2023/11/26

EN125-2Aでプチ・ツーリング (50)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、50回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2023年10月分。





【沼津市鳥谷・消防団第28分団】

  2023年10月3日。 沼津市・鳥谷にある、「消防団第28分団」へ行って来ました。 ネットで調べたら、先に、分団巡りをした人が、写真入りで、詳細な記事をブログに上げているのを見る事ができました。 やはり、シャッター絵が、目当ての様子。

≪写真1≫
  根方街道を、東から西へ向かうと、パッと、空間が開ける交差点に出ます。 南西角に、コンビニがある所。 その交差点を、南に向かうと、ドラッグ・ストアがあり、その南隣に、この建物があります。 敷地は、分団としては、広い方。 コンパクトに纏まった建物ですな。

≪写真2≫
  シャッター絵ですが、先に回った人が、ブログで、「写真」と書いていたので、よく見たら、確かに、写真でした。 描いているのではなく、シールのようなものを貼っているのかも知れません。 

≪写真3左≫
  建物の東側を、南北に通る道。 北の方を見ました。 赤い看板は、ドラッグ・ストアのもの。 少し行くと、根方街道と交差します。

≪写真3右≫
  同じく、南の方を見た景色。 しばらく走ると、国道1号線と交差します。 なんで、国道1号線側から来なかったのかというと、どこで、交差すればいいか、分かり難いからです。

≪写真4左≫
  建物の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトの、LED球が切れて、ハロゲン球に戻してから、初めてのプチ・ツー。 もう、買ってから、4年以上 経ったので、各部への拘りが、薄れつつあります。 LEDだろうが、ハロゲンだろうが、点いている事が分かれば、充分。

≪写真4右≫
  分団の隣の駐車場で咲いていた、彼岸花。 もう、彼岸は過ぎているんですが、まだ、盛ん。




【沼津市大塚・消防団第31分団】

  2023年10月10日。 沼津市・大塚にある、「消防団・第31分団」へ行って来ました。 千本松原を西へ向かい、原に近い所にあります。 前回が、第28分団だったのに、29、30と、二ヵ所 飛ばしたのは、その二ヵ所が、大平にあり、方向違いだからです。

≪写真1左≫
  建物。 シンプル極まりない。 屋根が片流れなのも、とことん、合理的。

≪写真1右≫
  背面から。 壁に、様々な配管が這っていますな。 どういう設備が、室内にあるのか、興味が湧くところです。

≪写真2≫
  シャッター絵。 これは、広重の、「東海道五拾三次」の中の、「原」の絵です。 青っぽいですが、最初から、こうなのか、赤が褪せてしまって、こうなったのか、不詳。

≪写真3左≫
  裏手にあった、防災倉庫。 本体の建物がシンプルだけに、入り切れない物があるのかも知れません。

≪写真3右≫
  裏手にあった、石碑。 向かって左のものには、「大古久天神」とあります。 大黒天ですな。 右の、覆いがある方は、確かめて来ませんでした。

≪写真4左≫
  千本街道。 西を見た景色。 ここは、地図で見ると、原の街の、すぐ近くです。

≪写真4右≫
  千本街道。 東を見た景色。 交通量は、そこそこ多いです。 信号が少ないので、渡る時には、よくよく、左右を確認する必要があります。

≪写真5左≫
  こういう看板が出ている分団は、初めて見ました。 団員に、看板屋さんがいるんでしょうか。

≪写真5右≫
  建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトをハロゲンに変えたので、ライトを消している時には、白っぽくなり、私好みの色合いになります。 走行中、点灯していると、逆に、黄色っぽいのですが。




【沼津市原・消防団第32分団】

  2023年10月16日。 沼津市・原にある、「消防団・第32分団」へ行って来ました。 千本街道を通って行きました。

≪写真1≫
  街の、ど真ん中にある、分団の建物。 向かって左側は、浅間神社。 右は、交番です。

≪写真2≫
  シャッター絵。 江戸時代の、町火消しですな。  素朴な疑問ですが、地方にも、火消しがあったんですかね? もちろん、火事はあったはずだから、消防組織があっても、不思議はありませんが。

≪写真3≫
  神社前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクだから、停められましたが、車だと、やめた方がいいかも知れませんな。 すぐそばに、交番もある事だし。 交番巡査は、違反切符を持っていないと思いますが、そういう問題ではなく、注意を受けるような事は、しない方が、無難。

≪写真4≫
  前の通りは、旧東海道です。 これは、東方向を見た景色。 交通量は、結構、多いです。 街なかは、信号が多いから、尚更、混みます。 一本、海側の千本街道で来たのは、それを避ける為です。



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沼津市植田・消防団第33分団】

  2023年10月23日。 沼津市の西の端、植田にある、「消防団・第33分団」へ行って来ました。 ほんとに、端。 ここまで、端だと、わけもなく、カッコ良さを感じます。

≪写真1左≫
  建物全景。 左手前、つまり、南側に、駐車場が広く取ってありますが、鎖が張ってあって、敷地内には入れませんでした。 建物側面の上の方に書いてある文字は、「火の用心」。 なるほど、それは、その通り。

≪写真1右≫
  裏側、つまり、北側から見た建物。 外階段はないんですな。 独立した物置があります。

≪写真2左≫
  シャッター絵。 半纏です。 消防団らしい。 「原」とありますが、この地域の人達は、沼津の者というより、原の者という意識が強いのかも知れません。

≪写真2右≫
  建物に取り付けられた、看板。 厚みがあるので、たぶん、電灯が入っているのでは? 夜に来てみなければ、確かめられませんが。

≪写真3≫
  建物側面の掲示板に、カレンダーと、≪ハヤブサ消防団≫のポスター2枚が貼られていました。 私は、ドラマを見なかったのですが、消防団員の方々は、もちろん、見た事でしょう。

≪写真4≫
  すぐ北を、国道一号線バイパスが通っています。 植田の交差点。 すぐ西側は、もう、富士市です。 パイパスは、流れが速いので、125ccでは、走る気になりません。 行きも帰りも、千本街道と、旧東海道を使いました。





【沼津市井出・消防団第34分団】

  2023年10月30日。 沼津市・井出にある、「消防団・第34分団」へ行って来ました。 根方街道を、西へ向かい、興国寺城址を過ぎ、井出川に架かる井出橋を渡り、次の信号交差点の、手前南側にあります。

≪写真1≫
  建物が北を向いているので、一日中、逆光。

≪写真2左≫
  シャター絵は、なし。 別に、どうしても、描かなければならないという決まりもないのでしょう。 シャッターに、除き窓が、三つあり、中に、消防車が入っているのが確認できました。 真ん中の窓の中で光っているのは、「ISUZU」のロゴ。

≪写真2右≫
  東側面。 奥行きがある建物ですな。 今までに見た分団建物の中では、一番、容積が大きそうです。 大きな文字で、「火の用心」。

≪写真3左≫
  正面側にあった、洗濯機。 使い込んでいるだけでなく、車が突っ込んだんじゃないかと思います。 蹴飛ばしたくらいでは、こんなに凹まないでしょう。

≪写真3中≫
  おお! 「消防信号」の表がありました。 第22分団だけじゃなかったんですね。 こちらは、だいぶ、錆びていますが、まだ、読めます。

≪写真3右≫
  掲示板のポスター。 モデルの人、色が褪せると、ちょっと、可哀想な感じがしますねえ。 ここでは、≪ハヤブサ消防団≫のポスターは、手に入らなかったのかな?

≪写真4≫
  建物の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトを、ハロゲン球に戻して以降、これといった、故障は、なし。 面倒なので、LED球を買うのは、やめにしました。 バッテリーがもちさえすれば、それでいいです。

≪写真5左≫
  根方街道、東向き。 分団の東側が、空き地になっているから、開放感がありますが、道路は、ここでも、狭いです。

≪写真5右≫
  根方街道、西向き。 位置的に、第33分団があった植田よりは、だいぶ、東です。 この先に、まだ、浮島地区があるので、富士市までは、まだまだ、距離があります。

2023/11/19

実話風小説 (22) 【罰当たりな男】

  「実話風小説」の22作目です。 このシリーズ、書くのがきついので、毎回、月末の〆切りが迫るたびに、げんなりしているのですが、実際に書き始めると、半日くらいで、一応、形になるので、続けて来てしまった次第。 やめたいのは、山々川々なんですが、やめると、他の記事を用意せねばならず、それはそれで、困ってしまうのです。




【罰当たりな男】

  男Aは、子供の頃から、罰当たりな奴だと見做されていた。

  幼稚園児の時、近所の共同墓地で遊んでいて、あるお墓の墓誌を足で蹴飛ばし、地面に落として、割ってしまった事があった。 一緒に遊んでいた友達が、大声を上げたので、近くの家から大人が来たが、男Aは、いち早く逃げ出してしまった。 取り残された友達が、証言したので、すぐに、犯人が誰かバレた。

  男Aの父親は、20万円弱の弁償を求められて、「子供がやった事なのに、高過ぎる」と文句を言った。 墓誌を壊された家では、弁護士に相談し、「旧状回復するのにかかる金額だから、高くない。 やったのが、子供でも大人でも、他人の財産を損壊した事に変わりはないのだから、そもそも、値切るような事ではない」と言ったが、父親は、納得しなかった。

  父親は、墓地で一緒に遊んでいた子供の家に行き、半額もつように提案した。 その家の父親は、道理に外れた事が嫌いな人で、男Aの父親を怒鳴りつけた。

「お宅の息子がしでかした事を、なんで、うちで、責任とらなきゃいけないんだ! 墓誌を力任せに蹴飛ばしたのは、誰だ? うちの息子か? そうじゃない! あんたの息子だ! ガンガンて蹴飛ばしたそうだ! うちの息子は、『やめなよ』って、止めたんだってよ! でも、あんたの息子は、『うるせー』って言って、蹴飛ばし続けたんだそうだ! それでも、うちの息子のせいか? 馬鹿も休み休み言え!!」

  激怒している様子に肝を潰した男Aの父親は、捨て台詞も言わずに、逃げ帰った。 いろんな意味で、情けない親である。 結局、弁償は、男Aの家だけでする事になった。 当たり前の事ではあるが。



  小学3年の時には、こんな事があった。 ある友達が、一緒に遊ぼうと、男Aを、自分の家に招いたのだが、その時、男Aが、水槽の金魚を殺そうとしたのである。 出された乳飲料を、「濃過ぎる」と言って、飲まず、薄めてもらえばいいものを、何を思ったか、金魚の水槽に、ドボドボ、流し込んだのだ。

  気がついた、友達の母親が、すっ飛んで来た。

「なにやってんのーっ!」

  大急ぎで、バケツに水を入れ、網で金魚を掬い出したので、死なせずに済んだ。 よその子を叱るのも、問題があると思い、男Aを帰した後で、その家に電話して、事情を伝えた。 男Aの母親は、平謝りに謝ったが、後で話を聞いた父親が、電話をかけ直して来て、こう言った。

「お宅ねえ。 金魚くらいで、何を大騒ぎしてるんですか。 時代劇、見た事ないの? 殿様の毒見で、水槽の金魚が、プカプカ浮いてるじゃないですか。 そんなの、普通の事でしょ?」

  男Aの死生観は、父親の影響が大きかったのだ。 友達の母親は言った。

「そういう考え方が、怖いです。 命をなんだと思ってるんですか? いいえ、考え方を変えろとは言いませんから、お宅の息子さんに、もう、うちの子とは、遊ばないように言って下さい」



  小学4年生の時に、同級生達と、悶着が起こった事があった。 友達という程ではないが、普段、よく話をしている男児が、いつになく元気がない。 話しかけても、乗って来ずに、生返事を返すばかり。 男Aが、しつこく、理由を訊くと、「飼っていた猫が死んだ」と答えた。 周囲にいた、5人の内、4人は、神妙な顔つきになったが、男Aだけが、「プッ!」と、噴き出した。

「なんだ、そんな事か~! おどかしやがって! あはははは!」

  他の男児が止めた。

「おい、よせよ」
「なーにが~! 猫だろ~!」

  些か、微妙な問題だが、ペットの死を経験した事がない人間だと、こういう態度になり易い。 家族同様の動物を失った痛みが、分からないのである。 子供も大人も関係ない。 もめているのを見た担任教師も、ペットを飼った経験がなかった。 事情を聞いても、男Aが悪いと判断できなかった。 逆に、飼い猫を失った男児に、「いつまでも、くよくよしてるな」などと、心ない説諭をした。

  この一件は、PTAの会合で、問題になり、担任教師が呼ばれて、ペットの命をどう考えているのか、問い質されたが、「大事なのは、人間ですよ」だの、「ペットは、殺しても、法律的には、物扱いなんですよ」だの、戯言のような答えしかしなかった。 同席していた、犬好きで有名な校長は、怖気を振るい、年度末を待って、この教師を、転勤させてしまった。

  男Aの家でも、鶏を飼っていたが、卵と肉が目当ての、家禽であり、男Aが可愛がるような事はなかった。 幼い頃、卵を取りに小屋に入って、親鶏に突っつかれた事があり、むしろ、鶏を嫌っていた。 卵や肉を食べるのは、好きだった。 家で飼っている動物を、ペットと見ているか、家畜・家禽と見ているかで、動物の命に対する考え方は、大きく異なる。 戦前生まれの世代は、ペットという概念が分からない者が多く、そういう親の影響を受けていると、戦後生まれや、それ以下の世代でも、動物の命を軽く見ている場合がある。



  小学6年の時には、こんな事をした。 やはり、同級の男児に、祖母が亡くなって、通夜・葬儀で、二日間休み、三日目に登校して来た者がいた。 祖母には、可愛がってもらったので、失ったショックは大きく、人が変わったように、落ち込んでいた。 そこへ、男Aが、声をかけたのだ。 肩を荒々しく叩きながら、笑顔で、

「なんだよーっ! 元気出せよーっ」
「・・・・・」

  小4猫事件の時の記憶がある、他の男児が、すっ飛んできた。

「よせっ! 馬鹿っ!」
「何がだよーっ!」
「いいから、余計な事を言うなっ!」
「何が余計なんだよーっ! 俺は、元気づけようとしてるだけだろーっ!」
「おまえ、人の痛みが分からないんだから、よせって言ってるんだ!」
「じゃあ、いつまでも、落ち込んでりゃいーってーのかよーっ!?」

  クラス中の人間が集まって来て、男Aを責め立てた。 しかし、男Aは、そもそも、人の痛みが分からないから、一歩も引かなかった。 祖母を失った男児は、気分を悪くし、顔色が真っ青になった。 傷ついた心の中に、土足で踏み込まれたのだから、無理もない。 保健係の女児に付き添われて、保健室へ行こうとしたら、男Aが、食ってかかった。

「逃げんなよーっ! おまえのせいで、こんな騒ぎになっちまってんだぞーっ!」

  もはや、非難囂囂である。 こんな男Aだが、クラスで鼻抓み者というわけではなく、むしろ、ムード・メーカーで、人気がある方だった。 子供の世界の人物評価など、いい加減なものなのだ。 男Aは、ムード・メーカーである事を自認していたからこそ、自分が作ろうとするムードに反し、落ち込んでいる者がいるのを、許せなかったのだろう。 余計な事を言った動機は、せいぜい、その程度のものである。

  この時は、担任が、歳の行った人で、こういう問題に、経験があった。 男Aを職員室に呼び出して、説諭を試みた。

「おばあさんが亡くなったんだから、落ち込むのは当たり前なんだ。 無理に元気づけようとしたって、本人はつらいだけだ。 時間が経たないと、駄目なんだ」

  男Aは、ハスを尖らせて、反論した。

「僕だって、おばあさん、死んでるけど、落ち込んだりしませんでした」
「Aは、おばあさんと、一緒に暮らしてなかっただろう。 家族と親戚は違うんだよ。 もし、Aの、お父さんや、お母さんが亡くなったら、普通じゃいられないだろう?」
「・・・・・」

  男Aは、理解して黙ったわけではない。 父親や母親が死ぬという事を、想像できなかったのである。



  中学生の時にも、問題行動をやらかした。 しかし、これは、本人以外は、友人3人しか知らない。 同じ部活の仲間、4人組で、自転車で、渓流沿いの穴場スポットへ、出かける事になった。 子供が自転車で行ける、ギリギリの距離である。 泊りではないが、鍋や飯盒、食材を持って行って、煮炊きして食べようというのである。

  目的地に着いたが、持ち寄った食材が、思っていたよりも少ないので、3人で、買い出しに行く事になった。 男Aが残り、先に、ご飯だけ炊いておく事に決まった。 近くの食品雑貨店で、缶詰などを仕入れた3人が、戻って来ると、打ち合わせ通り、男Aは、石を組んで、竈を作り、飯盒で、ご飯を炊いていた。 お調子者で、いい加減な人間だと思っていた男Aが、意外にも、しっかりした能力を見せたので、他の3人は、見直した。

  さて、缶詰を開けて、鍋で温めようとしたが、竈を作るのに、適当な大きさの石がない。 大きさ云々以前に、そもそも、周囲は、草叢で、石そのものがない。 男Aが作った竈の石をどこから持って来たのか、3人とも、首を傾げた。

「ちょうどいい石が、よくあったな」
「その辺にあったよ。 ちょうど良くな。 ふふふ」

  男Aの態度が、思わせぶりなので、不可解に思い、長辺40センチくらいの石を良く見たら、なんと、浮き彫りの人の形が見えるではないか。

「あっ! こりゃ、お地蔵さんじゃないか! おまえ、地蔵を持って来たのか!」
「1個だけな。 他の4個の石は、川原まで下りて、拾って来たんだよ」
「1個だけとか、そういう問題じゃないだろ!」

  大慌てで、飯盒を下ろし、地蔵を取り出したが、背中側が、真っ黒に焦げて、見るに耐えない有様。 3人で、地蔵を、川原へ運び、川の水で洗ったが、焦げ痕は、ほとんど、落ちなかった。 地蔵を運び戻した3人は、男Aに詰め寄った。

「どーすんだ、これ!?」
「どーもしねーよ。 このまま、置いときゃいーんじゃねーの」
「そうは行くか! 犯罪になっちまうぞ!」
「それじゃ、逃げるしか ねーな。 わはははは!」

  で、どうしていいか分からず、元の場所に戻すだけは戻し、食える物だけ、大急ぎで食ってから、本当に、逃げたのである。 焦げた地蔵は、数日後に、村人の発見するところとなり、「罰当たり! キャンパーの仕業か?」という見出しで、地方新聞に取り上げられた。 「近くの食品雑貨店で、数日前に、缶詰を買いに来た中学生3人が目撃されている」と、記事に書かれた。 しかし、男A達の中学は、20キロも離れていたので、警察の捜査が及ばなかった。

  懲りた3人は、それ以後、男Aと、遊びに行くのをやめた。 彼らは、男Aについて、語りあった。

「罰当たりも罰当たりだが、地蔵を作った人や、拝んでいる地元の人の気持ちなんて、全く考えていないんだよ、あいつは。 でなきゃ、あんな事、できないよ」



  さて、将来が思いやられた男Aだが、それ以降は、この種の問題を起こさなかった。 自分自身は、もちろん、周囲にも、死の影が遠く、弔い事や、宗教関係の物事に関わる機会がなかったからである。 死生観に問題がある以外は、まあまあ、普通の人間だったわけだ。

  高校は、地域の中程度のところを出た。 大学も、無名私立だが、一応、出た。 運送会社に就職し、物流倉庫に配属された。 大卒でも、無名校なので、仕事は、高卒と同じ、現場作業だった。 出世とは無縁。 35歳を過ぎても、ただの作業員として、勤めていた。 25歳の時に、職場結婚して、すぐに、子供が出来た。 男の子と女の子の二人。 家族四人で、傍から見れば、まずまず、幸せそうな家庭だった。 

  男Aの妻は、夫に、違和感を覚える事があった。 妻方は、母親が他界していたので、毎年 お盆に、家族で寺へ、墓参りに行っていたのだが、その時に見せる、夫の態度が、おかしかったのである。 どうも、男Aにとって、墓参りとは、「掃除して、花を供えて、線香を上げる」だけの事のようなのだ。 妻は、実の母親が眠っているので、手を合わせて、心の中で、母親に話しかけているのだが、男Aの方は、線香を上げ終わると、子供達に向かって、

「ハイ、ナムナム! 墓参り、完了! さあ、どこで、昼飯、食べようか!」

  といった調子なのだ。 妻にしてみると、なんだか、自分の母親を蔑ろにされたようで、衝撃的に、不愉快だった。 夫を無視して、子供に指図し、一緒に拝ませていると、男Aは、クスクス笑いながら、妻の腕を、自分の肘で押した。

「なに、真剣に拝んでんだよ?」
「いいから、ほっといて。 あたしは、お母さんに話があるんだから」
「・・・・。 馬っ鹿じゃねーの? おふくろさん、死んでんだぜ。 話しかけても、返事 ねーだろーが」

  ゲラゲラ、笑い始めた。 男A、35年間生きても、全く、成長していないのである。 妻は、そういう夫に、ゾーッとしたが、離婚するほどの事ではなかった。 ただ、ある年以降、夫を墓参りに連れて行く事をやめた。 自分と子供達だけで出かけ、子供達には、先祖を大事に思うように、指導した。 夫の悪影響を恐れたのだ。



  妻が、もう一つ、ゾーッとしたのは、夫が、動物の命を、何とも思っていない点だった。 一度、引っ越しをしたのだが、引っ越し先のアパートを探す時に、ペット可の所が少ないというので、男Aが、妻が独身時代から飼っていた小型犬を、保健所へ連れて行ったのである。 仕事から帰った妻が、犬の姿が見えないので、探していると、男Aが、事もなげに言った。

「今日、保健所に持ってったよ」
「なんだってえーっ!!」

  大慌てで、保健所へ車を飛ばし、職員に、間違いである事を、繰り返し説明した。 職員は、男Aが、犬を連れて来た時の様子を話した。

「苦しまないように、処分してやって。 苦しんだと思うと、女房が俺を逆恨みするからよー」

  その程度の考え方なのである。 職員は、男Aの妻に、

「旦那さんが、ああいう人で、大丈夫ですか?」

  と、胡散臭そうに訊いたが、とにかく、処分されてはたまらないので、何度も頭を下げて、引き取って来た。 男Aは、犬を連れて帰った妻を見て、眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。 男Aにしてみると、妻に代わって、嫌な役を引き受けてやったのに、自分の骨折りを台なしにされた気分だった。

「どーすんだよ、それ! いい場所に、ペット可のアパートなんて、見つからないぞ!」
「どんなに場所が良くても、アパートを、犬の命と、引き換えにしたり、し!な!い! 二度と、こんな事はするな! 分かったか! 命をなんだと思ってるんだ!!」

  この時点で、妻から見た、男Aの信用は、ゼロになった。 子供達が成長し、結婚したら、夫とは離婚しようと決めた。



  男Aの父親が死んだ。 男Aが、大学進学で家を出てから、父は、母と二人暮らしだったのだが、不摂生が祟ったか、60代半ばで、肝臓癌になり、肺に転移するや、瞬く間に広がって、入院後1ヵ月もしない内に、世を去った。 まあ、それは致し方ないとして・・・。

  男Aは、父親の葬儀の為に、一週間、仕事を休んだ。 8日目に、出勤すると、香典をくれた同僚や上司に、香典返しの海苔とタオルを、配って回った。 受け取った人達は、大体、似たような反応を示した。 適当な言葉が見つからず、

「ああ、どうも。 ご丁寧に。 大変でしたね」

  といった言い方。 15人ほど いたのだが、みんな、同じだった。

「お力落としのないよう」

  と、付け足した先輩が、一人。 普段、ため口で話している人だったので、丁寧な言葉を使ったのが、意外だった。 こういう、改まった言葉を聞くと、普段の男Aなら、噴き出してしまうのだが、この時は、なぜか、笑えなかった。 当然だ。 死んだのが、自分の父親だったからだ。 男Aは、大学進学以降、ほとんど、無視して来た父親が、意外に早く亡くなった事で、柄にもなく、動揺していたのである。

  男Aにとって、身近な者の死で動揺するというのは、35歳にして、初めての経験だった。 ならば、過去に自分が、他人を傷つけて来た事を思い起こして、大いに反省したかというと、そうではない。 他人の痛みなんぞ、相変わらず、分からないのだ。 この世で自分だけが、父親を失って、傷つく人間なのだと、そう思っていた。

  仲の良くない同僚がいた。 同期入社のB氏である。 ほんの一時期だが、同じ部署で仕事をした事があり、その時、男Aが、いい加減な事をやったのを、周囲が、「いつもの事だ」と、見逃したのに、真面目なB氏だけが、問題にして、上司に報告し、修正させたのである。 客観的に見れば、B氏の行為は、当然の事だったが、男Aは、B氏を秘かに恨んでいた。

  食堂へ行く通路で、そのB氏と、ばったり出会った。 B氏は、男Aの父親が亡くなった事を聞いていて、男Aと顔を合わせると、立ち止まり、頭を下げて、言った。

「ああ、Aさん。 御愁傷様です」

  B氏からは、香典をもらっていなかった。 今は、違う部署で働いているのだから、それは、おかしくない。 しかし、男Aは、元々、B氏を恨んでいた上に、香典をよこさないのが気に入らないのも重なって、この挨拶に、カチンと来た。

「なんだとお? なにが、ごしゅーしょーさまだ! ナメてんのか!」

  なんと、B氏を殴ったのである。 周囲にいた人達は、ビックリした。 なんで、「御愁傷様」と言って、殴られるのか、誰も分からなかった。 B氏は、大きく、よろけたが、何とか、倒れるのは免れた。

「なにすんだ!」
「馬鹿にしやがって!」

  男Aは、そのまま立ち去り、食堂へ向かったが、腹が立って、何も食べる気にならず、売店で、魚肉ソーセージだけ買って、職場へ戻った。 少し落ち着いて、魚肉ソーセージを齧っていると、直属上司の係長がすっ飛んできた。 上司と言っても、男Aより年下である。

「おい、Aさん! あんた、Bさんを殴ったのか!?」
「おう! ナメた事 言いやがったから、ぶっ飛ばしてやったよ。 わはははは!」
「何やってんだ! 大問題になってるぞ! すぐ、会議室に来て!」

  重役の一人が、暴行の現場を、すぐ近くで見ていて、大いに驚き、B氏に事情を訊いたが、なぜ、殴られたのかが分からない。 男Aの上司に当たる部長に話を持って行ったが、やはり、理由が分からない。 で、係長を通して、男A本人が、呼び出されたのだ。

  係長の後について、会議室に向かう間、男Aは、憮然としつつも、時折り、不敵な笑みを浮かべていた。 「殴った事が問題になるのなら、その前に、Bが俺を馬鹿にした事も問題にできるはずだ。 名誉毀損で訴えると言ってやれば、黙るだろう」などと、考えていた。

  会議室には、重役と部長が待っていた。 部長が、男Aに訊いた。

「なんで、殴ったんだ?」
「Bが、私を馬鹿にしたからです。 私だけでなく、先週死んだ父の事も、馬鹿にしたんです」
「B君は、何て、言ったんだ?」
「『ごしゅーしょーさまです』と言いました」

  その場にいた、男Aを除く3人が、首を傾げた。

「『御愁傷様です』が、どうして、馬鹿にされた事になるんだ?」
「だって、映画やドラマで、遺族の敵が、遺族に向かって、馬鹿にして、言うじゃないですか。 『ごしゅ~しょ~さま~っ!』って」

  男Aは、憎々しげに、唇を突き出し、嫌味たっぷりな口ぶりで、言って見せた。 部長が、重役に訊いた。

「B君は、そういう言い方をしたんですか?」
「いやあ。 お悔やみに相応しい、厳かな言い方だったよ」

  ちょっと間があって、何かに気づいた部長が、男Aに言った。

「まさかとは思うが、おまえ、『御愁傷様』が、お悔やみを言う時の決まり文句だって事を知らないのか?」
「・・・・・。 そうなんですか?」
「そうだよ! なんで、そんな常識的な事を知らないんだよ! おまえ、一応、大卒だろうが!」

  3人とも、呆れてしまった。 男Aは、弔い事に興味がなく、たまたま、身近に弔い事もなく、社交辞令の言葉がある事を、知らなかったのである。 男Aの顔が、青くなって来た。 ようやく、大失態をやらかした事に気づいたらしい。

  重役が言った。

「B君は、奥歯が折れたらしいぞ。 分かってるか? これは、傷害事件なんだぞ」
「あのう・・・、そのう・・・・」
「『御愁傷様』を知らなかったじゃ、言い分けにならんだろう。 警察に連絡するから、クビを覚悟しておけ」


  B氏の奥歯は、2本も折れており、先の人生の事を考えると、甚大な被害と言えた。 男Aは、部長から、「とりあえず、謝って来い!」と言われて、慌てて、医務室にいるB氏の所へ行った。 B氏は、産業医と、奥歯の治療方法について、話をしていた。 男Aは、話が終わるのを待っていたが、途中で、口を挟み、「インプラントは高いからよせ。 ブリッジか、部分入れ歯にしろ。 保険が利くから!」と言ったところ、B氏から、ギロリと睨みつけられた。 「失せろっ! 犯罪者っ!」と、怒鳴りつけられ、追い返された。 まあ、B氏の怒りは、当然だな。

  傷害罪の方は、初犯だったので、執行猶予が付いたが、会社の方は、そうは行かなかった。 社内規定に、「刑事訴訟の被告となり、有罪判決を受けた者は、解雇する」とあり、過去に前例も幾つかあったので、それに従って、処分された。 懲戒解雇である。 重役が目撃していた点は、運が悪かったと言えないでもないが、それ以前に、衆人環視の中で、暴行を加えるというのは、そういう結果を招く行為なのだ。

  男Aの妻は、話を聞いて、頭がクラクラし、しばらく、寝込んだ。 離婚計画を前倒ししようかと思ったが、子供が、まだ小さいので、なかなか、踏ん切りがつかない。 この もたつきが、後々、地団駄踏むほど、悔やまれる事になるのだが、先の事は、予測がつかないものである。



  男Aは、ハロー・ワークに通ったが、懲戒解雇の前歴があると、雇ってくれるところはなかった。 半年も経ってから、ようやく、ある宗教団体の、運転手の仕事にありついた。 父親の葬儀を任せた葬儀社の社員による、個人的な紹介だった。

  宗教に全く興味がなかった男Aだが、父親の死が、切り替えポイントになって、180度、死生観が転換し、父親の霊を弔う事に、心血を注ぎ始めた。 極端から、極端に振れるのは、愚かな人間の特徴である。

「今まで、俺の人生が、パッとしなかったのは、信心がなかったからだ。 他は完璧だが、信心だけが、足りなかったとも言える。 という事は、信心さえあれば、何もかも、うまく行くはずだ」

  仕事は運転手だったが、進んで入信し、瞬く間に、熱心な信者になった。 問題は、その宗教団体が、霊感詐欺を、主な収入源にしていた事である。 男Aの給料・ボーナスは、ほとんどが、教団の霊感グッズを購入する事に費やされるようになった。 家の頭金にする為に、貯めていた預金にまで、手を出した。 これには、妻が激怒したが、言って分かるような、男Aではない。

「おまえは、信心がないから、騙されていると思うんだ。 そもそも、信じなければ、救われるものも、救われないじゃないか。 こんな簡単な理屈が分からないのかっ! 馬鹿っ!」

  馬鹿は、おまえだ。 妻が、離婚を決めた時に、A家の預金は、5万円しか残っていなかったというから、惨憺たる被害状況である。 妻は、子供を連れて、実家に帰ってしまった。 男Aは、生活に困り、教団内でも、霊感グッズが買えなくなって、立場が悪くなった。

  妻の実家に押しかけ、妻の父を教化して、金を出させようと試みたが、妻の父は、しっかりした人物で、男Aが並べる屁理屈に、全て、同レベルの屁理屈で、言い返した。 ありがたい教義を説いてやれば、簡単に落とせると思っていた男Aは、へとへとに疲れてしまい、捨て鉢な態度になった。

「罰当たりな奴めっ! 地獄へ落ちるぞっ!」
「あんたがいない所なら、地獄でも極楽でもいいよ」

  これで、妻の家とは、縁が切れた。 教団に帰っても、一文なしなので、居心地が悪かった。 運転手の仕事は続けていたが、家の預金を貢いでいた頃と比べると、教団側の扱いは、月面の昼から夜ほどに、冷淡になった。



  男Aが、金属バットを持って、教団本部に忍び入り、教団内で、代表に次いで尊いとされている神像36体を、壊しまくったのは、40歳の時である。 極端から、極端に振れたのが、また、元の側の極端へ振れ戻ったのだ。 墓誌を蹴飛ばした時や、地蔵を焼いた時と、全く同じ心理に戻っていた。

  しかし、男Aは、逮捕を免れた。 教団幹部の一人に、柔道の有段者だった者がいて、あっさり、獲物を取り上げられるや、「うりゃっ!」、「そりゃっ!」、「でりゃっ!」と、連続7回、投げ飛ばされた。 受け身を知らないものだから、頭から落ちて、首の骨を折り、絶命した。 まずまず、人柄に相応しい最期と言えよう。

  警察には届けられず、教団が運営している墓地に埋められた。 小さな墓石には、「罰当たり者」と、彫られている。

2023/11/12

パソコン・ネット関連機器 ①

  日記ブログの方に書いた記事。 興が乗って、組み写真まで作ったので、こちらでも、出します。 例によって、日記の関係ない部分は、削除しています。




【2023/10/17 火】
  パソコンの電源を入れ、最初に出て来るのは、デスク・トップ画面ですが、私のパソコンの場合、放っておくと、モバイル端末の専用ページが、IEで、自動的に開きます。 なぜ、IEなのかというと、パソコンの優先ブラウザを、IEのままにしてあるからです。 実際に、ネットに使っているのは、エッジの方なので、タスク・バーのエッジ・アイコンをクリックして、エッジを開いています。


  去年の4月まで使っていた、前のモバイル端末では、もう ひと手間あり、タスク・バーのモバイル端末アイコンをクリックして、デスク・トップ画面上に、操作部を出し、その接続ボタンを押して、接続してから、タスク・バーのIEアイコンをクリックして、IEを開いていました。

  そこまでは、記録にもとってあるので、分かるのですが、その前が、分からない。 私は、2001年5月末から、パソコンと、インター・ネットを始め、最初は、ダイヤル・アップでしたが、あまりの不便さに、すぐに、コース変更して、7月初めから、フレッツADSLに切り替えました。 NTT西日本からレンタルされるモデムは、通信速度が速くなるごとに、2回変わりました。

  2010年の1月、セールスマンの口車に乗って、フレッツ光にしてしまったのですが、動画を見る事がないせいで、速さのありがたみを、実感できない割に、月5千円以上払う事に馬鹿馬鹿しさを感じ、2014年4月の岩手異動の時に、光回線そのものを、解約してしまいました。 以後は、モバイル端末に、格安SIM契約で、月千円以下でやっている次第。

  ちょっと、変遷歴を、書き出しておきましょうか。

2001年 5月 ダイヤル・アップ
2001年 7月 フレッツADSL・1.5メガ
2002年12月 フレッツADSL・12メガ
2003年 9月 フレッツADSL・24メガ
2010年 1月 フレッツ光
2014年 4月 格安SIM+モバイル端末(ドコモ・LG・L-05A)
2022年 4月 格安SIM+モバイル端末(華為・E5577)

 この、フレッツ光以前の時に、パソコン電源を入れた後、どうやって、ネットを開いていたかを、覚えていないのです。 特別なページを開くという事はなく、ブラウザのアイコンをクリックするだけで、接続できたのかも知れませんが、何らかのパソコン操作で、接続を遮断する事もできたような記憶があり、はっきりしません。

  もはや、有線接続に戻る事はありえないので、思い出す必要はないんですが、ちょっと気になりはじめると、気になってしまうんですな。 2001年から、2014年まで、13年間も、毎日やっていた作業なのに、こんなにすっかり、忘れてしまうものなんですねえ。

  接続方式が変わるたびに、どうやって、ネットに繋いでいいか分からずに、四苦八苦しました。 記録に取ってありますが、今、それを読んでも、細部の用語を忘れているので、意味が分かりません。 メール・ソフトの設定も、手こずりましたねえ。 ヤフー・メールの方が、遥かにシンプルです。

  ちなみに、私がネットを始めた2001年頃、日本の接続方式は、アナログ回線のダイヤル・アップか、デジタル回線ISDNの二つが主流で、ようやく、ADSLが出て来たというタイミングでした。 ≪天才バカボン≫のキャラを使った、「ISDN はじめちゃん」というテレビCMを、大々的に流していましたが、これが、急転直下、陳腐化するのです。

  韓国やアメリカでは、アナログ回線のADSLで、ブロード・バンドを、バンバンやっているというニュースが伝わって来て、デジタル回線ISDNより、遥かに速く、遥かに安くできるというので、NTTがせっつかれて、ADSLを始めたのです。 しかし、地方によっては、NTTが、プロバイダー・サービスをやっていない所があり、フレッツという、プロバイダーが別会社の方式を選ぶしかなく、合計、月4千円以上、払っていました。

  その後、NTTは、お得意の光通信技術で、一気に巻き返し、IT先進国に返り咲こうと、日本中に、光ケーブル網を張り巡らすのですが、またもや、方向性を間違っていたようで、世界的に、ネット利用は、パソコンから、スマホに移行し、有線の光ケーブル網よりも、モバイル通信の方が、主流になってしまいました。

  光ケーブル網には、莫大な資金がかかったと思いますが、今後、役に立つ利用法があるとは思えません。 ちなみに、5G規格は、モバイル通信の世界の話でして、有線の光ケーブル網とは、関係がないです。 NTTだけでなく、日本企業というのは、とことん、先読みが不得手なんですな。 遠く見るのも、広く見るのも、駄目。



【2023/10/18 水】
  昨日書いた、接続方式の、モデム類の変遷ですが、写真があったので、組みにして、お見せします。


≪写真1左≫
  左の白いのが、「フレッツADSL 1.5メガ」のモデムで、2001年7月から使い始めました。

  右の青いのは、「フレッツADSL 12メガ」のモデムで、2002年12月から使い始めました。 この写真は、その切り替えの時に、撮ったもの。 新しいのが、宅配で届けられた数日後に、古いのが、やはり、宅配で回収されました。

≪写真1右≫
  モデムを設置してあったのは、一階居間の押入れ天袋です。 この下に、電話機のスプリッターがあったからです。

≪写真2≫
  2002年4月から、居間にもパソコンを置くようになり、LANケーブルを分岐する為に、ハブを買いました。 バッファローの、「ブロード・ステーション」。 8500円もしました。 速度は、7.5メガで、今使っているモバイル端末の標準速度、7.2メガと大差なし。

  4つ、ポートがあります。 私の部屋、居間、父の部屋と、3ヵ所で、パソコンを使っていました。 最長10メートルのLANケーブルを、家中に張り巡らせていたのだから、今考えると、よく、あんな作業をやったものです。

≪写真3左≫
  2003年9月に、フレッツADSLを、12メガから、24メガに切り替えました。 右の青いのが、12メガ。 左の白いのが、24メガ。 函体は、同じですな。 これも、新しいのが、宅配で届けられた数日後に、古いのが、宅配で回収されました。

  ハブで、7.5メガになってしまうので、12を24に変えても、あまり意味はないんですが、3ヵ所で同時に使っている時は、少しは、速くなるのではないかと期待して、切り替えたのではないかと思います。

≪写真3右≫
  2010年1月に、「フレッツ光」に切り替えました。 セールスマンの口車に乗ってしまったもの。 100メガという触れ込みでしたが、当初、ADSLと大して違いを感じられず、料金が、千円高くなっただけ、損した気分で、ムカムカしていました。 そもそも、私は、動画を見る習慣がないので、100メガ出たとしても、意味がないのです。

  この、光用モデムには、ポートが、4つ、ついていたので、バッファローのハブは用なしになり、撤去しました。

≪写真4左≫
  2014年4月。 仕事での、岩手異動に伴い、格安SIMと、モバイル端末の組み合わせに切り替えました。 標準速度でも、7.2メガしか出ませんが、動画を見ないのなら、支障ありません。

  実家のネット設備は、父も母も、もう、パソコンを使わなくなっていたので、解約。 清々しました。 それまで、フレッツ光で、5千円以上払っていた料金が、格安SIMでは、千円以下になり、大変、満足。

  モバイル端末は、ドコモ・LG製の、「L-05A」で、アマゾンで、1780円でした。 バッテリーはなくて、パソコンからのUSB給電だけで動く優れ物。 岩手でも、もちろん、使えました。

≪写真4右≫
  2022年4月。 格安SIMの会社が、4Gにすると言うので、3G対応の「L-05A」は使えなくなり、4G対応のモバイル端末に、切り替えました。 華為製の、「E5577」。 ヤフオクで、送料入れて、2357円。

  バッテリー内臓ですが、外に持ち出すような事はなく、USBケーブルで、パソコンと繋ぎっ放しにしてあります。 パソコンの電源を入れる度に、充電されるので、当初、メモリー効果の発生が心配でしたが、一年半使っても、何でもないようです。

  右手前に写っている角ばった白い機械は、2015年8月に買った、USB切替器です。 モバイル端末を、机のメイン・パソコンと、テレビ横のサブ・パソコンで、切り替える為のもの。 パソコンは、どちらも、Windows7なので、無線でも接続可能なのですが、確実性を考慮して、モバイル端末から、パソコンまでは、有線にしています。




  以上です。

  パソコンを買い、ネットを始めたのが、2001年の春ですから、もう、22年半も経ってしまいました。 人生の3分の1は、とうに超えた思うと、もう、長いですな。 今現在、ネットなしの生活というのは、考えられないのですが、2001年春までは、何とも思わずに、そういう生活をしていたわけで、不思議な気分になります。

  ネットを使うようになって、一番、価値があると思ったのは、通販でして、特に、2012年に、クレカを使えるようになってから、買う物が増えました。 それ以前は、家電など、家電量販店でしか買えなかったのですが、値段を比較すると、ネットの方が、3割は安いのであって、今までに買った分だけでも、十万円以上、得をしたと思います。

  人づきあいも、ネット独特の世界ですが、初期の頃は、せっせと交流したものの、その後、ネット社会そのものが冷めて来て、今では、ごく少数の人としか、話をしていません。 まあ、ほんの一時期でも、全然 知らない人達と交流できたのは、幸運だったのかも知れませんな。

2023/11/05

読書感想文・蔵出し (109)

  読書感想文です。 今回は、短編集が、一作だけなので、幾分、読み易いと思います。 いよいよ、クリスティー文庫が終わり、何を読めばいいか、考え考え、図書館へ通っている次第。





≪マン島の黄金≫

クリスティー文庫 64
早川書房 2004年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子・他 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短・中編、12作を収録。 【マン島の黄金】は、コピー・ライトが、1997年になっています。 本全体のページ数は、約480ページ。 ポワロ物、クィン氏物、ノン・シリーズの寄せ集めで、作者没後に、編まれたもの。 第10、11、12話は、クリスティー文庫で追加したもの。 第1話から、第9話までは、各作品ごとに、解題(あとがき)が付いていて、以下のページ数は、それを含めたものです。


【夢の家】 約40ページ

  家柄はいいが、没落して、興味のない仕事についている青年。 社長の娘に見初められたが、その友人の方に恋してしまう。 彼女に初めて会った日の直前から、理想の家の夢を見始め、その後、10年間、見続ける話。

  よく分からん梗概ですが、よく分からん話なのです。 推理小説でも、叙情小説でもなく、ちょっと不思議な雰囲気を狙っていた模様。 夢に出て来る理想の家が、何を暗示しているのか、暈して書いてあるので、読者側で想像するしかないのですが、好きになった女性の事なのか、人生の幸福なのか、判じ兼ねます。

  ごく初期の作品で、何を書いていいか、方向性が定まっていなかったから、こういう掴みどころがない作品になったんでしょうな。 これを掲載した雑誌の編集長は、よくぞ、この作品から、クリスティーさんの才能を見抜いたものだと思います。


【名演技】 約22ページ

  目下、人気を集めている女優が、後ろ暗い下積み時代を知っている男に恐喝され、自分の演技力を全開にして、危難を乗り越える話。

  このページ数ですから、ごく軽い話です。 なりすまし物。 ヒロインが、自分そっくりの三流女優を雇うのですが、その女に、自分になりすまさせるのかと思いきや、なりすますのはヒロイン自身で、別人として登場するという、読者への目晦ましが成功しています。 佳品。 このアイデアは、他の作品でも使われています。


【崖っぷち】 約42ページ

  片思いしている男を、他の女にとられてしまったヒロイン。 たまたま出かけた先のホテルで、その女が、別の男と会っている事を知り、弱味を握って、じわじわと追い詰めて行く。 やがて、女が、思い切った行動をとり、ヒロインは・・・、という話。

  実際の崖っぷちと、心理的な崖っぷちを、引っ掛けています。 善悪バランスは取れているのですが、ヒロインと、敵対している女の善悪度は、どっちもどっちで、読者としては、どちらの立場で読んでいいのか、判断に迷います。 もやもやした読後感が残るのは、致し方ないか。


【クリスマスの冒険】 約42ページ

  ある国の王子がイギリスに持ち込んだ宝石が、遊び相手の女に持ち逃げされた。 その女が正体を隠して潜んでいると思われる屋敷に乗り込んだポワロ。 クリスマスの夕食に、皆に分けられたプディングの中から出て来た宝石を、こっそりと、ポケットに入れた。 夜半、ある男が、ポワロの部屋に忍び込んで来て・・・、という話。

  この梗概は、【クリスマス・プディングの冒険】と同じ物ですが、こちらが、元の短編で、後に、中編に書き改めたのが、【クリスマス・プディングの冒険】になります。 長さ的には、半分ですが、同じ話ですな。 子供達による、偽の殺人事件も出て来るし。 どちらで読んでも、大差ないという感じ。 わざわざ、書き改めた理由が分かりません。


【孤独な神さま】 約34ページ

  大英博物館に陳列されている小さな神像に、青年と、身なりのパッとしない若い女性の、二人だけが、興味をもった。 何度か、神像の前で会った後、求婚した青年に対し、女性は断って、来なくなってしまう。 その後、青年は、ある童話を読んで、インスピレーションが湧き、趣味で描いた絵が、有名な賞を受賞する。 その童話を書いたのが、実は・・・という話。

  恋愛物を書こうとして、ピントが定まらなくなってしまった、という態。 しかし、恋愛小説なんて、誰が書いても、大差ないような気がせんでもなし。 クリスティーさんが、この方面に行かなかった事を、感謝するしかありません。


【マン島の黄金】 約56ページ

  いとこ同士で、結婚する気でいる二人。 伯父がなくなり、一族の財産が、二人を含む、四人の相続人に遺される事になった。 伯父は、マン島の中の四ヵ所に、財産が入った容器を隠し、ヒントを元に、早い者勝ちで、探すようにと言い遺した。 四人の相続人は、勇んで、マン島に乗り込んでいくが・・・、という話。

  マン島の観光振興の為の懸賞小説でして、実際に、マン島の四ヵ所に、容器を隠し、ヒントを出して、島外の人間に探させるという催しをやったとの事。 小説としては、ヒントはあるけれど、謎解きが入っていないので、何だか、よく分からない作品になっています。 謎解きは、解題(あとがき)の中で、説明されています。

  いとこ同士の二人は、トミーとタペンスと、ほぼ同じキャラ。 しかし、ページ数的に、短か過ぎて、キャラクターを楽しむほどの内容はありません。


【壁の中】 約44ページ

  不釣合いに、美しく魅力がある女と結婚した、画家の青年。 その後、絵が評価されたが、妻の浪費癖のせいで、生活はカツカツだった。 足りないお金を、子供の世話をしている女性が出していると知り、愕然とする話。

  結末にキレがなくて、何が言いたいのか、よく分かりません。 ジャンルとしては、恋愛物の内に入るのでしょうが、どうも、クリスティーさんは、恋愛物のセオリーを、わざと崩そうとしていた気配がありますねえ。


【バグダッド大櫃の謎】 約36ページ

  ある夫妻が、パーティーに招かれたが、夫が急に行けなくなり、妻だけが出席した。 翌朝、夫が、パーティーがあった家の客間に置かれた、大櫃の中で、刺し殺されているのが発見され、その家の主が逮捕された。 主は、被害者の妻と、いい仲になっていた。 ポワロが、ヘイスティングと共に、解決に当たる話。

  短編集、≪黄色いアイリス≫に収められているのと、全く同じ作品。 感想は、そちらを見てください。 短編集、≪クリスマス・プディングの冒険≫に収められている、【スペイン櫃の秘密】は、これを書き改めて、中編にしたもの。


【光が消えぬかぎり】 約24ページ

  夫とアフリカに来た女性が、戦死したと思っていた元婚約者と出会う。 彼は、イギリスへ復員したが、顔に怪我をしていたのが理由で、身を引いていたのだった。 女性が、現在の夫と、うまく行っていないと見て、自分と結婚し直すように誘うが、女性の方は・・・、という話。 

  無謀な話で、夫婦仲が良かろうが悪かろうが、現在の夫が、すんなり、承諾するはずがないです。 カトリックでなくても、こんな計画は、うまく行かないでしょう。 元婚約者の気持ちは分かりますが、一旦、身を引くと決めたからには、こんな事は考えない方が良かったですな。

  これも、恋愛物なんですが、やはり、定石を外しています。 クリスティーさんは、よほど、ありふれた恋愛物が嫌いだったんでしょうなあ。 下司の勘繰りですが、シャーロット・ブロンテさんの、【ジェーン・エア】を読んで、カチンと来て、これを書いたのでは?


【クィン氏のティー・セット】 約62ページ

  サタースウェイト氏が、古い友人に招待され、屋敷へ向かう途中、車が故障する。 喫茶店で、修理を待っていると、クィン氏が現れて、驚く。 一緒に屋敷へ行こうと誘うが、クィン氏は、同道しなかった。 屋敷では、主が、赤色と緑色のスリッパを片方ずつ履き、色盲の家系である事が見て取れた。 そして、主の血を受け継ぐ相続人を、色盲を利用して殺そうと企む者がいて・・・、という話。

  クィン氏物の、最後の作品らしいです。 相変わらず、思わせぶりな事だけ口にして、姿を晦ましてしまうクィン氏でして、掴みどころがありません。 クィン氏物にしては、本格トリックなのは、珍しい。 本格トリックでは、クィン氏物らしさに欠けると思ったのか、最後に、幽霊が登場します。 本物の幽霊が出て来るのは、クリスティー作品では、これだけなのでは?


【白木蓮の花】 約40ページ

  夫以外の男を愛し、駆け落ちしようとした女。 大陸へ逃げるつもりで、ドーバーのホテルまで来たが、そこで、夫の会社が倒産したという新聞記事を目にし、家に帰る事にする。 夫は、会社を潰しただけに留まらず、違法行為をしており、その証拠を持っているのが、なんと、妻が駆け落ちしようとした相手の男だった。 夫に請われて、男の所へ、証拠を受け取りに行くが・・・、という話。

  これは、傑作なのでは? 恋愛物としても、一般小説としても、傑作。 非常に緻密なプロットを組んであり、あっと、驚かされます。 推理作家ならではの発想で、恋愛小説専門の作家では、こんな話は、思いつきますまい。 このレベルの作品を、いくらでも思いつく人がいたら、即、作家になれます。


【愛犬の死】 約38ページ

  亡夫の形見となった犬は、年老いて、目も見えなくなっている。 その犬の世話をしているせいで、仕事に就けず、ジリ貧の生活を送っていた女性が、ちっとも好きではないが、金はある男の求婚を受け入れようとした矢先、犬が転落事故で死んでしまう。 その時、あれこれと親切にしてくれた紳士がいて・・・、という話。 

  そこまで書いてありませんが、「たぶん、その親切な紳士と、いずれ、結婚する事になるのだろうなあ」と、匂わせて、終わります。 恋愛小説ではなく、犬を看取った事がある人に向けた話。 動物を飼った事がない人には、全く分からない世界です。

  「犬は、ヒロインが、紳士の家に勤め始めた後に、死ぬ設定にした方が良かったのでは?」と思う読者もいると思いますが おそらく、クリスティーさんとしては、「犬が取り持った縁」という、月並みな、「お話」、もしくは、「物語」になってしまうのを避けて、現代小説らしくする為に、犬の役割を少し減らしたのでしょう。




≪女探偵物語 -芹沢雅子事件簿≫

六興出版 1990年6月20日/初版
林えり子 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 推理小説かと思って、借りて来たんですが、探偵業の実録小説でした。 短編相当の長さで、11作を収録。 

  いわゆる、創作小説ではないので、個別の感想は書きません。 目次だけ、引き写しますと、

【網棚の帽子を追え】   昭和17年・春
【観測船密輸事件】    昭和22年・初秋
【にんじん色の髪を追え】 昭和23年・初夏
【怪しきパーティ】    昭和24年・秋
【富豪令嬢誘拐事件】   昭和25年・春
【訴えた女】       昭和27年・初夏
【多久島事件の真相】   昭和31年・夏
【マンボズボンの幽霊】  昭和31年・秋
【赤いダリアの告白】   昭和33年・初秋
【スチュワーデス殺人事件】昭和34年・初夏
【雅子探偵団、駿河へ】  昭和35年・師走

  年代が遠過ぎて、西暦に換算しても、ピンと来ないと思いますが、昭和20年が、1945年で、戦争が終わった年です。 つまり、戦前の話から始まっているわけですな。 概ね、日本の社会情勢の混乱期です。

  主人公の、芹沢雅子さんは、実在した人物で、日本初の、事件専門探偵だったとの事。 探偵社に勤めており、部下を使って、バリバリ、仕事をこなしていたのだそうです。 昭和35年に引退するのは、息子の嫁に双子が生まれ、その世話で忙しくなって、探偵どころではなくなってしまったからとの事。 

  実録なので、はっきり言って、読み物としては、面白くないです。 しかし、「探偵の仕事とは、こういうものか」と、勉強にはなります。 昔の事なので、盗聴器はもちろん、カメラすら出て来ませんが、そういった小道具よりも、基本的な探偵術が描かれています。 「足」、「勘」、「粘り強さ」、「社会経験」といったもの。

  【マンボズボンの幽霊】と、【赤いダリアの告白】の2作だけは、毛色が変わっていて、戦前の探偵小説的な、モチーフと、ストーリー展開が盛り込まれています。 実録である事を知らなければ、創作だと思ってしまうところです。 「事実は小説より奇なり」を地で行ったような話。

  なぜ、私が、この本を借りたかというと、1997年初放送の、2時間サスペンスに、≪姑は名探偵 芹澤雅子~八丈島南国リゾート殺人事件≫というのがあり、それを見て、原作を読むつもりになったのです。 しかし、冒頭の、芹澤雅子さんの紹介を除き、ドラマと、この本は、全く関係ない話でした。 池内淳子さんが、芹澤雅子さん役でしたが、年代的に、30年くらい、若くした配役。 他に、石黒賢さん、野村真美さんなどが出演。 2サスとしては、平均以上の出来でした。




≪安曇野・乗鞍殺人事件≫

TOKUMA NOVELS
徳間書店 1999年
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、235ページ。 梓林太郎さんは、山岳小説家。 2時間サスペンスの、山岳救助隊シリーズ、道原伝吉シリーズ、茶屋次郎シリーズなどの、原作を書いた人。 この作品は、道原伝吉物の一つです。


  信州・安曇野を拠点に、手広く商売をしている蕎麦店で、支配人が、従業員の給料など、3千万円を持ち逃げした。 豊科署の刑事、道原伝吉らが、捜査を進める内に、山で、一人、また一人と、腹を刺された男性の死体が発見される。 金を持ち逃げした男と、犠牲者達は、出身地が同じだった。 長野、東京、静岡と、満遍なく、聞き込みを続ける内に、三人の関係がはっきりして来る話。

  地道な捜査の様子を、丹念に描いたもので、クロフツ作、フレンチ警部物に近いです。 松本清張さんの推理小説に出て来る、地味な刑事達にも、近い。 みな、クロフツさんが、元祖ですが。

  ちょっと、地道過ぎて、面白みがありません。 主に、3人の男が、捜査対象になるのですが、行動原理が似通っているので、誰が誰なのか、どうしても、混乱します。 実は、更にもう一人、かなり昔に死んだ男が出て来まして、これまた、何となく、やる事が似通っており、ますます、ややこしくなるという次第。

  後ろ4分の1で、捜査対象の3人+1人の関係が明らかになり、その展開は、かなり、ゾクゾクします。 この犯人、自分の手で、3人。 自殺に追いやったのが、一人と、計4人、殺しているのですが、運命の歯車が狂ったとしか言えない成り行きでして、どこかで立て直せなかったのかな、と思わされますねえ。

  推理小説としては、風変わりな語り口です。 情報がバラバラなので、謎解き前に、4人の関係を、読者が推理するのは、不可能です。 刑事の道原伝吉が、あまりにも地味過ぎて、探偵役としての魅力に欠けるのは、残念。 他の作品も読んでみなければ、評価は決められませんが。 




≪穂高殺人ケルン≫

JOY NOVELS
実業之日本社 1999年10月25日 初版
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、210ページ。 梓林太郎さんの山岳小説で、道原伝吉シリーズの一つです。


  引退した先輩刑事から、最近 出版された小説が、過去に山で起こった遭難事故と酷似しているから、再捜査してくれと頼まれた、道原伝吉。 小説の作者や、関係者に当たったが、芳しい成果は上げられなかった。 ところが、その後、山でまた、同じような事故が起こり、事件の疑いもある事から、捜査を始めると、過去の事故と、新たな事件に関わった、共通の人物達が浮かんで来て・・・、という話。

  2サスでは、「北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼」シリーズの、≪北アルプス殺人ケルン≫というタイトルで、映像化されていますが、原作は、道原伝吉シリーズです。 道原伝吉が主役の2サスもあるのですが、そちらは、本数が少なく、この作品は、入っていません。

  「転落事故で、人が死ぬが、落ちた崖の途中に、刃物のように尖った岩があり、そこに刺さったと見せかけて、実は他殺で、刃物で刺した後に、突き落とした」というアイデアと、「実際に起こった事故に、そっくりの内容を持つ小説が出版された」というアイデアの二つで、作品が特徴付けられています。

  それらのアイデアを除くと、フレンチ警部式の、地道な捜査が、淡々と描かれていて、正直、地道過ぎて、読むのが苦痛になります。 これは確かに、リアルな捜査手法の描写だと思いますが、現実的過ぎて、面白くないんですな。 もっとも、梓林太郎さんが人気作家になったのは、このリアルさが歓迎されたからだと思うので、そこに文句を言ったのでは、「じゃあ、読まなければいいだろう」で、おしまいになってしまうのですが。

  新しく起こる事件の方は、昔の事件より、凝っていて、崖に人工的に作った刃物状の突起が、実際の事件では使われず、そこから、犯人の計算が狂って行きます。 同じような事件が二つ起こったのでは、繰り返しになってしまうから、一捻り、工夫を凝らしたんでしょう。 作者の苦労が偲ばれるところ。

  性的な魅力があり、男を惑わす女が、二人出て来ます。 犯人に近い方の女は、特に誰というわけではなく、男から迫られると、欲情を覚えてしまうという、かなり、しょーもない性分。 それでいて、結婚となると、相手を選ぶというのだから、随分、勝手な人です。 でも、こういう人は、実際に、いそうですねえ。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪マン島の黄金≫が、8月7日から、10日。
≪女探偵物語≫が、8月13日から、17日。
≪安曇野・乗鞍殺人事件≫が、8月27日から、29日。
≪穂高殺人ケルン≫が、9月2日から、4日。

  今回、短編集が一作で、クリスティー文庫は、おしまい。 戯曲やエッセイは、読まない事にしました。 2022年2月から読み始めたから、1年半以上かかったわけで、結構な期間ですな。

  有名な、≪そして誰もいなくなった≫や、≪アクロイド殺し≫が入っていませんが、それらは、もっと、ずっと前に読んでいたのです。 名作ほど、記憶に残り易いので、読み直さなかったのです。 感想を書いてあるので、蔵出しシリーズを遡って行けば、見つかるかもしれませんが、保証はしません。