2025/05/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (68)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、68回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年4月分。





【沼津市西沢田・三叉路の馬頭観音群】

  2025年4月8日。 沼津市・西沢田の、「三叉路の馬頭観音群」へ行って来ました。 住宅地図に、神物・仏物記号で載っていた所。 行ってみて、馬頭観音だと分かった次第。 根方街道から少し北へ上がった、三叉路の三角地にあります。

≪写真1≫
  西側から見た全景。 三角地ですが、家一軒建てるには、狭すぎる敷地面積です。 石像と石碑が、全部で、13基ありました。 いずれも、馬頭観音のようです。 集められたというより、この地域に、馬頭観音信仰があって、寄進し合ったんじゃないでしょうか。

≪写真2≫
  中央にある、石製の覆いに入った、浮き彫りの石像と石碑。 屋根まで石製で、いかにも重そうですが、自重で崩れさえしなければ、もちはいいと思います。 

≪写真3左≫
  向かって左側、つまり、北側の列。 全て、石塔。

≪写真3右≫
  向かって右側、つまり、南側の列。 浮き彫りの石像が一つ、混じっています。

  馬頭観音には、像が彫られているものと、単に石塔に、「馬頭観音」と、漢字が彫られているだけのものがあるようです。

≪写真4左≫
  南側の列の裏側、つまり、東を向いていた石塔。 漢字が彫られているだけのもの。 文字が、はっきりしていて、読み易いのは、昭和50年と、時代が浅いから。 昭和50年は、1975年です。

≪写真4右≫
  敷地内に咲いていた、長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)の花。 小さなものを、マクロで大きく撮りました。




【清水町的場・的場集会所公園】

  2025年4月14日。 清水町・的場にある、「的場集会所公園」へ行って来ました。 給油のついでに、スタンドの近場にある目的地を探したら、都市地図に、神社が出ていたので、そこを目指したのですが、一応 見つかったものの、想像していたより、大きな神社だったので、写真を撮るのが億劫に感じられ、たまたま近くにあった、公園に、目的地を変更した次第。

≪写真1≫
  狩野川の近くにあります。 結構 広いので、全体を収める事ができません。 奥に見える建物が、「的場集会所」ではないかと思います。

≪写真2≫
  別角度。 遊具の類いはないので、児童公園ではないです。 四阿や、ベンチがある、芝生広場という感じ。 3台くらい停められる駐車場がありますが、雨上がりで、水溜りが出来てしまっていますな。 施工に問題があるのか、そもそも、こういうものなのか。

≪写真3≫
  四阿の中。 妙に、椅子やベンチが多い。 しかも、バラエティーに富んでいます。

≪写真4左≫
  桜が、まだ、咲いていました。 葉桜ですが。

≪写真4右≫
  道路を挟んで、向かい広い敷地で、大型のクレーン車が、プレハブ建物を吊って、組み立てていました。 運転席を見ると、このクレーンの大きさが分かると思います。 よく、倒れないものです。 こういう光景を見ると、重機マニアの気持ちが、少し分かる気がしますなあ。




【沼津市東椎路・行き止まり竹林近くの茶畑】

  2025年4月24日。 沼津市・東椎路で、愛鷹山の裾野を登って行き、行き止まりの竹林近くにある、茶畑を撮影して帰って来ました。 当初、住宅地図で見つけた、住宅地の神物・仏物記号を見に行こうと思っていたのですが、事情があって、出先でエンジンを切るのを避けなければならなくなってしまったので、うるさくても苦情が来ない、田園地帯まで行った次第。

≪写真1≫
  茶畑。 愛鷹山の裾野では、よく見かける風景です。 元は、明治期に、沼津に移り住んだ、徳川家家臣団と、その家族が、食べて行く為に、製茶業を始めたもの。

≪写真2≫
  分かり難いですが、茶畑の手前に、草が並び、紫色の小さな花が咲いています。 これは、松葉海蘭(マツバウンラン)という植物です。

≪写真3≫
  松葉海蘭の下の斜面に繁茂していた草。 黄色い花が咲いています。

≪写真4≫
  目的地を変更した理由は、バイクの不調です。 出かける前に、エンジンをかけようとしたら、かかりません。 バッテリーを見たら、マイナス端子に、腐蝕で発生した泡のような物が盛り上がっていました。 泡を掻き落とし、チャージャーを使ったら、エンジンはかかりました。 しかし、異常は異常。 エンジンを一度切ったら、もう、かからないような気がして、大事を取り、出先でも、エンジンをかけっ放しにしていたのです。

  帰りに、エンジンの回転数が下がり始め、燃料計の針が、下がって来ました。 電気がないのです。 バッテリーが、もう、死んでいたのでしょう。 家まで、3キロくらいの所で、息も絶え絶えの状態に陥ったので、やむなく、エンジンを切ったところ、もう、かかりませんでした。 後は、押して帰りました。 やれやれ。 それでも、3キロ程度で良かったです。




【沼津市東椎路・不動尊】

  2025年4月29日。 沼津市東椎路にある、「不動尊」へ行って来ました。 住宅地図で見つけた所。 根方街道の少し北にあります。 バッテリーを交換してから、初めての、ツーリングになりました。

≪写真1≫
  全景。 何を撮ったのか分かり難い写真ですが、建物が木に隠れてしまって、これ以外に、アングルを取れなかったのです。

≪写真2左≫
  「不動尊」というから、仏物だと思っていたのですが、鳥居がありますねえ。 色から見て、かなり古いものなのでは?

≪写真2右≫
  漱ぎ盤。 これは、神社でも、寺でも、あります。 給水は、蛇口がありますが、排水は、ただ、流れ落ちるだけのようです。

≪写真3≫
  社殿、もしくは、お堂。 とはいえ、建物の造りと言い、石の欄干と言い、神社っぽいですねえ。 なんで、「不動尊」なのだろう?

≪写真4左端≫
  境内にあった、「戦災記念碑」。 こういう物で、これだけ新しいのは、珍しい。

≪写真4左中≫
  石燈籠。 断面が、六角形のタイプ。 これも、神社、お寺、どちらでも、見られます。

≪写真4右中≫
  拝殿の鈴。 下に注連縄。 これはもう、神社としか思えませんな。 上の筒状の物は、何なのか分かりません。

≪写真4右端≫
  交差点の角の、斜めに切り取られた場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクだからこそ、こういう場所にも停められるのであって、車では、こうは行きません。

≪写真5左≫
  建物を側面から見ました。 寄棟造りですが、普通、正面に来る側が、側面になっているんですな。

≪写真5右≫
  窓の下に、屋外用の流し。 掃除用具、プロパン・ガスのボンベなどが、整理整頓されており、管理者個人の強い意志を匂わせています。

  ちなみに、私が立っている背後には、墓地がありました。 やはり、仏物なのかな? 神仏習合というのは、信者が何を信じているのかを考えると、実に不思議です。




  今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニアの手術の目処が一向に立たないので、こちらで見切りをつけ、病院通いを やめてしまいました。 どんな病気でも、医療機関にかかりさえすれば治る、というわけでもないんですな。 私も、もう若いわけではないので、いつ お迎えが来ても、うろたえないように、覚悟して生きる事にします。 バイクによる、プチ・ツーリングは、今後も続ける予定です。

2025/05/18

実話風小説 (40) 【ドヒヒヒヒ!】

  「実話風小説」の40作目です。 3月中旬の終わり頃に書いたもの。 闘病中のせいで、創作意欲全般に低調、というか、ほとんど、なくなってしまい、小説どころではなかったのですが、前から考えていたネタだったので、何とか、書き上げました。 しばらく経ってから、読み返してみたら、一応、話としての体裁は保っていたので、出す事にします。




【ドヒヒヒヒ!】

  M社は、メーカーで、専ら、冬に使う季節商品を作っている関係で、9月から、11月までは、繁忙期となる。 冬の初めに購入する客が多いので、12月に入ると、また、閑になる。 繁忙期には、販売を担っているS社から、期間限定の応援者がやって来る。 M社とS社は、互いに、最も大きな取引相手になっているが、資本関係にはない。

  M社の工場は、中小企業としては、大きな方であり、通常でも、200人規模の従業員が働いている。 繁忙期に、S社から来る応援者の数は、30人程度で、工場のあちこちの部署に散らして配属される。 そのほとんどが、自分の会社では、販売店で営業の仕事をしているので、工場の作業は素人であるが、毎年、応援に来ていて、作業に慣れきっている人もいる。

  A氏も、そんなベテラン応援者の一人だった。 仕事ぶりは安定しており、M社の従業員より熟達しているくらいだった。 こと仕事に関してだけは、使う側に不満は、全くなかった。 任せておけば、間違いのない仕事をしてくれるのだ。

  ただし、M社社員の間で、A氏の評判は、すこぶる悪かった。 毎年、9月に入り、A氏が応援にやって来ると、近くで働く事になる、M社の社員は、みな、げんなりしてしまうのだった。 その原因は、A氏の笑い方である。 休憩時間や昼休みに、休憩所で雑談をしていると、A氏は、よく笑った。 笑いのハードルが低くて、他人同士の会話や、自分に関係ない話題でも、笑い所があると、すぐに笑い声を上げた。

  A氏の笑い声は、カタカナでも、ひらがなでも、正確には書き表せない。 強いて、近い音を探せば、

「ドヒヒヒヒ!」

  に、なるだろうか。 実際には、もっと、遥かに、比較にならないほど、下品な響きなのだ。 人間の笑い声というより、何か得体の知れない動物の、鳴き声・・・、発情音・・・、そんな感じだろうか。 初めて聞くと、ギョッとする。 そして、何度 聞かされても、決して慣れる事はない。 聞くたびに、心臓を束子でこすられているような、おぞましい感覚を味わうのである。

  休憩時間は仕方がないとして、昼休みには、休憩所から避難する者が多かった。 中には、短時間とはいえ、昼寝したいと思っている者もいるわけだが、A氏の笑い声を聞かされたのでは、とても、眠っていられるものではない、 それどころか、跳ね起きる。 飛び起きる。 しかし、避難するといっても、よその部署の休憩所で、場所を占領して、昼寝するわけには行かない。 行き場がなくて、結局、A氏のいる休憩所に戻らざるを得なくなるのがオチだった。

「9月から11月の間だけ、職場を替えて欲しい」

  と言う社員が多かったが、上司である係長には、真面目にとってもらえなかった。 係長は、職制用の別の詰所で、休憩時間を過ごしており、A氏の笑い声を聞いた事がなかったのだ。 職場替えを言い出す社員が、妙に多いので、理由を訊いてみたが、はっきりした事を言わない。 それはそうだろう。 「応援者の笑い声が気持ち悪いから」では、大の大人が職場から逃げ出す理由にならないと、誰もが思っていたのだ。 A氏のせいで、上司から、「やる気のない奴」、「問題を起こす奴」のレッテルを貼られるのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。

  しかし、無理はするものではない。 あまりの気持ち悪さに、体調を崩したり、精神に異常を来たす者が現れた。

「会社を辞めます・・・」

「おいおい!」

  そこまで追い詰められた者は、遠慮なく、A氏の笑い声の事を指摘した。 係長は、笑い飛ばした。

「正気か? その、Aさんの笑い声だけが原因で、会社を辞めるって言うのか? お前、仕事をナメてるんじゃないのか? 世の中、そんなに甘いもんじゃないぞ」

「そう言われるかもしれないと思って、今まで言わなかったんです。 でも、もう、限界です。 職場を替えてくれと言っても、駄目なんでしょう? それじゃあ、もう、辞めるしかないじゃないですか」

「もしかしたら、Aさんが、お前を笑い物にしているというのか?」

「そういう、話の内容の事ではありません。 笑い声そのものの問題なんです」

「下らん! 笑い声くらい、なんだ! そんなのは、人によって違うんだ。 個性の内じゃないか。 俺の立場で、Aさんに、笑い方を変えろなんて、言えるわけがないだろう!」

「分かっています。 だから、私が辞めると言っているんです」

  本当に、辞めてしまった。 会社に来なくなってしまったのだ。 少し先の事まで書くと、その社員、11月が過ぎたら、戻って来るかと思っていたが、他の就職先を見つけたから、退職手続きを進めてくれと言って来た。

  一人が辞めると、続く者が現れ、バタバタと、3人も辞めて行った。 係長は、うろたえた。 たかが笑い声で、こんな事態になるとは、どうしても思えなかった。 A氏の笑い声を聞いてみようと思ったが、A氏がいる休憩所に行ってみると、そういう時に限って、A氏は、笑わないのだった。 上司が来ていると、冗談も出難くなる。 理の当然か。

  係長は、残っている部下に命じて、A氏の笑い声を、こっそり、録音させた。 そこまで、やるか? やるのである。 4人も退職者を出しているのだから、当然である。 どうして、やらいでか。

  録音音声の中で、他の者が喋っている。

「5班のBさんって、毎日 食堂の売店でバナナ買って来て、昼休みに食ってるよな。 あの人、チンパンジーに似てるけど、そういう人が、バナナが大好きっていうのは、何となく、不思議だよなあ」

  それに対して、A氏の笑う声が続いた。

「ドヒ! ドヒヒヒヒ!」

  録音音声を聞いた係長の、全身の毛が逆立った。 なんだ、この、気味の悪い音は? これが、人間の笑い声だと? 何か、エアを使っている機械の間から、空気が勢いよく漏れて、音を立てているようではないか。 録音音声は続き、A氏の笑い声が、5回繰り返された。 そのたびに、係長の全身には、鳥肌が立ち、気持ちが悪くなって来た。 なるほど、これを毎日、何度となく聞かされたのでは、逃げ出したくもなるだろう。

  係長は、A氏をどうすればいいか分からず、課長に相談したが、最初は、やはり、笑い飛ばされた。 4人退職したと言っても、他の原因があるのだろうと言われてしまった。 録音音声を聞かせようとしても、真面目に取り合ってもらえなかった。 一週間後、5人目が辞めて、課長は、ようやく、録音音声を聞いてくれた。

「ドヒッ! ドヒッ! ドヒヒヒヒ!」

  普通、脂汗というのは、こめかみに、じっとりと浮かんで来るものだが、課長のこめかみからは、一気に、どっと噴き出した。 なんだ、この奇怪な音は? 妖怪でも出たのか? 思わず、係長に訊いてしまった。

「どこか、妖怪のテーマ・パークで、録音したのか?」

「まさか。 Aさんの笑い声です」

  これには、課長も、異常事態が発生している事を、認めないわけには行かなかった。 どうしていいか、判断し兼ねた。 A氏を、他の部署に異動させる事はできるが、その理由が思いつかない。 「笑い声が奇怪だから、よそへ回す」では、子供の言いわけである。 大体、どの部署へ行かせるというのだ? 押し付けられた方は、何が異動の理由か、A氏の何が問題か、すぐに気づくに違いない。 よーく、恨みを買ってしまうではないか。

  まだ、10月半ばだった。 A氏の応援期間が切れるまで、1ヵ月半もある。 その間に、M社の社員が、何人辞めて行くか分からない。 辞めた社員の穴を埋める形で、頑張ってもらっているのが、その原因になっているA氏、というのが、皮肉である。 しかし、A氏は、仕事の方は、実に有能で、二人分とまでは言わないが、1.5人分くらいの仕事は、こなしてしまうのだった。

  課長は、自分の詰所で、係長と、対策を真剣に検討した。

「Aさんを他の部署に回すのは、問題があるから、諦めるとして、あの笑い声をやめさせる方法はないものだろうか」

「いやあ。 ああいうのは、習慣と言うか、もっと、本能に近いものだから、直させるなんて、無理でしょう」

「習慣か・・・。 もし、君が何かの習慣を変えるとしたら、どんな事がきっかけになるね?」

「・・・・・。 そうですねえ。 その習慣のせいで、大きな失敗をした時とか・・・」

「笑い声で、大きな失敗というのは、想定し難いな」

「嫌っている人間から、その習慣の事をからかわれた時とか・・・」

「おっ! それは、効きそうだな。 誰か、Aさんと仲が悪い人間がいないか?」

「Aさんは、応援者ですからねえ。 うちの社員とは、そんなに深いつきあいをしていないから・・・、あっ!」

「どうした? いるのか?」

「今は、生産準備の方に行っているCですが、あいつ、以前、Aさんと同じ職場にいた時に、年上のAさんに向かって、生意気な口を利いて、Aさんから、『あんな奴、駄目だ!』なんて、言われてましたよ。 実際、Aさんに比べると、Cは、仕事の能力では、足元にも及ばなくて、Aさんを取るか、Cを取るかで、私が、Aさんを取ったわけですが」

「そのCに、因果を含めてみたらどうだろう。 都合のいい事に、退職者続出で、人手が足りないから、他の部署から、経験者を助っ人に呼んでも、不自然だと思われないだろう」

  早速、Cが呼ばれた。 仕事はテキトー。 性格も良くない。 酒好き、ギャンブル好き、女好きと、私生活も荒れていて、給料前借りの常習者。 そんな奴だが、そんなだからこそ、計略に後ろめたいニオイを嗅ぎ取ると、面白がって、ホイホイ乗って来るものである。

  Cは、A氏と同じ職場に戻った。 A氏は、当然、いい顔はしなかったが、そこは、大人。 Cを邪険にする事は控えていた。 Cが、あまり喋らなかったので、次第に、A氏の緊張が解けて来て、三日目には、あの笑い声が出るようになった。

「ドヒヒヒヒ!」

  すると、課長から指示されていたCが、すかさず、用意されていた台詞を口にした。

「Aさんの笑い声は、楽しいよなあ。 こんな笑い方する人、他にいないもんなあ。 俺は、Aさんの笑い方が大好きだよ。 これを聞く為に、戻って来たようなもんだなあ」

「ドヒッ・・・・・」

  A氏の顔が、引き攣った。 さらに、Cが畳み掛ける。 A氏の真似をして、殊更、下品に笑って見せた。

「ドヒヒヒ! 俺も、今日から、この笑い方で行こうっと。 ドヒ、ドヒ、ドヒヒヒ!!」

  A氏は、それ以降、笑わなくなった。 笑っても、「ドヒヒヒヒ!」とは、言わなくなった。 努力して、「わははは!」と、普通の笑い方をするようになった。 計略は、図に当たったのだ。


  応援期間が終わり、12月になって、A氏は、ホームのS社に帰ったが、ドヒヒ笑いをしなくなった事に、同僚達は、驚きを隠せなかった。 実は、S社でも、A氏の笑い方は、気味悪がられていたのだ。 ただ、S社内に於ける、A氏の地位が特殊で、毎日のように職場が変わっていたから、問題になっていなかっただけだった。

  実は、A氏、S社の創立メンバーの一人で、共同出資者でもあった。 何をやらせても、有能ではあったが、笑い方が気持ち悪かったせいで、疎まれ、罠にかけられて、冷や飯を食わされていたのだ。 総務部所属の、「対応室」という、よく分からない部署の室長にされて、上司なし、部下なし、人手が足りない部署が出来ると、そこへ助っ人に行く、という仕事を、もう、30年もしていた。 そんなだから、M者への応援要員にも、毎年、組み入れられてしまっていたのだが・・・。

  M社から戻って以来、ドヒヒ笑いをしなくなった事が知れると、A氏の評判は、急に良くなった。 元が有能な人物なのである。 笑い方だけが問題で、嫌がられていたのだ。 その原因が取り除かれたのだから、評価が上がらないわけがない。 あちこちの職場を経験していたから、どんな問題にも、的確な判断を下す事ができた。

  たまたま、S社の重役達が、贈賄事件を起こして、ごっそり退任する事になった。 株主総会で、社長が解雇を求められるという、大事件だった。 空席になった社長の席に、誰をすげるか、株主や役員の間で、後ろ暗い駆け引きが活発化した。 老齢で引退同然、名ばかりになっていた会長が出て来て、A氏の名前を挙げた。

「Aの奴なら、何とかしてくれるだろう」

  株主や役員は、A氏の名前など、聞いた事もなかった。

「誰やねん、それ? まあ、誰でもいいわ。 どうせ、ボンクラやろ。 そいつにしてまえ」

  S社の経営を傾けさせて、他の会社に吸収してしまおうと目論んでいた大株主が賛成し、A氏は、社長に担ぎ上げられた。

  A氏の経営手腕は未知数だったが、様々な部署を渡り歩いた分厚い経験値が物を言い、要所要所で、的確な判断を積み重ねて行った結果、S社の業績は、急回復した。 役員の一人が、感嘆して、こう言ったという。

「こんなに優秀な人物が、社内にいたなんて、全く知らなかった。 どうして、埋もれていたんだろう?」

  そりゃ、ドヒヒ笑いのせいですよ。 でも、そんな事が原因だったなんて、普通は、誰も思わないわなあ。

  勢いに乗ったS社は、俄かに潤沢になった資金力に任せて、取引先の会社を、次々と吸収合併して行った。 その中には、M社も含まれていた。 親会社の社長として、M社に現れ、全社員の前で挨拶を始めたA氏に、元応援先の職場の面々は、仰天した。 A氏を知る全員のこめかみから、脂汗が勢い良く噴き出した。

「ドヒヒの、Aさん・・・」

  例のCは、テキトーな理由をつけて、解雇された。 元から、いい加減な奴だったから、クビにする理由は、いくらでもあった。 そのCが、腹癒せに密告したので、係長と課長も、降格された。


  溜飲を下げたA氏は、御満悦。 もう、A氏に、何か意見を言える者はいない。 何でも思い通りにできると思うと、つい、昔の癖が蘇って来た。

  ある重要な取引の場で、相手の社長が、冗談を言った。 その場にいた、みんなが笑った。 A氏も笑った。

「ドヒヒヒヒ!!」

  他の人間の笑い声が止まった。 A氏を除く全員が、顔を歪めている。 「何か、途轍もなく、気持ちの悪い音声を耳にしてしまった。 一体、今のは、何だったのだ?」という顔である。


  ほどなく、S社が倒産したのは、A氏が、天狗になってしまい、周囲の空気を読まず、ドヒヒ笑いを続けたからだった。

2025/05/11

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑤

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の11月10日まででした。 今回は、その続き。 まだまだ、先は長い。




【2024/11/11 月】
  10時から、運動散歩。 香貫山の麓を一周して来ました。 7千歩。

  昼食前の血糖値計測。 110。 空腹時の正常値上限より、1、高いです。 何とか、ここまで、持ち込んだか。 明後日、検査があるので、更に、努力せねば。

  同じ空腹時でも、朝食前と、昼食前・夕食前では、条件が違います。 朝食前は、前日の夕食後から、何も食べていないのだから、血糖値は、最低に近くなります。 一方、昼食前・夕食前は、食間なので、血糖値が落ち切らず、比較的、高いのです。 血糖値は、何か食べるたびに高くなるので、どのタイミングで測っているのかで、見方が変わって来ます。 それを理解するまでが、手こずるのです。



【2024/11/12 火】
  昼食後、南へ運動散歩。 往復5千歩。 帰って、1時20分。

  2時から、昼食後の血糖値計測。 243。 ガッカリだ。 インスリンの効果が薄くなっているから、昼食後は、高くなるものですが、それにしても、これでは、2週間前に戻ってしまったではないか。 食べ過ぎなのでしょう。

  母が、ドカドカと料理を作るのが悪いのです。 餃子を50個も作って、自分は食べずに、私が片付けてくれると、未だに思っているのだから、同じ糖尿病もちのやる事とは思えません。 こうなったら、勿体ないなどという発想は捨てて、食べきれない物は捨てるしかないですな。 命の方が大事です。



【2024/11/13 水】
  運動散歩、東へ。 八重坂峠を越え、清水町の外原公園の前で折り返し、5000歩。

  帰って、少し横になってから、旧母自で、病院へ。 12時過ぎには、到着。 今日は、検査のみです。 採血、尿検査、頚動脈血管音波測定(首のエコー)、心電図は、まあ、想像がつくとして、

  誘発筋電図。 右手と、右足に電極をつけられて、電気が流されると、私の意思とは関係なく、ビクンビクンと、筋肉が跳ね上がります。 この歳にして、あっと驚く体験で、女性の検査技師さんに、「高度な技術ですね」と、素直な感想を述べました。 国家試験を通っているとの事。

  本日の会計、5880円。 レントゲンや、CTなど、撮影系がないと、少しは、安くなるようです。

  帰って、2時5分くらい。 次は、来週で、糖尿病専門医の診察を受けに行きます。

  昼食を抜いたので、夕食前の血糖値は、79。 3時半頃、インスリンも注射しているから、減って当然で、この数値は、参考になりません。 それでも、二桁の数値が出ると、嬉しいものですが、だからといって、食事を抜き続けるわけにも行かないのです。



【2024/11/14 木】
  午後から、運動散歩。 東へ、往復4千歩コース。 帰りに、雨が降り出しだので、公民館の庇の下や、木の下など、数箇所で雨宿りしました。 雲が明るいから、その内 上がるだろうと踏んでいたら、案の定 上がったので、ほとんど濡れずに帰って来れました。

  雨宿りというのは、たまにすると、乙なものですな。 雨がやむかどうか不安なのが、また、非日常性を盛り上げてくれます。

  夜8時。 夕食後の血糖値。 121。 食後としては低いですが、インスリン注射を打ってから、4時間半後だからでしょう。 つまり、昼食後が、注射から、22時間くらい経っているから、一番、高くなるわけだ。

  昨日まで、3日間くらいですが、鼠蹊ヘルニアの飛び出しが見られませんでした。 「もしかしたら、運動一万歩のお陰で、腹筋も鍛えられ、鼠蹊ヘルニアが治ったのでは?」と思ったんですが、昨日から、また飛び出すようになり、とんだ、糠喜びでした。

  昨日まで、数日間、便が出なかったので、そのせいで、腸内に便が溜まって、腸が直線に近くなり、食み出して来なかったんですな。 自転車のタイヤ・チューブが、空気が入っていない時には、フニャフニャで、狭い隙間にも入れられるのに、空気がパンパンに入っていると、折るのも難しくなる、あれと同じ事が、腸で起きていたわけだ。

  「鼠蹊ヘルニアは、自然には治らない」というネットで読んだ知識は、やはり、正しかったんですなあ。 結局、手術してもらうしかないのか。



【2024/11/15 金】
  部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。 結構な運動量なのですが、歩数的には、千歩も行きません。

  午後、昼寝してから、運動散歩。 南へ。 往復で6千歩になるように、途中から、西へ向かったら、学習院遊泳場裏で、海に出ました。 風はなく、波は静かでした。 元来た道ではなく、テキトーに引き返してきました。



【2024/11/16 土】
  旧母自で、図書館へ。 帰りは、自転車を押して、歩いて来たのですが、歩数は、5千歩くらいしか行きませんでした。 自転車が、いかに、移動効率がいいかが分ります。 やむなく、家に戻ってから、座敷を歩いて、1万歩を超えさせました。



【2024/11/17 日】
  午後、バイクで、裾野市水窪へ向かい、黄瀬川に架かる愛鷹橋の、左岸付近にある石碑を見て来ました。

  今日は、散歩に行かなかったので、歩数を稼ぐのに、座敷を歩き回りました。 1万歩は、きつい。 落とすと、まずいので、歩数計は持って行きませんが、バイク・ツーリングでは、500歩も行かないでしょう。



【2024/11/18 月】
  外掃除の後、運動散歩。 東へ。 清水町・徳倉に少し入って、引き返し、6千歩。

  帰って、旧母自で、病院へ。 11時の予約に、10時10分には着いていたのですが、異様に多い患者の群の中で待つ事になり、結局、診察されたのは、11時過ぎでした。 早めに行っても、予約時刻の寸前に行っても、同じなのか。

  医師からは、自己管理ノートの書き方が良いと言われましたが、子供ではないので、そういう点を誉められても、別に嬉しくはないです。 肝腎の血糖値は駄目なようで、インスリン注射の種類が増えてしまいました。 しかも、今度のは、一日3回、毎食前に打つとの事。 今までのと合わせて、4倍の手間です。

  ここ一週間の血糖値は、一回を除き、正常値内に収まっていたから、てっきり、今日で、インスリン注射は終わりになると思っていたのですが、まさか、増えるとは思いませんでした。 ガッカリだ。 どうも、私が、鼠蹊ヘルニアの手術を控えているので、その為に、食後血糖値を下げておこうという方針のようです。

  追加のインスリン注射で、血糖値が制御できれば、外科手術は可能になるとの事。 12月の半ば頃に、手術できるような事も言っていましたが、それは、内科の糖尿病専門医の見解なので、外科の都合を訊いて判断されたものではありません。 外科に戻ったら、また、話が変わって来るかも知れません。



【2024/11/20 水】
  午後、昼寝。 読書。 何回かに分けて、座敷を歩き、何とか、1万歩を超えさせました。




  今回は、ここまで。 11月19日には、病気関連の記述がありませんでした。 いよいよ、減り始めたかな。

  インスリン注射が、当初、24時間タイプが一日一回だったのが、毎食前タイプが加わって、一日4回になってしまったのには、参りました。 思い出すだに、げんなりします。 よく、あんな事を、何ヵ月も続けていたものです。 同じ所には打てないので、少しずつ、ずらして行くんですが、下腹部を打ち尽くし、右の腿まで、針の痕だらけになりました。

2025/05/04

読書感想文・蔵出し (124)

  読書感想文です。 どうも、読書を楽しめなくなっています。 図書館へ通っているからとか、ブログに感想を出しているからとか、そういった、読書意欲とは別の理由で、借りて来て読む習慣を無理に続けているような気がします。





≪南紀 潮岬殺人事件≫

NON NOVEL
祥伝社 2001年6月10日 初版第一刷発行
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書サイズのソフト・カバー本です。 長編1作を収録。 二段組みで、232ページ。 副題に、「長編本格推理 旅行作家・茶屋次郎の事件簿」とあります。 橋爪功さん・主演の2時間サスペンスでお馴染みの、≪旅行作家・茶屋次郎シリーズ≫の原作の一つ。


  友人が、茶屋の所へ、ホームレスの露店で見つけたという、美しい女性を描いた肖像を持ち込み、「この女性を、父親が持っていた写真で見た事がある。 父親との関係を探って欲しい」と依頼する。 「岬シリーズ」の取材を兼ねて、絵が描かれたと思われる、南紀・潮岬付近へ赴いた茶屋は、その女性が、数年前に殺されたと知り、原因を調べ始めたが・・・、という話。

  この原作を元にして、2サスでは、2004年に、第4話、≪熊野川殺人事件≫が作られたらしいのですが、話は、大幅に手を加えられており、原形を留めないと言ってもいいです。 梓さん、ドラマを見て、ガッカリしたかも知れませんが、ドラマだけ見れば、充分に面白かったです。 むしろ、原作の方に、些か、問題が・・・。

  どうも、茶屋先生の年齢設定は、原作の方が若いようで、ドラマの橋爪さんほど、程良く枯れていません。 あの枯れ味がいいんですけどねえ。 一番、違和感が大きいのは、被害者の妹を訪ねて、何度も会う内に、懇ろになり、あろう事か、性交渉をする仲に発展してしまう事ですな。 これは、2サスでは、やれないでしょう。 必ず、ベッド・シーンを入れていた、80年代前半の、2サスであっても、主役にはやらせませんわなあ。

  次に、文章の書き方が、妙に、平板である事。 梓さんは、山岳小説の、道原伝吉シリーズでは、クロフツ流のコツコツ地道な捜査を描きますが、警官だから、それでいいのであって、素人探偵が、同じような捜査をするとなると、「こんなに、相手が喋ってくれるかね?」と思わずにはいられません。 まして、茶屋先生は、一般人ですらなく、週刊誌連載を持つ、作家なのであって、週刊誌に書かれてしまうと思えば、どんな人でも、ますます、喋らないでしょう。

  また、茶屋先生が、なぜ、こんなに一生懸命、捜査をするのかも、不思議。 取材を兼ねているわけですが、ドラマ同様、先生本人は、旅行記を書くつもりで旅をしているのであって、推理小説や、犯罪ドキュメンタリーが書きたいわけではありません。 では、なぜ、こんなに、捜査に熱心なのか? 捜査に入れ込む、動機が不自然なのです。

  とはいえ、新書サイズの推理小説を読む読者というのは、独特の嗜好をもっていて、こういう、淡々とストーリーが進んでいく話が、三度の飯より好きなのかも知れません。 通勤電車の中で読む分には、あまり、血湧き肉踊ったり、始終、ゾクゾクしっ放しというのは、向かないので、この種の作品の方が、都合が良いのでしょう。

  それにしても、ドラマに比べて、ファースが少ない。 茶屋先生の秘書である二人の女性が、その担当という事になりますが、笑わせるキャラとしては、弱いです。 ちなみに、ドラマでは、春川真紀(ハルマキ)と、江原小夜子は、同じ回には出て来ませんが、原作では、二人同時に雇われた事になっています。 山倉副編は、この作品には、出て来ません。 雑誌の名前も違うし、そもそも、ドラマの方では、「日本名川紀行」ですが、この作品では、「岬シリーズ」を書いている事になっています。




≪倉敷 高梁川の殺意≫

NON NOVEL
祥伝社 2018年11月20日 初版第一刷発行
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書サイズのソフト・カバー本です。 長編1作を収録。 二段組みで、200ページ。 副題に、「長編旅情推理 旅行作家・茶屋次郎の事件簿」とあります。 橋爪功さん・主演の2時間サスペンスでお馴染みの、≪旅行作家・茶屋次郎シリーズ≫の原作の一つ。


  知人女性から、千葉の犬吠埼で行方不明になった弟の行方を捜してくれと頼まれた茶屋次郎だったが、調査中に、倉敷で警察に保護されたという報せが入る。 その青年は、見知らぬ男に車に乗せられ、陸路、連れて行かれたと言い、男の似顔絵を描いて見せた。 その後、中年女性が、同じように連れ去られ、やはり、倉敷で解放された。 青年の事件に先立って、女の子が連れ去られ、倉敷で遺体となって発見された事件があり、中年男性が、車で故意に轢き殺される事件もあった。 4件に共通するのは、被害者が同じ住宅地に住んでいて、大人3人は、通学路の見守り活動をしていた事だった。

  梗概が長くなりましたが、これらはまだ、序章でして、後ろに行くに従って、想像もしていなかった方向へ、事件が発展して行きます。 序章だけなら、大いに謎めいていて、ゾクゾク感を覚える点、推理小説の導入部としては、相当、優れていると言えます。 問題は、その発展の仕方ですな。

  後半になってから、初めて登場する人物が、多過ぎです。 これは、アンフェアというより、構成の練りが不十分なまま、書き始めて、途中から、人物を増やし、彼らに纏わるエピソードを追加したと見るべきでしょう。 そういう作り方がされる小説もありますが、その場合、追加した部分の伏線を、前の方に、後から入れておくのが普通。 ところが、この作品では、それが行なわれていないので、後半で唐突に、初登場の人物が、続々と現れた印象が強くなってしまっているのです。

  複雑な背景を用意すれば、奥行きのある話になるのは、事実ですが、何も、こんなに入り組ませなくても、いいと思うんですがね。 とにかく、伏線が張ってないのが、残念。 茶屋先生も、あちこちの地方に行かせ過ぎです。 これでは、土地土地の風物を描き込むゆとりが失われてしまいます。

  ちなみに、【南紀 潮岬殺人事件】では、景勝地の写真が、何枚も入っていて、観光小説の線も狙われていましたが、この本では、巻頭の地図だけで、写真は一枚もありません。 挿絵すらないから、徹底している。 これは、作者の意向というより、編集者が、印刷コストが高くなる事を嫌ったのかも知れませんな。 2サスのお陰で、主人公、茶屋次郎の名前も売れているから、もう、そのシリーズだというだけで、売れるだろうと。

  二人の秘書、ハルマキと、小夜子は、相変わらず、出て来ても出て来なくても、違いがないような、薄い存在感です。 ファース担当の用を、ほとんど、為してません。 ファースに関しては、ドラマの方が、圧倒的に優れていますな。 編集者の牧村氏も、飲んだくれていてるだけで、笑えません。 こんな編集者なら、要らないのでは?

  ラストで、導入部の、連れ去り事件の謎が解き明かされますが、この動機は、分かるような分からないような。 こういう動機で犯罪に走る人間も、実際にいると思いますから、必ずしも、リアリティーを欠くとは言えませんが、推理小説の犯人の動機としては、弱いような気がします。 これが、OKなら、動機は、何でもアリになってしまうのではないでしょうか。

  とはいえ、量産された作品の一つですから、あまり、ツッコミばかり入れるのも、作者に冷た過ぎるかも知れません。 量産しても、尚、この水準を保っている点は、評価に値すると思います。 数時間、茶屋先生と一緒に、あちこち、旅行した気分になれるのだから、それだけでも、この本を読む意味はあります。




≪冷戦史 上・下≫

中公文庫 2781・2782
中央公論社 2023年12月25日 発行
青野利彦 著

  沼津図書館にあった、中公新書です。 ページ数は、上巻257ページ、下巻222ページで、計479ページ。 巻末に、写真出典一覧や、関連年表が付いています。 この種の硬い本を借りたのは、久しぶり。 ちなみに、私は、現役で働いていた頃は、小説よりも、教養系の新書本の方を、多く読んでいました。


  米ソ間の冷戦の経緯を、ソ連成立前の国際情勢から、90年代初頭のソ連崩壊までの期間、世界全体の国際関係の推移を交えながら、詳細に紹介したもの。

  詳細と言っても、「世界史の教科書などと比ベれば、遥かに詳細」という程度の意味です。 ソ連成立以降から見ても、69年間もあるので、これだけのページ数があっても、そんなに細かくは書けますまい。 まして、アメリカとソ連の関係だけでなく、関係して来る国の事まで、書く範囲を広げていますから、尚の事。

  書き方は、至って、客観的で、米ソどちらか、もしくは、それ以外の国に偏った見方は、されていません。 その点、ちょっと、徹底し過ぎていて、読者の中には、一般的に言われている見方と違うので、怒りを感じてしまう人もいるかも知れませんが、歴史の書き方とは、本来、こういうものなのでしょう。 冷戦期が、早くも、歴史になりつつあるという事なのかも知れません。 もう、30年ですものねえ。

  偏らないとなれば、当然ですが、一方を悪、もう一方を善、という見方も、一切、排除されています。 どちらも、所詮、個人、もしくは、個人の集まりに過ぎないのであって、誰もが、理想、欲望、恐怖心、猜疑心をもっており、そのぶつかり合いで、対立や融和が生まれて来たんですな。 核兵器が絡むほど、規模が大きいだけで、本質的には、猿山の猿の、ボスの座を巡る勢力争いと、何ら違いはありません。

  私は、冷戦の経緯の大体の流れを知っていたので、この本を、読み易いと思いましたが、世界の近現代史に興味がないとか、基本的な知識が頭に入っていない若い世代は、全く逆の感想を抱くかも知れません。 小学生では、話にならず、中学生でも、10ページも進まないで、放り出すでしょう。 高校生以上で、興味がある者なら、何とか、食いついて行けるでしょうか。




≪日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民≫

株式会社みすず書房 2020年7月17日 第1刷発行
富田武 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 1段組みで、329ページ。 統計表、写真、参考文献など、資料が多いです。


  第二次世界大戦の末期、戦後の国際的立場を計算して、駆け込みで対日参戦したソ連と、南方に戦力を取られて、兵員数も装備も、スカスカの状態になっていた関東軍の、一方的な戦いを、戦闘開始前から説き起こし、経過を追った内容。 対象は、主に、満州国(現・中国東北部)と、朝鮮半島北半分で、サハリン(樺太)南半分については、オマケ程度。 クリル諸島/千島列島に関しては、ほとんど、記述がありません。

  研究の論考でして、戦史物という体裁ではないです。 読み物としては、引き込まれるようなところは、全くありません。 資料が羅列されている部分も多く、同じ対象を調べている研究者でもなければ、価値を感じない内容と言っても、大きく外れていないでしょう。 そもそも、そういう本なのであって、「面白くない」と文句を言うのは、お門違いというもの。

  日本側を、関東軍と書きましたが、主だった将校は、家族を連れ、物資を掻き集めて、逃走しており、戦ったのは、ごく一部です。 甚大な被害を出したのは、俄かに根こそぎ動員された一般人の移民と、その家族でして、死傷者 数知れず。 生きて、帰国できた人達がいたのが、不思議なくらいです。

  南方戦線に引き抜かれて、スカスカになっていた関東軍ですが、たとえ、元のままの戦力があったとしても、ソ連軍の装備や兵力に太刀打ちできたとは、到底、思えません。 対戦車兵器もなく、緒戦から、「爆薬を抱えて、敵戦車の下へ飛び込め」という指示を出しているのだから、絶望的ですな。 そんな命令、突っぱねて、「お前が最初にやれ」と言ってやればいいのに。 銃殺されても、どうせ、死ぬのなら、同じではありませんか。

  そもそも、日本人居留地が、あの広大な満州の各地に散らばっていたのでは、兵器や弾薬の補給も侭ならないのは、想像するだけで分かる事。 備蓄分を使い尽くしたら、そこで、アウトです。 攻められた時に、守り通せるような場所ではなかったんですな。 兵站の重要性を考えていないのは、日本軍全体に共通する特徴のようです。

  ソ連軍が攻めて来たと分かった時点で、降伏するしか、生き残る道はなかったのですが、「満州に骨を埋めるつもりで来たのだから・・・」といった、手前味噌な理由で、残った者もいたというのだから、戦争の恐ろしさが分かっていない。 明治維新から、それまで、対外戦争では勝ち戦が多かったから、負けたら、どうなるかが、分かっていなかったのでしょう。 「自分達がやったのと同じ事を、やり返されるのでは?」という想像すらできず、現実に経験するまで、分かっていなかった様子。

  捕虜になったり、性的暴行を受けるのを、恥と考えて、自殺してしまう者も、膨大な数、いたようですが、そういう考え方を教え込んでいたのが、当時の日本社会の文化だったというのが、大変、情けない。 で、恥を避けて、自殺して、名誉になったかというと、とんでもない。 彼ら一人一人の名前すら、記録に残っていないのです。 そんな人達がいた事すら、誰も知らないのです。 死んで、花実が咲くものかね。

  この本では、日本側と、ソ連側、双方の資料が研究されていますが、戦争の統計資料なんて、国に限らず、まるで、信用できません。 勝った側と、負けた側では、記録の残し方が変わります。 勝った側は、加害を多く言い、被害を少ない言いますし、負けた側は、加害を少なく言い、被害を多く言います。 正確な数字を知る事は、現在の戦争ですら、不可能なのです。

  この犠牲者達に、一言、言えるとしたら、「軍事力で手に入れた海外領土への集団移民なんぞ、ろくな結果にならないから、もし、生まれ変わる事があったら、絶対に避けるように」という事でしょうか。 誰か、先導する者がいて、「家族が行くから、自分も・・・」という形で、渋々行った人達も多かったと思いますが、もしも、あの世で会えるのなら、先導した奴を、決して、赦さないでしょう。 無責任にも程があると言うのよ。

  ソ連軍兵士の蛮行についても、詳しく書かれていますが、日本人も、外国人に同じ事をやって来たのであって、目糞鼻糞でしかありません。 即ち、人間なんてものは、こういう、しょーもない存在なんですな。 所詮、食い物を取り合って、仲間同士で殺し合いを演ずる動物と同じなのです。 文明も、文化も、何のブレーキにも、なりはしません。 それを思うと、げんなりして来ます。

  この本に書かれている事が、大昔の事ではなく、当時、子供だった人で、まだ生きている人がいる程度の、歴史的に見れば、割と近い過去の出来事だという点が、また、恐ろしいではありませんか。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪南紀 潮岬殺人事件≫が、1月19日から、21日。
≪倉敷 高梁川の殺意≫が、1月24・25日。
≪冷戦史 上・下≫が、2月2日から、9日。
≪日ソ戦争 1945年8月≫が、2月16から、20日。

  戦争関連の二冊は、硬い内容でした。 図書館で借りる時には、大して気にもせず、家に帰って読み始めてから、「やめときゃ良かった」と、後悔しました。 私の年齢や、引退者という立場が、もう、この種の本を、必要としていないのかも知れません。