2016/08/14

忌中

  8月9日に、父が他界し、葬儀を始め、各種手続きなど、大いに、ごたごたしているので、しばらく、更新を休みます。

2016/08/07

カー連読⑤

  父の足がむくみ、在宅介護では、どうにもならなくなって、また、入院してしまいました。 他方、母が心臓カテーテル検査を受けた結果、狭心症が確実になって、手術が決定。 もう、家族が崩壊状態です。

  というわけで、というか、と言わなくても、すでに、予告してあった事ですが、今回も、ディクスン・カー作品の感想文です。 「似たような感想ばかりじゃないか」と、お怒りの諸兄よ。 私も、そう思うんですが、そもそも。カーの作品に、似た物が多いから、感想も自然に、似てしまうのです。 困ったもんだ。




≪曲がった蝶番≫

創元推理文庫
東京創元社 2012年
ジョン・ディクスン・カー 著
三角和代 訳

  発表は、1938年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、9作目。 同じ年に、カーター・ディクスン名義の H.Mが探偵役の方で、≪ユダの窓≫が発表されています。 ≪ユダの窓≫が、文句なしの傑作だったので、こちらも、期待していたんですが、読んでみたら、ちょっと・・・・、という感じでした。


  ある貴族の次男が、子供の頃、タイタニック号の沈没航海でアメリカに渡った。 大人になってから、兄が死んだ事により、家を継ぐ為に、イギリスに呼び戻され、幼馴染みと結婚して、そこそこ、うまく生活していたところへ、「自分こそが、本当の次男だ」という人物が現われる。 子供の頃に家庭教師が採取した指紋で、どちらが本物かはっきりさせようと試みたその日に、意外な人物が殺される。 その屋敷の屋根裏に秘蔵されていた17世紀の自動人形や、その近所で流行っていた魔術儀式が、殺人事件に絡み合って、複雑な様相となる話。

  出だしは、いいんですよ。 貴族の跡取りに、偽者が入り込んでいるという設定が、俗っぽい興味を、弥が上にも掻き立ててくれますし、早い段階で、本物と称する人物が乗り込んで来て、偽者の正体を暴こうとする展開も、スピーディーで、ワクワク・ゾクゾクします。 以前、ウィルキー・コリンズの短編で、「入れ替わり」物を読んだ事がありますが、恐らく、その辺りを参考にしているんでしょうなあ。

  ただし、どちらが本物かは、物語の途中まで行かないと分かりません。 それも、フェル博士が断言するから、そう思うだけ。 フェル博士は、名探偵ですが、捜査の中途段階では、絶対に間違えないというわけではありませんから、完全にはっきりするのは、犯人が手紙で独白する、ラストになります。 最後まで、どちらか分からないように、作者が、はぐらかしながら書いているわけです。

  ところが、殺人事件が起こってからは、そのワクワク・ゾクゾクが、どこかへ行ってしまうのです。 焦点が、「人物の入れ替わり」から、「自動人形の恐怖」に切り替えられてしまい、そちらも、そこそこ怖いんですが、入れ替わりと関連性がないせいで、何だか、別の話になってしまったような、肩透かし感を覚えるのです。

  更に、殺人の方法が、入れ替わりとも、自動人形とも、関連性がなくて、またまた、別の話のように感じられ、もう、バラバラ。 魔術儀式とか、脚が失われているとか、他にも、さまざまな要素を盛り込んでいますが、まるで、一体感がなく、もはや、キメラのようです。 とどめに、後半にドンデン返しが繰り返されるせいで、読者は、驚くというより、作者に振り回されるばかり。 謎解きの鮮やかさを、まるで感じられません。

  入れ替わりと、自動人形のネタは、それぞれ、別の話として、膨らませた方が、ずっと、面白くなったと思います。 個々のアイデアは良かったが、作品に纏め上げる時に、相性の悪い物を無理矢理、組み合わせようとしたのが、失敗の原因だと思います。



≪テニスコートの殺人≫

創元推理文庫
東京創元社 2014年
ジョン・ディクスン・カー 著
三角和代 訳

  発表は、1939年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、11作目。 私が読んだ、フェル博士物では、10作目。 まだ、半分も行きません。 同じ年の発表で、すでに読んだ作品というと、H.Mが探偵役の方の、≪読者よ欺かるるなかれ≫がありますが、内容に、これといった共通点は見られません。 文庫で、330ページくらい。 カーの長編としては、普通の長さですな。


  決められた相手と結婚する事で、ある人物の遺産を受け取れる資格を持つ男が、雨上がりのテニス・コートで死体となって発見される。 彼が倒れている場所までは、発見直後に様子を見に行った、相手の女の足跡しか残っておらず、犯人と疑われる事を避けようと、互いに思いを寄せ合っている事務弁護士と語らって、警察に嘘をつく事にするが、たまたま近くに住んでいたフェル博士が捜査に加わっていた事で、そうは問屋が卸さない話。

  他殺死体があるのに、犯人の足跡がないという、不可能犯罪物です。 他に、殺された男に、女性絡みの恨みを抱いていた軽業師が出て来て、「軽業師ならば、こういう方法で、不可能を可能にできる」という推理が展開されるのですが、あまりにも怪しいが故に、「こいつは、絶対、犯人じゃないだろう」と、出て来た途端に分かってしまいます。

  どんどんページが進み、「もしや、物凄く面白い小説なのでは?」と思うのですが、それは、錯覚でして、描写が少なく、会話が多いせいで、読書抵抗が少ないだけなんですな。 殺される男が、高慢痴気な、ろくでなし野郎で、その性格が際立っており、最初の内は、「こういう男に、どういう末路が待っているのだろう」と、興味が湧くのですが、あっさり、死体になってしまうので、肩透かしを喰います。

  フェル博士が探偵役ですが、なかなか、物語の前面に出て来ません。 遺産相続資格者の女と、事務弁護士の男が、話の中心になって、自分達のついた嘘がバレるかどうかで、ヒヤヒヤするのを、前半の読ませどころにしています。 しかし、名探偵であるフェル博士が出ている以上、必ず、真相は明らかにされるわけですから、嘘はバレるに決まっており、読者としては、ハラハラするような事はないです。

  それ以前の問題として、自分達が疑われないが為に、嘘の証言をする登場人物に、共感するのは、まず、不可能でしょう。 逆に、早く、嘘が暴かれればいいと思うのであって、こんな不届きな奴らの心配なんか、するわけがありません。 これは、作者の計算違いでしょうなあ。 フェル博士を出さずに、ノン・シリーズにすれば、中心人物が後ろ暗い事をしても、そんなに問題にならなかったのに。

  不可能犯罪のトリックは、かなり稚拙で、とても、実際にできるような気がしません。 アイデアを、さんざん捏ねくり回した末に、無理な設定に嵌まって、出て来れなくなり、そのまま、書き上げてしまったような感じ。 後半に出て来る、もう一つの殺人に至っては、トリックと言えないようなトリックで、「おいおい、ほんとに、これでいいのかい?」とツッコミたくなります。



≪不可能犯罪捜査課≫

創元推理文庫 カー短編全集1
東京創元社 1970年初版 1995年44版
ディクスン・カー 著
宇野利泰 訳

  東京創元社は、随分昔から、カーの本を出していたんですね。 私が借りて来たのは、1995年の本ですが、それでも、もう、21年も前で、だいぶ、くたびれていました。 この頃の本は、まだ文字が小さいので、目がくしゃくしゃして、参りました。 翻訳自体は、1970年ですから、違和感を覚えるほど古臭さはないですが、どうせ読むなら、新しい本の方が読み易くていいです。

  これは、短編集でして、収録数は、英語版では、11作だったそうですが、この本では、1作削られて、10作品になっています。 短編集として刊行されたのは、1940年。 しかし、それぞれの作品は、もっと以前に書かれていたものと思われます。 長編に取り入れられたトリックが使われている作品があり、後から、短編に使うとは思えないからです。 ちなみに、英語版は、カーター・ディクスン名義で出されたとの事。

  10作もあるので、一つ一つ感想を書いていたのでは、膨大な文章量になってしまいます。 そんな暇があったら、次の本を読むのに回したいところ。 そこで、ごく簡単に、内容を説明し、ごく簡単に、コメントを付ける事にします。

  ≪不可能犯罪捜査課≫は、原題では、≪The Department of Queer Complaints≫で、直訳すると、≪奇妙な苦情課≫。 「ロンドン警視庁D三課」の事ですが、課として、チームで捜査するわけではなく、マーチ大佐という切れ者が、探偵役として出て来るだけです。 この人も、フェル博士やH.Mと同じ、巨漢。 最初の6話が、マーチ大佐シリーズです。


【新透明人間】 手袋だけが、拳銃で老人を射殺したのを目撃した男の話。
  手品のトリックを流用しています。

【空中の足跡】 夢遊病の娘の靴跡だけが、殺人があった家まで残っている話。
  ≪テニスコートの殺人≫に、同じトリックが、誤推理の一つとして出て来ます。

【ホット・マネー】 銀行強盗の元締めが、奪った金をどこに隠したかを、調べる話。
  ポーの、≪盗まれた手紙≫の応用。 当時のイギリスで、よく見られた物に隠されているのですが、現代では、ピンと来ません。

【楽屋の死】 ナイト・クラブの楽屋で、人気ダンサーが殺され、関係者のアリバイを崩す話。
  一人二役のトリック。 本格推理物では、大変よく使われるので、驚かされるような事はないです。

【銀色のカーテン】 賭博で負けが込んだ男が、儲け話をもちかけられ、殺人事件に巻き込まれる話。
  ≪仮面劇場の殺人≫に、似た殺し方が出て来ます。 現実には、うまく行くとは思えません。 植木鉢でも落とした方が確実ですが、それでは、他人に罪をなすりつけられないから、駄目ですな。

【暁の出来事】 知人に呼ばれて、朝の海岸にやって来た男の見ている前で、その知人が倒れ、その後、海に流されてしまう話。
  こんな内容説明では、何も伝わりませんが、ネタバレを避けると、こんな事しか書けないのです。 トリックが何なのか、読者に考えさせておいて、謎解きで肩透かしを喰らわせるタイプの話。


  残りの4話は、決まった探偵役がいない、個別の作品。


【もう一人の絞刑吏】 アメリカの田舎町で、ろくでなしが、ろくでなし仲間を殺した容疑で、絞首刑を言い渡されるが、執行側に経験がなかったせいで、もたついている内に、真犯人が名乗り出て・・・、という話。
  これは、推理小説ではなく、ブラック・ユーモアの小話を、小説仕立てにしたものです。 だけど、この短編集の中では、一番、面白いです。 分析すると、そんなによく出来たストーリーではないんですが、終り良ければ全て良しで、ラストで、強引に納得させられてしまうのです。

【二つの死】 急死した伯父から、ホテル業を継いだ男が、体調を崩し、医師である弟の勧めで、船で世界一周旅行に出るが、帰って来たら、自分の名前で暮らしていた男が自殺したという記事が新聞に出ていて、驚く話。
  出だしの設定は面白いんですが、帰国後の展開が悪く、物語として、纏まっていません。 しかも、カーにしては珍しく、出て来た幽霊らしき男について、最後まで、合理的な説明がなされていません。 つまり、ミステリーではなく、オカルトなんですな。 こういうのも書いていたんですねえ。

【目に見えぬ凶器】 二人の男が一人の女を争い、男の一人が殺されるが、凶器が発見できなかったという話。
  回想形式で、17世紀の事件を語っており、「昔の事だから、警察の捜査がおざなりだった」という事で成り立っているトリック。 今の鑑識なら、いとも容易に解くはず。

【めくら頭巾】 ある屋敷に招かれた夫婦が、謎の女から、かつて、その屋敷で起こった焼死事件と、その後の顛末を聞かされる話。
  これも、オカルトです。 謎の女の事を、幽霊とは言っていないので、読者側で、合理的な話として捉える事もできますが、やはり、オカルトとして読んだ方が自然だと思います。


  以上。 感想文に手こずらされた割には、そんなに面白い本ではありませんでした。 短編ミステリーとして、ホームズ物には遠く及ばず、怪奇小説としては、ポーの短編に、やはり及びません。 カーがなぜ、長編で有名になったかが、この本を読むと良くわかります。



≪かくして殺人へ≫

新樹社 1999年
カーター・ディクスン 著
白須清美 訳

  えっ? 新樹社? 新潮社じゃなくて? ああ、そうですか。 いや、別に、構いませんけど。 三島図書館のカー作品ですが、開架の文庫コーナーの本を借り尽くしてしまい、開架の単行本コーナーで借りて来た一冊目が、この本でした。 ハード・カバーで、文字もそこそこ大きくて、読み易かったです。 加齢で、目が衰えた来ると、単行本の方が、ストレスなく読めますな。

  原作の発表は、1940年。 H.M(ヘンリー・メリベール卿)が探偵役を務める作品としては、22作中、10作目。 今までに読んだカー作品は、戦争中に書かれたものであっても、戦争について、ほとんど触れていませんでしたが、この作品では、ナチス・ドイツのスパイが若干絡んで来て、時代の色が、少し出ています。 陸軍省・諜報部の重鎮であるH.Mも、本業の方の顔を、ちらっと見せます。


  初めて書いた小説が評価されて、映画会社に脚本家として雇われた、司祭の娘が、撮影所に足を踏み入れた日から、硫酸を浴びせられそうになった上、その後、銃撃までされてしまい、彼女の教育係を任された、探偵小説作家の男が、自分なりに犯人を推理した上で、H.Mに助けを求めに行ったところ、意外な事実を聞かされて・・・、という話。

  ナチス・ドイツのスパイというのは、イギリスの軍事施設を撮影したフィルムが、撮影所内の保管場所から消えた一件で、絡んで来ます。 探偵小説作家が、H.Mに相談しに行く時に、ただの殺人未遂事件では、戦時に諜報部を煩わせるわけには行かないけれど、一連の事件を同一犯によるものとして、敵のスパイが関わっているとなれば、持ち込んでも、問題ないだろうと考えたわけです。

  だけど、この話、スパイ物では、全然ないので、そちら方面で、手に汗握るような場面は、全く出て来ません。 では、何物なのかというと、奇妙奇天烈な事に、恋愛物なのです。 司祭の娘と探偵小説作家が、最初は、軽蔑しあっていたのが、渋々なから、一緒に仕事をしている内に、互いに愛し合っている事に気づき・・・、というのが、話の軸になっているんですな。 アホくさ・・・。

  一応、トリックあり、謎あり、犯人あり、探偵ありと、推理小説のパーツは揃っていますが、そちらが、オマケに過ぎないのは、誰が読んでも、すぐに分かります。 ジェーン・オースティンが、推理小説を書いたら、こんな風になるんじゃないかと思うのですが、なんとなく、心臓が痒くなるような、イライラして、ブチ切れたくなるような、気持ち悪~い話なのです。

  恋は盲目、痘痕も笑窪と言うけれど、こんな険のある性格の女に惚れる男がいますかね? こんなのと結婚なんかしてみなさい。 性交渉に飽きたら、その後はもう、毎日が地獄ですぜ。 口を開けば、嫌味だの、皮肉だの、あてこすりだの、罵倒だの、離婚するまで、延々と聞かされる事になるでしょう。 どうせ、すぐに老けてしまうんだから、若い頃の容姿なんて、何の価値もありゃしません。

  セリフが多くて、ページがスイスイ進みます。 面白いから、やめられないのではなく、中身が薄いから、引っかかる所がないんですな。 全く以て、カーという人は、作品によって、中身のボリュームに大きな差がある作家ですわ。 たぶん、他の推理作家のように、型に嵌まった同じような話を、何作も書くのに抵抗があったんでしょうなあ。




≪アラビアン・ナイト殺人事件≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
江戸川乱歩監修・世界探偵小説全集
早川書房 1957年初版 1998年再版
ジョン・ディクスン・カー 著
森郁夫 訳

  三島市立図書館にも、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックスがありました。 初版が古いので、拗音や促音が、他の字と同じサイズだったり、目に余るほど、誤植が多かったり、本としては、出来損ないです。 「早川書房って、どうよ?」と首を傾げたのは、これで、何十回目になるのか・・・。 ただし、それらの問題点は、訳者達のせいではなくて、このシリーズだから、必ず、読み難いというわけでもありません。

  発表は、1936年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、7作目。 有名な、≪三つの棺≫の次になりますが、随分と、作風が違っています。 H.Mのシリーズの方では、同じ年に、≪パンチとジュディ≫が発表されていますが、そちらの作風とも、全く違う。 これだけが、特別、変わっているのかも知れません。


  ロンドン市内にある、中東の文物を展示している博物館を舞台に、そこのオーナーの息子と娘を中心にした若者グループが、問題がある仲間を懲らしめようと、亡霊絡みの芝居を打とうと企むが、本番の夜に、依頼したプロの役者が死体となって発見される事件が起きてしまう。 最初に現場を担当した警部、事件に遭遇した牧師から告白を聞いた警視庁副総監、最終的に犯人を特定したハドリー警視の三人が、述懐する形で、聞き役のフェル博士に、捜査の経緯を語る話。

  全体の9割くらいが、体験談の又聞き、事件関係者の告白、取り調べの問答など、間接的な情報で埋められていまして、まーその、これだけ、興が乗って来ない推理小説も珍しいです。 間接的な語り方というのが、いかに、臨場感を殺ぐか、それを確認する為に、わざと駄作を書いたのではないかと思うほど。

  そもそも、悪意のサプライズ芝居という、ふざけた目論見から始まった事件なので、読者としては、端から、真剣に経緯を知りたいという気持ちが湧いてきません。 作者がまず、「三人の語り手に語らせる」という形式を思いついたものの、中身の事件の方は後回しになってしまい、「まあ、器を見せるのが目的だから、料理は何でも良かろう」というノリで、テキトーにデッチ上げたという香りが、ぷんぷんします。

  牧師の告白の内容など、コメディーっぽい雰囲気があるのですが、「殺人事件が起きているのに、笑わせている場合か?」という根源的指摘はさておくとしても、単に、宗教関係者を戯画化しているだけで、まるで、笑えません。 ≪パンチとジュディ≫にも、牧師を笑いのネタにした部分がありますが、この頃のカーは、そういうのを楽しんでいたんでしょうか。

  一応、フェル博士のシリーズになっていて、レギュラーのハドリー警視も出て来ますが、博士の出番は、どん詰まりの、ほんの数ページだけでして、名探偵ぶりは見受けられません。 単に、人の話を聞いて、当たっているかいないか分からない、テキトーな推理で、ドンデン返しを試みているだけ。 作者が、博士の推理が合っているかどうかをはっきり書いていないので、読者としては、もやもや感だけが残ります。

  さんざん、つまらない間接的報告を読まされた挙句、ラストまで、すっきりしないのでは、誉めるところがないです。 この、しょーもない内容で、二段組み、350ページもあるのだから、もはや、拷問。 最後まで読んだ自分の健気さを、誉めてやりたいです。 カーの作品には、当たり外れが多いわけですが、これは、外れも外れ、大外れで、「超駄作」と呼ぶのが相応しかろうと思います。




≪恐怖は同じ≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
世界ミステリシリーズ
早川書房 1961年初版 1998年再版
カーター・ディクスン 著
村崎敏郎 訳

  これも、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックスですが、江戸川乱歩監修のシリーズではないようです。 拗音や促音が、他の字と同じサイズだったり、「アホちゃうか?」と思うほど、誤植が多かったりする点は、他と同じ。 二段組みですが、300ページくらいで、短いのは、ありがたい。

  発表は、1956年で、「歴史ミステリー」のカテゴリーに入り、探偵役は、この作品独自の主人公が務めます。 ≪喉切り隊長≫の翌年に書かれたもので、この頃のカーは、もう、普通の推理小説には飽きていて、H.Mのシリーズは打ち止めにし、フェル博士のシリーズは、まだ、細々と続けていたものの、主として、時代小説と推理小説の融合に傾倒していたようです。


  現代に生きていた記憶を持つ男と女が、150年前の1795年に、外見や意識はそのままにタイム・スリップし、男の方が、妻の不倫が絡んだ殺人事件に巻き込まれ、容疑者にされてしまう。 官憲の追跡や、彼をつけ狙う、妻の不倫相手の大佐との決闘を凌ぎつつ、未来から共に来た女と協力して、潔白を証明しようとする話。

  タイム・スリップと書きましたが、作中には、その言葉は使われておらず、SFというわけではありません。 ファンタジーですらなく、この二人は、ラストで、現代に戻って来ますから、「二人の人間が、同時に見た夢」と解釈するのが、一番、納得し易いです。 実際には、そんな事はありえないので、結局、ファンタジーっぽくなってしまうのですが。

  活劇調の話でして、カーの他の作品では、≪一角獣の殺人≫や、≪パンチとジュディ≫に近いですが、完成度は、こちらの方が、遥かに高くて、実際に、読んでいて、面白いです。 特に、何度か繰り返される決闘の場面には、手に汗握る緊迫感が漲っています。 歴史好きなカー本人が、「昔に戻れたら、こんな事をやってやるのに」と空想した事を、盛り込んだんでしょうねえ。

  一方で、推理物としては、ガタガタのグズグズでして、一応、密室物の体裁になっているものの、トリックと言えないようなテキトーなトリックで、推理小説ファンから、「アホくさ・・・」と一蹴されてしまうのは、必至。 主人公は、証人や証拠品を確保するのに、苦労するわけですが、トリックが隙だらけだと、それを暴く証拠も、官憲に対して、どれだけ証拠能力があるのか、怪しくなってしまいます。

  だけど、活劇として、大変よく出来ているので、そういう欠点は、あまり気になりません。 問題は、カーの本を読むのは、一人の例外もなく、推理小説のファンだと思われ、歴史活劇を読みたくて、カーを手に取る人は、まずいないので、作者が読ませたいと思っている、本来の読者の目に触れない事ですな。 せっかく、面白い小説なのに、残念です。




  今回は、以上、6冊までです。 5月初めから、下旬にかけて読んだ本。  うーむ、この頃はまだ、父は、吐血して倒れる前で、少々、認知不全が入ってはいたものの、自力で生活していたんですなあ。 ほんの3ヵ月前なのに、大昔のような気がします。

  ちなみに、三島図書館にある、カーの本は、全て読み終わり、無事に返す事ができました。 まだ、読んでいないカー作品がいくらもあるのですが、それらは、沼津の図書館を通して、静岡県内の他の図書館から借りてくれるよう、申請しています。 「相互貸借」という制度があるのだそうです。