
「実話風小説」の39作目です。 2月中旬の初めに書いたもの。 私自身の糖尿病治療の経験を基にしました。 ちなみに、総合病医院へ行く事になった本来の目的である、鼠蹊ヘルニア手術は、様々な障碍が発生し、未だに受けられていません。
【食べ歩き番組】
≪旅の空の下≫は、Z県の県庁所在地に本社がある地方テレビ局で、1985年に始まった、街歩き番組である。 放送時刻は、月曜日から金曜日の、午後6時から、CM込みで、30分。 その時間帯、地方テレビ局では、御当地情報番組を放送している事が多いが、その局では、≪旅の空の下≫の視聴率が、そこそこ高かったので、情報番組を前にズラしていた。
開始当初は、全国的に名の知れたタレント、A氏が、県内の各市町村を、一日一ヵ所、訪ねて、観光地や景勝地、レジャー施設などを見て回る内容だった。 しかし、当時、グルメ・ブームが勃興しており、その影響を受けて、すぐに、飲食店で食事をするコーナーが設けられた。 食事場面は、一日に一度、必ず入れられ、菓子店や果樹農家を訪ねた時にも、飲食する様子が紹介された。
A氏は、食レポが巧みで、あまり旨くないものでも、誉められるところを誉めるという、批評技術を持っていた。 A氏の紹介のお陰で、名物になった食べ物も、少なからず、存在する。 A氏が訪ねた店では、「≪旅の空の下≫ 御来店! Aさんのおすすめメニュー!」といった看板を出すところも多かった。
A氏は、60年代末に、歌手として、デビューしたが、歌の方はヒットがなく、70年代になって、テレビのバラエティー番組で、マルチ・タレントとして、人気が出た。 その後、時代の変化で、露出が減り、全国的には忘れ去られていたが、≪旅の空の下≫の旅人を務め始めたことで、Z県でだけは、ずっと、有名人だった。 老若男女に関係なく、Z県民で、A氏を知らない者は、一人も、いなかったくらいである。
そのA氏も、引退する時が来た。 健康には気をつけていたが、さすがに、寄る年波には勝てない。 2010年代の終り近くになり、80歳が近づくと、本人から、「もう、やめたい」と申し出があった。 実は、数年前から、ちらちらと、そう言っていたのだが、局の方が、人気番組を終わらせるのが惜しくて、引き止めていたのである。
≪旅の空の下≫の打ち切りが決まったのには、他にも、事情があった。 放送開始から、一貫して、ディレクターを務めて来た、B氏が、体調を悪くして、仕事に出られなくなってしまったのだ。 B氏は、A氏よりも、10歳年下で、とっくに定年を過ぎていたが、局側が手放さず、定年延長と、契約社員扱いで、70歳になる直前まで、≪旅の空の下≫のディレクターをやっていた。
B氏が入院した後は、彼が育てたスタッフが、B氏の指示を忠実に守りながら、番組制作を続けていた。 しかし、スタッフの面々も、何度か世代交代していたものの、やはり、高齢化していた。 番組の打ち切りは、局内の誰もが予想していた事だった。
そこへ、人事の刷新があり、プロデューサーが変わった。 新しいプロデューサーは、キー局から引き抜かれて来た男で、地方局を見下していたのは当然の事、地方局らしい番組も、軽蔑し切っていた。 「時代遅れも、甚だしい」というのが、口癖だった。 特に、御当地お店巡りのような企画は、虫唾が走るほど嫌いで、≪旅の空の下≫に対しても、「どこが面白いのか、さっぱり分からない」と言い切っていた。
背景に、そういう局内情勢があったので、≪旅の空の下≫の打ち切りそのものは、すんなり、決まった。 問題は、後番組である。 県内情報番組を、6時台に移したところ、他局の類似番組と重なったせいで、すぐに、視聴率が落ちた。 慌てて、元の時刻に戻す事にしたが、そうなると、6時台に何を持って来るかが、問題だ。 とりあえず、昔の30分ドラマを、再放送したが、視聴者からは、≪旅の空の下≫と同じような番組を見たいという要望が多く寄せられた。 人間というのは、それまでの生活習慣を、おいそれとは変えられないものなのだ。
新プロデューサーは、古巣のキー局から、一人のディレクター、C氏を連れて来た。 深夜帯に、二級のバラエティーを作っていた男で、思い切りがいいのが、性格上の特徴だった。 逆に言えば、慎重さや深慮に欠けるのだが、何かを変えようとする時には、そういう人物でないと、役に立たないのだと、プロデューサーは考えていた。
≪旅の空の下≫と似たような、街歩き番組にするという方針は、局として、もう決まっていた。 Cディレクターは、「まあ、田舎だから、贅沢は言いませんよ。 大枠は、局の言う通りにしましょう。 中身は、俺が好きにやらせてもらいます」と言っていた。 ちなみに、「田舎」という言葉は、地方では、禁句である。 都会や大都市の人間にとっては、都会や大都市でない場所の事を指しているだけだが、地方に住んでいる者が聞くと、馬鹿にされているとしか取れないのだ。 C氏は、大都市の生まれで、Z県の県庁所在地くらいでは、鼻にも引っ掛けなかった。
まず、番組タイトルだが、ディレクターの独断で、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫に決まった。 プロデューサーも、聞くなり、OKした。 この二人のセンスが伺えるタイトルだな。
次に、旅人を決めなければならない。 曜日ごとに、人を変えるのは、ギャラが多くかかるし、スタッフのタレント対応が煩雑になるので、却下。 一人となると、A氏のように、有名ではあるが、すでに高齢で、第一線での仕事はしておらず、暇が有り余っているような人物が、好都合だ。 誰か、適当な人物はいないものか。
Cディレクターは、プロデューサーと、わざわざ、東京に出て、歓楽街のバーに行き、飲みながら、人選をした。 田舎の飲み屋では、洗練されたアイデアが出ないというのだ。 もちろん、交通費も飲み代も、経費で落とす所存。
何人か候補が出たが、有名過ぎて、ギャラが高いタレントや、舞台公演をよくやる俳優などばかりで、プロデューサーは、ことごとく、却下した。 ディレクターは、しばらく考えてから、次の名前を言った。
「Dなんて、どうですかね?」
「あいつは、不祥事を起こして、干されたんじゃないか」
「でも、どうせ、田舎のテレビですから」
「駄目駄目! むしろ、田舎の方が、そういうタレントには、厳しいんだ」
「ああ、なるほど。 そういうものかも知れませんねえ。 じゃあ、Eさんは?」
「イメージはいいけど、あの人、あんなに痩せてたんじゃ、少食だろう。 食べる機会が多いから、食えない人じゃ、務まらないぞ」
「食える人と言うと、最初から、太っている奴ですかね? Fなんか、どうです?」
「あいつは、家が、Y県だ。 東京なら、出て来るのに、そんなに遠くないが、Z県までじゃ、遠過ぎて、交通費が大変だ。 それに、内孫が生まれたばかりだっていうから、平日ずっと、Z県に泊まり込みの仕事じゃ、断って来るだろう」
「じゃあ、Gは?」
「G? G? ああ、あの人か。 あの人、まだ、仕事してんの?」
「してますよ。 ネットの、割と有名なチャンネルで、釣りをしているのを見た事があります。 割と最近の日付でしたよ」
「うーん、Gねえ。 悪くないなあ。 ちょっと、第一線からは、ご無沙汰が久しいけど、名前は全国区で売れてるものなあ。 試しに、打診してみるか」
で、事務所を調べて、打診してみたところ、本人から、電話がかかって来て、「何でも、やります」との返事。 閑ぶっこいていて、仕事が欲しかったようだ。 トントン拍子に話が進んで、次の週から、試しに一週間、やらせてみる事になった。 結果は、上々。 A氏に比べると、アクが強くて、≪旅の空の下≫の視聴者からは、評判が今一つだったが、比較的 若い世代からは、「口が悪いところが、面白い」という意見が寄せられた。 視聴率は、一週間平均で、≪旅の空の下≫の8割くらいだった。
ディレクターが変わっただけでなく、スタッフも、≪旅の空の下≫に関わっていた面子は一掃されて、他の番組をやっていた、若い世代が入れられた。 Cディレクターは、前番組と似たような後番組を作る場合、前番組のスタッフを残しておくと、ああだこうだと、文句ばかりつけて、新しいやり方をいつまでも受け入れようとしない者が出て来るのを嫌っていたのだ。
≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫が始まって、半月経った頃、病床のB氏、つまり、≪旅の空の下≫の元ディレクターから、重役を通して、Cディレクターに連絡があり、「伝えておきたい事があるから、入院先の病院まで、一度 会いに来て欲しい」と言って来た。 C氏は、重役の前であるにも拘らず、顔を顰めて、毒づいた。
「どうせ、お小言でしょう。 前の番組とは、まるで趣向が違うんだから、不満があるのは分かりますが、そんなの、いちいち、聞いてられませんよ」
「いや、Bさんは、本当に用事がないと、一面識もない人に会いたがったりしないよ」
「とにかく、今は、番組が立ち上がったばかりで、暇がないから、しばらくは、無理です。 その内、近くへ行った時に、寄ればいいんでしょう?」
「なるべく早く、行ってやってくれ。 Bさん、長くなさそうだから」
「はいはい」
「はい」は、一回。 などと言っている場合ではなく、それから、一週間もしない内に、B氏は、他界してしまった。 心筋梗塞だった。 Cディレクターは、永遠に、B氏の忠告を聞き損なったわけだ。
≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫が始まって、半年経った時、タレントGが、入院した。 月曜日の朝、東京にある自宅で、Z県へ出かける仕度をしている時に、倒れたのである。 意識不明。 救急車で、最寄の総合病院へ担ぎ込まれた。 意識が戻ってから、精密検査をしたところ、血糖値が、500を超える、超高血糖だった。 医者が、「この血糖値で、よく、生きてるなあ」と言わんばかりの、珍しい生き物でも見るような顔で、笑いながら、言った。
「一体、どんな食生活をしてるんですか?」
タレントGは、自宅での食事の内容を話した。
「お仕事は、まだ、してるんですね。 外では、食べませんか?」
タレントGは、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫の事を話した。 それが原因だとは思っていないから、淡々と、包み隠さず、毎回、どれだけの種類の食べ物を、どれだけの量、食べているか、正直に伝えた。 次第に、医者の顔から、笑いが消えて行った。
「今、ざっと聞いただけでも、日当たり適正カロリーの、5倍は食べてますね。 平日は、それが、毎日? たまらんな。 その腹が出て来たのは、番組開始以降ですか? ああ、やっぱり・・・。 今年、60歳でしょう? 無理ですよ、そんなに食べるのは。 そのまま行くと、とても、長生きできませんよ」
「どうしたら、いいんでしょう?」
「現状すでに、重度の糖尿病ですから、血糖値が下がるまで、半月は入院した方がいいです。 退院後は、インスリン注射か、投薬治療という事になりますが、その仕事を続けるのは、やめた方がいいですねえ。 番組の人に言って、食べる量を減らしてもらえるなら、また、話は別ですが」
タレントGの報告は、Cディレクターとプロデューサーの顔色を真っ青にした。 タレントGの体を気遣ったからではない。 番組に穴を開けてしまう事を恐れたのだ。 急遽、地元タレントの一人が呼ばれ、代役という事で、収録がされた。 その男は、まだ、30代で、仕事がない時の方が多く、いつも腹を空かせていた。 食べる場面では、餓えた豚のように、フガフガと、がっついた。 スタッフ全員、下品な奴だと思った。
「こいつに、今後も任せるわけには行かんな」
Cディレクターは、すぐに、次の旅人の人選にかかった。 前回同様、プロデューサーと二人で、東京の歓楽街に繰り出して。 金のかかる奴らだ。
あー、面倒臭い! この後、同じような展開が繰り返されるので、ここは一つ、読者の想像力に丸投げするとして、思い切って、割愛。
≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫は、約半年ごとに、旅人を変えながら、その後も続けられたが、開始3年後に、旅人が死亡する事態に至り、打ち切りになった。 出演した旅人、6人の内、一時入院は、全員。 脳血管障害による死亡、1人。 眼底出血による両目失明、2人。 片目失明、1人。 慢性腎不全で人工透析患者になった者、3人。 複数の病気に該当する者もいるので、合計人数は合わない。 生き残っている5人は、全て、糖尿病の治療を受けている。
有名タレントの死者を出した事で、局は、記者会見を開いて、御遺族と世間様に、謝罪。 プロデューサーは、降格され、処分前に、自主的に退職した。 しかし、業界から消える事はなく、昔取ったコネ柄を頼りに、別の県の地方テレビ局へ潜り込んだ。 ワケアリ人物なので、大した仕事は任されなかったが。
Cディレクターは、懲戒解雇となった。 まあ、当然か。 どの旅人に対しても、視聴者のウケを良くする為に、毎回、腹がはち切れるほどに、食わせまくっていたのである。 Cディレクター、人間が飲み食いできる量には、年齢により、限界があるという事を、知らなかったのだ。 自身が体育会系で、高校・大学時代には、毎食、丼飯と、大皿に山盛りの料理を平らげていたので、「食える人間は、いくらでも食える」と思っていたらしい。
≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫で、旅人に相応しい、暇がある有名タレントというと、どうしても、60歳前後以上の年齢になってしまうのに、「食える食えないは、その人次第」だと思って、何の配慮もしなかったのだ。 二人目が、病院に担ぎ込まれた時点で、原因が、暴飲暴食にあると感づいていたにも拘らず、「なかなか、胃腸が丈夫な奴に当たらない」と、自分や番組の、「運」の問題だと思っていたのである。
C氏も、業界から離れるのが嫌で、隣県の小都市にある、ケーブル・テレビ局にいた知人に頼み込み、拝み倒し、かろうじて、パート社員として雇ってもらった。 仕事内容は、雑用係だったが、この際、贅沢は言っていられない。 とにかく、業界にいさえすれば、テレビ関係者で通るのだ。
その局の契約カメラマンに、かつて、≪旅の空の下≫で、臨時スタッフをやった事がある者がいた。 昔の仲間と連絡を取り合っていたので、後番組の事情も聞いていた。 しかし、C氏が、後番組を潰して、解雇されたディレクターだと分かっても、直接、批難したり、からかったりするような人物ではなかった。
逆に、C氏の方が、長い間、気になっていた事を訊いた。 ≪旅の空の下≫のディレクター、B氏が、死ぬ前に、C氏を呼んで伝えておきたい事があると言った、あの件である。 一体、何が言いたかったのだろう? そのヒントだけでも、知りたかった。 契約カメラマンは、少し考えてから、こう答えた。
「それは、たぶん、出演者の健康には、くれぐれも気をつけるように、という話だったのかも知れませんねえ」
「という事は、Bさんは、Aさんの健康に気をつけていたって事?」
「そりゃあもう! 収録で、飲食店に行くと、まず、Aさんに食べてもらうものを、Bさんが見て、カロリー計算をするんですよ。 糖質も見てたな。 Bさん自身が、糖尿病だったから、一目で、大体のカロリーが分かってしまうんです。 Aさんが、30年も、あの番組を続けられたのは、Bさんのカロリー計算のお陰ですよ。 Aさんを、自分の主治医のところへ連れて行って、検診もしてもらっていたらしいです」
「そこまで、やるかね?」
「グルメ番組は、そのくらい、糖尿病に警戒しないと、続けられないと言ってましたよ。 もう、50代になったら、何を食べても大丈夫、なんて人は、いなくなりますからね。 よく、旅番組で、突然、出演者が降板してしまって、打ち切りになる事があるでしょう。 あれは、医師から糖尿病を宣告されて、それまでのように、飲み食いできなくなるからじゃないですかね」
「・・・・」
「出演者が、店の人に、『御飯を少なくして』なんて、頼んでいたら、まず間違いなく、糖尿病でしょう。 炭水化物で、血糖値が上がるのを恐れているんですよ。 ところが、店の方は、糖尿病患者が、どの程度 食べられるかなんて知らないから、『ご飯、少な目』なんて言われたって、せいぜい、10割を、8割にする程度でしょう。 丼物だったら、8割でも、糖尿病患者の許容量の、2倍はありますよ。 殺す気か? ってなもんですよね」
「・・・・」
「普通、糖尿病患者は、厳しい食事制限をしているから、外食なんか しないんですよ。 そういう客が来ないから、飲食店側も、糖尿病の知識が頭に入らない。 食べ歩き番組は、特殊なケースなんですね。 許容量が分からないどころか、相手が有名人だから、できるだけ、サービスしようと思って、注文してない物まで出して来るから、困ったもんだ。 それまた、殺す気か? ってなもんです」
「・・・・」
C氏、そう言われて、返す言葉がなかった。 自分が何をやったのか、ようやく、はっきり分かって、ゾーーーッと、背筋が寒くなった。 C氏には、中高年の健康管理に対する知識が、絶望的なまでに、欠けていたのだ。 罪には問われなかったが、出演者の健康被害に責任がないとは言えない。 一人は死んでしまったのであり、懲戒解雇くらいで済んだのは、むしろ、幸運だったと思うべきなのかも知れない。
C氏の責任を軽く見る為の材料といえば、旅人達は、みな、「食いしん坊」で通っていた人達で、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫に出なかったとしても、いずれ、糖尿病になっただろう、という事である。 C氏は、そう思う事で、罪悪感を軽くしようと努めた。 そもそも、生き馬の目を抜く業界で生きて来た人間だから、さほど強い罪悪感があったわけではないが。
C氏は、その後、長生きした。 この時、糖尿病について、知識を仕入れたお陰で、食生活が改まり、糖尿病にならないで済んだのが、大きな理由だ。 何とも、皮肉な話である。