EN125-2Aでプチ・ツーリング (56)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、56回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年4月分。
【伊豆の国市江間・上の馬場】
2024年4月1日。 伊豆の国市・江間にある史跡、「上の馬場」へ行って来ました。 「江間」は、「えま」、「上の馬場」は、「うえのばば」と読みます。 ≪鎌倉殿の13人≫で、北条義時が、八重を口説く為に通ったのが、江間。 後に、義時の領地になります。
≪写真1≫
一番高い所から見下ろした、上の馬場の全景。 車でも来れますが、かなりの傾斜なので、覚悟が要ります。 山の平らな尾根が、馬場になっていたんでしょうな。 今は、一部が、墓地になっています。
≪写真2左≫
下の道路にある、解説板。 義時が調馬を行なった所と伝わっているそうです。
≪写真2右≫
解説板のある所から、石段で上がれますが、下の道路には、車もバイクも、駐車できる場所などないので、ここは通り過ぎて、少し先の交差点で、左折して、馬場に直接入るしかありません。
≪写真3左≫
石段道の山側で咲いていた、シャガ。 いつ見ても、神秘的な雰囲気を感じさせることよ。
≪写真3右≫
墓地の近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここに来るまでに、傾斜があり、2速で登って来ました。 急傾斜は、登りも下りも、怖いですなあ。 しかし、この怖さの感覚がないと、車でもバイクでも、すぐに死んでしまうのです。 怖さを感じなくなったら、死が目前に迫っていると考えた方がいいです。
≪写真4左≫
タンポポ。 漢字で書くと、「蒲公英」ですが、タンポポの方が、タンポポらしいですな。 まして、「ダンデライオン」など、全く、タンポポらしさに欠ける。 英語母語話者は、そうは感じないんでしょうけど。
≪写真4右≫
草苺(クサイチゴ)ですかね? 花弁の形が、少し違うようにも思えますが。
≪写真5≫
桜が咲いていました。 暖かい日で、これだけ気温が上がれば、桜も、蕾のままじゃいられますまい。 青空には、よく映える。
≪写真6≫
北東方向を見た景色。 街は、函南あたりだと思います。 遠くの山は、南箱根。
【伊豆の国市江間・千代田団地公園】
2024年4月10日。 伊豆の国市・江間にある、「千代田団地公園」へ行って来ました。 団地と言っても、集合住宅ではなく、一戸建てが固まっている、住宅地です。 別名、「旧千葉寺」。 以前、折自で来た事がありますが、その時には、ここが史跡だとは知りませんでした。 池があった事も、すっかり忘れていました。
≪写真1≫
画面に入りきらないのですが、ほぼ、全景。 池は、溜池ではないかと思います。
≪写真2左≫
池の東側の斜面の上に並んだ桜が、ほぼ、満開でした。
≪写真2右≫
伊豆の国市による、解説板。 この公園から、北西100メートルほどの住宅地に、「千葉寺」という寺があり、北条義時の子が勉学の為に通ったとあります。
「ちば」というのは、この辺りの地名のようで、「地場」とも、「珍場」とも書くようです。 近くに、「珍場神社」というのがあります。
≪写真3≫
で、これが、公園の北西方向。 100メートルも行くと、山になってしまいますな。 この住宅地そのものが、高台にありますから、山寺だったんでしょう。
≪写真4左≫
石碑。 「千代田団地史」とあります。 裏を見て来ませんでしたが、もしかしたら、裏に、歴史が書いてあったのかも知れません。
≪写真4右≫
伊豆箱根バスの、バス停。 江間の中心から離れた場所なので、ここまで、バスが来るというのは、些か、意外。 本数は、一日数本ですが。
≪写真5≫
公園の入り口に停めた、EN125-2A・鋭爽。 桜の花弁が、コンクリート面の奥の方を埋めています。 という事は、散り始めているわけで、厳密に言えば、満開は、もう過ぎているという事ですな。
【伊豆の国市江間・江間公園】
2024年4月15日。 伊豆の国市・江間にある、「江間公園」へ行って来ました。 ここには、以前、折自や車で、「地震動の擦痕」を見に来た事がありますが、公園になっている事は、知りませんでした。 江間の中心、豆塚神社の、少し東南にあります。
≪写真1≫
芝生広場。 この写真で、全体の半分くらいが写っています。
≪写真2左≫
「北条義時 姫の前」の石碑。 解説板によると、義時の妻達を祀っているとの事。 2022年の大河ドラマ、≪鎌倉殿の13人≫に合わせて建立された、ごく新しいもの。
≪写真2右≫
芝生広場から見た、テニス・コート。 2面、あります。 この時は、誰も使っていませんでした。 カンカン照りの暑い日で、屋外スポーツをやるような陽気ではありませんでした。
≪写真3左≫
遊具。 ブランコ、滑り台など。 児童公園も兼ねているわけだ。
≪写真3右≫
この建物が、「地震動の擦痕」。 1930年の、「北伊豆地震」で、当時ここにあった、小学校の校庭に展示されていた魚雷が、石の台座の上で動いて、その時についたキズが、魚雷の表面に残ったというもの。
よく考えると、大地震の時に、キズがつく物など、無数にあるはずで、なぜ、この魚雷だけ保存してあるのか、分からないところもあります。 とはいえ、そういう物でも、史跡として整備すれば、地図に名前が載って、人が見に来るという事なんでしょうな。 私みたいに。
この建物の中に、魚雷が展示されているわけですが、ガラスが反射してしまうので、お見せできるような写真を撮影できませんでした。 鉄製の筒なんですが、尖端部分が、どうにも、魚雷らしくありません。 筒の部分だけが、当時のもので、他は、後で、それっぽく付けたのかも知れませんな。
≪写真4左≫
「北条義時 館跡」の石碑。 義時は、頼朝旗揚げの後、江間を領地としてもらい、「江間義時」とも名乗っていました。 その館跡が、後々、小学校になり、その後、公園になったわけだ。 この石碑自体は、いつ建てられたのか、不明。 裏に彫ってあったのかも知れませんが、見て来ませんでした。
≪写真4中≫
≪鎌倉殿の13人≫の時に作られたと思われる、観光用の幟旗。 まだ、それほど、やれていませんな。 5年くらいは、もつんでしょうか。
≪写真4右≫
芝生広場の隅に、花水木(ハナミズキ)があり、花が咲いていました。 独特の雰囲気がある花です。
≪写真5≫
駐輪場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 奥の建物は、トイレ。 写っていませんが、駐車場は、5・6台分はあったと思います。
【伊豆の国市江間・本禅寺の銀杏】
2024年4月21日。 伊豆の国市・江間にある、「本禅寺」へ行って来ました。 ネット地図に、名所として、「本禅寺の銀杏」というのが出ていたので、季節外れだとは思ったものの、銀杏を見に行った次第。 狩野川放水路の、南側にあります。
≪写真1左≫
山門。 国道414号線沿いにあります。 車でも入れそうですが、この山門の中に、駐車場があるわけではないです。 私は、裏側から入りました。
≪写真1右≫
山門を入って、右手に、藤棚があり、まだ、花が残っていました。
≪写真2≫
中央の木が、名所の銀杏。 別に、大銀杏というわけではなく、まだ、成長の余地がありそうです。 銀杏の下の階段は、墓地へ続いているようです。
≪写真3左≫
こちらは、本堂へ続く階段。 私は、こちらを通りました。
≪写真3右≫
階段の上の方から、下を見下ろしました。 谷間になっているんですな。 下には、414号や、放水路が見えるのですが、この写真では、とても分かりませんな。
≪写真4≫
本堂。 割と小さい方。 しかし、今では、通夜・葬式は、葬祭会館で行うようになり、寺の本堂に、大勢を集める機会は減っているので、このくらいのサイズでも、充分だと思います。
≪写真5左≫
シャガ。 お寺や墓地には、よく似合う花です。
≪写真5中≫
躑躅。 普通サイズのもの。
≪写真5右≫
裏手の、道路が膨らんだ所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 10分くらい、離れていましたが、ほとんど、交通量がなく、盗まれたり、悪戯される心配はありませんでした。 もちろん、ハンドルはロックして、キーは抜いて行きましたけど。
【伊豆の国市江間・江間グラウンド】
2024年4月25日。 伊豆の国市。江間にある、「江間グラウンド」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 よくある、運動広場です。
≪写真1≫
全景。 基本的に、野球場の造りになっています。 バック・ネットと、覆い付きのベンチがあります。 この時は、高齢者が、ゲート・ボールに興じていました。
≪写真2≫
隅に、トイレあり。 トイレの外壁に、時計あり。 こういう施設では、時計は、実用的な設備ですな。
≪写真3左≫
駐車場。 10台くらいは、置けるんじゃないでしょうか。
≪写真3右≫
正門の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 影も入れて見ました。 バイクの陰も、バイクの形をしているのは、当然。
≪写真4≫
光の乱反射が入ってしまったので、一番下に持って来ましたが、これが、最初に撮った、正門の写真です。 注意書きがあり、使用許可を得ていない者は、入ってはいけないようなので、敷地内には、入りませんでした。 災害時の一次避難所にもなっていいる模様。
今回は、ここまで。
4月は、現・伊豆の国市の中の、旧・伊豆長岡町の、更に、江間地区に限定して、目的地を探してみました。 神社は外したので、まだ、行っていない所はあります。 江間と言っても、広うござんすから。
江間は、沼津市の口野から、短いトンネル一つ抜ければ、すぐなので、遠い感じはしません。 折自でも行ける距離。 もっとも、バイクで行く場合、潮風を避ける為に、海岸線は通らず、内陸の、清水町、函南町を通って行きますけど。
【伊豆の国市江間・上の馬場】
2024年4月1日。 伊豆の国市・江間にある史跡、「上の馬場」へ行って来ました。 「江間」は、「えま」、「上の馬場」は、「うえのばば」と読みます。 ≪鎌倉殿の13人≫で、北条義時が、八重を口説く為に通ったのが、江間。 後に、義時の領地になります。
≪写真1≫
一番高い所から見下ろした、上の馬場の全景。 車でも来れますが、かなりの傾斜なので、覚悟が要ります。 山の平らな尾根が、馬場になっていたんでしょうな。 今は、一部が、墓地になっています。
≪写真2左≫
下の道路にある、解説板。 義時が調馬を行なった所と伝わっているそうです。
≪写真2右≫
解説板のある所から、石段で上がれますが、下の道路には、車もバイクも、駐車できる場所などないので、ここは通り過ぎて、少し先の交差点で、左折して、馬場に直接入るしかありません。
≪写真3左≫
石段道の山側で咲いていた、シャガ。 いつ見ても、神秘的な雰囲気を感じさせることよ。
≪写真3右≫
墓地の近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここに来るまでに、傾斜があり、2速で登って来ました。 急傾斜は、登りも下りも、怖いですなあ。 しかし、この怖さの感覚がないと、車でもバイクでも、すぐに死んでしまうのです。 怖さを感じなくなったら、死が目前に迫っていると考えた方がいいです。
≪写真4左≫
タンポポ。 漢字で書くと、「蒲公英」ですが、タンポポの方が、タンポポらしいですな。 まして、「ダンデライオン」など、全く、タンポポらしさに欠ける。 英語母語話者は、そうは感じないんでしょうけど。
≪写真4右≫
草苺(クサイチゴ)ですかね? 花弁の形が、少し違うようにも思えますが。
≪写真5≫
桜が咲いていました。 暖かい日で、これだけ気温が上がれば、桜も、蕾のままじゃいられますまい。 青空には、よく映える。
≪写真6≫
北東方向を見た景色。 街は、函南あたりだと思います。 遠くの山は、南箱根。
【伊豆の国市江間・千代田団地公園】
2024年4月10日。 伊豆の国市・江間にある、「千代田団地公園」へ行って来ました。 団地と言っても、集合住宅ではなく、一戸建てが固まっている、住宅地です。 別名、「旧千葉寺」。 以前、折自で来た事がありますが、その時には、ここが史跡だとは知りませんでした。 池があった事も、すっかり忘れていました。
≪写真1≫
画面に入りきらないのですが、ほぼ、全景。 池は、溜池ではないかと思います。
≪写真2左≫
池の東側の斜面の上に並んだ桜が、ほぼ、満開でした。
≪写真2右≫
伊豆の国市による、解説板。 この公園から、北西100メートルほどの住宅地に、「千葉寺」という寺があり、北条義時の子が勉学の為に通ったとあります。
「ちば」というのは、この辺りの地名のようで、「地場」とも、「珍場」とも書くようです。 近くに、「珍場神社」というのがあります。
≪写真3≫
で、これが、公園の北西方向。 100メートルも行くと、山になってしまいますな。 この住宅地そのものが、高台にありますから、山寺だったんでしょう。
≪写真4左≫
石碑。 「千代田団地史」とあります。 裏を見て来ませんでしたが、もしかしたら、裏に、歴史が書いてあったのかも知れません。
≪写真4右≫
伊豆箱根バスの、バス停。 江間の中心から離れた場所なので、ここまで、バスが来るというのは、些か、意外。 本数は、一日数本ですが。
≪写真5≫
公園の入り口に停めた、EN125-2A・鋭爽。 桜の花弁が、コンクリート面の奥の方を埋めています。 という事は、散り始めているわけで、厳密に言えば、満開は、もう過ぎているという事ですな。
【伊豆の国市江間・江間公園】
2024年4月15日。 伊豆の国市・江間にある、「江間公園」へ行って来ました。 ここには、以前、折自や車で、「地震動の擦痕」を見に来た事がありますが、公園になっている事は、知りませんでした。 江間の中心、豆塚神社の、少し東南にあります。
≪写真1≫
芝生広場。 この写真で、全体の半分くらいが写っています。
≪写真2左≫
「北条義時 姫の前」の石碑。 解説板によると、義時の妻達を祀っているとの事。 2022年の大河ドラマ、≪鎌倉殿の13人≫に合わせて建立された、ごく新しいもの。
≪写真2右≫
芝生広場から見た、テニス・コート。 2面、あります。 この時は、誰も使っていませんでした。 カンカン照りの暑い日で、屋外スポーツをやるような陽気ではありませんでした。
≪写真3左≫
遊具。 ブランコ、滑り台など。 児童公園も兼ねているわけだ。
≪写真3右≫
この建物が、「地震動の擦痕」。 1930年の、「北伊豆地震」で、当時ここにあった、小学校の校庭に展示されていた魚雷が、石の台座の上で動いて、その時についたキズが、魚雷の表面に残ったというもの。
よく考えると、大地震の時に、キズがつく物など、無数にあるはずで、なぜ、この魚雷だけ保存してあるのか、分からないところもあります。 とはいえ、そういう物でも、史跡として整備すれば、地図に名前が載って、人が見に来るという事なんでしょうな。 私みたいに。
この建物の中に、魚雷が展示されているわけですが、ガラスが反射してしまうので、お見せできるような写真を撮影できませんでした。 鉄製の筒なんですが、尖端部分が、どうにも、魚雷らしくありません。 筒の部分だけが、当時のもので、他は、後で、それっぽく付けたのかも知れませんな。
≪写真4左≫
「北条義時 館跡」の石碑。 義時は、頼朝旗揚げの後、江間を領地としてもらい、「江間義時」とも名乗っていました。 その館跡が、後々、小学校になり、その後、公園になったわけだ。 この石碑自体は、いつ建てられたのか、不明。 裏に彫ってあったのかも知れませんが、見て来ませんでした。
≪写真4中≫
≪鎌倉殿の13人≫の時に作られたと思われる、観光用の幟旗。 まだ、それほど、やれていませんな。 5年くらいは、もつんでしょうか。
≪写真4右≫
芝生広場の隅に、花水木(ハナミズキ)があり、花が咲いていました。 独特の雰囲気がある花です。
≪写真5≫
駐輪場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 奥の建物は、トイレ。 写っていませんが、駐車場は、5・6台分はあったと思います。
【伊豆の国市江間・本禅寺の銀杏】
2024年4月21日。 伊豆の国市・江間にある、「本禅寺」へ行って来ました。 ネット地図に、名所として、「本禅寺の銀杏」というのが出ていたので、季節外れだとは思ったものの、銀杏を見に行った次第。 狩野川放水路の、南側にあります。
≪写真1左≫
山門。 国道414号線沿いにあります。 車でも入れそうですが、この山門の中に、駐車場があるわけではないです。 私は、裏側から入りました。
≪写真1右≫
山門を入って、右手に、藤棚があり、まだ、花が残っていました。
≪写真2≫
中央の木が、名所の銀杏。 別に、大銀杏というわけではなく、まだ、成長の余地がありそうです。 銀杏の下の階段は、墓地へ続いているようです。
≪写真3左≫
こちらは、本堂へ続く階段。 私は、こちらを通りました。
≪写真3右≫
階段の上の方から、下を見下ろしました。 谷間になっているんですな。 下には、414号や、放水路が見えるのですが、この写真では、とても分かりませんな。
≪写真4≫
本堂。 割と小さい方。 しかし、今では、通夜・葬式は、葬祭会館で行うようになり、寺の本堂に、大勢を集める機会は減っているので、このくらいのサイズでも、充分だと思います。
≪写真5左≫
シャガ。 お寺や墓地には、よく似合う花です。
≪写真5中≫
躑躅。 普通サイズのもの。
≪写真5右≫
裏手の、道路が膨らんだ所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 10分くらい、離れていましたが、ほとんど、交通量がなく、盗まれたり、悪戯される心配はありませんでした。 もちろん、ハンドルはロックして、キーは抜いて行きましたけど。
【伊豆の国市江間・江間グラウンド】
2024年4月25日。 伊豆の国市。江間にある、「江間グラウンド」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 よくある、運動広場です。
≪写真1≫
全景。 基本的に、野球場の造りになっています。 バック・ネットと、覆い付きのベンチがあります。 この時は、高齢者が、ゲート・ボールに興じていました。
≪写真2≫
隅に、トイレあり。 トイレの外壁に、時計あり。 こういう施設では、時計は、実用的な設備ですな。
≪写真3左≫
駐車場。 10台くらいは、置けるんじゃないでしょうか。
≪写真3右≫
正門の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 影も入れて見ました。 バイクの陰も、バイクの形をしているのは、当然。
≪写真4≫
光の乱反射が入ってしまったので、一番下に持って来ましたが、これが、最初に撮った、正門の写真です。 注意書きがあり、使用許可を得ていない者は、入ってはいけないようなので、敷地内には、入りませんでした。 災害時の一次避難所にもなっていいる模様。
今回は、ここまで。
4月は、現・伊豆の国市の中の、旧・伊豆長岡町の、更に、江間地区に限定して、目的地を探してみました。 神社は外したので、まだ、行っていない所はあります。 江間と言っても、広うござんすから。
江間は、沼津市の口野から、短いトンネル一つ抜ければ、すぐなので、遠い感じはしません。 折自でも行ける距離。 もっとも、バイクで行く場合、潮風を避ける為に、海岸線は通らず、内陸の、清水町、函南町を通って行きますけど。