2025/10/26

EN125-2Aでプチ・ツーリング (73)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、73回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年9月分。





【伊豆の国市四日町・元韮山町役場付近】

  2025年9月2日。 伊豆の国市・四日町にある、元韮山町役場付近に行って来ました。 1987年発行の都市地図に、韮山町役場として載っていたのですが、その後、合併して、伊豆の国市になっており、役場の跡がどうなっているのか、興味が湧いたのです。

≪写真1≫
  こうなっていました。 「JAふじ伊豆 伊豆の国地区本部 韮山支店」。 ネット情報によると、元役場の建物は解体されたようなので、この建物は、建て直したんでしょう。

≪写真2≫
  すぐ西側にある、大きな建物。 博物館のような雰囲気ですが、入り口がある裏側へ回って、名前を見たら、「厚生年金・国民年金 積立金還元施設 福祉保健センター」となっていました。

≪写真3≫
  近くの道に停めたEN125-2A・鋭爽。 背後に、水田。 高圧電線の鉄塔。 そして、雲の上に顔を出した、夏の黒富士。

≪写真4≫
  育ちつつある、稲。 今年の夏は、猛暑で、渇水の所も多かったのですが、この辺りは、そうでもなかった様子。 韮山近辺は、昔から穀倉地帯でして、米の生産量が多い。 それが、前後北条氏の経済力の背景になったのだと、私は思っています。




【伊豆の国市韮山山木・平兼隆館跡案内板】

  2025年9月8日。 伊豆の国市・韮山山木にある、「平兼隆館跡案内板」を見て来ました。 ネット地図に出ていた史跡。 案内板以外、何もない事は、ネット情報で知っていたんですが、周囲がどんな感じになっているのか、見に行ったのです。

≪写真1≫
  これが、平兼隆の館があったと思しき場所。 何も残っていません。 源頼朝が、北条氏一党に担がれて、打倒平家の旗揚げをした時、最初に襲撃した所です。 この場所、北条氏の館があった、守山の麓から、徒歩で、1時間くらいでしょうか。 大昔の襲撃には、リアルな距離ですな。

≪写真2左≫
  ≪写真1≫の右の方に、緑色のフェンスが写っていますが、そのフェンスの端に掲げられていた、案内板。

「← この先の高台一帯が 平兼隆館の跡です」

  バイクで、高台に上ってみましたが、普通の住宅地でした。

≪写真2右≫
  坂の下に停めた、EN125-2A・鋭爽。 住宅地なので、道が狭く、車が来ないか、ヒヤヒヤでした。 この場所に、車で来るなら、江川邸の駐車場に停めて、歩いた方がいいです。

≪写真3左≫
  近所の家で咲いていた、カンナの花。 「ベロンチョ」という感じ。

≪写真3右≫
  同じく、百日紅(サルスベリ)の花。 日射しが強過ぎるせいなのか、角度が悪いのか、色が出ません。 現物は、もっと鮮やかな赤でした。

≪写真4≫
  近くにある観光名所、「江川邸」の正門。 韮山反射炉を造った韮山代官、江川英龍(江川太郎左衛門)の屋敷ですが、江戸時代までは、敷地内に、「韮山代官所」もありました。 有料になってから、入った事がありません。 昔 入った時の記憶だと、武家屋敷というより、豪農の家という感じでした。 もっとも、私が見れたのは、見学可能な部分だけだから、そう思ったのかも知れませんが。




【伊豆の国市寺家・願成就院】

  2025年9月15日。 伊豆の国市・寺家にある、「願成就院」へ行って来ました。 「がんじょうじゅいん」と読みます。 韮山では、「江川邸」、「反射炉」の次に有名な観光地。 鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した寺です。 2008年5月に、折自で来た事があります。 国道136号線を南下して行くと、西へ曲がる出入口に、案内看板がありますから、すぐに分かります。

≪写真1≫
  出入口の道路を入って行くと、山門の前が広くなっています。 左へ行くと、駐車場があります。 右の奥には、「守山八幡宮」の鳥居が見えます。

  この道だったと思うのですが、2008年に来た時には、看板が立っていて、「大河ドラマ ≪草燃える≫のロケ地」とありました。 1979年の放送ですから、大昔です。 息の長い看板でした。 ≪鎌倉殿の13人≫の時に、撤去されたのではないかと思います。

  願成就院は、拝観料、あり。 大人、800円。 中高生・400円。 小学生・200円。 25名以上の団体の場合、半額。 毎週、火・水曜が、休館。 拝観時間は、10時から、16時。 ここまで、細かい情報は、不要か。 自分が入りもしなかったくせに。 ちなみに私は、有料の施設には、まーず、入りません。

≪写真2≫
  駐車場の先にある、「願成就院跡」。 ややこしいですが、創建当時の願成就院は、現在のそれより広大な敷地をもち、建物も多かったらしく、この場所には、塔があったとの事。

≪写真3≫
  山門の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 つくづく、お寺などの史跡には、スポーツ・バイクが、よく似合う。

≪写真4左≫
  136号線と、山門の中間あたりに、石の標柱がありました。 「国寶 旗揚不動尊」。 そういう像が、寺の中にあるのでしょう。

≪写真4右≫
  近くの住宅の庭に咲いていた、芙蓉の白。 普通は、ピンク。 白は、珍しいです。




【伊豆の国市四日町・田方消防訓練場】

  2025年9月23日。 伊豆の国市・四日町にある、「田方消防訓練場」へ行って来ました。 元韮山町役場付近に来た時に、見つけた所。 一面の水田地帯の中に、ビルを模した塔が建っているので、遠くからでも、よく見えます。 名前の通り、消防士が訓練をする施設。 「田方(たがた)」というのは、この付近の広域を指す地名で、郡名にもなっています。 たとえば、韮山は、以前、「田方郡韮山町」だったわけです。

≪写真1左≫
  ビルを模した塔。 縮尺が書いてあって、16メートルまで、目盛りがあります。

≪写真1右≫
  これも、訓練用だと思います。 津波避難タワーのように見えますが、この近辺は、海から遠いので、津波の心配はないです。 狩野川が氾濫して、大水が出た時には、避難できるのかも知れませんが、登れる人数は限られていますな。

≪写真2≫
  周囲の水田。 収穫が近く、米がたわわに実っていました。

≪写真3≫
  訓練場の出入り口前、側溝をまたぐ橋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 む! 撮った時には気づきませんで下が、改めて見ると、この角度は、カッコ良く見えますな。 ちなみ、このEN125-2Aは、2010年頃に作られたものですが、1980年代・90年代のデザインを模しています。 レーサー・レプリカが流行った80年代にも、丸1灯の普通のバイクには根強い人気があり、90年代に入って、レプリカが、普段使いし難い事で、敬遠されるようになると、主流になりました。

  往路の事ですが、大平トンネルに入る直前で、バイクのエンジンが止まりました。 ランプ類が全消なので、バッテリー端子だと思い、車載工具のプライヤーで、端子を締めている結束バンドを、更にきつく締めつけたら、通電しました。 ツーリングを続行。 それ以後は、エンジン停止はありませんでした。

  帰ってから、結束バンドを切って捨て、一回り太目の結束バンドで、締め直しました。 ハンダづけするのが本道ですが、面倒で、やる気になりません。 結束バンドで間に合っている間は、それで行こうと思います。

≪写真4左≫
  施設内から、側溝に出ていた、太いパイプ。 直径50センチくらい。 何を流すんでしょう?

≪写真4右≫
  これは、韮山ではなく、帰り道に、江間の水田脇に咲いているのを撮った、彼岸花。 この日は、彼岸の最終日でした。




【伊豆の国市南條・伊豆震災殉難者慰霊碑/狩野川台風殉難者慰霊碑】

  2025年9月28日。 伊豆の国市・南條にある、「伊豆震災殉難者慰霊碑/狩野川台風殉難者慰霊碑」へ行って来ました。 伊豆長岡の、狩野川に架かる千歳橋の右岸袂、下流側にあります。 千歳橋は、これまでに、何十回も渡っており、ここに石碑らしきものがあるのは知っていたのですが、何の碑なのかは、確かめていませんでした。

≪写真1≫
  石碑群ですな。 まだ、新しい感じですが、台座には、「昭和49年9月26日」と記してあり、1974年ですから、もう、51年も前です。 こんなに綺麗に維持できるものなんですねえ。 向かって左から、

・ 伊豆震災殉難者慰霊碑 (昭和5年11月26日)
・ 交通災害者慰霊碑(昭和50年5月)
・ 仏像
・ 狩野川台風殉難者慰霊碑 (昭和33年9月26日)
・ 狩野川台風50周年慰霊碑 (2008年9月)

≪写真2左≫
  台座を別にしている、「狩野川台風50周年慰霊碑」。 このオブジェは、何を表しているんでしょう? 飛行機? 波の上に、船?

≪写真2右≫
  近くで咲いていた、彼岸花。 もう、盛りは過ぎたらしく、白っぽくなっている花が、半分くらい ありました。

≪写真3≫
  伊豆長岡の、駅と温泉街を結ぶ、千歳橋。 手前のトラス構造部分は、歩行者・自転車橋です。 車道橋は、鉄骨アーチ橋で、アーチの頂上部分が、少し見えています。

≪写真4≫
  石碑群の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 傾斜地ですが、うっかり、下向きに進入してから、エンジンを切ってしまい、下りて方向転換するのに、一苦労しました。 傾斜地に停める場合は、上向きにしないと、サイド・スタンドが外れてしまう恐れがあるのです。

  センター・スタンド? それは、傾斜地では、上向きでも下向きでも、やめた方がいいです。 バイクが重くて、下向きだと、かけられませんし、上向きだと、外せなくなります。




  今回は、ここまで。 現・伊豆の国市の中でも、旧・韮山町を目的地にしました。 出かける間隔が一定しないのは、専ら、天気の関係です。 なるべく、週の初めに出かけるようにしているのですが、雨では、日延べせざるを得ません。 言うまでもない事ですが、合羽を着て出るなど、プチ・ツーリングの道に反します。 通勤ではないのですから、

  他に、やる事があって、なかなか、出かけられない場合もあります。 9月の下旬は、国勢調査の訪問が来るのを待っていて、強か、予定を狂わされました。 5年前は、9月16日に来たのに、今回は、9月26日と、十日も遅れたのです。 私が、どれだけ、ヤキモキさせられたか、分かっていただけるでしょうか。

2025/10/19

時代を語る車達 ⑯

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 正直に白状しますと、このブログの、レギュラー・シリーズを埋める為だけに、せっせと、出先で、車を撮影している次第。





【ホンダ・初代 N-ONE】

  バイクで出かけた時、コンビニに停まっている車を、道路から撮ったので、角度が悪い上に、遠いですが、ホンダ・初代 N-ONEです。 調べた事はありませんが、「エヌ・ワン」と読むんでしょうな。 Nシリーズ全てに言える事ですが、どうも、あまり、いい名前ではありませんな。 しかし、ただの記号名よりは、覚え易いです。

  初代は、2012年から、2020年まで。 現行は、2代目ですが、鉄板部分は、初代も2代目も同じらしいです。 昔だったら、ビッグ・マイナー・チェンジにすら当たらない変更なので、初代、2代目と分けるべきなのかどうかも疑問。 この写真の車は、たぶん、初代だと思います。 後ろバンパーだけを手掛かりに、判断したので、自信はありませんが。

  こういう形が好きな人の気持ちは良く分かる。 ちょっと、レトロっぽくて、フィアットの、NUOVA 500あたりを、想起させるからでしょう。 特に、40歳以下の世代は、そう思うはず。 しかし、私の世代の目には、ミラ・デザインの亜流にしか見えません。 ダイハツ・ミラの、初代から、3代目までの形を指します。 かつて、超名作、初代トゥデイ(丸灯)をデザインしたホンダが、2010年代になって、ミラ・デザインに走ってしまったのは、情けないとまでは言いませんが、残念なところ。

  しかも、この車、セミ・トール・ワゴンに分類されるらしく、背が高い。 1610ミリもあるんですな。 1395ミリの、3代目ミラと比べると、バランスが狂っているように見えてしまうのは、そのせいでしょう。 つくづく、軽自動車の世界では、「ふくらませ病」が蔓延しておりますな。 馬鹿馬鹿しい。 室内高が、10センチ高くなったからといって、どれだけ、乗り易くなると言うのよ? 車は重くなり、運転はつまらなくなるだけです。 広い車内が欲しい人には、N-WGNや、N-BOXがあるのだから、中車高の車まで、膨らませる必要はないと言うのよ。

  「今時、背が高くなければ、売れない」というのは、完全な錯覚であって、いいデザインならば、中車高でも、充分、売れます。 ミライースが、好例です。 レトロに走る必要もありません。 レトロ・ブームなんぞ、とうの昔に過ぎ去っているのであって、わざわざ、レトロ風の現行・新車を探している客が、たくさんいるとは、とても思えない。 メーカー側の錯覚なのです。 その考え方では、背も高くなく、レトロ風とは無縁のミライースが、なぜ売れているかを、説明できないでしょうに。

  話を、N-ONEに戻します。 この写真では分かりませんが、フロントの、ヘッド・ライトとグリルのグラフィックがねえ・・・。 私の世代だと、ああいう形を見ると、≪天才バカボン≫に出て来る、お巡りさんの、「つながり目」を思い浮かべてしまうのです。 マツダや日産でも、そういうのがありましたが、なんで、左右のライトを繋げたがるのか、動機が分からない。 車のフロント・デザインが、人間や動物の顔に相当するイメージで捉えられるのは、車のデザイナーでなくても、誰でも知っている事だと思いますが、目が繋がっているのは、漫画の狸か、バカボンのお巡りさんくらいのもので、それらに似せる事に何か利点があるんですかね? 大いに、解せぬ。 

  まーた、貶してしまったなあ。 現行車ではないけれど、現行の2代目も、あまり変わっていないわけで、やはり、貶すのは、いかんなあ。 ホンダも、新しいデザインを思いつかないのなら、初代トゥデイ(丸灯)を、フォルムはそのまま、現行規格のサイズに拡大した上で、5ドアにして出したら、どうですかね? ・・・と、こんな提案が、金輪際、受け入れられないのは、百も承知の上で言っているわけですが・・・。




【ホンダ・5代目ライフ】

  ホンダの、5代目ライフです。 2008年から、2014年まで、生産・販売されていた車型。 ライフは、この代で終わり、後継車種は、N-WGN(エヌ・ワゴン)になりました。 ちなみに、ライフの初代は、1971-74年に、360ccで出たもの。 だいぶ間が開いて、1997年に、2代目が出ますが、名前を受け継いだだけで、トール・ワゴンとなり、以降、5代目まで、そのカテゴリーで続きます。

  うちには、母の二台目の車として、新車で買った4代目ライフがあったのですが、2008年に、母が車の運転をやめ、その後、私が休日に乗っていたものの、翌2009年には、売却してしまいました。 5代目が出てから売ったので、値段が、ガクンと下がってしまったのですが、その事に気づいたのは、ずっと、後になってからです。 当時、車からは興味が離れていて、5代目が出ても、注意して観察する事はありませんでした。

  ライフは、2代目のデザインが良くて、2016年に、父を病院へ送迎する為に、中古車を買わなければならない事態に至った時、第一候補にしていたのですが、諸般の事情で手に入らず、急いでいた事もあり、中古車店にあった、セルボ・モードを買ったという経緯があります。 デザイン的には、うちにあった4代目も、独自性が強くて、レベルの高いものでした。

  で、この5代目ですが、4代目をベースに、手直しを加えたという印象です。 4代目よりは、角ばっていますが、程良い角ばり方と見るか、中途半端と見るかは、人によって異なるでしょう。 私には、中途半端に見えますが、さりとて、目くじら立てて扱き下ろすほど、悪いとも思いません。 トール・ワゴンとして、良く言えば、普通、悪く言えば、普通過ぎで、印象が薄いです。 特に興味がない場合、この5代目ライフと、初代N-WGNの見分けがつかないという向きもいるのでは?

  この写真の車は、後期型のようですが、前期型よりは、フロント・マスクのデザインが良いです。 特に、グリル付近がカチッとしていて、好ましい。 だけど、その点も、個性という基準で見ると、退歩して、「普通」になってしまったという感じもします。 難しいところですな。 




【三菱・8代目ミニカ】

  三菱の、8代目ミニカ。 1998年から、2011年まで、生産・販売されていた車型。 ミニカは、この代で終了しました。 あまり、印象に残っていないという人も多いと思いますが、同時期に、三菱では、初代・2代目の、ekワゴンを売っていて、そちらが大ヒットしていたせいで、ミニカは、日陰の存在になってしまっていたのです。

  この写真の車は、前期型のようです。 中期型以降、グリル周辺が変わるのですが、前期型の方が、いいデザインだと思います。  3ドア、4ナンバーなので、ボン・バン。 ボン・バンは、大変、安価な値段で売っていたらしく、その点は、好ましい。 やはり、軽は、本体価格・維持費、共に安くなければ、積極的に選ぶ意味が損なわれますから。

  デザインは、古臭いところも、斬新過ぎるところもなく、標準的。 ミニカは、4代目までは、見るに耐えぬ、醜悪なデザイン。 それ以降、脱皮して、5・6・7代目と、特徴的なデザインが続いていたから、この8代目が出た時には、「悪くはないが、何とも、地味である事よ」と思ったものです。 しかし、今から振り返ると、こういう、標準と言えるデザインこそ、優れていたんですな。

  個人的な趣味で言わせてもらいますと、このヘッド・ライトの切り方が、素晴らしい。 センスがないと、こういう形は、なかなか作り出せません。 この写真では分かりませんが、リヤ・コンの形もいいんですよ。 そういうのが得意なデザイナーが担当したんでしょうなあ。 7代目から微かに受け継いだと思われる、前窓から屋根にかけての適度な丸みも、心憎い。

  強いて、難を探せば、Cピラーが、逆台形になっている点が、少し引っ掛かりますが、ダイハツ・MAX(2001年~2005年)ほどの違和感は覚えません。 逆台形を、順台形にしたら、印象の安定度は増すと思いますが、個性は減ずるので、痛し痒しといったところでしょうか。

  「安かったから、下駄代わりに、乗っているだけ」というオーナーの方もいるでしょうが、どうしてどうして、今時のトール・ワゴンや、ハイト・ワゴンなど、相手にもならないくらい、レベルの高いデザインだと思いますよ。 お洒落を狙った、特殊な車ではないからこそ、このデザインには、価値があると言えます。




【三菱・2代目ekワゴン】

  三菱の、「ekワゴン」ですが、これは、2006年から、2013年まで生産販売されていた、2代目です。 2001年から、2006年までの、初代の方が、強く記憶に残っている人が多いと思いますが、代変わりはしたものの、外見は、ほとんど変わらなかったとの事。 昔だったら、マイナー・チェンジの内ですな。 ほとんど変わらなかったのに、なぜ、この写真の車が、2代目だと分かるのかと言うと、左の後ろドアが、スライド式になっているから。 これは、初代にはありませんでした。

  名前に、「ワゴン」が入っているから、トール・ワゴンのようですが、全高は、1550ミリで、現行アルトより、少し高い程度。 そもそも、この車の外観を見て、背が高いという感じはしません。 「セミ・トール・ワゴン」と言うべきなのかも知れませんが、私は、そういう細かいカテゴリー分けを、あまり、いいとは思いません。 背を高く見せないというのは、私に言わせれば、デザインが優れている証拠ですが、昨今の「膨らませブーム」に毒されている向きには、逆の考え方をする人達も多そうですな。

  初代は、車のデザインに興味がない人でも、ハッとさせられたような、優れたデザインでした。 切り餅を大小二つ重ねただけのような、シンプルな形なのに、どうして、あんなに美しく感じるのか、不思議でした。 この2代目も、事情は同じですが、グリルを弄ったせいで、シンプルさが、若干 減じています。 だけど、どこかしら変えなければならないとなれば、グリルが対象になってしまうのは、致し方ないですな。

  この車、持ち主を、センスが良い人と思わせますが、不思議な事に、「標準」も感じさせるのです。 誰が乗っていても、おかしくないような普遍性を、このシンプルなデザインが醸し出しているんですな。 この時期の三菱の軽は、デザインのレベルが高いわ。 特に、初代・2代目のekワゴンには、車に対する哲学すら感じさせます。




  今回は、以上、4台まで。

  出先では、車だけでなく、オートバイも目にするわけですが、滅多な事では、撮影する気になりません。 私は現役時代、バイク通勤を、20年以上していたので、乗るのであれば、車よりも、バイクの方が好きなのですが、他人が乗っているバイクの車種には、ほとんど、興味がないのです。 バイクは、車以上に、「乗って、ナンボ」の道具でして、どの車種を選ぼうが、その人の勝手だと思っています。

2025/10/12

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑩

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の2月3日まででした。 今回は、その続き。 すでに、病院通いをやめているので、この記録は、思い出したくないものとなっていて、当時の日記を纏めるのが苦痛なのですが、中途放棄するのも気が進まないので、とりあえず、病院通いをやめるところまでは、続けます。




【2025/02/07 金】
  午後、座敷歩き。 昼寝して、また、座敷歩き。 夕方までに、何とか、1万歩にしました。 これは、歳を取って来たら、つらくなりそうだな。

  時々、

「こんなに つらいのなら、いっそ、糖尿病治療なんか 打ち切って、食べたい物を 好きなだけ食べて、早死にしてしまおうか」

  などと思ったりするのですが、どうも、自分が死ぬという事が、前向きにも、後ろ向きにも、うまく、想像できません。 意識がなくなるわけだから、「長い眠りのようなもの」という感じもしますが、もう二度と目覚めない点、眠りとは、本質的に違うんですな。

  こうだから、「あの世」とか、「来世」とかいう考え方が生まれて来るわけですな。 「そんなもの、ありはしない」と分かっている人でも、死がうまく想像できないから、それに縋ってしまうのでしょう。



【2025/02/10 月】
  9時から、旧母自で、病院へ。 採血の後、内科の糖尿病専門医の診察。 前回の血液検査と、肝臓エコー検査の結果、肝臓に、特に問題はなく、肝硬変でもないし、肝炎に罹っているわけでもないとの事。 私としては、ウイルス性肝炎を最も恐れていたので、これには、ホッとしました。 その医師が、肝臓の専門医に意見を訊いたところ、食事の内容が変わったのと、体重が減ったのが原因ではないかという見解だったらしいです。

  ただし、良いニュースは、そこまででした。 肝心の、肝機能の数値(ASTと、ALT)は、下がってはいるものの、まだ高いので、外科の医師と相談した結果、鼠蹊ヘルニア手術は、数値が下がるまで、延期になるとの事。 2月半ばに予約を入れてあった手術の日程は、全て、キャンセル。 これは、悪いニュースですな。

  だけど、本心を吐露すると、落胆半分、安堵半分というところです。 鼠蹊ヘルニア手術の目処が立たないのは、ガッカリですが、この寒い時期に、手術入院しなくて済んだのは、正直、ありがたいです。 寒いと、服装の選択から、踵や手指の先の角質化ケアまで、何かと厄介です。

  そして、これは、誰にでも当て嵌まると思いますが、私だって、手術は怖いです。 目覚めない危険性がある全身麻酔なら、尚の事。 もう、人生、やりたい事はやり終えていて、最悪、死ぬ覚悟はできているとはいえ、やはり、死は怖いです。 延期となれば、それまでは、生きていられるわけだ。

  総合的に考えて、今日の医師からの通達は、私にとって、悪いものではありませんでした。 ウイルス性肝炎という、目の前真っ暗になる宣告よりは、一億倍、マシです。

  鼠蹊ヘルニアで、腸が飛び出したまま、糖尿病の運動療法を続けるのは、厳しいと思っていましたが、散歩より、屋内歩行が主になっている現状では、飛び出した部分を手指で押さえながら歩く事もできるので、さほど、気にならなくなりました。 まあ、手術は、条件が整うのを気長に待つとして、糖尿病の治療に勤しもうと思います。



【2025/02/12 水】
  今日の昼食の事ですが、4ヵ月ぶりに、袋ラーメンを食べました。 マルちゃんの正麺。 ただし、半分だけ。 残りは、麺とスープに分けて、冷蔵庫で保存し、明日の昼食に食べます。 非常食として、プレハブ離屋に保存してある分が、賞味期限を大きくオーバーしているので、食べてしまう必要があったのです。

  一食に半分なら、カロリー的には、麦ご飯、茶碗一杯分と、変わりません。 とっくに食べ飽きた味ですが、4ヵ月ぶりだと、途轍もなく、うまく感じられます。

  とにかく、今の私には、どんな食べ物でも、うまくてうまくて、こたえられないのです。 甘い物を食べなくなったせいか、味覚が敏感になり、何にでも、甘味や旨味を感じるようになっているのです。 まさか、こんな感覚になるとは、糖尿病の治療で、食事制限を始める前までは、想像もしませんでした。 少なくとも、食べる事に関しては、糖尿病のお陰で、至福の喜びを得た事になりますな。



【2025/02/17 月】
  また、寒波が来るとの予報。 もう、勘弁して下さい。 手足の角質化が、いつまで経っても、治りません。 これも、糖尿病が原因で、毛細血管が詰まり、血行不良になっているせいだと思います。



【2025/02/20 木】
  朝一、一人で車で、イオン系スーパーへ買い出し。 レジ袋、3個分、買って来ました。 キャベツは欠かさないようにしているのですが、半玉ずつでも、冷蔵庫の野菜室て、容積をとってしまうので、ここのところ、数を減らし、代わりに、もやしを多く買っています。 値段は、5分の1くらい。 もっとも、もやし1袋と、キャベツ半玉では、重量的にも、嵩的にも、比べられませんが。



【2025/02/21 金】
  朝が寒い。 手足の角質化が激しく、割れて、切れてしまい、うんざりします。 まめに、ハンド・クリームを塗ったり、角質化した部分を爪切りで切ったりしてるんですがねえ。



【2025/02/22 土】
  朝食前に、血糖値を測ったら、58で、ビックリ! もろ、低血糖です。 低血糖というのは、70以下ですから、58では、かなり、甚だしい。 頭がクラクラするだけでなく、体全体がフラフラします。 すぐに、朝食を食べて、血糖値を上げました。



【2025/02/28 金】
  糖尿病治療の為の食事制限で、甘い物絶ちを始めてから、甘味や旨味に敏感になり、何を食べても、うまいと感じるようになった事は、以前に書きました。 何もかけない生のキャベツが、甘く感じるのだから、便利な舌になったものです。

  ところが、食事がおいしいせいか、どうも、食べる事にばかり欲望が向き、四六時中、そればかり考えているようになりました。 食事を食べ終わるなり、次の食事が待ち遠しくなる有様。 血糖値は、測り方のコツを掴んだので、正常値内で落ちついているんですが、体重が増え始めて、冷や汗が・・・。 おいしいおいしいで、量を食べているから、当然の結果か・・・。

  米の値段が高いので、昼食は、袋ラーメンを食べるように変えたのですが、最初、半分だったのが、スープと麺を分けて保存するのが面倒で、一食食べるようにしてから、覿面に体重が増え始めたました。 やむなく、また、半分に戻した次第。 ちなみに、袋ラーメンは、むしろ、安い品の方が、カロリーが高いのは、不思議です。 「即席麺には、栄養がない」とは、よく言われる事ですが 栄養はともかく、カロリーはあります。 もちろん、炭水化物で、血糖値が上がる食物。

  それは、さておき、食べる事だけが生きる目的になっているのは、如何なものか。 そんなだから、体重が増えたり、血糖値が上がったりすると、「ああ! 食べ物を減らさなければならないのか・・・。 もう、何の楽しみもない!」と、精神的に、ガックリ来てしまうのです。

  つくづく思い知るに、引退者の生活として、文化の支援が受けられないのは、大変、厳しい。 読書でも、テレビでも、これが、どうしても、読みたい、見たいというものがなくなって、久しいです。 「欠点、問題点も多いが、総合的に見れば、世界は素晴らしい」と思っていた私は、どこへ行ってしまったのでしょう?



【2025/03/03 月】
  昨日までとは一転して、気温が低下。 更に、朝から、本降りの雨。 更に、風まで出て来て、嵐に近くなりました。

  こんな日なのに、病院へ。 予約が入っているから、仕方がない。 車で行く事も考えましたが、帰って来てから、車を拭くのが嫌で、旧母自で、傘をさして行ったのが、大間違い。 嵐は、そんなに甘い物ではありませんでした。 

  何とか辿り着き、採血、採尿、内科の検診。 なんと、肝機能の数値は、良くなるどころか、悪くなっていました。 マヨネーズの食べ過ぎのせいではなかったんですな。 マヨネーズ原因説に懐疑的だった、糖尿病専門医のМ医師は、「それ見た事か!」と、ドヤ顔をしていましたが、私としては、ガックリです。 原因が分からないのでは、鼠蹊ヘルニアの手術が、ますます遠のきます。

  「ごく稀に、インスリン注射で、肝機能が悪化するケースがあるので、それを確かめる為に、食前インスリン注射をやめましょう」との指示。 一日、4本打っていたのが、1本になるわけだから、私としては、楽です。 肝臓の専門医にもかかる事になり、その予約が入れられました。 また、検査検査になるのかも知れません。

  そこまではともかく、М医師が、3月一杯で、その病院に来なくなると言われたのには、驚きました。 本来、他の病院の医師で、週に一日だけ、出張で来ていたのが、契約期間が終わったのでしょう。 3月31日が、最後の診察で、4月以降は、また別の糖尿病専門医が来るとの事。 M医師が、妙に嬉々としているのは、私のような厄介な患者と、おさらばできるからでしょうか。

  M医師が、信用できそうな人だから、通っていたのに、これでは、4月以降、この病院に来る意味がなくなってしまいます。 糖尿病医院なら、近所にもあるからです。 鼠蹊ヘルニアの手術の方は、今のところ、絶望的なので、ますます、この病院に来る理由がない。 何だか、やる気をなくしてしまったなあ。 複数科の盥回しに、うんざりしました。

  12時過ぎに、受付で会計。 薬の引換券をもらいましたが、院内薬局の薬剤師達が、昼食に行ったようで、薬局が機能していません。 「60分待ち」の告知板が出ています。 本当に、1時間以上、待つ事になりました。 しかし、これは、強ち悪い事ではなく、その間に、雨が弱くなりました。 と言っても、やみはせず、風が加わって、傘をさして自転車に乗るのは、厳しかったですが。

  今の病院に通い始めて、分かった事が、二つあります。 一つは、外科医師二人の態度から見て、鼠蹊ヘルニアは、急いで手術するような病気ではないらしいという事。 早く手術してやりたいという気が、およそ、感じられない。

  もう一つは、糖尿病の対策は、生活習慣の改善が中心なので、インスリン注射や薬がなくても、食事制限と運動で、何とかなりそうだという事。 自分で機器を買って、血糖値の計測だけ続けて、高血糖にならなければいいわけだ。

  それが分かってしまえば、もう、病院に行かなくてもいいか。 今日は、先の見通しが立たなくなった上に、冬の嵐に痛めつけられて、捨て鉢になっているので、落ち着いてから、真剣に検討してみる事にします。



【2025/03/04 火】
  病院ですが、3月一杯は行くとして、それ以降も通い続けるかどうかを、検討中。 肝機能数値悪化の原因が分からないのだから、鼠蹊ヘルニアの手術は、いつになるか全く分からなくなっているのであって、本来の私の目的を達する事はできない状態にあります。 肝臓の専門医にかかったところで、また、同じ検査が繰り返されるだけでしょう。 私営なのだから、儲けようとするのは、理解できますが、盥回しにされるのも、こちらに、辛抱の限界というものがあります。

  4月以降、信頼していた糖尿病専門医のМ医師もいなくなってしまう事だし、毎日、膨大な数の患者が押し寄せ、待ち時間も長い総合病院にかかり続けるのは、大変な負担です。 糖尿病だけなら、近所の医院の方が、ずっと、通い易いに違いない。 病院を変えると、検査などは、一からやり直しで、今までに投じたお金が無駄になってしまうという面もありますが、肝腎の鼠蹊ヘルニアの手術をしてもらえないのでは、そもそも、総合病院に行った意味がありません。

  いや、近所の糖尿病医院に行かなくても、食事制限と運動で、血糖値を正常値内に抑える事は可能だと思っています。 それは、昨日も書きました。 食欲を抑えられない人や、運動をする気にならない人が、インスリン注射や薬に頼らざるを得ないのは、仕方ないとして、私は、そうではないのですから。

  こういう事を書くと、「医師から言われた治療は、続けた方がいいに決まっている」と考えていて、反発を感じる人もいると思いますが、実は、医師の指示というのは、必ずしも正しいわけではありません。 主治医以外の医師に意見を訊く、「セカンド・オピニオン」という考え方が広まったのが、そのいい証拠です。 間違った判断や指示を出す医師も、確実にいるのです。

  ましてや、私の肝機能数値悪化のように、「検査をしても、原因が分からない」などと言われては、医師への信頼は損なわれざるを得ません。 原因が分からないのでは、治療方針の立てようがないではありませんか。 話にならぬ。

  これはもう、腹を括って、病院や医師に頼るのはやめ、自分の思う通りに生きた方が、正解かも知れませんな。 病院に行く事自体が、私にとって、生きる上での大きな負担で、不幸そのものなのです。 治るか治らないか分からないのに、苦労して通院生活を続けるより、自分の思った通りに生きた方がいいような気がするのです。

  「まだまだ、何十年も生きる」と思っているから、「悪いところは、病院で治してもらおう」と思うわけですが、60歳と言えば、昔なら、寿命で死んでも おかしくなかった年齢ですから、そんなに余生を惜しむのも、欲の掻き過ぎだと思います。 他人を見ても、長生きしている人達を、それだけの理由で羨ましいとは思いませんから。

  羨むどころか、逆に、生に執着し過ぎている人達は、醜悪に見えてしまう。 総合病院へ行くと、外来患者の8割は、高齢者ですが、傍目に見て、「みんな、病気と闘っているのだなあ。 えらいなあ」などとは、全く思いません。 「こんな歳になっても、こんな体になっても、まだ、生きたいのだなあ」と、不気味な違和感を覚えるだけ。 恐らく、というか、確実にですが、私より若い人達から見たら、私も そう見えるに違いない。

  家族・親戚・友人・知人など、心配してくれる近しい人達に対して、病気と闘う姿勢を見せておく事は、いい事ですが、自分自身に対しては、そういう気持ちは、半分くらいにして、残り半分は、いつ死んでも後悔がないように、覚悟しておく方がいいのではないかと思います。 どうにも避けられない事ですが、一人の例外もなく、みんな、いつかは死ぬのです。 年齢も様々、原因も様々。 錯覚し易い事ですが、長生きしたからといって、早く死んだ人より、偉いわけではありません。 周囲から、「やっと、死んだか」と思われる人の方が、多いくらいでしょう。




  今回は、ここまで。

  「糖尿病の治療を始めてから、食べるものが、何でも、うまい」といった記述がありますが、それは、今も同じです。 「空腹は最高の調味料」という言葉がありますが、糖尿病治療の方が、最高の調味料の称号に相応しいです。 グルメなんて、物の数ではない。 糖尿病治療をしている者だけが、食べ物の本当のおいしさを知っているのです。

2025/10/05

読書感想文・蔵出し (129)

  読書感想文です。 依然、高村薫作品ですが、図書館に単独の本がなくなってしまい、アンソロジーに入っている短編を読んだり、他の図書館から取り寄せてもらったりしていました。





≪推理作家になりたくて マイベストミステリー第三巻 迷≫

株式会社 文藝春秋
2003年10月30日 発行
日本推理作家協会 編

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーのシリーズ・アンソロジーです。 短編小説、14作、書き下ろしエッセイ、もしくは、インタビュー、7作を収録。 全体のページ数は、約319ページ。 小説は、二段組み。 エッセイ・インタビューは、一段組み。

  当世推理作家の短編の次に、彼らが推理作家になりたいと思っていた頃に影響を受けた、先人の短編を並べ、更に、それに関する、書き下ろしエッセイ、もしくは、特別インタビューを添えたもの。 感想は、短編のものだけ、書きます。 数が多いので、ざっと。


≪岩井志麻子≫
【魔羅節】 2001年 約13ページ

  明治時代、渇水に苦しむ山村で、藁にも縋る態の、奇怪な雨乞い儀式が行なわれ、ハイになった村の男達から、一人の少年が、性的な嬲り者にされる。 妹と共に、大きな都市に逃げて来たが、花街で男色を売る以外に、生きる術がなく・・・、という話。

  これは、ひどい。 小説として、ひどいのではなく、話の中身が、ひどいです。 こんな事が許されていいものか。 許されないほどひどい事だと思うから、モチーフにしたんでしょうけど・・・。 善悪バランスなど、全く頓着しておらず、とにかく、救いがない。 こういう小説を、分かったフリや、通好みのフリをして、評価しない方がいいと思います。


≪葉山嘉樹≫
【セメント樽の中の手紙】 1926年 約5ページ

  セメント袋の中から出て来た箱の中には、手紙が入っていた。 セメント工場で働いていた彼氏が、機械に巻き込まれて、チリヂリの粉々、セメントの中に混ぜ込まれてしまったのだが、そのセメントが何に使われたか知りたいから、連絡してくれとの事。 しかし、読んだ人物は、何の興味もないようで・・・、という話。

  小林多喜二作、【蟹工船】と同類の、プロリタリア文学らしいのですが、この彼氏の場合、使用者に搾取されていたのではなく、事故に遭ったのであって、だいぶん、事情が違うのでは? 労災の補償がなかったという事でしょうか。

  屁理屈を承知で言いますと、普通、人間が機械に巻き込まれたら、まず間違いなく、機械は止まってしまいます。 そのまま、セメントに混ざって、出荷される事はないと思いますがねえ。 プロレタリア文学であればこそ、リアリティーの欠如は、大きな欠陥になるのでは?


≪恩田陸≫
【オデュッセイア】 2001年 約9ページ

  大きな城のような街が、自らの意思と力で、陸となく、海となく、地球上を放浪している。 長い歳月の間に、戦争や疫病で、住人は入れ替わって行き、やがて、核戦争が起こって、地球には、人間も動物もいなくなってしまう。 ある時、宇宙へ出た人類の子孫が訪ねて来て・・・、という話。

  SFというよりは、ファンタジー。 私ゃもう、歳が歳ですけん、ファンタジーは、えーがな。 こういう小説は、まだ将来に希望がある、15歳以下の人達が読むべき。 というわけで、感想ではなく、印象を書きますと、宮崎駿さんのアニメを、部分的に切り取って、肉付けし直したような世界観です。


≪島田荘司≫
【糸ノコとジクザグ Jigsaw & ZigZag】 1985年 約33ページ

  今は昔。 あるラジオ番組で、視聴者サービスとして、3分間のメッセージを募集したところ、意味不明の文章を伝えて来た者がいた。 「これは、全体が判じ物で、自殺の予告ではないか」と判断され、自殺を阻止すべく、DJ始め、番組関係者や、他の視聴者達が、謎解きに挑む話。

  一種の暗号物で、いかにも、本格トリック作家の好みそうな話。 私も好きな方なので、ゾクゾクしながら、読みました。 判じ物で出来た文章は、結構 長いものでして、短編に、これだけの内容を盛り込むのは、アイデアの大盤振る舞いと言えます。 もっとも、判じ物と言っても、全てが洒落たものというわけではないので、作者の頭の中で、好きなように組み立てられる点、読者が感じるほど、難しくなかったのかも知れませんが。

  話が、入れ子式になっていますが、その点は、効果の程が、はっきりしません。 なぜ、入れ子式にしたのか、首を傾げてしまうくらい。


≪篠田節子≫
【青らむ空のうつろのなかに】 1997年 約33ページ

  実の母親から虐待を受けていた少年が、地方の農村にある、施設に預けられる。 豚の飼育をさせる事で、少年達に社会性を教える方針の施設だったが、その少年は、いつまでたっても、心を閉ざしたまま、ひたすら、豚だけに愛情を注いでいた。 やがて、豚が出荷される日が迫り・・・、という話。

  こういう施設、本当にありそうだな。 話も、実話として、ありそうですが、結末は、救いのない形で終わっていて、本当にこうなったら、ワイド・ショーのネタにされてしまいそうです。 こういう施設そのものが、子供を立ち直らせる力などないのであって、絶望的な気分で読み終わる事になります。

  動物ものと捉える事もできますが、豚はダシに過ぎず、作者が発したかったのは、「社会性の欠けた人間には、生きる場所などないのだ」というメッセージなのでは? と言ったら、穿ち過ぎですか。


≪西村寿行≫
【痩牛鬼】 1979年 約40ページ

  肉牛を育てている大規模な牛舎から、600万円もする出荷前の高級和牛が一頭いなくなり、同時に姿が見えなくなった従業員の青年が連れて逃げたと思われた。 青年は、その牛に対して、子供の頃の経験から来る特別な思い入れがあり、屠殺されるのを避けようとしたのだった。 山の中の廃村に隠れて、牛には、草を食べさせていたが、配合飼料を食べられなくなった牛は、どんどん痩せて行き、青年も食料が尽きて・・・、という話。

  肉牛の飼育について、細かく取材した跡が伺えます。 豚と牛の違いがあるものの、【青らむ空のうつろのなかに】と、よく似た話。 書かれたのは、こちらの方が、ずっと早いのですが、この作品に影響を受けて、【青らむ空のうつろのなかに】を書いたわけではないとの事。 つまり、こういう話を思いつく人は、多いというわけなんでしょう。

  最終的に殺す事になる動物は、可愛がり過ぎてはいけないんですな。 助けようと思うと、結局、こういう事になってしまうのです。 人間にできる事には限界があり、犯罪や、社会性を無視した行為は、動機が貴くても、実行は困難なわけだ。


≪高村薫≫
【みかん】 1996年 約6ページ

  60歳を過ぎて、息子夫婦と同居している男。 ある日、家にあったみかんを食べようとしたが、小さい上に、色が黄色で、男の食べたいみかんとは、違っていた。 外出して、果物屋を巡るが、目当てのみかんは見つからない。 ふと、自分が求めていたみかんが、どういうものなのか気づくが、それは、店では手に入らないものだった。 という話。

  短いので、梗概を書こうとすると、ストーリー全部を書いてしまいますな。 老年期に入った主人公が見つけようとしているのは、若さそのもののようですが、はっきり、そう書いてあるわけではありません。 推理小説でも、犯罪小説でもなくて、戦前の作家が書いた、何が言いたいのか良く分からない、私小説に似た雰囲気があります。

  この短さで、この分かり難さは、勘弁して欲しいところ。 短いのをいい事に、4回 読み返しましたが、やはり、はっきりとは、分かりませんでした。 そもそも、この本を借りて来たのは、高村作品を読むのが目的だったのに、肝腎のそれが分からんのでは、意味がない。 高村さんレベルの、知能・知識・教養がある人には分かるのに、自分には分からないというのは、大変、歯痒いです。


≪武田泰淳≫
【ひかりごけ】 1954年 約41ページ

  戦時中に、知床半島で起こった、「人肉食事件」。 冬に、船が難破して、辛うじて、陸に逃れたものの、その土地から出られなくなってしまった乗組員4名が、餓死した順に食われて行き、最後に残った船長だけが生還したが、やがて、どうやって生き延びたかが露見して、裁判にかけられたというもの。 その話を、土地の者から聞いた人物が、分からない部分を想像で補い、戯曲に仕立てる、という内容。

  こういう、ギョッとする話を推挙するところは、いかにも、高村薫さんらしい。 血も凍るのは、この作品を読んでいる内に、「こういう場合、人肉食も、やむを得ないのではないか」と思っている自分を発見した時です。 作者の言いたい事は、大変、よく分かる。 しかし、分かり過ぎてしまうと、実際に、同じような状況に置かれた時に、やってしまうかも知れず、それが、怖いのです。

  「『人間の尊厳』などというものは、観念的な倫理観に過ぎず、生き残る事を最優先するのなら、やれる事は何でもやるべきだ」、というのは、AIが、人類の比較対象として認識されつつある現在を生きる者には、受け入れ易い考えだとは思いますが、さすがに、「人食い」となると、実際に、極限状態に追い込まれない限り、自分事として、真剣に考える気になれませんなあ。


≪馳星周≫
【古惑仔 チンピラ】 1997年 約14ページ

  香港に来た日本のヤクザの親分の娘を、観光案内する事になった、地元のチンピラ。 娘をホテルに送り届け、その日の務めは済ませたが、アニキの車を借りていたせいで、アニキの命を狙う連中に、間違って狙われ・・・、という話。

  梗概で、全部、書いてしまいました。 ストーリーというほどのストーリー性は、備わっていません。 チンピラらしい結末ですが、そんな生活をしていたのでは、いつ、こういう事になっても、致し方ないですな。

  映画の世界で、香港ノワールが流行っていた頃に書かれたものなんでしょうか。 一作家が、外国のヤクザ業界の事情を、どれだけ調べられるかは、大いに疑問でして、「江戸時代以前の日本を描いた、アメリカ映画」に似た、胡散臭さが隠せません。


≪大藪春彦≫
【雨の路地で】 1959年 約24ページ

  学生時代は、演劇に関わっていたが、結婚生活に無理があって、そこから、道を踏み外して行った男。 数年後には、ヤクザの幹部になったものの、仲間内の賭博で借金を抱え込み、昔の友人を頼る。 しかし、堅気の友人から、金を奪うに忍びず、雨の中を、また出て行って、タクシーに乗り・・・、という話。

  大藪さんの話ですから、タクシーに乗った後、どういう展開になるかは、想像がつくと思います。 きっかけはどうあれ、一旦、ヤクザになってしまった者には、結局、こういう末路しか待ってないんですな。 恙なく生きて、天寿を全うできるような世界ではありません。 新聞記事やニュースにならないだけで、どれだけのヤクザ・チンピラ・半グレの面々が、闇から闇へ、秘かに死んで行っている事か。

  大藪さんの作品にありがちですが、小説の構成としては、滅茶苦茶で、こういう設定の主人公に起こりうる、月並みなエピソードを寄せ集め、順不同で書き並べた観あり。 バランスは、非常に悪いです。 もっとも、大藪ファンは、そんなところは、読んでいないのであって、それが瑕になるわけでもないのですが。


≪山田風太郎≫
【まぼろしの恋妻】 1958年 約20ページ

  あるアパートの一室に、7年前 勤めていた官庁から金を持ち逃げして、逮捕され、服役を終えた男が住んでいた。 少々、頭がおかしくなってしまっていて、事件以来、行方が分からなくなった妻と娘を捜していた。 同じアパートに住む、若い女性二人が、男の頭にショックを与えたら、正気に戻るのではないかと、男の妻子と似たような年格好の母娘を仕立てて、試してみたところ・・・、という話。

  戦後間もない頃の、探偵小説っぽい雰囲気。 話の根幹部分は、ありふれているけれど、ベタに面白いです。 問題は、余計な設定でして、一人称の語り手の人物設定を、こんなに細かく決める必要はないです。 連作の一つで、他の作品と、登場人物を共有しているから、こうなったんでしょうか? そういう場合、章の一つに過ぎないのですから、切り取って、独立した短編として紹介するのは、無茶というものでしょう。


≪夢野久作≫
【瓶詰の地獄】 1928年 約10ページ

  船が難破して、無人島に漂着した、兄と妹。 裸でも暮らせる気候で、食料も、いつでも、労せずして手に入るという、生きて行くには、何の支障もない環境だった。 ところが、妹が成長するに従い、性的な魅力が顕著になり、それが、兄を苦しめ、楽園が地獄に変わる話。

  戦前の発表でして、兄妹が、一線を超える事はありません。 しかし、そうであればこそ、地獄のように苦しいわけです。 一線を超えなくても、超えたくて超えたくて、居ても立ってもいられないというだけで、倫理的に、アウトのような気がしますが、よく、発表できましたねえ。


≪山田正紀≫
【雪の中の二人】 1979年 約24ページ

  営業から社史編纂室に左遷された男。 雪の夜に、酒場の前で会った浮浪者に、酒を奢ってやるが、もっと欲しいという要望は、高飛車な態度で断った。 店を出て、浮浪者の後をついて行くと、立体駐車場に着き、蜜柑箱に跨って、雪に覆われたスロープを滑り降りるゲームを挑まれる。 意地になって応じたが、初めての事とて、勝てるわけがない。 二人の仲は、更に険悪になり・・・、という話。

  文章は、会話が多くて、大変、読み易いです。 逆に言うと、書き方が、軽過ぎる感じがします。 「自由に生きるとは、どういう事か」をテーマに、人間ドラマを描いているわけですが、この二人は、生き方が根本的に異なるのですから、価値観も違うのであって、諍いになれば、それぞれ、自分勝手な理屈をぶつけあう事になるのは、当然の事。 こういう争いは、犬も食いません。 星新一さんが絶賛したそうですが、どういうところを気に入ったのかが、測りかねます。


≪日影丈吉≫
【かむなぎうた】 1949年 約21ページ

  都会から、地方の山村に転校した少年。 同じクラスにいた、逞しい少年、源四郎と交際するようになるが、それは、友情とは異質の、張り合いのようなものだった。 ある時、イタコの老婆が、川で水死体となって発見される。 源四郎が、老婆に金をせびる様子を見ていた少年は、風邪で、ぼんやりした頭の中で、源四郎がどうやって老婆を殺し、金を奪ったかを推測するが・・・、という話。

  あまり目にしない漢字熟語の訓当てが多くて、些か読み難いですが、旧仮名ではないし、本物の古文に比べたら、物の数ではないです。 話の方は、「推理して、一応の結論に至ったけれど、実は全然 違っていた」とうもの。 推理小説のパロディーとも取れます。 ストーリーよりも、雰囲気を楽しむ作品でして、変格ミステリーの類いです。



  この本の総括ですが、「推理作家になりたくて」というタイトルにしては、推理小説が少ないのは、羊頭狗肉というもの。 推理小説で、短編となると、本格は、型に嵌まってしまうから、避けたがり、変格風の作品で勝負しようとして、推理小説から離れてしまうのではないかと思います。

  アンソロジーというのは、どうも、私の肌に合いません。 一作ごとに、文体や作風が変わるので、そのつど、頭を切り替えて行くのが、億劫なのです。 やはり、気に入った作家の作品を、続けて読む方が、安心できます。




≪わが手に拳銃を≫

株式会社 講談社
1992年3月28日 第 1刷発行
2002年3月29日 第21刷発行
高村薫 著

  沼津市立図書館に相互貸借を頼んで、金谷町中央公民館図書室から取り寄せてもらった、ハード・カバーの単行本です。 長編、1作を収録。 本文は、二段組み。 プロローグとエピローグは、一段組み。 約344ページ。 先に読んだ、【李歐】(1999年)の、原形になった作品ですが、こちらも、長編です。 短編を長編に書き直すというのは、良く聞きますが、長編を長編に書き直すというのは、珍しい。


  検察官をしている父の仕事の都合で、母と三人で、大坂へ移り住んだ男の子。 母に連れられて通っていた教会の隣にある町工場に遊びに行っている内に、金属加工に深い興味を持つようになる。 その工場には、韓国朝鮮語や、中国語を話す工員や居候がおり、社長は、拳銃の密造にも手を出そうとしていた。 社長の襲撃事件に巻き込まれて、母が殺されてしまい、男の子は母方の祖父母に引き取られる。 成長し、大阪の大学に通うようになった青年は、母が殺された事件の真相を探っていたが、バイト先のナイト・クラブで起こった、ヤクザの暗殺事件をきっかけに、殺し屋の中国人美青年と懇意になり、犯罪の世界に片足を入れをながら生きて行く身になる話。

  登場人物や、基本的なストーリーは、【李歐】と、ほぼ、同じ。 予想していた通り、タイトルが、拳銃絡みである分、拳銃に関する詳細知識は、こちらの方が、ずっと多いです。 この作品から、拳銃関係の文章を減らしたのが、【李歐】という事になりますが、減らした分を他の部分の描写に回したというわけでもなく、同じストーリーを、場面ごとに、少しずつ視点を変えて、書き直したといった体裁です。

  アクション場面は、こちらの方が、躍動感があって、面白いです。 些か、映像作品的な軽薄さも感じられるので、もしかしたら、そういうところに不満があって、書き直したのかも。 全体の構成も、こちらの方が、バランスがいいです。 普通の作家だったら、この作品に書き直す必要を感じる事はないでしょう。 うーむ、知能の高い人の考えている事は、分からない。

  特に、ラストですが、【黄金を抱いて翔べ】に近い雰囲気もあります。 ただ、【黄金…】が、一犯罪計画を対象にした、比較的短い期間の話なのに対し、こちらは、一人の人間の半生を追った話なので、どうしても、密度の低さが出てしまいます。 また、主人公が、確固たる意志があって、こういう人生を選んでいるのではなく、行き当たりばったりというほどではないものの、半分くらい、成り行き任せで生きているところがあり、それがますます、話を緩くしています。

  この作品と、【李歐】の、どちらか一作だけ読むと言うのなら、こちら。 しかし、高村さんの作品は、数が知れているので、手に入るなら、両方 読むのもいいんじゃないでしょうか。 「なぜ、わざわざ、書き直されたのか?」について、研究するのも、面白いかも知れません。

  それにしても、この作品でも、【李歐】でも、最も魅力を感じるキャラが、笹倉という名前の、オッサン、もしくは、ジーサンなのは、興味深い。 主人公や李歐より、一世代以上 歳をとっている、海千山千の商人なのですが、この人が出て来ると、利益最優先で、仲間でも平気で裏切る考え方が独特で、喋る言葉を一文字も余さずに読まなければ、損するような気にさせられます。




≪女性作家シリーズ 20 干刈あがた/高樹のぶ子/林真理子/高村薫≫

女性作家シリーズ 20
株式会社 角川書店
1997年10月27日 初版発行
干刈あがた/高樹のぶ子/林真理子/高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーのアンソロジー。 4人の作家の、短編10作と、長編の抄録1作を収録。 全体のページ数は、435ページ。


≪干刈あがた≫

【プラネタリウム】 1983年 約27ページ

  不倫している夫とは、ほぼ別居状態で、まだ小中学生の息子二人を育てている母親が、息子達の成長の様子を観察したもの。

  確認したわけではありませんが、元は、実話のような感じですな。 80年代っぽい、軽妙な文体で書かれていますが、内容は、私小説のそれに近いです。 「プラネタリウム」というのは、長男が、穴を無数に開けたティッシュの箱と、懐中電灯で作ったもの。


【ウホッホ探検隊】 1983年 約61ページ

  とうとう、夫と離婚した母親が、ますます、息子二人を愛しむものの、長男には、幾分 反抗期の兆しが見られ、両親の離婚が、彼らの心に悪影響を及ぼさないように、涙ぐましい努力で、息子達と心を通わせようとする話。

  随分前に、映画版を見ていますが、原作は、ずっと、シンプルで、短いものでした。 逆に言うと、映画版は、よくぞあれだけ、膨らませたもの。 映画では、誰が主人公かはっきりしませんでしたが、原作では、母親の視点で話が進みます。 その点、やはり、私小説的。

  離婚するほど、溝が深いのに、別に喧嘩しているわけではないというのが、不思議。 夫に別の女が出来た時点で、もう、諦めてしまっているんでしょうか。 夫は、どうか分かりませんが、妻の側だけでも、これだけ物分かりが良ければ、別居にも離婚にもならないような気もしますが、そう思うのは、私の経験が欠けているのであって、人により、夫婦により、様々なパターンがあるんでしょう。 結婚には失敗したけれど、できる限り、前向きに対処しているところが、好ましいです。


【女の印鑑】 19??年 約12ページ

  離婚する為に、旧姓の実印を注文しに行った女性。 印鑑の本体に、女物と男物で、太さの違いがある事に、カチンと来て、男物で作ってくれるように頼みながら、離婚に至った経緯を思い返す話。

  干刈あがたさんのは、三作とも、離婚ネタですが、この作品には、子供が出て来ません。 とばっちりの被害者がいないせいか、サバサバした感じがします。 夫の母親の反応は、頭に来ます。 こういう事は、身内だけで愚痴っていればいいのであって、息子の離婚相手に言う事ではありませんな。 他人に戻った相手を怒らせる事が、怖くないんですかね?



≪高樹のぶ子≫

【光抱く友よ】 1984年 約68ページ

  高校の女だけのクラス。 家庭の事情で、学校に出て来ない事が多い生徒と、たまたま、親しくなった主人公が、彼女の家を訪ねて行くと、部屋の壁に、宇宙の写真が、たくさん貼り付けてあり・・・、という話。

  周囲から不良と思われていて、実際、それに近い生き方をしているのですが、人格の一部に、純粋で高尚な部分があるという人物は、割と多くいそうですな。 本人は、その部分を大事にしている事で、自尊心を担保しているのでしょう。 しかし、アル中の母親と離れられないというのは、厳しい。 典型的な親ガチャの一例でしょうか。


【水脈(抄)】 1995年

  元の作品、【水脈】は、水に関わる話を集めた、短編集のようです。 その中から、以下の三作を選んだわけですが、登場人物も、ストーリーも、互いに関係していません。

[裏側] 約18ページ
  子供の頃に、姉妹で近所の洞穴に潜った時、滝の裏側に出た記憶がある姉。 大人になってから、妹に訊くと、全く記憶にないという。 遥か昔、祖母が家に招いた絵師に描かせたという絵の中に、滝があり、その中に入って行くと、若い頃の祖母と、絵師が密会していて・・・、という話。

  途中から、ファンタジーが入ります。 純文学とファンタジーは、異質なようですが、短編の場合、割と重なるところもあり、特に、違和感を覚える事もなく、受け入れる事ができます。 別に、絵の中の滝から戻った時に、ズブ濡れになっているのは、主人公が夢を見ていたわけではないと示す為かも知れません。


[月夜] 約14ページ
  この作品は、更に、三つのエピソードに分かれていますが、一人称の主人公は、共通。 一つ目は、夫と二人で、中米のユカタン半島へ行った主人公が、水に中って、トイレにお百度を踏む話。 二つ目は、20年前に、トイレで流産した時の話。 三つめは、祖父が子供の頃、池で溺れて、三日月に掴まって助かったという話。

  「水」だけでなく、「月」も絡めてあるわけですな。 三つ目のエピソードには、ファンタジーで締めてありますが、これまた、違和感がないです。 高樹のぶ子さんは、こういう作風なんでしょうねえ。 ストーリーとしては、特に面白いところはありません。 バラバラ過ぎ。


[水卵] 約22ページ
  故郷に墓参りに行った女性。 よその家の墓に立てられた卒塔婆を見て、子供の頃、一緒に遊んだ友達が亡くなっていた事を知る。 友達の家を訪ねると、母親と娘がいて、娘の話では、友達は、毎夜、池に遊びに行って、肺に水が溜まって死んだとの事。 その遊びというのが、池から、オルガンを引き上げて弾く事で・・・、という話。

  これも、結末が、ファンタジー。 しかし、SFに分類するには、純文学に近過ぎ。 [月夜]と違って、話に一体感があるせいか、面白いと感じます。 雰囲気レベルの事ではありますが。


≪林真理子≫

【星影のステラ】 1985年 約63ページ

  地方から東京に出て来て、一応、広告関係の会社で、一応、デザイナーの仕事をしているが、周囲から、野暮ったいと思われている、20歳の女。 ある時、憧れている、センスのいい都会的な女性に出会い、目下 失業中という事情に付け込んで、自分の部屋に居候させる事に成功する。 しかし、その居候は、一円も稼がず、それでいて、養っている事を感謝してくれるわけでもなく、次第に憤懣が募って行って・・・、という話。

  実際に、ありそうな関係ですな。 特に、女同士の場合。 主人公は、収入にゆとりがあるわけではなく、二人分の食い扶持だけで、カツカツ。 こんな生活は長続きするはずがないのですが、それでも、センスのいい人間と繋がっていたいという欲望を捨てきれないわけだ。 バブル期へ向かう、80年代の東京ですから、こういう人は、いくらでもいたと思います。 今でも、いるかな。

  「頼る相手は、私でなくても、誰でも良かったのでは?」という疑問は、最初から承知しているのかと思いましたが、そうではなかったようで、後ろの方で気づきます。 そもそも、居候の方は、「頼っている」という気持ちすらなかったでしょう。 自分の才能や魅力を最大限に活用し、都会で、他人をうまく利用しながら、スイスイと泳ぐように生きて行く人間て、いるんですよ。 巧い生き方というより、他者との信頼関係を構築できない点で、寂しい生き方ですが。


【最終便に間に合えば】 1985年 約49ページ

  30代前半で、造花のアーティストとして有名になった女。 仕事で札幌に行く事になり、きまぐれ半分で、札幌に住む、かつて交際していた男を呼び出して、夕食を共にする。 翌日の仕事の為に、最終便の飛行機で東京に帰りたいのに、男の方は呑気に構えていて、空港へ向かうタクシーの中でも、泊まって行くように執拗に迫って来て・・・、という話。

  うーむ、この俗っぽい設定が堪えられませんな。 80年代は、こういう感じだったんですよ。 交際していた頃の回想部分を読むと、「なんとまあ、ろくでもない男に捉っていたもんだ」と思いますが、そのろくでもなさを見抜けない女も女でして、割れ鍋に綴じ蓋であった事が分かります。

  この夜だって、もし、時間にゆとりがあったり、翌日に東京で仕事がなかったりしたら、誘いを断ろうとはしなかったと思われますが、男が、すでに妻子持ちである事を承知の上で、そうなのですから、呆れます。 そもそも、有名になった自分を見せつけて、昔 自分を蔑ろにした男を、見下してやりたいという、その発想が、下司っぽい。

  だけどねえ。 そういう時代だったんですよ。 当時を知る世代にとっては、リアルな話なのです。


≪高村薫≫

  【地を這う虫】と、【みかん】は、すでに、別の本で読んでいるので、感想は、そちらのものを移植します。


【地を這う虫】 1993年 約51ページ

  姻戚から被った家庭の事情で退職した元刑事の男。 経済的理由で別居する事になった妻子に仕送りする為に、倉庫管理の仕事と、別の会社の警備員の仕事を掛け持ちしていたが、唯一の楽しみは、二つの職場と住居の間を移動する時に、住宅地を歩き回り、仔細に観察して、気が付いた事を書き留める事だった。 ある時、その住宅地で、空き巣事件が連続したが、どの家でも、何も盗まれたものはなかった。 元刑事の血が騒いだ男は、空き巣が入った家の共通点を調べ始めるが・・・、という話。

  非常に、大変、ハッとするくらい、面白いです。 ベースにしているのは、ホームズ物の【空き家の冒険】だと思いますが、こちらの方が、千倍、優れています。 これは、短編推理小説として、傑作にして、名作なのでは? 古今東西 見渡しても、こんなにゾクゾクする短編は、そう幾つもありますまい。

  主人公の極端な性癖が、話の肝なのですが、こういう細かい性格の人間て、実際に いますよねえ。 もしかしたら、高村さん自身も、そういうところがあるのかも知れません。 でなければ、そもそも、こんなキャラクターを思いつかないし、小説の中に描き込む事もできないでしょう。

  とにかく、読むべし。 絶対に、損はしません。 ただし、同じような性格であったとしても、この主人公の趣味を真似ないように。 元刑事だから、何とかなったのであって、一般人がやったら、どんな事になるか分かりません。


【犬の話】 1993年 約39ページ

  犬の一人称小説を書こうとしている作家が飼っている犬が、夢想して、飼い主の小説の中に入り込み、野犬狩りにあったり、超自然的な力を持つ別の犬によって、施設から脱出する力を与えられたり、冒険を繰り広げる話。

  一読、科学的説明を欠いたSFのようですが、さにあらず、純文学の一類でしょう。 「人間を描く」のと同じスタンスで、「犬を描く」事に挑んだわけだ。 幻想的ですが、ファンタジーと言うには、残酷な場面が、尖り過ぎています。 ドライに生命を観察している点は、ジャック・ロンドン作、【野性の呼び声】、【白い牙】に近いものがあります。 擬人化していない、犬の一人称というのは、かなり、珍しいのでは?


【棕櫚とトカゲ】 19??年 約6ページ

  仕事で南の国にある営業所へ転勤している、日本人ビジネスマン。 上司と後輩の三人で、車で移動中、反政府ゲリラに襲われ、手榴弾で吹っ飛ばされる。 死ぬ前に、時間が巻き戻った感覚を味わう話。

  このタイトルは、特に深い意味はなく、その土地で、棕櫚とトカゲが普通に見られるというだけの事。 「死ぬ前に」ではなく、もう死んでいるのかも知れませんが、そう断られてはいません。 ずっと後年に書かれる、【墳墓記】は、この作品がベースになっているんじゃないでしょうか。 ストーリーという体裁ではなく、イメージのスライド・ショーのようなものなので、面白いも何もありません。 このページ数では、致し方ないか。


【みかん】 1996年 約5ページ

  60歳を過ぎて、息子夫婦と同居している男。 ある日、家にあったみかんを食べようとしたが、小さい上に、色が黄色で、男の食べたいみかんとは、違っていた。 外出して、果物屋を巡るが、目当てのみかんは見つからない。 ふと、自分が求めていたみかんが、どういうものなのか気づくが、それは、店では手に入らないものだった。 という話。

  短いので、梗概を書こうとすると、ストーリー全部を書いてしまいますな。 老年期に入った主人公が見つけようとしているのは、若さそのもののようですが、はっきり、そう書いてあるわけではありません。 推理小説でも、犯罪小説でもなくて、戦前の作家が書いた、何が言いたいのか良く分からない、私小説に似た雰囲気があります。

  この短さで、この分かり難さは、勘弁して欲しいところ。 短いのをいい事に、4回 読み返しましたが、やはり、はっきりとは、分かりませんでした。 そもそも、この本を借りて来たのは、高村作品を読むのが目的だったのに、肝腎のそれが分からんのでは、意味がない。 高村さんレベルの、知能・知識・教養がある人には分かるのに、自分には分からないというのは、大変、歯痒いです。




≪神の火 (1991年)≫

新潮ミステリー倶楽部特別書き下ろし
株式会社 新潮社
1991年8月25日 発行
高村薫 著

  沼津市立図書館に相互貸借を頼んで、大井川図書館から取り寄せてもらった、ハード・カバーの単行本です。 長編、1作を収録。 本文は、二段組み。 プロローグとエピローグは、一段組み。 約384ページ。 書き下ろし。 ネット情報では、後に、同じタイトルのまま、改稿されて、こちらは、絶版になったとの事。


  日本人の母が、ロシア人の男と通じて産んだ、緑色の目をした子供は、長じて、原子力発電の技術者となる一方で、日本人である義父の知人の手によって、ソ連のスパイとしての教育を受けていた。 原発の仕事を辞めて、大阪の専門書輸入会社に勤めている時、自分の息子ではないかと思われる青年に会い、その青年を助ける為に、再び危ない橋を渡る事になるが・・・、という話。

  スパイ物。 ですが、【リヴィエラを撃て】よりは、ずっと、リアリティーがあります。 舞台が日本、特に、大阪でして、作者が大阪出身なので、土地勘が有り余っており、イギリスが舞台の、【リヴィエラを撃て】とは比較にならないくらい、風景描写に分厚さが感じられるのです。 その辺りの文章には、点滴的な陶酔感すら覚えます。

  その点、1990年の、【黄金を抱いて翔べ】に近いですが、そちらと比べると、こちらの方が、落ちます。 【黄金…】が、犯罪物で、主人公達の目的は、金と、誰にでも分かり易いのに対し、こちらの目的は、最終的に、原発の破壊でして、一般読者には、ピンと来ないものだからだと思います。 破壊と言っても、別に、放射性物質をバラ撒こうというわけではなく、原発を使えなくすればいいのですが、やはり、一般読者としては、分かり難い目的ですな。

  しかも、その目的が、主人公の頭の中で固まるのは、中盤以降でして、前半は、特に何がしたいというわけでもなく、ダラダラと話が進みます。 酒浸りになる件りもありますが、一体、この主人公に何をさせたいのが、作者のつもりが分からず、強か読書意欲を殺がれました。 その後、大阪から福井へ舞台が移ると、持ち直して、洋上での身柄引き渡しの件りでは、手に汗握る緊張感を覚えるほどになります。

  で、その後のクライマックスが、高浜原発襲撃の準備と実行となるのですが、どうやって取材したのか想像もつかない、原発についての詳細な描写が繰り広げられるものの、ストーリー展開としては、また、低調になります。 つまりその、一般読者は、原発の構造には、興味がないんですな。 「安全、安全と言うが、軍事的な攻撃には、全く無防備」というのは分かりますが、そもそも、原発とはそういうものだと、大抵の人が思っているから、やはり、ピンと来ません。

  世に起こった大きな事件・事故から、題材を取る事が多い高村さんですが、この作品の場合、「チェルノブイリ原発事故」が、それに当たるんでしょうなあ。 1986年の事でして、まだ、5年しか経っていなかったから、生々しかったんでしょう。 ただし、チェルノブイリについての、詳細な描写は入っていません。 主人公の息子が事故直後の対応に関わっていたという、間接的な関連だけ。

  詳細な描写と言えば、パソコンについても、みっちり書き込まれていますが、知識が、1991年当時のものなので、今から見ると、古さは隠せません。 91年では、まだ、インター・ネットすらなかったのだから、それは致し方ない。 ポケベルをトリックに使った推理小説が、あっという間に陳腐化してしまったのを覚えている方もいるでしょうが、最先端のものほど、変化が激しくて、もちが悪いんですな。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪推理作家になりたくて 第三巻≫が、6月24日から、27日。
≪わが手に拳銃を≫が、7月5日から、8日。
≪女性作家シリーズ 20≫が、7月9日から、11日。
≪神の火 (1991年)≫が、7月19から、7月22日。

  アンソロジーが2冊も入っていると、感想も長くなりますな。 この記事を纏めている時には、もう、感想を書いてから、だいぶ経っているから、涼しい顔でいますが、これから書くとなったら、気が重くて、鬱病になりそうです。

  プロ作家の作品の中から、プロの選者が選んでいるのだから、一作一作のレベルは高いのですが、それが却って禍いでして、なまじ、レベルが高いから、他は無視して、目当ての作家の作品だけ読んで済ます、という事ができないんですな。 で、全部 読むと、感想が大変になってしまうのです。