2025/07/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (70)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、70回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年6月分。





【伊豆の国市南江間・正蓮寺】

  2025年6月2日。 伊豆の国市・南江間にある、「正蓮寺」へ行って来ました。 都市地図に名前が載っていた所。 お寺の山門巡りの一環です。 南江間の中心地、「豆塚神社」の交差点から、西へ向かうと、すぐの所にあります。 お寺は、大抵、案内看板が出ているので、近くまで行きさえすれば、辿り着くのは、難しくありません。

≪写真1≫
  幹線道路から、少し奥まった所にあり、お寺に続く道を入って行くと、なんと、目当ての山門は、ありませんでした。 昔はあったのを撤去してしまったのか、それとも、他から移転して来て、その時に、山門を造らなかったのか、不詳。 境内の入口には、左右に大きな石が置かれていました。

≪写真2≫
  本堂。 鉄筋コンクリート造り。 風情はないですが、こういう建物は、冷暖房が効くので、檀家さんは、利用し易いはず。 名前が、「正蓮寺」だけあって、蓮を植えた大きな鉢が、ズラリと並んでいます。

≪写真3左≫
  境内に置いてあった、移動式の庇。 入れ子式に、三台が重ねられています。 天面に張ってあるのは、葦簀でして、雨除けというよりは、日除けなんでしょうな。 何に使うのか、不詳。 しかし、入れ子式なのは、巧く出来ています。

≪写真3右≫
  庭で咲いていた、額紫陽花。 紫陽花は、種類を問わず、お寺に、良く似合う。

≪写真4左≫
  幹線道路沿いに建っていた、標柱。 「真宗大谷派 東本願寺末 法榮山 正蓮寺」。 新しいですな。 1988年発行の、うちにある都市地図に載っているという事は、その頃すでに、このお寺は、この場所にあったわけですが、他から移転して来たのではなく、割と近年に、建物も含めて、整備し直したのかも知れません。

≪写真4中≫
  門柱石の下におかれていた、蓮の鉢と、竹で作られた、ロード・コーン。 パッと見、何かのオブジェかと思いましたが、台座がロード・コーンのそれでして、用途が分かった次第。 洒落ています。

≪写真4右≫
  お寺で、バイクの写真を撮り忘れたので、家に戻ってから撮った、メーターの写真を出します。

  トリップ・メーターは、0合わせはしておらず、出かける前と、帰って来た後に撮影し、数字を引き算して、走行距離を出しています。 この日は、往復、18キロでした。 数年前までなら、自転車で行ったような近場ですが、体力が落ちた今の私では、バイクで、ちょうどいいです。




【伊豆の国市北江間・宝積寺】

  2025年6月9日。 伊豆の国市・北江間にある、「宝積寺」へ行って来ました。 ネットで調べた所。 北江間は、結構、広い地区なんですが、お寺は、ここだけのようです。 読み方は、たぶん、「ほうしゃくじ」。

≪写真1≫
  山門。 新しいです。 門だけでなく、塀もあり、そちらも、新しいです。 標柱には、「臨済宗 宝積寺」とだけ、彫ってあります。

≪写真2≫
  本堂。 新しいです。 推定ですが、山門や塀も含めて、過去30年以内に、建て替えたのではないでしょうか。 お金、かかったろうなあ。 つくづく、宗教は、強い。 本堂正面の額には、「北江山」とあります。 分かり易い山号ですな。

  建物だけでなく、境内も、驚くほど綺麗に維持されています。

≪写真3≫
  境内の石仏・石塔群。 細かくは見て来ませんでした。 屋根のある石仏の前に、石燈篭が左右二基あるのは、何となく、神社っぽいですが、私のお寺を観察する目が肥えていないだけで、これが普通なのかも。

≪写真4左≫
  境内にあった、石の水鉢。 雨水頼りか、行事の時には、綺麗な水を入れるのか。 ところで、この石って、柱状節理ですよね。 地質学的に、洒落ている。

≪写真4右≫
  額紫陽花の品種。 花が八重で、形も変わっています。 つくづく、お寺に、紫陽花は、良く似合う。

≪写真5≫
  山門の向かいの、駐車場らしき場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 北江間は、自転車でも来れる近場ですが、エンジンを暖め、バッテリーに充電するには、充分な距離があります。 バッテリーの端子を、結束バンドで締め付けて以降、問題なく、エンジンがかかっています。




【伊豆の国市南江間・東漸寺】

  2025年6月17日。 伊豆の国市・南江間にある、「東漸寺」に行って来ました。 都市地図に載っていた所。 大体の場所だけ頭に入れて行ったのですが、なかなか見つけられず、近所をうろついて、漸く辿り着きました。 南江間は、そんなに広い地区ではないから、その内、見つかるだろうと思ってはいましたが。

≪写真1左≫
  山門を正面から。 木に覆われていて、ほとんど、見えません。 しかし、この木陰のお陰で、風情のある雰囲気になっています。

≪写真1右≫
  門前に並んだ、石地蔵。 普通は、6体ですが、こには、立像7体、坐像1体の、計8体がありました。 他の場所にあったのを、引き取ったのかも知れません。

≪写真2≫
  山門。 ほら、いい雰囲気でしょう? 夏場、徒歩で、お寺に参った人は、ここまで来て、深い木陰の涼しさに、ほっと一息ついているに違いない。

  門柱の表札には、「臨済宗 建長寺派 東漸寺」とあります。 山号は、分かりません。

≪写真3≫
  本堂。 新しいです。 造りがカチッとしているところを見ると、鉄筋コンクリートなのかも知れません。 それなら、冷暖房が利くから、利用者は、快適でしょう。 三角が三つの紋は、北条氏のもの。 南江間は、鎌倉北条氏、第二代執権だった、北条義時の領地だったので、このお寺も、義時ゆかりか、北条氏ゆかりなのだと思います。

≪写真4左≫
  境内にあった、仏像。 インド風の造形からして、そんなに古い物ではありますまい。 石の色も変わっています。

≪写真4右≫
  山門を覆う木陰の中に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクも、炎天では、涼しい日陰に停めてもらった方が、快適に違いない。

  この日は、ここに来る前に、スタンドで、給油しました。 千円分入れて、 5.95リットル。 リッター当たり、168円。 補助金で、安くなっていました。




【伊豆の国市北江間・伊豆中央道料金所付近】

  2025年6月22日。 伊豆の国市・北江間の、「伊豆中央道料金所付近」へ行って来ました。 当初の目的地は、南江間の、「北条寺」だったのですが、なんと、「山門不幸」の札が立っていました。 遠景の写真を撮るのも憚られ、境内にいる人達から何も言われない内に、門前で引き返しました。

  目的地がなくなり、北江間の田園地帯をうろついた挙句、伊豆中央道の料金所付近で停まり、周囲の風景を撮って、帰って来ました。 なに、バイクのバッテリーが死なない程度の距離を走って来れれば、それで、いいのです。

≪写真1≫
  田んぼ道の脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 田園風景に、スポーツ・バイクは、よく似合います。

  背景に見えるのが、伊豆中央道の料金所。 遥か昔、20代前半に、その頃乗っていた、ダイハツ・初代ミラで、何度か通った事がありますが、それ以降、全く走っていません。

  遠くの山は、大嵐山(日守山)か、茶臼山。 大嵐山には、何度も、茶臼山にも、一回は登っています。

≪写真2≫
  南側を見ました。 北江間は、広い。 遠くの、一番高い山は、大男山だと思います。 何年か前に、登った事があります。

≪写真3≫
  田んぼの中に、御玉杓子がいました。 こういう景色は、子供の頃と変わらんなあ。

≪写真4左≫
  6月2日に行った、南江間の、「正蓮寺」ですが、前を通ってみたら、蓮の花が咲いていました。 これは、オーソドックスな、赤。

≪写真4右≫
  こちらは、白。 花弁にも、蕊にも、人工物のような趣きがあります。 この世離れしている。




【伊豆の国市南江間・陸軍輜重兵鴨下浅次郎の墓】

  2025年6月29日。 伊豆の国市・南江間にある、「陸軍輜重兵鴨下浅次郎の墓」へ行って来ました。 ネット地図に出ていた所。 伊豆中央道、江間ICの近くにあります。

≪写真1左≫
  道路から見た墓石。 背が高く、上に十字架が載っており、すぐに、それと分かりました。

≪写真1右≫
  敷地内で、逆側から見上げました。 周囲の木が邪魔で、距離が取れません。 逆光だし。 背後に見える土手や跨道橋は、伊豆中央道のもの。

≪写真2左≫
  逆光、御免。 水平の横棒二本の下に、斜めの棒が一本。 ロシア正教など、スラブ系の正教会で使われる、「八端十字架」です。 墓の主が、どの宗派の信者だったかは、不明。

  現地には、現代文の解説板は、ありませんでした。 石塔の、両側面と背面に、文字がビッシリ彫ってあったものの、漢文なので、読むのを断念。 帰ってから、ネットで検索してみましたが、引っ掛かりませんでした。 というわけで、「陸軍輜重兵・鴨下浅次郎」さんが、何をやった人なのか、未だに分からない次第。

≪写真2右≫
  前の道路の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 メッキが剥がれて、交換したミラーですが、家に置いている間は、布のカバーをかけているので、それ以降は、綺麗なままです。

≪写真3≫
  墓の近くというわけではありませんが、帰りに見かけた、ノウゼンカズラの花。 この時期、オレンジ色で、ドカッとたくさん咲いていると、大抵、ノウゼンカズラです。 ノウゼンカズラ科。

  漢字で書くと、「凌霄花」だそうですが、とても、読めませんな。 「カズラ」は、「葛」だと思いますが、「ノウゼン」て、何なんでしょうねえ? わざわざ調べるほど、興味がありませんが。

≪写真4左≫
  路傍で咲いていた花。 近づいてみたら、カンナでした。 まだ小さい株ですが、もう、花が咲くんですな。 大きくなると、人間の背丈を超えます。 カンナ科。

≪写真4右≫
  アガパンサスの群落。 この時期、あちこちで見かけますが、ここの群落は、大きかったです。 ユリ科。




  今回は、ここまで。 現伊豆の国市の内、旧伊豆長岡町を目的地にしたのですが、今回は、その中でも、江間地区に絞りました。 理由は、ガソリンが高いので、長い距離を走りたくなかったというのが、第一。 江間地区は、伊豆の国市の北端に位置しているから、比較的、うちから近いのです。

  北条寺が、山門不幸だったのは、想定外でした。 以前、折自で行った事があるのですが、そもそも、神社と違って、住んでいる人がいるお寺ですし、その上、有名な場所なので、敷居が高いと思った記憶があります。

2025/07/20

時代を語る車達 ⑬

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 数年ぶりに再開したとはいえ、徒歩で出かける機会があまりなくて、ポンポン、撮りまくっているわけではありません。 自転車で出かける事は多いですが、自転車を下りて、スタンドをかけなければならないので、徒歩の場合より、手間がかかり、撮りたい車があっても、諦めてしまう事が多いのです。





【スズキ・3代目アルトラパン】

  2015年6月から、現行車。 基本的に、現行車は批評しない方針なのですが、まあ、販売に支障が出るほど、ひどく貶さなければ、問題ないでしょう。

  「ラパン」は、フランス語で、「兎(うさぎ)」の事で、初代は、確かに兎を連想させるデザインでした。 2代目は、少し、イメージが曖昧になり、兎っぽさは感じなくなりました。 そして、この3代目では、兎とは完全に決別してしまいました。 このデザインを見て、兎を感じ取れる人は、ほとんど、いないでしょう。

  では、何に似ているのか? どう見ても、「猿」ですな。 猿のイメージ、そのもの。 いいえ、私は決して、貶しているわけではありません。 「モンチッチ」とか、「猿ぼぼ」とか、愛されている猿キャラは、いくらもあるのであって、その一類だと言っているのです。

  問題は、猿なのに、兎という名前のままで売っているという点なのです。 フランス語が好きなら、「猿」は、「サンジュ(singe)」ですから、「アルトサンジュ」に変えてしまえば良かったのに。 せっかくの猿キャラが、勿体ないです。

  この車、9代目アルトより、背が低く感じられますが、実際には、同じ、1525ミリです。 私のセルボ・モードよりも、135ミリも高い。 現行車のライバル、2代目ミライースと比べても、25ミリ高い。 近年のスズキの、大容積主義には、根深いものがありますな。 そんなに高くなくてもいいんですがねえ。 いや、高くない方が、むしろ、使い易いんですがねえ。 懲りずに繰り返しますが、車は、乗り物であって、部屋ではないのです。




【VW・6代目ゴルフ】

  輸入車専門の、小さな中古車店で、撮影しました。 フォルクスワーゲンの、6代目ゴルフです。 2008年から、2012年まで、生産・販売されていた車型。 現行のゴルフは、8代目になっており、もう、だいぶ前の型ですが、私の感覚では、この6代目が、最もデザインが優れていると思います。 よほど売れたと見えて、7代目や8代目に比べて、圧倒的に多く目にします。

  前から見ると、それほどでもないですが、幅が広い車で、1790ミリあり、3ナンバー車です。 後ろから見ると、広過ぎる幅を、デザインが持て余しているような感じがします。 前側は、5代目ポロ(2009年~2018年)と似ていますが、後ろ側は、ポロの方が、個性があります。 ちなみに、ポロは、幅が、1685ミリで、5ナンバー。

  このゴルフ、3ナンバーなのに、エンジン排気量の最小は、1200ccだというから、日本車では考えられない組み合わせ。 小排気量エンジンに、ターボをつけて、出力を稼ぐという考え方で、実に、ドイツ人らしい発想です。 市街地や住宅地では、小排気量・自然吸気の低出力でも充分。 郊外や高速道路では、ターボを使い、高出力で対応するというわけだ。 メインが、1400ccのターボ。 その上に、1400ccのターボ・スーパー・チャージャー。 最大だと、2000ccのターボもありますが、それは、スポーツ・タイプのようです。

  なに、この中古車が、65万円? それは、安いな。 もし、うちの車置き場の幅に余裕があって、私が、車通勤している現役社会人だったら、思わず、買ってしまいそうです。 ちなみに、私が勤めていた会社は、トヨタ系で、VWと提携関係にあったので、トヨタ・グループの車種のほかに、VWの車にも、通勤費が出ました。 まあ、そんな事は、どーでもいー、昔話ですけど。




【スズキ・セルボ・モード】

  自分の車ですが、出先で撮る事が滅多にないので、たまにはと思って、カメラを持って行って、撮影して来ました。

  セルボ・モードは、1990年から、1998年まで、生産・販売されていた、旧規格の軽乗用車です。 全長と全幅は、少し小さいですが、エンジン排気量は、660ccで、現規格と変わらず、パワー・ウェイト・レシオ的には、今の軽より、機動性が高いです。 もっとも、昨今、軽の主流になっている、トール・ワゴンやハイト・ワゴンは、車体が大きい分、遥かに重いので、端から、相手になりませんが。

  名前は、正確には、「モード」でして、「セルボ」は、サブ・ネームなので、「モード・セルボ」と言うべきですが、現行だった頃から、習慣的に、「セルボ・モード」と呼ばれ、それが定着してしまいました。 「モード」という車名なのだから、本来、「何代目セルボ」の内に数えるのは、間違い。 ちなみに、「アルトラパン・モード」の、「モード」は、サブ・ネームであって、「2代目モード」とは言えません。 ややこしい。

≪写真上≫
  3月23日の朝、電子レンジが壊れてしまい、大急ぎで買い替える為に、午前の内に、車で、ヤマダ電機・沼津店へ行って来ました。

  ピロー式駐車場に停めた、セルボ・モードです。 普段、スーパーへの買い出しや、母の病院送迎にしか使っていないから、家電を買いに行く用事で乗ると、新鮮な感じがして、妙にワクワクしますな。

≪写真中≫
  4月20日、一人で車で買い出しに行き、スーパー2軒を回りました。

  イオン系スーパーの、ピロー式駐車場に停めた、セルボ・モード。 1997年製の、後期型(5型)。 5ドアで、グレードは、「Мセレクション」。 色は、「1VN マーキュリー・シルバー」。

  人工灯の下だと、劣化した塗装が目立たず、新車のように、ピカピカしています。 前から見ると、エンジン・フードのクリア剥げが分かってしまうので、極力、後ろが見える方向で停めるようにしています。

≪写真下≫
  こちらは、近所のスーパーの露天駐車場。 ほら、自然光だと、くすんだ感じで、パッとしないでしょう?

  塗装し直してもらう事も、よく考えるのですが、全塗装なら、50万円、劣化した部分だけでも、30万円はかかりそうなので、本体8万円で買った車に、そんなに注ぎ込む気にならず、いつも、諦める事になります。


  昨今、旧車趣味人の間で、「生産時の塗装のままの方が、価値がある」という考え方が出て来ているようですが、はっきり言って、再塗装に大金を払う気にならない者の、屁理屈、負け惜しみでして、車を売ろうとすると、劣化した塗装のままでは、安く買い叩かれてしまうようです。 そりゃ、そうですわな。

  そもそも、旧車の塗装をどうするか、というのは、旧車趣味人だけの価値観でして、趣味がない人達は、旧車自体に価値を感じないものです。 塗装がどうだろうが、まるで、興味なし。 持ち主が、再塗装するかどうかで悩んでいるなんて事には、ますます、興味なし。 「そんなの、どーでもいーこったろ」と、相手にされないのなら、まだいい方で、「こんなポンコツに、何十万もかけるなんて、馬鹿なんじゃないの?」と、嘲笑される恐れすらあります。

  ちなみに、セルボ・モードは、90年代の車なので、旧車というには、まだ、新し過ぎます。 やはり、50年は経たないとねえ。




【スバル・R1】

  スバルの軽自動車、「R1」は、2005年から、2010年まで、生産・販売されていた車種。 一代限りで、終わりました。

≪写真上≫
  いいデザインですなあ。 カタ落ちから、15年が経ち、少しずつ、見かける機会が減っているのが、残念です。 今現在、所有している方々には、是非とも、長く維持して欲しいもの。

  名車扱いされている、「スバル・360」のコンセプトを受け継いだそうですが、デザインの完成度で比較すると、こちらの方が、圧倒的に優れています。 デザインのレベルとしては、「フィアット・500(2007)」と比べても、全く負けていません。 ヨーロッパの名車を模倣したわけではなく、独自デザインで、これを作ったというところが、凄い。

  惜しむらく、3ドアであるのは、根本的な弱点です。 先行して世に出た、「R2」が、5ドアなので、こちらは、割り切って、3ドアにしたのでしょうが、5ドアに比べて、使い勝手の悪さは、否定できないところでしょう。 どうして、このデザインのまま、5ドア版を作らなかったのかなあ・・・。 ちなみに、R2は、R1と似ていますが、不思議な事に、R1がもっているようなデザインの魅力は感じないのです。

  2+2だからいいという問題ではなく、3ドアだと、後席を、荷物置き場に使えなくなってしまうのですよ。 前席の背凭れを倒したり戻したりするのは、面倒ですし、後席の背凭れを倒して、荷室を広くすると、広過ぎて、ブレーキのたびに、荷物が滑ってしまいます。 前に寄った荷物を、バック・ドアから引き戻すのは、結構、大変。 で、結局、後席は使わなくなってしまうんですな。

≪写真下≫
  後ろ姿。 いい形ですねえ。 このバックドアの曲面には、惚れ惚れする。 横長のリヤ・コンも、R2より、いいです。

  この写真では、分かり難いですが、真後ろから見た時に、バンパーの下から、マフラーが見えてしまうのは、残念。 それは、スバルの軽自動車の多くに共通する事ですが、「マフラーは、デザインの内に入れない」という方針には、首を傾げざるを得ません。




【日産・4代目マーチ】

  日産の、4代目・マーチです。 2010年から、2022年まで、生産・販売されていた車型。 日本国内向けのマーチは、これが、最終型で、後継車種はなし。 ノートに統一されたようです。 初代は、リッター・カーとして登場したマーチですが、4代目になると、排気量が、最小でも、1200でしたから、ノートと差別化が難しくなったという事でしょうか。

  海外向けは、名前が、マイクラで、そちらは、5代目があるようですが、いかにも、今風の、SUV風デザインでして、これなら、国内で売ってくれなくてもいいかな、という感じ。 私の目には、SUV風デザインは、全部、同じに見えるのです。 フォルムも、グラフィックも、判で押したようで、好んで買う人達が、どこで見分けているのか、不思議でなりません。

  話を、写真の4代目に戻しますが、悪いデザインではないと思います。 VW・ビートルに近い、丸型フォルムなのに、レトロっぽい古さを感じさせないところが、デザイン・レベルの高さを証明しています。 この車のデザイナーは、レトロには興味がなく、未来を向いた丸型を目指していたんでしょうな。

  その点、もっと徹底していたのが、3代目(2002年から、2010年)ですが、まだ、生産・販売終了から、15年しか経っていないのに、ほとんど、見かけなくなってしまいました。 欠陥があったわけでもないのに、不思議な事です。 あのデザインを絶賛した人達は、今、何に乗っているのだろう? 丸型に飽きて、SUV風デザインに鞍替えしているのだろうか?

  惜しむらく、3代目も、4代目も、女性ユーザーを主な購買層に設定していた点は、残念なところ。 同じ丸型でも、ビートルは、性別を選ばなかったのだから、男性でも、気にせず乗ればいいわけですが、車に、自分のイメージをダブらせようとする人が多いので、メーカーから、明確に、女性向けデザインとされてしまうと、どうしても、乗り難くなってしまうのでしょう。




  今回は、以上、5台まで。

  車の写真は在庫があるものの、まだ、文章を書いていなくて、記事が底をついてしまったので、自分の車を足して、何とか、5台にした次第。 来月以降も続けるとすると、一回に、4台に減らすかも知れません。

2025/07/13

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑦

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の12月10日まででした。 今回は、その続き。 まだまだ、先は長い。 しかし、すでに、通院はやめているので、無限に続くわけではありません。




【2024/12/11 水】
  外科との悶着があった後、昼飯を抜いて、その分、朝夕に、多めに食べる方針に切り替えたのですが、これは、失敗だと分かりました。 血糖値が下がらないのです。 食前インスリンを打っている身なのだから、昼飯を食べないと、インスリンも一回分打たないわけで、そのせいかと思ったんですが、更に良く考えてみると、別の理由が思い当たりました。

  分かり易い数字で説明しますと、三食、食べていた時には、血糖は、

「朝 +2」「昼 +2」「夕 +2」

 で、1日に、+6でした。 それを、食前インスリンの注射で、

「朝 -2」「昼 -2」「夕 -2」

  にして、+-0にしていたのです。 ところが、二食にすると、昼の食事量を、朝夕に振り分けるので、

「朝 +3」「夕 +3」

  になります。 食事による血糖の増加は、+6で、変わりませんが、食前インスリンの方は、朝夕二回に減ってしまうので、

「朝 -2」「夕 -2」

  合計、-4にしかならず、+6の血糖の増加を抑え切れません。 ちなみに、低血糖を避ける為に、食事をしない時には、食前インスリンを打てないのです。

  なんだ、そういう事だったのか。 まったく、血糖値のコントロールは、案配が難しい。 インスリン注射が絡んで来ると、複雑になり、なかなか、仕組みが頭に入りません。 割と早く気づいて、良かった。 手術ができなくなってしまうところでした。

  やむを得ないので、昼食抜きは、やめて、三食に戻す事にします。 食前インスリンを打っている間は、食事を一日三回に分けて、一食の量を減らす方が、有効だからです。



【2024/12/12 木】
  徒歩で出て、近所のスーパーで、「苺のショート・ケーキ 2個入り」を買って来ました。 母の誕生日に、毎年買っているもの。 今年は、私が、自分の病気に気を取られて、過ぎてしまったのですが、まあ、食べ物のプレゼントだから、遅れがあっても、問題ないでしょう。

  例年、2個入りの内、1個は、私がもらうのですが、今年は、2個とも、母に食べてもらいます。 ケーキなんか食べたら、血糖値を戻すのに、大苦労してしまいますから。

  スーパーまでの歩数は、往復で、2千歩ちょっと。 通り過ぎて、もう少し歩き、3千歩にしました。

  夕食後に、血糖値計測。 食後に、ぬるま湯を、1リットル飲み、座敷を15分歩いてから測ったにも拘らず、189。 正常値の上限が、180ですから、そんなにオーバーというわけではないですが、過去には、同じタイミングで、100以下だった事もある事を考えると、跳ね上がったと言えます。

  昨日の宵に、親戚から、お歳暮のリンゴが16個送られて来て、今日の昼と、夕食後に、1個ずつ食べたのですが、まず、疑われるのは、それです。 先だって、別の親戚が送って来た、小蜜リンゴ9個の時には、血糖値が上がるような事はなかったので、絶対に、リンゴが原因とは言い切れませんが、とりあえず、リンゴを食べるのは、中止ですな。 母は、歯が少なくて食べられないので、最悪、庭で土に戻すしかありませんが、やむを得ない。 私の血糖値を上げない事の方が大事です。

  次に疑わしいのは、食事の時刻です。 今日から、三食に戻し、「朝6時半、昼11時、夕3時半」だったのですが、随分 前にも書いたように、これだと、食事間隔が昼間に詰まり過ぎです。 特に、「夕3時半」というのは、二食ならば、許されると思って、数日間、そうしていたのであって、三食に戻したら、当然、見直すべきものでした。 明日から、血糖値が低かった頃の、「朝6時半、昼12時、夕6時」に戻します。

  前回の内科の診察で、私の自己管理ノートを見た医師が、「数値が低過ぎる」と言って、インスリン注射の量を減らすよう指示が出たのですが、それは、確実に、血糖値を上げる方に、影響しているはず。 その分、私が、努力しなければならないのですが、最初から、躓いた感あり。 なんとか、しなければ・・・。 まったく、日々、薄氷を踏む思いです。



【2024/12/13 金】
  今日から、また、昼食が、12時になりました。 血糖値の推移がどうあれ、もう、他の時刻に変える事はないです。

  午後、運動散歩で、八重坂峠を越え、清水町の外原まで行って、帰って来ました。 ウインド・ブレーカー上着に、ニットの手袋で、完全装備。 寒くはありませんでした。

  夕食は、午後6時に。 4時頃、台所から居間に移った後の、2時間が長い。 その分、食事は、おいしく感じられます。



【2024/12/14 土】
  午後1時頃から、徒歩で、図書館へ。 ヴァン・ヴォークト作、≪非Aの世界≫、≪非Aの傀儡≫を借りました。 SFです。

  その後、駅北の銀行まで、足を延ばしました。 遠い遠い。 家から図書館までと、同じくらいの距離がありました。 かなり、へばって、3時過ぎに、家に着きました。 歩数計は、14000歩も行っていました。 歩き過ぎです。 こんなのは、運動として、間違っています。 足を痛めてしまったら、翌日以降が続かないからです。



【2024/12/16 月】
  正午前に、血糖値計測。 97。 空腹時の正常値上限は、110ですから、収まっています。 食事時刻を、朝6時半、昼12時、夕6時に戻してから、数値が収まるようになりました。 やはり、時間配分は、重要なようです。 空腹時で、70台を記録していた頃もありましたが、その頃より、インスリン注射の量が減らされているから、もう、そこまで、下がらないでしょう。 ちなみに、70を割ってしまうと、低血糖で、危険な状態になります。



【2024/12/17 火】
  指先の角質化による皮膚の割れが激しいです。 いわゆる、パックリ割れ。 11月までは、逆に、「今年は、角質化しないようだ」と思っていたのですが、それは、今年の11月が、記録的に暖かかったからだったんですな。 12月に入り、寒い日が続いたら、覿面に悪化しました。 水に当てると、痛くて困ります。

  誰にでも起こるわけではないようで、どうも、糖尿病の症状である疑いが濃厚です。 高血糖になると、体の末端の血管が詰まり、指先まで血が通い難くなるとの事。 私の場合、糖尿病対策で、現在の血糖値は正常値に入っているのですが、過去数年間の高血糖期間に詰まってしまったものが、回復していない可能性があります。

  こうと割れまくっては、家事に支障を来すので、「極力、濡らさない。 極力、冷やさない」という方針で、行く事にしました。 水を使う時には、ビニール手袋。 それ以外の時や、眠る時には、ニットの手袋をします。 すでに割れてしまった所は、皮膚が突っ張らないように、ハンド・クリームを塗り、油分を、一日中 絶やさないようにします。 ハンド・クリームを、指の腹側に塗ると、その指で触った所まで、ベタつきそうですが、それを、ニットの手袋で防ごうという作戦です。 手袋の中がベタついても、洗えばいいわけですから。



【2024/12/18 水】
  午後、昼寝してから、運動散歩。 八重坂峠を越えて、往復5千歩地点で引き返して来ました。

  午後6時。 夕食前に、血糖値計測したら、125でした。 空腹時の正常値上限は、110なので、オーバーです。 夕食前は、24時間インスリン、食前インスリンの、2本とも、打つ直前でして、私の体内で、インスリン注射の効力が、最も低くなっているタイミングなので、高くなるのです。 即ち、インスリン注射の助けを借りないと、私の血糖値は、正常値内に入っていないという事ですな。 まだまだ、先は遠い。



【2024/12/19 木】
  昨日の運動散歩で、また、足を痛めてしまったので、今日は、家の中を歩くだけにしました。

  ビニ手で、極力 水に触れないようにし、ハンド・クリームを、手指の腹側にも塗り始めて、二日目。 パックリ割れは塞がり、角質化も、少しずつ、目立たなくなって来ました。 一度、角質化した皮膚は、元には戻らないと思うので、剥がれ落ちてしまうのを待つ事になります。

  ハンド・クリームは、イオン系スーパーで買った、70グラム入りの、そこそこ大きなチューブですが、200円もしなかったと思います。 その程度の金額で、パックリ割れから解放されるなら、大いに安いもの。 とっくに、やれば良かった。

  先週の水曜に、外の洗濯機の排水ホースを交換した時、右手親指の甲を、直線 1センチくらい切ってしまいました。 大抵の小傷は、就寝前に、オロナインを塗り、ティッシュ・セロテープ絆創膏をして眠れば、早くて一晩、遅くても二晩くらいで塞がるのですが、今回は、なかなか、良くなりません。

  「高血糖だと、傷口が塞がり難くなる」という、最近 病院で仕入れた知識を思い浮かべ、ゾーッとしていたのですが、左右の浮いている皮を剥ぎ取ってしまったら、昨日から、回復に向かい始め、今朝には、塞がりました。 思うに、普通の擦り傷より深く切っていて、肉まで達していたのかも知れません。 でなければ、一週間もかかりますまい。 とにかく、高血糖が関係していない事が分かったので、ひと安心。 これで、ティッシュ絆創膏から、解放され、心置きなく、ハンド・クリームを塗れます。



【2024/12/21 土】
  右足の踵が角質化して、ヒビ割れ、傷口が開いてしまいました。 角質化対策に、ハンド・クリーム、もしくは、ムヒを塗っていたのですが、塗り始めたのが、遅過ぎました。 11月が暖かかったせいで、油断していたのです。

  「傷が出来てしまった以上、殺菌軟膏だろう」と気づき、昨日から、オロナインを塗り始めました。 効くかどうかは、まだ、分かりません。 傷口が塞がってから、ハンド・クリームに戻そうと思っています。

  痛いので、靴を履いて、外は歩けません。 やむなく、座敷を、爪先立ちで歩いている次第。 それでも、1万歩 行くのだから、虚仮の一念とは、凄いものですな。

  それはさておき、三度の食事がおいしいです。 引退以降、腹が減らなくなり、食事は、時間が来たから食べるものであって、おいしいと思う事は、滅多になかったのですが、間食をやめたら、食間に腹が減るようになり、食べる物が、何でも、うまく感じられるようになりました。 これも、糖尿病になったお陰ですな。 病気なので、感謝するような事ではないですが、人生観に変化が起こったのは、確かです。



【2024/12/23 月】
  昼食前に、血糖値計測。 98。 空腹時の正常値上限は、110ですから、まあまあの数値です。 測る前に、屋内歩行を3千歩と、ぬるま湯を1リットルくらい飲むのですが、もはや、一日中、歩いたり飲んだりしているので、インチキとは言えません。 こういう生活習慣にしてしまえば、いいわけだ。




  今回は、ここまで。

  手の指先や、踵の角質化に関する記事が多いですな。 これは、この年の冬に始まったわけではなく、3年くらい前から、起こっていました。 水仕事が多いからだと思っていたのですが、恐らく、その頃から、糖尿病になり、体の末端の毛細血管が詰まって、血行が悪くなっていたのでしょう。 恐ろしい事だて。

2025/07/06

読書感想文・蔵出し (126)

  読書感想文です。 これから、しばらく、高村薫作品が続きます。 読む方も、この記事を纏めた時点では、まだ、高村作品を読み続けています。 例によって、沼津図書館にはないが、三島図書館にはある、という作品が幾つかあり、三島まで行くか、相互貸借で取り寄せてもらうか、悩むところ。





≪照柿 一・二・三・四≫

大活字本シリーズ
社会福祉法人 埼玉福祉会
2010年5月20日 発行(限定部数 各巻500部)
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ソフトカバーの大活字本です。 四冊で、長編、1作を収録。 合計、1320ページですが、大活字本なので、普通の単行本や文庫本なら、もっと少なくなるはず。 別に、大活字本で読みたかったわけではなく、沼津図書館の本館には、≪照柿≫が、大活字本でしか置いてなかったのです。 

  「照柿」は、「てりがき」と読み、臙脂色に近い色の名前です。 柿の話ではない事は、読み始めれば、すぐに分かります。 1994年の発表。 2006年に、講談社文庫。 発表時と、文庫化された時とでは、大幅に改稿されているとの事。 高村さんは、そういう手直しを、よくやるのだそうです。 1995年に、NHKでドラマ化されているようですが、私は見ていません。


  羽村市にある機械部品の加工工場で、焼入れ部門の管理職をしている野田達夫は、反目していた父の訃報を受けとったが、葬儀に参列する為に、鉄道で大阪へ向かおうとした駅で、18年来会っていなかった幼馴染みの合田雄一郎に、ばったり出くわす。 合田は、警視庁の刑事で、ホステス殺しの容疑者を取り調べる為に、大阪へ向かうところだった。 野田は、次々と問題が起こる仕事や、家庭不和に疲れ果て、合田は、捜査の為に、暴力団に近づき過ぎて、賭博に手を出してしまい、各々、未来が閉ざされた思いをしていた。 そこへ、野田のかつての恋人、佐野美保子が関わって来て、三人の運命が、脱線に向けて、軋み音を立て始める話。

  殺人事件が、2件起こりますが、最初の事件は、合田を登場させる為の前座に過ぎず、メインは、2件目の方です。ところが、その2件目が、計画性も動機もない、衝動殺人でして、トリックも謎も、介在する余地なし。 半分を超えてから始まる、倒叙物とでも言いましょうか。 推理小説というより、犯罪小説。 いやいや、この文章の濃密な描写は、純文学のそれでしょう。

  2件目の事件の動機があまりにも薄弱なので、推理小説、もしくは、犯罪小説のつもりで読んでいた読者は、大いに戸惑うと思います。 私も、狼狽しました。 これは、大欠陥なのではないかと・・・。 しかし、そもそも、高村さんの作品は、推理小説ではないのであって、トリックは出て来ませんし、謎は出て来ますが、それ自体が読ませどころではないです。 犯罪をモチーフにはしているけれど、犯罪が描きたいのではなく、人間を描くのに、犯罪に関わらせるのが、一番 人間らしい醜さの本質が出ると考えているからでしょう。

  純文学のつもりで読めば、「不条理」というテーマで、2件目の事件を、すんなり受け入れる事ができます。 カフカ作、【変身】とか、カミュ作、【異邦人】とか、あの系統。 それらに比べれば、動機の説明が薄弱などという事は、全く感じないのであって、むしろ、逆。 犯人が、どういう経緯で、罪を犯す心境に追い込まれていったかは、これでもかと、くどいくらい、細かく描き込まれています。 それを読者に印象付ける為に、この小説が書かれたとまで言っても、過言ではない。

  高村作品独特の、詳細を極める専門知識ですが、この作品では、「工場の焼入れ工程」、「ヤクザの賭場」、「美術界」の三点が、盛り込まれています。 はっきり言って、くどい。 この本を手に取る、99.9999パーセントの読者にとって、いずれも、知らなくてもいい事ばかり。 多くの人が、自分が仕事にしている分野では、こういう専門知識を持っているわけですが、普通、外部の人には、話しません。 全く通じないし、そもそも、興味すらもってもらえないからです。

  高村さんが、この種の専門知識を、リアリティーを出す目的で、作品に盛り込んでいるのは、まず間違いないところ。 非常に高度ではあるが、所詮、ハッタリの類いなので、あまり高く評価し過ぎるのも、どうかと思います。 舌を巻くにしても、「こんなに詳しい事を、一体、どんな取材をしたら、調べられるのだろう?」程度で収めておいた方が無難です。 そもそも、門外漢には、高村さんの書く専門知識が、正しいのか間違っているのかの判定すら、できないのですから。




≪地を這う虫≫

株式会社 文藝春秋 1993年12月1日 第1刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの大活字本です。 短編、5作を収録。 全体のページ数は、約301ページ。 


【愁訴の花】 約64ページ 1992年12月

  警察を辞め、警備会社に再就職していた元刑事のもとに、かつての上司で、警視になったばかりの人物が、肝臓を悪くして瀕死の床にあるという報せと、かつての後輩で、妻殺しで服役していた男が、刑務所から出たという報せが届く。 後輩の事件には、殺された妻の、為人や素行、金回り、交友関係に不審な点が多かった。 後輩が出所した事で、停まっていた過去の事件が、再び動き出す話。

  視点人物が、警察を辞めているのは、警察上層部の不正が絡んでいるから、内部にいる者では、解決が難しくなるからでしょう。 このページ数では、勿体ないくらい、凝ったストーリー展開になっています。 細部を書き込めば、長編にできるボリュームがあるので、ドラマにすれば、脚本家は、簡単に、2時間物に仕上げられるでしょう。 調べてみたら、案の上、1999年に、NHK・BSで、1時間半のドラマになっていました。 民放なら、CM入れて、2サス枠で放送という事になりますな。

  逆に考えると、このページ数では、内容を欲張り過ぎているとも言えます。 読み応えはありますが、短編独特の小気味良い切れ味はありません。 といって、そういうものの欠如は、貶すほどの事でもないです。


【地を這う虫】 約56ページ 1993年3月

  姻戚から被った家庭の事情で退職した元刑事の男。 経済的理由で別居する事になった妻子に仕送りする為に、倉庫管理の仕事と、別の会社の警備員の仕事を掛け持ちしていたが、唯一の楽しみは、二つの職場と住居の間を移動する時に、住宅地を歩き回り、仔細に観察して、気が付いた事を書き留める事だった。 ある時、その住宅地で、空き巣事件が連続したが、どの家でも、何も盗まれたものはなかった。 元刑事の血が騒いだ男は、空き巣が入った家の共通点を調べ始めるが・・・、という話。

  非常に、大変、ハッとするくらい、面白いです。 ベースにしているのは、ホームズ物の【空き家の冒険】だと思いますが、こちらの方が、千倍、優れています。 これは、短編推理小説として、傑作にして、名作なのでは? 古今東西 見渡しても、こんなにゾクゾクする短編は、そう幾つもありますまい。

  主人公の極端な性癖が、話の肝なのですが、こういう細かい性格の人間て、実際に いますよねえ。 もしかしたら、高村さん自身も、そういうところがあるのかも知れません。 でなければ、そもそも、こんなキャラクターを思いつかないし、小説の中に描き込む事もできないでしょう。

  この作品が、この短編集の表題作になっているのも、むべなるかな。 とにかく、読むべし。 絶対に、損はしません。 ただし、同じような性格であったとしても、この主人公の趣味を真似ないように。 元刑事だから、何とかなったのであって、一般人がやったら、どんな事になるか分かりません。


【巡り逢う人びと】 約60ページ 1993年7月

  警察組織に嫌気がさして辞職し、サラ金会社に再就職して、取り立て担当になった元刑事。 その会社では、最後の取り立て要員として、暴力団の組員を使っていたが、元刑事が厳しく言い聞かせてあったにも拘らず、債務者側の従業員への傷害容疑で、引っ張られる者が出てしまう。 元刑事は、取り立ての責任者として、失職する恐れが出て来るが、意外な人物が債務者であった事が分かり・・・、という話。

  「借りた金を返すのは、当然の事だから」と、借金の取り立てを仕事にした事に、負い目を感じていなかった主人公が、自分の古い友人が事件に関わっていたと知って、豹変し、立場も忘れて、友人を救おうとするのですが、ちょっと、極端とは思うものの、まあ、人間というのは、こういうものなのかも知れませんな。

  小説として、面白い、楽しい、という感じはしません。 主人公を、世間体のよくない職業に就かせていると、本人に矜持があろうがなかろうが、読者がついて来ないものです。 読書習慣がある人間の大半は、法律的にも、道義的にも、善良な人達ですから。


【父が来た道】 約62ページ 1993年11月

  大物政治家の後援者をやっていて、選挙不正の責任を負わされ、有罪判決を受けて、服役中の父親をもつ、元刑事の男。 父親の事件の関係で、警察を辞めた後、その政治家に誘われて、お抱え運転手になったが、裏で、警察に依頼されて、政治家の動向を探るスパイも務めていた。 政治家が体調を崩して入院した直後、病室に呼ばれた男は、政治家から、お前がスパイである事は承知していたと聞かされ・・・、という話。

  政治の世界が、いかに汚らしいかを描くのがテーマ。 これが、民主主義社会の現実かと思うと、げんなりして来ます。 当然、裏で、金や利権が動いており、だからこそ、警察・検察に目をつけられているわけですが、この話では、必ずしも、そういう状況を批難しておらず、淡々と、現実を描写しています。

  極めつけはラストで、普通、善悪バランスを取って、不正をしている者には、何らかの罰が下されるものですが、そうはなりません。 大物政治家は、高齢ですから、時折り入院するのは、普通の事であって、罰とは言えませんからのう。 そればかりか、主人公も、勤めを続けるようで、些か、呆れてしまいます。 しかし、「これこそが、今の政治のリアル」と言えば、確かに、その通りでして、主人公一人を、不正を許さない人物にしたとしても、いっとき、僅かに溜飲が下がるだけで、全体の構造は、何も変わらないんですな。

  この話、2005年に、阿部寛さん主演で、ドラマ化されています。 私も見ているんですが、冒頭部分以外、ほとんど、覚えていません。 ネット情報で知ったドラマのあらすじと比べると、原作小説の方は、ずっと地味で、大きな事件は起きません。 逆に言うと、だからこそ、より、リアルなわけですが。


【去りゆく日に】 約59ページ 1993年秋

  翌日に定年退職を控え、刑事として最後の一日を迎えた男。 一ヵ月前に起こった殺人事件で、川の土手の階段から落ちた被害者の、衣服が整えられていた点に違和感を覚え、犯人か、その共犯に、細やかな配慮が習慣になっている女がいるのではないかと調べを進めていたのだが、最終日の夜になって、被害者の後妻が怪しい行動に出て・・・、という話。

  公務員だからでしょうが、誕生月ではなく、年度末に、一斉退職するんですな。 同じ年生まれが、一遍に抜けると、職場が困ると思いますが、まあ、そんな事まで、私が心配してやる必要はないか。 それにしても、刑事というのは、足が命の職業だと思いますが、退職寸前まで、現役で務まるものなんですかねえ。 歩くのはともかく、走るのは、無理が利かないでしょう。 20代の犯人が逃げ出したら、59歳の足では、絶対、追いつけないと思います。

  不粋なツッコミはそのくらいにしておいて・・・、話自体は面白いです。 退職前日で、上司からも部下からも、「もう、いないも同然」の扱いを受けている人物が、捜査本部が誤認逮捕をやらかしている間に、真犯人に近づいて行くのですから、それを読んでいる読者が、小気味良さを感じないわけがない。 巧い語り口ですなあ。

  この作品も、映像化されていて、2009年に、小林稔侍さん主演で、2サス枠のドラマになっています。 私も見ていて、印象深く記憶に焼き付いています。 原作の通りだと、短か過ぎて、1時間で終ってしまうので、主人公の妻が、詐欺に引っ掛かりそうになるエピソードを足しています。 1.5倍くらいに水増しされていたわけですが、取り立てて不自然さを感じなかったのは、脚本家にも実力があったんでしょう。 殺人事件の方に限って見れば、原作に忠実に映像化されています。




≪レディ・ジョーカー 上・下≫

毎日新聞社
上巻 1997年12月5日 第1刷 1997年12月20日 第3刷
下巻 1997年12月5日 第1刷 1998年12月24日 第8刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 全編のページ数は、約855ページ。 冒頭部のみ、一段組。 それ以外は、二段組。 1995年6月から、1997年10月まで、「サンデー毎日」に連載された作品を、単行本化に当たって、大幅に改稿したもの。


      ビール業界最大手のメーカーに勤める重役の一人が、娘が結婚したがっていた相手に対して、差別意識から承諾を与えなかった事が発端になり、相手の青年は交通事故死し、数年後、その父親が自殺する。 姻戚の老人が、孫の仇をとろうと、競馬仲間に声をかけて、企業を恐喝しようと企てる。 仲間には、現職の刑事も含まれていて、警察の捜査方法を知り尽くした周到な計画が立てられるが・・・、という話。

  基本的な筋は、そうなんですが、尾鰭がついて、膨れ上がっています。 尾鰭の方が、ボリュームが多くて、本筋は、いつのまにか、脇に追いやられてしまいます。 それにしても、こんなに筆力がある人物が、この世に存在するというのは、心底、驚きです。 一般読者は言うに及ばず、プロ作家の面々でも、「こんな大作は、とても書けない」と、舌を巻くんじゃないでしょうか。 ただ長いだけというのではなく、密度が違うのです。

  「レディ・ジョーカー」というのは、犯行グループの名前。 メンバーの一人に、障碍を持つ子供がいて、「レディ」と呼ばれているのですが、障碍がある故に、父親が、「自分の人生のジョーカーだ」と言っていたのが、理由。 実際の発音は、「レディー・ジョーカー」なんでしょうが、様々な「仕組み」に興味津々で造詣深い高村さんでも、「レディー」より、「レディ」を選んでしまうのか、はたまた、編集者の意向か。 言語学を学んだ者としては、致し方ないと言う気はないです。 「レディ」なんて言葉は、日本語にはありません。 誰でも、必ず、「レディー」と伸ばしているはず。 でなければ、通じますまい。

  それはさておき、群像劇でして、「犯行グループ」、「ビール会社の経営者達」、「警察の捜査関係者」、「新聞記者達」、といった面々が、それぞれ、視点人物となって、入り乱れます。 「総会屋」と、「政治家」も出て来ますが、そちらは、視点人物になる事はありません。 【マークスの山】や、【照柿】にも出て来た合田警部補が、所轄署の捜査員になっていて、一番、露出が多いですが、主人公と言うには、ちと、弱いか。 そのくらい、群像劇度が高いのです。 とりわけ、ビール会社の社長は、合田と同じくらい、重要な登場人物として描かれています。

  50歳以上の人なら、1984・85年に起こった、「グリコ・森永事件」を記憶していると思いますが、この作品の内容は、明らかに、それをなぞっています。 菓子会社を、ビール会社に入れ換えたわけだ。 ただし、グリコ・森永事件そのものが、未解決なまま、この作品が発表された時期を迎えており、この作品が、同事件の真相を明かしているわけではないです。 高村さんが、頭の中で創り出した、「一つの可能性」、という程度の事でしょう。

  本筋の事件は、途中から重要度が下がってしまうので、敢えて、ネタバレさせてしまいますと、犯行グループの特定は、警察組織としては達成されません。 もちろん、逮捕もなし。 真相に辿り着く者はいますが、物証がなくて、警察組織を動かせずに終わります。 その辺りは、推理小説、もしくは、犯罪小説として読んでいる読者としては、モヤモヤ感が残るところ。 しかし、作者としては、人間を描くのが目的なのだから、事件が解決するかどうかには、大きな意味がないと考えているのでしょう。

  それにしても、「新聞記者達」の視点は、読むのがきつい。 これは、作者のせいと言うより、私個人が、マスコミ関係者に対して、好ましい印象がなく、彼らが重要視している対象はもちろん、彼らの存在そのものにも、興味が薄いからだと思います。 新聞業界の、「仕組み」にも、非常に細かい描写が為されていますが、そんなに丁寧に取り上げてやるほど、価値がある世界とは思えませんな。 もっとも、この作品の発表当時は、インター・ネットの普及前だから、情報源としての新聞の価値は、今よりは、ずっと高かったわけですが。

  それにしても、合田警部補は、一作ごとに、心身ともに、ボロボロになって行きますねえ。 とても、30代とは思えない。 定年間近としか感じられない、くたびれようではありませんか。 一応、複数作品の中心的人物なのに、この扱いのひどさは、どういう趣向なんでしょう? コナン・ドイルさんが、ホームズを滝に落として葬った心理と、通じるものがあるんでしょうか。




≪太陽を曳く馬 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2009年7月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組で、全編のページ数は、約776ページ。 2006年10月から、2008年10月まで、「新潮」に連載された作品を、単行本化に当たって、加筆修正したもの。


  「サンガ」という組織を作り、修行僧達を従業員として雇用している伝統仏教の寺院。 癲癇の持病を持つ青年が、施錠されていたはずの門から出て、交通事故に遭い、死亡する。 遺族から、寺の管理責任を問う訴訟が起こされ、警察が捜査を指示される。 担当になった、合田雄一郎が、サンガを作った人物や、寺の管理者達、修行僧達に聞き取りをして、事故、もしくは、事件が、なぜ起こったかを追究して行く話。

  大筋は、そんなところですが、この梗概からイメージされる内容とは、途轍もなく懸け離れています。 この作品、犯罪小説の枠を借りているだけで、その実、事故、もしくは、事件なんか、どうでもいいのであって、その正体は、伝統仏教や、オウム真理教、現代美術などについて分析を加えた論考なのです。

  ですから、ストーリー展開を楽しむ読み方は、全くできません。 その点、面白くも何ともないのです。 合田雄一郎は、関係者の話を聞いて回る、単なる繋ぎ役に過ぎず、≪マークスの山≫や、≪レディ・ジョーカー≫でのそれに比べると、ほとんど、存在感がありません。 というか、この作品に、合田を出す必要はなかったのでは? 宗教について、妙に食いつきが良く、教義の理解も深い所まで達するのですが、前2作の合田とは、別人のように感じられます。

  合田が、この役に似合わないというに留まらず、毎日、教義の勉強をしている宗教関係者相手に、対等に語り合う事ができる、こういう刑事がいるような気がしません。 それは、作者も承知しているようで、結末近くで、検事の口を借りて、合田を刑事らしくないと言わせていますが、本当に、その通りだと思います。 そういう方面に興味を抱く人間は、そもそも、刑事という職業を選ばないでしょう。

  高村作品らしく、モチーフの分析は、途方もなく詳細です。 しかし、詳し過ぎて、普通の読書人では、到底、読み通せないでしょう。 私も、音を上げて、詳しく書かれた部分は、ほとんど、飛ばしました。 実は、飛ばし過ぎて、感想を書く資格もないのですが、そうなってしまうのは、私だけではなく、99.99パーセントの読者が、飛ばしていると思います。

  仏教の教義が、最も深く、長く、細かく、取り上げられていますが、一文字も余さずに目を通し、内容を理解しても、人生に、害になる事こそあれ、益になる事は微塵もないと、断言できます。 こんな事は、知らない方が、ずっと、幸福に、快適に生きられます。 その点については、絶対の自信あり。 特定宗教の教義について、何も知らなくても、人生の価値が減ずる事は、金輪際ありません。 知らない方がいい事というのは、実際にあるんですな。

  ≪黄金を抱いて翔べ≫や、≪照柿≫などでは、リアリティーを醸し出すのに絶大な効果を発揮した詳細な専門知識が、この作品では、真逆に働いて、詳細であればあるほど、胡散臭く、宗教の教義を、価値がないと思わせる方向に、読者を引っ張ってしまっています。 どうも、高村さん自身、それは分かっているような気配もあります。

  それなら、最初から書かなければ良さそうな気もしますが、高村さんとしては、日本中を震撼させた、オウム真理教の一連の事件について、何か、書いておかなければと思っていたんでしょうねえ。 30年も経過した今から振り返ると、もはや、何の意味もなくなってしまった感がなきにしもあらず。 この作品を書く為に投じられた膨大なエネルギーが、惜しいと思ってしまいますねえ。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪照柿 一・二・三・四≫が、4月6日から、12日。
≪地を這う虫≫が、4月14日から、16日。
≪レディ・ジョーカー 上・下≫が、4月19日から、25日。
≪太陽を曳く馬 上・下≫が、4月26から、5月6日。

  上下巻の二冊だと、やはり、日数がかかります。 もっとも、≪太陽を曳く馬≫は、植木手入れの二日間を挟んでいるので、昼間は、1ページも読めないわけで、他とは少々、条件が異なりますが。

  高村さんの本には、短編集が少なくて、作品があるのが分かっているのに、読めないものがあるのは、残念なところ。 掲載された雑誌を見つけられれば、読めるわけですが、図書館の雑誌って、30年以上、保存されているものなんですかね?

2025/06/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (69)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、69回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年5月分。





【沼津市西浦江梨・江梨中川河口】

  2025年5月5日。 沼津市・西浦江梨の、「江梨中川の河口」へ行って来ました。 「えなし」と読みます。 西浦は、伊豆半島の北西部にあり、江梨は、大瀬崎の手前にある集落です。 久しぶりの遠出になりました。

≪写真1≫
  海岸線を通る、崖の上の道路から、江梨集落を見下ろしました。 木が邪魔で、見えませんが、ここに写っている分よりは、ずっと多い、家があります。

≪写真2≫
  江梨中川の河口。 コンクリートで固められているのは、今時、どこも同じか。

≪写真3≫
  消防分団詰所の隣の敷地に停めた、EN125-2A・鋭爽の、ハンドル周り。 バイク雑誌に載っていそうなアングルですな。

  江梨の港は、釣り場として有名のようで、突堤の上に、釣り人の姿が見られました。

≪写真4≫
  江梨中川の河口から、上流を見ました。 河口に一番近い橋は、「江梨橋」で、海岸線の幹線道路が通っています。

≪写真5≫
  帰りに、路傍で見つけた、花。 木ではなく、草だと思うのですが、背丈に凸凹があるのが、不思議。 もしかしたら、松葉菊? 自信なし。




【沼津市西浦久料・久料川河口】

  2025年5月13日。 沼津市・西浦・久料にある、「久料川の河口」を見て来ました。 久料は、江梨より、一つ東側の集落。 一度、通り過ぎてしまい、前週に行った江梨の手前まで行ってから、引き返してきました。 「久料」は、「くりょう」と読みます。

≪写真1≫
  河口の真上を、幹線道路の県道17号線が通っており、こういう写真しか撮れませんでした。

≪写真2≫
  河口に架かる橋は、「久料橋」。 バイクを停めるところがなくて、やむなく、歩道に停車しました。

≪写真3≫
  久料橋の上から、上流側を見ました。 水は少なくて、渇水期のようです。

≪写真4≫
  バイク越しに、海。 海の向こうに見える山は、愛鷹山です。 その上に、富士山が見えるはずなのですが、この日は、雲に隠れていて、駄目でした。




【沼津市西浦足保・足保川河口】

  2025年5月20日。 沼津市・西浦・足保の、「足保川の河口」へ行って来ました。 「あしぼ」と読みます。 一週ごとに、近い集落になっていますが、まだまだ、遠いです。 そもそも、西浦自体が、うちから遠いのですが、足保は、西浦の中間地点より、向こうですから。

≪写真1≫
  足保川に架かる、河口から一本目の橋、「清水橋」の上から、河口を見ました。 河口らしい形状の河口です。 遠くに見える突堤で、人工的に、内湾を造ってあります。

≪写真2≫
  清水橋。 下流側だけに、歩道が設けられています。 上流側の欄干は、古いコンクリート製のものなので、下流側の鉄製のは、後で付け直したのかも知れません。 通っているのは、海岸線の幹線道路、県道17号線。

≪写真3≫
  少し上流に、小山があり、急で長い階段が見えます。 ネット地図で見ると、「天神社」があるのですが、この階段では、高齢者は、登れますまい。 信心があれば、登れるかな? 余所者の分際で、こんな心配は、余計なお世話ですが。

≪写真4左≫
  河口近くに置いてあった、ブイ。 私の背丈くらいあります。 以前は、海に浮かべられていたのでしょう。 こういう物体が、沖合いで、何年も浮いているというのは、夜や嵐を想像すると、何とも、恐ろしいです。

≪写真4右≫
  清水橋の、左岸下流に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクでも、車でも、海や湖など、大量の水がある場所に近づく時には、十二分に気をつけた方がいいです。 落ちる危険性が、常にありますから。 家人が港に釣りに行ったのだが、帰って来ない。 警察に届けて、捜してもらったら、車ごと海に落ちていた、というのは、割と良く聞く話。



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【沼津市西浦古宇・古宇川河口】

  2025年5月28日。 沼津市・西浦・古宇の、「古宇川の河口」へ行って来ました。 古宇は、西浦の西から4番目の集落で、「こう」と読みます。 古い宇宙? 新しい宇宙に対して? 物理学的だな。 当て字だと思いますが、どういう経緯で、この字が選ばれたのか、幾分、興味が湧くところです。

≪写真1≫
  古宇川は、そこそこ幅が広い割に、水が少なくて、河口は、干潟みたいな様子になっていました。 古宇湾には、ヨットが多く停泊していました。 遠くに見える山並みは、沼津アルプス。 一番高いのが、鷲頭山(わしずさん)です。

≪写真2≫
  河口から一番目の橋、「古宇橋」。 通っているのは、県道17号線です。 昭和28年(1953年)3月竣功ですが、欄干は、新しく付け替えられているようです。

≪写真3≫
  古宇橋の上から、上流を見ました。 二番目の橋までが遠いですな。 という事は、この集落が、結構、広い事を表しているとも言えます。

≪写真4≫
  橋の西側の袂、路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この写真では分かりませんが、ここだけ、少し広くなっていたので、停めた次第。 バイク一台くらいなら、どこかしら、停める場所を見つけるのは、難しくありません。 交通量も多くはありませんし。

  ちなみに、伊豆半島に観光で行く車は、大抵、三島から修善寺へ入り、そこから、南の下田方面へ向かったり、西海岸に出たりします。 西浦の海岸線の道は、遠回りになるせいか、あまり、選ばれません。 西浦自体が目的で来るのは、釣り客くらいのもの。




  今回は、ここまで。 西浦方面に行ったのは、約一年ぶり。 海岸線のワインディング・ロードを走るので、ツーリング自体が、楽しかったです。 やっぱり、オンロード・バイクはいいなあ。 カーブを曲がって行く時の気持ち良さが、排気量の大小と無関係なところが、面白いです。

  ところで、「バイクは好きなんだけど、カーブが怖くて・・・」という人もいるかと思いますが、原因は、二つ考えられます。

  一つは、 ステム・ベアリングがイカれている事。 これは、バイク店で直してもらうしかないです。

  もう一つは、カーブに入ってから、速度が高過ぎると感じ、後輪にブレーキをかけてしまっている事。 ロックしてしまうので、タイヤが滑るような感じがします。 それは、怖いでしょうよ。 「ブレーキなんて、かけていない」と言う人も、速度を落とす為に、アクセルを戻す事はしているはず。 アクセルを戻せば、エンジン・ブレーキがかかってしまうので、やはり、後輪がロックします。

  対策としては、カーブに入る前に、速度を落としておき、カーブに入ったら、少しでもいいから、常に、アクセルを開き気味にして、曲がって行くように気をつける事ですかね。 慣れれば、体が勝手に、それをやってくれるようになります。

2025/06/22

実話風小説 終了の言いわけ

  月に一作のペースで書き、アップして来た、実話風小説ですが、前回で、40作まで行ったので、終わりにしようと思います。 「切りのいいところで、50作まで」とは、漠然と考えていましたが、あと10作も書くと思うと、頭がクラクラする思いがして、断念した次第。




  ネタ切れを起こすような話ではないけれど、ネタがあるのと、実際に小説に書くのとでは、次元が違っていて、健康問題で四苦八苦している今の私としては、これ以上、このシリーズに、手間と時間を割く気になれないのです。 つくづく、創作というのは、精神的な強迫が甚だしい。 若い頃、「何かしらの文筆業に就きたい」などと夢想していたのが、元恐ろしいです。 胃に何百個、穴が開いたか、分かったもんじゃない。

  今まで読んで来て下さった方々なら、分かってもらえると思いますが、どうも、このシリーズは、書いていても、読んでいても、気が滅入らずにはいられません。 人間の愚かしいところ、醜いところだけを取り上げているのですから、うんざりしてしまっても、不思議はないです。 「人間には、どうこう言っても、素晴らしい美点がある」と思うからこそ、前向きに生きて行けるのであって、どいつもこいつも、不良品ばかりだったら、世の中は、お先真っ暗。 生きる意欲を失ってしまいます。

  自分の問題点は、自分では分からないものですが、他人の欠点は、ありあり分かりますから、私が主人公に据えるような人物が、身近にいたら、誰でも、怖気をふるい、そんな人間に関わってしまった不運を、嘆き呪う事でしょう。 これが、気が滅入らずにいられようか。 いいや、いられるわけがない。

  問題がある主人公に、開き直らせて、ピカレスク、つまり、悪漢小説にしてしまえば、痛快な話にする事もできないではありませんが、それは、私の倫理観が許しません。 このシリーズを読み返せば、どれも、救いようがない話ではあるけれど、善悪バランスは取れている事が分かると思います。 ろくでなしや、道を踏み外した者には、相応の罰が下されて然るべきだと、私が強く思っている、いや、願っているからです。


  で、今後、このブログの、第3週(更新日の日曜が 5回ある月には、第4週)を、どうするかですが、車・バイクの補修記事や、「時代を語る車達」の在庫があれば、それらを出すとして、もし、何もなかった場合、更新しない週にしようと思っています。 私が歳をとり、健康も害して、ブログ運営力が衰えているのだから、致し方ない。

  このブログ「心中宵更新」も、始めてから、20年が経ちました。 その更に前は、ホーム・ページ「換水録」の一コンテンツで、時事ネタを短く書いていたコーナーを、2005年に、ブログとして、独立させたのでした。 当初は、当時、プロバイダーにしていた、DION/auの、「ラブログ」で始めたのが、ブログ・サービスが終了になってしまい、推奨に従って、「シーサー・ブログ」へ移行し、今に至ります。

  時事ネタは、その内、途切れてしまって、換水録の方から、再編集して移植した記事が大半を占めるようになってからでも、もう久しいです。 閲覧者も、ラブログの頃は、日当たり、100人を超える事がありましたが、シーサーになってからは、数人程度。 週に一回の更新だから、そんなものでしょう。 コメント受け付けしていないのに、数人であっても、見に来てくれる人達がいるのは、ありがたい事です。 お礼を申し上げます。

2025/06/15

時代を語る車達 ⑫

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 私は若い頃から、車と言ったら、デザインにしか興味がなかったので、走りがどうの、装備がどうのといった事は、全く分かりません。 高級車やスポーツ・カーが、ほとんど出て来ないのは、それまた、そういう車に興味がないからです。





≪日産・NV350キャラバン (5代目・キャラバン)≫

  「キャラバン」という名前の車種は、昔からありましたが、2012年6月のフル・モデル・チェンジで、5代目になった時に、日産の他の商用車種との、シリーズ名の共通化から、「NV350キャラバン」に改名されていたのが、2021年10月のマイナー・チェンジで、ガソリン車が、「キャラバン」に戻り、2022年2月には、ディーゼル車も戻って、「NV350キャラバン」という名前は消滅したという、大変、ややこしい経緯があります。 写真の車は、「NV350キャラバン」時代のもの。

  他のメーカーにも見られる傾向ですが、特に日産は、「車の名前を変えれば、売れ行きが良くなる」と、途轍もない思い違いをしている様子が濃厚に覗えます。 90年代まで使っていた車種名で、今 残っているのは、「スカイライン」と、「フェアレディZ」だけになってしまいましたが、名前を変えて売れ行きが伸びたかどうか、現在の日産の有様を見れば、明々白々。 「キャラバン」と言われれば、誰でも、どんな車か分かりますが、「NV350」なんて言われても、商用車だろうという事しか分かりません。

  で、車そのものですが、私は、運転した事がなく、乗せてもらった事もなく、デザインしか分からないのですが、悪くはないですな。 日産の、より小さい商用車、「NV200バネット」や、「AD」に比べると、遥かに常識的なデザインで、好感がもてます。 しかし、ライバルの、トヨタ・ハイエースに比べると、話は変わって来て、ハイエースに、似過ぎています。 「サイズ一杯だから、全体のフォルムが似てしまうのは、やむをえない」という考え方もあるでしょうが、窓の切り方や、ライト類のデザインなどで、もう少し、独自性を出して欲しかったものです。 もっとも、ADのような非常識な個性なら、要りませんけど。

  デザインから離れますが、こういう、仕事に使う車を買い、フルに活用している様子を見ると、いかにも、「働く自動車」という感じで、車にも、人にも、カッコ良さを感じますねえ。 遊びでスポーツ・カーに乗っている人間が馬鹿に見えてしまうのとは、対照的です。 畢竟、車は道具なのであって、使ってナンボのものなんですな。 「NV350キャラバン」時代の、「こっちは、プロ仕様」というテレビCMのコピーを覚えていますが、なかなか巧みに、顧客の心理を突いていたと思います。




≪トヨタ・プロボックス / トヨタ・5代目ハイエース≫

  手前の黒い車は、トヨタの商用バン、「プロボックス」。 前期型は、2002年7月に登場し、2014年8月に、マイナー・チェンジして、このフロント・デザインになりました。 「プロボックス」と書きましたが、名前を確認して来ませんでした。 「サクシード」の可能性もあります。 マイナー・チェンジ後は、両車種の違いが、ほとんど、なくなったからです。

  色が黒ですが、マイナー・チェンジ後の型には、乗用ワゴンの設定がないらしいので、商用バンなのでしょう。 ホイールが、シルバー塗装の鉄製なのも、それで頷けます。 履かせられるアルミ・ホイールは、いくらでもあると思いますが、この車は、鉄ホイールの方が、カッコよく見えます。

  絶賛に値する、素晴らしいデザインだと思うのですが、どうして、この車を使って、タクシーをやらんかなあ。 わざわざ、セダン・ボディーを作る必要はないのであって、このまま、タクシー仕様に改造してしまえばいいのです。 大は小を兼ねるように、バンはセダンを兼ねられます。 ちなみに、かつて、トヨタで作っていた、タクシー専用セダンの、「コンフォート」と、車幅は同じです。 元が商用車だから、維持費も安いと思うのですがね。

  とにかく、ジャパンタクシーは、勘弁してくれ。 見るに耐えん。 どうして、日本で、ロンドン・タクシーのパクリやねん? 憧れて真似るような、カッコいいもんかいな? ダサダサとしかとしか思えませんが。 ロンドン・タクシーをカッコいいと思う人が多ければ、とっくから、世界中で導入してますって。 運転手さんも、切り替えの時は、抵抗感が大きいだろうなあ。 仕事で乗る車だから、仕方ないと割り切るしかないのか・・・。


  奥のハイエースは、2004年から売られている、5代目・現行車型。 21年間も作っているんですな。 もう、このサイズのワン・ボックス・カーとしては、独擅場でして、モデル・チェンジする必要がないのでしょう。 今後、変えたとしても、変わり映えがしないか、悪くなるだけなのでは?

  全く古さを感じさせませんが、そもそも、ワン・ボックス・カーは、形に、時代の変化が出難くて、古くならないのです。 その上に、この型は、完成度が高いデザインだと思います。

  モータリゼーション初期の、「国民車構想」ではありませんが、この手の車は、一サイズにつき、一車種あれば、充分な感じがしますねえ。 もはや、ハイエースがいいの、キャラバンがいいのと、拘る人もいないでしょう。 車に対する見方は、確実に変わりました。 本来、道具として作られた機械を、社会的身分を表そうとしたり、個性を表現したりする為に車種を選んでいたのが、間違っていたのです。 社会全体で起こしていた、錯覚だったのです。 畢竟、道具なんですよ、車というものの本質は。




≪ダイハツ・2代目ミライース≫

  2017年5月から、現行で売っている車。 割と珍しいですが、白いのもあるんですな。 今、売られている軽自動車で、私が唯一、評価している車。 角ばった車は、過去にもありましたが、多面体デザインという点で、この車の独自性は、強烈です。 軽に限らず、今の日本車の中で、最も優れていると言ってもいいでしょう。

  ライバルは、スズキの、「アルト」という事になりますが、巷で見かける数が段違いでして、こちらの方が、圧勝しています。 アルトと比べると、背を高くしたり、室内容積を大きく取ったりという考え方を、最初から捨てている点が、優れています。 スズキは、勘違いをしていると思うのですが、みんながみんな、室内が広い車を求めているわけじゃないんだわ。

  天井が高くても、広い感じがするだけで、天井まで荷物を積む利用者は、ほとんど、いますまい。 背が高くなると、シートの座面も高くなるので、高齢者は、乗り下りがし難くなります。 低い方が、お尻を載せてから、足を入れるという乗り方ができるから、逆に好都合なのです。

  ワン・ボックスは言うに及ばず、ハイト・ワゴンでも、トール・ワゴンでも、背が高過ぎ。 あんな、バーのスツールみたいなシートに座って、運転の楽しさなんて、感じられるものですか。 買う方も買う方で、車を、部屋だと思っているから、広い方がいいなどと考えるのです。 車は、乗り物だというのよ。

  おっと、イースの批評から離れてしまいましたな。 このデザインには、もう一つ、優れた点があります。 それは、性別を選ばない事です。 男性が乗っていても、ちっとも、おかしくありません。 もちろん、女性にも似合います。 この車を選んでいる事で、運転者を、知性的に見せてくれます。




≪マツダ・4代目デミオ(MAZDA 2)≫

  2014年9月から、現行車。 2019年7月から、日本国内での名前を、「MAZDA 2」に変更。 海外では、それ以前から、「MAZDA 2」で売られていました。 私としては、「デミオ」の方がいいと思うんですが。 どうこう言っても、記号の名前というのは、覚え難いものです。

  この写真の車が、「デミオ」なのか、「MAZDA 2」なのかは、後ろを見なかったので、エンブレムを確かめて来ませんでした。 私は、デザインしか見ないので、どっちでも、同じですから。 ちなみに、この車は前期型で、今は、後期型に、マイナー・チェンジされています。 10年以上作っていても、古くなったと感じられないのは、元から、デザインが古風だからでしょう。

  いいデザインだと思うのですが、新しい感じは、全くしません。 むしろ、レトロを感じます。 50年くらい前の、イギリス人が好みそうなデザインですな。 車のデザインというのは、モデル・チェンジを重ねて行く関係上、何かしら、新時代を感じさせるものが求められるのですが、それを、真っ向から否定しているのは、興味深い。 マツダ単独の戦略に過ぎないのか、はたまた、時代が変わって、車に新しさが求められなくなったから、こういう考え方が出て来たのか。

  スズキから供給されている軽自動車を除けば、マツダの最小車種ですが、サイズも、排気量も、とっくから、リッター・カーのカテゴリーから食み出していて、かつての、「ファミリア」と変わらなくなっています。 一般的な家族で使うには、この車で充分。 誰でも、そう思うからか、この上の車種、「MAZDA 3」は、滅多に目にしません。




  今回は、以上、5台まで。

  いずれも、今年になってから、撮影したもの。 現行車の割合が多いのは、型落ちの車を見かける事が少なくなったからです。 どこでも、かしこでも、新しい車ばっかり。 どうしてそう、ポンポンと買い換えるかな? 私のセルボ・モードなんて、27年目ですが、まだ充分 走りますよ。 そこまで粘らないとしても、15年くらいは、無理なく乗れると思うのですがねえ。