漢字の枠
常用漢字の追加案や、その修正案などが、時折、新聞に出ますが、感想はいつも同じで、「え! こんな字が今まで入っていなかったの?」というものです。 私だけでなく、ほとんどの人が、そう感じていると思います。 そして、「あれ? それじゃあ、自分が普段使っている字は、常用漢字じゃなかったんだ」と、何やら、警察署の前でスピード違反したような、ほとんど収入が無い青年が確定申告をパスして脱税の罪悪感に苛まれるような、微妙に不安に襲われるのです。
しかし、不安がる必要など全然ありません。 なぜなら、常用漢字という枠自体が、とうの昔から、一般社会では無視されているからです。 一応、従っているのは、教科書や参考書といった教育関連の出版物と、新聞くらいのものではありますまいか。 これらの業界の人達にとっては、どの字が増えて、どの字が抜けたかは大問題なのですが、その余の大部分の人間には、何の影響もありません。
ちなみに、私は、若い頃に漢字に燃えた人間の一人ですが、今では何の興味もありません。 常用漢字が改められようが、そのままだろうが、廃止されようが、知ったこっちゃないのです。 言語学の視点から言えば、常用漢字枠など廃止した方が良いと思いますが、それすら単なる見解に過ぎず、自分の意見として主張する気はさらさら無いです。 まして、ああだこうだと、細かい事を言って、他人と言い争う気など、毛頭ありません。
と断った上で、単なる知識遊びとして、ほんのちょっと細部に触れてみましょうか。 「常用漢字の枠を廃止したら、それぞれがてんでに使いたい字を使うようになって混乱するだろう」と思うかもしれませんが、いや、それは大丈夫なんです。 だって、戦前までは、常用漢字も当用漢字もありゃしなかったんですから。 一切、取り決めが無かったけれど、これといった問題も無く、使用されていたのです。
戦時中、アホな軍人どもが、自分達のアホを隠す為に、漢字ばかりムキになって使っていたのが祟り、戦後になって、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の論理で、「軍部悪けりゃ、漢字も悪い」と見做され、半ば偏見によって字数制限されてしまったんですな。 まったく、馬鹿な連中に好かれると、好かれた方は大迷惑です。 この点、純粋に、識字率の向上の為に漢字の簡略化や字数制限を行なった中国とは、かなり事情が異なります。
日本では、江戸時代までは、漢字を覚えるのは、それを必要としている支配階級や、文化を担っていた町人階級だけで、人口全体の二割くらいでした。 多くの漢字を知っていれば、それだけ多くの書物を読む事が出来るが、知らないければそれまでで、ただ読めないだけ。 完全な自己責任の領域だったので、お上が口出しなぞしなかったのです。 むしろ、字を読めない人間が多い方が、よからぬ思想にかぶれたりしないので、好都合だったのです。
この事情は、本家の中国でも、高麗・朝鮮でも、ベトナムでも、漢字を使っていた所では、みな同じでした。 漢字をたくさん知っていて、正確に使いこなせる事は、教養が高い事の証明で、ステイタス・シンボルになっていたのであって、そんな価値があるものを、わざわざ手間と金をかけて、民衆に教えてやるような無意味な事はしなかったのです。
明治になっても、漢字には制限が無く、各人がそれぞれの教養に合わせて、勝手放題にドカドカ使いまくっていました。 実は、明治以降、日本語表記の全面仮名文字化だのローマ字化だの、民間から、いろんな案が出されるのですが、政府は無視していました。 政治家や官僚は、漢字を知っている側なので、せっかく持っているステイタス・シンボルを手放す気はさらさら無かったのです。
漢字は、全部で5万くらいありますが、その内、一人の人間が使いこなせるのは、多い人でも、せいぜい3000くらいです。 人によって使用範囲が異なるのですが、それらが重なる部分が、一般的に使用される漢字の範囲で、それは、政府が決めなくても、自然に成立します。 漢字研究者しか読めないような難しい漢字を使う事も自由ですが、そんな事をすれば、せっかく書いた文章を、多くの人に読んで貰えないわけで、自然にブレーキがかかるのです。 各人それぞれの頭の中で、「この字を使えば、尊敬されるだろう」という目論見と、「この字では読めない人が多くて、言いたい事が伝わらないな」という心配が葛藤し、自然と、常識的な範囲が決まってくるというわけ。
「漢字制限をしなければ、却って、漢字は早く滅ぶだろう」とかなんとか脅す学者もいますが、そんな事はありません。 はっきり言わせて貰って、あなたのせいぜい数十年程度の思い込みよりも、漢字が経て来た遥かに長い歴史の方が説得力があります。 断言しますが、制限なんかしなくても、何の問題も無く、存続し続けます。 漢字に意思があるわけではなく、滅ぼすにせよ、使い続けるにせよ、その主体は人間ですが、社会全体で使っているものですから、個人が、「多過ぎて嫌だ」と思ったところで、滅ぼせるものではありますまい。 だって、他に何を使えってーのさ? 政府が他の文字体系を正式化し、漢字の教育をやめでもしない限り、自然に漢字が滅びる事などありえません。
「漢字が5万もあったのでは、教育現場で困るだろう」と思うでしょうが、それも大丈夫です。 そもそも、すべての漢字を学校で教える必要は無いのであって、象形文字、指示文字、会意文字など、基本的な字だけ教えれば、それで充分です。 それだけ分かれば、後は組み合わせに過ぎませんから、児童生徒が各人自分で覚えるでしょう。
「それでは、テストの範囲が決められない」というのなら、漢字そのものをテストの対象から外してしまえば宜しい。 実際に必要な能力は、文章を読める事であって、漢字一つ一つを暗記する事ではないのですから。 漢字を個々に覚えても文章が読めるとは限りませんが、文章が読めれば、漢字も読めるわけです。
そういえば、漢字検定が流行って、テレビのクイズ番組にも、難読漢字がバンバン出て来ますが、あんなアホ臭いものは覚えなくても何の支障もありません。 動物名や植物名の漢字表記など、金輪際学習不要。 笑ってしまいますな。 タンポポを、≪蒲公英≫と書けたからといって、現代社会で、何の利用価値があるのよ? ムカデを、≪百足≫と書いて、誰に読んで貰えると言うのかね? はっきり言わせて貰って、漢字検定の上級に出て来るような問題は、もはや、死んだ知識です。 永久に復活する事はありません。 何ヶ月もかけて暗記するなど、時間の無駄にも程がある!
「中国語の学習に役立つ」なんて事は、全っ然ありません。 確かに、中国語では、日本語でカタカナ表記している言葉を全て漢字で書きますが、動植物名は、日本語のそれと異同が大き過ぎて、知識の流用が利きません。 結局、一から習い直す事になるので、日本語では覚えない方が、混乱しなくて良いくらいです。 漢字検定に燃えている人達は、日本国内でしか通用しない上に、既に実用品として死んでいる知識を、必死になって覚えているわけで、傍から見ていると、滑稽としか思えません。 ≪死語の海≫で溺れているだけですな。
そんな事に割く時間とエネルギーがあったら、中国語を直截覚えてしまった方が、今後、ずっと役に立つでしょう。 ちなみに、基本的に漢字を知っているというのは有利なもので、日本人の場合、一年くらいダラダラ勉強していれば、割と容易に中国語を読めるようになります。 せっかく、小中高と苦労して2000近い漢字を覚えたのですから、ほんのちょっと追加努力して、中国語も読めるようになった方が、確実にお得というものでしょう。
こんな風に、広い視野で見ると、常用漢字の字数が何文字増えたか、何文字減ったかなど、いかに瑣末な事か分かるでしょう。 一文字一文字、追加の理由を述べている文章を読んだりすると、馬鹿馬鹿しいとすら感じます。 そんな事、どーでもえーですわ。
私が漢字に興味を失ってしまった最大の理由は、言語に興味を失った理由と同じです。 詳しくは、過去ログの、≪言語は進化しない≫をどうぞ。 ここで理由を追加するなら、ヨーロッパ文明の成立に、漢字が何の関与もしていないのを、はっきり認識した事も大きいです。 漢字が無くても、あれだけ優れた文明が作れるのです。 せいぜい20字から40字程度の表音文字を並べるだけでも、漢字と同じ機能を果たせるのです。 そう思うと、何だか、白けてしまうではありませんか。
ただ、中国の経済力が増大し、中国文化の影響が世界に波及するに連れ、中国語を学ぶ外国人が増え、その結果として、漢字を使う人口が増える事も、間違いなくやって来る未来の状況だと思います。 いずれにせよ、日本語でのマニアックな漢字知識は、何の役にも立たないまま終わるでしょう。
しかし、不安がる必要など全然ありません。 なぜなら、常用漢字という枠自体が、とうの昔から、一般社会では無視されているからです。 一応、従っているのは、教科書や参考書といった教育関連の出版物と、新聞くらいのものではありますまいか。 これらの業界の人達にとっては、どの字が増えて、どの字が抜けたかは大問題なのですが、その余の大部分の人間には、何の影響もありません。
ちなみに、私は、若い頃に漢字に燃えた人間の一人ですが、今では何の興味もありません。 常用漢字が改められようが、そのままだろうが、廃止されようが、知ったこっちゃないのです。 言語学の視点から言えば、常用漢字枠など廃止した方が良いと思いますが、それすら単なる見解に過ぎず、自分の意見として主張する気はさらさら無いです。 まして、ああだこうだと、細かい事を言って、他人と言い争う気など、毛頭ありません。
と断った上で、単なる知識遊びとして、ほんのちょっと細部に触れてみましょうか。 「常用漢字の枠を廃止したら、それぞれがてんでに使いたい字を使うようになって混乱するだろう」と思うかもしれませんが、いや、それは大丈夫なんです。 だって、戦前までは、常用漢字も当用漢字もありゃしなかったんですから。 一切、取り決めが無かったけれど、これといった問題も無く、使用されていたのです。
戦時中、アホな軍人どもが、自分達のアホを隠す為に、漢字ばかりムキになって使っていたのが祟り、戦後になって、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の論理で、「軍部悪けりゃ、漢字も悪い」と見做され、半ば偏見によって字数制限されてしまったんですな。 まったく、馬鹿な連中に好かれると、好かれた方は大迷惑です。 この点、純粋に、識字率の向上の為に漢字の簡略化や字数制限を行なった中国とは、かなり事情が異なります。
日本では、江戸時代までは、漢字を覚えるのは、それを必要としている支配階級や、文化を担っていた町人階級だけで、人口全体の二割くらいでした。 多くの漢字を知っていれば、それだけ多くの書物を読む事が出来るが、知らないければそれまでで、ただ読めないだけ。 完全な自己責任の領域だったので、お上が口出しなぞしなかったのです。 むしろ、字を読めない人間が多い方が、よからぬ思想にかぶれたりしないので、好都合だったのです。
この事情は、本家の中国でも、高麗・朝鮮でも、ベトナムでも、漢字を使っていた所では、みな同じでした。 漢字をたくさん知っていて、正確に使いこなせる事は、教養が高い事の証明で、ステイタス・シンボルになっていたのであって、そんな価値があるものを、わざわざ手間と金をかけて、民衆に教えてやるような無意味な事はしなかったのです。
明治になっても、漢字には制限が無く、各人がそれぞれの教養に合わせて、勝手放題にドカドカ使いまくっていました。 実は、明治以降、日本語表記の全面仮名文字化だのローマ字化だの、民間から、いろんな案が出されるのですが、政府は無視していました。 政治家や官僚は、漢字を知っている側なので、せっかく持っているステイタス・シンボルを手放す気はさらさら無かったのです。
漢字は、全部で5万くらいありますが、その内、一人の人間が使いこなせるのは、多い人でも、せいぜい3000くらいです。 人によって使用範囲が異なるのですが、それらが重なる部分が、一般的に使用される漢字の範囲で、それは、政府が決めなくても、自然に成立します。 漢字研究者しか読めないような難しい漢字を使う事も自由ですが、そんな事をすれば、せっかく書いた文章を、多くの人に読んで貰えないわけで、自然にブレーキがかかるのです。 各人それぞれの頭の中で、「この字を使えば、尊敬されるだろう」という目論見と、「この字では読めない人が多くて、言いたい事が伝わらないな」という心配が葛藤し、自然と、常識的な範囲が決まってくるというわけ。
「漢字制限をしなければ、却って、漢字は早く滅ぶだろう」とかなんとか脅す学者もいますが、そんな事はありません。 はっきり言わせて貰って、あなたのせいぜい数十年程度の思い込みよりも、漢字が経て来た遥かに長い歴史の方が説得力があります。 断言しますが、制限なんかしなくても、何の問題も無く、存続し続けます。 漢字に意思があるわけではなく、滅ぼすにせよ、使い続けるにせよ、その主体は人間ですが、社会全体で使っているものですから、個人が、「多過ぎて嫌だ」と思ったところで、滅ぼせるものではありますまい。 だって、他に何を使えってーのさ? 政府が他の文字体系を正式化し、漢字の教育をやめでもしない限り、自然に漢字が滅びる事などありえません。
「漢字が5万もあったのでは、教育現場で困るだろう」と思うでしょうが、それも大丈夫です。 そもそも、すべての漢字を学校で教える必要は無いのであって、象形文字、指示文字、会意文字など、基本的な字だけ教えれば、それで充分です。 それだけ分かれば、後は組み合わせに過ぎませんから、児童生徒が各人自分で覚えるでしょう。
「それでは、テストの範囲が決められない」というのなら、漢字そのものをテストの対象から外してしまえば宜しい。 実際に必要な能力は、文章を読める事であって、漢字一つ一つを暗記する事ではないのですから。 漢字を個々に覚えても文章が読めるとは限りませんが、文章が読めれば、漢字も読めるわけです。
そういえば、漢字検定が流行って、テレビのクイズ番組にも、難読漢字がバンバン出て来ますが、あんなアホ臭いものは覚えなくても何の支障もありません。 動物名や植物名の漢字表記など、金輪際学習不要。 笑ってしまいますな。 タンポポを、≪蒲公英≫と書けたからといって、現代社会で、何の利用価値があるのよ? ムカデを、≪百足≫と書いて、誰に読んで貰えると言うのかね? はっきり言わせて貰って、漢字検定の上級に出て来るような問題は、もはや、死んだ知識です。 永久に復活する事はありません。 何ヶ月もかけて暗記するなど、時間の無駄にも程がある!
「中国語の学習に役立つ」なんて事は、全っ然ありません。 確かに、中国語では、日本語でカタカナ表記している言葉を全て漢字で書きますが、動植物名は、日本語のそれと異同が大き過ぎて、知識の流用が利きません。 結局、一から習い直す事になるので、日本語では覚えない方が、混乱しなくて良いくらいです。 漢字検定に燃えている人達は、日本国内でしか通用しない上に、既に実用品として死んでいる知識を、必死になって覚えているわけで、傍から見ていると、滑稽としか思えません。 ≪死語の海≫で溺れているだけですな。
そんな事に割く時間とエネルギーがあったら、中国語を直截覚えてしまった方が、今後、ずっと役に立つでしょう。 ちなみに、基本的に漢字を知っているというのは有利なもので、日本人の場合、一年くらいダラダラ勉強していれば、割と容易に中国語を読めるようになります。 せっかく、小中高と苦労して2000近い漢字を覚えたのですから、ほんのちょっと追加努力して、中国語も読めるようになった方が、確実にお得というものでしょう。
こんな風に、広い視野で見ると、常用漢字の字数が何文字増えたか、何文字減ったかなど、いかに瑣末な事か分かるでしょう。 一文字一文字、追加の理由を述べている文章を読んだりすると、馬鹿馬鹿しいとすら感じます。 そんな事、どーでもえーですわ。
私が漢字に興味を失ってしまった最大の理由は、言語に興味を失った理由と同じです。 詳しくは、過去ログの、≪言語は進化しない≫をどうぞ。 ここで理由を追加するなら、ヨーロッパ文明の成立に、漢字が何の関与もしていないのを、はっきり認識した事も大きいです。 漢字が無くても、あれだけ優れた文明が作れるのです。 せいぜい20字から40字程度の表音文字を並べるだけでも、漢字と同じ機能を果たせるのです。 そう思うと、何だか、白けてしまうではありませんか。
ただ、中国の経済力が増大し、中国文化の影響が世界に波及するに連れ、中国語を学ぶ外国人が増え、その結果として、漢字を使う人口が増える事も、間違いなくやって来る未来の状況だと思います。 いずれにせよ、日本語でのマニアックな漢字知識は、何の役にも立たないまま終わるでしょう。