2024/11/03

読書感想文・蔵出し (118)

  読書感想文です。 これを纏めているのは、10月の中旬ですが、一年以上、苦しめられて来た、鼠蹊ヘルニアで、いよいよ、病院へ行き、検査をしている最中です。 週に一回しか行かないので、暇はあって、本は、2週間に2冊のペースで借りて来て、読み続けています。





≪犬物語≫

柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン
株式会社スイッチ・パブリッシング 2017年10月28日 第1刷発行
ジャック・ロンドン 著
柴田元幸 訳

  沼津図書館にあった、単行本です。 短編4作、中編1作を収録。 ジャック・ロンドンさんは、1876年生まれ、1916年没の、アメリカの作家。 【白い牙】の作者。


【ブラウン・ウルフ】 約28ページ

  カリフォルニアに住む夫婦が、犬が放浪しているのを見つけ、何度も逃げられたものの、そのつど、連れ戻して、やっと飼いならした。 狼に似ているが、毛が茶色なので、犬の血が入っているのは、間違いない。 ある時、北の地からやって来た男が、自分の犬であると言い出し、雪国の厳しい生活に戻るか、南国でぬくぬく暮らすか、犬に決めさせる話。

  物語のセオリーとしては、厳しくても、自分が生きるべき場所で生きる事を選ぶ事になる、というのが、定石ですが、それまでの経緯を知っている読者としては、夫婦の元に残って欲しいという期待もあり、ギリギリまで、どちらに転ぶか、ハラハラさせてくれます。 普通に、よく出来た短編。


【バタール】 約26ページ

  フランス人の男に使われている、凶暴な犬。 仔犬の頃から、飼い主と敵対関係にあり、互角に戦える年齢になるや、勝負を挑むが、しとめられなかった。 やがて、飼い主が、殺人の濡れ衣を着せられて、縛り首寸前の状態になる。 真犯人を捕まえる為に、人々がいなくなった隙に、犬が・・・、という話。

  ここまで憎み合う、人と犬というのも、珍しい。 犬を、橇を引く役畜として使っていると、所詮、「生きた、道具」に過ぎないから、こういう考え方になる人もいるんですかねえ。 読者としては、人と犬の戦いだと、どうしても、犬側の味方をしてしまいますな。


【あのスポット】 約18ページ

  片腹に、水玉模様がある事から、スポットと名付けられた犬。 値段が高かったのに、全然、働かない。 それでいて、他の犬の上に君臨していて、憎たらしい。 何度も売り飛ばしたのだが、しばらくすると、戻って来てしまう。 友人関係にある二人の男が飼い主だったが、一人が、スポットにうんざりして逃げ出すと、もう一人が・・・、という話。

  これは、落とし話の一種でしょうか。 笑うほど、面白くはないですけど。 スポットが戻って来るのは、飼い主に懐いているからではなく、元の群に戻ろうとしているのでしょう。 自分がリーダーである群に。 売り飛ばそうなとと思わず、放っておけばいいと思いますがね。


【野性の呼び声】 約128ページ

  南国の裕福な家から盗まれた、セントバーナードとシェパードのハーフ犬。 アラスカへ連れて行かれ、橇犬として扱き使われる内に、逞しくなる。 持ち主が何度も変わり、愚かな飼い主に殺されかけた挙句、心底 可愛がってくれる男の元に辿り着く。 しかし、その男と共に分け入って行った未開の地で、狼の誘いを受けて、野生が目覚め・・・、という話。

  後年に書かれる、【白い牙】と、ほぼ、同じ構成。 こちらの方が短いですが、内容的には、同じくらいの読み応えがあります。 【白い牙】では、闘犬にされるので、戦う場面が多いですが、こちらは、橇犬として、虐待に近い過重労働をさせられる場面が多いです。 犬を飼った経験がある読者の場合、気分がいいものではありませんが、同じ犬でも、ペットと役畜の違いとは、こういうものなんでしょう。

  作者は、実際に、アラスカで暮らしていた時期があるとの事。 現実を見て、そのまま書いたものと思われ、その厳しさに、戦慄せざるを得ません。 生きるというのは、こういう事なんですな。 アラスカで生きるだけの知恵を持っていない、3人組が出て来て、それなりの報いを受けるのですが、犬まで道連れにされてしまうのは、あまりにも、理不尽。 しかし、現実とは、そういうものなんでしょう。

  野生に戻る結末に拘り過ぎて、主人公犬の心理に、統一性を欠く嫌いがなきにしもあらず。 しかし、人間も含めた動物が、生きる意味を考えさせられる点で、【白い牙】同様、読んでおいた方がいい作品だと思います。


【火を熾す[1902年版]】 約13ページ

  零下60度の環境で、うっかり、足を水に浸けてしまった男。 暖め、乾かす為に、マッチを擦って、火を熾そうとするが、手袋を外した手は、たちまち凍りついて、動かなくなってしまい・・・、という話。

  この作品だけ、犬が出て来ません。 13ページの掌編とは思えないほど、緊迫感があります。 ≪八甲田山≫に近いものあり。 これは、怖いわ。 タイトルに、[1902年版]とあるのは、加筆して、犬を登場させた、[1908年版]があるからだそうです。




≪偶然世界≫

ハヤカワ文庫 SF 241
早川書房 1977年5月31日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 270ページ。 コピー・ライトは、1955年。 フィリップ・K・ディックさんの「K」ですが、解説によると、「ケンドレッド」だそうです。 ミドル・ネームという習慣そのものが、よく分かりませんが・・・。


  23世紀初頭。 機械システムによって、権力者が選ばれる社会。 比較的長く務めた人物が外され、新しい人物が権力者になった。 権力者には、常に刺客が放たれ、それを阻止し続けなければならないルール。 権力者側は、テレパス集団による防衛機構をもっていたが、それを突破する為に、前任者が、アンドロイドを刺客に仕立て上げ・・・、という話。

  面白いです。 ただし、活劇としては、です。 ある科学技術トリックで、テレパス集団を翻弄し、権力者に迫る刺客の戦いは、息もつかせぬ展開で、全体の5分の4くらいは、一気にページが進みます。 途中で読むのをやめるのが、困難なくらい。 しかし、活劇的展開は、戦記物やスパイ小説などで、読みどころとされるもので、SFそのものの要素ではありません。


     原題は、【SOLAR LOTTERY】で、直訳すると、【太陽の宝くじ】ですが、内容と、ほとんど、関係がなくて、まずいタイトルです。 最初に付けられた邦題は、【太陽クイズ】ですが、権力者の称号が、「クイズマスター」と言うものの、クイズは、ほとんど関係がなく、これまた、まずいタイトル。 改題された邦題が、この、【偶然世界】ですが、「偶然」が、テーマというわけではなく、モチーフとしても、軽く数回触れられる程度で、作品の内容を表しているとは、到底 言えません。

  なぜ、ピッタリ来るタイトルがつけられないのかと言うと、SF作品としての、一貫したテーマをもっていないからです。 活劇場面を中心に、「テレパス」、「リモコン・アンドロイド」などの、SF小道具を寄せ集めて、色を着けただけなのです。 これだけ、読み手を、グイグイと引き込むのに、テーマがないというのは、ある意味、興味深い。

  テーマ的には、バラバラなわけですが、その最たるものが、権力者と刺客の戦いと同時進行する、太陽系の第10番惑星へ向かう宇宙貨物船の旅でして、「何か、終わりの方で、関係してくるのかな」と思いきや、とんだ、肩透かしを食らいます。 もしかしたら、文字数の指定など、出版社側から課された制約があり、長くする為に、無理やり入れたのではないでしょうか。

  刺客のアンドロイドが、それ自体、人間サイズの宇宙船で、宇宙貨物船を太陽系外縁部まで、追いかけて行って・・・、などという、展開は、噴飯もの。 ディックさんが、50年代当時の、テキトーな宇宙知識で書いていたのは、疑いありません。 宇宙貨物船の方ですら、外縁部に到達するのが、早過ぎるのでは? それでいて、何か特殊な高速推進装置が積まれているという説明もないのです。




≪火星のタイム・スリップ≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3129
早川書房 1966年11月30日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 なに、1966年の本? 58年前ですな。 私が2歳の時に発行されたのか。 よくそんなに長く、もちますねえ。 長編、1作を収録。 二段組みで、267ページ。 コピー・ライトは、1964年。 60年代ともなると、アメリカのSF作家の、有名どころの存在は、日本でも知れ渡っていて、本国で新作が出るのを待ち構えていて、翻訳・出版していたんでしょうな。


  火星への植民が、ようやく、軌道に乗りつつある頃。 地元有力者の男が、精神分裂病の少年と特殊な方法で意思疎通する事によって、未来を知ろうと試みる。 不毛の荒野と見做されている土地で、国連による大規模な住宅地開発が行なわれる事が分かったが、僅かの差で、他の者によって、先に土地を登記されてしまっていた。 有力者は、少年と火星先住民の力を借りて、過去に戻り、自分が先に登記しようとするのだが・・・、という話。

  有力者の他に、機械修理技師の男が出て来て、どちらかというと、そちらの方が、主人公扱いされているのですが、ストーリーは、有力者を軸に展開するので、ちと、ややこしいです。 技師の方は、若い頃に、精神分裂病を経験していて、自分の病気がぶり返してしまうのではないかと恐れています。

  精神分裂病、今で言う、統合失調症ですが、それが、中心テーマになっている事は、確か。 「精神分裂病の患者は、時間の感覚が、常人と違っていて、ゆっくりと動く時間の中で生きている」という学説が、当時あったようで、そこから膨らませて、「彼らは、タイム・スリップができるのでは?」というアイデアに発展させたわけですが、明らかに、考えが飛躍し過ぎていて、真面目に取る人はいないでしょう。 SFは、そもそも、科学技術をベースにした作り話だから、別に問題ないわけですが。

  問題は、ディックさんに、どこまで、精神分裂病の知識があったかでして、この作品に出て来る患者を見ていると、どうも、統合失調症患者のイメージと重なりません。 ディックさん自身が、自分は精神分裂病なのではないかと恐れていて、自分の症状を書いたのかも知れませんが、これは、別の病気なのでは?  どちらかと言うと、少年や技師より、有力者の方が、手に負えない精神病患者に近い印象があります。

  精神分裂病をテーマにしているのに、その病気に対する知識が曖昧で、しかも、SF設定を重ねているから、どうにも、与太話のニオイが立ち込めてしまいます。 なまじ、細かい心理まで、みっちり書き込んであって、読み応えがあるだけに、この胡散臭さは、致命的。 ディックさんの精神が壊れて行く過程の、端緒が顕われている感がなきしもあらず。

  有力者のキャラですが、こういう人は、創業社長や、政治家に、いくらでも、いそうですな。 自分が思いついた事は、とことん実行しなければ気がすまない。 他人の事を、自分の道具だと思っている。 自分に損害を及ぼす者は、叩き潰していいと思っている。 法律なんか、知った事か。 俺が法律だ。 いるいる。 支配欲、権勢欲で、頭も心も満杯になってしまって、他人の立場になって考える事など、金輪際、できない相談なわけだ。

  ところで、この作品、一応、火星が舞台ですが、別に、地球上でも成り立ちます。 火星に対する知識が乏しい時代というのは、しようがないもので、先住民がいて、運河を造った事になっているし、環境の描写は、地球上の砂漠・土漠のそれそのもので、妙に、暑さを感じる。 火星は、もっと、気温が低いと思うのですがね。




≪流れよわが涙、と警官は言った≫

ハヤカワ文庫 SF 807
早川書房 1989年2月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
友枝康子 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 355ページ。 コピー・ライトは、1974年。 うっ・・・、だいぶ、新しいな。 という事は、ディックさんが薬中になった晩年に近いわけで、嫌な予感がしないでもなし。 その予感は、ある程度、あたりました。


  歌手で、人気番組の司会もしている42歳の男、女絡みの傷害事件に遭い、何とか一命は取り止めたものの、目覚めたら、安ホテルの一室で、高額紙幣の札束以外、身分証明書の類いを一切、失っていた。 仕事仲間や交際相手に電話をかけても、誰も、彼の名前を知らず、彼の存在が消えた世界になっている。 身分証明ができなければ、強制収容所へ送られてしまう社会で、さあ、どうすればいい? という話。

  SF設定としては、時代が1980年代で、書かれた当時からすると、近未来という事になります。 アメリカが、警察による監視社会になっているという背景。 あと、架空の薬物が出て来ます。 他に、移動手段が、飛行艇や、ヘリコプターといった、自家用航空機になっています。 それだけ。 それらを除くと、SFではなくなります。 まあ、そういうSFは、珍しくありませんけど。

  解説によると、自伝的小説だとの事で、そちらの方が、内容を説明するのに、適切です。 作者が、薬中の面々との交際が始まり、作者自身も薬中になって行った頃に書かれたものでして、いかにも、薬中だなあと思わせる登場人物が、次々に出て来ます。 作者にとっては、大切な仲間だったのでしょうが、読者には、そんな異常な事につきあう義理はないです。

  主人公が、女性と話をする場面が多くて、会話で紙数を稼いでいるのは、明らか。 これは、作者が、実際に薬中女性と話をした経験から、内容を少し変えて、盛り込んだのではないでしょうか。 ダラダラと長いばかりで、何が言いたいのか、よく分からない会話は、読んでいて、苛々しますが、そもそも、薬中患者の戯言が元なのだから、無理もない。

  なぜ、一人の男の存在が消えた世界になってしまったかについては、架空の薬物が原因でして、一応、後ろの方で、説明があります。 しかし、全く、納得できません。 主人公ではない、ある人物が、その薬を服用したわけですが、それが、どうして、他人の世界を変えてしまうのか、理解できないのです。 三人称でして、作者が、ある人物の視点を通して語ったというのなら、無理やり、こじつけられない事はないですが、無理やりにも程があり、これが、推理小説なら、アンフェアと罵られる事、不可避。

  【スキャナー・ダークリー】が、1977年なので、こちらは、3年前に出たわけですが、3年後には、もっと、ひどくなります。 【スキャナー・ダークリー】に比べれば、こちらの方が、遥かに、マシ。 一応、小説として、読めるからです。 SFとしては、問題外。 傑作などでは、ゆめゆめ、決して、金輪際、ないので、勘違いしないように。

  薬物に依存して書いた小説を、「神がかり的」などと言って、絶賛する人がいますが、話にならぬ。 自分が薬物に頼りたいから、その口実にしているだけなんでしょう。 薬中患者には、読むに値する小説なんか書けないんだという事を、ディックさんが、一番よく、証明してくれていると思います。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪犬物語≫が、7月22日。
≪偶然世界≫が、8月4日。
≪火星のタイム・スリップ≫が、8月5日から、7日。
≪流れよわが涙、と警官は言った≫が、8月18・19日。

  動物ものが、1冊、ディック作品が、3冊。 一日で読んでしまったのが、二冊ありますし、他の二冊も、短い日数で、読み終えていますな。 しかし、私の場合、家事だの、買い出しだの、ツーリングだの、ポタリングだの、他の事をやりながら暮らしているので、一日に取れる読書時間は、一定しておらず、早く読み終えたからといって、その本が面白かったというわけではありません。

2024/10/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (61)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、61回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年9月分。





【三島市川原ヶ谷・秋葉神社】

  2024年9月6日。 三島市・川原ヶ谷にある、「秋葉神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前、行った、「茶臼山展望台」から、少し、山の上へ向かい、分岐を右、つまり、南側へ行くと、すぐの所にあります。

≪写真1≫
  昼尚暗い森の中を走って行きます。 分岐の辺りがぬかるんでいて、タイヤと靴を汚してしまいました。 バイクを停めてある、ちょうど、向かい側に、神社に入る道があります。

≪写真2≫
  奥に見える、秋葉神社。 森の中なので、妙に、神秘的。 鳥居は、なし。

≪写真3左≫
  社、というか、祠。 木製で瓦葺き。 人間が入れるサイズではないです。 個人で祀っているのかも知れません。

≪写真3右≫
  背面。 シンプルだ。 この社は、覆いではなく、これ自体が、拝殿にして、本殿です。 狛犬、石燈籠、漱盤などは、なし。

≪写真4左≫
  中に、賽銭箱がありました。 文字は、右から、「銭賽」。 ちょっと、奥にあって、入れ難いですな。 扉は、最初から開いていました。 毎日、開け閉めしてるんでしょうかね? 大変だな。

≪写真4右≫
  石で出来た、覆い。 たぶん、中に、木製の小さな社を入れる為のものでしょう。 中は空でした。 もしかしたら、これが、最初の社で、建て直して、今の社になったのかも知れません。

≪写真5≫
  道を、少し行くと、展望が開けました。 やっぱり、写真は、こうでなくては。 泥道に戻る気にならず、このまま、先に進んだら、小沢集落に出ました。 そこから、沢地に出て、帰りました。

  バイクのタイヤと、靴に着いた泥は、帰ってから、濡れ雑巾で、拭いておきました。 その程度で済んで、良かった。




【三島市川原ヶ谷・小沢公民館】

  2024年9月10日。 三島市・川原ヶ谷にある、「小沢公民館」へ行って来ました。 中に入ったわけではなく、どんな所か、見に行っただけ。 小沢地区は、箱根の山懐で、三島市と言っても、かなりの距離があります。

  小沢地区に入ったものの、最初、入口を見つけられずに、通り過ぎてしまい、引き返して来て、高い所から見下ろしたら、児童公園の滑り台が見えたので、当たりをつけて、そちらへ向かいました。 入り口には、ちゃんと、案内書きがありました。 行きには、見過ごしただけたったんですな。

≪写真1≫
  小沢地区は、それ自体、斜面にあるのですが、公民館には、大きな敷地をとってありました。 駐車場が、妙に広い。 建物は、ゆったりした平屋。

≪写真2≫
  一角にあった、児童公園。 滑り台と、動物の乗り物があります。 跨り物と呼ぶべきか。 パンダと、熊。 こういうものを喜ぶ、小さな子が、もういないのか、草ボウボウですな。

≪写真3左≫
  垣根の中に建っていた、石碑。

「農村基盤総合整備事業  完工碑  平成七年五月吉日」

  平成七年は、1995年。 29年経っているわけですが、石碑としては、まだ、作ったばかりという年齢。

≪写真3右≫
  防災倉庫。 汎用の物置ですな。

≪写真4≫
  空と雲。 9月に入っていたけれど、思いっきり、夏ですなあ。 暑かったです。




【三島市御園・墓石神社】

  2024年9月17日。 三島市・御園にある、「神社」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、名前が分かりません。 現地でも、分かりませんでした。 御園地区は、三島の南の端です。

≪写真1≫
  細長い境内の奥にあります。 向かって、右側を流れているのは、用水。 用水の更に右に、道路があり、最初、そこへ曲がってしまったのですが、奥からは入れないと分かり、幹線道路へ引き返して、正面から、入り直しました。

≪写真2≫
  右にあるのが、神社。 左の石塔は、「文禄四年」の文字があり、何かの石碑かと思ったんですが、さにあらず、他の文字を読むと、複数人の戒名が彫ってあり、墓石と判明しました。

≪写真3≫
  神社の前面。 これは、覆いで、中に、木製の祠が入っているタイプです。 屋根は、銅版葺き。 壁は、コンクリート・ブロック積みで、塗装されています。 前面は、格子扉。 この大きさにしては、相当、凝った造りです。

≪写真4左≫
  石燈籠。 シンプルなタイプ。

≪写真4右≫
  境内の途中まで乗り入れた、EN125-2A・鋭爽。 入口近くで停めても良かったんですが、どうも、真ん中あたりの方が、転回し易そうだったので、ここまで入ってしまいました。 狭い草地での転回は、バイクに跨り、エンジンをかけて、じわじわと前後させながら、少しずつ、向きを変えます。 地面が舗装されていないと、下りて押すのは、無理があります。

  三島の御園は、大平から、新城橋を渡ると、すぐでして、以前なら、折自で来ていた所です。 往復で、30分くらいで、家に戻れました。




【三島市松本・山神社】

  2024年9月23日。 三島市・松本にある、「山神社」に行って来ました。 当初の目的地は、御園の、「稲荷神社」だったのですが、予め、ストリート・ビューを見て来たにも拘らず、いくら探しても見つかりせん。 どうやら、撤去された模様。 他に移転したのかも知れませんが、調べようがないので、諦めて、場所を知っていた、山神社の方へ向かった次第。

≪写真1≫
  幹線道路ではないですが、割と広い道路に面しています。 木製の鳥居、あり。 後ろの建物は、倉庫です。

  バイクは、停める所がなかったので、側溝の溝蓋の上に停めました。 こういう所では、キーを溝蓋の隙間に落とさないか心配ですが、この時は、キーを抜きませんでした。 ちなみに、私は、目的地に着いても、ヘルメットも脱ぎません。 写真を数枚撮る程度なら、5分くらいですから、脱いだり、被り直したりする手間が、無駄だと思いまして。

≪写真2≫
  社殿。 拝殿と本殿を兼ねたもの。 瓦葺き。 という事は、昭和に入ってから、建てられたのでしょう。 賽銭箱、なし。

≪写真3左≫
  社殿の背面。 一部が飛び出していますが、この中に、御神体か、本殿の社が安置されているのです。

≪写真3右上≫
  鳥居の名額。 これは、金属製のようです。 「山神社」。 山神社は、山の中でなくても、普通に、分布しています。

≪写真3右下≫
  社殿の扉にかけられた、南京錠。 留めている輪が、変わっています。 この程度の錠を壊すのは、簡単ですが、そこはそれ、神の御威光で、罰当たりな所業を防いでいるわけですな。 そもそも、賽銭箱がないのなら、社殿の中に、金目のものなど、ありませんし。 

≪写真4左≫
  石燈籠の、部品欠け。 火袋と受け台がありません。

≪写真4右≫
  これは、日本庭園用の石燈籠ですな。 完品ですが、火袋が少しズれていました。 植え込みの中に埋もれているから、よく見なければ、気づきませんが。





【三島市長伏・路傍神社】

  2024年9月30日。 三島市・長伏にある、神社へ行って来ました。 名前が分からないので、「路傍神社」と、しておきます。 ネット地図にも載っておらず、たまたま、ストリート・ビューで、見つけたもの。

  徳倉橋から、的場を通り、梅名へ向かう道で、私は、ここを、何百回も通っていますが、神社がある事には、全く気づきませんでした。

≪写真1≫
  住宅と住宅の間に、半分埋まるような格好で、存在しています。 公の神社というよりは、個人で祀っている佇まいです。 木造、漆喰壁。 屋根は、銅板葺き。

  バイクは、停める所がなくて、歩道に停めました。 すぐに乗れる範囲にいたから、停車という事で。

≪写真2左≫
  石段。 白い切石を、綺麗に積んであります。 明らかに、デザインを意識した造形です。

≪写真2右≫
  境内に敷かれた、玉石。 石のサイズが大きく、美しいです。 明らかに、デザインを意識した選択。

≪写真3左≫
  石燈籠。 火袋が破損していて、火を入れる所がありません。 「文政五年」とあります。 江戸時代のものにしては、綺麗な状態です。

  後ろに立てかけてある石の板には、「大正十五年参月建設 中郷村 消防組 第七部」とあります。 消防団の建物があったんでしょうか。 この神社のものではないようです。

≪写真3中≫
  社殿の扉に、切り欠きがあり、中に賽銭箱が見えました。 神社の名前が分からないかと、この穴を下から覗き上げてみたんですが、文字らしいものは、見えませんでした。 中に、木製の社がありました。

≪写真3右≫
  旗竿。 こういう物があるという事は、個人祭祀ではなく、公の神社なんでしょうか。

≪写真4≫
  屋根の細工。 凝っている。 宮大工の手によるものだと思います。





  今回は、ここまで。

  9月は、三島市でしたが、最初、市域北東の、箱根山麓の方へ行っていたのが、ガソリンの残りが乏しくなって来まして、近場の、南部へ切り替えた次第。 南部なら、沼津市・大平や清水町を経由して行けば、すぐそこなのです。 近いから、往復、30分もかからずに帰って来ました。

  ちなみに、このプチ・ツー・シリーズで、駿東郡・清水町が目的地になっていないのは、あまりにも近過ぎて、わさわざ、バイクで行くような所ではないからです。

2024/10/20

実話風小説 (33) 【口癖】

  「実話風小説」の33作目です。 8月の中頃に書いたもの。 一旦 書き始めれば、興が乗って、一気に書いてしまうのですが、なかなか、エンジンがかからないのです。 やはり、長過ぎる事に問題があるのかも知れません。 今回のは、短い方ですが、それでも、まだ長い。




【口癖】

    男Aの口癖は、「馬鹿」と、「小学生でも分かる」である。 こういう男、多そうだな。 男Aの場合、「馬鹿」は、小学生の頃から、「小学生でも分かる」は、中学生の頃から言い出したらしい。 小学生の頃から、「小学生でも分かる」と言っていたら、面白いが、これは、そういう笑い話ではない。

  男性の場合、中学生以下の年齢では、そういう口癖があっても、あまり、問題にならない。 高校生くらいになると、友人など、仲間内以外の人間に対して使ったら、問題になる。 男Aの場合、仲間内としか話をしなかったから、悶着に発展する事がなかったのだ。 後から思えば、喧嘩の一つも経験して、他人に向かって、そういう言葉を使うものではないと、悟っていれば、良かったのに・・・。

  二流の私立大学を出て、就職。 経理部門に配属された。 若い頃は、そこそこ、やる気のある社員で、一番早く昇進するだろうと思われていた。 結婚も早くした。 入社3年目である。 当時は、まだ、見合い制度が活きていて、親戚の紹介で見合いした看護師、当時は、看護婦だったが、2歳年下の女性と結婚した。

  妻は、すぐに、男Aの口癖に気づいた。 新婚旅行から、「馬鹿だなあ」とか、「小学生でも分かる事じゃないか」を、連発していたからだ。 妻は、看護学校出なので、男Aは、自分の方が、学歴が上で、当然、頭が良く、夫婦としての生き方を指導する立場にあると、決め込んでいた。 そして、妻が、内向的性格だった事もあり、それは、実行された。

  子供は、結婚3年目に、娘が一人 出来た。 男Aの人生が、順風満帆だったのは、その辺りまでだった。 30歳になっても、男Aは、まだ、平社員だった。 それには、理由がある。 経理部内で、会計ソフトの更新があったのだが、男Aは、前のソフトに慣れていたせいで、更新に頑強に反対した。 前のソフトなら、経理部内で、最も精通していたのである。

  だが、時代の流れに、一人で抵抗しても、無駄である。 更新は、実施され、男Aは、新しいソフトに、いつまで経っても、慣れる事ができなかった。 なまじ、前のソフトに慣れていただけに、頭が切り替えられなかったのだ。 不満が溜まり、同僚や、後輩に向かって、愚痴を叩きまくった。

「馬鹿! 効率性なら、前のソフトの方が、ずっと速いんだ! そんな事は、小学生でも分かる!」

  前のソフトでは、他人の、1.1倍の速度で仕事をこなしていた男Aは、新しいソフトでは、他人の、0.7倍くらいの仕事しかできなかった。 自分は経理のエースだから、その自分が文句を言っていれば、その内、古いソフトに戻してもらえるだろうと思っていたようだが、常識的に考えれば、会社が、そんな事をしてくれるわけがないのだ。 それなりの設備投資をして、最新のソフトを導入したのに、一人の平社員が反対しているから、古いのに戻す? 馬鹿馬鹿しい。 そんなの、ありえんわ。

  文句ばかり言う上に、仕事が遅いので、係長は、課長と相談して、男Aを、他の部署に回す事にした。 男Aに、その話を持ちかけると、「係長にしてくれるなら、どこへでも行きます」という答えだったが、他の部署の仕事をした経験がないのに、管理職になんかできるわけがない。 男Aは、企業のシステムというものを、よく理解できていないのだ。 それ以前に、世間知らずだったのだが、それが露呈されるのは、もっと後の話。

  異動を拒絶して、経理に居座り続ける事、5年。 また、ソフトの更新が行なわれた。 男Aは、全く覚える気がなく、仕事を取り上げられてしまった。 毎日、何もする事がないのに、職場に行き、形ばかりのデスクで、インター・ネットを見て、時間を潰すようになった。 時々、他の部署で、その日限りの欠員が出来ると、誰でもできるような仕事を任されたが、やはり、文句ばかり言っていた。 一日の予定だったのに、仕事がうまくできない事に臍を曲げ、半日で戻って来てしまう事もあった。

「馬鹿! あんな単純な仕事、やってられるか! 小学生にでもやらせりゃいいんだ!」

  すでに、35歳。 同期は、みんな、昇進してしまい、ヒラは男Aだけである。 しかし、男Aは、同情してやるような人物ではない。 そもそも、入社してから数年が、調子が良過ぎたのだ。 本来は、無能な部類なのに、最初に扱った会計ソフトと、たまたま相性が良かったせいで、実力以上に、自信を持ち過ぎた。 自分を有能だと思い込んでしまった。 ソフトの更新という避けられない変化の波に乗る事ができなかった。 それが、こういう結果を招いたのだ。

  勤め先で鬱積した怒りの捌け口は、家庭で、妻や娘に向けられて、口癖の連発となった。 口を開けば、あらゆる言葉が、「馬鹿!」から始まり、「小学生でも分かる!」で終わる。 帰省すれば、自分の親や兄にも、「馬鹿!」。 さすがに、妻の両親に対しては言わなかったが、そもそも、妻の実家には、滅多に行かなかった。 「馬鹿」を言えないから、行かなかったのである。 ちなみに、妻の父親は医師で、母親は看護師、夫婦で、小さな診療所をやっている。

  妻は、夫の暴言に慣れる事はなかったが、言い返すと、十倍になって返って来るので、何も言わなくなった。 娘の方が、中学生になると、父親の口癖に、カチンと来る事が多くなったが、やはり、言い返すと、十倍になって返って来るので、父親と話をする事自体をやめてしまった。 父親がいないところでは、母親に向かって、訴えた。

「絶対、おかしいよ。 友達に訊いたけど、よそのお父さんは、あんな事、言わないって言ってたよ」

  ところが、母親は、なんと、夫を庇った。

「仕事の方で苦労してるから、ああいう言い方になっちゃうんでしょうよ。 家族なんだから、分かってやって」

  妻は、娘が生まれてから、高校生になるまでは、仕事をしていなかったので、男Aの収入だけに、家族の生計がかかっており、男Aを怒らせる事を恐れていたのだ。 もし、男Aが、会社を辞めると言い出すと、男Aの性格や、適応力の低さから考えて、再就職は、まず無理と思われ、家族は、路頭に迷う事になる。 娘が成人し、働き始めるまでは、是非とも、その事態は避けたかった。

  妻が、男Aを庇う様子は、娘以外の人間が関わる場面でも見られた。 訪ねて来た妻の弟が、夕食の席で、男Aの言葉に、カッと来て、睨みつけた時があったが、妻は、慌てて立ち上がり、弟の腕を引っ張って、廊下へ連れ出した。

「後生だから、怒らないで!」

「なんで、俺があいつに、馬鹿にされなきゃならないんだ!」

  妻の弟は、医師で、この時は、総合病院の勤務医をしていた。 男Aから、出身大学を訊かれて、私立の大学名を答えたところ、「医学部って、私立もあるの? なんだ、それじゃあ、金さえ出せば、馬鹿でも入れるんだな」と言われたのである。 自分が、私立の医学部がある事も知らないような世間知らずの馬鹿である事を棚に上げて、相手を馬鹿にするのだから、呆れた話だが、そういう男なのである。 姉は、脂汗を浮かべながら、弟を宥めた。

「あの人が言う『馬鹿』は、口癖だから、相手が誰でも、ポロッと出ちゃうの。 深く考えないで」

「深いも浅いも、『馬鹿』の意味なんて、一つしかないだろ! そんな言葉を、口癖にしている方がおかしいんだ!」

「とにかく、喧嘩されると、困るのは、私なんだから・・・」

  だが、後から考えると、妻のこの、「自分が耐えさえすれば・・・」、「自分がフォローしさえすれば・・・」という考え方が、ますます、男Aを増長させ、「馬鹿!」、「小学生でも分かる!」を、連呼させる事になったのかも知れない。 せめて、看護師の仕事を再開してからは、夫を頼らない方向に、舵を切り変えた方が良かったのではなかろうか。



  歳月は流れる。 男Aが、58歳、妻が、56歳の時に、その事件は起こった。 すでに、就職して、別の地方都市で一人暮らしをしている娘が、母親の誕生日に、旅行をプレゼントしてくれた。 実は、母親だけに贈りたかったのだが、それをやると、父親が怒って、母親を口汚く罵ると分かっていたので、夫婦二人分にしたのである。

  三泊四日の三日目に、トロッコ列車に乗る行程があった。 旅行会社による、団体ツアー旅行で、箱一つを貸切にしていたが、席順は決まっていなかった。 A夫婦は、妻がトイレに行っている間に、駅前の土産物店に冷やかしに行った男Aが、なかなか戻って来なかったせいで、列車に乗り込むのが、最後になってしまった。

  一列4席。 崖側・山側、各2席ずつで、中央が通路。 峡谷を走る列車で、崖側の方が眺めがいいので、そちらの席は、ほとんど埋まっており、山側は、いくつか、空きがあった。 崖側の席に、一人で座っている、50代の男性がいた。 B氏と呼ぶ。 男Aは、妻を残して、B氏の所へ行くと、席を譲ってくれと、交渉を始めた。 B氏は、怪訝そうな顔を隠さなかった。

「嫌ですよ。 景色を見る為に、わざわざ、来てるのに」

「それは、あんた個人の都合でしょ。 私達は、夫婦二人連れだから、隣り合って座りたいんですよ」

「だったら、山側の席で空いている所に座ればいいでしょう」

「分からん人だな。 山側じゃ、景色よく見えないじゃないか」

「なんで、私が譲らなきゃならないんですか? あなたに、優先権なんて、ないでしょうが」

「旅先じゃ、人数が多い方が、優先なんだ!」

「そんなルール、聞いた事もない!」

「もう、いいわ! 馬鹿っ!」

  と、ここまでは、男Aが普段、家庭や職場で、普通に交わしているような、やりとりだった。 普段と違うのは、相手が、家族や同僚といった、顔見知りではなかった事である。 普段なら、男Aの、「馬鹿っ!」で終わるのが、この時は、終わらなかった。 B氏が、言い返して来たのだ。

「馬鹿は、お前だっ!」

「?!」

  一旦、B氏に背中を向けていた男Aは、学生の頃、友人に言われて以来、聞いた事がなかった反撃のセリフに驚き、振り返ったが、返す言葉が、喉の奥で止まってしまった。 B氏の表情が、鬼面のように真っ赤になり、激怒していたからである。 男A、途轍もない恐怖に襲われた。 殴り合いの喧嘩になるのではないかと思って、一気に血の気が引いた。 周囲にいた他の客は、男Aの顔が、B氏のそれとは逆に、真っ青になって行くのを、間近で見る事になった。

  男Aから、3メートルくらい離れた所に立っていた妻は、B氏が言った、「馬鹿は、お前だっ!」という言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けていた。 正に、その通りなのだ。 夫こそ、馬鹿なのだ。 馬鹿に馬鹿と言われながら、30年以上、生きて来たが、なぜ、今まで、その言葉を言い返してやらなかったのか、自分が不思議でならなかった。

  B氏は、更に、男Aを怒鳴りつけた。

「お前は、一体、どういう人間なんだっ! 理不尽で、図々しい要求をした挙句、初対面の赤の他人を、馬鹿呼ばわりかっ! それが、大人のする事かっ! 小学校低学年のまんま、歳だけ食ったのかっ!!」

  B氏の剣幕に、男A、全く、言い返せない。 こんな恐怖は、それまでの人生で、味わった事がなかった。 赤の他人を怒らせるという事が、どういう事か、初体験したわけだが、そもそも、反省なんかできる人間ではない。 ただただ、怖いだけ。 両脚の膝と踝が、ガクガク震えて、近くの座席の背凭れに手を着こうとしたが、そこに座っている人の頭に触れてしまい、乱暴に払い除けられた。 腰が抜けて、通路に尻餅をついた。

  そこへ、ツアーの添乗員が駆けつけて来た。 男Aや、B氏にではなく、他の客に話を訊く。 その人は、B氏の肩をもつ証言をした。

「後から来た、この人が、そっちの人に、席を替われって、無理強いしたんですよ。 夫婦二人だから、優先権があるって言って。 で、そっちの人が断ったら、『もう、いいわ! 馬鹿っ!』って罵ったんです。 それで、そっちの人が怒ったんですよ。 当然だと思いますけどね」

  他の客も言う。

「赤の他人から、馬鹿呼ばわりは、されたくないなあ」

  別の客、二人の会話。

「普通、赤の他人に、馬鹿なんて、言わないよねえ。 相手がどんな人か、全然知らないんだもの。 喧嘩になっちゃうよねえ」

「そうだね。 社会の仕組みが分かる歳になったら、他人を警戒するから、言葉にも気をつけるようになるね。 その人、どういう人なの? 結構な年配のようだけど」

  男Aだけでなく、妻にも、視線が集まった。 男Aは、いつものように、妻が庇ってくれるものだと思っていたが、妻は、何も言えなかった。 周囲は他人ばかりなのに、こんな馬鹿な夫を、どう庇えと言うのだ。 B氏が言った言葉が、胸に突き刺さっていた。 正に、その通り。 夫こそ、「小学校低学年のまんま」なのだ。 なにが、「小学生でも分かる」だ。 そんなセリフを30年以上言われ続けて来た自分が、情けなくてならなかった。

  弟が、医師になって父の診療所を継ぐ事が決まっていたので、やむなく、看護学校へ行ったが、実は、妻の方が、弟より、学校の成績は良かったのだ。 そんな自分なのに、こんな、小学校低学年レベルの、馬鹿丸出しな男に罵られながら、30年以上も耐えてしまったのだ。 何たる、不覚! 一度しかない人生を、半分 ドブに捨てたも同然!!

「下ります。 私は、下ります。 ごめんなさい。 私のツアーは、ここまでにして下さい」

  妻は、添乗員の横をすり抜けて、トロッコ列車から、下りてしまった。 男Aは、通路に尻餅をついたまま、取り残されたが、周囲の客から白い目で見下ろされ、添乗員から、

「あなたは、どうします?」

  と訊かれて、何も言わずに、体を裏返して、四つん這いで少し進むと、何とか立ち上がり、トロッコ列車から、下りて行った。 何人かの客が、B氏の所へ行って、励ましの言葉をかけた。

「よく言ってくれました。 あなたは、全面的に正しいです。 もし、あの馬鹿が、名誉毀損で訴えるとか言い出したら、先に侮辱したのは、あっちだって、私が証言します」

「私も!」

「私も!」

  B氏は、怒りが収まって、顔色も元に戻っていた。 少し照れ臭そうに言った。

「私も、あんまり、怒りっぽい方じゃないんですがね。 つい、カッと来てしまいました。 お恥ずかしい」

「いいんですよ。 ああいうのは、怒鳴りつけてやらなきゃ、分からないんだから」


  男Aは、転げるような足取りで、駅舎の外に出たが、妻を乗せたタクシーが、目の前を走り去って行くのを見て、慌てて、腕を振り回した。

「おいっ! 俺も乗せてけっ! おーいっ! 止まれーっ! 馬鹿ーっ! 別々に乗ったら、タクシー代がもったいないだろうがーっ! そんな事、小学生でも・・・」

  つくづく、馬鹿だな。 つける薬がない。 大方、高い所が好きで、風邪も引かないのだろう。 そして、死ななければ、治らないのだ。


  翌日、男Aが家に戻ると、妻は不在で、後から帰って来た。 娘と、自分の弟を連れて来ている。 男Aは、渋い顔で、妻に言った。

「お前が逃げ出した事は、理解できる。 あんな頭のおかしい馬鹿野郎に遭遇したんだから、混乱するのは無理もない。 その点は、許す・・・」

  妻と娘、妻の弟が、顔を見合わせ、薄ら笑いを浮かべた。 男Aが続けようとするのを、妻が遮った。

「待った、待った。 許してもらわなくてもいい」

  そして、バッグから取り出した離婚届の用紙を広げると、書き込むように、三人で、男Aに詰め寄った。 男Aは、怒り立った。

「馬鹿っ! どうして、ここで、離婚だっ! そんな暇、あるかっ! 今から、俺に恥を掻かせた、あの馬鹿野郎を、訴えてやるんだ! お前は、警察へ行って、訴え方を訊いて来い!」

  妻が、絶対零度クラスの、冷ややかな声で言った。

「恥ずかしい人間なんだから、恥を掻くのは、仕方ないだろ。 訴えるぅ? 先に、『馬鹿』って言ったのは、あんたじゃないか。 向こうは、言い返しただけなのに、何の罪になるんだ?」

  夫に対する喋り方が、事件以前とは、全く変わっている。 それはつまり、男Aを完全に見限ったという証拠なのだ。

  娘が、目を丸くして、しみじみ言った。

「ほんとに、馬鹿なんだねえ。 常識もないんだねえ」

  妻の弟が言った。

「もう、あんたにゃ、うんざりだよ。 あんたみたいな馬鹿と、姻戚だと思うだけで、ゾッとするほど、おぞましい。 さっさと、縁を切ってくれ」

  妻が言う。

「こっちも、いろいろ、話し合ったんだけど、あんた、あと2年で定年だろ? 家で遊んで暮らすつもりらしいけど、そうなれば、特に趣味もないし、私にくっついて、濡れ落ち葉になるに決まってる。 冗談じゃないよ。 出かけるたびに、他人を馬鹿呼ばわりされたんじゃ、こっちの身がもたないわ。 知り合いと他人の区別もつかないんじゃ、社会で生きて行く資格もないと思うけどねえ」

「馬鹿っ! 馬鹿っ! お前ら、全然、分かってないっ!」 妻と娘を交互に指さして、「俺に感謝の気持ちがないのか? 俺が働いたから、お前ら二人が、暮らしてこれたんだぞっ!」

「別に、私が働いたって良かったんだよ。 看護師は、引く手数多だから、万年ヒラのあんたよりは、トータルの収入も多かっただろう」

「そんなの、結果論だ!」

  妻の弟、

「へえ。 馬鹿の癖に、そんな言葉は知ってるんだ」

  妻、

「馬鹿の癖に・・・」

  娘、

「馬鹿の癖に・・・」

  男A、

「馬鹿は、お前らだっ!」

  妻、

「この中で、馬鹿は、あんただけだって事は、小学生でも分かるよ」

  三人で、ゲラゲラ笑った。 男Aは、包囲攻撃に耐え兼ねて、泣き出した。

「くそっ! くそっ! 離婚してやる! こっちから、縁を切ってやる! 後で、吠え面掻くなよ! 何があっても助けてやらないからな」

  妻、

「あんたみたいな、世間知らずで、人を人とも思っていない、性根の腐れきった馬鹿が、他の人間を助けられるわけがないだろう。 身の程を知れ。 自分一人、生きて行く事もできないわ」


  妻の言葉は、たちまち、現実になった。 元妻が、アパートから出て行ってしまうと、家事能力ゼロだった男Aの生活水準は、地を這うほどに落ちた。 料理が全然駄目で、コンビニ弁当ばかり。 カップ麺は、湯の沸かし方が分からなくて、買い置きがあったのに食べられなかった。 原始人か?

  洗濯機の使い方も分からない。 一応、回すところまではできたが、洗剤は、水と同じように、洗濯機から、自動的に出て来ると思っていたのだから、呆れる。 メーカーのサービス・センターに電話して、「汚れが落ちないぞ!」と怒鳴りつけたが、すったもんだのやりとりの挙句、「洗剤を入れてください」と言われてしまったのである。 苛烈なまでの馬鹿ぶりを発揮しておるな。

  布団は、定期的に干すものだという事を知らず、黴が湧き、茸まで生えて来た。 風呂も、湯の溜め方が分からず、シャワーだけ。 シャワー口が詰まって、口が外れてしまったが、直し方が分からず、それ以降は、行水するだけになった。 性格的に、掃除もできないので、埃がうず高く積み上がり、ゴミの出し方を知らないから、どんどん溜まって、ゴミ部屋へまっしぐら。 まあ、馬鹿で、世間知も小学校低学年レベルだから、そんなものだな。


  追い討ちをかけるように、会社をクビになった。 有休をとった後輩の代わりで、使えもしないソフトをテキトーに弄っている内に、重要なデータを消してしまい、社長室に呼び出されるほどの大叱責を受けた。 折り悪く、リストラ計画がスタートしており、自己都合退職か、損失を自腹で埋めるか、どちらかを選べと言われて、3千万円を超える損失を埋められるわけもなく、退職した。 退職金は、大ミスのせいで、大幅に減額された。

  職場は、疫病神が去ったと言って、大喜び! 居酒屋で開かれた祝賀パーティーには、会費5千円と、安くはなかったにも拘らず、男Aに馬鹿にされた不愉快な経験がある社員達が、こぞって参加した。 30人以上いたというから、経理部以外でも、馬鹿馬鹿 言いまくっていたのだろう。 宴会の席は、男Aの悪口で、爆発的に盛り上がった。

「他人を、馬鹿馬鹿 言っていた本人が、一番 馬鹿だ!」

「しかも、無能で、仕事なんて、何やらしても、文句ばっかで、まともにできやしない!」

「あいつが、給料相当の仕事をしていたのは、入社後5・6年で、あとの30年間は、給料泥棒と呼ぶ以外になかったな」

「ありゃあ、自分が無能な事を隠そうとして、他人を馬鹿にしてたんだよ。 『馬鹿にされる前に、馬鹿にしろ』って発想だな。 そのせいで、これほど、憎まれる結果になったわけだが・・・」

「無能でも、おとなしくしてりゃあ、まだ、可愛気があるのに、開き直って、他人を馬鹿呼ばわりだ。 自分から、周りを敵に回してやがった。 馬鹿過ぎて、自分が馬鹿だと思われている事が分からなかったんだろう」

「あの人を見てると、『誰にでも、生きる権利がある』なんて言葉が、納得できなくなりますよね」

「そうそう! あんな馬鹿、とっとと死ねばいいんだ!」

  そこまで不穏な言葉が出ても、みんな、ゲラゲラ笑っているのだから、男Aが、どれだけ迷惑を垂れ流していたかが分かろうと言うもの。


  さて、その後の男Aだが、貯金を取り崩しながら、始終ビクビクして、暮らしていたらしい。 外に出て来るのは、弁当・飲み物の買い出しだけで、後は、アパートの部屋に籠っていた。 隣室の住人の話では、毎日、昼となく夜となく、壁越しに、怒声が聞こえて来たという。 「馬鹿っ!」、「小学生っ!」と言って、その後が、力なく途切れる。 寝言なのかも知れないが、病的な感じがする。

  隣室の住人は、気味が悪くなり、大家に相談に言った。 大家は、知り合いの民生委員に相談。 民生委員の紹介で、大家に付き添われて、精神科に受診したところ、うつ病と診断された。 男Aは、反省などするタイプではないが、赤の他人を怒らせる事の恐ろしさは、身に浸みて分かったのであろう。 一人暮らしになった事で、恐怖の対象が広がり、他人全てが怖くなったものと思われる。 すっかり、痩せ衰えて、そのまま暮らしていれば、3ヵ月もたなかったかも知れない。

  こんな男だから、それならそれで良かったのだが、たまたま、かかった精神科医が腕利きで、的確な投薬治療を施した結果、1ヵ月もしない内に、回復してしまった。 薬が効く体質だったのかも知れない。 不安を、一切、感じなくなった。 腐れ切った性格まで、完全復活。 まったく、治療は医者の仕事とはいえ、余計な事をしてくれる。

  病気も治った事だし、この勢いで、元妻と復縁しようと、退院したその脚で、元妻と娘が住んでいる街まで、電車で行った。 駅前のタクシー乗り場に行列が出来ていたので、少し離れた所にある、タクシー営業所の乗り場へ向かった。 ちょうど、そこへ、隣を歩いている人物がいた。 たぶん、同じタクシーに乗ろうとしているのだと思い、男Aが早足になると、隣の男も早足になった。 ほとんど、同時に、タクシーの所に着いた。

  男Aが、持ち前の、無能なくせに、自信に満ち溢れ、押しだけは強い、図々しい性格で、相手を押し退けて、タクシーに乗り込もうとした。

「どけよっ! 次の車に乗ればいいだろう! 俺は、退院して来たばかりだから、優先なんだ! 馬鹿っ!」

  男Aは、タクシーの後部座席に腰を下ろしたが、まだ、クッションの揺れが収まらない内に、二の腕を掴まれ、凄い力で、引きずり出された。

「わあっ! 何すんだ! 放せっ! 馬鹿馬鹿馬鹿っ!」

  相手の男は、無言のまま、男Aを引っ張って、狭い路地に消えた。

  二人とも、なかなか戻って来ないので、タクシーの運転手が、車を下りて、路地に入ってみたところ、仰向けに転がっている男Aの死体を発見した。 刃物で、心臓をひと突きされていた。 これなら、うつ病のまま、アパートで独居死していた方が、良かったか。 凶器は持ち去られており、犯人が誰か、手がかりが全くなかった。 手馴れた刺し方から、ヤクザ者ではないかと思われたが、周囲に防犯カメラがなく、タクシーのドライブ・レコーダーにも、右手の手首しか写っていなくて、人物の特定ができなかった。

  タクシーの運転手は、刑事に、こう言っている。

「あの人も、『助けてくれ!』とか言えば、すぐに後を追いかけたんだけどね。 『馬鹿馬鹿』言ってるだけだったから、なんだか、子供の喧嘩みたいで、真剣に取る気にならなかったんだよね」

  突発的な殺人である事は明白だったが、警察では、念の為、怨恨も視野に入れて、被害者周辺の捜査もした。 元妻と娘、親戚などには、アリバイがあった。 以前の勤め先を訪ねた刑事は、被害者の評判が、あまりにも悪いので、ゾッとする思いをした。 例の、祝賀パーティーの話も出たが、「死ねばいい」という言葉を口にした社員は、笑いながら、こう答えた。

「殺すんなら、馬鹿呼ばわれされた、その時に、やってますよ。 世の中に、あの手の馬鹿は、あいつ一人じゃないし、とりあえず、目に入る範囲から、いなくなってくれれば、それで、充分。 わざわざ、殺しに行くほどじゃないですよ」

  元妻と娘は、遺体の身元確認の為に、警察に呼ばれたが、「もう、離婚していて、葬儀を出す義理はないから」と、遺体の引き取りは、拒否した。 男Aの実家の兄も呼ばれたが、やはり、拒否。 さんざん、馬鹿馬鹿 罵られて来た恨みを忘れていなかったのだ。 男Aの遺体は、自治体によって火葬され、公営の霊園に合葬された。 享年、60歳。 一般的に言うと、死ぬには早い歳だが、男Aには当て嵌まらない。 むしろ、遅過ぎたのである。


  元妻は、今でも、名も知らぬB氏に深く感謝している。 あのトロッコ列車での一件がなかったら、自分は未だに、男Aに馬鹿呼ばわりされながら、男Aの世話をして、暮らしていただろう。 それを思うと、何年経っても、ゾーッと、鳥肌が立つのだった。

2024/10/13

セルボ・モード補修 (37)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回、記事5件出して、終わりにする予定だったのですが、その後、もう1件、追加されたので、6件になりました。 そこで、今月3件、来月3件に分ける事にします。





【5月の手入れ】

  2024年5月12日。 車の手入れをしました。

≪写真上≫
  正面から見た様子。 手入れの内訳は、

・ ワックスがけ。
・ ヘッド・ライトにコンパウンド。
・ タイヤ空気圧の確認と追加。
・ 排気口の清掃

  塗装の劣化は、じわじわ進んでおり、少しでも遅らせようと、年に2回、ワックスをかけています。 昨今、車にワックスをかけている人を、あまり見かけませんが、新車でも旧車でも、ただのボロでも、かけないよりは、かけた方が、マシです。 ただ、露天で置いてある場合、しょっちゅう、かけていなければならないので、手間が大変。

  ヘッド・ライトのコンパウンドがけも、半年に一度ですが、この写真程度になるなら、まずまずでしょうか。 黄色くなったヘッド・ライトほど、車を情けなく見せる要素はないです。

≪写真中≫
  左から、割と最近、アマゾンで買った、ホルツのコンパウンド。 ボディーの筋が付いた部分にかけてみましたが、効果ありませんでした。 コンパウンドのせいではなく、筋を消すほど、深く削れなかったのでしょう。

  中央は、父が、トヨタのディーラーからもらった、半ネリ・ワックス。 ボディー全体にかけています。

  右は、2016年に、車を中古で買った直後、ホーム・センター買った、ソフト99のコンパウンド。 もう、残り僅かです。 ヘッド・ライト磨きに使いました。

≪写真下左≫
  タイヤの空気圧を、ゲージで測ったところ、軒並み、1.7(kgf/cm2)くらいでした。 規定値は、1.8なので、空気入れで足しておきました。 何度も書いている事ですが、自転車用の空気入れでも、口金さえ、米式に対応していれば、車のタイヤに空気を入れられます。 ガソリン・スタンドのエア・コンプレッサーでなければ入れられない、などという事はありません。

≪写真下右≫
  排気口の汚れは、ティッシュで、簡単に拭きとれます。 これは、アフター写真。 半年に一回やっていますが、一ヵ月に一回くらいやった方が、綺麗な状態を保てるかも。




【車検前準備】

  7月7日から、10日にかけて、車検前の準備を行ないました。

≪写真1左≫
  まず最初にやったのが、後席の足元を埋めていた、ダンボール・セットを外す事でした。 冷暖房が効き易いように、前席背凭れの後ろに空気のダムを作ってあったのです。 外したダンボールは、プレハブ離屋へ運びました。

≪写真1右≫
  普段は、期限切れの発炎筒を積んでいるのですが、車検の時に、整備工場で、新しい物に交換されてしまう恐れがあるので、乾電池式の、非常信号灯に換えます。 2018年の、最初の車検の時に買ったもの。 乾電池は、元から付いていたものですが、まだ、使えます。 使わない間、中から出して、ティッシュかラップに包んで、しまっておくと、放電し難いです。

≪写真2左≫
  10日に、半日かけて、最終準備をしました。 ホイール・カバーは、車検に必要ない、というか、邪魔なので、外します。 プレハブ離屋に保管。

  穴が開いているタイプの場合、丈夫な紐を針金に結び、ホイール・カバーの、上の方の穴に通して、引っ張ると、割と簡単に外れます。 「マイナス・ドライバーか、タイヤ・レンチの平たくなった部分を、ホイール・カバーの端に突っ込む」という方法は、勧めません。 どんなに慎重にやっても、ホイール・カバーに傷がつきますし、弱くなっていると、割れてしまうからです。

≪写真2右≫
  ホイール・カバーを外した、鉄ホイール。 昨今、黒っぽいアルミ・ホイールが増えたので、黒の鉄ホイールで乗っていても、違和感を覚えなくなりました。 車検の時には、毎回、ホイール・カバーを外して行くから、中古車ディーラーの人は、私が普段から、この状態で乗っているものだと思っているかもしれません。

≪写真3左≫
  タイヤの空気圧を、エア・ゲージで見たところ、右後輪だけ、180 kPaを割っていたので、空気入れで、足しました。 他の3輪は、185くらいで、適正。 5月にもやったから、そんなものでしょう。

  一番下のは、トルク・レンチ。 ハブ・ナットにかけます。 締め付けトルクは、80 N.m。 この工具の出番は、2年に一回、車検の前だけで、しまってある時には、張りを緩めてあります。

≪写真3右≫
  必要書類。

・ 自動車検査証(車検証)
・ 自賠責保険証明書
・ 軽自動車税納税証明書

  自賠責保険証明書と、納税証明書は、車検が終われば、戻されます。 車検証は、新しい物に換えられてしまうので、コピーを取るか、写真を撮るかしておかないと、二度と見られなくなります。

≪写真4左≫
  エアコンの、漏れ修理剤と、ガスを追加しました。 すぐに抜けてしまう恐れが濃厚ですが、車検の間だけでも、効いてくれれば、中古車ディーラーの人に、暑い思いをさせないで済むだろう、という配慮から入れました。 梅雨時の雨天に、窓も開けられずに、車を運転するのは、不快の極みですからのう。 配慮はいいけれど、お金がかかるのが、玉に瑕。

≪写真4右≫
  ガス注入中の写真。 何度やっても、不安な作業です。 順序的には、先に、漏れ修理剤、その後、ガスになります。 冷たさを感じなくなるまで、缶を振るのですが、「漏れ修理剤は、下向きにして振り、ガスは、上向きにして振る」と、ネット情報で読んだので、その通りにしています。

  古い車だから、素人でも、追加作業が許されているのですが、新しい車だと、ガスが異なるので、駄目かも知れません。 もっとも、新しい車は、エアコンが効かなくなる事はないですから、こんな作業そのものが、不要ですけど。


  10日の内に、灯火類の確認を忘れ、引き渡し当日の、11日の朝に、母に見てもらって、リヤ・コンを確認。 前側は、自分で確認しました。




【車検 2024年7月】

  2024年7月11日。 車を車検に持って行きました。 2016年に買ったから、8年経った事になります。 車検に持って行くのは、2018、2020、2022に続き、これで、4回目。 6月下旬に、中古車ディーラーに電話して、引き渡し日が、7月8日に決まったんですが、その後、向こうから電話があり、11日に変更になったもの。

  当日は、朝食後すぐ、7時半に家を出たのですが、雨は降っていなかったにも拘らず、思いの外、道路が混んでいて、8時半の約束に、5分くらい遅れました。 平謝りです。

≪写真1左≫
  行ってみると、かつて、コンテナの店舗があり、前回は、屋根付の車置き場になっていた所が、更地に戻されて、草が生い茂っていました。 店長さんの話によると、大水が出た時に、2メートルも水没する恐れがあると指摘され、借りていた土地を返してしまったのだそうです。

  店舗は、近くに引っ越したというので、店長の車に先導されて、そちらへ向かいました。 車で、1分もかからない場所でした。

≪写真1右≫
  車を引き渡し、私は、徒歩で、バス停がある幹線道路へ向かいました。 ここで、20分、待ちました。 近くに神社があっので、そこを見たりして、時間を潰しました。 バスは、数分、遅れて到着。 乗客は、私以外に、5・6人いました。

  乗ったはいいけれど、機械が壊れていたようで、整理券が出ません。 途中の停留所で、運転手さんに、「○○から乗ったんですが、いくらになりますか?」と訊くと、機械の故障で仕方ないから、最低料金の、180円でいいと言われました。 否やはないので、仰せに従い、600円くらいするところを、180円で下りました。 得をしたわけですが、何だか、申しわけないですな。

  沼津市街地の南の方のバス停で下りて、永代橋を渡りました。 そこから、また、バスに乗るつもりでいたのですが、橋を渡ってしまうと、家まで歩ける距離なので、結局、歩いて帰って来てしまいました。 バス停から、30分くらいで、到着。

≪写真2≫
  車がない状態の、車置き場。 車で出かけている時には、この状態になっているわけですが、その場合、私は車に乗っているわけだから、見た事がありません。 車検の時だけ、この状態を見れます。 ついでなので、隅々まで、掃除。

  車を持っていた日の夜に、車検が終わったという電話がありました。 早い。 通常、3・4日、かかるのですがねえ。 引き取り日時は、翌日の朝9時に決まりました。

≪写真3左≫
  翌12日は、朝から、雨。 7時半に、傘をさして、徒歩で出かけました。 途中、便意。 よくあるパターンです。 コンビニでトイレを借り、事なきを得ました。

  この写真は、沼津市街地の南にある、バス停です。 ここで、30分以上待ちました。 雨天の市街地なので、道が混んで、バスが遅れに遅れたのです。 乗った時点で、時刻表より、20分も遅れていました。

≪写真3右≫
  バスの車内。 3分の1くらい行った所で、私以外の乗客は、みんな、下りてしまいました。 駅からの通勤客だったのかも知れません。 私だけ、西の方へ。 料金は、670円でした。 つまり、11日の帰りは、490円、得をした事になります。 ほんとに、申しわけない。

≪写真4左≫
  店長さんが、バス停のすぐ前まで、車を持って来ていてくれていました。 二日連続で遅れてしまったので、平謝りです。 車検代金と、手土産の箱菓子を渡し、領収書を受け取りました。 店長さんを、助手席に乗せて、店舗まで送りました。

  この写真は、帰る途中で撮った車内。 車検に出す前日に、漏れ修理剤とガスを入れたエアコンは、まだ、効いていました。 雨で、窓を開けられないから、エアコンが効かなければ、地獄だったでしょう。

≪写真4右≫
  翌13日に撮った写真。 前ガラスの、車検ステッカー。 前回までは、上端の中央に貼られていましたが、今回は、右端に変わっていました。 別に、視界上の問題はなし。 数字は、車検の期限が、令和8年の7月まで、という意味です。

≪写真5≫
  13日に、書類入れ、取説、時計など、下ろしてあった物を戻し、ホイール・カバーも着け直しました。


  これで、あと、2年は乗れる事になります。 今回の費用は、6万5千円でした。 車検費用は、母もちです。 私は、それ以外の、任意保険代、税金、ガソリン代を受け持っていて、ほぼ、折半になっている次第。 年間維持費は、6万円から、7万円の間です。


  追記ですが、エアコンのガスは、その後、20日くらいで抜けてしまいました。 予想していた事とはいえ、結構な金額を費やしたにしては、抜けるのが早過ぎ。 特に、4000円もする漏れ修理剤は、もう、使わない事にします。




  今回は、ここまで。

  今回の車検は、大過なく、乗り越えられました。 前回、2022年の時には、引き渡しに行った帰りに、徒歩で家まで歩いて、両足の親指の爪を剥がしてしまい、生えかわるまで、10ヵ月もかかりました。

  車に載せられる、軽くて小さい折自があれば、それが一番いいんですが、どんなに安くても、1万円以下という事はなく、それなら、バス代を払った方が、遥かに安く上がるのです。 私の運転寿命の残りから考えて、車検は、あと、せいぜい、5回くらい。 折自に1万円も使ってしまったら、とても、元が取れません。

  20インチの折自なら、もっているんですが、あれでは、重くてねえ。 単に重いだけでなく、折りたたんだ状態の形が複雑で、車に載せると、内装にキズを付けてしまいます。 車載に特化した折自が、なぜ作られないのか、不思議でなりません。 もっとも、存在したとしても、高いのでは、買えませんが。

2024/10/06

読書感想文・蔵出し (117)

  読書感想文です。 今回も、4冊です。 「蔵出し」と言いながら、読んで感想を書き終わった端から出している、ここ最近。 何だか、追い立てられているようだ。 10月は、鼠蹊ヘルニアの手術を受ける予定なのですが、もし、それが、無事に終わったら、少し、生活を改め、人生を立て直そうかと、つらつら、思っている次第。





≪白いきば≫

世界文学の玉手箱 21
河出書房新社 1995年3月20日 初版発行
ロンドン 著
阿部知二 訳

  沼津図書館にあった、文庫サイズのハード・カバー本です。 長編、1作を収録。 297ページ。 1906年の出版。 作者のフル・ネームは、「ジャック・ロンドン」で、アメリカの小説家。 筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていた作品。 この本は、子供向けに訳されたもので、漢字を抑えてあります。 しかし、中身は、大人向けでして、子供に読ませるには、刺激が強すぎると思います。 喧嘩で、相手の喉に噛みつく子が出て来るのでは?


  狼の血を4分の3受け継いだ、狼犬。 野生で生まれ、同腹の中で、一頭だけ生き残る。 母親がかつて飼われていた、アメリカ先住民の元に、母子で戻り、人間と暮らし始めるが、母はよそへやられ、自分も、ヨーロッパ系の男に売られて、闘犬に使われるようになる。 持ち前の戦闘能力で、無敵を誇ったが、勝手の違うブルドッグに負けそうになったところへ・・・、という話。

  「白い牙」というのは、主人公の狼犬の名前。 原文では、「WHITE FANG(ホワイト・ファング)」ですが、この名前は、アメリカ先住民の飼い主が付けたものなので、そもそもは、英語ではないはず。 その後も、書き手が、「ホワイト・ファング」と呼んでいるだけで、登場人物達からは、この名で呼ばれていません。 飼い主達が、名前を付けないのは、おかしいと思いますが、読者の混乱を避ける為に、わざと、そうしたのかも知れません。

  そんなに長い話ではありませんが、読後感は、大長編を読み終わったのに似ています。 面白いといえば、大変、面白い。 冒頭、母親が率いていた狼の群に、犬橇が襲われるところから話が始まるので、しばらくは、どういう話なのか分かりませんし、先住民に飼われている期間は、あまり、話に進展がなく、少々、ダレますが、ヨーロッパ系の闘犬元締めに買われる件りになると、急に話の動きが速くなり、最後まで、一気に読ませます。

  狼犬が主人公ですが、擬人化はされておらず、心理描写はされるものの、狼犬の心理を人間が想像して書いています。 一種の、「神視点三人称」でして、「こんなの、ありえない」と言う人もいるかと思いますが、気にしなければ、ごく自然に物語世界に入って行って、ごく自然に受け入れる事ができます。 ちなみに、擬人化されていないので、狼犬や、その他の動物が、言葉を喋る事ないです。

  動物もので、心配になるのは、残虐な目に遭わされないか、という事ですな。 小説に動物を出すと、ひどい目に遭わせるのが、作法だと思っている、情感酷薄な作家も多いので、そういう作品は避けたいもの。 で、この作品ですが、主人公の狼犬に関しては、心配しなくてもいいです。 問題は、主人公にやられる方でして、犬や狼だけでも、相当な数が殺されており、この主人公に、どこまで、同調していいか、考えてしまいます。

  野生で生まれ、先住民家族、ヨーロッパ系の闘犬元締めと渡り、最終的に、心優しいヨーロッパ系の飼い主の元に落ち着くのですが、この流れも、ちと、気にかかるところ。 作者が、ヨーロッパ系だから、身贔屓してるんじゃないでしょうか。 いつ命を落とすか分からない、荒々しい世界を生き抜いて来た主人公が、普通の飼い犬になって終わるのは、「ようやく手にした平安」というより、「単なる腑抜け化」、「廃人ならぬ、廃犬」という感じがしないでもなし。

  ここからは、私の創作ですが、

  闘犬元締めの元を脱走して、野生に戻り、雌の狼と出会った後、その雌を守る為に、圧倒的に不利な状況で戦い、殺されてしまうが、しばらく後、雌狼が、主人公にそっくりの仔を産み・・・、というラストにしたら、もっと、深みが出たのでは? おっと、【フランダースの犬】の時にも、そんなラストを考えましたな。 発想が月並みか・・・。




≪時は乱れて≫

ハヤカワ文庫 SF 1937
早川書房 2014年1月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山田和子 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 368ページ。 コピー・ライトは、1959年。 解説によると、前年の58年1月に書き下ろされたとの事。 当時のアメリカは、一時的なSF不況で、出版社を盥回しにされたせいで、世に出るのが、遅れたようです。


  新聞の懸賞コンテスト、「火星人はどこへ?」に、毎日、応募して、常に最優秀正解者の座を占めている46歳の男。 結婚はせず、妹夫婦の家に、同居している。 ある時、家の洗面所で、妹の夫が、あるはずのない天井灯のコードを探している自分に気づいたり、甥の少年が、廃虚から拾って来た雑誌に、自分達の知らない、「有名」女優の事が写真入り記事で出ているのを見たりした事から、自分達が住んでいる環境に違和感を覚え、街から出てみようと試みるが・・・、という話。

  いかにも、ディックさんらしい、奇妙としか言いようがない、設定です。 しかし、こういうアイデアは、SFでは、さほど珍しいものではありません。 たぶん、1958年当時であってもです。 非常に面白くて、時間があれば、一気に読み終えてしまうタイプの小説ですが、SFとして面白というより、書き方が巧みなのだと思います。 本来、短編用のアイデアを、脱出サスペンスで肉付けして、長編に仕立てているわけだ。

  脱出の試みは、2回、行なわれます。 繰り返されても、くどくなっていないのは、サスペンスとして、ストーリー展開が、よく練られているから。 もし、作者が、「SFの枠を借りて、サスペンスを書きたかったのだ」と言ったとしても、別段、不思議さは感じません。 いや、実際、作者が、そんな事を言ったわけではありませんが。 下手な事を言うと、SF作家としての仕事がなくなってしまいますからのう。

  もう、終わりに近くなってから、種明かしの段で、地球と月植民地が、内戦状態にある事が明かされます。 思わず、【月は無慈悲な夜の女王】を想起してしまいますが、そちらは、1966年なので、影響を受けたわけではないです。 逆に、こちらが影響を与えたというわけでもないでしょう。 「月に植民が行われれば、いずれ、独立戦争になる」というのは、アメリカ合衆国の作家なら、誰でも、思いつく事ですから。

  1990年代後半の描写が出て来ますが、月の植民地は元より、金星にも旅行で行ける時代になっている様子。 50年代から見ると、宇宙時代は、すぐそこまで迫っているから、40年も経てば、そのくらいになっているだろうと予想していたんでしょうな。 大外れだったわけですが、そんなところを責めるのは酷か。 むしろ、インターネットや、携帯・スマホを予測できなかった、そちらの方が、SF作家の罪は大きいです。




≪地球巡礼≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3110
早川書房 1966年3月31日 初版発行
ロバート・シェクリイ 著
宇野利泰 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 短編、15作を収録。 2段組みで、全体のページ数は、256ページ。 コピー・ライトは、1957年になっています。   収録されている、【救命艇の叛逆】は、筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていたもの。


【地球巡礼への旅】 約18ページ

  外宇宙の惑星に植民し、農業開拓に当たっていた青年が、地球には、「恋愛」という産物があると知り、有金はたいて、地球へやって来る。 確かに、「恋愛」はできたが、それは、完全に商品化されていて・・・、という話。

  「恋愛の真似事をしてくれる相手」というわけではないのですが、まあ、似たようなものですな。 区別がつかない読者の方が、多いと思います。 女性を、射的の的にする場面が出て来ますが、どうも、シェクリイさんは、よっぽど、女殺しがしたかったようですな。 潜在意識が、作品に出てしまっているかのように見受けられます。


【地球人の善と悪】 約16ページ

  ある星の住人と、初接触に臨んだ、地球の宇宙船の乗組員。 全く悪意はなかったのだが、地球人としての特徴が、悪く働いて、住人達に迷惑をかけてしまう。 しかし、全く善意はなかったのだが、良い事をした点もあって・・・、という話。

  こういう事は、もし、異星人と初接触する機会があれば、いくらでも、起こる事なのでしょう。 実際には、自然発生型生物が、外宇宙へ出て行く事はできないと思うので、起こりえない事ですが、こんな短編SFに、そんなハードなケチをつけても詮ない事。

  意外な結末というより、オチと言った方が良いものが付いています。 そのお陰で、綺麗に纏まっています。 こういうセンスが、アメリカ人にもあるというのが、興味深いです。


【ワナ】 約14ページ

  休暇を過ごす為に、森へ来た二人の男が、奇妙な箱を発見する。 説明書きによると、それは、罠であるとの事。 仕掛けてみると、見た事もない動物が、各種、1匹ずつ、計4匹、捕まった。実は、罠ではなく、宇宙人が置いて行った、物質輸送機で・・・、という話。

  大したアイデアというわけではないので、ネタバレさせてしまいますと、先に送った3匹は、動物だけど、最後の1匹は、送った宇宙人の女房だったというもの。 シェクリイさんは、よっぽど、妻に消えて欲しかったようですな。 女房を始末するというのは、アメリカン・ジョークの一分野なのかもしれません。


【肉体】 約7ページ

  天才数学者を延命させる為に、その脳を、動物の体に移植した。 手術は成功し、数学者は、喋って歩けるところまで回復したが、つい、動物の本能が出てしまい・・・、という話。

  ページ数で分かるように、ごく軽い落とし話です。 「動物の脳は、どうなったのかなあ・・・」とは、動物好きなら、誰でも思うところで、笑えるところまで行きません。 そもそも、口の構造が違うのだから、人間の言葉を喋るのは、無理なのでは?


【試作品】 約28ページ

  宇宙船で異星に下り立った後、異星人との初接触で、命を落とす者が続出した。 防衛器という機械が試作され、初めてそれを背負わされた男が、異星人と接触したが、防衛器が邪魔をして、敵対的な対応になってしまう。 防衛器を外す方法はないと知らされ、絶体絶命の危機に陥る話。

  アイデアは分かりますが、このアイデアを使うには、話が長くて、くどい感じがします。 長さが決まってる注文があり、それに合わせて、水増ししたのではないでしょうか。 細部を描き込むような、重いアイデアでもありますまいに。 半分くらいの長さなら、オチも、素直に笑えたのですが。


【廃品処理サーヴィス会社】 約8ページ

  内心、妻と別れて、若い女性秘書と再婚したいと願っている男。 廃品処理業者が会社に訪ねて来て、妻も処理しくれるというので、驚く。 多いに悩んだ末に、妻とやり直す道を選んだが・・・、という話。

  実に、ショートショートらしい話ですな。 ほぼ、星新一さんの世界。 結末は、星さんの作品を読み込んでいる人なら、途中で、想像がつきます。 順序的には、シェクリイさんが先で、星さんが、その影響を受けたという流れになりますが。 繰り返しますが、シェクリイさん、よっぽど、夫婦仲が悪かったんでしょうねえ。


【人間の負う負担】 約21ページ

  買った小惑星に、ロボットを引き連れて移り住み、開拓に取りかかった男。 一人暮らしのせいか、心身ともに、追い詰められて来て、寂しさを紛らわせようと、通信販売で、冷凍妻を買ったが、送られて来たのは、容姿がいいだけの、やわな女で、とても、開拓作業などできそうにない。 どうやら、送り先を間違えて、配達されたらしい。 ところが、返品と交換の要求をして、待っている間に、彼女が、開拓民として、大変な適性を持っている事が分かり・・・、という話。

  シェクリイさんらしくない、ほのぼのする話。 「いいのか、皮肉を入れなくて?」とツッコミを入れたくなるのは、私だけでしょうか。 特別に、注文でもあったんですかね? 「気が利いていて、読んだ後、未来に希望を感じられるような話にして下さい」とか。 でなきゃあ、こんな、青春ドラマみたいな話、書かないでしょう。

  シェクリイさんには、他にも、小惑星に移住する話がありましたが、小惑星は、重力が小さいので、大気を繋ぎとめておく事はできません。 しかし、これは、太陽系外の話だと思うので、「小惑星」という言葉が指すものが、太陽系内とは違うのかも知れません。 とはいえ、地球クラスの星となると、二人で開拓は、無理も無理、大無理というもの。 何か、ピントがズレている感あり。 地球上の、絶海の孤島のようなものに、擬えているのだと思うのですが・・・。


【夜の恐怖】 約5ページ

  蛇に襲われる夢を、繰り返し見る妻に、夫は・・・、という話。

  なぜ、蛇なのかというと、凶器が紐だからですが、なぜ、凶器を使うような事態に至ったのか、その理由が、漠然としか書かれてないので、話として、完成レベルに至っていないように、感じられます。


【悪薬】 約26ページ

  友人にして同僚の男に対し、殺意を抑えられなくなってしまった人物が、治療機器の店に行き、殺人衝動を抑える機械を購入する。 ところが、その機械は、火星人用で、火星人は、殺人を一切犯さない習俗だった。 男は、それと知らずに、機械による治療を受けて・・・、という話。

  殺人衝動は抑えられたが、その代わり・・・、というオチ。 間違った機械を売った側が、誰に売ったかを捜査するのですが、その過程が長いので、このページ数になっています。 「一度、精神異常になった人間が、偶然、治るような事はない」という事を言いたいのかも。 実際には、歳をとると、症状が軽くなって来るらしいですが。


【災厄を防ぐもの】 約16ページ

  未来に起こる災厄を教えてくれる、姿が見えない宇宙人に、とりつかれた男。 アドバイスのお陰で、何度も難を逃れるが、災厄の数が次第に増えて来て・・・、という話。

  アイデアが熟成しないまま、行き当たりばったりで書き進めたら、こうなったという感じ。 宇宙人が最後に教えてくれた、禁止事項があるのですが、「○○だけはしていけない」と言う、その○○が、どんな行為か分からないところが、オチになっています。 ちょっと、次元が低過ぎて、取って付けたようなオチ。


【地水火風】 約12ページ

  最も高価な宇宙服を身に着けて、金星に下り立った男。 任務の為に、雪原を歩いて行くが、雪に足をとられて、身動き取れなくなってしまう。 無線で助けを呼んだが、来るまでに、10時間もかかると言われ・・・、という話。

  【地球人の善と悪】と、似たような設定で、最新最高の装備ではあるが、現地の状況を知らない者が用意したせいで、却って、お荷物になってしまうというパターン。 こちらには、オチが付いていないので、さして、面白くはないです。 必要なのは、最高の宇宙服ではなく、至って素朴な、雪靴だったというのは、皮肉ですが、笑えるほどではないです。

  ちなみに、金星の実際の環境は、凄まじいものでして、雪が深いどころの話ではありません。 この作品が書かれた頃には、まだ、そういう事が分かっていなかったわけですな。 金星だと思わず、地球の極地に近い孤島が舞台だと思えば、受け入れ易いですが、それだと、宇宙服と、雪靴の対比が利かなくなってしまうから、やはり、駄目か。


【密航者】 約13ページ

  全員、博士号の持ち主という、エリートのみが開拓事業に従事している火星。 密航して来た青年は、何の資格も持っていなかった。 ところが、大工仕事に、大変な有能ぶりを発揮したかと思うと、超人的な能力まで持っている事が分かり・・・、という話。

  超人的というより、完全に、超能力者で、しかも、それを他人に教える事もできるというのだから、こんなに価値の高い人間も、そうそう、いません。 おそらく、作者が、博士号の持ち主ばかりで構成されている組織に反発を覚え、揶揄する目的で、こういうアイデアを思いついたんじゃないでしょうか。

  オチが、オチになっていない点が、残念。 青年に妹がいて、その妹も、超能力者なのですが、彼女の登場が、なぜ、オチになるのか、分かりません。


【アカデミー】 約31ページ

  精神異常の値が、数値化されていて、10を超えると、もう、いけない。 10になりかけている男が、勤め先で、ポカをやらかし、失職してしまう。 家に帰れば、「もう、あなたの命令を聞く事はできなません」と言って、ロボットや愛犬まで、出て行ってしまう。 10を超えた人間は、脳手術を受けるか、アカデミーと呼ばれる施設へ行くかを選ばなければならないが、脳手術は嫌だし、アカデミーは、帰って来た者がいないという。 さあ、どうしたものか・・・、という話。

  長いので、それなりの読み応えはあります。 大した話でないので、ネタバレさせてしまいますが、アカデミーに入った直後までは、何が起こるのかと、ゾクゾクします。 問題は、そのゾクゾク感に見合う、その後の展開が用意されていない事でして、大いに、肩透かしを食います。 面白い結末を思いつかないまま、締め切りが来てしまったんでしょうな。


【家畜輸送船】 約20ページ

  宇宙船を持っている会社。 本業の放射線浄化作業の方がさっぱりなので、家畜の運搬に手を出した。 3種類の動物を、一遍に運ぼうとしたが、それぞれ、特性が異なり、あちらを立てれば、こちらが立たずで、四苦八苦する話。

  アイデアは、面白いんですが、一種のシチュエーション・コメディーである事が分かってしまうと、タネを知っている手品を見ているようで、長さを感じてしまいます。 こういうアイデアこそ、もっと短い、8ページくらいの作品に使うべきなのでは? オチが付いていますが、あまり、キレが良くありません。


【救命艇の叛逆】 約21ページ

  購入した中古の救命艇。 一部の機能が止められていたので、修理したところ、すでに滅んだ異星人が、500年前の戦争で使ったもので、当時の記憶を、そのまま、残している事が分かった。 救命艇は、今乗っているのが、地球人だとは認めず、氷点下の環境へ移動しようとするが・・・、という話。

  二人の地球人は、【家畜輸送船】に出て来るのと、同じ人物です。 アイデアは、アシモフさんの、【堂々巡り】(1942年)に似ています。 こちらは、ロボット三原則は出て来ませんが、その代わりに、救命艇の任務が決められていて、どうやったら、その呪縛から逃れられるかが、鍵になります。



  総括ですが、先に読んだ、≪人間の手がまだ触れない≫よりも、だいぶ、落ちます。 解説にもありますが、アイデアがネタ切れを起こして、焼き直しが増えているんですな。 依然として、筒井作品よりも、星作品に近い印象が強いです。




≪標的ナンバー10≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3146
早川書房 1967年6月30日 初版発行
ロバート・シェクリイ 著
小倉多加志 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 長編、1作を収録。 2段組みで、全体のページ数は、125ページ。 コピー・ライトは、1965年になっています。 シェクリイさんの短編、【七番目の犠牲】を、イタリアで映画化した、≪華麗なる殺人≫の、原作者の手によるノベライズ作品。


  戦争の代わりに、攻撃欲が強い人間だけ、自発的に登録して、殺し合いをさせる制度がある社会。 10人殺すと、社会的地位が上がる。 アメリカ人の女が、所属会社の撮影チームと共に、ローマに乗り込み、10人目のターゲットに近づくが、相手は、結構、いい男で・・・、という話。

  ≪七番目の犠牲≫と、基本設定は変わっていません。 性別が、ハンターと標的で、入れ代わっているだけ。 しかし、短編を、1時間半の映画にする為に、相当な水増しをしています。 膨らませたのは、脚本家だと思うので、原作者に、水増しを責めるのは、酷というもの。 それにしても、中身の乏しい水増しですな。

  シェクリイさんは、50年代に、ドカドカとSF短編を書いて、60年代には、もう、書く事がなくなっていた模様。 お金の為に、ノベライズの仕事を引き受けたのではないかと思いますが、それにしても、これは、ひどい出来です。 イタリアやローマに、これといった興味がないのが、アリアリと出てしまっています。 そりゃ、興味がない土地を舞台にした映画を、小説にしろと言われても、いいものは書けませんよねえ。

  そもそも、シェクリイさん、長編向きの作家ではないらしく、読者の興味を引っ張る技術が、まるで、なっていないのは、誰が読んでも感じるところでしょう。 解説で、何とか、誉めようとしているのが、痛々しいくらいです。 しかし、これを、面白いと言ってしまったら、もはや、小説の感想を書く資格がないですぜ。

  ただ、映画は、割と洒落た内容になっているようです。 原作短編と、映画では、結末が違っていて、原作の皮肉さは、取り除かれています。 原作は、その皮肉な結末が、一番の読ませ所なのですが、そこを外してしまうのだから、映画人の発想には、よく分からないところがありますな。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪白いきば≫が、6月24日と、25日。
≪時は乱れて≫が、7月6日から、8日。
≪地球巡礼≫が、7月8日から、10日。
≪標的ナンバー10≫が、7月21日。

  動物ものが、1冊、SFの古典が、3冊。 ≪白いきば≫は、ジャンルに関係なく、読書人なら、読んでおいた方がいい作品。 ≪時は乱れて≫は、SFについて何か意見を言うなら、読んでおいた方がいい作品だと思います。 もっとも、私は、これを読む前から、あれこれ、言いまくって来ましたが。 シェクリイさんの2冊は、≪地球巡礼≫については、まあ、知っておいた方がいいか。 ≪標的ナンバー10≫は、わざわざ、時間を割いて読むようなものではないです。

2024/09/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (60)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、60回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年8月分。





【函南町桑原・馬頭観音】

  2024年8月5日。 函南町・桑原にある、「馬頭観音」へ行って来ました。 去年、桑原地区に来た時に、八巻橋の近くに立っていた史跡紹介地図を撮影したのですが、それに出ていたもの。

≪写真1≫
  T字路の突き当たりに、あります。 立て看板が2枚ありますが、その右側辺り。

≪写真2≫
  コンクリート・ブロック垣の一部が、龕になっていて、その中に、石碑があります。 磨り減っていて、よく分からないのですが、像ではなく、漢字で、「馬頭観音」と彫ってあるように見えました。

≪写真3≫
  T字路の手前から、東の方を見ました。 山懐ですな。 南箱根の西の端に当たります。 水田の緑が、印象深い。

≪写真4≫
  T字路の手前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 前輪側が少し上がっているのは、このT字路が、斜面の上にあるからで、これで、水平なのです。

  傾斜がある場所に、サイド・スタンドで停めなければならない時には、前輪側が、高くなるようにします。 前輪側が低いと、バイクの重さで、車体が前方に引っ張られるので、サイド・スタンドが外れてしまわないとも限りません。

  センター・スタンド? 傾斜地では、使わない方が無難でしょう。 前輪側が低いと、重くてかけられませんし、前輪側が高いと、かけ易いですが、その代わり、外す時に、バイクが重くて、外せなくなってしまいます。




【函南町桑原・長源寺】

  2024年8月13日。 函南町・桑原にある、「長源寺」へ行って来ました。 実は、他の所にある石碑を見に行ったんですが、行ってみたら、前に来て、写真も撮ってある所だったので、目的地を変更したのです。 「長源寺」の事は、大体の位置を、予め、調べてありました。

≪写真1≫
  本堂。 木の陰で、屋根しか写せませんでしたが、ゆったりした雰囲気の建物です。

≪写真2≫
  山を少し上がった所にある、「薬師堂」。 軒が傾いで見えますが、そんなわけはなく、写真を撮った位置の関係で、こんな風に写ってしまったのです。

≪写真3≫
  裏山に設けられた、「西国三十三所観音霊場」の、「西国三十三所観音札所霊場 順番配置案内図」。 名前が長いな。

≪写真4左≫
  これは、1番ですが、こういう石像が、山の斜面の道沿いに、33体、置いてあるのです。 1806年に造られたとの事。

≪写真4右≫
  頂上広場。 ここから先は、下りになります。 一巡りするのに、見るだけなら、10分くらいでしょうか。

≪写真5左≫
  本堂がある境内に、芭蕉の木がありました。 夏らしい。

≪写真5右≫
  道路から、本堂に上がる石段の下に停めた、EN125-2A・鋭爽。 道路が少し広くなっていたので、通行の邪魔にならないと思って、ここに留めました。 お寺の前ですから、悪戯する者もいなかろうと。




【函南町桑原・観音堂】

  2024年8月19日。 函南町・桑原にある、「観音堂」に行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。

≪写真1≫
  桑原地区を、東の方へ向かい、少し山に入った辺りの、南側にあります。 予め調べて来ないと、見つけられないかも。

≪写真2左≫
  これが、観音堂。 トタン壁です。 プレハブではなく、この場で、一から作ったように見えます。

≪写真2右≫
  観音堂の、出入口側。 当然、入れないものだと思い込んでいたので、扉を開けようと試みる事すらしませんでした。 まあ、仏物には、そんなに興味がないから、いいんですが。 泥棒と間違えられる方が、怖いです。

≪写真3≫
  解説板に、「観音堂の裏の崖に、『万年杉不動』が祀られている」とあったので、裏手に回ってみたんですが、このように荒れた山で、どこにあるのか、分かりませんでした。 足場が悪くて、怪我をしてもつまらないと思い、諦めました。

≪写真4左≫
  まさか、これではなかろうね? 

≪写真4右≫
  解説板。 当地の史跡保存会による、詳細なもの。 仏教行事などにも触れられています。

≪写真5左≫
  階段の手すり。 水道管とその継ぎ手で出来ています。 大した技術。 水道管だと、気づかない人もいるのでは?

≪写真5右≫
  道路を挟んで、向かい側の空き地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この辺りで、家から、往復、27キロ。 結構、走っている方か。 三島市になると、だいぶ、近くなるんですが。




【函南町桑原・神原七観音 / 日金山道標】

  2024年8月25日。 函南町・桑原にある、「神原七観音 / 日金山道標」へ行って来ました。 八巻橋の袂にある地図に出ていた所。 ここは、以前に、何回か通った事があるのですが、素通りしていたのです。 「神原~」というのは、桑原地区の中の、更に、神原地区である事を指しています。

≪写真1≫
  三叉路の一角にあります。 瓦葺きの、しっかりした屋根があり、路傍の石仏レベルより、数段、上の扱いになっています。

≪写真2≫
  右側に、七観音。 解説板によると、これらは、同じ桑原にある、長源寺の西国三十三所観音と、造作が似ており、同じ時期、つまり、1806年頃に作られたと見られているとの事。 観音の名前は、右から、

・ 千手千眼観音
・ 馬頭観音
・ 聖観音
・ 如意輪観音
・ 准胝観音
・ 不空権羂索観音

  左端の大きいのは、馬頭観音で、他の場所から移して来たものだそうです。

≪写真3左≫
  解説板。 「桑原字神原七観音略縁起」。 「略」と言っても、丁寧・詳細なもの。 これ以上、細かく書くと、読む方が読んでくれないでしょう。

≪写真3右≫
  自然石を穿った水盤。 お寺やお堂など、仏物でも、漱盤がある場合があります。 水が溜まっていますが、雨水? それとも、何か仕掛けがあって、給水されるようになっているんですかね? 

≪写真4左≫
  敷地の一隅にあった、建物。 トイレかと思ったんですが、トイレなら、トイレと、それらしい表示があるはず。 物置かも知れません。 流しと、水道の蛇口があります。

≪写真4右≫
  入口にあった、石碑。 これが、「日金山道標」のようです。 「左 やま道  右 あたみ道」。

≪写真5左≫
  こちらが、「やま道」。 名前が漠然としていて、どこへ着くのか分からないですが、私の経験では、月光天文台とか、火雷神社とか、田代地区とか、そちらへ繋がっているのでは?

≪写真5右≫
  こちらが、「あたみ道」。 日金山は、熱海峠の近くにあるお寺なので、あたみ道の方へ行けば、着くわけですが、どちらを通っても、結局は、着くと思います。  この道を進むと、もっと、近い所で、「函南スプリングス」というゴルフ場に着きますが、道が細いので、勧めません。 函南駅の東側から上って行った方がいいです。





  今回は、ここまで。

  8月は、函南町に行きました。 三ヵ所が、桑原地区、最後の一ヵ所が、桑原地区の中の、神原地区。 函南町の中心からは、かなり離れた、山の中です。 私は、そういう所の方が、好みです。 人が少なくて、何かと、警戒しなくて済むから。 バイクで来た余所者を警戒しているのは、その土地に住んでいる人達の方でしょうな。 訪ねて来た側は、迷惑行為はもちろん、怪しい行動は慎まなければなりません。

2024/09/22

実話風小説 (32) 【独立した男】

  「実話風小説」の32作目です。 7月の下旬初めに書いたもの。 ネタ切れするようなシリーズではないのですが、私の健康状態が怪しいので、いつ書けなくなってもいいように、とってあったネタを、先に使ってしまいました。




【独立した男】

  男Aは、高校卒業後、都会の大学へ推薦入学で入った。 私立の無名校なら、無試験で入れてくれるところは、珍しくない。 二人とも高卒だった両親は、息子が、曲がりなりにも大学生になれた事を喜んだ。 故郷から離れているので、当然、アパート住まいである。 男Aは、両親が自分の学費・生活費を払うのに、四苦八苦しているのを知らないわけではなかったのだが、本人は、アルバイトで得た金を、全て、遊興費に当て、生活費が足りなくなると、臆面もなく、両親に、仕送りの追加を頼んだ。

  元々、大学のレベルが低かったので、留年する事もなく、4年で、卒業。 しかし、就職口は、なかなか、見つからなかった。 男Aは、就職活動を始めてから、ようやく、無名大学卒業という肩書きが、どういう意味を持つのかが分かった。 面接まで漕ぎ着けても、相手が、驚いたように、こう言うのである。

「へええ・・・、こういう大学もあるんだ・・・。 ふーん・・・」

  そして、ニヤニヤする。 そういう対応をされた企業からは、全て、落とされた。 人を見るより先に、大学の名前で、落とすのである。 都会の企業を諦め、都会の衛星都市に本社があるところを受けたが、それらも、全滅。 やむなく、都会と故郷の中間くらいに位置する地方都市Zの、中企業を、いくつか受けたら、その内の一つで、何とか、引っ掛かった。

  どうせ、地方都市で就職するなら、故郷の近くにして、実家から通えばいいのにと、思うかもしれないが、男Aは、それを、最も嫌っていた。 本人は、自分の事を、独立心の強い人間だと思っていたのだ。 親元からは、少しでも早く独立しなければならない。 実家からは、少しでも遠くに住まなければならない、そう思っていた。


  会社の独身寮に、5年住み、その後、職場結婚して、社宅に、5年住んだ。 男Aは、どちらかというと、浪費家だったが、妻が、家計運営に人並みの配慮をしていたお陰で、地方都市の郊外に、新築の一戸建てを買う事ができた。 男Aが、34歳の時である。 もちろん、住宅ローンを組んだ。 35年タイプである。 頭金は、男Aの両親に出してもらった。 男Aは、それを頼む為に、結婚以降、初めて、実家に帰った。

  子供も、上に女、下に男と、二人出来ていたが、男Aには、子供達を祖父母に会わせてやろうという考え方は、全くなかった。 妻の方は、自分の実家に、子供達を連れて、何度も帰っており、子供達は、おじいちゃん・おばあちゃんと言ったら、母方の二人しか いないものだと思っている有様だった。


  更に、歳月は流れる。 男Aは、50代に入った。 特に有能な人間というわけではなかったので、会社では、平社員のまま。 しかし、本人は、給料・ボーナスさえ出ていれば充分で、中間管理職になって、責任を負わされるなど、真っ平だと思っていたので、昇進しない事については、文句はなかった。 

  歳が行っていたせいで、様々な社内事情だけには、詳しい。 職場では、若い者から、先輩として、一目置かれていて、結構、好き勝手放題、やりたい放題に暮らしていた。 30代の頃から、休憩時間に、若い者を掴まえて、よく言っていたのが、こんな事。

「お前、実家から通ってるんだって。 早く、独立した方がいいぞ。 もう大人なんだから、いつまでも、親の脛齧ってて、どうすんだ。 犬・猫だって、乳離れしたら、もう、親と一緒になんか暮らさないんだぞ。 自分で稼げるようになったら、独立する。 それが、自然の摂理ってもんだろうが」

  Z市周辺には、農家が多く、農家出身の社員が、2割くらいいた。 みな、跡継ぎとして、実家に残り、親と同居。 親が田畑をやっている間は、勤め人として暮らし、親が動けなくなったら、農業を継ぐという人生を受け入れた人達である。 彼らは、男Aの自説を聞いて、いい気分ではなかった。 自分だって、都会に出て、ドラマの主人公のような、洒落た生活をしてみたかった。 しかし、立場的に、許されなかったのである。 「親元を出るのが、自然の摂理」などと言われては、まるで、自分の人生を否定されたようではないか。

  同期の中には、「人それぞれ、事情があるんだ。 家を継がなければならない人もいるんだから、無神経な事を言うな」と窘める者もいたが、男Aは、聞く耳持たなかった。

「ふん! 最初から、独立心が足りないから、親元から逃げ出す機会を逃したのさ。 先を読む目がないんだよ。 俺なんか、中学の頃から、高校出たら、家を出る覚悟をして、準備してたんだぜ。 都会の大学に行くって言えば、親は反対できないものな。 反対どころか、逆に、喜んで、仕送りしてくれたぜ。 親の力は、うまく活用しなくちゃな」

  こういう考え方なのである。 こういう人間は、決して、少数派ではない。 親や実家を、自分の人生の踏み台だと思っているのだ。 兄弟姉妹がいて、家を出ざるを得なかった人にも、同じような事を言う人は多いが、それは、結果オーライ的発想であり、男Aのように、自分から、親や実家を、利用できるだけ利用して逃げ出し、後足で砂をかけた者とは違う。


  さて、50代になった男A。 ある時、職場の休憩所にやって来たら、ほぼ同年輩の同僚達が、認知不全を起こした自分の親のエピソードを、紹介し合っているところに、ぶつかった。 面白そうなので、座って、聞き始めた。

・ 長々と会話を交わした後で、息子に向かって、「どちら様ですか?」と訊く。

・ 雨が降りそうな日に出かけると、必ず、傘を忘れてくる。

・ 家からいなくなってしまい、警察署に頼んで、尋ね人の市内放送してもらった事が、何回もある。

・ テレビのリモコンの使い方を忘れるので、毎朝 教えなければならないが、10分もすると、また忘れてしまって、チャンネルそのままで、ずっと、同じ局を見続けている。

・ 財布や通帳がなくなったと言って、家族を泥棒扱いする。

・ 「夜中に、テレビが勝手に点く」と騒ぐ。

・ 「夜中に、部屋の壁が開いて、人が出て来る」と騒ぐ。

・ 「深夜に、ケーブル・テレビの工事人がやって来て、外で工事をしている」と訴える。

・ 「坊さんが、何も書いていない卒塔婆を持って、乗り込んで来て、『五十二回忌をやらないと、こうなっちまうぞ』と脅す」と訴える。

・ 風呂から出た後、パンツの穿き方が分からず、どこに脚を通していいか、30分も悩んでいる。


  男Aは、最初は、ニヤニヤしているだけだったが、途中から、ゲラゲラ笑い始め、誰かが何か言うたびに、ウケにウケまくった。 腹を抱え、ヒーヒー息をしながら、爆笑している。 話していた、3人の同僚は、一人も笑っていない。 冷め切った表情で、男Aを見ている。 男Aの先輩に当たる人物が、男Aに言った。

「おい」

「なに? わはははは! なによ? わはははは!」

「笑うな」

「なんで? 面白い話だから、笑ってるだけじゃん」

「笑い話をしてるんじゃないんだよ。 認知不全の家族を持つ者同士で、事例を紹介し合ってるんだよ」

「えー? そーなのー? でも、その話で、笑うなって方が、無理じゃないの?」

「こっちは、大真面目だ。 お前だって、親が、そうなるかも知れないだろうが」

  男Aは、先輩を小馬鹿にしたような言い方で返した。

「いやあ、俺は大丈夫だよ。 ちゃんと、それを見越して、若い頃から、親とは距離を保ってんだから。 人生、先読みが大事だよ」

  今度は、3人が笑う番だった。

「距離を保つって、まさか、『遠くに住んでるから、大丈夫』とか思ってるんじゃないだろうな。 そんなの、関係ないぞ。 親がボケたら、否が応でも、面倒見なきゃならなくなるんだからな」

  男Aは、少し不安になったが、そもそも、親の世話をする事になるなどと、それまで、一度も考えた事がなかったので、すぐに、忘れてしまった。 人間、いざ、その境遇に置かれてみないと、想像もつかないという事は、よくあるものである。 男Aは、親の面倒を見ている者の話を聞くと、「俺は、早めに実家を逃げ出しといて、正解だったな」と、自分の判断の正しさに惚れ惚れしている有様だった。 大変、後生がいい。


  男Aが、52歳の時、妹から電話があった。 妹は、夫の仕事の都合で、海外に住んでいる。 その妹が、実家に電話したところ、母親から、父親の認知能力が低下し、要介護状態になりつつあると、伝えられたというのだ。 何とか、母親が面倒を見ているが、その母親も、70代後半で、心身共に辛いと零されたらしい。

  男Aは、一瞬、言葉を失った。 「とうとう、来たか」と思い、目の前が暗雲に覆われたような気分になったが、すぐに、振り払った。 「大丈夫だ。 こういう時の為に、早く親元から、離れてたんだからな」と、自分に言い聞かせた。

「俺ん所には、そんな事、言って来てないぞ」

「ああ、そうだってね。 兄さん、そういう話を嫌うから、お母さん、言い難かったんでしょ」

  息子がいる母親にありがちな事だが、男Aの母親も、男Aを、誇らしい息子と思っており、息子が嫌う事を、なるべくしないように配慮していたのだ。 

「兄さん、様子を見に行ってくれない?」

「駄目駄目! 仕事が忙しいんだから!」

「だって、私は、そう簡単には、帰れないし・・・」

「お前も帰る必要はない! 母さんに、やらせとけばいいんだ! 下手に帰ると、同居して、介護しろって言われるぞ! そんな事になったら、人生、滅茶苦茶だ!」

  実は、妹が、海外勤務の多い男と結婚したいと言った時に、不安がる両親を尻目に、大賛成したのは、男Aだった。 妹の幸せを考えていたからではなく、自分だけが親元から離れていると、親戚から批難される恐れがあるので、妹には、もっと遠くに離れさせて、自分の方が、まだマシと、五十歩百歩を決め込む腹だったのである。 純粋に、自分の事しか考えていないのだが、そういう奴に限って、他の者をダシにして、自分の体裁を取り繕おうとするものなのだ。

  3年後、父親が死んだ。 認知不全が進行した結果、徘徊癖が出て、家から、10キロも離れた川の土手で、階段から転げ落ち、頭を打って死んだのだ。 河川敷で遊んでいた人の中に、目撃者が何人もいて、事故である事は、明白だった。

  男Aは、通夜・葬儀に出る為に、20年ぶりに、実家に戻った。 妻だけを、同伴。 子供は、連れて行かなかった。 母親は、久しぶりに、息子を見て、思わず、ぽろぽろ涙を流したが、男Aの方は、

「老けたなー! どこの婆さんかと思ったよ!」

  と、ゲラゲラ笑った。 男Aの妻も、妹夫婦も、表情を凍りつかせながら、こめかみに、脂汗を垂らした。 たとえ、そう思っても、本人に向かって、言うか、そんな事? しかし、男Aは、そういう人格なのだ。

  男Aは、葬儀が済むと、さっさと、妻を連れて、帰ってしまった。 妹夫婦が、しばらく残り、父親の死後の手続きをした。 相続は、母親の強い意向で、妹に相続拒否をさせ、母親と男Aで、折半という事になった。 男Aは、妹からの電話で、それを知らされたが、こう言った。

「あんな田舎の家なんか、要らん。 金に換えてから、くれ」

「兄さん、あの家に住むつもりはないの?」

「ないない! 俺は、独立してるんだ! 欲しけりゃ、お前にやる! 好きにしろ!」

「・・・・・」

  妹から、それを聞いた母親は、信じようとしなかった。 いつか、息子は、実家に帰って来ると信じていたのだ。 その為に、毎日、せっせと掃除して、綺麗な状態に保っていたのである。 夫が認知不全になる前には、増築して、二世帯住宅にする計画まで立てていた。 そんな事をしてやるほど、人間的な価値がある息子ではなかったのだが・・・。 息子の事を、愛してはいるが、理解してはいない親は、かくのごとく、憐れなものである。

  妹夫婦は、再び、海外に戻る事になった。 妹は、兄の家に寄り、2時間ほどかけて、父親の死後の手続きについて、説明した。 男Aは、始終、無関心で、「一応、聞いておく」という態度だった。 妹は、帰り際、兄を怒らせないように、さらっと言った。

「時々、お母さんの様子を見てね」

「あー、分かった分かった」

  妹は、「時々」という言葉を、3ヵ月に一度くらいのつもりで言ったのだが、男Aの方は、3年に一度くらいと思っていた。 事実、それから、58歳になる年まで、一度も実家に帰らなかったのだ。


  その電話は、突然、かかって来た。 もっとも、電話とは、大抵、突然かかってくるものであるが・・・。 実家のある町の、隣の市に住んでいる、男Aの亡父の弟、つまり、叔父さんからだった。 妻が取って、男Aに渡した。

「ああ、叔父さん? 何か用?」

「おい。 お前の母親、もう、一人じゃ暮らせないぞ」

「どういう事?」

「今日、兄さんの命日だから、墓参りした後に、実家に行ったんだよ。 墓の方が、掃除も、お供えもしてなかったから、変だと思ってたんだが、案の定、家の中が、ほぼ、ゴミ屋敷だ」

「・・・・・」

「義姉さん、ボケちゃってるんだよ。 一応、話はしたけど、話をしている内に、こっちが誰だか分からなくなってたな」

「・・・・・」

「どうするんだ?」

  男Aは、背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じていたが、すぐに、態勢を立て直し、平静を保ちつつ、前々から、こういう時に備えて、用意していたセリフを、口にした。

「俺はもう、独立してるんだよ。 こっちはこっちで、家のローンの支払いなんかで、大変なんだよ。 田舎の方は、田舎の方で、何とか、やってよ」

「何だと?」

「俺は、親の面倒を見るゆとりがないんだよ。 子供も、まだ、大学だし。 あれやこれやで、どんだけ、金がかかるか、叔父さん、分かる?」

  叔父さんの、怒るまい事か! 息を思い切り吸い込み、受話器に向かって、怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎っ! お前の親だろうがっ! 何が、田舎は田舎でだっ! 子供が面倒見ないで、親戚が見るなんて、あるわけないだろがっ! お前、常識がないのかっ!!」

  男A、売り言葉に買い言葉で、反撃。

「そういう叔父さんは、親の介護なんて、したの?」

「したよ! 覚えてないのか?」

  ふっと、小学生の頃の記憶が、蘇って来た。 男Aの祖母が、寝たきりになっていた頃、叔父さんが、一日おきのペースで、家に来ていたのだ。 もっと小さい頃には、よく遊んでくれた叔父さんが、その頃には、「遊びに来たわけじゃないんだ」と言って、全然、かまってくれなかったのを覚えている。 叔父さんは、自分の母親の介護に来ていたのである。

「ああ、あれは、そうだったのか・・・」

「思い出したか?」

  思い出した。 連鎖して、こんな事も思い出した。 遊んでくれない叔父さんに不満があり、そこから、男Aの、介護に対する嫌悪感が生まれたのだ。 「俺は、親の介護なんか、しないぞ。 そんな事で、人生の大事な時間を奪われてたまるか」といった具合に・・・。

「とにかく、一度 帰って来て、様子を見ろよ」

「だけど、ほんとに、仕事があって・・・」

「仕事なら、俺だって、あったんだよ。 そこをやりくりして、一日置きに、通ってたんだ。 兄貴や義姉さんの負担を少しでも、軽くする為にな。 介護っていうのはそういうもんなんだ」

  そういうやりとりがあったにも拘らず、男Aは、なかなか、実家に帰ろうとしなかった。 高校卒業後、すぐに親元から離れて、親の面倒を見る羽目に陥るのを、極力避けて来たのに、ここへ来て、その努力が水の泡になる事に、猛烈な理不尽さを感じ、拗ねていたのである。 放っておけば、叔父さんが何とかしてくれるだろうという、丸投げ意識もあった。

  そこへ、妹から、国際電話。

「ちょっと! 叔父さんから、電話があったんだけど、お母さん、ボケちゃったんだって? 兄さん、もう、見に行ったの?」

「行けないんだよ」

「早く、行ってよ。 家の中が、滅茶苦茶になってるって言ってたよ」

「お前、行けよ」

「来週には、私だけ帰国する」

「じゃ、俺はいいな」

「いいわけない! 兄さん、先に行ってよ!」

「俺は、仕事があるんだよ」

「私だって、働いてるんだよ!」

  叔父さんの時と同じようなやり取りになった。

  呆れた事に、男Aは、それでも、帰らなかった。 妻に頼んで、様子を見に行ってもらった。 妻も働いていたので、わざわざ、休みを取って行かなければならなかった。 妻は、男Aの人と為りを見抜いており、たぶん、自分では、介護を引き受けないだろうと思っていた。 引き受けたくないから、現実を認めたくないのだ。

  男Aの実家に行き、日帰りで戻って来た妻は、状況をありのままに説明した。 ゴミ屋敷というのは、本当で、燃やすゴミやプラスチック・ゴミを出さないで、家の中に溜めているので、生ゴミのニオイが充満して、長時間、中にいられない状態になっていた。

  洗濯物は、洗った物が、ほとんど、なくなっていた。 洗濯機には、便がついた下着が、そのまま、押し込んであった。 引っ張り出してみると、上下40着分も詰め込まれていた。 なぜ、洗濯しないのか訊くと、洗濯機の回し方が分からないからと言われた。 機械の操作は、認知機能が低下すると、真っ先にできなくなるのだ。

  台所には、煮物が入った鍋が、所狭しと置かれていた。 男Aの母親は、一人暮らしになっても、家族が最も多かった時の、5人分の料理を作っていた。 食べきれないから、溜まって行くのも、むべなるかな。 不思議な事に、毎日、買い物には行っていて、ごっそり買い込んで来ては、冷蔵庫に、ギュウギュウと詰め込んでいた。 扉が閉まらず、隙間があるので、冷気が逃げて、冷蔵庫がウンウン唸っていた。

  妻の報告を、男Aは、他人事のように聞き流した。 妻が、勤め先の同僚の、介護経験がある人に相談すると、「その段階まで進んでいたら、もう、家族で面倒を見るのは難しいから、施設を探した方がいい」と言われた。 妻が、男Aに、そう伝えると、

「おお、それでいいじゃんか。 施設を探せよ」

  完全に、他人事である。 やむなく、妻が、経験者に相談したり、インター・ネットで調べたり、四苦八苦して、どうにかこうにか、要介護認定の審査を受ける所まで、漕ぎ着けた。 だが、どうしても都合がつかず、つきそいを、男Aに任せたところ、自慢の息子が一緒で嬉しかったのか、一時的に、母親の認知機能が回復し、その結果、要介護認定が受けられなかった。

  男Aは、介護に関する知識が全くなくて、ニコニコしながら、妻に、「軽くて済んだ」と自慢したが、妻は、真っ青になった。

「何言ってんの! 要介護認定が受けられないって事は、介護サービスが利用できないって事だよ!」

「何を怒ってんだよ? 軽かったって事は、安く上がるって事じゃないのかよ?」

「逆だ! 介護サービスが利用できなかったら、家族が介護しなきゃならないんだよ! 馬鹿だなっ!」

  男A、見る見る、顔色が真っ青に・・・。 知識がないというのは、恐ろしい事である。 妻が言った。

「あんたの母親なんだから、あんたが介護するんだろうね?」

「まさか! 俺は、それが嫌だから、高校卒業後、すぐに・・・」

「その話は、何百回も聞いた! で、その計画は、呆気なく、失敗したわけだ! どうしてまた、実家から離れさえすれば、親の介護から逃げられるなんて、単純な発想になったのか、そこが、不思議だわ!」

「しょうがない。 ヘルパーを雇って・・・」

「お金をどうすんの!」

「母さんの年金があるだろ」

「国民年金しかないのに、月6万5千円から、生活費を引いた残りで、人が雇えるわけがないだろっ! 世間知らずにも、程があるっ!」

「だから、そこは、お前が、工夫してだな・・・」

「冗談じゃない! 私は、今後、自分の親の介護が待ってるんだよ! あんたの母親の事は、あんたがやるのが、筋だろうがっ!」

  男Aの、あまりの馬鹿さ加減、身勝手さ加減に、妻が怒り立って、こういう、きつい会話になったが、怒りが収まると、妻は、現実的な対処法を探り始めた。 一つ一つ、問題を解決して行くタイプなのである。 まず、夫に相談するのをやめた。 こんな馬鹿を相手にしても仕方ない。 義妹、つまり、男Aの妹と連絡を密にし、何でも、隠す事なく話し合って、事を進める事にした。

  男Aの妹は、一人で帰国し、以前住んでいたアパートを借り直して、そこに住んでいたが、義姉と話した結果、実家に戻り、母親の介護に当たる事になった。 収入がないので、生活費を、男Aの妻が、家計から捻出して、送る事になった。 休みの日には、男Aの妻が、介護を交替し、男Aの妹は、息抜きをするというパターンが出来上がった。

  しかし、こうなると、男Aの家が、実家から離れたZ市にあるのが、恨めしい。 毎週、往復に、交通費を使わなければならないのである。 更に、男Aは、こういう条件下に於ける、お約束とも言える、馬鹿夫の馬鹿台詞を吐いた。

「土日、お前が留守にするんじゃ、俺の飯は、誰が作るんだよ?」

  馬鹿だなあ。 自分の小説の主人公とは言え、ここまで馬鹿・無能だと、呆れ返ってしまう。 今からでも遅くない、こんな馬鹿、放っておいて、妻を主人公にして、感動の介護話に変えてしまおうか。 いや、それはそれで、月並みか。

  妻は、男Aが、たぶん、そう言うだろうと思って、

「ご飯は炊いておくから、朝は、醤油・海苔でも、卵かけでも好きなようにして、常備菜で食べて。 昼は、袋ラーメンでいいだろ。 夕飯は、スーパーへ行って、惣菜弁当を買って来な。 400円以下のにしろよ、 それ以上 贅沢すると、マジで破産だぞ」

  と言って、毎週土曜の朝に、夫の実家へ、やしやし、出かけて行った。 実は、妻、義妹と仲良くなり、友達気分で、週末を楽しんでいたのである。 介護は、一人だと大変だが、二人いると、互いに頼もしい。 相談もできるし、体力的にも、半分の労力で済む。 嫁と小姑と言ったら、険悪な仲になる典型的組み合わせだが、立場が異なるから、衝突するのであって、目的を同じくする協力者になれば、うまく行くのである。

  男Aは、蚊帳の外に置かれた。 男Aの望み通り、介護の負担からは逃れられたが、妻からも、妹からも、能なしの烙印を押されてしまい、相談すらしてもらえない、情けない身になった。

  妻は男Aに、家計の報告だけは、しっかりと、した。 なぜかというと、家計がギリギリである事を夫に伝え、出費を抑えさせる為である。 男Aには、登山趣味があり、百名山巡りなどという、ありがちな目標を立てていたが、妻と妹で、睨みつけて、やめさせた。 一歩も引かない。 山に登るのに、大したお金はかからないが、百名山は、全国に散らばっているから、交通費や宿泊費で、大金が飛んでしまう。 そんな金があったら、介護費用に回せ、と言うのだ。

  子供二人も社会人になった。 傍目に観察していた、父親の失敗に鑑み、家から通える距離に就職。 週末には、母親と一緒に、父の実家に行って、介護を手伝うようになった。 子供は二人とも、20代半ばになってから、初めて、父方の祖母の顔を見た。 祖母の方は、彼らを孫だと認識できなかったが、まあ、いいじゃないか。 家は、賑やかな方がいい。


  男Aは、頑として、実家に帰らなかった。 よっぽど、介護への拒絶感が強かったのだろう。 嫌悪感とでも言うべきか。 介護以前に、親と関わりたくないという意識が、根底にあった。 親の事を、お荷物、足枷、自分の人生を阻害する存在としか思えなかったのだ。 バブル時代に社会人になった世代に、ありがちな考え方である。 親さえいなければ、自分の人生は、薔薇色になる事が約束されていると思い込んでいる。 馬鹿丸出しの勘違いである。


  勤め先では、定年が迫っていた。 引退後、どういう暮らしをするか、同期と話し合う機会も増える。 お金を貯めて来た、アリ・タイプは、定年過ぎたら、もう働かず、家事と趣味だけやって、気ままに暮らすつもりでいる。 キリギリス・タイプは、定年延長なり、再就職なりして、働き続けるつもりだが、本人が働くのが嫌いでなければ、それも良かろう。 収入があった方が、安心という考え方もあるからだ。

  男Aは、嫌でも、働き続けなければならなかった。 男Aの収入が途絶えたら、妻と妹が構築した介護体制が、崩壊してしまうからだ。 男Aの会社では、定年延長すると、収入が半分になるが、子供二人から、減った分の補填を受けて、何とか、それまで通り、やっていけるという計算だった。

  さて、定年の日。 かつて、会社の休憩所で、認知不全エピソードを語り合っていた面々の内、男Aの同期が、まだ、一人だけ、会社に残っていた。 男Aの方から、会いに行き、自分の母親の事を話し始めた。 ところが、それは、すぐに、相手によって、遮られた。

「おいおい、お前から、そういう話を聞きたいとは思わないよ。 なに、お前? 昔、若い連中を捉まえて、親元脱出計画とやらを、自慢してたよな。 その計画は、どうなったんだ? うまく行ったなら、親の認知不全の話なんか、関係ないだろ」

「世の中、いろいろ、あるんだよ。 もっとも、俺は、今でも介護なんて不様な事はしてないけどな」

「不様~あ? どうせ、嫌な事を、家族に押し付けてるんだろう」

「押し付ける相手がいる分、俺が強運なのさ」

「救いようがないな。 お前、俺達が話していたのを、笑い話扱いして、ゲラゲラ笑ったよなあ。 いいから、自分の親の事も、ゲラゲラ笑ってろよ。 一人でな」

「そういう言い方はないだろう」

「なーにがー? そういう言い方はないが、他人の親の不幸を、ゲラゲラ笑うのは、ありだってえのか?」

「お前、俺に、怒ってんの?」

「当たり前だ! この、人間のクズが! どのツラ下げて、俺の前に出て来やがった! 胸糞悪いから、とっとと、失せろっ!」

  驚いてしまった。 そんな事で、他人の恨みを買っているとは、想像もしていなかった。 男Aは、辛うじて平静を保ちながら、血の気が引いた顔で、逃げて行った。 定年で、それまでの職場を去る日に、同僚から、「とっとと、失せろ」と言われてしまうのは、男Aの生き方が間違っていた事の、何よりの証拠であろう。

  定年延長で、男Aの職場は、本社ではなく、Z市郊外の資材置き場に移った。 要らなくなった資材の片づけだと聞いていたので、遊び半分でできると思っていたのだが、とんだ、思い違い。 期限があり、人数は少なく、殺人的なスケジュールで、肉体労働をこなさなければならなかった。 同じような資材置き場が、20箇所もあり、定年延長した5年間、同じ仕事を続けなければならない事は、決まっていた。


  母親が、死んだ。 在宅で看取った、男Aの妹と妻は、よくやったと賞賛されて然るべきであろう。 もっとも、施設に入いれれば、そちらの方が、ずっと良かったのだが・・・。 男Aは、疲れていると言って、通夜にも出ず、葬儀が終わった頃に、普段着で、ちょっと顔を出しただけだった。 叔父さんを始め、親戚に挨拶するのが、億劫だったのだ。 もはや、男Aには、誰も何も期待していなかったので、文句も言われなかった。

  母親の遺産は、男Aが相続したが、在宅介護で、ほとんど 使い尽くされ、実家も、借金の抵当に入っていた。 妻が、お金の事に関しては、男Aと、その妹に、事細かに報告していたので、揉め事は起こらなかった。 実家は、人手に渡り、やがて、都会から移り住んだ、若い夫婦の所有になった。

  男Aは、元より、実家には何の執着もなく、自分と関係なくなった事で、清々したが、それを、妹や叔父の前で、大っぴらに口にしたせいで、ほとほと 呆れられてしまった。 男Aがいなくなってから、叔父は妹に向かって言った。

「どうやりゃ、あんな、薄情な人間が出来るんだ? ガキの頃から、ああだったか? 普通の子供だったような気がするがなあ」

「そうだねえ。 バブル時代に、高校卒業して、都会に出たせいかもしれないけど・・・」

  実家が人手に渡ってから、叔父と妹は、男Aと連絡を取るのをやめた。 つきあいを続けるような人間ではないと思ったのだろう。 それは、男Aの妻も同じで、義母を看取った後、「もう、いいだろう」と、機会を窺っていた様子で、離婚を切り出した。 男Aは、プライドだけは高かったので、執着がないところを見せようと、虚勢を張った。

「好きにしな。 だけど、この家は、おれの名義だから、渡せないぜ」

  ところが、取られてしまったのである。 結婚後に得た財産は、夫婦共有になる。 名義が誰かという問題ではないのだ。 まだ、ローンが残っていたので、実際には、複雑な計算になるのだが、大雑把に言うと、土地と家を、一旦 売って、得たお金を、半分ずつ分ける事になった。 その後、元妻は、子供二人の資金支援を得て、売りに出た家を買い戻した。 結果、男Aだけが、追い出される事になった。

  男Aは、家を売った時の金で、寂れた別荘地に、安い家を買った。 一応、二階建てだったが、安普請である上に、経年劣化で、ボロボロ。 家と言うより、小屋とか、納屋と言った方が、しっくり来る。 お金が少なくて、そんな物件しか、買えなかったのだ。 自力で、少しずつ直して、何とか、住めるようにすると、子供達に連絡を取り、見に来るように誘った。

  ところが、子供達は、来なかった。 何度、電話しても、「暇が出来たらね」と言って、はぐらかされた。 その内、電話が繋がらなくなった。 電話番号を変えたらしい。 元妻の物になっている家の固定電話も、解約されたようで、繋がらなくなった。 元妻は、もちろん、子供達も、男Aと縁を切ろうとしているようだった。

  やがて、定年延長の5年間が終わり、男Aは、勤め先も失った。 別荘地のボロ家に、一人ぼっちになった。 話し相手など、一人もいない。 近所に、男Aと同じような境遇の高齢男性が一人暮らしをしている家が何軒もあったが、彼らと交友するのは、怖かった。 誰が、破産寸前なのか分からないのだ。 食い詰めた奴に、取りつかれでもしたら、こちらまで、食い詰める事になる。 テレビだけが相手の、虚しくも寂しい日々が続いた。

  退職して、半年。 「元妻はともかく、子供達は、自分に会いたいと思っているはずだ」と、勝手に決め込んだ男Aは、夕方、車で、元妻の家の前まで行き、勤め先から戻って来た息子を捉まえて、車に乗せた。

「どうして、会いに来ないんだ?」

「うーん・・・、特に会いたいと思わないから」

「親に向かって、そういう言い方があるか! そんな育て方をした覚えはないぞ!」

「でもなあ・・・、子供は親を見て育つって言うだろ」

「だから、なんだ?」

「俺達は、父さんを見て、育ったわけだ。 父さんは、自分の親の事なんか、いないも同然と思ってたんだよな。 なにせ、俺達が、お祖母ちゃんに、初めて会ったのは、大人になってからだったもんな」

「俺は、早く親から独立しようとして・・・」

「独立と、親子の縁を切るのは、別の問題だと思わなかったのかい?」

「俺は、親から、特に愛情を注がれたわけじゃない。 俺の世代は、そもそも、親が子を愛するなんて言い方はしなかったんだ。 だけど、俺は、お前達に愛情を・・・」

「そんな事はないと思うよ。 お祖母ちゃんなんか、俺が行くたびに、父さんと間違えていたけど、これを飲めとか、あれを食べろとか、仕事はつらくないかとか、服を買ってやるとか、父さんの事ばかり、気にしてたよ」

「・・・・・」

「叔母さんや、母さんにも、父さんの子供頃の話ばかりしていたらしいよ。 父さんが、たった一度、料理がおいしいって言ったのを、ずーっと覚えていて、『あの子は、心根が優しい子だ』って言ってたらしい。 叔母さんも、お祖母ちゃんの料理を、何度もおいしいって言ってたのに、そっちは、全然覚えていないんだって」

「・・・・・」

「父さんは、両親の事を、全然、愛してなかったようだけど、少なくとも、お祖母ちゃんは、父さんの事を、深く愛してたってわけだ。 その事に気づかないまま、家を出ちゃっただけなんじゃないの? それとも、家から逃げ出す為に、わざと気づかないフリをしていたのかい?」

「・・・・・」

「自分は親を捨てたくせに、自分の子供には、自分を捨てるなって求めるのは、虫が良すぎるとは思わないかい? あんたがやったのと、同じ事を、俺達はしているだけなんだよ」

「・・・・・」

  何も言えない。 息子は、車を出て、家に入って行った。 玄関の扉が開いていた数秒の間、家の中から、暖かい家庭の雰囲気が漏れ出していた。 自分がいない家庭が、自分がいた頃より、うまく行っているのは、明らかだった。


  数年が経った。 男Aは、70代になっても、辛うじて、生きていた。 家は、ゴミ屋敷化していた。 物が増えるのではなく、ゴミが増えた、真・ゴミ屋敷だった。 どうせ、誰も訪ねて来ないから、ゴミを片付ける気にならないのだ。

  ある日、空き家だった隣の家に、高齢男性が引っ越して来た。 一人暮らしのようだ。 この別荘地では、引っ越しの挨拶などしないのが普通だ。 町内会すら、ないのである。 数日して、隣家の前に、車が停まり、若い男が、家の中に入って行った。 息子のようだった。 男Aは、それらの様子を見ていたわけではないが、物音や話声で分かるのだった。

  30分ほどして、若い男が隣家から出て来た。 足音が、男Aの家に向かって来る。 こんな、ゴミ屋敷に何の用だ? 呼び鈴が鳴った。 男Aが、髭ボウボウの顔、よれよれの服、ホームレスとしか思えない風体で、玄関を開けた。 菓子折りを持った若い男が、作り笑顔で立っていた。

「隣に越して来た者の息子ですが、父が高齢で、何かと心配なので、時折りでいいですから、様子を見てくれませんか」

  男Aは、ムッとして、

「時折りって、どのくらい頻度で? 週に一度? 月に一度?」

「できれば、一日一回くらい・・・」

「冗談はよしてくれ。 俺は、あんたの父親の面倒見る為に、ここに住んでるんじゃないんだ。 そんなに心配なら、自分で見に来ればいいだろ」

「私は仕事がありますし、遠くに住んでいるから・・・」

「そんなの、理由にならないね。 菓子折り一つで、他人に頼むような事じゃない。 親が心配なら、同居するか、施設に入れるかするしかないんだ。 そりゃ、子供の義務じゃないのかい?」

「うちにはうちの都合があるんですよ。 初めて会った人に、そこまで言われたくないですよ」

「都合都合なんて言ってると、その内、親が死んじまって、地団駄 踏む事になるぞ」

「もう、いいですよ」

  若い男は、「狂人の相手はできない」という素振りを見せながら、逃げるように帰って行った。

  男Aは、その場の勢いで口走った言葉の意味に、後で気づいて、慄然とした。 相手の言葉ではなく、自分の言葉に打ちのめされた。 母親の老けた顔が思い出され、涙が、ボロボロと流れ出て来た。 この歳になって、ようやく、人並みの情感が生まれて来たのかも知れない。 あまりにも、遅かったが・・・。 そのまま、寝室に行って、横になり、泣き続けた。

  男Aの死体が発見されたのは、その3ヵ月後である。 死後、2ヵ月以上 経過していた。 死因は、餓死だった。 享年、72歳。 こんな男が、その歳まで生きた事が、驚異である。