2008/10/26

ブログ繁盛記

  そういえば、ここもブログですが、週に一度の更新以外、何の管理もしていない為に、すっかり打ち忘れていました。 最近では、アクセス・ログのチェックも滅多にしなくなり、「読むなり焼くなり、好きにしとくれ」という、ブログ作者としては、不謹慎極まりない心境に至っています。 だからねえ、私には、ここがブログだという認識が無いんですよ。 元々が、個人サイトの時事コラムからスタートしたので、未だにその延長のような気分なのです。

  昨今、何とかして、インターネットの世界から、もっと大きな利益を得られないかと模作しているのですが、なかなか有効な利用方法が見つかりません。 誤解が無いように言っておきますと、私が求めている利益とは、アフィリエイトによる収入といった金銭の事ではなく、幸福感や満足感の事です。 ネットで金を稼ごうとしている人達も、実際にいるようですが、とんでもないね。 そんないい加減な収入源に頼っているから、いつまでも生活が安定しないんですよ。 個人利用者にとってのネットとは、≪オフの場≫と考えるのが妥当でしょう。 心を豊かにする為に使うべきなのであって、金を儲ける所じゃありません。 そういえば、ネット・トレーダーを気取っていた連中は、今回の株価大暴落で、真っ青げっそりしてるんじゃないの? 遊びの道具で金を稼ごうとしたバチが当たったのですよ。

  おっと、早くも脱線しましたが、それでその、ネット上から幸福感や満足感を得るにはどうしたらいいかと、暇さえあれば考えているわけです。 今までのネット生活で、最も楽しかったのはどんな時かというと、初めて個人サイトを立ち上げた時でしょうな、やっぱり。 一日で思いついて、一晩で作ったペット・サイトでした。 当初のコンテンツは、写真と掲示板だけ。 同じペットを飼っている人達と話すのが面白くて、「掲示板こそ、ネットの醍醐味だ!」と思い、掲示板オンリーで始めたのです。 それ以前に、ゲストとして出入りしていた所が10ヶ所くらいあったので、その人達が来てくれて、結構繁盛しました。 思い返すと、ほんの半年ほどだったけど、あの時期は充実していました。 毎日、家に帰って、どんな書き込みが来ているか、確認するのが楽しくてねえ。

  ただ、日当たり5件前後の書き込みが入るようになると、レスを書くのが苦痛になってきました。 一人当たり、15行くらい書いて来るので、レスもほぼ同じ文量を返す事になり、それが5件も溜まってた日には、一日3時間書いてもおっつかないというわけです。 その上、更新もせにゃならんし、お礼の巡回にも行かなきゃならん。 もう、拷問ですな。 結局、疲れてしまい、人の癇に障る事を書き込んで来る奴ら(全員、若い男)に対し、何度かキレている内に、ゲストはほとんどいなくなってしまいました。 キレた事だけが原因ではなく、意見の相違が際立ってくると、こちらも相手のサイトに行かなくなるので、どうしても交際が細ってしまうんですな。

  お客が減った時は、寂しいな、惨めだなと思うと同時に、「これで、地獄の日々から解放された」とホッとしました。 いくらなんでも、レスを書くのに一日3時間も費やすのは異常な生活ですけんのう。 今、このブログは、コメント・トラックバック共に拒否していますが、過去の苦い経験から教訓を得ているという理由もあります。 コメントを貰う嬉しさより、レスを書く苦痛の方が上を行くと、ほとほと懲りたのです。

  よそのブログを見ると、一記事当たりのコメントが30件、レスを足すと、60件もコメント・カウントが行っているような所がざらにあって、他人事ながら心配になってしまいます。 掲示板の書きこみに比べ、ブログのコメントがいくら短いといっても、2・3行はあるわけで、一日に30件もレスを書いていたら、他に何もできますまい。 こういうブログを運営している人というのは、たぶん、フリーターとか、専業主婦とか、ひきこもりとか、そういう人達なんでしょうな。 勤め人が、そんなに時間が取れるかってーのよ。

  でもね、ネットから何かしら幸福感・満足感を得ようと思うと、いつも、その、サイト立ち上げ直後の、殺人的に忙しかった日々を思い出すのです。 苦しいと分かっている一方で、あの盛り上がりの高揚感を忘れられないんですな。 気がつくと、「もう一度、あんな日々を送ってみたいなあ」などと夢想している自分を発見し、慌てて打ち消したりしているのです。

  新しいサイトを立ち上げる気は、もはや毛頭ありませんが、ブログなら、直ぐに作れます。 無料サービスがいくらもありますから、選びたい放題。 ブログのテーマを何にするかなど、考える必要もありません。 ストックしている写真でもアップして、テケトーな文章を添えておけば、内容としては充分でしょう。 ブログ・サービスを探す所から初めて、初回の記事アップまで、二時間もあればお釣りが来そうです。

  ここ二三週間ほど、木曜金曜頃になると、新しいブログの構想を練り始め、「よし、週末になったら、ブログを開設しよう!」などと考えては、ささやかな希望にしている有様。 だけど、実際には、週末を迎えても、ブログを作ったりはしません。 いざ作る段になると、現実に引き戻されてしまって、「そんなもん作ったって、運営できるもんか!」と没にしてしまうのです。

  個人サイトでもブログでも、基本的に、お客が呼べないのでは、作る意味がありません。 ところが、現在のネット社会の状況では、来る客の質に期待が出来ないのです。 繁盛しているブログの客層を見ると、ホストと話をしに来ているのは、ほんの一握りに過ぎず、大部分が、自分のブログの宣伝に来ている連中です。 第一回目のコメントにしてからが、「初めまして」で始まるのではなく、どこに打ち込んでも通用するような適当な誉め言葉に、「私のブログにも遊びに来て下さい」という結句を添えたもので、純度100%の宣伝コメントなのだから呆れた話。

  また、ホストの方も、それが宣伝だと分かり切っていて、微塵も意に介さず、誰に対しても通用するような適当なレスを返しています。 そもそも、そこのホストにしてからが、自分のブログを宣伝する為に、閲覧者数が多い他のブログにコメントを打って回っているのであって、相互扶助で、訪問し合って、共存共栄しているという寸法なのです。

  見ていると、あざとい集客手法を使っているんですよ。 とある、花をテーマにした写真ブログですが、自分がアップした花の名前をネット検索し、同じ花について最近触れたブログを見つけて、同じ文面のコメントを片っ端からコピー貼付して行くのです。 初対面でも、お構いなし。 そういう場合、レスなんぞ期待しておらず、自分の所にコメントを打ち返してくれる事だけを狙っているわけです。 これならば、時間が許す限り、交際相手をいくらでも増やせますわなあ。

  しかし、そういうのをネット交友と言いますかね? 「まあ、綺麗な花ですね」って、書いてあっても、それは、実際にそう思って書いているのではなくて、元から用意されていた単なる修辞に過ぎないのです。 他人に送っているのと同じ文面のコメントを貰って、嬉しいですかね? そんなの、宣伝メールと変わらないじゃん。 悪意は無いかもしれませんが、そんな事は問題ではないのであって、善意が無いだけでも、ネット交友の相手としては、確実に不適格ではありますまいか?

  大体、ゲストが30人もいたのでは、誰がどんなブログをやっているのか、記憶し切れますまい。 コメントもレスも、言葉はあっても意思は無く、空虚な社交辞令のやり取りに過ぎません。 しかも、そんな意義の無い事をする為に、毎日毎日、殺人的に忙しいのです。 閲覧者が増えようが、ブログ・サービス内でのランキングが高くなろうが、苦しみが増すだけでは、何のため運営しているのか分からないではありませんか。 苦しいのにやめられないというのは、もはや、心の病ですな。

  そうそう、他にも、アクセス数を増やす手法があるらしいです。 ほとんどの不定期客は、検索で来るので、その時々の、≪検索ワード・ランキング≫を調べ、記事の中に、その言葉を入れるのだそうです。 たとえば、話題になっているニュース・ネタとか、アイドルの名前とかを。 すると、誰かがその言葉を検索した時に、自分のブログが引っ掛かり、見に来て貰えるという仕組み。 ああ、そりゃ、確かに来そうだよねえ。 極端に言えば、≪検索ワード・ランキング≫をテーマにしたブログを作り、毎日、ランキングの上位20語を、引用という形でアップして行けば、とてつもない数のアクセスが得られるという事に・・・・。

  おいこら、早速やろうとしているあなた、馬鹿な事はやめなされ。 そんな詐欺同然の手法で集めた客に何の価値があるんだね? そういう客と、何を話すんだね? ほとんど興味がないニュースや、顔も知らないアイドルの話題で、どうやって盛り上がろうというんだね? 君ゃあ、一体、何の為にブログをやっておるのだね? 同好の士との交友が目的ではなかったのかね?

  あ、ちなみに、アクセス数を増やす為に、頻繁に更新するという手法は、もはや、ほぼ完全に効力を失ったようです。 ブログ・センターを利用する人がいなくなっちゃったからねえ。 RSS機能も、使いこなしている人が、どの程度いる事やら。 トラックバックの概念すら理解できないのに、RSSが分かるとはとても思えません。 ごく最近ブログを始めた人には、頻繁更新がまだ効くと思っている人が多いようですが、一日に何回更新しても、大して閲覧者が増えないでしょう? 努力は涙ぐましいですが、そんな事にエネルギーを注ぐ暇があったら、他のブログを見て回り、話の合いそうな人の所にコメントを打った方が良いと思います。

  他人の事はさておき、私はどうすりゃいいんですかねえ。 今後も毎週、木金に新しいブログを構想し、土日に諦めるパターンを繰り返すしかないんでしょうか? 実際に作ったとしても、お客の相手をする気が無いので、誰も来ず、結局すぐに飽きてしまうと思うんですよ。 実は、そうやって、思いつきで作って、放り出したブログを、三つばかり持っているのです。 作った私が、中身に飽きてしまっているので、もはや、更新する気にもなりません。 新しいブログを作るにしても、その前に、この三つを処分せねばいかんなあ。

  しかし、考えてみると、この≪心中宵更新≫は、奇妙なブログといえば奇妙なブログですな。 お客は無視、しかも週一更新に過ぎないのに、日当たり50~100人くらいの閲覧者が続いているのは、不思議を通り越して、不気味です。 一体、どんな人間が読んでいるんですかねえ? ≪リコーダー≫で検索して来る人が結構いるようですが、いざ来てみたら、廉価版ばかりなので、肩透かしを食らっているのではありますまいか? 期待外れで、申し訳ない。

2008/10/19

お富さん

  実は、ユーロで外貨預金をしていたのですが、この三週間ほどで、どーんと値下がりして、35万円も損してしまいました。 凄いっすねー。 三週間で35万円なんて、そうそう使いきれるもんじゃないですよ。 下がり始めた時に、さっさと売ってしまえば良かったんですが、銀行へ赴かなければならないのが、ついつい面倒臭くてねえ。 そういえば、勤め先で強制的に加入させられた確定拠出年金も、全て国内外の株になっていますが、あれも甚大な被害を受けているに違いありません。 他人事ではないね、金融危機は。 あははは!

  「何を呑気に笑っとるんじゃ! おまえ、アホけ! 金勘定できんのけ!」と、お思いの諸兄よ。 そんなキリキリした考え方では、世の中生きて行けませんぞ。 資産管理にパーフェクトはありえないのです。 リスク分散している者なら、今回のような危機に際して、部分的に資産を失うのは致し方ありません。 宇宙ロケットの打ち上げのようなもので、失敗は必ず起こるんですな。 これがもし、ほとんどの資産を株につぎ込んでいたら、35万円どころの損では済まなかったわけで、むしろ、リスク分散が効を奏して、助かったと見るべきでしょう。

  「株は、値下がりしても、売らずに持っていれば、また上がる」と思っている人が多いですが、それはその株を発行している企業が生き残った場合の話です。 もし倒産した場合、株の価値はゼロになり、いつまで待っても回復などしません。 株には、≪死≫があるんですな。 ドルやユーロなどの外貨は、基本的に死にません。 ただし、不況にインフレが重なると、価値が桁違いに落っこちて、回復不能になるケースがあります。 十分の一になるくらいはマシな方で、百分の一とか、一万分の一とか、もはや消しゴムのカスほどの価値もなくなってしまう例も多いですから、あんまり多額の資産を外貨につぎ込むのは危険ですな。

  ただ、不況が必ずインフレを伴うというわけではなく、様々な要因が絡んで、デフレになる場合もあります。 日本のバブル崩壊後が正にそうでした。 日本のバブル崩壊は、日本国内の事情だけで発生しましたが、外国には全くと言っていいほど波及せず、強いて言うなら、90年代後半のアジア通貨危機に、若干の影響があったのかなあ?という程度でした。 バブル崩壊の時期に重なって、安価な中国製品が大量に日本市場に出回り始めた為に、不況であるにも拘らず、安い商品が店に溢れ、デフレになったんですな。 私くらいの世代だと、不況というと即インフレを連想するのですが、それは単なるイメージに過ぎず、実際には、インフレやデフレが起こる原因は、好不況と直接の関係が無いのでしょう。

  今回の金融危機では、アメリカで発生したバブル崩壊が世界中に波及して、とんでもない規模に膨らんでしまいましたが、日本のバブル崩壊の時に、外国に影響がほとんど出なかったのは、日本の経済力が、アメリカのそれに比べて、比較にならないほどささやかな物である事を証明していると思います。 日本人は未だに、「世界第二位の経済大国」などと自称していますが、本当にそんな力があれば、あれだけの大不況の時に、外国に影響が及ばないなどという事はありますまい。

  今回の危機、一番まずい状況なのは、もちろん、アメリカですが、日本もかなりやばいです。 学校で習ったように、日本は加工貿易で生きている国で、原材料を輸入し、製品を輸出して、その際に付加する価値の代価で、富を貯えています。 ≪技術立国≫という言葉が盛んに使われる所以ですな。 日本社会には、無数の職業が存在しますが、外国から富を獲得しているのは、自動車や家電、工作機械など、一部の業種だけでして、他の業種は、どんなに利益を上げようが、富を国内でぐるぐる回しているだけで、外国から獲得しているわけではありません。

  そうそう、富について、「労働から生まれる」と習った人が多いと思いますが、あれは間違いです。 少なくとも、言葉が足りません。 労働は、富を集められるだけです。 そして、労働したからといって、必ず富が集まるわけではありません。 これは、卑近な例に置き換えてみれば分かります。 家の中でいろいろな労働をするとします。 掃除、洗濯、炊事、何から何までやって、朝から晩まで働き詰めだとしましょう。 しかし、家の中で働いている限り、富が集まる事はありません。 死ぬほど疲れても、増える富はゼロです。 もし、「富は労働から生まれる」のであれば、ただ働くだけで、お金がザクザク湧いてこなければなりませんが、そんな事はありえません。 富というのは、生まれてくるものではなく、集めてくるものなんですな。

  で、日本が豊かになったのは、加工貿易で外国から富を集めてきた結果なのですが、その稼ぎ先は、ここ半世紀を通して、八割がたがアメリカからだったと言っていいです。 現在、だいぶ比率が落ちましたが、それでもまだ三分の一くらいはアメリカとの貿易で富を得ています。 アメリカ経済がコケて、商品が売れなくなると、日本はもろにその波をかぶるわけですな。 特に、日本国内で作って、アメリカへ輸出している製品が大打撃を受けます。 主に、自動車と電気製品。 しかも、現在、アメリカで売られている日本製品は、ゴテゴテと不必要な機能を詰め込んで価格を吊り上げた、≪ぼったくり商品≫が多いので、家計から冗費を削減しようとした時に、真っ先に切られる口。 やばいねえ。

  日本の貿易相手として、アメリカと双璧をなしているのが中国ですが、中国もアメリカを相手に貿易をして富を稼いでいる国ですから、アメリカの代わりにはなれません。 ただ、中国の立場から見ると、今回の危機は、日本ほど、やばくはありません。 なぜというに、中国製品は、まだまだ安価な品が多い為、豊かな国にも貧しい国にも世界中に売られていて、アメリカ向けが細っても、何とかやりくりできるからです。 日本製品のように、そこそこ豊かな生活をしている人達だけを対象にしていると、世界的な不況は厳しいんですわ。

  「輸出がダメなら、内需を喚起して、経済の落ち込みを防げ」などと言っている人がいますが、富の本質が全く理解で来ていないとしか思えません。 内需を増やせば、GDP数値は上がりますが、富は国内で回っているだけで、増えるという事はありません。 増えないだけでなく、日本は食糧を輸入に頼っているので、その代金を払わねばならず、どんどん減って行きます。 こういう言い方をすると、激怒する人も多いと思いますが、まあ書いてしまいますと、サービス業なんぞいくら死ぬ気で働いても、国外からは一円の富も稼いでいないわけでして、日本の富は、すべて輸出製造業が稼いで、他業種の人達は、その≪おこぼれ≫で豊かな生活をしてるんですな。

  もし、輸出製造業が無くなるとどうなるかというと、江戸時代の水準まで、生活レベルが落ちます。 人口が4倍に増えていますから、江戸時代の四分の一の豊かさ(貧しさ)になりそうですが、農業技術が上がっているので、相殺して、丼勘定して、まあトントンくらいでしょう。 それに、貧しければ医者にもかかれないわけで、バタバタ死んで、結局は江戸時代並の人口になるというもの。

  これねえ、いいとか悪いとかじゃなくて、本来なら、住んでいる土地で得られる富しか使えないのが当然ですから、そちらの方が正常なんですな。 富を集める国があれば、奪われる国もあるわけで、他国の人々の犠牲の上に成り立っているのが、先進国の豊かな社会なわけですよ。 前世紀のSFなどではよく、全人類が先進国並の生活水準に到達している世界が描かれていましたが、全員が豊かになるなど、ありえない話です。

 「分け合えば、みんな豊かになる」という社会主義は嘘ですし、「競争こそが社会全体を豊かにする」という資本主義も、奪われる側を社会の内に含めていないという点で、偽善というべきでしょう。 分け合えば、みんな貧しくなるのであり、奪い合えば、一部分は豊かになるけれど、大部分は貧しくなるのです。 どっちも悪し。

  何だか、今回、テーマが一定しませんな。 やはり、三週間で35万円消えたのがショックで、動揺が隠し切れないか。 いや、もっとも、私がユーロを買ったのは110円の時でしたから、まだ25万円得をしているわけですがね。 なーに、その内また、回復してくるでしょう。 ヨーロッパで本当にやばいのは、金融業の比率が高いイギリスだけで、他の国は実業が多いですから、アメリカほど混乱は続きませんよ。

  そういえば、イギリスの公的資金投入の反応は速かったですな。 そりゃそうだよね。 製造業なんてとうの昔に衰えて、金融だけで富を稼いで来たんだから、金融業者がバタバタ潰れたら、国が傾いてしまいますからね。 でも、本来そういう寄生虫みたいな生き方をしている国は、衰えた方がいいと思いますけど。 今のイギリス人で尊敬に値するのは、ダイソンの創業者くらいのもんですけんのう。

  ところで、ドバイですが、なんで、連鎖してバブル崩壊しないのか、大変不思議です。 今のドバイは、バブル経済の見本のような状態なんですが、金融危機で世界が大騒ぎしているのを尻目に、「高さ千メートルのビルを建てる」などとぶち上げており、傍目に見ていて、恐怖を感じるほどです。 あそこがバブル崩壊したら、すっげー事になりますよ。 突如、砂漠に出現した大都市が、一気に砂漠に戻っていくんじゃないですかね。

2008/10/12

もっと増えるリコーダー

性懲りもなく、リコーダー・コレクションの話です。 実は、この夏(2008年)頃から、リコーダーを吹く頻度が落ち、以前は毎日吹いていたのが、今は週に一度くらいのぺースになってしまいました。 いや、別に飽きたというわけではなく、仕事の勤務パターンが変わって、夕食後の一時をリコーダー吹きに当てる余裕がなくなってしまったのが第一原因です。

  第一原因があれば、当然第二原因もあります。 夏場に入って、ご近所に音が漏れてしまっている危険性に気付き、ためらいが出たんですな。 冬場は、どの家も窓を閉め切っているので、自然に二重防音になるのですが、夏場は、こちらが閉めても、他所の家は開けてますから、どうしても防音が弱くなります。 「そっちも閉めて」と頼むのも筋違いですし、人様に迷惑を掛けてまでやるような趣味ではないので、控えたというわけ。

  第二原因があれば、事に因ったら第三原因もありそうですが、実はあるのです。 うちの犬が、リコーダーの音を怖がりやがるのです。 私が雨戸を閉め始めると、脱兎の如く庭へ逃げて行きます。 敷地内の最も遠い所へ避難して、吹き終わるまで、じっと耐えている様子。 犬は、耳を動かせますが、耳を塞ぐ事が出来ないのが厳しい。 たまたま、家の中に閉じ込められたりすると、柴犬なのに尻尾は垂れ、呼吸は忙しなくなり、うろうろと落ち着かず、後ろ足はカタカタ震えて、雷に怯えている時と全く同じ反応をします。 そんなに嫌かよ! それでいて、口笛は全然怖がらないから、不可解な奴。 とにかく、あまり嫌がるので、可哀想になり、こちらも吹くのが楽しくなくなるというわけ。

  で、だいぶ冷めたリコーダー趣味ですが、春に買ったコレクションで、まだ紹介していなかったのがあるので、ここで、出してしまいます。 もちろん、みんな廉価版。

成近屋 ラメスケ 緑
成近屋 ラメスケ 赤
キョーリツ RK-50 青
キョーリツ RK-50 赤
キョーリツ RK-50 緑

  ≪成近屋 ラメスケ≫は、百円ショップの≪セリア≫で買ったので、105円。 ≪キョーリツ RK-50≫は、定価は500円らしいのですが、近所のホームセンターでは、420円。 通販では280円が最低価格です。 今回の三本は、通販で買いました。


≪成近屋 ラメスケ 緑≫
 105円 中国製 ジャーマン式 掃除棒付き

  これは、百円ショップ≪セリア≫で買ったもの。 以前、≪成近屋 白≫というのを買ったんですが、そのラメ・スケルトン版です。 金型は全く同じ。 取り扱い説明書に、「オモチャ」と断ってある点も同じ。 当然、音色も同じです。


  ≪白≫は、美しいボディーが魅力でしたが、スケルトンでは、プレスの際に入った気泡が見えてしまって、外見はお世辞にもよくありません。 しかし、駄菓子屋オモチャ的な雰囲気があって、これはこれで面白いです。 


≪成近屋 ラメスケ 赤≫
 105円 中国製 ジャーマン式 掃除棒付き

  うーむ、赤になると、飴のような色ですな。 白・緑・赤と三色あれば、私だったら迷わず白を選びますが、子供にオモチャとして買ってやる場合、カラフルな物の方が需要が多いのでしょう。


  一応、下のドから、上のドまでは出ます。 高い音になるほど苦しくなる感じ。 もう少し性能が高ければ、楽器扱いされるんでしょうが、この実力では、オモチャ指定も致し方ないですな。



  ≪成近屋 ラメスケ≫のケース。 ケース自体は、≪白≫の物と同じで、ビニール製・ホック留めです。 ちょっと変わっているのは、掃除棒が、リコーダー本体の色に合わせて、緑・赤になっていること。 私としては、こんな不要な物に凝るより、笛の性能を上げてくれた方がありがたいのですが、この商品の主なターゲットである幼児にしてみれば、こちらの方がいいのかもしれません。 もっとも、子供にとっても、掃除棒は不要だと思いますが。  



≪キョーリツ RK-50 青≫
 280円 中国製 ジャーマン式 掃除棒・運指表付き

  色違いを三本一遍に買った内の一本です。 以前、ホームセンターで買った、≪キョーリツ RK-50 白≫と同じシリーズ。 通販でリコーダーを買ったのは初めてですが、店頭の商品よりも状態は良かったです。 


  頭部管。 ≪白≫と同様、吹き口の上面に亀裂のような線が入っていますが、それを見なければ、美しい質感です。 私の好みですが、≪青≫は、特別かっこいい感じがします。


≪キョーリツ RK-50 赤≫
 280円 中国製 ジャーマン式 掃除棒・運指表付き

  正式名称では、≪ピンク≫でして、実際の色もピンクですから、ピンクにすべきなんですが、まあ、覚えやすいから、赤でいいでしょう。 赤とピンクが両方あるわけではないのだし。


  この色もなかなか質感が高くて宜しいです。 このシリーズ、材質が他のプラ・リコーダーと違っているらしく、頭部管の線の他にも、指穴の周辺にもマーブル模様が出ているのですが、それが景色になっていて、却って価値が高そうに見えるから、面白いものです。


≪キョーリツ RK-50 緑≫
 280円 中国製 ジャーマン式 掃除棒・運指表付き

  やはり、色違いの三色目となると、コメントが厳しいッスねー。 緑と言うと、より下手物っぽいですが、このシリーズでは、特有の質感で、美しいボディーに仕上がっています。 


  音は、三本とも、≪白≫と同じで、押さえ込んだような小さな音が出ます。 家で吹く分には、この小ささが貴重なのです。 高音になるとかすれ気味になりますが、音が出なくなるだけで、引っ繰り返りはしない所まで、とことん控え目。 普通のリコーダーの音しか知らない人は、是非、一度試してみるべきですな。



  ≪キョーリツ RK-50 青赤緑≫のケース。 ビニール製、ホック留め。 先に買った≪白≫のケースは裏側が銀色でしたが、モデルチェンジして、黒になったようです。 ケースのデザイン自体は同じ物。 掃除棒、運指表つき。


  ケース自体は三つとも同じですが、裏に貼られたラベルに、色の違いが印刷されています。 ≪白≫には、生産国名の記載がありませんでしたが、この三本を買って、中国製である事が分かりました。 よく見ると、中央の≪BL≫(ブルー)のラベルだけ文字が細いです。 生産ロットの違いでしょうか。



  ≪キョーリツ RK-50≫シリーズ、4色揃い踏み。 色違いを揃えるのは馬鹿馬鹿しいようですが、こうして並べて眺めると、うっとり見惚れてしまう魅力があります。 吹き口上面のヒビのような線が、全て同じ所に入っているのが分かります。


  このヒビ、私は陶磁器のそれになぞらえて、≪貫入≫と呼んでます。 足部管にもあるのですが、面白い事に、赤緑の二本と青白の二本では、逆側に入っています。 貫入の形まで左右対称で、鏡に写したようです。 ううむ、何だか知らないけど面白い! ちなみに、もっと高い笛でも、貫入の入っている物はあります。 ヒビのように見えますが、表面的なもので、割れているわけではありません。



【上】 リコーダーを通販で買ったのは初めてでした。 どんな荷姿で来るのかと思ったら、こんなでした。 箱に入れるとなると、ガタつかないように詰め物をしなければなりませんから、 これが一番合理的で、安く上がるのかもしれませんな。
【下】 ダンボールの皮を剥くと、今度は、プチプチ・ビニールに包まれています。


  プチプチ・ビニールを剥がすと、ようやく出て来たリコーダー。 さすがに一本ずつは包んでなかったです。 店に並んでいるものと違って、お客が手を触れていないので、ケースにしてからが小奇麗です。


  ≪キョーリツ RK-50≫の三本ですが、なぜ通販で買う事になったか、書いておきましょうか。 以前、ホームセンターで≪白≫を買っていて、その店には、≪青≫もあったので、「≪青≫を買うついでに、≪赤≫と≪緑≫も取り寄せてもらおう」と目論み、サービス・カウンターへ行きました。 仕事熱心な女性店員が問屋二軒に電話し、まるまる30分かかって問い合わせてくれた結果、「≪赤≫と≪緑≫は、通常扱っていないので、取り寄せると、送料がかかります」との返事。 (冗談じゃない! 店で買うのに、送料を取られてたまるか!)と思い、せっかく調べてもらったのを悪いと感じつつも、断ってしまいました。 でもって、やむなく、通販を利用して買ったという次第。 一本の価格は280円ですから、三本だと840円ですが、送料と代引き手数料がかかって、合計は1785円になりました。 本体の価格より、諸費用の方が高いというのは釈然としませんが、まあ、しょうがないですな。

2008/10/05

消えた100円

  さて、アメリカの金融危機ですが、傾いた金融機関を政府が公的資金で救おうとしています。 バブル崩壊後の日本にそっくりの経過ですな。 下院で一旦否決された法案が、納税者に対する優遇措置を盛った修正を受け、上院で可決。 再提出された下院でも可決しました。 これで、74兆円などという、アゴが外れるような莫大な資金が、民間企業である金融機関にバラ撒かれる事が確実になったわけです。

  「これで、金融恐慌は当面回避された」と評価する意見が多いようですが、そんな簡単な危機ではありますまいて。 政府が不良債権を買い取ってやれば、身軽になった金融機関は生き残る事ができますが、バブル時代と同じような経営はできなくなりますから、どこもお金を使わなくなり、結局バブルが崩壊する事に変わりはありません。 バブルで膨らんでいた経済が、実体分まで縮小するわけですな。

  しかし、アメリカ政府の姿勢を見ると、バブル経済を維持するつもりで、公的資金投入政策を進めているように見えます。 「バブル崩壊さえ食い止められれば、公的資金で金融機関の不良資産を買い取っても、価値は維持され、後々売却できるから、税金の無駄遣いにはならない」と言ってますが、そんな事はありえません。 ここまで金融市場の信用が落ちてしまっているのに、バブル崩壊を止められるわけがないのです。 投入された資金は、すべてバブル処理分として、消えてしまいます。 不良資産は、バブルが復活・持続しない限り、いつまでたっても、誰が持っていても、不良資産である事に変わりは無いです。 そんな物に、自然に価値が舞い戻って来る事など、金輪際ありえません。

  以前、≪バブルの記憶≫という記事で書いたバブルの定義を引っ張り出してみましょう。

≪バブル景気というのは、製品、不動産、特定の権利などに、本来の価値以上の値段がついてしまう現象が社会全体で起こる事です。 価値の実体が存在せず、ただ人々の、「それを手にいいれば、必ず値上がりするから、もっと大きな利益を得られるはずだ」という期待が増幅する事により、値段だけが上がって行きます。 ところが、「もしかしたら、もう値上がりしないのではあるまいか?」という不安が一旦芽生え始めると、全員が早く売ろうとするので、上がっていた値段が一気に実体価値まで落ちてしまうのです。 その際、早く手放した者ほど得をし、遅くまで持っていた者ほど損をします。 社会全体の富の総量は変わらないのですが、得した者も損した者も、それ以上損をする事を恐れて、お金を使わなくなるので、社会全体の経済活動が不活発になるのです。≫

  今回のアメリカのバブル崩壊でも、こういう現象が正に今起きているわけです。 単純化して解説しますと、たとえば、消しゴムが一個あるとして、その実体価値が100円だとします。 買いたい人が一人しかいない場合、100円で売買されて終わりですが、もし大勢の人間が欲しがったとすると、オークションと同じ仕組みで、どんどん値段が上がって行きますわな。 分かり易いところで、200円まで上がったとしましょう。 さて、問題です。 この消しゴムの価値は、いくらでしょう? 200円? ブー! 100円です。 ほーれほれ、≪実体価値≫を、≪値段≫と混同している! それが、バブルに踊る人々の特徴なのです。 値段は、買い手の期待値によって変動しますが、実体価値は変わりません。 その事に全員が気付くのが、バブル崩壊なんですな。

  100円の消しゴムが、200円で取引されていた。 それが、本当は100円の価値しかない事にみんなが気付いて、手放し始めた。  さて、問題です。 いくらで売れるでしょう? さすがに、もう分かりますよね。 100円ですよ。 これが、少しずつ下がるのなら、おっとり構えていてもいいんですが、バブル崩壊では、マスメディアによって、情報が社会全体に瞬く間に広がりますから、200円が199円になり、198、197くらいまで下がってくると、次は一気に実体価値の100円まで飛んでしまいます。 早く売った人は、そんなに大きな損はしませんが、大下落するまでに売れそびれた人は、半分近い金額を失う事になります。 大損になるので、売るに売れず、抱え込んだまま、≪不良資産≫になっているという次第。

  今、アメリカ政府は、大損喰らった金融機関から、この不良資産を買い取ってやろうとしているわけです。 でもねえ、本当に、≪不良資産≫に価値が戻って来ると思いますか? もともと、何も無い所に投じられたお金なんですよ。 100円の消しゴムを、200円で売れると当て込んで出したお金です。 そして、その消しゴムが100円以上の価値は無いと、すでに全員が知っているわけです。 一体、誰が今更、200円で買おうなどと思うものですか! 損した100円分は、期待が消失した時点で消えてしまったのですよ。

  では、この消えた100円分はどこへ行ってしまったのか? どこかにあるのではないか? あるんですよ、これが。 実際に、200円のお金を出した人がいるんだから、お金が動いたのは事実であって、どこかに存在しなければおかしいわけです。 一体誰が持っているのか? それは簡単、消しゴムの値段が、まだ100円だった時に100円で買って、200円になった時に200円で売った人が、持っているのです。 「なーんだ! それじゃあ、この世から完全に消えて無くなってしまったわけじゃないんだ。 誰かが持っているなら、社会全体で見れば、差し引きゼロなんだから、いいじゃないか」と思うでしょう。 でもね、この、バブルで得をした人達は、バブル崩壊後、お金を使ったりしないのです。 バブル崩壊で損をして、お金を使おうにも使えなくなってしまった人達と同様に、財布の紐をしっかり締めて、不況に備えるわけです。 だから、誰もお金を使わなくなり、ますます不況が深刻化するというわけです。

  アメリカ政府がやろうとしている公的資金投入は、損をした人に100円分くれてやろうという政策です。 だけどねえ、「よし、損をしたら政府が穴埋めしてくれるのなら安心だ。 今まで通り、100円の消しゴムを200円で買い続けよう」なんて考える人はいませんよ。 「今回は政府が穴埋めしてくれて助かったけど、巨額の税金なんて何度も投入できるわけがないんだから、次はもう助けてくれないだろう。 これからは、100円の消しゴムを200円で買うような馬鹿な真似はやめて、堅実に暮らそう」と考えるのが普通でしょう。 実際の所、もし支援を受けた金融機関が、今までと同じように、期待値だけで膨らむような金融商品にお金を注ぎ込んでいたら、税金を負担する国民が黙っちゃいませんよ。

  投入された公的資金は、金融機関を助ける事は出来ますが、バブルを維持する事は出来ません。 金融機関の経営が健全化すればするほど、バブルは消えていくわけで、消しゴムの値段は100円に近づいていきます。 ところが、アメリカ政府は、この政策によって、消しゴムが200円であり続ける事を期待しているわけで、望んでいる事と、やっている事が食い違っているのです。 一度崩れた期待感は、戻って来たりしませんよ。 日本はバブル崩壊から、15年くらいたちましたが、まだ社会全体に大損の記憶が残っています。 世代が完全に入れ替わって、バブルの怖さを知らない人達が社会の主流になるまで、次のバブルは起こらないのです。

  もっとも、バブルは復活を待ちわびるようなものではなく、むしろ、発生しないように警戒すべきものだと思います。 景気がいいと、政府への支持率も上がるので、どの国でも、バブルを警戒しません。 人気で政治家が選ばれる民主国家では、特にその傾向が顕著です。 「景気がよければ、みんな得をするんだから、ええじゃないかええじゃないかヨイヨイヨイヨイ!」と、ドンチャン騒ぎするのです。 そういえば、日本のバブル時代にも、「高天原景気だ!」なんて、浮かれ捲っている軽薄な閣僚がいました。 景気を冷やそうなんて、微塵も考えていなかったんですな。 でも、本来なら、そんな実体から掛け離れた好景気はバブル以外に考えられないのですから、政府は、あらゆる手を使って冷やさなければならなかったのです。

  だけど、次に日本でバブルが起こったとしても、たぶん、政府は何の手も打たないと思いますよ。 だって、景気を冷やしたりしたら、国民の恨みを買っちゃうものね。 それに、政府が介入しない自由な経済活動は、資本主義の基本ですから、手を打つといっても、政府に出来る事が限られているという弱点もあります。 民主国家では、バブル景気と、その崩壊は、数十年のスパンで、必ず巡ってくると考えた方がいいのかもしれませんな。

  今のアメリカでは、金融危機の今後の展望について、政治家や経済学者が、いろんな説を開陳していますが、楽観的な見方は、全部外れると思います。 日本がそうでしたから。 バブル時代の寵児だったエコノミスト達が、毎年のように、「景気は来年には回復します」と言い続けて、10年過ぎましたからねえ。 それ以降、テレビにエコノミストという肩書きで登場する人は激減したわけです。 そりゃ、口を開く度に言う事が、片っ端から外れていたのでは、表も歩けなくなるわなあ。 経済学なんざ、本当の危機には、何の役にも立たんのですよ。