実話風小説 (34) 【八方美人とお歳暮】
「実話風小説」の34作目です。 9月の中頃に書いたもの。 割と短くできました。 もっと、短くしてもいい。
【八方美人とお歳暮】
女Aは、その年、21歳で、まだ、若かった。 都会の大学に通っていたが、八方美人な性格が禍いして、交際し始めたばかりの男に、特殊詐欺グループに引きこまれてしまい、入って、たった一週間後に、仲間数人と共に逮捕された。 ちなみに、交際していた男は逃亡し、まだ捕まっていない。
警察で取り調べを受けたが、加わって一週間では、何も分かりはしない。 仲間の証言から、かけ子を数回やっただけという事が分かり、送検されたものの、不起訴になった。 法律上の処分は、それでおしまいだが、大学は、何もなかった事にはしてくれなかった。 親を交えた話し合いの末、自主退学という事になり、地元に戻った。 親からは、大変、大変、非常に、非常に、残念な顔をされた。
「誰からも好かれたいというのは、悪い事じゃないけど、誰にでも、ホイホイ、ついて行ってどうする? 犯罪のニオイがするのに、気づかなかったのかねえ・・・」
4ヵ月、何もせずに、家に引き籠っていたが、親戚の伝で、高齢者施設に、雑用係として雇ってもらう事になった。 紹介してくれた叔父さんは、真剣な顔で言った。
「大学をやめた理由は、言ってないから。 とにかく、真面目にやってくれ。 何か問題が起きたら、俺の信用もなくなっちゃうから」
介護関係の資格など、何も持っていないから、掃除や、洗濯、布団干し、介護の手伝いなど、正に、雑用係である。 結構、きつい仕事で、しばらくは、体が慣れずに、ヒーヒー言っていた。 家に帰ると、母親相手に、
「なんで、大学生だった私が、あんな仕事を・・・」
と、ブツブツ零していた。 職場では、おくびにも出さなかったのは、女Aが、八方美人で、他人の目に、自分がどう映るかを、常に気にしていたからである。 「文句一つ言わず、一生懸命働く、優しくて、可愛い子」を演じていたのだ。 こういう女性は、珍しくない、というか、結構、多い。 開き直って、サボってばかりいる女より、一見、ずっと好ましく見えるが、演技は、所詮、演技である。
働き始めて、2ヵ月くらいすると、だいぶ、要領が分かって来た。 体も慣れて来て、ひどく疲れる事がなくなった。 元々、知能が低いわけではないから、仕事の手順の組み立てはできるのだ。 8割方、肉体労働という職種では、慣れてしまえば、こっちのもの、という面もある。
何分、八方美人なので、他人が見ている所では、始終、ニコニコしており、入所している高齢者達の受けは良かった。 「Aちゃん」と呼ばれて、何かと、頼りにされるようになった。 八方美人心をくすぐる状況に漕ぎ着けたわけだ。
その年の11月半ば頃、Bさんという高齢女性が、女Aに声をかけて、自分の部屋に連れて行った。 ちなみに、この施設では、入所者は全員、個室である。 4畳半もない部屋だが、一応の、プライバシーは保たれている。 女Aは、特殊詐欺の時の苦い経験があるので、少し警戒して、訊いた。
「他の人に聞かれたら、困る事ですか?」
「そういうわけじゃないんだけど・・・」
「何なんですか?」
「Aちゃん。 お歳暮を発送した事はある?」
「やった事ないです。 家では、母がやってると思います」
「そんなに難しい事じゃないのよ。 スーパーか、デパートに行けば、店員さんが、説明してくれるから、その通りにすればいいの。 どうしても、贈りたい人がいるんだけど、私は、とても、外出できないから、Aちゃん、良かったら、手続きしてくれないかな」
女A、すぐに思い出した事があった。 勤め始めて、すぐの頃、仕事を教えてくれた先輩が、「ここじゃ、お中元・お歳暮は、やってないから」と、言っていたような気が・・・。 その頃は、お中元・お歳暮の時期ではなかったから、すぐに忘れてしまったのだが・・・。
「ここは、お中元・お歳暮は、やってないって・・・」
「それは、分かってるの。 だから、職員さんには、内緒でね」
Bさんは、女Aに向かって、両手を合わせた。 女A、「私も、一応、職員なんだけど・・・」と思ったが、そこは、八方美人。 Bさんに嫌われたくはない。
「分かりました。 デパートは遠いから、無理だけど、スーパーでいいなら、行ってみます」
「うんうん、スーパーでも大丈夫。 ありがとうね。 恩に着るから。 これが、リスト。 持って行ってね」
と言って、Bさんは、メモ用紙を手渡して来た。 6人の名前と住所が手書きしてあった。 贈る品は、全員同じ。 「ハムなど肉製品で、3000円前後のもの」と書いてあった。 お金は、2万円、預かった。
女Aは、休みの日の前日に、帰り道、近所のスーパーに寄り、お歳暮発送の手続きをした。 サービス・カウンターが混んでいて、長いこと待った上に、メモの名前と住所を、専用の用紙に書き写さなければならず、1時間以上かかった。 休み明けに、Bさんの部屋に行き、メモを返し、お釣りを渡した。 Bさんは、喜んでいた。
「ありがとう。 助かったわ。 施設は、こういう事を、やってくれる所が少なくてねえ」
Bさんは、高齢者施設を、何軒も渡り歩いており、他と比較して、言っているのだった。 喜んでもらえたので、女Aも、気分がいい。 八方美人冥利に尽きる。 女Aは、ウキウキした気分で、半日過ごした。
Cさんという女性入所者がいた。 普段から、不平が多く、職員の間では、警戒されている人物である。 女Aが、部屋の掃除に入ると、ベランダへ出て、終わるのを待っている間、ブツブツ、独り言を言っていた。
「まったく、お歳暮一つ、出せやしない・・・」
それを聞いた女Aは、つい、返事をしてしまった。
「お歳暮、出したい方がいるんですか?」
「そりゃ、いるよ。 施設に入ってる年寄りだからって、つきあいはあるんだからね。 家で暮らしてた頃には、15軒分も出してたんだよ」
「そんなには、無理だけど、5軒くらいなら・・・」
「えっ! Aちゃん、出してくれるの?」
「他の人には、内緒ですよ」
「分かった分かった! 内緒内緒! ちょっと、待って、えーと、名前と住所を書くからね。 ああ、いいや。 すぐには、書けないから、明日までに書いとくよ。 明日、また来て」
「はい」
「他の人には、内緒」と、自分で言った女Aだったが、なんで、内緒なのかは、分かっていなかった。 最初に、Bさんが、やってはいけない事を頼んでいるような感じで切り出したので、何となく、後ろめたい事のように思えていただけだったのだ。
翌日、Cさんの部屋に行くと、他に、二人、女性入所者が来ていた。
「ごめんね、Aちゃん。 内緒にしとく約束だったんだけど、この二人とは、親友だから、私だけってわけにはいかなくて・・・」
「はあ・・・・」
三人から、メモを渡された。 Cさんは、5軒。 他の二人は、10軒ずつ。 女Aは、スーパーで用紙に書き写す手間を考えて、震え上がった。
「こんなには、無理です。 一人、5軒にして下さい」
ところが、二人は、猛然と言い返してきた。 「これでも、頑張って、少なくしたのよ!」
「家にいた時は、親戚やら、主人の勤め先の上司やら、取引先の人に、30軒も出してたんだから! Aちゃんは若いから、分からないかもしれないけど、つきあいっていうのは、そういうものなの!」
押し切られてしまった。 八方美人なので、相手に強く出られると、断れないのだ。 女Aが、受け入れたのを見て、Cさんが、追加の5軒分が書かれたメモを出して来た。
「私だけ少ない理由もないでしょ」
「・・・・・」
女Aは、こんな厄介事は、早く片付けてしまおうと思って、その日の帰りに、スーパーに寄り、30軒分の発送手続きを済ませた。 3時間以上、かかった。
もう、想像がつくと思うが、女Aの災難は、これでは終わらなかった。 11月の内に、お歳暮発送を頼まれたのが、入所者の半数を超える、16人。 ちなみに、全員、女性。 送り先の数にして、130軒を超えた。 毎日のように、スーパーに寄り、2・3時間かけて、手続きをする羽目になった。 だが、女Aは、自分が始めた事が、どういう結果を招くか、まだ、分かっていなかった。
12月に入り、5日を過ぎると、ポツポツと、施設宛に、お歳暮が届くようになった。 女Aが手続きして送った相手からの、お返しなのである。 5日の午前中に、2個来たと思ったら、午後は、バタバタと6個も来た。 事務長が、顔色真っ青になり、所長に報告すると、所長も真っ青になった。 女Aを除く、他の職員も、噂を聞いて、真っ青に。
夕方、事務室に、職員全員が集められた。 事務長が、殺気立って、詰問した。
「誰か、お歳暮発送を引き受けましたね!」
女A以外は、顔を見合わせている。 その様子を見渡していた事務長が、女Aを標的に定めた。
「Aさん。 君がやったんですか?」
「はあ・・・、はい。 すいません」
「何軒に送ったの?」
「えーと・・・、そのう・・・、最初のBさんが、6軒で・・・」
「全部で、何軒ですか?」
「全部で・・・、・・・132軒です」
職員全員から、どよめきが上がった。
「おおおうっ!!」
あまりの数の多さに、笑ってしまう者もいたが、笑い事ではない事は分かっていて、すぐに、真顔に戻った。 所長が、女Aの教育係だった、先輩のDさんに訊く。
「Dさん、お中元・お歳暮の代理発送は、引き受けちゃ駄目だって、教えなかったんですか?」
「教えました。 Aちゃん、聞いてるよね?」
Dさんに睨みつけられて、女Aは、竦み上がった。
「聞きました。 でも、どうしてもって、頼まれちゃって。 私が頑張れば、入所者の皆さんに、喜んでもらえるかなあって、思ったんです」
事務長の怒りが、爆発した。
「君が頑張ったのは、発送手続きでしょう! お中元・お歳暮には、お返しが来るって、考えなかったんですか!? 130軒も送ったら、おそらく、100軒以上が、お返しを送ってよこすでしょう。 誰が、受け取りをするんですか!?」
「・・・、私がやります」
「これから、数日間、受け取りの嵐ですよ。 あなたが、それをやっている間、あなたの仕事は、誰がやるんですか?」
「・・・・・」
女Aは、ようやく、事の重大さが分かって来た。 こういう事態を避ける為の、「お中元・お歳暮は、やってない」という説明だったのである。 それを言われた時、「なんで、駄目なんですか?」と訊き返しておけば、Dさんが、理由を答えてくれたのだろうが、何せ、女Aは、八方美人で、誰からも気に入られたいと思っていたせいで、「飲み込みが早い、使える後輩」を演じる為に、敢えて、質問をしなかったのだ。
女Aは、特殊詐欺で逮捕された時以上に、打ちのめされた。 詐欺の時には、「自分も、騙された側」といういいわけを、少なくとも、自分に対してだけはできたが、今度は、100%、自分の考えが足りなかったのが原因で、引き起こした問題だったからだ。 世間知が足りず、お中元・お歳暮には、お返しが付き物という常識が欠けていたせいで、こんな大失態を演じてしまったのだ。
お返しのお歳暮は、合計、120軒分に及んだ。 女Aは、その受け取りを、一人で、全部こなしたが、次々と届けられる荷物の中には、認め印が必要なものもあり、受け取った手荷物は、各部屋に運ばなければならず、想像を絶する手間となった。 他の仕事など、するゆとりは全くなかった。
女Aは、年末を待たずに、退職願いを出した。 事務長は、事務的に、退職書類を出して、書き方の説明をした。 この事務長は、社会経験が豊かな人で、女Aが、八方美人タイプである事を、すぐに見抜き、最初から信用していなかったので、やめてくれるというなら、文句はなかった。 一応、所長が引き留めたものの、女Aの決心は変わらなかった。 決定的となったのは、Bさんの部屋に、お歳暮のお返しを持って行った時に、こう言われた事である。
「Aちゃん。 良かったら、年賀状の宛名を書いて欲しいんだけど」
「もう、勘弁して下さい」
施設に入っているからといって、高齢者は、人づきあいを諦めたわけではない。 いつまでも、現役時代と変わらないと思っている人の方が多いのだ。 お中元・お歳暮・年賀状は、彼らが、生きている事を、かつて交流していた人達に伝える為の、最も有効な手段である。 見栄を張りたい欲望に、現役も引退者もない。 問題は、自分では、能力的にできなくなっている事を、若い者を利用して、実現しようとする、その図々しさにある。
「施設の職員に頼むのではなく、家族に頼んで、発送してもらい、家で、お返しを受け取って、施設に持って来てもらえばいいのに」
と思うかもしれないが、お返しには、調理しなければ使えない食材なども多くあり、自炊型でない施設の場合、調理場に持ち込まれたりすると、逆に迷惑になってしまう。 箱のダンボールや厚紙も、ゴミを増やす事になる。 結局、施設側としては、一切禁止にしてしまった方がいいのだ。
また、家族の方も、親のつきあいを引き継ぐ気はない。 親と子供は、別の人間なのだ。 親の中には、「自分と、友人・知人のつきあいは、自分の子供と、友人・知人の子供に引き継がれて行くはずだ」などと思っている者もいるが、途轍もない勘違いである。 いとことすら、大人になれば、音信不通。 兄弟姉妹ですら、滅多に顔を合わせない。 況や、他人に於いてをや。 子供には、子供のつきあいがあるのだ。
八方美人も、相手を見て、やった方がいい。 高齢者に好かれてもなあ。 遺産をもらえるかも? そんな例は、ほとんど、ない。 遺言状に名前を書いてもらっても、大抵は、本人の死後、近親者が現れて、訴訟を起こしてでも、他人の手に遺産が渡るのを、阻止してしまう。 自分が相続人になっていない事に腹を立て、「他人に渡すくらいなら、国に没収してもらう方がマシ」という考え方になるようだ。
女Aは、その後、家に引き籠って暮らしていたが、23歳の時、珍しく、買い物に出た先で、高校時代の同級生と再会して、交際を始め、結婚に至って、以降、割と普通に暮らしている。 八方美人は、意識的に、やめた。 人生の得にならないと、悟ったからである。 お中元・お歳暮・年賀状のやり取りは、一切やっていない。
【八方美人とお歳暮】
女Aは、その年、21歳で、まだ、若かった。 都会の大学に通っていたが、八方美人な性格が禍いして、交際し始めたばかりの男に、特殊詐欺グループに引きこまれてしまい、入って、たった一週間後に、仲間数人と共に逮捕された。 ちなみに、交際していた男は逃亡し、まだ捕まっていない。
警察で取り調べを受けたが、加わって一週間では、何も分かりはしない。 仲間の証言から、かけ子を数回やっただけという事が分かり、送検されたものの、不起訴になった。 法律上の処分は、それでおしまいだが、大学は、何もなかった事にはしてくれなかった。 親を交えた話し合いの末、自主退学という事になり、地元に戻った。 親からは、大変、大変、非常に、非常に、残念な顔をされた。
「誰からも好かれたいというのは、悪い事じゃないけど、誰にでも、ホイホイ、ついて行ってどうする? 犯罪のニオイがするのに、気づかなかったのかねえ・・・」
4ヵ月、何もせずに、家に引き籠っていたが、親戚の伝で、高齢者施設に、雑用係として雇ってもらう事になった。 紹介してくれた叔父さんは、真剣な顔で言った。
「大学をやめた理由は、言ってないから。 とにかく、真面目にやってくれ。 何か問題が起きたら、俺の信用もなくなっちゃうから」
介護関係の資格など、何も持っていないから、掃除や、洗濯、布団干し、介護の手伝いなど、正に、雑用係である。 結構、きつい仕事で、しばらくは、体が慣れずに、ヒーヒー言っていた。 家に帰ると、母親相手に、
「なんで、大学生だった私が、あんな仕事を・・・」
と、ブツブツ零していた。 職場では、おくびにも出さなかったのは、女Aが、八方美人で、他人の目に、自分がどう映るかを、常に気にしていたからである。 「文句一つ言わず、一生懸命働く、優しくて、可愛い子」を演じていたのだ。 こういう女性は、珍しくない、というか、結構、多い。 開き直って、サボってばかりいる女より、一見、ずっと好ましく見えるが、演技は、所詮、演技である。
働き始めて、2ヵ月くらいすると、だいぶ、要領が分かって来た。 体も慣れて来て、ひどく疲れる事がなくなった。 元々、知能が低いわけではないから、仕事の手順の組み立てはできるのだ。 8割方、肉体労働という職種では、慣れてしまえば、こっちのもの、という面もある。
何分、八方美人なので、他人が見ている所では、始終、ニコニコしており、入所している高齢者達の受けは良かった。 「Aちゃん」と呼ばれて、何かと、頼りにされるようになった。 八方美人心をくすぐる状況に漕ぎ着けたわけだ。
その年の11月半ば頃、Bさんという高齢女性が、女Aに声をかけて、自分の部屋に連れて行った。 ちなみに、この施設では、入所者は全員、個室である。 4畳半もない部屋だが、一応の、プライバシーは保たれている。 女Aは、特殊詐欺の時の苦い経験があるので、少し警戒して、訊いた。
「他の人に聞かれたら、困る事ですか?」
「そういうわけじゃないんだけど・・・」
「何なんですか?」
「Aちゃん。 お歳暮を発送した事はある?」
「やった事ないです。 家では、母がやってると思います」
「そんなに難しい事じゃないのよ。 スーパーか、デパートに行けば、店員さんが、説明してくれるから、その通りにすればいいの。 どうしても、贈りたい人がいるんだけど、私は、とても、外出できないから、Aちゃん、良かったら、手続きしてくれないかな」
女A、すぐに思い出した事があった。 勤め始めて、すぐの頃、仕事を教えてくれた先輩が、「ここじゃ、お中元・お歳暮は、やってないから」と、言っていたような気が・・・。 その頃は、お中元・お歳暮の時期ではなかったから、すぐに忘れてしまったのだが・・・。
「ここは、お中元・お歳暮は、やってないって・・・」
「それは、分かってるの。 だから、職員さんには、内緒でね」
Bさんは、女Aに向かって、両手を合わせた。 女A、「私も、一応、職員なんだけど・・・」と思ったが、そこは、八方美人。 Bさんに嫌われたくはない。
「分かりました。 デパートは遠いから、無理だけど、スーパーでいいなら、行ってみます」
「うんうん、スーパーでも大丈夫。 ありがとうね。 恩に着るから。 これが、リスト。 持って行ってね」
と言って、Bさんは、メモ用紙を手渡して来た。 6人の名前と住所が手書きしてあった。 贈る品は、全員同じ。 「ハムなど肉製品で、3000円前後のもの」と書いてあった。 お金は、2万円、預かった。
女Aは、休みの日の前日に、帰り道、近所のスーパーに寄り、お歳暮発送の手続きをした。 サービス・カウンターが混んでいて、長いこと待った上に、メモの名前と住所を、専用の用紙に書き写さなければならず、1時間以上かかった。 休み明けに、Bさんの部屋に行き、メモを返し、お釣りを渡した。 Bさんは、喜んでいた。
「ありがとう。 助かったわ。 施設は、こういう事を、やってくれる所が少なくてねえ」
Bさんは、高齢者施設を、何軒も渡り歩いており、他と比較して、言っているのだった。 喜んでもらえたので、女Aも、気分がいい。 八方美人冥利に尽きる。 女Aは、ウキウキした気分で、半日過ごした。
Cさんという女性入所者がいた。 普段から、不平が多く、職員の間では、警戒されている人物である。 女Aが、部屋の掃除に入ると、ベランダへ出て、終わるのを待っている間、ブツブツ、独り言を言っていた。
「まったく、お歳暮一つ、出せやしない・・・」
それを聞いた女Aは、つい、返事をしてしまった。
「お歳暮、出したい方がいるんですか?」
「そりゃ、いるよ。 施設に入ってる年寄りだからって、つきあいはあるんだからね。 家で暮らしてた頃には、15軒分も出してたんだよ」
「そんなには、無理だけど、5軒くらいなら・・・」
「えっ! Aちゃん、出してくれるの?」
「他の人には、内緒ですよ」
「分かった分かった! 内緒内緒! ちょっと、待って、えーと、名前と住所を書くからね。 ああ、いいや。 すぐには、書けないから、明日までに書いとくよ。 明日、また来て」
「はい」
「他の人には、内緒」と、自分で言った女Aだったが、なんで、内緒なのかは、分かっていなかった。 最初に、Bさんが、やってはいけない事を頼んでいるような感じで切り出したので、何となく、後ろめたい事のように思えていただけだったのだ。
翌日、Cさんの部屋に行くと、他に、二人、女性入所者が来ていた。
「ごめんね、Aちゃん。 内緒にしとく約束だったんだけど、この二人とは、親友だから、私だけってわけにはいかなくて・・・」
「はあ・・・・」
三人から、メモを渡された。 Cさんは、5軒。 他の二人は、10軒ずつ。 女Aは、スーパーで用紙に書き写す手間を考えて、震え上がった。
「こんなには、無理です。 一人、5軒にして下さい」
ところが、二人は、猛然と言い返してきた。 「これでも、頑張って、少なくしたのよ!」
「家にいた時は、親戚やら、主人の勤め先の上司やら、取引先の人に、30軒も出してたんだから! Aちゃんは若いから、分からないかもしれないけど、つきあいっていうのは、そういうものなの!」
押し切られてしまった。 八方美人なので、相手に強く出られると、断れないのだ。 女Aが、受け入れたのを見て、Cさんが、追加の5軒分が書かれたメモを出して来た。
「私だけ少ない理由もないでしょ」
「・・・・・」
女Aは、こんな厄介事は、早く片付けてしまおうと思って、その日の帰りに、スーパーに寄り、30軒分の発送手続きを済ませた。 3時間以上、かかった。
もう、想像がつくと思うが、女Aの災難は、これでは終わらなかった。 11月の内に、お歳暮発送を頼まれたのが、入所者の半数を超える、16人。 ちなみに、全員、女性。 送り先の数にして、130軒を超えた。 毎日のように、スーパーに寄り、2・3時間かけて、手続きをする羽目になった。 だが、女Aは、自分が始めた事が、どういう結果を招くか、まだ、分かっていなかった。
12月に入り、5日を過ぎると、ポツポツと、施設宛に、お歳暮が届くようになった。 女Aが手続きして送った相手からの、お返しなのである。 5日の午前中に、2個来たと思ったら、午後は、バタバタと6個も来た。 事務長が、顔色真っ青になり、所長に報告すると、所長も真っ青になった。 女Aを除く、他の職員も、噂を聞いて、真っ青に。
夕方、事務室に、職員全員が集められた。 事務長が、殺気立って、詰問した。
「誰か、お歳暮発送を引き受けましたね!」
女A以外は、顔を見合わせている。 その様子を見渡していた事務長が、女Aを標的に定めた。
「Aさん。 君がやったんですか?」
「はあ・・・、はい。 すいません」
「何軒に送ったの?」
「えーと・・・、そのう・・・、最初のBさんが、6軒で・・・」
「全部で、何軒ですか?」
「全部で・・・、・・・132軒です」
職員全員から、どよめきが上がった。
「おおおうっ!!」
あまりの数の多さに、笑ってしまう者もいたが、笑い事ではない事は分かっていて、すぐに、真顔に戻った。 所長が、女Aの教育係だった、先輩のDさんに訊く。
「Dさん、お中元・お歳暮の代理発送は、引き受けちゃ駄目だって、教えなかったんですか?」
「教えました。 Aちゃん、聞いてるよね?」
Dさんに睨みつけられて、女Aは、竦み上がった。
「聞きました。 でも、どうしてもって、頼まれちゃって。 私が頑張れば、入所者の皆さんに、喜んでもらえるかなあって、思ったんです」
事務長の怒りが、爆発した。
「君が頑張ったのは、発送手続きでしょう! お中元・お歳暮には、お返しが来るって、考えなかったんですか!? 130軒も送ったら、おそらく、100軒以上が、お返しを送ってよこすでしょう。 誰が、受け取りをするんですか!?」
「・・・、私がやります」
「これから、数日間、受け取りの嵐ですよ。 あなたが、それをやっている間、あなたの仕事は、誰がやるんですか?」
「・・・・・」
女Aは、ようやく、事の重大さが分かって来た。 こういう事態を避ける為の、「お中元・お歳暮は、やってない」という説明だったのである。 それを言われた時、「なんで、駄目なんですか?」と訊き返しておけば、Dさんが、理由を答えてくれたのだろうが、何せ、女Aは、八方美人で、誰からも気に入られたいと思っていたせいで、「飲み込みが早い、使える後輩」を演じる為に、敢えて、質問をしなかったのだ。
女Aは、特殊詐欺で逮捕された時以上に、打ちのめされた。 詐欺の時には、「自分も、騙された側」といういいわけを、少なくとも、自分に対してだけはできたが、今度は、100%、自分の考えが足りなかったのが原因で、引き起こした問題だったからだ。 世間知が足りず、お中元・お歳暮には、お返しが付き物という常識が欠けていたせいで、こんな大失態を演じてしまったのだ。
お返しのお歳暮は、合計、120軒分に及んだ。 女Aは、その受け取りを、一人で、全部こなしたが、次々と届けられる荷物の中には、認め印が必要なものもあり、受け取った手荷物は、各部屋に運ばなければならず、想像を絶する手間となった。 他の仕事など、するゆとりは全くなかった。
女Aは、年末を待たずに、退職願いを出した。 事務長は、事務的に、退職書類を出して、書き方の説明をした。 この事務長は、社会経験が豊かな人で、女Aが、八方美人タイプである事を、すぐに見抜き、最初から信用していなかったので、やめてくれるというなら、文句はなかった。 一応、所長が引き留めたものの、女Aの決心は変わらなかった。 決定的となったのは、Bさんの部屋に、お歳暮のお返しを持って行った時に、こう言われた事である。
「Aちゃん。 良かったら、年賀状の宛名を書いて欲しいんだけど」
「もう、勘弁して下さい」
施設に入っているからといって、高齢者は、人づきあいを諦めたわけではない。 いつまでも、現役時代と変わらないと思っている人の方が多いのだ。 お中元・お歳暮・年賀状は、彼らが、生きている事を、かつて交流していた人達に伝える為の、最も有効な手段である。 見栄を張りたい欲望に、現役も引退者もない。 問題は、自分では、能力的にできなくなっている事を、若い者を利用して、実現しようとする、その図々しさにある。
「施設の職員に頼むのではなく、家族に頼んで、発送してもらい、家で、お返しを受け取って、施設に持って来てもらえばいいのに」
と思うかもしれないが、お返しには、調理しなければ使えない食材なども多くあり、自炊型でない施設の場合、調理場に持ち込まれたりすると、逆に迷惑になってしまう。 箱のダンボールや厚紙も、ゴミを増やす事になる。 結局、施設側としては、一切禁止にしてしまった方がいいのだ。
また、家族の方も、親のつきあいを引き継ぐ気はない。 親と子供は、別の人間なのだ。 親の中には、「自分と、友人・知人のつきあいは、自分の子供と、友人・知人の子供に引き継がれて行くはずだ」などと思っている者もいるが、途轍もない勘違いである。 いとことすら、大人になれば、音信不通。 兄弟姉妹ですら、滅多に顔を合わせない。 況や、他人に於いてをや。 子供には、子供のつきあいがあるのだ。
八方美人も、相手を見て、やった方がいい。 高齢者に好かれてもなあ。 遺産をもらえるかも? そんな例は、ほとんど、ない。 遺言状に名前を書いてもらっても、大抵は、本人の死後、近親者が現れて、訴訟を起こしてでも、他人の手に遺産が渡るのを、阻止してしまう。 自分が相続人になっていない事に腹を立て、「他人に渡すくらいなら、国に没収してもらう方がマシ」という考え方になるようだ。
女Aは、その後、家に引き籠って暮らしていたが、23歳の時、珍しく、買い物に出た先で、高校時代の同級生と再会して、交際を始め、結婚に至って、以降、割と普通に暮らしている。 八方美人は、意識的に、やめた。 人生の得にならないと、悟ったからである。 お中元・お歳暮・年賀状のやり取りは、一切やっていない。