーロッパ系の飼い主の元に落ち着くのですが、この流れも、ちと、気にかかるところ。 作者が、ヨーロッパ系だから、身贔屓してるんじゃないでしょうか。 いつ命を落とすか分からない、荒々しい世界を生き抜いて来た主人公が、普通の飼い犬になって終わるのは、「ようやく手にした平安」というより、「単なる腑抜け化」、「廃人ならぬ、廃犬」という感じがしないでもなし。

  ここからは、私の創作ですが、

  闘犬元締めの元を脱走して、野生に戻り、雌の狼と出会った後、その雌を守る為に、圧倒的に不利な状況で戦い、殺されてしまうが、しばらく後、雌狼が、主人公にそっくりの仔を産み・・・、というラストにしたら、もっと、深みが出たのでは? おっと、【フランダースの犬】の時にも、そんなラストを考えましたな。 発想が月並みか・・・。




≪時は乱れて≫

ハヤカワ文庫 SF 1937
早川書房 2014年1月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山田和子 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 368ページ。 コピー・ライトは、1959年。 解説によると、前年の58年1月に書き下ろされたとの事。 当時のアメリカは、一時的なSF不況で、出版社を盥回しにされたせいで、世に出るのが、遅れたようです。


  新聞の懸賞コンテスト、「火星人はどこへ?」に、毎日、応募して、常に最優秀正解者の座を占めている46歳の男。 結婚はせず、妹夫婦の家に、同居している。 ある時、家の洗面所で、妹の夫が、あるはずのない天井灯のコードを探している自分に気づいたり、甥の少年が、廃虚から拾って来た雑誌に、自分達の知らない、「有名」女優の事が写真入り記事で出ているのを見たりした事から、自分達が住んでいる環境に違和感を覚え、街から出てみようと試みるが・・・、という話。

  いかにも、ディックさんらしい、奇妙としか言いようがない、設定です。 しかし、こういうアイデアは、SFでは、さほど珍しいものではありません。 たぶん、1958年当時であってもです。 非常に面白くて、時間があれば、一気に読み終えてしまうタイプの小説ですが、SFとして面白というより、書き方が巧みなのだと思います。 本来、短編用のアイデアを、脱出サスペンスで肉付けして、長編に仕立てているわけだ。

  脱出の試みは、2回、行なわれます。 繰り返されても、くどくなっていないのは、サスペンスとして、ストーリー展開が、よく練られているから。 もし、作者が、「SFの枠を借りて、サスペンスを書きたかったのだ」と言ったとしても、別段、不思議さは感じません。 いや、実際、作者が、そんな事を言ったわけではありませんが。 下手な事を言うと、SF作家としての仕事がなくなってしまいますからのう。

  もう、終わりに近くなってから、種明かしの段で、地球と月植民地が、内戦状態にある事が明かされます。 思わず、【月は無慈悲な夜の女王】を想起してしまいますが、そちらは、1966年なので、影響を受けたわけではないです。 逆に、こちらが影響を与えたというわけでもないでしょう。 「月に植民が行われれば、いずれ、独立戦争になる」というのは、アメリカ合衆国の作家なら、誰でも、思いつく事ですから。

  1990年代後半の描写が出て来ますが、月の植民地は元より、金星にも旅行で行ける時代になっている様子。 50年代から見ると、宇宙時代は、すぐそこまで迫っているから、40年も経てば、そのくらいになっているだろうと予想していたんでしょうな。 大外れだったわけですが、そんなところを責めるのは酷か。 むしろ、インターネットや、携帯・スマホを予測できなかった、そちらの方が、SF作家の罪は大きいです。




≪地球巡礼≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3110
早川書房 1966年3月31日 初版発行
ロバート・シェクリイ 著
宇野利泰 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 短編、15作を収録。 2段組みで、全体のページ数は、256ページ。 コピー・ライトは、1957年になっています。   収録されている、【救命艇の叛逆】は、筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていたもの。


【地球巡礼への旅】 約18ページ

  外宇宙の惑星に植民し、農業開拓に当たっていた青年が、地球には、「恋愛」という産物があると知り、有金はたいて、地球へやって来る。 確かに、「恋愛」はできたが、それは、完全に商品化されていて・・・、という話。

  「恋愛の真似事をしてくれる相手」というわけではないのですが、まあ、似たようなものですな。 区別がつかない読者の方が、多いと思います。 女性を、射的の的にする場面が出て来ますが、どうも、シェクリイさんは、よっぽど、女殺しがしたかったようですな。 潜在意識が、作品に出てしまっているかのように見受けられます。


【地球人の善と悪】 約16ページ

  ある星の住人と、初接触に臨んだ、地球の宇宙船の乗組員。 全く悪意はなかったのだが、地球人としての特徴が、悪く働いて、住人達に迷惑をかけてしまう。 しかし、全く善意はなかったのだが、良い事をした点もあって・・・、という話。

  こういう事は、もし、異星人と初接触する機会があれば、いくらでも、起こる事なのでしょう。 実際には、自然発生型生物が、外宇宙へ出て行く事はできないと思うので、起こりえない事ですが、こんな短編SFに、そんなハードなケチをつけても詮ない事。

  意外な結末というより、オチと言った方が良いものが付いています。 そのお陰で、綺麗に纏まっています。 こういうセンスが、アメリカ人にもあるというのが、興味深いです。


【ワナ】 約14ページ

  休暇を過ごす為に、森へ来た二人の男が、奇妙な箱を発見する。 説明書きによると、それは、罠であるとの事。 仕掛けてみると、見た事もない動物が、各種、1匹ずつ、計4匹、捕まった。実は、罠ではなく、宇宙人が置いて行った、物質輸送機で・・・、という話。

  大したアイデアというわけではないので、ネタバレさせてしまいますと、先に送った3匹は、動物だけど、最後の1匹は、送った宇宙人の女房だったというもの。 シェクリイさんは、よっぽど、妻に消えて欲しかったようですな。 女房を始末するというのは、アメリカン・ジョークの一分野なのかもしれません。


【肉体】 約7ページ

  天才数学者を延命させる為に、その脳を、動物の体に移植した。 手術は成功し、数学者は、喋って歩けるところまで回復したが、つい、動物の本能が出てしまい・・・、という話。

  ページ数で分かるように、ごく軽い落とし話です。 「動物の脳は、どうなったのかなあ・・・」とは、動物好きなら、誰でも思うところで、笑えるところまで行きません。 そもそも、口の構造が違うのだから、人間の言葉を喋るのは、無理なのでは?


【試作品】 約28ページ

  宇宙船で異星に下り立った後、異星人との初接触で、命を落とす者が続出した。 防衛器という機械が試作され、初めてそれを背負わされた男が、異星人と接触したが、防衛器が邪魔をして、敵対的な対応になってしまう。 防衛器を外す方法はないと知らされ、絶体絶命の危機に陥る話。

  アイデアは分かりますが、このアイデアを使うには、話が長くて、くどい感じがします。 長さが決まってる注文があり、それに合わせて、水増ししたのではないでしょうか。 細部を描き込むような、重いアイデアでもありますまいに。 半分くらいの長さなら、オチも、素直に笑えたのですが。


【廃品処理サーヴィス会社】 約8ページ

  内心、妻と別れて、若い女性秘書と再婚したいと願っている男。 廃品処理業者が会社に訪ねて来て、妻も処理しくれるというので、驚く。 多いに悩んだ末に、妻とやり直す道を選んだが・・・、という話。

  実に、ショートショートらしい話ですな。 ほぼ、星新一さんの世界。 結末は、星さんの作品を読み込んでいる人なら、途中で、想像がつきます。 順序的には、シェクリイさんが先で、星さんが、その影響を受けたという流れになりますが。 繰り返しますが、シェクリイさん、よっぽど、夫婦仲が悪かったんでしょうねえ。


【人間の負う負担】 約21ページ

  買った小惑星に、ロボットを引き連れて移り住み、開拓に取りかかった男。 一人暮らしのせいか、心身ともに、追い詰められて来て、寂しさを紛らわせようと、通信販売で、冷凍妻を買ったが、送られて来たのは、容姿がいいだけの、やわな女で、とても、開拓作業などできそうにない。 どうやら、送り先を間違えて、配達されたらしい。 ところが、返品と交換の要求をして、待っている間に、彼女が、開拓民として、大変な適性を持っている事が分かり・・・、という話。

  シェクリイさんらしくない、ほのぼのする話。 「いいのか、皮肉を入れなくて?」とツッコミを入れたくなるのは、私だけでしょうか。 特別に、注文でもあったんですかね? 「気が利いていて、読んだ後、未来に希望を感じられるような話にして下さい」とか。 でなきゃあ、こんな、青春ドラマみたいな話、書かないでしょう。

  シェクリイさんには、他にも、小惑星に移住する話がありましたが、小惑星は、重力が小さいので、大気を繋ぎとめておく事はできません。 しかし、これは、太陽系外の話だと思うので、「小惑星」という言葉が指すものが、太陽系内とは違うのかも知れません。 とはいえ、地球クラスの星となると、二人で開拓は、無理も無理、大無理というもの。 何か、ピントがズレている感あり。 地球上の、絶海の孤島のようなものに、擬えているのだと思うのですが・・・。


【夜の恐怖】 約5ページ

  蛇に襲われる夢を、繰り返し見る妻に、夫は・・・、という話。

  なぜ、蛇なのかというと、凶器が紐だからですが、なぜ、凶器を使うような事態に至ったのか、その理由が、漠然としか書かれてないので、話として、完成レベルに至っていないように、感じられます。


【悪薬】 約26ページ

  友人にして同僚の男に対し、殺意を抑えられなくなってしまった人物が、治療機器の店に行き、殺人衝動を抑える機械を購入する。 ところが、その機械は、火星人用で、火星人は、殺人を一切犯さない習俗だった。 男は、それと知らずに、機械による治療を受けて・・・、という話。

  殺人衝動は抑えられたが、その代わり・・・、というオチ。 間違った機械を売った側が、誰に売ったかを捜査するのですが、その過程が長いので、このページ数になっています。 「一度、精神異常になった人間が、偶然、治るような事はない」という事を言いたいのかも。 実際には、歳をとると、症状が軽くなって来るらしいですが。


【災厄を防ぐもの】 約16ページ

  未来に起こる災厄を教えてくれる、姿が見えない宇宙人に、とりつかれた男。 アドバイスのお陰で、何度も難を逃れるが、災厄の数が次第に増えて来て・・・、という話。

  アイデアが熟成しないまま、行き当たりばったりで書き進めたら、こうなったという感じ。 宇宙人が最後に教えてくれた、禁止事項があるのですが、「○○だけはしていけない」と言う、その○○が、どんな行為か分からないところが、オチになっています。 ちょっと、次元が低過ぎて、取って付けたようなオチ。


【地水火風】 約12ページ

  最も高価な宇宙服を身に着けて、金星に下り立った男。 任務の為に、雪原を歩いて行くが、雪に足をとられて、身動き取れなくなってしまう。 無線で助けを呼んだが、来るまでに、10時間もかかると言われ・・・、という話。

  【地球人の善と悪】と、似たような設定で、最新最高の装備ではあるが、現地の状況を知らない者が用意したせいで、却って、お荷物になってしまうというパターン。 こちらには、オチが付いていないので、さして、面白くはないです。 必要なのは、最高の宇宙服ではなく、至って素朴な、雪靴だったというのは、皮肉ですが、笑えるほどではないです。

  ちなみに、金星の実際の環境は、凄まじいものでして、雪が深いどころの話ではありません。 この作品が書かれた頃には、まだ、そういう事が分かっていなかったわけですな。 金星だと思わず、地球の極地に近い孤島が舞台だと思えば、受け入れ易いですが、それだと、宇宙服と、雪靴の対比が利かなくなってしまうから、やはり、駄目か。


【密航者】 約13ページ

  全員、博士号の持ち主という、エリートのみが開拓事業に従事している火星。 密航して来た青年は、何の資格も持っていなかった。 ところが、大工仕事に、大変な有能ぶりを発揮したかと思うと、超人的な能力まで持っている事が分かり・・・、という話。

  超人的というより、完全に、超能力者で、しかも、それを他人に教える事もできるというのだから、こんなに価値の高い人間も、そうそう、いません。 おそらく、作者が、博士号の持ち主ばかりで構成されている組織に反発を覚え、揶揄する目的で、こういうアイデアを思いついたんじゃないでしょうか。

  オチが、オチになっていない点が、残念。 青年に妹がいて、その妹も、超能力者なのですが、彼女の登場が、なぜ、オチになるのか、分かりません。


【アカデミー】 約31ページ

  精神異常の値が、数値化されていて、10を超えると、もう、いけない。 10になりかけている男が、勤め先で、ポカをやらかし、失職してしまう。 家に帰れば、「もう、あなたの命令を聞く事はできなません」と言って、ロボットや愛犬まで、出て行ってしまう。 10を超えた人間は、脳手術を受けるか、アカデミーと呼ばれる施設へ行くかを選ばなければならないが、脳手術は嫌だし、アカデミーは、帰って来た者がいないという。 さあ、どうしたものか・・・、という話。

  長いので、それなりの読み応えはあります。 大した話でないので、ネタバレさせてしまいますが、アカデミーに入った直後までは、何が起こるのかと、ゾクゾクします。 問題は、そのゾクゾク感に見合う、その後の展開が用意されていない事でして、大いに、肩透かしを食います。 面白い結末を思いつかないまま、締め切りが来てしまったんでしょうな。


【家畜輸送船】 約20ページ

  宇宙船を持っている会社。 本業の放射線浄化作業の方がさっぱりなので、家畜の運搬に手を出した。 3種類の動物を、一遍に運ぼうとしたが、それぞれ、特性が異なり、あちらを立てれば、こちらが立たずで、四苦八苦する話。

  アイデアは、面白いんですが、一種のシチュエーション・コメディーである事が分かってしまうと、タネを知っている手品を見ているようで、長さを感じてしまいます。 こういうアイデアこそ、もっと短い、8ページくらいの作品に使うべきなのでは? オチが付いていますが、あまり、キレが良くありません。


【救命艇の叛逆】 約21ページ

  購入した中古の救命艇。 一部の機能が止められていたので、修理したところ、すでに滅んだ異星人が、500年前の戦争で使ったもので、当時の記憶を、そのまま、残している事が分かった。 救命艇は、今乗っているのが、地球人だとは認めず、氷点下の環境へ移動しようとするが・・・、という話。

  二人の地球人は、【家畜輸送船】に出て来るのと、同じ人物です。 アイデアは、アシモフさんの、【堂々巡り】(1942年)に似ています。 こちらは、ロボット三原則は出て来ませんが、その代わりに、救命艇の任務が決められていて、どうやったら、その呪縛から逃れられるかが、鍵になります。



  総括ですが、先に読んだ、≪人間の手がまだ触れない≫よりも、だいぶ、落ちます。 解説にもありますが、アイデアがネタ切れを起こして、焼き直しが増えているんですな。 依然として、筒井作品よりも、星作品に近い印象が強いです。




≪標的ナンバー10≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3146
早川書房 1967年6月30日 初版発行
ロバート・シェクリイ 著
小倉多加志 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 長編、1作を収録。 2段組みで、全体のページ数は、125ページ。 コピー・ライトは、1965年になっています。 シェクリイさんの短編、【七番目の犠牲】を、イタリアで映画化した、≪華麗なる殺人≫の、原作者の手によるノベライズ作品。


  戦争の代わりに、攻撃欲が強い人間だけ、自発的に登録して、殺し合いをさせる制度がある社会。 10人殺すと、社会的地位が上がる。 アメリカ人の女が、所属会社の撮影チームと共に、ローマに乗り込み、10人目のターゲットに近づくが、相手は、結構、いい男で・・・、という話。

  ≪七番目の犠牲≫と、基本設定は変わっていません。 性別が、ハンターと標的で、入れ代わっているだけ。 しかし、短編を、1時間半の映画にする為に、相当な水増しをしています。 膨らませたのは、脚本家だと思うので、原作者に、水増しを責めるのは、酷というもの。 それにしても、中身の乏しい水増しですな。

  シェクリイさんは、50年代に、ドカドカとSF短編を書いて、60年代には、もう、書く事がなくなっていた模様。 お金の為に、ノベライズの仕事を引き受けたのではないかと思いますが、それにしても、これは、ひどい出来です。 イタリアやローマに、これといった興味がないのが、アリアリと出てしまっています。 そりゃ、興味がない土地を舞台にした映画を、小説にしろと言われても、いいものは書けませんよねえ。

  そもそも、シェクリイさん、長編向きの作家ではないらしく、読者の興味を引っ張る技術が、まるで、なっていないのは、誰が読んでも感じるところでしょう。 解説で、何とか、誉めようとしているのが、痛々しいくらいです。 しかし、これを、面白いと言ってしまったら、もはや、小説の感想を書く資格がないですぜ。

  ただ、映画は、割と洒落た内容になっているようです。 原作短編と、映画では、結末が違っていて、原作の皮肉さは、取り除かれています。 原作は、その皮肉な結末が、一番の読ませ所なのですが、そこを外してしまうのだから、映画人の発想には、よく分からないところがありますな。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪白いきば≫が、6月24日と、25日。
≪時は乱れて≫が、7月6日から、8日。
≪地球巡礼≫が、7月8日から、10日。
≪標的ナンバー10≫が、7月21日。

  動物ものが、1冊、SFの古典が、3冊。 ≪白いきば≫は、ジャンルに関係なく、読書人なら、読んでおいた方がいい作品。 ≪時は乱れて≫は、SFについて何か意見を言うなら、読んでおいた方がいい作品だと思います。 もっとも、私は、これを読む前から、あれこれ、言いまくって来ましたが。 シェクリイさんの2冊は、≪地球巡礼≫については、まあ、知っておいた方がいいか。 ≪標的ナンバー10≫は、わざわざ、時間を割いて読むようなものではないです。