2006/11/26

糾える馬

  前々から、≪HDC-2≫に入れるSDカードを買いたいと思っていたんですが、今日、銀行に行った帰りに、家電量販店に寄ってみました。 日立の推奨している≪I.O.DATA≫製の物は、258MGと512MGが両方とも2680円。 容量が倍なのに値段が同じ事に一瞬目眩を感じましたが、まあ何かと錯綜した世の中なので、そんな事は気にしない事にしました。 気にはしないけど、その店のポイント・カードを忘れたので、買わずに店を出ました。 ポイントが千円分あって、使わないと勿体ないからです。

  すぐ近くに、大型雑貨店があり、ついでなので、そこのカメラ・コーナーにも寄ってみました。 すると、≪LEXAR≫というアメリカ・メーカーの128MBが千円で特売されているのを発見! 推奨品を取るか、特売品を取るかで悩むこと数分、結局、吝嗇魂が勝利し、「安いカメラだから、安いカードの方が似合うだろう」と無茶な理由をこじつけて、こちらを買う事にしました。 現在は内臓メモリーの16MBだけでやっていて、最高画質で20枚くらい撮れるんですが、一回の撮影でいくら剛毅に撮りまくっても、50枚がいい所ですから、128MBでも充分つりが来るわけです。

  で、レジに行って頼んだんですが、若い男性店員がごそごそとあちこち探したにも拘らず、在庫が見当たらないようなのです。 特売の札がかかっている商品の在庫が無いというのは、随分と不手際な話。 結局、10分以上探しても見つからず、困った若い店員は、≪ハギワラ≫製の128MBを出して来て、「申し訳ありませんが、こちらの製品を千円にするという事でいかがでしょう?」と持ちかけてきました。 聞けば、定価で三千円する品だそうです。 若い店員にしてみれば、「三千円の品を千円にするのだから、文句はないだろう?」というつもりなのでしょうが、ちょっと不安を感じた私が、「どっちが信用できますかね?」と聞くと、≪LEXAR≫が5年保証なのに対し、≪ハギワラ≫は1年保証だったのです。 店員の眉間にぎゅっと皺が寄りました。

  実は私、メモリー・カードの保証なんぞ最初からあてにしておらず、1年だろうが5年だろうが、どうでもよかったんですが、その場は買わない事にしました。 この汗みずくの若い店員が、後で、三千円の品を千円で売った事を上司に咎められたら可哀想だと気を回したのです。 そもそも私がその商品を頼まなければ、こんなややこしい事にはならなかったわけですから、全て無かった事にするのが一番すっきりします。

  値切りの習慣がある人は、「何て勿体ない事を! 向こうが千円でいいと言ったのだから、買ってしまえばよかったのに!」と呆れるでしょうが、どうも私は、こういう、≪なりゆきで得をする≫というシチュエーションが性に合わないのです。 大概、後で倍返しの損を食らいます。 もうだいぶ前ですが、自動販売機の釣銭口に前の客が取り忘れた880円が残っているのを見つけ、狂喜した事があります。 ところが、そのほんの数日後に、ポケットに剥きだしで入れていた二千円を、自転車に乗っていて落としてしまうという大ポカをやり、≪禍福は糾える縄の如し≫という格言に縛り首にされたような気分になった事がありました。 世の中はそういうものなのだと思うのです。

  メモリー・カードはカメラとの相性もあるので、尚更、運不運が気になってきます。 在庫が無かった時点で、すでに、この買物にはケチがついていたわけで、やはり買わなくて正解だったと思います。 三千円の品を千円で買って、「儲かった」と思っていても、カメラに入れて作動しなかったなどという事になったら、今度は、≪塞翁が馬≫に蹴られて死んでしまいかねません。 一旦ゼロに戻して、全く別の店で買えば、たとえ相性が悪くても、諦めがつくというものではありませんか。

2006/11/19

悪質レビュアー

  ≪Amazon≫の≪カスタマー・レビュー≫や、ネットショッピングの≪口コミ≫などを読んでいると、固定焦点カメラについて根本的な思い違いをしているレビュアーがいて、固定焦点カメラ愛用者としては苦々しい気分にさせられる事が多いです。

  現在売られている固定焦点のデジカメは、大抵一万円前後かそれ以下なので、「安かろう悪かろう」と、ボロ糞に言われています。 「ケータイ・カメラより画質が悪い」だの、「オークション写真もろくに撮れない」だの、「無名メーカーの製品を買うのは金をドブに捨てるようなもの」だの、言いたい放題。

  これらのレビュアーの中で、実際にそのカメラを購入した者は、「安いから買った」に決まっているわけですが、そのくせ、「安いから駄目カメラだ」と言うのは、自家撞着しています。 また、買ってもいないくせに、推測で貶している者もいますが、言うまでもなく、使用経験がない者にレビュアーの資格はありません。

  そもそも、これらの批判の中には、単なる無知から出ている物がかなり多いです。

  まず、画質はほぼ画素数によって決まるので、300万画素以上ある今の固定焦点カメラが、ケータイより画質が悪いという事はありえません。 大体ケータイのカメラは全て固定焦点式ではありませんか。 ケータイのメーカーはカメラの製造など出来ませんから、カメラ部分は外註しているわけですが、恐らく註文先は固定焦点カメラのメーカーだと思います。 出所は同じなんですよ。 同じ性能なら、片手で使うケータイより、両手保持のカメラの方がブレない写真が撮れます。 劣るわけがないのです。

  次に、「オークション写真を撮ったらボケた」などというのは、それこそ固定焦点方式について無知な証拠です。 いや、カメラ自体について無知なのです。 固定焦点カメラは最短撮影距離が長いですから、ブツ撮りに使うのがそもそも間違いなのです。 恐らく、≪パンフォーカス≫も≪被写界深度≫も何も知らんのでしょう。 こういういい加減な連中は、マクロ・モードの切り替えをやっているかどうかも疑わしいです。 事によったら、説明書さえ読んでいないのではありますまいか? いますよね、電気製品を買うと、箱も説明書も全部捨ててしまって、中身だけしか残さない奴。 その類の疑いが濃厚です。

  最後の、「無名メーカー云々」も随分と大雑把な話で、有名メーカーのブランドでも、外国のメーカーからOEM供給されている製品がいくらもあると聞いたら、こいつら何と言うでしょうか? フィルム時代からそうですが、ほとんど同じ機能のカメラを複数の国内メーカーがほぼ同時期に販売する事がありました。 今でもそういう製品はたくさんありますが、それらはみなOEM供給品です。 このいい加減なレビュアー達は、日本の有名メーカーのほとんどが、ほんの10年前までデジカメを全く作っていなかった事を知らないのです。 いくら、キャノンだってニコンだって、いきなり新技術に手を出して、10年そこらでトップになれるわけがないでしょうが。 外から買ってるんですよ、技術も製品も。

  ちょっと技術解説しますと、固定焦点カメラというのは、ピント合わせにパンフォーカス原理を利用しているカメラの事です。 パンフォーカス原理というのは、レンズの焦点距離と絞りをある一定の関係にしてやると、被写体全体にピントが合う現象の事です。 固定焦点カメラの場合、最短撮影距離から無限遠まで、全域にピントが合います。 厳密に言うと本当にピントが合うのは一点だけなので、パンフォーカスは、「ピントが合っているように見える」だけなんですが、人間の目が区別できないので問題ないというわけです。

  この方式はレンズの焦点距離と絞りを設定するだけですから、フォーカシング・カメラに比べると格段に単純な構造で作る事が出来ます。 当然値段も安くなります。 可動部分が無いのでモーターを省く事が出来、軽量化にも寄与します。 ピント合わせに電気を使わないので、電池の持ちも良いです。 また、オート・フォーカスのように測距時間がかかりませんから、早く撮る事が出来ます。 ピントのズレを気にする必要が無いので、AFロックなど出る幕がなく、撮りたい物に向けてただシャッターを押すだけで済むという気楽さがあります。  マクロ撮影や望遠撮影などは好事家しかやりませんから、一般ユーザーが普通に記念写真や家族写真を撮る分には一向に差し支えなく、むしろ簡単に撮れるのです。

  問題は、一般のカメラ・ユーザーばかりか、写真を趣味にしている人でさえ、固定焦点方式の存在を知らない者が少なくない事です。 「今売っているカメラは、みんなオート・フォーカスだ」と思い込んでいます。 だから、同じ使い方をして、失敗写真の山を築くのです。 とにかく、最短撮影距離がフォーカシング・カメラより長い事だけは頭に入れておかないと話になりません。 また、マクロ・モードがあったとしても、合焦範囲が非常に狭いので、ほとんど使い物にならない事も承知しておかなければなりません。

  固定焦点カメラはフィルム時代からたくさんあって、低価格帯を受け持ってきました。 一世を風靡した≪使いきりカメラ≫もこの方式です。 この世に存在する機械や道具には、何にでも一長一短あるのであって、「まるで使い物にならない」などという事はありえません。 何の取り得もない方式であれば、とうの昔に淘汰されているはずです。 買ったばかりで壊れてもいないのに、うまく撮れないのであれば、それは使い方が間違っている可能性がある事を、まず疑うべきです。 自分の無知が原因なのに、機械のせいにして扱き下ろすなど逆恨みもい所ではありませんか。

  自分のブログで、自分一人でブツクサ言っているだけなら、どんないい加減な事を言おうが構やしませんが、カスタマー・レビューのような、他人様に影響を与える場所で、ろくに知りもしない事をさも経験者ぶって書きたてるその無頼ぶりには、呆れ果てて物も言えません。 おまえら、ゴロツキか? また、言われているメーカーもメーカーで、自社の製品がどこでどんな事を言われているか、調べればすぐに分かるのですから、サイト運営者に抗議して外させればいいのです。 いや、むしろ同じ場所で、レビュアーの無知を指摘し、大恥掻かせてやればいいのです。

2006/11/12

民主主義の袋小路










補佐官
「大統領。 良い知らせと悪い知らせがございます」
大統領
「良い方から聞こうか」
補佐官
「ディズニーランドをご訪問なさった時に応募した懸賞が当たり、≪白雪姫の鏡≫が届きました」
大統領
「なんだ、その程度の良さか・・・。 で、悪い方は?」
補佐官
「中間選挙で上下両院とも完敗しました」
大統領
「ああっ! それは聞きたくなかった! どうしよう、どうしょう!」 おろおろ
補佐官
「この上は世論の声に従い、国防長官を罷免なさるしか道はありません」
大統領
「そんな事は分かってる!」 机ドン! 「だが、彼は長年の盟友なのだ! 辞めてくれなどと簡単にいえるか! どうやって話を切り出せばいいのだ」
補佐官
「弱気になってはいけません。 選挙大敗の原因は国防長官にもあります。 ここは一つ開き直って、ズバッと責任をなすりつけてやるのが適当かと思われます」
大統領
「それはそうだが、あいつ、タフだからなあ。 ちょっと自信ないなあ」
補佐官
「練習してみてはいかがでしょう。 ちょうど鏡がありますし」
大統領
「お誂え向きだな。 よし、」 深呼吸。 鏡に向かって人差し指を突きつけ 「おい! 選挙に負けたのはお前のせいだ! 今すぐ辞表を提出しろ! お前が勝手放題やったせいで、世界は9.11以前よりもっと危険になってしまったではないか! このおいぼれめ! 能無しの役立たずめっ! お前なんかクビだ!」
白雪姫の鏡
「それはあなたです」



  小話はさておき、アメリカの中間選挙で民主党が勝ちました。 ここ五年間で最も明るいニュースに、思わず知らずホッと安心してしまい、全身の力が抜けました。

  アメリカの人口は全人類のの20分の1に過ぎませんが、その国の国政選挙の結果が、世界の命運を左右するというのですから、何とも奇妙なご時世です。 今後、中国・インドの経済発展が進み、EUの政治統合が進めば、アメリカはミドル・パワーに成り下がり、今のような状況は変化しますが、それでも、まだ10年以上は、アメリカの選挙のたびにヒヤヒヤし続けなければなりますまい。

  アメリカ人やその同盟国といわれる国々の人間は、選挙による間接民主主義を、この世に存在する最も理想的な政治制度だと信じ込んでいます。 もちろん、日本人も含まれます。 しかし、それは完全な錯覚です。 昨今よく聞くようになった、≪ポピュリズム≫という言葉があります。 ≪大衆迎合主義≫と訳され、「民主主義が陥ってはならない警戒すべき状態」とされます。 しかし、この説明は自家撞着を起こしています。 民主主義国で選挙の基準になるのは、一にも二にも、候補者の≪人気≫であり、大衆に迎合すればするほど人気が上がり、選挙に勝ち易くなるのですから、大衆迎合主義は民主主義の本質そのものだと考えるべきです。

  大衆迎合主義の非常に分かり易い例は、フィリピンの大統領選に見ることが出来ます。 前大統領は映画俳優でした。 政治能力など全く無いにもかかわらず、人気オンリーで大統領選に出馬し、あっさり当選してしまったのです。 就任以後、政治は何もやらず、毎日飲んだくれていたそうですが、元々政治に対する興味など微塵も無いのですから、何も出来なくても無理は無い話です。 あまりにも無能なので、国民の不満が爆発し、結局辞任に追い込まれてしまいましたが、当人が悪いというより、人気だけで大統領に当選してしまう民主主義という制度に問題があるというべきでしょう。

  外国の事ばかり言っていられません。 大衆迎合主義の事例は日本にもあります。 それどころか、今は正に花盛りという状況で、首相選など、与党内の人気だけで決まっています。 資質なんてどーだっていいんですよ。 最も恐ろしいのは、外交政策がいつのまにか大衆迎合主義に塗り潰されてしまった事です。 本来、外交は非常に専門性が高い分野で、大衆の受けを狙うなど言語道断なのですが、今や外交のプロである外交官は単なる現場係員に成り下がり、外交政策を決定しているのは、国際問題の≪こ≫の字も知らず、マスコミに扇動されて感情的に激昂するだけが能の大馬鹿な国民世論なのです。 こんな有様で外交がうまく回るはずがなく、ここ数年というもの、外国との軋轢が増幅する一方ですが、誰も止める事が出来ません。 馬鹿につける薬は無いからです。

  さて、かくも恐ろしい大衆迎合主義と切っても切れない関係にある民主主義ですが、その根本的欠点ゆえに、いずれ修正が加えられると私は思っています。 たとえば、選挙前に候補者に試験を課し、平均より知能・知識・教養の低い人物は立候補できないようにすれば、相当マシになるでしょう。 たぶん、今、アメリカや日本の国会にいる代議士達の9割方は、所払いを喰らうでしょう。 侵略と防衛の区別も付かない馬鹿ばかりなんだから、しょうがないわな。

  自分の生まれた国の制度が一番優れていると思い込んでいる人は多く、特にアメリカ及びその同盟国では、「民主主義は絶対的に優れている」と何の疑いも持たず信じ込んでいる人々で埋め尽くされていますが、≪井の中の蛙≫もいい所です。 政治制度について自分の頭で考えた事が一度もないのでしょう。 問題が起こるという事は、欠陥がある証拠なのです。 恐らく、50年後には、今のような民主主義国は地球上から姿を消している事でしょう。

2006/11/05

ホームレス・フリーター

  何でも、昨今の都会では、フリーターがホームレス化して、宿泊可能なネット・カフェが繁盛しているらしいですな。

  私は、必ずしもフリーターという生き方が悪いとは思っていません。 ひきこもりと一緒くたにして、≪ニート≫などと呼ぶ風潮もありますが、収入があると無いとでは天地の開きがあり、この括り方には明らかに無理があります。 フリーターで生きていけるなら、それはそれで利点があるので、正式採用者に比べても、何ら劣る生き方ではないと思います。 しかし、それはあくまでも生きていければの話であって、住居を確保できないほど収入が少ない場合、もはや生業とはいえません。

  このホームレス化したフリーター達の奇妙な所は、「実家に戻る」という選択肢を持っていないらしい点です。 中には何らかの事情で、実家が無くなってしまったという人もいると思いますが、それはあくまで例外で、ほとんどの人は実家があると思います。 なぜ戻らないんでしょう? まあ、大体想像はつきます。 都会に出る人間に共通する特徴ですが、実家及び実家のある街を、「この世で最もダサい場所」と位置づけていて、子供の頃から高校を卒業するまで、何とかして都会に出たくて仕方が無く、「一旦脱出に成功したからには、どんな事があろうが絶対に帰りたくない」と固く決心しているのでしょう。

  また、こういう人物は、親や兄弟、地元の旧友達に対して、顔を合わせるごとに都会の良さを喧伝し、地元に残っている人間を小馬鹿にして来た経歴を持っているので、生活に困ったからといって、のこのこ帰るわけには行かないのです。 ちょっと意地悪な見方だと思うかもしれませんが、実際に高校卒業間もない頃にクラス会をやった経験がある人は、都会の大学へ行った連中が、判で押したようにこの種の浅薄な優越意識を持っている事に気付いたと思います。 この連中にとって、都会での経験談はすべて自慢なのです。

  そういう人間が、「食い詰めて実家に戻った」などと旧友達に知れようものなら、笑い者になるのは必至。 末代までの恥! そんな思いをするくらいなら、都会でホームレスをしていた方がましだと判断するのでしょう。

  だーからよー、そういう考え方をしてしまうところが、馬鹿だっつーのよ。 自分が落ち込んでしまった立場が分かってないんじゃないの? ホームレスの先にあるのは、他の何物でもない、≪死≫だけですぜ。 どんなに大恥掻いても、死ぬよりいいだろう?

  この種のホームレス・フリーター達の脱出口は、派遣工員になって寮付きの工場に派遣される事なのだそうです。 もちろん、工場は都会ではなく地方にあるわけですが、この際そんな事は言っていられないのでしょう。 地元でさえなければ、知り合いにバレないから構わないというわけですな。 まあ、確かに、寮に入ってしまえば、とりあえずは人間的な生活が出来ますから、悪い判断とはいえません。 ただ、問題は、この連中がそんな状況に落ち込んでも、まだ都会志向を捨てられないという事です。 私の職場にも、そういう奴らが時々派遣されてきますが、二言目には、「東京では・・・・」が出てきて、まともに喋れたものではありません。 おまえはそこで暮らせなくなったから、ここへ逃げてきたんじゃないのかい?

  それに、派遣会社の寮というのは、必ずしも無料ではありません。 光熱費は自腹ですし、家賃を取る所もあります。 私の勤め先に来ている派遣工員達の話を聞くと、総支給にしてからが正社員の三分の二程度に留まる上に、派遣会社に様々な費用をハネられるので、月の手取りが15万を切ってしまう人がほとんどのようです。 これでは、生活費と遊興費を引いたら、何も残りません。 もちろん、貯金など皆無。 一見、まともな生活に戻ったように見えて、実はお先真っ暗なのです。 正に自転車操業であり、体を壊しでもしたら、即ホームレスに逆戻りです。 健康に注意したとしても、この収入では、結婚など全く不可能ですし、子供を育てるゆとりなど、あろうはずもありません。 ちっとも、まともな人生ではないのです。

  まあ、派遣工員の立場が弱いのは、都会志向者に限りませんが、いずれにせよ都会志向者の落伍組には未来がありません。 厳しいんですなあ、現実というのは。 「では、どうすればいいのか?」と聞かれた時、出来る限り良心的な回答を探しても、「なるようになるしかない。 深く考えるな。 そういう人生もあるさ」くらいしか思いつきません。 「いっそ死んだ方が・・・」と言いたい所ですが、自殺教唆になってしまうので言いません。 それほど現実は厳しいのです。

  ただ、そんな人間にならない為の予防策なら教えられます。 もし学問にさほど興味がないのなら、大学へ行かず、地元の企業に正社員として就職してしまう事です。 高校の進路指導室というのは、どこでも地元企業に強力なコネを持っていますから、ほぼ100%正社員入社できます。 大学へ行ってしまうと、大学の就職斡旋というのは本人任せの部分が多く、あまり当てになりません。 軽い気持ちで就職浪人などすると、あれよあれよという間にフリーターになってしまいます。 高卒でも大卒でも、一旦学校から離れてしまうと、もう就職の面倒など見てもらえませんから、その点はよーく頭に叩き込んでおく必要があります。 運命の分かれ道がどの辺にあるか、何となく分かるでしょう? 

  私の経験から言う事ですが、一つの会社で一生過ごすなら、就職は早ければ早いほど有利です。 採用する側にしてみると、歳を取ってから来られても、扱いに困るんですよ。 高卒と大卒では、給与体系も違うし、出世コースも違うわけですが、そういう事は子供の頃から人生目標をはっきり決めている人が気にするです。 高校三年になっても、将来どんな仕事につくか決めていないなどという呑気な人間は、とにかく安定収入を得る事を最優先すべきですな。 ドラマの真似して都会で遊んでいる場合ではないのですよ。 「青春は一度しかない!」とかいって遊びまくり、人生も一度しかない事を忘れている者には、この下無く惨めな末路が待っているのです。

2006/11/04

お知らせ


このブログは作者の都合によりしばらく休止します。
This blog is paused for a while owing to circumstances of the author.
Dieses blog machen eine Pause für eine Weile umständehalber.
이 블로그는 작자의 형편에 의해 당분간 휴지합니다.
这个博客由于作者的方便一时休止。
Este blog se suspende por el momento por las circunstancias del autor.
Ce blog est fait une pause pour le moment pour raison de l'auteur.

Una torre de la onda eléctrica

Una torre de la onda eléctrica de NTT en el norte de la estación de Numazu.

Hay torres de la misma forma por todo el Japón.

2006/11/03

印章


在于桥头的印章店。 20年之前,我请这家店做正式印章了。
在日本,直到现在,图章还有法律上的有效性。

2006/11/02

다리


이것은 누마즈시의 시가지에 가설되고 있는 “오나리다리”입니다.

쇼와 초기에 만들어진 다리에서, 공습의 탄흔이 남아 있는 시대물이므로, 꽤 오래되고 있습니다.  그렇지만, 지금도 누마즈시를 대표하는 다리인 일에 별고 없습니다.

2006/11/01

Die verbindung


Dieses ist ein verbindendes Teil eines Stahlrahmens der Kanuki Brücke.
Bolzen Mutter und Niet ziehen mein Interesse Neuerdings.