2009/12/27

叔父さん、万歳!

  今回は、先週他界した私の母の弟、つまり、私の叔父さんの人生について、ちょっと書かせて貰います。 ここを読んでいる人達にとっては、顔も知らない全くの赤の他人ですから、興味が湧かないとは思いますが、まあ、大目に見てやって下さいまし。 そんなに親しくしていたわけではありませんが、血縁者が一人世を去ったのは事実で、私にとっては結構な重大事なのです。 今書いておかないと、叔父さんの記憶が遠くなって、書く気が失せてしまいますし、叔父さんの関係者で、この種の文章が書ける者といったら、私しかいません。 誰かが書かなければ、叔父さんの存在そのものが無かった事になってしまうような、言いようのない不安を感じるのです。


  叔父さんの葬儀が、あまり悲しい雰囲気にならなかったのには、わけがあります。 実は、叔父さん、30年くらい前に、大きな失敗をやらかし、それ以来、親戚一同から、少し色のついた眼鏡で見られていたのです。 家産を注ぎ込んだ事業で躓いて、家を潰してしまったんですな。 今でこそ、破産した人間や、借金で首が回らない人間など珍しくもありませんが、当時は、親戚中の顰蹙を買うような重大事でした。

  学校を出て、しばらく会社勤めをした後、親から相続した家屋敷で鉄工場を始めたのですが、順調だったのは最初の十数年だけでした。 アメリカへの輸出の為に投資した直後、為替相場の自由化にぶつかり、大損して、何もかも失ってしまったのです。 しかも、当人は逐電してしまって、その間に、母親、つまり、私から見ると母方の祖母ですが、それが他界するという、重ね重ねの不幸。 小さなアパートに引っ越していた家族は、筆舌に尽くし難い苦難を味わう事になりました。 大阪の方に身を隠していた叔父さんは、虫の知らせを感じたと言って戻って来ましたが、母親がすでに骨になってしまった事を知った時のショックはいかばかりだったか。

  その後、再び家族と暮らすようになり、住居を転々としつつ、いろんな職業についていました。 アイスクリームのルート配送をしていた頃には、よく、うちにアイスを持って来てくれて、甘い物好きの私には、大変ありがたい存在でした。 10年くらいして、さんざん苦労させた奥さんとの亀裂が限界に達し、離婚しました。 子供二人は奥さんについて行き、叔父さんは一人に。 山の中に家を借りて、また鉄工の仕事をやろうとしましたが、もうだいぶ歳を取っていたし、バブル崩壊の後だったので、そんなに仕事も来ず、最後には、近くのゴミ焼却場でバイトのような事をして、糊口をしのいでいたようです。

  事業で失敗したのは、運が悪かった事が大きいのですが、叔父さん自身も、性格的に事業家に向いていなかったんですな。 ただ、親戚に金の事で迷惑をかけるといった事は無かったです。 強いて言うなら、私の母が相続権を放棄して、家屋敷を全て叔父さんの名義にしていた為に、母まで親の財産を全て失う事になってしまった点が、被害といえば被害です。 しかし、元はといえば、母がホイホイくれてやったからそうなったのであって、今更そんな事を言っても、後の祭ですな。

  性格はくだけた人で、冗談もよく言い、同年代の親類からは好かれていたようです。 「失敗はしたけど、人柄はよかった」という、微妙な評価だったんですな。 ただ、甥である私や兄から見ると、可愛がられたという記憶は無いです。 叔父さんにも息子がいて、私達兄弟と同年代でしたから、子供なんか珍しくもなく、甥に可愛いさなど感じなかったのかもしれません。

  兄が中学の頃、叔父さんの鉄工場に一日だけバイト行った事がありますが、甥だからといって、全く甘い顔は見せなかったようです。 今でも覚えていますが、その日の昼頃に兄から電話があり、「軍手を持って来てくれ」というので、私が自転車で届けに行きました。 すると、昼休みなのに工場で兄だけが働いていました。 おそらく、与えられた仕事が午前中で終わらず、必死で取り戻そうとしていたら、軍手が破れてしまい、休み時間に働いている手前、叔父さんに軍手をくれとも言い出せず、泣きの涙だったんでしょうな。 結構しぶとい兄がその日だけでやめてまったところを見ると、ほんとにきつかったのだと思います。

  叔父さんは、メジロを飼ったり、金魚を増やしたり、犬と一緒に暮らしたり、相当な動物好きでした。 金魚は、私も分けて貰った事があります。 「3匹ください」と言ったら、大きなビニール袋に稚魚をどっさりよこして、数えてみたら、50匹も入っていました。 いやはや、あの時は参りましたわ。 60センチ水槽を一つしか持っていなかったので、もう一つ買い足し、それでも足らずに、衣装ケースを改造して簡易水槽にして、むりやり飼っていたのですが、その内、ポツポツと死んで行き、3年くらいしたら、たった3匹になっていました。 「もしや、叔父さん、こうなる事を見越して、50匹くれたのかな?」と、恐れ入りかけましたが、その後、その3匹も世を去り、私の深読みし過ぎであった事が判明しました。

  叔父さんは、私が金魚を貰ってくれた事が嬉しかったらしく、金魚達が少し大きくなった頃に一度家に来て、「ありがとね」と、照れ臭そうに私に言いました。 自分の趣味を甥っ子が理解してくれたと思っていたのでしょう。 実は、私の本心としては、動物を増やす趣味には、あまりいい印象を抱いていないのですが・・・。 たとえば、金魚を増やしている人というのは、形のいい個体を残す為に、規格外の個体をみんな下水に流してしまうわけですが、私にはそういうのが、ちょっと耐えられないのです。

  叔父さんは、金魚の件で、私にいい印象を抱いたらしく、それから間も無く、なんと、縁談を持って来てくれました。 相手はゴミ焼却場で働いていた時に知り合った産廃業者の娘さんでした。 もう見合い話など流通しなくなっていた頃でしたから、私としては大変ありがたかったのですが、叔父さんが、「産廃業者だが、違法な物も処分する事がある」などと言ったものだから、母が拒絶反応を示し、「親がそんな人じゃ、しょうがない」と言って、断ってしまいました。 今になっても、あの話は惜しかったと思っています。 なんで、当人が返事をする前に断るかね? 誰の人生だよ。

  ちなみに、縁談の仲介者というのは、一度断られると、二度と話を持って来てくれません。 まあ、当たり前だよね。 せっかく、労を取ってやろうとしたのに、返す言葉で拒否されては、ムカつきもしようってもんだわさ。 叔父さんも、その例に漏れず、それ以降、うちに訪ねて来る事さえなくなってしまいました。

  うちの母は、母方の親類の集まりでは顔を合わせていたようですが、それも数年前からは疎遠になっていました。 ある年の祖父母の法事の際、叔父さんは一円も持参せず、母にだけ供養料を出させた事にカチンと来て、「あいつには呆れた」と言って、会わなくなってしまったのです。 叔父さんも悪いですが、母も短気な判断をしたもので、私から見れば、「供養料なんか、一人出せば充分だ」という考え方が、いかにも叔父さんらしいと思うのですが、結局、母と叔父さんは、それっきり近寄らなくなり、年賀状をやりとりするだけの仲になってしまいました。

  そうそう、年賀状といえば、叔父さんの遺体が発見された時、来年の年賀状が、もう書き上げてあって、出すばかりの状態になっていたらしいです。 飲んでいた薬の残量から計算して、12月9日の午後に事切れたと思われるのですが、たぶん、その日か翌日には投函しに行くつもりでいて、果たせなかったのでしょう。 枚数は、30枚くらいあったらしいです。 つまり、亡くなる寸前まで、そのくらいの人数とは付き合いがあったわけだ。 半分以上は親戚と考えても、10人くらいは、友人・知人がいたんじゃないでしょうか。

  そういえば、叔父さんの様子がおかしい事に、最初に気付いたのも、友人の一人だったと聞きました。 叔父さんは独り暮らしだったので、心臓を悪くして以来、自分の死に備えて、家の中のどこに何がしまってあるかを長男に教えていたそうです。 借家の大家さんにも、「玄関の外の電灯が、昼でも点けっ放しだったり、夜でも点いていなかったりしたら、何かあったと思ってくれ」と、頼んであったのだとか。 でも、その大家さんは、全然気付かなかったらしいです。 まあ、言われてから月日が経ってくれば、そういう頼み事を律儀に遂行してくれる人はあまりいませんから、責めるような事ではないですが。

  で、叔父さんと会う約束をしていた友人が、叔父さんが現れないので、不審に思って家へ訪ねて行き、全く応答が無い為に、大家さんの所へ報告して、警察を呼んで貰ったのだとか。 その友人が来て幸いで、電気が入れっ放しだった炬燵から、もし火が出ていたら、借家一軒全焼し、長男は父親の葬式代ばかりか、損害賠償で莫大な債務を抱え込むところでした。 持つべきものは、友人といったところでしょうか。

  考えてみると、70歳で、そういう友人がいるというのは、相当珍しいケースだと思います。 やはり、叔父さんの人柄の為せる業と言うべきでしょうな。 事業でも家庭でも失敗したけれど、人生そのものが失敗したわけじゃなかったのです。

  叔父さん、あなたは、決して、悪い人生を送ったわけではないよ。 不運な事も多かったけど、結婚もしたし、子供も出来たし、趣味はたくさん楽しんだ。 ずっと仕事をしていて、長患いもしなかったし、いい事の方が、ずっと多かったじゃないですか。 それに比べりゃ、私なんか、ろくでもない人生だよ。

  叔父さんの人生、万歳! 大変よく生きました。 ご苦労様でした。 金魚と縁談、ありがとね。 さようなら、叔父さん。

2009/12/20

会葬始末

  水曜日、仕事を終えて、7時頃、帰宅したら、家が真っ暗でした。 嫌な予感。 父母ともに不在で、夕食の仕度はおろか、雨戸すら閉めてありません。 犬は在宅。 置き手紙の類は一切無し。 とりあえず、冷蔵庫にあるものだけで夕飯にし、犬には、さつま芋やら、ハムやら、配合飼料やら、やれるものをやり、たぶん午後の散歩にも行っていないのだろうと思って、夜の8時だというのに、パジャマにジャンパーを羽織って、散歩に行って来ました。 犬の野郎、何が気に食わないのか、歩きながら吠えまくり、近所迷惑この上無し。 ご丁寧に、ウ○チまでしてくれよる。 ついでに月極駐車場を見て来たところ、父の車はありませんでした。

  夜9時を過ぎましたが、電話一本ありません。 考えられる最も有力な可能性は、兄か、親戚の誰かが危篤にでもなり、二人して駆けつけたというもの。 しかし、それならば、電話があってもよさそうなもの。 次の可能性は、母が危篤になり、父が車で病院へ運んだというもの。 しかし、それでも、何かしら連絡がありそうなもの。 第三の可能性は、二人で何かの用事で車で出かけて、出先で事故に遭ったというもの。 しかし、父は免許を持って行ったはずで、二人とも連絡不能であっても、警察か病院関係者が家族に連絡を取りに来そうなもの。 さて、事の真相は如何に・・・・?

  ・・・・・・・・

  と、上の文章を書いた直後、父母が帰宅しました。 話を聞くと、私の母方の叔父、つまり、母の弟にあたる人が亡くなったとの事。 昼過ぎに警察から連絡があり、大いにうろたえて、メモも残さずに出掛けたのだそうです。 叔父さんは携帯電話しか持っておらず、家に固定電話は無し。 山の中なので、公衆電話もなく、家に電話できなかったのだとか。 「その叔父さんの携帯でかければいいじゃないか」と思うでしょうが、変死の場合、警察が携帯のデータを全部調べるので、すぐには返してもらえないらしいのです。

  死因は、心筋梗塞。 山の中の小さな集落に家を借りて、独りで暮らしていたのですが、そのために発見が遅れ、死後7日経過していたそうです。 その間、炬燵に入ったままだったので、下半身が腐敗してしまっていたとの事。 ああ、叔父さん、無残。 しかし、炬燵の電気が入りっぱなしだったのに、火事にならなかったのは不幸中の幸いでした。 享年70歳。 死因に不審な点が無いので、解剖はされないようです。

  もうだいぶ前に離婚した奥さんは、先に他界していて、息子、つまり、私の従兄弟ですが、それが二人いますが、弟の方は障害があって、施設に入っています。 兄の方は、私より一つ歳上で、独身。 叔父さん夫婦が離婚した時に、母親の方について行ったのですが、母親が亡くなった後も、叔父さんとは一緒に暮らしていませんでした。 叔父さんは、今年の三月に心臓を悪くして入院していたらしいのですが、それ以来、会っていなかったとの事。 「その時に同居していれば、こんな最期にはならなかったろうに・・・・」とも思うのですが、肉親の間には、他人には窺い知れない確執があるのでしょう。

  木曜が通夜で、金曜が葬儀の予定。 私は通夜は出られませんが、葬式は出ずばなりますまい。 母方の叔父は一人しかいませんから、パスというわけにはいきません。 有休を取るしかありませんな。


  金曜は一日休む事にしましたが、前日の木曜も定時で帰って来ました。 通夜には出ないのですが、やる事があるのです。 礼服が着れるかどうか確認しなければなりません。 最後に着たのは、5年以上前で、上着はともかく、ズボンのウエストが入るかどうか大いに疑問。

  4時半に帰宅すると、今日もいるのは犬だけ。 しかし、犬の夕飯は用意してありました。 私は、袋ラーメンと御飯で夕食。 それから、礼服を試してみると、ほーら見たことか! 予想通り、全然穿けません。 ファスナーが半分までしか上がらない! Oh,God ! まさか、こんなに太っていたとは!

  夕食を食べたばかりだったので、しばらく待てば少しはへっこむかと思ったんですが、6時半にもう一度トライしてみたら、やはり、全然駄目。 ここに至って、「こりゃあ、腹が空けばどうにかなる次元の問題ではないな」と悟り、意を決して、新しいのを買う事にしました。 礼服といえば、安物でも安くはないに決まっていますが、今後、父母の兄弟姉妹が続々と世を去る、≪他界ラッシュ≫に突入する可能性が高いので、ここで出費しておいても、損は無いでしょう。 というか、損とか得とか以前に、今買いに行かなきゃ、明日着て行く服が無いのよ。 迷う余地無し!

  6時40分頃から、自転車で3キロくらい離れた≪洋服の青○≫まで、宵のサイクリング。 なんで自転車かというと、車は父母が乗って行ってしまったし、バイクでは買った服を持って帰れません。 残るは自転車だけだったというわけ。 そんな日に限って、猛烈な寒風がビシバシ吹き荒れています。 寒い寒い! その上、退勤時間帯で、はちきれんばかりの交通量。 死ぬかと思った。 人の葬儀に出るために、自分が死んでりゃ世話ないで。

  命からがら、≪洋服の○山≫に到着。 一番安い、18800円のダブルを買いました。 今まで持っていたのがシングルだったので、最初はシングルを買うつもりだったのですが、セットになっているズボンの布地がほつれていて、同じ品の在庫が無く、同サイズだと、ダブルしか無かったのです。 「どっちでも、同じですか?」と、店員さんに訊くと、「むしろ、ダブルの方が正式です」と、(何を当然の事を訊く?)という顔で答えます。 あーそうですか。 でも、そんな事は私にゃどーでもいーんですよ。 とりあえず、葬式に出られる服が手に入ればいーの。

  で、買う物は決まったのですが、ズボンの裾上げは、時間が遅かったために、担当者が帰ってしまったとの事。 やむなく、裾上げテープだけ買って帰って、家で母にやってもらう事にしました。 またまた、死ぬほど寒い思いをして、帰宅。 7時45分。 何だか、胸がぜいぜいして、肺炎になりそうです。 なんで、こんなに苦労しなければならないのか。 通夜に出ないくせに、定時で帰って来た罰でしょうか。

  大人になってから葬儀に出るのは初めてです。 礼服は、兄の結婚式と、祖父母の法事でなら着た事があるのですが、それも各一度だけ。 服だけでも厄介なのに、ワイシャツ、ベルト、靴下、靴と、つまらない物を揃えなければならず、たまーに着る人間にとっては、面倒この上ないのです。 実は、ワイシャツも首がきつきつだったのですが、これは、何とかボタンが嵌まるので、一日だけ我慢するしかないですな。

  通夜に出ていた父母は、8時半頃帰宅。 母も疲れていると思うのですが、仕事をした上に、強風の夜に自転車で6キロ走った私の方が疲労度がより高いに決まっているので、そこは図々しく裾上げを頼み、先に眠る事にしました。 風邪を引いていない事を祈りつつ。


  さて、葬儀の日、金曜です。 朝起きてみると、風邪は引いていない模様。 やれやれ、助かった。

  で、母に頼んだ裾上げですが、目が悪いために、黒い布地の上に黒いテープを貼る作業がうまくできず、結局、私がアイロンで貼り付ける事になりました。 うーむ、母親も歳を取ると、頼める事が少なくなって行きますなあ。 テープの貼り付け自体は簡単で、ズボンを裏返し、濡らしたテープを継ぎ目に載せて、上からスチーム・アイロンを10秒押し付けるだけ。 穿いてみると、少々長い。 靴を履けば大丈夫ですが、靴下だと、踵に裾を踏みつけてしまいます。 店で測って貰った通りにやったのに、何たる事か。 シングルからダブルへ交換した時にズレが出たのかもしれません。 まあ、もう貼ってしまったものは仕方ないですな。

  父の運転で、10時頃に出発。 場所は隣町の葬祭場で、叔父さんの住んでいる所とも、長男の住んでいる所とも違う自治体にあるのですが、叔父さんの元奥さんの葬儀をそこでやったので、「できれば、同じ所で」という事で、そうなったらしいです。 葬儀というのは慣れるようなものではないので、喪主にしてみれば不安がいっぱいで、それを少しでも減らすために同じ葬儀社にしたのだと思います。 私の家から車で30分ほどですから、遠いという事はなかったです。

  道程の8割くらいが、私の通勤経路と重なるので、途中にある路上観察物件を紹介してやると、父母は大笑いしていました。 身近に、そんなものがあるとは思っていなかったのでしょう。 それにしても、母は、実の弟が死んだというのに、全く悲しむ様子がありません。 時々、頓珍漢な事を言い、混乱しているのは確かなようですが、平気でケタケタ笑っています。 歳が歳だから、悲しむような事だと思わないのでしょうか。

  家族と親戚が10人ほど、他の会葬者が10人ほどで、葬儀への出席経験が乏しい私の目から見ても、小さな式でした。 父母の話では、昨晩の通夜の方が、参列者が多かったそうです。 通夜なら仕事を休まなくても出られますが、葬式はそうはいかないので、どちらか一方なら、通夜に出る方を選ぶ人が多いようなのです。

  式の前に、棺桶に入った叔父さんの顔を見ましたが、綺麗に整えられていて、まるで生きているようでした。 私は、遺体といったら、父方の祖母しか見ていないのですが、その時も、生きているようだと感じた記憶があります。 これは、一種の錯覚で、死んだ人をほとんど見た事が無いので、死体と生体の区別がつかないだけなのだと思います。 腐敗していたという下半身は、衣で覆われていて、見えなくなってしました。 「顔が綺麗でよかったね」と、親戚の人達が言っていましたが、確かにその通りで、葬儀の式次第では、故人の顔を覗き込む場面が多いのです。

  私にとっては随分長い儀式でしたが、父が言うには、むしろ短い方だとの事。 僧侶も、今日は一人だけでしたが、普通は最少三人来るのだとか。 しかも、その僧侶は、菩提寺の住職ではなく、副住職でもなく、同宗派ながら、別の寺から臨時で出張して来た人でした。 住職は用事で遠くへ行っていて留守。 副住職は別の葬儀の予定が先に入っていたのだとか。

  最初にそれを聞いた時、漠然と、「急な事だから仕方がないんだろう」と思いましたが、よく考えてみれば、人の死というのは、大概は急に起こるものです。 つまり、こういう僧侶の相互扶助は、よくある事なのでしょう。 まあ、お経なんぞ、どうせ意味が分からないのですから、誰が読んでも同じですが、住職が不在のため、戒名がつけられず、仮の位牌に俗名だけが書かれていたのは、少し違和感がありました。

  くどくなるので、葬儀の細部は記すのはやめておきます。 故人の略歴が語られ、読経を聞き、焼香し、お棺に花を入れ、すぐ隣にある火葬場へ移動しました。 叔父さんの家族は二人だけで、その内の一人は体が不自由なので、最も縁が近い私の家族が、遺影や骨壷を運ぶ役を務めました。 他の何より、骨を見た時のショックが大きかったです。 腰骨に収まる大腿骨のボールが、まん丸のまま残っていて、目が釘付けになりました。 形がはっきり残っていればいるほど、生と死の境目を越えた事を、はっきり感じるような気がします。

  会葬者一同で二人一組になって大きな骨を拾い、それが一巡すると、残りの骨は火葬場の係の人が骨壷に納めます。 全部入れるために、頭蓋骨以外は短い木の棒で押し崩しながら詰めなければならず、その力の入れ方を後ろから見ていて、またショックを受けました。 慣れているから手際はいいですが、これは精神的に大変な仕事だと思いました。 大きな骨を崩すたびに合掌しますが、それが作法ではなく、心から自然に出る挙措に見えてきます。 合掌でもしなければ、人の骨を押し崩せませんわ。 まして、他人の骨を・・・・。

  喪主は、故人の長男、つまり、私の従兄ですが、その人が大変しっかりしており、万事卒なく取り仕切って、参列者一同、感心頻りでした。 しかし、もし意のままに出来るなら、他人の応接に気を使わなければならない葬式などやらずに、家族だけで、気が済むまで遺体のそばにいたいのではありますまいか。 葬式というのは、一体誰の為にやるのか、いまひとつ、よく分からないところがあります。

  これで、葬儀は無事に終了。 まだ戒名が無い為に、この日は火葬までで、納骨は四十九日に家族だけで行なうのだそうです。


  会葬者が少なかったので、精進落しが余ってしまい、三人分貰って帰りました。 昼にも食べたのですが、夕食も同じ物に。 母の話では、松竹梅の竹コースだったらしいのですが、まずくはないものの、うまくもなく、二回も食べる事になって、少々辟易しました。 葬祭場も、もしできるなら、暖かいものを出せば、もっと喜ばれると思いますが、結婚式と違って、葬式は出席人数が決まっていないので、難しいんでしょうねえ。

  無事には済みましたが、やはり、葬儀というのは、あまり出たいものではありませんなあ。 結婚式のアホらしさとは全く正反対ですが、やはり、その場に居たたまれない苦痛を感じます。 故人との縁が近ければ近いほど、その苦しみは大きいのでしょう。

2009/12/13

トランクスは倍穿け

  さて、≪パンツ考≫の続きです。 いやあ、この一週間というもの、「本当に、パンツの話題でええんかのう?」と、自分で決めた方針であるにも拘らず、疑念に囚われる事しばしば。 事業仕分けとか、アメリカのアフガン増派とか、普天間基地移設問題とか、オバマ氏のノーベル平和賞受賞とか、書くべきテーマは、他にいくらもあるような気がせんでもないのです。 しかし、更に一歩引いて眺めてみると、今挙げたような事は、論客ぶったブロガーどもが飛びついて食いついて書きまくっておるに決まっているのであって、そんな凡庸な奴らの真似をしてもつまらんので、やはり、ここはパンツで押し通す事にしましょう。 ・・・というような、堂々たる前置きをするようなテーマでもないとは思うんですがね。


  で、トランクスですが、私の場合、寿命は大体、一年くらいです。 100円ショップの品でも、郊外大型店の衣類コーナーで買った品でも、そんなに違いはありません。 靴下の場合は、布地が破れてくるのですが、トランクスの場合は、布地よりも先に、穿き口のゴムが伸び切って、ずり落ちてしまうようになります。 たぶん、トランクス愛用者の大半は、それが原因で廃棄していると思います。 実は、ゴムがゆるゆるになってきて、「もう限界です! これ以上は腰骨に引っ掛かっていられません!」と悲鳴を上げるくらいの時が、肌への圧迫が最小で一番穿き易いのですが、形ある物はいつかは壊れるように、パンツのゴムもいつかは伸び切るわけで、諦めざるを得ない時は来るわけですな。

  しかし、そこで捨ててはいけません。 まだ使えます。 布地が破れていないのに、どうして捨てるかなあ? 勿体ない勿体ない、マータイさんが殺しに来るぞ。 ゴムが伸びただけなんだから、ゴムだけ替えればいいんですよ。 「たった、100円で売っているものを、手間かけて、わざわざ直すかね?」って? 何言ってるんですか、そこがエコの醍醐味じゃありませんか! いや、それだけではない。 新品よりも、ゴムを替えた物の方が、優れていると思えばこそ、敢えて薦めるのです。 自分でゴムを替えれば、張り具合の調節が利くので、新品のきついゴムのように締め付けられずに済みます。 ほーら、何となく、替えてみたくなって来たでしょう?

  では、早速、始めましょう。 まず、トランクスの穿き口の内側を見て下さい。 大体、幅3センチくらいの、白いゴムが縫い付けてあると思います。 「えっ! これを替えるの? こんなの、ゴムだけでも、100円以上するんじゃないの?」と、心底馬鹿馬鹿しい気分になるのも分からないではない。 「しかも、ミシンで、びっしり四本も糸を使って縫ってあるじゃないか! こんなの素人に替えられるわけがない! 大体、ミシンなんて使い方知らないよ!」と、自暴自棄になるのも、大いに共感できる。 しかし、そこで投げてはいけません。 物事には必ず、解決方法という物があります。 国際政治の重大問題にさえ解決法があるのに、たかがパンツのゴム替えごときに解決方法が無いわけがないじゃありませんか。

  同じ3センチ幅のゴムを付けようとするから、素人には不可能事になってしまうのです。 要は、腰に引っ掛かる程度の張力があればいいのですから、幅7ミリくらいの、普通のゴム紐で充分です。 100円ショップに行けば、3メートル分くらいのが売っています。 「それにしたって、伸びるゴム紐を伸びない布地に縫い付けるのは難しいだろう」 いやいや、何も、ゴム紐を直接布に縫い付ける必要はありません。 布の方を折って、筒を作り、そこにゴムを通せばいいのです。 パジャマやトレーナーの穿き口のゴムと同じにするわけです。 これなら、特別な技術は要りませんし、ミシンを使えない人でも、手縫いで加工ができます。

  まず、元からついている幅3センチのゴムを取り外します。 4本の糸で縫い着けてありますから、それを握り鋏で切って行けば宜しい。 面倒臭いですが、手が疲れないように休み休みやっても、20分くらいで、全部外せます。 握り鋏というのは、裁縫箱に入っている、U字型の小さな鋏の事。 先が尖った鋏でないと、縫い目は切れません。

  どこでもいいから、切り始めの部分を一箇所決めて、まず、ゴム側の表面の縫い目を、4本それぞれ、5コマくらい切ります。 この時、絶対に布地の側から切ってはいけません。 布地そのものを切ってしまう恐れがあるからです。 5コマ切ったら、その部分の、ゴムと布地の間に指を入れて、隙間を広げます。 広げると、両端に、まだ切れていない縫い目の糸が開くのが見えますから、どちらか一方に決めて、そこを切って行きます。 広げては切り、広げては切り、倦まず弛まず、延々と続けます。 結構きつい作業なので、挫けそうになったら、日本刀の手入れをしながら、こちらを睨んでいるマータイさんの顔を思い浮かべると良いでしょう。

  一番後ろの部分に、洗い方を指示した布のプレートが縫い付けてあると思います。 ここは手強いので、最後に残ると思いますが、やり方としては、まず布のプレートの真ん中に鋏を入れ、切り開いてしまうと宜しい。 どうせ、そのプレートは使いませんから、遠慮は要りません。 すると、隠れていたゴムの表面が露出し、糸の縫い目が見えますから、それを全部切ってしまえば、否が応でも外れます。 これで、ゴムはすっきりすっかり取れてしまうはずです。

  次に、布地に残った糸の切れ端を丹念に取り除きます。 指先を使う細かい作業になるので、手が痺れて来て、「こんな事してて、時間の無駄じゃないかなあ・・・」と、ひとしお思う頃合ですが、そんな時は、日本刀を振りかざして近づいてくるマータイさんの怒気漲る面持ちを思い浮かべて乗り切りましょう。 「アナタ、ニッポンジンジャナイデスカ! モッタイナイデショウ! モッタイナクナイデスカッ! キッサマーッ! ソレデモ、ニッポンジンカーッ!」・・・とまでは言わないと思いますが。

  綺麗になったら、布地を折り返して、縫い始めます。 布地の端っこは、最初から折ってあるので、それはそのままにして、一段だけ折ります。 好都合な事に、ゴムを外した時の、一番下の縫い目の穴が残っていますから、そこまで折って、同じ縫い目をなぞる格好で縫っていけば宜しい。 縫い方は、普通の≪並縫い≫で充分です。 ≪本返し縫い≫や、≪半返し縫い≫ができれば、より綺麗に、より丈夫に仕上がりますが、たかがパンツに、そんな手間を掛ける事もありますまい。

  もし、ミシンを使えるなら、それに越した事はありませんが、奥さんやお母さんに頼むのだとしたら、それは、お勧めしません。 光景が目に浮かぶようです。 汚物でも渡されたように、トランクスを指二本で抓み、満面に軽蔑の表情を浮かべ、「新しいの、買ったら?」と言われるに決まっています。 マータイさんの怖さを知らぬ罰当たりな女どもめが。

  ぐるっと一周縫ったら、ゴムを入れる所を、2センチくらい残しておきます。 ゴムの長さは、予め、伸ばさない状態で自分の腰に当てて実測し、それをほんのちょっと短くしたくらいにすればいいわけです。 ただし、結び代、もしくは、縫い代の分が必要なので、長めに切っておきます。 たぶん、家の裁縫箱に、ゴムを通す為の器具が入っていると思うので、それにゴムをセットして、通して行きます。 この際、誤まってゴムが全部入ってしまわないように、もう一方の端の動向には目を光らせておかなければなりません。 ゴムを通し終わったら、長さを調節しつつ、ゴムの両端を、結ぶか、縫い合わせるかします。 普通は結んで終わりにしますが、重ねて縫ってしまった方が、結び目が無い分、肌への当たりは少ないです。

  ゴムの入れ口の2センチは、そのままにしておいても問題ありません。 その程度の開口部なら、布地にしても、ゴムにしても、端の部分がほつれてくるような事はないからです。 さて、これで完成。 マータイさんもニッコリです。 大体、45分くらいあれば、全工程終わらせる事ができると思います。 慣れてくれば、もっと手早くできると思うんですが、そもそも、ゴムの伸びたパンツが発生する頻度が低いので、この作業を慣れるほど経験するのは不可能だと思われます。

  穿き心地は、幅広ゴムの新品より、ずっと良いと思います。 「きついなあ」と思ったら、ゴムの長さを延ばせば宜しい。 調節に時間をかければ、体への負担が極めて少ないパンツが出来上がります。 こちらに慣れてしまうと、新品でも、わざわざ幅広ゴムを外して、紐ゴムに交換したくなるほどです。 私自身、腰が痛くて仕方がなかった頃、一度それをやった事があります。 今では、新品を壊すのも勿体ないので、少々我慢して、ゴムが伸びるまで穿いていますけど。

  寿命は、付け替え後、一年以上は楽勝ですな。 つまり、替えないで捨てる場合と比べて、倍穿けるわけです。 ゴムを替えて行けば、無限に使えるような気もしますが、それは話がうますぎるのであって、たぶん、二回目の交換をする前に、布地が薄くなって破れてくると思います。 そうなったら、もう捨ててもいいでしょう。 マータイさんも、深く頷いて、許してくれると思います。 靴下と同じように、当て布で補修する事も出来ないではありませんが、あまりにもみすぼらしくて、洗濯物を干すのに恥かしさを感じると思うので、あまり薦めません。 マータイさんにさえ、指二本で抓まれて、「モウ、ステタラ?」と言われてしまいかねませんからのう。


  いやあ、ただ、パンツを直して使うというだけの内容で、コラムを二本も書いてしまいましたよ。 人間、どんな下らない事でも、信念を持って取り組めば、完遂できるものですな。 わははは!

  それはさておき、あのマータイさんという人、どうしてまた、日本語の「モッタイナイ」を引っ張り出したんでしょうねえ? ≪勿体ない≫に相当する単語や表現は、当然の事ながら、どの言語にもあるわけで、人類に普遍の概念どころか、動物ですら使える物を使い切らない事を惜しむ感情は持っています。 なぜ、選りに選って日本語だったのか? 高度成長期以降、ここ半世紀の日本人といったら、≪勿体ない≫の感覚から最も遠く隔たってしまった民族ではありませんか。

  日本を全然知らないとしたら、わざわざ日本語を使う理由が分かりませんし、知っているのだとしたら、老若男女挙って物を捨てまくっている現代日本人の実態を目にしていないはずがありません。 もしかしたら、日本人を皮肉るつもりで、敢えて日本語を選んだんでしょうか? それなら、目的を果たす事には完全に失敗しましたねえ。 日本人の反応は、「日本語の単語が取り上げられた!」って喜んだだけで、自分達が世界でも一二を争うくらい勿体ない事をしている民族だなんて、微塵も自覚しなかったのですから。

2009/12/06

パンツ考

  パンツといっても、ズボンの事ではなく、下着のパンツの事です。 まったく、パンツに二つの意味があり、しかもカテゴリーが同じで、混乱が起きやすいのには、ほとほと困っているんですよ。 なんで、ズボンの事をパンツと言うようにしてしまったのか、最初にきっかけを作った奴は、切腹ものの重罪ですな。

  ズボンもパンツも外来語ですが、ズボンの出自はフランス語で、「jupon(ジュポン)」から変化したもの。 ただし、現代フランス語では、「jupon」は、ペティコートの事を指し、ズボンの意味は無いようです。 「ジュポン」と聞くと、「襦袢」を連想する方もいると思いますが、「ジュバン」も外来語ではあるものの、ポルトガル語。 入って来たのは遙か昔の戦国時代末期です。 ただ、フランス語もポルトガル語も、同じラテン語の子孫なので、ジュポンとジュバンは、元は同じ単語なのではないかと思われます。 指している物が、まるっきり変化してしまっているだけで。

  一方、パンツの由来は英語の「pants」ですが、これがまた厄介で、アメリカでは、ズボンの事を指し、イギリスでは、下着のパンツの事を指します。 ここに、日本語のパンツの意味の混乱の原因があるようですな。 では、アメリカでは、ズボンの事を必ず、パンツと言うのかというと、そうではないのであって、ズボンの正式名称は、「trousers(トゥルーサーズ)」です。 なに、そんな単語は聞いた事がない? ごもっとも! 知らなくても無理は無いのであって、この単語は、日本語に外来語として入っていないのです。 しかし、日本語の事情に関係なく、アメリカ人は、ズボンの事をトゥルーサーズと呼ぶのですよ。

  パンツとの関係はどうなっているかと言うと、トゥルーサーズは硬い言葉で、パンツはもっとラフな言い方に当たるとか。 しっかし、そういう使い分けも、外国人には雲を掴むようにピンと来ない話ですなあ。 やれやれ、地球はまだまだ広いわ。 私は、辞書を調べて、これを書いているわけですが、その辞書を編纂した学者は、間違いなくファッションに疎いに決まっている、オッサン・オバサン達でして、正確な記述になっているかどうかは大いに疑わしいです。 私が、「辞書に書いてあるんだ!」と主張しても、現地の人に、「そんな言い方しないよ」と否定されてしまったら、そちらが絶対に正しいのであって、勝ち目はゼロです。 そういう弱味を断った上で、話を続けさせてもらいます。

  米英に関係なく、「pants」には、女性用下着の意味もあるらしいですが、それが、日本語のパンツに男女関係無く下着の意味がある原因なのかどうかは不明です。 もう、ややこし過ぎて、耳から煙が出て来そうですな。 日本語では、下着のパンツは、狭義では男性用を指すのですが、広義だと男女どちらも含みます。 特に子供用では、男女に関係なく、一緒くたに、パンツと言います。 たとえ、ファッション業界人でも、家で子供と話す時は、パンツは必ず下着の事であって、ズボンの意味で使う事はありますまい。

  20年くらい前までは、女性用の下着の事を、パンティーと言っていましたが、いつの間にか、死語になり、今は、ショーツという言葉を使うらしいです。 由来は英語の「shorts」で、元はショート・パンツを指す言葉だったものが縮まった模様。 しかし、英語では元の意味も失っておらず、ショート・パンツを指す事もあるので、要注意ですな。 ファッション用語に於いては、生兵法は大怪我の元でして、下手に用いると、思いっきり軽蔑されてしまうので、外国に住むような事があっても、その手の会話には一切参加しないのが無難でしょう。

  ちなみに、フランス語で、ズボンを指す言葉は、「パンタロン」です。 日本語で言う、裾の広がったパンタロンだけを指すのではなく、ズボン全体の事をパンタロンと言います。 下着のパンツの事は、男性用は、「カルソン」、男女共通の単語では、「スリップ」と言います。 うわっ、こんな所に、スリップが出て来やがった! 日本で言う、女性用下着のスリップとは違いますよ。 パンツの事です。 うおおお、もう分からん! なんで、こんなに言葉が入り乱れておるのだ!

  下着を表わす言葉が混乱している責任は、すべてファッション業界にあるのであって、一般人にはどうにもしようがない事なのです。 それでなくても混乱しているのに、新しいファッションを流行らせるために、古い言葉を引っ張り出して、新しい物につけ、再登板させたりするものだから、ぐじゃぐじゃになってしまったんですな。 節操が無いにもほどがある。 なにせ、感覚だけで生きている人達なので、混乱を回避する知性など、働かせたくても、最初から持ち合わせていないのでしょう。 だけどねえ、ここまで混乱がひどくなると、自分らが生活するのにだって困ると思うんですがねえ。


  ここまで長々と書いて来て、今更こんな事を言うのも舐めた話ですが、実は今回は、別に言葉の事を書こうというつもりではないのですよ。 前に書いた、≪靴下考≫に倣って、パンツの延命処置の事をテーマにする予定だったのです。

  ああ、ちなみに、私が穿いているパンツは、トランクスの方です。 日本では、男性用下着のパンツには、トランクスとブリーフの二種があり、それぞれ、≪トランクス派≫、≪ブリーフ派≫を名乗って割拠していますが、別に、朝食の≪ごはん派≫と≪パン派≫や、≪こし餡派≫と≪つぶし餡派≫のような対立関係には無いようですな。 互いに、「好きにせい」と無視しておるのでしょう。 というか、野郎同士で、誰がどんなパンツを穿いているかなんて、気にしたりしませんよ。 そんな物、見たくもないし、知りたくもないです。 無視しあって当然というところでしょうか。

  私の場合、高校生の頃までは、白いブリーフを穿いていましたが、自分のお金で買うようになってからは、トランクス一本になってしまいました。 四六時中、下着を意識して暮らしているわけではないので、穿いてしまえば、どっちも同じようなものですが、違いが出るのは穿く時です。 ブリーフだと、小さい為に、足を通す時に、若干のためらいが生じます。 「うまく足を入れられなかったら、転ぶ危険性があるな」と恐れる、あの感覚が嫌なのです。 その昔、伊達政宗は、名器の茶碗を取り落としそうになり、何とか持ちこたえたものの、茶碗ごときにヒヤっとさせられた事が許せず、自分で庭石に叩きつけて割ってしまったとか。 それと通じる物が、ブリーフを穿く行為にはあるというわけだ。

  で、ブリーフには縁を切り、トランクス派になったのですが、トランクスにも、問題点はありました。 まずトランクスというのは、なぜか、変な柄が多い。 有名メーカーの品だと無地もありますが、私は例によって、100円ショップでしか買わないので、必ず、何かしら柄が入った物になります。 格子や縞模様くらいならいいのですが、わけが分からん絵のパターンが繰り返されている柄の物も多く、トイレに座っている時に、他に見る物が無くて、その柄を見ていると、あまりの意味不明さに、頭がくらくらして来ます。

  何なんでしょうねえ、あの種の柄が多い理由は? 以前は、「何かの布地のハギレで作っているのかもしれない」と思っていましたが、よくよく考えてみれば、頭がくらくらするほどサイケな柄の布地で、他に作れる製品があるとも思えません。 やはり、トランクス専用にデザインされた生地なのでしょう。 会えるものなら、デザイナーの頭の中を割って見てみたいものですな、是非。

  トランクスはシンプルな衣類ですが、もっとシンプルにできるのではないかと思える部分もあります。 前側の、○○○○を出す為に、開けられるようになっている部分が、それ。 ボタンがついていますが、あのボタン、いちいち外している人がいるんですかね? 会社のトイレで、こっそり他人の様子を覗っていると、そんな面倒な事をしている者など、一人も見受けられません。 ああ、ちなみに、私は他人の挙措をじろじろ見ているわけではなく、用を足す時間で大体そう判断できるのです。 決して、変態ではないので、念の為。

  そもそも、前の開口部分なんて使わないのです。 片側の裾から出すのが一番速い。 「ボタンを外して、用を足して、またボタンをかけて・・・」なんて悠長な事をやってたら、後ろで待っている奴らに蹴りを入れられてしまいますよ。 あの開口部が無ければ、製造工程を劇的に簡略化できるのは確実! 是非、どこかのメーカーに思い切って省略してもらって、コストを大幅に削減し、二枚で100円という価格革命を引き起こしていただきたいものです。

  そういえば、穿き口の部分の内側に縫い込んである紐ゴムも、もっと幅の狭い物でいいと思うんですよ。 幅が広くたって、肌への当りが柔らかくなるわけではないですから。 特に痩せ型の人は、ゴムで締め付けなくても、腰骨に引っ掛かりますから、ずれ落ちる心配はありません。 何ヶ月か穿いて、ゆるゆるになったくらいが、圧迫が無くて一番穿き易いです。

  話は更に展開しますが、腰痛で苦しんでいる方は、下着のゴムの締め付けが原因になっていないかどうか、一度確認してみる事をお薦めします。 腰痛の原因は、骨や筋肉ばかりではないのであって、衣類の圧迫感が痛みを引き起こしているケースが少なからずあります。 整形外科や接骨院に通う前に、まずパンツを疑ってみるべきですな。


  何だか、長くなってしまったので、トランクスの延命処置の事は、また次回に書きます。 うーむ、しかし、こんな下らない事で、二回もコラム書いていいのかのう?