2010/08/29

益山寺・雄飛滝・発端丈山

そういや、紀行の方が、すっかり停止していました。 前回出したのは、2008年5月の箱根・大涌谷の記事でしたから、その次というと、2008年7月20日にバイクで行った、≪益山寺・雄飛滝・発端丈山≫の話という事になります。 例によって、当日の日記から引き写します。


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2008/07/20 日晴

  5時半起き。 6時半頃、バイクで出かける。 服は薄灰色の半袖ワイシャツに、下は長いチノパン、上に通勤用の夏上着。 靴は普段用の黒。 カメラの予備電池と財布を持ち、ペット・ボトルに水を入れていった。

  まず海岸線の国道414号にでなければならないのだが、その途中で、横転している車を見た。 事故現場に通りかかるのは珍しくないが、そういう時にカメラを持っているのは珍しい。 人目につかないように、一枚撮る。

  414号で、駿河湾沿いに南下する。 口野から先は渋滞が無く、スイスイ走る。 重須の農協の手前から山道に入るのだが、通り過ぎてしまい、少し引き返した。 山道を益山寺へ。 途中で、「発端丈山ハイキングコース」の看板を見るが、素通りして、寺へ向かう。 一度山を下り、村里に出てから、寺への細く急な坂道を登った。 やはり寺だけが深山にあるという事はありえない。

  一本道だったので、益山寺へは危なげなく着いた。 楓と銀杏の大木はなるほど大きい。 しかし、寺から山に登る道が分からない。 バイクを置いていっていいかも不安だったので、寺から登るのは諦めて、さっき見たハイキングコース入口へ向かう事にした。

  引き返す途中、行きに見過ごした≪雄飛滝≫に寄った。 柱状節理の上を二段になって流れ落ちる堂々たる滝である。 ただ、観光地として宣伝するには、規模が小さく、車を停める場所も無い。 滝好きの穴場といったところか。 もっとも、私は、滝好きではないが。

  ハイキングコースの入口にバイクを停め、メットだけ持って、登っていったが、どうも様子が変だ。 道はコンクリート舗装してあるのに、落ち葉が積もって腐葉土化し、エビネやら熊笹やらが、うじゃうじゃ生えて、とても登山コースとは思えない。 その内、嫌な予感が的中し、益山寺の裏手に出てしまった。 依然として、上へ登る道は見当たらない。 道が整備されていない上に、案内看板一つ出していないという事は、ここから登らせたくないのだろう。 沼津市のサイトには登り口として載っているが、この寺は伊豆の国市にある。 登山者が車で押しかけて、駐車場にされるのは、いい迷惑なのかもしれない。 諦めて引き返す。 ズボンがドロドロである。

  ロープウェイがある葛城山パークへ行って見ようと考えたが、まだ8時くらいで、開園していない。 とりあえず、場所だけ確認しようと思って、三津から長岡へ向かう道に右折したら、途中で、≪発端丈山・三津北登山口≫の看板を見つけた。 渡りに舟と再度トライ。 行ける所までバイクで行き、山道の手前に停めて、メットを持って登る。

  基本的に、象山の道と同じような急勾配である。 さすがに、鷲頭山のように這わなければならない所は無いが、距離が長くて、閉口した。 ここ数年で、もっともきつい行軍となった。 途中で上着を脱ぎ、更に暫く行ってから、帽子をかぶった。 服は汗でグジョグジョである。 頂上と思わせて、そうでない峰が三つくらいあった。 何で名前がついていないのか不思議だ。 その内の一つは、頂上よりも眺望が良かった。 頂上は広いが、森があるため、直ぐ下にあるはずの海は見えない。 富士山なら見えそうだが、生憎雲がかかっていた。 8時半から登り始めて、9時半に到着。 一時間も急勾配を登っていれば疲れるわけだ。 水は飲みきった。 ちょっと休んで下山。

  帰りは体力的には楽だったが、時間は同じくらいかかった。 途中、50代くらいの夫婦連れとすれ違う。 「あとどのくらいですか?」ときかれたので、「あと三分の一くらいです」といったら、「えーっ!」とたじろいでいた。 夫の方が、「どこまで?」と訊いたので、「発端丈山の頂上まで」と答えた。 この道は、更に先に進めば、葛城山まで行けるからである。 あまり驚くので、「ここまでよりは楽です」と付け加えたが、必ずしもそうでもなかったか。 まあ、行きずりだから、多少いい加減でもよかろう。

  10時半にバイクの所へ戻る。 上着を着て帰途に着く。 三連休の中日のこととて、伊豆へ向かう車は多いが、逆は少ない。 それでも信号で多少は渋滞した。 11時頃、家に着く。 すぐに風呂。 着ていたものをナップザックごと、洗濯した。

  これだけ動いて疲れないわけはなく、午後はエアコンが効いた居間で、ずっと寝ていた。
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  補足すると、この日の目的地は、≪発端丈山≫へ登る事です。 ≪発端丈山≫は、「ほったんじょうさん」と読むらしいですが、この変わった名前の由来は分かりません。 大雑把に言って、伊豆半島の付け根の、くびれた辺りの西側にあります。 ネットで調べたところ、登山口が何箇所かあり、内陸側の≪益山寺≫は、その一つ。 ≪三津北登山口≫というのも、その一つです。

  ≪口野≫や、≪重須≫、≪三津≫は、駿河湾の海岸沿いにある地名。 ≪葛城山パーク≫というのは、内陸の、≪伊豆の国市・長岡≫にある観光施設で、ロープウェイで、地上から葛城山の山頂まで行けます。 葛城山と発端丈山は繋がっているので、行こうと思えば、そちらからも行けるというわけ。

  ≪象山≫、≪鷲津山≫は、どちらも、沼津アルプスの峰で、うちの近所から登れる、私にとっては身近な山です。

  では、写真紹介へ進みます。



  7月20日、発端丈山へ登る為に、バイクで伊豆方面へ向かう途中、車が引っ繰り返っている所へ出くわしました。 こういう写真を個人サイトで公開するのもどうかと思いますが、ただ横倒しになっただけで、死傷者が出たわけでもなさそうだし、車のナンバーも写ってないから、まあいいでしょう。

  近所の野次馬がたくさん集まっていました。 普通車なら、10人もいれば起こせるんですが、その気配は無し。 もしかしたら、他にも関わった車がある事故で、警察でも待っていたんでしょうか。



  発端丈山の登り口の一つ、≪益山寺(ましやまでら)≫。 真言宗・高野山の末寺で、空海の創建だそうです。 弘法大師、よくよく深山幽谷が好きなようですな。 もっとも、沼津側から行くと山奥ですが、伊豆長岡側からだと、ちょっと山の上程度です。 昔は、海岸部より内陸の方が開けていたので、伊豆長岡側から入っていったんでしょう、きっと。



  ≪益山寺≫の名物、大楓。 静岡県指定の文化財です。 根回り、5.46メートル。 樹齢860年くらいだそうです。 大き過ぎて、全体が撮影できません。 紅葉の季節には、凄い景色になる模様。



  これも、≪益山寺≫の名物、大銀杏。 大楓と同じく静岡県指定の文化財。 目通り、5.3メートル。 樹高、25.3メートル。 樹齢350~400年。 こちらの黄葉も凄そうですな。 秋には、赤と黄色で境内が埋め尽くされるのでしょう。



  益山寺の近くにある、≪雄飛滝≫。 山道のすぐ脇にあって、歩いて通りかかれば、滝の水音が聞こえて来ます。 落差も水量も結構あるのに、知名度は低く、全くと言っていいほど観光地化されていません。 「雄飛」なんて名前を地元の人がつけるわけがありませんから、ごく最近になって知られるようになったのかもしれません。



  ≪雄飛滝≫は、岩の上を流れ落ちているのですが、この岩が少し変わっていまして、たぶん、元マグマです。 火山の地下では、マグマが放射状に地盤に貫入するという現象が起きますが、そのマグマが冷える時に、一定のパターンで割れ、様々な≪節理≫が出来ます。 これも、その一種ではないかと思われます。



  ≪雄飛滝≫のそばにある、≪発端丈山≫の登り口。 ここへバイクを置いて、ヘルメットだけ持って、登り始めたんですが・・・・・たまげちゃうじゃありませんか。 腐葉土と笹で埋った道を難行苦行で分け入って行ったら、≪益山寺≫の裏手に着いただけで、そこから上に登る道が分かりません。 結局諦めて、もと来た道を戻って来ました。 こんな看板立てるなら、登山道にも案内標識立てとけっつーのよ。



  ≪発端丈山ハイキングコース入口≫から入った山道ですが、こんな感じでした。 もう何年も人が通っていないのか、分厚く溜まった腐葉土が、たっぷりと湿って、足元ぐじゃぐじゃ。 しかも、驚いた事に、この腐葉土の下には、コンクリートの舗装面があるのです。 どうしたわけで、メンテを放棄したのか、その理由を知りたいです。



  ≪発端丈山≫の登山を諦めて、バイクで引き返し始めたんですが、その途中、≪三津北口登山口≫というのを偶然見つけ、そこから、再挑戦する事にしました。 これは、その登山口の脇にあった看板です。 「ゆつり」という見慣れない単語を発見。 よく見ると、誰かが薄い字で、「く」を補ってあります。



  というわけで、何とか登り終えた、≪発端丈山≫の頂上です。 標高410メートル。 「はひ~!」という声しか出ない険しさでした。 当然、写真を撮るゆとりなんかありません。 だから、登り口の次の写真が、頂上なわけです。 そのまま道を進んでいくと、≪葛城山≫に繋がるらしいですが、目的地がここだったので、「今日の所は、これくらいで勘弁」してやりました。



  ≪発端丈山≫の頂上は、思いの外、眺望が悪く、少し手前の峠の方が、下界が良く見えました。 おにぎり形の島は、≪淡島≫。 空き地が見える辺りが、≪小海≫集落。 手前側の町並は、≪長浜≫集落。 戦国時代には、水軍がたむろして、北条方や武田方に与して戦っていたらしいです。
  実は≪発端丈山≫は、富士山が美しく見える事で有名なのですが、この日は雲がかかっていて、全く見えませんでした。


  以上、かなり偏っていますが、この日の午前、半日で撮って来た写真の全てです。 登山口を見つけられずに彷徨っている間は、写真どころではなく、いざ山に登り始めてからは、思いの外きつい山道に、ひいこら言って、またまた、写真どころではなかったのです。

  この発端丈山で、登山の達成感に魅了された私は、この後、以前から登ろうと思っていたものの、なかなかその気になれなかった、≪愛鷹山≫へチャレンジする事になります。 その事はまた、次の紀行で。

2010/08/22

自転車病その後

  一週間経ちましたが、まだ、ロード・バイクは買っていません。 なにせ、ケチなので、高い買い物には慎重になるのは当然の事、買っても買わなくてもいいような物だと思うと、尚更、踏ん切りが付かないのです。

  ・・・、おっと、今気づきましたが、私は長い間、≪ふんぎり≫の事を、≪糞切り≫だとばかり思っていました。 「よく使う言葉だけど、何とも、汚らしい語源であることよ・・・」 と、呆れておったのですが、さっき変換してみて、≪踏ん切り≫と出て来たので、「おお、そうだったのか! そういう事なら、心置きなく使えるではないか」 と、喜んだ次第。 しかし、そんな事は、今回の話とは、何の関係もありません。

  実は、私の頭の中は、ロード・バイクを買うか、クロス・バイクを買うか、どちらも買わぬか、買うとしたら、どの製品にするか、どこで買うか、どこに置くか、いつ乗るか、といった事で満杯状態でして、こんな中間報告を書いている余裕は無いのです。 だから、今回は、かなり短いです。 これを読んでいる人の9割くらいは、ロード・バイクなんぞに全く興味は無いでしょうから、「短いくらいで、ちょうどよかろう」 という気がするのは、せめてもの慰め。

  歳を取ったせいか、元々極端だった性格が、ますます極端化しつつあり、一つの問題にぶち当たると、全力を挙げてそれを解決してしまわないと、他の事に手がつけられないような切迫した気分になります。 問題を一つ解決しても、すぐにまた次の新しい問題が浮上して来て、永遠に解放されないような気もするのですが、だからといって、問題を放置しておいてよいという事にはなりません。 嘆くべきは、その問題というのが、実に下らない個人的欲望に過ぎないという事ですな。

  この一週間で検討がどこまで進んだかというと、ほとんど進んでいません。 未だに、置き場所に悩んでいますし、ロードにするかクロスにするかすら、はっきり決まっていません。 置き場所なら置き場所、車種なら車種と、一つ一つ決めて行けば良いようなものですが、この二つの問題は密接に絡んでいまして、一筋縄ではいかない難問なのです。

  まず、ロードにする場合は、盗難対策として、起き場所は屋内が必須になります。 しかし、私は、家の中で、自転車を置ける場所を持っていません。 リコーダーを吹くのに使っている半間幅の押入れの下段なら、空けようと思えば空けられますが、そこに自転車を納めるためには、そのつど、前後輪を外してバラバラにしなければならず、乗る時は乗る時で組み立てなければならないので、面倒この上ないです。

  前回も書きましたが、うちの物置は、見れは見るほど汚らしい所で、5万円以上するような自転車を入れる気には毛頭なりません。 父のプレハブは、綺麗は綺麗なのですが、なにせ、父の占有している場所なので、頼んでOKして貰えたとしても、何となく気が引けます。 父ももう年寄りですから、私としては、その生活をあまり掻き乱したくないのです。

  残るは私の部屋で、音楽キーボードを片付ければ、自転車を立てて置くくらいのスペースは作れます。 しかし、二階ですから、自転車を上げ下ろしせねばならず、これが腰に来そうです。 腰痛対策に買った自転車で、却って腰を痛めていたのでは、本末転倒も極まるというもの。 前輪だけでも外せば、かなり軽くなりますが、それでも、あんな大物を担いで、階段を上り下りするのは、気が進みませんなあ。

  ちなみに、ロード・バイクや、クロス・バイクの車軸には、≪クイック・レリーズ・レバー≫というのがついていて、工具無しでも、簡単に車輪を外せるようになっています。 ただ、前輪に比べると、後輪はチェーンがかかっている分、始末が悪く、いつでもどこでもホイホイ気軽に外せるというほど、簡単ではないようです。 チェーンには当然、グリスがついているわけで、そんな物が、服やら壁やらにべたべたついた日には、自転車に乗ろうなどという気も無くします。

  二階に運び上げる場合、重量も大きな問題になります。 最も軽い物だと、ロードで、6.5キロなどという物もありますが、それは100万円近い高級品の話でして、私の想定予算である10万円以内で買えるものだと、10キロ前後くらい。 15万円まで範囲を広げると、8.5キロくらいのが出て来ます。 2キロ差があると、相当違うのであって、8.5キロなら、前輪を外さなくても、担げるかもしれません。 もっとも、値段の差が5万円もあると、「前輪くらい外せよ。 そうすりゃ、安い方で済むじゃないか」 と、逆に思わんでもないですが。

  軽ければ軽いほどいいとはいうものの、本来、その軽さは、レースなどで、少しでも速く走れるように盛り込まれた性能でして、二階に運び上げるために軽く作ってあるわけではありません。 正直のところ、私の事ですから、半年もすれば飽きるに決まっているのであって、そんなミーハーな趣味のために、15万円もする自転車を買うのは、私にとっても不幸、自転車にとっても不幸という気がするのです。

  クロス・バイクの場合、現在、折り畳み自転車を置いている場所に置けないでもないです。 カバーをかけておけば、シルエットはシティー・サイクルと変わりませんから、盗もうという奴もいないでしょう。 自転車の世界だと、ほとんど耳にしませんが、バイクの世界では、盗難対策の第一に挙げられるのは、カバーをかける事です。 見えないと、どんなバイクか分からないので、盗む気にならないというんですな。 嘘みたいだけど、私の経験から言うと、実際にそうです。 たぶん、自転車にも応用が可能だと思います。 しかし、もし盗られてしまった場合、クロスでも、最低2万円くらいはするので、結構には痛いでしょうな。


  最近、急激に高まった円高傾向で、ほとんどが輸入品であるスポーツ自転車は、定価が数割も下落しつつあるようです。 つい昨日も、ネット通販で、5万円を切るアメリカ製のロードというのを見つけました。 そんな物でいいんじゃないかという気もするんですよ。 どうせ、飽きるんだし。 安ければ安いほど、惜し気が無いってもんです。

  スポーツ自転車の場合、乗り手の体格に合ったサイズが重要なので、通販は危なっかしいわけですが、それに関しても、調べている内に、だんだん考え方が変わって来ました。 店で買ったとしても、結構いい加減な扱いを受ける事が多いらしいのです。 まず、買いに行った時に、その店が閑か忙しいかで、応対がまるで違うのだとか。 閑なら、股下を測ったり、実車に乗せたりして、丁寧にサイズを選んでくれますが、忙しいと、身長だけ訊いて、「はい、このサイズね」と、やっつけられるのだとか。 身長だけで選ぶなら、通販と変わりゃしません。

  この一週間の間に、数箇所の自転車量販店に足を運んだのですが、店員は、多くても3人くらいで、お客の数がそれを超えると、殺人的な忙しさになるようです。 ただ売るだけではなく、調整だの修理だの、様々な業務をこなさなければならないからでしょう。 ああいう、生き馬の目を抜くような情況で、「ロード下さい。 素人です。 一度も乗った事がありません。 サイズの事も全然分かりません。 えへらえへら」 などと笑っていた日には、マイナス・ドライバーで刺し殺されるんじゃないかと、想像するだに恐ろしいです。

  量販店は避け、閑そうな街の自転車屋さんを狙うという手も考えましたが、そちらもどうもねえ。 バイク屋や自転車屋には、人当たりの悪いオヤジがいると相場が決まっているのであって、今までの人生で私が知っている自転車屋二軒も、その例外ではありませんでした。 ゴムと油の匂いが漂う狭い店に籠って、こつこつ細かい手作業をしていると、だんだん偏屈になってくるんでしょうかねえ。 何となく、分かるような気もしますが。

  ロード・バイクを置いているような店なら、少しは広々しているし、そんな昔ながらの偏屈オヤジはいないような気もするのですが、それに賭けるのは、冒険になってしまいますなあ。 量販店と違って、気軽に入れんのですわ。 入るからには、そこで買う決心をして行かなければなりません。 また、街の自転車屋さんは、定価販売が基本で、イヤー・モデルはもちろん、型落ちでも値引きしてくれないのだとか。 量販店では、1万円近く引いている所もあるので、その差は大きいです。

  本やネットでは、「一年毎のオーバー・ホールなど、あとあとの事を考えると、自転車屋さんの方が安心」 と書いてあるのですが、私の場合、半年で飽きる可能性が高いわけで、一年先の事など心配しても、鬼に笑われるのがオチです。 そもそも、工賃の高さにはバイク屋で懲りているので、自転車を買ったとしても、整備を店にやってもらうつもりは最初からありません。 オーバー・ホールは、一万円以上かかるようですが、本当に全部分解しているかどうか、実に疑わしい。 汚れが目立つようなところだけバラして、洗浄して、給脂して、それで終わりにしているんじゃないでしょうか。


  おっと、ダラダラ書いている内に、思ったより長くなってしまいましたな。 この辺で打ち切りましょう。

  最後に。 連休中に、バイクで山梨県の甲府市までツーリングに行きましたが、その途上、ロード・バイクに乗っている人達を何人も目にしました。 非常に多かったのは、大きなリュックを背負っている青年達です。 「おいおい、冗談はよせよ・・・」 と思いましたっけ。 バイクですら、リュックを背負って長時間運転していると、肩や背中、腰が痛くなって、耐えられなくなります。 まして、前傾姿勢で乗るロード・バイクにパンパンに膨れ上がった重いリュックを背負って乗ったりしたら、背骨が変形してしまいますぜ。

  荷物を積む所が無いので、やむなく背負っているのでしょうが、根本的なところで間違えていると思います。 ロード・バイクというのは、旅行用の乗り物ではないのです。 彼らも、身に染みて、死ぬほど痛いでしょうから、それは分かっていると思うのですが、分かっていてもやってしまうのは、若気の至りというものでしょうか。 同じスポーツ自転車でも、旅行用には、≪ランドナー≫という特別な車種があります。 どうしても、ロードで旅行に行きたいのなら、キャリアをつけるしかないですな。 わざわざ大枚はたいて軽い製品を選んだ意味は、全く無くなりますが。

2010/08/15

自転車買いたい新書

  先日、≪自転車入門≫という新書本を読みました。 その本の感想については、後日、読書感想文の記事で紹介します。 掻い摘んで説明しますと、老境に差し掛かって自転車趣味に目覚めた著者が、クロス・バイクやロード・バイクを買った経緯、あちこち出かけて行った記録、自転車と健康の関係などを書き綴った本です。

  実は、この種の老いらく趣味の本はよくあるもので、自転車関連でも、類似書がちらほら見受けられるのですが、それはこの際どうでも宜しい。 問題は私が、この本を読んだせいで、≪自転車買いたい病≫に感染してしまった事なのです。 著者は自転車の専門家ではなく、全く畑違いの人で、本の内容も、さほど高いレベルではないのですが、にも拘わらず、手もなく、籠絡されてしまったのです。

  私とて、自転車は子供の頃から、二週間と空ける事なく、ずーーーっと乗って来たので、一家言くらいはあります。 今までに乗った事があるのは、子供用自転車が2台、中学生の時のセミドロ5段変速車、高校生の時のセミドロ6段変速車、家族共用の軽快車が歴代3台、それに、2007年に自分で買った折り畳み自転車といったところ。

  しかし、この本で私が魅了されてしまったのは、そういった普通の自転車ではなく、スポーツ車なのです。 何が違うといって、スピードが違う。 折り畳み自転車は、一応、スポーツ車の範疇に入るらしいのですが、スピードとは無縁であり、私には今まで、自転車とスピードを結び付けて考える習慣がありませんでした。

  スピードが出る自転車が存在する事は知っていましたが、そういう自転車は、競輪選手や≪ツール・ド・フランス≫のようなロード・レースの選手、大学のサイクリング部の部員など、特殊な身体能力を持った人達が使うものだと思っていました。 ところが、違うらしいんですよ。 幹線道路を走っているロード・バイク乗りの中には、単に趣味で乗っている普通の人達が、非常に高い割合で含まれているというのです。 皆さん、レーサー・スタイル、バリバリの服装で決めているので、素人目には見分けがつかないだけらしいのです。

  この本を読んでいて、最初に驚かされたのは、「ママチャリのスピードが遅いのは、サドルが低過ぎて、脚のエネルギーを有効に引き出せないからだ」 という記述でした。 寝ながら読んでいたんですが、「え! そういう事だったの?」 と、跳ね起きましたね。 論より証拠という事で、父の自転車(26インチ 3段ギア)のサドルを20センチくらい上げて試してみたところ、これが速い速い! 普段、てれてれ漕いでいるのと同じ自転車とは、とても思えぬ速さが出ました。 活動的興奮を覚えたのは、久しぶりです。 血が沸き立つとは、ああいう経験を言うんですねえ。

  サドルの高さは、ペダルが一番下に来た時に、膝の関節が僅かに曲がるくらいが、最も効率がいいらしいです。 股下の長さを測って、それに0.89を掛けると、クランク軸の中心からサドル上面までの長さが出るので、その数値に合わせて調整すればいいんですな。 これは、サドル調整レバーがついている自転車なら、すぐにでもできるので、是非お試しあれ。

  ただし、その分、低速での取り扱いは困難になり、危険性が増してしまいました。 足付きが悪く、さっと止まれないのが厳しいです。 また、トッブ・ギアまで使うので、停まるたびにギアを切り替えねばならず、これが結構な煩わしさ。 やはり、車やバイクと同じで、一つの性能に特化すると、他が犠牲になるようですな。

  速過ぎて歩道を走れず、車道に出るのですが、さすがに車の流れにはついて行けないので、冷や冷やしながら走らなければなりません。 車の方でも、邪魔で仕方ないでしょう。 しかし、あの速さは、一度経験したら忘れられない快感ですな。 エンジンに頼らず、自分の体力から生み出したスピードという点が、面白いのです。

  その後、別の本も借りてきて、更に詳しく調べたところ、知らなかった事がいくつも出てきました。 スポーツ自転車は、スピードだけではなく、適正な乗り方をすれば、背筋が鍛えられるので、腰痛が治る事があるというのです。 それまで、自転車競技というと、ハードなスポーツで、体を酷使するイメージが強かったですから、これは意外でした。 腰痛持ちの私としては、是非試してみたい療法です。 スピード感を味わえ、しかも、腰痛も治るなら、一石二鳥ではありませんか。 この時点で、むくむくと、≪自転車買いたい病≫のウイルスが、体の中で増殖し始めました。

  その後、川の土手に行って、何回か試しましたが、追い風と向かい風では、スピードが全然違う事に、今更ながら気づいた次第。 速い事は速いんですが、乗れば乗るほど、軽快車の限界を思い知ります。 腰を鍛えているというより、逆に痛めている感じ。 サドルを限界まで上げても、まだ適正な高さに足らんのですわ。 私の体格だと、26インチでは、小さいのかとも思いましたが、店へ行って、27インチ車のフレームをこっそり計測してみたら、何と、父の自転車より小さいではありませんか。 タイヤの大きさが、フレームの大きさを直接決めているわけではないんですな。

  軽快車には、28インチというのもありますが、価格は2万円台後半になり、結構な値段です。 それだけ出すなら、最初から性能が高いクロス・バイクを買った方が費用対効果が高いです。 ところが、ネットでクロス・バイクの体験記を読むと、ほとんどの人が、物足りなくなって、ロード・バイクに買い替えているとの事。 だけど、ロード・バイクといったら、レースに使うようなドロップ・ハンドルの自転車ですぜ。 私のようなスチャラカ自転車乗りが、そこまでやりますかね?

  ちなみに、クロス・バイクは、2万円からあります。 ロード・バイクの方は、最低でも6万円以上。 ハンドル以外は同じに見えますが、乗ってみると、全然違うらしいです。 クロス・バイクは、無帽でも乗れますが、ロード・バイクは、ヘルメットを被らないと、格好がつかないです。 あの、穴がたくさん開いた、妙に派手なヘルメットですよ。 格好以上に、えらいスピードが出るので、転倒した時に、無帽では命に関わるのだとか。 それは分かりますが、私の場合、バイク通勤しているので、休みの日までヘルメットを被るのは、勘弁して欲しいです。

  思い起こせば、私が高校で自転車通学していた頃は、女子は、≪ミニ・サイクル≫という、軽快車の前身のような自転車に乗り、男子はみんな、ドロップ・ハンドルの自転車に乗っていました。 もっとも、私は、ドロップ・ハンドル車がいかにも扱い難そうだったので、セミ・ドロップ車でしたけど。 それが今では、学生の自転車は、軽快車の一種であるシティー・サイクルに完全制覇され、ドロップ・ハンドルは、スポーツ自転車の専用装備になってしまったのです。 隔世の観あり。

  逆に言うと、昔の男子高校生は、プロが使うスポーツ・バイクと、ほぼ同じ形状の自転車に、ごく普通に乗っていた事になります。 ギアは、12段くらいはついてましたから、その気になれば、時速40キロくらいは出せたんじゃないでしょうか。 たぶん、私のセミドロ車も、サドルを上げて、適正ポジションにすれば、同じくらいのスピードが出たと思います。 いやあ、知らなかったなあ。 捨てるんじゃなかった。

  しかし、高校の頃ですら、ドロップ・ハンドルに恐怖を感じていた私が、この歳になって、あれを使えるものなんですかねえ? 物の本によると、人間の力を、最も効率よく自転車に伝えるためには、ドロップ・ハンドル車で、背中が半円を描くような前傾姿勢を取らないと駄目なのだそうです。

  でねー、そういう事を知ってしまったものだから、ドロップ・ハンドル車が買いたくなって、困っちゃってるんですよ。 最低でも6万円と、洒落にならないくらい高いのに。 またまた、物の本によると、ロード・バイクを始めた人の9割が、一年以内にやめてしまうのだとか。 うむうむ、分かるぞ、その気持ち。 格好よく、爽快に風を切って走るつもりだったのが、想像以上に疲れたり、行きたい目的地に行き尽くしたりして、出掛ける気が失せてしまうのであろう。 大人になってから始めた趣味に、よくあるパターンじゃて。

  断言しますが、私がロード・バイクを買ったとしても、必ず、同じ情況に陥いると思います。 

「すぐ飽きるに決まっている!」 (机ドン!)

  しかし、頭に情報を入れれば入れるほど、買わなければいけないような気になって来るのです。 現実的には、置く場所も無ければ、乗りこなせるかどうかも分からず、勢いで買ってどうにかなるようなものでもないのに。

  ストレート・ハンドルが付くクロス・バイクなら、誰でもすぐに乗れるみたいですが、ギアの枚数が多いだけで、学生が乗っているシティー・サイクルと大差ないという気がせんでもなし。 実際、泥除けと前籠を付けたら、シティー・サイクルと区別できる人は、あまりいないでしょう。

  また、クロス・バイクは、前傾姿勢が弱いので、背筋を鍛える上で、ロード・バイクほどの効果は望めないような気がします。 「クロス・バイクから始めて、前傾姿勢に慣れて来たら、ハンドルだけドロップに替えれば、ロード・バイクとして使えるだろう」 というのは、これからスポーツ自転車を始めようと思っている人のほとんど全員が、一度は考える事らしいです。 私も考えました。 しかし、実行する人は稀。 なぜなら、ハンドルを替えると、ブレーキ・レバーや、シフト・レバー、ワイヤーなど、ハンドルについている重要部品も軒並み替えなければならず、えらい高くついてしまうからだそうです。

  とりあえず、クロスで始めて、物足りなくなったら、ロードに買い替えるのが一番多いパターンらしいですが、どちらも、安い買い物ではないのであって、私のようなケチには、そんな贅沢な計画は、ほいほい受け入れられません。 買うとしたら、一台だけ。 となると、最終的に行き着くとされている、ロードの方になってしまうんですな。

  置き場所も厄介でして、外に置いておくと、あっという間に盗まれるらしいです。 さすが、自転車泥棒、専門家だけあって、目が肥えており、高い物は、すぐに見分けられるようです。 ロードの方だと、30万円でも、まだ普通クラスの価格帯と言いますから、そんなの屋外に置いときゃ、そりゃ、盗まれますわなあ。 たとえ、最低クラスの6万円でも、盗む方にしたら、いい標的でしょう。

  私が現在、折り畳み自転車を置いている場所は、家の道路に面した側で、自転車を出し入れしていれば、人目につきやすいです。 危ない危ない。 うちには物置がありますが、6万円もする自転車を置けるような綺麗な場所ではありません。 父が仕事部屋に使っていた、六畳のプレハブなら合格ですが、果たして、父が許可するかどうか。 とりあえず、訊いてみるか。 普通に置いたら、場所を取りますが、幸い、ロード・バイクは軽いし、前輪を簡単に取り外せるので、ラックを作れば、立てて置く事も出来ます。 それなら、OKしてくれるかも知れません。

  置き場所は何とかなるとして、本当の障碍は、乗る時間を作れない事でしょう。 今使っている折り畳み自転車の代わりにするとすれば、日曜の午後という事になりますが、週に一度、3時間程度乗るだけで、背筋が鍛えられるとはとても思えません。 土曜の午後も乗れば、多少は効果が上がるかもしれませんが、土曜は、掃除・洗濯・ブログの執筆など、雑用があって、何かと忙しいです。

  通勤に使うのは、問題外。 肉体労働をしているのに、片道18キロの出退勤を自転車で行なうのは、疲労が激し過ぎて、不可能です。 また、会社の駐輪所で自転車を盗まれる恐れも高いと来たもんだ。 会社に出掛ける前や、帰って来た後に乗るというのは、想像するだに地獄。 冗談じゃないですよ。 朝は一分でも長く寝ていたいし、帰って来たら、すぐ風呂入って、飯食って、寛ぎたいです。 つまり、どんな自転車を買うにしても、平日には使えないのです。 ホリデー・ユーザーしか選ぶ道は無いわけだ。

  もし、日曜の午後に、折り畳み自転車の代わりに、ロード・バイクを使うとしたら、出掛ける目的は写真撮影ですから、持って行くカメラをどうするかも考えなければなりません。 今使っている高倍率ズーム機のX70は、大き過ぎて、持ち運べません。 薄型コンパクト・デジカメを新たに買うしかありませんが、それでまた1万円飛びます。 やれやれ、生活パターンの変更は、難儀な事業だのう。

  そういえば、ロード・バイクで買い物に行くのは、かなり無理があるそうです。 そもそも、スタンドが無いのだから、店の駐輪所に置く事ができません。 ロード・バイクで出かけたら、走る事と、せいぜい写真を撮るくらいの事しかできないのです。 折り畳み自転車でも、籠が無いから、大きな物を買う事はできませんが、店を冷やかすくらいの事はできました。 ロード・バイクでは、それも難しいのです。 「軽さを求めてロード・バイクを買うのに、スタンドを追加するなど、矛盾している」というのです。 それは分かるけど、皆さん、不便だとは思わんのか? 本音を吐露して貰いたいです。


  という具合に、胃が痛くなるほど、悩んでいるわけです。 毎度の事ですが、何か欲しくなると、結局、買うまで、熱が下がらないので、今度も買う事になるのかもしれません。 今のところ、まだ、車種の選定まで進んでいないので、今日にも明日にも、というほど切迫していませんが、置き場所と、乗る時間の問題が片付いたら、バタバタと進展するかもしれません。 最低価格帯の車種は、どのメーカーでも種類が限られているので、あまり選択の余地が無いからです。

  そうそう、どこで買うかも、結構重大な問題です。 量販店なら、気楽だし、値引きもあるのですが、店員の知識量にバラつきがあり、素人同然の店員に当たると、えらい目に遭うのだとか。 スポーツ自転車は、適正ポジションが乗り手によって違うので、初心者のように自分でできない場合、店で調整してもらわなければならないらしいのです。 本やネットで調べると、「家の近くで、スポーツ自転車を扱っている自転車店を探せ」 とあるのですが、どの店が頼りになるか、初心者であればこそ、分かるはずがありません。

  「店との信頼関係は大切」 なのだそうですが、私が、車やバイクのディーラーと付き合った経験から言うと、店の人というのは、客をカモとしか思っていないのであって、信頼関係などというものが築けるとは到底思えません。 常連化すればするほど、仲良くなればなるほど、高い物を売りつけられるだけではありますまいか。 それなら、量販店で、自分が好きな物を安く買った方が、いっそサバサバするような気もするのです。

2010/08/08

カーテン

  私の家は、建ててから、もう30年以上経っていて、当然の事ながら、私の住んでいる部屋も、同じ年月を経ています。 私の部屋は洋室なんですが、窓が二つあり、どちらにも、同じ色柄のカーテンが掛かっています。 壁の色が薄茶色で、カーテンが茶色の格子縞。 この配色が落ち着いているためか、カーテンを取り替えようと考えた事は一度も無く、30年以上、ずーっと使用しています。

  また、生地そのものや、仕立てが丈夫で、一向に破れる気配が無いので、機能は新品の状態から全く低下しておらず、替える理由が発生しないんですな。 布団カバーが、せいぜい3年くらいで破れてしまう事を考えると、カーテンというのは、長持ちするものなんですなあ。 ただ吊る下がっているだけだから、布地に掛かる負担が少ないといえば少ないんでしょうが。

  もっとも、私の部屋とほぼ同じ作りの洋室で、以前は兄が使っていた部屋があるのですが、そちらのカーテンは、もう10年以上前に、他の物に変えられてしまいました。 カーテンは、同じ種類の生地だったんですが、色柄が黄色の格子縞で、汚れ易く、その上、兄はタバコを吸う人間だったので、やにで真っ黒け。 兄が結婚して家を出た後、父が兄の部屋で寝起きするようになりましたが、いの一番に汚いカーテンを捨ててしまいました。 汚いだけでなく、タバコ飲みの部屋というのは、カーテンに匂いが染み着くので、抹殺するしか無かったんでしょう。

  で、今、その部屋には、父が買ってきた、灰色っぽいカーテンが掛かっているのですが、これが、配色が良くないのです。 壁の色とも、床の色ともマッチせず、何だか、木に竹を接いだような、得も言われぬアンバランスぶりを醸し出しています。 私の部屋とは、雲泥の差。 いや、別に自分のセンスを自慢しているわけではないのです。 そもそも、私の部屋のカーテンの色は、私が選んだものではありません。 私が言いたいのは、部屋の設えの配色には、確実に良い物と悪い物があるという事なのです。

  私の部屋のカーテンの色柄を選んだのは誰かというと、実は兄です。 30年以上前の事ですが、ある悶着が絡んでいたので、忘れもしません。 家を建てる前、私と兄は、親からカーテンのカタログを見せられ、どれにするか選ばされました。 その時、私は黄色を選び、兄は茶色を選んだのです。 つまり、最初は、逆だったんですな。 ところが、いざ家が建ち、内装作業が始まると、カーテン業者が持って来たカーテンは、茶色と黄色が逆になっていたのです。

  私の部屋と兄の部屋は、ほぼ同じ作りなのですが、窓の大きさが違うので、カーテンは取り替えが利きません。 兄は、私の選んだ黄色を、「なかなか、いい色だ」と言っていたので、自分の部屋にその色が掛かる事になって、文句は無かったようなのですが、私の方は、激怒しました。 「業者が間違えたのだから、作り直させるべきだ!」と主張しましたが、厄介事を嫌った両親は、私の言葉を無視しました。 子供の部屋のカーテンの色なんて、どうでもいいと思っていたんでしょう。

  まったく、今、思い出しても胸糞悪い。 そんな、いい加減な腹でいたのなら、最初から、子供にカーテンの色選びなどさせなければ良かったのです。 業者も業者で、涼しい顔をして作業をしていましたが、苟しくもプロならば、自分の間違いを恥じ、自腹を切ってでも、作り直して来るべきでしょう。 親戚のおばさんに頼んだんじゃないんだから。 もし、事が今の話で、私が施主だったら、怒鳴りつけてやるところです。

  で、その時は、怒りで眠れないほどだったんですが、しばらく、茶色のカーテンの部屋で暮らす内、だんだん、その色に慣れて来て、何とも思わなくなりました。 一方、兄の部屋を見に行くと、最初、いい色だと思っていた黄色が、機能的に問題がある事が分かって来ました。 色が薄いと、部屋の明かりが外に漏れてしまうんですな。 遮光カーテンでなく、厚手の布一枚の作りだと、色の濃淡は重要な問題だったんですな。 ガキの浅知恵で、最初は想像すらしなかった事ですが。

  結局、半年もすると、私の部屋のカーテンの方が色がいいという評価が、家族内で確定しました。 兄は心中穏やかではなかったでしょうなあ。 本当は自分が選んだ色だったのですから。 私も徐々に、≪お得気分≫を味わうようになりましたが、最初、業者の間違いを強烈に指弾した手前、そんな事はおくびにも出さず、まだ不満があるような態度で暮らしていました。

  家によっては、カーテン無しで暮らしている人もいると思うので、一応書いておきますと、私が今述べているカーテンというのは、夜になったら閉めて、部屋の中の明かりを外に漏らさないようにする、厚手のカーテンの事です。 専門用語では、≪ドレープ≫と言うらしいです。 カーテンは普通、二重レールになっていて、もう一つのレールには、レースのカーテンを吊るします。 レースの方は、昼も夜も閉めっ放しです。 レースは、持ちが悪く、5年くらいで破れてしまいますから、今までに何回か取り替えています。

  私の家の隣に、三階建ての賃貸マンションがあるのですが、およそいい加減な建物で、カーテンはもちろん、そもそも、カーテン・レールがついておらず、夜になると、部屋の中が丸見えでした。 建築業者も建築業者、大家も大家ですが、住人も住人で、てめえの家の中が近所から丸見えになっているのに、よく、平気でいられたものです。

  何年かしてから、住人が自分でカーテンを付けたのですが、レールの取り付けには壁に穴を開けなければなりませんから、たぶん、大家と不愉快な衝突があった事でしょう。 部屋を選びに来た時に、カーテンやカーテン・レールをチェックし、どちらも無いようなら、そんな部屋は借りるべきではありません。大家が、考え足らずで常識知らずなのは明らかだからです。

  レースのカーテンは、昼間は外からの視線を遮ってくれますが、夜は無いも同然で、透け透けになります。 夜もレースだけで暮らしている家がありますが、一度外に出て、自分の家を眺めてみるべきですな。 五分もあればできる事ですけん。 もっと、馬鹿な家だと、「夜景を楽しむ」などと言って、二階や三階の窓際に座って、カーテン無しで寛いでいる所がありますが、自分から外は見えても、外から自分は見えないと高を括っておるのでしょう。 バっカっだっねー。 そういう生活がしたけりゃ、山の上に豪邸でも建てな。

  カーテンには、≪バランス≫と呼ばれる上飾りがありますが、これがあると無いとでは、雰囲気が大違いになります。 ≪上飾り≫とは言うものの、飾りというよりは、むしろ機能部品でして、無粋なレールを隠してくれます。 カーテン・レールが見えていると、何とも貧乏臭いです。 もし、これからカーテンを付けるのなら、店の人に、「レールを隠す布がついたタイプはありませんか」と訊ねてみるべきでしょう。 専門店でない場合、バランスという言葉を使うと、通じなかったり、勘違いされる可能性があります。 窓の構造自体が、レールを隠せるようになっている場合もあり、それならば、バランスは要りません。

  カーテンは、特殊な材質の物でなければ、洗濯機で洗う事が出来ます。 年に一度くらいは洗った方が良いと思います。 言うまでも無く、タバコ飲みがいる家では、もっと頻繁な洗濯が必要。 レースのカーテンは、古くなると、洗った時に破れますから、白い糸で修理不能と判断したら、その時が替え時になります。 これまた、知らない人もいると思うのですが、カーテンについている金具は、外れるようになっているので、洗濯前に全て外します。 一緒に洗うと、洗濯機を壊したり、金具を無くしたりしますから、要注意。 洗ったカーテンは、レールに吊るして閉め、窓を開けておけば、自然に乾きます。

  カーテンには、開いた時に胴の所で纏めるための、≪タッセル≫という帯がついていますが、これを必ずとめるかどうかは、部屋によります。 家族が集まる部屋や、客間などは、とめた方がいいと思いますが、自分以外入らない部屋であれば、とめなくても、別段問題はありません。 部屋に二つ窓があると、合計、四ヶ所とめなければならないわけで、結構な手間です。 毎日の事なので、無駄な労力なら、なるべく省きたいもの。


  カーテンをテーマに、記事を一本書けるかどうか心配でしたが、ああだこうだと結構書けましたな。 まあ、知っている人なら、みんな知っているような事ばかりになってしまいましたが。

2010/08/01

2010年・夏の読書

別に、土曜出勤があったわけじゃないんですが、読書感想文です。 ここのところ、勤め先で、操業ペースが不安定なのです。 新製品の試験流しのせいで、ライン停止が頻発したり、化成部品棟の火災で消防署の立ち入り検査を喰らい、丸一日稼動しなかったりで、マイナスが溜まりに溜まってしまいました。 作りきれない部品の箱が山のように積み上がって、「これで地震でも来た日には、崩れ落ちて、押しつぶされるんじゃなかろうか・・・」と、杞人も真っ青な有様。

  で、月末までに予定生産数が出ないというので、連続二直体制だったのが、前直を一時間残業延長し、後直は、一時間遅れて始まった上に、残業も二時間以上やって、帰って来るのは、朝の5時。 こうなると、連続二直なんだか、完全二直なんだか分かりません。 自動的に、昼間は眠る事になり、金曜明けの土曜の昼間も寝て終わるので、ここの記事を書く暇が捻出できないというわけです。 いやあ、長い言い訳でしたな。





≪ケータイを持ったサル≫
  ≪考えないヒト≫と、同一著者の、少し前の本。 ≪考えないヒト≫は2005年ですが、こちらは、2003年です。 どちらも、ほぼ同じテーマを扱っています。 この本が話題になったので、二匹目のドジョウとして、≪考えないヒト≫を出したのだと思われますが、内容は異なっていて、重複する部分はほとんど見受けられません。 その点、どちらから読んでも、それぞれに楽しめると思います。

  携帯電話が普及してから後、若い世代を中心に起こっている、社会の変化を観察し、原因を分析したもの。 ≪考えないヒト≫と同じように、「なるほど!」と頷かされる指摘が満載されています。 「ルーズ・ソックスや、靴の踵の穿き潰しは、外の世界を家の中の延長として捉えたい欲求の表われ」という分析など、目から鱗が落ちる思いがします。

  携帯メールを頻繁に使うグループと、携帯電話そのものを使わないグループを被験者にして、それぞれのグループ内で、実際のお金を使った投資ゲームをやらせると、携帯を使わないグループの方が、互いの信用度が高いのだそうです。 携帯を使うグループは、300人近い相手とメールを打ち合って、他人との交友に長けているように見えるにも拘わらず、信頼関係が希薄なのは興味深いですな。 「広く浅く」の典型例になっている様子。 まあ、300人もいたのでは、深く付き合うのは、現実的に不可能ですけど。

  後半、「40歳を越えると、社会的な賢さが衰える」というテーマが出て来て、該当する私としては、ギクリとするわけですが、その例を示すテストをやってみると、確かにできないのです。 表と裏に、数字とローマ字が書かれた4枚のカードを使ったもので、心理学方面では、有名なテストらしいです。 このテストを試すだけでも面白いので、立ち読みでいいから、カードの絵が出ているページを見てみると宜しい。 よくよく、問題を読まないと、まず、正解しないと思います。 これを40歳以下の若い世代が、より容易に解けるというのが解せぬ。 悔しいったら、ありゃしない。

  ただ、この著者、面白い発想をする人にありがちな事ですが、データを充分に集めずに、重要な事を判断してしまう傾向があり、些か眉に唾をつけておかなければなりません。

  他人も一緒に乗っているエレベーター内で、仲間内で平気で話をする割合を、昔と今で比較したデータを引用し、「昔より今の方が、他人の存在を無視する人が多くなった」という結論を引き出しているのですが、この観察場所は一箇所に過ぎず、明らかにサンプルが少な過ぎでしょう。 また、そのビルだけでなく、周辺の建物も変わっているのですから、エレベーターに乗り込んでくる人間の種類も、昔と今で同じとは限りません。 実験にせよ、観察にせよ、条件を合わせなければ、正確な比較データが得られないのは、科学の常識だと思うのですが。

  「人間は、大人になったら、親から離れて自立するのが当たり前」という考え方も、偏った見方だと思います。 それじゃあ、家を継ぐ為に、親と一緒に暮らしている人間はどうなるのよ? 何世代も重ねている家の当主は、みんな、親から自立できない半人前だったという事になってしまいます。 そういうケースを除外した場合を想定しているのかもしれませんが、それなら、一言、断りを入れてしかるべきでしょう。 不本意ながら、義務感から家を継いでいる人が読んだら、マジで激怒しかねません。

  とまあ、首を傾げたくなる所もあるにはありますが、それでも、面白い本である事は確かです。 ≪考えないヒト≫と合わせて、一度読んでおいて、損は無いと思います。




≪物語 バルト三国の歴史≫
  バルト三国、つまり、エストニア、ラトビア、リトアニアの歴史を概説したもの。 ≪物語≫と付いていますが、全く物語風ではないので、ご注意。 物語というからには、理解し易くなければいけませんが、そんな配慮は微塵も感じられません。 それでなくても、日本では馴染みの薄い地域なのに、しかも、三国を一纏めにして、歴史を語ろうというのですから、理解し易くなるわけがないです。

  この感想も同様の理由で何が何だか分からなくなる恐れがあるので、ちょっと先に断っておきますと、バルト三国は、バルト海に面して、南北に縦に並んでいる国々で、北から並べると、

・エストニア
・ラトビア
・リトアニア

  の順になります。 エストニアの北は、フィンランド、リトアニアの南は、ポーランドです。 バルト三国の東は、北半分がロシア、南半分がベラルーシです。 バルト三国の西は、当然、バルト海。

  言語は、エストニアはすぐ北のフィンランドに近く、ウラル・アルタイ語族のフィン・ウゴール語派。 ラトビアとリトアニアは、インド・ヨーロッパ語族のバルト語派で、言語的には、エストニアとラトビアの間に境界があるのですが、歴史的には、エストニアとラトビアは共に北欧やドイツの影響を受けたのに対し、リトアニアは、ポーランドと一体化していた時期が長く、別の文化圏とされてきたのだそうです。 もう、この時点で、頭が混線状態ですな。

  やはり、三国を一纏めにせず、一国ごとに分けて書いてくれた方が分かり易かったと思います。 必ずしも、編年体になっておらず、時代を進んだり戻ったりする所があるのも、更に理解を困難にしています。 読み終わった感想は、「なんだか、よく分からん」というもの。 確実に頭に入ったのは、第一次大戦後、三国がそれぞれ独立していた時期から現在まで、だけですな。

  この地の発展に、ドイツ人が非常に大きな影響を及ぼしたという点だけは、よく分かります。 ドイツ人は、中世以降、東方に植民を進め、プロイセン時代には、現在のポーランド北部も領土にしていました。 その続きで、バルト三国地域まで勢力圏を伸ばして、≪ドイツ騎士団領≫を作り、それが滅びた後も、商業を牛耳って、この地の実質的な支配者になっていたんですな。 数百年に及んだドイツ人による支配は、第二次大戦で、ドイツが東方の飛び地を全て失うまで続いたというから、凄い執念です。

  第二次大戦中、ナチス・ドイツに占領されていたバルト三国は、ドイツの敗北に伴って、ソ連に編入されるわけですが、この著者、どうも、ドイツに比べてソ連に辛いようで、ソ連の共和国だった期間を、暗黒時代のように書いています。 確かに、バルト三国の固有民族の人々は、ソ連から独立する事を願っていたわけですが、それは、ドイツに対しても同じだったのであって、ソ連ばかりを悪者にするのは、客観性を欠くというものでしょう。

  この妙な偏りを不思議に思っていたんですが、あとがきを読んで、納得しました。この著者、日本ではバルト三国に関する資料が集まらないというので、ドイツの大学で研究をしていたというのです。 なるほど、それなら、ドイツに甘くなりますわなあ。 バルト三国の歴史を調べるのなら、直接、現地で研究するのが一番だと思いますが、そういう事は考えなかったようで、初めて現地に行ったのが、ソ連末期頃だったというから、よほど、ソ連が嫌いだったんでしょうか。

  しかし、かつての植民地支配国であるドイツに行って、客観的な研究ができるとは思えません。 当然の事ながら、自分達に都合の悪い事は隠しているでしょう。 実際、この本では、ドイツ人による植民を悪い事として書いておらず、むしろ、「ヨーロッパ的な文化や、最先端の技術を齎した」という肯定的評価をしているのですが、所詮、侵略者は侵略者なのであって、そういう見方は、やっぱり、変でしょう。




≪アイ・アム・レジェンド≫
  テレビ放送された、ウィル・ミスミさん主演の映画を見て、原作を知りたくなり、借りて来ました。 ハヤカワ文庫です。 表紙を見れば分かるように、映画の公開に合わせて、改版されたもの。 ついでに、≪地球最後の男≫から改題したのだそうですが、別に映画に合わせたというわけではなく、原題が、≪アイ・アム・レジェンド≫だったようです。 つまり、元に戻したんですな。

  映画は、そんなに面白くなくて、≪ゾンビ≫の焼き直しみたいな話でしたが、解説によると、≪ゾンビ≫よりも、この小説の方がずっと早く世に出ていて、過去に三回も映画化されていて、≪ゾンビ≫も、その影響を受けて作られた作品の一つなのだそうです。 道理で、似ているわけだ。 ただ、この原作小説に出てくるのは、ゾンビそのものではなく、細菌戦争後、世界中に広まったウイルスによって人間が変異した、≪吸血鬼≫です。 伝説的な吸血鬼の生態を、科学的に説明しようとした、SF的試みと言っても宜しい。

  ≪地球最後の男≫という題がまぎらわしいのであって、映画でも原作でも、最後の一人ではありません。 ウイルスに冒されて、吸血鬼に変異してしまった人間がたくさん出て来ますし、小説の方では、単に凶暴なだけでなく、会話ができる者も登場します。

  映画同様、主人公は、まともな人間のたった一人の生き残りで、昼間は無人になった街で、食料や生活必需品を漁り、夜は自宅に籠もって、吸血鬼達の襲撃を避けて暮らしています。 犬も出て来ますが、映画と違い、最初からいるわけではなく、途中で出て来て、主人公の関心の的になるという設定。 女性も出て来ますが、それはちょっとし映画とは違っていて・・・・、いや、これ以上書くと、これから読む人に悪いから、やめておきましょう。

  この小説を単独で評価するのであれば、第一級のSFです。 映画との間に異同が大きいから、両者の評価がこんがらがって、ややこしくなってしまうのであって、小説は小説、映画は映画と、きっぱり分けて考えればいいんですな。 小説は、ちゃんと科学的辻褄も合っていますし、心理描写や情景描写など、文学的な面も優れていると思います。

  ≪アイ・アム・レジェンド≫、つまり、≪私は伝説だ≫ですが、この言葉は、ラストに出て来ます。  皮肉なんですが、「ああ、そういう意味だったのか・・・」と、呆然としてしまうような、深みがある皮肉なのです。 それは、小説でなければ理解できません。 映画でも、ラストに、別の人間の言葉として語られますが、それならば、≪彼は伝説だ≫と言うべきで、意味している内容が違ってしまっています。 映画の方は、単なるこじつけですな。




≪日本その日その日≫
  エドワード・シルベスター・モース博士の、日本滞在記。 モース博士はアメリカの動物学者で、1877年に、シャミセン貝の採取と研究を目的に、個人的に来日したのですが、滞在中に文部省に請われて、東京大学生物学科の創設に尽力したり、大森貝塚で日本最初の考古学的発掘をしたり、日本の家屋の構造についてアメリカで本を出版したり、日本の陶磁器のコレクションをアメリカの博物館に作ったりと、多芸ぶり多才ぶりを遺憾無く発揮し、八面六臂の活躍をした人物です。

  博士が来日したのは、西南戦争が終わった直後ですが、明治初頭とはいうものの、世の中の風俗・習慣は、まだ江戸時代からほとんど変わっておらず、伝統的な日本社会の様子が、正確且つ克明に描かれています。 博士はスケッチが得意で、この本には、博士が描いた絵が何百枚も入っています。 この頃は、まだ写真が一般化しておらず、スケッチの方が遥かに記録効率が良かったんですな。 よくぞ描き遺してくれたと感謝したくなるような、貴重な絵の宝庫です。

  モース博士、日本に来る前に、知人から、「日本に行ったら、いろいろと珍しい物を見るだろうが、とにかく、最初に見た時に、すぐに感想を記しておけ。 時間が経つと感動が薄くなって、同じ物を見ても、何も感じなくなってしまうから」と忠告されたのを忠実に守り、見たまま感じたままを、描いて書いて記しまくります。 もともと、興味の対象が広い人だったために、目に入るものを片っ端から書き留めて、当時の日本の記録としては、他に類の無い濃密な内容となりました。

  博士が行った所は、横浜、東京、日光、男体山、江ノ島、北海道、東北、九州、瀬戸内、神戸、大阪、和歌山、東海道、名古屋、京都と、ほぼ日本全土に亘ります。 当時は、まだ鉄道網は存在せず、人力車、徒歩、帆船、汽船といった交通手段だけで、これだけの場所を、ほんの数年内に踏破したのですから、大変な行動力です。 しかも、単なる物見遊山ではなく、魚介類の採集をしたり、古墳を発掘したり、陶磁器を買い付けたり、様々な仕事をこなしながらやったのですから、もう、超人的なエネルギーですな。

  博士は、来日する前から、日本贔屓だったようで、基本的に、日本の風俗習慣は、全てと言っていいくらい、誉めています。 「日本人は、礼儀正しい」、「日本人は、喧嘩をしない」、「日本の子供は、お行儀が良い」、「日本には犯罪者がほとんどいない」など、何だか、背中が痒くなるような言葉が並んでいます。 しかし、日本人としては、そのまま真に受けるのはどうかと思います。 「喧嘩をしない」などは、全くありえない話で、単に博士が見る機会が無かったというだけの事でしょう。

  唯一、「不合理で、馬鹿らしい」と言っているのは、火事の時の火消しの方法ですが、これも、後半になると、「それなりに合理性はあり、火消し達の勇気は大変なものだ」と、プラス評価に切り替えています。 ただ、これもかなり無理がある誉め方でして、日本にいる間に、どんどん日本贔屓の度が激しくなって、あばたもえくぼになってしまったものと思われます。 やっぱり、火事を消すには、纏を振り回す勇気より、性能のいいポンプでしょう。

  アメリカの習慣と比較して、日本の方を誉めるというパターンも多く、「アメリカ人は野蛮。 日本人の方が文明的だ」と論じるわけですが、さすがに、母国でこの本を出版する際には、反発を恐れたのか、「私は、そんなアメリカ人の特徴を愛している」と、末尾に付け加えています。 取ってつけたようなフォローをするくらいなら、最初から比較評価のダシにするような事をしなければよかったのに。 ちなみに、博士がこの本の中で、「アメリカでも取り入れるべきだ」と述べている日本の習慣の中で、現在のアメリカで取り入れられているものは、たぶん、一つもありません。 そればかりか、日本でさえ、すでに滅びてしまったものが大半です。

  この本に価値があるのは、この中に書かれている、ほぼ江戸時代の日本が、すでに滅びてしまったからだと思います。 「伝統文化とは、これほど完膚無きまでに失われてしまうものなのか」と驚愕するくらい、今の日本と、モース博士の見た日本は、違うのです。 もし、モース博士が現代の人で、現代日本に来たとしたら、恐らく、何の興味も抱かないのではありますまいか。

  アイヌ人の文化についても、細かい観察がなされています。 これは、日本の記述以上に貴重です。 アイヌ人の伝統家屋というのは、もうほとんど残っていませんから。 こういう記録を、日本人が残していないという、そちらの方が問題ですな。 当時のアイヌ人の髪型など、博士の描いたスケッチが無かったら、金輪際、知りようが無いのですから。

  全三冊で上下二段組みという結構な大著ですが、挿絵が多い上に文章が平易なので、読み難さを感じる事は、まず無いと思います。 日本人なら、一度読んでおいて、損は無いです。 知識・教養の足しになるという以前に、読んで面白い本なのです。 漱石や鴎外が書いた明治の日本よりも、モース博士が見た日本の方が、遥かにリアルに感じられるのは、不思議な事ですな。

  注意しなければならないのは、博士の観察は大変細かいですが、一方で、表面的でもあり、日本人の心理にまでは、踏み込んでいません。 厳しい言い方をすれば、「目につく物を、細大漏らさず記録しただけ」の本なのです。 日本贔屓のあまり、日清戦争や日露戦争が起こった後、清やロシアをこき下ろし、日本の対外戦争方針を誉めるといった、今から見ると、冷汗が出るような事も書いています。 表面的観察に終始して、日本人の内面を見抜く事を怠ったために、眼鏡違いを起こしたのでしょう。 ただ、その事でこの本を全て否定してしまうとしたら、生き生きとした当時の描写があまりにも惜しいです。


  今回は、以上の4冊まで。 どうも、私は極端な性格でして、一旦、読書を習慣にすると、とことん読み続けなければ気が済まない状態に陥りやすいです。 会社で休み時間に読むのも、もはや、強迫観念に背中を押されている感があり、一日たりとも、本無しではいられない体になってしまいました。 実際には、本なんて読まなくても、休み時間の10分くらいは、ぼーっとしているだけで、過ぎて行くものなんですが。 こういう生活も、そろそろ改めて、もっとスロー&ルースに暮らした方が、身体&精神に良いのではないかと思う、今日この頃です。