2025/12/21

時代を語る車達 ⑱

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 このブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新をやめる予定なので、このシリーズも、今回が最後です。 ブログ≪換水録≫の方では、今後も続けるつもりですが、出先で積極的に車の写真を撮って来る事は、なくなるかも知れません。





【スバル・6代目サンバー・バン】

  図書館の駐車場に停まっていた、スバルの、6代目サンバー・バン。 図書館の車で、沼津市の名前が入っています。 6代目は、1999年から、2012年まで、生産・販売されていました。 スバルで開発していたのは、この6代目までで、7代目以降は、ダイハツからの相手先ブランド供給になります。

  サンバーで、私が車に興味を持ち始めた頃に走っていたというと、3代目(1973年~1982年)と、4代目(1982年~1990年)でしょうか。 3代目には、当時のスバル車独特の醜さがありましたが、4代目では、スッキリしたデザインになり、逆に、目立たなくなりました。 4代目をベースに作られた、リッター・カー、ドミンゴは、人気車になったので、良く覚えています。

  5代目(1990年~1999年)は、更にスッキリして、気品さえ感じさせるデザインになりました。 その頃、スバル車のデザイン・レベルが、全体的に向上していたから、軽ワンボックスにも、それが波及して来たんでしょう。

  で、この6代目ですが、5代目よりも、むしろ、後退した感があります。 どうも、ワンボックス車は、フロントに段をつけると、虚弱に見えてしまう傾向がありますな。 衝突安全を考慮しているんでしょうが、物体の形としては、美しさを損なってしまっています。

  軽のワンボックス・トラックは、マツダがやめ、スバルがやめ、スズキ、ダイハツ、三菱だけになってしまいました。 ホンダは、N-VANがありますが、あれは、ハイト・ワゴンから来たもの。 トヨタや日産が、OEM供給で系列軽メーカーの車を売るのは、別に構いませんが、かつて、独自の軽ワンボックス・トラックを造っていたメーカーが、OEM供給車に切り替えると、寂しい感じがしますねえ。 日本の自動車業界全体が、斜陽産業だから、致し方ない事ですが。

  それを考えると、この6代目サンバーも、虚弱だ何だ、などという事を別にして、スバル製最後の車型として、価値があるように感じられます。




【スズキ・マイティボーイ】

  スズキの、マイティボーイ。 ただし、実際の発音は、「マイティー・ボーイ」です。 「マイティボーイ」なんて発音は、逆に難しいですわな。

  1983年から1988年まで、生産・販売されていた車種。 一代限りで終わりました。 2代目セルボをベースに、ピック・アップ・トラックに仕立てたもの。 45万円という、最安の車として売られていました。 荷台はあるけれど、実用車ではなく、洒落9割の遊び車です。 80年代という、車文化が豊かな時代だったからこそ、出て来たもの。

  今では、珍品として、現行の頃よりも高い値段がついているようですが、この車は当時、人気車種などでは、全く、ありませんでした。 「金はないけど、目立ちたい」というテレビCMを、今でも覚えていますが、そのセリフ自体が、貧乏臭く感じられ、実際にお金にゆとりがない若者からも、敬遠されていたのです。 確かに目立つ。 しかし、それは、みっともないという方向の目立ち方だったのです。

  ベースになった、2代目セルボは、女性向けの軽サルーンで、初代セルボが、スポーティーなイメージだったから、当時、まだ若くて、血の気が多かった私は、2代目のお上品で、やわな印象に、がっかりしたものです。 しかし、今では、軽サルーンのコンセプトは、優れていたと思っています。

  マイティボーイは、軽サルーンを元にして、トラックに仕立てたのですから、車の性格が正反対でして、無茶とまでは言いませんが、思い切った事をしたもの。 デザインそのものは悪くなかったものの、安くする為に、前期型では、2代目セルボの規格角2灯を、規格丸2灯に変えていて、ボディーと合っておらず、そこが残念でした。 評判が悪かったからか、後期型では、2代目セルボと同じ、規格角2灯になります。

  この写真の車は、前期型か後期型か、分かりません。 後輪を始め、いろいろと外されていますが、パッと見、ひどく錆びている所もないようなので、欲しがる人もいるのでは。 ちなみに、撮影したのは、沼津市の大平地区です。 この場所には、他にも、旧車が何台か集められていました。 レストアするつもりで買い集めはしたが、なかなか手を着けられないでいる、という感じ。




【スズキ・Kei】

  スズキの、Keiです。 1998年から、2009年まで生産・販売されていた車型。 一代限りで終わりましたが、11年も現行だったのは、当時としては、かなり長い方です。 この写真の車は、グリル内に、Sマークがあるから、後期型。 生産中止から、16年ですから、まだ、見かけても、おかしくはありません。

  1998年からという事は、現行規格のサイズです。 スズキの軽スペシャルティー・カーとしては、セルボ・モードの後継車という事になりますが、車の性格は全く違っていて、Keiは、今風に言えば、SUVですな。 普通車とSUVの中間という意味で、「クロスオーバー SUV」と呼ばれていたらしいですが、普通車とSUVのデザインは、だんだん近づいて来たので、もはや、「クロスオーバー」は、不要でしょう。

  Keiの後継車は、ハスラーですが、これまた、車の性格が違っていて、ハスラーが明確に若者向けであるのに対し、Keiは、もっと幅広い年齢層に買われていました。 その点は、セルボ・モードに近いです。 「最安クラスのアルトでは、嫌だ」という人達が、「軽だけど、上級車種なんだぞ」とアピールしたくて、この車を選んでいたわけだ。 人生とは、何歳になっても、虚栄心から逃れられないものである事よ。

  この写真の車にも、高齢者マークが貼ってありますが、Keiのデザインは、決して、年寄り臭いものではなかったにも拘らず、高齢者にも、抵抗なく受け入れられていたんですな。 勝手な想像ですが、定年退職して、「もう、遠出なんかしないから、車は、軽で充分」と判断し、買い換えたものを、16年以上経った今でも、乗り続けているんじゃないでしょうか。 もし、そうだったら、現在、70代後半という事になりますが、年齢的に、もう車を買い換える気がなくて、古くなったけど、大事に乗っているのかも知れません。




【ホンダ・2代目トゥデイ】

  ホンダ・2代目トゥデイです。 1993年から、1998年まで生産販売されていましたが、1996年のマイナー・チェンジで、独立トランク・リッド式から、ハッチ・バックに変更されていて、この写真の車は、後期型のようです。 3ドア。 遠くて、ナンバーが見えませんが、乗用。 トゥデイは、2代目になってからも、商用ボン・バンは、初代を、「トゥデイ・ハミング」として売っていたので、2代目の商用はないわけだ。

  初代から、2代目に変わった時には、誉める人がいなかった記憶があります。 私の母が、初代初期型の丸灯のに乗っていたのですが、2代目の登場直後、ガソリン・スタンドに行ったら、バイトの青年から、「新しいのより、こっちの方が、ずっと、いいですよね」と言われたそうです。 別に、顔見知りでも何でもなかったらしいのですが、その青年、誰かに言わなければ、気が済まなかったのでしょう。

  2代目の前期型は、リア・エンドが特異過ぎて、今見ても、いいとは思えません。 特に、2ドアは、見るに耐えぬ。 乗用車専用である事を主張する為に、独立トランク・リッドにしたようですが、セダンのトランクを意識していたのは疑いないところで、軽自動車のサイズで、トランク・ルーム的なものを付けるのは、明らかに無理があります。 「軽で、セダンを」という発想が、そもそも、子供っぽいです。 ダイハツの、2代目オプティは、もろ、それですが、「滑稽・陳腐」としか表現のしようがありません。

  2代目トゥデイですが、ハッチ・バックになった後期型は、割と常識的な後ろ姿になりました。 個性に欠けると言えば、その通りですが、悪い個性なんぞ、ない方がマシなのであって、こちらの方が、断然、いいと思います。 トヨタ・初代ヴィッツが、1999年に登場し、一躍、人気車種になるのですが、まず間違いなく、この、2代目トゥデイ後期型を、手本にしていると思います。 ネットで検索して、見比べてみて下さい。

  この写真の車、エンジン・フードが艶消し黒で塗られていたり、車内に、ロール・バーを入れてあったりして、ラリー仕様にしている模様。 軽のサイズで、ラリーは怖いと思うのですが、怖い方が好きな人なのかも知れませんな。 そういう特殊な用途でなければ、1998年に型落ちした車が、現代まで使い続けられる事はないのでしょう。 もっとも、私のセルボ・モードは、1997年製で、現役なのですが。




【脱落ホイール・カバー】

  街なかか、郊外かを問わず、よく見かける、脱落したホイール・カバー。 私が子供の頃には、鉄製で、裏側がジグザクにプレス成型されたごついものでしたが、いつの間にか、プラスチックに金属バネの輪が入っただけの、シンプルなものに代わりました。

  この写真のものは、トヨタのマークが入っていますが、どの年代の、どの車種のものかは、分かりません。 わざわざ調べるほど、深い興味はないです。 手前にあるのは、部品の残骸のようなので、ここで、事故があったのかも知れませんな。 片付けていないという事は、自損事故で、そのまま、走り去ってしまったのでしょう。 もちろん、警察に連絡もしていないと。

  私の経験から言うと、ホイール・カバーに限らず、車やバイクから脱落したものを、後で探しに行って、見つかった例しがありません。 それには、理由が考えられて、直前に走った所しか探せないので、実際に脱落した時と、脱落している事に気づいた時の間に、時間的隔たりがあると、落ちている場所を特定できないからだと思います。 大きな音でもすれば別ですが、大抵は、落ちた事に気づかないものです。

  ホイール・カバーが脱落する原因は、大きく分けて、二つ考えられます。 一つは、縁石などに、ホイール・カバーが直接ぶつかった場合。 もう一つは、一旦 外して、付け直した時に、爪が完全に嵌まっていない事に気づかなかった場合。

  前者では、衝撃がありますが、パニクってしまい、その場を離れる事に夢中で、ホイール・カバーが外れた事まで気が回らないのではないかと思います。 場所が分かっているのだから、後で気づいて探しに行けば、見つかる可能性はありますが、キズが大きくて、もう使い物にならないでしょう。

  後者では、普通に走っている時でも、振動で一つずつ爪が外れて行って、いつの間にか落ちているので、落とした場所が、全く分からなくなります。 ケースとしては、こちらの方が、多いのでは? 落ちているホイール・カバーの状態を見て、目立ったキズがないようなら、走行中の脱落でしょう。 対策としては、定期的に、ホイール・カバーの縁を押してみて、ちゃんと嵌まっているかどうか、確認するしかありません。 乗る度にしなくても、一ヵ月に一度でも、半年に一度でも、一年に一度でも、やらないよりは、いいと思います。

  ホイール・カバーが、なくなってしまった場合、割と新しい車なら、ディーラーに注文すれば、買えますが、一枚、5千円以上するのでは? プラスチック製なのに、異様に高いです。 ネット・オークションなら、送料込みでも、2千円くらいで買えるかもしれません。 ただし、写真では、キズが分からない場合もあります。 さすがに、割れは分かりますが、出品する方も、割れてたら、割れていると書くか、そもそも出品しないでしょう。

  逆に考えると、脱落したホイール・カバーを路肩で拾った場合、程度が良ければ、ネット・オークションで捌けるわけですが、法的には、拾得物横領罪に該当するので、それで、小遣い稼ぎしようなどと目論むのは、考えものですな。 一般論ですが、恒常的に違法行為をやっていると、いつか、手が後ろに回り、臍を咬む事になります。

  拾得物として、警察に届けてしまえば、持ち主が現れる可能性は、ほぼ、ゼロですから、いずれは、自分のものになります。 しかし、千円というのは、そんな手間をかけてまで手に入れるほどの金額ではありませんなあ。 結局、脱落ホイール・カバーを見つけても、無視して、放っておくのが、一番か。


  あと、さして、拘りもない、どーでもいー見解ですが、「自分の車に着けられるホイール・カバーを、何種類か買って、時々、着け換えて、変化を楽しもう」といった事は、やらない方がいいです。 やりたい気持ちはよく分かる。 アルミ・ホイールに劣等意識を抱いている人は、「ホイール・カバーの方が、いろんなのを着けられるから、楽しいよ」などと言って、負け惜しみを言いたくなるものです。 私自身、そういう考えを持った事があります。

  だけど、なぜ、私がやらなかったかというと、ホイール・カバーを頻繁に着け換えていると、爪折れや、円盤部の割れといった、笑えない問題を誘発してしかねないと悟ったからなのです。 「車検や点検の時だけ、やむなく、外すもの」くらいに思っていた方がいいです。 古い車の場合、ディーラーに任せず、自分の手で慎重に脱着しないと、ただ外すだけ、ただ着けるだけで、壊れる恐れすらあります。

  着け換えを楽しまなくても、ホイール・カバーの方が、アルミ・ホイールより、優れている点はあります。 それは、ブレーキ・パッドの滓で、茶色に汚れる事がない点です。 また、ディスクが錆びていても、見えませんから、「どうにかしなきゃなあ…」などと、悩まなくて済みます。 こういう事は意外と重要でして、車に乗る度に気分が落ち込んでいたのでは、精神衛生上、大変 宜しくないです。

2025/12/14

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑫

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の4月3日まででした。 今回は、その続きですが、このシリーズは、これで終わりになります。 このブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新をやめる事にしたので、闘病記が最後まで行ったのは、偶然とはいえ、幸いでした。 他のシリーズは、いつ終わっても、問題ない性質のものですし。




【2025/04/09 水】
  外掃除の後、盆栽棚下の、第4落ち葉溜めに入れてあった土を掻き出しました。 5月になったら、松の手入れをするので、その前に、切った枝葉を入れる所を空けておかなければならないのです。 土は、先に、朝顔用のプランター9基に入れ、余った分は、庭のあちこちの、低くなっていた所に撒きました。

  野菜屑を入れていた第2落ち葉溜めが、ほぼ満杯になっていたので、第3の中身を掻き出し、まだ土になっていない枝葉を第2に押し込み、その前に、土を盛り上げました。 今度は、第3が、野菜屑入れ場になります。

  大変、疲れました。 始める前から、頭がクラクラ。 インスリン注射を打っていないのに、低血糖はありえないので、このクラクラの原因が分かりません。 陽気が暖か過ぎたのかも知れません。



【2025/04/18 金】
  血糖値計測の前の食事では、炭水化物を食べないようにしたいと思い、その代わり、満腹感を得る為に、「しらたき・麺つゆ煮込み」を作って、食べてみたのですが、あまりのまずさに、げんなりしてしまいました。 しらたきは、すき焼きのように、濃い口の醤油で、長時間、ぐつぐつ煮込むから、味がしみるのであって、めんつゆで温める程度では、駄目なんですな。 ゴムを食べているような感じ。

  これなら、蒟蒻を刺身状に切って煮込み、味噌やケチャップをつけて食べた方が、うまいかも知れません。 ちなみに、しらたきも、蒟蒻も、カロリーは、ほとんど、ありません。 満腹感を得るには持って来いなのですが、気分が悪くなるほど まずいのでは、食べない方が、マシです。



【2025/04/21 月】
  午前9時から、母自で、病院へ。 採血と採尿だけで、診察はなし。 1500円。 10時半には、家に戻って来ました。

  来週の月曜に診察を受けに行きますが、その時に聞ける今日の検査の結果次第では、病院通いを終わりにしようと思っています。 手術をしてくれない病院に、いつまでも、つきあっていられませんから。



【2025/04/23 水】
  体が、妙に、だるいです。 睡眠不足か、はたまた、何かもっと、重大な健康障碍か。 もう、健康の問題は、間に合っているんですがねえ。



【2025/04/28 月】
  9時に家を出て、母自で、病院へ。 9時半に受付。

  すぐに内科に行きましたが、さんざん待つ事になり、診察されたのは、11時でした。 交代した、新任の糖尿病専門医は、若い男性でした。 30歳前後でしょうか。

  先週の血液検査の結果は、×。 肝臓の数値は、また、悪くなっていました。 インスリン注射が原因と思われていたのですが、そうではないのか、それだけではないのか、原因不明だとの事。

  肝臓専門の医師が、もっと大きな病院への紹介状を書いてくれたとの事で、どうするか訊かれましたが、断りました。 家から遠過ぎるからです。 そもそも、その大きな病院へ行けるのなら、最初から、そちらを選んでいます。 検査や治療に何回通う事になるかも分からないのに、一回で丸一日かかるような病院へは行けません。

  図らずも、今の病院では、この肝臓数値の異常原因をつきとめられない、つまり、治療できない事がはっきり分かりました。 肝臓数値が改善しない限り、鼠蹊ヘルニアの手術ができない事は、すでに分かっていたので、通院は、今日で終わりにしてもらいました。 糖尿病の治療について何も言われなかったのは、私の血糖値が下がっていて、インスリン注射も薬も必要ない状態になっていたからでしょう。 5月に入っていた、眼科の予約もキャンセル。 

  半年も通っているのに、鼠蹊ヘルニアの方は、全く治療を受けておらず、内科でも、複数の医師を盥回しにされ、うんざりしていたので、もう行かなくて済む事になって、清々しました。 少しでも、いい方へ向かっていれば、耐えもしますが、全く進まないとなると、半年は通い過ぎというものでしょう。

  肝臓数値の悪化ですが、特に何が原因というわけではなく、食事制限と運動療法で、生活習慣が大きく変わったせいで、体のバランスが狂っているのかも知れませんねえ。 肝臓専門の医師も、それらしい事を口にしていましたし。 そんなに微妙なバランスでは、調整のしようがありません。 とりわけ、食事が絡んで来るとなると、どの食べ物がどう影響しているのか、つきとめるのは、至難の業です。 入院して、検査を受けても、何ヵ月もかかってしまうでしょう。

  今の病院に通い始めてから、肝臓数値の悪化が始まったわけだから、通う前の生活に戻せば、治ると思うのですが、それをやると、今度は、血糖値が上がって、糖尿病が悪くなってしまいます。 やれやれ。 困った事になったものだて。

  とりあえず、しばらく、病院にはかからず、様子を見る事にします。



【2025/04/29 火】
  午後、血糖値計測してから、布団を取り込みました。 通院は終わりましたが、血糖値計測器の試験紙が、まだ、2ヵ月半分 残っているので、使い切るまでは、計測を続けます。



【2025/05/02 金】
  炭水化物を減らす為に、代わりに食べ始めた、しらたきですが、少しでも美味く感じられる食べ方を、少しずつ開発しています。 一回に食べる量は、半分です。 袋から、笊にあけて、水洗いし、水を切ってから、器に移します。

  めんつゆは、よほど濃くしないと、しらたきの臭みが消えないので、没。

  袋ラーメンのスープに入れて、少し煮るのは、OK。 ダイエット食に、「しらたき・ラーメン」を薦めている人が多いのも、頷けます。 ただし、スープを単独で買ったのでは、高くついてしまうので、あくまで、袋ラーメンのスープを流用するのが、条件になります。

  スープをしらたきに使ってしまったら、袋ラーメンの麺はどうするのか? やきそばにすれば、スープなしで食べられます。 焼くのは、手間がかかり過ぎるので、駄目。 ウースター・ソースをかけ、電子レンジでチンして、ふりかけをかけて食べると、ほぼ、カップ・やきそばの味になります。

  しらたきに話を戻しますが、麻婆豆腐に絡めて食べるのは、OK。 茄子のそぼろ餡かけに絡めるのも、OK。 しらたきに、ウースター・ソースをかけ、電子レンジでチンして、ふりかけをかけるのも試してみましたが、めんつゆよりはいいものの、美味というレベルには届きませんでした。

  ちなみに、炭水化物をしらたきで代用すると、血糖値は、覿面に落ちます。 だって、糖質を摂っていないんだものね。 計測対策のインチキ? そんな事はないです。 一日一食でも、炭水化物を外せば、長期的に見れば、ヘモグロビンA1Cが下がるのであって、やらないより、ずっと、マシです。 ただし、仕事でも遊びでも、その食事の後、体力を使う事が分かっている場合は、炭水化物を摂っておいた方がいいと思います。



【2025/05/10 土】
  ここのところ、どうも、疲れ易い。 体重は変わらないし、血糖値も低くなり過ぎてはいないのですが、明らかに、全身の肉が落ちています。 もしかしたら、屋内歩行で運動をし過ぎて、筋肉内の糖分を使い切ってしまっているのかも知れません。 肝臓の数値が悪化したのも、それが原因だったのでは? 少し、炭水化物の量を増やして、様子を見てみます。



【2025/05/22 木】
  どうも、体に力が入らないので、三食中一食を、しらたきにするのは、明日から中止し、歩行数も、1万から、8千に減らして、血糖値がどうなるか、様子を見てみようと思います。



【2025/06/03 火】
  三食中一食 食べていた、しらたきをやめ、麦飯や麺など、炭水化物に戻したところ、頭がクラクラしたり、異様な脱力を感じたりする症状は出なくなりました。 やはり、筋肉中の糖分が減り過ぎていたのでしょう。 この症状は、血糖値とは、直接的な関係はないようで、低血糖とは違うのです。 測ると、100以上、あるのです。 70以下が、低血糖ですから、だいぶ、開きがあります。

  血液中の糖分が減ったのを、筋肉から補っているのだと思いますが、糖尿病を宣告され、早く血糖値を下げようと、一気に、甘い物や、炭水化物を摂らなくなった人は、こういう症状が出てしまう可能性が高いと思います。 ただただ、糖分を絶てばいいというわけでもないわけだ。 難しい。

  私が病院から買った血糖値測定器は、試験紙が、あと1ヵ月半くらいで尽きます。 同じ製品は、市販されていないようなので、それ以降は、測れなくなります。 それまでに、正常な血糖値を維持できる、食事量と運動量を確立しなければならないのですが、この脱力症状は、一つの指標になるかも知れません。 脱力症状が出たら、炭水化物を増やせばいいわけだ。 症状が消えたら、また、しらたきにしてもいいと。



【2025/06/18 水】
  昨日、昼食後に測った血糖値が、196を出してしまい、顔色が青くなりました。 どうも、昼食後は、高くなる傾向があります。

  昼食での炭水化物が多過ぎると判断し、昨日まで、袋ラーメンを一杯食べていたのを、今日から、半分に減らしました。 ちなみに、他に、葉物野菜と、常備菜なども食べているから、ラーメンが半分になっても、満腹できないわけではありません。

  炭水化物を減らすと、筋肉から血液に、糖分をとられてしまい、力が入らなくなりますが、私の午後の日課は、昼寝と読書がメインなので、多少、へろへろ気味でも、たぶん、大丈夫でしょう。

  で、今日は、夕食前の計測でしたが、109でした。 これなら、空腹時の正常値内で、問題なし。 やはり、昼食のラーメンが多過ぎたのか。 計測器の試験紙は、あと、25日分くらいしか残っていませんが、使いきる前に、血糖値を安定させねばなりません。



【2025/06/20 金】
  今日、久しぶりに、食パンを買って来ました。 イオンのベスト・プライス商品に、5枚切りで、税込み、150円台のがあったので、昼食の袋ラーメン・半分を、食パン1枚に置き換えれば、ほぼ、カロリーが同じで、用意する手間は、遥かに楽になると思って。 確かに、楽でした。 血糖値を見ながら、しばらく、このパターンで行ってみようと思います。



【2025/06/24 火】
  3月中旬から、足が浮腫むようになり、特に、右足は、ひどかったのですが、延々と続いていたのが、ここ数日、漸く、治る兆しが見え始めました。

  今までの経過を書きますと、起きている間は、立っていても、座っていても、足の甲から、踵、脹脛にかけて、膨れ上がります。 横になっていると、多少、細くなりますが、完全に戻るわけではありません。 右足は、ずっと。 左足は、一時期、右足に近い状態になった事もありますが、期間は短かったです。 浮腫むようになった原因は、未だ、不明です。

  それが、この一週間くらい、浮腫みが収まって来たわけですが、その理由も分かりません。 暖かくなったからかも知れませんが、ただ単に暖かい日なら、それまでにもあったのであって、そうとも決められません。

  10日くらい前から、手指足指の運動を再開したのですが、それが効いたのかも知れません。 冬の間は、もちろん、やっていました。 冬が終わってから、やらなくなっていたのですが、「むしろ、暖かい季節にこそ、指の運動をすれば、毛細血管が通り易くなるのでは?」と思い、駄目元で、始めてみたのです。

  とにかく、浮腫みが治って来たのは、ありがたい。 靴を履く時にも、肉を押し込まなくて、済みます。 このまま、毛細血管の通りも良くなって、寒がりも治ってくれれば、先々の冬が凌ぎ易くなるのですがねえ。



【2025/07/10 木】
  血糖値計測ですが、試験紙と針が、残り、一週間分くらい。 今のところ、一週間平均、130以下で、安定しています。 空腹時、110以下は、ほとんど ないですが、食後でも、130前後という事が多いので、平均を取ると、低くなるのです。



【2025/07/11 金】
  尾籠な話で、恐縮ですが・・・。

  去年の暮れから、今年の正月にかけて、ひどい便秘になり、半月間も出なかった時期があったのですが、その後は、便秘体質そのものが治ってしまい、ほぼ毎日、出るようになりました。 出ない日があっても、二日は続きません。

  高校生くらいの頃から、働いている間を通して、ずっと、便秘体質で、一週間か、十日くらい出ずに、出始めると、硬い便から、水便まで、どさっと出るというパターンを繰り返して来ました。 引退後は、他人ストレスが減ったせいか、間隔が短くなり、三日か、せいぜい、五日に一回は出るように変わって、10年。 それが、今年の1月以降は、ほぼ、毎日出るようになったわけです。 糖尿病治療の食事制限で、食物繊維が豊富なものばかり食べるようになったので、そのせいでしょう。

  人生のほとんどを、便秘体質で過ごして来たので、便秘でない正常な便通というのが、どういうものなのか、分からなくなっていたのですが、今現在の感覚で言うと、常に、大腸内で、肛門近くまで、便が来ているという感じです。 便意は弱いのですが、トイレに座って、少しイキむと、スタンバイしていた便が、割と容易に出て来ます。

  以前は、出先で便意を催すと、急転直下という感じで、顔色真っ青で、店や施設のトイレに駆け込んだものですが、今は、便意自体が弱いので、尿と同じように、我慢が利きます。 家に戻ってから出しても、ゆうゆう、間に合うようになりました。 こういうのが、正常な便意なのかも知れません。



【2025/07/21 月】
  昨年10月から、毎日続けていた、血糖値計測ですが、今日の分で、試験紙を使い終わり、終了しました。 先に、針の方を使い切ってしまい、残り二回は、余っていたインスリン注射用の針を使いました。 ちゃんと、血が出ましたよ。

  最後の計測は、昼食後で、167でした。 食後としては、正常値内ですが、一週間平均で、135を目的にしていたので、ちと、高いです。 もはや、測りようがありませんが。

  市販の計測器セットが、売っている事は売っていますが、保険が利かないので、高いです。 それに、使った針を処分する方法がないので、買う気はないです。 今日まで使っていた針は、いずれ、通っていた総合病院へ行って、医療廃棄物入れに出して来る予定。



【2025/07/23 水】
  血糖値計測で使った針と、インスリン注射の針で、未使用のものを、医療廃棄物用の厚手ビニール袋に入れ、病院へ出しに行く準備を整えました。 明日、持って行きます。

  計測器本体と、穿孔器は、計測器の元箱に入れて、とりあえず、保存。 もう、使う事はないと思うので、いずれ、捨てる事になりますが。



【2025/07/24 木】
  総合病院へ。 何食わぬ顔で、自転車置き場に停め、何食わぬ顔で、中に入り、何食わぬ顔で、医療廃棄物入れがある部屋へ行き、針を捨てて来ました。 もちろん、何も言われませんでした。 そもそも、この病院で買ったものだから、捨てる権利はあります。 出して、清々しました。 これでもう、この病院に来る事は、二度とありません。




  闘病記は、これで、終わりです。 正確に言えば、闘病は、私が死ぬまで続くわけですが、とりあえず、病院に関連する記事が尽きたところまでにします。

  その後、検査をしていないから、血糖値や、肝臓の数値がどうなっているのか分かりませんが、自覚症状的には、まあ何とか、安定しているという感じ。 体重や、血圧は、変わりません。

  今にして振り返ると、肝臓の数値が悪化したのは、血糖値を下げる為に、糖分を控え過ぎて、エネルギーが足りなくなっていたからなのでしょう。 疲れ易い、体に力が入らない、という症状は、とっくからなくなっているから、今、病院へ行けば、肝臓の数値が正常に戻っている可能性は高いですが、病院通いには、ほとほと懲りてしまったので、行く気はないです。

  正直、今後、倒れたり、意識を失ったりしない限り、どんな病院へも、行く気は全くありません。 医療機関というものが、根本的に、信用できなくなったのです。 日本の医療は、構造に問題があり、制度的にも、現場的にも、崩壊しつつあるそうですが、自分の経験で、それを目の当たりにしてしまった感あり。

2025/12/07

読書感想文・蔵出し (131)

  読書感想文です。 今回 出す分で、高村薫さんの作品は、おしまい。 まだ、短編で読んでいないものがありますが、アンソロジー収録だと、他の作家の作品も読まなければならないので、気が進まず、借りていません。 短編集は、感想を書くのが大変なんだわ。 特に好きでない作家の作品を読むのも、苦痛ですし。





≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫

筒井康隆コレクション
株式会社 出版芸術社
2015年10月30日 第1刷発行
筒井康隆 著  日下三蔵 編

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーのシリーズ本の一冊。 基本、二段組み、一部、一段組みで、約593ページ。 分厚いです。 <欠陥大百科>全部と、<発作的作品群>の一部を収録。 <欠陥大百科>は、1970年5月刊行で、ショートショート、論考型エッセイを、百科辞典形式で編んだもの。 <発作的作品群>は、1971年7月刊行で、ショートショート、短編、講談、戯曲、座談会などを、集めたもの。

  どちらも、二段組み、300ページ近くもあるのに、<欠陥大百科>は、二日間で、<発作的作品群>に至っては、一日で読んでしまったわけですが、私の読書ペースは、そんなに速くないので、飛ばし読みした部分があるわけです。 特に、<発作的作品群>は、飛ばした飛ばした。

  <欠陥大百科>と同じように、寄せ集め作品集なのですが、<発作的作品群>の方が、当時、押し寄せる注文を捌く為か、テケトーに、もしくは、ヤケクソで、もしくは、投げ遣りに、もしくは、やっつけで書いたと思われるものが多くて、そういう作品は、読もうとしても、目がついて行かなかった次第。 筒井さんには、申しわけないですが・・・。

  <欠陥大百科>は、読むのは楽しかったものの、感想には困った。 収録作品が多過ぎて、一作ずつ書いていたのでは、一週間くらいかかってしまいます。 <発作的作品群>を読んで、ますます、困った。 ショートショートは、高いレベルなのですが、解題を読んだら、私がもっている文庫にも収録されている作品が多い事が分かり、ビックリ! 読んだのが大昔だから、忘れていただけだったんですな。

  【駝鳥】は、絵本になったのが、図書館にあると知り、探したけれど見つけられず、悔しい思いをしたのが、一年半くらい前の事。 ところが、原作が、新潮文庫の、≪笑うな≫に入っていたんですな。 私の部屋にあったではないか! これだけの傑作を忘れてしまう、私の記憶力って、どんだけ、いい加減なのよ?

  筒井作品でも、古いものの感想は書いていないので、≪筒井康隆コレクションⅢ≫に入っている作品の感想を書いてしまうと、他のものも書かなければならないような強迫観念に苛まれて、大ごとになってしまいます。 それは、怖い。 主だったものだけでも、一体、何百作あるのだろう? 感想を書いている途中で、私の寿命が尽きるのは、疑いなし。

  ここは一つ、個別作品の感想は避けて、全体の印象だけにしておきましょうか。 もちろん、今回は例外で、新作掌編小説の作品集が出たら、一作ずつ、感想を書きますけど。

  <欠陥大百科>も、<発作的作品群>も、筒井さんが売れっ子になった頃の刊行です。 出版社としては、本が出したくて仕方がない。 しかし、作品が足りない。 筒井さんが書いたものなら、小説でなくても、何でも売れると見た編集者が、雑誌に掲載された作品をジャンル構わず掻き集めた結果、この二冊が世に出たという流れ。 百科辞典の体裁をとっていたり、「発作的作品」という名前を付けたりしているのは、纏まりがないものを括る為の、苦肉のアイデアなんですな。

  ショートショートは、押し並べて、レベルが高いです。 しかし、その為に、この本を買う/借りるのだとしたら、迂遠な話で、文庫に入っているのを読んだ方が、手軽です。 筒井さんほどの作家ですから、出版社が、面白い作品を、文庫に入れていないはずがないのであって、大抵、どれかに収録されています。

  論考は、エッセイを長くしたようなもの。 ≪狂気の沙汰も金次第≫の各回に似た雰囲気がありますが、こちらは、長短まちまちなので、その点、些か、読み難いです。 ただし、中身は、分かり易いです。 学術的なものも多いですが、筒井さんは、自分が理解していない事は書かないので、衒学で素人を煙に巻こうとする傾向がある、学者・専門家が書いたものより、ずっと、分かり易くなるのだと思います。 取り上げられている題材が、1970年頃のもので、現代から見ると、応用が利かないくらい大きなズレが生じてしまっているのは、致し方ないところ。

  <発作的作品群>の中に、「発作的戯曲」として、【荒唐無稽文化財奇ッ怪陋劣ドタバタ劇 ―― 冠婚葬祭葬儀編】というのがありますが、これだけは、分からん。 題名の通り、ゴッチャゴチャの、グッジャグジャ。 一つの話になっていないと思うのですが、奇ッ怪な事に、これを本気で上演する予定だったというから、驚きます。 結局、ポシャッたらしいですが、無理もない。




≪我らが少女A≫

毎日新聞出版
2019年7月30日 発行
高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 なかなか戻らないので、予約を入れ、1ヵ月以上待って、ようやく借りる事ができました。 一段組みで、約527ページ。 毎日新聞で、2017年8月1日から、2018年7月31日まで、連載されたもの。


  女優志望だったが叶わず、風俗で働いている27歳の女が、同棲していた男に、つまらない諍いで殺される。 逮捕された男の証言から、女が高校生だった頃、元美術教師の高齢女性が殺された事件の現場にいた可能性が出て来て、12年間止まっていた捜査が再び動き出す。 かつて、彼女と関わった者達が、埋もれた記憶を掘り起こそうとするが、新しい事実は、なかなか出て来ない。 そこへ、当時、ストーカー紛いの事をしていた少年が死蔵していたケータイから、600枚の写真が出て来て・・・、という話。

  現在 起こった事件の方は、犯人がはっきりしていて、すでに逮捕されているので、何の謎もありません。 この小説で描かれるのは、昔 起こった事件の方です。 実際に、こういう再捜査が行なわれる事があるのかどうか知りませんが、12年も経っていると、関係者の記憶が、大幅に変容している危険性があり、不確かな捜査にならざるを得ないでしょうな。

  昔の事件では、捜査指揮者、現在は、警察大学の講師という設定で、合田雄一郎が出て来ますが、群像劇の一キャラに過ぎず、彼が何か重要な役回りを演じるというわけではないです。 つくづく、この人物、推理・犯罪小説の主人公としては、異色。 名探偵的な特徴は、ほとんど、見当たりません。 さりとて、フレンチ警部的な、地道な捜査が得意というわけでもないのだから、何しに出て来ているのか分からない。 もっとも、嫌な感じもしませんが。

  この作品の前の合田物というと、≪太陽を曳く馬≫ですが、そちらに比べると、ぐんと、推理小説度が高いです。 ≪マークスの山≫や、≪照柿≫が、犯罪小説だったのと比べても、この作品は、推理小説度が、ずっと高い。 合田物では、初めて、推理小説に近づいたにも拘らず、合田は、探偵役をしません。 何だか、捻くれた感じですが、高村さんらしい捻くり方と言えないでもなし。

  三人称の群像劇で、合田も含めて、6人くらいが、視点人物になり、彼らの見たもの、考えた事が、順不同で並べられるという体裁。 ブツ切りなのは、新聞小説として、一回分の進行で、読者の興味を引っ張る手法として考えたものだと思います。 ところが、これが、一冊の本になり、連続して読むと、面白い効果を出すんですわ。 いつまでも読んでいたいという、「点滴的陶酔感」に浸らせてくれるのです。 うーむ、高村さんのこの文体は、マジックだな。

  高村作品独特の、詳細な知識は、ゲームとSNSに関するもの。 ゲームはさておき、SNSの方は、ストーリー進行に果たす役割が大きいので、完全に溶け込んでいます。 他の高村作品のように、詳細知識の部分が、度が過ぎて、浮いてしまうような事はありません。 高村さん本人が、これほど、SNSを使っているとは思えないのですが、よくぞ、これだけ、調べたものです。 20歳前後の作家が書いているのかと錯覚を起こすくらい。 どっぷり浸かっている世代に取材するとしても、高齢になると、頭がついて行かないと思うのですが、高村さんは、それができるようなのです。

  推理小説度が高い証拠として、終盤、600枚の写真が見れる状態になると、強烈なゾクゾク感を覚えます。 12年間、死蔵されていたケータイに保存されていた写真、という設定が、こたえられませんな。 考古学の発掘から、歴史の真相が判明するのに似た興奮を感じるのです。 ただし、高村作品ですから、犯人が指名され、謎が解かれ、因縁話が語られ・・・、という終わり方にはなりません。 犯人は分かりますが、はっきり書いてあるわけでもないです。

  その点、明快な結末を望む推理小説ファンには、残念な事ですが、そもそも、推理小説の骨法を利用しているだけで、高村さんが描きたいのは、人間心理、人間模様なのだから、文句を言っても詮ない事です。 とはいえ、この作品に限れば、純文学ファンよりも、推理小説ファンの方が、馴染み易いとは言えるでしょうねえ。

  ラストで、視点人物の内、二人が死にます。 子世代が一人と、親世代が一人。 子世代の一人は、実質的な主人公と言ってもいいほど出番が多いので、「せっかく、人生がいい方向に進み始めたのに、可哀想に・・・」と思います。 親世代の一人も、気の毒な事では負けておらず、結局、血筋が絶えてしまったわけだ。 どちらも、別に、犯人というわけではないのだから、死なさなくても良かったような気もしますが、敢えて、そうしたところに、作者の人間社会に対する、覚めた目線、乾いた感覚が覗えます。

  そうそう、昔の事件の被害者については、小指の爪の先ほども、気の毒だとは感じません。 殺されるのに相応しいような人格だからでしょうか。 そんな事を言い出せば、該当する人物は、世に溢れているわけですが・・・。 元教師では無理もないかも知れませんが、60代後半で、まだ、他人に説教をくれている人間なんて、社会的に有害なだけです。




≪半眼訥訥≫

株式会社 文藝春秋
2000年1月30日 第1刷
高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 主に、1990年代後半に、新聞や雑誌に掲載されたエッセイ、70作と、講演記録、1作を収録。 一段組みで、全体のページ数は、約270ページですが、余白が多いページもあり、正味の文章量は、200ページくらいだと思います。 読書習慣がある人で、閑なら、一日で読めます。

  題材として取り上げている対象は、文化、社会、小説、音楽、介護、宗教、犯罪と、多岐に渡ります。 「多岐に渡る」というと、カッコいいですが、別の言い方をすると、バラバラ。 数年間に跨って、間歇的に掲載されたエッセイ群ですから、統一性がないのは、無理もない事です。 作者が誰であるかに関わらず、エッセイ集では、よくある事。

  テーマを絞って連載されたと思われる、第5章、「家のつぶやき」、26作は、一番、読み応えがあります。 高村さん独特の観察眼が、充分に活かされていて、大変、面白いです。 第7章の、音楽がテーマの3作も、纏まっていますが、残念な事に、私の方に造詣が足りなさ過ぎて、目がついて行きませんでした。 興味がある向きには、面白いと思います。

  それ以外の作品ですが、全体の印象としては、「かたい」ですかねえ。 文体も硬いし、考え方も堅い。 小説の方の印象から、風変わりな考え方をする人かと思っていたんですが、外れました。 特に、犯罪に関しては、大外れしまして、小説から想像していた、犯罪者への興味は、さほど強いものではない様子。

  社会問題は取り上げても、それに関わる政治の話題は避けているように思えますが、これは、たぶん、知能が高い作家に見られる、用心でしょう。 特に強い興味がないのに、余計な事を書いて、お上に睨まれるリスクを避けようと図っているのでは? 下司の勘繰りかも知れませんが。

  小説家としての高村さんは、特異な人物だと思うのですが、その印象は、このエッセイ集を読んだ後でも、変わっていません。 ただ、小説の方からイメージされるような突飛な考え方はしない、至って、堅実な人格の持ち主のようですな。 こういう人物が、ああいう小説を書くというのは、意外ですが、何か、私には窺い知れない、脳のメカニズムが働くのかも知れません。

  「知能の高い人は、戦略的に嘘をつくので、小説の方が本物で、エッセイは、堅実な人格を装う為の嘘なのではないか?」とも疑えますが、そこまで穿つと、本当に、下司の勘繰りになってしまうので、やめておきます。




≪刺青殺人事件 新装版≫

光文社文庫
株式会社 光文社
2013年10月20日 初版1刷発行
2018年 8月10日   2刷発行
高木彬光 著

  沼津市立図書館にあった、文庫本。 401ページ。 1947年に書かれたものの、新人の長編は、紙不足の時節柄、出版社から敬遠されたのが、江戸川乱歩の目にとまって、翌48年に刊行。 1953年に、改稿されて、2倍の長さになり、今に至るとの事。


  名人彫師の父親によって、見事な大蛇の刺青を入れた女が、自宅の浴室で、首と手足だけの死体となって発見される。 胴体はなかったが、その浴室は、密室となっていた。 数名の容疑者が浮かぶが、完璧なアリバイがあったり、性格的に知能犯たり得なかったりと、絞り込む事ができない。 警察の捜査が行き詰る中、死体の発見者となった青年の大学の知人に、復員して来たばかりの名探偵がいて、彼に事件の情報を与えるや、たちまち・・・、という話。

  高木彬光さんの処女作にして、神津恭介が初登場する作品。 2サスの、≪探偵・神津恭介の殺人推理≫シリーズの、第1話も、この話でしたが、力が入った作りだったので、見た事がある人なら、覚えているのでは? とりわけ、人間の体から剥がした刺青の皮が出て来た場面は、鮮明に記憶に焼きついている事でしょう。

  本格トリック物。 浴室の密室トリックは、機械的なものですが、それが見せ場ではなく、密室物の発想を逆転したトリックが用意されています。 当時は、新規軸だったと思いますが、その後、このパターンは、様々な作家が、様々な作品でなぞったので、2サスを見ている人ほど、「ああ、この手か…」と、既視感を覚えると思います。

  冒頭の、刺青文化に対する薀蓄は、硬いですが、ストーリーが語られ始めると、発話だけで進行する部分が多くなり、俄然、読み易くなります。 ラノベ級と言っても、あまり、外れていないでしょう。 400ページもあるのに、私が、二日で読んでしまったのも、その読み易さゆえです。 クライマックスからラストまで、犯人指名と謎解きに入ると、また、硬くなりますが、そこに至る前に、読者に対して、事件のあらましの説明が済んでしまっているので、頭を使わなくても、理解できます。

  アイデアは良いと思いますが、ゾクゾク感は、あまり、強くありません。 何だか、理屈で押し切られて、煙に巻かれてしまったような読後感。 頭では理解できるのですが、面白いとは思わないのです。 探偵の神津恭介が、スマート過ぎるからでしょうか。 明智小五郎は、変格物の探偵だから、別扱いにするとして、同じ本格物の探偵、金田一耕助と比べると、欠点がなさ過ぎて、逆に、古さを感じてしまいます。

  探偵を、天才的に頭が良い人物に設定する事は、割と容易でして、警察を愚かで無能な集団にしてしまえば、相対的に、探偵の賢くて有能なイメージが際立ち、推理小説として、格好がつくようになります。 しかし、この手は、推理小説を読み込んでいる読者には、すぐにバレてしまうので、アイデアが優れていないと、作品の評価は高くなりません。

  神津恭介という人物、「名探偵は、スマートでなければいけない」と思っている向きには、こたえられない魅力があると思うのですが、「欠点もあって、初めて、人間的魅力が出る」と考えている向きには、気障というか、非人間的というか、リアリティーを欠くキャラに見えるんじゃないでしょうか。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪筒井康隆コレクションⅢ 欠陥大百科≫が、9月7日から、9日。
≪我らが少女A≫が、9月12日から、15日。
≪半眼訥訥≫が、9月17日から、19日。
≪刺青殺人事件 新装版≫が、9月20から、21日。

  読書感想文のシリーズで、こういう告知をするのも、不適当なのですが、この、ブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新を終了するつもりでいます。 感想文シリーズは、月に一回だから、今回が最後という事になります。 131回も続いたとは、改めて、驚きました。 大抵、4冊ずつだから、500冊以上、読んで来た事になりますな。 それにしては、知識浅薄なままですが。

  ≪心中宵更新≫の、新規更新終了の理由は、「実話風小説シリーズ」を打ち切って以降、独自の書き下ろし記事がなくなり、ブログ≪換水録≫からの再編集移植ばかりになったので、独立したブログを維持している意味がなくなってしまったからです。

  そもそもの原因は、私の健康状態が思わしくなくて、様々な事に取り組む意欲が減退した事にあるのですが、それは、現状では、解決できない事なので、致し方なし。 私も、もう還暦を過ぎた事ですし、つまらない欲を掻かずに、最低高度で、落ちない程度に、飛行を続けようと思うのです。

  ブログ≪心中宵更新≫の新規更新終了に関しては、年末に、また、改めて、告知します。 ちなみに、私が本拠にして、毎日更新している、ブログ≪換水録≫のURLは、「https://kansuiroku.seesaa.net/」です。

2025/11/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング (74)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、74回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年10月分。





【函南町桑原・かんなみ仏の里美術館付近】

  2025年10月6日。 車での買い出しから帰った後、バイクで出かけ、函南町・桑原にある、「かんなみ 仏の里美術館」付近へ行って来ました。 ここにある事は、前から知っていましたが、目的地にしたのは、初めて。 ただし、中に入ったわけではありません。 道路から、建物の写真を撮っただけ。 入らない理由は、有料である事もありますが、それより何より、仏像に興味がないからです。

≪写真1≫
  「かんなみ 仏の里美術館」を、南側のT字路から見上げました。 当地の有名なお寺にあった仏像群が、函南町に寄贈され、それを収める為に造られた施設のようです。 ホーム・ページがあるので、詳しい事は、そちらを参照あれ。

≪写真2≫
  T字路南の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 交通量が少ない割に、道路の幅が広いので、バイクはもちろん、車であっても、不安なく停められます。 ただし、美術館に入るのなら、中の駐車場に入れた方がいいです。

≪写真3≫
  帰りに見かけた、谷あいの風景。 月並みな形容ですが、日本の原風景ですなあ。

≪写真4≫
  行きに見かけて、帰りに撮影した、八重の芙蓉。 色は白ですが、赤い色素をもっているようで、萎んだ花殻は、赤くなっていました。




【函南町大竹・宗時神社】

  2025年10月13日。 函南町・大竹・にある、「宗時神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 北条宗時と狩野茂光の墓があるとの事。 北条宗時は、政子や義時の兄で、頼朝の旗揚げ後、真っ先に死んでしまう人。

  函南駅の西側に位置する、高台の上にあります。 坂が急で、一番近いところからでは危なっかしかったので、少し駅寄りに向かい、傾斜の弱い道から上がって、逆方向から辿り着きました。

≪写真1左≫
  路肩が広がっている場所があったのですが、こんな注意書きが。

「駐車禁止 宗時神社参拝者に限り利用下さい」

  つまり、私は、停めてもいいわけだ。

≪写真1右≫
  他の参拝者が車で来たら、邪魔になると思い、なるべく、隅の方に停めました。 ここも坂になっています。 必ず、前が高くなる向きで、サイド・スタンドをかけます

≪写真2左≫
  境内へは、徒歩で階段を登って行きます。

≪写真2右≫
  境内にあった唯一の建物。 神社という名前になっていますが、これは、社殿ではないようです。 どうやら、墓が祭祀対象になっている、特殊な神社のようです。 

≪写真3左上≫
  見難いですが、これが、墓。 大きい方が、北条宗時のもので、小さい方が、狩野茂光のものらしいです。

≪写真3≫
  石造物群の全景。 墓は、この中にあります。 向かって右の方にある石碑は、昭和19年(1944年)に建てられた、「北条宗時 狩野茂光 碑」。 ところが、裏側には、「祈願 大東亜戦勝」とあり、そういう目的の石碑だった事が分かります。

≪写真4左≫
  石燈籠。 シンプルなタイプ。 笠が、妙に小さい。

≪写真4中≫
  QRコードで、案内動画が見られるようです。 こういう時代か。

≪写真4右≫
  手水というよりは、ただの流し。 高台の上ですが、ここより高い所に住宅地があるので、水が引いてあっても、不思議ではありません。

≪写真5左≫
  咲いていた、黄色い花。 1センチ以下の、小さな花です。 家に帰ってから、大きな画面で写真を見たら、片食み(カタバミ)でした。

≪写真5右≫
  南西方向の眺望。 なぜ、ここに墓を作ったのか分からなかったのですが、もしかしたら、ここから、北条氏の根拠地、韮山の守山が見えるのでは? ちなみに、墓を作ったのは、宗時の父親の、北条時政だとの事。



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函南町間宮・田方自動車学校】

  2025年10月24日。 函南町・間宮にある、「田方自動車学校」へ行って来ました。 ネット地図で見つけました。 国道136号線と、伊豆中央道が交わる交差点から、少し東へ引っ込んだ所にあります。 この辺りは、函南町で最も商業施設が集まっている所です。

≪写真1≫
  南東に、正門があります。 中心的な建物。 教習所としては、平均的なサイズですな。 縦の看板には、「T.D.S. 静岡県公安委員会指定 田方自動車学校」とあります。 私が、大二輪の教習を受けた、沼津市の「東部自動車学校」も、英語にして、頭文字を取れば、「T.D.S. 」になりますが、検索すると、田方の方しか出て来ないから、登録商標になっているのかも知れません。

≪写真2≫
  北西側から、コースを見ました。 いつもながら、平地の視点で、教習所のコース写真を撮るのは、難しいです。 坂道発進をやる小山は、写っていませんが、西の端にありました。

≪写真3≫
  普通免許の教習車は、マツダの3代目アクセラ・セダンのようです。 私は、3代目アクセラ・セダンと、現行のマツダ3・セダンの見分けがつかないのですが、ネット情報によると、3代目アクセラには、ベスト・セラーの教習車があるのに対し、マツダ3には、ないようなので。

≪写真4左≫
  大型や、二輪も教えているようです。 ホーム・ページで調べたら、大二輪も。 今は、どこの教習所でも、そうなのかも知れませんが。

  教習用バイクを、遠くから撮りました。 この2台は、ガタイ的に見て、大型のようですが、私が最新のバイクに興味がないせいで、車種が全く分かりません。

  迷える教習生達に、老爺心から告ぐ。 教習用バイクが、どんなにカッコ良く見えても、うまく乗れるとは限らんのだぞ。 特に、バランス感覚が悪くて、一本橋を、速度に関係なく、渡り終えた事が一度もないなどという人は、二輪そのものを諦めた方がいいかも知れません。 こればっかりは、体質だから、練習して、どうなるというものでもないです。

  高校が鉄道・バス通学で、自転車にも、ほとんど乗った事がないという人は、バイクなんて、危ない危ない。 死ぬ為に、お金を払い、努力しているようなもの。 何とか免許を取っても、自分のバイクで公道を走り始めて、何日もしない内に、あの世行き、という例もあります。 もちろん、教習所の責任ではないです。

≪写真4右≫
  これは、教習所の北東にある、資源ステーションに停めた、私のバイク、EN125-2A・鋭爽。 教習所に、125ccで乗り付けても、大二輪はもちろん、中免の教習生にも馬鹿にされそうですな。 とはいえ、私は、大二輪の免許は持っていても、大きいのに乗りたいなどとは、つゆほども思いません。 重いから。 歳も歳ですし、鋭爽が最後の一台になる事は、もう決まっています。 極力、大事に乗らなければ。

  この日は、ドス曇りで、家を出た時には、多めのポツポツ雨まで降っていたのですが、日程の都合があって、なかば ヤケクソで出かけました。 大平トンネルを抜けたら、東側は降っておらず、家に帰るまで、何とか、もちました。 帰ってから、濡れタオルで、塗装面とプラスチック面を、油ウエスで、メッキ部品を拭いておきました。


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【函南町上沢・函南町文化センター】

  2025年10月29日。 バイクで、函南町・上沢にある、「函南町文化センター」へ行って来ました。 静岡県内の石碑のリストがあるのですが、その中に、「狩野川台風記念碑」が、「函南町中央公民館」にあると出ていました。 ネットで調べてみたら、施設の名前が変わって、今は、「函南町文化センター」になっているとの事。 地図を暗記して、出かけて行ったというわけ。

≪写真1≫
  行ってみたら、前にも来た事がある所でした。 帰ってから、日記を調べたら、2017年2月26日に、折自で来ていたのです。 このブログの日替わり写真にも、2017年3月31日付けで、「6506 ≪函南町立図書館を見に行く≫」として、紹介してありました。 その時は、図書館を見に行ったのですが、そのすぐ隣が、文化センターで、そちらの写真も撮ったのでした。

  記憶はあったのですが、名前を忘れていて、同じ所だとは思わなかったんですな。 まあ、ツーリングの方が主目的だから、バイクで来たのが初めてなら、問題ないか。

  この写真は、西から見た様子。 こちら側に、正門があります。

≪写真2≫
  南から見ました。 中央に、正面出入口があります。 手前は、広い駐車場になっています。

≪写真3左≫
  「定礎 昭和61年3月吉日」。 1986年です。 この種の施設の建物としては、まだまだ、新しい内。

  1986年は、私が、3年間のひきこもりを脱して、働き始めた年。 普通免許を取って、車を買い、乗り始めた年。 ワープロを買った年。 何かと、思い出が多いです。 この建物は、その頃に出来たんですなあ。

≪写真3右≫
  北側。 窓がない大きな壁面は、何となく、シュールですな。

≪写真4≫
  すぐに西側を南北に通っている、伊豆縦貫自動車道。 この辺りは無料区間ですが、私は車でもバイクでも、一度も走った事がありません。

≪写真5左≫
  駐車場の端で繁茂していた、宿根朝顔。 普通の朝顔は、もう、花が終わっている季節ですが、宿根は、かなり寒くなっても、咲いています。

≪写真5右≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 西側に、駐輪場があるのですが、東側から敷地に入ったので、気づかず、すいていたのをいい事に、駐車場に停めました。

  バイクを下りて、建物の周りを一周してみましたが、「狩野川台風記念碑」は、見当たりませんでした。 まさか、屋内にあるんですかね? 石碑だから、そんな事はないと思うのですが。




  今回は、ここまで。 10月は、終活の書類処分や、井戸水ポンプ異常の原因究明など、イレギュラーでやる事が多く、プチ・ツーリングは、楽しみというより、負担になってしまいました。 やはり、趣味は、他にやる事がない時に、心のゆとりを持って取り組むものですな。

2025/11/23

時代を語る車達 ⑰

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 今回から、後文を廃止して、4台目の解説文で、終わりにします。 わざわざ、後文で纏めるほどの内容ではないので。





【ルノー・2代目カングー】

  ルノーの、2代目カングー。 2007年から、2021年まで、生産・販売されていた車型。 デザインの印象は、初代と、ほとんど変わりません。 カングーは、もしかしたら、日本国内で最もよく見るフランス車なのではありますまいか? トヨタ・ファンカーゴに似ていますが、初代カングーは、1997年の登場で、ファンカーゴは、1999年からですから、ファンカーゴが、初代カングーを真似たのは、疑いないところ。

  この種の、ユーティリティー車は、車内容積の縛りがあるので、似たような形状になり易いですが、それを勘定に入れても、ファンカーゴは、初代・2代目カングーに似ていると思います。 パクリと言っても、特に言い過ぎにはならないくらい。 もっとも、こういう車は、使い勝手の良し悪しでナンボなので、細部のデザインを云々しても、意味はないです。

  この写真の車、色が褪せているように見えますが、然にあらず、黄色とオレンジ色のツートンなんですな。 この車を選ぶ人は、たぶん、目立ちたがりだと思うので、こういう色合いの方が、気分がアガるんでしょうな。 私の趣味からは遠い世界の話ですが、理屈だけでなら、理解できます。

  ところで、カングーって、3ナンバーだったんですねえ。 すると、税金も高いわけだ。 車のイメージ的に、金持ちが乗る車という感じがしませんが、お金に余裕がないと、維持できない車だったんですなあ。 知らなかった。




【ソフト・トップ車と置き場所】

  上は、BMW・3代目Z4で、2019年から、現行。 下は、マツダ・4代目ロードスターで、2015年から、現行。

  なんで、二台一絡げ扱いなのかというと、私が、スポーツ・カーに、興味がないからです。 一家言どころか、マイナス一家言もありません。 興味がないのに、なぜ、撮って来たかというと、ソフト・トップ車の置き場所について、ちょっと、意見があるからです。

  この二台とも、露天駐車ですが・・・、駄~目だって、雨曝しは。 ソフト・トップは、防水処置はしてあるものの、所詮、布製なので、雨風を受けたら、どんどん、ヤレて、見る見る、劣化。 やがては、ボロボロになってしまいます。 破れが出たら、雨漏りで、目も当てられない事になります。

  50年代頃の英米映画を見ると、主人公、もしくは、相手役が乗っている車が、軒並み、オープン・カー。 もちろん、スポーツ・カーです。 それが許されたのは、彼らが、貴族、事業家、資産家、高収入の著名人など、裕福な階層に属していたからです。 金持ちですから、屋敷には、堅牢な車庫があるのであって、露天駐車などしません。 出かける時には、基本的に、オープンで乗り、ソフト・トップは、出先で雨に降られてしまった時に、やむなく使う為のものだったのです。 その程度の出番なら、布製でも、そこそこ、長もちすると思います。

  ソフト・トップは、本来、露天駐車を前提にした装備ではないんですな。 乗りたい気持ちは分かるし、所有したい気持ちも分かりますが、それは、社会的に成功し、車庫がある屋敷に住めるくらい、裕福になってからにした方がいいんじゃないでしょうか。 もちろん、車本体を買うお金があれば、何を選ぼうが、当人の勝手ですが、ソフト・トップ車の正しい保管場所について、知識がある者から見ると、露天駐車は、大変、大変、非常に、非常に、貧乏臭く見えてしまうのです。 そこが、月極駐車場なら、尚の事。

「ヤレたら、張り換えればいい」

  それも、どうかと思います。 たぶん、仰天するほど、お金がかかりますよ。 また、ソフト・トップの張り換えなんて、どこの整備工場でも、滅多にやらない事ですから、慣れた整備士がいません。 「あっ! 破いちゃった!」なんて事になっても、整備工場側で、弁償してくれるかどうか怪しいもの。 こっそり、キットを購入し直した分を、手間賃に加算して、請求して来るかも知れません。 自動車業界では、客を騙すのは日常茶飯事ですから、やられかねませんな。

  ≪名車再生 クラシック・カー・ディーラーズ≫という、車のレストアをする番組で、時折り、ソフト・トップの張り換え作業をやりますが、テレビ番組にレギュラー主演するほど腕がいい整備士でも、大いに、てこずっている様子。 そういう、超が付く難物なんでしょう。 キットが買えるとしても、「自分でやる」なんて、間違っても思わない事です。 さんざん頭を抱えた末に、キットを駄目にして、元の木阿弥になる姿が目に見えるようだ。 敗北感は、半端ないでしょうな。

  オープン・カーにも、ハード・トップがありますが、あれもねえ。 金属製の開閉機構を積むのだから、途轍もなく重くなるに決まっているんですよ。 軽い事が、性能に大きく関わって来るスポーツ・カーを、わざわざ、重くしていて、どうする? それほどまでにして、オープン走行に拘る理由が分からない。

  結局、一般人が選べるのは、タルガ・トップか、Tバー・ルーフくらいのものでしょうか。 とにかく、ソフト・トップの露天駐車は、やめときなさいって。 惨めになるだけだから。 土台、雨が多い日本の気候じゃ、オープンで走るなんて、ほとんど、やらないんでしょう? 買って、最初の一回か二回で、開閉の面倒臭さにうんざりしてしまって、後は、手放すまで、閉めっ放しだった、なんて例は、ザラにあると思います。 そうなる自分を予測できる人は、最初から、オープン・カーを買わないのが、一番ですな。




【トヨペット・3代目コロナ】

  函南町・日守にある、露天の車置き場に、もうだいぶ以前から置いてある、トヨペット・3代目コロナ。 1964年から、1970年まで、生産・販売されていた車型。 古い・・・。 よく、残っているものです。 この写真だと、分かり難いですが、ネットで検索してもらえば、割と特徴的なフォルムなので、「ああ、これか」と思う人も多いのでは?

  私が子供の頃、兄と同年の友人が、近所に住んでいて、確か、その家の車が、これだったのでは? いやいやいや、記憶が定かではありませんな。 とにかく、私が子供の頃には、よく見かける車でした。

  その頃のデザインとしては、スラント・ノーズで、子供の目にも、カッコ良く映っていました。 当時、アメリカ車を真似た、鮫形フォルムが流行っていて、コロナも、次の4代目では、それっぽくなってしまうのですが、鮫形は、子供の目には、グロテスクにしか見えませんでしたから、比較して、スラント・ノーズの、この車が、カッコ良く見えたのだと思います。

  ちなみに、スラント・ノーズというのは、車の前端を、横から見た時に、上より下が前に出る角度で、傾斜がついている形の事。 垂直になっているものや、下より上が前に出ているものには、特に、名称がないようです。

  この車、2018年の、4・5月頃に流されていた、三菱UFJ銀行のテレビCM、「カード・ローン バンクイック パッキング篇」で、出張の旅に出かける男性(阿部寛さん)の車として、赤いのが使われていました。 綺麗にレストアすれば、欲しがる人もいる事でしょう。 雑草に埋もれさせておくのは、惜しい。




【三菱・6代目ミラージュ】

≪写真上≫
  三菱の、6代目ミラージュです。 日本国内では、2012年から、2023まで販売されていた車型。 ミラージュは、かつては、カローラ・クラスのサイズでしたが、この6代目は、一回り小さくなり、排気量も、1リットルと、1.2リットルと、リッター・カーになりました。

  この車のいいところは、大きさの手頃感ですかね。 両親と、小学生以下の子供二人くらいの家族が出かけるには、最も使い易いサイズだと思います。 親子四人というのは、1960年代後半、マイ・カー時代が始まった頃の、平均的な家族構成ですが、当時 売れていた、初期のカローラ、サニー、ファミリアなどに近いサイズなのです。 日本人の体格は、その頃より大きくなりましたが、前席の大人が普通に乗れれば、後席は子供ですから、狭いという事はありません。

  デザインは、特に絶賛するほどではありませんが、まあ、今風のハッチ・バック車のそれですな。 安定感よりも、躍動感を重視している点は、時代に迎合していますが、迎合し過ぎて、SUV風に流れなかった点は、評価できます。 纏まりは、極めて良いです。

≪写真下≫
  後ろ姿。 リヤコンの形も、いいです。 昨今、どのメーカーの、どの車種も、鰹節みたいな形のリヤコンばかりになってしまいましたが、こんな風に、さりげない個性を盛り込もうと思えばできるのだという、証明になっています。 バック・ドアの、プレス・ラインも、車体側面のそれと、セットになっていて、悪くない。

  私は、エアロ・パーツは、全般に嫌いなんですが、この車のバック・ドア上のスポイラーは、違和感がありませんな。 むしろ、とってしまうと、悪くなるような気がしないでもなし。

2025/11/16

庭景色 ②

  11月は、更新日の日曜が5回もあり、埋めるネタがないので、日記ブログの方から、自宅の庭で撮った写真と、その解説文を転載します。 前回は、8月に、5・6月に撮った写真を出しましたが、今回は、7月後半から、9月後半まで。





【芙蓉 / 向日葵 / 百合 / モチノキ / 仕切り格子の扉を補修】

≪写真1左≫
  7月17日の撮影。 北東芙蓉の第一輪。 撮影が午後になったので、花弁の縁が、もう、萎れ始めています。

≪写真1右≫
  7月27日の撮影。 北東芙蓉。 今年は、新しい枝の背丈があまり伸びず、蕾が少ないです。 一日に、1・2輪ずつ、リレー式に咲いて行きます。

≪写真2左≫
  7月25日の撮影。 ダイソーで買って来て、南通路に種を播いた向日葵の、第一輪が咲きました。 想像していたのより、小さい花でした。

≪写真2右≫
  7月27日の撮影。 同じ花の、二日後の様子。 芯の黒点がある突起が、中心部に向けて、数を増やしています。 これらが、いずれ、種になるんでしょうな。

≪写真3左≫
  7月25日の撮影。 西塀花壇の、細葉鉄砲百合(ホヒバテッポウユリ)。 第一輪です。 下を向いて咲くので、写真が撮りづらい。 

≪写真3右≫
  7月27日の撮影。 東南花壇のモチノキ。 また伸びて来たので、刈り込み鋏と、剪定鋏で、切り戻しました。 背が高くなると、隣家の敷地に、大きな葉が落ちてしまうのです。

≪写真4左≫
  車置き場・南の、仕切り格子に付いている扉ですが、格子として入れている園芸用・緑支柱の一本が、錆びて腐ってしまい、以前、継ぎ手を作って、繋いであったのが、更に腐食が進んで、短くなってしまいました。 これが、腐食部分。

≪写真4中≫
  短くなったので、上に隙間が出来てしまっています。 この扉は、日中は、庭への侵入を防ぐ防犯の役割を担っているので、このままでは、無用心です。 こんな小さな隙間から、何ができるというわけでもありませんが、腐食をそのままにしてあるというだけで、犯罪者に付け入られてしまう恐れがあります。

≪写真4右≫
  7月27日に、本格的に修理しました。

  新しい支柱は、物置にあった、同じ長さ・太さの物を使用。 扉の上の角材を、木ネジを緩めて外し、支柱を入れ換えて、元に戻しました。 思っていたより、簡単に事が済みました。 釘ではなく、木ネジを使ってあったから、ドライバー1本で外す事ができたのです。

≪写真5左≫
  アフター写真。 上の隙間がなくなりました。

≪写真5右≫
  扉の全景。 普段、この扉を閉め、掛け金をかけた上で、ワイヤー・ロックを施してあります。 乗り越える事はできるわけですが、普通、大人は、そういう荒っぽい事は避けたがりますから、心理的な防犯効果が期待できます。


  仕切り格子も扉も、作ったのは亡き父です。 そもそもは、防犯目的ではなく、柴犬シュンを裏庭で放し飼いにする為に作ったもの。 「支柱が腐った時、容易に交換できるように、釘ではなく、木ネジを使った」というわけではなく、たまたま、その頃、父が日曜大工をするのに、長い木ネジを使うのに嵌まっていたのだと思います。 土に埋めてあるわけでもないのに、園芸用の支柱が腐るなんて、普通、思いませんからねえ。




【百合 / 百日草】

  8月8日の撮影。

≪写真上≫
  東南花壇の百合。 ここは、日が当たるので、絵になり易いです。 種を播いたり、球根を植え替えたわけではなく、自然に生えて来たもの。

≪写真中≫
  西塀花壇の百合。 ここは、だいぶ前ですが、種をごそっと播きました。 1万2万も播けば、このくらいは育つわけだ。 今年もたくさん、蕾が出来ましたが、去年までほどではなかったです。 暑過ぎたせいかも知れません。

≪写真下左≫
  蕾の状態で、割れてしまったもの。 今年は、こういうのが、多かったです。 たぶん、暑過ぎたせいだと思います。

≪写真下右≫
  ダイソーで種を買って来た百日草に、花の第一輪が咲きました。 想像していたのより、だいぶ、貧弱で、みすぼらしいものでした。




【百日草 / 南通路の芙蓉】

≪写真上左≫
  8月17日に、「PENTAX X70」で撮りました。 池跡に置いた鉢で咲いた百日草。

≪写真上右≫
  8月18日に、「FUJIFILM FinePix JX550」で撮りました。 同じ花ですが、カメラが違うと、だいぶ、違う写真になりますな。 写りはさておき、前日と比べて、中心部の小さな花の数が増えています。 おそらく、周辺部の大きな花弁は、本物の花弁ではないのでしょう。

≪写真下≫
  8月18日に、撮影。 南通路の芙蓉です。 この数日前から咲き始めたのを、萎んだ花殻が地面に落ちているのを見て、気づきました。 北東芙蓉は、7月17日から咲いているので、一ヵ月近く遅れた事になります。 北東芙蓉から分かれた株なのに、なぜ、こんなに開花時期がズレるのか、解せません。 日当たりは、南通路の方が、ずっと、いいです。

  上の方で咲くので、葉に隠れて、見えません。 これは、枝を引っ張って、撮った次第。




【藪蘭の花 / 藪茗荷 / 青紫蘇】

  9月8日の撮影。

≪写真上≫
  プレハブ離屋の西南の、ブロック塀際に自然に生えて来て、群落を作った、藪蘭(ヤブラン)に、花が咲きました。 他の植物に埋もれてしまいましたが、花が咲くと、健在である事が分かります。

≪写真下左≫
  物置の北側に自然に生えて来て、群落を広げている、藪茗荷(ヤブミョウガ)。 花と実が同時につきます。

≪写真下右≫
  第1落ち葉溜めの北側に、土を盛っておいたら、自然に生えて来た青紫蘇が、こんなに大きな株になりました。 土は、松葉や槙の葉から出来た腐葉土なのですが、紫蘇と相性が良かった模様。

  一回に、20枚ずつ摘んで、全部で何回 収穫したか覚えていないくらい、多くの葉が採れました。 専ら、天麩羅にして食べました。




【実生ランタナの花】

  昨年、2024年の7月28日に、歩道に生えていた株から、種を採って来て、鉢に播いたランタナですが、芽はすぐに出たものの、成長は遅く、一年以上 経って、ようやく、花が咲きました。

≪写真上≫
  9月22日の撮影。 実に、ランタナ的な、華やかな色ですな。 別名が、「七変化」で、色が変わって行くらしいのですが、出先で見る株では分かりません。 この花で、じっくり観察してみようと思っていたのですが、変化を見る前に、萎れてしまいました。

≪写真下≫
  玄関に入れた、鉢の全景。 うちには、客は来ないのですが、玄関に入れたのは、母に見せる為です。 母は、特に花が好きというわけではなく、一回見れば、もう、興味がなくなります。

2025/11/09

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑪

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の3月4日まででした。 今回は、その続き。 そろそろ、終わりが見えて来ました。 このシリーズが終わったら、次は、何にしましょうか。 また、悩みの種が増えてしまったな。




【2025/03/11 火】
  午後2時前から、病院へ。 前回に続き、雨ですが、自転車で行って、濡れ鼠になった大失敗に懲りて、今日は、車で行きました。 片道15分くらいなので、距離的には、全く大した事はありません。 有料になってから、駐車場を使うのは初めてですが、予め調べて行った甲斐があって、割と簡単に、発券機と精算機の操作ができました。 外来患者は、割引されて、6時間まで、100円。 その程度の出費なら、前回も、車で行けば良かったです。 後悔、先に立たず。

  今日は、内科で、肝臓の専門医の初診です。 着くなりすぐに、問診があり、それから、血液検査。 尿検査は、なし。 1時間くらい待って、呼ばれました。 問題の肝臓数値は、前回よりは下がったとの事。 食前インスリン注射をやめてから、一週間と一日経っているので、原因は、インスリン注射だったのかというと、そうは決められず、一回 下がっただけでは、判断できないので、2週間後に、また検査して、続けて二回 下がっていたら、たぶん、それ、という事になるのだそうです。

  もう、鼠蹊ヘルニアの手術は、ほとんど諦めており、どうでもいいです。 とりあえず、今月末までは、その病院へ行くつもりでいます。



【2025/03/18 火】
  午後は、昼寝と、屋内歩行。 足が浮腫んでしまい、日に、13000歩は、歩き過ぎなのかも知れないと思って、今日から、10000歩に抑えました。 その分、食べる物を減らして、調整します。

  少しずつ暖かくなるに連れ、手足の角質化は、治り始めたので、薬やハンド・クリームを塗るのは、やめました。 それだけでも、随分、楽になりました。



【2025/03/19 水】
  足の浮腫みがひどく、今日も、屋内歩行を、1万歩に留めました。 夜になって、居間で炬燵に入っている間に、左足は、浮腫みが治まって来ましたが、右足は、依然、足首を曲げると痛むほど、浮腫んでいます。 原因が分からないから、困ります。



【2025/03/21 金】
  足の浮腫みは、一進一退。 ネットで調べたら、原因は、無数にあり得るとの事。 「塩分の摂り過ぎ」というのがあり、御飯にかけていたふりかけや、ゆで卵にかけていた胡麻塩をやめてみましたが、今まで、ずっとやって来た事であって、そんなのが原因とは思えませんなあ。

  基本的に、横になっている時間を長く取ると、浮腫みが和らぎます。 重力の関係で、それは、当然の事。 だからといって、朝起きた直後に、大幅に改善しているというわけでもないです。

  もう一つ、気温が高いと、楽になります。 こちらの方が、影響が大きいのかも。 暖かくなるようでいて、いつまでも、本格的な春の陽気にならないから、体が不調を起こしている感じもするのです。

「人間の体は、小宇宙だ」

  とは、よく言ったもの。 一旦、不調になると、原因を究明するのは、容易な事ではない、というか、真の原因なんて、分からない事の方が多いのかも知れません。



【2025/03/22 土】
  「米2 : 押麦1」の麦御飯にしてから、4ヵ月くらい経ちますが、母が、「白米が食べたい」と言い出したので、私のと母のを分けて炊く事にしました。 母のは、白米。 私のは、押麦10割です。

  で、今日の夕飯から、私の御飯を、押麦10割にしたのですが・・・、うーむ、米の御飯とは、全く別の食べ物ですな。 独特の香りがあり、プチプチする食感が面白いです。 粘着しないので、箸で食べると、少しずつしか、口に運べません。 その方が、食べでがある感じがして、食事制限をしている身にとっては、都合がいいです。



【2025/03/25 火】
  12時から、旧母自で、病院へ。 すぐに、血液検査。

  診察は、午後1時25分の予約だから、1時間前に着くように家を出たわけですが、なんと、予約時刻を間違えていて、内科受付の看護師さんから、「診察は、2時からですが、待合所で待ちますか」と訊かれてしまい、予約票を見直したら、2時半からでした。 約1時間も、早く来てしまったのです。 どういう勘違いの仕方をすれば、「2時半」が、「1時25分」になるのか、自分の認識能力が理解できません。

  病院内で待つのも不健康なので、自転車で外出。 近くにある、高齢者向けの公共施設に行き、出入り口外のベンチで、1時間を潰しました。 そんな所にいたのは、室内にある壁時計を見る為です。

  病院へ戻り、2時になると、すぐに診察室に呼ばれました。 私が、早々と来ていた事が伝わっていて、順番を早くしてくれたようでした。 まったく、内科は、いろいろと配慮してくれる。

  血液検査の結果、肝臓の数値は、AST、ALT共に、2週間前の半分に減っていました。 私としては、インスリン注射の、食前タイプをやめたのが、奏効したとしか思えませんが、肝臓専門の医師に言わせると、「何せ稀なケースなので、そうとも断定し兼ねる」との話でした。 「24時間タイプもやめたい」と、こちらから言ったら、「糖尿病専門の先生に訊くべきだが、患者本人の意思でやめる事もできる」と言われたので、そうする事にしました。

  インスリン注射は、最初の内は、「これのお陰で、高血糖を抑えられている」と、ありがたく思っていたのが、最近では、「これを打つたびに、肝臓が悪くなる」に変わってしまっていて、自ら毒を体に入れているような、嫌~な気持ちで、続けていたのです。

  今日は、1680円。 帰って、3時頃でした。 夕飯に間に合ったのは、良かった。 もっとも、3時半から食べるのは母だけで、私はお茶だけ飲み、6時から居間で食べるパターンなのですが。

  というわけで、今日から、24時間タイプも打つのをやめ、インスリン注射からは、解放されました。 血糖値計測は、続けなければなりませんが。

  一見、鼠蹊ヘルニアの手術に向けて、前進したかのようですが、その実、外科の方には、全く話が行っておらず、手術の目処が立っていない事に変わりはありません。 もう、通い始めてから、半年になろうとしているのに、なんともかんとも、どうにもこうにも、呆れた話ではありませんか。



【2025/03/30 日】
  火曜日に、インスリン注射を全てやめたわけですが、血糖値の方は、打っていた頃と、あまり変わりません。 つまり、私は、食事制限と運動療法だけで、血糖値対策が間に合うという事ですな。

  明日、病院へ行って、糖尿病専門医の診察を受けますが、肝臓数値との関係があるから、インスリン注射を再開しろとは言われないでしょう。 代わりに、薬を出すと言われるかもしれませんが、断ろうと思います。 薬のせいで、また、どこかおかしくなったら、困りますから。 どうしてもと言われたら、他の病院へ行くと言うつもり。



【2025/03/31 月】
  午前9時に、旧母自で家を出て、病院へ。

  血液検査、なし。 糖尿病医師と話をしただけ。 それだけの為に、この寒いのに、病院まで行ったのが、なんとも、馬鹿馬鹿しい。 インスリン注射を全てやめてから、一週間経ったので、肝臓の数値がどうなっているかを知りたかったのですが。

  インスリン注射を中止した事を伝え、事後承諾してもらいました。 インスリン注射が、私の肝臓に悪さをしている可能性が高くなったのだから、中止を認めざるを得ますまい。 幸い、代わりの薬も出ませんでした。 インスリン注射より、薬の方が、悪影響が出るケースが多いそうだから、出しようがなったのでしょう。 

  次は、来月の下旬。 そこで、肝臓の数値が悪化していたら、もう、その病院へ行くのはやめます。 そう、はっきり、言って来ました。 もっとも、その糖尿病の医師は、今日で終わりで、来週からは、別の医師に引き継がれるらしいのですが・・・。 どうも、不確かな事が多過ぎる。

  帰りも、寒い。 雨がポツポツ。 しかし、そんなに濡れませんでした。

  午後は、屋内歩行と、昼寝。 インスリン注射にも、薬にも頼らず、血糖値を抑えなければならないので、食後の歩行は、確実にやらなければ。 毎食後、2千歩は歩く事に決めようと思います。

  そういえば、数日来、歩き難いほど浮腫んでいた足が、今日は、だいぶ、楽になりました。 見た目の腫れも収まっています。 これはもしや、気温が下がったからなのでは? だとしたら、暖かくなれば、また、浮腫み始めるという事になります。 気温のせいではなく、自然治癒した方であって欲しいものです



【2025/04/02 水】
  インスリン注射を全面的にやめてから、血糖値が高めになっているので、今日から、一時間に一杯、ぬるま湯を飲む事にしました。 計測の寸前だけ飲むと、インチキ臭いですが、一日中、飲んでいれば、そういう生活習慣になるのだから、インチキではありません。

  で、今日の計測ですが、夕飯前の空腹時で、100。 久しぶりに、低めに出ました。 良し良し。



【2025/04/03 木】
  血糖値、昨日から、一時間に一杯、水か、ぬるま湯を飲むようしたわけですが、今日は、夕食後の計測で、129。 食後の正常値上限は、180ですから、充分に低いです。 インスリン注射も、薬もなしの数値ですから、価値があります。

  といって、健康になったかというと、決して、そうではないのであって、食事制限と運動療法をやって、この数値ですから、何もしなくても、正常値に収まる健康な人とは、やはり、違います。 「糖尿病は、一度なったら、一生 治らない」と言うのは、何もしなくても正常な血糖値の状態に戻す事はできないという事なんですな。




  今回は、ここまで。

  4月末には、病院通いをやめてしまうので、このシリーズの残りも、あと一回という事になります。 問題は、病院と縁が切れても、私の病気が治ったわけではない、という事ですな。 「病気は、医療機関にかかりさえすれば、治る」と、漠然と思って来たのですが、必ずしも、そうとは限らないわけだ。 「医療機関は、治せる病気しか、治せない」というのが、正解でしょうか。