2018/10/28

古い車のカタログ蒐集計画 ⑥

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 調べてみたところ、カタログ蒐集に関する記事は、残り8件でした。 今回と、次回分まであるわけだ。 思ったより多かった。




【ゆうメールで、初代クラウンのカタログ】

  ヤフオクで、2000円スタートだった、「初代クラウン1900・後期型・スタンダード」のカタログを、5月10日の夜に、競った末、3200円で落札しました。 1961年か、62年の物。 今までに買った車のカタログの中では、飛び抜けて高かったです。 送料を足すと、3380円。

≪写真上≫
  5月11日に、コンビニで払い込んだら、その日の内に発送され、翌12日の昼過ぎには、届きました。 確か、出品者は、浜松の人だったと思いますが、県内だから、早く届いたのかも知れません。

  ゆうメールの最低サイズで、送料は、180円。 封筒は、ただの茶封筒ですが、新品でした。 封筒に差出人の名前はなく、中に送り状もなし。 事務的で、いかにも、発送慣れしている感じ。 丁寧な人は丁寧な人で、人情味に好感が持てますが、こういうドライなやり方も、合理的で良いと思います。

≪写真下≫
  これが、中身。 サイズは、A4です。 実質12ページしかなくて、かなり、簡単なカタログでした。 しかし、これは、クラウン・スタンダードの本カタログであって、簡易カタログではありません。 状態は、新品だとしたら、「悪い」。 56・7年も前の物である事を考慮すれば、「良い」と言ったところ。

  この車は、当時まだ同居していた、父の末弟が買った、我が家で初めての車で、1967年頃まで、うちにあったのですが、私は、赤ん坊だったので、全く覚えていません。 そういう事や、中身のページについては、いずれ、詳しく紹介します。



【定形外郵便で、初代ジョグのカタログ】

  ヤフオクに、スタート価格100円で出ていた、「初代ジョグのカタログ 同じ物5冊セット」を、5月16日の夜に、競らずに落札しました。 17日の朝に、送料込み、350円をコンビニで支払ったところ、その日の夜に、大阪から発送され、翌18日の正午前に届きました。

≪写真上≫
  カタログは何回か買っていますが、定形外郵便で届いたのは、初めて。 普通の切手を貼るんですね。 サイズは、A4ですが、重量が重いので、最低送料にはなりません。

  この封筒は、使い回しのようです。 中身が無事に届くなら、封筒がどんなものでも、文句はありません。 差出人の住所・氏名がスタンプで押してありました。 中に、送り状は、なし。 それも、ヤフオク取引では、普通の事です。

≪写真下≫
  本当に、同じ物が、5冊入っていました。 ヤフオクの相場的には、一冊500円くらいでしょうか。 300円なら、すぐに入札があると思います。 それを、5冊100円で手放したのですから、太っ腹な人ですな。

  だけど、売る側の事情は、人それぞれでして、お金云々より、手っ取り早く処分したいとか、「欲しい人が持っているのが一番」と思っているとか、いろいろな考え方があるから、100円で譲ってもらえた事を、素直に感謝しようと思います。 むしろ、発送の手間をかけてしまったのが、申し訳ないくらいです。

  このカタログは、1983年4月版で、初代ジョグの最初のカタログです。 カタログの中身に関しては、いずれまた、別に紹介します。



【ホンダ・4代目ライフのカタログ 2004年10月版】

  去年(2017年)の8月末に、纏めて買ったカタログの一冊です。 ホンダの、「4代目ライフ 2004年10月版」。 これ単独の値段は、税込み、540円でした。 

  4代目ライフが登場したのは、2003年9月ですが、約一年経った、2004年10月に、母が、初代トゥデイから乗り換える形で、この車を買いました。 つまり、このカタログは、ドンピシャ版になります。 どうも、登場した時から、この版が続いていたようです。

≪写真1≫
  サイズは、ほぼ、A4で、車のカタログとしては、最小クラスです。 ただ、ページ数は、表紙・裏表紙含めて、32ページあり、確実に、本カタログです。 ちなみに、裏表紙は、白地に文章で、一般的な運転時の注意が書かれているだけです。

≪写真2≫
  イメージ写真のページが、ほんのちょっとありますが、スタジオ撮影である上に、背景を差し替えてあって、屋外の景色が写されていないので、イメージ写真から、時代を感じ取るのは、不可能です。 こういうのは、小奇麗だけど、つまらんですなあ。

≪写真3≫
  シート・レイアウトに、大変、拘った車だったらしく、その説明だけで、6ページも使われています。 車をよく知らない人なら、「こんな、いろいろな使い方ができますよ」と言われれば、それで欲しくなるケースもあるかもしれませんな。 買った後、しばらく経ってから、全然使わない事に気づくと思いますけど。

  私の母が買った車には、そういう機能はなかったのですが、後席の背凭れを畳み易くする為なのか、座面のクッションが、ぺったんこに薄くて、とても、乗っていられなかったのを覚えています。 私も、母も、停まった状態で、一度座ってみて、二度と座らず、犬専用の席になりました。

  このカタログは、シート・レイアウト以外にも、やたらと、機能・性能説明のページが多いです。 文章が主体で、読んでいて、疲れます。 デザインが変わっている車だから、デザインだけで判断されないように、機能・性能の説明に力を入れたら、こんなカタログになったのかも知れません。 およそ、面白みに欠けますけど。

≪写真4≫
  ボディー・カラーのページ。 12種類は、多い方ですねえ。 私の母が買ったのは、「サテン・シルバー・メタリック」という明るいシルバーでした。 シルバーの車は、汚れが目立たないし、水垢がついても、水拭きすれば、すぐとれるので、扱いは楽でした。


  この後のページは、グレード、オプション、装備・諸元表と続きますが、どうせ、写真を見ても分からない情報なので、割愛します。

  グレードですが、上から順に、D、F、Cとある内、母が買ったのは、ハンドルやコンソールのデザインから見て、たぶん、最も安い、Cタイプだったと思います。 一台目の、初代トゥデイの時には、普通免許を取ったばかりの高揚感から、奮発して、最高グレードを買ったのですが、18年後に買い換えたこのライフでは、もう、すっかり、車熱が冷めていて、高いグレードに拘る気がなかったのでしょう。

  2004年から、2009年まで乗って、売却しました。 最後の一年間は、母は免許を返してしまって、全く乗らず、私が任意保険代だけ払って、乗りました。 車検が一年残っていたからですが、その一年を乗ったせいで、査定額が、30万円から、15万円に落ちてしまいました。 車検が切れたからというより、ライフが、フル・モデル・チェンジして、5代目が出たせいで、型落ちになってしまったからだと思います。

  この型は、今でも、いくらでも走っていて、むしろ、この後の、5代目よりも、多く見かけるくらいです。 かなりの数が売れたんでしょうな。 一見、奇抜なデザインですが、見慣れれば、大変、優れたデザインである事が分かります。 オリジナリティーだけなら、軽トール・ワゴン随一と言ってもいいです。

  惜しいのは、やはり、後席シートの座面ですかねえ。 あと、登り坂になると、アクセル・ベタ踏みでも、のそのそとしか走らなかったのには、参りました。 トゥデイより、エンジンが良くなっているのに、力が出ないのは、車体が重いからでしょう。 たぶん、他のトール・ワゴンも、大差ないと思いますけど。

  この車で行った、一番遠い所というと、南箱根の十国峠ですかね。 次は、沼津市・西浦の、河内の大杉。 あと、2008年から2009年にかけて、私が、愛鷹山登山をした時にも、登り口まで、この車で行きました。 他は、週に一回、柴犬シュンを、御用邸や我入道の海岸に連れて行くのが主な役目でした。 あの車、今もどこかで走っているだろうか・・・。



【トヨタ・5代目カリーナ前期型の簡易カタログ 1988年5月版】

  去年(2017年)の8月末に、纏めて買ったカタログの内の一冊。 5代目カリーナ前期型の簡易カタログです。 1988年5月の発行ですから、車がデビューした時のもの。 値段は、もう一冊、前期型の本カタログとセットで、432円でした。

  5代目カリーナは、1988年から、1992年まで、生産販売されていた車で、折しも、バブルの真っ只中、そして、私の青春時代の真っ只中に売られていた車でした。 私自身は、この車を所有した事もなければ、乗せてもらった事さえないのですが、テレビCMが、強烈に印象に残っていた上に、デザインも私好みだったので、カタログを纏めて買う時に、中に入れたのです。

≪写真上≫
  表紙。 前期型のイメージ・キャラクターは、松本孝美さんと、瀬川博さん。 松本孝美さんは、当時、CM女王と呼ばれていた人です。 ネット上で、テレビCMを見る事ができますが、輝くばかりに美しいです。 特に、気取らない笑顔が。

  買った時には、二冊とも本カタログだと思っていて、もう一冊のカタログが、1989年1月版だったので、発行年月の早い、こちらを先に見始めたのですが、中を見たら、全16ページの簡易カタログであった事が分かりました。 もう一冊の方は、本カタログで、全38ページあります。 当然の事ながら、本カタログにも、88年5月のデビュー版が存在し、同じ内容のものを、89年1月に増刷したのでしょう。

≪写真中≫
  表紙の写真も含めて、簡易カタログの写真は、ほとんどが、本カタログの写真から抜粋したものです。 結婚を間近に控えた恋人同士、もしくは、新婚夫婦の設定で、幸せの絶頂、キャッチ・コピーの、「生きる歓び」を、これでもかというくらい、全開で表出しています。

≪写真下≫
  このページの写真は、本カタログにはなくて、簡易カタログだけで使われています。 写真はどれも、大変に良いのですが、文章は、だいぶ落ちて、はっきり言って、くどいです。 下手なコピー・ライターが、大活躍した模様。

  機能・性能説明も、くどい。 1990年前後というのは、日本車が、デザイン的にも、性能的にも、ヨーロッパ車に追いついた時期でして、機能・性能説明が多いのは、メーカーの自信の表れだと思いますが、買う側からすると、逆に、機能・性能は、どの車も似たり寄ったりになって、いちいち説明されても、鬱陶しいだけという時代になっていました。




  今回は、ここまで。 カタログを買ったのは、5月半ばの、「初代ジョグのカタログ」が最新で、それ以降は、買っていません。 この夏は、ヤフオクで、いろんな物を買ったと思っていたのですが、ほとんどが、車の部品で、カタログはなかった模様。

  車弄りの方は、10月で一段落したので、11月に入ったら、また、ぼちぼちと、カタログを買って行こうと思います。 どうしても欲しい物と、欲しいには欲しいが、どうしてもというわけではないという物があって、前者は、なかなか出て来ないのですが、後者は、数件出ているので、そちらの方を、一ヵ月に一件くらいのペースで買おうと思っています。

2018/10/21

古い車のカタログ蒐集計画 ⑤

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 カタログそのものの紹介と、手に入れた経緯の紹介が、入り混じっている理由は、入手する方に、馬鹿にならぬエネルギーを使っており、カタログを見て楽しむ事よりも、むしろ、計画の核心に近いと言えるからです。 こういうのを、手段の目的化と言います。




【ゆうメールで、初代タクトのカタログ】

  2月21日の夜に、スタート価格10円の品を、260円で落札した、スクーターのカタログが、24日に発送され、27日の昼過ぎに届きました。 今回も、「大型郵便物用郵便受け」に入れてもらいました。

≪写真上左≫
  こういう荷姿で届きました。 例によって、住所は宛先・差出人とも、隠してあります。 ダンボール板で、厚さ1センチほどの箱を作って、ガム・テープで貼ったもの。 260円くらいでは、申し訳なくなってしまう、細かい工作です。

≪写真上右≫
  最小サイズのゆうメールで、送料180円。 中身が、A4サイズだと、ゆうメールの最小サイズに収まるんですな。 ちなみに、バイクのカタログは、A4サイズが多いです。

  発送後、日数がかかったのは、出品者の住所が、奈良県だったからだと思います。 「大和榛原」という所があるんですね。 葉書や封書なら、もっと早く届くと思うのですが、ゆうメールだと、別扱いになるんでしょうか? システムが、よく分かりません。

≪写真下≫
  買ったのは、ホンダ・初代タクトのカタログ。 1980年か、81年のものですが、年月日が書いてないので、正確なところは分かりません。 ピーター・フォンダさんがイメージ・キャラに起用された、最初の版ではないかと思います。 三つ折り、6ページの1枚紙で、畳んだ状態で、A4サイズです。 内容については、いずれまた、詳しく紹介します。



【5代目コロナ後期型のカタログ 1977年10月版】

  ヤフオクで見つけて、去年、2017年の11月3日に、スタート価格の1500円で落札し、6日に発送、7日に送料360円のレターパック・ライトで届いたのが、このカタログ、「5代目コロナ後期型 1977年10月版」です。 後期型のカタログは、1977年1月版というのが最初ので、これは、二番目に発行された版になります。

  私の父は、恐らく、1978年の2月か3月に、この車を買っていて、このカタログは、ドンピシャ版になります。 カタログを買う前に、ネット上で見られる写真で、グレード別の装備を調べ、「この版以外に考えられない」という結論に達してから、買いました。 アルバムに、断片的ながら、父の車が写った写真が残っていたのは、幸いでした。

≪写真1≫
  表紙・裏表紙込みで、42ページもあります。 70年代の本カタログで、1500円なら、安い方なのですが、実際に届いたカタログを見て、あまりにも立派な作りなのに驚き、送料込み1860円を、全く惜しいと思わなくなりました。 むしろ、こんなカタログを、当時、無料で配布していたというのが、信じられないくらい。

≪写真2≫
  イメージ・キャラは、田宮二郎さん。 今の若い人達は分からないと思いますが、映画時代から、テレビ時代にかけて活躍した俳優で、≪白い巨塔≫が代表作。 5代目コロナは、前期型が記録的に売れたのに対し、後期型で、高級車っぽいフロント・デザインにしたら、失速してしまい、人気を取り戻す為に、有名俳優をイメージ・キャラに起用したのではないかと思います。 ちなみに、コロナは、1978年9月で、6代目に代わるのですが、田宮二郎さんは、同年12月には自殺してしまいます。 CMの仕事は、関係ないと思いますけど。 

  左側のイメージ写真ですが、父親が、小さい息子と一緒に、ドライブに来ているという設定。 スペイン風の瓦が載った建物は、企業の保養所か何かでしょうか。 いやあ、いいですねえ、こういう設定。 70年代になると、イメージ写真に、家族が揃って登場する事は少なくなり、親子、夫婦、恋人同士といった組み合わせが増えます。 実際には、車は、まだまだ、ファミリー・カーとして使われていたんですがねえ。

  右ページは、「OKモニター」という、車内各部の機能チェック・システムの説明。 5代目コロナは、「安全」を売りにしていたので、安全対策装備の説明が何ページかあります。 ちなみに、シート・ベルトこそ、すでに標準装備ですが、エア・バッグや、ABSは、もちろん、まだ、ありません。 ベルトも、装備はされていても、義務化されていなかったから、運転手も同乗者も締めていませんでした。

≪写真3≫
  セダンのグレード・ページ。 左ページは、4ドアの2000cc。 右ページには、なんと、2ドアのセダンが載っています。 2ドア・セダンという車形は、いくつかの車種で、80年代の初頭くらいまであったらしいのですが、私は、現物を見た事がありません。 使い勝手は、良くないと思うのですが、たぶん、値段が安く設定されていたのでしょう。

  ちなみに、私の父が乗っていた車は、「1600 GL」というタイプだと思われます。 私の記憶にある、当時の、父と兄の会話の内容から、2000でない事は分かっていて、1800か、1600のどちらか。 内装の特徴や、サイド・ドア・モールが付いている事から、グレードが、「GL」なのも確実。 そして、1800GLには、電動リモコン・ミラーが付いているのに対し、父のにはなかったから、消去法で、1600GLしか考えられないという事になるのです。

≪写真4≫
  ハード・トップのグレード・ページ。 ハード・トップは、2ドアだけです。 フロント・デザインは、お世辞にもいいとは言えず、どうにもこうにも、ジジムサイですなあ。 トランク・ルームの上面が強く傾斜しているのが分かると思いますが、これは、当時流行った、「ファースト・バック」というスタイルでして、70年代の車には、大変、多く見られます。 今の感覚で見ると、違和感が凄いですけど。

≪写真5≫
  このカタログは、グレード・ページの後に、装備説明のページがあります。 珍しい構成ですな。 この頃から、電動リモコン・ミラーや、パワー・ウインドウ、カセット付きラジオなどは、標準装備か、オプションで用意されていたようです。 エアコンに関しては、全グレードで、オプション。 エアコンを付けると、一気に値段が高くなるので、要らないと言う人も多かったんでしょう。 父の車にも、エアコンは付いていませんでした。


  私の父の5代目コロナは、1978年から、1987年まで、うちにありました。 私は、この車を、もっと子供の頃からあったものだと思い込んでいたのですが、78年と言えば、私は、中学1・2年の年でして、だいぶ、大きくなっていた事になります。 まだ、車には、興味がありませんでしたけど。

  家族ドライブで、あちこちに行った小学生の頃には、2代目ファミリアでしたが、出かける機会が多過ぎて、記憶が曖昧になっています。 一方、この5代目コロナの方は、逆に、ドライブに行く機会がほとんどなかったから、思い出が希薄です。 中学3年の時に、山梨県の四尾連湖に、父と母と私の三人で日帰りしたのが、私の子供時代最後のドライブなのですが、その時、下部駅前で、車と一緒に撮った写真が残っています。

  1986年の夏、私と母が免許を取った時には、まだ、この車が家にあって、私は一度だけ、運転しました。 母も乗ったのですが、家から出る前に、車置き場で脱輪して、それっきり、一度も乗らなかったとの事。



【初代ミラ&クオーレ中期型簡易カタログ 1982年5月版】

  ヤフオクに、100円スタートで出品されたのを、1月27日の夜に、150円で落札し、29日に青森県から発送され、2月1日に届いた、「初代ミラ&クオーレ中期型簡易カタログ 1982年5月版」です。 一枚紙の二つ折りで、全4ページ。

  去年の8月末に、纏めて買ったカタログ9冊の中に、「初代ミラ中期型簡易カタログ 1982年11月版」というのがあり、てっきり、中期型の簡易カタログは、それだけだと思っていたのですが、これが出品されて、別の版があった事を知り、驚きました。

  しかし、考えてみれば、82年の5月は、マイナー・チェンジで、中期型になったタイミングなので、その時に作られた簡易カタログがあっても、不思議ではないです。 5月版と11月版は、ほとんど同じなのですが、微妙な相違点があります。 並べて、違いを見てみましょう。

≪写真上≫
  表紙。 左が5月版、右が11月版です。 最も大きな違いは、表紙の大きな写真で、撮影場所は同じですが、壁の色が、5月版ではピンクだったのが、11月版では白に塗り替えられています。 また、短髪の女性モデルの服装が、5月版では冬服なのが、11月版では夏服になっており、立っている位置も、少しズレています。

  車が、5月版では、Aタイプなのが、11月版では、Cタイプになり、下の小さな写真で、Aタイプを見せています。 Aタイプというのは、一番安いグレードですが、この頃のミラは、アルトと並んで、「最も安く買える車」というのが売りだったので、Aタイプの値段を書いておく事が重要だったんですな。 48.8万円は、Aタイプのマニュアル車。 51.2万円は、Aタイプのオートマ車。

  他に、5月版の方は、「ミラ」と、「クオーレ」の名前の前に、「新型」という文字が入っていますし、右下にも、「新しいミラ&クオーレ」という文字が入っています。

≪写真中≫
  左側は、中の見開きページで、ミラが紹介されています。 下の、5月版の方は、「ミラ」の文字の前に、「新型」がついています。 それ以外は、全く同じ。 少しは、変えればいいのに。

  右側の白い写真2枚は、裏表紙の右下に印刷されている、記号です。 右の方の4桁の数字に注目すると、5月版は、「5705」。 11月版は、「5711」とあり、それぞれ、昭和57年5月、同11月という意味だと思われます。

  昭和57年は、1982年で、私は、高校2年から、3年になった年でした。 当時、テレビで、ミラ中期型のCMをやっていたと思うのですが、綺麗さっぱり、全く覚えていません。 ちなみに、初代ミラ前期型のイメージ・キャラは、岡田奈々さんでしたが、中期型では下りてしまい、外国人モデルに代わっています。 岡田奈々さんのCMを、おぼろげに覚えているような、怪しいような・・・。 まだ、車に興味がなかったからなあ。

≪写真下≫
  裏表紙は、乗用車タイプの、クオーレが載っています。 ここも、「クオーレ」の文字の前に、「新型」が、ついているかいないかの違いだけ。 表紙は変えたのに、他のページは、なぜ、変えぬ?

  驚いたのは、販売店のスタンプでして、どちらも、「青森ダイハツモータース 弘前営業所」という、同じ判が押されていました。 つまり、この二冊のカタログは、数ヵ月の時間差で、同じ店にあったわけですな。 そして、全然、別のルートで、人の手を渡り歩き、36年後に、私の家で出会ったというわけだ。


  初代ミラ中期型のカタログですが、簡易版は二冊も揃ったのに、肝心の本カタログが手に入りません。 ヤフオクをチェックし始めて、9ヵ月経ちますが、まだ、状態のいいのが出ません。 些か、待ち疲れました。



【2代目ファミリア1200のカタログ 1969年4月版】

  ヤフオクで、500円スタートで出品されていたのを、今年の1月15日夜に、二人を相手に競った末、1700円で落札し、22日に発送され、25日に届いた、「マツダ・2代目ファミリア1200」の本カタログ。 送料込みで、1970円でした。 60年代の本カタログとしては、安く手に入った方だと思います。

  父が乗っていた車で、私の記憶にある、最も古い「うちの車」が、この、ファミリア1200でした。

≪写真1≫
  表紙は、合成写真。 海の中に道があり、波より速く走って来るという設定。 道の後ろの方には、もう一台、車が続いています。 車名の上に書いてあるコピーは、「1500の実力! 余裕派1200―」。 実際、車体が小さめなので、1200ccくらいが、ちょうど良かったのだろうと思います。

  裏表紙には、諸元表と、マツダのロータリー・エンジン車の写真が載っています。 左側から、「ルーチェロータリークーペ」、「ファミリアローターリークーペ」、「ニューコスモスポーツ」。

  2代目ファミリアは、1000ccが、1967年11月に、1200㏄が、1968年2月に発売されています。 3代目に代わるのが、1973年9月。 右下隅にある、「B5′6904N」という記号から、このカタログは、1969年4月版だと思われます。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 車のカタログで、合成写真を普通に使えるようになったのは、この頃からだったんでしょうか。 イラストに頼っていた時代から、10年くらいしか経っていません。 カタログのデザインも含めて、印刷物に使われる技術が、急発展していたのかも知れません。

  車のカタログなのに、なぜ、ヨットなのか? 推測するに、堀江謙一さんの太平洋単独横断が世間を湧かせた、1962年以降、ヨット・ブームが続いていて、たぶん、それに便乗したのではないでしょうか。 

≪写真3≫
  「快適な運転席 三角窓のない広々とした安全視界」というコピー。 三角窓は、風を入れるには、便利な装備なのですが、安全性というよりは、デザインを優先して、なくしてしまったんですな。 ところが、この時代の車には、まだ、エアコンがなくて、夏場は、窓を開けないと、暑くて乗っていられませんでした。

  右ページのメーター周りですが、おぼろげに覚えています。 スピード・メーターが、横長だったんですよ。

≪写真4≫
  内装ページ。 ヘッド・レストが装備され始めたのも、この頃のようです。 シート・ベルト(安全ベルト)が標準装備されていたようですが、義務化前は、締めている人は、非常に、稀でした。 私も、この車では、した覚えが全くありません。 ベルト(前席)が義務化されるのは、80年代半ばで、まだまだ、先の話です。

  このカタログの登場人物は、若い男女がメインですが、このページには、家族連れの写真も使われています。 若者にも売りたい、家族持ちにも売りたいと、欲張っていたんですな。 ファミリアの場合、実際には、ファミリー・カーとして使っている家が、ほとんどだったと思います。

  私が、この車で、はっきり覚えているのは、この黒い合成皮革のシート地と、ドア・ロック・ノブの形です。 後席にしか乗らないから、そんな所しか見ていなかったんですな。 後席からよく見えたという理由で、インパネ下に付いていた、サイド・ブレーキ・レバーの形も覚えています。

  他に、父がこの車を買った後、かなり長い間、汚れ防止用のビニールを剥がさなかった事も、記憶に残っています。 前の車を下取りに出した時に、内装の状態が悪くて、買い叩かれたんじゃないでしょうか。 で、この車では、極力、綺麗に維持しようとしたのだと思います。 小さい子供を二人も乗せていると、ふざけて、靴底で蹴ったりするので、汚れやキズがつくのです。 その犯人の一人は、私ですけど。


  うちにあった車ですが、アルバムを調べると、1970年1月までは、初代ファミリアで、1971年4月、私の小学校入学の時には、この2代目になっているので、その間に買われた事になります。 初代ファミリアは、1967年に買われたと思われるので、車検の間隔から計算すると、71年だった可能性の方が高いです。

  私が中学に入学した時の写真には、まだ写っていますから、5代目コロナに買い換えられたのは、その翌年、1978年だったのではないかと思います。 そうなると、車検の間隔が合わなくなってしまうのですが、マツダから、トヨタに変えた関係で、車検を待たずに下取りに出したのかも知れません。 しかし、こういう事は、正確な記録が残っていないと、推測だらけになってしまって、考えても詮ないところがありますねえ。

  私が小学生だった全期間を通じて、この車が、「うちの車」だったわけで、家族でドライブに行った回数は、ダントツに多いのですが、あまり多過ぎて、個々の場所の記憶が残っていません。

  当時の車としては、デザインがすっきりしていて、今見ても、古い感じがしません。 角灯をつけていたのは、デザインを重く見ていた証拠。 この車の後に、丸灯全盛の70年代があり、80年代に異形角灯が出てきて、ようやく、角灯が普通になるという流れになります。

  この後の、3代目ファミリアも、基本的に同じボディーを改良したものになるので、マツダが、このデザインを、いかに高く評価していたかが分かります。 逆に言うと、この車の完成度が高過ぎたせいで、どうやって、次のデザインを生み出すかに苦しんだのかも知れません。




  今回は、ここまで。 ざっとしか調べてませんが、もう一回分は、確実にストックがあるようです。 次回も、このシリーズという事になります。

2018/10/14

古い車のカタログ蒐集計画 ④

   こんなシリーズもやっていました。 古い車のカタログ蒐集は、今現在も継続中ですが、買い易いものは、すでに買ってしまい、ヤフオクで、出待ちの状態。 一年待っても、出て来ないものもあって、進捗は、遅々としています。

  カタログそのものの紹介と、手に入れた経緯の紹介が、入り混じっているので、混乱するかと思いますが、御容赦あれ。




【11代目コロナ・プレミオのカタログ 1997年12月版】

  去年の8月末に纏めて買った、古い車のカタログの一冊。 「11代目コロナ・プレミオ 1997年12月版」です。 11代目コロナ・プレミオは、1996年から、2001年まで売られていたもので、コロナとしては、最後の型になります。 父が買ったのは、1998年3月なので、たぶん、このカタログは、ドンピシャ版。 後期型ですが、前期型と、目立った違いはないようです。

≪写真1≫
  前期型では、緒形拳さんがイメージ・キャラクターでした。 息子が、父の車を借りて行くという設定で、ゆで卵の殻を剥きながら、「俺の車だぞ。 ぶつけんなよ」と呟くセリフが記憶に残っています。 衝突安全ボディー、「GOA」の事を言っていたんですな。 この後期型のカタログでは、緒形拳さんどころか、無名モデルすら出て来ません。 無人で、車と背景だけ。 実に、つまらない。

  この型のデザインは、大変、よく纏まっているのですが、手本になったのは、フォードの初代トーラス(1985-91年)ですな。 この型以前に、9代目コロナ(1987-92年)、10代目コロナ(1992-96年)も、トーラスのデザインを、いただいていると思います。 初代トーラスは、爆発的に売れた車で、一時期、アメリカ映画に出て来る車が、ほとんど、トーラスになってしまった事もあります。

≪写真2≫
  2000ccには、「D4エンジン」という、直噴エンジンが搭載されていました。 テレビCMでは、小林稔侍さんが、人間サイズのウサギから、「D4エンジン」を薦められて、「エンジンだけ貰ってもな・・・」と言うと、「では、コロナにおつけします」と言われるやり取りがあったのを覚えています。 ウサギじゃなかったかな? わざわざ調べるほど、興味がないので、間違っていたら、御容赦。

  1800ccと1600ccには、「リーンバーン・エンジン」が搭載されていたようです。 リーンバーンというのは、「希薄燃焼」の事で、混合気中のガソリンをギリギリまで薄くして、燃費を良くするシステム。 しかし、D4にせよ、リーンバーンにせよ、私が借りて乗っていた記憶では、お世辞にも、燃費がいいとは言えない車でした。 もっとも、排気量が大きい車ですから、母のトゥデイやライフと比較するのは、酷かも知れませんな。

≪写真3≫
  グレードのページ。 ガソリンが、2000、1800、1600。 ディーゼルが、2200。 父が乗っていたのは、ホイール・カバーや、センター・コンソールの装備から判断すると、2000の「プレミオG Sパッケージ」か、1800の「プレミオE Lパッケージ」のどちらかだったと思われますが、父が、2000を買うとは考え難く、たぶん、1800だったのだろうと思います。

  値段は、どちらも大差なく、200万円前後。 結構、高いの買ってたんですな。 1998年時点で、父は、68歳でして、たぶん、最後の車になる事を見越して、奮発したんじゃないでしょうか。 当時の私の日記に、父から聞かされた話として、「総額、235万円のところを、決算期で、205万円にまけさせたとの事」という記述があります。

≪写真4左≫
  カーナビのページ。 カーナビは、90年代の中頃に登場しました。 私自身、自動車の組み立て工場で働いていた関係で、弄った事があったのですが、出始めの頃は、電力の消耗が激しく、すぐに画面が消えてしまい、「エンジンをかけてください」という表示が出ました。 このコロナでは、カーナビは、2000でも、メーカー・オプション。

  父の車には、CD・カセット・ラジオがついていました。 2009年に、母方の叔父が独居死した時、夜中に、父が運転して、叔父の家まで行ったのですが、その帰りに道に迷ったのだそうです。 で、「カーナビが欲しい」と言い出だし、私が、ネットで、ポータブル・カーナビを買ったものの、父も私も、各一回しか使いませんでした。 二人とも、カーナビを使うほど、遠出しなかったんですな。

≪写真4右≫
  表紙。 裏表紙も同じですが、厚手の艶がある紙で、緑一色。 渋いです。 普通のカタログより、高級な感じがします。 ちなみに、このカタログは、単体だと、432円でした。


  2009年の10月に、母のライフを売却してから、3年ちょっとの間、このコロナ・プレミオが、我が家にある唯一の車でした。 私も、休みの日に、よく借りて乗りました。 軽に比べて、燃費が気になる以外は、非常に乗り心地が良い車でした。 オート・エアコンだったし。

  借りるようになってすぐの事、車幅感覚が分からずに、電柱にこすって、左ドア・ミラーを壊したのは私です。 ちゃんと、弁償しましたけど。 ボディーの方にも、電柱に巻いてあった黄黒ゴムがこびりつきましたが、そちらは、コンパウンドで消えました。

  その3年の間に、私がこの車を借りて行った所というと、観光地では、「伊豆・三津シーパラダイス」や、「富士サファリ・パーク」があります。 他に、子供の頃のように、父が運転し、母が助手席、私が後席という、ファミリー・カー的な使い方を、二回しました。 一度は、母方の叔父の葬式の時。 もう一度は、父方の叔父の見舞いの時でした。

  この車がある間に、父が仕事をやめ、引退したせいで、車で出掛ける用事が激減し、1ヵ月以上乗らずに、バッテリーが上がってしまう事が、何度もありました。 父は、チャージャーまで買いましたが、一旦、完全に上がってしまうと、チャージが利かず、結局、そのつど、新しいバッテリーを自転車で買いに行っていました。 私も一度、室内灯を点けっ放しで下りてしまい、バッテリーをお釈迦にした事があります。

  2012年12月に、廃車。 車検まで、3ヵ月くらい残っていたのですが、月極駐車場の更新が年末だったせいで、早めに処分したようです。 廃車を決める前に、父が私に、この車を引き継ぐかどうか訊ねて来ました。 車自体は、まだまだ、充分に走る状態でしたが、維持費が、年間15万円くらいかかるので、断りました。

  最後の仕事は、古い冷蔵庫や洗濯機、テレビを、リサイクル・センターへ運ぶ事でした。 私が運転し、父も荷物を運び下ろす為に、一緒に乗って行きました。 積み込む時に、冷蔵庫の角が車にぶつかったのですが、父が、「どうせ、潰しちまう車だから、いいんだ」と、不貞腐れたように言ったのが、印象に残ってます。

  父の世代には、「大人の男」のステイタスというものがあり、「車は、セダンに乗る」というのも、その一つでした。 私が、そのスタイルを受け継がなかったのが、残念だったのでしょう。



【ゆうメール / 二折厳禁 / ファミリア1200】

  ヤフオクで落札した、「2代目ファミリア1200」のカタログが、1月25日に届きました。 出品されてから、18日。 落札してから、11日。 代金を払ってから、10日。 出品者に入金してから、9日。 発送されてから、3日。 長い戦いでした。 神経が磨り減りました。

  結果的に、美品と言える状態のカタログが、相場より安く手に入ったわけなので、相手への評価は、「非常に良い」にしておきましたが、それはそれとして、落札から到着までに、これだけ長い日にちがかかると、複雑な気分にならざるを得ません。 「遅くはなるが、確実に届く」と分かっていれば、こんなにヤキモキしなかったんですが、初めての相手だから、信用したくても、材料が足りなかったのです。

  ヤフオク出品者には珍しく、手紙が添えてあって、非常に丁寧な文面で、諸般の事情で遅くなった事を詫びてありました。 真面目な人なんでしょうねえ。 届いたカタログの状態の良さからも、しっかりした人である事が良く分かります。

  とにかく、胃に穴が開く前に、無事に届いて良かったです。

≪写真上≫
  ヤフオクの出品者になった事が一度もないので、発送方法に詳しくないのですが、これは、「ゆうメール」で、送料270円でした。 封筒は、普通の茶封筒です。

≪写真中≫
  大きな封筒で、うちの郵便受けでは、入りきらないサイズだったのですが、この「図面等在中 二折厳禁」のお陰で、本体部分を折られずに済みました。 この配慮は、大変、ありがたい。

≪写真下≫
  これが、中身。 2代目ファミリア1200のカタログです。 ヤフオクでは、500円スタートで、終了間際に、二人が競っていたのですが、第三の男である私が、1700円で落札しました。 相場は、2000円台なので、幾分、安く手に入れられた事になります。

  ファミリア1200は、父が自分で買った、2代目の車で、おおよそ、1971年から、78年まで、うちにありました。 私が記憶している、「うちの車」としては、最も古いもの。

  カタログの内容は、いずれ、詳しく紹介します。



【初代トゥデイ前期型のカタログ 1985年9月版】

  2017年の8月末に纏めて買った、古い車カタログの一冊、「初代トゥデイ前期型カタログ 1985年9月版」です。 車が発売された時の、デビュー版カタログ。 全12ページで、本カタログにしては、些か、ページ数が少ないです。 サイズも、30×30センチで、普通のカタログより大きい。

  ごく最近になって知ったのですが、デビューした時のカタログには、もう一冊あって、そちらは、普通サイズである模様。 つまり、そちらが、本カタログで、私が買ったこれは、「大判カタログ」という、変り種だったのかも知れません。

  ちなみに、このカタログ単独の値段は、税込み、864円でした。 最初に買った、9冊の中では、飛び抜けて、高かったです。 しかし、ヤフオクで調べると、相場は、1000円前後のようなので、むしろ、得をしたと言えます。

≪写真1≫
  表紙と裏表紙。 今井美樹さんが、イメージ・キャラクター。 今井さんは、初代トゥデイに関しては、2代目トゥデイが登場するまで、イメ・キャラを務め続けたようです。 初代トゥデイは、2代目が出た後も、ボン・バンの「トゥデイ・ハミング」として、1998年まで生産販売が続くのですが、ハミングの方は、テレビCMや、専用カタログがあったのかどうか分かりません。

  裏表紙の方にも、うっすらと、今井さんの顔が写っていますが、これは、背景として薄刷りしてあるわけではなく、何冊か重ねて保存されていた間に、下の表紙の印刷が、写ってしまったのでしょう。 逆像の写真を使うとは思えませんから。

  裏表紙の上にある、小さな写真は、テレビCMの第1弾、「秋の牧場バージョン」から取ったものだと思います。 ちなみに、テレビCMの第2弾は、「冬の魚市場バージョン」。 使われていたCMソング、≪はぐれそうな天使≫が、海を舞台にしたもので、第2弾で使われる部分の歌詞に、「潮風」といった言葉が出て来るので、何とか、海で撮りたかったのだけれど、冬の海では寂し過ぎるので、賑やかな雰囲気が欲しくて、魚市場にしたんじゃないかと推測しています。

  私は、当時、CMを見ていたはずですが、牧場バージョンを、はっきり覚えておらず、魚市場バージョンだけ、記憶にあります。 第3弾の「夏の海水浴場バージョン」に至っては、全く記憶にない有様。 1986年は、私が、3年間の引きこもり生活を脱し、植木屋見習いとして働き始めた年なのですが、仕事で疲労困憊して、テレビを見るどころではなかったのが、原因だと思います。

≪写真2≫
  ドーンと見開きで、イメージ写真のページ。 大判カタログならではの迫力ですが、そもそもが小さい車なので、大きく写されても、あまり意味がないという感じがしないでもないです。 今井さんの服ですが、いかにも、80年代半ばという色合いです。 70年代のド派手・悪趣味時代が去った後、反動で、過剰に地味になったんですな。

≪写真3≫
  中ページ。 このカタログは、ページの役割分担が曖昧で、各ページに、イメージ写真と、機能説明が混在しています。 この野菜の写真は、思い切りましたねえ。 「車のカタログに、なんで、野菜だ?」という意見も出たと思うのですが、そこを押し切れたのは、80年代の文化レベルの高さを物語っていると思います。

  セピア色の写真2枚で、今井さんが食事をしていますが、食べているのは、普通の料理のようです。 テレビCMの第3弾、夏の海水浴場バージョンに、今井さんが海産物を食べている場面が入っていますが、そちらからカットして来た写真ではないわけだ。 このカタログが作られたのは、1985年なのに対し、CM第3弾は、翌86年ですから、同じなわけはないんですな。

≪写真4≫
  グレードのページ。 ここにも、イメージ写真が入っていますが、今井さんではなく、外国人モデルが、複数、出ています。 グレードは、上から、「G」「M」「F」とあり、それぞれ、4MTと、ホンダ・マチックの区別、エアコン有無の区別がありました。 全て、ボン・バンで、乗用タイプは、なし。


  このカタログ、写真やレイアウトは優れているのですが、文章が、珠に瑕。 奇妙な和製英語が大量に使われていて、大変、鬱陶しいです。 「ペンタストリーム・シェイプ」、「ピステ・フェイス」、「スリットアイ・ウインドウ」などなど・・・。 分からんがな。 そういや、80年代半ばは、ポップス、ロックの楽曲にも、やたらと、英語歌詞を入れるのが流行りましたねえ。


  うちの母は、1986年に、50歳で免許を取り、同年10月に、このトゥデイを買いました。 18年間も乗って、2004年10月に、廃車。 うちにあったトゥデイの思い出に関しては、いずれ、別の記事で紹介します。



【ゆうメールで、初代ミラ中期型簡易カタログ】

≪写真上≫
  1月末に、ヤフオクで、スタート価格100円だったのを、セコい競り合いの末に、150円で落札したカタログが、2月1日に届きました。

  普通の茶封筒です。 宛名は、コピー用紙で隠してあります。 青森県青森市から発送されたので、静岡県沼津市まで、3日間もかかりました。 封筒の裏に、差出人の住所氏名はなし。 中にも、送り状のようなものはなく、極めて、ドライ、且つ、事務的に処理されていました。 まあ、ヤフオクの取引は、それでいいと思いますけど。 別に、これから、友達づきあいしようというわけではないのですから。

  送料300円でしたが、この金額は、ゆうメールの最小サイズのものではありません。 普通サイズのカタログは、A4より、幅が一回り大きいから、最小サイズでは、収まらないんですな。 ちなみに、A4のカタログなら、送料180円で届きます。

≪写真中≫
  封筒の中身。 品物は、「初代ミラ中期型・簡易カタログ(ピンク)」ですが、それについては、いずれ、改めて、紹介します。

  ダンボール板をベースにして、プチプチ・ビニールで、カタログを挟み込んでありました。 こういう梱包だと、雨水を被ったら、浸水する恐れがありますが、この時は、無事でした。 梱包方法は、人によって違っていて、完全防水になっているのは、稀です。 だけど、配送中に濡れる事は、まずないのであって、濡れるとしたら、郵便受けに入れられた後ですな。

  こういう、折れ対策に、ダンボール板が入っている郵便物は、普通の郵便受けでは入りません。 かといって、手渡し方式ではないので、玄関まで持って来てくれる事はなく、配達する側も困ってしまいます。

≪写真下≫
  で、物置にあった、未使用の蓋付きゴミ箱を、「大型郵便物用郵便受け」に仕立てました。 写真は、プレハブ離屋にしまってある様子。 この箱を、門扉の所に置いて、小さい方の注意札を、郵便受けに掛け、大きい方を、箱の上に貼って、待っていたら、ちゃんと、入れてくれました。

  盗難の恐れがないでもないですが、小包や宅配荷物ならともかく、人の家に届いた郵便物を盗んでも、あまり意味がないから、それほど、神経質にならなくてもいいような気がします。 こまめに確認して、届いたら、すぐに取り込む程度の注意は必要ですけど。


  この種の郵便物を、水濡れや、折れといった、損傷なしに受け取る、最も安全な方法は、「局留め」だと思いますが、まだ、試していません。 




  今回は、ここまで。 この計画関連の写真記事、ストックが、どの程度あるのか、まだ調べていないのですが、たぶん、次回も、この続きになると思います。

2018/10/07

読書感想文・蔵出し (43)

  読書感想文です。  今回は、横溝正史作品のみ。 感想のストックがなくなるので、感想文・蔵出しは、今回までで、終わりです。 今現在も、清水町立図書館に通って、横溝作品を借り、読み続けています。 まだまだ、ある様子。

  三島市立図書館には、もっとあるのですが、清水町に比べると、うちからの距離が2倍くらいあり、自転車ではきつい。 清水町にある本は、極力、そこで借りたいものです。

  というか、横溝作品を、沼津の図書館が揃えていないという、それが、奇妙です。 全くないわけではありませんが、貧弱極まりない冊数。 どこかの出版社が、全集を出すのを待っているんですかね? いや~、今から、全作網羅の全集は出そうにないと思いますけど・・・。




≪塙侯爵一家≫

角川文庫
角川書店 1978年2月/初版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 これの前に借りた≪びっくり箱殺人事件≫と同じく、「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプが押してあります。 購入された日も同じだった模様。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 ちなみに、その頃の本でも、角川の「鳳凰マーク」は入っています。 中編を、2作品、収録。


【塙侯爵一家】 約150ページ
  発表は、古くて、1932年(昭和7年)の7月から、数回かけて、雑誌「新青年」に連載されたもの。 「新青年」は、作者自身が、かつて、編集者をしていた雑誌です。 古いと言えば古いですが、本場イギリスでは、1920年頃から、長編推理小説の黄金期に入っていた事を考えると、かなり後とも言えます。 「塙」は、主人公の姓ですが、「はなわ」ではなく、「ばん」と読みます。 「侯爵」は、爵位の中では最も高い身分。


  ロンドン留学中に挫折し、死のうとしていた青年画家が、畔沢大佐という人物に拾われ、顔が瓜二つの侯爵家令息、塙安道になりすます事になる。 大佐と共に帰国すると、その周囲で、塙侯爵の刺殺事件を筆頭に、様々な怪事件が起こる。 大佐は、策を弄して、自分が連れ帰った青年を、侯爵の跡取りに据えようとするが・・・、という話。

  戦前の横溝作品は、草双紙趣味のものばかりだと思っていたので、この作品には、驚きました。 大変、リアルな描写で、戦後に書いた作品と言われても、分かりません。 ストーリー展開も、洗練されていて、泥臭いところは、皆無。 間違いなく、翻訳文学の影響を強く受けていると思われます。

  話も面白いです。 すり替わり物なわけですが、一捻りしてあって、よほど、推理小説慣れした読者でなければ、素直に騙されると思います。 強いて、欠点を探すなら、青年の方はいいとして、大佐の方が、策士のように描かれている割には、さほど、策に長けていないのが、期待外れといったところ。 しかし、大佐がこういう人でないと、青年の方の謎が成立しないから、致し方ありませんな。


【孔雀夫人】 約120ページ
  1937年(昭和12年)7月から、9月まで、雑誌「新女苑」に連載された作品。 実業之日本社の雑誌で、1937年から、1959年まで、若い女性を対象に発行されていたらしいです。 戦争を跨いで生き残った雑誌というのは、珍しいのでは? 女性が読者だったからでしょうか。


  新婚旅行でやってきた熱海で、新郎が、恩師の妻を崖から突き落として殺したという嫌疑で、逮捕されてしまう。 夫の無実を信じる新婦の為に、新婦の先輩に当たる女性と、その夫の新聞記者が、自分達の人脈を巧みに使って、事件の真相を解き明かして行く話。

  これは、驚いた。 昭和12年に、素人探偵物ですぜ。 いや、ピーター・ウィムジイ卿のように、本場イギリスの推理小説では、すでに出ていたわけですが、この作品では、別に、探偵が趣味ではない、本物の素人が、探偵役をやっていまして、素人探偵物としては、より、純度が高いです。 惜しむらく、夫の職業が新聞記者というのは、有利すぎるか。 それにしても、横溝さん、新聞記者が好きだな。

  以下、ネタバレ、含みます。

  これも、すり替わり物なのですが、すり替わっている事は、割と簡単に見抜けます。 死体の顔が潰れていたというのは、すり替わり物のお約束ですし、それより何より、題名にもなっている孔雀夫人その人が、早々に死んでしまったのでは、話にならないからです。 すり替えられた女性は、気の毒ですなあ。 その彼氏も、気の毒な結末になるのですが、筋は通るものの、人命を軽く考えているような感じがして、読後感は、あまり良くありません。

  新郎が罠にかけられるわけですから、謎は、もちろん、あるわけですが、紙数が少ない割には、欲張って、トリックも盛り込まれています。 時間的なものと、機械的なもので、そんなに凝ってはいませんが、発表当時、探偵小説を初めて読んだ若い女性達なら、大いに、ゾクゾク感を味わえたのではないでしょうか。 

  このストーリー、雰囲気的には、2時間サスペンスそのものです。 時代を現代に移し、エピソードを足して、膨らませれば、基本的な部分はそのままで、2時間サスペンスになると思います。 痴情の縺れ、怨恨、素人探偵、観光地、罠、トリック、どれを取っても、2時間サスペンスの要素ではありませんか。



≪夜歩く≫

角川文庫
角川書店 1973年2月/初版
横溝正史 著

  うちにあった本。 所有者は、母ですが、元は、製本会社に勤めていた父方の叔父が、母への土産に持って来たもの。 カバー・イラストは、杉本一文さんですが、旧版の方です。 ≪夜歩く≫に限っては、旧版の方が、絵が優れているような気がします。 内容を分かり易く表しているのは、新版の方ですけど。 ちなみに、本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙。 扉に、角川の鳳凰マークがありますが、今の形ではなく、もっと古いです。

  発表は、前半が、1948年(昭和23年)「男女誌」2月号に掲載。 後半が、1949年(昭和24年)「大衆小説界」6月号から、12月号に連載されたものだそうです。 戦後作品なので、金田一が出ます。 東京と岡山が舞台で、東京の方に、等々力警部は出ませんが、岡山の方では、磯川警部が出て来ます。 ただし、全く、何もしません。


  大名家の末裔と、その家老の末裔が住んでいる屋敷で、一人の男が、首を切り取られて殺される。 体の特徴が共通しているせいで、大名家の息子なのか、その妹の交際していた男なのか分からない。 凶器と思われる刀は、殺害時刻より前に、金庫にしまわれていて、取り出せなかったにも拘らず、後で調べてみると、刃に血がべっとりついていた。 世間が騒ぐのを嫌って、本宅がある岡山に居を移すと、そこでも、殺人事件が起こり、女の首なし死体が発見される。 家老の家の当主に依頼された金田一が、意外な犯人を炙りだす話。

  題名の≪夜歩く≫は、家老の家系に遺伝している夢遊病が、モチーフになっているから。 ただ、モチーフの一つに過ぎず、メインの謎やトリックとは、直接、関係はないです。 ディクスン・カーにも、同名の作品がありますが、共通点は、全く見られません。 共通点があるのは、アガサ・クリスティーの、≪アクロイド殺し≫の方ですな。

  分類するなら、「首なし死体もの」という事になります。 あまりにも多くの探偵小説作家、推理小説作家が、同じタイプの話を書いて来たから、新鮮さを感じない読者も多いと思いますが、私は、面白いと思いました。 首がないせいで、死んだ人間が誰か分からなかったのが、後になってから、新証言が出て来て、特定されるという流れが、妙にゾクゾクします。

  メイン・トリックと、メインの謎は、「首なし死体もの」なんですが、それより何より、この作品を読んで、最も特徴的と感じるのは、≪アクロイド殺し≫と、同じ方法で、読者を欺いている点でしょう。 「フェア・アンフェア論争」を引き起こした手法なのですが、横溝氏が、それを承知で取り入れたのは疑いないので、確信犯的なパクリですな。

  しかし、大坪直行氏による解説では、その事に全く触れておらず、「首なし死体もの」としての分析だけが施されています。 ≪アクロイド殺し≫が、あまりにも有名なので、確信犯的なパクリに、わざわざ、言及するまでもないと思ったんでしょうか。 私としては、そちらの方が、百倍くらい、気になるんですが・・・。

  カテゴリーとか、パクリとか、そういう書き手側の事情を一切気にせずに読めば、充分に面白いです。 夢遊病、大きな洋館、大きな日本家屋、広い庭、裏山の滝と、ビジュアル的に、大変、いい雰囲気。 謎もトリックも盛りだくさんで、サービス精神に満ち満ちています。 凝り方の度が過ぎて、些か、軽い感じがしないでもないですが、事件の方は、陰惨極まりないから、これを重く書いたら、暗くて、読めたものではなくなってしまったでしょう。



≪白と黒≫

角川文庫
角川書店 1974年5月/初版 1975年12月/8版
横溝正史 著

  うちにあった本。 所有者は、私。 もう、大昔ですが、1995年9月頃に、沼津・三島の古本屋を回って、横溝正史作品を買い漁った事があり、その時に買った内の一冊です。 買った直後に、一度読んでいます。 歳月は流れ、引退後、2015年に、手持ちの横溝作品を読み返したのですが、その時、≪夜歩く≫と、≪白と黒≫は、読みませんでした。 ≪夜歩く≫は、話を覚えていると思い込んでいたから。 ≪白と黒≫は、長い上に、東京郊外の団地が舞台で、あまり、面白くなかったような記憶があったからです。

  カバーは、杉本一文さんの絵。 本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙で、扉に角川の古い鳳凰マークがあります。 一ページ、破れて、分離していましたが、欠けてはいなかったから、読むのに支障はありませんでした。 私が破ったとは思えない、前の持ち主が破ったんでしょうが、なぜ、最初に読んだ時に、直さなかったのだろう?

  発表は、1960年11月から、1961年12月まで、共同通信系の新聞に連載されたとの事。 一年以上ですか。 長い連載ですなあ。 読者も、しばらく出て来なかった登場人物を、忘れてしまって、困ったでしょうねえ。 そうか、新聞連載だったせいで、本筋から逸脱して、緊張感が途切れる部分が多いのだな。


  東京郊外、全20棟になる予定で建設途中だが、すでに、入居が進んでいる団地の中で、他人の家庭内の事情について中傷する怪文書が出回る。 被害者の一人が、知り合いの金田一耕助に相談をもちかけた、正にその日、建設中の棟のダスト・シュートで、上半身が熱いタールに埋もれた女の死体が発見される。 団地に隣接する商店街で洋裁店を営んでいたマダムの身元調べを軸に、団地住人の複雑な相関関係が明らかになって行く話。

  昔の文庫の文字サイズで、530ページ近くあり、とにかく、長いです。 最初の死体が発見されてから後は、7割くらいが、関係者への聞き込みで埋められています。 こういうのは、読んでいて、疲れるんですわ。 カーの作品にも、聞き込み場面ばかり、延々と続くものがありましたが、誰が書いても、聞き込み場面は、読むのが、しんどいです。

   中盤辺りまでは、ダラダラで、どうにも、持て余す感じ。 高校教師と、その婚約者の絡みは、まるっきり、サラリーマン小説の雰囲気ですし、若者4人の、池の畔でのピクニックは、青春小説そのもの。 「もしや、推理小説ではないのではないか?」と疑いたくなって来ますが、その後、池を浚う場面になると、急に、緊張感が出て来て、ぐんぐん盛り上がり、後は、最後まで、一気に読ませます。

  もしかしたら、書いている方も、中盤までは、一日分とか、一週間分とか、途切れ途切れに書き、それ以降は、一気に書いて、後から日割りしたんじゃないでしょうか。 そう思ってしまうほど、展開の速さに違いがあります。

  以下、ネタバレ、含みます。

  殺人の動機と、死体が発見された状態に、脈絡がなくて、それが、捜査を混乱させるわけですが、≪犬神家の一族≫で使われた、「殺した人間と、死体を片付けた人間が異なる」というパターンでして、読者側で、その事に気づける人は、まず、いないと思います。 読みながら、推理するのを楽しみにしている人には、不向きな作品ですな。

  ただし、殺人犯の登場は早くて、しかも、全編に顔を出し続けますから、誰が殺人犯かだけなら、読者によっては、見当がつくかも知れません。 読み終わってから、要所だけ、もう一度、読み返すと、殺人犯が、合理性が窺えない、奇妙な行動を取っている事が分かります。 だけど、私程度の推理小説読者では、とても、見抜けませんでした。

  タイトルの≪白と黒≫ですが、白は女性同士、黒は男性同士という事で、同性愛を表しているとの事。 今は、そういう表現をしないので、全く、ピンと来ません。 また、今では、同性愛者だからと言って、批判される時代ではなくなっており、この話の一部の動機は、成立しなくなっています。 あくまで、1960年頃の話という条件付きで、読むべき小説です。



≪壺中美人≫

角川文庫
角川書店 1976年7月/初版 1976年9月/2版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 寄贈本で、「清水町公民館図書室 昭和56年4月7日」のスタンプが押してあります。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作、短編1作の、計2作品を収録しています。

  映画、≪犬神家の一族≫が封切られるのは、1976年10月ですから、横溝正史ブームが始まる直前に出た本だったんですねえ。 寄贈された昭和56年というのは、1981年で、ブームが終わった頃です。 なるほど、手放した理由が、分かり易い。 【壺中美人】 約204ページ
  1960年(昭和35年)9月に、刊行されたもの。 元は、1957年(昭和32年)の9月に発表された、≪壺の女≫という短編だったらしいです。 短編を長編化したわけですが、一冊の本にするには、ちと短いです。 東京が舞台の話は、膨らませ難いのかも知れません。


  変態趣味のある画家が、自宅離屋のアトリエで殺された夜、住み込みの家政婦が、買い入れられたばかりの壺に、若い女が入り込むのを目撃する。 壺入りの芸を見せる芸人が疑われる一方、入籍したばかりの画家の後妻に遺産が行く事が分かり、金田一と、等々力警部一味の捜査によって、変態画家の周囲に出来上がった、入り組んだ性の相関関係が、明らかになる話。

  横溝正史さんの創作技法として、まず、死に方・殺し方・死体の発見され方などに、奇怪な情景を創造し、それを生かす形で、ストーリーを組んで行くというものがあります。 だから、映像化した時に、大変、印象的な場面が出来上がるわけですな。 この作品は、間違いなく、「壺入り」の芸を見て、そこから作って行ったものと思われます。

  しかし、壺入りの芸そのものは、事件の内容とは、関係がないです。 何とか、関係づけようとして、うまくいかなかったという感じ。 壺に入る若い女と、口上を担当する中年男がコンビを組んでいるのですか、二人とも、画家夫婦との関係が取って付けたようで、特に、若い女の方は、結び付け方が強引です。 長編に書き換える過程で、無理が出たのではないかと思うのですが、元の短編、≪壺の女≫が、どういう話なのか、そちらも読んでみないと、分かりませんな。

  トリックは、車の使い方で、それらしきものが出て来ますが、この程度では、トリックとは言えないかも知れません。 謎は、人間関係の謎で、それを暴くのが、メインの展開になります。 金田一が、割とあっさり謎を解いて、虚脱状態に入ってしまい、犯人逮捕まで描かれないのは、ちと、寂しいところ。

  同性愛が出て来て、即、変態性欲とされていますが、これも、今では、そのままでは通りませんな。 時代背景を考慮に入れて、読むべき作品。


【廃園の鬼】 約64ページ
  1955年(昭和30年)6月に、雑誌「オール読物」に掲載された作品。 短編としては、長めです。 地方が舞台ですが、旧家物ではなく、別荘・行楽地物で、そういうのは、長編にはならない傾向があります。


  信州の山中に、狂人が設計して建てた、奇妙な建物がある。 その建物の展望台から、首を絞められた女が突き落とされるのを、川を隔てたホテルから、人々が目撃する。 殺された女の夫は、ずっと年上の老学者、その前の夫は、新聞記者、更にその前の夫は、映画監督で、三人とも、同じホテルに来ていたが、全員に、アリバイがあった。 事件は迷宮入りするが、金田一は、秘かに謎を解いていた、という話。 

  ≪犬神家の一族≫に登場した、橘警部が出て来ますが、ほんの顔出し程度で、何もしません。 ただの、ファン・サービスですな。 しかし、等々力警部一味と一緒に捜査する時の金田一が、警察の一部になってしまうのと比べると、地方物は、自由度が高くて、だからこそ、迷宮入りも許されるわけだ。

  トリックが使われますが、殺人犯とは別の人間が、アリバイ工作をしたというパターンで、あっと驚くようなものではないです。 このパターン、横溝作品では、多いですな。 だけど、そちらの方は、まだ、いいんですわ。

  問題は、殺人犯の動機が、はっきり書いてない事です。 「大体、想像できるだろう」という事で、端折ってあるんですな。 いや、まあ、確かに、想像はつきますけどね。 でも、ちゃんと書いてもらった方が、読後感は良かったと思います。 もしかしたら、雑誌に掲載された時、ページ数の都合で、切ってしまったのでは? ありそうな話ですが。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪塙侯爵一家≫が、9月1日から、2日にかけて。
≪夜歩く≫が、9月3日から、6日。
≪白と黒≫が、9月6日から、12日。
≪壺中美人≫が、9月13日から、16日にかけて。

  手持ちの二冊を読み返したわけですが、清水町立図書館で借りて来る本と違うのは、カバーが付いている事。

  杉本一文さんのカバー絵は、やはり、いいですなあ。 必ずしも、話の内容と関係ない場合があるのですが、それが分かっていても、いい絵です。 今から振り返ると、この絵の文庫本が、本屋に平積みされていたのが、1970年代後半という、大昔だったというのが、信じられないくらい。 全く、古さを感じさせません。

  ちなみに、今でも、角川文庫で、横溝作品が売られていますが、カバーは、絵ですらない、ただのデザイン漢字でして、杉本一文さんの絵とは、全く比較になりません。 文字でごまかすというのは、編集者の手抜き以外の何ものでもないです。