2025/09/07

読書感想文・蔵出し (128)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品。 借りる方は、アンソロジー収録の短編を除くと、≪我らが少女A≫だけ、まだ読んでいません。 沼津図書館にある事はあるのですが、予約が立て込んで、なかなか、回って来ないのです。 





≪墳墓記≫

株式会社 新潮社
2025年3月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 長編1作を収録。 一段組みで、約176ページ。 元は、「新潮」の、2021年4月号から、2024年7月号まで、飛び飛びに掲載されたもの。 単行本化に当たり、加筆修正が施されたとの事。


  祖父と父が能楽師だったが、父への反発から、それを継がずに、裁判所の速記官になった男が、外傷性ショックで、瀕死の状態となり、救急車で病院へ運ばれる。 生と死の境を彷徨いながら、藤原定家を中心に、飛鳥、奈良、平安、鎌倉の時代を生きた、皇族、公家、武士らの、考え方、感じ方に、思いを馳せる話。

  何が原因で、そうなったのかは、よく分かりませんが、とにかく、死にかけた状態である事だけは分かります。 娘が、「自由落下を求めて」、飛び降り自殺したらしいので、もしかしたら、主人公も、それに倣ったのかも。 主人公の祖父も自殺しており、狂気の遺伝子を受け継いでいると、父親も言っているように、堅実、且つ、地味に暮らす事ができない血統である事は、暗示されています。

  覚醒していない脳で、こんなに膨大な知識を記憶野から引き出すのは、到底、不可能だと思いますが、もしかしたら、高村さんクラスの頭脳になると、そういう事ができるのかも知れません。 毎朝、寝覚めの夢の中で、小難しい学術的問題を、脳が勝手に演算しているとか。 高村さんの知能は、私より、数倍、いや、数十倍、上を行くと思われ、下からでは、上の頭の構造を窺い知る事ができないのです。

  古典からの引用や、擬古文が、これでもかというくらい出て来るので、推理小説方面から、高村さんの作品を手に取り始めた読者は、十人中九人が、何ページも進まない内に、音を上げると思います。 無理無理! 読めるものかね! 目が文字にくっついて行ってくれませんわな。 もしかしたら、高村さんは、未だに自分の事を推理作家と見做している読者に、うんざりしていて、わざと、こういう作品を書いて、そういう輩に引導を渡そうと目論んだのでは? もっとも、このレベルになると、よほどの古典好きは別として、一般小説や純文学の読者でも、ついて行けないような気がしますが・・・。

  筒井さんの、【聖痕】に、擬古文が使われていましたが、あれは、実験的に、異化効果を狙ったもの。 一方、この作品では、古典引用や擬古文が、あまりにも多過ぎて、異化効果を通り越してしまっています。 もはや、小説というより、古典を対象にした、論考と言うべき。 こーれなあ、新人が書いて、新人賞に応募したり、編集部に持ち込んだりしたら、凄い顔されるでしょうねえ。 野次馬心理的には、編集者の引き攣った表情を見てみたいもの。 十二分に名前が売れている、高村さんだから、雑誌掲載も、単行本化も、可能だったわけで。

  古典引用や擬古文を、飛ばし読みしようとすると、何が言いたいのか、さっぱり分からなくなってしまうので、辛くても、全ての文字を読むしかありません。 セルフ拷問になると思いますが、この本を買っちゃった、もしくは、借りちゃった、己が運命を呪うしかありませんな。 【源氏物語】を、部分的にでも、原文で読んだ経験がある人なら、割とスイスイ、進むと思いますが、上にも書いたように、小説というよりは、論考なので、話の展開に、ワクワクするような事はないです。




≪晴子情歌 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2002年5月30日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約718ページ。 1997年末から、2002年春までの間に執筆されたもの。


  青森県の名士の家系に生まれた青年は、大学卒業後、遠洋漁船に乗り組む道を選ぶ。 寄港先に届く、母の長い手紙を何通も読んで、祖父母の人生、母の人生、母の弟・妹達の人生、名目上の父の人生、実の父の人生、父の一族の人生などを詳しく知り、それらを通して、母がどんな人間だったのかを知る話。

  主人公は、青年なのか、母なのか、判別し難いところ。 母の手紙(旧仮名遣ひ)の部分は、一人称で、完全に、母が視点人物です。 現在進行の地の部分は、三人称で、青年が視点人物。 現在、といっても、「ロッキード事件」が、日本を揺るがしていた、1970年代ですけど。 両部分の配分は、文章量は、地の方が多いですが、内容的には、半々くらい。

  高村さんと言ったら、犯罪を題材にした作品が多いですが、これは、完全に、純文学でして、推理小説方面から入って来た読者は、全く歯が立たない、と言うか、読むだけは読めても、面白さを感じられるのは、ほんの僅かの人に限られると思います。 5パーセント以下である事は、確実。 そもそも、この作品を読んで、純文の醍醐味が分かるようなら、先に推理小説に嵌まる事はないと言うのよ。

  母の手紙の、旧仮名遣ひだけでも、読む気が失せてしまうのではないでしょうか。 目が文字について行きますまい。 いや、分かるぞ、その気持ち。 私も、新仮名しか教わらなかった世代ですから、旧仮名を読むのは、きついです。 ただ、私の母が学生時代に買った文庫本に、旧仮名のものがあり、それを何冊か読んだ経験があったから、何とか読めるというだけで。

  恐らく、高村さんも親の世代の蔵書を読んでいて、旧仮名を読み書きできるようになったのではないでしょうか。 もっとも、私と高村さんとでは、読書量が、二桁くらい違っていると思いますが。 もちろん、高村さんの方が、遥かに、上です。 背中が全く見えないくらい、離れています。

  純文の中でも、大河小説と呼ばれる部類です。 トルストイ作、【戦争と平和】が典型ですが、複数の中心的人物と、その周辺の人々の生き様を書き込んで行って、一つの時代、もしくは、時代の変化を描き出すというもの。 必ずしも、作品の長さは関係なくて、同じ高村作品で、同じくらいの長さでも、今までに読んだものの中には、大河を感じさせるものはありませんでした。

  ちなみに、私は先に、【太陽を曳く馬】の方を読んでしまいましたが、そちらに出て来る、変わり者の僧侶の若い頃が、この作品の、青年に当たります。 この作品では、仏教との関わりには、深入りしておらず、伏線が張られている程度。 とはいえ、この作品にしてからが、「オウム真理教事件」の後に書かれたものですから、【太陽を曳く馬】まで繋がって行く構想は、当初からあったんでしょうなあ。

  同じ大河小説でも、日本が舞台で、戦前の描写が多いと、こうも暗い話になるものか。 戦前・戦中の日本文学がもつ、暗さ、重さが、全開になっています。 結核が出て来ないのが、せめてもの救い。 これで、結核患者が出て来たら、私は途中で放り出していたでしょう。 あれは、いかんわ。 悲劇のモチーフとして、あまりにも安直に使われ過ぎています。 高村さんも、そう思って、敢えて、避けたのかも知れません。

  私が過去に読んだ小説の中で、この作品に近いというと、北杜夫さんの、【楡家の人々】ですかね。 同じ、北さんの作品に、【遥かな国遠い国】というのがありますが、遠洋漁船の件りは、それに似ています。 あくまで、雰囲気が、というレベルで、こちらの方が、遥かに精緻ですけど。 労働運動も、モチーフとして出て来ますが、小林多喜二作、【蟹工船】ほど、大型漁船上の仕事を、厳しく描いてはいません。 もっとも、現役時代、肉体労働者だった私でも、こういう仕事は、とても務まりませんが。

  この作品で、一番 記憶に残るのは、「母」の結婚相手が決まる場面です。 その前に知り合った青年がいて、住む場所は離れても、手紙のやり取りを続けているのですが、突然、別の人物から結婚を決められ、驚いた事に、「母」が、それを拒もうとしないのです。 どうも、手紙のやり取りをしていた青年とは、特に結婚を意識していたわけではない様子。 しかし、その事について、「母」の心理描写がなされていないので、読者側は、「なぜ、拒まない? あっちの青年は、どうするのだ?」と、思ってしまうわけです。

  ただ、ディケンズ作、【荒涼館】で、主人公エスタの結婚相手が明らかになった場面ほど、大きな違和感を覚えないのは、この作品の「母」が、現代日本人から見て、外国人であるエスタよりも、ずっと遠い存在だからでしょうか。 同じ日本でも、戦前・戦中と、戦後では、社会が様変わりして、価値観がまるで違っているので、戦前の日本文学全般が分かり難いように、この作品に出て来る、「母」も、戦後生まれの私の目には、理解の限度を超える存在に映るのでしょう。 最初から、理解できない事が分かっているから、違和感も半分くらいなわけだ。

  理解できないところを、無理やり、理解しようと試みるに、この時代の女性は、独立して働く職場がなくて、どこかしらの家族に属していなければ、生きて行けなかったから、その家で、自分より上の立場にいる者が決めた事には、逆らうという選択肢がなかったのも知れませんな。 結婚も、「親決め婚」が普通の時代ですから、戦後のそれほど、相手に拘らなかったのかも知れません。 「見合い婚」すら廃れて、「恋愛婚」もしくは、「紹介婚」だけになっている、現代の感覚では、やはり、理解できませんけど。




≪新リア王 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2005年10月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約857ページ。 たぶん、書き下ろしだと思います。


  青森県の名士、福澤家に生まれ、国会議員を何期も続けて、「王国」を築いて来た、福澤榮が、70代半ばにして、公の場から姿を消し、青森県の、みすぼらしい草庵を訪ねる。 そこには、戦時中、榮が、出征した弟の妻に産ませ、長じて出家した息子、彰之が住んでいて、榮が知らなかった孫、秋道もいる事も知る。 それまで、話をした事がなかった彰之を相手に、政治の事、原発誘致関連の事、福澤一族の事、一年前に自殺した秘書の事、仏教の事、彰之の妻子の事などを語り合う話。

  【晴子情歌】の続編ですが、この作品は、大河小説ではありません。 むしろ、この作品の続編に当たる、【太陽を曳く馬】に近くて、小説の形を借りた、論考と言うべき。 対象になっているのは、政治が大半で、仏教が少々、残りは、彰之親子の家族史。 政治と宗教に興味がなければ、この本を読む意味は、ほとんど、ありません。

  とりわけ、政治関係の部分は、興味がない者にとっては、ただの文字の羅列に過ぎず、全く頭に入って来ないか、入った端から出て行くかのどちらか。 様々な、「仕組み」に興味がある、高村さんの事だから、複雑怪奇な政界の仕組みに惹かれても、不思議はないとは思うものの、正直、民主政治の腐臭全開という感じで、とても、真剣に読めたものではありません。 脳味噌が腐る心地ぞする。 何でも、詳しく調べて、細々と書けばいいというわけでもないようです。

  小説の形式を借りていると書きましたが、小説の形式と言うより、物語の形式と言うべきか。 一番近いのが、【千一夜物語】で、榮と彰之が、語りまくるわけですか、長さ的にも、内容的にも、語り過ぎでしょう。 特に、何年も前に起こった事を、何ページ分にも渡って、語り続けるというのは、記憶力・表現力の限界を超えますし、聞かされる方も、忍耐の限界を超えてしまいます。 それこそ、「その話、今じゃなきゃ、駄目?」というセリフが出てしまうのでは。

  現実には、こんな会話は、ありえないのであって、それは、作者も承知しているはず。 しかし、この膨大なボリュームの内容を、自然体の小説作法で書こうとしたら、長さが10倍くらいになってしまうから、リアリティーを犠牲にしても、物語の形式を選んだのだと思います。

  「リア王」は、シェークスピア作の悲劇ですが、日本で最も知られている翻案作品というと、黒澤明監督の、≪乱≫でしょうか。 ああいうストーリーです。 榮には、彰之の他に、本妻との間に出来た息子が二人いて、政治的に、彼らの裏切りに遭う点、リア王に近いのですが、彰之も、父親の味方・理解者とは、到底言えない点、リア王より、更に救いがない。

  しかし、だから、榮が気の毒とは、全く思いません。 だって、政治家なんだものね。 同情に値するような職種ではありますまい。 権力を握る為に、他の全てを犠牲にしてもいいという考え方なのだから、こういう末路になっても、致し方ないではありませんか。 それが嫌なら、最初から、政治家にならなければ良かったのです。

  実在の政党名や、実在した政治家の名前が、ごろごろ出て来ますが、福澤榮と、その一族、青森県知事などは、架空のものです。 どこまでが現実で、どこからが虚構なのか、政治に興味がない者には、境目が判別できません。 特に、若い読者は、虚構の部分を、知識として、頭に入れないように、気をつける必要があります。 青森県民相手に、「福澤家は、凄いよね」などと言った日には、恥を掻くだけ。




≪四人組がいた。≫

株式会社 文藝春秋
2014年8月10日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 短編、12作を収録。 全体のページ数は、約273ページ。 「オール読物」に、2008年2月から、2014年1月まで、不定期に掲載されたもの。


  市町村合併で名前がなくなった山奥の村。 毎日、郵便局に集まるのは、元村長、元助役、現役郵便局長の三人のジジイと、野菜売りのおばさんの、四人組。 いずれ劣らぬ、可愛気の微塵もないすれっからしで、金儲けの話にだけは、敏感に食指が動く。 村に起こる、様々な超常現象的事件に、興味本意と、悪乗りで対処して行く話。

  超常現象と言っても、SFではなく、御伽噺に近いです。 「大人の童話」と言ったら、形容矛盾ですが、そんな感じ。 一応、12話に分かれていて、短編集という形になっていますが、12章という取り方をして、全体で一つの作品と見た方が、適切かも。 宇宙人や、化け狸、野菜のお化け、雪男、背後霊、閻魔大王など、漫画・アニメの超常現象もので、よく取り上げられる題材を扱っており、その点、既視感が強いです。

  高村さんが作者ですから、現代社会の習俗も多く取り入れていて、御伽噺と混ぜ込んでいます。 つくづく、高村さんは、その方面の感性が優れている。 だけど、あと、30年経ったら、この作品に出て来る習俗は、ほとんど、分からなくなるでしょうなあ。 逆に考えると、分からなくなってしまうからこそ、詳細に書き留める事に意義があるとも言えます。

  と、ここまでは、高村さんに敬意を表した、抑えた感想。 ここからは、辛くなりますが、正直言って、声を出して笑うところまで行きません。 せいぜい、ニヤける程度。 作者の知性が高過ぎて、馬鹿になりきれないと言うか、品性があり過ぎて、下品になりきれないと言うか、笑いのツボを外してしまっているのです。

  帯の宣伝文句には、「ブラック・ユーモア」という言葉がありますが、ブラックを羅列し過ぎたせいで、一つ一つのギャグが、月並みな印象になってしまっている観が否めません。 ストーリー性が低いのは、高村さんの長編にも共通しますが、長編なら、どんな構成にしても、「こういう語り方なのだ」で、済ませられるのに対し、短編の場合、特に、御伽噺的な短編の場合、起承転結をはっきりさせないと、何が言いたいのか分かり難くなってしまいます。

  とはいえ、こういう、「気のおけない仲間と、ワイワイやる雰囲気が好き」という読者も、少なからず いるでしょうねえ。 話の内容なんて、大した意味はない。 その点、ライト・ノベルのファンは、入り易く、受け入れ易く、嵌まり易いんじゃないでしょうか。 高村作品ですが、これに限っては、難しい事は書かれていないので、頭が痛くなって、途中で放り出す事もないでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪墳墓記≫が、5月30日から、6月1日。
≪晴子情歌 上・下≫が、6月5日から、10日。
≪新リア王 上・下≫が、6月13日から、19日。
≪四人組がいた。≫が、6月21から、5月23日。

  高村さんは、犯罪を題材にした作品が多いですが、≪晴子情歌≫は、純文学です。 しかし、もし、高村さんが、純文学でデビューしようとしたら、どうだったかと考えると、まるっきり、注目を浴びなかった可能性が高いですねえ。 こういう暗い話を、80年代以降の編集者が、好んだとは思えませんから。 犯罪小説・推理小説の世界からデビューして、名声を確立したからこそ、純文学作品も出せるようになったわけだ。 

2025/08/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング (71)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、71回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年7月分。





【伊豆市熊坂・熊野神社】

  2025年7月7日。 伊豆市・熊坂にある、「熊野神社」へ行ってきました。 熊坂地区は、旧修善寺町の、北の端にあります。 遠いので、修善寺の中心部の方には、なかなか、行けません。

  当初の目的地は、熊坂地区の、「薬王寺」だったのですが、着くには着いたものの、何かの工事をしているようで、境内に人がおり、入るのは元より、撮影だけでも気が引けてしまいました。 で、急遽、すぐ裏手にある、熊野神社に変更した次第。

≪写真1≫
  山に上がって行く道の途中にあります。 そこそこに古そうな、石の鳥居。 右の建物は、物置というより、倉庫。 神輿か山車でも、入っているんでしょうか。

≪写真2左≫
  右手前の石の祠は、境内別社ですが、よそから移して来た可能性が高いです。 最初から、この大きさのものを、この位置に置かないでしょう。

  左奥は、石燈篭。 固太りという感じの、ずんぐりした形です。 プロレスラーの体形を想起させますな。

≪写真2右≫
  トイレ。 トイレがあるという事は、氏子の多い、大きな神社の証明のようなもの。 祭りなど、行事を大掛かりにやるから、トイレが必要になるのだと思います。

≪写真3左≫
  境内の二段目にあった、集会所のような建物。 元は、舞台だったんじゃないでしょうか。

  右手前の石燈籠は、普通の形です。

≪写真3右≫
  漱ぎ盤。 森に食われていますな。 使用されていないのは、間違いなし。

≪写真4≫
  境内の二段目から、三段目に上がる石段。 長い! 高い! 怖い! 手すりを付けたくなる気持ちも分ります。

  石段の下に、石燈籠があります。 写真には写っていませんが、階段の上にもありました。 四箇所とも、一対 揃っていました。 こういうものは、氏子から寄進されるものですが、財力がある家が多いんでしょうな。

≪写真5左≫
  境内の三段目は、社殿で一杯で、正面からでは撮影できなかったので、横から見ました。 屋根は、トタン葺きですが、大変、凝った造形です。

≪写真5右≫
  拝殿の彫刻。 唐獅子ですな。 左右で、阿・吽になっていました。 これは、向かって左側の、吽形の方。

≪写真6左≫
  拝殿前を横から。 太鼓が吊ってあります。 賽銭箱は、堂々とした大きなもの。 外にあるという事は、賽銭泥棒の被害に遭っていないのでしょう。

≪写真6右≫
  境内別社の、「龍爪神社」の拝殿跡。 石碑の解説によると、2004年に、台風で大破し、翌年に解体したらしいです。 上の段に上がる石段があるのですが、石垣の途中から上にあって、下の段からは上がれません。 上の段には、白い石の祠があり、それが、本殿のようです。




【裾野市深良・裾野市福祉保険会館付近】

  2025年7月13日。 裾野市・深良の、「裾野市福祉保険会館」の辺りまで行きました。 車に乗れなくなった兄を、兄の住居からうちまで、送迎する事になるかも知れない事態が発生し、場所が分からないのでは、時間を無駄にしてしまうので、小回りが利くバイクで、下見に行ったのです。

≪写真1≫
  旧・国道246号線、現・県道394号線。 私は、最も長く勤めた会社が、裾野市の北の外れにあり、電車・バス通勤だった3年間を除いて、車とバイクだけでも、20年以上 通っていたのですが、国道246号線バイパスを利用していて、旧246は、ほとんど、通った事がありませんでした。 信号交差点が多いので、時間がかかってしまうのを嫌ったのです。

≪写真2≫
  歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクなら、どこにでも停められますから、下見には持って来いです。

  246バイパスで、近くまで来て、そこから、旧246へ入ったのですが、北へ南へ、行ったり来たりしても見つけられず、もう一度、北へ行ったら、ようやく分かりました。 どんな建物か知らないというのは、困ったもので、認識できていないから、前を通っていても、気づかないんですな。

≪写真3≫
  「裾野市福祉保険会館」。 どういう施設なのかは、知りません。 裾野市民ではないから、知っても意味がないです。 この付近で、目印になる建物、というだけの話。

≪写真4≫
  バイパスに戻って、帰りました。 ここは、「御宿平山」という交差点で、左に曲がれば、バイパスに入れます。 来る時にも、ここで曲がれば、分かり易かったんですな。 もっと、南で曲がってしまったせいで、下調べして来た事が無駄になってしまったのです。


  行きは、ロストしたので、1時間かかりましたが、帰りは、40分でした。 すり抜けはしなかったから、車より速いという事はないのですが、迎えに来る当日の朝は、平日の渋滞時間帯だから、やはり、1時間以上かかるでしょう。


  追記。 兄送迎計画ですが、前日になって、わざわざ、兄に来てもらわなくても、私で代役が務まる事がはっきり分かり、とりやめになりました。 まあ、毎週、どこかしら、プチ・ツーには行くのだから、この裾野行きが、無駄になったというわけではないです。




【伊豆市瓜生野・修善寺 時の栖 万福 百笑の湯】

  2025年7月22日。 伊豆市・瓜生野にある、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 温泉施設ですが、中に入って、湯に浸かって来たわけではなく、ツーリングの目的地として、前まで行っただけです。

≪写真1≫
  狩野川左岸の、県道129号線を遡って、熊坂に入り、そのまま東へ向かって行ったら、南側にありました。 思っていたよりも、大きな建物でした。 だいぶ、歳月を経ている感じ。

≪写真2左≫
  看板。 「修善寺 時の栖 お風呂とサウナと ホテルとお食事 あります!」。 「時の栖」は、「ときのすみか」と読みます。 「修善寺」が上に付いているのは、他の場所にもあるからで、「御殿場 時の栖」というのも、よく聞きます。 行った事はありませんが。

  母の話では、この施設、最初は、「帝産閣」と言っていたのが、「帝産ヘルスセンター」になり、その頃、一度、行った事があるとの事。

≪写真2右≫
  看板。 「万福 百笑の湯 修善寺 時の栖」。 「百笑」は、「ひゃくわらい」と読むようです。 「百笑い」と、「い」を送った方が、読み易いと思いますが、利用客でもないくせに、余計なお世話か。

≪写真3≫
  道路を挟んで、狩野川側に並んでいる、個室の宿泊施設。 ネットで調べたところ、「ホテル オリーブの木」というそうです。 この丸屋根の並びは、狩野川左岸沿いを通っている、国道136号線からも見えます。 昔から、「あの丸屋根は、何だろう?」と思ってはいたのですが、そうか、ここの施設だったのか。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、36キロ。 結構、遠くまで来ています。 修善寺や大仁を目的地にしている月は、ガソリンが、すぐになくなってしまうなあ。 バッテリーの端子は、問題ないようで、エンジンが息をつくような事はありませんでした。




【伊豆市瓜生野・大仁金山跡】

  2025年7月28日。 伊豆市・瓜生野にある、「大仁金山跡」へ行って来ました。 前の週に行った、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の裏山にあります。 最初に行った時に、ついでに見てくれば良かったのですが、その時には、そういうものがあると、知らなかったのです。 「大仁金山」と言いますが、少なくとも、現在の地名は、伊豆市・瓜生野です。

≪写真1≫
  金山と言っても、山が見れるだけ。 観光地として整備されていないので、解説板一枚立っておらず、坑口がどこなのかも分かりませんでした。

≪写真2≫
  反対方向を見ると、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の駐車場と、建物が見えます。 駐車場は、広大。 平日なのに、そこそこ、車が停まっていました。 建物の、左側後ろの山は、大仁のランド・マーク、「城山」。

≪写真3≫
  山の麓に、墓石が並んでいました。 金山で亡くなった方達でしょうか。 ちなみに、ここの温泉施設は、元々、金山労働者の慰労の為に作られたようです。

≪写真4≫
  駐車場に、車一台分を占めて、ヌケヌケと停めた、EN125-2A・鋭爽。 空いていたから、停めさせてもらいましたが、考えてみれば、客でもないのに、申しわけない。




  今回は、ここまで。 目的地は、現伊豆市の内、旧修善寺町の、なるべく北の方を選びました。 裾野市が一回挟まっているのは、やむを得ない事情によるもの。 別に、決められた義務を履行しているわけではなく、私自身が決めている目的地ですから、どうにでもなります。 今後、北上して行くので、いずれ、裾野市にも行くわけですが、その月には、一回だけ、伊豆市・旧修善寺を挟んでみようかと思っています。

2025/08/24

時代を語る車達 ⑭

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 今年の春に、徒歩や自転車で出かけるたびに、ちょこちょこと、撮影していたのですが、そろそろ、払底して来ました。 また、撮りに行かなければならないか。





【スズキ・9代目アルト】

  2021年から、現行車種。 私は、初代を知っている世代ですが、もう、9代も経ていたんですなあ。 全代、形は思い出せますが、どれが何代目かは、写真付きの一覧表でも作らないと、分かりません。

  色が白で、3台並んでいるところを見ると、どこかの会社の、営業車なのでしょう。 アルトは、8代目からこっち、個人でもっている人は少なくて、社有車の方を、多く目にします。 そもそも、新聞に、スズキの折り込み広告が入って来ても、アルトが載っていないのだから、販売店が、個人客に売る気があるのかどうかも怪しい。 「売れないから、宣伝してもしょうがない」→「宣伝しないから、売れない」の、悪循環に陥っていると見ました。

  「中車高の軽だから、売れない」というわけではないのは、ダイハツ・2代目ミライースが、大変良く見かける車になっている事で、証明されています。 アルトに、個人客に欲しいと思わせる、魅力が欠けているとしか言えません。 膨らませて、車内容積を大きくしさえすれば、使い勝手が良くなるというわけではないのですよ。 広さを求めている人は、ワゴンRや、スペーシアを選べばいいのです。 なぜ、アルトまで、膨らませるのか、金輪際、理解に苦しむ。

  8代目は、それでもまだ、個性がありましたが、9代目のデザインは、どんな形にしたかったのかも、測り兼ねるところがあります。 まさかとは思いますが、あの、車の形とすら思えなかった、2代目アルトをオマージュしたんじゃないでしょうね。 もっとも、2代目に比べたら、遥かに、まともな形だとは思いますけど。

  アルトは、低価格で大ヒットした初代の後、女性の運転免許取得が流行していた事から、女性向けに、可愛いさを狙った2代目が登場するのですが、全体の形を考えず、小手先でごまかしたようなデザインで、一目見るなり、顔が引き攣るのを抑えられませんでした。 初代ミラより、レベルが落ちていた、2代目ミラにも、遠く及ばなかったのですが、当時の女性が、車のデザインについて、何の見識もなかった事で救われ、名前だけで売れて、そこそこのヒットとなったという、複雑怪奇な歴史があります。 買う方が、カッコいいも、醜いも、分からなかったんですな。

  トール・ワゴンやハイト・ワゴンが売れているところを見ると、今の女性のデザイン感覚も、さほど進歩したわけではなさそうですが、それでも、8代目や、9代目のアルトが、自分達のイメージと掛け離れている事は、分かるようです。 特に、9代目は、明らかに、女性向けのデザインなのに、肝心の女性にそっぽを向かれているのですから、男性には尚更で、仕事で使う営業車でもなければ、乗ろうとはしないでしょう。

  うーむ・・・、やはり、現行車を批判するのは、販売妨害になってしまうなあ。 セルボ・モードに乗っている私ですから、決して、スズキに対して悪意があるわけではないのですが・・・。 なんで、アルトが売れずに、ミライースが売れているのか、そこを考えてもらいたいのです。 次の10代目も、膨らませ路線で考えているのなら、いっその事、もう、アルトはやめにした方が、いいのでは? 折り込み広告に載せないほど、売れないのなら、モデル・チェンジにかける費用がもったいないではありませんか。




【スズキ・ツイン】

  2003年1月から、2005年12月まで、3年間、生産・販売されていた車種。 ダイハツ・ミゼットⅡ(1996年から、2001年まで)の対抗馬として作られたのだと思いますが、どちらも、一代限りで終わりました。 なぜ、2代目が作られなかったかというと、期待していたほど、売れなかったからでしょう。 こういう、主流から外れた車型、実験的な車型、遊び感覚で企画された車型というのは、社内に必ず、頑強な反対者がいるものでして、売れないと、「それ見た事か!」と批判され、モデル・チェンジの費用が認められないわけだ。

  「ツイン」というカタカナ名ですが、元は、英語の、「twin」ですから、「トゥイン」と呼んでいた人も多いのでは。 販売店の人は、どちらを使っていいか、悩んだと思います。 特に、若い世代は、「トゥイン」と、苦もなく発音できるのに、「ツイン」と言うのには、抵抗感があったはず。 ルノー・トゥインゴを、「ツインゴ」と発音する人は、いませんし。 ホテル業界で、シングル・ベッド2台の部屋を、「ツイン」と言うから、そちらに従ったのだろうか?

  ちなみに、意味は、「双子」で、英語では、普通、複数形になります。 双子の内の一人を指す場合は、「a twin」。 そういえば、シュワルツネッガーさん主演の映画では、邦題が、「ツインズ」になっていましたな。 この車では、二人乗りだから、そういう名前になったようですが、英語母語話者が聞くと、本来、別の意味がある言葉ですから、違和感を覚えるかも知れません。

  現行の軽規格一杯のサイズより、全長は短いのですが、全幅は同じです。 私が、2016年、父の通院に対処する為に、中古車を買わなければならなくなった時、ミゼットⅡは、候補に入れたのに対し、ツインは、最初から念頭に置きませんでした。 うちの車置き場の幅が狭くて、現行規格の軽では、ドアを開けるのが、厳しいと思われたからです。 狭い隙間から、這い入ったり、這い出たりするのは、毎回となると、結構な負担。

  世の中、いろんな家があり、いろんな形・大きさの車置き場があるので、中には、全長が短い車が欲しいという人もいるでしょうが、このツインを選んだ人は、そういう実用的な事情ではなく、遊び感覚が、主な理由だったんじゃないかと思います。 見るなり、「これは、面白い!」と、惚れ込んでしまい、実用性の欠点など、頭からふっとんでしまったのでしょう。

  後席がないわけですから、当然、二人までしか乗れませんし、荷物置き場も、ラゲッジ・ルームしかないわけで、買い出しに使うにも、一週間分、ドカッと買うというわけには行きません。 常に、一人で買い出しに行くなら、助手席も使えますが、助手席に荷物を置いた場合、ちょっと急なブレーキを踏むと、荷物が床に落ちてしまうなど、使い難さもあります。 二人で行った時の方が、買い物が多いのに、それを載せる場所が足りないというのは、ジレンマとしか言いようがありません。

  実用性の低さに目を瞑ってまで、この車を選ぶ理由があるかというと、些か、疑問。 その点は、二人乗りタイプですら、窮屈だった、ミゼットⅡも、似たようなもので、あちらは、荷台があったものの、露天ですから、更に、不便さがあったはず。 よほど好きな人でなければ、長く維持しようという気になれなかったのも、頷けます。 どちらも、モデル・チェンジするほど売れなくて、当然だったんですな。

  ところで、この写真の車のツートン色ですが、変わっています。 新車の時に、こういうのが選べたのか、後で塗り直したのか、不明。 当時のカタログを調べるほど、興味が湧きません。 実用性で選ぶ車なら、派手過ぎですが、遊び感覚で乗る車なら、充分、アリでして、むしろ、この形に、よく似合っていると思います。

  この車が企画されたのは、日本の自動車産業が、最後の輝きを放った時期でして、自動車文化が豊かだったからこそ、ミゼットⅡや、ツインが生まれて来る、ゆとりがあったんでしょうな。 実用性が足りないのを承知の上で、買ってくれる人がいたわけだ。 遊び感覚がなくなった時に、その業界の文化性は、死滅するわけですが、今の日本の自動車産業を見ると、確かに、その通りになっていると思います。 もっとも、遊び感覚だけというのも問題で、実用性がなければ、そもそも、自動車産業は成り立たないのですが。




【ダイハツ・6代目ミラ】

  2002年から、2006年まで、生産販売されていた車型。  ボンバンは、2007年まで。 セルフマチックは、2009年まで。

  前に、この車について解説文を書いた記憶がおぼろげに残っていて、調べたら、 2017年12月6日更新の、「6756 ≪茶虎猫 / 6代目ミラ≫」 2018年4月8日更新の、≪時代を語る車達 ③≫ で、シルバーのボンバンを、後ろから撮った写真を出していました。 閑な人は、過去ログを辿ってみてください。 大した事は書いてありませんが。

  ミラは、1・2・3代目までが、ミラ・デザイン。 4代目が、セルボ・モード似になり、5代目は、2代目マーチ似になり、6代目で、この形になりました。 何を真似たというわけでもない様子。 シャープというか、スマートというか、いいデザインだと思います。 もし、私が、この車の現行当時、バイク通勤していなかったら、買ったかも知れません。 もちろん、中古ですが。

  少し前に、「フォルクスワーゲン・up!」を取り上げた時、「この形が、日本の軽自動車に出て来なかったのは、不思議」と書きましたが、前半分に限れば、この6代目ミラが、近いですかね。 後ろ半分は、似ても似つきませんが。 「up!」の登場は、2011年なので、こちらの方が、遥かに早いですが、参考にされたかどうかは、不明。 小さい車を作ろうというのだから、日本の軽自動車も、一通り 見たかも知れませんな。

  インター・ネット時代になってから、デザイン業界は、パクリが日常茶飯事化しましたから、怒るような事ではありません。 その結果、みーんな、似たようなデザインになってしまったのは、残念至極。 特に、SUVはひどい有様で、個別車種は言うに及ばず、どの会社の車なのかすら、近づいて、マークを見なければ、判別できません。 「車のデザインは、終わった」と言ってもいいでしょう。 あんな没個性な代物を、高い金出して、喜んで買っている面々の気が、ほとほと、知れぬ。

  閑話休題。 話を、写真の車に戻します。

  1997年式のセルボ・モードに乗っている私が言うのも変ですが、最も新しくても、2007年の車を、今でも乗っているというのは、もちがいいですな。 18年間ですか。 結構結構。 そのくらいは、充分、乗れます。 たぶん、気に入っているのでしょうが、その気持ちも分かります。 今の、2代目ミライースもいいと思いますが、アイドリング・ストップがない分、この頃の車の方が、扱い易いでしょう。




【日産・4代目AD】

≪写真上≫
  日産のバン、4代目ADです。 2006年から現行。 ADというと、初代は、バン・ワゴン・デザインの歴史に残る名作。 2代目、3代目は、特に印象がなく、4代目が、これ。 現行車ですから、本来、批判は控えるべきですが、基本的に、商用車なので、個人で買う人は、稀。 会社で買うのなら、デザインは、選定の理由になりませんから、まあ、いいでしょう。

  これを初めて見た時には、こめかみに脂汗が流れました。 欧米車の下手なパクリが幅を利かせていた、80年代末までなら、いざ知らず、日本車がヨーロッパ車に追いついた90年代を経て、2千ゼロ年代に入っても、まだ、こんな醜いデザインが出て来るのかと・・・。 顎が外れなかったのが、不思議なくらい。

  はっきり言って、私の感覚では、このデザインを、全く理解できません。 80年代末までの日本車のように、デザインについて、センスが欠けていたり、造形技術が足りなかったりする事から来る、稚拙さゆえの醜さではなく、全然 次元の違う観点から、自動車デザインの何たるかを捉えている人が、既存のデザインを否定する目的で、わざと作ったとしか思えない。 

  ヘッド・ライトの形と言い、前バンパーと車体の接合部の角度と言い、機能的な合理性を、全く無視しているのは、とても、実用車であるバンのデザインとは思えません。 デザイナーの頭の中がどうなっているのかを見てみたいです。 いやいや、脳味噌を見たいわけじゃありませんよ。 どういう脈絡で、こういうデザインを思いついたのか、その過程を知りたいのです。 と、言いつつ、本人から説明されても、たぶん、理解できないと思いますが。

≪写真下≫
  斜め後ろから。 リヤ・コンも、本来、真後ろから見られるものである事を考えると、側面に回りこんでいる部分の方が面積が多いのは、理屈上の違和感を覚えるところ。 リヤコンから続く格好で、バック・ドアにプレス・ラインが入っていますが、それに、何の意味があるのかも、分かりません。

  最も奇妙なのが、ドア・サッシュの上の線が、荷室部分の窓の上の線と、なだらかに繋がっていない点です。 後ろドアが終わった所で、ガクンと角度がついています。 セダン・タイプがあるのなら、分かるのですが、そういうものは、存在していない模様。 では、このガクンは、一体、何の為につけたんでしょう? 分からぬ。 解せぬ。


  もしかしたら、初代ADや、プロボックス/サクシードのような、バン・ワゴンの完成形に対する、アンチテーゼなんでしょうか? わざと、奇怪な形を狙ったというのなら、大成功しています。 カッコの良し悪しとか、美醜といった基準で測らず、独自性、個性という観点だけで評価するなら、100点満点でして、世界中 見渡しても、これ以上 独自性に溢れ、個性的なデザインの車はないと思います。 私は、乗りたいと思いませんけど。




  今回は、以上、4台まで。 前月に予告した通り、これからは、一回、4台までに減らします。

  出かけた時には、極力、古い車を探そうとしているのですが、まーあ、減りましたねえ。 昨今、巷に溢れている車と言ったら、軽のハイト・ワゴンと、SUVばかり。 どうしてまた、猫も杓子も、そういう車ばかり、乗りたがるかな? 車高が高い車なんて、肝腎の運転が全然面白くないのですが、それに気づかぬか? そんなに高い視点が欲しいなら、トラックかバスに乗りなさいよ。 どちらの業界も、運転手不足で困っているから、大歓迎される事でしょう。

2025/08/17

庭景色 ①

  8月は、更新日の日曜が5回もあり、埋めるネタがないので、日記ブログの方から、自宅の庭で撮った写真と、その解説文を転載します。 今後、更新が5回になる月には、またやるかも知れないので、今回を、①としておきます。 





【5月末の庭】

  5月27日の撮影。

≪写真1≫
  家の北側、門横の紫陽花。 まだ、開き始めです。 去年、咲かなかった茎の剪定を控えたので、今年は、花の数が多くなりました。

  うちの庭の西洋紫陽花は、裏庭の方で、二株が絶えて、この一株だけになってしまいました。 

≪写真2≫
  西塀花壇・北端の、額紫陽花。 これも、去年咲かなかった茎の剪定をしなかったので、今年は、それら全ての茎に花が咲きました。

  しかし、切らなかったせいで、株が大きくなり過ぎました。 うちの紫陽花は、母に花を見せる為にあるようなものなので、母の背丈より高い所で咲かれても、意味がないのです。 今年は、花が終わった後、ざっくり、切り戻しました。

≪写真3左≫
  仕切り格子南側のプランターで咲いた、大輪金盞花。 花の形は単純ですが、色が特徴的で、日が当たると、輝いて見えます。

≪写真3右≫
  メイン植え込み西松に絡みついた、蔓植物。 葉の形からすると、烏瓜(カラスウリ)なのかも知れませんが、花も実も見た事がないので、判定できません。 紅葉します。

≪写真4≫
  池跡の朝顔。 種を播いてから、一ヵ月弱で、この程度の育ち方です。 まだ、蔓は出て来ていません。 右手前の二つの鉢で芽を出しているのは、百日草。

≪写真5左≫
  南花壇の西端に設けた畑。 里芋が、葉を伸ばし始めました。 手前の黄緑色のは、南瓜です。

≪写真5右≫
  鉢植えの五月。 花は、薄いピンク色で、赤い筋が入ります。 巨大な花に見えますが、遠近感のせいでして、実際には、5・6センチくらいです。

  株としては、上の方が枯れてしまい、もう寿命が近いですが、今年も何とか咲いてくれました。 玄関に入れると、交配ができないので、今年は外で、花期を過ごさせました。




【梔子の花】

  裏庭の梔子(クチナシ)に、花が咲きました。

≪写真上≫
  6月11日に咲いた、第一輪。 今年は、蕾が出来ているのに気づくのが遅れて、突然 咲いた感が強かったです。 まだ、開ききっていませんが、このくらいの方が、瑞々しいです。

≪写真下≫
  6月17日の撮影。 開ききると、こうなります。 すでに、萎れ始めているような風情。

  ちなみに、上とは、別の花です。 一つの花は、せいぜい、三日間くらいしか もちません。 花弁が黄色くなって、萎れて行きます。 リレー式に咲くので、一株全体の花期は、半月くらい あります。




【ジャガイモの収穫】

  6月20日。 裏庭で、ジャガイモの収穫をしました。

≪写真上≫
  東南花壇。 ここのは、私が台所にあった食材のジャガイモを二つに切って、埋めたもの。 花は咲きませんでした。

  分かり難いですが、手前にしなだれて、葉の裏が見えてしまっているのが、ジャガイモです。 ネット情報では、こんな具合に、茎が萎れて来ると、収穫時のサインなのだそうです。 大きなスコップで掘り出しました。

≪写真中左≫
  こちらは、盆栽棚の下の、第2落ち葉溜めから、勝手に生えて来て、隙間から顔を出し、育ったジャガイモ。 白い花が咲きました。 おそらく、野菜屑として捨てた皮に芽が付いていて、そこから育ったのだと思います。

≪写真中右≫
  棚の下の様子。 落ち葉や野菜屑は、すでに、ほとんど、土になっているので、ジャガイモが育っている事が期待されました。 こちらは、ホーで掻き出しました。 

≪写真下≫
  収穫。 上半分が、東南花壇のもの。 下半分が、第2落ち葉溜めのもの。 大中小、計23個。 大は、店で売っているのと変わらない大きさです。 母に見せたところ、大と中は食べられるとの事。 小は、東南花壇に埋め戻しました。 ジャガイモは、連作障害を起こすそうですが、他に埋める場所を思いつかなかったのです。

  大と中は、二日後に、母が塩茹でにしたので、皮を剥いて食べました。 おいしかったです。 自宅の庭での採れ立てなのだから、新鮮といえば、これほど新鮮なものもないです。




【6月末の庭】

≪写真1左≫
  6月22日。 朝顔の第一輪が咲きました。 これは、池跡。 赤。 花の直径が、標準より、少し小さいです。

≪写真1右≫
  同じ日の、車置き場。 青の白縁。 こちらも、標準より、少し小さいです。

≪写真2左≫
  西塀花壇の額紫陽花を、21日に切り戻しました。 撮影は、22日。 大きくなり過ぎて、母の背丈では、花がまともに見えなくなってしまったので、今回は、80センチくらいまで、ザックリと小さくしました。 来年は、咲かないかも知れませんが、致し方なし。

≪写真2右≫
  門横の、西洋紫陽花。 こちらは、今年 咲いた茎だけ切り戻し、咲かなかった茎は残しました。 来年は、少なくとも、数輪は咲くはず。 22日に切り戻し、その日の内に、撮影。

≪写真3≫
  物置北側に自然に生えて来て、群落を作った、藪茗荷(ヤブミョウガ)の花。 27日の撮影。

≪写真4左≫
  物置前に作った畑で、里芋が大きくなりつつあります。 この時、1メートルくらい。 しかし、収穫できるのは、11月です。 先は長い。

≪写真4右≫
  ダイソーで種を買って来た、向日葵。 ひょろひょろなので、支柱を立てました。 この時点で、5株、生き残っていました。




【朝顔各色柄】

  池跡の朝顔。 6月27日と、28日の撮影。

≪写真1≫
  西辺の、全景。 南辺にも、プランターと鉢が並んでいるのですが、そちらまで入れると、露出が暗くなる上に、花が小さくなって、華やかさを損なうので、こちらだけで撮りました。

  以下、色柄の各種をお見せしますが、名前は、私が便宜的につけたもので、公けに言われているものではありません。

≪写真2左≫
  薄青。 後ろの薄赤と干渉して、うまく開けなかったようです。

≪写真2右≫
  赤、三連。 うちでは、赤が、一番 多いです。 薄赤と、赤の違いは微妙です。

≪写真3左≫
  左が、薄青の白縁。 右が、紫。

≪写真3右≫
  赤の白縁。

≪写真4左≫
  青の白縁。 青と紫は、印象が似ていますが、こうして、上下で見比べると、明らかに違います。

≪写真4右≫
  青の白縁で、放射状に、白線が入ったもの。 他の色でも、こういう模様のがないか探しているんですが、今のところ、青でしか見つけられていません。


  色の基本は、「赤」、「薄赤」、「青」、「薄青」、「紫」の5種で、 柄の基本は、「単色」、「白縁」、「白縁・放射状白線」の3種。 それらの組み合わせになるわけですが、色を縦、柄を横で、表を作っても、欠欄になるところがあるわけです。

2025/08/10

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑧

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の12月23日まででした。 今回は、その続き。 暮れ・正月を挟みます。 この頃は、まだ、鼠蹊ヘルニアの手術をしてもらえると思っていたわけで、今から振り返ると、後生のいい思い込みをしていたものです。




【2024/12/26 木】
  夕食後2時間で、血糖値計測。 106。 食後としては、上々。 計測前に運動すると、効くようです。 夜だと、なかなか、その時間が取れないのが、問題ですが。

  昨今の食品は、カロリーが表記してあり、惣菜おにぎり1個で、150キロカロリーくらいだそうです。 歩行で消費するとすると、私の体重では、45分間、約3千歩は歩かなければなりません。

  1千歩で、50キロカロリーだから、逆算すると、1日の目標、1万歩を歩いても、500キロカロリーにしかならず、糖尿病医師に言われた、「日当たり、1800キロカロリーくらいまでなら、食べられる」という言葉と、3倍以上、開きがあります。 つまり、食べたカロリー全てを、運動で消費するわけではないんでしょうな。



【2024/12/27 金】
  晴れ。 強風。 外掃除。 掃くだけ無駄感、強し。

  部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。 ここまでで、歩数、2千歩。 結構 動いているんですが、上半身の動きは、カウントされないので、やむを得ない。 カロリー消費は、進んでいると思います。 残りの歩数は座敷を歩いて、埋めました。



【2024/12/28 土】
  母自で、図書館。 その後、狩野川沿いの道路を遡って、お寺へ。 付け届けを置いて来ました。

  帰って、歩数計を見たら、0に戻っていました。 ズボンのポケットからの取り出し方が悪かったのかも知れませんが、一度、洗濯機に入れてしまってから、時折、こうなります。 やむなく、少なめに、3千歩と仮定して、残り、7千歩、座敷を歩いて、埋めました。



【2024/12/29 日】
  年が明けたら、買いたいと思っているもの。 全て、アマゾン発送商品で、3500円縛りを突破させるとすると、

・ 車のジェネレーター・ベルト
・ 髭剃り機の外刃
・ サブ・パソのワイヤレス・マウス
・ バイクのミラー
・ 厚手靴下5足組

  となります。 計、4031円。 うーむ、見事に、今ある物の買い換えばかりで、面白くも何ともない。 心躍る買い物なんて、もう長い事、してませんなあ。

  厚手靴下は、一日一万歩 歩く為に必要。 最近は、出かけるのが億劫で、座敷ばかり歩いているのですが、靴下が薄いと、足の裏の角質化が進んでしまうのです。 今は、急場凌ぎに、バイク・ツーリング用の冬用ハイソックスを履いていますが、家の中を歩くだけなら、長さは必要ないので、厚いだけで短いのを買おうかと思っている次第。



【2025/01/02 木】
  昨日、アマゾンで買った物ですが、今日、開梱しました。 「厚手靴下 5足組」ですが、普通の靴下よりは厚いですが、ツーリングに使っているハイ・ソックスより、だいぶ、薄いです。 ビニール袋に入っていましたが、一応、洗濯しました。



【2025/01/03 金】
  血糖値ですが、雑煮の餅や、御節料理のせいで、かなり、高いです。 母が、里芋を、ごってり使ったのですが、野菜というより、穀物に分類すべき品目で、糖質が高いとの事。 明らかに、食べ過ぎました。 どーしょもないねえ。 これだから、「糖尿病は、一度なったら、完治する事はない」と言われるわけですな。



【2025/01/06 月】
  座敷を歩いて、9千歩を超させてから、昼食前に、血糖値を計測。 111。 高い。 空腹時の正常値上限は、110ですから、ギリギリ・アウトとはいえ、これだけ歩いても、正常値に入らなのは、ショックです。

  もう、何日か、便が出ていません。 毎日、食物繊維を取り、1万2千歩くらい歩いているのに、なぜ、出ない? もしかしたら、カロリーを使い過ぎて、便になる分が少ないのかも知れません。 私は、肉体労働をしていた現役時代、ずっと、便秘体質だったのですが、その頃に戻ってしまった感じです。 焦っても、出ないものは出ないので、無理にイキんだりしない事にします。 鼠蹊ヘルニアが悪化するのが怖いから。



【2025/01/10 金】
  買い物中に、便意。 我慢できる程度の弱さ。 家に戻って、トイレに座ったら、出ました。 前回 出たのが、12月25日ですから、実に、16日ぶりです。 こんなに間が開いたのは、人生初なのでは? 尾籠な話で恐縮ですが、便の様子は、細切れで、量は、片手に載る程度。 すんなり出て来たので、肛門前に便が溜まる、いわゆる、糞詰まりではなかったようです。

  やはり、歩行で運動量が増えたせいで、入るエネルギーと、出るエネルギーがバランスし、作られる便の量が少ないのでしょう。 そうでなければ、半月間、毎日三食、そこそこの量を食べているのに、体重は増えない、痛みは全くない、腹が張るわけでもない、そんなのは、おかしいです。 溜まる便の量が少ないから、出なかったのです。

  一方、今日になって出た理由は、昨夜の夕飯のおかず、麻婆豆腐の挽肉が効いたのではないかと思います。 挽肉は、利く。 亡き父なんて、挽肉料理を食べると、覿面に下痢を起こすので、うちでは、スパゲティーのミートソースが禁止メニューになっていたほどです。 子供からすると、恨めしい話でしたが。

  とにかく、出てくれて、ホッとしました。 父の最期の時の経験から、「人間、食べた物が出なくなったら、それは、生物として、死ぬ時だ」という教訓を得ていたので、私も、その時が来たのかと思い、正月から、落ち込んでいたのです。 年齢的に、父よりも、26年も若いので、早過ぎるとは思っていましたが。 とりあえず、陰鬱な気分から解放されました。



【2025/01/12 日】
  いちいち、報告するような事でもないですが、半月間の便秘の後なので、書いておきますと、今日も、通じがありました。 量は、一昨日と同じくらいですが、細切れながらも、多少 形が整ったものが出ました。 便秘中は、痛さも張りも感じなかったのが、通じ始めたら、腹痛が・・・。 安定しない感じ。 困ったものだ。 しかし、半月出ないよりは、ずっと、気楽です。



【2025/01/13 月】
  今日も通じがありました。 そこそこ長いのが、幾条か出ました。 一歩ずつ、元の状態に戻って行く感じ。 しかし、それでは、出なかった半月間の便は、どこへ行ってしまったのだろう? 宇宙人に、「転送」で持ち去られたのか? 何の為に、そんなものを?




  今回は、ここまで。

  年明けに出て来る、便秘の話ですが、半月間、全く出なかったわけで、よくぞ、痛みもなく、その期間を抜けたものだと思います。 ちなみに、出始めたら、体質が変わっていて、便秘が治ってしまいました。 以後、ほぼ毎日、出ています。

  便秘体質だと、出る時には、硬い便から始まり、軟便、下利便を通して、水便まで、一気に出て、それから、数日間 全く出ない、というパターンになりますが、毎日出る体質の場合、常に、肛門の近くまで便が来ていて、イキんだだけで容易に出て来るようになります。 便秘体質と違って、激しい便意に襲われる事がないので、出先で催して、青い顔でトイレに駆け込むような事はありません。

2025/08/03

読書感想文・蔵出し (127)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品。 読む方は、沼津の図書館にはない本を、静岡県内の他の図書館から、相互貸借で取り寄せてもらっています。 届くまでに、10日くらいかかるので、隔靴掻痒のもどかしさがあります。





≪リヴィエラを撃て≫

新潮ミステリー倶楽部 特別書下ろし
株式会社 新潮社
1992年10月20日 発行
1993年 1月20日 5刷
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 長編1作を収録。 ほとんどが、二段組み、一部が一段組みで、ページ数は、約544ページ。 上下巻に分けても良かったのに、と思わせる分厚さです。 横になって読んでいると、本が重いのなんのって。 雑誌連載ではなく、書き下ろしだそうです。


  1972年の米中国交正常化の際、文革関係の機密文書が、国外に持ち出されたが、イギリス・アメリカの都合で、情報員・外交官らの手を渡って、中国へ戻された。 「リヴィエラ」という名前で呼ばれる東アジア人の男が、北アイルランドで、IRAのメンバーを雇い、機密文書を持ち出した中国からの亡命者を暗殺。 メンバーは、後に殺されたが、その息子もIRAに入り、有能なテロリストになって行く。 CIAの情報員に声をかけられ、その仕事を手伝いつつ、父を死に追いやった「リヴィエラ」が誰なのか、探って行く話。

  もろ、スパイ小説。 他に分類のしようがないほど、純粋度が高いです。 長いですが、全ての文字を読む事に拘らないのであれば、話の展開がテンポ良く、ドンパチを繰り広げる見せ場の散らし方も巧みなので、どんどん、ページか進みます。 高村さん、よっぽど多くのスパイ小説を読んだんでしょうねえ。 もちろん、ノリノリで。 そういう体験がなければ、こういう作品は書けますまい。

  ところが、困った事に、私は、スパイ小説が苦手でして、今までにも、それが目当てで、手に取った事はありません。 アカザ・クリスティー作品の文庫全集に、スパイ物も含まれていたから、それで、何冊か読んだ程度。 スパイ映画も、ある時期以降、真面目に見なくなりました。 未見作品がテレビ放送されても、リアル・タイムで見るのはもちろん、倍速鑑賞する事を前提に録画する気にもならない、と言えば、どれだけ関心が低いか、伝わるでしょうか。

  ある時期というのは、1990年代後半に、インター・ネット社会になり、情報伝達の速度と規模が飛躍的に上がって、世界が狭くなってから、という事です。 それ以前なら、世界のどこかで、スパイの面々が、007ばりの冒険を繰り広げていても、実態を覗い知る事ができませんから、「そういう事も、ありうるか」と、許容できていたのですが、ネット社会になってからは、もう、いけません。 あんな、何十人も死人が出るような暴れ方をしたら、たちまち、世界的ニュースになってしまいますよ。

  スパイ物は、小説でも映画でも、20世紀で終わったのであって、今世紀に入ってからも作られているのが、実に不思議。 滑稽・陳腐としか言いようがないほど、リアリティーを欠くジャンルになってしまいました。 何が、「殺しのライセンス」ですか。 そんな、一国の情報部の都合が、外国に通用するわけないでしょ? 話にならぬ。 ただの殺人犯でしょうが。

  この作品は、90年代前半に書かれたもので、インター・ネットは、まだないですし、携帯電話すら普及度が低かった時期のものですから、スパイ物批判の対象外という事になりますが、やはり、今の感覚で読むと、リアリティーの欠落を感じますねえ。 ドンパチの場面では、関係者以外の目撃者がいない事になっていたり、政府が情報漏れを抑え込んだりしていますが、たとえ、ネット社会以前であっても、娑婆でバンバン撃ち合いをやって、それを隠すなんて事が不可能なのは、違いがないでしょう。

  政府や情報機関の関係者ばかり出て来て、報道関係者が一人も関わって来ないというのが、また著しく、リアリティーを欠く。 銃器のみならず、手榴弾や仕掛け爆弾まで使って、これだけ派手に殺し合いをやっているのに、あのハイエナのごとき報道関係者が嗅ぎつけないわけがありません。 うーむ、実に嘘臭い。 本当に、高村作品なのか?

  高村さんの事だから、それを承知で書いたのだと思いますが、他の作品で、リアリティーを担保する為に、あれだけ、様々な専門知識を駆使している作家が、これだけ、リアリティーを欠くスパイ物を書いたという事は、やはり、理屈以前の問題として、スパイ物が好きなんでしょう。 他に考えられません。

  リアリティーの欠如に、一切 目を瞑れば、このまま、映画にできそうな話ですが、日本映画では、駄目。 登場人物のほとんどが、ヨーロッパ系だからです。 国際的に有名な俳優を、一人二人 雇えばいいという次元の問題ではないです。 さりとて、日本人主体に翻案してしまうと、ますます、嘘臭い話になってしまいます。 およそ、日本人ほど、スパイが務まらない民族もいない。 物事を論理的に考えられないし、外国語が、まるで駄目だものね。

  といって、この小説を原作に、映像化をしたいという、欧米の映画会社は、出て来ないと思います。 途中で、中心人物が変わるのは、小説ならともかく、2時間前後しかない映画としては、致命的な欠陥になってしまいますから。 どうも、全体の構成を決めてから書き始めたのではなく、行き当たりばったりで、ゾクゾクする場面を書き繋いで行った観が強い。 前半の中心人物を途中退場させてしまうのは、舞台が日本に移ると、日本語が全く話せない人物が、縦横無尽に暴れまくるのは、不自然になってしまうからでしょう。

  高村作品全般に言える事ですが、命の重さが、人によって、まちまちで、登場人物達の行動の動機に、説得力を欠く場面が、よく出て来ます。 「この人は、何の為に、命がけで戦っているのだろう?」と、違和感を覚えてしまうんですな。 「警察官だから、犯罪は許さない」というのでは、「じゃあ、警察を辞めたら、犯罪を見逃すのか? 自分自身、犯罪に手を出すのか?」と、問い質したくなります。

  【黄金を抱いて翔べ】のように、ピカレスクとしても読める話ならば、倫理観を崩すのは、当然の事ですが、この作品の場合、どう読んでも、ピカレスクにはなりますまい。 特に、後半の中心人物である、元警察官の情報部員は、動機が分からない。 何かの為に戦っている。 一体、何の為に?




≪李歐≫

講談社文庫
株式会社 講談社
1999年2月15日 第 1刷発行
2011年7月22日 第22刷発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編1作を収録。 約512ページ。 文庫本としては、かなり厚いです。 1992年発表の、【わが手に拳銃を】を下敷きに、1999年に、新たに書き下ろしたものだそうです。 【わが手に拳銃を】も、長編のようですが、残念な事に、沼津図書館にはないのです。 三島図書館にはあるのですが、遠くてねえ・・・。 


  父と別れた母に連れられて、幼い頃に、東京から大阪へ移った男の子。 近所の町工場に遊びに行っている内に、金属加工に深い興味を持つようになる。 その工場には、韓国朝鮮語や、中国語を話す工員や居候がおり、社長は、拳銃の密造にも手を出そうとしていた。 母が外国人の男と逃げてしまい、男の子は母方の祖父母に引き取られる。 しかし、一時期でも、不穏な環境で育った影響は、成長してから顕われ、バイト先のナイト・クラブで起こった、ヤクザの暗殺事件をきっかけに、殺し屋の中国人美青年と懇意になり、犯罪の世界に片足を入れをながら生きて行く身になる話。

  【わが手に拳銃を】を読んでいないので、想像で補うしかないのですが、書き直された、この【李歐】では、拳銃は、テーマではなく、一モチーフとして扱われています。 例によって、驚くほど詳しい描写が為されていますが、読者のほとんどは、その知識が、正しいのか、間違っているのか、判定できないでしょう。 一方、拳銃マニアが読むと、「拳銃を使って、何かをやる」という話ではないので、肩すかしを食うと思います。

  では、【李歐】のテーマは何かというと、些か、焦点が定まらないところがあります。 町工場を継いだ経営者として、堅気の生活を送りつつ、刑務所で知り合ったヤクザの親分との交際も続け、外国で投資家・事業家として活躍(暗躍)する殺し屋とは、義兄弟ともいえる契りを交わしている、そういう生き方に、不安を感じるなと言う方が、無理。 しかし、高村さんの好みとして、その不安こそが、人生の本質であり、醍醐味でもあると捉えているのかも知れません。

  この小説を読んでいて、終始、不安を覚えつつも、強いリアリティーを感じるのは、主人公に、犯罪へ向かう欲求がある一方で、真面目に生きたいという意志もあり、両者の葛藤が書き込まれているからでしょう。 ただ、リアル過ぎて、物語としては、盛り上がりに欠けるのも事実。 一長一短あり、というところでしょうか。 クライマックスの爆発は、ちと、取って付けたような印象があります。

  クライマックス後に出て来る、中国の大農場ですが、一見、ハッピー・エンドのようでいて、その実、胡散臭さを感じさせます。 この発想って、戦前の、「満州へ渡って、王道楽土の建設を・・・」と同じ根でしょう。 農場の経営者は、中国人ですが、満州国だって、皇帝は、満州人だったものね。 農場が造られた大元の動機が、日本人の主人公を、そこに招く為だった、という点が、もう、アウト。 5千本の桜を植えるに至っては、文化侵略としか言いようがありません。

  地球上には、未開の処女地などないのであって、先住者の土地を奪うか、不毛の土地に生命エネルギーを吸い取られるか、自然破壊に走るかの、どれかに終わるのが、関の山。 「王道楽土」など、寝言なのだという事を、肝に銘じておかなければ。 そもそも、もっと、根本的な次元の話として、「外国に行きさえすれば、素晴らしい人生が待っている」という発想自体が、逃避だというのよ。 自分が生まれ育った社会でさえ、うまく生きて行けない人間が、勝手の違う外国で、それ以上にうまく生きられるわけがありますまい。

  ところで、この小説、韓国朝鮮語や、中国語が多く出て来ますが、私が全く知らないような言い回しが、ほとんどで、日本で学べる外国語講座で扱うような例文とは、かけ離れています。 おそらく、日本語も分かる母語話者に取材して、「こういう世界に住む人間だったら、どういう喋り方をするのか」と訊ねる手法を取ったんじゃないでしょうか。 たとえば、同じ日本語でも、標準的な喋り方と、ヤクザの喋り方では、まるっきり違いますから。




≪冷血 上・下≫

毎日新聞社
上下巻共 2012年11月30日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 二段組みで、上下巻の合計ページ数は、約587ページ。 元は、「サンデー毎日」の、2010年4月18日号から、2011年10月30日号まで、連載されたもの。


  携帯電話のサイトで、犯罪仲間を募集した33歳の男と、応募した35歳の男。 車の窃盗、ATM強奪、コンビニ強盗を経て、金持ちの家に窃盗に入る事に決めた。 クリスマスに、ある歯科医一家が、泊まりで遊びに行くという話を聞きつけ、その留守を狙ったが、一日間違えて、まだ家にいた家族と出くわしてしまい、両親と子供二人を殺してしまう。 警察の捜査により、後日、犯人二人は逮捕されたが、一家全員殺害に至った動機がはっきりせず、取り調べが難航する話。

  事件の表面的な部分は、2000年12月末に起こった、「世田谷一家殺害事件」をモデルにしていますが、そちらは、未だに未解決でして、この小説では、割と早く犯人が逮捕されますし、取り調べでの動機の解明がテーマになる点、実際の事件とは、まるで違う事件になっています。 高村さんは、世間を騒がす大事件が起こると、決まって、小説の題材に取り入れますが、世相に敏感とも言えるし、些か軽薄とも感じます。 ノンフィクションのリアリティーに興味があるけれど、小説の方が自由度が高いから、小説という形式を選んでいるような観あり。

  高村さん独特の、詳細専門知識ですが、この作品では、「半グレの習俗」と、「歯科・口腔外科の医学知識」、「警察の内手続き」の三点でしょうか。

  「半グレ」という言葉は、作中に出て来ませんが、この犯人二人を、どこかへ分類するとしたら、半グレとしか言いようがありません。 ただし、グループ性はないです。 普段は普通に働いているが、いざとなれば、犯罪をためらわない。 それでいて、常習的に犯罪ばかりやっているというわけでもない。 何とも、捉えどころがありません。 携帯サイトで募集と聞くと、昨今流行の「闇バイト」そのものと思ってしまいますが、2010年頃には、まだ、「闇バイト」という言葉が一般化していなかったと思います。

  大変、細かい所まで調べていて、高村さんがこの作品を書いた時の年齢を考えると、どういう取材をしたのか、想像もつきません。 まるで違う世代の事を、よくも、ここまで、書き込めるものです。 特定カテゴリーの文化習俗を描いた小説としては、【なんとなくクリスタル】に近いものが感じられます。

  「歯科・口腔外科の医学知識」は、被害者が歯科医というのは、偶然に近くて、あまり関係なし。 犯人の一人が、子供の頃から歯が悪くて、犯行中はもちろん、逮捕後まで、歯痛に苦しめられ、命に関わるほど重症化してしまうのですが、その様子を、専門用語を使って、詳しく、書いているのです。 歯痛の経験がある人なら、身につまされる描写ですが、だからといって、この犯人に同情する気にはなりません。 歯が痛ければ、殺人が許されるとは、誰も思いません。

  「警察内手続き」に関しては、【マークスの山】のような、醜い手柄争いは出て来ず、内部手続きの様子だけが、淡々と描き込まれています。 捜査が始まって以後の視点人物は、合田雄一郎になりますが、とっくから中間管理職で、部下に指示を出す立場におり、主な仕事が、警察内での手続きをこなす事なんですな。 案外、この作品の最大の特徴は、この警察内手続きの描写にあるのではと、思わないでもなし。

  この静かな進行には、読んでいて、麻薬的な陶酔感を覚えます。 いや、麻薬的という表現は、まずいか。 どんな人でも経験がある事に譬えると、「点滴的な陶酔感」とでも言いましょうか。 いつまでも読んでいたいような、気持ちの良さがあるのです。 なんで、このような地味な事務的手続きが、読んでいて面白いのか、理由は分かりませんが、そこは、作者の力量というものでしょうか。

  動機がはっきりしない事が、取り調べに当たる刑事達を困惑させるのですが、作中にも指摘があるように、二人とも、犯行そのものは認めているのだから、動機なんて、ここまで時間をかけて究明しなくてもいいような気がしますねえ。 こりゃ、理由はどうであっても、最高刑を免れんでしょう。 この二人を、許してしまうようでは、もはや、その社会に、刑法は不要です。

  動機は、はっきりとはしませんが、大体のところなら、当たりがつけられています。 被害者四人の内、最初に殺された父親に関しては、いないと思っていた家人が現れたので、突発的な反射で殺してしまった。 次の母親に関しては、犯人側が大金だと思っている金額を、「命と引き換えにできるのなら、このくらいは安いもの」という様子が見て取れたので、殺した。 もう一人の犯人は、両親を殺した相棒だけに罪を負わせたくなかったから、自分が子供の方を引き受けた、というもの。 いずれにせよ、情状酌量の対象にはなりませんが・・・。

  自分の命にすら、価値を感じられず、ましてや、他人の命なんて、何の意味もないと思っている時点で、社会の一員として失格でして、そりゃ、そんな考え方でいたら、いつか、殺人もやるでしょうよ。 起こるべくして起こった事件とも言えます。 むしろ、そんな二人に、同じ人間として、対等に接しようとする、合田の方が、つもりが分かりません。 他の作品でも同じですが、合田雄一郎ほど、探偵役として相応しくない刑事も珍しい。 そもそも、推理小説ではないから、探偵役と呼ぶのも変ですけど。

  高村さんは、凶悪な事件が起こると、被害者よりも、加害者の方に、強い興味を抱くタイプなんでしょうな。 被害者が極悪非道で、加害者の方に同情したくなる場合は、逆になると思いますが。 つまり、悪人、もしくは、誰もが持っている悪意に惹かれるのでしょう。 善悪バランスがとれていないので、私としては、読み心地が悪いですが、共感する読者も、いるかも知れません。 そういう人は、自分自身が犯罪に引っ張られないように、気をつけた方がいいと思います。

  最後に、どうでもいいような事ですが・・・。 犯人達が盗んで使った車の一台に、フル・エアロの、日産・シルビアがあります。  それが、まだ、車種が特定される前、目撃情報の中で、「白いセダン」と呼ばれているのです。 なに、セダン? シルビアが? シルビアは、何代目であっても、セダンはないでしょう。 ハード・トップか、ハッチ・バックか、クーペか。 とにかく、セダンは考えられません。

  これは、技術に詳しい高村さんらしからぬ思い違いなのか、それとも、警察に、ノッチ・バック型(3ボックス型)の車を、「セダン」と呼ぶ習慣でもあるのか・・・、その見方は、さすがに、穿ち過ぎか。 もっとも、車型について、まるっきり、知識がないという人も、大勢いますから、大まかな形を知りたいという場合、有効性が全くないわけではありませんが。




≪土の記 上・下≫

株式会社 新潮社
上下巻共 2016年11月25日 発行
高村薫 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 上下巻二冊で、長編1作を収録。 一段組みで、上下巻の合計ページ数は、約493ページ。 元は、「新潮」の、2013年10月号から、2016年8月号まで、連載されたもの。 単行本化に当たり、加筆修正が為されたとの事。


  東京の出だが、シャープの社員になり、妻の実家である奈良県の山奥の家へ婿養子に入った男は、退職後、農業をしながら暮らしていた。 妻は、交通事故が原因の植物状態が長く続いた後、他界したばかり。 一人娘は、父親と折り合いが悪く、家を出ており、孫娘も一人がいるが、滅多に顔を見ないまま、もう、高校生になっている。 農業と言っても、家庭菜園と兼業農家の中間くらいの規模でやっている。 妻が死んでから、認知機能が衰えたのか、幻覚や幻聴に迷わされるようになるが、親類や村内の人達と助け合いながら、何とか生きている男の、約一年間の暮らしぶりを追った話。

  三人称ですが、終始、主人公の視点で語られ、他の人物の心理は、主人公が、そうではないかと思っている、程度にしか掘り下げられません。 で、その主人公の認知機能が、些か、低下していて、死者の姿が見えたり、その声が聴こえたりするので、夢か現つか判然としない、濃い霧の中を、遊園地によくあるゴンドラに乗って、連れ回されているような、奇妙な感覚に囚われます。

  名文と言えば、名文。 いや、名文調と言うべきか。 とはいうものの、型に嵌まったものではなく、独自性は、極めて高いです。 【冷血】とは、また別種の、いつまででも読んでいたいと思わせる、「点滴的陶酔感」に浸らせてくれる文章なのです。 今までに読んだ高村さんの文体とは、全く異質なので、計算して、こういう表現方法を案出したのだと思いますが、読書道、文章道を極めていなければ、こんな器用な事は、到底 できますまい。 文体そのものが、芸術の極致にあるとでも言いましょうか。

  高村作品独特の、詳細な専門知識も盛り込まれていて、「農業技術」、とりわけ、「稲の栽培技術」に関して、最も詳しいです。 次に、「山間集落の習俗」。 高村さんご自身は、都会育ちなので、元から知っていたわけではありますまい。 するってーと、これも、取材して調べたんでしょうか? 一体、誰を相手に、どんな取材をすれば、こんなに深い所まで、知る事ができるのか、いくら首を傾げても、傾げ足りません。

  高齢男性の一人暮らしを描いている点で、筒井作品の、【敵】と同趣向ですが、こちらの主人公の生活の方が、遥かに豊かな生命力を感じさせてくれます。 主人公本人の生命力ではなく、農村在住で、農作業を日課にしている環境上、周囲を動植物にみっちり囲まれているわけで、その生命力が、物語世界を、活き活きさせているんですな。 引退後、農業をやりたいと思っている人は、一読どころか、百読するくらいの、価値があります。 恐らく、読み始めるなり、主人公の生活世界に引きずり込まれてしまうでしょう。 あまりにも、羨ましくて。

  主人公の娘が、父親や母親と距離をおきたがる性格。 学校の成績が良かった事もあり、高校を卒業すると、さっさと都会の大学へ行ってしまって、そちらに住むようになり、実家には戻って来なくなります。 そこまでなら、よくある話ですが、子供がいるのに、離婚して、子供を連れて、アメリカへ行き、向こうで再婚するとなると、ちと極端なキャラという事になります。

  「こういう両親から、こういう娘が生まれるものか?」と、違和感を覚えないでもないですが、この娘は、父親の堅実な生き方を際立たせる為に、わざと、正反対の性格付けが施されているものと思われ、作劇上の都合が優先されているわけで、リアリティーを云々するような設定ではないんですな。

  それにしても、父親の、文字通り、地に足の着いた生活に比べて、世界を飛び回る娘の生き方の、ただただ、派手で、何とも、つまらない、下らない事よ。 若い読者で、アメリカへ移住などと聞くと、「なんでまた、好き好んで、あんな、少数派差別の厳しい所へ?」と感じる人もいるかもしれませんが、2000年くらいまでは、「英語を勉強して、いつかは、アメリカで暮らしてみたい」というのは、日本でもよく聞かれる、「将来の夢」だったのです。 そういうイメージが色褪せたのは、アメリカ映画がCGの子供騙しばかりになり、人間を描けなくなって、見る日本人が激減してから。

  結末ですが、淡々とした報告の形を取りながら、実際に起こった災害に絡めて、劇的な終わり方にしてあります。 何もなければ、主人公の年齢から考えて、あと十年くらいは、田園生活が続いたはずで、「体が動く間、こういう暮らしを続けた」で終わらせる選択もあったと思うのですが、敢えて、災害を持ち出したのは、「ただの田園歳時記ではなく、物語なのだから、それなりの刺戟を盛り込まなければ」という配慮があったのかも知れません。 ただ、この結末がなくても、この作品の価値は変わりません。

  最後に、どーでもいーこってすが、高村作品に出て来る、「軽四輪」と呼ばれる車は、「軽トラ」の事のようです。 他の作品でも出て来て、私ゃまた、「軽の四輪駆動車」の事かと思っていたんですが、この作品で、「先代のキャリィ」という言い方が出て来たので、合点が行きました。 軽トラの事を、「軽四輪」と呼ぶ地域があるんですかね?

  ますます、どーでもいーこってすが、軽トラの修理代が、12万円? 高いですな。 マフラーが落ちる程 ひどく壊れたのなら、修理するより、もっと程度のいい中古軽トラを買い直した方が、割がいいのでは? 20万円くらい出せば、いくらでも出回っていると思います。 余計なお世話か・・・。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪リヴィエラを撃て≫が、5月8日から、14日。
≪李歐≫が、5月16日から、18日。
≪冷血 上・下≫が、5月19日から、22日。
≪土の記 上・下≫が、5月24から、5月28日。

  上下巻二冊でも、感想は、記事一回分になりますから、読書の結果を感想で残す場合、冊数が増えて、読むのが厳しくなります。 もっとも、高村作品の長編は、一冊であっても、充分に長いから、上下二冊と同じくらい、手強いですけど。 それが分かっていても、なぜか、読んでおかないと まずいような気にさせられるのが、不思議。

2025/07/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (70)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、70回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年6月分。





【伊豆の国市南江間・正蓮寺】

  2025年6月2日。 伊豆の国市・南江間にある、「正蓮寺」へ行って来ました。 都市地図に名前が載っていた所。 お寺の山門巡りの一環です。 南江間の中心地、「豆塚神社」の交差点から、西へ向かうと、すぐの所にあります。 お寺は、大抵、案内看板が出ているので、近くまで行きさえすれば、辿り着くのは、難しくありません。

≪写真1≫
  幹線道路から、少し奥まった所にあり、お寺に続く道を入って行くと、なんと、目当ての山門は、ありませんでした。 昔はあったのを撤去してしまったのか、それとも、他から移転して来て、その時に、山門を造らなかったのか、不詳。 境内の入口には、左右に大きな石が置かれていました。

≪写真2≫
  本堂。 鉄筋コンクリート造り。 風情はないですが、こういう建物は、冷暖房が効くので、檀家さんは、利用し易いはず。 名前が、「正蓮寺」だけあって、蓮を植えた大きな鉢が、ズラリと並んでいます。

≪写真3左≫
  境内に置いてあった、移動式の庇。 入れ子式に、三台が重ねられています。 天面に張ってあるのは、葦簀でして、雨除けというよりは、日除けなんでしょうな。 何に使うのか、不詳。 しかし、入れ子式なのは、巧く出来ています。

≪写真3右≫
  庭で咲いていた、額紫陽花。 紫陽花は、種類を問わず、お寺に、良く似合う。

≪写真4左≫
  幹線道路沿いに建っていた、標柱。 「真宗大谷派 東本願寺末 法榮山 正蓮寺」。 新しいですな。 1988年発行の、うちにある都市地図に載っているという事は、その頃すでに、このお寺は、この場所にあったわけですが、他から移転して来たのではなく、割と近年に、建物も含めて、整備し直したのかも知れません。

≪写真4中≫
  門柱石の下におかれていた、蓮の鉢と、竹で作られた、ロード・コーン。 パッと見、何かのオブジェかと思いましたが、台座がロード・コーンのそれでして、用途が分かった次第。 洒落ています。

≪写真4右≫
  お寺で、バイクの写真を撮り忘れたので、家に戻ってから撮った、メーターの写真を出します。

  トリップ・メーターは、0合わせはしておらず、出かける前と、帰って来た後に撮影し、数字を引き算して、走行距離を出しています。 この日は、往復、18キロでした。 数年前までなら、自転車で行ったような近場ですが、体力が落ちた今の私では、バイクで、ちょうどいいです。




【伊豆の国市北江間・宝積寺】

  2025年6月9日。 伊豆の国市・北江間にある、「宝積寺」へ行って来ました。 ネットで調べた所。 北江間は、結構、広い地区なんですが、お寺は、ここだけのようです。 読み方は、たぶん、「ほうしゃくじ」。

≪写真1≫
  山門。 新しいです。 門だけでなく、塀もあり、そちらも、新しいです。 標柱には、「臨済宗 宝積寺」とだけ、彫ってあります。

≪写真2≫
  本堂。 新しいです。 推定ですが、山門や塀も含めて、過去30年以内に、建て替えたのではないでしょうか。 お金、かかったろうなあ。 つくづく、宗教は、強い。 本堂正面の額には、「北江山」とあります。 分かり易い山号ですな。

  建物だけでなく、境内も、驚くほど綺麗に維持されています。

≪写真3≫
  境内の石仏・石塔群。 細かくは見て来ませんでした。 屋根のある石仏の前に、石燈篭が左右二基あるのは、何となく、神社っぽいですが、私のお寺を観察する目が肥えていないだけで、これが普通なのかも。

≪写真4左≫
  境内にあった、石の水鉢。 雨水頼りか、行事の時には、綺麗な水を入れるのか。 ところで、この石って、柱状節理ですよね。 地質学的に、洒落ている。

≪写真4右≫
  額紫陽花の品種。 花が八重で、形も変わっています。 つくづく、お寺に、紫陽花は、良く似合う。

≪写真5≫
  山門の向かいの、駐車場らしき場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 北江間は、自転車でも来れる近場ですが、エンジンを暖め、バッテリーに充電するには、充分な距離があります。 バッテリーの端子を、結束バンドで締め付けて以降、問題なく、エンジンがかかっています。




【伊豆の国市南江間・東漸寺】

  2025年6月17日。 伊豆の国市・南江間にある、「東漸寺」に行って来ました。 都市地図に載っていた所。 大体の場所だけ頭に入れて行ったのですが、なかなか見つけられず、近所をうろついて、漸く辿り着きました。 南江間は、そんなに広い地区ではないから、その内、見つかるだろうと思ってはいましたが。

≪写真1左≫
  山門を正面から。 木に覆われていて、ほとんど、見えません。 しかし、この木陰のお陰で、風情のある雰囲気になっています。

≪写真1右≫
  門前に並んだ、石地蔵。 普通は、6体ですが、こには、立像7体、坐像1体の、計8体がありました。 他の場所にあったのを、引き取ったのかも知れません。

≪写真2≫
  山門。 ほら、いい雰囲気でしょう? 夏場、徒歩で、お寺に参った人は、ここまで来て、深い木陰の涼しさに、ほっと一息ついているに違いない。

  門柱の表札には、「臨済宗 建長寺派 東漸寺」とあります。 山号は、分かりません。

≪写真3≫
  本堂。 新しいです。 造りがカチッとしているところを見ると、鉄筋コンクリートなのかも知れません。 それなら、冷暖房が利くから、利用者は、快適でしょう。 三角が三つの紋は、北条氏のもの。 南江間は、鎌倉北条氏、第二代執権だった、北条義時の領地だったので、このお寺も、義時ゆかりか、北条氏ゆかりなのだと思います。

≪写真4左≫
  境内にあった、仏像。 インド風の造形からして、そんなに古い物ではありますまい。 石の色も変わっています。

≪写真4右≫
  山門を覆う木陰の中に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクも、炎天では、涼しい日陰に停めてもらった方が、快適に違いない。

  この日は、ここに来る前に、スタンドで、給油しました。 千円分入れて、 5.95リットル。 リッター当たり、168円。 補助金で、安くなっていました。




【伊豆の国市北江間・伊豆中央道料金所付近】

  2025年6月22日。 伊豆の国市・北江間の、「伊豆中央道料金所付近」へ行って来ました。 当初の目的地は、南江間の、「北条寺」だったのですが、なんと、「山門不幸」の札が立っていました。 遠景の写真を撮るのも憚られ、境内にいる人達から何も言われない内に、門前で引き返しました。

  目的地がなくなり、北江間の田園地帯をうろついた挙句、伊豆中央道の料金所付近で停まり、周囲の風景を撮って、帰って来ました。 なに、バイクのバッテリーが死なない程度の距離を走って来れれば、それで、いいのです。

≪写真1≫
  田んぼ道の脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 田園風景に、スポーツ・バイクは、よく似合います。

  背景に見えるのが、伊豆中央道の料金所。 遥か昔、20代前半に、その頃乗っていた、ダイハツ・初代ミラで、何度か通った事がありますが、それ以降、全く走っていません。

  遠くの山は、大嵐山(日守山)か、茶臼山。 大嵐山には、何度も、茶臼山にも、一回は登っています。

≪写真2≫
  南側を見ました。 北江間は、広い。 遠くの、一番高い山は、大男山だと思います。 何年か前に、登った事があります。

≪写真3≫
  田んぼの中に、御玉杓子がいました。 こういう景色は、子供の頃と変わらんなあ。

≪写真4左≫
  6月2日に行った、南江間の、「正蓮寺」ですが、前を通ってみたら、蓮の花が咲いていました。 これは、オーソドックスな、赤。

≪写真4右≫
  こちらは、白。 花弁にも、蕊にも、人工物のような趣きがあります。 この世離れしている。




【伊豆の国市南江間・陸軍輜重兵鴨下浅次郎の墓】

  2025年6月29日。 伊豆の国市・南江間にある、「陸軍輜重兵鴨下浅次郎の墓」へ行って来ました。 ネット地図に出ていた所。 伊豆中央道、江間ICの近くにあります。

≪写真1左≫
  道路から見た墓石。 背が高く、上に十字架が載っており、すぐに、それと分かりました。

≪写真1右≫
  敷地内で、逆側から見上げました。 周囲の木が邪魔で、距離が取れません。 逆光だし。 背後に見える土手や跨道橋は、伊豆中央道のもの。

≪写真2左≫
  逆光、御免。 水平の横棒二本の下に、斜めの棒が一本。 ロシア正教など、スラブ系の正教会で使われる、「八端十字架」です。 墓の主が、どの宗派の信者だったかは、不明。

  現地には、現代文の解説板は、ありませんでした。 石塔の、両側面と背面に、文字がビッシリ彫ってあったものの、漢文なので、読むのを断念。 帰ってから、ネットで検索してみましたが、引っ掛かりませんでした。 というわけで、「陸軍輜重兵・鴨下浅次郎」さんが、何をやった人なのか、未だに分からない次第。

≪写真2右≫
  前の道路の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 メッキが剥がれて、交換したミラーですが、家に置いている間は、布のカバーをかけているので、それ以降は、綺麗なままです。

≪写真3≫
  墓の近くというわけではありませんが、帰りに見かけた、ノウゼンカズラの花。 この時期、オレンジ色で、ドカッとたくさん咲いていると、大抵、ノウゼンカズラです。 ノウゼンカズラ科。

  漢字で書くと、「凌霄花」だそうですが、とても、読めませんな。 「カズラ」は、「葛」だと思いますが、「ノウゼン」て、何なんでしょうねえ? わざわざ調べるほど、興味がありませんが。

≪写真4左≫
  路傍で咲いていた花。 近づいてみたら、カンナでした。 まだ小さい株ですが、もう、花が咲くんですな。 大きくなると、人間の背丈を超えます。 カンナ科。

≪写真4右≫
  アガパンサスの群落。 この時期、あちこちで見かけますが、ここの群落は、大きかったです。 ユリ科。




  今回は、ここまで。 現伊豆の国市の内、旧伊豆長岡町を目的地にしたのですが、今回は、その中でも、江間地区に絞りました。 理由は、ガソリンが高いので、長い距離を走りたくなかったというのが、第一。 江間地区は、伊豆の国市の北端に位置しているから、比較的、うちから近いのです。

  北条寺が、山門不幸だったのは、想定外でした。 以前、折自で行った事があるのですが、そもそも、神社と違って、住んでいる人がいるお寺ですし、その上、有名な場所なので、敷居が高いと思った記憶があります。