2025/06/22

実話風小説 終了の言いわけ

  月に一作のペースで書き、アップして来た、実話風小説ですが、前回で、40作まで行ったので、終わりにしようと思います。 「切りのいいところで、50作まで」とは、漠然と考えていましたが、あと10作も書くと思うと、頭がクラクラする思いがして、断念した次第。




  ネタ切れを起こすような話ではないけれど、ネタがあるのと、実際に小説に書くのとでは、次元が違っていて、健康問題で四苦八苦している今の私としては、これ以上、このシリーズに、手間と時間を割く気になれないのです。 つくづく、創作というのは、精神的な強迫が甚だしい。 若い頃、「何かしらの文筆業に就きたい」などと夢想していたのが、元恐ろしいです。 胃に何百個、穴が開いたか、分かったもんじゃない。

  今まで読んで来て下さった方々なら、分かってもらえると思いますが、どうも、このシリーズは、書いていても、読んでいても、気が滅入らずにはいられません。 人間の愚かしいところ、醜いところだけを取り上げているのですから、うんざりしてしまっても、不思議はないです。 「人間には、どうこう言っても、素晴らしい美点がある」と思うからこそ、前向きに生きて行けるのであって、どいつもこいつも、不良品ばかりだったら、世の中は、お先真っ暗。 生きる意欲を失ってしまいます。

  自分の問題点は、自分では分からないものですが、他人の欠点は、ありあり分かりますから、私が主人公に据えるような人物が、身近にいたら、誰でも、怖気をふるい、そんな人間に関わってしまった不運を、嘆き呪う事でしょう。 これが、気が滅入らずにいられようか。 いいや、いられるわけがない。

  問題がある主人公に、開き直らせて、ピカレスク、つまり、悪漢小説にしてしまえば、痛快な話にする事もできないではありませんが、それは、私の倫理観が許しません。 このシリーズを読み返せば、どれも、救いようがない話ではあるけれど、善悪バランスは取れている事が分かると思います。 ろくでなしや、道を踏み外した者には、相応の罰が下されて然るべきだと、私が強く思っている、いや、願っているからです。


  で、今後、このブログの、第3週(更新日の日曜が 5回ある月には、第4週)を、どうするかですが、車・バイクの補修記事や、「時代を語る車達」の在庫があれば、それらを出すとして、もし、何もなかった場合、更新しない週にしようと思っています。 私が歳をとり、健康も害して、ブログ運営力が衰えているのだから、致し方ない。

  このブログ「心中宵更新」も、始めてから、20年が経ちました。 その更に前は、ホーム・ページ「換水録」の一コンテンツで、時事ネタを短く書いていたコーナーを、2005年に、ブログとして、独立させたのでした。 当初は、当時、プロバイダーにしていた、DION/auの、「ラブログ」で始めたのが、ブログ・サービスが終了になってしまい、推奨に従って、「シーサー・ブログ」へ移行し、今に至ります。

  時事ネタは、その内、途切れてしまって、換水録の方から、再編集して移植した記事が大半を占めるようになってからでも、もう久しいです。 閲覧者も、ラブログの頃は、日当たり、100人を超える事がありましたが、シーサーになってからは、数人程度。 週に一回の更新だから、そんなものでしょう。 コメント受け付けしていないのに、数人であっても、見に来てくれる人達がいるのは、ありがたい事です。 お礼を申し上げます。

2025/06/15

時代を語る車達 ⑫

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 私は若い頃から、車と言ったら、デザインにしか興味がなかったので、走りがどうの、装備がどうのといった事は、全く分かりません。 高級車やスポーツ・カーが、ほとんど出て来ないのは、それまた、そういう車に興味がないからです。





≪日産・NV350キャラバン (5代目・キャラバン)≫

  「キャラバン」という名前の車種は、昔からありましたが、2012年6月のフル・モデル・チェンジで、5代目になった時に、日産の他の商用車種との、シリーズ名の共通化から、「NV350キャラバン」に改名されていたのが、2021年10月のマイナー・チェンジで、ガソリン車が、「キャラバン」に戻り、2022年2月には、ディーゼル車も戻って、「NV350キャラバン」という名前は消滅したという、大変、ややこしい経緯があります。 写真の車は、「NV350キャラバン」時代のもの。

  他のメーカーにも見られる傾向ですが、特に日産は、「車の名前を変えれば、売れ行きが良くなる」と、途轍もない思い違いをしている様子が濃厚に覗えます。 90年代まで使っていた車種名で、今 残っているのは、「スカイライン」と、「フェアレディZ」だけになってしまいましたが、名前を変えて売れ行きが伸びたかどうか、現在の日産の有様を見れば、明々白々。 「キャラバン」と言われれば、誰でも、どんな車か分かりますが、「NV350」なんて言われても、商用車だろうという事しか分かりません。

  で、車そのものですが、私は、運転した事がなく、乗せてもらった事もなく、デザインしか分からないのですが、悪くはないですな。 日産の、より小さい商用車、「NV200バネット」や、「AD」に比べると、遥かに常識的なデザインで、好感がもてます。 しかし、ライバルの、トヨタ・ハイエースに比べると、話は変わって来て、ハイエースに、似過ぎています。 「サイズ一杯だから、全体のフォルムが似てしまうのは、やむをえない」という考え方もあるでしょうが、窓の切り方や、ライト類のデザインなどで、もう少し、独自性を出して欲しかったものです。 もっとも、ADのような非常識な個性なら、要りませんけど。

  デザインから離れますが、こういう、仕事に使う車を買い、フルに活用している様子を見ると、いかにも、「働く自動車」という感じで、車にも、人にも、カッコ良さを感じますねえ。 遊びでスポーツ・カーに乗っている人間が馬鹿に見えてしまうのとは、対照的です。 畢竟、車は道具なのであって、使ってナンボのものなんですな。 「NV350キャラバン」時代の、「こっちは、プロ仕様」というテレビCMのコピーを覚えていますが、なかなか巧みに、顧客の心理を突いていたと思います。




≪トヨタ・プロボックス / トヨタ・5代目ハイエース≫

  手前の黒い車は、トヨタの商用バン、「プロボックス」。 前期型は、2002年7月に登場し、2014年8月に、マイナー・チェンジして、このフロント・デザインになりました。 「プロボックス」と書きましたが、名前を確認して来ませんでした。 「サクシード」の可能性もあります。 マイナー・チェンジ後は、両車種の違いが、ほとんど、なくなったからです。

  色が黒ですが、マイナー・チェンジ後の型には、乗用ワゴンの設定がないらしいので、商用バンなのでしょう。 ホイールが、シルバー塗装の鉄製なのも、それで頷けます。 履かせられるアルミ・ホイールは、いくらでもあると思いますが、この車は、鉄ホイールの方が、カッコよく見えます。

  絶賛に値する、素晴らしいデザインだと思うのですが、どうして、この車を使って、タクシーをやらんかなあ。 わざわざ、セダン・ボディーを作る必要はないのであって、このまま、タクシー仕様に改造してしまえばいいのです。 大は小を兼ねるように、バンはセダンを兼ねられます。 ちなみに、かつて、トヨタで作っていた、タクシー専用セダンの、「コンフォート」と、車幅は同じです。 元が商用車だから、維持費も安いと思うのですがね。

  とにかく、ジャパンタクシーは、勘弁してくれ。 見るに耐えん。 どうして、日本で、ロンドン・タクシーのパクリやねん? 憧れて真似るような、カッコいいもんかいな? ダサダサとしかとしか思えませんが。 ロンドン・タクシーをカッコいいと思う人が多ければ、とっくから、世界中で導入してますって。 運転手さんも、切り替えの時は、抵抗感が大きいだろうなあ。 仕事で乗る車だから、仕方ないと割り切るしかないのか・・・。


  奥のハイエースは、2004年から売られている、5代目・現行車型。 21年間も作っているんですな。 もう、このサイズのワン・ボックス・カーとしては、独擅場でして、モデル・チェンジする必要がないのでしょう。 今後、変えたとしても、変わり映えがしないか、悪くなるだけなのでは?

  全く古さを感じさせませんが、そもそも、ワン・ボックス・カーは、形に、時代の変化が出難くて、古くならないのです。 その上に、この型は、完成度が高いデザインだと思います。

  モータリゼーション初期の、「国民車構想」ではありませんが、この手の車は、一サイズにつき、一車種あれば、充分な感じがしますねえ。 もはや、ハイエースがいいの、キャラバンがいいのと、拘る人もいないでしょう。 車に対する見方は、確実に変わりました。 本来、道具として作られた機械を、社会的身分を表そうとしたり、個性を表現したりする為に車種を選んでいたのが、間違っていたのです。 社会全体で起こしていた、錯覚だったのです。 畢竟、道具なんですよ、車というものの本質は。




≪ダイハツ・2代目ミライース≫

  2017年5月から、現行で売っている車。 割と珍しいですが、白いのもあるんですな。 今、売られている軽自動車で、私が唯一、評価している車。 角ばった車は、過去にもありましたが、多面体デザインという点で、この車の独自性は、強烈です。 軽に限らず、今の日本車の中で、最も優れていると言ってもいいでしょう。

  ライバルは、スズキの、「アルト」という事になりますが、巷で見かける数が段違いでして、こちらの方が、圧勝しています。 アルトと比べると、背を高くしたり、室内容積を大きく取ったりという考え方を、最初から捨てている点が、優れています。 スズキは、勘違いをしていると思うのですが、みんながみんな、室内が広い車を求めているわけじゃないんだわ。

  天井が高くても、広い感じがするだけで、天井まで荷物を積む利用者は、ほとんど、いますまい。 背が高くなると、シートの座面も高くなるので、高齢者は、乗り下りがし難くなります。 低い方が、お尻を載せてから、足を入れるという乗り方ができるから、逆に好都合なのです。

  ワン・ボックスは言うに及ばず、ハイト・ワゴンでも、トール・ワゴンでも、背が高過ぎ。 あんな、バーのスツールみたいなシートに座って、運転の楽しさなんて、感じられるものですか。 買う方も買う方で、車を、部屋だと思っているから、広い方がいいなどと考えるのです。 車は、乗り物だというのよ。

  おっと、イースの批評から離れてしまいましたな。 このデザインには、もう一つ、優れた点があります。 それは、性別を選ばない事です。 男性が乗っていても、ちっとも、おかしくありません。 もちろん、女性にも似合います。 この車を選んでいる事で、運転者を、知性的に見せてくれます。




≪マツダ・4代目デミオ(MAZDA 2)≫

  2014年9月から、現行車。 2019年7月から、日本国内での名前を、「MAZDA 2」に変更。 海外では、それ以前から、「MAZDA 2」で売られていました。 私としては、「デミオ」の方がいいと思うんですが。 どうこう言っても、記号の名前というのは、覚え難いものです。

  この写真の車が、「デミオ」なのか、「MAZDA 2」なのかは、後ろを見なかったので、エンブレムを確かめて来ませんでした。 私は、デザインしか見ないので、どっちでも、同じですから。 ちなみに、この車は前期型で、今は、後期型に、マイナー・チェンジされています。 10年以上作っていても、古くなったと感じられないのは、元から、デザインが古風だからでしょう。

  いいデザインだと思うのですが、新しい感じは、全くしません。 むしろ、レトロを感じます。 50年くらい前の、イギリス人が好みそうなデザインですな。 車のデザインというのは、モデル・チェンジを重ねて行く関係上、何かしら、新時代を感じさせるものが求められるのですが、それを、真っ向から否定しているのは、興味深い。 マツダ単独の戦略に過ぎないのか、はたまた、時代が変わって、車に新しさが求められなくなったから、こういう考え方が出て来たのか。

  スズキから供給されている軽自動車を除けば、マツダの最小車種ですが、サイズも、排気量も、とっくから、リッター・カーのカテゴリーから食み出していて、かつての、「ファミリア」と変わらなくなっています。 一般的な家族で使うには、この車で充分。 誰でも、そう思うからか、この上の車種、「MAZDA 3」は、滅多に目にしません。




  今回は、以上、5台まで。

  いずれも、今年になってから、撮影したもの。 現行車の割合が多いのは、型落ちの車を見かける事が少なくなったからです。 どこでも、かしこでも、新しい車ばっかり。 どうしてそう、ポンポンと買い換えるかな? 私のセルボ・モードなんて、27年目ですが、まだ充分 走りますよ。 そこまで粘らないとしても、15年くらいは、無理なく乗れると思うのですがねえ。

2025/06/08

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑥

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の11月20日まででした。 今回は、その続き。 依然、先は長い。




【2024/11/27 水】
  鼠蹊ヘルニアですが、植木手入れで無理をしたせいか、食み出す部分が大きくなってしまいました。 自分でも、気味が悪い有様。 早急に手術してもらわなければならないのですが、血糖値は、むしろ上がっており、こちらの予定通りに事が進むか、怪しくなって来ました。

  運動量は変わらないから、食事の量が多いんでしょうな。 炭水化物さえ少なくすれば、野菜はいくら食べてもいいと思っていたのですが、考えてみれば、野菜にもカロリーはあるのであって、量には限度があるのは、当然の事。 野菜で満腹感を得ようというのは、間違いだったか。



【2024/11/28 木】
  血糖値計測ですが、今頃になって、数値を低く出すコツが分かって来ました。 計測前の食事を少なめにし、計測前30分以内に、水を飲めるだけ飲み、座敷を千歩くらい歩いてから測れば、低くなるのです。

  7回の計測タイミングの内、

・ 「朝食前」に測る日は、自然に下がっているから、普通に食べて良し。
・ 「朝食後」に測る日と、「昼食前」に測る日は、朝食を少なめにします。
・ 「昼食後」に測る日と、「夕食前」に測る日は、昼食を少なめにします。
・ 「夕食後」に測る日と、「眠る前」に測る日は、夕食を少なめにします。
・ 各日、それ以外のタイミングでは、普通に食べて良し。
・ 病院で血液検査がある日には、出かける前の食事を少なめにします。 午前の検査なら、朝食を。 午後の検査なら、昼食を。
・ 普通に食べて良いといっても、もちろん、健康な人より、少ないです。 特に、炭水化物は、普通でも、茶碗半分ですな。 少なめとなると、茶碗3分の1くらいでしょうか。 大きめのスプーン、山盛り一杯くらいでも良し。

  「食事の量を少なくする」、「水を飲む」、「運動する」の三要素が鍵でして、全部やっておけば、血糖値が低くならないわけがない。 なぜ、もっと早く、この手に気づかなかったのか。 食前インスリンを打ち始めて、血糖値全体が下がった事で、すっかり安心し、油断していたのです。



【2024/11/29 金】
  午後、旧母自を押して、八重坂峠を越え、清水町のワークマンまで行きました。 植木手入れ用のビニール手袋と、カック・シューズを買いました。 帰りは、自転車に乗り、香貫山の西側麓を通って、帰って来ました。

  歩数計。 日当たり、1万歩が目標ですが、今日は、1万3千も行ってしまいました。 ワークマンまでの距離を、見誤っていたのが原因だと思います。 こんなに歩かなくてもいいんですが。 翌日に繰り越せないのが、残念なところ。



【2024/12/04 水】
  夜6時頃、血糖値計測。 91。 空腹時ですが、インスリンを打つ直前としては、いい数値です。 約一週間、正常値内に収まっているので、次の内科診察で、インスリン注射が終わりになる希望が見えて来ました。

  明日、病院に行きますが、採血・採尿検査と、外科の診察だけです。 外科の方は、鼠蹊ヘルニアの手術日が決まるかどうかが、気になるところ。 何とか、今年中に、手術してもらえないものか・・・。



【2024/12/05 木】
  午前中に、母自で、病院。 採血、採尿。 外科の診察。 予約してあったのですが、結局、1時間、待ちました。

  で、その挙句に言われたのが、「血液検査の結果、ヘモグロビンA1c(エー・ワン・シー)の数値が高過ぎるので、とても、手術できない。 内科で治療してから、また来るように」との事。 なんだ、そりゃ? 先月、内科で聞いた話と、あまりにも違います。 糖尿病専門医は、「12月半ばには、手術できる」と言っていたので、今日は、外科で、手術の日が決まるとばかり思っていたのに。

  話が違い過ぎるので、糖尿病専門医から聞いていた手術予定の話をしたり、「鼠蹊ヘルニアが飛び出したままでは、糖尿病治療の運動も、怖くてできない」と訴えたりしたのですが、それが外科医師の癇に障ったらしく、「だったら、他の病院を探したら?」と言い出しました。 他の病院を紹介すると言うのではなく、「この数値で、手術してくれるところがあるなら、自分で探してみろ」と言いたい口ぶりです。

  この時点で、私の中で、この外科医の信用は、ゼロになりました。 それが、総合病院勤務の外来医師が言う事か。 全く、責任感などないのだな。 医者が患者に向かって、切れていて、どうするのだ? 外科医というのは、人間を物体としてか見ていないのだと言ってしまえば、それまでですが。

  一応、分かりましたといって、診察室を出て来ましたが、看護師が追いかけて来て、待合室で、医師のフォローをする形で、追加の説明を始めました。 しかし、結局、手術ができない理由を、丁寧に説明し直しただけで、私にとっては、何の役にも立ちません。 とはいえ、この看護師は、患者に対する常識的な配慮は持ち合わせているようでした。

  その後、会計して、帰って来ました。 それにしても、こんなのは、診察ではないな。 ただ、「数値が下がってから、出直して来い」というだけの通達なら、診察室で医師から言われなくても、事務員が伝えても済む事で、1時間も待たされたのでは、全く割に合いません。 私が食い下がったから、5分くらいかかりましたが、そうでなかったら、あの医師、30秒で追い返すつもりでいたのです。

  家に帰ってから、ネットで調べました。 私は、血糖値を下げる事ばかり、気にしていたのですが、ヘモグロビンA1cというのは、過去2ヵ月の血糖値の平均値が出るもので、ごまかしが利かないらしいです。 私がせっせとやっていた、血糖値計測前に、運動したり、水を飲んだりする対策は、その時点での血糖値を下げる効果はあっても、長期間の平均値が下がっていないと、ヘモグロビンA1cの数値で分かってしまうらしいのです。

  ヘモグロビンA1cは、血液検査でしか分からないとの事。 それじゃあ、自分でやる血糖値計測なんて、ほとんど、意味がありません。 確か、糖尿病だと分かって、内科に回された直後に、ヘモグロビンA1cの数値について、説明された記憶がありますが、2ヵ月の平均値が出る云々は、知りませんでした。 分かってみれば、血糖値より、そちらの方が、重要ではありませんか。

  何だか、やる気をなくしてしまったなあ。 この2ヵ月、随分と努力して来たつもりなのですが、ヘモグロビンA1cは、12.4だったのが、9.5になっただけで、手術が可能な、5以下まで、遥かに遠いです。 あと、何ヵ月かかる事か。 外科の看護師の説明では、半年どころか、もっとかかる事もあるとの事。 その間、鼠蹊ヘルニアは、そのままなわけで、半年以上 耐えられるなら、いっそ、手術なんか諦めて、死ぬまで、鼠蹊ヘルニアとつきあった方が、いいのかも知れません。 老い先、そんなに長いような気がしないし。

  外科医師の話しぶりを聞いていると、どうも、鼠蹊ヘルニアを大した病気だとは思っていない様子。 早く治療してやろうという気が、微塵も感じられない。 「ヘモグロビンA1cの数値が高いと、手術後に、傷口の塞がりが悪い」と言うのですが、つまり、鼠蹊ヘルニアは、腹腔鏡手術による、小さな傷口の塞がり方よりも、重要度が低い病気というわけだ。

  それなら、放っておくか。 こんな外科医に手術してもらう気には、到底、なれない事だし。 医者への信用というのは、一度崩れると、覆水盆に返らないものなんですな。 一つ信用できなくなると、他の言動、態度、全てが、胡散臭く思えて来ます。

  では、他の病院へ行くかというと、そんな気もないです。 ヘモグロビンA1cが高い事に変わりはないのだから、他の病院でも、やはり、駄目でしょう。 鼠蹊ヘルニアの手術は、諦めるしかないです。

  糖尿病の治療はどうするべきか。 失明は困るので、食事制限や、運動は続けますが、鼠蹊ヘルニアの手術をする予定がないのなら、急いで、血糖値を下げる必要はないわけで、インスリン注射は、もう、不要でしょう。 結局、食前インスリンも、ヘモグロビンA1cを下げるのには、あまり役に立たなかったわけだ。 24時間インスリンも合わせて、一日、4回も打っていたのにね。 血糖値計測も合わせると、えらい手間だったなあ。

  もう、病院にかかるのは、やめてしまい、自力で、血糖値をコントロールした方がいいかも知れません。 糖尿病は、生活習慣病の代表格でして、生活習慣を変える事の方が、どんな薬より効果があると言いますから。 食事時間も元に戻し、夕飯は、3時半に、母と一緒に食べようかと思います。 その代わり、昼食を抜けば、一日平均の血糖値は下がると踏んでいます。 今までにも、昼食は、どうしても食べたいから食べていたというより、習慣的に、時刻が来たから、食べていただけなので。 食べる量や順番は、制限に従います。 間食や甘い物も復活させません。



【2024/12/06 金】
  病院ですが、来週の月曜日に、内科の方の予約が入っているので、そこまでは、インスリン注射を続ける事にしました。 前回の診察で、糖尿病専門医は、「12月半ばには、鼠蹊ヘルニアの手術ができるだろう」と言ったのに、なぜ、昨日の外科診察では、「とても、できない」になってしまったのか、その理由を訊いて来る所存。

  もしかしたら、私が、約2週間前から、食前インスリン注射をしていて、血糖値が、ほぼ常に、正常値内に入っている事が、外科に伝わっていなかった可能性があります。 どちらも、曜日限定の医師なので、顔を合わせる事がなく、情報の伝達がうまく行っていないのでは?

  もう一つ考えられるのは、外科には外科の基準があり、直近の血糖値を参考にせず、過去2ヵ月の平均値が出る、ヘモグロビンA1cの数値だけ見ているというもの。 それなら、文句の言いようがないのですが、私の場合、過去2ヵ月となると、糖尿病である事を告げられる前の、高血糖だった期間が、11日間も入ってしまうから、平均値が高くなるのは、致し方ない事。 その後の治療の成果を無視するというのも、奇妙と言えば奇妙です。

  理屈から言えば、たとえ、インスリン注射の効果だとしても、現在の血糖値が正常値内に入っていれば、術後に、傷が塞がり難くなるという事はないはずです。 どうも、外科の基準というのが、理解し難い。 手術を受ける患者には、高齢で糖尿病の人も多いはずだから、外科医に、糖尿病の知識がないとは思えないのですが。



【2024/12/07 土】
  闘病の経過はどうあれ、一つ、確実なのは、私が歳を取り、私の時間が、もう終わりに近づいているという事ですな。 これは、認識せざるを得ません。 今年の夏頃には、「ここで、乾坤一滴、勝負に出て、鼠蹊ヘルニアを治す事ができれば、人並みに、80歳くらいまで、生きられるかもしれない」と考えていたのですが、糖尿病である事が判明し、見通しが、一気に暗くなってしまいました。

  鼠蹊ヘルニアは、必ずしも、私のせいとは言えませんが、糖尿病は、確実に、これまでの不摂生が祟ったのであって、誰のせいにもできません。 引退からこっち、運動らしい運動もせず、野放図に食べたい物を食べて来た、バチが当たったのです。 運動登山をしていた頃は、そこそこ、体力は使っていたのですが、続けなければ、それまでですな。

  かくなる上は、「あと、20年は生きられる」などという幻想は捨て、「もはや、いつ死んでもおかしくない」と覚悟する必要があります。 幸い、私の場合、定年より、10年早く引退したから、もう、やりたい事はやり尽くしており、趣味や生き甲斐の方では、思い残す事はありません。 あとは、一日一日を、大切に生きなければ。 食事を食べる、一口一口に、幸せを噛み締めなければ。 夕食後に飲む、コーヒー入りホット牛乳に、無上の悦楽を感じ取れるようにしなければ。

  私は、結婚できなかったし、子供もいないわけですが、それでも、そこそこ、幸福な人生を送ったと思います。 ほぼ一生、生まれ育った家で暮らす事ができたし、車も乗った、バイクも乗った、長距離ツーリングにも行った。 旅客機による移動も含めると、一応、全ての都道府県を巡りました。 下戸ですが、現役の頃までは、好きな炭酸飲料を、しょっちゅう飲んでいましたし、チョコレートも、たくさん食べた。 なんと、幸せな人生だった事か。

  結婚しなかったお陰で、人生最悪の嫌な記憶になってしまう離婚もしないで済んだし、子供がいなかったお陰で、子供の分まで責任を背負い込まなくて済んだ。 重荷が嫌いな私としては、大変、好都合な生き方でした。 いやあ、幸せだったなあ。 そこそこどころか、素晴らしい人生だったと思います。 この境地にまで、辿り着けた、自分を誉めてやりたい。 私は、よく生きました。



【2024/12/08 日】
  ここのところ、家の中で、1万歩 歩いています。 寒くて、運動散歩に出る気にならないのです。 座敷を歩くだけでも、何とか、達成できると分かったので、軟弱な方向に流れた次第。 でもまあ、とにかく、1万歩 行けばいいのです。

  床の間六畳・旧居間八畳の続きの間を、8の字に歩くのですが、1周、22歩、10周で、220歩、40周で、約千歩ですから、400周すれば、1万歩になります。 実際には、座敷を歩くのは、8千歩くらいで、残りは、家事や庭掃除で、賄っています。

  この1万歩は、体が動く限り、一生続けるしかありません。 結構きついですが、体力がついて、疲れ難くなったという、いい面もあります。

  午後3時半に戻した、夕食時間ですが、母と一緒に食べるようになって、覿面に、会話が増えました。 やはり、同じ時に、同じ物を食べるのと、時間をずらして、別個に食べるのとでは、家族の一体感が違うのです。 母の認知機能低下を防ぐ為に、極力 会話をしたいと思っているので、戻して、正解でした。

  その代わり、私の昼食は抜きですが、そちらも、何とかなりそうです。 昼食を食べない分、朝と夕に、少し多めに食べるので、満腹感もあり、体重も減っていません。 体重が減って来るようでは、食べる量が少な過ぎるのです。



【2024/12/09 月】
  病院へ。 今日は、内科で、糖尿病専門医の診察です。 先日の、外科との衝突で、どうなる事かと思いましたが、こちらの先生は、「現在の血糖値で、手術はできます」と、明言してくれました。 過去2ヵ月の血糖値の平均が出る、ヘモグロビンA1cの値が高いのは、糖尿病対策を始める前の期間が入っているのだから、当たり前だとの事。 やはり、そうなんですな。 2ヵ月前の手術について検証しているわけではなく、これから行なわれる手術の話をしているのだから、重要なのは、現在の血糖値なのです。

  やはり、外科の反応の方が、おかしかったんだわ。 なんで、ヘモグロビンA1cの数値を理由に、手術できないと言ったのか、合理的な解釈ができません。 私が、外科医との悶着の様子について、掻い摘んで話すと、看護師の面々が、色めき立っていました。 糖尿病専門医の先生が謝っていましたが、もちろん、こちらの先生には、何の落ち度もないです。

  邪推を逞しくすれば、あの外科医に、何か、手術を先延ばしにしたい腹があり、ヘモグロビンA1cの数値が高いのを、その口実にしたのではないでしょうか。 たとえば、期間が開けば、CTやレントゲンの検査を、もう一度、やり直させられるから、病院が儲かるとか。 うーむ、ちょっと、動機が、しょぼ過ぎるか。 所詮、邪推だから、これ以上、深く勘繰っても、詮ない事ですな。

  もう一度、外科に申し送りをしてもらう事になりましたが、担当の外科医を他の人に変えられると聞き、是非、そうしていただきたいと、頼みました。 あの、「他の病院を探せ」と言った外科医に、命を預ける気にはなりません。

  で、明日、また行って、別の外科医の診察を受ける事になったのですが、初めて会う医師ですから、確実に、すぐに手術をしてもらえるかどうかは、分かりません。 期待は、程々にしておこうと思います。

  帰って、着ていた服を洗濯したのですが、迂闊にも、歩数計をズボンのポケットに入れたままでした。 慌てて、洗濯機から出してみると、歩数計機能は、まだ生きていたものの、液晶が全点灯に近い状態になってしましました。 角度によって、正しい数字が見える事があります。 うーむ、好事魔多しとは、この事だな。 何とか、復帰して欲しいものですが、最悪、買い換える事になるかも知れません。



【2024/12/10 火】
  朝一、母自で、病院へ。 外科で、新しい医師に会いました。 今度は、至って、まともそうな人物でした。 言葉が明快で、患者への配慮も見られました。 この医師も、手術を急ぐ必要はないという意見のようでしたが、私が、前の担当外科医と衝突するほど、早い手術を望んでいる事を聞いているようで、手術室の予約を入れてくれました。 年内は塞がっていて、全く駄目。 来年1月も、駄目。 2月になるとの事。

  そんなに遅くなるのなら、前の担当の言う通りにしても良かったのでは? と思うかもしれませんが、そんな事はないのであって、ヘモグロビンA1cの値が下がりきるまでに、2ヵ月はかかりますから、2月に手術室の予約を入れたら、手術ができるのは、4月になってしまいます。 そんなに長く、鼠蹊ヘルニアとつきあいたくはありません。 医師を代えてもらって、正解でした。

  ただし、この手術には、条件があります。 それまで、私の血糖値が、安定して下がっている事。 1月20日の検査で、異常が見られない事、の二点。 血糖値の方は、食前インスリンを打ち続けるわけですから、低く抑えるのは、難しくありませんが、もしかしたら、最後の検査で、駄目を食らう可能性もあります。 前の担当との衝突から、どうしても、疑心暗鬼になってしまいますな。

  診察の後、待合室に、今後の予定の説明に来た看護師が、付け足すように、こう言いました。

「内科で、手術ができると言ったのは、間違いではないが、外科の先生は、その後を心配している。 手術後、30日間くらい、血糖値が上がると、傷口が塞がらないから」

  どうも、外科では、インスリン注射で、血糖値を下げられるという考え方が、浸透していないように感じられます。 少しずつしか下がらないのは、インスリン注射をしていない場合の話なのでは?

  おそらく、私と、前の担当との衝突を念頭に置き、外科の立場で、言いわけをしたのでしょう。 言わなくていいような事を、わざわざ、言ってくれる。 それが、手術を先延ばしにする理由になるものですか。 そんな事は、手術の前後に、患者に、血糖値対策を怠らないように、厳重注意を与えれば、済む事です。 誰だって、そう注意されれば、必死で、気をつけますよ。

  まあ、その件に関しては、もう、いいです。 私の目的は、手術をしてもらう事であって、口論に勝つ事ではないからです。 誰が、安くもないお金を払って、喧嘩したいなんて望むものですか。




  今回は、ここまで。 

  血糖値を下げようと、必死の努力をしているのに、最初の外科医師の、けんもほろろな態度には、心底、がっかりさせられました。 読み返すだに、腹が立つ。 二人目の外科医師が、手術予定日を決めてくれたのは、地獄に仏の光明でした。 もっとも、今から振り返ると、全て、無意味だったわけですが・・・。

2025/06/01

読書感想文・蔵出し (125)

  読書感想文です。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で通っていた病院ですが、半年経っても、鼠蹊ヘルニアの手術の目処が立たないので、行くのをやめてしまいました。 よって、身体的には、悪いままですが、精神的には、ゆとりが出来て、読書意欲が、幾分 復活しつつあります。





≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫

徳間文庫
株式会社 徳間書店 2009年9月15日 初刷
山村美紗 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 中編、3作を収録。 全体のページ数は、252ページ。 元は、1990年に、新潮社から刊行された本。 巻末に、2009年9月現在の、「山村美紗 著作リスト」が付いています。


【赤い霊柩車】 約84ページ

  著名な大学教授の妻が、自宅でなくなった。 医師により、病死として死亡診断書が書かれたが、親から会社を継いで、葬儀屋の社長となった石原明子が、遺体の首に、いつの間にか、絞殺痕が浮き出ているのを見つけ、警察に知らせた事で、他殺と判明する。 明子と、その婚約者である医師、黒沢秋彦が、密室殺人の謎を解いて行く話。

  言わずと知れた、2サスの名作シリーズの原作。 ドラマの方は、39作もありますが、原作は、ずっと少ないようです。 表題作は、ドラマ版でも、第1話として取り上げられています。 黒沢春彦は、原作では、秋彦です。 明子と、秋彦で、「あき」が重なるのを、ドラマの方では、避けたんでしょうか。 ちなみに、原作の黒沢先生は、まだ、インターン医である様子。

  石原葬儀社の秋山さんは、30代の設定で、ドラマ版より、遥かに若いです。 山村紅葉さんが演じている、良恵も、良子という名前で、出て来ます。 秋山さんと、掛け合い漫才はやりませんが。

  電気製品や、生活用品を使ったトリックが使われています。 ドラマ版でも、同じものを使っていました。 原作は中編ですが、割と忠実に、2時間の映像作品に仕立てていたんですな。 電気製品で、アリバイを作ったり、死亡推定時刻をズラすのは、山村作品では、よく出て来るトリックです。 ちなみに、明子は、専ら捜査担当で、謎を解くのは、黒沢先生の方です。

  コンビニやキオスクの文庫コーナーに並ぶような、軽~いノリの小説でして、通勤電車で暇潰しに読むのに最適な読み易さが、狙われています。 セリフが多く、地の文章は、ストーリーを進行させるのに、最低限必要な描写に留められているのです。 設定が、葬儀社なので、京都の葬儀習慣についての説明は、割と詳細なのが、この作品の特徴でしょうか。


【燃える棺】 約84ページ

  放火殺人事件の犠牲者である、妙齢女性の葬儀を引き受ける事になった石原葬儀社。 火葬された遺骨の中から、ダイヤモンドが出て来たが、故人のものではない。 故人の財産を狙っていた甥夫婦と、土地を狙っていた不動産業者、故人の愛人らが、容疑者として浮かぶ。 彼らのアリバイ崩しと、ダイヤの謎に、明子と黒沢の二人が挑む話。

  この話は、2サスでは、第8話です。 後回しにされたのか、そもそも、この小説が、このシリーズの2番目に書かれたわけではなく、たまたま、本にした時に、こうなってしまったのか、不詳。 もし、後回しにされたのなら、理由は、おかしな部分があるからでしょうか。

  おかしいと思うのは、火葬された遺体から、ダイヤが出て来たという点。 ダイヤは、炭素の塊ですから、火葬したら、真っ先に燃えてしまうでしょう。 ドラマ版では、どういう風に処理していたのか、忘れてしまいました。 推理作家の科学技術知識の限界ですかね。 山村さんが女性だから、特に、そちら方面に疎いというわけではなく、車の免許を持っていないのに、車を使ったトリックを用いて、稚拙な間違いをやらかし、馬脚を表わしてしまった男性の推理作家もいます。 大変、有名な人。

  ダイヤの問題は、スルーする事にして、それ以外の部分ですが、読み易いものの、そんなに面白いというわけでもありませんねえ。 アリバイ崩しの方は、しっかり考えられていて、決して、やっつけ作品ではないです。 中途段階での、間違った推理の展開も、すぐに訂正されるから、混乱するような事もありません。 まずまず、平均な出来なんじゃないでしょうか。


【黒衣の結婚式】 約84ページ

  本業より、ダイエット研究家として名が売れ始めた女優が、毒殺された。 容疑者は、婚約者の男、その男の元交際相手だった女、 女優の元交際相手の二人の男優、そして、女優の家政婦。 全員にアリバイがあったが、明子と黒沢先生が、被害者が発見された家の、エアコンの状態から、死亡推定時刻がズラされた可能性に気づき、アリバイを崩して行く話。

  この話は、2サスでは、第2話です。 原作の、「黒衣の結婚式」というのは、参列者の礼服の色を指しているだけですが、ドラマでは、黒いウェディング・ドレスを着た明子が登場したのが、記憶に焼きついています。 ドラマでは、黒沢先生が容疑者の一人になり、取調室で絞られますが、原作の方では、そういう事はないです。

  トリック・謎の類いは、原作に従った模様。 主に、アリバイ崩しで、その一番の要が、エアコンを使った、死亡推定時刻の操作です。 これは、その後のドラマ版で、現場にあった花粉の種類と並んで、繰り返し繰り返し、使われるネタです。 おそらく、原作が書かれた頃には、まだ目新しくて、アイデアが陳腐化していなかったのでしょう。

  ドラマの方を何度も見ているので、原作を読んでも、新鮮さは感じません。 まして、この作品の場合、犯人が誰かも、ドラマの記憶が、ぎんがり残っていたので、尚更です。 片平なぎささんの、黒いウェディング・ドレス姿が、印象深過ぎたか・・・。




≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫

株式会社 出版芸術社 1999年7月20日 第1刷
鮎川哲也 著

  沼津図書館にあった、全集の一冊です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、解説などを除いて、264ページ。 太地康雄さん主演の火曜サスペンスで人気だった、≪鬼貫警部シリーズ≫の原作です。


【五つの時計】 約25ページ
 「宝石」1957年8月

  他人を犯人に仕立てておき、自分は、妻を始め、複数の証人を用意して、完璧なアリバイを作っていた男。 鬼貫警部が、五つの時計を巧妙に操ったトリックを見破り、冤罪を防ぐ話。

  それぞれ、別の人間が管理している、五つの時計を細工して、アリバイを作ってあるのだから、大抵の刑事なら、いとも容易に騙されてしまうでしょう。 ただ単に、針をズラすという単純な話ではなく、心理的なトリックも用いていて、「はーっ!」と感服させられます。 この秀逸なアイデアを、短編に奢っているところが、また凄い。


【早春に死す】 約24ページ
 「宝石」1958年2月

  一人の女性を好きになった、二人の男。 その内の一人が殺される。 もう一人の男に容疑がかかるが、行方不明になっていたのを見つけて、署に連行して来たものの、完璧なアリバイがあって、どうにもならない。 殺された男が女性に書いた手紙の、筆跡の一部が乱れていた点から、きっかけを得て、鬼貫警部が、アリバイを崩して行く話。

  鉄道もの。 2サスの鬼貫シリーズでも、鉄道トリックが、チラッと出て来ましたが、原作でも使われていたんですな。 普通のレールより長くて、繋ぎ目の、「ガタン!」という振動の数が少ない、「長尺レール」というのが出て来て、それが、列車内で書いた手紙の筆跡に関係して来るというアイデア。 私も、若い頃、列車内で文字を書いた事がありますが、本当に、乱れまくります。 作者も、そういう経験があったのでしょう。

  二人の男で一人の女性を取り合っているわけではなく、二人とも、最初から、女性に相手にされていないという設定に、哀しいものがありますな。 殺人をするほど、意味のある恋愛活動ではなかったわけだ。 ちなみに、タイトルの、「早春に死す」は、話の内容と、ほとんど、関係がないです。


【愛に朽ちなん】 約24ページ
 「宝石」1958年3月

  運送会社から持ち逃げされた、高級家具が入った木箱。 トラックによる追跡戦の結果、取り返されたが、中を開けたら、女の死体が入っていた。 箱を発送した家具工房の話を訊くと、同じ時に、大小二つの木箱を発送したのが、なぜか、箱の行き先が入れ替わっていたと分かり、ますます、混迷する話。

  冒頭の追跡戦は、横溝正史さんの戦前物に出て来そうな、アクション・サービスで、鮎川作品らしくないです。 トリックは出来たが、ストーリーに嵌め込むのに手こずって、活劇で、ページ数を稼いだ観あり。 鬼貫警部が、若手刑事につきあって、買い物に入ったデパ地下で、謎解きのヒントを得るというのも、本格トリック物らしくありません。

  箱の大小が問題でして、運送会社の者にしてみると、箱の大きさを測ったわけではないから、大きい方の箱であっても、より大きな箱と比べれば、小さく感じられてしまうという錯覚を利用したトリック。 この着想は、面白い。 どうやって、より大きな箱を作らせたかというと、それは、単位の問題でして、作品が書かれた、1958年当時はともかく、今では、使えません。 


【見えない機関車】 約23ページ
 「宝石」1958年10月

  ある小説家が殺され、容疑者が逮捕された。 昔馴染みの商売女から、その男にアリバイがある事を知らされた記者が、自力で、真犯人にを捜そうと、調査を始める。 警察では、一旦、滞っていた捜査が、鬼貫警部が助っ人に付いた事で進展し、記者より先に、犯人に辿り着き、逮捕に至る話。

  この作品も、ストーリーとトリックの、こなれが悪いです。 はっきり言って、記者は出さなくてもいいと思うのですがねえ。 雑誌掲載作品ですから、おそらく、指定の枚数があって、それに合わせる為に、エピソードを水増ししたり、登場人物を増やして、書き方を複雑にしたりしていたのでしょう。

  トリックは、鉄道もの。 鬼貫シリーズ、鉄道ものが、意外と多いな。 本格トリックが得意な推理作家は、鉄道関係の事物に興味を抱くタイプが多いのかも知れません。 容疑者のアリバイを崩すには、容疑者が実行した偽装心中が、どこで行われたかが重要な鍵になるのですが、鉄道施設の特殊な場所で、心中相手の女の記憶を、錯覚させるというもの。 どえらりゃあ、回りくどい設定ですな。


【不完全犯罪】 約29ページ
 「宝石」1960年4月

  出版社を共同経営する社長に、使い込みがバレて、返済の期日を切られてしまったが、到底 返せそうにない男。 社長を殺害する事に決め、完全犯罪を計画する。 列車に乗った社長が、暴漢に襲われて殺され、走る列車から突き落とされた事にし、実際には、男の家で殺して、家の周辺でアリバイを作っておき、車で沿線の山中に運んで捨てるというもの。 計画そのものは、割とうまく行ったが、男が極度の吝嗇家だったせいで・・・、という話。

  死体を車で運んで、発見場所と殺害場所を変え、犯人のアリバイを成立させるというのは、今では、ありふれた手法ですが、もしかしたら、発表当時は、まだ、珍しかったのかも。 もちろん、前例はあったと思いますが。 犯人の男が吝嗇家である事が、繰り返し繰り返し強調されるので、「そのせいで、バレるのだな」と予想していたら、当たりました。

  警部が出て来ますが、鬼貫とは書いてありませんし、その警部が謎を解くわけでもないです。 鉄道会社の社員が、解きます。 もろに、鉄道ものなわけですな。 専門知識が必要なので、一般の読者では、推理しながら読むという事はできません。 時代も関係しており、鉄道ファンでも、若い世代では、分からないと思います。


【急行出雲】 約31ページ
 「宝石」1960年8月

  大阪で起きた殺人事件の容疑者として逮捕された男が、急行出雲の11号車両に乗ったというアリバイを主張したが、同じ席に乗っていた他の客は、その男を知らないという。 鬼貫警部は、男の義弟で、列車の切符を用意してやったという、旅行代理店を経営する人物を怪しいと見て、11号車の謎に挑む話。

  短編にしては、設定が複雑。 真犯人が、容疑者の無実を訴えていながら、実は、最初から陥れるつもりで、わざと疑いが向くように図ったというもの。 ちょっと、設定段階で、捻り過ぎか。 短編は、もっと、単純な設定でいいと思うのですが。

  11号車に乗っていた他の客が、別人ばかりだった謎は、謎解きをされると、面白いと感じます。 しかし、これも、時代性があり、今では、鉄道会社は、そういう業務を、やっていないでしょうな。 バス会社に頼む事になると思います。


【下り"はつかり"】 約17ページ
 「小説中央公論」 1962年1月

  殺人の容疑者が、アリバイの証拠として出して来た、鉄橋と列車を背景にした写真。 その列車が、その鉄橋を渡る時刻には、容疑者は絶対に、殺害現場にはいられないのだった。 「写真は、友人に、焼きつけてもらった」、「ネガは、火の粉が飛んで、焼けてしまった」、「写真の中で着ているセーターは、友人の細君に編んでもらったばかりのものだから、撮影日が、殺人の行なわれた日である事は間違いない」といった証言から、鬼貫警部が、アリバイに疑念を抱き、崩して行く話。

  なぜ、「下り」なのかが、味噌。 「上り」だったら、時刻が違うわけだ。 裏返すものが、二点 出て来るアイデアは、大変 面白いですが、現代では、成り立ち難いです。 「なんで、わざわざ、フィルム写真を?」と、逆に、疑いを濃くされてしまいます。 モノクロ写真は、趣味レベルで、個人でも、現像・プリントができるので、昔は、自分でやっている人が多かったんですな。 今では、フィルムそのものが、ほぼ、消えてしまいました。


【古銭】 約17ページ
 「エロティック・ミステリー」 1962年6月

  殺人事件で持ち去られた、大変 珍しいエラー古銭を、骨董品店に持ち込んだ男が逮捕され、誰から買ったのかを白状した。 ところが、殺人事件の容疑者には、犯行時刻、別の町に住む友人を自宅によんで、一緒に飲んでいたというアリバイがあった。 すでに、犯行から、月日が経っており、友人の記憶は曖昧になって、何日だったかは、容疑者が住む町の、商店街の定休日だった事しか覚えていなかった。 鬼貫警部が、ある事を思い出し、証人の記憶が捜査されている事に気づいて・・・、という話。

  定休日でない商店街を、定休日に見せかける方法は、面白い。 言われなければ、そんな簡単な手があるとは、気づきません。 そこまでは、いいんですが、それだけでは、憶測に過ぎず、証拠にならない。 で、追加されたのが、最後に出て来る、犯行当日の天気の件なんですが、安直過ぎて、感心しません。 そういう事は、警察の捜査では、真っ先に調べるのでは?

  ちなみに、この話。 盗まれたのが、古銭でなくても、成り立ちます。 小さいから、盗み易いと思って、古銭にしたんでしょうな。


【わるい風】 約10ページ
 「オール読物」 1964年5月

  ある歯科医院へ、歯科医の女優志望だった娘を、自殺に追い込んだ脚本家が、そういう関係があるとは知らぬまま、患者としてやって来た。 歯科医は、秘かに手に入れていた拳銃を、脚本家の口に突っ込み、娘の仇をとったが、死体を公園のベンチに捨てたせいで、警察から、容疑者にされてしまい・・・、という話。

  その歯科医院に、仇の男が、たまたま やって来る点は、偶然が過ぎますし、拳銃を用意している点は、リアリティーを欠きますが、このページ数ですから、あまり突つくのも、野暮というもの。

  ベンチに、一連の数字が悪戯書きされていて、死体がその上にあったから、何日の何時以降に、そこに置かれたかが判明した、というアイデア。 その数字が何なのかは、読んでのお楽しみ。 「なるほど!」と思わされます。 鮎川さんというのは、年中、こういった事を考えていたんでしょうな。 このアイデア、変形させた上で、2サスの第1話で、使われています。


【暗い穽】 約22ページ
 「オール読物」 1964年2月

  信用金庫の支店長をしているが、入り婿で立場が弱い男。 息抜きに浮気をしていたが、妻が依頼した興信所の探偵に知られて、妻に報告しない代わりにと、探偵から恐喝を請ける身になった。 探偵を殺す事に決め、自分のアリバイを用意して、いざ、決行となったが、思わぬところで、計画が狂い・・・、という話。

  中華料理店に誘って、シューマイ料理を食べさせておき、自分のアリバイを作った後で、今度は、シューマイ弁当を食べさせてから殺す。 解剖されても、胃の内容物は同じシューマイだから、犯行時刻をごまかせるという作戦。 なるほど、よく考えられている。 このトリックは、最後まで、解けません。

  鬼貫警部は前面に出て来ずに、部下の丹那刑事が解決しますが、シューマイのトリックではなく、別の点から解けます。 季節柄、犯行場所に暖房器具がないのは不自然だと思い、電気ストーブをかけておこうとしたが、火事になったら、せっかくのシューマイ・トリックが無駄になってしまう。 そこで、プラグが抜けたように偽装して、電気ストーブを消しておいたが、実は、その時刻に・・・、いや、これ以上は、ネタバレになってしまうので、書きません。

  解説によると、この作品の発表後、「謎解きのヒントを得る方法が、偶然に頼り過ぎている」という指摘を受けたそうですが、私も、そう思いました。 たまたま、犯行現場の近くに住んでいる同僚の刑事が、穴に落っこちたというのは、あまりにも、安直なのでは?


【死のある風景】 約42ページ
 「オール読物」 1961年11月

  個人で通信社をやっている記者の遺体が発見される。 記者は、豊胸手術の失敗で、胸を傷だらけにされてしまった若い女性が自殺した一件を調べていた。 女性の恋人だった青年と、記者から恐喝を受けていたと思われる美容整形医が容疑者となるが、警察からは、青年の方が、ホンボシと見られていた。 青年は、女性の妹と、独自の捜査を始め、美容整形医のアリバイを崩そうとする話。

  鉄道もの、且つ、なりすましもの。 クリスティー作品的と言うより、2サスでよく使われると言った方が、伝わり易いでしょうか。 そのくらい、多くの作家によって、繰り返し繰り返し使われているアイデアです。 なりすまし物を読み慣れている読者なら、特に反応しないでしょう。 「ああ、このパターンね」と思うだけ。

  2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫に、同じ副題をもった回がありますが、そちらは、この短編を改稿した、同名の長編が原作のようです。 ドラマはドラマで、大幅に翻案されているので、重なるところが、ほとんど、ありません。


【偽りの墳墓】 約31ページ
 「オール読物」 1962年8月

  保険金殺人の疑いがある男を訪ねに、浜松へ来ていた保険会社の女性調査員が、瓦焼きの窯で、下着姿の遺体となって発見される。 推定犯行時刻の後、被害者が着ていた、インクのシミがついた服が、質屋に持ち込まれていた。 病気で別居していた被害者の夫は、嫌疑の外。 保険金殺人の調査対象の男と、夫と共に身元確認にやって来た保険会社の同僚の男に容疑がかかるが・・・、という話。

  長さの割に、結構には、複雑な話で、梗概がうまく書けません。 この短編は、その後、長編に書き改められているそうです。 2サスの、≪鬼貫警部シリーズ≫では、第14作で、「表と裏」というタイトルになってます。 シリーズ中でも、三指とまでは言いませんが、五指に入る、印象的な話でした。 短編小説と、2時間のドラマでは、描き込まれているボリュームに、だいぶ、差がありますが、謎やトリックは、ほぼ、同じ物が使われていて、翻案度は低いです。



  この本の総括ですが、少なからぬ作品で、鬼貫警部本人ではなく、その部下が、捜査に当たります。 作者は、天才的探偵ではない、普通の刑事達を描きたかったようで、誰が捜査を担当するかは、別段、問題ではなかったのでしょう。 さりとて、クロフツ作のフレンチ警部ものほど、地道な捜査というわけではなく、2サスでよく使われる、「わざとらしいヒント」が元で、解決の糸口を掴む事も多いのですが。

  鮎川さんは、トリックのアイデアを思いつく点では、天与の才があったと思いますが、それを、ストーリーに嵌め込む技量は、さほどでもなかったようですな。 そもそも、ストーリーには、あまり、興味がなかったのかも知れません。 作品全体の雰囲気や、細部の描写も、やっつけ仕事を感じさせる点が多いです。 それでも、作家として名を残せるところが、推理小説界の特殊なところですが。




≪黄金を抱いて翔べ≫

新潮文庫 た-53-1
株式会社 新潮社 1994年1月25日 発行 2016年9月20日 39刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 346ページ。 1990年の発表。 同年の日本推理サスペンス大賞受賞作。 2012年に、映画にもなったとの事。


  大阪のビルに入っている銀行の金庫から、金の延べ板を盗み出す計画を立てた二人の男。 爆発物や、エレベーター、ビルへの出入り業者など、専門知識や特殊な立場にある者達を仲間に引き込み、総勢6人で、下調べや準備を進めていたが、いずれも、ワケアリ過ぎる面子であったせいで、次々に障碍が発生する話。

  トリックの類は、なし。 謎は出て来ますが、推理小説ではないです。 強いて分類するなら、犯罪小説か、冒険小説ですが、視点人物を始め、中心的な登場人物が、全員 犯罪者なので、冒険小説的というのは、遠いかも。 さりとて、ピカレスクというほど、開き直っているわけではなく、バタバタと人が死んで行きます。 こういう人生を送っている人間達には、こういう死に方が似合っていると、作者も思っているのでしょう。

  窃盗計画の話ですから、今なら、2001年のアメリカ映画、≪オーシャンズ11≫と、そのシリーズを、類似物語として思い浮かべる人が多いと思います。 こちらの方が、発表が早いですが、この作品が、オーシャンズ・シリーズのヒントになったわけではなく、アメリカ映画では、昔から、窃盗計画や強奪計画の話はあり、一ジャンルになっている模様。

  大抵の窃盗計画物語は、小気味良いコメディーになっていて、犯罪の後ろめたさを相殺し、バランスを取っているものですが、この作品には、小気味良いところなど、微塵も感じられません。 その点では、犯罪小説そのものでして、それが、特徴といえば、特徴。 この雰囲気こそが、この作品の独自性なのかもしれません。

  計画が、ド派手で、電話を遮断する為に、あちこち爆破し、金庫自体も、爆薬で開けます。 こういう発想は、泥棒というより、テロリストのそれですな。 こういう発想そのものが、怖いです。 そして、通信システム、爆薬、エレベーターなどの技術的な解説が、異様なほどに、詳細。 恐らく、大抵の読者は、その点に圧倒され、舌を巻き、作者の知識量や情報収集能力に、脱帽せざるを得なくなると思います。

  私も、その一人で、こういう作者の作品は、細かい所にケチをつけたりするより、手放しで絶賛してしまった方が、ずっと利口だと思います。 読んだ人なら、全員、一人の例外もなく分かると思いますが、こんなに技術に詳しい小説、他に読んだ事がないでしょう? とても、書けないでしょう? なに? 自分は技術系だから、書ける? よしておきなさい。 テロリストだと思われて、公安の監視リストに載せられてしまいますよ。

  ネタバレを避ける為に、結末は暈しますが、まあ、思っていた通りの終わり方になりました。 「黄金を抱いて翔べ」というタイトルから、大体の情景を想像していましたが、ほぼ、その通りでした。 だけど、そんな事と、この小説の価値とは、関係ないのですよ。 ラストが、もっと悲惨なものであったとしても、この作品の価値が減じる事はありません。 どんな結末にしても、この作品の独自性は、揺るがないのです。

  それにしても、こういう作品こそを、「ハード・ボイルド」と言うべきなのではなかろうか? キザな探偵なんか出て来ませんし、恋愛も男色が少し出る程度ですが、ハード・ボイルドとしか言いようがない雰囲気が、全編に漲っています。 真の意味で、文句なしの傑作ですな。 こんな下らない感想なんか読んでいる暇があったら、作品そのものを読むべし。




≪マークスの山 上・下≫

新潮文庫 上・た-53-9 下・た-53-10
株式会社 新潮社
上・2011年8月1日 発行 2022年7月30日 3刷
下・2011年8月1日 発行 2023年4月30日 3刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 合計、788ページ。 1993年の発表で、直木賞受賞作。 1995年に、映画化。 私は、映画を先に見ていますが、テレビ放送した時なので、もう、20年以上経っていると思われ、断片的な場面しか、覚えていません。 渋いけれど、よく分からない話だったような・・・。


  両親の車内無理心中で、自身もガスを吸った水沢少年は、その後遺症で、精神に障碍が残った。 同じ頃、南アルプスで起こった殺人らしき事件について、成長してから、犯人の目星がついた水沢は、一億円を恐喝しようと目論むが、計画は容易には進まず、精神障碍の故か、いたずらに、死人ばかり増やしてしまう。 事件の経過を、捜査に当たる合田警部補を中心に描いた話。

  三人称で、時折り、水沢青年の頭の中が紹介されますが、全体の99%は、合田(ごうだ)警部補の視点で話が進みます。 事件そのものより、捜査員達の手柄争いの確執の方に、力点が置かれています。 じっくり読めば、その点こそが面白いと思うのですが、私のように、浅薄な気質の読者だと、どうしても、事件の経過を知りたくなって、どんどん先へ進んでしまうので、 この小説の醍醐味を味わいきれないところがあります。

  事件そのものは、2サスによくあるストーリーで、新味は感じません。 2サスによくあるどころか、コナン・ドイル作、シャーロック・ホームズ・シリーズの長編4作の内、【バスカビル家の犬】を除く3作に使われているパターンでして、古典も古典。 いやいや、もっと遡れば、実質的に、推理小説に於ける世界初の長編作品、エミール・ガボリオ作、【ルコック探偵】に、すでに使われており、古典の始祖と言ってもいいほど、基本的なパターンなのです。

  即ち、「かなり昔(当時の関係者が、まだ生きていなければならないので、せいぜい数十年前ですが)、ある事件が発生する。 その事件が遠因になって、現在時点で、新しい事件が起こる。 探偵役は、昔の事件を調べる事によって、現在の事件の謎を解いて行く」というもの。 そう聞くと、2サスに親しんでいる人なら、「多いな、そういうの」と思うでしょう? この【マークスの山】も、もろに、それなのです。

  で、事件だけでは、新味が出ないので、捜査陣の確執の方に拘って、じっくり、ねっとり、細々と書き込んでいったら、大変、読み応えがある小説に仕上がった、というわけですな。 はっきり言ってしまっていいと思いますが、伊達に、推理小説で直木賞を獲ったわけではないのであって、この作品は、面白いのです。 それは、間違いない。 この面白さを認められないなら、いっそ、読書習慣なんぞ捨ててしまった方がいいです。

  それにしても、警察組織よ。 こんな内輪の争いに血道をあげていたのでは、捜査がなかなか進展しないでしょうなあ。 手柄なんて立てたって、試験に受からなければ、昇進できないし、そもそも、キャリアでなければ、昇進の限界があるのですから、意味ないと思いますがねえ。 捜査員として有能な人物であればあるほど、虚しさを感じて、仕事に対する意欲が萎えてしまうのでは?


  小説を読み終わっても、映画のストーリーを、よく思い出せません。 相当な割合を、翻案してあったように思えます。 つくづく思うに、小説が面白かったら、下手に手を加えず、そのまんま映像化した方が、絶対に結果が良くなります。 これは、映画勃興期から、多くの人に言われて来た事です。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪赤い霊柩車 葬儀屋探偵・明子≫が、3月4・5日。
≪不完全犯罪 鬼貫警部全事件-Ⅱ≫が、3月7日から、13日。
≪黄金を抱いて翔べ≫が、3月23日から、26日。
≪マークスの山 上・下≫が、3月28から、4月2日。

  何がきっかけで、高村薫さんの本を読んでみようと思ったのか、忘れてしまいました。 だいぶ前に見た、【マークスの山】の映画版を覚えていて、その雰囲気を面白いと感じていたのが、意識の底にあり、それが、読書意欲の復活で刺激されて、原作者が誰か調べたら、高村薫さんだった、というところでしょうか。

  今後しばらく、高村作品の感想が続く予定なので、先に断ってしまいますが、私には、高村さんの作品を正当に評価できるほどの、読書力がありません。 批評能力が、質的にも量的にも、全く足りていないのです。 それを承知の上で、無理に感想をでっち上げているのだと思っていて下さい。

2025/05/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (68)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、68回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年4月分。





【沼津市西沢田・三叉路の馬頭観音群】

  2025年4月8日。 沼津市・西沢田の、「三叉路の馬頭観音群」へ行って来ました。 住宅地図に、神物・仏物記号で載っていた所。 行ってみて、馬頭観音だと分かった次第。 根方街道から少し北へ上がった、三叉路の三角地にあります。

≪写真1≫
  西側から見た全景。 三角地ですが、家一軒建てるには、狭すぎる敷地面積です。 石像と石碑が、全部で、13基ありました。 いずれも、馬頭観音のようです。 集められたというより、この地域に、馬頭観音信仰があって、寄進し合ったんじゃないでしょうか。

≪写真2≫
  中央にある、石製の覆いに入った、浮き彫りの石像と石碑。 屋根まで石製で、いかにも重そうですが、自重で崩れさえしなければ、もちはいいと思います。 

≪写真3左≫
  向かって左側、つまり、北側の列。 全て、石塔。

≪写真3右≫
  向かって右側、つまり、南側の列。 浮き彫りの石像が一つ、混じっています。

  馬頭観音には、像が彫られているものと、単に石塔に、「馬頭観音」と、漢字が彫られているだけのものがあるようです。

≪写真4左≫
  南側の列の裏側、つまり、東を向いていた石塔。 漢字が彫られているだけのもの。 文字が、はっきりしていて、読み易いのは、昭和50年と、時代が浅いから。 昭和50年は、1975年です。

≪写真4右≫
  敷地内に咲いていた、長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)の花。 小さなものを、マクロで大きく撮りました。




【清水町的場・的場集会所公園】

  2025年4月14日。 清水町・的場にある、「的場集会所公園」へ行って来ました。 給油のついでに、スタンドの近場にある目的地を探したら、都市地図に、神社が出ていたので、そこを目指したのですが、一応 見つかったものの、想像していたより、大きな神社だったので、写真を撮るのが億劫に感じられ、たまたま近くにあった、公園に、目的地を変更した次第。

≪写真1≫
  狩野川の近くにあります。 結構 広いので、全体を収める事ができません。 奥に見える建物が、「的場集会所」ではないかと思います。

≪写真2≫
  別角度。 遊具の類いはないので、児童公園ではないです。 四阿や、ベンチがある、芝生広場という感じ。 3台くらい停められる駐車場がありますが、雨上がりで、水溜りが出来てしまっていますな。 施工に問題があるのか、そもそも、こういうものなのか。

≪写真3≫
  四阿の中。 妙に、椅子やベンチが多い。 しかも、バラエティーに富んでいます。

≪写真4左≫
  桜が、まだ、咲いていました。 葉桜ですが。

≪写真4右≫
  道路を挟んで、向かい広い敷地で、大型のクレーン車が、プレハブ建物を吊って、組み立てていました。 運転席を見ると、このクレーンの大きさが分かると思います。 よく、倒れないものです。 こういう光景を見ると、重機マニアの気持ちが、少し分かる気がしますなあ。




【沼津市東椎路・行き止まり竹林近くの茶畑】

  2025年4月24日。 沼津市・東椎路で、愛鷹山の裾野を登って行き、行き止まりの竹林近くにある、茶畑を撮影して帰って来ました。 当初、住宅地図で見つけた、住宅地の神物・仏物記号を見に行こうと思っていたのですが、事情があって、出先でエンジンを切るのを避けなければならなくなってしまったので、うるさくても苦情が来ない、田園地帯まで行った次第。

≪写真1≫
  茶畑。 愛鷹山の裾野では、よく見かける風景です。 元は、明治期に、沼津に移り住んだ、徳川家家臣団と、その家族が、食べて行く為に、製茶業を始めたもの。

≪写真2≫
  分かり難いですが、茶畑の手前に、草が並び、紫色の小さな花が咲いています。 これは、松葉海蘭(マツバウンラン)という植物です。

≪写真3≫
  松葉海蘭の下の斜面に繁茂していた草。 黄色い花が咲いています。

≪写真4≫
  目的地を変更した理由は、バイクの不調です。 出かける前に、エンジンをかけようとしたら、かかりません。 バッテリーを見たら、マイナス端子に、腐蝕で発生した泡のような物が盛り上がっていました。 泡を掻き落とし、チャージャーを使ったら、エンジンはかかりました。 しかし、異常は異常。 エンジンを一度切ったら、もう、かからないような気がして、大事を取り、出先でも、エンジンをかけっ放しにしていたのです。

  帰りに、エンジンの回転数が下がり始め、燃料計の針が、下がって来ました。 電気がないのです。 バッテリーが、もう、死んでいたのでしょう。 家まで、3キロくらいの所で、息も絶え絶えの状態に陥ったので、やむなく、エンジンを切ったところ、もう、かかりませんでした。 後は、押して帰りました。 やれやれ。 それでも、3キロ程度で良かったです。




【沼津市東椎路・不動尊】

  2025年4月29日。 沼津市東椎路にある、「不動尊」へ行って来ました。 住宅地図で見つけた所。 根方街道の少し北にあります。 バッテリーを交換してから、初めての、ツーリングになりました。

≪写真1≫
  全景。 何を撮ったのか分かり難い写真ですが、建物が木に隠れてしまって、これ以外に、アングルを取れなかったのです。

≪写真2左≫
  「不動尊」というから、仏物だと思っていたのですが、鳥居がありますねえ。 色から見て、かなり古いものなのでは?

≪写真2右≫
  漱ぎ盤。 これは、神社でも、寺でも、あります。 給水は、蛇口がありますが、排水は、ただ、流れ落ちるだけのようです。

≪写真3≫
  社殿、もしくは、お堂。 とはいえ、建物の造りと言い、石の欄干と言い、神社っぽいですねえ。 なんで、「不動尊」なのだろう?

≪写真4左端≫
  境内にあった、「戦災記念碑」。 こういう物で、これだけ新しいのは、珍しい。

≪写真4左中≫
  石燈籠。 断面が、六角形のタイプ。 これも、神社、お寺、どちらでも、見られます。

≪写真4右中≫
  拝殿の鈴。 下に注連縄。 これはもう、神社としか思えませんな。 上の筒状の物は、何なのか分かりません。

≪写真4右端≫
  交差点の角の、斜めに切り取られた場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクだからこそ、こういう場所にも停められるのであって、車では、こうは行きません。

≪写真5左≫
  建物を側面から見ました。 寄棟造りですが、普通、正面に来る側が、側面になっているんですな。

≪写真5右≫
  窓の下に、屋外用の流し。 掃除用具、プロパン・ガスのボンベなどが、整理整頓されており、管理者個人の強い意志を匂わせています。

  ちなみに、私が立っている背後には、墓地がありました。 やはり、仏物なのかな? 神仏習合というのは、信者が何を信じているのかを考えると、実に不思議です。




  今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニアの手術の目処が一向に立たないので、こちらで見切りをつけ、病院通いを やめてしまいました。 どんな病気でも、医療機関にかかりさえすれば治る、というわけでもないんですな。 私も、もう若いわけではないので、いつ お迎えが来ても、うろたえないように、覚悟して生きる事にします。 バイクによる、プチ・ツーリングは、今後も続ける予定です。

2025/05/18

実話風小説 (40) 【ドヒヒヒヒ!】

  「実話風小説」の40作目です。 3月中旬の終わり頃に書いたもの。 闘病中のせいで、創作意欲全般に低調、というか、ほとんど、なくなってしまい、小説どころではなかったのですが、前から考えていたネタだったので、何とか、書き上げました。 しばらく経ってから、読み返してみたら、一応、話としての体裁は保っていたので、出す事にします。




【ドヒヒヒヒ!】

  M社は、メーカーで、専ら、冬に使う季節商品を作っている関係で、9月から、11月までは、繁忙期となる。 冬の初めに購入する客が多いので、12月に入ると、また、閑になる。 繁忙期には、販売を担っているS社から、期間限定の応援者がやって来る。 M社とS社は、互いに、最も大きな取引相手になっているが、資本関係にはない。

  M社の工場は、中小企業としては、大きな方であり、通常でも、200人規模の従業員が働いている。 繁忙期に、S社から来る応援者の数は、30人程度で、工場のあちこちの部署に散らして配属される。 そのほとんどが、自分の会社では、販売店で営業の仕事をしているので、工場の作業は素人であるが、毎年、応援に来ていて、作業に慣れきっている人もいる。

  A氏も、そんなベテラン応援者の一人だった。 仕事ぶりは安定しており、M社の従業員より熟達しているくらいだった。 こと仕事に関してだけは、使う側に不満は、全くなかった。 任せておけば、間違いのない仕事をしてくれるのだ。

  ただし、M社社員の間で、A氏の評判は、すこぶる悪かった。 毎年、9月に入り、A氏が応援にやって来ると、近くで働く事になる、M社の社員は、みな、げんなりしてしまうのだった。 その原因は、A氏の笑い方である。 休憩時間や昼休みに、休憩所で雑談をしていると、A氏は、よく笑った。 笑いのハードルが低くて、他人同士の会話や、自分に関係ない話題でも、笑い所があると、すぐに笑い声を上げた。

  A氏の笑い声は、カタカナでも、ひらがなでも、正確には書き表せない。 強いて、近い音を探せば、

「ドヒヒヒヒ!」

  に、なるだろうか。 実際には、もっと、遥かに、比較にならないほど、下品な響きなのだ。 人間の笑い声というより、何か得体の知れない動物の、鳴き声・・・、発情音・・・、そんな感じだろうか。 初めて聞くと、ギョッとする。 そして、何度 聞かされても、決して慣れる事はない。 聞くたびに、心臓を束子でこすられているような、おぞましい感覚を味わうのである。

  休憩時間は仕方がないとして、昼休みには、休憩所から避難する者が多かった。 中には、短時間とはいえ、昼寝したいと思っている者もいるわけだが、A氏の笑い声を聞かされたのでは、とても、眠っていられるものではない、 それどころか、跳ね起きる。 飛び起きる。 しかし、避難するといっても、よその部署の休憩所で、場所を占領して、昼寝するわけには行かない。 行き場がなくて、結局、A氏のいる休憩所に戻らざるを得なくなるのがオチだった。

「9月から11月の間だけ、職場を替えて欲しい」

  と言う社員が多かったが、上司である係長には、真面目にとってもらえなかった。 係長は、職制用の別の詰所で、休憩時間を過ごしており、A氏の笑い声を聞いた事がなかったのだ。 職場替えを言い出す社員が、妙に多いので、理由を訊いてみたが、はっきりした事を言わない。 それはそうだろう。 「応援者の笑い声が気持ち悪いから」では、大の大人が職場から逃げ出す理由にならないと、誰もが思っていたのだ。 A氏のせいで、上司から、「やる気のない奴」、「問題を起こす奴」のレッテルを貼られるのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。

  しかし、無理はするものではない。 あまりの気持ち悪さに、体調を崩したり、精神に異常を来たす者が現れた。

「会社を辞めます・・・」

「おいおい!」

  そこまで追い詰められた者は、遠慮なく、A氏の笑い声の事を指摘した。 係長は、笑い飛ばした。

「正気か? その、Aさんの笑い声だけが原因で、会社を辞めるって言うのか? お前、仕事をナメてるんじゃないのか? 世の中、そんなに甘いもんじゃないぞ」

「そう言われるかもしれないと思って、今まで言わなかったんです。 でも、もう、限界です。 職場を替えてくれと言っても、駄目なんでしょう? それじゃあ、もう、辞めるしかないじゃないですか」

「もしかしたら、Aさんが、お前を笑い物にしているというのか?」

「そういう、話の内容の事ではありません。 笑い声そのものの問題なんです」

「下らん! 笑い声くらい、なんだ! そんなのは、人によって違うんだ。 個性の内じゃないか。 俺の立場で、Aさんに、笑い方を変えろなんて、言えるわけがないだろう!」

「分かっています。 だから、私が辞めると言っているんです」

  本当に、辞めてしまった。 会社に来なくなってしまったのだ。 少し先の事まで書くと、その社員、11月が過ぎたら、戻って来るかと思っていたが、他の就職先を見つけたから、退職手続きを進めてくれと言って来た。

  一人が辞めると、続く者が現れ、バタバタと、3人も辞めて行った。 係長は、うろたえた。 たかが笑い声で、こんな事態になるとは、どうしても思えなかった。 A氏の笑い声を聞いてみようと思ったが、A氏がいる休憩所に行ってみると、そういう時に限って、A氏は、笑わないのだった。 上司が来ていると、冗談も出難くなる。 理の当然か。

  係長は、残っている部下に命じて、A氏の笑い声を、こっそり、録音させた。 そこまで、やるか? やるのである。 4人も退職者を出しているのだから、当然である。 どうして、やらいでか。

  録音音声の中で、他の者が喋っている。

「5班のBさんって、毎日 食堂の売店でバナナ買って来て、昼休みに食ってるよな。 あの人、チンパンジーに似てるけど、そういう人が、バナナが大好きっていうのは、何となく、不思議だよなあ」

  それに対して、A氏の笑う声が続いた。

「ドヒ! ドヒヒヒヒ!」

  録音音声を聞いた係長の、全身の毛が逆立った。 なんだ、この、気味の悪い音は? これが、人間の笑い声だと? 何か、エアを使っている機械の間から、空気が勢いよく漏れて、音を立てているようではないか。 録音音声は続き、A氏の笑い声が、5回繰り返された。 そのたびに、係長の全身には、鳥肌が立ち、気持ちが悪くなって来た。 なるほど、これを毎日、何度となく聞かされたのでは、逃げ出したくもなるだろう。

  係長は、A氏をどうすればいいか分からず、課長に相談したが、最初は、やはり、笑い飛ばされた。 4人退職したと言っても、他の原因があるのだろうと言われてしまった。 録音音声を聞かせようとしても、真面目に取り合ってもらえなかった。 一週間後、5人目が辞めて、課長は、ようやく、録音音声を聞いてくれた。

「ドヒッ! ドヒッ! ドヒヒヒヒ!」

  普通、脂汗というのは、こめかみに、じっとりと浮かんで来るものだが、課長のこめかみからは、一気に、どっと噴き出した。 なんだ、この奇怪な音は? 妖怪でも出たのか? 思わず、係長に訊いてしまった。

「どこか、妖怪のテーマ・パークで、録音したのか?」

「まさか。 Aさんの笑い声です」

  これには、課長も、異常事態が発生している事を、認めないわけには行かなかった。 どうしていいか、判断し兼ねた。 A氏を、他の部署に異動させる事はできるが、その理由が思いつかない。 「笑い声が奇怪だから、よそへ回す」では、子供の言いわけである。 大体、どの部署へ行かせるというのだ? 押し付けられた方は、何が異動の理由か、A氏の何が問題か、すぐに気づくに違いない。 よーく、恨みを買ってしまうではないか。

  まだ、10月半ばだった。 A氏の応援期間が切れるまで、1ヵ月半もある。 その間に、M社の社員が、何人辞めて行くか分からない。 辞めた社員の穴を埋める形で、頑張ってもらっているのが、その原因になっているA氏、というのが、皮肉である。 しかし、A氏は、仕事の方は、実に有能で、二人分とまでは言わないが、1.5人分くらいの仕事は、こなしてしまうのだった。

  課長は、自分の詰所で、係長と、対策を真剣に検討した。

「Aさんを他の部署に回すのは、問題があるから、諦めるとして、あの笑い声をやめさせる方法はないものだろうか」

「いやあ。 ああいうのは、習慣と言うか、もっと、本能に近いものだから、直させるなんて、無理でしょう」

「習慣か・・・。 もし、君が何かの習慣を変えるとしたら、どんな事がきっかけになるね?」

「・・・・・。 そうですねえ。 その習慣のせいで、大きな失敗をした時とか・・・」

「笑い声で、大きな失敗というのは、想定し難いな」

「嫌っている人間から、その習慣の事をからかわれた時とか・・・」

「おっ! それは、効きそうだな。 誰か、Aさんと仲が悪い人間がいないか?」

「Aさんは、応援者ですからねえ。 うちの社員とは、そんなに深いつきあいをしていないから・・・、あっ!」

「どうした? いるのか?」

「今は、生産準備の方に行っているCですが、あいつ、以前、Aさんと同じ職場にいた時に、年上のAさんに向かって、生意気な口を利いて、Aさんから、『あんな奴、駄目だ!』なんて、言われてましたよ。 実際、Aさんに比べると、Cは、仕事の能力では、足元にも及ばなくて、Aさんを取るか、Cを取るかで、私が、Aさんを取ったわけですが」

「そのCに、因果を含めてみたらどうだろう。 都合のいい事に、退職者続出で、人手が足りないから、他の部署から、経験者を助っ人に呼んでも、不自然だと思われないだろう」

  早速、Cが呼ばれた。 仕事はテキトー。 性格も良くない。 酒好き、ギャンブル好き、女好きと、私生活も荒れていて、給料前借りの常習者。 そんな奴だが、そんなだからこそ、計略に後ろめたいニオイを嗅ぎ取ると、面白がって、ホイホイ乗って来るものである。

  Cは、A氏と同じ職場に戻った。 A氏は、当然、いい顔はしなかったが、そこは、大人。 Cを邪険にする事は控えていた。 Cが、あまり喋らなかったので、次第に、A氏の緊張が解けて来て、三日目には、あの笑い声が出るようになった。

「ドヒヒヒヒ!」

  すると、課長から指示されていたCが、すかさず、用意されていた台詞を口にした。

「Aさんの笑い声は、楽しいよなあ。 こんな笑い方する人、他にいないもんなあ。 俺は、Aさんの笑い方が大好きだよ。 これを聞く為に、戻って来たようなもんだなあ」

「ドヒッ・・・・・」

  A氏の顔が、引き攣った。 さらに、Cが畳み掛ける。 A氏の真似をして、殊更、下品に笑って見せた。

「ドヒヒヒ! 俺も、今日から、この笑い方で行こうっと。 ドヒ、ドヒ、ドヒヒヒ!!」

  A氏は、それ以降、笑わなくなった。 笑っても、「ドヒヒヒヒ!」とは、言わなくなった。 努力して、「わははは!」と、普通の笑い方をするようになった。 計略は、図に当たったのだ。


  応援期間が終わり、12月になって、A氏は、ホームのS社に帰ったが、ドヒヒ笑いをしなくなった事に、同僚達は、驚きを隠せなかった。 実は、S社でも、A氏の笑い方は、気味悪がられていたのだ。 ただ、S社内に於ける、A氏の地位が特殊で、毎日のように職場が変わっていたから、問題になっていなかっただけだった。

  実は、A氏、S社の創立メンバーの一人で、共同出資者でもあった。 何をやらせても、有能ではあったが、笑い方が気持ち悪かったせいで、疎まれ、罠にかけられて、冷や飯を食わされていたのだ。 総務部所属の、「対応室」という、よく分からない部署の室長にされて、上司なし、部下なし、人手が足りない部署が出来ると、そこへ助っ人に行く、という仕事を、もう、30年もしていた。 そんなだから、M者への応援要員にも、毎年、組み入れられてしまっていたのだが・・・。

  M社から戻って以来、ドヒヒ笑いをしなくなった事が知れると、A氏の評判は、急に良くなった。 元が有能な人物なのである。 笑い方だけが問題で、嫌がられていたのだ。 その原因が取り除かれたのだから、評価が上がらないわけがない。 あちこちの職場を経験していたから、どんな問題にも、的確な判断を下す事ができた。

  たまたま、S社の重役達が、贈賄事件を起こして、ごっそり退任する事になった。 株主総会で、社長が解雇を求められるという、大事件だった。 空席になった社長の席に、誰をすげるか、株主や役員の間で、後ろ暗い駆け引きが活発化した。 老齢で引退同然、名ばかりになっていた会長が出て来て、A氏の名前を挙げた。

「Aの奴なら、何とかしてくれるだろう」

  株主や役員は、A氏の名前など、聞いた事もなかった。

「誰やねん、それ? まあ、誰でもいいわ。 どうせ、ボンクラやろ。 そいつにしてまえ」

  S社の経営を傾けさせて、他の会社に吸収してしまおうと目論んでいた大株主が賛成し、A氏は、社長に担ぎ上げられた。

  A氏の経営手腕は未知数だったが、様々な部署を渡り歩いた分厚い経験値が物を言い、要所要所で、的確な判断を積み重ねて行った結果、S社の業績は、急回復した。 役員の一人が、感嘆して、こう言ったという。

「こんなに優秀な人物が、社内にいたなんて、全く知らなかった。 どうして、埋もれていたんだろう?」

  そりゃ、ドヒヒ笑いのせいですよ。 でも、そんな事が原因だったなんて、普通は、誰も思わないわなあ。

  勢いに乗ったS社は、俄かに潤沢になった資金力に任せて、取引先の会社を、次々と吸収合併して行った。 その中には、M社も含まれていた。 親会社の社長として、M社に現れ、全社員の前で挨拶を始めたA氏に、元応援先の職場の面々は、仰天した。 A氏を知る全員のこめかみから、脂汗が勢い良く噴き出した。

「ドヒヒの、Aさん・・・」

  例のCは、テキトーな理由をつけて、解雇された。 元から、いい加減な奴だったから、クビにする理由は、いくらでもあった。 そのCが、腹癒せに密告したので、係長と課長も、降格された。


  溜飲を下げたA氏は、御満悦。 もう、A氏に、何か意見を言える者はいない。 何でも思い通りにできると思うと、つい、昔の癖が蘇って来た。

  ある重要な取引の場で、相手の社長が、冗談を言った。 その場にいた、みんなが笑った。 A氏も笑った。

「ドヒヒヒヒ!!」

  他の人間の笑い声が止まった。 A氏を除く全員が、顔を歪めている。 「何か、途轍もなく、気持ちの悪い音声を耳にしてしまった。 一体、今のは、何だったのだ?」という顔である。


  ほどなく、S社が倒産したのは、A氏が、天狗になってしまい、周囲の空気を読まず、ドヒヒ笑いを続けたからだった。

2025/05/11

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑤

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の11月10日まででした。 今回は、その続き。 まだまだ、先は長い。




【2024/11/11 月】
  10時から、運動散歩。 香貫山の麓を一周して来ました。 7千歩。

  昼食前の血糖値計測。 110。 空腹時の正常値上限より、1、高いです。 何とか、ここまで、持ち込んだか。 明後日、検査があるので、更に、努力せねば。

  同じ空腹時でも、朝食前と、昼食前・夕食前では、条件が違います。 朝食前は、前日の夕食後から、何も食べていないのだから、血糖値は、最低に近くなります。 一方、昼食前・夕食前は、食間なので、血糖値が落ち切らず、比較的、高いのです。 血糖値は、何か食べるたびに高くなるので、どのタイミングで測っているのかで、見方が変わって来ます。 それを理解するまでが、手こずるのです。



【2024/11/12 火】
  昼食後、南へ運動散歩。 往復5千歩。 帰って、1時20分。

  2時から、昼食後の血糖値計測。 243。 ガッカリだ。 インスリンの効果が薄くなっているから、昼食後は、高くなるものですが、それにしても、これでは、2週間前に戻ってしまったではないか。 食べ過ぎなのでしょう。

  母が、ドカドカと料理を作るのが悪いのです。 餃子を50個も作って、自分は食べずに、私が片付けてくれると、未だに思っているのだから、同じ糖尿病もちのやる事とは思えません。 こうなったら、勿体ないなどという発想は捨てて、食べきれない物は捨てるしかないですな。 命の方が大事です。



【2024/11/13 水】
  運動散歩、東へ。 八重坂峠を越え、清水町の外原公園の前で折り返し、5000歩。

  帰って、少し横になってから、旧母自で、病院へ。 12時過ぎには、到着。 今日は、検査のみです。 採血、尿検査、頚動脈血管音波測定(首のエコー)、心電図は、まあ、想像がつくとして、

  誘発筋電図。 右手と、右足に電極をつけられて、電気が流されると、私の意思とは関係なく、ビクンビクンと、筋肉が跳ね上がります。 この歳にして、あっと驚く体験で、女性の検査技師さんに、「高度な技術ですね」と、素直な感想を述べました。 国家試験を通っているとの事。

  本日の会計、5880円。 レントゲンや、CTなど、撮影系がないと、少しは、安くなるようです。

  帰って、2時5分くらい。 次は、来週で、糖尿病専門医の診察を受けに行きます。

  昼食を抜いたので、夕食前の血糖値は、79。 3時半頃、インスリンも注射しているから、減って当然で、この数値は、参考になりません。 それでも、二桁の数値が出ると、嬉しいものですが、だからといって、食事を抜き続けるわけにも行かないのです。



【2024/11/14 木】
  午後から、運動散歩。 東へ、往復4千歩コース。 帰りに、雨が降り出しだので、公民館の庇の下や、木の下など、数箇所で雨宿りしました。 雲が明るいから、その内 上がるだろうと踏んでいたら、案の定 上がったので、ほとんど濡れずに帰って来れました。

  雨宿りというのは、たまにすると、乙なものですな。 雨がやむかどうか不安なのが、また、非日常性を盛り上げてくれます。

  夜8時。 夕食後の血糖値。 121。 食後としては低いですが、インスリン注射を打ってから、4時間半後だからでしょう。 つまり、昼食後が、注射から、22時間くらい経っているから、一番、高くなるわけだ。

  昨日まで、3日間くらいですが、鼠蹊ヘルニアの飛び出しが見られませんでした。 「もしかしたら、運動一万歩のお陰で、腹筋も鍛えられ、鼠蹊ヘルニアが治ったのでは?」と思ったんですが、昨日から、また飛び出すようになり、とんだ、糠喜びでした。

  昨日まで、数日間、便が出なかったので、そのせいで、腸内に便が溜まって、腸が直線に近くなり、食み出して来なかったんですな。 自転車のタイヤ・チューブが、空気が入っていない時には、フニャフニャで、狭い隙間にも入れられるのに、空気がパンパンに入っていると、折るのも難しくなる、あれと同じ事が、腸で起きていたわけだ。

  「鼠蹊ヘルニアは、自然には治らない」というネットで読んだ知識は、やはり、正しかったんですなあ。 結局、手術してもらうしかないのか。



【2024/11/15 金】
  部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。 結構な運動量なのですが、歩数的には、千歩も行きません。

  午後、昼寝してから、運動散歩。 南へ。 往復で6千歩になるように、途中から、西へ向かったら、学習院遊泳場裏で、海に出ました。 風はなく、波は静かでした。 元来た道ではなく、テキトーに引き返してきました。



【2024/11/16 土】
  旧母自で、図書館へ。 帰りは、自転車を押して、歩いて来たのですが、歩数は、5千歩くらいしか行きませんでした。 自転車が、いかに、移動効率がいいかが分ります。 やむなく、家に戻ってから、座敷を歩いて、1万歩を超えさせました。



【2024/11/17 日】
  午後、バイクで、裾野市水窪へ向かい、黄瀬川に架かる愛鷹橋の、左岸付近にある石碑を見て来ました。

  今日は、散歩に行かなかったので、歩数を稼ぐのに、座敷を歩き回りました。 1万歩は、きつい。 落とすと、まずいので、歩数計は持って行きませんが、バイク・ツーリングでは、500歩も行かないでしょう。



【2024/11/18 月】
  外掃除の後、運動散歩。 東へ。 清水町・徳倉に少し入って、引き返し、6千歩。

  帰って、旧母自で、病院へ。 11時の予約に、10時10分には着いていたのですが、異様に多い患者の群の中で待つ事になり、結局、診察されたのは、11時過ぎでした。 早めに行っても、予約時刻の寸前に行っても、同じなのか。

  医師からは、自己管理ノートの書き方が良いと言われましたが、子供ではないので、そういう点を誉められても、別に嬉しくはないです。 肝腎の血糖値は駄目なようで、インスリン注射の種類が増えてしまいました。 しかも、今度のは、一日3回、毎食前に打つとの事。 今までのと合わせて、4倍の手間です。

  ここ一週間の血糖値は、一回を除き、正常値内に収まっていたから、てっきり、今日で、インスリン注射は終わりになると思っていたのですが、まさか、増えるとは思いませんでした。 ガッカリだ。 どうも、私が、鼠蹊ヘルニアの手術を控えているので、その為に、食後血糖値を下げておこうという方針のようです。

  追加のインスリン注射で、血糖値が制御できれば、外科手術は可能になるとの事。 12月の半ば頃に、手術できるような事も言っていましたが、それは、内科の糖尿病専門医の見解なので、外科の都合を訊いて判断されたものではありません。 外科に戻ったら、また、話が変わって来るかも知れません。



【2024/11/20 水】
  午後、昼寝。 読書。 何回かに分けて、座敷を歩き、何とか、1万歩を超えさせました。




  今回は、ここまで。 11月19日には、病気関連の記述がありませんでした。 いよいよ、減り始めたかな。

  インスリン注射が、当初、24時間タイプが一日一回だったのが、毎食前タイプが加わって、一日4回になってしまったのには、参りました。 思い出すだに、げんなりします。 よく、あんな事を、何ヵ月も続けていたものです。 同じ所には打てないので、少しずつ、ずらして行くんですが、下腹部を打ち尽くし、右の腿まで、針の痕だらけになりました。